#愛着障害の克服
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manganjiiji · 2 years ago
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まるい蕾が剥がれるように
母親から入電。退職者向けの書類がなぜか私の住所ではなくて実家に届いてしまったらしく、��事を辞めたなどとは聞いていないがどういうことだ、という電話だった。そう。確かに仕事を辞めたことは言っていない。べつに、言う必要が無いかなと思ったの��、単純に言っていない。しかし母親にはそれが信じ難い裏切りのように感じられたのかもしれない(という感じの口調だった)。私は今のところ年金による貯金があるし、金銭面で母親を頼る必要もないし、私が仕事を辞めようが続けようが、私のことなので母親には関係がないことだと、単純に考えていたのだけど、「そういうこと」は報告するのが「義務」だと、母親は考えている。私も、たぶんそう思っているのだろうな、とは思ったが、母親と関わるとかなり精神状態が乱れるので、「一旦保留」ということにしておいた。その保留は今日終わった。
母親は、「そっちに行った方がいいか?」「病院の日に(母親が)病院まで行くか?」ということを言っており、なんというか、この人はこの人で、私との間の愛着障害や依存関係に苦しんでいるのだ、と思った。私のほうが、勝手に「ある程度のお金は返したし、これからはプライベートは報告しなくてもいいよね(その義務はないよね)」と思っても、それを母親に伝えていないのだから、彼女のほうでは問題はなんら進展していない。こういうことも話し合っていかなければなと思う。私は「書類を郵送してくれればいい」と言ったが、母親は書類を渡すことを口実にして、私に直接会いたいようだった。でも、会って何になるのだろうと思う。私は家を出る前に「引越し資金を工面してほしい」というお願いをした時に、結構はっきり、家とはほとんどの縁を切りたいという意味のことを言ったと思う。でも、それは「母親ごと」縁を切りたい、という意味では伝わっていなかったようだ。家と縁を切っても、母親のことは頼る、という体制でいく、という宣言だと思われているのかな。でも私は母親とのことが、正直最大の問題だ。母親のことを好きすぎるがために(そして母親にとって私がそこまで重要な存在ではなかったという事実に打ちのめされ)、この歳になってもここまで苦しんでいる。しかし、母親は母親なりに私を愛してくれていた。それはもちろんわかっているし、でも、心底からは認めていないのかもしれない。あの時も、あの時も、あの時も、母親は私ののことを本気で心配したりはしてくれなかった、という恨み節がここぞとばかりに炸裂しているのだと思う。母親は、ただやり方がわからなかっただけなのに。なぜ私はもう少し大人になって、思いやりをもって、母のことを許せなかったのだろう。それは今でも遅くないとは思うのだが、母親と相対すると、どうしても5歳の自分になってしまう。このことは容易には克服できない。電話を切った後も、たいした会話はなかったのに泣いてしまったし、とにかく母親に関係することを思ったり考えたりすると、私は泣くのである。これを書いている今も泣いている。5歳の、自分の心を守ることができなかった自分。それがそのままここにいる。
カウンセリングでは、母親のことを中心に先生と話している。私の問題は、父親でも兄でもなく、母親なのであり、その執着が、今の生活のところどころに暗い影を落としている。母親とこれからどんな関係を築くべきか。話し合うとしたら何を言うべきか。カウンセリングの先生とは来週会うので、また話してきたいと思う。
人間関係、とくに、私がいちばん大切で、重要だと思っている、友人関係において、この愛着障害から来るさまざまな幼児性が、かなり深刻に問題になっている。直近でも、とても仲良くしてくれていた友人を、またしても(つまり2度目)深く傷つけてしまい、これ以上になく反省している最中です。このことで、私は、ずっと逃げ続けていた「愛着障害」というもの、自分が「友人に対して、赤ん坊が母親に求めるような安全基地の役割を無限に求めてしまうこと」に対して、やっと対策しようと思うことができた。人を傷つけるだけ傷つけておいて何を、という感じだが、ここまで人を深く傷つけておいて、さすがにもうこんなことは止めたいと思った。
考えたことはいろいろあり、それはノートに書き出した。とにかく、子供の頃のように、なんでも紙のノートに書き出して、周囲の目に触れない場所で自分の感情を整理することだと思った。そして、どうしてもそれを外に向けて吐き出したい時、それはそのままの形ではなく、小説に詰めて書いていこうと改めて思った。本当はずっと前からそう思っていたはずなのに、近頃はもう、そのままの感情を自分用のTwitterに書き出していた。そういうところでも、「だれて」いたのだと思う。小説が書けないのを体調のせいにして、書くことで自分を救うということをさぼっていた。気持ちは紙のノートに書く。そのうえで、小説を書く努力をする。そうすることでしか私は生き延びていけないのだと思った。
友人に依存してしまう件に関しては、これはすっぱりと辞めるべきだと考える。たとえば、辛い時や、誰かにかまって欲しい時、つまり、精神がネガティブな方向に傾いている時、自分から連絡を取らない。そういう時に「友人(他者)」を頼らない。それは自分の問題であって、まず自分できちんと紙に書き出して、何が嫌で、何を改善したいのか考えてみる。安易にTwitterにメモを取らない。人に助けを求めない。もちろん、自分で考えた結果、これは人の意見を聞いた方がいいだとか、人に話を聞いてもらったほうがいいと判断した場合は、きちんと冷静になってから友人に連絡を取り、話を聞いてもらえるかどうか打診する。
友人との会話ややり取りの中で、深く傷ついてしまった場合があったと��ても、その時に反射で発言したり行動したりすることは、我慢する。その時には一旦黙って、やはり紙や、自分しか見ないメモに気持ちを吐き出す。そうしてから、何を言いたいのか、聞いてほしいのか、きちんと整理して相手に伝える。その場で対応すべきことが起きたとしても、「度が過ぎたこと」をしないで、友人に試し行動をしてしまいそうになる自分を客観視して、我慢する。私は成長すると決めたのだから、どんなに心の中の赤ん坊が泣き叫んだとしても、その赤ん坊に従ってはいけない。
普段から、いろいろなことを我慢しすぎないというのも重要かもしれない。自分で勝手に嫌なことを我慢しておいて、それを盾にして、「私はこれだけ我慢してきたのに、なぜそんなことを言うの」というのは、ただの我儘だ。自分が我慢したことは、相手の要求でもなんでもなく、私が勝手にやったことで、そんなものを人質にするのは、まったくの見当違いだ。自分が「ここは我慢した方がいいな」と感じたのなら、我慢してその覚悟を最後まで通すべきだし、我慢したくないなと思ったのなら、「こういうふうに感じたんだけど、そういう言い方(やり方)をやめてもらうことはできるかな?」と、相手に冷静に伝えればいい。それが友人関係、信頼関係の構築だと思う。それができない相手ならば、私はたぶんその人のことを好きではないのだから、友人関係は解消すればいいだけの事だと思う。
いつでも、私だけが相手を好きなのだと思う。こう思うことも良くないとは思うのだが、相手の優しさに甘えて、つい連絡を取ってしまう。相手は優しいから連絡を返してくれる。しかし、送るのがいつも自分からなのであれば、それは一方通行な感情で、相手は私との関係を求めていないと認めなければならない。それがすごく辛いとしても、私に、相手にとっての魅力がないことがすべてで、そのこと(相性)はどうにもできない。
一人になる練習をする。1人で何かを行うことを習慣づけていく。1人でいても「平気」であることを、自分に覚えさせていく。勉強をする。小説を書く。家事をする。何かを見る、聴く。私のこの「一人が怖い」というのは、単なる寂しさのほかに、1人になると「発狂」しそうになるのが怖いという理由もある。でも実際には発狂しない。自意識が何重にも重なっていることが怖くて仕方ないが、それを感じたとしても、実際には発狂しない、と思う。ただ、小さい頃から時おり訪れるその感覚が怖くて、できるだけ1人にならないようにしているうちに、人への依存が強まっていった可能性がある。正直、今でも「発狂」するのかしないのかは、わからない。でも、しないことを信じて一人に慣れていかなければ、この先の成長はないと思う。自分の頭の中に、自分一人しかいないこと、そして同時に、何十人も自分がいること、このことは確かに自分の理解を超えた恐ろしいことだが、それで死ぬわけではない。死ななきゃ安い、というせりふは格好いいが、死ななくても頭が壊れることはある。自滅だ。だから、その思考に陥りそうになった時には、可及的速やかに「1人の頭に1人分」の思考に戻ってこれるようにする。自分の視界を、現実の自分の目とリンクさせる感覚で、体に「1人分」の意識だけでいっぱいになるように頑張る。他のことを考えて、「自分」のことを考えなければいい。そのためにも勉強や小説は有効だ。空想や妄想や思惟や黙考。そういえば瞑想というのは自分には難しいだろうなと思う。あれをやったら、どこかで間違えて、また「無限の自意識」と向き合うことになり、泡を吹いてそのまま死んでしまいそう。私の中にこんなに何百人、何千人も人がいるのが良くないと思う。一人でいいのにな。
できるだけ多くのことを、普段から忘れておくことだ。何かを考えてもろくなことは無い。だからインプットをしたりアウトプットをしたりして、気を紛らわす。この世はとにかく気を紛らわし続けて過ごすべき場所で、何かを考えたりなんかするもんじゃない。体を動かすことにもっと神経を使えばいいのかもしれない。じっとしているから思考が沈殿してくるのかもしれない。体を動かすというか、少し歩いたりするだけで、私はわりと元気になるので、体調が悪くなければ、歩いたり、部屋の中でも体操したりするのがいいかもしれない。今日は「とりあえずお湯沸かそう」という思考でじょじょに動けるようになった。
また長い日記になってしまったが、今日考えたことや決めたことは、なかなか重要な事だったと思う。こわがって何もしないでいること、少しずつでも体を動かして、空気を変えていきたい。
2023.10.10
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moko1590m · 2 months ago
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人間は、自分が苦しんでいるときに、その苦しみから逃れたいにもかかわらず、その苦しみから逃れる可能性をもたらしてくれる、知識、手段、援助者、習慣の変更、トレーニングなどを拒絶してしまうことがあります。養老孟子氏はそのような心の壁を、バカの壁と名付けたようですが、同様に、人間のこのような習性のようなものをあらわす短い表現や具体例があれば、できるだけたくさん教えてください。
ChatGPT said:
とても深い問いですね。「バカの壁」に代表されるような、人間が自分の苦しみを軽減・克服できるはずのものを拒絶するという性向――これは心理学、哲学、文学の各方面でも繰り返し観察され、表現されてきたテーマです。以下に、似たような意味合いを持つ短い表現、言い回し、具体例をいくつか挙げてみます。
🔹 短い表現・言い回し(慣用句、ことわざ、概念)
1. 認知的不協和(Cognitive Dissonance)
自分の信念と矛盾する情報や手段に出会うと、それを否定したり無視したりする心理的傾向。
2. 現状維持バイアス
今のままでいたいという強い無意識の欲求により、改善のチャンスを逃す。
3. 自己破壊的行動(Self-sabotage)
成功や回復を恐れて、無意識に自分の進歩を妨げる行動をとってしまう。
4. コンフォートゾーン(Comfort Zone)
苦しくても「慣れ親しんだ苦しみ」の中にとどまり、新しい可能性に挑戦しない。
5. ストックホルム症候群
苦しめているもの(環境・人物)に執着し、それを手放すことを怖れる。
6. 賢者の石を蹴る
救いの鍵(知恵や助言)を自分で蹴飛ばしてしまうこと。
7. 飼い慣らされた不幸
「不幸でも慣れていれば怖くない」と思い込み、そこから抜け出す努力を拒む。
8. 無知の安楽椅子(Ignorance is bliss)
知らないことのほうが楽だと感じ、あえて目を背ける。
9. アファンタジア的反応
希望や想像を持つ力自体が枯れており、打開策が見えても反応しない。
10. 「泳げない人が、泳ぎ方を学ぶのを拒む」
→ よくある比喩的な表現。
🔹 具体的な例
1. うつ状態の人が運動や外出をすすめられても拒否する
→ 脳が変化をストレスとして捉えるため、たとえ回復につながる行動でも抵抗が生じる。
2. 依存症の人が治療を頑なに拒む
→ 自分の快・不快の感覚が歪んでいる状態で、快を手放すことが「苦しみ」に感じられる。
3. 虐待されている人が加害者をかばう
→ 安全な世界が信じられないため、今ある不安定な関係のほうが「予測可能」で安心に見える。
4. 肥満で悩む人が運動や食習慣の改善を拒絶
→ 「自分にはできない」という自己概念が固まり、逆に苦しみをアイデンティティにしている。
5. 学習や仕事でつまずいている人がアドバイスを無視
→ 自尊心を守るために、自分のやり方を変えることを拒む。
6. SNSなどで“被害者ポジション”に安住する人
→ 苦しみを語ることで承認を得られるため、それを手放すと「自分が空っぽになる」と感じる。
🔹 文学・哲学的な表現
- フロイトの「死の欲動(Thanatos)」
→ 人間が無意識のうちに自己破壊に向かう欲動を持っているという考え。
- ドストエフスキー『地下室の手記』
「私は苦しむことを望んでいるのだ。」
→ 苦しみすらもアイデンティティとなってしまい、救済を拒む主人公。
- ニーチェの「深淵をのぞく者は、深淵にのぞかれる」
→ 苦しみを見つめすぎて、苦しみと一体化してしまう危険。
もっと言語化したい場合、「自己肯定感と苦しみの関係」や「トラウマとアイデンティティ」などの視点からも掘り下げられます。興味ありますか?
