Tumgik
#バス停留所「日の丸」
kennak · 11 months
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大学生活を謳歌していた貴仁さんの命を一瞬にして奪ったのは、Mというブラジル国籍の男(当時47)でした。  10月29日の夜、名古屋市内でハロウィンパーティーに誘われたMは、車を運転し、名古屋市中区のディスコに出かけました。  本人の供述によると、この店で友人数名と共に、テキーラをショットグラスで6杯、生ビールを中ジョッキ3杯ほど飲み、今度は小牧市内のナイトバーへ行くため、午前3時半頃、再び車を運転して走り始めたのです。  間もなくMは、信号待ちで停止していた車に追突しました。しかし、警察に捕まるのが怖くなって逃走し、国道からわき道に入ります。そして、前照灯を消したまま一方通行を逆走。午前3時49分、「清水3丁目」の交差点で、友達の待つカラオケ店に向かおうとしていた貴仁さんに衝突したのです。  貴仁さんは自転車もろとも加害車の進行方向にはね飛ばされ、道路に投げ出されました。  しかしMは、血を流して路上に横たわる貴仁さんを救護するどころか、車から降りることもせず、クモの巣状に割れたフロントガラスの隙間から前をのぞくようにしてアクセルを踏み込みました。そして、民家の塀に車をぶつけながら、タイヤをバーストさせた状態でさらに逃走を続けたのです。  警戒中の警察官によって確保されたのは、それから約1時間半後、午前5時半頃のことでした。  このときの所持金は7000円。 「これが全財産だ」  Mはそう供述していたといいます。  眞野さんは語ります。 「Mは、ブラジル・サンパウロ州の高校を卒業後、農業などを経て日系三世の女性と結婚。32歳のとき友人のつてを頼って日本に入国し、愛知県の派遣会社に登録したそうです。その後、就職した自動車部品会社で『派遣切り』にあい、事故を起こすまでの約1年間は無職でした。次の就職先が決まったのは、事故の2週間前です。この会社には従業員用の送迎バスがあり、通勤にマイカーを使う必要はありませんでした。そもそも、Mは母国ブラジルでも運転免許を取ったことがなかったそうです。にもかかわらず、車検も自賠責保険も切れていた元妻名義の車をそのまま乗り続け、結果的に息子は、その車に殺されたのです」 加害者のMが乗っていた事故車(遺族提供) ■「無免許でも長く乗っていれば技術がある」と検事は言った  無免許、飲酒、当て逃げ後の逆走、無灯火、無車検、無保険……、これほどの悪質運転で引き起こされた死亡事故であり、ひき逃げ事件です。誰もが「危険運転致死罪」で起訴されるものだと思っていました。  しかし、Mは、「自動車運転過失致死罪」と「道路交通法違反」で起訴され、結果的に「過失」としては最も重い、懲役7年の実刑判決が下されました。  眞野さんはこの刑事裁判に、今も納得できないと言います。 「私は名古屋地検の検察官に、何度も危険運転で起訴すべきだと訴えました。しかし、返ってくるのは、『本件には危険運転にあたる要件はひとつもない』という答えでした。たとえ飲酒していたことが事実でも、『逮捕された後、片足でまっすぐに立てたので、飲酒運転とはいえない』『逆走は危険運転には当たらない』『無免許でも、長い間乗っていれば技術がある』検察官はそう繰り返しました。交通事故にはどうしても避けられないような不幸な事故もあるはずです。死亡事故だからと言って、すべて厳罰化だ、懲役だと言うつもりはありません。でも、?は酒を飲んでハンドルを握った、それ以前に無免許です。クルマを運転する資格がないということです。それはもう、過失では済まされないと思うんです」  眞野さんはMを相手に民事裁判を起こし、約4000万円の損害賠償が認められました。  しかし、Mには資産が一切なく、自動車保険もかけていませんでした。たとえ眞野さんが勝訴しても、その判決文が紙切れに過ぎないことは、最初から承知の上での裁判でした。 事故現場。加害者は手前の横断歩道で貴仁さんをはね、一方通行を逆走して逃走した(筆者撮影) ■刑務所で加害者に面会して交わした『約束』  2018年3月、眞野さんはある行動に出ました。刑務所に収監中のMに面会することを決意したのです。  突然の遺族の来訪を、Mは受け入れました。そして、眞野さんは初めて加害者本人と直接対面することになったのです。 「息子の命を奪った男は、グレーの作業着に身を包み、刑務官に連れられて私の前に現れました。身長193センチの大きな身体で、頭は丸坊主でした。『こいつが息子を殺したんだ……』何とも言えない思いがこみ上げました」  面会時間はわずか20分です。  眞野さんは振り返ります。 「私は彼にこう尋ねました。『今、どういう気持ちなんだ』と。すると彼は、『申し訳ない』と言いました。『では、刑務所を出たら、息子に謝罪に来るように、そして、少しずつでもいいから賠償し、誠意を見せるように』私がそう言うと、『わかった、一生かけて償う。約束する』と答えました。『約束だぞ』私は彼の言葉を信じ、面会室のボード越しに、グータッチをして別れたのです」  翌月、眞野さんは再び面会に出向きました。しかし、Mは「会いたくない」と拒否しました。  まもなく、Mは刑期を満了して出所しました。  しかし、それから1年たっても、眞野さんのもとに謝罪に訪れることはありませんでした。 衝突の衝撃で大きく変形した貴仁さんの自転車(遺族提供) ■遺族に黙って母国ブラジルへ帰国していた加害者  民事裁判の判決は、10年で時効を迎えます。それを有効にしておくためには、再度、提訴する必要があり、そのためにはMの住所が不可欠です。しかし、Mが出所後、どこに住んでいるのか、遺族にはその情報すら伝えられません。  途方に暮れた眞野さんは、弁護士に調査を依頼し、Mの現住所を調べることにしました。東京出入国在留管理局長宛てに照会もしました。費用はすべて眞野さんの自己負担です。 「その結果、Mは出所後、母国であるブラジルに帰国していたことが判明しました。しかし、現地の住所まではわからないというのです。そもそも、民事裁判で判決が確定しているのに、賠償義務を負った外国籍の被告を、なぜ原告に一言の通知もなく帰国させてしまうのか……。現状の法律では何ひとつケアできておらず、あまりに理不尽ではないでしょうか。国として外国人を受け入れるなら、最低限のルールを作ってほしいと強く思います」 ブラジル、サンパウロの街(写真:PantherMedia/イメージマート) ■真の「被害者救済」とはなんなのか  国は「犯罪被害者給付金」という制度を作りました。しかし、これは『殺人などの故意の犯罪行為により不慮の死を遂げた犯罪被害者の遺族、または重傷病、もしくは傷害という重大な被害を受けた犯罪被害者』が対象です。眞野さんのように「過失」による事故の遺族は対象ではありません。 「最近、さまざまな自治体で犯罪被害者に対する条例が制定されていますが、自分が当事者となった今、真の被害者支援とはなんなのか、本当に考えさせられます。民事で判決が出ても賠償金を1円も受け取ることができないなど、救済から取り残された被害者は大勢います。日本はもっと被害者支援先進国になるべきです。そのためには北欧諸国に見られるような被害者庁の創設も検討すべきではないでしょうか。日本の犯罪被害者が置かれているこんな状況は、誰かが国に向けて叫び、変えていくしかないと思うのです」  今年で事故から11年。Mの所在地は現在も不明です。  弁護士からは、ブラジルの住所を突き止めるには、莫大な費用がかかるので不可能だと言われています。また、現地へ行って調べることには危険が伴うとも。  しかし、眞野さんは決してあきらめていないと言います。 「私はブラジルへ何度でも出向き、徹底的にMを探し出します。そして、謝罪させるつもりです。もちろん、賠償金など取れないことは覚悟しています。お金が欲しいなどという気持ちは1ミリもありません。ただ、あの日、『一生償う』と約束した彼の誠意が見たい、息子の前で手を合わせてほしい……、それだけです。彼がどう償うのか、見届けたいのです」
交通事故問題|ジャーナリスト 柳原三佳オフィシャルHP
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lastscenecom · 1 year
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七条通との交差点は「烏丸七条」、五条通は「烏丸五条」だ。ところが四条通では「四条烏丸」と逆になる。さらに北に進むと御池通との交差点は再び「烏丸御池」と南北が先。南北が先の場合が多いものの、京都駅より南には「九条烏丸」「十条烏丸」があり、東西が先にくる交差点名も少なくない。 「もとは横(東西)の通りを先に示していました」 794年に開かれた平安京は中国・唐の長安にならい「条坊制」を取り入れた。都を縦横の大路で区切り、東西の区画を「条」、南北は「坊」と呼んで地所の表記とした。公文書の順序は「条」が先だ。 京都市営バスと京都バス(京都市)の停留所は「大宮五条」と南北が先にくるが、JRバスは逆に東西が先の「五条大宮」になっている。 「道幅の広い通りを優先しているのではないでしょうか」 かつての大宮通は市電が通る主要道で、市電駅も「大宮五条」だった。しかし、五条通は戦後に��幅され、市内でも有数の幹線道路になった。
京都の交差点名に法則は?(謎解きクルーズ) - 日本経済新聞
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yotchan-blog · 2 months
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2024/7/17 12:59:20現在のニュース
野宿者も… 富士山・吉田ルート 規制で効果も、弾丸登山の懸念再び(毎日新聞, 2024/7/17 12:59:02) インバウンド向け二重価格、兵庫・姫路など関西自治体が検討 納得感カギ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/17 12:57:50) 大阪万博契機、南大阪経済に活力 産学官コンソーシアム発足 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/17 12:57:50) 「ゴー、ゴー翔平」 大谷の地元、米オールスター戦PVに約200人(毎日新聞, 2024/7/17 12:51:34) 旧渋沢栄一邸の移築「心折れかけた」  清水建設、部材2万点を番号付け - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/17 12:51:09) 立民・長妻氏、国民との候補者調整に意欲 次期衆院選([B!]産経新聞, 2024/7/17 12:51:07) 風俗に女性客紹介で執行猶予4年有罪判決 仙台・国分町元ホスト店長([B!]