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#解構抑鬱
onpointbible · 8 months
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解構抑鬱 之 情緒病的歷史與命理和宗教
在人類歷史的不同時期,對待精神疾病的觀念和治療方式有著巨大的變遷。從古代的風水命理和宗教信仰,到現代的科學研究和診療方法,精神疾病的發展歷程充滿了挑戰和突破。本文將探索精神疾病的發展,從古代到現代,揭示人類對精神健康的理解不斷演進的軌跡。 在古代,人們對精神疾病有著不同的觀念和解釋方式。例如,風水命理認為環境能量影響個人運氣和健康,認為人的疾病與環境的不協調有關。此外,古代的宗教信仰,如基督教和其他宗教,也對精神疾病的解釋和治療方式產生了重要影響。 在基督教的觀念中,精神疾病往往被視為邪靈干擾或靈魂受損。古代的治療方法包括驅魔和祈禱,希望通過驅逐邪靈或靈魂得救贖來治癒疾病。然而,這些方法在科學和醫學上缺乏證據支持,並未真正解決精神疾病的根本問題。 隨著現代科學的發展,人們對精神疾病的理解開始轉變。心理學興起為精神疾病的研究提供了新的視角。心理學家開始探索人類心理和行為背後的原因和機…
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kennak · 18 days
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ちょっと前に「障害者は障害者雇用行けや」という話があった気がします。まあ障害者雇用で自立した生活を営むのはわりと難しいのですが、僕は障害者雇用と障害年金と同居している彼女の障害年金で生計を立てることができております。 上記の通り多少特殊な生活形態ではあるものの、何かの参考になるかもしれませんので、僕たちがどうやって糊口を凌いでいるか書いてみます。 家計 収入 バイト 40,000円 障害厚生年金3級 (増田) 50,000円 障害基礎年金2級 (彼女) 65,000円 計 155,000円 支出 家賃 35,000円 水道光熱費 15,000円 食費 50,000円 交通費 10,000円 通信費 10,000円 保健医療 5,000円 その他 15,000円 計 140,000円 どんぶり勘定なので正確な計算はできていませんが、めちゃくちゃ間違っているということはないと思います。 家賃がやっすいのがでかいですね。地方都市の狭いアパートに二人ひしめき合いながら生活しています。一般的な感覚ではとてもではないでしょうが暮らしていくことはできないだろうなあと思います。でもお互い適当なのと性格の相性もあってか、致命的な不自由はなく過ごせています。 食費をもうちょっと抑えられたら楽になりますね。ただ、僕も彼女も安定的に家事をするというのが大変難しいので、出来合いのものを買うことが多いです。近所の4割引スーパーに感謝です。(追記:フードシェアリングにも助けてもらっています!) 精神科への通院もありますが、自立支援医療制度のお陰でかなり安価に済ませていただいています。ありがとうございます。 労働 僕は障害者雇用のパートで週10時間程度働いています。農業のお仕事です。といっても特例子会社などではなく、慈善事業のような形で障害者雇用を進めている小さな会社です。人は少なく仕事は多く夏は暑く冬は寒いのでなかなか大変ですが、人間関係は良好です。障害者と健常者という垣根を感じることもなく、皆楽しく仕事をしています。あと同人活動的なことをやっているので多少のおこづかいが生まれます。 彼女は無職です。以前は楽器の先生をやっていたのですが、コロナで教室が閉まってからは労働収入が途絶えています。 障害 僕にはASDと躁鬱があります。ASDとは自閉症みたいなやつです。これのためか人間関係が壊滅的にダメで、今まで縁してきた皆様には不快な思いをさせてしまったかと思います。すみません。しかしこれは自覚と鍛錬があれば技術的な操作で多少ごまかすことはできるようです。今の職場ではかつてのような大きな衝突もなく働けているので、ある程度は何とかごまかすことに成功しているんじゃないかと思います(もしかしたら職場のみなさんがだいぶ我慢してくださっているだけかもしれませんが……)。 躁鬱の方はなかなかにはっちゃけています。ほっとくと知らん人に声掛けてご飯奢ったりカラオケ行ったりし出します。いやお前ASDじゃんという話もありますが、長年の功夫により身につけた健常者の擬態と、軽躁状態の特徴的な人柄が微妙なところでバランスを取れているのか、まあまあいろんな人と仲良くなることができました。今の彼女とも軽躁状態の時に付き合い始めました。しかし躁は酷くなると人間関係や預金残高を破壊しますし、後で必ず反動が来るので、極力避けねばなりません。また、薬のコントロールがあってなお安定した出力を保つのは難しいので、フルタイムの労働とかもきついです。短期間ならできなくもないかもしれませんが、決して持続可能ではありません。実際できませんでした。 彼女にはいろいろ重い障害があって、普通に生活することも難しいです。家事や種々のケアなど僕ができないなりにしています。ですが世話をする・されるの関係になってしまわないよう注意しなくてはなりません。お互いが対等であるという共通了解なしに安定した共同生活を営むのは難しいと思います。 支援 今の会社に入る前には、就労移行支援事業所というところに通っていました。これは主に障害者の社会復帰を支援するための施設で、基本的に無料で使えます。毎日決まった時間に起きて、自分で決めたプログラムに参加し、人と話すという訓練を行えます。訓練と言ってもそんな堅苦しいものではなく、簡単なグループワークをしたり、利用者さんたちとレクリエーションをしたりといった、緩いものです。僕のところは希望者でソフトボールやってました。昔野球やってたこともあり結構活躍できたので嬉しかったです。他にも、施設の職員さんと一緒にハローワークの求人を検討したり、気になる職場へ見学に行ったりできます。企業によっては体験就労ができたりもします。該当地域の障害者雇用の求人について詳しく教えてもらえますし、いろんな企業にツテがある場合もあるので、強い事業所はかなり心強いです。 一方で残念なことに、あまり利用者のためを思って事業をしているとは思えないようなところもあるらしいです。こういった事業所を引かないためにも、入所を決める前に一度見学することをお勧めします。また、障害者就業・生活支援センターというところに相談するのもいいかもしれません。これはたぶん厚生労働省がやってるもので、全国各地に設置されており、障害者支援に関する情報が集まっているらしいです。ここで優良就労移行支援事業所がないか相談してみるのも手です。僕は障害者就業生活支援センター→就労移行支援事業所→障害者雇用という流れで今の職場に辿り着きました。 まとめ 僕は障害年金を受給させていただけたり、周囲の人間関係に恵まれたり、そういったいろいろな支援と幸運が重なったお陰で何とか生活できています。しかし、様々な理由により支援の手から零れ落ちてしまった人たちもいると思います。何らかのしんどい境遇に陥ってしまった人たちへの参考になったらいいなあと思い、増田を書かせていただきました。あるいは今は健常者である人も、ふとしたきっかけで障害者になってしまうこともあるかもしれません。その時はまだ社会には頼れるものがあるんだということを思い出していただいて、何とか生き延びていってくださればと思います。最後まで読んでくださってありがとうございました。
実録���これが精神障害者の末路だ!
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blue-aotan · 1 month
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ハロー(´ー∀ー`)2024.8.12
パリ五輪男子バレー準々決勝で敗退してしまいましたねぇ〜😭残念で悔しい負け方でした…泣いた😭
でも決勝かのような試合で、最後まで諦めない気持ちと勇気をもらいました。本当に楽しみと感動をありがとう😭
リベロの山本選手がめちゃくちゃ拾いまくってて痺れましたよね😭
西田選手も高橋藍選手もキャプテン石川も最後の最後まで諦めない姿を見せてくれました😭
心底謝辞!
金メダル取って欲しかった!だけど私以上に選手の皆さんが取りたかったと思います。本当にお疲れ様でした😭
解説の福澤さんも泣いててもらい泣きしました〜素敵な解説ありがとうございました😭
ところでMOTHER2が発売されて30周年ということで!!
30周年記念グッズが発売されました!
みてみてーー
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かわいいいーーん💖
下のバッグは姉に頼まれたのですが、本当はどせいさんのポシェットを狙ってたのにすぐ売り切れてしまってて😩
泣く泣くこちらのバッグに変更したというエピソードがありました。
あとは30thTシャツとハンドタオル、30th関係ないマグネットです(о´∀`о)可愛すぎて大暴走←
マグネットはまだ袋つけたまま←
なんか汚れたらやだなぁってなったよね笑
そしてそして大暴走パート2⬇️
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セリアとスイマーのコラボ商品です!
1月スタートのカレンダーと12月スタートのスケジュール帳でまだ気が早いですが、モチベを上げる為にも購入しました🎵
(姉の分も
6月から物欲が爆発してるんですよね…
ペットロスがトリガーになってる可能性大です。
原因わかってるので抑えようともしていませんけどね😙
心の向くまま、無理なく、そういう気持ちで日々を乗り越えています。
来月は結構前にどハマりして一瞬で飽きたトゥモローバイトゥギャザーのライブに参戦します←
なぜだかほんの少しイケメン拝みたいという気持ちだけで1万6千円も払ってライブ(しかもドーム)行く事になったんだけど、びっくりするくらい気持ち動かないんですよね←
(何で参加するとか言ったのだろう…8割後悔←
かっこいいはかっこいいけど、、なんかそんな気持ちじゃないんだよね。
人生の勉強というか思い出作りというか、経験値アップの為にもこなすしかない←
(私にとってはエンカウントと同じか←
10月は旅行と私が大好きな映画【SAW】シリーズの最新作が公開されます
(°▽°)楽しみ〜
そして年末が近づいてくると例の憂鬱のアレが←
またあるんですよねぇ🙁毎年の定期検査のアレ←
まぁ、何とか気合いで乗り越えて楽しく生きていきたいよねー。
今期のドラマは全てリタイアしましたよぉ〜
最近はハンターハンターのコミックデータをもらったので、そちらをゆっくり読んでおります( ˊᵕˋ )やっと虫編の続きが読める⭐️
ということで物欲モンスターあおブログでした。
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gupaooooon · 8 months
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(ハズビンホテル感想続き、これまでと同様にTwitterのツイート内容を此方にもまとめた形)
ハズビンホテル5.6話みました………すごい情報量が多すぎて………おおお……すごかった……
・ルシファーとアラスターのパパ対決。
アラスター曲(非公式)のINSANEが下地に意識されてるだろうし、パイロット版の衣装や演出や、ヘルヴァボスのフィズを思わせるカットもあったりで、ワクワクしまくりだった最高だった……
「INSANE (A Hazbin Hotel Song) - Black Gryph0n & Baasik 」
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・ルシファー、リリスと別れて(トレーディングカードのリリスが指輪をしてないのも、やっぱり完全な離婚状態ってことなんですかね)からずっと1人で塞ぎこみがち……恐らく鬱状態を本人も(家族も)自覚できてないってことかな……ルシファーこういうキャラ造形とは……すごくいいですね好きですね……
みんな当たり前になにかしら抱えてるってことが当たり前に描かれる物語がほんと好きですね……
ヘルヴァボスの大罪達がすごく安定感がある印象(彼等も丁寧に複雑に描かれている上で)の者達だったので……ルシファー……そうか……
・リリスとの失踪時期被りや、今回のハスクの発言への怒りなど、アラスターの目的も背景も謎だらけ……な中でのパパ発言。
チャーリーとホテルに対する保護者宣言を鵜呑みにしていいのかわからないけれど、ルシファー初対面時の左目ひきつき具合がすごかったな……リリスも謎だらけで……面白い……
・ハズビンホテル5話の、この、チャーリーとルシファーの歌/演出をみてると……ヘルヴァボスのストラスとオクタヴィアの親子の姿、星を見る約束なども重なって。
からの飛んでいく2人や水面の演出で……JUST LOOK MY WAYが…………どうにも連想されて……ほんと気を抜くと………ストラス………………
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・ハズビンホテルのルシファー……とチャーリー。
「“家族”ならわかりあえて当たり前……ではない」“機能不全家族”と呼ばれるものを描くこと。地獄/冥界であること。クィアなキャラクター達。母の不在。
かなりベクトル違いますが、大好きなゲームであるHADESが思い出されたりで、嬉しかったりでした。
HADESは「親への反抗」「家父長制/マチズモへの反抗」を、そこからの和解などを冥界の支配者の息子であるザグレウスを通じて描いていたりで。
ハズビンホテルは、地獄の支配者の娘であるチャーリー通じて、「天国つまりは特権/権力者への反抗」であり、明確に虐殺と差別構造を描く物語で……
・6話……もう……歌も物語も……1話の話と歌がこういうアンサーでくるのかと……すごかったですね………
全体主義/独裁下、不都合な事実として蓋をされるもの、黙殺されるもの、支配と虐殺と差別の構造をしっかり描いてること……大事ですねしんどいですね……どうなってくんだろうな………
・6話はもう胸が熱いわしんどいわでうまく言葉にできないんだが。
虐殺の事実が議会で明かされるシーン。リュートがアダムを誘導した?リュートがやけに笑顔なのも気になって……1話のアダムの歌の中でリュートが刃を振う先が“アダムごと/脳天めがけて振り落としてる”ようにも見えるのがずっと気になり。
アダムを突き落として下剋上を狙ってるのがリュートだったりするのかなと………思えてくるんだが。
で、その先にあるのは、事態が拗れた先で「虐殺に大義名分がしっかりほしい/虐殺を讃えられるべき」と思っていたりしないかなとか……いろいろ考えられる……こわいな……
・しかし、嘘で塗り固められていたこと/虐殺が行われてきたことがわかった上で、なお、地獄にある人々の存在と命が“上にいる者”達だけで“議論”されるさまが……本当に……いまの現実と繋がるのが……キツいな……
・しかし(ヘルヴァボスや原作者の発言で語られてきた)罪人/元人間の“傲慢の階層”以外の階層の存在。
罪人と悪魔達などの、地獄の命の中にある階級/身分差/格差なども考えると。
昇天の可能性を語られてるのは元人間のみで、虐殺を肯定する「反逆の可能性」は“地獄側全て”に向けられてるだろうことがまた……本当に……つらいし恐ろしい……
・改めて、この作品がAmazonプライム配信であり、Amazonがイスラエル支援企業/虐殺に加担する側であること、忘れてはならないことですね。
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sgsgsn · 1 year
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キタカミ記(と近況)
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DLCクリアしました。 ※盛大なネタバレにご注意ください※ 脳死で打ってるので無駄に長い上文めちゃくちゃです
その前に近況報告
ツイッターもタンブラーも1ヶ月以上沈黙してたのでタヒんだ!??!?と各所から心配してくださった方、ごめんなさい&ありがとうございました!!!
引越しで坐骨神経が逝ったところから始まり、 並行して施工不良されて外構業者とバトったり、家の前の道路破壊されて市役所とバトったり、家族が指に謎の腫瘍できて緊急手術したりしてたら気付いたら50日くらい経ってました。 え何かに憑かれてる?この人…こわ…(他人事) 割とまじで人生しんどすぎて破裂しそうだったけど連日ソウグレグッズ集めることで何とか精神保ててました。
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ありがとうソウグレ、LOVE…
DLC感想
旅パの準備からのスタート
私は本編をすべて終えてからソウグレに堕ちたという異例のケモナー(鎧ってケモに入るんですか?!)(未だ永遠の謎)で、もともと旅パにソウグレのその字もなかったので、 流石にソウグレと一回くらい…旅してえよ!!!と思い DLC発売前日に夜なべしてキタカミラブラブデート用ソウグレ(あくテラス♂おとなしいXLソウブレイズ×フェアリーテラス♀せっかちMグレンアルマ)をこしらえました。 個体ステータスは当然完全に性癖だけで選びました。(ドヤ顔で言うこと?)
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え~~んぼーっとしてる大人しいそぶ君にぐいぐいいくせっかちアルマちゃかわい過ぎる 同人誌100冊ほしい
努力値は雑にACHあたりに振りましたがSガン振りにすべきだったと死ぬほど後悔するのはまた別の話…
さようなら、ソウグレレイド
この記事でも書いたんですけど、イベントレイドってインターネット接続しないと永久に更新されず残り続けるんすよ という仕様なのかバグなのかわからんシステムの下この7ヶ月間、一度もネットに繋がず不定期にソウグレのテラス棲家に突撃して乱獲する狂人として生きていたんですが DLCのコード打ったら強制的にネット繋がされてこの楽園突然終焉しました。 いやなんかそうなるだろうなとは思ってたけど…やっぱつれぇわ… ということでジュナイパーもゲッコウガもウネルミナモも何もかんも実装されていないのにソウグレだけ500体くらいいる謎のROMが爆誕しました。あーもうめちゃくちゃだよ
キタカミのDQNどもがよ…
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えっ!!!!!
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はい
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は?????
