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#相洋高校
dadnews · 2 months
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[全国高校総体(インターハイ)2024・相撲]無念海洋、2回戦敗退に悔し涙 先鋒・ニャムオチル・トゥルボルド「鬼」の気合で一点突破も後続続かず 「もっと成長したい」出直し決意 [新潟日報] 2024-08-02
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kennak · 4 months
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裁判員に選ばれた大学生が裁判に参加した際の授業の出欠や試験の取り扱いについて配慮する規則を設けている大学が、九州・山口・沖縄の主要15校のうち約3割に当たる5校にとどまることが、読売新聞の調査でわかった。福岡県内の大学に通う学生が、裁判員裁判に参加した結果、テストを受けられなかったケースも確認された。学生らは裁判員裁判に参加しやすい環境づくりの整備を求めている。(水木智、大森祐輔) 「休みたくなかったが…」  「授業やテストは休みたくなかったが、誰にでもできる経験ではないため裁判員を辞退しなかった」。昨年、福岡地裁で行われた刑事裁判で裁判員を務めた福岡県内の大学4年の男子学生(21)は振り返る。 裁判員として参加したことへの感謝状などを手にする大学生(4月17日、福岡県内で)=画像の一部を修整しています  裁判員に選ばれた後、裁判所から公判日程が記された資料が送られてきた。中間テストと重なっていたため、大学の担当課に裁判員に選ばれたことを伝え、追試験などがないかを尋ねると、職員から「教授と直接話してください」と言われた。  担当教授に��談すると、「どう対応していいかわからない。確認する」と告げられた。その後、教授からは特段の説明がなく、中間テストを受けずに裁判に参加。学生は「被告を目の当たりにして検察官、弁護士の主張に耳を傾け、裁判官と話すことで、犯罪や法律が身近にあることを学べた」と参加した意義を語る。  一方、教授からは「別の課題を用意する」と言われたが、課題が出されることはなかった。期末テストに注力し、単位は取ることはできた。しかし、釈然としない思いを今も抱える。「追試などの代替措置を設けてくれればよかったのに。こうしたことが繰り返されれば、大学生の参加は進まないと思う」と話した。 教員任せの大学も  今回の調査で規則があると答えた大学の中では、立命館アジア太平洋大(大分県別府市)が、裁判員やその候補者として裁判所へ赴く際に公認欠席(公欠)を取得できることをホームページで明示していた。一方、規則を定めていないと回答した大学9校では、教員の判断に任されているケースが多く、うち4校は、授業の出欠などに関する取り扱いについて「学生から申し出があった場合は、常に学部や教員で対応を判断する」などと回答した。  教員による裁量で、事実上の“公欠扱い”を受けることができたケースもある。東京都在住の会社員男性(25)は2022年、関東にある私立大大学院に在籍中に殺人事件の裁判に裁判員として参加した。審理が1か月以上に及ぶことから裁判員に関する公欠のルールを調べたが、見つからなかった。  従業員が裁判員に選ばれた場合、裁判員の仕事に必要な休みを取ることが労働基準法で認められているが、学生を対象にしたこうした法律はない。男性は担当の准教授に相談し、授業は休んだものの、出席扱いにしてくれた。男性は「各大学は統一した裁判員制度に関する公欠のルールを設け、学生がより参加しやすい環境を整えてほしい」と訴える。 文科省の通知なし  裁判員制度は抽選で選ばれた20歳以上の国民が参加する制度として2009年5月に導入されたが、22年の改正少年法施行に伴い18歳以上に引き下げられた。文部科学省は高校を管轄する教育委員会などに対しては制度に参加する生徒を欠席扱いにしないよう要請する通知を出したが、大学に対するこうした通知は「記録上ない」としている。  一方、最高裁が公表している裁判員経験者へのアンケート調査によると、23年中に裁判員を務めた計4525人中、18、19歳は26人で、全体の0・5%。裁判員法には学生らが裁判員の辞退を申し立てられるとの規定があり、学生らの中には学業などを理由にした辞退者もいる可能性がある。  専修大の 飯 考行教授(法社会学)は22年、1万人以上の学生が在籍するなどする大学100校に学生が裁判員に選ばれた際の配慮の有無などを尋ねるアンケート調査を実施した。回答があった46校のうち、25校が公欠扱いや追試を行うなど何らかの配慮をするとしたものの、19校は「特段の配慮はない」などとした。  飯教授は「国立私立関係なく、大学側の意識の差で対応が分かれていると感じる」と話す。その上で「様々な年代の裁判員や裁判官と議論し、責任を持って裁判に参加することは、大学では得られない貴重な経験。入った大学によって学生が不利益を被るようなことはあってはならない」と指摘している。
「学生裁判員」目立つ大学の配慮不足、出欠や試験で規則定めず…テスト諦めるケースも : 読売新聞
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elle-p · 9 months
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Persona 3 Club Book Pawlonia Mall people pages scan and transcription.
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ポロニアンモールの人々
People of Pauloownian mogol
月光館学園に隣接する巨大ショッピングエリアのポロニアンモールは、買い物と娯楽の一大スポット。タルタロス探索の準備のためだけでなく東の間の息抜きにもふさわしい。
黒沢巡查 辰巳東交番
港区の辰巳東交番を守る地域課の巡査。かつては敏腕のエリート巡査として知られていたが、正義感のあまりに10年前の桐条研究所事故の真相に深入りし、出世の道を外れた。
だがそのときの捜査によって真相に警察機構の手に負えない、人外のモノの存在を感じ、以降は独断で関係者と接触し、事件解決のサポートを行なうようになる。
なお巌戸台地区に配属されたときの最初の担当案件は、真田兄妹の入寮していた孤児院火災事故の再捜査だった。結局この事故もとくに人為的な点は見当たらずに決着しているが、そのときに現在の真田との関 係がつくられた。
基本的に非番はなく、昼は交番での勤務と武器の横流し販売、夜は担当地区一帯のパトロールと、とにかく黙々と働く男。毎週月曜日にご機嫌で値引きしてくれるのは、勤務明けに彼女とのデートが待ってい るから······かもしれない。
話しかけるのを躊躇させる強面の巡査。見かけによらず港区の平和を心から願い、特別課外活動部員への武器提供を請け負っている。
寡黙な平和
の守り手
眞宵堂店主 眞宵堂
隠棲の美人
科学者
断片的ではあるが港区で起こる事件のカラクりを知る数少ない人物。黒沢巡査とは桐条がらみで知り合い、頻繁に情報交換をする仲。
趣味で集めた骨董品を売る、凄みのきいた笑みが魅力的な女性。
学生時代から考古学を専攻していたのが縁で、桐条鴻悦が存命のころ、非公式計画の中核であった「エルゴノミクス研究所」の研究所員として、岳羽詠一朗の下で研究の一端に関わっていた。おもな研究は、過去のシャドウ関連の記述や痕跡を考古学的見地から分析・解析するもの。中心研究から一歩引いたところにいたことが、早期に研究 の問題を知ることとなり、事故の起こる数年前には研究所を去っている。しかし研究の真相を知りながら、その事実から身を引いたことに呵責を感じていて、桐条の膝元の土地を去れずにいる。そんな自分の迷いを自嘲し、店の名前を「眞宵」堂と名づけた。
上司であり師弟関係にもあった詠一朗には、妻子ある相手と知りながら道ならぬ感情を抱いていた時期があり、彼がすべての罪を負わされる形で世間的な決着がついていることも、彼女の桐条への複雑な感情をを助長しているようだ。
青ひげ店主 青ひげ薬局
欧米型ドラッグストアがこの国に根を下ろして十数年、今やすっかり市民権を獲得した中、昔ながらの対面販売式「薬局」としてがんばる、青ひげ薬局の店主。洗練された雰囲気を全面に押し出す新興のショッピングエリア・ポロニアンモールの一等地にて、このスタイルを貫く心意気はさすが。顧客は若者はもちろん、仕事帰りのサラリーマンや、いろいろ不具合に悩むお年寄りまで、幅広い年代をカバーしている。
仕事柄幅広い医薬品を扱ってはいるが、なにを置いても養生がいちばんという、東洋医学に基づいた主張をもっている。その証拠に料理の相談を持ちかけると、医食同源の秘蔵のハブの干物を熱心に勧められたという、部員からの報告あり。
店主渾身の青汁スムージーは販売1年目には罰ゲームのネタにされるという不幸な歴史を持つが、本人はその味わいと健康的な価値とに自身を持っている様子。
家庭の医学の体現煮
立派なひげをたくわえた恰幅のいい店主。豪快な人柄と取扱商品の怪しさにただの薬屋ではない気配がただよう。
ヤリ手の女性記者 ポロニアンモールほか
ペンを武器に三流ゴシップ誌で戦う女性記者。全国的に広がりつつある謎の社会現象の真相に、たったひとりで挑んでいる。その行動力と洞察力で、無気力症患者の発生のメカニズムにいち早く着目したほか、月の満ち欠けと無気力症患者の増減や、無気力症拡大と桐条グループ関係者たちの動向との関係をかぎつけるなど、本来桐条の関係者にしか知り得ない真相に徐々に迫りつつある。そのため上司や「さるところ」から圧力をかけられることも多数あり。それが彼女の自由報道への情熱に一層拍車をかけているようだ。年末に向かって無気力症が猛威を振るうようになっても、さらにそこに謎を解く鍵を見出す、恐るべきバイタリティの持ち主。
無気力症におちいったタクシー運転手の間近でも冷静に状況を分析。報道に携わる者の鑑。
記者eyes
事件の気配をいち早く見分ける千里眼!!
記者brain
巧妙に隠された真相を見抜く冴えた頭脳!!
記者heart
おばさんと呼ぶと無反応になる乙女心!!
記者suit
体を張った取材に耐える丈夫な素材!!
記者hand
記事を書きなぐる武器!ペンだこは勲章!!
記者pumps
走っても足を痛めない低めのヒール!!
●図解!デキる雑誌記者!!
