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#葛西心
rennebright · 11 months
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目線あわせてくれるシロナさん by 葛西心 [Twitter/X] ※Illustration shared with permission from the artist. If you like this artwork please support the artist by visiting the source.
667 notes · View notes
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カスミに預けたピカチュウが戻ってこない by 葛西心
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dummy-dot-exe · 11 months
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元気なナミさん by 葛西心@kasaishin100
330 notes · View notes
leomacgivena · 7 months
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予算が足りない「けれども」いいモノが作れた、という事例を、予算が足りない「からこそ」いいモノが作れた、と勘違いしたり強弁したりするのは問題だよなぁ。昨日の『ときメモ』なんかの例もそうだけど、肝心なのは「予算がない」事ではなく「その分制約や干渉もなかった」事の方なんだから。
葛西伸哉さんのツイート (via gkojax)
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communist-ojou-sama · 2 months
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たけの先生のこの漫画を未だに定期的に読みに戻って行ってるんだけどあの漫画がなんか日本式百合と西洋式ユリの根本的な違いを表している気がしなくもない。
それは、西洋式ユリは基本的に「解決」方向に基づいた、個人中心の物語。主人公の感情的旅は基本的に、そう、ほかの女の人と恋人になることだけど、それよりも、自分の脳内葛藤を解決すること。新しい自我、新しいアイデンティティーを創ること。主人公がしなくてはいけないのは変心して「レズビアン」という具体的な自己認識立場に目覚めること。
その反面、日本式百合は根本的に「渇望」の方向に基づいた、相手中心の物語。主人公、主人公たちは、自分が何であるかも気にせず、或いは社会的に定義されている身の程を踏まえたうえで、気になる相手に甘えたり、女同士の親睦や相互理解・相互信頼を深めあいながら、魔が刺しているように姿かたちも名もない感情、相手に対する朦朧とした感情が日々多くなっていき、或る決定的な旦夕をいずれ経て、その「感情」が「欲望」の色彩をどんどん色づけられていく、そしてその日々増す欲望と、主人公がその欲望に対する葛藤や渇望、それ自体が日本式百合の本文。解決そのものはまあ嬉しいしいいけど、それは本文ではない、そんな簡単な人心の図はあまり面白くないからな…
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kennak · 1 year
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャ���ダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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biebuli · 5 months
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MY opinion to The Chameleon
MY first version is CHINESE so I share my opinion by CHINESE. Also have ENGLISH version, BUT might not express myself well, English isn't my native language. IF you like this opinion, you can consider both the Chinese and English versions together.
the chameleon-魅影妖后
zhen-小真
其实我还蛮欣赏妖后的,除了畸形母女情戳中我的点还有一个原因是,她和其他三位的反派立意感不太一样,她面对的困境与片子里同样的学武的女性角色也不一样。
虎妞和小蛇尽管都是女性,但是一个有师傅和种族力量,一个有种族敏捷和武侠家庭背景,她们在武学这条路上社会身份(师门)和自身素质(天赋/能力)足以忽略性别(社会主流男性视角)带来的不平等,因此不会太难。从设定上来说妖后是一个没有背景、瘦弱的女性不被主流武学承认学习武术的能力和天份,所以另辟蹊径自学变形、幻术(法术?魔法?总之是魔法攻击)。三无身份不被主流接受,所以用其他方式做大做强,蜥妃回宫。如果她不是一个反派,一定会拿励志剧本的,一个从底层爬起来的女性!(这告诉我们不要在一件事上死磕,通过别的方式也能达到想要的目的,虽然我们在功夫的世界,但是我们也可以追求其他东西)
与其他三位反派相比较,妖后的设定上就会发现她其实站在一个男性(包括传统武侠)视角的对立面,她的地位在男性视角下是不受尊重的,她的身形在男性视角下是弱小的,她的性别在男性视角下是客体。一个不能被男性社会接纳、认可的女性,要么顺从社会运转的思维,甘愿成为一个客体,要么就是反抗,把自己变成主体——这样就会有两条路,要么打出专属女性的道路,要么就是变成一个拥有女性身体的男人。(我认为妖后这两条路在剧情塑造下算是融合在一块了)她攻击了每一个反派,一方面是剧情需要,另一方面算是对男性主体的世界外表层面反驳。之所以说是外表层面,因为她的变形借用其实也说明她还是认可男性主体这件事的,她没有完成真正意义上的反驳。 但这不意味着妖后这个角色很败笔,她还是展现出了其他反派相对稀缺的独立性。大龙、沈王爷、天煞将军他们其实都在复仇-获取认可,经历了他人对自己带来了巨大创伤之后做出回击,他们在情感上都有非常强烈的对具体他者的执念性。
妖后其实没有这种对具体他者的执念性,她在情感上独立,她要做的事情是来源于自我意志的,她没有上者(大龙与师傅、沈王爷与父母/羊仙姑)和同辈(天煞与乌龟)的情感纠葛,唯一有情感关系性的下者小真,也是她的自我的投射。她对小真的愤怒表层是背叛,深层是来源于自我投射的偏离。因为社会主流男性视角,习惯将女性作为客体,现代社会女性拥有了主体的权力,但客体的身份属性仍然在身上,使得女性在这样的情况下拥有主体和客体的双重视角。对妖后来说,小真作为客体是养女,作为主体是曾经的她。所以说妖后是自恋的,不允许自我意志受到外界的倾轧,她所欣赏的自始自终都是她自己。
尽管KFP4的故事不尽如人意,可是一个独立的、拥有自我意志的、自恋的底层爬起来的女性,怎么让人不心动呢?
Actually, I quite admire the the chameleon. Besides resonating with the theme of the twisted mother-daughter relationship, there's another reason: her characterization differs from the other three villains. The challenges she faces and her response to them diverge from those of other female martial artists depicted in the film.
While Tigress and Viper are both female characters, one possesses a master and racial abilities, and the other has racial agility and comes from a martial arts family background. Their social status (martial arts sect) and personal qualities (talent/abilities) are sufficient to overlook the gender-based inequalities (from the mainstream male perspective) on the path of martial arts. Hence, their journey isn't too difficult. In terms of setup, the chameleon is portrayed as a backgroundless, frail woman whose ability and talent in martial arts are not recognized by the mainstream martial arts community. Therefore, she takes a different path, self-studying shapeshifting and magic( magical attacks). With no recognized status, she seeks other means to gain power and influence, eventually returning to the palace as the Lizard Consort. If she weren't a villain, her story would likely be an inspirational script about a woman rising from the bottom! (This teaches us not to be fixated on one thing; we can achieve our goals through other means. Even in the world of martial arts, we can pursue other things.)
