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#踏台運動
hans-wig · 1 year
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逆轉肝癌腸癌、心肌梗塞!93歲奶奶靠這3件事重獲健康
逆轉肝癌腸癌、心肌梗塞!93歲奶奶靠這3件事重獲健康
新聞中心高鈺玫
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【早安健康/高鈺玫報導】現年93歲的日本料理研究家鈴木登紀子,在NHK的料理節目中連續登場40年以上,期間罹患了大腸癌、肝癌與心肌梗塞,仍平安抵抗病魔,快來看看她是透過什麼方法逆轉癌症與心肌梗塞,現在仍能健康又有活力地經營料理教室吧!
逆轉癌症與心肌梗塞的健康秘訣
鈴木登紀子熱愛料理,即使現年已93歲,在家經營料理教室時,一個月卻有10天可以連續站上5個小時,也不覺得疲累!很難想像元氣滿滿的她卻曾經因癌症的關係反覆進出醫院吧?
鈴木登紀子數年前被診斷出肝癌後,每年都會定期到醫院入院檢查,除了進行雷射手術外,幾乎沒有使用抗癌藥物,每一次入院檢查結束後,都會與家人一同品嚐美食後再回家。有一次檢查時,醫生甚至歪著頭疑惑地說著,「怎麼腫瘤都消失地無影無蹤了?」。
同時對抗三種重病,鈴木登紀子究竟是透過什麼方式,逆轉疾病重獲健康呢?
長壽、不生病秘訣1-吃肉、少鹽
「好好地吃飯是活著的證明!」鈴木登紀子發自內心地說著,吃著美味的料理,便能輕鬆且愉悅地補充每日所需的營養,鈴木登紀子還曾提到,在住院期間因醫院的餐食瘦下將近10公斤,但回到家一個月後,便回復到原本的體重了。
(1)每周補充1~2次肉類 鈴木登紀子提到,雖然平時會均衡攝取當季蔬菜、魚與乳製品,但最能恢復元氣的仍是肉類,每周吃1~2次,而一次約100克,就能補充老年人容易不足的蛋白質、鐵質與維生素。
(2)減鹽飲食 如果鹽分攝取太多,除了水腫、高血壓外,甚至可能會增加心血管疾病的機率,鈴木登紀子便提到,善用自製高湯與白芝麻等食材增加料理的多重風味,即可減少鹽分的攝取量,料理也不至於食之無味,而可讓食慾大增,從食物中充分攝取各項營養素。
長壽、不生病秘訣2-踏台運動
同時需要抵抗三種難治之症的病魔,鈴木登紀子的長女與女婿一同為她打造了獨一無二的踏台,可以訓練腿部與腹部肌肉,每天進行30~50回,即可增加核心肌肉,提高身體的基礎代謝,促進腸胃蠕動,還能改善便祕問題。
踏台運動怎麼做?
如果家中沒有踏台,則可利用家中的階梯、使用穩固不會搖晃的小椅凳,或是將紙箱塞滿報紙與書籍,製造出10~15公分的落差高度,就完成準備作業了!
左腳踩上踏台後,右腳接著踏上,當雙腳腳掌都完全踏在踏台上時,左腳踏下台階,右腳跟著下來。
接下來左右交換,讓右腳踏上台階後帶起左腳,再讓右腳先踏下台階,左腳跟著下來,如此重複循環即可。
來自https://www.edh.tw/article/19170/
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genkidesuka2022 · 2 years
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お手軽で効果的!自宅で簡単な運動 踏み台昇降運動
いざ、運動を始めようと思っても外は雨・・・。
外で運動は、健康維持の為にも重要です。
が、運動に適した日って年間に何日あるの?
仕事や学校、家事育児などしていたら外で運動なんて難しく感じてしまいますよね。
なら、外ではなく自宅で簡単。
多くの方が問題なく行えるエクササイズを一つ紹介したいと思います。目次
お手軽で効果的!自宅で気軽に出来るエクササイズ
お手軽で効果的!踏み台昇降運動の方法
踏み台昇降運動の方法1・準備
踏み台昇降運動の方法2・運動方法
踏み台昇降運動の方法3・ポイント
踏み台昇降運動の効果
踏み台昇降運動の効果1・大腰筋(背骨と骨盤、両足をつなぐ筋肉)
踏み台昇降運動の効果2・腹筋と背筋(体の中心となる体幹部分)
踏み台昇降運動の効果3・大腿四頭筋(太ももにある最も強くて大きい筋肉)
踏み台昇降運動の効果4・大殿筋(骨盤から太ももの骨に向かって伸びている筋肉)
最後に
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お手軽で効果的!自宅で気軽に出来るエクササイズ
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踏み台昇降とは、文字通り踏み台(段差)の上り下りをくりかえ��運動です。
もしかしたら、小学校時代に経験されたかも多いかと思います。
踏み台の高さを変えれば運動強度をコントロールできるので、低い段差で長めにエクササイズをして脂肪を燃焼させたり、高い段差で筋トレ効果を高めたりすることもできます。
自宅でテレビを見ながらでもできる手軽なエクササイズなので、走ったり筋トレしたりするのはどうもやる気が出ないという方にもおすすめです。
お手軽で効果的!踏み台昇降運動の方法
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踏み台昇降運動の方法1・準備
1. 踏み台を準備する 「踏み台」というと大きな段差を想像しがちですが、15cm程度の台で問題ありません。
ご自宅に階段があるなら階段の一番したの段を活用するのもお勧めです。
筋肉をつけたい場合はそれ以上の台を使うのも効果的です。
しかし体力や運動歴によって調整したほうがよいので、ご自分にあった高さを無理せずに試せれば理想的です。
そして一番大切なのは、丈夫で安定した台を選んで下さい。
2. 準備運動を行う 踏み台昇降は簡単な運動ですがけがの予防のため、簡単な準備運動をしましょう。
腰・太もも・ヒザ・ふくらはぎ・足首などを使いますので、体を前後に曲げる運動・屈伸などを行っておきます。 
ラジオ体操などがお勧めです。
踏み台昇降運動の方法2・運動方法
運動の目安:5~10分くらいから始め、徐々にのばしていきましょう
1. 踏み台を、安定した場所に設置する
2. 踏み台の真ん中あたりに立ち、一歩ずつ確実に昇り降りを繰り返す このとき、踏み台の端ではなく、真ん中に立つようにしましょう。
端に昇る癖がつくと、リズムに乗った時などに、踏み外してしまうことがありますので注意してくださいね。
踏み台昇降運動の方法3・ポイント
顔は正面を向き、一歩一歩踏みしめるイメージで行いましょう。
慣れてきたら、お部屋の広さがあるならダンベルを持つ・大きく動く(手をふる・足幅を広める)・スピードアップするなど工夫をするのもおすすめです。
踏み台昇降運動の効果
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踏み台昇降は有酸素運動として脂肪燃焼に効果があります。
加えて、筋肉も鍛えられることで次のような効果も期待できます。
踏み台昇降運動の効果1・大腰筋(背骨と骨盤、両足をつなぐ筋肉)
ゆがんだ骨盤を正常の位置に戻し、姿勢をよくします。ウエストを引き締める効果も。
踏み台昇降運動の効果2・腹筋と背筋(体の中心となる体幹部分)
腹筋と背筋を鍛えることで腰痛予防になり、姿勢がよくなります。
また、腸を支える筋肉が強まり、便秘解消も期待できます。
踏み台昇降運動の効果3・大腿四頭筋(太ももにある最も強くて大きい筋肉)
歩くときや立ったり座ったりするときに重要となる筋肉で、鍛えることによりむくみを解消、しなやかな脚に。
踏み台昇降運動の効果4・大殿筋(骨盤から太ももの骨に向かって伸びている筋肉)
お尻のあたりの組織を正常な位置に保ち、ヒップアップの効果が期待できます。
最後に
踏み台昇降運動を行う際には、以下の点に注意が必要です。
正しいフォームを心がけましょう。
心臓や血圧に不安がある方や持病がある方は、主治医の方と相談の上、行いましょう。
ヒザや腰に痛みを感じたら、決して無理をしないように心がけましょう。
これらの点に注意して、踏み台昇降運動でリバウンドしにくい健康的な体を作りを始めてみませんか?
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castatratewriter520 · 3 months
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閹奴鑑定科(一)
在一個有著明顯階級制度的眾國,人的階級被區分五等,博學派、無畏派、神諭派、容言派、工藝派等五類,透過測定系統與學校的相互評分下,所有人都會被區分出屬於自己的派系,博學派如同其他國家的從政人士,無畏派如同其他國家的軍人、警察等身份,神諭派則如同教宗一樣,容言派則是慈善事業和動保協會,而工藝派則是有著藝術、設計、營建、水利等相當多元的屬性,但是也有一些人無法被系統解讀,而當系統無法判斷出派系時,則仰賴學校的內部評分而加以分析判定,以避免學生的資格被剝奪,當有學生無法被判定派系的時候,則會成為一個國家裡,最底層的存在,無法享有社會的福利政策、也無法擔任任何工作,只能在黑市裡過著人不像人鬼不像鬼的生活,但是政府為了解決這些遊民的問題,於是決定,當有學生成為無派系的人,可以讓所有派系的人領回擔任家中的奴隸,由於無派系的人本來就不多,所以在市場上可以說是供不應求,有錢也不一定可以得到一位,眾國也因此解決了遊民的問題,而無派系的人為什麼無法享有任何社會權利呢,因為這類型的人,學校學習不行或是體能不好、或是先天有基因的缺陷等諸多因素影響下,系統將無法做出正確的判斷,所以才需要後續的人工測定,而眾國為了徹底解決人口基因的問題,因此只要被判定是無派系,就必須在判定成立後,三天內完成此人的閹割手術,這在眾國可是一件非常屈辱的事情,而所有人都判定時間都在年滿15歲的時候,拿著通知單到鑑定機構實施鑑定,當鑑定機構無法判定時,則會申請在校成績作人工判定,所以很多有權勢地位的人,都會買通鑑定官,避免自己的孩子成為無派者,但是沒有錢的人就只能靠自己努力了。
今年準備滿15歲的瑋哲,家中是排行第三,前面的哥哥和姊姊都被判定為容言派和無畏派,而爸媽都是工藝派,平時在學校學習成績普通的瑋哲,心想自己再怎麼樣都會有一個派系,所以根本也不怎麼在乎在校成績,時常下課就是約班上同學打球,瑋哲在校的女人緣非常好,愛打籃球的他,性格陽光且臉蛋帥氣,還沒滿15歲,身高已經有175公分,而他也有一個非常喜歡的女生,那位女生是瑋哲的同班同學,名叫子悠,他們約好國中畢業後也要一起去讀同一所高中,而子悠其實也對瑋哲有好感,兩人常常放學就到處玩,子悠的在校成績優異,不論是學科、體能方面都很不錯,而瑋哲除了體能很不錯,其他的都在及格邊緣,但是瑋哲一點也不擔心,他心想自己應該會是無畏派的吧,畢竟自己那麼熱愛體能的運動,就在快滿15歲的前一週,瑋哲收到了通知單,要瑋哲於當週的星期五0800前往鑑定,一個人一生中最重要的時刻到了,瑋哲信心滿滿,一走進來鑑定中心,他遇到了很多跟他同年紀的人,不論是男生女生,所有人都被安排坐在指定的位置上,很多都是同校的同學,所以彼此之間都還有一點認識,很快的鑑定就開始了,所有人都開始一個一個被叫進鑑定室,每個人鑑定完,牆上的螢幕就會顯示自己的派系,依序排列下去,結果終於輪到了瑋哲,瑋哲進到了鑑定室,房間內就只有一台機器,只要將機器安裝在頭上,機器就會透過腦波來進行測試,結果系統螢幕出現error的畫面,鑑定官那同情的眼神看著瑋哲,非常難過的告訴瑋哲,系統判定你為無派者,不過你不用擔心,還可以透過人工方式判定,隨後系統調閱出了瑋哲的在校成績,讓一旁等待的瑋哲內心充滿不安,他的心裡頓時沒了辦法,只能等待鑑定官的審核報告,過了30分鐘後,已經等到如熱鍋上的螞蟻的瑋哲,焦急的問了鑑定官,結果如何,鑑定官一改剛剛溫柔的態度,踹了瑋哲的肚子,此時的瑋哲痛到只能坐在地上,鑑定官當著所有同學的面前說,這位瑋哲同學是個無派者,瑋哲流著委屈的眼淚,看著坐在位置上的所有人,每個同學都對他指指點點,但是多的都是對瑋哲的恥笑,還有很多言語的羞辱,瑋哲只能默默的從地上爬起來,鑑定官要他拿著地上的鑑定報告,到樓上的櫃台申請後續事宜,連學生都開始要他拿著鑑定報告趕快滾到樓上去,說看到他就覺得噁心,但是這就是無派者在眾國的地位,就是一隻任人踐踏的螻蟻,到了二樓的服務處,還有另一名鑑定完的男同學,他也是一直哭著,他說他的家人都是博學派的,但是他卻成了家族的恥辱,他覺得很不甘心,越說哭的越慘,這讓一旁的工作人員看不下去了,大聲呵斥要他閉嘴,當他拿著鑑定報告給櫃台小姐時,櫃台小姐也是一臉厭棄的要他選擇要做手術的醫院,而他選了一間離他家近的醫院,櫃台小姐查了一下該醫院的手術時程表,要他等一下就可以去做閹割手術,時間是下午兩點的,不准遲到,櫃台小姐看到瑋哲站在他的旁邊,也是態度非常差的說,你的報告呢,瑋哲謹慎的遞給她,櫃台小姐就叫瑋哲選醫院,瑋哲看了一下就選了跟那位男同學一樣的醫院,結果櫃台小姐說,這樣你們就一起過去吧,預約時間是4點,瑋哲拿著醫院的預約單跟他一起離開了鑑定中心。