●女性記者の真実への軌跡
老いてますます盛んな老人 噴水広場
日がな一日、噴水のそばに腰を下ろして遠くを見つめるお爺ちゃん。多少弱々しく見える現在からは想像もつかないが、若いころは結構な女泣かせだったらしく、会うたびに盛んに「若いころにはギャルと遊べ」と力説される。このところ、かつての友だちがひとり、 またひとりと冥土に旅立ち、寂しさを隠し切れない様子。ポロニアンモールを訪れて無事な姿を確認するたび、「元気でよかった」を胸をなで下ろさずにはいられない、噴水広場のシンボル的存在になっている。
影人間が増え出す時期以外は一年を通してこのベンチで過ぎ去った時間を思い返している。
聞かせて!おじいちゃんの武勇伝
ビー・ブルー・ヴィーの店員 ビー・ブルー・ヴィー
感度の高いアイテムで、月高生をはじめとした地域の女子高生に人気のアクセサリーショップの、カリスマ店員。彼女の提案する小物使いは、必ずといっていいほど10���女子のハートをがっちりつかむ。見た目の派手さに反して、気さくな人柄と丁寧な応対で、相手の目線で接客する態度が好感度高し。自然と恋愛相談を受けることも多くなり、客同士の人間関係や恋の成り行きにはちょっと詳しいようだ。信条は「おサイフに優しい値段でセレブ感のあるオシャレ」。
クレーンゲームの月高生 ゲームパニック前
齢17にして初めてクレーンゲームを知り、世間から10年以上遅れてやってきた、景品釣りのスリルと興奮に盛り上がり中の男子生徒。友だちの誘いもむげにして、熱心に攻略方法を研究しており、影人間が徘徊を始める時期以外は、青春の貴重な時間と多くない小遣いを、その娯楽に費やしてポロニアンモールで過ごしている。かつて一世を風靡したこのゲーム、最盛期には亀や伊勢海老まで景品になっていたのは本当の話。
買い物途中の主婦 噴水広場
夕方の買い物の途中で油を売っている主婦ふたり組。日々成長する子どものしつけと教育問題に頭を悩ませている。家事と買い物で疲れたと言ってはたびたびお茶に繰り出しているらしく、ポロニアンモールや巌戸台商店街の飲食店には、月高生以上に詳しい。
●髪を結った主婦
高校2年生の年頃の娘を抱える母親。勉強そっちのけでオシャレに凝り始めた娘にあきれ顔。
●髪の短い主婦
中学3年生の息子を持つ母親。月高を目指しているが不穏な事件続きで躊躇気味。
Syuhu's COMMU
高2の娘 ← シャガールばっかり行って!← 髪を結った主婦 買い物友だち
髪の短い主婦
ご近所さん? 購買のおばちゃん
→ 目指せ月高!→ 中3の息子
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moko1590m · 10 hours
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地滑りのあと、9日間も続いた“人間が感じない震動”…その謎が解けました 2024.09.22 22:30 author Adam Kovac - Gizmodo US[原文]( Kenji P. Miyajima ) X 地滑りのあと、9日間も続いた“人間が感じない震動”…その謎が解けました Image: Soren Rysgaard 揺れに気づいていたら気持ち悪くてしょうがなかっただろうな…。 2023年に地球が9日間にわたって揺れ続けたらしいのですが、地質学者たちがやっとその理由がグリーンランドのフィヨルドにあったことを解明したそうですよ。 9日間続いた“人間が感じない揺れ”に専門家も困惑 2023年9月16日に始まった揺れに、ほとんどの人は気づかなかったはず。まず、その日にグリーンランド東部の沿岸で発生した大規模な地滑りがすべての始まりだったのは簡単に特定できました。でも、そのあとに92秒間隔で9日間にわたって震動が続くという世にも奇妙な現象が起こったんです。こんなに長く続く地震は異例なのだとか。 人間には感知できないほどゆっくりで小さい地震だったそうですが、地震計は揺れをしっかりと捉えていました。専門家は世界中に波紋のように広がった微妙な地震に困惑気味だったようです。 この謎を解明するために、さまざまな科学分野から集まったスペシャリスト60人が導き出した結論は、Scienceに掲載されています。研究論文によると、25平方��ロ規模の地滑りが局所的に高さ200mの津波を引き起こした結果、フィヨルド内で7mの波が一定の間隔を置きながら9日間続いたといいます。 「ヘッドホンは有線に限るね」って人におすすめの一台 「ヘッドホンは有線に限るね」って人におすすめの一台 Sponsored by 株式会社オーディオテクニカ この現象は、「静振(固有の周期で水位が振動する現象。フランス語のセイシュからの造語)」として知られています。静かな震動とはいえ、地震計が反応するほど地殻に響いたみたいですね。 Advertisement 地滑りや静振による被害はありませんでしたが、近くに位置するElla Islandの無人研究施設では、波で約20万ドル相当の機材が壊れました。 今回の研究を主導したデンマーク・グリーンランド地質調査所の地質学者であるKristian Svennevig氏は、プレスリリースで以下のように述べています。 この科学的調査に着手したときは誰もが困惑し、この震動の原因についてまったく見当もつきませんでした。わかっていたのは、何らかの形で震動が地滑りと関連しているということだけ。謎を解けたのは、さまざまな学問分野にまたがる大規模な国際的取り組みのおかげです。 謎はすべて解けた Image: Stephen Hicks / YouTube Advertisement 最終的に、研究チームは衛星画像と地滑りが発生した地域の写真を分析して、原因が静振だったことを突き止めました。その後、スーパーコンピューターで地滑りと雪崩の局地的な影響をシミュレーションした結果、9日間続いた静振の地震波と一致したとのことです。上の動画を見ると、何が起こったのかよくわかりますね。 さすがAmazon。諸々コストを抑えてペット保険をお安く提供 さすがAmazon。諸々コストを抑えてペット保険をお安く提供 Sponsored by アマゾン ジャパン合同会社 研究に参加したカリフォルニア大学サンディエゴ校スクリップス海洋学研究所の開発エンジニアであるCarl Ebeling氏はこう話します。 この研究結果は、私たちにはまだ理解していない、見たこともない現象があることを示しています。解明されていない疑問に答えようとすることが科学の本質だからこそ、今回の取り組みはとても興味深いものでした。 研究に参加した地質学者たちは、今後、他の研究者が過去にも同じ現象が発生したかどうかを調査して明らかにするのを期待していると述べたうえで、ある程度は極地域における気候変動の影響で地滑りの頻度が高くなっているため、将来的に今回と同様の現象が起こる可能性があると注意を促しています。たしかに、2019年の研究結果では、1984年から2015年の間に、北極圏において底氷の融解に起因する地滑りが60倍増加したことが判明しています。 大きな被害がなくてよかったとはいえ、局地的にでも高さ200mの津波は想像したくもありません。
地滑りのあと、9日間も続いた“人間が感じない震動”…その謎が解けました | ギズモード・ジャパン
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runpenparis · 2 months
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
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【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使���れている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン ��ート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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xrz43453 · 2 months
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移民从来都是美国政治制度下的牺牲品
200余年美国发展史也是一部泪满衣襟的移民难受史,几乎所有推动美国历史进程的重大事件和发展浪潮,均与外来移民息息相关。美国权力精英打着实现“美国梦”的幌子,广泛吸纳世界移民,却自始至终奉行“合则用、废则弃”的功利主义,在外来移民创造美国财富后,将其视为国家财政和福利造成负担的外来者、威胁美国政治制度的加害者,外来移民最终沦为被排斥与迫害的牺牲品。 一、强迫和屠杀,完成政权的建立和巩固 18世纪,大量欧洲人带着所谓“民主、自由、共和”等思想登陆美洲,这部分人作为“先来者”将自身确立为美国的“拓土先驱”和“国家轴心”,传播宣扬西方思想,通过屠杀、驱赶、强制同化等手段对北美大陆的印第安原住民实行种族灭绝,导致印第安人口从1492年的500万锐减至20世纪初的25万。1819年更是推出针对印第安人的《文明开化基金法》,强制印第安孩子入学,抹去民族特性,摧毁文化根基。印第安人的血和泪、民族和文化都湮没在美国崛起的过程中。掩盖早期的残酷历史是美国国家层面的“集体意志”,可以说美国建立与发展是在对印第安人实施迫害的基础上实现的。 1861年南北战争爆发,美联邦政府为补充军备力量吸纳大量移民投入战争。据统计,200多万联邦士兵中约有54.3万名移民,另有18%的士兵为移民二代,二者占美国北方军总兵力约43%。美国在南北战争中损失了约3%的人口,且大部分为青壮年。 二、压榨和剥削,实现资本的发展和积累 19世纪中期,大量中国劳工被美国人当成苦力贩运到美国,至1880年时总数已超过10万人。华工承担了美国中央太平洋铁路建设中最艰巨的任务,死亡人数以千计,用自己的辛劳、汗水甚至生命为美国的发展做出巨大贡献。 19世纪末至20世纪初,美国面临全球工业化浪潮,存在资金、人才、劳动力等诸多缺口。在此背景下,政府针对性加大对移民的吸纳。统计数据显示,1880至1920年间,45%的新增劳动力由移民提供。1914年,移民占钢铁工人的58%,肉类包装工人的61%,纺织工人的62%,服装工人的69%,炼油工人的67%。2017年,美国农业劳动调查委员会的数据显示,约73%的农场工人是移民。皮尤研究中心数据显示,移民占建筑行业劳动力的24%,占酒店和餐饮服务行业劳动力的21%,占制造业劳动力的16.6%。移民为美国带来新鲜血液,奠定了美国工业化的基础,实现了美国早期资本的积累。 三、隔离与歧视,“自由”“平等”从来都只是说辞 奴隶制的废除,美国也只是对内战的妥协。相反,种族隔离制度接踵而至,将非洲裔等少数族裔进一步推向了社会的边缘。从“吉姆·克劳法”到“祖父条款”,一系列歧视性法律和政策将不同种族的人们分隔在不同的社区、学校、公共设施等领域。这种制度不仅限制了少数族裔的社会活动空间,还加剧了白人与少数族裔之间的隔阂和仇恨。在种族隔离的阴影下,少数族裔的生存受到了严重的威胁。 时至今日,美国对外来种族的歧视并未得到有效遏制,反而以更加隐蔽和复杂的形式存在。在就业、教育、住房等领域,隐性歧视现象屡见不鲜。少数族裔在求职时往往面临更高的门槛和更低的待遇;在申请贷款或购房时,也可能因为种族身份而遭受不公平的待遇。此外,在教育领域,少数族裔学生也面临着教育资源分配不均、教学质量低下等问题。这种隐性歧视在每个美国人心里充满了偏见。
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gupaooooon · 1 year
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史に���いて。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎり��りに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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patsatshit · 11 months