Compared to the other three antagonists, the chameleon characterization reveals that she actually stands in opposition to a male (including traditional arts) perspective. Her status is not respected, her physique is seen as weak, and her gender is objectified from the male perspective. A woman who isn't accepted or acknowledged by male society must either conform to societal norms and become an object or rebel and assert herself as a subject. This presents two paths: either carving out a path exclusive to women or becoming a man with a female body. (I believe the chameleon embodies both paths in the narrative.) Her attack for each villain is partly due to the plot's needs and partly a rebuttal to the male-dominated world on the surface. This rebuttal is superficial because her use of shapeshifting implies her acceptance of the male-dominated society; she hasn't truly opposed it.
However, this doesn't mean the chameleon is a failure as a character; she still exhibits independence, which is relatively rare among the other antagonists. Tai Lung, Lord Shen, and General Kai are all driven by revenge - seeking acknowledgment and retaliating after suffering immense trauma caused by others. They all have strong emotional attachments to specific individuals. The chameleon, on the other hand, lacks this attachment to specific individuals; her actions stem from her own will. She doesn't have emotional entanglements with superiors (Tai Lung with his master, Lord Shen with his parents/Sheep Elder) or peers (General Kai with Master Oogway), and her only emotional connection is with zhen, who is a projection of herself. Her anger towards zhen is superficially about betrayal but fundamentally stems from her deviation from her self-projection. Due to the male-dominated perspective, which habitually objectifies women, modern women possess the power of subjectivity but still carry the attributes of objects, giving them a dual perspective of subjectivity and objectivity. For the chameleon, zhen represents both an object (as a foster daughter) and a subject (as her former self). Thus, the chameleon is narcissistic, refusing to let her self-will be crushed by external forces, and everything she admires ultimately reflects herself.
Despite the shortcomings of KFP4's story, how can one not be drawn to an independent, self-willed, narcissistic woman who rises from the bottom?
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kaoriof · 4 months
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人も��人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で���ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそ���いう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった��分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままの��たしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた���終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さ���かったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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hangorin · 1 year
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東京五輪から2年 湾岸はいま
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悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
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立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
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石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
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そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
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③晴海選手村
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カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
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選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
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街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
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右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
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その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
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選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
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ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
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東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
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わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