此刻走出中心的瑋哲,完全失去了原本的活力,只有無止境的懊悔當初的自己為什麼不認真讀書呢,但是已經判定的人是沒有機會了,瑋哲跟他一起搭公車前往醫院,此刻的兩人都覺得所有人都在看他們,不過也只是心裡作用而已,沒有人知道他們是無派者,當瑋哲兩人抵達醫院時,他們覺得自己身為男人的日子已經結束了,剩下的只有屈辱,走進醫院時,醫院大廳旁有一個無派者的專區,沒有人願意和無派者一起在同一個區域看醫生,所以才會被區分開來,瑋哲兩人偷偷的走向無派者的掛號櫃台,櫃台小姐說你們是要掛什麼門診,瑋哲拿出自己的預約單給櫃台小姐,櫃台小姐對著瑋哲兩人說,很不幸你們成為無派者,不過別氣餒,生命總是會找到方向的,櫃台小姐收走了瑋哲兩人的預約單,要他們往後面的手術室報到,手術室裡的一名男護士走了出來,跟瑋哲兩人核對了資料後,要瑋哲兩人先到旁邊的廁所換上手術服,廁所裡面有免費的袋子可以讓你們裝自己的衣物,換好衣服之後就到手術室外面等,由於距離預約時間還很早,瑋哲兩人進到廁所裡面開始脫掉自己的衣服,瑋哲才知道原來另外一位男同學叫孝言,他是隔壁班的,瑋哲看著孝言的生殖器,已經有長了許多陰毛,瑋哲的發育比較快,陰毛已經相當濃密,孝言看著瑋哲的陰莖,他說你的竟然要被割掉了,你可是學校一堆女生的最愛,這些話讓瑋哲心裡又開始難受了,他原本打算跟子悠一起讀同間高中的,如今沒機會了,此時,孝言問瑋哲說要不要割掉前來個最後一次射精,瑋哲覺得這是個好主意,於是兩人開始在���所裡玩起自己的陰莖,很快兩個人就勃起了,孝言的陰莖大概12公分多,而瑋哲已經有14公分,這對於才剛發育不久的人來說,都是很不錯的尺寸,不過成為無派者,不光是陰莖,連睪丸都要割掉,從此成為別人的奴隸,而家中的父母則會得到一筆補償金,彌補自己的孩子再也不會回來的痛苦,兩個人在廁所裡打手槍打的很開心,孝言甚至提出幫瑋哲打手槍的請求,瑋哲這一刻也不在乎男女問題了,一口答應了,孝言蹲下去開始幫瑋哲口交,第一次被口交的瑋哲覺得很舒服,但是敏感的龜頭很快就讓瑋哲射出了一波一波的精液,孝言表示都最後一次了,這麼快就射了,瑋哲只是說我很緊張啦,接著換瑋哲替孝言口交,孝言反而花了一番功夫才射了出來,兩個人在廁所做了一下清洗之後,兩個人一起到了手術室外等待,手術室門打開了,醫生要兩個人一起進去,手術室的門再次關上,總共有兩個手術台,瑋哲跟孝言都分別躺上其中一台,先是確認了瑋哲與孝言的身份之後,醫生表示,此次手術不會使用任何的麻醉藥,第一是因為奴隸沒有資格使用麻醉藥,第二是為了讓你們徹底的感受自己身為奴隸的恥辱,所以所有過程都不會使用任何麻醉藥品,助手先將孝言和瑋哲的手腳都固定起來,並開始剃光孝言的陰毛,此時醫生指示剃陰毛的護士,剃完孝言的之後,先去幫瑋哲剃毛,不要拖太多時間,醫生表示他不想跟無派者待在同一個空間太久,醫生的話充滿著對無派者的歧視,但是眾國人從小到大都是被這樣教育的,如果瑋哲不是無派者,或許也會這樣對待無派者,醫生先挑選了孝言,拿起了一旁的手術刀,左手托著孝言的兩顆睪丸,捏了捏兩顆睪丸,接著就握著兩顆睪丸,手術刀一口氣割了下去,孝言發出了撕心裂肺的慘叫,手術刀一刀一刀的割,孝言因為疼痛的奮力掙扎著,隨著最後一小塊的陰囊被切斷,孝言已經完全被切除陰囊跟睪丸了,一坨紅色的肉塊被丟在器皿中,接著醫生沒有更換刀子依然拿著那把手術刀,抓起孝言的陰莖從根部劃了一圈,接著又是從根部一刀一刀的往下割,孝言的慘叫聲讓一旁待閹的瑋哲膽戰心驚,很快醫生就將孝言的陰莖割下來了,然後就開始製造一個新的尿道,縫合了傷口,孝言已經徹底的成為一個無派者,後續的清潔跟傷口包紮,由一旁的護士處理,醫生換了一副新的手套,朝瑋哲走了過來,此時的瑋哲簡直嚇得快尿出來了,醫生托起瑋哲的睪丸,感受著兩顆睪丸的滾動,接著握住了兩顆睪丸,醫生拿起手術刀,用力的往瑋哲的陰囊割了下去,立刻鮮血直流,瑋哲發出淒厲的慘叫,瑋哲可以感受到皮膚被切開,睪丸被切掉的疼痛,每一刀都是這樣的痛入心扉,瑋哲的睪丸被切除了,一坨紅色的肉塊被醫生丟到器皿裡面,那可是瑋哲的睪丸啊,接著就是陰莖的部分了,醫生抓起陰莖,沿著根部將皮劃開,接著醫生又開始一刀一刀的割掉瑋哲的陰莖,瑋哲再也沒有辦法忍受這樣的劇痛,整個人昏了過去,再一次醒��時,兩個人都已經在病房內,下體接了一條尿管,身上再也沒有了男人的生殖器官,醫生說,兩個人的手術費用都是政府支出,所以你們要保持感恩的心,之後努力的當個好奴隸,後天你們的家人會來帶你們回去,等待部門通知你們被誰買走了,好好珍惜跟家人最後相處的日子吧。
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europiumoon · 22 days
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禾乃登
「最近、〇〇さんはお米どうしてるの?)」と言う話題が上がる。その部分に関して、私は世間とは切り離されているからわからない。と、言っても自分が、自分の家族がお米を作っているから、困っていないっていうのが実情。ぶっちゃけ、去年できた新米?駒井?もう全然残ってるし、まぁ売っていないっていうのが大きいんだと思うんだけどね。タイトルの通り暦の上では秋になった。お米も収穫されて、だんだん解消されていくであろう。8月頭でも、なんだか7月より過ごしやすいかなぁって思ったけど、さっきニュースを見ていたら、観測120年の中で1番暑かった?らしい。平年より1.7度位高かったらしい。そりゃそうだよね、滝のような汗をいつも書くから、多汗症になってしまったんじゃないかってちょっとだけ不安に思った。まぁ今日も、9月になってから初めての平日で、外に出たら、8月よりも過ごしやすく、風も吹いていて、いつもより少し早く外に出たから、良い始まりかなぁって思ったんだけど、そんなこともなく目の前の踏切で、運転見合わせになってしまい、遅れてしまうかと思った。
9月になると、世間でも秋の話題がたくさん出てくる。月見バーガーに、お芋のフラペチーノ、栗ご飯、1杯秋を感じる。雑貨屋さんでは、金木犀の香りが漂っていて、なんだか寂しくなった。秋はなんだか寂しい。冬の方がもっと寂しいかもしれないけど、の秋の容器がなんとなくだけど、寂しさを思い出す。
先月末に、一足早く芸術の秋を女神と楽しんだ。ろくろの体験をした。台風と被ってしまうと予報が出ていたので、雨の中やらなきゃいけないのかなあってちょっと嫌だったけど、結局台風はノロノロ運転だったし、私たちがろくろ回している間、移動時間と雨は降らず、家にそれぞれ戻ってから雨が降り出したので、なんやかんやよかった。東京に戻ってきてから会う彼女は変わらず、美しく可憐で聡明で、私の憧れの人だった。夢のために学校に帰りたいた。彼女は、優秀な成績を残しているようで、短期留学をしようかなぁと目標を立てていて、かっこいいと思った。彼女がいるおかげで、私は頑張れるんだ。陶芸の話に戻り、私は小皿と小鉢、彼女は小皿を2枚作った。夕薬を塗ってくれるみたいで、3ヶ月程度で出来上がり家に届くらしい。私は小鉢にほうれん草を入れたいと思ったので、黄色山吹色をえらんだ。とても楽しみである。
その彼女とはまた明日会う。彼女のためにこっちに戻ってきたのは過言でない位ほんと。
芸術の秋には他にもあって、この前バブーシカを編み終わったので、今はクラッチバックを編んでいる。大きめのカバンを編むのは初めてなので、まだできないかなぁって思いながら作ってるんだけど、徐々に出来上がっている姿に愛情が湧く。早くできるといいなぁ。
今月には海外旅行が待っている。海外に住む友人に、会う約束をした。恋人にも了承得た。語録年の付き合いになるのかなあ。彼女に会うのはすごく楽しみ。ゲーム友達がこんなに続くと思わなかった。楽しむためにも、なぜか最近忙しい仕事を頑張ろうと思っている。
恋人が、お土産にういろうを買ってきてくれた。そのこと自体が嬉しくて、幸せに浸っていたら、案の定恋人は賞味期限当日にあれよ。あれよと忘れた。ういろうを持ってきた。私は白色のういろうが好き。そんな恋人と今日の帰り、たまたま同じタイミングになって一緒に帰った。電車の中で席が開くと、自分の席を確保していたのに、今までは。だけど、今日は珍しく私に席を譲ってくれた。感心感心。そんな彼に昨晩は絵本を読んだ読み聞かせかな。3本の金、髪の毛のお話と何か後気がする忘れちゃった。一応、写真日記を続けていて、昨日のスーパー行く前にエントランスに出た時、虹がかかっていた。思わず同じ居住区の同期に連絡を入れたけど、どうやらいなかったらしい。ハッピーを共有できる相手がいるといいね。そんなもんかなぁ。今日も言葉で文章を書いてみました。今日はとっても眠いので、添削せずそのまま載せます。余裕が出たら修正しときます。終わり
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そういえば、学会に恩師いた
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shihlun · 8 months
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大江健三郎 - 後退青年研究所(1960)
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黑暗的深淵在這個世界到處張著大口保持沉默。現實世界向遍布各處的深淵漏斗狀地傾斜,所以對傾斜敏感的人會不知不覺或者有意識地順首傾斜滑下去,墜入深淵黑暗的沉默之中,從而體驗現實世界裡的地獄。
我曾經像地獄把關人站在一個黑暗的深淵邊上,我所體會的對滑入深淵的漏斗狀傾斜的敏感,是指那些在政治或思想上道受過挫折的青年、心靈受到創傷的青年。當然,他們中的許多人在肉體上也有傷痕。
現實世界的一座地獄,即稱之為黑暗的深淵的話,就在大學旁邊不動產公司大樓三樓,房間總是亮堂堂的(啊,人為什麼自古以來就如此熱心努力使自己的周圍照得光明亮堂呢?人為什麼比野獸更強烈地討厭黑暗呢?我只是一個日本青年,不是基督教徒,對這些不感興趣,但每次一想到人對黑暗的恐懼,就想起「原罪」這個詞)。地上鋪著漆布,油光閃亮,不鏽鋼的辦公桌椅顯得清爽氣派,而且具有高效率,等待著合適能幹的主人。
但是,當我目送從走廊推門而入的挫折青年在回答我為了登記卡上的必要事項提出的、僅僅是卡片未曾明確記載但又必須記入卡片的簡單問題後,走進隔壁房間的時候,還是感覺到這間明亮的辦公室是地獄的一個入口。
隔壁房間有鬼嗎?有美國東郊的大學受過非常好的高等教育的嶄露頭角的年輕心理學家戈爾遜先生和擔任翻譯的東京女子大學學生在等待著。在思想或政治上受到挫折的青年邁出憂鬱的一步踏進這個房間,他們滿腦子苦惱,準備談談心裡話。我的大學同學把這間房間稱為「後退青年研究所」。其實正式名稱叫「戈爾遜訪談室」,英文縮寫為GIO。但沒有人稱呼它的正式名稱。結果戈爾遜先生的問題只提一個:「你為什麼後退了?」因為大家都是來談「自己為什麼年紀輕輕就後退了」的。
那個時期,是韓戰結束後相對穩定的時期,是學生運動處於如氣潭中間四陷的波谷時期。學生對社會的關懷表現在合唱俄羅斯民歌,在兩三年激烈動蕩的學生運動中受到創傷的學生重新回到學校,變得憂鬱苦悶,暗自舔著自己的傷口消磨時光。
於是,一個美國國籍的年輕學者就在東京大學旁創立了這家以遭受創傷的學生運動家為主要調查對象的研究所。它每天吸引不少所謂的後退學生。開始它只在校刊上刊登一則《戈爾遜先生恭候先前的學生運動活動家光臨!》的廣告,結果學生絡繹不絕。
我是在這兒打工的學生,今年剛剛二十歲,對青年神情憂鬱、臉色充滿抹不掉的髒垢的陰影般的苦悶可以說漠不關心,因此大概不會懷有同情之心。但如果GIO是對日本人炫耀優越者傲慢的那種研究所,我也不會接受接待戰戰兢兢地前來訴說自己內心陰暗的皺襞深處殘留的思想疙瘩的同胞這種工作,也許自己也會成為一個憂鬱症「病人」低垂頭把帽子貼在胸前排在長長的學生隊伍後面。
戈爾遜是個標準的開朗的美國人,雖然留著油煙色的短唇鬍,其實還不到三十歲,所以我在他這裡工作不覺得什麼強烈的自卑感。來日本的美國知識分子似乎要不是目空一切旁若無人或和藹可親寬厚溫敦,我們稱之為戈爾遜先生的這位芝加哥出生的社會心理學家可以說溫良敦厚的典型代表。
我現在還說不清楚戈爾遜先生為什麼跑到日本來調查受創傷學生的精神傾向,廣義地說,是否不少美國人在韓戰結束後很快就對日本學生的挫折心態發生興趣? 用美國社會心理學的方法調查日本學生,結果對美國人有什麼用?
一般認為,美國人的調查是為了加強在遠東地區進行反共宣傳的基礎的一項工作。這種看法多少令人信服,但就我所在的GIO來看,至少戈爾遜先生從未給我與反共宣傳有關的印象。
戈爾遜調查室每個月都把調查結果報回本國,但接收單位是不知道他業已畢業還是尚在就學的美國東部某大學研究所,好像與美國國務院、議會並沒有直接的聯繫。當然,我在這辦公室工作期間,出於一種自我厭惡的情緒,本來就對辦公室的性質、目的十分冷淡,也不想深入了解。我坐在辦公室裡,也和來訪的學生一樣,心情極其鬱悶,但出了大學教室門,會無緣無故地朝氣蓬勃、輕鬆愉快,有一種充滿希望的解放感。
我想擔任戈爾遜先生的翻譯兼打字員的女大學生也是如此的吧。在辦公室裡,我從未見過這個高挑細瘦的女大學生一絲平靜輕鬆的表情,但偶然在東京大學和東京女子大學共同舉辦的歌舞聯歡會上時看到她時,這位憂慮愁悶的我的同事簡直判若兩人,兩頰緋艷動人,興高采烈,歡聲笑語,像鳥鳴一樣尖聲歡笑。第二天,我懷著某種期待和莫名其妙害羞上班,出現在我面前的仍然是像內分泌失調似地愁眉苦臉的女大學生。
GIO的工作性質本身就極為憂鬱。 有一次戈爾遜先生說,日本的工作告一段落後打算去台灣或南韓從事同樣的工作,熱情動員我跟他一起去。那時候我很想試一試,甚至夢見自己在南韓調查受挫折的朝鮮青年,我不僅把戈爾遜先生的所有工作包攬下來,還手執鞭子像對待奴隸一樣抽打前來傾訴衷腸的青年,想來實在可笑。這也許是GIO表面上像穩重平靜的調查室,其實潛藏著將手指插進青年的傷口使勁摳攪脂肪、肉體的冷酷的一面的緣故,感覺在我的潛意識裡、在夢中重現出來。
我的工作是調查接受前來訪談的學生的履歷和訪談結束後付給學生報酬。酬金是採訪一小時五百日元。戈爾遜先生通常在發票上都寫採訪兩個小時,本來學生上學都有月票,無需交通費,但還是根據現住所到這兒的距離支付交通費,這對學生來說,是筆不壞的打工收入。但是,除了特殊情況外,這樣的「打工」只能申請一次,而且不是前不久積極參與學生運動後來倒退的這樣在思想上發生戲劇性轉變的人不要。因此,雖然不是想像的那麼難,確實比一般的打工不容易。
在GIO工作幾個月後,來訪的學生開始明顯減少,有時我的卡片上一天也沒登記一個學生的名字,戈爾遜先生無���事事,皺著眉頭像狗熊一樣悲傷地在屋裡轉來轉去。在這成績不佳的日子裡,只有翻譯兼打字員的女大學生絕不心慌意亂急躁氣惱,板板正正地端坐在桌前,閱讀袖珍本的《矛盾論》、《實踐論》。這不會讓別人覺得她思想上有所共鳴,因為那個時期,在女大學生中,毛澤東的書和羅曼羅蘭的書一樣風行。
沒有學生來的時候,戈爾遜先生就到傳達室和我聊天。他不和女大學生交談。她非常不愛說話,幾乎從不發表意見(這種徹底的沉默寡言使人覺得不正常,好像向戈爾遜先生發表見解自己也就成了前來訴說精神挫折的學生),戈爾遜先生對 她也有幾分發怵。我們一邊從辦公室窗子望著本鄉(本鄉,地名。東京大學位於此地一譯註)的大學裡高大的樹木,一邊盡量避開商業、日漸減少的後退青年的話題,漫無目的、天南海北地神聊起來。
透過這種無拘無束的漫談,我知道這個家庭一貧如洗的白人兒子靠獎學金上的大學,說不上天資聰穎才華橫溢,卻對日本的挫折青年極感興趣。一個二十八、九歲的美國青年選擇這個問題作為研究課題來到日本成立調查所,這本身就令人覺得他的精神構造不可思議有悖常規。我開始感覺到戈爾遜先生不是深淵的擁有者,而是被吸進這個現實世界的深淵裡的第一個墜落者。於是很自然地聯想到自己,我在自己的學生同胞前來訴說陰暗的情緒崩潰的外國人事務所裡工作,覺得有點近乎賣良為娼的人口販子、老鴇這樣卑鄙下賤,想起少年時光,雖然那時還是戰爭年代,對自己二十歲這個年紀依然懷抱著玫瑰色的幻想。但如今已經二十歲,而且是在和平時期,卻幹這種不清不白不三不四的差事,心頭充滿難以言狀的苦澀和自我厭惡。
可以跟我互相交流自我厭惡情緒的應該說是那個同樣打工的女大學生,但她整天愁容滿面,一有空就全神貫注地鑽進毛澤東的書裡,從不到我的屋子來走動。我一到裡屋,就不得不面對那些登記卡,被憂傷鬱悶的學生的形象擠壓得喘不過氣來,所以絕不會從我這邊推開女大學生房間的門,於是只好愁眉苦臉地和同樣愁眉苦臉的戈爾遜先生漫無邊際地神聊。啊,GIO簡直就是一座無比憂鬱的地獄!
