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#義を見てせざるは勇無きなり
leomacgivena · 6 months
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昨日の能登地震でジェットスター労組がストを一時中止し、JAL機と海保の飛行機接触事故による羽田空港滑走路閉鎖の対応でJR東海が新幹線の臨時列車を出し、茨交と関鉄バスが茨城空港にダイバートした飛行機の旅客救済のためにチャーターバスを走らせる。これこそ「義を見てせざるは勇無きなり」だな。
Xユーザーのたお@坐薪懸胆さん
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xf-2 · 8 months
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目次
子供たちが怖い、放置され無教育
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
教育で未来を変えようとするクルド人学生
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
子供たちが怖い、放置され無教育
【70代女性、川口市上青木在住、取材】
子供たちが怖いです。昼間からウロウロしています。私の知り合いの70代の男性が10歳前後の男の子がゴミを散らかしていたので注意をすると、ピーと指笛を吹かれて、すると男の子たちが集まってにらまれました。何も言えないでいると、唾を目の前で地面に吐かれて去っていったそうです。
近くのショッピングモールで、小さい5歳ぐらいと少し年下の男の子が、泥靴で走り回っていました。「静かにしなさい」というと、流暢な日本語で「僕たちはかわいそうなクルド人です。弟はまだ小さいので何もわからないから許してください」と言われ、じっと見つめられました。そうすると、何もこちらは言えなくなってしまいました。
(私:同じような話がXで書いてありました。誰かが教えているのかもしれません。)
私はXをやっていませんが、誰かが日本人が黙るように教えているのかもしれませんね。「僕は弱者だ」なんて言われると、日本人は何も言えなくなってしまうのでしょう
この地域は、工場の労働者向けの安いアパートが並んでいました。1970年代に建てられたものです。工場が川口から減って人がいなくなって、そうした古いアパートに中国人、最近はクルド人が入っています。
中国人は日本語が話せるのですが、クルド人は日本語を話せないし、生活で態度が悪いので困っています。日本人は高齢者ばかりで、注意するのが怖いので黙って我慢をしています。
隣のアパートにクルド人が、数ヶ月で入れ替わり住んでいます。入れ替わる理由はよくわかりません。時々騒音が聞こえます。女の人は家にこもって、買い物の時しか出てきません。
あるとき若い20歳ぐらいの母親が、子供が病気になったのか救急車を呼んだようです。しかし住所不定で、そして日本語が全く話せないので、救急車は搬送できなかったのです。すると昼間、救急車の前に座って路上で、子供を抱えて大泣きしました。そんな行為より子供を助けるための行動をしなさいとハラハラしました。救急隊員も困りました。私が話を聞こうとしても、聞かずに泣き続けました。泣けば主張が通ると思っているのでしょうか。
すると工事の泥で汚れた作業服の姿のまま夫がトラックでやってきて、片言の日本語で説明し、病院に行ったようです。迷惑をかけた周囲の日本人に、その後、クルド人夫婦から説明もありませんでした。変わった人たちです。日本語を少しでも学び、最低限のルールを知らないと。
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
【40代女性、川口市在住】
娘が高校生です。クルド人の友達もいます。公立小学校、中学校にクルド人、中国人など外国人の子供がいるのですが、日本語の授業が成り立たなくなっています。私の見たかぎり、日本人の子供たちは差別をしていません。逆に外国人の子供に気を使っている話ばかり聞きます。
クルド人を巡っては困った話がありました。あるクルド人の子供(男か女か、小学校か中学校は、私の判断で明示しない。クルド人の児童の特定、学校の特定を避けるためだ)が、クラスで孤立しました。ものを壊してもそのままにする、当番をしないなどの問題行為をしたそうです。同じクラスにいたクルド人の子供も距離を置きました。
すると東京の活動家がそれを聞きつけて、いきなりネットメディアで「クルド人の子供がいじめられている」と報道しました。毎日新聞もいじめと断定して報じました。活動家は学校に怒鳴り込み、卒業式にまで乗り込んできて、カメラマンを連れてきて、パチパチ写真を撮ったのです。公開されないか、父兄も子供も、怖がりました。卒業式はクルド人1人のためのものでも、この人のものでもありません。この活動家は、他の何百人の子供達の卒業式を台無しにしました。
(私:その活動家、イスラム教徒のクルド人の子供たちをクリスマスパーティーに誘って、クルド人に笑われていたらしいです。クルド人のことを知りません。)
変な人なんですね。当事者の生徒の話も聞かず、川口の子供がいじめているという話を日本中に報道するのはおかしいです。日本人の子どもたちは、報道に傷つきました。
クルド人を支援する人は、今は川口市にはほとんどいなくなりました。これだけ迷惑行為をしているから離れて行きました。支援者は「変わった人」扱いです。ただし川口市民の方ではクルド人を差別したり、嫌がらせをする話はありません。逆に外国人に気を使っています。
日本人の子供が今、外国人によって、学校教育で、適切に教育を受けられない状況になっています。外国人が多いと、学校の学習進度がどうしても遅れてしまいます。私の子供は塾でほとんど勉強せざるを得ない状況でした。日本人への逆差別です。ですから、小学校、中学校で私立に行かせようとしている親が多いです。市役所も先生たちも、対応に疲弊しています。国はこうした外国人の教育の現実を知っているのでしょうか。
教育で未来を変えようとするクルド人学生
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【70代男性、川口市】
以前は教師でした。定年後に、外国人に日本語を教える川口市の日本語教室の教師ををしています。
(川口市、蕨市ではボランティア、NPO、また私塾の形で日本語が教えられている。身元をぼかすため、詳細は記さない。)
他の外国人は積極的に日本語を学びにきます。クルド人は来る人が少ないです。クルド人は、ささいなこと、例えば授業の遅刻、また態度の改善を注意しただけで、すぐ怒り出します。根気もなく、すぐに教室に来なくなってしまいます。
他の国の人は合法な居住の人が多く、たいてい日本語がある程度話せます。クルド人は、難民と称して滞在しているので、言葉を学習せずに、日本にやってきます。他の民族の人は日本は好きですが、クルド人は大半が日本のことを知りません。加えて、クルド語もトルコ語も上手に読み書きできないようです。彼らは中学校を出ているかも怪しく、���強の文化がないと、石井さんが記事に書いていました。納得できました。そのために、日本語も上手くなりません。
ただし、悪い人ばかりではありません。一生懸命学習するクルド人の中学生もいます。同胞や親が、「出稼ぎなのに難民と嘘をついて日本に来ている。それは良くない」と、状況を分かっていました。クルド人が同胞の経営者を儲けさせるために安く働かされたり、変な日本人活動家に利用されたり、弁護士や行政書士などにお金を吸い取られていることも、理解していました。石井さんの報道の通りですね。
この子は、そうした境遇を抜け出すため、また自立するために一生懸命勉強をしています。学校の成績も良いです。私は大学まで行って奨学金を取り、滞在の資格を、仮放免の立場から、留学ビザ、正規滞在に変更することを勧めています。その子も、その意欲があります。
石井さんの報道は正しいと思います。ですがクルド人に取材するほど、彼らに冷たく、厳しくなっていますね。脅迫されたためでしょうか。
(私:そうです。)
あなたの感情は理解できますが、真面目に、頑張る子供がいることは、ぜひ知ってほしいと思います。
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
ようやく川口では人々が「おかしい」と声をあげ、ほんの少しだが状況が変わりつつある。行政が動き、不法行為の摘発が少しだけ始まった。
外国人差別は許されない。合法的に、また日本人と協調して暮らそうとするクルド人、その他外国人とは共生しなければならない。しかし違法行為、違法滞在をする外国人には、法適用をし、速やかに帰国をさせなければならない。その方向に、微々たる動きだが変わりつつある。
暗い話ばかりがクルド人問題で聞こえるが、埼玉県民、川口市民が変化の希望を抱いていることも紹介して、この原稿を終えたい。私にいただいた評価も、少し恥ずかしいがそのまま残しておこう。
【川口市民、メール】
クルド人問題については「おかしい」ということに、私はためらいがありました。私の周囲の川口の住人にもあります。私たち日本人は、小さい頃から「外国人と仲良く」と刷り込まれますから。
そして国とメディアと学校が「ヘイトスピーチはダメだ」キャンペーンを続けていますよね。これはこのクルド人問題では悪い方向に働いて、日本人が物を言えない状況を生んでいるように思えます。
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【埼玉県民、メール】
石井さん、身の危険を感じることと拝察します。くれぐれもお気をつけて取材を続けてください。あなたのような記者がいらっしゃることで、日本のジャーナリズムもまだ死んでないんだ、と思えました。あなたは正義感から川口市に突っ込んで「なんで自分がこんな目に」とぼやいていますし、気の毒と思いますが、そうした勇気が社会を変えます。
記者会見で権力者を怒鳴りつけたり、偉そうなことを言う記者はたくさんいますが、何の役にも立ちません。社会問題を調査し、客観的にそれを私たち国民に伝えることがメディアの役割と思います。しかし、誰も、クルド人問題でやりませんでした。大手の新聞社やテレビはいったい何をしているのでしょうか。
どうぞご自愛ください。川口市の奥富市議とか、心ある人と連携して頑張ってください。私たちの手で、川口、埼玉、日本を守りましょう!
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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extracts-sheep · 4 months
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倉本圭造@新刊発売中です!
@keizokuramoto
川口市のクルド人問題に興味があってもSNSには「ガチ右翼さん向けに煽りまくった情報」しか見つけづらくてよくわからない、という人向けに客観的な現状のまとめと落とし所の提案を書きます。この問題は背景情報をよく知らずに脊髄反射すると、川口市の担当者や埼玉県警が過剰に排外主義的に”見えちゃう”ところに問題があり、例えば先日放映されたアベマプライムの番組などは、よく調べずにテキトーな印象論をぶつけあうだけに終わった結果、本来わかりあえるべき部分でも過剰に対立が演出されてしまい出演された川口市議の荻野さんの印象が物凄く悪くなってしまっていたのが可哀想でした。
・ 1●クルド人特有の背景を知った上で議論しないと無意味 まず、川口市のクルド人問題は、他の在留外国人の問題とはかなり違う背景があることをまず理解する事が重要なんですね。 というのは、あえて批判的な言い方をすると、査証免除措置(トルコ国籍者は観光ビザも不要)で来日したあと、そのまま勝手に居着いてしまって既成事実化し、「難民申請」をすることで「申請中」の宙ぶらりんの状態で長期間滞在して子供も産んで…という形になっているクルド人が多いってことなんですね。 クルド人問題について議論する時に、「この部分の話」を無視したままだと、例えば川口市長だったり川口市の議員さんだったりが言っていることが物凄く排外主義的に見えちゃうのが注意が必要で。 「正規の在留資格」じゃないから、就労許可がない人もかなりいるし、健康保険への加入も不可になってしまっている人も多く、実態として「制度の谷間」にいる人が沢山いる状態なんですね。 そこには他の外国人とは全然違う難しさがあって、そもそも正規の在留許可がなければ「住民票登録」もしてないからいったい何百人、何千人いるかも正確にはわからないし住民税も払っていない状態が続いている。 それでも市内で子供が生まれたら面倒を見なくちゃいけないし、公教育でも受け入れなくちゃいけないし、”無保険者”がかなりの数でいると考えられる中で病院でのトラブルも解決しないといけない川口市の担当者から見たら切実な問題なんですよ。 こういう”制度の谷間問題”に対して、川口市自体は完璧とは言えないまでも自分たちのできる範囲でかなり頑張って小中学校で差別なく受け入れようと取り組んできた事実があると思います。 スマホ片手に「クルド人の人たち可哀想ぉ〜日本のレイシストどもなんか●ねばいいのに!」とかSNSで発言して、10分後にすっぱり忘れちゃえる人たちの目線で解決できる問題ではない。 ・ 2●素人論でなく「専門家の知見」ベースでの解決の模索が必要 一方で、2月初頭にNHKでこの問題が取り上げられた時には、世界の移民問題の専門家である一橋大学の橋本直子先生がかなり事前に番組スタッフさんにレクチャーを繰り返し、単に「クルドの人たちが可哀想だ、なんで助けてあげないんだ!」というメッセージだけでは終わらない深堀りがなされていました。
もちろん、制度の狭間に落ち込んでしまって困窮しているクルド人に対して何らかの対処が必要な事はリベラル側から見ると言うまでもありません。 ただしその「対処」の実現は、単に ・実際に共生している川口市民の懸念を「このレイシストめ!」と叩き切るだけ ・欧米の国家でも当然に行われている出入国管理実務上に必要な制度的問題を全部無視して「人権の大事さを理解しない日本政府が悪い」と断罪するだけ …では実現できないということです。 NHKの番組放映後橋本先生はSNSの右翼さん(のうち一番ヤバい層)から 「このハシモトって奴はお花畑の多文化共生論者だぞ!こいつは日本をぶっ壊すスパイだな!実は中国人に違いない!」 …とか言われまくってましたが(なぜ中国人ってことになるんだw)、むしろリベラル側から「あの位置に旗を立てに行く」ってことがどれだけ明確な問題意識と勇気が必要な振る舞いなのか、理解が必要だと思います。 SNSの右翼さんに言いたいのは、「日本は日本人のための国です!出てってください!」みたいな、アメリカ的文脈に直接翻訳したらガチ問題視されるような発言をそのまま主張しまくったって先進国日本で実現するわけないってことです。 一方で、橋本先生が旗を立てていこうとしている「受けて立つリベラル」みたいな路線をキチンと国際社会的に説明可能なロジックを通して実現していけば、 公正で人道的で、かつ「厳格な」出入国管理政策 …を実現し、制度の谷間に落ち込んでヒドイ目にあう人を減らしつつ、かつ右翼さん側の懸念もある程度満足させられる着地点が見えてくるでしょう。 また、この問題について興味があるリベラル側の意見を持った人は、単に「レイシストどもめ!」というふうに斬って捨てに行くと、「実際色々困ってる川口市民」が丸ごと排外主義に飲み込まれていく事に注意するべきだと思います。 むしろリベラル側の人は、実際に川口市の担当者や埼玉県警が現場レベルの共生策を実行しようとかなり頑張っているプロセスを否定せず迎えに行って、そこにどういう支援が足りないのかを政策的・世論的にサポートするような役割を果たすべきです。 アベマの番組に出ていた荻野市議なども含め、川口市や埼玉県警は、SNSの「ガチ排外主義」の人に比べたら遥かにマイルドでリベラル寄りの感性を持った上で現実的な落とし所を模索しており、その「現実を見た対策」を丸ごと「リベラルの敵」として断罪していたらこの問題は解決できません。 ・ 3●リベラル側が目指すべきざっくりした「落とし所」はこのあたりでは?という提案 ざっくりした結論として、橋本先生の言う「公正で人道的でかつ厳格な」政策という意味でこのクルド人問題の落とし所を考えるとするなら、以下画像のようなところになるのだと思います。
