【かいわいの時】嘉祥三年(850)九月八日:八十島祭を行う(八十島祭の初見)
難波宮と摂津職が廃止された後にも、難波津において繰り返される宮廷祭祀があった。それは八十島祭と、伊勢斎王の解斎の禊である。いずれも前代からの伝統を引く古い行事であって、 平安時代に入って始められたものではない。 八十島祭は、即位儀礼の一環として挙行される神事で、大嘗祭の翌年に後宮の内侍司の女官が祭使として難波津に下向して生島足島神(大八洲之霊)を祭るものであった。
この神事は五世紀以来の古い即位儀礼の名残で、本来は全国土の国魂を新しい天皇の身体に付着させる呪儀であったらしく、奈良時代には、天皇自身が難波津に赴いて行っていたと推測される(第一巻第四章第四節1参照)。
しかし、史料に残る明らかなものはほとんど平安時代のものである。その初見は『日本文徳天皇実録』にみえる文徳天皇の即位に伴う嘉祥三年(八五〇) 九月のものである。鎌倉時代初めの後堀河天皇の元仁元年 (一二二四)まで行われ、以後廃絶した。この間約四〇〇年近くの間に、史料にみえるものは、二二回を数える。この祭儀は六国史には記載しないのが原則だったようで、その後も『日本三代実録』には記載がない。光孝天皇の場合も、『帝王編年記』に記載されるものである。恐らく記録に残らぬものが多かったに違いない(『新修大阪市史 2』)。
(写真)METで展示されている俵屋宗達「源氏物語関屋澪標図屏風」(ニューヨークビス03/09/2019)=ニューヨーク(撮影・吉田)
御社立ちたまて、所々に逍遥を尽くしたまふ 難波の御祓へ、七瀬によそほしう仕まつる 堀江のわたりを御覧じて 今はた同じ難波なると 御心にもあらで うち誦じたまへるを
御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。難波のお祓い、七瀬に立派にお勤めになる。堀江のあたりを御覧になって、「今はた同じ難波なる」と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを(渋谷栄一訳)
住吉詣で偶然に元カノ(明石の上)とニアミスし動揺する源氏(当時29歳)。「今はた同じ難波なる」とは、百人一首にもみえる元良親王(890-943)の歌で、上の句の「わびぬれば今はた同じ難波なる」からとられています。源氏の心中にはもちろん「身をつくしても逢はんとぞ思ふ」という下の句が隠されていることでしょう。さて、かいわいに関係のある箇所といえば、もちろん、「堀江のわたり」。屏風では明石の上の乘る舟が描かれています。
源氏物語の注釈書の一つ『花鳥余情』(一条兼良1472)に「代始に八十嶋祭難波にてあり、典侍の人御衣をもちて参向して解除する事あり これみな難波のはらへの例也」とあり、「七瀬」と「八十島祭」は同じようなものとして扱われています。紫式部の時代の八十島祭は、三条天皇の長和二年(1013)十月、後一条天皇の寛仁元年(1017)十二月が記録に残っています。
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2023年 八景シリーズBest5
あっ、年越しちゃった。年末に片付けようと総集編に手を付けたが、期日迫るものの片付け、コミケが想像以上の盛況、さらに同人誌の通信販売の整備。印刷所が止まって増刷待ちのタイミングで、ようやく着手した。
今年は42作品だが、ここ最近は忙しかったり創作活動の模索を始めて月に1作品がやっとといったところ。正直続けるか悩んでいるが、SNSでの発信や写真選択の自由度を考えると潰すのも惜しかったりします。
さて存続の葛藤はこの辺にして、昨年のランキングを発表します。個人的にインパクトがあったり、反響があり多くのリアクションがあった作品を紹介します。
第5位 No.439
湘南八景 細道通り抜け-京急バス 鎌40 小坪線
(3/11投稿)
電車に飽きた? いえいえそんなことはないです。ただより身近なテーマを追い求めて、バスにも手を付けてみました。
まず最初に選んだ鎌40小坪線は、乗ったことあるバスの中で、インパクトがあった路線だったからです。鎌倉付近は大通りを抜けたらすぐ行き違いが大変そうな道路。さらに一方通行の道路のため、上下線で走行ルートが異なる。一方通行が戻ったと思ったら、また行き違いが大変そうな道路。そんな狭いに狭いを重ねる運転手泣かせの路線に魅力を感じていた。
電車では味わえない魅力、そのおもしろさを記録したいとはじめてみた。
第4位 No.433
浪漫八景 乗った思い出-小田急ロマンスカー LSE
(2/12投稿)
今年から現像ソフトのサブスクをはじめてみた。はじめは方向性が変わるとゴニョゴニョ言っていたが、次第に発色の良さや現像のしやすさに気が付き、今ではなくてはならないほど。
最近も乗って思い出つくりをしているが、どうもここまでインパクトのあるものがつくれないと思ったり。もう少し時期をずらさないと味が出ないのですかね。
そんな現像ソフトで昔の画像をブラッシュアップしてみようと始めたのが、小田急ロマンスカーLSEの写真だった。当時はこの車両の写真で競い合っていたこともあり、オリジナルを求めた画作りを行っていた。伝えたいことはっきりしてなかったが、組み直して、よりわかりやすくしたい。そんな現像だけでなく伝える目的にもブラッシュアップしてみた。
第3位 No.449
葛飾八景 昭和-京成3600形(ファイヤーオレンジ塗装)
(7/29投稿)
2022年後半から京成にお世話になっていた。旧成田空港駅の東成田や京成千葉線と気になるところを訪れたが、未だに撮れていない車両がいた。それが題材となったリバイバルカラーの3600形。この勢いで行こうかと、訪れたのがきっかけだった。
あちこちがいい雰囲気で、どこから撮ろうかと悩んでいた。その中でお気に入りだったのが、高砂から一つ隣のお花茶屋駅だ。今回都区にエリアを限定したが、ほどよく古く、どこか身近な駅に思えた。誰も撮らないけど、そんな発見を伝えられたのではないだろうか。
第2位 No.428
多摩八景 最後-東急8500系8637F
(2/4投稿)
あれだけいた車両が、もう地元を走っていない。電車を待っているときは実感がないけど、こうして写真を見返すとふいに喪失感が漂ってくる。
写真集「東急8500系」メロンブックスなどで好評発売中
そんな8500系の日々を写真集にして発売した。コミケでも評判で見本誌を読んだら大半が即購入、写真撮っている知り合いからは写真チョイスが絶妙と褒めていただいた。
ただ最後の一年を写真集に詰め込むことが難しく、このシリーズのほうがより細かくかつ様々な視点から捉えているかと。中でも「No.428 多摩八景 最後-東急8500系8637F」が印象深い。オタクたちの盛り上がりは写真を撮っている以上避けられず見てきたが、普段使いの人に視点を当ててみるといつもと変わらない光景。そんな非日常が見える裏に眠る日常を題材としたが、あれから1年経つんですね。
第1位 No.450
箱根八景 裏道街道-箱根登山バス K系統旧街道経由
(8/26投稿)
仕事の疲れを癒そうか。そう思ってふと湯治目的に乗ったバスだったが、これが意外とおもしろかった。家に帰ってすぐ調べたら、奥に行けば行くほどおもしろいことがわかり、この箱根を走るバスを題材にした。
