Tumgik
#午後もご安全に
kennak · 2 months
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに���を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、��数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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Sean bienvenidos, japonistasarqueologicos a una nueva entrega en la que hablaremos sobre el asunto de Japón y las aguas residuales al mar una vez dicho esto pongan cómodos que empezamos. - Hace poco están en todos los medios de comunicación del mundo, que Japón tiene luz verde por la ONU para verter agua tratada en la planta nuclear de Fukushima en el accidente acontecido en 2011. - Hay más de 1.000 tanques y 1,34 millones de toneladas, posiblemente al 98% de la capacidad, además se está analizando el agua de mar y los alrededores de la central nuclear, actualmente se está analizando la concentración de tritio, los resultados estarán disponibles el día 25 por la tarde, previamente se habían tomado muestras de agua de los depósitos dando como resultado que era seguro, pero posiblemente tendrían que haber esperado más tiempo. - La población japonesa, se manifiesta al respecto porque esto va a generar problemas a largo plazo a la economía mundial. China suspende todas las importaciones de productos del mar japoneses, no se iba a quedar de brazos cruzados ¿Qué opinan ustedes al respecto? - Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones que pasen una buena semana.
考古学の日本研究者の皆様、ようこそ!今回は、日本と海への汚水問題についてお話しします。
最近、日本が2011年の福島原発事故の処理水を海洋投棄することを国連から許可されたことが世界中のメディアを賑わせている。
タンクは1000基以上、134万トンあり、おそらく容量の98%であろう。また、海水と原発周辺は分析中で、現在はトリチウムの濃度が分析されており、25日の午後に結果が出る予定である。以前は貯水池から水を採取し、安全であるという結果を出していたが、おそらくもっと待つべきだったのだろう。
日本国民が抗議しているのは、これが世界経済に長期的な問題を引き起こすからである。中国が日本産水産物の輸入を全面的に停止したのだから、黙って見過ごすわけがない。 これについてどう思う?
お気に召していただけたなら幸いである。 それではまた、良い一週間を。
Welcome, japonistasarqueologicos to a new installment in which we will talk about the issue of Japan and sewage into the sea, that said, make yourselves comfortable and let's get started. - It has recently been all over the world's media that Japan has been given the green light by the UN to dump treated water into the Fukushima nuclear power plant from the 2011 accident. - There are more than 1,000 tanks and 1.34 million tons, possibly at 98% of capacity, also the sea water and the surroundings of the nuclear plant are being analysed, currently the concentration of tritium is being analysed, the results will be available on the 25th in the afternoon, previously water samples had been taken from the reservoirs giving as a result that it was safe, but possibly they should have waited longer. - The Japanese people are protesting because this is going to create long-term problems for the world economy. China suspends all imports of Japanese seafood, they are not going to sit back and do nothing. What do you think about this? - I hope you liked it and I'll see you in future posts. Have a good week.
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chikuri · 1 year
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英エコノミスト誌は安倍首相事件のあと、テロリストの英雄視に警鐘を鳴らす記事を公開しました。この記事の予想通りになってしまいました。「彼の歪んだ犯罪は、嘆かわしいことに効果的だった。これにインスピレーションを得た悪意のある人物が、きっと今後罪を犯すだろう」 エコノミスト誌だけでなく、たとえばNZのアーダーン首相は2019年、テロ事件に対し「ニュージーランドは犯人の男に何も与えない。名前もだ」と発言しています。 これに対して日本では「テロリストが犯行に至った背景を解明するのも大事」という意見が出ています。すでに週刊誌系のネットメディアからは、今回こんな記事も出てきています。 文春オンライン。 小ぎれいな一軒家で母と過ごす、ギターとガーデニングの日々。テロリズムとは全く無縁に見える24歳の青年は、なぜ突如凶行に走ることを選んだのか――。 現代ビジネス。 しかし……「発明が好き」「社会をよくしたい」と考えていた少年が、その十数年後に「自作の爆弾」を作り、「社会を混乱」させることになるとは。 いったい、木村容疑者の人生はどこで屈折してしまったのだろうか――。 ここに問題が浮上してきています。それはなにか。 テロリストの動機などを解明するのは大事だとしても、こうした記事はテロリストの半生を「物語化」してしまうのです。 「物語化」とは、映画やドラマや小説の中の主人公のように扱われることです。物語化されれば、記事を読む側はテロリストに感情移入しやすくなる。それがテロリストの英雄視につながってしまう。