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#チベットの生と死の書
ari0921 · 8 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
   通巻第8118号
 孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
  吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
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 自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
 孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
 高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
 
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
 
 吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
 ▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
 孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
 孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
 戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
 「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
 吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
 つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
 江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
 「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
 つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
 ▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
 孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
 上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
 議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
 中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
 下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
 中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
 ▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
  『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
 「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
 いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
 アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
 (十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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nyantria · 1 year
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 中村氏は新型コロナのさまざまな問題点について、1時間40分ほど語った。21年6月24日の「新型コロナワクチンの接種中止を求める嘆願書」提出以来の自身の活動について「当時は風当たりが強かった」と振り返った。読売新聞の連載『虚実のはざま』やNHKの番組『フェイク・バスターズ』などで自身の言説が「デマ」とされたことに触れ、「今は違う。多くの人が少しずつ気づき始めている。これから多分、もっと研究されていくだろう」と展望した。
 主催が宗教団体であることについて「初めて。皆さんにお伝えしたいことがあった。マスクや社会的距離の確保に対して、宗教家の人に立ち上がってほしかった」と吐露した。「旧約聖書では病気イコール汚れと捉え、病人は隔離すべき対象だった。新約聖書では病人も神の愛に生きている人と解釈した。これは宗教家として理想の姿」と評じた。
 しかし、「オンライン礼拝」や「洗礼水鉄砲」などの奇行が実施されていたことを紹介し、「公衆衛生上の対策に宗教界の権威が一方的な考えを表明することは信者に大きな影響及ぼす」と警告。ローマ法王が「コロナワクチンは道徳上の義務」と宣告したことや、ロシア正教会も「ワクチンを打たないことは罪」と発言したことを問題視。ただし、「ワクチンは悪魔」との観念が根強く、接種率は低いまま。「信徒は偉かった」とたたえた。
 「病気の流行とプロテスタントの発生は密接な関係がある」と切り出し、「14世紀にペスト(黒死病)が猛威を振るった欧州では、人口の3分の1が亡くなった。マルティン・ルターは避難を拒否し、街の病人や教会員のケアに奔走した。プロテスタントにもこうあってほしい」と希望した。
 12~17歳のアフリカ系米国人の40%以上が未接種であることを伝える記事を示し、「黒人は秘密裏に梅毒の人体実験をさせられた苦い経験もあり、だまされにくいのだろう」と分析した。お寺や教会をワクチンの接種会場に使わせた例を挙げながら首をかしげ、「奈良の大仏は祈りで病気を退散させるため、国家事業として造った。祇園祭は病気払いの祭り。コロナで中止したのは本末転倒」と嘆いた。
 「オンライン法要」の写真を映すと、会場からどっと笑いが起こる。ダライ・ラマが「ワクチンを打て」とチベット仏教徒に促したことを取り上げ、「こうして政治の片棒を担いでいる。本性が透けて見える」と指弾した。
 イスラム教については、大事な金曜礼拝やメッカへの巡礼「ハッジ」を禁止しながらも、イラクやイラン、サウジアラビア、パレスチナ、マレーシアなどでは接種率が低かったことを挙げ、「比較的頑張った」と評価。一方で、イスラム教徒が体に入れてもよいとするハラル認証を「味の素」が受けながら、豚から抽出した酵素を使用していたことが発覚して問題になった「味の素事件」のように、「コロナワクチンがハラルかハラム(摂取してはいけないもの)かの考察があったのか」と問い掛けた。
 ワクチンの権威、ポール・オフィット博士は「ワクチンには中絶時の細胞が含まれている」と明言していることを紹介。「中絶を禁止しているカトリック教会のトップがワクチンを推進していることを問題視しなくていいのか」と提起した。コロナワクチンでも、ジョンソン・エンド・ジョンソンやファイザー社、モデルナ社が中絶した胎児細胞を入れているとするナショナル・ジオグラフィックの記事を示した。
 天台宗は信徒向けの教化紙に「通常ならば使用可能になるまで何十年もかかるワクチンが1年足らずで使用できるようになったことに不安を覚えるのは無理もない」といぶかりながらも、「コロナ禍収束のためには1人でも多くの方の接種が望ましいのではないか」とつづり、接種を促していることを紹介。
 浄土真宗本願寺派は信徒向けの新聞で、「危険性と予防効果を考えて、打つかどうかを個人でも判断する必要があります」と自己判断を促す。
 大本教は、薬剤師でもある出口紅(くれない)教主が「長期の影響への不安が拭えない」と懸念を示し、「正しい食事と適度な運動、十分な睡眠、土、松、梅干しや梅肉エキスの力で免疫力を高めつつ、神に真剣に祈ることが大切」と教示している。中村氏は「正しい。宗教家はこうあるべき」と絶賛した。
 幸福の科学は、故大川隆法総裁が「法話、書籍、楽曲、祈願などにはウイルスを撃墜する力がある」と法話で説き、「コロナワクチンは当てにならない」「信仰心を持つことで免疫力を高め、コロナを乗り越える重要性は増すばかり」と締めくくっている。「正しい。こうあるべき。これが宗教の意義」と中村氏はたたえながらも、「ただし、大川氏は亡くなった。打っていないと思うが、タイミングや『急死』というのは怪しい」と疑問視した。
 この後中村氏は、接種すればするほど新型コロナにかかりやすくなっていることや、マスクに何ら感染予防効果がなく、心身共に弊害をもたらし、服従の印でしかないことを膨大な資料を基に、実証的に説明。大きな拍手を浴びた。
中村医師がチャペルで講演、「(コロナ下で)宗教家たちに立ち上がってほしかった」 2023/07/17
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kijitora3 · 2 years
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習近平の帝国は暴力と恐怖による抑圧と監視を徹底することで成立している 習近平が引退する時にいくら子飼いの手下に後を継がせてもその手下は必ず裏切るのが中華帝国の伝統だ
 かつての専制王朝がいくらか全盛期を維持したのは、太祖皇帝の威光を背にした皇帝一族の血脈が有効だったからだが、今の共産帝国に一族の威光などはなからない そんなものはとっくの昔に毛沢東が文化や社会、愛情、伝統と共に文化大革命で破壊しつくしてもう存在しない
 すなわち、習近平は引退するとまともな余生を送れない 小中華韓国が毎回大統領が変わるたびにやらかすアレと同じだ
ではどうするか 生きている間ずっと共産帝国の皇帝で居続けることだ 政敵排除を徹底した今、それを実行できる可能性は高い
このように習近平の中国は北朝鮮化する その間、やたら多いだけでこれから超少子高齢化に進む人口と、不動産に公金を横流しして私物化するしか能がない経済を抱えた中国は急速に衰亡していく だが終身皇帝習近平の政府はその事態に対処できない 政敵となり得る有力者は既に排除されきっているからだ
今はまだ食えているから共産帝国はもっている これが食えなくなってきたら、各地の地方権力が勝手に動き出すだろう 再び軍閥割拠の本来の姿に中国が戻るときこそ、満州、内蒙古、ウイグル、チベット、台湾の各国が独立を回復できるだろう
死に物狂いで暴力で中国を締め付け支配している習近平の中国の終わりは近づいている 習近平という権力亡者の老人の余命を考えてもあと20年はなかろう
さて、それは大きな影響があるが、所詮日本にとっては他国のことだ 大事なのは、中国が崩壊して新しい形に移行する際に、日本が的確に行動できる準備を整えていることだ
プーチンのロシア崩壊後に北方領土奪還を含めた行動がとれる準備は、それより前に整えている必要がある 日本に時間はない
竹島は自衛隊が奪還してその後竹島周辺の海路を封鎖することは比較的容易にできる それがすんなり実行できる国際環境が整うのを待てばいいだけだが、それは、ロシア、中国に上述の大きな変化が起こるときになる
長期に考えてこそ、今やるべきことが明確になる それが出来るなら別に自民党政権に拘らないが、今、自民党以外にそれを担えそうな政治勢力が皆無なのが、日本の最大の国難だ
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zazaizumi · 3 days
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ラダック2-4日目のメモ。
2日目は1日目の現金盗難とスマホ破壊のショック疲れで休養日にしてた。結局ゲストハウス近くの別の宿でスクーターを借りた。初日行ったところより200ルピーも1日あたりで安く、状態も悪くなかった。その後レー王宮とナムギャル・ツェモに歩いていった。ナムギャル・ツェモははじめて行ったチベット寺院で、小さいけれどインパクト大だった。道なき道をひとりトレッキング状態で靴の踏み跡に励まされながら必死に登り。普段閉じていることが多いらしい部屋が2つ開いていて。瞑想する人、五体投地する人。溢れんばかりのお供え。圧倒された。帰りに道なき道を行こうとする仲間を見つけると嬉しくなった。
3日目からスズキのアドレス125でスクーター旅開始。まずは日帰りで上ラダックのゴンパめぐり。巡ったのはティクセゴンパ、タクトクゴンパ、チェムレゴンパ、へミスゴンパ。本当は6つ周る予定がやっぱりじっくり見たくなっちゃうし、チェムレゴンパへの道が工事中で回り道探しで相当時間ロスしたので4つになった。4つでも相当お腹いっぱいになった。
道中はめちゃくちゃよかった。ヒマラヤ山脈の絶景まみれ。写真じゃ伝わらない山々の表情。写真にするとあれもこれも岩山やん、ってなりそうなんだけど。みんな表情が違うんだよね。郊外の奥に行けば行くほど交通量は減り、チンタラ行っても気にしなくていいし、かっ飛ばしても車通り少ないから安心できるし、楽しかった。あ~なんとか来れて良かった〜と何度も思った。初日からメンタルクラッシュしていたのが本当に蘇った。
そしてゴンパ巡りも感動した。
朝イチでティクセゴンパの朝勤行に行った。起きた瞬間これほんとにスクーター乗れるか?っていう疲労度で絶望感。6時-7時実施予定と思い5時前に起きて5時半頃に出発しよう、と思ったら宿の部屋移動や荷造りで出発が遅れ、6:40頃到着。終わっちゃう!とダッシュで大広間まで階段駆け上がったらまさかの7時開始で単に超息を切らした人になってしまって恥ずかしかった。
朝勤行は圧倒的だった。太鼓やラッパをジャンジャン楽器を鳴らすタイミングが多く、ややPerformativeな面もあるかなぁと思ったけど、でもそれもまた確実に祈りの伝統の系譜であることは確実で。圧倒された。10人くらいのお坊さんと3人の少年僧がいて。2種類くらいのお経が同士に混ざっては1つになり、偉いお坊さん代表なのかソロでお経を読むシーンとした時もあり。
写真や動画撮っている方多かったけど畏れ多くて出たところからそっと記録だけと撮らせてもらった。記録ってなんだろう、と思った。でもやっぱり記録しないと記憶から薄れてしまうことや人に伝えづらいこともあって。難しいなと思った。瞑想合宿でスマホや電子機器を全部預けた時のことを思い出した。とはいえお坊さんもスマホ持っていて、場所によっては休憩所でごろ寝しながらスマホ動画見てたりイヤホンしてたりするお坊さんもいた。現代だなと思った。
少年僧が私の近くにいて、時折お経のわかる部分なのかを唱えては止まったり、少年僧同士で喋ったりしていた。バターティーを注いでくれた。朝の寒い中、朝食もなしにダッシュした身に染みた。
ゴンパ内の地図や順路がないか少ないところがほとんどで、何よりも修行と祈りの場なんだなと思った。鍵がかかってて見れないと思った部屋の近くにちょうどお坊さんが通りがかって開けてくれる、というラッキーなときもあって。そうやって入れたお部屋はそこはかとないご縁を感じた。
タクトクゴンパは駐車場からの道で超迷ってやっと洞窟にたどり着いた。すごい場所にあった。中の洞窟はお供えのお金がびっしり貼られていて信仰を感じた。
チェムレゴンパはかなり思い出深い。けっこう離れたエリアにあるから訪問者数も少ない。GoogleMapの案内する道は思い切り工事中で、途中完全に道が途絶えている。ここからは徒歩で行くか?と行ったら幅20cmくらいの建設中の橋の端っこを通らされたりしてやばかった。その先に車が通っているのを見てぜったい裏道ある、と思って見つけた。のどかな村の中を3km近く延々と行く道。時々路面が数メートル単位で荒れていてスクーターだとガタガタする。やっとの思いでたどり着いたゴンパ。巨大なグル・リンポチェの像の部屋で一人きりになったら、よくここまで来れたな、という思いがこみ上げてきた。
帰ろうとしたらキッチンの料理人さんから声をかけられ、キッチンルームでバターティーとクッキーをいただいた。猫ちゃんがうろうろする。傍らでは若い僧侶が寝転がってスマホで動画を見ている。たぶん女性と話しているのを揶揄してるんだろうなという僧侶と料理人さんのど付き合いを眺めたりしていた。道迷いと空腹と睡眠不足でへろへろだったところでかなり回復した。
へミスゴンパも圧巻。ゴンパの中ではかなり大きいほうで撮影禁止エリアが特に多い。Museumも時間があったらもっともっといたかった。電子機器持ち込み禁止でロッカーにヘルメットもカメラもスマホも預けて見に行く身軽さと相まっていくらでもいられそうだった。
スクーターでよかったな、と一番思ったのがレーへの帰宅ラッシュ。朝はティクセゴンパの朝勤行めに6時前に出発したからレー周辺はガラガラだった。これが18時頃に帰ったらTheインドの洗礼。車間距離なんてものはない、割り込み、この車密度で!?ってなる追い越し、飛び出してくる歩行者や犬や牛、ルールの概念のないラウンドアバウト、突然ドアの開く路駐車。これ重たいMT車でどうにかするのマジできつかったと思う。たちゴケしたら終わる。しなくてもきつい。
睡眠時間は早朝便なりトラブル続きの情緒不安定なりでインドついてから4時間・3.5時間・6.5時間・6.5時間とかの睡眠負債貯め放題、しかも高山病なのか乾燥なのかで2,3度は確実に中途覚醒していてかなり疲労がやばいのを絶景とゴンパの荘厳さでどうにか持たせてた。
クラクションは鳴らすし鳴らされるしでもうまったく動じなくなった。これまでクラクション鳴らすのなんてブラインドカーブとウィンカーとの触り間違いくらいだったのに、一生分鳴らすし鳴らされてる気分。
4日目も盛りだくさんで書きたいことたくさんだけど。今日こそ早く寝る。
ざくっと印象的なことをメモるなら。
アドレス125にオイル交換ランプが出たからお店行ったらインドホンダのアクティバ125に交換になった。ちょっと古そうに見えたから不安だったけど燃費よくて航続距離200km超えとアドレス125より長く、これならダーハヌーまで日帰りしても持ちそうと思えた。スピード上限が付いているらしく60kmしか出ないがまぁなんとかなる。追い越し最低限しかしないし。40kmくらいしか出てない軍車両とか故障寸前の車両が前のときで対向車線ガラッガラのときしか追い越さないし。のんびり行く。後ろに付かれたらガンガン追い越ししてもらってる。
スクーターでもなんとかモンベルバッグくくりつけられた。ただ縦置きにしたらヒップバッグと合わせてかなり座る場所がきつい。背もたれっぽくはなるが。
山だらけ、飽きない?と思ったらぜんぜん飽きない。あの山を超えたらまた違う表情の山。直線ありワインディング峠あり村あり。
リキルゴンパの人の少なさ、辺境ぶりがまたすごい。立体曼荼羅やスワスティカがあった。ここでもお坊さんと遭遇して鍵開けてもらえた部屋あってラッキー。
時々ヒッチハイクで手上げられる。すまない二人乗りできる自信はないのとシートに空きがない。
アルチ村で当てつけてたゲストハウスがどうしても見つからない。高級めホテル以外看板がなさすぎる、GoogleMapがあてにならなさすぎる。スクーター止めて降りて足で探すのが吉。
宿探ししてたら新鮮な牛のフンを踏んづけて滑りかける。でもそのうち土に帰るだけだしなぁ、と思う。
初日はゲストハウスのつもりがホームステイにしたらほぼゲストハウス並ではという設備。子供がかわいい。ニコニコの奥さん。奥さんの娘さんかな?のチョンタ作りを眺める。WiFiないのはむしろ今の気分に合っている。
だんだん風呂洗髪毎日、洗濯毎回はいらないなという気持ちが強まってきた。この感想気候で驚くほど服が汚れた感じがしない。砂っぽくはあるが。なんか衛生命の日本からすると開放感すら出てきた。乾燥は正義。肌と唇は荒れるが対乾燥と対湿度だと後者のほうがはるかにコストかかると思う。オイルまめに塗ってれば乾燥はなんとかなる。サボるから良くない。
ぜんぜんざっくりメモじゃなくなった。どうあがいても今晩は10時には寝る。
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takahashicleaning · 3 months
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TEDにて
アンディー・プディコム:必要なのは10分間の瞑想だけ!