箱根登山バスK系統旧街道経由は、箱根駅伝で選手達が走るメインの東海道とは違う。箱根湯本から東海道を分岐する旧道を通るルートで、芦ノ湖辺りで再び東海道と合流する。ただメインルートではないため、車線は途中からバス同士のすれ違いが出来なかったりと運転手泣かせなところだったり。旧街道と言われるだけあって、箱根寄木細工を売りとした宿場町畑宿、今も茶屋として営んでいる甘酒茶屋といった、かつてここを多くの人が行き交って痕跡を通っていく。
変わらない道がここ箱根にある、そんなことを伝えたく作品にした。その日本の文化が伝わったのか、2023年一番のリアクション数を記録した。
いかがでしょうか。忙しいと言い訳したいですが、暇な時間にここに投稿する作品をつくらず遊んでいるので何ともいえませんが。
ただ今後も作品を投稿して、他の人が記録しないような当たり前だけど見たことがない景色。そんなのを提供出来たらなと思っている。
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2月の外食記
2月4日 ABCラーメン@銀座/tabacco@恵比寿
歌舞伎観たあと、受験で弟が遠路はるばる来てくれたので銀座でランチ。東京で、ラーメン食べたいとのご所望があればここ一択。育ち盛りをいいことにサイドメニューもたらふく食わせる。大学の下見に付き合ってから好きな人①に会いに恵比寿に。彼の行きつけのラーメン屋向かってから、かよ先輩が行っていて気になってたイタリアンにお邪魔。串カツ屋さんみたいなノンストップタパス、楽しいなあ。大はずれだったビブグルマンフレンチの話して、ここは好みと伝えたら俺たち情報食ってるからねと返されて、たしかになと思った。情報を噛み締めて気持ち良くなりたいよね。4度目も手を繋いで健全解散。デートはこれが最後かな。
2月11日 うゆう@渋谷
大学時代のバイト同期と飲む。私以上に食にうるさいから、お店サジェストするときどきどきしちゃう。芸術品のようによそわれたお通し6品に毎度見惚れる。褒めてもらえて嬉しい。酔ったノリでハプバ行く。摘発されていたからどんなもんかと思っていたけど、プレイルームはホテルとして別会社が運営、行きたいときはスタッフにこっそり声かけるっていうパチ屋仕様になっていてウケた。たしかに懇ろになった男女がホテルに行くのは誰にも憚られませんからね。声かけてくれた男性2人と、半分おしりが見えるセーラー服着てダーツした。失礼だけど、私たちがアプリで会ったら初手で切ってしまう、なんならそもそもマッチしない属性の人。でも2人とも私たちに楽しんでもらいたい気持ちがまざまざと伝わってきて、人間っていとしいなと思えた。ここに来るといつだってあたたかい気持ちで帰路に着く。ありがとう。
2月12日 小野田商店@学芸大学
2ヶ月ぶりの加藤。大好きなホルモン屋さんとワインバー行く。ここに訪れるたびにお客さまは神様じゃないのを思い出す。この街がぜんぜんしっくりこない男だなと思う。ずっと日比谷線にいたほうがいいよ。そのあとなぜか六本木行こうや、と向かったもののバーはろくに空いておらず、さらになぜか遠隔プレイしようや、とドンキ行く。ぜんぜん思っていたのと違ってAVはフィクションだねと笑い転げた。
2月13日 友@目黒
3年前からときおり会っているティンダーの男友達とサシ。はじめて会ったときは私は22で彼は27だったと思うとこわい。手書きのメニューが適当に壁に引っ付けてあるお店ってだいたいはずれがない。M1出場を打診されノーシンクで快諾。だってM1経験のある人生のがおもろいじゃん。いったん彼の芸風見てからコンビ組もっと。
2月15日 ilungo@自由が丘
お気に入りのおでんやさんで飲むつもりが、煩いおじさん客がいるからっておでんやの女将さんと2人して抜けてビストロで飲んだ。日本酒フリーフローは嬉しい。彼女は代理店の大先輩でもある。さんざん仕事の愚痴を連ねる。最近仕事干されてイヤイヤ期だけど、たしかに私はキャッチアップ遅いんだった。背中押される。私も彼女みたいに着物を自由に纏えるようになれるなら、アラフォーもそう悪くない。ハナエモリのお着物ずっと狙ってる。
2月18日 のんき屋@浅草/Trattoria Azurri@神楽坂
日本舞踊のお稽古に浅草へ。せっかくだし、と帰りにホッピー通り寄るもおひとりさまだからと4軒連続で断られる。もしかしてお呼びじゃない?半ば憤って入った立ち飲み屋が大正解で息をつく。もつ煮150円なんてマネタイズが心配です。ほろ酔いで神楽坂。電話でのリファレンスチェックも功を奏し案の定楽しかった。国家公務員からコンサルに転職した理由を問うたら、「それでいうと理由は3つあって〜」とお手本のような仕草を垣間見てにやにやしちゃった。まだ遊んでいたいと恋愛したいの狭間で揺れてると聞いて、正直な人だなあと思う。でも恋人がいないと甘えたくても甘えられないと溢されて、そんなの傷口の舐め合いじゃんと返したけど、まあ、そうだよね。だって私たち、頑張ってるもんね。男の子、みんな葛藤してて可愛い。菜の花とホタルイカ、旬のうちにリベンジしたいな。好きな人②に昇格。
2月21日 ゑぶり亭“@横浜
ダンサー3人で飲んだ回。まあダンサーじゃないんだけど。炙りしめ鯖にレモンを搾るさまさえもべた褒めしてくれるから自己肯定感あがる。元気の良い居酒屋って大好き、絶対にバイトしたくないけど。業界人でもないのにフースタ見てる人は変態と聞くけど、フースタは間違いない。
2月22日 カクニマル@神泉
某ギャラ飲みの日。ここも接客がいい意味でやたらやかましい。刺し盛を出血大サービスしてくれた。こういう人も、まだこういうお店で飲むんだなと思った。でもしっとりしない雰囲気で逆に良かったのかもしれない。女友達と来たかったなあ。
2月23日 da GIORGIO@湯島
好きな人②と飲む。彼から教えてもらったこのお店、かよ先輩が「東京で1番美味しいピザ」とツイッターに残していたのを思い出して俄然楽しみになった。MECEな恋愛の話する。MECEな恋愛なんてないだろ。私はやっぱり一緒にボトルを空けてくれる人が好き。いつだって飲みきる責任を背負った共犯関係でいたい。
2月25日 串カツ田中@横浜
サークルの同期3人と鎌倉で座禅を組んだ日。幸せってなんたるか、良い家に住むでも素敵な配偶者と巡り合うでもなく、皆さんの足元にあるそうですよ。頭ではよ〜くわかってるんだけどな〜!シャバい経営者は全員座禅したほうがいい。私もまだまだ先は長そう。そのまま横浜向かって、田中とカラオケとハブをはしごする煩悩に塗れた夜。田中で串カツ選ぶのってなんであんなに楽しいんだろう。好きなチェーンは田中と松屋とふたごです。
2月27日 どん底@新宿
「お会計30%オフになる年賀状が今月いっぱいだから!」と誘われてティンダーの男友達と飲む。彼ともかれこれ2年になる。ここ、クラシックでとっても美味しいけど絶対にスタッフが堅気じゃないんだよな。そこも含めて良店です。ティンダーを辞めた理由のひとつは彼で、彼に出会えてもう辞めても悔いないなと思った。好き同士ならただ一緒にいれば良いじゃない、なんて互いに婚姻アンチだけど、でも結婚したらバイブス上がりそうじゃね?!と盛り上がる。それもわかる。私が結婚式をするなら彼を「インターネット」のテーブルに着席させる。26歳、春からようやく社会人になるらしい。おめでとう。帰りに店員さんに「しこたま飲んだなあ!」と言われて笑う。2人でシーバスのボトルキープした。勝手に飲ませてね。