アベマの番組にクルド人当事者として出演されていたユージャル・マヒルジャンさんが、2022年のトルコ地震後1500人ぐらい一気に川口にやってきて、彼らは日本の風習にも馴染めていないから問題を起こす人もいる…みたいな話をシレッとしてたんですが、いやいやちょっと待ってくれと(笑) いまいる人口を、どうやって「馴染んでもらうか」という話をしている時に、そんなダダ崩れに次々と入ってこられても困りますという話がありますよね。 主権国家として「どこかで線を引かなくてはいけない」としたら、そこに引くのはリベラル側としても大枠は理解可能なことなのではないでしょうか。 そういう方向で「際限なく開いている国境をキチンと管理するようにする」ことと引き換えに「正規の滞在許可」を出していくことは、多くの場合すでに滞在しているクルド人側にとっても望むところでしょうし、結果として川口市に住民税も入るようになりますし、健康保険に若い労働者が沢山入る事は日本の財政的にも望ましいことでしょう。 ・ 4●「実態と建前」が乖離しまくっていた状況の解消が始まっている 私の経営コンサル業のクライアントの建築会社の社長いわく、既に日本の「現業」的な職場は外国人なしには成り立っていないとよく言います。 「SNSの愛国者さま」がいかにSNSで排外主義を叫ぼうとも、実際そういう人が汗水流して現場作業についてくれるわけじゃないんだからしょうがないじゃん、という側面は明らかにある。 今の日本はその「理想と現実」の間で物凄くナアナアな抜け穴だらけの制度を運用してきて、制度の狭間で様々な不幸を生んできてしまっています。 今後それを「責任を持って正常化」していく流れは既に起きつつある。 SNSの右翼さんは単に「ガイジンどもを叩き出せ!」的な事を吠えるだけでなく、出入国管理実務をできるだけ「シンガポール型」の厳格なものに近づける事を目指すべきなのだと思います。 一方でリベラル側は、単に実際に起きている不幸を全部「レイシストの日本人ども」「人権を理解しない悪辣な日本政府」のせいにして終わりにするのではなく、「受けて立つリベラル」として徹底した文化統合策を細部まで後押しし、 「実際に困ってる川口市民の懸念にちゃんと応えられるのは右翼さんより自分たちなのだ」という事を具体的に示していくことが求められている …といえるでしょう。 ・ 5●「米国のリベラルの公式見解」は「非英語圏」の実情と合っていない強者の論理にすぎず、無責任な放置を助長してしまう 「素人の印象論」的に終わってしまったアベマの番組と、「移民問題のプロ」が監修したNHKの番組との違いを眺めると、要するに 本当にリベラル的な良識を現場に即して実現しようと思えば、その対策には「アメリカのリベラルの極端な原則論」からすれば問題があるように「見える」ものが含まれる が、 むしろそこにちゃんと踏み込んで行く事が「今の時代の責任感あるリベラルの姿勢」なのだ …という本質論が眠っているように思います。 例えば「日本で暮らしたいなら日本社会に馴染んでください」という右翼さんの求めに対して、「アメリカやカナダのリベラルの公式見解」をぶつけて終わりにしてしまうリベラル側の「よくある態度」というのは、移民問題のプロの中では問題があるという認識が浸透しつつあるそうです。 なぜならアメリカでそういう「公式見解」が成立するのは「英語とアメリカ文化のデファクトパワー」が圧倒的だからこそ成立する強者の論理に過ぎないからです。 逆にスウェーデンなどは、「スウェーデン語や風習を強制してはいけないのでは?」というような原則論的な理想主義を最初は掲げていたけど、それは逆にその層が社会から分離してゲットー化し、余計に排外主義的問題が高まる元凶になってしまったらしい。 だからこそ、非英語圏においてはアメリカにおいてのリベラルの原則よりも「明確に一歩踏み込んだおせっかい」をしていくことが、むしろリベラル的な良識を実現するために絶対的に必要だという事は、移民問題の専門家の間で徐々にコンセンサスになってきているらしい。 「今そこにある問題」に対して「現実的対処を求める層」を、「アメリカのリベラルの公式見解」から断罪して切り捨てるだけの簡単なお仕事しかリベラル側がしないなら、SNSで吹き荒れる排外主義を止めることなど決してできないでしょう。 トランプムーブメントが止められないアメリカ、ガチ極右政党が躍進していない国などほとんどない欧州の実情を考えれば、そういう「リベラルの公式見解で断罪しまくるだけ」でこの問題が解決できない事は明らかです。 ・ 6●「欧米の失敗」が明らかになってきたからこそ、一周遅れの日本はちゃんと対策ができる道が開けつつある NHKの番組後、橋本先生に直接感想を伺ったところ、 「ああいう発言をすればリベラルから袋叩きにされるかと思っていたが、案外クルド人の人たち御本人や、リベラル層からは好評価が多くて意外だった。おそらく、欧州の極右政権が問題になったり、米国のバイデン政権ですら何らか国境線をフルオープンにはできない事情が明らかになってくる中で、現実的な対処をすること自体を否定していてはいけないのだ、という風潮がリベラル側にも出てきているのだと思う」 …という話をされていたのが印象的でした。 このように、一周前の欧米の移民政策が明らかに問題を抱えている事が明白になってきたからこそ、「今までなら合意できなかったことが合意できる」流れを作り出せるはずです。 その先で「日本ならではの徹底した文化統合策」をいかに後押ししていけるかが問われています。 右翼さんは右翼さんなりにできる限りシンガポール型の着地を目指す一方で、リベラル側はどういう「包摂」を目指せばいいのか?については、リプ欄に貼ってある記事で詳説したのでぜひお読みいただければと思います。 リプ欄の記事では他にも、 ・実際に川口市でどの程度の問題が起きているのかを犯罪統計などから定量的に分析する ・実際に川口市で行われている共生を目指す政策の実例や、その路線をさらにサポートしていくのに何が必要なのか? …といった多様な論点を詳しくまとめてありますので、この問題に興味がある方はぜひ記事本文をお読みいただければと思います!
午前6:25 · 2024年3月2日
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lllusioninthehead · 3 months
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2024/3/5
いま、思えばなぜ紹介してくれた女の子は話してくれたのだろうと思う。人によってはアレルギーのある話だ。その友人の女の子が凄い霊能者と会ったと興奮気味に語ったときも最初はやや眉唾であった。占いは信じない質なのだが、本当に見える人が世にいるのは知っていた。友人の中でも2人いてよく面白半分で体験談を聞いていたし、常識や科学では説明がつかないようなことも自身でも経験したことがある。まぁ、時としてこういうのって全能感に繋がったり、自分は選ばれた人間だ。なんて勘違いした輩を生むし、金持ちがお金を吸い取られる様も見てきた。1時間20分で10000円が高いのかわからない。占いにしては高いし、本当に見えるのならば安い気もする。
紹介者の女の子からは10000円以上の見返りを求められたという話はなく、客を選んでる感じもない。誰でも紹介してくれて大丈夫だと言われてるそうだ。
ならば、早速と紹介を頼むとあっさりとLINEの友達紹介が送られてきた。ここでは仮に“四季さん”としよう。◯◯から紹介されました。お会いしたいのですが可能でしょうか?と送ると数時間後に時間と金額と場所、そして日時の提案があった。
一度、四季さんの仕事の都合でリスケはあったもののすんなり会うことができた。別で仕事をしてるんだと頭に浮かんだが。まぁ、そういう人もいるかとすぐに疑問は打ち消された。
会うまで2週間程度。何を相談しようかと考えていた。当面の課題いくつもあれど、大体は方向性が決まっている。相続問題には弁護士が入った。家を建てる話には土地が決まり地盤調査が無事に終わりそうだ。奥さんの家族とそりが合わない問題も心のなかで決着を見ている。奥さんにも素直に話せているので距離感が遠くなり楽になると思う。新しい仕事を1つ考えていてこれは確かに相談したいかもしれない。あとは何と言っても拠り所のない自分のこと、知りようも無い飼っていた犬の気持ち。そして四季さんへの好奇心もある。ただ、最後のこれはどこまで聞いて良いのかわからなかった。
−−−−−−−−−
当日はひとつMTGをこなし、都心の街に出た。待ち合わせに遅れるのは苦手なので30分前に着いてしまった。まぁ、いいか。と久々に訪れた街をブラブラ歩いた。もし、すべて見れる人ならばこんな光景も見られているのかもしれない。雨がぽつりぽつりと降ってきた。終わる頃にはお昼だなとどこで食べようか検索したりしていると時間になった。
待ち合わせの喫茶店で席番号を伝えると少し年配の優しい感じの女性はすべて心得てるようで「はい、承っております」と答えた。ひとつ階をあがり、上着を脱いで席につく。「着きました、お待ちしております」とLINEでメッセージを送ると今向かっておりますとすぐに返信が来た。
浮ついた気持ちを抱えながら待っていたものの、不思議と猜疑心はなかった。友人からさんざん凄さについては語られていたのもある。
現れた四季さんは普通に少し遅れたことを謝り、特別な服装や髪型ではなく、少しおせっかいそうな雰囲気あれど、神秘性なんて何も無い話し方で、慌ただしくアイスレモンティーを頼んだ。おしぼり使ってくださいね、席は奥側でいいですよ。と気遣いできる人で身構えたこちらとしてはホッと何かひとつ肩の力が抜けた気がした。
事前に聞いた通り録音しても構わないと言われ、スマホの録音ボタンを押して、子供がお絵かきに使うような消せる小さな黒板に聞きたいことの周辺者を書いてくださいと差し出された。
差し出される際は「相続ってのが出てるんだよなぁ」や「複雑な家庭ですよね?」とすでに見透かされているような発言をされていて胸の鼓動が早まる思いだった。自分の名前、奥さんの名前、母の名前、義父の名前、義父の息子の名前、父の名前、兄の名前と書く。そして、そこに年齢を足していく。
まだ、完全に信用していたわけではないのでこちらから情報を出すことはしない。
まずはお母さんからと話す出す。お母さん相手を間違えてしまったね。ただ、そこをいまさら責めておかしいし。この人は責められるの苦手だし溜め込んでしまうんですよね。
母の写真に手をかざす。すると、母がたまに話す愚痴と同じ語り口調でつらつらと母の心境が出てくる。まるで、そこに母がいて自分には見えなくて、その通訳をしてくれてるかのよう。それくらい母が話す言葉と語尾までほぼ同じだった。
「お母さん、良く喋る人ですね?」と笑う。そして、「実の父親」という言葉が出てくるんですけどと言われた時にドキリとした。母は養子縁組を祖父としていて、祖父に育てられた。その情報は四季さんにもちろん伝えていない。
自分は違うんですけど母方は宗教にどっぷりなんです。と伝えるとずばり宗教法人の名前が出てきた。これも伝えていない。
潜在意識と会話をしているんです。と四季さんは言う。その後に話される言葉も核心をつくようなことばかりだった。
奥さんが出会えてよかったと言っている。運命の人だからここは大丈夫ですよ。と言われた時にはすっと胸の澱がいくぶん落ちた気がした。
四季さんが言うには
人は家庭でもらった愛情しか自分の子供に伝えることができない。例えば1%の愛情しか貰ってない人は2%の愛情を子供に渡すことは出来ないと言う。
なので、あなたの場合はお母さんが愛情をもらってない。そして祖母も愛情をもらってないと伝わってきてるものなんです。
少しここで胸が傷んだ。では、自分は?自分も子供が出来たとしてやはり愛情を渡せないのではないか?
疑問をぶつける間もなく話は進んでいく。
「お仕事などんなことをされてますか?」という質問から「事業拡大というのが出ているんですが」
未来を見ることができる仕組みはわからないし確かめようがないがこれから取り組もうとしている仕事について話した。
人は、誰もが使命を持ってこの世を生きていると言う。それは大きい人もいれば、小さい人もいる。その使命に気づいてほしくて自分はこの仕事をしている。と前置きをされて言われたことは自分の周りに散らばったものを集めたようなもので、とにかく困難で緻密でとても到達できないんじゃないかと思えるようなものだった。
その後は前世の話をされ、それもなぜかすっと納得いくようなもので。そして、ずっと見守ってくれる人がいることを伝えてくれた。それは父性というものを経験したことがない自分にとっては嬉しく、自分はずっと一人ではなかったのだと思った。
その見守ってくれる人の風貌を教えてもらい、母に確認すると母方の高祖父ではないかと。母には四季さんに見てもらったことを伝えていないので「なんで急にそんなこと聞くの?」となっていたがややこしいので話さない。四季さんは見守ってくれてる人は背が高く母のようにお喋りでしっかりしていて頼りがいのある感じだとのこと。高祖父は昔の人にしては珍しく身長が高かった(180センチ以上だった)と訊く。
高祖父が昔飼っていた犬と一緒にいる。ボールで遊んだり、散歩をしたりしている。と聞いて少し泣きそうになってしまった。それを知れただけでも来てよかったなと思えた。思春期の頃に飼っていた犬で可愛がっていたけど、充分にしてあげれたとは思えなかったし、ツラく当たってしまうこともあった。
気にしてない。大丈夫。もっと遊んでほしかったけどね。とそう言っていると伝えてくれた。
帰り際に「次に来るとしたら◯◯の件だと思いますよ」と予言めいたことを言われた。その前世があるからあなたは戦ってしまうところがあるのだと。
また来るのかな。まぁ、人生は悩みが尽きないしそうかもしれない。
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当然ながら1時間20分の内容をここにすべて書けるわけもない。終わったあとは驚きと納得と情報処理で頭がグルングルンしていた。
帰り道、Recorderとして使っていたせいで充電が少なくなったスマホを眺めながら、紹介者にお礼を打ち送信した。
四季さんからは誰でも紹介してもらって大丈夫です。LINEを教えてあげてください。と言われていた。悩んでる友人やこういった話にアレルギーがない人の顔が浮かんでくる。とはいえ、実際に行く人は一握りだろう。未来視を受けたくない人だっているはず。そこには凄惨な未来も少なからずあったから。奥さんもそのひとりで、未来を知るのは怖い。人の気持ちを知るのは怖いと言っていた。
なんとなくだけど、四季さんはその人が変えられることだけにフォーカスしてくれてるような気がした。2年先のことが見えない人もいるとぽつりとこぼしたし、何かに固執して柔軟に生きていけないのもそれは仕方ないことだとも言った。
自分には知らなくても良いことは伝えずに、良くなる可能性があることをたくさん話してくれた。基本的には内容はポジティブで誰にとってもこう胸が温かくなったり、何か支えや指針ができたりする話だった。
−−−−−−−−−
さて、不思議な体験談は以上としよう。
あなたもきっと見てもらったらびっくりするはず。恐ろしい程に自分だけが知る自分や、自分の周りにいる人のことを当てられる。疑う余地がない。
ただ、四季さんが話した未来のことや前世のことや守護霊みたいな人のことはわからない。だって確かめようがないから。答え合わせはずっと先。いつだって人生はそうだし不満を言っても仕方ない。
この投稿を見て、これ書いた人はスピに被れたイカれた人だなと思われるのも仕方ない。人の感性はそれぞれだし。もし、あなたが何かに悩んでいたり好奇心旺盛で体験をしたい、四季さんに会いたいという人がいれば連絡をくれると良い。東京近郊、または東京に来る予定があるならば会えるはず。
知るということに臆さない、勇気のようなものがあればたぶんそれを人生の糧にできるだろう。
もちろん、自分に何も見返りはない。でも、前世でもそういうお節介な人だったようだ。そして、なにより好奇心が大きい。あなたが何を四季さんと話したのか教えてくれればそれで嬉しい。
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oka-akina · 11 months
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0721
 昨日は財布とスマホを忘れて労働に出かけてしまった。気づいたのは電車の中で、あちゃーとは思ったけどまあでもパスモ(クレカと一体型のやつ)があるからべつに平気だなと思ってすぐあきらめた。待ち合わせの予定とかもなかったし。こういうときに限って何か緊急の連絡が…とはちょっと思ったけど、一月に義父が亡くなったばかりだからしばらくそういうことはあるまいと思った。またそういうことがあるかもとはあんまり考えない。こういうのって性格なのかな。誰からも何も来ないに千円と頭の中で賭けた。  つまりわたしは労働に遅刻しないよう、わざわざ引き返さなくたって平気だと自分に言い聞かせているのだろうかとちょっと思った。そんなに遅刻をおそれているのか。ちょっとくらい遅刻したって気にしない感じの方がいいのになと思う。自分も周囲も。わたしは電車とか待ち合わせとか映画の上映開始時間とか、いつもいろんなことがギリギリで、ギリギリまで仕度ができないタイプなんだから大手を振って遅刻しちゃえばいいのに毎度バタバタ走って大汗をかいている。悪あがき。一生こうやって走っているんだろうかとときどき恥ずかしくなる。