これはたいへん危険です。 ここは英雄視につながるような物語化をせず、冷静にテロリストの行為を分析した記事が書かれるべきでしょう 誰しもさまざまな苦労をしながら人生を送っていますが、だからといってだれもがテロリストになるわけではありません。テロリストの半生の屈折をことさらに取りあげて「社会が悪いからテロリストになった」というような物語を勝手に付与してしまうと、それは容易に英雄視につながってしまいます。 社会が悪いと感じても、人生に苦労が絶えなくても、それでもぐっと我慢して平凡な人生を送っている人のほうが圧倒的に多いのです。「社会が悪いから、人生がつらかったからテロリストになった」という安易な物語は、多くの日本人に対して失礼ではないでしょうか。 それでもテロリストの記事を書くのであれば、たとえば彼がどのような本を読み、どのような記事を読み、SNSでどのような人をフォローしてきたのかといった、メディア的な論点からの分析などを冷静に行ってほしいと思います。決して物語化するのではなく。 「英誌が警鐘 安倍を殺した「ダークヒーロー」山上に続く者が現れるだろう」 https://courrier.jp/news/archives/314952/ 午後3:17 · 2023年4月16日
佐々木俊尚さん / Twitter
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sweatsstuff69 · 16 hours
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おはようございます。
エロいことはなーんにもない連休でしたが、そのぶん体調はすこぶる良いようです。はい、すみません。負け惜しみです。
Tumblrでは、皆様の貴重な成功&性交体験を知ることができるうえに、さらに貴重な失敗体験も教えていただけるので、とても感謝しています。かくなる私もここ十数年、数々の失敗を繰り返してきました。そのなかでも記憶に残る大失敗を思い出してみます。
『私の失敗談シリーズ①』
■プレイ開始からわずか2時間後、間違えて相手の方��イかせてしまい、午前2時に解散。「外が明るくなるまでいていい」と言われたのですが、申し訳なくて帰宅することに。住宅街だから安全だろうと歩いていたら、突然、目の前の横道から黒と白の車が出現。驚いたものの、盗みをはたらいたり人を殺めたりしたわけではないと気持ちを落ち着けてゆっくり歩きました。幸運なことに車は私を追い越して夜の闇に消えていったのです。
■某駅トイレの個室の中で大切なモノの確認をしていたら、いきなり扉をノックされ、「駅員です! 何かありましたか?」の声が。無言でいても怪しまれるだけなので、慌てる気持ちを抑えて「なんでしょうか?」と返しました。すると駅員さんが「非常ベルを押しましたよね?」と言うではありませんか。どうやら私の大きめのカバンがベルを押していたのです。私は平謝りで手違いであることを告げ、駅員さんも納得してその場を去ってくれました。
失敗はまだまだありますので、お恥ずかしい限りですが、シリーズとしてお届けしたいと思います。
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taka-1103 · 8 months
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1月14日夕方から誰か↑て楽しめる人
居ませんか?と、ここにも載せて置いたのですがメッセは無く…今回はのんびり家で犬と過ごすしか無いな…と思って居たのですがwそこは折角相方が3日間も居ないと言う事と、ほんの少し🧊を持って居たので使いたかった…ここが駄目ならX105か
ナイモンしか無いと18日から載せて見た ギリギリ引っかからずに↑でと解る様に…
18日は駄目で19日にも載せて見ると1人連絡が来て午前中から出来ると思ったのだが出来れば夕方からが都合が良いと言われ夕方迄待って見ると更に遅くなると…その間にも載せて募集はして居たので夕方又別な人から連絡が先に連絡貰った人には他に決まったんでとメッセ送り後からの人と会う約束をして…そうやり取りして居ると遅くなったけど今から行くので混ぜて欲しいと断った人から連絡が来て…俺は後からの人と10位突いて楽しもうと話しして居て俺の手持ちが多分13位しか無かったのでシェア出来ないしと言ってのですが、もう1人の人はシェアしてくれないだろうか?と言うので後からの人に事情を話しして少しならと言う事になり俺は金は払わないと困ると伝え、結局3人でヤル事に、俺↑で複数って初めてで不安でした。そして夜20時位に待ち合わせて俺の家でキメセク…初めにモノ持って無くてシェアと言った人は少しでも良いと言う事だったので5入れたけど全然効かないと言う事で直ぐに追加3入れたけど、それでもシラフだと…俺と後から連絡くれた人は10入れたので先ず先ずは効いて居て、始めは来て貰った2人でキスしたり何か良い感じぽくなって居たので複数だとこうなるのが嫌だなぁ…と思ったりしましたが後から連絡くれた人はケツモロカンだと聞いて居たのでケツを責めてやると気持ち良さそうにして初めに連絡貰った人はカマグラ持ってると言って居たので飲んだのか?どうかは解らないがマラギンギンに固く↑も効き悪いとは言って居たのも有るのか?俺は勃起してるんだからケツ掘ってやれよ!生で!欲しいんだろう?と聞くと欲しい生で!と言ってたけど掘る事はせずにキスしながら自分で扱いてザーメン出して…
その後身支度始めて帰って行きました…
俺は手持ちが無いので初めての🅿さんに連絡して、前から問い合わせはして居てメッセ貰ったりして居たので夜なので明日の朝になら届けられると言う事で後から連絡くれた彼に届いたら返すから少しシェアして欲しいと言うと好きなだけどうぞと言われ朝迄に5を2度追加して…
その彼はフェラすると勃起してくれて
手マンを凄く喜んでくれてケツイキすると…激しいベロチューの嵐 強く抱き合うだけで気持ち良いのは初めての経験で彼にマラ握られてるだけで我慢汁出まくって来るし…朝になり少し↑届けるの遅くなると言う事で追加はせずに待って昼前に最寄り駅迄受取に行き届いたばかりの🧊をお互いに7突いて…良品だと言って居たが先ず先ず良い感じの品物でした
それから夕方迄キスにフェラにケツと楽しんで彼は最後にザーメン連続で2発出して俺も彼の口に出して…シャワー浴びた後2人で横になり又キスしたり抱き合ったりして…マジ↑やって初めて気持ち良いと思ったキメセクの相性良かったのかも知れない…又会えると嬉しいけど…家も近いし…それにしても気持ち良かった身体中全部で気持ち良かった…
思い出しただけで今でも興奮する
本当に最高に気持ち良くキメセでした…
又会えてキメセ出来たら良いのだけど…
あんなに気持ち良いと後引きますよねw
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xx86 · 6 days
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グラニテ
9時29分、上司は私に声をかけず会議室へ入って行った。なんか不倫してるみたいだなあと思いながら、9時半ちょうどに会議室のドアを閉める。私、どこですか、と単刀直入に聞くと、異動先の部署をすぱっと伝えられた後、お察しの通り異動ですと付け加えられた。私は勘は悪い方では無い、と思っている。気が遠くなるほど数多ある部署の中から、最悪の異動先をいくつかシミュレーションし覚悟していたので、意外な異動先に安堵して変な声が出た。
取り急ぎ、異動内示解禁当日の午前9時半に告げてくれる上司の配慮に感謝し、とって付け加えられてくほんとであれば前置きであっただろう評価の話やら異動希望出して��かったと思うけどというフォローを聞き流し、結局組織都合なので拒否権は無いというシンプルな発言だけすっと頭に残った。まあそうだよな。別にわざわざ言わなくても理解しているのにとも思ったけれど、曖昧なことを言う怖さをよく理解されているのだなと上司の苦労を想像したりもした。
人生初めて組織都合の異動をした21歳の時は、私以外の全員が私の異動を知っているのに私だけ知らないみたいな最悪な状態で通告されたのもあり、泣いたり喚いたりもしたけど、そこから職種もがらりと代わり歳も重ねた今、可愛い子には旅をさせよだしなあ、正直色々限界だったので心機一転よかったのかもしれないなどと思っている。