今月がはやく過ぎたのは決して日数だけの話じゃない。総じて非常に楽しかったんですよね。よく食べ、よく飲んだ。数えたら2日にいっぺんは飲み歩いていた模様。あと、思い返せば浮き足立つデートが毎週末あって幸せだったな〜!私、やっぱりときめいてたい。来月も素敵なお店で大好きな人たちと過ごせますように。
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2023/9/29〜
9月29日
朝の通勤で、隣の席の方が、明日からの大阪旅行の時刻を調べてメモしているのをぼーっと眺めていた。朝6時台の電車で玉川上水(!)から東京駅まで出て、そこから新幹線で新大阪へ。目的地は芦屋だった。
いま私が計画している大阪旅行の目的地と同じだったり、わりと実家近くの駅から出発する旅行に、少し親近感。
今日は午前中出勤するけれど、大好きな服を着て、つらくなること(現場に出たりすること)はしないぞ!デスクワークだけする心意気で出勤すると、廊下から水が流れる音がしていて、?と給湯コーナーを見るとポットに水を溜めるために水栓が開けっぱなしになっていた。
もうすっかりポットから水が溢れて時間が経っていた様で、床が海。
でも今日の私はとても吸水作業ができる仕様ではなかったので、水を止めて、近くを通りかかった上司たちを引き止める様にして、みなさんに雑巾やモップで片づけをさせてしまった。
人力でこの海を処理するのは難しいのでは…と思っていたけれど、みなさんが雑巾で水を吸っては絞るのを繰り返してくれて、あっという間に片付いた。
私はあわあわと見ているだけだった。
午前中だけの業務時間だと、いつもの3倍速のスピード感で仕事をしようとしてしまう。
午後のチャイムが鳴って走って退勤して、上野へ向かった。
国立科学博物館の企画展“海”を鑑賞。
一期下の方がいただいた招待チケットに便乗させてもらって、海にまつわる展示を見てきた。
平日だけれどひとがとてもおおかった。
子供より大人が多くて、展示の内容も、宇宙から縄文遺跡まで海というか地球と宇宙にまつわるあらゆることが網羅されている展示で色んなことを知れて賢くなった気分。
前回、恐竜展に一緒に行った友人が科博の出口で「鯨好きなんだよね〜」と言っていたのを思い出して撮った展示の鯨の標本(本物って書いてあったから剥製?)の写真を後で送りたい。
展示を見ながら、そこから思い出されたエピソードをしたり、油壺マリンパークに行ったことがあった話や冬に広島と下関に行く話を聞かせてもらった。
下関はかつて毎年言っていた場所なのでなぜか嬉しくなってしまった。
展示を観て、かっぱ橋方面まで歩いて、いつも帰り一緒にお話ししているけれど、それでも今日もお付き合いしてもらえて嬉しいし助かってしまう。
来週までが締め切りの個人調書に異動希望を示そうかどうか悩んでいる。
今日は中秋の名月。月みてね。
9月30日
昨日は月がずっと雲に隠れていた気がする。
六本木と表参道へ遊びに出て、帰る電車に乗る時はまだ外が明るかったのにずっと地下鉄を走る電車に乗っていて、地上に出たら真っ暗でしばらくまだ地下なのかと思っていた。
今日も暑かったけれど、日がどんどん短くなって秋になっている。
ネイルをとってもらい、また新しく施してもらってしまった。一回やってもらうと嬉しいけれど、生活の不都合の方が優ってしまったり、一週間くらいで飽きてしまったりするので、帰りの電車でオフだけの予約をした。
六本木のギャラリーは13時オープンで、着いた時はまだ閉まっていて入り口の扉の前に宅配便が置き配されていた。
残念だな〜と、表参道まで歩く途中、昔好きだった人がとつめていると言っていた出版社の建物の前を通って、そういえば乃木坂で勤めていて青山霊園とか散歩するのが良いです、みたいなことを言っていた。
さらに少し歩いたら、カメヤマキャンドルのお店を見つけ、ふらっと入ってみる。
インターネット見たことがあるワンカップ大関やココアシガレットの面白キャンドルの実物を見て、思わずあずきバーキャンドルを買ってしまった。
あとパチパチ音が鳴るキャンドルも買えた!
ネイリストさんに、帰り際にあずきバーキャンドルを見せたら失笑されてしまい少し戸惑っていた気もしたので「なんか最後にごめんなさい」と気づいたら誤っていた。
友人と待ち合わせして岡本太郎記念館へ。
先週鎌倉で「岡本太郎好きですか?」と誘ってもらっていた。(私はその時、片岡八幡宮や鎌倉の古美術店を眺めながらその質問を聞いていたので、勝手に片岡鶴太郎に変換していた。)
岡本太郎のアトリエ兼住宅を美術館にした建物。
食虫植物や南国系の草が生えるお庭に、所狭しと作品がざわざわと展示されていておどろおどろしかった。
太陽の塔の中はかなり良いらしい。マンスーンさんも楽しいって言ってたね。
最近の写真の活動の報告をしながら表参道をふらふらしていたら、先日写真展にも来てくださった先輩とぱったりすれ違う。カメラ好きでとてもおしゃれ(世の中のおしゃれ軸では計れない感じ)。
今日はF値のTシャツを着ていた。
先週カメラのファインダーがとてつもなく汚い(私の手ではどうにもできない範囲)ことを指摘されたこと、忘れていたけれど、今日も改めて友人から言われてちゃんとショックになり、そうだカメラを買おうかなと思っている。
良いフィルムカメラを探す、というタスク(?)に少しわくわくする。
ありがたいことに1冊写真集を買ってくださった方がいたので、梱包材や納品書の準備をしなくては!で、少し忙しい気持ち(写真がガビガビでごめんなさい!)。
現像したかったフィルムを持ってくるのを忘れてしまったので、明日は、何としてでも、現像出したい。気をつけたい。
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📸六華苑(旧諸戸氏庭園)/ Rokkaen Garden, Kuwana, Mie ——なぜ桑名に…?近代以降の日本の建築家に多大な影響を与えたジョサイア・コンドル…氏が設計した近代建築として東京以外で唯一残る洋館(+和館)は国重要文化財。洋館がリフレクションする国指定文化財(名勝)庭園も東海地方随一の名庭園! 桑名・六華苑(旧諸戸氏庭園)の紹介は☟ https://oniwa.garden/rokkaen-garden-%e5%85%ad%e8%8f%af%e8%8b%91/ ...... 「六華苑」は三重・桑名にある国指定重要文化財のお屋敷と庭園。そのうち洋館は明治時代以降の日本人建築家に多大な影響を与えたジョサイア・コンドルによる設計で、ほぼ東京にのみ建築が残るコンドルの東京以外の地方に残る貴重な近代建築🏛 和館も洋館とともに「旧諸戸家住宅」として重要文化財、庭園が「旧諸戸氏庭園」として国指定文化財(国指定名勝)となっています。 . これまで何度か訪れていますが2022年6月に約4年半ぶりに訪れたのでその際の写真を中心に紹介。 . “山林王”🌲と呼ばれた実業家・二代目諸戸清六の邸宅として明治時代末期に着工、1913年(大正2年)に竣工した六華苑(旧諸戸家住宅)。 . 