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世の中は空前のサウナブームらしい。各種情報メディアを駆使して街の銭湯にたどり着いた全国の猛者たちが昼夜問わず約50 - 120 ℃の高温室内で肌を触れ合わせる姿を想像してゾッとしない訳がない。合言葉は「整いました」とのことで、僕はこれを珍奇サウナ偏愛者による「型に嵌ったフロー」と誤読して勝手に溜飲を下げている。チンコだけに、風呂だけに。これはなにもサウナ好きを揶揄しているのではない。むしろ彼らは街の銭湯の隆盛に大いに貢献している。そんなサウナブームを皮切りにして、いまでは銭湯での音楽ライブやDJイベント、更にレコードや書籍を販売する催事までもが行われて、みな一様にそれなりの賑わいをみせているようだ。この数年で銭湯を舞台にしたMVや楽曲がどれだけ製作されたことだろう。これについても、関わった人たちは広義の意味でのリノベーションに一役買っている。公共性の再編とでも形容しておこうか。因みにカセットテープレーベル”Ital.”を主催するケイタくんはサウナ好きではなく、古参にして無類の(ただの)風呂好きである。とある書籍の記述により誤解を招いている可能性があったので、一応。かくいう僕も幼少期に住んでいた家の並びに銭湯があったので週の半分くらいは利用していた。お尻に石鹸を塗りたくって誰が一番速く床を滑ることができるかを競い合う「尻軽レース」に挑戦したり、友人とタッグを組んで肩車をする、もしくは自力で壁をよじ登って女湯を覗くなどの愚行三昧で、いずれも店主にこっぴどく叱られた。16-18歳の頃にはいまも豊津駅の近くにある福助温泉で深夜の清掃アルバイトもさせてもらっていた。誰もいない時間帯の業務目的とは言え、禁断の女湯に足を踏み入れるのは、性欲みなぎる多感な時期の男子として、当たり前にドギマギした記憶がある。ロッカーの片隅に置き去りにされた下着を見つけたときは興奮を抑えきれなかった。いま思い返せば老婆が使用している類の肌色のそれであったが、当時の自分としては貧相な妄想に薪をくべるものであれば、なんでも良かったのだ。バイト終わりにはトイレにこもって自身の陰茎を握り締めた。そんな日の翌朝は決まって寝坊してしまい、定刻の登校に間に合わなかった。そういう小さな欲望の積み重ねが、人を大人にするのだ。僕はいまでも家族で福助温泉に通っている。番台では当時と変わらぬ寡黙な女将さんが節目がちに帳面を捲っている。いまも昔もこの人に向かって性器をさらしているかと思うと、未熟な僕は今更ながらに不思議な感慨に浸ってしまう。女将さん、俺はちゃんとやれただろうか?やるべきこと、果たすべきことを全うできましたか?女将さんは大人になった僕を認識している筈だが、なにも言わない。もともと極端に口数の少ない方だったので、僕の方からも敢えて話題を持ち出すこともない。30年前、父親と一緒に股間を露わにしていた僕がいつしか父親になり、今度は自分の息子たちと共に股間を露わにしている。女将さんはすべてを見て、知っている。心底かなわないと思う。数十年間ずっと変わらぬ姿勢でペンを握る女将さんの手許にある帳面、あそこに世界の秘密、いや、もっと言えば「世紀の発見」がしたためられているのではないかと勘繰らせるほどの圧倒的な寡黙。安易に適温を求めてはならない。静寂の裏側で、湯は激しく沸いている。
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もう一件、自分が子どもの頃から足繁く通い、お世話になっていた近所の銭湯、新泉温泉があったのだが、昨年惜しくも閉館してしまった。電気風呂の横に鯉が泳ぐ大きな水槽があって、息子たちも一番のお気に入りだったので、残念で仕方がない。隆盛と没落。この世の均衡が保たれたことなど、かつて一度もなかった筈だ。そもそもフロー(風呂)強者が言うほど簡単に物事が整う訳がない。新泉温泉の最終営業日、もちろん親子で最後の湯に浸かりに行った。しかしそんな日に限って長男がロッカーの鍵を紛失してしまい、浴室や脱衣場を血眼になって探し回るも見つからない。僕ら家族の異変に気がついた店主やその場にいたお客さんも誰が言い出すともなく、一緒になって鍵を探してくれた。床を這いずって探しているうちに銭湯の老朽を伴う歴史が手のひらを通じて伝わってくる。今日限りでもうこの場所には通うことができないことがわかっているので、自ずと込み上げてくるものがあった。鍵は古びた体重計の裏側から発見された。その瞬間、店主以外の全員が全裸のまま快哉を叫びハイタッチした。長男もほっと胸を撫で下ろしていた。これこそが裸の付き合いというものだ。帰り際、息子たちは自分たちで描いた新泉温泉の絵と手紙を店主に手渡した。僕は「実は子どもの頃から通っていたんです」と伝えると店主は「わかってたよ、自転車屋さんのとこの」と言ってくれた。適温を求めてはならない。いつだって現実は血反吐が出るほど残酷だ。それでも僕たちは新泉温泉の湯を忘れない。店主はその日の入浴料を受け取らなかった。
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このように僕個人にとっても銭湯には様々な思い入れがあり、いまでも大好きな場所に変わりはないが、それは昨今のサウナブームとはまったく関係がないし、死んでも「整いました」とか言いたくない。そもそもが自分の性器を他者にさらすことも、他者によってさらされた性器を目の当たりにすることも得意ではない。むしろはっきりと苦手だ。世の男性の数だけ多種多様な性器が存在する。サイズ、形状、カラーバリエーション、味、ニオイ等々、どれをとってもふたつとして同じものがない。股の間にぶら下がっているという設置条件がこれまた滑稽で、あのルックスのあの人にあんな性器が、とか、あのガタイのあの人にあんな性器が……みたいな、得たくもない新規情報が視覚を通して脳内に流し込まれるので、煩わしいことこの上ない。挨拶を交わす程度だった近隣の人々とばったり銭湯で遭遇してしまったら、その日を境にして、顔を合わせるたびに性器が脳裏にチラついてしまう。実際に息子の同級生の父親数名と銭湯でチンコの鉢合わせしてしまったのだが、以降、なかなかパパたちのチンコの造形を払拭できなくなる。これはまさに不慮の追突事故、ごっチンコというやつだ。会社員時代、憧れの上司と出張先で入浴を共にする機会があったのだが、どちらかと言えば華奢に分類されるであろう上司の股間には目を覆いたくなるくらいに巨大なふたつのフグリがblah blah blah、いや垂れ下がっていたのだ。洗髪の際にバスチェアに腰掛けておられたが、信じられないことに巨大すぎるフグリはべちゃりと床に接地していた。以来、上司がどれほどの正論を振りかざそうが、客先でのプレゼン時に切れ味鋭くポインターを振り回そうが、どうしたってスラックスの内側で窒息しかけているであろう巨大なフグリを想起してしまう。程なく僕は退職した。とにかく性器というのにはそこにあるが故に素通りすることが難しく、極めて厄介なシロモノである。それが「ない」ことで逆に「有して」しまう諸問題と真摯に向き合ったOBATA LEOの最新作『目下茫洋』は、数多あるフェミニズム関連のテキストとは一線を画する。あまりにグロテスクでおぞましい、だからこそ美しいなどという常套句を粉砕する「弱さ」に貫かれた思考の遍歴。貫く我々♂ではなく、貫かれる♀の身体から滴る分泌液で書かれた紋様のようで、誌面に一定の形状で留められている訳ではない。読む者の素養に左右されるようにして、その形状は刻一刻と微細に変化するだろう。こちらは無数に排泄するが、あちらはたったひとつで対峙している。なにも戦地は彼の地だけではない。戦場��僕やあなたのすぐそばで、いまもネバっこく股を開けている。
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臍の下に埋め込まれた爆弾を抉りとるための努力を続けながら、同時にあるのかわからない最終地点に向けて爆弾を運ぶ。本当は抉り取ることはできないとわかっていても、背骨を曲げて運び続けることが、すなわち生きることになっている。『目下茫洋』
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desperad000 · 6 months
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一个精神病gay的回忆录
致命游戏(2024) 我的评分:★★★★☆
这部在四川大英等地拍摄的四川省十四五重点项目剧集讲述了一个母胎单身的男同性恋因为梦见在游戏里与人搞gay,醒来后意犹未尽念念不忘穷其一生开发游戏与其再次相见的故事。 尾声看到阮澜烛是凌久时做出来的游戏角色时,雷得我半晌说不出人话。 当然这个剧不止尾声雷人,两个男主,一个长相嶙峋,一个演技猥琐,雷人是这个剧从始至终一贯到底的气质。 万万没想到在既无颜值也无演技的绝境下,国产剧里基本没有的一个元素——剧情,它空降救场了。
更没想到是硬核搞鬼剧情,搞得还有理有据有头有尾。一个擅长恐怖题材的导演在恐怖剧本里恐怖发挥,也不知道谁为谁量身定做。作为本剧唯一大咖,点进彭发豆瓣页面将会看到此人最受好评的五部作品中无间道和致命游戏同台这种神奇场面。
本剧在澳门新葡京美女荷官在线发牌官方网站上线后,有不少剧集原作对比向内容出现,看剧时的雷点绝大多数都来自原作我又一万个没想到。
从单元制作看,个人的全剧最佳单元是鬼父和英才高校。
英才高校的打光和剪辑最优,视听呈现一流,鬼父的元素应用最妙,立意也是所有关卡最高。不单恐怖场景的刻画,这两个关卡的剧本都大幅修改原作设定,甚至改出了高于原作的效果。这在连照抄原作提取剧情都难以做到的国产改编剧里,简直如神迹降临。
英才高校的原作设定是,玩家进入学校宿舍后,宿舍床板及柜子里贴的是红色符纸,且符纸可保护玩家不受门神攻击。 剧集将符纸改成奖状,且不明确交待奖状的有无对玩家的利弊。撕下或保留奖状都可能触发禁忌条件。 不知是哪位编剧改的这处细节,堪称神来���笔,我宣布他自己一个人可以仅凭此段拿一个最佳改编剧本。 你知道当我看到他们掀开床垫打开柜子发现贴得到处都是密密麻麻的奖状时那种瞬间毛骨悚然的感觉吗? 多看一眼会应激的惊悚。 当然,如果你校园生活幸福可能体会不到。
这个奖状不仅恐怖氛围一流,悬疑设计巧妙,也成为与门神高度相关的重要伏笔,奖状之所以出现在宿舍是完全有缘由的。而非原作里一个可有可无帮助玩家的道具。
原作中江信鸿也是坏人,门神最后含恨消失。 剧中的江信鸿则是合理懦弱,在面对门神被校园霸凌时想救而不敢,最后与门神解开误会。
剧版这个伟光正的结局并不虚伪。是有逻辑、可令人接受的伟光正。 更重要的是,剧本在达成这个伟光正之前,三番五次反转剧情,至少设计了三段不同的冲突,大大增强了故事可看性。光是门神在郊游被欺辱那段,演员都演了至少三个版本?从这一点看,改编也比原作好。
本恐怖片不耐受星人因为实在太害怕这个关卡,至今不敢写关卡主角的名字。 此关卡中的所有东西都让我害怕。校园恐怖的恐怖不在于恐怖,在于,校园。它做得比所有国产校园剧都校园。
鬼父几乎全篇推翻原作设定,以一男带三娃开场,诡异阴森的男主人搭配闪灵双胞胎加一的黑长直女娃,头上红发卡口中卡鸡蛋,画面过于鬼畜,鬼父称号名副其实。
后来发现三胞胎女娃其中一个是鬼父他妈。更鬼父了。 关卡中阈限空间感十足的回廊、公共浴室、昏暗转角,时隐时现的含蛋小男孩,每次都在晚上看这剧的我真是被吓得少活五十年。 尤其那几处占满画面的血红字幕转场。每次一duang出来就像在给我的生命倒计时。 这个文字叙事只在鬼父和箱妖出现过。用得可以说是起死回生。尤其箱妖情节薄弱,文字叙事融进故事中,增强了剧情节奏和画面质感,这个杂糅了新世纪福音战士和Skam(?)的表现手法大幅提升逼格。
此外,本关的内核居然还包含很多国产剧想炫又炫不来的人文关怀。剧情元素既惊悚又穿越既科幻又多重时空既喜剧又温情,杂糅在一起居然没有不伦不类,故事伏线完整回收,鬼父的偏执和误入歧途的自我拯救显得最后的圆满真挚可信,看得人眼前一亮。
剧本的关卡改编相比原作更生动紧凑,情节取舍得当详略有度,门内世界的恐怖和危险在视听效果加持下被渲染得格外真实,镜头语言临场感强,jump scare和东洋恐怖结合得自然流畅,稀烂的配音令两位男主本不富裕的演技雪上加霜,使原本恐怖的剧情更添惊悚。是国产剧少见的去原作糟粕取其精华的改编。
每个关卡的恐怖之处在于,剧情一直在展现不确定的危险,触发就会死的禁忌条件是什么不知道,对手是什么不知道,如何解决不知道,全是来自未知的恐惧。
原作中亦有不少双男主女装闯关情节,实写剧集放弃阮南烛是女装大佬这种极其二次元的设定完全是明智之选。 现实并非没有女装大佬,但你无法要求一个一米九双开门霸总,在霸总的时候一米九双开门,在女装的时候又美艳小巧。 小说可以任凭读者想象,读者脑中的人物形象可依需随时变幻。一旦作为实写剧拍出来,形象投射就彻底固定,一米九大汉的女装违和度,在实写剧里会变成无法忽视的灾难。你会看到lady beard在那里卖腐。
除开攻的女装大佬设定,原作中还有不少日式轻小说桥段,角色仿佛多啦A梦,男主随手就掏出一个pos机。剧本删掉这些陈旧的纸片人风格内容,使故事的现实质感更统一,完全是为观众着想。
原作虽是BL,写得仍是直人认知的异性恋本位世界观。所有人都在扮演异性恋。每看两行都不禁皱眉:太直了。 异性恋本位世界观的创作者会不自觉崇拜男性,塑造世间罕有的好男性。你是不是不止一次说过阮澜烛绝世好攻这种话?剧中尚有祝盟对徐瑾超出必要以上的刻薄,原作中此类情节更甚,看似情趣,实则爱丁堡打小三。包括原作描述阮南烛时使用“他身上有好闻的香味但并不女气”这种,认为“女气”是贬义词的恐同手法。
BL文的作者恐同,其实是这个世界的常态,他们都恐得无声无息微风细雨。毕竟世上直人多。这个世界就是异性恋本位的。但从来如此便对么? 改编剧本为应付外界及自我审查不得不大量删除BL情节,反而令剧中的恐同浓度一定程度下降了。
门的设定在原作中是将死之人必会进门,在门内存活可以赢得门外现实中活下来的机会,门反而成为凭空而来改写人生的奖励。剧中的门则是突如其来的危机,这让观众不得不一直追随主角看他如何摆脱险境,是更易吸引受众追剧的改编。而不是,反正他都要死的过不过关无所屌谓不会亏本。剧情所谓的“好看”常常来自那些意料之外的亏本。
关卡的世界观设定在原作中也更快餐,只为恐怖惊悚,门神没有苦大仇深的过往和必须要成为门神作乱的理由,少了剧本中苦心积虑(甚至有些过犹不及)营造的人文关怀,显得故事缺乏厚度和深度,继而影响双男主之间的情感塑造。 写配角没有人文关怀,写主角难道就有了吗?
