「書いたらその社は終わり」-民主党・松本龍元復興相の政権圧力と関連報道まとめ
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ホントの「言論弾圧」とは
松本龍復興担当大臣(部落解放同盟元副委員長)がマスコミを恫喝した
「書いたらその社は終りだからな!」みたいな発言ですよ。
実際、あの時、大手マスコミはビビって報道しなかった。
東北放送が報道してから各社が追随した。
(https://twitter.com/tolucky7797/status/614798302219911168)
松本龍と言えば部落解放同盟だけど、
長きに渡り、日本のマスメディアの報道に対して
圧力をかけ続けて来たのが、部落解放同盟と朝鮮総連。
(https://twitter.com/WBJPPP/status/584963137918468096)
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◇『書いたらその社は終わり』発言までの経緯
松本復興相、岩手・宮城両知事にきわどい発言連発
松本龍復興担当相は3日、東日本大震災の被災地である岩手・宮城両県を訪ね、両県知事と会談した。前日の福島県に続く就任後初めての被災地訪問だが、被災者の感情を逆なでしかねない発言を連発した。週明けの国会で野党が追及する可能性もある。
朝日新聞 2011年7月3日
(http://www.asahi.com/special/10005/TKY201107030246.html)
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※「圧力」発言問題をいち早く報じた「宮城TBC東北放送」報道を参考に
▽動画
松本復興相「書いたらその社は終わりだから」
(http://www.nicovideo.jp/watch/sm14920422)
※冒頭の動画はこれを切り取ったものです。
▽書き起こし+α
『松本龍復興相が(宮城県)知事を叱責』(TBC東北放送)
──松本龍復興担当大臣が就任後初めて、今日、宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責しました。
──宮城県庁を訪れた松本龍復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで顔色が変わります。
松本龍「(村井知事が)先にいるのが筋だよな」(※隣の関係者に)
──数分後、笑顔であらわれた村井知事が握手を求めようとしますが、これを拒否。応接室に緊張が走ります。
──そして、要望書を受け取ると、松本大臣が語気を強めて自らの考えを伝えます。
松本龍
「(水産特区は)県でコンセンサスを得ろよ
そうしないと我々何もしないぞ。ちゃんとやれ」
「今、(知事を指さしながら)あとから自分、入ってきたけど、
お客さんが入って来るときは
自分が入ってきてからお客さんを呼べ、いいか?」
「長幼の序がわかっている自衛隊ならやるぞ」
※村井義弘知事は元自衛官。
「わかった?」(身を乗り出し同意を強要)
「しっかりやれよ」
「今のはオフレコです。書いたらその社は終わりだから」
「(※マスコミ含め一同、愛想笑い)」
――松本大臣のこの言動は波紋を呼びそうです。
◇各紙報道
7:名無しさん@涙目です。(関西地方):2011/07/04(月) 01:27:51.73 ID:gH09vvx90
松本発言の各社関連記事一覧
新聞社ごとのスタンスを確認してみましょう。
読売新聞
復興相「知恵出さない奴は助けない…つもりで」
(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110703-OYT1T00630.htm)
朝日新聞
松本復興相、岩手・宮城両知事にきわどい発言連発
(http://www.asahi.com/politics/update/0703/TKY201107030246.html)
毎日新聞
松本復興担当相:岩手、宮城知事と会談「復興は知恵合戦」
(http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110704k0000m040101000c.html)
日経新聞
松本復興相「突き放すことも」 被災地知事に相次ぎ注文
(http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E2E1E2E0EA8DE2E1E2E5E0E2E3E38297EAE2E2E2)
(http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS03028_T00C11A7PE8000/)
産経新聞
「突き放す時は突き放す」 復興相が被災地知事に注文
(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110704/plc11070400030000-n1.htm)
共同通信
知恵出さなければ助けない 復興相、被災地に厳しい注文
(http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011070301000727.html)
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※日経以外の記事は公式配信サイトから削除されており、各紙の論調を比較することはできませんが、タイトルを見るに、『共同通信』配信の引用或いは焼き直し程度の内容だったと思われます。
以前、政府が提言・検討を重ねている「放送アーカイブ構想」に対し、主に毎日新聞から『公権力によるメディア監視。事後検閲、報道圧力につながる』といったトチ狂った批判がなされ話題になっていましたが、ネット配信記事のアーカイブも考えて欲しいところです。
▽関連
旧英字版「waiwai」コラムでおなじみの
毎日新聞社「放送アーカイブ構想は報道圧力になりかねません」
Togetterまとめ 2015年7月6日
(https://togetter.com/li/843672)
国立国会図書館が“テレビ・ラジオ番組を全て録画・録音・保存”『放送アーカイブ』構想 ⇒ 毎日新聞取締役「報道の自由を脅かす、報道圧力になりかねない」
正義の見方 2015年7月7日
(http://www.honmotakeshi.com/archives/45459834.html)
▽参考(国境なき記者団「報道の自由度ランキング」)
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[Image above+below: works of an Estonian artist, Kaljo Põllu (28 November 1934 – 23 March 2010) ]
Legends and myths about trees
Forest myths, Estonian traditional beliefs (2)
The world of the Estonians’ ancestors - Proto-Estonian mythology
The world of the Estonians’ ancestors is believed to have turned around a pillar or a tree, to which the skies were nailed with the North Star. The Milky Way (Linnutee or Birds' Way in Estonian) was a branch of the World tree (Ilmapuu) or the way by which birds moved (and took the souls of the deceased to the other world). These myths were based on animistic beliefs.
