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#土偶柄
lacico · 2 years
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明日『 #ヨリドコSHOP 』に参加します😊 私たちは奥のアトリエブースにて 制作に励んでおりますが、 スリッポンのオーダー・ご試着 承らせていただきますので、 お気軽に遊びにいらして下さいね😉📝 ☕️ 「ヨリドコcoffee」もございますよ💕 ぜひマッタリしていって下さいませ☺️✨✨   ━━━━━━━━━━━━ 🏠 実店舗 ヨリドコSHOP ━━━━━━━━━━━━ 日 時|10/29(土) 11:00-17:00 場 所|ヨリドコ大正メイキン 住 所|大阪市大正区泉尾2-21-7 電 車|[大正駅]より徒歩15分 バ ス|[永楽橋筋]より徒歩5分 @yoridokoshop   #手描きスリッポンLACICO #lacico #ラシコ #ハンドメイド #イラスト #柄 #柄物 #模様 #ハンドメイドシューズ #ペイントスニーカー #ペイントスリッポン #手描きスリッポン #土偶 #土偶柄 #土偶グッズ #土偶フィギュア #土器 #土偶女子 #古墳 #埴輪 #古代 #遺跡 #古代遺跡 #縄文土器 #縄文 #縄文時代 #縄文遺跡 #発掘 #遺跡発掘 (ヨリドコshop) https://www.instagram.com/p/CkQLH3bOI0v/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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asagaquru · 7 months
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恋人を連れて実家に帰る。同棲のご挨拶だ。実家はアパートで、幼少期の恋人が過ごしたアパートでもある。運命ではなくて、ただの偶然。運命を信じるほどもう若くない。けれど、偶然を大事にすることはきっとできる。恋人が生ノースマンと丸美のコーヒーを手土産に持ってきたので、母がマグカップを用意する。4つそれぞれ大きさも柄も雰囲気も違うマグカップ。統一感はないのに、それぞれ好きな柄だったり、思入れのあるマグカップだったりして、それがとっても良く見えた。
翌日、母に彼の印象を聞くと「フツーだった」と答えた。確かに真面目で静かだった。本当は、もっと面白い人なのにな。悔しい。彼は、私の前でだけ陽気。
その日の夜には、恋人の父親に会う。大通り駅に直結するビルの中にある居酒屋で、日本酒を飲む。彼の父親はどんな人なのだろうと思ったら、大きな声で笑う楽しそうな人だった。彼は腕を組んで、ポツポツと話している。本当に彼はこの人の息子なのだろうか。「お父さんの前でも彼はこんなクールなんですか」と聞けば「男同士ってこんな感じだよ。ふたりだと明るいの?***さんと一緒だからなんじゃないかな」と言われる。「明るければ物事の70%は上手くいく」「いや90%!」「95%!」「98!」とお一人で盛り上がってて面白かった。良い父親だった。仲良くできそう。
21日に引っ越すので、家中段ボールの山になっている。2年間、菊水という街に家を借りて住んだ。かつてススキノにあった遊郭を移動させた街だ。遊郭が移るから豊平川に一条大橋ができたという。よくその橋を渡って、街まで散歩した。大層昔に遊郭が無くなってしまって、面影といえば遊郭の大門があった通りが変な道路幅になっているくらいだ。来週にはこの街を去るのかと少し寂しくなる。豊平川が流れるこの街が、本当に大好きだった。
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seishun18x2movie · 8 months
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5月3日(金)公開決定・予告映像解禁! 道枝駿佑、黒木華、松重豊、黒木瞳が出演
国内興行収入30億円超のヒットを記録した『余命10年』の藤井道人監督最新作にして初の国際プロジェクト 日台合作映画『青春18×2 君へと続く道』の公開日が、5月3日(金)に決定いたしました。 この度、ジミーが旅の道中で出会う人々を演じる、豪華キャスト陣が解禁!
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ジミーが長野県飯山線の電車の中で出会うバックパッカーの青年・幸次役に道枝駿佑。
映画初主演作となった『今夜、世界からこの恋が消えても』のヒットも記憶に新しくアジアでも知名度が急上昇中、テレビドラマ「マイ・セカンド・アオハル」や「マルス-ゼロの革命-」など、話題作の出演が相次ぎ、アジアでも知名度上昇中の彼が、本作のタイトル【18×2】のキーにもなる“36歳”になったジミーが出会う“18歳”の青年を演じる。
ジミーが立ち寄る新潟県長岡市にあるネットカフェのアルバイト店員で、偶然見かけたランタン祭りにジミーを案内する由紀子を演じるのは、『せかいのおきく』『キリエのうた』、TBS日曜劇場「下剋上球児」等、映画・ドラマともに出演作が後を絶たない黒木華。藤井組には3作目の参加となり監督からの信頼も厚く、「本作では大切なセリフを託した」(藤井監督)そう。本作で演じる役柄では、ビジュアルも含め新たな一面を見せる。
アミが生まれ育った町の住人��中里を演じるのは、俳優界きってのバイプレーヤー・松重豊。
藤井監督が手掛けた『余命10年』にも出演、大人気ドラマ「孤独のグルメ」(TX)シリーズをはじめ、数々の映画・ドラマに絶えず出演し続ける彼の佇まいは、ジミーの旅の終盤で物語に安定感をもたらしている。
そして、アミの故郷、福島県只見町に暮らすアミの母親役には、黒木瞳。 名実ともに確固たる地位を築いてきた女優業だけでなく、昨今は監督業、舞台演出など多岐に渡り活躍の場を広げている。もともと藤井監督の作品が好きで今回自ら参加を熱望、藤井監督からの「どんな俳優でも町や生活にどう馴染むかを大事にしたい」というリクエストに応え、従来のオーラを封印し役に挑んでいる。 2023年3月から約2ヶ月かけて日本と台湾でオールロケを敢行。それぞれの土地のスタッフが参加し、国際色豊かな現場で撮影された本作。『余命10年』のスタッフが贈る新たな傑作ラブストーリーが誕生しました。
2024年5月3日(金)公開、ご期待ください。
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tsubameyado · 1 year
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東方名華祭17新作 東方筆絵絵馬
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今週末、2023年6月25日に名古屋で開催の「東方名華祭17」新作 【東方筆絵絵馬】です! 四季映姫・天子・妹紅の3種類です。
3つ全部を飾ってもよし、一つに決めて飾ってもよし! ______
昔から「絵馬」のデザインが好きなんです。 小さな定型の木の板に描かれた、あの美しい和の絵柄! 神社それぞれの個性、思った以上に絵柄の方向も違ったりして、 偶々訪れた神社で、そこにしかない絵馬のデザイン、素晴らしい筆文字、白インクの素敵な使い方に見とれてしまうこともしばしばです。 絵馬の「和の存在感」が好きで、 何枚持っていてもいい「絵馬のようなもの」を作ってみました。 私のような、絵馬の存在感が好きな方にお手に取っていただければ幸いです。
