Tumgik
#海月が雲になる日の夜
servant222 · 25 days
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20240831 8月の終わりは雨
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もうずっと雨
今日は朝からかなりの降水量で市内のあちこちの川が氾濫水位だとアプリからもメールからも通知が来ている。
台風よりも前に来ていた雨雲によって大雨がもたらされ、それが止むことなく台風というのか熱帯低気圧というのかがやってくる。地盤は随分緩んでいるだろうなと想像できる。
何年か前にあった豪雨の時のように、あちこちの海沿いの崖が崩落しないことを願う。
あの時法面崩壊した崖はいまだ直されず、海岸には降りられない。
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また雨が強くなった。
さて、今日も夜勤です。朝までがんばろう。
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m12gatsu · 5 months
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 川の詩人
彼女はお喋りだ
そのくせだれかが話しかけようとすると
もう先へ行ってしまっている
自分でもよく分からない
一体どこまで自分でどこから自分じゃないのか
仕方ないじゃない、と彼女は云う
立ち止まったとたんに
わたしはわたしでなくなってしまうんだもの
変転と移動だけの人生って
傍で見ているほど気楽じゃないのよ
彼女の背後で
雨雲がぴかぴか光っている
いつか永遠に己を解き放つ瞬間が訪れるだろうか
孕んでも孕んでも
彼女のお腹はほっそりしている
 石の詩人
雲に憧れる気持ちがまったくないといえば
やっぱり嘘になりますね
いや、月になりたいとは思いません
大きさこそ違え
僕らは本質的に同じですから
(雨が、あがって、風が吹く。
  雲が、流れる、月かくす。)
地上にありながら
深みを予感することが僕の仕事です
(そして夜になると重たい地球は沈んでゆく
 星々の隙間を抜けて孤独にむかって)
その日の彼は
なぜか珍しく饒舌だった
モグラは相槌を打とうとしたが
なんだか恥ずかしくなってまた土にもぐった
 木の詩人
いつ死んだっていい
ずっとそう思いながら生きてきたような気がする
ふと、あたりを見回せば
いつの間にか自分が一番歳をとってた
誰にも言っていないが
彼はいまや歩くことができた
それが特別な祝福であるとも思わなかったが
夜、村はずれの一軒家の垣根越しに
ラジオの声を盗み聴くことの
あの後ろめたい歓びを手放すつもりも
毛頭なかった
 ラッパの詩人
その内実において
彼は洞だった
丸く開かれたロのなかの
限りなく滑らかな漏斗の表面を
空や、媒煙や、少年の震える睫毛や希望は
流れ落ちていった
その外観において
彼は畸形の口吻だった
それは中断された吐息を思わせた
だがその鋭利な外縁からは
鉱石や、水や、骨や、稀に羽虫を封じた琥珀が
迸った
午睡から覚めてバルコンに立つと
夕陽が彼を金に染めた
誰ひとり彼の地声を聴いたものはなかった
 アホの詩人
崩れかけた塀の向こうの
物置小屋の庇の下に座りこんで
洟垂れ小僧どもに恐々と覗かれながら
えへらえへらしている
垢と泥にまみれた裸に
透明なビニールシートだけを纏って
風の舞う早春の丘の斜面を
駈け降りてくる
どろりと濁った片眼の端から
笑う女の
歯茎を盗み見ている
アホの詩人は
しどろもどろのうちに真理の炎に焼かれ
また我知らず詩をお漏らしした
 雨の詩人
この世の森羅万象に触れることが
彼の野望だった
人前ではそんなそぶりは露ほども見せずに
俳句を捻ったりしていたが
一粒の砂をどんなに見つめても
世界はおろか砂漠だって見えなかったが
一滴の雨の雫には
たしかに全てが映っていた
屋根屋根と森と
小川と虻の羽音と鉄橋と
かなたにけぶるひとすじの海と
貨物船も
空の高みに生まれて
地面に叩きつけられるまでの時間を
測るようにして生きてきた
その最後の衝撃は雨粒ほどの音もたてなかったが
それともあれは上昇だったのだろうか
この世の一切合財を同時に感受しようとして
眩量に襲われることだけが
彼の才覚だった
-四元康祐『詩人たちよ!』
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kaoriof · 4 months
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分��もっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張ら��くてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をする��もりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたした��もずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている���変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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ari0921 · 9 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がってい���。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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kennak · 17 days
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「キノコ雲の子」と呼ばれた高校生がいた。  原爆のキノコ雲に誇りを持つべきでしょうか――。早稲田大4年の古賀野々華さん(23)は5年前、留学先の米ワシントン州リッチランドの高校で、そう疑問を投げかけた。核産業で発展した町での勇気ある行動は、広島市で6歳の時に被爆した後東利治さん(85)の背中を押した。思い出すだけでつらく、向き合うことを避けてきた記憶の扉を開け、体験を語ることを決意した。 ■キノコ雲の校章に疑問 リッチランド高校に留学中の古賀さん。校舎にはキノコ雲の校章が大きく掲げられている(古賀さん提供)  「キノコ雲の校章を誇りに思う」「こんなにユニークな校章は他にはない」  米リッチランド高校。2019年5月、校内向けに配信された3分40秒の動画番組「AtomicTV」で、米国人の生徒が原爆のキノコ雲をかたどった校章を口々に称賛する中、古賀さんが口を開いた。  「原爆で亡くなった人は、町で生活していた一般の人だった。多くの人を無差別に殺した原爆を、私は誇りに思うことはできません」  リッチランドは、核施設で働く労働者や家族のために建設された。第2次世界大戦中に原爆を開発した「マンハッタン計画」の拠点で、長崎に投下された原爆の原料プルトニウムを製造したその施設は、1987年まで操業していた。 ■核産業で栄えた誇り リッチランド高校の校章。原爆のキノコ雲をシンボルにしている(古賀さん提供)  古賀さんが福岡県大牟田市の私立高校から留学したのは2018年8月。最初はリッチランドがどういう場所か知らず、校章を気に留めることもなかった。  半年ほどが過ぎた頃、男性教諭から校章の由来を教えられ、涙があふれた。  「原爆投下で戦争が終わって今がある」。周りの生徒は核産業で発展した町の誇りを当たり前のように口にした。2019年6月の帰国を前に、動画への出演が決まり、校章をテーマに話すと決めた。誇りを否定するつもりはない。ただ、被爆地で起きたことを知ってほしかった。  <日本人留学生、リッチランド高校のキノコ雲ロゴについて語る>。出演後すぐにワシントン州の地元紙で紹介され、ニュースは日本でも報道された。 ■40年続いた悪夢 被爆体験を語る後東さん(左)。古賀さんもその様子を見守った(7月14日、広島市中区で)  被爆者の後東さんはニュースを知って衝撃を受けた。「米国のど真ん中で原爆を批判するこの子はすごく勇気がある。自分も何か話さんといけんのんじゃないか」  1945年8月6日、天満国民学校(現・広島市立天満小)の1年生だった後東さんは、登校して間もなく学校の廊下で被爆した。窓ガラスが黄色く光り、轟音と同時に木造2階建ての校舎の下敷きになった。  何とかはい出し、避難時に見た光景が忘れられない。  あおむけで川を流れる無数の遺体、「助けてください」という叫び声。そして、やけどで頭皮の右半分がずり落ちたまま歩いている人の姿――。自宅を目指したが、がれきの上をはだしで歩くので痛くて前に進まない。様子を見かねたある男性がおぶって神社まで避難してくれた。その夜は神社で一人過ごした。  それから毎夜、目をつむると脳裏に惨状が浮かぶ。46歳頃まで続いた。思い出すことも、体験を口にすることも嫌だった。 ■返事が来ない 後東さんと古賀さんが交わした手紙  古賀さんの勇気に心が動いた後東さんは2019年8月、古賀さんに手紙を出した。<その勇気に私も背中を押され、被爆証言を始めようと決意しました>  しかし、返事は、待てど暮らせど来なかった。「原爆にこれ以上深入りしたくはないんじゃろう」。大きく膨らんだはずの決意がしぼんでいった。  古賀さんには、後東さんのほかにも手紙やメッセージがいくつも届いていた。原爆に特別な関心があるわけではなかった。日本人として素朴な疑問を口にしただけだ。反響に戸惑い、手紙は返事を書かないまま自分の部屋にしまった。  以前から興味のあった福祉を学ぶため、2020年4月、早稲田大社会科学部に進んだ。上京時、後東さんからの手紙も持っていった。「いつか話を聞きたいという気持ちがあったのかな」  コロナ禍での大学生活。児童養護施設のボランティアに応募しても受け入れてもらえない。経験を積めず、人とも会えない。やる気がなくなっていった。  2022年2月、ロシアによるウクライナ侵略が起きた。テレビで流れる戦車や爆撃の映像に衝撃を受けた。ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用をちらつかせている。「私にできることは何だろう」。後東さんの手紙を思い出した。 ■動き出した2人の時間 古賀さんが制作したドキュメンタリー「あのプラタナスの木のように」の一場面。左が後東さん  <戦争や核、平和について自分にできる事はないかと考える日々が続いておりました。被爆の話をお聞きする事が今の私にできる事だと思いました>。2022年5月、後東さんに返事が届いた。手紙を出してから3年がたっていた。  後東さんは驚きと同時にうれしさがこみ上げた。手紙の最後に書かれていた携帯番号にすぐに電話をかけた。「またまた勇気をもらいました」  翌6月、広島で初めて顔を合わせた。古賀さんの手にはハンディーカメラ。後東さんの初めての証言を記録し、ドキュメンタリーを制作したいと思った。  まず向かったのは、原爆ドームそばのお寺。被爆死した近所のお兄ちゃんの墓に手を合わせる姿を撮影した。被爆した小学校の校庭にはプラタナスの木がある。被爆で幹が空洞になりながらも緑の葉を生い茂らせる木の前で後東さんは語った。「人間もたくましく生きていかにゃあいけんなあ」  4日間密着した映像は、約15分間の作品にまとめた。タイトルは「あのプラタナスの木のように」。古賀さんには後東さんの姿がプラタナスと重なって見えた。 ■核兵器の町を再訪 核施設から放出された放射性降下物で被曝したと語るトム・ベイリーさん。約1年後に死去した(2022年12月、古賀さん撮影)  2022年10月、古賀さんは3年ぶりにリッチランドを訪れた。  後東さんの被爆証言を聞いて、「原爆投下は絶対悪だ」と強く思った。でも、世界を見渡すと多くの核兵器があるのはなぜなのか。答えを求め、大学を休学して海を渡った。  2か月かけて住民約20人に核兵器に対する考えを聞いた。肯定的な意見が相次ぐ中、一人だけ反対する人がいた。当時70歳代後半のトム・ベイリーさん。施設から放出された放射性降下物で被曝し、甲状腺がんを患っていると語った。  「私は最後のヒバクシャではない」。核開発が続く限り犠牲者が出るとの訴えが、重く響いた。ベイリーさんは今年1月に他界した。 ■人生初、英語の勉強に挑戦 田中さん(右から2人目)に通訳してもらい、留学生と交流する後東さん(中央)(広島市中区で)  後東さんも動き出した。町内会の慰霊祭や区民センターなど、機会を見つけては、どこへでも行って自らの被爆体験を語る。「今さら証言してどうなるという気持ちもなきにしもあらずだが、それを振り切ってやろうと思いよる」。昨秋には自身の証言活動に「ひろしま平和塾 きのこ雲」と名前を付けた。  昨冬に知り合った広島大4年の田中美月さん(22)に通訳を頼み、留学生に話をする機会も増えた。今年に入って毎週3時間、人生で初めての英語の勉強を始めた。 ■2年ぶりの再会 世代を超えて交流を深める後東さん(左)と古賀さん。それぞれの目線で原爆と向き合っている(7月14日、広島市中区で)=東直哉撮影  7月14日、古賀さんが後東さんの初証言を追ったドキュメンタリーの英訳付き版が完成したのに合わせた上映会で、2人は広島で2年ぶりに再会した。会わない間もLINEで近況を報告し合っていた。  「負けんように、証言しようと思っていた」。後東さんが古賀さんと出会ってからの心境を明かすと、古賀さんは「被爆証言が多くの国に伝わってほしい」。2人の思いは呼応し合う。  後東さんはさらに証言に力を入れ、古賀さんは大学卒業後に渡米し、米国での核被害の研究に挑戦したいと考えている。  核兵器が使われない未来へ。1本の動画をきっかけに生まれた世代を超えた交流は、その一歩だ。  ※この記事は読売新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
「キノコ雲の子」、原爆投下の米国で疑問投げかけ 長年口閉ざす被爆者に勇気 #戦争の記憶(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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rosysnow · 1 month
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やがて終わる空
この道を抜ければ私たちは自由になれるのに
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 母が留守にするとき、私の家には菜実さんという女の人がやってくることがあった。それは、物心つく前からのことで、特におかしなことだと私は思わなかった。
 ただ、菜実さんも、菜実さんの肩を抱く父も、母にはすべてを黙っておくよう私を戒めた。その理由を訊けない私は、父が母には見せない笑顔を菜実さんには向けているのをただ見つめた。
 何か、おかあさんが仲間外れみたいで可哀想。
 そう思ったけど、パートとか友人との食事から帰ってきた母に、私はおとなしく何も言わなかった。
 父と母は、互いに相手に向かって微笑むことがなかった。私のことはかわいがってくれるけど、リコン、という言葉を知ったときには、やがて私の家にはそれが来るだろうと思った。私はどちらかを選ぶのかと悩み、夜、寝つけないときもあった。
 父と母は、口論するわけではないし、どちらかが暴れるわけでも、怒鳴るわけでもない。でも、何というか、冷めている。何とも想っていない無関心が伝わってくる。
 なのに、なぜ結婚したのだろう。結婚って、好きな人とするものでしょう?
「秋果にはそろそろ話しておくけどね。おとうさんには、昔から好きな女の人がいるの」
 父が残業で帰宅が遅くなった夜、母とふたりで夕食を取っていた。メニューは、母のお手製の豆腐ハンバーグで、私はもうじき小学校に上がる春先だった。
 私がつねづねの質問を投げかけるまでもなく、機会を待っていたように、母がそんな話を始めた。
「おかあさんは、何にも知らずにおとうさんと結婚しそうだったけど、その女の人、一度おかあさんに会いにきたの。そして、おとうさんと一緒に暮らしてる鍵をおかあさんに返して、『今、あの人の部屋には私とペアで買ったものがたくさんあるけど、どうせなら捨てずに使ってくださいね』って」
 おかあさんは、食器棚のお揃いの湯のみとかお皿とかを見た。そして、「負けるか、と思って使ってるけど、やっぱりつらいね」と泣きそうに笑った。
 私の頭によぎったのは、当然、この家を訪ねてきては、父に寄り添う菜実さんだった。そう、このとき私は、はっきりと心に決めたのだ。
 ああ、私、おかあさんについていこう。
「秋果ちゃん」
 小学校に上がって、校庭に咲いているのは、桜からつつじになった。よく晴れた五月の中旬、ちょっと暑いくらいで今年初めて半袖を着た日だった。白とピンクのつつじに目を移していきながら、私は車道沿いの通学路を下校していた。
 聞き憶えのある声に、足を止めて顔を上げると、母のあの話を聞いてから避けるようになった菜実さんがいた。家の外で菜実さんに会うのは、初めてだった。
「学校、終わったの?」
 無視しようと思ったけど、それを菜実さんが父に言って、父が私を怒ったら?
