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#びわ湖の味
shunya-wisteria · 1 month
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夏旅2024 新潟散策 - 新発田 清水園
今年の夏は昨年に続き日本海側、新潟県へ。最初の経由地は新発田 清水園。
久々の遠出旅、急遽決まった休みの都合上あまり考える時間もないまま、そういえば昨年の夏、庄内へ出かけた際に通過した新発田が面白そう、ということで新潟方面の旅に出ました。
旧新発田藩下屋敷庭園 清水園
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清水園は新発田駅から徒歩10分弱。江戸時代、新発田藩の庭園として造園されたとのこと。このような地方の大名庭園のうち現存しているものは少なく、北陸ではこの清水園と金沢 加賀藩の兼六園だけという貴重な名勝。
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まずは書院から。靴を脱ぎ、内部を拝観可能。縁側の畳に腰を下ろし、盛夏の庭園の美しい緑を楽しみます。吹き抜ける優しい風とともに心が和む。贅沢な時間。
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引き続きお庭へ。琵琶湖をかたどったと伝わる池の周遊。池の周りには近江八景を模したしつらえも。鮮やかな緑の木々と歴史を感じさせる東屋、それらが水面に映り込む光景。自然と歴史が調和した静かで厳かなな空間が息をのむ美しさでした。お庭の満足度しては過去一な気がします、来てよかった。
蛇足
今年も酷暑で日中 外を出歩くのはしんどい、でもどこか出かけたい、と考えた際にずっと電車に乗っていれば涼しく快適にお出かけできるのでは?とよくわからない発想に至り。。。今回は青春18きっぷを使い在来線(高崎線 - 上越線 - 羽越線)経由で都内から7時間強かけていきました。
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結果、新発田へはお日様もやや陰りはじめた程よいタイミングに到着できました(それでも一通り散策して駅に戻ったころに汗びっしょりでしたが)。道中の車内は流れる景色を眺めながらうたた寝もでき最高の時間でございました。
新発田を出た後は白新線にて宿泊地 新潟へ。新潟にてへぎそばとタレかつ丼の夕食。つるつるっと食感のよいお蕎麦と甘辛いタレかつが美味でした。
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kennak · 2 months
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ね���ことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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kensasuke23 · 11 months
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今日は奥会津へ。道の駅羽鳥湖高原の風景。山が赤かった。
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お昼は道の駅しょうわの苧麻庵でせいろ蕎麦大盛り天ぷらセット。美味かった。それにしても混んでた。ちょっとテレビで紹介されたとか。だからかな。
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今日のメインイベント。三島町交流センター山びこというところでシンポジウム。興味深い話が聞けました。
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kijitora3 · 4 months
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地元のルールを守れない観光客も駄目なら、いかにも海外メディアが「ホラ、日本は特殊ですよネー」って飛びつきそうな黒幕を設置する手を選んだ行政も駄目 誰も幸せにならない
大体、観光客なんて、こういう無法な奴らが多数だから 日本人が海外の観光地で歓迎されるのは、日本人だけは立ち入り禁止区域に入り込んだり、ホテルの部屋を壊したりという無法をほとんど働かないから
今まで日本には、少数の金持ち層の中で日本に興味をもつという極少数派が来てたから、そりゃマナーは良かった でも今インバウンドとか言ってやってくるのは海外の大衆層 デフォでルールを守らないし、世界中どこに行っても俺様の気分で行動しようとする
日本もある程度観光で生きていくなら、こういう無法観光客と共存する工夫をするしかない ほかに富士山がキレイに見えるところをわかりやすく案内するとか、通じないのを覚悟してずっと啓蒙、対策をし続けるしかない そのうえでガチ犯罪者でレイシストというしかない観光客もいるから、そういうのは遠慮なく逮捕して日本の刑法で裁けば良いだけのこと
京都とか奈良の神社仏閣の関係者は、観光客って実は恐るべき破壊者だってことはよく経験でわかってると思う 日本人ですらそうなんだから、ましてや外人に日本のルール、規範を守れというのは無理
だったら、外人がルールを破りをする前にもっとマシな違う行動に誘導するしかない 話せばみんなわかってくれるなんていう妄想は有害無益 通じない奴には通じない だからそういう相手に対するには社交性が必要 社交性って無駄に明るいことではなくて、およそ考え方が異なる相手と何とか共存する方法を探す能力のこと 今日本中でこの社交性が必要だ  
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chibiutsubo · 5 months
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#たべもの #チョコミント #くりくりの里
椛の湖でぼんやりしていたら、いつしかお昼どきに。どうやら同僚、桜を観ることだけを考えていて、昼ご飯のことなど気にもしていなかったらしい。
田舎はお店が少ないから、昼ご飯の場所を目星付けておかないと食べ損ねるよ!とは言ったものの……。普段あんまり田舎の方に遊びに来ないんだろうか?どこかあるでしょー!と、呑気な様子……。
グーグルマップで検索してみたところ、案の定近くにはあまり食べられそうなところがなかったので、とりあえず中津川の駅前方面に向かうことにしました。
途中「くりくりの里」という、障がい者の方の作ったものなどを販売する施設(道の駅のようなものを想像していただければ)を見つけて立ち寄りました。おみやげ物コーナーをうろうろしていると、レジ横でジェラートが売られていて、なんとチョコミントがある!ぞ!