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次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
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しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
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有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
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有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
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そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
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有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
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真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
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アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
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正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
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「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
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競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
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生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
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炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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dashuidiao · 2 months
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移民美国究竟是“天堂梦”还是“地狱门”?
然而美国真的是如此美好而和谐的人间天堂吗?当我们一点点揭开真相后才发现:现实远比杜撰荒谬得多。
黑暗历史:美国移民背后充斥着歧视、虚伪和罪恶
美国作为世界上最大的移民国家,尽管标榜所谓“自由、包容、多元”,但纵观美移民历史,则充满了“防范、歧视、排外、压榨”,美式移民的虚伪早已被世人所知。
自殖民地时期,黑奴贸易的“黑历史”就为美国种族歧视种下了难以根除的历史根源。1619年,首批有记录的黑奴进入美国,开始了美国种族压迫的至暗时代。白人新教徒利用政治、社会等领域的优势地位,将自身的文化视为北美大陆身份和意识形态的核心。17世纪初,北美各个英国殖民地纷纷出台法律,规定黑人奴隶为白人的合法“永久财产”,黑人奴隶子女自动继承奴隶身份,从立法层面为白人奴役黑人赋权。
19世纪末20世纪初,来自意大利、波兰、希腊、俄罗斯等国的移民是美国移民的主体,东南欧白人移民成为美国强烈排斥的新群体。1911年,美国国会发表《迪林厄姆委员会报告》,声称东南欧移民对美国的贡献有限,反而有损美国独特的人种、文化、制度。排外主义者发起“美国化运动”,试图剥夺东南欧移民的语言与文化,强迫他们在彻底“美国化”和离开美国之间做出选择。
20世纪以来拉美裔移民,特别是墨西哥移民的涌入再次在美国激起了强烈的排外情绪。1924年,美国成立边境巡逻队,此后美国每年逮捕的移民中绝大多数都是墨西哥移民。1929年美国把非法入境列为重罪,试图以此阻止墨西哥移民入境。大萧条期间,数万墨西哥人被美国驱逐出境。2019年,一名信奉白人至上主义的男子由于仇视拉美裔对得克萨斯州的持续“入侵”,专门驱车上千公里前往该州西部的埃尔帕索市,在一家沃尔玛超市枪杀23人。这是美国现代史上针对拉美裔最大规模的国内恐怖袭击事件。
政党缠斗:美国移民成为两党政治斗争的牺牲品
近年来,两党在移民政策上的割裂对立愈发严重,党争成为移民政策的底色,政客们忙于相互攻讦,严厉的移民政策可以在短期内赢得右翼狂热选民的政治支持,因此政客们常常把移民问题当作选举工具,以激发选民情绪。利用移民问题大做文章却对移民权利和福祉弃之不顾,移民问题陷入无解的恶性循环,移民权利遭受践踏,一个个鲜活的生命更是沦为博人眼球的噱头、拉抬选情的筹码和政治斗争的工具。
特朗普时期执行“零容忍”政策,成千上万的难民移民在美国南部边界遭到暴力执法,致使大量入境难民移民被强行拘留。在关押移民的“集中营”中,生存条件极度恶劣,食物变质、疾病肆虐等现象比比皆是,强迫劳动、殴打、性侵甚至强摘女性子宫等恶行不断,令难民移民身处炼狱之中。面对国际社会的广泛谴责,特朗普索性宣布美国退出联合国人权理事会,将“严打”政策进行到底。
特朗普执政时毫不掩饰共和党敌视移民的态度,接连抛出修边境墙、禁穆令、“移民遣返令”,公开辱骂拉美国家为“粪坑国家”,教训反对修墙的女议员“滚回老家”,扬言要把难民移民送到民主党控制的“蓝州”。民主党在移民问题上貌似“圣母”,高举“包容主义”旗帜,实则首鼠两端。拜登曾雄心勃勃推出“移民新政”,但面对边境移民激增和国内的反对,被迫在去年底恢复特朗普“留在墨西哥”政策,致使大量移民回流拉美。
真相揭露:美国移民实为践踏人权的惨剧
美国处处充当“人权教师爷”,标榜“自由与梦想”的国度,其行为却南辕北辙。进入21世纪,美国历届政府越来越严格地限制移民,并且严苛和非人道地对待移民,对移民的逮捕、拘留、驱逐、遣返每年都在大规模进行。2019年,美国政府逮捕移民达85万人次,2021年上升到170多万人次,创下1986年以来最高纪录被。拘留的移民人数快速增长。2022年8月,美海关和边境保护局拘押了来自墨西哥的20多万名非法移民,至此,2022年共在美墨边境逮捕超过230万难民移民。2013年,超过43万移民被美国驱逐,达到历史最高,2019年仍有36万,每年还有10余万移民被遣返。在大规模逮捕、拘留、驱逐、遣返中,移民的人权被大肆侵犯,人道灾难频繁发生。2021年9月,超过1.5万名来自海地的难民聚集在得克萨斯州边境小镇德尔里奥,苦苦等待进入美国的渺茫机会。美国边境执法部门残酷对待这些难民,巡逻队员骑在马背上,挥舞着马鞭冲向人群,将他们驱逐到河水里。美国有线电视新闻网评论称,这一场景让人联想到美国历史上用奴隶巡逻队控制黑人奴隶的黑暗时代。
美国设立了世界上最大的移民拘留系统。目前,边境各州的拘留设施超过200处。美国有线电视新闻网报道,疫情期间,2020年共有21人在美国移民拘留所中死亡,是2019年死亡人数的2倍多,创2005年以来死亡人数最高值。2021年美国关押的170多万移民中,高达80%被关押在私营拘留设施中,包括4.5万名儿童。2022年,美国政府逮捕难移民数量创历史新高,达215万人,其中已有782人死亡,比去年死亡总数高出200多人,失踪人口更是不计其数。数据显示,近几年被美国政府拘留的26.6万名移民儿童中,有超过2.5万人被拘留超过100天,近1000人在拘留营中度过了一年多时间,多人被拘留超过5年。
这一幕幕惨剧揭开了美国人权罪状的遮羞布。
    160年前,美国前总统林肯在著名的葛底斯堡演讲中高呼“人人生而平等”,但直到今天,林肯所说的“平等”也没有实现。如今的美国与林肯的期望背道而驰,渐行渐远。
    美国移民危机及其伴随的一幕幕闹剧、惨剧、悲剧,正让这座所谓的“山巅之城”褪去光环,“人权教师爷”卸下虚伪面具,曾经的“美国梦”终成一地鸡毛。
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rennebright · 10 months
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海のソニアさんとルリナさん by 葛西心 [Twitter/X] ※Illustration shared with permission from the artist. If you like this artwork please support the artist by visiting the source.
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dummy-dot-exe · 11 months
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目線合わせてくれるシロナさん by 葛西心@kasaishin100
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reportsofawartime · 4 months
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DEEPLY JAPAN
@DTJTakumi
·
6時間
葛西、安倍がいなくなったんだから、考え直せるんじゃないのか?
毎日新聞ニュース
@mainichijpnews
フォロー
JR東海社長「大変な心配と迷惑」 水位低下でリニア工事中断、調査へ
