上履き袋
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)9月17日(火曜日)肆
通巻第8414号 <前日発行>
「チャイナ・ルネッサンス」(華興資本)CEOの包凡は何処へ消えた
チャイニーズ・ヒルビリー・エレジー(その5) 新興財閥の興亡、「あの人は、いま?」
*************************
アリババCEOだった馬雲(ジャック・マー)は金融子会社「アント」の上場を目指していた。デジタル人民元を準備中だった中国共産党は、この動きを軽快した。上場直前に共産党は「延期」を指令した。その後、馬は海外へでた。アントは彼の手を離れた。馬は世界の顔だから中国共産党も不当な逮捕拘束を控えている。
2021年4月にアリババは3,000億円の罰金を課せられた。この金額は2019年のアリババの国内売上高の4%に相当し、中国で過去最大の独禁法違反の罰金となった。
「江沢民派の財布」と言われた肖建華(明天証券グループ代表)は香港の豪華ホテル「フォーシーズンズ」でボディガードに囲まれて暮らしていた。
或る日、突然、中国からやってきた公安部隊に拉致され、数ヶ月して北京で拘束されていたことが分かった。懲役13年がくだされ、刑務所に入れられた。
肖建華は中国株式インサイダー取引の黒幕だった。兄貴分が米国へ逃れた郭文貴だ。彼は米国でユーチューブ局を立ち上げ、さかんに習近平の金銭スキャンダルを暴露していたが、根拠のない話が多く、そのうち投資家を募ったファンドの詐欺罪で逮捕された。
大連実徳集団CEOの徐明は習近平の政敵だった薄煕来と、薄が大連市長時代から親しく、息子の英国留学の胴元になり、政治コネでビジネスを広げた。一時は破竹の勢いを見せ、プライベートジェット機に有名女優を乗せて薄のもとに届けたとか(名前がでたのはファンビンビンなど)、真偽のほどをたしかめようもない噂も多かった。薄失脚と同時に拘束され、刑務所で怪死を遂げた。
辛辣な共産党批判で知られ、「任大砲」とも「中国のトランプ」とも呼ばれた任志強は「華遠地産」のCEOでもあり、「中国の不動産王」を言われた。汚職撲滅で辣腕を振るっていた王岐山と親しかったので図に乗って習近平批判も展開した。
不動産価格の高騰が社会問題化すると、「貧乏人が家を買おうなどと考えるから不満が出る」、株価が高騰すると「学生が株を買うなんて100年早い」とこっぴどく批判した。
王岐山が海南集団の不正事件発覚で政治的影響力をうしなうと、任志強も拘束され懲役18年の刑を喰らった。
王岐山の政治力をもってしても庇えなかった。
2023年に世界の経済誌を騒がせたのは中国人チャオ・チャンポン(趙長鵬)が2020年に上海で設立した暗号通貨取引のプラットフォーム「バイナンス」の大がかりな不正取引だった。
中国国内では暗号通貨取引が規制されているため、他の金融商品などを扱い、アリペイやウィチャットペイ等でも支払いが出来るため、商いは急展開した。なにしろ暗号通貨市場は100兆円にもなろうと予測されていた。
当時、暗号通貨ビットコインは世界の80%を中国人が購入し、資産の海外移転をすすめた。つぎにバイナンスが目をつけたのは世界の悪党たちがマネーロンダリングに活用することだった。初期に180ヶ国12万人のユーザーは忽ちにして世界で1・5億人のユーザーに膨れていた。ユーザー数で言えば、TIKTOKに迫る。
▼世界の悪党達がマネロンにバイナンスを活用した
バイナンスは中国国内の規制がつよくなってシンガポール、ドバイ、マルタなどへ移動し、本社登記地を曖昧にしつつ、暗号通貨取引を展開、テロリスト、イラン、シリア、ハマスなどが活用した。この管理体制の杜撰さが犯罪を助長したため、米司法省から提訴され、趙長鵬は禁固四ヶ月、個人での罰金が5000万ドル、くわえてバイナンスCEOの辞任だった。バイナンスには6400億円の罰金が課せられた。ついでながらビットコイン価格はスタンダード&チャーター銀行の予測するところ、トランプ当選なら12・5万ドルにハリスなら7・5万ドルに留
まるとしている。
さて「「チャイナ・ルネッサンス」(華興資本)CEO包凡は何処へ消えたか?
2023年2月に突如失踪し、世界中が大騒ぎとなった。彼は中国初の本格的なインベストバンクを創設し、急成長のテンセント、JDコム、摘々(DIDI)などの金融面を支援して国際金融界も注目していた。
CEOの包凡(バオボン)は上海生まれで地元の高校から復丹大學を卒業後渡米し、JPモルガン、クレディスイスで腕を磨きこんだ。ロンドン、NYC、香港において国際金融に辣腕ぶり発揮し、200年にチャイナ・ルネッサンスを設立した。
行方不明ながら一年後の24年2月にCEO辞任を(獄中から)表明し、現在は別の経営陣が同社を運営しえいる。
チャイニーズ・ヒルビリー・エレジーの一幕。
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茹だる
うだるような暑さが続いていた。うだる、を漢字で書くと茹だるらしい。茹でられながら家と会社の往復をしている毎日だった。仕事量も徐々にだけど増えていて、前部署にはなかったような残業時間。あっという間に周りが帰っていたころとは違い、さすが本社だな、と思う。出退勤をお知らせしている社内チャットツールには、「お疲れ様でした」と22時に近い投稿時間に慄いた。起床時間は実家に居た頃と変わらない。身だしなみのほかに、弁当作りと朝ご飯、皿洗いが追加された。2日に1回は洗濯物を干している。実家に居る弟曰く「お姉ちゃんがいなくなってから洗濯物の量が減った。」と言われた。そんな弟から珍しく「電話してもいい?」と連絡があった。ただ事じゃないなと思い、返事をし、電話をかけると、『仕事をやめていたのがバレた』とのことだった。いや、そもそも辞めていたなんて私も知らないし。昨年末に辞めてたなんて、あんた詐欺師になれるよ、なんて言ったりもした。そんな弟とは月末に、気晴らしにでもなるかなと、都内で開催されるCLAMP展にお誘いしていた。なんやかんやで、弟は両親には怒られず(もう立派な大人だし)、無事共に行くことができた。美術館までの移動中に、仕事について聞くと、「自分の自由時間がしっかりとれるところに行きたい」と役所系を目指すと言っていた。私も過去に役所に行けと言われ、結局最終面接で落ちて今に至るんだけど、私は弟に「向いていないんじゃないか」とも伝えた。元々勤めていたところも準お役所系な場所で、上司からひどく扱われ、見合わない給料に嘆いていたから。それでもって、休職をしていたのだから、もう同じような場所で働いて疲弊している姿を見ていたくない。とそれとなく伝えたが、囚われている気がした。LINEでほぼ毎日連絡はしているけれど、弟がどうしたら幸せになるのか考えているばかりで。私の考えすぎで、それでもって迷惑かもしれないけどね。ただ幸せになることはこれからも祈っていくよ。
お弁当を1人暮らしになっても持って行っている。実家の時は母に詰めてもらっていたが、大学時代とかでも、きちんと自分で作っていたよ!なんだか、私にとって、コンビニの弁当とか、はじめのうちはいいんだけど、どんどん好きじゃなくなって、しんどくなる。(個人的な意見です)なので、修論書いているときは、自分で作る時間もなく、他で買った弁当も食べたくなくて、みるみる痩せていった。不正出血もした。私の弁当道にはこだわりがあって冷食をいれないこと。いや、便利なんだけど、母も入れるし嫌いでもないんだけど、なんだか自分の作る弁当には嫌で、ずっと手作り。きっと人生のステージが変わる時が来ればそんなことないんだろうけど。恋人のお弁当も手作りで、毎日ゆで卵2つと肉を要求される。肉というよりタンパク質かな。ゆで卵は味付けを変えるだけだけど、毎日同じの作るのも嫌なので肉はアレンジしている。月々5,000円。高いというけど、材料費と愛情と手間暇にケチるな。ゆで卵を作るのが嫌になってきて、とうとうゆで卵メーカーを月末に導入した。もっと早く導入すれば良かったと思うくらいのぷりんぷりんのゆで卵。おすすめ。私は2段のものを買ってブロッコリーだったり、温野菜もした。
恋人がパーマをかけたらブロッコリーになった🥦私はそれを気に入ってイラストにしてロック画面にしている。2周年に、とブロッコリーの恋人イラストTシャツを送り付けることにした。3XLって聞いたことないけど。
実はゆで卵の殻を剥くのがしんどかった時がある。それこそ恐怖のアンパンマンスライサー事件。恋人と話していて悩む部分がありながら新品のスライサーで胡瓜をスッスッとしていたら親指もスパッといってしまった。ものすごく血が出てパニックで涙が出たけど、今はもう元通り。生命力ってすごいね。それこそ暫くはアンパンマンの食べかけの顔状態になっていた。
弟との話に戻るが母が食べたいと昔ねだったおはぎを買いに行った。茹だるような暑さの中、噴き出す汗に弟から「お姉ちゃん汗やばいよ」と言われながらも手に入れた。カラフルで美味しい『タケノとおはぎ』サボリーマン甘太郎から私も虜だった。私の分と家族の分2つ予約して買った。
私は和菓子にはどことなく目がなくておはぎもそうだけど、あんみつだって、おしるこだって、羊羹だって大好き。昔から祖母が手作りで餡を作っていたが故に大好きなんだと思う。ういろうも大好き。昔恋人の故郷で、虎屋のういろを一本食べた。死ぬ思いだった。恋人にホワイトデーのお返しの品が返ってきていない!と言い続けたら靴と虎屋のういろコラボバッグをもらった。「○○はいつも不思議なバッグを持ちますね」と言われるけれど、好きに包まれてるんだからいいでしょう?