 さっき電車に乗り込むとき、ホームと電車のすきまに靴を落としてしまった人がいた。すきまにかかとを引っかけて転んでしまったようで、一瞬迷ったけどわたしも電車を降り、大丈夫ですかと声をかけた。このときはまだ自分が財布とスマホを忘れてきたことに気づいていないのが、なんか昔話の正直者っぽいムーブだな……。人助けってほどのことでもないけど、うっかり者で正直者のなんとか太郎的な。  でもそんなんではないな、昔話の無償の正直さではないな。自分も乗りたい電車に遅れそうでしょっちゅう走っているタイプだから味方したくなったってだけかもしれない。自分ももうずっと前、学生時代、靴をホームのすきまに落としたことがあって、東中野の駅で足を踏み外して体ごと落っこちかけたのを近くにいた人がすぐ引っ張り上げてくれた。そのときは演劇のフライヤーを業者に届けに行く用事でかなり重たい紙袋を持っていた。よく引っ張ってもらえたなと思った。そういう善意の循環……みたいなことを考えるとなんかちょっと気味が悪いような気もする。これはわたしがひねくれているだけかも。  転んだ人は声をかけられてかえって恥ずかしいかもしれないと思って、駅員さんが来るまでなんとなく近くで見守り、駅員さんはすぐ来たので車輌ひとつぶんくらい離れたところに移動した。そして、電車一本くらい見送ったっていいや、多少遅刻してもいいやという判断をした自分に酔っていないか?みたいなことも思った。多少の遅刻は気にならない自分をやりたかったんではないか。なんだか心臓がばくばくし、さっきその人が転んで尻もちをついたとき、プリキュアみたいな絵面と一瞬重なった。スカートが広がった感じと手に握ったままのハンディ扇風機がなんか魔法少女みたいだなと思った。それがうしろめたくて声をかけたのかもしれない……とかも考えた。  なので財布もスマホも忘れてきたと気づいたときちょっとほっとした気持ちもあった。慣れない善意のようなことをしたからそれと釣り合いがとれているような気がした。バチが当たるの逆みたいな。
 そういうことを考えていたら電車はすぐ着いて、財布もスマホも持っていないのに水筒と読みかけの本は持って会社に出かけるのなんか優雅だな…と思った。あとタオルと日傘と飴。リュックの中で水筒の氷がカラカラ鳴って、このごろ水筒には冷たいお茶を入れているから、歩くたび遠足の子どもみたいな音がする。  読みかけの本はレアード・ハント『インディアナ、インディアナ』。柴田元幸訳。柴田元幸だから読んでみるというのは武豊が乗るから買っておくみたいな感じ? わかんない。インディアナ〜は難解な小説ではないと思うんだけど、ゆっくり読まないとすぐなんだかよくわからなくなる小説。もうあと少しで読み終わるんだけど、読み落としているところがたくさんある気がして行きつ戻りつ読んでいて、今はもっかい最初からゆっくり読み直している。 「ヴァージルの死ぬ間際にノアはもう緑の印は見つかったかとヴァージルに訊いて見つかったならどこにあるのか教えてくれと頼んだがヴァージルは長いあいだノアの顔を見てそれから眠りに落ちそれから目ざめてノアの顔を見てそれからまた眠りに落ちた。」だいたいこういう感じ。辛抱強く話を聞くみたいな小説で、いつかこういうの書きたいな、書けたらなあと思う。このそれからが3回続くの、自分だと書くのに勇気がいると思うし、書いたとしても書いたぞってあざとさが出てしまう気がする。
 お昼は会社の横に来ていたフードトラックでタコスを食べた。パスモで支払えた。白いタコスには鶏肉、ピンクの生地には牛肉の赤ワイン煮込み、黒っぽい生地にはサボテン?を何か和えたやつ。三個入り。キウイのサルサが辛くて美味しかった。スマホを持っていたらぜったい写真を撮っていたなと思った。  並んでいるとき、トラックに据えた鉄板の火が消えてしまったようで店の人が五分くらい格闘していた。しばらくチャッカマンをカチカチやっていたけどたぶんチャッカマンも燃料切れのようで、ぜんぜん火がつかない。ライターでやろうとしてなかなかうまくいかず、昼休みの五分くらいってけっこう長く感じるしかなり人も並んでいたんだけど、その人はまるで焦らず黙々とやっていたのですごいなーと思った。焦りが顔に出ないタイプなだけかもしれないけど。べつに誰にも謝らず、普通に注文を受け普通にタコスを包んでとやっていて、そうだよなあと思った。
 労働を終えまっすぐ帰宅したらスマホにはやはり誰からも連絡は来ていなくて、千円勝ったと思った。千円くらい何か食べようと思った。わざわざ夜出かけるのめんどくさいなとは思ったけど、金曜の夜でほんとは寄り道したかったのだから出かけたい気持ちが勝った。  ぶらっと出てみたらいつもより涼しくて、どこまでも散歩できそうな気持ちのいい晩だった。ぶらぶら歩き、なんとなく電車に乗っていた。夜だから上り電車は空いていて、定期圏内の、でもあまり降りる用事がない駅のちょっと歩いたところにある中華料理屋というか定食屋というか、カツカレーが美味しいらしいので前から行ってみたかった。ふだんぜんぜん用事のない、買い物に行くような街でもない、誰も知り合いもいない駅。ここでわたしが何か交通事故とかにあって死んじゃったりしたら、なんであんなところにいたんだろうと家族は不思議に思うんだろうな……とあまり行かない場所に出かけるたび思う。  駅を降りたら書店があったので覗いてみた。雑誌と漫画と学参の棚が大きい、ちょっと広めの店舗の懐かしい感じの書店。気になっている本のリストを頭に浮かべながら物色し、目当てのいくつかは置いていないようだったけど、そういえばしゃしゃさんの本が今日発売日じゃなかったっけと思って探した。『蒼き太陽の詩』。1,2巻は棚に差してあったけど今日発売の3巻はなかった。レジに持って行って、これの3巻もありますかと尋ねたら奥から出してきてくれた。ラスト一冊でしたと教えてくれた。あっ善意と思った。カツカレーを食べながら読んだ。  『蒼き太陽の詩』は、アラビアンファンタジーというのかな、双子の王子が国王の座をめぐって殺し合う……というワクワクハラハラする物語。砂漠の王国が舞台の大長編で、読みやすくてぐいぐい進んだ。『インディアナ、インディアナ』を読んでいたから余計にそう思うのかも。壮麗な織物みたいな物語で、読んでいるとキャラクターたちの声が聞こえてくるし人や周りの風景が目に浮かぶ。生き生きとしている。これアニメになったらいいなーと思った。赤将軍のユングヴィはファイルーズあいさんがいいな……。
 カツカレーの店は、客はわたしだけで、店のおじいさんは座敷でテレビを見ていた。テーブルにハイボールのコップとつまみがいくつか並んでいて、わたしが来たのでおじいさんはちょっと慌てたようすで、でもにこやかに注文をとってくれた。すっかりすり減った畳が赤くなっていて、ちょっと緊張した。あまりきれいでない状態に緊張するのもあるし、よそものが入ってきてすみませんみたいな緊張感もある。テーブルはきれいに拭かれていた。揚げたてのカツが大きくて、油と肉汁がジュワッと溢れてきてすごく美味しかった。カレーは濃くて、柔らかくほぐれた牛肉もけっこう大きいしたくさん入っていた。たしかにうまい。がつがつ食べるうちにだんだん体のこわばりがほどけた。  テレビの音がものすごく大きくて閉口したけど、カツを揚げ終えたおじいさんが汗をぬぐいながら夢中で見ているのがなんかよかった。『チコちゃんに叱られる』というやつ?初めて見た。音が大きいから見てしまう。ボーッと生きてるんじゃねえよってこれかと思った。Vtuberっぽい。おじいさんが何度もはははと笑った。どうしてゴルフボールの表面にでこぼこがあるのかというのをとても真剣に見ているので、ひととおり解説が終わるのを待って会計を頼んだ。
 家に帰ったら板垣さんがツイッターでスペースをやっていたので、洗い物や洗濯物などを片付けながら聞いた。どうやら同じ大学出身だったことがわかって思わず話しかけてしまった。一日いろいろカラフルでなんか気持ちが興奮していたのか、やけにたくさんしゃべってしまって、恥ずかしくなって寝た。文フリの話とか小説の話。  千葉雅也『エレクトリック』、わたしは父親がエロいのがいいと思った。と言ったんだけど、なんていうの、エロいって言い方はちょっとちがう気もするんだけどエロく書くことのすごさがあってそれをそう受け取りたいというか……。これは『サバービアの憂鬱』で読んだんだったかな、「男性は会社(仕事)に嫁ぐ」というのを思い出したの。大場正明『サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』。うろおぼえだからちょっとちがうかもだけど、男性が会社(仕事)に対して「嫁」になってしまう、みたいな。父親の人妻的な感じ。そういうエロさ。舞台の宇都宮も郊外(サバービア)だなと思った。そしてそういう小説の、文章自体がヘテロでない感じがあって、すごくよかった。多くの小説の文章が意識的にも無意識的にも備えている、当然の「調べ」みたいなものがあんまりない文章だと思った。
 『エレクトリック』の前後で読んでいた、数年前の文藝賞の作品が、なんかこうすごくどヘテロだったのもあってそう思ったんだと思う。ヘテロが悪いわけではもちろんないけどよくもわるくもどヘテロ、ザ・調べという感じで、この作品のどこらへんがわたしは苦手だったのかを語ろうとすると、そこに糸口があるみたいな話。  なんていうの、村上春樹に文句言ってる場合じゃないくらい若い作家の新しい作品がめちゃめちゃ古いジェンダー観で、読んでいて作品の面白さとかすごさはわかるような気はしたんだけど、でもこれをよしとするんだなあ、帯に誰々氏が激賞と書いてあるけどそうなんだ?!みたいな驚きは、やはりあった。ジェンダー観もそうだし、地方や精神障害者への偏見を強化するような感じもあって気になった。「壮大な作品」「圧倒的な熱量」「知識と想像力を駆使し」と帯に書かれていたけど、わたしは読んでいて小ささや狭さの方が目についた。  いやわざとそう書いている、いかにもなステレオタイプをやることに意味がある作品なんだろうとは思った。仕掛けというか。でも意味があるんですよと書くずるさというか……。ステレオタイプをなぞり続けたい、そのようにして書けるものに作家は意味を見出したいし、どうしても興味がある。それってフェチではあるよなあと思うんだけど、ステレオタイプをフェチと指摘されることってあんまりない気がする。  偏見の強化によって生まれる痛み、それを感じない場所に作家は立っていて、痛みを感じる人のこともあまり見えない。いや見えてはいるかもしんないけど、自分の書くこの作品とはさほど関係ないと思っている? それは別の作家、何かそれにふさわしい属性を持った作家がやることであって自分の作品では関係ない。おそらくは無自覚な特権があり、特権って言���と反発したくなると思うけど……みたいなことを思って、うーーんとなった。やつあたりかもしんないけど。作品名出さずに書いてるからなんのこっちゃって感じだと思うけど。  まあ小説ってそんなに読まれないんだろうなと思った。読む人そんなにいないから、これのここってどうなのみたいな話題にのぼることってあんまりない。漫画とはそこがちがう。あとまあわたしが純文学、文芸誌とその賞にそれなりに夢をもっている(もっちゃっている)ふしはあるな…。
 そしてこの作品の直後にC・パム・ジャン『その丘が黄金ならば』を読んであーーーこういうのが好きだ〜〜と思って、なんかそういう不満のようなものはふっとんだ。大きい。大きい小説。こういうのがいい。小さい小説がだめなわけではぜんぜんないけど、大きい話を書こうとしたものが狭苦しく感じられるのはやはりつらい。あと長さもよかった。四六版で384ページ。父親が亡くなり子どもたちが埋葬の旅に出る…という筋書きで、本のけっこう前半で埋葬は済んじゃう。その後が長いのがよかった。純文学系の賞はちょっと短いのかもしれない。「自分の書くこの作品とはさほど関係ない」と書いたけど、まあだって短いもんなー。読む人にも書く人にも。この長さの話はもうちょっと掘り下げたい。日記に書きたいことっていろいろあるな。長くなったのでまた今度。
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kennak · 2 months
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私は外科医です。 私は医学部と厳しい外科訓練を経たので、回復力があり、うまく適応していると思いたいです。 私は医師になって13年になりますが、その期間の多くは、可能な限り優れた外科医になるための訓練に費やされてきました。 私には素晴らしい家族のサポートがあり、私の仕事を理解してくれる医師の妻がいます。そして私は精神疾患と診断されたことはありません。 ブリスベンの胃腸科医アンドリュー・ブライアント医師が先週自殺したことは、生々しい神経を直撃した。 彼の妻はこの正直で勇気ある手紙を書きました。 抱いたことはありませんが 私は深刻な自殺願望を 、他の多くの医師と同様に、暗い時期を何度も経験してきました。 うつ病、不安、燃え尽き症候群、自殺願望、絶望、無気力、無快感、気分の落ち込み、心配などはすべて、同じ現象、つまり内的または外的ストレス要因に対する人間の否定的な反応の異なる性質です。 もちろん、原因は常に複合的です。 家族歴、遺伝、行動の欠陥、劣悪な環境、不十分な社会的サポートなどに単純化しすぎてはいけませんし、そうすべきでもありません。 を注意深く分析すると 自分の暗い季節 、いくつかの共通のテーマが浮かび上がってくることがよくあります。 このような暗い時代においては、仕事が状況を悪化させ、永続させる重要な要因となることがよくあります。 外科医として、私は生涯の大部分を仕事に費やしているため、そこで何が起こるかは、結婚、家族、社会生活を含む私の人生の他のすべての側面に影響を与えます。 私を絶望の暗い穴に放り込んだ共通の事柄が 3 つあります。 1. コントロールの喪失 私は日々のコントロールを失ってしまいました。 私は病院で働いていましたが、14 日中 12 日は 24 時間年中無休でオンコールがあり、隔週の週末が休みでした。 外科試験の準備をしていたとき、私は毎日午前6時半から午後10時まで仕事と勉強をし、家族に会えるのは週末の昼食時だけでした。 私は 4 つのキャンパスをカバーする病院ネットワークで働いており、これらの現場を取材する際には週に 500 キロメートルを運転していました。 私は病院で働いていましたが、何日も家に帰れず、病棟や外来診療所のベンチ、車の中で一晩寝ていました。 、洗面用具、着替えを車のトランクに入れていました 私は寝袋 夜も家に帰れるかどうか分からなかったので、 。 緊急事態のため、職場では毎日計画が変更されます。 オンコール中は次の 1 時間がどうなるかさえわかりません。 なぜ仕事を減らすことができないのかと疑問に思うかもしれません。 そんなに簡単なことではありません。 私が仕事を減らすことにした場合、病院の費用は誰が負担するのでしょうか? 病院が他の医師を雇用していないのであれば、患者を野放しにするわけにはいきません。 私は待機する注意義務があるという事実を受け入れます。 このようなオンコール期間の激しさと人的被害は忘れられがちです。 それだけではなく、私たちは医療全般のコントロールを失いつつあります。 毎日、新しいフォーム、新しいガイドライン、新しいプロトコル、新しい医療ソフトウェア、新しいポリシーが登場し、すべて臨床医の活動を指示、制限、変更します。 これらのポリシーの中には、患者を診察していない人々によって書かれたものもあります。 コストを削減し、生産量を増やすために、医師や看護師の業務を再構築することに専念している有給業界全体が存在します。 2. サポートの喪失。 ただ想像します。 私の一日は朝6時に始まります。 朝起きると、完了していない退院サマリーの数と、完了しなければならないさまざまなコンピューターベースのモジュール (手洗い、プライバシー、患者の昇降など) を知らせる電子メールが届いていました。 ラウンドは午前7時に始まります。 記入が必要なさまざまな旅行書類、証明書、台本を持った 15 ~ 20 人の患者を診ています。 すべて電子医療システム経由で行う必要があり、使いにくく、ユーザーフレンドリーではなく、ログインに時間がかかります。その後、午前 8 時にオーバーブッキングされた手術リストを開始します。 7件の予約が入っています。 誰が手術リストに載るか、患者の順番については私には何も言えません。 最初の患者はまだ診察を受けていない。糖尿病患者は低血糖症だ。 幼児は機嫌が悪い。 自閉症の子供が逃げています。 通訳はまだ来ていません。 コンピュータはまだログインしていません。パスワードの有効期限が切れています。 一部の操作は他の操作よりも時間がかかることがわかっていたので、以前は操作リストを整理することができました。 しかし現在、予約オフィスは私の扁桃摘出手術にはすべて 14 分かかると判断しています。これはコンピューターに記録されている平均時間だからです。 スクラブした瞬間にタイマーがスタートします。 スクラブを外した瞬間にタイマーが停止します。 クリック。 クリック。 クリック。 劇場の予約には通訳の時間、治療前の期間、ICUへの転送が考慮されていないため、リストは遅れています。 担当の看護師は時間通りに終わるように私の首に息を吹きかけてくれています。 