印刷の仕様上、フルカラーにすることもできましたが、黒と赤と白、疑似金(黄土色)と他、絞りに絞った色数の「引き算」のマットな美しさを出せればと思いました。
絵柄はもちろん、筆の字も全て墨と筆で描いております。
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【東方筆絵絵馬】四季映姫・天子・妹紅
今週末の名古屋、名華祭でお待ちしております! スペース:Tsubameyado B27,28
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caress-a-sad-tree · 1 year
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光影迷離,人影閃爍,我在逃亡中再次看見你
還記得,小台山上的那座空蕩的平台嗎?那些夜晚我們相約在某個不起眼的路口或城市角落,光線常常在沒有日光的角落藏匿,你扣上我為你準備的黑色安全帽,身著深綠色長裙跨上我的白色小機車,夜風足夠清爽嗎?還記得嗎?那段婉轉陡峭的爬山路、周遭呼嘯而過的晚風、一眾黑影里參差不齊的樹杈和你哼起的歌。不記得了吧,畢竟我獨自在此飲醉,風仍舊剛烈,無論我再怎麼追問眼前模糊的你,你都不作答了。 仔細看,你早已同身後閃爍的城市光線模糊在同一幅油畫,我想要伸手去觸摸些什麼,可是卻沒能夠抬起來。為什麼,你忽然手舉香煙安靜地憑空出現於我身後。香煙飄在我的眼前,很快就被山風吹散了,但我卻看到它們凝結成了一條綿白色的圍巾,緩慢地纏繞在了我的肩上。在此回頭看你,你以被自己點起的火燒盡了,那般痛苦又不願呼喊,你掙扎卻強裝鎮定,痛苦卻看似幸福。此刻的我看著你,是多麼心疼,小台山在此刻忽然放大了許多倍,將我們徹底吞沒,這裡的風又這麼大,於是火焰落下又以更高的火勢躍起,耀眼的火光將我照入了某個回憶中的雨天。黑色女士長柄傘、泥土香、雛菊被細小的雨點打得顫抖,我們行走在市郊的那座被雨水侵蝕的小村落。你停下來,在雨棚下坐下,默不作聲,我站立倚靠著雨棚的木柱,與你同樣望向那群在花田裡忽上忽下嬉戲的麻雀。再一次,香煙從某處冒出,我看向你,你用帶有雨汽的表情回應了我。煙的霧在雨天並不顯眼,透過那個村頭的小雨棚,它飄到了很遠。
為什麼,為什麼每個寂寞的午後,你又總在我的眼前復燃。深綠色的牆面、泥紅色的口紅,我總以為,你還藏在這個房間的某處,有些時候我切實地看到了你,你蠻橫卻優雅的在貼地床上翹起二郎腿,眼神無意躲避地落在了窗外飄動的藍白色鬱金香上。的確,我從未搬離過那個地方。那些陽光正好的日子,在這個違規建在老小區頂樓的小房子里,陽光透過落地窗落在床單上,我拉上紗簾,想要遮蔽些光,你卻用嘴唇制止了我。還沒等我問為什麼,香煙再一次侵入了我,伴隨著你堅定得美麗的氣息,我仰頭吸盡了一切。你的顫抖,我的呼吸聲,窗紗從未完整的合起來過,每當我身面著窗外那團黃昏的雲以及河邊零零散散走過的男人女人,你就會從身後將我用力地抱住。可是我的後背從不敏感,無法清晰的分辨出你的心跳,你哪管得了這些,只負責啃咬和蠕動。黃昏的頂樓小樓,那是我最深愛的地方,許多時候,煙霧不知從哪個角落冒出來,多次嗆到了稚嫩的我,從口深入我的體,我的心,我的魂早已和這團來歷不明的煙霧融合、糾纏、打鬥,再也分不清你我。
夜深了,可是我卻沒有感受到夜的到來。直到我獨自從貼滿換鎖廣告的老樓梯走下去,走到那家只會亮著冷光的便利店,在那裡我買了一瓶乾姜味的湯力水。在那些毫無慰及的日子里,我曾依賴著它生活了那麼久。在門口站立,春風雖然並不寒冷,卻也絕不溫暖。面前偶然能夠看到一對身著深色皮衣的年輕戀人,和一輛安靜行駛的老摩托車。晚風仍舊在我的面前,由你吹出的煙霧,仍舊籠罩著這座不眠的小城,山半腰的廢棄遊樂園、那座頂部有船的房子、水窪里紅紅綠綠的夜燈光,讓我對此多麼眷戀。右手中輕鬆地玩弄著一根細制香煙,靠在山頂平台金屬欄桿上,晚風呼嘯飛來卻在我們面前緩緩經過,你難得飽含愛意地回頭望向我,在這座山與小城之間,只有你和我,你面前的陰雨和香煙,我身後摩挲的叢林與寧靜的月。
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team-ginga · 1 year
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映画『生きる』
 U-Nextで黒澤明監督、志村喬主演の映画『生きる』(1952)を見ました。
 その昔、母から話を聞いた映画です。母は本が好きな人でしたが、映画も好きだったのかな。おそらく母が話してくれた映画はこれだけだったと思います。
 母曰くーーぼんやりと暮らしていた市役所勤務の男が胃癌で余命いくばくもないと宣告される。男は死ぬ前に何かを成し遂げようと、子どもたちのために公園を作ることにする。公園が完成して男は死んでいく。男が公園のブランコに乗って「いのち短し恋せよ乙女」と歌うシーンは名シーンだ。
 まさにそれがこの映画の中核ですが、実際に見てみると当然ながらそれだけではなく、いろいろなものが付け加えられています。
 主人公の渡邉(志村喬)が胃癌で余命いくばくもないというのはその通りなのですが、実際に医者にそう言われるわけではありません。病院の待合室で見知らぬ患者と雑談をして「胃癌というのは恐ろしいものです。医者は軽い胃潰瘍だと言い、特に消化の悪いものでなければ好きなものを食べていいと言うのですが、あっという間に悪化して死んでしまう」と聞いた渡邉は、医者にその通りのことを言われてショックを受けます。
 直後のシーンで医者同士が「あの人はいつまでもちますかね」ーー「半年くらいかな」と言っているので間違いはないのでしょうが、時代を考えれば本人に宣告しないのは当然としても、家族にも教えないものなんでしょうか。本人も家族も知らず、医者だけが知っているというのは、今の感覚からするとちょっと変な感じがしました。
 渡邉は早くに妻を亡くし、一人で息子を育てました。息子は社会人になり結婚して、渡邉と一緒に暮らしています。
 渡邉は市役所の市民課の課長です。ある地区に住む女性たち(その中には若き日の菅井きんもいます。こんなに可愛かったんだ、菅井きん)が空き地の水たまりをなんとかしてくれと陳情に来ていますが、市民課から公園課へ、公園課から土木課へたらい回しにされるだけで、一向に埒があきません。
 渡邉も若い頃は仕事に熱意を持っていたようで、仕事場の机の引き出しには市役所の運営の改革に関する私案の書類が入っています。若い頃に渡部が書いたのでしょうが、結局提出しないままになってしまったということですね。必死に書いたはずの書類の最初のページを破ってペン先の掃除に使うシーンは、渡邉の現在と過去を一瞬で対比するいいシーンだと思いました。
 癌で余命いくばくもないと知った渡邉は市役所を欠勤し、銀行から5万円おろして飲みに行きます。当時の5万円って今のいくらに当たるんですかね。100万くらい? まさか500万ということはないでしょうが、かなりの金額です。
 でも、遊び慣れていない渡邉は何をすればいいかわかりません。彼は飲み屋で知り合った小説家(演じるは伊藤雄之助。痩せて精悍な感じで、まさに無頼派の小説家という感じです)に余命いくばくもないことを話し、パチンコやキャバレーに連れて行ってもらいます(この時代のパチンコって立ったままやるんですね。知りませんでした)。
 キャバレーでピアニストに「リクエストはありませんか」と言われた渡邉は『ゴンドラの唄』をリクエストし、ピアノに合わせて歌います。
 あ、ここでまず歌うんだ。