産経新聞, 2024/7/17 12:45:28) ビールメーカーなのに飲みづらいグラス開発 愛飲者を思ってこそ [写真特集1/4] | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/7/17 12:45:25) 医療現場襲うサイバー攻撃、英では診療・手術が一斉停止 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/17 12:45:22) 福岡の平成筑豊鉄道、瀬戸際の鉄路 法定協での議論要請 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/17 12:45:22) 赤字転落の札幌ドーム、スタジアム整備の成否のカギは 編集委員 北川和徳 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/17 12:45:22) オレンジジュースの高値続く 5年で4倍、ブラジルで減産 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/17 12:45:22) 「特定秘密」、衆議院が情報保全求め勧告へ 防衛相に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/17 12:45:22) 札幌・定山渓温泉街「泊まらない」若者客でも稼ぐ、かき氷店に行列 LBSローカルビジネスサテライト - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/7/17 12:45:22) 「地下鉄の電車はどこから入れたの?」 営団地下鉄南北線は巨大な穴から車両搬入 あの日の鉄道風景([B!]産経新聞, 2024/7/17 12:39:27) 引き取り手ない墓石400点を廃棄へ 津波で流され所有者わからず(朝日新聞, 2024/7/17 12:37:03) クマの皮をレザークラフトに マタギの精神実践「捨てるところない」(朝日新聞, 2024/7/17 12:37:03) 米マスク氏、加州のトランスジェンダー法に反発 X本社のテキサス州移転を表明([B!]産経新聞, 2024/7/17 12:34:00) 市営地下鉄烏丸線 「20系」第6編成 京の技輝く新車両 19日運行、京印章や京繍展示 /京都 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/7/17 12:33:45) とちぎキャンパる:開業からまもなく1年 地域とつながるライトライン | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/7/17 12:33:45) 「バス+α」で脱鉄道へ 久留里線検討会議 さらなる改善も /千葉 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/7/17 12:33:45) イランによるトランプ氏暗殺計画の情報、シークレットサービスが警備強化…米CNN報道(読売新聞, 2024/7/17 12:33:21) 巡行本番へ高揚感…「邪気断ち切る気持ちで」注連縄切り練習(読売新聞, 2024/7/17 12:33:21) ゴルフ上手な巨人・グリフィン、父親は米国の著名コーチ…共通点は「スイングが似ていることかな」(読売新聞, 2024/7/17 12:33:21) トランプ氏、銃撃は「世界一大きな蚊のような音がした」…ケネディ氏との私的電話が流出(読売新聞, 2024/7/17 12:33:21) パナソニックHD、業務用プロジェクター事業をオリックスに売却へ…パリ五輪の会場演出でも使用(読売新聞, 2024/7/17 12:33:21) 大谷翔平、米球宴で待望の初ホームラン…日本選手ではイチローのランニング本塁打以来(読売新聞, 2024/7/17 12:33:21) ハリス副大統領、共和党候補のバンス氏にテレビ討論会参加を提案…携帯電話に音声メッセージ(読売新聞, 2024/7/17 12:33:21) 大津波の惨事、教訓で伝える…沖縄・先島諸島の「人魚伝説」(読売新聞, 2024/7/17 12:33:21) 大谷翔平、愛犬「デコピン」ジャケットで真美子さんと笑顔振りまく…試合では先制3ラン(読売新聞, 2024/7/17 12:33:21) 九州南部が梅雨明け…昨年より8日早く(読売新聞, 2024/7/17 12:33:21)
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disolucion · 1 year
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家に到着するまで話終える頃、空は薄暗くなってきていた。
「悪いんだけど、お腹すいちゃって。なにか食べるものあるかな」 「え?全員分?ご飯そんなに炊けないし、パスタぐらいなら。  でも一気に茹でるとおいしくないよ?」 「じゃあ、食パンでなにか作るよ。三人分ぐらいお願い」
作っている間、ゲスト三人は子供たちの相手をしてくれている。 アラビアータと、ハムと卵のサンドイッチが完成した。
「できたよ。とりあえず、あるだけ食べて足りなきゃ考えよう」
リビングに声を掛けると、皆ぞろぞろとやってきた。 子供たちには折り畳みの丸椅子を用意して、全員で食べた。 ゲスト三人は口々に、おいしいとか、なるほど、上には上が、と喜んでいる。
量は足りたようで、ひとしきり食べ終わったところで、 ハヤセさんとノダさんは帰り支度を始めた。 サクラちゃんは「ホテル予約してないんだよねー」と宿無しアピールをする。 奥さんが泊まっていけば?と、空いている部屋に泊めることにした。
「この時間からだと、中央道の上りは渋滞するんで気を付けて。  また東京で、会えるのかな?まあ、仕事なければ飯でも行きましょう」
二人を乗せた車が去っていくのを見送って家に入る。 帰りの車中、気まずくならないといいのだけど…
そこから、奥さんとサクラちゃんは一緒に酒盛りをして すっかり二人は仲が良くなっていた。
その間、おれはリビングで子供たちから留守中の様子を聞いたりした。 長男は来年には高校受験で、志望校をどうするか決めかねている様子。 声変わりしていない次男の話はかわいいだけ。来年、中学生なのに。 日常に戻って来たなとしみじみ思う。
―――――
翌朝、高速バスのバス停までサクラちゃんを歩いて送った。 そこそこ距離はあるが、奥さんは仕事なので車がない。 彼女は文句も言わず、山が綺麗だとか空気がおいしいとか楽しそうだ。
駅前のバス停に着く。もうすぐバスが来る時間。
「いい奥さんだね。子供もかわいいし。帰って来れてよかったね」 「いろいろ助けてくれた、サクラちゃんのおかげだよ。本当にありがとう」
すると彼女は、少し含みのある笑顔になって言う。
「パウラが日本に来るときは、必ず会いに行ってあげてよ?」 「うん、約束する。よろしく言っておいて。日本で待ってるって」
さっき駅前の土産屋で買った、地元の日本酒を渡す。 口に合うかどうかはわからないが、些細なお礼だ。
「ちょっと重いけど、これ向こうでパウラさんに渡して」 「二本ともパウラに?」 「そんなわけないでしょ。一本はもう一人の恩人にだよ」 「え、そうなんだ。ありがとう」
なんだか珍しくサクラちゃんが照れている。 ツボが不明だが、プレゼントした甲斐がある。
「休暇を満喫して。それから、旅の無事を祈ってる」
バスに乗り込むサクラちゃんに手を振って見送った。
―――――
また歩いて事務所まで行き、一カ月ぶりに仕事を再開した。 お断りをしてしまった仕事もあるが、納期が長いやつは生きている。 別口の収入もあるし、すぐに困窮することはないだろう。
とりあえず、あと二年弱、この平穏を満喫しよう。
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32j · 1 year
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2023/09/04
微妙に寝不足だが適当に起きる、何故か4時過ぎからめちゃくちゃうるさくなってきたので諦めて4時半前に起きる、ひとまず荷物を預けようと思ってチェックインカウンターに向かったらまだ開いておらず、適当に待つ。5時少し前にようやく開き、無事チェックインをして荷物を預けられた、箱は20キロちょっとだったがトランクがちょうど23キロでギリギリだった、ついでに持ち込み荷物も計ったが全然9キロでオーバーしていたが特に何も言われなかった、ざっと顔を洗い早速ゲートに向かう、案の定地下鉄に乗っていく離小島みたいなところ、早すぎてどこなのかまだ出ていないので適当にベンチを見つけてちょっとダラダラして、ゲートが出て端っこだった。ゲート前に行ってまだまだ時間があるので課題を進めたり充電をしたりして待つ、ちょうど課題が終わったところでなんとなくちょっとギリギリかなくらいの時間に搭乗開始、20分遅れくらいで出発した、作業しようとも思っていたのだけど2時間ちょっとしかないので適当に映画を見る、これがハズレでつまらなかった。無事ちょっと遅れてイスタンブールに着く、出国にちょっと時間がかかったがなんとかクリア、地下鉄に乗���ところで券売機が難しく、困っていたジジイたちと協力してなんとか買う、謎の連帯がある。みんなで仲良く中心部まで向かう、ひとまず時間がシビアっぽかったので宮殿に向かい、鯖サンドの屋台に寄ってから旧市街を歩いて向かうことに、橋上の駅で降りて屋台を見つけるも案の定現金のみで、現金の調達に手こずる、結局ATMの使い方が分からなかったので残っている5000円を両替した。ちょっと変えすぎたかなと思いつつ、お土産をこれで買えばいいかと考え直し、美味いけどそこまで騒ぐほどでもなかった美味しい鯖サンドを食べて宮殿へ、これが結構遠かったし水を調達しようと色々見て買うタイミングを逃し、一番高い宮殿内の売店で買うことに。オーディオガイドが無料だったので付けてみて、多分アルハンブラ宮殿と同じナレーションだった。かなり見応えがありそうな上に、展示によっては建物の前に長蛇の列が出来ていたので、入れなさそうなのはスルーして一通り回ってみることに、奥の第三の中庭を囲む四阿群が面白い、というかソファはこういう風に成立したのか。宮殿をざっくり見て、ハーレムへ。これもかなり面白い空間だった。見どころがたくさんあったがちょっとモスクもいくつか見たかったので駆け足で回ってしまった、あと敷地の南にあるモスクは工事中で期待外れだった。宮殿を出て、隣のアヤソフィアへ、これも長蛇の列になっていて、ひとまず並んでみるも入れ替え制らしく全く進まない、後ろに並んでいる人がどう見ても日本人らしかったので話しかけてみて、アジアの方を旅してきてトルコについた人とのこと、一緒にモスクを見て、このあとカッパドキアに行くらしくお邪魔しました、と行って別れてまた隣のモスクへ、こっちも面白い、中庭があるタイプ、というか多分アヤソフィアが無いだけかもしれない。この後もいくつかモスクを回ろうと思って旧市街の繁華街を歩いているとケバブ屋が声をかけてきて、どうやら日本人のガールフレンドがいて今度日本に行くのだと、彼のやっている別のお土産屋にも連れて行ってもらい、アップルティーをご馳走してもらった、なかなか美味いがやはりめちゃくちゃに甘い。その後も絨毯のちっちゃいのを買った店の店主に隣の陶器の店に連れて行かれたり、フラフラしていたらもうバザールが閉まっていた。仕方がないので近くにあったモスクに一個寄って、もう夕飯を食べることに、少し想定より早いが空港への足が心配なので早いに越したことはない。YouTubeでみた大衆食堂みたいなところでケバブ、ひき肉の棒状に丸めたようなやつ、あとアイラン、酒がないので仕方ない。もう空港に帰ろうと思い地下鉄駅に向かうも、チャージをする機械が現金しか受け付けておらず、しかも道中で雑なスイーツ屋でバクラヴァを買ってほぼ使いはてしまったので困る、高速バスに乗るかと思って警官がいたので近くのバス停はどこかと聞いて向かってみるも、そういえばトラムの停留所でチャージできるかもと思って行ったらビンゴ、地下鉄駅に戻って当初の予定通りのルートで戻る。途中乗り換えでやたら遠回りで歩くハメになったりしながらなんとか着く、まだゲートの情報も出ていないしなんだったら30分遅れ予定となっていた。お土産をちょっと多めに買ったりダラダラ支度して着替えたり充電しながら待つ、ゲートは結局1時過ぎに出て、しかもかなり反対側の端っこだった、大量の日本人が同じ方向に向かって歩いていた。多少待ったが難なく搭乗、あんまり眠くないが疲れてはいるのでとりあえず寝る。
