「6千年前の御影石」
Canon EOS70D SIGMA 17-50mm f2.8 EX DC OS HSM
f/8 1/60s ISO100 -0.3step 50mm
2022/11/4 茨城県笠間市 石切山脈
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先日、笠間の石切り場「石切山脈」にてモンブランを食す。石切り場で、なぜモンブラン?などという堅い疑問はおいておき、行列に並ぶ。並ぶこと、約40分。ようやく注文。注文してから、番号で呼ばれるまで、更に10分ほどかかったか。モンブランをいただくい、体力と忍耐力が必要になる。テントの中のテーブル席を確保して待つ。並ぶところも食べるところも屋外で、日光を避けられるのは2つあるテントだけだ。このため、荒天時にはお店自体が休店となるようだ。この点は、石切り場にあるモンブランのお店ということを感じさせてくれる。それだけではなかった。購入したモンブランを食べるエリアには、切り出した石によるオブジェが展示されている。モンブランを食しながら、アートの世界に浸ることができる、かもしれないのだ。また、その奥には、かつての石切り場を見渡すことができる。
注文したモンブランが出来上がる。プレミアムモンブランとモンブランソフト。スプーンは紙製、モンブランソフトは容器も紙製だ。慣れないとチープ感はあるが、使い勝手は悪くない。環境配慮をアピールしながらのコストダウンかも。そうであったとしても、実用的には十分だ。
さて、一見してわかるのは、上に載せられているモンブラン、これがかなり細い。紙スプーンですくうようにして口に入れてみる。なんともクリーミィでまろやか、まるで粉か泡のような木目細やかさだ。味わいも、かなり濃厚。とにかく細かいので、口の中に広がりやすいからかもしれない。なんとも深い味わいがする。下のソフトクリームの部分と混ぜてみると、普通なのかもしれない。妻のプレミアムモンブランも少しいただく。中にスポンジはあるが、やはり濃厚な味わいは変わらない。粉のような泡のような細かいモンブランが効果を上げていると思われる。
食べている途中、どこからかタバコの煙が漂ってきた。このモンブランの深い味わいの最中に、タバコの煙はだめでしょ。ってことで周囲を見ると、隣のテントの端の方で60代と見られる男女3人がタバコを吸っているのが見えた。「ん?ここ、いいんだっけ?」と言うと、妻がすかさず「私が言ってくるね」と言って席を立った。すると、「スミマセン」と言って、彼らはすぐさま退散していった。自覚はあったようだ。私達より奥でモンブランを食べていた女性2人が、わざわざ妻にお礼を言いに来た。こういう場合、男が出ると角が立つことがある。特にこの年代は逆ギレすることも多い。同年代として、恥ずかしいことだ。彼らには、石切り場はお似合いだが、モンブランはどうかな。
モンブランを食べるところのすぐ後ろに見えるかつての石切り場。池のように溜まった水は、自然の雨によるものなのだろうか、それとも意図的に貯めているのだろうか。いずれにしても、底はまだ石で覆われているのであろうか。このあと、やや離れたところに石のオブジェを展示しているところがあり、軽く見学する。素人的な観点からは、石を削るあるいは磨くという動作は想像できるるが、石を切り出したり中をくり抜いたように穴を開けることは想像しづらい。そのための道具もあるのだが、実感できないというのが正直なところだ。石切と言っても、実際には「削る」というイメージなのだろう。
石切山脈では、通常の見学コースの他に予約が必要な「プレミアム・ツアー」が用意されており、実際石切りの作業を行っている現場を見ることもできるようだ。ただこの日は、すでに予約が埋まっていてプレミアム・ツアーには参加できなかった。「プレミアム・ツアー」に「プレミアム・モンブラン」。ここは、「プレミアム」という単語がお好きなようだ。ただ、「プレミアム」は、それと比較しうるプレミアムで「ない」事象があって初めてその価値がある。比較の対象がないと、それが普通のサービスだよねってことで、「プレミアム」そのものの価値が薄れてしまう。
帰路、高速道路に乗る前から事故の情報が出ている。渋滞覚悟で、高速道路に入る。下の道を通るという選択肢もあるが、急ぐわけではないので、時間はかかっても快適さを優先する。この先の渋滞を考慮し、最初のSAに入り、インフォメーションで事故の状況を確認。2台が事故に巻き込まれていて、通過までに3時間近くかかる見通しとこと。SA内をぶらついたり、車内で仮眠したりで時間を潰すことにする。駐車場をざっと見渡すと、車内にとどまっている人も散見される。私達と同じことを考えているのか。
仮眠の後、再び事故の様子を確認しようとインフォメーションへ向かう。すでに担当者は不在。帰宅したようだ。通常時と異なり、事故のときは通行のめどが立つまで担当者が適切な情報を提供してほしいというのが本音だが、すでに日本はそうした顧客サービス重視の国ではなくなってきている。個人の都合のほうが優先されやすい。職務に対する責任よりも時間が優先する。そういう時代だ。そんな事を考えながら、通行状況のパネルを見る。まだ赤い。まだ事故処理中のようだ。再び、SA内をぶらつく。すると、笠間栗のソフトクリームを見つた。時間もあることだし、もう一回頂い見るかということでソフトクリームを購入。「ん?美味しいねこれ」。「石切山脈のより美味しい」。ひょっとして、ソフトクリーム全体にマロンが混ぜられているからだろうか。こちらの方がオトクな気がする。大きさや種類が違うので、一概に比較はできないが、価格は1/2から1/3程度である。もっとも、���フトクリームとしてはかなり高価らしい。
もっとも、モンブランやそのシュークリーム、ソフトクリームで使用するマロンは、そのお店で独自に製造しているわけではもちろんない。お店が、地元の笠間栗を購入してきて皮をむき、渋を取ってマロンを作っているわけではないのだ。分業化が進んだ現代では当たり前のことだが、モンブランなどの最終製品を作るお店は、業者からマロンのペーストを購入している。これを使って商品を作っているに過ぎない。業者も複数あるだろうし、ひょっとするとマロンのペースにも種類やグレードがあるかもしれない。それによって、味や食感、価格が変わってくるだろう。だがそこに、お店独自の味付けなどの特徴を出す余地はほとんどない。マロン自体の味や品質にはお店や商品による違いはあまりなさそうなのだ。こんな話を聞くと、当たり前のこととは思いながら、どこか冷めたような、夢が壊されてしまうような感覚に陥ってしまうのだった。
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカ��対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラヤ山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東洋や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求めながらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というとあまりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しましょう。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということです。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。それらはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が出来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につながる心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そうする事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出す鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象のことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!これもブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味することろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより現実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が強化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは、3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待しましょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求してい��と、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
<おすすめサイト>
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
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ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
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ダン•ギルバート:私たちが幸せを感じる理由
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
<提供>
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美國隊長Captain America 中計洗腦淫墮(Pre-End)
巴奇的臉融化了,下面是紅骷髏,咧嘴笑著操史蒂夫,「你這個美國婊子有什麼特別之處?是什麼?」
史蒂夫在那肥胖的德國雞巴的力量下扭動身體,他被撐得分裂開來,「幹我,哦幹我更猛烈一點!」他乞求道,當他跨上Hydra領導者的陽具。
紅骷髏把他推開陽具,史蒂夫摔到地板上...
然後落在牢房裡的石地板上。
他跪在那裡四肢著地,在所有那些男人操他時引起陰莖劇烈跳動的影像漸漸消失於心中。現在他清醒了,但這些夢境感覺像記憶一樣...
他閉上眼睛,試圖驅散這些念頭,但它們已深深印入心中。他發誓自己仍能聞到性交氣味...
然後站起來爬回床位上去。陰莖大量流出液體...他幾乎在睡夢中射精了。史蒂夫一動不動,他知道自己被拍攝了,他拒絕為盧卡斯手淫。
但當他躺在那裡時,設備仍然通過身體灌注快感,影像一次又一次地重播...