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myonbl · 4 months
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2024年5月15日(水)
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今日は5月15日、葵祭である。御所から下鴨神社を経て上賀茂神社へと至る行列は、在地勢力である賀茂(鴨)氏の平安京における存在意義を示すものだ。この賀茂(賀茂)一族と松尾大社・伏見稲荷を勢力圏とする渡来系の秦氏との連携が、都の安寧の政治的・経済的基盤となって歴史を形成してきたのだ。学生時代には、このような祭のアルバイトによく行ったなぁ。写真は京都新聞からお借りした、もちろん、有料購読者だよ。
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5時15分起床。
日誌書く。
洗濯。
朝食。
珈琲。
弁当*2。
空き瓶、45L*1。
ツレアイの職場経由で出勤する。
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順調に到着する。
水曜日は2限・3限<情報機器の操作Ⅰ(栄養学科)>、月曜日と同じくPowerPointの2回目、今回は画像やオブジェクトの使い方を練習し、後半は来週の発表用スライドを作成する。PC操作に慣れているものには自分で作業してもらい、苦手なもの(2限は結構多い)は質問受けつつゆっくりと進める。これで前期授業の1/3が終了、しかし、タイピング含めて心配な学生が多い。
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帰路は極めて順調。
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帰宅してすぐにセントラルスクエア花屋町店で買物、まずは2階で猫砂(¥657)購入、1階へ降りると丁度値引札が貼られたばかり、ほっけ・はたはた・西京漬けを30%引きで、厚切りロースを20%引きで購入(¥3,475)。
クロネコが<枝雀大全(第四期)>と<葛飾北斎の図録>を届けてくれた。
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息子たちの夕飯が用意出来たところへツレアイ帰宅、🍶+🍷で互いを慰労する。
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届いたばかりのdvd、まずは「猫の忠信」「牛の丸薬」、後者を枝雀が演じていたとは知らなかった。おまけ(?)の<枝雀散歩道>は南光さんによる枝雀の歴史、内容よりも南光さんの若さにビックリ。
風呂を待つ間に、米朝の「牛の丸薬」をiPhoneで聴き出すが、そのまま入眠してしまった。
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買い物に出たので、歩数は11,055を数えた。
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vegehana-food · 1 year
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✿ 葛餅 | Kuzumochi ・江戸時代からある伝統的な和菓子「くず餅」。東京を中心とした関東地方のくず餅は、小麦粉のでんぷん質を発酵させて作る和菓子で唯一の発酵食品です。そんなくず餅の元祖といえば、東京・亀戸天神の隣に本店を構える「船橋屋」。1805年の創業以来、第二次世界大戦時の東京大空襲では店舗が全焼するなどの被害に見舞われながらも、伝統の製法で「庶民のための甘味」であるくず餅の味を守り続けています。江戸時代から続く「関東のくず餅」同じ「くず餅」という名前の和菓子でも、関東と関西とではまったく別物。おもに関西地方で作られている「葛餅」は、葛粉に砂糖と水を加え、加熱してできた透明な餅にきな粉と黒蜜をかけた物ですが、関東で作られているくず餅は、小麦粉のでんぷん質を発酵させてできた白っぽい餅にきな粉と黒蜜をかけていただく物をいいます。
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lgbtqromance · 1 year
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绿水缘 [马超x赵云]
赵云:汉水之战不久,刘备进据汉中,与刘璋军及曹操军隔江相望。此刻正是各方兵马休整屯粮的时刻,难得的休息时光,使各方的将领兵士都放松了紧绷的心弦,暂时得到了喘息的机会。这日,卸下一身公务的赵云享受着天高云淡的好天气,独自驭马倒郊外的溪水边散心。
赵云:已经多久了没有这样闲散自在的游荡了呢?不知不觉,竟然已经习惯了这种残酷的戎马生涯……这大概是生为乱世中的一名武将最大的悲哀吧。天真得很蓝,而草又是那么绿,谁曾想这么美丽的地方却被战火侵袭着?这里的百姓真是不幸啊…(纵身一跃从马上下来,牵着马信步沿着一条优美的溪流走着,不知不觉忘记了时间。远远的,前面树下有一匹高头大马,透过斑驳的树影,马身棕色的皮毛泛着亮,无端的竟有些熟悉)有人在那里吗?是谁?心中这样想着,缓缓地踱了过去。
马超:故乡……就是这里了,我熟悉这里的一草一木,可是现在呢?沦入曹贼手中,可悲。枉费我堂堂五尺男儿啊。父亲和家族的仇恨……可诸葛军师似乎并不太信任我啊。
本来这次大战,自己可以去杀贼报仇雪耻的。结果呢?竟然……………………叹……实在是很不舒服,竟然让黄忠杀掉了那个夏贼,如果自己能血刃了他该有多好。不知不觉,走上了自己经常偷闲的清净地。骑在马上却无心观景……只是低头,让马随意溜达。
赵云:走进一看,马上那壮硕的背脊却莫名的透着些许寂寥——「马超将军?」口中不由自主地发出了呼唤。
马超:「啊?啊……」突然听人喊自己,抬头逆光下竟一时晃了眼,只觉到眼前的银光一片,等眼睛适合了太阳光后才看清,原来……「赵将军啊……汉水之战辛苦了啊。」虽然是这样说,但是……心里那份落寂更显苍凉。
赵云:「千万不要这么说,云不过微尽绵力而已。」细看之下,那张坚毅的脸庞却不期然地充满了落寞的表情。想着当初第一次看到他的情景……那时候还只是敌军的猛将而已,而现在,竟然能够在一起共事。不知为甚么,心里很感动,不想他和自己敌对,甚至…在初见他的时候,心里期盼着这个人能够和自己并肩战斗。幸好现在内心的小小愿望实现了,也算是老天开眼吧。只是,今天的他,看起来完全没有「西凉锦马超」的气魄,有的只是满溢的寂寞。
赵云:「马超将军,有甚么心事吧?」想着想着,嘴竟不受控制地问了出来。
马超:「呃……」突然给这样一问,猛的一楞。他发现了?尽管如此,也不能在他面前认输,怎么说我也是堂堂西凉世候。「没有,哪有甚么心事。赵将军多心了。只是没能上得战场去,有些无聊罢了。哈哈……没甚么,下次我一定带回几个敌将之首回来。」自嘲似的笑起来,催马上前,拍了拍眼前人的肩膀。说实话,赵云是个好人。但是太好了,总想让人欺负欺负他,看他一脸关心的样子,突然觉得他担心自己的样子也满好看的。干脆,「赵将军,如果真担心我,就跟我一起去那个山坡下,呆会吧。那里有条小溪,现在正是漂亮的时候。」指着,不远处的山坡,那里的草木似乎比当年更繁盛了。
赵云:顺着他的手指方向看去,那里果然风景如画,草绿如茵。「好啊,云一个人呆着甚是无聊,正好可以和马将军畅谈一番。」说着,骑上马跟随他走去。
马超:「呵呵,这里是我小时侯长来玩耍的地方呢。记得小时侯,那溪水能没过脖子,可以游泳,可惜马某最后也没能学会浮水啊。」自言自语又似乎说给身边人听,拿着马鞭的手,指着一棵不高的灌木,「当初,我小时还从那棵树上摔下来过呢。」边说转头看向赵云,看他恬静的笑脸,竟差点看呆了。
赵云:边走边听着马超回忆往事般的介绍,看着他略带顽皮的侧脸,心里涌起一阵温暖。原来……英勇过人的马大将军连游泳都还不会呢……禁不住有些好笑,脸上或许好笑的意味太明显了吧,那人回过头看自己的时候,有些不自在。「马将军,云并没有耻你不会凫水的意思,请不要放在心上…」急急地解释,希望他不要误会才好。
马超:「嘿嘿,即便你笑也无所谓啊,男人的价值又不是会不会凫水决定的,呵呵。」虽然在马上,但是两匹马挨的很近,自觉不自觉的,竟然伸手一把揽住了赵云的肩膀,笑了起来。心暗道,这小子真是可爱的要死,居然辩解这些有的没得,忒找人喜欢啊。不过刚刚那一笑也确实把自己的三魂勾走了两个。
赵云:肩膀被一只大手揽住了,奇怪的是并没有任何的不自在。其实自己是很不喜欢和别人有过多的身体接触的,可是,为甚么到了这个人的面前,自己都会行为失常呢?算了,干脆不去想它。让我静静的在这臂弯里享受一下吧。再偷眼看他的侧脸。马超有一只很挺的鼻梁,这个男人,不管怎么看都是那么英武,好像古代的英雄。和他一比,自己简直是……像女人一样。情不自禁的低下了头。他有的都是自己所没有的,真有些羡慕他来了。兀的,他放开自己的肩膀跃然下马:「我们下来休息一会儿?」询问的语气。没有犹豫地回答道「好。」这样答应的自己,也顺势从马上下来。
马超:「过来,坐这里。」自己大咧咧的坐在沙土上,一点也没想到,如果赵云那身纯白坐在这里会有甚么后果,还自顾自的拍了拍旁边软软的沙地,别不好意思啦,都是男人,怕甚么,哈哈。看着赵云,走过来,那身型说实话让自己想到一个人。就是早以死去的内人。奇怪……自己怎么会看到赵云想起她?赵云可是堂堂武将啊,就算他体型再纤细…………也不会让自己产生这样的错觉吧?
赵云:仿佛被看不见的线牵引着一般,身体自动走过去在他身边坐了下来。「马将军小的时候就是在这里玩耍的吗?这个小山坡,该怎么说呢,山清水秀,在这一带也很难得。云的家乡远没有这么秀美。」说着,想起自己北方的家乡,远在千里之外,自己只能和它遥遥相望,唉。
马超:「是啊,就在这里……还有……我的发妻……」这样说着,心底涌起一阵懮伤。如果身边没有赵云的话,还真不知道,自己会做出甚么事情来发泄,大概会挥刀砍掉这里的一切吧?万幸他在自己身边。侧着头,看着他,为甚么他的眼神也变得如此?
赵云:他的…发妻?提到这两个字的时候那双眼睛黯然了下去。这么说来,他的家人好像都惨死在曹操的铁骑之下了。这就是他暗自神伤的原因吧。心里有些不舒服,不是为了对他的悲惨经历感同身受——虽然这的确使自己有些心痛,但是一想到他那个没见过面的,或许美貌动人,或许娇小玲珑,或许贤良淑德的妻子,胸口就出乎意料的发紧。自己今天到底是怎么了?