  ガキが…舐めてると潰すぞ
いや……夜中の3時にドンキにたむろってそうな顔してる低学歴アベックにこの高度なカップリングは難しかったのかもしれない 青い鎧と赤い鎧が世界で一番ラブラブなポケモン、都会では常識です。覚えて帰るように
壮大なソウブレイズゲー
分かっては!!!いたんですけど!!!! 先制技なし、回復技なし、ウスノロ鈍足赤い鎧ポケモン、旅パで息できなすぎて草 グレンアルマとかいうポケモン旅パに入れてた人達みんなドMなんですか????因みに私はドMではないけど見た目が世界一可愛いからリストラできませんでした 存在が天使、妖精、生きてるだけで天才
てか対の青い方がその3つ全て持ってる上で見た目も68542倍カッコいいの本当に何?!?、??グレンアルマとかいう凡のろまデブ可愛エンジェルを守る為に生まれてきたナイトとしか思えん
  ということで9割方のポケモンに素早さ負けルマ姫がいるためキタカミソウグレデートは完全にソウブレイズゲーと化しました。
姫が自慢の体脂肪率(意訳:HPぶっぱ)で一発受けつつ何とか1匹…倒せたかも…> <;くらいであとはソウブレイズさんお願いします!!と全部丸投げする図式。 少女漫画じゃん(強めの幻覚)
  マジな話するとそもそも…一発受けるだけならタスキでいいし、 その上で努力値性格Sにガン振りしてたら姫が先行取れる率もう少し上がってた気がする…と冷静になった今なら思いますが 当時は脳死で性癖に基づきHPぶっぱのデブに育成してしまいました ヤバいと思ったが性欲を抑えられなかった
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(図1)これからも共に姫を護っていこうな…、と堅い契りを交わす俺とソウブレイズ君さんの写真
限界を迎える、2人きりのデート
レベルあんま高すぎてもおもんないよな🎵と舐め腐って65前後でキタカミ入りしたことも仇となり 点在してる鬼面衆?とかいうDQN集団や成長したスグリがまじで���すぎて、 こいつらには姫の脂肪は当たり前のように貫通されソウブレイズ様ですら何度も一発KOされたため
急遽途中から空きの4枠にイシツブテとかノズパスとかなんかその辺の石を入れて生贄という名のクッションにし、元気の欠片ぶん回してソウブレイズさんを無限死者蘇生させる戦法にシフトせざるを得なくなりました。
限界戦法が過ぎる 俺苦しいよこの旅(※自業自得)
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(図2)ソウグレの子作りを目の当たりにしウキウキの石の写真 俺主「視姦プレイ…これはこれでありか…」(柔軟なオタク)
スグリつらすぎワロタ(※長いので読まなくていいです)
※完全にネタバレを含みますのでご注意ください
  最初は普通~にストーリークリアしてお~陰キャの闇落ちで引っ張るかあwくらいの感想だったんですが冷静に考えてたらガチで辛くなって頭抱えました。
碧の仮面、スグリ視点で見ると結局、凡人はどんなに努力して足掻いても天才に勝てないし何も手に入れられないって話なんすよね…………う、鬱
  スグリのここがつらい!箇条書き
人口少ない田舎で久々に友達できたと思ったのに姉と俺主にハブられる(あれ普通におしえてあげてよかっただろ…すぎた)
バトル重ねる度にレベルも進化も戦法まで明らかにめちゃくちゃ努力して成長してるのに結局俺主人公に勝てない
何年もオーガポンのこと大好きで探し回ってたのにぽっと出の俺主に秒で寝取られる
私欲があったとしてもオーガポンのために慣れない努力して頑張って町中を走り回ったのは事実なのにオーガポンは目も合わせてくれない
後編のチャンピオンポジ=スグリな可能性がPV的に濃厚だがそれってやっぱりチャンピオンレベルになっても結局俺主に勝てないストーリーが約束されている
そもそもこの後、後編でどんなに闇落ち救済があったとしてもオーガポンはもう二度とスグリの手に入らないしキタカミにも戻ってこないし俺主のもの
   助けてくれ~~!!!!!!!(鬱発狂)
このショタ救える要素あんの?????頭痛が痛い
まじで主観なんですけど、キタカミの田舎の描写の解像度が諸々めちゃくちゃ高すぎて、そこはすごいと思うんですが スグリは……田舎に生まれた以上結局どんなに頑張っても都会育ちで恵まれてる子にはそもそものスタートラインが違うから絶対勝てないんだな…… というのをまざまざ突きつけられて、しんだ、私が(※田舎育ち)
そこに気付くとオリエンテーリングの写真で主人公とスグリのポーズの慣れ不慣れ感、最初は陽キャと陰キャの対比かわい~wくらいにしか思わなかったけど、持ってる者と持たざる者の対比にしか見えなくなってきてつらい
あとスグリの手持ち、全部アイテム進化かめんどい技進化系なんですよね……… 全部そうだからこれは狙ってそうしてんだろ…と思うんですが、通信交換する友達もいない、親密度も重要視しない、まじで自分の力だけで何とかしようとしてる…ロケット団か?お前は 一時期ウォロに堕ちてた人種なんですが、ウォロはどんだけ悪役ムービングして世界の全てから追放されても、手持ちが殆どなつき進化と高レベル進化ゆえに、手持ちのポケモン達だけはウォロのことを絶対に嫌いなわけがないというのが確定的に明らかなのが最高の救いだったので(シロナの手持ちコピーといえばそうなんですけどそこ対比しつつ設定も生かされてるのうますぎるんだよ) スグリはそういう救いも今のところ見あたらなすぎて…辛!??!
推しじゃなくても辛いので推しになってしまった人は胃磨り減って半分になってそう、 全国のショタコンのスグリファンの皆様スグリ救済頑張ってください。人外ケモナーの森から応援しています
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ashrhal · 1 year
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2023/07/19
「もう無理だ。」という感情が今までの中で最高に達している。俺はもう無理なのかもしれない。俺が無理なのかもしれない。
結局3月の大喧嘩の後旅行にも一緒に行ったしニコニコ楽しい時間もたくさんあった。旅行に行ってからしばらくというもの、「嫌な気持ちは全部洞爺湖に置いてきた」と宣ってくれることもあり喧嘩もなかった。4月の末頃、妻のお母さんが亡くなった。2人で東京に戻り、葬儀に参列した。俺以外で妻の唯一の理解者であり、拠り所であったかもしれない存在がこの世からいなくなった。それは妻にとって途方もないほど寂しいことだったと思うけれども、妻はそのことで一度も俺の前で感情を昂らせることはなかった。
5月になり、また隔週くらいのペースで喧嘩をするようになった。俺がこの日記で散々情緒めいたことを書いた挙句一年越しに再開したタバコのことや、日々の軋轢といったそんなことばかりが原因だった。もちろん幸せを感じることも多々あったとは思うが、毎日の暮らしがお互いにとって少しずつ苦痛を募らせていた。
その頃から俺の考え方も変わっていた。俺は妻が怒ることそのもの、怒って怒ったまま怒った感情に基づいてなんの生産性も未来もない途方もないほどの感情に晒されるのに疲れを感じていた。怒らせる原因は俺、怒らせる俺が悪いという気持ちをどこかに抱きつつも、俺はそんなに悪いことをしているのか、俺のつらさや甘えは許されなくて然るべきなのかという感情が日を追うごとに増していった。妻の怒る琴線と、俺が怒られてもいいと思う線引きがどんどん乖離していった。結局俺は「妻が怒るのは俺の問題ではなく妻の問題である」という一線を、そんな日々の中心のどこかで少しずつ培っていた。
「距離を置きたい」これは2人の共通の思いだったと思う。俺は妻がニコニコしながら俺の一挙一動に構ってきて、2人以外の時間を作ろうとすることを行動で拒否する妻の距離感が怖かった。またこの反動が来るのではないか、躁鬱のようにまたこの距離が怒りに転じるのではないか。実際に妻は、俺のことがめちゃくちゃ好きか、俺のことがめちゃくちゃ嫌いかの二つの距離しか持ち合わせられない人間だった。今思えばこの仲が近すぎる頃にきちんと座を作り話し合えばよかったと思うが、それよりもまた怒りに転ずることが嫌でなあなあにしていた。「われわれはお互いがお互いに関心がありすぎるんだと思う。5年も付き合ってきて仲がいい時は以上に距離が近いし、そうじゃない時は最悪の関係になる。そうじゃなくてお互いがお互いを何していても気にしない、それでも普通に話せるような適度な距離を保った方がいいかもね」酔っ払った気に任せ伝えられる言葉はそれが全てだった。
そして今、また最悪な関係に陥っている。今回の喧嘩の原因はなんだろう。それももはやわからないし、どうでもいいとすら思う。
今日の昼ごろ、今までになかったことが起きた。妻から「昨日はごめんなさい」という連絡が来た。これまでは喧嘩をした際に、全て俺から謝っていた。俺が俺を悪いと思っていようがいなかろうが、関係なく俺からごめんという言葉を伝えていた。俺はシンプルに嬉しく思った。妻から歩み寄ってくれた、妻が俺と話すでもなく自身のこと反省してそれを言葉にしてくれた、そう思うとクソつらい仕事の中スキップすらした。これから先も喧嘩はしてしまうかもしれない、そうは思ったが、あの妻が自分から歩み寄ってくれたのだという事実がただただ嬉しかった。今思えばこのクソみたいなフェイントに引っかかった俺が愚かだったんだと思う。誰だって戦争はしたくない。きっとプーチンも戦争以外の解決方法があるのであれば戦争なんてしなかったと思う。俺もしたくない。お互い許せない部分があったとしても、必要なのは歩み寄りで、自分の感情を棚上げして相手の気持ちを汲むことが大事だと思っていた。でもそんなものはこと我々の関係においては全て幻想だった。
帰り道、コンビニでハーゲンダッツを買った。浅ましいかも知れないが仲直りのきっかけになってくれるといいなと思った。帰宅したとき、妻はイヤホンをつけて資格勉強をしていた。ただいまといえばおかえりが帰ってきた。俺は妻の机にハーゲンダッツを置いて、食べてねと伝えたが、妻は俺を睨みつけるようにして「冷凍庫に入れといて」といった。
今思えばこの時点で話しかけることも仲直りも全て諦めればよかったと思うが、俺は妻に話しかけ続けた。「話したいことがある。(そんなものない)」「すこしこっちにきてくれないか」妻は渋々テーブルにつき俺と話をしてくれた。話をしたくなさそうな妻の態度を感じつつも、俺は妻を否定しないよう、違うと思っても否定せずに冷静に話すよう努めていたつもりだった。でも結果としては最悪の最悪になってしまった。
結局妻が謝ったのは自分の中で納得できないことがあり、それを消化するような意味合いで謝っていただけだった。そこに歩み寄りの気持ちなんてほんの少しもないようだった。俺が話す、「今の状況を解決するためにはどうすればいいか考えよう」という話も、妻の嫌悪感を募らせるだけだった。挙句の果てには妻は自分の太ももを自分の手で叩きつけ始め、そんな幼稚なことをするのはやめろと怒る俺の構図が出来上がっていた。
なんなんだよマジで。
何を話しかけても「うるさい」「話しかけるな」というモードになった妻を見て俺はクソがという気持ちを抑えつつ、わかったもう話しかけないから気が変わったら何か話してくれという言葉を伝えた。妻からは「もう話しかけない」という返事が返ってきた。
中空を見つめ鼻で息をする妻の姿を見ながら、「俺はもう無理だ」と心から思ってしまった。
その状態になる前、「一緒に過ごしたくない」という妻に対して、喧嘩の最中、俺は妻に質問をした。「12月に引っ越そうと思う。この環境が喧嘩の原因になるなら、部屋が二つある家に引っ越しをして、お互い物理的に距離を置くのもありだと思ってる。それについてどう思う?」それに対して妻は、「一緒に過ごさないならそれでいい」という旨の回答をした。そこから少し深掘りをしていったが、妻の回答は「一緒に過ごしたくない」という感情であって「別々に暮らしていく」という結論ではなかった。
結局のところ本心はわからないし、俺は俺でもう無理になっているが、俺はバカでクソでだらしなくて楽観的な元無職でやさしさとエゴを履き違えたしょうもない人間で利己的で自尊心が強くそれゆえに他人に関心がないだけなのにそれを寛容さと勘違いしている男だからこんなしょうもないことを言うんですが、これが妻の壮大なツンデレであることを祈ってる。そして俺ももう無理になってる。でも祈ってるし死にたくなってる。普通に仲良く暮らしていきてえよクソが。
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alen09blog · 2 years
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故態復萌
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確診以後,那股病懨懨的不適感,如此熟悉,我彷彿找回了自身久違的本性。
孤僻。陰鬱。難搞。不合群。無意解釋。不屑這個世界。
稀罕接到朋友來電。我同樣稀罕而微不足道的擅長蟲技,藕斷絲連地構成他們與我聯絡的唯一理由。我壓抑慍意,訕問近況。他雲淡風輕告知,證實新訊。同時證實我與他這點主動告知,分享的情誼不再。即使我頭好痛。又疲倦又噁心。突然之間,我彷彿找回薄情而堅硬的自己。
好一陣子,無效地糾正觀點,尋求改進,合乎主流,軟弱地奢盼他者如儀的溫柔回應,收斂脾性,妥協至於散漫和解,究責起過往慣常的自私推拒,期許所謂忍讓,無私付出,點滴努力,洗心革面,從此踏上一條不再輕易遺落,丟失,沿途有光,喧譁裡有笑,目的有人,皈依篤信,將來不讓自己惘然而心酸的路。
到頭來這些努力無的放矢,那裡什麼也沒有——因為是我,只有我——我終究明確了這件事,這是必然的結局。掛上電話。我覺得關起門來果然很好。我真心說的每句話都像是自輕自賤的自慚形穢。只好也只能否定眾人的激勵鼓舞,為之舉證個人的弱勢與不堪,更是犯賤。我誠然討厭自己,但無疑更討厭你們。
彷彿還不夠丟臉,無恥地說服大家相信我有多糟。
我想通了。我不想要了。
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wangwill66 · 2 months
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情愛之考
H:慶餘年第12集范閑爬窗與林婉兒會面後,走時留下「執子之手,與子偕老。」雖沿用詩經,但原意是兩戰士的互相鼓勵。基督教誓詞「從今時直到永遠,無論是順境或是逆境、富裕或貧窮、健康或疾病、快樂或憂愁,我將永遠愛著您、珍惜您,對您忠實,直到永永遠遠。」電影常演。瓊瑤式愛情「離離合合愛到肝腸寸斷的小說」,讓很多少女著迷。古人崔護「去年今日此門中,人面桃花相映紅。」想認識又不敢,如范閑所說的「不行」,時機已錯過。歌德《少年維特的煩惱》,少年以自殺式的完成愛戀。20240804W7
網路資料:
瓊瑤式愛情
形容的就是愛到天崩地裂山盟海誓,以及就是優柔寡斷經常哭得肝腸寸斷的那種。瓊瑤的言情小說是對青少年戀愛心理做出了最生活,最真實,最透徹也最唯美的剖析。
「執子之手,與子偕老」出自《詩經》的〈邶風‧擊鼓〉篇,說的是即將征戰沙場的兩位年輕戰士發出「古來征戰幾人回」之嘆,於是兩人牽起手互相鼓勵,一定要一起撐到最後,不要戰死沙場,要活到頭髮變白!