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年7月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年4月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
一葉の家へ霞の階を きみよ 春昼や質屋の硝子なないろに 小鳥 伊勢屋質店今生の花とほく 光子 菊坂に豆煎る音や花の昼 和子 一葉の質屋は鎖して春の闇 はるか 本郷の亀を鳴かせて露地住ひ 順子 おかめ蕎麦小声で頼み万愚節 いづみ 文士らの騒めきとすれ違ふ春 三郎 一葉を待つ一滴の春の水 光子 物干に如雨露干したり路地の春 和子
岡田順子選 特選句
一葉の家へ霞の階を きみよ 金魚坂狭め遅日の笊洗ふ 千種 菊坂の底ひの春の空小さし 光子 坂の名のみな懐かしき日永かな 要 赤貧の欠片も少し春の土 いづみ 本郷の間借りの部屋の猫の妻 同 質店の中より子規の春の咳 俊樹 止宿者の碑のみ残すや蝶の舞 眞理子 本郷の北窓開く古本屋 きみよ かぎろひの街をはみ出す観覧車 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
花冷の背後より声掛けらるる 美穂 幾年も陽炎追ひて遊びけり 散太郎 濃きほどに影のやうなる菫かな 睦子 化粧水ほどの湿りや春の土 成子 画布を抱き春の時雨を戻りけり かおり 昼月は遠く遠くへ花満開 愛 シャボン玉の吹雪や少女手妻めく 勝利 麗かや砂金三つ四つ指の先 睦子 成り行きの人生かとも半仙戯 朝子 鞦韆の羽ばたかずまた留まらず 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
花吹雪卍色と云ふが今 雪 花冷に後姿の観世音 同 そぼ降りてひと夜の契り花の雨 笑 観世音御手にこぼるる花の寺 同 お精舎やこの世忘れて糸桜 啓子 逝きし友逢へないままに朦月 同 裏木戸を開ければそこに花吹雪 泰俊 御仏と咲き満つ花の句座に入る 希 愛子忌や墓にたむけの落椿 匠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月5日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
縋りつく女心や桃の花 世詩明 肌寒く母の手紙はひらがなぞ 同 啓蟄や鍬突き立てし小百姓 同 日野河原菜花の香る祭りかな ただし 菜の花や石田渡しの蘇る 同 雛祭ちらしずしそへ甘納豆 輝一 ぽつたりと落ちて音なき大椿 清女 花吹雪路面電車の停車駅 同 大拙館椿一輪のみの床 洋子 花の山遠く越前富士を抱く 同 吉野山日は傾きて夕桜 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月6日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
花の下天をを仰げば独り占め さとみ 春陰やおのが心のうつろひも 都 春耕や眠りたる物掘り起す 同 左手の指輪のくびれ花の冷え 同 園児等のお唄そろはず山笑ふ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
膝をまだ崩せずにをり桜餅 秋尚 登り来て本丸跡や花は葉に 百合子 葉脈のかをり弾けて桜餅 同 桜餅祖母の遺せし会津塗り ゆう子 売り声も色つややかに桜餅 ��子 木洩日の濡れてゐるやう柿若葉 三無 春愁や集ふふる里母忌日 多美女 伍しゐても古草の彩くすみをり 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
心経をとなへ毛虫に火をはなつ 昭子 マンホール蓋の窪みに花の屑 昭子 栄螺売潮の香りを置いてゆく 三四郎 金の蕊光る夕月てふ椿 時江 禅寺の読経流るる花筏 ただし 若者の髭に勢や麦青む みす枝 龍が吐く長命水の春を汲む 三四郎 花吹雪受けんと子等の手足舞ふ みす枝 土器の瓢の町や陽炎へり ただし 海遠く茜空背に鳥帰る 三四郎 紅梅のことほぐやうに枝広げ 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
片棒を担いでをりぬ四月馬鹿 三無 薬草園とふ門古りて松の花 和魚 だんだんと声ふくらみて四月馬鹿 美貴 四月馬鹿言つて言はれて生きてをり 和魚 松の花表札今も夫の居て 三無 白状は昼過ぎからや四月馬鹿 のりこ 一の鳥居までの大路や松の花 秋尚 松の花昏き玄関応へなく 美貴
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月11日 萩花鳥会
京よりの生麸草餅薄茶席 祐 不帰のヘリ御霊をおくる花筏 健雄 ただ一本ミドリヨシノの世界あり 恒雄 堂々と桜見下ろす二層門 俊文 猫に愚痴聞かせて淋し春の宵 ゆかり 杵つきの草餅が好きばあちやん子 美惠子
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令和5年4月13日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
便り待つポストをリラの房覆ふ 栄子 畑打つや鍬を担ひし西明り 宇太郎 軒下の汚れし朝や燕来る 都 桜蕊降る藩廟の染まるまで 美智子 桜蕊降るももいろの雨が降る 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
何氣なく来て何気なく咲く花に 雪 神御座す杜の新樹に聞く鳥語 かづを 老の踏むひとりの音や落椿 ただし 野辺送り喪服の背に花の蕊 嘉和 夜ざくらのぼんぼり明り水あかり 賢一 喝采の微風を受けて花は葉に 真喜栄 生きる恋はぜる恋ととや猫の妻 世詩明 葉ざくらに隠されてゐる忠魂碑 同 眩しさを残して花は葉となれり かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
極大と極小としやぼん玉宙へ 要 穴出でし蟻の列追ふ園児どち 経彦 頰􄼺をつく石仏の春愁 貴薫 酸模を噛む少年の今は無く 要 稲毛山廣福密寺百千鳥 同 瑠璃色を散らし胡蝶の羽ばたきぬ 久 春陰の如意輪仏へ女坂 慶月 棕櫚の花年尾の句碑に問ひかくる 幸風 朴の花仏顔して天にあり 三無
栗林圭魚選 特選句
蝌蚪の群突くひとさし指の影 千種 峠道囀り交はす声響き ます江 美術館三角屋根に藤懸かる 久子 こんもりと句碑へ映るも若葉かな 慶月 微かなる香りや雨後の八重桜 貴薫 朝の日に濃淡重ね若楓 秋尚 落ちてなほ紅色失せぬ藪椿 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月19日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
通勤のバスから見ゆる日々の花 あけみ 花馬酔木白き房揺れ兄の家 令子 亡き鳥をチューリップ添へ送りけり 光子 偲ぶ日の重く出たるや春の月 令子 あの頃の記憶辿って桜散る 美加
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
矢車の音きしみ合ふ幟竿 世詩明 風よりも大きく揺れて糸柳 啓子 花万朶この世忘れて花の下 同 あたたかやお守りはねるランドセル 同 甘き香の女ごころや桜餅 千加江 春場所や贔屓の力士背に砂 令子 落椿掃きゐてふつと愛子忌と 清女 春の虹待ちて河口に愛子の忌 笑子 散りそめし花の余韻も愛子の忌 同 城の濠指呼の先には花の渦 和子 花筏哲学の道清めたる 隆司 故郷の深き眠りや花の雨 泰俊 山道の明るさを増す百千鳥 同 ほころびて色つぽくなり紫木蓮 数幸 花桃に出迎へられて左内像 同 瞬きは空の青さよ犬ふぐり 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
忠直郷ゆかりの鬱金桜とぞ 雪 椿てふ呪縛の解けて落つ椿 同 春愁や言葉一つを呑み込んで 同 御襁褓取り駈け出す嬰や麦は穂に みす枝 鶯の機嫌良き日や鍬高く 同 ただならぬ人の世よそに蝌蚪の国 一涓 あの角を曲つてみたき春の宵 日登美 春の果次も女に生れたし 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月21日 さきたま花鳥句会(四月二十一日)
清冽な水は山葵を磨き上げ 月惑 連写して柳絮の舞ふを収めけり 八草 天守閉ぢ黙す鯱鉾朧月 裕章 行き先は行きつく所柳絮飛ぶ 紀花 南無大師遍照金剛春の風 孝江 揚浜に春の虹立つ製塩所 とし江 柳絮飛ぶ二匹の亀の不動なり ふじ穂 筍堀り父編むいじこ背負ひ来て 康子 花吹雪ひと固まりの風の道 恵美子 満天星の花揺らし��つ風過ぎる 彩香 夢叶へ入学の地へ夜行バス 静子 啓蟄やピンポンパンの歌聞こゆ 良江
………………………………………………………………
令和5年4月23日 月例会 坊城俊樹選 特選句
真榊はあをばの中に立つてをり いづみ 水の上の空のその上鳥の恋 順子 掌の中の春の蚊深き息を吐き 炳子 耳朶を掠めて蝶のうすみどり 緋路 仕上りの緻密なる蒲公英の絮 秋尚 手放して風船空へ落ちてゆく 緋路 春の闇より声掛けて写真館 順子 零戦機日永の昼の星狙ふ ゆう子
岡田順子選 特選句
玉砂利の音来て黒揚羽乱舞 和子 耳朶を掠めて蝶のうすみどり 緋路 仕上りの緻密なる蒲公英の絮 秋尚 風光る誰にも座られぬベンチ 緋路 緋鯉とて水陽炎の中に棲み 俊樹 手放して風船空へ落ちてゆく 緋路 蜂唸る神の園生に丸き井戸 炳子 佐保姫は夜に舞ひしか能舞台 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
つかまへし子亀に問へり亀鳴くか 美穂 亀鳴くや拷問石にある哀史 ちぐさ 亀鳴ける賓頭盧尊者撫でをれば 美穂 板の戸に志功の天女花朧 喜和 連子窓に卯の花腐し閉ぢ込めて かおり 大人へのふらここ一つ山の上 光子 ふらここや無心はたまた思ひつめ 同 ふらここや関門海峡見下ろして 同 さくら貝ひとつ拾ひて漕ぎ出しぬ かおり 午後一時直射にぬめる蜥蜴の背 勝利 花冷の全身かたき乳鋲かな 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年3月4日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
落城の如く散りたる落椿 世詩明 三人の卒業生以て閉校す 同 双葉より学びし学舎卒業す 同 氏神の木椅子はぬくし梅の花 ただし 鳥帰る戦士の墓は北向きに 同 草引く手こんなですよと節くれて 清女 雛あられ生きとし生くる色やとも 洋子 官女雛一人は薄く口開けて やす香 露天湯肩へ風花ちらちらと 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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nzchao · 1 year
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「ムラカミロキ」live
5月5日(金)
京都 伏見 Music&Bar Annie's Cafe
electric kinu presents luxury time for me 003
Open. 16:30 / Start. 17:00 Adv. / Door. ¥2,000(+D)