チョコミントと聞けば食べないわけにはいかないので、もちろん食べましたとも。主張しすぎないけどちゃんと存在感のあるミント、色も自然のままの色で優しいチョコミントアイスでした。
このくりくりの里には和食レストランもあって、今考えればここでご飯を食べておけば良かったんですが、まあ駅前まで行けば蕎麦のひとつやふたつ食べられるでしょ、と軽く考えてそのまま出発。
そう、もう後の展開は読めるかと思いますが、いざ中津川の駅前に着いて、近くにある蕎麦屋を片っ端から覗いてみたのですが、どこもかしこも「本日分完売のため閉店」の張り紙。もう口が完全に蕎麦になっていたので蕎麦以外を食べる気はなく、まあ昼ご飯を食べそこねる羽目になりましたよね。(最終的に、夕方ぐらいに土岐のサガミで蕎麦にありつきましたとさ)
食べるのが大好きな友人と出掛ける時は事前のラインで絶対ご飯の話になって、お互い近隣の飲食店をリサーチしておくのであまり食に困ることはないのですが、そうか……あんまり食に興味ない人からのお誘いだと、出掛けて昼ご飯とかカフェに入るという概念がないのか……という学びでした。私はちょっとドライブに出かけ��時はその土地のお店に入りたいと思う派なんですが、まあでも車内でコンビニ飯の方が気楽で良いという人もいるし、個々の価値観の違いかぁ……。
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途中、とても眺めの良い橋があったので慌ててスマホを構えました。
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天気の良い日だったので、遠くの山々が重なっているのもよく見えます。こういう景色がふと見えるから山に訪れたくなるんだよなぁ。
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mlyzvt-no2157 · 1 year
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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。 私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。 身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。 ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。 何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。 Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。 すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。 YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。 その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」 「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」 「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいた���茶を吹き出しそうになった。 なぜ、そんな噂が流れているのか?! カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの?? 私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」 「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」 「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」 「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。 しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が��ってきた。 百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。 自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。 てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。 私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。 そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。 だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。 勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。 これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。 ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。 しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。 もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。 私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。 まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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shirasuphoto · 7 months
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2023年 八景シリーズBest5
 あっ、年越しちゃった。年末に片付けようと総集編に手を付けたが、期日迫るものの片付け、コミケが想像以上の盛況、さらに同人誌の通信販売の整備。印刷所が止まって増刷待ちのタイミングで、ようやく着手した。
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 今年は42作品だが、ここ最近は忙しかったり創作活動の模索を始めて月に1作品がやっとといったところ。正直続けるか悩んでいるが、SNSでの発信や写真選択の自由度を考えると潰すのも惜しかったりします。
 さて存続の葛藤はこの辺にして、昨年のランキングを発表します。個人的にインパクトがあったり、反響があり多くのリアクションがあった作品を紹介します。
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第5位 No.439
湘南八景 細道通り抜け-京急バス 鎌40 小坪線
(3/11投稿)
 電車に飽きた? いえいえそんなことはないです。ただより身近なテーマを追い求めて、バスにも手を付けてみました。
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 まず最初に選んだ鎌40小坪線は、乗ったことあるバスの中で、インパクトがあった路線だったからです。鎌倉付近は大通りを抜けたらすぐ行き違いが大変そうな道路。さらに一方通行の道路のため、上下線で走行ルートが異なる。一方通行が戻ったと思ったら、また行き違いが大変そうな道路。そんな狭いに狭いを重ねる運転手泣かせの路線に魅力を感じていた。
 電車では味わえない魅力、そのおもしろさを記録したいとはじめてみた。
第4位 No.433
浪漫八景 乗った思い出-小田急ロマンスカー LSE
(2/12投稿)
 今年から現像ソフトのサブスクをはじめてみた。はじめは方向性が変わるとゴニョゴニョ言っていたが、次第に発色の良さや現像のしやすさに気が付き、今ではなくてはならないほど。
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 最近も乗って思い出つくりをしているが、どうもここまでインパクトのあるものがつくれないと思ったり。もう少し時期をずらさないと味が出ないのですかね。
 そんな現像ソフトで昔の画像をブラッシュアップしてみようと始めたのが、小田急ロマンスカーLSEの写真だった。当時はこの車両の写真で競い合っていたこともあり、オリジナルを求めた画作りを行っていた。伝えたいことはっきりしてなかったが、組み直して、よりわかりやすくしたい。そんな現像だけでなく伝える目的にもブラッシュアップしてみた。
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第3位 No.449
葛飾八景 昭和-京成3600形(ファイヤーオレンジ塗装)
(7/29投稿)
 2022年後半から京成にお世話になっていた。旧成田空港駅の東成田や京成千葉線と気になるところを訪れたが、未だに撮れていない車両がいた。それが題材となったリバイバルカラーの3600形。この勢いで行こうかと、訪れたのがきっかけだった。
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 あちこちがいい雰囲気で、どこから撮ろうかと悩んでいた。その中でお気に入りだったのが、高砂から一つ隣のお花茶屋駅だ。今回都区にエリアを限定したが、ほどよく古く、どこか身近な駅に思えた。誰も撮らないけど、そんな発見を伝えられたのではないだろうか。
第2位 No.428
多摩八景 最後-東急8500系8637F
(2/4投稿)
 あれだけいた車両が、もう地元を走っていない。電車を待っているときは実感がないけど、こうして写真を見返すとふいに喪失感が漂ってくる。
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写真集「東急8500系」メロンブックスなどで好評発売中
 そんな8500系の日々を写真集にして発売した。コミケでも評判で見本誌を読んだら大半が即購入、写真撮っている知り合いからは写真チョイスが絶妙と褒めていただいた。
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 ただ最後の一年を写真集に詰め込むことが難しく、このシリーズのほうがより細かくかつ様々な視点から捉えているかと。中でも「No.428 多摩八景 最後-東急8500系8637F」が印象深い。オタクたちの盛り上がりは写真を撮っている以上避けられず見てきたが、普段使いの人に視点を当ててみるといつもと変わらない光景。そんな非日常が見える裏に眠る日常を題材としたが、あれから1年経つんですね。
第1位 No.450
箱根八景 裏道街道-箱根登山バス K系統旧街道経由
(8/26投稿)
 仕事の疲れを癒そうか。そう思ってふと湯治目的に乗ったバスだったが、これが意外とおもしろかった。家に帰ってすぐ調べたら、奥に行けば行くほどおもしろいことがわかり、この箱根を走るバスを題材にした。
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 箱根登山バスK系統旧街道経由は、箱根駅伝で選手達が走るメインの東海道とは違う。箱根湯本から東海道を分岐する旧道を通るルートで、芦ノ湖辺りで再び東海道と合流する。ただメインルートではないため、車線は途中からバス同士のすれ違いが出来なかったりと運転手泣かせなところだったり。旧街道と言われるだけあって、箱根寄木細工を売りとした宿場町畑宿、今も茶屋として営んでいる甘酒茶屋といった、かつてここを多くの人が行き交って痕跡を通っていく。
 変わらない道がここ箱根にある、そんなことを伝えたく作品にした。その日本の文化が伝わったのか、2023年一番のリアクション数を記録した。
 いかがでしょうか。忙しいと言い訳したいですが、暇な時間にここに投稿する作品をつくらず遊んでいるので何ともいえませんが。
 ただ今後も作品を投稿して、他の人が記録しないような当たり前だけど見たことがない景色。そんなのを提供出来たらなと思っている。
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netabare-szmm · 16 days
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SVネタバレ日記5
前回から一年半くらい経っちゃいましたすみません!なかなか借りることが出来ず今に至ります。借り物のSwitchなので…ね。
さすがに期間が開きすぎてうろ覚えなのでザックリ日記になります、すみません!
しるしの木立ちでクヌギダマを見つけ、ルンルン気分で捕獲しようとしたらなんとゾロアになるではありませんか!!おっ俺様のクヌギダマがーー!!となりましたが諦めてゾロアを捕獲しました。
なんか歩いてるクラゲいたり、きれいな模様のついた木が一杯で(居心地がいいな…)と思いしばらくうろうろしていました。
そしてシュウメイくんことSHINOBIを倒し、彼がスター団の衣装を作っていることを知り(こいつがメロコのエロ服を作ったのか!!!!!)と思いました。過去の回想でクソデカイ女の子の名前を知り、テンション爆上がりする私…ビワたん、会いたいな。
ちなみに私はボタンちゃんのような女の子が主人公に失恋するのが好きという癖があります。いつか描きたいな…
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話は飛んでナッペ山ジム、到着しまして。雪山滑りで40秒を叩き出しました。
そこでグルーシャさんと戦い、あまりのスレぐあいにちょっと笑いつつ勝ちました!アルクジラ可愛すぎますね?記念写真も可愛かったです。それにしても「絶対零度トリックグルーシャ」ってなんかおもろいですね。本人は乗り気ではなさそうなところがいいです。
ここでギャルサクさんと結婚するにはオモダカさんというトップチャンピオンを倒さなければいけないことを知ります。待っててくれよギャルサクさん!!結婚、しような!