基督教結婚誓詞 「在上帝以及今天來到這裡的眾位見證人面前,我(新郎/新娘姓名)願意以你(新娘/新郎姓名)作為我的妻子/丈夫。 從今時直到永遠,無論是順境或是逆境、富裕或貧窮、健康或疾病、快樂或憂愁,我將永遠愛著您、珍惜您,對您忠實,直到永永遠遠。」
博客來介紹:
愛情故事
Love Story
作者:[美]埃里奇·西格爾
譯者: 舒心 鄂以迪
語言:簡體中文
出版社:上海譯文出版社
出版日期:2011/11/01
內容簡介
在傳世愛情經典埃里奇·西格爾編著的《愛情故事》里,名門之後奧利弗撞上他的「刁蠻女友」詹尼,兩人一見鍾情,口角不斷卻又愈愛愈深,但這深情的愛,卻因詹尼魂歸天國而陷入無限凄涼┅┅《愛情故事》譜寫了一曲純如秋水的愛情,有如一棵清嫩的小草,觸動了人心底最柔軟的地方,撥動了埋藏最深的心弦,令人刻骨銘心。
網路資料:
去年今日此門中,人面桃花相映紅。
出自於崔護的《题都城南庄》
朝代:唐代
作者:崔護
去年今日此門中,人面桃花相映紅。
人面不知何處去,桃花依舊笑春風。
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少年維特的煩惱
《少年維特的煩惱》(德語:Die Leiden des jungen Werthers)是第一部讓歌德在德國幾乎一夜成名的小說。本書於1774年秋天在萊比錫書籍展覽會上面世,並在那裡成了暢銷書。它是歌德作品中被他的同時代人閱讀得最多的一本。《少年維特的煩惱》中的主人公——他的行為僅僅取決於他的感覺——是感傷主義的代表性人物。
絕大部分的情節是在維特寫給朋友威廉的信中敘述的。
作為一個還不清楚自己人生目標的年輕人,維特離開了市民的世界,來到了W城。在那裡,他從在自然中遊蕩和練習繪畫中獲得享受,因為他認為自己是個藝術家。一天他被邀請參加舞會,在這次舞會上,他認識了公務員的女兒夏洛特,夏洛特在母親去世之後照顧着八個兄弟姐妹。維特先前就知道她已經訂過婚,卻不顧這些,立刻愛上了她。舞會期間下了一場暴雨。兩人想到了克洛普施托克的同一首詩,並由此意識到了兩人間深深的靈魂的親和力。從此,夏洛特和維特一起度過了很多時光。
夏洛特的未婚夫阿爾貝特出差回來的時候,維特的感情漸漸產生了變化。夏洛特未婚夫的存在使他意識到了自己的愛情的無望。儘管阿爾貝特是一個富有同情心的、好心腸的人,他和維特之間的關係仍是緊張的。當維特意識到他對夏洛特的感情因為這種棘手的局面不能繼續下去時,他離開了這座城市,以避開夏洛特。維特為一座大使館工作了一段時間,但事務的死板和禮儀的拘束摧毀了他的希望。他不能認同社會的上層和貴族的生活。他失望地回到了W城。這夏洛特已經和阿爾貝特結婚了。
聖誕節之前,維特在阿爾貝特不在時拜訪了夏洛特,並為她朗讀了莪相的作品,他們情不自禁,相互擁抱、親吻。但是夏洛特掙脫了,還發誓永遠不再見維特。這次事件後,維特徹底絕望了。他寫了一封訣別信,並以要旅行的藉口向阿爾貝特借了一把手槍開槍自殺。次日早晨,人們發現他身着他標誌性的藍-黃衣服死去了。萊辛的作品《愛米麗雅·迦洛蒂(英語:Emilia Galotti)》翻開着放在他的桌上。由於是自殺,人們無法以基督教的方式埋葬他。
21世紀少年維特的煩惱是什麼,大人知道嗎? 根據衛福部最新完成調查分析的國內12到18歲少年生活狀況調查,對於在學少年來說,最困擾他們的問題不外乎課業、前途、選擇學校等,其次則是人際交友及感情問題。2017年6月10日
Web2.0館藏
解讀瓊瑤愛情王國
作者:林芳玫
出版:臺北市 : 時報文化 1994[民83]
版本:初版.
瓊瑤小說的文本意義為何?此時小說的主題著眼於愛情與外在社會力量的衝突,而後者通常以家庭及父母親為代表,他們所形成的阻撓反對力量蓋過了愛情的力量,使愛情以悲劇收場。小說中充滿了生病、發瘋、自殺、意外傷亡;女主角及其他女性人物無法掌握自己的命運,被男主角的濃情蜜意及傳統的禮教道德兩種極端的力量撕扯,最後不是屈服於禮教就是崩潰。外遇與婚外情是瓊瑤小說中頻頻出現的主題或是副題,而通常是以介入他人婚姻的第三者的立場來寫。這些介入別人婚姻的第三者(有男性也有女性,但以女性居多)一方面充滿了罪惡感,但另一方面仍執著於愛情,無怨無悔。這個時期瓊瑤所顯現的愛情觀,充分展現了女性的軟弱與無力感,但在極端無能中死命地攀住一段愛情,由此反而流露出一種堅忍不拔的毅力與耐力,瓊瑤把女性無力/有力的弔詭發揮得淋漓盡致。
亦舒的小說世界呈現出都會現代男女的疏離冷漠,她的人物善於自嘲嘲人,對愛情以及穩定的兩性關係抱著懷疑的態度。嚴格說來,亦舒的作品並非言情小說,因為她的作品對愛情迷思提出溫和的嘲諷與顛覆。
六種關於世代衝突的解釋:(一)父權意識形態,這是盛行於六0年代的說法;(二)適合大量生產的小說公式;(三)農業封建社會殘存的道德觀,但在後現代消費社會中已顯過時——這是八0年代開始出現的說法;(四)女性的幻想,藉由戀愛、世代衝突、妥協的過程建構出男性對女性以及長輩對晚輩呵護寵愛的完美想像;(五)中國人民族性格的反映與刻劃;(六)最後一種看法是我在此書中提出的,將瓊瑤作品詮釋為「情感式家庭主義」,
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愛情
感情的深入发展
愛情,或作「墜入愛河」等,是��烈的依附和愛的感覺的發展,通常是對另一個人。
這個過程有時就像跌倒的身體行為一樣,是突然的、無法控制的,讓愛人處於一種脆弱的狀態,類似於「生病」或「落入陷阱」。[1]
這可能反映了人腦下部中樞在這個過程中的重要性。[2]
一般定義
馬克思說的形而下的愛情是僅建立在物質和情感上的愛情。弗洛姆《愛的藝術》說的是泛愛,就是廣義上的愛。曹菁《愛情信仰論》說的是愛情情感加上愛情關係(產生於情感又超越情感的愛情關係)。根據卡爾·榮格的原型理論,男人的潛意識中有且僅有一個女性性格——阿尼瑪,她同時也是男人心目中女人的形象。當男人對女人有一見鍾情的感覺時,他可能是將他心目中阿尼瑪的形象投射在這個女人身上。而女人潛意識中可有多個男性性格——阿尼瑪斯。此外,愛情關係也存在於同性或多個人之間,而不僅限於一男一女之間。
在文學作品中,以及心理學家、哲學家、生物化學家和其他職業的專家的著作中,我們都可以找到關於愛情定義的爭論。愛情是相對的,但是被普遍認同的是,愛情是在人際關係中對某個人產生的一種特殊而極為重要的感情。
在浪漫愛情的初始階段,人們往往更重視情緒,尤其是愛、親密、同情、讚賞和親和等,而不是身體上的親密。
在一種愛情關係已建立之後,可以通過一種盛大的儀式如婚姻來完成對親密關係的確認和釋放。這是一種精神上的,然而後果自負的關係。
在一些文化中,基於安排和習俗的包辦婚姻和訂婚可能會和愛情發生衝突。然而,包辦婚姻中的伴侶間同樣可能存在着強烈的愛情。
科學模型
《吻》,古斯塔夫·克林姆所畫
生理學上,愛是有性繁殖動物的意欲表現,就如飢渴。心理學上愛是社交與文化的表現。其兩者皆有可能是正確的,愛肯定是受到荷爾蒙(如催產素)與外激素影響而產生的表現,但同時人們對愛的想法與行為亦受到其對愛的信念影響。
吸引與依附
由天鵝組成的愛心,很多人視這為兩人相愛的象徵
生物學觀點普遍認為愛有兩種主要意慾,性魅力與依附。
2006年2月,該期的國家地理雜誌的封面文章《愛:化學反應》討論了愛與化學反應的關係。其作者史雷特解釋了部份關於此領域的研究,部份重點為:
化學觸發反應可以表示為熱烈的愛,長期的依附的愛則要雙方互相參與而非只是單人參與。
沉醉在愛河時的血清素效應(serotonin effects)擁有與強迫觀念-強迫行為症相似的化學表現(這解釋了為何沉醉在愛河的人通常在思考中把其他人的存在淡化)。因此亦有人主張若患有強迫觀念-強迫行為症的精神病人服食血清素再回收抑制劑或其他抗抑鬱藥,其墮入愛河的能力會被阻礙。舉例:
“我知道一對夫婦在離婚邊緣,那位妻子在服食抗抑鬱劑。但當其停止服食後,其能再次享受性高潮,感到��對丈夫的性魅力得到更新,而其夫婦兩人亦再次與對方相愛。”——海倫·費舍爾[3]
當剛開始時期的熱愛消失後,便會轉為長期依附的愛,這是因為催產素等化學物的影響。按摩與做愛可以幫助觸發催產素的作用。
理論
友愛與熱愛
傳統心理學的觀點認為愛情是由友愛與熱愛組成。熱愛是強烈的渴望,通常陪隨著生理激起(呼吸急促、心跳加速,如墮入愛河)。友愛是由緊密的行為而引起的愛慕與感覺,但不陪隨著生理激起(如君子之交)。
愛情三因論
1986年,心理學家史登堡在《心理學評論》[4]裡發表了其著名的「愛情三因論」(Triangular theory of love),對愛情作出幾何學的假設。根據愛情三因論,愛情可由三部份組成:
「親密」(Intimacy)——包括了緊密感、聯絡感與約束感。
「激情」(Passion)——包括了驅使人戀愛、互相吸引與進行性行為的動力。
「承諾」(Commitment)——包括了短期的愛戀與長期的愛的維繫。
對其他人的愛的程度主要是看這些組成部件的絕對強度;而對別人的愛的種類則是看這些組成部件的相對強度。這三個組成部件可當為三角形,互相影響,使得愛出現很多不同類別。三角形的大小代愛的程度,越大代表越愛對方。而三角形的形狀則代表愛的種類,普遍分為「激情階段」(三角形傾向右方)、「親密階段」(正常三角形)、「承諾階段」(三角形傾向左方)。這三個元素可以構出七種不同的愛的組合[4]:
 親密激情承諾友誼之愛o  迷戀 o 空洞之愛  o浪漫之愛oo 知己之愛o o愚昧之愛 oo圓熟之愛ooo
此表格來源於Psychological Review Vol. 93, No.2, 123 Table 2[4]。原文中有nonlove(沒有愛情) 親密、激情、承諾皆無,在此表中省略。
風格
蘇珊與克萊德根據李約翰(英語:John Alan Lee)的理論開發了愛的態度指標,將男女之間的愛情關係分為六個基本類別:
情慾之愛——基於對方的外表而產生的熱愛。
遊戲之愛——愛就如遊戲,充滿樂趣,通常不重視承諾而著重征服對方。
友誼之愛——緩慢發展的重情義的愛,基於雙方互相尊重與友善。
現實之愛——傾向選取可以幫助自己的朋友,使雙方皆可由此得益。
依附之愛——重情緒的愛,不穩定,是由浪漫之愛衰退而成,充滿妒忌與爭執。
利他之愛——完全無私的愛,可不惜傷害自己或捨棄任何東西。重視神交。現代多半喜歡稱呼這種愛為「真愛」。
兩位漢迪斯認為異性戀男人會漸漸趨向遊戲之愛與依附之愛,反之異性戀女人則會漸漸趨向友誼之愛與現實之愛。兩者之間的關係若是具有相類的愛可維持得更為長久。
階段
海倫·費雪(英語:Helen Fisher (anthropologist))提議愛情有三種主要的狀態:情慾、吸引、依附。愛通常會由情慾狀態開始,主要著重激情而忽略其他元素。此階段最基本的推動力是基本性本能、如外表、氣味與其他相似的因素是選取夥伴的主要因素。然而隨著時間的流逝,其他元素可能會增多而激情則減少,但這卻是每個人皆不同。在吸引階段,人們會將注意力集中在其對對方的影響上,而此時忠誠最為重要。
與此相似,當一個人長時間被愛,其將會與其夥伴發展出依附的關係。一段時間後,激情消失,愛會由熱愛轉向友愛,或由浪漫之愛轉向好感。
文化
《神聖的愛對比肉體的愛》,由巴里歐列所繪
神話與神學觀點
很多文化將愛情神格化,通常以男與女的形態顯現,這裡列出不同神話裡的愛神:
安妮(Áine)——愛爾蘭神話裡象徵生育與激情之女神
阿莫爾(Amor)或丘比特(Cupid)——羅馬神話裡象徵激情之神。
安格斯(Aonghus)或Aengus— 愛爾蘭神話裡象徵美麗、年輕與肉慾之愛的神
愛芙羅黛蒂(Aphrodite)——希臘神話裡象徵美麗與激情的女神
阿斯塔特(Astarte)——迦南神話裡象徵愛的女神
厄洛斯(Eros)——希臘神話裡象徵激情之神
弗雷婭(Freya)——挪威神話裡愛與春天女神
伊南娜(Inanna)——蘇美神話裡象徵愛與戰爭的女神
伊絲塔(Ishtar)——巴比倫神話裡象徵愛與戰爭的女神
伽摩(Kama)——印度教神話裡的象徵肉慾的神。
拉提(Rati)——印度教神話裡象徵激情的女神
維納斯(Venus)——羅馬神話裡象徵美麗與激情的女神
花神(Xochipilli)——阿茲提克神話裡的神
安忒亞(Antheia)——克里特神話裡象徵愛、花朵、園林與沼澤的神。
即使在一神教裡,神亦是愛的象徵,此外,亦經常有如天使或相似的東西象徵愛:
漢尼爾(Haniel)——維納斯所派的天使,亦是厄洛斯所派的天使。
拉斐爾(Raphael)——在猶太教-基督教神學裡是純愛的天使。
彌爾(Mihr)——波斯神話裡的愛的天使。
月下老人(Yue Lao)——道教的裡的神祇,為掌管男女婚姻之神。
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蔡氏效應
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參考資料
莎士比亞的8大犀利愛情觀,讓你明白愛一個人既現實且瘋狂
愛是一種甜蜜的痛苦,真愛之路從來不平坦。—— ...
瘋子、情人、詩人都是想象的產兒。—— ...
主動追求的愛是美好的,但無求而得的愛更為珍貴。—— ...
愛情裡面要是攙雜了和它本身無關的算計,那就不是真的愛情。—— ...
愛情不過是一種瘋狂。—— ...
年輕人的愛不是發自內心,而是全靠眼睛。——
戀愛是盲目的,戀人們看不見他們自己所做的傻事。——《威尼斯商人》
啊!婚姻的煩惱!我們可以把這些可愛的人兒據為己有,卻無法掌控她們的各種欲望。——《奧賽羅》1
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blue-aotan · 7 months
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ハロー(´ー∀ー`)2024.2.29
とある殿方2人が会話してて盗み聞きしたんだけども←
私全く関係ないし独身で子なしでそんな事思う資格すらもないかもしれないんだけども……色々と思う事があったのでこちらで発散したいと思います←
殿方A「うちの子今2歳で今が1番可愛い時だとは思うんですけど、自分が子供だった頃は友達と遊ぶ事が大好きだったので自分に来るんじゃなくて早く友達のとこ行きな、友達と遊びな、って思うんですよねぇ〜」
殿方B「あー。でも子供ってほったらかしててもいつのまにか育つし大きくなるし。そのうち友達友達になるんじゃない」
この会話でさ、私全然関係ないのに会話にかたってすらいないのにめちゃくちゃ腹が立ったんですよね←
まずAの発言について
自分は友達が好きだった=子供もそうなるとは限らないよねってこと。
子供には子供の人格があるし、その子が何を大事にしていくのかは親にはわからないよねってこと。
この言い方だと子供が鬱陶しく感じているのだろうか?と思ってしまう。
嫁のいない場所で言うのが息抜きかもしれないけど、私が嫁の立場だったらそんな事を自分のいないところで言ってるんだ…と思っただけで悲しい、いやイライラしかない←
そしてBの発言について
子供はほったらかしてても育つ訳がないよねってこと。
その発言は完全に育児に参加してない奴の発言だよねってこと。
いつのまにか大きくなるとかは、他人の子供とか身内の子供とかなら分かるんだけど1番身近でましてや我が子がいつの間にか育ってるってどういうことなん?別々に暮らしてるんですかあなたは?
ってなる。
小さい子供のお世話って四六時中目が離せないしずっとかかりっきりでその合間で家事とか料理とかしてるのは大体奥さんだと思うのです。
奥さんが自分の時間と自由を使って子供を育てているのです。
イライラしかない←
こんな盗み聞きですらイライラする私はやっぱりこじらせまくった男性嫌い(人間嫌い)の人間だと思わざるを得ません笑
(いやそのイライラは更年期だろ?って思った人、正解!←
まじで私には無関係な会話だし盗み聞きして勝手にイラついてる私がおかしいんだけども笑
色んな家族の形があるし、正解なんてない訳ですからね。私があれこれと口出すことではないのはわかっております。
なのでこの場所がある訳です←
私の考える結婚と周りの既婚者の現実がかなり異なるってことなんですねぇ
理想と現実は違いますもんね…
だから私は独身貫き丸なのです。
貫き丸という船に乗っているのです。
(なんだよそれ
(単に好きになる人がいないだけだろ
(結婚できない勢が貫き丸とか言って逃避してんじゃねーぞ
貫き丸に乗ってる人、私以外にも結構いると思うのよね。
だから何って感じですけども。
好きなタイプ・理想のタイプは?と聞かれたとしたら
「臭くない人・一緒にいてストレスに感じない人・価値���や考え方が合う人」
と答えるでしょう。
においが1番大事だよね←
においで思い出したんだけどさ。
職場の上司が部下(以後C)の独身男性が女性の影すらない事を不憫に思って
「そういえばあおさん独身だったよね?丁度いいや!Cくんどう?」
って言ってきたのね。
Cの見た目が鬼太郎に出てくるサブキャラにそっくりなスポーツ刈りメガネで30代前半でめっちゃお腹出てて、体臭がう◯こした後のトイレのにおいなんだけど(私以外誰も気付いてないんだけど)動作とかも鈍臭いしかなりダサくて何より力の限りメンヘラなんですよ←
すぐパニックになるししどろもどろになるし…そんな人すすめられる私…なんなの😭
元々自己肯定感低いのにもっと低くなったよね…
はっきりと言ってあげたよ!