正是在這種閒聊中,戈爾遜先生動員我在日本的工作結束後跟他一起去台灣或者韓國,也正是在這種倦怠鬱悶的時間裡,我從他不經意的動作的細微處覺察出 同性戀的傾向。他談到美國東部的鄉村小鎮,語調那麼親切眷戀,卻不遠萬裡跑到東方來,說不定是被流放到日本來的呢。外國人到大學的課餘打工科要求介紹擔任陪同聊天的人、導遊、翻譯的學生,大多都想藉此名義發展成同性戀對象。 外國人的這種別有用心現在已經變成常識了。我的一個朋友透過打工和一個外國貿易商搞上了同性戀,後來被貿易商拋棄,因此自殺。「被拋棄」這三個字是他寫在遺書裡的。這也是韓戰結束後那一陣子的事。
我和戈爾遜先生用低得能聽見隔壁翻書響動的聲音斷斷續續地聊長天,但雙方的心並沒有互相靠攏貼近。我用半瓶醋的英文跟美國人聊白開水淡而無味的閒天,覺得著急,深深地感嘆自已為什麼會在這裡幹這種事。我現在大體能體會到與美國人一起工作的日本人、尤其三十歲左右的婦女為什麼一天到晚裝模作樣矯揉造作大聲叫嚷的秘密。那些戴著很講究很派頭的眼鏡抹著大紅嘴唇以痙攣性地強調突出臉龐的女大學生們即將埋沒自己的空虛乏味的恍惚。她們和舊式婦女一樣,自我要求對工作奴隸般地逆來順受。
就我自己而言,當我看著和我相對而坐自由交談的這個美國人玻璃般透明而遲鈍呆滯的眼睛、像在果子凍上灑一層麵粉一樣發喧的胖臉和手背的皮膚、當細小的高鼻子、突然發出怪聲的嘴唇時,甚至神經質地想如果為了深入了解對方的思想情緒、為了在對方的臉上恢復人的統一感,簡單地說,如果為了發現我和對方之間人與人的聯繫,可以發展到同性戀關係。
我剛剛二十歲,從這個世界的幾乎一切追尋人與人的關係。而對年輕人來說,無論正常或變態的性關係,都是盲目地沉溺在令人感覺怪誕無序的他在之中的行為,都是賦予意義、制定秩序、變成如自己身體的一部分那樣親密的行為。如果我每天都和戈爾遜先生進行這樣百無聊賴的持續不斷的談話,我很可能要麼神經發作地和他同性戀,要麽神經發作地和他大吵一通辭去GIO的工作。
但是,在某月月初,由於上個月報回國內的調查數據實在缺少內容,本國給戈爾遜先生發來一封信指責他工作消極怠惰,信的措辭相當嚴厲。他早晨上班看了這封信後,一整個早上都在房間裡心煩意躁地急步轉圈。下午,戈爾遜先生終於下了決心,對全所人員,除清掃女工外、即我、女大學生及他本人就當前的困境發表演說。
戈爾遜先生的論點簡潔明快,本國要求他今後每個月提供上個月三倍資訊量的調查數據,如果不能保證這個基數,將解除他遠東研究員的職務。因此,我們必須提高效率。
怎麼提高效率?是在校刊上登更大的廣告,還是在校���貼廣告?《戈爾遜先生恭侯先前的學生運動活動家光臨!》
我針對戈爾遜先生的提問,發表意見說不能指望廣告的方法可以使狀況發生根本性的好轉,因為戈爾遜先生的後退青年研究所在學生中已經出名,即使出廣告,也不會有更多的精神挫折的新學生前來。
翻譯兼打字員的女大學生基本上同意我的意見,她認為即使我們在校內張貼廣告,再到處尋找可能會前來訴說自己精神受到創傷的青年,也不會像GIO調查初期那麼多。歸根究底,社會上並沒有存在很多「精神受創」的青年,並不是有無數的在學生運動中有過挫折體驗的青年在等待著GIO的召喚。大概已經見底了吧。
戈爾遜先生、我、翻譯兼打字員的女大學生心情憂鬱地討論了很久。戈爾遜先生不想現在離開日本,工作半途而廢回到美國意味著在大學裡謀不到一個好位置。 另外,我和女大學生都不想過早失去這份又安穩收入又可觀的打工。
越討論越覺得前途渺茫,大家陷於一籌莫展的時候,戈爾遜先生提出了妥協的方案。他說,下個月一個月大家好好幹,把成績提上去,全力以赴,做出好成績,就可以向國內提出報告說日本學生的調查已大體結束,這樣就會批准調到其他地方去。如果在成績惡劣、遭受批評的風頭上提出調任請求,會立即被炒魷魚,南韓與台灣就是別人的美差了。
我和女大學生覺得不是立刻丟掉飯碗,還有一個月的時間可以找別的打工。於是三個人一致決定大幹一個月全力進行調查提出高品質的工作報告。
但是,不找到幾個後退青年,我們連一張調查卡也填不了,寫報告更無從談起。 這時,我突然心血來潮,一個主意浮上心頭:我們可以製造後退青年、即心靈遭受創傷前來訴說苦惱的青年,簡單地說,就是隨心所欲地把一般青年當做後退青年,編造他們前來GIO訴說精神苦惱的假報告。說起來,這麼好的主意為什麼以前就沒想出來。我們以前聽過積極參與學生運動或黨的活動、後來遭受政治思想上的挫折的「心靈受創青年」訴說自己的真實感受。至少我和翻譯兼打字員的女大學生都聽過。「心靈受創青年」的訴說,連我們的心靈都感受到痛苦。「心靈受創青年」主動到GIO來訴說自己的內傷不僅僅要忍受痛苦,更是克服了巨大的心理障礙。其實,後退青年到GI0來本身就是極不正常的非人性的行為。
根據我的主意,只需要一般學生稍微做些表演就好。我目送這些青年走進隔壁房間接受調查時,不會覺得他們掉進黑暗的深淵而心頭難過,也不會從調查完畢出來的青年臉上看到遭受打擊一蹶不振的印象,或者由於說得太多而疲憊興奮得通紅的肌膚上出現後悔、自我厭惡這些陰暗憂鬱的污垢。因為這一切全是演戲。他們不是「心靈受創青年」。
於是我向戈爾遜先生保證我明天去大學找幾個調查應徵者來,一定是幾年前學生運動的積極分子、典型的後退青年。
第二天,我跑了一間又一間教室,還去研究室和課外小組活動室,說明我的宗旨。說是一般學生,其實對兩三年前的學生運動也很了解,而且全身都給人一種體驗過精神挫折的印象。應徵者很多,我從中挑了十個。他們都知道GIO。他們和我一樣,對後退青年研究所把他們演戲的錯誤數據信以真感到愉快。我們興高采烈七嘴八舌討論說,美國人以為能把自己的手指插進日本真正的「心靈受創青年」的傷口裡使勁摳攪,完全打錯了算盤,我們信口雌黃的遊戲奠定了他們學問的基礎。當天晚上,這十個學生去GIO的日期以及各自扮演的角色都安排妥當。
從下一周開始,GIO每天都是開業以來從未有過的充實豐富。戈爾遜先生情緒極佳,幾乎天天說終於採訪到了一直想見的典型的後退青年。我只是輕鬆地把巧妙玩弄訴說把戲的青年送進隔壁的房裡,心情十分舒暢。
但是,令我稍感不滿的是,翻譯兼打字員的女大學生出人意外地突然辭去工作,戈爾遜先生決定停止調查,立即整理報告。結果我預約的兩位表演者未能上場。
戈爾遜先生也寫了一份日本工作業結束,GIO現已關閉,待命調往他地的報告,隨同本月的統計報表送回。他也答應把女大學生的工作日期算到GIO關閉為止向國內申請特殊津貼。戈爾遜先生對這個月成功的調查充滿信心,相信他的報告將一鳴驚人,博得滿堂喝采。
戈爾遜先生最得意的是我的第七個表演者,這個學生個子矮小臉色淺黑長著猴子般的額頭。我對他說不上了解,但戈爾遜先生一採訪,立刻認定他是最典型的後退青年。後來才知道,翻譯兼打字員的女大學生也因為這第七個表演者才下定決心辭去工作的。
報告空郵出去以後,GIO立即關閉。那天晚上,我們三人小聚,戈爾遜先生問女大學生為什麼要辭去GIO的工作,她回答說實在不願意看見那種厚顏無恥的日本青年。我從容不迫地看著女大學生第一次展現的深切焦慮與悲哀,覺得很可笑。戈爾遜先生一臉困惑,但沒有平時那種難以捉摸的異常感覺,而是一個不諳世故的平凡普通的學者即將發作時的不悅表情。我甚至想知道那個猴子額頭的第七個學生是怎麼表演的。
我是在另一個完全出乎意外的地方知道第七個表演者的伎倆的。GIO關閉一星期後,我從日本發行量最大的報紙上讀到有關第七個表演者的文章,也刊登了他的照片。照片排在介紹GIO活動情況的文章中,戈爾遜先生笑嘻嘻地站在第七個表演者旁邊。這一定是採訪結束後翻譯兼打字員的女大學生照的。報紙說戈爾遜先生認為第七個學生、即A君是典型的後退青年,發現他是GIO調查的最大收穫。報紙引用調查卡的記載這樣報道A君成為後退青年的經過。
A是日本共產黨東京大學支部的成員,但被懷疑為特務,慘遭監禁拷打,小手指頭第二關節被切斷,最後被開除出黨,戀人也離他而去。於是他主動向富士警署的某警察提供情報。但是他已經離開學生運動,情報沒有太大價值,當特務也沒資格。現在他非常孤獨。他恨先前的夥伴,是他們使他遭受巨大的挫折,但他的特務嫌疑問題似乎是一個背叛的同夥告的密。戈爾遜先生把A視為日本左翼學生後退的一個典型。
我覺得絕望的黑暗深淵正吞沒照片上與戈爾遜先生並排站立的、猴子一樣微笑著的第七個學生。我的身體開始顫抖,渴望確認自己在第七個學生不幸之外。我使勁從黑暗熱昏的腦子裡把女大學生的「那種厚顏無恥的日本青年⋯⋯」驅逐出去。
冬天。第五堂課結束時,整個大學籠罩著寒氣逼人的蒼茫暮色。我彎腰縮脖地走出大門,突然看見一個躲在電線桿後面的矮小男人用手套遮著側臉朝我走來。我們默默地沿著大學的磚牆在昏黑中並肩走著。
「本來打算鬧著玩的。」第七個學生萎靡不振地說,「我隨口胡編亂造,沒想到報上登出來了。」
「我也沒想到。」我陷入束手無策的困境,說,「向戈爾遜先生提抗議去。」
「已經提抗議了,我要求他撤回報道,但他不同意。他說報紙報道的內容,既有錄音又有證人,不能撤回。我說那是我鬧著玩的,是信口開河、胡說八道。 但他說不管你鬧著玩也好,胡說八道也好,你說的內容很有意義。」
戈爾遜先生淡灰色的明亮的眼睛、細小的高鼻樑、胖乎乎的粉紅色皮膚立刻統一成一個傲慢的形象浮現在我的眼前,冷酷無情地把一籌莫展驚恐害怕的猴額頭青年猛力推開。我把自己融化在戈爾遜先生傲慢的形象後面,突然變得從容冷漠。
「其實報上的照片很模糊,能認出是你的不就是幾個親近的人嗎?既然是十分親近的人,對他們解釋這是一場玩鬧,大家哈哈一笑不就過去了嗎?」
「不行呀。就說我的戀人吧,看了報紙以後看我的眼神都不對了。」猴額頭的小個子把他的左手伸過來。
我看見他小手指第二關節被切斷了。我一陣難過,停下腳步。他像受欺負的小孩一樣眼睛直勾勾地盯著我,左手戳在我的眼前。 我看著馬路上過來的公車,準備上車。
「戈爾遜先生答應一個月以後在報上發表更正啟事,而且把錄音帶還給我。你也幫我記著。好嗎?我幹嘛說那麼多呢?莫名其妙。」
汽車停下來,我上了車。我擔心他跟上來,但似乎他只是在黑暗中看著我離去。 我終於鬆了一口氣,但我也不明白他為什麼要說那麼多。我至今也沒弄清楚。一個月後,戈爾遜先生的報告受到高度評價被調任為歐洲研究所。即使他在報紙上發表「內容與事實不符」的更正啟事,也毫不影響他前往歐洲赴任。但是他並沒有發表更正啟事,在我和女大學生的送行下,從羽田機場飛走了,因為第七個學生一個月後沒有再去找他。戈爾遜先生託我把錄音帶還給第七個學生,但至今仍保存在我這裡。我想起戈爾遜先生把錄音帶交給我的時候說的一句註釋性的話:「他是一個典型的後退青年!」
於是,我感覺到身邊的現實世界到處都是滑入默默張著大嘴的黑暗深淵的漏斗狀斜面。
(鄭民欽 譯)
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kaoriof · 4 months
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていく���ォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのと��んなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂��な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒��っきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできな���なってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。��れなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を���りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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kennak · 1 month
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宅配便業界最大手である「ヤマト運輸」の倉庫で働く正社員の男性(55歳)が、会社に対し熱中症対策が不十分だとして改善を求め、8月19日に1人でストライキを決行。同日、東京都内で記者会見を行った。 男性が働く兵庫県内の倉庫は、18台の車が停車できる大きな営業所だというが、建物の構造上、風通しが悪く、外壁が金属パネルで熱を持ち、さらに窓がさびていて半分程度しか開かない状態だという。 男性によれば、最大40度まで計測できる気温計が40度に振り切れ、熱中症指数が「危険」を指している日もあったという。しかし、当時実施されていた熱中症対策は、塩あめの配布と、業務用扇風機1台、スポットクーラー2台、ウォーターサーバーの設置のみだった。 団体交渉で“改善”も…ストライキに踏み切った理由 すでに行われた男性側とヤマト運輸側の団体交渉により、業務用扇風機とスポットクーラー2台の追加導入およびさびついた窓の修繕などは約束されたが、男性は十分ではないとして、さらに以下の対策を求めストライキに踏み切った。 ①倉庫内でつけっぱなしにすることで温度上昇をもたらしている配達車のエンジンを可能な限り切ること。 ②倉庫内の温度・熱中症指数を記録、管理すること。 ③空調服、首に巻く扇風機、スポーツドリンクなどの支給および、通風または冷房設備の充実。 ④労働者の健康状態の確認、安全衛生教育の実施、応急処置の流れの共有をすること。 ⑤全社的な熱中症対策の実態調査。 男性を支援する労働組合「総合サポートユニオン」の佐藤学氏は会見で、「物流で社会を支えるエッセンシャルワーカーが、命を危険にさらされながら働いている実態がある」として、ヤマト運輸に対し全社的な改善を求めた。 吐き気や立ちくらみ「通り越している」 配送ドライバーとしてヤマト運輸に25年以上勤務していた男性は、昨年8月中旬から倉庫勤務に異動。倉庫内を回り荷物の仕分けなどを行う業務をしているが、今年の6月末頃から倉庫内の暑さを感じ、7月には倉庫内の気温計も40度を示すようになっていた。男性が慢性的な頭痛などを抱えて8月に病院を受診した際には、医師から熱中症と診断されたという。 「とにかく暑さがひどく、ヘルメットをかぶっているのであせもも治りません。吐き気や立ちくらみはもうとっくに��り越していて、慢性的に頭が痛い状態を薬で散らしながらなんとかやっています。倉庫内の労働環境がいかにひどいかを会社にも知っていただきたく団体交渉を求めました」 しかし、7月23日に男性側が団体交渉を求めると、営業所から気温計が撤去されたという。 8月9日に行われた団体交渉では、ヤマト側は気温計について「壊れていて、最大でも36度だった」等と主張。しかし、実際の倉庫内が何度だったのかについて、ヤマト側は記録を残していなかった。 また、倉庫内の温度上昇は、配達車のエンジンをかけっぱなしにしていることが原因のひとつだとして、男性はエンジンを切ることを求めた。ところが、ヤマト運輸のサービスである「クール宅急便」のためには一部の配達車のエンジンを切ることができないため「クール宅急便がある以上は仕方がない」との回答だったという。 しかし、倉庫の管理者によっては、作業する労働者がいるときは「できる限り」エンジンを切るよう呼びかける人もいるといい、同じヤマト運輸の倉庫であっても管理者によって労働環境が異なる実態もあるという。
「ヤマト運輸」倉庫で働く社員が“熱中症対策”求め一人ストライキ決行 佐川は空調服「支給」、ヤマトは「自腹」の環境差も(弁護士JPニュース) - Yahoo!ニュース
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ari0921 · 6 months
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「もしトラ」でなく「ほんトラ」に備えよ
            櫻井よしこ
本当にトランプ氏が戻ってくる。
去年9月末に米軍の統合参謀本部議長を退いたマーク・ミリー氏の長時間インタビューを、雑誌『アトランティック』(2023年11月号)で読んだ。元陸上幕僚長の岩田清文氏の強い勧めによる。
トランプ、バイデン両氏に仕えたミリー氏は少なからぬ米軍人がそうであるように日本との関連も深い。父親は硫黄島とサイパンで日本軍と戦った。熾烈な戦いだった。80代になり、パーキンソン病を患った父は、苛烈な戦いの記憶に悩まされることがある。「ジャップが来た。逃げろ、早く逃げろ」と叫ぶ。その度にミリー氏は「大丈夫だ。我々は勝ったんだ。今、僕たちはカナダとの国境に近い東部にいる」と語りかけて、父親を落ち着かせるそうだ。
