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#眠れない夜に孤独は大敵
w3sxi6 · 1 year
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RE:2022
地球最後の日、とでも言うように思い出の地を渡り歩く。家を出て右へいち、に、さん本目の横断歩道を渡って進めば広がる商店街。俺が中学へ進む頃に高齢化による店仕舞いが進み、塗装が錆で汚されたシャッターは次々と降りて行った。気付けば初めて手を繋いだ彼女と、初めて放課後に浮かれて寄り道をしたたこ焼き屋も、もうあと、ご本先の少し栄えた道路沿いに店を移動させていた。そんな風景を見て、都会の目まぐるしい進化と更新に対応できる人間にならなければ寂しい人生になると学んで、明日俺は、この街を出る。
両親は楽観的で、都会に宿が出来る、観光したい場所があるだ、と。夕飯を片付けた大机にパンフレットを広げて騒いでいる。同じ温度感じゃないと受け入れて貰えない空気感?息苦しくて仕方ない。目的地がコンビニだと嘘をつき、海を見に行こうと歩き始めた。海は世界中繋がって続いていると聞いていた。海辺の独特な磯の匂いも、風の強さも、音も偶然きっと重なる時が来るハズ。「ここ」の、「それら」を覚えておけばどの海を見たって「ここ」へ戻った気分になれるでしょう?
懐かしさが連れてくる孤独が増える度、足取りは次第に重くなっていく。普段よりも数倍の時間かけてここに辿りついた。時計を持たなかった俺に感覚が教えてくれる、今は夜と朝の間らしい。
暗闇の中で明日の準備をする微かな光と、冷え過ぎた風と俺...と、彼女。足首まで有ったスカートの裾を今にも折れて仕舞いそうな華奢な片手で捲りあげて、靴は何処かに投げ捨てて、...なんと言うか長い睫毛の先まで神経が通ってるような、繊細さと乱雑さがアンバランスな彼女。暫く風景として視界に写していたから、彼女が此方を見ている事に気付かず数秒を過ごした。視線がぶつかる時には、彼女は眉を顰めて不快感に包まれたような表情を抱えていた。
「 ... サノくん? やあっぱり、サノくんだ!はは、何してるの?私はねえ、カイコしてたの。明日から私、トカイの女性になるの。 」
不審者を捉えた訳ではなく、人物を特定する為に目を凝らしていたらしい。良かった。...しかしこんなに美しい人と既に知り合いだったのなら、ここは夢の世界であろうに、口の動きが対応しきれていない俺の苗字は妙に生々しく、久しぶり口走って仕舞いそうな程混乱した。
『 俺も、明日でトカイの男だよ。』
__ 彼女はきっと、こんな煌びやかな街にすぐに馴染んで、溶け込んで、最早消えているんだろう、とおもう...ことにした。今日も周りを見渡し、心に留まり孤独を埋め続けてくれた貴方と偶然に似た必然を創りたいなんて淡く期待するのです。
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kaoriof · 4 months
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Independently blue
感受性が豊かだとかいつも考えすぎだよの一言で自分のすべてを見透かしたかのようにわたしのことをとくべつ綺麗に表現してほしくなかった。というか、絶望や不安感や絶えない悲しみに美しさなんて微塵たりと存在しないと思っているのに、それを爽やかな笑顔を浮かべながら素敵だと言われてしまうと、わたしも捻くれた人間なのでより一層自分に対して惨めな想いばかりが募ってしまう。こんな調子だからいつになっても満たされないのだ。ずっと。自分で自分を縛り付けているような感覚に頭が痛くなる。何一つとして誇れるものを持ち合わせていないことに。家族や友人はたいせつだけれど彼らだってやっぱり一番大切なのは自分自身で、そういった意味では彼らもある種の寂しさを抱えているのかもしれないけど、それでも、と、ぐるぐる考えれば考えるほど自分だけが異様に変わっているように思えてきて耐えきれず泣いてしまう。
無題
世界はドラマによってうごかされていて、そのドラマによってわたしたちはうごかされている。と、高校演劇大会の審査員の演出家の方が言っていた。
ドラマの定義というのは最初に保たれていたバランスが何かをきっかけに崩壊して、そしてまたあたらしいバランスが構築される、というその繰り返しのことらしい。ここで大事なのはバランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のエネルギーの動きをしっかりと捉えて明確にするということ。そうすることではじめてハッ、となる瞬間がうまれる。ここでいうハッというのは新しい気付きのことで、これは今までは流れに流されていたものが急に堰き止めらたときに止むを得ず立ち止まり、改めて周りを観察し分析することで自分自身の置かれている立場を客観視できる、ということだと思う。バランスが崩れるということは何かが劇的に変わることを表していて、人間はそれに適応することに大体は切磋琢磨して多くの場合くるしくなったり悲しくなったりとネガティブな感情に追い込まれてしまうと思う。けれど演劇において、また人生においても同じことが言えるけれど、そこでは自らの感情に思うがまま身を委ねるのではなくてロジカルに思考をすることが大事になってくる。というのも、大きな衝動は複数の感情をより複雑に絡ませてしまい、そうするとまた今度はそれを解くことに必死になって小さなパニックが起きてしまうから。そうしてそのように自らを疲れさせないために情報量を極限まで少なくすると、はじめて人間はそこで現在進行形で起きている意外性というものに気がつく。そして大概この意外性、つまり思いがけない驚きや予想外の仕掛けというものは自分だけでなく他者にも影響を及ぼし、それがその審査員のいうハッ、という気付きに繋がるのかもしれない。
同情の有無にかかわらず人間への関心を失ったら演劇など出来ない、と審査員の方々が話すのを聞きながら、人生と演劇って似ているなあと改めて思った。自然であることと自然でないことはまったくもって違うけれど、実は紙一重なのかもしれない。
辛いことはたしかに尽きないけれど、そこでその辛い気持ちから自己防衛をするために自分自身を正当化し誰かを傷つけることは全くもってちがうし、それでは自分のかなしみはより加速する一方で、一向に幸せにはなれない。自信を持つ方法だとか辛い気持ちから脱却する方法だとかそういうことをつらつらと語る動画をたくさん見たら、元気が出た。今までにないほど散々汚い言葉を投げかけられて、ついこの間までもう自分には幸せになる価値なんてないのかもしれないとマイナス思考だったけれど、そんなことはない。幸せになりたい、という思いだけで充分だと思う。どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となる。ただ誰かを傷つけることで自分を正当化する人や人の心に深い爪痕を残そうとする人、自分自身を責めてしまう人や優しさや愛を素直に受け止められずに疑ってしまう人、いろいろな人がいるけれど、その人たちを責めることもまた全くちがうことなのかもしれないと思った。わたしは今までは悪いことをした人は絶対的に悪い、と一方的に思っていたけれど、そのうしろにはその人にしか分からない苦しみがあるのだろうし、それはその人自身によるものだけではなく環境によるものだという可能性だってある。冒頭で述べた、「バランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のうちのエネルギーの動き」というものを自分の根本にある愛やだれかから受け取る愛の不十分さゆえに消化できず、他のものでそれを補い上書きしつつ誤魔化すことで、彼らも彼らなりに自分と向き合うとしているのかもしれない。これはあくまで仮定だけれど、そう思うことでわたしも心が軽くなる。辛いとか、幸せとか、気にしなくなるほど愛に満ち足りた生活をしたい。ゆるしたい。自分が侵してしまった失敗や罪も、自分を傷つける人たちの言葉も、上手く物事をこなせない自分自身のことも、幸せでない過去のことも、ぜんぶゆるしてあげたい。号泣しながら鏡を見たら予想以上に顔がぐちゃぐちゃだったので綺麗だった、なんて微塵たりとも思わず、むしろそれを汚いと思ってしまったけれど、それをいつかあの頃の美しさに生かされていると言えるほどの愛を自分のために抱えて離したくない。
無題
丁寧に髪をとかすともう0時だった。ピピピというメロディとともにコンビニのドアは開かれて、わたしはそこで煙草を買おうかと思うけれどもやめる。憧れている女の子が新宿区の高校に通っていることを知って、落ち込んで舞い上がって、そうしてまた落ち込んだ。こんなにも近くで同じ景色を見ているのにわたしはどうしても彼女と同じ世界を生きることができない。等しい恐怖心ともどかしさを感じながら寂しさを分かち合いたかった。彼女がきれいだと思うものをわたしもきれいだと思いたいし、彼女が眠れない夜にはわたしも眠れずにいたい。となりで同じ蝉の鳴き声を聴いて、電車が過ぎ去ってゆくのをみて、風が、草はらを駆け抜けてゆくのをみた。けれどその一瞬のうちですら、たぶんわたしと彼女はきっとそれぞれ異なるひとのことを想って、それぞれ異なる色と匂いと温度と光をかんじている。わたしは彼女がかなしいと思うときにおなじようにかなしいと思えないのだ��それほどもどかしいことはないし、それほど愛おしいものもない。わたしの孤独はわたし一人だけで成立しているものではなくて、わたしの大切なひとたちがいてこそのものだと思うと、それだけで眠れなかった夜が嘘みたいに今度は眠りたくない夜になる。満たされていないからわたしは海をきれいだと思うのだろうし、なんの迷いも戸惑いもなく未来に眩さや希望やあたたかな愛を見出すことができるのだと思う。満足することを知らず、いつまでも世界のありとあらゆるところまでつねに感じていたい。うしなわれた光と温度と音が知らない地でまたあたらしくうまれるところを、ずっととおい国のちいさな街で暮らす少年の報われなかった恋を、インターネットの��で未だに煌めきを失わず残ることばの数々を、千年前に生きていた十七歳の少女が今を生きるわたしのそれと同じ眼差しで、同じ場所で、同じ海を眺めている様子をみたかった。恐竜の鱗が光にてらされてかがやいているのもみたかった。この風は、まだ人間が人間じゃなかった頃に吹いていた風かもしれない。同級生のこととかたとえば自分の数年後のこととか明日の試験のこととか考えているうちに、きっとたぶんあっとういうまにわたしは歳を重ねて死んでしまうから。あなたも。死は永遠に続く停止ではなくて、またあたらしい有限への始まりにしか過ぎないのかもしれない。昔の文章、はずかしすぎてマトモに読めなかった。一年前のわたしだったら全部削除していたかもしれない。だいたい、あなたにはなれないと分かっていながらあなたになりたいなんて思ってしまったわたしがわるかった。わたしは全然自分が思っているより幸せだし、あなただってきっとあなたが思っているより幸せなのだと思う。それにそうだねと言えないのなら、わたしが幸せにしにいくから泣かないで。
Fresh Flesh
苛々してばかりいる。排気ガスを吸い込んだ朝の光。どこまでもぬるい夏の風。孤独を拒絶する友人。数値化された感性。立ち並ぶビル群。声のでかい女。ぜ〜んぶ、ほんとにぜんぶ、まるで雷光のようにわたしの心の奥の奥の奥のほうをカッと照らすので、まぶしくてひたすらに鬱陶しい。だけど舌打ちも暴力も歯軋りも性に合うはずがないので、ただ血液だけが巡るその速度を速め、ああ、もうさ、どうしてこんなに世界って鮮やかなわけ?って、思った、昼。あらゆる音がさっきまで飲んでいたシュワシュワサイダーの泡みたいに空気中を弾ける。ぽつ、ぽつ。びゅうびゅう。ざあざあ。びたびた。ぱらぱら。すぐそこで揺れている深緑(ふかみどり)が泣いているみたい。小鳥や野良猫は雨の日どこで雨宿りをしているんだろうか。ショッキングイエローも、スモーキーピンクも、オーシャンブルーも、わたしたちはすべて黒い色の文字で表現できてしまうのに、心がぎゅうってなるあの感覚って、どんな言葉を選んでもなにかが違う。途中でこうじゃないって投げ出してしまう。どれだけ小説のページを繰っても、黒、黒、黒、そうして少し、余白。けれどそこにはそこにしかない風があって、匂いがあって、音があって、熱があって。先生の合図とともに重たい教科書を開いて、ハイライターで色をつける。まだあと二十分もある、って思うとき途方も無い気持ちなる。(おねがいだから一人にしてほしい、)と、一人なのに、そう思う。これからどうすればいいんだろう。どうなるんだろう。何をすればいいんだろう。何を守るべきで、何を捨てるべきなのか、わかったら、なんの迷いもなしに会いたい人たちの元へと駆けて行けるのに、わたしがいなくても彼らの生活は成立してしまう。その事実が毎日のようにわたしの胸をきつく締め付けるので、勉強さえ手につかない。夏の夜の闇に、重ねに重ねた不安を押しつぶされそうになって、怖くなって、ママが深く眠っているのを確認したあと、あたかも人が眠っているかのように部屋の布団を整えて、玄関のドアをゆっくり、すごくゆっくり開けた。レッドのマットリップと、ドット柄の上下パジャマのズボンと、上はダボダボのブルーのパーカー。午前零時。自転車のギアをいちばん重いのにして、全速力でペダルを漕ぐ。まだたくさんいる人々の話し声や車のエンジン音が瞬く間に遠のいていく中、車輪の回転する音だけが一定の大きさで響きわたる。往復およそ三百円の通学路と、京浜東北線。光が差し込むと肌が透けてみえる白いブラウスと、微かに香る柔軟剤のにおい。テスト前、教科書がパンパンに入ったリュックサックの重さと、かかとの磨り減ったローファーの鈍い光沢。小さな教室と、先生のつまらない冗談。どっと響きわたる笑い声の中に掻き消された不安定な思考。すべて、いつか、終わってしまうことがちっともさみしくないと思ってしまった。ゆるしてほしい。だって、いつだって死ぬことは生きることの一部。怖いモノなど無いと信じたいでしょ。
無題
上野で車に轢かれた鳩の死骸をみた。車窓に映る風の如く過ぎ去ってゆく光景はあらゆるモノの死の産物なのだと、いつか君が話していたのを思い出した。それに感化され涙を目に浮かべるわたしもまた、いずれ消えてしまう。雲ひとつない晴れた日に駅の出口で名前も顔も知らない人を待ちながら、点滅する青信号に早まる人々の足取りを目で追う。断ち切れた水道管の真横でカラスがゴミを漁っていた。彼も彼女もこの街ですらいつか朽ちてゆくのに、世界はなぜこうも美しく出来すぎているのだろうかとよく考える。降ってくる雨粒の鋭さに刺され出血することもなければ、太陽の光によって皮膚が火傷することもない。風の強さで眼球が吹き飛ぶこともなければ、鳥の鳴き声で鼓膜が破れることもない。そのやさしさがたまに鬱陶しくて鬱陶しくて、真夜中に布団に包まってひっきりなしに泣く。ああ、やってらんないなあと思いながら、チョコレートパフェを注文する。向かい席に座った顔見知りになって間もない女性が煙草を嗜む、その姿に恋心にも似たときめきを覚えた。文豪たちが綴ったうつくしい言葉が無数に散らばる図書館で、わたしと彼女は自分たちで編み出したくだらない戯れ言に花まるをつけた。いつか、という言葉が好きだ。いつか大丈夫になる。いつか幸せになる。いつか報われる。いつかわたしにも大切な人が出来る。いつか大人になる。いつか死ぬ。その果てに見える景色があらゆるモノの死の産物だとしたら、わたしは毎日それらを瞼の裏に葬り、目を閉じて祈る。人生にリタイヤもバッドエンドもエンドロールもない。それよりも踊ってばかりの国のサイクリングロードを聴きながら、ドライブしよう?
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gobangiri-news · 5 months
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4月23日(火)完成披露舞台挨拶付先行上映会オフィシャルレポート!
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このたび、映画『碁盤斬り』の豪華キャストが勢ぞろいし、4月23日に完成披露舞台挨拶付先行上映会を開催いたしました!本作は、草彅剛さんが冤罪に貶められた浪人・柳田格之進役に挑み、時代劇を初めて手掛けることとなった『孤狼の血』の白石和彌監督との強力なタッグが実現した感動のリベンジ・エンタテイメントです。本日は、草彅剛さん、清原果耶さん、中川大志さん、奥野瑛太さん、音尾琢真さん、市村正親さん、斎藤工さん、小泉今日子さん、國村隼さんというオールスターキャストと白石和彌監督が登壇した舞台挨拶を実施しました。撮影中のエピソードや、映画の内容にちなんで《リベンジ》したいことなどについてトークが展開され、大盛り上がりの舞台挨拶となりました!