「いや、無理でしょ」
私にも選ぶ権利あるんだよねってこと。
(いや、もしかしたらもう選べる立場にいないってことか?←
全然丁度よくねーわ!
なめんなよ🤬
って気持ちは抑えましたよね。
相手からしたらこんな卑屈ババア嫌だろうけど←
そんなに彼女欲しいんならマッチングアプリした方がいいんじゃないって言いました。
それを横で聞いていた60代おばはんが
「でも高給取りよぉ???」
って手でお金ポーズして下世話なちゃちゃ入れてきたんだけど、うわーどーしよめっちゃうぜええええええとなりました←
ポンコツってわかりきっててそういう事言うのも残酷な話だよね。双方が傷つくだけなんですわ。
ババアのこういう所が人を傷つけていくんだよねぇ。このやり場のない思いはブログで昇華するしかないじゃーん。ぶつけるとこないんだもの。
そのメンヘラの波が激しすぎて瘴気にあてられたみたいにめちゃくちゃ疲れるんですよ😮‍💨最近メンヘラ恐怖症というか拒絶症というか、本当に無理😭
その波に振り回されるのがまじキツい。
そんなこんなで私がマッチングアプリとか婚活アプリとかをすることはないでしょう。アプリじゃ体臭わかんないしね←
(結局そこかよ
理想のタイプに「メンヘラじゃない人」が加わりました←
話題かわって最近何億年ぶりかくらいにピアスとかアクセサリーが欲しくて←
めっちゃ安いサイトで7個くらいまとめ買いして(別で指輪とかも買ったんだけど)全部で2千円ちょっとっていうかなりいいお買い物したのですよ奥さん。
ピアスの部品の耐久性とかはわかりませんが、今のところつけても痒いとかがなくて300円以下にも見えないし物価は高い世の中だけども安くていいものって探したらあるんだなぁと思いました😌
(ネットショッピング結構ハズレるタイプだけど今回は大丈夫だった
しかもなぜか蝶々が気になって気付いたら蝶デザインのピアス3つも買ってた←
でもこの安さなら壊れても全然いいかなと思えます。数億年ぶりにアクセサリーを楽しもうと思います。
それと…
本日は「ファイナルファンタジー7リバース」の発売日ですね。
前作「FF7リメイク」の感想動画を出した時に結構な低評価をいただきましてね←
(って言っても3件な←
(高評価ほぼもらえない中での3件はでかいと感じる病気←
私としてはリメイクはどちらかというと否定的な感想が多かったのですよね。
世間的には肯定的な方が沢山いたのでしょう。その辺ももう世論と個人的意見に隔たりを感じ、好きに感想も言えないのかって気持ちにもなりましたよね。
結局否定的な意見は批判されやすい傾向にあるということか(特にYouTubeのような媒体は)みたいに卑屈になったりYouTubeから遠ざかりたくなることも今まで何度もありましたが、1番は気にせずに自分の言いたい事を言ってしたい事を貫けばいいという風にも思っております。
という訳でびっくりするくらいリバースをしたいという気持ちが湧きません←
どーする?😅
(しなくてえーやろ←
したい時にすればいい。
そうじゃないと楽しめない。
批判されても全然いい。
全員に好かれようとしなくていい。
役に立つ人にならなくていい。
いい人にならなくていい。
人の為に生きなくていい。
自分の為に生きよう。
自分を取り戻そう←
(2024年のテーマ🤣
今年は少しでも自己肯定感を上げたいですよねぇ。
そんなこんなで配信活動の方は「ときメモGS4」を始めました。
昨年末くらいから、私のチャンネルとしては珍しく10人以上も登録者が謎に増えました←
こんな快挙は5〜6年ぶりくらいじゃないでしょうか😂私が考えるに、もう今の時代ってチャンネルが飽和状態にあって登録してるチャンネルの動画とか配信を見るだけで時間がなくなるし新しく配信者探したりとか新規開拓みたいな人ってあまりいないんじゃないだろうかとか思うんですよ。
新しく探すにしてもこれだけチャンネルがあったら探すのも大変だし、そうなると好きなゲームとかでしか探さないと思うんですよ。
という訳でやっぱりゲーム実況って当然ながらプレイするゲームによって登録者も左右されるということになりますよね。
でもこれだけ10年以上もゲーム実況活動してて色んなゲームしてきて、登録者が横ばいっていうのは考えたら面白いですよね←
ゲームのジャンルにも時代にも左右されていないんですよね←
(スーパーポジティブ
それと登録者が何千、何万といるチャンネルでも高評価一桁とか再生回数100とかの動画は沢山ある訳です。
だから何が言いたいかと言うと、私のチャンネルへ辿り着いてくれてサンキューって事なんですよね。
それに尽きるよね。
視聴の継続はしてくれなくても、私はやりたい事を楽しんですればいいと思っているのでそれでついでに楽しんでもらえたらオッケー👌って事なんですよね。
深く考えずに全力でときメモを楽しむのが1番だよね!マリィ!
(マリィはあんたや←
(ときメモで勝手につけられたあだ名←
今年はゲームがんばるぞーぉ😤
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niyuuhdf · 4 months
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序にかえて パート直人
~序にかえて~    office krsna代表 Take-D=0
 
2018年初春に作者から、この作品を見せていただいた。絵に無案内な私であったが、色彩や構���の美しさと添えられた文に身体が揺さぶられた。一度世に出してみてはどうかと勧めたが、作者はまるで無関心であった。作者は次々に新たな制作に取り組んでおり、この作品はただの過去(=「死」)の排出物でしかないようであった。騙し騙し排出物を持ってきていただき、作者に解説して戴いた。私の排出物の蒐集・解剖癖にうんざりしながらも、次第に作者は面白がるようになり、ようやくこの作品を世に出すことを了承して下さった。  私のような素人が誤解しないように、そしてもう少しわかるように解説および注釈を入れるという暴力的な提案を作者にした。案の定、「それはナンセンス」と却下された。そこで、私が作者から教えてもらったことを私の主観として読者に示すことではどうかとお願いした。「あなたの主観で切りとったものであるなら、自分の作品とはあまり関係ないかな」と半ば呆れ承諾して下さった。  この作品で私が強調したいのは、まず一見コラージュのように散りばめられた絵の断片一つ一つが、作者の模写あるいはデッサンしたものを縮小したものであり、コピーではないことである。次に切りはりされつなぎ合わされた文字は、作者のお気に入りの本から切り取ってつなぎ合わせたものであるということだ。コラージュのように散りばめられ縮小された絵を原寸で見せていただいたが、その一枚一枚それだけでも私からみると立派な作品であった。わざわざ見えるか見えないか程にまで縮小しなくてもと思ったが、作者は作品全体の構成である「視点(まなざす)人物」の意識に上がっているものの一部に過ぎないという趣旨からすると縮小して散りばめることが妥当であるという。こだわりを持った文字は、一つ一つがかつてキネステーゼ・ゼロの作者の身体を触発した構成素であり、そこから歴史が堆積してゆき、さらに生成・破壊・創発・再組織化を繰り返し、「文字と文字の間」「私と私の間」「私たちの間」「私と世界の間」に多元的な時空間のオートポイエーシス・システムの作動を可能にする。そしてまた我々を相互に疎外しつつもあらゆるものにカップリングさせてゆく。  作品は1~24(ストーリー)と25(クレジット)および26からなる。構成は作者による。以下、私が作者にインタビューし主観的に解釈した登場人物像とストーリーの概要を載せた。作者によると言葉化できないことが多すぎるため、私が主観的に解釈した解説を載せることは、多くの読者に対する暴力的なノエシスであり、下品極まりないことである。しかし、読者や作品に暴力を振るうことになろうが、この作品の存在の意味を広く伝えたい衝動は抑えがたい。以下に作者から私が聴き取ったことを記す。暴力を免れたい読者は、どうか読まずに作品だけをみていただきたい。
Ⅰ・インタビュー:「画家」について。  この作品および続編が描かれるであろう「ある画家の手記」全編を通して「画家」と呼ばれる登場人物は、一般的にいう「絵を売って生計を立てている人」や「絵を描く活動をしている人」とは異なる。ここでの「画家」の定義は「他者や世界、あるいは自分に対しての暴力性にどこまで自覚的であれるか」といった定義である。  絵にする、描くということは、自分の視覚情報や感覚に従順になることで、ひいては目の前にある「そのもの」の存在を尊重せず無視して「自分が」捉えてしまう、そしてさらに「画家」はそれを自らの手と意識で描き出して形に残してしまう。絵は暴力の痕跡である。  「ある画家の手記」に登場する人物(画家)たちは、それぞれの方法でこの暴力性を自覚するなり折り合いをつけるなりして生きている。そして「画家」は誰しもが暴力的であるという事態に対して、一部の「画家」たちには共通認識がある。特に強い共通認識を有するのは、この作品の『視点(まなざす)人物』である名廊直人と次回作の『視点(まなざす)人物』になるであろう行屋虚彦の二人である。それぞれ40歳と15歳である。この二人はお互いの年齢を気に留めず対等に画家として接しあい、まるで共犯意識のようなものをどこかで抱いている。パート1(本作)の『視点人物』である名廊直人は頑なに静物を描き続ける。なぜなら、「人間や生物はその加害性に耐えられないから」である。静物というモチーフに愛着があって描いているわけではなく、もっとも容赦なく自分の感覚そのままに描くことかを許されるという錯覚を抱ける対象は静物であった。それが名廊直人にできる唯一のことであるとも自分にしかできないことだとも本人は思っていない。自分に能力があるか否か、はては絵に向いているかどうかすらどうでもよく、ひたすら誠実さを求める。このことは人間関係にもあらわれ、他人に対しても能力ではなく誠実さを求める傾向がある。彼の誠実さはどこまでいっても「描き表すことで踏みにじられる」類のもので根本に捩れがあったが、本人が絵以外の道を思い浮かべることができず突き詰めてしまう。彼を救うには彼から絵を無理やり取りあげる必要があったが、誰もその発想を抱けないほどには彼の静物画には人を黙らせる力があった。彼の人生は静物画というものに半ば乗っ取られて終わる。彼は弱いから人間を描くことを恐れている。作中に登場する人物で、個人が判別できるくらい特にしっかりと顔まで描かれているのは、同罪者である行屋虚彦と、自分の暴力性を過去に許してくれた元恋人の冷泉慧鶴、自分の暴力を受けとめる名廊情香、そして自分に描く道を示した隆木義清(先生)の四人である。名廊直人の画家としての手段は「誠実であること」ひとつだった。パート1の名廊直人においては、「画家」像の限界が「死」という形で実を結ぶ。しかし次回作パート2で行屋虚彦が「画家」像の限界に「隷属」を手段として挑むであろう。
Ⅱ・インタビュー:『視点(まなざし)人物』の名廊直人について。    頑なに静物を描きつづける画家である名廊直人は、物腰は穏やか、誰に対しても柔和に接し、たいへんな正直者であり、嘘をつけず騙されやすい。189センチの長身でいびつに大きな手が目立ち、学生時代に「フランケンシュタインの怪物」と揶揄されていた。目眩に襲われてよくふらつき、全体的に覇気がない。口下手であり、なかなか思考が言葉にならず、言葉を落とすように喋る。  直人は自分の身体「目」で隔てられた自分の外側を世界のすべてとし、自らの内側と存在そのものに違和感と疎外感を抱きつつも、画家として「まなざし」描くことで世界と関係を結びながら生きてきた。しかし、絵として描き出すということは、絶えず変化する世界をそのまま捉えようと懸命に誠実さを尽くす直人をいつも最終的に踏み躙った。  直人の 認識は静物と生物は同じラインで捉える。直人が誰かを呼ぶとき、親しさと関係なく相手を名前で呼び捨てやすいのは「ワイン瓶、頭蓋骨、林檎、××」というふうに「ただそこに在る」ことを認めている以上の意味合いがないからである。 この認識の仕方を仮に【静物画的視点】と呼称する。 彼は、相手への人間的な共感能力や社会性や同調性に欠けるが、相手を目の前のものそのものとして尊重し、存在を認めたものに存在にあたうかぎりの誠実さを尽くす。それゆえに短期的な浅い人間関係においては歪さは目立ちにくい。このような理由から二人称を使って会話することは滅多にないが、数少ない親しい人間に対して「きみ」「お前」といった二人称を使うことがあり、そのような相手とは静物画的視点を超えたなんらかの人間関係を築けている。 直人には社会的な約束事が通用せぬようにみえる。なぜなら、上記事情ゆえに「まなざし」で捉えうる現前する相手とただ関係をもつため、複数人との年齢性別を問わない肉体的な関係を実に真摯にそして淡白にもつことが周囲の理解の枠を超えるからである。「美しい」と感じたものを美しいままに許容して見つめることができず、強い陵辱の衝動を起こす。具体的には突然暴力を振るったり相手をレイプするなど反社会的な行動として出た。その衝動は静物画的視点から見た適切な距離感を一気に飛びこえるもので、その衝撃と強い嫌悪感から「目眩」を起こして倒れる癖は生涯に渡って彼の心身を蝕んだ。直人は「目眩が起きるのは仕方ない」と言い、普段は降参してそれと共生するような態度をとった。目眩に負けて倒れることは相手を凌辱しないための無意識に働く安全装置であり、彼はそこは理解して納得している彼が目眩を起こす対象は「美しいもの」であり、そこには生の生々しい脈動がある。目眩=美しいものへの結論が「描くこと」であり、彼を画家たらしめている故に、彼は目眩のない世界で生きるつもりはない。それは40歳での「死」という形で結実する。 これらの直人を苛むものが彼の幼少期の生育環境とトラウマに起因するかは誰にも証明できず、少なくとも直人はその説明では納得できないほどの苦しみを抱えていたためどんな理解も退け続けた。他者から見て明らかな心的外傷の影響を示唆するものとして、虫を極端に怖がる、数字を見分けることが苦手である、強迫的な除菌癖、指先の第一関節より先に軽度の麻痺がある、重度の鬱症状として色覚の彩度が低い、相手を思いやるセックスが困難で暴力的になる、などがあった。本人はそれを病的なものだとは自覚していないし、それらが先天的なものである可能性が捨てきれない以上、誰が彼を病的だと言えるだろうか。それは彼に具体的に踏み躙られ人権を犯された人間にのみ糾弾する術として許されるだけであろう。直人の生涯においては妻の名廊情香をはじめとする幾人かに糾弾され、あるいは諦められて人間関係を結んでいた。まったく異なるケースに「完全な庇護対象=子ども」と、同業者の行屋虚彦、歌う白痴の耀屋七、画の天才である行屋疾彦、狂気の綾瀬香澄などとの人間関係があった。
