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#貧困から極貧へ
sattworld · 1 year
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monogusadictionary · 1 year
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消費税が引き上がると経団連企業への「輸出還付金」が増える
 そのメカニズムは、消費税における「輸出還付金」という仕組みによるものです。それは、次のようなものです。
 消費税というものは、国内のマーケットで販売した時には支払った人たちに払って貰うことができるという税金、として運用されています。しかし、輸出企業の場合は、消費税を支払ってもらえない、という事態が生じます。なぜなら、「輸出」してしまった商品は、国内マーケット以外で販売したということで、その輸出品を買った(外国)人から、消費税を支払って貰うことができないからです。
 ところが、輸出企業がその輸出品を作るために買った原材料を日本国内のマーケットで購入した場合、原材料購入の時に消費税を支払っている、ということになります。したがって、輸出企業の場合、原材料を国内で購入する時には消費税を払っているのに、顧客である海外の人からは消費税を払ってもらえない、ということになります。
 これでは不平等だということで、「輸出企業が、輸出品を手に入れるために、日本国内で支払った消費税」を全て「政府が支払ってあげる」(還付する)という仕組みを、政府が作っているのです。これが「輸出還付金」という制度です。
 ちなみに、経団連に入っている大企業は基本的に全て、大量の輸出をしている企業ですから、多くの還付金を政府から支払って貰っていることになります。そして、その還付金の金額は消費税率が上がれば上がる程、増えていくことになります。
 これこそが、経団連が消費税率を上げる第二の、そしてより積極的、かつ、本質的な理由です。つまり、経団連は、より多くの還付金を貰いたいからということで消費税増税を主張しているのです。それによって経済が冷え込もうが低迷しようが貧困が広がろうが格差が拡大しようが知ったことではない、という次第です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3ffaf1a1b124376cddb7bcd641263203cfa0d568
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pinball-1973 · 3 months
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アメリカやオーストラリアにおける「ウォーク資本主義」の実例については、本書の中で山ほど挙げられているが、その中から一例だけ紹介しておこう。 それは、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏である。 2020年、ベゾス氏は、気候変動対策のために、100億ドルもの寄付を行った。この金額は、アメリカ政府が気候変動対策のために投じた資金とほぼ同程度であるという。 なんと意識の高いことだろうか! ところが、アマゾンが10年間で納めた税金の総額は、この寄付金額の3分の1程度にすぎなかった。2018年にアマゾンは110億ドルの利益を上げたが、法人税はまったく支払っていなかった。2019年の利益は130億ドルだったが、アマゾンの法人税の実効税率は1.2%にすぎなかった。 もちろん、アマゾンは、違法な脱税を行っていたわけではない。世界各国の租税法の抜け穴を巧みに利用して法人税負担を可能な限り軽減する「租税回避」を行っていたのだ。 だが、気候変動対策のような公共の利益のために私財を投じるならば、国に税金を納めればよいではないか。租税回避を徹底して私財を貯めこむ強欲さの一方で、気前よく100億ドルもの寄付金をポンと出すなどというのは、矛盾しているのではないか。普通の感覚であれば、そう思うだろう。 ところが、それが矛盾してはいないのである。ここに「ウォーク資本主義」の恐るべき本質がある。 実は、このような公共の利益を重視しているかに見える企業活動は、むしろ、企業の経済的な利益を守り、さらには殖やすための手の込んだ策略なのだ。ローズ教授は、そう主張するのである。 まず、社会的正義に熱心であるという企業のブランド・イメージを打ち出した方が、より儲かる。だから、企業は、熱心に寄付を行っているのである。もっとも、それだけ��ら、たいして悪い話ではないかのように見える。それどころか、企業の私的利益と公共の利益が一致するならば、それは歓迎すべきことではないかと思われるかもしれない。 しかし、問題は、そこにはとどまらない。 富裕者層が巨額の寄付を行って公共の問題に取り組む姿勢を見せるのは、裏を返せば、民主政治が公共の利益を実現する必要はないというジェスチャーなのである。 そのジェスチャーが意味するのは、公共の利益を実現するのは、一部の富裕者層や権力者であって、民主的に選ばれ、国民に対して説明責任を持つ政府ではないということである。 それは、端的に言えば、民主主義の否定にほかならない。富裕者層による金権政治である。 富裕者層の金権政治は、公共の利益のために私的利益をある程度は犠牲にするが、もちろん、私的利益を大きく損なうような公共への奉仕には決して応じない。富裕者層の金権政治における公共の利益は、富裕者層の権益を維持できる範囲内でしか、実現されないのである。 例えば、「意識高い系」の富裕者層は、気候変動対策の寄付には応じるし、貧困対策にも一定の寄付をするだろう。しかし、国富の25%を1%の富裕者層が専有するような極端な経済的不平等を是正するといった社会正義の実現となると、「意識高い系」の富裕者層は一切触れようとはしない。それどころか、全力で反対するのである。 租税回避に熱心なアマゾンの創業者ベゾス氏が、100億ドルもの寄付を行った理由も、これで分かるだろう。100億ドルなど、億万長者の彼にとっては「はした金」であり、その富と権力を守るためなら、安いものだというわけである。 「意識高い系」富裕者層による「意識高い系」の社会貢献活動は、実は、進歩主義的なのではなく、その反対に、「富める者はますます富み、貧しき者は持っている物さえも取り上げられる」(聖書マタイ伝)という不平等な社会構造を維持し、富める者の既得権益を守るための極めて狡猾な策略なのである。
「意識高い系」資本主義が「賃金UP」を抑えている訳 企業が「SDGs」や社会正義に取り組む本当の理由 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン
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ari0921 · 15 days
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桜林美佐の「美佐日記」(269)
注意が必要!テレビを点けた瞬間から情報戦に突入
している
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────
先日、NHKニュースで、50年前の昭和49年8月30日
に起きた三菱重工ビル爆破事件について特集してい
ました。
この事件を起こした過激派のうち2人はその後、釈放
され現在も国際手配中です。なぜ釈放されたのか?
日本赤軍によって実行されたハイジャック事件など
の際に次々に超法規的措置で釈放されたのです。
この人たちは日本赤軍を結成する前の1971年に
は重信房子を筆頭にレバノンのベイルートに赴き彼
らと同じくマルクス・レーニン主義を標榜するPF
LP(パレスチナ解放人民戦線)へ共同武装闘争を
申し入れ、共に活動を開始。そして、1972年5月
にイスラエルのテルアビブ・ロッド国際空港で、奥
平剛士、安田安之、岡本公三の3人が、自動小銃と手
榴弾でそこに居合わせた26人を死亡させ、76人に
重軽傷を負わせるという凶悪テロ事件を起こしまし
た。奥平は射殺され、京大生だった安田安之は手榴
弾で自爆、鹿児島大生だった岡本公三はその場で拘
束されています。
しかし、日本赤軍はその後も1973年7月の「ドバ
イ事件」(日航ジャンボ機乗っ取り事件)、197
4年1月の「シンガポール製油所襲撃事件」、同年9
月の「ハーグ・フランス大使館占拠事件」、197
5年8月の「クアラルンプール米大使館領事部、ス
ウェーデン大使館占拠事件」、1977年9月の
「ダッカ日航機乗っ取り事件」と、一般人を巻き込
んだ事件を立て続けに起こします。
そしてその都度、収監されている組織員の解放を求
め、クアラルンプール事件で5人、ダッカ事件で6人
が日本の獄中から超法規的措置で釈放されたのです。
イスラエルで多くの民間人を死傷させた実行犯の中
でただ一人生き残った岡本公三も1985年のイス
ラエルとPFLPによる捕虜交換で釈放されています。
今年1月には一連の企業爆破事件に関わったとされる
「東アジア反日武装戦線」のメンバーとして指名手
配されていた桐島聡容疑者が「最期は本名で迎えた
い」と名乗り出た直後に病死するという出来事があ
りました。
この番組は、極左暴力集団による民間人殺害という
日本人が忘れてならない歴史を取り上げたのはとて
も良かったですが、ご遺族の「50年前に受けた心の
傷が今も癒えていない」という思いを紹介した後の
締め括りが「暴力で社会に影響を及ぼそうとする事
件が起きる現代に危機感を持っている」というもの
で、そんな結論なのか!とテレビの前でずっこけた
方も多かったのではないかと想像します。
NHKが被害者側の心情を取り上げただけでも是とすべ
きなのかもしれませんが、極左の人たちの暴力や無
差別殺人、それを「超法規的措置」で解放したわが
国の過去をしっかり省みるべきではなかったかと感
じます。
自衛隊が、国防のためにやむにやまれず「超法規的
措置」もあり得ると口にすればたちまち大問題とな
り、1978年には栗栖統幕議長が解任されました
が、やむを得なかったとはいえ結果的に犯罪者なら
OKにしてしまった日本の基準は果たして世界から見
てどうなのか。
そういえば、「ベトナムに平和を!市民連合」(べ
平連)とか、最近はこれらの名称を知らない方も増
えているようです。反戦デモや新宿のフォークゲリ
ラのみならず、脱走兵の幇助や米軍基地付近での妨
害活動などをしていた人々です。
マスコミ業界には元べ平連を自慢する人が実に多か
ったため「どうして日本のメディアは偏向報道なの
ですか」という疑問には容易に答えられる構図でし
た。
その上司に聞きたくもない昔話を聞かされた私たち
世代は、嫌気がさして反作用を起こすかあるいはそ
の思想を受け継ぐかどちらかになっていると考えら
れます。
そう考えると、現在言われている情報戦というのは、
これまでの報道とどう違っていて、どのような思惑
があるのか、そこも分析する必要があるように思い
ます。とにかく、テレビを点けた瞬間から情報戦に
突入していると思った方がいいでしょう。
「反戦」や「貧困撲滅」の看板を掲げ罪のない人た
ちの命を奪った過去を淡い思い出のように取り上げ
るものも散見され、言語道断です。注意が必要で
す!
 今日も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た。皆様にとって素晴らしい1週間となりますよう
に!
