Tumgik
#重力と呼吸
tatsukii · 1 year
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【漸進的筋弛緩法のやり方】 ① 鼻から息を吸って止める。 ② 息を止めている間(3~5秒)に、両腕をガッツポーズにして腕の力を入れる。 ③ 口から息を吐きながら、腕の力を抜いてダラーンと落とす。このときどんな感じがするのか、力が抜けた腕の感覚に意識を向ける。 ④ ①~③を3回繰り返す。 この後、両脚→顔→肩→首の順に、同じように呼吸を合わせながら、力を入れて抜くことを繰り返します(各3回)。 ・両脚……椅子に座った状態で膝を伸ばし、床と平行になるまで両脚を上げる。踵を直角にしてつま先をピンと伸ばしてから→ダラーンと両足を床に落とす。 ・顔………目をつぶって歯を噛み締めてから→力を抜いてポカーンと口を開く。 ・肩………グッと上げてから→ストーンと落とす。 ・首………首の重さを感じながらゆっくり回す。 ここまでやっていただくと、相談者さんたちは「眠くなった」「とても落ち着いた」と口々におっしゃいます。実際にあくびをなさる方もとっても多いです。
どんな兵士でも120秒以内に96%が寝落ちする…あまりの効果に米軍も採用したコストゼロのリラックス法 「漸進的筋弛緩法」のすごい効果 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
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nmtn-kobi · 6 months
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「イクイクイク………………ッ!」
喘ぎながら、奥でドプっと、吐き出してくださる。程なくして漂うあの香り。滴る汗とともに幸福で包まれる。ズルッ……と引き抜かれると、頬を撫でられ、ニヤリと一言残して立ち去ってゆく。
「気持ちよかったぜ…」
まみれたまま、その場所で仰向けに横たわり、目を閉じる。さっきまでの光景が脳裏に浮かび、自然と穴に手が伸びてしまう。白濁の液体をゆっくり掻き回し、余韻に浸っている………。
ベチ。
しばらくすると頬に、重量感のある生あたたかい何かが触れる。俺は少し寝ぼけたまま、それが、ぬるりと頬を擦り、口元へ移動してくるのを感じる。あ、生デカマラだ!
眠気は吹き飛び、目を開き、ゆっくりと勿体つけるように、亀頭を少し咥え、鈴口から溢れる先走りを味わう。うめぇ…。好みの味だ。そのまま、口奥へ少しずつ導き、亀頭全体を銜え込み、吸い上げると、ビクンッ!と少し膨れ上がる。そのまま、唇を幹にすべらせ、舌も絡めながら、喉奥へと誘い込む。ゆっくり大きく前後させると、段々硬さが増してくる。うぉ…やうぇ…でくぅうぇ…
すると、その雄は俺の頭を掴み、腰を動かし始める。あぁ、上の口が犯されてゆく。そんなことを考えていると、たまらず俺も勃起してしまう。このままイかされそうや。だが、なんとかして、これで孕まされたい。そう願いながら、必死にご奉仕を続ける。
不意に引き抜かれると、眼の前に、穴を向けられる。
「気持ちよくして」
一瞬怯んだが、さらにエロくなっていただきたい一心で、そこに舌先を入れる。
「あぁ………………」
自然に洩れ出る喘ぎ声がたまらない。ケツタブを開き、唾をまぶしながら、舌を出し入れすると、それに呼応するように、そこがヒクヒクと動く。そのまま、その雄の股間に手を伸ばすと、さっきより勃起している!俺は歓喜のあまり、一層、ねぶりを強めていく。
そのとき、急に、うつ伏せにさせられ、その雄が後ろから覆い被さり、
うぉぉぉぉぉ……………っ!
俺は思わずのけ反り、穴を締めてしまう。ガッシリと動けないように体を掴まれ、一番奥へとガッツリ、最高潮に勃起した生デカマラを嵌め込んでくださったのだ!
あ…あ………あぁ…………
さっきの精子が潤滑油となり、ゆっくり奥が撫でられ、少しずつ開き、気持ちよくなってゆく。両足も絡みつかれ、完全に身動きのとれない、寝バックの体勢だ。その雄の生デカマラの感触だけが頭を支配してゆく。奥がこじ開けられるに従い、上の口からも思わず涎を垂らしてしまう。
「よくご奉仕してくれた御礼だ」
あぁ…ロングストロークになってゆく。完全にこの生デカマラ様の形になってるんや。入ってくる時は包み込むように迎え入れ、出てゆく時には名残惜しそうに柔らかく締め付けるから、この穴を気に入っていただきたい。
「おぉ…たまんねぇ穴だなぁ…たっぷり種付けてやるぜ…」
あぁ…嬉しい、奥の奥に好きなだけ擦り込んでほしいッス!俺も腰を上へ動かす。
「あぁ…イクぜ…イクイク…イクイクイクイクイクイク……イ……ク……!」
ズドンッ…ズドンッ…ズブッ………
やべぇ…俺もイク…あぁぁ…イク…イクイク…!
しばらくすると、またあの匂いが漂う。背中の上に、汗だくになった雄の体温を感じながら、最後の力を振り絞って、穴をまとわりつかせる。するとそのたびに、ビクン、と何度も返事をしてくださる。そんなことされたら、また開いちまうすよ…
ヌルッ…ズブブ……あ………………………
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nm-senmon · 10 months
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ビルダーprt4
俺の腰を持ち上げてケツの中にまで舌を突っ込んで舐めまわされる。興奮して鼻息が荒いビルダーがウナギで繋がりたい!と言い始めた。
俺のケツ舐めを止めてバスタオルを重ねて引いてローションとウナギを持ってきた。まぁまぁ太めのウナギでイボイボがたくさん付いてる。長さ的には1メートルくらいかな。
俺が愛用してるウナギっす!週3くらいでケツ奥まで入れてアナニーしてるっす!と言いながら、俺のM字開脚の間に入ってきた。
ビルダーは、俺このウナギの7.8割くらいガッツリ入れてトコロテンした精子舐めてるんで一緒に繋がってお互いの精子味わいたいです!と真顔。
ビルダーはウナギにローションを塗ってケツマンに入れ始めた。おぉ〜気持ちいい!と言いながら、ウナギの半分はビルダーのケツの中に入ってる。その状態のまま、俺のケツにローション容器の先を突っ込んでローションを流し込んできた。ヒンヤリ気持ちいい!ローション容器をケツから抜いてウナギを入れようとしてる。俺は自分でウナギをケツマンの入り口に当てて一気に突っ込んだ。ビルダーはウナギの先が入った事を確認すると、奥まで入れますね!とウナギをドンドン奥に進める。気持ちいい!俺はもっと奥まで入れろ!と言い、お互いのケツマンが密着するくらいまで飲み込んだ。
ビルダーは、スゲ〜兄貴半分飲み込んでめちゃくちゃエロいっす!と言いながらケツを振っている。俺はビルダーが腰を振るたびに気持ち良くて声が漏れる。
俺がビルダーに、トコロテン我慢しろよ!この後、俺のケツ奥に出せ!それまでは一滴も種出すんじゃねーぞ!と言うと、ビルダーは、はぃ!わかりました!でももうヤバいっす!早く射精したいっす!と言って俺のケツからウナギを一気に引き抜いた。
脱肛するんじゃないか?って感じで痛気持ち良かった。ビルダーは、ウナギを更に奥まで入れて、出し入れしてる。8割くらい入ってる。
兄貴のケツマンに俺の太マラ入れますね!と言ってケツにウナギ入れたまま、一気にデカマラ突っ込んできた。バッキバキの上反り、カリデカ、太さもそこそこ、17センチってところかな。
ビルダーのチンコは根元まで俺のケツ奥に入ってる。上反りが気持ちいい所に当たってて腰が反れる。
もう出したい!俺の精神出すんです兄貴孕んでください!と急に腰を振り始めた。ガン掘りでマジでケツぶっ壊れるんじゃないか?って勢い。ビルダーのケツにはウナギがガッツリ入ってて、凄い呻き声で掘ってる。1分もしないうちに、孕め!孕め!孕め!を連呼しながら俺のケツ奥に射精した。中出しした後も、腰を振り続けてる。このケツマジで最高。トロトロ気持ちいい!やめらんない!って言いながらまだ腰を振ってる。
俺は中出しされた事で高揚感が半端ない。こんな有名なボディビルダーが俺のケツ掘って中出ししてるってだけで最高!
