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#赤坂離宮銀座店
yotchan-blog · 5 months
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2024/4/24 19:01:35現在のニュース
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kachoushi · 9 months
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅰ
花鳥誌2024年1月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
 「恋の季題」は材料も尽きてお開きとしたが、書き物は続けてほしいとのお話だったので、『虚子百句』を私なりに読んでいくことにしたい。
 まず、本書の成り立ちや、おおよその性格を説いて、なぜこの書物を丁寧に読んでいくことにしたのか、その理由をあらあら述べておきたい。
 本書は昭和三三年、すなわち虚子の亡くなる前年の自選句集である。京都の便利堂からの依頼を受けたもので、短時日の間に選んだものであるから、本書の価値は、ある程度割り引いて考える必要はある。が、ともかくも虚子が、自分の代表作と認めた百句だったことは間違いない。
 選句の基準については、追々検討を加えていくが、まず揮毫しやすく、たびたび揮毫してきた句であったことは、序で虚子自身が明らかにしている。本書は、虚子の揮毫を写真で掲載し、五十句ずつを高濱年尾と星野立子が分担して、簡単な句の評釈をつけるという趣向のものだった。年尾の跋文によれば、虚子も事前に二人の文章を検したという。
 本書の企画を持ち込んだ便利堂は、明治二十年創業の書店兼出版社である。コロタイプ印刷機を早くに導入し、美術書の出版で信頼を得た。岡倉天心が創始し、今日でも美術史学の権威的雑誌の位置を保っている「國華」は、便利堂の図版印刷の高度な技術が遺憾なく発揮されたものである。
 四代目店主中村竹四郎は、国宝級の貴重書の複製印刷をも数々手がけ、『虚子百句』刊行の翌年には文化功労者として表彰されている。虚子の字は、それ自体が俳句文化の遺産としての価値を持つ、と認識されていたわけである。
 つまり、主役は百句のみならず、その揮毫でもあったわけで、この点には留意しなければならない。書は、運筆から句の呼吸や中心点を確認できる。同じ字であっても、楷書か行書かといった書き分けがあれば、それは句の眼目ともなる。
 一例を挙げよう。小諸市立虚子記念館に残る十二ヶ月十二句の揮毫を屏風に仕立てたものは、展示の目玉だが、「心」を詠んだ句が三句ある。
  鶯や文字も知らずに歌心 虚子
  二三子や時雨るる心親しめり 同
  我が心ある時軽し罌粟の花 同
 このうち三句目のみ「心」はきちんと楷書で書かれ、他の二句はややリラックスした崩し字となっている。三句目は愛児六を失った悲嘆の中で詠まれた句だからである。書道家に聞くと、「心」の字のバランスは、筆をとる者の「心」を反映するのだと言う。
 こうした鑑賞の醍醐味も『虚子百句』にはあることが、当然予想される。年尾の跋文によれば、この頃の虚子は眼が弱って、それが字に出てしまっている、という。確かに、青年期・壮年期のそれから比べ、運筆の力や字配りを焦点化する眼の力の衰えは隠せない。それでも、修練とは凄いもので、序文の虚子自身の言によれば、百句の大方は一、二時間で揮毫してしまったというから驚きである。字の味わいも、私の能力の範囲で解説を試みたい。
 本書の構成は、春夏秋冬・新年の部に分かれ、各部の句の配列は、成立順となっている。従って明治・大正・昭和と万遍なく句が拾われている。『百人一首』が古典和歌そのものの粋であり、歴史でもあるように、『虚子百句』も虚子の句業の入門書にして到達点でもある。これが本書を読む何よりの理由である。
 本書の装幀を担当した福田平八郎(一八九二〜一九七四)についても、簡単に触れておこう。虚子との縁は、『虚子京遊録』(昭和二三年)『喜寿艶』(昭和二五年)に続き、これが三度目である。  大分出身で、上村松園や竹内栖鳳も出た京都市立絵画専門学校を卒業。京都日本画画壇で重きをなす。トリミングやデザイン感覚に秀で、書物の装幀も得意とした。『虚子句集』の竹の絵は、自家薬籠中の画題であったと考えられる。
 本書は二〇一〇年、岩波書店から復刊された。解説は東京大学教授であった、日本近代文学専攻の野山嘉正が担当した。
 最後に一言。平成期、伝統派で、虚子句の解説つき選集といえば、稲畑汀子氏の『虚子百句』が定番だった。虚子自身の選句とは違ったところに新味を出した素晴らしい本だが、時に稲畑氏らしからぬ、非常に硬い内容と文章の評釈があるのは惜しい。この連載は、あくまで虚子の自選に立ち戻り、虚子句の成立事情と、選句の背景を平易に語ることに徹したい。ただし、この自選句集の性格上、私の虚子観・俳句観が問われることは言うまでもない。
1 美しき人や蚕飼の玉襷
 初出は明治三十四年四月三十日の新聞『日本』。季語は「蚕飼」。蚕はふつう四月に孵化して繭籠る。
 初出では「蚕」の題で内藤鳴雪・坂本四方太・河東碧梧桐・佐藤紅録らの各三句も載る、題詠句である。虚子の他二句は〈蝋燭の灯影に白き蚕かな〉〈蚕飼ふや年々ふやす桑畠〉。『新歳時記』にはこの句を採用せず、写生句らしい〈逡巡として繭ごもらざる蚕かな〉を載せたか。
 蚕は食欲旺盛だ。食べ残した桑やフンは蚕網(さんもう)を使って取り除く。蚕は眠る。睡眠と脱皮を四回ほど繰り返して成長すると、絲を吐き始める。ここで蔟(まぶし)という仕切りのある箱に移す。繭籠らせるのである。絹糸を吐き、繭を成す様は、実に神秘的だ。春の陽が漏��てくる中、吐き出されたばかりの絹糸は光そのものである。この過程に、ひと月ほどはかかる。
 蚕網をかけ、桑を与えると、蚕は網目を通り上にあがる。蚕網の下は蚕のフンと桑の食べ残しが残る。���を上げると、蚕とフン、食べ残した桑の分離ができる。蚕の成長に合わせて網目の大きなものへ変えながら使用する、といった具合である。丁寧さと経験が要求される女性の仕事である。
 養蚕は、明治期日本の主要産業だった。欧州では産地の南仏で病害が発生し、需要が高まったのである。巨利を成した者も多い。出荷は横浜が多かった。
 女性は襷掛けで、髪も縛る。明治期の浮世絵等を見ると、襷の色は赤が代表的である。かの富岡製糸工場では、技術のある女工は赤襷をして周囲から尊敬されたという。
 国を挙げての養蚕業振興を宮中も率先して奨励し、皇后美子が手ずから養蚕を行い、浮世絵などで宮中養蚕が喧伝された。皆赤襷で、髪はおすべらかし、すなわち、後ろでまとめた髪に「長かもじ」を継ぎ、水引や絵元結などを掛けて、長く垂らしたのである。
 結髪の問題にこだわったのも、襷掛けの女性は、皆髪を結ったり、挙げたりして、うなじがあらわになる点が一句の焦点だと考えるからである。つまり、「美しき人」の美しさの拠って立つところは、「襷」に暗示される、黒髪と白いうなじだったのだ。
 「玉襷」という言葉は、『万葉集』以来ある言葉で、これ自体一種の神々しさを醸し出す。『虚子百句』の評釈で、年尾が宮中養蚕を詠んだと解したのも一理ある。しかし、もっと重要なのは、「玉襷」は「うなじ」の連想から、大和の畝傍山を呼び出す決まり文句だったことの方である。謡曲の「恋重荷」に用例がある。虚子がこれを知らないはずはない。
 蚕と繭の「白」と、後れ毛を残したうなじの「白」の連想が、この女性の「美し」さを支えるものだったと考えたい。虚子は、和装の女性の髪にはかなり執心した。
 「まあ旦那でいらしつたんですか。どなたかと思ひましてね。お断り申しましたですけれど何だか気になりまして、一寸御挨拶だけに。どうも姉さん有難う。姉さん有難う」と二人に挨拶して末座に坐つたまゝ一寸こぼれた鬢を掻き上げる。
 小光は総髪の銀杏返しに結つてゐるのが仇つぽくて、薄つすらと白いものゝついてゐる額の広々としてゐるのも美しい。 (『俳諧師』)  小光のモデルは、女義太夫の竹本小土佐で、虚子は彼女の語りがかかる東京中の演芸場へ出かけ、追い回したのであった。虚子の眼裏に焼きつけられた美しさは、挙げた髪やこぼれた鬢にあった。
 谷崎潤一郎も言っている。女性美の焦点は首だと(『陰翳礼賛』)。和服で身体が露出するのは、首・手先・襟足だ。首は細く長くなければいけない。「猪首」という言葉を想起すればよい。肌は白くなければいけない。そこにうなじの後れ毛が色気を呼ぶ。
 「玉襷」はその呼び出しであり、それは説明しないことが肝要だから、「美しき」とだけ冒頭に置いて謎を掛けた。だから、『喜寿艶』でも、この句については、木で鼻をくくったような説明しかしていない。
 完全な主観句で、実際にそういう女を見たのか、絵の中の女か、記憶の中の女か、そんなことはどうでもいい。小説家志望で主観派が本質だった虚子らしい、冒頭の一句なのである。『虚子百句』は『新歳時記』のような教育的意義を取り払った、「作家」虚子の選集だった。
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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worksbysakaimiyamoto · 11 months
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Profile of Sakai Miyamoto
Born on January 28, 1939 in Joetsu City, Niigata Prefecture (real name: Motoaki). She studied calligraphy under Yoshizaki Hakuho and Kobayashi Asakai (junior high school and high school), and moved to Tokyo in 1957. In 1957, he moved to Tokyo to study under Kobayashi's teacher, Uchiyama Ukai, and commuted to his teacher's residence for one year. He studied under the name of Shakai. Received the pseudonym "Shakai". He also learned sumi-ga (Chinese ink painting). He graduated from the Department of Chinese Literature at Daito Bunka University and worked at the National Diet Library (Akasaka Rikyu, Miyakezaka). At the age of 28, he became a member of the calligraphy club of the National Diet Library (Akasaka Rikyu and Miyake-zaka). At the age of 28, he married Etsuko Kohinata, a native of the same prefecture. At the age of 30, he became independent and opened his own studio. He has taught at the Ajinomoto Head Office, Daiwa House Nihonbashi and Shinjuku branches, the National Diet Library, Toyo Eiwa, Ochanomizu Women's University Sakurain Kaikan, and other places. Tokyu Family Club, Tokyu Nihonbashi Store, Waseda Ikuei Gakuen, etc. Waseda Ikuei Gakuen, etc. (currently only the following), Joetsu, Ito, Tokyo Atelier, NHK Gakuen In 1976, at the age of 37, he had his first solo exhibition (he was encouraged by his teacher to teach sumi-graphy as well). In 1983, his teacher Uchiyama Amekai died. After that year, he continuously exhibited his works at the Sumi-no-geijutsu (ink art) Exhibition held by Sojinsha, and also served as the director general and chairman of the board of directors. He also served as the secretary-general and chairman of the board of directors. Venues: Bisho Shobo Gallery (Shimbashi), Isetan Gallery in Shinjuku, Tokyu Nihonbashi Gallery, Tokyu Nihonbashi Grand Hall, Toyo Gallery (Shinjuku), and after his death, Tokyo Central Tokyo Central Museum of Art 5F (Ginza for 12 consecutive years) In 1989, he formed Sumi-Cho-Sha (8 exhibitions and catalogues). In 1989, he formed Bokusho-sha (8 exhibitions and a catalogue) and was included in the video "Suiboku-ga Nihon no 10-nin" (narrated by Toru Emori). He has been an instructor of ink painting at NHK Academy (Otemachi Open School). He is a permanent member of the board of directors of the International Calligraphy and Painting Federation. He has participated in the Izu Highland Art Festival (Izu Ichinokura Gallery) for several years with his Suiboku-ga (ink paintings). Participated in the Izu Highland Art Festival (during May 2006) for several years. He has been a member of the ink painting jury at the Myoko City Citizen's Art Exhibition. He has participated in 20 solo exhibitions and group exhibitions. His calligraphy and ink paintings are in the collection of Shinshu Shinmachi Museum of Art. *** Translated with www.DeepL.com/Translator (free version) ***