寡黙な武士、柳田格之進を演じた草彅さんは、舞台挨拶冒頭から満面の笑みを浮かべ、充実感を漂わせました。撮影以来となる共演者との再会をよろこび、「みんなのグルーヴがすごくいい!」とニッコリ。自分の持っているものすべてを出し切れたと話した草彅は「幸せな環境で映画が撮れました」と報告し、大きな拍手を浴びました。撮影現場は作品に関わるすべての人、職人のこだわりが詰まっていたとし「みなさんのおかげで(格之進を)ちゃんと演じられました。代表作になったと思います!」と役を演じ切ったと胸を張っていました。格之進の娘・お絹役の清原さんは「現場で草彅さんを見かけるたびに、“父上”という気持ちになって。格之進として佇んでいらっしゃって、とても支えられました」と感謝。父・草彅さんの背中を「追いかけられたらいいな、支えられたらいいなという思いで見つめていました。草彅さんのおかげでお絹ちゃんとしていることができたと思います」との清原さんの言葉に草彅さんは「その言葉、一生大事にします!忘れません」と返し、父娘のほっこりトークで和ませました。萬屋の亭主・萬屋源兵衛役の國村さんは「タイトルにもあるように碁盤を挟んだシーンがたくさんあります。碁がテーマでもありますが、碁のシーンを通して、格之進の性格を伝えていくという意味合いもある作品です。碁のシーンで格之進の中身が変わっていくのを感じられると思います」と笑顔でアピールしました。萬屋の手代・弥吉役の中川さんは「すごくピュアで真っ直ぐな武士の子。小さい時に源兵衛に拾ってもらい、息子のように育ててもらった青年です。映画の中で起きる事件に大きく関わるという役どころ。囲碁がベースになっていますが、とても親近感のある、身の回りで起きるような出来事を描いた作品です。弥吉のポジションは苦しいけれど、応援したくなるような弥吉になればいいなと思いながら演じました」と役作りを振り返りました。音尾さんが演じた萬屋の番頭・徳次郎はトラブルの発端となる役どころでいわばトラブルメーカー。中川さんが「あの人のせいです!」とトラブルを引き起こした音尾さんを指さすと、「トラブルを起こして申し訳ありませんでした」とお詫び。中川さんと音尾さんのトークのコンビネーションで会場を沸かせました。撮影現場で印象的だったのは座らない草彅さんの姿と明かした音尾さんは「神経が研ぎ澄まされているのでしょうか。本番に合わせてググッとフィットしていくために、研ぎ澄まさせている姿を見ていました。今日は現場と違ってかなりふわっとしています」と撮影中とイベントでの草彅さんのギャップを指摘。音尾さんのコメントに「ありがとうございます、高倉剛です」と撮影現場で座らないことで有名だった高倉健さんになぞらえ、キリッとした表情を見せ笑いを誘った草彅さんは、座らない理由について「5秒で眠くなっちゃう(笑)。みんなよく眠くならないよね。僕は夜10時には寝るけれど、座ると眠くなっちゃうんだよね」とマイペーストークを展開し、会場を笑い声でいっぱいにしました。すべてのキャストと絡みがあった草彅さんは、撮影中のエピソードを次々と披露。音尾さんについては「ずっと写真ばっかり撮っているカメラ小僧」とニヤリ。「この話でいいの?」と確認しつつ、カメラトークは止まらず、中川さんに至っては音尾さんにすすめられたカメラを購入したことも明かされました。自身のトークの順番だったにも関わらず、どんどん共演者とのエピソードを話し続ける草彅さんに時折ツッコミを入れ笑わせた音尾さんはしっかりと作品に触れる場面も。「いい役をもらいました。今年も白石監督にお歳暮を送ります」と白石監督作品常連の音尾さんならではのおなじみのフレーズで盛り上がりました。國村さんとの共演シーンを振り返ると、「春のシーンだったけれど、実はすごく寒くて。映像では綺麗に映っているけれど本当は寒いんです!」と草彅さんが撮影時の裏話を暴露。國村さんが「きっと寒かったんやろうな、って思いながら観てください」と舞台挨拶後に鑑賞予定の観客に呼びかけると、草彅さんは「僕(格之進)と國村さん(源兵衛)のラブストーリーにも注目してください!」と本作のおすすめポイントを伝えました。格之進と因縁のある武士・柴田兵庫役の斎藤さんは「ずっとかっこいい!」と大絶賛の草彅さん。「佇んでいるだけですごくクール。なんでいつもそんなにかっこいいだ、チクショー!という気持ちを込めました」と対峙シーンへの意気込みを解説し笑わせました。町の親分・長兵衛役の市村さんについては「すごく気遣ってくれる大先輩」と感謝した草彅さん。「いつも元気ですごい。役者として見習いたいので、健康法を教えてくださいと訊いたら、親が元気なので、と言われて(笑)。遺伝だからって。元も子もない!」と大先輩からのアドバイスを期待しましたが、まさかの回答があったことも明かし、笑い飛ばしていました。彦根藩の藩士・梶木左門役の奥野さんについては「ずっと途方に暮れていた」と撮影現場での様子をレポートした草彅さん。共演者全員との撮影を振り返り「僕はみんなと交流があったので!」と一緒のシーンがなく、今日が初めての顔合わせとなるキャストへの気配りで、いろいろなエピソードを公開したと説明しました。「役柄としては非常にクソ野郎です…」と小声で話した斎藤さんの役作りは「正義への考え方」だと解説。正義の反対は悪ではない。もうひとつの正義という気持ちで兵庫なりの悪を演じたとし、格之進役の草彅さんとは「最小限の動きの競技である囲碁と殺陣。静と動、2つの対峙をやらせてもらいました。どんなに熱を沸騰させた状態でいても、格之進と対峙すると水が変わるというのでしょうか。研ぎ澄まされた空間になってしまう。そういう格之進に静かに鳥肌を立てながら撮影していました」と語りました。このコメントを聞いた草彅は「かっこいい…。“静かに鳥肌を立てながら”っていうセリフもらいます!」とニヤニヤ。これまでの斎藤さんとの共演経験を踏まえ「(対峙の)集大成のようなシーンが撮れました。感謝しています」と深々とお辞儀をしました。演じた役柄について奥野さんは「格之進に常につきまとっている役。格之進が実直で、健気で、武士らしい姿を見せてくれるので、全幅の信頼をおきながら、ただただついていく。彼の背中をただただ執拗に追いかける役です」と独特の表現で分析し笑いを誘いました。草彅とは29年ぶりの共演となった小泉さんは「まだ剛くんが20代前半だった頃。少年っぽさが淡く残っていた時にテレビドラマで共演して。放送が始まって剛くんのキャラクターが人気になって、出番が増えていき、キャラクターが大きくなっていったのを覚えています」としみじみ。「当時から演じることを楽しんでいたし、すごく素敵でした。久しぶりにお芝居を一緒にしたけれど、背中が素敵で。主役としてすべてを背負って引き受けている姿に感動しました。この背中の役に立ちたいと思いながら、お庚という役を一生懸命演じました」と話す小泉さんに草彅は「キョンキョン大好きです!」と答え会場を盛り上げました。さらに草彅は17年ほど前に小泉さんからプレゼントされたTシャツにサインをしてもらったエピソードも明かしました。「和柄で、今回の作品に合っていて。撮影中の2週間、パジャマにしてました、洗わずに(笑)」と付け加え、さらなる笑いを誘いました。「春の撮影で花粉症がつらそうだった」と撮影中の草彅の様子を思い出した小泉さん。すると草彅が「かゆいし、鼻をかむと髭がとれちゃう。鼻をかむたびに(メイクの)直しが入って。それが1番大変だったかも」と撮影時の苦労を明かす場面もありました。市村さんとは「いつか一緒にミュージカルを!」という話で盛り上がったみたいで、イベントで草彅がその話を続けようとしたところで「今日は『碁盤斬り』の話をしましょう!」と市村さんが脱線を防ぐナイスなフォローを見せて会場を笑わせました。本作で時代劇に初挑戦した白石監督は「日本の映画史は時代劇とともに発展しました」と切り出し、「スマホの寄りを撮らなくていいなど、(現代劇とは違う)発見がいろいろとありました。今後もぜひ、時代劇に挑戦したいです」と充実感を漂わせました。こだわったのは江戸時代の光源だとし、限られた光源でどれだけの表現ができるのか、かなり攻めたとも話しました。さらに「普段はフレームからはみ出るような荒々しい映画をと思っているけれど、今回は美しい映画をという思いがありました」と初時代劇への見せ方にも触れ、注目してほしいポイントです。作品にちなみ“復讐したいこと”を尋ねられた草彅さんと清原さん。草彅さんは「今日の舞台挨拶をもう1回やり直したい。リベンジしたい(笑)」と少し俯き、「テレビカメラとかいっぱい入っているのに、どこが切り取られるんだろうと急に不安になってきて…」とここまでの自由なトーク展開を苦笑い。「では、私はそのリベンジを応援します!」と気合いを見せる清原さんに草彅さんは「清原さんはちゃんとしてたよ」と優しく返答。「これだけ(キャストの)みんなが集まるのは最初で最後かもしれないのに…」としながらも「映画をたくさんの人が観てくれたらリベンジできるかも!」と、今後もイベントが開催されることを願いつつ、たくさんの鑑賞を呼びかけるというナイスなPRで大きな拍手を浴びました。最後の挨拶では本作の宣伝を務める観客に向けて、SNS投稿時の「#(ハッシュタグ)」も発表。「#碁盤斬り」もしくは「#ごばんぎり」とのこと。「漢字は難しいから、ひらがなでもいいです。ご飯じゃないよ、ごばんだよ。このフレーズ気に入っているけど、いまいちウケなくて…」としながらも、最後までしっかりと映画を宣伝し締めくくりました。  
■英語タイトル“BUSHIDO(ブシドウ)”として 4月に開催されるイタリアのウディネ・ファーイースト映画祭のコンペディション部門での上映も決まっております。 さらに、フランスの配給も早々に決定しました。フランスの配給会社、ART HOUSE FILMS(アートハウス・フィルムズ)社の社長エリックさんからコメントをいただきました。 「演出も俳優陣の芝居もとてもいい。この映画は侍映画の伝統を引き継いでおり、とてもエレガントでよくできている」
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pureegrosburst04 · 7 months
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無印04(11歳)「脳がどれだけ尖った発達をしようと生命活動が出来ない程萎縮しようと人は変わらない。力が無くては何も出来ないのが高遠夜霧(のんきで善良だから対等な相手に勝てやしない、しかしだからこそ癒しを見つける長所は高等な力を手にするに値する。能力に比例する幸福 {{俺の敵じゃないがな🥴}(赤き真実)})で力があったら自殺するのが表版仮想大鉱山だ(赤き真実:成長する上で避けられない勇気と教養が自分自身の人格を否定する、馬鹿にしてきたコンテンツを知る度に返ってくる嘲笑。強くなる度に現世に疲れる使えない小物)」4索グリーン/刀足軽「すげえ……俺達は逆境に強くてチート退屈が嫌いな優等種なのか……」無印04(11歳)「そうじゃないんだが…まあいい。森永雅樹から日記は受け取ったか?」1索グリーン/刀足軽「はいB(📘)」無印04「それじゃない」1萬レッド/手長「これですか?F(📗)」無印04「違う」1筒ブルー/闇甲冑「これ?TG(((📙)))」無印04「それだ」
表版仮想大鉱山下っ端3人「官能小説をその年齢で好きとはねえ、予言する。テメェは😁🖐️所詮俺達と同類よ」
一人になった無印04は未来予測TG(トゥルーグランド書)54ページを読み始めた
内容➡︎[この2次創造世界ですら中間のパワーバランス的立ち位置の“””霧島04(裏ストボス)”””ごときとは違って”””””エルンスト・フォン・アドラー(19歳)”””””はマジで別格。この人に対抗する為にはまだまだ戦力が足りない 共有緑知(ヴァストローデ)が4096人居れば63.22%の確率で勝てるかもしれないが、どんな絶望の象徴にも必ず牙が届く””””B(バグ)の本質””””とは異なり実力が近い敵に華麗な闘いを繰り広げる”””F(フェア)に特化”””したポリシーのような有り様を背負った彼女達にとって”””””ゲゼルシャフトの幹部単体”””””はこれ以下の人数で通用するような生温い色違い伝説厳選などでは決してない決定的な違いが幾つもある。ひょっとしたら一騎当千とは{{{🏴‍☠️一桁違う☠️}}}かもしれない(紫の真実) あと霊猫蒼海ファミリー(永遠の正統派処女童貞サドビッチーズ)は共有緑知・ザ・ヴァストローデ(Hなお姉さん、一部両刀買春してる)が色々な意味で苦手、タイマンだと命の奪い合いにならないばかりで自分だけ真価を発揮できず戦闘でも負け濃厚。もしも最上位現実だけにしか存在しない本体で動いてる時限定の純潔を守る究極絶対個性のローザミスティカ💠がない肉体を動かしている下位現実🌿でのケースだと……顔を赤く染めてもどかしく文字にならない鳴き声をあげながら無理矢理性的な意味で食われまくってる。その挙げ句に噂を聞いたF(フェア)の仲間にいい顔してる美形はみんな食べられかけ…w///はしたないと思わないのかなぁ?💚Wと理不尽に煽られてブチキレる💢(どうやらポケモン界では、””””デンボクさんとチャンピオンダンデとクラベル校長””””に貞操を守って貰えているらしい👍🫨。ヴァストローデ達が善良だからこそ頭を悩ませるガッカリ感と向き合わなくてはならないようだ)]]
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これと似た世界、複製電脳軍要塞の上級住人はテレビゲームがヘタクソで、……悪質な暴言を一般国民から受けて勝負に負けた場合、権力を使い、特定してからバレないよう麻酔ガスを送り込み、美形だったら眠っている間に種搾りプ◯スをして記念写真を撮って憂さ晴らしをする最低な個体が居るとの事。俺達が止めよう
純粋硬派柱PureEgrosburst04(11歳)「?🤔……著者の名前が書いてない���?………人間が食用��て事か?😯…❓❓❓」
B(バグ)の家族達は恋愛的な意味でも破滅王がまさかのこいつ👆だなんてこの時は想像もしていなかった。
F(フェア)の秀才方も理不尽に穢された被害者を地獄に蹴落として嘲笑う魔王なのがこいつ👆✖️2だなんてこの時は考えもしなかった
表版仮想大鉱山すら後に自分達を自殺に追い込む銀色の大空と無限の闇を持った神がこいつ👆✖️3だなんてまだ一応、疑いすらしなかった
御茶ヶ滝「アイエフさん💙むにゃむにゃ(^ν^)💤」超電波油「俺のかのじょーー💛スヤスヤm😌m」
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F(フェア):ヴァストローデ1「ここにチェリンボ🍒男子の水と油が寝ているんだってww」F(フェア):ヴァストローデ2「ガスは送り込んだよ、果実が甘酸っぱそうで美味しそうwww」
???「御茶ヶ滝くん達に手を出すのは、私が許さない」
F(フェア):ヴァストローデ3「何よアンタ、自分だって散々つまみ食いしてきた癖にww」ともちん「あの子達の恋を守りたいの。私がこんな事を言う資格がないのはわかってるけれど、見逃してくれないかな?」F(フェア):ヴァストローデ「そんな事聞くとでも…」F(フェア):ヴァストローデ3「果報は寝て待て、一年だけ待ってあげる(笑)」 彼女達は去っていった
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霧島狩魔と無印04は産まれた時から35種類の性病を体内に飼っていて一部のヴァストローデが懺悔しながら惨く酷く死んでいった(赤き真実)
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シックス(新しい血族)「霧島04は精液の代わりにサンブラ樹が入っている(赤き究極の真実☺️)」
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おかしいだろなんだこの検索結果😨by香氣04
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ゴールドバラバズー500Fより異質なサイコパスで悪質なソシオパスで遥かに邪悪で性暴力をナチュラルに振るう悪魔が女性ウケする理由がわからねえ…読み手の感性がぶっ壊れてる‼️‼️(΄◉◞౪◟◉`。。)‼️‼️‼️
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防聖孤島は女性を一番幸せにする味方だぞ😨 ちゃんと気遣い、思いやる未来永劫の正統派童貞。荒らしか?荒らしなのか⁉️(⌒-⌒; )
御茶ヶ滝「創作の世界は孤独なものさ、広い地球でもね🌏😑🌕」お地蔵さんのように、水の使い手は🍡を食べていた 超電波油「読み手の自由、スキニオシ。👍🥳🍜」
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onishihitsuji84 · 8 months
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こんにちは(爆撃機より)
 一月。僕はBig Dataの「Dangerous」を聞いている。
 ”危険”。激しい曲だ。牧歌的な幸せではなく、衝撃を聴衆に要求する音楽だ。  しかしそのリズムはテーマから離れている。始まりから、均一。決して決して焦らない。
 デ・デデデン。デデ――デデ。  デ・デデデン。デデ――デデ。
”How could you know, how could you know? That those were my eyes Peepin' through the floor, it's like they know”
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 まず、Bluetoothは耳栓だ。挿せば駅の雑踏さえもくぐもって聞こえる。 ――ボタンを押せば音楽が流れる。音量は最大で、皮膚・血液・脊椎に三原色でリズムが巡る。体が揺れる。
 交感神経に音楽が噴水のようにきらきらと溢れる。  足は人間でごった返す駅の階段を上る。
「駅構内で走るのはおやめください」
 薄汚れた階段を真っ白なスニーカーが踏みつけていく。靴底からのテクニカルな響きが、がつんがつんとリズムを作り、人ごみの中でも音楽中毒者を露にする。曲調に合わせ、力強く一段一段。
 全身の筋肉という筋肉に熱い血が駆け巡る。さあっと雲が割れるように、気持ちが明るい側へと開けていく。  あたらしい一日が始まるのがわかる。
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 洋楽を聞いていると、言葉が雨のように降り注ぐ。  アルファベット歌詞の断片がうかぶ。広告の文字がおどる。リズムを刻んで歩いてく肉体のダイナミズムが七色の熟語を産み落とす。
「レインボー」、「水は敵ではないからね」、「ソースと目玉焼き」。 「リーガルのスニーカー」、「語ることと、その言葉」。 「セックスがつむぐ運命の糸」、「試験会場」、「輪ゴム即売会」。 「全てがどんな場所でも一度に」、「鳩を撃つ」。 「もう一度ファインダー」。 「ピクチャー・イン・アメリカ」。
「アメリカの風景」。
 そう、「アメリカの風景」……
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 僕はアメリカの小説をうんとたくさん読んできた。  高校生の頃に『ロング・グッドバイ』と『ひまわりのお酒』を読んで以来ぞっこんだった。『偉大なるギャッツビー』もまた。
 そして僕は洗脳され、アメリカの小説に首ったけになった。ホーソーンからアンソニー・ドーアまで、アメリカの作家なら何でもよし。時代を問わず読み漁った。
『キリマンジャロの雪』、『ティファニーで朝食を』、『スローターハウス5』、『頼むから静かにしてくれ』。
『あしながおじさん』、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、『ディキンソン詩集』、『ウインドアイ』、『宇宙戦争』。