●ACT junkyard shaman / Roreda / ムラカミロキ / ザジ / イワゲノム / electric kinu
●Timetable 17:00〜 junkyard shaman 17:45〜 Roreda 18:30〜 ムラカミロキ 19:15〜 ザジ 20:00〜 イワゲノム 20:45〜 electric kinu 〜即興 Improvisation
5日は京都深草アニーズカフェにてライブです。即興もありますのでよろしくです。
Music&Bar Annie's Cafe 〒612-8401 京都府京都市伏見区深草下川原町51−4 サイラスノーム京都 B1F/B2F Tel. 090-9163-3948 Mail. [email protected] Twitter: @annies_kyoto https://twitter.com/annies_kyoto/ Instagram: @anniescafe_kyoto https://www.instagram.com/anniescafe_kyoto/ Facebook Page https://www.facebook.com/Fukakusa.AnniesCafe/
https://annies-kyoto.therestaurant.jp/
京都市営地下鉄地下鉄烏丸線 くいな橋駅下車 徒歩5分 (1番出口より東へ 竹田久保町交差点を北へ 1つ目の信号南東側) 京都市営バス81系統 深草下川原町停留所下車 徒歩2分 (バス停留所より南へ) 京阪電鉄本線 龍谷大前深草駅下車 徒歩5分 (西出口より西へ 警察学校横を道なりに)
https://murafake.hatenablog.com/entry/2023/05/03/011428
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s-in-o · 2 years
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2022.10.19-22 岩手宮城旅行 旅日記その2。
10月20日
岩手→宮城 浄土ヶ浜へ向けて片道2時間半の旅。 盛岡駅から高速バスに乗り宮古駅、 そこから別のバスに乗り継ぎ浄土ヶ浜へ。 浄土ヶ浜ビジターセンターで下車。
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海沿いをまったり歩きながら遊覧船に乗船時刻まで過ごしました。 ふわっとしている計画のため レストハウスでのんびりする程度の時間は取れませんでした。
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遊覧船 うみねこ丸 に乗り潮風を浴びながら1時間弱の航行、 うみねこへの餌付けをやっているお客さんも多かったので 船に並行して飛んでいるうみねこを間近で見れました。
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浄土ヶ浜を離れる時間となり 奥浄土ヶ浜停留所から乗り込もうと思っていたら ちょうど15時台のバスだけなかったので 急ぎ足で浄土ヶ浜ビジターセンター停留所に向かうことになりました。 浜から停留所まで高低差があるためいい運動になりました! 辛うじて乗車完了して宮古駅で下車。
ここから仙台のホテルへ向かうわけですが 宮古駅からJR山田線に乗って盛岡駅に行き、 盛岡駅から���幹線はやぶさに乗り仙台駅というルートとなります。 駅数で言えば15駅で着きます。 所要時間は3時間半です。 宮古駅から盛岡駅まで2時間40分です。 着席出来ないと苦痛です。 出来なかったので苦痛でした。 山田線は山間を突っ切っており 幾つかの渓流を眺める事が出来るので 景観を楽しむ事ができます。
ただ17時を回り始めた頃には暗くなり始め あっという間に外は暗闇に飲まれてしまいました。 途中の駅は殆ど無人駅という立地ですから街灯もありません。 近くを通る車道ですら街灯はありませんので 乗車中の二両編成の車内で 「これ止まったらちょっとしたミステリーにでもなるような雰囲気」 って思いながら過ごしておりました。 幸いにもそんなことは起こらず盛岡駅に到着。 すでに18時を回っているため 駅周辺のお昼時の外観をじっくり見ることはありませんでした。
晩御飯をどうするか考えていた為、 駅構内の売店で駅弁なんかを探していましたが もちろん時間的に残っているわけもなかったので 大阪では恐らく目にした事がないパンを二、三購入し 乗車時刻までホームで待機。 11番線から今回宿泊させていただいたホテルが見えることに気付き 「お世話になりました」と心の中で発しました。
そんな事をしていると新幹線はやぶさが ブレーキによる甲高い金属の擦れる音と共にホームへ進入してまいりました。 一泊二日という一瞬の滞在な事もあり惜しみながら乗車。 また会いましょう岩手県。
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40分程度で仙台駅に到着。 車内で唐突に東北エリアでしか取り扱われていない 焼そばバゴォーン の存在を思い出しまして 先ほど購入したパンは翌日の朝ごはんに回し それを晩御飯としていただくことにしました。
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旅先の楽しみとして 景勝地を巡る、良い旅館に泊まる、高級なものをいただく… など様々な楽しみ方がありますが 景勝地を巡る事は絵を描くインスピレーションとして行っておりますが 豪華な楽しみ方はしません、というか出来ません。 ただその中でも現地での楽しみ方としてたどり着いた先が ローカルスーパーや質素な地方限定品を探す、いただくということです。
ともかくそれを購入し、ホテルでいただきまして、 なかなかの移動距離、時間のため、 疲れも相当ありました適当にシャワーを浴び、 落ち着いたタイミングで寝に入りました。
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yoooko-o · 2 years
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24/08/2022
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35q · 2 years
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20220605
 今日は大切なおんなの子と会った。朝起きて寝惚けながら手袋無しで髪を染めたから手が真っ黒になってしまって、それを隠すように右手の3本に真っ黒のネイルを塗った。改札で待っていると不意に後ろから肩を叩かれて、あなたが来てくれたのだとわかった。出会ってすぐにわたしが決めていた喫茶店へ向かった。丸い机の隣同士に座って、あなたがわたしのネイルを塗り直してくれたのが嬉しかった。穏やかな空間にふたりでいれる、ただそれだけのことが心地好く感じられるのは、素直に心を許しているからなのだろう。あなたがわたしのイヤリングをあどけなく触るので、まだ傷が付いていない両耳にイヤリングを付けてあげた。店内はレトロな雰囲気で、やさしく光るネオンライトや可愛らしいピンクのフラミンゴに囲まれて心が休まる。駅前の中心に位置しているのにも関わらず、窓外の忙しく往来する人間の雑踏や自動車の音は少しも聞こえずに、まるでこの空間は天上とさえ感じられる。階段を登った先に構えているのだが、踏板の端に出迎えるように植物が配置されており、店内にも至る所にも多肉植物らが飾られている。あなたはジェノベーゼのセット、わたしはチーズケーキのセットを注文した。ふたりで分け合いながら食べ進めるのが楽しかった。あなたは煙草を吸わないので、わたしが無邪気に勧めると少し嫌がりながらも甘くて美味しいと言ってくれたのが嬉しかった。煙草の灰の落とし方に慣れていない仕草もかわいらしかった。ご馳走様をして、今度はまた別の喫茶店へと向かった。バスに乗り10分程、最寄りの停留所で降りて少し歩いた先に見えたのはこれもまたレトロな喫茶店だった。年中蔦に囲まれている外観は秋になると紅葉して橙に染まるのだが、初夏の現在は呑み込まれてしまいそうな深緑の怪物のように思えた。店内は明るく落ち着いていて、あなたはアップルパイのセット、わたしはチーズスフレのセットを注文した。あなたは少しずつ「あーん」にも慣れて、わたしが差し出したスフレを綺麗に食べられるようになってかわいらしかった。最近のわたしたちは短歌をつくることが共通の趣味なので、「雫」と題を決めて短歌を詠みあったり、推敲し合ったりした。この���茶店は禁煙なので、ご馳走様をして、わたしのわがままで喫煙可能な3件目の喫茶店に向かった。先ほどの喫茶店からほど近くにあり、歩いてすぐに目的地を見つけた。この店の珈琲は、そのままでも美味しいしガムシロップを1個入れると更に美味しくて好きなんだ、とわたしが言うと、深く共感してくれたことが嬉しかった。あなたにたくさんの煙草を吸わせてしまって、申し訳ないながらとても嬉しくなった。ここでは、ずっと煙草を吸いながらぼんやりした気持ちでいた。3度目のご馳走様をして、わたしがスターバックス新作のメロンフラペチーノを飲みたいと騒いだので着いてきてくれた。スタバの店内でも「ストロー」を題に短歌を詠みあった。ストローで詠むのは難しかったし、もちろんメロンフラペチーノはとても美味しかった。ここまで書いてきて総摂取カロリーが心配になった。もう4度目のご馳走様をして、駅ナカを歩いていると偶然アクセサリーショップに目が留まった。今日のわたしは両耳にたくさんのピアスやイヤリングで武装していたけど、最近は決まったセットで外出しており新しいものが欲しいと思ったのだ。長考の結果、淑やかな蝶、両面に架かる長短の円錐、三連の銀石の3つを選ぶと、他のデザインを見ている隙にわたしのために買ってきてくれた。店を出てすぐ近くの席に座り、早速わたしの両耳に蝶のイヤリングを付け、似合うと褒めてくれて嬉しかった。お別れまでもう少し時間があり、2人とも満腹だったので軽く食べられそうな居酒屋を探し歩いたが、軒並み満員や休業日で悲しくなった。夜遅くまで営業している喫茶店に入ることにした。4件目の喫茶店では、あなたはチョコバナナミルコル、わたしはパパダイキリ、そしてふたりで分け合うためのチョコチップクッキーとミントミルクのお酒のセットを注文した。ここでは別件が重なってしまったからあなたの目を見て話をすることができずに、お酒が甘かったことだけしかよく覚えていない。閉店時間が以前より早まっていたのを知らずにわたしたち以外のお客様は帰っていて、5度目のご馳走様をしたあとそそくさと退店することになった。あなたが乗る電車まで時間があったから、駅に向かう途中に在る喫煙所に寄って、あなたが隣に居るのにわたしだけがほろよいを飲んで白煙を吐いていた。今日は1日を通して感情が凪いでいて楽しかった。楽しかったけれど、本当に話したかったことがあったような気もする。また落ち着いたら会えたらいいな、でも今日はこれでいいんだっけ、そんな戸惑った気持ちでお別れをした。何を書いているか分からなくなっちゃった。あなたは本心で話をしてくれていましたか?わたしたちこのままで良いの、きっと大学を卒業しても出会うことができる関係で居れそうだから、と言ってくれたことを大切にしまっておきますね。“My mojito in La Bodeguita. My daiquiri in El Floridita”と残る片方を飲んだから、彼の言葉を借りてThe best way to find out if you can trust somebody is to trust them.ということで...