 私は菜実さんと目を合わせないようにしながら、とりあえずこくんとした。「そっか」と菜実さんは私がそっけなくなっても優しいままの声で言う。
「あのね、秋果ちゃん」
「……何」
「私、秋果ちゃんと行きたいところがあるんだけど」
 私は精一杯の拒絶で、つつじとそれに集まる蜂を見ていた。けれど、菜実さんの視線は折れないし、沈黙も気まずくて、やっと菜実さんを見た。
 茶色の髪を梳いて軽くする菜実さんは、水色のスーツを着ていた。化粧がいつもより濃いように見える。「たぶんね」と菜実さんは私の頭に手を置いた。
「私、秋果ちゃんと会えるのは、これが最後だと思うの」
 首をかたむけると、「その理由も話すから」と菜実さんは私の手を取った。
 振りはらうべきなのか迷ううちに、軽く引っ張られて、すぐそばに停まっていたグレーの車の後部座席に乗せられた。ドアをばたんと閉めた菜実さんは、すぐ運転席に乗りこんで「一時間くらいだからね」と、あっという間に車を発進させてしまった。
 私は窓から外を見て、さっき出てきた校門も通り過ぎるのを茫然と見て、やっと頭の中を蒼白にして菜実さんを見た。
 菜実さんが私にひどいことをしたことはない。目つきも手つきも、いつもちゃんと優しい。
 でも、やっぱりこの人は私のおかあさんじゃないし、なのにおとうさんとべたべたするし、昔おかあさんに嫌なことだってしたし。いい人だ、とはもう思えなくなっている。
 だいたい、おかあさんのいないときに、おとうさんと仲良くする女の人が好ましくないのは、小学校にも上がれば分かってくる。この人、私の家に入りこんできて、いったい何なの? この人さえいなければ、もしかしたら、おとうさんとおかあさんも仲が良かったかもしれないのに。
 結局、よくよく考えれば、私は菜実さんに最もひどいことをされているのだ。
「お腹空いてない?」
 赤信号のとき、菜実さんはそう言って、後部座席にあったふくろからお菓子を取り出した。私のポテトチップスが、いつも“のりしお”なのは、菜実さんも知っている。一応受け取ったけど、がさ、とそれを抱きしめてうつむいた。
「すぐ着かないし、ランドセルも足元に下ろしていいからね」
 菜実さんがそう言ったとき、信号が変わってまた車が動き出す。
 私はランドセルの肩ベルトを��った。どうすればいいのだろう。いつもの景色が遠ざかるほど、私はどうなるか分からないのに。
 叫ぶ? じたばた暴れる? 窓を殴る? 車の中なのに、目を留めてくれる人はいるの? それに何より、私が動いた途端、菜実さんが怒鳴ったり、たたいたりしてきたら。
 息が浅くなって、口の中も乾いて、心臓が苦しくなってくる。
 どうしよう! どうしよう。どうしよう……
 考えすぎて頭が酸欠でくらくらしてきた。軆が震えないように、今夜切るつもりだった少し伸びた爪を、手のひらに食いこませる。まばゆい初夏の太陽が射しているのに、背骨が無感覚なほど冷たかった。
 そんなふうにただ怯えているうちにも、車の窓から見える景色はどんどん変わっていった。
 私が住む住宅街や通う小学校の周辺には、かなり大きな駅があるから、見慣れた近所はビルばっかりの都会だ。私は、夜にはネオンがないと不安になる。そして、田舎の夜は真っ暗になるから、大嫌いだった。
 なのに、菜実さんが向かっていく景色は、徐々に緑を増やして、ひと気も薄くなっていく。そのうち、車は高速道路にも乗ってしまって、いよいよ私は蒼ざめてきた。
 どこに連れていかれるの?
 おうちに帰してもらえるの?
 殺されたり……しない?
 うつむいて、ポテトチップスのふくろを開けもせずに抱きしめていた。菜実さんがたまに何か声をかけてきても、もう耳に入ってこない。涙が滲みそうになって、唇をちぎりそうに噛んだ。
 怖い。怖いよ。おとうさん。おかあさん。私、このまま死んじゃったりしたくないよ。
 菜実さんの車が、ふと停まった。下を向いてスカートの赤のギンガムチェックを見ていた私は、そろそろと顔を上げた。
 まだ、空は青く明るい。窓に首を捻じると、道路には走る車もなく、でも、左右の田んぼの手前のガードレールにトラックがちらほら寄せられていた。
 菜実さんはエンジンを切って、「やっぱりここは、空が綺麗だなあ」と後部座席を振り返った。私もそうしてみて、目をしばたいた。後部座席の窓の向こうには、地平線があって、突き抜ける空の青と、ふっくらした雲の白が、互いの色を際立ててくっきり澄んでいた。
 菜実さんは車を降りて、一度背伸びをしてから、私のほうにまわってきて、ドアを開けた。
「降りてみて。秋果ちゃんにも、ここの空を見てほしいの」
 私はまだ訝る目で、菜実さんを見たものの、ランドセルを下ろして車を降りた。さわやかな風がふわっと抜けていって、スカートがひるがえって、涼しかった。
 菜実さんは私の手を取り、トランクのほうにまわって、車によりかかって天を仰いだ。そばにいる何かの工事をしている男の人が気になりながらも、私もそうした。
 雲が白波、空が海原になったように見えた。背中を預ける車は、エンジンの名残で熱い。
「あのね、秋果ちゃん」
 空を見つめて、こちらを見ないまま、菜実さんはぽつりぽつりと話しはじめた。
「私と直之くん──秋果ちゃんのおとうさんね、ほんとはそう呼んでるの。私たちね、昔から仲が良かったの。直之くんが五歳年上で、ほんとにいいおにいちゃんだったんだ。私は、子供の頃から直之くんと結婚するのが夢だった」
 私は菜実さんの横顔を見て、知ってる、と言おうと思ったものの、何となくそれは意地悪な気がして、言えなかった。
「直之くんと結婚して、子供を持って、家庭を作って。最後は一緒にお墓に入る。それさえ叶えば、よかったの。でも、あんなに私と仲良くしてくれてた直之くんのおじさんとおばさんは、私が子供を作れない軆って分かって、変わった。必死に、直之くんを私から引き離そうとした」
 子供を「作る」とか正直話がよく分からなかったものの、私は黙って聞いていた。
「直之くんは、それでも私と一緒になりたいって言ってくれてたんだけどね。だから、一緒に暮らすところまではいけたんだ。あの頃が、一番幸せだった。朝起きたら直之くんがいて、お揃いの食器でごはん食べて、直之くんは仕事、私は大学──夜になったら、また一緒に過ごして、同じふとんで眠るの。でも、それだけでいいのを、誰も理解してくれないんだよね。結婚できないんだから別れろ、子供も作れない女なんか捨てろ、直之くんは一時期、親にも上司にもそんなことを言われ過ぎて、ノイロ���ゼみたいになってた。そんなとき、咲枝さん……秋果ちゃんのおかあさんとお見合いしてね。私は、突然直之くんに『別れよう』って言われた。わけが分からなくて、咲枝さんに対して嫌な女になったりした。きっと、咲枝さんにそれを聞いたから、秋果ちゃんは私によそよそしくなったんでしょ?」
 私は眉を寄せて考えてから、「よそよそしい」という言葉の意味がよく分かっていなかったものの、うなずいた。菜実さんは柔らかく微笑んで、私の頭を撫でた。
「ここから、あの町、見える?」
 菜実さんはそう言って、田んぼのずうっと先、地平線にある小さな町並みを指さした。
「あの町が、私と直之くんの育った町。だから、秋果ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんがいる。このあと、秋果ちゃんのことはそこに連れていくから安心して」
 それを言われて、急激にほっとした。おじいちゃんとおばあちゃんが近くにいる。ということは、おうちに帰れる。思わずため息をついていると、「昔、その田んぼの中を、直之くんと走りまわった」と菜実さんは緑色の風景を見やった。
「この道も、昔はこんなに整備されてなかったな。一応、隣の町につながる道として道ではあったけど。よく、直之くんとこの道まで来て、駆け落ちしちゃおうって話した」
 そう言ってから、ふと菜実さんは視線を落とすと、「ごめんね」と壊れそうな声でつぶやいた。
「それでも私、もう直之くんは結婚したんだから、あきらめなきゃいけなかったのに。やっぱり好きで、どうしても好きで。そしたら、結婚して子供もできたから、急に周りが静かになった直之くんも、やっぱり私が好きだなんて言ってくれて。それでも、もう私と直之くんは、ダメだったんだよね。何であんなことしちゃったんだろう。咲枝さんが留守にするたび家まで行って、秋果ちゃんにおとうさんがおかあさん以外の女といちゃつくところ見せて。ひどい女だよね。ほんと最低だよね。ごめんね」
 なぜ菜実さんが涙を落としはじめるのか分からなくて、私はつながっている手をぎゅっと握った。菜実さんは嗚咽をもらし、「ごめんね」と何度も言った。
 工事の人が、たまに怪訝そうにこちらを見ていた。それに気づいた菜実さんは、顔をくしゃくしゃにぬぐって、「この空、何年か経ったら、なくなってしまうの」と私の瞳を見つめて言った。
「高速道路がね、上にできちゃうの。ここから上を見ても、あるのは空じゃなくてコンクリートになっちゃうんだ」
 私もう一度、空を仰いだ。雲が緩やかに流れて、青がしなやかに広がっている。
「何度も、この道を抜ければ私たちは自由になれるのにって、直之くんと話した。その道をいつもきらきらさせてた空が、もう閉じられるんだ」
 菜実さんは、ゆっくり体重を脚に戻した。私は菜実さんとつないだ手を見て、ふとその左手の薬指に指輪があることに気づいた。その光をじっと見ていると、「子供がいなくてもいいよって人なの」と菜実さんは涙を残しながらも、にっこりした。
「だから、今日でほんとに最後。もう直之くんにも会わないし、秋果ちゃんにもほんとのこと話せた。っていっても、小学一年生じゃよく分からなかったよね。きっと、いつか分かるから」
「……ほんとに、おとうさんに会わなくていいの?」
「うん。やっぱりね、奥さんや彼女がいる男の人を好きでいるのはつらい」
「おかあさん……は、おとうさんの好きな人は、別にいるって言ってたよ」
「私も、直之くんがずっと好き。でも、一緒にいることはできないの。もう、この空がここからは見えなくなるみたいに、終わるんだよ」
 私は目を伏せて、菜実さんの手を握った。
 この人が、もしおかあさんだったら。そうだったら、すべてはうまくいっていたのだろうか。
 おとうさんは幸せ。菜実さんは幸せ。そんなふたりの笑顔で、私も幸せ。
 でも、やっぱり私は、結局誰にも愛されていないおかあさんを、一番見捨てられないと感じてしまう。
 そのあと、菜実さんは私を祖父母のいる町並みに送った。
 私は菜実さんにお金をもらって、駅にあった公衆電話で、祖父母の家に電話をかけた。菜実さんのことはもちろん言わなかったけど、電話に出た祖母はじゅうぶんびっくりして、すぐ迎えに行くと言った。
 菜実さんは、私にランドセルとポテトチップスを渡して、車に乗りこむと、祖父母が駆けつける前に去ってしまった。
 空を見た。さっきまで青かった空が、桃色と橙々色を溶け合わせて、穏やかに赤くなっていた。その光が雲に映え、夕焼けが広々と空を染めていた。
 何でこんなところにひとりで来たのか。電車で来たとしても、お金はどうしたのか。父の実家にとりあえず保護されても、祖父母に細かく訊かれて困ってしまった。
 けれど、電話をかけてきた父の何らかの説明で祖父母は落ち着き、両親が迎えに来るまで、もう普通にお盆やお正月のように私を甘やかしてくれた。
 もしかしたら、父は菜実さんに最後の連絡を受けて、辻褄を合わせたのかもしれない。分からない。それ以降、菜実さんは本当に私の家に来なくなったし、父はちょっとずつ母に優しくなっていった。母もぎこちなくそれに咲い返した。
 私はそんな両親を眺めて、薄れていく“離婚”という言葉を感じながら健やかに成長し、いつのまにか大学生になっていた。
 二十歳になった大学二年生の夏休み、私は高校時代からの彼氏である宏昭と、ドライブに出かけた。「どこ行く?」と運転する宏昭に訊かれて、私は父の田舎とは言わずに、あの町に行ってみたいと言った。
「あそこ、何かあったか?」
 首をかたむける宏昭と高速道路に乗って、私は高校生に上がってから──特に宏昭とつきあいはじめてから、来なくなった父の田舎に来た。
 予想以上に景色が変わり、緑の田んぼは灰色の道路になっていた。右とか左とか指示しながら、私は帰省しても何となく近づかなかった、隣町に続く道にやってきた。
 約十三年ぶりだ。宏昭と手をつないで、私は上を見た。
 そこは、完全に高架下になっていた。灰色のコンクリートがしっかりできあがり、空をさえぎって、道路は日陰になっている。汗は滲んでくるけど、ぎらつく太陽はないから、ちょっと涼しい。
 蝉の声が狂ったように鳴いている。コンクリートをじっと見上げる私に、宏昭は不思議そうにしていたけど、私があんまり強く手を握るから何も言わずに握り返してくれた。
「……終わったのかな」
 不意に私はそうつぶやいた。
「えっ」
「ここみたいに、ここからもう空が見えないみたいに、ちゃんと……終わったのかな」
 宏昭は、私を見つめた。無論、意味不明で少し混乱したようだけど、私の手を引き寄せて肩を抱いて、頭を撫でてくれた。
 そんな宏昭の体温が、薄手の夏服から伝わってくる。その熱は優しく私に溶けて、ほっとするから、少しだけ泣きそうになる。
 愛しあって、認められなくて、この道から逃げようとしたふたりがいた。結局、はっきりと確かめられていない。今は携帯電話だって普及した。本当に、おとうさんと菜実さんは終わった? 会っていない?