隨著秒針轉化為分鐘,他背叛的陰莖拒絕放棄,手開始慢慢滑向肚子上方,然後緊緊抓住厚實的陽具。史蒂夫開始擼管,陽具在握中漲大。
他感到羞愧,但需要解脫。他的臀部搖晃起來,在加速抽送時用拇指摩擦龜頭。
「天哪,他在打手槍!」一個聲音從場地的另一邊喊了出來。
史蒂夫跳了起來,他的陰莖拍打著他的腹肌,當他看到兩個年輕的九頭蛇特工從牢房的另一邊盯著他,嘴巴驚訝地張開。他迅速把手放到身邊,陰莖因尷尬而跳動。
「你們想要什麼?」他防禦性地低吼道。
那些男人迅速恢復了鎮定,「主人要見你,來吧。」第一個男孩關掉了場地,而第二個則帶領隊長走出了牢房。
「跟上,隊長,」他說,語氣諷刺地彬彬有禮。「你的主人在等著。」
其中一個男孩走在他們後面,手伸出來撫摸史蒂夫光滑的屁股,「你有一個肥美國屁股……」他帶著輕微的德國口音說。史蒂夫繃緊了身體,但沒有反應,他知道任何抵抗的跡象都會導致懲罰。
那個男孩抓住兩邊的屁股猛擠,裝置自己調高了,使得觸摸變得無比誘人。
史蒂夫強忍住呻吟,走在他旁邊的男孩笑了,「看,他喜歡!」他一邊說,一邊抓住史蒂夫滲出的陰莖,輕輕地擠了一下。史蒂夫小聲地呻吟著,無法抵抗那感性的觸摸。
走在他後面的男孩上前,將身體貼在史蒂夫的裸露身軀上,「是真的嗎,隊長?」他在史蒂夫耳邊低語,「我在挑逗你嗎?」他的舌頭慢慢地舔著史蒂夫的耳朵。
史蒂夫不由自主地顫抖了一下,他的陰莖作出了反應。他能感覺到裝置輕輕地在他皮膚上嗡嗡作響,將感覺放大了十倍。每一次觸摸,每一個在他耳邊說出的話,似乎都直接將電擊般的震動送到他的睪丸。
「你知道,我父親總是告訴我,‘絕不要浪費任何機會,’」那個抓著自己雞巴的男孩說。「而現在,機會正敲在我們的門上。」
那男孩靈巧的手指伸下去托住史蒂夫龐大的睪丸,輕輕地擠壓著。史蒂夫大聲呻吟,無法抵抗身體裡流淌的愉悅感覺。
那男孩放開一顆睪丸,手指沿著史蒂夫的大腿慢慢滑行,然後再次伸手抓住他的臀部。他的動作刻意而有目的,旨在無情地折磨和挑逗史蒂夫。
「哦,你真是一個淘氣的美國肌肉英雄,」身後的男孩低語著,他的熱氣吹拂在史蒂夫的脖子上。「你一直都是個好孩子,不是嗎?」他的話在史蒂夫耳邊迴響,助長了他內心深處的火焰。
史蒂夫僵硬地站著,他的心猛烈地在肋骨籠內搏動。他瞥了一眼圍繞著他的年輕九頭蛇特工,他們隨意地摸弄著他赤裸的身體。
他們臉上嘲弄的笑容讓史蒂夫的脊椎發涼,並使他的雞巴更加堅硬。第二個男孩再次抓住他的雞巴,史蒂夫閉上眼睛並呻吟,「我是個好孩子……」他低語,「我是個好孩子。」
那男孩互相看了看,微笑著,第二個解開他的褲子,露出另一根巨大的未割包皮雞巴,「那麼證明吧,做個好孩子。」
他抓住史蒂夫的肩膀,引導他跪下,史蒂夫抗議,但他的身體立刻做出了回應,他能嗅到正對著他鼻子的汗臭雞巴。
史蒂夫停下來,他的嘴唇微微顫抖,盯著面前跳動的肉棒。他的腦海急速運轉,拼命試圖重新凝聚,重新掌控。
他深深吸了一口氣,吸入皮革和汗水的氣味混合著青春的餘香,發現自己的雞巴渴望釋放……
男孩將滲漏的陰莖壓在史蒂夫封閉的嘴唇上,像口紅一樣抹上他的前列腺液,「來吧……讓這個士兵射精……」
他夢中的話語突然回襲,史蒂夫張開嘴唇,將男孩的陰莖含入口中。它的味道與夢中的不同,少了些鹹味,或許更苦了些……
但這種味道讓他興奮,激發了他的身體,當他的嘴唇圍繞著陰莖,輕輕吸吮時,他幾乎要尖叫了,因為一波快感穿過了他的身體。
裝置放大了一切,史蒂夫的感官超載了,他想要仰頭嚎叫,但他只是輕輕地呻吟,喉嚨在嘴裡的陰莖周圍震動。他開始更用力地吸吮,陰莖在他的嘴唇間輕易滑動,唾液滴落在他的下巴上。
他用舌頭繞著敏感的下側,男孩發出了一聲輕柔的呼喊,「是的……是的……」他低聲說,粗魯地抓著史蒂夫的頭髮,「我有一個復仇者在吸我的陰莖!」他向另一個眼中充滿慾望的男孩宣稱。
身後的男孩跪下來,撐開史蒂夫完美的臀部,「而我即將舔一個復仇者的陰部!」他在開始舔史蒂夫處女洞之前說,他的舌頭慢慢推入這位直男傳奇。
史蒂夫感到男孩的舌頭進入時,他含著陰莖的嘴巴發出了一聲喘息。再一次,裝置使這個簡單的感覺變成了一個快感的海嘯,讓他幾乎射精。
當前面的男孩將史蒂夫的頭向下壓在他的陰莖上時,復仇者驚恐地感到他的臀部向後推,讓自己更多地被男孩的舌頭刺穿。他們三個人找到了一個節奏,史蒂夫前後搖擺,他的陰莖在他下面的地板上滴著前列腺液。
他嘴裡的陰莖進進出出,他屁股裡的舌頭快速地顫動。裝置放大了每一種感覺,肌肉英雄被快感淹沒,但不僅僅是這樣。
他跪在地上,為兩個九頭蛇特工服務,這太像他的夢了,那些想像中的日子的記憶湧入他的大腦,史蒂夫分不清哪些是真實的,哪些不是。他希望他們使用他,當他讓他們像對待普通妓女一樣猥褻他時,他毫不羞愧地呻吟。
史蒂夫試圖強迫自己抵抗,但他無法讓自己與他們中的任何一個斷開聯繫。他迫切需要解脫,而他們對他的對待方式使他無法否認自己。
站在他面前的男孩停止了將陰莖插入史蒂夫嘴中的動作,突然抽了出來。史蒂夫可憐地呻吟著,嘴巴張開,口水從他的嘴唇滴落。
那個男孩撫摸自己的陰莖三次,然後精液飛濺而出,噴灑在史蒂夫英俊的面孔上。史蒂夫在熱精打在臉上時倒抽一口氣,他能在嘴裡嘗到精液的味道,因為那個男孩繼續撫摸,將整個負荷都傾倒在肌肉英雄的臉上。
就在那個男孩完成後,他的手就放了下來……
史蒂夫猛地向前撲去,一寸一寸地舔著他陰莖上剩下的精液……
他們兩個都笑了,「哦,他真是個愛精的淫蕩貨!」那個男孩說著,推開史蒂夫的臉,「滾開婊子!結束了……沒有更多了!」
史蒂夫倒在自己的前列腺液上,他的陰莖跳動著渴望解脫。他需要射精……但他知道自己不能不服侍某人……他轉向另一個男孩,開始解開他的褲子。
他向後一躍,並打了史蒂夫的臉,「不!壞狗!」史蒂夫凍住了,震驚不已。「你的主人在等你,淫蕩的……表現得像個人類!」
這些話就像一桶冷水,史蒂夫意識到他剛剛試圖做的事。他低下頭,「我……我很抱歉……我……」
那個男孩把他拉起來,「省省吧,你是個淫蕩的,我們都懂。」
他們繼續帶著他走過走廊,他能感覺到臉上的精液在乾,那令人作嘔的氣味。裝置嗡嗡作響,讓他感受到一陣快感。
史蒂夫得提醒自己正常走路,他的臀部搖擺得好像他喝醉了似的。「該死!」他低聲咒罵,渴望緊握自己的陰莖。
身後的男孩抓住了他的手臂,緊緊握住史蒂夫的二頭肌,「繼續走。」
史蒂夫蹣跚地走著,直到他來到一對大木門前,男孩們打開它,露出一個熟悉的房間,這曾是紅骷髏的寶座室!
透過大型的海灣窗戶可以看到雪頂山脈,感覺就像昨天紅骷髏在這裡弄他一樣……
史蒂夫搖了搖頭,不,那是一場夢……只是一場夢……
「你睡得怎麼樣,隊長?」盧卡斯的聲音在房間裡響起,史蒂夫轉過身,看到那個男孩隨意地坐在他祖父的寶座上,「做了甜美的夢嗎?」
那個微笑告訴了史蒂夫一切……他們所有人都經過了更多的調教。他在睡夢中將那些影像刻進了自己的大腦,而現在……現在他無法停止思考它們……
或者被它們所吸引……
「放開他,」盧卡斯對那些男孩說,他們放開了他,其中一個在離開前拍了拍他的屁股。
史蒂夫站在那裡,在那個男孩面前赤裸,不知道該怎麼辦。
「那麼,隊長,你還是我的乖孩子嗎?」盧卡斯問道,他的目光在史蒂夫堅硬的陰莖上遊移。
「你想要我做什麼?」史蒂夫絕望地試圖呼籲那個男孩的人性。
「想要?我想要你,隊長,我想要你完全地向我宣誓。我將擁有你,用我祖父從未能夠的方式。」盧卡斯自信地宣稱;他的眼神與史蒂夫的目光鎖定。「我可以向你展示你真正的內在……深處的你。」
「這不是我,」史蒂夫疲憊地說。
「不是嗎?爬過來,隊長,像狗一樣用四肢著地爬過來。」
史蒂夫的下巴緊繃,他說:「不」,為即將到來的懲罰做好了心理準備。
盧卡斯微笑著,眼中閃爍著光芒:「就是他了,那個你假裝的肌肉英雄!很好,讓我們先打破他!」他按下了按鈕,快感消失了。
痛楚瞬間來襲,比之前更加劇烈。他的每一個細胞都在尖叫著痛苦,他倒在地上,整個世界都是痛苦的陰影。
「我們第一次這樣做的時候,你有了這個裝置24小時,現在是那個時間的兩倍……痛苦有多加劇了?」
史蒂夫尖叫著,他的喉嚨因為感覺皮膚像著火一樣而變得沙啞。
「這不會消退,」盧卡斯解釋說,
「對於普通的痛楚,人可以因為神經末梢過度工作和燒毀而變得麻木,但這不是一種感覺,隊長,這是缺乏感覺。你完美的神經系統現在渴望只有我能帶來的快感……這種感覺不會減輕或變得更容易忍受……這將是你從現在開始的生活。」
他在地上翻滾,試圖逃避折磨,但痛苦無處不在,完全包圍了他。「現在爬過來,」盧卡斯命令道,他的聲音在房間中迴響。
史蒂夫抓著地板,他的指甲在拋光的木頭上刮擦。他的肌肉不受控制地痙攣,整個身體劇烈地抖動。他全身是汗,皮膚因汗水而滑膩。「爬過來,一切都會消失,」盧卡斯平靜而從容地說。
史蒂夫試圖抵抗,他所剩無幾的理智試圖找到力量去移動,去反抗……但他的每一塊肌肉、每一根骨頭、他的每一部分都是純粹的痛苦,他無法專注於此。
「過來,孩子,」盧卡斯像呼喚狗一樣說道,「到我這裡來……把痛苦拋在腦後……做我的乖孩子。」
這些話在史蒂夫的耳邊迴響,像海妖的呼喚讓他情不自禁地回應。想到要向這個曾經的敵人爬過去,史蒂夫的血液因憤怒和羞辱而沸騰。然而,儘管他下定決心,他的身體卻背叛了他,雙腿顫抖著,他慢慢地向那個男孩爬去,這個動作稍稍減輕了他的痛苦。
就像他已成為的癮君子一樣,史蒂夫再次向那個男孩移動,他移動的每一寸都讓快感更快地回來……直到他發現自己像狗一樣向盧卡斯和他的寶座爬去。當他靠近時,他感到自己的陰莖開始變硬,並且知道……他已經被征服了。
當他到達那個男孩赤裸的腳邊時,他的身體再次充滿了快感,他的心靈沈浸在狂喜中。盧卡斯伸出一隻腳,「吻它……吻它並向我宣誓。」
史蒂夫猶豫了,心中掙扎著想要拒絕的衝動。他知道,如果他屈服了,他將真正失去一切……但隨後痛苦的記憶湧上心頭,提醒他如果不服從將會等待他的是什麼。於是,帶著沈重的心情,他向前傾斜……
「向我宣誓,」盧卡斯重複說道,他的聲音冷酷且毫無感情。史蒂夫吞咽著,感到恐慌的熱度在他體內上升。他無法忍受被別人奴役,被迫屈服於他們的慾望的想法。
他在內心掙扎,與快感的誘惑和屈服的羞恥做鬥爭。在那猶豫之間,快感消失了,史蒂夫的鼻孔張開,他努力抵抗著壓倒性的痛苦和渴望釋放。
盧卡斯帶著冷漠的娛樂看著他,知道史蒂夫正在忍受的折磨。
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モノとコト
モノとコトという対比構文が語られはじめたのは20年くらいまえだろうか。もっと前からだったかな。
大まかには、モノからコトへ、モノではなくコトが大切という流れの話しだった。おそらくモノを偏重する姿勢を批判する文脈で語られたのだと思うが、自分もその頃そう感じてそう主張していた。プロダクトデザインからITC関連のデザインへ進展したこととも関係があるかな(ということは、30年はゆうにたっている)。
しかし最近は「モノとコト」という形ではあまり語られなくなった気がする。といっても、べつにコトが大切ということが、再否定されたわけではない。おそらくコトが大切という考え方が飽和して、語る必要がなくなったということなんだろう。つまり話題として鮮度を失った、ともいえるかもしれない。
でも、本当にそうか?