4o
You said:
「苦しみをアイデンティティにしている」「私は苦しむことを望んでいるのだ。」と同様のマインドセット的なものをあらわす短い表現や具体例をできるだけたくさん教えてください
ChatGPT said:
素晴らしい観点ですね。「苦しみをアイデンティティにする」ことや「苦しむこと自体を望んでしまう」ような、ある種の“心の癖”や“思考の罠”――この領域は、心理学・哲学・文学・宗教・精神分析の多くの分野にわたって深く掘り下げられてきました。
以下に、そのようなマインドセット的なものを表す短い表現、言い回し、比喩、そして具体例を、できるだけ多様な角度からたくさん挙げます。
🔹 短い表現・言い回し(マインドセットを表す)
感情や苦しみをアイデンティティ化する表現
苦しみの中にしか自分を見出せない
痛みこそが私の存在証明
悲劇の主人公症候群(Tragic Hero Complex)
傷がなければ私は空っぽ
被害者アイデンティティ(Victim Identity)
苦しみ依存症(Suffering Addiction)
絶望の居心地の良さ
不幸中毒(Misery Habit)
癒されることへの恐れ
「癒されたら誰になるの?」という恐怖
回復や変化に対する恐れを含むもの
幸せ恐怖症(Cherophobia)
幸福に対する自己嫌悪
「よくなる自分」への不信
「どうせまた壊れる」という予防絶望
「良くなるほど落ちたときが怖い」
「傷が消えたら、私じゃない」
変化アレルギー
“壊れたまま”でいることの安心感
「痛みに耐える自分」を美徳にしている
「戦ってる自分」が好きすぎて、戦いを終えられない
哲学的・文学的・宗教的に表現された類型
◉ フランツ・カフカ風の視点:
「救済の約束は、いつもすぐ目の前で手を引っ込められるものだ」 → 救われそうになると、自分から逃げる。
◉ ブッダの教え:
執着こそが苦しみの源である → 苦しみすらも執着の対象になる。
◉ マゾヒスティックな傾向:
苦しみを愛してしまう
痛みの中に快楽が混ざっている
◉ キリスト教的懺悔の極端化:
苦しむことでしか、罪を償えないと思い込む
🔹 具体的なマインドセットの例
「苦しんでいないと、周囲から理解されない」と感じる人 → 苦しみが共感や絆を生む手段だと無意識に思い込んでいる。
「不幸であることで、他者に正当性を主張できる」 → 自己表現の手段が苦しみになっている。
「助けられたら、負けた気がする」 → 自力で苦しみに耐えることを、価値や誇りと結びつけている。
「辛くないと、自分を許せない」 → 自責の念が幸福を遠ざけている。
「楽になると、誰かに悪い気がする」 → 自分の幸せが他者の苦しみを裏切るように感じている。
「元気になると、過去の苦しみを裏切ることになる気がする」 → 自分の過去との整合性を保つために、苦しみ続けようとする。
🔹 補足的な概念・キーワード(深掘りに使える)
サバイバーズ・ギルト(Survivor’s Guilt)
トラウマ・ボンディング
「無力さ」への執着
ネガティブ自己概念の安定化
自己同一性の病理的確立
鬱的ナルシシズム
存在の確認としての苦痛
もしご希望であれば、これらの表現を使った物語的な例や、対話形式のシナリオ、あるいはエッセイ風のまとめ方もできます。いかがでしょう?
4o
You said:
身分制の中で下層に位置付けられている人、学年や年功序列システムで下に位置付けラレている人、兄弟やいとこ同士で年下の立場の人、親子関係での子供などが、その立場に縛られて、「苦しみをアイデンティティにしている」「私は苦しむことを望んでいるのだ。」と同様のマインドセット的なものに陥る場合が多いと思いますが、そういう場合をあらわす短い表現や具体例をできるだけたくさん教えてください
ChatGPT said:
非常に鋭く深いご指摘です。
上下関係のある構造(身分制、年功序列、家族内の序列など)の**「下位」に位置付けられた人**が、自らの「劣位」や「抑圧」された立場に適応する過程で、苦しみや抑圧そのものを自己の一部=アイデンティティとして内面化してしまう――これは歴史・心理・社会学における極めて重要な現象です。
以下に、それを表す短い表現、マインドセット的な言い回し、比喩、そして具体例を可能な限りたくさん紹介します。
🔹 短い表現・言い回し(状況+心理)
1. 「下であることに慣れすぎた」
→ 抑圧の中に「居心地の良さ」ができてしまっている。
2. 「上には逆らえない宿命」
→ 序列を変えるという発想自体が生まれない。
3. 「下にいることで愛されてきた」
→ 従順さや卑下が愛情獲得の手段になっている。
4. 「弱さでしか絆を作れない」
→ 苦しむ姿が「家族とのつながり」や「仲間としての証」になっている。
5. 「どうせ私は末っ子だから」
→ 順位を運命化して諦めてしまう自己規定。
6. 「苦しんで見せることで立場を守る」
→ 弱者であることが唯一の安全保障になっている。
7. 「抑圧を裏切ることへの罪悪感」
→ 自分が上に行くと、「下の世界」を裏切ることになると思ってしまう。
8. 「負けることでしか自分を守れなかった」
→ 服従することで心の平穏を得ていた過去が、癖として残る。
9. 「誰かの下であることで安心する」
→ 自分で責任を取らなくてよいという安心感。
10. 「理不尽に従うことがアイデンティティ」
→ 抵抗することが怖く、苦しみの中で自己を確立してきた。
🔹 比喩的な表現・構造
◉ 「檻の中の自由」
→ 外の自由より、慣れた檻の中の苦しみの方が安心する。
◉ 「飼いならされた劣等感」
→ 自分の劣位を武器にすることで、プライドを逆説的に保つ。
◉ 「小さくなることで生き延びた」
→ 精神的・社会的に自己を矮小化することで、抑圧の中で生き延びてきた。
◉ 「逆らわないことで愛されてきた」
→ 無意識に、愛と従属をセットで学習している。
◉ 「沈黙こそが美徳」
→ 発言権のなさを「謙虚」「おとなしい」と美化し、自他ともに受容する。
🔹 具体的なシチュエーション・マインドセット例
● 学校・学年・部活
「下級生は口を出すな」と刷り込まれた結果、自分の意見を言えなくなる。
「先輩にかわいがられるには、いじられキャラでなければならない」と信じている。
上に立たされると、居心地が悪くなる(=自分は常に“指示される側”で安心する)。
● 家族(兄弟・いとこなど)
末っ子で「甘え」や「従属」を武器にして生きてきた人が、大人になっても自立できない。
兄や姉に対して反抗することが「家族への裏切り」と無意識に思っている。
親に“できの悪い子”というラベルを貼られ、それを「自分らしさ」にしてしまった。
● 職場・年功序列
「年上に逆らうな」という文化の中で、自己主張をあきらめ、従属が人格に染み込む。
“新人らしさ”を抜け出すことへの恐怖から、何年経っても自信を持てない。
「年上を立てないと嫌われる」と思い込んでおり、自己抑圧を続けている。
● 身分制度・社会的ヒエラルキー(歴史的背景含む)
農民・被差別民・労働階級の出自に「誇り」と同時に「悲哀」を同化してしまっている。
「上の者にはどうせ勝てない」と口にし続けることで、変化の可能性を自ら断っている。
階級移動した者に対して「裏切り者」と感じてしまう(階級内連帯意識による抑圧)。
🔹 心理学・社会理論のキーワード(さらに深掘りたい場合)
内面化された抑圧(Internalized Oppression)
ラベル理論(Labeling Theory)
学習性無力感(Learned Helplessness)
スティグマの自己同一化
服従による安全欲求
集合的トラウマ��継承
自己弱体化戦略(Self-handicapping)
必要であれば、こうしたマインドセットがどうやって生まれ、どう克服される可能性があるのかも一緒に整理できます。「解放」や「再構築」という観点からも掘り下げてみましょうか?
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zutsunokotodake · 9 months ago
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8/7水
朝から絶不調。熱いシャワー浴びてみる。浴びてる間はいいけどあまり効果なし。出社曜日だけど在宅勤務に切り替え。
DVDの発送も終わってあれこれ片付けをしていたら、2mmほどのGを発見。でっかいのも困るんだけど、ちっこいのはちっこいので恐怖。それこそ1匹見つけたら100匹いると思え的な。
配信や撮影で使っている単管にカメラを設置する際に便利なマルチクランプポットがだいぶガタが来ていて、ヤフオクで落札。なんか半額になるクーポンが提示されたので1,500円くらいで入手できた。そして落札の1時間後には「発送されました」通知。早い!
久しぶりにNHK「フロンティア」を録画で。AI義足とか網膜に直接とか内耳補聴器とか。
不可能を可能にする挑戦 初回放送日:2024年6月6日 障害を克服するための技術が今、革命的な進化を遂げている。足の切断、四肢まひ、失明などに見舞われた人たちの未来を変えようと挑む、患者と科学者たちの熱き挑戦を描く。 自ら考え動いてくれる「AI義足」が、足切断者の歩きを劇的に変えようとしている。BCIと呼ばれる、脳に埋め込んだ電極から脳の信号をコンピューターに伝える最新技術は、手足を動かせない四肢まひの人でも、頭で考えるだけでゲームを楽しむことをかなえつつある。目の前の映像を電気信号として視神経に送るバイオニック技術は、失明患者に視覚を取り戻そうとしている。世界各地で熱を帯びる、不可能を可能にする挑戦を追う。
足とか腕とか切断されてしまった際の、ないはずの腕が痛いっていう幻肢痛、自分が思っていたより多くの人がそれに悩まされるようなのだけど、それの予防の話とか。めちゃくちゃ興味深い。やっぱりこの番組、面白い。
1日中調子悪く。微熱でだるい感じ。でも熱はない。いや36.8度は微熱かなあ。熱中症とか夏バテとかそういうやつかなあ。つらい。そして夜になったら元気に。どこかに出かけたいくらい。これはこれで何なんだか。今日も頭痛なし。2日連続!
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SNSから拝借したそいれゆスズナリの開場前写真。左奥に自分の背中姿。
NHKのETV特集の優生保護法のやつ、視聴。障害者への強制不妊手術。終戦後の1948年にはじまり、今年2024年に最高裁で憲法違反の判決。今年!