 分からない。分からないけど。
 あんなに自由に広がっていたはずの空さえ、今ではこんなふうに閉ざされている。そんなふうに、いくら愛しあっていても、結ばれないこともある。
 だから私は、今、手をつないでくれているこの人を、精一杯大切にしよう。そう、できればこの命が終わるまで。
 すべてが終わってしまう、その日まで。
 FIN
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fukagawakaidan · 1 month
Text
「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを���れてしまったために、五徳の冠者のあだ��がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあると���わ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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moonrobe · 1 month
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短編集
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『Dessert blanc: 白い短編集』
白く柔らかな物語たちを集めました。 【収録作品】僕のことを話そう/君の口癖/雨に咲く/僕の遺書が届くまで/心をめくれば/彼はかわいい/First Kiss/かくれおに
『Dessert noir: 黒い短編集』
黒く堕ちていく物語を集めました。 【収録作品】たとえば私が死んだら/雑音の中で泡沫/モノクロの嘘/雨だれ/回遊魚たち/泡雪の夏/ゆきしろ/ルミナス/たとえば君が死んだら
『Dessert rouge: 赤い短編集』
赤く残酷な物語を集めました。 【収録作品】椿が落ちた日/初期化/冷たく光る虹/どくいちご/夏の破片/遊ぶ糸は雨に溶けて/夢の跡/春と海月
『Melt Dawn: 微睡む夜明けの短編集』
闇が溶けていくときを描がいた物語たち。 【収録作品】夜には猫と戯れて/わらび/大人になっても/空に手が届かないなら/隣にいるあいだに
『感傷現像: すりむける心を写す短編集』
ひりひりするような痛みを孕む物語たち。 【収録作品】腫れあがる嘘/僕を君の十字架に/カレイドスコープ/暗室/モザイク/Without You/焼かれた瞳/珈琲に蝶
『虹の影: 恋のグラデーションが射す短編集』
セクシュアルマイノリティの人々に触れる物語たち。 【収録作品】蒼い朝/自由課題/フミキリ/汐の約束/ホットコーヒー/夜の水平線
『OVERDOSE: 致死量の闇を飲む短編集』
読後感がどろどろと重く胃もたれする物語たち。 【収録作品】Kill me,again/心をちぎって/雨夜の月/息をするだけで/セルフィーポルノ/騎士の夜
『徒花ほろほろ: 実らない恋の短編集』
どうしようもなく報われない恋を綴った物語たち。 【収録作品】つくりあめ/ナイフになれない/綾織りの恋/雪月夜/Second Chocolate/咲かない花
『エンドロール: 終焉を迎える短編集』
それぞれのおしまいのときが迫る物語たち。 【収録作品】嘘つきな熱/Magical Cigarette/羽化/夜、ワンルーム、ふたり。/消える星/オーロラソース/フラット
『Frozen Sexual: 凍りついた性の短編集』
心を蹂躙され、死んだように凍てついた性を抱える人々の三本の物語。 【収録作品】あと数秒で/氷点の檻/君をつなぐ
『少年たちの恋: 彼の想いを綴る短編集』
好きになってごめん。でも言わないのも苦しくて──甘々から鬼畜までのBL作品集。 【収録作品】僕らは変われない/七色のガラス/君を失う前に/イロチガイ/LUNA PAIN/片想い
『ふれられない: 指先が彷徨う短編集』
君に届かない手が虚空に落ちる。この想いは伝えてはいけないのかな。 【収録作品】ON/OFF/茜雲/彼の副流煙/絵本のあいだ/凛夜に/恋が灯るまで/隣を歩く
『Black Labyrinth: 病んだ迷宮の短編集』
病んだ心が真っ暗な迷宮に迷い込んでいく、九編の短編集。 【収録作品】 ZOMBIE VOICE/片羽の鏡/カゲコイ/ボーダーガール/花冷えと月/病んだ波/Untitled/新緑の釘/落ちた虹
『影法師を連れて: 翳りがつきまとう短編集』
消えない痛みで心が翳る人々を描がく短編集。 【収録作品】いびつな残響/星降らぬ夜に/シルエットグラフィティ/削除未満/雪が降る海の中で/浸された翼/桜散る/雪に溶けないように
『花ひとひら: 千花模様に捧げた短編集』
『短編工房ミルフルール』に掲載した作品のうち、選りすぐり五編を収録した短編集。 【収録作品】雪の声/愚かな手/ラストシーンクロスオーバー/悪戯なショコラティエ/戻らない桜
『Limit Zone: 極限に至るまでの短編集』
頭の中も心の奥も、極限状態へ堕ちていく──ぎりぎりに追い詰められる精神状態を書いた中編三本。 【収録作品】雪の果て/抜殻の潮騒/陽当たりの良い場所
『あやとり: 縺れて揺らぐ恋の短編集』
感情が絡みあって、関係が縺れあって、恋心は揺らめいていく。「好き」がこじれた人々の中編三本。 【収録作品】夜から月をすくって/LOVESICK/君が溺れる深海
『真夜中の眩暈: 遠ざかる意識の短編集』
熱で正常な判断がつかない深夜のような短編集。 【収録作品】一夜の発熱/ひらりこぼれて/不等辺三角形/Hollow Lover/花曇りの行方/失せものの君/君は押し花/氷中花/延命契約/天使の着信
『夜に光る花: 妖しく危うい絆の短編集』
「好き」という想いがちらついて、揺らめいて、しっかりつかむことができない。そんな中編を三本収録した、とまどう恋の一冊。 【収録作品】Monotone Stars/夜に羽音/ゆらいでひらいて
『磔のカメリア: 消えない罪の短編集』
愛したあなたのために私は罪を犯す、その罰にあなたを失っても……罪に堕ちる短編集。 【収録作品】桜の残響/紅玉の声/いつかの彼女/穢れた紅葉/白桜の頃/Backstreet Teens/口封じ
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poetohno · 2 months
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4 7 詩集 返答詩集 日記詩集  おまけトーク(腐らないでいこぜ)
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彼は宛もなく彷徨う旅人 街を渡り歩く 移ろい続ける風
陽の移ろいと景色が 心を留めた場所に 風呂敷を広げ 作品を並べ佇む
時間と場所の何が 足を止めさせたのか 心に引っかかったものを探すために
ここは広く 人の足音はリズミカルで疎らだった 話し声 通り過ぎる車 鳥の囀り 木の囁き 風の音 全てが 広がる空に 飛び立ち 吸い込まれ 消えてしまうようで
太陽の光に照らされ 通り過ぎた人の横顔に 涙が地面に落ちた瞬間に 得体の知れないものを見る
報われない悔しさ 伸ばした手が届かない失望 愛しい人に見た救い 何気ない花に降り注ぐ勇気
―――ごほっ…
彼は突然何度か咳き込んだ 彫刻刀が手から零れる 口元を押さえた掌に血の跡が残っていた
一体いつまで生きていられるだろう 傍にあった黒いハンカチで拭き取る
残したものは誰かの傍に居続けられるだろうか 並んでいるいくつかの作品を見つめた
子犬を買っていった女性を思い出す 浮き上がっては沈んでいく記憶の断片に何かが引っかかる
掴もうとしても届かない 靄がかかっているかのように 一瞬見えたように思え―朧に…淡く…霞み―消えていってしまう…
おもむろに木片を取って削り出した 今のが何であったのかを知るために
ぽっかりと空いたような時間に取り残される中で 何かを掴もうとするかのように
いつの間にか太陽の移ろいも意識から消えていく
「――あの…」 投げかけられた言葉は木々がざわめくように 水面に波紋を広げて 彼の意識を呼び戻す
目の前にいたのは 犬の像を買ったあの女性だった
ある作品に目を留めた時 彼女は凪いだ海になったかのようだった
「…これは―」 先日の夢で見た中で象った一枚の絵
夕日が差し込む 辺りは柔らかな光に包まれる
客足は彼方の雲のように疎らで 喧噪は夜空の星のように静かだった
彼女の声はなぜか小さくても聞き取ることができた 流れる風が 言葉を届けてくれたからだろうか
太陽の光が彼女の涙を真珠のように照らしていた
「風と月」
稲穂が夜風に安らぐ宵の頃 満月が微笑み水田に姿を現す 風が緩やかに撫で 水紋が広がり 緑と戯れる
果てしなく広がる田園 たゆまぬ日々の営み
時を絶やすことなく 自然の恩恵を受けながら
見守られて 命は育まれていく 木のように 花のように
見守るかのように 地蔵がうつむき手を合わせ 豊作を祈る護り人
両腕で抱くように桜の枝が垂れ下がる 日々の営みと旅路に幸を願う隣人のように
水面に映る花片 風に揺られて落ちて 小波に揺れる ふわりと舞い上がり
風の両手が空へとすくい取るように 彼方へ消える 月夜の元へ旅立つように
「とあるお店にて」
ⅱ・大切にしたいもの
お店の匂い 店員の息遣い 醸し出す雰囲気 語られなくても肌で感じる 心で受け取り 自らの心に語りかける 働く人たちの 大事にしたい何か 触れる人へ 届けたい何かを
届けたいのは この世界に生きる自分そのもの 抱える想い 秘めた願い
「仕事だから」という理由や「このくらいの給料だから」という理由はない 自らの生み出す何かに対する「これくらい」という手抜きや 受け取る誰かへの「あなたなんてこんなもの」という投げやりな態度でもない
大切にしたい何かを 誰かに届けたいと願う シンプルなもの
情熱が 人が人として生きる営みを彩り 願いが 生み出す全てに息づいている 人の生き方が 働くという形で現れる
自分自身として生きているだけで 眼差しが 指先が 言葉が――確かに伝えている
語る言葉がないとしても 大切にしたい何かを 宿る想いを 心に感じる温もりを
人は出会いを通して 大事にしたい何かを探している「散りゆく言の葉は 儚い花」
言葉を消すことができても 想いを消すことはできなくて
想いは溢れて何を伝えればいいのか分からなくなる
言葉にするのは簡単なのに どうして伝えられないのだろう
言葉は移ろい すぐに揺らいでしまうから 何のために言の葉は散っていくのだろう
心だから 空っぽの言葉に触れると哀しくなる どうでもいいと想っても 言葉はいくらでも紡げてしまう
想いなんて形が無いから簡単に変わってしまう 見えないからいくらでも求めてしまう
どんなに伝えたいと想ったとしても 言葉にした瞬間に過去になって消えてしまう
無くさないために この想いを胸に抱くために言葉にして
不安でも 苦しくても 信じられるように
信じられない時はまだ芽を出していない 時間をかけて育まれる花
放った想いはどこへ行くのだろう
何が伝わるのか分からなくて 受け取る言葉なんて選べなくて 届けてくれる誰かがいる
いつだって言葉は掴めない 風に踊って手をすり抜ける 掌に残るものなんて僅かだから
風が心を運び導いてくれる 咲く花が想いを受け止めて 足元に咲いてくれる
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emeraldecheveria · 3 months
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月の光と海うさぎ【4】
新しい家
 新居がある隣町は、田園が広がるのどかな風景の町だった。
 父が運転する車の助手席に母、後部座席に私と美夜がいる。私は父の後ろで、美夜は母の後ろで、それぞれ窓に顔を貼りつけてその景色を見つめた。引っ越しトラックが私たちの車に後続している。
「あの家だぞ」と父が言って、私も美夜も急いでフロントガラスを向いた。ざあっと稲穂が続く中に、晴れた空と同じ水色の家があった。
 胸がどきどきしてくる。まるでルルが喜んで跳ねているみたいに。実際、心の中にあの陰気な雨は降っていなかった。出窓を見つけたように、私の胸にはさわやかな風が抜けて、爽快なほどだった。
 だって、やっとあの学校を解放されたのだ。みんなからのいじめ、先生たちの嫌味、静くんの視線からも逃げおおせた。このすがすがしい光景の町で、ようやく自由を手に入れた!
 どんどん近づくほど、新居がびっくりするほど大きな家だと気づいた。一階が車庫になって、その上に二階建ての家があって、実質三階建てだ。遠くから見えた通り壁は水色で、屋根は青、窓枠は白、コントラストがまるで大空と海原と白雲みたい。周りの稲穂の音も、本物の海みたいだった。
 ああ、そうか。海なら心配ない。私の中のルルが海うさぎなら、この家は帰ってきた場所になる。だからきっと、ルルにも友達ができる。私にも友達ができる。ここが私の居場所になるんだ。
 新居の前に到着して、大人たちが荷物を抱えていそがしく動きまわる中、私と美夜は家の中を駆けまわって探検した。
 いくつもある部屋。木目の階段。大きなベランダ。ぴかぴかのお風呂。トイレだって真っ白だ。
 何より嬉しいのは、三階に自分だけの部屋があることだった。今までは美夜と同じ部屋だったから、一気に自分が立派になったような感じがした。私も美夜も「すごい」「すごい」ばかり言うので、母の反対を押し切ってこの家を建てることにした父は、すっかり上機嫌だった。
「自分の荷物は自分でほどきなさいね」
 新築の匂いがする自分の部屋で、南向きの窓を開けていると、私の名前が書かれた段ボールが続々と運ばれてきた。私の荷物がすべて部屋につめこまれると、顔を出した母がそう言った。「うん」と私が段ボールに駆け寄り、さっそくガムテープを剥がそうとしたとき、「よかったね」と不意に母が言った。
「えっ?」
「これで、いじめられることもなくなったから」
 私は母を見た。母は目は合わせず、そそくさと隣の美夜の部屋に行ってしまった。私は手の中のガムテープを視線を落とし、気にしてくれてたんだ、と思った。
 ざざあっと潮騒のような音と共に、涼しい秋の風が舞いこんでくる。そのそよ風がするりと私の長い黒髪を揺らし、深く呼吸すると、白い天井を見上げて自分は救われたのだと思った。
 本当にそう思った。段ボールを荷ほどきしたり、住所変更の手続きをしたり、数日、学校に行かなかったあいだは。
 そのまま、学校なんて私の生活から消えてしまえばよかったのだ。でも、心が解放感で清らかになって、学校への警戒心さえ流れてしまっていた。というか、何の根拠もなく新しい学校ではうまくいくと思っていた。
 新しい中学校には、転入前に母と挨拶に行った。小さな中学校で、学年ごとにクラスはふたつしかないらしい。私は一年二組だと告げられた。田舎なので、特に高齢化で子供が町から減っている。そのため、学校の生徒数も少ないらしく、「でもそのぶんアットホームなんでね」と校長先生はにっこりした。私はその言葉を信じて、ここなら大丈夫そうだと改めて安心した。
 アットホーム。確かにそうだったかもしれない。物は言いようだ。
 私は分かっていなかった。町にひとつしかない幼稚園、小学校、そして中学校に、エスカレーター式でもないのに一緒に進学してきた子たち。それはひとつの家族であるように、とても密接な関係を作っていた。そのぶん、ホーム外のよそ者に対しては──その危険性を、私はまだ知らなかった。
 転校初日、私は黒板の前で丁寧に教室に向かって挨拶したし、できる限りの笑顔だって頑張れたと思う。転校生に奇妙なムードがあるのは、前の学校を去るとき、女の子たちが泣いたことで分かっている。きっとこちらの学校でも、あの空気に押されて誰か私に話しかけてくれるはずだ。
 そわそわしていると一時間目が終わり、休み時間になった。ちゃんと答えられるかな。言い間違えたりしませんように。そんな心配をしていると、十分間の休み時間はあっという間に過ぎた。
 あれ、と顔をあげて、ふと私は、教室でひとりだけ「違う」ことに気がついた。その違和感が、微妙な被膜を作っていることも。
 二時間目が終わっても、私に近づいてくる子はいなかった。無視されているわけではないようだ。みんなのほうも違和感を感じ取っている。そして、どうしたらいいのか分からないというふうに遠巻きに私を見る。
 目が合ったら慌ててそらされるので、私から話しかける勇気も持てなかった。だいたい、こちらからみんなに言えることなんて、朝の挨拶で言ってしまった。だから、今度はそれに対してみんなが好奇心を持って尋ねてくれないと、私は誰に何を言えばいいのか分からない。
「え、えーと……み、光谷さん?」
 味わうゆとりもなかった給食のあと、昼休みになって、ようやくそんな女の子の声がかかってきた。自分の席��、つくえに伏せって寝たふりすらできずに固まっていた私は、はたと振り返る。
 天然パーマっぽい長い髪なのに、どこかおどおどした雰囲気のせいで地味な女の子が、私のかたわらに立っていた。彼女が笑うと、乱杭歯が覗いて、私はぎこちない表情になって「はい」とだけ答えた。
「あ、あの、校内を、あ、案内……させてもらって、いい、かな?」
 私はまばたきをして、確かにそれはしてもらわないと困るな、と思った。「お願いします」とうなずくと、「う、うん。じゃ、行こう」と彼女は教室のドアをしめした。
 私は席を立ち、彼女についていく。くすくすという笑い声が聞こえた気がした。けれど、ちらと振り返っても、そんなふうに嗤っている人はいっけん見当たらなかった。
 彼女は金子さんというらしい。並んで廊下を歩いていると、「お前、ドーモが感染るぞ」と揶揄ってきた男の子がいた。
 どうも? 別にそんな挨拶はされなかったけど。そう思って私は首を傾げたものの、やたらと「ドーモじゃん」「うわ、ドーモ」と言われている金子さんが、どうやらこの学校で“生け贄”の立場にあることは察した。
 それでも、一生懸命に話しかけてくれるから、私も緊張しつつ金子さんの質問に答えた。前に通っていた学校のこと。おろしたばかりのここの制服のこと。質問されることにただ答えていた。頭が素早くまわっていなくても、おかしなことも悪いことも言わなかったと思う。
 なのに、広くない校内をまわって教室に戻ると、金子さんはすっと私を離れて、教室にいた女子グループに私の返答を報告しはじめた。ときどき笑い声が聞こえて、私は急に冷たい手に心臓をつかまれたように、ひやりと不安を覚えた。
 あとで分かってくることだけど、金子さんは吃音があって、「どもる」から「ドーモ」と呼ばれているらしい。察知の通り、やはりみんなにいじめられていた。そして、私の情報を流して、いじめっこのグループの仲間になろうとしていたみたいだった。
 ちなみに、こちらのほうが田舎町のせいか、勉強の進みが遅かった。前の学校でどこまで進んでいたか訊いてきた数学の先生は、「みんな分からないことは光谷に訊くといいぞ」とかとんでもないことを言った。
 学校の勉強は進んでいても、私はそれに追いつけていなかった生徒だ。その先生は何を調子に乗っているのか、授業中に問題を答える挙手がないと、集中的に私を当てて「光谷なら分かるよな?」と黒板に呼んだ。
 しかし、当然ながら私はまったく分からない。いくら当てられても、決まって答えられない。脳が張りつめて吐き気がして、「分かりません」の声さえ出なかった。
「あいつ、頭悪いんじゃねえの」
 そんなささやきは一気にクラスに伝染した。あっという間に、私は頭の悪い無口な子だとうわさを立てられた。
 ちなみに、金子さんは私の情報を使ってもいじめっこグループに昇格はできなかった。それでも、いちいち私に話しかけてきて、それを女の子たちに報告することはやめなかった。教室で失笑が聞こえてくると、私はびくりとすくみそうになった。
 教室になじめることがないまま、長く厳しい冬に入った。二学期が終わる直前、その日も私は心の中にもやもやしたものを抱えながら帰宅した。
 空は灰色で、すぐにでもあたりは暗くなりそうだ。収穫まで豊かだった田園は、今は耕耘されて土が剥き出しだった。周りに何もないぶん、吹き抜ける風音がすごい。
 家に入る前にポストを覗いた。新聞の下に藍色の封筒がある。手紙かな、と手に取ってみると、私宛てだった。誰だろう、と裏返して差出人を確認し、目を開く。
『山田静司』
 静……くん? え、何で。ここの住所は教えずに引っ越したのに。
 とっさに、私を見つめていた静くんの目がよみがえる。じわりと気分が悪くなった。何だろう、いまさら。何も言わずに引っ越したんだから、いい加減つきまとうなって意味だって察してよ。
 びゅうっと寒風が長い髪と紺のスカートを巻き上げ、刺すような冷えこみで我に返る。気味が悪いと思いつつ、一応、静くんの手紙はポケットに入れた。インクのにおいが濃い新聞も腕に抱え、暖房と石油ストーブで暖まった家に入る。
 今夜の夕食が決まらないのか、母はキッチンにまだ立たず、リビングのソファでレシピ本を見ていた。「ただいま」と声をかけると、こちらに顔を向けた母は「おかえり」と返す。
 私は新聞を座卓に置き、「美夜は?」とリビングだけでなく見渡せるダイニングにも目を向ける。
「友達の家に遊びに行ったわよ」
 友達。……そっか。そうだよね。できるよね、友達。
 母は私のそんな内心を読んだのかどうか、本を膝に置いた。
「希夜は友達できたの?」
「え……、あ、話す……人は、いるよ」
 その人は、私の発言を全部、クラスを牛耳るグループに報告しているけど。
「そうなの。いつでもここに連れてきなさいね」
 気まずくて黙ってうなずき、「宿題しなきゃ」とその場を離れた。冷たい爪先で階段をのぼり、自分の部屋に入ると、ほっとしたぶんだけ憂鬱が押し寄せる。
 何なの。母も分かっているくせに。どうせ私に友達なんかいない。なのに、何で美夜と較べるみたいに訊いてくるの。
 ため息をついて、板張りのドアにもたれる。寒いな、と思ってもストーブまでの数歩さえだるい。
 そういえば、とポケットに手を突っ込んで、くしゃっと触れた手紙を取り出した。ぼんやりした目つきで、不器用な文字による自分の名前を見つめる。
 捨てようかな。あるいは、ポストに返そうか。そうも思ったものの、小さく息をついて封を切った。淡い水色にグレーの罫線が引かれただけのシンプルな便箋に、あんまり綺麗じゃない字が並んでいる。
『希夜ちゃんへ
 いきなり手紙なんて書いてごめんなさい。
 住所は野中さんにききました。
 僕にも教えてほしかったけど、急な転校だったみたいなので、仕方ないですね。
 そっちでは元気に過ごしていますか?