(表示されない場合は上記リンクからどうぞ)
全く。何もせず10分間を最後に過ごしたのはいつですか?
電子メールも会話も思考もしないでね。心配りの専門家アンディー・プディコムは、あるテクニックの革新的なパワーについて言及します。
そのテクニックは、1日に10分間。単に今、この瞬間を意識して経験することです。(お香も要りませんし、変な座り方も必要ありません)
これは、テーラワーダ仏教の瞑想です。
仏教は、現代から2550年ほど前、お釈迦様(「釈迦牟尼仏陀=通称:ブッダ」とも言われます)によって艱難辛苦(かんなんしんく)の訓練の末、自ら発見、実践、体得
体系化されたテーラワーダ仏教は、時代の流れとともにさまざまな流派に分かれて全世界へと広がってゆきました。
中国・チベット・朝鮮半島や日本には、お釈迦様の死後数百年経って成立した、北経由で拡大したの仏教(いわゆる大乗仏教)が伝えられました。
一方、スリランカ・タイ・ミャンマーなどの出家教団によって継承されている、南経由で拡大した仏教をテーラワーダ仏教と呼びます(日本では密教と呼ばれる)
つまり、わかりやすく言うと、ブッダの口から直接説かれた形で、現代まで継承されているのが「テーラワーダ仏教」というものです。
時代の流れとともに、さまざまな流派にわかれているけれども根源根本はひとつ!
それが、「テーラワーダ仏教」です
アルボムッレ•スマナサーラ長老の本は為になりますので、一読の価値あり!サンガ出版からもでています。
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強��する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
2018年では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
<おすすめサイト>
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術
現時点2015年での時間の概念の解釈について
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
マチウ・リカール:幸せの習慣
<提供>
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misasmemorandum · 6 months
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『ゴサインタン ー神の座ー』 篠田節子
久しぶりの篠田節子。農家の跡取り、外国人妻とそのディーラー、自己中な男たち、妻を「しつける」と言う姑と夫/男たち。
主人公の母は家事に介護に息子の面倒に地元の世話に家の存続にスーパーウーマン。主人公は次男で、長男はアメリカに逃げた。主人公の結木(ゆぎ)輝和が結婚相手を見つけるために外国人女性たちとの結婚を斡旋してくれる集まりに行く。母同伴で、母親にも女性の選択権がある。母同伴ってのがなんじゃそれと思ったが、これは、姑として嫁を教育するのは母だから、なんだよ。はあ、そうですね、だ。輝和は脚の綺麗な女の子を選ぶが、母親が日本人っぽい外見をした女の子が良いと言うのでその子にし、ネパールの名前が呼びにくいので勝手に「淑子」と名付ける。これがねぇ、中学生時代に好きだった女の子の名前で、「淑子」と結婚後に偶然出会って不倫関係を結んだりするんだよ。はぁ〜〜。篠田は本当、アホ男を書くのが上手い。
「淑子」は日本語にも日本の生活にも中々馴染んでくれないが、受け入れる方は自分達が日本のものだけを押し付けてるとは全くわかっていない。傲慢。あれこれあって、母親が実は葛藤してるってのも見せたりした後、「淑子」生き神様になる。そしてこの地域の豪農だった結木が先祖代々残してきたものを施す。何故ならこれらは「百姓たちの血を吸って築き上げてきた結木の家の名誉と富」「人々の恨み、苦しみ、悲しみが染み込ん」だ「この家の底深くに溜まった念」だから。ふむふむ、これってカルトの手口でもあるよね。
この結木の家のために借財の取り立てなどの汚れ仕事は、主人公の世代の場合は母親がしていたようだ。照一はこれに気づいて、5千万ほどは施すことにする。そして、こうさせた「淑子」は高い「買い物」だったと思う。買い物だとお!!!と腹立ったのは言うまでもない。で、最終的には全財産を失ってしまう。どうすれば止める事ができるか輝和はわかっているけど動こうとしない。この人、とにかく自律的でないのよね。輝和もちょっと見えるようになったりするのか、最初から何となく見えていたのか。土砂崩れが起こる。助かった山持ちの山に入る(萩尾望都の作品を思い出す)。
「淑子」が体現する「神と呼べるもの」について
 人の姿を写すこともなく、名前もなく、人の言葉をもって世界と宇宙を語ることもなく、彼岸について語ることもなく、偶像によって人格化されることもない神。  病気を癒やし、失せ物を探し、身辺に迫った危険を知らせ、人々を安らかな気持ちに導く。たかだか人間、それも個人というちっぽけなものに対し、きわめて現世的な救いの手を差し伸べてくるに過ぎない、卑近で実用的な神。それでいてありとあらゆる生命の根源に立ち、時のその峻厳さを見せつける神。  それはある種の雰囲気として漂い、体を包み込んでいく森の霊気のようなものでもある。あえていうなら命をはぐくむ太陽光や自然の大気のような、あまりにあたりまえのものだった。(p438)
世間や家族から爪弾きにされた者たちばかりで共同生活。この団体に入ってしまったら、人はこれに依存してしまうのか?そういうタイプの人々が集まってるのか?ちょっと考えさせられる。
そうこうしてるうちに、生き神、パワーを失う。「淑子」行方不明になり、使っていた石も割れてしまっている。メンバーは「淑子」は入滅(生死を超越した境地に入ること、また、高僧が死ぬこと)したと考える。輝和は、「淑子」を母のように家の全てを取り仕切ってくれる嫁として考え、農家としてはもう消滅するしかなかったから、家を片付けてくれたと考えて折り合いをつけていたので、いなくなってしまったことに納得が行かない。「淑子」を自分の嫁として対処し見つけたいと考える。この「嫁」というのは、よその土地から嫁いで来て、家に仕えた歴代の嫁たち、母や祖母やその他の女たちのこと。
納得行かない輝和は探しに行く。結婚ディーラーがいい加減で詐欺だったかも知れないとわかる。「淑子」は「ある事情から一生結婚できないと運命づけられていた」人で、日本には仕事のためにやって来ていたのだが、お見合いの集まりに出させられるようになってしまっていたとある。輝和は女性支援団体、ネパール大使館などにも行ってみる。「淑子」の本当の名前をうろ覚えでしかない。「淑子」ことカルバナは見つかっていたがその間の記憶がなく既にネパールに帰国してる事がわかる。で、輝和、働いて資金を貯めて、淑子/カルバナを迎えにネパールに行く。いきなりのどえらい行動力に私は驚いた。
道中、輝和、どうやら英語がちょっとは出来る模様なんだ。これって、勉強はしっかりさせてもらって、しっかりやったってことか。次男だし農家を継ぐつもりはなかったってことかな。そして、淑子/カルバナに輝和の母が憑依していたようだったし、母親も農業は辞めさせたいと思っていたのか、次男だからいいと思っていたのか、ここら、読み手の考え次第だろうな。
カルバナに出会えるまでネパールの村で輝和は体を壊したり、水のパイプを直したり、橋を渡したり、色んなことを経験する。「淑子」の信者たちとの共同生活が役に立っていたり、また、自分の農家の息子としての経験が役に立つ。カルバナの村で輝和がここの風習/食事に慣れて行く。自分がカルバナに無理強いしようとしてたことを体験するんだな。ゴサインタン、ネパールでは「神の住むところ」だが、チベット側ではシシャパンマと呼ばれる「家畜が死に絶え、麦も枯れる地」を見て輝和は考える。
 自分はだれでもない。名もなく、素性もわからず、心さえない。永遠の闇の中を一瞬走るパルスのようなものだ。彼を彼と特定し意識させる肉体、空気や足元の岩に連なるこの肉体の無数の細胞が、結木輝和という意識を作り出し、ここまで連れてきた。  あれが神か、と和輝は深い藍色をした空にそびえる神の座の白い峰に向かい手を伸ばした。  あれが神だ。淑子は長い年月をかけて、自分をここに導いた。あの神の存在を知らせるために。  とたんに彼の中のもう一つの意識が叫び声を上げた。  違う、と。  あれは神などではない。褶曲した大地の頂点に過ぎない。  しかし人はそこに神を見る。  神はそびえる。神は五穀を実らせ、神は家畜を殺し、麦を枯らし、神は罪のないものをを殺し、罪のある者もない者も救う。神は突然現れ、何も告げずに去る。神に倫理はなく、もちろん論理もない。(pp641−642)
最後には輝和はこの地に住んで、カルバナに認めてもらおうと決心する。これって、良く考えたら、輝和が人間として成長したってことだが、こうするのは良いとしてそれより以前にああだこうだと言おうと思えば言えると思う。ま、もうそれは置いておいて、カルバナの能力は何だったんだろうかと思う。テレポーテーションもできるし、憑依もされるみたいだし。元々寺院に巫女として差し出されて初潮を迎えると同時に巫女としてはおしまいになってその後に日本の工場で働くようになったみたいなんだもんね。それが歴史のある豪農の家に入ってしまって、歴代の嫁たちの念のようなものを読み取って、特に姑が憑依したんだろう。現代の農家、農業のあり方、家族、結婚、宗教、共同体、などなど、色々と考えさせてくれた作品だった。
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kozuemori · 10 months
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今日の東京は、ここ数日の暖かい気候から一転して寒い1日になりそうです。メダカの食欲が少しずつ落ちてきて、あまり日光浴をしなくなってきたのは、冬籠りの準備をしているからなのかもしれません。どうぞ十分に暖かくしてお過ごしください。
10月7日から1ヶ月半以上続いているイスラエルとハマスの戦闘の休戦が昨日から4日間の予定で始まっていますが、素朴な疑問が湧き上がってきます。何故休戦ができるのに、中止にできないのでしょうか。何故4日間なのかもわかりません。どんな大義名分で戦争が正当化されるのか、罪のない子どもたちが巻き込まれ、殺される���が許されるのかも理解できません。この4日間で戦争を始めた人たちが頭を冷やし、正気に戻るのを願っています。自分達のエゴに気づくことを祈っています。聖地をめぐる紛争が起きたとされる遠い昔に生きていた人はもう誰も存在しないのに、何故今もまだ個人的な憎しみを持ち続けることが可能なのかもわかりません。私にはアメリカ人の家族がいますが、かつて戦争で戦い、原子爆弾を落とされた国に住む敵国の人間として、敵対視したり憎んだりすることはありません。元々オリンピックの「頑張れニッポン!」にも共感できず、国というよりも選手個人を応援することが多いです。国と個人を同一視しないからなのかもしれませんが、スピリチュアリズムに惹かれたのは、そうした傾向があるからかもしれません。
先日、Apple TVで『エンフィールドのポルターガイスト』という映画を観ました。1977年、ロンドン近郊の街エンフィールドで実際に起こった怪現象を追ったドキュメンタリーです。調査員による数ヶ月の間の調査中に起こった怪現象は1,500件を超え、この映画の中でも再現されています。エンフィールド事件の主人公は11歳の少女のジャネットで、19世紀のアメリカで起きたハイズビル事件の当事者であるキャサリンとマーガレッタのフォックス姉妹と同世代ですから、まさに20世紀版ハイズビル事件といえるでしょう。思春期の子どもが持つ潜在的なエネルギーは時に計り知れない大きさで発揮され、ポルターガイストと呼ばれるような重たい家具を動かしたり、不可思議な現象を起こすことが稀にありますが、通常は単なる一過性の物理現象とされることが多いです。