Ⅲ・インタビュー:本作品 <ある画家の手記>について。  40歳の3月30日未明、直人はしっかり身支度を整えて身辺整理をし、アトリエのある建物から投身自殺する。契機になる出来事はなかった。生来の頑丈な体に救われて未遂に終わるが、後遺症で直近の過去を思い出すのが苦手な記憶障害を抱えることになった。 退院後、間をおかずに元サナトリウムの療養所へ入った。ここから6月23日の「死」までの約三ヶ月間の彼の手による手記が<ある画家の手記>本編になる。名廊直人は、精神的吃音(実際に吃りはしないが何か語ろうとするときに一度どうしても心の中で引っかかってしまう不自由さ)があり、そのことを表現するためにすべての文字を既存の媒体を一度通しての角度の歪んだコラージュにした。彼の社会的なもの(一度製本されたり印刷された)への姿勢や目線と一致させている(疎外感)。画面に散るノイズのようなものは文字をコラージュする際に完全に消すことを控えた余白部分である。そのような社会的に認められた大手を振って存在するものに彼の人生は阻害され、疎外され続けた。それでも彼はスタンプの文字であったり新聞や本の印字された文字だったりを借りてなんとか自分について語る。そもそも言葉にすることができないものを多く抱えているが故に彼の人生の形は画家である。彼は徹底して自分の目で見ることにこだわるため、作中に彼自身の姿は具体的には登場しない。この本の内容はだいたい彼の「まなざし」そのものである。ラストは視点人物の死だが、本の序盤ではイラストレーション的な、視点人物の手による現実の再解釈が強くなされた表現をしている。ラストに近づくにつれて表現はだんだんと写実的で細密な、視覚に殉じただけの描写へ移り変わっていく。それは視点人物の「死」が近づいていることの黙示である。ここでいう「死」は、いうまでもなく括弧つきの死である。
Ⅳ・インタビュー:パート1~26までの解説。 1、彼はひとつの水槽の中に一匹だけ飼えるベタ(魚の品種名)を好んで飼っていた。彼にとって魚は社会に生きる人の象徴。魚を飼うのは、彼自身が失念しやすい社会や他人の目線を、彼の日常で目の届く場所に、自分が管理しないと保たない形で置くことで、画家という孤立しやすい生活でも社会をうっかり忘れないためであった。彼は海辺の療養所に入った。飼っていた魚もつ れていこうとしたが、全部はつれてこられず、数匹を仕方なく焼いて食べた。bett%.7というスタンプは彼が食べた魚の数である。もうひとつ彼にとって社会的なものの象徴に「言葉」と「文字・記号」がある。 記号の書かれたマスキングテープに四角く囲まれる構図は、彼が野放しにされずに施設に収容されることの暗喩である。 2、綺麗に合いそうにない不器用でガタガタの歯車のシルエット。これがきっちりと噛み合った正円の美しい歯車になり、歯車が合ってしまうことは、辻褄が合うこととなり、すなわちそれは彼の「死」を意味する。 3、彼は静物画を主に描く。ジャン・シメオン・シャルダンは静物画の元祖と 言われることの多い画家である。まばらに散らばった果物などはすべてシャルダンの絵の部分模写である。 4、「世界は僕の外側にある」と彼は言う。窓を閉め切った室内は彼とほぼ一体になった彼そのもののような空間だが、窓を開けると勝手に虫が入る。コ ントロールできぬものだから、彼は虫を恐れて部屋から締め出そうとする。部屋に漂白剤をかけるのも似たような理屈で、前の住人やカビや細菌などコントロールできないものを自分の世界から消し去ろうとしている(「死」)。 二つに分断された虫たちは、デミアン・ハーストの立体作品から着想を得た。嫌いなものを分断して殺してしまうことは、結局それらがたしかに生きていたことを受け容れ引き受けることになる(画家の暗喩)。 5、スタンプのNo.501とは、彼の入った施設の部屋番号。 6、彼は時計を持たず、制作に没頭するとよく昼夜も寝食も忘れる。カーテンのあいた窓ガラスにうつった自分の姿を、いるはずのない母の人影と一瞬見間違えた。彼は、怖くなってその日からカーテンを閉めてしまった。 結果、部屋がずっと暗くなり、朝や昼が何度もすぎて日が経ったことに数日間も気づけなかった。眠るときは画面に散った大量の睡眠薬で眠る。彼の体内時計はずっと以前から狂っていた。 7、彼は数日間が勝手に過ぎ去ったことを職員から聞いてやっと知る。それではいけなかろうと思い、職員から時計を一つ借りる。壁掛け式の正円のローマ数字の時計。彼には少しの識字障害があった。ローマ数字を知らない彼には時計の針がどこにあっても今が何時なのかはわからない。さらに壁掛け式だったが部屋の壁に時計をかけられるような突起もなかったため、床に立てかけてみたが、正円の時計は勝手に回転してしまった。仕方なく彼は時計を床に寝かせてみた。すると自分が部屋を歩き回るたびに時間が変わってしまい、彼は途方にくれ、職員に時計を返却した。 数字ではなく自分の見えるよう自分の都合のいいように時計を無意識に改変して見てしまうエピソードから、絵のために実際の在りようとは違う描き方をしたキュビズム表現の父であるポール・セザンヌの静物画の模写を添えた。 8、ル・コルヴィジェは画家ではなく建築家だが、私生活では好んで絵も描いていた。絵で高い評価は特に得られていない。コルヴィジェの最期は水難事故だった。なお補足だが、ル・トルネ大聖堂のスケッチを添えたのは、メルロ・ポンテイが「目と精神」を書いたのがトルネであり、セザンヌの出生地がプロバンスであるためだ。  直人にはかつて入水自殺して失った友人(青峰)がいた。いつも大きなラブラドールレトリーバー(バスターキートンという名前。キレのある動きと体型と目つきから)をつれていた友人は、直人と出会う前にも何度も自殺を試 みていた。数回目の入水自殺が失敗に終わったとき、その人は海の上に浮かんで一晩中低体温で震えながら夜空を見ていた。月の位置が変わり、流れ星が流れるのも見た。電灯や街の灯からは遠い海の真ん中、深夜にもかかわらず、海から見た地上はぼんやりと薄く光っていた。それを友人は、月や星が輝いているように「この地球も光っていたのをこの目で見た」と直人に語った。直人はその言葉を大事に覚えていた。 友人を思い出した直人はようやく施設に入って初めて外出しようと思い立った。 9、しかし、外出届を出しても自分には行きたい場所がなかったことを思い出した。 どこかへ行きたい気持ちだけある、宙ぶらりんになった状態。ファン・ゴッ ホの「向日葵」の中でもまだ花瓶にいけられていない絵の模写を添えた。 10、11、彼の中での友人たちのイメージ、ロバート・ラウシェンバーグやアンセルム・キーファー、グランドピアノ、モルフォ蝶、モネ、ユトリロ、バスキア、ブラック、ジャコメッティ、檸檬などが登場する。小さな男の姿 は、ギュスターブ・カイユボットの絵の中に佇む、都市化していくパリで置き去りにされて所在無げにしている労働者階級の男の模写である。 補足だがメルロ=ポンティのloeil et lesprit (「眼と精神」)からインスパイアされて彼(直人)のキャラクター像が生成された。このページと次のページはセットで赤と緑の色調。彼は赤緑色弱でありこの二つをうまく見分けて描いてはいなかったであろう。 11、絵の先生の話。 大学の恩師で、唯一直人の絵の師と呼べる人の死の経緯について。先生は術後に病室のベッドの上でも点滴をつけながら頑としてタバコを吸った。先生の描く絵は緻密な水彩画で、先生のありようは桜の大樹に似ていた。 12、佐伯祐三とファン・ゴッホの自室の絵の模写。このゴッホの絵は視点が低いように見える、まるで小さな子供が世界を見ているようだ。 それは5歳で精神的には止まってしまった直人と似た、悲しくなるような稚拙さを画面いっぱいに滲ませている。先生の死の事実を思い返して苦しくなった彼はめちゃくちゃな線を描く。普段の彼は濃淡や面で絵を描くが、寂しさや苦しさが極度になると意味のない 線だけを描くようになる。 線の上に被さったものは、まだしっかりと合わないものの2より作りが精密になってきている歯車である。画面全体にも小さく描き込んだ歯車がまだバラバラだが散っている。 13、大学の頃の旧友がこのピンチに駆けつけてくれた。友人の名前は冷泉慧鶴。大学で美術講師をしている。彼が教えるのは、主に静物画という絵画ジ ャンルが生まれるより以前の時代(ルネサンスから印象派以前くらいまで) の絵画史などで、画面に散らばる模写はすべてその時代の間に生まれた名画たち。静物画を描く直人にとってはメタファーとして過去のものになる、そのためすべてセピア色に褪せている。左端の矢印のついた絵は、「レフカス のサッフォー」、自殺の瞬間の名画である。 14、夢。どこかの街を歩く犬のようなもの。 全面にスタンプを押した犬の姿はジャコメッティの犬の彫刻がモデル。意識は夢の中で旅をする。テオ・ヤンセンのストランド・ビーストのように、それは直人の意思とはまったく別のものの軌道を描いて移動する。
15、ブラックアウトして夢から醒めた意識。うずくまる男の姿はジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル「オシアンの夢」に描かれたオシアンの模写。オシアンは覚めたくないような幸せな夢を見ていた。直人はこれまでを思い返して「みんなほくにやさしかった」という言 葉に纏めようとする。直人にはその優しさがずっと辛く、この一文には「それでもぼくは死んでしまうのだ」というような情態勢がつきまとう。ここでも線だけの絵が出ている。 16、画家のつてで知り合いの高校生(杉崎景一)が、突然直人の部屋に訪ね てくる。 彼は相貌失認と醜形恐怖を抱えており、額に生えた小さなツノのような突起を意識して見てしまうとそれら二つの関連した発作を起こす。そこまでの道中降っていた雨の中、水たまりにうつった顔がひっきりなしにうつりかわるのを景一は見ていた。揺れる水たまりの波紋のデッサンと景一の顔を抱え込んだ後ろ姿。景一の空白はフェリックス・ゴンザレス・トレスのキャンディのインスタレーションと似ている。背中に被せたヴァイオリンはマン・レイの有名な作品からの模写。音といえばマルク・シャガールだ。音楽をする人間はシャガールの絵を見るとよく音楽が聞こえるという感想を言うらしい。ここでしっかりした歯車の輪郭線だけが出ている。 17、「純粋形相」の文字がうっすらと見える。「行屋虚彦がきた。」 行屋虚彦は現在15歳でプロの画家だ。この行屋虚彦が名廊直人の死後に、次作の「ある画家の手記」のパートを引き継ぐ視点人物となるだろう。この虚彦の母親は、後のページに出てくる「七ちゃん」である。 虚彦の生き方や描き方は身投げに等しいもので、頭も腕も捥がれてなお直立して風を受けるサモトラケのニケを連想する。 それを最終的に救うのは母「七」で、子供を守る姿はケーテ・コルヴィッツの絵を思わせる。一方、虚彦の絵はジョン・シンガー・サージェントの厳しい色彩選びを彷彿させる。 18、行屋虚彦が、「直人さん」と「発言」する。この本で唯一発言が出てくる人物。彼はいつも描くことだらけで埋まった頭で、共感覚と神経過敏な体質にイライラしていた。彼は何を見るときも何色の油絵の具で描くかを頭の片隅に置いている。頭に油絵の具の顔料の名前が勝手にズラリと並ぶ。このページだけ唯一発言者が行屋虚彦なので、ページ全体の色調も虚彦の色彩感覚に支配されている。 画面端に僅かにうつるのはiPadの輪郭。直人と違って虚彦はそういう最先端の道具も使いこなす。 次作のパートではこのページの色調がメインになるだろう。 直人は一つ前のモノクロに近いおさえられた色調の世界で生きている。 19、妻(名廊情香)がきた。普段は暴力を振るってしまうために、直人は彼女と距離を置いていたのだが、やはりに彼女にまたしても暴力をふるってしまった。耐えられずにまた線が彼女の上を飛び交う。 20、すぐそこまで迫っている「死」の予感に、直人は6年前に自殺した自分の兄のことを思い出す。兄・名廊雅人は潔癖で強迫的で、都会的だった。徹底して自己コントロールのできるものだけを手元に置くような人間だった。愛車はロールスロス。味覚障害と重度の鬱病を患っていたものの、死ぬまでそれを誰にも悟らせない完璧な振る舞いを続けた。 そしてある日突然前触れもなく死んだ。 ひたすら絵を描く直人にとって「写真」は「死んでいるもの・殺されたも の」のように見える。このページでは、この本で唯一の写真(桜の枝)をわざと使った。そして絵の想起はひとつもない。 21、「七ちゃん」(行屋虚彦の実母て、直人の大学時代のクラスメイト)。彼女には障害があっていつもぼんやりしていた。たまに歌うように音を紡いだ。皆不気味がっていた。彼女の意味不明な吐息のような声を「歌」と呼んだのは直人だけだった。一人で泣けない直人は彼女のもとへ通って、彼女の歌を聴いてそっと涙を流していた。そんな二人の姿はカリエールの絵に出てくる寄り添う人と人のようだ。そして彼女の白痴と絶対の救済はパウル・クレーの天使を思わせる。 22、天使が迎えにきてしまったので、あとは「死」だけという感じ。もう何も想起できず、ただただ直人の描いた静物画が出てくる。 「なにもかく××がない」。なにがないのかすら本人にはもう分からない。 23、ぴったりとあってしまった正円の歯車。これまで散らばっていた小さな歯車がすべてこの中におさまっている。そして上から被さるように歯車と混 ざって癒着するように視神経の断面図のデッサン。 視覚に認識を頼りすぎた直人の歪さと、見えるものしか尊重できない姿勢が 自分自身にまで向いてしまう。自分は自分の目で見ることはできない。他のたくさんのもので知らなければならなかったそれを、彼は絵を描くうちにすっぽりと落としてしまった。 24、未完の静物画。半ばで直人の「死」。 25、クレジット。これまでぼんやりとしか直人には認識されなかった世界を直人の目で見る世界とは違う見方で人物たちを紹介した。 直人がよく忘れる名前という記号がそれぞれにアルファベットでしっかりと ふられ、絵には細い輪郭線がつけられている。記号と文字で顔が覆い隠されて恐ろしいものに見えていた人間たちは、実際はそんなに恐れなければいけないもので���なく、みんな朗らかに笑っていたのかもしれなかった。 26、それぞれのキャラクターを象徴するものを小さなイラストで散りばめた。
作者からインタビューして私が拾い上げたことを書いたが、いかがであろうか。作者と直人そして虚彦は包摂関係にあることは自明である。それゆえに「死」はカギ括弧つきなのである。そして、レヴィナスの「汝、殺すなかれ」が浮かび上がるのである。                   
 2018年7月7日 大泣きする七夕の夜に。 
