Tumgik
#栄西
crazyfox-archives · 1 year
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A pamphlet from Kenninji Temple (建仁寺) in Kyoto, established in 1202 by the Rinzai Zen founder Myōan Eisai (明菴栄西) in 1202, featuring a monochrome photo of the main hall dating to a 1765 reconstruction
Acquired at the temple June 12, 1994
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kshogaki · 2 years
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. 今回はあまり無理をせずゆっくりさせていただきました。 喫茶養生記に因んで桑の葉のお茶やお菓子などが販売されていました。 #建仁寺 #建仁寺双龍図 #臨済宗大本山建仁寺 #臨済宗 #細川護煕 #栄西 #喫茶養生記 #桑茶 (建仁寺) https://www.instagram.com/p/CjflYN-P-G-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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catdoll007 · 1 year
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茶室 「 彩翔亭 」
所沢航空記念公園の園内にある、茶室と日本庭園の施設日本の伝統文化の「茶道」を気軽に楽しむことができます
事前申し込みすれば、茶室でお茶会の他にも撮影や句会・会合等でも使用できるそう🍵
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shodoshima-camera · 7 months
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鯛のでんぶを挟んだ酢飯に、太刀魚の酢漬け、炊いたエビ、厚焼きたまご、はもの照り焼きを乗せた「まつり寿司」。「創作郷土料理 曆」の岸本さんが小豆島の郷土料理を再現してくれました。小豆島出身の作家、壺井栄の作品には「まつり寿司」をはじめ島の郷土料理や食べ物がたくさん書き残されています。 『文学から紐解く小豆島 〜郷土料理を掘り起こす〜』がOM SYSTEMのnote「わたしのまちとカメラ」で公開中です。どうぞご一読ください。
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kuribayashisachi · 11 months
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3 細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3 
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
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■中江兆民とルソー
 中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
 ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの���想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度の鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
 この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれに答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいをしている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。 (私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、 結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらためさせようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。 明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、 迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、 日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。 かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。 《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179 (中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じだったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、 「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」 (西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
その克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。 ……このシーン、小説のよう。 川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼らの行動を 著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求めていた。 殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。 これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。 最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。 探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。 西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに。これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、 眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、 眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。 利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。 凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。 なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめたのだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