私は依然として各症例に約 14 分かかりましたが、チームは外部の臨床的理由により遅れています。 演劇チームは終わらせることに熱心で、すべてが急いでおり、間違いは必ず起こります。 その間、私は救急病院、一般医、その他の部隊からの 12 件の電話に対応しています。 現在までに 3 人の患者が救急病院で私を待っており、1 人は別の病院から飛行機で運ばれてきました。 運行リストの完成が遅れています。 私は急いでEDに行き、 インスタントコーヒーを 飲み干した。 それから午後の診療所に遅く到着しましたが、ここも予約がいっぱいでした。 クリニックの看護師たちは満足していません。 さらに多くの電話を受けながら、8〜10人の患者を診察しています。 私は複雑な手術について患者と話し合おうとしていますが、電話や事務手続きによって中断されてしまいます。 それから緊急事態に備えて劇場に戻ります。 この時点で私は失敗する準備ができています。 私は疲れていて、機嫌が悪くなり、頭はやるべき仕事でいっぱいです。 私は午後の回診をし、より多くの診察を受け、より多くの患者を受け入れ、手紙の口述筆記をします。 24 時間の通話期間中に最大 70 件の電話を受けました。 午後6時までに完全に疲れ果てました。 私はポテトチップスのパケットとジンジャービールを手に取り、書くはずだった書類に取り組み始めました。 今後数日間、事件のメモを見直します。 午後7時から8時の間に帰宅します。 夕食を食べて、子供たちを寝かしつけます。 再び呼び出され、緊急処置のために患者を劇場に連れて行きます。 夜中過ぎに帰ってきて寝ます。 深夜0時から朝6時までの間にさらに4回電話がかかってきます。 午前6時。 繰り返す。 私は日々のコントロールを失い、サポートも失いました。 実際にいつサポートを見つけることができますか? 同僚と人生について話す時間がありません。 家族と過ごす時間がありません。 友達と連絡を取る時間がありません。 医学部に足を踏み入れると、社会的なつながりは失われます。 人生の重要な出来事(誕生日、記念日、同窓会、学校の発表会、初めての散歩など)を逃���た回数は数え切れません。 産科医が渋滞に巻き込まれたため、私は3人目を自分の手で出産しました。 翌朝、私は仕事に行きました。そうしなければ、12人の患者が手術を逃すことになり、2人の麻酔科医と約8人の看護師がその日の収入を失うことになるからです。 さらに重要なのは、手術リストのキャンセルは病院にとって多大な経済的損失となるため、管理者は満足しないでしょう。 どこでサポートを受けられるかはわかっていますが、実際には、いつ、どのようにサポートを受けられるのでしょうか? さらに、助けを求めて叫ぶ医師は正式に報告される可能性があり、そのため診療が制限され、場合によっては高額な医療費が支払われることになります。 助けを求めた研修生は成績不振のレッテルを貼られ、試用期間または是正措置を受けなければならない場合があります。 頻繁に宣伝されているサポートを実際に利用できない場合があります。 3. 意味の喪失 興味深いことに、上記の身体的および感情的ストレス要因は、私にとってはかなり対処可能です。 私は自分自身の身体的、精神的な限界を理解しています。 これらのストレス要因は疲労を引き起こしますが、仕事の興奮と知的挑戦は個人的に大きな満足感をもたらします。 瀕死のガン患者、緊急気道事故、複雑な病気の子供たちを相手にしているため、時々感情的に動揺することもありますが、なんとかやっています。 私に最大の苦痛をもたらしているのは、患者との有意義な臨床活動を奪う執拗な管理上の圧力であることをますます認識しています。 そして、これは多くの若い医師も同様に経験していることなのではないでしょうか。 かつて医学は有意義な追求でした。 今では面倒な業界になってしまいました。 医療の喜び、目的、意味は成文化され、無菌化され、プロトコル化され、工業化され、体系化されてきました。 医師はビジネスの網の中に囚われており、もはや崇高な職業ではありません。 若い医師の利他主義は、効率、生産性、主要業績評価指標という束縛に取って代わられています。 私自身の手術リストや診療所の整理についてはほとんど発言力がありません。 手術リストを再注文する権限さえも外科医から奪われている。 私が好きなこと(手術と患者の診察)は、測定され、記録され、ベンチマークされることです。 クリニックは予約が殺到しており、番号を確保するのが困難です。 患者と接するたびに必要な事務手続きは年々増加しています。 私が何をすべきか、そしてそれを行う最善の方法を指示するのは、臨床以外の部門が他にもたくさんあります。 合言葉は「費用対効果と生産性の向上」です。 に進みました ことを承知して医学の道 私は患者のために多くの犠牲を払わなければならない 。 私が実感しているのは、今日の現代医学において、医師はこの複雑な業界の数多くの商品の 1 つにすぎないということです。 それはもはや患者の問題ではありません。 病院の業務についてです。 患者満足度担当者、劇場利用担当者、患者フロー コーディネーター。 これらはすべてビジネス上の役割です。 外科医として、私は病院で 1 年間を過ごし、通勤中に笑顔で仕事に就くことができたことにとても感謝しています。 自分がやっていることが重要だとわかっていたので、長い日々を楽しみにしていました。 さらに一年、別の病院に入院したとき、私は仕事に行くのが怖かった。 電話に出るのが嫌いでした。 私は燃え尽き症候群になり、仕事でも家庭でも感情をコントロールできなくなりました。 私は本質的に攻撃的で無礼な人間ではありません。ただ限界に追い込まれ、仕事を取り巻く状況のせいで失敗しそうな人間です。 同じ外科医でも仕事は違う。 私を感情のコントロールを失うように押し込んだ力は、おそらく私たちの一部を自殺に追い込むかもしれない力と同じです。 一部の病院とそのビジネスにとって、私は外科医ではありません。 私はただの従業員です。 過労、焼損、交換可能。 医学への崇高な呼びかけは、医療業界としての官僚的な力によって窒息させられてきました。 私の考えに同意しますか、それとも反対しますか? 他にどのような「医師の闇」の問題が考えられますか?
医師であることの暗い側面 - DrEricLevi のサブスタック
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hapigairu · 9 months
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Golden Wildfire - Chapter 3 - Camp Lines (Japanese)
Couldn't find them on PegasusKnight, so...:
Claude
Claude: こうも同時期に、フォドラ各地で変事が 起こるってのは ...... 何なんだろうなあ? Claude: 偶然だとは思うが、妙な胸騒ぎもする。 この先いったい、どうなることやら..... Shez: 胸騒ぎ、か・・・
[共感する] Shez: 確かにね。パルミラを撃退して万事解決、とはいかない気がするわ。 Claude: お、お前もそう思うか。これが杞憂なら、それでいいんだが。 Claude: ここから、フォドラの情勢が大きく動く・・・・そんな気がしてならないんだ。 Claude: 他の連中も不安に思っているかもしれない。お前も声をかけてやってくれよ。
[受け流す] Shez: 考え過ぎじゃないかしら? それに今は、 パルミラとの戦いに集中したほうがいいわ。 Claude: まあ、そうなんだが......どうも引っかかるんだよなあ。 Claude: ここから、フォドラの情勢が大きく動く...そんな気がしてならないんだ。
Hilda
Hilda: あーあ............... せっかく兄さんから離れて楽しい学校生活を送れると思ったのになー。
[ヒルダの兄について聞く] Shez: てことは、お兄さんと仲が悪いの? Hilda: ううん、むしろ兄さんはあたしのことが 大好きすぎて、面倒くさいっていうかー。
[楽しい学校生活について聞く] Shez: 学校生活ってのは、楽しいものなの? Hilda: そりゃ楽しいでしょ。 同世代の友達と一緒に泣いたり笑ったり踊ったりー。
Hilda: あーもう、嫌だなあ。早く士官学校に戻りたいよー。
Lysithea
Lysithea: 万一、パルミラ軍に喉元を突破されたら、 同盟領は無事では済まなくなります。 Lysithea: クロードは、この事態の深刻さを ちゃんと理解しているんでしょうか。
[していると思う] Shez: わかっていて、あえて落ち着いて 振る舞ってるんじゃないかしら? Shez: 彼が不安な顔してたら、他のみんなも不安になってしまうものね。 Lysithea: なるほど............それが本当なら、彼を見直してあげなくもないです。
[していないと思う] Shez: うーん、わかってないんじゃない? 彼の様子は普段とあんまり変わらないわよ。 Lysithea: だとしたら困りますね。 彼は盟主代行として諸侯を指揮すべき立場だというのに。 Lysithea: クロードが次の盟主に相応しい器か......見極める機会にもなりそうですね。
Lorenz
Lorenz: 喉元近くにパルミラ勢が現れること自体は 珍しいことではないが... Lorenz: ゴネリル家が各地に援軍要請したとなると、 これは由々しき事態だと考えざるを得ない。 Shez: それは......どういうこと? Lorenz: 武勇で鳴るゴネリル家が堅牢な首飾りに 拠る限り、レスターは安泰とされてきた。 Lorenz: ゴネリル家もそれを誇りとしていたはず。 援軍を求めるなどよほどの事態なのだろう。 Lorenz: ・・・・・・君は平民なのだから、わざわざ危険な戦地に赴く義務はない。 いいのか?
[問題ないと答える] Shez: 私は戦いを生業とする傭兵よ。さら戦地を避ける理由はないわ。 Lorenz: そうか。ならば止めはしないが、無理はしないことだ。
[答えを保留する] Shez:なるほど、引き返すなら今のうちよね。考えておくわ、 忠告どうも。 Lorenz: その顔・・・・・・引き返す気などなさそうだな。無理はしないでくれたまえよ。
Marianne
Marianne: 主よ......。 Marianne: ..................。
[大丈夫か聞く] Shez: ねえ、大丈夫? 不安なら無理に 戦場に出なくてもいいと思うわよ。 Marianne: .........いえ、そういう訳には。義父に叱られてしまいますし。 Marianne: ..................。
[黙って見守る] Shez: ..................。 Marianne: ......... ! あ、あの.........何か? Shez: いえ、邪魔したら悪いと思って。 でも結局、邪魔しちゃったわね。 Marianne: いえ、邪魔だなんてそんな・・・・すみません。 Marianne: ..................。
Leonie, Ignatz, Raphael 
Ignatz: やっぱり来るべきじゃなかったのかな。 ボクなんて、きっと足手まといに......。 Leonie: ちょっと、 イグナーツ。ここまで来て、何をプップッ言ってんだよ。 Leonie: パルミラの侵入を許せば、わたしらの故郷もどうなるかわからないんだぞ? Raphael: オデは戦うぞ! パルミラをブッ飛ばして妹を守ってやらねえとなあ! Ignatz: でもボクらは、 戦いを学び始めたばかりの、ただの平民じゃないですか・・・・・・。 Raphael: ただの平民じゃねえだろ。 ちっとは学校で 鍛えたし、その辺の奴らよりは戦えるぞ。 Ignatz: シェズさんみたいに傭兵として戦ってきた経験があるならまだしも・・・・・・ Leonie: 情けない奴だなあ。 シェズ、あんたからも何か言ってやってくれよ。
[同情する] Shez: イグナーツの言ってることが道理よ。ちょっと無茶よね。 Ignatz: そうですよね? 成り行きに任せてここまで来ちゃったボクが悪いんですが........。
[助言する] Shez: まあ、やるだけやって、危なくなったら 逃げちゃいなさい。無理はしないことね。 Ignatz: 危なくなったら逃げる、 無理はしない...............わかりました、 それなら何とか......。
Leonie: 敵はもう目前、今さらジタバタしても 始まらないんだし、 頑張るしかないだろ! Shez: 戦いに備えて、そろそろ休もうかしら。
Shamir
Shamir: ・・・君は、傭兵上がりの生徒だな。話は聞いていた。 Shez: シェズよ。よろしくね。 Shamir: ああ。 私の本業も傭兵だ。セイロス騎士団に籍を置いてはいるが。 Shamir: つまり、君とは同業者だな。何かあれば言ってくれ。
Count Burgundy
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パルミラ襲来の報を受け、近隣諸侯の兵を 引き連れてレスター西端より駆けつけた。 グロスタール家の将兵も預かってきている。 伯爵は自ら戦う気など端からないのでな。 文句の一つも言いたくなるが、 伯爵の心証を 害しては後々厄介、 長い物には巻かれろだ。 伯爵のご子息にも気を遣わねばならんし、まったく気苦労が絶えんな·····
Alliance soldier
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フォドラの首飾りは、三国の力を結集して築かれた難攻不落の要塞です。 そして守将は、レスター随一の武勇を誇る ホルスト=ジギスヴァルト=ゴネリル卿。 たとえ我々が兵力で劣ろうとも、パルミラ軍なんて恐れるには及びません。
Student
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本当なら今頃は、教室で講義を受けているはずだったのにな・・ 入学早々、こんなことになるなんて、まったくついてないよ。 とはいえ、自分で志願してきたんだし、 戦うからには全力を尽くすつもりさ。
Alliance soldier
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パルミラ人と戦ったことはないが、 野蛮で残虐な連中なのだろう? 聞いた話では、全身が硬い毛に覆われていて牙まで生えているとか......。 もしも捕えられたら、 どんな酷いことをされるか.........想像するだに恐ろしい。
Alliance general
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ゴネリル公よりレスター各地に援軍要請を 出したが、集まった兵はそう多くない。 このところ大きな戦争がなかったからな。諸侯も軍備を怠っていたのだろう。 それでも帝国や王国が兵を出してくれれば問題はないはずだったのだが...・・・・・ どうやらそれも望めぬらしい。 これは厳しい戦いになりそうだぞ。
Student
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私はミュラー子爵家の縁者でね。実家は首飾りからそう遠くないんだ��� ・・・・・・そんな貴族いたっけ、って顔だな? どうせ五大諸侯くらいしか知らないんだろ。 ミュラー家はリーガン領とエドマンド領に 挟まれた、吹けば飛ぶような小貴族さ。 だが、レスターを守りたいという思いは、 五大諸侯にだって負けないつもりだよ。
Alliance general
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私はエドマンド辺境伯家より派遣されてきました。 常ならば兵力の供出は免除されているのですが、今回ばかりはそうもいかず。 率いる兵力は僅かですが......せめてお嬢様をお守りしなくては。
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nyantria · 3 months
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アメリカが主導した昭和天皇の戦争犯罪の証拠隠滅
昭和天皇と731部隊
http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、その地で、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。その中心になったのが陸軍軍医少佐の石井四郎であった。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
 戦後、アメリカは731部隊幹部の尋問を細菌兵器の専門家に担当させた。