ネイルサロンのお姉さんに異動の話をしたら、大変だね、と私なら耐えられないというような顔をされた。まあ組織に属するから組織のルールに従うしかないよね、転職活動しないで転職できるようなもんだしラッキーラッキーと本心で言うと、礼さんってほんと肝が据わってますよねと言われた。褒め言葉だと思っておく。
婚活みたいなもんじゃん、どこかで妥協しなきゃいけないみたいな。私は業務内容が好き、人が好き、給与が良い、ワークライフバランスが整う、どれか1つでも当てはまってたら仕事できる。2つ条件がマッチしてたらさらにラッキー。3つ以上マッチするなら文句は言えない。それに歳を重ねれば重ねる程転職市場価値は下がるし。私の経歴でまともな転職をしようとするならリファラルか起業ぐらいしかない。
ところで謎の体調不良でずっとダウンし、仕事を2日休んでいる。コロナのような症状が出ているのに、受診の結果陰性だった。じゃあなんだこれ。薬もちっとも効かないし、頭が重い。急激に痩せた代償なのだろうか、体力も免疫力もない。
でもまあ、生きるしかないからな。生きてる意味あるのかなとかウジウジしてた時代もあったけど、烏滸がましいってビンタしたい。この世に生まれ落ちたならば生きるしかない。生き抜く為にはどれだけ1人で生きてる気になっても知らず知らずのうちに誰かから助けをうけ、同時に誰かを救っていることだから。死ぬとしても、病院にかかって薬をもらえば病院は点数がもらえる、手術しても医師や技師はその症例で専門認定の更新ができる。無駄な死などない。お家で安楽死が夢と言う人もいるけど私はできるだけ病院で死にたいのだ。魂を使い果たしたいから。
とりあえず今死んだら親もおばあちゃんも���しむ気がするので、これ以上痩せないようにせっせとお菓子を食べる。ごはんも食べる。食っちゃ寝してたらニキビができた。最悪、生きてるって感じ。
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cafelatte-night · 2 months
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2024.07〜2024.08 ひとこと日記
7.30-朝寝坊してバイトを休んだ。夜に彼と口喧嘩した。ないものねだりばかりしてしまう。今週末、彼がチェコから日本に迎えに来るのにこんな状態でどうするんだろうね。
7.31-1ヶ月限定バイトの最終日。まわりのひとに大変良くしてもらった。チェコに行くことをリーダーのおじちゃんに話したら30年前にカナダで買ったオリンピックのトナカイのキーホルダーをくれた。大事にとっておいたのか、袋に入ったままで状態の良いものだった。わたしがこんなものをもらっていいのだろうか。
パリ五輪の男子バスケ/バレーの試合を観る。誤審ピック。
8.1- 茹だるような暑さ。何もしたくない。ちょっと黄体期特有の精神不安の症状が出てる気がする。ピルを飲み始めてからはほとんど見られなかったのでこの感覚に懐かしさを感じる。高校〜20代前半はかなり悩まされていたな。
8.3-チェコの彼が日本に来た。
8.9-チェコの彼がチェコに帰った。
8.12-母親と縁を切った。わたしに対する父の本音を聞いた。夜、居場所がなくてネットカフェにいたけど、男臭くて嫌だった。
8.13-ちょっと詐欺らしいものに引っかかってしまい、でもクーリングオフ期間だったので解約できて全額戻ってきたのでよかった。心がフラフラになってるから騙されやすい。
8.14-彼の誕生日。南海トラフは来なかった。新しいアパートを決めた。不動産の担当が仕事できなくて不安。
8.17-彼とわたしの今までの思い出アルバムを3時間くらいかけて作った。仕上がりが楽しみ。
8.18-アルバムが出来上がったのでカメラ屋に取りに行く。完璧な仕上がりだった。これを渡しても心が戻って来なかったら諦めがつくと思った。今日、彼はイギリスから帰国。
8.19-内定先の代表と融資を受けた銀行の担当者とのやり取りを聞いていて、絶対この人の元で働いたら後々面倒なことになると思った。
8.20- 代表と話をして正社員ではなく業務委託で仕事を受けることになった。それでよかったと思う。思ったことはなんでも言ってくれと言われてたので、昨日の銀行とのやり取りのこと正直に話したらそれは言ったらだめだったらしく怒っていた。わたしには判断がつかなかった。/パソコンがようやく直ってうれしい。SSDを交換した。
8.21- 最近、早朝に目が覚めてしまう。ひたすらTwitterをスクロールした。意味のないことをして現実逃避したかった。夕方までうたた寝とそんなことを繰り返していた。/今更Wednesdayを見始めた。ハンドが可愛すぎる。わたしもほしい。
8.22- 久々に弟と出かけた。憎たらしくてかわいくて大好き。通っている塾でどんな指導を受けてるのか分からないけど、あんまり良くなさそう。でも私の子ではないから、私に決定権はない。
8.23-朝起きたら風邪っぽい。代表が38度も熱があったのに隠して私を事務所に呼んだからもらったな。地獄に堕ちてほしい。/不動産会社の求人に応募している。職務経歴書を修正していたら、今月末で有効期限が切れる資格があることに気づく。更新のための試験を月末までに受けなきゃ… / ずっと寝ていても頭が痛くなったり筋力が落ちたりしなければいいのになぁ 
8.24-明日、あの事件ぶりに彼会う。まだ2ヶ月か。すごく昔のことのよう。図書館へ行って、彼に手紙を書いた。/ 一日中眠たいけど、涼しい部屋で好きな時間にゆっくり眠れない環境だから早く引っ越したい。明日面接なのもだるい。
8.25-午前、面接。9時17時の求人に応募したのに、実際は8時45分18時だった。最近こんなことばかりな気がする。/ 午後、元彼に会う。本当はすぐにさよならのはずがカフェでゆっくり話をした。アルバムはパラパラと見ていた。心に届いてなさそうだった。別れ際、これで最後って言われたけど私は信じない。だってハグした時、思い切り勃ってたから。わたしのこと、まだ愛してるに決まってるなんて思ったらだめでしょうか。
8.26-オンラインの日本語教師登録をした。自己紹介ビデオをつくってみて、思いのほか楽しかったけどめちゃくちゃ疲れた。動画編集を仕事にしている人、尊敬。/ Amazonの配達サポートの在宅ワークに応募した。応募に必要なテストが実際の仕事のシミュレーションのようで楽しかった。受かるといいな。/ なんか今日とてもがんばった感あるけど、まだ無職、家無し。
8.27- 賃貸不動産会社の1日入社体験。当然無給だと思っていたけど、最後に日当をいただいて驚いた。何もしていないのに… 。今回は勤務条件が募集要項と違っていたので辞退するつもりだけど、今後、就職先を決める上で勉強になったことがたくさんあった。動いてよかった。
8.28-アパートの契約完了。あと3日。父に来週出て行くからお世話になりましたと伝えたら、夕ご飯に少しいいものを買ってくるようになった。わたしがほしいのはそういうことじゃない。/ 夜、悩んだ末に元彼に電話。地雷を踏まないようつま先立ちで会話する。引っ越しを手伝うかどうかは明日まで考えさせてくれ、と保留。会いたい。
8.29-「引っ越し手伝うよ、でもよりを戻すわけじゃないからね」と連絡が来た。
8.30- 今日現在稼ぎ口がメルカリしかない。エネルギーが有り余っているから配達なんかのアルバイトをしたい。
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kb-hoendo · 1 year
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午後もご安全に
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417-kjh · 2 months
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mes possibilites aujourd'hui. 今日のわたしの可能性。   髪を切ってもらう。   庭の水撒きをする。       暑い一日。   挿し芽しておいたグリーンアイスが いつの間にか咲いていた。 いちじくもおおきくなっていた。   午後にヘヤーカットの予約をしていたので 切ってもらってスッキリ。 Hさん、いつもありがとうございます!   旧宅の唐桃に イラガの幼虫を発見し、駆除。 初齢に近い大きさだったが 数匹しかいなかったので 今後注意しなくちゃ。   帰宅したら 一日遅れで ポチしてあった音源が届いていた。 小さめのチョコレートサンデーの アイスを食べながら、 ブックレットを興味深く拝読。   夕餉を食べ終えて さて片付けるか…と 席を立ったところで TVから緊急地震速報が。 どこにいても 気をつけていないとね。   関係方面のみなさん、引き続き くれぐれもご安全に。