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宮本 沙海プロフィール
・1939年(昭和14)1月28日、新潟県上越市に生まれる(本名=元明)。 ・吉崎白峰先生、小林朝海先生(中学・高校)に書を学び、1957年(昭和32)、上 京し、小林先生の師・内山雨海先生に入門し、1年間師邸より通学す。沙海の 雅号を受ける。以後、墨画も習う。 ・大東文化大学中国文学科を卒業、国立国会図書館(赤坂離宮、三宅坂)に勤 務し、依頼により書道部を作る(25歳より40年間指導)。 ・28歳で同県人・小日向悦子と結婚。 ・30歳で独立し、教室を持つ。 味の素本社、ダイワハウス日本橋店・新宿店、国会図書館、東洋英和、御茶ノ 水女子大学桜蔭会館、東急ファミリークラブ、東急日本橋店、早稲田育英学園 ほか(現在は以下のみ)、上越、伊東、東京アトリエ、NHK学園 ・1976年(昭和51)、37歳で初個展(墨画の指導もするよう師に勧められる)。 ・1983年(昭和58)、師・内山雨海没。この年以降も濹人社の墨の藝術展に連続 出品、事務局長・理事長を務める。会場:美松書房画廊(新橋)、新宿伊勢丹画廊、 東急日本橋店画廊、同グランドホール、東陽画廊(新宿)、師没後は東京セントラル 美術館5F(銀座 12年間連続) ・1989年(平成元年)、墨調社を結成(社中展8回、図録あり)。 ・ビデオ「水墨画日本乃十人」に収録される(ナレーション=江守徹)。 ・NHK学園水墨画講師(大手町オープンスクール)。 ・国際書画連盟常任理事(毎年、中国・ヨーロッパ海外移動展に作品参加)。 ・伊豆高原アートフェスティバル(会場=伊豆一ノ蔵ギャラリー)に水墨画で数年 前より参加(2006年五月中)。 ・妙高市市民美術展水墨画審査員。個展二十回ほか、グループ展。 ・信州新町美術館に書、墨画作品収蔵。
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arakawalily · 2 years
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赤と金の組み合わせが、譚シェフのリクエストでした❗️虎ノ門ヒルズの香港焼味酒家さんのショップカードをデザインさせていただきました❗️お店に置いてありますから、是非、行ってみてくださいね❣️ トップシェフ譚彦彬氏とコラボ企画第二段❗️名物の焼味を描かせていただきました❣️焼味全て最高峰です❗️ 譚シェフと最後の打ち合わせでガチョウの頭の形だけ、もっととんがりリーにしてくださいと、ペンを取られ、手描きで修正いただきましたことが、物凄く心に残りました❗️何度か、譚シェフとお食事をご一緒しながらデザインや焼き物のお話しができましたのは、私のデザイナー人生の宝物となりました。赤坂離宮さんのお料理はいつも感動があります❗️ 天国で、まだまだたくさんの人々に感動のお料理を作っていらっしゃるでしょう❗️ 譚シェフのお料理には、全てオリジナルの旨味❗️があるんですよね❗️中華料理の最高峰🥠譚シェフが作り上げた味は、フォーエバーです❣ 譚 彦彬シェフ🧑‍🍳フォーエバー❗️ 広東料理なんですが、ジャンルにとらわれないあらゆる美味しい世界中の料理を食べ歩き、研究したオリジナル料理『譚彦彬の味』には感動があります❗️ そして虎ノ門横丁の香港焼味酒家 赤坂璃宮 さんは、焼き物専門店だけあって、最高に美味しい中華の焼き物が気軽に楽しめます。焼き物の腕前が日本一として知られる職人さんである梁さんと赤坂離宮の譚彦彬さんが立ち上げたお店で、焼き物の専門店です❗️ 焼物(シウメイ)は、豚や鳩、アヒルなどの旨みを引き出した広東料理の名品。赤坂璃宮さんの理念が伝わる味や雰囲気はそのままに、香港の味わいをカジュアルに楽しむことができますよ❗️ 本日は、まずは、名人が焼くシウメイ『焼味』の、特製窯焼きチャーシュー、広東式ローストダック、、豚トロ焼きの4種盛りと、腸詰、鶏肉と腸詰の蒸物をいただきました❣️カリカリ、その蜜の味とジューシーな旨みとムチっとした噛み応えは格別、しびれますよ、旨すぎます~❣️ 最近は、料理人人生60年、広東料理の第一人者譚シェフの広東料理の真髄を伝える1冊が出版されました❗️“赤坂璃宮 譚 彦彬自伝 「勉強がイヤならコックしかない」と言われた少年が料理の世界に飛び込み、時代の波に乗り銀座の真ん中でオーナーシェフとなるまで。譚 彦彬の生き方”に伝える自伝です❗️ 譚彦彬シェフの味❗️フォーエバー❗️最高の風味絶佳❗️ #香港焼味酒家 #赤坂璃宮#香港焼味酒家赤坂離宮#譚彰彦 #荒川リリー#tシャツコーデ #オリジナルtシャツ #焼味#虎ノ門ヒルズ#赤坂グルメ#譚シェフ#シウメイ#広東料理 #キャラクターデザイン #チーズ天使#譚彦彬氏#ショップカード#キャラクターデザイン#チーズ天使#虎ノ門グルメ (香港焼味酒家 赤坂璃宮) https://www.instagram.com/p/ClpQlsly_3H/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ichinichi-okure · 4 years
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2020.11.1sun_tokyo
朝の8時半ぐらいに目が覚めて、そのままシャワーを浴びる。髪が長いのもあるが、トリートメントを多めに使ってしまいがちになり、どうも髪からそれがうまく流れ落ちていないような気になってしまう。そのため、シャワーの締めは年中関係なく、冷水で終わらすので修行のようなことになっている。ただ、冷水のほうが明らかにトリートメントも全部流れていって、髪がキュキュとする。あと、冷水を浴びると嫌でも目が覚める。そもそも目覚めはいいので、シャワーも歯磨きもしなくていいのなら、起きてから5分以内には家を出れるが、この特技はあまり活かされない。 ドライヤーは使わないタオルドライ派なので、一気にタオルでクシャクシャにして水分をできるだけ取って、着替えて歯を磨いて家を出る。9時35分から宮下公園(現:MIYASHITA PARK)の前にあるヒューマントラスト渋谷で上映される『博士と狂人』のチケットを取っていた。映画は世界最大の英語辞典「オックスフォード英語辞典」誕生に関わった一人の博士と一人の狂人についての実話を元にしたものだった。毎月1日は「映画の日」なので、なにか観ようと考えていたら、ちょうどこの映画を見つけた。家の最寄駅は三軒茶屋駅だが、渋谷までは大抵の場合は歩いていく。
緑道沿いに進んでいく池尻大橋の目黒川が見える場所、国道246に出る。そこからは道玄坂を目指して進むと渋谷の道玄坂に出れる。たいてい30分から40分の間ぐらいかかる。ただ、ヒューマントラスト渋谷は宮下公園のほうなので、プラス10分程度はかかる。シャワーと歯磨きをして家を出たのが、8時55分だった。なぜか映画開始を9時45分だと勘違いしており、旧山手通のファミマの赤信号で待っている時にその時差の10分に気づいた。45分開始なら着いても5分以上は余裕があるはずだった。でも、このままだと上映開始ちょうどに着く計算だ。 ああ、余裕がないのは嫌だ。 予告編が始まる前には座っていたいのに。それに「映画の日」だし、いつもより安く観れるからアイスコーヒーも劇場で買おうと思っていたのに、これだとなにもかもギリギリだ。青信号、とりあえず、早足で進む。道玄坂のラブホとライブハウスのほうに降って東急方面に向かっていくとハロウィーンの残り香をラブホのスタッフらしき人たちが清掃をしていた。そのまま東急百貨店からH&Mに向かって、H&Mの横をまっすぐに新生渋谷パルコ方面に向かっていく。日曜日朝だが、ハロウィーン帰りの人はあまりいない感じだった。空き缶や空き瓶もなく、吐瀉物も見かけなかった。良くも悪くもコロナ に奪われた熱狂や欲望はどこに回収されるんだろうか。
渋谷パルコとかつての単館系映画館を雄とされていたシネマライズ、現:渋谷WWW&WWW Xのスペイン坂をのぼっていくと渋谷パルコの一階というかオープン前にかかわらず家族連れやカップルやたくさんの人たちが並んでいた。たぶん、任天堂ショップのポケモンとかそういうなにかをGETするために並んでいるんだろう。僕はアプリゲームもハードを使うゲームしないからよくわからないが、そんなものをしなくても東京は歩くのたのしいのになと思うけど、説得力はないのはわかっている。こちらは時代遅れだ。そんな人たちを横目に見ながらやっぱりパルコ前の信号で捕まって待っていた。昔はこの交差点もマリカーコスプレした集団のカートたちが我が物顔で走っていた。彼らももういない。 信号はすぐに青になったので、そのままタワレコ方面に下っていく。渋谷はその名前の通り、谷であり、坂がたくさんあって、起伏が激しい街だ。歩いていると知らない間に小さな山を登り下りしているようなものだ。東京の23区内、山手線の内側に入るとさらにそれを感じられるようになる。
タワレコ横を通り過ぎると「MIYASHITA PARK」が現れる。ここに居たホームレスの人たちはどうしたのだろう、死んだのだろうか、いや、その場合は行政と商業が殺したに等しいと思う。毎回JRの高架下を通る度にわずかに残っているホームレスの人たちがいるとホッとする。 失礼だがこうはなりたくないとは思う自分もいるが、どこでなにが崩れ落ちてしまうかは誰にはわからない。セーフティネットはなくて、自助でなんとかしろという政府に文句も言わないで彼らを支持する人たちは、なぜ自分がホームレスになってしまう可能性を考えていないのかいつも不思議だ。それはきっと僕が38歳の現在まできちんと就職をしたことがないというのもあるんだろう。 たまたま生き延びている、といつも思っている。 同時になにかあれば、誰にも告げずに世界から消えようと決めている。基本的に人に相談するタイプではない、勝手に決めて事後報告することはあるけど。人が人に相談するのは話を聞いて欲しいから、悩みについての考えを肯定してもらいたいから、あるいは相談者が決めたり、悩みの回答への流れを決めてくれると、もしなにかあっても相手のせいにできるから、言い訳を作りたいという要素はゼロではないと思う。甘えたいんだと思う。そういう冷たいことを平気で思っていると案外、逆に相談される側になるのはけっこう不思議だ。だから、話は聞くけど相手が求めることは言わないようにしている。それもあってか、自分から人に相談しようと思うことがない。 えっと、何の話だっけ? 商業施設に成り果てた「MIYASHITA PARK」を通り過ぎるとヒューマントラスト渋谷が入っているビルが見える。時間は9時30分を過ぎている。ちょうど間に合う。信号を渡ってエスカレーターで3階まで登るが、ここから映画館がある階までエレベーターは使わないで、各階をエスカレーターをガシガシと歩いて、上へ上へ上っていく。7階にはドリンクを売っているエリアがあるので、すぐさまメールのQRコードでチケットを発見し、アイスコーヒーを注文する。初回を観る人は料金が割引で半額になるから160円だった。なんか申し訳ない気持ちになりつつ、上の8階に上がってチケットを出して劇場に入った。
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いやあ、やっぱりショーン・ペンは素晴らしいな、壊れていく人の魂についての表現というか、それでも残る知性みたいなものを体現していた。映画の内容は辞書を作る話だけど、メル・ギブソン演じる博士とのやりとりとかにおける友情や知的な会話など好奇心が揺さぶられるものだった。こういう地味ながら良質な作品を観れるのはうれしい。
終わってから、来た道を戻っていくと坂を今度は上っていく感じになる。途中で東急百貨店の「ジュンク堂書店渋谷店」を覗く。そして、いやらしさや仄暗さも吐瀉物もない道玄坂のラブホ街を上っていく。なにかがとても健全な日曜日。そのまま家路に帰ろうかと思ったが、まだ12時過ぎだったので旧山手通りのファミマが見える交差点をそのまま三茶方面には進まずに左折して鉢山町方面に進んでいく。日差しはわりとあってパーカーだと汗ばむ、帰ったら溜まっている洗濯物と一緒に洗おうと思った。
通りの途中に教会がふたつある。ひとつはカトリックでもうひとつはバプテスト。毎回、バプテストってなに?と思ってスマホで検索する度に納得して忘れる。バプテストというのはイングランド国教会の分離派思想から発生したキリスト教プロテスタントの一教派とある。難しい、とりあえず、プロテスタントという理解でOK?  神父はカトリックで、牧師はプロテスタント。我が家の曾祖父母の墓石には聖書の文言が刻まれていて、昔祖母にその理由を聞いたら、父が幼い頃までは家の近所に教会があったので通っていたらしい。我が家はかつてキリスト教だった。そんな父は「牧師」さんたちがいなくなったので、教会は潰れたと言っていたので、近所いあったのはプロテスタントの教会だったはずだ。 牧師がいなくなった後、祖父母はいとも簡単に真言宗に鞍替えをして、山の上にあったお寺に毎週日曜日に参るようになっていて、僕と兄も幼い頃はそれに付き合わされた。とにかく、早く帰ってアニメの「ビックリマン」が見たかったので年々上り下りは早くなっていった。もしかすると僕が歩くのが好きなのは、幼少期にお参りがてら山を上り下りしていたことが原風景にあるのかもしれない。