『ジーザス・サン』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『オン・ザ・ロード』、『心は孤独な狩人』、『あの夕陽』、『東オレゴンの郵便局』、『賢者の贈り物』、『吠える』、『ドイツ難民』。
 何度も何度もアメリカのごつごつとした人情ドラマにときめいた。そのふくよかにして安らかなる腹に、禿頭を照らす脂に、腐臭とファストフードをしてゆらめく体臭に、心をまるごと奪われた。
 僕は『白鯨』を脇に抱えて高校までの坂を駆け上がった。黒板に並んだ公式ではなく、バナナフィッシュの読解に挑んだ。昼休みにはクラスメイトにフォークナーのリアリズムを論じた。ポール・オースターのする幽霊をひとり紐解いた。
 気づけば放課後だった。時の過ぎるは手のひらから滑り落ちる水滴がごとく素早かった。  眼は窓を見た。クラスに残っているのは一人で、夕陽もすでに隠れんとしていた。いま、文学青年の眼にはアンダーソンの文学に似た漠たる闇だけが映り込んだ。闇は太った白人女のようにさえみえた……
 実際、当時は「アメリカの小説」というラベルさえあればなんでも読めた。読むと必ず手を叩き、跳ねてまで面白いと感じていた。そんな彼の心にあったのは青年期特有の曇り。正しくは、夏の夜の冷風のようにもたらされて形無き闇。
 ぶうん……
 響く、静寂で巨大な暗闇。甘く、性的でさえある美しい深紫。 そんな闇をギザギザに裂いてしまうアメリカの小説のけばけばしい光。光、光は当然24時間無料、無料で、青年の眼球は視神経まるごと剥き出しにされ、麻薬のようにガンガンと無料、無料で、思考は麻痺して、その心には『巨大なラジオ』。
 でも、それはけして悪いことではなかった。僕はアメリカの小説と一緒で、幸せだった。
 つまり、恋をしていたんだ。それも猛烈に、刺激的に、甘く。
 LA、スプリング・フィールド、タコマ……僕のイメージはアメリカを横断した。  僕はモーテルに飛び込み、アメリカの小説とでベッドに入った。シーツの下で僕らはえんえん悲鳴に似た喘ぎ声をあげ、朝陽がみえるまでのたうち回った。  朝陽は新鮮な希望を満載して町に襲来し、東の空を陶器のように白く磨き上げる。モーテルの一室にも朝陽はそっと忍び込む。情熱に果てて眠り込む若者をも白く輝かせる。あたたかく、やさしく抱きとめる。
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 爆撃機はずっと唸る。
 ぶうん……
 ぶうん……
「大西君はどうしてアメリカの小説が好きなんだい?」 「アメリカが好きだからですね」 「どうして大西君はアメリカが好きなの?」  僕はいつもみたいにときめいて言う。 「やっぱりアメリカにはアメリカン・ドリームがあるじゃないですか。おおきな夢が、僕をうきうきさせてくれるんです!」 「でもアメリカは戦争をしているよ。人を殺している。戦争を応援している。ベトナムを焼き払っている。戦争を計画している」 「大西君は戦争は好きかい?」
 その答えは当然ノン(否)。でも、言葉は詰まって動かない。
 大学二年生のあるとき、懇意にしていた教授から僕はそう問われる。  そのときのことは一から十まで覚えている。教授の授業が終わって、いつもみたく談笑をして、爆撃機みたいなエレベーターに乗っているときだった。パーマに水牛みたいなのんびりとした顔つきをした彼は僕にそう問いた。 「アメリカの文学は戦争だ。戦争と資本主義のメカニズム、その歪を何度も何度も解釈する文学だ。悪夢を、どうやって覗くかの文学だ」 「大西君は戦争が好きなのかい?」
 リアルとは厄介だ。文章と違い、書き直すことも、一度手を放して寝かせるということもできない。  瞬間は過ぎれば過去となり、過去は改変不可能で、爆撃機式エレベーターは五階から四階へと渡った。  そして四階から三階。誰かが乗り込んでくるということもなく、扉は完全に閉じたまま。  それで、仏文学の教授は大部のファイルを両腕で抱えており、ずんぐりとして柔和な表情をこちらを向けていて、均一。崩れない。エレベーターもぶうん――ぶうんと同じ。一つの形を崩さない。
 ぶうん……
 ぶうん……
「戦争は嫌いです」 「ふうん……」  そこでエレベーターの扉がゴトゴト開く。学生がなだれ込み、その日の僕たちの話は過去になり、終わった。高校二年生から続いていた僕の米文学への忠誠もまた同様に。
 で���、それは悪いことではなかった。結果僕は仏文学や英文学、カナダ文学、ボルヘス。そしてシェイクスピア、カフカ、ドストエフスキー。新しい文学をノックすることになる。だから悪いなんてことはなかった。
 そもそも、善悪なんてものは実際には存在しない。正しさなんてものはまやかしだ。比較でしか示せないものに大した価値なんてものはあるわけがない……
 でも、僕は戦争は嫌だった。心からそう思った。  文学も、恋もそこまではごまかせなかった。
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supersoniclevel · 8 months
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謎のSFパロ?みたいな主ヒジの妄想〜
昨日の夜、なんか唐突に思い浮かんだので、そしてちょっと気に入ったので、書いときます。
無駄に長いうえになんかどっかで見たようなありきたりな話。 死ネタ注意。
※なんか真2みたいな、人がいるところは栄えてて近未来的ハイテク文明が発達してるけど、なんもないとこは荒れ果ててるみたいな世界観をイメージしてもらえれば……。
人修羅は、強大なチカラを持つゆえに、それを怖れるなんか大きな国?から追われている、唯一無二の怪物的な生き物。自ら人を襲うことはしないが、自分の命を脅かす者は容赦なく手にかけて生きてきた、孤独な存在。
ある日、彼は何もない荒野のはずれで、見窄らしい風体の男、ヒジリに出会う。あの国のやつか?自分を追ってきたのか?と人修羅は問うが、ヒジリはそれを否定し、一人で旅していたが遭難したのだと言う。自分を必要以上に恐れたり、害しようとする気配のない彼の様子を見て、人修羅はそれを信じ、彼を殺すのをやめる。 ヒジリはよかったら助けてくれないかと訴えるが、人修羅はこれを断りその場を立ち去る。 しかし怪我をしていてほとんど活動できないらしいヒジリのことがなんとなく気にかかり、時折様子を見たり、しばしば食べるものを分けてやったりするうちに、少しずつ親しくなる。 ヒジリの怪我が良くなると、もっと良い寝床を探して二人で荒野を探索し、食べ物を探して分かち合い、ともに眠るようになる。
そんな生活がしばらく続いたある朝、人修羅は眠り込んでいるところを武装した集団に襲撃される。深い傷を負わされながらも敵をすべて返り討ちにした人修羅は、同じ火を囲んで眠っていたはずのヒジリの姿がないことに気づき、事の次第を察する。
わんさと襲いくる敵をちぎっては投げながら、彼らの移動式の拠点に乗り込んでいく人修羅。中の人間を残らず殲滅しながら進んだ一番奥に、とうとうヒジリが隠れているのを見つけだす。彼の胸ぐらを掴んで引きずり出し、肉薄してたずねる。 「あんたが、俺の居場所をこいつらに知らせたの?」 しかし彼は気丈にも笑みを浮かべる。 「まさか。そんなことができるなら、もっと早く助けを呼んでるよ」 しかし明らかに居場所がリークされているとしか思えない状況に、無言のままの人修羅の気迫も強まる。ヒジリはトーンを変えず、「……俺はな、こいつらの奴隷なんだよ」と告げる。 「俺の体にはチップが埋まってる。どこにいても管理できるようにな。だが、たかが奴隷一人のために助けなんかくるものか。俺は見捨てられて、あのまま野垂れ死ぬはずだった。だが……おまえが現れた。おまえが近くにいるとわかれば、もしかしたらこいつらも動くかもしれん。そう考えたのさ」 本当に来るかどうかは賭けだったが……と皮肉っぽく笑うヒジリを見詰める人修羅の脳裏に、彼と一緒に過ごした時間がよぎる。他愛もない話をしたこと、食べものを見つけて喜んだ時のこと、寒さに身を寄せあって眠ったこと…… そして人修羅は力なく言う。 「……残念だよ、ヒジリ。俺、あんたのことだけは好きだった」
あたりに無数に転がっている死体たちのひとつとなったヒジリを見下ろしながら、彼が死の刹那に、そうか、とだけつぶやいてのぞかせた優しげな表情を、人修羅は思い返している。 彼はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて何も言わずきびすを返し、一人きりでまた、いずこかへと消えていく。
おわり。
補足📦
読み返したらなんかわかりにくいな?と思ったんですが、ヒジリは母国へ通報をしたのではなく、自分の状態が常に発信され管理されてることを利用して、人修羅の存在を向こうに気づかせ、自分のところへ来るように仕向けたという感じです……
蛇足🐍
ヒジリは助かりたい一心で人修羅くんを利用することを考えたけど、救援が来なかったら来なかったでそれもいいかなと思ってて、しかし本当に救援が来ちゃったのでそこでわざわざ人修羅を庇い立てするほどでもなく、かと言って彼の信頼を裏切ったことに対して何も思わないわけではないみたいな……。
真3の本編もそんな感じだったんじゃないかな〜って、おもってます。けっして善人ではないけど悪人でもなく、人情はあるがそれには流されない、みたいな。そんなイメージです。ヒジリは。
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sibasibamamesiba · 11 months
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清春芸術村での1日をここに記録したくて来ました。
朝、6時台とか7時台に目が覚めて、部屋の階段を降りてカーテンを開ける。カメムシがいないか気にしながら。
カーテンの隙間から朝日が差し込んで、眠っていた目が徐々に開いていく。まず目に入るのは朝日を浴びて赤くなっている南アルプス。
左に目をやると富士山が見える時もある。火の見櫓が朝日によって美しいシルエットとなり風景のアクセントになっている。
そして、後はいつも通り朝支度をする。美沙さんと同部屋になってからは、美沙さんと寝起きのお喋り���しながら支度を進め、今日も1日がんばろう、とお互いを元気づけてそれぞれの制作場所に向かう。
アトリエのドアを開けると、南アルプスを背景に、外の芝生の上で作品をつくるアーティストの姿や、木々の世話をするスタッフさんの姿が見えたりと、1日が始まる清々しさが、冷たい風と一緒にアトリエに入り込んでくる
暖かい飲み物を飲みながら、昨日まで描いていた絵を眺め、どうしようかと考えを巡らせる時間は、ここでしか味わえない豊かな時間だった。
アトリエは南側なので、天窓から見える太陽が左から右に移ろうのを感じながら午前中は絵を描く。画用紙に反射して眩しいので、ちょうどいい光の加減の場所にテーブルを移動しながら制作をしていた。
基本的にはアトリエで描いていたけど、森を描くときはそこにパネルを持っていって描いたり、クマザサをアトリエに持って帰って観察しながら描いたり、自然と制作ベースを行き来しながら制作をしていた。子供に帰ったみたいだった。
表現(アート、という言葉があまりしっくりとこないのでこの言葉にする)を受け止める懐の大きさ、深さ、暖かい日なたと孤独を感じる闇、それを持っているのは自然しかないのではないかなと再認識した気がした。
あたりが暗くなってくると、1日の終わりを身体で感じ、そろそろ一区切りつけようかという気持ちになる。制作が切羽詰まってくると、日が暮れ始めると焦ってくる。
普段は、朝から晩まで同じ光環境の中で仕事をして、太陽の光がどう変わろうとも自分の身体と心は変わらない。知らず知らず矯正されていたのかもしれないと気づいた。
夜、ラリューシュから清春荘まで歩く道、闇が深くて自分が目を瞑っているのか開けているのか解らなかった。満月の時は星があまり見えなくて、新月の時はよく見える。月の形によって、夜の明るさが違うことなんて、ここにくるまで忘れていた。満月の光で、清春の芝生にラリューシュの影が落ちていた。
制作が佳境の時に清春の闇の中を歩くと、孤独に飲みこまれそうになった。
部屋に戻ると美沙さんがいて、一緒にご飯を食べたり、温泉に入りに行ったりした。
その時思っていたことや悶々としていることを吐き出し合い、孤独が和らいだ。
そして、彼女の、これまで経験してきたことを言葉にする力や、些細な経験も深く理解し言葉にできること、思考し続けること、とても惹かれたし、そうありたいなと思った。
心の中に大切な宝物を持っているかんじ。
日々忙殺される今の生活ではなかなか出来ないけれども、思考していきたいと思う。それを言葉にして、絵にできたらと思う。
せっかくの経験が薄まってしまわないように、記していきたいと思う。
近藤さんは芸術をこよなく愛する人で、自分だけのヒミツギャラリーを部屋に作っちゃうほど。
今回は、そのレベルアップバージョンで築320年の(1700年に建てられた)お屋敷(文化財にもなっている)内の二間を、期間限定ギャラリーとして、自分の所蔵する作品を飾っているらしく、夜、車を走らせ二人で忍び込んできた。
マティスやピカソ、特に彼が大好きなクラーベの作品群、説明する時の目が生き生きしていて、そして作品もとても良く、制作真っ只中だった私は、敵わないな。。と少し落胆しつつ見入ってしまった。特にバランス感覚(色彩のバランス・構図のバランス・・)。
帰りの車で彼がいうには、沢山の作品を見た方がいい。見る前と見た後では、全く違うから。と。
確かに、高校の時沢山美術館に行って作品を見て、影響されたり真似してみたりした。それはまだ自分の土壌が真っ白だったからかもしれない。
今は自分というものが凝り固まってしまって、感性がなくなってしまっているように思う。もっと童心に帰らなければいけないなと思った。
貴重で、幸せな経験ができた。
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blogmikimon · 1 year
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無限と自然
こんにちは😃
今日は書き続けてきた無限のブログの最終回、無限と自然についてです!
(前回までの内容:無一郎君、無限、無限2、無限3、無限と音、無限と音2、無限と音3)
これは鬼滅の刃のアニメからインスピレーションを得て書き始めたブログでしたが、書いているうちに思わぬ方向に進んで、内容もほぼないのに3ヶ月もかかってしまいました😅
長々とお読みくださってる方がいたら心から感謝です。多分いない👻
という感じで、このブログは主に私が読者の自己満ブログではありますが、今日の引用はとても勇気が出る内容なので、もしも読んでくれた方がいたら、ポジティブな気持ちになってくれると嬉しいなぁと思います✨
私もスマホのメモ帳に入れてよく読み返している内容です。
ではではさっそく前回から引き続き、ライフスパンという本から引用していきましょう✊
デビッド・A・シンクレア先生というハーバード大学医学大学院教授の、寿命を伸ばす研究に関する本です。
私が生涯をかけて研究している内容を批判する人は少なくない。
しかもそれは、ソーシャルメディアにたむろするような、名前も顔もない人々だけではない。ときにそれは同じ科学者であったり、親しい友人であったりする。
それでも私は、私たち共通の未来への明るい希望を捨ててはいない。否定ばかりする人間には同調しないことにしている。
名前も顔もない人々ってかなり辛辣な表現ですよね💦
その批判の内容は寿命を呼ばすことが不自然だという意見がメインです。
(なお、先生が主張されている “寿命を伸ばす” というのは尊厳死と合わせて議論されているようなチューブであちこち繋いで行う延命治療ではなく、健康寿命を伸ばすという意味です。)
では何が自然なのか。
より良い暮らしを送りたい、恐怖も危険も暴力もできるだけ少なくして生きられるようになりたい──私たちにそう思わせるやむにやまれぬ衝動こそが自然なのだ。
人間は地球で生き延びるために、数々の変化を遂げてきた。
その変化は、素晴らしきサバイバル回路と長寿遺伝子も含め、ほとんどが自然選択の産物であるのは間違いない。
生物は凄まじい進化を遂げてきて、その中には人間が起こした遺伝子の組み替えや変異もあるけれど、自然に起こったものの方が確かに多そうですよね。
そもそもの猿から人間への進化だって、研究室の中で起きたわけではありません🙅‍♀️
数十億年をかけて、環境が厳しいときに大人しくしていられなかった者は淘汰されていった。
しかし、人類が過去50万年のあいだに蓄積してきた様々な技術が、私たちの生存を大いに助けてきたのもまた事実である。
弱い遺伝子は自然淘汰されてしまいましたが、逆に私たちの発見(ペニシリンのような抗生物質等)が弱い遺伝子を生きながらえさせることもあるそうです。
チンパンジーが小枝を使ってシロアリの巣の中を探るのも、鳥が貝に石を落として貝殻を割るのも、サルが日本の温泉につかるのも、すべては自然なことなのだ。
幸運にもヒトという生物は、学習して技術を習得し、それを他者に伝えるのに長けている。200年ほど前からは、科学的手法と呼ばれるプロセスを編み出して活用し、それがさらなる学習を加速させてきた。
こう考えると、文化も科学技術もどちらも「自然」である。
例えば綺麗な景色を家族にも見せたいと思うこと。絵の具があれば絵を描いて、カメラがあれば写真を撮ること。これらもすごく自然なことですよね。
昔は魂を取られると恐れられていたカメラ、フィルム派の方々に邪道と言われていたデジカメだって、振り返ればひとつの進化であり、色々な発明全てが “自然” なのかもしれません。
より多くの人に食料を行き渡らせ、病気を減らし、そして、そう、健康でいられる時期を長くしようとする。そのための新しい工夫をするのは自然なことだ。
自動車に飛行機。ノートパソコンに携帯電話。家で飼われているイヌやネコ。眠るときのベッド。病気のときに人が人の世話をする病院。みんな自然である。
ホッブズの有名な言葉を借りるなら、人生が「孤独で貧しく、不快きわまり、獣じみて短い」状態に留まることで維持されていた人口を、私たちははるか昔に突破した。
そんな生物にとっては、どれもが自然なのである。  
ホッブズについてはこの前の方にも記載があります↓
イギリスの哲学者トーマス・ホッブズは、1651年に主著『リヴァイアサン』(光文社)のなかで、いわゆる「自然状態」にある人間がいかに悲惨かを綴った。
「学問も芸術もなく、文字もなく、社会もない。そして最も忌むべきは、むごたらしく死ぬことへの危険と恐怖に絶えずつきまとわれることだ」。
人間の圧倒的大多数がそんな一生を覚悟していた世界から、私たちはとうの昔に決別したのである。
確かに電気やガスのない前近代的な生活が自然だったという考えもあるのかもしれませんが、ではその頃の人たちが幸せだったのかというと、そんなことは無さそうです。
アンドルーワイル博士というアメリカの医師の“人はなぜ治るのか”という本に、この100年ぐらいの医療の歴史が書かれていますが、数十年前の医療ですら、今から考えるとあまりの適当な処置に本当に驚かされます。
もし私がそんな時代に生きてたら、病気になるだけでとても不安だっただろうなぁと思います。
ここまでで強調したいのは、”人為的なことであれ、そうでないものであれ、安心、快適に暮らすために起こったことは全て自然だ” ということかと思います。
私が思う「不自然な」ものは1つしかない。
「より良い暮らしを送るためにできることには限界がある」という考えを受け入れることだ。
そんな不自然な発想は、人類の歴史が始まって以来一度も現われたことがない。
私たちはいつだって、限界とされるものを押し広げてきた。というより、生物としての本能がそう命じるのである。
人間という生き物は、何かが起きたら新しい工夫で対応せずにはいられない。それが私たちの自然な本能だ。
たったひとつの “不自然なこと” は “限界を受け入れること” だそうです😱 限界はない、つまり無限の状態こそ自然であり本能なのです!