ちがう視点から少しだけこれを蒸し返したい。
あらためて、こういうことではないかと考えた。
やはり大切なのはコトの方ではある。
それは、コトが意味内容であるから、ではないか。シニフィエといってもいい。それに対してモノは、それを指し示すシニフィアンとしてはたらいている。
人の行為や事象、あるいは言葉にならない思いなど、それらが価値や意味と結びついている。少なくともそれらが価値の対象である。価値や意味とは物理的な実体ではなく、心の世界の中にだけ存在するものある。だからそういった価値や意味は、「記憶」がなくなればそのままでは消えていってしまう。
しかし消えないように繋ぎ止めるはたらきをモノがもっている。これはまさに、言葉と意味の関係、指すモノと指されるコトの関係である。
たとえば、何かを「為す」こと自体に意味がある。「生きること」とか。しかし「為したコト」は、正確には記憶の中にしか残らない。しかし、為されたことの証しとして、物理的な破壊、転移、生成が起きる(こともある)。そういった物理的な事象の後には物理的なモノが残る。あるいは、モニュメント、景色、山や川や海、桜や富士山など。「景色」というモノは、旅という行為の結果、文字通りたどり着いた物理的な一つの実体である。
しかし景色であれ工業製品などの人工物であれ、さらに芸術作品であれ、本来それ自体に意味や価値はない。それはただの石ころや岩、布のキャンバスの上の絵の具という物質でしかない。しかし一方それは「行為の結果」残された遺物あるいは形見である。それが科学、技術、豊かな生活の、あるいは偉業を指し示している。
亡くした母の写真や形見など、それ自体に意味や価値があるのではなく、それらが母を思い出させてくれるトリガーとして働く、そのことには価値がある。それは母をシニフィアンしている。
モノとコト、どちらが大切かと突き詰めてもしかたないのだろう。
モノとコトの言語学的な転回を試みたわけだが、この直感はあるいはただの妄想のような気がしないでもない。
これは前に呼んだ松尾芭蕉が「古池や」で達観して完成させた俳句という芸術(長谷川櫂)に通じている。このこともいずれ書きたい。
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モンゴル遠征2023
1年ぶりの投稿になります、5年の石原です。 夏休みということで田舎のおばあちゃん宅に来ていますがのんびり過ごせると思ったらなんのその、やれ倉庫の解体に墓掃除と体力仕事を任されぐっすりと眠れる日々が続いています。
今回は4年ぶりとなる海外活動について報告します。 お話ししたいことが沢山あって何を書くべきか混乱していますが特に印象に残っていることを厳選します。
今回の目的は海外登山。 モンゴルは東南アジアの国々とは違いヒルがおらず(以前のボルネオ島遠征で寝袋にヒルが侵入し血だらけになったという話を聞いていた)、大抵の山が登れば日本人初登頂という話を聞いて決めました。ありがたいことに小林、近藤、廣瀬、田宮、岡本と5人の後輩たちが志願してくれました。私を含め男子2人女子4人。上智らしい男女比で企画がスタートしました。
9/3 3隊に分かれて成田を出発しました。全員が無事に合流できるのか内心ひやひや。
初飛行機・発海外の田宮。荷物にナイフを隠し持ちしっかりと検査官に見つかっていました。
乗り換えの待ち時間が20時間近くあったため、韓国で出国し明洞の街でサムギョプサルを食べました。お店のお母さん、プルコギって言い張ってたけどあれやっぱり注文ミスだよな、、、
9/4 1時間近く遅延が発生し韓国・仁川空港から飛行機に乗ること約4時間。モンゴルの首都ウランバートルに到着しました。街では排気ガスをまき散らしながら大量の自動車が渋滞が起こしていました。信号も秩序もない道路を慣れた手つきで運転しているのかと思いきや現地人もまあまあな頻度で接触事故を起こしているようでした。
大通りはそれなりに整備されていますが裏道に入った途端未舗装の道路と怪しげな雰囲気が漂います。
今回の活動では日本で予めアポを取っていたモンゴル人ドライバー、セーギーに車を運転してもらい目的地の山を目指しました。英語は全く通じませんがドライブ技術はピカイチで、道路もネットもない地の果てで山脈と長年の勘を頼りにおおよその方角を導き出していました。
目指す山は首都から約600㎞離れたIkh Bogd。標高は3957mで山の南側から2600m地点のベースキャンプまで車で向かいます。翌日アタックザックでピストン。山頂はとても広く平らになっていて僅かに残雪があり後半は急峻な岩山のように見えました。
下の写真正面に見えているのがIkh Bogd。もう少し近づくとなかなかにかっこいい山でした。
しかし、思い通りにはいかないのが海外というやつですね。なんとこの山、東西に400㎞以上に渡り裾野が広がっていることが判明しました。(確かに写真にも収まっていない…)北側から南側に抜けるのに2日かかると分かり、当初の予定を変更し北側からアタックするという苦渋の決断に至りました。南側からのアクセスでは頂上まで1300mの高低差でしたが北側からだと2000mを一日でのピストンしなければなりません。北側からの登山を想定していなかったため地図はなく、スマホは圏外。登頂の可否以前に登山自体に不安を感じました。Ikh Bogdを選択した時点である意味敗北だったのではないか…切ない考えがよぎりました。
その後、思いがけず麓の別荘ゲルに遊びに来ていた子供たちと仲良くなり鬼ごっこに熱中したことで悲しい感情は吹っ飛びました。
この後とんでもない裏切りが待っているんですけどね
翌朝4時起床で山頂まで半分弱の所にあるgreen lakeとBlue lakeを目指すことにしました。湖には古代生物のようなビラビラのひれをしたエビみたいなやつが泳いでいたり崖をヤギの群れがめえめえ鳴きながら渡り歩いていて可愛かったです。見慣れない地形や植物が散見され海外登山の醍醐味を味わうことが出来ました。出発前から楽しみにしていたモンゴルハムスターも遠目に見ることができました。
湖から先も時間が許す限り進もうとしましたが、いくら探してもその先の道を見つけることができませんでした。当時は悔しくて南側北側…と夢に出るほどでしたが、今となってはそもそも北側から登頂する人間なんていないのだろうと開き直っています。砂とガレ場の急斜面で人が通った形跡なんてなかったんですもん。
飲めると書いてあった沢 ヤギと共有だったけど気持ちよかったあ
登山の後はメンバーたちがモンゴルでやりたいことを実行しました。
美しい草原
放し飼いされた馬が草をむさぼっていました。近くまで来ても絶対に触らせてくれないんですよねえ…
憧れのゲル
宿泊した時うっすらと雨が降っていましたがしみこむ気配もなく、想像以上に快適で安心感のある居住空間でした。
ゴビ砂漠
夜には延々と続く草原の上に信じられないほど綺麗な星空が広がっていました。言葉にするとありきたりな表現にしかならないことが残念です。
電気が走るシャワー、モンゴルウオッカを飲み干すゆうか、鍵を投げる田宮、、、思い出があふれてきますが長くなってしまうのでこの辺にしておこうと思います。
モンゴル遠征悔しさ半分、達成感半分というところでしょうか。
後輩たちにいつかリベンジしてほしいです。
5人に沢山助けられました。ありがとう。
色々トラブルあったけどモンゴルめちゃくちゃ楽しかったわ!
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レポート 親子で参加!農業体験ミステリーバスツアー
夏休み企画の「農業体験ミステリーバスツアー」があり、8月6日(日)に息子と参加しました。
到着まで目的地は秘密。「農業」といっても、米も野菜も畜産もありますから、どこに向かうのかドキドキ。
結果から申し上げると、今回は、オーガニックの卵を生産する養鶏所と、最先端の植物工場、を見学したあと、農産物加工品のお買い物を楽しんで、最後に地元食材をたっぷり使ったスペシャルランチを食べました。詳細は下記からどうぞ!
一ヵ所目「ファーム アグリコラ」
ファーム アグリコラは、札幌の隣町「当別町」にある養鶏所です。代表の水野さんが、アグリコラの特徴や、大切にしていることを話してくださいました。
アグリコラのこだわり01「飼料も国産オーガニック」
日本の飼料はほとんどが輸入。輸入飼料の大豆やトウモロコシは一般的に、遺伝子組み換えが使われています。アグリコラの特徴は、輸入飼料ではなく、国産飼料を使っていること。近隣の有機栽培をしている生産者と連携しているそうです。
また、人間と同じくニワトリも、腸内環境を良くすることが重要だそうで、サツマイモを発酵させた餌も食べさせています。
見た目ウケのために黄身の色を濃くしないので、飼料に着色料を混ぜたりもしていません。
水野さんのこだわり02「平飼い、放牧」
アグリコラでは、人も家畜も心身ともに健康であることを大切にしています。そのため、平飼い&放牧スタイルをとっているそうですが、おかげで鳥インフルなどかかることもなく健康なんだそうです。
キッズの質問「平飼いと放牧って何が違うの?」
「鶏舎の中で放し飼いの状態で飼育するのが平飼いで、屋外でニワトリたちが外で自由に走り回れる状態の飼育が放牧です。」と水野さん。
一般的な養鶏の「ゲージ式」は、一羽あたりiPad一台分程度の広さのゲージの中で過ごし、鶏舎には窓がないそうです。
アグリコラのニワトリは、土を掘ってみたり、草をついばんだりする姿がほほえましく、みんな元気いっぱい。ずっと見ていられるくらいかわいかったです。
水野さんが大切にしていること03「農福連携」
「アグリコラは、障害のある方が活躍できる農福連携の取り組みを行っています。」と水野さん。
就労継続支援A型事業所、つまり障害のある方も「仕事として」農業に従事できるということです。
「持続可能な農業」は、言葉にすると短いですが、ここに至るまでの相当なご苦労があったはず。人とニワトリの健康、食べ物としての品質、環境、きれいごとではなく全部大切にしながら、商売としても成立させていく。本当にすごいなぁと思いました。
キッズからの質問タイム
Q. ニワトリは一日に卵を何個生むの?
水野さん「1日一個生めばいい感じです。ニワトリは25時間ごとに一個生みます。なので、毎日ちょっとずつ生む時間が少しずつずれて、午後3時くらいになったらその日は生むのをお休みします。なので、10日間で8~9個生みます。」
Q. このニワトリの卵からはヒヨコは生まれるの?
水野さん「ここにはメスのニワトリしかいません。メスのニワトリだけで卵を生むのだけど、人間と同じく、赤ちゃんが生まれるためにはオスのニワトリの精子が必要です(受精)。この卵は受精していないため、卵は孵らないのです。」
Q. ニワトリは何年くらい生きているの?
水野さん「ニワトリにも寿命があります。ただ、人間のおばあちゃんが赤ちゃんを生まないように、ニワトリも齢をとると卵を生めない身体になるの。私たちはニワトリからもらった卵を売ってお金にしています。ニワトリから卵がもらえなくなってしまうと、お金にすることもできません。なので、ニワトリには申し訳ないけれど、役目を終えてお肉になるということをしています。ちょっと悲しいけれどね。」
二カ所目 現代式トマト栽培!?「Jファーム」の植物工場
夏は野菜がたくさん収穫できる季節ですが、北海道の冬は雪が積もります。当たり前ですが、冬は野菜の露地栽培ができません。一年中安定して栽培するために、巨大なハウスの中でトマトを栽培するJファームの「植物工場」を見せていただきました。場所は、札幌市東区。
苗の見た目にビックリ!