ここからはネタバレになりますので、ご注意ください。エンフィールドに住むホジソン家の次女ジャネットは、ある時から家の中で起こる怪現象に悩まされ始めます。始めはノック音だけだったのが、家具が勝手に動いたりするようになると、近所で噂が広まり始めます。そこで調査に乗り出したのが、英国心霊調査協会(SPR)のメンバーであったモーリス・グロスとガイ・ライアン・プレイフェアでした。当時の膨大な数の録音テープが調査記録として残っていて、映画ではそれぞれの役を演じる俳優達が自分の声を出さず、録音された当事者達の声に合わせて口だけを動かしている逆アテレコの演出が現実感を膨らませています。他にも写真や動画などの記録が数多く残されていて、調査員が連日泊まり込みながら片時も離れずに家族の様子を観察していたことが窺えます。ドキュメンタリーは4つのエピソードに分かれていて、3つ目まではよくある怪奇物といった感じで、ホラー映画が好きな人にとっては特に目新しい展開ではないかもしれません。けれど、エピソード4で初めて、調査員のモーリス・グロスが執拗に記録を取りながら調査に尽力していた理由が解き明かされます。
彼は元々、機械や電気装置に関する特許を持っていた優秀なエンジニアでしたが、エンフィールド事件の調査に入る約1年前に、22歳の愛娘を突然の交通事故で亡くしていました。彼が心霊研究に興味を持つきっかけとなったのが、娘の死後に起こった数多くの不思議な出来事でした。娘が亡くなった同じ時間に時計が止まっていたり、娘の母親が別の場所で体調を崩していたのです。最も不思議だったのが、娘が事故の直前に自分の弟に送っていたバースデーカードでした。彼女が亡くなったのが丁度弟の誕生日で、そのカードの表には頭に包帯を巻いた女の子の絵が印刷されていたのです。彼女は事故で頭を強く打ち、病院に運ばれた後、頭に包帯を巻いた姿で息を引き取っていました。また彼女は、カードを開いた面に「私も、もうすぐこうなる(頭に包帯を巻く)」というメッセージを書き残していたのです。モーリス・グロス自身は、このポルターガイスト現象に娘の霊が深く関わっていると感じていたそうです。そして、亡くなった彼の娘の名前もまた、エンフィールドの怪現象を引き起こした少女と同じ、ジャネットだったのです。
このドキュメンタリーの最後にホジソン家のジャネット本人が登場し、当時の現象に嘘や偽りがなかったことを証言しています。ハイズビル事件もエンフィールド事件も、思春期の子どもが持つ潜在的なエネルギーが起こした単なる物理現象ではなく、その現象に知的な存在が関わり、その現象を通して気づきのメッセージが届けられたことに深い意味があります。
心霊現象や霊界通信を通して、個人的で親密な愛に溢れる癒しや励ましのメッセージを受け取り、それが人生観を変えるほどの価値を持つものだと知る人がいます。宗教も元々は人生観や幸福観、価値観の源泉として生まれたものですが、個人的な行為である筈の信仰が宗教となり、国そのものになった途端、性質が変わってしまうのか、戦争にまで発展してしまいます。ですから、心霊現象も説明がつかない、個人的な気づきであり続けた方がいいのかもしれません。
私が自分のサイトやブログに『Awareness and Art』というタイトルをつけているのは、スピリチュアリズムがアートだと思うからです。アートは争わず、ジャッジしません。説明や分析も必要とせず、科学で証明されなくても価値が変わらないものです。そして、その価値は見る人が自由に判断していいのです。
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秋学期のクラスで行った誘導瞑想をショップにアップしました。丁度今、出雲では神在祭が開催されています。来年のご縁について会議中の神々に出会い、ご縁の不思議に触れてみませんか。
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誘導瞑想「オアシス」 34:30
この瞑想では、“青の都”とよばれるシルクロードのオアシス都市サマルカンドを訪ねます。砂漠の中に佇む美しく鮮やかな青い色をした迷路のような都市を彷徨い歩きながら、イスラム教とゾロアスター教の持つ異なる神秘性の対比と教えに触れます。オアシス都市が教えてくれる、あなた自身が持つ霊的な美しさに出会ってください。
誘導瞑想「神在祭」 34:14
毎年出雲大社で旧暦10月に開催される神在祭に参加し、神々をお迎えする神事に参加する瞑想です。人間の生活に関わるあらゆる事項を司る八百万の神々が一堂に集い、清められた神聖な空間で来年の縁結びについての会議が執り行われる中、自らが祓い清められるのを感じながら、私たちに与えられた「ご縁」の役割と意味を尋ねてみましょう。
誘導瞑想「死者の日」 32:36
アステカの神様に迎えられ、毎年メキシコで行われる祝祭「死者の日」が誕生した場所を訪ねる瞑想です。現在も昔から伝わる伝統的なお祭りに参加し、故人の魂をこの世に迎えるための祭壇を訪れます。アステカ族の死生観に触れながら、カラフルに彩られた街の中で、楽しく陽気でユーモラスなお祭りを一緒に楽しんでください。
誘導瞑想「コスモス」 32:00
ギリシャ語で “宇宙の秩序“  “調和“  “整列“  を意味するコスモスの世界を体験する瞑想です。中央チベット西部の街、ギャンツェにある密教寺院ペンコル・チューデを訪ね、コスモスを表す密教美術に出逢いながら、仏陀の清らかな活動と人間の意識、感覚といった日常的な活動の調和の中に住む完璧な美に触れてみましょう。
誘導瞑想「女神の島」 30:55
この瞑想では古代ローマ時代に遡り、かつて地中海貿易の中継点として栄えたキプロス島を訪ねます。オリンポス山の麓にあるのどかな村を散策し、古くから伝承されてきた住民たちの繊細な手工芸に出会い、美しいモザイクに導かれてゆきます。愛と美の女神アフロディーテの誕生の地である、この島の愛に溢れたエネルギーに触れてください。
誘導瞑想「サグラダ・ファミリア」 30:58
スペインの都市バルセロナの象徴である、サグラダ・ファミリアと呼ばれる聖家族教会に導かれながら、神聖な空間の有機的な美しさに触れてください。自由自在に進化し成長し続ける建築物の根源となるエネルギーから学べることは一体なんでしょうか。また、この壮大なプロジェクトを見守る建築家の魂からのメッセージも受け取ってください。
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今後のイベント・ワークショップ 詳細はこちらから
ドロップイン・ナイト 各回とも木曜日 19:00〜20:00
・12月14日(木)指導霊のサイキックアート
お申し込みはアイイスまでどうぞ! 
霊界からのギフト  ~直感と繋がる~ 
・12月10日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
・12月11日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ!
2024年春学期クラスへのお申し込みを受け付けています
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2024年春学期クラスへのお申し込みを受付中です。新たに単独でのアウェアネスベーシック前期クラス(全5回)を含むラインナップが揃っています。
新規の方はこちらからお申し込みください。
継続受講の方は直接ショップからお申込みください。
私のサイトでお申込みいただけるクラス以外にも、私の担当日があるクラスがあります。詳しくはサイトにてご確認ください。
新たな年を迎え、共に霊性開花の光を灯し続けましょう。皆さまのご参加をお待ちしています!
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hokuto-yuasa-journal · 11 months
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20231111
『ザ・クリエイター』を見た。
場末のシネコンの平日のレイトショーとはいえ予約画面では私を含め6人だけ。で実際来てたのは3人という。
毎度のことだが、だだっ広い空間で数人で見る映画というのはなんとも寂寥を伴う時間である。
27世紀の後半に地政学的理由とロジスティクスの諸問題(華僑のマフィアに物資を横流す東欧系移民の地方役人、アドラステアという木星系の民間軍事会社崩れの海賊による輸送船への度重なる襲撃等)で足指の末端が壊死するかのごとく徐々に衰退し遺棄された土星の植民衛星の居住区で残り数人となった住民が数世紀前の映画を精神のモルヒネ代わりに摂取する。
映画の上映が終わった後でクソ田舎のイオンからそんな現実にうっかり帰着したとしても何の疑問も持たず小さな部屋に帰って回し車に飽きた鼠のように眠り(最近では夢も見ない。)朝になれば人工太陽で育つトウモロコシ畑の作業に従事する。
か細い光と痩せた土で無理に累代を重ねた植物たちは病気がちで、かけた手間に対してその実りは少ない。
かつての恋人は私がケプラー1649cから帰る船で冷凍睡眠装置に入っている間にウラシマ効果の影響も相まってキンシャサの病院で老衰で死んだ。彼女はブッディストだったがマントラを上げられるモンクが見つからず結局死後に洗礼を受けてカトリック式で葬られた。
深圳生まれの髪の長い横顔の美しい女だった。
とまあ中二が昨夜の急な性の目覚めにうろたえて、日直日誌に唐突に書き綴る妄想SF超大作はここまでとしてですな、本題の映画は結構面白かった。
ニール・ブロムカンプとかと同じ破傷風になりそうな汚ねえ未来みたいな好きなSF観。異形頭好きとしても満足度は高い。
そういえばニール・ブロムカンプって『チャッピー』以降あんま名前聞かなくなったけどどうしたんだろう。
自然や日常の中に巨大な構築物がある風景はスウェーデンの画家のシモン・ストーレンハーグの世界観を真っ先に思い浮かべたが調べてみると関わってないらしい。
他にもアトムや火の鳥、AKIRA、ブレードランナー、弐瓶勉、ベトナム戦争映画諸作品、ザ・ロックのSEALs全滅シーン、キューブリックのA.Iなど色々思い浮かべる。
今作の主人公でTENETでも主役だった俳優がデンゼル・ワシントンの息子だと知って驚いた。かーちゃん似か。
主人公の右腕がロボット義手なのは『もののけ姫』におけるアシタカの呪われた右腕となんか似てる。人と人ならざるものとの境に立つという神話論的なキャラ。
章が変わるたびに英語タイトルの下にネットで拾った勘亭流の偽もんみたいな毛筆書体で日本語のタイトルが出てくるのが一々なんか気が散る。
他にも劇中に『ノマド』と呼ばれる巨大衛星兵器が出てきて、それに抗議するデモ隊のプラカードにMSゴシックみたいな書体で「もうやだ遊牧民」と書かれていて意図せず笑かしにきたり、街頭のスクリーンに映る指名手配犯の顔写真の横に(重要指名手配とかでもなく)「募集中」と書かれている。
どうせ日本人しか感じないような小さい違和感でもそのわずかなほつれから全部の緊張感がばらけてく感じがする。AIが生成したそれっぽくもどっかが破綻してる画像と似ている。
この手のサイバーパンクって言語のリアリティを精査するみたいな発想にはならないのだろうか。ある種のシュールさとかカオスが逆にいいみたいな感じなのかな。
ブライアン・イーノが「虎山を取れ(その戦略的理由によって)」という中国の京劇のポスターを偶然見てそこに詩情を感じて"Taking Tiger Mountain (By Strategy)"というアルバム作ったと細野晴臣のラジオで中沢新一が話していたが、それ聞いてから日本人が謎英語Tシャツ着たり、外人が謎漢字タトゥー入れるのも別にそれはそれでいいんだとも思うようになった。
そういう意味ではそこに生起するポエジーみたいなものがあれば何でもいいのかもしらん。
最近の映画は相当中国系の資本が入ってんのかなと素人目にも気になる。スターウォーズやマトリックスの続編も中国系の俳優が重要な役で出てくるし、以前見た『メッセージ』というSF映画も美化された白髪の中国人の高級軍人が物語の鍵を握る。
劇中で「ニューアジア」と称された、いわゆるゾミアとか呼ばれる中国と東南アジア国境辺りの地域が舞台で、直接に中国は出てこないがエンディングで紅い旗が象徴的にたなびいていて妙に印象に残る。これは被害妄想というか気のせいかもしれない。
ヒロインは香港系英国人だが、以前より露骨に中国を前に出さず、ケン・ワタナービや黒人の主人公を使って有色人種対西側世界という構図や反米意識を刷り込む手法かと勘ぐってついつい構えてしまう。
お前ら本当は仲間だろ?近現代史を思い出せと。
アメリカは北朝鮮のプロパガンダ映画ぐらい古典的に嫌な描き方されていて手段を選ばず衛星兵器で爆撃しまくるし、マッカーサー風の司令官や軍人たちはAIロボットやアジア人に対して冷酷だ。
アメリカ軍が使う爆弾に手足が生えた自走式の自爆ロボがバグなのか攻撃前に急に自我があるかのように振る舞いだし惜別の挨拶を始めるが、さっさと行けと足蹴にするあたりは人間の傲慢さや醜悪さがよく出ていた。