この前投稿した大雨事件は、とても近くで止まってしまった。結局遠回りしてついたけど、翌日に荷物を頼んだ。頼んだら宅配ボックスに詰められて???となったけど、受け取れて良かった。実家の米。私は米を買ったことがない。米を入れる準備をしていると母親からFacetimeで電話がかかってきた。早く開けて!と言われるので何かと思ったら桃が入っていた。1日置かれた桃は熟していたけど丁度レタスとモッツァレラと生ハムがいたのでサラダに入れた。甘い桃だった。
髪をバッサリ切った。いつものように赤を入れてもらって。今度からは、半年とかじゃなくて定期的に来ますね、と言うと「お待ちしております半年後」と笑ってくれた。
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今から数年前に1万円で家を売った。
5月のある朝、突然携帯電話が鳴り、誰かと思ったら母からだった。
今、A県(亡き父の実家のある県)の警察から電話があって、伯父(父の兄)が遺体で発見されたと連絡が来たとのこと。家の中を捜索していたら、母の名前と電話番号があり電話してきたと言われた。しかし、持病もあるので息子と話してみると伝えたと。
簡単に言えば、遺体の引き取りの件で連絡が来たということだ。
父は今から30年ほど前にすでに他界してる。そして父方の実家には父の兄である伯父が単身で住んでいた。年にして80歳ぐらいだっただろうか。
その連絡が来る、1~2週間前にふと気になり、母に父方の実家の名義は誰になっているか尋ねたところ、私だと言う。
祖父が昭和30年代に建てたらしいが、その祖父が亡くなり、祖母の名義になり伯父は独身で祖母と伯父の二人暮らしだった。そして祖母も亡くなり、伯父の名義になっているかと思っていたが、弟、次男である父の名義であると以前聞かされていた。
そして、父はがんで今の私の年齢のぐらいで30年ほど前に亡くなった。そこで長男である私が自動的に相続していたようだ。
その後、父方とは音信が途絶え、関わりもなくなり、まさかと思い尋ねたら私名義だったと言うことだ。
これはまずいと思い、ネットで調べてみたら名義変更の相談は最寄りの法務局でとあったので、法務局の連絡先などを調べていたところ、伯父が急死した。
警察に電話をしたところ、死後3日ほど経っているが、検死の結果、事件性もないと判断した。よって遺体の引き取りをお願いできるかと言うことだった。
ふと、考え込んでしまった。あの家の名義は私ではあるが、音信不通になっていた期間は数十年。なぜ私が?と。
そこで私が迎えに行かなかった場合どうなるのかと担当刑事に尋ねたら、無縁仏に入ることになりますと。ああ、菩提寺あったなと思い出した。しかもそこのお寺のご住職は同級生でよく遊んでいたと父からも聞いていた。
仕方ない。迎えに行きますと答えた。そこからとりあえずで準備して、そのまま新幹線に乗り、レンタカーを借り、夜中の10時過ぎに警察署についた。
当直の職員に名乗ると、ああ、とすでに理解しているようで担当の者を呼んできますといい、取調室のような、応接室へ通された。他の刑事さんがお茶を持ってきてくれた。遠いところお疲れ様でしたと言うような挨拶はしたと思う。
担当の刑事さんともう一人の刑事さんがやってきて名刺を渡され、状況の説明と見つかった所持品の説明を受けた。
庭で発見され、全く外傷はなく、さらに雨風もなかったので全く汚れなどもない状態で発見され、検死をお願いしている大学病院でも、CTなどを撮ったが内臓からの出血もなく、外傷もなく、事件性はかなり低く、さらに病気も見つからなかったと言う。よって自然死としか言いようがないとのことだった。いわゆるぽっくり逝ったようだ。庭で作業していて心臓が止まり、そのまま亡くなったらしい。
発見は新聞配達の方が新聞が溜まっているのを見て、地元の民生員さんに連絡してくれて、110番して、警察が発見したとのこと。ありがたい話だ。
そして遺体安置所へ案内され、遺体と対面した。冷凍で安置されていたためか少し霜柱が鼻などについていたが間違いなく伯父であった。
再度、応接室に戻り、今後どうされますかとのことだったのでできれば、明日には荼毘と納骨は済ませて帰るつもりだと伝えると、遺体を一晩預かってくれる葬儀屋を紹介してくれた。葬儀屋さんが来ると手際よく、ワゴン車に棺を乗せた。刑事さんたちにおせわになりましたと挨拶をし、葬儀屋さんへ向かった。
一晩預かってもらうことができ、明日に運良く火葬場で荼毘ができるとのことだった。明日の朝再びこの葬儀屋で待ち合わせとなった。
料金は一晩で25万円とのこと。後払いで結構ですのでと気を遣ってもらった(?)振り込み用紙を折りたたみ財布に入れた。
とりあえず遺体は置いておけるが問題は自分だ。0時も回って今から泊まれるところはありますかねと相談したところ、葬儀屋さんが探してくださり、駅前の東横インに泊まれると。そのままレンタカーのナビに目的地を入れて向かう。
ホテルにつき、カウンターで支払いをする。一晩朝食付きで1.2万円ほど。
部屋へ行き、スマホの充電を繋ぎ、シャワーだけ浴びて、そのままベッドへ。はー、来てよかったと思った。
朝、ホテルで朝食を食べ、再度葬儀屋へ。途中コンビニにより、ATMで3万ほど下ろした。
葬儀屋さんの案内で火葬場へ。そのまま荼毘へ。焼き上がるまでお茶を飲んで待つ。荼毘を待つのはいつ以来だ?母方の祖母か?あれ?どっちが先だったか?
そして、骨を広い骨壷に収めてもらい。挨拶をして、骨壷を助手席に乗せて菩提寺へ向かった。着いてから気づいたのだが、事前に連絡できなかったなと。
しかし、ご住職に会うと、事情は知っておりますとのことで話は早かった。このまま納骨させてくださいと伝えるとわかりましたと。その場で埋葬許可証を渡し、父方のお墓まで行き、納骨を済ませたところで、大変少なくて失礼ですが、こちらをと先ほどのコンビニでおろした3万円を包んだ封筒を渡した。ご住職はいえいえと恐縮されていたが、こちらとしても始末をつけねばならない。
そして、帰り際にこちらから、これにてこちらの家系は終わり、最後の納骨になりましたので、ひいては年度末に墓じまいもお願いしたくと申し出た。
では、年度末ごろに改めてご連絡しますとのことになった。よろしくお願い致しますと挨拶をした。
そのあとは実家周辺のお宅全てにご挨拶に行った。私は〜家の親族のものです。この度は大変ご迷惑をおかけしましたと、決まり文句を続けた。
全ての方が、まさか私が来るとは思ってもみなかったようで、どちらにお住まいの方?と尋ねられ、伯父の弟の息子で、B県に住んでいる。警察から電話が来て昨日の夜ついて、無事納骨までできたとこれも決まり文句で話し続けた。
皆一様に驚いていたが無事解決してよかったと。
その日は陽が暮れる頃に帰途に着いた。
そして、帰宅してからは「家」をどうするかと言う点だけが気になった。
無人の家に放火、居座られる(これを一番不動産屋が心配していた)、災害による周辺宅への被害は過失になる可能性があるが火災保険には入っていない。
名義は私だが何にも関係はない。住むこともない。なぜ私の名義になったのかはわかる。そして次男である父に名義が行ったのも以前から聞いていた。事情があった。その事情で伯父は孤立無縁だった。ちなみにこの時は血縁関係者は一人も現れなかった。事情は知っているが来なかったと言うことだ。
早く私としても終わりにしたいので、このご時世だ。県名を入れて、不動産売買のサイトで5社ほどに買取の件で一斉送信した。
すると買取不可が3社。仲介販売が1社。建物をこちらで解体したら土地のみを引き取りたいと言う会社が1社返答があった。
ちなみに地域的には限界集落である。バスもない、駅もない。人気もない。
仲介販売は200万円で売りに出しましょうと言う非現実的な提案だったのでお断りした。
引き取りたいと言ってきた会社に連絡をしたところ、いつ現場でお会いできますかと言う話になり、7月ならと。電気もガスも電話も固定資産税なども事情により父、母が支払っていたので、物が腐っても解体するのならいいと思った。冷蔵庫のものは知らんと。
ガスと電話、そして新聞を止めた。特に新聞は支店にも電話して丁重に挨拶をした。支店では事情を皆が知っているようで電話口の女性も同情してくださった。電話も遠くの地だと知るとさらに同情してくれた。
7月。不動産会社の方と現地で待ち合わせした。スーツを着た男性で30代半ばぐらいの方だろうか。お話を聞くと、東京で大手不動産屋さんに勤めていて、出身のこちらに戻ってきて不動産屋を開店したばかりだと言うことだった。
早速、解体について��話を家の前で立ち話でした。おおよそ200万ぐらいはかかると思うと。家の前の道が狭いのでダンプなどが入れないため、余計に費用がかかるはずとの説明だった。
さらにこちらに来る前に登記簿を取ったが、複雑な登記になっており、道から家の間にお隣の方の土地があると。
お隣の方も出てきていらして、そうそうと。登記の確認の書類を持っていた。ああ、あんた、ここの持ち主さんかい?と。わかる、わかるよと。こちらは幼い頃に遊んでもらったことぐらいしかわからないのだが。
確認書には平成一桁代、つまり父が亡くなり私が自動的に相続した時に、ついでだからどこからどこまでがどうなっているのか確認しようとなり、お隣さん主導で確認し、ビス?を地面に打ってもらったと。そして、その確認のサインがあると言う。
紙をピラっと出してきた。そこには紛れもなく、私の筆跡の名前があった。私はこんな重要な書類にサインしていたのかと。驚いた。全く記憶にない。
ではということで、解体したら引き取りということで良いですかと確認したところ、不動産屋さんが、額に手を置いてしばらく考え込んでいた。
何かと思っていたら、すみません、1万円で引き取らせてくださいと言う。
え?無料でもいいんですが?と返すも、いいえ、それが無料だと色々税金やら何やらと面倒なのでと言うことだった。
売買ではなく贈与ということになるのか?まぁともかく1万円だ。これでおさらばだ・・・と思ったが、200万円の赤字だ。プラス新幹線代、葬儀場代etc...プラス100万になりそう。
話がまとまったところで、後ほど郵送で書類などお送りしますと。そして室内に入ることにした。誰もない父の実家。懐かしい。夏休みにはこちらにきていたが、祖母と父は駅前にマンションを購入し、そこで二人暮らしをしていた。
父は私が小学5年生の時に単身赴任でこちらにきていたが、それから10何年経っても、戻ることなく癌で死んだ。のちに知ったが上司と喧嘩して左遷されたそうだ。