中に入ってまず驚いたのが、ミニトマトの苗の背の高さ!全長はなんと7メートルくらいあり、長~いトマトの苗を天井から紐を使って吊るるように支えて、光の当たりやすい高さに調整しています。家庭菜園だと、1.7メートルくらいの苗を支柱で支えているので、その違いに驚きました。そして7メートルもあるのに、茎の太さは親指程度しかなく、思ったよりも太くないことに驚きました。
トマトの生育環境に合わせて徹底管理
ハウスの中に入ると、モワッとした熱気が立ち込めるのかと思いきや、意外と過ごしやすい温度帯。この日がたまたま涼しい日だったというのもありますが、トマトが生育しやすい環境に温度管理は徹底しているのだとか。「水は肥料分を溶かしたものをチューブを使って与えています。時間帯や量を管理し、あえて根元が乾く時間帯を設けています」と工場長。
トマトの原産はアンデス山脈の乾いた高山地帯ですから、「暑すぎない」「乾いている」という環境をハウス内で作り出しているということですね。
収穫量は一日4トン!
今回見学させてもらった品種は、「ダルダリー」というオランダ産のミニトマト。苗が長持ちするため、長期間の収穫にむいている品種ということで、今年から取り扱いを始めたそうです。
収穫量は現在、多い日で一日4トン程度。さらに最終目標は、その3倍以上の収穫量を設定しているそうです。
キッズの質問「もっといっぱい収穫するには、栄養の量を増やせばいいの?」
工場長「重量を上げるには、栄養も関係するけれど、二酸化炭素の量も大切です。光合成に必要なのは二酸化炭素。だから天井の窓を開けてハウスの中に外気を取り入れる調整が欠かせないのです。窓はコンピューターで自動制御しています」
ちなみに、工場というイメージから収穫作業は機械なのかと思いきや、昇降機にのって人が手摘みしているそうです!
車内では「野菜○×クイズ大会」
移動車の中では、○×クイズ大会。大人でも迷うくらいの絶妙な問題で、大盛り上がり。
司会の“みっちゃん”がさらに盛りあげてくれて、目的地まであっという間に到着する楽しい時間を過ごしました。
思春期に突入した息子。周りよりも少しお兄さんだったため、最初は遠慮がちでしたが…しっかり楽しんでいるし(笑)
お待ちかねのランチタイム!
「サッポロさとらんど」に戻り、調理室でランチタイムの準備開始!部屋に入るとスパイスの匂いが…お、お腹が空いちゃったよ~!
サラダ作りプチ講座
子どもたちは、各家庭分のサラダづくりにチャレンジ!レタス類もフリルやベビーリーフなど何種類かあって、少しずつ形が違うだけで、玉レタス一種類だけで作る時と比べて見栄えが良くなることもわかりました。そして、野菜ソムリエプロの大澄さんが、サラダを美味しく作るコツを教えてくれました。
美味しくなるポイント01「レタスのちぎりかた」
大澄さん「コツは、横にちぎるのではなくて、葉の繊維にそって縦にちぎると美味しくなります」。「ちょっとしたこと」なんだけど、試してみると本当に歯ざわりが違ってくるから、不思議!
美味しくなるポイント02「ドレッシングの和え方」
ドレッシング…上からかけていませんか?「レストランではドレッシングは上からかけていないけれど、美味しいですよね?」と大澄さん。たしかに、ドレッシングが一ヵ所だけ集中してかかっているとしょっぱいですが、全体に均一に味がついている方が美味しいです。(なので、この見出しも「和える」という表現にしました)
均一に味を付けるコツは、ビニール袋に野菜とドレッシングをスプーン二杯入れて……フリフリ~!このやり方ならば、子どもでも楽しくお手伝いできそう!
そして、まんべんなくドレッシングが行き渡ることで、ドレッシングの油分が野菜をよりツヤツヤに魅せてくれます。
完成した、スペシャルランチはこちら!
食材は、ほぼ北海道産です!
手前のミニトマトは、先ほど見学した「Jファーム」のトマト。
ピカピカで宝石みたいです!
プレートの中央にあるカボチャは、札幌市手稲山口の特産「大浜みやこかぼちゃ」、そして今が旬のトウモロコシ。
写真奥のカレーは、トマトと牛肉の夏カレー。牛肉は道内産で「キタウシリ」というホルスタイン種の肥育牛がたっぷり入っています。
そして、アグリコラの卵も「玉子サラダ」になっていました。
見てください、このクリーム色の黄身を!
”見た目ウケのために飼料に着色料を混ぜたりしない“とは言ってましたが、着色しないと黄身がこんなに色が薄いことを知りませんでした。
そして、黄身の色が薄くても、味はしっかり。それでいて全く臭みを感じない、澄んだ味でした。
まとめ
近郊農場をめぐり、生産者さんの話を聞いて、最後は採れたて野菜や地元の食材たっぷりのランチで締める!農場見学もランチも大満足!頭も心もお腹も満たされる一日でした。
主催 農業魅力再発信プロジェクト推進協議会
運営・企画 HERB & COOKING KINA
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第四楽章 水の旅路
「物語」
地球上の水のほとんどが塩が混ざり あるいは氷に閉ざされている
純粋な水として存在するには空に抱かれ 山に削られ 岩磐(いわいわ)の険しい旅路を行き 大地の洗礼をうけなければならない
地表に流れる水は命の源であり 様々な自然の関わりによって生み出される命の産物
水は天より降り注ぎ 山を下り 河を流れ 海に終着する水が渇き天に抱かれ空を旅する雲となるのなら風とは命の使いとも呼べないか
風は運命を垣間見せる全ての命は風に運ばれている
風の導きによって命の定めも決まるだろうか風が囚われれば世界は地獄と化し風が自由に歌えば生命もまた謳歌する
ふと目にするあの雲もまた空の彼方の海からやってきたのかもしれない雲は風に流れ 果てに行き着くだろうまた別の風は果てしなく巡っていることだろう
―海のように
果てなき海は生命の始まりの大地山は生命の終わりの果て 辿り水は生と死を巡る 水は命そのもの
雪に閉じこめられた命は春の訪れと共に花開き溶ければ寄り集まりながら小さな鼓動のように流れやがて大きなうねりとなり生命が漲る川となる
そこに命があるなら戦いがある戦いに勝利したものは生き延び敗北したものは死に絶え川を下る
その戦記には続きがある彼らの肉体は川の果ての森に続き木々に住まうものたちの糧となる森の果ての川に命を紡ぐ物語がある
「川の調べ」
雨は天より零れし海の唄 海は天を仰ぎ 天は海を抱く山を越え 草原を愛で 森の謳歌を奏で渇いた砂漠に一瞬の楽園を築く 命の交響曲を支える旋律
空が蒼いのは川を抱いているからなのか空に漂う雲は 流れる風は 天に聳える山にとって脅威にもなる水は一度流れを持ってしまえば何者をもってしても止めることはできない時に抗えないように
水は命を蘇らせる力を持つが同時に山を死に至らしめる力を秘めている峰を削り 野山を駆け下り 大地を削り 渓谷へと変貌する深く奥へと 時が覆い隠した地表が現れる時を遡るかのように
「川の宴」
川が在る所に命は宿る獲物求め命を奪う破壊者がいるなら草を求め旅するものたちの大行進がある
命を賭けた戦いが川を彩る沈黙に眠る川も一度戦いが始まれば騒然となる
一瞬のうちに命が散り 火花のように瞬き雷の閃光のように轟く
そこには思想も哲学もない剥き出しの命と真実がある
「湖の謳歌」
湖は海と隔たり生き物たちはその境界を越えることはできないそれは牢獄なのか それとも楽園なのか
湖がもし栄華を極めたとしても湖が干上がれば命は全て消えてしまう
生き残るためには他を上回る戦略によって己の道を切り開くしかない
裏切り 裏切られ 騙し 騙され 命を残すための闘いは熾烈を極める本能と理性の狭間に揺れる闘争
鏡のように澄み切った湖の下には過酷な世界がある
一の美しさをこの目に宿すためには相反する十の醜悪な世界を知らなくてはならない
「川の旅路」
川の旅は続く天空より舞降りる千の雫は木の枝から幹へと遡るように寄り集まり川の流れを描き大地をうねりながら森を横切り平野を走る
大地の鼓動が生命の躍動なら大地の雄叫びは闘いの咆哮である
闘いの先に散っていった者達が川に溺れ 川に沈み川を血の色に濁らせるなら
草茂る水の流れはその汚れを払い水に清流を取り戻す
乾季と雨季に生と死が巡り歓喜と憂き命が交錯する
雨が降ることで大地の様子は一変し世界が変わる
生命の謳歌と眠りが時の巡りに合わせて変化する川は山を削り 破片を海岸まで運んでいく
そして川の旅は終わる
「海の森」
珊瑚礁は海を砂漠から森に変え多種多様な命を呼び起こすオアシス光を受け輝き 波に揺らぐ花のよう海に咲く花を愛でようと多くの命が集まり闇の海に咲く光であり 命の灯のよう海の家 大地にとっての安らぎの木
海に昆布が揺らめく場所は熱帯雨林を思わせる海を浮かびながら漂い 命は溢れ 迸り色は犇めきあいながら 絡まり合い 踊りながら波に歌う絵の具を散りばめたかのような宝石のように輝き始める足を踏み入れたものはその場所に住み着き憩いの場所を築き 新たな旅に出る時を隠れながら待つ
「海の宴」
命を育み 支える命の種命を降らせる恵みの雨植物プランクトンの恩恵を受けるために 命たちで溢れ返る
生き物たちが群れを成して訪れる命求めて海を縦横無尽に旅するものたちが春を待ち続けていた
冬に荒れ狂う波は海をかき混ぜて海に栄養を行き渡らせる命にとっては天と地を別つ温度の壁海にはある嵐は壁を破壊し 天と地を混ぜ合わせる命にとっての心臓の鼓動のよう
夏命を求める旅は続く魚は群れを成して移動を続け鳥たちは巣へと帰り 再び飛び立っていく鯨もまた旅を続けている温暖な場所から極地へと向けて旅は続いている―春を求めて太陽の方角へ
秋が来る時 嵐は再び起こる命にとって堪えなければならない長い時の前の休息と謳歌の時間集まってきていた生き物たちは散り散りになりそれぞれの場所で 冬が終わる時を待っている海さえ嵐を呼び込みながら 海をたゆみ無く巡らせながら 春の時を待っている海の流れが無���れば 命は恵みの時を受けられず翼は折れ 大地に落ちる
「富の海」