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kennak · 26 days
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昨年2月25日にNHK-Eテレで放送された「ETV特集 ルポ死亡退院 ~精神医療・闇の実態~」。2023年のテレビで最も優れたスクープ報道として高く評価された。日本新聞協会賞、放送人の会グランプリ、石橋湛山早稲田ジャーナリズム大賞、貧困ジャーナリズム大賞など主だった賞の最高賞を受賞した。  東京・八王子市にある民間の精神科病院・滝山病院。精神科のほかに内科も併設し、人工透析治療などができるため、精神疾患に加えて腎疾患などを抱える合併症の患者が他の病院からも送り込まれてくる。そこではベッドに寝たきりの高齢患者を看護師らが問答無用で殴る、叩く、つねる、蹴る。暴力や虐待が日常茶飯事。ベッドに縛り付ける身体拘禁も日常化。入手した資料で入院患者の約8割が死亡して退院。いったん入院すると死亡しない限りは退院できないというおぞましい実態、“死亡退院”の現実があった。 「このままでは殺される……。どうか助けてください」  悲痛な声で弁護士に助けを求めた高齢の男性患者はその後、亡くなった。  あれから1年4か月。滝山病院の「その後」を追跡した第2弾が6月29日放送の「ETV特集 死亡退院 さらなる闇」だ。このドキュメンタリーは、ふだん週刊誌などが得意としている「院長とカネ」の問題に切り込んでいたのが印象的だった。(全2回の1回目/ 後編 に続く) ◆ ◆ ◆ 「死亡退院」はその後も続いた  暴力や虐待が横行していた恐怖の病院はどうなったのか。一般的にスクープの「その後」の報道はなかなか難しい。最初のスクープだけなら、「暴行」の証拠となる衝撃的な映像で十分にドキュメンタリーになる。だが、「その後」を取材して第2弾を出すとなると、病院経営や体質、さらには精神医療全体をめぐる「大きな構図・背景」を浮き彫りにしない限り、単なる焼き直しと言われてしまう。取材班は大きな背景にも斬り込んで本格勝負を挑んだ。  第1弾の報道を受け、警察は病院を捜査して看護師ら5人を逮捕、略式起訴した。監督官庁の東京都も病院に対して改善を命令。厚生労働省も全国の自治体に虐待防止を通知した。しかし入院患者を支援して問題を告発した弁護士は「死亡退院の状況から何も変わっていない」と語る。  都の改善命令を受けて滝山病院は「虐待防止委員会」を設置。弁護士が中心の「第三者委員会」を作って虐待の真相究明に乗り出した。  東京都も患者の聞き取り調査を実施。転退院の支援に乗り出した。  ところが行政の縦割りや公立病院の受け入れへの消極姿勢、さらに主な受け入れ先として想定された民間病院が費用面や合併症患者の扱いなどで及び腰になるなどで遅遅として進まない。  転院を希望した高齢の男性患者も引き受ける病院が見つからないまま体調を崩して死亡。転退院支援の遅れで「死亡退院」はその後も続いたのだ。 薬剤を大量に投与されて…  この患者の記録を調べると病院側が鎮静のための薬剤を大量に投与した不適切な医療行為で死にいたった可能性があることを複数の医師が指摘した。投薬を指示した朝倉重延院長は外部の医師の指摘に「おっしゃるとおり歩み寄りは必要だったと思う」としながらも医療判断の誤りは認めなかったという。  第三者委員会が行った職員アンケートでも多くの職員が「過剰医療」を指摘し、医療の内容に問題ありと考えていたこともわかる。  不衛生な病室。経験が浅いアルバイトの職員に体位交換させて患者に重症の褥瘡(床ずれ)ができ、それが原因で敗血症によって死にいたったケースも多数見つかったと番組では伝えられた。  ところが第三者委員会は「医療行為の適切性」については「判断に医学的知見を要する」からと是非を判断しない姿勢だ。  カルテを分析すると医学的に必須とされる所見がないのに「心筋梗塞」と診断名をつけられ、血液がさらさらになる薬剤などを大量に投与されたケースも見つかる。やはり朝倉院長が診断していた。  医師が院長に電話で問い合わせて「心筋梗塞」の診断名をつけていた音声記録も。蘇生の難しい患者に繰り返し高い薬剤を投与していたという証言もあった。 ◆  院長が率先する患者への過剰な医療行為をスタッフは「濃厚治療」と隠語で呼んでいたという。
「このままでは殺される…どうか助けてください」相次ぐ患者の“死亡退院”はNHKがスクープした後も続いていた(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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blue-aotan · 10 days
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ハロー(´ー∀ー`)2024.9.13
最近観た映画の感想
『ロストケア』
介護士の松山ケンイチが介護苦で辛く苦しみ悩みながら生活している人を救う為に介護老人を42人殺めたというお話です。
殺人をお願いされた訳でも何でもなく、自らの判断で殺めた事。それは紛れもない殺人なのだけど、実際には「救われた」と述べる家族もいたりして介護の闇や苦労、認知症の方とその家族の生活がかなり現実と直結していて、誰の身にも起こりうる事だと思うので鑑賞がかなり辛い作品ではありました。
ただの殺人、という訳でもなくその根底にあるのが犯人の壮絶な過去があったからで。その部分は悲しすぎて涙が溢れました。
色々考えさせられましたね〜。
検事の長澤まさみちゃんも、自分の母親とのエピソードがあってこの事件に本気で向き合い、それをきっかけに母親の介護に対して逃げていた事や自分自身を見つめ直し、殺人犯である男性の人生を
心から思った…そんな重いストーリーでした。
『ミンナのウタ』
和ホラーらしいゾッとするシーンもいくつかありましたが、とにかくGENERATIONSに興味のない人には少しだるい←ホラーではありましたね🥱
ミンナノウタってそういう意味なのね!って思う部分もあったりして途中までは面白かったんだけども、ラストでね元凶の女の子の自宅2階からバーンってお化けが出てきた時に口から掃除機のプラグが出てたんですよ。
そこで私は「?…なぜプラグ?🔌?」ってなって、しかもなぜ口から??って疑問だらけで笑いが出て、プラグかーらーの、ドアが外れてその上に2人乗った状態での階段スライダーが本当にダサすぎて(何ならスローモーションだった気がする)一気に興醒めって感じでしたよね😂
ほんでラストの極めつけがGENERATIONSのライブ映像😂
いらねー←
(ファンの人すみません
本日も言いたい放題の私でございます。
批判・中傷に敏感な現代でもギリギリを攻めていくスタイルです!
(ギリギリというかアウトだね←
最近まじでキツい。
クソババーのストレス←
(でたー
クソババー拒絶時代の到来←
いい加減このビッグウェーブ来んなって思う←
職場のクソババーが調子に乗りすぎやりたい放題+新人のやりたい放題暴走事件でメンタルが灰←
誰か…私の遺灰海に捨ててー!←
塵積もで心の許容がバーーーン!ってなった時のクソババー無双が本当キツい。
心にゆとりがある時は「あー、はいはい。いつものクソババー節ね?右から左で〜す」ってできるんだけど。
そうできない時のKBB(クソババー)瘴気がつらい😓
そんな中で姉の言い間違いなどに救われつつ←
先日も「ボディーソープ」と打ちたかったところが「ポーティソープ」になってたし。
本人も次女も気づかずスルーだったし←
「やあ!僕ポーティ!体臭が気になるお年頃だよ!よろしくね!」
って返事しときました←
そして誰も望んでいないのにやって来た
「私🆚N◯RO光戦争」の勃発←
大概にせえよ😡
突然通信機が点滅を始め、一切ネットに繋がらなくなる
電源オフ、リセットをし何とか繋がる
また繋がらなくなる
電源オフ、リセットをしても繋がらなくなる
繋がったり繋がらなかったりを繰り返す(繋がらない割合が多い)
といった状態になりました。
点滅の意味も調べたし、公式HPの対処法もしたけどダメでした。
そしていざ問い合わせ
ネットが繋がらない、いつからなのかどういった状態なのか説明
なるほど…建物の回線自体は問題無さそうなのでそうなりますと機器の故障かそちら側で何か問題があるようです…ではアラームが赤点灯しているっていう事ですか?
アラームは点灯してません、LINEが点滅してます
LINEが点滅ですか!?では本体カバーを開けてもらって配線を抜き差しするか難しければ押してもらって、コンセント側の配線も押してもらっていかがでしょう
したけどダメでした
WANは点灯してますか
WANも点滅してます
WAN点滅!?
この受け答えで私のイライラ値が上昇していきました。
いちいち点滅に反応を示す前に、今がどういう状態なのかまず始めに全部聞けや←
全部聞かずにあーだこーだ言い出してしかも全部わかってる体で対処法話しだしたりするし😡何やコイツなったよね
そして現在対応が大変混み合っていてまず担当へこの内容を上げるまでに1週間かそれ以上かかるかもしれません
はあ?その間どうすればいいんですか?