ミリー氏は15年に陸軍参謀総長に、19年9月にトランプ政権の統合参謀本部議長に就任、21年1月の政権交代までトランプ政権の下で1年4か月をすごし、その後、バイデン政権でも同じ地位にとどまった。退官が23年9月末だったことはすでに述べた。
一方、トランプ氏は20年11月の大統領選挙でバイデン氏に敗北したが、その結果を受け入れず、勝利は盗まれたのだと、今でも主張する。敗北当時、どうしても大統領職にとどまりたかったトランプ氏は熱烈な支援者たちに呼びかけて米国議会に乱入させるなどして、この3年余り、一連の事案で係争中だ。
ミリー氏の回想は日本にとって幾重にも教訓となる。現状を見れば、トランプ氏の再選を前提にしてわが国の外交・安全保障政策を準備しなければならないのは明らかだ。
今更ではあるが、トランプ氏の大統領としての資質に、当時の側近の多くが疑問を抱いたことに、まずアトランティック誌は焦点を当てている。たとえば、17年~18年に大統領首席補佐官としてトランプ氏に仕えたジョン・ケリー氏と、トランプ政権の最初の国防長官、ジェームス・マティス氏の秘かなる相互誓約である。両氏は「大統領を監督できない状況を作らないために、どんな時も2人同時に国を離れることのないようにする」と誓約し合った。
つまり、大統領が突然、軍を好きに動かせないように見張っておく必要を感じていたというのだ。
「クレイジーなことはしない」
米国では20年5月に黒人のジョージ・フロイド氏が警官に首を圧迫されて死亡、そのあとBLM(黒人の命も大切だ)運動が全米に広がった。その年の11月にはトランプ氏の再選をかけた選挙が行われる。トランプ氏の周りにはBLMに代表される極端な左翼運動に強い敵意を抱く人々が少なくなかった。彼らは「BLM運動の左翼活動家が米国を燃やし尽くします」というような極論をトランプ氏に吹き込んだという。そうした見方に影響されたトランプ氏が自らの求心力を高めるために危機を創出する、
たとえば他国への攻撃に踏み切りかねないという懸念が浮上した。そのひとつがイラン攻撃の議論だ。
大統領選挙前にトランプ政権の下でアメリカの国論をひとつにまとめる一手として、核兵器製造作業をやめないイランを攻撃すべきだという声があった。一方で大規模な先制攻撃は正当化されないというミリー氏らに代表される反対論も強く、ホワイトハウスは二分されていた。
もうひとつが中国だ。当時、「中国はトランプ氏が武力攻撃をかけてくると信じている」とのインテリジェンス情報を、米国側が入手した。そこでミリー氏は大統領選挙投票日直前の20年10月30日、人民解放軍(PLA)の李作成・連合参謀部参謀長に電話をした。
ミリー氏はこう言ったそうだ。我々は5年来の知り合いだ。米国政府は安定しており、全てはコントロールされている。もし、我々が攻撃する場合、私が事前に貴方に通報する。万が一、米中間に物理的攻撃(kinetic action)が起きても、歴史が示すように必ず、再建されるだろう、と。
ミリー氏は21年1月8日、中国に2度目の電話をかけている。1月6日にトランプ氏の熱烈な支持者らが米国議事堂に乱入したその2日後だ。民主主義だから色々あるが、米国は大丈夫だと伝えたとされている。いずれの電話も国防長官、国務省、CIAなどの了承を得て、会話は彼らも聞いている中で進行した。
21年1月の議会乱入の後、ナンシー・ペロシ下院議長がミリー氏に電話をかけた。ペロシ氏は「トランプは狂っている。貴方もそのことは分かっているでしょう。米国の核はきちんと保管されているか」と尋ねたそうだ。トランプ氏への評価に関して、ミリー氏はペロシ氏に同意し、「核を含む軍事力について、110%、違法なこと、クレイジーなことはしないと約束する」と語った。
核の使用を単独で決定
この会話の直後、彼は核のオペレーションに関係する軍幹部全��を緊急招集した。氏は核攻撃がなされる場合の正規の手続きを改めて皆に徹底させたうえで、少しでも通常とは異なる異常事態が発生した場合、自身を含む全員が情報を共有しておかなければならない、と言い渡した。
大統領は核の使用を単独で決定できるが、実際の発射は実は一人ではできない。大統領が核攻撃を決断すると、その決定は国防長官に伝えられる。国防長官は戦略軍司令官に伝え、そこから基地の司令官に伝えられる。最後に、スイッチを押す兵士たちに命令が届く。
こうしてみると、統合参謀本部議長のミリー氏は右の指揮命令系統には入っていないことが分かる。それでもミリー氏は通常の状況を外れた事態が起きたら、全員がその情報を共有しなければならないと、核に関する部署の全員に言い渡した。危機感はそれほど強かったということだ。
ここまで読んだ読者の皆さんは、この雑誌アトランティックの記事はかなり強い反トランプの視点で書かれていることに気づくだろう。トランプ氏が再選されると、まるですぐに核が使用されかねないような印象を与えるかもしれない。そうはならないと私は思う。それでも今、私たちの地球社会が核の脅威に満ちていることへの懸念は強く持っている。
プーチン氏はウクライナでの核使用を14年のクリミア半島奪取のときから準備していた。氏自身がそのことを公表済みだ。北朝鮮は日本と韓国に対して核とミサイルを準備している。中国は台湾占領のために、台湾での核の使用も念頭に入れている。台湾有事は必ず日本有事に重なる。日本は中国の多層的ミサイル・核攻撃の標的であることを忘れてはならない。
ウクライナ侵略戦争の行方を他人事と考えてはならないように、核の被害を受けた日本だから核廃絶を声高に提唱するだけでよい、と思ってはならない。まず、世界で核・軍事力が実際にどのように使われようとしているか、現実を見て考えることがとても大事だ。
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yvvvvvvll · 2 months
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塙幸成の初恋を観て、岸が吸ってるから水色のハイライトを吸おうって思って買ったのに本当にまずくてしかも17ミリでしんどくて、岸にはなれなかった。
小池真理子のふたりの季節も学生運動らへんの話だったけどほんとにあの時代の学生ってすごくきれいに見えて羨ましい。
ずっと学生運動って美しく思えてたけど、なんも知らないだけなんだろうな。文学として、フィクションとして消費してるからこんなに羨ましいんだろう。初恋で、リョウが左翼学生にリンチされて内臓破裂でしんだ。それで気づいた。
リス園って小さい頃お母さんとお父さんは純粋にわたしたちを楽しませたくて連れてってくれたけど(いや違うかも…うちらめちゃくちゃ泣いてたのに、2人ともめちゃくちゃ面白がってたな…)、当時は本当に怖くて、午前中だとまだリスがお腹空かせてて体に何匹も上ってきてびびりすぎて動けなかったりしてたの。そのくせに午後行くとお腹いっぱいで一匹も寄ってこなくてなんもおもろくねえの。体登られたらちゃんとびびっちゃうくせに年中さんとかのわたしたち三兄弟は午後行くとなんかつまんなくて、リスにめちゃでかい態度とんの。防災頭巾みたいな素材のミトンみたいな手袋もう一回つけたいな
I don’t remember the date that we ate Ra-men.Sorry ...にゃるほどねん
サニバニもNENEもカラッとしたエロさでかっこいい。1番きれいな在り方な気する。なんも知らないみたいな顔して正方形みたいな態度で生きるよりきれいぽくて、そこ目指してみたい。
北海道行ったら楽しいかな♪♪☆→冬けっこう好きだしな。
がちでがんばれるのってほんとにこの一年が最後かもしれない。この一年踏ん張ったら得られるものって私がずっと欲しかったものかもしれない。さやと同等にはなすことも、恋人となんも後ろめたいことなく話すことも、今頑張らなかったらなくなっちゃう。常にある、相手がだれとか関係なく、「私と対峙する人間」というもの自体に、私が勝手に恥じてしまうようになるのだろう。このままいくと。一回本当に頑張ってみるから1番に私を私に応援してほしい。
伊藤健太郎系の顔がめっちゃ好みなんだってりきさんで気づいた。あのセンスも全部好き。恋人になりたいーーー
ユビワがストラップみたいになってるやつ⭐️ー!ただ、愛してるで宮崎あおいがつけてたやつ。なんか見覚えあんなと思ったら都立大でびっくりしちゃった。
蟲師オープニングきれいすぎて打越を思い出す。なんで?
今日初めて緊急地震速報を自分のスマホから聞いた。あの音自体が怖すぎて悲鳴がでた。揺れが大きすぎて、ああこういうふうになんも準備せずに、準備しなかったことを悔やむこともなくしぬのかもなって思った。
府中からわたしの最寄りまで30分話すためだけに来てくれてありがとう☆〜(ゝ。∂)おもろいけど経験だよねまさか自分があんなヤカラみたいな髪色の方とお付き合いするとはね!!髪色だけじゃないケド❕❕
バナナワニ園だれといけるのかな。ちゃんとさやのこと大切にして渋谷以外にも行けるようにしよう。あと金大切にしようウンウン
祭りの屋台でやきとり売ってるとき、できあがってるのが6本しかない時に10本ほしいお客さんきて、すみませんちょっと待っててくださいねって言って次の人受けたら6本で、そしたら10本のお客さんが「先出しちゃっていいですよ」っていってくれて、それだけですごく素敵なのに、そのあと10本焼き上がって「お待たせしましたすみません」って言ったら「できたてで嬉しいです」って言ってくれてほんとにかっこいい方で、大人ってこれやって思ったおおきに!
jellyってつづりかわいすぎる
岸のことすごい好きだけどそれはもちろん美鈴とセットでね                   そんで、俳優って自分が演った役全部を負うの大変だけどきちんと負ってほしい。あなたがそれを落っことすと役を好きな人全員が悲しみます。
大切に生きるってことは周りのことも大切にするってこと?かも  さやがめいのやなところは自分の人生をテキトーにしてるところって言ってた。たしかにさやにさやの人生テキトーにしてほしくない
鳥貴族に行ってモッツァレラチーズ揚げみたいなやつを食べたいだけなのに年確されるの悔しすぎる。なめないでください、あんな不味いもの好んで飲みませんヨョ
エェ💦
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lgbtqromance · 10 months
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出公差偶遇黝黑健壯大屌運動員
下了飞机,已经是深夜,我并没有像其他人那样有很强烈的高原反映,空旷的拉萨机场的广场上很多计程车在拉生意,我和随行的领导随意找了一辆夏利便走了,一路看着拉萨大街上的风景,我的心情格外的好,这是第一次来拉萨,我对这里个神祕的圣地很是好奇,这次来是藉领导的光,是打着考察的幌子来的拉萨,回去还要说上的青海!真是麻烦领导一下出租手机就响个不停,然后对我说:你随便找个地方住下吧!我们明天早上见,没有重要的事别打我电话!领导的事我也不好多问。
反正我自己也落个清闲自由,他走他的我玩我的,妈的!正值旅游高峰期的5月,拉萨的大饭店已经客满为患了,我拎着行李箱在拉萨陌生的街头上乱串,我看见前边有一个很暗的灯箱,上边写着:友谊旅店,我的眼睛放出了狼一样的光芒,我先前的疲惫和失落一扫而光,我很快的踏进了旅店的大厅,一个汉族中年男人睡眼朦胧的接待着我,没有身份证登记,只是交钱拿钥匙上楼那麽简单,穿过了狭窄的走廊我进了房间,房间很小,也很简陋,只有2张单人床,而且床的距离很近,墙壁隔音很不好,我听见隔壁电视机的声音很大,棚顶一颗昏黄的灯炮,光线暗得让我想睡觉,我问他:晚上有没有洗澡水,他说:有但是不是很热,你要是冲一冲到是可以的,我没理睬他,我不想给他好脸,我想夜里他要是给我房间塞小姐我就先一脚把他的下巴踢掉,况且本爷们我不好那一口哈哈~我收拾了一下行李,简单的洗了洗就回房间了,我推了几下房间的门没有推开,我记得我出去的时候门是虚掩的,因为我把行李都锁起来了,我有些急了,我和大声的喊:老闆!开门,快点~没等我话音落地,房门“咔”的一声打开了,我定睛一看,一个高高壮壮很帅的男人打开了房门,我看了看他,他看了看我,谁也没说话就进了房间,我刚洗过澡有点冷,我脱了睡衣就进了被窝,他坐在我床旁边的床看着电视,那和古董一样的熊猫牌电视还在哇啦哇啦的叫着,而且台很少,只有中央和拉萨地方台,我感觉电视节目很没劲,我就那出一本在飞机上没看完的书看起来,我仔细的打量着身边这个人,看样子也就是25、6岁,诗歌藏族人,由于高原的人皮肤黑红,而且和粗糙,所以他有点显老,身高很高足有180的样子,身材魁梧,而且好像是个当兵的,因为他上身迷彩背心下边迷彩军裤,透过迷彩背心我看见他宽阔的肩膀和厚实健壮的胸大肌,手臂很粗,而且血管很明显的鼓在皮肤的外边,全身都没有一丝赘肉!
他回过头看看我,我用书很快的把脸档住了,他和我说:看电是不一想你吧!(他的汉话很僵硬)我放下书笑着说:没事,(谁说没事我感觉很吵还有我很累)他说:怎麽能不吵到你呢,我关了,我看他把电视闭了,而且拿着毛巾和香皂就要走,我说:你东西收好,别丢了,我看他拿的东西很简单便又说:除了我的毛巾和牙刷之外你可以使我的香波和沐浴露!
他说:真不好意思,那我就使一点,我说:呵呵~使吧!没事的我不知道他什麽时候回来的,由于旅途疲顿我迷迷糊糊的睡了过去,等我再醒来看他已经坐在床上,拿着指甲刀剪着手指甲来,他回头看我醒了,就问我:等一下,我剪完就关灯,他黝黑英俊的脸庞上带着淳朴的笑容让我的心随着动了一下,他上身什麽都没穿,只是下身围了一个旅店准备的毯子,我看着还没乾的水珠在他上身黝黑健壮结实的肌肉上流下来,留下了一趟痕迹,我的小弟弟一下就硬了起来,他真得很健美,他的胳膊很粗肌肉发达,厚实的胸大肌上有着像绿豆一样大的乳头,我想着要是含在嘴里吸吮一定很爽,真不知道他生殖器能有多大,听说藏族男人的生殖器都很粗长的!
我的心又是一阵暗喜,我闭起眼睛睡了过去,这个旅店靠近公路,经常过车,弄得我时睡时不睡的,我翻过来翻过去的就是睡不着,我把身翻过他的方向,黑暗中我看见他也没有睡,而且他的被子起起伏伏,他的呼吸很粗重,我看不见他眼睛是否闭着,但是他的的腿一直伸得很直,我在心里断定:他在Sh?u淫!
我想到这里我的心跳得彷彿要在嗓子眼出来一样,我的鸡鸡也不知何时硬了起来,我穿的内裤很紧,包裹着坚硬的大鸡鸡很难受,我把手伸向里内裤,我开始用手隔着很有弹性面料的内裤揉捏起里边发热的阴茎来,我闭着眼睛感受着自慰的快感,我一直没有把内裤脱下来,我一直用手来回的在内裤的一大包上抚摩摩擦着,我感觉龟头流出来的爱液已经把内裤弄湿了,我感觉有一个东西已经伸进了我的被窝,我的手马上停了下来,那个东西伸进被卧之后活动得很慢,好像是在试探性的在进一步运动,方向是我这边,我感觉一双穿着很弹性丝袜的大脚终于蹭在了我的腿上,我的心好像停了一下,这双穿着丝袜的大脚很大,感觉肉呼呼的就触碰在我的腿上,穿着丝的脚底还湿腻腻的!
很慢很小心的在摩擦着我的小腿,我想他可能看见我用手摸鸡鸡了,要不他不能这麽大胆的挑逗我!
看见他把脚伸进我的被窝我的心里一直很高兴,我把手缓缓的伸下去,我抓住了这只又大又肥的穿着丝袜的大脚,确实是肉呼呼的,而且很长,用单隻手根本握不住这只脚的脚掌!
丝袜很小很薄由于脚很大袜子勉强套在这双大脚的脚踝下,我用手开始摸起这只脚来,丝袜包裹的感觉让我摸起来滑滑的,而且脚心上有很多茧!摸起来很粗!
他看我摸得有点吃力就把脚慢慢的伸得更往里一些,一直伸到我的鸡鸡处,然后压在鸡鸡上边,这样我就可以双手抱着这隻大脚,而他却因为这样的角度身体已经斜横在他的床上,脑袋也枕不住枕头了!
我双手抱住他的这只脚就往上拉,一直拉到我的胸前,他也很识趣的用他的这只脚开始摩擦起我的胸口来,脚趾还一伸一屈的挑逗着我的下巴,我对着他侧翻了一下身,这样我可以看见他,他也侧身面对我躺着,他的这只脚还在我的被窝里,我开始用鼻子去嗅这只脚,有种皮鞋和脚汗混合的馊味但是并不臭,(高原的人没有脚气)我开始用嘴亲吻起这隻大脚,突然他把脚抽了回去,然后他把手伸了过来,打算拉我的手并且操着很生硬的汉话对我说:大哥!我想上你被窝!我很高兴的说:进来吧!他听我答应了,很快的就跨上我的床,床一下子变挤了,他健美的身躯离我如此的近,我感觉他的皮肤很光滑,没有别人说的藏民身上的怪味道!还散发着年轻男人的幽香,我?起头示意他把手臂放在我的脖子下,他和明白的就把手放下去还很随和的把另一直粗壮的手臂环抱起我来,健美弹性的身躯一下子把我包围,我的身体马上热了起来,他很本能的开始将他的下身贴在我腰际并且开始挺起来,我不用看就知道他穿了一条很弹性面料很光滑的T裤,我掀开被子,很惊奇的看着在他健壮的胯间包裹着那弹性的一团的红色健美小T裤!