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wangwill66 · 3 months
Text
禮失而求諸野
H:禮失而求諸野,醫失而求偏方,人性也。平常心看待,走向好心情。20240703W3
網路字典:
禮失而求諸野
傳統的禮儀、文化有散失則求之於民間尚有保留的地方。《漢書.卷三○.藝文志》:「仲尼有言:『禮失而求諸野。』方今去聖久遠,道術缺廢,無所更索,彼九家者,不猶癒於野乎?」
力有未逮
能力有所不及。如:「本想奪魁,然力有未逮,終於落敗。」清.袁枚《子不語.卷二四.長樂奇冤》:「母喜,欲啟其石,而力有未逮。」
力不從心
成語出處
南朝·宋·范曄《後漢書·西域傳》:“今使者大兵未能得出,如諸國力不從心,東西南北自在也。”[1]
後世據此典故引申出成語“力不從心”。[1]
力不從心
成語:力不從心
心裡想做某事,力量卻無法達到。※◎語或本漢.班昭〈為兄超求代疏〉。典  源
漢.班昭〈為兄超求代疏〉(據《後漢書.卷四七.班梁列傳.班超》引)
※ 超之始出,志捐軀命,冀立微功,以自陳效。會陳睦之變,道路隔絕,超以一身轉側絕域,曉譬諸國,因其兵眾,每有攻戰,輒為先登,身被金夷,不避死亡。賴蒙陛下神靈,且得延命沙漠,至今積三十年。骨肉生離,不復相識。所與相隨時人士眾,皆已物故。超年最長,今且七十。衰老被病,頭髮無黑,兩手不仁,耳目不聰明,扶杖乃能行。雖欲竭盡其力,以報塞天恩,迫於歲暮,犬馬齒索。蠻夷之性,悖逆侮老,而超旦暮入地,久不見代,恐開姦宄之源,生逆亂之心,而卿大夫1>咸懷一切,莫肯遠慮。如有卒暴2>,超之氣力,不能從心,便為上損國家累世之功,下弃3>忠臣竭力之用,誠可痛也,故超萬里歸誠,自陳苦急,延頸踰望,三年於今,未蒙省錄。
〔注解〕
卿大夫:卿和大夫。後泛指貴族。
卒暴:突然發生的暴動。卒,音ㄘㄨˋ,突然。
弃:同「棄」 ※
《後漢書.卷八八.西域傳》
二十一年冬,車師前王、鄯善、焉耆等十八國俱遣子入侍,獻其珍寶。及得見,皆流涕稽首,願得都護。天子以中國初定,北邊未服,皆還其侍子,厚賞賜之。是時賢自負兵強,欲并兼西域,攻擊益甚。諸國聞都護不出,而侍子皆還,大憂恐,乃與敦煌太守檄,願留侍子以示莎車,言侍子見留,都護尋出,冀且息其兵。裴遵以狀聞,天子許之。二十二年,賢知都護不至,遂遺鄯善王安書,令絕通漢道。安不納而殺其使。賢大怒,發兵攻鄯善。安迎戰,兵敗,亡入山中。賢殺略千餘人而去。其冬,賢復攻殺龜茲王,遂兼其國。鄯善、焉耆諸國侍子久留敦煌,愁思,皆亡歸。鄯善王上書,願復遣子入侍,更請都護。都護不出,誠迫於匈奴。天子報曰:「今使者大兵未能得出,如諸國力不從心,東西南北自在也。」於是鄯善、車師復
書  證
《後漢書.卷八八.西域傳》:「今使者大兵未能得出,如諸國力不從心,東西南北自在也。」
《洛陽伽藍記.卷一.永寧寺》:「京師士眾,未習軍旅,雖皆義勇,力不從心。」
《醒世恆言.卷三.賣油郎獨占花魁》:「只是小娘子千金聲價,小可家貧力薄,如何擺布,也是力不從心了。」
《東周列國志》第二八回:「萬一力不從心,惟有一死,以謝先君而已。」
《官場現形記》第二四回:「無奈溥四爺提筆在手,欲寫而力不從心,半天畫了兩畫,一個『麗』字寫了寫不對。」
《二十年目睹之怪現狀》第一○七回:「弓兵伺候了老爺十年多,老爺平日待我們十分恩厚;不過,缺苦官窮,有心要調劑我們,也力不從心罷了。」
懼庵先生文集/卷六
懼庵先生文集
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卷之六
作者:李樹仁
1860年卷七→
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皇南殿碑閣記
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於戲。此乃新羅敬順王撰實碑閣也。夫有盛德至仁。必碑之。碑必有閣以覆之。此閣之所以建也。王之至仁。在不以養人者害人。雖異乎周大王遷國圖存。而有虞羣後德讓之風。其詳已見於碑撰中。今不必架疊。而所可書者。其惟竪碑建閣之顚末乎。蓋東京之有敬順王殿舊矣。中移於東川。又移此皇南。自經累百年。迄未有顯刻。是爲姓孫與輿情之所慨惜矣。迺於今上甲戌。觀察使金公魯應以本道伯。始顯刻竪之而遽遞歸。閣則未也。何幸今廵相魯敬。以前廵相堂親。復按節是道。以爲碑旣竪。當有閣。是役不可緩。遂敕族弟之爲月城鎭長金公魯甲幹其事。鎭長公乃竭蹷效誠。逐日監蕫之。而殿郞金君思一亦與其勞焉。役始於是年之仲春。斷手數旬之內。而亦不煩民力。於是乎翼然華構。照耀貞珉。可以永垂輝於千百歲矣。一日殿郞君來訪。跽而言曰吾始祖敬順王碑閣成。請一言以識之。不佞以不文辭不獲。遂敢歷敘顚末如右。而竊有所感歎於中者。夫爲子孫尊慕先世。雖人情所不已。而推尊慕之思。至百世之遠。非追遠之誠之至。不能也。且殿前顯劖。始成於前廵相公。繼之以傑然華閣之建。又在於今廵相公。鎭長公幹事之贒勞。又在於是時。皆不出廵相公一家之內。是知天之相是役蓋有待。而故家追遠報本之誠。尤可見矣。雖然是豈徒以子孫之誠言之哉。曾氏傳曰於戲前王不忘。繼之曰君子贒其贒而親其親。苟非王盛德至善。使後人沒世而不忘。則君子親親之篤。亦安能如是也。此吾所以因子姓慕先之誠。想先王盛德之使然。而自不覺感歎之至。乃於記事之餘。又此娓娓而不厭也。
三槐亭記
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亭以三槐名。識先人手植也。亭之主爲誰。吾宗李君。華宅其名也。君之先通判公昆季四房。公居長。金崑玉季。輝暎一門。人稱李氏四珠樹。公幼時與諸弟各植一槐於巷。曰吾昆季種福於此。以驗日後成就及子孫榮悴。及長。槐樹亦茁然而長。時値龍蛇難將作。公昆季已炳幾。遂皆慨然投筆。就槐樹下築壇。日習射。射藝俱精絶。公先登虎榜。仲及季氏次第拔身。獨第二房公早夭。槐一樹亦自隕。當海寇充斥東南。公共權忠毅,朴武毅諸公。倡義討賊。多立戰功。公之爵以是勳。仲季二公。同時奮起。俱通仕籍。仲氏官僉正。季氏官奉事。幷載諸贒倡義錄中。其三槐因傳以爲村號。子孫世居之。每遊息其下。輒撫樹興感。惟恐世代之遠而忘之。此亭之所以作也。亭經始於壬申春。朞年而落之。是役也。三派子姓。俱竭力效誠。而終始幹之。君是已。堂宇廳室。井井有序。名其中堂曰必敬。取周詩桑梓必敬之義。右軒曰花樹。取韋氏月會之義。其左軒姑未定。合而顔之曰三槐。以爲時會子孫。寓羹牆之慕雲。余嘗一造焉。君指槐樹而言曰此吾先祖所種也。其始種也。將以卜子孫之興替。目今樹鬱鬱。頗有向榮之意。而子孫之衰替尙如前。無乃樹木之榮枯。有不可驗。而先祖厚德之種。其無驗於後耶。語畢輒悽然不樂。余乃斂容而言曰無論福善之徵不徵。夥矣君慕先之誠也。夫詩人桑梓之敬。非敬桑梓也。實敬其親也。敬其親以及先祖之遠。而樹木猶爲所敬。則豈非曾氏所謂追遠之孝。而陳後山所稱存其思不忘遠者耶。嘗聞十年之計莫如種樹。百年莫如種德。吾知君家三槐。蓋與德俱種。必無百年不報之理。昔蘇長公銘王氏三槐。其文曰善惡之報。至於子孫。其定也久矣。天定久近之不齊。亦有數存乎其間。而其終也必定。以君先祖巍勳茂烈。樹立於板蕩之際。而旣位不滿其德。終然沒沒於百年之後。是必漑而不食。以待後人者明矣。雖然凡人家福慶。不必以榮貴自外至者爲美。吾觀君之家。弈世同根之宗。連枝交柯於丹丘一區。忠勳古宅。克守先人之業。斯其爲種德之報。又何必面槐三公。如王氏而後謂之福也。況芝蘭玉樹。多見後生之秀。璧沼榮名。藝苑華譽。有可以光門闌者。意者百年未定之天。其將自今而定。而其兆始發於樹乎。抑又有說焉。栽者必培。播而肯穫。必人事修而後。可以責報於天。豈可徒恃先人種德之厚而已。其將以是亭。兼爲藏書肄業之所。勉子弟以種學而務本也哉。君曰吾意也。因請左軒之扁。余命之以種學。君曰諾。吾然後知吾宗之福未艾也。
四而軒記
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吾東都之北。有曰安康里。蓋新羅故縣也。其地土沃而腴。井洌而甘。居人淳淳有古國風。或曰以其傍於四達之衢。故曰康。或曰地勢平而風氣順。民生之所安康也。吾友李君公亮。自良洞舊居。移卜於此。爲小軒以處。扁之曰四而。吾嘗往訪之。問其義。君笑而不答。高吟古擊壤歌一章。吾於是知其取康衢耕鑿之意。而心竊訝焉。君以大贒名家。生長詩禮之庭。所業者文學。所勉者行誼。而乃取田舍耕鑿之歌而顔其軒者。何其不相襯也。吾知君自謙之辭。而抑亦矯時俗好名之弊也。凡今俗士之役於名者。擧皆奔忙於文藝爭先之逕。不得則不休。幸而得之則又馳騖於紅塵紫陌。以至鍾鳴漏盡而不知息。蹈危履險而莫知避。此之不爲。則亦有求得竆林邃壑。糚點景物。養望當世。終南捷逕。少室索價。往往取識者之譏。乃若吾君。早謝詞場。不汲汲於必得。晩年卜築。又不取竆林邃壑。乃於四達康衢之傍。蓋此太平聖世。暮境閒居。旣非康樂開道。爲小民所驚。許汜問舍。爲豪士所譏。則惟此四而名軒。可見襟懷之出俗。古無名公。擊壤集詩所謂雖居人世上。卻是出人閒者。君其庶幾哉。噫。士生斯世。不於朝則野。野非君子之所願。然天下之士。不可皆立於朝。雖唐虞之世。亦豈無在野之贒哉。乃知康衢擊壤之老。未必無抱負之奇特。所處而安。無慕乎外。卽當日耕鑿之歌。又奚羨乎明良之賡歌也。顧今海東千一。堯日復明。淸朝際會。幾多吉士之彙征。而如君康濟於田野者。亦一聖代之遺逸也。況復地名得康衢。壽考兼康寧。信乎人與地之相得。有時高軒。煙月玲瓏。一曲昇平。陶然自樂。未知今日康衢之樂。比古人果何如也。雖然君之耕鑿。豈徒然哉。吾觀君常對聖贒書。不以老而廢休。得非丹田半畝。古井靈源。別有耕鑿之功而寓之扁者耶。矧且種學辛勤。靜中尋源。是乃家夫子詩集中語。而君所莊誦於平日。則知君故家獨得之樂。豈特含哺擊壤而已也。若余者雖居康衢之畔。半世忙了。未有閒適之趣。百憂叢裏。少無康寧之意。於君固多媿矣。安得買隣連牆。與君對酌衢樽。相和歌於是軒之上。終吾生而忘之也。旣爲之記。重以歌。歌曰。
唐堯聖世古康衢。吾東化域今康衢。今康衢猶古康衢。亦有老人壽且康。無已太康。好樂無荒。耕之鑿之。半畝方塘。
龍潭書堂記
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龜尾山下。崔君子成。卽杜巷翁忘年友也。近者就龍潭水石之勝。縛數間屋以處。欲爲晩年講學計。杜巷翁聞之喜。喜見於色。客有過而問之者曰。異哉翁之喜也。子成自在童稺時。以聰悟聞。甫弱冠。闊步騷壇。連擧發解。人皆謂朝夕當擅大名。取靑紫如摘髭。竟不利於禮部。乃今白首之年。深入林壑。與村秀才結社。爲尋數之地。凡爲子成親知者。莫不咄歎之。獨翁之喜見於色。其有說乎。翁莞爾而笑曰子豈知吾子成者哉。子成早承其先大人義方之訓。又得法門鉅儒如畸庵丈爲之師。其始屈首公車。黽勉爲擧子業者。豈以必得之心求之哉。將盡吾事而已。吾事之盡而不利於求是命也。於子成何有哉。吾嘗病世之爲擧業者。多一生奔忙。不得則不休。今於子成。竊有賀焉。蓋此龍潭一區。實其先大人所占。而畸庵公之所命名也。嘗因子成所錄示。吾得臥遊焉。潭之源始發於龜山西鹿柴豹林兩峯間。逶迤屈曲而來。其間奇巖異石。飛溜疊嶂。指不可勝僂。總之有三山五林四巖五臺焉。潭之水澄泓明澈。頫臨有石鱗活動狀。此其所以名龍潭也。今是庵直當潭之上數武。不侈不陋。政合幽人棲息講劘之所。方子成玅齡發軔之初。其大人乃付之以溪山幽靜之界。其意豈終以世路��之哉。又豈以水石之勝爲好哉。將以爲讀書竆究之地者明矣。今子成乃於數十年科臼之餘。回頭轉腳。於玆卜築。以無負家庭勸勉之遺意。則眞所謂肯堂構而善繼述者也。噫。名利外物也。得之與不得。無加損於己。而其得失又在於人。若學問竆究之工。非得意當世者所能。自昔贒人君子之成德而名於後者。多從山林竆苦中做出來。夫以子成之才之美。使之不遇於時。驅之以入山林者。彼造物者意。安知非玉汝於成也。斯人之表德。其將驗於是矣。誠使子成實用力於此事。俛焉日孜孜。充乎中而著乎外。則鄒聖所謂天爵之榮。豈特人世間浮名之得而已耶。夫然後子成得此龍潭而有成。龍潭遇子成而有名。吾之賀。不獨爲子成。亦賀是潭之有遭也。顧此半世迷途之人。日迫西山。悔之無及。今於相愛者之得其所歸。爲之喜津津。繼之以健羨也。客唯唯而去。未幾子成以堂之記。屬之翁甚勤。翁素不文。遂書問答之語歸之。翁爲誰。李樹仁性安。歲之紀何。靑豬仲春上澣也。
醒翁亭記
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吾友月城崔君翰汝甫。自盤溪舊居。尋石湖先莊。爲亭於六宜堂側。扁之曰醒翁。要余爲之記。余試問其義。君曰吾素不喜飮。平居每醒。爲吾記其實可乎。余曰世之不飮者何限。而君其獨以醒名之何也。君笑而不應。余曰昔歐陽子自號醉翁。記之曰醉翁之意不在酒。今君之醒。無乃不在酒而在於他乎。人生斯世。別有一大醉。有非麴糱而醉者。凡眼前外物之可欲者皆是也。人之醉於是也。如狂如癡。昏昏沉沉。東顚而西倒。前扶而後卻。無廉無恥。都喪其本然之天。終然醉生夢死而不自覺者。擧一世而滔滔。今君之醒以自號者。其欲醒於是乎。君乃蹶然而起曰是哉是哉。吾名亭之意。實不在於酒。公其知我乎。請畢其說。余曰然。夫以麴糱之酒言之。其始豈亶使人酣飮而沉醉之耶。其醇然之味。薰然之氣。可以祭祀而通神明。燕樂而介眉壽。合歡之以是。養性之以是。此古昔聖人所以重是酒而著於經。嚴之以禮防者皆是也。但飮之者。常極其欲而過於度。以至腐腸而生疾。滅德而喪儀。甚至敗國亡家者。紛不知其幾何。於是乎乃知非酒之醉人。人自醉於酒也。若夫世間許多事物之於人。不可一日廢者。豈特麴糱之於人哉。只在吾人日用間。斟酌而適於度。酬酢而得其宜。常不失中和之道。則斯其爲醒之之道。曷嘗棄而絶之。不使接於吾之身然後謂之醒哉。嗟夫。歷觀終古醒者幾人。聖人生而醒者也。贒人學而醒者也。其次勉而醒者也。彼釋氏之戒飮而頓悟。道家之長齋而淸凈。非吾道也。固無足道。至若屈三閭之獨醒。雖若可尙。而矯枉過直。自取沉身之禍。亦非吾所謂醒也。乃今君以淸介之姿。處衆醉之世。獨以一醒字揭於軒者。其志豈不偉歟。雖然醒豈易言哉。自非大聖人如吾夫子。從所欲不踰矩。至酒無量不及醉。則夫孰有不學而醒者乎。然則君子之學而能醒者必有其法。嘗聞謝上蔡惺惺法。實有得於程氏主敬之學矣。吾竊以爲惺之一字。眞學醒之要訣也。醒之字從酒。惺之字從心。醒於心而後。醒於酒可幾。苟使一日十二時。常喚此心之惺。無所間斷。則將見人慾日消。天理日明。世間許多外物之可欲者。擧不爲吾心之累矣。夫然後向所謂斟酌而適於度。酬酢而得其宜者。不待他求而得之於此矣。君斂容而言曰公之言。眞喚吾醒矣。遂相對一酌而罷。上章執徐竹醉節書。
東湖書社記