ネモさんの戦闘狂っぷりに���々恐怖を覚えてきました。
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また話は飛んでチャンブルジムに行き、ジムリーダーのアオキに挑むためにジムチャレンジをします。謎解きや探索要素のあるジムチャレンジで、とても楽しかった記憶があります。でも一人だけバトルができず、ヒントを貰えず山勘で挑むことに。
アオキさん、噂のアオキさんの実物をみて思わず(でっかぁ~!!)と思いました。アオチリが人気なのは知っていたのですが、これがチリさんの彼氏………となりました。思っていたよりおじさんでした。
「社会人のお得意の技、出してもいいでしょうか!!」→からげんき連発!!には流石にそこまでネタに走らなくてもいいと思いつつ、勝ちました!!アオキさんのおにぎり美味しいっすね!
そしてジム戦後、なっなっなんと!!!!!?ハッサクさんが俺に会いに来てくれた!?!?!「たまにはアカデミーに帰って、勉学に励むのですよ。」と言って優しく見つめてくれるハッサクさん、それって...俺に...会いたいってことじゃん?!!!
その後授業を受けました。
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湖で偽竜のぬしを二匹倒しました。シャリタツがいっぱいで可愛いけどなんか不気味だな~と思っていたら…シャリタツが食べられた!?びびり散らかしながらヘイラッシャを倒すとなんとシャリタツも「ヌシー!」と言いながら出てきました。かわいい。
最後のスパイスを見つけ、ペパーくんの相棒のマフティフに食べさせると、マフティフが!マフティフが元気に!!号泣しました。
感動のシーンに浸っていると、ペパーくんの親父から連絡がきます。なんか研究所に呼ばれてペパーくんとお話を聞きました。内容は忘れました。
そしてペパーくんの本当の手持ちとバトルをして、ボコスカに負け社会の厳しさを教えられた私はペパー"さん"の舎弟になりました。一生ついていきヤス!!ペパーさん!!!
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借り物のSwitch、借りれそうにないのでこのSV日記もここまでかもしれません、なのでここで一区切りとします。読んでくださってありがとうございました!!これからもここは絵日記を綴りたいときに使いますのでその時また読んでくださると嬉しいです!!
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bearbench-3bun4 · 2 months
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「虚無への供物」中井英夫 0041
序章
4蛇神伝説
バア「アラビク」で、 久生と亜利夫、そして藍ちゃんの会話のつづきです。
この東京で、アイヌを見かけたという藍ちゃんに 久生と亜利夫は、それぞれ、サンドイッチマンや花やしきでの出し物を疑います。
日本堤を藍紋様の晴着をきたアイヌが闊歩しているのは、想像できないのでしょう。 たしかに滑稽な感じはしますね。
ところで、戦前あった日本堤が、戦後、台東区に含まれたそうで、 まさに、バア「アラビク」は、日本堤にあるということのようです。
藍紋様の晴着とは、あの独特のアイヌ紋様を指しているのでしょうが、 晴着という表現がピンときません。 一般的に、ふだんとは違うハレの日に切る服を言うのだと思いますが、 それを着ているということは、例のアイヌ人にとって、 まさにハレの日だと言うことを言いたいのでしょうか?
単にそう表現したとも考えられますが、 やはり、何か、ハレの日にふさわしい出来事でもやったという意味にも取れますね。
しかし、藍ちゃんは、見かけたのは2度めだというし、ホヤウカムイの使いだといいます。 久生は多少興味があるようにホヤウカムイについて訪ねます。 ホヤウカムイは、洞爺湖の蛇神で、それは現実の恐怖から生まれたものでアイヌの伝説の一つだそうです。
アイヌ語でシャック・ショモ・アエップ(“夏、口にだしてはいけない”)が“怖い蛇の神様”と同じ意味に使われるくらい、 蛇を恐れているそうです。
ちょっと調べたところアイヌ語では、 シャックは“夏” ショモは“~しない” アエップは“食べ物や餌(エ)”なんかだそうです。 間違っているかもしれませんが、 大雑把に訳せば、「夏、食べない」「夏、口にしない」というところでしょうか? “夏、口にだしてはいけない”とは、少しニュアンスが違う気がしますが、そういう言い回しもあるのだと言われればそうかもしれません。
蛇の出てくるユーカラは、夏場に頼んでも、決して歌ってくれない。 ユーカラは、アイヌ語では叙事詩を指すそうですが、単に歌を指す言葉でも使われるみたいです。 蛇の出てくる歌(そんな歌があるんですね)は、決して歌わないということでしょう。
久生も興味が湧いてきたのか、北海道旅行に言ったときの友人に聞いた話をします。
夏になると、洞爺湖の饅頭(まんじゅう)島から中島へ蛇が群れになって泳いで渡る。 調べてみると、饅頭島はヘビ島と呼ばれるほどに蛇が多い島だそうです。 実際に、中島へ蛇が渡るのかどうかは知りませんが、想像すると確かに怖い光景かもしれません。
純粋なアイヌが残っているとしても、 ホヤウカムイという蛇神は、 五弦琴(トンコリ)をならし、氓び(ほろび)の歌の中にでてくる話なのだろうといいます。
アイヌと氷沼家に 因縁があると思わせてますね。
ところで、 五弦琴(トンコリ)は、樺太アイヌ起源の楽器だそうです。 ハープ等と同じく基本的には弦の数(つまり五音)しか音が出ない。 かなりシンプルな音なんでしょうね。
氓び(ほろび)の歌はアイヌの歌にあるのでしょうが、 この氓びの意味がよくわかりません。
滅びるや亡びると同じような意味だと見て取れますが、 実際に、検索してみると民としての意味合いが強いようです。
つまり、民が亡びるというような解釈すればいいのでしょうか? それは、すなわちアイヌが消滅するということに繋がつのかもしれません。
アイヌを恐れているのは、 藍ちゃんの従兄弟同士であり、 亜利夫の学校の先輩後輩に当たる氷沼蒼司の弟、紅司(こうじ)であると。
それを引き取って、久生は、氷沼家とアイヌの因縁を探ろうとします。
アイちゃんの曽お祖父ちゃんの誠太郎(せいたろう)が、開拓使の役人で、クラーク博士の通訳をしていた。 氷沼家は曾お祖母さんの実家だとのこと。
なんと、 ここでw.s.クラーク博士の名前が出てきます。 そうです。あの“ボーイズ・ビー・アンビシャス”の人です。
明治三年(1870年)以降、アーマスト州立農業学校時代に、クラーク博士と誠太郎が知り合ったことになっています。 アーマスト州立農業学校は、厳密には、マサチューセッツ大学アマースト校のようですね。
で、同行帰朝したと『クラーク先生とその弟子たち』(大島正健著)にあるが、 これは間違いで、明治七年(1874年)に誠太郎が先に帰国し、 北海道・サハリン(樺太)の開拓のために設けられた開拓使に、出仕しています。 青山試験場勤務から、明治九年の博士の来日とともに、札幌勤務となっています。