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servant222 · 4 months
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午後からは大雨予報
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各学校も午後から休校など早めの対策が取られているらしい。今はまだ暗いけど静か。休みの日にはこんな風に雨が多くて残念。雨女じゃないと思ってたけどいよいよ覚悟した方がいいのかも。
低山ハイクも真夏はダメだよ、と言われているから本格的に暑くなる前に行っておきたかったけどなかなかチャンスが無い。
6月の休みは嬉しいことに幼馴染とのランチ、親友とのデートであれこれ埋まっていく。そうだ車の点検の予定も入れなきゃいけなかった。なんだかんだ休みの予定が埋まっていくと嬉しいのに、少し息苦しさも感じたりして。予定も無くぼんやりと過ごす休みもやっぱり欲しい。でもありがたいんだ、そうやって誘ってもらえるって。6月末の話なのに幼馴染たちとは今から何食べよう!とメッセージ交換が頻繁に行われてて、みんなよくお店を知ってるなと感心している。インスタや食べログとか何かしらお店情報を持っているんだなと思う。食に対して全然こだわりもないし、舌も肥えていないので、基本何を食べても美味しい。今から楽しみだな。
こんな大雨予報なのに、午後から隣市のショッピングモールに行こうとしている。海沿いのバイパスを走る予定だけど、雨雲レーダーだと19時以降が危険そう。それまでには帰ってこなきゃ。
先日も書いたけれど、去年はなぜか紫陽花にはまっていた。玄関横にあった2本の紫陽花のうち、私がここに来る前からあった紫陽花がなぜか枯れてしまってそれがとても残念だったせいもある。枯れてしまった紫陽花の後にもひと株植えたし、反対側の庭にも小さなアナベルを3つも植えた。これはお隣からもらったものじゃない。
お隣からもらったアナベルはとりあえず鉢植えにしてある。紫陽花はどこまでも大きくなってしまうので気をつけなきゃ。もこもこの紫陽花がたくさん咲く様は雨の日も晴れの日もとてもきれいで美しいけれど、そんなにうちの庭は広くない。剪定がんばらなきゃ。結局去年迎えた紫陽花は5つもある。はまるとそればかりになってしまう性格もなんとかしなきゃだ。
一昨年クラフトのイベントで風貌が可愛くて一目惚れしたアデニアグラウカも育て方も分からずやってみたら、去年は朝顔の蔓のようにどんどんと上に伸びてきてしまってどうしたもんか、と悩むほどだったので今年は早めにカットしてみたけど…
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カットした傍から新芽が出てきてる、それを考えるともう少し下の方でカットするべきだったか。何事もやってみないと結果は分からない。
さてそろそろ雨も強くなりそうだし、出かけようかな。なんか矛盾してるよね。ご安全に。とか自分で言ってみたり。
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kennak · 2 months
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7日の東京都知事選で15万票超を獲得し5位となったAIエンジニア安野貴博氏(33)が9日放送のTBS系「news23」(月~金曜午後11時)に出演し、キャスターの小川彩佳らと都政や選挙報道などについて語った。 安野氏は、AIエンジニアの他、起業家、SF作家の顔を持ち、選挙中やマニフェストを学習したAIによって24時間対応で有権者質問を受け付け、マニフェストに反映させるなど、テクノロジーを駆使した選挙戦を展開したことを紹介された。 安野氏は「15万票という数字は、全く1カ月前まで無名に近い私だったので、そこからすると、取れたんじゃないかと思っています」と選挙戦を回想。一方、56人が乱立したことを念頭に「やっぱり56人いますと、見つけてもらうのが、すごく難しいなと思ってます。特に私の場合は、選挙期間中にテレビが1秒も取り上げなかったということもございまして、本当に悔しかったのが選挙が終わった後に、7月7日以降にテレビにいくつか取り上げていただいて」と苦言を呈すと、コメンテーターで東大の斎藤幸平准教授も「今ですよね」と相づちを打って、この日の番組に出演している状況を指し示した。 安野氏は「まさに今もそうなんです」と指摘し「そこで見た方が、本当に悔しい話なんですけど『安野を知っていれば絶対入れたのに』という声をむちゃくちゃたくさん頂いているんですよね。そこは何でしょうね、今の『報道しない』というルールが都民のために果たしてなっているのか、と私は思いましたね」と語った。 ここで同局の藤森祥平アナが「ご指摘の通りでして、あらためて、TBSとしては今回の都知事選については主に4人の候補者を取り上げました。まずは、現職の政治家であるかどうか。都知事であったり、現職の国会議員であったり、直前まで広島県の安芸高田市長を務めていた石丸(伸二)さんですとか。さらに田母神さんについては、ご自身が前回出馬された都知事選で60万票あまりを取っていた、という得票の実績などを考慮した…。私たちニュース番組に時間的な制約もあります。その中でいかに総合的に合理的に考えた上で、選挙のたびに基準を設けて、今回はこういった感じで出した」と説明した。 藤森アナは続けて「ただ、これは長年の課題で���ありますし、ご指摘の通り、問題がなかったかといえば、当然検証も必要ですし、これからまた再検討しなければいけない、と受け止めています」と言及。小川も「今回、政治的な実績が考慮されたわけですけれども、今、既存の政治にないモノが求められている時代に、この基準で十分だったのか、正解だったのか、というのは検証の必要があると、私自身も感じますし、このように課題がはっきりと浮き彫りとなった今、次の選挙までに、選挙報道をアップデートしていこうという意志が有権者の皆さんに伝わっていかないと、テレビの選挙報道というのが、どんどん信頼を失っていくんじゃないかという危惧を持つ」と語った。 小川は「だからこそ、安野さんにぜひ、お知恵をお借りしたいというところもあるんですよね。どんな風に変えていく必要があるとお感じになりますか」と呼びかけると、安野氏は「伝える価値がある、ニュースバリューがあるモノというのは、ぜひ伝えていただきたいなと思っています。例えば今回『AIゆりこ』の話、小池さんが作ったAIというのはすごく取り上げていたと思うんですけど、私のやっていた方がですね、質問に答えてくれる、であるとか、より技術的には高度な話もしていますので、ニュースバリューもあったと思います」と指摘。また「売名目的の方が問題行動をしているのはテレビで取り上げられていたこともあって、真面目に政策の方をやっている人はとりあげず、問題行動を取り上げる、というのは、これは逆になってしまっているのかな、と思いますね」と持論を語った。
安野貴博氏が苦言「選挙期間中テレビが1秒も取り上げなかった」小川彩佳「お知恵お借りしたい」 - 社会 : 日刊スポーツ
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mlyzvt-no2157 · 1 year