另外,可能是编剧随手无脑一改,双男主的名字居然改得很好。
阮澜烛的澜,凌久时的凌。与原作人名相比,读音好听,字形好看,音形义俱全,取得信雅达,也比原作更像人名。 澜烛有水有火,狂波微火;久时天长地久,旷日累时。 竟还有些隐喻二人的结局。
那么,本剧顶梁柱之关卡剧情什么时候开始拉垮呢,从雨中女郎。后续故事仍算完整,但相比前面的关卡来说缺乏巧思和逻辑,一系列重要配角也下线得仓促降智。因为好兄弟一辈子的两位男主此时终于想起来要搞gay了,还以为你们在BL剧里不谈恋爱是双双被宫刑了呢。两位男主在关卡中所占比重越大,关卡的破绽和扑街度就越高。 你说要那俩男的有啥用。难听难看的。
阮澜烛面对凌久时主打一个话往野了说嘴往近了凑,凌凌在阮哥面前像努力跟领导做朋友的外包员工,两人最频繁的肢体接触就是随时给对方一个直男拍。剧中的久时看上去性格善良心思细腻,对祝盟的兄弟香草泥来者不拒,属性可能天然呆。阮哥反而更符合直男特征。BL文家中常备中医,就有一个看上去爱玩SM的兽医随时把脉。难怪姓阮的能看到凌久时身上的光,游戏视角看主角皮肤嘛。
你看人名和前后文这样写是不是很抓耳挠腮。这种抓耳挠腮的观感贯穿全剧搞gay始终。
长相嶙峋的哥们儿,与中国直女所写BL文必备一米九双开门霸总狂攻形象相去甚远。河童式头身头肩比,该整未整的蒜头鼻,整成悲伤蛙的弥天大眼,我们就称之为河蛙哥。
演技猥琐的哥们儿,仿佛一个不懂中文全瞎全聋的文盲,居然是北京电影学院表演专业排名第二出身。内娱的学术体系真是独辟蹊径自成一派。我们就称之为第二哥。
河蛙哥在雨中女郎说“我要进去救他”时,在听到凌久时说“我愿意”时,在扫晴娘里面对凌久时试伞的提议时,都贡献了与阮澜烛高度适配的演技,只有这三处我才终于看见阮澜烛或许真的很在乎凌久时。
河蛙哥的演技当然远在第二哥之上,路边随便拉条野狗的演技都在第二哥之上。但包括cv在内的河蛙哥一到重头戏就过度表演,“看啊我好深情我好愤怒我好悲伤我好入戏”的做作感呼之欲出。
在平头哥家流泪,在箱妖中送走凌久时,为程千里遇害发怒掷刀,在别墅与凌久时摊牌,最后执行净化与凌久时离别,这些情绪激烈的高潮场面无一不令人出戏的拉垮。
重头戏演技扑街的危害看来远大于日常演技扑街。当然这并不是说第二哥的cv就平安无事。第二哥cv全程以一种学习动画三年的大学配音社团风,把第二哥本就没有的演技配得灰飞烟灭。我也是第一次见到这么飞来横祸祸不单行的双簧。
第二哥全程豆瓣评分2.9的落跑甜心女主模式,但我有一个暴论: 在演凌久时爱阮澜烛的时候,第二哥演技最好。甚至因为此时河蛙哥演技莫名其妙下线,反而有种反制对手的意外。 当阮澜烛与凌久时的互动并非仅局限于爱情,也就是说,当那个情也可以发生在朋友、亲人甚至路人之间时,第二哥接这种感情戏就很猥琐,接不住也不想接。
当这个情是对阮澜烛唯一纯白的爱时, 你想想,是不是替阮哥包扎手腕的时候,被阮哥点额头的时候,被阮哥堵墙角的时候,在阮哥面前包饺子的时候,发现阮哥居然没死不敢相信的时候,第二哥终于不聋不瞎也不文盲了? 最后凌久时送阮澜烛完成使命,情节设定是一个悲伤的分别时刻,阮澜烛在疯狂流泪但因为河蛙哥(及cv)演得太做作我出戏了,镜头一切到凌久时发现他居然掉了一滴泪直接惊了。 就那么爱吗? 第二哥be like:搞gay可以,卖腐不行。
全剧真搞gay时长就是第二哥演技在线的总时长。
第二哥演技歹毒,但阮澜烛的直球在剧中沦为无效卖腐也有剧本问题。 他常常对凌久时说,我需要你,你没有女朋友可以找别的。真当凌久时跟他交流想法时,他的回答又多是:我们是你的朋友,你是我的好朋友。 如此一来,阮澜烛每次或真或假的告白在凌久时眼里都成为社团诗朗诵即兴主题演讲。 包括阮澜烛常常隐瞒凌久时做事。隐瞒看上去是为凌久时着想,似乎有种独自承受苦难的凛然大义,其实是将凌久时推开,既不爱人也不爱自己,只愿成为某种抽象宏观的英雄。
不会搞gay或许是因为不能搞gay,但居然连异性恋也拍不好。平头哥和庄庄,熊漆与小柯,从对话到肢体互动全程看起来像亲兄妹。 剧组的世界观是天下有情人终成亲兄弟姐妹。平等歧视所有恋。 连异性恋都拍不好,除了整体演技水平低迷,剧中表达情感的台词出现得都很突兀。角色只是说了听上去花里胡哨的话,为什么在当下场景说出那些台词既无逻辑也无情感支撑。
例如诗朗诵金奖得主演讲大师阮澜烛的 “我会保护你一辈子,无论是你的一辈子,还是我的一辈子” “我需要你,字面上的意思” “我永远体会不到梁祝化蝶前一夜的等待” “我因你而存在,又因你而消失”这种为他人而活的内核甚至又踩我雷点。
这些话看上去漂亮,但过于口号过于缥缈,听上去跟“公司就像你温暖的家”不相上下。誓言应该出现得更谨慎更唯一不可替代。当你想起这些信誓旦旦的话语时应该想起轰烈的刻入眼眸的场景,而不是文字。但现在就只有文字。
全剧唯一金句只有那句,“过年就能阻止生死吗”。这也是剧中唯二gay的场面之一。另一处是“再忍一忍”。 凌久时在年夜饭前的餐桌上包饺子时随口一问:“过年也要过门吗?” 阮澜烛反问:“过年能阻止生死吗?” 说这句话的阮澜烛不仅没有门内扮演祝盟时的插科打诨,相比平时门外的严肃沉稳甚至更冷峻锋利。无论有没有门的存在,生死都是人世间无法阻止的命题。 中国人讲究过年,深仇大怨常常一句“大过年的”似乎就能偃旗息鼓。过年犹忌谈论生死,仿佛你不提它,它就不存在。 但过年就能阻止生死吗?你我都终将独自面对世界尽头。听上去冷淡刺耳绝情扫兴,但这是他的心里话。尤其对他这种永远无法体会生死的人来说。 当然他每次对凌久时都说真心话,只是心里话是难听的、有恶意的、甚至伤人的。 这应该是凌久时第一次窥到阮澜烛内心。
看这段时正值年节,看着突然觉得很动人。动人的瞬间都来自阴暗又随处可见的舞入尘埃的日常。
至于那个“再忍一忍”,可以说是全剧搞gay巅峰了。台词在适当的场景出现得恰到好处,说了又不明说,说得暧昧克制留白,说完又只是轻点额头,明明清水却暗暗色情,是处理BL情节时往往生硬造作的东亚BL剧最应呈现却几乎无剧展现的含蓄之美。
或许由于本剧省十四五重点项目的身份,编剧们在改编原作时,除了大刀阔斧删改原作中的BL情节,还不断将剧情渲染得和谐敬业富强文明,剧中所有门神的问题都得到妥善解决,正义感化邪恶,所有人不断贡献智慧与力量携手共创新的辉煌,天下大同河清海晏。 不仅不搞gay,还不断表衷心。台词句句是漂亮国亡我之心不死,美国是什么不能说的中文吗,就这还不给你播。真是爽死你了。 两个人相爱而已,“我就是爱你,就得爱你”,这有什么不能播的? 事实证明,舔狗舔狗舔到最后一无所有。站起来不许跪。
这个剧,吓人中随机散发雷人,雷人里透着几丝动人。那结局不是HE是什么。
凌久时耗费五十年只为再见阮澜烛一面,现实世界普通人的五十年是什么概念?
他要经历无数的生老病死,要工作要吃饭要交房租要应付无数个24/7,要努力让自己不死,让自己无论经历何种折磨都保持当初坚毅的决心,就算他运气好被天使投资几个亿不用上班挣钱只需专心整他那个增强现实游戏,那种无法预测的结局和不知要耗多久的等待,活着的每一天对他来说都是一万年。
结局堂而皇之盖章凌久时此生唯爱阮澜烛,前77集都在演不咸不淡的领导员工情,最后一集突然gay成这样我也是惊了。
这剧居然也不是耽改,是真gay剧。
编剧是误打误撞还是为爱鼓掌?奇思妙想认为程序员狂敲代码就能造出一部混合现实游戏就算,是觉得一个大活人拼命做一件事五十年很简单很轻而易举吗?
