#現代
Explore tagged Tumblr posts
Text
「搾取による富の偏在化」 が、現代の最大の問題。 親子・中小企業から習近平・トランプ・マスク・ロスチャイルドまで同じことができている。 驚くべきことに、それを正当化し問題視しない(目をそらす)社会通念が実現されている。大衆操作すげえ。
#搾取#偏在#富#現代#最大#問題#大衆操作#社会統制#プロパガンダ#広告#ゲッペルス#権力#心理#感性#通念#常識#美意識#統治#分断統治#21世紀#バカ#アホ#低能#デマ#バカは死ぬまでバカ#王政#天皇制#アメリカンドリーム#権威主義#ヒロイズム
14 notes
·
View notes
Text

景儀😒:你數學公式都背完了嗎?
金凌驕傲地說😤:哼!小爺才不需要背什麼破公式!
景儀😏:那好(撲上去
然後隔天作弊被含光君抓到,通通倒立罰抄.
思追😒用沒救的眼神看著景儀,然後幫忙金凌寫罰寫
幫忙罰完之後 金陵需要肉償😫 (大家的集體小作文)
#魔道祖師 #藍景儀 #金凌 #現代 #黑道 #MDZS
25 notes
·
View notes
Text
今回の紹介はコレ
刑事コロンボ第一話
『殺人処方箋』
PRES
CRIPTION
MURDER
1971年公開の
ボサボサ頭ではないとにかく
若っかーいコロンボのお話