代官山蔦屋に着いて、���り口で手を消毒する。店内で先日読んだ『玉電松原物語』が遺作となった坪内祐三さんのデビュー作『ストリーズワイズ』の講談社文庫を探したがやはりなかった。ジュンク堂書店渋谷店にもなかった。 Uターンするように旧山手通りと246が交差する場所まで戻っていく。この日ずっと聴いていたのは銀杏BOYZの新譜『ねえみんな大好きだよ』だった。新譜が出る期間はだいぶ空いているが、ずっと長く続けている人はほんとうに凄いなと思う。生き延びるのは大変だ、表現し続けるのは過酷だ、でも、続けている人がいるからその轍からあたらしい人たちがやってくる。そんな風景をこの10年、20年、東京に上京してから見ている。生き延びている人は後世になにかのバトンやプレゼントを手渡すことができる人だとも思う。
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交差点を左折して246沿いを三軒茶屋方面に下っていく。246の上には首都高が走っている。『玉電松原物語』は世田谷区の赤堤で生まれ育った坪内さんのエッセイだが、近くの経堂だけではなく三軒茶屋や世田谷線となった玉電沿いの駅の町並みが描写されている。 1964年の東京オリンピックの前には赤堤にも牧場があって、普通に牛がいたらしい。やがて、五輪に合わせて環七ができて、首都高ができていったという。僕が今見て歩いている風景はたかだが半世紀前にできたものだった。そう考えるとかつてこれらがなかった時代と現在の層、レイヤーが重なると時間の層ができる。 例えば、月島とか埋立地を歩いていると、ここは江戸時代にはなかった土地だと思うと、海の上を歩いているような気がする。歩いているとそういう想像ができる。それは読書にすごく似ていて、読むことと歩くことは似ている、と思う。 読みながら歩いて、歩きながら読む、ことができる。僕はいろんな時代や空間を歩いてみたいし、読んでみたい。これは日記なのかわからないけど、歩いている時は脳内で連想ゲームが始まっていて、今回書いたようなことが脳内でいつも展開している。
-プロフィール-
碇本学 38歳 東京 ライター、「monokaki」編集スタッフ @manaview https://note.com/manaview
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geniusbeach · 5 years
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絶望のパレード
 魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
 昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
 詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
 秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
 かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
 自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
 労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
 どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのは��だ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
 さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
 休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の���在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
 旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
 中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
 大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
 3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
 “WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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tsuntsun1221ts · 5 years
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2019.3 谷川岳
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強風のため登山道にすらたどり着けず、スキーして終わった北アルプス唐松岳(八方尾根)からちょうど1ヶ月。高い金出して揃えた雪山装備を使わないともったいないし、今年のうちに雪山中級まではレベルアップしておきたい。次に目指す山は関東からアクセスしやすく以前にも登ったことがある谷川岳に決定。日帰りだともったいないので、1日目は谷川岳、越後湯沢で宿泊して2日目は平標山・仙ノ倉山のお泊り雪山登山。
【コースタイム】北赤羽(0623)→上毛高原(0753) →谷川岳RW山麓駅(0849) →天神平 →登山開始(0935) →避難小屋(1025) →肩の小屋(1150) →トマの耳山頂(1200) →避難小屋(1300) →休憩 →天神平(1345) →水上駅(1530)
茂原からだと始発に乗っても到着時刻が遅くなるので、実家の東京に前泊。大宮0702発たにがわ401号に乗車し上毛高原駅へ。平日金曜日の少し早い時間とあって、自由席は余裕で座れる。上毛高原の天気はくもり、谷川岳RW行きのバスには自分を含めて4人乗車 (バスは片道1250円)。 駅の周辺には全く雪なし、少し不安になったが、約1時間乗車して終点のRW駅に到着したら車窓から見える山々はみんな雪化粧していた、安心。せっかく雪山に来たのに、雪がないなんて寂しい。RW乗り場では登山客とスキー客がちらほら。やはり平日なので空いてるのかな。ゴンドラ往復チケットを購入し、いざ乗車。
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天神平駅は曇り~晴れ、微風、氷点下までは下がっておらず5℃くらいか?この日は全国的に少し暖かくなるとのこと。一緒のゴンドラに乗って上がってきた登山者4名並んでゲレンデで準備する。登山者は見渡せる範囲では自分たちしかいない。谷川岳は夏はもちろん、冬でも人気の山で混むと思っていたからありがたい。積雪はあるけど雪が締まっているのでアイゼン装着して出発!雪山経験に乏しい自分が一番うしろについてゆっくり行こうと思う。
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登山者用の道はゲレンデの横にちゃんと作られているが、リフトは使わないでということかな?この道は上級コースに沿う形で作られているので、いきなり結構な急坂を登らされる。この急登を登りきったら尾根へ出る。高さとしてはリフトで登るのと同じとこまで、ただしここまで登りきらなくても途中で迂回できたみたいね、登りきったら下ることになった。
尾根を超すとそこからはずっと稜線歩き。山頂は完全に雲に覆われており見えない。道中はときおりかなり強い風が吹き、姿勢を低くするか立ち止まって耐風姿勢をとる。初めて本格的な雪山を体験しており楽しいですな!これぞ雪山、冬の山の環境!ワクワクしてきた。それはいいとして、この天気じゃあ山頂までは登れないだろうなと、諦め半分。途中3人とすれ違った。避難小屋の時点で風が強く、これ以上登れないと判断してUターンしてきたとのこと 。やっぱりそんな感じなんだと、残念に思いつつ、とりあえず避難小屋までは向かうことに。
登山開始してから約1時間で避難小屋に到着。小屋全体が雪で完全に埋まっており、屋根から突き出た突起で判断できた。マジか...冬の谷川岳すげぇな、どれだけ降雪したんだよ。 避難小屋から山頂を眺めると、風がかなり強いらしく雪煙がずっと舞い上がっていた 。先に進むのは厳しそうだが、とりあえずここで休憩して天候の回復を待ってみる。縦穴が掘られており、ここを潜っていくと小屋の玄関前に繋がっている。みんな入らないで外で休憩しているけど、ちょっとおもしろそうなので穴に潜って小屋の中で休憩することに(中の様子は下記)。リュックがでかいから穴に引っかかって少しだけ苦労した。中は誰もおらず、完全防風で静か、快適。果たして天候は回復するだろうか・・・。
10分くらい休憩していると、自分らの後に到着した人たちが外で話しているのが聞こえた。小屋の外へ上がってみると先程より風が弱くなっており、山頂は相変わらずガスっているけれども、道中雪が舞い上がっている様子はない。しかも少しだけ晴れ間がみえる。この様子なら、山頂まではともかく先へは勧めそうだ。行ける所まで行き、無理そうなら途中で引き返すことを条件として先へ進むことに。
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進んでみると、思っていた以上に風は強くない(強いけど)。歩けば歩くほど進む方向がどんどん晴れていく。雪山初心者の当てにならない直感が、このまま山頂まで行けると言っている。
避難小屋からはソロ4人が一列になって4人PTになっていた。このメンバーは、下山までずっと一緒だった。この天候で山頂まで登れるかみんな不明であったが、とりあえずそのうちの1人のベテランさんが進めると判断し、皆でその人のあとを付いていった感じ。自分は一番初心者っぽいので、この天候では一番無理をしてはいけないが、みなで進むなら自分もと付いていった。山頂以外では全く話さなかったけど、心強かった。このPTが組めなかったら自分も避難小屋で引き返していたかな。
谷川連邦は日本海側と太平洋側の境界なので季節風が強く、避難小屋から先はモロに風を受ける。ただしこのときは進めないというほどではなかった。そして山頂は相変わらずガスっている。夏に来たときに通過した「天狗のトマリ場」は岩のてっぺんだけしか出ておらず、ほとんど雪に埋もれてる。その先の「天狗のザンゲ岩」も同様。無心でザンゲ岩まで登っていたので、進捗確認で山頂までもう少しと分かったときに、初めてずいぶんハイペースで来たのだと知った。
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ザンゲ岩から先は周囲が完全にガスっており、風も強い。PTは小休止して進むか悩む。別にみんなで相談していたわけではなく、あくまで各々が進むか戻るか考えているだけなんだけどね。経験が浅い自分は、完全なソロだったら引き返していた。しかしこれだけの天候の中登山をするというのも、雪山を経験する上では非常に貴重な経験だと思った。ヤバければ当然引き返すけど、この程度で引き換えしていたら、ちょっと天気が悪かったらいつも引き返さなければならないと思う。
完全に雲の中 且つ強風に舞う雪で、20~30m間隔で雪に挿してあるオレンジの道標がどこにあるのかわからなくなるときも。次のあれが見えないと進むべき方向がわからなくなり、遭難のリスクがハネ上がる。今回のPTはベテランさんが一人いたので、道標+その人のトレースをたどっていく。肩の小屋が見えたら、もう山頂までは目と鼻の先。肩の小屋は先程の避難小屋のように雪に埋もれていなかった。風が強すぎて雪を吹き飛ばしてしまうのだろうか。
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登山開始から2時間半でトマの耳に登頂!思った以上に早く着いた。視界絶不良、銀世界はおろか、ひどければホワイトアウトとなりかねない景色の中でも大満足!!この雪山ならではの厳しい天候の中、何に注意して登るべきかということを学べ非常に良い経験となった。これほどの天候の場合、まずトレースがなければ引き返すべし。また今回は気温も味方したかもしれない。ガスって風が強くても、終始下着+ハードシェルだけで行動できた。というか、もし中間着着るなら避難小屋で着ておかないと、風をしのげる場所がない稜線ではとても着替えられない(まぁ、これは雪山の常識だけどね、身をもって経験した)。
山頂では写真を撮ったらすぐ撤収。当然ながら、冬の山��は長居する場所ではない。肩の小屋まで降り、風をしのげる場所で腰を下ろして休憩、 ピッケルでザックを固定するのも初めて(ワクワク)。 完全に風を防げるわけではないしこの気温なので10分も休憩していたら寒くなってくる。雪山は満足に休憩できるとも限らないから、やはり長時間重い荷物背負って行動できる体力はとても重要。
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肩の小屋で行動食を頬張ったらすぐに下山。4人PTのうちのベテラン1人はオキの耳まで向かったので離脱。他の2人は別のところ(山頂?)で休憩していたっぽい。下山時は完全にソロになった・・・と思ったらいつの間にか後ろに付いてきており、ベテランさんを除く3人PTになっていた。
登るときも気がついたんだけど、途中で雪崩の前兆のような亀裂を発見しゾットする。ちょうどこの週辺りから気温が高くなり始めたので、もう1週遅かったらどうなっていたか。
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やはりガスっているのは山頂付近だけで、下れば視界がはっきりするだけでなく、風も幾分収まっている。
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山頂から下って約1時間で避難小屋に到着。ここでようやくまともな休憩ができる。縦穴に潜り小屋の中でくつろぐ(自分一人だけ)。サーモスに早朝入れたお茶がまだ温かくホッと一息。15分くらいは休憩していただろうか。
避難小屋出たら雪が少し降っており、上空の雲も厚く天気が悪くなる予感しかない。ずいぶんと標高を下げたとはいえ、さっさと下山するに越したことはない。
避難小屋から45分で麓に到着。ここで先行していたPTに自分が合流。なんだかんだで4人PTに戻り登山終了。往復で4時間と、夏のタイムとあまり変わらないのでは?