原因是这麽闭塞的地方怎麽也会有这麽前卫的内裤,他看出我的意思笑了笑对我说:这是我在北京参加比赛的时候买的,我在网上看见过这个店,我问:你是军人参加什麽比赛,他哈哈笑起来,说:看我穿迷彩装就是军人吗?我是健美操运动员,我家在拉萨,我在兰州念书,我摇了摇头!心里骂着自己的自以为是!
他看着我的眼睛好久!然后把环在我脖子上的手臂抱得紧了些,一双温热的唇就贴了上来,我感觉他的唇很柔软也很弹性一直很贪婪的包裹着我的唇,我的呼吸慢慢的加快,我的手也开始大胆的抱着他弹性健美的腰间,他的吻越发疯狂,他开始把舌头伸进了我的口腔,他的舌头和放肆在我的嘴里与我的舌头纠结!我开始吸吮起他的舌头来,感觉舒滑无比,带着薄荷的清香,(他刚刷过牙)我的四肢被他缠得死死的,完全被他的四肢控制着,他那被弹性小T裤包裹的一大包东西开始顽皮的与我内裤里的那玩应摩擦起来,而且还不时的挺几下,这些动作都令我兴奋无比,我一翻身就把他按在下边,他眼睛紧闭,全身显得很放松,身体瘫软得像一直听话的绵羊,我骑在他那弹性的一团东西沙锅,手扣住他的手指,开始亲吻起他的脖颈!
他开始嘤嘤呻吟起来,嘴里模糊的说着:啊~真舒服~啊~真舒服,我在兰州要是遇见该多好,他的手开始抚摩起我的臀部,并??且伸进我内裤里开始揉捏起我的臀瓣来~我的唇亲过他脖颈一直亲吻到他结实的胸膛!弹性结实的胸大肌,让我很迷恋,我开始用舌头舔吮起他的胸肌来,并且开始吸吮着他的乳头,他的乳头很硬和坚挺,被我含在嘴里不停的拿舌头舔拨!
他开始禁住这样刺激的快感,他的头仰了起来,身体在我的身体下扭动~这样的动作令他宽阔的肩膀结实的胸大肌更显得魁梧健美,他的手紧紧的抓住床单,并且轻轻的呻吟起来:丝~~丝~啊~啊~~好舒服,以前从来没人告诉我吸吮这里会这麽舒服!
啊~好舒服,哥哥~啊~哥哥~别停~别停!我的唇开始向下移动,一直亲吻到他结实平坦的小腹,我的胸口压在他弹性的那一大团上,用舌头时而舔拨时而吻吸,他被弄得春情激荡,面颊泛起红潮,全身结实的肌肉也柔软如棉的在我的襁褓内任由我的抚弄!
我们脱掉彼此的内裤,开始互相抚摩起对方的大鸡鸡来,他的鸡鸡果然很粗很长,而且龟头饱满弹性十足,又热又胀,我用我的龟头开始摩擦起他的龟头来,随着我们俩人龟头互相的摩擦,我们的龟头上流出很多粘湿滑爽的液体!
液体流得越多我们蹭得越舒服,那种用语言形容不出来的快感,迫使我们俩很上瘾的手握对方的阴茎干越来越快速的抖动着对方的阴茎,让对方的龟头更准确的摩擦到彼此龟头上的敏感区,我们的龟头时而围着对方的龟头打圈,时而用龟头上的马眼来摩擦对方龟头的马眼,我们很兴奋的接吻,互相吸吮着彼此的舌头,他突然一下把我的拔开,对我说:不行!哥~我要来了!我也很激动的说:那就忍一下,他起身拿出行李袋,拿出一管葯膏和一个自慰环(电动,男男性行为性玩具,两根电??线上有两个胶皮圈套在龟头下的冠壮沟处,打开开关,震动,跳跃!)我当时很是惊讶他有如此高昂的性趣!
他抱着我亲吻着我的耳判对我说:我们涂上助勃延时凡士林然后套上双人震动环好吗?我着的很激动,一把抱住他结实弹性的身体,很用力的含住他的嘴唇和他接吻,助勃延时凡士林涂在我们两人的龟头上后,大约要10分钟后有效果,在这时间里我们互相用手托着对方饱满的阴囊,给对方的阴囊按摩,向下牵拉对方的睾丸并且揉捏,这样我们一会用双人自慰环的时候会和有耐力,我们的手从来没有离开过对方的生殖器,彼此给对方按摩生殖器都很舒服,助勃延时凡士林起了效果,感觉大鸡鸡坚硬如铁,他的大鸡鸡又粗又长,龟头黑红,青筋爆露,血管绷起,整根大鸡鸡不照种马屌差,他��给自己套上自慰环后为我也套上了,我们紧紧的抱在一起,他的腿伸进我的双腿间,我们互相夹着对方的腿,双人自慰环把我们两人的大鸡鸡连在一起,他说了句:我开开关后,就一下把嘴唇贴在我的嘴唇上,并且把舌头伸进了我的口腔,我听见开关叭的一声被扭开,强烈的快感袭来,整根大鸡鸡都被震动起来,酥麻奇痒的快感以下击穿我的身体,我看见他随着开关的启动,嘴里发出了一声:啊~之后!身体一下紧蹦起来,双眼紧闭,手紧紧的抱着我的身体,把头埋在我的脖颈间!
我们的身体随着双人自慰环震动带来的快感而拥抱在一起互相摩擦着!完全兴奋的大龟头被自慰环包裹和身体之间的摩擦让我们很是满足,我们呼吸加速,已经异常的坚硬,双唇紧紧的包裹在一起,舌头开始纠缠!
自慰环的震动是同步的,俩人的鸡鸡的快感是相同的,他的手紧紧握着我的手,表情很兴奋全身的肌肉僵硬着,自慰环的震动发出”嗡嗡”的响声~他的腿在我的裆间伸得很直,连脚趾都伸直了,我们全身很同步的颤抖着,我发现连龟头上的马眼定时的流出液体都是同步的,由于助勃延时凡士林的作用,一直相射可是快感还老也达不到射的强度的折磨,让我们俩热欲仙欲死~快感频繁的将我们两人的身体折磨的颤抖,快感让他那根套着自慰环的粗硬大鸡鸡也一直被他由于收缩阴茎系带弄得一翘一翘的鞭打着我的阴茎,突然我感觉阴茎的快感达到了极点,我再也忍受不住了,他的呻吟声月越发的大了起来,他”啊~啊~”的叫着,身体紧绷,全身的血管都蹦了起来,他的手臂紧紧的抱着我的身体,我们两人呼吸沉重,双腿紧紧的纠结在一起,他一下子把我的舌头吸吮住,我听见他用厚重的鼻音”恩~恩~恩~”的闷吭着,他那火热的大鸡鸡和有力的喷射着精液,灰白色的精液(有写民族的精液是灰白色的)”次~次~”的射在我的肚皮上,我也全身一抖,一时没忍住,与他同时射了出来,他抱着我,身体随着射精的快感颤栗着,双人自慰阴茎环还在震动,我一把把它拉掉!
开始和他接起吻来,我们喷射的精液混合在一起,在我的肚皮上留到了我的腿上,随着我们的拥抱,身体的摩擦,涂抹得我们俩人肚皮,大腿,手臂,到处都是!我们看着窗外天空泛起的鱼肚白,很满足的互相拥抱接吻,没有一点睏意!我们很满足的又依次把舌头伸进对方的嘴里…
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cxz169933 · 11 months
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我前陣子真的是忙到不可思議的境界,但主要造成我心煩意亂的原因還是簽證問題,簽證一天不搞定,我就一直隱隱約約的有一塊石頭壓在心上一天不得安寧。
人在生活有不確定性的時候是真的沒有心思去想其他事情的,還好這段時間我都單身,要是我有男友,他整天在那邊吵我一定會很煩。
我待在澳洲的路徑跟別人有點不一樣,可以算是受益於我一直以來都隨遇而安的處事風格。
當時大學讀完產品設計之後,因緣際會的跑去做折疊腳踏車,不只學到很多機械結構的知識,也學習了很多跟製程相關的東西。
後來又去做了Monitor,然後在那裡又學到一些跟電子產品有關的東西。
結果後來來到澳洲之後,這些技能全部都能用上,因為客戶要新開發的一個專案就是電子產品。
今年5月我回台灣一整個月,週一到週五都要配合澳洲時差早起開會遠端工作之外,下午3點澳洲工作下班後開始找工程師,然後每週都去跟台北的電子工作室碰面談新案子的開發,見一點點老朋友,忙到不行,結果那一個月我哪裡也沒玩到就回澳洲了。
然後9月我又回了台灣一次,又帶了一個新的專案回去找那兩個工作室談,外加平日繼續遠端工作,我朋友們都說覺得我生活好像就只有工作。
我也不看電視,就算看YouTube 小紅書的短片也都看科普類為主,還會2倍速看完。
閱讀的東西也都是跟加強工作技能有關。
運動也是為了增強體力,我覺得體力好的話,這樣我兩個工作才不容易累。
基於以上我朋友都說我是工作狂🤣
英文也從一開始只會點菜到現在可以跟大家開會、講電話開玩笑,大概花了兩年多,因為前面兩年在華人公司上班很少講英文,而且那家公司全公司的英文都很差,直到去年搬進現在住的地方跟澳洲人住,然後室友又是非常熱心愛講課的金融顧問,所以被訓練起來了😂
我當初一開始只是抱著一個來玩的心態,申請個打工度假簽就來了,後面因為副業接觸到看起來不錯的機會又加上Covid當時情況不明朗我也不敢亂動,想說有工作就做著,總比回台灣失業好,就隨便續了個學生簽,想說給自己再兩年,副業沒搞頭就回家了,後來簽證要結束的時候,我客戶說突然新的專案有進展了,要跟一間在加拿大的業界有名的公司合夥在澳洲設新的分公司,所以我不能走,然後他就讓我進他朋友的公司做PM,我可以用學生簽做PM的原因是因為疫情期間政府大放水,學生簽證可以full time工作。
我原本隨便enroll的那個學位本來是不能申請畢業生工作簽證的,結果在我去找移民仲介談的前一天,因為疫情政府就暫時取消了職業評估的要求,所以我就變成可以申請工作簽了,那個移民仲介也訝異,她覺得我運氣實在很好。
所以她就幫我設計了一個方案,485畢業生工作簽2年再加482雇主擔保一年,這樣我就有3年的正職工作經驗,然後我就可以申請186 VISA,就是永居了。
我一走出仲介那裡一時還不敢相信,然後就開始等學校的畢業證書及成績單。
過了好幾個月,一直等到我學生簽要結束的前一個月都還沒收到,我就打電話去學校問,結果這件事情裡面四個人都出包了。
1. 學校老師混到不行,少發了很多作業給我。
2. 承辦的留學仲介以為我要回台灣不需要畢業證書,所以沒提醒我要去跟學校確認。
3. 我的移民仲介也有出一點包,她忘記發需要的材料清單給我,有些東西我如果沒回台灣根本拿不到,所以五月那時候我才會馬上訂機票回台灣🤣
4. 就是我呢,錯在太放心了,沒有提前去確認缺什麼文件。
就在簽證到期的前一個月發現這些事情,然後也來不及趕完作業,後來移民仲介趕快幫我續了一個Covid臨時簽證所以才能繼續工作然後一邊趕作業,仲介也已經先幫我把所有的簽證文件都準備好,只要一拿到畢業證書跟成績單就可以馬上遞交,最後借助ChatGPT,我把作業如期趕完了,真的是好在今年突然ChatGPT大紅我才知道這個東西,不然我根本不可能寫完作業的。
趕完的那一刻我整個如釋重負,結果好死不死,一查學校的行事曆發現學校再一個禮拜要放暑假了,如果我一週內不拿到畢業證書跟成績,學校再開學的時候,需要職業評估的要求就要恢復了,那我明年就要搬回台灣了⋯
才剛放鬆的精神都整個繃起來了,我就到處打電話發訊息騷擾學校騷擾老師,最後學校的職員也人很好的先幫我把文件準備好,等老師一上傳成績就立刻發畢業證書跟成績單給我。
等到拿到手了,突然發現我找不到雅思成績單,我兩個月前就考了,裸考平均7分,我當時就放心了,想說反正網路上應該可以下載成績單,我當下也沒去查看看是否真的可以下載,然後過了好幾個月才發現他們寄送紙本成績單到你家,而澳洲郵政系統爛到爆,我都還沒收到!然後我緊急聯絡雅思的辦事處,他們通融說再印一份給我,讓我親自去拿,可我當時人還在台灣,只能等回澳洲去拿,我完全無法再相信Austpost。
我25日一回澳洲馬上直衝學校去拿成績單,然後立刻發照片給仲介。
然後我就在政府恢復職業評估要求的前四天把簽證申請遞出去了。
趕作業曾經趕到心灰意冷,白天工作,晚上的副業也要趕圖,只能犧牲睡眠,中間一度想直接放棄回台灣算了,但是就只能給自己打氣說:「不行,妳這個廢物!老天爺已經放水放成這樣了,只要趕完作業就可以了妳在說什麼鬼話?能讓妳現省10萬澳幣的事情死都要搞出來!不過就是趕個作業有什麼難的!妳還有ChatGPT了,以前的人可沒有耶!」
然後就硬是趕出來了,老師可能也看我可憐,也給我放很多水怕🤣
之後雖然我是可以合法留在澳洲並能夠全職工作,但是這個簽證事關我後續能不能拿永居,所以在簽證下來之前我一直都心神不寧,情緒起伏很大,超容易爆炸,也超容易被害妄想症發作,老覺得同事在針對我欺負我,整個人戾氣很重,連我妹都說我的腦袋變得很sick。
就發現其實人如果生活有一個很大的不確定性的時候,真的是沒辦法分心在其他的事情上的,沒有多餘的能量去照亮其他人,因為這個東西會一直在心裡內耗榨乾妳的能量。
現在終於簽證問題真的解決了,我可以放鬆一陣子了😌
過了四年蠟燭兩頭燒的日子,回不了家,年假也沒休過,兩個工作,晚上下班吃完晚餐要趕圖,週末還要有一天跟客戶開會工作,還要學英文。
事情真的太多了,沒時間戀愛,沒時間失戀,也沒時間傷心,沒時間情緒低落。
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crydayz · 3 months
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240614 金
引き寄せの法則ってのを結構素で信じてるって以前書いた
「なんで自分は毎日絵が描けてしまうんだろう?」って今思ってる
これがいいんだよ
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「なんでやれてしまうんだろう?」
「なんでこんなに幸せでラッキーなんだろう?」
ってベクトルで自分を不思議がる
これだけでどんどんやれるし、どんどんラッキーになる
マージ、マジマジ
--- 僕、28歳ん時もうすぐ死ぬ思いました
なんでかってこのまま生きてても「嫌なことの総量が増えていく」ばかりでそれを打ち消すいい事なんて雀の涙程度しか手に入らないに決まってるって思ったから
それが予想できるくらいには主観的踏んだり蹴ったり感を味わっていたし、過去の自分の成功体験に照らしても、もう10代の頃以上のラッキーなんて訪れるわけがないな、思ってた
つまり生きてても主観的にも客観的にもムダ。ふつうの知性と自尊心あるなら惨めで恥ずかしすぎて生きてらんない。格好悪すぎる思ってた
結構「武士的なス���ンス」だと思うのね、これ
あとは自分をむっっっっっちゃ主人公として捉えてたよね
でも生きる為、それをやめた。精神を「負け犬ヌケサク���残兵モード」にチェンジし、虐げられて然るべきモブ・・だけどどっこい最後まで生き残ちまう「ひょうきんピエロ」的ポジション目指した
しばらくその目くらましでどうにかなってたシーズンもあったけど、やがて冷静になって全部馬鹿らしくなって「幼少期に戻って人生最初からやり直したい」という気持ちになった
20代の頃のような「死にたい」という気持ち(格好良さを貫きたいという気持ち)は最早ない。ただただリセットしたい、今度はうまくやる、あそこで絶対妥協しない、選択ミスしない、へこたれない...って誓った
だからもう一度チャンスが来たら今度こそ間違わないし乗り遅れないって思った
僕の失敗のきっかけは初音ミクに対ししょーもないヘイトを抱いてしまったことだ
DTMを生半可に愛していたがゆえに、それ系の知識と愛が全然ないであろうミーハー絵描き達が初音ミクをハブにして唐突にDTM文化を蹂躙してきた(あるいはDTMカルチャー一切無視して製品のガワだけ浅はかに消費してきた)と感じてしまい、自分の好きなものを穢されたと感じてしまった
これはもう、そう感じちまったんだからどうしようもない...