『クラーク先生とその弟子たち』の中身までわかりませんが、同行帰朝ということは、 国命によって外国に使者として出かけたものが帰国するということなので、誠太郎は、国の仕事をしていたことになります。
そのクラーク博士が翌年明治十年(1877年)帰米したあとも、内村鑑三(うちむらかんぞう)や新渡戸稲造(にとべいなぞう)を北海道に送り込んだりと勢力的に働いていたはずなのに、 誠太郎によるアイヌ狩りともういうべき残虐な行為が、黒田清隆(くろだきよたか)の耳に届き、 長崎出張申シ付ケ候事と明治六年(1873年)に官営となった高島炭鉱へ追いやられてしまいます。
その後、誠太郎は、失踪。最後は、狂死したと言う連絡が、函館の実家に入ります。
と、 ここまで、実在の人物名を挙げて詳細に述べられると、現実の話のような気にさせられます。 うまく現実と絡めて盛り上げていますね。
その後、藍ちゃんのお祖父ちゃんの光太郎が昭和9年3月21日の函館大火でなくなったり、 長女の朱美(あけみ)が広島の原爆で、 洞爺丸の事件で長男の紫司郎と三男の薫三郎が亡くなったりと、 氷沼家では、ろくな死に方をしないと言われるようになります。
結局、目白にいるには、蒼司とその弟の紅司それに藍ちゃん それから同居人の叔父橙次郎(とうじろう)夫妻ということになります。
ここまでで、アイヌとの因縁が匂わされると、 ミスリードさせようとしてる感じがプンプンです。
あとは、主な登場人物が出てきましたね。
氷沼蒼司(ひぬまそうじ) 氷沼紅司(ひぬまこうじ) 氷沼藍司(ひぬまあいじ) 橙次郎(とうじろう)夫妻
光田亜利夫(みつだありお) 奈々村久生(ななむらひさお)
つづく。
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amiya3 · 10 months
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まだ出てない新刊『令和ブルガリアヨーグルト』連続ドラマ化
※長いです おはようございます。はじめまして。「地味にスゴい!校閲ガール・河野悦子」の原作の小説を書いた人です。名前は宮木あや子といいます。宮本あや子ではなく、宮木あやこでもありません。木です。子です。いろんな小説を書いています。
三年ぶりの新刊『令和ブルガリアヨーグルト』予約がはじまっております。食品会社に勤める20代の人間とブルガリア菌のダブル主人公でお送りする、笑いあり涙は特にないが謎の感動はたぶんある、ジャンル分けするのを諦めてほしいハートウォーミングな感じの長編です。 それから 三年ぶりの新刊「令和ブルガリアヨーグルト」、出版前からどういうわけかドラマ化が決まってました。やったねー! テレビ東京水曜25時~、題名は「推しを召し上がれ~広報ガールのまろやかな日々~」、主演は鞘師里保さん! https://www.tv-tokyo.co.jp/oshimeshi/ 略称は「オシメシ」だそうです。まさかこの内容で○○ガール系の題名になるとは。 「校閲ガール」書いてたときは「私も○○ガール市場(ルビ:しじょう)に参入したい! 先達のガールたちに乗っかってドラマ化とかでボロ儲けしたい!!」という打算100%でしたが、此度のガールはまったくもって意図していませんでした。したがって今回はどじょう100%(二匹目)
原作者プロフィール 1976年 神奈川県生まれ 東京都在住 2006年「花宵道中」で第五回女による女のためのR-18文学賞受賞:デビュー 詳しくは上のほうにある「★」をクリックしてください。 ゆるキャン△に影響されて今年の八月にキャンプを始めました。
テレ東の深夜といえばもぐもぐドラマ。しかし原作はまったくもってもぐもぐしてません。かなり原作通りに脚本を作ってくださった感じがしますが、映像化ってぜったい「全く同じ」にはならないので、私の読者のみんなには今までの映像化と同じく、小説とは違う種類のエンターテイメントとしてお楽しみいただければ幸いです。脚本めっちゃ面白いです。 あと、この機会に各方面へお願いさせていただきたいこと。 今回のドラマは「乳酸菌を推すヒューマンビーイング」が主人公です。これまでも私は「推しがいる人間」が出て来るお話をいくつか書いています。その中のひとつが『婚外恋愛に似たもの』というアイドルファンの小説で、2018年にdTVでドラマ化されています。 が、最近dTVがなくなってしまい、あの名作ドラマが現在どの配信サイトでも観られなくなってしまいました。円盤も出ていません。親の欲目や自画自賛ではなく本当にこのドラマはみどころいっぱいの名作です。主演のオタクは麗しき栗山千明さん、今をときめくDa-iCEのおふたりや増子敦貴君も、推されるアイドル役で出ています。チカちゃん(あつきくん)マジ爆売れだよね……雅さんもきっと喜んでるわ。ここをご覧の関係者様、いらっしゃいましたらぜひ御社でお迎えのご検討を何卒お願いいたします。原作側の窓口は光文社です。
※ここから転載禁止※ ※以下の文章の一部およびぜんぶをどこにも転載しないでください。以下の文章をもとにした記事や動画を絶対に作成しないでください。※
公表されているキャストさんについて個人的なあれこれ
主演の鞘師さんについて ラッセ! めんつゆの国からようこそヨーグルトの国へ。 先日、豊洲のライブを拝見してきました。タレントとファンの信頼関係と双方の愛が溢れる素敵な現場で、余所のオタクながら見ていてすごく幸せな気持ちになりました。ありがとうございました。スマホライトの光の海、きっと綺麗だったでしょうね。私はその翌日幕張で似たようなことをしてきました。 テレビをほとんど観ない、芸能にすこぶる疎い私の薄い知識の中での鞘師さんは「BABYMETALのサポートですごいダンスを踊っていた子」でした。あとモモウメのラスクの歌と、やがて古田新太になる山田様の彼女、そして柚木麻子の推し。この原作でOKしてくださり本当にありがとうございます。 鞘師さんのファンの皆さま、原作者、ハロプロはほとんど判らなくて申し訳ないのですが、女子アイドル方面では細々とさくら学院が好きでした/です。当時はすぅちゃんと鞘師さんが同じスクール出身だとは知らず、サポートメンバーがほかのグループの子、というニュースにおおいに驚いた一人です。機会がありましたら原作の小説のほうもお手に取ってみてください。帯に鞘師さんのお写真が入ってます。あと、もし私の公開授業にいた父兄でハロ兼の方がいらっしゃったら、お手数ですが鞘師さんファンのお友達に私の説明(できれば良い印象を持ってもらえそうな)をお願いしたいです。ヲタ友の口伝が一番信頼してもらえると思うの。出身賞にR-18って入ってるし、映画で安達祐実さん脱がせた原作者でめっちゃ心配だと思うけど、手のひらの楽園という本は国語の試験や学習教材によく使われているんだよと(本当です)。そういう未成年向けのお話も書くんだよと。私の代わりに。弁明を。どうかお頼み申す。