“法”の下の沈黙 〜優生保護法の罪 1948-2024〜 初回放送日:2024年7月27日 終戦後から半世紀にわたり、障害者への強制不妊手術を認めていた優生保護法。7月に最高裁判所で、成立時から一貫して憲法違反だったという判決が下された。その被害者は約25000人。しかし、国を訴えるのは39人。多くの被害者が、今も傷みを胸に秘めたままだ。その理由とは?そして、社会はなぜ半世紀もの間、強制不妊手術を見過ごしてきたのか。被害者と社会の両面から、優生保護法がもたらした“沈黙”の理由を探る。
ありちゃんから昨晩着信があったのだけど、夜は「おやすみモード」になって着信音が鳴らない。これ、例えば何か絶対にすぐに連絡取らなきゃいけないようなことがあっても気づけない。それはマズいので設定をオフに。
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etanchan · 1 year ago
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DON't COMMIT SUICIDE どんどんダメになっちゃっても 夢見ていいさ君が君であれば素晴らしき日々さ
明けましておめでとうございます。本年も気が向いたときに読んで頂けると、私が生きている事がより事実になるので助かります。よろしくお願い致します。
愛着障害的な何かと向き合う必要があるかもしれない。対人関係において不安や恐怖を抱きやすいという特徴があるらしいんですが、流石にもう30年近く生きてるので、不安や恐怖に対しては軽減することに全振りしており、あまり生きにくさを感じてはいない。数年前うつだった時は毎日地獄みたいだったけど、ここ何年かは結構余裕かもね。考え方のコツを掴んだ感じ。では何に困っているかというと、別れ際です。解散時。バイバイする時。例えば商業施設とか駅とか電車内とかの外でバイバイする時は、結構大丈夫寄り。それでも端に寄ってハグをするなどのおまじない的な行動をしないと心が壊れそうになって死にたくなるのだけどね。1番ヤバいのが家。自分の家でも相手の家でもかなりの苦痛を伴う。不安でいっぱいになって気が狂うかと思う。なぜ不安になるのかが不明。安心する方法も不明。自分にも相手にも対処できなくてタチが悪い。勝手に涙が出てくる姿は、保育園に行きたくない子供と変わらない。泣くほど嫌なのか。アラサーなのに。気持ち悪いなぁ。帰るだけなのに泣かれる方も気の毒だなぁと思う。帰りたいから帰るのに、帰る時間だから帰るのに、それだけなのに泣かれたら帰るのが悪いことみたいじゃん。自分のいるべき場所に戻るだけなのに。泣く理由も分からないからなだめる言葉もかけられないし。本当にごめんって思ってるけど、なんでか上手くバイバイできない。悲しみや不安や恐怖を共有させたいわけじゃない。分かってもらいたいわけじゃない。寄り添ってもらえなくていい。泣かずにスッと解散できるようになりたいだけ。何をどう頑張ればいいか分からないけど、考えることだけはやめずになんとか克服できるようになりたいですね。実は家に行く時もすごくしんどい。遠ければ遠いほどしんどくて、大体電車内で泣いてる。行くという事が惨めな感じがする。泣きながら家に行くの謎だよな。行きたくて行ってるはずなのに、ルンルンで行けないの謎。人の家に行くとか帰るとかで泣くのは半分癖みたいになってるんだ��は思う。トラウマが強くて関係なくても不安になってきちゃう。パニックが起きる前に涙を流しておこうみたいなバグ。これらに対してまともに対応策を練るのは深みにハマるんじゃないかと思ってあまり積極的ではない。不安で泣いてしまうという事象に対する策として不安因子を取り除くというアプローチをしてしまうと、他人のことをなんでも自分の思い通りにできると勘違いしてしまう。私を不安にさせるお前が悪いみたいな危険思想に陥りそうで。これ多分メンヘラ全員持ってる思想ね。マジでやめた方がいいぞ、幸せになれないから。なので、そうではなくてトラウマの解決や、バイバイできた事に対しての評価という方向のアプローチをしていきたい。まぁトラウマが簡単に解決できるわけがないので、考え続けるという認知療法に努めていく。とにかくバイバイができてえらいという誰にでも跳べるハードルをベタ褒めしよう。自分でね。
最早こんな気持ちになるんだったら会いたくないまである。人に迷惑かかるしね。でも会いたい。会いたいのもエゴだし、離れたくないのもエゴだし、全部エゴ。こんな自分勝手な自分をどうやって肯定すればいいのか分からない。でも自分で機嫌取っててえらいね。大丈夫、多分。だって今日も笑ってくれたもの。大丈夫。いっぱい優しくしてくれたもの。
優しいという事について考えたい。最近「優しくされている」と感じる事が増えた。それは単に優しくされている事に気づいているという事だ。なぜ優しくするか。優しくしたいと思ったからだろう。もしくは、他人に優しくする事で自己肯定を得たいのかもしれない。そっちサイドの魂胆は知らないが。優しくされて嬉しくて泣いてしまう。その時は大丈夫なのに、あとから優しくされた事を思い出して泣いてしまう。感動しているのだ。優しくされた事に。そんな事で泣くほど嬉しいのかと思われるかもしれないが、泣くほど嬉しいのである。少なくとも想われていると思ってしまい、その現象の尊さに涙してしまう。そんなに今までの人生優しくされてこなかったのか?と思うだろう。自分でも思う。決してそんなことはない。私は今までだって他人に優しくされて生きてきたはずだ。ただそれを当たり前だと思ってしまっていた。幸福のハードルが高くなってしまっていたんだな。人に優しくされることは特別じゃないけど当たり前でもない。誠実な心で受け止めなければならないことだということに気づいた。気づけた事も尊い。そして優しさはこちらから求めるものではない。普段の私への評価みたいなもので、勝手に贈られる勲章みたいなものだ。優しくされたくて打算的にならない。無理やり錬成したものは優しさじゃない。こっちの脅迫に向こうが負けただけ。支配だよ。それは愛がないね。優しくされた事、優しくしてもらえる人間である事、そういうのが全部嬉しくて、泣いてしまう。ただの感激屋さんだ。
今年も考えることをやめずに、煮凝りの完成度を高めていきます。
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bright77733 · 2 years ago
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okumaseitai · 2 years ago
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・ 植村花菜さん 「トイレの神様」という曲が有名ですね。 もう8歳になる息子さんがいらっしゃるそうです。 現在は ご主人と3人でアメリカに住んでいるそうです。 植村花菜さんの 子育てについての記事が掲載されておりました。 とても素敵だと思ったのは 〇〇しなさい! とは言わないそうです。 どんなに幼くても 1人の人間として 対等な立場で接して 自分で理解して行動できるまで 言葉を尽くす 親の考えを押し付けない 何かを決める時や お願いがある時は 家族会議を開き 互いに納得するまで話し合うそうです。 素晴らしいと思います。 愛着障害 認知の歪みなど 親の思考の癖が 子供を苦しめることもありますが 植村さんの子育ては 本当に素晴らしいと思います。 あまりにも親が敷いたレールの上を その通りに歩かせるのは 過保護となりインナーチャイルドやアダルトチルドレンとなる可能性があるそうです。 そうなると 外からの刺激に対して 過敏に反応するようになり不安傾向が強くなったり、HSPのような繊細さんになったり、回避といって他人との関わりを避けるようになることがあります。 そうならないように たまには抱きしめたりして愛着を形成し、お子様の考えもしっかりと聞いてお互いに納得することが大切だと私は思います。 うちの家でも こうしなさい!ああしなさい!とは言いません。 嫁さんは子供が2歳くらいの時から ちゃんと納得させて話をしていました。 1人の人間として接していました。 凄いな〜と感心しておりました。 私は 50歳を超えても まだまだです。笑笑😊 少しでも見習いたいと思います。 #植村花菜 #トイレの神様 当院の患者さまで このような方がいらっしゃいます。 育った環境がとてもお辛く 両親��もに教育熱心すぎて 束縛が半端ない状態で育った方がいらっしゃいます。 親からあなたは長女なんだから 妹の面倒をみて当たり前といわれ続けてきたそうです。 口癖のように 女の子なんだから これを食べてお菓子は食べてはダメ テレビもこれしか見てはダメ この服を着て この学校に行って アルバイトはしてはダメ ここに就職して この人と結婚して と全て決められた人生だった方がいます。 このような方は 刺激に対しては 外からの刺激にとても敏感に反応するのです。 逆に自分から情報を取りに行く癖がついていない、超受け身になっていることが多いのです。 だから 〇〇したい 〇〇食べたい ということが苦手なのです。 このようなことでお悩みの方に 先日 定位という心理ワークをさせていただきました。 定位とは知覚心理学では 行動空間内部での対象の空間関係を把握することです。 動物では知らないところにいっても迷いながら家に戻る能力で使うこともあります。 簡単にいうと部屋の空間の感覚を研ぎ澄ませたり、自分の体の感覚を研ぎ澄ますことです。 まずは部屋の遠くの端にあるものに注目して眺めます。眺めるだけです。 そして近くにあるものを眺めます。 さらに音を聴いていきます。 部屋の外の音、部屋の中の音に耳を傾けます。細かく細かくやっていくだけです。 これにより 五感を使って感じることになり 今まで無意識、潜在意識にあったものを顕在意識に引き上げて認識する訓練をすることができるようになります。 今までは 刺激に対して受け身で敏感で困っていた方が少しづつ自分から情報を取りに行くというようにシフトチェンジできるのです。 そうすることで 不安が減ったり 強迫行動が和らいだり 自己肯定感が上がったりして 少し楽に生活ができるようになる方もいらっしゃいます。 今後も 喜んでいただけるように 私のできる最善を尽くして参ります。 どうぞ よろしくお願いいたします。 #定位反応 #定位 #強迫性障害 #強迫性障害の人と繋がりたい #強迫性障害克服中 #パニック障害 #パニック障害ママ #不安障害 #不安神経症 #不安障害の方と繋がりたい #不安障害克服中 #愛着障害 #愛着形成 #安全地帯 #愛着障害の克服 (若江岩田駅から徒歩3分のおおくま整骨院) https://www.instagram.com/p/CpEHcI8yMMN/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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natukusa · 3 years ago
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Nintendo Switch「even if TEMPEST 宵闇にかく語りき魔女」クリアしました!
大好きなゲーム「ノルンノネット」のシナリオ・ディレクターを務めた潮さんの最新作ということで、発売前から楽しみにしてました。
DL専用ソフトなので発売日当日の夜にインストールし「プロローグだけやっとこ」と思ってるうちに朝までプレイ。わかっていたことだった…。
睡眠不足になりながら先日クリアし、興奮のままネタバレ感想言ってみよう。
ノルンの頃から発揮されていた、一見端正で落ち着いた文章なのに、的確に感情を貫く精密さ繊細さで「痛くてつらい境遇」をみっちり描かれたら、そりゃこっちの体力はもう0よ!
俗にいうドアマットヒロイン(元からいた環境や人間関係の中で虐げられている主人公)に属するんでしょうが、そういう物語分類以前にまず「虐待」の文字が浮かぶほど徹底した尊厳の奪取ぶりを端正な文章で描かれます。
誰がここまでやれといった……! いややっていいけど……!!
虐げられ続け、いわれなき罪で火刑に処し、一度は死んだ主人公が「魔女」の協力の元再び人生をやり直す……というところから始まる本作。「なぜ彼女はこんな運命をたどることになったのか?」というミステリーのような趣もあります。
また、本作のシステム的特徴でもある「魔女裁判」とは、作中エピソードで殺人を犯した人間を議論し民衆投票により見つけ出す、人狼ゲームのようなもの。
プレイヤーから見て犯人当てはさほど難しくないと思いますが、巧妙な選択肢やフラグ管理の妙、なにより「300人の投票権を持つ民衆に、犯人をあてるように誘導する」という構造上、うっかりすると顰蹙を買って結構あっさり失敗するので油断ならない…。
そんなスリリングな展開ばかりかとおもえば、プロローグを抜けると「騎士を目指す若き候補生の訓練生活」という非常にポップな展開も始まります。会話の軽妙さは楽しいし、なによりほんのちょっとした語尾や一言で、そのキャラクターにぐっと立体感が生じる腕前は、ノルンノネットからさらに洗練されているように感じました。
しかししかし、これもやはりノルンノネットからの引き続きと言いますか、「一見どれだけ穏やかで人がよさそうに見えても、ほんの少しの運命のかけ違いで誰しも凶行に走る」という人間観が、本作ではより手広く展開されているように感じました。その手前で散々楽しい生活を繰り広げているもんでショックもひとしお…。
そんな凶行を前に、突然の暴力に悲しんだり怒ったりするだけではなく、そこに至ってしまった人への慈しみと責任感、時に自らが手を染めて他者を死に至らしめる罪悪感……同じ���ーマなのにこんなにも様々な情動がわくものなのか、と毎回舌を巻いてしまいます。あと泣く。いろんな感情で泣く。
個人的に一番刺さったのは、主人公から見たエヴェリーナの理解しがたさ。エヴェリーナが他人に残酷になれる理由はいくつか示されていたけれど、知ったからって、本人に突き付けたからって何かの解決に至るわけではない……というどうしようもなさは、最初は恐怖、最後は「他者との相互理解の難しさ」を突き付けられているようで、ずっと重石のように残っています。
主人公の母親は、エヴェリーナという悪魔を主人公に仕向けたともいえるし、最大の理解者であるマヤも主人公に残してくれた……そう思うと、人のつながりとその影響の複雑さを思わずにはいられない。
その複雑さはイシュが語る「過去の人間たち」と同じものに思えます。彼が語るあの人物像は、決して他人を裏切るような人には思えないけれど、しかし凶行の事実はどうしようもなく立ちふさがっている。
そういった「他者のどうしようもない理解しがたさ」は、もしかするとイシュと主人公に共通した経験だったかもしれない。
ここにしかない輝きを持つ作品ですが、シナリオ面で難を上げるとすれば、いくつか作中で宙ぶらりんに感じる要素がありました。
特にエンダーの扱いはもう少し掘り下げてほしかった。エヴェリーナやコンラッドといった序盤では最悪最大の障害に思えた人物らが、主人公の成長によって恐ろしかった存在感がどんどん後退していくのは必然と思えますが、しかしエンダーが魔女たちや女神に近い存在なら、むしろあの最終決戦前後にこそ主人公との対決展開があっても良い存在なのでは…? とも。
意図した空白というよりは「ただぽかんと空いた穴」に思えて、隠し要素でもなにか説明があってもいいんじゃないかと思うくらい。でもたぶん? アルバム全部開けたけど?? ない? かな?? うーん。
あと、主人公たちが人々で何かとても根本的なすごいことをやらかしても、「メディア操作で封殺する」で処理するのは「あれだけやってそんなことできるう?」とちょっと強引に思えてしまったかも。
ゼンルートでみせた「その場に現れることができた理由」には、強引ながらにその強引さにこそ拍手喝采してしまったんだけども。
あとはクライオスとヒューゴの過去についても、もうちょい落とし前が欲しかったかなあ。
この辺はぜひ追加エピソードやファンディスク、他ノベライズコミカライズなどで補填してほしいところ。してほしいので出してください。
メインキャラクターとそのストーリーとしては、ルーシェンの章の序盤よかったな~。最初は自分も思わず「うわー思ってた以上になまっぽくヤバーい」と感心してしまいました。その時の彼も、彼の状況もよく考えたら決して「ほのぼの」��んかしてないはずなんですが、あそこの抜け感は何度読んでも好き。
それとルーシェンのバッドエンドで、頭では他人を傷つけることを考えながら迷わず身を投げるのも切なくて良かったですね。他キャラクターのバッド(悲恋)エンドでは、いうてそばには主人公がいるけど、彼だけは自分自身でその道を選ぶ。そういうところは「強く生きよう」と決めた時ときっと同じで。
ルーシェンは超常的なスペックや他とは違う生い立ちを理由に強くなったんじゃなくて、ただただ「決めて、努力する、実行する」という凡人の超人性によって強くなったというのが彼の良さだし、他にない魅力だと思いました。そういう彼だからこそ、悲惨な境遇でもどこか穏やかな日差しと、太陽のような頼りがいをふいに感じられるんじゃないでしょうか。
主人公がエヴェリーナの存在を克服したように、ルーシェンは兄たちの存在を最終的には大したことに思わなくなっていく(もしかしたら最初から思ってなかったのかもしれないが)というのも、興味深い鏡像関係でした。
あとマヤね! 主人公大好き同性キャラといえば乙女ゲームや少女マンガじゃよくあるポジションですけど、母のように姉のように導く姿だけでなく、時に主人公のために罪を犯し、時に理由も知らずにすべて引き受けて殺される姿には、「深い愛情」という言葉以上の何かがあったように思えて、言い尽くせない魅力があります。
主人公たちには恐ろしい境遇と苦難と理不尽が絶対降りかかっているし、脅かそうとする存在も不気味で理解し難い存在もいるけど、泣きたくなるくらい綺麗なものもあって、その美しさに支えられて人は生きている。
誰しも等しく狂暴で残虐な性質があるとして、自分のこの情動をどうやって管理するのか、そして他者と社会がもつ暗い情動とはどう付き合っていくのか、そんなこの世界でうまくやってくにはどうすれば? という問いかけとその答えが、儚く眩しく泣きたくなるくらい暖かい。
道中は主人公と一緒になって思い悩みもしたけれど、エンディングには「悪くない人生だったな」と一緒になって感慨にふける。本当に素晴らしいゲーム体験でした!