 このシーンは凄みがあります。志村喬はうつむき加減で虚空の一点を見つめながら、口をほとんど動かさず、調子はずれに歌います(音をはずすというよりリズムをはずし、ピアノの伴奏と合わない歌い方です)。
 彼の横に座っていたホステスは怖くなってどこかへ行ってしまいますが、むべなるかなーーそれほど鬼気迫る感じです。
 いいなあこのシーン。当然ラストで志村喬はもう一度『ゴンドラの唄』を歌うのですが、私はこっちのシーンの方が好きです。
 一晩中遊び歩いた渡邉は翌朝、自宅に帰る途中、市役所の部下の女性・小田切と偶然で会います。小田切は市役所の仕事は退屈だから転職する、ついては辞表にハンコが欲しいと言います。小田切の靴下が破れているのに気づいた渡邉は洋品店でストッキングを買って彼女にプレゼントします。
 小田切は「これ欲しかっただけど高くて」、「もしこれを買ったら、1ヶ月間お弁当のおかずはメザシになってしまいます」と言って喜びます(彼女は二間のアパートに3家族で住んでいるとも言っていました。まだ日本全体が貧しかったということでしょうか)。
 渡邉は小田切と一緒に遊園地やスケート場や映画館に行きます。息子や息子の妻は年甲斐もなく若い愛人を作ったのではないかと疑います。
 渡邉は息子に病気のことを打ち明けようとします。しかし、息子は愛人ができたという話だと思っているので話が噛み合わず、渡邉は打ち明けるのをやめます。
 一方、小田切は最初こそ渡邉と一緒に出かけるのを喜んでいましたが、だんだん不自然なものを感じて、もう出かけたくないと言います。渡邉は最後に一度だけと言って、小田切を喫茶店に連れて行きます。
 渡邉は余命いくばくもないことを小田切に打ち明け、「私はミイラのように生きてきた」、「君はどうしてそんなに生き生きしていられるんだ」と尋ねます。小田切は「さあ」と言った後、バッグからウサギのおもちゃを取り出し(彼女は市役所を辞めておもちゃ工場で働いているのです)、「これを作ってるからかしら。どこかの赤ちゃんがこのおもちゃで遊んでいると思うと嬉しくなるの」と言い、「課長も何か作ったらどうですか」と言います。
 でも渡邉は何を作ればいいかわかりません。小田切も「あの役所じゃ無理ですよね」と言います。しかし、渡邉は何か閃いたように喫茶店を出て行きます。
 その喫茶店は2階建てで中央に階段があり、渡邉と小田切は2階にいます。階段を挟んだ向こう側では、大勢の若者たちが仲間の誕生日を祝っています。
 渡邉が階段を駆け降りるとき、ちょうど誕生日を祝ってもらっている女性が現れたのでしょう、若者たちは一斉に「ハピーバースデイ」を歌います。
 次のシーンで渡邉は役所の部下たちに市民からの要望に応えて、空き地を整地し公園を作ると言うのですが、そのシーンでも「ハピーバースデイ」が流れます。
 それまでミイラのように生きていた、本当の意味で生きているとは言えなかった渡部が、この瞬間生き始めるということを示す演出ですが、うーん、どうなんでしょうね、これ。わかりやすいだけに少しあざとさを感じてしまいました。
 そこから時間が飛び、渡邉の葬儀の夜になります。これはちょっと驚きました。渡邉の死から遡る形で渡邉のしたことを描くわけですか。なるほど……これは予想していませんでしたが、なかなかいいですね。
 同僚や上司が渡邉の自宅に集まっているところへ、新聞記者たちがやってきます。空き地に公園を作ったのは渡邉なのに、それを自分の手柄にした助役にインタビューしたいとのことですが、そんなことで葬儀の場にまで来るものですかね。
 助役(演じるは中村伸郎)は「記者たちは役所の仕組みを知らないから困る。公園を作ったのは渡邉君ではない。渡邉君一人の力では何もできない」と言い、土木課長や公園課長も「取りまとめたのは助役ですから」とお追従を言います。
 そこへ陳情に来た女たちが焼香にやって来ます。彼女たちは泣きながら焼香をしますが、何も言いません。この「何も言わない」ところがいいですね。下手に何か言うと艶消しです。
 女たちが出ていくと、助役たちは居心地が悪くなったのか早々に立ち去ります。残った市民課の職員たち(藤原釜足がいて千秋実がいて左卜全がいます。いつものメンバーですね)は最初「あの公園ができたのは課長一人の力ではない」と助役たちと同じことを言いますが、若い課員が「いや、あれは渡邉課長の力だと思います」と言うのをきっかけに、渡邉が公園設置のために何をしたか、それぞれが思い出話をすることになり、最終的には「課長は立派だった」、「俺たちも課長のように頑張るぞ」と言います。
 そこへ巡査が現れ、焼香します。巡査は前夜遅く、渡邉が一人で公園のブランコに乗り「ゴンドラの唄」を歌っていたと言い、あの時きちんと保護していれば亡くなることもなかったと悔やみます。
 そこでフラッシュバックーーブランコに乗った志村喬が「ゴンドラの唄」を歌うシーンが流れるのですが、私は知っていたからかもしれませんが、このシーンよりキャバレーで「ゴンドラの唄」を歌うシーンの方が凄みを感じました。
 翌日の市役所ーー職員たちは前夜「課長のように頑張るぞ」と言っていましたが、何も変わりません。以前と同じように陳情に来た住民をたらい回しにしています。
 葬儀の場で渡邉を擁護した若い職員が、渡邉の作った公園へ行き、子どもたちが遊んでいる姿を見ているところで「終」とでます。
 確かにいい映画です。批判はしたくないしできません。
 黒澤が渡邉という人間の生と死を描くとともに役所の縄張り主義、硬直したシステムを批判しようとしたのはよくわかります。
 でも、個人的にはそういう風刺はどうでもいい、渡邉だけにスポットを当てて欲しかったという気がします。
 志村喬はもちろん名演です。猫背でオドオドして、病気が進むにつれてだんだん掠れ声になっていくところなぞ誰も真似できないと思いますし、『七人の侍』のリーダーと同じ役者がやっているとはとても思えません。
 でもなあ……いつも濡れた目をしている(これももちろん役者としての技術ですが)のを見ていると「病気の犬」か何かに見えてしまうというのもまた事実です。
 息子もかわいそうだよなあ。物語の流れとして息子夫婦には打ち明けない/打ち明けられないというのはわかるのですが、自分が息子なら「親父、どうして言ってくれなかったんだ!」と言いたくなります。
 息子は知る由もありませんが、渡邉は初対面の小説家や職場の部下にすぎない小田切に癌のことを打ち明けています。他人には打ち明けられるのに息子には打ち明けられない……世の中にはそういうこともあるとは思いますが、息子としてはたまらないだろうと同情してしまいました。
 『生きる』はミュージカル化(!?)されているそうです(渡邉役は市村正親と鹿賀丈史のWキャスト)し、最近イギリスでリメイクもされているそうですが、もしあの話を現代に置き換えるとどうなるんでしょう。
 ちょっと見るのが怖い気がします。
追記:  志村喬は1905年生まれ。ということはこの映画のときには47歳。  え? 47歳?  とてもそうは見えません。  もっとも当時の定年は55歳ですから、渡邉はまだ50代前半ということになります。  今とは年齢の感覚が全く違うということでしょうか(『サザエさん』の波平だって50代前半、うっかりすると40代なわけですし)。
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superfriends2 · 1 year
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秋のライブ情報
この夏は、ライブを入れず久々にのんびり過ごして、とてもリラックスできました。秋から冬にかけてはライブのお誘いがいくつかあり、久々に出動します。まだ全ては解禁できませんが、年末にかけて忙しくなりそうな予感です!