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天神平のレストランで遅い昼食。一応ゲレ食なのでそんなに期待していなかった舞茸天ぷらそば、意外とうまい!冬とはいえ、夏と同様に大量の水分が失われるので、汁もほぼ飲み干した。塩分とかちょうどいい濃度。
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1510発上毛高原行きバスに乗車し、水上駅で途中下車。下山後の楽しみといえば温泉。温泉といえばこの近辺だとやはり水上温泉。ホテルじゅらくは1200円(+バスタオル300円)で露天ありの大きな温泉を利用できる。ちょっと値段高めだけど、水上駅周辺で利用できる日帰り温泉では最もいろいろ充実している。ちゃんとしたホテルだからフロントで荷物預かってくれるし、かなりキレイだし、ゆっくりくつろぐスペースもある。しかも最近リニューアルされ���らしく、薪ストーブがかなりおしゃれ。
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18時に温泉のすぐお隣の居酒屋「魚信」へ。ここは前回夏に谷川岳へ登ったときに寄ったお店で、水上に来たら必ずここで飲んでこうと思ってる。名物「馬のレバー刺し」は当然注文。あと温泉湯豆腐。谷川岳(日本酒)などで¥4980。 チャージで900円くらい取られてるかもしれんが?お通しで豪華なサラダ出てきたし。その分女将さん相変わらずサービスいろいろ、懐かしいこの感じ。値段相応だと思います。
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レバー刺しには削った岩塩を振って食べるのが珍しい。ちなみに岩塩はヒマラヤ産らしいのだが、山つながりなのかな?
1943水上発の上越線長岡行きに乗り、越後湯沢駅へ。水上より北はSuica未対応のため、きっぷを購入していなかった場合は車内で車掌さんに精算してもらう。
今回使用した宿は「Sansan Yuzawa」。駅から徒歩5分くらい、また比較的近くにコンビニもある。5000円で6畳和式の個室に泊まれる(素泊まり)。翌日は朝早いバスに乗っていくので、こういった形で拠点を設けられるのはかなり負担が減る。
翌日の平標山・仙ノ倉山は、ある意味では谷川岳よりも強風ならぬ恐怖体験をすることに。
2日目につづく
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usickyou · 2 years
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『シネマ・パラダイス』
「目標一確認。停止。距離、四一〇。西三」  胸のうちの小梅へ言う。声帯の振動はぴったりとつけた鎖骨から正しく伝う。 「護衛三。狙撃なし。ファイア」  引き鉄が引かれると銃弾は目標の頭部を貫通する。これで二万。 「ヘッドショット。ヒット。目標二逃走。上。いや、ヤバい」  屈めた頭上を、コンテナを転がり落ちると今いた場所を銃弾が通り抜けた。たぶん、間違いなくサーモがある。話が違う。小梅を助手席に押し込むとアストンマーチンを起こして逃げた。川を挟んでいるとはいえ楽観視はできなかったから、たっぷり十五分走り回ると行き当たったファーストフード店に停まった。まだ食べる場合じゃないのでドリンクだけを頼むと、やっとアタシたちは話すことができる。 「あのやろう、適当な情報流しやがって」 『やめる?』 「続けるよ。割り増し請求してやる」 『そうだね、私も……』  と言いかけて、小梅は斜め上の宙を見る。それから「あいいう」とか「お、ぃああ」とか言うと、アタシへ向き直って手話の続きをしてみせる。 『あの子も、それがいいって』 「決まりだ。臨時収入も入るし、終わったらうまいもん食おうな」 『いつもの中華がいい、杏仁豆腐』 「また? いいけど欲がないな……」
 *
 100インチのスクリーンとレンタルのブルーレイで、今夜もパラダイスができあがった。テーブルに中華料理の容器を転がしたまま、小梅が杏仁豆腐を食べ終えると部屋の明かりを落として上映を始める。  二人ソファの上で、無音のスクリーンを眺める。アタシは膝の上で目を輝かせる小梅と、映画を見ながらいろいろなことを話した。 『ローマって?』 「イタリア。ここからはちょっと遠いな」 『どうしたら行ける?』 「ひとっとびだよ。でも、パスポート残ってたかな」 『きれいなところだね。ジェラート、食べたいな』 「明日食べようか。せめて気分だけでも」 『涼さんは? ジェラート好き?』 「どうかな。あんまり印象にないよ」 『ローマは?』 「はは、もっとないよ」 『一緒に行こう』 「スクーターも?」 『うん! 二人で乗ろう』 「いいよ。楽しみにしておく」 『あれ……噛むの? ほんとに……?』 「噛むよ。嘘をつくと噛まれるんだ。小梅は大丈夫だろうけど」 「……涼さんは」 「アタシは……だめだろうな」 「……」 「おやすみ、小梅」  アタシは小梅が深く眠ったのを確かめる。せめて映画は最後まで見たかったけど、そんな都合の良い薬はこの世になかった。  それから、数時間くらい小梅の寝顔を眺めて二人でする最後のドライブを楽しむと、児童養護施設のベンチに小さな体を寝かしつけた。もう三十分もすれば当番の女性が玄関を開いて、小梅を見つける。通帳や大事なものはぜんぶポーチにしまったし、暖かい季節だから、薄い毛布で充分。大丈夫。 『この子は白坂小梅といいます。耳は聞こえませんが、手話ができます。十三歳で小学校は途中までしか通っていませんが、頭の良い子です。趣味は映画鑑賞。好きな食べ物は中華料理全般(ほっておくとそればかり食べるので気をつけて)。イマジナリーフレンドがいて周りを驚かせるかもしれませんが、この子の大切な友達なのでむげにしないでください。それと、とても優しい子です』  最後に手紙を確かめると、『ローマに行くのが夢です』と書き加えてそこを離れた。小梅のいなくなった車内は本当に広くて、だけど、仕事のやり方をかなり変えなきゃいけなくなるのでアタシはむしろそのことに集中した。それでなんとかなる部分もあったけど、助手席のドリンクホルダーから飲みかけのオレンジジュースを捨てるのは、わりと耐えられないくらいきついことだった。
 *
「ハロー、殺し屋シネマ・パラダイス」  声をかけるなりその女はテーブルの向かいに座った。親しげな声にぼさぼさの赤毛、メニューも見ずにホットミルクを頼んでそれがないとわかるとアイスコーヒーを頼む。人懐こそうな目をしていて、こういう奴はだいたいとても上手に人を殺す。 「四人組もとうとう一人になっちゃったね」  深夜のトラックストップには不自然なほど人影がない。小梅がいれば何か気付いたのかもしれない。そんなことは考えても仕方ないので、代わりにハンドガンを引く動作を思い描く。 「そんなもんだろこの世の中」 「にゃはは、諦めが良いのは育ちのせい?」 「環境への反骨心だよ。ああ、なら育ちのせいだな」 「ふむ。驚かないんだね」 「有名税だよ。慣れはしないけど、諦めた」 「なるほど。じゃあ、仕事の話をしよっかなあ」  そう言うと、そいつは突然テーブルに突っ伏した。予備動作もなかったので、グラスが倒れてコーヒーがぼとぼとこぼれる。  アタシはそれを、テーブルに頬をつけながら認識している。幸いにもコーラの瓶は倒れずに済んだ。  指先さえ動かなかったし、すぐに意識は飛んだ。こんなふうに死ぬのかと思って、小梅の名前を呼ぼうとした。声は出せなかったので、心の中でだけ呼んだ。
 *
 目を覚ますと椅子に縛り付けられていて、生きていることがわかった。一面だけが鏡張りになった部屋には懐かしい顔があって、そいつは「起きました」とインカムに告げる。 「会えて嬉しいよ。奏」 「私もよ。すぐ済むから、少し待ってて」 「シャークネード終わるらしいな」 「挑発してるつもり?」 「アホか違うよ。寂しいんだ。一作目は皆で見たから」 「そうね、本当に時間は残酷で優しいわ」 「いいけど、キャラがぶれてるんだよな」  正面の扉が開くと、金髪の女が姿を現した。女はTシャツとショートパンツ、全身がびしょびしょに濡れていて、水遊びを終えた子どものような印象を与える。ずいぶん若いと思ったけど、西洋人の外見と年齢の相関はいまいち掴めないので考えるのをやめた。 「おまたせ! シネマ・パラダイス? 松永さん? 涼さん? どう呼んだらいいかなあ? ちなみにあたし的には涼ちゃんがとってもおすすめなんだけど!」  とりあえず、歳下だと思うことに決めた。こういうタイプはあまりいない。パターンにないので、先が読めない。探ろうと思うより早く、奏が部屋を後にした。 「……好きに呼んでいいよ」 「ほんと? 嬉しいなあ。じゃあ、涼ちゃん。はじめまして! あたしは宮本フレデリカ。フランス人のママと日本人のパパの間に生まれた十九歳だよ」  自己紹介をしながら、フレデリカはアタシを縛った柔らかい布を解きにかかる。それが意外と固く結ばれていて解けないのさえ楽しそうに、鼻歌をはじめた。 「楽しいか?」 「楽しいよー、でもあたし的には早く済ませてもっと涼ちゃんとおしゃべりしたいかな」 「悪いけど、アタシは逃げたい」 「んーむりだと思うよ。このあたり生体認証かかってるから」 「いや、解いてくれたらあんたを拘束して逃げ出すけど」 「ワオ! 考えたこともなかったなあ」  どうしよう、どうしようと歌いながら手を休めようとはしない。そのうちに奏が戻ってきて代わりに布を解くと、フレデリカにバスタオルを手渡した。 「ありがと、しきちゃんは?」 「まだ眠っています」 「だよねー、シャワーしてるのに起きなかったもん」 「起こしますか?」 「ううん、平気。お仕事の後だし休ませてあげたいから」  そう言って、フレデリカは正面に座りなおす。 「しき、ってのはあの赤毛?」 「うん。かわいかったでしょ?」 「わかるけど、クレイジーだな」 「それも魅力だよね」と笑って、フレデリカはバスタオルを頭に巻きつけた。「おかげで音に聞くシネマ・パラダイスを無傷で確保できた」  丸っこく歌うようだった碧眼が、不意に鋭くアタシを貫く。 「仕事の依頼なら普通にしてくれよ」 「優位を取るのが交渉の基本でしょ?」 「交渉じゃないだろ、破綻してるよ」 「拘束を解いたのは誠意だよ」 「簀巻きにされてるのと変わらない」 「返答次第だよね」 「依頼は?」 「二人、始末して」  無感情に、写真がテーブルを滑る。長髪の日本人と銀髪の、おそらくスラブ系。 「麻薬の販路を拡大したくて日本にこの銀髪を送り込んだんだけど、どうも取り込まれたみたいなんだよね。だから勢力抗争を装って始末したい。報酬は弾むよ、よっぽど飛躍しなかったら言い値でオッケー」  アタシは奏を見る。思っていた通り、その視線は揺らがない。 「こいつが、お前の新しい雇い主か?」 「そうよ」 「こんな奴のために、アタシたちから離れたのか」 「生きるって簡単じゃないの。わかるでしょう」 「わかるよ」とアタシは答える。それから、フレデリカへ向き直って「断る」と告げる。 「ふうん、もうちょっと生きてたいって思わない?」 「色々あってさ、あんまりそういう気分じゃないんだ」 「あたしはいいけど、手段はあるよ」 「痛めつけてみるか?」 「まさか、ちょっとお願いはするけど」 「まあいいよ。奏か、あのシキってやつか? 知ってるだろうけど、我慢は得意なんだ」 「みんな最初はそう言うよね」 「好きにしてくれ。シネマ・パラダイスは上映館を選ぶんだ。気の進まない依頼は死んでも受けない」  そう答えると、フレデリカは「そっか」と上を見た。奏がため息をついて、鏡を一瞥した。  アタシは今できる最善について考える。フレデリカを拘束して逃げおおせるには、障害が多すぎた。たとえば奏。フレデリカまでの距離。据え付けられたテーブル。