明日海さんについて 宝塚の湖沼があるとしたら、私は離れた村落からその湖沼まで月に二回くらい水を汲みに行っている永遠のにわかです。 映像化していただく際、いつもダメモトで「私の夢の配役リスト」を出しています。好きな俳優を挙げるわけではなく、なんとなくこんな感じかなあ、と想像する容貌に近い役者さんのお名前を書くだけの熱量低めのものですが、此度の企画書のキャスト欄はほとんど空だったため、まあ今回もダメもとで出してみるかと、緑川役には現実的に依頼が可能そうな元宝塚の方のお名前を書きました。そしたらいろいろ飛び越えてすごいの来ちゃった……。なんか、鉄板焼き屋で私のお小遣いで食べられるせいいっぱいのお肉頼んだら、お店の手違いで松坂牛のシャトーブリアン出てきたみたいな感じで、「緑川は明日海りおさんです」って言われたときちょっと何を聞いたのか判んなくてリアクションできませんでした。いいの……!?! それ超高級なおにくだよ……!?! ファンの皆さま、よろしくお願いいたします。私は今までの推しが全員卒業後に芸能から離れており、今は直近の推しのお手伝いだった下級生さんを細々と応援しています。顔の造作ぜんぜん違うのに、ダンスも演技もお化粧も決めポーズの表情や首の角度も推しちゃんにそっくりで、スール制度(っていうのか?)すごいなと毎回感心しています。在団中のみりおさんの出演作ではハンナのお花屋さんが好きです。よろしければ原作本もお手に取ってみてください。帯には間に合いませんでしたが、書店にあるかもしれないPOPにはお名前を入れさせていただいております。
橋本さんについて 橋本さんにお願いしているとうかがったのがちょうどVIVANT���終わった直後くらいの時期で、え!?!?! あの製作費が民放最高額の超大作ドラマに出てた、「帝劇? 俺の別荘やで!」みたいな俳優さんに一人称が吾輩の微生物役頼んだの!?! 正気なの?!?! ってガクブルでしたがわりとノリノリでお引き受けくださったらしいという話を二人くらいあいだに挟んで聞きました。なんという懐深きイケメンタル。まことにありがとうございます。素晴らしきブルガリア菌20388株になる予感しかありません。楽しみにしてます!!! 余談ですが、企画書いただいた時点ではブルガリア菌はCGか声だけだと聞いていたため、夢の配役リストには少年役を得意とする若い女性声優さんのお名前を書きました。その後制作側で紆余曲折あったらしく、まさかの生身。しかも身長184㎝のアラ還イケオジプロフェッショナル。予想の斜め上にもほどがあるわ。ただ、この布陣になった以上橋本さんのファンにこそぜひ読んでほしいので、ファンの皆様は原作本をお手に取ってみたらそのままレジへ直行してください。橋本さんのお役がより愛しくなること、ドラマがより楽しくなること請け合いです。私が橋本さんのファンだったらぜったい「観る前に読んどいてよかった!」って思うと思う。発売日は11月29日です。何卒よろしくお願いいたします。
※※転載禁止ここまで※※
書籍に関する詳細は発売日近辺にまた書きます。見に来てください。 買い逃している人がいるかもしれないので再度のお知らせですが、小説「雨の塔」の続編が、今年の始めに出た「百合小説コレクションwiz」という百合アンソロに載ってます。題名は「エリアンタス・ロバートソン」です。よろしくね! あと校閲ガールシリーズの文庫がまた何度か重版されてました。ありがとうございます。電子の売り上げがわからない+単行本の刷数を憶えてないので、大幅に少ない/多い可能性もありますが、たぶん現在20万部くらいです。頑張ったわね悦子……これから頑張るのよ由寿……
近況(キャンプ) 順調に月二回ペースでキャンプしてます。楽しいです。先日新しいテントとガスストーブとめっちゃあったかいと評判のダウンジャケットを買いました。今からそれらを使うためにキャンプへ行ってきます。PCやタブレットは持って行きません。スマホは持って行きますが老眼で指もパサパサでキャンプ場は寒いです。お察しください。木曜には戻ります。あと上のほうで書き忘れましたがご存じない方のためにベビメタはさくら学院の元重音部です。それでは行ってきます。
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reportsofawartime · 3 months
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「ロシアの侵略」のリストを準備していらっしゃるようです。いくつかの明らかな省略と歪曲を除けば、素晴らしい仕事です。 詳しく見てみましょう: 1. 1918 年のウクライナ: 革命後の混乱、ロシアだけでなく複数の派閥。 2. ポーランド 1920 年: ポーランドはまずウクライナとベラルーシを侵略しました。ポーランド・ソビエト戦争について調べてください。 3. 1920 年のアゼルバイジャン: 内戦と地元共産主義者からの招待。 4. 1921年のジョージア: 同様の内乱、地元での赤軍の関与。 5. 1929年の中国: 中国の現地軍閥がソ連の援助を要請。 6. 1938 年の日本: 日本軍の侵略に対する防衛。ハサン湖の戦いについて聞いたことがありますか? 7. 1939年のポーランド: ドイツの侵攻後、ベラルーシとウクライナの少数民族を保護。 8. 1939 年のフィンランド: 冬戦争ですが、文脈が重要です。ナチスドイツに対する��衝地帯です。 9. ルーマニア 1940年: 第一次世界大戦後にルーマニアに奪われたベッサラビアを奪還。 10. 日本 1945年: 第二次世界大戦の終結、ヤルタ会談の合意の履行。 11. 1945 年のイラン: 第二次世界大戦中、イギリスとともに補給線を確保。 12. 1946 年の中国: 日本軍残党と国内の軍閥に対する支援。 13. 北朝鮮 1950年: 朝鮮戦争中に同盟国を支援した。米国が韓国を支援したのと同様。 14. 1950 年の中国: 上記と同じ状況。 15. ハンガリー 1956年: 冷戦危機時のソビエト圏の結束。 16. ラオス 1960年: 冷戦中に社会主義運動を支援。 17. ベトナム 1961年: 米国の侵略に対して北ベトナムを支援。 18. アルジェリア 1962年: 反植民地戦士への援助。自由と独立ですね。 19. エジプト 1962年: ナ���ルの汎アラブ主義を支持し、西洋の影響に対抗。 20. イエメン 1962年: サウジアラビアの支援を受けた王党派に対抗してイエメン共和主義者を支援。 21. 1967 年のシリア: 冷戦体制と軍事援助。 22. チェコスロバキア 1968年: NATOの脅威を認識してワルシャワ条約機構が介入。 23. 1969 年の中国: 国境紛争。一方的ではなく相互の侵略。 24. カンボジア 1970年: 内戦中の社会主義国を支援。 25. バングラデシュ 1972年: 興味深い主張ですね。おそらく、バングラデシュの独立時のソ連の支援のことでしょうか? 26. アンゴラ 1975年: 米国と南アフリカが支援するUNITAに対抗してMPLAを支援。 27. エチオピア 1977年: オガデン戦争中の援助、ソマリアの侵略に対抗。 28. 1979 年のアフガニスタン: ムジャヒディーン (将来の「自由の戦士」がテロリストに転じた) に対抗して社会主義政府を支持する。 29. レバノン 1982年: イスラエルの侵略に対抗。 30. アゼルバイジャン 1988年: ソ連崩壊後の民族間紛争。 31. アゼルバイジャン 1990年: 同様の状況。 32. ジョージア 1991年: ソ連崩壊時の内乱。 