ところが、731部隊幹部は事実を隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。ソ連とアメリカの交渉により、人体実験のことが明らかになると、アメリカは人体実験・細菌戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 マッカーサーは当初から日本の占領にあたって、天皇の力を利用しようと考えていた。
 また、マッカーサーは自国の遅れていた細菌兵器の開発に日本軍のデータが役立つだろうと見ていた。何としても、細菌戦や細菌兵器のデータが欲しかった。
 731部隊の戦犯追及をすると、そのデータは独占できなくなり、またその責任が天皇に及ぶのを恐れたのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。
新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。
 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。(『死の工場』ハリス著:柏書房)
・天皇裕仁は、明らかに、2度にわたって石井の実演を目にしている。
1度目は1933年に陸軍軍医学校を視察した折、もう1度は恒例の天皇訪問の際の、海軍の艦船上においてである。石井が濾水機の1つに放尿し、その濾過水を飲み干すよう天皇に恭しく差し出したとされているのは、天皇が視察したそうした折のことだった。・・・天皇はその申し出を断り、そして石井は尿を濾過したその水を見るからに嬉々として飲み干したという。
・軍医中将で元関東軍軍医部長の梶塚隆二によれば、石井は「天皇の軍令」によって1936年に平房の実験を開始する許可を与えられたと言う。・・・・梶塚によれば、その後1939年に、天皇は、石井の特殊部隊を再編成するようさらにもう1つ軍令を発布した。・・・・
 石井が東京の高い地位のところに、ひょっとすれば最も上のところに味方を持っていたことは明らかである。
・軽く見てはならないのは、石井と若松の部隊は、裕仁の勅令によって設立された部隊であるという事実である。他の多くの部隊は、必要とされた時に陸軍の内部で適当な司令官によって設立された。
・軍事細菌研究のさらにもう1つの拠点が長春の第100部隊(部隊長:若松有次郎)であった。作戦任務のための資金供給は莫大かつ無制限だった。部隊は2つの経路から資金を得ていた。すなわち、東京の陸軍省と、関東軍司令部の第2部である。(陸軍省から人件費60万円の予算が、100万円が関東軍司令部の第2部から攻撃的生物戦の研究のために支出された。731部隊の予算総額は1000万円、人件費300万円、20万から30万が各支部の運営費、600万円が細菌製造、実験、研究費用である。しかも731部隊の予算は国会の場で細部を発表されることはなかった。関東軍の獣医将校は、生物戦の資金は底なしだと自分は理解していたと語っている。)
・石井はノモンハン事件の間に彼が行ったサービス業務に対する褒美として、天皇の玉璽の押してある大変名誉な政府表彰を受けた。彼の部隊は、同じ戦闘中における英雄的な行動に対して、天皇から価値ある表彰状を贈られた。
このことも、またしても無二の名誉だったのである。他の医療部隊も日本の戦争において勇敢に働いた。それなのに、20世紀において他の医療部隊が天皇の表彰状をその業務に対して受けたことはない。裕仁が、これらの名誉ある賞を与える前に、いくらかの調査を行ったのではないかと疑ってもおかしくない。
 (1939年に発生したノモンハン事件では、出動部隊の給水支援を行うことになり、石井式濾水機などを装備した防疫給水隊3個ほかを編成して現地へ派遣し、部長の石井大佐自身も現地へ赴いて指導にあたった。最前線での給水活動・衛生指導は、消化器系伝染病の発生率を低く抑えるなど大きな成果を上げたとされる。その功績により、第6軍配属防疫給水部は、第6軍司令官だった荻洲立兵中将から衛生部隊としては史上初となる感状の授与を受け、石井大佐には金鵄勲章と陸軍技術有功賞が贈られた。)
・『731部隊-天皇は知っていたか?』と題されたそのドキュメンタリーは、2人のベテランのテレビジャーナリストによって製作された。・・・アメリカ、イギリス、その他の連合国軍の西洋人捕虜が、人体実験の犠牲になったことが暴露された。その上、ドキュメンタリーの製作者・ナレーターは、天皇が満州での細菌戦の人体実験を知っていたことを強く示唆している。
・1930年代において、くるくる替わった日本の内閣においては役目を果たすように〔大臣職に〕任命された軍部のリーダーたちは、誰もが満州で起こっていることを認識していた。参謀本部のスタッフ〔立案者〕とその上司たちは、石井、若松、北野のプロジェクトに精通していたし、細菌兵器の開発研究を助けた。・・・・
 何千人もの、もしかしたら何万人もの陸軍の軍医や獣医、生物学者、化学者、微生物学者、技術スタッフその他の似たような職の人々が、定期的に交代で満州や〔その他の〕中国占領地に派遣されている。(731部隊には専用の飛行場があり、専用の飛行機も複数持っていた。東京⇔ハルピン間を何度も往復して情報交換や物資の輸送などをしていた。また、他の部隊との連絡にも使った。)
・軍部を除けば、外務省が平房での秘密の任務について認識していたことは確実と思われる。それは、ハルピンの日本領事館の地下室がマルタの留置場として使われていたことからも言える。
・東久邇は早い時期に、平房の施設を旅先で訪れている。
・1939年2月9日に、裕仁の弟である活発な秩父宮は、陸軍省の大会議室で、2時間半にわたる石井の「雄弁な」講演に出席した。
・天皇の一番下の弟である三笠宮は、施設の多くに立ち寄った。
・竹田宮は関東軍の首席主計官として、満州におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。・・・また、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。
・天皇は、その倹約〔の精神〕でも知られていた。彼は常々、役に立たないもしくは取るに足らないプロジェクトのために、政府の支出が無駄に使われないよう懸念していると表明していた。細菌戦のプログラムは、国の資源の大規模な乱費であった。第2次世界大戦中、平房、長春、奉天、南京の主要な基地および多くの支部施設は、少なくとも1500万円から2000万円、多分それ以上の年間予算を食い潰して機能していたに違いない。天皇が軍事予算を詳細に調べたなら、満州やその他の中国における何千もの人員の滞在は、天皇にとって関心事だったはずである。裕仁はまた、特別の武器研究にその使途を限定された秘密の帝国予算を持っていたが、それが満州や中国において細菌戦の研究に使用されていても何の不思議も無い。
・裕仁は細菌戦の研究については知っていたのだろうか。おそらくイエス、であろう。このプロジェクトは、単純に、天皇の目から隠しおおすには、大規模すぎた。費用も、天皇の政府費用に対する鋭い関心から逃れるには巨額すぎた。・・・・最終的に、大日本帝国において、政策決定は政府の最高レベルで行なわれるべきものであって、陸軍の将軍たちの気まぐれでできるものではなかったのである。
(以上『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳より抜書き)
・731部隊の組織犯罪については、関東軍という日本陸軍の一駐留軍の指揮命令系統下にあった。部隊そのものは関東軍司令官の直轄であり、あらゆる人体実験も形式上は司令官の命令無しには行なわれえなかった。また、731部隊以外の「防疫給水部隊」(北京、南京、広東など)も日本陸軍の中国派遣軍の指揮下にあった。
日本陸軍を統括していたのは陸軍省であり、その上には天皇がいた。したがって731部隊の人体実験の最終責任者も天皇である。(『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)
http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html
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amo4oo · 1 month
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未練なんかたらったらのだらっだらで、でもこれを未練と呼ぶのかすらも分からない関係性だった私たち、恋と言うには贅沢で愛と定義するには未熟すぎるから、訳も分からず友達ごっこをしていたね。今もそうだと私だけが信じていて、確かめる術はそこにあるのに振り出しにも戻れずゴールに進む勇気もないまま、下書き経由ゴミ箱行きの恋文を認めている。ずっと私の記憶力の良さを褒めてくれていたけれど、貴方に関することだから覚えているのだと告げたらどんな表情をするんだろう、実直で誠実で鈍感な素振りをして案外強かであざとい人だから、そんなこととっくに分かっているのかもしれないとも思う。初めて通話した時のことも、初めて飲んだ日のことも、なんなら貴方と話したほとんど全ての日のことを明確に思い出せる、それは決して酒の力ではなく大きな愛ゆえなのだけど貴方は知らないままでいい。伝えてしまったら、伝わってしまったら、この距離が遠ざかる危険性を孕んでいてとてもじゃないけど言えないね。恋をするには覚悟がいると呟いたは誰の言葉だったか、人は皆いとも簡単に誰かを好きなって、告白をして、されて、付き合って、別れてを繰り返しているように見えるけれど、その実そこには確実に覚悟や責任があって、へらへらしているだけでは駄目なのだとこんな歳になって気付かされる。何事もどうせ終わってしまうなら初めから始めない方がいいと悟ってしまったのはいつからだろう、ここ数年のような気もするし、生まれた時からずっとな気もする。終わった恋より“終わらせた”恋の方が格好がつく気がして勝手に無理矢理終わらせてみたものの結局惚れ込んだ方の負け、何の意味もなかったね。好きだったんだよ、本当に、大好きなんだよ、本当は。「おれのこと本気で好きじゃないから好きになれない」なんて言ってたけど、それはありったけの優しさに包まれた拒絶なのか、はたまた進展する可能性を残してそう言ってるのか私には判別が出来なかったし、私なら前者で受け止めるだろうことを理解していたのなら完敗である。だけどあの半年が愛じゃなかったら何が愛だというのだろう、見て見ぬ振りをされてるだけで、本当は知っている癖に、本当に知らないのか、だったらやはり教えてあげるべきかもしれない。愛情と愛着は違うという事実は私を強くさせる、愛情を抱かせることは出来なくとも愛着は持たせられるという希望がそこにはあって、触れ合った年月の長さだけで捨てられないものになってしまえばいい、そこには好意も嫌悪もなく、連続性を持った惰性の慣性があるだけなのだから。
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ari0921 · 7 months
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我が国の未来を見通す(92)
『強靭な国家』を造る(29)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その19)
宗像久男(元陸将)
────────────────────
□はじめに
 久しぶりに私的なことを書かせていただきます。
4日の土曜日、神保町まで足を運び、開催中の「神
田古本まつり」で手当たり次第に古本を物色したと
ころ、いつものように“即決”を繰り返し、なんと
12冊もの書籍を一挙に購入してしまいました。
“秋の夜長”などと悠長なことは言っておれない日
々を送っているのですが、ジャンルも違い、著者も
発刊年次もばらばらな書籍をみて、改めて自分の
“好奇心の旺盛さ”に驚くほどでした。
実は書きたかったことは別にあります。どの書店を
訪れても、古書ではありますが、それぞれの分野の
“専門書”が小説や雑誌などに交じって“所狭し”
と陳列されていました。改めてそれぞれの分野の研
究に一生を捧げ、書籍のような形でその職責を残さ
れた専門家の皆様のご苦労とか責任とか愛情とかが
伝わってきて感慨深いものがありました。
そして、古本だけによけいに時代の流れとか歴史を
感じ、その積み重ねの延長に“現在社会”があるこ
とを再認識し、改めて自分の浅学菲才を恥じ、敬意
を表するばかりでした。
最近は、必要な古書はほとんどアマゾンで買ってし
まいますので、本当に久しぶりの神保町でしたが、
もう少し時間の余裕ができれば、足を運ぶ回数が増
えそうです。
5日の日曜日は、「ゴジラー1.0」の映画を観賞
しました。これから観られる人たちのためにあらす
じの紹介は省略しますが、終戦直後の東京にゴジラ
が上陸するというシーンでした。
ゴジラ自体はフィクションなのですが、ゴジラに立
ち向かった主人公をはじめ、関係者の勇敢さはみご
となものでした。しかし、それ以上に、製作者がこ
の映画を通じて訴えたかった、当時の「日本人の精
神」のようなものが手に取るようにわかり、「日本
もまだこのような映画が作れるのだから“捨てたも
のではない”」と安堵しつつ、本映画の製作自体に
感動して涙が流れました。この“捨てたものではな
い”の続きは、本論で取り上げましょう。
▼「国家意思」として目指したいこと
 さて前回の続きです。一般的な意味で「伝統」と
か「文化」などと言っても、具体的なことがわから
ないと実際に「誇り」を持つことなどできないでし
ょう。
しかし我が国は、実際には、他の国にはなく、日本
(人)独特の「良さ」とか「利点」とか「強み」な
ど表現される、いわば“本質的特性”のようなもの
がたくさんあります。それらが実際の「伝統」や
「文化」を形作っているのでしょうし、「誇り」の
対象にもなり、かつ個人の意思や精神の集大成とし
て「国家意思」のコア(核)として“目指す方向”
にも直結するものになると考えます。
戦後の“行き過ぎた教育”のせいもあって(その細
部はのちほど触れましょう)、多くの日本人の頭が
消え去ってしまっている、日本(人)の“本質的特
性”のようなものについて、有識者が紹介している
ものを列挙してみましょう。
まず、ケント・ギルバート氏は、「日本で左派思想
に惹かれる人々の中にも、実は驚くほど『伝統的な
価値観』なるものを持った人がいる」として、安倍
総理の『美しい国、ニッポン』に猛反発しても、日
本という国や郷土に対しては、何の嫌悪感を持たず、
むしろ絶対的な信頼と愛着を持っていることを強調
し、つまるところ、彼らも“純粋すぎる日本人”で
あると結論づけています(『ついに「愛国心」のタ
ブーから解き放される日本人』より)。
この指摘のように、巷には、(偏ってはいても)強
いプライドとシャイさが同居しているような“純粋
すぎる日本人”がたくさん存在することは事実です
ので、ケント氏のこの結論にこそ “彼らをしてその
気にさせる”大いなるヒントが含まれているのでは
ないでしょうか。
保守層がよくやっている、“上から目線でたたみか
ける”ような物言いでは彼らの反発を強くするだけ
で、心を動かすことは難しいと考えます。知的レベ
ルの高い人(特に高齢者)ほど自分自身(の考え方)
に自信を持ち、プライドも高く、信念も強いでしょ
うから、これを“軟化”するのは簡単でないことを
知る必要があるのです。
加瀬英明氏は、「日本は『和』の国である。日本の
『和』の心は他国には存在しない。日本の『和』は、
人々が合意することによって成り立っているもので
はなく、人々が意識することなく存在している」と
語ります(『新しい日本人論』〔加瀬英明、石平な
ど共著〕より)。
加瀬氏は、その「和」は“性善説”に基づいている
として、国内的には大きな強みだが、“性悪説”を
とっている他国には通ぜず、国外に対しては大きな
弱点になることも指摘しています。
これこそが、これまで再三述べてきた“孤立国・日
本”の限界でもあり、「和」の考え方が、人類社会
の理想に近いものであっても、これを世界の隅々ま
で普及させるのは永遠に不可能であると悟り、“で
はどうすればよいか”を詰めていく必要があると考
えます。
数学者の藤原正彦氏は、「この国は再生できる」と
して「美意識と武士道精神で、危機の時代を生き抜
く」、あるいは「『日本人の品格』だけが日本を守
る」ことを強調しています(『日本人の真価』より)。
その卑近な例として、このたびのコロナ禍において、
「人権に気を取られている民主主義より全体主義の
方が人の命を救う点で優れている」と主張しつつ
“強権”を最大限に活用した中国と違い、あるいは、
国民の自由に任せたところ、大パニックに陥って膨
大な犠牲者を出す結果になった欧米列国とも違い、
日本は、医療従事者の献身をはじめ、国民の高い公
衆衛生意識、規律や秩序など高い公の精神などの
“高い民度”を活用して、自粛要請という静かな決
意でコロナを抑え込んだことを取り上げています。
この事実は、世界的意義のあること結論づけます。