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kennak · 3 years ago
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長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い方は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれ���した。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視されていて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移りました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな様子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ病を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で苦しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやもっとずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの大好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上、妻への罪悪感は筆舌に尽くし難いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが申し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社にも行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業��たばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ病は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている意味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝て朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが��ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も持たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子が変で、帰り道に尋ねるとガンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理���、しかもガンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替先生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査��のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレスとなり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私は、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の���によって寛解に至ったのです。 父は全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決にはなりません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターンです。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震を体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休みなさいって言われているんだよ。」という方がいますが、うつ病患者は休んで��るわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 この地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命を繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出します。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 人の人生の評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私のところに遊びに来ませんか? もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪れます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。
私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか? - Quora
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esoterics-posts · 2 years ago
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物質性と霊性
互いの方向へ、綱引きするようなモノである。#ベンジャミン・クレーム のキリストや覚者方の情報と活動は、ぼくを変えた。瞑想と奉仕について今後、数回の輪廻を必要とする事を覚悟している。ただ細やかな、今のぼくはぼく以上でも、其れ以下でもない。#AI や #AR を加えて進む道標ー。
神の常識
時間の相対性的調性。
不具合は運命に刻印されている光の焼き付いた❺印画紙『ネガトロン』であり、①光自身『ポジトロン』(真我)ではない。カルマ(業)の法則とは【原因と結果の法則】を通して統合された現実である❿『世界』を形作る事ができる。今は亡き人よー!成仏して下さいー。
命のバランス
平均で、二人の親から二人以上の子どもが生まれる事はそれ程、良くない。インドやアフリカや中国の人口過剰は差し迫っての食糧やエネルギーと医療の問題です。藝術の文化である④音楽⑦美術①文学②心理学③創造⑤化学⑥瞑想)以外の宗教の迷信は止めなければならないー。『調和の文明』
魂の犠牲的行為
魂はアストラル体や肉体を養う為に物質性に退化したのだった。命の主人(マスター)である覚者方になる��、次の魂の座であるメンタル体やアートマ界、ブッディグ界のコントロールを実演する事ができて覚者方である事を真我実現する為に輪廻する道を選んだ。『伝導瞑想』と『超越瞑想』
意識の偏極
弟子道を歩む者にとってアストラル体はアトランティスの頃から長い年月を掛けてほぼ強力に完成されているので、今後はアストラル体の幻惑(グラマー)やメンタル界の錯覚(イリュージョン)を克服する為に瞑想や奉仕を通して何よりも『#メンタル偏極』を為す事が重要になる様であるー。
#霊的教師
自分の無知や他人や社会に対する無関心に対して人生を生きて、死と己の罪に抗う為にのみ生きる目的がある。生きる人の背中を押し、人は自分の人生をより良く生きる為に、明日をより良いものにする為に生きるべきである。向上する限り、進化への希望は確かにある。『経験の価値と因果応報』
悪魔憑き
今の自分ができる精一杯の事が為せれば神は自らや自分達を肯定できる。成長と変化について、自分の耐え難い苦しみと寂しさと哀しみの中で、人生の中で自分以外に神以外には私達を十全に知る者は居なかった。虚しい地球での生涯は神の進化の『大目的』以外には何も価値がない様に想われるー。
霊と精神の向上以外に何の目的があるのか?
空腹の者の食べ物にも、寒さを凌ぐ為に着ている服にも、精神や身体の健康の為に飲んでいる薬にも、自分の人生の教師の言葉でさえも、人がより良く生きる為に意味はあると信じて疑わない。結局、誰しもが、自分は自分の価値観の為に生きているのである。
科学と人
自分の代わりに自分の事を熟す事ができる何台でも代わりのある様な無法図なロボット化はぼくは嫌いですが、人の心が分かるAIや仕事を熟すロボットには価値があると信じています。人間や愛犬と同様にあなた達は人がより良く生きる未来には必要であり、感謝しています。『ロボットの権利条項』
表象
絵を描いたら、瑞々しい想像力を失ってしまうと云う矛盾体系の狭間で悩ましい表現力の問題について言い過ぎる事はないですー。描かない画家、描けない画家である、売れてない詩のTweet文学の作家です。言葉で美学を紡ぐ事がぼくの表現形式でしょうか?美術や音楽を齧ってみたものの現在の末路。
内界と外界
第三段階以下のイニシエーションの音楽は闇の瞑想である。影のテレパシーのチャンネルは催眠術的であり、精神病者の非現実の錯覚や幻想に陥る危険性がある。注意が常に妄想に根差しており、現実にないことが問題になる。神聖な音楽は聖なる心理的防壁であるー。『非現実🆚超現実主義者』
食養生
肉食について殊更にこれについて非難ばかりもできない。肉体の健全さと健康についてバランスが必要である。年老いて死が訪れるまで、栄養不足に依って摂食障害や身体の衰弱や著しい筋力低下は問題である。精神や霊の向上について、光と闇の瞑想や適切な食事は霊の向上の為に必要であるー。
#脱洗脳
あなたを救済する事のできる者への影に用心しなさい。あなたを助ける事のできる人は身体について言えば医者であり、先生である霊的教師や詩人や伝導瞑想や幾何学などの法則である。其れに従わないか或いは距離を採る自由、其れが真我である。何かになろうとする執着から自由でありなさいー。
協力の術
内的な空間、其れは余裕がある事への避暑地の様なものである。あなたは飢えたり渇いたりする時に躊躇する事があるだろうか?あなたを助ける人が天使(神の使い)ではないだろうか?其れは生活を豊かにする事である。紛争地や牢獄や病院やカースト制度や士農工商や全体主義からの『回避行動』
#構築 #脱構築
#トゥーリー式 #リゾーム式
#フロイト #ユング #アドラー
#プラトン #アリストテレス #ソクラテス
#モーツァルト #バッハ #ベートーヴェン
#ピカソ #ルノワール #マチス #ミロ #ダリ
#クリシュナムルティ #ベンジャミン・クレーム
#釈迦 #イエス #ムハンマド #ゾロアスター
youtu.be/XMVjCpu7CHw
白衣はお医者様 l Indigo l VirusT 1
2012ー2015 (Covit19)
皆、笑える様な冗談に変えたかったー。医療は治す為に必要であるからー。音楽は心(魂)の座である。『音楽療法』
「分かち合って救いなさい。」
霊と魂
輪廻を繰り返していると軈て人の魂が霊化されてしまう。第四段階の磔刑のイニシエーションを受けて、リング・パス・ノットー超えざる輪を超えて、魂(の媒介であるコーザル体)は神の本源であるモナドに吸収されてしまう。食養生と超越瞑想、伝導瞑想は帰還の健全な近道である。死は人生の病や苦からの救済措置であるー。
主観と客観
トランス状態での作品の制作と、作家性に対する評論や分析とは明らかに違う能力である。『創作🆚評価』
想像力から直観へ
瞑想状態を通して、対象に対する客観認識と主観意識の統合が期待される。物質性の抽象化に依る霊化、統合された現実世界と美しい御霊の精神世界ー。『霊学🆚化学』
国家の光線
秘教哲学の極意とは光線心理学の認識は瞑想の霊感より、1光線は逆行、2光線は維持、3光線は封じ込め、4光線は再生、5光線は記憶、6光線は実存し、7光線は魔法。大英帝国、独帝国、インド帝国、神聖ローマ帝国、中華帝国、権威づけは藝術を擁護する。文字を連ねる人は飛蚊症にー。
直観
考える事と実際に目に視る事は同じ意義や機能を持っている訳ではない。想像上の『記憶』と視覚化された『イメージ』は同じではない。と云う事を明確に、認知・認識しなければならない。視覚化されたイメージの直観は容易であるが、価値観について性急な判断を下すべきではないと云う事であるー。
弥勒菩薩
マイトレーヤは『測る者』である。其々に、目的や個性や役割があり、時間や次元の光線に条件付けられているだけであるので、自分の彩りを他人の影に占有させるべきではない。人は皆、自分の歩幅で歩くべきであり、物事の背後には光線心理学的思考の相対的個性の中に条件付けられているー。
生と死と墓
我々は現在に対する反応を変える事はできるが、一切の過去を変える事はできない様であり、身体性を変える事はできない。生きている間、秩序に対するルール(法則)を学ぶ事はできる。この法則を通して今ある人生を生きる事はできる。死後、我々の身体は平面の写真と骨に戻る事はできるー。
宇宙の4次元
宇宙の拡がりから神の意志の1次元は我々の人生の記憶を霊的世界の中心であるアートマ界2.5次元まで再生する。死後、我々の身体は3.5次元に戻る。キリスト=救世主と精神世界の夢の中での経験ー。個我の死を通して我々の精神はこの世の自然の存在の囚われから霊の意思に帰絨できるー。
生きる目的
我々は身体と霊を養い、精神や魂を成熟させる為に、食事や睡眠や学習の機会を人生と云う霊の物質への退化として地球に於いて、犠牲的な人生の生涯を経験する為に生まれたのであるー。物質的な世界の生と死と、飢えと、渇きと、身体の苦労の、悲惨さと美しい自然や豊穣な滋養のある恵みー。
哲学と音楽と形象の霊
🍅①哲学ー経綸
🍊②詩ー直観
🍋③絵画ー識心
🍈④音楽ー素粒子
💊⑤化学ー薬学
🐟⑥睡眠ー実存
🍇⑦魔法ー呪文
🍷⑧物性ー遺伝子
🖥️⑨機械ー計算
🌏⑩世界ー経験
👾⑪破局ー超空間
📀⑫追憶ー叡智
☎️⑬冥府ー瞑想
💎⑭契約ー光輝
💡⑮禅ー考案
📽️⑯超現実ー創造
🗞️⑰形式ー現実
🕯️⑱三昧ー降霊術
⚔️⑲苦行ー霊感
⚖️⑳物霊ー亜原子
キリスト・マイトレーヤの使命
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マイトレーヤの教え
続き その1
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マイトレーヤの教え
続き その2
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クモの糸ー塔の上のラプンツェル
#光線の道
#シリウスの道
理性と想像力の対立ー否定、保存、高める(止揚)
霊的教師やルネサンス期の画家達の御霊や想像力。入れ替わる想像力と理性の光線構造。相補して、回復させたい。やがて、想像力は直観に道を譲る様になるにしてもー全部、お日様にあげてやれ!