今時代では定番の展開だけど
半世紀前から変わらない男女のもつれと、便利になりすぎた今ではちょっと味わえないドキドキが伝わる展開に何度でも観れてしまうドラマ
何より、冒頭から30分経たないとコロンボは登場しない!
0 notes
Text
阿僧祇那由多のツッコミどころ 四
あの世についてのツッコミどころ・前編
「あの世にはツッコミどころがあるわ! 死後信仰によ!」
ナユちゃんの持病の発作が始まった。僕は本を閉じ、耳を傾ける。という事を動作で表してなお、言葉にして発しもする。
「さぁて、今日はどんなお話かなぁ?」 「ちょっと怖いお話よ!」
今日はその古めかしい喋り方が揺らぐ事はなさそうだ。───何故だかそう感じられる───凄みの様なものが、今日のナユちゃんにはあった。
「怖いお話? 割といつもじゃない?」 「そうかしら? いつもは割と、楽しいお話じゃない?」
認識の齟齬《そご》というのは良くある話であって、然して気にするべきものでもない。それが今の僕の見解だ。故に、そういう事にしておくのだった。
それにさ。そもそも僕は、ナユちゃんと話すのなら、いつだって楽しいんだよ。それは大前提なんだよね。まぁいいか。こんなの合間にも数ミリ秒が過ぎていく。まずナユちゃんに答えなきゃね。いや、応えなきゃ、かな。
なんて、脳内で漢字の取捨選択し悩んでる暇《いとま》はない。『そもそもそんなことはどうでもいい』んだから。
「それもそうかもね。ということは、今日のお話は、楽しくはないのかな?」 「楽しめると思うわ。楽しくて、怖い話よ。怖い話とは概してそういうものでしょう?」
確かに。言われてみればそうだ。怖い話が嫌いな人ならともかく。そして怖い話が好きな人なら尚更。『怖い話を聞く事は楽しい』。だから、『怖い』と『楽しい』は『現に両立し得るもの』なのか。これは盲点だった。さすがナユちゃん。
ナユちゃんと居るとこういう、『いつの間にか思い込んでいたこと』、に良く気付かされる。『それこそがナユちゃんの本懐であり本領なのかもしれない』。とは、最近僕が勝手に心で呟いている常套句である。
「それで、いったいどういう話なのかな?」 「ふふん。ミライのそうやって聞いてくれるところ、わたしは好きよ」
なんか褒められた。そりゃ僕とナユちゃんの相性は全人類はおろか全生物の中でも屈指のものであるからして、然もありなん。
「そうね……まずは、老衰死した老人を考えてみて?」 「老衰死した老人、ですかぁ」 「ええ、老衰死した、老人よ」
どうやら老衰死していない老人やらはアウトオブ眼中のようだ。飽くまでフォーカスは老衰死という属性の死を経た老人にある様子。若者などもっての他である。話の腰的にはけしからん。折るな折るな、腰を折るな、口を挟んでいなくとも。……なんかこれは、童歌《わらべうた》みたいだな。と思いました。まる。
「……いい?」 「ああ、ごめん。一寸《ちょっと》持病《じびょう》の癪《しゃく》がね」 「お腹痛いの?」 「ん? ああいやぁ……そういう訳じゃあ、ないんだけれどね」 「なるほど。今日はそういうキャラなのね」
これはナユちゃんにほぼ毎日言われていることだけれど、イマイチピンとこないというか、『申し訳ないけど言ってる事がちょっとわからないです』、という心持ちになる台詞だ。それこそ、よくわからん常套句である。
「いいよ、続けて?」 「ん。続けます」
僕はナユちゃんの話の腰を治療する。まぁ僕自身は、心で色々思ってるだけで、一切ナユちゃんの話を遮っていないのだけれど。ただ心の中でこうやって、色々思ってしまうだけで。それが表の態度に僅かばかり漏れ出して、ナユちゃんの目に留まるだけなのだけれど。
今だってほら。また新たなトピックについて心は躍起になっている。『|〜《なになに》だけれど』っていう言い回しで思考するのは、小気味が良いな。とか。だけど連発するとくどいな。とか。まぁどうでもいいんのだけれど。けれど。けど。ケドケド。
「……老人が老衰で亡くなったとするわよ?」 「ああうん、聞いてるよ? 死んだね、老人。老衰で」
咄嗟のことに変な言い回しをしてしまった。ナユちゃんがなんとも言えない顔をしているけれど、その表情もまた可愛いのでオッケーです。ナユちゃんはどんな表情も似合うね、というか、ナユちゃんのするどんな表情も、クッソ可愛いッスネとフランクな気持ちになるというか。
わかるかな、この気持ち。……誰に言ってるんだろう。
「オホンッ」
ナユちゃんが|記号化されたようなベタなアクション《せきばらい》で僕を現実に連れ戻してくれる。ほんっと、僕ってば、ナユちゃんが居ないと生きてけないんだよね。ありがとうね、ナユちゃん。