諸戸家は江戸時代には長良川〜長島〜木曽川を挟んで対岸の「加路戸」の新田を開発し庄屋をつとめた旧家/大地主でしたが、二代目諸戸清六の祖父の代で事業に失敗しその地位を失います🏚 . しかし明治時代に先代の諸戸清六が再び事業で成功。桑名に本邸(現在の『諸戸氏庭園』)を構え、私財を投じて桑名市内に上水道「諸戸水道」を建設し市民に開放するなど桑名の町の発展に貢献。(邸宅の周辺のレンガの水路がその面影を感じさせます) . 本邸は二代目諸戸清六の兄・清太が継ぎ、その北の隣接地に建てられたのが現在の六華苑。『旧岩崎邸』や『旧古河庭園』、鹿鳴館やニコライ堂など東京を代表する洋館・洋風建築を複数残しているジョサイア・コンドル。 . 氏が日本で首都圏以外で手掛けたのがこの六華苑…一体なぜ?という感じなのだけれど、諸戸家は初代から三菱財閥・岩崎弥太郎とビジネス上の繋がりが深かったようなのでその関連かな。 . 4階まである塔屋が印象的な木造洋館で、東京の岩崎邸・古河邸・島津邸の重厚な色使いとはまた異なるライトブルーの外観が好き!(ちなみに鎌倉にも二代目諸戸清六の別邸だった洋館が残るけど、あちらもポップな色使いだった) 続く。 - - - - - - - - #庭園 #日本庭園 #ランドスケープ #建築デザイン #近代建築 #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #庭院 #庭园 #桑名 #桑名市 #kuwana #文化財庭園 #ジョサイアコンドル #josiahconder #小平義近 #洋館 #おにわさん (六華苑) https://www.instagram.com/p/Cl3oZ6gPv_4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【日ユ同祖論】日本に来た二つのユダヤ人の秘密。茂木誠先生と語る
海洋民族、
本当は関東…
五島秀一先生曰く、本州は、ちょうど、関東地方から、真っ二つ、つまり2つの島がぶつかり、本州となったという、地質学。
日本広しと言えど、こんな広大な平野は関東にしかなく、熊谷、群馬伊勢崎は盆地なので、毎年毎年、最高気温を記録する…
ここで、応神天皇。
何故に、武蔵荏原を、選んだか?
そこは、住むに良し、海近し、まさに武蔵荏原は、最高の土地。
そして大田区。
かなりの数の神社が、誉田別命、つまり応神天皇を、祀っている…🙂✨
大森区にある神社は、江戸幕府すら参拝に来たらしい。
私達が学校で習うのは、天皇は京都。
関東は東の京都で、東京都。
これこそ、陰謀の匂いがするw🤣
京都綾部やら、亀岡やら、上田喜三郎、つまり、中国移民、被差別部落。
鎌倉時代に、栃木の武将活躍から、いきなり平安時代となる。
百鬼夜行、陰陽師、陰陽師は、五行思想をベースにしており、それは更に易経がベース。
こう考えられる。
応神天皇パワーが弱まり、再び中国勢力が、日本を乗っ取りにかかった。
中国やら韓国からの大量移民が、大阪やら関西に漂着し、日本をひっくり返した。。
で、
武蔵荏原の広大な土地を、勝手に「東京都」と名前まで変えた、平安時代。。
この考え方自体が、まるで中国人だw🤣
中華、つまり自分らが、中心w🤣
京都が中心だから、武蔵荏原は、東の京都やねん!、とw🤣
結局、徳川幕府が元に戻したわけだが、その過程の、安土桃山。
まあ、名古屋だ。
やたら、地下、なのだw
つまり、全く別勢力の地下組織の世界は、長く続かず、元来の、武蔵荏原に、日本の中心は帰ってきたとw🤣🙂✨✌️😎
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2024/3/28 20:00:55現在のニュース
フェミニズムとは? 意味や歴史、事例、課題をわかりやすく��説([B!]朝日新聞, 2024/3/28 20:00:15)
大関・霧島、音羽山部屋に転籍 大相撲(毎日新聞, 2024/3/28 19:53:46)
大阪桐蔭・西谷監督、4強を逃し「課題はキリない」 センバツ(毎日新聞, 2024/3/28 19:53:46)
決勝は石見智翠館-大阪桐蔭 国栃、桐蔭学園が敗れる 選抜ラグビー(毎日新聞, 2024/3/28 19:53:46)
「小池百合子知事は答弁拒否」発言を「削除しろ」 怒号飛び交う都議会、都知事選控えて会派の対立も激化(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/3/28 19:51:51)
日銀3月会合主な意見 「金融正常化のスタートライン」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/3/28 19:51:37)
柏崎刈羽原発 再稼働へ地元同意が焦点に 東電所長、理解求める(毎日新聞, 2024/3/28 19:46:19)
2024年度当初予算、一般会計112兆円超 過去2番目の規模(毎日新聞, 2024/3/28 19:46:19)
センバツ4強出そろう 報徳学園、中央学院、健大高崎、星稜(毎日新聞, 2024/3/28 19:46:19)
政治とカネ「世論を大切に落着いて制度改革を」伊吹文明元衆院議長 党内の気のゆるみ懸念([B!]産経新聞, 2024/3/28 19:39:22)
豪華客船クイーン・エリザベスが東京に寄港 35年ぶり、3代目は初(朝日新聞, 2024/3/28 19:39:19)
大阪の「美人局」事件、少女と少年を監禁致死の非行内容で家裁送致(朝日新聞, 2024/3/28 19:39:19)
那覇市がLRT導入計画素案を公表 2040年度から順次開業めざす(朝日新聞, 2024/3/28 19:39:19)
「品格とモダンさ」決め手 小樽市が新幹線新駅のデザイン推薦(朝日新聞, 2024/3/28 19:39:19)
Jフロント、後継者いない中小食品メーカー支援へ 商品の発掘も狙う(朝日新聞, 2024/3/28 19:39:19)
ローカル私鉄「ことでん」が60数年ぶり新型車両 26年度にも導入(朝日新聞, 2024/3/28 19:39:19)
ガソリン補助金、延長へ 6月末ごろまでを想定 政府(毎日新聞, 2024/3/28 19:38:59)
鶴岡八幡宮に警備員配置へ 観光客押し寄せ渋滞 神奈川・鎌倉市(毎日新聞, 2024/3/28 19:38:59)
群馬・山本一太知事、韓国駐日大使と会談へ 追悼碑撤去代執行で | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/3/28 19:36:21)
朝鮮人追悼碑撤去で韓国大使が「会って話したい」 群馬県知事、近く面会へ([B!]産経新聞, 2024/3/28 19:33:38)
赤い見た目で「紅麹使ってない?」 辛子明太子企業、対応追われ(毎日新聞, 2024/3/28 19:31:47)
ブルペンで泣いた中央学院・蔵並 センバツ初登板前に得た新境地(毎日新聞, 2024/3/28 19:31:47)
みんなの高校ラグビー:「やっぱり8番に…」 敵将も絶賛の石見智翠館・祝原 選抜ラグビー(毎日新聞, 2024/3/28 19:31:47)
名古屋芸術大「次期学長、セクハラない」 調査結果の根拠は示さず(毎日新聞, 2024/3/28 19:31:47)
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初篇 その十