●2023年9月10日(日) at 下北沢SHELTER
chie 1st mini album "cityscape" release tour final
出演: chie uri gagarn Superfriends
OPEN 18:30 / START 19:00 ADV ¥2,500 / DOOR ¥3,000
ご予約は氏名、枚数 を記載の上 [email protected]まで!
chieのレコ発ファイナルにお呼ばれしました。chieとは4年前高崎であったイベントで一緒になって、すぐに好きになりました。乾いた演奏に少し寂しげなグッドメロディーがのる、とてもいいバンドです。uri gagarnも、何度見てもまた見たくなる、最高にワクワクドキドキするバンドです。かなりおすすめな1日なので、ぜひ遊びにきてください。僕らは一番手!お待ちしております〜。
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●2023年10月1日(日) at 京都livehouse nano
『P.O.P.S.』
出演 : Superfriends The World Will Tear Us Apart Barbara ゆ~すほすてる
OPEN 14:00 / START 14:30 ADV ¥2500(+1d¥500)/ DOOR ¥3000(+1d¥500)
予約はこちら→ http://livehouse-nano.com/reserve1.php
仕事柄あんまり秋口にはライブをしないバンドなのですが、nano店長モグラさんから熱いお誘いのメールが来て、出演を決めました。ゆかりの深いThe World Will Tear Us Apart(サポートギターをやってくれてるショーハシくんのバンド、メンバーほとんどが大学時代の軽音サークルの後輩)やBarbara(同じSecond Royalレーベル所属で友達)に加え、いつか共演してみたいと思っていたゆ〜すほすてるが出る、ということで、俄然楽しみです。この日も確実にGood Vibesが満ちた1日になること請け合いです。ご予約お待ちしております!
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ということで、取り急ぎ東京と京都の2つのイベントのお誘いでした。この夏は東北を中心にたくさん旅行して気力が回復したので、きっとハツラツとしたライブをお届けできるのではないかと思われます。2023年も気づけばあと4ヶ月くらいですが、相変わらずマイペースに音楽をやっていけたらと思います。
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(写真は岩手県の駅ビルで買った、南部鉄器土偶。炊飯器に入れてご飯を炊くと、鉄分をブーストできるらしい…)
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littlesallywalker · 1 year
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日記
視線の先で鳩が飛んでいく、お祝いのような場面だった。
秘密の経路であるそこは線路際に一度出て住宅地を走る。
暑く春陽から初夏になる熱の光で今しかなくて写真を撮った。
今しかないっていうのは強迫みたいなんだけどそこに祝福があると、
円い影が出来る。影は額と脚を覆ってくれる。
情熱は円盤のなかでいつも攫われていくもの。
偶然の産物のなか君への後悔を拭って捨てた。
高校生のときリーバイスのスニーカーを買った。
オールスタータイプの形で、でも生地がデニムで。
なんか当時かっこいいとおもったんだよね。
ただ同時に「育てがいがある」とも思った。
ボロボロになる過程できっと味がでるって小僧なりに。
わたしは今でも履いていて、なかなか迫力がすごいです。
なにせ川を渡り林をぬけて動物と戯れがしがしと洗い君に会い、
別れて泣いて海辺でサックスが咽びなき波止場でフェリーに轢かれ、
ともかく、いつも履いていたんでほぼ出会いの面影がないのだ。
面影がないとこれら最初の出会いすら実はあやしい。
どこで買ったかな、果たしてオールスタータイプか。
リーガルを育てたりもしているけどそれはわかる、革だし。
デニムとはいえスニーカーはなんだかサンダルになっていくね。
話としてはそれを履いた日ってだけ。
サンダルの季節、昨日はヒョウ柄のシャツと...。
このまえ「私をどうのこうのする42枚」をならべてここにも貼って、
ひじょうに楽しかったけどビッグスターとかニック・ドレイクとか、
その辺はなんとなく抜いてみた。もちろんレジェンドで今も好き。
ただすごい後悔があった、後悔というかコロッと忘れていた。
二階堂和美さんの「ニカセトラ」というアルバム。
カレンダーをよむように月ごとを含む曲の弾き語りカバー作品で、
たとえばユーミンは「ハッピーニューイヤー」とかそういうの。
学生のとき聴き狂っておりました、特に眠るとき。
これは「アルバム」そのものでアナログはたしか、
A面「せぷてんばぁ」でおわった気がする。
おわってからしばらく空稼働させてよくぼうっとしていた。
先日のwebマガジンの片やに二階堂和美さんの写真が隠れている。
日晷儀の日々(次七) - Web ZINE『吹けよ春風』 (fukeyoharukaze.com)
まつともさんという写真家の方にお供ねがって一枚預けて頂いた。
去年わたしが冊子をだした際にご感想とその写真を送ってくれ、
ここには詳しく書けないけれどあるストーリーを教えてくださった。
以前わたしは衝動にかられ毎日毎日写真を再ネットプリントしてた。
うちはプリンターがないので家の前のコンビニのこと、
”冷蔵庫つきのプリンター”みたいにしてせっせ通って、
ポストカードを300枚近くがっつり刷って共有してた。
まつともさんはそれを気に留めていてくれて、
一枚、二階堂さんにあるとき送ったという。
それを伝えるべく添付して頂いたのがその二階堂さんの写真。
うれしくて、だってさながら人生かかったように聴いていたから。
しばらく経ってwebマガジンでそれを思い出してお願いしてみた。
主に、はじめての冊子でなにがなんだかわからなくなった様子をと。
懐ふかく受け入れてくださりまず真ん中にお迎えしもってくる形で、
ちょこちょこと写真を縦横にくんでいった。三週間経過した笑
散らかったプリントの部屋そのものみたいなものとなって。
その300枚はあのとき冊子作りの下地にもなってくれた。
何があるかわからないものですよね。
そんな鼓動をわけてくださったのだった。
だから、42枚にニカセトラいれ忘れた~って。
つまらない話でいうと昭和歌謡に興味をもったきっかけで、
「話しかけたかった」も「みかん」もそうして知りました。
また42枚作ろかな、並べるたのしさがぎゅっとあったなあ。
リンクは春からはじまる暦の1曲目。CDLP両方から聴いていた。
このうつくしさはなんだろう。学校いかなきゃ...。の両立。
今夜はキャベツと蒸し鶏の鍋にするよ。
土鍋で、けれどさっぱりと食べたいです。
はやくかえってきてください。
youtube
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yachch · 2 years
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新刊『光や風にさえ』試読
プロローグ アサイラムにて