「今日はそういう装備なのね」 「ふぇ? そっ装備?」 「なんでもないわ。つづけます」 「ア、ハイ」
ナユちゃんがよくわからない事を言う。まぁいつも���よくわからないことを言うのだけれど。
……もしこれが小説だったら、それで僕のこういう思考がモノローグなのだとしたら、先ほど僕が僕の『だけれども』という言い回しに言及してしまったが為に、読者の方々は集中出来なくなっていそうだけれど、それは僕には関係のない事だし、そもそもこれはモノローグでも小説でもない現実の僕の思考でしかないので、こんな事を考える事自体が無駄だ。
じゃあなんで考えたんだよ僕。 自分がわからない。
「エットネ?」 「聞いてますよ姫」
ナユちゃんのこの顔よ。もしこれが文字媒体の小説なのだとすれば、読者諸氏に見せてあげたいくらいなので、ラノベだったら挿絵を入れてもらうように編集者に作者が掛け合う所だろうし、ネット小説だったらその内作者が絵を描いて投稿してくれるのであろう。まぁ作者が絵を描ければの場合に限るが。
けれどもナユちゃんよ。ほんたうに、今日は自分でも自分の様子がおかしいのを感じているよ。
「……それでその老人が亡くなって仮に直ぐ天国に行くとするじゃない?」
どうやらナユちゃんは僕のおかしな様子を気にするのはもうやめるらしかった。いいぞ、そうでないと話が進まないからな。これがもしネット小説だったら読者の方に『いいからグダグダうだうだ言ってねえで話を進めろよ』とお叱りを抱かれてしまう所であろう。
まぁネット小説だとしても読者なんて現れてくれるかわからないのだけれども。 そして何度も言うが、これはネット小説ではなくて現実であり、モノローグではなく僕の思考そのものでしかないのだけれども。だけれども。だけれども。
なんかこう書くと、エコーみたいでかわいいな。……かわいくない?
「其のとき、天国で過ごすその老人は、一番最後、亡くなった時の老人の姿なのかしらね? それともその人の若い時の姿になるのかしら?」 「そりゃあ……どうなんだろうね? 確かにね」
ナユちゃんの話、僕はちゃんと聞いていた。読者の方や作者の方は、僕のあまりの不思議思考回路の供述の連続で、なんというかこう、『断片化』してしまったその話を、つなげる事が難しい様に予想される。
ですが、繰り返しになりますが、これは決して小説ではございませんので。その様な事を心配致しますは、『空が落ちてくるのではないか』、と心配するのも同然であると言わざるを得ますまいと存じますですハイ。
なんだこれ。なんか今日はどうも、一段と、変だな。僕。わかる。自分で。なんてね。全部わざとやってるんだけどね。だって、ナユちゃんが「もし若い時の姿になるのだとしたら、一体若い時のいつの自分になるのかしらね?」
彼女が僕の思考を遮る様に言葉を紡ぐ。
「さぁ、どうなんだろうね。それはちょっと、なってみないと、わからないなぁ」 「そうね。でも考えてみることは出来るわ。思《おも》い議《はか》る事は不可能ではないの」 「そうだね。それももっともだ。じゃあこうしよう。『若い時になる』んじゃないかな?」 「ざっくりと概念的に���若い時なのかしら? それとも全盛期? ではそれを誰が決めるのかしらね? 神様? 神様に其の仕事を割り振られたまた別の上位存在?」
そう一度に多くの疑問符を投げかけられましても、当方と致しましては返答に窮してしまう次第で御座いますデスハイィ…。
「でも本人が年老いた自分を気に入っていたら? なかなか日本にいると実感しづらいけれど、年齢を重ねることを悪い事と捉える向きだけがある訳ではないわ。加齢とともに深みが増すと考える人だっているの。私もその考えには一部賛同しているわ」
ナユちゃんは止まらない。こうなったら僕はもう、聞き専に回る。最初から大方、そうなのだけれど。
あと僕はナユちゃんのこういう所も好きなので、誤解なきように。だから、誰に言ってるんだ。
「本人が望む姿に任意になれるのが天国なのかしら? でも仮にもしそうだとしても、まだ問題は残っているわ」 「問題?」
僕は相槌の様な疑問を吐く。
「ええ。生まれて間も無くとか、子供の頃に亡くなってしまった子供を考えてみて? 亡くなってその子が天国に行ったとする。其の時、その子はもうそれ以上、成長する事は出来ないのかしら?」
はぁ。ナユちゃんは相変わらず小難しいことを考えるなぁ。普段の僕なら面白い面白いと舌を巻いて楽しむところであるのだろうに、今日はなんだか、食指が伸びないというか、イマイチ上の空である。ナンデダロウナ。
一寸深呼吸して、落ち着いてみよう。もちろん、心の中で、そうするだけだ。
0 notes
Text