 希夜ちゃんが、今までみたいな思いをしてないといいなと思います。
 僕は相変わらずですが、大丈夫です。
 希夜ちゃんに言われた通り、何をされても強くなりたい。
 でも、希夜ちゃんがそばにいないのは、我慢できないくらい寂しいです。
 もしこっちに来ることがあったら教えてください。
 会いたいです。
 静司』
 私は眉をゆがめると、便箋をたたんで封筒にしまった。
 何だろう。何でそう思うのか分からないけど、喉の奥に水疱ができたような不愉快がせりあげてきた。
 何というか、……気持ち悪い。野中さんも、ただで静くんに住所を教えたわけではないだろう。そこまでして、私の住所を調べて、手紙なんて──気持ち悪い。
 手紙は、ゴミ箱にこそやらなかったものの、本棚の使っていない引き出しに投げこんだ。返事を書く気はなかった。また手紙は来るかもしれない。だが私が無視していれば、いくら静くんでも、いつかあきらめて一方的な手紙なんてやめるはずだ。普通に考えて、気が引けてくるだろう。私が好きなら、迷惑はかけないでほしい。
 ようやくストーブをつけて、冷え切っている部屋を暖めた。制服のままでストーブの前に座り、熱で赤く灯る光を見つめる。冷たくこわばる頬が、その光に染まって溶けていく。
 私は教室で、みんな──金子さん以外には、遠くから眺められているだけだ。何をされているというわけではない。確かに友達はいない。しかしべつだんいじめもない。なのに、こんなにも胸がもやもやして、学校に行くことが息苦しい。
 同じ種類のものを感じるのだ。教室にいると、前の学校でけして溶けこめなかった自分ばかり思い出す。深い深い水中で、一滴の油になってしまったみたいだ。
 石を投げつけられないか、教科書を破られていないか、そんな心配ばかりしてしまう。誰も私に近づいたりしない。こんなの自意識過剰だ。はちきれそうな不安を、そう思って抑えようとしても、カマイタチのような鉤爪が腫瘍をつぶし、恐怖が膿のようにどろりとあふれる。
 まもなく、冬休みになった。雪が降り積もる中で年を越し、三学期が始まった。相変わらずだった。私は勉強ができなくて、そのことを男子はバカにして嗤い、金子さんは私にあれこれ訊いて、報告された女子グループはくすくすと嗤う。
 そんな毎日に、私はまた、朝起きてふとんから出るという習慣がつらくなっていった。母が再びいらいらしはじめているのは分かったけど、朝の通学路をとぼとぼ歩いていると、心が締めつけられてルルの軆が強直するのも感じるのだ。
 こんなのダメ。私の心に棲むこの子を怖がらせてはいけない。この子が「つらい」と感じたら、私の精神はまた暗く冷たく沈んでいく。
 二年生になったら、クラス替えがある。そうしたら、何か変わるのかな。でも、それって状況が好転するの? あるいは悪化するの? この学校の人はみんな家族だ。そして私はよそ者だ。それは揺るぎなく、変わることはない。
 この狭い中学校において、私は招かれざる客なのだ。きっと二年生になったって一緒だ。身内で和気あいあいとしていたい一家は、居座る私に白い目を向け、とっとと去って消えろと訴えてくるに違いない。
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lilgurlcollins · 6 months
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旅日記⑤ in South Korea🇰🇷
Busan編
釜山に旅行してか3ヶ月経ってしまいましたが、旅日記は残すべく、今更ながら思い出語り。
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何日に何したか、どこのお店行ったかの記憶が朧げなので釜山の魅力を書きます😭次の旅行はその日に書こう。反省。
釜山とソウルどちらも行った身としては、韓国に旅行してみたいけどどこ行こう?という人に、断然釜山をおすすめしたい。(美容にさほど興味のない男性は尚のこと)
釜山の魅力
①ソウルで味わえるようなご飯屋さんは網羅されてる上に、釜山ならではの新鮮な海鮮のお店が多い(し、ちゃんと美味しい)。カンジャンケジャン(写真5枚目)の艶ヤバくないですか?生臭さなんてものは一切なくて、とても美味しかった。
②都会と自然が両方ある。
釜山でいちばん思い出に残っているのは海(海雲台海水浴場:写真1,2枚目)。2枚目の電車はガイドブックに載っているので、多くの観光客が訪れるスポットだけど、予約した乗車時間までの暇つぶしで近辺を散歩していたらたまたま海辺まで辿り着けた。海青くてちゃんと綺麗だな?!!?!?!と興奮した。
Sydneyでもそうだったのだけど、高層ビルと綺麗な海が隣接している絵面が個人的にたまらなく好きで、地震大国の日本では見られない光景なのが少し残念。
③ローカルな朝ごはん屋さんが多い。
これもまた日本にはあまり馴染みのない文化だけど、海外では朝ごはんを外で食べる習慣が根付いている気がする。
美味しかった朝ごはん3選
(1)カルグクス(写真下)
カルグクス(「カル」=包丁,「グクス」=麺)は「韓国風うどん」とも呼ばれていて、味のバリエーションがとても豊富(訪れたお店はいりこの出し汁を売りにしていた)。先輩たちはソンカルグクス(温)、私はネンカルグクス(冷)を注文。優しい味のスープで目が覚めました。
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(2)ソコギクッパ(写真下)
ソコギクッパ(「ソコギ」=牛🐄)は、もやしや大根などの野菜を大釜にたっぷり入れ、牛肉と一緒に煮込んだスープ。韓国では二日酔いの日は朝に食べるのが定番らしい。個人的にはデジクッパより好みだった。
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(3)デジクッパ(写真下)
デジクッパ(「デジ」=豚🐖)は、豚骨を丸1日かけてじっくりと煮込んで出汁を取ったスープに、茹でた豚肉とねぎとご飯を加えて、たくさんの種類の薬味の中から好みの味付けをして食べる料理。西面にはデジクッパ通りというのがあるくらい人気の料理で、とても美味しかった。
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※ 「クッパ」はスープと米を混ぜた料理。お米も入ってるのでお腹も溜まる。
④観光地らしい観光地が結構豊富。↓
甘川洞文化村(山の斜面に建物が連なってて「韓国のマチュ・ピチュ」といわれている美しい村。星の王子さまのオブジェが有名)
海東龍宮寺(韓国でいちばん美しいと有名な寺。寺に向かう108段の階段を降りる(登るんじゃなくて?!)と願いが叶うらしい)
国際市場(なんか栄えてる市場。)
五六島スカイウォーク(崖の上から海上に突き出したガラス張りの展望台で、高所恐怖症の人��多分無理。)
釜山ダイヤモンドタワー(夜景スポット、たぶん日本でいう東京タワーみたいなやつ)
海雲台(釜山でいちばん有名なリゾートビーチ。海めっちゃ綺麗。今回の旅でいちばん良かったスポット)
海雲台ブルーラインパーク(4人乗りのノロノロ列車なので1人で乗ったら多分暇だけど、カラフルで可愛いし綺麗な海をずっと一望できるからおすすめ)
南浦洞(釜山のキラキラ繁華街。渋谷っぽかったです)
とかとか、他にも韓流の『サムマイウェイ』のロケ地もあって3泊4日では全然制覇できなかったくらいに観光地多い。ソウルは観光地らしい観光地が少ないイメージだからそこに関しては釜山の方が充実してた。
⑤百貨店やブランド通りもあるので、ほぼ有名なブランドやスポーツ用品店は揃っていて(調べたら多少はソウルにしかないものもあるんだろうけど)、ソウルと同じくらい買い物も楽しめる。
釜山にしかないOPTATUMのハンドクリーム、ぜひお土産に購入してください。
North faceのホワイトレーベル(韓国限定ブランド)のトップスを罪滅ぼしで兄にお土産で購入した😅(正月の航空事故の影響で福岡からギリギリ東京に到着した際、タクシー待ちの列が5時間で、韓国行きの成田便に間に合わない〜と詰んでいた妹を、国試1ヶ月切っていたのにレンタカーで千葉から迎えに来てくれました、、神)
ちなみに屋台もソウルと同じくらい栄えてて楽しかった。屋台のホットク、毎日食べたい。
⑥街の散策が苦じゃない。
個人的な印象だけど、ソウルよりも一駅間を歩くのが苦じゃなかったような気がする。たくさんご飯を食べた後、次の目的地まで二駅だから歩いちゃおう!みたいなことができて良かった。
韓国旅行はグルメメインになるので、胃もたれでしんどくなるイメージが強かったけど、歩きやすい街並みと胃に優しい朝ごはんのおかげで、たくさん食べてたくさん歩いて健康な旅!という感じでした。
⑥ソウルと比べてローカルな都市なだけあって、人との距離が近め(な気がした)。
電車にて3人で日本語で喋っていたら隣に座っていたおじさんたちから話しかけられたり、お店で鍋を突いていたら隣のお姉さんたから声をかけられたり。みんな親切であったかくてなんて素敵な街なんだ〜!と思った。
余談)
新世界百貨店の新世界スパランドもおすすめ(10種類以上のチムジルバンがあって、一番高い温度のチムジルバンは79度)。温泉のあとのご飯が美味しいっていう文化は世界共通なのか。
写真7枚目のフレーク入りヨーグルトは韓国の定番の朝ごはんで、美味しすぎるので日本でも売ってほしい。欲張ってたくさんスーツケースに詰めたら、飛行機の気圧で潰れてスーツケースがヨーグルトまみれになりました。ビニール袋に入れておくべきだった。
タラタラ感想を述べたらえげつない長文日記になってしまいましたが、大好きな先輩2人と楽しい3泊4日を過ごせて幸せな渡韓だった。
またどこか旅行しましょうね🙈
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chaukachawan · 5 months
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こんちゃ、あろハムです
つい1年前の今頃は演劇のえの字も頭になかったのに偶然が重なって今では舞台に立って新入生を演劇に勧誘している。人生って本当に不思議なもんですねえ〜。さて、本題の役者紹介ですが、あれ?独断と偏見シリーズ流行ってるの、、、?結構色々考えたのですが皆面白いのを書いてくれてるのでこれまでふざけてた分今回くらいは自分が感じていることを素直に書いてみるのも良いのかも知れませんね。たまには、ね。さ、前置きはこれくらいにして、耳の穴かっぽじいて聞いて下さい。
園堂香莉(夢の住人α)
本当、器用な役者さんなんだなと今公演特に感じました。今回の3役とも全く性質が違うのに飄々とこなしてしまうなぽりが羨ましいです。実は稽古の時エレベーターガールのなぽりが好きすぎて気付かぬうちにガン見していたことは墓場まで持っていきます。エレガのマイムいつの間にあんな上手くなったの?5月にあるvaundyのライブ、どうだったかまた感想言いますね。
水琴冬雪(東雲)
私の演劇を好きになるキッカケを作ってくれた先輩なので、今公演でやっと役者として同じ舞台に立てるのが凄く嬉しかったです。役者として理想的すぎる発声と滑舌を持っているので演技しているところを見て自分なりにもこそっと真似してみますがまあー近づけないですよね。いつか背中が見える日が来れば良いな。あ、噛んで落ち込んでるベガさんも素敵ですよ。
緒田舞里(二宮光)
ちゃうかの大量の仕事をやりながら主役するってどんな生活、精神力してるんですか?絶対疲れてるはずなのに演技中全然そんな姿を見せないのは何故ですか?まりおさんの声の震わせ方、表情、目線の使い方がめっちゃ好きです。みんなの魅力を引き出すキャスパ、素敵すぎました。とにかくお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。
たぴおか太郎(弁護士)
ちゃうかをイメージすると大体一番最初になすかさんが出て来ます。(withちいかわTシャツ)異議なし、毎回幕裏で笑っていました。あのなすかさんの通る声だからこそ6発6中でウケたのだと思います。オムニからお世話になっているのでなすかさんに褒められると尻尾振って喜んじゃいます。仕込み週になるとほぼ毎日全体LINEで謝ってるなすかさんが大好きです。
肆桜逸(検察官)
唯一の学科の先輩です。体験稽古でめっちゃ優しく話しかけて下さって、それが無ければ私はちゃうかに入ってなかったかもしれません。重い物持ってる時とか仕込みの時とか一番皆に声かけしてくれている優しい先輩です。オムニの時から思っていたのですが、ボケ寄りの役をやってるスチルさんめっちゃ好きです。あと、今公演の場転で行き詰まった時すぐ解決策を出してくれるのがすっごく頼もしかったです。でもキャスパのカウントを勘違いしていて呆然としていたスチルさんもなかなか良かったですよ。
帝京魂(深山登)
今公演で1番関わりがあった役者です。こんの爆発力のある演技を間近で見てみたいなあとは前々から思っていたのでそれが叶って嬉しかったです。演技している時の表情とか目つきが「入っている」感じがして役者として悔しかったです。あんな素晴らしい演技をするもんだから、私の存在感が消える!負けたく無い!と思って必死に練習しました。あと、この前サッカーマシンガントークしてごめんなさい。でもあれは聞いてきたこんが悪い。
縦縞コリー(市原優)
2公演続けての主役、本当にお疲れ様でした。こりの演技を見てると「ああ〜主役だなあ〜」とひしひし感じます。主人公、という言葉がお似合いです。新入生が入ってきても変わらず主演の座に立ち続けて下さい。恐らくこりは自分の中でこう演じたいとイメージしたものをそのまま演じることができる役者さんなんだろうなと勝手に思っています。凄いなああ。私もそうなりたい。線形なんてものも簡単に攻略できるんだろうなあ。
大福小餅(裁判長)
本当に、本当に頑張ったよね。舞監としても、役者としてもめちゃくちゃ頑張ってた。ここは手を抜いてもいいかな、こんくらいで良いかみたいなことを絶対にしない。キャスパも夜遅くまで残って、周りもほとんど帰ってるのに、すごく疲れてそうだったのに、「私出来てないからまだやりたい」って言ってたこふくの顔が忘れられません。こふくを傷付けるような人は私が絶対に許しません。みんなでこの可愛く勇ましい舞監をこれからも全力で支えていきましょう。
苔丸(村上)
器用すぎる。役者としても裏方としても。かっこいいと可愛いを両方バランス良く兼ね備えた役者さん。毎公演本当見事に違う役を演じていて、稽古初日どんな演技をしてくれるのか楽しみでした。色んな役をやってみたいとは思っても実際にやるのはめちゃくちゃ難しいし、苔丸にそういう色んな幅の役が任されるのは恐らくこれまでの演出全員「苔丸なら出来る」と大きな信頼を寄せているからなんでしょう。今公演、役の相談にも乗ってくれてありがとう。役者としても人としてもすごく信頼しています。
岡崎仁美(七瀬マイコ)
先輩としての頼もしさもあるのにたまに同期と勘違いしてしまうような可愛さを持っている方です。今公演の役、恐らくカヌレさんじゃ無いとあんなあどけない無垢な少女にはならなかったでしょう。カヌレさんじゃ無かったら誰がやってたんだろ。想像つかない。立て看、良すぎです。めちゃくちゃ好き。あれに顔はめて写真撮れなかったのが心残り、、、。次もまた看板作ってくれますよね?