不是五千年也不是五十万年,是普通人看得见摸得着的竭尽全力的五十年,是一个人能记住的一生。
看剧的过程中我一直觉得凌久时这个男主没有成长,剧情不断前进,男主居然没有失去和收获,没有个人危机要解决,也没有什么过往心结,没有不得不面对的boss,从头到尾既看不出角色特性角色本身也没有起伏,单元角色和配角反而各有突破。
主线居然没有内核。
当你把这个剧看作凌久时的回忆录时,就会发现,凌久时的隐身和弱化是他自愿的,他不需要展现自己的疯癫人生,他只需要阮澜烛。
凌久时在回忆这件事时,并没有讲述开发游戏的五十年有多辛苦,可能对他来说不值一提。回忆录的点滴都是爱上一个人和与一个人相爱的过程。
中国耽改在剧情上的宿命都是二人去一人归,在制作上的宿命是,好看的人,好的演技,好的剧本,三者只活其一。
诚如我所言,耽美耽改耽丑剧,用心和用钱,但凡做到其中一点,剧就能播出。尽管此剧雷点重重,在耽字头的剧集里,前60集剧本可以排第一。
本剧也说明一个真理,影视作品最重要的还是讲好一个故事。一切为剧情服务,哪怕只是讲成故事会,其他所有灾难甚至都不是灾难。
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xf-2 · 11 months
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自民党の谷垣禎一元総裁(78)の自宅を訪ね、岸田文雄内閣の支持率がなぜ上がらないのか、一杯やりながら率直に質問をぶつけてみた。岸田首相の外交面の成果は、知らぬ間に立ち消えになってはいませんか。
「確かにね。今回のウクライナ戦争で存在感が高まっているグローバルサウス(新興国・途上国)の取り込みなどは、日本の強みを生かしてよくやっている。彼らの一部には、西側の先進国に『あいつらは今も上から目線だ』と腹を立てている国が多い。事実上の『一強』となった米国や植民地支配の過去を抱える英仏に対し、『西側リベラリズムのおごり』と批判する国さえある。その中で、日本は独自のODA(政府開発援助)を駆使して努力を重ね、『欧州はうんざりするが、日本は違う』と評価も集めた。首相はここをうまくすくい、西側とつなぐ役割を果たしている」
ただ、今後はこの外交でも、首相にとって厳しい難局面が待つと説く。
「この戦争が終わったとき、どう新しい国際秩序を作っていくのかが焦点となる。そこでは、日本がすごく損な立場になるわけにはいかない。日本は必ず、それなりの地位を占めなければならない。国内では国民生活に目配りしながら、対外的にはこの難題に挑まなければならない。岸田さんに限らず、自分が首相になりたいと狙っている人にとっても、答えを出すのは簡単ではないはずだ」
テーブルには『野菜の揚げびたし』が登場した。パプリカとカボチャ、なすを素揚げして、甘辛いマリネ液にしっかりしみこませている。香ばしい夏野菜の香りと甘さが、冷えた久保田によく会う。
谷垣さんが「水内さんは産経新聞だからこっちが好きかな」といいながら、テーブルには白い陶器に「中華民国立法院」と書かれた蒸留酒「白酒(バイジュウ)がやってきた。テーブルには、「中華人民共和国」と書かれた「貴州芽台酒」も登場。「酒に国境はありませんよ」と酒巻俊介カメラマンが笑ったが、私はなんとなく中華民国を注ぐ。
食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 谷垣さんに「一気に飲み干すんですよ」と言われたが、アルコール度数は50度! しかし、独特の香ばしい匂いがさわやかだ。昨年、谷垣さんのインタビュー連載を担当し、今回同席した豊田真由美記者は「食道の位置が分かる」とむせながら飲んでいる。
「この前、フランスのマクロン大統領がNATO(北大西洋条約機構)の東京事務所開設に反対したでしょ。私は心理がよくわかるんですよ」
谷垣さんが語りだした。 「海洋国家の道を選ぶか、大陸のつながりを大切にするか。各国が個別の事情を抱えていますよね。英国は海洋国家の道を選び、EU(欧州連合)から抜けた。残った独仏を中心とするEUはどうするか。陸続きの中国に経済などの利益を全部取られては大変だ。中国とうまく付き合いつつ、必然的に、カザフスタンなど中国の周辺国とも協力する。フランスがNATO日本事務所に反応した背景は、ここまで見なければならないと思うんです」
谷垣さんも白酒をなめる。
「日本もずっと、2つの選択を迫られていたでしょう。海洋国家としてアングロサクソンと組むか、大陸につながるところと組むか。日本では明治以降、右翼を中心に、中国や韓国と組んで欧州に踏みにじられない大義の旗を立てろという議論があった。しかし、当時は日英同盟を選び、今は日米同盟。アングロサクソンと組む流れを継いでいる」
「韓国も、似たような選択を迫られてきましたよね。北朝鮮との関係強化を図った文在寅(ムン・ジェイン)前大統領は、日本でいえば、沖縄県の米軍普天間飛行場の辺野古移設にブレーキをかけた鳩山由紀夫元首相の言動に近いと思っているんですよ。韓国では『北と南の連携を強くしていこう』という訴えが国民の喝采を浴びる面もあるでしょう。ただ、今の時代に文政権みたいな道をとるとあまりに支離滅裂になる。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が誕生したのは、日本にとっても本当によかった‥、ああ、すっかりいい気になってペラペラしゃべっているなあ」
谷垣さんが車いすを少し動かしながら話題を変えた。
「最近は新聞を読みながら、私と同世���の方の回顧録をよく読むんですよ。私たちの世代は一体何を残したか-と考えながらね」
谷垣さんは昭和20年生まれだ。
「例えば歌手の加藤登紀子さん。読売新聞で連載していたが、彼女は私の1歳年上で、東大の五月蔡でシャンソンの『赤い風船』を歌っているのを聞いたことがあります。彼女と政治的立場は大きく異なりますが、同じ時代の空気を吸ってきた。もう1人挙げれば、ピアニストの山下洋輔さん。彼は麻布高校の先輩で、文化祭でピアノを弾いていたのを覚えている。ジャズという日本でまだ珍しかったやり方に挑んでいた」
「もう1人、倉本聰さん。彼は喫茶店でアベックのすぐ横に座り、会話をじっくりと聞きながらシナリオを練ってきた。テレビをどう活用するのか、一生懸命考えてきたんですね。戦後日本の可能性を開くためさまざま頑張ってきた」
「逆にいえば、そうそうたる大会社に行き、少し前まで『半導体は日本だ』と頑張った友人がいた。しかし、今は見る影もない-。俺たちの世代は何をやってきたんだろう。私とすべてジャンルは異なるが、この年になって、じっくり考えるんですよ」
日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 少し遠い目をする谷垣さん。自らも、政治の中枢で時代を動かしてきたじゃないですか。
「自分のやってきたことはこんな副作用を生んでいたのかと考えるものばかりですよ。自分の思った通りになったことは絶対ない。ほとんど、予期しないことが起きている。例えば難民の問題。私は議員になりたての頃、自民党法務部会の副部会長としてこの問題に取り組みました。当時は無制限に外国人を入れるととんでもないという議論があり、入国には『職業訓練』という形を取り入れたが、今から思えば、物の見方が足りなかったと自省することが多い。『こんなこと考えもしなかった』という問題が次々と起きてね」
もう一例として挙げたのが、女性の社会進出の遅れだ。
「私は昭和20年生まれだから、現行憲法の『男女同権』は素晴らしいと教わった。しかしその私が何をやってきたかといえば、政治家の傍らで、家事は全部女房に押しつけた。家事はやってみると結構大変ですよ。こんなこと言ったら、あの世の女房に怒られるかもしれないが、専業主婦じゃない人が家事に取り組むのは大変だ。今は働く女性が圧倒的に増えたでしょ。亭主と女房がどっちも働いているのに、家事は女房だというんじゃね。子育てしながら政治に携わる上川陽子外相や加藤鮎子こども担当相は相当優秀ですよ」
子供2人を育てる豊田記者が「家事をしない人と結婚できませんよ」と合いの手を入れる。
「でも、少子化対策って、政府の政策でこなせるものなんですかね」
シャッターを切っていた酒巻俊介カメラマンが尋ねた。(聞き手 水内茂幸)
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(67)
『強靭な国家』を造る(4)
「世界で最初に飢えるのは日本」なのか(その2)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
米国の雑誌「タイム」が岸田首相のインタビューの
特集記事として、「日本を軍国大国に変える」して
いた見出しを「平和主義だった日本を国際舞台でよ
り積極的な役割をもたせようとしている」と変更し
たが、記事そのものは「軍事大国」としたまま変え
ていないとした記事がニュースになっていました。
当然、アメリカも言論の自由が保障されている国な
ので、だれが何を言ってもよいのですが、「タイム」
誌の記者たる者が、この日本を「軍事大国」と呼称
するぐらいの見識しか持ち合わせていないことに愕
然とします。
GDP比2%の防衛費年額約10兆円はようやくN
ATOに肩を並べる水準ですし、アメリカは約85
80億ドル(約114兆円)〔2023年度〕、中
国の約1兆4505億元(約26兆3000億円)
〔2022年度〕には遠く及びません。その上、未
だ憲法にも明記されておらず、反撃能力を保有する
としても「専守防衛」と��う不可思議な防衛政策を
堅持している我が国です。
この記者は、日本に対する「ビンの蓋」的な発想と
か、「平和主義」の原点である「日本憲法はアメリ
カがつくった」などの思想を保有しているのでしょ
うか。このような時にだけ、「さすがアメリカ」と、
“それが何を意味するかもロクに考えないまま”国
内の同調者がことさらに騒ぎ立てることも問題なの
です。
本当に困ったものですが、個人的には、様々な話題
を世界に発信したい「タイム」誌なれば、もう少し
“賢い記者”を抱えてほしいと願うばかりです。
▼「食料自給なくして独立なし」
前回の続きです。鈴木宣弘氏も引用している言葉で
すが、食料に関してまさに“身につまされる言葉”
を送りましょう。まず「食料を自給できない人たち
は奴隷である」とのキューバの著作家ホセ・マルテ
ィの言葉です。我が国でも、明治時代、高村光太郎
が残した言葉として「食うものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」
との有名な言葉もあります。
鈴木氏は、「日本に独立を名乗る資格があるのか」
として、現政権などの政策に「食料自給率」の言及
がないことを取り上げ、「日本には『食料安全保障』
が存在しない」とも指摘します。
ゴールデンウイークを利用して、『安倍晋三回想録』
を読破し、改めて諸所に感銘を受けましたが、農業
政策に関する記述はほとんどありませんでした。安
倍元総理は、財務省とはかなり喧々諤々の議論を重
ねたようですが、「経産省政権」と揶揄する向きも
あるように、経産省主導の政策が多かったことは事
実でした。鈴木氏は、「かつては農家が自民党の票
田だったが、農家が減ったことで票田の価値が下が
ってしまったことなどが積み重なって、農政全体に
『ゆがみ』が生じてしまった」と指摘します。調べ
てみると我が国の戦後の農業政策についても意外な
事実があることがわかりました。その概要を紹介し
ておきましょう。
▼我が国の自給率低下と農業離れの要因
 
私たちは一般に「日本は島国で国土が狭いために農
地面積も限られている。よって、食料の自給率は低
くて当然である」という考えを持っていますが、長
い歴史を振り返ると、我が国は、(現在より人口が
少なかったとは事実ですが)、伝統的に食料自給率
100%を維持してきました。
だからこそ、江戸時代は鎖国政策を採用できました
し、外国から資源の輸出入ができないような情勢下
にあっても、様々な工夫で再生可能な植物資源を活
用する独自の「循環型社会」を築き上げてきたとい
う歴史があります。
戦後の歴史を紐解くと、意外にも我が国の食料自給
率が下がった原因は、「貿易の自由化」と「食生活
改善政策」にあったことがわかります。もっと具体
的にいえば、自動車などの関税撤廃を勝ち取るため
に農産物の関税引き下げと輸入枠の拡大を認めたの
でした。そこに、アメリカやヨーロッパが自国の農
家に補助金をジャブジャブ出してダンピングを仕掛
けてきたため、日本の農家は壊滅的打撃を受けてし
まったのです。
特にアメリカは、当時、小麦の生産過剰が問題にな
っていましたので、日本人の食生活を無理やり変え
させてまで、我が国をアメリカの農産物、特に“小
麦の一大消費地”に仕立て上げようとしました。
様々な宣伝・情報工作の中で、当時、影響が大きか
ったのが1958年に出版された『頭脳─才能を引
き出す処方箋』(慶応大学名誉教授・林たかし著)
でした。本書には「米食国民は一歩遅れる」として
「米を食うとバカになる」「日本人が欧米人に劣っ
ているのは、主食の米が原因である」などの主張が
掲載されていました。本書はまた、発売3年で50
刷を超える大ベストセラーになり、その影響は計り
知れないものがありました(ちなみに、本書は現在、
アマゾンの中古本として、最低価格が4758円、
中には1万円を超える価格で売られているものもあ
ります)。
当然ながら、この主張は科学的根拠が全くない「暴
論」のようですが、慶大名誉教授の肩書も手助け
し、当時は“正しい学説”としてまかり通りました。
これが「洋食推進運動」に発展して、「日本人の食
生活近代化」のスローガンのもと、和食を「排斥」
する運動まで拡大しました。この結果、本来、洋食
に反対するはずの農家の人々まで洗脳され、欧米型
食生活を崇拝するようになりますが、「これほど短
期間で伝統的な食文化を捨てた民族は世界史上もほ
とんど例がない」と鈴木氏は指摘します。
この背景には、「日本農業を米国農業と競争不能に
して余剰農産物を買わせる」というアメリカの「し
たたかな食料戦略」があったことは疑いなく、19
73年、当時のバッツ農務長官が「日本を脅迫する
のなら、食料輸出を止めればよい」と豪語したとの
記録も残っています。
終戦後の占領時代の初期、「日本が二度と武器を持
って米国に立ち向かうことができない国にする」と
のトルーマン大統領の「降伏後における米国の初期
の対日方針」が発出され、マッカーサーの占領政策
の方針になります。1970年代と言えば、日本が
オイルショックから一早く立ち直り、ホンダやトヨ
タがアメリカ進出を果たした頃でしたが、その報復
というべきか、1970代あたりでも、トルーマン
大統領の「対日方針」がくすぶったままとはいえ、
まだ生きていたのでした。冒頭の「タイム」記事を
読むと今でも一部に残っていると感じざるを得ませ
ん。
▼その結果が「減反政策」や「酪農」を危機に
伝統的に、米を主食としてきた日本人にとって米の
安定供給は大きな課題でした。特に、戦後の“食糧
難”を経験した日本は、「米の生産量引き上げが国
全体の問題である」といっても過言でない時代があ
りました。
そして、この問題を解決するため、戦後まもなく過
ぎた頃、肥料や農業用機械の導入が進むなど技術革
新が起こり、米の生産量を大きく引き上げることに
成功し、米が名実ともに家庭の主食になりました。
個人的な体験で言えば、小学校の低学年の頃まで、
近所の農家はみな、農作用の馬を飼育していました。
兄が耕運機を購入して我が家から馬がいなくなった
のは小学校4年生の頃、つまり昭和36年だったと
記憶しています。その後の農作業の風景が様変わり
し、我が家も近くの畑や牧草地などを改良して田ん
ぼの面積を大幅に拡大するとともに、兄は、精米に
加工するためのライスプラントを建設し、近所の米
の精米を支援していました。
そのような折、前述の「洋食推進運動」が広がり、
「主食=米」の常識が徐々に崩れ出し、日本人の食
卓の欧米化が進行し、「米離れ」が加速しました。
この結果、米が生産過剰になり、生産量を調整する
ために、政府は「減反政策」を導入しました(昭和
44〔1969〕年に試験的に開始、1971年本
格導入)。これに対して、農家は当初は激しく反発
しますが、政府は、米農家の転作を支援するために
補助金を支払うことで農家を納得させ、事後「減反
政策」は約50年間続けられ、平成28(2018)
年、ようやく終わりを迎えます。
2018年に終了した理由は、高く販売できるブラ
ンド米を耕作する農家が増えて、業務用の米が不足
するようになったのが原因の一つと言われています。
食料増産を目的として米生産は、終戦時の900万
トンから20年後の1967年に1400万トン超
まで拡大しますが、「減反政策」以降の50年間で
半減し、最近は700万トンを切ってしまいました。
つまり、餓死者が出た終戦時より人口が1.7倍に
増えているのに、米生産は当時よりも少なくなって
しまったのです。
1960年以降、中国もアメリカもインドも、米の
生産を3倍以上に増やしていますし、世界全体では3.