Some traces of the oldest authentic myths may have survived in runic songs. There is a song about the birth of the world – a bird lays three eggs and starts to lay out the nestlings – one becomes Sun, one becomes Moon and one becomes the Earth. Other Finnic peoples also have myths according to which the world has emerged from an egg.
It has been suggested by ethnologist and former president Lennart Meri and among others, that a Kaali meteorite crater which passed dramatically over populated regions and landed on the island of Saaremaa around 3,000 - 4,000 years ago was a cataclysmic event that may have influenced the mythology of Estonia and neighboring countries, especially those from whose vantage point a "sun" seemed to set in the east.
There are surviving stories about Kaali crater in Finnish mythology (Description of indigenous paganism by Finns who always believed in spirit beliefs).
In the Karelian-Finnish folk epic, the Kalevala, cantos (songs) 47, 48 and 49 can be interpreted as descriptions of the impact, the resulting tsunami and devastating forest fires. It has also been suggested that the Virumaa-born Oeselian god Tharapita is a reflection of the meteorite that entered the atmosphere somewhere near the suggested "birthplace" of the god and landed in Oesel.
Estonian mythology is a complex of myths belonging to Estonian folk heritage and literary mythology, and the systematic documentation of Estonian folklore had only began in the 19th century.
Therefore, information on Proto-Estonian mythology before the conquest of the Northern Crusades, Christianisation and incorporation into the European world and during the medieval era, is only scattered in historical chronicles, travellers' accounts and in ecclesiastical registers.
It can be difficult to tell how much of Estonian mythology as we know it today was actually constructed in the 19th and early 20th century. Friedrich Robert Fehlmann, one of the compilers of the Estonian national epic, Kalevipoeg in the introduction to Esthnische Sagen (Estonian Legends), states.
"However, since Pietism has started to penetrate deep into the life of the people...singing folk songs and telling legends have become forbidden for the people; moreover, the last survivals of pagan deities are being destroyed and there is no chance for historical research."
木にまつわる伝説・神話
森の神話・エストニアの民間伝承 (2)
エストニア人の祖先の世界 〜 原始エストニア神話
エストニア人の祖先の世界は、柱または木の周りを回っていたと信じられており、その柱には北極星とともに天空が釘付けにされていた。天の川(エストニア語ではリヌーテーまたは鳥の道)は世界樹(イルマプー)の枝であり、鳥が移動する(そして亡くなった人の魂をあの世に連れて行く)道であった。これらの神話はアニミズム的な信仰に基づいていた。
最古の本物の神話の痕跡が、ルーン文字の歌詞の中に残っているかもしれない。ある鳥が3つの卵を産み、雛を産み始める。ひとつは太陽になり、ひとつは月になり、ひとつは地球になる、という世界の誕生の歌がある。他にはフィン族にも、世界が卵から生まれたという神話がある。
3,000~4,000年前に人口密集地域の上空を劇的に通過し、サーレマー島に落下したカーリ隕石 (カーリ・クレーター) は、エストニアや近隣諸国、特に「太陽」が東に沈むように見えた国々の神話に影響を与えた可能性がある、と民族学者で元大統領のレンナルト・メリらによって示唆されている。