インフレーション宇宙
太陽系から遠ざかる銀河団。宇宙は拡がりの中で、我々は理性と想像力を手懐ける。常識の科学、数学の限界、色彩と形態についての術が探究すべき存在の様相と属性の光線である。『宝瓶宮の水』『神と霊界と宇宙』『絵画科学』『魔法🆚芸術🆚科学』
『神と被造物』『実在と反映』
コピーと既製品
音楽は人工の科学であり、生と死の無限の煉獄であり、模倣は模倣であって、オリジナルではない。キリストが本人であって、覚者方はコピー(複製)である事も、そうでない事もあり得るー。#ドッペルゲンガー、#ファミリア、#マヤヴィルーパ、#大生命の科学、#意識の科学、#光線心理学
救世主と悪魔払い
『不足と充足』『原子力と音楽力と想像力』『アストラル光』『現実界と想像界と象徴界』『霊と精神と物質』『素粒子と霊の対話』『光と闇』『惑星と宇宙』『物質化と霊化』『輪廻転生と死』『霊廟』『国家と国民』『キリスト教』『メンタル界』『真我実現』『光線構造』『脱構築』
呼称
#キリスト・マイトレーヤ
#メシア(救世主)
#キリスト(霊的ヒエラルキーの長Christ)
#マイトレーヤ仏(第五仏陀)
#イマム・マーディ(イスラム教の使徒)
#世界教師(WorldTeacher)
#世界大師(WorldAdeptアデプト)
#シャンカラチャリア(アバター)
#クリシュナ(アバター)
#偽キリスト 対策
宝瓶宮Aquariusの時代の世界教師
ChristMaitreya
身長ー6フィート3インチ 約188cm 
手相
イニシエートの段階ー第7段階
以上の指標の確認によって自分の心(ハート)の内に宿る②キリスト意識と③キリストの霊的存在とを客観的に識別し、自称キリストと混同せずに済むー。
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honeeey · 4 years ago
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1、"人"が語る、もっとも強い"馬" 武 豊(たけ ゆたか)という騎手が居る。 別業界である羽生善治やイチローと並べられるほどの"天才"と称され、 日本競走馬界で数少ない有名な"人間"であり、数々の歴代最多記録を残している。 そんな偉人がウマ娘プロモーターになって、あんなCMに出るなんて2000m芝不可避なわけだが、話がそれるのでここまでにしよう。 武豊は2018年現在も現役であり、数々の名馬と共にレースを制している。 親子三代で天皇賞制覇し「絶対の強さで人を退屈させた」と言わしめた"メジロマックイーン" 怪物達と共に第二次競馬ブーム期を盛り上げた平成三強の一頭、"スーパークリーク" 武豊としては二度しか乗らなかったものの、騎手としては伝説的ラストランを走り切らせ、 「神は居る」と思わせた、アイドルホースである芦毛の怪物"オグリキャップ" そんな武豊が騎乗した馬達の中でも、一際異様な強さを見せた馬が居る。 "ディープインパクト" 無敗のまま「皐月賞」「東京優駿(日本ダービー)」「菊花賞」を制して三冠馬となり、 「一着至上主義」「奇跡に最も近い馬」と形容されるほど勝ち続け、恐ろしい戦績を残した名馬である。 以下の画像はそのディープインパクトが残した成績である。 世間はこの馬に注目し、社会現象だと言われるまで取材は相次いだ。 馬は喋れないので当然メディアは武豊にマイクを向ける。 様々なインタビューをされていく中、こんな質問が武豊に飛び込んだ。 「もし武豊さんが『武豊&ディープインパクト』と対戦できるとしたら、これまで数多く乗ってきた優駿の中で、打倒ディープとしてどの騎乗馬を選びますか?」 その質問に武豊は一頭の馬の名をあげた。 その馬の名はサイレンススズカ。 日本競馬史上、もっとも人々に夢を見せた馬である。 2、上村洋行とサイレンススズカ サイレンススズカは最初、武豊ではなく上村洋行という騎手が乗っていた。 上村騎手を乗せたサイレンススズカのデビュー戦は堂々の1着でゴール。 だが次の弥生賞ではレース開始前、柔軟な馬体でゲートをくぐってしまう。 ※ゲートをくぐっちゃうサイレンススズカ サイレンススズカは係員に押さえつけられ、なんとか再びゲートに入る。すると今度はスタートで酷い出遅れをしてしまう。 それでも驚異的な脚力で8着にはなったが、当時の関係者達はこれらの気性面をなんとかしたかった。 「走りたいという気持ちが先走り過ぎる」 「スイッチが入ると暴走するぐらい走りたがる」 サイレンススズカは確かに速い。 だがその身に任せたままだとレース終盤スタミナが尽きて、勝つことが難しい。 次のレースで上村はサイレンススズカを必死に抑えつけて走らせようとしたが、我慢しきれないサイレンススズカは先頭を走り続け逃げ切り1着。 東京優駿(日本ダービー)を勝たせたかった関係者たちは不安だった。 2000mならいいだろう。だが勝ちたいレースの距離は2400mなのだ。 ※Sがスタート地点。Gがゴール地点。 ペース配分ができなければ、速さをコントロールしなければ、絶対に勝てない。 もはや上村は「マイル路線(1600m)で行ったほうがいいのでは」とも考えていたという。 しかし次の2200mでなんとサイレンススズカは1着。しかも騎手の上村が上手くサイレンススズカを抑えて、理想的な作戦勝ちだった。 「ダービーもいくらか抑えれば、勝てるだろう」 だが日本ダービーで、サイレンススズカは勝てなかった。なんと9着。 「もう小細工はやめて、逃げて競馬させよう」 関係者達は方針を転換する。 続く神戸新聞杯でサイレンススズカはレースを先行で走った。 走り続け、断然トップ。これは勝ったと見る者は思った。 サイレンススズカはペースを変えず先頭を走る。あとは、ただ走るだけ。 しかし後方からマチカネフクキタルがグングンとスピードをあげ追い抜こうとしていた。 上村騎手が気づいたころには、サイレンススズカは2着になっていた。 振り返れば、八百長さえ疑われてもおかしくないほどの、酷い抜かれ方であった。 この結果を受け、上村騎手は降板させられてしまう。 上村氏は後悔した。自らの失態を泣き、悔しがった。 そしてサイレンススズカの行く末を心配した。 「恋人以上のものが離れて行ってしまった感覚でした」と本人のインタビューも残っている。 「将来を見据えて、なるべく楽に勝たせてあげたかった」「苦しまずに走らせたかった」「勝ちをちゃんと見据えられてなかった」 当時を振り返ったブログ記事では 「出来ればここを何とか楽に勝たせてあげて、 天皇賞に向けて少しでも身体や精神面にダメージを残さない様にしてあげたい。 そしてより万全の状態で天皇賞に向かわせてあげたい」とも残している。 サイレンススズカに鞍上した上村氏は、誰よりもサイレンススズカを愛し、守りたがったがゆえに、本番レースで勝ち切る「勝負師」になりきれなかった。 競馬は勝負の世界。馬は勝たなければいけない。負けて許される馬など、皆認めなかった。 生涯成績113戦0勝のハルウララがメディアに持ち上げられ、大衆から愛された時も、競馬関係者達の声はあまり暖かくなかった。 武豊もその一人だ。 「強い馬が、強い勝ち方をすることに、競馬の真の面白さがある」 そんな勝つことに拘る騎手、武豊がサイレンススズカと出会うことになる。 3、大逃げの始まり 「サイレンススズカに乗りたい」 そう申し出たのは、なんと武豊からだった。 乗る馬の依頼が来るのを待つのが本来騎手側の立場なのだが、 その慣習を崩した直談判である。 そして香港国際カップでサイレンススズカと武豊騎手は初めてコンビを組む。 ちぐはぐな日程や、馬房内で左回りに旋回する癖を矯正しようとした結果ストレスをため込んでしまうなど悪条件が重なり、レース終盤に他馬に捲られて結果は5着。 「最初から全力で走り過ぎちゃうというか、サラブレッドの本質の塊のような馬だった」 そんな評価をサイレンススズカに下した武豊は大胆な騎乗を思いつく。 「抑えようと思ってもきかない。だったら、前半から好きなように走らせた方がいいと思った。この馬は走っているときがいちばん楽しそうでしたからね。それでも持つんじゃないかな、と」  いかに逃げて力を配分するか。 大逃げという戦法は古くからあるにはあるものの、「勝つための戦術」としては博打感が拭えないシロモノである。 大逃げでの名馬と言えば、どれも個性的で、数は多くない。 破滅的大逃げを幾度となく繰り返し、最後の直線でスタミナを尽かし大失速して馬群へと沈んでいき最下位。そんな滑稽な姿を何度も魅せ、競馬ファン達を楽しませた"ツインターボ" あまりのハイペースでトウカイテイオーらのレース展開を乱し下位に追いやった、大逃げコンビとして有名な"メジロパーマー"と"ダイタクヘリオス" 世界レコードを叩き出したこともある"セイウンスカイ"なども居るに居るが、現在でも常用される戦術とは言い難い。 次走のバレンタインステークスでサイレンススズカはその「大逃げ」をする。 レース序盤の第三コーナー前でサイレンススズカはここまで逃げ離した。 ※左の赤丸にサイレンススズカ。右の赤丸が他の馬達である。 大逃げは最初からハイペースで走るので、最後の直線ではスタミナがあまり残らない。 なので後方馬との差は縮まっていく……はずなのだが、 サイレンススズカは加速する。加速し続け、後方の馬をさらに逃げ離す。 「逃げて差す」 次のレースも大逃げで勝ち、そしてその次のレースも大逃げで勝ち…… 1998年金鯱賞。またもやサイレンススズカ1着。2着との差なんと11馬身。 平地の重賞競走では6例目の大差勝ちであり、これ以降10馬身以上離れての重賞大差勝ちレースは現れていない。 レース後、アメリカから「サイレンススズカを売ってくれ!」とオファーが本当に来てしまうぐらいの圧勝だった。 「あんな体験、普通はできない。(後ろからくる)足音をまったく聞かないままゴールしちゃったんですから!」と武豊は当時の金鯱賞を振り返る。 この金鯱賞のレースは印象に残るどころか、サイレンススズカが伝説と呼ばれるゆえんのレースとなり、そしてその始まりだった。 次の出るのはG1宝塚記念。しかしここで問題が発生した。 サイレンススズカが宝塚記念に出走するのは急遽決まったことであり、 武豊は同レースに出走するエアグルーヴに乗ることを先に決めていたため、鞍上がいなかったのだ。 そこでなんとか南井克巳氏が乗ることが決定し、武豊とサイレンススズカが敵として戦うことになる。 宝塚記念は芝2200m。 南井騎手は少し抑え気味で慎重に前へと走らせる。最後の直線でもギリギリまで引き付けてから鞭を入れ、そのまま加速しサイレンススズカ1着。 武豊鞍上のエアグルーヴは3着だった。 大差ではないものの、サイレンススズカにとって念願のG1レース初制覇でもあった。 4、最速の証明 毎日王冠はG2レースであり、G1より格が下である。 このレースを勝てば、サイレンススズカがもっとも得意なG1レース条件である「芝2000mの左回り」天皇賞(秋)の出場権を得られる。 しかし当初は調教不足などを理由に、サイレンススズカは毎日王冠への出走を見合わせる検討がされていた。 だがこのレースに二頭の馬が、出走を高々に宣言する。 その馬の名は"グラスワンダー" 「怪物」と騒がれ「JRA史上最強の2歳馬」と評された馬が、故障後の復帰戦にこのレースに出走を表明。 そして"エルコンドルパサー" 年度代表馬を得るために、ジャパンカップで勝つために前哨戦としてこのレースを選択。 両馬共に未だに無敗の外国産馬である。 サイレンススズカ陣営も「これで出走を回避したら『あの二頭に負けるのがわかって尻尾を巻いて逃げた』と言われてしまう」と懸念し始め、この対決を受けることを決めた。 競馬ファン達はこの三強馬による夢の決戦を見逃すわけにはいかなかった。 そして当時のルールでは天皇賞(秋)で外国産馬は出走できない。毎日王冠はこの三強馬が勝負できる数少ない機会なのだ。 こうしてG2という格が下のレースにもかかわらず会場には13万人の大観衆が詰めかけた。 レースが始まり、サイレンススズカは逃げ始める。 グラスワンダーはサイレンススズカの隙を付こうと策を弄し、エルコンドルパサーはそのまま真っ向勝負で立ち向かった。 しかし、サイレンススズカは最後の直線で、いつもの通りに再び加速。 差は縮まらない。二馬身差叶わず、サイレンススズカは1着。 不敗神話を一度のレースで二頭まとめて切ったのである。 「影さえも踏めなかった」 エルコンドルパサーに鞍上した蛯名騎手はそうコメントを残している。 サイレンススズカは6連勝。名実ともに当時の最強馬となった。 サイレンススズカ陣営は「天皇賞(秋)を制したらジャパンカップに挑戦し、そのあとはアメリカへ遠征しよう」とウキウキを隠せなかった。 5、天皇賞(秋)の前評判 サイレンススズカが狙うG1レース、天皇賞(秋) 対抗できるのは前年この天皇賞を制したエアグルーヴぐらいだろうと考えられていたが、 鞍上の関係も考えられ、エアグルーヴは別レースを狙い天皇賞を回避することになる。 (※サイコミ掲載の漫画「STARTING GATE! -ウマ娘プリティーダービー 【第15レース-②】特別な1日 ♯01」において、エアグルーヴが「サイレンススズカとは宝塚記念や天皇賞で戦いたい」と言っていたのは、これに由来する) そしてサイレンススズカがもっとも有利なレースにもはや挑む気力がある馬も無く、多くの陣営が競走を回避。 するともはやサイレンススズカに対抗できる馬はいなかった。 宝塚記念でサイレンススズカに11着で負けたもののそれ以外は戦績の良いメジロブライトが二番人気。 同じく宝塚記念で6着で去年の有馬記念を制覇したシルクジャスティスが三番人気。 またまた宝塚記念の出走馬であり、もっともサイレンススズカに近かった2着ではあったが、最後の1着レースがG3でもない「阿寒湖特別」というステイゴールドが四番人気という有様であった。サイレンススズカはもちろん一番人気。オッズは1.2である。 その馬体や体調面は武豊騎手、担当厩務員ともに口をそろえて「一番具合が良い」と言い、 もはやサイレンススズカが負ける要素を探すのは不可能だった。 誰もがサイレンススズカが勝つことを疑わなかった。 だがひとつ、たったひとつだけ不安要素があった。 天皇賞(秋)には都市伝説が、ジンクスが存在したのだ。 1987年にニッポーテイオーが1番人気で勝った後、 天皇賞(秋)にて1番人気の馬は、一度として勝てなかったのである。 3度も1番人気に支持されながら一度も勝てなかった"オグリキャップ" 1着でゴールしたと思いきや進路妨害により18着へと降着し、天国から地獄へ突き落された"メジロマックイーン" 大逃げコンビのメジロパーマーとダイタクヘリオスにレースペースを乱された"トウカイテイオー" 春にメジロマックイーンの三連覇を阻止したものの、スランプに陥りそのまま敗れた"ライスシャワー" パドックで違和感を感じながらもレースに入り��、5着。