5倍に増加している中で、日本のように、米が主食
にもかかわらず、米の生産を減少��せている国は極
めて稀でした。
▼“米離れ”が招いたもの
 
2011年の総務省「家計調査」の結果、日本の一
般家庭におけるパンの消費額が米を上回ったと話題
になりました。1世帯(2人以上世帯、農林漁家世
帯除く)あたりの米に対する年間支出額2万742
8円に対し、パンは2万8318円と逆転したので
した。これは昭和21年(1948年)に始まる
「家計調査」史上、初めてのことだったようです。
現に、我が国の小麦の2016~20年(5年間)
の平均流通量は、国産82万トン(14%)のみで、
488万トン(86%)が輸入、その内訳は、アメ
リカ(49.8%)、カナダ(33.4%)、オー
ストラリア(16.8%)で、この3カ国でほとんど
を占めています。
ここでとても興味深い事実に気がつき、私自身は唖
然としました。ほとんどのパンやめん類には「小麦
粉(国内製造)」と書いてあります。実は、外国産
小麦を“国内で製粉した小麦粉”だからこのような
表記になっているのだそうです。
小麦の需給と価格の安定を図るために、政府が外国
産小麦の輸入と売り渡しを行なっており、製粉会社
は国が決めた“売り渡し価格”で小麦を購入して小
麦製品を作っています。小麦や小麦加工品(小麦粉
など)を輸入すると最大で1kgあたり158円の
関税がかかりますが、国が輸入する小麦には関税は
かかりません。
小麦粉は食品スーパーなどで、1kg100円ほど
で特売されていることもありますが、わざわざ高い
関税を払って小麦や小麦粉を輸入する人はいないの
で、外国産小麦から製造された小麦粉は“国内製
造”なのだそうです。
 
さて、米農家が「減反政策」で向かった先は様々で
した。その1つとして、「酪農」について取り上げ
ておきましょう。
我が国が「酪農」に力を入れたのは、我が国がGA
TT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟した
1955年以降でした。つまり、貿易・資本の自由
化が進められて、日本経済の開放体制のなかで、日
本農業の零細性の克服や生産性向上が求められたこ
とが始まりでした。
それを受けて、1961年、政府は「農業基本法」
を制定し、新しい農業と農業政策の方向を示し まし
たが、 経済成長に伴う所得上昇によって牛乳・ 乳
製品の消費量増大が予想されたため,「酪農」は
「農業基本法」の“選択的拡大”部門として位置づ
けられました。
そして、酪農支援策(低利融資、補助金、技術普及
等)の結果、1960年代から70年代、「減反政
策」で米作を諦めた農家が酪農に転向したこともあ
って、酪農農家は飛躍的に増加します。しかし、そ
の形態は、大半が水田の裏作や転作で飼料作物を生
産する 「水田酪農」と呼称される稲作と酪農の複合
経営に留まったという一面もありました。
一方、日本の酪農は、国内の飼料基盤が不十分 なま
ま輸入飼料に依存して急速に発達した ところに大き
な特徴があり、1970年には49.3%であった
飼料自給率は低下の一途をたどり、2007年には
32.8%まで低下します。
時を同じくして、人口増加に伴い、乳製品の消費量
も増加しますが、折からの乳製品 の輸入自由化、関
税率低下、円高もあって乳製品の輸入量も増加しま
す。事実、牛 乳・乳製品の自給率は,1960年で
は89%であ ったものが90年には78%に低下し,
2007年には66%まで低下します。また、飲用
乳の消費量も1994年をピー クに減少に転じます。
その後も、継続的な減少局面に転じ、現在に至って
います。
これらを背景に、酪農農家、特に経営規模が小規模
の「水田酪農」は減少に転じ、1970年代に、3
0.7万戸もあった酪農家は2022には1万33
00戸にまで減少してしまいます。こうして、酪農
と水田農業の結びつきが弱まった とはいうものの、
酪農家の5 割が米を生産しているといわれます。
残った酪農家も最近はコロナ禍やウクライナ戦争の
影響で生産資材価格が上昇し、特に200頭以上の
牛を飼育する大規模経営が赤字に陥っており、この
ままでは赤字がさらに膨らみ、連鎖的に酪農家が倒
産する可能性もあるといわれ、現に北海道ではかな
りのハイペースで倒産が相次いでいるようです。
コロナ禍などの理由以外に、北海道の酪農家は、輸
入している脱脂粉乳を国産に置き換えるための差額
として乳代1キログラムあたり2円以上の負担金が
課せられているようで、酪農家に重くのしかかって
いるのが実態です。
政府が主導した「畜産クラスター事業」(畜産の収
益向上のために、畜産農家を核として地域の関係事
業者が連携・結集していく体制をいい、これによっ
て、補助金として機械や設備導入時に本体価格の2
分の1の国庫補助を受けられる)の結果、全国的に
牛乳余りが生じ、酪農家は経営危機に直面している
一方で、海外からの乳製品輸入は据え置き、酪農家
には「乳製品が過剰だから、生乳をしぼるな、牛を
処分しろ」という矛盾しているではないかと疑問も
沸き上がり、「人災としての危機」と批判されてい
ます。
子牛も値下がりし、生後1カ月の雄子牛がだいたい
1万円ほどでコロナ前の10分の1に下がっている
ようです。餌代にもならない価格に、一斉に酪農家
がいなくなるとの危機感も叫ばれています。
ふたたび、個人的な経験ですが、「減反政策」で米
の生産を諦めた兄は、「水田酪農」に転じますが、
今度は「乳余りのあおり」を受けて、多額の借金を
抱えたまま酪農を諦め、その後、和牛の飼育に転じ
ます。その和牛飼育も12年前の福島原発事故の影
響で再びあきらめざるを得なくなりました。多額な
借金を息子の代(私の甥)になって完全返済したの
はようやく昨年でした。
第2編でも紹介しましたが、「政治家と農林省の官
僚(の愚策)によって、50年前に農業を奪われた」
と今なお、事あるごとに口癖のように語る兄ですが、
実際にこのような被害を受けたのは決して我が家の
みではなさそうです。次回、「日本の農業は過保護
なのか」について、諸外国と比較して“見える化”
してみましょう。意外な事実に気がつくことでしょ
う。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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kennak · 4 days
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大阪府立高校で進行中の統廃合計画についてまとめたものとなっている。 政党機関紙の記事であり、一般的な商業紙の「社説」に相当する部分ではある。その一方で政党の主張などが前面に押し出されたわけではなく、この間の事実経過と、保護者・教職員・府民の声を客観的にまとめたような構成になっているとも受け止められる。 大阪府立高校統廃合 大阪府立高校については、ベビーブームによる高校生急増期が落ち着き、少子化での高校生減少期になった1990年代~2000年代以降、断続的に統廃合計画が打ち出され、進められてきた。 現在の高校統廃合計画に直接つながるのは、当時の橋下徹大阪府知事が原案を出し、それを引き継いだ松井一郎知事のもとで進められた、府立学校条例である。この条例は2012年に成立し、「3年連続定員割れの高校は再編を検討する」と明記された。この条例のもとで統廃合が進められ、この10年ほどで約20校の府立高校が廃校・募集停止の方針が決まっている。 このことで、特に府内の周辺部にある高校が廃校になるなどし、「通学定期代などがかかり通学時間も長くなるなどして、負担が重くなる」などとして、生徒の学ぶ権利に影響を与える状況となってしまっている。 2019年3月に閉校となった西淀川高校(大阪市西淀川区)では、私学の学費負担に耐えかねて転校した生徒を積極的に受け入れるなどの取り組みもおこなっていたが、その役割が失われたことになる。 2021年3月に閉校となった長野北高校(河内長野市)では、中学校時代に学習につまづいた生徒に対して、教員がていねいに接したことで生徒の学力が伸び、当該生徒は国公立大学から大学院に進学したことも報告されている。 募集停止となり2025年3月に閉校することになっている泉鳥取高校(阪南市)では、当時市で唯一の高校*1でもあり、維新系とされる市長も含めて「市在住の生徒の学びに影響が出る」などとして再検討を求めたものの、募集停止が強行された。 2024年8月に統廃合方針が打ち出された大正白稜高校(大阪市大正区)は、大正区内にあった府立高校2校)を「3年連続定員割れ」として、2018年度に統廃合で新設されたばかりの高校でもある。それをさらに「定員割れ」だとして統廃合し、近隣高校に振り分けるという構想になっている。大正区には、大阪市立から移管された府立泉尾工業高校もあるが、大阪市立時代に構想された計画により、現在の東淀工業高校(大阪市淀川区)敷地に統合して新工業高校を設置する方針がすでに決まっている。これらのことで、計画通りに統廃合が決まった場合、大正区から公立高校がなくなるということにもなる。 府立学校条例での「競争激化」 府立学校条例を進めた維新府政では、「(学校が)切磋琢磨してより良い教育を目指す」(吉村洋文大阪府知事)などと主張している。 しかし実際には、切磋琢磨どころか、一部の条件がいい人気校と、交通面などで不利な不人気校の格差が拡大するだけのことになっている。「切磋琢磨」といっても、大学進学者数・部活動成績・交通アクセスの便利さ・高校入試での競争倍率など「わかりやすい」というか一面的な基準で競争させられ、目に見えにくい「一人一人の生徒に寄り添った取り組み」などの基準は後景に追いやられている形にもなっている。 大阪府の私学完全無償化施策もあり、2024年度には、府立高校の過半数が定員割れともなった。 また定員割れについては、大阪府の施策であえて作られている側面もある。これは、2009年大阪府公立高校入試での苦い経験がある。折からの不況に加えて、当時の橋下徹大阪府知事が私学助成金を削減したことに伴い、私立高校は授業料値上げを余儀なくされた。このことで公立高校に志願者が殺到し、定時制の2次募集まで定員オーバーして、不合格者を大量に生み出す事態が起きた。この経緯から、その後の公立高校入試では、定員には余裕���もたせている。 これらの経過を棚上げにして、定員割れを理由に府立高校の統廃合を進めて、選択肢を狭めるという悪循環。これでは、学ぶ権利を保障する公教育の役割を否定することになってしまう。 維新府政の「高校つぶし」 維新府政のもとでここ10年ほどおこなわれてきた大阪府の公立高校をめぐる方針では、「府立学校条例」による府立高校減らしだけでなく、「チャレンジテスト」などによる高校入試制度改悪、私学完全無償化での制度設計のまずさからくるしわ寄せ、大阪市立高校の府立への移管なども含めて、多方面で悪質な「公立高校つぶし」となり、生徒・保護者・教職員を含めた府民にしわ寄せが来ていることになっている。