 おぼえているかしら、ねえさん、裏庭にあったブランコのこと。古びたユーカリの木の枝からぶら下がっていた。嵐の晩にどこかへ飛ばされてしまって、どんなに探してもみつからずに、枯れ葉の下で朽ちて、土に還っていった。  妹の声がよみがえってきたのは、シャワールームにいるときのこと、わたしはバスタブに寄りかかってシャワーの水があたたまるのを待っていた。給湯器の調子が悪くて、適温になるまで何分もかかったから。わたしは両足を開いて床に座り、陰部にできたしこりをいじっている。クリトリスを挟むようにできたしこりは痛みこそないけれど、時間をかけ、ゆっくり成長している。  妹とは夕方に十五分くらいビデオ通話で話した。電話代だってばかにならないのに、水曜日になるとかならずかかってくる、儀式めいたもの。でも、このところの彼女は、どうにも歯切れが悪く、あたりさわりのない話題ばかり選んでいるようだ。衛星がぐるぐる回るように、迂遠な語りばかり重ねている。だからふたりの会話はいつも迷走して、着地点を見失って終わる。頻繁に話しているわりには印象に残りづらい、無意味な語りかけは、けれどもトゲのようにわたしの胸に刺さった。  かつて家族で暮らした一軒家には、たしかにユーカリの木があった。赤土にどっしり根を張り、枝という枝からボロ布のようにウスネオイデスをぶらさげていた。けれども、その枝にブランコをぶらさげたことは一度もなかったと記憶している。妹と一緒に暮らす両親すらおぼえていないと言うのなら、もうたしかめようのないことだ。火の不始末で、わたしたちの生家は祖母ごと燃えてなくなってしまったことだし。  でも、たしかめようがないからこそ、おぼえているかしら、と妹は語りかけてきたのかもしれない。記憶という本来わかちがたいものを共有したいと思い、願ったから。不幸にもその記憶はだれにも受けとめられず、宙に浮いてしまった。蓋然性を失し、空想の、あたかも物語であるかのような語りに変質していった。ただ生きているだけの、とるにたらない人間の記憶の正誤など、いちいち検証してはいられない。記憶を共有する誰かが、たしからしいと証明しないかぎりは。だから、記憶を共有できないというのは、物語と区別がつかなくなることに近しいのではないか、とわたしは思う。  眩暈が波のように押し寄せてくる。貧血からくるそれを床に伏せてじっとやり過ごす。気を取り直して、シャワーが適温になったことを手のひらでたしかめた。  バスタブに入り、半身に湯水を浴びて、肉体の痛みがどこか遠い場所に去ってくれることを期待する。湯気にかすむ天井をぼんやりながめていると、ふと、半年くらい前におなじ体験をしたのだ、ということに思い至った。あのときの彼女も、わたしに対してこのように語りかけた。Tal vez te acuerdes(おぼえているかしら)、と。耳朶に直接吹きつけられたかのように、息づかいや吐息の熱とともに、なまなましくよみがえるその声。  泡沫のように予期せず浮かび上がってきた記憶が、異なる記憶と共鳴し合い、痛みからの逃避を求めるわたしをその渦に飲みこんでいく。  ――きっかけはロドリゴだった。半年ほど前だったか、彼から電話がかかってきて、たまたまそれを受けた。テニュア審査に落ちた彼が市内の別の大学に転籍するのと、わたしが自分の研究室を閉めたのはほぼ同時期で、以来、一年半にわたって彼からの連絡を無視していた。だからわたし電話口に出ると、彼はとてもびっくりした。  彼は興奮ぎみに近況を話し、非常勤講師としてなんとか食いつないでいると言った。わたしはすでに大学を退職していたけれど、自分からは話さなかった。用件はこうだ――調査に同行してくれる日本語通訳者をさがしている。  たしかにわたしは日系三世で、日系移民の帰国事業を見越して親も桂(ケイ)なんていう日本的な名前をつけ、日本語の教育を受けさせた。でも、第一言語は彼とおなじスペイン語で、妹ほど流暢にはしゃべれない。正直にそう話すと、いいから、とロドリゴは言った。実は、日系移民の女性に会いに行くんだ。貴重な一世さ。スペイン語が通じなかったとき、ちょっと手助けしてくれるだけでも――本音をいうと、きみに会えるかもしれない、ってのがうれしくてたまらないんだ。ロドリゴの声は弾んで、涙まじりだった。すこし前だったら、不愉快になっていたかもしれない。あなたが想像したり、ときに期待したりするほど、あっというまに死ぬわけじゃないんだと嫌味を言っていたかもしれない。でも、電話に出る気になったのと同じ理由で、わたしは柄にもなく浮かれていた。病気が寛解し、経過観察になったから。血流に放たれたエクソソームが臓器を耕し、いずれはまた悪いものの芽を生やすとしても、たとえいっときでも心身をどろどろにする化学療法から離れられた。  ロドリゴは以前とかわらず、『トラタミエント』と呼ばれる処置を受けた臓器提供者たちの追跡調査を続けていると話した。くだんの日系移民の女性もそのひとりだった。長く非合法の臓器提供者として生計を立て、その最後の段階として、いまは心臓の提供先を探しているという。わたしの祖母と世代が近く、長く市内のアサイラムで暮らしているとの話で、どこかで祖母とかかわりがあったかも、と考えたことをおぼえている。昔からここに住んでいる日系人はめずらしかったので。  約束をとりつけて、数日後には彼女のもとに足を運んだ。彼女の暮らすアサイラムまでは、最寄りのバス停からけっこう距離があって、何度も階段路地をのぼったりおりたりするはめになった。歩きながら、ロドリゴは飼っているデグーの話をした。わたしは適当に相づちを打ちながら、どうしてこのあたりはこんなに臭いんだろうと考えていた。アサイラムは移民街のなかほどに位置していたが、腐った歯のようにバラックが密集して、有機物の発酵しゆく臭いが充満していた。  さんざ迷った末に目的地に到着し、受付にいたアサイラムのスタッフに彼女の所在をたずねると、あのひとならいつも中庭よ、と言われた。日陰で根を生やして、じっとしているはずよ。案内された中庭は狭く、きたならしかった。年老いた女性が地面を転がりながら煤けた肌をかきむしっていた。なにをそんなに恐れているのか、ずっと声を震わせながら怒鳴っている男性もいた。でも、大抵のひとは、死んだように目を閉じて、その場でじっとしていた。コントロールしやすいように毎日多量の鎮静剤を与えて、市街からかき集めてきた浮浪者や精神異常者を押しこめているから。公的給付金を得るためだけに運営される福祉施設のひとつ。  狭い中庭��ロドリゴは歩き、すぐひとりの女性に目をつけた。大柄な彼の影にすっぽり収まってしまうくらい小柄な女性で、膝を抱えて座りながら、じっと地面の一点をみつめていた。  ――なにをみているんですか?  地面に膝をつき、ロドリゴが問いかけるが、女性はひび割れたタイルを凝視するだけで答えない。まばたきをしないので、眼球がすっかり乾いて、充血していた。目許には脂(やに)が溜まって複雑な地層をなしていたことをおぼえている。  ロドリゴがしばらく無意味な呼びかけを続けていると、屋内からスタッフが出てきて、備えつけのホースで水をまきはじめた。ロドリゴがさっと立ち上がる。彼女の隣には排水溝があって、地面の傾斜に従って水がそこに流れていった――でも、彼女はくるぶしまで水に浸かっても平然としていた。みじろぎひとつせず、修行僧のようにじっと座り続けている。  事前に渡された診断書には、彼女が多数の臓器を喪失している事実とともに、認知能力が極端に低下していることが記載されていた。くずれゆく脳では記憶が更新されず、判断力と遂行力も消失する。外界からの刺激に鈍くなっていた。  スタッフがおもむろに歩み寄ってくる。水の通りが悪くなったのか、排水溝に引っかかるものをつかんで放る。  放り投げられたものは、偶然、彼女の目先に落ちた。  すると、はだしの指の先が、ぴくりと動いた。  彼女はまぶしそうに片目をすがめると、ささやくようにこう言った。  ――あれは蘭。アングロアの根。  何年ぶりかに話したかのように、声はかすれている。  ロドリゴはかすかに身じろぎし、前のめりになると自然と傾聴の姿勢をとった。彼女はスペイン語を話しはしたがひどくなまっていたので、正確に聴き取るためには用心深く耳を澄まさねばならなかった。  ――もともとは寒いところの花……だから、低地で育てると夏越えができなかった。毎年そうだった。  それだけ言うと、また押し黙ってしまう。  ――蘭を育てたことがあるのですね。私の実家の裏庭にも、原種の蘭がたくさん咲いていましたよ。  彼女の目線の先にあるものは、たしかに植物の根のようにもみえた。腐ってカビが密集し、もとが何だったのかは判別がつかなかったけれど。  ――私の家の庭には、アロエやベゴニアがあって……それから。  