それを聞いていた、弥次郎兵衛、
「ほう、お前さんがたは、藤沢なのか。あの宿場もずいぶん綺麗になったな。
問屋の太郎左衛門どのは達者かな。」
と、言う。
かごかきの先のほうの棒担ぎが、
「ほう、よく旦那は知っている。ええ、達者でいられますよ。」
「孫七どのは、まだ勤めているのかの。」
と、弥次郎兵衛が続けると、
「ええ、その通り。ほんとに、旦那はなんでも知っているな。」
と、かごかきの後ろのほうの棒担ぎが、
「当たり前だ。知っているんじゃない。かごの中の道中記を見ているんじゃ。ハハハ。」
と、この間に早くも馬入川の渡しに着く。
ここで、弥次郎兵衛は、かごをおりた。
北八が、ここはなんという川かと近くの人に問うと、ただ渡し場とばかり答えたのを、弥次郎兵衛が聞いて一首詠む。
川の名を 問へばただの 渡しとて ただの馬入の ただのあいさつ
この川は、甲斐の国の猿橋から流れ落ちるとのこと。
やがて向こう岸に渡って、道をたどり行くほどに、ここに白籏村と言う村がある。
その昔、源義経の首が飛んできたのを祭り込めた白籏宮という社が今もあるという。
弥次郎がその話を聞いて、
首だけが 飛んだはなしの 残りけり ほんとのことかは しらはたの宮
それより大磯にいたると、虎が石を見て今度は喜多八が一首詠む。
愛しい 死んだ男を 悲しんで 石となりて 貞節を守る
弥次郎兵衛もとりあえず一首、
蓮の乗る 気持ちあれど 無分別 石になっては 乗るに乗られぬ
このように楽しくやりながら、大磯の町を行きすぎて、西行法師の歌
「心なき身にも哀れは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」
の名所の鴫立沢にいたる。
<籠かき>
ここには鎌倉時代の文覚上人が刀造りで刻んだという、名高い西行法師の木像をまつる西行堂がある。
二人は堂に参って一首手向ける。
われわれも 天窓を破りて 歌詠まん 刀づくりなる 御影拝みて
春の日の旅は、とてものどかで、そのうち、あごが外れてしまうのではなかと思うばかりに、あくびばかりがでる。
北八は、あくびをしながら、
「退屈だな、弥次さん。ただ歩いているだけってのも、脳がない。
道々、なぞなぞでもしようじゃないか。どうだい。」
と、北八。それを聞いた弥次郎兵衛は、
「なぞなぞだぁ。あんまり面白くはないが、確かに、ただ歩いてるのも面白くない。いいぞ。出してみろ。」
北八、ちょっと考えて、
「外は白壁、中はどんどん、それなぁに。」
「お前、ばかか。それは、白紙のなかで火がどんどん燃える行灯だろう。
そんな使い古されたなぞなぞなんかだすな。」
と、弥次郎兵衛、得意げに喋りだす。
「なぞなぞとは、こういうもんだ。
お前と俺が連れだって行くと掛けて、それ、なんと解く。」
北八、すぐに答える。
「そりゃ簡単だ。伊勢へ参ると解く」
「いいや、違う。これを馬二匹と解く」
と、北八、ちょっとムッとして、
「なぜだ。」
「どぅどぅ(同道)だから」
これは、馬を追うどぅどぅの掛け声と、二人が同道の語呂合わせである。
なるほどと、北八笑う。
「ハハハ。それなら、今度は俺だ。
おいら二人の国と掛けてなんと解く。」
弥次郎兵衛、考えて、
「そうだな、神田は八丁堀の家主、与次郎兵衛と解くか。」
それを聞いた北八、大きく首を振って、
「だめだだめだ。これを、豚が二匹と犬ころが十匹と解くんだ。」
「で、その心は。」
「ぶた二は、キャン十もの」
これは、二人は、関東者の語呂合わせである。
それを聞いて、弥次郎兵衛。
「面白くもなんともない。ようし、今度は難しいやつを言うぞ。
で、お前がこれを解かねえと酒を買わせるがいいか。」
「って、ことは、解いたらお前が買うのか。」
と、北八。
「当たり前だ。」
「こいつは、いい。ほら、早くいいな。」
弥次郎兵衛、腕を組んでちょっと考えてから、
「ちょっと長いぜ。ええと、俺ら二人が国と掛けて、
これを豚が二匹、犬ころが十匹と解く、その心は、ぶた二ながらキャン十もの、
と、掛けてなんと解く。」
北八、ポカンとして、
「ハハハ、そんな謎があるものか。」
「うるせえ、いいから、酒がかかってるんだ。解いて見ろ。」
と、弥次郎兵衛ニヤニヤしている。
「どうしてそれが解けるんだ。」
北八、じっと考えている。
「どうだ。判らないか。そんなら教えてやろう。
これを色男が自分の帯をとって、しかも女にも帯をとらせると解くんだ。」
「なんだか、よくわからないな。で、その心は。」
「その心は。」
と、弥次郎兵衛早口で喋りだす。
「解いたのに、また解かせるだ。
どうだ。まいったか。さあさあ、酒を買え、酒を買え。」
つづく。
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半年もあっという間に過ぎちゃって、7ヶ月。今月もありがとうって伝えられる日がやって参りやした。一昨日に誕生日お祝いしてもらったばっかやのに、ばたばたちゃう?ごめんな?毎月のようにこうやって文字で残しとくと、いつでも読み返せるからええよな。先月の自分はこんな気持ちやったんや、とか。謙杜のこと、こういう風に思ってたんやって。毎日更新されてくから、いろいろ。やから、最近ばり見返してんねん。もちろん今まで書き残してくれたやつも。気持ちは目に見えへんけど、その分こうやって言葉にすれば見えるやろ?ってことで、今月も書いていきやしょか。れっつごー。
どの話題から書こうか悩んでる途中に思ってんけど、まだ7ヶ月なんや。感覚的にはもっとずっといっしょにおる感じするけど、数字で表すとまだそんなもん?ってなる。でも、シンプルに考えてさ、7ヶ月気持ち変わらんといっしょに居れてることって奇跡なんかなって思わん。や、ちょっと大袈裟かもしれんわ。でもさ?なんか、周りの話聞いてたり、実際に見てたりするともちろん不安も過ぎるんよな。自分たちもあんな感じになったらどうしようとか。お互いすき同士やから安心って時期はとっくに過ぎてもうて、いっしょにおればおるほど、着飾ってきてたわけちゃうけど、段々砕けてきて。内面的な部分がな?やから、そこにげんなりされとったらどうしよとか、いっしょにおることに慣れ過ぎてるけど、他の人すきになられたらどうしたらええんやろ、とか。日々不安は尽きひんわけ。それは前にも言うたけど、すきの代償やと思ってて。すきじゃなかったら、不安にならへんわけやん。やからと言って、敏感になりすぎとってもあかんねんなって。最近めっちゃ思う。特に数字に捉われることもないねんけど、今月はさ。ラッキー7なわけやん。なんかええことしたいよな。ばりざっくりしてるけど、今でも特別やけど、もっと特別な月にしたいね。3月は、ってことでなんかしよ。