兄貴このまま2発目出すから、ケツ限界でぶっ壊れても逃げないで下さいね!と言いながら正常位の状態で上から覆い被されて羽交締めしされて、逃げようにも逃げられない。相変わらず勢いよく腰を振られオナホ状態。
ウケしてる時とは別人じゃないか?ってくらい豹変して俺のケツをただただ掘りまくってる。
気持ちいい!トロマン最高!俺の専用オナホにしたい!って言いながら腰振る速度、強さは全然衰えない!さすがビルダーって感じ。
15分ほど掘られ続けて俺はもう体力が無い状態で全身の力が抜けて本当にオナホになってるって実感した。掘られながらベロチューしてビルダーの唾液を飲み、いつになったら2発目が出されるのか?早く精子が欲しい!早く妊娠させてくれ!とビルダーに言うと、俺の精子欲しがってくれるのめちゃくちゃ嬉しいっす!と言って2発目出すぞ!と言ってケツ奥がまた熱くなった。ビルダーは、ケツ奥を突き刺したまま止まってる。ハァハァと息を切らしながら2発連続耐えてくれて嬉しいっす!確実に孕みましたよ!って満面の笑み。
ビルダーがケツからチンコを抜くと、俺はそのままシャブった。少し萎えた感じはするけど、それでも上反りのまま。尿道に残った精子を吸い出して味わう。ビルダーは、亀頭責められたら小便出ちゃうのでと言いながら、俺の口に小便を出し始めた。
当然、小便は全部飲む!それ以外の選択肢が見つからない。量は少ないけどビルダーの小便が飲めてる事が嬉しい。
小便を飲み終わって2人並んで寝転がり、少し休憩をする事にした。ビルダーはカマグラ飲みますけど、兄貴と飲みますか?と聞かれ、当然飲んだ。この後の事も考えて水もたくさん飲んだ。
ビルダーがどっちか限界までお互いの精子と小便交換しましょうね!とまだまだヤル気満々だ。休憩してるって言ったけど、ビルダーば自分で持ってきたディルドをケツに入れてアナニーし続けてる。
どんだけ変態なんだ?って言うと、こんな相性良い相手始めてなんでケツ疼いて仕方が無いっす!と今度はウケモードになってる。そんな他愛もない会話をしてるとビルダーは俺のチンコをシャブり始めて、小便飲みたい!って真顔で見てくる。
この後は掘ったり掘られたり、中出ししたり中出しされたり。小便飲んだり飲まされたり。とチンコから出るもの全て相手の体内に。
俺がもう勃たない!限界かも!って言うと、ビルダーは、今度は俺のケツに腕入れて下さい!と言い始めた。過去何度かフィストはやった事があるから、全然構わないよ!と言うと調子良ければ肘辺りまで入るので、中出しした精子を奥に擦り付けて下さい!と言う。
デッカいリュックからワセリンと別のローションを出して準備し始めた。
ってところで、一旦終了。
続きはフィストのところから。また今度書きます。
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yoga-onion · 9 months
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[Image above: Haku, the river god, the Studio Ghibli, Spirited Away]
Legends of the humanoids
Intro
Lately, I've been into qigong exercises. This is because during the winter months, the whole body gets cold - muscles, ligaments and even internal organs - and I find that qigong, which stretches with more help of breathing and gravity, is safer than yoga stretching.
There are many common movements in the ancient Indian tradition of yoga, as well as in the ancient Chinese traditions of qigong and tai chi, and those who have been pursuing yoga for many years, or vice versa, may find it easier to switch between the two. And it seems possible that originally it was the same method that humans learnt from higher beings thousands or tens of thousands of years ago.
Common to both is that many of the forms are named after and imitate animals, mountains, flowers and other creatures in nature, such as trees. Not only that, but even in kung fu, karate and other martial arts, ancient people must have worshipped and respected the Nature and non-human creatures far more than modern people, as they compared them to animals and other forms of nature when they performed miracle-class strength.
Of more interest in ancient folklore are humanoids, including human-animal hybrids and human-animal chimeras, as well as cryptids, which are animals that they believe may exist somewhere in the wild. Why are there so many humanoids being talked about, not only in myth and folklore, but also in S.F. and fantasy novels?
Let's take a look at some of the most enigmatic and legendary creatures whose current existence is either scientifically questionable or unfounded.
[Image below: Sphinx, a mythical creature with the head of a human and the body of a lion]
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伝説のヒューマノイドたち
はじめに
最近、すっかり気功にハマっている。というのも、冬場は筋膜、筋肉、靭帯、内臓まで全身が冷えるので、呼吸と重力の力をもっと借りてストレッチする気功は、ヨガのストレッチよりも安全だと感じるからだ。
古代インドの伝統であるヨガにも、古代中国の伝統である気功や太極拳にも、共通する動きがたくさんあり、長年ヨガを追求してきた人、あるいはその逆の人たちは、両者の切り替えが楽だと感じるかもしれない。そして、もともとは人類が何千年、何万年も前に高次の存在から学んだのと同じ方法だった可能性もありそうだ。
両者に共通するのは、型の多くが動物、昆虫、山、花や木など自然界に存在するその他の生物の名称が付いており、模倣されていることだ。それだけでなく、カンフーや空手などの武道においても、古代の人々は奇跡的な強さを発揮する際に動物や自然界の姿に例えるなど、現代人よりもはるかに自然や人間以外の生き物を崇拝し、尊敬していたに違いない。
古代からの伝承において、もっと興味深いのは、ヒトと動物のハイブリッドや、ヒトと動物のキメラを含むヒューマノイド、また野生のどこかに存在するかもしれないと信じている動物である未確認生物などの存在だ。神話や民間伝承だけでなく、S.F.やファンタジーの世界でも、なぜこれほど多くのヒューマノイドが語り継がれているのか?
ここでは、現在のところ科学的にその存在が疑問視されているか、あるいは根拠がない、最も謎めいた伝説上の生物をいくつか見てみよう。
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simamamoru · 2 months
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汚辱の日々  さぶ
  1.無残
 日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
 週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
 私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
 きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
 班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
 初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
 戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
 だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
 その過��を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
 なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
 この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
 私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
 勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
 全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
 つらかった。肩身が狭かった。
 もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
 夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
 あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
 2.玩弄
 部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
 低いドスのきいた返事があった。
 扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
 辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
 傲然と私に命じた。
 私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
 程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
 辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
 ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
 乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
 コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
 私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
 入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
 私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
 私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
 辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
 辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
 意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
 水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
 頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
 他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
 今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
 私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
 堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
 命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
 二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
 思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
 低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
 私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
 水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
 辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
  3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
 四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
 彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
 今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
 顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
 凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
 言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
 一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
 戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
 三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
 男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
 「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
 有無を言わせぬ強引さであった。
 あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
 その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
 その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
 ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
 私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
 合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
 息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
 奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
 堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
 思わず息をのんだ。
 徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
 突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
 断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
 心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」  言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
 毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
���最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
 毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
 終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。 
 班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。  瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
 どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
 気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
 「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
 おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
 そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
 水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
 新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
        (了)
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kinemekoudon · 1 year
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スマホを解析されて、薬物売買のログを見せられたときのレポ
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―逮捕から7日目。この日は2回目の検事調べが予定されており、今回はワゴン車による単独の護送ではなく、護送車での複数人共同の護送になるとのことで、僕は初めて護送車に乗れることを少し楽しみにしていた。
朝8時30分頃、点呼とともに居室から出され、留置場の出入り口扉の前に連れていかれると、扉の前には既に2人の収容者が縦一列に並ばされており、僕はその2人の後尾に立つよう指示をされる。そして例によって身体検査をされると、いつもよりキツく手錠をかけられる。
その後、留置官が先頭の収容者の手錠の間の輪に、通常より長い腰縄を通してから腰に巻き付け、同じ要領で、その長い腰縄を中間の収容者、そして後尾の僕に巻き付け、見事に3人を数珠繋ぎにすると、その長い腰縄を自分の腰につけているフックに括りつけ、後尾に立つ僕の後ろについた。
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それから、3人の前後に警官が3人ずつついた体制で、地下の駐車場まで連行され、しばし駐車場で待機をしていると、白色と灰青色のツートーンカラーで、黒色のスモークガラス窓のマイクロバスがやってきて、3人の手前に停車した。
僕はその時まで、護送車とは、青地に白のラインが入っている、窓に金網のついたバス型の車だと思っていたので、実際の護送車がひどく凡庸なことにがっかりした。
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上が護送車、下は人員輸送車(警察官を輸送する車)
そうして、3人は連結されたまま護送車に乗せられる。護送車の車内は、右側2座席に左側1座席の3列配置で並んでおり、窓には鉄格子が嵌められていて、運転席との間には壁があって全く見えないようになっていた。
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また、護送車は周辺地域の警察署を順繰りにまわり、地検に移送する被疑者らを拾っていくシステムのようで、すでに15人ほどの先客が座っていた。
彼ら15人は、非常に長いロープで数珠つなぎにさせられており、全員が上下グレーのスウェットに茶色の便所サンダルの恰好で、手錠をかけられ、姿勢よく無言で着座しているので、捕虜の集団のようだった。
車内にいた警官らによって、3人は各自指定された座席に座ると、3人を連結していた長い腰縄が外され、今度は15人を連結している非常に長いロープに括り付けられる。
18人の被疑者と1本のロープによる数珠が完成すると、1人の警官が、「車内では会話や目配せはもちろん、足を組むのも禁止する」などという護送車内の規則を、大声かつ歯切りのよい口調で説明していた。
車内に5人ほどいる警官らも、これだけの逮捕者を移送するというだけあってか、非常に緊張感を持った面持ちで、ちょっとでも無駄に声を発したら怒鳴られそうな緊迫感がある。
僕は幸い、右側2座席の窓側の席であったので、外の景色でも見て気を紛らわせていようと思った。なんだったら、前回の単独移送では、両隣に警官が座っていて、窓はほぼ塞がれている状態だったので、久しぶりに外の景色を見られることは楽しみだった。
そうして、護送車が出発する。捕虜同然の惨めな状態というのもあってか、留置場では見ることのない格好や表情をした道行く人々を見ると、外の世界は自分とはもう関係がないように思えてきて、非常にセンチメンタルな気持ちになる。梅雨時で曇天模様だったのがまだ救いであった。
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出発からおよそ1時間が経過し、護送車が地検に到着する。護送車のドアが開くと、地検で待機していた警官がドア横に立ち、日本陸軍の点呼のような厳格さを感じる大声で「第三系統! 総員十八名!」と号令をする。車内の被疑者らが数珠つなぎにされたまま、1人ずつ車内から降りていくと、その警官はやはり日本陸軍のように「一!二!三!…」と点呼をとっていた。
数珠つなぎのまま連行され、待合室のある広間に出ると、そこには前回よりもはるかに多い、100人弱の被疑者らがおり、見るからに力士のような者からヤクザのような者まで、前回より威圧感のある男が多く集結していて、全体的に迫力があった。
また今回は人数が多いためか、警官の人数が多く、警官らはみな厳格な号令と点呼を行い、鋭い眼光で被疑者らを監視しているので、今までに味わったことのない張り詰めた空気が漂っている。
それから例によって、待合室という名の牢屋で、座る者の事など考えていない直角の硬い椅子にすし詰め状態で座らされ、時間もわからないままひたすら待ち、昼食時にコッペパンを食べ、いつ自分が呼ばれるか分からないまま、またひたすら待つ。相変わらず地獄。
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おそらく3時くらいになってようやくお呼びがかかり、僕は一人の警官に連れられて、検事のいる部屋に入室した。あくまで検事が起訴か不起訴かを決めるので、入室の際、僕は少しでも検事の心証を良くしようと、礼節を重んじている風の挨拶を決め込む。
前回同様、義務的な質問などがされ、黙秘権について告知がされるので、僕はここぞとばかりに、昨日弁護士にアドバイスされた通りに、「担当の弁護士さんから抗議書が送られていると思いますが、昨日、留置担当官の方に「ブチ殺す」などの脅迫を受けて、警察や検察の方を信用できなくなったので、取り調べには協力できません」などと、あくまで被害者ぶった深刻な表情で言う。
すると検察官は、こちらの会心の一撃をまるで意に介さないような表情と口調で「わかりました。その件についてはこちらでも事実確��と調査を行ってまいります」などと流暢に返事をし、「ただ、本日は見ていただきたい資料があるので、応えられるものに関しては応えていただけませんか?」と尋ねてきた。
僕はその見せたい資料とやらが気になったので、「資料は見せていただきたいですが、黙秘はします」と応えると、検察官はそれを了承し、A4サイズの紙が200枚ほど綴じられている分厚いバインダーを取り出して、付箋の貼ってあるページを開き、僕に見せてきた。
そのページには、僕がプッシャーから薬物を買おうとやり取りしていた、Telegramのログ画面の写真が貼り付けてあった。
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僕はまず、そもそもスマホの解析承諾をしていなかったので、無断で解析をされていたことに度肝を抜かれたし、露骨な薬物売買の証拠を見せられて、少し動揺が出てしまった。
ただ幸い、今回一緒に逮捕されたプッシャーとのやり取りのログは完全に消去していたし、見せられたログは、僕が「在庫はいかがですか?」と尋ね、プッシャーが「こちらになります」と隠語で書かれた薬物のメニュー表を画像で添付して送り、僕がそれを既読無視しているという、購入の意思を見せていない内容ではあった。
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メニュー表のイメージ
ちなみにTelegramにはパスコードロックをかけていなかった。
検察官は僕が動揺している隙に、「これは、あなたが薬物を購入しようとして、売人にコンタクトをとったものじゃないですか?」と単刀直入に質問をしてくる。
僕は、このログについてはどうとでも取り繕って否定できそうだったので、つい否定をしたくなったが、下手に喋ってボロを出しては検察の思う壺なので、「黙秘します」と応える。
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それに対し、検察官は無言で頷き、プッシャーが提示していたメニュー表の画像を指さして、「この“罰”っていうのは、コカインのことですよね?」と尋ねてくる。
僕は反射的に、「いえ、罰はMDMAの隠語です」と本当に危うく口走りそうになったが、一呼吸置いて「黙秘します」と応えると、検察官はやはり無言で頷き、再び付箋の貼ってある別のページを開いて、僕に見せてくる。
そのページには、一緒に捕まった友人の吉岡とのLINEでのやり取りの写真が貼ってあり、どう見ても薬物を言い表した代名詞でのやり取りや、それに付随して、「悟ってる時の顔」などと言って、僕がLSDのピーク中に目を瞑って微笑んでいる顔写真を吉岡に送りつけている赤面不可避のログも載っていた。
当然、これらに関する質問にも黙秘を貫いたが、検察官は少し呆れた表情で、「…うん。でもね、小林さん(一緒に捕まったプッシャーの本名)のTwitterアカウントのリンクが、吉岡さんからあなたに送られているんですね」などと言って、今度はそのログの写真を見せてきた。
僕は吉岡とは完全にクロな証拠のやり取りをしていなかったつもりでいたので、これにはさすがに焦りを感じたが、そのメッセージの前後に脈絡はなく、リンクだけが送られているという内容のログではあったので、これだけでは証拠として不十分であろうとは思った。
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検察官は続けて、「この小林さんのアカウントにコンタクトを取って、小林さんから大麻を購入したんじゃないですか?」と名推理をしてきたが、僕はなんとか無表情をキープしたまま、「黙秘します」とだけ言っておいた。
検察官は表情を変えず、「わかりました。それでは本日はこれで以上です」などと言って、この日の取り調べは終わることになり、僕は当然、調書への署名・押印を拒否して、部屋を後にした。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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dropoutsurf · 7 months
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【漸進的筋弛緩法のやり方】 ① 鼻から息を吸って止める。 ② 息を止めている間(3~5秒)に、両腕をガッツポーズにして腕の力を入れる。 ③ 口から息を吐きながら、腕の力を抜いてダラーンと落とす。このときどんな感じがするのか、力が抜けた腕の感覚に意識を向ける。 ④ ①~③を3回繰り返す。
どんな兵士でも120秒以内に96%が寝落ちする…あまりの効果に米軍も採用したコストゼロのリラックス法 「漸進的筋弛緩法」のすごい効果 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
この後、両脚→顔→肩→首の順に、同じように呼吸を合わせながら、力を入れて抜くことを繰り返します(各3回)。
両脚:椅子に座った状態で膝を伸ばし、床と平行になるまで両脚を上げる。踵を直角にしてつま先をピンと伸ばしてから→ダラーンと両足を床に落とす。
顔:目をつぶって歯を噛み締めてから→力を抜いてポカーンと口を開く。
肩:グッと上げてから→ストーンと落とす。
首:首の重さを感じながらゆっくり回す。
【リラクゼーションの呼吸法】
鼻から息を吸い込みます。空気の流れを意識して、その冷たさを感じます。
口から息を吐きます。吐く息のあたたかさを意識しながら、吐く息とともに全身の力が抜けていくのを意識します。のどを通る空気の感覚なども意識します。
①~②を3回繰り返します。呼吸の最中は「何か思考が浮かんでも、それを追わない」と決めて、何か浮かびそうになったら常に呼吸に意識を戻します。
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睡眠,眠り,快眠,不眠,不眠症,入眠障害,眠れない,呼吸法,脱力,血流,
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gu4 · 11 months
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何度も書きすぎて飽きてしまったけど、 ・COVID-19は呼吸器系疾患ではなくて全身性血液疾患で自己免疫疾患 ・SARS-COV-2は変異し続ける ・完全無欠の予防手段はない ・完全に治癒する特効薬はない ・感冒様症状は初期症状で後遺症からが本番 ・どんな後遺症が当たるのかはガチャ運次第 ・自衛が個人判断になり、早期投与薬は感染者の自己負担になったが、別に確実に完治することが確約されてはいない ・感冒様症状の発症二日前、感冒様症状が出ないうちから、感染力のあるウイルスの放出を始める ・初期症状である感冒様症状が治まる発症4~5日目辺りが最もウイルス放出量が多く、同居家族及び接近した他者に感染させやすい ・発症から二週間経過すると呼気混じりのウイルス放出はほぼ終息するが、体内深部の内臓などに持続感染が起きている場合がある ・感染時無自覚無症状でも持続感染が起きる場合がある ・発症から2~3カ月経過しても感染前の状態に戻らない罹患後症状は、そのまま一生回復せず状態が固定する場合がある。これを後遺症と呼ぶ ・三ヶ月過ぎて変わらない場合、一年過ぎても二年過ぎても回復しない(自然には再生しない細胞が毀損した場合など) ・血管内梗塞を引き起こすことで高齢者、基礎疾患持ちの元々持ってる病気の予後を悪化させるなど、「その他の重大な疾病のブースター」として機能する ・COVID-19の感染でそれ以外の病気が発症しやすくなる ・定期検診の習慣がまだない若い世代や子供などは、自身が掛かっていた病気の存在に気づかないままCOVID-19に感染し、著しく体調を悪化させる場合がある ・ワクチンの早期接種で、子供の重症化、後遺症を二桁%緩和できる(CDC他からの啓発。対策しなければ、子供でもそれだけ重くなりやすいということ) ・感染者の1~4割に何らかの後遺症雅残る(比率は研究によってばらつきがあるが、最小限でも十人に一人は後遺症が残る) ・ワクチンなし+自然感染、ワクチン+自然感染のハイブリッド免疫は、そこまで長期的に抗体を保持できない ・ワクチン接種による抗体は6カ月くらいまで維持され、7カ月目くらいでほぼなくなる ・ワクチン接種による心筋症発症リスクは百万人に2~3人くらいで、接種による重症化・後遺症の症状低減メリットのほうが大きい ・2023年秋の接種は「XBB系対応一価ワクチン」「最後の無料接種」「調達数は現状で3500万人分」 ・2024年からの接種はインフルエンザ同様自己負担、「個人の判断で各自自衛してください」となり、「何もしなくても行政が勝手に助けてくれる」期間は終わり、命の選別を個人の判断で行うシフトに とりあえず「コロナ禍を経てCOVID-19について分かってることのまとめ」。 同じようなこと何度も書きすぎて飽きた。
Xユーザーの加藤AZUKIさん: 「何度も書きすぎて飽きてしまったけど、 ・COVID-19は呼吸器系疾患ではなくて全身性血液疾患で自己免疫疾患 ・SARS-COV-2は変異し続ける ・完全無欠の予防手段はない ・完全に治癒する特効薬はない ・感冒様症状は初期症状で後遺症からが本番 ・どんな後遺症が当たるのかはガチャ運次第…」 / X
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sryem · 3 months
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2024年6月10日
・関西の下宿先に戻ってきた。理由は特になくて、6月頭に夜行バスの価格比較サイトを見ていたら3列独立バスが4000円だったのでびっくりして即購入してしまった。あんまり乗らない人だとわからないかもですが、関東-関西間を走る3列独立シートの夜行バスは通常8000円以上します。閑散期最高。
・5月末に就活が終わり、来年春以降所属する会社が決まった。納得感を持って主体的に選択できたという点で既に昨年の就活と大きく異なるし、今年の就活は私の人生において重要なイベントだったと感じている。複数社から内定をもらえたこと自体もそうだし、内定企業によるフィードバック面談や一緒に就活をしてくれたエージェントとの面談での評価のおかげで、全体的に喰らうことより自己肯定感が上がることのほうが多くて、ありがたいことに恐れていた精神的危機は起こらなかった。むしろ人生において全くの他者にこれだけ人間的性質を褒められる期間もなかなかないだろうなと思ったくらいだ。特に努力をしたとも思わないので運が良かったなと考えている。社会人になるのが楽しみだって今は純粋に思える。
・関西に戻ってから友人数名と会った。2日連続でそれぞれ別の友人と会って、両日とも終電を逃して歩いて帰ったんだけど、私が大学受験で血反吐吐いて獲得した自由はこれだったんだなと改めて思ったし、やっぱりこれを失うことはできないとも思った。市販の普通のシャンプーを使っているだけで「お前が使っているシャンプーの香りは強すぎるから変えろ」と毎回風呂上がりに文句を言われる家を精神基地としてストレスフルな社会を生き抜いていくことは難しい。社会人になっても実家に戻らず一人暮らしをしようと思う。やるしかない。ダメだったらまた考えればいい。
・中学生や高校生の頃の比ではないくらい頻度は減ったけど、未だに前触れもなく絶望や理由のない焦燥に駆られるときがある。部屋の隅で呼吸を浅くしながら、今まで私が迷惑をかけたり突き放したり見えないふりして助けなかったりして遠ざけたすべての霊たちが私の心臓を潰そうとしているのを感じる。そして苦しみの中で密かに安心している。罪がきちんと暴かれたことへの喜びさえ感じる。全部のかたちがはっきりわかって、苦しみだけが正気だと確信する。でも夜が明けるとすべては霧散していて、影も形もない。私はまた現実の中を歩いていく。その繰り返しなんです。私が言っていることわかりますか?