開通後のWi-Fi機器の貸し出し等はしてないんですーすみませんー
機器の故障となった場合、配送と訪問どちらがよろしいですか?配送となると自分で配線つけかえたり電源から替えてほしいんですけどちょっと複雑なので…
(何それ?訪問して原因調査するのが筋だろが?設定や付け替えを客にさせるんか?💢)配送って自分でするって事ですよね?わかりませんよそんな事言われても。自分でつけてる時に壊れても嫌だし。
(というか複雑とか言うくらい難しいって分かってるのなら初めから訪問一択やろがい💢
というイライラMAX度世界記録を更新しました←
それから4日後に業者の人がやって来て、中からと外からと配線調べて原因は「コネクタ不良…ですかね」ということでした。
ものの15分程で作業は終わり、無事に復旧。(その後一旦速度低下はありましたが、再起動で完全によくなりました)
突然配線が不良になるのは仕方ない事ですが、ネットが使えない間の対処をどうにかしてほしい…まじで。
でも、言われた日程よりは早く解決したので本当に良かったです。これでまた快適な配信活動ができそう。
今後は配信の前に毎回速度測定をして配信に影響ないかどうかを調べようと思いました。
(10年以上活動しててした事なかったのかよ←
そのような感じで戦争は終結を迎えました。それ以外にもなんだかんだ(職場の食事会➡︎断った)色々あって疲労+ストレスで口内炎ができました←
ストレスって本当重なるのよね…
KPOPアイドルのライブが終われば…きっと…ゆっくりできる…はず
来月ディズニー旅行だったわ←
ディズニーもさ、Xでは「若者のディズニー離れ」とかいって話題になってたけど。若者の貧困と結びつけたいような記事だったけど、若くても稼いでる人は沢山いるんだよね。
ディズニーのやり方の問題では?とも思っちゃうよねー。
ある程度高くてもそれ相応の対価があれば、払うと思うんですよね。
対価以上に損失の方が大きいと判断してると思うんだよねー。
かくいう私もディズニー離れが進行してる1人ではあります。
私はトイストーリー4で「ん?」となってから、アナ雪2やバズ・ライトイヤーで「??」となって、ミラベルも「???あれ?私…ディズニーと合わなくなってきた?」って悲しくなってきたんだよね。
多様性や誘導、押し付けが目について「夢」のあるストーリーだからディズニーだったのに、「現実」って感じで近年の作品微妙だなぁって離れていってるんですよね。
新エリアのファンタジースプリングスもお金積まないと楽しめないとか長時間無理して並ばないと入れないとか、芸能人は沢山招待されてるだとか不平等・不公平のオンパレードで、更にチケット代の値上がりとかグッズの転売問題とかそういうのをネットで目にする度にまた気持ちが離れていくんだよね。
もちろん素晴らしい作品も沢山あるし、アトラクションも素敵なもの沢山あるんだけど。
遠方勢からすると、どんどんハードルが上がっていってるしディズニー信者の心は消えていく一方ですねぇ。
(元々信者ではない←多分
家族と楽しむ場所!って感じでディズニーにお金払うというよりは思い出にお金を払っていこう、というマインドに変えて楽しむべきですね。
というかディズニーリゾートを今までこんなに楽しむ事ができたのは、2番目の姉がディズニーコンシェルジュとして色々頑張ってくれていたお陰なので笑
本当に感謝しかありませんまじ土下座級
10月の旅行で個人的な大きいイベントが終わるので、またブログに旅の記録をアップしたいと思います😌
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takahashicleaning · 10 months
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TEDにて
ジェニファー・パルカ:コーディングでより良いスマートな賢い政府を創造する!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
注意!!現在、基本的人権を侵害するストーカーアルゴリズムしか能力のない人工知能です。
注意!!現在、基本的人権を侵害するストーカーアルゴリズムしか能力のない人工知能です。
注意!!現在、基本的人権を侵害するストーカーアルゴリズムしか能力のない人工知能です。
国家システムの単位である行政府を、インターネットのように運営できないだろうか?インターネットは、オープンで許可を待つ必要がない世界です。
コーダー(プログラマーのことです)であり、活動家のジェニファー・パルカは、そんな風に行政府を運営できるだろうと考えています。
迅速かつ安く作られたアプリは、一般市民をスマートな賢い行政府とつなぎ、ご近所との関係も築く強力で新しいやり方であるでしょうと言っています。
これは公共経済学の分野で言われる「行政府の失敗」のリスクを低くする試みです。「市場の失敗」に対し、これらを改善するために行政府の介入が正当化されることになる口実に使用されるためです。
理論的には、産業政策で「市場の失敗」が回避できたことによる経済メリットが政策推進で生じる「行政府の失敗」のデメリットを上回る時に産業政策は正当化されます。
しかし、「市場の失敗」が生じる形態は、個別の具体事例により大きく異なることから、ここの事例に対して市場の機能不全がどれほどの弊害を引き起こし得るかを評価することが出発点になります。
「市場の失敗」の程度を指標化できれば良いが、最先端の経済学を持ってしても、そこまで信頼性に足る指標は存在しませんのでクリエイトする必要があります。
プログラムは人間の限界をはるかに超えて 、光速まで処理できるので、人工知能の時代には、人間の議論のスピードを超えていける可能性すらあります(新型コロナウイルス2020がパンデミックを引き起こして、人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した)
MITの物理学者であり、AIの研究者であるマックス・テグマークの言うように・・・
ロケットの話と似ていて技術が単に強力になれば良いというものではなく、もし、本当に野心的になろうとするなら、コントロールの仕方と、どこへ向かうべきかも理解しないといけません。
エリエゼル・ユドカウスキーが、「友好的なAI」と呼ぶものです。そして、これができれば素晴らしいことでしょう。病気、貧困、犯罪など苦痛というマイナスの経験を無くすことができるだけではなく、様々な新しいプラスの経験から、選択する自由を与えてくれるかもしれません。
そうなれば、私たちは自分の手で運命を決められるのです。そして、準備がないままにつまづきながらアジャイル(=機敏さ)で進んで行くとおそらく人類史上最大の間違いとなるでしょう。
それは認めるべきです。��酷な全世界的独裁政権が可能になり、前代未聞の差別、監視社会と苦しみが産まれ、さらに、人類の絶滅さえ起こるかもしれません。
しかし、注意深くコントロールすれば、誰もが裕福になれる素晴らしい未来にたどり着くかもしれません。貧乏人は、金持ちにより近づき、金持ちはさらに金持ちになり、みんなが健康で夢を追い求めながら自由に人生を送れることでしょう。
その他に、行政府自身が社会システム全体の資源配分の効率化を目的とする保証はないため政治家や官僚は自らの私的利益のために行動を歪め、市場の失敗を矯正するどころか資源配分をより非効率にする可能性すらあります。
数年前、こんな活動を始めました。超人気の技術屋や設計屋に1年間休職してもらって、彼らが気に入りそうにもない職場環境で働いてもらおうというものです。
つまり、市の行政機関で働いてもらうのです。「コード・フォー・アメリカ」と呼んでいて、マニア版「ピースコープ(平和部隊)」のような活動をします。
毎年、フェローを選んで市の行政機関で働いてもらいます。途上国に送り出すのではなく、市役所という未開の地に送り込んでます。
そこで、フェローは役立つアプリを作って市役所職員と検討します。しかし、実際には、彼らは今ある技術で何ができるかを示しているのです。
もし、行政府が使う技術をご存知でしたら、通常こんな風には、ものごとが進まないのをご存知でしょう。
通常なら行政府の情報システム調達には2~3年かかるところを、昨年プロジェクトに参加した別のチームは3人で2カ月半しかかけずにこのプロジェクトを終了しました。
アプリは、数日で書きあげられてバイラルに広がっていきます。これは行政府機関に対する威嚇射撃のようなものです。これは行政府運営を改善する方法を示唆しています。
多くの人が、行政府そうあるべきと考えるような民営の会社のようにするのではなく、技術系の会社のようにするのでもなく、インターネット自体が成り立っている方法です。
許可を待ってから動くものではなく、オープンで依存せずに自らを創造していくものです。
そして、それこそが重要なのです。しかし、このアプリでもっと重要なのは、新しい世代が行政府の問題にどう取り組んでいるのかを表しているからです。
硬直した組織の問題としてではなく、皆で取り組む問題として捉えています。これは非常によい知らせです。デジタル技術を使った共同行動が非常に得意だと分かったからです。
行政府について考えないといけないことで大切なことの一つは、政治とは違うということです。これはほとんどの人が理解できるのですが、入力を与えれば出力が得られると考えてしまうのです。
すなわち、行政府のシステムへの入力は投票と考えてしまうのです。人は政治に惹きつけられているように思われますが、もし、行政府機関に力になってほしいなら、官僚機構を惹きつけられるものにしなければならないでしょう。
なぜなら、官僚機構でこそ、実際の行政府の仕事がなされているからです。行政府への期待を捨てた人には、どんな世界を子供たちに残したいと思うのか?
を自問する時です。子供たちがどれほど巨大な 問題に直面するか考えなければなりません。
私たちを代表して行動する行政府機関を正すことなくして、私たちが行くべき所に辿りつくことができるでしょうか?ジョン・ロックの言うように、行政府なしではできませんし、より効率的であるために私たちには政府が絶対に必要です。
ジョン・ロックは、イギリスの哲学者。哲学者としては、イギリス経験論の父と呼ばれ「人間悟性論」において経験論的認識論を体系化しました。社会契約説と立憲主義を簡単に説明すると自然は、誰のものでもない!同意ある制限付きの権利は、政府(行政府)が勝手に作っているだけ!
厳しい自然から抜け出したければ、多数派の管理する社会に入って従わなければならないようになっていく。
つまり、行政府。この政府の優劣が重要と説いた初めての人とされている。マイケルサンデルが著書で言っています。
よい知らせは、市民社会システムを強化していくことにより規模を拡張していくというやり方で最新技術を用いて行政府機能の抜本的な再編成が実現できることです。
この国には、インターネットで育った世代がいて、この世代は協力して実行するのがそれほど難しいことでないと知っています。システムを正しく設計しさえすればよいのです。
このため、この世代が行政府の問題に直面したら、主張する代表者を決める選挙のような手段はあまりあてにしません。手を使うのです。手を使って行政府がよりよく機能するためのアプリを作るのです。
2020年に発表されたAppleシリコン搭載Macの方は・・・
「Mシリーズ」チップとして名称が付いてます。これは、Rosetta2と言うソフトウェアなどを活用。
3回目のAppleシリコン搭載Macへの大規模な国家システムに匹敵するくらいの全体的なOSレベルでのシステム移植の自動化を行っています。
このレベルで、しかも、最速で!移行の自動化ができるノウハウを保有しているのは全世界で、唯一、Appleのみ。
他に、Intel CPU向けとAppleシリコン向けコードを同梱したソフトウェア「Universal 2」もあります。
さらに、Appleシリコンは、iPhone用に、当時のスティーブジョブズがゼロから開発構築した遺産です!
高度なセキュリティーや高いプライバシーに投資を積極的に行い、力を入れています。
Appleはこれらの対策として提案した内容がこれ。
データミニマイゼーション!
取得する情報・できる情報を最小化する。データが取れなければ、守る必要も漏れる可能性もない!
オンデバイスでのインテリジェンス!
スマートフォンなど機器のなかで処理を完結させることでプライバシーにかかわる部分を端末内に留める。
クラウドにアップロードして、照会プロセスを最小化することで、漏洩や不適切な保存の可能性を排除する!
高い透明性とコントロール!
どんなデータを集め、送っているのか、どう使うのかを明示し、ユーザーが理解したうえで自身で選んだり変更できるようにする!
セキュリティプロテクション!
機器上などで、どうしても発生するデータに関しては指紋認証や顔認証などを使ったセキュリティ技術で、漏えいがないようにしっかりと守るセキュリティプロテクション!
機器上などで、どうしても発生するデータに関しては指紋認証や顔認証などを使ったセキュリティ技術で、漏えいがないようにしっかりと守る
202012のApp Storeプライバシー情報セクションは、3つ目「透明性とコントロール」の取り組み。
位置情報などは自己申告だが、アップルとユーザーを欺いて不適切な利用をしていることが分かればガイドラインと契約違反になり、App Storeからの削除や開発者登録の抹消もありえます。
このプライバシー情報の開示は12月8日から、iOS、iPadOS、macOS、tvOSなどOSを問わず、新アプリの審査時または更新時に提出が求められるようになっています。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会��験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
(個人的なアイデア)
As Alvin Toffler says, the speed of the government and the speed of the company are fundamentally different from each other, so it will be more difficult to go backwards.
アルビントフラーも言うように、政府のスピードと企業のスピードは根本的に異なるため、どうしても後手に回ることが多くなります。
Therefore, by carefully intervening in the market, utilizing the power of artificial intelligence etc., if you speed up the routine work of bureaucrats including police to light speed
そのため、市場への介入は慎重にして人工知能などのパワーを活用して、警察を含めた官僚のルーティンワークを光の速さまで高速化すれば
It may approach the speed of the company. Also, it is privacy infringement to use artificial intelligence in surveillance cameras in Japan without a court warrant.
企業のスピード並みに近づけるかもしれません。また、日本では裁判所の令状なしに監視カメラに人工知能を使用するのはプライバシー侵害です。
Perhaps also to conceal the communication of the Constitution of Japan? Pressure against the common people who are weak? I read the number of the car without permission.