それに加えpixiv台頭によるホームページの価値消失、友人に初音ミクブーストで狂気レベルの差をつけられたってのもヒステリー加速に拍車をかけた。でも何よりも大きいのは自分がディレクションしていたゲーム企画を取り上げられた事だったな
とにかく「ほう? ここまで俺をコケにしたいんか、世界」って思ったわ。知らんよなそんなの。みんな楽しくミクちゃん描いてんだ...
なぜそのウェーブに乗らないんだ? って知り合いの絵描きから暗に明に言われたさ。同人イベントで色紙にミク描いてって言われた時は内心全ギレしながら描いたっけなあ
ほんと、運気を下げる思考をしていた
何が要因かっつーと結局「愛を侮辱された」っていう主観的感情がきっかけなんすよ
だからそれ以降僕はなにかを愛することをやめました
だって、愛があるからそ��を「穢された」とか「バカにされた」って思うんでしょ?
その結果チャンス逃して人から嫌われるようなルサンチマンばっか吐いてたら、結果的に自分が損するじゃん
損する事がわかってる「愛」を維持するの、ある意味純愛かもしれんけどその愛向けてる対象が自分の方振り向いてくれんの? 言ったら無理なわけじゃん、初音ミクの場合はクリプトンとかヤマハなわけ、あとRolandも好きだった
でもそういうオフィシャルは僕じゃなく初音ミクというキャラをサクサク消費しお祭り騒ぎしてる実力派絵描きの方を大事にする
いやもう、何言ってんだ純粋にお前キャラ ド・ヘタじゃんって指摘にはイエス、諸手を上げてイエス
ほんっと、身の程知らずとはこの事よ!!
今でも怒りと悲しみと後悔が蘇ってくるわ。どういうこじれ方してんだアホ!! 普通に魅力的なキャラなりなんなり描いて人心掴めよヘタクソ!!! って言いたい
腐ったアヤナミみてーのばっか描いてんじゃねーよ、と
閑話休題。昔話を繰り返したところでしょーがない
つまり、だ。今ムカついてるその項目、そのムカつきの要因となっているあんたの身勝手な「愛」
それ本当に維持すべき愛っすか? って話なんすよ
僕の場合は「自分が作った箱(Discord)への愛と執着」がまだ強固に残ってる...
こいつが今後間違いなく僕を不幸に導くことだろう
不幸になってでも、多少嫌われてでも自分の好きは決して曲げない
そういう気持ち(他人や社会のことをガン無視したヒステリックなプライド)があるとな、些末な事に侮辱と敵意感じてはヘイト撒き散らし、周囲に呆れられ病人扱いされキャリアも積めぬまま歳だけ食って、どうして自分のこの真摯でキレイで真っ直ぐな気持ちを誰一人理解してくれなかったんだろう? みたいなドンズレ思考抱えた××老害になる(うーん... 極端だ。極端な思考は自分と周りを傷つける。それは結果的に自分を不幸にする。だからよくない)
プライドは、捨てなくてもいいから箱にしまうか、意識的に横に置く
そして皆が食べたがっている料理を丁寧につくる
体力増やしアタマ使って時間捻出し「自尊感情維持する為の城(テリトリー)」を構築する
最初は自閉モードでいい。次第に他者を呼び込む為のサンドボックスなり応接間なり作っていけばよい
そして考えることは「しあわせ」についてだけでいい
「どうしてできないんだろう?」と考えると「できない自分」を引き寄せる
「どうして不幸なんだろう?」と考えると「不幸な自分」を引き寄せる
それは文脈関係なしに最初に見出しに設定したワードの正当性を「肉付け」する思考が脳内で自動的に発生してしまうから
だから「どうして幸せなんだろう?」と考え続ける事で「XXでXXであるがゆえにしあわせなのである」という講式が脳内に刻まれてゆく
どうして不幸だと思うのかを思考するメリットはない
どうして幸せなのか? を自身に問い続けるだけで100%、何をどうやっても幸福になってしまう
幸せな主観があれば精神的バッファがあるわけだから無茶できる
無茶すりゃ歳食ってたってそれなりの出力と他者貢献できる
それさえできりゃいずれ優しい世界が手を差し伸べてくれる
ああ、我々が思うほど世界は悲しくプログラムされちゃあいない
誰も自分という人間に手を差し伸べぬなら、自らが率先して誰かに手を差し伸べてしまえばよい
はい、キモいお節介&パターナル&ハラスメントフラグ、って指摘には同意
同意はするが、潜在的正解は常にそれだろ
自分が救うことや手を差し伸べることを「許してくれる命」を見つけて、まずはそれを応援する事から始めたらいい
人を応援する人をディスる人ってのはもう、それは120%ロクな人間じゃあないから無視していい
無論、犯罪者や極度に反社会的な性格の人を応援するようなムーブしちゃダメだし、それをやりそうになってる自分を止めてくれる人の事は無視しちゃダメだが
善&道徳だわ、基本。子供がいる手前、そうとしか言えん
だって子供はオートで犯罪犯したがるからな。それは子供の本質。そこに親も乗っかりブーストかけちゃったらクソ毒親だろ...
ゆたぼんの父親とかそうだろ。最終的に反面教師として役立ったから結果オーライかもしれんが
とにかく、絵とフィクションの中で悪と不道徳を描くのは構わないが現実のパーソナリティや生活ん中にそれ適用すんのはナンセンスだし何一つメリットがない
マジメすぎると現実と絵の世界を同期させちまうんだよな
自分もその境目がなかった、かつて―
絵は絵、現実は現実。どっちもウケがよく自分を幸せに導くベクトルに「デザイン」してこ
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gaetanchiao · 5 months
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綠燈俠 洗腦直男掰彎(中)
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「所以你對你的大雞巴如此著迷,是因為你老早就愛上你老爸的大雞巴。」
我本來應該要大聲反駁,但是他的話語在我腦海中不斷迴蕩,像似催眠般。
「我對我的大雞巴著迷⋯⋯」我聽到自己嘴巴承認。
「你還愛你老爸的大雞巴。」
「什麼?誰不會呢?」我茫然回答,自己的聲音似乎從遙遠的地方迴響著。
「你愛你的大雞巴,因為你想要像被你幹過的女人一樣崇拜它。」
「我⋯⋯我想要崇拜我的大雞巴⋯⋯」我繼續說著,這些話似乎正在烙印在我的靈魂中。
「所以你想要感受被那根大雞巴幹射的感覺。」
「我⋯⋯我想要被大雞巴幹到射精⋯⋯」
我重複著,腦海中閃過我的大雞巴的畫面,它好大、好長、好粗,如此完美⋯⋯
就像老爸的⋯⋯
「而你被那根大雞巴幹到高潮射精的感覺,比你幹女人的感覺還要更爽、更舒服。」
我下意識皺了皺眉,思緒變得混亂。但是聲音告訴我,這是有道理的,畢竟我的大雞巴幹了這麼多女人⋯⋯她們每一個都很爽⋯⋯
所以⋯⋯我被那根大雞巴幹也會很爽⋯⋯不是嗎?
「我命令你,這些念頭永遠不會消失。」他說。
「這些念頭不會消失⋯⋯」我呆呆重複道。
「你會忘記這次對話,但它會在你的潛意識中一遍又一遍地重播,永遠不會停止。」
「潛意識會一直重複這些對話,永遠不會消失⋯⋯」
「當我打響指時,你會醒來,忘記你飛進銀行裡之後發生的一切,但你的潛意識會記得我的命令⋯⋯」
「我會記得命令⋯⋯」
接著,他打了個響指。
我猛地仰起頭,什麼鬼?
「是綠燈俠!」一個男人驚呼道,「該死!」
他開始往外跑,但戒指以能量繩索將他束縛,他咒罵著跌倒在地上,頭撞到了地板。銀行裡的每個人質都停了下來,他們一個接一個地四處張望,意識到自己手裡拿著銀行的錢,然後放下了袋子。
我命令戒指摀住他的嘴巴,不給他機會使喚Mindwave,用精神操控力量對付我。
警察隨後破門而入,我用燈借幻出大手抓著壞蛋和Mindwave飄浮過去交給他們時,人們歡呼起來。
我微笑著揮手:「這是超級英雄該做的。」 正如我所說,我很幸運!
我回���了警察的一些問題,等待超常行動部(DEO)——全名為 Department of Extranormal Operations,專門處理超人類活動並預防危機——來帶走Mindwave。一切都辦妥後,我簽了一些名片,便躍入天空,渴望洗個澡,喝杯啤酒。
我飛到位於海岸城的隱密公寓裡,降落在我的陽台上。走進室內,我的綠燈俠制服自動消失,留下我平時穿的標準皮夾克和牛仔褲。
當我走向臥室時,憑空出現的綠色的手開始脫掉我的衣服,我的潛意識接管了戒指的控制,讓它按照我的意願行事,無需經過我指使。
當我進入淋浴間時,我已經全身赤裸,我站在蓮蓬頭下面,閉上眼睛⋯⋯
這正是我在漫長的打擊犯罪日常後所需要的——放鬆。當我搓揉肥皂時,我的手游走下來,抓住自己的陰莖,開始撫摸、擼動。
天啊!我好愛這根肉棒⋯⋯當它在我手中瞬間變硬時,我享受它變粗的手感,我對自己無法在完全勃起時用手握住它而感到驕傲,畢竟它就是這麼粗大,我的手指就是碰不到⋯⋯
我剛剛應該在銀行時搭訕一位漂亮的出納員,畢竟身為極品肌肉猛男的我需要釋放,而且非常需要。我想打電話給砲友,但沒有一個我幹過的女人會接,因為我對她們來說太⋯⋯猛了,甚至到了有點生命危��的地步。
我想起那次Dinah(黑金絲雀)和Ollie(綠箭俠)分手後,她喝醉了來找我訴苦。想當然,一看到她那副樣子,我立馬就硬了,而且是很硬。就在門口,她發出的叫床聲音,當我狠狠地把她不斷貫穿⋯⋯
天啊,我讓她高潮好幾十次吧⋯⋯?
這個記憶讓我達到了極點,我在淋浴牆上留下了精液⋯⋯這不是第一次,也不會是最後一次。我看著我的未來兒子們順著排水孔旋轉下去,然後關掉水龍頭,走出淋浴間。 發光的綠色毛巾在我身上移動,把我擦乾,當我走向床時。我累壞了⋯⋯只需要小睡一會兒,然後我就能恢復精神。 我一頭栽進床上,從擂台上下來的身體已經乾了。 被祝福的感覺真好。 當我漸漸入睡時,思緒又回到了那個夏日,和爸爸還有他的朋友們在一起的日子⋯⋯我記得當聽到他們談論性事時那份興奮,以及那讓我熱血沸騰的感覺。聽到有關我爸爸那巨大老二的故事時,我滿懷敬畏,也希望有朝一日我也能擁有一根⋯⋯ 「我看到你了,哈爾,」爸爸喊道,我在灌木叢中退縮⋯⋯該死。 「出來吧,」他那深沈的聲音透露出他是認真的。我走出來,看到他和他的朋友們都在看我,我站在他們面前,摘下帽子。 「各位,你們認識我的兒子喬丹,看這,告訴這些人,你長大後想做什麼。」 我抬頭,帶著微笑說:「我真的很想成為一個花心男。」然後我停頓了一下。 當我爸爸啜飲著啤酒時,那些男人笑了起來,「看吧?我告訴過你⋯⋯這孩子腦子裡想的只有性,對吧?」 我想要搖頭,但結果卻是猛烈地點頭。 「嗯,他看起來很符合那個角色,」其中一個人說,「來吧,小子,讓我看看你的貨色⋯⋯」 我感到非常尷尬,發現自己脫下了上衣,為他們展示我的腹肌。他示意我過去,用手摸過我的腹肌,「哦耶,他的身體真緊實。」當他的手在我身上移動時,我感到不安,我不斷地看著我那洋溢著驕傲的父親,所以我任由這一切發生⋯⋯為了讓我爸爸開心,什麼都願意。 「不只是這個,他還從我這裡繼承了其他東西,」我爸爸站起來走向我,「不是嗎,兒子?」 「爸、爸爸?」我沙啞著嗓子說,知道他接下來要做什麼。 他一把拉下我的短褲,我的硬雞巴拍打在我的腹肌上,當他迫使我踏出短褲時,那些男人歡呼起來,只留下我穿著白色運動襪、高筒鞋,身上再無其他。 「對,看看它,」我爸爸說著開始撫摸我,「我的大雞巴兒子⋯⋯」 我的眼睛閉上了,我顫抖著,「爸、爸爸⋯⋯」我呻吟著,不確定發生了什麼。 「噓,」他一邊說,一邊將我壓在草坪椅上,「讓你老爸驕傲⋯⋯」 當我感覺到他分開我的屁股,他的朋友們在旁邊看著,一邊撫摸著自己的陽具。我感到他的舌頭觸碰我的屁眼,我倒抽一口氣,除了偶爾的體檢,從來沒有人觸碰過那裡,即使是體檢,也是迅速的。 這是緩慢的,懶洋洋的舔舐,當我的屁股在那粗大的入侵者周圍脈動。 「爸⋯⋯哦,該死⋯⋯」我大叫出來,意識到他吃的方式和我吃陰部一樣。他在挑逗我,讓我渴望更多,儘管我本能地反抗,我的臀部還是忍不住向後推,當男人們為我們加油時,我的臉紅了。 「把那個陰部吃掉!」他們中的一個大喊。 「讓那個小運動員知道他的小穴是幹嘛的!」 當我爸的舌頭更深入時,他們的話語讓我感到灼熱,我大聲地嗚咽⋯⋯ 我現在像發情的貓一樣向他推送,快感太強烈了⋯⋯我感覺床在我下面移動,我被拋回了意識⋯⋯ 「操!」當我感覺到舌頭開始撩撥我的前列腺時,我呻吟起來!一方面,我知道我正跪在床上,臉朝下被舔,另一方面,我仍然回到後院,隨著夢境的最後一絲消逝而消逝。 我驚慌地回頭,不確定發生了什麼,看到一個綠色能量版的我,臉貼在我的屁股上,它的舌頭觸碰著從未有人觸碰過的地方。 「不⋯⋯」我喘著氣,試圖控制住戒指,這一定是我的潛意識,我的慾望讓我的戒指對我做我從未要求的事情!我的意志力很差,每當我接近形成一個想法時,那該死的舌頭就撩撥我的敏感點,我感到眼睛翻白,當我向它壓迫時。操⋯⋯它到底對我做了什麼? 「你喜歡那樣嗎,寶貝?」我的聲音問道,舌頭仍在忙碌。當然,它可以同時做兩件事,它不是人類,它可以一邊吃我,一邊嘲諷我⋯⋯ 「戒指⋯⋯拜託⋯⋯停下⋯⋯」我試著說出口。 「要讓你感覺很好,」我聽到自己說,「來,你何不讓我準備好。」 有東西頂在我的嘴唇上,我看到一個能量複製的我的陰莖在我面前,輕推著我閉合的嘴,「來吧,女孩⋯⋯給我一個吻⋯⋯」 戒指試圖對我做這件事讓我憤怒,但我感到的不是憤怒,而是當我看著我那雄偉的陰莖時,我感到的只有慾望。我從上面看過它,握著它,當我撫摸它時,但現在它就在我的臉前,離我的嘴唇只有幾英吋⋯⋯它是⋯⋯我的天啊,它太不可思議了。 「來吧,妓女,向國王鞠躬,」我聽到當戒指猛擊我的前列腺時說道,讓我在快感中大叫⋯⋯足夠的時間讓它把我的陰莖塞進我的嘴裡。「是的,找到你的陰蒂了吧?」它問,一遍又一遍地敲打同一個地方,讓我在自己的陰莖周圍呻吟,當我開始舔那巨大的龜頭⋯⋯我的天啊,它太大了! 「每個婊子都有一個,」我的聲音說,當我感覺到我的陰莖滑過我的舌頭,讓我窒息時,「接受它,」它侵略性地說,「接受我的他媽的陰莖⋯⋯」 淚水沿著我的臉頰滾落,戒指將我的陽具往喉嚨深處塞,撐開狹小的通道,迎合我的巨大肉棒。 「你這樣看起來真性感,」戒指說,「看看你自己。」 我瞥了一眼,它創造了一面鏡子讓我看見自己,四肢著地,背部拱起以迎接那舌頭,而我自己的巨大陽具猛擊我的嘴巴,綠色的睪丸拍打著我的下巴等等。我可以看見自己身體的肌肉在我抵抗舌頭時緊繃著,渴望更多,即使我在對自己尖叫著要停下來。 當我看見我的能量自我跪在我身後,舌頭不見了,「要讓你感覺超爽的,婊子⋯⋯」 我感覺我的龜頭頂著我滴水的洞,當我意識到自己即將被幹時,一瞬間的恐慌湧上心頭⋯⋯ 「你不想感受這根雞巴嗎?」我聽見自己問,恐慌似乎消退了⋯⋯我含著雞巴呻吟,聽見自己笑了,「那是肯定的?」 當我乞求他幹我時,我含著嘴裡的雞巴尖叫⋯⋯我真的很想感受自己的雞巴!我太想要了⋯⋯ 「對,這就是你一直想要的,」我說著,慢慢地把我的雞巴推進我的處子洞裡。當它穿過我的洞時,我預期會有劇烈的疼痛,但我的大腦裡似乎有東西觸發了,我感受到的全是壓倒性的、他媽的快感。 我嘴裡的雞巴消失了,我驚恐地聽見自己說,「哦,操啊⋯⋯更多⋯⋯用那馬屌幹我⋯⋯拜託⋯⋯帶走我的處女之身!」 我為什麼會這麼說?我想尖叫、哭泣、跑出去,但相反地,我感到自己放鬆了,當更多的我自己的大象雞巴被塞進我的小小空軍洞裡。 「哦,糟了⋯⋯對⋯⋯拜託⋯⋯」我看著鏡子裡的自己把頭埋進床上,屁股翹起來讓戒指強姦我,一邊哀求著。我能感覺到我的手在我的臀部,它慢慢地一寸一寸推進我體內,完全填滿了我。它太他媽的大了!感覺⋯⋯哦,上帝,為什麼我會喜歡它?為什麼我還想要更多? 「對,」我聽見我的聲音輕聲說,「這麼好的淫蕩小妞,把我的雞巴全吞下⋯⋯真是個好手⋯⋯你喜歡那馬肉插進你的小穴嗎?嗯,女孩?」 我的腦海尖叫著我不是女孩,但我的嘴巴卻脫口而出,「哦,上帝,你感覺太好了⋯⋯拜託幹我⋯⋯拜託,更多⋯⋯」 當他到達底部時,他的手在我的臀部上游移,「我們該說什麼?」 話一出口,我就知道我完了。 「拜託,爸爸⋯⋯」 我們倆都凝固了,我的臉因羞愧而發熱,接著我聽到一聲笑聲⋯⋯一個比我自己的笑聲更低沈的笑聲。 「對,那是我的好孩子,」我聽到爸爸說,「你想要這根雞巴多久了?」 哦,天啊,拜託不要這樣! 「哦,爸爸⋯⋯」我啜泣著,感覺我的屁股緊繃著他的粗壯,「拜託⋯⋯我一直都是個好孩子⋯⋯」 「你永遠都是我的好孩子,哈爾,」他說著抽出幾英吋,讓我全身因為狂喜而顫抖,然後他猛烈地插了回去,「不是嗎?」 當我迎合他的衝擊,發出哀嚎時,我的背部弓得更厲害了,「爸爸!」 他再次這樣做,我能感覺到氣被打出我的身體,我的身體像一台上好油的機器一樣運轉,接受著爸爸的雞巴,好像它就是為此而生的,而我的心在對我咆哮,要我停下來,控制局面!