意外にもしっかり会話がつながったことにおどろいていると、彼女はゆっくり顔を上げ、相手と目を合わそうとすることさえ試みた。  でも、視線の先にいたのは話しかけたロドリゴではなく、どうしてかわたしった――彼女は表情らしき表情を浮かべていた。不自然に顔をしかめるだけだったが、驚愕ともとれた。  ――おぼえているかしら?  口の端にほほ笑みをにじませ、彼女は語りかけた。分かちがたく、不可侵の記憶の一片を、わたしが受けってくれることを願いながら。  ――わたしの庭に蘭があったこと、おぼえているかしら、アングロアの、赤ん坊の花。  あとになってわたしは思う。もしかしたら、あの瞬間、彼女はみずからをとりまいていた深い暗闇をぬけだして、くずれゆく自己をほんの一片でもつかみとったのかもしれないと。  この不可解なできごとを前に、ひとつ思い出すものがある。  いつかSNSで拡散されていた、ある動画のこと。再生をはじめると、どこかの高級な養老院とおぼしき明るいホールが映る。そこでは老人たちが談笑しており、カメラのレンズはそのなかのひとり、車椅子に座った老女に近づいていく。赤子のように無垢な目で虚空を眺めていた老女は、ホールに音楽が鳴り出すやいなや、不自由な上半身を繰って、何とも生き生きと踊りはじめる。見間違いようもなく、アルゼンチン・タンゴのふりつけで。タンゴは足さばきに目がいきがちだが、軸が置かれるのは上半身だ。上半身の動きがあってこそ、複雑なステップが生まれる。だからこそ老女が上半身をよじり、そらすだけで、タンゴという共通言語をもつ者の目には自然と優雅な足どりが浮かぶ――動画の最後には、老女がかつて一世を風靡したアルゼンチン・タンゴのスターであり、現在は深刻な認知症で自分の名前すら思い出せない旨が記される。奇跡の数分間。でも、そのうつくしい再現はけっして奇跡の賜物ではないことをわたしは知っている。単に彼女が長い時間をかけて軟骨をすり減らしながら、必死にタンゴのリズムを身体に記憶させたという証左でしかない。身体記憶は、自我や認知とは異なる場所に保管されるものだから。ゆえに自分の名前を忘れても、タンゴは忘れないという不可解な状況も成立する。  だから、彼女はあの腐った根をみて、土をいじる感触、花と緑葉の香りを想起したんじゃないだろうかとわたしは想像する。身体記憶をきっかけに、ほどかけかた自己が偶然にも結び直されて、泥河に沈んでいた物語に光が当てられたのではないかと。  そうでなければ、説明できないとも思う。  ――だいじょうぶ、ちゃんとやるわ、私。あなたのためなら、心臓をあげたってかまわない。約束したものね。  ――約束って?  ロドリゴの質問に、彼女は穏やかに話した。  ――仏さまに近づけるって、あなたが言ったんじゃない、マヤ。  ――マヤって?  ――私の娘。そうでしょう?  わたしはとっさにかぶりを振る。  すると彼女は語りはじめた。  真偽不明で信憑性に欠けた、一編の長い物語について。
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myonbl · 2 years
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2022年10月17日(月)
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母の形見のオニキスを、<魔除け>として身につけだしたことは既に報告済みである。だが、朝晩ツレアイに脱着作業をお願いするのもちと申し訳なく、何とか自分でできるようになろうと健気にも練習を開始した。その結果がこれ、古いものだけに糸が弱くなっていたのか、無残にも壊してしまった。手先の不器用な私にそれを修復することなどできるはずもないのだが、昨日の日曜日にツレアイが応急処置をしてくれた。おかげで、今日からまた身につけて出勤、土偶の柄との相性も良く、気持ちよく仕事ができたとさ。
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5時起床。
日誌書く。
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蕎麦の解凍を忘れたので、今朝は煮麺定食。
洗濯1回。
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月曜日は3人分の弁当を用意する。
ツレアイの職場経由で出勤する。
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順調に到着、換気、ラジオ体操、お茶。
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来月の上方演芸特選会は露の新治さんが主任、10時を待って予約、11/18(金)は1人で、19(土)は2人で伺う予定だ。
月曜日3限・4限は「情報機器の操作Ⅱ(看護学科)」、第4週目は PowerPoint の仕上げ、復習課題に取り組んでもらったが60分では最後まで到達したものはほとんどいなかった。次週は休講なので、2週間後からは Excel に入る。
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帰路の名神高速道路、上り線深草バス停付近で事故があったとのことで高槻JC辺りから渋滞発生、いつもより30分以上遅れて帰宅した。
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冷蔵庫の残り食材で夕飯を用意しているところへツレアイから連絡、明日が休みになったと。それならと急きょ週末モード、大皿に盛り付けてみなで夕飯、息子たちには赤ワイン、私たちは吉野川で乾杯。
録画番組視聴、新日本風土記。
74分版 絶景鉄道 只見線 11年目の再会
初回放送日: 2022年10月14日
今月1日、豪雨災害を乗り越え「全線再開通」を迎えた只見線。7月放送の番組に再開通当日の映像を加えた拡大版で「鉄道の日」の夜にお届け
▼新緑の5月から川霧に覆われる6月、そして全線再開通を迎える10月。福島・会津若松から新潟・魚沼まで、135kmを駆け抜ける。「世界でもっともロマンチックな鉄道」といわれる絶景をたっぷり紹介。鉄道と共に人生を歩んできた人たちの人情、そして再開通を迎える日の思いに触れる旅
片付け、入浴、今夜の体重は前夜から600g減、よし!
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夕方の買い物に出なかったので、3つのリングは完成できず。水分は、2,000ml達成。
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xf-2 · 25 days
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NHKのラジオ国際放送などの中国語ニュースで、中国籍のスタッフが、沖縄県石垣市の尖閣諸島について「中国領土」など、原稿にない発言をした。最大の問題点はどこにあるのか。NHKや政府はどう対応すべきだろうか。
この案件を時系列で整理してみよう。産経新聞によれば、NHKは19日、午後1時過ぎから短波ラジオなどの国際放送とラジオ第2放送で伝えた中国語のニュースの中で、外部スタッフが尖閣諸島について「中国の領土である」と述べるなど、ニュース原稿にはない不適切な発言を約20秒間にわたって行ったと発表した。このスタッフはNHKの関連団体が業務委託契約を結んでいる中国籍の40代男性だという。
この案件と同時並行的に尖閣では重要な事案が発生していた。40代のメキシコ人男性が16日午後、魚釣島の東岸にカヌーで上陸しているのを哨戒中の巡視船に発見され、ヘリコプターでつり上げられ救助された。
この男性は与那国島(同県与那国町)から台湾に向かっていたが、与那国島と台湾の間には尖閣方面に黒潮本流が流れており、それに乗って漂流したとみられる。