It is installed as a huge politician of the influence, a government office, a police, a television station and a large and medium enterprise for reporting
How about showing an example?
もしかして、日本国憲法の通信の秘匿にも?弱者である庶民への圧力?自動車のナンバーも無許可で読み取っています。
影響力の巨大な政治家、役所、警察、テレビ局や大中企業の内部通報用として搭載して
手本を示してはいかがでしょうか?
Since it is not applied in Japan, it may be better to mandate a warrant application legally.
日本では、適用されていないから令状申請を法律で義務化すればいいかもしれない。
続いて
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の���理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の��神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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0nce1nabluemoon · 2 years
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泉に戻ることを望む者は、流れに抗して泳がなくてはならない
[東ドイツ ある家族の物語] P.265
しかし日本は、国を失ったことはないでしょう
[また、桜の国で]P.115
今、僕の国では、未だかつてないほどに、武士道や大和魂という言葉が使われているよ。でもね、覚えておくと良い。濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない。
[また、桜の国で]P.482
誤解せんで欲しいが、資本主義が勝利するわけではないぞ。敵を見失った資本主義は、これまた果てしなくモラルを失っていく。どんな形で崩壊するのか、それとも再生できるのか。
[プラハの春 下]P.366
犠牲者を追悼する際、たとえ何百万単位で数えられたとしても、彼らは個人であり、集団ではないと覚えておかねばならない。どのような形であれ、殺された人々を集団として記憶しようとするのは死者を否定し、還元し、再び消滅させてしまう行為である。まさに犠牲者を殺害した人たちの思うつぼなのだ。さもなくば記念碑は忘却と否定の文化に取り込まれてしまう。私たちが忘れてしまうのは単純に忘れた方が楽だからであるが、不安や恐怖の時代にそれをしてしまっては無責任である。忘却は無知に自由な支配を許すことになる。つまるところ、心に留めておきたい歴史が何であるのか、あるいは過去を意図的に消そうとする理由は一体何か内省してみれば、私たち自身が何者であるのかが見えてこよう。
[ポスト・ヨーロッパ 共産主義後をどう生き抜くか]PP.214-215
あたしはずっと歴史を教えてきたけど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを......
[戦争は女の顔をしていない]P.46
僅か十日のあいだに、日本の国民はこれだけの大きな自由を奪い去られたのだ。
[風にそよぐ葦(上)]P.199
そしてこの動乱の時代には、すべての愛情が悲劇の原因になるのだ。裏切られなかった愛情がどこにあるだろう。悲劇をもたらさなかった愛情がどこにあるだろう。人間と人間のつながりが、兵役法だの徴用令だの動員規定だの、その他無数の法令によってばらばらに切りはなされ、愛情の幸福はその根底を失ってしまった。
[風にそよぐ葦(下)]PP.76-77
榕子は日の丸の旗が嫌いであった。それは残忍きわまる国家権力の象徴であった。ここ数年来、国家とは国民の不幸の象徴ではなかったかろうか。良人を奪い子を奪い富を奪い食を奪い、あらゆる生活の根底を破壊し去ったものはこの日の丸の旗であった。
[風にそよぐ葦(下)]P.93
道徳も義理も人情も、そういう美しいものはすべて生きるための邪魔ものであった。
[風にそよぐ葦(下)]P.198
国家が国民に要求する犠牲がその極限に達し、その極限を過ぎて、血をすすり肉を啖い尽してから、戦争指導者と重臣たちとはようやく降伏を決意した、それまでは決断がつかなかったのだ。
[風にそよぐ葦(下)]P.271
古今の歴史は、為政者たちの暴政や侵略者たちの暴虐による人間の悲劇を、幾つとなく記録しているが、どれほど凶暴な力に打ちたおされても、それが人間の本質的な姿を変えることはできなかった。ヒトラーやムッソリーニや東条が、あのなさけ容赦ない強制と圧迫とを加えてみても、ついに蹂躙することのできなかった(人間の最後の自由)というものがあるのだ。ソヴィエトの圧制者たちがあれほどの秘密警察と懲罰主義とをもって、幾度か血の粛清を行なって見ても、どうしても奪い去ることのできなかったスラヴ人の自由というものがあるのだ。全体主義者たちが最後につきあたるものは、この、人間が人間であるという真実であるに違いない。自分の思考をもち、自分の欲望をもち、自分の理想をいだき自分の幸福を求める、人間としてのその本質的な希望は、国際関係が緊迫してきた現代の社会ではほとんど許されなくなってしまった。しかし、最後に残るただ一つの自由は、拒否するという意志に於いて表現されるのではあるまいか。
[風にそよぐ葦(下)]PP.464-465
しかし、どんな時代が来ても、人間の心の奥底にある、孤独感というか、一人きりでは生きて行けない、誰かを愛し、誰かを信じないでは居られない、そういう本質的な弱さ、・・・弱さと言ってもいいだろうね。・・・そういうものの美しさを信じることはできるんだよ。
[風にそよぐ葦(下)]P.536
私は罰を受けている・・・でもどうして?もしかして、人を殺したから?時々そんなふうに思います。年をとると、昔より時間がたくさんあって・・・あれこれ考えてしまう。自分の十字架を背負って行くんです。毎朝、ひざまずいて、窓の外を眺める。みんなのことをお願いするの。すべてを。夫を恨んではいないわ。許しました。彼のために祈ります。責めません。私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産��ないんだ」私は彼のために祈るの。もしかして彼の言うとおりかもしれない。そう思うことにする......これは私の罪なんだって......私はこの世で何よりも祖国を愛していた。私は愛していたんです。誰にこんなことをいま話せます?自分の娘......あの子にだけ......私が戦争の思い出話をすると、あの子はおとぎ話を聞いているんだと思ってるんです。子供用のおとぎ話を。子供のおそろしいおとぎ話を。
[戦争は女の顔をしていない]P.369
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して。
[戦争は女の顔をしていない]PP.430-431
だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵さ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから......。
[戦争は女の顔をしていない]PP.480-481
「本当の親か、本当の子かなんてことはね、誰にもわかりゃしないんだよ」良太郎は仕事に戻りながら、いかにもやわらかに云った、「お互いにこれが自分のとうちゃんだ、これはおれの子だって、しんから底から思えばそれが本当の親子なのさ、もしもこんどまたそんなことを云う者がいたら、おまえたちのほうからきき返してごらんーーおまえはどうなんだって」
[季節のない街]P.276
「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。自分は、日の当たっているところを見て、いつも慌ててそこへ移った。けれども、辿り着くと、そこに日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。しまったとあと戻りしても同じことだ。
[血の騒ぎを聴け]P.23
私は深夜、寝つけなくて、無数の映像と無数の音楽について考えた。どのような映像の彼方にも見えないものがあり、いかなる音楽からも聴こえないものがある。それを立ちあがらせるのが言語ではないか。文学は、終わるどころか、これから真の力を発揮する時代に入る。そう確信して、夜明け近くまで起きていた。文学が負けるのではない。虚無や時代への迎合というらくな階段を昇り降りし、訳知り顔に民衆をなめる作家や編集者が負けるのだ。
[血の騒ぎを聴け]P.47
文学が、結局は、死と恋に集約されざるを得ないのは、その哀しみと、そこから得るものが、数学の試験のように、一プラス一イコールニとはならないからであり、いかなる言葉を尽くしても、自分の心を表現することができないからであり、「別れ」が、なぜか個々人の人間のグラスを、ほんの少し大きくしてくれるからである。
[血の騒ぎを聴け]PP.287-288
われわれが実際に建設しているのは、投機を行うための都市であって、人々が住むための都市ではない。
[反資本主義]P.107
人が受け取ることのできる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない。
[歌われなかった海賊へ]PP.362-363
王や神は書く必要がない。その存在は自己自身のうちで絶対的に充実しており、他者との関係を必要としない。王は書くことなく語る主体であって、自分の声をただ書きとらせるだけなのだ。
[デリダ]P.73
「一者」への結集は、「他の他者たち」に対してのみならず、「自己における他者たち」に対しても「暴力」となる。
[デリダ]P.293
そういう生まれつきの能を持ってる人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ。
 [さぶ]P.291
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。(略)「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、ーだが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富栄えている者よりも、貧困な無智のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ」
  「赤ひげ診療所」 P.178
見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。
「赤ひげ診療所」P.298
「……そういう人たちと別れ、戦地から戻って日銀に復職したら、なんだか妙にシャクにさわってむかむかしてきたんだな。わが身が大事のエリートが威張りくさって、トラックでわたしが一緒に働いたような、学歴のない人たちが、ここでもやっぱり下っ端として馬鹿にされて理不尽な目にあっている。こりゃなんだ、戦争は終わったのに、何も変わっていないじゃないか、と」「わたしはトラック島で部下だった工員たちに救われていた部分がずいぶんあった。そんなかれらが価値のないものとして否定されて、軍人より先に死んでいかなきゃいけないのが戦争だった。同じことが、まさにわが職場で行われているとわたしの目には映った。こりゃあ黙って見過ごしちゃいかん、と思ったんだな。大げさに聞こえるかもしれないが、それはわたしなりの、死者への責任でもあったんだ」
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]PP.60-61
彼らにとっての祈りとは、死者を自分の裡に住まわせてこの世を生きる、その生き方そのものではないかと思った。→デリダの幽霊
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]P.121
われわれの歴史だって、いつか、誰かによって演じられたものなのかもしれない。そしてわれわれは、その時と同じような敗北に向かって、同じような手で、コマを進めているのかもしれない。このベラミとそっくりのきちんとしておとなしい男が、かつては、象牙海岸で黒人狩りをおこない、ハイチやルイジアナへ船で運び、その途中、船倉でくたばるものはくたばるにまかせていたこともあり得る。そのベラミには、当時なんの悪気もなかったのである。いつの時代でも、ベラミには悪気はなかった。だから、始末にこまるのである。
「山椒魚戦争」 PP.242-243
市民であることとは、市民をケアすることでもあり、民主主義そのものをケアすることである。
「ケアリング・デモクラシー」 P.ⅻ
「巡礼だ、巡礼だ」暗い土堤を家のほうへ歩きながら、私は昂奮をしずめるために、声にだして呟いた、「苦しみつつはたらけ」それはそのころ私の絶望や失意を救ってくれた唯一の本、ストリンドベリイの「青巻」に書かれている章句の一であった、「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」
  「青べか物語」 -留さんと女 P.317
私は若くて阿保だったから女の絶望や不幸が情事と悦楽にひりひりした辛味をそえてくれる気配だけをむさぼっていた。甘さは苦みと手を携えて進んでいかなければ完成されないが、そうと知るにはおびただしい自身を殺さねばなるまい。当時の私は自身を殺さないでおいて、貪慾だけに没頭していたのだ。
「夏の闇」 P.58
私は自身すら愛していないのかもしれない。女のいうとおりだ。自己愛をとおして女を愛することもできないのだ。私は自身におびえ、ひしがれていて、何かを構築するよりは捨てることで自身に憑かれている。
 「夏の闇」 P.207
東は暗くて広く、西は明るくて広かった。けれど、止まったり、かけぬけたり、おりていく背も見ず、乗ってくる顔も見ず、暗いのが明るくなり、明るいのが暗くなるのを、固い板にもたれて凝視していると、東も、西も、けじめがつかなくなった。あちらも、こちらも、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。明日の朝、十時だ。
 「夏の闇」 P.