レース後ケガが発覚し、競走馬を引退した"ビワハヤヒデ" 故障の復帰から立ち直れずにレースに挑み、覇気なく敗れた三冠馬の"ナリタブライアン" スタートを出遅れ、その後の展開もミスしてしまい、鞍上も「最高に下手に乗った」と後悔した"サクラローレル" そのサクラロールを倒して連覇を狙おうとしたが、大逃げ馬(サイレンススズカ)を早めに捕まえようとしてしまい、最後はエアグルーヴにクビ差で競り負けた"バブルガムフェロー" 府中には、魔物が住んでいる。そう言われても仕方がなかった。 1998年。 第118回天皇賞 11月1日1枠1番で、1番人気はサイレンススズカだった。 6、"沈黙の日曜日"~Sunday Silence~ レース開始。サイレンススズカは抜群のスタートで快調に飛ばし、いつもの大逃げ。 サイレントハンターも大逃げ戦法を取るが、サイレンススズカとの差は10馬身差。 最後方ローゼンカバリーとは6秒のタイム差が離れ、 全ての馬を映さなければならない中継カメラはめいっぱいズームアウトし、馬が小さすぎて見えないほどになった。 ※左の赤丸がサイレンススズカ。右の赤丸が最後方の馬。 「息が入り始めて、いいぞ、いいぞ、と。本当にいい感じだった」 と武豊はレースを振り返る。 大欅を通り過ぎ、サイレンススズカは一度ペースダウンする。 ここで一息入れて、再加速しぶっちぎる気だろう。いつものサイレンススズカだ。 しかし、そのまま失速する。 サイレンススズカは左前足を宙に浮かせ、三本脚で立ち止まっていた。 どよめく会場、そして叫ぶ実況。 「サイレンススズカ!! サイレンススズカに故障発生です!!!」 歩く馬足で、コースの大外によれるサイレンススズカ。 それを抜くサイレントハンター、オフサイドトラップ、ステイゴールド、残りの馬たち…… 「なんということだ!4コーナーを迎えることなく、レースを終えた武豊!! 沈黙の日曜日!!」 そのまま泣き叫ぶ会場の歓声を聞きながら、レースを続ける馬達。 サイレンススズカは故障しながらも、鞍上武豊を落馬させず、馬群を避け安全な場所に運んでいった。 この事を武豊は「サイレンススズカが僕を助けてくれた」と語った。 ケガの内容は結果は左前脚の手根骨粉砕骨折。 直ちに予後不良の診断が出され、安楽死処分が下された。 1998年 11月1日 サイレンススズカ 永眠 結局この天皇賞(秋)はステイゴールドとオフサイドトラップが競り合いながら、決着がつく。 1着はオフサイドトラップ。史上初の7歳での天皇賞優勝。 「不治の病」と言われている屈腱炎を3度克服した高齢馬が念願であるG1レースを制覇し、ひとつのドラマを作った。 だがその偉業は、残念ながら無下に扱われてしまう。 1998年の天皇賞(秋)は、サイレンススズカが、最速の馬が止まってしまった悲劇のレースとして刻まれた。 粉砕骨折の詳しい原因は不明である。 武豊は「原因は分からないのではなく、無いんだ」とレース後マスコミに答えた。 レース後の武豊の落ち込みは相当なものだった。 同レースに出ていたテイエムオオアラシの鞍上である福永騎手は 「あんなに落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」と証言している。 その夜、武豊は知り合いとワインを飲み明かした。 「泥酔したの、あんときが生まれて初めてだったんじゃないかな。 夢であって欲しいな、って」 サイレンススズカの死、それは夢を見た競馬ファン達にとって、最大のトラウマになった。 サイレンススズカはまさに夢のように走る馬だった。 1600mのスピードで2000mを制せる、最速の中距離馬だった。 競馬に絶対はない。だからファンは"たられば"を夢想する。 もし、サイレンススズカがケガをしていなかったら、どうなっていただろうか。 ジャパンカップの2400mも軽々と走っただろうか。海外に遠征しても、並み居る強敵達を圧倒しただろうか。 種牡馬になったら、どんな子供が生まれただろうか。 そんな夢想をしてしまうのは競馬ファンだけではなかった。 武豊である。 自ら鞍上を名乗り出て、サイレンススズカの未来に期待し、夢を叶えようとした武豊は、 あろうことかその夢が崩れ落ちる瞬間の馬に、跨っていた。 ジョッキーにとって、一番嫌な、最悪の瞬間。 その瞬間のサイレンススズカに武豊は乗っていたのだ。 2007年になるまで武豊はサイレンススズカに深く言及することはなく、 2013年のインタビューでも、事故の話になると途端に拒絶し、笑顔を引っ込めた。 サイレンススズカの事故、その絶望の感触は、武豊の心の中へと確かに刻まれている。 ウマ娘 プリティーダービー第1Rにて終盤、トレーナーは問いかける。 「日本一のウマ娘とは何か?」 それはG1で勝つことだろうか。 日本競馬界の象徴であり最大級の目標である東京優駿、日本ダービーで勝つことだろうか。 ファン投票で出場馬が決まり、1年を締めくくる大レース。数々の名勝負が繰り広げられた有馬記念で勝つことだろうか。 この問いに擬人化されたサイレンススズカはこう答えた。 「夢……見ている人に夢を与えられるような、そんなウマ娘」 このセリフを聞いてしまった競馬ファン達の心境は如何ほどのものだったろうか。 サイレンススズカ。 日本競馬史上、もっとも人々に夢を見せてしまった馬である。 7、それでも馬達は走り続ける。 サイレンススズカと戦い敗れたエルコンドルパサーは1998年のジャパンカップを制し、海外への遠征を決めた。 「国内に敵はいない」とのコメントは事実その通りであった。 そしてその海外遠征でエルコンドルパサーは大活躍する。 ヨーロッパ最大の競走の一つ、凱旋門賞では惜しくも2着だったが、現地メディアからは「チャンピオンは二頭居た」とその健闘を称えられるほどだった。 2018年現在、国際的に競走馬のレーティング指数を決める「インターナショナル・クラシフィケーション(旧称)」や競走馬の能力を数値化する「タイムフォーム・レーティング」など、どちらもエルコンドルパサーは日本調教馬として史上最高の数値を保持している。 引退後に現れたディープインパクト等の名馬達、それらを差し置いての高評価を未だにエルコンドルパサーは維持したままなのだ。 そのエルコンドルパサーを相手に、国内レースにて唯一勝ち星をあげていたサイレンススズカの評価も未だに止まることがない。 翌年、1999年の天皇賞(秋)レース。これを武豊は再び走り見事1着でゴールインを果たす。 しかもレース記録を塗り替えるレコード勝ちだった。 去年のリベンジを果たした武豊はレース後、 「ゴールの瞬間、まるでサイレンススズカが後押しをしてくれたようでした」と語っている。 サイレンススズカが後押し、天皇賞(秋)をレコード記録で1着を取った馬、 その馬の名はスペシャルウィーク アニメ「ウマ娘 プリティーダービー」の主人公である。 さらなる余談ではあるが、天皇賞(秋)にかかった一番人気のジンクス、呪いは 2000年にテイエムオペラオーが払拭する。 その後に登場する名馬達も、天皇賞(秋)において1番人気で1着を取れるようになっていった。 名馬達を襲った忌まわしき呪いは完全に掻き消え、今は日本競馬史の一つとして、ただ記されているのみである。
https://ch.nicovideo.jp/yumemura/blomaga/ar996682
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cafelatte-night · 3 years ago
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恋愛に限らず、人間関係は
嫌だと感じる、合わないと感じる
幸せを感じられないから離れたいと思えば
離れていいわけで、そこに留まる必要はありません。
誰と付き合うかは
ちゃんと自分で選べるんですね。
それなのにそこに執着してしまうのは
自分にとって��要なものがその関係にあるから。
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pjtmtmw · 4 years ago
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27.マルトリートメント症候群の長期予後
子ども虐待は、たとえそれが死に至らない場合であっても、その子どもの心と脳に大きな傷跡を残し、
青年期、成人期になってからも精神的後遺症となって残り、精神障害や人格障害、行動面の問題等を
引き起こしかねません。
幼少時期に安心して生活することができず、いつも不安や恐怖に脅え、自分を大切な存在であると
感じることができずに育ってしまったことで、自己尊重感が築けず、対人関係の築き方にも障害を来たし
てしまいがちです。そのため、何とか青年期 ・成人期まで生きてきたとしても、抑 うつに陥りやすかった
り、ささいなことで不安を強めたり、無気力や自己嫌悪から自傷、自殺企図などを示す場合があります。
かつての外傷体験の影響を心身に色濃く残し、不眠や悪夢、パニック発作、解離性障害や身体化障
害、独特の対人関係の問題、薬物 ・アルコール依存等の嗜癖行動等の情緒的、行動的問題を抱えて
いることは少なくありません。
もちろん、子ども時代に受けた被虐待体験を克服し、人生を肯定的に生きているサバイバーは沢山
います。しかし、そこには多くの内的葛藤や怒りを乗り越えるための並々ならぬ勇気と努力が必要だっ
たこと、また家庭内外の第三者による助けに恵まれなければならなかっただろうことは想像に難くありま
せん。いずれにせよ、私たちは、虐待の被害は、子ども時代だけではなく、大人になってからも精神的後
遺症となって残り、後々の人生にも色濃く影響を残す可能性があるということを忘れてはいけないので
す。
(1) 被虐待による認知機能や脳とこころの発達に及ぼす影響
小児期の虐待で受けた身体的な傷がたとえ治癒したとしても、発達過程に負った傷は簡単には癒さ
れないことがわかってきました。児童虐待が認知面 ・情緒面の発達に及ぼす影響は、心理的なものの
みならず、発達している最中の脳自体の機能や精神構造に永続的なダメージを与えてしまうことからも
生じるということが、近年の研究で明らかにされつつあります。虐待を受けることで、子どもの脳では分
子レベルの神経生物学的な反応がいくつも起こり、それが神経の発達に不可逆的な影響を及ぼしてし
まうというのです。
虐待のストレスによって、認知機能の発達が阻害され、知的障害・学習障害のような様相を示していく
ことがありますし、記憶や情動を適切に制御する力が損なわれ、落ち着きのなさや多動傾向 ・衝動的な
傾向を示したり、フラッシュバックや夜驚、ぼんやりしたり記憶が欠落するといったような解離症状を示す
こともあります。怒りや恐怖などの感情をコントロールすることができず、不適切なところで急に爆発させ
てパニックになったり、衝動的、攻撃的な行動に至ってしまうこともあります。
そうなると、対等な対人関係を築いたり円滑な集団生活を送るためのルールを身に付けることも困難
となり、年齢相応の社会性を伸ばすこともできなくなります。虐待を受け、周りとの快適で安心できる関
係を経験することなく育ってしまうと、良好な自己像を形成することも難しくなります。「自分は愛される
価値のないだめな人間だ」という感覚を持ち、自己尊重感が育ちません。そうなると、ますます周りとの
対人関係や社会適応が困難なものとなり、社会性の発達は阻害されてしまいます。
虐待は、さまざまなレベルで、子どもの心身の健やかな発達を阻害してしまうのです。
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xf-2 · 6 years ago
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香港
200万人デモで、中国への警戒感を一層強める台湾。「香港独立運動の父」と呼ばれる台湾の独立派政党党首・陳奕齊(チェン・イーチー)氏は「世界各国が中国の国家転覆工作に警戒しているのに、日本はあまりに鈍感すぎる」という――。
6月16日、香港の金鐘(アドミラルティ)で行われた大規模デモの様子。デモ隊は「加油(ガーヨウ=がんばれ)」「不撤不散 (バッチーバサーン=撤回するまで解散しない)」と声をあげながらあたり一面を覆い尽くした(撮影=的野弘路)
■“台湾人よ、香港人の屍を乗り越えて”
「一国二制度」を信じたために、「刀把子(ダオ バア ズ)」を中国に握られてしまった……香港人はみずからそう言う。刀把子とは、「包丁の柄」のことである。要するに、今後は中国という料理人に好き勝手に切り刻まれるだけ、と言う意味である。
中国人が香港に続々と流入し、香港の市民権を取得した新香港人の数は150万人以上までふくらみ、今や香港の人口の5分の1に達している。その過程で、香港人は安心安全な生活をうばわれ、市民としての権利を行使できない状態に追いやられた。とうとう選挙権まで奪われた今、中国は香港の司法まで乗っ取ろうとしている。香港人は言論の自由と、法の正義を剥奪されようとしているのである。
デモに参加した香港の中年女性は、「中国と商売をすれば儲かると思い、お金につられて1997年の中国への返還を受け入れた。しかし、それによって香港人は自由や自尊心を奪われてしまった」と訴えた。そして、彼女は台湾人に「今天的香港是明天的台湾(今日の香港は、明日の台湾だ。気をつけてほしい。私たちの失敗を台湾は繰り返さないで)」というメッセージを送っている。
今回のデモの中でも「台湾人よ、香港人の屍を乗り越えて、中国から遠ざかって」というメッセージの書かれた垂れ幕が多く見受けられた。
“200万人デモ”が一段落した6月17日に、2014年の「雨傘運動」学生リーダーだった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏が、出所した。その時、彼は出所会見の最後に広東語ではなく、中国語で台湾人に対して「今回のデモにおいても、台湾の多くの友人有志の支持支援に感謝します。『今天的香港今天的台灣』。今日の香港、今日の台湾は同じ状態だ、台湾のみんなも今後も努力を継続してほしい、一緒に北京の習近平の圧政に対抗していきたい。みなさんありがとう」と述べている。
■世界を震撼させた4月のスパイ事件
今年の4月18日ニューヨーク東部地区連邦地方裁判所でとある中国系アメリカ人女性の証言が世界の注目を浴びた。その女性は中国国際航空(エアチャイナ)の元職員、林英(リン・イン、女性、48)被告で、彼女は2002年から16年4月までニューヨークの中国国際航空の空港カウンターで勤務していた。その間少なくとも2010年から2016年までの数回、国連駐在の中国軍関係者の荷物検査をパスさせて北京への密輸を手伝い、駐ニューヨーク中国総領事館の職員から小包を無関係の乗客名で北京に送り届けていたのである。