さて、私たちにはでき��のだろうか。
当たり前だ。過去100年を振り返ってみればいい。
じーん。ホントここを読むたび泣きそうになります😭 当たり前だと強く言い切ってくれるところが素敵です。
私はお仕事もプライベートもなかなか上手くいっていない上に歳もいい感じに取ってきて😭、チャレンジしたり学んだりがすごく難しく感じられるのですが、そんなの関係ねぇ!ですね🤭
歳だから、能力がないから、時間がないから、〇〇だからこのぐらいでいいや… と、自分をと小さく見積もってしまうことは、不自然なことなのです!
不自然だから身体や心が縮こまって、気力が萎んでしまうのです。
自分の生活を快適にすること、つまり幸せになることにもきっと限界はないんだと思います💡
私は少し前までシニアがメインのクラスを持っていたのですが、耳が聞こえなかったり、あちこち傷めていてほとんどのポーズができなかったり。そんな様々なハンデものともせず楽しそうにヨガをする方々に、本当に学ばされました。
身体が不自由で、思い通りにならないことが多くても、諦めなければこんなに朗らかでいられるものなのかなぁ、私もこうありたいなぁ。と思ったのでした。
“夜と霧” という名著を書かれたアウシュビッツ生存者の、ヴィクトールフランクル先生という医師が提唱している、”態度価値” というものがあります。
それについて書かれている漫画もとてもおすすめなので、お時間ある時にぜひお読みくださいませ♡
態度価値について少し上のページから引用すると、
あなたにも、何かやりたいこと、かなえたいことはあるはずです。しかしながら、それをすぐに実行できる人というのはマレです。
そんなときに大切なのは「態度価値」を思い出すこと。
行動できなくても「やるぞ!」「今の自分はそれを行うために生きてるんだ!」というように、心の中で明確にそのことを思い続けることです。
とにかくどんな環境であっても、どんなに時間や条件がそろっていなくても、「心」の中だけでは、その炎を燃やしてください。
それだけでも、十分に意味はあるんです。
とのことです。
若い頃から何度も読み返していて、ウケる😂(のに元気付けられる)漫画です。
態度価値についてはこちらのコラムもおすすめです。
「どんな時にも人生には意味がある。未来で待っている人や何かがあり、そのために今すべきことが必ずある」ーー。ヴィクトール・E・フランクル
どんな時でも、できることに取り組む自分でありたいですね😎
では最後は、その “夜と霧” 内で引用されている、ドイツの政治家ビスマルクの格言で終わろうと思います。
人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあ、これからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう。
やりたいことが多すぎて、お金も時間も足りなくて諦めそうになるけれど、できる限りでいいからひとつひとつに取り組んで、自分に納得していたいなぁと今日書きながら改めて思いました。
おしまい😅
またフワッと終わってしまいましたが伝わりましたでしょうか?
限界があるという考えを受け入れないこと。自分を小さく見積もらないで、無限の可能性を信じること。
不遇の時も心の中では情熱の火を燃やすこと。
私も全然できなくてトライする毎日ですが、偉い先生たちの言葉を信じて一緒に頑張りましょう✊
そんなことを受け取っていただけたら嬉しいです。
長くなりましたが、”無限というのは人間の本能であり自然な態度なんだ” というデビッド先生の主張から、受け取ったことや連想したことなどを書いてみました。
本は難しいけれど、デビッド先生も翻訳の方も優しく説明するためにとても工夫してくださってるので、わからないところは飛ばしながらでも、是非最後まで読んでいただきたい本です。
私もなんとか時間をかけて読み終わりました💦💦
健康や生き方についても学びの多い内容だと思います。とてもとてもおすすめですす💡
ではではぐだぐだと様々な内容を詰め込んだ無限のブログになってしまいましたが、次からはいつもの中身のないブログに戻ります😭 お暇な時にまた読みにきてくださったら嬉しいです♡
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました🙇‍♂️
(引用)
デビッド・A・シンクレア 他2名
LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界
ヴィクトール・E・フランクル 他1名
夜と霧 新版
(おまけ)
youtube
でもそんなの関係ねぇっ!小島よしおさん、メンタルめちゃ強です😂
太平洋に平和が訪れますように🏝️🙏
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team-ginga · 1 year
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映画『地球最後の男』
 Amazon Primeでヴィンセント・プライス主演の映画『地球最後の男』を見ました。
 リチャード・マシスンが書いた原作小説はこれまで三回映画化されています。
 最初がこの『地球最後の男』(1964)、二度目がチャールトン・ヘストン主演の『地球最後の男オメガマン』(1971)、三度目がウィル・スミス主演の『アイ・アム・レジェンド』(2007)ーー驚いたことに小説の原題は I am legend、一番新しいウィル・スミス主演の映画が原題をそのまま使っていることになります。
 ただ、ネット情報では原作を最も忠実に映画化しているのは、この『地球最後の男』だとのことーーそのせいでしょうか、ハリウッドの鉄の掟(?)を破って、子どもは死なせるわ、犬は死なせるわで、ラストも全く救いのないものになっています。
 世界中である伝染病が流行し、多くの人が死んでいきます。当初死体は全て火葬していたのでわかりませんでしたが、やがてこの病気で死んだ人間は吸血鬼として蘇ることが明らかになります。
 主人公のロバートは愛する妻と娘を失い、孤独な暮らしをしています。彼は無線で応答を求めますが、返答は全くありません。どうやら彼は地球最後の人間のようです。
 ロバートは昼間、街を探索し、眠っている吸血鬼の胸に木の杭を打ち込んで殺して回っています(伝説通り、吸血鬼になった死人はニンニクや鏡を怖がり、胸に杭を打つと死ぬのです。本当は伝説では吸血鬼は鏡に映らないのであって、鏡を怖がるのではないはずですが、まあそれは言っても仕方ありません)。
 夜には吸血鬼たちがロバートの家の周りをうろつき、窓ガラスを割ったり「ロバート出てこい」と叫んだりします(『アイ・アム・レジェンド』のゾンビたちとは違い、知能は低いものの言葉は喋れるのです)。
 ある日、彼は1匹の犬を見つけます。やっと仲間ができたと喜んだのも束の間、その犬は伝染病に感染していました。仕方なくロバートは犬の胸に杭を打ち埋葬します。
 またある日のこと、ロバートは一人の女を見つけ、自宅に連れて帰ります。女がこっそ���腕に注射しようとしているのを見咎め、訳を問いただすと、女は伝染病に感染しているが、注射で発症を抑えているとのこと。そして女は、そういう人間は他にも大勢いる、自分たちはコミュニティを作っている、ロバートが殺していたのは吸血鬼ではなく、コミュニティーの人間たちだ、コミュニティーのメンバーたちはロバートを恐れ、今夜ロバートの家を襲撃して殺そうとしていると言います。
 ロバートは自分は人間で、吸血鬼たちは怪物だと思っていた。しかし、コミュニティの人間にとっては、ロバートこそが伝説の怪物だったということですね。
 女はロバートを撃とうとしますが、ピストルを取り落とし気を失います(え? なぜ?)。ロバートは伝染病に対して抗体を持っていると思われる自身の血液からワクチンを作って、女に注射します(そんなに早くワクチンができるものかと思わないではありませんが、それを言っても仕方ありません)。すると女は伝染病から完全に回復します(そんなに早く効くものかと思わないではありませんが……以下略)。
 やったこれで人類は救われる……と思いきや、ちょうどそのときコミュニティのメンバーたち(なぜか全員黒服を着ています。ムッソリーニのファシスタ党のイメージでしょうか)がロバートを殺しにやってきます。
 女は仲間たちに事情を話してロバートを助けようとしますが、耳を傾けてくれる者はいません。ロバートは結局殺されてしまいます。
 正直ツッコミどころは山ほどあります。ロバートは朝食にコーヒーとオレンジジュースを飲み、夜はレコードを聴くというように結構文化的な生活をしていますが、電気や水道や食料はどうしているのでしょう。自動車にも乗っていますが、ガソリンはどうしているのでしょう。
 一応、無人のタンクローリーからガソリンを取っているシーンがありますし、発電機らしいものを回しているようなシーンもありますが、ロバートはもう3年もその生活を続けているという設定です。いくら大きなタンクローリーでも3年も経てばガソリンが底をつくのではないでしょうか。
 ロバートはまた毎朝、家の周りにある死体を火葬するのが日課ですが、一体誰の死体ですか。人間のはずはありませんから、吸血鬼の死体のはずですが、なぜ毎日吸血鬼の死体が転がっているのでしょう。
 という具合に、いろいろ不備はありますが、時代を考えれば、かなりハードな……というか情け容赦ない映画だと思います。もちろんこれは褒め言葉です。
 あの大甘の『アイ・アム・レジェンド』なんかよりは、はるかにいい映画です。自分は敵を「怪物」だと思っていたが、敵からすれば自分が恐ろしい「怪物」なのだという「価値観の逆転」がなければ、この物語は全く無意味になってしまうからです。
 それに動きの遅い吸血鬼たちが大勢ロバートの家を取り囲み、中に入ろうとしているところが、ジョージ・ A・ロメロのあの『ナイト・オブ・ザ・リヴィング・デッド』(1968)に影響を与えているのは確実で、歴史的にも意義のある映画だと言えるでしょう。
 私は新型コロナウィルスの感染拡大の最初の年に「文学・映画に見る感染症」という論文を書きました。その中で感染症を扱った映画として、『アウトブレイク』と『コンテンジョン』を取り上げ、ジョージ・ A・ロメロに始まるゾンビ映画にも言及しましたが、この『地球最後の男』も入れるべきだったと思います。
 もっと早く見ていたら、そうしたのに……
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nebula729-3 · 1 year
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心の底から大切で、大事な人に対する感情を。長い間眠らせたそれを伝えようと思った時、既に遅いと分かっていても。それでも渡すのは。本当に大切なのか?最終的に後悔してばかりだなと今になって気付く。いやでも、後悔はその時だけで。その大切な人と関わりが続けば。それさえ叶えば後悔は昇華する。俺は臆病で、狡くて。自分に甘くて弱い。そんな人間なんだ。それで大切な人を振り回すことだけはしたくないんだよ。さて、幸せについてまだまだ沢山考えることができますね。自分が信じた幸せを胸に抱いて、一歩を踏み出した俺の大切な人は皆。勇敢で輝いていて、素敵な人だ。ああ、失いたくないな。何もかも。実は欲深い人間なのだろう。信じたものを信じられなくなるのが一番怖いと思うよ。自分が分からなけりゃ生きていけないからね。さあ、今一度問おう。貴方にとって大切なことは?存在は?なんでしょうか。ああ、怖いな。離れてしまうのが。ほら、まだ生きるんだろ。俺はきっと、孤独では生きていられないさ。こんな夜は時に必要なもので。忘れていた何かを思い出させてくれる。偶には恥や見栄を捨てて、曝け出した方がいい。眠気が来てくれてる?よかった、今夜は眠れそうだ。
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yuupsychedelic · 1 year
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詩集『青春謳歌』
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詩集『青春謳歌』作品リスト
1.「桜前線は止まらない!」 2.「四つ葉のクローバー」 3.「Mr.アンダースロー」 4.「流星バックドラフト」 5.「青ざめたアインシュタイン」 6.「淋しくない失恋」 7.「亜空戦士ネオカンダム」 8.「木枯らしが吹く前に」 9.「私たちの恋愛記念日」 10.「ニューイヤー音頭」 11.「偏愛節」 12.「ブルー・エデュケーション・ラヴァーズ」
1.「桜前線は止まらない!」
桜が咲くSeasonに私は生まれた そして母親に桜と名付けられた 私の人生にReasonなんてないけど とにかく全力で生きていければいいさ
勇気がなくて何にも出来なかった ゴールまで一歩も走れなかった そんな自分には昨日でサヨナラ やりたいことに夢中でありたい
かわいくなりたいし かっこよくなりたい 私らしく生きていきたい 欲張りでも今ならIt's Alright OK!!
桜が咲くSeasonに私は生まれた 桜と共に毎年生まれ変わる できないLogicを考えるよりも やりたい衝動があれば何でもできるさ
ロングヘアーは誰にも譲らない 人生という名の舞台で愛を叫ぶ
あいつに嫌いと言われて泣いたり 陰口に怯えたりした夜もある そんな奴らには言わせておけばいいさ 私は私のやり方で跳ね返す
あれもしたいし これもやりたい 人生なんでもやってみたい 欲張りでも私ならIt's Alright OK!!