一〇〇メートルか一五〇メートルくらいのものである。たったそれだけ離れるともう人は夜店の空気銃におとされる人形と同じに見えてくる。渇望がびくぴくうごいた。面白半分で私は人を殺し、そのあと銃をおいて、何のやましさもおぼえずに昼寝ができそうだった。たった一〇〇メートル離れただけでビールの缶でもあけるように私は引金がひけそうだ。それは人殺しではない。それはぜったい罪ではなく、罰ももうけない。とつぜん確信があっあ。かなたの人物もまた私に向かっておなじ心をうごかしているにちがいない。この道具は虚弱だ。殺人罪すら犯せぬ。
  「輝ける闇」 P.50
使命は時間がたつと解釈が変わってしまう。だけど匂いは変わりませんよ。汗の匂いは汗の匂いだし、パパイヤの匂いはパパイヤの匂いだ。あれはあまり匂いませんけどね。匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂いを書きたいんです。使命も匂いをたてますからね。
 「輝ける闇」 PP.108-109
南でも北でも人びとは政治された。或る哲学者の悲痛な饒舌に私は従いたい。人びとは資格も知識も徳もない輩によって、きびしく監視され、検査され、スパイされ、指揮され、法律をつくられ、規制され、枠にはめられ、教育され、説教され、吟味され、評価され、判定され、難詰され、断罪された。
  「輝ける闇」 PP.140〜141
青年はやせこけて、首が細く、とまどったようにうなだれて口をとがらしていた。シャツがよごれたズボンのうえにはみだし、はだしの足が土によごれていた。誰かが叫んだ。一〇人の憲兵の一〇挺のカービン銃が、一人の子供を射った。子供は膝を崩した。胸、腹、腿、にいくつもの小さな、黒い穴があいた。それぞれの穴からゆっくりと鮮血が流れだし、細い糸のような川となって腿を浸し、舗石へしたたった。少年はうなだれたまま声なく首を右に、左に、ゆっくりとふった。将校が近づいて回転式拳銃をぬき、こめかみに一発射ちこんだ。血が右のこめかみからほとばしった。少年は崩れおち、柱から縄で吊され、うごかなくなった。頬と首が真紅の血に浸り、血は長い糸をひいて鼻から頭から錘のように舗石へ堕ちていった。記者やカメラ・マンたちが靴音をたてて走り、棺のまわりに群れて閃光をとばしあった。
  「輝ける闇」 P.181
わしらはキリスト教国の人間なのに汝の敵を愛せよという言葉を忘れてしもうた。それもはずかしいのじゃ。国の連中も毎日の生活にいそがしゅうてな。税金が上がったり、物価が上がったり、徴兵カードが来たときだけ本気になる。自分に関係ないことは誰も、何も、気にしよらんのだ、いまはそういう時代じゃ。恥を知らん時代じゃ
  「輝ける闇」 P.216
飛行場には飛行機が一台もなくて滑走路に芋畑をつくり、その芋からアルコールをとって飛行機をとばすのだと将校たちは中学生に真摯、激烈な演説をした。私は仲間といっしょに腹をかかえて笑いころげたが、その愚劣と一日も早く玉砕したいという憧れとは矛盾しなかった。むしろ愚劣を知れば知るだけそれは昂進していくようですらあった。
  「輝ける闇」 P.231
けれどわかったのは殺されたくなければ殺せということだけだった。 → 戦争の論理(フーコー)
  「輝ける闇」 P.281
人と人のあいだの最も人間らしい関係は静けさなのだということも知った。
 「わたしは英国王に給仕した」 P.190
この意味で、他者に対する暴力とは自分自身に対する暴力であって、このことが明らかになるのは、暴力とは私たちの社会的世界である、あるいはそうであるべき生者の相互依存を攻撃するものだ、と私たちが認識するときなのである。
 「非暴力の力」(ジュディス・バトラー)P.33
他方で、哀悼可能性の基準は、移民の諸人口はそもそも哀悼可能ではない、という仕方でこれらの決定へと組み込まれている。私たちは、哀悼され得ない人々を失うことはできない。彼らは喪失を超えたもの、既に失われたもの、決して生きたことのないもの、決して生きる資格を与えられたことのないものとして扱われているのだ。
 「非暴力の力」 P.128
世界は分断されている。「知らない」とか、「関係ない」とか、「敵だから」とか、いろんな認識での壁で分断されている。この関係の断絶は、ぼくらの倫理性を麻痺させる。人を殺すことだって、人が殺されているのを無視することだって、できてしまう。だからこそ、他者に向き合い、その姿にみすがらを映しながら、いろんな「つながり」を回復する必要がある。
 「うしろめたさの人類学」 P.20
ぼくらの手で変えられる社会のありさまに目を向ける。世の中を動かす「権力」や「構造」、「制度」といったものは、とても強大で強力だけれども、まずはそのすべてをその「せい」にすることをやめてみる。(中略)社会の現実は、ぼくらが日々、いろんな人と関わり合うなかでつくりだしている。あなたが、いまどのように目の前の人と向き合い、なにを投げかけ、受けとめるのか。そこに「わたし」をつくりだし、「あなた」という存在をつくりだす社会という「運動」の鍵がある。
  「うしろめたさの人類学」 PP.77,83-84
社会の格差を是正したり、公平さを回復したりすることは国の仕事だとされる。個人や企業は市場で稼ぎ、国はそこから税金を集めて再分配を行う。世の中はこうしてできあがっている。だから自分には直接関係ない、と。この「あたりまえ」の市場と国家の境界の線の引き方が、公平さをつくりだす「わたし」の役割をみえなくしている。
「うしろめたさの人類学」 P.178
ファシズムをうけ入れたものはすべての人の心の襞にひそむ感情である。中心的な持続的な人格が崩壊して瞬間だけがあり、本能の親和力を蔑んで、不浸透性への野望だけに窒息する衝動である。自己を他者から切り離し、省察と内面凝視に赴いて帰らず、その不毛を知ってついに自分を他者から見られるままの存在としてしか機能を意識できなくなる。(中略)この人間の原子化の時代にある私たちの不断の日常の感覚である。(中略)この時期の世界ほど、人間が過去に対するときほど、現在と未来に対して賢くなり得ない原則をさらけだしたものはほかにない。日本についてはいうまでもないことだ。
  「過去と未来の国々」 PP.228-229
心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にないことから生じて、そのことを僕達に知らせてくれるものだ。そして、僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることが出来る。
  「君たちはどう生きるか」 P.252
満員列車がやがて平野の夏のかなたからやってきた。車内の人ひどはみんな日本の無条件降伏を知っているようであったが、怒号する人もなく、嗚咽にむせぶ人もなかった。疎外荷物や、魚の罐や、イモの風呂敷包みや、バケツ、七輪、ふとん、リックサックなどのなかで人びとはおしひしがれ、体を折ったり、曲げたりして、ときどき吐息をついたりしながら窓から射しこむはげしい日光に煮られておとなしく苦しんでいるだけであった。        
ただ人びとは汗ばんで苦しんでいた。ただ"夏"だけがあった。                 
ナンナン、ナンナン               南京さん                   南京さんの言葉は                南京言葉                     
かけっぱなしにしてあったラジオがとつぜんうたいはじめた。明るく、朗らかで、清潔な、少女たちの合唱であった。                 
ふと母が怪訝そうに顔をあげた。         「ええのんかいな、こんな歌うとて」 彼女は困惑したようにつぶやいた。        「戦争に負けたのに支那人のことかろこうて、こんな歌うとて、ええのんかいな。南京さんやなんて…」
ラジオは明るく、朗らかに、清潔に中国を侮辱しつづけた。
 「青い月曜日」 PP.174-177
ーわしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつかずに、目を見ひらいてわしは旅する。(中略)知者は行動を考えることによって生きるのでもなく、行動をおえた時考えるのだろうことを考えることによって生きるものでもなく、行動そのものによって生きるのだ
 「気流の鳴る音」 P.34
日本社会にはどうやら大きな変化があったらしかった。怜悧で、確実で、逸脱を知らない、時計のように平安で冷酷なものが主役として登場したのだ。まだ焼跡はいたるところにあった。しかしいたるところに家やビルが建ちはじめていた。商人たちは戸外で叫ばなくなった。闇市は市場となった。物や食品はいくらでもあふれ、人びとははそれを並べることよりは飾ることに心を砕いていた。新聞や雑誌に登場��る知識人たちの声はたちあがるまえにすわることを考える姿勢を匂わせた。
「青い月曜日」 P.412
〈外の世界〉から来たものや帰ってきたものが、その内面の世界を共有することなしにたんに外面からながめられるとき、それはこの世界の秩序へのたんなるスキャンダルとして、すなわち欠如や違和として存在する。いいかえれば痴者、あるいは狂者として対他存在する。
  「気流の鳴る音」 P.77
今日の世界状況のなかでは知識人に残された選択の道は、三通りあるように思われます。それは共犯か臆病か拷問です。               もしかしたら、第四の道が残っているかもしれません。自分の精神的規範を裏切らないこと。いかなる状況の下でも、いかなる抑圧にも自分のなかにある絶対的な明確な視野をもった精神を否定しないこと。このなかに、唯一、精神のかけがえのない自由と高貴さがあります。
「カレル・チャペックの警告」 PP.67-68
私たちに代わって行動し決定する全権をその一枚の投票権で与えるというのは、そう些細なことではありません。もし人物によって決定しようとするのだったら、単に言葉によってではなく、誰が何をしたかによってもその人物を考えてもらいたい。政治を耳だけで判断しないこと。
 「カレル・チャペックの警告」 PP.101-102
行動の「意味」がその行動の結果へと外化してたてられるとき、それは行動そのものを意味深いものとするための媒介として把握され、意味がふたたび行動に内化するのでないかぎり、行動それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。生きることの「意味」がその何らかの「成果」へと外化してたてられるとき、この生活の「目標」は生そのものを豊饒化するための媒介として把握され、意味がふたたび生きることに内在化するのでないかぎり、生それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。
 「気流の鳴る音」 P.151
いっさいの価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある。
「気流の鳴る音」P.210
恐ろしいのは、このような集団的残虐行為を見てもほとんど苦痛も軽蔑も感じなくなる、それどころか、そのうち今日の全世界の状況をみても恐怖も反感も感じなくなくなるのではないかということである。(中略)犯罪は犯罪であり、常に犯罪として宣告され、また未来においても宣告されるだろうことが、執拗に繰り返されなければならない。(中略)無関心な沈黙は悪しき行為である。それは悪逆非道な行為にたいする共犯である。だから、私たちは人類社会の大きな連帯から離反せずに、せめてこの共犯だけは犯さないように、精一杯、心を引き締めていよう。