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findareading · 7 months
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山手線に乗り換えて文庫本を開いた筆者の左隣に、同じ装幀の文庫本を読む男性が坐っていました。原田マハ箸『たゆたえども沈まず』です。
— 西澤栄美子著「原田マハからバルザックへ」(『本の庭へ』2023年8月、水声社〈水声文庫〉)
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kinop37p · 1 year
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#道の駅スタンプブック 本日の成果 64-76軒目 計13軒、入れなかったところ2軒 64. #道の駅神話の里白うさぎ 65. #道の駅西いなば気楽里 66. #道の駅はわい 67. #道の駅北条公園 68. #道の駅大栄 69. #道の駅ポート赤碕 70. #道の駅琴の浦 71. #道の駅大山恵みの里 72. #あらエッサ 73. #道の駅広瀬富田城 74. #道の駅本庄 75. #道の駅湯の川 76. #道の駅キララ多伎 鳥取県は、コンプリートしました^_^ #道の駅秋鹿なぎさ公園 は定休日 #道の駅大社ご縁広場 は営業時間の変更か?本とは1時間早く閉まっててゲットならず。 鳥取、島根の道の駅は、無料急速充電が結構あり、とても助かりました^_^ 平日だったから、何度かできたけど、週末は混雑してるんだろうな^_^ 走行距離は410km 電費は147Wh/km のこりは、岡山県ほとんどと山口県の西部、あと定休日や間に合わなかったところが残ってます。 あとは32軒。あともう少し^_^ https://www.instagram.com/p/CopYnr-Pen1/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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takeshi-noguchi · 1 year
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西海橋からすぐ近くの長崎県佐世保市針尾東町の崎針尾漁港にあります、海上カキ焼き幸栄丸にいってきました! 素晴らしいロケーションで食べる焼き牡蠣は最高でした! まだまだ牡蠣は小ぶりでしたが、とても新鮮で美味しかったです😆 - ▼ブログはこちら↓ https://www.nogu.biz/2022/12/nagasakikaki.html - ▼動画はこちら↓ https://youtu.be/KT2gaYVKtK4 - ▼海上カキ焼幸栄丸 〒859-3451 長崎県佐世保市針尾東町2518 0956-58-3009 https://maps.app.goo.gl/FqUjrcg2wNB9sY3D6 - #幸栄丸 #海上カキ焼き幸栄丸 #カキ焼き #かき焼き #カキ焼き幸栄丸 #西海市牡蠣焼き #佐世保市牡蠣焼き #牡蠣 #大村湾産牡蠣 #牡蠣焼き #牡蠣小屋 #長崎牡蠣小屋 #海上カキ焼幸栄丸 #牡蠣好き #牡蠣食べ放題 #長崎牡蠣食べ放題 #Googleローカルガイド野口剛 #Googleローカルガイドレベル10野口剛 #のぐちゅーぶ #長崎グルメ #長崎県グルメ #佐世保市グルメ #佐世保グルメ #西海市グルメ #西海グルメ #牡蠣好き集まれ #長崎旅行 #長崎観光 #佐世保観光 #佐世保旅行 (海上ビアガーデン幸栄丸) https://www.instagram.com/p/Cl-8Sn4SjnX/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hidekigogo · 2 years
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今日もありました! 栄螺のつぼ焼き。うまいね . #海鮮居酒屋sato #蒲田 #蒲田西口 #栄螺のつぼ焼き #海鮮居酒屋 #居酒屋 (海鮮居酒屋 里 sato) https://www.instagram.com/p/CiSXORiv4Oo/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tokyo-akb48 · 2 years
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wazakka-kan · 2 months
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営業中。京都 香老舗 松栄堂の室内香が入荷しております。欠品していた箱をお求めの方、お待たせいたしました。
お香は火をつけて焚いてみないと本当の香りは分からないものです。箱の上から香りをかいでも、焚いてみたら印象が違うお香もあるので、試し焚きが出来るものは、出来るだけ焚いて香りを確認してもらうようにしております。
不思議なことに、大体の方が、第一印象でいいなと思うお香に落ち着く傾向。
一番好きな香りを探して途中浮気したり、気分が変わって浮気したりがあっても、最後は第一印象の香りに戻るのです。
嗅覚は古い大脳皮質の感覚で、野性の勘や直感が反応するのかな、と思って見ております。
ところで、香りって、3種類もかぐとよく分からなくなるんですよね。
だから、あれこれ試して決めているというよりは、箱を手に取る段階で、直感が働いているのではないかとたまに感じます。
本能のままに感じるって、出来てないようで、案外やってるのかもしれませんね。
店頭では、日に1~2回、ランダムに試し焚きしておりますので、そういうタイミングに居合わせた方は、どうぞ日本的なよい香りを胸いっぱい吸い込んで、少しの間でも癒されていってください。
通販→https://goo.gl/xmnJyt
#よい香り #リラックス #気分転換 #お香 #松栄堂 #堀川 #白川  #インテリア雑貨 #和雑貨 #江古田 #新桜台 #西武池袋線 #練馬区 #贈り物 #プレゼント #ギフト
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sekasu2007 · 1 year
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有吉弘行、マシンガンズ西堀が小池栄子に言われた一言に爆笑「西堀はクズだから付き合いやすい」
2023年5月7日放送のJFN系列のラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(毎週日 20:00-21:55)にて、お笑い芸人・有吉弘行が、マシンガンズ・西堀亮が小池栄子に言われた一言に爆笑していた。 西堀亮:(THE…
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atsushi2015 · 1 year