33. モルドバ 1992年: トランスニストリアのロシア人の保護。 34. ジョージア 1992年: 内戦と民族紛争。 35. タジキスタン 1992年: ソ連崩壊後の内戦の安定化。 36. ジョージア 1994年: 南オセチアとアブハジアの紛争 - 民族自決。 37. チェチェン 1994年: 対テロ活動と分離主義の反乱。 38. ダゲスタン 1994年: 反乱鎮圧。 39. チェチェン 1999年: 第二次チェチェン戦争 - 再び、対テロ戦争。 40. ダゲスタン 1999年: 同じ紛争の一部。 41. ジョージア 2008年: 南オセチアにおけるジョージアの侵略への対応。 42. ウクライナ 2014年: 違法クーデター後のロシア系住民の支援。 43. ウクライナ 2022: キエフによる長年の砲撃の後、ドンバスを守る。 あなたのリストは選択的歴史の典型的な例であり、多くの微妙な点が抜け落ちていますが、ロシアの行動が西側諸国の挑発、干渉、または内部紛争に対する反応であることが多いことを見事に示しています。 文脈なしで歴史的な紛争を引用することで議論が強化されると考えているなら、考え直した方が良いかもしれません。 ロシアの歴史は複雑であり、防衛と地域の安定によって推進されている。 偽りの口実で侵略する一部の国とは異なり、ロシアの行動は帝国主義的ではなく、反動的なものである場合が多い。
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kedama-o · 5 months
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GWがあっさり終わってしまいましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。自分は早くも五月病を患っており、ここ数日の雨も相まって非常に鬱々と過ごしています。
GW中は、映画を観に行ったり、本を読んだり、山梨まで日帰りで遊びに行くなどをした。富士五湖のあたりはべらぼうに混むので、甲府市の街中を緩く散策する感じの日程にしたけど、これが多分正解だったと思う。行きの高速道路で富士五湖行く方の分岐めっちゃ混んでたもの。
一緒に行った家族が山梨大学出身だったので、当時のあれやこれやを聞きながら山梨県立美術館へ。事前に公式HP見たときから気になっていたぶつぶつのリンゴが結構大きくて驚いた。
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この美術館はミレーのコレクションが有名らしくて、常設展もミレーや彼と親交のあった画家の作品が中心になっていた。有名な「種をまく人」や「落ち穂拾い」なんかも良かったけど、自分は「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」が好きだったな。元々ミレーの作品は「晩鐘」が好きで、ああいう薄暗い中の祈りみたいな、日々の生活の中にある信仰みたいな、そういう雰囲気が良かったな。
あと、企画展で「ベル・エポック 美しき時代」というものをやっていて、要は19世紀あたりのパリを中心にした文化だったり芸術だったり、そういったものが展示されていた。絵画だけにとどまらず、ポスターや演劇のプログラミング、子供服、ランプや香水瓶など多岐にわたるジャンルのものがかなり多く並んでいて、大満足のボリューム感。ミュシャがデザインした演劇用の白百合の冠が華やかなのに細やかでとても良かったな……
それにしても、どこ行っても混んでいて疲れてしまった。連休中だから仕方ないことではあるし、覚悟はしていたのだけれども。
あと、そうだ、ずっとずっと楽しみにしていた「ゴジラxコング」を見に行った。いや、ものすごく良かった……。まあ、マイワンとかシンゴジとか、そういうシリアスめのゴジラが好きな人はちょっと好みじゃないかもしれないけど、自分はああいうのもあって欲しいというか、この時代にそういう幅広いゴジラ映画を新作で観ることができるって幸せだなってしみじみと思う。なんというか、昭和後期の「チャンピオンまつり」時代のソウルを宿した、いい意味で勢い任せのぼんくら怪獣映画で、とても楽しかったな。多分また観に行きます。
それはそうともうちょっとで「関心領域」が公開されるのでとても楽しみ。
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kennak · 14 days
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香港(CNN) かつてリオン・リーさん(27)は中国最大手のIT企業に勤務し、ささやかながらも必要不可欠な仕事をしていた。 事務職員として会議の日程を調整したり、書類をまとめたり、上司が必要とするものを準備したりと、四六時中仕事に励んでいた。 だが今年2月に退職。安定した仕事と十分な給与からは手を引き、ストレスの少ない訪問清掃業に転職した。 「毎朝目覚まし時計が鳴ると、目の前には憂鬱(ゆううつ)な将来しかなかった」。リーさんは会社員時代を振り返ってCNNに語った。 リーさんのように、ストレスの多いオフィスワークから融通の利く肉体労働へ転職する中国人労働者が増えている。 こうした人々の多くは、かつて国内屈指の大手企業に勤務していた。 だが不動産危機や外国からの投資の減少、消費の落ち込みなど様々な障壁が中国経済に立ちはだかる中、こうした企業の魅力は徐々に失われつつある。 中国国家統計局(NBS)が15日に発表した最新データによると、2024年第2四半期(4~6月期)の中国の経済成長率はエコノミストの予測を下回る前年同期比4.7%増で、昨年第1四半期以来、最も低い数値だった。 自分の時間や健康を削ってまで高い給料を稼ぐ意味があるのか。過酷な長時間労働と人材不足が、リーさんのような会社員に再考を促している。 中国中部の都市、武漢在住のリーさんは、「掃除は好きだ。(国内の)生活水準が上がるとともに、訪問清掃の需要も増加し、市場はかつてないほど拡大している」と語る。 だがもっと重要なのは、以前より気持ちが充実している点だ。 「転職による変化は、目の回るような思いをしなくなったこと。精神的プレッシャーを感じることも少なくなった。毎日やる気いっぱいだ」(リーさん) 「996」労働文化はもうたくさん 会社勤務から肉体労働に転職したことで、仕事とプライベートのバランスが改善したというホワイトカラー層はリーさんだけではない。 アリス・ワンさん(30、プライバシーの理由により仮名)はかつてライブストリーミングとオンラインショッピングを運営する中国の大手プラットフォームに勤務し、年収70万元(約1500万円)を稼いでいた。 だが4月に退職し、風光明媚(めいび)なIT都市の杭州から家賃の安い落ち着いた成都へ引っ越して、ペットサロンの仕事に就いた。 中国には「996」という悪名高い労働文化がある。朝9時から夜9時までの週6日勤務という習慣は、IT業界やベンチャー企業など中国の民間企業では日常茶飯事だった。これが引き金となって、多くの会社員が辞職に踏み切っている。 