あるいは、マジックミラーの向こうにいるであろうこいつらの仲間。  次善はどうだろうか。せめて楽に死ぬためにはどうすればいいだろうかと思考を重ねていると、フレデリカが席を離れた。またたく間にアタシへ近付いたと思うと、抱きしめてきた。  あまりに予想の埒外だったので、抵抗さえできなかった。 「試すみたいなことしちゃって、ごめんね」フレデリカは続けた。「あらためて、シネマ・パラダイスに依頼するよ。この二人を殺さないで。殺させないで。見守ってあげて」  まだ塗れた髪が頬にはりつくので、アタシはずっと混乱のただ中にいた。ただ、今までのフレデリカではなく、たった今この瞬間のフレデリカを信じてみたいとは思っていた。  しばらくそうして、フレデリカはアタシから離れる。それを合図に、奏が扉に手をかける。 「じゃあね、涼ちゃん」 「……仕事の話は?」 「後にしよっかなって」 「アタシは今でいい」 「気分が変わった?」 「変わる、かもしれない」 「嬉しいなあ。でも、あたしたちもお仕事があるんだ」 「急ぐのか?」 「うん。もう終わるけど」扉が開かれる。そこには小梅がいる。「ね」とフレデリカは笑った。  小梅を導き入れて、二人は部屋を後にする。マジックミラーが透明なガラスに変わると、その向こうにはもう、誰の姿もなかった。 『奏さんにお願いした』と小梅は手で言った。 「連絡先、知ってたのか」とアタシは答えた。 『ごめんなさい、内緒にしてた』 「別に、いいよ」 『涼さん』 「はい」 『ばか』 「はい」 『ばか、ばか』 「ごめん」 『一人にしないで』 「ごめんな」 『あの子も怒ってる』 「悪かったよ、ちゃんと謝る」 「うう、あ、おああ」 「うん。嬉しいよ。また会えて嬉しい」 「ああ! う、いああ!」 「バカだったよ。っていうかさ、アタシ、バカなんだよ」 「うああ!」  そう言って飛び込んできた小梅を、ちゃんと抱きとめた。胸のうちの小さな体が温かくて、髪に触れてみた。 「小梅、なんかくさいな?」 「い、あえ……」 「お風呂入ってなかったのか?」 『ちょっとだけ、だよ』 「どのくらい?」 『涼さんに置いてかれてから』 「マジかよ! ああもう、フレデリカ! シャワー貸してくれ、今すぐ!」 『嬉しいな、また涼さんに洗ってもらえる。嬉しいな』 「ああ、アタシも嬉しいよ! 小梅がきれいになったらもっと嬉しい! そしたらちゃんと抱きしめるから、ちゃんと、いやになるくらい!」
 *
 前金はローマ行の航空券やホテルのリザーブ、それと偽造パスポートだった。それでアタシと小梅は夢を叶えて、人生でいちばん笑って過ごす時間を終えると、東京行の飛行機へ乗り込んだ。ファーストが用意できなくてとフレデリカは謝っていたけど、ずいぶん気前のいい話だ。つまり、そういう仕事が待っているのだろう。 「コーヒーはいかがですか?」  キャビンアテンダントがそう訊ねるので、いまいち気は進まないけど飲むことにした。そろそろ、ちゃんと目を覚まさないといけない頃合いだった。 「妹さんですか?」  やけにのんびりとした動作でコーヒーをつぎながら、彼女が言う。胸のうちでまだ眠る小梅を、優しい瞳が見つめている。 「家族です」  アタシはそう答える。この関係を表す言葉はもう、それ以外にないように思えた。  数言を交わして着陸時間を告げると、とキャビンアテンダントは去っていく。去り際に、彼女はこう言い残す。 「良い旅を」  それでアタシは、写真の二人を思い出す。見守って、手をさしのべてとフレデリカは言った。アタシはずっと殺すばかりで、そんな仕事は初めてだったのに、どうしてかうまくいくような気がしていた。  胸のうちで、小梅が目を覚ます。もぞもぞと、寝起きの目をこすった手を動かす。 『家族だよ』 「起きてたのか?」 『うん。私たち、家族なんだね』 「そうだよ。知ってるか? 家族は離れないんだ」 『知ってるよ』  嬉しそうにする小梅を座席に落ち着けると、シートベルトをしめた。着陸のときになると、わざとらしくおびえてみせる小梅と手を繋いだ。機体を降りて空港を後にすると、少し涼しすぎるくらいの風が吹いていた。  幕明けにはいい日だな、とアタシは思う。 『そうだね』と小梅は言った。手を繋いでいるのに、『そうだね』と小梅は言った。 「そうだね」と、確かに小梅は言った。
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meltymirage · 3 years
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11/21
52ページほどのリサーチができたので、制作しながら整理するため選抜メモ(随時更新)
●港区
高輪
・白金高輪周辺再開発エリアの南側に丘=高輪皇族邸エリア(旧高松宮邸エリア)、さらにその向こうには品川再開発エリア
・松ヶ丘住宅地は高松宮邸をルーツにする
南青山
・旧町名は高樹町
・武蔵野台地標高31mの高台
・表参道・麻布・広尾・六本木を手中にするポジション
虎ノ門/新橋
・日本の政治・経済・商業の中核を担う千代田区・中央区・港区都心3区のほぼ中央に位置
・「新虎通り」は歩道と沿道が町並みと一体となった景観美しいエリア
芝浦
・国家戦略総合特別区域のひとつ、アジアヘッドクォーター特区
・複数の再開発が進行、2027年のリニア中央新幹線の開業を見据える
●千代田区
神田/大手町
・東京23区のほぼ中心に位置し、政治・経済・文化・教育などの中枢機能の集積、交通結節機能が群を抜いたエリア
・南側には大手町・丸ノ内・日本橋エリア、北側には秋葉原・御茶ノ水エリア
●文京区
小石川
・教育施設が充実した「文の京」エリア
・後楽園駅前は再開発で生まれ変わる
●新宿区
内藤町
・内藤家下屋敷から受け継がれ皇室の森と共に歩んできた住宅地
・皇室庭園「新宿御苑」がシンボル
●渋谷区
宇田川町
・代々木公園・明治神宮エリア、原宿・表参道エリア、松濤・神山町・富ヶ谷エリア、渋谷・宇田川町・道玄坂エリアに囲まれる
猿楽町
・代官山駅前は第二種低層住居地域
・恵比寿・渋谷・中目黒が徒歩圏内に
●中央区
晴海
・晴海五丁目西地区第一種市街地再開発事業などの都市開発が進行中
・環状2号線と東京BRTがつなぐ東京の新しい動脈
銀座
・都心エリアと湾岸エリアを自在に使いこなせるアクセス性
・公示地価日本一、令和2年全国公示地価ランキングのトップ4を銀���アドレスが独占
●台東区
台東
・御徒町エリアは複数路線、複数駅利用可能
・多彩な商業施設で賑わう
鳥越
・秋葉原、上野、浅草、隅田川の中心に位置
・新しいカルチャーの生まれるカチクラバシエリアにも位置
●江東区
三好
・清澄白河エリアはアート&カフェの街とも呼ばれる
・大横川や隅田川をはじめとした水辺が美しく整備
有明
・東京の最前線として新たな中枢の役割を担う東京ベイエリア
・臨海副都心は国や東京都による計画的なまちづくりが促進される7大副都心の一つであり、その開発面積は7大副都心最大の約442ha(東京ドームの約94倍)に相当
・建物倒壊・火災危険度は最も危険度が低いランク1、延焼火災の恐れが少ない地区内残留地区に指定
●荒川区
東日暮里
・日暮里駅前は2011年に完了した再開発事業によって駅前風景が一変、3つの構想タワーが立ち並ぶ
・日暮里南公園は6,000㎡を超える
荒川
・荒川区内の交通・商業・行政がクロスする要衝
●足立区
綾瀬
・綾瀬駅からは始発電車が走る
・東口からの舗装は整備されており歩きやすいアプローチ
●葛飾区
新小岩
・新小岩駅南口地区計画の一環、住宅複合街地
・多数の商店街
●江戸川区
平井
・平井親和会商店街は平井駅の南口に形成され、独自のユニークな企画を開催
・平井駅北口をはじめ隣接する亀戸駅や小岩駅周辺で再開発が進行中
●中野区
中野
・武蔵野台地の強固な地盤に位置
・新宿の躍動を感じられるロケーション
東中野
・かつて各界の名士たちが居を構え愛した「小滝台」と呼ばれる高台エリア
●杉並区
高井戸
・神田川を眼下にする標高約45mの高台立地
・数々の広い公園のある静穏な邸宅地
清水
・荻窪駅からは始発を利用可能
・まちづくりの一環として生まれた「荻窪音楽祭」は今年で34回目
●練馬区
石神井
・都内23区に約4.3%しかない風致地区に指定、四季の彩りや野鳥の姿など自然の趣を愉しめる
東大泉
・教育施設と緑の風景が豊かな大泉学園
・練馬区は東京23区の子育てしやすい街第1位
●品川区
東品川
西五反田
小山
●目黒区
目黒一丁目
●大田区
東雪谷
蒲田
●豊島区
池袋
大塚
●北区
上十条
赤羽西
●板橋区
大山町
仲宿
●八王子市
八幡町
●立川市
錦町
●武蔵野市
中野
●府中市
宮西町
●昭島市
宮沢町
●町田市
鶴間
●国分寺市
本町
●国立市
●狛江市
東和泉
ポエムの傾向
・海の風が入り込むポジションは横文字
・歴史あるエリアは古/新の対立構造
・大手町周辺、台東、墨田区周辺は「東京/TOKYO」
・英→日は基本的に言い換え表現
・暮らし/住むは人生/生きるに言い換え可能
・都心から離れるほど「〜×〜」表現、大手町からの距離、最寄駅からの距離、山手線というワード、邸数などが頻出
・首都圏ほどポエムに地名
・杉並区は緑
・都市開発エリアは住宅との複合開発
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arakawalily · 2 years
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なんちゅうか、本格高級中華‼️銀座最高峰❣️赤坂離宮さんへ取材に‼️ 銀座のド真ん中、バーニーズニューヨークさんも入っている交殉ビル最上階‼️ 優しく穏やかな別世界が広がります。 一歩中に入るとそこは中国伝統の四合院様式の シックなインテリア。 器も超一流‼️ 有名な譚オーナーシェフのお話をお伺いしながら、厨房もご案内いただきました‼️親知らずを抜いた痛さも、あまりの美味しさに、全て忘れるほど、全てが感動の美味でした‼️びっくりリーのおいしさと超一流のおもてなし‼️ 一級フードアナリスト沼崎氏のご案内で、この赤坂離宮さんを舞台にオリジナルTシャツをデザインさせていただきますので、お話を聞きに伺いました❣️ これから2年、譚シェフとのコラボデザインが、やっと形になりました❗️ ©︎村木まゆみ (広東名菜 赤坂璃宮 銀座店) https://www.instagram.com/p/Ckg6i95hJk0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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#gourmet #グルメ 好きの#飯テロ #日記 #diary 今回は赤坂離宮で❤︎ #お洒落さんと繋がりたい #お洒落 な#食卓 で幸せいっぱい #ブログ #グルメ好きな人と繋がりたい #グルメスタグラム (広東名菜 赤坂璃宮 銀座店) https://www.instagram.com/p/CCQjmyuAYlx/?igshid=17u5nsqh61gvb
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kachoushi · 5 years
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各地句会報
花鳥誌令和2年1月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和元年10月2日 立待花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