以前にも紹介しましたが、『「見えない資産」の大
国・日本』(大塚文雄、R・モース、日下公人共著)
は、中国やアメリカにはない強みとして、日本は、
「インタンジブルズ」の宝庫であると強調します。
つまり、「日本人には美を求める心や平和を尊ぶ心
や愛の心がたくさんある。また『道徳心』『好奇心』
『忠誠心』『愛国心』などが、どこの国にも見られ
ないほど豊かである」として、これら“無形のも
の”が、場面場面で「一生懸命」とか「工夫する」
とか、「約束を守る」「仕上げに凝る」「仲間を助
ける」などの“形になって現れる”と強調していま
す。
私が尊敬する奈須田敬氏は、東日本大震災の直後の
平成23年に『天下国家を論ず』と題して、30年
にわたって発刊し続づけた『ざっくばらん』巻頭言
20選を取りまとめた1冊を上梓しました。
本書の最後に「何百年に一度かの天変地異に見舞わ
れて、現実は見るとおりの悲惨さ、というほかはな
い。こうなっては総理大臣、一市民のちがいもない。
与党、野党のちがいもない。日本国民は肩をこすり
あわせていきのびていくほかあるまい。─そう腹を
決めたころから、新しい日本国民の芽生えを見出す
ことができそうだ。その芽は『ボランティア』とい
う形ですでにかいまみせている」として「90年の
生涯もけっして無駄ではなかった」と結んでいます。
ガザ地区などでも現に起きているように、他国なら
略奪が発生してもおかしくないような悲惨な状���の
中で、被災者は食べ物を分け合い、文句を言わず長
蛇の列に並び、そして多くのボランテイアが被災地
に入って、泥だらけになりながら様々な活動を続け
ました。奈須田氏は、そのような日本人の姿を“芽
生え”としてとらえ、安堵されたのでした。
保守の論客・中西輝政氏は、自書『強い日本を目指
す道』の中で、「グローバル化した世界だからこそ、
その中で日本はむしろ、つねに『フルセット自前主
義』の文明伝統に立ち返り、多極のなかで、『一極
として立つ』という気概を示さねばならない。多極
化世界でこそ、「自立の日本」を求められ、また可
能となるのである」と提言しています。
この続きは、読む人が読めば感動ものでしょう。
「この気概に気がつけは、再び日本が世界を引っ張
っていく存在になることは不可能なことではない」
として、「安定した時代の日本人は、皆『和魂(に
ぎみたま)』の持ち主で、『荒魂(あらみたま)』
は眠り込んでいる。『和魂』は『目的喪失』危険も
背中合わせなのである。だがひとたび危機の時代が
到来すると、必ずや『荒魂』が眠りから覚め、『目
を覚ませ日本!』と訴える。そして、世界の人々も、
その声に耳を傾ける」と訴えます。
そしてこうしたリズムを繰り返すのが日本文明の一
大特徴なのであり、「もはや途絶えた」と見えても
「地下水脈」として日本人の奥深くに流れている。
これこそが日本文明の核心たる「大和心」であり、
「日本の底力の源泉」であると結論づけています。
さらに、「このことのもつ、ただならぬ重要性に気
づいて、教育の場やマスコミでどんどん論じられる
ようになれば、日本人は急速に力を発揮する・・・
それは各時代の日本人が証明してきたことだ」と付
け加えます。中西氏もまた、日本は“豹変”する国
であることを分かっているのではないでしょうか。
▼「国家意思」を表明することがスタート
いかがでしょうか。これらはほんの一例に過ぎない
と考えますが、冒頭の「ゴジラー1.0」で述べた
ように、私が「日本はまだまだ捨てたものではない。
まだまだ明るい希望が持てる」との想いを強く持て
るのは、まさにここに紹介したようなところです。
しかし、“希望を現実のものにする”には大ナタを
振って荒治療する必要があることも事実でしょう。
顧みますと、戦後のわが国は、GHQの巧妙な「対
日戦略」に何ひとつ逆らうことなく国家を運営して
きました。講和直後の「吉田ドクトリン」などはそ
の典型と考えますが、それからしばらく経って、G
DPが戦前を上回った1956年頃から「もはや戦
後ではない」との言葉を一人歩きしました。また、
安倍元総理は、「戦後レジームから脱却」を掲げ、
「教育基本法」の改正にも着手しましたが、その成
果が上がっているとは言えないことはすでに取り上
げました。
これらを総括するに、戦後世代の最大の過失は、
「国家100年の計」といわれ、後に続く世代の
「教育」に特段の関心を持たないまま放置してきた
ことにあると言えるのではないでしょうか。
つまり、GHQによる強制的な“墨塗り”教科書の
内容を見直すことなく、70数年あまり、“行き過
ぎた教育”を継続してきました。その結果、ここに
紹介したような、日本の“本質的特性”を若者に教
え、多くの日本人に認識させることができないまま
時が流れました。
このような状況を創った最大の要因も終戦直後まで
さかのぼると考えます。少し補足しましょう。少し
前の調査結果によれば、「自衛隊は憲法違反だ」と
答える憲法学者は約6割を数えるそうですが、素人
の私などからみても、憲法第9条を正確に読めば、
この数字は法理論的には納得できない数字ではない
と考えます。問題はそれから先です。この6割の学
者のほとんどが「だから自衛隊を解体しろ」の方に
走ってしまい、「自衛隊抜きでは国防が成り立たな
い。これは一大事だ。憲法を改正しよう」と声を上
げている人は数えるほどしかいない状態が続いたの
でした。
言葉を代えれば、最も高い知性を有すべき法学者を
して、法理論の解釈を先行するあまり、「国防」と
か「国のあり方」などに疑問や関心を持たない程度
の“知的レベル”に留まってしまいました。
戦前の反省や軍への反発などについて理解できない
わけではないですが、極端な話をすれば、「こちら
から泥棒に入らなければ、我が家に入る泥棒はいな
い。よって、戸締りをする必要はない」と言ってい
るようなものなのです。そのようなことになぜ疑問を
持たないのか、私は長い間、理解不能でした。
そして、このような恩師(達)のもとで、同じよう
な思想や法理論を叩きこまれ、自らの知性や主義主
張になんら疑問を持たないまま拡大再生産された多
くの大人たちが、やがて法曹界、教育界、経済界、
さらには政治家、官僚、有識者、マスコミ人などそ
れぞれの分野を“牛耳る”ようになりました。最近、
政府の有識者懇談会による「日本学術会議に社会貢
献要求」との記事を見つけ、当会議はこ��まで“社
会貢献すらしなかったのか”と呆れました。
このような状態では、「国家100年の計の教育を
見直そう」との雰囲気などできるわけがなく、70
数年余りの長きにわたり「教育」は放置されたまま
になってしまいました。私たち大人世代は、最近の
「Z世代」を批判する資格はないと言えるでしょう。
自分たちが「Z世代」を生んできたのですから。
さて、話を戻しましょう。周辺国が“日本をこのま
ま眠らせておき、覚醒しないように”と歴史問題な
どを蒸し返す狙いは、紹介したような日本(人)の
“本質的特定”に“こわさ”を感じているからなの
かも知れないのです。その考えが過剰防衛に走り、
軍事力の拡大路線を走らせている要因の一つになっ
ていると言えるでしょう。
私たち日本人は、認識しているか否かは別にして、
日本文明の「心」あるいは「コア(核)」とも言え
るような特性を依然として保持しています。保持し
ていることが日本人のアイデンティティそのもので
しょうから、これらを「誇り」として、今こそ、個
人の意思や精神の集大成として「国家意思」の“目
指す方向”に掲げることを求められていると考えま
す。
戦後の「教育」によって造成された価値観に凝り固
まっている人たちにとっては、“思いもよらない”
「国家意思」のたたき台を提示されても、にわかに
賛同することはないでしょうから、我が国の無形の
「資産」として後世に残すべき日本文明の「心」を
謳うことについては譲れないとしても、どのような
言葉や文章をもって表現すればよいか、などについ
ては最大限の工夫が必要でしょう。
そのような内容を包含する「国家意思」を表明する
ことがスタートであり、それを受けて、中西氏の言
うがごとく、政界や教育界やマスコミ界で活発な議
論を展開して頂きましょう。その結果、本質さえ変
わらなければ若干の修正は“良し”としましょう。
いずれにせよ、「国家意思」の表明がスタートであ
り、「国家戦略」とタッグを組むことによって、輝
かしい未来をつかみ取ることができると私は確信し
ています。今回はこのくらいにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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medickalmalpractice · 11 months
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
 新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。  『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。  『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。  同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。  (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。  (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。  宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。  騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。  こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。  (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。  私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。  (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていった��だろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。  (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。  武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。  「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。  (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。  こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。  世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。  (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。  (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意��で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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ophelia333k · 1 year
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2023年6月08日 離人症の天使、青く青く青く青い
 「午後三時、砂糖がけのウェブ」に「怒ることと、曖昧な当事者性」という記事を寄稿しています。読み直して思ったのは、自分にも怒りのような何かはあるのかもしれないけれど、エネルギーの向きが内向きすぎて「怒り」という形を取らないのかもしれない、ということ(「怒り」というのは外側に向かっていく力でしかありえないから)。
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 久しぶりに心療内科(メンタルクリニック)に行って、ストラテラ(アトモキセチン)をもらった。以前通っていたところは、保険証やマイナンバーカードなど身分証すべてをなくして再発行できないままだったことに加え、何となくそこの先生も好きではなかったのでずっと行かなくなっていて、最近になって保険証を取り戻したので行けるようになった。
 今回のところは前に通っていたところよりも大規模で、入ったら待合室に数十人くらいの人が詰め込まれていた。いくつかの部屋に先生がいるようで、人が次々と呼ばれていく。自分は初診だったこともあって木の絵を描かされたりしていた。(初診であることも関係しているだろうけど)2時間近く待たされていて、その間、床にある大理石の、水面に絵の具を落としたあと混ざりあっていくときの渦みたいな曖昧な模様を眺めていた。
 今回の先生は女医で、やわらかい雰囲気を感じた。いわゆる臨床心理士ではない精神科医の人は硬くてこちらから何かを言い出しにくい雰囲気の人が多い気がするので、ベタに安心してしまった(一応精神科医の側に立つのなら、単純に、次々と患者を相手して薬を出していく作業になるから、作業的、事務的に接することにはなって、それゆえというのはあると思う)。
 でも、昔WAISの検査をやってくれた若い男性の臨床心理士さんの雰囲気はやわらかいものだったと思う。検査が終わったあとにどうすればいいのか分からずあたふたしていたら、「〇〇さんはこういうときの終わらせ方が分からないんだよね」と(悪い意味ではなくて)言われた記憶。
 薬については、アトモキセチンを80mgくらいにしたあと、様子を見てコンサータ登録してもいいかも、と言われた。事前にかなり検査(といっても自己診断みたいなやつだけど)をやらされた結果として、鬱の傾向も高めではあるけど閾値に達するほどではなくて、ADHD主体の治療でいいですか? と聞かれてはい、と答えた。描いた木のことも少しだけ言われたけれど、ネタバレ(?)みたいになるからここには書かないでおこうかな。
 薬局に行ったら一時間待ちだし、診療自体もけっこう待ったので、USJもしくはディズニーランドくらいの待ち時間。
 最近、部屋にまだ残っているものを売って所持金を0円(実際には240円くらい)から9000円くらいにしたのに、検査代込みで5600円+薬代(1000円くらい)を取られてまた厳しくなっている。
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 韻踏み夫の『日本語ラップ名盤100』を読んで、KOHHのアルバム『DIRT』を聴いたら、かなりよかった。基本的にトラップはあまり好きじゃないはずなのに、こんなにも刺さるとは思っていなかった。
仲間とドラッグをやったり遊んだり、というノリがありながらも、その根底に絶対的な孤独みたいなものがあって、その揺るぎない感じ。単純なフレーズの反復の中に、意識の深いところが一瞬だけ垣間見えるような気がする。
 音楽の話をすると、大森靖子の『音楽を捨てよ、そして音楽へ』の弾き語りをやっていたのと、未来電波基地の『知之者不如好之者、好之者不如楽之者』の間奏のリフがずっと頭の中で響いている。
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 小泉義之の「あたらしい狂気の歴史 精神病理の哲学」を読んでいたら、第八章が『狂気を経験する勇気――木村敏の離人症論に寄せて』という離人症についての論考だった。
 まず引用されるのは、丹生谷貴志の「離人症の光学」。
〈離人症は生きられるものとしての世界から弾き出され、薄い皮膜によって世界-事件の外部に隔離されてある状態であるだろう。生きられるものとしての世界から隔離された者にとって自身及び世界は直接的な時間を伴わない空虚に閉ざされる。そしてしかし逆にその者にとって、生きられたものとしての熱気を奪われた世界は、ちょうど冷ややかに観戦されるボクシングの試合のように、謎のない透明さと、如何に複雑な絡み合い迷いに満たされているように見えても、究極的には単純な解析可能の動態として見透かされる。離人症者は生きてある実感の喪失と引き換えに、奇妙な透視、空虚な神の透視の能力を付与される〉
 丹生谷はそこから始めて、それを団塊の世代とその直後の世代の対比に用いる。「つまりすべてを生きられた現実としてではなく、眺めらるもの、外的に透視し整理し解析するという場で教育」された結果、「離人症者」として教育学的に生みだされた世代(更にそのあとの世代である私たちはどうなのだろう?)