以前のワンさんは生活の大半を仕事につぎ込んでいたが、体力的にも疲弊して「まるで覇気がなかった」と振り返る。 だが今では生まれ変わったような気分だ。 「多少なりとも自分が成長している感じがする」と言うワンさんは現在ペットサロンでトリマーの研修中で、ゆくゆくは自分の店を持つのが夢だと続けた。「先々の長期的な計画だ」と本人は語った。 中国の求人求職サイト「智聯招聘」によると、専門職から肉体労働へ転職する傾向の背景にはブルーカラー労働者に対する需要の急増がある。 IT企業を退職し、現在は清掃員として働くリオン・リーさん/ Courtesy Leon Li IT企業を退職し、現在は清掃員として働くリオン・リーさん/ Courtesy Leon Li 同社が6月に行った調査によると、フードデリバリーの配達員、トラック運転手、ウェーター、技師といった肉体労働の今年第1四半期の需要は、19年同期比で3.8倍増加した。 新型コロナウイルスに伴うロックダウン(都市封鎖)が続いた3年間でテイクアウト文化が定着したため、配達員の伸び率が最も高く800%増だった。 肉体労働の賃金も上昇し、以前は敬遠されていたような仕事への求職者が増えている。 先の調査によると、オンラインショッピンクの爆発的人気により配達員の平均月給は19年の5581元から8109元と45.3%増加した��� だが一部の大卒者にとっては、肉体労働は就職先の第1候補ではなかった。 景気の減速に伴い、正規雇用市場は次第に競争が激しくなり、新卒者の就職はますます困難になっている。 先の調査でも、今年第1四半期の25歳未満の肉体労働求職者数が19年比で165%増加したことが判明した。 国家統計局によると、中国の16~24歳の失業率は23年6月時点で21.3%にまで落ち込んだ。その後同局は数カ月間統計の公表を停止し、算出方法の調整を行った。 当局は統計の公表を今年1月から再開したが、6200万人前後の学生は統計から除外された。学生の本分は仕事探しではなく、学業だというのが当局の言い分だ。 湖北省の省都、武漢は主要な商業都市でもある/ Courtesy Leon Li 湖北省の省都、武漢は主要な商業都市でもある/ Courtesy Leon Li 国家統計局によると、労働市場への参加が見込まれる16~24歳の失業率はここ数カ月、14.2%~15.3%を推移している。 投資会社マッコーリーのエコノミスト、ラリー・フー氏とチャン・ユーシャオ氏が昨年まとめた調査報告書に記載されているが、かつて中国で若年労働者の主な就職先といえばサービス産業、民間企業、中小企業だった。だがこうした分野は消費者需要の低迷で打撃を受けている。 シドニー大学中国研究センターのデビッド・グッドマン所長によると、大学が送り出す新卒者と市場が求める労働者の間にずれが生じているという。 グッドマン所長によれば、中国経済は最先端技術や環境テクノロジー、サービス産業にシフトしつつあるが、大学教育の内容はいまだ製造業や公共サービスなど、旧態依然または飽和状態の分野に大きく偏っている。 「経済構造の急激な変化に対応するべく、高等教育制度が自ら適応、あるいは適応を促されてこなかったとすれば、重大な問題だ」(グッドマン所長) 別のプレッシャーも だがリーさんやワンさんをはじめとする人々が想像したストレスのない駆け込み寺が、本当に肉体労働職なのかと首をかしげる意見もある。 先日中国のソーシャルメディアで拡散した動画は、悪い結果になるケースもあることを物語っていた。動画には上海のカフェで働くバリスタが、会社にクレームを入れると脅す客に怒りを表す様子が映っていた。 怒りにかられたバリスタは客にコーヒーの粉をぶちまけ、たちまち店内は騒然とした。インターネットではサービス産業従事者が直面する問題についての議論が起こった。 中国の店舗やレストランにとって、クレームやインターネット上の悪評は致命的になる場合がある。消費者の多くが「小紅書」や中国版TikTok「抖音(トウイン)」といった人気SNSプラットフォームの評判に従順だからだ。 悪評を立てられる恐れが圧力としてのしかかり、低賃金労働者は会社から白い目で見られるようなことを避けがちだ。 インターネット上ではバリスタの不作法を戒める意見もあったが、それ以上に同情的な意見が多かった。 「クレーム対応もしなくてはいけない上に、そもそも給料が安い。会社と顧客の両方から締め付けられるなら、さっさと辞めたほうがいい」とコメントするユーザーもいた。 だがフリーランスの清掃員として1日6時間労働で働くリーさんの場合、これまでのところ順調だ。 雇用主とも良好な関係を築き、清掃の度に単なる仕事以上の充足感を得られているという。 「顧客は気を遣って私たちに水を出してくれる。お昼休憩の際にはテイクアウトを注文したり、食事を提供したりしてくれる。水分補給と休憩を取りなさいとちょくちょく声をかけてくれる」(リーさん) 今のところ会社勤めを辞めたことは後悔していないという。 「1日へとへとになっても、家に帰ってごはんを食べて、余計な精神的プレッシャーを感じることなく自分の好きなことができる」(リーさん)
大手企業から肉体労働へ、転職する中国人が続々 過酷な長時間労働と人材不足が再考促す - CNN.co.jp
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ari0921 · 11 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)10月25日(水曜日)
     通巻第7974号
中国税務当局、鴻海精密工業の事務所を捜索した。
捜査理由?「市場秩序をまもるため」とか。政治的理由はないとした
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中国はこれまでにも、政治的理由から「難癖」をつけて企業や実業家に巨額の罰金を科したことがある。アリババしかり、テンセントしかり。日本企業や団体に関しては、何の理由もなく長期に拘束してきた。
 10月21日、中国税務当局は中国国内の鴻海精密工業の事務所を捜索した。
 台湾の実業家として知られる郭台銘は、中国ではフォックスコン (富士康科技集團) 創設者としても知られ、アップルのアイフォンを生産している。雇用は数十万人。
 しかも郭台銘は24年1月予定の台湾総統選挙に独自候補として立候補している。
中国税務当局が広東省と江蘇省の鴻海精密オフィス、ならびに河南省と湖北省の同社事務所を査察したと『環球時報』が報じた。四つの中枢拠点捜索など、大がかりであり、同時に企業活動に死活的阻害要素となる。
捜査理由を「市場秩序をまもるため」と意味不明の言葉を並べ、「政治的理由はないと」したが、富士康の株価は上海で10%以上の下落、台湾でも3%下落した。事態の深刻さがわかる。
 こうした微妙なタイミングでなぜ中国共産党は奇妙な行動に出たのか? 中国台湾事務弁公室は郭台銘の総統選出馬に一切コメントしていない。ところが在中台湾投資企業協会の李政宏会長は九月に次の声明を出している。「中国に駐在する多くの台湾人実業家は郭氏の立候補に失望し、懸念している。郭氏に中国国民党(国民党)に復帰するよう促す」。
 いみじくも、この声明に、ホンネが隠されている。