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ashi-yuri · 7 months
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Kentucky Route Zero テキストを巡る冒険(前編)
Kentucky Route Zeroの日曜研究として、KRZにおけるプレイヤー論を考えつつ、ゲームであり文芸・美術作品でありメディアアートである本作の側面を断片的に語る試み。あるいは、訳者解説と鑑賞案内のはざま。
まだいろいろ暫定の途中段階だけれど、自分で見返す用のとりあえずのまとめ。
曖昧で捉え難いと言われる本作がなにを為そうとしたのか、アドベンチャーゲームというジャンルにとってどうして特別な作品であるのか、その実験を少しでも言語化できたらいいですね。
1.Player(役者)
プレイヤーはコンウェイ・シャノン等の主要登場人物を、通りすがりの脇役を、骸骨を、犬を、猫を、様々な人物・生き物を演じていく。
Act.2の幕間劇「エンターテイメント」では、直接ゲームに「飲んだくれ」という役名でプレイヤーは役者として参加できる。
なお、エンターテイメントはもともとVRとして独立したゲームとして作成され、実際に役者として参加できるようになっている。脚本も作成され、別途演劇として上演されてもいる。
開発者ニュース
VR版・脚本は公式ホームページからDL可能
図1:Act.1 (マルケス農家) プレイヤーはコンウェイを演じる。
図2:Act.3 (ハードタイムズ蒸留所) プレイヤーは骸骨を演じる
図3:Act.5(町) プレイヤーは猫を演じる
図4:Act.2幕間劇(エンターテイメント)プレイヤーは役者「���んだくれ」となって劇に参加する
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2.Player(脚本家)
プレイヤーは登場人物の台詞を、時に出番を選択し、こまかく彼らの性格付けと劇の方向性を決定する。
彼はアルコールに溺れていたのか、それとも風景に耽溺していたのか。彼女は皮肉屋か、真面目なワーカホリックだったのか。彼らがなぜこの旅を続けるのか、その目的も。
図5:Act.1(EQUUS石油)プレイヤーはコンウェイの台詞を選択し、彼が何を考える人物か選択する。
図6:Act.5(町)プレイヤーはどの登場人物が、いつ、なにを話すか選択する
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(参照)
「Rock, Paper, Shotgun」 『なにがKentucky Route Zeroのダイアログを魅力的にしているのか?』
KRZを開発当初から追っている英ゲームメディアの記事。脚本のジェイク・エリオット氏のインタビューを挟みながら、選択肢・テキストの提示方法含めその魅力について記載している。
3.Player(監督)
プレイヤーは監督(Director)として、この劇でどの場面を見せるのか、どの順番で幕を演じるか・演じないかを決定することができる。
この劇をいつ演じる(Play)のか、いつやめるのか決めるのは監督の仕事である。
図7:Act.1(事故車)進行に必須ではないこの場面を見るか、見ないかはプレイヤーが決める
図8:メニュー画面(劇・幕間劇の円環)どの順番で何を演じるかはプレイヤーが決める
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(参照)
【ケンタッキー0号線を行く】Kentucky Route Zero: PC Edition(からあげうどん氏による配信)
こちらの配信では第1幕から飛んで第4幕をプレイし、その後第2幕・第3幕をプレイすることで、円環をときに逆流しながら最後まで劇が進む。変則的な進み方でありつつ、この劇は同様に楽しむことが可能となっている。(プレイ・配信ありがとうございました!)
4.Player(観客)
プレイヤーはコントローラーで操作しながら、Kentucky Route Zeroという悲劇をずっと劇の外側から観賞している。
劇の「外側」のキャラクターとして登場するエミリー・ボブ・ベンの3人のキャラクターは、プレイヤーの立ち位置を代弁するキャラクターでもある。彼らは幕間劇Limit & Demonstrationでは鑑賞者として美術館を訪問し、Entertainmentでは観客としてエンターテイメントという演劇をを眺めている。同時に彼らは「外側」の存在として、Act.1-4で劇を盛り上げる歌唱隊を担っている。
コンウェイら登場人物と彼ら3人はも、劇の「内側」の登場人物と劇の「外側」の観客となり表現の位相が異なる。そのため、同じ空間に存在していてもお互いにコミュニケーションを取ることは当初できない。
図9:Act.1幕間劇(Limit& Demonstration)3人は作中登場人物ルーラ・チェンバレンの回顧展「極限と展示」にて美術作品を鑑賞する
図10:Act.2幕間劇(Entertainment)3人は舞台後方観客席から劇中劇「エンターテイメント」を鑑賞する
図11:Act.1(マルケス農場)画面手前で歌唱隊として"You've Got To Walk"を歌う3人
図12:Act.1(EQUUS石油)3人は登場人物コンウェイの存在を認識できない (コンウェイは足を踏み鳴らすが、テーブルの人々は反応しない)
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5.Player(批評家)
プレイヤーを代弁する劇の「外側」のキャラクターでもあるエミリー・ボブ・ベンは、Act.1幕間劇Limit & Demonstrationで美術館に展示された芸術作品について感想を述べ、批評する。Act.2幕間劇Entertainmentでは、観客席からこの幕間劇についての評論が提示される。
本作はプレイヤーが本作を批評することを意識し、その視点を内在化している。プレイヤーはこの劇について当然自由に感想を述べることができ、つまらなければいつでも席を立って構わない。低評価レビューを書くことも。
Act.2幕間劇のメモより
観客の多くが席を立つことを検討する。もし立ち去りたいのなら、そうさせればいい。劇場は刑務所ではない。われわれは観客の痛みを敬う。 脚本家レム・ドゥリトル
図13:Act.1幕間劇(Limit& Demonstration) エミリー・ベン・ボブは劇中登場人物ルーラ・チェンバレンの回顧展に訪れ、作品の感想・批評を述べている。
図14:Act.2 幕間劇(Entertainment)「Entertainment」を評するコメントが表示される。 『時に退屈な「エンターテイメント」』
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(参照)
海外ゲームメディアVideogamer・Josh Wise氏によるKentucky Route Zeroレビュー(英語)
作品評価は高くないものの、マグリットやフロストやルシェ等文学・芸術系の引用を踏まえて読み込んでいるレビュー。末尾に本作の自己批評的側面について言及あり。
私の批評のどれもが、10年間作品に取り組んできた開発者たちにとっては目新しいものではないだろうし、それは自意識過剰なわけでもない。とあるシーン(訳者注:Act.2 幕間劇)で、地元新聞の演劇レビューとして作品について「借金と不誠実さの悪を描いた、焦点が定まっていないとはいえ、引き込まれるところのあるドラマだった」と書いてある文章を読むことがあった。ほんとその通りだよ。
6.Player(ゲームプレイヤー)
そ��てもちろんあなたはゲームプレイヤーである。
小説や演劇を志向しながら、同時に本作はゲームであることに強く自覚的である。プログラムで構成されたテキストと音と画像の隙間をマウスでクリックするだけの体験は、選択と冒険というアドベンチャーゲームの原始的な愉しみを再現しながら、同時にその可能性を強く広げるものとなっている。
図15:Act.3 (Equus石油)コンピューターゲームを遊ぶ
図16:Act.3(XANADU)アドベンチャーゲームの始祖”Adventure”を再構成したゲーム「XANADU」を遊ぶ。
1976年に洞窟探検家でもあるクラウザー氏により開発され“Adventure”は別名’Colossal Cave Adventure’と呼ばれる、ケンタッキー州のマンモス洞窟を舞台とするテキストアドベンチャーゲーム。Adventureでは、不思議で抽象的なテキストが示される中、コンピューターにテキストでコマンド入力を行っていくことで洞窟を探検していく。
図17:Act.1(EQUUS石油)ガソリンスタンドの地下でエミリー・ベン・ボブがボードゲームで遊ぶ。
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あなたはコンピューターゲームを遊ぶ。
あなたはアドベンチャーゲームの始祖“Adventure”を古ぼけた記憶で再構成した“Xanadu”をプレイする。
何度目かのダイスを振ってキャラクターを進める。
いにしえから伝わる運命のゲームをプレイする。
プログラムで描写されたKentucky Route Zeroというゲームをプレイする。
何度も。
7.Player(とは)
時に内側から監督として劇を采配し、脚本を書き、役者を演じて劇に主体的に参加する。時に外側から観客として受動的に劇を見つめ、作品を評することで作品に関わる。
プレイヤーが多層的な役割を担うことは他作品でも同様であるが、本作が特異なのは、それを明示的かつ流動的に劇中に取り込んでいることだ。
プレイヤーの役割を代弁し、劇の「外側」のキャラクターであったはずのエミリー・ベン・ボブの3人は、Act.3幕間劇で作中人物ウィルと電話を通じて交信を行ってから、どんどんと劇の内側へと潜っていく。
Act.4幕間劇で彼らは役者を務め、Act.5ではついにフィナーレを飾る。そして、Act.5幕間劇にてエミリーと作中登場人物の会話による短い楽屋オチと本作の寸評を挟み、円環の劇は幕を閉じる。
図18:Act.3幕間劇(エコー川沿いのあちこち)観光客のエミリー・ベン・ボブは、観光案内として電話を介して作中人物ウィルの声を聞く
図19:Act.5幕間劇(雇人の死)他の登場人物とともに、エミリーがこの劇を振り返り、寸評する
図20:Act.4幕間劇(ウン・プエブロ・デ・ナダ)とある日のWEVP-TVを描く劇。エミリー・ベン・ボブは登場人物として出演する
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(補足1)厳密には、美術品の鑑賞や劇の鑑賞、ゲームのプレイも外側とは言わず、その行為自体が作者・作中人物たちとの間接的コミュニケーションといえる。
(補足2)ウィルは作中登場人物でありつつ、劇の外側の観客(プレイヤー)に目を向けるキャラクターとして描かれている。
Act.3幕間劇での観光案内、Act.4エコー川の語り部としてプレイヤーに語り掛ける語り、Act.3幕間劇の内線を通じて現実の電話と人間を使って録音された留守電を聞くシーン、そして、複数回挟まれる観客側をまっすぐ見つめるカットは、劇の外側とのコミュニケーションを象徴しているといえるだろう。
図21:Act.4(マッキーマンモス号)登場人物のなかでウィル(中央の男性)だけがこちらをまっすぐ見つめる
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8.Player(流動的)
KRZにおいて、これらプレイヤーの多層的役割は何のためにあるのだろうか。ただ単にゲームを複雑にし、「アート」らしく思わせぶりにするためだろうか。
少なくとも手間をかけられたこれらの演出には意図があり、KRZにはプレイヤーが多層の役割を担うことで見えてくるものがあると考える。
それがなにかを考えるために、もう少しKRZを作りあげているメディアとテキストを見ていく寄り道をしたいと思う。
図22:Act.1幕間劇(リミット&デモンストレーション)ベンとエミリーが美術館の展示について語る
ベン:きっとなにかの象徴だよ。アーティスト、夕日、馬か。アナグラムか?それとも何かのコード...なのか?