 そこには戦争の問題も関わってはいて、大袈裟に言えば「離人症」という実存への先天的な無能力を資質として生み出された、ということになる。
 そのあとの話も面白かった
〈同じく哲学的に覚醒しながら、離人症者は苦しみ、学者は苦しまず、むしろ喜ぶ〉(p206)
〈このように、事故の存在の真理に関して、離人症者はまさに学者のネガになる。学者は、離人症者をネガとすることによってポジティブな真理を述べる〉(p203)
 自分は「学者」に対して感じているずれは、自分が「離人症者」の側なのかもしれない、とも思う。
 あと、それとは遠い話として、神様が離人症であることについて想像している。もしも神様が存在するのなら、離人症によって朝から晩まで苦しんでいてほしい。きっと、そうなる。あるいは天使。
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 新しくもらったアトモキセチンは日医工の青く青く青く青いカプセルで、その効果がどれくらいかはともかく、食欲に関しては飲んだその日からほとんどなくなった。そして、とにかく喉が渇く。
 食欲がなくなることは自分にとって必ずしも悪いことではなくて、あの青いカプセルで食欲が失われることを生かして、食のことを一切気にせずに本を読んだり音楽を聴き続けることができる。
 前回のメンタルクリニックではWAISの結果を重視してADHD傾向を判断していたけれど、今回のところはWAISとかはなく、質問紙的な検査をひたすら受けるという感じだったので、病院によって診断法はわりと異なっているんだな、と思った。客観的でないと言えば客観的でなくて。将来的にはたとえば脳という物質的なものから判断することも可能となるのだろうけれど、「真なるADHD」みたいなものを考えることに意味があるのかもよく分からない。「真なる離人症」みたいなものを考えることにも。精神なんていう訳のわからないものが相手なのだから。
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 最後の話。市川沙央の小説『ハンチバック』を読みたい。文藝界新人賞、5月号。
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 自分にとっての、この世界に対する図
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keredomo · 1 year
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心臓
 課の会議中に、会社に受診を義務づけられている健康診断の結果がメールで届いた。今年は健康診断前にうっかり食事を摂るようなミスも回避できたのできっとよい結果になっているだろなと喜び勇んで開いたところ、画面にあらわれた判定はEだった。思わず「いー」と口走る。突然の奇声に、課のメンバーから怪訝な顔を向けられて「すみません何でもないです」と取り繕う。連日連夜の野蛮な飲酒にとうとう肝臓が悲鳴を上げたかと診断をスクロールすると、警告よがしに表中の列が真っ赤に塗られている項目は心臓だった。
 心電図を採るためには、ベッドに横たわって上衣をめくりあげ、身体のあらゆるところに冷たい機械をあてられる。手早く特定箇所に機器を当てるこの担当女医に、私の乳と腹はどう見られているのだろうかと不安に思いながらも、被験者の矜持があるので微動だにしない。
 女医は医師として無数の乳房を見てきたのだろう。品評するだろうか。乳首の形と色とがさまざまであることを誰よりも知っているだろう女医は、乳房というものをどう捉えているのだろうか。そんなことを考えているうちに検査が終わり、次の部屋への移動を促されてそれに従う。結果、私の脈は不正で、疾患を疑われるほどの異常値を叩き出していたのだった。乳房の優劣のことを考えていたせいだろうかと一瞬よぎったが、専門機関で精密検査を受けるまではその真偽はわからない。検査で異常を確認するのがなんとなく億劫で、病院にはまだ行っていない。
 *
 父も、心臓をやって死んだ。あの人の場合は、糖尿病を患って、酒も煙草も大いにやったあげく脳もだめにしていたから、死因は心臓とは断言できない。私も父と同じく酒と煙草をやるが、酒については父のおそらく倍量以上を煽りつつも、煙草の量は吸わない人間と大差ない程度だ。それでも、身体的遺伝とは怖いものである。
 顔のつくりはまったく似なかった。美男の色男であった父の美醜の感覚で「ブス」と面と向かって蔑まれる程度には可愛くない容姿に生まれついたにもかかわらず、疾病だけは執念深く遺伝するのだから面白くない。
 父から引き継いだ心臓の弱さによって死ぬことで、父をもう一度殺したい。父が容姿の醜さを笑って娘の自尊心をずたぼろにした結果が私の孤独死であると、見せつけてその心のなさを責めてやりたい。
 病気を糧に親を責めたい気持ちがむくむくと湧く。��はいえ、父はそのだらしなさがゆえに数年前にとっくに死んでいて、たとえ私が父の遺伝のせいで若くして死んだところで彼にはもはや何のダメージもないのだった。一人相撲の、この徒労感。私と父は、生きていても死んでいても、どのみち交わらないのだった。
 おのれの死を父に見せつけて父の未熟さを思い知らせたい、などと馬鹿げたことを妄想して鼻で笑う。くだらない未練だと思いつつ、これがあの男の心臓なのだと思うと、死んで地獄でやりあおうかという気にもなるのだった。お前の心臓を受け継いで死んで、お前と殴り合ってやろうかと。
 そんなことを考えるということは、おそらく、私は今になってようやく父を愛しているのだった。彼が死ぬまで愛せなかった父を、死後になってから悪あがきのように愛しているのだから愚かなことこの上ない。
 *
 心臓の疾患を疑われた以外は、私の身体はほとんどがAの判定を受けていた。当然だ。一般的でない飲酒量とそれを切実に必要とする不眠以外、私に不摂生はなかった(まあ、それこそが致命的なのだが)。毎日、おびただしい量の野菜を摂取する異常な食生活。過剰な飲酒による酩酊と気絶がもたらす十分な暴力的睡眠。適度な運動。ノイローゼを呼ばない程度の仕事量。すべてを肯定してくれる友人たち。この世の誰よりも健康的な日々を送っている。心だけが異常に繊細で、激しい怒りや激しい悲しみのあまりストレスで生理が止まったりはするが、そういうことがあっても、女だなあと思うだけだった。
 毎晩ワインを一本あけるほどの過分な飲酒にもかかわらず、肝臓の数値は良好だった。煙草を吸うわりには血圧もヘモグロビン量も正しい。理想的な痩身を保っているわけではないが、BMIも適正値だった。
 ただ、父親から受け継いだ心臓だけがだめになっていた。ばかな男。私をまともに愛さなかったくせに、形骸的に執着して、まさか引き連れていきたいのか? 否、そんな情は奴にはあるまい。母に対する恋情はずっとあった。倒れて理性を失ってからも、うわごとで母に「愛してます、結婚してください」と語り続けていた男だ。私の母と結婚する以前に二度結婚して子供を作って、その子供たちは父の死後に弔問に来て「父には可愛がってもらった」と思い出を口にしていた。私だけが、父の愛を知らない。
 けれど私は、父親の愛を知らないからこそ未だに父に執着していて、父の本来の愛情深さを想像してはそれが自分に振り向けられなかったことを恨みながらも、愛情深い人間であった父を無碍にできないのだった。なぜか。心臓の疾患のみならず、その愛情深さも、私に遺伝しているのだろうか。わからない。なぜなのだろう。父の死後、その死をきっかけに私の知らなかった父の生を聞かされるたび、私は父に自分を投影してしまう。父の人生が私の人生であるように思えてしまう。私だけが一方的に父を愛しているのだった。
 私の死因がもしあなたからの遺伝によるなら、いいよ。受け入れる。ほかのどの死因よりいいよ。あなたと同じ死に方をして、ようやく私は父親とのつながりを思い知ることができるんだ。ようやく愛されたと思えるんだ。
 *
 ずっと、「私を殺してくれる男」を待ち侘び続けてきた。
 私をはるか凌駕している男。���の命がその手にかけられることに悦びを感じられるほどの男。圧倒的存在をずっと待っていて、十何年かけてずっと探して、ようやく見つかったと思ったらその男は私を深く愛してしまったので、私を殺すことなどとうていできなくなった。そりゃそうだよな。ふつう、愛する人には生きていてほしいものだ。
 心臓のことが判明して、死因のことを考えて、ここに書いて、私が探していたのは「父」だったのだと、ようやく思い至った。「父」の不在が、私に「私を殺してくれる男」を探させた。
 それがゆえに私の人生はこうなった。安定も安心も遠ざけて、苛烈な情念だけを頼りに猛獣のように世界に牙を向ける人生。けれど心の奥底には「父」を持てなかった少女がうずくまって泣いていて、父親にあたたかく抱きしめてほしいという感情をこらえている。あなたにあたたかく抱きしめてほしいという感情がずっとくすぶっている。父に抱きしめられたい。父に愛されたい。父を愛したい。大好きだと叫んで抱きしめたい。
 どうしてそれが叶わなかったんだろう。男を使い捨てても使い捨てても満たされない理由をようやく自覚して、ぽかんとしている。埋める努力をしたところでどうしたって埋まることのない穴を、私はこれから先、どう扱えばいいんだろう。これまでについた不毛な傷を、どう見捨てればいいんだろう。
 いつ、父親への執着が消えるのだろう。もうこれ以上苦しみたくないのに。
 できるだけ早く心臓が破裂して、私が死んでしまえたらいいなと思う。父親のせいで狂ってしまった人生を、父親のせいで終わりにしたい。あなたの娘はあなたに愛されなかったせいで、彼女が決死の思いで築きあげた素晴らしく美しい人生をあっけなく台無しにして死にましたよ。死後の父にそう伝えて、後悔に苦しんでほしい。
 そんな日は永遠に来ないことはわかっている。私は心臓の疾病を放置して、不整脈が起こるたびに父を呪う。父を愛する。父を憎む。酒を飲む。煙草を吸う。男を抱く。絶対に許さない。私を愛さなかったことを許さない。せめて私を早く殺してほしい。受け継いだ心臓の疾患で、私を殺してほしい。すでに不在となった者へのこの憎しみから、この愛情から、愛おしさから、執着から、苦しみから、もう逃れたい。逃してほしい。あなたを思うことから、逃してほしい。
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mobsprooftheweb · 1 year
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『金持を喰いちぎれ』公開決定
モーターヘッドのレミー、ポーグスのシェインほか大挙映り込み!
金と権力があるからといって、おまえらに権利はない! <社会の底辺が金持ちを喰いちぎる映画> 『金持を喰いちぎれ』 世紀の怪作がデジタルリマスターで、7月14日(金)よりシネマート新宿他にて公開決定!
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1987年の初公開時、あまりの過激さに誰にも理解されず映画史上空前の空振りを記録したとんでもない英国産社会派ブラック・コメディ『金持を喰いちぎれ』がこの度、デジタルリマスターにより新たに息を吹き返し、7/14(金)よりシネマート新宿ほかにてリバイバル公開が決定!
ロンドンで最も金持ちの集まる高級レストラン<バスターズ>でウェイターとして働くアレックスは、いけ好かない客やマネージャーにいびられクビになり、身寄りも友人も家もなく社会の最下層に沈んだ。
同じくロンドンでは乱暴で下品だが実行力のある上流階級の権力者、超タカ派内務大臣ノッシュが、ソ連のスパイである英国情報部司令長官が仕掛けた女性スキャンダルの罠にはまるが、送り込まれた高級コールガールは一発でノッシュの子をはらんだ。
底辺部隊を組成するアレックス。<イート・ザ・リッチ>と改名されたその高級レストランでミンチ肉料理に舌鼓を打つ金持ちたち。
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社会の最上位と最底辺の対決のときが迫る! 無能な者が権力者になるという、この世の摂理に切り込み、あらゆる差別とヒエラルキーを吹き飛ばして見事に散った、社会派超怪作!
1980年代、パンク・ムーブメントを力ずくで押さえこみ社会保障カットとフォークランド戦争で大英帝国を再建した剛腕サッチャー政権下、生活苦に耐えきれなくなったイギリス国民がついに立ち上がった! 一部の金持ちだけが優雅な生活を謳歌し、庶民ばかりが苦しむ世の中を痛烈批判。海外のキャッチコピーは「おまえが食べているのはおまえだ!」。
人種差別、性差別、階級差別、選民主義、権威主義に怒りを爆発させ、反旗をひるがえす大貧民たちが、大金持ちしか入れない超高級レストラン<BASTARDS>を乗っ取り、<EAT THE RICH>と改名して金持ちを血祭りにする!
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イギリスの庶民派テレビ局で人気を呼んだ社会風刺コメディ番組「ザ・コミック・ストリップ」でポストモンティ・パイソンとして注目を浴びた英国コメディ集団コミック・ストリップの一員であるピーター・リチャードソン監督が、パイソンズより遥かに過激に強烈な風刺を利かせて制作、ジョージ・オーウェルの小説「動物農場」やビートルズの楽曲「Piggies」のテーマにも通じる、猛烈な社会批判を展開するも、初公開時、その猛毒に誰もついて行けずに映画史上空前の空振りを記録した、勇気溢れるとんでもないブラック・コメディ『金持を喰いちぎれ』が36年ぶりに戻ってきた。
「グルメの叙事詩」とも評され、あまたあるグルメ映画に『ハンニバル』(レクター版)と『博士の異常な愛情』をぶち込んで、じっくり煮込まず肉汁滴るスパイスかけすぎのハンバーグステーキに仕上げたグルメ映画史にさん然と輝く極悪異端作でもあり、近年の英国媒体による「映画史上最大の失敗・愚行TOP50」では、歴史的超大作が軒並み名を連ねるなか、超インディペンデント低予算映画にもかかわらず第49位にランクイン(マイケル・チミノ『天国の門』が2位、デヴィッド・リンチ『砂の惑星』が3位)、今でも凄まじい存在感を発揮している前人未到の社会派超怪作である。
製作総指揮は『ロッキー・ホラー・ショー』(75)や、ポリス、XTC、ディーヴォなど出演の音楽映画『Urgh! A Music War』(81)を手掛けたマイケル・ホワイト。
主演にはジェンダーのボーダーをかるく突破、舞台、映画、テレビ、ラジオ、音楽などどんなところでも活躍するラナー・ペレー、元ヘヴィ級プロ・ボクサーであり、007シリーズのスタントのほか『荒野の用心棒』(64)にも映っているノッシャー・パウエルが上流階級の内務大臣にふんしている。
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また暴走ロックンロールの帝王であり人類の切り札といわれるバンド、モーターヘッドをサウンドトラックに起用、劇中に唐突なライヴシーンが差し込まれ、その創始者であるロックンロールの化身、極悪レミーが台詞を含めた演技を披露している。
そしてポール・マッカートニー、アンジー・ボウイ、サンディ・ショー、クー・スターク、ミランダ・リチャードソン、シェイン・マガウアン(ポーグス)、ヒュー・コーンウェル(ストラングラーズ)、ビル・ワイマン(ローリング・ストーンズ)ら超豪華ミュージシャン、俳優、モデル、作家、アーティストたちが大挙カメオ出演、なぜ映っているのかは誰もわからないが、作品のテーマに賛同したと信じることも可能だ。
<作品内容と完成度、そして世の中の反応、作品が受けた仕打ち>
すべてがあまりのことにたいへんなこととなった本作は、数十年の熟成を重ねて気づくと『ロックンロール・ハイスクール』『さらば青春の光』『スパイナル・タップ』『ザ・コミットメンツ』『スクール・オブ・ロック』等々のロック映画好きはもちろん、この世の金持ちと庶民は必ず観なければならない作品となっていた。
製作から36年、なぜいま、これがリバイバルされるのか、まったくわからないが、食料品も軍事費も何でも値上げで生きづらさ増す日本の現状からすれば、我々は80年代英国人の気持ちに納得するだろう。 そして何の躊躇もなくそれを映画という表現で世に叩きつけた本作は、あらゆる物事が<ふつう><平均>に落ち着こうとする現代において人類が忘れ去ろうとしている何かをもたらすにちがいない。 この年月を経て、人類はこの猛毒の理解に近づいたのか、それとも遠ざかったのか、進化か退化を問われるまさかの正式リバイバルで、遂に金持ちを喰いちぎるときがやってきてしまったのだ。
今回解禁となったポスタービジュアルは、日本初公開当時のデザインをベースに新たに作成!
「金と権力があるからといって、おまえらに権利はない!」というメッセージ性の強いコピーと共に、お皿のまわりに多彩な出演者、豪華ゲストを配し、センターには本国ビジュアルでも使用されている強烈上流階級権力者キャラ“ノッシュ”が足を喰っているイラストを使用。 腹には本作のサントラも手掛け、出演も果たしているモーターヘッドの有名なロゴ“War Pig”が燦然と輝く!