石垣海上保安部(同県石垣市)は19日、この男性を出入国管理法違反容疑で書類送検した。海上保安庁による救出と警察権の行使は、尖閣諸島を日本が有効に支配していること(実効支配)を国内外に示すことになった。
この尖閣に対する実効支配を示されて困るのは中国だ。うがった見方かもしれないが、筆者には、これらの2つの案件が単なる偶然の一致とは思えない。中国側が、漂流するメキシコ人に気が付いていたと思うのが自然であり、その後、日本の海上保安庁がその身柄の確保をしていたのも分かっていたのではないか。
NHKは中国籍スタッフとの契約を解除したというが、何らかの第三者の介在があったのかどうかも含めて背景その他を徹底的に調べるべきだろう。
なお、中国籍スタッフの行為は、偽計業務妨害罪にあたる可能性も否定できない。同罪は、偽計を用いること、他人の業務を妨害すること、故意があることが構成要件なので、今回のNHKの事案では該当するように思える。
特に、NHKの国際ニュースは普通の放送ではない。NHKの国際放送については、放送法で総務大臣がNHKに対して、放送事項や放送区域などを指定して国際放送を行うよう要請できる。2024年度において、総務省はNHKに対し、邦人の生命、身体および財産の保護にかかる事項や国の重要な政策にかかる事項などで報道と解説を行うように要請している。そのために、24年度に35億9000万円の交付金が国からNHKに対して支払われている。
警察や国会において、今回の事案の背景を含めてしっかり解明し、その上で責任者に対して適切な処分を行うべきである。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
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msgmzh · 1 month
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講座名:『さいたま市史』刊行記念講座 「さいたま市の旧石器・縄文時代」
会場:鈴谷公民館
日時:8/20(火)10:00~12:00
講師:さいたま市史編さん原始・古代部会長 青木義脩先生
内容メモ:
・旧石器時代の3万6千年前に、大宮台地に現生人類の痕跡(遺跡)がある。明花向遺跡がもっとも著名。
・以前は、関東ローム層には何もないと考えられていたが、群馬の行商人相澤忠弘が発見、自転車で東京に持って行ったがなかなか認められなかった。
・見沼周辺には旧石器遺跡が密集している。 ・ナイフ形石器は、黒曜石、チャート、メノウなどが用いられ、その場で作成しており、石片などが発掘される。さいたまに石はなく、栃木などで産出されるもの。
・縄文時代の区分は、現在6区分。草創期・早期・前期・中期・後期。草創期が加わった。
・民間考古学者安岡路洋がえんぎ山遺跡を発見、草創期の土器が見つかる。 ・縄文時代(新石器時代)、石斧などの磨製石器は、石片などがなく、製品として流通していた様子。もちろん外部産の石。
・縄文前期の海進で貝塚ができるようになったが、ゴミ捨て場ではなく、縄文人は再生を信じていたため、人骨・獣骨があったり、古い家にまとめて置いていたりする。
・貝の種類は、だいたいハイガイ。今は有明海ぐらいなので、ほかで見つかれば貝塚。
・円正寺で見つかった頭骨は研究のためあちこちに出張している。まどかちゃんと講師は名付けているが誰もよんでくれないとのこと。
・土偶は持ち歩かれており、持ち込まれた外部のものも発見される。
・土器は底がとがっており、保存が難しく残っていない。家の内部に埋めてなくなった子供を入れたりもされた。
・柄鏡形住居跡は、敷石住居が普通で全面に石が敷かれているが、さいたまでは(石が貴重なため?)一部に置かれている。
・馬場小室山遺跡などの環状盛土遺構は、住居を作り替える時に土を盛るがそれを中央からとってくるため、中央が窪地になってできている。
・泥炭層遺跡は、有機物が残るため、栗の木で作った丸木舟や、漆の塗られた櫛などが発掘されている。寿能泥炭層遺跡、真福寺貝塚泥炭層、南鴻沼遺跡など。
・真福寺貝塚のみみずく土偶は、所有者が東京在住だったため、亡くなったときに東京に行ってしまった。
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bearbench-3bun4 · 2 months
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猫は知っていた プロローグ
7月4日(土)から7月9日(木)までのたった6日間の話です。
それよりも数日前から始まります。 これから惨劇の起こる箱崎医院(外科病院)と主な登場人物の紹介というところでしょうか。 仁木雄太郎の友人、牧村の世話で箱崎という医院の病室を借りることになって、訪ねて行くところです。
地図のせいか道に迷っている仁木兄妹が偶然声をかけた青年が、これから下宿することになる箱崎医院の長男の箱崎英一で、箱崎幸子にピアノを教えるということがこの時点でなんとなくわかります。 そのまま、箱崎英一と箱崎医院に行くことになります。
氷屋の角を曲り、公衆電話とラジオ屋の前を通りすぎ、電信柱の角を曲がってすぐという表現ですけど、氷屋、公衆電話、そしてラジオ屋です。 ラジオ屋って何でしょう? その頃は、ラジオが主流だったので、ラジオや無線機、真空管などの関連部品を扱う店が多くあったようです。 それが、いわゆるラジオ部品販売の「ラジオ屋」だそうです。
箱崎医院は、門から玄関まで、白っぽいきれいなじゃりが敷いてあり、どっしりした木造の二階建て、右手に別棟で古びた平屋があります。左の方が病院で、右手の平屋がはなれで皆こちらに住んでいます。
当然ように、英一は、はなれの玄関に入っていきます。 出てきたのは、幸子の祖母で桑田ちえでした。箱崎敏枝夫人の母親です。 そして、お茶を運んで来たのが桑田ちえの孫で、両親に死なれたためにこの家の世話になっている桑田ユリです。 英一たちの従妹ですね。 で、桑田ちえの身の上話が有りますが、このあたりは本編と関係あるのか、ないのか?
そうこうしているうちに、敏枝夫人と幸子ちゃんが帰ってきます。 そこに、小さな黒ネコが登場します。「チミ」ですね。 この小説のタイトルでもある猫の登場です。 人なつこいネコで、人の行く所、行く所とついて歩くとありますが、いかにも伏線らしいいですね。
この猫なのか、別の猫なのかいったいどう猫が絡むのか楽しみですね。
さて、「医院」の方の棟の説明です。 図が付いているから関係あるんでしょう。
廊下の右側にならんだドアの上には、それぞれ、看護婦室、レントゲン室、診察室、手術室とあり、左側は応接室と薬局および玄関になっています。 玄関をはいった所に籐のテーブルや長いす、雑誌類をのせた小机が配置されて待合室に利用しているらしいです。 二階へ上がる途中で、院長の兼彦氏にあいます。 敏枝婦人と幸子ちゃん、そして兼彦が二階を案内してくれます。
二階は、広い廊下が中央をつらぬき、その両側に入院用の病室が並んでいて、つきあたりのには「ふとん部屋」があります。 病室は、左側に3つ、右側に4つあって、仁木兄妹は一番西側の8号室に案内されます。 病室が7つしかないのに8号室まであるのは、4号室がないからです。 イメージとしては、病室に下宿しても生活できるのかどうか不思議でしたけど、この当時は、こういうことは結構あったのかしれませんね。
8号室は案外広々として、明るい感じです。 窓に近い方に白ぬりのベッド、反対側の壁に畳が一畳、ベッドは患者用で畳は付添用だと思われます。 また、部屋の中には、小さいテーブルといす、腰ぐらいの高さの戸棚もあります。
ここを購入したのが昭和24年となっていますから、それから4年後の昭和28年というよりも、10年後の昭和34年の7月4日からの出来事と考えたほうがいいのかもしれませんね。
そこへ野田看護婦が兼彦氏を呼びに来ます。 それで、兼彦が出ていきます。 はっきりとは書かれていませんが、敏枝夫人と幸子ちゃんそれから「チミ」がそこに残っていたみたいです。