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kuizeda · 3 years
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 恰幅がいい体躯の背面にまさか極彩色の昇り龍を翻らせたりはしていないけれど、おおむね服装といえば柔らかそうな生地の黒い開襟シャツをまとうのがお決まりで、実のところドライアイの症状を和らげるものだと打ち明けてくれた眼鏡のレンズは茶色がかっている。そのメタルフレームがこめかみに食い込むさまの窮屈そうな禿頭は、果たして何ポンドあろうか磨き込んだボウリングの球さながら鈍い艶を放つ。失礼承知でなんて白々しい前置きをせずとも、まずなあ、飲みに行ってもお寺さんですかと探りを入れるようにしか聞かれんなと暗に張本人が認めるのだから問題ないだろうが、とにかく容貌だけではその筋の人としか解せなかった。長年にわたり生家の手工業に携わってきたという来歴、あるいは「おしゃべりは好きだが不必要なことは言わず、むしろ不器用で寡黙な印象さえ与える物腰や、ふいに高圧的になるところと臆病さが同居したような人柄」。堀江敏幸が『いつか王子駅で』において描く、かの正吉さんそのものではないかと思い至ったのは、実のところごく最近のことだ。
 学生の時分に籍を置いていた寄り合いでは、いったいどんな伝手からなのか年度の単位で部員に受け継がれているアルバイト先があり、花冷えする春の日、私は推薦してくれた一つ上の姉御つき添いのもと、当時まだ花街の片隅に置かれていた仕事場へと出向いて形だけの面接を済ませ、おずおずと週に何回かの勤めをしだしたのだった。肝心な仕事の中身がすでに忘却の彼方にあるとしても、雇い主の立派な体つきの血となり肉となっている食の傾向は忘れることができない。どんなものも卓上のカセットコンロで調理していた。冷蔵庫の残りを一掃するためのバターライス、飲み屋での与太話に触発されて研究していた卵焼き。お好み焼きになると、だしでうどん粉を溶くところから始めていた。普段は日東紅茶を淹れている耐熱ポットに大袋の徳用ソーセージをぎっちり詰め込んでボイルし、茹で上がったところを本業用のガスバーナーで皮がぱちぱちとはじけるまで炙る。手ずから御大がひねった小皿で供せられ、福利厚生の一環としてよくお相伴に与かったものだ。私が電話番をしているとレジ袋をさげて現れ、いつも皮しか買わへんにゃけどという小ぶりの串焼き、二つでもうお腹いっぱいになってしまう肉だんごの甘酢などは、屋号を刷ったえんじ色の紙で透明なパックに腹巻きしてあった。また、酒を注いだ陶製のひょうたんを携え、その総菜屋で肴を調達してから隣の児童公園へ。さすがに毛氈までは敷かないけれども藤棚の下にあるコンクリートのベンチを占拠し、絵描きの友人らと一緒に花見をするとのこと。くだんの店はやはり鶏を中心とした精肉が本業らしく、そばに下宿のあった私を思いがけずちんまりした車で送ってくれもしつつ結構な頻度で通っているようだった。そらまあ、肉のなかではかしわがいっとう好きやな。
 半年が経った秋、ようやく不可思議な勤めにも慣れたころ毎度のごとく顔を出したら、急な話で悪いが、今月末日をもってここでの活動を畳むことにしたとだしぬけに言い渡された。面喰っているこちらを試すように、なんや、反応が薄いやんけと笑ってみせつつ、そのときさえやけに小さく見えるフライパンを握って肉巻きおにぎりをこしらえるのに余念がなかった。一つの節目だということで、斡旋してくれた先輩ともども参集を命ぜられたのは、洛北の山すそにある古刹だった。仲良くしているらしい住職の計らいで、ゴルフ練習用の人工芝生が乱雑に敷かれて悪趣味な置き物なんかも並んでいる、お寺の庫裏というよりはリサイクルショップのバックヤードに近い野天へコンロを展開し、鶏もも、長ねぎ、椎茸をえんえんと焼いて食べた。美味しかった。当然ここで世襲も打ち止め、それきり免職になるはずのところを、結局は学校を出るまで勤務といえない勤務をだらだら続けさせてもらうのだった。
 私がその街を去る間際、ささやかながら祝いの席や、ちょっとだけ食べに行こかと、移転されていまや久しいがその時分はまだ熊野神社のそばの、月極ガレージの詰め所みたいな小屋で商いをしていた店へと一緒に向かい、焼き鳥をごちそうになった。狭いカウンターの右隣では、我がボスがとりどりの部位の肉を串から外して黙々とほおばってゆく。また左隣では、藤��利子さんに似た見知らぬご婦人がゆったりと瓶ビールを傾け、品よく籠のキャベツをちぎって口に運んでいたことを覚えている。炭焼き台からガラス越しに伝わってくる熱を感じ、とても顔がほてった。どこか張り詰めた空気が流れているようにも思われたが、これはほかでもない私自身の、もうじき新たな生活を迎えるということに対する心の動きによるものだったろう。食べ終わってもまだ明るい時間で、それでは長いことご苦労さんだった、どうか気張ってやってやと短いはなむけの言葉をもらい、東西に丸太町通を別れてから私がちょっと振り返れば、市バスの停留所へと遠ざかりつつある巌のような背中に春の粉ぼこりがまつわりついて夕日にきらめき、すると確かにその場かぎりの幻の龍がひと舞ふた舞して七色に光る鱗をありがたく散らしている。
(2019年12月)
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shiunteen · 5 years
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メモ 2019年11月26日
十年以上住んでいた筈の祖父のマンションはいつまでも新築のような匂いがした。最後まで小綺麗な空間だった。流しには湯呑みが置いてあって、ジュースでも時々作っていたのかミキサーが出ていて、手拭きも台拭きも入院前に使っていたのが掛かったままだった。
私が洟をかんで捨てたゴミ箱は祖父が手作りした木製だった。老人大学で習ったという油絵も、彼の手作りの額縁に入れて壁に掛かっていた。飾りきれない絵は空いた部屋の隅に積んであった。
客間のガラス棚にはいつも正月に使う大人数用の食器と、古そうな酒が並んでいた。立て掛けたギターの横の譜面台には書き込みのある楽譜が開いてあった。物心ついた時から置いてあったが使っているのを見たことがない巨大な羽ペンと、カラオケの教本と、ペン字のテキストとバルーンアート教室の書類と無数の啓発本の横には、ハーモニカが二つ並んでいた。
毎年夏にはこの場所に集まって、墓参りに行く時間になるまで甲子園を見ていた。
全部そのままだった。
葬式で祖父に着せる服を選ぶため寝室に入った。部屋はベッド以外のもの殆どが服だった。
私なんかは最近まで気付けなかったほど、さりげなく、本当にさりげなくお洒落な人だった。色シャツを重ねたり、柄もののベストを着たり、ベルトや帽子にも拘っていた。
お義兄さん随分衣装持ちだったんだねえ、それでも処分は始めてたんだねえと、伯母と大叔母が喋りつつ箪笥を開ける。クローゼットからも積んだ衣装ケースからも、きちんと畳まれた仕立ての良い服が出てくる。いつか集まった時の記憶にあったような服も何着か見つかる。
これだけたくさんの服から、お洒落な彼に丁度良いコーディネートを考えるのは難しかった。結局は先週入院する日にも着ていたという、見慣れた紫のシャツに濃い緑を合わせて、真新しそうな靴下と一緒に纏めて葬儀屋に預けた。
手狭な寝室だけで時計が三つもあったが、そのうち二つは既に動いていなかった。
「あれさあ、昔かなり怖かった」
枕元にある黄緑の丸い置時計を見て姉は言った。言わなかったが私も当時同じことを思っていた。がちん、がちんと音を立てて震えながら静寂の中動く針が恐ろしかった。祖父が今のマンションに越す前は、広い広い家の一室の布団の脇に、必ず置いてあった時計だった。
今はひたすらに静かだ。その反対側の壁には10時で止まった掛け時計が、中身だけをかちこちと鳴らしている。
腕時計のことも書きたい。それだけは思い出が濃すぎてまだひとつも整理がつかない。装飾した創作話みたいにしてしまいそうで怖い。
あまりに突然の死で遺書はなかったのだが、大事な戸棚の鍵の場所は手書きのメモで分かりにくく残してあった。それを読みながら親族総出で探し回った。
合計4本の鍵がそれぞれ全然違う場所に隠してあって、まるで宝探しだった。『テーブル横の荷物入れのわきにある小さい茶色い鞄の中』茶色い鞄てどれだよ、どのくらいを小さいって言うんだよと皆笑いながらあちこちの鞄という鞄を漁って回った。一番わかりにくかった一文をなんとか解読して、湯たんぽの空箱から最後の鍵を発見したときが笑いのピークだった。
祖父が最晩年一緒にいた人(父は愛人と呼んでいた。伯母は怒って話題にも出さなかった。私はやっぱり何も聞かされないままだった)の家からも回収してきた鞄を開け終わると、また少し家族達は静かになった。
一見普通の人に思えるが妙に謎の多い人だった。いつも人好きのする顔で笑い、ゆっくりと話す。生き字引のような人だった。
生き字引が過ぎてほらまたいい加減な事を言っているよとも言われていた。外反母趾が輪ゴムで治るなんて聞いたこともない。いいや、治る。これをここにこうして、ちょっちょっちょ、とやると、治る。
どうせ本当に治ったことがあるんだろう。風邪の治し方にしたって、虫退治の方法にしたって、突拍子もないことを小学校の恩師のような謎の老獪性と信頼性で話すものだからいちいち耐えられなくて笑ってしまった。