Agregado. PLUS09386!
PLUS09386.
Y+-DESIGN.
2025.
#plus09386#artists on tumblr#yuriplus#y+-design#御殿場#アート#フォントアート#青色#デザイン#2025#agregado#集合体#現代#芸術#静岡#mute#blue#restoration
0 notes
Text


スギ(ソラ カラ ミタ) インク、紙 2023
Cedar “As seen from the Sky” ink, paper 2023
1 note
·
View note
Text

Arrow Poem
#詩#現代詩#poem#poetry#文学#japanese#visual poetry#実験詩#視覚詩#concrete poetry#typography#visual poem#poésie visuelle#poesia visiva#vispo#text#text art#textmode#concrete poem#poesía concreta#art#artists on tumblr#typo art#poets on tumblr#タイポグラフィ#具体詩#コンクリート・ポエトリー#typographic art#design#design ideas
18K notes
·
View notes
Text
《ツキノワ》2018年(参考図版)

Tomoko Konoike, Moon Bear, Hunter Gatherer Tableau (2018). Plywood, water-based stain, carving, 900 x 900.
11K notes
·
View notes
Text
教会旋法が使われた現代音楽

教会旋法は、中世キリスト教音楽の基盤となった、古代ギリシャの音楽理論をルーツとする音階体系です。厳格な規則に基づいたモード(旋法)は、その後の西洋音楽に多大な影響を与えました。しかし、現代音楽において、教会旋法はどのように再解釈され、新たな表現の可能性を開いたのでしょうか。本稿では、教会旋法が現代音楽に与えた影響を、具体的な作曲家や作品を例に挙げながら、2000字で探求します。
現代音楽における教会旋法の再発見
20世紀初頭、西洋音楽は従来の調性体系から離れ、様々な実験的な音楽が生まれました。その中で、一部の作曲家は、失われたと考えられていた教会旋法に再び注目し始めました。教会旋法が持つ独特の響きや、その歴史的な重みは、現代音楽に新たな可能性をもたらすと考えられたのです。
オリジナリティの追求
現代音楽の作曲家たちは、教会旋法を単に模倣するのではなく、独自の視点から解釈し、作品の中に取り込みました。例えば、ある作曲家は、教会旋法のスケールを一部変形させたり、複数のモードを組み合わせたりすることで、従来の調性とは異なる、独特の響きを生み出しました。また、リズムやテクスチャーとの組み合わせ方によって、教会旋法の持つ神秘的な雰囲気を強調したり、逆に現代的な感覚を取り入れたりすることもあります。
歴史との対話
教会旋法は、西洋音楽の歴史の中で最も古い音階体系の一つです。現代音楽の作曲家たちは、教会旋法を用いることで、歴史との対話を試みました。過去の音楽とのつながりを意識しながら、同時に現代的な表現技法を取り入れることで、伝統と革新が融合した作品を生み出しています。
代表的な作曲家と作品
アルヴォ・ペルト: ペルトは、20世紀後半に活躍したエストニアの作曲家です。彼の作品は、聖歌やグレゴリオ聖歌の影響を強く受けており、教会旋法が頻繁に使用されています。特に、スローテンポで静謐な雰囲気の作品は、聴く者の心に深く響きます。
オリヴィエ・メシアン: フランスの作曲家メシアンは、鳥のさえずりや自然の音を音楽に取り入れることで知られています。彼の作品には、教会旋法が独特なリズムや和声と組み合わされ、神秘的で東洋的な響きを生み出しています。
リゲティ・ジェルジュ: ハンガリーの作曲家リゲティは、ミクロポリフォニーと呼ばれる独自の作曲技法を用いて、複雑で多層的な音楽を作り出しました。彼の作品には、教会旋法が、その複雑な構造の中で重要な役割を果たしています。
現代音楽における教会旋法の意義
現代音楽における教会旋法の意義は、多岐にわたります。
音色の多様化: 教会旋法は、従来の調性とは異なる、独特の響きを持っています。これにより、現代音楽は、より豊かな音色の世界を手に入れました。
歴史とのつながり: 教会旋法を用いることで、現代音楽は、西洋音楽の歴史とのつながりを意識し、伝統と革新を融合させることができます。
新たな表現の可能性: 教会旋法は、現代音楽の作曲家たちに、新たな表現の可能性を開きました。教会旋法を基盤に、様々な実験的な音楽が生まれ続けています。
今後の展望
教会旋法は、今後も現代音楽において重要な要素であり続けるでしょう。特に、AIやコンピューター音楽の発展に伴い、教会旋法が新たな形で再解釈される可能性も考えられます。教会旋法は、歴史と未来を繋ぐ、普遍的な音楽言語として、今後もその魅力を放ち続けることでしょう。
まとめ
教会旋法は、現代音楽において、その歴史的な重みと独特の響きから、重要な役割を果たしています。作曲家たちは、教会旋法を独自の視点から解釈し、現代音楽に新たな可能性をもたらしました。教会旋法は、もはや過去の音楽ではなく、現代音楽においても活発に用いられている、普遍的な音楽言語の一つと言えるでしょう。
些細な日常
サティの三つのジムノペディで良い演奏が見付かった
0 notes
Text