桜が咲くAvenueを私は愛して 桜と共に毎日生きてく さすらうDreamはまとめて 今からここで叶えれば空に舞い上がる
ロングヘアーは誰にも譲らない 人生という名の舞台で愛を叫ぶ 芝居は終わらない
桜が咲き晴れ渡り 赤く染まって散り行く 四季の輪廻は希望の鐘のよう 私は今年も生まれ変わる
恋もしたい 夢も叶えたい 私をあきらめない 最後の瞬間(とき)まで いつだってFly Away
桜が咲くSeasonに私は生まれた そして母親に桜と名付けられた さすらうDreamはまとめて 今からここで叶えれば空に舞い上がる
ロングヘアーは誰にも譲らない 人生という名の舞台で愛を叫ぶ 芝居は終わらない
私は私の生き方で やりたいことをやるのさ
2.「四つ葉のクローバー」
幸せになりたいと 思いはしないけど 友達や恋人には幸せに なってほしいから
私は私を往く 邪魔はさせない 悲しみ色の先にある 未来を見るため
手首の傷は 夢の痕跡 憎しみに耐えながら ここで生きている
傷つけたい人がいるなんて 誰にも言えないさ 殺したい人がいるなんて 信じたくはないさ
だから…… 四つ葉のクローバーに 明日はいい日になれと願う
いい人でありたいと 言い続けてきたけど 私は私を演じるのが 辛くなったんだよ
誰も傷つけぬためには 何も言わないことだけ そっとここを立ち去り 旅に出ればいい
制服の傷は 旅の痕跡 衝動に耐えながら 今日を生きている
愛したい人を突然 殺してしまいそうで その場から離れたなんて 一生言えないさ
好きになればなるほど私を きっと嫌いになるから その前に愛を手放せ 恋は宝石のまま
だから…… 四つ葉のクローバーに あなたの幸せを願う
蒼いスカーフの傷は 涙の痕跡 孤独に耐えながら 光を待っている
ナイフを突きつけられることに 私は慣れすぎて あなたの優しさを 最後まで信じられなかった
悲しみの雨をそのまま 身体で受け止めて 瑠璃色の明日へ 虹の向こうを求めた
でも本当は違うんだ 臆病すぎただけ
だから…… 四つ葉のクローバーに 明日はいい日になれと願う
3.「Mr.アンダースロー」
背番号16が振りかぶると 強者のバットが空を切る 元祖ミスター・パーフェクト お前がやらなきゃ誰がやる
武智に関根に沢藤に 嗚呼 黎明の近鉄パールス
背番号22が振りかぶると シュートにシンカー、スライダー 野村が巧みな リードで決める
皆川に杉浦にスタンカに 嗚呼 浪速の南海ホークス
背番号17が振りかぶると おっとびっくり豪速球 カミソリシュートは 彼から生まれた
秋山に鈴木に権藤に 嗚呼 魔術の大洋ホエールズ
背番号17が振りかぶると 打者は誰もが空振り三昧 決め手はシンカー ストレートは速い
山田に佐藤に山口に 嗚呼 栄光の阪急ブレーブス
さあ 咲き誇れ 百花繚乱 ミスター・アンダースロー
4.「流星バックドラフト」
織姫と彦星が身体を重ねる傍らで ひとりの少年が走る 流れ星をコンパスに愛が迸(ほとばし)り ユイのヴィーナスは涙を流した
招待状に男の名はない 母はあいつを忘れろという それでも捨てられず 最後の夢が駆け出す
マスカレードに王妃は来ない 抗えぬ宿命に立ち向かう女の歌 レジスタンスに少年の姿はなし 叶わぬ恋敵に立ち向かう男の歌
サヨナラを告げたのは ロイヤルに縛られたくはないから
宇宙戦艦が巨大怪獣と対峙する時 ある宇宙船が銀河を超えてゆく 追手を撒くのは私の仕事だからと スナイパー・ジュンがマグナムで蹴散らす
さあ再会だ 止まった時が動き出す
銀河卿による追討司令 男と女は再び引き裂かれた サヨナラは言わない また逢うための口づけ
僕の私の 夢よ愛のまま
あの日サヨナラを告げたのは 宿命にすべてを 捧げたくはないから
地球星で子どもが 七夕の歌を唄う ファンファーレは流星 夜空の約束
マスカレードに王妃は来ない 抗えぬ宿命に立ち向かう女の歌 レジスタンスに少年の姿はなし 叶わぬ恋敵に立ち向かう男の歌
サヨナラを告げたのは ロイヤルに縛られたくはないから
さよならジュピター 愛の星間戦争 血と汗の闘争の果て ふたりは結ばれる
あの日サヨナラを告げてから ずっとあなたの温もりを求めてた
5.「青ざめたアインシュタイン」
アロハシャツ 身に纏い 渚を駆け出す アインシュタインの舌は なぜか青ざめている
サーフ・ロックに 気を取られ 波に躓く アインシュタインの舌は なぜか青ざめている
ブルーハワイの風に乗り 君の心は夏模様 相対性理論は 理解できないけど
気の置けない奴らと 過ごす夏は最高さ こんな日はパーティーでもして 朝まで騒ごう
ドライマティーニ 酔い潰れ 机上で踊る アインシュタインの舌は なぜか青ざめている
デューンバギー 聞こえるのは カリフォルニアの海 アインシュタインの舌 なぜか青ざめている
時に酔い潰れた友達を 介抱する僕 お酒は飲めないが 無性に楽しくて
気の置けない奴らと 過ごす夏の物語 季節に不似合いな風が 心を溶かしてく
瞳の奥にある憂いに気付いて 人は気付かず仕舞いの想いに 気付けぬまま別れてしまうから
ブルーハワイの風に乗り 君の心は夏模様 相対性理論は 理解できないけど
気の置けない奴らと 過ごす夏は最高さ こんな日はパーティーでもして 朝まで騒ごう
気の置けない奴らと 過ごす夏の物語 季節に不似合いな風が 心を溶かしてく
アインシュタインの舌は なぜか青ざめている
6.「淋しくない失恋」
夏祭りも一緒に行ったのに 花火もふたりで見上げたのに 電話にはあの娘の笑顔 私はひとりになった
せめて最後は笑顔で別れようと 意地を張っていたのに 涙でぐしゃぐしゃの顔のまま 手を振るのがやっとだった
憎しみなんてないと口では言うのに ほんとは憎かったよ 私の親友を奪うため かませ犬にされたのだから
それでも 好きでいたかった あなたを信じたかった
ハグもキスも手を繋ぐことさえ 全部あなたが初めて 恋愛を信じなかった私を 初めて虜にした
責任取ってよ 好きにさせたなら 夜明けが来るまでは
目が泳いでるのが気になっても あえて見ないフリをした でもリップの痕が許せずに つい切り出してしまった
言わなければ幸せなのに 言い出したら止まらなくて 最後はアパートを追い出され 夜道をひとり帰った
あんなに悲しい帰り道は 今まで一度もなかったよ 大事な人に裏切られ 怖い思いもした
それでも 好きでいたかった あなたを信じたかった
旅も泊まりも同棲だって 全部あなたが初めて 恋愛を信じなかった私を 初めて虜にした
責任取ってよ 好きにさせたなら 夜明けが来るまでは 愛して
九月の風が切なく吹き 夏は静かに終わっていく 明日の朝がもうすぐ始まり 私の夜は忘れ去られていくだろう
それでも 好きでいたかった あなたを信じたかった
ハグもキスも手を繋ぐことさえ 全部あなたが初めて 恋愛を信じなかった私を 初めて虜にした
責任取ってよ 好きにさせたなら 夜明けが来るまでは
夜明けが来るまでは
7.「亜空戦士ネオカンダム」
宇宙の掟を汚す者 誇り高きストロム星人 次の獲物は地球星 無敵艦隊迫り来る
君よ今こそ(立ち上がれ) 君よ今こそ(その時だ) ベトナム拳法 銀河斬り 一撃必殺 蒼撃烈
運命さえも変えてみせる 亜空戦士ネオカンダム
子どもの夢を踏みにじる そんな奴らを許さない 奴らが何処へ行こうとも 正義の勇者(ゆうじゃ)が逃さない
君よ今こそ(すっくと立て) 君よ今こそ(勇敢に) テレポーテーション 時を翔び ストロム怪獣 真っ二つ
運命さえも変えてみせる 亜空戦士ネオカンダム
どんなに強い敵が来て 僕らの力が奪われど 困った時は回ればいい 必殺! 怪傑モンブラン戦法
君よ今こそ(愛のため) 君よ今こそ(明日のため)
ベトナム拳法 銀河斬り 一撃必殺 蒼撃烈 テレポーテーション 時を翔び ストロム怪獣 真っ二つ
運命さえも変えてみせる 亜空戦士ネオカンダム
8.「木枯らしが吹く前に」
ルミナリエの季節が ひと月後に迫る 僕は君を見つめたまま 眠りに着いた
きっかけは些細なこと なんでもない会話 君を安心させられたなら 未来は違っただろう
最後の夜はオリエンタル・ホテルで 目の前の海がせつないね
もう二度と嘘はつかない 君を不安にさせない こんなに愛してたのに なぜ伝わらないのか
木枯らしが吹く前に この恋が終わりそう
アズーリのテラスで 君と語らった ささやかな未来の姿は 今や叶わぬ夢
ずっと好きだった 誰よりも愛してた たしかな未来の地図 一瞬で見えない
最後の夜はルイ・ロデレールで でもなぜか酔えない
愛し合っていたはずなのに いつしか不安にさせていた この関係は夜の闇みたく 静かに溶けていった
木枯らしが吹く前に この恋が終わりそう
大切なものほど 言葉で伝えたい 築くのは一年 崩れるのは一瞬
目覚めると君は煙のよう さよならも言えぬまま別れた あんなに夜を重ねたのに ぬくもりが恋しくて
僕に何が足りなかったのか せめて一言言ってほしかった 今なら直せたかもしれない 君と僕の仲だろう
もう二度と嘘はつかない 君を不安にさせない こんなに愛してたのに なぜ伝わらないのか
木枯らしが吹く前に この恋が終わりそう
木枯らしが吹く前に この恋が終わりそう
名前のない離婚届が ペントハウスに送られた 君からの惜別として
9.「私たちの恋愛記念日(クリスマス・イブ)」
忘れられない失恋さえも あなたといるだけで忘れられそう 誰かの悪口も噂話も あなたといる時間は気にならない
こんなに気の合う人が世界にいたなんて 面倒くさい 気まぐれな私を 好きだと言ってくれた
クリスマス・イブから始まった恋を 365通りの思い出が彩る クリ��マス・イブは二人で過ごして 次の一年の作戦会議をしよう
愛のその先にある暮らしを ふたりで描くひと時
かっこいいとか声がいいとか 恋ってそれじゃ語り尽くせない 静寂さえも愛おしい そんな関係を恋と信じてみたい
私を抱きしめてくれる人がいるなんて 何もできない 不器用な私を 全部抱きしめてくれた
クリスマス・イブから始まった恋には 365通りの愛しさが詰まってる クリスマス・イブには来年も二人で 次の一年の作戦会議をしよう
時が流れても消えない関係で ふたりでつくる人生
還れない青春の後悔よ 戻れない一瞬の気まぐれよ もし過去からやり直せたとしても 今ならその道は選ばないだろう
クリスマス・イブから始まった恋を 365通りの思い出が彩る クリスマス・イブから始まった恋には 365通りの愛しさが詰まってる
クリスマス・イブにはこの先も二人で 次の一年の作戦会議をしよう
10.「ニューイヤー音頭」
LINE LINE LINE LINE Twitter LINE LINE LINE LINE Twitter たまにゃInstagramが騒ぐ 日本全国お祭りだ
ヤー ヤー スタコラサッサ ヤー ヤー スタコラサッサ 僕は日本東京育ち 嗚呼 ハッピー ニューイヤー音頭
チキンにケーキに大はしゃぎ 恋に青春に大はしゃぎ ホーリーナイトにゃ我を忘れて 北は札幌 南は那覇 日本全国お祭りだ
ヤー ヤー スタコラサッサ ヤー ヤー スタコラサッサ 昨日はキリスト 今日は仏陀 嗚呼 ハッピー ニューイヤー音頭
餅におせちに舌鼓 ついでにお年玉腹肥やし そして日本酒たらふく飲めば 父ちゃんも母ちゃんも恋人も 我が家全員酔っ払い
どんな神でも叶えりゃハッピー フォーチュン中田が通りゃんせ 三ヶ日には神社も騒ぐ 嗚呼 ハッピー ニューイヤー音頭
ヤー ヤー スタコラサッサ ヤー ヤー スタコラサッサ 来週の今頃ゃ父ちゃん背広着て 嗚呼 満員電車に揺られてる
ヤー ヤー スタコラサッサ ヤー ヤー スタコラサッサ 生まれは日本島国育ち 嗚呼 ハッピー ニューイヤー音頭
11.「偏愛節」
バーバーバー バレンタインに 恋の花が咲き乱れ バーバーバー バレンタインに あの子からチョコを バーバーバー バレンタインに 貰えると信じてた
でも僕には 他に好きな人がいるから も もし 貰えたって 断らなければいけない
こー断らねば 僕は浮気してること バレ���ゃうんだ
バーバーバー バレンタインが こんなに悲しい季節とは バーバーバー バレンタインが 思いもしなかった バーバーバー バレンタインが あの日までは
でーでーでもね 君のこと 思ってたより好きみたい なーなーなぜか わからない 無責任でも好きみたい
こんな日は無心で 髪でも切りに行こうか
バーバーバー バレンタインなど 無くなってしまえばいいのに バーバーバー バレンタインなど 無くなればすっきりするのに バーバーバー バレンタインなど 無くなれなんてウソなのに
なんだかぼんやりしてるのは 君のことがまだ好きだから まだまだ君が好きだから
バーバーバー バレンタインに 恋の花が咲き乱れ バーバーバー バレンタインに あの子からチョコを バーバーバー バレンタインに 貰えると信じてた
来年君にいなければ ボーイフレンドがいなければ 今度こそチョコを 貰えればいいのにな
できれば手作りの 美味しいチョコが食べたいのサ
こんな日は無心で 髪でも切りに行こうか
12.「ブルー・エデュケーション・ラヴァーズ」
ついに言えなかったよ あなたのことが好きだと もう良いんだ 僕も君が好きじゃない
負け惜しみのようだが 言い訳させてくれ アオハルの気まぐれという 風に吹かれていただけ
遥か夕陽が沈む春の日に ふたり電車に揺られて話した その言葉は今でも忘れられないけど 君のことは明日で忘れるよ
バレンタインも貰ったし 誕生日のお祝いもあった でも僕は鈍感で 何も言えなかったんだ
君は僕を好いていたはずなのに 何故だか素直になれない 五月の道に咲くジギタリスを見つめ 花言葉に想いを馳せる
遥か朝陽が昇る夏の日に ふたり朝まで語り明かした その言葉は今でも忘れられないけど 君のことは明日で忘れるよ
思い出を宝石に閉じ込められたら ずっと美しいままでいられたのに お互いを知りすぎてしまった関係は 秋の静けさに溶けていく
恋する気持ちは嘘じゃない でも僕の気持ちは嘘ばかり 遥か月が見えない冬の日に ひとり布団に包まり涙した
君ほど好きになれた人はいないのに 最後まで伝えられないまま 卒業式の朝は憂鬱で 打ち上げにも行かないと決めた
僕の心はまだコバルトブルー 桜は春を待っているというのに 君との日々はずっと忘れられないだろう でも君のことは今日で忘れるよ
作品集『青春謳歌』クレジット
Produced by Yuu Sakaoka / Shizo Chigusa
Written by Yuu Sakaoka Drafted by Yurine(No.1,6,8,9)・TORIMOMO(No.2,5)・Shizo Chigusa(No.3,7,10,11)・Dynamite Kid(No.4)・Sakura Ogawa(No.12)
Dedicated to Sakura Kawasaki From Nogizaka 46(No.1)・Garo(No.2)・Shunsuke Watanabe(No.3)・Message from Space(No.4)・Shotaro Ishinomori(No.7)・Eiichi Ohtaki(No.10,11,12)
Designed / Edited by Yuu Sakaoka
Written / Edited at Yuu Sakaoka Studio, Osaka GRANDSLUM, Kakogawa ARIO, Kakogawa TULLY’S COFFEE, Sakura Ogawa Studio
Respect to EIICHI OHTAKI, KAZUMI YASUI, TOSHIHIKO TAKAMIZAWA, GARO, SHOTARO ISHINOMORI
Very very very thanks to my friend, my family, and all my fan!!