 「カレル・チャペックの警告」PP.140-141(1938)
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nakanotakeko · 8 months
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中国の「資本主義改革」で8億人が極貧から救われたと信じられているがデータはその逆を示している
中国は1980年代から1990年代にかけて、経済を共産主義から資本主義へと転換させる改革開放を実施しました。これが中国から極度の貧困を撲滅したという見方が多くのエコノミストの間で定説となっていますが、実際は逆に貧困に苦しむ低所得層を大量に生み出したと指摘する論文が発表されました。 (略) こうした点から研究チームは、「中国の目覚ましい産業発展は、近代的な電化製品や情報技術、その他の商品へのアクセスを大幅に改善させましたが、基本的な栄養素や住居へのアクセスに関して言うと、
中国の人々の多くが市場経済への移行の中で苦しんでいるのが目に浮かびます。
産業の発展は重要ですが、少なくとも資本主義改革と社会政策の縮小という文脈では『成長だけでは極度の貧困を減らすことはできない』ということを示唆している点で、これは重要な発見です」と述べました。 https://gigazine.net/news/20240121-china-extreme-poverty/
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lastscenecom · 9 months
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「クリエイター エコノミー」は、創造性の未来として私たちに売り込まれています。 これは、オンラインで生計を立てるためにデジタル プラットフォームを活用する起業家、アーティスト、インフルエンサー、フリーランサーの層です。 YouTube のスターや Instagram のインフルエンサーから、アプリやデジタル製品を販売する個人の開発者に至るまで、新世代が従来の雇用を放棄し、キャリアと収入を直接コントロールしようとしています。 クリエイターたちは、夢を現実にするために長時間、たゆまぬ努力をし、困難を乗り越えたストーリーを誇らしげに共有します。 これは、十分な決意があれば誰でもオンラインクリエイターになれるということを意味します。 しかし、本当にそれがすべてなのでしょうか? 私たちの一般的なブートストラップやハードワークの精神の神話化は、クリエイターの課題を過小評価しています。 デジタル空間が飽和状態にあることを認識していません。 そこでは、非常によく作られたコンテンツであっても、競合他社の波の中で知名度を得るのに苦労する可能性があります。 厳しい現実として、才能があり勤勉なクリエイターの多くが、どれほど熱心に働いていても、依然として無名のままです。 ほとんどのクリエイターは依然として極貧です。 たとえば、YouTuber の 97.5% は米国の貧困ラインに達するほどの収入しかありません。 クリエイター経済において運が私たちが一般に認識しているよりもはるかに重要な役割を果たしているということです。 オンライン プラットフォームの気まぐれな性質は、コンテンツの可視性が、アルゴリズムの変更、トレンドのトピック、より幅広い視聴者へのランダムな露出など、クリエイターの制御を超えた要因によって大きく影響される可能性があることを意味します。 こうした運の要素は、クリエイターの仕事倫理やコンテンツの品質に関係なく、一夜にしてクリエイターの軌道を大きく変える可能性があります。
クリエイター経済で成功する唯一の秘訣は運です。 | ジョーン・ウェステンバーグ著 | 2024 年 1 月 | 中くらい
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jsato · 1 year
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ジョージ・ソロス:危険な悪魔を持ち歩く「神」
元記事:2004年のロサンゼルス・タイムズ紙記事https://www.latimes.com/archives/la-xpm-2004-oct-04-oe-ehrenfeld4-story.html BY RACHEL EHRENFELD AND SHAWN MACOMBER
 「率直に言って、これ以上多くのことをする必要はないと思う」と、民主党の慈善家ジョージ・ソロスはほんの数ヶ月前、USAトゥデイ紙に自慢げに語った。「私は今、ブッシュの敗北は当然だと思っている。」
 彼にとって残念なことに、その敗北はもはやそれほど確実なものではなさそうだ。 この億万長者は、ジョン・F・ケリーを当選させるために1500万ドル以上を費やしたが、今はさらに300万ドルを投じて、以前の投資を守ろうとしている。
 「ブッシュ政権下のアメリカは世界にとって危険だ」とソロスは言う。世界を救い、���ョージ・W・ブッシュの再選を阻止するために、ソロスは並外れた時間と資金を費やしてきた。というのも、ブッシュを倒すことが彼の "中心 "だからである。彼のモットーである "お金を十分に投下すれば、正すことができる" は、社会を変えるための彼の明確なアイデアのエッセンスである。
 ソロスは、自分が神から油を注がれたと信じているようだ。「私は自分をある種の神だと思い込んでいた。本当のことを言えば、私は子供の頃から、かなり強力な救世主的幻想を抱いていた。それを抑えなければいけないと思っていた。抑えないとトラブルに巻き込まれるかもしれない」
 イギリスの『インディペンデント』紙から、この一節について詳しく尋ねられたソロスは、「自分自身を神のような存在、すべての創造主だと考えるのは一種の病気だが、それを実践するようになってから、今はそれが心地よく感じられる」と答えた。
 私はそれを実践するようになった。ソロスをよく知らない人は、この発言を頭から否定するだろう。しかし、彼のキャリアや社会政治的活動を追ってきた者にとっては、そう軽々しく受け止めることはできない。
 ソロスは莫大な資金を駆使して、かつては考えられなかったようなことを可能にする能力を持っていることを証明してきた。自称 "非道徳的 "な金融投機家としての彼の仕事は、自国通貨が切り下げられたときに何百万人もの人々を貧困に陥れ、旧ソビエト共和国を自分の好みに合わせて形成するために多額の資金を投入し、旧ソビエト帝国は今や "ソロス帝国 "だと自画自賛している。
 そして今、彼はアメリカの内政に目を向けている。現在のアメリカは、「市場原理主義者」と「宗教原理主義者」の邪悪な同盟の悪魔の子である共和党によって運営されており、「世界にとっての脅威」である、と彼は最新刊『アメリカ至上主義の泡』の中で書いている。私たちは "至上主義 "の国になってしまったのだ。
 ソロスはコロンビア大学の卒業式でのスピーチで、「もしブッシュ大統領が再選されたら、われわれは『われわれのどこが悪いのか』と問わねばならない」と述べた。「現代社会全般、特にアメリカは価値観の欠乏に苦しんでいると感じている」と述べている。
 ブッシュの対テロ戦争への積極的な取り組みは、こうした思いをさらに募らせている。「ブッシュ大統領が頻繁に言うように、自由が勝つと言うとき、実際はアメリカが勝つという意味である」とソロスは書いている。ソロスは「勝つ」ことを誰に望むのだろうか?サダム・フセイン?オサマ・ビンラディン?
 国際的な慈善家としての名声にもかかわらず、ソロスは自分の本当の慈善家としての傾向について率直なままである。「私は一種のデウス・エクス・マキナだ」とソロスは1994年にニューヨーク・タイムズ紙に語っている。「私は不自然な存在だ。なぜなら、それは私自身が作り上げたものだからです。というのも、それは私自身が作り上げたものだからです。個人的な立場では、私は無私の慈善家ではない。自己中心的です」。
 伝記作家のマイケル・カウフマンに自分の人生哲学を説明したとき、ソロスはもっと簡潔だった。「私は影響力を持ちたいと願う一種の変人だ。」
 しかし、この投機家のビジョンはそれだけでは終わらない。
 「神になりたいという空想の次に、私は狂人になりたいという空想も非常に強い」とソロスはかつてイギリスのテレビ番組で打ち明けた。「実際、私の祖父は偏執狂でした。私の家系には狂気が多い。今のところ、私はそれを免れています」。
 著書『ソロス・オン・ソロス』の中で、彼はこう語っている。「私は他人から押し付けられたルールを受け入れない。そして政権交代の時期には、通常のルールは適用されない。」 明らかにソロスは、「通常のルール」がいつ適用されるべきで、いつ適用されるべきでないかを判断できる人物であると考えている。
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keredomo · 1 year
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悪夢
 見知らぬ男が肩の半ばあたりですらりと軀をスライスされた。  ヒッ、と喉が痙攣し、息を飲み下せない。男はその身を切り落とされたまま、平然と私の前に立ちつくしている。本来ならば、身体組織が顕になり血がどうどうと溢れてやまないはずのその断面は、なぜか黒地に橙色のまだらが無数に滲む平坦な模様をなしており、橙色の楕円のすべては天体観測に見る恒星のようにぼんやりと発光していた。肩から上のない男は、口もないのに、どこからか発声して私に語りかける。「なんぴともすべて門をくぐる。椅子はみどりの黴に覆われて、蛸――」瞬間、巨大な蛸が私のからだに濡れたまま纏いつく。無数の鳥肌が立つ。蛸の帯びたぬとぬととぬめった海水が私の皮膚を舐め上げて、逃げ悶えながら這いつくばる身体の、骨という骨がごきごきと音を立てて外されてゆく、痛い、痛い、もういや、痛い、もうやめて!――
 はあっ、と息をあらげて目を覚ます。自室の白い天井が見える。大きな窓に掛けたカーテンを開け放していたせいで、部屋の奥に据えたベッドにまであかあかと届く光に瞼越しの眼球が晒されて痛い。私は昨晩眠りについたベッドにいつも通りに横たわっている。男はいない。蛸もいない。一応、手を確認する。折れていない。からだはこわばりきってぐったりと疲れている。汗がひどい。足の先まで湿っている。夢だった。あれは夢だった。
 休むために眠っているのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。私はわたしの脳を恨む。東京から沖縄までラッコと共に泳いで渡る夢を見て、起きたらなぜだか肉体的にも疲れ果てていて、その日一日が使い物にならなかった日もあった。だれにも、私にも統御不可能な苦しい夢が日々を圧迫して、どうにもならないので仕方なく受け入れている。