Skeb依頼で制作したイラストです
4 notes
·
View notes
Text
🌍 いま、世界ではなにが起きているの? フランスの経済学者トマ・ピケティは、こう言っています:
「富は、一部の人のもとにどんどん集中してしまう“構造”がある。放っておけば、格差はますます広がる。」
つまり、いまの世界では、富や権力が一部のエリートや企業に偏在(集中)していて、 多くの人ががんばっても報われにくくなっている。
たとえば:
世界のトップ1%が、世界の半分以上の富を持っている。
労働者は「働かされる」立場から抜け出せず、「選んでいるつもりで、選ばされている」。
教育も、親の所得や地域によってチャンスが不平等。
こうした不平等の構造が、私たちの生活の土台���組み込まれているんです。
🧩「分割統治」って何? 「分割統治(Divide and rule)」とは、 人々を小さく分けてバラバラにしておけば、支配する側は安心してコントロールできるというやり方です。
社員同士を競争させれば、会社に文句を言うよりお互いを攻撃する。
SNSで意見が分断されれば、社会を動かす「大きな声」にならない。
貧しい人たち同士が「怠けてる」とか「自業自得」と叩き合うことで、支配層は責任を逃れる。
こうして私たちは、連帯(つながること)を奪われ、無力化されていくんです。
🌀 じゃあ、ドゥルーズ=ガタリは何を言ってるの? ドゥルーズ=ガタリは、こう考えました。
「世界は“構造”でできている。でも人間には、その構造を“壊しながら変化する力”がある。」
その力のことを、彼らは「生成変化(becoming)」と呼びました。
たとえば:
貧富の構造に組み込まれず、「まったく違う生き方」を試す。
「男/女」「成功/失敗」などのラベルから自由になって、まだ名前のついていない存在になる。
「反抗」を商品にされない形で、小さなズレを生み続ける(例:学校の中に遊び心を持ち込む)。
これは、ただの「逃げ」ではありません。 むしろ、「抑圧の構造」を抜け出す創造的な反撃なんです。
💡 でも、注意すべきことがある。 問題は、「生成変化」してもすぐに社会に再領土化(取り込まれる)こと。
おしゃれな“反体制”ファッションがZARAで売られる。
多様性をうたった企業CMが、実はマーケティングにすぎない。
学校の探究学習が、ただの成績評価に変わってしまう。
だから、ドゥルーズ=ガタリは言います:
「変化し続けろ。止まったら、また捕まるぞ。」
✊ 今できることって? 社会の「構造」を知ること(ピケティの本や格差の現実に触れてみる)。
与えられた選択肢を鵜呑みにせず、自分なりの選び方をしてみる。
他者と深い対話をすることで、自分の中の「当たり前」がズレていく感覚を味わう。
競争より、連帯や協働を選ぶこと。「分断」ではなく「つながり」で立ち向かう。
🔓 最後に いまの世界は「変われ」と言いながら、「変わらせない」構造になっています。 だからこそ、見えない力(構造)に気づきながら、あえてズレていく「生成変化」が、 すぐ始められる一つの革命なのかもしれません。
0 notes
Text
巨大な都知事候補ポスター掲示板
都知事選挙のポスター掲示板の大きさには呆れている。数字は30までふ��ているが、不足することが予測されているため、欄外にも枠がある。それでも足りなくなる可能性があるらしい。 首長選は政党の選挙ではないが同じ政党から複数立候補するのはやめてほしい。質より量で衆目を集めるのが目的だろう。選挙をビジネスにすることは明らかにおかしい。そのためにかかる経費は都民の税金からなる。今からでも候補を絞るべきだ。 都知事は注目度が高く、ある意味首相よりも民心を掴みやすく、政治家にとってはうまみのある仕事なのかもしれない。また、選挙に出馬するだけで一定の宣伝効果がある。だからといって金に任せて気軽に立候補するのはいかがだろう。結果的に民主主義の質の低下をもたらしている。子どもたちに都知事選のあり方は残念な事例としか紹介できない。 都民以外の方が巨大な掲示板を見かけたら是非笑っていただきたい。そし…

View On WordPress
0 notes
Text









0 notes