光が降り注ぎ 大地は珊瑚礁に彩られ魚が銀色に閃いて通り過ぎる揺れる虹のようなたなびく彩雲のような百花繚乱の森色の豊かさが命の豊かさを示すならこの彩りに富んだ景色が命の豊かさを現している
海の楽園は海全体のどれ程だろうか
エメラルドに光り輝きクリスタルのように透き通り波が青の群れとなり光揺れる世界
生き物に犇めき濁った世界砂漠や極寒の世界に隠された地底奥底の知られざる世界があるかもしれない
豊かさだけを見るなら確かにここは楽園であるが楽園の背後に眠る闇を誰も知らない
命踊り 光輝き それは目下に佇む闇の中に歌う星のよう
「海の彼方の闇」
知られざる宇宙のような場所
天文学者ならば星を探して眼を凝らし新たな光を見ようとし
生物学者ならば命を探して彷徨い歩き新たな生き物を見つけるだろう
深海の闇という宇宙に潜む星を探すように生き物たちは身を潜め闇の中で蠢いている
光は徐々に薄くなっていく辺りは夜のように紺に染まっていく気づけば無音の闇の中光の恩恵はここには存在しないあらゆる時間において闇は光の無い洞窟のように
微かな栄養を頼りに彼らは生きるしかない自らの力によって海を渡り海流という大地にとっての風に乗り漂う
海を浮遊する微細なプランクトンが海の世界を支えている鯨や鮫 鯱や海豚といった華やかな生き物はその表面で閃いているに過ぎない舞台に踊るアクターを支える無数の影の努力者たちのような
触れれば壊れそうなガラス細工のように揺らめき揺れる蝋燭の火は今にも消えそうな陽炎のよう今にも壊れそうな幻想的なあり方をしている
「深海の底」
海は深いだけで圧倒的な力を湛えている大気であれば気圧 全ての命の源 水を水として存在させるための力水圧の力には際限がない 科学の力で武装した鎧すら簡単に破壊する
水温は凍えるほどに冷え込み 空気は高山のように薄く やがて皆無になるこの世界は生命の存在を拒んでいるのだろうか
果てしなく深い限界の場所で生き物は蠢いている恩恵は海の表層から降り注ぐ 雨のようで 雪のような死が舞い降りる生きとし生けるもたちの肉片が塵となって落ちてくる彼らの死によってもたらされるものはこの世界では太陽の光のよう
海底に着く時この世界は月のようだ果てしない無の世界が広がっているしかしこんな所にさえも生き物は生息している
「海底火山」
海底にも火山は存在する海底とは海の底であると同時に大地の果て
大陸と大陸の鬩ぎ合いの狭間に摩擦に散る火花があるように火山が煌々と火を上げている
マグマは地脈のように奔り 地球の中心まで潜り巡り 再び地上へと吹き出す
世界とは外に開かれているのではなく内側に広大に巡っている
マグマが海底の生き物を支えている砂漠にとってのオアシスのように
海底に山脈を築き 延々と続くかのようにいつか大地が隆起し 沈没した時海底に眠る大地は海上に眼を覚ますだろうか
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2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗闇がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?��と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空くこと、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)についての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ、5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や修道院、アートスクールまで設立したと言われている。
1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表紙の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意された聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
ストッキング、マスク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう。
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフェ、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスのフェンスに手をつっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、今では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に造園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると���どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰における祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはきっと、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
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スーパー放置してしまった。
ジェネラルさんのトコのボケクエ7の記録を書く。
本当は予選1回戦ごとに書いておくつもりだったのだけど、日記を書くのとは違って、あれこれ記録を調べたり見返したりする必要があって、めんどうで今になってしまった。
それで、チームスクルトは残念ながら予選敗退で、チームは解散となってしまった。
今まで色んな(指で数えられるくらい)チームに参加したけども、スクルトは過去最高に話し合ったし、楽しく出来たチームだったと思う。
だから予選で終わってしまったことが悲しいし、「あ、もうみんなでワアワアやれないのか」と、今朝目が覚めた時に思ってしまった。短い間だったけど習慣になっていたから、なんだか生活の中にポッカリ穴が空いた気分だ。
記録として、というより思い出を残す意味で今回は記事を書こうと思う。チームスクルトがどうやって戦いに挑んで、どう負けていったのかを、自分の視点から書いていく。
ということで、まずは予選1回戦目の話から。
予選リーグ 第1試合 グループK
お題
トイレの貼り紙「○○○、ありがとうございます」
32位 148票
4点5 3点18 2点37 ミスチルさんの作品
トイレの貼り紙「もっと前へ、って近い近い近い!下がれ下がれ!そうそうそう、ありがとうございます」
一回戦目のチームスクルトの会議方法は以下のようなやり方だった。
期日を設けて会議用CGIにボケを投稿
1日で投票をおこない、その結果を見て相談し合う
お題や各々で出したボケに対する解釈の相互確認
投稿候補のワーディング修正、文体の変更等を提案、チームメンバーに吟味してもらう
大体こんな感じだったか。
ちなみにこのお題に対する4人の感想は「コノオダイ ジンジョウジャナク ムズインデスケド」だった。みんな苦戦したみたい。
ここから先は自分のこと。
会議用CGIにボケを投稿する前に自分の中で事前に候補を絞って出すようにした。以下はevernoteの記録。
大喜利名人維新 ボケクエ7-甘えていた鏡の中の男に今復讐を誓う-
お題:トイレの張り紙「○○○、ありがとうございます。」
1、舞台背景
お手洗い。
自宅でも学校でも職場でも居酒屋でもあり得る。
ただ、自分の家や学校や職場にこんな貼り紙はしないか。
学生や社員などの特定の人が使う場合ではなく、もっと不特定多数の人が使う、そんな場所を考える。
・お店 ・公衆トイレ ・公共施設(役所とか)
・病院 ・宿泊施設など
(奇を衒って自宅という手もあり?サイコパス味を出せそう。案として残しておく)
・誰も利用しないような場所
山奥 深い森の中など自殺スポット
→引き返せ、まだ間に合う。粗末にするな その命。実行前にご使用いただき(仮)
発展:よく見かける貼り紙や看板の文言同士を組み合わせる
→①命は親から頂いた大切なもの。一人で悩まず相談してください。綺麗にご使用いただき(仮)
→②粗末にするな 親からもらった その命。いつも綺麗にご使用いただき
2.元ネタ、原典について
「いつも綺麗にご使用いただき、ありがとうございます」
になる。
3.今思いつくアプローチ
「逆」:
・綺麗を汚す、汚くする
→長年清掃員してるこの俺を戦慄させるレベルの汚し方をしたカス共へ(好きだけど、文脈が崩れる)
・利用者向けではなく、管理者側に向けての貼り紙
→ここ来ればペーパー買わなくて済むし(没)
このアプローチを拡げてみる
全然無関係な人物による貼り紙
→俺ここの人間じゃないんですけど(没)
・「極端化」:綺麗どころか新品にしてしまう
→毎日新調してくれる人がいますが(没)
「強い思い込み」:掃除するのが楽しくて仕方ない
→これはもうトイレ掃除じゃねえ バトルだわ(没)
・「元ネタ」:「綺麗に」の部分だけ汚れて読めない
→「いつも(汚れてて読めない)ご利用いただき、ありがとうございます(没)
・「皮肉」:本当はありがたく思っていない
→3コマだけ書いてあった漫画にオチつけてくれて
(皮肉か?)(没)
〜レベルのでかい石を使い詰まらせた方へ
→①掃除の必要が無くなる
→②我々ではどうしようもない
→③業者呼ぶ(没)
→④悪戯じゃなくてテロ
→⑤清掃スタッフでどうにかなる(レベルじゃない)
→⑥警察呼ぶ
→⑦新調せざるを得ない
→⑧清掃の意味が無くなる
③は普通過ぎるか。
④テロレベルって読みづらい
文脈的に①と⑧がスッと入るけど。
いずれかを会議に出す(出し忘れた)
3.問題点
そもそも何に感謝しているのか?