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ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)5月26日(日曜日)
    通巻第8266号
 パラノイア指導部の幻覚症状は狂気を帯びてきた
  習近平の『中華民族共同体概論』なるものをどう読むべきか
*************************
シン文化大革命の本格化なのか?
『中華民族共同体概論』なるものが発表された。毛沢東が提唱した階級革命ではなく、むしろ漢民族の文化的、人種的ナショナリズムを基軸とする、幻覚症状が顕著なのである。
中国共産党の少数民族政策に対する新たなアプローチは、少数民族が政治的、文化的自治権を行使し「自らの家の主人」となることを認めた過去の約束を頭から否定した。
新しい概論は中国の過去と未来に漢民族中心の物語に変色され、チベット人、ウイグル人、モンゴル人、その他の先住民族の「主権」と「祖国」は消去され、漢民族の植民地主義と人種形成の目的論に置き換えられた。時代錯誤も甚だしいと言える。
習近平がとなえる「中華民族」とかの抽象的概念は「統一された多民族国家」を統治するための新しい正統性を明確に表現している。『中華民族共同体概論』が提示す考え方は、民族統治に対する従来のアプローチ、「共産主義的多文化主義」というパラダイムから漢民族中心の文化的および人種的ナショナリズムへの根本的な後退を表している。
2018年に改正された中華人民共和国憲法は、1億2500万人と公認されている「少数民族」に対し、10億人を超える漢民族との平等を引き続き約束している。それぞれの故郷において、憲法はこれらの少数民族が「自治権を行使」できるよう「地域自治」を約束している。「独自の言語」『独自の文化』の権利も含まれるのである。この憲法を土台から無視しているのは、さすがに無法国家である。
『中華民族共同体概論』は、少数民族に漢民族の規範への服従と、言語、文化、アイデンティティの緩やかな消去を要求しており、中華人民共和国の少数民族を新たな漢帝国の植民地の「臣民」と定義した。
▼多様な意見はもはや少数民族自治区公共の場では存在しない
新たな正統派思想、「習近平の国家建設事業の強化と改善に関する重要思想」と呼ばれているものは、少数民族や漢民族の当局者から反対されてきた筈だった。
近年の典型がウイグル族への撤退的な弾圧だった。党国家官僚機構の再編、新疆ウイグル自治区やその他の辺境地域での暴力的な取り締まり、そして「民族問題」を担当する少数民族当局者の粛清がつづき、多様な意見はもはや公共の場では存在しない。
チベットのパンチェンラマは23年間、行方不明である。習近平主席が自ら宣言した「新時代」が到来した。
1991年のソ連崩壊後、民族分離主義の危険性と伝統的な中華文化の復興が緊急に必要であるとの強迫観念に取り憑かれた中国共産党は、「第二世代の民族政策」を提唱した。
政権の安定に「深刻な課題をもたらす根深い問題」とは、海外から煽られたテロ、過激主義、分離主義の三つの「悪の勢力」だけでなく、国内の「イデオロギーの誤解」や「誤った見解」も含まれる、とする。
「一部の地域では、少数民族文化の特殊性を誇張して「後進的で奇妙な風習や習慣」を促進している一方で、「一部の人々」は「意図的に少数民族のアイデンティティを強調し、中華民族のアイデンティティを薄め、意識的または無意識的に中華民族の共通性を無視している」と報告された。
『中華民族共同体概論』はこれまでの少数民族優遇政策を批判している。
過去の称す民族への政策は「当初の意図から逸脱し、民族的差異を固定化し、狭い民族意識を助長し、誤った『少数民族例外主義』論を生み出した」とし、ウイグル族、チベット族、モンゴル族が自らの歴史を歪曲し、「文化的多様性の保護を利用して後進的な生活様式や固定観念に固執する」ようになったなどとした。
同概論では中国の歴史に関する13の「講義」を中心としている。
また、習近平政権下での国家建設活動の新たな指導政策策定の意味、重要性、影響を解説している。
驚き桃の木は「中華民族は、約200万年前に、中国特有のヒト科のグループとともに出現した。その後、周囲の民族をその優れた華夏・漢民族の中核に引き込み、吸収することで有機的に成長し、途切れることなく分裂することなく、その規模と地理的分布を拡大した」そうな。
ホモサピエンスは235000年前、北京原人の人骨が再発見されたとしても、中国の最古のものは50万年前の類人猿である。北京市房山区周口店で北京原人の化石が見つかったのは1929年12月2日だが、その後、頭骸骨は行方不明である。
 
しかも「中華文明の寛容、平和、開放性」が自然な成長をもたらしたなどと吠え、文明の衝突、植民地主義、略奪、弱肉強食を克服した中国は、帝国と国民国家の両方の上部構造を超越する「人類文明の新しいパターン」を開拓したとなどと事大主義的な幻想を唱えている。妄想に近いのではないか。
なにしろ「すべての民族が中華民族とその国民国家に「同一視し忠誠を誓う必要性」を持つために国民を「導く」積極的な役割を果たさなければならない」とし、「中華民族は絶対に『想像上の共同体』ではなく、むしろ5000年以上の中国文明の伝統が染み込んだ巨大国家共同体である」とパラノイア症状は重症になる。
たしかに殷王朝から秦始皇帝、漢帝国と中国では易姓革命が継続されたが、秦も隋も唐も鮮卑系であり、元はモンゴルであり、清朝は満州族だった。漢族の王朝は漢と明と宋でしかないが、この歴史実態は「中華民族共同体」でひとくくりにするわけだ。
『中華民族共同体概論』では中国文明は約5000年前に共通の政治共同体を生み出した「血縁の基盤」の上に築かれたと主張している。
第一の特徴は「血」という用語が夥しく使用され、中国の歴史全体を通じて、民族間の結婚、文化の融合、地域間の移住、「絡み合った血統」について頻繁に言及している。
習近平は漢民族と少数民族の関係を説明する際に「大家庭」の比喩を頻繁に用いている。中華人民共和国建国の際に毛沢東が同じ比喩を用いたとき、「中華民族の家族の血縁関係」を明らかにしようとした。つまり、「あなたは私の中におり、私はあなたの中におり、誰も他の人から切り離すことはできない」というわけである。
第二に、各民族の意識と中華民族の共通意識との関係である。両者は「手を取り合って」はいるものの、同等ではない。むしろ、中華民族全体の利益が第一であり、各民族の意識は「中華民族共同体の意識に従属し、奉仕すべきである」とする。
第三に、中華文化と各民族文化の関係である。「中華文化は背骨であり、各民族文化は枝葉である。根が深く幹が強くてこそ枝葉が栄える」
第四に、物質と精神の関係がある。「経済と社会の発展は、自然に国家の統一をもたらすものではない」とし、党の指導者は「魂のエンジニア」でなければならない。積極的に中国国民全員の思考、隠語、行動、身体を形成しなければならないが、少数民族は後進的と見なされているため、特別な配慮が必要である。
冒頭にのべたように、現在の中国では毛沢東を尊敬するパラノイア指導部によって、新たな文化革命が本格化している。漢民族の文化的、人種的ナショナリズムの波である。過去の約束、政策、歴史を歪曲することで、漢民族中心主義の神話を再構築しようとしていることになる。つまり、中国共産党王朝にただ一人の主人がいる。
それが漢民族基軸のシン帝国、習近平皇帝ということである。
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kennak · 10 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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yoga-onion · 2 years
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The Quest for Buddhism (120)
Buddhist cosmology
Samatha-vippasana – Buddhist yoga
Samatha-vipassana is the main form of Buddhist meditation and yogic practice, yoga. In a broad sense, it is part of Zen.