2023.3.26 坂岡 優
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bbrpg · 2 years
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誰も見たことのない景色だけを見る
俺は子供の頃からずっと天才でいる 1人空高く上空の上で生きる 成し遂げて死ぬ 成し遂げて死ぬ
昨日のパーティーの終盤、朝の5時近辺のB2B、酩酊して記憶が保持できなくなっている目の据わった友達が、Mall BoyzのHigherをかけた。その状況に、久しぶりに身体を刃物で突かれるような、刹那的な閃光を感じた。熱狂や快楽を越えた、焼けるような感覚。この瞬間や感情にはいつか終わりが来てしまうという、確信を感じさせる時間。ハバナイの現場でしか感じられなかったものが、ついに自分たちのパーティーの中に現れた。酔ってとろけた眼で、狂ったように隣で揺れる友達を見て、1人涙が出そうだった。
新宿で朝を迎えることは人生で何回目なのか、いつからかもう数えることはできなくなった。この街には何でもあるのに、何にもないといつも思う。若さ、光、富、名誉、快楽、酩酊、汚さ、美しさ。これらはここでしか見つけられないわけじゃないが、この街のもつ極端さに救いや居心地の良さを感じる人々が、無意識に集っているのだと思う。
これがないと死んでいた(ここまで生きてこれらなかった)と感じるものはいくつかあって、新宿という街の存在は、その1つに入る。自分だけが普通になれないこの人生の中で、どうしても自分が生き延びるために必要だった。労働をして生活を送る拠点にすることはないとしても、いずれ確実に導かれる場所であるという運命をずっと感じていた。その反面、呼ばれるまで通わないようにも心がけていた。働きながら大学に通うことで精一杯だったのもあるが、若い自分はこの街のもつ危うさに負けてしまいそうだったからだ。
結果、それは正しかったと今になって思う。あと10年遅く生まれていたら、確実にトー横キッズと呼ばれて、多分そんなに大事にしてくれない誰かと一緒に酩酊状態でオーバードーズをして、アパホテルから飛び降りた子たちと同じことをしていただろうな、という想像が容易にできる。そのくらいのことを否定も肯定もしない独特の空気感が、新宿という街にはある。
昔、チワワちゃんの監督が映画とハバナイに共通する点は「快楽主義・刹那的な情緒」とあげていた、と書いていたブログを見た。この言葉は言い得て妙で、これこそが冒頭の感覚・時間だと思う。トー横にいる人間たち、および歌舞伎町にいる人間たちは、誰しも少なからずこの2つを感じたことがあると思う。じゃなきゃこんな場所にいられないだろうとも。
30年近く生きているが、いまだにこの感覚を感じなくなる日が来ることが想定できない。いいとか悪いとかは置いておいて、それらをもたない自分が全く想像できない。毎日成長はしても、自分の考え方や感じ方が大きく変動することはもうないと思う。ライフスタイルが変わることはあるかもしれない。そうしたら有り得るのだろうか。今度年上の友達たちに会ったら、いまだにそういう感覚を持っているかどうか尋ねたい。
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鬱から抜けたばかりで、未だ不安定を感じている。昨日一昨日みんなに元気そうでよかった!と言ってもらったのに、うまくやれない自分が嫌だ。
元彼に許せないことをされたけど、何とか自分の中で折り合いをつけた。時間はかかったけれど、珍しく落ち着いて考えることができて、人間関係を断ちたいわけではないという結果に辿り着いた。だから、次同じことがあったら耐えられないと思う、ということだけ伝えた。でも、まだ返事はない。考えているのか、ついに嫌われてしまったのか。
冒頭に書いた友人と、喧嘩ではないけど、衝突をしてしまった。こっちも同じで、人間関係を断ちたいわけではないんだと思うけど、考える時間を取れなかった。感情が止められなくて、うまく言えなくて、伝えながら勝手に苦しくなって、泣いてしまった。
メッセージは難しい。いつも、会って話せばよかったと思って後悔をする。
実はありがたいことに、人間関係で悩むことはここ数年あまりなかった。
だから突然こう重なって、今日���参ってしまった。
占いを信じすぎてはいけないと思うが、8月までの好運気が終わって9月から大殺界なのは、本当だなと思っている。体調もそうだし、人間関係もそうだし、うまく行かないことが多すぎる。
「やさしさ」「幸せ」「人間関係および他人との距離感」「恋愛」について考えて、少し泣いて疲れて眠って、目が覚めたら夜中だった。もう一度眠りたかったけれど、心を整理して安心を手にしたくて、文章を書こうと思った。
書きながら泣いてしまうことは目に見えていた。すこし疲れてしまった。
今夜も友達が誘ってくれたのに顔を出せなかった。ごめんね。
自分にも問題があると思って、自分のことも見つめ直した。
発達障害から来る対応の曖昧さ・不適切さももちろん関係していると思うけれど、たいていの人間関係は5年ももたない。衝突した友達も同じことを言っていたから、あたしたちにとってそれは仕方ないことなのかもしれない。
あたしと5年以上付き合ってくれている友人のことを大切に思い続けたい。
5年未満で離れていく人たちのことも忘れたくない。楽しい時間を共有したことは消えない事実で、そこまで否定する必要はないはずだからだ。
小学生の頃から1つのグループに属せなかった。Aのグループ、Bのグループ、Cのグループを気分で転々とした。とある子に軽蔑した表情で言われた「文香って八方美人だよね」という言葉が忘れられない。今みたいに、人間関係に悩んだ時に絶対に思い返される呪いの言葉だ。
中学校から、他人と距離を縮めることを諦めることを覚え始めた。唯一仲良くできた友達は不登校とヤンキーで、2人ともほとんど学校にいなかった。勉強がしたかったから、学校には無理矢理通った。毎日、漫画やアニメのことしか考えないようにして、早く高校に通って自由になりたいと思い続けた。
高校生になったら、それなりに自由が利いた。変な高校に行ったから。1年はやり過ごしたものの、高2の時、気付いたらそれはもう極端に浮いていた。こんな変な学校にいるのに、それでも浮くのかよと思った。毎日銀杏BOYZを聴いていた。軽音楽部の部長を目指していた女に目の敵にされて、セックスするために男とばっか喋っている、誰とでもする女という噂が流された。キスもしたことがなかったのに。
大学生になったらもう大人だから、きっと苦しくないだろうと思っていた。でもそんなことはなく、大人だからこそ、悩まされる前に放棄したり、逃げ出したりするようになった。そもそも、人間関係以外が苦しかったので、今思うとそれどころではなかったのかもしれない。
社会人最初の職場は今でも本当に大切な人たちのいる場所だ。ここでは本当に恵まれて、心から死ななくてよかったと人生で初めて思えた。この職場を離れる寸前、初めて本当の恋愛に辿り着いた。今思い返すと、この期間が人生で一番生きててよかったと思うことができていた期間かもしれないね。
社会人2つ目の職場は、自分が限界になって終わってしまったので、割愛する。人間関係に関しては、大学時代のスキルが活きたと思う。
そして今、無職。こう思い返せば、確かに今が一番人間関係で悩みやすい時期かもしれない。仕方ないか。
自分を守りたい。他人も守りたい。尊重したい。尊重されたい。大切にしたい。大切にされたい。愛したい。愛されたい。
どういう振る舞いが誰も傷つけないか、そもそも誰も傷つけないなんて絵空事なんじゃないか。誰とも関わらない方がいいんじゃないか。孤独の中で何かを生み出すだけの機械になれたら幸せなんじゃないか。
今日ずっと考えているが、本当に難しい。自分が普通じゃないこと、普通に憧れても普通になれないことを理解した上での、最適解がどこにも見つけられない。
できることなら、2人とも離れたくない。みんなと楽しくしていたい。
これは甘えで、わがままだろうか。もう、潮時なのだろうか。
離れてほしいと思っていない人と別れることが、人間関係で一番苦手かもしれないな。
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toxgo · 3 years
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孤独狸固
"TVer"は革命であり、テレビを持っていない僕にとってはメシア的な存在。好きなバラエティ番組はほぼこのTVerから視聴しています。いつも大変お世話になっております(感謝) バラエティ以外にも期間限定の懐かしいドラマ再放送のカテゴリーをチェックするのですが、最近はキムタク特集にブチ当たってしまいました。その中で主人公の"久利生公平"が自分と同じ名前な所にシンパシーを感じているからなのか、何故か無性に観たくな���周期が定期的にやってくる“HERO”を全話鑑賞しました。"コウヘイ"と言えば忘れてはいけないのが、ガッキー主演の"ハナミズキ" この中で生田斗真演じた木内コウヘイの上京を見送る際の「コーヘーくん!」と叫ぶシーンがあったのですが、ここで日本中のコウヘイがザワザワしたとかしてないとか。ちなみに僕はザワつきました笑 ガッキー脱線してしまいましたが、HEROで1番好きなのはシリーズ屈指の豪華キャストだった2006年放送のスペシャルドラマです。
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皆さんの"キムタクドラマ"と言えばなんですか? 僕は2作品あります。まず1つ目は謎の残るラストシーンが印象的で、竹内まりやの“カムフラージュ”が流れるOPが実はストーリーのネタバレになっていた「眠れる森」 細かい詳細はうる覚えですが、OPだけは今もしっかりと覚えているくらいです。もう1つは月曜日の夜は街から人が消えるとも言われた伝説の月9こと「ロンバケ」は外せないですよね。言わずと知れたスーパーボールのシーンは実家が"セナマン"と同じ3階だったのでトライしてみましたが、あんなにキレイに跳ね返って来るはずもなく笑 終いにはマンションの住人にめちゃくちゃ怒られました。原作者の北川悦吏子さんが「続編はありません」とコメントされていましたが、SPドラマだけでもいいので令和の“南と瀬名”を見てみたいですね。
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そして、"HERO"以上に見たくなる周期がやってくるのが"HUNTER×HUNTER" その昔"めちゃイケ"に極楽の山本が復帰した回の加藤浩次に怒られそうなくらい休載が"当たり前"になり過ぎて、ガチ勢達のYOUTUEB考察などでストーリーを自己流に完結させないといけないのではないのかと最近マジで思ってきている同作です。
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天空闘技場編、幻影旅団編、G.I編など、どこを切り取っても面白いのですが、僕のお気に入りはシリーズ屈指の人気を誇る"キメラ=アント" このシリーズは数多くの人気キャラや名シーンのオンパレード。でもやっぱり1番は「2度言わすな」が口癖な蟻の王"メルエム"と、東ゴルドー共和国の捕虜で、軍儀(朝鮮将棋と囲碁を合体させたボードゲーム)の世界チャンピオンの盲目の少女"コムギ"のストーリー。メルエム達は東ゴルドー共和国を支配し、食糧か兵隊の二択に分ける“人間選別”を始めるまでの暇つぶし程度に考えていた"軍儀" ところがコムギの存在がそうはさせませんでした。
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キメラ=アントの王メルエムに初めて"敗北"を教えたのがコムギでした。彼女との軍儀に熱中するメルエム。しかし一向に勝てません。あるときコムギの軍儀に懸ける思いが"命"に匹敵すること知ります。家族からは蔑ろにされながらも、大会に出て賞金を稼いで貧しい家族の稼ぎ頭になっていた彼女は、軍儀界の格言が「軍儀王、一度負ければただの人」 だと伝えます。つまり"負け=死"であると。そんな彼女の持つ強さを知ったメルエムの中の"人に対する価値観"が少しずつ変化し、強さとは武力だけではないのでは?と悩み始めます。しかし、たかがボードゲーム。"武力"でコムギを殺してしまえばこの悩みは一発で解決するはずだと決意します。そしてコムギを匿っている部屋に向かうと、カラスに襲われながらも助けを呼ばないコムギが居ました。血だらけになっている彼女を見て、怪我の具合を真っ先に心配したメルエム。ついさっきまで殺す気満々だった自分の感情と、咄嗟に取った行動の違いに驚きを隠せません。この時に人に対する"思いやり"を初めて知ったのです。
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ネテロがメルエムについて、「蟻と人の間で揺れている」と言っていた事を表していた名シーンでしたね。
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ハンター会長のネテロはキルアのじいちゃんゼノ=ゾルディックの念能力"龍星郡"の力を借り、メルエム達に奇襲を仕掛けます。そこで2人は驚愕します。キメラ=アントは"人を食糧"としか思っていないはずだったのに、そこには奇襲の犠牲になってしまい、瀕死状態のコムギを抱き抱える王メルエムが居たのです。その光景を目の当たりにしたゼノの「話が随分違うじゃねェかよ」が全てを物語っていました。
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ネテロとの決闘において、ネテロが自分の死を犠牲にした最後の攻撃"貧者の薔薇"の毒に犯されたメルエム。これにより自身の命は長くないと悟りました。そんなメルエムの最後の願いはたった一つ。それはコムギに会う事。そして一緒に軍儀を打つ事。その為に唯一、居場所を知っている潜伏していたハンターのパームこと人間に頭を下げてまで教えてほしいと願ったあの王メルエムを誰が想像できたでしょうか?ここには驚きよりも感動の方が増しました。
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其方→貴様→お主→コムギと少しずつ呼び方が変わっていて、確実に蟻よりも人間に近づいていたメルエム。遂にコムギを見つけて迎えるラスト。自分の犯された毒は伝染すると伝えるメルエムでしたが、コムギもメルエムと同じ気持ちでした。そして最後まで一緒に軍儀を打ちたいと。
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アニメと漫画でラストの描き方が少し異なる所がありましたがどちらも最高でした。アニメはその回のみの特別EDバージョンでしたし。しかし個人的には漫画版に一票です。ラストでメルエムの死に際が近づき、会話のみで描かれたページ。最後の最後の言葉がコムギの「おやすみなさい、メルエム」には涙腺崩壊でした。
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メルエムに"様"はいらぬ!と言われてからの最後の最後にそれ持ってきたり、軍儀の一手一手がキメラ=アント編の敵と味方の展開を表した内容になっていたりと、考察や解説を読んでも難解な伏線を仕掛けている冨樫先生はやっぱり化け物です。
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アニメ版でメルエムの声優を努めたネガティヴ王子こと内山 昂輝さんは、憎めない悪役キャラをやらせたらピカ1だと思ってます。そして最後にもう一つ。このシリーズのEDテーマはゆずの"表裏一体"だったのですが、このイントロを劇中で入れて来るタイミングとナレーションのコンビネーションは神がかり過ぎていました。
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NARI
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2.DIVE [1998]
illustration & notes by 葉月 紗
1.I.D
真夜中に抜け出して、誰もいない車道の真ん中を歩きながら夜空を見るのが好きだった。自分らしいってなんだろう、誰にでもある自身への問いの一つの答え。その時感じたことに素直に、ありのままの気持ちが自分自身だと確かに言えるようになったのはこの曲があったから。
2.走る
まだ何も分からないままに、拙い歌声で「永遠」と口にしてしまう無邪気さ。このニュアンスは絶対にひらがなで。リズム隊が、なんのしがらみもなく走っていける体の軽さを連想させるようで心地良い。このぐらい幼いほうがむしろ、本当の愛の場所には一番近い所にいるのかもしれない。
3.Babyface
少し気取って、大人にBabyfaceなんて言ってみるの、というような歌声が眩しい。歌詞はただシンプルに笑顔になって!と言い、淡々としながらも明るい曲調に、不思議とゆっくり気持ちが上向きになる。真昼の賑やかな日差しと底抜けに笑う声が聞こえる気がしたら、もう涙は綺麗に乾いてる。
4.月曜の朝
鈍色の、今にも落ちてきそうな曇り空に向かって歩いている。昨日はこの道に立ち込めていた雨の匂いは空に吸い込まれて、ただ同じ表情が続くだけ。抗えない重さに耐えきず、鋭い刃物のような感想のギターソロが、火花のように散る。白い光に包まれる終わりに、いつも鳥肌が立つ。
5.パイロット
ゆっくりと離した指先から、風にのって静かに上昇する紙飛行機を見つめている。見えない高さまで飛んでしまえばあとは身を任せるだけ、悠々と吹く温かな風は、きっと隣にいる君の体温と同じ暖かさだと思う。柔らかい羽毛布団のような曲、あの白い姿を思い出しながら、眠りにつきたい。
6.Heavenly blue
完璧な青い空と比例してうまく行かない自分の気持ちにもどかしくなったり、嫌になったり、たとえ綺麗な景色を見ていても気持ちもそうだとは限らなくて。でもなんとなく何もない空を見ていると、段々と自分の気持ちが整理されていくような、いい意味で諦められる瞬間が来る、そんな歌。
7.ピース
最強(凶)で最高(悪)な二人のお話。女子高生時代の自分達の為に世界は周っていて、今の私たちは無敵だって、みんな思っていたあの感覚。サビへの疾走感と共に、歌詞に溢れる自信が最高!ちょっと憎らしいけど許せる可愛さで、尻尾を隠して意地悪に翻弄する女の子の曲にいつでも完敗してる。
8.ユッカ
極彩色に囲まれた世界で、大声で叫ぶ声を高らかに緑に反射させるような開放感。肺いっぱいに吸い込んだ空気が体中を駆け巡りながら、不思議な力が湧き上がってくるのを感じて。喜びも悲しみも、全ては自分の糧になるためにある。手を広げて、世界を抱きしめて、この愛を育ていきたい。
9.ねこといぬ
正反対のように思える二人、どうして上手く行くのか本当はわたしたち自身が不思議。でもそれってパズルのピースがちょうど隣だったから、そんな些細だけど、大事な理由なのかもしれない。この微睡みの一時、付かず離れずの距離が心地良いことを知っている、そんな関係性に憧れる。
10.孤独
高速道路を走るテールライト、街の明かりで照らされた雲に、否定も肯定もしないような生温い風。誰もが眠りにつくようなこの時間に、ただ一人車を走らせて、ありふれた夜を進む。苛立ちと、諦めと、滲む視界。握りしめたハンドルの感触だけは確かなまま、孤独に包まれている。
11.DIVE
光も届かないような、深い海の底から声が聞こえる。それは生き物たちの声、それとも、私の?肺を満たしていく冷たさが体内から鼓膜へと響き、視界は薄れていく。抗わずに流れに身を任せれば、瞼の向こうに光が刺すのを感じた。もう大丈夫だと水が言う。手を離しても、きっと私達は…
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toshimoto160 · 3 years