焼栗や問はず語らず炉辺の黙 世詩明 風の消す蜀の火侘し秋彼岸 ただし 曼珠沙華墓場の艶や蕊拡げ 輝一 丑三つの厠の閑や蚯蚓鳴く 輝一 泣きじやくり駄々こねる子の秋祭 誠 母の忌の近づく仏間障子貼る すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月3日 うづら三日の月句会
坊城俊樹選 特選句
旧国道沿ひに一群彼岸花 柏葉 青空のやがて銀色秋深し 由季子 入日受け銀に輝く芒の穂 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月5日 零の会
坊城俊樹選 特選句
秋の沖浜の一舟戻り来ず 眞理子 色街の名残りの白き曼殊沙華 三郎 金風に熟寝や朝の屋形船 梓渕 鳥渡る品川宿を大森へ 和子 纜の秋潮を曳く齢かな 三郎 踏切の音をまだらに秋の風 小鳥 舟だまりとは秋水のどんづまり 要 釣船の朽ちし窓辺の赤とんぼ 炳子 秋の薔薇へと古井戸の水滲み 慶月 舟宿の香り漂ふ曼殊沙華 三郎 金風の抜けて寂れし路地の井戸 要 秋蝶の千本鳥居へ行つたきり 光子
岡田順子選 特選句
金風に熟寝や朝の屋形船 梓渕 来し人に林檎すすめる青果店 小鳥 草紅葉残してかつて私娼館 光子 小鳥来る宮大工より木の香して 光子 登高の杜に赤子の宮詣り はるか 長屋にも零余子あふるゝ実りかな いづみ 舟宿の閑かな秋の灯の白く 三郎 鰯雲を沖へ見送る鯨塚 光子 百五十年目の秋を履物屋 淸流 運動会よく聞こえたる木賃宿 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月8日 萩花鳥句会
戦時下の稲刈奉仕なつかしむ 祐子 水鏡壊さぬやうに紅葉舟 美恵子 揺れ動く心のごとき稲の波 吉之 テレビ席昼間のビールでタブル杯 健雄 角打ちの常連さんや古酒の酔 克弘
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令和元年10月11日 鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
冷えてくる膝を離さず十三夜 栄子 海原へ白き竜飛ぶ秋の空 佐代子 銀杏の実落ちる頃なり夫の墓 佐代子 花野ゆく赤いリュックに手を振つて 幸子 カーラジオのジャズと見渡す秋夕焼 栄子 やはらかき遺影の眼差菊かをる 都 柴栗を貰ひてさてと剥く覚悟 史子 彼岸花あやかし色の畦を踏む 都 色付くは覗かるゝことさねかづら 史子 箔打ちの音路地に洩れ秋時雨 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月12日 武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
裏庭の一画照らす曼珠沙華 三���郎 竹を背にかぐや姫なる菊人形 昭子 永訣の警笛深秋の空へ 昭女 壮大な羊の群れや秋の雲 三四郎 己が影曳きて流るる木の葉髪 世詩明 端正な喪主の絶句や残る蟬 昭女 君偲び杖につまづく花野かな 清女 薄幸にも見えて山田の案山子かな 昭女 鰯雲こんなに遠く広ごりて 錦子 裸婦像の息づく胸に秋黴雨 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月14日 なかみち句会
栗林圭魚選 特選句
秋雨や陽子姉眠る古刹に来 和魚 句碑守りし陽子姉偲ぶ秋の雨 あき子 名刹の雨に包まれ秋の声 せつこ 秋雨や年尾句碑守るひと逝きて 秋尚 冷ややかな雨に信女の文字深く 三無 木犀の香り秘めたる寺の黙 三無 秋明菊住み古りし庭抜きんでて 和魚 暗闇坂灯す山茶花咲き初むる 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月16日 福井花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
野分きて大切な人連れ去りし 和子 神無月口々に君を悼む句座 和子 みぎひだり頰吹き分けて野分過ぐ 昭子 神隠してふ失せ物や十三夜 清女 遠くとは河のむかうや小鳥来る 啓子 女坂いろどるほどの曼珠沙華 よしのり 城跡を出て首塚へ曼珠沙華 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月17日 伊藤柏翠俳句記念館
坊城俊樹選 特選句
玄関に見覚えの無き時雨傘 英美子 空席の一つ師の席露けしや 英美子 逝きし父だけが知りたる茸山 英美子 後の月色ある如く無き如く 雪 生垣に誰が忘れたる捕虫網 雪 コスモスの影をとどめぬ無人駅 ただし 蘭の香の衣の襖に合掌す ただし コスモスの一億本の中に立つ かづを 赤すぎる色の淋しや曼珠沙華 かづを コスモスの花に奈落のある如し 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月20日 風月句会
坊城俊樹選 特選句
稲埃上げ少年の昂りて 佑天 くぐり萩頰に触れ来てくちびるも ゆう子 キャラメルのエンジェルマーク小鳥来る 久子 木の葉降る肩に微かな音触れて 秋尚 義貞の駿馬踏みしむ草紅葉 慶月 現世を後に花野に入りにけり 佑天 暗がりにてらてら媚びを売る菌 千種 かの人の欅紅葉を降らすかな 慶月
栗林圭魚選 特選句
防人の歌碑に寄り添ひゑのこ草 眞理子 万葉の歌碑より展け秋深む 斉 木犀の垣に包まれ竈焚く 芙佐子 少しづつ青き空見え小鳥来る 幸子 赤蜻蛉多摩横山の空を占め 三無 金風やかつて内井戸ありし門 久子 透明に金木犀の香が過る 斉 稲扱の小さな音を箕に集め 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月21日 鯖江花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
虫塚に蝶を放ちて虫供養 雪 小さきは小さき音に芋水車 雪 芋水車ことこと廻り主留守 雪 曼珠沙華一乗谷に紅蓮の火 雪 さう云へば三日月に顔ある様な 雪 穴まどひ佐々成政城趾なる 雪 空の青露草の藍足触る 直子 秋空に真赤なシャツの御仁かな 直子 秋高し負けてはならぬ気比鳥居 昭子 設へて香具師おもむろに秋祭 一涓
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月21日 九州花鳥会
坊城俊樹選 特選句
大空や色鳥はやも風となり 朝子 恋愛が下手で夜長のシューベルト 由紀子 身に入むや濡衣塚と云ふだけで 豊子 秋澄めり被爆マリアの泪あと 寿美香 六道の辻にて迷ふ秋の暮 伸子 菊人形にも愛憎のひと欠片 美穂 雨あとの夜目にもしるき女郎花 阿佐美 花野来て今宵の花でありにけり 喜和 身に入むや好きも嫌ひも女偏 寿美香 スープと愛とろ火に煮込む夜長かな 伸子 身に入むや波濤鎮めて沖の宮 かおり 一閃の落暉芒の中に棲む 朝子 身に入むや形見の帯をまけば鳴る 孝子 身に入むや痴人の愛に見る我が身 勝利 鳥渡る天上の紺海の紺 豊子 あれほどの夜々のちちろの行方かな 孝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
さくら花鳥会
岡田順子選 特選句
弔電を娘の糺す秋時雨 令子 道を掃く母の後ろは秋の山 登美子 遅生りの無花果を捥ぎ古翁 同 萩刈の時期となりゐし古寺訪へば 紀子 バス待つ子一緒に並ぶ秋桜 紀子 また来るね母の後ろの柿赤く あけみ 竹の春知らぬ言葉を辞書に引き 光子 古寺や萩の主と談義せむ 紀子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
花鳥さゞれ会
辞書古りて膏薬だらけの秋灯下 匠 秋風の白し左内の立像に 匠 鰯雲三国へ流れ左内の忌 雪子 天高し左内の像は影もたず 啓子 柏翠の忌日に露の身を正す かづを 底曳きに海猫騒ぎゐる柏翠忌 笑 鳴き果てて虫の浄土となる古刹 希 一匹のきりぎりすもて眠れぬ夜 清女 柏翠忌秋水自在の書を掲ぐ 天空 刈り入れのすみし田んぼや左内の忌 天空
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hirumeshibucyo · 5 years
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広東名菜 赤坂離宮 銀座店 ランチコース (^_^)☆ #中華 #料理 #ランチ #銀座 #東京 #日本 #food #foodie #foodporn #instagood #instalike #instagram #instafood #lunch #dinner #炒飯 #コース料理 #china #chinesefood #followers #japan #japanese #tokyo #美味しい #美味 (広東名菜 赤坂璃宮 銀座店) https://www.instagram.com/p/BmAlRMalFKK/?igshid=1ey05qqd3v7pl
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release-info · 5 years
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桜庭ななみさんが登場!「タベサキ」2019年5月号公開 時代の新潮流!ニューウェーブ蕎麦 無料で読める電子雑誌を発行する株式会社ブランジスタ(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:岩本恵了、証券コード:6176)は、桜庭ななみさんが表紙を飾るグルメ情報にフォーカスした電子雑誌「タベサキ」5月号を公開いたしました。 ■“おいしいもの”が目的地 「タベサキ」Powered by 旅色 http://bit.ly/2IIhakG  大人の女性に上質な旅時間を届けるウェブマガジン「旅色」が提案する「食」に特化した電子雑誌「タベサキ」。5号目となる5月号の表紙には、桜庭ななみさんが登場。伝統にこだわらない新しいアイディアで創作される、お蕎麦をご紹介します。平成から令和に時代が変わる今、蕎麦の新しい波をぜひチェックを!   また、うどん県としてもお馴染みの香川のさぬきうどんの旨さに迫る旅もご案内。今号もお腹を空かせながら、お楽しみください。 ■ 時代の新潮流!ニューウェーブ蕎麦 http://bit.ly/2IWsp89  ふらっと食べられる立ち食いスタイルから、ピンと背筋が伸びる老舗まで、日本の食文化の代表ともいえるお蕎麦。そんなお蕎麦がここのところ進化中。パスタ感覚の味付けやウニが盛られているなど、決まった枠にとらわれず、自由な発想でつくられた新メニューをご紹介します。 ■ 有名人のこだわり語り“おいしい”話 Vol.5 桜庭ななみさん http://bit.ly/2IIOyru  外食に行く機会が増えて、今は「レモン鍋」にハマっていると語る桜庭さん。お蕎麦も好きで、今回の撮影で登場した「塩レモンクリーム蕎麦」は好きなものがコラボされていて、撮影が終わってもそのまま食べ続けていらっしゃいました。また、地元でのおすすめグルメや旅の思い出など、食を通した、自身のライフスタイルやこだわりも伺います。 ■ 金色の小麦と瀬戸内海の塩が決め手 本場のさぬきうどんを食べたい! http://bit.ly/2IX9hXW  うどんの生産量、消費量ともに日本一を誇る香川。たわわに育った小麦の収穫を迎える初夏に、讃岐の国に出掛けて本場の味を堪能します。 ■ “いま”を食べる 旬の味ごよみ  http://bit.ly/2IJr2ud  季節の移ろいを感じる――。この時期にもっとも美味しい旬の食材、「鯛」「アスパラガス」「新茶」「夏みかん」と、それら食材が味わえるイベントをピックアップしてご紹介します。 ■ 連載 / もし村上春樹が食べ歩きをしたら ぶらり、村上さんぽ 文・菊池良 http://bit.ly/2IX9j20 『もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社刊)など、文体模写の鬼才として知られる、菊池良氏が、村上春樹風の食べ歩き記事を書く連載第5回。今回は蕎麦の名所としてしられる深大寺をぶらり。 ■「タベサキ」媒体概要  「あれ食べに行こう!」で、目的地を決める旅もいい。時間にもとらわれず、好きなものを食べる。それは、すべての人が体験できる、最高の癒しです。わざわざ足を運びたくなる遠くの場所からいつもの通りを一本入った近くの店まで移動の距離や時間に関わらずワクワクする気持ちさえあれば、それは、旅そのもの。『タベサキ』は、食をきっかけとした旅のスタイルを発信する電子雑誌です。毎号、旬のグルメ情報や、その土地ならではの食材情報をお届けしていきます。 <株式会社ブランジスタ 会社概要> URL   :http://bit.ly/2mluzUo 本社所在地:〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町20-4 ネクシィーズスクエアビル 代表者  :代表取締役社長 岩本恵了 設立   :2000年11月 事業内容 :電子雑誌出版・電子広告・ソリューションサービス 本リリースに関するお問合せ  株式会社ブランジスタ  広報担当:田口隆一 e-mail: [email protected] TEL:03-6415-1183 #tabesaki #5月号 #2019年 #桜庭ななみ #桜庭 #ななみ #インスタ #インスタ女子 #グルメ #グルメ情報 #タベサキ #蕎麦 #旅スタイル #旅行電子雑誌 #動画 #新しい #別冊 #おいしい #芸能界 #食通 #フォトジェニック #注目店 #食 #ブーム #季節 #食材 #うまい #シェア #PR #食べる #撮る #カジュアル #名店 #有名人 #こだわり #料理 #外食 #お店 #特産 #名産 #特産品 #物産 #ご当地 #グルメ #お店選び #食材 #伝統野菜 #野菜 #旬 #味ごよみ #女優 #村上春樹 #食べ歩き #村上さんぽ #文 #菊池良 #記事 #季節 #美味しい #ブランジスタ #観光 #宿泊 #旅館 #旅色 #旅色コンシェルジュ #ホテル #リゾート #旅 #温泉 #源泉かけ流し #無料 #電子雑誌 #食 #ランチ #飲食店 #厳選 #自然 #プロモーションメディア #メディア #プロモーション #伝統 #国内 #国内旅行 #食べ歩き #旅行 #雑誌 #巡り #めぐり #タレント #満喫 #魅力 #インスタフォロワー #SNS映え #インスタ映え #映え #読者 #インスタグラム #思い出 #写真 #旅写真 #スポット #トリップ #SNS #話題 #イベント #味わえる #目的地 #パソコン #スマホ #タブレット #ブランジスタ #ぶらり #文体模写 #食文化 #肉厚 #黒毛和牛 #和牛 #有職料理 #高級 #米どころ #新米 #鍋 #鍋料理 #お肉 #野菜 #麺 #ごはん #食べ過ぎ #栄養満点 #ヘルシー #地方 #原風景 #収穫 #もっちり #食感 #毛ガニ #寒ぶり #ゆず #カキ #飲食店 #レストラン #ディナー #ランチ #店 #全国第1位 #全国1位 #鹿児島 #うなぎ #養殖 #生産量 #鰻 #北海道 #地産地消 #新メニュー #お寿司屋 #寿司屋 #アンジャッシュ #お笑いコンビ #お笑いコンビ #オススメ #オススメ店 #薫り高い #牛肉 #ご当地メニュー #地下水 #ブランドポーク #味覚 #銀座 #豪華絢爛 #食楽 #編集長 #スイーツ #東北 #宮城県 #宮城 #海鮮 #贅沢 #ローフード #マクロビオティック #三陸 #金華山沖 #海 #魚 #貝 #魚介 #美味 #果物 #新潮流 #ニューウェーブ #平成 #令和 #新しい波 #うどん県 #香川県 #香川 #さぬきうどん #さぬき #讃岐うどん #うどん #旨 #老舗 #立ち食い #パスタ #そば #レモン鍋 #お蕎麦 #塩レモンクリーム蕎麦 #コラボ #瀬戸内海 #小麦 #塩 #本場 #初夏 #収穫 #讃岐 #鯛 #アスパラガス #新茶 #夏みかん #名所 #深大寺 #文豪 #もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら #宝島社 #蕎麦文化 #GEN #勝どき #ジェノベーゼ蕎麦 #EBISU FRY BAR #恵比寿 #恵比寿 #クリーム系蕎麦 #創作蕎麦屋 #バルスタイル #つけ蕎麦 #ランチ #ディナータイム #ディナー #カプレーゼ風蕎麦 #パクチーまぜ蕎麦 #パクチー #まぜ蕎麦 #グルテンフリー #十割蕎麦 #十割 #喉ごし #ケイジャンベジソバボウル #雷庵 #RYAN #ライアン #渋谷 #オープンキッチン #蕎麦打ち #厳選蕎麦粉 #利尻昆布 #本枯れ節 #創作蕎麦 #クラフトビール #自社醸造 #ズワイ蟹とフルーツトマトのまぜ蕎麦 #ズワイ蟹 #フルーツトマト #ゴールデンエール #T.Y.HARBOR BREWERY #蕎麦コース #本格和食 #和食 #日本酒 #おそばの甲賀 #山盛り極上ウニ #美食家 #西麻布 #隠れ家 #隠れ家的蕎麦処 #ミシュラン #観光客 #埼玉県三芳町 #契約農家 #石臼 #挽きたて #香り #香り #出汁 #うにそば #贅を尽くした一杯 #贅を尽くした #太白胡麻油 #雲丹 #甲賀宏 #赤坂砂場 #軍艦巻き #リストランテ・ヒロ・チェントロ #スーシェフ #ソムリエ #独立 #オープン #ニューオープン #新店 #イタリアン #Ita Soba #イタソバ #和風つけ汁 #和風 #つけ汁 #ジェノベーゼ #ジェノベーゼソース #信州霧しな蕎麦 #汁に絡む #トスカーナ #トスカーナ産 #エクストラバージンオイル #豚菜っ葉のジェノベーゼ ソバ #サラダ #サラダほうれん草 #ルッコラ #モロヘイヤ #唐辛子 #ハーブ #特性オイル #特性 #オイル #平井洋平 #フィレンツェ #修業 #中華 #活躍 #BW CAFE #ビーダブリュー カフェ #東新宿 #ポタージュ #蕎麦カフェ #美容 #健康 #ベジポタつけ蕎麦 #ベジポタ #新じゃが #コーン #枝豆 #オクラ #ビーツ #鰹出汁 #豆乳 #焼きチーズ #ピンクペッパー #アクセント #生野菜 #鈴木雅和 #ソバボウルプロジェクト #カルーア蕎麦ミルク #アルコール #アルコールメニュー #ガレット #蕎麦料理 #フランス #ブルターニュ #コンプレット トマト #フレッシュトマト #オーヴェルニャット #鴨 #ブルーチーズ #ガレット ブールスィークル ボルディエ #ボルディエバター #カソナード #La Fee Delice #カフェ #サーモン #レモンクリームソース #看板メニュー #Au Temps Jadis #職人 #サワークリーム #カラシ水菜 #うどんバス #製麺所 #うどん文化 #入浜式 #コシ #塩加減 #塩田 #塩づくり体験 #麦香 #茹でたて #一般店 #カウンター #トッピング #サイドメニュー #セルフ店 #セルフ #国産小麦 #かけちく #いとより鯛 #ちくわの天ぷら #リーズナブル #薬味 #かけだし #ぶっかけ #温泉卵 #味付け揚げ #ちくわ天 #行列 #日の出製麺所 #坂出市 #ぬるい麺 #冷たい麺 #熱い麺 #かま玉 #天ぷら #常連客 #常連 #おでん #からし味噌 #讃岐流 #白味噌 #からし #練り物 #高松駅 #観光バス http://bit.ly/2IX9k64
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hiirop8000-blog · 7 years
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日の出の王国 1
 街には相当な数の先時代の遺品がある。  先時代というのはこの地方独特の言葉で、要するに日本と合併する前の王国時代のことを言う。とはいっても現在の住民の多くは外から引っ越してきた人間だし、みんな身近にあるちょっとしょぼい観光資源として、あるいは面白い文化の僅かな生き残りとしてしか「王国」を認識してはいなかった。私もそうだ。
 私は高校を卒業した年に家を出てこの街へ移り住んだ。ここはかつて王城があったところで、その入り組んだ石積みの跡地を改造してできた有名な美大があったからだ。  それから四年が経った。高校の同期たちが各々就いた職に慣れて頭角を現し始めたり、あるいは大学を卒業した後のステップについて計画したりするような時期に入った。一方で私は日々を変わりなく過ごしていた。つまり、大半を寝て過ごした。
 私が入居した部屋は美大の領域内にあって、曰く五十年前に建築科の有象無象によって建てられた一棟だそうだ。たまに部屋を出て、昭和の香りを色濃く残した廊下に立ってみると、陽の光に炙られて羽根のような埃がたくさん舞っていた。しかし埃には違いないので、私は決まってひどい鼻水を出した。
 共同玄関を出て正面の砂利道を下っていく。ゆるやかにカーブする坂道で、すぐ左手にはこんもりした森が迫っていた。その森から向こうは一段と高い丘になっていて、ぼろぼろになった石垣が奥の方に見え隠れしていた。やがて反対の右側に開けた駐輪場が出てくる。といっても、土を均して固めただけの広場だから、個々人で用心していないと自転車はすぐに行方不明になる。私は居並ぶ銀輪の中から自分の愛車を見つけ出して、駐輪場の端の木にぐるぐる巻きつけたチェーンを外した。
 私は自転車に乗って坂道を走り降りた。前髪を空気の塊が撫でる。湿気を含み始めた六月の末の風だった。かつて城内の自然浄水池だった沼を過ぎて、第二グラウンドや工学試験場、新寮の団地、畑、南東食堂の裏を抜けていった。だんだん城跡の裾野に近付いて、標高は低くなっていく。外縁部にあるものほど美大の拡大に伴って増えていったものだから、景色も段々洗練された小綺麗なものに変わる。グラフィックデザイン学科の真新しいピロティを錆びた愛車で駆け抜けるのは、何度繰り返しても爽快だった。  芋くさい万年寝学生の面目躍如といったところである。これが誇りだ。  私は美大の敷地を出、揚々と街へ向かった。
 自転車を公共駐輪場に停め、東大通りの路面電車に乗った。この街には南北に二本の太い道路が走っていて、これはそのうちの片方。電車を通した上に車だって六車線入れるような、この辺では一番の栄えた場所だ。路面はクリームやレンガ色の石畳。もうだいぶ経年劣化で傷んできているが、これも先時代の遺品の一つだそうだ。
 東通りの左右には洒落た商店やアパートが並び、もっとずっと南下して駅の方まで行けば百貨店や高いビルもにょきにょき生えている。しかし今日の目的はその途中にあった。  路面電車はいくつめかの駅に停車した。私はお金を払い、電車を降りた。道路を渡ってすぐ目の前には、博物館がある。
 東通りの中心部に建っている博物館で、石造りの瀟洒な三階建てになっている。中庭やレストランも備えた、なかなか侮れないところだ。静謐で雰囲気も良く、何となく頭が冴える気がするので私は気に入っていた。冴えた結果実際の制作に繋がったことはないが。  ここのところ足が離れていたが、何となしに久しぶりに訪れてみた。信号を待って道路を渡り、正面玄関の方へ。歩道の街路樹で、ずいぶんと気の早いセミが一匹だけ鳴いていた。
 ロビーに入るとそこは大きな吹き抜けになっていて、床はつるつるしていた。心なしか、外より空気がひんやりしている。私は入口のすぐ横に設けられているカウンターでチケットを買い、一階の常設展エリアに向かった。二階の特別展は展示品の入れ替えのために停止していて、お客の入りが少なく、広さの割に閑散としていた。