Buddhist yoga practice is samatha-vippasana, in which samatha (stillness: Ref) and vippasana (insight: Ref2) take place simultaneously. The emphasis on observation as well as cessation is characteristic of Buddhist meditation methods. Cessation and contemplation are often compared to two wheels, which are inseparable. The diverse development of this technique of prayer and meditation, incorporating yogic contemplation (meditation), is a characteristic of Buddhism.
Buddhist yoga encompasses a variety of methods which aim to develop the 37 aids to awakening (Ref3). Its ultimate goal is bodhi (awakening) or nirvana (cessation), traditionally seen as the permanent end of suffering (dukkha) and rebirth. Buddhist texts use a number of terms for spiritual praxis in addition to yoga, such as bhavana ("development": Ref4) and jhana (dhyana: Ref5).
In early Buddhism, yoga practices included:
the rupa dhyanas (four meditations or mental absorptions: Ref6),
the four satipatthanas (foundations or establishments of mindfulness),
anapanasati (mindfulness of breath: Ref7),
the four immeasurable minds (supranormal states of mind),
the brahmaviharas (divine abodes: Ref8).
Anussati (contemplations, recollections)
*Note: the four satipatthanas are the most central and most important contemplation for attaining enlightenment since the time of the Buddha's early Buddhism, and the core contemplative practice of the main Buddhist meditation of samatha-vipassana.
These meditations were seen as supported by the other elements of the Noble Eightfold Path (Ref9), such as ethics, right exertion, sense restraint and right view. Two mental qualities are said to be indispensable for yoga practice in Buddhism: samatha (calm, stability) and vipassanā (insight, clear seeing). Samatha is a stable, relaxed mind, associated with samadhi (mental unification, focus) and dhyana (a state of meditative absorption). Vipassana is insight or penetrative understanding into the true nature of phenomena, also defined as "seeing things as they truly are" (yathābhūtaṃ darśanam). A unique feature of classical Buddhism is its understanding of all phenomena (dhamma) as being empty of a self (Pali: anatta Skt: anatman, literally "non-self").
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仏教の探求 (120)
仏教の宇宙論
止観 〜 仏教ヨガ
止観 (しかん、梵: サマタ・ヴィパッサナー) とは、仏教の瞑想の主なものであり、ヨガ行である。広い意味で禅の一部に組み込まれている。
仏教のヨガ行は、サマタ (止: 参照) とヴィパッサナー (観: 参照2) が同時に行われる止観である。サマタ (止) だけでなくヴィパッサナー (観) も重視するところに、仏教の瞑想法の特徴がある。止観は、しばしば2つの車輪に例えられ、不離の関係にある。ヨーガ観法 (瞑想法) を取り入れて、この祈りと瞑想の技術が多様に発展したことが、仏教の特徴であるといえる。
仏教のヨガは、悟りを開くための37の修行項目(参照3)を開発することを目的とした様々な方法が組み込まれている。その究極の目標は菩提 (覚醒) または涅槃 (止)で、伝統的には苦 (梵・巴: ドゥッカ) と転生の永久的な終わりと見なされている。仏典では、ヨガ行に加えて、瞑想の発達 (バーヴァナー: 参照4) や禅定 (ぜんじょう、梵: デイヤーナ、巴: ジャーナ: 参照5) など、精神修養のための用語がいくつか使われている。
初期仏教では、ヨガの修行には以下のようなものがあった:
四禅 (しぜん、梵: ルーパデイヤーナ、四つの瞑想または精神的吸収: 参照6)
四念処 (しねんじょ、巴: チャッターロー・サティパッターナー、マインドフルネスの基礎となるもの)
安那般那念 (あんなはんなねん、巴:アーナーパーナ・サティ、呼吸を意識すること: 参照7)
四無量心 (しむりょうしん、巴: アッパマナー、心の超常的な状態: 参照8)
四梵住 (しぼんじゅう、梵・巴:ブラフマーヴィハーラ、神聖な住まい)
アヌサティ(観想、想起)
*注)四念処 (しねんじょ、巴: チャッターロー・サティパッターナー)とは、釈迦の初期仏教の時代から、悟りを得るための最も中心的で最も重要な観想であり、仏教の主要な瞑想である止観の中核をなす観想法である。
これらの瞑想は、倫理、正しい努力、感覚の抑制、正しい見方など、八正道(参照9)の他の要素によって支えられていると考えられていた。仏教では、ヨガの練習に欠かせない2つの精神的資質があると言われている。それがサマタ (静寂、安定) とヴィパッサナー (洞察、明察) である。サマタ (止) とは、安定したリラックスした心のことで、サマディ (三昧: 精神統一、集中) やディヤーナ (禅定: 瞑想的吸収の状態) に関連している。ヴィパッサナー(観) は現象の本質に対する洞察や浸透的な理解であり、「物事を本当にあるがままに見る」とも定義されている。古典仏教の特徴は、すべての現象(ダンマ)を無我 (むが、巴: アナッター、梵: アナートマン) のものと理解することである。
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rosysnow · 11 days
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祈りが届く夜
純粋にお祭りを楽しみ、幸せを願う人の中で
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 残暑の夜、この町では無数に心願成就の赤い提燈を灯し、にぎやかなお祭りが行なわれる。
 子供の頃からこの町に住む私は、いつもこの日は浴衣を着てお祭りをまわる。昔は両親と、そのうち友人と、今は彼氏と。
 遠方からの人も混じるお祭りはかなり混雑するので、はぐれないように必死になる。駅前から神社までの道にも警備員が入るほど、今夜の町はざわめいていた。
 隣町の高校で知り合った、初めての彼氏である智行は、私と駅で合流して、「浴衣エロいな」とか言って私をむすっとさせる。笑って「かわいいよ」と言い直したシャツとジーンズの智行を私は見上げて、「智行は甚平着ないの?」と首をかたむけた。
「持ってないし」
「来年着てよ」
「それは、来年も別れてないということでいいんですかね」
「え……わ、別れてると思うの?」
 私が不安をあらわにして智行の服をつかむと、智行は笑って、「俺が振られてなきゃ続いてるだろ」とアップにかんざしをさした頭を、丁重にぽんぽんしてくれる。私は智行を見て、その手を取るときゅっとつかんだ。
「智行とはずっと一緒にいたい」
「じゃ、大丈夫だろ。告ったのは俺だぞ」
「でも、私も二年になって同じクラスになってから、智行がずっと好きだったし。落とせそうだったから、告白し──」