維新の大阪府立高校つぶし、競争強制が学びを奪う - きょういくブログ
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starfish667 · 6 months
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  我自幼丧母,八岁的时候我先天的皮肤病忽然发作,在医院被查出来了,于是我就被父亲托管给了叔叔。人幼年的时候是分不清幻想和现实的,也无法明晰是非与黑白的概念。人总要明确自我的概念,才知道什么是表演。人总要在心里明确世界应有的模样,才能知道什么是荒谬,什么是是非,什么是现实,什么是幻想。所以我那时并不觉得我被抛弃了,也不觉得孤独。
  我却因此对父亲产生了好奇,好奇父亲的模样,好奇这「抛弃」究竟是何物,好奇父亲的心灵是多么的与众不同,多么的可贵,才让他做出这种选择,我深深地痴迷于此,盼望着哪天能再见他一面。
  但我没等到这一天,他八年后就病死了。
  葬礼前我从同学那里知道,他好像早就和另一个女人有了别的孩子了,这平庸的真相使我失望。他的心灵不再是我想象里那般的丰富而绚丽,只是一个可耻的出轨的丈夫。
  这种真相除了使我失望以外发挥不了任何的作用,我的好奇心从一开始就不纯粹,我只不过是期待着我所有喜爱的「真相」。
  我想着这些,愤怒地看着棺材里他的尸体,看着他的相片,唯一能回忆起的就是在叔叔家边上告别时他阴沉的面孔,此刻他的脸在我的记忆里变得越来越模糊了,好像蒙上了一层黑色的雾。那日的阳光也变得格外的强烈,公路上方的空气扭曲了城市的模样。
  现在想想,自那时起,我的世界就已经开始了偏离。
  叔叔一直是被家里人骂没有出息的,他常年一个人生活在山间的一条公路旁,从那里出发,沿着公路往南走几公里能到一个小县城。我们就生活在路边的一个简陋的小屋中,和城里人做些草药的小买卖维生,收入不多,但对于一个物价低廉的小县城,也足够我们生活了。
  在这里我照样上着学,学业之余帮着叔叔上山采药。我就在山里,学校,小屋三点之间往返,过着这样的生活。
  这样的生活,日复一日,日复一日,公路上的车年年不同,我们却从未改变。叔叔生性沉闷,与我交流不多。而我在学校也守着我的品格,好和他们这些自利的虫豸划清界限,他们的一切行为背后都有简单到令人发指的动机——虚荣、贪婪、功利、色欲还有价值欲——他们每个人都有属于自己的罪名。而我不愿和他们同流合污,我靠着皮肤病,让自己的皮肤变得丑陋而斑驳,好让人一眼就明白,「我是你的敌人」。
  我们就这样在世间各自守着各自的孤独。
  我虽然能从中感到洞察他人人性的快乐,却也怀疑着自己的精神,我洞悉了他人的一切,我在贬低他人的人格中获得着不尽的快乐,但我却无论如何无法完全彻底解释明白自己的精神,这种不协调使我不爽。我虽然一直付出着代价,维持着我自身的复杂,但是这样压抑的日子,却使我的皮肤病愈来愈重。
  从家出发顺着公路往北走,不远处有一片小树林,林子里竖着一座高楼,十分突兀,与四周的青山极不相称,好像来自另一个世界。当我忍受不了生活的压抑的时候,我就会半夜偷偷来到这里逃避,坐在公路旁的土坡上,欣赏着这座高楼。
  夜晚这大楼里有着异常的魅力,这里不应当说是漆黑,更像是弥漫着一片片黑色的雾,充斥着每一层每一间屋。这种黑色不因光的缺失而存在,而是某种自在的物质,月光只能照亮它,亦或者驱散它,却不能否定它。
  我害怕大楼前面的这片林子,我在那中间迷路过一次。那天我是白天进去的,半个多小时就迷失了方向,那天是阴天,我找不到太阳的方向,只得焦灼地徘徊着,阳光刺痛着我的眼睛,照到我身上时,我仿佛要像吸血鬼一般消散。后来我兜兜转转,找到了一条小溪,我顺着溪流往上走,逐渐就走到了高处。我站在高处向着远方眺望,树的海洋像是长在石头上的青苔,包裹着土壤,不远处的城市如同土地上的疹子,细密而瘙痒,令人生厌。但是不管怎样,我还是找到了方向。
  我拨开枝叶,朝着公路的方向走去,忽然觉得脚下一软,低头一看,眼前的景象我终生难忘:
  那是一条绿色的蛇,围着一片白花花的卵,它嘴里正咬着一块碎了的卵壳,旁边流着透明而晶莹的汁液,树叶打碎了阳光,使点点的水珠闪闪发光,好巧不巧,我大概是踩中了它的心脏,等我从惊吓和恶心中缓过来,它已经动弹不得了。
  我忽然害怕回家了,于是便简单找了片小溪边的空地生了把火,在那里坐下来,看着车来车往,云来云往,看着天空从日暮变到天黑。
  森林里现在也充斥着黑色的雾,和大楼里如出一辙,这雾让人恐惧,让人窒息,但也……如此让人着迷。
  「世界本该就是这样的!」我望着黢黑的森林,放肆地大喊。心脏像是被箭矢射中一样疼痛,这种疼痛从心脏蔓延到四肢,从四肢蔓延到指尖,然后……就在这痛楚之中,生发出了一种快感,这快感是绵长而激昂的,甚至甚于将我的皮肤挠成血淋淋的快感。于是我继续冲着黑雾呐喊,在火堆旁与自我搏斗。
  两天后我下了山,叔父没有多说什么,只是沉闷着做着工。
  自此以后,这股奇异而巨大的黑色愈来愈吸引着我,就像花朵吸引着蜜蜂,饭菜吸引着苍蝇,火光吸引着飞蛾——它们没有本质的区别。我明白,我的世界,属于这片充满了「幻想」和「恐惧」的黑暗。
  无数个夜晚,我坐在土坡上幻想着我与那栋大厦的相遇,在我的幻想里,那里存在着我想要的,真正的,迷幻的黑——就像父亲的脸,蛇的卵,我的皮肤还有我的心。
  这栋大楼至少应当是个烂尾楼——在我所有的故事里,它都扮演着这个角色,不然它的黢黑,它的孤傲,全部都会失去它的意义。
  我对于大楼里雾中的世界的欲望愈发强烈,我明知真相的虚无,却又按捺不住对于真相的渴望。终于有一天,我猫着腰,越过荆棘和草树,走到了它面前。黑色的雾气早已不使我窒息,反而是我变得离开这种扭曲就无法生存,哪怕这使我浑身皮肤斑驳,鲜血淋漓,哪怕这使我永远无法摆脱这份孤独。我抬头望着它的高大,它带着它的残破升向天空,好似歪扭的树木在向上生长,蕴含着某种生命力一样的东西,好似在引诱着我去探索。
  我对着它,打开手电一照,这本应破烂的钢筋和水泥在光抵达那里之前就迅速地变成了完好的砖瓦,趁着我还惊奇于这荒谬的现实,那墙壁又马上变成了无数的镜子的粘合,我走远了两步,再打开手电一看,这大楼已经活脱脱变成了一座宫殿一般奢侈的公寓。
  我惊诧于现实的模样,又为这幻术一般的把戏感到愤怒,我仔细地用手电筒照着每一寸的房间,却没有找到一丝原来破败的痕迹。「它一定是躲在光照不到的地方」我这么想着,可是那股黑雾却确实哪里都找不到了。
  我坐在楼外的土坡上,望着太阳无情地运行着,黑色的雾气随着阳光散去,「真相」显露了出来。
  真相总是让人悲伤的而毫无意义的,真相从人的手里夺取一切的权力,现实明明只存在于幻想之中,而真相却总是让幻想失去现实的依托,失去分量。我憎恶现实,但却没有���绝世界的勇气,于是我也憎恶着自己的懦弱。
  我拼命地朝着树林迈着脚步,树叶划破了脸颊,脚底踩出了鲜血,眼泪渗出了眼皮。
  我站在树林外,向回望,一颗病木斜在树林前,阳光倾泻,树叶与枝干交织出光和影,透过眼泪,光与影融成一片,忽然又分离,朦胧又真切。我一瘸一拐走到这树前面,抬头瞻仰着,只是眼睛盯着它,就有止不住的眼泪。黢黑的雾气忽然变得黯淡了,就如同白色的水雾掺入了黑。我心中的骄傲变得黯淡了,正如我的挣扎变得迟缓了。
  幻想与现实的分割再次变得模糊,我带着拒绝世界的勇气,回到了树林之外。
  流云裹着夕阳缓缓飘过,少顷,夕阳从金黄变成红色,又从红色变为紫色。
  是的,夕阳是深暗的紫色,我再度走到大楼的门前,烂尾楼回来了,黑色的雾气也回来了,紫色的夕阳打在烂尾楼上,美得让人沉醉。我闭着眼,打着手电,走在大楼中,我体味着权力的乐趣,忽然我不知怎么,笑了起来。空荡的房间回响着我的笑声,好像曼妙的音乐。
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tokyomariegold · 7 months
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2023/11/5
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11月5日 何もない日にしたかった。 なんだかんだでいまだに湿度を(高いと)感じる日々で除湿機をもう一度使い始めている。
ヨガとピラティスの前にショッピングモールで日用品などを購入。今日は何のイベントも開催されていなかったけれど、ハロウィンから一気にクリスマス仕様へ様変わり。少し写真を撮りたくなった。 今日まで無印良品週間だったのでネットショップで品切れになっていたものと、レンジで使えるタッパーを買ってカレー作り用にした。
ヨガのスタジオへ行くといつも同じ時間に受講している方々から「あら!元気だった?」と声をかけてもらう。9月以降、イレギュラーな感じで日曜の昼以外の時間に受講していたので、彼女たちと入る違いだった。これまで特段交流をしたことはなかったけれど「久しぶりに見かけて嬉しくて…」と話しかけてくださったみたい。ちゃんと嬉しかった。 少しまた囲い込まれた気持ちにもなった。
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2本レッスンを受けながら、昨日一期下の方と過ごした赤羽のことを思い出して、少し(かなり?)突っ込んだことを聞いてしまった気がしている。 同棲するけれど結婚する気はないことを親御さんに不思議がられて実家と少し距離を置いていたことや、結婚しようと思えないのは相手の家族に入っていかなくてはいけないことに抵抗感があること、相手の親族の旅行に誘われて「とても行きたくない!」と思っていることなど。話してくれて嬉しかったし、聞きたい話だったけれど、わたしは何も言えなくて、人も店も多いのになぜか暗い赤羽の街を眺めてしまっていた。 その後お洋服とファッション誌の話もした。 一期下といえ、年齢はかなり離れているため、彼女はP.S.と菊地亜希子ちゃんを知らなかった。
FUDGEを読んでいたと聞いて、web版のFUDGEを見て、そこからBRUTUSとPOPEYEもweb版で楽しめてしまっている。
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あと赤羽根の商店街、駐輪場の自転車だけ多くて人は少なくて、まちおかみたいなお菓子屋さんとまちおかがあって、一つ隣の道に西友とダイエーがあって、商店街の終わりには中学校があった。 中学校の窓越しに、牛乳パックで作られた牛乳パック型の家が飾られていた。 (牛乳パック型にしなくてもいいのに…と、子供の創造力ってこんな感じ、を目の当たりにした気持ちでした。)
今日も1日があっという間で、明日からのことを考えて血の気が引いている感じ。 電車の日能研の広告に、1日が4.8時間で一年が500日くらいの星に関する問いがあり、1日24時間365日のこの星に縛られ過ぎている、と思った。
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今日もぶんぶんチョッパーで玉ねぎをぶんぶんしてカレーを作ってみた。 SNSで友人からヒヨコ豆とねりごまをぶんふまんしてスムフを作れると教えてもらい、早速やってみたい気持ち(でもスムフってどう食べるの?)