先月は俺らにしては珍しく、2回も会えちゃって。1回目は、鎌倉で美味しい玉子焼き食べたり、お揃いの指輪作ったり。あと、俺が行きたいって言うてたピューロに着いてきてもらって。ほんま特にこれがしたい!っていうのがなくて、雰囲気だけで楽しめてまうタイプやから。ひたすらパレードとショーみたいなやつしか見れてへんくて楽しんでもらえたんかな?の気持ち。最初目標にしとったグリーティングなんて、もはやそんなん言うてたっけ?レベルなっとっておもろかったし、なんだかんだふたりでお酒飲んだことなかったから、3日連続でお酒飲んでるの最高すぎたって話。(名古屋は零したからノーカン)。酔っ払いすぎてごめんの気持ちやったけどな?これでもちゃんと反省してんねん!また飲みにいこー。次は絶対酔わす!3日間お世話になったし、なんかしたいって思ってて。でも、俺にできることってなんやろて。ほんま考えて思いついたのが帰り際に置いてった手紙たちなんやけど。直接渡すつもりやったけど、なんかやっぱり小っ恥ずかしくなって。でも、ここで渡さへんのはちゃうやろさすがに、って思って閃いたのが置いてったらええんややって。手書きの手紙なんてまじ久しぶりに書いたし、それも謙杜にもらって嬉しかったから真似してみてんけど。自分の字の汚さに引いたよな。2回目も最初は会う予定ちゃうかったけど、誘ってもらえたおかげで会えて。謙杜がその何日か前から調子悪そうやって、もしかしたら会われへんかもなあーって思ってたんやけど、なんとか会うことができて心配せなあかんのに嬉しいしめーちゃ複雑な気持ちなっとった。ここだけの話な?でも、会われへんってなったらばり落ち込んでたと思うねん。やから、しんどかったやろうに会う時間作ってくれてありがとう。最初ちょっとその前の日?くらいに「もういい」って言ってもうたから、俺が。絶対こいつもやってんやろなって分かってんのにそのままおやすみしてもうて。やからか知らんけど、ちょっと気まずいじゃないけど、普段みたいなテンションで絡まれへんもどかしさがどこかにあって。あの時間もったいないなあーって今更思ってるやつ。
やっぱり謙杜とおる時間は特別なんよなー。何してても楽しいねんもん。いっしょにだらだらするのもそうやし、いっしょにご飯食べるだけで楽しいし、なんならその辺ぶらついて歩いてるだけでもいい。嬉しい気持ちになる。謙杜はどう思ってるか分からへんけど。やから、1ヶ月くらいの感覚空くと崩れていくねん。会ってるんるんなって潤った心が、時間経つにつれて乾いてく。俺の情緒、砂浜で作った山くらいのもろさやねん。最初はまだいけるけど、波が大きくなるにつれてあかんなる。崩れていく。それを受け止めなあかんわけやん。謙杜は。ばーりめんどいやんな。俺と違って、真正面から来てくれるタイプやん。そういう話し合いとかになると。やから、は?いまさら?みたいなことも俺から聞かされたり、そんなことで?って思うくらいの話で八つ当たりされたり。そんなんと付き合ってて大丈夫そ?って思うけど、いっしょにおってもらわんとあかんねん。やっていけへん。謙杜の隣は俺のやねん。他の人に譲りたいとか思ったこともない。俺じゃない方がええかなって思ったりしてもな。絶対にそれだけは譲られへん。やからこんなにめんどい俺やけど、これからも傍に置いといて?
半年っていう節目から次の節目への第一歩。謙杜と居ったらどんなことがあっても最終的に楽しいって、大切やって、幸せやって思える。それってばり凄いこと。これからもいろんなこと、楽しいことを分かち合うのもそうやし、しんどくなったらいっしょに乗り越えていこ。ってか乗り越えてってほしい。今日も明日もだいすき。あいしてる。
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音聞山
※画像引用元
中日新聞公式Web Site
<あいちの民話を訪ねて> (103)きよの坂(名古屋市天白区)
https://www.chunichi.co.jp/article/677305?rct=aichi
ルーム南からほど近い八事地区。地下鉄鶴舞線と名城線の八事駅があり、中京大学、八事山興正寺などがある界隈ですが、ここに、「きよの坂」と呼ばれる古来の坂があります。
この、きよの坂を下っていくと、音聞山(おとききやま)というエリアにたどり着くのですが、これは、その昔その名のとおり、音聞山という山があった場所です。現在は住宅地になっていて想像しにくいのですが、下の画像が示唆するとおり、江戸時代の音聞山は大変見晴らしのよい山だったようです。
※画像引用元
中日新聞公式Web Site
<あいちの民話を訪ねて> (103)きよの坂(名古屋市天白区)
https://www.chunichi.co.jp/article/677305?rct=aichi
この音聞山に関して、室町時代中期の禅僧、正徹(しょうてつ)が編纂したとされる和歌集「草根集(そうこんしゅう)」に、次のような歌があります。
音に聞く 音聞山の峰高み ひびく鳴海の沖つ白浪
また、それより更に遡り平安時代前期、当時の歌人であり官人であった凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね)の歌枕とされる、次のような歌もあります。
いつくなる 山にかあらむ 雁かねの おときき高く聞こゆるかな
前者の歌は、海(後述する「鳴海潟」)から届く潮騒の音が響く山が詠われています。一方で後者の歌は、雁(かり/がん)という水鳥の鳴き声が高らかに響く山が詠われています。そして、どちらも広く水辺を臨む情景が浮かんでくる歌となっていることがわかると思います。
現代では、天白区は海とは接していないのですが、平安時代には、現在の天白区島田の辺りまで海が達していたとされています。ルーム南の近くの天白警察署前に、名古屋市営バスのバス停「西浦」がありますが、そもそもこの西浦という名称は、年魚市潟(あゆちがた)という干潟の入り江につけられた名称なのだそうです。
西浦
年魚市潟(あゆちがた)の入り江につけられた名称で、八事村の西にあたる。大字植田にも西浦がある。
※引用元
名古屋市公式 Web Site
過去から学ぶ防災マップ(天白区)
旧地名付き 天白区標高データマップ
https://www.city.nagoya.jp/bosaikikikanri/cmsfiles/contents/0000093/93310/65-72_16tenpaku.pdf
年魚市潟(あゆちがた)とは、現在の鳴海から熱田の領域に広がっていたとされる海や干潟の名称です。南区の白毫寺(びゃくごうじ)境内には、「年魚市潟勝景」という石碑が建てられており、古くからの景勝地だったことがうかがえます。年魚市潟は、縄文海進という約7000年前の温暖化に伴う海面上昇により形成されたとされます。この干潟には、越冬のためであろう鶴も数多く訪れていたと推測されており、この情景は万葉集に歌として収録されると共に、現代においては「鶴里」という地名の由来にもなっているとされます
万葉集に「年魚市潟 潮干にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ」とある(7巻-1163の歌)。他にも、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の「桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る」という歌があり、現在の南区桜本町あたりの年魚市潟で詠んだとされる。近辺には『鶴里駅』という名古屋市営地下鉄桜通線の駅名にも残る。
※引用元
年魚市潟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%AD%9A%E5%B8%82%E6%BD%9F
※引用元
更級日記紀行
平安時代東海道、走って渡る鳴海潟(尾張国)