 智行がつないだ手に力をこめたから、立ち止まった。その隙に、唇にキスをされた。
 びっくりしてまばたくと、「千波はその卑屈なとこを直しなさい」と言われた。私は智行の瞳を見つめて、何とも返せずに素直にうなずく。
「よし」と智行は私の手を引いて再び歩き出した。
「智行」
「んー」
「私、小学生のときに、このお祭りで両親とはぐれたことがあるの」
「マジか。大丈夫だったのか」
「知らないおにいさんとお祭りまわった」
「は⁉ 何だよそれ、警察沙汰?」
「ううん。普通におとうさんとおかあさんに保護されたけど、家でめちゃくちゃしかられた」
「おにいさんをしかれよ」
「悪かったのは、ついていった私だからって。何か、その頃から、悪いことが起きたら原因は私じゃないかって思うくせがあるの」
 智行は私を見下ろして、「千波はいい子だよ」と言った。私はこくんとして、智行の肩にもたれた。夜風は涼しいけど、伝わりあう体温はまだ熱い。
 前方に目をやると、あふれそうに提燈がつるされた上り階段があって、その先にもたくさん赤提燈が並んでいる。「すげえ」と智行は子供みたいな笑顔を向けてきて、でも駆け出す前に私に引っ張られて足を止める。
「ちゃんとここで神様に挨拶したら、お願いが叶うんだよ」
 神社への階段、提燈の光が届かない入口のかたわらに、子供の図工の作品のような案山子が静かに何人か立っている。この案山子には、ライトアップも何もなく、たいていの人は見向きもせずに階段をのぼって、喧騒に混じっていく。
「これ、神様なのか?」
「そう。ほんとに叶うから」
「ふうん。じゃあ、千波と結婚できますように!」
「ここでそれを、大きな声で言わなくてもいいんだけど」
「もう言っちゃってから言うなよ」
「普通に、『今日はお邪魔します』って挨拶するの」
 私はそう言って、その案山子を見つめた。
 そう、このお祭りに来たら、この神様に「お邪魔します」と挨拶して。帰るときは、「ありがとうございました」とお辞儀する。そうして、きちんと神社で託した願いを預けると、神様はそれを叶えてくれる。
 あの人もそうだった。あの人が私に教えてくれた。
 私は七歳で、小学校に上がって一年も経っていなかった。右手にいちごのかき氷、左手に大きな綿飴、両手がふさがって「はぐれちゃダメだよ」と両親に何度もお祭りの人混みの中で言われていたのに、ちょっと立ち止まって顔を埋めるように綿飴を食べた隙に、おとうさんとおかあさんの背中を見失ってしまった。
 焦ってきょろきょろして、駆け出そうとしたけど、慣れない浴衣と下駄でつまずきそうになった。「わっ」と声を上げて地面に崩れかけて、誰かが肩をつかんでそれを止めてくれた。
 私は慌てて振り返り、そこにいた高校生ぐらいのおにいさんに、急いで頭を下げた。
「あ、えと、すみません。ありがとう」
 たどたどしい口調で言うと、おにいさんはたくさんの赤提燈の明かりの中で微笑んで、首を横に振った。
「おとうさんとおかあさんは?」
「あっ、い、いなくなっちゃって。探してて」
「はぐれたの?」
 私はうなずいて、転びかけてこぼれそうになっていたかき氷を少し食べる。
「ひとりで探せる?」
 私は暖色に彩られたあたりを見まわして、首を横に振った。振ってから、どうしよう、と瞳が滲んできた。このまま、おとうさんとおかあさんが見つからなくてひとりになってしまったら。
 おにいさんは腰をかがめて、私の手から綿飴を取ると代わりに手をつないだ。
「一緒に探してあげるよ。ひとりだと危ないからね」
「いいの?」
「うん。おとうさんとおかあさん、どっちに行ったかは分かる?」
「たぶん、まっすぐ」
「境内のほうかな。足元、気をつけて」
 私はうなずいて、おにいさんの手をつかみ、たまに甘いかき氷を食べながら、人混みの中を歩きはじめた。
 赤い光が高く、永遠のようにいくつもいくつも並び、それで楽しげな夜店が浮かび上がっている。金魚すくいや水風船、おいしそうな匂いがあふれてくるベビーカステラや、宝石のようないちご飴やりんご飴。笑い声や叫び声がはじけて、みんなはしゃいで、お祭りを楽しんでいる。
「今日は、何か願い事はあるの?」
 ふとおにいさんが問いかけてきて、「え」と私は顔を仰がせて、まばたきをする。
「お願い」
「このお祭りは、神様に願い事を伝えるお祭りなんだよ。たくさん、提燈あるでしょ」
「うん」
「そのひとつひとつに、願いが込められてるんだ」
「そうなんだ。知らなかった」
「ふふ。神様も大変だよね。こんなにお願いされて」
 おにいさんは、まばゆく灯っている提燈を見やった。その横顔がどこか哀しそうに見えて、私は口を開いた。
「おにいさんは?」
「え、僕?」
「おにいさんも、お願いがあるから来たの?」
「ああ、……うん。そうだね」
「どんなお願い?」
「うーん……いろいろあるけど、子供が欲しいかなあ」
「赤ちゃん? 結婚してるの?」
 おにいさんは微笑んでそれ以上言わず、「ひと口もらっていい?」と綿飴をしめした。私がうなずくと、おにいさんは綿飴を食べる。「甘い」とおにいさんは咲ってから、不意にうつむいた。
「僕のお願いは、醜いのかもしれない」
「えっ」
「こんなに提燈があって、それだけ人の願い事があって。綺麗なお願いもあるよね。でも、醜い願いもあると思うんだ」
「……みにくい」
「純粋にお祭りを楽しんで、幸せを願ってる人たちの中で、僕はたぶんすごく汚い」
「おにいさん、優しいよ? 一緒に、私のおとうさんとおかあさん探してくれてるよ」
 私がそう言って、つないだ手を引っ張ると、おにいさんは泣きそうな顔をして、それでもうなずいた。私は考えて、「かき氷も食べていいよ」とさしだした。「ありがとう」とおにいさんは涙が混じった声で言って、懸命に私に微笑した。
 騒がしい混雑の中で、おとうさんとおかあさんはなかなか見つからなかった。私がつまらない想いをしないよう、おにいさんは少しお金を出してくれて、食べ物を買ってくれたり遊びに混じらせたりしてくれた。
 私が下駄の鼻緒がちょっと痛いのを言うと、おにいさんは腕時計を見て、「僕も帰る時間だし、出口で座って待ってたほうがいいかな」とにぎやかな露店の通りを抜け、ゴミを捨てて階段を降りていった。
 提燈が途切れた暗がりで、来るときには両親とはしゃいでいて気づかなかった案山子が、階段のかたわらに立っているのに気づいた。暗闇の中で不気味に見えて、おにいさんの手をぎゅっとつかむと、「この案山子には、神様が宿ってるんだよ」とおにいさんは私の頭を安んじてくれた。
「かみさま」
「このお祭りに来たときには、この案山子に『お邪魔します』って挨拶するんだ。そして、帰るときは『楽しかったです、ありがとうございました』ってお礼を言う。そしたら、願い事を叶えてもらえるんだ」
「私、来るとき挨拶しなかった」
「ふふ、来年からね」
 おにいさんが咲ったときだった。みんなお祭りに吸いこまれて、今は人がまばらの道の中から、「橋元っ」と声を上げながらこちらに駆け寄ってくる人がいた。おにいさんははっと振り返って、「湯原」とつぶやいた。
 おにいさんが私の手を離したのと同時に、その人がおにいさんにぶつかってそのまま抱きしめた。
「ごめん、家抜け出せなくて」
「ううん。来ないかと思ったけど」
「二十一時には帰るって言ってたから、焦って来た」
「そっか。来てくれて嬉しい」
「もう、一緒に見てまわれないよな」
「そう、だね。……いや、湯原が来てくれたなら」
「無理すんなって。また来年──」
「湯原と一緒に、願掛けたいから。来年にはもうこんな町出てて、一緒に暮らしてて、家族になるって」
「……橋元」
「ほんとに……ごめん。僕が、女じゃなくてごめん。もし湯原の子供とか作ってあげられるなら、こんな──」
「バカ。いいんだ、そんなもう気にしないって決めただろ」
 私は、ふたりのおにいさんが抱きしめあうのを見つめた。
 ��のとき、「千波っ」と呼ばれてはたと階段をかえりみた。おかあさんが階段を駆け降りてきていた。おにいさんたちも私を見て、私は一緒にお祭りを見てくれたおにいさんに何か言おうとした。でも、すぐさまおかあさんに乱暴に手首をつかまれ、引きずるように階段をのぼる。
 私は、なおもおにいさんを見た。好きな人の腕の中から、おにいさんも私を見上げてきた。
 子供が欲しい。女じゃなくてごめん。子供を作ってあげられるなら。
 ああ、と思った。だから、おにいさんは自分の願いを「醜い」なんて言ったのか。
 でも、私はそう思わないよ。せめてそう言いたかった。おにいさんがその人を好きなのは、すごく分かったから。そして、好きな人と子供を持ちたいというのは、ぜんぜん普通で、とても綺麗な願い事だよ。
「ほんとに、あんたは何してるのっ」
 階段をのぼって、また赤提燈がふわふわ浮かぶ中に戻されると、おかあさんは軽く私の頬をはたいた。
「よりによって、あんな気持ち悪いうわさのある子たちといるなんて」
 その言い草に私は驚いて、おかあさんを見上げたけど、提燈の逆光でその顔は見えなかった。
「ほんとに嫌、うわさ通りなのね。男の子同士で抱きあってたわ」
「まったく……千波、何でおとうさんから離れたんだ。はぐれるなって言っただろう」
「もう何も買ってあげませんからね。おとうさんの手をちゃんとつかんでなさい」
「千波、その男に何もされてないよな?」
「う、うん──」
 すごく優しかったよ、と続けたかったのに、それは聞かずにおとうさんは息をつく。やっぱり、提燈の逆光で顔は見えない。
「ああいう輩には、いい加減この町を出ていってほしいな。気分が悪い」
「ほんとだわ。見かけるだけで嫌になるわね」
 何で。何で何で何で。
 おにいさん、優しかったのに。私のこと、心配してくれたのに。あの男の人が、大好きなだけなのに。
 どうして、おとうさんもおかあさんもひどいことを言うの? うわさってことは、みんなおとうさんたちみたいに、おにいさんたちをひどく言ってるの? あのふたりは、ただの恋人同士なんじゃないの? 一緒にいたいだけなのに、そんなふうに悪く言われているの?