フィンランド神話 (精霊信仰を常に信仰していたフィン族による原始宗教的な伝説) にカーリ隕石に関する物語が残っている。カレリア・フィンランドの民俗叙事詩『カレワラ』の第47、48、49カント (聖歌) は、その衝撃と、その結果生じた津波、壊滅的な森林火災についての記述であると解釈できる��また、ヴィルマア生まれのオイセルの神タラピタは、この神の「出生地」とされる場所の近くで大気圏に突入し、オイセルに落下した隕石の反映であるとも言われている。
エストニア神話は、エストニアの民間伝承と文学的神話に属する神話の複合体であり、エストニアの民間伝承の体系的な記録が始まったのは19世紀になってからである。そのため、北方十字軍の征服、キリスト教化、ヨーロッパ世界への併合以前、そして中世のエストニア神話の原型に関する情報は、歴史年代記、旅行者の記録、教会の記録に散見されるのみである。
今日私たちが知っているエストニア神話のどれだけが、19世紀から20世紀初頭にかけて実際に構築されたものなのかを見分けるのは難しい。エストニアの民族叙事詩『カレヴィポエグ』の編纂者の一人であるフリードリヒ・ロベルト・フェールマンは、『エストニア伝説』の序文で次のように述べている。
“しかし、敬虔主義が人々の生活に深く浸透し始めて以来......民謡を歌い、伝説を語ることは、人々にとって禁忌となった; さらに、異教の神々の最後の生き残りは破壊されつつあり、歴史研究のチャンスはない。"
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EQP-1Aインスパイアドなイコライザペダルを作った
EQP-1Aのイコライザ回路を解析した結果にインスパイアされたエフェクトペダルを作った話です。
インスパイア元のEQP-1Aについては以前の記事で詳しく書いているのですが、低域および高域のカット(アッテネート、ATTEN)とブーストができるイコライザです。低域のカットおよびブーストと高域のカットはシェルピングタイプ、高域のブーストがピーキングタイプのEQになっており、カット、ブーストする周波数帯はそれぞれロータリースイッチで指定できる仕組みです。高域のカットとブーストはそれぞれ別の周波数帯を指定できるのに対し(カットは5/10/20kHz、ブーストは3/4/5/8/10/12/16kHz)、低域のカットとブーストについてはツマミは分かれているものの、周波数帯は連動して決まる(20/30/60/100Hz)、というのが特徴です。
今回作ったペダルも基本的にはそれを踏襲し、ツマミは低域のATTENとBOOST、高域のATTENとBOOST、高域BOOSTのカーブを決めるWIDTH、そして出力音量を決めるボリュームという6つのポットと、低域カット/ブーストおよび高域ブーストの周波数を決める2つのロータリースイッチ、そして高域カットの周波数を決めるトグルスイッチ、という構成になっています。オリジナルのEQP-1Aは高域カットの周波数もロータリースイッチで設定するのですが、こちらはペダルということでスペースに制限があるためトグルスイッチに変更しています。
低域の周波数はEQP-1Aと同じ20/30/60/100Hz、高域カットの周波数も同じく5k/10k/20kHzですが、高域ブーストに関しては3/4/5/8/10/12/16kHzに加えて1k/2kHzも選択できるようにしました。これは利用したロータリースイッチが9接点であるのと(=9段階で設定できる)、個人的に1kHzあたりをブーストさせるのが好きだから、という理由です。
ケースのサイズはHAMMOND 1590N1サイズで、穴あけ加工の簡略化のためパネル部分に電源および入出力ジャックが組み込まれた形状です。とはいえ中身はかなりギリギリで、消費電力的には009P電池でも十分動くのですが、スペースの関係でACアダプタでのみの動作になります。
回路
メイン部分の回路はこんな形です。
以前紹介したEQP-1Aのイコライザ回路の前後にOPアンプを使ったバッファを入れた構成です。入力段のバッファはシンプルなボルテージフォロア回路で、このバッファ前にボリュームを入れています。イコライザ回路の後ろの出力段はゲイン21倍の非反転増幅回路です。イコライザ回路はパッシブ構成のためゲインが落ちますが、ここで落ちた分のレベルを増幅しているイメージですね。
電源はDC9Vの単電源なので、電源電圧を分圧してバイアス電圧を作り、イコライザ部分もそのバイアス電圧を仮想的なGNDとしています。電源部分にはトランジスタを使ったノイズ削減用ローパスフィルタを入れています。
カット・ブーストする周波数を決めるロータリースイッチは秋月電子で入手できる2回路4接点のものと1回路9接点のものを使っています。薄型かつコンパクトで、これがあったからこそこのペダルが作れたと言っても過言ではありません。
また、ロータリースイッチに繋がっている部分の回路は次のようになっています。
ひたすらコンデンサとインダクタ(コイル)が並んでいます。コンデンサはフィルムタイプのもの、インダクタはこちらも秋月電子で購入できるマイクロインダクタをメインで使いました。このマイクロインダクターは最大で47mHと比較的大きめの容量なのに、サイズは一般的な抵抗器を一回り大きくしたサイズでとてもコンパクトです。インダクタは抵抗と同様に直列接続すると単純に容量が加算されていくので、これを並べることで必要な容量のインダクタを構成しています。なお、100mHのインダクタについてはマイクロインダクタが入手できなかったため、太陽誘電の電源用インダクタを使用しました。マイクロインダクタよりは大きいですが、およそ直径10mmで十分にコンパクトです。
ちなみに、インダクタは磁力を発生させるため、並べた場合の相互作用が気になるところですが、実験した結果では縦に並べても目に見える影響はなさそうでした。扱う電圧がせいぜい数100mV程度だからかもしれません。
基板実装
こちらの回路をペダルエフェクターサイズのプリント基板に起こしたものがこちらになります。
今回新たな試みとして、抵抗器とOPアンプ、コンデンサについてはスルーホール実装と表面実装の両方に対応できるようにしてみました。手作業の実装でも手間としては表面実装のほうが楽な一方、表面実装部品は秋葉原における入手性が悪いため、どちらでも対応できるようにしようという魂胆です。