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はじめに
ドンキーコングシリーズのアレンジはずっとやりたいと思っていました。だけどなかなかタイミング合わなかったり、忙しかったり、そもそも思い入れが強すぎて企画の段階でどういうものにするべきか悩んだり。とにかくいろんな要素があって後回しになっていたりしました。 SFCスーパードンキーコングは個人的に大好きなゲームですし、もちろん曲も大好き。大袈裟に言うなら、僕の音楽の最初の衝撃でした。個人の歴史の中の音楽的な衝撃はいろんな時期にありますよね? 僕はアルバム毎にテーマを決めて作ることが多いのですが、じゃあドンキーのアルバムも普通にテーマを決めて今まで通りやるかと当初は考えていたのですが、いざやるとなったときに、もっと曲とゲームに対して(もっと狭く言えば大部分の作曲をしたデビット・ワイズ氏に)リスペクトを込めたものにしたいなと思いました。 個人的な話になるのですが、このゲームは僕がちょうど小学生の頃に発売されて、随分とたくさんプレイしていました。当時の僕は、友達と遊ぶのも好きでしたが、一人の時間が必ず一定時間ないとダメなタイプの子供で、その一人の時間はたいていゲームをしていました。 この時期のゲームの特徴でもあるのですが、昔のゲームはステージの様子がステージごとにまったく違っていて、例えば沼のマップにいたはずなのに、あるステージでは急に空に浮かぶイバラの迷路の中だったり、スイッチオンオフで急に動き出したり眠ったりするクレムリンがいたり……。当時はそういう唐突さと非現実感がなんとなく夢の中のようで、ずいぶん��楽的な気持ちにさせてくれました。 なにかに対して創作で尊敬、敬愛を示すときにどうしたらいいかよく考えました。その結果、最も個人的で、内省的、自分の中のことを盛り込むのが一番だと結論づけました。今持っている技術とか、発想で曲を作り、当時感じたものをそのままかたちにするべきだと。つまりリスペクトというのは、ただ踏襲するのではなくて逆説的に「ガチンコ勝負」ということです。 というわけでこのアルバムは当時プレイした感覚や、感じたこと、今の自分ができる、いいと思う作り方で、それぞれの曲を独立して作るようなかたちになりました。
1.ジャングル・ビート 原曲:DK Island Swing(ジャングル) スーパードンキーコング1
1-1、象徴的な曲です。SFCスーパードンキーコングシリーズの音楽の最も特徴的な部分は、音楽と効果音の折衷です。ゲームの効果音と曲中に入っている効果音「的」な音が、わりと対等に作られている楽曲が多いですね。ほとんど効果音でできているような曲もたくさんあります。もちろんこれはまったく簡単なことではありません。SFCの音源で自然音的なものを演出するのは非常に困難なことです。デビット・ワイズ氏はそこをサンプリング音をソフトに仕込むことで、さらに豊かな表現を実現しています。ただこれは容量が0.5MB~6MBしかないスーパーファミコンの話と考えると、まさに驚異的なことだと言えます。 ゲームをはじめてすぐ目に入ってくる、ドットのジャングルの生命力あふれる感じ、それとサウンド的に生々しい大太鼓的な音、この辺りが僕の個人的なイメージでした。ビッグバンド的なインテリ感の前に、結構野性的というか、太古的な響きが先に立っていたので、そういう部分を拡張していきました。ハワイの伝統的な踊りだったり、その他多くの伝統的な音楽はリズムが主体です。その感じでイントロは進めています。野性的な部分を出すために、リズムもなるべくシンプルな原初的なものに再解釈しました。 メロディが入ってくるメインのあたりからは、夕方から夜にかけてのイメージで作りました。ゲームでもジャングルはいつも夕方から夜にかけて、または雨の暗い様子から夕方にかけて背景が変わりますよね。参考にしたのはジャズフェス的な編成と、その編成でよくあるスモーキーな雰囲気です。夕方にやってくれたら盛り上がりそうですね。 後半に関してはジャズを外れて、エレキギター中心のちょっとプログレッシブロックっぽいアプローチにしました。夜が徐々に深まっていくような、熱帯夜的なイメージで作りました。 実は最後までどうやって作るか非常に迷った曲でした。ビッグバンド的な曲はビッグバンドを離れても、それはそれでよさが目減りすることも多く、だからといってただの編成違いもそれはそれでよくなく、アイデアが決まるまで結構時間がかかりました。
2.アンチエイリアス・シー 原曲:Aquatic Ambiance(海) スーパードンキーコング1
この曲も有名な曲で、デビット・ワイズ氏もご自身でお気に入りの曲だと言っていたそうです。そう言われるとアレンジするの緊張する~~~!って話なんですけれども。 この曲は結構初期に作りはじめた曲で、メインのピアノの音をはじめに決めました。この音は特殊な作りのアップライトピアノをサンプリングした音源を使って出しています。簡単に言うと変態ピアノ。まだ全体像は決まっていませんでしたが、とにかく演奏的な生々しさがほしいと思ったからです。 それからしばらくイントロを弾いているうちに、原曲が持っているリアルな強弱や、ディレイの反響、水を連想させる音の表現をもっと先に進めるようなものにしようと考えました。原曲はSFC音源でこれをやっているのですから、それはものすごい技術なのですが、そこに敬意を払いつつ、今の技術でもっと生々しさを感じる曲にしようと。もちろんここは僕自身の挑戦も含め、ということです。 というわけでとにかく生演奏にこだわった曲です。 後半の展開について。この曲自体が原曲を今の技術でアップデート(畏れ多いことですが)的なテーマを持っていたので、後半のまったく新しいフレーズは僕なりの敬意というか、恩返し的な意味であえてつけました。 1の海面は僕のイメージだと、グラフィック的にも、いわゆるゲーム的な清浄な海(無菌的な、と言ってもいいかもしれません)という感じではなくて、岩肌なんかはザラっとしていて触ったら怪我をしそうに見えます。色合いも年月が経った、海特有の生物の体積のようなものを感じます。本物の海に入ったことがある人ならわかると思うのですが、海特有の綺麗さと汚さみたいなものがありますよね。 というわけでエレキギターもドラムも歪んでいて、どことなく汚いイメージを持てるようなデザインにしました。また、歪みの音はSFCでは絶対に表現できないことなので、テーマにもぴったりでした。 ちなみにアンチエイリアスというのは、コンピューターのイラストなどで使う言葉で、ドット描写された(サンプリング描写された)ギザギザの線の間に、中間色などを挟んでよりリアルに見せる、ということです。
3.レプタイルズ・ハート 原曲:Mining Melancholy(タルタルこうざん) スーパードンキーコング2
この曲も大好きな曲ですね。そして人気も高い。個人的にこの曲はクレムリン軍団の曲、というイメージが強いです。おそらく男性コーラスが入っているのが原因だと思います。コングたちの雰囲気ではないし、このゲームはだいたいコングとクレムリンしかいませんからね。それに鉱山と歌といえば労働歌ですよね。炭鉱の歌というのはあらゆる国にありますし、おそらく作曲したデビット・ワイズ氏もそのイメージだったと思うので、あながち間違いではないような気もします。 クレムリン軍団って結構働き者というか、甲斐甲斐しいというか、そういうイメージがありますよね。そもそも2Dアクションゲームの敵というのはだいたいそういう感じで、完璧に自由なプレイヤーキャラクターとは対照的に、同じ道を歩いていたり、まっすぐ歩き続けなくてはならなかったり、何度も湧いては倒され……。そういう印象もあり、哀愁漂うこの曲のメロディーは彼らの哀愁でもあります。 今回の曲では、ちょっと哀愁はあるけれど、パワフルで、何度倒されても諦めない、そういうクレムリン軍団の曲として書きました。一度曲が終わって、またはじまるのはその七転び八起き的な部分として表現したつもりです。 個人的に、ラストでリフレインするパートが、前半ではサビ前ブリッジ的に使われているのに、再現部の後半ではサビ的に使われているところがお気に入りです。
4.ふたりぼっち 原曲:Stickerbrush Symphony(とげとげタルめいろ) スーパードンキーコング2
SFCドンキーコングで一番好きな部分、それは「はじめに」の部分でも書きましたが、唐突な背景、場面設定です。一番人気と言えるこの曲が流れるステージは、おそらく一番ぶっ飛んだ場面設定だと思います。沼にいたと思ったら空の上のイバラの迷路ですから。 小さいころ、このステージから受けた印象は孤独でした。孤独、寂しさ、寂寥感、とにかくそういう感情でした。当時は子供ながらにいろいろなコンテンツに触れながら「もし自分がそうだったら……」と考えて憂鬱になったりする人だったので、その感想はある意味当然なのですが。こんなとこ閉じ込められたらとてもかなしい。 また、ビジュアル以外でもゲームの内容的にも寂しいですよね。このゲームで味方キャラクターは二人しかいないわけで、それを操作するのも(だいたいは)一人。タル大砲のタイミングを間違えればすぐにひとりぼっちです。それにこのゲームはなかなかの難易度なので、難しい箇所に差し掛かるころにはだいたい一人で、後がなく孤独に乗り越えなければいけません。だからこそ相方の一人はとても大事ですよね。 でもそもそも2Dアクションゲームというのは孤独なゲームでもあります。そしてそこが最大の強みとも言えます。一人の世界に没頭できる、そういうことは実は日常でそう多くありません。そういう部分を感じながら作りました。 音に関して、雲のイメージとして煙のような印象の音を多く選びました。ハンドパンは砂糖の入った紙袋で叩いているサンプリングを使っています。シャッシャいってますね。 また16分音符のディレイ(エコーみたいなものです)をドラムに入れたのは、ドンキーコング的なサウンドとして意識して入れています。結構素直に作れたと思っています。
5.はちみつパーク「クレムランド」大人気アトラクション「クレムリン軍団の栄光」 原曲:Snakey Chantey(ラトリーにだいへんしん) スーパードンキーコング2
この曲はアレンジにかなり悩みました。1曲目もそうですが、ジャズっぽい部分のある曲はうまいことやらないと難しいです。 とにかく作りはじめないとはじまらないと思い、冒頭の部分を打ち込んだのですが、パイプオルガン(左の方で鳴っていますね)が非常にテーマパーク的な響きだったんです。テーマパークといえば「はちみつパーク『クレムランド』」!と連想ゲーム的にできた曲です。ところではちみつパークってなんだよ。 クレムリン軍団のすることなので、めげない、しょげない、明るい曲にしようと思いました。軍団のテーマパークなら軍団を賛美するアトラクションは必須!ということでそういうイメージで作りました。 ディズニーシーでいうならシンドバッド。乗りながら景色がどんどん変わってストーリーが進んでいく感じ。 基本的には明るく、ソロ回しが多い構成。キャラバン的なイメージもあります。途中の部分はマップ画面の楽曲「Welcome to Crocodile Isle」を長調にしたフレーズを一部採用しています。
6.わたし達をたすけられるのは、あなた達だけ。 原曲:Mama Bird(バナナクイーン) スーパードンキーコング3
この曲は以前に「レア社のゲーム縛りのコンピ」(なんとレアな!)に参加したときに作った曲です。CDのコンセプトにも合っていたので、ミックスしなおして収録しました。 楽しいコンピなのでぜひチェックしてみてください!↓(https://sbfr.info/discography/sbfr-0088/index.html) この曲はかなーーーり好きな曲で、ドンキーコングで一曲選ぶならこれ!という感じで作った記憶があります。この曲、みんな覚えているのでしょうか。 これもまた唐突な場面シリーズで、バナナクイーンが封印の石版に幽閉されている、雲の上のような場所の曲です。神秘的でこれまた寂しい。 しかもこの石版は"かがくしゃ"バロンクルールの"きょうりょくでじゃあくなちから"で作られた"ふういん"なんだそうです。ど、どうして……。石版もとっても魔術的ですし(ルーン文字みた���ですね)、ご丁寧にバロンクルールの両手の手形までついています。 正直ワケわからんのですが、小学生のときの僕はこれになんだかすごく不思議な魅力を感じていたわけです。急に出てくる魔法(?)の石版。ちょっと横に回り道すれば出られそうなのに、なぜか出られない。非常に魔術的な表現に見える。そもそもここはどこなのか。天国なのか。子供に会えないのはすごくかわいそう。唯一の望みがたまたま来たコング達。 昔受けた印象をそのままオーケストラ楽器で曲にしてみました。 とにかく原曲はとても短いし要素も少ないので、全編を通して使うモチーフとして「ソ→ファ」の反復を採用しました。また後半のアルペオや、中間に流れる鉄琴っぽいフレーズも。全体的にモチーフを組み合わせたり、継ぎ足したりしながら曲を作りました。55秒あたりからのフレーズは、実はバナナバード(バナナクイーンの子どもたち)が封印されている洞穴のフレーズを借りたりもしました。結構たいへんでしたよ! ちなみにこの楽曲はデビット・ワイズ氏ではなく3の曲を数多く担当しているイーブリン・フィッシャー女史の楽曲です。効果音的なアプローチならワイズ氏にも負けてないです。
7~9.ステイ・ホーム・ベアーズ
ラストのこの組曲だけはちょっとだけ風向きが変わって、ゲームの思い出というよりかは現実にリンクしたコロナ禍の人々をイメージした曲にしてみました。コロナのご時世、ステイホームも板についてきたけど、それなりに大変な一年でした(みんなもそうだよね?)。自分の作品のテーマに時事ネタを盛り込むのはある意味危険な行為でもあります。リリース後、振り返ってみれば「なんだこれ」という冷めた自分との温度差にびっくりしたり、「なんか違うな感」がつきまとうものです。 でもよく考えれば今のウィルス戦争的な日常は、時事ネタでもなんでもなくて、世界的な歴史の一ページであり、記録に残すにふさわしいものかなと考え直して、作ってみることにしました。
a.ステイ・ホーム・ベアーズ 原曲:Brothers Bear Blues(内気なブルー) スーパードンキーコング3
ドンキー3で愛すべきはかわいいクマたち!そう信じてやまないのですが、こいつらみんなお家にいて、それぞれ思い思いの生活をしています。かわいいね。ステイホーム的なテーマにぴったりです。 外にあまり出られなくなったときの、あの「意外とじわじわつらくね?」という感じを表現しました。 どちらかというと電子寄り、だけどデジタルすぎない半生な塩梅。ベッドの上でスマホをポチポチしたり、ネット通話してお互い気を紛らわしたり、そういう風景をイメージしました。 音色がグネグネしているのは、なーーーんか気分が晴れないなーというそんな感じです。 内気なブルーはコロナ禍になったらとっても心配しちゃいそうですね。
b.テイク・ア・ストロォル 原曲:Northern Kremisphere(クレミス島マップ) スーパードンキーコング3
a.と接続して流れるのはマップの曲ですね。テイク・ア・ストロォルは「Take a Stroll」。散歩をするという意味です。 コロナのご時世は外に出ることが減るので、気晴らしにひと気のない場所をよく散歩しました。今でもよくしますね。コングやクマたちがクレミス島を散歩しているようなイメージですね。 散歩するようになってわかったことなのですが、長時間散歩をすると気分が乗ってくるというか、ちょっとハイになるような気がします。どんどん前に進めてしまうような、走っていてだんだん楽になっていくのと同じですね。そういうときは意外にも心もリラックスしていて、気分がよかったです。なので曲自体もそんな感じになっています。ここはわかりやすく、スーパー銭湯の岩盤浴とか、そういうところで流れているリラクゼーションBGMみたいな要素を入れてあるます。お散歩中に聴いてほしいな。
c.ミート・アップ・ベアーズ 原曲:Brothers Bear(ベアーズ) スーパードンキーコング3
終曲は元気なベアーズのテーマです。「コロナ禍、終わったらいいね」という願いを込めて、クマたちがいろいろ終わってマスクを外してみんなで会っているようなイメージで作りました。曲に関してはアレンジというよりも、自分がバンドで演奏するならどんな感じかな?という感じで作りました。ホンキートンクのピアノロックはEL&P(プログレのバンドです)でいっぱい聴いていて好きだったのですが、あまりやったことはなかったんですよね。結構伝統的な形式だと思うんですけど、ワルツとか、ブルースとか、わりと形式的なものが、なぜずっと変わらず演奏され続けているのか(好きだけどなぜ!)、みたいな疑問は前々からあったんですよね。でも今回やってみてよくわかりました。めちゃくちゃ楽しい!きっと演奏していて楽しいから残っているんですね。作ったCDもですが、ここにブログとして残した文章が数年後には「ああそんなのもあったね」となるのか、それとも「まだまだ続いてるね」となるのか。どちらにせよめげずにがんばっていきたいですね。
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skf14 · 4 years
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11180143
愛読者が、死んだ。
いや、本当に死んだのかどうかは分からない。が、死んだ、と思うしか、ないのだろう。
そもそも私が小説で脚光を浴びたきっかけは、ある男のルポルタージュを書いたからだった。数多の取材を全て断っていた彼は、なぜか私にだけは心を開いて、全てを話してくれた。だからこそ書けた、そして注目された。
彼は、モラルの欠落した人間だった。善と悪を、その概念から全て捨て去ってしまっていた。人が良いと思うことも、不快に思うことも、彼は理解が出来ず、ただ彼の中のルールを元に生きている、パーソナリティ障害の一種だろうと私は初めて彼に会った時に直感した。
彼は、胸に大きな穴を抱えて、生きていた。無論、それは本当に穴が空いていたわけではないが、彼にとっては本当に穴が空いていて、穴の向こうから人が行き交う景色が見え、空虚、虚無を抱いて生きていた。不思議だ。幻覚、にしては突拍子が無さすぎる。幼い頃にスコンと空いたその穴は成長するごとに広がっていき、穴を埋める為、彼は試行し、画策した。
私が初めて彼に会ったのは、まだ裁判が始まる前のことだった。弁護士すらも遠ざけている、という彼に、私はただ、簡単な挨拶と自己紹介と、そして、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書き添えて、名刺と共に送付した。
その頃の私は書き殴った小説未満をコンテストに送り付けては、音沙汰のない携帯を握り締め、虚無感溢れる日々をなんとか食い繋いでいた。いわゆる底辺、だ。夢もなく、希望もなく、ただ、人並みの能がこれしかない、と、藁よりも脆い小説に、私は縋っていた。
そんな追い込まれた状況で手を伸ばした先が、極刑は免れないだろう男だったのは、今考えてもなぜなのか、よくわからない。ただ、他の囚人に興味があったわけでもなく、ルポルタージュが書きたかったわけでもなく、ただ、話したい。そう思った。
夏の暑い日のことだった。私の家に届いた茶封筒の中には白無地の紙が一枚入っており、筆圧の無い薄い鉛筆の字で「8月24日に、お待ちしています。」と、ただ一文だけが書き記されていた。
こちらから申し込むのに囚人側から日付を指定してくるなんて、風変わりな男だ。と、私は概要程度しか知らない彼の事件について、一通り知っておこうとパソコンを開いた。
『事件の被疑者、高山一途の家は貧しく、母親は風俗で日銭を稼ぎ、父親は勤めていた会社でトラブルを起こしクビになってからずっと、家で酒を飲んでは暴れる日々だった。怒鳴り声、金切声、過去に高山一家の近所に住んでいた住人は、幾度となく喧嘩の声を聞いていたという。高山は友人のない青春時代を送り、高校を卒業し就職した会社でも活躍することは出来ず、社会から孤立しその精神を捻じ曲げていった。高山は己の不出来を己以外の全てのせいだと責任転嫁し、世間を憎み、全てを恨み、そして凶行に至った。