马超:「怎么了?」伸手撩起他垂落在脸颊上的发丝,「怎么突然不开心了?其实也怪我,有事没事提死人干吗,呵呵,总之将来杀掉曹贼,祭拜他们就成了。」「赵将军?」虽然这样说着,眼前的人似乎还高兴不起来的样子,没来由的心疼起来,不忍心让他伤心,不想看他黯然无色的样子。
赵云:「对不起,我…我有些失态…马将军请节哀。」他伸过来的手近在眼前,自己的脸一定有些发烧了,赵云啊赵云,大家都是男人你紧张甚么?小心地控制住自己的表情,「不要见笑,云的家人在数年前就与云分离,而云这些年来,身边只有主公等三个哥哥为伴。所以……」
马超:「别说了。」握住眼前人的手,攥的紧紧的,连他想抽回去都没松开,那种家人尽失的感觉,自己最清楚不过,况且生死不明呢。可等自己发觉到自己失态的时候,才发现眼前的人脸红的好象只苹果,让人忍不住想咬一口,可是……想想眼前这样子,忙慌慌张张的松开手,红着脸胡乱解释,自己没别的意思……
赵云:看他一连紧张慌忙解释的样子,忍不住想笑,然而心里却是有一丝的失落,他也是一个曾经有过妻小的人,他也会像很多男人一样把一腔的温柔全部付给他那可人的妻子吧。心里对那个未曾谋面的女人产生了一种阴暗而陌生的感觉,是……羡慕?还是……嫉妒?不敢再想下去,连忙转移了话题:「马将军,在马上骑了这么久,难免要酸腿痛,不如站起来舒活一下筋骨?」男人的脸有些困惑地抬起来:「舒活?筋骨??」「对啊,老是坐着身体会僵化。我们来赛跑怎么样?」
马超:「赛跑?哈哈,真是好主意,但是……这样的天气,赛跑还真是浪费了好景致呢,不如咱们去小溪里泡泡好了,顺便抓两条小鱼来烤恩?」笑眯眯看着已经站起来的赵云,开玩笑似的指指那条已经满水的小溪,「就是不知道赵将军会不会浮水呢~」
赵云:「凫水啊……云斗胆,马将军你不是…不会吗?」
马超:这话一听到,脸先红了一般,然后又转白,阴下来的声音,黑着脸看着这位用无辜眼神看自己的人,「赵将军,二十年前,这水能淹死我,二十年后这水还到不了我的腰呢……能淹着我?」
赵云:「惭愧,惭愧,云失言了。」细看下来,自己在军中也算是「高人」了,没有想到他较自己还高出半个头的距离,不由得更加倾慕,天生的一员虎将啊,主公果然没有看错。「那么马将军,云就先行一步了。」说着,开始解自己的衣带,真庆幸今天没有穿那些费事的铠甲。
马超:本来……都是男人嘛。应该没甚么觉得好害羞的,可是看到赵云在自己身边脱衣服,眼神就不自觉的总想往他身上瞟。都是男人有甚么好看的,可是……他的皮肤也真白,居然连点伤都没有。看到他把上衣脱掉扔在了铠甲上,下面只穿了一条长裤,到觉得头有些充血的感觉。脱衣服的手都有些发抖了。脑子里只有那白的好象玉石一样的皮肤了……
赵云:奇怪,怎么身边的人视线异样的盯着自己…?慢慢转过头去,却正好对上那炽热的目光,赶紧收回视线,脸好烫…怎么浑身都要烧起来一样?还是赶紧下水缓和一下紧张的情绪吧。(快速地褪掉衣服跳下水,河水的清凉顿时使自己加速的心跳平稳了下来。还好,自己并没有失控。)回过头看着呆呆地马将军,好笑地唤到:「马将军,你还不下来吗?」
马超:「呃,好好……」三两下脱掉自己的铠甲和上衣,只穿了一条黑色的长裤,便跳进溪水中,冰凉的溪水恰倒好处的处理了自己的失态,因为那凉凉的水一冰,让身体里有些发烫的血液的温度降了下来~
赵云:看着他那笨拙的样子,愈发觉得有趣,想不到平常看来仪表堂堂英雄盖世的西凉霸主也有这么有趣的一面…有些口渴,便汲起一汪清澈的溪水饮干,甜甜的,似乎,还有那么几许青涩的意味,仿佛自己现在的心情。。。「马将军,这溪水好甜啊!你也不妨尝一下。」
马超:「这溪水……」清凉凉,透着光,可以一下看到溪底,淡绿色的水草周围几条小鱼给惊吓的钻到石头缝里……掬起一捧溪水,眼神却在透凉的水下的赵云的身上打转,看样子自己真的病了吧,还病的不轻呢。
赵云:他看自己的眼神…居然令自己不好意思起来,不喜欢这样浑身不自在的感觉,干脆坦诚地面对他。「马将军,有甚么事情吗?你这样一直目不转睛盯着云,云自觉难以应对啊。」
马超:被这样一说,发觉了自己的失态,「啊!啊!不好意思,这个……那个,我去抓鱼。」说是给自己一个藉口脱身,结果一转身,脚好死不死的踩到一块石头,一个趔趄,就觉得自己朝下栽了下去,冰冰凉的水一下子涌了上来,从嘴里耳朵里灌了进去,感觉脑袋好象也碰上了一块硬东西,然后在模糊听到自己一直在注视的男人喊了自己一声,就丧失了意识。觉得暖暖的时,睁开了眼睛,果然失败啊……这么高的个子还溺水,真是丢人啊。心里这样嘲讽着自己,却猛然想到,谁救了我?难道是赵云?转头看,发现他背对着自己,正在往火堆里添树枝,只披了长衫,他的外罩和自己的外罩都盖在自己身上,没来由的一阵感动。
赵云:眼前的火堆好像烧得很旺了,回身察看,发现他正无言地凝视自己,「你醒了?」安慰地给他一个温柔的笑容。「嗯……赵将军,我……」不给他说话的机会,连忙帮他掖紧衣角「你倒下去的时候撞倒了一块河底的石头,虽然有水的关系撞得并不剧烈,但是那块石头很尖利,大概是新近滚进去的吧。」「那个…」「你先好好休息,现在天气也不是很热,不要着凉才是。」
马超:「子龙将军……谢谢你。」踌躇了半天,还是决定叫他的字,总叫名还是觉得生分,就是不知道子龙会不会怪自己。想坐起来,头上猛的疼了一下,忙用手捂了一下,身边的人看到,忙过来扶住自己。然后让自己靠在了他的腿上。好象自发妻死后,在没感受过这种温柔,心中一抖,不只怎的就握住了他的手。怎么都不想放开。「子龙将军,真的谢谢你了。」