事情により、伯父と祖母と父の3人で住むことなく、父と祖母は家を出たようだ。それも当時は祖母の通院のためと聞かされていたが・・・。今回、死亡して色々わかった。伯父は一族から絶縁されていた。絶縁に法的根拠はないが、一切関わらないということだと思う。
ちなみに村八分は火事と葬儀は協力するが他の8割は協力しないということ。絶縁ももっとすごいと思った。
まさに独居老人だなと思っていたが、生活保護を受けて、元気に自転車を乗り回していたらしい。全くの無病で、慎ましやかに生活されていたと役所の担当ケースワーカーから聞いた。
ところで、25万と火葬費用がかかったので葬祭扶助くださいと申し出たのだが断られた。生活保護は死んだら支給停止なのでと。
は?おかしいでしょ?と言ってもダメだった。
こちらで再度調べたが、やっぱり支給されるようだが・・・。
無知なケースワーカーに当たるとめんどくさい。縁を早く切りたかったので再度役所に出向いたりするのも嫌なので、連絡を取るのはやめた。
室内は死んだ時の状態そのままかなと思えた。布団は万年床になっている感じ。
小さなブラウン管のテレビがあるところに布団が敷かれていた。
電話は薄緑色の回転式の電話。これ。
NTTに解約の電話をしたところ、最後のお支払いで「買取」をしてくれればそのまま捨てても良いとのことだった。数百円だったと思う。で、そのままにしておいた。
問題はこれから真夏の7月に電気を切るので、冷蔵庫の中身だった。
物は独居老人だったので少なかったが、腐り始めているのもあって面倒だったがコンビニで買ったゴミ袋に全て突っ込んで捨てた。
ちなみに靴は脱がなかった。足の怪我が怖かったし、もう思い入れもない。
以前からあった場所に仏壇があった。そこには父からの手紙もあった。どうやら色々と揉めていたらしい。90年代の手紙だった。~の親族には挨拶に行けなど指示的な内容が多かった。
差し出しの住所は父が癌で入院していた病院だった。そして、仏壇の引き出しからは、若い頃の祖母と父、伯父、見知らぬ女の子が写っている写真が出てきた。
その女性は戦前食糧難の時に青梅を食べて食中毒を起こして亡くなったらしいと聞いている。
伯父は結婚したものの、一人娘を交通事故で亡くしており、その後離婚。相手方を見た記憶は私にはない。
さらっと家の中を片付けて、このまま全て処分してくださいとお願いした。
あ、あとケースワーカーから聞いていた、保護費が振り込まれる口座のある銀行にお金が少しは入っているのでそれを葬儀代に当てて欲しいと言われていたので、印鑑と通帳を見つけた。すぐに見つけられるところにあるのは、男一人って感じ。
ではと解体をお願いし、その足で銀行へ行ったところ、受けてくださった行員さんは大変困惑し、私は一体何者なのかという点と、すでに死亡しているので相続の問題があるとのことだった。
何者かを証明するには戸籍謄本などが必要だが・・・と。しかも相続の対象になるかどうか、ここの口座から引き出すことも閉じることも、事実上不可能だと。
相続の対象者は過去に離婚した奥様、そのお子さんなど全てで、私が現金を手にするには、その全員から印鑑をもらわないととダメだという。すると不可能なことになる。これが億などの大金なら、弁護士や何やら雇って解決する方法もおすすめできるが、おそらくそんなに多くはないはずで、他の多くの方もそれで諦めてしまうことが多いと。そのお金はどこへ?と聞くと、不明金として一旦本社に行き・・・おそらく国庫かとという回答だった。
しかし、そこで行員さんが少々お待ち下さいと、上席の方に相談してくださり、支店長まで来てくださり、今回は支店長決済ということで、私の身分証明書、伯父の印鑑、通帳があれば、引き出しと解約をさせていただきますとのことだった。大変助かった。
引き出せた金額は一桁万円。しかも年金だった。保護費は残っていなかった。つまりこの金額だから、支店長決済で対応もらえたのだと思った。
年金が振り込まれているが・・・。これはどうすればいいのかと銀行の方に尋ねるも、これは年金事務所へ行っていただかないと分かりませんということだった。
車で数十分、最寄りの年金事務所へ行った。事情を話したところ、全くどうなるか、わからない、本体の年金機構に尋ねるので時間が欲しいと。どれぐらいかかりますか?と尋ねると。わからないという。
では、年金機構の対応部署を教えて欲しいと尋ねるも、わからないという。どうやって尋ねるのですか?と聞くと、わからないですという。じゃあ、とりあえずどこに尋ねるかわからないけれど、相談は受けるということか。
じゃあ連絡待ってますと伝え年金事務所を後にした。
その後、半年経っても何も連絡が来ないので、年金事務所に連絡したが、わからないという。年金機構のどこに連絡したのかと聞いてもわからないという。
もう流石に話にならないので年金機構の問い合わせに電話したところ、そのような事情はわからないと。担当部署が対応していると思うので年金事務所がそう言っているのなら、連絡を待って欲しいと。え、担当部署はどこですか?と尋ねると、年金機構でもわからないという。あの、仕事していますか?
その後、今に至るまで連絡なし。私は葬儀代として考えている。これから返せと来ても一生かけて争ってやる。
さて、家のその後だが、7月に解体のお願いをして、8月に永田町の司法書士事務所にて1万円で売買した。その時に司法書士の立ち会いのもと行われましたという旨が書かれた書類をもらい、名義変更も終わった。これで何があっても私の責任は無くなった。
これで終わりだと思った。一応不動産屋からは解体が終わったらご連絡しますと言われていて、9月とか10月には来るのかなと思っていたら、次の年の2月に連絡が来て、メールには解体されて更地になった土地の写真が添付されていた。土には雪が積もっていた。
今、ストリートビューで見てみたが、まだ家が残ってる。とても嫌な気分だ。
追記、その年度末には一通の手紙が税務署から届いた。何か不動産の取引をしましたよね?納税はありませんか?と。ない、むしろマイナスであると書き込み返信した。すごいよ、税務署の仕事ぶりは。年金機構も見習って欲しい。
1万円で家を売った - カメラが欲しい、レンズが欲しい、あれもこれも欲しい
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関西コミティア71に出ます
発行物のイベント委託は時々していたのですが、直接参加は9年ぶりです。久しぶりすぎる。イベント内容詳細は下記の通りです。
関西コミティア71
https://www.k-comitia.com/
開催日:2024年10月20日(日)
会場:京都パルスプラザ 大展示場
サークル名:STOWAWAYS
スペースNo.A-29
一応新刊が出る予定です。サークルカットには「幻想文学みたいな漫画」と漠然としたコピーがついていますが、タイトルまだ決めてないけど温室で働いている人がだめになっていく様子を描いているだけの漫画です。描いていて自分でもジャンルがよくわからないので「幻想文学」という便利ワードを使いましたごめん。
時々描いている緑色の温室絵のシリーズの漫画版ではあるのですが、この作品を語るとき、その世界観とかキャラクターが具体的になんであるかはあまりこう、重要ではなくて、こういうヴィジョンが生まれた原因がいろんなコンテンポラリーダンス観ててそのせいという、非言語の表現でとくだんオチはないがなんらかの意味方向に意識を向かわされる、そわっとする気持ちになる現象をずっと見てるだけのかんじ、現象が、ある、というのを漫画の体裁でやっている、ていう説明しづらい産物なので、そんなかんじでよろしくお願いいたします。セリフはある。漫画なので。ジャンルなんなんだろうね。なんだろう? 一応ファンタジージャンルで申し込みました。『せんせいとぼくと世界の涯』も置くから間違いではない。
いつも通り、自主制作の漫画はwebでも読めるようにしますので、読んでみてから購入を検討していただければと思います。イベント前までにはアップします。
既刊『せんせいとぼくと世界の涯』、イラスト冊子の『逢断』らくがき帖も持っていく予定です。
また、森林公園さんの小説『リンネルは『森』の中(準備号)』も当スペースで頒布予定です。
私が登場人物の絵を描いている森林公園さんのホラー怪奇小説『異形『怪』道中』の絵柄の無料配布ポストカードもありますので、無配だけでも貰いに来てください。
新刊の通販は11月に参加するwebイベント、紙本祭6にあわせて頒布開始予定です。
紙本祭6
開催日:2024年11月02日(土) 19:00〜2024年11月03日(日)
会場:ピクリエ
サークル名:STOWAWAYS
スペース:マップ2 え2
開催日が近くなりましたらお品書きも含め改めてお知らせいたします。
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投資家に蹂躙される日本
2024年7月21日 01:19
40代女性
「先生が以前書かれた『粉末ワクチン』の記事の中で、「リニューアルした商品に気を付けて」とありました。私もこれについて、思うところがあります。
https://note.com/nakamuraclinic/n/n21ec27aaf126
国産のサプリをいくつか飲んでいるのですが、最近やたらとリニューアルされていて、おかしいなと思っていました。調べてみると、ほとんどすべてのメーカーで、投資家が関連した動きがあることに気づきました。
たとえば、私、小林製薬のナットウキナーゼを飲んでいるのですが、これ、今月リニューアルされました。ほら、パッケージが変わったのは見ての通りですが、原材料を比べても何も変わってない。それで、相談窓口に電話すると、「成分に変更はありません。パッケージだけの変更です」と。なぜこんなことするのかな、妙だなと思いました。
ご存知の通り、小林製薬は紅麹問題でメディアから散々叩かれました。その理由としては、いろいろ言われていることは先生もご存知の通りです。
「本当はワクチンが原因の死亡を紅麹のせいにすることで小林製薬叩きのネタに使ったのではないか」とか「日本文化である発酵食品全般のイメージ低下を狙ったのではないか」とか「ヨウ素とか本当にコロナに効く商品開発に取り組む不都合な企業なので攻撃されたのではないか」とか「小林一族とその財団の持ち株比率が高くて外資から見てコントロールしにくい会社だから狙われたのではないか」とか。
どれもありそうな説ですが、私としては、最後の『外資系による攻撃説』に一番説得力を感じます。この記事を見てください。
ものすごいことがさらっと書いてあるんですが、分かりますか?