元:綺麗に使う事に対して
→別の内容にシフト
(場所:自宅+ストーリーに仕立てる+詳細記述)
→大人になって分かったんだけど、普通に生きるってだけでも本当に大変だよな。でもさ、仕事で大変なことがあっても、家帰って子ども達が元気にはしゃいでいる姿見ると、その日一日の疲れが吹っ飛ぶんだよね。俺とかも小さな頃はそんな感じの子どもだったのかな?そんでさ、親って凄えなって事も改めて思ったんだよ。きっと辛いこともあったと思うけど、そんな姿子どもの俺に一切見せなかったんだから。マジ凄えって思う。俺も見習わなくちゃいけないよな。久しぶりに実家帰ってきて、ふとそんな風に思っちゃって、急に2人に伝えたくなったんだけど、こういうの柄じゃないし、直接言うのも恥ずかしいからさ、ここに書いておくよ。お父さん、お母さん、俺を育ててくれて
→トイレの張り紙「詰まりの原因が料理だと分かりシェフを辞める覚悟が出来ました、ありがとうございます。」
↓
役割固定、場所固定
・レストラン シェフ
料理がトイレに廃棄されている
=不味い
↓
改善方法を探す、あるいは辞めるなど
そろそろ免許取るかって思いました
調理師免許の必要性に気付きました
調理師免許取ってもいいかなって思いました
(詰まりの原因が料理と判明し免許制度の意味が分かりました)
場所を改変する
高級レストラン:
詰まりの原因が料理と分かりセレブも吐けると分かりました
詰まりの原因が料理と分かりセレブって吐くんだって思いました
詰まりの原因が料理と分かりセレブが吐くとかウケるな思いました
単語いじり
シェフ→ジェフ
詰まりの原因が料理と分かりこいつシェフじゃなくてただのジェフだって気付きました
・
・
・
すごいゴチャゴチャしているけど、メモ書きを大体そのまま載せているので仕方ない。
初戦ということもあって、昔懐かしのネタ作りシステムを活用している。笑いどころに何かしらのエレメントがあるように意識してボケを考えた。
その中で生まれたのが、
トイレの貼り紙「もっと前へ、って近い近い近い!下がれ下がれ!そうそうそう、ありがとうございます」
だった。
これは貼り紙の元ネタの改変+リズム感の要素を取り入れている。
元ネタについては、「もっと前へ進み用をお足しください」を基にこれを題意に沿わせるようにしている。ちなみにこのトイレの貼り紙の文言、実は大喜利フェス2010の予選Bブロック第二試合でも使われていた。後々で気付いたことだけど、ちょっと似たアプローチのボケがあったので、ドキッとした。
本番で出す候補にあったものは他に、
トイレの張り紙「詰まりの原因が料理だと分かりシェフを辞める覚悟が出来ました、ありがとうございます。」
があって、これをワーディング変更であれこれいじったものを会議の場に出したが、基のが一番良いこと、またメンバー間でボケのアプローチが固まらないようにする目的から、「近い近い!」を本番に出すことにしたのであった。
結果は微妙な位置。
終盤直前まで10位前後にいた時もあったけど、ラスト1日で投票傾向がガラッと変わり、そのまま落ちていった。この流れは3回戦目でも同じことが起きているが、まあこういった経験は何度もしているので特段何も思わなかった。悔しむよりかは「だろうね」ってことで片付けるのが精神衛生上よろしい。
さて、個人についてはこんな感じ。
チーム状況を見ると、練習お題に続きshamanさんが高得点を出したこともあって、この時点では本戦突破圏内にいた。
この調子で行こうと意気込んで次戦に挑んだのであるが...そのことについてはまた次の記事で。
後はツボ上げでも。
ボケの数も多く、またお題も沢山あるのでこれはちょっと時間に余裕が、というよりかは気が向いたら記録していこう。とりあえずは4点を入れたものに絞るつもり。
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「地図にない人口湖」
Canon EOS70D SIGMA 17-50mm f2.8 EX DC OS HSM
f/11 1/40s ISO200 -0.3step 18mm
2022/11/4 茨城県笠間市 石切山脈
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四日目に予定していたツアーに行く。アフリカプレートとユーラシアプレートの出会うモロッコ、イタリアは地震が多い。そして、北アフリカのアトラス山脈は、プレート運動によるもの。非常に複雑なプレートなのだ。ちなみに4167mの北アフリカ最高峰のツブカル山近辺では、冬はスキーもできるざます。嫌、ワシはスキー好きだけど、ここにはスキーでは来ないけどね。
そこでワシが見たいのは、ズバリ、プレート運動である。我ながら、なんとマニアックなんだろう。流石、学生時代に地理学者の高木先生と251と言われた国土地理院の25000分の1縮尺地形図を持って藤沢近辺歩きまくったり、ネパールまで一緒に行っただけあるざます。まだ紙の地図の時代。等高線を赤鉛筆でなぞったりして、標高毎の土地利用を見たり、土地利用から地質を推測したりと楽しかった。高木先生は、慶應退官後どっかの大学の学長やってたけど、先生なら当然だろうと思う良い先生だった。そこで、渓谷巡りしながら、アイットベンハドゥというカスバを目指す。カスバとは、アラビア語で城塞、城砦を指す。
一緒に行くのは、ベルギーのリエージュから来た若い夫婦。こんなに乾燥しているのに、嫁は粘度の高そうな鼻水を何度もかんでいた。ワシなんか、乾燥しすぎて鼻粘膜から鼻血が出る上に、勝手に修復活動しているから、ともすると、鼻の奥の粘膜部分にできてしまう巨大鼻くそで窒息しそうになる。鼻かんでも出てこないざます。ので、ベルギー人が羨ましい。ベムでさえ棒よだれタレなさそうな勢いの乾燥度合いの中、さすがエウロッパ人の粘液体質である。感動。ツアーガイド兼運転手のお兄ちゃんには、早々とワシがフラ語をわかっている事がバレる。細かな、例えば地震とかいう単語は知らないけれど、文脈でおおよその予測はつく。だんだんと、フラ語でしか説明されなくなる。汗。
アイットベンハドゥを目指し、午前中は、ツブカル山側の渓谷。山並みが美しい。感動的に不毛な大地。人々は、オリーブやアルガンなどを育てて、羊飼いなどをしながら生計を立てているらしい。でも、段々と都会に楽な仕事と現金収入を求めて出稼ぎに行っているらしい。道路建設や、昨年9月もマラケシュで大規模地震があったが、復旧工事などが地元である間は、生活が潤うのだとか。現金収入を手にしてしまうと、元の生活に戻れなくなるのは世の常なんだなぁ。福島の祖母の家の周りの急速なにわか金持ち達の家々を思い出す。日本は、豊かである。こちらは、家は壊れたまま、未だにテント生活しながら、干し煉瓦と干し草と土で固めた家を、少しずつ、自分の手で再建している。神戸と東北震災の差異を感じたものだったが、ここまで来ると、政府なんてあって無きが如くである。などと思いつつ、絶景を堪能。
午前中にアイットベンハドゥに到着。世界遺産。そして、映画の撮影地でもある。アラビアのロレンスを撮影したのはここ。その後、ハリウッドはここからまだ南下するワルザザートに撮影所を作っている。多くの観光客は、そちらへ行くらしいが、ワシ一切興味無し。入場料払って撮影所に行くのは、太秦でさえ行かないんだから、モロッコで行くわけないでしょ。
太秦といえば、コロナ中に、母を連れて、憧れのトロッコに乗りに行ったっけ。ワシは、予約無しでトロッコに乗れた事に、感動。と同時に、子供の頃、信楽で買ってもらったタヌキを思い出さされるタヌキだらけの駅を通り、タヌキ熱にかかってしまった。今年、久しぶりに車で関西に帰る途中、憧れの信楽タヌキをまたゲット。前回の、つぶらなお目々に惚れて買った子は割れてしまったので、母が随分と前に捨てちゃったのよね。
アイットベンハドゥです。手前は、川。橋もあるのだが通行料を取るらしいので、鴨川のように飛び石になっている無料の渡し場を通って、暑い中、ワシ、頑張って、上のぴょこんとなっている丘の上まで、城塞都市を通り抜けながら、登山。あのぴょこんとなっている所には、攻められた時用の食料が置いてあります。今は半壊になっていました。このカスバには、まだまだ人が生活していて、世界遺産だから、土産物屋とカフェ、ホテルだらけ。ホコリっぽく暑い。けど、おまけに迷路です。
ワシ、道がホウキで封鎖されているので、戸惑っていると、中からこすっからい感じのババァが出てきて、その道通れない。我が家を抜けてこっち通れ。近道あるよ。1ユーロに当たる10ディルハム払え。という。マジかーと思ったが、もう今さら戻る気にすらならないよ。何段階段登ったんだよと愚痴り、お金を払う。もっと最悪な事に、近道という道は、確かに近道だが、上からペットボトルなどのゴミが流れる、いわゆる砂防のような砂利道斜面。膝悪いワシには最悪。ゴミを避けながら、滑り落ちないように、足場を確保しつつ、たまには手もついて、必死に登る。一歩滑ったら、そのまま崖である。冷や汗出まくりだけど、暑い。ワシ、山登りしてて良かった。普通の人なら、無理レベルだと思う位に、斜度がきついし滑る。
興味深くお宅拝見できたのは良かった。水が来ているのだ。どうやって水を上げているのか、不明。気になる。けど、カスバの頂上には何も水関係の施設がなかったので、多分、下から川の水をポンプで汲上げしているのだろう。面白い事に、郵便も届くらしく、玄関と思しきドアの横には、郵便ポストもある。中は、分厚い壁のために、嘘みたいにひんやりと涼しい。そして冬は暖かいのだという。やっぱ壁の分厚さによる断熱だよなーとワシは思う。ドイツとか北欧の家も、壁分厚いもん。日本の薄壁に断熱ウール入れて、断熱してまーすってやっぱ、どう考えてもなんちゃってだろう。ワシは、ワシの部屋のクーラーをママが買い替えてくれたので、国士舘柔道部出身のおッちゃんの工事の一部始終を詳らかに観察したが、これで断熱って、騙されてるーと思ったっけ。
パッシブソーラーハウスの典型として出てくるモロッコの住宅。壁分厚く、中にパティオを作って水を流すので、適度な湿度が保たれ、冬温かく夏涼しいと、建築学の本で読んだ通り。昔の人の方が賢い。風土に合った建築を作っている。え、まてよ。日本は、なぜあそこまで寒さに耐えなくちゃいけない家なんだ。。。東北の家の中にある蔵、内蔵は温かそうだけど、あれが持てるのは金持ちだけだしなぁ。。。オンドル無いし。辛すぎやろ。ワシ、暑いのも寒いのも苦手な段ボール箱の箱入り姫様ですねん。
昼食は道中の村でタジン鍋。ワシ、下痢中なので、控えめに食べる。帰路は、アトラス山脈側の渓谷。運転手が、急遽、古代からの塩田に連れて行ってくれた。白いのは塩。雨が降ると、地面から滲み出て、塩田になるらしい。舐めてみると、とても優しい塩だった。昔、この辺り一帯は海。それがユーラシア大陸とぶつかって隆起している。道端の土産物屋では、アンモナイトに三葉虫などの化石がたくさん売られている。感動しているのは、当然ワシだけ。ベルギー人夫妻の感動ポイントは、良く分からない。向こうも、ワシがなぜ、sel de fleurと大騒ぎしておるのか、さっぱり意味不明だっただろう。ここは、昔、海韃靼だよと言っても、アホにな何も通じない。アホってマジで救いようない。