赵云:「区区小事,何必言谢,你只管歇着。」看着他头上明显的肿包,心里酸得很,「马将军何必拘谨,唤云子龙即可。未知云是否…可以唤将军做孟起兄弟……」
马超:「那里的话,孟起巴不得呢!」这话一出口又觉得自己孟浪了。握着赵云的手松也不是不松也不是,呆呆的僵了一会,干脆一个转身坐起来,直接盯着赵云的眼睛,「子龙,你可讨厌我?」
赵云:对着那几乎能看透自己内心的双眼,只能手足无措地把目光移开,飘忽不定地看着四周,「孟起兄你想多了,云怎么会讨厌你呢。」拜托不要在那样看我了,心里好像长了草一样,疯狂地跳动着。不要那样…看我,否则,否则……
马超:「子龙!」猛然抱住眼前的人,感觉到炙热的体温。「子龙或许这样说你会怪我,但是……我心里一直有两个愿望,一是杀曹贼报家仇,还有一个就是能在找个知己。可……」紧了紧自己的胳膊仿佛安慰怀里不断颤抖的人似的。「可我看到你以后,就觉得……我第二个心愿,已经达成了。在我入蜀的头一天,就这样觉得了,那时我却只当自己发病,可今天……今天……子龙,你会怪我么?」
赵云:「…不,孟起若不嫌弃,子龙就是你的知己了。」被他抱住时的惊慌一瞬间被涌入胸中的暖意掩盖。两个大男人就这样在野外相互依偎着明明有失体统,却又不能抗拒这个宽阔的怀抱。算了,能与他相知,人生又有甚么遗憾?不如就这样放开自己的感情吧。「孟起…」手渐渐抚上了那厚实的背脊,「上天能让子龙遇到孟起兄,是子龙之福。今后子龙定与孟起兄同甘苦,共患难,永世不离不弃!」
马超:听到这样的回答,心里蔓延出来仿佛火烧一样的暖意,幸福就是这样吧?不离不弃!不离不弃!!也许自己无法控制自己的行为,但是等自己清醒时,看到自己居然压在子龙的身上,而亲吻着他的唇,而那滋味竟如此的香甜。
赵云:他的唇覆上了自己的?!理智告诉自己这有多么的不可思议,但是感情却无比愉悦…原来,这就是自己一直期盼的事情吗?自己…原来对孟起怀有如此……大胆的想法。「对、对不起,我并非有意。」那热情的唇很快便离开了,孟起一脸窘迫地低着头拼命道歉。「……很甜美……」不敢相信这样的叹息竟是从自己的口中发出。「子龙你说甚么??」孟起不可致信地看着自己。想必自己的脸正红的发烧,想说话又说不出来,只好默默地看着他。
马超:「子龙!」自己心仪的人,竟然也钟情自己,这是自投诚以来,最大的惊喜了,一直以为子龙不会看的起自己这样的丧家之犬,可是……没想到,激动的抱紧怀中的人,仿佛要把他揉进肉里去,「子龙你也喜欢是嘛?」有些发狂的似的,亲上他的脖子脸颊……一下一下连的紧紧的。
赵云:一串串的吻如雨下落,点燃了体内潜伏已久的火种。自己似乎已经完全丧失了抵抗力,任由那令人疯狂的唇四处游移。自知兄弟之间是决不会做这种事情的,可是,内心深处仿佛有一个声音在喊着:「我不要做孟起的兄弟!我要做他最亲近的人!!我要…要做孟起的爱人!」
马超:抱着怀里的人,松开一只手,撕扯开子龙披在身上的衣服……白色的长衫从那具修长是身体上滑落,铺在了地上。心疼的亲在子龙的锁骨上,嘴里喃喃着,「子龙,我不知道这样做是对是错,如果错了……请你现在阻止我。」这样说着,眼泪也划了下来,自己真的不忍心让子龙受到一点伤害。
赵云:「孟起,你没有错,你没有错。」口中止不住地底喃。如果有错,那也是错在我,是我…有意无意的诱惑了你,就算老天要惩罚,也应该惩罚我……「不要哭,孟起,这是罪的话,我和你一起承担。」伸手轻轻地拭掉他眼角的泪痕。
马超:「云!」仿佛得到了赦免令一般,轻轻的跪起来,解开自己的腰带,已经微干的长裤,滑到地上。早已经耸立的欲望败露了自己的渴望,觉得对不起眼前羞涩的人,但又急燥的快要疯掉了。慢慢把手放在子龙的腰上,一边解着那条象牙白的丝带,一边偷瞄着子龙,白皙的皮肤上早以染上了一层红晕,眼睛却避开了自己,是不愿吗?虽然他已经允许,却还是忐忑不安,担心是他违心的迎合自己。
赵云:察觉到孟起的迟疑,抬起头来给他一个包容的笑,然而视线一低,雄伟的男性象征立刻跃入眼帘。心头一紧,羞耻的将头深埋,毕竟不是三岁小娃,对即将到来的事情自己再清楚不过,可是,从未放纵过的自己理智上仍是无法接受,身体随之紧绷起来。在身上抚摸的粗糙手掌骤然停住。「子龙,我绝不勉强你。」在那么珍惜的目光的注视下,自己又岂能拒绝,更何况,其实自己的心中也隐隐的期待……「不要紧的,孟起,真的。」红着脸说出这几句羞煞人的话,头埋的更深了。
马超:「云。」虽然他挪开了目光,但是也是允许自己的,感动着亲上子龙的额头,轻轻把子龙那条纯白的长裤脱了下来。手触动着微凉的皮肤,带起一路热潮,把自己的黑长裤垫在子龙的腰下,然后握住了他的手,从颈边开始品尝,一寸一寸的细细的允吸。
赵云:身体的温度前所未有过的腾升,一种陌生而熟悉的感觉不住地刺激着自己的神经。他的一双大手反复地摩挲着自己,星火燎原。血液逐渐向身体的另一端流去,颤抖,控制不住。
马超:虽然只是舔捻,但是心里激动的无法控制,手一路下滑最后握住了子龙的欲望,轻轻抽动起来,随着自己的动作,子龙的欲望也从绵软状态开始抬头。扑在他白皙的身体上,感觉着他体温的急速上升,几乎烤着了自己。一些体液从子龙的欲望里流淌出来,又刚好形成了润滑,本来一下一下舔着子龙的身体,却又被他胸前两颗早以挺立的胸果吸引,一下含住了其中的一个,用力的允吸,仿佛这样就能允出奶来。