金庫漁りついでに発見された戸籍謄本を見たら、苗字の漢字が今と違うわ下の名前も聞いていたのと違うわで場は一時騒然となった(私たち全員の苗字が間違っていたことになるからだ)。俺は誕生日が二つあるんだと言っていた証拠もちゃんと見つかった。出生の届け出がひと月遅れたらしい。
長男なのに家を追い出されて継げなかったのはもらい子だったからではとも噂されていたが、これは書類上間違いなく当家の長男だった。そもそも大叔父と似過ぎているのだから親戚筋には違いないのだが、それにしたって妙なエピソードは多い。
やはり食えない人だ。可笑しな人だ。生前の発言のどこまでが冗談だったのか、今となっては知るすべは無い。
誰も知らぬ苦労もしたのかもしれない。
いつの間にか何でもやってみてしまう人だった。そうして出来てしまう人だった。私が就学するときはヒノキを切って学習机まで作ってくれた。
今のマンションに引っ越す前のあの広すぎる屋敷も昔祖父が増築していたらしい。どうりで少し歪んでいると思った。毎日のように近所の建設現場を見にいっていたと思ったら、設計図も書かずに突然「はなれ」をつくりはじめたそうだ。
決して飽き性ではない、趣味も勉強も工作も全部納得いくまで突き詰めてきたのだろう。まだ突き詰めている最中だった。
この手術が終わればまたダンス教室に通うからと言っていた。嘘ではなかった。フラグなんかじゃなかった。本当だった。誰も疑っていなかっただけではない、経過は順調だとも聞いた。
術後まだ動けない時に父に杖を取ってくれとねだり、何をするんだと訊くと、これをこうして、ほらあそこのスイッチを押せるんだなどと言っていたそうだ。まったくもって通常運転だった。
だから離れて暮らしている姉には手術のことすら伝えられていなかった。
この日の朝電話で呼ばれ、家を飛び出して地元のバスに乗る前に、母からラインで訃報が届いた。結局何一つ間に合わなかったんだなと思いながらバス停で髪も結わず化粧もしないままで私はびいびい泣いた。隣で並んでいる人がずっと私を見ていた。
霊安室の高すぎるベッドで眠る祖父の顔は記憶と少し違った。おじいちゃんに寄ってあげて、ちゃんと触ってあげてと何度か言われたのに、迷って迷って迷って最後までできなかった。
このこともいつか後悔するんだろうか。まだ忘れないように書き留めることしかできない。通夜も葬式も何も済んでいない。
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yotchan-blog · 4 months
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2024/5/22 7:59:29現在のニュース
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angyeong-12 · 5 years
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韓国語分からないSMEオタクが1人で弾丸日帰り韓国に行った話
書いておかないと忘れそう&次回行く時のための備忘録として。 (あと、私が行ったコースがSMペンさんに好評で、よくお問い合わせが来るので書きます)
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「今回のコース」 SME事務所→SMTOWN→COEX
「弾丸日帰り単独渡韓に至った経緯」
当時の会社の仕事(広告系)があまりにも辛くてですね、結構精神状態もやばかったんですよ。
(なんとか推しを拝むために瀕死で生きている状態。)
で、なぜかGWのど真ん中の平日休んでいいよと言われたので、どうせならこの機会にと思ってピーチエアで予約した次第です。
私が3月に5月のフライトを予約したときは、飛行機代だけで26000円でした。 (もっと計画的に予約すればこれくらい安いのネ、大阪とか往復で1万になったヨ)
で、次は円→ウォンなんですけど、今回の場合はちょうど韓国の友達が日本に来ていたこともあり、1万円と10万ウォンを手数料無しで両替。 (こんなにもウィンウィンな取引は今年なかった)
Wi-Fiに関しては、グローバルWi-Fiで借りて、1000円するかしないかぐらいだったかな、正直無くても良かったかなとは帰ってきてから思いました(笑)
さて、実際の旅行の話なんですが、私の場合はですね、国内も国外もそうなんですけど、隅々まで調べて旅行に挑む派なので、そりゃすごく色々と紙に書いたんですが、捨てました(笑) なので、思い出しながら書きますネ。
【4/30 深夜】
ピーチの韓国日帰り用フライトは 深夜出国の深夜帰国です。 羽田01:55-ソウル(仁川)04:35
すこし早めに空港に着いていたので、第二ターミナルに行ったり、イスで寝たりしてたんですが、出国何時間前とかに上司からわけのわからん怒りスラックが来てブチ切れてました。 (上司はもちろん私が韓国に行くことを知っていて、正直なところ人のお楽しみ直前にこんなメールしねえよ。何考えてんの?って感じでした。しかも今考えたら別に私悪くなかったし。グループで怒ってたから全員見てたという意味わかんない晒し。)
とまあ、ここまでは空港での手続きも終わり、順調だったんですが、問題は税関を通り、さあ出国って時。ロビーで並んでいたら、
「現地の気候状況により、遅延が決定致しました。 新しいフライト時刻は4時となります」
(四時半とかだったかも)
寝よう。おやすみなさい。
めっちゃ寝ました、東京だし、羽田の国際線の椅子きれいだし、人全然いないしでアホみたいに寝ました。
でもね、そもそも現地の到着時間が4時半で、そこからもろもろの手続きが終わって5時過ぎに開放されても、結局現地で寝るつもりだったんで、まあ遅延してくれてよかったかなと。
そしてなんとか起きて飛行機に乗り込み、1時間半弱?のフライトも爆睡し、韓国に着きました。(午前7時前くらい) ちなみに、LCCっておそろしく狭いんですよね。 私は幸運なことに身長がスホぴょんと同じなので、ロングフライトは苦痛なんですが、1時間は別に辛くなかったです。
あと、韓国の空港は撮影が制限されています。 (理由はなんとなく想像出来ますよね。) 場所によっては、あまり調子乗って写真撮ると怒られるかもしれません。。。
飛行機を降りたら、まず空港内の電車に乗って税関へ向かいます。 (人の流れに着いて行けば大丈夫!)
ここで書いて提出するものがあったりするんですけど、飛行機のなかでその用紙をもらえたりします。 でも、飛行機のなかはそんなに気にせず爆睡して平気です、結局空港内でもらえますので。 書くことの内容は覚えてないけど、名前とかパスポート番号だったかな。 実際に記入用スペースに日本語の案内があるので、それを見ながら書けば平気です。 間違ってても日本へ強制送還されるわけではないので、気楽に(笑)
まあもろもろの手続きを終わらせ、預け荷物受け取り場に行くんですが、私は日帰りなので、預け荷物はありません。素通りで出ます。 (初めての方は、ここまでの手続きが怖いの!って思うかもしれませんが、人の流れがありますし、案内も日本語で書いてありますので、安心して入国出来ますヨ。よく寝て。)
【5/1】
ワ〜〜〜韓国ゥゥゥゥゥゥって雰囲気を無表情で感じながら、まずコンビニへ。
日本で言うところのウィダーインみたいなやつの梨味(そこそこでかい)を買いました美味しい 実は、私昔から旅行先であまり食事しないんですね、胃がキリキリしちゃうんです、帰巣本能強すぎて帰りたくなっちゃうんですね、ええ。ちと辛いですよ。 家に帰ると治ります。
まずは韓国の交通系IC「T-moneyカード」を作らなくてはならないので、ある程度休憩したら再びコンビニへ。
「てぃもにかーどじゅせよ〜」 T-money card 주세요. (T-moneyカードください)
この魔法のことばで買えます。 んで、ついでに
「ちゅんじょんどへじゅせよ」 충전도 해주세요. (チャージもしてください)
いいですか、一度この記事のタイトル見てくださいね。 私は「韓国語分からない」SMEオタクです。 (なるほどね、こういう感じかー程度に見てね。) ※チャージジュセヨは言っちゃだめヨってネットが言ってた。
これでなんとか空港から出る方法をゲットしました。
ちなみに、コンビニで売ってるのはよう分からんデザインでした。 ラインやカカオの可愛いデザインをお求めの方は、空港にTmoneyカード自販機があるので、そこで買うといいと思います。 確か、オリーブヤングとか仮眠所の階にあった気がする。 曖昧だからここは自分で調べてね。 (私はデザインはもう何でも良かったので、適当なの買いました)
あと、自分の好きな写真とか印刷出来るやつはソウル市内の駅ナカにあるみたいです。 (これも詳しくはよく分からないや)
このあと、空港内を徘徊したりトイレに行ったりして時間を潰し、バスのチケットを買います。 (ま、結局今回の旅行はTmoney要らずだったんですよ)
アニョハセヨ、リベラホテルプリーズ (なぜ英語・・・・・)
今回まず、SMの事務所に行くので、バスの行き先はリベラホテルにしました。 バスの番号は、6006。4B乗り場です。
リベラホテルから10分弱?歩くとSM事務所です。 (慌てないで!!!!!!絶対ここ迷子にならないから!!!あとで説明するからここは!!!)