機械も物も命も全て等価とする東洋的な価値観と、西洋世界のあくまで人間とそれ以外、隷属する道具としての機械や物や自然という振る舞いのどちらが野蛮か、その是非を始終暗に問われてくる。
オリバー・ストーンの『プラトーン』の農村の襲撃と尋問のオマージュらしきシーンを見てると確かにアメリカってインディアンから黒人、日本、朝鮮半島、ベトナム、中南米、中東とこういうことずっとして来たんだよなクソがと段々ムカついてくる。
というか怒らされている。
ただチベット的な描写やダライ・ラマのようなチベット仏教における転生した高僧みたいな子供のイメージは中国共産党的にはどうなんだろう。勝手な想像だがここらは映画会社と監督側で相当コンフリクトがあったんじゃないだろうか。
まあ半可通が適当に考えれるような簡単な構図ではないですわな。
中東然りロシアの戦争然り、世界はなんて複雑なのだろうか。
あと気になったこと何かあったかな。
映画が終わって夜中帰る時のモールの煌々と明るいのに人が誰もいない仮想現実みたいなあの感じ。レンダリングが間に合わなくてたまに体の一部がローポリで描写されてる。
でもあの空間の雰囲気案外嫌いじゃないんだな。
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honyakusho · 1 year
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2023年7月20日に発売予定の翻訳書
7月20日(木)には17冊の翻訳書が発売予定です。 翻訳者に著名人の名前がちらほら見えますね。 実業之日本社『死者宅の清掃』の蓮池薫さんは北朝鮮による拉致被害者だった方です。 Gakken『ホットドッグ』はミュージシャンの矢野顕子さんです。
チベットの反論
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ツェワン・ギャルポ・アリヤ/著 亀田浩史/翻訳
集広舎
エモい世界史 : 「感情」はいかに歴史を動かしたか
リチャード・ファース=ゴッドビヒア/著 橋本篤史/翻訳
光文社
Solitaire ソリティア
アリス・オズマン/著 石崎比呂美/翻訳
トゥーヴァージンズ
オマヌケかぞくの たのしい いちにち
ジェームズ・マーシャル/イラスト ハリー・アラード/著 こみやゆう/翻訳
小学館
生まれつき男社会に服従する女はいない
マノン・ガルシア/原著 横山安由美/翻訳
みすず書房
信じる者は破壊せよ : 古代ギリシア・ローマ、キリスト教が招いた暗黒の世紀
キャスリーン・ニクシー/原著 松宮克昌/翻訳
みすず書房
スヌーピーがいたアメリカー『ピーナッツ』で読みとく現代史
ブレイク・スコット・ボール/著 今井亮一/翻訳
慶應義塾大学出版会
コンパッション・フォーカスト・セラピー入門
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ポール・ギルバート/著 有光興記/監修 小寺康博/翻訳
誠信書房
それでも、対話をはじめよう
アダム・カヘン/著 小田理一郎/翻訳
英治出版
Web APIテスト技法
Mark Winteringham/原著 長尾高弘/翻訳
翔泳社
100兆円で何ができる?
Rowan Hooper/著 滝本安里/翻訳
化学同人
バーバパパとゆかいなかぞく としょかんにいこう(仮)
アリス・テイラー/著 トマ・テイラー/著 山下明生/翻訳
講談社
ホットドッグ
ダグ・サラティ/著・イラスト 矢野顕子/翻訳
Gakken
夢みるピーターの七つの冒険
イアン・マキューアン/著 真野泰/翻訳 金子恵/イラスト
中央公論新社
真我
ラマナ・マハルシ/著 福間巖/翻訳
ナチュラルスピリット
死者宅の清掃
キム・ワン/著 蓮池薫/翻訳
実業之日本社
エッセネ派の平和福音書
エドモンド・ボルドー・セーケイ/著 辻谷瑞穂/翻訳
ナチュラルスピリット
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groyanderson · 2 years
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☆プロトタイプ版☆ ひとみに映る影シーズン3 第一話「須弥山を破壊せよ」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 段落とか誤字とか色々とグッチャグチャなのでご了承下さい。
→→→☆書籍版発売までは既刊二巻を要チェック!☆←←←
(シーズン3あらすじ) 謎の悪霊に襲われて身体を乗っ取られた私は、 観世音菩薩様の試練を受けて記憶を取り戻した。 私はファッションモデルの紅一美、 そして数々の悪霊と戦ってきた憤怒の戦士ワヤン不動だ! ついに宿敵、金剛有明団の本拠地を見つけた私達。 だけどそこで見たものは、悲しくて無情な物語…… 全ての笑顔を守るため、いま憤怒の炎が天を衝く!!
pixiv版 (※内容は一緒です。)
དང་པོ་
 初めに闇があった。広さのわからない闇、まるで棺桶に入れられたような、あるいはだだっ広い宇宙に放り出されたような掴みどころのない空間。そこで私は目を覚ました。というか今、自分が目を開けたのかどうかすらわからない。意識を取り戻した、という方が正しい気もする。  いや、それも違うかも? 私には過去の記憶がない。実はこの世に生を受けたばかりの赤ん坊かもしれないし、あるいは記憶喪失の大人かもしれない。ただただこの、起きているのか眠っているのかすらわからない領域に��う自我、それが私…… 『タシデレ、リンポチェ』  !? 誰かの声が聞こえた。前から? 後ろから? 意味もわからない言語。その不思議な声に気を取られた瞬間、私の目の前にはぼんやりと輝く仏像が現れていた。 『タシデレ、リンポチェ(おはようございます、猊下)』  再び声。同じ言葉が繰り返されたけど、今度は意味がはっきりとわかる。記憶が戻ったのかも……そうだ。確か、目の前にある仏像は金剛観世音菩薩(こんごうかんぜおんぼさつ)という仏様だ。いま思い出せるのはそれだけ。でも、もしさっきから聞こえているのが観音様の声なら、リンポチェ(猊下)……目上のお坊さんのこと……と呼ばれた私は一体何者だろう。 『お労しい我がリンポチェ。あなたは悪霊にお身体を奪われ、記憶を失ってしまったのです』  考えていた疑問に声が答えてくれた。奪われて……って、つまり私は悪い霊に体を乗っ取られて、生死の境を彷徨ってるお坊さん……とか、かな。だから仏様が見えてるのかも……? 『大方その通りです。ですが、あなたはただの仏僧ではありません』  ヒヤリ。右手にふと、金属的な冷たさを感じた。見ると、私はいつの間にか錆びついたグルカナイフを握っていた。 『あなたは神影(ワヤン)、衆生を守る影法師の戦士です』  へ? 『そして私は金剛観世音菩薩(こんごうかんぜおんぼさつ)。かつてはムナルという俗名で呼ばれ、リンポチェをお慕い申し上げていた弟子でございます。傷つき記憶を失われたあなたを現世に復活させるためには、恐らくこれまでの戦いを再現するのが一番手っ取り早い。ゆえに、このような試練を用意してみました』  戦士? 戦うって何と!? わけもわからず困惑していると、突然私の周りに不気味な怪物の大群が現れた! 『この幻影達を一掃して下さい。大丈夫、全てあなたが倒した事のある悪霊です。さあ、行くのです!』 「「「キシャアァァーーーッ!」」」  咆哮! 観音様が消滅して堰を切ったように怪物共が押し寄せる! そんな急に戦えなんて言われても困るんですけど!? とりあえずグルカナイフで牽制しながら後ずさりする。ただ後ろを振り返っても、そこは空間が続いているのか壁なのかすらわからない闇。このままでは一方的に取り囲まれてしまう……ええい、ままよ!  私は前へ向き直ると同時に刃渡り四〇センチのナイフを思いっきり引いた! ヴァン!! それは闇の中で一層深い漆黒の衝撃波を放ち怪物を一掃! なにこれ何か出たぞ!? しかし息つく間もなく新たな怪物が出現。さっきまでのは鳥や虫のような小動物霊だったのが、今度は人間サイズの化けイタチだ! 「オカシ……オヤツクレ……」「オカシィィ……クワセロ……」  しかも人語を話している。ちょっと強いやつだ! 襲われる前に叩き、殴り、斬りつける! ところが怪物の猛攻に押されて次第に後ずさりしていくと、何故か段々力が入らなくなってきてしまった。 「ウジャアァァーーーッ!」  イタチに顔面を喰い破られる! 焼けるような激痛ッッ!! しかしそれがトリガーとなり、私の脳裏に戦いの記憶がフラッシュバック。そうか! こいつらはゾンビのように人の魂を喰って無尽蔵に増える、人工養殖された悪霊! それを牛耳っていた親玉は確か……いた! 群がるイタチのしんがりで薄汚く輝く、なんかめちゃくちゃキモい龍! 何て名前だか忘れたけど醜悪なソレに向かってともかく私は跳躍、イタチ共の頭をダカダカと踏みつけながらナイフを振りかぶる! どおおぉぉりゃあああぁぁーーーーーっ!!! 「ピキィェェーーーーーッ!!」  キモ龍絶叫! 同時に荒れ狂うイタチの悪霊共は全員消滅し、辺りは再び闇と静寂に包まれた。そして私が握るグルカナイフには、煌々と燃える影の炎で黒焦げになった龍が串刺しになっていた。そうだ、これは確かに私が使っていた武器、『プルパ龍王剣』。悪霊の龍を封じ込め、絶えず燃え続ける剣だ。  ふと足元を見ると、龍王剣の炎に照らされて一冊の本を見つけた。よくお経が書かれている���うな、長い紙を蛇腹に折って表紙と背表紙をつけた装丁のものだ。内容は横書きの細かいチベット文字で綴られている。記憶では私の母国語じゃない気がするけど、書かれている内容は自然と理解できる。
邪尊(じゃそん)教パンケチャ派 仏典 其の一
 昔、ある僧官(政治家の仏僧)が砂漠の近くで弱りきった精霊を発見した。僧官は袈裟に精霊を包み、自宅へ持ち帰って介抱する事にした。ところが精霊は彼の施しを遮った。 ༼ 我は西方の国々で『悪魔』と呼ばれる魔物。人間を堕落させる存在として忌み嫌われ、死ぬ事も消える事もできない。ただ広大な砂漠を彷徨ったいたらここに辿り着いたのだ ༽  しかし僧官はそれを聞いてもなお、悪魔を自宅へ招いた。悪魔は訝しんだが、僧官はこう答えた。 ༼ 地域が変われば、常識も変わる。砂漠の果てから来たあなたがこの国で『悪魔』かどうかはまだわからない。もしかしたら我々にとっては、人々に幸せを与える有り難い神様かもしれないではないか ༽  この言葉に悪魔はいたく感銘を受け、僧官に自らの不滅の心臓を与えた。こうして慈悲深き僧官は生きたまま仏へと転生し、悪魔を永遠の苦しみから解放したのだった。
 གཉིས་པ་
 仏典は読み終えると、闇に溶けて消えてしまった。邪尊教……? うっすらと聞き覚えがある単語だ。私の正体に関係があるのかもしれない。  再び前を向くと、そこには次の怪物が現れていた。さっき倒したイタチとよく似た怪獣だ。 「オデャッウゥアアアアアアアアアア!!!」  言葉にならない金切り声を上げる怪獣! しかし所詮は二番煎じの巨大化モンスター。私はさっきよりも冷静に居合を構えた。―邪道怪獣(じゃどうかいじゅう)アンダスキン―完全に思い出した。こいつを作ったのは人々を脅かす悪霊衆、金剛有明団(こんごうありあけだん)。私はそいつらを滅ぼすために生まれた戦士、 ༼ ワヤン不動(ふどう)だ! ༽  ズドオオォォォン!! 斬撃と共にそびえ立つ赤黒い火柱! 腹部を真っ二つに切り裂かれたアンダスキンは瞬く間に分解霧散した。無数の火花が闇に溶け切ると、そこに二冊目の仏典が現れた……。
邪尊教パンケチャ派 仏典 其の二
 即身仏となった僧官には、悪魔へ施した時と同様に、衆生のあらゆる苦しみを和らげる法力があった。そのため彼はやがて『紅の守護尊(ドマル・イダム)』という名で信仰されるようになった。  ところが時の権力者率いる邪な閣僚達が、ドマルの法力を悪用しようと企んだ。彼らは元僧官であったドマルの汚職をでっち上げ、衆生からの信仰を断った。そして信仰を失い弱体化したドマルを捕らえると、位の高い僧のみが入山できるカイラス山の岩窟に磔にした。そして下々の民に過酷な労働や税を課しては、彼らの苦しみをドマルの力で緩和して反乱を抑制し続けた。  そのような暴政が続いた結果、やがて時のダライ・ラマはドマル信仰を邪教とみなし、チベット全土で禁じる運びとなった。それでもなおドマルは裏社会において、『邪尊』と呼ばれて秘密裏に信仰され続けた。
གསུམ་པ་