 次の春、おにいさんと男の人は、一緒に高校を卒業して一緒に町を出ていった。ふたりはお盆もお正月も里帰りなんてしなかったけど、私が中学生になった夏、一度帰ってきたとうわさになった。
 孤児の子を養子として迎えた報告だったそうだ。でもふたりの家族は誰もそれを喜ばないどころか、受け入れることもしなかったらしい。ふたりとその子は、町に泊まることなく、平穏に暮らせているのだろう場所へ帰っていった。
 ……よかった。子供持てたんだね、おにいさん。お願い、叶ったんだね。
 それを言いたかったけど、結局伝えられなかった。
「──おっ、射的だぜ。やろうぜ、射的」
「いや、小学生しかやってないよ?」
「景品的には、さっき通った輪投げやりたいんだよ。まだこらえてるんだよ」
「輪投げ……」
「何か欲しい景品あるか? 狙ってやるぞ」
 智行は財布から出した三百円をおじさんに渡して、代わりに射的銃を受け取っている。
 本当に、小学生の男の子しかいないのだけど。その保護者の人に、何だか智行は生温かく見られているのだけど。
 恥ずかしい、と思いつつも、私は並ぶ景品を覗きこむ。一応見渡してから、私は智行に耳打ちした。
「智行」
「おう」
「私も、結婚がいいな」
「えっ」
「今夜、ここでのお願い」
 智行は私を見た。私は照れながら咲った。「よし」と智行も笑顔になる。
「じゃあ、あの指輪でも撃ち落とすか」
 私たちは思わず咲いあって、「もっと上か」とか「少し右」とか一緒に照準を狙い、それが小学生より真剣なので、店番のおじさんにちょっと苦笑される。
「もっとこう持ったほうがいいよ」と小学生たちにアドバイスまでされはじめて、智行はそれで銃を持ち直したりして、授業中よりまじめなその顔に私は微笑んでしまう。
 境内まで続く提燈が、暖かい光を灯して無数に並んでいる。その提燈のひとつひとつに、願いが込められている。
 それはどこまでも綺麗な祈りしかないようで。
 あまりにも貪るように願って醜い気もして。
 幻想的に揺れるあの赤い光は、どんな願いを聞き届けているのだろう。
 家族になりたい。階段の下の陰にたたずむ神様は、おにいさんのあの願いを叶えてくれた。そ��て今夜も、明るくにぎやかなお祭りから聴こえてくる願い事に静かに耳を澄ましている。だから私も、このお祭りで神様に祈りたい。
 この人と、いつまでも一緒にいられますように。
 それが私の祈り。両親に縛られ、自分の気持ちを言えない私が、初めて強く持った望み。
 どうか届いて、私にその光のような未来を。好きな人と家族になれる幸せを。
 提燈の光が、瞳の中に煌々と降りしきる。昔から変わらないその優しい明かりの下にいると、願い事は確かに神様に届いた気がした。
 FIN
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keredomo · 25 days
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ポリアモリー① 情念の重さ
 あなたに、ほかの男を作ってほしい。わたしには──精一杯やっているつもりだが──あなたが欲しいものを十分に与えることはできない。わたしには与えることのできないものを与えてくれる人、あなたの不足を満たす人を、つくってくれないか。  そう言われて、ぷつりと糸が切れた音が聞こえた。どの糸が、何の糸が、切れたのかはわからない。けれども、何かの糸が切れた。  もはや数え切れないくらいのあまたの糸で繋がっているから、そのうちの一つが切れたからといって関係が損なわれるわけでもない。もちろんいつか、この無数の糸が、すべて切れる日が訪れるのかもしれない。けっして悲観的になっているわけではなく、生の事実として、そういうことは起こりうるだろう。今のところ切れていないというだけだ。  一つだけ、糸が切れた。切れた分だけまた一本紡げばよい、そう思っているのも事実だ。しかし──切れてしまったものは、金輪際、結ばれえない。私たちを結んできた糸が一つ、永劫に切れてしまった。
 *
 実存をかけて長く付き合ってきた一人の男による、悲痛な訴えだった。彼もまた、限界を迎えていた。  これまで私たちは、あまりにも美しくあまりにも苦しい恋愛を六年かけてやってきた。美しく苦しく、恋愛の真髄を求めすぎたがゆえに、二者間に閉ざされきった恋愛を。それは至高の恋愛であった。私は相手に対して過剰なほどに誠実だったし、相手も私に対して過剰なほどに真摯だった。私たちは六年間、おのれのほとんどすべてをこの恋愛に費やしてきた。それは人生と呼ぶべきものだった。  六年。どんな不幸もどんな幸福もその責任をみずから負うべき「大人」という立場になってから始めた、すべてが自己責任の管理下にある、自らの意志で始めた、この関係だった。それが六年続いた。そうしていま、すべてのありうる未来──家族を得たり、子を得て育てたりといった、わかりやすく約束された安らぎというべきもの──を棄却して、ただ恋愛だけを真摯におこなった私は、もう三四歳になる。もはや、社会的な何かを得ようとするには、遅すぎる。
 そのような、六年。歳月がそのまま強度を担うとは言わない。しかし、歳月の力も借りて、後戻りができないという意味でも、私たちはあまりにも重い関係を築いてしまった。これまでは、その重さを──歪な形ながらも──私たちは互いに平等に引き受けていたはずだった。だからこのような呼吸もままならずに喘ぐような恋愛をやってこれたはずだった。  私の人生を懸けててでも、私の人生が社会的に正しいものでなくなったとしても、それでもこの恋愛に実存的な価値があるからと、やってきた。事実、私はこの恋愛を成長の糧にしてきた、私はこの恋愛を通じておそろしく美しく育った。けれどその一方で、一般的な幸福と呼ばれる何もかもを捨てた。捨てながら、食い下がった。相手のことを愛していたからだ。
 それが、しかし、いよいよ瓦解したのだった。壊れて、ひとり立ち尽くせば、見えなかったものも見えてくる。  男の提案はプラクティカルなものだった。私たちが関係を維持するためにあなたに別の男が必要だというのは、この関係を持続させるべく「バランスをとろう」とする提案としては至極明快なものだった。それがどんなに残酷であれ、持続という目的を達成するためにほかの選択肢はなかった。相手の知性を信頼しているので、その提案に心は傷つきこそすれ、理性で納得し受け入れるようにした。  とはいえ、いまさらではあった。いまさらそんなことを、あなたが言うのかと。バランスを崩すような振る舞いを再三とってきたあなたが、私には自粛を求めるのかと。  ──「相手の知性を信頼しているので」? 違う。数年にわたって対話を重ね、相手の論理に破綻があることはとうに知っている。呆れるような論理破綻を真顔で押し通そうとすることを、私はすでに思い知らされている。それも、至極無邪気に。赦しを乞うでもなく、「こういう状況だから、仕方なかった」ととうとうと説明して、私の「そうだね」を引き出す。そこには論理はなかった。私たちの信じる私たちの倫理も、有効な働きを見せなかった。ゆえに、「知性を信頼している」という謂いは、もはや通用しない。  ではなぜ受け入れたのか。あのひとを愛しているからだ。愛しているから受け入れることしかできなかったのだ。それに尽きる。愛とは厄介なものだ。理屈を飛び越える。愛の相手がこの人でなければ、こんな不条理を受け入れることはなかったはずだ。相手を殺して私も死のうなどと、思い至ることもなかったはずだ。
 *
 苦しい恋愛が続いた。六年間、もしかしたら七年だろうか、この苦しい恋愛を諦めるために何度も何度も別の男をつくって逃れようとした。  いかなる供犠をこの祭壇にそなえても、けっきょくそれは叶わなかった。どうしてだったのだろう。わからない。  払った犠牲を弔う意味でも、いよいよ観念して、私はいったん生涯その男を愛し抜くことに決めた。
 どうしてそう決めたのだろう。わからない。わかってしまっては終わってしまうから、わからないふりをしているのかもしれない。こうして答えを闇にしまいこむこともまた、何かの犠牲を払っているということなのかもしれなかった。  この苦しい恋愛から逃れるためにたくさんの男を誂えたが、それらすべてが無為に終わって、私だけが身勝手さに傷つくはめになった。そんなことも知らないまま、男はいまだに身勝手に私を愛している。憎い。
 関係は、私たちの共有する独自の倫理に基づくある種の契約であった。道徳の敷く社会的契約とは異なる、独自の倫理と倫理が結びつく契約。すべてを選ぶことのできる立場になってから選んだこの関係を引き受ける覚悟を、あるいは最初から引き受けていたのかもしれないそれを、私たちは現在の私たちに可能な限りの誠意を尽くして、私たちの存在に縛りつけることにした。  にもかかわらず、ただ一人のその男を愛すると決意してすべての愛を差し向ける機会がきたとき、男は私の愛の重さに音を上げた。
 あなたの情念のすべてを引き受けることができないと言う。あなたの重みを支えるには自分だけでは不可能だと言う。
 裏切りである。
 *
 ある日、あまりに苦しいこの恋愛から逃れようと足掻くことをふとやめたくなった。  これは、この関係はもう、受け入れざるをえない、業のようなものに成り果てたのだと諦めて、裏切った男をそのままで愛することに決めた。愛ではなく、諦めだった。  その上で、焼け鉢の私は、持てるすべての情念を相手に噴出してしまおうと、あまりにも愚かな賭けに出たのだった。
 その日から私は、私の持てる真摯さと実直さを、それから男を愛する上で生じる醜い感情までも含めた、私のすべてを男に差し出しはじめた。すべてをぶつけてみようと思ったのだ。情念の、可能性の、エネルギーの、すべてを。  結果的に、それが裏目に出た。私は賭けに負けた。負けることが自明である賭けに乗って、勝手に自滅しただけだった。  けれど、その賭けによって、男がどうしたって自分と一緒に死んでくれないのだと理解した。そうか、と思った。そうか。
 男が「あなたがいくら重くても受け止める」と男が語ったのは何年前のことだっただろうか。愚かにもそれを信じて全身で縋った結果が、「受け止めきれない」であり、「彼氏を増やしてほしい」だった。  言葉の、字面通りの意味を信じた私の依存もきっと、また過ぎたものだったのだろう。私はまた間違えたわけだ。この人との恋愛では、私は間違え続けていながら、その間違いすらも受け止められてしまっていた。そうして間違え続けて、ここまできてしまったのだろう。「依存先を増やしてくれ」と先方が言い出すほどの苦しい状態に、私が、持ち込んでしまったのだろう。人の発する言葉を、そのまま語義通りに受け取ってはならなかったのだ。  また、言葉というものへの不信感が募る。言葉とは流動的なものなのだと、いつになったら学ぶのだろうか、私は。いつになったら、言葉を、諦められるのだろうか。
 *