香港の投資会社(オアシス)が「株主還元の向上、非上場化、ガバナンス改善に向けたオアシスとの協力」という3つの選択肢を提示した。
どういうことかというと、「株価が低迷して困っているようだから、助けてやろう。ただし条件がある。取締役会にうちから送り込む外部役員を迎え入れろ。そして、もっと俺ら(株主)の言うことを聞け」要するに、小林一族の影響力を排除してもっと儲けたいと思っている。究極的には、小林製薬の乗っ取りを狙っているわけです。
オアシス・マネジメントという投資会社は、グローバルハゲタカファンドの代表格です。こういう外資系ファンドがその気になれば、一私企業を潰すことなんて簡単ですよ。なんといっても、アジア通貨危機のように、国家をデフォルトに追い込むことさえできる連中ですから。
自分で騒動を仕掛けておいて、評判が低下してダメージを受けたところで、「助けてあげましょう」とやる。彼らの常套手段です。
オアシスの提案に対して、小林製薬がどのような応答をしたのか。それは分かりません。突っぱねたかもしれない。あるいは、飲んだかもしれない。飲んだとして、具体的にどんな条件を飲んだのか。たとえば「このサプリの製品工程でこの物質を混入させろ」といった指示が出たとすれば、、、
私としては、まったく意味のないパッケージのみのリニューアルが不気味です。何かの合図かな、と思ってしまう。だから怖くて、買えなくて、飲めない。リニューアル前に買い溜めたストックがなくなったら、もう飲むのはやめようって思っています。
最近あった別の事例としては、こんなのがあります。
北越コーポレーションは、紙とかパルプ製品の製造販売をしている会社で、この会社に対してオアシスが社長解任を要求した。「社長のワンマン経営のせいでこの会社が本来持っている企業価値を実現できていないから」という理由だけど、実態は、単なる乗っ取り工作です。外資ファンドによる敵対的買収です。日経新聞が普通に報じてるけど、大問題ですよ。本来は。
幸いこの一件については、北越コーポのバックに大王製紙がついたことで、外資に飲み込まれずに済みました。でも、これからもこの手の攻撃は続きますよ。北越コーポだけではありません。日本の優良中小企業のすべてが彼らの攻撃対象です。
日本人社長の優良企業に対して、攻撃を仕掛け、弱体化したところで、ファンドが「助けますよ」と手を差し伸べる。「ただし条件を聞いてくださいね」と。オファーを受けると、確かに売り上げは急上昇、株価も上がる。ビルは大きくなり、資産も増える。しかしやがて、役員がすげ替えられ、最後は社長解任。乗っ取り完了。
北越コーポは、ひとまずしのいだ。でも小林製薬は、よくない方向に持っていかれた可能性がある。そこの安全性が不安だと、サプリは飲めません。
投資会社は、まず最初、国営企業を狙います。実際、国鉄もやられたし郵政もやられました。その次は、民間の大企業で、あとは中小企業。特に、独自の技術を持っている優良な個人経営者を潰します。最後は、個々の国民。「はい、せーの」の号令で、一斉に全員にワクチンを打たせて、殺すなり病気の種を仕込むなりする。まもなくみんな死ぬから、葬儀場や火葬場にしっかり投資しておく。ハゲタカファンドが日本の富を吸い上げるための構造が、すでに着々と準備されているわけです。
先生、コロナの犯人は誰だと思いますか?いったい誰が何の目的でこのコロナ騒動を起こしたのでしょう?
私、小学生の娘がいるのですが、学校でいまだにマスク着用を求められたり体温を測られたりするので、学校に抗議の意味で電話しました。「いったい誰の指示でこういうことをしているのですか」と聞くと、もごもごと口ごもって要領を得ない答えが返ってくる。「特に誰ということはありませんが、、、」私が厳しく問い詰めると、電話口の担当者は、何かの資料を見たのか、「感染対策協会です」と急に明瞭な返答があった。それで、さっそく感染対策協会に同様の質問をしましたが、やはりよく分からない回答が返ってくるばかりでした。
コロナを仕掛けたのは誰なのか?誰も分からない。一番知りたいところが、見えない構造になっているんです。
私としては、��人は「グローバル投資家」だと思っています。「ロスチャイルド」とか「ビル・ゲイツ」という答えではピントがボケています。結局のところ、暴力を使って人を脅したり盗んだり詐欺をしたり、というのは投資家がやっています。企業の裏、政府の裏にあるのは、すべて投資家です。彼らが私たちの税金を奪って大儲けしています。
本当のことをいうと、日本はもはや国の体をなしていない。株式会社日本なんです。株式会社であるということは、株主がいます。つまり、この国は、海外投資家のものです。日本だけれども、日本人のものではありません。
そのことを典型的に示すエピソードがあります。たとえば、日本国内でコロナワクチンについて研究することはできません。それで、日本政府はイタリアに研究依頼を出した。ネズミにルシフェラーゼで標識したコロナワクチンを注入する実験がありましたが、あの実験は日本国内で行われたのではありません。なぜなら、日本は株式会社だからです。株主の反感を買うような研究は許されないのです。
もっというと、日本人の労働の成果は日本人には還元されません。株主に還元されます。我々日本人は、海外投資家のために労働し生活しています。
メディアはこれを指摘しません。だから、この構造に誰も気付かない。
いえ、正確には、団塊ジュニア世代(1971~1974年生)、あるいは、ポスト団塊ジュニア世代(1975~1981年生)あたりまでは、かつての豊かな日本を知っています。投資家に蹂躙される前の、日本の富がきちんと日本人により享受されていたのを知っている最後の世代です。
しかしこの世代以降の日本人は、豊かな日本を知りません。日本が今後ますます貧困化していくことはほぼ確実で、かつての豊かな日本を知る人もどんどん亡くなっていきます。すると、貧乏であることが当たり前であり、海外投資家の奴隷であることを当然のように受け入れるようになります。
生まれながらの奴隷は、もはや、反抗のために立ち上がることはできません。
だから、今、声をあげるべきは、私のような団塊ジュニア、先生のようなポスト団塊ジュニアです。今、投資家によってどんどん日本が壊されている、買われていることに対して、しっかり反発しないといけません。でないと、この国は本当に終わってしまいます」
投資家に蹂躙される日本|中村 篤史/ナカムラクリニック
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日経新聞の特集記事の「間違い」
坂本氏は、(1)「生き残っていれば、世界と戦えた」とか、(2)問題は「資金力だ」と発言したが、全く事実は異なる。調査結果で論じたように、異常なまでの高コスト体質のエルピーダが倒産したのは必然である。「坂本社長のエルピーダ」は淘汰されたのである。資金力の問題ではない。収益率の低さが問題であり、収益を出せない技術にこそ問題があり、そこに経営のメスを入れることができなかったことが致命傷になったのだ。
日経新聞の(3)「エルピーダの破綻劇は、官民が巨額投資を伴う長期戦に耐えられなくなった構図」というのも間違っている。繰り返すが、過剰技術で過剰品質をつくり、歩留り100%を目的にする、そのエルピーダの企業体質が問題だったのだ。
東京理科大大学院教授の若林氏の(4)「DRAMの技術や最終製品の動向を、当局や金融機関が十分に捉えられていなかった」や(5)「日米貿易摩擦の記憶が残る日本」などは、全く的外れな指摘だ。もっとエルピーダの技術の実態を見て発言してもらいたい。
萩生田経産相の(6)「世界の半導体産業の潮流を見極めることができず、適切で十分な政策を講じてこなかった」という発言もどうかしている。昨年(2021年)6月1日の衆議院の意見陳述でも述べたことであるが、経産省は呆れるほど「合弁、国プロ、コンソーシアムをやり続けた」のである(図5)。そして、全部失敗した。「経産省が出てきた時点でアウト」なのである。その反省をなぜしないのか?
図5 合弁、国プロ、コンソーシアム、全部失敗した
(出所:半導体シェアのデータはガートナーおよび一部筆者予測)
(7)TSMCの誘致を奇貨として日本での産業基盤を強くするためには「「設備にしても開発にしても『カネ』と『ヒト』だ」という経産省の西川課長、『ヒト』を育成してからTSMCを誘致すべきではないのか? 順序があべこべだろう。そして、(8)「九州では人材育成の準備を急ぐ」というのは、あまりにも泥縄すぎるだろう。
筆者が日経新聞の特集記事を読んで、うんざりした理由が分かっていただけただろうか?
「マイクロンになってよかった」という社員たち
坂本氏、日経新聞の記者、東京理科大大学院教授の若林氏、萩生田経産相、経産省の西川課長には、EE Times Japanの記事「『Micronになってよかった』という言葉の重さ」(2019年7月8日)を、目を見開いて読んでいただきたい。そして、「Micronになってよかった」という言葉の意味をよく考えていただきたい。
筆者も、2019年に広島で国際学会があった時、旧エルピーダで現マイクロンジャパンの社員たちから、「マイクロンに買収されて本当のDRAMビジネスが理解できた」「エルピーダが倒産したのは不運だったのではなく、当然の帰結だ」「外資企業となった現在は完全な実力主義であり、実績を上げれば昇進・昇格・昇給できる」「仕事は大変だが充実しており、エルピーダ時代がいかに甘かったかが実感される」ということを聞いた(「中国は先端DRAMを製造できるか? 生殺与奪権を握る米国政府」EE Times Japan)。
このような実態を理解せずに、日本半導体産業への政策などは、一切行わないでいただきたい。それは税金の無駄遣いであり、何度も失敗の歴史を積み重ねることになるからだ。本当に、もう、うんざりなんです。
まだそんなことを言っているのか!間違いだらけの「エルピーダ破綻の原因」 あれから10年、まったく生かされていない“教訓”(7/7) | JBpress (ジェイビープレス)
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2024年5月7日(火)
夜来の激しい雨も出勤時には小降り、車に乗ろうとするとガレージ隅っこに追いやられているたった一株のアジサイが自己主張をしている。ををそうか、立夏となって君の出番がやって来たのだね。梅雨にはまだ間があるが、その時の活躍を予感させるような瑞々しさ。これから毎朝挨拶して、日毎の色の変化を楽しませていただこう。では、行ってきまーす!
5時45分起床。
洗濯。
朝食。
弁当*2。
可燃ゴミ、20L*1、30L*1&45L*1。
ツレアイ(訪問看護師)は先方の都合で、7時15分に合羽を着て出勤。
ヤクルトさんから、野菜ジュース購入。
8時10分、O姉と一緒に出発。
順調に到着する。
昨日の<情報機器の操作Ⅰ(看護学科)>のネットワーク基礎テストの採点、入力課題のチェック、e-learning修了証の確認。
午後のスタディスキルズ(第4週)の進め方を確認する。
火曜日3限・4限は<スタディスキルズ(看護学科)>、2クラスとも��席無し。今日の課題は図書館での資料検索と本の読み方、OPACとNDCについて解説と実習、新聞社説を用いた<要約文>作成のトレーニング。連休の疲れか、あくびするもの多し。
帰路も順調、O姉とは拙宅で別れ、彼女は近所の<喜楽亭>で買い物して帰るとのこと。
ツレアイは朝が早かった分帰宅も早く、あれこれ買物や片付けをしてくれていた。
私が夕飯の準備を始めると同時に、ツレアイはココに点滴。
豚バラ肉と新タマネギ・新キャベツの蒸し煮、鱧皮と胡瓜の和え物、さんだかんの焼きソーセージ、見切り品の焼売、レタスとトマト。
録画番組視聴、
春・予讃線、伊予鉄道を呑む!