 また覚えの深い単語がある。紅の守護尊(ドマル・イダム)……紅(くれない)……?  しかし、残酷な神話だ。これってドマルは何も悪くないのに、勝手にヒール扱いになっちゃったって事じゃないか。あるいは、この本自体が邪尊教目線の仏典だからヒイキめに書かれているだけかもしれないけど……。 『過去を知るのは、お辛くないですか?』  再び観音様が現れた。私が彼の顔の影を除けると、最初よりもはっきりとお顔が見えた。どこか懐かしさを覚える。 『ふふ……今、私の影を動かしましたね。神影(ワヤン)の法力を取り戻してきている』 ༼ そのワヤンっていうのが、私の名前なんですよね? でも、どうもしっくり来ないというか……私、確か日本人か何かだったと思うんですけど…… ༽ 『ああ! 素晴らしい、よく思い出しました。では、次はあなたの人間としての素性を知る番です。まだまだボスラッシュは続きますよ』  観音様がワクワクとした様子で両手を合わせた。すると彼の足元から異臭を放つ褐色の液体が湧き出で、双頭の大きな毛虫が顔を出した! 「「ンマァァーーーッビャアァーーー!」」  毛虫は二つの口から赤子めいた鳴き声を発し跳躍! フリスビーの如く回転し、液体を汚らしく撒き散らしながらこちらに迫ってきた。本能があの液体に触れるのは危険だと察知、私は腕のリーチを活かしたバク転で距離を取った。……ん? 私の腕、異様に長くない? しかも私の体、軽すぎない?? 「ワビャァァァーーッ!」  しまった! 自分の事に気を取られてた隙に毛虫は液体をジェット噴射しながら推進。咄嗟にかわそうと試みるが、何故かさっきより体の動きが鈍くなっている。すわ、飛び掛かった毛虫が私の鳩尾に直撃! ༼ うッ! ༽  くぐもった衝撃が全身を貫き、一瞬全ての呼吸活動が止まる。すかさず皮膚に付着した汚染液が毛細管現象のように全身にまわり、私の魂と意識を引き剥がし始めた。 (させるか……っ!)  失神寸前で我に返り、私は光を放つ観音様に向かって体を滑らせた。考えてみればそうか。今の私は影でできた存在、神影(ワヤン)なんだ。明るい場所の方が動き回れて、暗い所では姿を保てない! さっきアンダスキンに追い詰められた時もそうだった! ༼ 仕組みが解ればこっちのものだ! ༽  記憶に蘇る影術の数々! まずは仏像に照らされた毛虫の影を踏んづける。すると毛虫は金縛りに遭ったように硬直、これが『影踏み』の術だ! そのまま毛虫を踏んだ爪先を細い糸状に残しながら、レールを滑るように私は光源方面へ移動。中空に漂う光と影のコントラストを編み、メロン格子状のドームに変える! 毛虫捕獲完了! 次々と毛虫が湧き出る液体ごと封印できた事を確認し、ドームに龍王剣を刺突。途端吹き出す炎がドーム内で猛回転! 毛虫を吸い上げながら液体完全蒸発。サイクロン! 「「「マバァァーーーーッ!!」」」  囂々と燃えるドーム内から複数の断末魔。絶縁怪虫散減(ぜつえんかいちゅうちるべり)、撃破だ! 脱力と共にお借りしていた光が観音様へ戻っていく。 『さすがです』  観音様が微笑んだ。さっきまで仏像だったはずの彼は、いつの間にか生きた人間のように滑らかな動きを得ていた。 ༼ 散減……人間の縁を奪い、代わりに悪縁を植え付ける金剛の怪虫だった。確か、合体すると神社の鳥居くらい大きなザトウムシになるんですよね ༽ 『そこまで思い出されたのですか。ならついでに倒しちゃいましょう』  観音様が軽いノリで微笑み、彼の背後に巨大ザトウムシ―大散減(おおちるべり)―を召喚した! 片や疲労困憊の私。少しぐらい休ませてくれたって良くないですか!? 『そうやってすぐぐずるのは、あなたの悪い癖ですよ。この第二の武器、ティグク(長柄斧)を差し上げますから。さあ行くのです!』  ヒョイと投げられた物騒な斧をキャッチすると同時に大散減はドカドカと暴れだす! 「「「マギャバァァァーーーー!!!」」」  七つの脚全てについた不気味な顔から汚汁を噴出し、この虚無空間が崩壊せんばかりの地団駄を踏む大散減。ていうか観音様は私の弟子だって言ってたのに、さっきからまるで私が彼の弟子みたいじゃない! 全く、 ༼ ムナルは昔から無茶ばかりするのだから ༽ ༼ 和尚様は昔から無茶ばっかさせるんだから! ༽  ん? 今、私の中に二つの気持ちがあったような?? って、今は戦いに集中しなきゃ。龍王剣に代わり持ち替えたこのティグクという武器は、長槍の先に斧と装飾旗がついた密教法具だ。確かにかつて、これで大散減を成敗したのを覚えている。奴の脚を一本ずつ叩き折りながら、真の本体がある一本を探して…… ―救済せにゃ!― ―くすけー、マジムン(クソ食らえ、魔物め)!―  ……突然脳裏に浮かぶ人々の声。思い出した。いや、どうして今まで思い出せなかったんだ! ༼ 一緒に戦った……仲間達! ༽  足元の影が伸びる! それは私と線一つで繋がったまま、あの時共に大散減に立ち向かったみんなの姿になった! ズダガアアァァァァアン!!! 全脚同時撃破! 露わになった真の本体をブッ叩く!! ༼ 念彼観音力ィィーーーーーッ!!! ༽  ズドオオォォーーーーーン……! 一瞬にして真っ白に染まった世界に、大散減の消し炭が舞った。世界の色が落ち着いていくと、そこは先程の闇とは打って変わって美しい山間の川辺になっていた。  自分はいま生身の人���ではないと頭で理解しつつも、さすがに連戦で息絶え絶え。とりあえず川の水で顔を洗い、ついでに燃え盛っているティグクの旗を川で鎮火した。すると川の底に二冊分の仏典が転がっていた。ビッチャビチャでページめくれないじゃないか、と思いつつ拾い上げると、本は防水加工されているように水を弾いた。
邪尊教パンケチャ派 仏典 其の三
 やがて時は流れ、チベットは中国から弾圧を受ける立場になった。滅亡の危機に陥ったこの国では再び邪尊信仰が復活。しかし現代の邪尊教は、平民支配や救いを求める目的ではなく、人間によって破滅したドマルの祟りで中国人へ報復したいという反中思想から生まれたものだ。  そんな邪尊を崇める人々の中に、一人の類まれなる容姿に恵まれた小坊主がいた。彼はその美しさを買われ、強い霊能力と暗殺術を併せ持つ最強の殺し屋となるよう英才教育を受けて育った。そして彼は十歳の時、「眠り」を意味するムナルという名を授かり、監禁されたドマルから霊力を奪うためにカイラス山へ入山した。  しかし元来一般人の立ち寄らない未開の山は過酷であった。ムナルは岩窟へ向かう途中で崖から転落し、足を折ってしまう。それから数日が経ち、死を覚悟した彼は、今までどの仏典でも見た事のない仏と遭遇した。その名を金剛愛輪珠如来(こんごうあいわずにょらい)という、死者の遺体や魂に残る霊力を管理する仏だ。  愛輪珠如来はムナルの命を、その美しい体の生皮を捧げるという契約で仏に転生させた。かくしてムナルは即身仏、金剛観世音菩薩となった。  ところがムナルの心肺が停止しかけたその時、地面から無数の神経線維が生えてきた。神経線維は瀕死の肉体に入り、心臓に活力を与え、傷ついた全身を瞬く間に癒した。これによりムナルは生きたまま強大な仏の魂を持つ最強の殺し屋に仕上がった。愛輪珠如来との契りは、彼が死ぬまで一時保留となった。
邪尊教パンケチャ派 仏典 其の四
 期せずして目的を果たしたムナルだったが、この奇跡をドマルが起こしたと確信した彼は再び岩窟へ向かった。仏になった事により霊感が高まった目で最奥の大岩を見上げると、そこには確かに磔にされたドマル・イダムがいた。彼の両腕は長い年月で倍以上に伸び、足元は衆生の苦しみで絶えず炙られ、その全身は遠くの衆生の苦しみを感じ取れるよう神経線維を剥き出しにされていた。  この余りにも惨たらしい守護尊を見たムナルは考えを改めた。これまでの邪尊教のように彼を利用するのではなく、逆に信仰者ら自身がドマルに安寧を与える事こそ真の邪尊教の有り方ではないかと。  ムナルはドマルの拘束を解き、自分自身が彼の『安眠(ムナル)』となるべくカイラス山で修行をした。そして数年後、自らの魂の中に平穏で頑丈な結界を作り、そこにドマルを眠らせた。  かくして下山したムナルは、殺し屋ではなく、全く新たなる邪尊教の宗派『パンケチャ(推祈)派』の開祖となったのである。
བཞི་པ་
 壮大な仏教神話を読み終えた私の隣には、観音様……ムナル和尚様が立っていた。 ༼ 私の生い立ちをお教えしたのは初めてですね、一美(ひとみ) ༽  和尚様の声はさっきまでのテレパシーみたいな感覚ではなく、肉声としてはっきり聴こえた。  私の名前は紅一美(くれない ひとみ)。普段はテレビとかで活躍するマルチタレントで、悪霊が出るとドマルの生まれ変わりであるワヤン不動に変身して戦う。ワヤン不動は本来他者を傷つけないドマルの明王体、つまり戦闘専用フォームだ。 ༼ 私は生まれて間もない頃、金剛の悪霊に殺されそうになったのがきっかけで和尚様に弟子入りしました。だからあなたの弟子である記憶と、かつてドマルだった時あなたを弟子としていた記憶があるんだ ༽ ༼ ええ。数奇な運命です ༽ ༼ でも和尚様 ༽  仏典に一つ、どうしても気になる箇所があった。金剛愛輪珠如来……私の肉体を乗っ取った悪霊張本人。金剛有明団の、重要人物。 ༼ あなたは如来を裏切って、幼い私にドマルの『悪魔の心臓』を埋め込んだんですよね ༽  一美の心で問う。そして、ドマルの心でも。 ༼ そうまでして、何故この子の人生を歪めた? ༽  私としては、歪めたっていうのはちょっと言いすぎだと思う。正確には和尚様は、金剛有明団の悪霊によって死にかけていた私をドマルの魂で補填して、助けてくれたのだから。和尚様は悔しそうに口元をきゅっと歪めて答えてくれた。 ༼ ……如来の契約を受け入れた身の私は、長らく彼らに従っていました。しかし彼らはある目的のために人々を呪いで支配し、意図的に悪霊や災いを生み出す集団でした。いえ、わかっていながら服従していた私も同罪です ༽  後ろめたそうな言葉と共に、和尚様は私を……いや。その奥にある『拙僧の』目を、すがるように見つめる。彼が良心に咎められながらも如来から逃げなかったのは、結界内で眠る拙僧の魂を案じての事だったのだ。 ༼ ですが、如来がまだ赤子だった一美に呪いをかけた時……私はついに耐えられなくなりました。私は最も尊いリンポチェの安眠を守るために菩薩で居続けた。でもそのために、誰かの最も尊いお子様が犠牲になるのをどうして放っておけるでしょう…… ༽  声に熱がこもる。和尚様はわなわなと拳を震わせ、怒れる馬のようにカッと目を見開いた。 ༼ パンケチャ派開祖の私が! 他の人の推しを不幸にしていいわけがない! 全ての推しの笑顔を守れずして何が仏教徒ですか!? ༽  つまり、苦肉の策だったのだろう。和尚様は一美とドマル両方を守るために、二人の魂を合体させた。そしてゆくゆくは私自身が金剛から身を守れるように、私が『明王』として覚醒するための修行を施したんだ。しかし、 ༼ たわけ! ༽  拙僧はムナルを張り倒した。 ༼ あの時、拙僧がなぜあなたを生かしたかわからないのか。あのままあなたが完全成仏していたら……知識も精神も未熟なまま、身に余る力を手に入れていたら。この邪尊と同じように、外道の道具にされていたのだぞ! ༽  ドマルの心が激昂し、和尚様の首根っこを掴んで離さない。 ༼ それなのに、何の罪もない少女になぜ同じ事を繰り返した! あなたの生半可な恩情でこの子は! 物心つく前に死ぬより、ずっと残酷な修羅道を生きる事になったんだ! それだけじゃない…… ༽  そう。和尚様はあの時、私にかかった呪いの身代わりになって…… ༼ ……どうしてあなたまで死ぬ必要があったんだッ!! ༽  ドマルから力が抜け、主導権が私に戻った。私が和尚様を師と仰いだ時、彼は既に亡き人。金剛によって生皮を剥ぎ取られたミイラに宿る、正真正銘の仏様だった。優しくて、強くて、でも私が間違っている時はとても厳しくて。大好きだった和尚様。もし私と彼の立場が逆だったら、私が和尚様の師匠だったら……私もドマルと同じように怒っていただろう。 ༼ わかっています ༽  和尚様は震えたままの声で答えた。 ༼ 一美を明王に仕立て上げた私は、金剛と何も変わらない卑怯者です。ですが、それでも……それでも、一美を見殺しにできなかった。リンポチェに救って頂いた命を捨ててでも、あなたには生き延びてほしかった! だから! ༽  バキッ、ビキビキッ。滑らかな和尚様の体が隆起し、屈強な複腕が生えていく。溶岩のようなオーラが湧き出で、顔が全方位を睨みつける三面の馬へと変わる。実は仏教神話においては、あの優しさの権化ともいえる観世音菩薩にも明王フォームがあるのだ。 ༼ 行くのです、ワヤン不動。私を倒し、この安寧の極楽浄土『須弥山(しゅみせん)』を糧に現世へ舞い戻るのです! ༽  馬頭観音(ばとうかんのん)、パンケチャ・ムナル! 宿命の師弟対決がいま幕を開けた!