衿君(夢の住人β)
実はちゃうかイチオシの役者です。公演ごとの私の推しキャラは大体エリックがやってます。普段は割と大人しめ(周りがうるさい)なのに皆をツボらせたときのウケ方は間違いなくちゃうかイチだと思う。静と動の演じ分けがめっちゃ上手い。だから人の注意が飽きることなくエリックに注がれるんだと思う。ラジパ、後ろでやってたから一回も見れ無かったけど写真で見てビックリしました。あんな笑顔してたんですね。あの写真は今公演1番のお気に入りです。
海泥波波美(夢の住人γ)
この人は何にも考えてなさそうに見えて(失礼)人の観察力がすごいなと思います。だから適当に言っているように思える発言でも実はそのおかげでちゃうかの空気は澱みなく流れてるんだと思う。今公演のあさぎの不気味なシーンちゃんとめちゃくちゃ不気味で大好きです。あの笑い方、良いですよねえええ。あそこで空気がひゅんっと変わる感じが大好き。楽ステのアドリブめっちゃ面白かった。回転扉が回らなくなって焦ってる時のあさぎの顔が忘れられません。
七枚目(郷田)
マキマさーん!チェンソーマン見たことないけどマキマさんだー!郷田さん好きぃいい!私も郷田さんに肩揉んでもらいたいよーー!ぜーんぜん怖くないよ!って言って欲しいよおお!って感じでみそかの演技は脳死しちゃうくらい好きです。通しの時とかずっと周りでウロウロしててごめんね。みそかの優しさと強さを兼ね備えた声が大好き。毎回言ってるけど。一生役者していて下さい。
ミル鍋(施設長)
相変わらず動きの付け方が上手すぎる。実は今公演からゆにの動きをパクってます。というか、ここ動きどうしようって思ったらゆにならどうするかなとイメージしてからその動きを真似してます。バレて、、無いよね!?多分まだ言われたことないから大丈夫。今回も動きに関することでゆにに相談させてもらったら、良いアイデアを即座に言ってくれました。流石です。吹田で一緒に練習したの楽しかったね。またやろう。製図なんてくそくらえ。
西峰ケイ(八戸)
面白すぎです。らびの面白さがフル発揮出来る役を見れてめっちゃ良かった。あの漫才、本当に驚きました。内容もさることながらテンポ感、間、動きの付け方、完成度が凄すぎてちゃんと面白かったし、あんだけお客さんを笑わせるの普通じゃないよ。ずっと練習してたもんね。なのに、そこだけじゃない。二宮と八戸のあの2人のシーン、周りからも散々言われたと思うけど本当に良かった。2人とも演技してるようには思えない空気感だった。あのシーンが今公演で1番のお気に入りです。
あろハム権左衛門(黒川)
キャラメルメル
白子(演出補佐)
誰よりも演劇への想いが熱く、そして演技指導をする時の「こんな感じ」が、レベル高すぎる生粋の演劇サイボーグ。役のことで相談した際、わざわざ私の役の解釈を色分けした台本を作ってくれた。あれは本当に助かりました。白子には前公演も今公演も助けられてばかりです。次の公演は役者として出てくれるのでしょうか?楽しみにしています。あ、授業の方も演劇と一緒にちゃんと頑張りましょうね。
近未来ミイラ・唯端楽生(演出・脚本)
もう散々褒めたしいっか。嘘です。褒め足りません。メガホン持ってスクランブル交差点のど真ん中で「俺は天才なんだぞおおおお!」って言ってもお釣り帰ってくるくらい天才です。ミイラの脚本は、こんな感じのストーリーを描きたいからこのキャラを作る、じゃなくてこのキャラの人生、生き様を描こうとして気づいたらストーリーが出来ていたって感じがします。付け足しのキャラクターがいない。ひとつのキャラクターがいなくなっちゃうだけでもストーリーが壊れてしまうような繊細で美しい作品。黒川の解釈を聞いたらめちゃくちゃ長文ですっごく分かりやすい表現で説明してくれたとき感動しました。ひとつひとつのキャラクターにこんな細かい想いが込められているとは思ってなかったです。出来れば他の人のアドバイスとか指摘とか一切聞く耳持たずにみいらの感じたこと、書きたいことをそのまま書き続けて欲しい。演劇のルール、文学のルールとかにとらわれない自由な作品をこれからもずっと描き続けて欲しいなあと勝手に思ってます。
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tokyowalking · 8 months
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1月のイベント情報
※イベント終了まであと数日!1月のイベントです! 森のオーロラと東京雲海 場所:椿山荘日付:2023/11/11(金曜) ~2024/2/7(火曜) 東京メトロ 東西線「早稲田駅」3a出口:徒歩約20分 東京さくらトラム(都電荒川線)「早稲田駅」:徒歩約14分 ホテル椿山荘東京の木や建築物に囲まれた庭園の地形を活かし、幽翠池から見上げると全天光が広がる空間を創り絶景に包まれます。 光量の異なる光を組み合わせ、6方向から6層に重なる光を組み合わせることによって、オーロラの持つ複数の色のグラデーションの演出を見られます。 森のオーロラは18:00~22:00(1日8回)出現、東京雲海は朝・昼・夜の1日数回(数分程度)。 なんと庭園自体は入場無料です。 イベント終了まであと数日。気になる方は急いで行ってみてください!
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mi3li · 6 months
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夜の9時2分に、何をしてるかな
みぃぴょこです、こんにちは。 はんげつであえたらの感想日記です
★ネタバレあり、見てない人は読んじゃダメ!! ★あっちこっちに光の王と影の王に対して自分が勝手に考えた考察もどきの考えあり!!自分の考えが絶対正しいと思う人は、きっと違う考えになってる可能性があります!!嫌な気持ちになるかも!!見ないでください!! ★文才がありません!しつこく何度も同じことを言ってます!! ★どんな感想でもどんとこい!って人だけよんででください!! ※ゆきまこが好きなので、無意識にCP向きな発言をしてます!耐性に自信が無い方は絶対に読まないでください!!
<3日間の感想> 雪歩ちゃんと真ちゃんの個々良さ、二人でしか出せない味が伝わる世界一のライブでした。 中身の無い無駄な会話は一切なく、日ごろから二人が仲がいい特別な関係だというのがわかるトークの内容も素晴らしかったです。 更に言うと二人だけで喋るという訳でもなく、観客へむけての会話の変化球もうまく置き去りにされているように微塵も感じませんでした。 二人と観客たち、自分がたしかに此処に居る事を実感出来て嬉しかったです。 曲目も素晴らしく本公演オリジナルの物語にマッチしていました。
お話を3部構成のマルチエンディングにしてあるのも最高なのですが、各公演に歌う・トークを3部構成にしてあるのもよかったです。 曲を歌った後にお互いの曲に対して雪歩と真が感じている思いを解説、そして観客たちへ共感を共有。 会話にてさりげなくコール&レスポンスのあるものを二人から声をかけてもらえたのも、会場の一体感感じれて凄く体温が上がりました。 それぞれの公演にてウェルカムカードが貰えたのですが、二人がはんげつであえたらに対する思いを綴ってくれて 読んだだけで泣いてしまいそうでした。 それだけ雪歩ちゃんと真ちゃんが真剣にこのライブに向き合ってくれたのが分かって嬉しかったです。
<ライブステージについて> ステージはキラキラした装飾達が宝石のように美しかったです。 現地では、そこに雪歩ちゃんと真が存在して踊っているように見えて感動しましたが、配信では宮殿のような場所で二人が演じているのを見て、表情の細かい動きに驚きました。 ライブストリーミングだと毎分毎秒二人の可愛い顔が近くで見れるのも特別感があって良いですね。 ちなみに現地ではスモークや炎がかっこよかったです、曲に合わせた雰囲気で羽や雪が振っていたり、しんみりするところは本当に言葉に出来ないぐらい幻想的で。現実だとは思えませんでした。
<音響について> 吐息まで聞こえるような素晴らしい音圧が良かったです 雪歩ちゃんと真ちゃんの、曲に乗せた思い。感情が伝わって来て、胸がグッとなりました
<事前物販について> 結婚式の引き出物と言われてもおかしくない内容で嬉しかったです、二人の事を本当に好きな人が考えて作ってくれたグッズだというのがよくわかりますね。
<モデリングについて> ふわっふわのスカートが最強。 奥行があり、雪歩ちゃんと真ちゃんがそこに実在するんだと確信できる素晴らしい出来だと思います。 おみあしの影も美しすぎます。
<お見送り会について> 朝765サンデーにて気に入ったグッズがあったら教えてくださいね!と真ちゃんが言っていたのを思い出して友藍にて、応援うちわを持ちながら歩いていました。 そうすると、雪歩ちゃんが「あ!真ちゃんのうちわだ~、いいな~。かっこいい~。」と声をかけてくれて私のうちわを雪歩ちゃんがガン見していました。 歩いてもうちわがある方をずっとじーっと見てくれたんです。 そのあと、真ちゃんがうちわに気づいてくれて「ボクのうちわだ!応援ありがとー!」と言ってくれました。 二人が反応してくれて本当に嬉しくておかしくなりそうでした。
悲藍はタオルを友達と一緒に二人で見せびらかしながらすたすた歩き進んだのですが 雪歩ちゃんが「私達のタオルだ~!かわいい~」と言った後、真ちゃんが「ボクたちの応援ありがと~~!」と言いながら両手をふってくれました。こんなにしっかり反応してくれるの!?とドキドキしました。
純藍はサイリウムを持ちながら歩いてました。 残念ながら雪歩ちゃんからは声をかけて貰えなかったのですが、指ハートをしながらこっちを一瞬見てもらえました。 嬉しすぎてしんじゃうかとおもった・・ ちなみに雪歩ちゃんは歩きながらはんげつポーズしてる人を見て「お写真、思い出にとってくれたんですね~」って言ってました(羨ましい) 真ちゃんは私の持ってるサイリウムを見て 「ボクのグッズだ!買ってくれてありがとねー!!」と言って手を振ってくれました。 他の方の真ちゃんグッズかもしれないですけど、私も含まれていたらいいなって思って嬉しかったです。
それと前に並んでる人が手をグーにしてたので、しばらく3回ぐらい手をグーにして上にあげてふる(ダーン)みたいな動きを再現しているのを私も偶然目の前でやってもらえたので嬉しかったです。(前に並んでたPさんありがとう)
★<二人の王の話、共通パート> お話に合わせて組まれたセットリストが斬新で、光の王と影の王の心情を想像できるのが楽しくて良いと思います。 絵本のようなデザインで可愛らしいですが、意外と重くて深いストーリーでした。 美しい二人の王、光の王と影の王の出会い。 光の王は最初に会った時からイラストで悲しい顔をしています 手を取り合おうとして姿が消えてしまったからでしょうか 「光と影は決して交わる事はないのですから」 という重なった声が悲しかったです。
光の王の世界は、キラキラ輝いてる天国みたいな場所 影の王の世界は、お世辞にも綺麗と言えない地獄のような禍々しさのある場所で生きて来た。 自分の世界で人生で一度も見た事が無いぐらい美しい姿をした二人 そんな対極な二人が一目見ただけで惹かれ合ってしまうなんて、凄くロマンチックですよね🥰💕 私の個人的な印象ですけど、太陽みたいに眩しく神聖な光の王と、月みたいに妖艶で神秘的な魅惑をもった影の王は二人とも物凄く綺麗なんだろうなあと思いました🥲💕
最初のイラストは陰陽マークで太陽と月を二人で表しているのだと思います。 おそらく光の王は太陽の国に住んでいて、影の王は三日月の国に住んでいるのかな?と。
<-友藍-> ・前編 光の王が嫁がなければいけなくなって、一緒に居れなくなってしまう事を影の王へ伝えます。 影の王は、どんなに離れても光の王の幸せを祈っていると伝えて二人はもう1度会える日を信じて、はんげつの夜、最後に一緒に歌います… ちょっぴりビターな雰囲気ですが、二人はお互いの幸せを何よりも祈っているのが素晴らしいです。 自分より、貴方に幸せになってほしい、貴方が幸せならそれ以上は何も望まない… 最後に、思い出として二人で歌を歌おう。というのもなんだか物悲しいです、本当に友藍? 二人が今後会えなくなってしまうのは寂しいけど、あなたにとって幸せなら。それでいい。自己犠牲が強い二人の気持ちが重なっているようで少し寂しかったまま、オープニング、ライブ開始へと進んでいきました。 王の二人、もっと自分に正直になってほしい・・悲しい・・と思いながら二人の最高の歌を眺めてました。
・後編 元気にしていますか、と王たちはお互いを思いあいます。 はんげつのひは貴方の事を思い出して、もう会えないけれど、どうかこれからも海を大切な人に届けて、幸せでいてください。と思いを乗せて・・・イラストのはんげつが涙を流して終了。 映像に出てくる海は、二人の王の涙だったんだ。と思ってまた更に感動しました。 友藍ではあるけれど、涙を流すたびに貴方を思い出します。と言ってるようでほんとうに寂しかったです、表向きは明るく終わりましたが、実際は寂しい思いを自分の胸に隠している。かなりビターなエンドでした。
<-悲藍-> ・前編 途中までは同じです。 美味しい食べ物 をよむ光の王とってもかわいいですよね。 崖の上で二人が泣いているイラストが表示されます 「君がいない人生は耐えられない」 「本当は貴方の傍にずっと居たい、助けて欲しい」 このセリフで鳥肌が立ちました。 悲しんでいる光の王の気持ちが痛いほど伝わってきます 舞台は暗転して、雲行きが怪しい中ライブステージが始まって行きます。
・後編 なんだか最初声が小さかった気がします、波の音が大きかったので演出かも? 崖から水面にうつる月へ一緒に行こうという二人・・・ 幸せになるために、勇気を出して月へ 二人はおそらく駆け落ちをして、海へ向かって身投げをしたんだと思っています。 キミはメロディで流れたように、現世から扉をあけてあの世であれば二人は触れることもできる。 嫁ぐ必要も無ければ、永遠に二人で一緒に居れる。 私は自分の意見を尊重して、意思に従い二人で居れる方法を模索した結果だと思います。 友藍より非藍の方がハッピーエンドに見えるかな?と感じました。 個人的な見解ですが、二人一緒にいれるなら・・・どんな形であれど、それが一番大切だと思うのです。 キミはメロディをこの後アンコールで歌うのですが、天国へはたまた生まれ変わって・・光の王と影の王は一緒に。 触れることがついに出来るようになって笑顔で花畑を歩き回っていました、イラストにサソリや蛇がいるのがすごく不穏ですが 二人一緒に居ることができるのであれば、そこはどこであろうと天国なんでしょうね。ちなみにサソリや、蛇に鷹は占星術で生と死、再生を意味するみたいです。(フォロワーさんのRTで知りました)生まれ変わって2人とも一緒になれたんだね…嬉しいですね…!!