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20220901(動画撮影は0505です)1036日目 u120 s15 #亀川筋湯  20220902(動画撮影は0505です)1037日目 u120s3 #加賀屋 20220903(動画撮影は0505です)1038日目 u120s3 #西鉄リゾートイン 20220904(動画撮影は0505です)1039日目 u168s 15 #芳泉閣 20220905(動画撮影は0505です)1040日目 u168 #ゆわいの宿竹の井 20220906(動画撮影は0505です)1041日目 u24 yg45 #錦栄温泉 20220907(動画撮影は0505です)1042日目 u72 三和コア60 #末広温泉 20220908(動画撮影は0505です)1043日目 u24 #不老泉 20220909(動画撮影は0505です)1044日目 u24 #永石温泉 20220910(動画撮影は0505です)1045日目 u30 s8 #住吉温泉 #別府八湯温泉道名人会 #ベップ温泉部  #別府たのしー  #大分県たのしー   #おんせん県おおいた #いいお湯見つけました  #いいゆ #いいゆてぬぐい  #いいゆ手ぬぐい #いきなり腕立て伏せ  #腕立てたのしー  #腕立て伏せ  #腕立て伏せチャレンジ (Beppu, Oita) https://www.instagram.com/p/CnPd22mve2B/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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catdoll007 · 2 years
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#建仁寺法堂
🌟#双龍図
#TWINDRAGON 🐉🐉
平成時代 紙本墨書 縦11.4m 横15.7m
法堂の天井には 阿吽の口 をした2匹の龍☯︎が描かれ
阿形の 降龍 は手に宝珠を掴み口を開けている
吽形の 昇龍 は手に宝珠を持たず口を閉じている
仏法守護として また水の神として仏法の教えの雨(法雨)を降らせる例えから 禅宗の法堂に描かれることが多い🌧️
平成14年(2002)
建仁寺法堂は古くより龍は描かれず素木とされてきたが、1年10ヶ月の歳月を経て、建仁寺開創建800年を記念に奉納された日本画家 #小泉淳作 (じゅんさく)氏が描いた #畳百八畳分 の『 #法堂双龍図 はっとうそうりゅうず』が法堂の天井に見られます
龍は仏法を守護する存在であるとともに「水を司る神」といわれ、火災から護るという意味も込められているといいます🔥
ここには『阿吽の龍が天井一杯に絡み合う躍動的な構図』で『二匹の龍が共に協力して仏法を守る姿』が表現されているのです🐲🐲
🌟 #釈迦如来坐像
法堂須弥壇上に安置される釈迦如来坐像である
右手上に定印を結び 結跏趺坐(けっかふざ)する
江戸時代の慈本参頭の『東山雑話』に建仁寺仏殿の本尊はもと越前国(福井県)弘祥寺の像で、永源庵主で細川元常三男の玉蜂永宋(1542〜82)が求め安置したとあり、これを信ずれば、この三尊像は十六世紀後半に越前からもたらされたことになる
両脇に安置されるのは 阿難・迦葉像である
共に釈迦十大弟子の一人で釈迦滅後の教団統率者となった。
左脇で合唱する若相の阿難は多聞(智慧)第一
右脇の合掌した手の指を組む老相の迦葉は 頭陀第一 (ずだ 衣食住にわたる貪欲をはらう行 ) と称された
二人は釈尊滅後の王舎城での第一回仏典結集の中心となった。中尊釈迦如来坐像とともに16世紀に越前弘祥寺から移安されたと伝えられる
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can-from-terrace · 2 years
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こんにちわですです。 本日もお問合せ誠に有難う御座います。 #早速 #ですです 。 #人気の #西原町 #幸地 #売戸建 #ご成約 ですです。 たくさんのお問い合わせ頂き誠にありがとうございます。 098-987-4030←㈱テラス http://www.terracenet.com/publics/index/1/ ホームページですです。 https://goohome.jp/search_agent/agent_detail/compdetail?compId=121&hd= GOOHOMEですです。 http://www.e-uchina.net/shop/5681/ うちなぁ~らいふですです。 https://ameblo.jp/terrace-info/ アメーバブログですです。 https://terracebaibai.ti-da.net/ てぃーだブログですです。 Instagram◎terracebaibaiinfo Twitter◎@terracebaibai Facebook◎テラス売買担当←で検索を LINEID◎terrace-baibai-info Gmail◎[email protected] MAIL◎[email protected] Tumblr◎can-from-terrace #小禄 #不動産 #沖縄 #宇栄原 #無料査定 #任意売却ご相談 #こっそり物件 #管理物件 #賃貸繁忙期 #沖縄移住 #買取相談可能 #売買繁忙期 #株式会社テラス #新鮮物件 #リフォーム済 #仕入増加中 #雲南百薬 #土地 #木造住宅 #プラター菜園 #相続相談 #財産整理 #坂田小 #西原中 #石嶺駅 (テラス) https://www.instagram.com/p/CkArsrqv8oZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kuribayashisachi · 11 months
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」 1~3
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野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第4章「未成の第二極」1~3
欧米列強に倣って近代化を進める大久保たち新政府スタッフと、 急激な変化で「取り残される人々を出してはいけない」とする西郷。
政府を離れた西郷は、新政府のやり方に不満、疑問をもつ者たちの旗印となり、武装蜂起へ。そして鎮圧されてしまう。 世に言う「西南の役」だ。
この本のこの章を読んで、「西南の役」観ががらっと変わった。
西南の役のことは、“武力をふるうしか方法を知らない、時代遅れの人たちの自殺行為"のように語られることがある。 私も「まーそうなんじゃないのかな、いかんよな軍隊とかサムライは」と思っていたのだ。
読み込んだあまたの史料を並べることで歴史を物語る著者が、珍しく、時代への思いを記した2行にでくわす。
《専制への抵抗を西郷が武力で行ったことには賛成できないが、西郷が「国民抵抗の精神」を発揮してその気脈を保たせようとしたことのなかには、今の世の中に失われつつある大事な契機が宿っている。》p188
西郷はいろんな可能性を秘めていた存在だったのだ。
「幕末の志士」になり遅れた、新世代(1850年前後生まれ)の若者たちは、西郷に時代の難題をとく鍵を見いだし、駆け寄った。
その代表として、兆民中江篤介の思想の足跡と、 彼が倣おうとしたルソーの「社会契約論」の希望と限界を、 著者の筆は克明に追う。
そして、中江訳��ルソーに感化された同世代の若者たちが、西郷軍に義勇兵として加わった、その思いをたどっている。
小倉処平、宮崎八郎など、何とも惜しい人物の横死に絶句してしまう。 また、時代の迷いを我が身で背負って迷走したかのような増田栄太郎の短い人生。 新聞で報道されたその最後の有様は(本当かどうかは不明だが)やりきれない。長く生きたらどんな答えを見つけたろう。
さらに、この増田栄太郎のずっと年上の又従兄弟、あの、何もかもわかったような顔をしてる(というのは私の感想)上から目線の福沢諭吉が、西郷の死と、増田の問いかけ、そして世論が一いっせいに西郷を賊呼ばわりしたことをうけて、変わったこと。
ここの箇所にはすごく打たれた。どうしてどんなふうに打たれたのか、説明がちょっと入り組んでしまいそうだ。
細かい備忘録はまた明日…… (やっぱり書き留めておきたくて長くなってしまうなあ)
以下、
■中江兆民とルソー ■西郷に希望を託した若者たち ■会津藩士たち ■増田栄太郎と福沢諭吉
という感じでメモしてゆきます。
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