ལྔ་པ་
 仏教界の中心須弥山を模した結界に、今二人の明王が対峙する! 煌々と照りつける太陽と森林が複雑な影を織りなすここは、ワヤン不動にとって最高の舞台。対する馬頭観音は果たしてどんな戦いを見せるのか? ༼ もう一度言っておきます。私は暗殺者として育てられた……卑怯者です! ༽  ズゴゴゴゴゴゴ……山が揺れ、川が氾濫する。和尚様の本領である霊能力は、チベットの秘術『タルパ』。自然界に漂う霊力を練って、人工的に幽霊やポルターガイストを作り上げる力だ。この須弥山結界もいわば、全て和尚様が作った亜空間。災害起こし放題、これは確かに暗殺向きだ!  大地震の揺れに酔わないよう地面との影設置面積を狭めると、和尚様がすかさず足払いを仕掛けてくる! それを跳躍回避し、両腕のリーチを活かして檜の大木を掴む。新体操の如く樹上に逆上がり、そのまま低姿勢の和尚様に飛び降りドロップキック! しかし着地の直前和尚様が消えた!? いや、目をこらすと左手の竹林に強力な霊力反応。姿を消して移動したんだ。追いかけて…… ༼ 隙あり! ༽  バチン! 死角から顔面に全力殴打を受け、私の体は林木をへし折りながら五〇メートルほど吹っ飛ばされた。迂闊、さっきの反応はタルパで錬成されたダミーか! ༼ 現実世界のあなたは、如来に龍王剣を奪われています ༽  和尚様はさっきの戦いで私が投げ捨てた龍王剣を蹴り上げ、 ༼ なのでこれは私がお借りしますね ༽  ヒュンヒュンと回転するそれを空中でキャッチ。そのままノーモーションで私に向かって突撃! キィン! 既の所でこちらもティグクを持ち直す。 ༼ オム・アムリトドバヴァ・フム・パット! ༽ ༼ ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン・オム・チャーヤー・ソワカ!! ༽  グルカナイフと斧が鍔迫り合いの応酬を繰り広げる! 一方が押し、また一方が押され……ふと蘇る前世の記憶。想像上の極楽である須弥山だが、この地形には覚えがある。このまま西にあと七メートル後退すると……今だ! ༼ わっ!? ༽  そこは断崖絶壁! 影で崖肌に足場を延長してカモフラージュしていた私に振りかぶった和尚様は、そのままバランスを崩して転落。しかし地面と衝突する寸前、岩場から無数のツタが生え和尚様を守った。 ༼ やはり。ここはあなたが拙僧と修行したカイラスだ ༽  それならばこちらにも手がある。長年縛りつけられていたカイラスの地脈は全て、自分の体のように理解しているからに!  ダンッ! ヴァダダダガガァァァァアアン!!! 崖の亀裂にティグクの刃を叩きつけ、そこから神経線維で熱を送り起爆! この世の全てを拒絶する絶望の目に似たエネルギーモーションが炸裂し、崩壊した岩壁から大量落石! 砂埃が舞い上がると同時に和尚様の殺意が消えた。  もちろん、彼はこの程度で撃破できるお方ではない。崖肌を滑り降りた途端、瓦礫の山が隆起して和尚様が這い上がってきた。お互いに得物を構えなおし跳躍、空中にてチャンバラ再開! ༼ 正直に言いなさい、ムナル。この子に拙僧の魂を与えたのは、本当に苦渋の決断だったのか? ༽ ༼ やはりリンポチェにはお見通しですね。ええ、私の煩悩(エゴ)ですよ。だってずっと邪尊と呼ばれていたリンポチェが、正義のために戦うヒーローになったら最高じゃないですか…… ༽  シュゴォォォォォ! 龍王剣が炎を吹き、勢いで和尚様の体はジェット後進。そのまま燃え盛る龍王剣が和尚様と一体化。背中に炎の翼が、三つの額にはナイフの如く鋭き角が生えた! 馬頭観音アリコーン!!! ༼ 推しが正義堕ちしたらばちくそエモいじゃないですかぁぁーーーーーーっ!! ༽  ヌ˝ヌ˝ヌ˝ヌ˝ヌ˝ヌ˝ヌ˝ーーーーーーーーッ!!!!! 天、地、水! 三本の角から発せられた超自然タルパ理力が螺旋を描き極太ビーム射出!! 私の影体は分解霧散するよりも早く、この亜空間と外界を隔てる壁に叩きつけられた! 空が落ち、川が干上がり、山が粉々に砕け散る!!!  暗転、赤転、白転。完全なる静寂の中で、炸裂した世界の色が鎮静。全てを放出しきった和尚様は粉々の地面に膝をつき、肩で息をする。そのまま頭を垂れると、目の前にできた彼の影が ༼ ―ッ! ༽  砂から現れし蟻地獄のように、ワヤン不動の形を取って彼の首を刈った。 དྲུག་པ་  丸く抉れた須弥山に、荒れ散らかった極楽浄土。後は和尚様の心臓をティグクで割れば、この亜空間が粒子レベルに分解霧散して私は復活する。 ༼ でも、和尚様って少し前に逝去されてましたよね? ༽  私は抱えている和尚様の首に尋ねた。 ༼ ええ。もうこの世に意識を取り戻す事はないと思っていましたよ。ですが、私の遺物……おそらく、骨かなにか……を管理している者が、どうやら私とあなたの魂を復活させたようです ༽  和尚様のご遺体は、過去に金剛の事件を処理した、NICという超常現象研究機関が管理している。恐らく愛輪珠如来に乗っ取られた私に気付いた関係者が、私の魂のかけらを探し出し和尚様の中に保護したんだろう。 ༼ となると、あなたと拙僧の関係もその機関とやらには割れているのだな ༽  ふと私の影体が分裂し、ドマルの姿になった。こうやって三人で会話することもできるのか。 ༼ ならば本格的な大事になる前に、『邪尊』の肩書からは足を洗う必要があるな ༽  ドマルは目元だけで微笑むと、何やら全神経に法力をこめ始めた。ヴンッ! 影の皮一枚で繋がっている私が失神しかけるほどの衝撃が亜空間をほとばしる。すると、土砂が積みあがってできた須弥山のほとりの小丘に…… 「Woah!?」「ぎゃあ!」「เกิดอะไรขึ้น?」  突然、数千もの霊魂が召喚された。戸惑う人々の声で結界内は急に騒然とする。いや、よく見ると全員ご存命の人々のようだ。意識だけ無理やり幽体離脱させられたのか。 ༼ ドマル何したの!? ༽ ༼ 邪尊教を信仰する全ての信者を招いた。拙僧は既にカイラスから連れ出されていたが、彼らはそれを知らぬ。それに、ムナルが間もなく二度目の涅槃に入る事も。なら引退宣言をしておかねば ༽  引退宣言て。変な所で律儀な前世様だ。とりあえず人前で首ちょんぱの和尚様はショッキングすぎるから、一旦影で体と繋ぎ合わせた。 「這裡是哪裡(ここはどこだ)?」「Est-il…… Dmar Yidam(あれは……ドマル・イダム)!?」「क्या यह एक सपना है(夢枕ってやつか)?」  信者達は各々の言語で取り乱している。私の知らない言葉であっても、この空間内で意識が共有されて概ね理解できた。それにしても、どの人種もみんなちょっとガラが悪い。仏の力を悪用するというスタンスだった昔と違い、現代の邪尊教はどうやら悪魔信仰に似た類のカルトになっているようだ。ある者は跪き、またある者は歓喜の雄叫びを上げ、またある者は恐怖で腰を抜かす。一方、当の邪尊ドマルは赤子をあやすように両手を小さく振って彼らを宥めた。 ༼ まーま、落ち着きなさい。拙僧はただ、あなた方にちょっと顔を見せたいだけだ ༽  ドマルの声は骨伝導のように全ての信者の耳に届き、彼らそれぞれの言語に翻訳された。信者達がスンと静まりかえる。私もドマルの横に並び、彼の引退会見に耳を傾けた。 ༼ ふむ。見たところ、近頃の邪尊教徒は概ね三種類に分かれるようだ。少し、アンケートを取ってもいいかな? ༽  一体何が始まるのかと、信者達は固唾を飲む。一方和尚様は突然始まった推しの生ライブステージに目をキラッキラに輝かせている。 ༼ まず、一つめ。『信仰を禁じられた邪尊を現代に蘇らせ、かつての者どものように権力を手に入れたい』と本気で思っている方よ。拙僧怒らないから、正直に手を挙げなさい ༽  重苦しい静寂が極楽浄土を包む。ドマルの眼圧に気圧されて、信者達はしばらく誰も手を挙げなかった。しかし一人、また一人とじわじわ挙手が増えていき、概ね二割の信者がこれを認めた。残酷にも、やはりその殆どはチベット人だった。 ༼ そっか、成程な。大変申し訳ないが、あなた方の願いは叶えてやれぬ。実のところ拙僧は、観世音菩薩様の計らいで長らく惰眠を貪っていたからにな ༽  目尻も口角も全く上げないまま、気さくにドマルは答えた。その口ぶりと表情のギャップにより失魂落魄した信者の何割かが、震えながらその場に崩れ落ちた。 ༼ では二つめ。『仏とか宗教とかダルいけど、邪尊ってなんかアナーキーな感じでかっけーからリスペクト対象』と思って入信した方よ ༽  この質問に対する挙手は早かった。さっき手を挙げなかった信者達の半分以上が高々と挙手している。そして何割かはメロイックサインだ。 ༼ かはは、正直でよろしい。あなた方はそれでいいんだ。拙僧からは特に何もしてやれないが、肖像権なんかないからTシャツなりタトゥーなり好きに弄ってくれ。他の宗教に迷惑はかけないようにな ༽  ドマルはさっきよりも柔らかい表情で彼らに答え、印相のように控えめなメロイックサインを作った。信者達はロックシンガーのコンサートでも見ているように嬉しそうな歓声を上げた。 ༼ では三つめ…… ༽  ドマルは目を伏せ、傷だらけの馬頭観音にちらりと視線を向ける。そして一瞬間を取り、再びまっすぐ信者達を見据えた。 ༼ 『悪玉に囚われていた仏がいつか正義堕ちしたらばちくそエモいから。あらゆる神話の中で、そういうカタルシスでなければ摂取できない物があるから』入信した方よ。いるのなら、どうか教えて欲しい ༽  ……一人。二人。十人、四十人、六百人。厳かに、じわじわとこれに挙手する信者が増えていった。その中には先程のチベット人や、アナーキストの面々も。 ༼ うそ…… ༽  想定外に同担が多い事を知った和尚様は、驚きや複雑な感情を露わにしながら穏やかな金剛観世音菩薩相に戻った。その和尚様を視線で指し、ドマルが説明する。 ༼ 彼こそがムナル和尚。そしてパンケチャ派の伝承に語られる金剛観世音菩薩様だ。彼は只今をもって現世から旅立つ。入れ替わりに、拙僧は眠りから覚めて娑婆に戻る ༽  そして次に、私の手を取った。 ༼ これは我が明王尊、ワヤン不動。これより拙僧は、娑婆に巣食うある悪霊を滅ぼすために憤怒の化身となるのだ。ま、平たく言えば…… ༽  決めポーズしろ、とドマルから影体を伝って指示が飛んできた。ええと……アドリブで! 須弥山の残り半分をぶっ飛ばす! ドーン!! 「「「うわああぁぁ!!!?」」」  信者困惑! ༼ ばか、やりすぎだ……ま平たく言えば、邪尊教解散ってコトな。よろしく ༽  なんともあっけらかんと邪尊教は解体された。でも幸い、信者達は私が須弥山を消し炭に変えたインパクトでポカンとしたまま、特に暴動とかもなく娑婆に送還された。 ༼ あ、あんなんでいいの? 引退宣言 ༽ ༼ 適当でよかろう。ま、今頃ネットでバズってるかもしれんけど ༽  ネットとか知ってるのかこの前世様。といっても私と一心同体みたいなものだもんな。一方、和尚様は感極まってアルカイックスマイルのまま失神している。 ༼ ……このまま送ってやるか。それとも、師匠に別れの挨拶とかする? ༽ ༼ ううん、大丈夫。もうとっくの昔に……金剛と初めて戦ったあの日、ちゃんと話せたから ༽ ༼ そうか ༽  今回の事は、いわば私が不覚を取ったせいで和尚様の眠りを妨げてしまったようなものだ。この戦いが終わったら、いつか私とドマルも同じ場所へ還る。それなら今改まって別れを告げる必要はないだろう。  私は改めて金剛を滅ぼす決意を抱き、人生で最も尊敬する人にティグクを振り下ろした。
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anamon-book · 2 years
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チベットの生と死の書 ソギャル・リンポチェ 大迫正弘・三浦順子=訳 講談社 装幀=鈴木一誌、装幀写真=田淵曉
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truenorthmovie · 3 years
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清水ハン栄治監督インタビュー
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●初のプロデュース作『happy――幸せを探すあなたへ』(2012/ロコ・ベリッチ監督)は、アメリカ、デンマーク、日本などさまざまな国の人々の姿をとおして本当の幸福とは何かを探るドキュメンタリーでした。ともすれば真逆とも思える題材を監督デビュー作に選んだ理由を教えてください。
僕は結構、いい歳になってから映画製作に携わる様になりました。死ぬまでに何本作れるのか、と自問した時、人生かけて「普遍的な大きな問い」をテーマとして追及してみたいという欲求が出てきました。その答えが『happy』のテーマである「幸せとは何か?」であり、『トゥルーノース』の「人は何の為に生きるのか?』に繋がったのだと思います。
●この物語を、ドキュメンタリーではなくアニメという形で映画化しようと思ったのはなぜでしょうか。
リリースして既に10年ほど経つのですが、今でもドキュメンタリー映画の『happy 』を観た世界中の人たちから嬉しい声が届きます。中には『happy』のお陰で自殺を思い止まったなんて人もいて、映画の及ぼす影響力って凄いなぁとひしひしと感じています。また、人権と平和のために戦った世界の偉人達の伝記漫画シリーズをプロデュースしたところ、思いがけない反響がありました。ダライ・ラマ法王に認められて亡命チベット子女達の教科書になったり、オバマ大統領にホワイトハウスで愛読してもらったり。漫画で表現することで、想定さえしなかった読者層にまでリーチ出来ることを驚きを持って実感しました。せっかく物語を伝えるならインパクトを出したい、ということで映画と漫画という強力な表現方法の延長直線上でアニメ映画にたどり着きました。
●本作を制作するにあたって、どんなリサーチをされましたか? どんな方たちにインタビューしたか、どういった資料を集めたかなど教えてください。