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吾東都故址。多名勝。如半月城,鮑石亭,鳳凰,瞻星之爲臺。皆名勝也。然其不爲城市之所喧囂。車馬之所雜遝。而正合士子之所藏修者。惟鴈鴨湖一區爲最。是湖在府東數里許。中有數畝方池。夙著浮草之異。亦多有鴈鴨之翔集故名之。槩其幽夐窈閴。爲城市傍一山林。是蓋故都遊觀之所。而廢棄爲荒墟者。幾千有餘年。月城崔君義兼。自其先王考居是湖傍。嘗指點而異之。欲構一屋子。爲子姪敎育之所而未就。歷世逮於君。欲如先人志。與從昆季合謀鳩材。以丙子四子之辰。竪亭於是。不日而成。仍薙荊榛浚方池。奇形異蹟。色色呈露。益之以竹樹花卉環列左右。各有題目。如坎島萍嶼合之爲十二景。亭旣成。義兼請余記其事。余試問曰世之擇勝地爲亭榭者何限。非耽盃酒玩景物爲事。必志業晼晩隱遯山林者多爲之。君之爲此。無乃太早計乎。君乃斂袵而言曰小子何敢爾。旣有先人遺志。將爲讀書計也。余曰然則信好事也。夫君子貴躳行。讀書則以餘力。然非讀書。無以竆理而爲躳行地。是豈可以餘事而忽之也。今君以聰悟之姿。年又富。正讀書時也。況此一區勝地。得之咫尺之地。若天公之有待者然。君如有志乎方冊。何必匡山之深而西山之高哉。不離孝弟之庭而餘力可及。此君之先王考所留意。而君能成之。所謂肯堂構善繼述者也。吾雖未及登斯亭而可想之矣。西近文宣廟。仰杏壇之遺風。東望孤雲莊。襲桂苑之餘芬。十二奇景。無非怡神養性之具。則眞讀書所哉。君果能居於斯處於斯。明牕淨幾。朝益暮習。俛焉孜孜而有得焉。則亦必有聞風而朋來者。吾東都多士之興。未必非是亭之爲助。是豈等閒諸名勝之比哉。雖然非讀書之爲難。惟眞讀書爲難。所謂眞讀書。其法在朱子書。此可以師。如或不然。徒從事於口耳。無實得於心。則將不免買櫝還珠之譏。雖腹貯五經何益。此則君必自知之。且有一說焉。自家好田地。自在方寸間。果能用力而更新。則仁智山水之樂。豈特外物之玩而已耶。朱夫子觀書吟所謂半畝方塘一鑑開。天光雲影共徘徊者。可得之於此矣。以吾相愛之深。爲此不逮之言以勉之。因爲之記。
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lienguistics · 9 months
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多芸は無芸
2023.12.25
私は心の奥底で本当に何者なのか。
と自問したとはいえ、諸々な経験をしたのに聞きかじった程度しか知らないやつだとしか自答ができなかった。
前世ではピアノを弾いたり詩文を書いたりするのを楽しんだとふざけるようにしょっちゅう言っているが、実はただ小学から高校までの期間だった。いかにも素朴で無邪気な子だったんだ。今や、練習の機会が一か二回しかない私はもう前と違ってショパンを滑らかに弾くことができないが、楽譜を見る限りにぎこちなくなんとかできる。母が十年間レッスンにお金を注ぎ込んでくれたのに、なんて恥ずかしいだろう。依然として弾けると告げる権利があるのか。「弾ける」と言うたびに「けど、しばらく練習していなくてごめんね」とも付け加えることになった。
家で両親とベトナム語を話して育ちながら、英語しか話さない国で学校に通って、大学に入る数年前に日本語の勉強も始めたが、「お前のベトナム語が訛りとか文法的には英語っぽい」「英語の話し方は遠回しすぎて、お前が何か言い出す前にいつも一瞬の間を置くのは、何も思いつけないアホではなく、ただ考えを纏めているだけだと時間がたつにつれてわかってきた」と直接に言われた上に「シャイすぎて日本語をあまり話さないけど、たまに何か書こうとすると…まあ、それはごく稀だけどさ」と、会話がギクシャクに進むと相手の戸惑う眼差しで察することができる。
今尚辞典を手許に置かないとこんな文章を書くことができないのは、言葉のうろ覚えの癖がある所為なんだ。「石鹸を風呂から流し台に移動しておいただけなのに、母に甲高い声で悲鳴をあげられた」というのは、元々頭の中でただ「石鹸を風呂から流し○に移動しておいただけなのに、母に甲○○声で悲鳴を○○られた」というだけだったが、辞典で登場してきた言葉を目の当たりにしたとっさに見出し語の中から言いたい単語を抜き出すことができる。日本語を勉強すると、意味・読み方・書き方という三つのことを覚えなければならないのだが、本を読んでばかりいる私は今まで意味と漢字を認められることでどうにかやっていける。その所為で会話でさえ、相手が構わない限りに、私は携帯を取り出して、読み方を忘れたのに何度も見たことのあるからなんとか書けるようになった漢字を指で描いて相手に画面を見せてあげてから、まるで言葉の読み方をそもそもずっと覚えたかように、話をさりげなく続けることが何度もあった。日本語を実際に話すことができるのか、この私は。こんな間抜けなことのために手間取るのはどれほど恥ずかしいのではないか、と毎回心の中で嘆くのに、異様な手段でさえ相互理解となっていくため、結局別にどうでもいいんだろう。
この間、手作りのクッキーをゆっくりと味わっていた彼氏がとろけそうな笑顔することで、私も最初は喜んだが、恥ずかしくて目をそらしてしまった。
料理が上達するように励んだ期間は元彼と付き合っていたときだった。仕事の後に一緒に晩ご飯を楽しむために、和食やフランス菓子の作り方を身につけて、自分の職場をたまに早く出て、予め夕食の支度をしてあげる習慣があったものの、別れるよりずっと前に、アイツの分が冷めてしまうまで放置させたことが何度もあった。私が悪くなかったのは、予定を守ることができなかったのが私の方ではなかったからだ。
今の可愛らしい彼氏を見つめながら、いつか私のことに飽きてしまうのは単に時間の問題だろう、とうっかりと口を滑らせた。彼がどんな優しい答えを与えてくれたか、私はさっぱりと忘れてしまったが、もう一回言ってくれるように頼んでも、彼は苛立つどころかおそらくあっさりともっと褒めたり慰めたりしてくれる。かまってちゃんでいたくないから、放置しておいた方がいいかもしれないが。
精巧なフランス菓子を作る経験で養われた手際が網膜下の注射のような顕微鏡下の手術にも当てはまることができると思っていた上司は、私がそんな技術もあっさりと身につけることができると最初思い込んだが、「投薬してもらうのは患者ならぬ単なるかわいそうなネズミなので成功率の七十%で十分ではないか」と結局ニヤリと突っ込んだ。どういうわけか網膜下の注射の講習を求める人にしょっちゅう頼まれているのは、きちんと教えてあげるかどうか疑問を抱かせてしまい、個人的に微妙な雰囲気をもたらすことになった。三十%の未熟という意味が仄めかされているなんて面白いんだろう。三回に一回ぐらいや���かしてしまう先生の指導を本当に仰ぐことができるの?とりあえず今のところは、たまに俄然ぞっとした手の震えを抑えかねる所為だと言い訳しておく。しょうがないと言わんばかりに。
大学院に必要な志望動機書は、ただ具体的に私が書いていたものであると同時に親友と恩師との間の競合を象徴した。私がこれまでどんな人生を送ってきたのか、これからどのように成長したいか、もっとも効果的で風流に伝える文章に取り組んでいた三人の藻掻き。親友は、私がどれほど大したことないと思った諸々な経験でも含めることにより、総合的な主観を与えることができると訴えかけたが、然るに恩師は、自分の専門知識を示すために実験の目的と身につけてきた技術と詳しく説明しようと言い聞かせた。読書会みたいな部活や趣味も付け加えさせてもらえる場合は定期的に開催されている限りだ、と。まるで私がそんなにあてのない子だから自分の能力に疑念を抱かれるのも無理はないかように仄めかした、と親友は非難した。私が手の二本でしかない上に、気になるゆえに少し試した���とのある様々な経験がほとんど取るに足りないと言わんばかりだ、と私は思った。こんなバラバラで断片的な存在でどうしたらいいのか。自己同一性の修羅場にはすでに嵌っていなかったとしたら、もうすぐ陥りかねない。
だが、誰にも言えない気がした。ましてや親密な関係があるはずの両親に。
分別をわきまえた親は、父が何回も誇らしく言った通りに、父の方だったはずなのに、私が今や思わずにいられないのは、父は現実的に考える力量があると自慢に信じながら真実から執拗に目を背けているなんて情けないのではないか、と。
自由に行ったり来たりしていた父の姿をしょっちゅう見ていたのに、私もたまに出かけたい気分だと許可をもらわなければならないという矛盾をいつか認めていただけると嬉しいのだが。私が単純に十年以上食べていなかったお菓子を買いたかっただけだとわかった上に、一緒に買いに行けると約束したにもかかわらず、「あっ、実は、明日、明日行こう」と何日も繰り返していた父は、永久に先送りすることができないのもわかったはずなんだろう。
こんなに愚かなことで喧嘩を売り出すことにより、向こうの方がいかにも愚かであることを証明するのではないか。私は単純に父の機嫌の変わりやすさに対して自分の不安を言い表しようとしたが、言ったことを曲解され、ただをこねられる必要なんて微塵もなかった。ここ数日間の招待に対して実際に行きたくないとそもそも素直に拒んだ方が、そんな風に癇癪を起こして「余計に外食するのが結構好きだなぁ」と嫌味ったらしく私に言いがかりをつけるよりも、礼儀正しいと思うのだが、さあ、どうだろうね。私には何とも言えない。
「別に好きなわけではないけど、家から出るのがそんなにイヤだとしたら、早く言い出した方がいいじゃないかと思っただけだった。自分も自炊するための用事をちゃんとしておくよ」と言いながら、昼ご飯を作り始めたところで「材料を片付けろ。お前はそんなにたまらなく出かけたいのか?全部元に戻して、行け」と噛み付けられた。
「食ってかかっても役に立たないのよ。私が小さい頃から母にもずっとあんな風に八つ当たりしてるんだろう?」と何気なく聞いたら、「だから今や一人で暮らしていても、それがどうしたっていうんだ」と投げつけられた。
「もしかしたら、私も年に一回実家に帰る理由と一緒なのかなぁ」
「もう大人だろう。自分の車を買って、いつでもお前が好きなように行ったり来たりして。俺とは関係ないから、どうでもいい。お前を迎えに行くのが大嫌いだ」と最後に言ってから、謝罪しようとしたときに「確かに噛み付けるのは役に立たないけど、それが俺って人間だよ」と言い分したのはいかにもダサかった。
最近、口をきかない間柄になるほど幼馴染とも口論してしまったのは、思いがけないことだというよりも、起こるべくして起こってしまったんだ。父に対しての感情にそっくりだったのは、私の考えをきちんと整えて視点を何回も言い返そうとしたものの、認めてもらわずに相手の主観をぐいぐい詰め込まれた。芯まで劣等感に冒された奴が相手をそんな風に自分より劣っていると見做し、辛辣に罵ったりすることにより、自分の立場を守ろうとしていたが、実際は惨めに藻掻いている弱虫だけだということが私にはわかったので、そんなに意地悪く扱いされるのをなんとか耐えることができた、何年間も。
とは言っても、私も臆病者だろう。充分に励んでいなかったくせに家族と親友の関係を守ることができないと思われるのが恐ろしいから。
ー少なくとももう一回話してくれないか?
数年間繰り返し話し合おうとしていても、理解してくれることが一切ない上に、私が逆に理解してあげないとぎゃあぎゃあ愚痴をこぼしてばかりいるからそもそも完膚なきまで無駄じゃないか。
限界のない人なんていない上に、私があいつらの親ではないためちゃんと育てて礼儀を教えてあげる責任もないのが、なぜわかっていないんだろう。
自分の怒りについてこんな風にずけずけとするのは、確かに初めてなので、びっくりさせる可能性も期待していた。向こうのように鬱憤を晴らすほどではないのが一目瞭然だろうが、性格がそんなに歪んだ相手にそう思われてしまってもしょうがない。もう取り返しのつかないところまで来させてしまったから。
生物医学の博士課程に進む大学院生として結局受け入れてもらった私は、親友と恩師以外誰も知らずに申し込みを内緒で用意して志望動機書を書こうとしていたとき、今までどのように成長してきたか回想することにより、大変だったときからの記憶も蘇らずにはいられなかった。避けようとしても無駄だということがわかったため、代わりに別のエッセイに入れて書くことにすると、こういう執筆になってしまった。
と、書き上げたとたん、携帯の通知音が急に鳴って、画面を見ると、また大学一年生の物理学の宿題を手伝ってあげるように私に頼んでいるメッセージがやってきた。往復って、ね。
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haru-yonige · 9 months
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おかぐの現パロ話を読んで今日になってもしんどかったから掃き溜め投げる
これを読む人が存在したと仮定して一応断っておくけど別にこれはdisじゃないと思う
気に入らないものを叩きたいだけなのに自分の善人ムーブをキープしたいヒステリックインターネットババアがよく使う保険だけどわたしが本当にdisりたいときは枕詞に「これは悪口だけど」ってちゃんと申告してから叩く
何がキツかったか要約すると「社会の縮図を感じてキツかった」って話なんで 作品自体面白かったしわたしが個人的にウーッってなったシーンも物語上必要な描写だったと作者の意図も理解できるので作品作者両方叩く意図はない
作者が、センシティブな議題を扱っているのにも関わらず作者がマジで何も考えてないんだろうなこの人…としか思えない描写をしていて、かつそれならキャラを凌辱するのが好きなんです!って堂々としてればいいのに自分は真っ当なカプ者です!ムーブをしている場合において殺意を抱くだけで、それが必要かつ考えられた描写だった場合には思想の合致はどうあれそういうものとして享受するので この作者はわたしにとっての地雷に該当しない
クリスマスにアリアスターの卒業制作らしい息子から父親への近親相姦DV映画をみせられて、面白くはあったけどDV加害者が被害者を詰めるときの被害者ムーブの解像度が高すぎてウッってなったんだけど、「キツかった」の種類としてはそんな感じ これはアリアスターと作品本編への嫌悪感を意味しない ここに書くことはそれと同じ
本題
作品の概要:剣道部沖田が部活の帰り道彼女の神楽がレイプされてるところを勢い余って犯人を撲殺、自首を主張するけど神楽の提案で逃亡、指名手配犯の二人でハネムーンみたいな逃避行するが行き場がなくなり捕まる前に逃げ出して一番幸せな瞬間に二人で心中して終わり
概要だけではキツいところとか特にないんですけど
わたしがウッてなったのは冒頭で、沖田が剣道部の部活中に大会目指す部のムーブに則って後輩指導という名の後輩いじめ(延長練における先輩陣における相手が泣くまで何時間もの不当な暴言・恫喝)に加担してるのね
それを見かねた神楽がお前は優しい人間なのにそんなことしてたら本当にひどい人間になってしまうよって言うんだけど沖田は嫌なら帰りゃいい、俺もそうしてたしって返す
苦言を呈していた神楽も結局ラブラブムードに流されてラブラブなままその場で別れる
いやしんどくね?