初回放送日:2024年5月2日
俳優・六角精児が「酒」と「鉄道」という偏った視点で旅する▽予讃線と伊予鉄道で春の愛媛を満喫▽創意工夫をこらした酒の数々と海の幸に舌鼓!▽語り・壇蜜
「呑み鉄(のみてつ)本線・日本旅」第34弾は春の愛媛▽今治から宇和島まで、海と花に囲まれた予讃線にたっぷり乗車▽愛媛の花から分離した酵母で造った酒の味は▽伊予鉄道市内線のクラシックな路面電車に感激▽マダイ、サバ、ブリ、サザエ…四国ならではの新鮮な海の幸に舌鼓▽京王電鉄3000系との再会▽写真映えで人気のあの駅も▽日本酒酵母で造るラム、ピンクの酵母で造る純米酒▽八幡浜の魚市場で豪華バーベキュー
枝雀落語大全、昨日の続きで<持参金>。
片付け、明日の夕飯用にストウブで<無水地鶏カレー>を仕込む。
入浴、体重は250g減。
パジャマに着替えて日誌書く。
バランス良く3つのリング完成。
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コピー本交換会レポート(でもない)①
コピー本交換会ありがとうございました! 早いもので1ヶ月経ってしまった。
2月は本棚展をやったり寄稿するアンソロの〆切×2があったり忙しく、自分主催のアンソロも動き始め、3月に入ったらJ.Gardenもありそのほか生活のもろもろもあり…ずっとドタバタしている。自主開催するイベントってほんとはもうちょっと身軽なときにやるものだったかもしれないなあとは思いつつ、身軽なときというのはなかなかやってこないので、えいやっとやってみてよかったようにも思う。
というかいちばん初めのところでは、えも個展&本棚展への集客につながったらいいなーというちょっと下心みたいな気持ちで始めたことではあったので、会期中の2月に開催したのはそういうわけでした。
つまずく本屋ホォルの深澤さん、mibunkaの吉田さん、快く会場を貸してくださりありがとうございました。わたしの要領を得ない説明をいつも辛抱強く聞いてくださり、コピー本って何?交換ってどういうこと?というところからしっかり会話ができて、とてもうれしくありがたかったです。
わたしが「なんかもっと格好いいイベント名をつけたかったんですけど思いつかなくて…」とぶつぶつ言ったとき、「コピー本交換会ってとてもいいと思いますよ」と吉田さんが背中を押してくださりありがたかった。いろいろ準備したり当日を過ごしたりするなか、今回のイベントはそういうまんまの名前が必要だったんだなあと思い至りました。コピー本を交換するということだけ決まってて、来た人はそれぞれいろんなスタンスでいていいというか。
打ち合わせに何度かお伺いしたのですが、いつもいろんな方がにこやかに出入りしていて、本当にいい雰囲気のお店だなあと思います。お店は地域生活応援団という地域住民主体の支え合いの場、有償ボランティアさんの拠点でもあって、イベント会場に貸していただいた2階スペースはふだんコワーキングスペースにしているとのこと。近所の方が「霞ヶ関の父」っていう傾聴ボランティアをやってらして、��広い世代の方で賑わっていていいなあと思います。
本当にとても正直な気持ちをいえば、そういう「地域」「地元の人」と密接な場所におじゃまするのはけっこうドキドキします。わたしは自分の作品にセクシャルマイノリティのことをたくさん書くので、生身の人間が顔を突き合わせる場、住所や容姿や年齢やもろもろ属性と紐付きやすい場に作品を持っていくのはとても緊張する。いま家からかなり近いところで貸本棚をやっているけど本当におそるおそるという感じで、もちろん悪いことをしているわけではないしうしろめたい表現というわけではないんだけど…「地縁」的なものになんとか馴染もうとするときに切り捨てられがちなものが気にかかる(そういうものを小説にしている面がある)。
ホォルさんはいま住んでいる場所からは離れているんですが実家の近くではあるので、イベントを開催したり自分の作品を並べたりするのはいろいろ感慨深いものがありました。怖さ、照れ、恥ずかしさ、でもここで自分がこういうことをできるようになったんだなーという喜び。また少部数のコピー本だったりzineだったりは書いた人のパーソナルな部分が出やすいものではあるから、自分含む参加者がリラックスして話せることを大事にしたかった。セーファーな場づくりをしたかった。
深澤さん吉田さんがわたしのそういった葛藤や、zineにまつわるデリケートさをみたいなものを汲んでくださりつつ、本当に快く場を開いてくださりとてもとてもうれしくありがたかったです。イベントが明るくオープンな場になったのはホォルさんmibunkaさんの常日頃からのお店づくりによるものが大きいと思います。ホォルさんの選書にもそういった姿勢があらわれていて、大らかで気骨のある場所だなあと感嘆します。
なんかこのレポートすごく長くなりそうなので何回かに分けようかな。ひとまず今回は余談のような話をしておしまいにします(もはやレポートでもないんだけど、ちゃんと書こうとするとえっらい時間がかかりそうなので、ともかく考えたことを垂れ流しにしているような感じ…)。
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ホォルさんのある角栄商店街の通りに合鍵と靴修理のお店があって、そこで5円コピーというのをやってたんだよね。白黒と単色カラーが5円で、色紙(色上質紙)に刷ると6円だったかな。中学��のころ友だちとそこに行ってペーパーを刷ってたの。
ペーパーっていってもべつに何か宣伝するとかでもなくて、なんかこう…各自が好きな漫画とか音楽とか身の回りのこととか、いろいろおしゃべりみたいなのを書いた手書きの紙。30枚とか40枚とか刷って、学校の友だち同士で交換したり、同人誌のイベントのフリーペーパーコーナーに置いてみたり、好きなバンドのライブとかファン同士の交流会?みたいな場で名刺と一緒に交換したり、郵便で知らない人と交換したり…。
こないだ実家を掃除したらそういうのが出てきて、GLAYのJIROのラジオで紹介されてたスマッシング・パンプキンズのAdoreってアルバムがよかったとか、恋する惑星を観たから香港に行ってみたいとか、そんなようなことを書いていた。いまとあんま変わんないかもしれない。
同じ頃、部活の後輩から毎日手紙をもらっていて、ルーズリーフやコピー用紙にぎっしり書かれた手紙だった。夜に書いたのを朝にくれて、授業中に書いたのを昼か夕方にくれて、1日2通の手紙。わたしの返事は5回に1回返すかどうかって感じだったんだけど、毎日まめに手渡してくれて、なんか話したいことがあったんだろう。わたしにそういう高頻度で手紙をくれる子はほかにも4人くらいいて、毎日たくさん読んでいた。どの子の手紙も深刻な話はあんまりなくて、だいたいは日記というか雑談というか。
あとその頃よく行っていたCD屋で店員さんが新譜紹介のフリーペーパーを自主的に作っていて、これまた手書きの手作り感あふれる感じの紙だった。新譜紹介といいつつ「これぜんぜん好きじゃない」とか「もうこれで解散してもいいくらい最高」とか思いっきり主観で、余白にはどこそこに行ったとか何を食べたとかの雑談も書いてあって…。
わたしはふだん同人誌やzineを作って文フリなどのイベントや書店で販売してるんだけど、今回のコピー本交換会は、こういうペーパーや手紙が頭にあった。売り買いとはちょっとちがうやりかた、むかし作っていたペーパーみたいなことってできるのかな。これは去年6月に参加した陰気なクィアパーティーでzineの交換会をやってすごくいいなと思ったのもあったし、以前umeさんからいただいた交換がテーマのzine(umeさんは本の交換所をやっている)を読んで考えたことでもあった。売ったり買ったりではないことをしてみたらどうなるだろう。売ったり買ったりできないものを作るってどんなだったっけ。
金銭のやりとりの方がコミュニケーション自体はラクだろうか。交換だと人対人になりやすいから結局のところコミュニケーションが達者かどうかになっちゃうんだろうか。買う(読む)側としては匿名でいたい気持ちはすごくある…なら金銭を介したやりとりであるべきか。いや売り買いであっても、規模の小さいイベントだと人対人のコミュニケーションになりやすい。11月に出店者10組だけのzineイベントに出て、「あなたは誰?」「この本は何?」という会話になりやすかった。場が親密になればなるほどそうで、それ自体はとても豊かな時間なんだけど、属性と作品がまっすぐ結ばれるのってちょっと危うさはあるなと思った。そして作り手側もそういうプレゼン?にあっというまに慣れちゃって、自己プロデュースのうまさみたいなことになりがちなのも気にかかる。属性、作品、宣伝、SNS、ビジュアル、会話…そういうものがしっかり噛み合い、「わたしは◯◯で、△△な作品を作っています」がいつも首尾一貫している。一言で説明できる。なんかわかりやすすぎないか。整いすぎてないか。自らと作品をじょうずに寄せにいっちゃってるけど齟齬があってもよくないか。あと買う側の人も自身のことをけっこう開示してくれて、わたしとしては会話ができるのすごくうれしかったけど、無理に話させてないかとちょっと心配にはなった。べつにあなたが何者であっても(なくても)わたしの小説を手に取ってくれるのはうれしい。でもそれだけではいられない、何か話さなきゃって圧が場に生じてるんだとしたら、けっこうきついことかもしれない…とか(ところで陰気なクィアパーティーはそういうのがなくてすごく居心地よかった。会のはじめにセーファースペースポリシーを読み上げてくださって、場にいた人がおたがい了解していたのもあったし、たぶんそのあたりに関心の強い人が多く参加していたのもあったと思う。すごいことだなあと感嘆したしほっとした)。
あるいは売り買いの宣伝の話。文フリとかzineフェスとか書店さんとかで小説を売るとき、多くの人に見つけてもらえるよう宣伝をするわけだけど、なんというかまあけっこう大変だし疲労はある。たとえばアンソロジーだと、コンセプトの強さだったり、フックの効いた言葉やビジュアルだったり、作品や作家の紹介を丁寧にやったり、メンバーの豪華さをアピールしたり…いろいろあるわけだけど、ちょっとちがうことをしたくなった。これはそういうのがよくないという話ではなくて、ちがうベクトルのことをしてみたらなんかいいことあるかもなあくらいのぼんやりした予感。
文芸作品、とくに小説は、読むのにそれなりの負荷がかかると思う。作品の難解さとはまた別のところで気持ちや時間のコストが大きく、「なかなか読めない」という話を作家同士でさえ本当によく聞く。そうすると作品や作家周辺の「活気」みたいなものがけっこう重要ではあって、何か賞をとった、SNSでよく見かける、みんなが話題にしている、みんなが工夫をこらして強い文言で「いい」って言う、そういう祭りや波が読むことへの後押しになる。活気があるのはいいことで、わたし自身すごく楽しんでいるし参考にもしている、かなり恩恵を受けている部分もあるけども、祭りや波から生じる権威大好き感がちょっと苦手ではあって…。権威大好きはちょっと言葉が悪いか。でも沈黙や絶句が、ほんとに沈黙や絶句のままでいられないのはなんかちがうなというか、心の柔らかいところをまいど律儀に開示しなくてもいいし、そもそもそんなに激しく感情が動かなくても楽しんだり感じ入ったりはあるわけで、まして誰々のお墨付きとかじゃなくてもいいわけで…。大傑作とまでは思わなかったけどほどほどに楽しんだ、ちょっといいなと思った、そういうことはぜんぜんあるというかわたしはだいたいの作品はほどほどに面白がってるんだけど、それをまんま口にするとちょっとけなしているみたいに聞こえてしまいそうだなと思う。なんかこう活気を起こそうとする中でちょっと「褒め」がインフレしてねえか…と思う。要するに、祭りや波的なものとはちがったやりかたでの読んだり書いたりが必要な気がしている。