https://sarasina.jp/products/detail/109
上の画像は、平安時代の東海道と推測されるルートを示した図になるのですが、図の上側に、音聞山という表記があります。島田橋の近くには、現代にも残る神社「島田神社」がありますが、神社の建立時期は、現在残されている資料や記録からは、室町時代前期とされており、平安時代に存在していたのかは不明です。しかし、平安時代の島田に存在していたであろう集落を守る拠り所として、神社の前身となる何かがあった可能性も・・・と想像してしまいます。
なお、上の画像で示されている干潟は「鳴海潟」と表記されていますが、これは、潮騒が聞こえる(海が”鳴る”)が転じたものと推測されています。また、そもそも年魚市潟が広範囲に渡るため、鳴海潟など地域ごとに呼び名があるともされています。
それはともかく、こうしてみると、現代の天白区島田の辺りまで海だったと考えられていることがわかります。もし音聞山の頂上に立ったならば、南の方向へ向かって広がる広大な年魚市潟を見渡すことが出来たと推測されます。当時の東海道を行く旅行者は、熱田神宮との行き来を最短で繋ごうとするなら、年魚市潟を歩いて渡るのが最速ルートになります。しかしそれが可能なのは干潮時で、満潮時には年魚市潟沿い��歩き、島田橋と音聞山を経由して迂回するしかなかったことでしょう。
※画像引用元
一般社団法人 日本電気協会 中部支部
プロジェクト紀行 なごやの鎌倉古道をさがす
【8】鳴海潟を渡る(上)・・・広い河原を行く
https://www.chubudenkikyokai.com/archive/syswp/wp-content/uploads/2015/09/ca75d3549ec97cf7c68fcc48e7d4e9d0.pdf
一方で、年魚市潟に関わる東海道のルートに関して、平安時代から時が下った鎌倉の中頃から南北朝の時代においては、干潟を渡る複数のルートの存在を示唆する歌が詠まれています。
天白川は、精進川より後の時代まで海が入り込んでいたようです。そこは鳴海浦とか鳴海潟という名前で呼ばれ、古くは街道の難所とされたところでした。
ここは多くの紀行文に登場します。有名なのは、中世より前、菅原孝標の娘が書いた『更級日記』です。その旅日記の中では、
「尾張の国、鳴海の浦を過ぐるに、夕汐ただ満ちに満ちて、今宵宿らむも、中間に汐満ち来なば、ここをも過ぎじと、あるかぎり走りまどひ過ぎぬ」
と、苦労して渡ったことが記されています。鳴海は中世には有名な歌枕になっており、残されただけでも百数十首にのぼると言われます。その中で、街道の情景を歌っているものとして、次のような歌があります。
「なるみ潟 潮干に浦やなりぬらん上野の道を行く人もなし」 藤原景綱
「なるみ潟 汐満ち時になりぬれば野並の里に人伝うなり」 藤原景綱
「なるみ潟 汐の満ち干のたびごとに道ふみかうる浦の旅人」 宗良親王
これらが詠われた時代は鎌倉の中頃から南北朝の時代になりますが、潮の状況によって道を選びつつ渡っていたことが分かります。この鳴海潟を渡る道は、上・中・下の3つのルートに分けて考えることができそうです(図1)。
※引用元
一般社団法人 日本電気協会 中部支部
プロジェクト紀行 なごやの鎌倉古道をさがす
【8】鳴海潟を渡る(上)・・・広い河原を行く
https://www.chubudenkikyokai.com/archive/syswp/wp-content/uploads/2015/09/ca75d3549ec97cf7c68fcc48e7d4e9d0.pdf
上の画像は、現代の音聞山付近から南南西寄りの方面を臨むグーグルマップの画像です。画像の真ん中の下あたりが音聞山になります。ちなみにルーム南は、画像の左側に位置しています。平安時代にこのアングルから眺めたとするならば、広大な年魚市潟(鳴海潟)を見渡すことができたはずで、歌に詠まれるのも頷ける風光明媚な眺めだったのかもしれません。普段住んでいて身近なエリアですが、掘り下げてみると興味深い歴史がある、と改めて感じた次第でした。
(野村)
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福岡市博物館 企画展示
福岡市博物館の企画展示を見る。企画展示室は4室あり、それぞれテーマを決めて展示を構成してある。
企画展示室1、「奈良時代の博多」。当地に何らかの公的機関があったことを示唆する資料が並ぶ。
重さをはかるための規格品のおもり。
硯。
墨書土器。
役所づとめの官人が着用したベルトの金具。
役職によって服装が細かく決めめられていたが、ルール破りとおぼしき金具も見つかっているというのがおもしろい。
下は左がルール破り(黒石)、右が決まりを遵守したもの(黒漆塗)。黒いからバレないっしょ、ということか……
企画展示室2、「江戸の園芸」。
福岡藩の儒学者、貝原益軒が記した『大和本草』。
長崎の絵師、川原慶賀の描いた植物図。慶賀はシーボルトの書物の植物画や風俗画を多く手がけた人だそうで、なるほど納得の出来栄え。
福岡藩第11代藩主、黒田長溥の筆による植物図。殿様みずから植物を育てていたらしいことが窺える。
園芸とは関係ないが、同じ展示室内にあった名刀「日光一文字」。鑑賞のコツが別のパネルに書いてあり、展示ケースのガラスに鑑賞の際の目線の位置の目安まで付いている親切設計。
企画展示室3、「いにしえのデザイン 発掘された文様図鑑」。しかし記憶も写真もない。展示品にあまり感銘を受けなかったのか、あるいはこの部屋を見そびれたのかもしれない……不覚。
企画展示室4、「ガラスびんの考古学」。古代から現代まで、ガラス製品が並ぶ。古代の文物ももちろん魅力的なのだが、こういう特集だと近現代の商業製品のほうがおもしろく感じられる。
古代。
イスラムガラスとその復元品。
博多から出土した、鎌倉時代のガラス坩堝とガラス製品。
ここからは明治以降。薬びん、飲み物のびん、インクつぼなど。
カゴメ、味の素。
左は戦時中に作られたガラスのボタン、右は空襲で溶けたガラス。
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【活動要項】【参加申込】第1回冬のキャンプ
猛暑の夏のキャンプを体験した子どもたちから「冬もやりたい!」と声が上がり、いろいろなパターンを検討しました。地球温暖化の影響でしょうか、冬期自然体験活動中に雪が降ったり、積もったりすることがなく、思いっきり雪遊びができないもりもりの活動になっています。そこで2年ほど前から雪遊びのできる活動期間をつくりたいと考えてきました。子どもたちの熱い要望にも押されて、第1回の冬のキャンプを開催することとなりました。今回は雪合戦や雪そり遊び、鎌倉づくりなどの雪遊びにプラスして冬の山里の暮らし体験を企画��ました。しめ縄づくりで毎年ご協力いただいております河原林成史氏の資料館のような自宅である茅葺屋根の古民家にお邪魔し、唐臼(からうす※1)で寒餅をつき、おくどさん(※2)でご飯を炊き囲炉裏でぼたん鍋(または京北鍋)をいただくというワクワクする体験を計画しております。山里の京北でもおくどさんがある家はほとんどなく、まして唐臼まで家にあるのは河原林邸だけです。夏とは違う山里京北の冬をいっぱい楽しみたいと思います。