夕方の予定で指輪をみて「結婚したんですか?」と訊かれる。引く手数多でしょ〜、的な応えにくいほめ言葉(と思っている)も言われる。 それとリンツの青とオレンジのチョコレートもいただく。
1人でも家を買ってもいいんだ、と思えてから、今の部屋でくたくたになるまで住んで、東京に家を買うのもありかな?と思ったり、一度関西を挟みたいな?と思ったりしている。
早く頭と身体の熱が冷めますように。
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literalchuhsien · 7 months
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恨的時候,其實有愛
有讀過高中的人都知道,高中生活堪稱人生最壓抑、晦暗的時期,我們青春正盛、對人生惶然迷惑卻充滿活力,渴望爆發的靈魂受到壓抑,擠壓成憤怒的蝴蝶骨,再被考試剝奪,蛻出惡魔的翅膀,卻無處遨翔。
翅膀一人一雙,擠得教室密不通風。那時的我也汗流浹背、憤世嫉俗,而且直接了當——對教學能力差的老師冷眼相待,對才華洋溢的老師熱情招呼。並沒有要好好遵守大人眼中的「尊師重道」一準則,態度之明顯,連我的導師都把我叫過去,要我收斂一點。
再加上我敢愛敢恨的行為,也受班上一些同學排擠(或恐懼?),有人認為我很帥,也有人認為我很怪。面對同學的不理解,我也度過許多掉淚的日子。
熬過了完整的高中生活,到校的最後一天,班導師要我們每一個人都上台發表簡短的離別感言。
全校瀰漫著分離的傷感與不捨,知道我個性的好友,非常期待我上台的時候語出驚人,把大家的假惺惺像吐痰一樣吐在地上,再把她也討厭的老師、同學透過我的嘴全部數落一遍,雖然我也正有此意,但其實我很猶豫——在這最後而顯得珍貴的一天、在同窗三年的同學們面前,我到底想留給他們什麼呢?我到底要說出我的觀察、我的發現和我的厭惡,還是傳達我未來可能會有的懷想、我還想得到的感謝以及我由愛(或感傷)而生的慈悲?當時的我直到上台的那一刻都不確定,說厭世的話確實很酷,也大概���讓所有人驚跳,甚至還會被明天過後再也不會碰面的老師責罵。但20年後,我想起這件事,很欣慰自己選擇了後者。
我相信大概沒有什麼人會記得我說了什麼,因為我說出口的,乍聽之下,就像大部分同學說出口的一樣。不過我對這件事一點都不後悔,也對自己內心深處還有的愛意,感到驚喜。
我不知道這是不是一個秘密,但我幾乎沒看過有人提,那就姑且認為它是吧:
其實憤世嫉俗的人是深愛這個世界的。
20240226
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chentailai · 7 months
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【HP BLUE BEETLE 】My blue in the noche nevada【3】
这篇比较短,主要是hellbeetle(非完全cp,偏cd
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……
要是海梅死掉了,因为他为万圣节准备的恶作剧烟花死掉了——
不会的,海梅有卡基达,卡基达一定不会让海梅死掉的。虽然一个火花正中了他们,但他们一定不会死的,对吧?
哦天啊,天啊!
从片片黑烟中,闪出一小片蓝光,像是在指引埃德似的,蓝色是希望的颜色,虽然它看起来很悲伤
埃德发誓他从没这么喜欢过蓝色,他跌跌撞撞地跑过去,扑到那一堆碎石里,一块块地将石头从海梅身上拔开,海梅颤抖地伸出手将自己左肩上的石块推开
“海梅!”埃德欣喜地将海梅从废墟里用力一拉来,然后抱住了好友被黑色装甲覆盖的上身
“你还活着!”
“我当然还活着……咳,埃德你的烟花,我看见了…起作用了”
“别管什么狗屁烟花了!”
“好了,好了咳……你轻点抱”埃德赶紧松开定睛一看,海梅满身都是烧焦的痕迹
“我的腹部受了不少伤,不过都被卡基达的装甲挡住了,他正在帮我疗伤呢不用担心……就是有点疼”
海梅抬头看着埃德,对方正一脸惊恐和懊悔,
苍白的脸色显得他的脸更像一片白纸了
“不过没关系,瞧,我们救了大家”
埃德张了张嘴还想说些什么,却被身后断木碎石的声音吓了一跳,他紧张地转身查看,然后马上脱掉外套盖在海梅的装甲上。紧接着,他们的变形课教授琼恩举着魔杖快步从浓烟中走了出来
“谁受伤了?”琼恩看着埃德的嘴唇快速地颤抖了几下,一边慌张地扫过海梅的身体,琼恩直视埃德的双目,看来明白了什么,将魔杖插回口袋后立刻把海梅抱起来,转身对着其他赶过来的人说:“这里有个孩子急需治疗”
“布隆伯格先生,你去医务室”
埃德快速起身跟着琼恩一起跑回浓烟中
“虽然你们这次表现的很好,但埃德先生,你在学校里制作大型烟火这是严重违反校规”
“格兰芬多扣50分,好了,你们出去吧”
埃德一副乐呵呵的样子“我从没见过咱院长这么喜欢我过~”
“你快得了吧”海梅笑着拐在埃德身上,另一只手臂在维吉尔身上,他被两人抬着从办公室的楼梯下去
“但我最高兴的是你们都没出事,不然我会……”
“哦”
当三个人看见那个在楼梯下面等着他们的人时,他们都惊呆了, 一时间不知道该不该走下去
一个看起来大一年级的女生,有显眼的白发,还戴着一个单眼罩,不客气地抱着手臂盯着他们几个
“罗丝”埃德小声的咂砸嘴
还有一个人,再熟悉不过了,当下格兰芬多的学院明星兼那个永恒的全年级第一,提姆.德雷克
很明显那个叫罗丝外号“劫掠者”女生是陪着他过来的
三人组相互对视一眼,慢慢的走下去,埃德尴尬的开始打起招呼
“你好啊,罗丝,你们怎么来了?”
“埃德.布隆伯格,现在已经是宵禁时间了,我就长话短说”
“基于你们在万圣夜的优秀表现,作为少年泰坦的团长,我在此邀请你们三个加入我们”
罗丝在一旁冷哼一声,提姆为难地看了她一眼
“哦哦……好”埃德强装镇定,但他的嘴型暴露了他“没问题”
“那好,明天下午第四节课下课,三楼左边走廊的第五个空教室里面的虎皮猫油画,告诉她你们的绰号,如有变化我会再通知你们的”
“还有你”提姆转向中间被抬着的海梅“蓝甲虫对吗?”海梅没有忽略提姆在说这个外号时抬了一下眉头
“海梅.雷耶斯,我听说你有些特别的才能”
“额……我…不”
“我���望在泰坦社团里你能将你的特别才能展示给我看”
“我不,我没有……”
“我还听说……”提姆的表情突然像是被泼了水一样
“你是泰德.科德的学生?”
“额,泰德先生,额,对……额”
提姆突然变得对自己非常生气的样子
“我知道了,明天见,希望你们可以成为我们的一份子”
“再见”埃德快乐地对着他们挥手道别,罗丝转过头狠狠地瞪了他一眼
“没想到居然还邀请了我,我做什么了?我不太擅长社团活动”维吉尔烦恼地挠了挠头
“没事的”
卡基达不舒服的在海梅脑子里叫了一声,模糊的听起来就像猫咪叫声一样
“大概吧”
『一见钟情』
圣诞节的晚宴马上要到了,作为为学校做出巨大贡献的少年泰坦成员,海梅他们也可以参加舞会
自从他们成为了泰坦的一员,女孩子便开始对这三个非主流的玩意十分青睐
埃德坐在格兰芬多的桌子上开始对周围��一堆女生胡乱鬼扯,洋洋得意的样子让其他两个人只好在周围看情况
“话说提姆前天把你拉到学校外面的怎么回事啊?”
“well……他其实是泰德先生的粉丝啦,拉着我说了很多”
“这样啊,真没想到。不过我记得最近日报上发表了一些小道新闻,说提姆是布鲁斯.韦恩的养子,我关注了这几天的头条,发现原来真是”
“谁谁谁?!谁的养子?!”
“布鲁斯.韦恩啊”
“跟埃德说我晚点去看他的魁地奇选拔,我要先去找一趟提姆”
“嘿——等等海梅,我们不是还要去找舞伴吗?”
据圣诞节晚宴还有两天,埃德敷着包裹着冰块浸鼠尾草根汁的布包,把红色的长发撩到耳后
“你这是怎么了?”海梅一边试穿寄来的礼服长袍一边问道
“他去邀请罗丝”维吉尔按照报纸上会动的一个小专栏系领带
“然后在众目睽睽下被打翻了”
“她就这么讨厌你吗?”
“快别说了,我倒大霉了,罗丝今天心情不好”
“我也是才知道,原来少年泰坦内部的感情关系很乱……”
埃德惆怅的看向窗外,草丛里尽是精灵的光芒,美丽的星星点亮了整座雪白的城堡,檞寄生点缀在每一棵圣诞树上
“罗丝去邀请提姆,然后被拒绝了……”
“我去找她的时候,卡茜正好来了,两个女人,看起来马上要杀了对方”
“……女人…真是怪透了…恋爱什么的”
埃德梳理一下乱发,拿出皮筋将长发在脑后扎成马尾
“你们呢,找到舞伴没有?”
“你猜怎么着,梅甘愿意和我去,她比我们小一年级,太害羞了一个小姑凉,不敢去邀请其他人”
维吉尔耸了耸肩
“我觉她是想到舞会后再去邀请康纳,因为太多人围着这个“超级小子”了。我很乐意帮个忙,把她送到舞池里去,然后到时候再找别人”
“我没找到……额,我忙了别的事”海梅眼神躲闪,看起来没什么自信
“我记得有个低年级向我问过你来着,海梅,不过她太小了……做舞伴就…”
“好吧”埃德把布包扔掉,从床上跳下来,语气有些沮丧和烦躁
“你们就进舞会后听天由命吧,我要出去狩猎了,作为一个红色的魔鬼”
当埃德从宿舍出去的时候,维吉尔和海梅担忧地对视一眼,埃德的状态越来越不对劲了,而他们完全摸不到这其中的头绪当那扇木门关上时,卡基达好像听到什么,暂时从睡梦中清醒过来那像是一声叹息
“我不觉得光是关于女孩的事让他这么不对劲”
“我也觉得,听说Tim他们是在搞三角恋?”
“据小道消息说…是卡茜暗恋罗丝,罗丝喜欢Tim,Tim喜欢康纳,卡茜喜欢康纳,卡拉喜欢卡茜,康纳喜欢卡拉……额”
“这都什么和什么……”
当西装革履的男士们搂着他们美丽的舞伴在银色的灯光下纵情歌舞时,海梅和埃德正在宴会厅外的花园里渡步
谁能想到最后没找到舞伴的只有他们两个,连入场仪式都没参加
海梅疑惑地看着埃德,这家伙太不对劲了,他本来以为他会像一股野火冲到舞会里点燃所有人才对
“现在就只有我们两个了,虫屁股”埃德听起来有些伤感,他穿着印着火焰图纹的红色西装梳着整洁的高马尾
海梅觉得自己穿着像一个普通的社区牧师,加上他刚蓄起来的小胡子,显得更加早熟
“你怎么没去找个伴呢虫屁股,我看见那三个女孩在楼梯口堵住你……你比你想的要受欢迎知道吗?”
埃德扯了一下嘴角,试着别出一个像样的微笑这倒让海梅受不了了
“拜托”他快步走到埃德面前迫使他停住脚步
“来吧,埃德,男人,我们需要聊聊”
“我…什么……我不”埃德明显慌了神往后退了几步,隔开自己的好友
“你完全不对劲埃德,连圣甲虫都看出来了”
“拜托男人,告诉我发生了什么”
“我们可以一起解决”
“我不……”埃德别过头去不看海梅“这件事不是我们可以……”
“那就去找大人帮忙啊!埃德,求你了,我们都很关心你”
海梅缓缓地向埃德靠近着:“告诉我发生了什么,是因为罗丝吗?埃德……”海梅看准时机抓住埃德的双手,这样他就不会再往后退
“你不必独自承担这一切…我永远都会在这里帮你”
他用真诚的眼神看着Eddie,试图让Eddie信任他
“Eddie……”
埃德终于不再逃避海梅的目光,他转过头
“还记得我二年级时和你说的吗,关于我……”
他突然像是看见一条火龙一样猛地闭上嘴,拽着海梅的后领把他拉到自己一边
“罗丝?!”
罗丝.威尔逊正气势汹汹地向他们走来
“埃德,我在找你,你居然不在舞池”
她看一眼海梅,面色缓和一些,海梅吓到怔在原地不动
“要和我跳舞吗?”
“我……什么?!”海梅猛地推了一下埃德的后背,小声地说了一句:“加油”
“当然愿意”
当埃德被罗丝快步拉走时,回头看了一眼海梅
海梅笑着向他挥了挥手
话说埃德本来要跟他说什么来着?
算了不重要,海梅想,玩的开心amigo
TBE
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预警,下期开始会有明确cp。我要开始补作业了,可能没多少时间发
我恨作业!!!我开始发刀了。
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