赵云:「嗯……」若有若无的呻吟伴随着急促的喘息从胸腔发出来,意识开始朦胧,身体不安的扭动,急不可待的想要求解放。他似是得到了暗示,渐渐加强了吮吸的力度,几乎啃咬起来。痛,真得好痛,不过那热热的感觉更甚,侵袭了身体的每一个角落,使自己变得不再像自己,渴望般地主动将身体迎向他,就像妃子在祈求帝王的宠幸。
马超:「云……云……」断续的喘息声,好象觉得空气都不够用了,松开嘴,血红的珠果挺立的直直的被唾液湿润反射出淫糜的色彩。就算不是女人也会让自己发狂,看着那微启的唇,似乎是邀请,压了上去,把那呻吟声吞到自己嘴里。哪怕一点点偷闲的呼吸都仿佛是浪费,舍不得,舍不得放开一点点。手指沾了怀里人欲望上淌下的体液,涂抹在双丘之间。拇指轻轻触动下子龙紧闭的花蕾,合的好紧,没有一点空隙。于是只是在周围轻轻捻按。
赵云:连自己也未曾碰触过的禁地突然传来了一阵酥痒的感觉,若有若无的摩擦挑起了更多的爱欲,然而身体仍旧下意识固执的不肯敞开,想不了更多,只能深深地陶醉在一波又一波激情的深吻中,两个人都吻不够似的向对方索取的更多,紧紧地用唇舌纠缠住他的,不忍和那温热的触感分离。
马超:「云,放松……」从一吻亲到子龙的耳边,一边轻轻说着自己的请求,一边含住了那绵软的耳唇,含在嘴里搅拌。到处都在燃着火似的,饥渴的要干枯掉。一只手撑起自己的身体,让自己的欲望和身下的尤物一起摩擦起来,快感一路攀升。
赵云:「嗯,嗯…」失神地应承着,努力放松自己的肌肉。一直徘徊在门扉的手指突然探进了自己的后穴,身体猛地一抖。「不要怕,云,不要怕……」令人安心的声音断断续续地回荡在耳边,伴随着温柔的吻,很快,敏感的身体有了反应,不知不觉内���已经湿润地包裹住了在里面灵动的手指。
马超:停下欲望的摩擦,手指被炙热的小穴裹的紧紧的又热又滑,渗出的黏液润透着手指上粗糙的皮肤,看着子龙红润又有些害羞的样子,简直让人恨不得马上吃了他。可这细小的地方……又怕急燥伤了他。只是耐心的用指头在里面抽动,小心的松懈着那个紧窒的花蕾。
赵云:下身在强烈的爱抚下缓缓抬起头,令人羞愤地祈求着抚慰,双瞳失却了焦距,无助地看着孟起的肩膀,只想尽快得到解放,结束这痛苦的折磨,「孟起~~~」顾不上矜持的自己,竟然可以发出这么甜腻的声音……
马超:「我在……」手指来回松动着已经放进了3根,虽然还很紧窒,但是来回抽动已经润滑的可以了。而自己也快被这欲望逼疯了,听到子龙的声音,神经更是一震,在也无法忍受了,抽出手指,把自己的欲望顶上还未合拢的花蕾,一下插了进去。好紧……一时的紧窒竟让自己无法动弹,只能僵僵的吸气,「子龙……子龙放松一下……」紧紧热热的包裹仿佛逼的自己身处天堂和地狱两个境地。
赵云:「恩啊啊啊啊!」撕裂般的痛苦侵袭了全身,一时间身体好象被劈成了两半。不断下坠的感觉刺激着神经,挣扎着攀住孟起的肩,那个巨大的东西还滞留在体内,充满了涩涨感。「孟起…!!」下身早过了极限,除了麻木就是钝痛,怕他心疼,死咬着双唇拼命忍着,下唇又湿又咸,不知是不是渗出了血。体内的东西轻颤着,他大概也很疼吧。模糊中想起以前在战场上紧张时刻常用的办法,赶紧深呼吸放送着身体,疼痛果然减轻了许多,可能是有血的润滑,最初的紧涩和撕痛也舒缓了许多。
马超:还是伤了他,心疼的好象快裂开了。「云,对不起……对不起……」舔着他唇边的血丝。但看到他那么努力的呼吸扩张着想包容自己,眼泪到先滑下来了。浓浓的爱意装满了心里,紧紧的抱住了还在疼痛的人,没有动,知道他那已经撕裂了,不敢看,怕看了自己更心痛。只是腾出一只手,握住了子龙因为疼痛而瘫软的欲望,轻轻抽动挑拨着,等待怀中的人适应自己的存在。
赵云:「我…没有怪你。」勉强抬起一只手抚着那汗津津的脸颊,透过模糊的视线注视着他悔恨的表情,心里无端地升起一种爱怜,「孟起…无论你做甚么,云都不怪你,云想永远陪着你…可以么?」抱住他的头,体会着他在自己身体里的每一次颤动,欲望再度硬挺,双腿忍不住盘上了他的腰。
马超:「一直在一起。」这话不敢说,因为乱世迭起,不知何时自己会损命疆,也担心子龙同为武将,若自己能保他万全就是最大的幸福了。轻轻吻一下子龙的额头,缓缓的动了一下,把自己向内推了一点点,听着子龙的轻喘声,动的更慢,怕在伤了他。手一直在撩拨着子龙的欲望,感觉着从伶口撒出的液体顺着欲望滑下来,和着血一起润滑了相连的地方。
赵云:就算闭着眼睛也听得到自己发出的淫糜的声音,不仅从口中传出,更是从两人紧紧相连的地方……菊穴密密地贴着孟起的欲望,肌肉自然地律动起来将那个东西向自己的更深处推送。敏锐地察觉到他的涨大,而同时自己也向着快感的深渊更近了一步。
马超:感觉到子龙在邀请着自己,那小穴一吞一吸的把自己拖向深处。本来就不多的理智更被磨的所剩无几,抱紧子龙的身体,挺住自己的腰向里一顶,直接到了子龙身体的最深处。紧紧包裹着,和着黏液的润滑,又湿又热,简直如同天堂。慢慢的抽出来,在顶进去,已经适应了小穴也学会一吞一吐的配合自己了……「子龙,这样不会在疼了?」听着子龙发出似乎愉悦的呻吟,动的稍微快了一点,但还怕伤了他。
赵云:「哈啊…!!」按捺不住地释放出声,随着越来越快的节奏律动着腰身,彼此渴求着,互相占有,还有几乎要把对方嵌进身体般地拥抱…不知何时,泪水已经浸润了双眼。