あと、ロータリースイッチの各端子をショートさせるように入っている抵抗については、基板スペースの関係上泣く泣く小さい表面実装の集合抵抗を使いました。正直これは無くても動作はするはずなのですが、EQP-1Aには入っているようなのでそれに従って入れています。ピッチが小さいのではんだ付けはかなり大変です。
ちなみに高域のカットの部分のトグルスイッチのところではこの抵抗を入れ忘れていますが、特に問題ない感じで動作しています。
基板上に一通り部品を実装するとこんな感じになります。ひたすらコンデンサですね。全部直方体型タイプのコンデンサを使えれば良かったのですが、一部の容量のものが手に入らなかったため、複数のタイプのコンデンサが混在しています。
また、ボリュームポットはリード線ではんだ付けしているのですが、ロータリースイッチについてはピンソケットを噛ませて実装しています。これで見事にぴったりな高さになります。
最初は基板を2枚に分割して、ボリュームポットやロータリースイッチは別基板に実装しようと思っていたのですが、これがうまくいったおかげで1枚基板で済んでいます。
入出力のフォンジャックと電源ジャックはコネクタ経由で接続できるのですが、なんとなくフォンジャックは直接基板にはんだ付けしています。
���ネルの作成
パネルは黒色アクリル板の表面をラッカースプレーで塗装し、それをレーザー加工して作りました。
裏側にはアルミ箔を貼ってシールド効果を持たせています。これらを組み立てて、ツマミを取り付けると最初の画像のようなものが完成します。
試奏インプレッション
相変わらず試奏動画や音源はないのですが、インスパイア元のEQP-1Aが完成度の高いイコライザということで、こちらもそれを踏襲した良い感じのものになっています。EQP-1AってEQのカーブが全体的に緩いので効きが悪い的な評価をされているのを見かけるのですが、実際はちゃんと体感できるレベルで効きます。もちろん低域の周波数を20Hzとか、高域の周波数を20kHzとかに設定すると効果は分かりにくいのですが、それぞれ100Hz/5kHzにすればすぐに違いが分かります。個人的にはやはり1kHzをブーストできるのが便利ですね。
ノイズに関しても、基本的に大きく全体をブーストするようなものではないため、まったく気になりません。後段にハイゲインのブースターやディストーションなどを繋ぐと差異が出る可能性はありますが、その場合は低ノイズのOPアンプへの交換で対応できる気がします。
ただ、出音が分かりやすく変わるエフェクターではなく、またどの周波数帯を変えるとどう出音が変わるか、というのを把握していないと使いにくいエフェクターだな、という感じではあります。なのでパラメトリックイコライザーってあまり流行らないんだなあ……と思いました。
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TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラヤ山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東洋や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求めながらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というと��まりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しましょう。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということです。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。それらはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が出来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につながる心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そうする事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出す鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象のことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!これもブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味することろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより現実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が強化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは、3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待しましょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出��きた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正��い考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
<おすすめサイト>
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
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ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
バリー・シュワルツ:選択の自由パラドックスについて語る
ダン•ギルバート:私たちが幸せを感じる理由
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
<提供>
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