(これはあんまり整理できてないし、活気を起こそうとがんばっている人たちをくさしたいわけではないので、ほんとにまとまってない話で恐縮なんだけど。参加してるアンソロ10000000部売れてくれ〜とかわたしもぜんぜん言うし、人と一緒に作ってるときはおたがいを鼓舞する意味合いも強いのはわかってる。もしかしたらみんなそんなことはとっくに了解していてあえて強い言葉をやっているのかもとも思うけど、わたしはその「あえて」をやり続けられるのってそれなりに元気な人だけじゃないかなあとは思ってしまう…元気じゃない人も文芸をやりたいし、実際勝手にやってるんだけど、「やってる」ということを他人に見せていくのは大事かなと思って言っている)
余談と言いつつすごい長くなってしまった(むしろ余談の方が長い)。
えーと今回のコピー本交換会、わたしはいくつかzineやペーパーを持って行って、そのうちのふたつ『tide』と『プロテスト・モノローグ』はあんまり売ってない本です。
『tide』は陰気なクィアパーティーでのzineの交換用に作ったもの。短い小説をいくつかと&セクシュアリティにまつわるぼやきみたいな文章をまとめたもので、通販はしてなくて文学フリマにも持って行ってない。zineフェス長野には持ってったかな。べつに過激なことが書いてあるわけじゃないんだけど自分的にちょっとナイーブな話はしてるから、こういう本がありますよって宣伝するとなると勇気がいるなーと思う。
『プロテスト・モノローグ』はパレスチナへの連帯について考えてることとかのひとりごとみたいなzine。コピー本交換会のどさくさにまぎれて作ったような感じで、ほんとの走り書き。あんまりおおぜいに売るものではないなーと思った。勿体つけるわけではないんだけど、なんかこうちゃんと発信しようとすると発信するための言葉や話題になるわけで、そうじゃない話、「どさくさ」でないと出てこないような話をする必要があるなと思ったというか…。
そういうものを手渡す場所をやろうと思った。交換する本を机に並べて、気になったものを手に取って読んだり持ち帰ったりできる。しゃべりたかったらしゃべれるし、黙って本だけ交換して帰ってもいい。閲覧用の本も置いておいて、読書の時間にしてもいいし本作りのヒントにしてもいいし…。
それがうまくいったのかどうか、当日わたしはドタバタしていてじつはよくわかんないんだけど、ちょっとずつ振り返っていければと思います。
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【重要】 AiS#3参加辞退のお知らせ
こんばんは。delemです。
表題の通り、10/6(日)開催予定のArts in Sanity#3へのサークル参加を辞退する運びとなりました。運営状況が不透明な状態でサークル参加することに不安があり、十分な準備が難しく生活にもやや支障が出始めていること、また同様の理由で一般参加いただくにも心苦しい状況であることが主な辞退理由です。告知した手前大変申し訳ない……。
新刊の予定だった漫画については、全貌をweb上で公開できるよう引き続き準備を進めます。幸い原稿作業自体はモチベを多少落とした程度で進めていけそうなので……。
同人誌としての発行、ならびにグッズの頒布についてはしばらく保留になると思います。別のイベントに参加するか、あるいはごく小規模に通販を実施する形になるかと思いますが、いずれにせよ年末以降になると思う。その時はまたご連絡します。
以下は個人的な反省会。
オンオフ創作二次含め初めてのイベント出展になる予定でした。手探りも楽しみつつやってきたのですが、想定にない理由で残念な結果になってしまった。申し訳ありません。通販と並行してイベントに来られなくても大丈夫なようにする、本のページ数を制限して無配にするなどイベントの参加バリューを少なくする、といったプランも考えていたのですが、どうしても予定外の負担が発生してしまうため全体を諦める形にしました。
オフラインの二次創作イベントに初めて一般参加したのがAiS#1だったので、出るならここと思っていたのですが……今思い返すとイベントホームページの更新が遅れていたり、長らく(今も?)#2のインフォメーションが残ったままだったりと、芳しくない運営状況が伝わってくる状態ではあったのかもしれない。その辺りは情報収集と検討不足でした。
ちなみに、イベント参加歴がそれなりにある友人に、入金の連絡が1ヶ月前になっても来なかった旨を伝えたところ、「(話には聞くけど)そんなことあるんだ……」とのことでした。レアケース引いてしまったね。個人開催だとリスクが上がるというのはそうなのでしょう。
お品書きも初めて作りました。辞退の告知で出すものでもないのですが、せっかくなので雰囲気だけ掴んで行って。文字と数字で読みやすい字体が違う、背景色とのコントラストが重要などの発見があったので、今後に活かします。
幸い原稿はギリギリだったため(?)、またアクスタは試作1点のみに留めていたので在庫は持たずに済んでいます。ポストカードだけ最初から多めに印刷してしまったのですが、まあおまけなので……年賀状でも出すか。原稿の確認不足で不備も出しました。本当に申し訳ない。漫画の入稿の練習も今回の流れのついでにできたらいいなと思っています。
流通や天候の状況を鑑みて入稿する必要があるということも今回の学びでした。今後より天候が厳しくなった場合、またオンラインイベントが増えるのかなと思ったりもしています。喜ばしいことではないですが……。
そんなわけでイベント出展についてはだいぶ懲り懲りの気持ちになっていたのですが、温かいお言葉をいただけたこともあり(本当にありがたいこと……)、また元気をためて機会を伺ってみようと思います。その時が来たら、もしよければ遊びに来てください。
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Persona 3 Club Book Pawlonia Mall people pages scan and transcription.
ポロニアンモールの人々
People of Pauloownian mogol
月光館学園に隣接する巨大ショッピングエリアのポロニアンモールは、買い物と娯楽の一大スポット。タルタロス探索の準備のためだけでなく東の間の息抜きにもふさわしい。
黒沢巡查 辰巳東交番
港区の辰巳東交番を守る地域課の巡査。かつては敏腕のエリート巡査として知られていたが、正義感のあまりに10年前の桐条研究所事故の真相に深入りし、出世の道を外れた。
だがそのときの捜査によって真相に警察機構の手に負えない、人外のモノの存在を感じ、以降は独断で関係者と接触し、事件解決のサポートを行なうようになる。
なお巌戸台地区に配属されたときの最初の担当案件は、真田兄妹の入寮していた孤児院火災事故の再捜査だった。結局この事故もとくに人為的な点は見当たらずに決着しているが、そのときに現在の真田との関 係がつくられた。
基本的に非番はなく、昼は交番での勤務と武器の横流し販売、夜は担当地区一帯のパトロールと、とにかく黙々と働く男。毎週月曜日にご機嫌で値引きしてくれるのは、勤務明けに彼女とのデートが待ってい るから······かもしれない。
話しかけるのを躊躇させる強面の巡査。見かけによらず港区の平和を心から願い、特別課外活動部員への武器提供を請け負っている。
寡黙な平和
の守り手
眞宵堂店主 眞宵堂
隠棲の美人
科学者
断片的ではあるが港区で起こる事件のカラクりを知る数少ない人物。黒沢巡査とは桐条がらみで知り合い、頻繁に情報交換をする仲。
趣味で集めた骨董品を売る、凄みのきいた笑みが魅力的な女性。
学生時代から考古学を専攻していたのが縁で、桐条鴻悦が存命のころ、非公式計画の中核であった「エルゴノミクス研究所」の研究所員として、岳羽詠一朗の下で研究の一端に関わっていた。おもな研究は、過去のシャドウ関連の記述や痕跡を考古学的見地から分析・���析するもの。中心研究から一歩引いたところにいたことが、早期に研究 の問題を知ることとなり、事故の起こる数年前には研究所を去っている。しかし研究の真相を知りながら、その事実から身を引いたことに呵責を感じていて、桐条の膝元の土地を去れずにいる。そんな自分の迷いを自嘲し、店の名前を「眞宵」堂と名づけた。
上司であり師弟関係にもあった詠一朗には、妻子ある相手と知りながら道ならぬ感情を抱いていた時期があり、彼がすべての罪を負わされる形で世間的な決着がついていることも、彼女の桐条への複雑な感情をを助長しているようだ。
青ひげ店主 青ひげ薬局
欧米型ドラッグストアがこの国に根を下ろして十数年、今やすっかり市民権を獲得した中、昔ながらの対面販売式「薬局」としてがんばる、青ひげ薬局の店主。洗練された雰囲気を全面に押し出す新興のショッピングエリア・ポロニアンモールの一等地にて、このスタイルを貫く心意気はさすが。顧客は若者はもちろん、仕事帰りのサラリーマンや、いろいろ不具合に悩むお年寄りまで、幅広い年代をカバーしている。
仕事柄幅広い医薬品を扱ってはいるが、なにを置いても養生がいちばんという、東洋医学に基づいた主張をもっている。その証拠に料理の相談を持ちかけると、医食同源の秘蔵のハブの干物を熱心に勧められたという、部員からの報告あり。
店主渾身の青汁スムージーは販売1年目には罰ゲームのネタにされるという不幸な歴史を持つが、本人はその味わいと健康的な価値とに自身を持っている様子。
家庭の医学の体現煮
立派なひげをたくわえた恰幅のいい店主。豪快な人柄と取扱商品の怪しさにただの薬屋ではない気配がただよう。
ヤリ手の女性記者 ポロニアンモールほか
ペンを武器に三流ゴシップ誌で戦う女性記者。全国的に広がりつつある謎の社会現象の真相に、たったひとりで挑んでいる。その行動力と洞察力で、無気力症患者の発生のメカニズムにいち早く着目したほか、月の満ち欠けと無気力症患者の増減や、無気力症拡大と桐条グループ関係者たちの動向との関係をかぎつけるなど、本来桐条の関係者にしか知り得ない真相に徐々に迫りつつある。そのため上司や「さるところ」から圧力をかけられることも多数あり。それが彼女の自由報道への情熱に一層拍車をかけているようだ。年末に向かって無気力症が猛威を振るうようになっても、さらにそこに謎を解く鍵を見出す、恐るべきバイタリティの持ち主。
無気力症におちいったタクシー運転手の間近でも冷静に状況を分析。報道に携わる者の鑑。
記者eyes
事件の気配をいち早く見分ける千里眼!!
記者brain
巧妙に隠された真相を見抜く冴えた頭脳!!
記者heart
おばさんと呼ぶと無反応になる乙女心!!