●活動日:1月27・28日(土日) 1泊2日
●宿泊場所:あうる京北(〒601-0533 京都府京都市右京区京北下中町鳥谷2)
●主たる活動場所:森守協力隊事務所(右京区京北下弓削町杉森26-1)
●参加費用:33,500円(税込)
(バス協力金・保険代・野外炊飯体験材料費・アルバム製作費込み)
※キャンセルされた場合は、その時点での必要経費を差し引いた金額をプログラム終了後に返金します。また、振込料はご負担ください
●対象:在園生・卒園生(令和5年度ファミリー会員未登録の方は参加費とは別途会員費3,000円をお願いします)
●定員:最少催行人員5名〜最大18名
●持ち物:着替え一式2回分・寝間着・雪遊び服一式(スノーブーツ)替え用運動靴・洗面一式・水筒・マイカ���プ
大き目のリュックまたはカバンに持ち物を小分けにしてなるべき1つにまとめてください
●食事:27日昼) もりもり一番人気「豆乳ラーメン」
27日夜)河原林邸囲炉裏で「ぼたん鍋または京北鍋」「餅」「おくどさんで炊いたご飯」
・ 28日朝) ピザパン、ソイミロ、バナナ、リンゴ、ヨーグルト
・28日昼)ほうれん草カレーライス
●服装:主に野外で遊びます。活動に相応しい服の着用と準備をお願いします。お子さん本人が着脱可能なものが好ましい。長靴またはスノーブーツの着用
※活動に適切ではない場合、参加をご遠慮いただくこともありますので、十分にご考慮ください
●活動休止の場合:当日朝7時までに電話連絡します。その場合は日程終了後、相当分の参加費をお返しします。ただし、病気や参加者都合での返金は、出来かねます
●活動中の保険について:賠償責任保険に加入しております。安全には充分配慮し活動をしておりますが、けがや事故は不意におこりうる場合があります。不慮の事態で入院、通院などの補償は、この加入保険の補償の範囲内でのみ対処させていただきます
●写真撮影について:当活動を記録するため、毎日写真撮影を行います。その画像データは、HP・SNS・ポスター・チラシなど、運営法人の広報活動においても使用させていただきます
●送迎バスについて:こちらから(予定)
●参加申込:こちらから(googleforms)
●参加締切:1月20日(土)17時00分まで
この活動は、特定非営利活動法人森守協力隊理事長 宮西恵津子が主催しております
(※1)うすを地面に埋め、足で杵(きね)を踏んで穀物をつく仕掛けのもの。ふみうす。
(※2)*2おくどさん 「おくどさん」は「お曲突さん」と書き「くど」とは「火処(ほど)」を意味しています。前後に「お」と「さん」を付けた最高尊敬語と言へ大切にしてきた歴史を感じます。今日では、火を焚く「かまど」や「かまど」のある場所を意味することばとして使われていますが、本来はかまど神信仰に基づく神様を表したことばです。かまど信仰とは、火伏せ神であり、家の守り神としても大切にされています。京都愛宕山は火の神様が祭られています。京北はこの愛宕山の裏参道の村になります。
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『 海が見えるレストランで夕食 』
皆さん こんにちは。
近くの結婚相談所 ハッピータイム群馬桐生相生
婚活アドバイザーの金子です。
桐生市から訪れた鎌倉ドライブ旅行の宿泊先に選んだのは、
七里ヶ浜の高台に位置することから、全室オーシャンビュー
という鎌倉プリンスホテルさん。
部屋には大きな窓と小さいながらベランダも設置されており、
相模湾に浮かぶ江の島、そして 富士山が一望でき、
夕方には海に沈む太陽の位置により刻々と表情を変える絶景
を堪能できました。
いよいよ、お楽しみの夕食です。
ホテルからの徒歩圏内の海沿いには、イタリアンのアマル
フィイさん、カレーの珊瑚礁さん、朝食にはパンケーキの
Billsさん、ハワイアンのPacific DRIVE-INさん等を始め、
気になるお店がたくさんありましたが、今回は夕食と
朝食付きの宿泊プランで予約したので、ホテル内の
レストラン「ル・トリアノン」さんでコース料理
をいただきました。
窓側の席に案内していただき、日没の海を眺めながら食事
のスタート。
☆ 前菜盛り合わせ
スモークサーモン・アボガド・パンドエピス・
パテ ド カンパーニュ
柿とクリームチーズの生ハム巻き
☆ パン
☆ スープ
カリフラワーのポタージュorミネストローネ
カリフラワーのポタージュを、お願いしました
☆ メイン一皿目
鯛のソテー きのこと香草バター 空心菜
☆メイン二皿目
牛フィレ肉のソテー フォンドボーとグリーンマスタードソース。
☆ デザート
洋梨のパルフェ ベリーソース
☆ ドリンク
コーヒー、紅茶、ハーブティー
全体的に、素材の味わいを生かした上品な味付けの料理でした。
ゆったりとした落ち着いた雰囲気の空間で、美味しい食事を
楽しむ事ができ大満足です。
食後はホテル周辺を散策。
江の島をライトアップした光が、紺碧の海を照らしていました。
*************************************************
近くの結婚相談所 ハッピータイム桐生相生
婚活アドバイザー 金子 薫
群馬県桐生市相生町5-536-1 ネプチューン2-A
電 話:0277-32-5314
連絡時間:午前10時から午後9時
定休日:年中無休
**************************************************
婚活 結婚相談はお近くの結婚相談所ハッピータイム (http://www.happytime-en.com/)、 群馬前橋・群馬沼田・群馬渋川・群馬高崎・群馬安中・群馬藤岡・群馬伊勢崎・群馬桐生・群馬みどり・群馬太田・群馬邑楽・群馬館林・栃木足利・栃木佐野・栃木小山・栃木栃木・栃木真岡・埼玉熊谷・埼玉深谷・埼玉本庄・埼玉行田・埼玉羽生・埼玉加須・埼玉児玉・茨城牛久・茨城下館・茨城筑西・茨城結城・茨城古河・新潟長岡・新潟小千谷・新潟見附・新潟柏崎・新潟魚沼・新潟十日町・新潟南魚沼・新潟西蒲原・神奈川川崎までお問い合わせください。
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【旅行】織田・徳川と武田の決戦地、長篠を観光
【この記事のポイント】
・織田・徳川と武田の合戦があった長篠城、城好きにはたまらない魅力があったなと。
蒲郡旅行最後の観光地は長篠城。
距離が近いのかと言われると、決してそんなことはないんですけどね。
長篠城は新東名の新城ICの近く、この後皆さんが向かうのが名古屋と鎌倉で、我々は浜松に車を返却に。
そんな事情を考えると、いい頃合いのスポットだと考えたという訳です。
蒲郡からは1時間ほど、道もさほど難しくなくスムーズに到着。
少々不格好な建物は資料館ですけど、これならここが城だったと認識はし易い。
長篠といえば、織田・徳川連合軍と武田軍の決戦が行われたことで有名ですよね。
『どうする家康』でも登場、橋本さとし演じる山県昌景が派手に戦死するシーンのもありました。
あれは長篠城ではなく近くの設楽原、包囲された長篠城を織田・徳川軍が救援にきて、設楽原で一大決戦にとなったというのが大まかな流…
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