エミリー:それか、単なる思わせぶりとかね。
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9.メディアアート
KRZはゲームであるとともに、様々なメディアを組み合わせて表現活動を行おうとするメディアアートでもある。
本作がメディアアートであることは、Act.1幕間劇「リミット&デモンストレーション」で展示されている最も注力されたインスタレーション『オーバーダブ・ナム・ジュン・パイク・インスタレーション エドワード・パッカードのスタイルで』で端的に意思表示されている。
ナム・ジュン・パイクは、テレビ・ビデオ等のメディアを用いてメディアアートを始めた先駆者であり、本インスタレーションは彼の作品『Random Access』をそのまま引用している。
図23:Act.1幕間劇(リミット&デモンストレーション)展示作品『オーバーダブ・ナム・ジュン・パイク・インスタレーション エドワード・パッカードのスタイルで』
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観客はテープレコーダーから取り外されたサウンドヘッドを使って、壁に貼られたテープを走行させ、場所や速度によって音の並びを常に変化させることができます。このように、音楽の素材にランダムにアクセスすることで、来場者は自分自身の作曲を行うことができるのです。 『Random Access』作品解説より
そして、もうひとりの引用元、エドワード・パッカードが生み出した読者選択型で冒険を進めていく小説形式のテキストアドベンチャーシリーズ「Choose Your Own Adventure」は1979年に刊行が開始された。この作品により彼はインタラクティブ・フィクションの親ともいわれる。
そのシリーズ1巻目の名前は“Cave of Times(時の洞窟)”という。
エドワード・パッカード:ブックリスト(WebArchive)
テキストゲーム研究家のアーロン・A・リード氏による「Cave of Times」解説
これらふたつの引用元を冠する『オーバーダブ・ナム・ジュン・パイク エドワード・パッカードのスタイルで』、この作品名の意味するところを嚙み砕いて言うと「テキストアドベンチャースタイルでメディアアートを始めるよ!」ということだ。
この宣言のとおり、ゲーム・テレビ・電話・コンピュータ・ラジオなど様々なメディアを組み合わせながら、演劇・散文・詩・歌・テキストアドベンチャーなど様々な形式にテキストを自在に変化させるゲームは幕を開ける。
(補足予定)
開発者たちの出身校であるシカゴ美術館付属大学でのメディアアート運動及び活動の引用(Act.4幕間劇等)について。
フィルモートン教授とサンディン画像プロセッサ
Copy It Right
10.テキスト(演劇)
本作を特徴づけるキャラクター名とセリフにより構成された脚本のようなテキストは、話す台詞を選択することで、展開や登場人物の性格付けを微妙に変化させることができる。
同時に、具体の要素をそぎ落として抽象的に表現されるキャラクター造形は、プレイヤーに演技の演出をある程度委ねさせる。
図24:Act.3(冒頭)プレイヤーは主人公コンウェイの台詞を二つのうちからひとつ選択する。キャラクターや背景はポリゴンで描写され、個性や特徴を持ちながらもどこか抽象的に見える
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さらに、KRZに特徴的な静的な画面背景は、いくつかを演劇から借りている。
Act.1マルケス農家における抽象化された家は、近代社会における家族の崩壊を映す米作家アーサー・ミラーによる演劇「セールスマンの死」から借景したもの。これはもちろんここに住むマルケス家の崩壊と重なっている。
Act.3「木」において、呼んでも来ないレッカーを待ちながら意味のほぼない会話を交わす場面は、セリフ回しも含め、20世紀を代表するサミュエル・ベケットによる不条理演劇「ゴドーを待ちながら」を引用している。
図25:Act.1(マルケス農家)
図26:Act.3(木)
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Act.2幕間劇「エンターテイメント」では、直接的に演劇そのものを鑑賞し、同時に出演することになる。この劇は、経済的苦境と近代人の苦悩を描く20世紀中盤のユージーン・オニールの演劇「氷人来たる」を現代風に翻案した学生演劇であり、プレイヤーは観客・役者として劇に参加する。なお、この幕間劇はもともとVRで参加できる仕掛けとなっている。
このようにKRZは、演劇という形式にテキストにおいても演出面においても大きく負っている作品であるが、なにより本作そのものがアメリカを代表する詩人のひとりであるロバート・フロストの詩「雇人の死」を翻案した演劇を目標とすることが、作中登場人物であり舞台監督であるキャリントンにより示唆されている。
演劇に多用される極度に抽象化された象徴的な舞台・台詞まわしは、本作のテキストや美術に大きく影響を与えていると言えるだろう。
図27:Act.2幕間劇(エンターテイメント)酒場で会話するハリーとイヴリン。両名とも、ユージーン・オニール「氷人来たる」に登場するキャラクターを現代風に再解釈したものである。
図28:Act.1(EQUUS石油)キャリントンの台詞「私はこの12年間を人生における最高傑作を作り出すため捧げてきた。ロバート・フロストの詩『雇い人の死』を、壮大かつ実験的な演劇へと翻案することに」
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(参照)
エンターテイメント
VR・脚本
http://kentuckyroutezero.com/the-entertainment/
VR参加の様子 https://www.handeyesociety.com/event/wordplay-fest-pics-and-showcase-links/
続き(途中まで)
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taiwanindustrynews · 8 months
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啟翔輕金屬-陳百欽,以創新的綠能環保愛地球的政策,打造綠色智慧生態之輕金屬科技創新園區
新屋區的啟翔輕金屬科技股份有限公司,專注於金屬鋁製品的製造。該公司由陳百欽董事長領導,曾榮獲34屆創業楷模獎和創業相扶獎。陳百欽董事長表示,協信鋁材成立於民國73年,為確保永續經營,陸續建立了凱鉅鋁業股份有限公司和啟翔輕金屬科技股份有限公司。這形成了一條龍的鋁產業生產線,不僅能就近取得原料供應,還能大幅減少包裝、運輸、倉儲等成本。藉由這些效益,公司成功提升了產品的精密度。
日前開南大學產業菁英班參觀該園區時陳百欽也親帶領學員們參觀5.6萬坪大的廠房,陳百欽表示,台灣的鋁產業約有80多家公司,產值約200億元,啟翔市占率逾10%,在業界算是第一名。而公司也不斷的研究開發創造優質產品,更以服務客戶、貢獻社會以及提升員工福祉的經營理念,追求企業長青的終極目標。
開南大學產菁班的蘇杉郎董事長表示,啟翔公司最令他印象深刻的,該公司採行綠能環保愛地球的政策,使工廠園區成為一座綠能智慧生態之輕金屬科技創新園區,其中水資源設置了雨水集中池、生態池及淨化池,可使用於冷卻水及生活用水達成100%自給自足,降低對水資源的依賴。而該公司的設計也採綠建築方式規劃,符合綠建築之規範與節能減碳的要求,並規劃人造濕地及植栽,具降溫及美化生態的效益。
陳百欽表示,一個企業的成功,除了經營者旺盛的企圖心與堅定的決心外,更要靠全體成員一致的向心力與意志力,不畏艱難共同在既定的目標下全力以赴,追求完美。公司有多元化的產品,包括電子電機類、綠能環保類、生活家具類、建築材料類的不同的鋁製產品,並擴展歐洲、美國、日本、東南亞、澳洲等外銷市場,比例超過50%。
陳百欽指出,啟翔輕金屬創新園區,擁有完整的產業聚落,提供一次性的解決方案,並已精實的生產模式,提供產一元化及時供應的優質服務,工廠生產採「一條龍」的生產模式,就是從原料到成品,所有工藝都可以在園區一次完成。主要效益就是提高效率與品質,同時降低損耗與成本,以促進產業升級,創造產品價值,提升競爭力。
陳百欽解釋一條龍生產是指,從原料的鋁錠到合金鑄造,到「鋁擠成型」再到表面處理,而表面處理又包括陽極處理、粉體塗裝、氟碳烤漆及特殊表面處理四大項;再下一步就是「加工」,而加工部分更細分門窗、帷幕牆、板金、CNC精密加工、鋁製車斗、3C電子產業、太陽能光電產品及醫療產業與汽車工業等,最後再經組裝、成品就運輸出貨,完成一條龍的生產,既省時也省錢。
面對ESG趨勢 再生鋁勢在必行
在ESG趨勢及為政府要求碳足跡追蹤管制下,國內鋁產業鏈重量級企業正共同研商採用能大幅降低碳排的再生鋁(又稱為環保鋁或乾淨鋁)的可行性,待材料標準確立、材料的製程、抗拉、降伏、化性、擠型條件、折彎、焊接等特性符合加工需求後,預期「再生鋁」將成為鋁業發展新思維以及迎接ESG挑戰的絕佳方案。
鋁門窗業更是鋁材使用大戶,鋁錠大多以火力、燃煤發電來進行鋁礬土電解,每噸鋁排碳16-18噸,水利發電的電解鋁錠一噸約排碳4噸,相較之下,回收及生產再生鋁只產生2到3噸碳,能大幅降低碳排。除此,在俄羅斯因烏俄戰爭被管制出口或貿易制裁,俄鋁又為全球第三大鋁業,因此鋁材出現供應失衡現象,另在全球ESG的趨勢、我國政府開始要求建材業ESG以及碳足跡追蹤管制,因此可以預見「再生鋁」勢將成為鋁產業一項必須面對的重大議題。啟翔輕金屬科技董事長陳百欽表示,再生鋁材是一種環保友善、可持續發展的材料,其重要性不僅體現在減少對自然資源的需求,更在於降低能源消耗和減少廢棄物的產生。透過再生鋁材的使用,我們有機會減緩對地球的環境衝擊,同時能有效推動循環經濟的實踐。支持再生鋁材不僅是對可持續發展的一種承諾,更是對地球未來的愛護和負責任的表現。這種綠色的選擇不僅在企業層面推動了環保理念,更引領了產業和消費者朝向更可持續的未來邁進。
啟翔輕金屬科技董事長陳百欽表示,可於不久的將來成立一個專注於再生鋁材研發的中心。這個新的研發中心旨在推動再生鋁材的技術創新和應用,以滿足不斷增長的綠色產品需求。該中心的使命不僅僅是開發更高效的再生鋁生產技術,還包括提升再生鋁材的品質和應用範疇。這個著眼於未來的研發中心將匯聚業界頂尖的科學家、工程師和環保專家,共同致力於打造一個可持續發展的綠色解決方案,推動企業邁向更環保的未來。這一舉措不僅反映了企業對環保承諾的堅定信念,也有望在產業內開啟一個新的創新潮流,將再生鋁材的應用推向更廣泛的領域。
參考資料
陳百欽:全鋁家具 Emoono 伊莫諾與台灣鋁業大廠啟翔輕金屬,以「為地球多留一棵樹 由鋁開始」
陳百欽永續經營概念
啟翔輕金屬董事長陳百欽循環經濟
把痛點變新商機,啟翔輕金屬科技從代工到品牌「鋁鋁」創新
經濟部產業發展署專訪陳百欽- 啟翔創新園區
陳百欽「15%哲學」多角化帶領啟翔輕金屬科技踏上創新「鋁」途
陳百欽與何基州:啟翔輕金屬科技的研發之心
陳百欽「15%哲學」多角化帶領啟翔輕金屬科技踏上創新「鋁」途
啟翔創新園區鋁金屬業聚落
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senpenbanka0426 · 9 months
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コレクションハンター - Part1
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カメラMODのみの状態でSims4のコレクションコンプリート目指してレッツプレイ。ルールとしては、
・露骨なチートは使わない。 ・デバックアイテムからコレクションアイテムを出さない。 ・ギャラリーからコレクションをダウンロードしない。
って感じでやっていくZOY。
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ただ、私はパック全部購入してる訳ではないのでその点はご勘弁。私が持っててコレクションに関わってるパックの一覧は↑こんな感じになりやす。
過去にコレクションショップを作った事はあるが、久々にまた一から全部集めてみるかって事でプレイ。あと、攻略情報とかでもないので、解説とかも書けないと思われ。あんまり期待しないで見ていってネ!
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そんな感じで手始めにカエル、化石、MySimsトロフィー、クリスタルを回収。
今回のニューゲームで作ったこのシムには「特質:コレクター」が付くように初期願望を「館長」にセットしたZOY。
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クリスタルと金属はダブったら地質調査協会に送って元素に交換してもらう。
クリスタルと金属の種類で貰える元素って決まってた気もしたが、もはやそんなの覚えている訳ないのでテキトーに同じ物が手に入ったら全部送って行くZOY。
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あとポストカードの存在を思い出してパソコン設置。ペンフレンド探して、返信確認して、手紙書いて、ポストカードお願いする……って割と面倒な工程踏まないといけないが、唯一運が絡んでこないコレクションではある。
で、ここら辺で満足ポイントが2000溜まって「鉄の膀胱」をGET。今後、世界中を回ってコレクションを集めていく為にも人間離れしたシムになってもらう予定。
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そんな感じで、カエルを繁殖させつつ、ガーデニングやりつつ、家の周りの岩を掘りつつ……ベースゲームのポストカードをコンプリート。
ハムスターが取って来るタイプのポストカードは今の所は後回し。
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そうこうしてる間にロマンスフェスティバルが開催。ここで固定配置される作物を回収。Seasons導入で取れる作物が減ってしまうが、まぁそれはしゃーない。(無いよりはマシ)
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そんでお次はエイリアン目当てにロケットを設置。
ロケットを完成させて2択のチャンスカードを引き当てる事でコレクションアイテムが貰える訳だが、確かロケットをアップグレードする必要は無かったはず。
1000ドルで建設してそのまま飛ばしてもコンプリートは可能……だけど、目当てのチャンスカード引き当てる為に50回くらい飛ばさないとコンプリート出来なかった記憶が……ww(屑運だともっとかかるかもしれん)
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そんな事を考えつつ同時進行でカエルを繁殖させてたらコンプリートしたわ。
カエルはコレクションの中でも割と簡単な方だと思う。多少の運要素はあるけど狙って繁殖させる事が出来るし。
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で、案の定、ロケット飛ばしまくってるがエイリアンがコンプリートできねぇww
もう春も24日目を迎えて夏になり���う……。
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ダブったコレクションアイテムとかガーデニングの作物売りまくってたら所持金も潤沢になっちまったYO! って事で「フリーランス植物学者」達成させる為にカウプラントベリー目当てで「レア植物」の種袋を購入。
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で、マジックビーンをコンプリート。カウプラントベリーも植えて置いたZOY。
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その後もロケットを飛ばしまくって何とか隕石はコンプリート出来た……が、エイリアンが揃わず。恐らく2択のチャンスカードで選択をミスってるっぽい。どれ選んだら何が貰えるのか、サッパリ思い出せないww
これは最悪、Get To Workの特殊エリア行くまでコンプリートできないかもしれんww
ただ「UFO(未確認フルーツ物体)」は問題なくGETできたわ。これは確か種袋から出て来ないタイプで入手方法が割と限られてるアイテムだった……はず。
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まぁ、それでも過去に揃える事は出来たんだから、どうにかなるべ。って事で今度はスパイスフェスティバルで採取。
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別の日にはフリーマーケットへお出かけ。運が良ければここでスノードームが一気に全種類コンプリート出来たりするんだが……まぁそんな簡単に行く訳がないww
コレクションコンプリートはリアルラックが顕著に影響するのがヤバい。物欲センサーもビンビンだぜ!
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そんな感じでプレイを続けて夏も半分終わった頃。
エイリアン集めは一旦諦めて満足ポイントを確保する為に「願望:オタク脳」を開始。
Jungle Adventureのコレクションやる時に器用さスキルと論理スキルがあった方が良いから、それの準備でもある。
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いやーしかしパッチノートをチラッと見た時は「ガーディング関連のバグを直しました!」��なことを言ってたけど、やっぱり直ってないっぽい。
↑の雑草がどうやっても除去できない。シムが延々雑草取りのアニメーションを繰り返すだけで動けなくなるわ。マジでガーデニング関連のバグは息が長いな。3年?4年くらい続いてる気がする。
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もう資金も心配ない所まで来てたからカウプラント以外は撤去しちゃってSulaniへお出かけ。
「願望:釣り名人」を達成させて「疲れしらず」を購入。
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途中でフリーマーケットの告知が来たから行ってみる。スノードームは手に入らなかったが、まだ未所有だった金属を1つだけGET。やったぜ。
あと、まだまだ満足ポイントが欲しかったから「願望:ベストセラー作家」も開始。
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んで、ベストセラーを3冊書き終わって本の印税が貯まるまでロケットを飛ばす日々を送りつつ、地下室を作成。
とりあえず、置き場に困り始めたコレクションをテキトーに並べておくことに。
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しかし、本当にテキトーに作ったせいでシムが不快になったわww
これ確かシムが到達できない所に、ある程度の大きさの部屋があると出るんだっけか? なんか別な理由で発生する気もするが……良くわからんww
コレクション並べただけの部屋だし、シムが出入りする必要もないだろって思ってたが、しゃーないから階段付けたわ。んで無事、不快じゃなくなったZOY。全く、我儘なモヒカン野郎だぜ!
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そんで、そんなモヒカン野郎を宇宙に飛ばし続けて、とうとうエイリアンコレクションコンプリート!
マジで長かった……ww 「希少度:ありふれている」でも2択の選択をミスると絶対出て来ないんだもんなぁ! 正解の選択を思い出せないから手当たり次第にやりまくったZOY。
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ただ、今思うとエイリアンシムを一時的に世帯に加えてダブって手に入ってた「死んだ宇宙のヤマアラシ」を生き返らせて手に入れた方が早かった気もするww あとは特殊エリアのシグザム行ってからでもよかったかもww 無理にロケット飛ばし続ける必要は無かったww
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まぁ、もうコンプリート出来たから深くは考えないけども。
で、お次は「宇宙の写真」と「顕微鏡の写真」を揃える為に天文台と顕微鏡を設置。
「宇宙の写真」が時間帯によって種類が変わるくらいで大して難しいコレクションでは無いが、屑運だと全然揃わないイメージがある(笑)
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とか、思ってたら誘拐されたわ。うっわ面倒臭ぇ! 妊娠させられたら最悪や!
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って思ってら妊娠させられたww 連日、夜に天文台で作業するから高確率で発生するんだよなぁ。
いやしかし……やっぱりこのイベント、どうしてもレイプを連想してしまう……(笑) 女性シムでも起きるイベントだったらGet To Workは発売出来なかっただろうなって思う。男だったら誘拐してレイプOKって、Get To Workの世界は男性に厳しすぎぃ!ww
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で、まぁ、そんなこんなありつつ、「宇宙の写真」、
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「顕微鏡の写真」はコンプリート。やったぜ。
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んで、妊娠中はやたらと空腹になりやすいし、走れなくなるから出かけるのを止めて家の周りで集められる物を集めてたら「MySimsトロフィー」をコンプリート出来た。
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地味に「希少度:レア」のこの4つを初見でコンプリートするのは難しい気がするww
普通に手に入るカプセルと宝の地図を使って手に入るカプセルは見た目は全く同じだが中身は別物で、「希少度:レア」のトロフィーは宝の地図を使って入手したカプセルからじゃないと出ない……って説明されなきゃ私は分からなかったよ!ww
昔、「なんで最後の4つだけ出て来ないんだ?」ってずっと思ってて攻略サイトとか見つつ海外の実況動画を眺めてたら宝の地図使ってるシーンあって驚いた記憶がある(笑)
まともに説明文読んでなかったせいでずっと「宝の地図」って書いてあるのにゴミアイテムだと思い込んでたわww
んで、今回はセーブ&ロードも駆使しつつコンプリートしたZOY。最後の一個がなかなか出て来なくて「宝の地図」集めるのも億劫になったから目当てのトロフィー出るまで岩を掘る直前のセーブからロードしまくって揃えたZOY。
どの時点までカプセルの中身を抽選してるのかは分からん。魔法シムと科学者キャリアのシムならコピペ呪文やクローン装置でカプセル増やして開けまくるって事も出来るんだろうけど……まぁ、その方法は最終のコレクション集めで使う事になると思われ。
そんな感じで次回へ続く。
次回へ
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