記者suit
体を張った取材に耐える丈夫な素材!!
記者hand
記事を書きなぐる武器!ペンだこは勲章!!
記者pumps
走っても足を痛めない低めのヒール!!
●図解!デキる雑誌記者!!
●女性記者の真実への軌跡
老いてますます盛んな老人 噴水広場
日がな一日、噴水のそばに腰を下ろして遠くを見つめるお爺ちゃん。多少弱々しく見える現在からは想像もつかないが、若いころは結構な女泣かせだったらしく、会うたびに盛んに「若いころにはギャルと遊べ」と力説される。このところ、かつての友だちがひとり、 またひとりと冥土に旅立ち、寂しさを隠し切れない様子。ポロニアンモールを訪れて無事な姿を確認するたび、「元気でよかった」を胸をなで下ろさずにはいられない、噴水広場のシンボル的存在になっている。
影人間が増え出す時期以外は一年を通してこのベンチで過ぎ去った時間を思い返している。
聞かせて!おじいちゃんの武勇伝
ビー・ブルー・ヴィーの店員 ビー・ブルー・ヴィー
感度の高いアイテムで、月高生をはじめとした地域の女子高生に人気のアクセサリーショップの、カリスマ店員。彼女の提案する小物使いは、必ずといっていいほど10代女子のハートをがっちりつかむ。見た目の派手さに反して、気さくな人柄と丁寧な応対で、相手の目線で接客する態度が好感度高し。自然と恋愛相談を受けることも多くなり、客同士の人間関係や恋の成り行きにはちょっと詳しいようだ。信条は「おサイフに優しい値段でセレブ感のあるオシャレ」。
クレーンゲームの月高生 ゲームパニック前
齢17にして初めてクレーンゲームを知り、世間から10年以上遅れてやってきた、景品釣りのスリルと興奮に盛り上がり中の男子生徒。友だちの誘いもむげにして、熱心に攻略方法を研究しており、影人間が徘徊を始める時期以外は、青春の貴重な時間と多くない小遣いを、その娯楽に費やしてポロニアンモールで過ごしている。かつて一世を風靡したこのゲーム、最盛期には亀や伊勢海老まで景品になっていたのは本当の話。
買い物途中の主婦 噴水広場
夕方の買い物の途中で油を売っている主婦ふたり組。日々成長する子どものしつけと教育問題に頭を悩ませている。家事と買い物で疲れたと言ってはたびたびお茶に繰り出しているらしく、ポロニアンモールや巌戸台商店街の飲食店には、月高生以上に詳しい。
●髪を結った主婦
高校2年生の年頃の娘を抱える母親。勉強そっちのけで��シャレに凝り始めた娘にあきれ顔。
●髪の短い主婦
中学3年生の息子を持つ母親。月高を目指しているが不穏な事件続きで躊躇気味。
Syuhu's COMMU
高2の娘 ← シャガールばっかり行って!← 髪を結った主婦 買い物友だち
髪の短い主婦
ご近所さん? 購買のおばちゃん
→ 目指せ月高!→ 中3の息子
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<正論>防衛費の数字ありきは見直しを
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
危ぶまれる抜本強化
2月19日、防衛省の有識者会議で座長の榊原定征経団連名誉会長は「為替変動を考えると、5年間に43兆円の枠で防衛力強化ができるのか。現実的な視点で見直す必要がある」と問題提起した。
令和4年12月16日、国家安全保障戦略、国家防衛戦略、中期防衛力整備計画、いわゆる安保戦略3文書が策定され、5年間の防衛費として約43兆円が閣議決定された。この時、為替は1ドル108円で設定されていた。現在、1ドル約150円で推移しており、43兆円が決定された時に比べ、円の価値はドル建てで約3分の2に下落している。
海外装備品の調達率が高い海上自衛隊、航空自衛隊は大きくこの影響を受ける。物価高騰の影響も加わり、装備品の調達価格は高騰し「防衛力の抜本的強化」が危ぶまれている。これに対し木原稔防衛相は2月20日、「必要な防衛力強化を(43兆円の)範囲内で着実に行うことが防衛省の役割だ。計画の見直しは考えていない」と述べた。また鈴木俊一財務相も「あくまで有識者の立場からの意見だと認識している。(略)政府としてこの水準を超えることは考えていない」と榊原発言を否定した。
本当に「43兆円」という数字ありきで「防衛力の抜本的強化」が可能なのだろうか。4年12月、岸田文雄首相は次のような趣旨を述べた。
「我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。厳しい安全保障環境に対応していくために必要な防衛力の抜本的強化を実現し、真に国民を守り抜ける体制を作り上げる。国民の期待と信頼に応えられるよう、防衛力の抜本的強化を必ず実現していく」
「43兆円」「GDP2%」についても「数字ありきの議論をしてきたということはない(略)まず行ったのは、防衛力の抜本強化の内容の積み上げ」と述べている。「積み上げ」は「各種事態を想定し、相手の能力や新しい戦い方を踏まえて、現在の自衛隊の能力で我が国に対する脅威を抑止できるか。脅威が現実となったときにこの国を守り抜くことができるのか。極めて現実的なシミュレーションを行った」という。
「43兆円」固執は本末転倒
積み上げられた所要防衛力を精査した上で、防衛費に換算した結果が「43兆円」であるから、換算するパラメーター(為替など)が変動すれば当然変わり得る。目的は、「防衛力の抜本的強化」であり、「43兆円」や「GDP2%」の達成ではない。
「防衛力整備計画」にも「情勢の変化等の不測の事態にも対応できるよう配意する(略)必要に応じてその見直しを柔軟に行う」とある。「43兆円」に固執し、円安で「防衛力の抜本的強化」が達成できなければ、本末転倒である。
一層の効率化、合理化を図って円安に対処すべきだと安易に主張する向きもある。だが既に徹底した効率化、合理化で精査した結果の43兆円であり、円安で目減りした3割を、更なる効率化、合理化で埋め合わせよというのは、非現実的で無責任すぎる。
「43兆円」という数字ありきは時代錯誤の「基盤的防衛力構想」を想起させる。この構想は米ソのデタント(緊張緩和)に便乗し、昭和51年から我が国の防衛力整備に導入された。日本自らが「力の空白」になって地域の不安定要因とならないよう、独立国として必要最小限の防衛力を保有するという構想である。脅威も危機事態も想定せず、「力の空白」になりさえしなければいいという、国を守ることを真剣に考えない、いわば当事者意識の欠けた考え方だった。
抑止への資源投入をケチるな
「GDP1%」ありきだったため、慢性的予算不足は続き、「限定的かつ小規模な侵略に対処できる」「後方支援体制を含む防衛上必要な機能を備える」は空念仏に終わった。現在の後方軽視、つまり弾薬不足、修理部品不足といった致命的な継戦能力不足の原因はここにある。防衛力は戦える能力を備えて、初めて抑止力になる。「GDP1%」ありきの「基盤的防衛力構想」が日本の抑止力を弱体化させてきたのは否めない。
ロシアのウクライナ侵略が勃発し、北朝鮮はミサイル発射を繰り返し、台湾海峡もきな臭くなり、国際情勢は一変した。ウクライナ戦争でも分かるように、戦争はいったん起きれば、これを終わらせるのは戦争を起こすよりはるかに難しい。戦争を起こさせないことが最も重要であり、抑止への資源投入をケチったりしている場合ではない。国際情勢は待ってくれないのだ。
円安や物価高騰で防衛力強化が危ぶまれている今、「43兆円」に固執して抑止力への投資を渋るのは、安保3文書策定の議論を根底から覆すものである。ようやく無責任で独り善がりな「基盤的防衛力構想」が払拭されたばかりである。その2年目にして、先祖返りしていいわけがない。やはり、榊原氏が主張するように「現実的な視点で見直す必要」がある。(おりた くにお)
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現部署には今日が最終出社だった。
拠点が一点化したというのに新拠点に今回が2回目であっという間だった。セキュリティに守られた扉に前回「○○さんの分」と渡されたカードを戸惑いながらパネルにかざす。おはようございます、と言いながら入ると、「今日はこっちに出社なんだね��と言われ、最後なんです!というと笑っていた。新部署への手続きと引継書を作成していると、「○○さん宛に本社から届いてます」と封筒を手渡され、なんだろうと横に座っていた後輩と怪訝ながら開けると感謝状が入っていた。どうやら昨年度のリクルーター活動が評価されたらしいが、今年も続けるので別に…と思った。午後から急遽入った母校向けの再来年度入社向けのリクルーター活動が入り、資料を更新しながら、適当に話す手順を決める。いつの間にか発表に対して緊張しすぎることは無くなったね、と自分を褒めた。オンラインにて説明を行うとたまたまそれを聞いていた上長から褒められた。来年度向けの説明会の結果何人かエントリーし見事に勝ち取ったらしい。多分その評価等も含め感謝状なんだろうけど、私はた��たまアドバイスや説明をしただけで、すごいのは当人達だよ。
引越しの準備も片付けも段々現実味が帯び、いよいよ今月末には実家を出る。東京に帰る!とあんなに謳っていたのに、いざ目の当たりにすると少し怯んじゃうな。況してや第一希望に行けると思っていなかったから余計に。不安と期待と共に自律神経が乱れ、精神的な体調不良が続いている。そういえば入社当初も数キロ痩せたことを思い出し、いつでもどこでも年数を重ねても慣れないものは慣れないんだなあ、と思う。初心忘るべからずなのか。
異動だからと仲良くしてもらった先輩から欲しかった物品をもらい、後輩からもプレゼントをもらった。別の部署の上長から「○○さんと仕事がしたかった」と連絡が来て、その事を両者知っている上司に話したら「それだけ○○は必要とされている事だし、そのことは自信に変えて頑張りなさい。これまでやってきた周りからの本当の評価なんだよ」と鼓舞された。
人のために、役立てるように生きていきたいことは中学の頃からずっと変わっていない。
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2024年9月6日金曜日
病院の待合室にて26
九月の水
朝/晴れ/パン/トラ/ミケ/CIAOちゅ〜る/身支度/ストレッチ/日焼け止め/お母さん/ミケ/お見送り/ちょっとひとりぼっち/軽自動車/高松空港/売店/山田屋のうどん/喫茶店/鶏のみぞれ唐揚げ定食/保安検査場/飛行機/飛行機から空港へのバス/羽田空港/東京モノレール/浜松町駅/大門駅/大江戸線/麻布十番駅/警察/迷子/護送車/ビジネスホテル/チェックイン/ズボンに汚れ/着替える/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/よかったら座りますか?/大丈夫です/三鷹駅/折りたたみ傘/ビル/スペース/新千円札/友達/エル・デスペラードのTシャツ/烏龍茶/歌/ギター/ジャガー/コントラバス/ドラム/12弦ギター/鍵盤/本気/unrest/歌/ジャズマスター/フルート/EB/クラリネット/バスーン/ドラム/ソプラノサックス/鍵盤/二十年/DNA/アンサンブル/成立/ちょっとひとりぼっち/雨/三鷹駅/中央線/NHK-FM/アーマッド・ジャマル/四ツ谷駅/南北線/麻布十番駅/雷雨/消防車/ゴッサム・シティ/ローソン/ビジネスホテル/ネバネバそば/サラダ/シャワー/YouTuber/LGBTQ+/寛容/不寛容/差別/チャット欄/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