この沖田はその後神楽がレイプされてるのを見て犯人を殺し、神楽の言うままに一緒に逃げ、旅先でも神楽を守りつつ最後神楽に言われるがまま一緒に死んでやる、っていう好きな女の子を最後まで守る行為ができる人間なんだけど
そうやって他人のために心から奉仕できる「優しい」「善人」が、相手が特に自分にとって大事な人間ではない場合平然と加害者側に回れるという事実が、世の縮図を感じて本当に怖かった
これも所属組織の風潮に逆らえず渋々やってるんですって強制・抑圧されて心を殺しながら加害してるって話ならまだ理解できるんだけど(コンサル勤務の友達の上司がこのタイプらしい)、この場合沖田は先輩がダルいから帰るという選択ができるレベルの迎合せずにいられるハートの強さを持ち合わせてるわけで 沖田なんかは勇気を出さずともそれにノーを突きつけられる側の人間ではあるんだよね それにもかかわらず、内心ダルいと思いながらもその対象が自分にとって大事な人間ではない場合は「何となく」レベルの動機で不当に加害することができている その裏では、心の底から惚れた相手に身を挺して愛を捧げることもできる
社会的には善人として扱われている、誰かにとっての最愛である人間であるのに、自分にとってはどうでもいい誰かを自覚ありきで不当に加害できる人間、世の中の1/5くらいはこれで構成されてるんじゃないかと思う それでも善人として、正しさとして扱われ、誰かには真っ当に愛される 社会のリアルすぎる
作中の神楽だって沖田の加担している恫喝行為に関して指摘するもラブラブムードに流されて、結局その後は何も言わない
仮に自分の彼氏が自分に尽くしてくれて人間的にも尊敬できる人であったとして、会社ではパワハラに自覚的に加担してることが発覚したら軽蔑してし���うので別れを切り出す自信があるけど、作中の神楽含めて世の女の子たちは周囲のそういう加害に目をつぶってスルーできる それがリアルすぎて勝ち組同士の恋愛ってこんな感じなんだろうなー…って考えて鬱になった
結局「ひどい人間(鬼)になってしまう」=神楽を守った殺人を全く後悔してない、人を殺したのに神楽のようにろくに食べられなくなったりすることなく惚れた女の子との逃亡劇を純粋に楽しむことができている、という後々の沖田の自分が神楽とは根本的に異なる悪人と思う自己認識につながってくるし、最後神楽が一緒に死んでくれる沖田を「優しい」と言って終わることからも物語の構成としては必要なシーンではあるんだけど
まあ彼女を救うための衝動的な殺人もそれを後悔しないことも人間として優しいとか優しくないとかのベクトルからは逸れる話だと思うから、一連の流れにおける比較対象として羅列するのはちょっと違うと思うけど…
別に沖田・神楽はこんなことしないor沖田・神楽にこんなことさせるなんて!とかと思っているわけでは全くない そういった作品に対して怒りを覚えることが多いけどこれに関してはそれには該当しなかった レイプを魂の殺人として真っ当に描いているし作者の倫理観を疑っているとかも特にない 世の縮図を感じるレベルで普遍的な人間における善悪の曖昧さの解像度が高くて話としてはとても面白かったので何度も読んでる
これはifだけど仮に沖田からの加害を受けた名前も顔も出てこない後輩が自分がその後どうなろうと沖田を殺す決意をするくらいの強い憎しみを抱いたとして、相手に最大限の苦痛を与えることを目的に報復するのであれば本人よりも彼の最愛の神楽を狙うと思うから、そういう文脈でも直後被害に遭ったのが神楽だったという点において(本編における両者の因果関係は皆無だが)解像度高いなと思って読んだ
わたしの反応ポイントがおかしい自覚はある 昔から常人に比べて怒りのボルテージがデカすぎて一晩中毛布の中で「殺してやる」と永遠に唱え続けて朝になってることがザラにある人間だから、不当かつ故意的な加害行為に対して誰もが強い憎しみを抱く前提で考えてしまっている節は大いにある
そういう時は加害してきた相手に報復する権利はあるかもしれないが相手がこの世で一人で生きているわけではない以上は相手の家族や周囲を加害する権利は自分にないな、と自分に言い聞かせ続けて一晩かけて殺意を落ち着かせる
残念ながらわたしみたいに生まれつき怒りのメーターがぶっ壊れてる人間も一定数いるんだろうし、実際に客観的証拠からもそういった生まれながらの性質のみを理由に殺人を犯してしまった人間が友達の同級生にいることを聞かされているので、法や社会の抑止力も効かないレベルの憎しみを抱いてしまった時点で人は物理的に人を殺せるのだから、赤の他人をいたずらに加害するなら殺される覚悟を持った上で加害しろよ、人間殺そうという意志があれば今この場で簡単に殺せるのに相手に何をしようが自分は何ら報復を受けないという自負があるのすごいな、という思想がベースにあるが故に読んでウッってなったんだと思う
加害行為に対して敏感であるが故に他人に対してヒスる・詰めるという行為ができない人間だから、対面で対話もできないレベルの状況に陥ったときそういう世間で揶揄される嫌な発散の仕方ができない代わりに本気で頭に血が昇って視界の色が変わった時(比喩ではない)の対処法が、いまだに「辛うじて理性が応答するうちに相手に危害を加える前に一刻も早く相手を自分の視界から消す」くらいしかない 前に家族に対しての許容し難い侮辱を浴びせてきた親戚のジジイに部屋のストーブの灯油を引っこぬいてぶちまけた挙句チャッカマンで火をつけようとして羽交いじめされて止められたことがある キチガイだから怒りに飲み込まれすぎて本当にヤバくなった時、辛うじて動けるうちに相手から離れないととにかくその場における一番有効な手段を用いて相手を消すことしか考えられなくなる
父親もキレるとノータイムで出ていって一週間くらい帰ってこない人間だったんだけど、今思えば「気に食わないから出ていく」とかいうレベルのかまってちゃんの域ではないキレ方だったから加害しないためだったんだと思うし、遺伝ってあるんだなと思った
ただ世の縮図を感じたが故にウッってなったという掃き溜め 作品への所感を分析していたら自分自身の怒りという感情についての話になった I LOVE ハンムラビ法典
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shinozakitakato · 10 months
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Twitter(X)をやめたことについて、自分の心の整理というか、そこそこ溜め込んでいたことも多かったので、ここは時系列的に自分的Twitter史として記してみようと思います。なんだかんだと10年超使ってきて愛着はあったのと、良かったこともあるはずなので。
良いも悪いも思い出としてとりとめのないものになりましたが、やめた直接の理由だけ知りたい方は飛ばして下3項目くらいを見ていただければと思います。
しかし自サイトもブログも運営していない現在、活動告知のみに運用しているこちらのどこのコンテンツに入れるべきなのか悩みますが、一応infoに残しておきます。
※念のためですが、当方の動向を気にしてたどり着いてくれた方に向けて記した側面もあるので、X上にこのエントリーを掲載するのは、お控え願います。長ったらしいだけでさほどの内容ではありません。またこのエントリーに対する返信、メッセージも必要としていません。
■アカウント登録
2009年、当時は私自身が無職で再就職も決まらず悶々としつつも、この機会にブログを開設し、趣味のお絵描きに没頭したり、知人のお誘いでイベント参加や友人に付き合ってもらって炭鉱跡の探索等を楽しみつつ過ごしていたところ、当時使っていたmixiで繋がっていたクリエイター系の方々の間で”Twitter”というのが流行っているというのを聞き、なんとなく登録してみたというのがきっかけでした。 当時はmixiで満足していたのと、新しいものには慎重になるタイプで、面倒くさいのは御免だけどとりあえずというノリでした。
最初はマイミクの人たちも数名登録して内輪でこぢんまりと楽しんでいましたが、そのうち色々なイベントに参加するようになってからは名刺交換をきっかけにフォローしたりされたり、フォローバックしたりというのが増えてにわかにTLが賑やかになってきました。観測範囲ではそこそこ平和でしたが、フォローも自分に合わなければ外す(自分も外されることはあったはず)という感じで、ガッツリ交流ツールという使い方はしていなかったと思います。リプライも頻繁に飛ばし合うこともなく、ファボ(お気に入りの☆、義務感はなかった)とRT(当時はおそらく好意的に広めてくれたのが多いと思う)メインで、ゆるく交流できたのが個人的に心地よかったです。
140字制限の縛りの中で、引用RTも手動で文字を編集して、引用元の意味を改変しない程度にと頭と気も使いつつ、手間はかかりましたがそれなりの相手に対する気遣いはユーザー間にあったと思います。
そして就活で鬱々としていた時、DMでアドバイスを頂きたくてフォロワーさんに相談したことを思い出しました(今も活躍されている同人作家さんですが、励ましてくださり嬉しかったです。その節は本当にありがとうございました)。
■黎明期
2010年、自身もめでたく再就職か叶い、ブログからの交流の縁でとある本に寄稿させていただいたり、翌年は絵関係の交流からグループ展に参加させていただいたり、東京方面の展示にも参加したりと、Twitterがとても楽しかった時期だったと思います。
ただ、今思うのは、つぶやきは基本独り言とはいえ、もう少し配慮のある言動をするべきだったかなと反省するところもあります。その頃は自分の主張したいことも多く、良くも悪くもまだ若かったのだなと。それでも今で言う「炎上」まで行かなかったのはまだフォロワーやユーザー数自体も今ほど多くなかったのと、周りの方が適度にスルーしてくれていたのが幸いだったのだろうと思います。ご迷惑をおかけしたことも多々あったこと、今更ですがお詫びします。
このあと数年の間に、楽しく拝見していたフォロイーさんが他の人から攻撃されアカウントを削除したり、度々炎上させられるのを目撃したりと、不穏な場面も度々見られるようになりました。
■フォローについて
私は交流目的というよりは、情報が欲しいのとTLを眺めて楽しみたいというのがあったので、自分に合わなくなったり、不要と思ったらフォローを外すタイプでした(そしてまた見たくなったら再フォローする)。なのでフォローバックのお礼をされるのは苦手で、どうしたものかなと悩むこともありました。かくいう自分も、始めのうちはフォローバックされたら嬉しかったし、されなければガッカリしたり外されればショックだった時期がありました。そもそも、自分のツイートにそんな価値があるつもりなのか?と冷静に考えるとそういうのも馬鹿馬鹿しくはなりましたが。
そんなこんなしている内にユーザーも増えだして、マスコミ関連もアカウント参入しだしたというのもあってか政治や時事のことで沸き上がるツイートがあちこちに見られるようになり、TLの雰囲気が剣呑になるのを見て、個人アカウントに関しては始めの頃に比べて積極的にフォローしなくなりました。
■公式引用RTの実装
その頃の自分のツイートも、情報系アカウントが充実し始めたこともあり、RTしたあとにそれについて言及するタイプのツイートが多くなり、そこから得る情報や価値観も多くなりました。普通に生活しているとおそらく得られないだろうというものもあり、それは有り難いものだとは思いましたが、同時に刺激的でもあり目からウロコなものから、それが常識であってそうではない考えの人などありえない、非常識と感じることもしばしばありました。自分ではそこまで強いコメントをしたことはそれほどないかと思いますが、それでもTwitterで展開されている主張基準でモノを考えるようになっていました。
そんな私でも、喧しく着地点のない論争は苦手で、そのようなツイートが目立ってきた頃に引用RTが公式に実装されることになっ���時は、正直やめてくれ、と思っていました。予感は的中して、それから更に白熱したものが散見されるようになり、それほどの話題でもないのにわざわざ晒して議論の俎上にあげているように思え、息苦しさも感じてきました。もちろん、引用元に好意的だったりごもっともな指摘のRTもあるので、全てがギスギスしていたという訳ではないのですが…圧倒的に先のようなものが多いと感じます。
そして自分のツイートは所詮RTありきで、実のところ自分の言葉で語れるものは何もないのではないかということにも気づき始めました。
■TL構築について
よく聞く「TL構築が上手くいっていないから不快な思いをする」という言説ですが、これは "生きていて" "意志のある" 人間をフォローする以上どうしようもないことだとも思います。この人は大丈夫だろうと、穏やかそうに見える人をフォローしても、何かをきっかけに攻撃的になるということも生きている以上はあり得ることです。その感情の部分を第三者が取りなして抑え込むというのも傲慢なので、そこに不穏や不快を感じたなら気軽にフォローの”ON" "OFF" が出来ればさほど悩まずにTL構築が出来るのではと思うのですが、OFFされたことを知った側はやっぱりいい気分はしないらしく、私も(多分自分のことだと思う)嫌味を言われたり、またフォローバックされないことを恨みがましく言われたこともありました…そこに過去の自分の姿を見たりと、これは感情の部分なのでまあ仕方ないことではありますが。
ちなみにミュートは個人的にはフォロイーには出来る限り使いたくなかったので、あまり使いませんでした。一度してしまうと、それきり忘れてしまい解除することはまずないだろうし、何より相手に気づかれた時にはアンフォローよりもショックだと思うので…多分…。
直接の嫌がらせや攻撃を受けたこともないので、ブロックも明らかなスパムや、ヘイトアカウントのような絡まれたくない相手以外には使いませんでした。
■サードパーティアプリの恩恵
使い始めはシンプルで良かったのですが、やっぱり次々とツイートが流れていってしまう特性上、個人的にお気に入りツイートを留めておきたかったり、備忘録として保存しておきたかったりなど、また機能も増えてくるとやっぱり逆にシンプルに使いたいなどがあり、個々で閲覧をカスタマイズ出来るサードパーティアプリの存在は貴重なものでした。
特にTweetDeck系の独立PCアプリTweetenと、iOSアプリのfeatherにはお世話になりました。featherに関しては有料版を使っていたのと、今ではMastodonのアプリとして使用しているくらい愛着がありますが、Twitterがイーロン・マスク氏の経営に変わり、今年(2023)の初めにAPIが制限されてからは、ご存知の通り使用出来なくなりました。
個人的にはこちらのダメージが最も大きかったです。広告ツイートが出ないのと、他人のいいね(だいぶ前にファボ☆がいいね♡に変わったのもなんで?という感じではあった)が流れてこないので純粋なTLが見れること、検索やハッシュタグ毎にTLを並列できたり、RTや会話の非表示などにも対応していたりと、自分の理想通りに情報を得られたりノイズを除去出来たので、重宝していました。これがなければもっと早くにTwitterをやめていたかもしれないくらいだったので、かなりショックな出来事でした。
そして極めつけはモーメント機能が無くなってしまい(見る裏技的なものはあるとかないとかですが、改めて調べる気も起こらなかった)、個人的な思い出としてまとめていたものも分散してしまって、それを機会に驚くほどツイートする気力が奪われました。
これが幸か不幸か、TwitterやSNSとの向き合い方を考えるきっかけにはなりました。
■自分自身のアカウントについて
最初は仲間内との雑談やイベント情報収集などから始まり、そしてここ7年程は若かりし頃に行っていた同人活動を再開させたこともあってそちらの告知と、ドライブや廃墟・遺産系の探索写真も載せたりすると同士も増え、そこそこ多くの(といっても3桁いくのは稀)いいねをいただいたりもしました。3年ほど前には初めて3千超えをいただき「バズった」りもしましたが、個人的には1度経験すれば良いかな…と。微妙に廃な場所の写真だったので、「わかってくれる」人に届くなら良いのですが、それ以外にも広まって変なリプライや引用されなければ良いな、と少し怯えていました(苦笑)。やっぱり同じ趣味界隈の人も増えたなという実感はありました。
フォロワー数に関しては、3桁止まりでしたが、それは私自身がこまめにスパムアカウントをブロックしたり、暇な時には数年以上休眠状態になっていた企業やショップのアカウントを削除(当時はツーブロック解除)していたからというのもあります。セキュリティ上、私は気になる方だったので。かなり神経質だったなと思いますが、ある時そうやって整理したフォロワー数が全体の3分の1程度あった時は、アクティブなフォロワー数はかなり少ないものだということを知りました。
そのまま放っておけば4桁超えはしていたと思いますが、実際近年ではもらえるいいねやRTもフォロー外の方が圧倒的に多かったというのも、自分自身や周りの使い方の実態を物語っているようでした。フォローしてしまったらやっぱり心理的に外しづらいからリスト管理していたり、RT経由でという方が多かったのでしょうね。
■近年の動向
TwitterがXになり…という以前から、同士が増え相互になったりする方も多くなりましたが、自分自身もあれから歳を重ねたり体調の変化のせいか、些細な他人のツイートやRTが不要な方向に「刺さる」ことが増えました。もちろん自分のことを言われているわけではない(多分)ことは承知ですが、TLを見ているだけでストレスになっていることに気づきました。
楽しいTLをもとめて以前のように気軽にフォローバックなどしてみても、誰もが世の中や何らかに対していつも怒っているという感じで、息苦しくなるばかりでした(なのですぐ外させてもらったことも相当あります。すみません)。たまにいただくリプライやDMも、正直にいえば、返信をしなければならないプレッシャーも感じてしまい(事務的な問い合わせは全く手間ではなく平気なのですが)、一度返信するとチャットのように延々と続いてしまい他のことをする時間が削られてしまうのも嫌で、楽しめなくなってしまいました。元々当初からそこまで深い交流を求めていなかった上、逆に交流を望む人が増えたことでTwitterが私の理想とはかけ離れてきたことも感じました。
近しい人の日常や界隈の裏話も、自分に何か出来るわけでもなく、そんなに知るべきでもないなと最近は感じます。極々たまに会って積もる話に花咲かせるくらいが有り難みがあっていいなと思うようになりました。
そしてポストや写真を載せる時にも、個々の守秘のポリシーの違いなど様々なことで悩むようになり、周りの顔色を窺いがちになったり、交流のあった界隈でも派閥のようなものが形成されていることに気づいて、どちらにもお世話になった自分にはどちらかの側に付いているという意識もなく、それ以降、片方だけに付くということも出来ませんでした。
ちょうどその趣味に対する熱意も落ち着いてきたので、どちらのコミュニティからも離れる決意をし、大規模にフォロー整理をして使い方を変えるか、あるいはアカウントを削除するかで迷いながらとりあえず同人関係の告知と外出や旅行の写真だけをUPするようになりました。
■アカウント削除への決心
その頃、鍵垢からなのか不明な引用RTがほぼすべてのポスト(ツイート)に付くようになり、気味が悪くなったため、ツイートは告知とイベント��の他サークルさんの告知RTだけにしました。引用主が誰かは今でも判明していません(今更わかったところで既に意味のないことなので知りたいとも思いません。自分だと名乗り出ることも不要です)。
大幅にTLを見る時間も減り、たまに覗くとバズっているポストにぶら下がる青バッジアカウントの群れに呆然とし、そのバズりポストにも真新しさや魅力を感じることはなくなり、数年前から変わらず続くとある界隈のレスバ、好きだったジャンルにも押し寄せる情報量といいね数やフォロワー数を競うマウント合戦、他の方のハイクオリティな写真や絵を見ても、慣れなのかさほど心は動かなくなりました。おそらく有料化や収益化などの改変のタイミングで自分のTwitterに対する熱も冷めたのかもしれません。
今まで使わせてもらった代償として有料アカウント(青バッジ)となることも考えましたが、ポストがフォロワーの目に止まっているのか不明なアルゴリズムの変化など今の混沌ぶりと無限に湧くスパム、たまの新規フォロワーもほぼスパムという現状に対し、決して安いとは言えない金額(私にとって)がまったく割に合わないと感じ、それは取りやめました。
また、少し以前に代替ツールとして登録しておいたMastodonのFedibirdアカウントを縁あって取得することが出来、そちらの雰囲気が良く、少し慣れた頃に思い切って独自ドメインも取得してホスティングサービスの力を借り個人サーバーも立ち上げてしまいました。ホスティングサービスは有料ですが、同じくお金をかけるなら、確実性のあるところにかけたかったのでそちらを選びました。
同人関係の活動や写真の投稿は、今はそちらで行っており、Xの方を眺めている時間を他のことに使いたくなったので、思い切ってアカウントを削除しました。発行した同人誌の奥付や、配布した名刺にもIDを記してあるため、一言告知や挨拶をするべきだったとは思いますが、引き止められて心が揺らぐのは一番避けたいし、かといって何も反応がないのも正直つらく、そもそも一つのアカウントが辞めたところで誰の生活にも困らないことを大げさにはしたくないのでこういう形になりました。
これによって、一番不便になるだろうことはイベント情報を公式サイトまで直に取りに行く必要が出てきたのと(今更ながらRSSを勉強した方がいいのかな)、古くからのお付き合いの方、同人作家の方との繋がりが途絶えてしまったのが残念ですが、縁があったりお互い活動を続けていればまたお会いできると思うので、私は変わらず活動していくつもりです。
■他SNSとこれからについて
先程挙げたMastodonが現在のところメインのSNSとなります。InstagramとThreadsも知っている方を見つけ次第フォローしていたのですが、発信に時間が割けず、試しに使う程度に留めてアカウント削除しました(Instagramは企業やコンテンツの公式情報など見たいものを見るだけのアカウントを新たに作り、フォローは受け付けていません)。
他、アカウント取得をしたのがタイッツーとBlueskyで、これらは動かしておらず様子見の状態です。
pixivはこれまでと同じく、絵を描いた時のみUPしています。
やはりTwitterなど一つのSNSに依存しきるのは問題だと思い、かと言って沢山のツールを使いこなす余裕もないので、一旦はやめた個人サイトを再構築することを検討しています。先程も言った通りドメインを取得したついでにレンタルサーバーも契約し直したので、活用するつもりです。
完成して公開できた際にはそちらにメインを移行するので、このTumblrはおそらく更新をストップすると思いますが、それまでは発信をしていきます。
以上、駄文をかなり長々と綴りましたが、もし最後までお読み下さった方がいましたらありがとうございました。
そして、今までTwitter上でリアクションや交流してくださった皆様にはありがとうございました。
縁がありましたらまたどこかで。
※依頼や諸連絡ございましたら同人誌奥付か名刺のymailのメールアドレスまでお願いいたします。
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