被害者Aは20xx年8月24日午後11時過ぎ、高山の自宅において後頭部をバールで殴打され殺害。その後、高山により身体をバラバラに解体された後ミンチ状に叩き潰された。発見された段階では、人間だったものとは到底思えず修復不可能なほどだったという。
きっかけは近隣住民からの異臭がするという通報だった。高山は殺害から2週間後、Aさんだった腐肉と室内で戯れている所を発見、逮捕に至る。現場はひどい有り様で、近隣住民の中には体調を崩し救急搬送される者もいた。身体に、腐肉とそこから滲み出る汁を塗りたくっていた高山は抵抗することもなく素直に同行し、Aさん殺害及び死体損壊等の罪を認めた。初公判は※月※日予定。』
いくつも情報を拾っていく中で、私は唐突に、彼の名前の意味について気が付き、二の腕にぞわりと鳥肌が立った。
一途。イット。それ。
あぁ、彼は、ずっと忌み嫌われ、居場所もなくただ産み落とされたという理由で必死に生きてきたんだと、何も知らない私ですら胸が締め付けられる思いがした。私は頭に入れた情報から憶測を全て消し、残った彼の人生のカケラを持って、刑務所へと赴いた。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
「失礼します。」
「どうぞ。」
手錠と腰縄を付けて出てきた青年は、私と大して歳の変わらない、人畜無害、悪く言えば何の印象にも残らない、黒髪と、黒曜石のような真っ黒な瞳の持ち主だった。奥深い、どこまでも底のない瞳をつい値踏みするように見てしまって、慌てて促されるままパイプ椅子へと腰掛けた。彼は開口一番、私の書いている小説のことを聞いた。
「何か一つ、話してくれませんか。」
「え、あ、はい、どんな話がお好きですか。」
「貴方が一番好きな話を。」
「分かりました。では、...世界から言葉が消えたなら。」
私の一番気に入っている話、それは、10万字話すと死んでしまう奇病にかかった、愛し合う二人の話。彼は朗読などしたこともない、世に出てすらいない私の拙い小説を、目を細めて静かに聞いていた。最後まで一度も口を挟むことなく聞いているから、読み上げる私も自然と力が入ってしまう。読み終え、余韻と共に顔を上げると、彼はほろほろ、と、目から雫を溢していた。人が泣く姿を、こんなにまじまじと見たのは初めてだった。
「だ、大丈夫ですか、」
「えぇ。ありがとうございます。」
「あの、すみません、どうして私と、会っていただけることになったんでしょうか。」
ふるふる、と犬のように首を振った彼はにこり、と機械的にはにかんで、机に手を置き私を見つめた。かしゃり、と決して軽くない鉄の音が、無機質な部屋に響く。
「僕に大してアクションを起こしてくる人達は皆、同情や好奇心、粗探しと金儲けの匂いがしました。送られてくる手紙は全て下手に出ているようで、僕を品定めするように舐め回してくる文章ばかり。」
「...それは、お察しします。」
「でも、貴方の手紙には、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書かれていた。面白いな、って思いませんか。」
「何故?」
「だって、貴方、「理解させる」って、僕と同じ目線に立って、物を言ってるでしょう。」
「.........意識、していませんでした。私はただ、憶測が嫌いで、貴方のことを理解したいと、そう思っただけです。」
「また、来てくれますか。」
「勿論。貴方のことを、少しずつでいいので、教えてくれますか。」
「一つ、条件があります。」
「何でしょう。」
「もし本にするなら、僕の言葉じゃなく、貴方の言葉で書いて欲しい。」
そして私は、彼の元へ通うことになった。話を聞けば聞くほど、彼の気持ちが痛いほど分かって、いや、分かっていたのかどうかは分からない。共鳴していただけかもしれない、同情心もあったかもしれない、でも私はただただあくる日も、そのあくる日も、私の言葉で彼を表し続けた。私の記した言葉を聞いて、楽しそうに微笑む彼は、私の言葉を最後まで一度も訂正しなかった。
「貴方はどう思う?僕の、したことについて。」
「...私なら、諦めてしまって、きっと得物を手に取って終わってしまうと思います。最後の最後まで、私が満たされることよりも、世間を気にしてしまう。不幸だと己を憐れんで、見えている答えからは目を背けて、後悔し続けて死ぬことは、きっと貴方の目から見れば不思議に映る、と思います。」
「理性的だけど、道徳的な答えではないね。普通はきっと、「己を満たす為に人を殺すのは躊躇う」って、そう答えるんじゃないかな。」
「でも、乾き続ける己のままで生きることは耐え難い苦痛だった時、己を満たす選択をしたことを、誰が責められるんでしょうか。」
「...貴方に、もう少し早く、出逢いたかった。」
ぽつり、零された言葉と、アクリル板越しに翳された掌。温度が重なることはない。触れ合って、痛みを分かち合うこともない。来園者の真似をする猿のように、彼の手に私の手を合わせて、ただ、じっとその目を見つめた。相変わらず何の感情もない目は、いつもより少しだけ暖かいような、そんな気がした。
彼も、私も、孤独だったのだと、その時初めて気が付いた。世間から隔離され、もしくは自ら距離を置き、人間が信じられず、理解不能な数億もの生き物に囲まれて秩序を保ちながら日々歩かされることに抗えず、翻弄され。きっと彼の胸に空いていた穴は、彼が被害者を殺害し、埋めようと必死に肉塊を塗りたくっていた穴は、彼以外の人間が、もしくは彼が、無意識のうちに彼から抉り取っていった、彼そのものだったのだろう。理解した瞬間止まらなくなった涙を、彼は拭えない。そうだった、最初に私の話で涙した彼の頬を撫でることだって、私には出来なかった。私と彼は、分かり合えたはずなのに、分かり合えない。私の言葉で作り上げた彼は、世間が言う狂人でも可哀想な子でもない、ただ一人の、人間だった。
その数日後、彼が獄中で首を吊ったという報道が流れた時、何となく、そうなるような気がしていて、それでも私は、彼が味わったような、胸に穴が開くような喪失感を抱いた。彼はただ、理解されたかっただけだ。理解のない人間の言葉が、行動が、彼の歩く道を少しずつ曲げていった。
私は書き溜めていた彼の全てを、一冊の本にした。本のタイトルは、「今日も、皮肉なほど空は青い。」。逮捕された彼が手錠をかけられた時、部屋のカーテンの隙間から空が見えた、と言っていた。ぴっちり閉じていたはずなのに、その時だけひらりと翻った暗赤色のカーテンの間から顔を覗かせた青は、目に刺さって痛いほど、青かった、と。
出版社は皆、猟奇的殺人犯のノンフィクションを出版したい、と食い付いた。帯に著名人の寒気がする言葉も書かれた。私の名前も大々的に張り出され、重版が決定し、至る所で賛否両論が巻き起こった。被害者の遺族は怒りを露わにし、会見で私と、彼に対しての呪詛をぶちまけた。
インタビュー、取材、関わってくる人間の全てを私は拒否して、来る日も来る日も、読者から届く手紙、メール、SNS上に散乱する、本の感想を読み漁り続けた。
そこに、私の望むものは何もなかった。
『あなたは犯罪者に対して同情を誘いたいんですか?』
私がいつ、どこに、彼を可哀想だと記したのだろう。
『犯罪者を擁護したいのですか?理解出来ません。彼は人を殺したんですよ。』
彼は許されるべきだとも、悪くない、とも私は書いていない。彼は素直に逮捕され、正式な処罰ではないが、命をもって罪へ対応した。これ以上、何をしろ、と言うのだろう。彼が跪き頭を地面に擦り付け、涙ながらに謝罪する所を見たかったのだろうか。
『とても面白かったです。狂人の世界が何となく理解出来ました。』
何をどう理解したら、この感想が浮かぶのだろう。そもそもこの人は、私の本を読んだのだろうか。
『作者はもしかしたら接していくうちに、高山を愛してしまったのではないか?贔屓目の文章は公平ではなく気持ちが悪い。』
『全てを人のせいにして自分が悪くないと喚く子供に殺された方が哀れでならない。』
『結局人殺しの自己正当化本。それに手を貸した筆者も同罪。裁かれろ。』
『ただただ不快。皆寂しかったり、一人になる瞬間はある。自分だけが苦しい、と言わんばかりの態度に腹が立つ。』
『いくら貰えるんだろうなぁ筆者。羨ましいぜ、人殺しのキチガイの本書いて金貰えるなんて。』
私は、とても愚かだったのだと気付かされた。
皆に理解させよう、などと宣って、彼を、私の言葉で形作ったこと。裏を返せば、その行為は、言葉を尽くせば理解される、と、人間に期待をしていたに他ならない。
私は、彼によって得たわずかな幸福よりも、その後に押し寄せてくる大きな悲しみ、不幸がどうしようもなく耐え難く、心底、己が哀れだった。
胸に穴が空いている、と言う幻覚を見続けた彼は、穴が塞がりそうになるたび、そしてまた無機質な空虚に戻るたび、こんな痛みを感じていたのだろうか。
私は毎日、感想を読み続けた。貰った手紙は、読んだものから燃やしていった。他者に理解される、ということが、どれほど難しいのかを、思い知った。言葉を紡ぐことが怖くなり、彼を理解した私ですら、疑わしく、かといって己と論争するほどの気力はなく、ただ、この世に私以外の、彼の理解者は現れず、唯一の彼の理解者はここにいても、もう彼の話に相槌を打つことは叶わず、陰鬱とする思考の暗闇の中を、堂々巡りしていた。
思考を持つ植物になりたい、と、ずっと思っていた。人間は考える葦である、という言葉が皮肉に聞こえるほど、私はただ、一人で、誰の脳にも引っ掛からず、狭間を生きていた。
孤独、などという言葉で表すのは烏滸がましいほど、私、彼が抱えるソレは哀しく、決して治らない不治の病のようなものだった。私は彼であり、彼は私だった。同じ境遇、というわけではない。赤の他人。彼には守るべき己の秩序があり、私にはそんな誇り高いものすらなく、能動的、怠惰に流されて生きていた。
彼は、目の前にいた人間の頭にバールを振り下ろす瞬間も、身体をミンチにする工程も、全て正気だった。ただ心の中に一つだけ、それをしなければ、生きているのが恐ろしい、今しなければずっと後悔し続ける、胸を掻きむしり大声を上げて暴れたくなるような焦燥感、漠然とした不安感、それらをごちゃ混ぜにした感情、抗えない欲求のようなものが湧き上がってきた、と話していた。上手く呼吸が出来なくなる感覚、と言われて、思わず己の胸を抑えた記憶が懐かしい。
出版から3ヶ月、私は感想を読むのをやめた。人間がもっと憎らしく、恐ろしく、嫌いになった。彼が褒めてくれた、利己的な幸せの話を追い求めよう。そう決めた。私の秩序は、小説を書き続けること。嗚呼と叫ぶ声を、流れた血を、光のない部屋を、全てを飲み込む黒を文字に乗せて、上手く呼吸すること。
出版社は、どこも私の名前を見た瞬間、原稿を送り返し、もしくは廃棄した。『君も人殺したんでしょ?なんだか噂で聞いたよ。』『よくうちで本出せると思ったね、君、自分がしたこと忘れたの?』『無理ですね。会社潰したくないので。』『女ならまだ赤裸々なセックスエッセイでも書かせてやれるけど、男じゃ使えないよ、いらない。』数多の断り文句は見事に各社で違うもので、私は感嘆すると共に、人間がまた嫌いになった。彼が乗せてくれたから、私の言葉が輝いていたのだと痛感した。きっとあの本は、ノンフィクション、ルポルタージュじゃなくても、きっと人の心に突き刺さったはずだと、そう思わずにはいられなかった。
以前に働いていた会社は、ルポの出版の直前に辞表を出した。私がいなくても、普段通り世界は回る。著者の実物を狂ったように探し回っていた人間も、見つからないと分かるや否や他の叩く対象を見つけ、そちらで楽しんでいるようだった。私の書いた彼の本は、悪趣味な三流ルポ、と呼ばれた。貯金は底を尽きた。手当たり次第応募して見つけた仕事で、小銭を稼いだ。家賃と、食事に使えばもう残りは硬貨しか残らない、そんな生活になった。元より、彼の本によって得た利益は、全て燃やしてしまっていた。それが、正しい末路だと思ったからだったが、何故と言われれば説明は出来ない。ただ燃えて、真っ赤になった札が灰白色に色褪せ、風に脆く崩れていく姿を見て、幸せそうだと、そう思った。
名前を伏せ、webサイトで小説を投稿し始めた。アクセス数も、いいね!も、どうでも良かった。私はただ秩序を保つために書き、顎を上げて、夜店の金魚のように、浅い水槽の中で居場所なく肩を縮めながら、ただ、遥か遠くにある空を眺めては、届くはずもない鰭を伸ばした。
ある日、web上のダイレクトメールに一件のメッセージが入った。非難か、批評か、スパムか。開いた画面には文字がつらつらと記されていた。
『貴方の本を���販売当時に読みました。明記はされていませんが、某殺人事件のルポを書かれていた方ですか?文体が、似ていたのでもし勘違いであれば、すみません。』
断言するように言い当てられたのは初めてだったが、画面をスクロールする指はもう今更震えない。
『最新作、読みました。とても...哀しい話でした。ゾンビ、なんてコミカルなテーマなのに、貴方はコメをトラにしてしまう才能があるんでしょうね。悲劇。ただ、二人が次の世界で、二人の望む幸せを得られることを祈りたくなる、そんな話でした。過去作も、全て読みました。目を覆いたくなるリアルな描写も、抽象的なのに五感のどこかに優しく触れるような比喩も、とても素敵です。これからも、書いてください。』
コメとトラ。私が太宰の「人間失格」を好きな事は当然知らないだろうに、不思議と親近感が湧いた。単純だ。と少し笑ってから、私はその奇特な人間に一言、返信した。
『私のルポルタージュを読んで、どう思われましたか。』
無名の人間、それも、ファンタジーやラブコメがランキング上位を占めるwebにおいて、埋もれに埋もれていた私を見つけた人。だからこそ聞きたかった。例えどんな答えが返ってきても構わなかった。もう、罵詈雑言には慣れていた。
数日後、通知音に誘われて開いたDMには、前回よりも短い感想が送られてきていた。
『人を殺めた事実を別にすれば、私は少しだけ、彼の気持ちを理解出来る気がしました。。彼の抱いていた底なしの虚無感が見せた胸の穴も、それを埋めようと無意識のうちに焦がれていたものがやっと現れた時の衝動。共感は微塵も出来ないが、全く理解が出来ない化け物でも狂人でもない、赤色を見て赤色だと思う一人の人間だと思いました。』
何度も読み返していると、もう1通、メッセージが来た。惜しみながらも画面をスクロールする。
『もう一度読み直して、感想を考えました。外野からどうこう言えるほど、彼を軽んじることが出来ませんでした。良い悪いは、彼の起こした行動に対してであれば悪で、それを彼は自死という形で償った。彼の思考について善悪を語れるのは、本人だけ。』
私は、画面の向こうに現れた人間に、頭を下げた。見えるはずもない。自己満足だ。そう知りながらも、下げずにはいられなかった。彼を、私を、理解してくれてありがとう。それが、私が愛読者と出会った瞬間だった。
愛読者は、どうやら私の作風をいたく気に入ったらしかった。あれやこれや、私の言葉で色んな世界を見てみたい、と強請った。その様子はどこか彼にも似ている気がして、私は愛読者の望むまま、数多の世界を創造した。いっそう創作は捗った。愛読者以外の人間は、ろくに寄り付かずたまに冷やかす輩が現れる程度で、私の言葉は、世間には刺さらない。
まるで神にでもなった気分だった。初めて小説を書いた時、私の指先一つで、人が自由に動き、話し、歩き、生きて、死ぬ。理想の愛を作り上げることも、到底現実世界では幸せになれない人を幸せにすることも、なんでも出来た。幸福のシロップが私の脳のタンパク質にじゅわじゅわと染みていって、甘ったるいスポンジになって、溢れ出すのは快楽物質。
そう、私は神になった。上から下界を見下ろし、手に持った無数の糸を引いて切って繋いでダンス。鼻歌まじりに踊るはワルツ。喜悲劇とも呼べるその一人芝居を、私はただ、演じた。
世の偉いベストセラー作家も、私の敬愛する文豪も、ポエムを垂れ流す病んだSNSの住人も、暗闇の中で自慰じみた創作をして死んでいく私も、きっと書く理由なんて、ただ楽しくて気持ちいいから。それに尽きるような気がする。
愛読者は私の思考をよく理解し、ただモラルのない行為にはノーを突きつけ、感想を欠かさずくれた。楽しかった。アクリルの向こうで私の話を聞いていた彼は、感想を口にすることはなかった。核心を突き、時に厳しい指摘をし、それでも全ての登場人物に対して寄り添い、「理解」してくれた。行動の理由を、言動の意味を、目線の行く先を、彼らの見る世界を。
一人で歩いていた暗い世界に、ぽつり、ぽつりと街灯が灯っていく、そんな感覚。じわりじわり暖かくなる肌触りのいい空気が私を包んで、私は初めて、人と共有することの幸せを味わった。不変を自分以外に見出し、脳内を共鳴させることの価値を知った。
幸せは麻薬だ、とかの人が説く。0の状態から1の幸せを得た人間は、気付いた頃にはその1を見失う。10の幸せがないと、幸せを感じなくなる。人間は1の幸せを持っていても、0の時よりも、不幸に感じる。幸福感という魔物に侵され支配されてしまった哀れな脳が見せる、もっと大きな、訪れるはずと信じて疑わない幻影の幸せ。
私はさしずめ、来るはずのプレゼントを玄関先でそわそわと待つ少女のように無垢で、そして、馬鹿だった。無知ゆえの、無垢の信頼ゆえの、馬鹿。救えない。
愛読者は姿を消した。ある日話を更新した私のDMは、いつまで経っても鳴らなかった。震える手で押した愛読者のアカウントは消えていた。私はその時初めて、愛読者の名前も顔も性別も、何もかもを知らないことに気が付いた。遅すぎた、否、知っていたところで何が出来たのだろう。私はただ、愛読者から感想という自己顕示欲を満たせる砂糖を注がれ続けて、その甘さに耽溺していた白痴の蟻だったのに。並ぶ言葉がざらざらと、砂時計の砂の如く崩れて床に散らばっていく幻覚が見えて、私は端末を放り投げ、野良猫を落ち着かせるように布団を被り、何がいけなかったのかをひとしきり考え、そして、やめた。
人間は、皆、勝手だ。何故か。皆、自分が大事だからだ。誰も守ってくれない己を守るため、生きるため、人は必死に崖を這い上がって、その途中で崖にしがみつく他者の手を足場にしていたとしても、気付く術はない。
愛読者は何も悪くない。これは、人間に期待し、信用という目に見えない清らかな物を崇拝し、焦がれ、浅はかにも己の手の中に得られると勘違いし小躍りした、道化師の喜劇だ。
愛読者は今日も、どこかで息をして、空を見上げているのだろうか。彼が亡くなった時と同じ感覚を抱いていた。彼が最後に見た澄んだ空。私が、諦観し絶望しながらも、明日も見るであろう狭い空。人生には不幸も幸せもなく、ただいっさいがすぎていく、そう言った27歳の太宰の言葉が、彼の年に近付いてからやっと分かるようになった。そう、人が生きる、ということに、最初から大して意味はない。今、人間がヒエラルキーの頂点に君臨し、80億弱もひしめき合って睨み合って生きていることにも、意味はない。ただ、そうあったから。
愛読者が消えた意味も、彼が自ら命を絶った理由も、考えるのをやめよう。と思った。呼吸代わりに、ある種の強迫観念に基づいて狂ったように綴っていた世界も、閉じたところで私は死なないし、私は死ぬ。最早私が今こうして生きているのも、植物状態で眠る私の見ている長い長い夢かもしれない。
私は思考を捨て、人でいることをやめた。
途端に、世界が輝きだした。全てが美しく見える。私が今ここにあることが、何よりも楽しく、笑いが止まらない。鉄線入りの窓ガラスが、かの大聖堂のステンドグラスよりも耽美に見える。
太宰先生、貴方はきっと思考を続けたから、あんな話を書いたのよ。私、今、そこかしこに檸檬を置いて回りたいほど愉快。
これがきっと、幸せ。って呼ぶのね。
愛読者は死んだ。もう戻らない。私の世界と共に死んだ、と思っていたが、元から生きても死んでもいなかった。否、生きていて、死んでいた。シュレディンガーの猫だ。
「嗚呼、私、やっぱり、
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