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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。 私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。 身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。 ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。 何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。 Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。 すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。 YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。 その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」 「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」 「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。 なぜ、そんな噂が流れているのか?! カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの?? 私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」 「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」 「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」 「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。 しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。 百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。 自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。 てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。 私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。 そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていた��、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。 だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。 勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。 これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。 ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。 しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。 もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。 私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。 まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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omiznewsviews · 2 months
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9日午後7時57分ごろ、神奈川県で震度5弱の揺れを観測する地震がありました。 関東の地震活動に詳しい東京大学地震研究所の酒井慎一教授は「想定される南海トラフの巨大地震はプレート境界で起きる地震で、地殻内で起きたとみられる今回の地震とはメカニズムは異なる。ただ、こうした地震がより規模の大きな地震の前兆となる可能性など、今後の地震活動への影響がないとは言い切れず引き続き注意が必要だ」と述べました。 その上で「もともと神奈川県西部は、数年おきに今回と同じくらいの規模の地震が起きる場所で今回、地震が起きたことは不思議ではない。ただ、きのうのきょう起きた地震で南海トラフ地震と関連がないか不安に感じる人は多いと思う。大事なことは、日本はどこでもこうした地震が起きてもおかしくないので今後強い揺れを伴う地震があると思って備えることが重要だ」と話していました。
神奈川の地震 専門家「南海トラフとはメカニズム異なる」 | NHK | 地震
そう、それ。昨日の今日でこれだったから。それがなければ別段なんとも思わないところだけど。
ちょうど地下鉄の改札入った瞬間に一斉に緊急地震速報が鳴り出して、安全点検で電車止まって、神奈川で5弱とか思わず「マジか」って声出たわ。
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tokyomariegold · 6 days
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2024/3/23〜
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3月23日 11月23日の日記を文字起こししながら出かけた。
なかなか起き上がれなくてかなり遅くまで寝てしまった。14時に近美で待ち合わせだったので、その前に昨日一期下の方と帰りながら話に上がった人形町へ行ってみることにした。 半蔵門線と日比谷線の地上乗り換えの際に降り立った時に気になっていた街。
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人形焼屋さんは二店舗見つけた。 一つはとても行列ができていて、もう一つはそうでもない感じ。行列のお店に人形町のガチャガチャがあり思わずやってみる。中身が見えないタイプのカプセルだったので、週明けに一期下の方と中身を楽しもうと思ってまだ開けていない。
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水天宮を眺めて、明治座こんなところにあったんだ〜と、確認して、甘酒横丁は甘酒屋さんよりもなぜか潰れない婦人服屋さん、がたくさん並んでいた。 行列のたい焼き屋さんがあった。 鶏ものを売っているお店で厚焼き卵が焼かれる様子がほかほかしていてよかった。
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そのまま日本橋から大手町まで歩いて、知らない街と知っている街を繋げることができて充実感。 あまり写真は撮れなかった(撮りたくなかった)。
和菓子屋さんはたくさんあって、なんとなく入ったお店にすはまだんご(!)があり嬉しくて写真を撮ってしまった。あとギンビスの建物があった。
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友人と合流して、中平卓馬の展示を鑑賞。 夏に葉山館で観た展示に上書きする様な感覚で鑑賞していた。
その後竹橋のパレスサイドビルのスターバックスコーヒーでお茶を少しして別れた。 パレスサイドビルから出た時に、学生時代に毎日見ていた風景があって、雨上がりのやたら明るい空と春の感じに、はっ!となった。
お茶の席で友人と話した話、彼女から「日記には書かないでほしい」と言われ、私の日記に登場するかもしれない、と思ってもらえたことが嬉しかったり、日記を書かなくてもいいのか、とほってしてしまったり、彼女の話そっちのけで他人をしてしまってひとでなしだと思っている(そして少し誇っている)。
今日はこの出来事の間中、ずっとずっとめまいと吐き気がひどくて、途中何度かもう帰ろうと思っていて、でも一日過ごして、帰宅して掃除や日記の更新をしてしまった。
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掃除をするのは別に過度に脅迫的な行為ではない気がしてきた。 掃除をして綺麗になるのは嬉しい。でも今はちょっとした日常の生活行為をする体力すらない状態なのだと思う。 掃除をするのが悪いのではなく、体調が良くない。
スーパーに行こうと外に出たら、明後日の満月を控えた月が出ていた。 見切り品の野菜コーナーでズッキーニに出会ってしまいなんとなく買ってみる。お味噌汁に入れたら美味しいかな。この数日売れ行きを観察していたちいかわのランチパックは値引シールが貼られていた。
写真を見返してみたら前世はきつねなのかもね、とか可愛いことを言いたくなるくらい、最近油揚げばかり食べているみたいだった。
とにかく足がおぼつかなくなってきたので終わり!