朝/晴れ/納豆巻/サラダ/ストレッチ/身支度/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/吉祥寺駅/友達/中華料理屋/味付き卵/春巻/豆苗炒め/青島ビール/ジャスミンティーみたいな味の烏龍茶/夏になると茄子を読む/吉祥寺って自転車乗ってると/パンケーキ/コーヒー/禁物/外/クィアたち/ボーイズ・テクスチャー/完成するまでの過程/短歌/フェスセット/Arcaかわいい/高速移動/免許/北海道とかにある標識とか何もない真っ直ぐな道/事故った時にヘラヘラしないこと/Aka/透明ドロップ/be master of life/300部/版元の人/権利関係をややこしくする人/探偵/トぶ人/仕事中に飲酒する人/仕事中に大麻吸う人(CBD的な合法的なやつかも)/吉祥寺駅/井の頭線/ミーのカー/どんなものでも君にかないやしない/渋谷駅/工事/利権/消費者に皺寄せ/日本すぎる/ログアウト・ボーナス/仕事辞めたひと前来て?/失恋したひと前来て?/プライベート・スーパースター/曲先?詞先?/浮いてる/代引/慣れろ、おちょくれ、踏み外せ/本屋/バッジ/生きる演技/ノット・ライク・ディス/翻訳/あなたがたに話す私はモンスター/講演/抗議/連帯/波打ちぎわのものを探しに/鍵/商品と私物のあわい/細かく話を聞いたら全然私物/アイスコーヒー/オレンジジュース/親切人間論/これってデザイン誰/祖父江慎/クッ…/元ネタ?/アイドルの部屋/アイドルヲタの部屋/天才/ヴァレリー 芸術と身体の哲学/引用/装置/どもる体/本屋の人しか開けられない下の棚/いいんですか?/……/本に写真がない/なくてもみんな分かるから/じゃがたらも?/ジョン・ケージ 著作選/ケージ - 通路 - デュシャン/誰もわかってくれない/でしょうね/ケージとキノコの写真/ケージかわいい/面白い人の誤解は面白い/つまんない人の誤解はつまんない/ナボコフ読んで蝶大丈夫になった/チェス・プロブレムはわからない/詰将棋も/どうぶつの森/気のせい/料理本を戦わせる/これがフリー素材の/鳴き声以外食べれる/ベケットは読まれていない(ゴドー以外)/お会計/ポッドキャスト/配送できますけど?/絶対お願いしたいんですけど/これも買っていいですか?/生きる演技/お支払い方法とか聞いた?/ベトナム料理屋/フォー/生春巻き/ロータスティー/今日はパクチーありません/どうして?/台風で/ショック療法/Over Drive/YUMEGIWA LAST BOY/ラズベリーB面説/後輩を集めて読書会/カラオケとか行かないと思った/どうして?/私が行かないから/犬いっぱい/月曜日お店休みかと思ったー/最近は開けてるんですよ/月曜日お店休みかと思ったー/あー最近は開けてるんですよ/谷/ビル/しゃぶったチンポの長さの合計フィート数vsエンパイア・ステート・ビル/警察近くて便利だったのに移転した/店が?/警察が/喫煙所/男根ロゴス中心主義/六本木駅/ちょっとひとりぼっち/六本木一丁目駅/南北線/麻布十番駅/ローソン/ビジネスホテル/シャワー/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/スーパーサンクス11800円/思いの丈をぶつける/ベッド/四時頃/睡眠導入剤/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
(2日目の写真これだけ…)
朝/曇り/身支度/納豆巻/サラダ/チェックアウト/麻布十番駅/大江戸線/大門駅/浜松町駅/東京モノレール/各停/羽田空港/かけそば/ミニ天丼/東京ばな奈/ANA BAGGAGE DROP/あらゆる場所にアルコールが……/アカシアあるんや/展望デッキ/コーヒー/読書/保安検査場/空港から飛行機までのバス/三十分以上の待機/書類の不備により飛行機にご案内できません/飛行機から空港までのバス/ご案内の準備が整いました!/空港から飛行機までのバス/飛行機/予定より一時間ほど遅れての出発となりまして誠に…/高松空港/予定より二十分くらい早く着いたので結果四十分の遅延/荷物受け取りレーン/軽自動車/家/トラ/CIAOちゅ〜る/お茶漬/真鰯の焼いたん/揚げ出し豆腐/シャワー/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
何もかも/記憶しておくことは/不可能だけれど/歌にしておけば/歌うたびに/思い出せるのかも/しれない/最後に一曲/作詞作曲/アントニオ・カルロス・ジョビン/歌/エリス・へジーナ/三月の水/
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私は、誰でも知ってる米国半導体メーカーのマーケティングに在籍していました。日米半導体摩擦や浮動小数点演算回路のバグ騒ぎでの無償交換騒ぎも経験しました。ですので、ある程度の定見はあると自負しており(愚痴が主体ですが)思う所を書かせていただきます。 NECが8080AFを出した頃には、不思議な事をするなぁ…程度にしか考えていませんでしたが、その頃から業界標準を先行他社に握られた追従側は、標準となったデザインを越える事は容易ではなく、業界標準の側は賛同者を囲い込んでエコシステムを構築しますからユーザーは標準以外の流れに手を出すのに大きなコストがかかり既に主流のデザインにロックインされるのです。 最初はFUJITSUやNEC、TOSHIBA、HITACHIなどの通信機や産業機械メーカーが日本の半導体事業を主導していましたが、やがて1980年代以降、日本の大手家電メーカーが事業部としてDRAMの製造で参入しました。ランダムロジック製品を作りたかったのでしょうが、メモリ製品が日本半導体の主流になります。この辺りからおかしくなりました。彼ら経営者は半導体産業を全く知りません。ただ、他社と同じ事をすれば、とりあえず大きく出し抜かれずに、事業として継続できると考えていたようです。私目線では、異常な事態が起きはじめました。1社が新たな工場を建てると発表すると、直ちに他の全てが同じ事を言い出して、それぞれが最新鋭のDRAM工場を建てるのです。1年半から2年��には供給過多でDRAM価格は1/3~1/5に値崩れしました。予想した通りです。そこで全社はDRAM価格が戻るまで一切の新たな生産設備への投資を控えました。2年ほどするとDRAM価格が戻りました。そこで各社一斉に控えていた工場の新設を再開しました。新たな工場が稼働するまでの1.5~2年間でDRAMはそれまでの数倍の高値になります。そして工場が稼働すると価格は急落しました。これが「シリコンサイクル」です。こういう事を4回ほど繰り返していました。家電メーカーの半導体事業部ですから、大赤字を出しても家電の売り上げで支えられたようです。日本の新聞やTVでは「シリコンサイクル」を引き起こした張本人たちをただの1度も糾弾しませんでした。 そして2000年を前にして、日本の家電は世界市場から徐々に締め出されるようになります。本業の家電が不調なので、半導体事業部への新規技術開発費は絞られて行きました。こうして日本のDRAM…そしてFlashメモリのビジネスは緩やかな老衰死を迎えたのです。 敗因の最大要素は、家電メーカーの中の1事業部が半導体産業を牛耳った事です。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」を本気でやっていたのです。事業部長や社長は、他社と異なる経営を行って失敗すれば責任が問われる。他社と同じようにしていて赤字なら、それは「シリコンサイクル」という怪物のせいだから仕方がないと言い抜け出来る。欧米の半導体メーカーは2年程先の需要を予測して生産設備の投資をしました。それが当たり前なのです。普通の産業はそうします。最近だと、コロナ不況がそろそろ収まりそうだから、新規投資を計画する所が出始めています。コロナ不況が完全に収まるまで待っていては他社と競合するだけで旨味はないのです。 半導体業界を知らない人は、単なる思い付きや想像を元に、日米半導体摩擦によって日本の半導体ビジネスが叩き潰されたような妄想を抱き、平気で公言しますが、100%まったくのデタラメですね。時系列が10数年ほどズレているのです。米国政府が日本叩きをやってからの数年間が最も日本のDRAMが隆盛を極めた時期でした。何でもそうですが、政府が出しゃばって産業界が得をする事なんてほとんどないのです。それは日米自動車摩擦でも同様でしたね。 そして、日本政府が企画した半導体共同開発プロジェクトや大学の新規技術を信じてしまった点も失敗の原因です。各社とも、金ヅルになりそうな技術は半導体開発プロジェクトに出しません。開発途上で停滞した技術を出すのが多い。そして業を煮やして第一線級のエンジニアを共同開発プロジェクトに出せと迫りました。その結果、企業本体側の第一線級の研究開発が停止しただけでした。東京大学のTRONも大はずれでした。TRON用半導体という話がチラリと出たのです。私も資料を読みましたが、そもそもOSのはずなのに基本入出力…つまりキーボードや画面表示やシリアルポートの制御ソフトは各企業で作れ…と言う仕様です。バカです。マジで呆れました。どの辺がOSなのか分かりません。それを20年や30年も日本の国産OSとして自慢してきました。 PC-9801の話とか幾らでも書けますが、ほとんどが愚痴ですね。半導体からズレるし……。 . で、ちょっとだけ半導体シェアの事を。 日本の半導体生産が今でもそれなりに大きく、昨年は世界全体の6%という事です。20年の国別半導体市場シェア米国55%でトップ、日本は6% | 電波新聞デジタル しかし、そのほとんどが40nmや65nmといった今から22年~25年ほど前には最先端だった5世代から6世代ほども遅れたプロセス技術を用いた最底辺の半導体製品であり、日本の自動車産業や家電メーカーとの長年の付き合いでダラダラと続いている類のものです。骨董品級の半導体製造装置を使っていますから、おそらく台湾や中国の学生だって大学での実習ではもっとマシな新しい装置を使っているでしょう。そういうレベルまで落ちている日本が、どうやって起死回生させられるのか、私には全くわかりません。半導体復興に基金創設を 兆円単位も視野―自民議連:時事ドットコム jp.reuters.com/article/growth-strategy-idJPKCN2DE0TT
日本はなぜ半導体事業で世界に遅れてとってしまったのでしょうか?に対するTainaka Shigeruさんの回答 - Quora
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