 こんなにも毎晩、ひどい悪夢を見るようになったのはここ二、三年のことだった。それまでは美しい夢も見ていた。今も覚えている、数年前に見た、きらきらと光を湛えた金屏風の前に当時愛していた男が立って、こちらに手を差し伸べていた風景を。椿の花弁がおびただしく舞うなかで、とうに失ってしまった男が私に微笑みかけていた。そんな夢を見て、泣きながら目覚めた朝だってあったのだ。
 今はどうだ。眠るたびにグロテスクな夢を見る。神経を逆撫でする光景ばかりが私の認識(認識は夢でも現実でも同じだけ作用する)に襲いかかり、何時間にも及ぶ格闘ののち、疲れ果てて目を覚ます。魚屋に行った日には、イカとイワシが膣めがけて大挙して射精し、私の胎がふくれあがる。不安な仕事を抱えていれば、夢の中で大いに失敗する。仕事だけではない、私生活の延長にある最も忌避したい現実もまた、物語としてありありと立ち現れ、眠っている私の心を折ろうとする。
 明らかに精神を病んでいる。しかし、夢の持ち主であり作り手である私は、夢の光景に苛まれながらもその異常性を楽しんでいて、現実の苦しみ以上を夢の中で苦しむことに負のカタルシスを覚えていて、自罰のために悪夢の日々を手放そうとしない。  そんなお為ごかしに遵じていると、また悪夢をみる。乗るべき飛行機の便があと少しで離陸するというのに、走っても走っても前に進まない。風呂に浸かっているかと思えば尻には溺死体の女の隠毛が触っている。殺人者から逃れて、ペドロ・コスタの撮るような見知らぬ外国の貧困街を走り尽くす。苦しい。痛い。怖い。走っても走っても前に進まない。そうして殺される。殺されても生き返る。また酷いやりかたで殺される。心臓を抉られる。四肢をもがれる。頸に刃物を刺しとおされる。海に沈んで魚についばまれる。陵辱され、奇形を孕む。
 夢に現実世界の象徴化を見ることはスピリチュアリズムに淫するばかげた行為だとも思うが、そう理性的に事を収めるにはあまりにも異常な精度と頻度で悪夢を繰り返しすぎている。
 心当たりはある。日課のように悪夢を見るようになった頃、現実の私は、おのれの抱く「悪意」を封じることを倫理に強要されたのだった。
 褒められたことではないが、私には死を願っている対象が幾人かある。その願いを非倫理的なものとして押し潰し、しかし消し去ることはできず、心のなかに押し込んで飼い始めた。憎しみと怒りと苦しみと暴力性をぐちゃぐちゃに練り合わせた怪物は心の中で暴れ続けて、心臓を内側から喰いちぎろうとする。それと付き合ううち、段々と私の悪夢は激化した。初めは抽象的だったから、ただの悪夢として忘れることができた。夢は次第に具体化していった。その悪夢たちが現実を反映していることに気づいた時には、もう修復できないほどに心が喰い破られてしまっていた。
 こうして夢は、現実の強いる抑圧とはっきり結びついた。悪夢の悪性は私の心の醜さを反映している。そのことを認識できないほど、私の理性はなまくらではない。解釈可能な悪夢が日々わたしの心を蝕む。おのれの醜さに辟易する。自罰は次第に激化する。こうして魘されることでしか、醜い自分を罰することができない。
 ある夜、こんな夢を見た。  ペガサスの被り物をした女が、新宿駅東口の地下道へ降りる階段の踊り場に倒れ込み、今にも出産しようとしている。股からはおびただしく出血し、踊り場は血の海になっている。汚い地面に産み落とされようとする嬰児。ペガサスの女は、被り物をしているからその顔はわからないはずが、青ざめきって今にも死にそうになっているのがわかる。私は手を貸すこともできず、ただ立ち尽くしている。その光景はあまりにも惨たらしく、目が覚めてからもしばらく頭を抱えて魘された。  あの女はきっと、私だった。本当は、私がペガサスの被り物をして、汚い床にへばりついて、命と引き換えに何かを産もうとしていた。血みどろの光景。行き交う人間の靴の泥で汚れきって、不衛生な床。そこで何かを産もうとして絶叫しているのは私だった。誰の助けも得られぬまま、倒れ込んで血の海を広げ続けるのは私だった。
 あの時はわからなかった。しかし、こうして悪夢について改めて考えてみると、あれが自己イメージだったことは容易に理解される。夢は兆候を示さない。夢は象徴と意味を一対一に対応させ得ない。夢は抑圧されたイメージの屈折した表出でしかなく、他者には絶対に読み解けない、極めて自己閉鎖的なものだ。あの女が血の海で倒れていたことの意味は、私にしかわからない。どんなに親しい人間であっても、絶対にわからない。
 眠って、理性の制御のきかない混沌の中で夢を見るのが怖い。それは私を暴く。現実において理性的であろうと抑圧すればするほど、夢は残酷な様相を呈するようになる。とっくに理解している、この悪夢たちを退けようと思うのならば、現実をなんとかしなければならないのだと。現実のほうを、苦心なく生きていられるものに整えなおさねばならないのだと。
 わかっている。何を取り除けば悪夢から解放されるのか。何を手放せば楽になれるのか。わかっていて、迷っている。何を迷っているのかを考えている。
 いつか、それをついに捨てられる日が来るまで、夜がくれば私は諦めてまた眠る。眠って、悪夢に苛まれる。そうやって自分を罰する。考えて考えて考え抜いて、それでもどうしても手放せないというのなら、醜い怪物に喰われて、喰われ果てて、この心がいつか消尽するのを、果てしない絶望感に包まれて見守るだけだ。
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yoshratempel · 1 year
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実家の小さな庭に出て煙草を一本吸い、それから庭や玄関の植物に水をやる。やり方が完全に合ってるかどうかわからない。けど多分あってるであろうやり方で水をやった。ここの描写にこんなに文字数を使う必要は正直言ってない。
玄関に出る前は台所で焼飯を作って食べる。
にんにく、玉ねぎ、人参、豚バラ、塩、塩こしょう、黒こしょう、醤油、キャノーラ油、ラー油、昨日か一昨日使った青ねぎの残り、冷蔵庫の刻みねぎ、胡麻。
庭の家の土台の通気孔的な空間に蜜蜂が巣を作っているらしくかなりの数の蜜蜂が窓の辺りに飛び交っていてやや異様な光景。駆除、と一瞬考えたけれど群をなしているのは危険な害虫などではなく蜜蜂な訳だし放っておいてもいいと考える。人間同士の共存や非戦を類推する。
狭い敷地で、学生生活を送るには恥ずかしく思ったりしたのだけれど、ミニマルな目線で見ると植物や虫、地面など何というか広い世界、情報量の多い庭世界、とは言えど、町内や校区から眺めてみて狭い敷地の小さくて外観のボロい家という客観的事実は変わらず書き手を憂鬱にさせる。小さい家と尊大な父親と気力を欠いて反抗心の乏しい息子。繰り返し書いているのだが別の街での大学生活を終え実家に帰省している。
部屋に戻り木村カエラの武道館ライブの続きを観る前にこの文章を書いている。PCのSpotifyから自分の選んだハイセンスな音楽を流しながら。今流れているのは電化マイルス。ブラック・ミュージックを聞くのがハイセンスというのはしかしどういう算段なんだろうか、でも実際お洒落であるし、音楽的に栄養価が高い感じがする。自分と同世代やちょっと上の世代のユースがはまっていたヒップ・ホップもやはり黒人音楽であって、今こうやって電化マイルスを聞きまくっている自分の現況への伏線であった。
注いで時間の少し経った緑茶(ペットボトル)はマズい。ちゃんと味が劣化する。当たり前だけどそういうのちゃんと認識すべきだ。気付かない時が自分は時々ある。注いでから少し時間が経った緑茶(ペットボトル)はマズい。しっかりと味が劣化するのだ。飲まないでおこう。認識せねばならない。
文字を書いたり読んだりする時だけに訪れる感覚の変化、推移。人間、じっくり文字を書いたり読んだりしない局面も時にはある。この現代社会。じっくり文字を書いたり読んだりしない局面も時にはあるのである。
庭の、敷地狭いながらも情報量の多いミニマルな庭世界。植物、虫、地面、それから台所で自分が料理し、胃袋に投げ込んだ食材・調味料たち。調理器具類。水、ガス、空調。親の労働とサラリー。この家や庭の外側の世界で行われる労働の賜物。図鑑。水道を作ったりガスを家庭に引いてきたり、エアコンを開発、改良したり、食材を発見したり狩ったり飼ったり屠ったり、出荷したり、運送したり、流通させたり、スーパーで売ったり、僕この手の話苦手なんすよね(^_^;)
虫を図鑑まで移送したり、植物の中で食べられるものを育て、育て方を改良し、刈り取り、出荷し、運送し、流通させ、スーパーで売る。
食べられない植物も一応図鑑に移送する。
肉や植物の料理の仕方を発明し、改良する。
水やガスを家庭まで引いてきて、改良する。
調味料を発見し、交易し、生産・流通・販売・購入・消費する。
庭の地面は砂漠やカリフォルニアみたいに乾いていて、もしここを耕そうという気持ちで庭の地面を見てみたとしたならば、かなりがっかりしただろうと思う。この乾いた地面、庭の乾いた地面がどこか別の遠くの場所の地面のアナロジーだとしたらという映画的論理の飛躍に映画鑑賞者的な興奮をしてしまう。
この庭の乾いた地面と同じく乾いたどこか遠い国の遠い場所の地面では今この時何が起こっているのだろう。そこに人間はいるんだろうか。
人間がいたとすれば、人間は、複数いるならば人間たちは何をやっているのだろうか。
今この瞬間にせよ、もう少し長い時間感覚で人間たちは、うちの庭みたいに乾いた地面の上で人間たちは今この瞬間、あるいはもう少し長い時間感覚でどのような営みを送っているのだろう。あるいは人間の性質ゆえに戦い、あるいは年齢や性別に基づく序列を形成したり、家族、町を作り、政治体系を形成し、暮らしているのかも知れない。自分はメシと庭の水やりを終えたのち自室に戻りSpotifyでハイセンスな音楽を再生し聞きながらこの文章を書いてます。ギャラは発生してない。趣味で自主的に文章を書いている。文学部にいたし、時々文章を読んだり書いたりするのが好きだから。ギャラは現時点では発生してないが村上春樹とかロッキンオンとか映画とかその他諸々ありがたい現代的な視点から見てありがたいイコンや話法を参考にし下敷きにして書いている文章なので、その文学的価値を認めて誰かギャラを払ってくれても良い。払ってもらえる場合は、ケチな額よりも派手な値段の方がいい。と自分は思う。
デカいマンションやテレビの中の芸能界、バブル景気や高度経済成長期の残骸が生んだ経済的な価値観。金はないよりある方がいい。ないならないで極限みたいな貧困状態でなければ別にいい。ブックオフでCD買っても、晩酌発泡酒でも、別にいい。とは言え少し気力が削がれる気がしなくもない。ブックオフでCD買うことや晩酌を発泡酒で済ますことが、自分の何かを騙している感じがしなくはない。
極限的な貧困状態でなければいいと書いたが、人間の本質は極限的な貧困状態にあるのかもと最近ちょっと思う。自分はお笑いや笑うこと自体が好きなんでよく笑っている。テレビや本や歌や映画や自分の頭の中とか。そうすると貧しさや弱さ、暗さから一時的に目を逸らすことができる。「お笑い」というのは笑うしかない、笑えないほどしんどく、タフで過酷な状況、笑いがないと、笑いでもないとやっていけない状況に対する救い、救援物資のようなものだと自分は考えている。偉そうに言わなくてもそうなのかも知れない。その辺自分は時々よくわからんでズレてしまう。昔、何かのお笑いの芸で初めて笑った時以来。タフな状況にいる人々のための救援物資。