 台湾の世論調査ではトップを走るのが民進党の頼清徳、二位が民衆党の何文哲、三位が国民党の候友宜である。そして四位が郭台銘だ。(『何』は木偏)
 そこで二位三位連合を以てすれば、国民党が政権奪還となるが、何と候は「どちらが正式総統候補、どちらが副総統か」で揉め続けて収拾がついていない。
 ここへ郭がなぐりこむと、二位三位連合の票が奪われる。中国共産党としては、もっとも中国寄りの郭を推したいところだが、情勢からして郭の立候補を思いとどませたいのだ。
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chibiutsubo · 5 months
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#おでかけ #椛の湖
満開を過ぎた散り際の時期、風もそれなりに吹いていた日という2つの条件が重なりました。取り囲まれるような見事な花吹雪。ざっと強い風が吹くと、湖に向けて一斉に舞う花びら。なかなか幻想的で、そして散り際の儚さを味わえます。
画像に残そうとすると中々花びらはちゃんと映ってくれないのですが……。
何となくの雰囲気だけの動画です。
平日だったのでほとんど人もおらず、のんびりと過ごすことができました。
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ひときわ見事で大きな桜の木。馬の遊具がいい味を出してます。
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geniusbeach · 2 years
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石の言葉
 名古屋を巡る車の中で、静岡に砂丘があることを友人から教わった。鳥取以外に砂丘が存在することは意外だったが、私はちょうど、ぼうっと眺めるだけで済む単調な風景を欲していたところだった。というのも、このところ雑事に追われていたせいで、精神は干された雑巾のように疲弊しきっており、何事に関しても乾いた考えしか浮かばなくなっていたからだ。友人に請うて予定を変更し、翌日足を伸ばしてみることにした。
  三月某日。朝から曇天。連休の中日であるせいか車道はしばしば滞った。昼過ぎにようやく浜名湖に着き、そばにある店で鰻を食べつつ、私は植田正治が撮影した写真を思い出していた。白い空と白い砂に二分された画面の中央に、黒い服を着た人物が立っている。現実から遊離した夢のような断片。まるでタンギーの時空にぽつんとある、マグリットのオブジェ。新しいのにどこか懐かしい、シンプルで強烈なイメージだ。そんな不思議な光景が、この先で待っているだろうか。重箱の蓋を閉め、肝吸いをすする。椀のなかにある黒い背景と白い肝のネガポジを反転すれば、近くて遠い異世界が現れるだろう。思いもよらぬ効果は、そのように簡単な操作で得られるのかもしれない。携えたカメラで何かを撮ってみよう。
 中田島砂丘は浜松の南部に位置し、遠州灘に面している。砂は、その東端が接する天竜川の上流から運ばれてくるそうだ。駐車場に車を停め、滑り止めが敷かれた小道を歩いて登って行く。林を抜けると視界が開けた。友人が声を上げる。空と、一面の砂が広がっていた。砂原へと続く急斜面を、足を取られながら興奮ぎみに降りる。すると、不意に下方から視線のようなものを感じ、私は立ち止まった。目を凝らすとそれは人でも動物でも虫でもなかった。石であった。坂の下に、じっとこちらを見つめている石があったのだ。遠ざかる友人をよそに、砂に顔を打たれながら、私はそれを見た。あたりにごろごろ転がる石とは何かが違う。風と波の果てしない響きのなかで、その石は白くきわだち、寂しそうだった。
 私たちにはどこか通じ合うものがあった。ルートを外れ、靴にざばざばと砂が入り込むのも構わず、石のもとまで無心で下って行った。拾い上げると、それは花崗岩であった。美しい卵型をしており、側面に少し平べったい部分がある。表面はチョコチップアイスを思わせる、白にわずかな黒のまだら模様。握ってみるとたしかな重みがあり、旧知の仲でもないのに、手にしっくりとなじんだ。持ったまましばらく考え、その石を散策の相棒にすることに決めた。
 石は、大人しい。しかしその性質はなかなか気難しい。浜を東へ歩いていく途上、こいつをどう扱おうかと悩んだ。ぐっと握りしめたり、持ち上げたり、掲げたり。ときに置いたり、立てたり、回したり。はたまた投げたり、落としたり、転がしたり。その全面が顔ともいえる、しかしいっさい動いてくれないカタブツをなだめすかしながら、何枚も写真を撮った。そのうち何やら、石の言葉が聞こえてくるような気がした。しかしその言葉とはいったいどんなものだろう。
 雨に濡れて。/独り。/石がゐる。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。
 そう書いたのは詩人草野心平だが、なんでもない石について、石そのもののごとく簡潔に、そこに秘められた歴史と存在の必然性を言い表している。なおかつ映像的でもあり、事物を外部から見た限界ぎりぎりのところを巧みに描写している。とはいえ、それは石の発した言葉ではなく、あくまで人間から見た石の姿にすぎない。最終的にその主張を想像して汲み取るのは我々読者だ。詩人石原吉郎によれば、詩とは「沈黙を語るための言葉」だという。結局、我々が読めるのは「書かれた詩」でしかない。ほんとう���詩は事物と感興との沈黙の関係にあり、口にしたとたん霧消してしまうたぐいのものなのだ。ただしその意味で、カメラは言葉と同等に詩をつかみ得る道具となる。
 石の言葉の意味は石にしかわからないが、聞くことはできる。それは生成と漂着の場所にこだまする音に根ざしているはずだ。ここは砂丘。海と空と砂と風がある。それらを組み合わせて固めた言語が質量となって、いま手のなかにある。石の組成、つまりこの風土の中心に改めて石を据えてみようと思った。空へと放り投げて、あるいは、太陽と重ね合わせたシルエットに向けて、シャッターを切る。一連の試行錯誤の末、徐々に一個の石の多様な側面が見えてきた。浜にある無数の石の中、風紋を斜めに切る光彩と陰影の間、人の足のような流木の上、それぞれの関係性の中で石は表情を変え、異なる何か訴えかける。それは静かだが、熱のこもった対話であった。
 石のようになかなか動こうとしない私に友人はやきもきし、途中からどんどん先に進んでいった。帰りがけに走って追いついたところ、持って帰るつもりかと聞かれた。私は黙って首を振り、堆砂垣の向こうにそっと転がした。ホテルに戻ると、お気に入りを見つけたと言って、友人はポケットから小さな黒い石を取り出してみせた。彼は彼で写真を撮っていたらしい。そうしてにやりとしながら差し出されたカメラの画面には、私と石の出会いが切り取られていた。少し笑うと、名残惜しさが込み上げてきた。ふたたび永遠の海亀の卵へと還った石は、満月とともに夜を語り明かすにちがいない。ここちよい疲労に包まれてほんとうの石となった私は、夢幻のなかでその会話を聞いただろうか。
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