北朝鮮の強制収容所を体験し脱北した人々の著作、映画、ニュースなどを洗いざらいに探ったつもりです。そして、実際に韓国、日本、アメリカで元収容者、元看守、脱北者の皆さんにインタビューさせていただきました。定期的に各国の人権団体やNGOとも連絡を取らせていただいて情報収集しています。また収容所内で起こった悲惨な出来事はもとより、友情やユーモア、助け合いや恋愛などの人間味のあるエピソードも出来るだけ多くヒアリングしました。
●リサーチやインタビューを行った中で一番衝撃を受けた出来事は何だったでしょうか。
聞き取りをしている最中は衝撃受けっぱなしでした。とりわけ皆さんに知っておいていただきたいのは、これはコリアンだけの受難ではなく、日本人にも密接に関わっている問題なんですよと。聞き取りをする中で、日本人拉致被害者も政治犯強制収容所に収監されていたという証言がありました。この女性は工作員へ日本語を教えるのを拒否したと言う罪状で、悪名高きヨドク15号管理所に収監され、あの極寒で布団も無い毎日を過ごしていたとのことです。この方がまだ存命か分かりませんが、その人生にオマージュを込めて本作でも同じ境遇のキャラクターを登場させています。 ●キャラクターたちの表情や仕草など、やわらかいタッチで描かれていますが、キャラクター造型についてこだわりを教えてください。 造形はデフォルメし過ぎず、かつリアルにし過ぎず、というバランスに苦心しました。というのも、歪曲し過ぎて「これは別世界で起こっている話」と思われてはアクティビズムにならない一方、収容所の現実をリアルに表現し過ぎるとホラー映画みたいになって観客が感情的についていけない。全般的に造形のポリゴンが少なく見える(カクカクした折り紙みたい)様な素材感にして、登場人物との擬似体験を少しバッファーを掛けるなどの工夫もしました。 ●本作の音楽監督にディズニー長編アニメ映画『ムーラン』の音楽監督マシュー・ワイルダーを起用した理由は? 共通の友人を介して経験豊富なマシューさんに会ったのですが、作品を通して収監されている人々を救いたい、と本作への思いを熱く語ったところ、即座に意気投合。グラミー&アカデミー賞ノミネートの大御所にも関わらず快くオリジナル音楽を担当していただけることになりました。 ●実際取材した方(脱北者の方など)に本作を見せる機会はありましたか?どういう反応でしたか? プチョン国際アニメーション映画祭では、多くの脱北者の方達に鑑賞いただきました。「涙でマスクがぐちゃぐちゃになった、北朝鮮の知られざる現実をここまで正確に表現した作品はこれまで無かった」などの声をいただき、とても高く評価いただきました。また、脱北して韓国の国会議員になった方からは、北朝鮮の人権問題を世界的に啓蒙していく為にこの映画を上映したいと相談を受けており、色々な国に広げられるように準備を進めています。 ●一度失いかけた人間としての尊厳をヨハンがとりもどす姿を見て、絶望の淵にあっても尊厳を失わなければそこに希望はあると、大変感動しました。北朝鮮強制収容所ほどの環境ではなくても、コロナ禍のいま、暗い感情が日本中、そして世界中を覆っています。この作品を通して、どんなメッセージを伝えたいですか?  脚本執筆中に大きくインスピレーションを受けたのは、第二次大戦中ナチス政権下で強制収容所を生きる人々を描いたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』でした。囚人でありながら精神科医だったフランクルが興味を抱いたのは、絶望的状況を生き延びた人と力尽きてしまった人との決定的な違いは「生きる希望」を持てたかということでした。北の収容所でも、日本列島でも同じです。いい加減めげちゃいますが、皆さん、いつか必ずコロナ禍は終わります。いいことあるから、希望を持って生きていきましょうよ。最後まで希望を捨てない主人公ヨハンが、何かヒントを与えてくれるはずです。
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ari0921 · 4 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)5月3日(日曜日)弐
 ウイグルの強制収容所で「再教育」を「卒業」したウイグル人を
   中国27ケ所の工場へ送り出し始めた。なかには日系企業も。
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 ウイグル問題の直接的な発端は2009年6月25日に溯る。広東省紹関にある玩具工場で、漢族男性がウイグル族の女性従業員を乱暴したという事件を切っ掛けにウイグル人従業員が抗議、それが騒動となって大乱闘。2名が殺害された。
 情報はすぐに新彊ウイグル自治区に伝わり、省都のウルムチで学生達が抗議行動を開始、警官が出動して発��。公式発表では192名が殺され、1721名が重軽傷を負った。ウイグル亡命組織は「数千名が殺害された」とした。西側メディアは一斉に中国の血の弾圧を批判した。さらなる弾圧を怖れた学生、労組指導者らは隠れ家を求め、一部は隣のカザフスタンへ逃げ込んだ(その一部、およそ千名がトルコ経由でISに加わった)。
 チベット弾圧で悪名を馳せた陳全国(元河北省省長)が、2016年8月に新彊ウイグル自治区の書記に任命され、ここからウイグル族への無慈悲な弾圧が強化された。
百万人以上の強制収容所を砂漠に急遽、造成し、事実上の「監獄」を「再教育センター」とか、「職業訓練所」と称して、ウィグル族を片っ端から収容した。
所内では漢語の強制、豚肉を食べさせ、ウイグル族の文化的背景、イスラム教の影響を抜き取り、漢族風に洗脳する目的だった。
実際に収容所では中国語を教え、中国の法律を叩き込み、そのうえ中国共産党の獅子吼する「愛国」教育を徹底させた。その一方で、縫製、メカニカルエンジニアリングから、ホテルの清掃のやり方までを教育、訓練した。
反抗したウイグル族が相当数、拷問され、収容所内で死亡した。これらはその後、亡命に成功したウイグル族女性によって米国議会の公聴会の証言でも明らかにされ、米国の人権団体の抗議をこえて、議会人は超党派で中国への批判を強めた。
 
トランプ政権はウイグル弾圧に用いられたとして監視カメラ、顔面識別、AI技術を製造するハイクビジョンなど中国企業の28社を[EL]リストに加えて取引停止とした。ペンス副大統領の二度に亘る対中批判演説にはこれらの裏付けがあった。
 
 ▼「洗脳教育」の「卒業生」が国内の人手不足の工場へ送られる
 ウイグル族の他省、工業地帯への移動は、安く酷使できる労働者の増強という目的に加えて、ウイグル女性と漢族男性との結婚奨励、かたちをかえた民族浄化(エスニック・クレンジング)にあった。結婚は半ば強制だったと多くの証言がある。
 サウスチャイナモーニングポスト(5月2日)に拠れば、強制収容所から、中国��土への移送が開始され、工場へ労働者として送られている。狭い寮で生活し、外出は出来ず、賃金は月給1200元から4000元程度(ウルムチの平均可処分所得は1791元)。詰まり「監獄から、別の監獄へ」移動されるのだ。
 移送に際しては大きなマスク、胸部に赤い花のピンを大きな目印として、長距離バスなどがチャーターされた。偵察衛星でこれらの移動が確認されたという。
 安徽省には既に1560人が到着したと安徽日報が報じた。
深センのハイテク工場には5万人が割り当てられたが、各社が不況陥落のため、15000名しか受け入れないという返答があった。2009年に殺人まで起きた騒動の発祥地である広東省の玩具工場なども数万人の労働者の受け入れを発表、福建省のアパレル工場にも派遣が決まったという。移動を強いられる地区は、武漢ウィルスの感染が大きい地区でもある。
 豪のシンクタンク「豪戦略政策研究所」のレポートでは、八万名が移動したとし、また ウイグル収容所の「卒業生」を労働者として受け入れたか、これから受け入れる企業名にはグーグル、マイクロソフト、アップル、シーメンス、ナイキ、ロコステ、サムソン、アディダスのほか、ユニクロ、SONY、三菱の名前をあげている。
 また欧米の偵察衛星は、ウイグル自治区でイスラム教の墓地が整地され、ブルドーザで急遽速成された小さな墓地に移されているという。地元住民は「ご先祖の墓がなくなり、新しい墓場は画一的な、同じサイズの墓で、誰が誰の墓なのかわからない」と不満の声をあげている。
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yoga-onion · 5 years
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Metempsychosis (3)
-5 of my previous lives-
The psychic teacher immediately started moving a pen in her hand, and begun doodling a tennis racket, while talking, “She played tennis. Her name was Lottie…” 
The first person was an English woman who had blonde hair & blue eyes. Lottie used to go for a walk with her painting kit and painted watercolour pictures of Italian landscapes. She used to live peacefully in Italy with her husband who was a consul. Her husband died from an illness, at a young age, and she became a widow. She went back home to Hampshire, England, where she ran a girl’s private school. She became a headmistress in order to make a living.
The second person mentioned, was another woman with blonde hair and blue eyes. She was a Swedish American, who lived during the age of pioneers. She was a tough housewife & mother, busy baking bread in the mornings, and doing all the house work. She also helped on the farm, so that she could help her husband. She was brave and able to fight to protect their house. Even the farm got attacked. Due to her husband’s ill health, they had to close their farm. She became a singer in bars, to make a living in order to support her family.
The third person was a Greek woman, who had a beautiful look and was capable of singing & dancing. Despite being born into poverty, on one of the Greek islands, fortunately, she was sent to the palace to work as an exclusive entertainer, lived her life comfortably in the palace. Even after her retirement, she became a singing & dancing teacher, and was able to remain living in the palace. One day, she married a wealthy gentleman from Athens who was visiting the palace, and spent her later life in Athens.
The forth person was a leader of the Mongolian warriors, who was covered with scars. He was immortal, and always won the battles. At the same time, he had a great sense of humour, being loved by his soldiers. He used to make a bonfire and treated his men, celebrating their victory with laughter.
The fifth person was a Tibetan monk who had entered a temple, aged nine. He had to live his entire life inside the temple, and never went outside. He was content, and didn’t have a single desire to go outside. He was capable of drawing & painting. He became a dedicated painter for the temple. His duties at the temple were painting the screens, the scrolls and all the other decorations in the temple.