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3月24日 心が無になる1週間を目の前に、昼過ぎから出かける予定もあったので、朝一のヨガを受けて開店したばかりのスーパーでスパイスカレーの材料を買って先に作っておく、という初めての試みをした。
野菜の見切り品コーナーにホワイトマッシュルームがいたので買ってみたけれど、なんか黒っぽくて弾力がない気がして、半分くらいは使わずに捨ててしまった。 使った分も悪くなっていないのか不安になりながら、後で調べたら断面が黒いのは通常らしい。でも弾力がなくなっていたのもあって不安(だけど調理してしまったので、食べてしまうと思う。人体実験。)。 そもそもきのこは水洗いしない?らしく、洗ってしまったから弾力がなくなってしまったのかな、とか今日はマッシュルームのことばかり考えていた気がする。
カレー作って冷蔵保存するために粗熱をとる間でお掃除などをして、初めての試みだったので出かけるまでの逆算がうまくできずにタイムトライアル的でとてもとても疲れてしまった。
最近は前より料理(っぽいこと)をしていて、でもそれは全く写真にならないな、と今日改めて思った。 CONTAXに入れたフィルムを撮りきれず、昨日から1日���ンタルの期間を延長して、料理の写真でも撮ろうか、とそばにカメラを置いていたけれど、カメラとかiPhoneとかの衛生レベルが料理の現場もかけ離しておきたい気持ちが強くて無理でした。
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料理も衛生面や食材の鮮度の面で不安なことばかりだしやめたほうがいい気がする。 とにかくしなくてはいけない生活のタスクが増えるだけのような気がする。
午後の予定で会った方は昨日まで金沢と富山に行ってきたとのこと。今は金沢もちょっといいビジネスホテルは一泊20,000円くらいしてしまうらしい。 北欧に行きたい話やタイとベトナムの国民性の違いの話(タイはいつも笑顔で迎え入れてくれて、ベトナムはわりと無愛想。でもシャイ故らしい。)をした。 いま割と一番したいことは北欧に旅行に行くことかもしれない。 行った方がいいかもしれない。 パートナーと旅行に行ったその方は「やっぱりそろそろ一人旅をしないだめだ…」と言っていた。
好きなひとを好きなままでいるためには、一緒に仕事をしない、家族にならない、が、今のところの人生で私が見つけた人間関係で気をつけたいこと。
これからカレーを食べます。 お腹痛くなりません様に。
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emeraldecheveria · 12 days
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月の光と海うさぎ【8】
明日のない朝
 すみれさんが戻ってきても、私たちは朝になるまでモーター音が響くコインランドリーで軆を温めていた。
 この時間帯でもたまに利用客が入ってきて、訝しげに私たちを見る。すっかり太陽が昇りきる前に、「少し移動しましょう」とすみれさんが立ち上がり、さくらも目をこすって目を覚ました。私は頭はぼんやりしていても、一睡もできないままだった。
 人通りが少ないうちに駅前に出た私たちは、駐輪場で鍵のかかっていない自転車を盗んだ。そして、やはりすみれさんの先導で、騒がしい朝へと目覚めていく街の中を走った。
 だいぶん走った気がする。一時間は漕いでいたので、運動が得意でない私は息が苦しくなった。大通りも走ったりして、車との接触に気をはらったりしていると、ブレーキを響かせてすみれさんが停まった。
「ここだと思う」
 自転車は乗り捨てて、私たちはすみれさんがしめした広い公園に踏みこんだ。
 あまり人はいなかったけれど、ひとつのベンチに何人か男の子たちが溜まっていた。すみれさんはその男の子たちに近づき、何やら話したあと、「さくらと希夜ちゃんはここにいて」とベンチを指してから男の子たちとどこかに行ってしまった。
 私とさくらは顔を合わせ、疲れもあったのでおとなしくベンチに腰かけた。周りの樹木は紅葉も過ぎて、枯葉をこぼしていた。
 すみれさんとあの男の子たち、何なのかな。そんな疑問もあったけど、何だかさくらに訊く気力もなかった。
 今日も空はよく晴れていた。けれど、自転車を漕いでいた発熱が落ち着いてくると、吹きつけてくる風が寒かった。公園の外の騒音がざらざらと響く。
 昨夜から何も食べていなかったけど、食べたいものがひとつも思いつかないくらい、何だかどうでもよかった。それより、どのタイミングで家に連絡を取りたいと言い出せばいいのか──
「希夜」
 ふとさくらがつぶやき、「……うん?」と私は少しだけ首をそちらに捻じった。
「何か、ごめんね」
 私はさくらの正面を眺めるままのぼうっとした目を見つめ、「ううん」と言った。さくらの赤い唇から白い吐息が流れる。
「このまま、私たちと来る?」
 うつむいた。このまま、さくらたちと? それは──
「……家に電話しないと」
 正直に答えると、さくらは薄く咲って「そう、だよね」と首を垂らした。「ごめんね」と今度は私が言うと、「いいの」とさくらは私に微笑む。
「希夜は、私たちみたいにダメにならないでね」
「さくらはダメじゃないよ。すみれさんも」
「ダメだよ……」
「そんなことない」
 さくらはまた顔を伏せ、膝の上で白い手を握りあわせた。
 さくらもすみれさんも、昔からかわいくて女の子らしい洋服なんて与えてもらえない。トレーナーやジーンズ、男の子のおさがりのような服装が多い。でも、それはそれで似合うくらい、ふたりともかわいかったけれど。
「私さ」
「うん」
「ずっと希夜に言えなかったことがあって」
「……うん」
「ルルのこと、憶えてる?」
 私はさくらの横顔を見てから、「うん」とうなずく。
「たぶんね、滋くんたちなんだ」
「シゲル……くん、って」
「私のいとこ」
 目を開いた。さくらは長い睫毛を伏せている。
「たまにうさぎ小屋に行って、ルルだけじゃない、ほかのうさぎもいじめてた。よく分からない薬を塗ったにんじん食べさせたりとかして」
「………、」
「私がそれを知ってるのを、滋くんたちも知ってた。ルルが死んだときには、絶対言うなよって言われて……」
 さくらは声を震わし、「でも」と話を続ける。
「私が先生とかにほんとのこと言ってたら、希夜はあんなに苦しまなかったよね。だから、ほんとは……全部私のせいなんだ」
 私はびっくりしてまばたく。そんなふうには考えなかったし、思いもよらなかったから。
「さくらのせいじゃないよ」
「私が滋くんたち怖くて、犯人知ってるくせに黙ってたせいで、」
「さくらは悪くない。悪いのは滋くんたちだよ」