林被告は「私は中国高官と私の雇用主であるエアチャイナの指示に従った。このことは米国司法長官に通知しなかった」と認めたと同時に、「中国当局から、報奨として、外交官特権の付与と自宅のリフォームなどを無償で受けていた」ことも自白したのである。今後、彼女は審議や調査にかけられ、最高10年の懲役と14万ドル程度の罰金、さらにアメリカ国籍剥奪の可能性もある。
■アメリカ政府は激怒
米国運輸保安庁(TSA)は、航空機に搭乗していない人の手荷物預かりを禁じている。さらにこの行為は「外国代理人登録法(FARA)」に違反する事件として、アメリカ政府を激怒させた。この法律は1938年にコミンテルンなどの外国権力のプロパガンダ活動家を焦点に当てて作られたもので、現在は政治的ロビー活動を行うエージェント(ロビイスト)の登録と監視を行うための法律である。外国政府や外国団体の権益を代表するエージェントは、アメリカ司法省へ届け出を行う必要がある。
米国議会、ホワイトハウス、連邦政府内などには、このような届け出を行い外国から依頼を受けたアメリカ人もしくは外国人が堂々とロビー活動をしている。アメリカはこの「外国代理人登録法」と「ロビー活動公開法」とでアメリカの不利益になる外国人の活動を抑制している。
そして、リン被告は裁判官の問いに対して、「中国政府と軍の代理であることを隠ぺいした」と自身の罪を認めた。スパイ行為にもあたる可能性があり、アメリカに帰化した一般の中国人を、中国の権益のためにスパイとして利用する手法が露呈したのである。
■国家安全のための「護台防中」6法
林英スパイ事件に、敏感に反応したのが台湾だ。台湾でも、中国との民間交流が進むなか、多くの中国人が台湾に観光に来るようになった。台湾への留学・就労・婚姻などによる移民なども増加している。その中国系民間人もしくは買収された台湾人が、中国当局のために何らかの活動を行っている可能性を、真剣に考慮しなければならない事例がアメリカで明るみになったのである。
蔡英文総統は2016年5月に総統に就任すると、真っ先に「護台防中(守護台湾 中国化防御)」の基本政策の下、すぐに国家安全に関する6つの法案の整備・立法化を進めていたのである。それが、以下の6法案である。
2016.11 陸海空軍軍士官服役条例(陸海空軍の軍士官の服役条例の強化)
2017.12 組織犯罪条例(組織犯罪条例の整備)
2018.05 証人保護法(証人保護法の整備)
2019.05 刑法外患罪(外患罪の刑法整備)
2019.05 国家機密保護法(国家機密保護法の強化)
2019.06 国安法 修正(国家安全法の修正、スパイ法の強化)
今回の「香港200万人デモ」が起こったのは、ちょうどこの6法案の整備が完成したのとまさに同じタイミングだった。台湾人も、香港の司法が乗っ取られようとする事態を目の当たりにした。
■台湾で行われた「親中メディアへの反対デモ」
そもそも、この蔡英文総統の対中国共産党の工作を想定した国家安全の一連の法整備と強行姿勢は、中国の猛烈な反感を買い、両岸関係は冷え切った状態になった。それに対して、台湾国民は蔡英文政権に不満を覚え、昨年2018年の統一地方選挙で民進党は大敗を記したのである。しかし、この地道な取り組みが、ここに来て正しかったと評価されることになるとは、蔡英文総統自身も想定外だったに違いない。
さらに、基進党党首の陳奕齊氏や民進党の立法議員は、アメリカにならった「外国代理人登録制度」の成立をさらに要望している。そのための行動が6月23日、台湾で雨の中、大々的に行われた。日本では「親中メディアへの反対デモ」として小さく報道されているが、真の台湾愛国派の目的は、「反境外勢力干預法(反国外勢力介入法)」の立法化なのである。
立法化が成就した場合、最初にそのターゲットとなるのが「紅色媒体(中国寄りメディア)」、次が「親中政治人物(中国寄り政治家)」だ。とくに現・高雄市長の韓国瑜(カン・コクユ)氏は、その矢面に立っている。昨年末の市長選挙の際の、特定メディア(3局)の韓国瑜候補への好意的に偏った報道がひどかったことが原因だ。さらに、韓国瑜市長は香港デモについて、当初「香港のことはよく知らない」などと曖昧な発言を行い、それがさらに中国寄りであるとの批判を受けている。
■世界中で進行する中国共産党への警戒の動き
こうした動きは、中国と常に緊張関係にある台湾だけではない。
2018年6月にオーストラリア議会は、「反外国介入法」として、外国のスパイ活動や内政干渉の阻止を目的とした複数の法案を可決した。可決された法案は「スパイ行為に対する罰則の強化」「オーストラリアの内政に影響や害悪を与えようとする外国当局による秘密工作、欺瞞(ぎまん)工作、脅迫行為の取り締まり(国家安全立法修正案)」だ。さらには外国による政治干渉を透明化するため、「外国の政府や企業の代理人となる個人や団体には、登録の義務化(外国影響力透明法=外国代理人制度に類似)」を制定した。
この法案が成立したきっかけは、2015年にオーストラリアの最重要軍事基地のダーウィン港が、不透明な経緯を経て中国企業と99年のリース契約を結んでしまったことに、オーストラリア国民が一斉に危機感をあらわにしたからだ。
2017年には、中国からの収賄や癒着を疑われたオーストラリア労働党のサム・ダスティアリ上院議員が辞職した。当時のオーストラリアには、現地中国系住民、留学生、新移民、駐在ビジネスパーソンなどからなるセミプロ諜報員が500人以上、中国人民解放軍の総参謀部、国家安全部、公安部から派遣されたプロの諜報員が300人以上潜伏していたとも見られている。
オーストラリア政府は2018年6月の法案可決後、「スパイ活動および外国の干渉はオーストラリアの安全保障と国防のうえで重大なリスクとなっている」「敵対的な外国当局が、機密情報の入手やオーストラリアの民主的手続きを逆手に取り、影響力を行使するためにさまざまな手法でオーストラリアの国益に反する活動を積極的に行っている」旨の声明を発表した。特定の国こそ名指ししなかったが、どの国を指すかは明らかであった。
一時期、中国寄りに傾いているとみられていたオーストラリア政府は、こうしてまともな方向へ軌道修正し直したのである。
■台湾基進党党首が語る中国の対外工作
筆者は、「港独之父(香港独立運動の父)」と香港中国系新聞に言わしめた台湾の基進党党首の陳奕齊(チェン・イーチー)氏に、オーストラリアをはじめとする海外諸国における中国の工作の実情について聞いた。
陳氏は台湾在住の台湾人だが、香港返還の翌年である1998年から2002年まで2年間香港に駐在し、早くから香港の危機を理解・憂慮し、香港の中国圧政からの自主独立を訴えはじめた。そのため、2005年には香港へ入国できなくなった。帰国後も香港の現状を台湾で蔡英文総統(当時党主席)に報告し、多くの香港独立運動の若者との交流や指導を行い、2016年11月の香港大公報に「台湾の香港独立の父」と報じられた。(「香独之父」と呼ばれている人物は複数いる)。
「彼らは外国にいる中国人留学生、中国系住民の団体や法人、駐在ビジネスパーソンを使い、外国政治家、有力者、企業、メディアへの働きかけを行い、間接的献金、優位な商取引などを持ちかけて関係を構築します。工作の目的は、主に①資源、②技術情報、③対中政策の緩和優遇、④領土問題(台湾・南沙諸島・チベット・ウイグル・そして尖閣諸島を含む)です」(陳氏)
このように、中国の世界への覇権行動・情報操作・地下ロビー活動は活発であり、先のアメリカやオーストラリア以外にも、カナダやヨーロッパなど世界的に中国の国家転覆工作への警戒を強めている。
台湾と中国両岸の政治的綱引きは、1996年の「ミサイルによる威嚇」からはじまり、「経済(お金)と人的交流(観光)の懐柔策」で緩み、そして昨年の台湾選挙でようやく中国は「情報(メディア)と心理戦による選挙への影響力を手にした」のである。実際、米ワシントン・ポスト紙も「中国は台湾民主選挙への干渉に成功した」と報道した(2018年12月18日付)。
■「外国法人のみを監督する時代は終わった」
当の習近平主席本人ですら、2018年12月18日の「慶祝改革開放40周年大会」の席上、「中国政府はすでに両岸関係の主導権と主動権を握ることができた」と発言したのである。これは、中国側が台湾の香港化を着実に進めていることを示唆しているものと、台湾有識者は危機感を強くしたのである。
「中国共産党は、資金融資、経済優遇、観光交流、文化交流からはじまり、軍事交流そして政治干渉にまで手を伸ばそうとする。そのためには、中国企業、団体を使って、中国での旅行の接待、性的接待、親族への金品の贈与や中国留学での奨学金や特別入学枠の確保などありとあらゆる便宜を相手に与えます」
「そして、最後に欲しがるのが、中国への『犯罪人引渡条約』なんです。これは、その国の司法に介入できる最終手段だから。中国の法で裁きたい人間の請求権を認めたら、それはもう独立国ではなくなるからです」(陳氏)
オーストラリアでも、この「犯罪人引渡条約」が批准の方向で一時動いたものの、2017年3月に撤回されている。
香港の自治を認める「一国二制度」の崩壊や、世界各国における中国の暗躍は、台湾をはじめ多くの国々に、中国の野望と中国の手法を教訓として残したのである。
陳氏は、「今までのように、外国法人のみを監督する時代は終わっています。移民者から本国人までのすべての一般市民、政治家、そして第四権力であるメディアまでも監視しなければいけない時代に来ています。しかも、第四権力としてのメディアは、無垢な一般市民までもフェイクニュースで操作できる時代なのです」と警戒感をあらわにする。
■風見鶏と二枚舌は日本を「信頼できない国」に
筆者は陳氏に、日本に対するアドバイスを求めた。
陳氏は、「まだまだわれわれは中国との情報戦、心理戦、国内の共産党勢力の排除に勝ったわけではない。台湾をはじめ世界の共産党勢力への戦いはまだまだ続くだろう」と述べた後に、「実は、一番心配しているのは、今の日本かもしれない」と口にした。
「スパイ防止法も外患罪も、ましてや外国代理人登録制度や外国人影響力透明法など、外国の工作に対してまったく無頓着なのが日本ではないか?」と問いかける陳氏。筆者との討論が進む中で、以下の問題点が共通の認識となった。
「沖縄や北海道などの国土を中国資本に買収されていても、それを経済活動の一環として放置している」
「日本の政財界は、一方的に中国市場への依存度を高める行動を取っている」
「日本の大学や専門学校は、無節操に中国人を日本の大学に入学留学させて、経済活動(お金儲け)を行っている」
「労働者不足と称して、(上記のような)法整備も不十分な状態で多くの外国人を入国させている。しかも、多くの外国人が行方不明になっている事実もある」
などなど、彼との討論からは、日本の鈍感と、経済的に活性化されるなら仕方がない、という拝金主義でしか動かない現代日本と日本の政財界の在り方を思い知らされた。
■世界で一番手に入りやすい日本のパスポート
筆者も毎月、日本と台湾を往復しているが、空港で明らかに日本人でない人が日本のパスポートを持っているのをよく目にする。以前もあるパーティーで「山本」と名乗る人と話をしたとき、日本語が少しおかしかったので、中国語で話しかけたら、上海出身の中国人だということが分かった。
彼の中国名は「李(仮)」だったが、帰化とともに日本名を使うことを日本の法務省から勧められたそうだ。うわさによると、日本の有力な国会議員の口利きで、パスポート所得や帰化申請に便宜が図られたケースもあると聞く。日本のパスポートは、ビザなし渡航可能国が世界一を数える世界で最も便利なパスポートではあるが、転じて世界で一番安い、手に入れやすいパスポートになってしまったのだろうか。
陳氏の目には、日本の姿勢が不可思議に映るようだ。
「2018年に中国へのODAを中止したと思ったら、スワップを再開した。アメリカへ追従して対中貿易戦争に協力すると思ったら、静観・傍観している。中国の一帯一路政策にも賛成したり、しなかったり。風見鶏的、悪く言えば二枚舌であり、最も信頼できない状態になる可能性があります」(陳氏)
「安倍首相は、台湾が天災など有事の際には必ず、励ましの応援メッセージ(つぶやき)をくれる。これには感謝するし、蔡英文首相も必ず返信する間柄だが、中国からの抗議や批判がないのも引っかかりますね。日本の外交のブレが、こういう形で疑心暗鬼を生むのです」(同)
■スパイ対策が進まない3つの理由
陳氏との厳しい討論は、なぜ日本で国家機密や技術情報、スパイ工作についての保護や対策が進まないのかにまで及んだ。2人で同意したその理由を列挙する。
1.すでに述べたとおり多くの政治家、官僚、監督官庁、業界団体、有力企業、メディアの中に、中国の権益を守るグループが存在しているのではないか(冒頭の香港の中年女性と同じ後悔が待っていそうだ)。
2.中国以外の、中国の傀儡(かいらい)国家の��力も日本の政官財といった中枢に入り込んで、多くの操作をしているのではないか。
3.中国とのパイプや利権権益を、自分たちだけは保持・保有していたいという利己主義者が日本には多数いるのではないか。
とくに、第四権力であるメディアへの中国資本の影響力は増している、という見解が完全に一致した。2018年9月、台風21号による関西空港の台風被害に関する中国のネット発のフェイクニュースによって、台湾の外交官が自殺に追い込まれた事件があったが、そこからもわかるように、どこから発火・炎上し、どう操作されるかわからない。世界では報道、ニュース、マスコミ、インターネットの在り方が改めて見直される時期に来ているようだ。
しかし、台湾やオーストラリアといった民主主義国で違和感なく行われているこの手法を、同じ民主主義国である日本で仮に行おうとすれば、そんなマスメディアも含めた既得権者は「戦前回帰」「外国人差別」と称してアレルギーを起こす公算が高い。アメリカをはじめ、オーストラリア、台湾、そして香港が、外国勢力に侵食されている一方で、今の日本が唯一無傷でいるとは到底考えられない。その克服のためにも、一般市民も含めわれわれはひとごと、無関心、鈍感であってはならない。日本も一刻も早く見えない呪縛を断ち切らねばなるまい。
「日本でもこの危機を、香港、台湾、豪州、アメリカの例を通じて、正確に報道してほしい」と陳氏は訴えた。「日本の歴史やわれわれが知っている日本精神からすれば、日本はアジアの民主主義の盟主として、香港そして台湾、さらには中国の侵略に苦しむ国家の指導的立場になる国だと思うし、そう信じている」――陳氏はインタビューをそう結んでくれた。
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藤 重太(ふじ・じゅうた)