 常設展では、やはりというか、かつてここにあった王国の展示が大半を占めていた。王国と言っても、お茶会やダンスパーティーを開いたり、派手なドレスに身を包んで豪奢を競い合うような華やかなものじゃない。王宮は石と木と土で、服は綿と羽毛とたまに絹で、食べ物は私と何ら変わらない野菜や肉や魚でできていた。
 千年ぐらい前から王国はあったようだ。それが百年ほど前に吸収合併のような形で日本の一部になり、消えていった。当時の国際情勢とか財政とか、そういったものが関係していたらしい。やがて慎ましやかな王家はもっと慎ましくなり、今では影も形も見かけない。この街へ引っ越して来れば何か耳にするかもと思っていたけれど、情報網に接続するスキルの不足で何にも分からない。いつかインターネットで調べた時、まだ一族の末裔がこの辺りに住んでいるとかいったことは出てきた気がする。
 王国の遺産は博物館の中にもちゃんと根を下ろしていて、整然としたガラスケースの中に、掛け軸のような絵や、漆で塗られた道具、演奏の難しそうな楽器が並んでいた。  私は中庭に面した列柱の廊下を通り過ぎ、博物館の一番奥まで行った。そこでは専用の部屋が一つあてがわれて、かつて王宮で用いられていた物品が置いてあった。赤や金で刺繍された着物に、祭礼に使う不思議な杖。かなりサイズの大きな石像や、かつて宮殿の一部だった柱もあって、そういうものたちはケースには入らずに剥き出しのままになっていた。
 私は解説を殆ど読まないから、それらがいつどんな風に、誰によって使われたものなのか、全然知らなかった。知らないままが良かったのだ。素敵なものはいつもどこか不思議な風味を帯びていて、それはちょっとした憂いだったり、くすみだったり、ゆがみだったりする。未知のものを未知のままにしておくことは、そうした憂いとかくすみを美しく見せる。気に入った小説ほど、作家の名を見てはならないのだ。
 高校の修学旅行で沖縄へ行った時に、資料館を見た。そこも、ここと似たような雰囲気を持っていた。用途も名前も知らない道具たち。かつての琉球王国も、ここにあった王国と同じような結末を迎えている。
 部屋の中央には、王宮から移設したという玉座も設置されていた。真紅と濃黄を基調として、きらきら光る糸で刺繍が縫い付けられていた。点々とほつれや何かの染みがあったり、色褪せたりしている。 台座の部分が高く、もうちょっと伸ばしたらプールで監視員もできると思う。ただでさえ展示のための台にも乗っているので、座面や背もたれは目線よりも上にあった。
 これは流石に、王さまの使ったものだろうなと思った。一族の名前は何と言ったか、ネットで検索した時に見たような気がする。でも、積極的に思い出すことはしないでおいた。
 私は林のような展示品の列から抜け出して、玉座の方へするりと歩んだ。背もたれ側だったので、半周回って正面へ移動する。そうして座っているかつての王さまの姿を思い浮かべてみようと、顔を上げた。すると、誰かが座っていた。誰かというか、少年が。  少年と目が合った。 「あ」  彼はばつの悪そうな顔をした。私の卓越した想像力が遂にリアルな像を結んだのかと疑ったが、そうではなさそうだ。彼はひょいと玉座から飛び降りると、私の方を向いて「これは、見なかったことに」と言った。
「いや、ちょっと待って」  そのまま去ろうとした彼を引き止めて、私は半袖の裾をつまんだ。つまんだつもりで引き止めきれずに指から抜けていったのはご愛敬だ。親指と人差し指で人一人の動きを静止できると思うなよ。それでも彼は律儀に立ち止まってくれた。訝しげにこちらを伺うような目つきを投げかけている。訝しむのはこっちだっつの。 「何してたの」  喉が思ったより緊張していて、まるで詰問するような話し方になってしまった。少し失敗したと思うが、仕方がない。「座って���、いいやつだったっけ」
 彼は少し様子を見るように黙っていたが、すぐに口を開いた。 「いや、そんなことはないと思いますよ。展示品には触れないように書いてあるし」  少し低めの、しかしよく通る声だった。彼は学生服を着ていた。それも、街の端の方にある私立高校のものだ。肩の青い意匠が独特で見間違えようがなかった。お堅い感じの校風で、偏差値も高いので名前はよく聞く。
「学校帰り、です、か? どうして座っていたの」  初対面なのだし、敬語の方が良いのだろうか。先程の意図せず尖ってしまった口調もリカバーしたい。普段脊髄で生きている私は脳を使ったので舌を噛んだ。 「あれは俺の椅子ですから。でも、確かに今は博物館が所有しているものだから、こっそりとやっていました」  見つかったけど。と、彼は肩を竦めた。 「きみの椅子?」 「そう、俺の」  軽く頷いて、彼は悪戯っぽく笑った。「俺は王族ですから」
 私は変わった話が大好きだ。不思議な体験談、とんでもない大法螺、うますぎる話、それから時には怪談。初めて自分の部屋にインターネットを引いた時、日がな一日机の前で掲示板やブログを読み漁った。止めておけばいいのに、洒落にならないほど怖い話を読んでしまって夜に布団で震えたこともあった。
 図書館へ通って歴史上の逸話を探したりもした。美大に住み始めてからは、ふあふあ敷地内を彷徨っているだけで妙な話題には事欠かなかった。おかしなことをしでかしていない人間はいなかったからだ。夜な夜な座禅を組んで股間に花火を指して燃やしている先輩の話、数年間撮影し続けているとされる中央階段の定点カメラの話。誠に変わっていれば変わっているほどめでたいもので、私とてあやかろうとアルビノのヘビの皮を集めて寮の廊下に干したところ、隣の住人に燃やされてしまった。展開として面白すぎたので、百点満点の出来事だった。
 今日、私は新たな変わった話を見つけた。平日の博物館で玉座に座る高校生。しかも自称王族。これを逃したらダメな気がする。私の魂が「面白そうな話には飛びつけ」と踊り狂っていた。しからば飛びつくのである。
「ケーキセット、ふたつで」  逃げようとする彼を必死で引っ掴み、ロビーを挟んで反対側の隅にあるミュージアムカフェへと連れ込んだ。ここは入館料を支払わなくても食事だけで利用をすることができ、展示ブースよりは人で賑わっていた。
「俺はお暇したいんだけどなあ」 「そう言わず、ちょっとだけ。奢るから」 「そういう問題じゃないんだけど」  やがて注文したものが運ばれてきて、紅茶とケーキとが机の上に置かれた。私はチョコレートケーキにして、彼はチーズケーキを選んだ。私は紅茶にだばだばとミルクを注ぎ、オレンジ色の液体が白と混ざっていくのを観察した。
「何をそんなに聞きたいんです」  彼はじっとりとした目で私を見つめ、紅茶には何も入れずに口をつけて啜った。「俺は何も面白い話はしないよ」 「さっきの話をしてほしいの。椅子の。あれはきみのだって。どういうこと?」  私は更に角砂糖を三つ追加して紅茶をぐるぐるとかき混ぜた。
「そのままの意味だってば」 「あれって本当なの」 「さあ、それはどうでしょう」 「あんまりそういうことばっかり言うと、監視員さんにさっきの所業言いつけてやる」 「うわ、最悪だな」  彼は苦い顔をし、もう一度紅茶を啜ってティーカップを置いた。滑らかで美しい所作だった。
「俺はここの王族で、まあ近々祖父から位を継ぐだろうってことになりました。最近はそれで色々と立て込んでいたので、つい出来心が起きて、たまには座り心地ぐらい確かめてもいいだろうと」 「何だそれ。継ぐって何、王位? きみはもしかして、VIP?」 「違います。もう併合の時に王統は廃絶しているので。勝手に身内でやってるだけですよ、今は」
 彼はティーポットから紅茶を注ぎ足し、カップのハンドルをつまんで持ち上げ、香りを嗅ぐように目を閉じた。 「話は以上。これで満足ですか?」 「すごい」  私はケーキを精密に二等分し、半分をフォークで刺して一気に食べた。 「それが本当だったら、きみは物凄い有名人ってことになるね。王様の一族ってことは、あれ、名字は何だっけ。調べたら出てくるかな」 「忘れてるならそのままにしてください。調べなくていい、俺も教えない」 「意地悪」
 彼は聞こえないふりをし、涼しい顔で紅茶を啜ってケーキを食べた。 「それから、俺の言うことを信用しないことです。俺は嘘しか言わない」 「いや、いや。でも、きみの顔は見たことある気がしてきたもの。ニュースか何かに出たんじゃない?」 「気のせいではないですか」 「そんなことはないと思う」
 記憶とよく照合しようとして、じっとりと顔を睨みつけたところ、彼はそっぽを向いてしまった。窓から入ってくる午後の日差しが彼の瞳を複雑に光らせていた。その時にやっと気が付いたのだが、彼は鮮やかな青色の目をしていた。
 二人して注文のケーキセットを食べ終えたあと、支払いに関して戦闘が発生した。「連れ込んだのはこちらなのだから」と私は全額持とうとした。それに対し、彼は「よく分からない人から受け取るケーキはありません」と財布を展開した。
「私はこんなんでも二十二です。高校生に払わせるやつがあるか」と抵抗すると、彼も「ならこちらこそ、庶民から施される謂れはない」と呼応した。しょうむない応酬の末、「献上って言葉があるじゃない」と叫ぶ私の脇を巧みにすり抜けた彼がレジに伝票を叩きつけて「別々で」と宣言してしまったので、私は敗北した。
 カフェを後にし、私たちは博物館の廊下に出た。相変わらず人影はまばらだ。 「ここにはよく来るの?」  私が尋ねると、彼はつやつやの黒髪を揺らして振り返った。少し考えるような間の後、「いいえ」と返事があった。 「たまたま?」 「そうです、本当にたまたま。来ないと言えば嘘ですが、年に一度来るか来ないか……」 「ふうん、残念。ここに来たらまた会えるかと思ったのに」 「ぞっとしませんねえ。俺は見せ物じゃないよ」 「ねえ、連絡先とか交換しない?」 「お断りします」 「けち!」
 私はせっせと悪態をつき、彼は素知らぬふうで歩き続けた。廊下を渡ってロビーへと戻る途中、ここは自分の曽祖父が在位していた時に建てられた日本の総督府を使っているだの、この階段で併合の視察に訪れた首相が転んだだの、そんな話をした。 「また信じるなとか意地の悪いことを言うのでしょう」 「よく分かりましたね。俺を信じてはいけないですよ」  彼はそのままロビーを出て、博物館を後にしようとした。さすがにいつまでも引き留めることは無理なので、せめてメールだけでもとしつこく頼み込んだ。 「やめておきます」
 彼は石の階段を下り、足早に歩き始めた。私も慌てて着いていく。広い歩道の街路樹で、まだあの気の早いセミが鳴いていた。 「本当に、どうしても、だめでしょーか」  私は後ろから肩越しに話しかけた。惜しくはあったけれど、もう一度断られたら、いい加減退散するつもりだった。すると彼は立ち止まって、すっと息を吸った。
「一つだけ本当のことを教えてあげましょう」  そうして不敵に笑むと、「俺は陸上部」と一言残して弾けたように走り出した。反射的に足が動きかけたが、私は反スポーツ精神にかけては一家言あるので、すぐに思い留まった。かつて我が美大の一角にあるテニスコートを数十人で占拠、桃の苗木を植えて義兄弟の契りを結んだこともある。私に運動は向かないと、私はよく知っている。
 それに実際彼は素早く、もう人か車の陰に隠れて見えなくなっていた。  彼に関する手掛かりは何ら残らなかった。王さまの家を一族郎党検索し尽くしたら何か分かるかもしれない。真偽も含めて。高校に探しに行けばまた出くわすかもしれない。彼や、彼の友人に。
 しかし、分からないならそれで良いと思った。たぶん私が、本人のいないところでこれ以上情報を探し回ることは無いだろう。未知のものは未知のまま愛でるのが正しいやり方だ。今日はなんだか不思議な出来事があった。  それで百点満点だ。
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