 さくらはかぶりを振って「私が悪いんだ」と繰り返した。その瞳は涙が滲み、赤くなっている。ルルの赤い瞳を思い出した。「さくら」と私はさくらの手に手を重ねた。
「ルル、何で死んじゃったのかな、とは確かに私も思ってた」
「……ん」
「私が悪かったのかもしれない、とも考えたよ」
「希夜は、」
「でも、そうじゃなかったんだよね。ほんとのことが分かっただけでも、よかったよ。ありがとう、さくら」
 さくらは私を見て、開いた目からぽたぽたと涙を落とした。
 ずっと私にそのことを言えなくて、さくらはひとりで苦しんできたのだろう。さくらは何も悪くないのに。巻きこんでしまって申し訳ないのは、私のほうだ。
「ねえ、さくら」
「……ん?」
「ちょっとね、バカみたいな話していい?」
「ん、うん」
「私、あの頃から、ルルが心の中に棲んでるような気がするの」
「心に?」
「そう。私がいじめられると、ルルも傷ついて、心の中に雨を降らせるんだ」
「雨……」
「私、上手に泣けないから。代わりにルルが心で泣かせるの。私も、ルルも、ひとりぼっちなんだよね」
「何で」とさくらは重なった私の手を握った。
「ルルはうさぎ小屋に友達がいたし、希夜には私がいるじゃない」
 さくらを見た。さくらも私を見た。小さく咲いあうと、「うん」と私はうなずいた。やっと微笑んださくらは、私の肩をぎゅっと抱いてくれた。ちょっと煙草の匂いがする、と思いながらしばらくそうしていた。
 それから、さくらは「家に電話しなよ」とテレカを貸してくれた。私はそれを素直に受け取り、周りを見まわして公衆電話ボックスを見つけると、そこに駆け寄った。
 午前七時をとっくにまわっても帰宅しない私に、家は大騒ぎになっていた。今すぐ迎えにいく、そこで待っていなさい、と母はまくしたて、私はおとなしく「はい」と答えた。
 ベンチに戻ると、そんなに長くない電話だったのに、ちょうどすみれさんのすがたがあった。「家に電話したの?」と訊かれ、肯定する前に「すみません」と何となく言ってしまうと、すみれさんは一応首を横に振ってくれた。
「私たちのことは言った?」と問われ、「訊かれなかったので」と答えると、「じゃあ、そのまま私たちのことは絶対に言わないで」とすみれさんはさくらを立ち上がらせた。
「どこに行くんですか?」
「ごめんね、聞かないほうがいいと思う」
 突っ立つ私を残し、立ち去りかけたふたりを呼び止め、私はさくらにテレカを返そうとした。「また会えたときでいいよ」とさくらは無邪気ににこっとした。
 また、会えるのかな。なぜかそんな不安を覚えたけれど、ここで押し返したらもう会わないと言うようで、私はこくんとした。
 さくらとすみれさんは荷物を連れて公園を出ていった。私はひとりベンチに座り、ぽつんとしていたけれど、ふとテレカの写真を見た。
 夜桜を切り取った写真で、満月を背景に桜の花びらが舞っている。昨夜の月を思い出し、またさくらと月を見れるかなと思った。十五夜も。十三夜も。一緒に見て、お互いの幸せを願ったりできるかな。そうできるといいな。
 そんなことを淡く願っていると、親が迎えに来た。母だけでなく、父も一緒だった。ふたりは捜索願いまで出してしまっていて、私は警察に行かなくてはならなかった。
「あのふたりは?」と訊かれてぎくっとして、「ひとりだよ」と白々しく言ったけど、「希夜ひとりでこんなことするわけないだろう」と父が言い、母はさくらのおとうさんから連絡が来たことを教えてくれた。さくらのおとうさんは、さくらの日記を見つけて計画を知り、私の家と私の中学にまで連絡を入れたらしい。
 学校にもこのことを知られたのか。車に乗りこんだ私は、何でそんなことするかなと、後部座席で歯噛みした。私はそもそも帰るつもりだったし、そんな大変なことみたいに伝えなくていいのに。でも母も「ほんとにバカなことして」とあきれた息をついていた。
 地元に戻ると、両親に警察署に連れていかれた。「あんたの歳ならそんなに厳しくないから」と母に言われていたのに、私はそもそも年齢も訊かれず、ひとりで取調室に通された。
 それでも、軽い注意くらいだろうと思っていた。しかし、担当した刑事のおじさんはすごく横柄で、明らかに問題児を見下す目をした人だった。
「お前、売春する気だったんだろう」
 いきなりそんなことを言われて、そういう経験はキスさえしたことがなかった私は、土足の物言いに驚いた。
 刑事のおじさんはすごい剣幕であれこれと私をなじった。怖くなった私は何も言えなかった。調書を取られ、拇印も押せと言われ、嫌だったけど逆らえなかった。
 ただ、そのとき同時におじさんは私の年齢に気づいたようで、怯んだ顔を見せた。やっぱり、母の言ったとおり、本当は子供に対してこんな取り調べはダメだったのだろう。
 しかし、おじさんは子供と見たら見たで、「子供がこんなに大人に迷惑をかけやがって」と私に頭に下げて謝罪するよう言った。できなかった。したくなかった。父と母にはきちんと謝る。ふたりには確かに心配をかけた。でも、このおじさんに何で謝らないといけないの?
「お前は子供だから分かんかもしれんが」とおじさんは私に顔を近づけ、煙草臭い息で言った。さくらに感じたあの匂いと違い、何だか不潔だった。
「女なんて、あっという間に汚されるんだ。だから、あんなふたりとはとっとと縁を切るんだな」
 汚される? 何その言い方。さくらとすみれさんが汚れているみたいに。この人は何を言っているのだろう。
 だんだん意固地な気持ちになってきて、私は黙りこくった。おじさんは「人に迷惑をかけておいて、なんて態度なんだ」と今度は説教を始めた。
 人に迷惑、って。そんなに他人には迷惑かけてない──と思ったけど、なぜか急に、私たちを市街地まで乗せてくれたダンプの運転手さんを思い出した。
 あの人には、確かに、迷惑をかけたかもしれない。仮眠を邪魔して、嘘ついて。私たちを心配することも言ってくれたのに。きっともう、謝る機会なんて絶対に訪れない。あの優しさに何も返せないのだと思うと、私の目に、急激に涙があふれてきた。
 私が泣き出したことで、おじさんはようやく満足したらしい。外で待っていた両親にも、「反省したみたいです」とか言っていた。でも、私はダンプの運転手さんには本当に申し訳なく感じたけれど、それ以外は反省も後悔もしていなかった。
 中間考査中は学校を休み、日程をずらしてひとりで試験を受けた。当然、結果はぼろぼろだった。
 学校でももちろん職員室に呼び出され、今回の件はどういうことなのか説明しろと怒られた。私は訊かれたことには正直に答えたのだけど、結局は、ますます先生たちに不良あつかいされるようになっただけだった。
 しばらくして、母がさくらたちの話をしてきた。ふたりはあのあと、公園にいた例の男の子たちに心配され、警察に行ったのだそうだ。ふたりが今、どこで何をしているのか何も分からなかった私は、少しほっとした。