<-純藍-> ・前編 以前とうってかわって、影の王は戦へ出かける事を光の王へ報告します。でも、必ず会いに行くから信じて待っていて欲しいと言葉を残して戦へ向かってしまいます。 その言葉を信じて、毎日祈る健気な光の王の気持ちがせつなくて悲しい。このムードこそ本当に純藍ですよね。 水面が見える綺麗な映像と、白と黒の対照的なピアノ。綺麗な宮殿。重厚なBGMとともに・・・ 雪歩ちゃんと真ちゃんの歌がはじまります。
・後編 手をとりあうイラストが流れます。 「振り返らなくてもわかる」と光の王が泣きそうな声で言った瞬間、嬉しくて泣いちゃいそうになりました。
影の王は、光の王へ会いに行くためにたくさんの時間をかけて努力をしたのだと思います。 光の王の嫁ぎ先と戦があって槍を持って滅ぼしに行ったとか、最初はそんな風に考えてたんですが 曲がコスモスのあとのVOY@GERなので、戦争を終えた後 全く違う場所に住んでいたけど全ての国をめぐって探して迎えにいったんじゃないか・・・。
月に1回、はんげつの日にあうだけじゃいつか別れが来る。 それが嫌で、自分の足で、大切な人に会いに行ったんじゃないかな?と。 三日月の国から、太陽の国まで
感動の再開が出来た時、月ははんげつではなく満月に変わっていました。(イラストが) そこがとんでもなく情緒あふれるシーンだったと思います。 「二人の未来は、ここから始まる」 ようやく出会えた二人は、きっとこれからずっと。楽しく笑って毎日を過ごしていくんですね。嬉しいな・・・
曲目の感想 ①キミはメロディ<友藍><悲藍><純藍>
イントロが聞こえて、鳥肌でした。 二人が笑って歌って踊ってるところが可愛すぎる! 個人的に一番好きなアイマスの歌をデュエットしてもらえたのが嬉しすぎて、頭がおかしくなってました。 コールしてるときも嬉しすぎて顔から火が出そうで・・ 二人だけのキミはメロディが聞けるなんて想像もしてませんでした
②自転車 この時はじめてステージ中央にバミ印があるのに気づきました。 真ちゃんはダンスがキビキビ動いて本当にかっこいいですね。 ニコニコ自転車を歌ってくれて、本当にライブを楽しんでくれているのがわかって嬉しくて・・・感情が高ぶっていました。 そしたら2番で雪歩が入って来てくれてさらにテンションが上がりました。 CDに入ってる曲なので、まだ心の準備が出来てました。 「ギュっと抱きしめた急にごめんね」を雪歩ちゃんが歌っているのが本当にいいです、普段奥手な雪歩ちゃんが・・・
③何度もいえるよ イントロで優勝。 雪歩ちゃんの曲で1・2を争う程好きなのですが、ライブで聞けて本当に嬉しかったです。 どや顔がめちゃくちゃ可愛い!コールも楽しかったです ウインクめっちゃする雪歩ちゃん・・・かわいい・・・ 最初から最後までずっと可愛い!! ふわふわと踊って、本当に天使の羽が生えているのが見えますよ!!!!!!!!!!!!!!!! 可愛すぎる!!!!!!!天使!!!!!!!!!!!! リズムをとる横ステップで跳ねるところもかわいくってかわいくって・・・ハートを作って最後飛ばしてくれるんです・・・ 雪歩ちゃん大大大好きだよ・・・
④アマテラス<友藍><悲藍><純藍> ついに二人だけのアマテラスが初披露! ダブルデートで以前から見れましたが、今回は雪歩ちゃんと真ちゃんの二人だけのアマテラス。 二人並んでダンスを踊���と、対極の存在だというのがよくわかっていいですよね。 ふわふわ優しく踊る雪歩ちゃん、ビシッと勇ましく踊る真ちゃん。 二人は、お互いの良いところばかり目で追って憧れ合っているのですが・・なんとなく眺めて居ると二人の気持ちがわかります。 二人とも対等に魅力的なのに、隣の芝生は青く見えるとはよくいったものですね。 アマテラスはとにかく可愛く歌う真ちゃんの威力が凄かったです。雪歩ちゃんは終始楽しそうに歌っていて、こっちまで嬉しくなってしまいました。 足を上げるところも真ちゃんはかなり上まであげたり、大股でパワフルに踊ってたりするので性格が出てて凄く良いなと思いました。元気いっぱいなのが真ちゃんの可愛いところですよね。 アマテラスを歌う雪歩ちゃんはかわいいというより、神聖で美しいと思っています、雪歩ちゃんの歌声で魂が浄化されていきました。 白と黒、ハーフトーンの二人が愛の力でフルカラーになっていく。そんな風にも感じました。
⑤待ち受けプリンス<友藍><非藍><純藍> 完全に予想外で二人が歌うと思っていなかった曲でした。 「俺についてこいよ!」で雪歩ちゃんにメロメロになりました、コールが楽しすぎる曲!大好きです! 「ちゅーわぁ~お」の所、現地だと声が花火みたいにお腹の方まで響いてドッキドキでした。こんなに魅惑的に歌えるなんてすごすぎる!!
「もう1度聞かせて」の所で思わず好き!!と言ってしまいました・・・真ちゃんのセリフパートを聞いてメロメロの雪歩ちゃん可愛すぎですね。ありがとう。後ろからひょっこり出てくるラスサビ前の雪歩ちゃんが大好きです。 ちゅわちゅわちゅわちゅわのときに腕を振り回す二人も、力強さやくるくるかわいい感じが全く違うのが凄いです。 雪歩ちゃんの「嘘つき・・」が良すぎて。 「私の目を・・みて♡」「そう・・・バイバイ♡」こちらも可愛すぎて、悲しい気持ちというよりうおおおおお!好きだああああああ!ってなってしまいました。雪歩ちゃんの待ちプリのセリフ全部ハートついてませんか!?可愛すぎます!可愛すぎです!日本国宝にしなきゃいけません! 真ちゃんはセクシーでかっこいいし、天下無敵な待ちプリでした。
⑥チェリー チャイムの音から始まる合図。 客席で皆が一瞬で着席してました、その時点で気持ちもアゲアゲ絶好調、最高に盛り上がって楽しかったです。 笑ったあの日を真ちゃんが歌い 泣いたあの時を雪歩ちゃんが歌っているのにもこだわりを感じますね 雪歩ちゃんより真ちゃんのスカートがみじかいのに、足を上にあげて大股で動き回って踊るのが終始ドキドキしました。 「ああ なんかラブリ・・・」のところを真ちゃんが歌えてる所だけで、真ちゃんPたちは幸せでしたよね。 チェリーのコールは個人的に近くの席の人全員完璧ですごいノリノリでした
⑦First Stage<友藍><悲藍><純藍> これは歌うだろうな~と思っていた曲です。 でも実際現地で聞けると感動しますね、数十年前からずっと二人が歌っていたものがライブで聞けるとは。 この曲、二人がダンスで回転するところがあるのですが二人とも回り方が全然違います。 スカートの動きは二人ともふわ~っとなって綺麗なんですけど、足の上げ方とかかなり二人の個性を感じます。 この曲は真ちゃんが雪歩ちゃんに寄り添うように、かなり優しく歌っているように感じました。 いつももう少し強そうというか迫力がある歌い方なんですけど、女の子らしい声色な気がします。
<非藍> 曲が終わった後、51分27秒ぐらいで神殿のようなステージが水没してるところがうつります。 もうお話で身投げした後の事を歌っているのかもしれないと思うとちょっと怖いですね・・・
<純藍> 冒頭のお話が前向きな愛なので、少し明るい気持ちでこの曲を見る事が出来ました。
⑧edeN<友藍><悲藍><純藍> 二人だけの楽園。 真ちゃんのかっこいい英語からはじまります。 やっぱり二人にかっこいい曲調はかなりマッチしていますよね、聞きごたえが最高潮です。 サビの盛り上がり、二人がとてつもなくかっこよかったです。 かっこいい雪歩ちゃんが大好きなので、edeNが聞けて感涙ものでした。 この曲は二人がコールの時手を腕にあげて回してくれるんですけど、その時も盛り上げてくれてるみたいでワクワクしました。 雪歩ちゃんと真ちゃんがあまりに真剣に歌って、表情やダンスの動きから曲へ対する思いが激しく伝わった曲のうちの1つです。 腕を対極線斜めにする謎ダンスですらかっこよくみえて、激しい動きを完璧に踊り切る二人に目が離せませんでした 配信のライブストリーミングだとカメラワークがすっごくて、見てて飽きる事なんて絶対に無いと思います。 何回みてもかっこいい・・ずっと見ていたい・・・
⑨エージェント夜を往く First Stageに続いて古代曲その2!! 流し目がかっこよすぎる、こんなの全人類真ちゃんの事好きになっちゃうよ~!と言わんばかりのキレッキレのダンス。 疾走感のある曲調に合った動きで見ているだけでテンションがあがります。 ライブストリーミングのカメラワークがしぬほどかっこよかったです。 現地では照明の光が強く、常にキラキラでかっこよかったですね。 この曲は真ちゃんのウインクがたくさんみれて、かわいい~~!!嬉し~~!!ってなりました。
⑩9:02pm<友藍><悲藍><純藍> スタンドマイクが急に登場。 ちっとりした雰囲気のイントロに、優しくささやきかけるように真ちゃんと雪歩ちゃんが歌ってくれます。 スタンドマイクがあるからか、手の動きも妙に大人っぽく艶やかに感じます。 ダンスの動きはあきらかに消極的なのですが、表現力の幅が凄いですね。 個人的にバラードの曲はあまり私は聞かないのですが、せつないバラードの曲調も雪歩ちゃんと真ちゃんの二人には合っていたのです。この二人に隙なし。 二人で歌っていることもあいまって、お互いに語り掛け合っているように感じて・・ この曲のおかげで物語でも、光の王と影の王が会いたいと思っているのが強く伝わりました。 最後に「ずっと・・・」「ずっと・・・」と歌う時、ゆっくりと瞼を開いていく雪歩ちゃんと真ちゃん。神話になりそう、美しすぎる。
⑪First Step 希望へ進んでいく別れの歌。 友藍にぴったりな曲ですね、でもやっぱりこの歌はプロデューサーを思い浮かべてしまいます。 雪歩ちゃんの専用EDで聞ける歌です、帰って来なきゃ2番が聞けないというとんでもない仕様。 聞くために凄く頑張ったのを思い出します。 涙なしでは語れない雪歩ちゃんの最強songです。 涙で前が見えなかったので現地での視認できる情報があんまりないです、すいません。 ただ、雪歩ちゃんの成長が嬉しくて嬉しくて。 もう自分が死んでしまって、天使様がお迎えに来たのかと思ってしまうレベルで美しかったです。 最後ありがとうと歌ってくれるのですが、こちらこそありがとうと言う気持ちで胸がいっぱいになりました。
⑫My Best Friend 好き好き♡大好き♡と二人が言ってくれる最強の歌!! アニマスでも二人で竜宮小町が到着する前に、歌ってライブしてましたもんね、特典のメドレーにも入っていたのも覚えています。 友達以上恋人未満、二人にはこれ以上ないピッタリ! 配信版ではきゃぴきゃぴで可愛いおほしさまが飛んでいて、超かわいいステージのライトアップになってますね。 ぴょんぴょん跳ねるふたりが可愛かったです、手をグーパーグーパーするあざとい二人もキュートすぎて・・・ 二人がワクワク楽しそうに歌ってて、メールにメロメロ♡のところを歌う真ちゃんが可愛すぎる!! この歌は、やっぱり雪歩ちゃんと真ちゃんに凄くピッタリですね!! ウキウキ腕をきゅっとする雪歩ちゃんが見れるのですが、そこも可愛すぎて。 好き好き♡大好き♡で向き合っている二人がもう、二人だけの世界って感じでこれ以上何も話せなくなってしまいます。 二人とも最高の友達で居てくれてありがとう。
⑬The world is all one !!<友藍><悲藍><純藍> 合いの手でハッキリ雪歩ちゃんと真ちゃんの声が聞こえると耳が幸せすぎますね… 交代に歌って、一緒に歌う。の繰り返しが多い曲なのですが、二人のチームワークの良さが出てるような気がして良いと思います。 友達~のところで手を思い切り振ってくれてサービスも満点で嬉しかったです、コールも最高に楽しめました。 超名曲のざわわんが聞けて、感動。 現地だとコールが周りの人の声しか聞こえなかったので、配信版の雪歩ちゃんと真ちゃんのかわい~コールがストリーミングを見たら聞けた所がめちゃくちゃ嬉しかったです。 まこウインクとゆきぽウインクの殺傷力の高さ! 最後のピースのポーズが全然違うのが!!!二人を表してて最高なんです!!!