おそらく、ここで高級リムジンと一般どっちにしよう問題が発生します。 事前の調査で、高級リムジンは値段高くないのにめちゃふかふかゆったり快適空間であることがわかっていたので、高級リムジンにしました。 仁川国際空港ーリベラホテル(14000ウォン、1400円くらい) やっっっすい
バスに乗り、異国の景色を眺めながら、気付いたらまた寝てました。 一時間半くらいかな・・・。 乗るときに行き先聞かれるし、チケットもぎられたので寝過ごしはないです〜。
はい、リベラホテル到着! チョンダムは噂通りDiorなどの高級ブティックがあってすごくキレイ。
まあ、バスを降りまして、しばらくバスの進行方向に進み、大通りを右に曲がり、そしてバス停のある大きな通りの信号で左を見ると我らが帝国です。 (多分これであってるヨ。でも、この情報で迷子になりましたというクレームは受け付けません。)
ソウルは道がとても広くて散歩すごく楽しいです。 (韓国の方が、「逆に東京は道が狭すぎて韓国人は絶対事故る」って言ってました) そんな散歩の終着点が我らが帝国なんですよ、ちょっと泣きました。
今回は、SM事務所のマーケットに行きたかったので開店時間の10分前くらいに着き、列に並んでました。
開店し、店内の推しを買いまくり、お会計。 (当時はSHINeeオンリー、ミノペンです。エクセルになるのはこの2ヶ月後。) あと、おいしそうな普通の飴ちゃん買いました。飴ちゃん。 ここでは6000円使いました。ちなみに、SMの粉物はおすすめしない。絶対に。 (なんかあと、開店とどうじにレジに駆け込む人々がいて怖かった。これがなんなのかは後で判明します)
で、先程通った道にバス停がありましたよね?そこまで戻りまして、 次の目的地、「COEX」に向かいます。(ここで10:20くらい)
本気を出せば歩ける距離だなとも思いましたが、体力が持たないのでやめました。 バスは、チョンダム駅の4番乗り場もしくは5番乗り場のどちらかに 「4419」という番号のバスが来ます。(多分4番、記憶が・・・・) これに乗って、「Korea World Trade Center」で降ります。 (色んなバスが来るので、乗るバスの番号を間違えないようにしてください。乗ればすぐ着くヨ。)
着いたら、ほんの数十秒歩くと帝国の領地「SMTOWN」です。
か、、、神よ、、、、、、、、この迷える魂を救い給え、、、、
とか言ってる間になんかどんどん開店待機列が長くなっていくので、黙って並ぶ。
「なるほど、噂通り割と並ぶのね。イスまで持ってきてる猛者がいる。。。。。」
11時、はい、開店。
ぞろぞろとみんなでSUM SHOPまで向かいます。
ここでようやく分かる、みんながすごい勢いだった理由。 EXOちゃんのタンブラー、コースターの発売日でした。
愚かなことに、このときはまだメンバーの見分けも付かないレベルだったので、素通り。 (しつこいですが、この2ヶ月後、京セラでE!X!O!って叫んでます。)
店内は意外と広くて、見落としあるのでは?って感じでした。 行かれる方は、今もあるのか不明ですが、アーティスト別のスタンプがたくさんあったので、ノートとか手帳を持っていくことをおすすめします。 (私は知らなかったので、航空券の裏に押しました。次行くオタク、この情報で救われろ。)
ここで1万5000円使いました。
あとはシアターやカフェ、ミュージアムですね。 私は不幸なことにミュージアムオープン前に行ったので、工事現場しか拝めず。 (本当はジョンの場所に行きたかった)
カフェには、恒例の粉物やお菓子、iPhoneケースが売っていて、アーティスト別のボトルも売っています。 しかも、飲み物付きで600円。安すぎて申し訳ない。 私は、りんごジュースにしたんですが、普通に美味しい〜〜〜ㅎㅎ (この当時は、黒キャップボトル。今は白キャップのNEWデザインなので、値段変わってるかも。)
ある程度散財し、遊びまくったらCOEX本体に向かいます。
私は最初、ずっとCOEXの地上をさまよっていたんですね。 なんにも無いの。電気屋さんくらい。
あ、扇風機安いな〜でもいいや、ぐらいしか無いの。
え、たくさんお店あるんじゃなかったっけ?と思って20分くらいあたりをウロウロしていました。
で、ふと地下に降りたんですね。お店いっぱいあったの。
いや、地下て。
安心して散財します。
ここで注意してほしいのは、声かけてくるっぽい人がいるんですね。 目的はわかりませんが。 (最近は何やら良からぬ勧誘が流行っているみたいです、、、)
しかし、私はあまりこういうところでオドオドキョロキョロするタイプでもなく、当時髪の毛が紫だったこともあり、一度も怪しい人に声をかけられず生き延びました。
ここはまさに散財天国です。 手当たり次第お店に入りますが、メニメニヘブン。 (天国がたくさん)
おすすめのお店があったんですが、名前を失念してしまったので、割愛。
ダイソーやイニスフリー、オリーブヤングなんかは絶対行ってください(絶対行け)
大事なのは、堂々と歩くこと。オドオドしない。
さ、帰りましょう。
仁川国際空港に直で帰りたい方は、SMTOWNの前の大通りの向かいにあるバス停から帰れます。 大きい通りを渡ってくださいね。
この写真は、その空港行きのバスの停留所で撮ったやつです。 番号を見て乗ってください。 多分1600円とかだったかな。
これはCOEXのマップ(日本語) おそらく役に立ちます。
そしてこのバスに揺られてどんぶらこどんぶらこと帰るわけですが、ここでも寝てました。 でも、序盤起きてると有名なSHINeeやバンタンの置物(くまみたいなやつ)がバスから見えます。
降りるときにターミナルが第一と第二あるから、そこ気をつけないとだめかも? でも、間違っておりても、巡回してる無料シャトルバスがあるから平気です。 気にせず寝てください。
はい、空港に着きました。ちょっと早すぎたかな。。と思いましたが、目的は果たしたので空港を徘徊します。 早朝に空港着だったので、ようやくお店をゆっくり見て回ります。
さっき書いたように、空港の中にもオリーブヤングがあったりイニスフリーがあるので、そこらへんを見て回りながら、ようやく食欲が出てきたのでコンビニのおにぎりを買いました。
で、日本って親切だなって思ったのがね、おにぎりのパケに鮭とか梅の絵が書いてあるじゃん? 韓国っておそらくそのおにぎりをプロデュースしたであろうシェフの写真が載ってるの。 違う、、、、違うんだ、、、、求めてる情報はお前じゃない、、 でも、カルビって書いてあったので買ったんですよ、そしたら雑穀米みたいなやつでちょっとテンション下がりました。
そんなこんなで空港で手続きをします。 ピーチエアは日本の会社(多分)なので、特になんの不安も無くすべて終わりました。 というか、英語も韓国語も分からなくても、絶対なんとかなります(笑)
で、仁川の中の免税店ですが、アホみたいに広い〜〜〜〜!!!!!! 私、イニスフリーの誕生石のパウダーが欲しくて、COEXでも見たんですが売ってなかったんですㅜㅜ 最後の望みと思ってひたすら探したらセットで売ってたので迷わず購入。 これ、バラマキ用に便利ですよ(バラまいてないけど)
あとね、1人でくまなく免税店見たのでわかったんですが、グッチやコーチはもちろんあるんですがね。 コンビニとかが無いの。 飲み物とかちょっと軽食とか無いの。 (もしかしたらあったのかもしれないので、見つけた方は教えてください。)
ただ、搭乗口付近には自販機があった気がする。 自販機だったかな?なんかあったんだよね。
と、まあ付近をウロウロして、帰国は無事に定刻通りでした。 (すぐに寝たので記憶がない)
よく寝て、よく金を使う旅でしたが、行ってよかったです。本当に。 めちゃリフレッシュ出来たし、また行きたいってめちゃ思いました。 あと、1人旅行って本当に楽しいなって分かったのもいい経験でしたワ。
今はミュージアムも出来て私が行った時より散財スポットが増えたと思います。 また行かなくては(使命感)
最後に、いるのかわかりませんが、このコースで行く方用にバスの番号など全部まとめます。
「仁川国際空港」→「SM事務所」 リムジンバス乗り場4B乗り場6006(高級リムジン) 1400円(14000ウォン) 停留所:リベラホテル 降りたらバスの進行方向を大きな交差点まで進み、右に曲がる。 困ったときは、 「エスエムエンターテイメントヌン オディエヨ?」 (SMエンタはどこですか?)
「SM事務所」→「SMTOWN」 チョンダム駅(清潭駅、청담)地上バス乗り場4OR5 (どっちかは覚えてない) 「4419」番バス、Korea World Trade Centerで降りる。 降りてすぐSMTOWN。
次はソウルコンとか行きたいけど、MC理解不能だから無理かな。。 でも、また行って金使わないと(使命感)
そして、このブログを見てくださった皆さん
最後に、私が作った韓流翻訳サービスを見ていってくださると嬉しいです
アイドルの韓国語ツイートが日本語に翻訳されるすぐれものです🙌
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勝手にツイートされるようなことはないのでご安心を!