この上の写真を観ているだけだと、完璧に、アルゼンチンのサルタ、フフイの感じ。ワシ、地球の活動に感動。地球は生きとる。そして、美しい。人間の無知なんて、ここでは、笑いものにすらならない。無知な奴は死ぬだけ。ラクダのキャラバンに必ず一頭はロバをつけるのは、ラクダは水分なら何でも飲んでしまうらしいが、ロバは危険な鉱物が入った水は飲まないらしい。なんなら緊急時、ラクダのオシッコでさえ貴重な水分源になるキャラバン隊にとって、ラクダが飲めるからと言って、オシッコ活用しなきゃいけない時にラクダちゃんの身体がろ過した危険鉱物をいただく訳には行かないのだ。だから、まずはロバに水を飲むか確かめさせてから、人間もラクダも水を飲むらしい。いやぁ、侮れないぞ。ロバ。
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無責任体制で自民党の迷走が続く
櫻井よしこ
岸田政権の政治には何の脈絡もない。連帯し、心をひとつにして難関に当たる気風がなく、およそ全てがバラバラに動いている。2月29日と3月1日、2日間にわたる国会での政治倫理審査会を見て感じたのはこのことだった。
岸田文雄首相は、われこそは正義の人だとでもいう気持ちで政倫審に出席したのであろう。確かに首相の出席によって清和会座長や事務総長経験者らが全面公開の審議に応ずることになった。率先垂範で局面打開を図ったのであろうが、国民目線で見ると首相自身も同じ政治資金疑惑を抱かれていることに気づいているのか、訝らざるを得ない。
宏池会には3年間で約3千万円の不記載資金があり、会計責任者の元事務局長の有罪が確定した。野党は同件を追及しなかったが、結局岸田氏も清和会と同罪かとの疑念は残る。
もう一点、岸田氏には政治資金問題に区切りをつけて一日も早く内外の課題に取り組むことが求められている。が、政倫審への出席によって新たな課題を自分自身で作ってしまった。不記載問題を起こした政治家の道義的責任を問うて処分を検討すると約束したことだ。
岸田氏は疑惑が報じられた時点ではまったく何の調査も行わず、新聞報道に驚いて清和会所属議員の処分に走った。閣僚を筆頭に副大臣、政務官、党役員等の全ての役職を、清和会というだけで解こうとした。政務官は1年生議員が多いことから彼らには責任はないとして、萩生田光一前政調会長が抗議して彼らだけは任務を継続した。だがその他の役職者は処分され罰せられている。これからさらなる処分、とは一体どんなことになるのだろうか。岸田氏はどこまで問題を引きずるのだろうか。ここまでくれば、全ての議員はいずれ選挙で審判を受ける。
それで十分ではないのか。
安倍総理の懸念
3月1日の「言論テレビ」で政治ジャーナリストの石橋文登氏が自民党内の動きを説明した。
「幹事長の茂木敏充、国対委員長の浜田靖一の両氏が全く機能していない。そのために森山裕総務会長が前面に出てきた。森山さんは萩生田さんの政倫審出席を止めて、岸田さんを守ろうとした」
萩生田氏は自ら政倫審に出ると申し入れたが、森山氏が萩生田氏は清和会の閥務には携わっておらず無関係だとして止めた。石橋氏が続ける。
「もし萩生田氏を政倫審に呼べば、次は二階氏だ、その次は岸田氏だという流れになる。森山氏は総裁に事が及ばないようにと、手を打っていたわけです。そんなことも全く配慮せず、岸田さんは自分が出席するといきなり発表した。これでは岸田さんを守り立てていこうという人はいなくなります」
政倫審ではもうひとつ、清和会座長及び事務総長経験者らが徹頭徹尾無責任集団であることがはっきりした。とりわけ座長の塩谷立氏の責任は重い。
立憲民主党の寺田学氏が塩谷氏に、安倍総理は政治資金の不記載を問題視していたのではないか、と問うた。
塩谷氏は、「安倍総理は『還付を現金で行うことはやめよう』とおっしゃった」と答えた。寺田氏は尚も食い下がったが、塩谷氏は「不記載」という言葉は、自分を含めて安倍総理の部屋に呼ばれた全員が聞いていないと思うと断言した。
もし、安倍総理が塩谷氏の言うとおり現金での還付はやめようと語ったのであれば、それはその行為自体が政治資金規正法に違反していることを危惧していたからだ。ノルマ以上のパーティ券を売り上げ、余剰分を個々の政治家に還元する際、それを政治資金収支報告書に記載せず現金で還付していた。この一連の動きが政治資金規正法違反だと認識したからこそ、安倍総理は派閥の座長、事務総長らに厳しく言い渡した。「現金」還付への懸念は、それが不記載のお金であり、不記載は法令違反だという認識の中でのことだったはずだ。
『正論』発行人の有元隆志氏が言論テレビで指摘した。
「安倍氏は2021年11月に派閥に戻り、清和会会長に就任しました。翌22年5月に予定されていた清和会の資金集めパーティに備えて事務局長の松本淳一郎氏の報告を受ける内、不記載問題を知り驚愕したのです。すぐに事務総長の西村康稔氏を自分の事務所に呼びつけた。これが22年2月24日のことです」
西村氏を指導したものの安倍総理の懸念は晴れなかった。再び有元氏が語る。
「2月24日に続いて、3月2日、4月7日にも呼びつけています。3月2日に招集されたのは西村氏、参議院幹事長の世耕弘成氏の他、前会長の細田博之氏です。4月7日には西村、世耕、塩谷、松本氏に加え、事務総長経験者の下村博文氏を呼んで還付金不記載をやめるよう指示しています」
有権者の審判
このような事実を知れば安倍氏が正そうとしたのが「不記載問題」だったことが分かる。塩谷氏らが理解できなかったとは実に不思議だ。
塩谷氏ら全員が、事の本質が不記載だとは気がつかなかった、と証言したが、これ以上の無責任はない。
そして立憲民主党だ。彼らはこれまで安倍氏を汚い言葉で罵ってきた。だが寺田氏は、そんなことは忘れたかのように安倍氏を持ち上げ、「安倍総理のご遺志」を蔑ろにするのかと、塩谷氏らを責めた。正論を展開しているように聞こえるが、この手の平返しの立憲民主党の言葉にも耐えがたいものがある。
塩谷氏は政治資金の還流を続けたことに関して、「還元を求めた人たちが多かった、それでそのままになった」という趣旨で答えた。だが氏は座長だった。多くの若手後輩議員たちに資金の不記載を継続させたことについて、長として責任をとるべき局面ではないかと、私は思う。検察が法的に詰め切れなかったからと言って、知りませんでしたで逃れるのは、再度言う、無責任だ。
塩谷氏が、座長の自分が悪かったとして真っ先に政界引退を宣言すれば、あるいは状況はここまで悪化しなかったのではないか。こう考えるのは、今回の問題が朝日新聞などが取り沙汰するような悪質な裏金作りだったとは思わないからだ。明白な法令違反ではあるが、朝日が強調してやまない悪質さはそこにはないと思う。だからこそ、最も責任ある人が非を認めて謝罪し、一身を犠牲にして反省の気持ちを明確に示すことが大事だった。現実には真逆の現象が起きた。責任をとるべき人々の言い訳によって、逆に有権者の反発は強まり、
怒りが増幅したのではないか。
苦々しい気持ちは自民党議員に対してだけではない。幾人かの野党議員が声高に自民党を糾弾したが、彼らにそれ程の資格があるのかとも、私は疑問に思っている。
前述したがやがて選挙になる。一人一人の政治家には日本国と国民のための政策を掲げ、有権者の審判を潔く受けてほしいと思う。
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システムとは、支配
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人は社会が無いと、システムが無いと生きて行けないか?
答えは、NOだ。
王。
一人の人間が、何千人の生活を支え、その何千人が、一人の人間に命を捧げる…
普通に考えて、おかしいだろw🤣
そんな普通に考えておかしい歴史は、脈々と何千年も続いている…
じゃあなぜ、
一人に、何千人も命を捧げたか?
まず、
雨乞いとか。
民衆は雨降って欲しく、王に嘆願。
シャーマンなりに命じ、雨乞いの儀式やらの方法論を伝授、雨乞いする。
雨は降り、何千人は、一人を崇める…
機織り、縫製の技術。
動物の皮を乱雑に纏っていたら、糸を作る技術を伝授、機を織る技術を伝授、より軽い衣服を手に入れ、何千人が一人を崇める…
その替わりに、貴様らのパワーと、金をよこせ!
「少しくらいなら…」
と、王を名乗る一人に、貢ぐ。
だが気がついたら、身動き出来ないほど搾取されており、もはや形成逆転不可能になる…
支配の、完成だ。
それで何千年、過ごしたわけだ。。
日本という、実質共産社会。
彼らは、
人間皆同じ
で無ければ、絶対受け入れない。
しかし現実は、人間は皆同じでは、無い…
日本に限らないが、グローバリズム、共産社会においては、
有能な人間を、集団リンチで潰す。
YouTubeなんか、その典型みたいな団結だしw🤣
新しい発想、飛び抜けた判断力は、間違いなく、全体をボトムアップする。
ではなぜ共産やグローバリストたちは、優秀な人間を潰すのか?
馬鹿だから。
自分の地位を脅かされると思うから。
無能が、優秀な人間が現れると、露呈するから。
誰かをいじめる事により、幸せな共同意識や団結を味わえるから。
とまあ、↑こういった理由w🤣
なので、システムはなかなか進化せず、それは一人の王に責任なすりつけ、奴隷たちは死ぬまで何かに依存するという、属性…
これがシステム人間であり、魂のない人間だ。
魂の無い人間に関して、過去記事がある↓↓↓
魂が無いゆえ、輪廻転生しない。
つまり、現世が全て、物質が全て、今の日本そのもの、金だけ、現世利得、まんま、創価学会だねw🤣🤣🤣✨
魂で人は繋がるが、魂が無いなら、肉体か、金で繋がるしかないもんなw🤣
何千年も続いたシステムから脱却するには?
それは、自立しか手段は無い。
自立は何が大変か?
自分でインフラを作らねばならない、大変さだ。
だから、まずは足元から、見直す。
地球には豊富な資源がある。
それは私達一人一人に恵まれたものであり、支配層のためだけの資源ではない。
私達が支配層に良いようにあしらわれるのは、資源を使ったインフラ整備が出来ないがゆえ。
私が今更言うまでもないが、
アメリカの今までの戦争は、資源剥奪戦争だ。
じゃあアメリカが唯一敗戦した、ベトナム戦争って何だった?
サイゴン、昔はフランスの植民地。
今の、ホーチミン。
サイゴンという街の名前は廃棄され、戦争に勝ったリーダーの名前、ホーチミンを採用した。
一体ベトナムには何があったか?
ボーキサイト、アルミの原料だ。
ベトナムボーキサイト埋蔵量は、世界3位だ。
↓↓↓資料
新しい資料では、2位かw🤣
いずれにしても、アルミを作るには、ボーキサイト以外無い。
誰がアルミを世界で一番欲しい?
日本の一円玉は、そんな需要無いよね?w🤣
コカ・コーラだよ。
以下、アサヒビールやら、サッポロビール、アルミ缶を使う。
アルミは、リサイクルも出来る。
ただし、それにかかる人件費、燃料、手間は、半端ではないw🤣
回収業者に回収させ、スチールと分別し、溶かし、700キロのアルミの板にする。
そこから、アルミ缶を作る。
そんな資源戦争に負けたアメリカ(コカ・コーラ=軍産複合体)は、リサイクル♻️をメインにするしか無くなった。
だから、
《ボーキサイトからアルミを取り出すのは、とても費用や手間がかかる!》
、という訳わからん嘘を並べ、リサイクル♻️せざるを得ない現状を、ごまかすw🤣
ここ来て、私は信じられない貧乏を体験したw🤣
服が買えないw🤣
そんな時、初めて、縫製のテクノロジーをかえりみた。
縫製って、凄い!
糸を紡ぐって凄い!