輪廻転生(3)
-5人の前世-
即座に、先生は持っていたペンを素早く動かし、テニスラケットの絵を落書きし始めた。「テニスをしていたみたいね、名前はロッティ...」
人物その1は、ブロンドに青い目のイギリス人。ロッティは、水彩用具を持って散策をしながら水彩画を描いたりして、領事官の夫と共にイタリアで長閑に暮らしていたが、夫が病死して未亡人となった。イギリスに帰国後は故郷のハンプシャー州で、生計を立てるために女学校を経営し、校長を務めた女性そうだ。
人物その2も、ブロンドに青い目の、今度は、西部開拓時代に生きた、スェーデン系のアメリカ人女性。毎日、早朝からドッタンバッタンとパンを焼き、家事や育児をこなしながら、夫の経営する農場で野良仕事を手助けし、襲撃にあった時でも、自ら戦闘して家を守る逞しさ。後年は、夫が病弱だったため、農場をたたみ、酒場で歌手をしながら家計を支えたそうだ。
人物その3は、ギリシャの貧しい小さな島の貧困層に生まれたながらも、容姿端麗で歌がうまかったので、踊り子として宮廷に仕え、豊かな暮らしができたというギリシャ人の女性。引退後は、先生として宮殿に残って踊りの指導をしているのを、アテネから訪れた上層階級の紳士に見初められ、後年はアテネで暮らしたそうだ。
人物その4は、モンゴル人戦士のリーダー。 彼は、身体中傷だらけで、戦いでは負け知らずの不死身の男。いつも戦いが終わると仲間と焚き火を囲み、祝いの宴で大いに盛り上がった。手腕だが、大らかで、小さなことにはこだわらなず、ユーモアのセンスがあったので、皆に慕われていたそうだ。
人物その5は、9歳に出家してから寺の外に出ることもなく、その生涯を寺で過ごしたチベットのお坊さん。彼は、絵を描くのが得意だったので、寺内の屏風や装飾の絵画を担当していた。寺の外にはべつだん興味もなかったので、何の不服を感じることもなく、修行僧として充実した生涯を送ったそうだ。
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kozuemori · 1 year
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今日の東京は雨模様です。桜が散り、鮮やかなツツジや藤、チューリップや木蓮が、自分達の出番を待っていたかのように私たちの目を楽しませてくれますし、ハゴロモジャスミンの香りも季節が巡ってきたことを教えてくれます。明るい太陽の光に包まれた花々の姿はイキイキとして美しいですが、雨や曇りの日に見せる表情にもまた、捉え難い魅力があります。
それはまるで、役者が舞台に立っている時と舞台裏にいる時の二つの面を持っているかのようです。私たちの人生にもまた、舞台と舞台裏の二つの場所が用意されています。『晴れの舞台』という言い方があるように、太陽光のように明るいスポットライトを浴びて注目され、喝采を受ける時もあれば、舞台裏で失敗しながら練習し、休息して英気を養い、目標に向けて準備に勤しむべき時もあります。スピリチュアルな視点から見ると、舞台裏の方が『晴れの舞台』です。悩み、苦しみ、光を求めて努力を積み重ねている時、周りにいるスピリット達はあなたに注目し、喝采を送っているのです。
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先日、『社会から虐げられた女たち』という邦題のフランス映画を観ました。ヴィクトリア・マスによる史実を元にした歴史小説が原作です。なんとなく見始めた映画ですが、主人公がミディアムでした。(このパターン、実に多し)霊界について描かれた映画だと分かると、次はインチキ霊媒師がいつ登場するのか(このパターンもまた多し)、あるいは恐ろしい悪霊がいつ現れるのか(このパターンも残念ながら多し)、ストーリー展開を冷静に追っていたら意外に良作でした。(原題は『狂女たちの舞踏会』。邦題とポスターヴィジュアルが惜しい!暴力的なシーンがあります)
物語は19世紀末、フランスのブルジョワ階級に長女として生まれたウジェニーが、文豪ヴィクトル・ユーゴーの国葬に参列しているシーンから始まります。当時まだ女性達の社会進出が許されず、自由や権利も抑圧されている中、ウジェニーはヴィクトル・ユーゴーの著書『静観詩集』を読み耽る本の虫で、男性だけが参加を許されている討論会に出たいと主張したり、しばしば家の中で霊の姿を視る、ちょっと変わり者です。ある日、モンマルトルのカフェで出会った芸術家風の男性から、スピリティズムの創始者アラン・カルデックの著作『霊の書』を紹介されます。本を読み進めるうちに霊の存在を確信した彼女は自分に霊能力がある事を家族に打ち明けますが、厳格な父親に精神病院に入れられてしまいます。その病院の名前は、ピティエ=サルペトリエール病院。(写真上)パリの13区に現存する総合病院で、英国王室に新しい風を吹き込んだダイアナ妃がこの病院で息を引き取ったというのも因縁深いです。
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当時、この病院は精神疾患と診断された女性たちを治療という名目で拘禁していた施設でした。実在したジャン=マルタン・シャルコー医師による非人道的な治療や催眠療法などの見世物のような公開実験が行われていた実際の様子(写真上)が、この映画の中でも描かれています。精神疾患と診断された女性たちの中には男性優位社会の中で権利を主張したり、社会規範に対抗した人々も含まれていました。そして霊媒であるウジェニーもまた、異分子、危険人物と見なされて収監されます。
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ある日、ウジェニーは患者達を日々厳しく監視している看護師長ジュヌヴィエーヴの亡くなった妹と交信し、彼女にメッセージを伝えます。ジュヌヴィエーヴはそのエビデンスの正確さに驚き、動揺しますが、愛に溢れたメッセージの内容に深く癒され、霊の存在を確信します。この映画では、男性優位社会からの抑圧に苦しむ2人の女性が真の自由を得るまでの葛藤を、身体をきつく締め付けるコルセットを脱ぎ捨てるシーンや女性同士の友情、霊の存在を否定する男性とそれを受け入れる女性、といった対比の中でシンボリックに描いています。また、家族の中で唯一ウジェニーの霊能力を理解し、支え続けた弟のテオがゲイという設定という点も興味深いです。
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ウジェニーがテオとジュヌヴィエーヴの助けを借りて精神病院から脱出したのは、この病院で例年開催される仮装舞踏会の最中でした(写真右上)。四旬節(イースターを迎えるまでの40日間)に行われるこのパーティの間、思い思いに着飾った患者達は勿論、興味本位でやってきた招待客達や医師達も皆、我を忘れて大いに踊り、騒ぎ、本能のままに振る舞い、誰もが正気と狂気の境目のあやふやさを持っている姿を映し出しています。
映画の冒頭でウジェニーが熱心に読んでいたヴィクトル・ユーゴーの著書『静観詩集』は『瞑想詩集』とも呼ばれ、足繁く降霊術に参加していたと言われているユーゴーが愛娘であるレオポルディーヌの突然の事故死に直面して書き始めた作品です。その中の詩の一編には、こう書かれています。「私たちがこの世で終わりだと思っているものは、実は始まりなのだ。」
この映画もまた、この詩人をシンボリックに表した権威主義、男性中心主義や家父長制というひとつの時代が彼の死と共に終焉を迎え、20世紀に向けて花開くフェミニズムや多様性の夜明けを描いた作品なのです。
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夏学期クラス(5月〜7月)へのお申し込み受付中です。今学期から新しく『サンスクリット般若心経クラス』が始まります。インド・チベット密教で現在も唱えられている、サンスクリット語での般若心経を学ぶクラスです。5回に分けてゆっくりと発音を確認しながら学んでいただけるので、マントラやサンスクリット語が初めての方でも安心してご参加ください。日本語の般若心経との違いを比べてみるのも楽しいと思います。また、トランスクラスも水曜日クラスが新たに加わります。
夏学期クラスへのお申し込みはこちらからどうぞ。継続の方は直接ショップからお申し込みください。
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今後のイベント・ワークショップ
・4/21, 22, 24   プラクティカル・ミディアムシップ 
・4/27  アイイス・ドロップイン・ナイト お申し込みはこちらまで
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20221231
雑記(読書録、焼物、音)
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大晦日か。
宝くじを10枚買ったら3,300円当たった。300円の儲け。
読書録
・イリナ・グリゴレ『優しい地獄』
話題のエッセイ集。まだ読み始めたところ。
著者が幼少期を過ごしたルーマニア革命後の混沌とした状況下。ゴミ捨て場として空き地に掘られた巨大な穴に病気の白い馬が生きたまま捨てられているのを骨になるまで見届けたという話。特別なエピソードとして描かれている訳ではないのだが何か気になった。
読みながら思い出したのは作家の岩井志麻子の話で、子供の頃に病気の野良犬が学校に迷い込んできてそのまま行き倒れて死んだのだが学校の先生が処理に困りボットン便所に捨てたのだという。便器から底を覗くと犬の死骸が見えるため皆気味悪がってそのトイレを使わなくなってしまったのだが岩井志麻子だけが腐りゆくその犬を毎日眺めていたという。
あの犬の命は一体何だったのか、生まれてきて楽しいことが一度でもあったのかと思い悩んだというのだが今になって思うのは「あの犬の命の意味は自分を小説家にするためだった」と思うようになったと言う。あの犬は私に会うために生まれて死んで行ったのだ、と。それは皆にとって事実ではないかも知れないが本人にとっては真実なのである。触ったこともないその犬のことを岩井は「私の犬」と呼ぶ。
喜怒哀楽のいずれにも容易に分類を許さないような話が私は好きだ。
子供の頃学校に迷い込んだ皮膚病を患った野良犬の目ン玉の底の暗さを今だに思い出す。
・坂口恭平『土になる』
坂口恭平の本質は日記という表現形式において顕現するのではないか。
・千葉雅也『現代思想入門』
難解そうだと敬遠してきたデリダ、ドゥルーズ辺りの思想の領域が今なら少しは理解できるかも、あるいは逆にわからんもんはわからんと素直に思えるだろうと読み始めた。
数年前に見て衝撃だった『スリー・ビルボード』という映画の「AかBではなくてCという選択、あるいは選択の保留」みたいなテーマがドゥルーズの言うところの「脱構築」の思考法だったことに今になって気がついた。
【千葉雅也】人生は両極じゃない"脱構築"する生き方
youtube
千葉さんのこの動画面白かった。
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焼物
比較的低い温度で焼成できる楽焼用の釉薬を使ったら上手くいった。
これで花瓶やら食器やらが作れる。
その上で高かったけどちゃんとした手ろくろを購入。鋳物で重さが7kgぐらいある。一度回したらベアリングの効果で音もなく延々と回転している。ハンドスピナーみたいに意味もなく回してしまう。人間にとって回転運動とは一体なんなのだろうか。チベットの仏具のマ二車とか車輪の発明についてぼんやり考える。さっさと買えばよかった。
焼物以外に上の写真の金のやつみたいな小さな木彫を始めた。今んとこモチーフは魚。飽きるまでは。
彫る技術と同じぐらい彫刻刀をうまく砥げるかが重要な気がする。ウォルナット とか硬い木を削ってから刃を砥ぎ直してSPF材のホワイトウッドを試しに削ったらバターみたいにヌルヌル削れて驚いた。
計算ドリル
ボケ防止の計算ドリル。1分2秒。来年は1分切れるかも知れない。
去年のこの時期は1分8秒だったので少しずつ良くなっている。
記憶力が良くなっていること、作品制作でも予測と結果にあまり差がなかったりするので別のところで効果が出ている気がする。
謎の音
先日お袋が旅行に行っている間のこと。
二階に古い建物の構造上水道管が凍りやすい蛇口とトイレが二つあって寒い日はチョロチョロ水を出すと凍結が防げるのだがそれを忘れて私も親父もさっさと寝てしまった。結果的にはマイナス10度近く気温は下がったのだが予報ではマイナス6度だったので少し油断していたのだ。
夜中の2時ぐらいに目を覚ますと誰もいない二階で床を叩くような物音がする。
寒いから家が鳴っているんだと思い布団をかぶって再び眠ろうとすると、先ほどよりは小さいもののまた音がした。
やだなア…と思いながらも懐中電灯と護身用に棍棒みたいな粘土をぶっ叩く取っ手付きの分厚い板を手にとって二階へ行った。
泥棒おったらドタマかち割ったんねん。
ふと気になって水道の蛇口をひねると水が出ないではないか。トイレのタンクにも給水されておらず空っぽ。蛇口二つとトイレ二つが凍結しかけていた。そっから大慌てで石油ファンヒーターを当てて10時間ぐらい経ってから昼ごろに水道は解けた。
もしあのまま寝てたら水道管が完全に凍って破裂していたかも知れない。
というかあの音は凍った時の音なのかなあ。虫の知らせというか屋敷神的な何かかなと思った。
冬だということを差し引いても寒い。
坊主にして髪の毛に防寒という機能がちゃんとあったことを実感する。
伸びかけのイモくさ頭をまた刈り上げるか考える。
しかしこれをしたらもう一生髪は伸ばさない気がする。
髪を洗う時間、乾かす時間。散髪する時間、掛かるお金、髪をセットする時間。これがごっそり人生から消える。
なんか寂しい気もする。
冬という言葉は「増ゆ」からきているという。
昔の人は冬の間にあらゆるものが力を蓄えて春に増えると考えたかららしい。
私もそれに倣って春を待つこととする。
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