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hiruzenmegata · 5 years
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0609 滝山団地にいってきたよ(1)
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花小金井駅についたのは14時、気温は32度。季節の変わり目で日々不安定な天候のなか急な真夏日にぐらっとくる。
ほとんど調べずにきてしまったけれど、あてずっぽうに北口に降りると「滝山営業所ゆき」と表示のあるバスがちょうどとまっている。乗り込むとクーラーの音がめちゃめちゃうるさい。一度は座席に座ったものの、せっかくだから、と一番前の座席に移動し、座りなおし、ちょっとしてから出発する。
座席が埋まりきるかどうか、くらいの乗客数で平日の午後、停留所にとまるたび降りる人はあっても乗る人はいない。運転手はガリガリ、でよく日焼けしていてこの天気だから説得力がある。
ハードオフ、PCデポ、コメダ珈琲、カーブス、魚屋路、あとちょっと懐かしいところだとブロンコビリーとか、いかにも西東京の街道沿いにあるような店舗を過ぎていく。全体に高い建物はない。道路工事してるところがあったかな。ようやく団地のある方面へと差し掛かり、まず団地入口という停留所でお年寄りが二人降りる。発車しなおしたバスは北へ一路、交通量はだいぶ減っている。
すぐ団地がみえてくる。一番前の座席から、あたりの様子を右へ左へ確かめると、鳥肌というのではないけれど、途方もない異物感というか、まあこの場合おれこそが異物なわけだが、ぜんぜん別種の現実に放り込まれてしまって目が開かれる。ぶあついものにぶつかった。巨大すぎるのだ、団地が。そうとは知っていたはずだけれど、予想をはるかに超える規模で、ひとの気配はすこしだけ、老人だからなだけだけど誰も動きはゆっくりだし、とにかくさっきまでの花小金井周辺の印象とのこの急激な落差はなんだろう。
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「滝山団地は、日本住宅公団が66年から久留米町の南西部に広がる無居住地区の雑木林を伐採して土地区画整理を行い、68年から70年にかけて建てられた。(中略)当初、70万坪を予定した総面積は、種々の事情で約半分に減らされた。それでも、総戸数は3180戸(うち分譲2120戸、賃貸1060戸)で、ひばりが丘団地の2714戸、東久留米団地の2280戸をともに上回り、西武沿線では最大規模になった。」
持参した本、「滝山コミューン 一九七四(原武史)」を開いて確認する。
この本が刊行されたのが2007年、持参している文庫は2010年に出版されていて、本の冒頭で筆者が滝山団地を訪れたのは2004年9月だからそれから15年経っている。
先回りしていってしまえば、15年前、筆者が「30年前にタイムスリップ」し「目を疑った」光景、滝山五丁目商店街の様子は(おそらく)そのままだった。本文中に羅列された「デザートショップ「みどりや菓子店」、お茶と海苔の店「やまもり三興屋」「中華料理珍来」「さはら文具」「ひばり寿司」「ツカハラ理容室」「丸橋青果店」などはまだそこにあったからである。それにしても人がいない。それに暑い。
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「滝山コミューン 一九七四(原武史)」という本は、筆者が自身の生まれ育った滝山団地、および東久留米市立第七小学校での「事件」から30年経って、それをようやくふりかえり、紐解いていくスリリングなノンフィクションで、刊行してすぐ講談社ノンフィクション賞を受賞している。原武史さんはほか「大正天皇」など、たいへんおもろい本をたくさん記されています。
本というのはいつでも読み返せる、読書を通し、そのテキストを体験する「個人」を時空間的にいくらでも引き延ばしていける、というのがロマンチックなところだので、ある意味その「現場検証」はむしろ読書体験を規定し、狭めてしまう可能性もある。が、おもしろい本の舞台になった場所が比較的近所にあるとなれば、せっかくだからみてみようとは思っていて、でもなかなか果たせずにいた。それをようやく、思っていたままだったので行ってきた。のです。で、せっかくだから感想文を書いています。
人が住んでいるってのに失礼な話だが、昭和に捨てられたマンモス団地、忘れられた陸の孤島、といったイメージを追いかけていったフシもある。期待通りの側面もあれば、尋常に人の暮らす生活圏でしかないところもあり、存外に自分で「正解」を先にこしらえていたな、と気づかされた。
本の紹介をもう少し。
先に引用したとおりの規模の滝山団地では、そのすぐそばに小学校があり、ここは事実上、団地の小学校、であった。当時の団地というのはどうやらイケてる住居。社会主義的な理想を体現したような、現代的で最先端な暮らしがそこにはあると目されており、また特に入居者としても「これから新しい時代つくっていきまっせ」てな気概・意欲にあふれていたらしい。ただでさえ日本全体に共産党を支持しているような時代にあって、西武沿線の団地に入居しようという若い夫婦はその傾向が強かったとか。
若い夫婦、と書いたけれどそれもそのはずで、つまり団地の間取りが生活を規定するので入居を考える家族の構成は自然と似通ってくる。もっといえば、家の間取りもコンセントの位置もみんな一緒なので、家電の置き方など部屋のレイアウトまでが自然と同じものになっていく。「個性的」なアレンジメントはなされるのはドアの取っ手につけるカバーや、呼び鈴ボタンのまわりの飾りつけなど。
お父さんは昼は西武線に乗って会社にいってますから、団地は「女子供」の世界であります。さらに、そもそも「無居住地区の雑木林を伐採して」建てられているから、それまでそこに住んでいた人もいない。ということはどういうことかというと、それまでその地域に根付いていた文化、祭りや噂や伝統あるいは神社だったり寺だったり、が、ない、ということなわけです。
その環境下で、PTAと教員たちが一丸となって、第七小学校の生徒たちに、「新しい・これからの教育」を施していく。小学校の児童数も多い。「71年には1000人を、72年には1200人を、73年には1300人を突破した。」(68年の開校時の児童数は126人)
講談社文庫の宣伝文はこちら――
郊外の団地の小学校を舞台に、自由で民主的な教育を目指す試みがあった。しかし、ひとりの少年が抱いた違和感の正体は何なのか。「班競争」「代表児童委員会」「林間学校」、逃げ場のない息苦しさが少年を追いつめる。30年の時を経て矛盾と欺瞞の真実を問う渾身のドキュメンタリー。
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(つづく)
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komogomo-blog · 5 years
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ぼんやりゆらゆら
平日の昼下がり、日本の家の前で久しぶりに煙草とコーヒーを手に、この通りで生きている人々をぼんやり眺めていた。冬がもうすぐ終わろうとしている。心も体も太陽に当たれることを幸せに感じている。
日本の家があるLeipzigのEisenbahn Strasseは私にとって二つ目の故郷になりつつある。
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暗い冬がゆっくり過ぎ去り、太陽が久しぶりに出てきたある日、Tinoが寝起きのスピードでゆっくり歩いてやってきた。朝ご飯を一緒に食べたくて来たらしかった。Eisiも一時間前に日本の家に来て、朝ご飯の準備をし始めていた。Tinoと煙草を吸い、小さく話していた。
ゆっくり太陽に当たりながら。
日本からドイツに逃げ出してきて、そろそろ九か月が経つ。沢山の人に支えてもらいながらぬくぬくと生きている。
日本社会の流れに乗ることが出来なかった自分は、自ら海底に沈んで行き、社会から身を隠し、闇に消え去ろうとしていた。
結局最後は虫のように太陽につられて出てくるのだが。
ある頃、有り余る自分の時間と体をボロボロにしていく耐え難い孤独にうんざりしてきていた自分は外の世界をぶらつき始めていた。そしてふらっと入った本屋で手に取った本を何も考えずに買った事があった。 初夏の午前、気持ちのいい爽やかな晴天。夜、眠らずに朝まで起きていた自分はだらだらと布団の上で息をしていた。天気もいいし寝る前の散歩に出かけた。そしてぼんやりとバス停で立ち尽くし、電車にぼんやりと乗り込み、気が付くと尾道商店街の前に立っていた。誰か知らない観光客と一緒にツーショット写真を撮らされている芙美子像には目もくれず、商店街をゆっくり歩いていく。やはりすぐに商店街の本筋を歩くことに飽きてきてしまった。路地に入り込みたくなり、魚屋の横を通り抜け路地に迷い込む。そこには一軒の民宿とCafeがあった。
Cafeに入りたかったわけでも、むしろ入りたくなかったのだが、孤独に負けてしまい、入って適当にぼんやりとしていた。するとオーナーが降りてきて、どこから来たのか、何をしているのか等、質問攻めにあい、対人に慣れていない自分はどもりながら質問に答えていた。何故ここに来たのかと云う問いにつまずいた。自分でもなぜ尾道に来たのかわからなかった。尾道の観光名所なんて興味もなかったし、何が有名なのかさえも知らなかった。 オーナーは40代のおっちゃん。適当に来たことをオーナーに伝えると、面白がってくれて、ここで働く代わりにここで寝泊まりしてもいいことになった。 その日の夕方、自分は親に連絡した。
「今日は帰らんわ。二週間以内に帰るわ」
親はまずどこからどこに帰るのかさえも理解が追い付いていなかった。自分が自室で寝ていると思っていたらしい。今すぐ帰ってこいとは言うものの、自分が何も聞いていない事を知ると、最後は渋々頷いた。 その夜、眠る直前、いつか買った本のことを思い出した。その本から尾道という名前が出てきて、死ぬ前に行ってみようかなと考えていたことがあるのを思い出した。
翌日から、ずっとそのカフェと民宿に留まっていた。オーナー以外にもいろんな人に可愛がってもらった。特にお姉さま方には。師匠と呼んでいたカッコいい音楽家もいたし、みの兄に仕事を教えてもらった。 尾道で生活しだして、一ヶ月か二か月経った頃、ドイツから丸眼鏡をかけたひょろっとしたおじさんがやってきた。ドイツのLeipzigで日本の家を運営しているらしい。二十年前にドイツに居たオーナー、みの兄、師匠とも気が合い、尾道の滞在期間中にちょくちょく僕が住み着いているCafeに顔を出した。
そしてその頃、日本での生活が自分にとって、耐え難くなってきていた。
そろそろ死ぬための場所を探そうかと考え始めていた。
その賢いひょろっとした何でもそれなりにこなすことが出来る面白い丸眼鏡のおじさんに、日本の家に来たらと誘われたとき、あともう少し向こうで生きてみるか。向こうで死ぬのと、こっちで死ぬのも変わらないと適当に考えた。
親を説得するのは簡単だった。ドイツに行くことを許可しないなら、自殺すると脅しただけ。二か月で帰ってくると嘘の約束を親と結び、丸眼鏡のおじさんを頼って日本を、自室を飛び出した。
Leipzigにある日本の家までの道のりは長かったように感じる。最低限の着替えと貴重品、大きなリュック一つでやってきた。丸眼鏡のおじさんは自分が二週間か三週間程で帰ると思っていたらしい。親と二か月で帰る約束をしたけども、二、三年はここに住みたいと伝えると、驚きながらも了承してくれた。
自分が今寝泊まりしている日本の家で、色んな人と出会い、お世話になった。 元やくざの健さん、隣町のHalleに住む瞬発力のお兄ちゃん、難民のカタモト、ゲイで料理人のTinoと優しくて神経が細いEisi、同じく難民で妹と一緒に逃げてきたザラー。 色んな人にお世話になって、色んな人にたくさんの経験を与えてもらって、生かされている。 ドイツで生きてみようと思い、はや九か月。しっかり自分の庭のように街を歩いているのにも関わらず、ふと自分が踏みしめている地が一体どこなのかを考えさせられる。
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