马超:「子龙……子龙……」这种感情是甚么?从心底蔓延出来的一层一层一浸满那种似乎干涸的感觉,是甚么?抱着怀里的人,亲吻着,身体连接到一起,每一次每一次的,都镶嵌进去,想找到答案……
赵云:孟起的气息就在颈间缭绕,可以清晰地感受他的颤抖,分不清这是现实抑或是梦境。「哈啊……啊…!!孟起…孟起!!」念着他的名字,用尽全力包容着他,周身像是感受到甚么而紧张地弓起。「云……!!」伴随着孟起最热烈的呼唤,体内的硬物猛烈的抽动。刹那间天昏地暗,只觉得全身被一股烫人的热流所填满,「啊、啊啊!!」自己的欲望也禁不住喷涌而出,尽数洒落在孟起的腹间。
马超:高潮突然降临的冲击震断了意识,脑袋里一片空白,而有的是子龙的脸子龙的眼,子龙的声音……无意识的抱住他,一起在这种感觉中沈沦?或许没有意识到自己的嘴里一直喃喃的嚼着,子龙……爱你……
赵云:尽情的肆意过后,身体满是空虚,然而脑中却一直回荡着孟起的呢喃。幸福。胸口热热的,是孟起的汗水带来的温度。抱紧他,不想离开他。这一刻,没有战场,没有兵戎,没有杀戮,只有孟起,以及自己,两颗赤裸裸的心,两种感情。
马超:缓缓的微风徐徐吹过,草叶蹭在身上痒痒的感觉,我没动子龙也没动。真想一直这样下去,可是……「子龙……」擦可擦子龙脸上的汗水,小心的把自己的欲望抽了出来,除了乳白的体液……还混杂了红色的血丝……心疼,疼的揪心……
赵云:「唔…」身体隐隐有种被牵动的感觉,害怕地抓住孟起的臂膀,「……」想说痛,看着他愧疚的脸,最终只是抚慰的笑了一下。
马超:看着子龙的样子,知道又弄疼他了,轻轻搂着他,用手小心的托起他的臀,让自己尽快的在不伤害到他的情况下退出来,内壁好象在挽留,又似乎在呻吟,害的自己几乎手忙脚乱的最后还是轻轻亲了下他汗湿的额头,「子龙,今天不能在要你了,我会心疼。」知道他一直在迁就自己,可是越这样迁就,自己就觉得越对不起他。
投奔大汉皇叔,寸功未建,亦未剿灭曹贼,为家报仇。有又何脸面对子龙言爱。
赵云:看着他情绪又再度低落的样子,赶紧捧起他的脸:「孟起,和我一起为蜀汉建功立业吧?今后,我只想站在有你的战场上。」闻言,那张英俊的脸上先是愣了愣,之后,便重展阳光。
马超:「子龙。」懂我真如知己。「一直和我一起,不许食言!」握住那双手放在唇上细细的吻着,那些粗茧都是杀敌的功勋。「我决不让你受伤!」这样的话是说给子龙听,更象说给自己听。一个家族无保的人,有了牵挂……是何等欣喜。「回去我就要请战,不杀掉曹贼誓不罢休!」
赵云:「莫要急,你就是太冲动了军师才会对你不放心。」孟起激动起来就会像毛头小子,不知为何却很可爱。「啊嚏~啊嚏~啊嚏~~~~」说话间孟起已经打了三个喷嚏,这才发现天气已有一丝凉意了,只不过自己被孟起紧紧裹在怀中而不曾察觉。这傻瓜,有些生气,「快穿上衣服,真是个长不大的孩子,到现在还不会自己照顾自己。」
马超:笑着,看着子龙……探手探脚的拽衣服,看子龙要动,拦住他,「别动,一会我给你穿。」眼睛瞪的圆圆的盯着他,扣扣子时位置错了都没察觉。还没穿利落,就开始拽过子龙的衣服,想帮子龙穿,结果发现他笑着看自己,「怎么了?」
赵云:「说你是个大小孩你还不信,还是我来帮你穿衣服吧!」说着拉开那扣错的盘扣,重新整整齐齐地扣好,刚要帮他绑上腰带,突然发现孟起目不转睛地瞪着自己,脸上好像要滴出血来,「怎么了?」猛地发现自己还几乎未及寸缕,瞬间脸就热了,搁在孟起腰上的手也僵硬地无法动弹。
马超:「不会痛吗?」看着赵云皱着眉头帮自己扣扣子就已经很心疼了,在看他这样,拿着长斗篷裹住了那具白皙的身体,抱的紧紧的。「子龙……子龙……」头贴在子龙的耳边一个劲的念,几乎想把他念烦,牢牢的刻在心底,永远别忘。
赵云:抚慰地拍拍他的头,看着这个英武的大男人不同的一面,有点心酸。「天色不早了,我们快回去吧。不要让大家担心了。」欲起身,才发现腰和下体痛的锥心。不得已又跌坐下来。
马超:看着单裹条斗篷的子龙突然跌下,一个欠身把手绕过他的腰腿把他整个人抱在怀里。
「你的马栓在我的马后面,我抱你回去。」说着,不由分说,抱着子龙上了马。看着他指着自己的在地上的鞋袜,一副我还想要的表情,把他轻轻放在自己鞍坐上,顺手撅了个树枝,把那些皱巴巴的衣服和鞋子挑起来,塞进自己鞍下袋子里。「先回去在说吧,我就说你掉河里了。」看着他哭笑不得的样子,没做声,双腿一夹马肚子就调转马头向回走……
赵云:「等、等一下~」自己这个样子,怎么回去啊?「至少让我穿上衣服……」「没关系啦,我直接把你送到你的营帐里就好!」倔强的回答。哎~真是哭笑不得,就这样回去,恐怕有一百张嘴也说不清了。「会有人看到…」最后的挣扎!!
马超:「不会!」把子龙往自己的怀里紧了紧,「看到又怎么样!」又把自己长袍下摆盖住子龙的脚,「这样就安全了。」然后甩了马一鞭,溜达着开始往回走。
赵云:哎,算了,随他去吧,果然是冲动起来就不管不顾的人。远处的夕阳斜斜地挂在天际,仿佛露出玩味的笑容,注视着自己。不管怎么说,今天还是有收获的,收获了甚么呢,看着孟起一脸的雀跃,不由地轻轻笑着,依偎在爱人的肩上。两个人就这样沿着风景迤逦的小路,越走越远……
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