そのまま玄関まで降りてきて、はなれから入ってきたことを思い出します。 そこで、敏枝夫人がはなれに靴等を取りに行っている間に、平坂という患者のことが話題に上がります。 靴がないから待たされる。そこに、平坂という患者の話題。 このあたりはかなり伏線ぽいですね。
これで、プロローグは終わりです。
7月4日 土曜日に続きますが、推理小説として、犯人は最初に出てくるというのが有ります。 そのためのプロローグだとすると、この中に犯人がいるかも。
このプロローグで紹介されている登場人物です。
仁木悦子(にきえつこ)…主人公です。17、8の桑田ユリと1つ2つしか違わないらしいとあるので、20歳くらいですか。箸が転がってもおかしい年頃は、2年半前に卒業したという表現からもそんな感じですね。音楽大学の師範科に行ってるみたいです。 仁木雄太郎(にきゆうたろう)…主人公の兄です。大学生で植物学を専攻しています。 牧村…仁木雄太郎の友人です。
箱崎兼彦(かねひこ)…医院長 箱崎敏枝夫人…医院長の奥様で、小太りの気のよさそうな人です。 桑田ちえ…夫人の母親、幸子の祖母。65、6で小太りの世話好きそうな老婦人です。 箱崎英一(えいいち)…長男で医科大学に行っています。21、2で、きれいな一重まぶた、青白い顔と注意深い目をしたやせ型の引きしまったタイプで、頭はいいが、気さくにつきあえる相手ではなさそうです。 箱崎敬二(けいじ)…次男、医科大学に行っています。(厳密には登場していませんね) 箱崎幸子(さちこ)…幼稚園に通っているおかっぱ頭の女の子です。 桑田ユリ…17、8の少女。私立高校に通っているちょっとキツネに似た顔立ちのやせた少女です。桑田ちえの孫で、両親に死なれたためにこの家の世話になっていて、英一たちから見れば、従妹(いとこ)にあたります。
平坂氏(患者)…四十に近くかた幅の広いたくましい体格をしています。目も口もなみはずれて大きく、鼻は肉が厚く、まゆ毛は墨でぐいと引いたように濃く、一種独特な印象を与える精力的な顔です。 平坂夫人(患者の奥さん)…小柄で、目も口もこまこまと性質も内気そうに見えます。整った可憐な顔立ちにもかかわらず、疲労のせいかあまり生気がありません。
家永看護婦…細おもてですらりとしていて、度の強い近眼鏡の中の目を光らせています。 野田看護婦…ほんの子供といってもいいような少女で、左右の目が思いっきりとび離れた、人のよさそうな丸い顔をしています。
チミ…黒ネコ。人の行く所、行く所とついて歩きます。
登場人物はあまり多くありません。 じっくり追っていけば比較的かんたんにわかるかもしれませんね。 楽しみです。
つづく。
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psytestjp · 2 months
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wangwill66 · 3 months
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蕹菜
H:蕹菜又叫應菜或空心菜,從小吃到大,常吃的日常,卻認識不多。很多食物細究,卻大有學問。20240625W2
網路資料
蕹菜音讀ìng-tshài釋義空心菜。葉菜類。莖部中空,性喜高溫多溼,分布於熱帶各地,嫩莖發根力極強,隨時可插枝繁殖,是夏季重要蔬菜。
維基百科
蕹菜
一种维管植物
蕹菜(學名:Ipomoea aquatica),又稱空心菜、空芯菜、通菜、壅菜、甕菜、應菜、藤菜及葛菜,為一年生草本植物,莖蔓性,中空[2],節上能生不定根。蕹菜原產於東亞。
Quick Facts 蕹菜, 保護狀況 ...
別名
應菜,蕹菜(南方草木狀、嘉祐本草、植物名實圖考、廈門話),蕹菜(福建話、潮汕話,俗寫應菜),空心菜(山東、福建、台灣、廣西、貴州、四川),通菜蓊、藤藤菜(江蘇、四川),通菜、甕菜(廣東、香港),無心菜,藤菜,竹葉菜,葛菜,草菜,蕻菜,蓊菜(因有不同區域之品種而有不同)。
分布
亞洲各地,生長於水田、溝渠、溪畔及沼澤地。
特徵
雍菜(菜苗)
其莖蔓生[2],長2—3公尺(6.6—9.8英尺),中空(髓腔)。葉卵圓形或披針形,長5—15公分(2.0—5.9英寸),寬2—8公分(0.79—3.15英寸)。開白色喇叭狀花,直徑3—5公分(1.2—2.0英寸),可用扦插或播種的方式繁殖。[3]
蕹菜原產東南亞,但目前主要分布於中國長江以南亞熱帶地區。在水田、池沼種的稱為「水蕹菜」,葉、藤管比旱地種植的大。
蕹菜的葉呈心形,葉柄很長;夏秋季開白色、粉紅色[2]或淡紫色喇叭狀花;種子淡褐或黑色;蕹菜性喜溫暖濕潤,生長勢強,最大特點是耐澇耐炎熱。在15℃—40℃條件下均能生長,耐連作。對土壤要求不嚴,適應性廣,無論旱地水田,溝邊地角都可栽植。夏季炎熱高溫仍能生長,但不耐寒,遇霜莖葉枯死,高溫無霜地區可終年栽培。
蕹菜按照繁殖方式分為子菜和藤蕹兩類。栽培方式依地勢不同分為旱地栽培、水生栽培和浮生栽培(或稱深水栽培)三種。
由於偏酸性土壤會對蕹菜造成生長逆境,所以在酸性土壤中蕹菜的根部空腔(即為蕹菜中心孔洞)較大,反之在鹼性土壤中的空腔較小。
利用
食用蔬菜
炒空心菜
空心菜含有豐富的維生素A原、B族維生素、維生素C及菸鹼酸和蛋白質、脂肪、鈣、磷、鐵以及高濃度的β-胡蘿蔔素等,其蛋白質含量比同等重量的番茄高4倍,鈣含量比番茄高12倍多;空心菜的膳食纖維含量極豐,每100克含量約2.4克,為高麗菜2倍以上,可促進腸胃蠕動,改善便秘。尤適宜糖尿病、高血壓患者。以嫩莖、綠葉來炒食或煮湯,作為夏秋高溫季節的主要菜餚之一。普通家庭或餐館炒蕹菜,常常以蒜頭或鹽和醬油進行調味,偶爾加入牛肉。當中常見菜色包括盛行於粵港澳地區的椒絲腐乳通菜以及流行於星馬兩地的「馬來風光」(即辣炒通心菜)。
參考文獻
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maiho-sail · 3 months
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三島由紀夫の部屋(1)
 三島さんがいると言われた住所には、マンションが建っていた。見覚えがあるなと思ったのはその建材で、斑点状の模様と空洞から大谷石だとわかる。地元にある教会を思い出す。
 部屋の目の前まで来ると、手土産に持ってきたPARIYAのショートケーキが崩れていないか気になる。インターホンがないようなのでノックをする。すると、どうぞと声が遠くから聞こえてゆっくりと扉を開ける。
 ケーキの箱を床と平行になるように気をつけながら靴を脱いで、三島さんのだと思われるターコイズブルーのローファーの横に自分のレオパード柄のバレエシューズ並べる。偶然どちらもベロア生地で中敷がピンク。それが仲良く並んでいて可愛い。
 よく迷わないで来れたねと声が聞こえる。振り返ると、部屋の奥の机で三島さんは書き物をしていた。私は、いえ迷わず来れました。あ、大谷石ですよねこの建物。と質問する。ああそうだよ、よく知ってるね。私、地元が宇都宮なんです。ああそうなんだね、まあ座りなよと三島さんが言う。PARIYAのケーキ買ってきたんですけどと言って、机の上に届ける。そこに置いておいて、ありがとう。まるいショートケーキ。三島さん、これすごいおいしいんです。
 「三島さん、」と自分が話してるのは変な感じがする。いつもは三島由紀夫と呼んでいるけど、いざ対面してこんなふうに呼びかけると、三島さん以外に呼び方はない。由紀夫さんと呼ぶのも考えたけど、馴れ馴れしいし、第一自分で呼んでいてもゆきおさんとは誰なのか全然わからない。でも友だちが三島由紀夫のことを、由紀夫と呼ぶのはすごく好き。
 緊張を紛らわせるために持ってきたケーキをさっそく口に運ぶ。なんか近所の人に回覧板を届けついでにお茶を押しかけてるみたいでおかしい。三島さん食べるかなと心配していたけど、書き物に区切りをつけて食べはじめていた。よかった。
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