⑭Halftone<友藍><悲藍><純藍> 真打登場といわんばかりに、新曲が来ました!!!唯一令和の曲!!! 二人が同じ道を目指して、一緒に高め合って成長していく。 最高のアイドルソングです。 「これから先も君と共に。」 何があっても一緒に、歌詞の所 お互いを見つめあって踊るところが最高にさまになっていました。 なんといってもこの曲は英語のパートが二人ともおそろしくかっこいいんですよね。 「抱きしめた憧れ あんなに遠く感じていたのに 今は怖くない 誇りになる」とある歌詞 二人はお互いがアイドルとして自分の完成形の姿として憧れ合っている。そんなところが歌詞に込められていて、感動します。 両手を交互に上にあげるルンルン雪歩ちゃんがかわいい。 片手で拳を継ぎあげてリズムをとる真ちゃん、男らしすぎる 二人ともニッコニコでラスサビにいくのが良い!!!! 「決して立ち止まらない」 「いくつも超えて巡り合う」 「これから先も君と共に」 このあたりで感動して鳥肌が立ちました。 エンディングで3回流れてくれたおかげでクラップの練習が出来ました!ありがとう! 非藍で聞けたから次も聞けるのかな?と思って心の中で喜びました。 1日目は席が近くて雪歩ちゃんばかり見ちゃってたので、2日目は真ちゃんを多めに見ることにしました。 真ちゃんは歌う時に目を閉じて力強く歌う所がかっこいいですね~~!!動きが派手ですごいなあ~。 全体的に白黒青のライトがかっこいいんですよ、現地で正面にライトがきて目つぶしを食らいました(笑)
⑮おもいでのはじまり<友藍><悲藍><純藍> 17歳トリオの大好きな曲!! 優しいオレンジ色の光と共に歌い出しがスタートしました 春香さんと3人で歌うと学生時代の青春の歌というイメージでしたが、雪歩ちゃんと真ちゃんの二人で歌うとなんだかラブソングに聞こえますね。 雪歩ちゃんと真ちゃんのデュオだと「世界で一番のきみに出会えたんだ」こちらがお互いが自分の理想のアイドル像である、世界で一番のお互いに会えたんだ。って伝えているみたいで良いですね・・・ しかもラスサビで歌う時に向かい合ってこちらの歌詞を歌うんですよね。もうこれは神に感謝をするしか! あまり陽の光に当たる楽曲じゃないのですが、はんげつであえたらの公演で3回も歌ってもらえて死ぬほど嬉しかったです。 カラオケに行ったら必ず歌うような、大大大好きな曲です。何より私は17歳トリオが大好きですので、本当に嬉しかった・・・ こちらの歌は指さすところが多々あるのですが、回数が多いので1回は自分の席のほうにむかってやってもらえたんじゃないでしょうか。
⑯my song ピアノのイントロで湧き上がる会場。 泣かずにはいられない大名曲ですね・・・ 優しく力強く歌う真ちゃん、優しく力強く歌う雪歩ちゃん。 二人ともこの曲に合わせて、聞いている人たちへ届けたい感情が全部伝わってくるような気がします。 現地で右のほぼ最前列だったのですが、真ちゃんがほぼ左の配置なので右に来てくれて。しかも歌っているタイミングで下に向かって手を振ってくれて目が合って本当に最高でした。 二人の声が重なって歌う時、雪歩ちゃんの声が控えめになるのですがmy songはハッキリと雪歩ちゃんの声が聞���える気がします。 それも二人が対等な関係で、歌いあっているのがわかって嬉しかったですね。最後のコーラスも気持ち良くていいです。 光の王と影の王が、もう会えないけど必ず幸せになってね。 そんな思いが曲に乗せて届きました。
⑰relations 2日目1回目からrelationsを歌ってくれました。 コールがあるのは2番だけなので、ちゃんと皆やってたのが流石だと思いました。 しょっぱなから悲しい物語が始まり、光の王と影の王。 二人のお互いへ対する愛への気持ちが痛いほど伝わる選曲でした。 雪歩ちゃんと真ちゃん。 勿論二人の歌も素敵でした、ずっと寂しそうにせつなく歌ってるんですよね。 悲しい気持ちがずっと伝わってきます、しっとりした感じで踊っているのも・・あと、最後の雪歩ちゃんのコーラスが聞けて感動しました。
⑱inferno ずっと雪歩ちゃんと真ちゃんの二人に歌ってほしかった最高の曲!! 非藍セトリが完全勝利した瞬間です(?) 光の王である雪歩ちゃんが歌っているのが千早ちゃんパートなのが良さを増やしていますよね。 「だけどどうして泣くの?」「生まれた感情」「私が守ってあげる」と歌うのが雪歩ちゃん (影の王)真ちゃんは 「愛じゃなくても愛してる」「病まれた現状」更に 瞳 貴方を見つめるためにある 耳 貴方と聞くためにある 唇 貴方を感じるためにある この手 貴方に触れるためにある 足 貴方に近付くためにある 心 私であるためにある と歌い切ります。影の王はこれだけ光の王を心の拠り所にしていたんだ、と思いますよね。 貴方が微笑むなら愛じゃなくても愛してるという二人の強い愛の力を感じる最強の曲でした 正直現地で聞いたときは衝撃が凄くて、二人の踊る姿を目に焼き付けるのに必死でした。
⑲迷走Mind 一挙一動がかっこよすぎる、間違いなく1番かっこいい!!! 時々せつなそうな表情をしながら歌ってくれるところが真ちゃんの可愛さがこぼれてますよね。 マイクをゆっくり下ろすところも、力強く腕をふったりして緩急がかなりついていて見ごたえがとんでもなかったです。 かっこよくてかわいいを両立した最強の1曲を披露してくれました。 またまた足を上にあげまくったキックをしてくれます、最後のポーズもビシッときまってときめいちゃいますね。
⑳静かな夜に願いを・・・ 雪歩ちゃんの伸びる高音が美しすぎて… 後ろ姿の寂しそうなところも、良いですね。 ふわり、と動いて表現していくのが消えてしまいそうな、儚い妖精のように見えて心を打たれました。 そんなところもあいまって冒頭にあった二人の美しい王たちのお話の世界に引きずり込まれていきました。 光の王から、影の王へ対しての愛の言葉だとしたら悲しすぎる。 「ほんの少しでいいから さようならの代わりに やさしくそっと撫でて」 これがキスして、抱いてらとかじゃなくて撫でて、なのがまたいじらしくて・・・触る事も叶わない二人だからこそか、せつなくなりますね。
㉑LOST edeNからのLOST 単純に楽園を失ってしまったということですね。 (つらすぎる・・・) イントロでLOSTが流れた瞬間、あっ・・・と泣いてしまいました。 非藍の日にだけ歌う曲は、全体的に向かい合う回数が少なかったです。お互いが背中を追って…見つめ合うのは、曲の途中でほんの少しだったな、それがまさか伏線でLOSTの「言えなかった」と繋がると思いませんでした。 このセトリを組んだ人は凄いです せつなすぎるこの歌を、優しく歌い上げる雪歩ちゃんがどこまででも綺麗でした。 現地でこれが聞けたのが本当に幸せで、雪歩ちゃんありがとう。
㉒tear 先ほど静かな夜に願いを・・・で言ったように、今度は 影の王から光の王に対してのアンサーな気がします。 どちらも初めての恋だったのが、運命的にもほどがあります。 真ちゃんがしぬほどかっこよくて現地で見とれていました。 影の王にとっては、光の王以外何もいらないぐらい本当に大切な存在だったのがよくわかります。 LOST視点だともう光の王は諦めているのに、影の王は最後まで諦め悪いというかずっと背中を追いかけているような気がします。2人で一緒に生きていく方法がどうにかないか、最後月に行く選択を提案したのも影の王です。
㉓little Match Girl LOSTからtearでこの曲が来てしまいました 光の王と影の王、鼓動が枯れて燃え尽きちゃった… 雪歩ちゃんと真ちゃんが歌ってくれてるのを見れるのはめっちゃくちゃ純粋に嬉しかったです。 包み込んでくれるような癒される声で、表情で歌う雪歩ちゃんと真ちゃんは美少女以外に形容することが出来ないです。 「あたたかくして」を真ちゃんが歌うのもサイッコーでしたね この二人でしか歌えないlittle Match Girlになっていました
㉔ALRIGHT* いえーーーーーーーーーーーーい!!! 雪歩ちゃんのオーライが始まって会場の熱気がMAXに。 いつものようにふわふわ可愛く踊るのではなく、全身を使って力強くALRIGHT*を歌い上げる、完璧なアイドルの姿に成長した雪歩ちゃん。そんなところを見て一番泣いたと言っている雪歩ちゃんPの方が何人も言っていたので気持ちがわかります。 ラスサビが本当に泣けるんです。 「懐かしく思う日が来ても、気持ち色あせないで。ずっとずっと忘れないで・・・」 はんげつの最終日に歌うなんてズルすぎます。 色んな思いがあふれて、ぶわーっとでちゃいますよ。 そんな時に、「大丈夫 はじめの一歩踏み出そう」と雪歩ちゃんが歌ってくれるものですから、こんなにも強くなった姿をみて嬉しくて嬉しくて。自分はこんなにも、雪歩ちゃんに支えられていたんだ。私も目をウルウルしながら聞いてました。 ルンルンしながらステージをはけていく雪歩ちゃんもまーたかわいい、ヤバかわです。
㉕キミ*チャンネル オーライのあとの待ちプリはハッピーエンドが約束されているような気がして。安心して楽しめました その次は、超絶ラブラブキュートな真ちゃんのキミチャン!! さっきまで超クールだった真ちゃんが、一気にキャラチェンジして歌ってくれます!!可愛すぎる!!観客のハートは全部真ちゃんのもの!!! 信じられないぐらい最初から最後まで可愛く甘々に歌ってくれる真ちゃん!!可愛すぎ!可愛すぎて呼吸するのを忘れて死にかけました!!! ライブで真ちゃんが可愛い曲を可愛く歌える程、Sランクアイドルになっている事実にただひたすら喜びがこみ上げてきます。 そうなんですかっこいいだけじゃなくて、かわいさも最強な超ド級のSSSSランクアイドルなんです!!菊地真ちゃんは!!! 他の真ちゃんPの方も、キミチャンが1番嬉しかった方が一定数いたはずです。 まこりんモードで歌えて心なしか、ライブで一番嬉しそうに歌って踊ってるように見えます。 ジャンプでめちゃくちゃ飛ぶ真ちゃん!!カワイイ!カワイイ以外喋れなくなっちゃうよ!!! 友人はtearが聞けて一番嬉しいと言ってました、勿論嬉しい気持ちに私も変わらないですが・・・カワイイ真ちゃんが大好きな私はキミチャンを歌ってくれたのが個人的ハッピーナンバーワンでした。乙女モードの少女菊地真よりかわいいアイドルなんていません(暴論)それぐらい真ちゃんの可愛さが全部詰まってました!!ダンスは元気いっぱいですが、いつもより女の子らしくて・・・とにかく生きててよかったとしか言えない
㉖i かわいいかわいい真ちゃんと大天使雪歩ちゃん二人のi。 この曲をふわふわ踊ってる雪歩ちゃんの背中に羽が生えているように見えます 真ちゃんが内またでステップを踏んでいてとっても女の子らしくて素敵ですよね。 二人でポーズをとるところも可愛すぎて心臓が止まりそうでした 歌声ももちろんかわいいのですがニッコニコで歌う雪歩ちゃんが可愛すぎて、ストリーミングを一緒に他のPと同時視聴中の時にかわいいいいいいいいい!って声に出てしまいました。不審者・・・雪歩ちゃんが可愛すぎるせいだから仕方ないよね Cメロソロ雪歩ちゃんバージョンが聞けて幸せ・・・脳みそが溶けてしまいます。
㉗チアリングレター おもいでのはじまりの次にくるチアリングレター こちらは物語だと、影の王から光の王へのお手紙を綴っているようにも思える曲でしたね。 素敵なレディになっている真ちゃんがこの曲を歌うと、ジーンとくるものがあります。 アケ時代からアイマスを遊んでいると、より一層この曲の深みが増すのではないでしょうか。 誰よりもかわいい女の子にあこがれる真ちゃん、いつかみんなから可愛いと言って貰える素敵なレディ(女性)になりたい。 そんな思いのために、一生懸命アイドルとして頑張ってきた努力。それが全て培ってきて・・・今このステージに、彼女が立っているわけです。 雪歩ちゃんも勿論プロデュースしたことはあるのですが、圧倒的に真ちゃんをプロデュースした回数の方が多いので、プロデューサー的な立ち位置の視点から見てしまいますね。 アニマスでも、白いワンピースを着ているこのEDで感動しました。はんげつであえたらでも、大人の女性のようにかわいく美しい衣装を着て、この歌を歌いあげてくれました。真ちゃんこそ、かっこよく綺麗で、可愛いんです。 歌い方や踊り方は、どこか少し大人っぽくて元気をわけてもらえました。 普段より動きがやわらかいダンスなのかもしれないですね、そこも完璧に踊りきっているのが流石真ちゃん。ダンスがうまい!!! ���詞がよすぎるのもあるのですが、メロディも完璧に非の打ち所がない名曲だと思います。
㉘kosmos,Cosmos 雪歩ちゃんが一人で登場して歌い始めてくれます。 美しく綺麗に伸びる雪歩ちゃんの声から宇宙的神秘な魅力を感じます(自分でも何言ってるかわからない) コーラスに真ちゃんの声がいるので、後から来てくれるのがわかってうれしい! しばらくは一人でふんわり、おしとやかに、はなやかに、歌い上げていく雪歩ちゃんはまさに大和撫子。最高でしゅ! 2番目から真ちゃんが登場。 雪歩ちゃんの歌う雰囲気とは全く違うコスモス、かっこよくてまるで光の王の手を取りに来た影の王みたいですね。 コスモスの曲の途中、バーン!という音がします。 もしかしたら影の王が戦で戦っている、もしくは勝った勝利のカットインなのでしょうか?まったくわかりませんが、その可能性もあるのかなあ?とか思ったり・・・ もしくは、影の王が光の王に会いに来て、ついに光の王のいる国へ到着した効果音なのかもしれません。
㉗VOY@GER コスモスからのVOY@GER。Halftoneに続いて令和曲2個目ですね 影の王はやっぱり、宇宙へ旅立った!!ゆきまこ大宇宙!! 宇宙を超えて、愛する人の元へ会いに行く。 そうして二人は永遠に一緒に、結ばれる・・・これ以上ない幸せな終わり方!!天才!! 雪歩ちゃんのVOY@GER生きてるうちに聞けるなんて・・・音源販売してくださいお願いします!!!!!!!! 現地でもかっこよかったですが、配信でも演出が死ぬほどかっこいいですね!!! やっぱり雪歩ちゃんにサイバーソングが一番合う!! もうあのメンツに雪歩ちゃんが選ばれなかった意味がわからないぐらい曲調に声が、すべてがマッチしています。 もちろん春香さんと四条さんの二人が歌うのも最高なんですけど、私は雪歩ちゃんの歌うサイバーPOPソングが本当に好きなんです・・・ 二人で歌うパートも最高で。ソロで歌うところも堪能。 しかもついに極めつけはラップ雪歩ちゃん!!!!!!!! キレッキレに踊る二人がしぬほどかっこいいなかラップが始まる、雪歩ちゃんのラップ全部きかせて・・・・ 「何億光年だって、キミとなら行けるきっと」これを二人で声をかけあって歌うのがとんでもないですよ。 「キミを連れていく光」こちらも光の王と影の王の物語に関係があるのかもしれません。果てしない希望へと二人の王が進んでいく、約束されたハッピーエンドを早くみたいと思わせる最高の歌でした。 二人で歌ってくれて本当にありがとうございます。
㉘まっすぐ 最後に歌う曲はやっぱりまっすぐなのかな・・・と思ってたらやっぱり来ました。 エンディングでまっすぐがあってANDYOU..って某動画サイトの黄金時代を思い出しますね。 可愛くしようだとか、そういうのは無く二人とも自分らしく歌っている気がします。かっこよさや可愛さに振りきらず、お互いが向かい合って歌う。笑顔が眩しいです。 サビが来て、感動しました。最初から最後まで思い出ボム発動。ダーンした! 横ステップするだけでこんなに差が出る!?ってぐらい対極な二人、どちらも全く違ってそれぞれ最高なんです。 腕をあげるときに足も一緒にあげちゃう雪歩ちゃん、かわいいね。 2階席や下の方まで向かって深く、なんども手を振ってくれる優しい真ちゃん。嬉しいですよね。 拳をピーンとまっすぐつきあげるところも真ちゃんらしさが出てて素敵です。 この歌は二人が、ただ聞いている方へまっすぐ自分自身の感謝の気持ちを届けようとしてくれてるのではないかとおもいました。歌声が、可愛くしようとかかっこよくしようとかそういうのがなくて、ただ自分らしく歌ってくれたと思います。 最後のポーズ、真ちゃんはかっこよくサッと決めてるのですが、両手を上にあげてかわ���くあずとい雪歩ちゃんもたまりませんでした。
トークの感想 <DAY1-友藍-> ①MCで最初に雪歩ちゃんが登場して、挨拶をしてくれました。 真ちゃんを呼ぶのですが、てんぱって間違えてしまうところもかわいくて。二人が本当にここにいる!!というのを何度も実感できました。
②二人の可愛い衣装をぐるっと見せてくれます。 真ちゃんが回転するとクルッ!とふわふわのスカート丈が思いっきり上に勢いよく飛びます。 雪歩ちゃんが回転すると、とてとてっと小動物のようによたよた回ってふわふわがちょんっと浮いているだけ。 回り方1つで全然違うところも、また二人の良さが出てて釘付けになりました。そのあとは、群馬の挨拶の話。 起立、注目、礼のところです、「怒っちゃうぞ~~~~」「ぞ~~~」のところの二人が可愛すぎで大好きです。 「じーーーーーーーーーー」と二人に見られて幸せでした。