 さくらとすみれさんの家出は、あれが初めてではなかったそうだ。お金がなく、売春することもあった。そういうお店だか組織だかにいて、ずいぶん帰宅しなかったこともあったという。その組織だかが摘発されたことで、あのときふたりは家に帰ってきていたのだと母は話した。
「希夜」
 つらすぎるふたりの環境に押し黙り、ただうつむいていると、母がはっきりと言い渡した。
「もう二度と、さくらちゃんには会っちゃいけないからね」
 ──部屋に戻った私は、さくらに渡された夜桜のテレカを見つめた。
 また会えたとき、ってさくらは言った。だから、会える。会えるよね。みんな会っちゃダメだって言うけど、私にはそれが分からない。
 だって友達なのに。味方なのに。私のこと、分かってくれる存在なのに。会っちゃいけないなんて、意味が分からない。
 そうだよね、ルル。ルルもさくらに会いたいよね。さくらにまた会えるって一緒に信じてくれるよね。
 ねえ、泣かないでよ。私の心に雨を降らせないでよ。寂しいなんて思わなくていいんだよ。私たちには、さくらがいるんだから、寂しくなんて──……
 けれど、私が再びさくらに会えることは、このあとの一生で、結局、一度もなかったのだ。
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misatovan · 9 months
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12月28日、仕事おさめ。定時ギリギリまで会議。年始からまた仕事が大変そうだ……。今年は部署異動で業務内容がガラッと変わり、個人的に本当に仕事がしんどかった。職場の人にたくさん助けてもらったが、それでもしんどかった……。残業量は去年までより減ったから、内容と気持ちの問題だと思う。帰りに夫に電話したら「いまイカさばいてる」と言われ、元気だなと思った。イカ美味しかった。
29日、寝過ぎた。うなされた。昼ごろに起きてボーとしていたら義母がお寿司を届けてくれた。午後、夫と買い物。ふだん行かないスーパーに行く。すごい人だったが、義実家は大晦日か元日にスキヤキをするので、奮発していいお肉を買った。たのしみ。少しだけ掃除した。
30日、午前中あちこち掃除をした。12月仕事が忙しくて心に余裕がなく(定型句の言い訳)家の中が汚い気がしていた。午後から本を読むか夫と出掛けるか……と思っていたが「買い物について来てほしい」と頼まれたので義母と外出。デパートもすごい人だったが、義母の目的のものも調達し、スキヤキ用のお肉を買い足してもらうなどした。甘味屋さんでお持ち帰りして帰宅。ちょっと遊んだ感。
31日、掃除の続きを少しして、近所のスーパーなどで少し買い物。まえ住んでいた家の近くに野菜の路上販売があり、そこで野菜を買う。義姉は今年は帰省しないことにしたらしい。たのんでいたおせちを義母に送ってもらったら、お礼の電話があった。夜はお蕎麦を準備して、義母と夫と3人で年越し。
1月1日、お昼ぐらいに義母が家に来て、3人でおせちとお雑煮。そのあと少し外出。3時半ぐらいに帰宅して、思い立って冷蔵庫にあった生クリームをぶーんと泡だてて、義母にもらって冷凍していたシフォンケーキを解凍して食べた。それで、さあコーヒーを飲もうと思ったら、揺れた。体感めっちゃ揺れた。夫とふたりであわてて机の下に隠れたり、食器棚を押さえたりしていた。記憶が曖昧だがわたしは「お母さんがお母さんが」とずっと言っていて、夫は大きな揺れがおさまるとすぐ義実家の様子を見に行ってくれた。義実家は拍子抜けするほどなにも壊れてなかったらしい。わたしの住む地域は、最大震度5だったのだそうだ。ニュースをつけた。そのあとも何度も揺れて、テーブルの下に入ったり出たり入ったりしながら過ごした。
妹からすぐLINEが届く。大丈夫だよと返す。妹は帰省していたようで、両親にも伝えてくれたようで一安心。実家の方は大丈夫のようで良かった。
義母と夫とスキヤキをどうしようかと言って、結局、ごはんは食べなきゃならないんだもんねえと言い合ってときどき揺れる中カセットコンロでスキヤキを敢行した。テレビでは火事の炎がすごいことになっていて、大変なことになってしまった、と思った。義母は自宅に戻り、怖かったのでお風呂は入らずに服を着たまま寝た。
2日、フェイスブックで職場の様子がアップされているのを見たら大変なことになっていたので、昼から出勤した。復旧作業の手伝いに入るつもりで居たが、わやくちゃになっているフロアには安全確認が済むまで立ち入りもできないとのことだった。管理職の人たちだけ出勤していてわたしは居ても居なくても変わらないぐらいだったが、できる範囲で手伝って帰った。
3日から6日まで もともと出勤日だった。自分の担当業務で結構スケジュールの厳しい仕事を抱えているため、事務室待機でときどき手伝いに入るということになる。申し訳ないが、いまやらねば未来の職場に迷惑がかかるので仕方ない。勤めた。お化粧を諦めて朝と夕方楽になったが、「疲れている」「大丈夫か」と複数の人に心配される。なけなしのメイクは用を成していたのか……と謎の感心する。「すっぴんなんです」と答えている。
LINEやTwitter(エックスか)で心配のメッセージ、無事で良かったのメッセージをたくさんいただきありがたい限り。高校時代の友人から届いた年賀状に、心配していますと書いてくれていたため、ものすごく久しぶりにメールを送ったらエラーメールで返ってきた。時の流れを感じた。
7日、午後から出勤するつもりだったが、あんまり無理するともたないかなと思って休みにしてもらった。たくさん寝た。軽くだけ掃除機をして洗濯をした。午後に夫と義母と3人で買い物。途中わたしは疲れて車で休んだりしていたが、和やかな会だった。義母も喜んでいて良かった。
今日、昨日は休んだので午前中少し遅めにしてもらって出勤した。何をしていても「わたしが今進んでいる方向は果たして合っているのか?」という心持ちになるが、仕事とはそういうものだったかもしれない。阪神大震災を経験したパートさんと話す。ライフラインがあるだけ充分よと力強く言っていて、本当にそうだなと思う。仕事の愚痴を言ってしまって、ちょっと反省。
「長丁場になるから」と合言葉のように言い合って、みんなで定時に帰る。
揺れはしましたが被害は少ない地域に住んでおり、わたしは無事です。職場は大変なことになってますが同僚たちも生きて会えて本当に良かった。震源地に近いところの惨状がだんだんわかってきてニュースを見ながら心配な気持ちになっています。ちょっと落ち着いたら募金しようと思います。そんなふうです。エレカシの歌をプレイリストにして「さあ頑張ろうぜ♪」とみやじさんの声に励まされて出勤してます。
ではまた!
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