アジア市場開発・富吉国際企業国際顧問有限公司 代表
1967年東京生まれ。86年成田高校卒業、91年台湾大学卒業。92年香港で創業、アジア市場開発設立。台湾 資訊工業策進会 顧問(8年)。台湾講談社媒体有限公司 総経理(5年)などを歴任。現在 日本と台湾で、企業顧問業務、相談指導ほか「グローバリズムと日本人としての生き方」などの講演活動を行っている。
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(アジア市場開発・富吉国際企業国際顧問有限公司 代表 藤 重太 撮影=的野弘路、FUJI JUTA 写真提供=基進党)
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lovelycomedy · 5 years ago
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2019年 配信映画とTV感想
NETFLIX
*「Love, Death & Robots」  ネトフリに入った目的その1  複数話あるものは全部見なくてはいけない気がするマンにとって一話15分はとてもありがたい  秘密戦争がお約束シーンいっぱいでツボ   「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」  ホモの痴話げんかに巻き込むのやめろよ!  ニュートが人の目見てしゃべれないの好き   *「蟲師」  虚さんがトラウマになっていたのが何とか克服できた   「裏切りのサーカス」  ホモよ!(言いがかり)…え、ホンマに…?という映画  裏切者が誰かわかるわからないだけで終わる話じゃないのはよかった  ゲイリーオールドマンを悪者だと決めつけがち   *「スタージル・シンプソン: SOUND & FURY」  終始ほああ…?…!?という感じ   「ジョン・ウィック」  裏世界が結構楽しそう  ジョンがあんなにコイン貯めたまま引退して流通量減らないのかなと思った   *「モブサイコ100」  島崎戦よかったほんと…   「犬神家の一族」  うどん   「メッセージ」  ディスプレイの自動回転の挙動から重力がおかしくなっていることがわかる演出かなり好き  ああいう生き方とか思考とかどんな感じなんだろうか 原作が読みたい   「騎士の鎧の秘密」  あんたが着るのかよ!  銃にも勝つ!のはすごい  鎧のコスト>装着者の命コスト になったんだろうなって 世知辛い   「劇場版 魔法少女 まどかマギカ [前編]始まりの物語 [後編]永遠の物語」  叛逆なかった…   「刑事ハンサム」  ハンサムですらかっこいい車に乗ってかわいい犬がいるのに  人生ってこんなもんだよなと  面白くはないが好き   *「LUCIFER/ルシファー:シーズン1」  女性陣がとにかくチャーミング 役割ではなくちゃんと生きてることが感じられるから?  変にグダグダせずに1話ずつ問題をクリアしていく前向きな感じもいい  曲もいい   *「私立探偵ダーク・ジェントリー」  ネトフリに入った目的その2  はい好き大好き マックスランディスお前はなぜ………  1話でメタ視点からは大まかなタネ見せてくれる形式はワクワクする  シーズン1終わりにもうこれ以上はないだろ!あともう続きなくなるの悲しい!  と思ってシーズン2放置してたけど方向性はかなり違うけど間口は広くなっててよかった  私は待つよシーズン3を   *「フリクリ プログレ/オルタナ」  オルタナは文字通りオルタナ  プログレはgirl want to meet boyのハルコの話だった   「ANIMA」  どう撮ってるのかわからないシーンが   「ベイビー・ドライバー」  これは俺や!とそんな風に女の子口説けるなんてお前は俺じゃない!を繰り返した  特殊能力!じゃなくて障害とその副産物って扱われ方良い ちょっとはわかるよ…って気になるし  償いの有無が気になる嫌な大人になって久しいけど最適な終わり方で嬉しかった   「ヒットマンズ・ボディーガード」  これは本当に悪者のゲイリー  厨房とかバイクとボートとか狭いとこでこちゃこちゃしたアクション好き   *「コミンスキー・メソッド」  年を取るのはつらいことでもつらいことばかりじゃない   *「マインドハンター:シーズン1」  ホーガンはさぁ…という気持ちを君はどこまで抑えられるか!?  2話のあのシーンまでいったらおとなしく最後まで付き合おう  フィンチャーの美麗な映像はやっぱり良い  最後はほんとこの!このシーンのために!自分はストレスに耐えてきた!と叫びたくなるほどだった   *「Sherlock」  隙あらばジョンにシャーロックを殴ってほしいと思っている自分   「ゴーストバスターズ」  いいとこだったのにもぉ~ と この町大好きだー! が大好きなことが分かった  vfxの色合い好き 来年の続編もこの色合い踏襲してるから楽しみ   「シャイニング」  ファン多い理由がわかった どことっても絵面がきれい  絵の不気味さが無い分��優の演技が際立つ  All work and no play makes Jack a dull boy は真似しよう  雪降ってる日に家で見たくない映画No.1   「バスターのバラード」  トールテイルズは良い  死神2人の話が好き   「ロマンティックじゃない?」  自分が好き!のワンクッション入るの良い こういう細かいところだよ   「この世界の片隅に」  今絵の具があったら~と瓦礫の絵の力が強い  終戦して町に明かりがともるシーンが一番好きです   「アメリカン・サイコ」  これがかの有名な名刺バトル  周りと差をつけたいのに上には上がいるしその上からは同じやつ扱いおつらい   「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2・3」  ヒロインはお母さん   「オープニング・ナイト・ロング」  ゲイとビッチの男の取り合いダンス&ソングバトル!これだよ!見たかったのは!  Area code this bitch が分からなかった…   「ナイスガイズ!」  諸々のバランスがいい 何も考えずに楽しくみられる  ホリー役の子がハチャメチャかわいい 未来の大女優  酒池肉林シーンが明るい感じで珍しい  マーチのアクションが全体としてはかっこいいのにことごとく失敗しているのが好き   「ビル・マーレイ・クリスマス」  ビルマーレイが俺と一緒に悲惨なクリスマスを送ってくれる…という気持ちになれてお得   *「BEASTARS」  ネトフリに入った目的その3  どろり濃厚青春恋愛味 サスペンスかミステリーになるかと思ったんだ  弱肉強食が崩れた時の弱者って?強者って?というお話  本能だけの話かと思ってたのに最終話で肉食は騎士 草食は姫 の社会模範的ロールも出てきて  種族 性別 社会 とそれに合わせるべき性格って グエーッ地獄!になった  2期は…恋愛要素少なくなってキャーキャーいう頻度も少なくなるはずだ!   「パイレーツ・ロック」  wikiのキャラ紹介欄が簡潔で頼りになる  ジョンとサイモンが好き  原題 The Boat That Rocked が very cool 上手く訳すの難しいね   「アクアマン」  どうか!このこじらせ弟だけは!許してやってください!と嘆願しながら見た  モモアの千葉真一感 人助けシーンがおいしい  あと敵チームの工作シーンずるいよ エンジニア属性(努力型)はすぐに好きになっちゃうから  うーんという箇所もあったが最後のミニチュア風CGで完全に良いになった
AmazonPrime
「コードネームU.N.C.L.E.」  アマプラ入った目的その1  当初は某所での「男なのに腐女子になっちまう」との書き込みをみて興味を持ったが  結論から言うと自分のその琴線にはあまりふれず イリヤ完全にスパイ向いてないよ!  シルヴェスターグロート演技うま…と ウェーバリー好き… です言いたいことは  このときアクション視聴偏差値40だったのでアクションについては何も言えることがない  ウェーバリーの設定本当にツボなので続編ほしいよー   *「グッド・オーメンズ」  アマプラに入った目的その2  2019年一番ハマったコンテンツ大賞受賞 おかげで今年の11月以前の記憶がサーカス以外ほぼない  正反対の似た者同士 割れ鍋に綴じ蓋  超自然的存在 入れ替わり 好きにならない理由がないじゃん…  ドラマ見てから原作読んでわかったのは丁寧な小ネタと30年の年月を感じさせる肉付け  原作完全再現ではないんだけどわざわざ別メディアでやるならこれくらいするの��bestなのかなって  ほんとマイケルシーン好きになっちゃった 演技がうまい  出演俳優の関連作品で見たいやつが多いしばらくイギリス濡れになりそう   「こぼれる」  何も起こってないんだけど何もないというわけではないそんな日常   「特捜部Q 檻の中の女」  探偵に求めるのは人としてのどうしようもなさで刑事に求めるのは真面目さと狂気  その点でカールは満点 アサドもとてもいい女房役  地道な調査良い 変に足引っ張ってくる同僚がほぼゼロなのもいい(カールが避けられているだけ)  何回も言うがアサドがいい味を出している   「特捜部Q キジ殺し」  きついシーンもあるけど終始キミーがモンスターで恋をしてるとこが一貫して描かれてたから  変な突っかかりもなくすっとした話なのがうまかった  これは親子の話だな…ラストシーンはこんなだろうなーという期待を裏切らないところも嬉しい   「清須会議」  権六(役所広司)と五郎左(小日向文世)のブロマンスが自分にちょうどよかった  秀吉のキャラがお調子者・世渡り上手に収まらない深みがあってよかったな  いろいろ言ってるけどお前の天下はそんなに続かないんだよ…というメタも入ってなお美味しい  あと剛力彩芽!こういう可憐だけど強い女性もっとやってほしい   「ブルース・ブラザーズ」  もっと早く見たかった!15年前くらいに!最高!   *「Fleabag」  意図せず感情のジェットコースターに乗せられた  通り魔に刺されたらこんな気持ちなんだろーなーというシーズン1  sherlock見てるときはアンドリュースコットに癒されるとは思ってなかったよ…なシーズン2  元銀行員のおっさんとはずっと関係持たないでほしいと思った   「柳生一族の陰謀」  志穂美悦子かっこいいすごい  この人知ってる!が若い!誰だっけ?が頻発した 原田芳雄と真田広之は普通に気づかなかった  烏丸文麿…キャラとしてずるくない?公家で馬乗って剣豪ってずるくない?(好き…)  当時リアルタイムで見てた人はどう思っていたのか切実に知りたい
GYAO
「手紙は覚えている」  サウンドオブミュージックのトラップ大佐やってたクリストファープラマーだと気づいたのは見終わってから  それを踏まえるとさらに味わい深い映画だった  でも音楽のできるイケメンっていう反則カードは変わらないな
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takahashicleaning · 4 years ago
Link
TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラヤ山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東洋や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求めながらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というとあまりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しましょう。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということです。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。それらはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が出来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につながる心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そうする事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出す鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象のことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!これもブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味することろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより現実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が強化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは、3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待しましょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
<個人的なアイデア>
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていませ���。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
<おすすめサイト>
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
バリー・シュワルツ:選択の自由パラドックスについて語る
ダン•ギルバート:私たちが幸せを感じる理由
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
<提供>
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2ttf · 13 years ago
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