③真ちゃんが雪歩ちゃんのFirst Stepを褒めるところから始まります、それに対して雪歩ちゃんは真ちゃんと二人の時の方が安心する。同じ気持ちだよ、と二人でイチャイチャしはじめます。 9:02pmについて語りだす二人、夜の9時にお勉強したり映画を見てる雪歩ちゃん。かわいい・・・!えらい!かしこいなぁ。 ホラー映画が駄目な二人がとってもかわいいです。 真ちゃんは夜の9時に筋トレ((笑))して少女漫画を読んでるのは簡単に想像できますね。 乙女モード発動の真ちゃんもかわいい、雪歩ちゃんが言うように夜の9時になるたびに9:02pmを思い出したいですね。
④新曲について語り合う雪歩ちゃんと真ちゃん。 あまり二人にイメージがつかないような挑戦された楽曲、収録する時にお互いを応援しあって心強かったと言いあうところも仲が良いのがわかって満面の笑み。
⑤アンコール前は挨拶して、二人でぺっこりお辞儀かわいい!!アンコール後は、アンコールの感謝とみんなの声援と笑顔に対して感謝の言葉を届けてくれる雪歩ちゃんと真ちゃん! 影の王のように、皆の幸せをこころから願ってくれると言ってたのも嬉しかったです。
⑥アンコールの後は、現地と配信のお客様にバイバイ!ありがと~!と言ってくれて終了! これ以上ない満足度、明日は2回もあるなんてどうなっちゃうんだ~~!!??と私は思ってました。
<DAY2-悲藍-> ①2日目は真ちゃんが一人で登場してMCをはじめてくれます。 現地ではステージの構造上、本当に真がそこに存在してくれてるみたいでめちゃくちゃワクワクしました。 は~~~い♡と言って登場してくれるニコニコ雪歩ちゃん、ちょこちょこ歩く歩幅が小さいところもめちゃくちゃ可愛いです。天使。 最初の物語について二人が語りだします、歌詞や曲に注目してくださいね~と雪歩ちゃんが言ってくれました。 真ちゃんの迷走Mindを褒める雪歩ちゃん、観客に呼び掛けてくれる優しい真ちゃん。元気いっぱいなMCでこっちまで元気をもらえます。腕をふるときにゆらゆら横揺れする雪歩ちゃんが大好き。
②お昼ごはんのトークをする真ちゃん、焼きまんじゅういっぱい食べすぎちゃって可愛いですね♪口の周りにお味噌がついちゃった真ちゃんの話をニコニコする雪歩ちゃんも可愛かったです! 雪歩ちゃんの淹れてくれたお茶があったらきっと、何個でも食べれちゃうでしょうね♪ 765プロのみんなへのお土産を考える真ちゃん優しい!! やっぱりASはみんな大の仲良しなんだな~って思えて笑みをこぼしながらトークを見てました。
③お互いを褒め合って喧嘩するイチャイチャパート!! レッスン中も何回もこんなやりとりをしてたって…あぁ^~ 何回も名前を呼び合う二人がとてもほほえましいです。
④tearをほめる雪歩ちゃん。 真ちゃんに緊張しないように必死にイメトレを教えてもらおうとする雪歩ちゃん、二人ともかわいい・・! 鏡の前に立って、ファンの皆を思い浮かべてきくちまことでーす♡と停止雪歩ちゃんがもうかわかわでした。
⑤近づいて向かい合って笑顔な雪歩ちゃんと真ちゃんが可愛すぎました。これを見るために来た(?)
⑥アンコール後紙芝居のあと、ふたりで最後に挨拶をしにきてくれました!お話からの温度差でびっくりしちゃいますが、とってもかわいい二人が出て来てくれたおかげか悲しい気持ちが少しスッと消えていきました。 気を付けてかえってね~と小走りする雪歩ちゃんかわいい。 まったねー!と元気いっぱいにステージからはけていく真ちゃんも可愛い。
<DAY3-純藍-> ①はじまりのあいさつをしてくれる雪歩ちゃんと真ちゃん。 真ちゃんのお話し中に両手をつかって・・・ひらひらしている雪歩ちゃんの動きがかわいすぎですよね♪ 最後の公演ということもあり、少ししんみりトークから始まります。純藍にたいして響きだけでときめいちゃう乙女真ちゃんがキュート!! 更に、真ちゃーん!!という声援を言わせてくれてありがとう!!大きな声で真ちゃんの名前を叫べてすごく嬉しかったです!!続いて雪歩ちゃんの名前も叫びました。 はーい♡とお返事してくれる雪歩ちゃんが大天使でした、そうしたコール&レスポンスもありラスト公演だから寂しい・・・という気持ちを吹き飛ばしてくれました。 現地で大きな声を出して、全力を出して声をあげてました!雪歩ちゃんが「次の歌で雪歩って呼んでくれたら嬉しいです」といって次に流れる曲が確定演出で入りました。そのまま雪歩ちゃんの曲へ・・・
②お互いの曲を褒め合う二人定期! 女の子パワーがあふれ出る真ちゃんから、紅組白組の話が出ます。 私はここで完全に紅白応援Vがはじまるのかと思いました ちなみに私の席は菊地団でした♪ 全員でオー!!とするのすっごく楽しかったです!!
③真ちゃんがチアリングレターを歌い、雪歩ちゃんが満を持して登場!雪歩ちゃんがライブのために真ちゃんにお手紙を書いてきてくれた雪歩ちゃんが、お手紙を読んでくれます。 普段から日記を書いて感謝の思いを忘れないようにしてる雪歩ちゃん、光の王と同じように健気でとってもかわいいですよね。 手紙にドキドキしてる真ちゃんも超かわいい。 手紙の内容はネタバレになっちゃうので伏せますが、涙なしでは語れないですよ。 読んだあと、手紙をなおしに戻りに行く雪歩ちゃんがとってもかわいくてふふってなりました。
④コスモスの歌を褒める真ちゃん、Halftoneについて語りだす二人。曲を宝物だという雪歩ちゃんの詩的な表現が、彼女らしさを表していてかわいいですね。 そしてあいさつでしめたあと、未来に向かって輝きの先まで。二人は歌い出します
⑤視聴者のみんなにライブ最後の別れの挨拶を届けてくれる二人。 いままでより少しだけ挨拶が長くて得した気分になりました。 はけていくまでずっと笑顔な二人が、二人らしいところが言葉に出来ない程最高でした。
<エンドロールの失敗映像集> とってもかわいすぎる。 二人のイチャイチャがずっとみれてニッコニコでした、永遠に見てたい! 個人的なお気に入りは、二人がハートを作っているのがいちばんよかったですね。会場もゆきまこラブラブハートに湧き上がってました、最初から最後までニッコニコな雪歩ちゃんが幸せそうで嬉しすぎました。 振りつけを真ちゃんに教えてもらってる雪歩ちゃん可愛かったです。 タイミングがわかんなくなってイチャイチャして笑いあっててかわいすぎました。 真ちゃんにハートを投げて、打ち抜かれてる真ちゃん。それをみてピースしてる雪歩ちゃん美少女すぎるショット、移動の所で遊んでるのも可愛すぎでした。謎ポーズですら無限にかわいい。 ぴょんぴょん跳ねて移動する雪歩ちゃんが可愛すぎました。天使って本当に居たんだ。
そうすると幻想的で、寂しく儚いピアノのエンドロールクレジットが流れてきます。 巻き込んでくれてありがとう。ころとんもありがとう。
はんげつであえたら 感想のまとめ
色々言いましたが、光の王と影の王が再開できて本当に良かったです。 物語が二人のライブの完成度を高めた味付けをしてくれて、1度のライブで2度楽しめている気分で・・・。 何より可愛い雪歩ちゃんと真ちゃんの二人が見れて幸せな2日間でした。
はんげつであえたらが終わってしまって本当に寂しいですが、とてもいい思い出になりました。 現地へ行けて本当によかったです!! どーしても語りたい所だけ絵にしてまた後で乗せると思います。 長々と語ってしまいましたが、私は雪歩ちゃんと真ちゃんが大好きです!!!! ここまで見てくださりありがとうございました!! <感想会キャスで話したものを文章にざっくりしました。短時間でやったので誤字脱字チェックしてません、ご了承ください。> https://twitcasting.tv/mi3li/communityshow/24985085
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sen-no-kotowari · 1 year
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Lucia Character Image Song “Kiseki no Umi” Lyrics Translation
A pleasant surprise for all of us is the character image song for Lucia as the winner of KR server’s Eden Fest released in the KR server’s official YT channel  a week ago (≧▽≦) As you’ve guessed it, this is impromptu as I was also surprised about it while scrolling randomly on YT. The amazing team behind this image song is the same team who also did Luna’s character image song for the JP Eden Fest (*´ω`*)
Lyrics translation is under the cut below
Song Title: 軌跡の海 (Sea of Traces) Sung by: Lucia (CV: Ishikawa Yui) Composition & Arrangement: Starving Trancer Lyrics: Marcia (Yuuhei Satellite)
空へ向かう羽がそっと舞い散るように こぼれ落ちた記憶 言えぬ傷を抱えて
Sora he mukau hane ga sotto maichiru you ni Kobore ochita kioku   Ienu kizu wo kakaete
As these plumes gently flutter down the blue skies like snow falling to the ground, Memories slipping through my hands, bearing with wounds I cannot simply say
知らぬ世界の中で手繰り寄せった欠片を なぞった指はあなたへ向かう
Shiranu sekai no naka de taguriyosetta kakera wo Nazotta yubi ha anata he mukau
Fragmented memories pull each other inside this world unfamiliar to me Tracing with the tip of my fingers and it led to you
触れた掌で騒めいた意識の海 高鳴った鼓動が蘇る 壊れるような熱い感覚
Fureta te no hira de zawameita ishiki no umi Takanatta kodou ga yomigaeru Kowareru you na atsui kankaku
The sea of my soul murmurs as I feel it in the palm of my hands The beat of my heart has brought back to life once more A gentle and warm, yet fragile feeling inside
雲に隠す月がなぜか心を揺らす 光無き闇夜はどうか導いて欲しい
Kumo ni kakusu tsuki ga naze ka kokoro wo yurasu Hikari naki yamiyo ha douka michibiite hoshii
The full moon hiding behind the clouds strangely makes my heart waver back and forth Please guide me as I walk this path on this dark, moonless night with you
崩れてゆく世界で見つけ出した願いは 約束の果て  終わらぬ旅へ
Kuzurete yuku sekai de mitsukedashita negai ha Yakusoku no hate   Owaranu tabi he
The wish I have gained along the way in this sad and broken world we're in marks the end of a promise—our journey never ends
たとえい��の日か姿さえ変えようとも 何度でも選び続けるでしょう あなたの隣 この先ずっと
Tatoe itsu no hi ka sugata sae kaeyou to mo Nando demo erabi tsuzukeru deshou Anata no tonari  Kono saki zutto
If there would ever come a day that even how I look outside will change, I would keep on making the same choice, no matter what I will constantly be alongside you from now on
あなたと生きたい 私が守り抜きたい 心から欲しかった全てが 今ここにあるから
Anata to ikitai Watashi ga mamori nukitai Kokoro kara hoshikatta subete ga Ima koko ni aru kara
I want to live my life with you I will protect you until the bitter end All of the things I wished for from the bottom of my heart are now all here within my reach
これからも傍にいたい いつまでも触れていたい たとえ そう 記憶が消えたって 深い想いは意識の海へ
Kore kara mo soba ni itai Itsumade mo  fureteitai Tatoe  sou  kioku ga kietatte Fukai omoi ha ishiki no umi he
From here on out, I'll stay by your side I want to always feel the warmth of your hands Even if it meant my precious memories would fade All my sincerest feelings shine in the sea of my soul
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hijirisha · 9 months
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12月に入ってからというもの、晴れた日は数えるほどで、曇天の下を日本海から渡ってくる冷たい風が白波を立てては陸に上がり木々と家々の間を吹き抜け、あるいは雷鳴轟く長雨が昼夜問わず降り続き、凍えるような寒さに思わず身を縮めるような日々が続いています。庄内平野を見渡せば、雪化粧した奥山からところどころ冠雪した里山までそれぞれの山肌に暖冬を感じ、海沿いに至れば雲の切れ間から日の射す海に波乗りの姿を見かけることも。この冬は、雨風は冷たくとも、降雪は少ないのでしょうか。
気候の変化によって外仕事が難しくなると、屋内に籠ってのものづくりがはじまります。師走まで手を動かすのが注連縄で、庄内平野のほぼ真ん中の集落にお住いする藁細工の名人に十余年前に出会い、教えを乞うて以来、つくりつづけてきたものです。
最初にこの注連縄をみるや、三つの米俵を象った特徴あるその造形の、端正で力強く、ほれぼれするような美しさに息を飲みました。しばらくしてその美しさは、一つの制作に二日を要するという時間によってなりたっていることを知りました。その労たるや、作り手が少なくなってゆくのを語って余りあります。
過日その方の御宅へお邪魔したとき、かつては午前二時に起きて注連縄をつくったものだと笑いながら仰った一言がいまも耳に残っています。
「もう、やんだくなった」。
彼ほど、手を動かすことの喜びや楽しさを知悉した方を他に知りません。だからこそ、その言葉は時をとめるような重さがありました。
初秋から年末まで、刻々と寒さの厳しくなる時期、数百もの注連縄をつくる過重労働は、これまでも彼の身体をすり減らしてきましたが、継続する気持ちをも削いでしまうのでしょう。もちろん九〇歳に手の届く年齢もまた、その大きな要因であったとしても。
この美しい手仕事はいつしか雪のように消えてしまってもおかしくありません。
自分などがそれをつくれるようになるとは思ってもみませんでしたが、それでも試行錯誤を繰り返し続けてきました。それもまた、雪のように消えていくのかもしれません。
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