極限的な貧困状態。将来設計。社会問題とそれを自分の問題としてしまう想像力。他者や社会の問題に使う想像力とは言わば免疫の低下であって、引きこもりには引きこもらせておき、いじめられっ子にはいじめられさせておき、援助交際、レ◯プ、セクハラなど女性に関するセックスの諸問題も放っておけば精神衛生はもっとずっと綺麗に保たれたままなのである。
極限的な貧困状態、将来設計、社会問題と精神衛生。企業ロゴ、テレビ的幸福、テレビ的コモンセンス。排除されるマイノリティ。天才テレビくんたち。マンション建設によって奪われる心の豊かさ的なお話。ヒューマン・ビヘイビア、ミヒャエル・エンデ、金八先生、カッコいい仕事とダサい仕事。映画。
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dvdhappycom · 1 year
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【小女身売】祖国の家ぞくへ仕送りするため遠い異国の地で健気に体を売るハーフの小女。未成熟マンコを舐め回しして強国日本の男尊女卑文化を教え込む - 無料動画付き(サンプル動画)
【小女身売】祖国の家ぞくへ仕送りするため遠い異国の地で健気に体を売るハーフの小女。未成熟マンコを舐め回しして強国日本の男尊女卑文化を教え込む - 無料動画付き(サンプル動画) スタジオ: FC2 更新日: 2023/02/11 時間: 78分 女優: 金を出して買った小女なのでまだまだ体を好きに遊びます。まずはシャワーでヌルヌルにして、ちっぱいと未成熟パイパンマンコを堪能 状態のクリ中心にしつこく電マ責め 誇り高い日本男児のを貧困国生まれの小女が一生懸命咥えこみます。圧倒的な力の差 金があれば女の身も心も買えます。未成熟マンコに吸い付き パイパンマンコにをゴリゴリ挿入 極上マンコをゴリゴリ掘られ、顔をしかめる小女 しかし容赦はしません。時間までしっかりと肉便器として使います。祖国の家ぞくへ届くように、濃厚をどっぷり まだまだ日本は没落してません。これからも海外の女を買いまくりまくりです。 DVD・DVD販売のDVDハッピー DVD・DVD販売のDVDハッピーは、DVDを大量に扱っています。一律$1.95 懐かしいDVDから最新のものまで豊富な品揃えで販売しています。
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ari0921 · 8 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月23日(火曜日)
    通巻第8102号 
 中国の都市化比率は60%を超えて農村の荒廃に拍車
  農業人口の激減と農作物の輸入激増、そして食糧輸入国へ
*************************
 GM(genetically modified)とは、バイオ技術により遺伝子組み替え種子を意味する。
 中国農業部(MARA=農林水産省)は3年間の試験を経てGMトウモロコシ37品種とGM大豆14品種を承認した。
中国政府は都市化による農地激減、農家の労働力不足、農民の高齢化に加えて台風、洪水など天然災害による田畑の荒廃と砂漠化、慢性的水不足、過剰な化学肥料、土壌の劣化などで、農作物の自給自足体制が崩壊し、輸入が増えていることを憂慮してきた。
もとより中国の「三農問題」とは農民、農村、農業。経済成長による農民の都会への流失は深刻である。
農村もマンションやら高速道路などで嘗てのムラ意識は稀釈となりまた農耕具の機械化や近代化などは農業会社(旧「人民公社」)の官僚主義、日本のような農協システムはないため、マネジメントが機能せず、貧困��続いてきた。
 習近平政権は、公園を潰して農耕地への転換を強制するなど、ちぐはぐの農政の一方で、食糧安全保障の改善を重視している。
とくに国内生産と自給自足を確立するべく、2024年6月1日には「食糧安全保障法」が発効する。
GMに関して、食の安全、品質が所謂「科学者」、たとえば「ハイブリッドライスの父」袁龍平のように支持はされているが、民衆は生物学的な安全を懸念しており、また日頃からの政府への不信感が基底にあるためGM作物に対して拒否反応が強い。したがって商品化が遅れてきた。2018年の全国調査では47%がGMに対して否定的な見方をしており、14%がGMを中国を狙ったバイオテロの一種とみなしている。
 大豆は中国の食糧安全保障にとって極めて重要であり、動物用、人間用、工業製品用に区分けされている。
日本でも大豆は納豆、豆腐、醤油などに必需品。たしかに中国は大豆生産国であり、現在の生産量はおよそ 2100 万トンだが、同時に最大の大豆輸入国だ。
2023 年の中国大豆購入量は8500万噸、主に米国、ブラジル、アルゼンチンから輸入��た。
2008 年から 2013 年の間に、中国国内の大豆生産専用面積は 24% 減少した。 
中国では大豆は牧畜の飼料にも多用される。大豆とトウモロコシが重要なのは中国の耕地面積の5億2254万ヘクタールのうちの1億2254万ヘクタールが放牧地である。
▼中国は食糧安全保障が優先課題なのだ
 
 食糧安全保障の改善は習近平政権の優先事項である。
国家の能力構築の強化を含む国家食料安全保障を確保するための8つの課題が提案され中央農村労働会議で確認された。
 遺伝子組み換え作物開発への投資は国有企業 (SOE) ならびに国有研究センター (MARA=直属の国立研究機関である中国農業科学院など) が担い、他方、民間でも種子会社は7600社以上ある。
ところが種子特許出願では世界第 1 位であるにもかかわらず、中国がもつ1225 件の特許の殆どが、中国農薬総公司(ケムチャイナ)が保有する。ケムチャイナは2017年スイスのアグリビジネスでGM開発企業の「シンジェンタ社」を430億ドルで買収し、世界最大の農薬・種子会社の一つとなった。ちなみに中国語の会社名表記は「先正達集団」(発音はまさしくシンジェンダ)。
同社は種苗業界でモンサント、デュポンに次ぐ世界第3位。2019年度の売上は約230億ドルであり、世界100ヵ国に49000人を越える従業員を抱えている。日本支社は殺虫剤などを取り扱っている。
逆にこのM&Aによって西側に警戒感を抱かせ、米国アーカンソー州などは中国企業の農地買収を禁止した。
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kennak · 7 days
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1.GHQによる改革 GHQによる占領体制は、これまでの日本政府と行政機構を解体してしまうのではなく、温存させ占領軍の政策を、日本政府を通じて実行させるという間接統治に決まりました。1945年9月2日に東京湾上の戦艦ミズーリで降伏調印が行われ、連合軍が日本に上陸し、日本の占領統治が始まりました。 戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に署名するマッカーサー 降伏直後のアメリカ軍の日本統治の方針は、「軍隊の解体」「軍需産業の破壊」「日本の経済規模を生活水準ギリギリまで下げる」大きく分けるとこの三点でした。 軍需産業の破壊という点では、例えば鉄鋼やアルミニウム、造船など平和利用できる産業もあるのですが、軍事利用できる産業は破壊するのだという方針で、人造ゴム、アルミニウム、マグネシム工業は全部破壊され、発電設備、鉄鋼、工作機械、化学工業、大型電気機械、火薬、通信施設、鉄道施設、鉄道車両、造船所、船舶は相当な規模で破壊されました。 1947年1月の極東委員会の決定では、日本の生活水準は1930年〜1934年当時の水準に置くと定められ、一部「日本は、彼らが侵略した国よりも貧しくなるべき」といった意見もあり、厳しい敵対的な意見が多数派でした。 そんな中で、憲法改正や経済の大幅な改革が進められました。経済改革は大きく3つあります。 財閥解体・独占禁止法 当時のアメリカ人は、日本社会は未だに封建的な制度を強く残しているがため、国民は生活水準を押し下げられ、市場が狭くなり、帝国主義的な行動を促したのだ、という理解をしていました。 その封建的な制度の代表格が「財閥」でした。創業家のファミリービジネスとしてはあまりにも巨大であるにも関わらず、経営は閉鎖的で不透明であるのが問題視され、三井、三菱、住友、安田の4大財閥をはじめ、中堅を含む11の財閥が解体されました。当時、4大財閥は日本の全企業の全株式の24.6%を保有するという巨大さでした。 財閥のファミリーは全員追放され、大企業の経営に参加することは禁止されました。1947年には三井物産と三菱商事が解散させられ、両者の社員が10人以上集まって会社を作ることすら禁止されました。 財閥解体の直後には独占禁止法が制定され、トラストの結成、トラスト行為、国際カルテルへの加入、会社役員の兼務、法人が他の法人の株主になることまでも禁止する非常に厳格なものでした。厳格すぎて外資が日本に進出できないということで、1949年には国際カルテルへの加入と法人が他の法人の株主になることは緩和されました。 集中排除政策 独占禁止法のあとにでてきたのが集中排除政策です。 これは市場における自由競争を促すため、独占的な企業が存在できなくする制度を作るというものです。市場の価格や取引量に影響を与える企業を分割するという目的で、1947年12月に「過度経済力集中排除法」が制定されました。 これにより、大日本麦酒(現在のアサヒビール、サッポロビール)、三菱重工業(東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業)、王子製紙(苫小牧製紙、本州製紙、十條製紙)など、17社が分割させられました。本来は300社以上が分割させられそうになっていたのですが、後で述べる占領政策の変更により大幅に緩和されました。 農地改革 農地改革は戦時中に農林省により進んでいましたが、アメリカはより地主の支配力を破壊する政策を求めました。小作人の地位向上は農林省の悲願でもあったので、農林省が率先して農地改革案をまとめました。 地主の保有面積は5ヘクタールまでとするという案でしたが、アメリカ側のもっと厳しくせよと指令を受け入れた第二次農地改革案が1946年に採用されました。その内容は、農村に住んでいる地主には1ヘクタールまでの農地保有を認めるが、都会に住んでいるような不在地主は全部取り上げて小作人に売らせるというものでした。 この政策により、長年地主の経済的支配を受けてきた小作人は解放され、経済的にも豊かになっていきます。その一方で先祖代々受け継いできた土地と資産を没収された地主の中には、没落して貧困に陥る者もありました。 そのほかには、労働組合法、労働基準法、労働関係調整法の「労働3法」がつくられ、労使関係の制度的基礎がつくられ、戦時中解散させられていた組合が復活し、労働者の組合加入が進んでいきました。当時の労働組合はストライキや会社側のロックアウトなど戦闘的な活動が行われ、激しい組合運動が行われました。
昭和経済史⑤アメリカ占領下の日本経済|尾登雄平(世界史ブロガー・ライター)
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