繊維から糸を作り、交互に織って、布にする。
型を作り布を裁断し、縫い合わせて、衣服は完成する。
当たり前だが、何でもかんでも、《金》で考えてきた。
服が欲しいなら、金。
だが、貧しく、服を直したりする中、衣服は自分でも作れると、知る。
綿花を育て、糸を紡ぎ、機を織る。
そんなプロセスの中に、《金》ってのは介在しないw🤣
断食。
人は食べなくても、問題ない。
秋山佳胤は、6年もの絶食で証明した。
私は1年程度絶食、1日1食を基本にし、たまには食べた。
つまり、1日3食と、栄養学は全て間違いだった。
これにより、システムからの離脱2つ目、食。
つまり、衣食を、システムから切り離した。
住。
これに関しては、
田舎に住むしかないw🤣
これで、システム離脱のプロトタイプは、出来た。
田舎に住む。
1日1食。
綿花や、食料を栽培。
あと厄介なインフラは、《電気》だ。
太陽光という選択肢は、
無いw🤣
便利だから、使う
、これは奴隷現代人の、悪い癖…
太陽光発電は、どうやって発電してるか?
半導体だよw
つまり半導体の減価償却が、太陽光パネルの寿命。
太陽光発電を維持するには、大量の半導体を消費する。
これは1960年代後半からわかりきっていた、
太陽光発電とは、半導体利権そのものだよ。
なぜ必死にチャイナ、TSMCが半導体に拘るか?
日本の政治とのセット、つまり太陽光発電しまくり、半導体儲かりまくり、というからくりw🤣
一人やら、一つの家族なら、自家発電で充分やれる。
発電の方法は、色々模索出来る要素は、ある。
↓↓↓
システムの弊害。
例えば、イーロン・マスクの、テスラ・モーターズ。
自動運転は、OSを仲介にしてるらしい。
どういう事か?
電子機械は、オンとオフしか、存在しない。
そのバケモノが、リレー→シーケンサー→コンピューターだ。
我々が乗る自動車には、ブラックボックスがある。
エンジン点火を、補助する。
それはアセンブリ(機械語)で書かれている。
GOとか、RUNとかの簡単な命令を入れると、HEX(16進数)に置き換え、それを2進数に、置き換える。
2進数とは、01100010、
つまりオンとオフの固まりw🤣
電子機械に命令をする場合、アセンブリはかなり機械に近い。つまり、素早く命令、操作が可能。
一方テスラ・モーターズは、コンピューターを使ってしまった…
これは、テスラ・モーターズの、インフラの無さを現している。
電子回路を設計し、アセンブリを組���、ブラックボックスは存在する。
しかし、テスラ・モーターズには、インフラ技術者が存在しないw🤣
パソコンは、万能だが、要らない部品の塊だ。
機械を操作する際、OS (オペレーションシステム)を介入させると、遅延や誤動作を起こす。
なぜか?
オペレーション・システムとは、実に共産、グローバリズム的概念から作られているから。
OSとは、コンピューターというスイッチのバケモノを操作するため、作られた。
“これを使うだろう、あれを使うだろう”と、こちらが望まなくても、勝手に最初から実装させる。
kernelという、実行部隊、つまり実際に動作する命令を、膨大に詰め込んである。
OS がある背景は、コンピューターやら機械を何に使うか決まって無い人らに、可能性を見せる効果。
だから、“お誂え向き”kernelが、死ぬほど入っている、ある意味、《無駄の塊》、頭のいい動ける肥満ブタみたいなもんw🤣
Windowsを見たらわかる。
『メールソフト要らないよ!』
『セキュリティ、過剰反応過ぎるよ…』
『年がら年中アップデート要らないよ!』
、有無を言わさず、システムは機能するw🤣
オフィスが使いたい、台帳管理したい。
『アップデートしています…』
待つ事2時間、
『アップデートしています…』
、おいっ!
そういう事。
システム
これは何かを始める初期段階には必要だが、明確な目的を持つ対象には、足かせでしかない事実。
テスラ・モーターズは、とんでもない数の事故を起こし続けている。
それはシステムに依存、つまり、自社でOSを作るインフラを、無視し、表面上万能な汎用OSに依存し、片手間で車を作るから、こうなるw🤣
私はコンピューターは専門w🙂✨
辿り着いた答えは、
自分でkernelを組む。
つまり、自分の環境で使わないものは、導入しない。使うものは、必ず導入する。
MacにGentoo Linux 導入し、円滑に作業するのに、20年かかったw🤣
コンピューターや機械について学び、kernelやらを開発する地味な、そして最も重要な仕事をする人たちを知った。
Boot つまり起動には、言語の最も原始的なもの、proc、つまりUnixのprocという命令も学んだ。
自分の環境に合わせ、必要なkernelだけ実装したマシンが出来上がった。
OS、システムのせいで、音楽制作に当たり、非常に苦労を強いられた…w🤣
まず、Macで言うと、立ち上がりにめちゃくちゃ時間がかかる…
で、いざ使い始めると、
『最初のアップデートがあります!』
、など要らぬ事を言ってくるw🤣
あとは、作成中、固まってしまい、何の作業も出来なくなる…w🤣
やむなく強制終了すると、
何日もかけて作った音楽が、全部吹き飛んでしまうw🤣
その原因は、全てシステム(OS)のせいだw🤣
比較すると、はっきりわかる。
その、インフラから自分で作ったシステムで、素晴らしい動画を作った。↓↓↓
人間社会で、システムは何を生むか?
差別と、いじめだ。
日蓮宗。
日蓮は、貧しい鴨川の漁村の、被差別部落出身。
自分は、旃陀羅だと言う。
シュードラの父、バラモンの母。
つまり、被差別部落の父と、カースト最高峰、バラモンの母との子供。
鴨川の漁村。
神武天皇時代における、制度、宗教、社会システムの間違いを指摘。
日蓮以前、法然の南無阿弥陀仏があった。
『民は救いようのない馬鹿どもだから、せめて生きてる間徳を積め。そしたら死んだ後、西の極楽浄土で、永遠に幸せで過ごす。』
法然に対し日蓮宗とは、
「現世でだって幸せになれる!制度、システム、今の宗教が間違ってる!」
という事だ。
創価学会がこれだけ力を得たのは、現世利得、日蓮宗の、間違えた解釈。
その間違いの大親分が、池田大作。
大田区大森の、海苔屋の息子。
我ら日本のカーストで、最下層w🤣
そこには未来も、金も、無い。
日蓮の想いは、池上邸、池上本門寺で力尽きた。
そう…
今のシステムは、間違っているのだ。
アセンション。
次元上昇とは、むしろ大衆側に、依存する。
支配層、バラモンたちは、ちゃんと自分を大事にしてる、我々を踏みにじり、搾取しながらw🤣
私達が、自分を見つめ直し、自分を大事にしてゆくのが、アセンションだ。
今までのように、他人に、命の全てを捧げる、つまりシステムに組み込まれてゆくから、支配層はどんどん増長してきた訳だ。
「ワクチン?ふざけるな!」
「疫病、無いわそんなもん!」
はっきり言わなきゃ、ならない。
そして皆さんが、皆さん自身を労わり、自身を見つめ直しましょう。
みんなが自分が得意な事やれば、それは素晴らしく発展し、自動的に適材適所になる。
人は皆違う。
それを常に忘れない事。
共産主義、グローバリズムを、徹底的に排除です。
案外、それが日蓮の本心じゃないかしら?
既存の制度をぶっ壊わし、皆が自由になる事で、差別は無くなるよね。
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2024.07 根子岳・四阿山
根子岳直下はWindowsの壁紙になりそう
友人といっしょに根子岳・四阿山へ。全く同じルートで2020年に登ったことがあり、また2022年は雪山の四阿山のみ登った。
【コースタイム】菅平ダボス(1000)→駐車場(1040)→東屋(1055-1100)→根子岳(1155-1215)→大スキマ(1240)→四阿山(1350-1400)→中四阿(1430)→小四阿(1455)→中四阿道登山口(1535)→駐車場(1540)
上田駅からバスに乗って1時間、菅平ダボスに到着。ここから登山口へたどり着くのがとても長い。しかも梅雨明けして麓は35℃くらいか、このあたりはまだ標高が高いが、それでも25℃はあるのでは?
ダボスバス停から登山口まで40分。先が長い道を見ながらこの距離歩くのはきつかった。気温は暑いが天気は良く、駐車場は満車。振り返ると奥にアルプス山脈を見渡せるはずなのだが、この日は手前の山のみ。
秋と冬に登ったことあるが夏は初めて、青々とした草が眩しいのだが、やはり暑すぎ・・・。もっと標高高いところ登らないとだめだ、暑さで体力がかなり削られる。
途中の東屋という展望台で休憩。
再び登り。まあ気候は厳しいが、青空も見えているため気持ちはいい。
駐車場から約1時間超で根子岳に到着。風が吹くので汗が乾き涼しく感じるようになる。
次に向かうピークの四阿山が見える。距離的にはそんなに離れていない。とりあえずここでお昼休憩。
さて四阿山へ向かう。今までの道とは変わって、土が露出した少し崩落しかかっている道を進み、
その先にある「鬼遊びの庭」という、巨岩が多く立つ場所からの景色が素晴らしい。四阿山へ向けて緑の絨毯が広がり、それを突っ切るように下っていく道が見える。
途中岩が露出している箇所を通過するが、これがなんとも特徴的。このあたりは活火山だったが、そのときの溶岩の冷え方がゆっくりだったのか?規則正しく長方形が積み重なった岩石の結晶の形がはっきり見て取れる。
他にはヒビがきれいに一直線に走る岩も。このあたりは地質学的になにか特徴があるよね。
緑の絨毯を突っ切って、鞍部である大スキマに着いた。これから向かう四阿山。
下ってきた根子岳。この先かなりキツイので、ちょっとクールダウン。
鞍部の大スキマから稜線上まで約250mの急勾配が続く。まあ危険な箇所でもないし、ゆっくり確実に進む。
途中で樹林帯が開け、先程いた根子岳が覗く。
45分ほど登り、ようやく四阿山の山頂が見える。登りきってから山頂到着までまだあと15分くらい。
根子岳から約100分でお隣の四阿山に到着。トンボが異常発生かと思うほど非常に多い。
近くに浅間山
隣の根子岳
夏ということもあり空気が澄んでおらずそこまで遠くまでは見渡せない。冬に来たときはアルプス山脈とかすごくきれいだったんだけど。日差しも結構熱く、10分ほど休憩して下山する。
下りは開放的で見晴らしの良い下山道。
根子岳東側斜面って結構崩落しているのね
途中に中四阿・小四阿というピークを踏んだが、どこだかあまりよくわらかない。
ところどころ深い藪をかき分けて進まなければならないところあり。葉っぱが邪魔してかろうじて地面が見える程度で、たまに岩とか木の根があるのでちょっと危険。
牧場に近づくと歩きやすい平坦な道
牧場までおりてきた。遠くに牛がたくさんいる。やはり暑いのか、みんな木陰に入っている。
行動時間5事案40分、歩行距離13.1kmと、この気温のなかハードだった。下山して食べた牛乳ソフトクリームが非常に美味しかった。これだけ暑い登山だったから、有無を言わさず購入した。
そしてバス停までまた40分くらい歩く必要がある・・・まぁ下り基調だから少しラクになるが
・・・とにかく夏は登るの避けたほうがいい。やっぱ3000m級かな
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