 ほかの依存先をつくってほしい、という要請。あまりにも酷い求めだと思ったが、理には適っている。──我々の関係は「理」を神としている。理だけは私たちを裏切らない。そこに従えば、私たちは無為に傷つかずに済む。たとえ、理のもたらすものが離別であったとしても、私たちは傷つかない。だから、それがあなたの考える理の要請なのであれば、私には従わない選択肢はなかった。  私の情念のすべてをなんとか受け入れようと、あなたは私のために死力を尽くしてきた。六年の歳月が証明している。けれどあなたは、もはや自分の力ではもう私の重く激しい情念に応えることはできないと察してしまった。  この不均衡をプラクティカルに解決し、心を病みがちなあなたを安寧に導くためには、自分のいじましい独占欲を抑えてでも、あなたが別の依存先を作るのがよいのだろう。あなたが心安らかに過ごすためには、それしかないだろう。そう言って、あなたは手を離すことなく私を突き放した。  確かにそれは最適解だ。私はあなたのその求めに応えることでしか、我々の築いてきたこの倫理を遂行することはできない。突き放した自覚はあなたにはない。あなたは最適解を提案しただけだった。手を離すことなく手放したのだった。  心では深く絶望したが、頭ではよくわかった。無理なことは無理なのだ。どだい、私の情念は重すぎる。一人の男という、弱い生き物が抱えるには重すぎる情念を振り回している。仕方ないことだった。あなたが抱え切れる程度な情念を持ち合わせていなかった私が悪いのだ。
 *
 その提言を受けた一週間後、幸運なことに、あるいは不思議なことに、きわめて美しい男が最適なタイミングで私の前に現れた。話の通じる男であることは知っていた。この人ならばと思って、いきおい打ち明けた。  「長年付き合ってきた男がもう私を抱えきれないそうで、彼氏を増やしてくれと言っているの。よかったら、彼氏にならない?」  まだ互いに素面の、午後の陽光が燦々と降り注ぐ酒場で、私もやけを起こしていたのだろう、おのれの市場価値も何もかえりみずに打診した。彼は顔の半分を手で覆って大いにためらいながら、「正直、二つ返事で応じたい」と口にした。断られるつもりでいたので、驚いた。  いま見ている光景のすべてが夢みたいだなと、明るい日差しを窓越しに受けて輝いている人を眺めながら、そう思った。冬の昼、天使が舞い降りるかと思うような明るさだった。あの瞬間、すべてがまばゆかった。自分がどれほど暗い場所にいたのかを思い知らされるまぶしさだった。
 そんなふうにして、すべての登場人物がかたちの上では合意しつつ、私のポリアモリーとしての人生が不意に始まった。私を含め、誰もの本音はわからないまま。  「ポリアモリー」とは、複数性愛者のことをセクシュアリティとして認めさせるための用語だ。実のところ、私は長いこと、ポリー(ポリアモリーの親語をポリーと言う)のことをセクシュアリティとしては認めずにいた。あまりにも、社会道徳に基づく概念だからだ。これは一夫一妻の家父長制に反発するアクティヴィティであるべきで、セクシュアリティと混同すべきものではない。性のありかたと政治的アクティヴィティは切り分けて語るべきものだ、と思っていた。  それでも、現実にこのような状況になってしまっては、ポリアモリーという呼称はとても便利で、乗りかからざるを得ない。私のこれは、積極性を持つアクティヴィティとはかけ離れた、流れに流された果ての湖だ。新たな川を作ってそこから水を逃すまで、しばらくは湖のなかを泳いでいるしかない。
 いま、すべての事情を話した上で新たに私の人生にコミットすることを決めてくれたその新たなる男を、私はきちんと愛している。彼もまた、私をきちんと愛している。  もちろん、私を抱えきれなくなった旧来の恋人も私を愛しているし、私も彼を愛している。まったく異なる性質の愛だ。親愛と情念という使い分けになるのだろうか。  この状況が歪であることは認めるが、一対一の関係に生じる不均衡に消耗して相手を攻撃するよりは、均衡を保つための手を打って穏やかな関係を創出するほうが生産的なのかもしれない。あなたの提案が有益であったことを、証明したいのかもしれない。  新たなる人は、愛するべき、愛さずにはいられない、美しく賢く人を愛する能力に長けた、誰にも代え難い男だった。あなたの誤算は、私が彼を愛してしまう可能性を見抜けなかったところにあった。
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nyantria · 29 days
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@kuu331108
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⚡【イベルメクチンのホントのところのお話】
テスローリー(WCHJ)、ピーターマカロー、ピエールコリーなどの両建て工作員に騙され、イベルメクチンカルトに陥った方、このブログとブログ内動画(サムベイリー医師 イベルメクチンゲーム)
を感情的にならずに読んでみてください
WCHJのテスローリー工作員さん、これの何���が安全なんだよ 
+DNCの数百人の昏睡患者がイベルメクチンの受動報告システムに報告​:
  イベルメクチン治療後に報告された重篤な副作用:
  594件の昏睡状態
  235件の重度の頭痛
  13件の麻痺
  476件の神経系統のダメージ
+イベルメクチンの重篤な有害事象の分析:
  年齢層別の報告数の分布で、ピークは15-30歳と30-45歳です。
  症状の上位10位は、起立または歩行の困難または不能、発熱、頭痛、
  全身性筋肉痛または関節痛、疲労/無力症、下痢、めまい、呼吸困難、
  そう痒症、吐き気または嘔吐でした。
+疥癬のイベルメクチン治療を受けた高齢者の32%が死亡、
 老人ホームは恐怖
​事例が多すぎるので以下略
受精力の破壊を示す14の研究 2024年5月1日
「生殖能力に関する研究の結果、イベルメクチン療法が生殖能力に悪影響を及ぼし、対照群と比較してビタミンCのみを投与した5番目のグループを除くすべての治療グループで妊娠が阻止されることが明らかになりました...結論として:イベルメクチンは女性の生殖効率に悪影響を及ぼします。」
「イベルメクチン治療後には、異常な形態を持つ精子も増加していることが判明しました。これは、イベルメクチン投与前 (x 軸) と投与後 (y 軸) で「異常」とみなされた精子の割合の散布図です。線より上の点は、イベルメクチン投与後の異常精子の割合が高いことを示し、線より下の点は、イベルメクチン投与後の異常精子の割合が低いことを示します。」
「TanyildiziとBozkurtによるオスの羊に対するイベルメクチンの生殖能力に関するトルコの研究でも、イベルメクチン (0.2mg/kg) を皮下注射した後、精子の運動性と濃度が大幅に低下することがわかりました。」
イベルメクチンゲーム
plaza.rakuten.co.jp/555yj/diary/20…
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xx86 · 2 years
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お弁当の食べ方
3年前ぐらいの自分のTumblrを読み返していたら、"血迷ってお弁当なんか買ってしまった日には目を白黒させる羽目になる。まず味が濃いし、当然おかずは食感も味付けも全部違う。それを脳が正確に処理する度に疲れてしまう。だから家にいる時はひたすらおかゆを食べている。おかゆはいい、何も脳が処理しなくていいから食べてて疲れない。"と書いていて、末期、と思った。疲れすぎている。今の私はお弁当は色んなおかずが食べられて楽しいし、栄養バランスがいいので重宝しているというのに。
良くなる時も悪くなる時もゆっくりと精神は形を変えていくので、気づけばあの頃は限界だったし、思えば今は楽に息が吸えている。喉物過ぎれば、というものでお弁当を食べられなかったことなんてすっかり忘れていた。
じゃあなぜ私はお弁当が食べられるようになったのか考えてみたので、いつかまた食べられなくなった時のために書き残しておく。
1. 仕事のメールを家で見ない
仕事が不安すぎて家でごはんたべてる時も、眠る前も、体調不良で休んでベッドの中にいる時も逐一チェックしていたけど一切見るのを辞めた。結局職場にいないと解決しないので不安になるだけ無駄で勿体ない。これを辞めたらまずオンオフが自然と分けられるようになって、退勤したら自然と仕事のことを考えなくなった。オンオフの切り替えほんとに大事。
2. ピルを飲む
生理痛も酷ければPMSも酷すぎて、精神の波と合わさり生理前はメンタル最悪。でもピルを飲み始めて2.3ヶ月で諸々落ち着いてきたので、今でも多少乱れることはあっても前ほどジェットコースター情緒ではなくなった。肉体の苦痛ってかなりメンタルやられるから体を健康に保つことって重要だなあと感じた。
3. 自律神経を整える
結局精神がめちゃくちゃになる時は自律神経の乱れも激しくなるので薬や精神についての本を読んだりするよりも生活整えるのがいちばん確実で手っ取り早い。最も精神を病みすぎると自力で生活を整えるのも難しいのだけれど……私は1.2でかなり元気になったので、本を読んで色々と学んだ。今はネガティブになっても、季節的に自律神経乱れるもんな~~よーしゆっくりお風呂入ろ~~と客観的に受け流せるようになった。
4.ハプニングが起きた時は深呼吸する
これも自律神経の話と被るけど不安だったり、パニックになる時は呼吸が浅くなるので自分のペースに戻して冷静になる為にも息を深く吸って深く吐く、を意識した。私はパニックになりやすかったのでこれは結構効果的だった。
5. 寝る時間を3時間ぐらい早くした
これが多分大きいんだろうな。でも1~4までが出来るようになって初めて早く眠れるようになったので。精神を病んでた時、医者にもネットにも早く寝ろと言われそれが出来たら苦労せんわとずーーーーっと思ってた。実際眠剤を飲んでも眠れなかったし、副作用で吐き気を催したり日中意識が朦朧として最悪だったし。寝たら朝が早く来る気が来て勿体ないとダラダラ3時ぐらいまで起きてたのを、明日も元気でいられるよう0時半には寝よう!その為には23時代にはお風呂に入ろう!と変えたら睡眠の質も寝付きも良くなった。
6. 手帳を活用
たまたま出会ったワーク付きの手帳が私に合っていた、ラッキー。良い気分の日は丸つけるというガントチャートをやったらほとんど丸が付けられるような、ガントチャートに丸つけたいから何か自分で褒めてあげられるような日にしようという意識で1日1日過ごせるようになった。スペシャルハッピーマインド。
4. 起こったことだけを受け取る
メールの文面が素っ気なくて冷や汗かいたり、友達や彼氏にに素っ気なくされた気がして変なこと言っちゃったかもしれないと落ち込んだりしてたけど、いや私が今言われたのってこれだけしかないな、と思うようにした。勝手に自分で追加情報を書き足さないというか。自分ニュアンスにしない。今でも考えすぎることもあるけどどんどん大丈夫になりたい。
今後腸内環境を整えるというのと、適度な運動を取り入れていきたい、と思ってる。どんどん心身共に健康になりたい。この世でいちばん美しいのは健康だから。
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