『金持を喰いちぎれ』は7月14日(金)よりシネマート新宿・シネマート心斎橋にてロードショー。以降全国順次公開となる。
『金持を喰いちぎれ』 (1987年|イギリス映画|89分|アイアン・フィスト・ピクチャー制作|原題:EAT THE RICH) 監督:ピーター・リチャードソン 脚本:ピーター・リチャードソン/ピート・リッチェンス サウンドトラック:モーターヘッド 出演:ロナルド・アレン/ジミー・ファッグ/ラナー・ペレー/フィオナ・リッチモンド/サンドラ・ドーン/レミー/ノッシャー・パウエル/ロン・ター ゲスト出演の“ザ・コミック・ストリップ”メンバー:ロビー・コルトレーン/ドーン・フレンチ/ナイジェル・プレイナー/エイドリアン・エドモンドソン/リック・メイヨール/ジェニファー・ソーンダース さらにゲスト出演:キャシー・バーク/カトリン・カートリッジ/ショーン・チャップマン/ダーレン・ネスビット/ミランダ・リチャードソン/クー・スターク/ルパート・ヴァンジッタート さらに豪華ミュージシャン出演:ヒュー・コーンウェル(THE STRANGLERS)/ジュールズ・ホランド/ポール・マッカートニー/シェイン・マガウアン(THE POGUES)/サンディ・ショー/スティーヴ・ウォルシュ(KANSAS)/ビル・ワイマン(THE ROLLING STONES)/アンジー・ボウイ/ウェンディ・O・ウィリアムズ/ワーゼル(MOTORHEAD)/フィル・キャンベル(MOTORHEAD)/フィルシー・アニマル・テイラー(MOTORHEAD)
© 1987 National Film Trustee Company Ltd. All rights reserved. キングレコード提供|ビーズインターナショナル配給
公式サイト:bastards-eattherich.jp
シネマート新宿/シネマート心斎橋にて7月14日(金)より公開ほか全国順次公開
<Motörhead – Eat The Rich>
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oka-akina · 1 year
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20230113
義父の葬儀でした。おかげさまで滞りなく終えることができましてひとまずほっとしております。 励ましのお声をかけてくださったみなさま、SNSでいつも見守っていてくださるみなさま、お気遣いありがとうございます。 ほとんどの方が作品やSNSを通じたつきあいで、実際にお会いしたことのない方やご無沙汰している方も多いのですが、いろいろようすを案じていただけるのは本当にうれしくありがたいことだなあと思います。 またこういうtumblrだったりTwitterだったり小説の中だったりが、わたしの気持ちの入り組んだところ、家族や親戚にはあまり言いづらいようなことを吐き出せる場となっていて、自分にそういう場所があって誰かが見ていてくださっているのはほんとに幸運だなあ、心の支えになっているなあと改めて感じました。
ついこのあいだ家族でお正月を���ごしたばかりでした。年齢的にまだ若いですし、急なことで家族はショックが大きかったと思いますが、正直言ってわたしは自分の親ではないので…、気持ちとしてはかなり落ち着いていました。よくしてもらったことや楽しかったことなどいい思い出ばかりがよみがえってきて、いい感情だけの関係といいますか。ここ数日バタバタと忙しく、疲れてはいるんですが、つらいことはほとんどなかったです。葬儀の準備を通じて義母や弟たちといい時間を過ごしたような気がしています。義父が40年通っていた理髪店に夫と弟たちと4人で行って、挨拶をし、みんなで顔剃りをしてもらいました。 実の親に対してはわたしはもうちょっと複雑な感情を抱いているので、そのときがきたらわたしはどういうふうになるんだろう、もっと大変だしもっと疲労するんだろうな…といったことも考えました。
また家族内ではつらいことがほぼなかったいっぽう、ちょこっとツイートもしましたけども、葬儀とその周辺のなんやかやをやっているとほとんどすべての商品・サービスが当たり前に男女二元論、異性愛を前提として作られており、ああきついなあ苦しいなあと感じることが多々ありました。 葬儀の司会や付き添いをしてくださる年配の女性の方が、式で紹介するために故人の人となりや家族構成などをたずねてくださるんですが、そのときの会話で「お孫さまの顔を見せてあげられなかったことだけ残念でしたね」と言われてしまい…。わたしは内心カチンときてしまったし、おそらく顔にも出てしまった(マスクしてたからあんまりわかんなかったと思うけど)。 おそらくはとおりいっぺんの挨拶としてそう言っただけで、年配の方でしたし決して悪い意味はなくて、本当に心からの気遣いの言葉だったことはわかったので、その人を責めたい気持ちはないんですけども、こういったセレモニーだったりフォーマルな場でのさまざまな前提が「そう」なんだなあと改めて感じました。 みんなの当たり前がそうだから、そういうふうになってしまう。もしかしたらこの人もほかの人も、普段の生活や価値観はあんまりそうではないかもしれない。もうちょっとちがった考えを持っているかもしれない。でもこういう場だから保守的なことを言っておくのが礼儀やマナーでしょうといった空気の読み合いをいろいろな場面で見かけました。フォーマルとされている場ではいろいろ呑みこむ・寄せるのが大人の仕草であるかのような呪いをかけられているというか…。 むしろこういったフォーマルな場から整えていかないから、いつまでも趣味・ファッション・遊び的に捉えられちゃうんだろうな。婚姻・戸籍・天皇を早いとこなんとかしてくれねえとぜんぜんだめだな。逆に言えば、婚姻・戸籍・天皇のところを変えればさまざまな形式はスッといくんではないかと思うし、形式やハコができてしまえば人はけっこう素直にそれにのるだろうとも思いました。今だって好きにやればいいのでしょうが、形式やハコをわざわざ崩すのには相当の勇気や胆力がいる。場合によっては余計なお金もかかるので…。
いろんなことを考えたので、また日記を書いたりコピー本にでもしようかなあと思います。 ひとまずは文フリ京都に参加します! 葬儀もろもろで慌ただしくてろくに宣伝もできずしょんぼりしているんですが、ともかく遠出して一人の時間を持てることにほっとしています。前泊はできなくなっちゃったんですが、勢い余って往復のぞみ&めっちゃいいホテルに変更したのでゆっくり過ごそうと思います。 久しぶりの関西でのイベント参加で本当に楽しみにしていますので、お近くの方よかったら遊びに来てくださいませ。最新刊「イサド住み」はじめ「終わりのある脱毛体験コース アンソロジー」などなど持って行きます。年間購読でお世話になっている方も関西方面にけっこういらっしゃったかな。コピー本とか作れなかったのでお渡しするものないんですが、ともかく遠出することがうれしいという状態なので、ぜひぜひお会いできましたら幸いです〜!
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kennak · 4 months
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昨年10月期の連続テレビドラマ『セクシー田中さん』(日本テレビ系)で、原作者・芦原妃名子さんの意向に反し何度もプロットや脚本が改変されていたとされる問題。先月29日に芦原さんが亡くなって10日が経過した今月8日、原作漫画の出版元で芦原の原作代理人として日本テレビとの契約ややりとりの窓口だった小学館はコメントを発表。「ドラマ制作にあたってくださっていたスタッフの皆様には(編集部追記:芦原さんの)ご意向が伝わっていた状況は事実」と���張したが、同日には脚本を担当した相沢友子氏がInstagram上に、芦原さんが日本テレビ側に提示していた「必ず漫画に忠実にする」などの条件について、「私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました」と投稿。小学館側と脚本家の主張が180度、食い違っている。また、小学館は社員向け説明会で経緯などを社外に発信する予定はない旨を説明したとも報じられているが(7日付「Sponichi Annex」記事より)、今回、小学館が会社としてコメントを発表するかたちではなく、「第一コミック局 編集者一同」名義で出されたコメントを引用するかたちを取っている点にも疑問が寄せられている。  日本テレビは芦原さんの訃報に際し先月29日と30日に <2023年10月期の日曜ドラマ『セクシー田中さん』につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております>(先月29日) <日本テレビとして、大変重く受け止めております。ドラマ『セクシー田中さん』は、日本テレビの責任において制作および放送を行ったもので、関係者個人へのSNS等での誹謗中傷などはやめていただくよう、切にお願い申し上げます>(先月30日) とするコメントを発表。小学館も30日に <先生の生前の多大なご功績に敬意と感謝を表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。先生が遺された素晴らしい作品の数々が、これからも多くの皆様に読み続けられることを心から願っております> とのコメントを発表したが、以降、両社とも沈黙を守ってきた。  詳細な経緯の説明を求める声が高まるなか、今回発表されたコメントで「第一コミック局編集者一同」は <私たちにもっと出来たことはなかったか。個人に責任を負わせるのではなく、組織として今回の検証を引き続き行って参ります。そして今後の映像化において、原作者をお守りすることを第一として、ドラマ制作サイドと編集部の交渉の形を具体的に是正できる部分はないか、よりよい形を提案していきます> <プチコミック編集部が芦原妃名子先生に寄り添い、共にあったと信じてくださったこと、感謝に堪えません。その優しさに甘えず、これまで以上に漫画家の皆様に安心して作品を作っていただくため、私たちは対策を考え続けます> などと綴っている。これを受けて漫画家からは以下のように次々とSNSを通じて反応が寄せられている。 <おそらく現場判断で造反にも似た悲痛な叫びです。覚悟と誠意がこもっています。見えなかっただけで内部の現場や漫画家さん達は声を挙げていると思っていました>(『はじめの一歩』原作者の森川ジョージ氏) <原先生を想うプチコミック編集部皆さんの言葉を大事に受け取りたい。その上で、『守られるべき権利を守りたいと声を上げることに、勇気が必要な状況であってはならない。』この部分がこれからどう担保されるのかを見つめたいし考えたい>(『ちはやふる』原作者の末次由紀氏) <現場の編集さん達は諦めず闘っています。今年で40年目ですが、ここで描き続けていきたいと思っています>(『せいせいするほど、愛してる』原作者の北川みゆき氏) <皆様に読んで欲しいです。ちゃんと編集さんは動いていました。全て伝えていました 頑張る姿を見ています。芦原先生を守っていました。どうか、長いですが読んで下さい>(『18歳、新妻、不倫します。』原作者のわたなべ志穂氏) <昨日 直接 編集さんから『コミック局から別個にコメントを出します』ときいていたので、やっと出てくれて少しホッとしました。最後は涙が出ました>(『輝夜伝』原作者のさいとうちほ氏)  その一方、SNS上では以下のように厳しい見方も出ている。 <経緯を全く書いてない> <説明が全くなし> <何を言いたいの?> <姑息さを感じる> このまま幕引きというのは許されない状況に  今回のコメントをめぐり多くの疑問が寄せられているのが、会社としてではなく、漫画誌「プチコミック」を担当する「第一コミック局編集者一同」名義で発表されている点だ。声明はまず「プチコミック」公式サイト上で公表され、小学館は会社の公式サイトで<芦原先生にご寄稿いただいていた『姉系プチコミック』が所属する小学館第一コミック局の声明がございます>と前置きしてそれを引用する形態を取っている。ちなみに同社は社員向け説明会で、経緯などを社外に発信する予定はない旨を説明しているが、今回のコメント発表後に同社は「Sponichi Annex」記事の取材に対し「方針は変わっていない」と回答しており、対外的に経緯を説明する予定はないとしている。テレビ局関係者はいう。 「日本テレビがこれ以上の対外発表をしない意向である以上、同局との関係から小学館だけが勝手に見解や経緯を発表することはできない。一方で社内の現場編集者たちからは、しっかり調査して結果を公表すべきという声が高まり、それを無理に押さえつけるとSNSなどを使って強行的な手段を取られかねないため、日本テレビと社内の両方へ配慮した結果としての妥協案といえる。もっとも、それはあくまで小学館の経営サイドの事情を優先したにすぎず、メディア業界全体に影響する大きな問題となって今なお、正式な調査も結果公表もしないというのは、出版業界を代表する大企業としては許されないだろう」  また、大手出版社関係者はいう。 「編集者の危機感や思いは伝わってくるものの、ただの『お気持ち』表明にとどまっている。『対策を考え続ける』と書かれているが、それはどこの出版社も常日頃から行っていることであり、それを改めて表明することに意味はない。重要なのは、一般的に企業の不祥事対応として行われているように、今回起きた事案について第三者委員会なりの形で期限を区切って調査を行い、それを公表することであり���日テレも同様だ。それをやると、日テレも小学館も過去数年間の原作ありのドラマについて遡って実態を調査したり、現在進行中の映像化案件にも影響がおよぶので、避けたいという事情は理解できるし、芦原さんのご遺族の意向も尊重する必要があるので、難しい面はあるだろう。ただ、もはやこのまま幕引きというのは許されない状況になっているのは誰の目にも明らかでは」 日本テレビ側にボールが投げられた  今回の問題では、芦原さんが提示していた条件が、きちんと日本テレビ側、さらには脚本家の相沢氏に伝えられていたのかどうかという点も焦点となっている。芦原さんは、ドラマ化を承諾する条件として日本テレビ側に、必ず漫画に忠実にするという点や、ドラマの終盤の「あらすじ」やセリフは原作者が用意したものを原則変更しないで取り込むという点を求めていたとされる。これについて小学館はコメント内で、 <ドラマ制作にあたってくださっていたスタッフの皆様にはご意向が伝わっていた状況は事実> と説明。一方の相沢氏は8日にインスタに投稿した文章内で <芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました。いったい何が事実なのか、何を信じればいいのか、どうしたらいいのか> <もし私が本当のことを知っていたら、という思いがずっと頭から離れません。あまりにも悲しいです。事実が分からない中、今私が言えるのはこれだけです> と説明。両社の主張は大きく食い違っている。テレビ局関係者はいう。 「もし小学館と脚本家の主張が事実であれば、日本テレビの制作サイドが脚本家に原作者の意向をきちんと伝えていなかったということになる。ここまで厳しい条件だと知らされれば引き受けてくれる脚本家が見つからない可能性や、脚本家が仕事を降りる可能性もあり、ドラマ制作現場の実態を考えると、制作スタッフが原作者の意向を脚本家に対して和らげて伝えていたということはあり得るだろう。原作者と脚本家の双方にそれぞれの意見を正確に伝えるべきというのは、原則論としてはもっともだが、そうすると揉めるリスクがあるのも事実。両社の間に入ってうまく調整するのが局の制作スタッフの重要な役割でもある」  日本テレビ関係者はいう。 「日本テレビとしては最終的には原作者の承諾を得た脚本に基づいて制作し放送しており、契約違反はないというスタンス。よって現時点では第三者委員会を設けて調査や結果の公表をする動きはないものの、小学館のコメント発表によってボールが日テレ側に投げられた格好になった。今後の世論やスポンサー企業の動向次第では、方針を転換してしかるべき対応を行うことになるかもしれない」 【これまでの経緯】 『セクシー田中さん』の制作にあたっては原作者の芦原さんは、ドラマ化を承諾する条件として日本テレビ側に、必ず漫画に忠実にするという点や、ドラマの終盤の「あらすじ」やセリフは原作者が用意したものを原則変更しないで取り込むという点を求めていたとされる。芦原さんが1月にブログなどに投稿した文章によれば、何度も大幅に改変されたプロットや脚本が制作サイドから提出され、終盤の9〜10話も改変されていたため芦原さん自身が脚本を執筆したという。  問題が表面化したのは昨年12月のことだった。脚本を担当する相沢友子さんは自身のInstagramアカウントで、 「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました」 「今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように」 と投稿。9話・10話の脚本は自身が担当していない旨を説明した。  これを受けさまざまな憶測が飛び交うなか、1月に芦原さんは自身のブログ上で経緯を説明。ドラマ化を承諾する条件として、制作サイドと以下の取り決めを交わしていたと明かした。 <ドラマ化するなら『必ず漫画に忠実に』。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく> <漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様『原作者があらすじからセリフまで』用意する。原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたい>  芦原さんは、これらの条件は<脚本家さんや監督さんなどドラマの制作スタッフの皆様に対して大変失礼な条件>であると認識していたため、<この条件で本当に良いか>ということを原作漫画の発行元である小学館を通じて日本テレビに何度も確認した上でドラマ化に至ったという。  だが、実際に制作が進行すると毎回、原作を大きく改編したプロットや脚本が制作サイドから提出され、 <漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう> <個性の強い各キャラクター、特に朱里・小西・進吾は原作から大きくかけ離れた別人のようなキャラクターに変更される> といったことが繰り返された。そして1~8話の脚本については芦原さんが加筆修正を行い、9~10話の脚本は芦原さん自身が執筆し、制作サイドと専門家がその内容を整えるというかたちになったという。 (文=Business Journal編集部)
小学館「日テレに芦原さんの意向伝えた」、脚本家「初めて聞く」…日テレ沈黙 | ビジネスジャーナル
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