#不協和音のわたしたち
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不協和音のわたしたち | cosmomule (feat. mekakushe)
#不協和音のわたしたち#Can't understand each other#cosmomule#mekakushe#静止軌道上空のあなたへ#to you on geostationary orbit#my post#musik
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)3月22日(土曜日)
通巻第8706号
アメリカで研究費をふんだんに使わせて貰った恩義を忘れ
中国へ陸続と帰還する著名学者にはノーベル省受賞者も
*************************
米国で最新の科学、医学、化学などを学び、マスターし(なかにはノーベル賞受賞者も三人)、さんざんアメリカの資金で研究を極めた中国人学者が、中国へ還る。アメリの巨額投資の成果はみすみす中国へわたる。
典型例は楊振寧の場合だろう。
父親も世界的な数学者だった楊は安徽省に生まれ(そのときは中華民国だった)、アメリカへ渡って素粒子の研究にはげみ、同じく中国人の李政道と一緒にノーベル賞に輝いた。
台湾からの李遠哲もノーベル賞を最初に貰った台湾人。最終的に楊振寧は中国へ帰った。
逆に中国の高給とふんだんな研究費、助成金に釣られたアメリカ人学者が中国と協力する「科学スパイ」がいる。典型はハーバード大学化学部長だたチャール・ズリーバーで、米国予算からもふんだんの助成金を受けながら同時に中国から2億円の研究補助を受けていた。
これは「千人計画」の一環だった。政治的判断の出来ない日本人研究者も多数が中国の高給と研究環境、待遇などの条件に惹かれ中国へ渡った。
半導体や電池技術に関して��、アメリカで研究し米国企業でノウハウを学んだ台湾人がTSMCやエヌビデイアを設立し、世界を席巻した。そのTSMCからごっそりと数百のエンジニアが中国へ渡りSMICを設立した。SMICはいつのまにか7ナノ半導体を生産出来るまでに『成長』していた。
中国人とみたらスパイと思えが米国で合い言葉となった、いずらくなった中国人の中国帰国が目立ち始めたのは、この五年ほどで、博士クラスが束になって中国へ帰国し、学部学生の留学生となると、卒業後80%が中国へ帰る(海亀派)。
ボストン大学でロボット工学をマスターしたイエ・ヤンジン(音訳不明)は中国人民解放軍の幹部だった
ブラウン大学でバイオ研究30年の曹浩乃は精華大学教授として帰国した。在米20年のホー・イクイエンは北京大学教授になった。
英国留学でも同じ現象が起きた。
ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で博士研究員として在英中国人学者のパン・リンフェン(音訳不明)は権威ある『ネイチャー』誌に30本以上の論文を発表し 花形とされた。英国の大學に特有な伝統的人事に嫌気したパンは英国を去り、中国が用意した顕職につく(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、2025年3月22日)
日本の大學は中国人留学生を歓迎し、授業料免除ばかりか月20万円ほどの生活費まで支給している。しかも彼らは帰国すると反日になるのである。
──忘恩の徒、倫理? それはなんのこっちゃ。
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
念願だった日本の協会でのクリスマス。
11年目でやっと実現できました。
色々なサライブをプロデュースして来ましたが、どれも特別な思い入れがある中。
今回は1番印象に残るステージの一つになりました。
これをきっかけに、また日本の教会でコンサートが実現できれば幸せす。
個人的にはとても長崎に行きたく、、、チャンスに巡り合えることを祈っています!
では、プロデューサラからのライナーノート。
今回のセトリ。デザインさせて頂きました^^
夏のオーストラリアで育ったため、リースのサラは半袖。
寒さにとても弱いものの(昨日のライブでもカイロを貼ってて落ちないかドキドキ)、
クリスマスはやっぱり寒いのがしっくり。
1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
5. Eight Melodies 『MOTHER』
6. Hijo de la Luna
7. Airmail Special Xmas Vers.
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
9. Andata (坂本龍一)
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
11. Joyful Joyful / 第九
12. O Holy Night
ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
14. Silent Night
15. Nessun Dorma
16. You Raise Me Up

海外の協会や大聖堂といえば、キャンドル🕯️
本物はNGとのことで、こちらに。帰って我が家のツリーの下に🎄

今回の��ラスタイルは、一番好きな純白。
1部はサラッと見つけた衣装!今回ネックだったのは、パイプオルガンの弾き語り。
普段はもっと高いヒールを履いてパフォーマンスをしているのですが、ペダルがもちろんキツく不可能。
因みに、ペタンコな靴でも試したところ、これもこれで初心者にはとても踏みにくく、多少ヒールがあった方が演奏しやすかったです。
長いスカートも足の動作の邪魔になるため、とても苦労しました。最終的には普段より低いヒール(これで)に動きやすいドレスに出会えました。オープニング、アンコール、エンディングの演出としてバージンロードを歩きたかったため、
それにしてはカジュアルすぎる姿かなと思い、裾が長い素敵なビジューのケープに出会えました。
アンコールではお世話になってる方々のお衣装:
Instagram
Dress: DRESS SALON Lu:Che @dress_salon.luche
Veil: @paradisewest
Hair & Make up: @west_kuboki
アー写でも着てた一点もののヴェールとウェディングドレス。
華やかな衣装も大好きだけど、普段着も含めて、基本一色でシンプルなスタイルが1番好き。
見えにくかったはずですが、アクセサリーには十字架のネックレス。

Sarah’s Angels
チャーリーズ・エンジェルともちろんかけてます。
ピアニストの宮本貴奈さんは色々な意味で今回救いの天使でした!
Soprano/ SAK.
Mezzo Soprano/ 渡辺磨裕美
Alto/ 会原実希
Tenor/ 大山桂佑
エグイアレンジにも関わらず🙇♀️サラッと歌われて素晴らしかった👏Bravi!
皆さんのシックな衣装が会場にぴったりでした。
実はAngels’のスタイリングもしてたのですが。。なんと、衣装が間に合わず(本番の次の日に到着><)
いつかまたぜひこちらも着て一緒に歌いたいものです!
では、音楽のもう少し詳しい編成や演出について。
聖なる場所で、今回はとても分かりやすいテーマとメッセージがあったこともあり、
MCを最小限にし、音楽中心のコンサートに。
アルバムやテレビと違って、コンサートでは自分の思いを自由に語れる貴重な場なので、
基本話せる時は話したいですが、今回はより音楽に集中できたため(ツアーでは毎回MC=ー「笑い」に命をかけていますw)、こういうコンサートも続けたい。

1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
Takanaのクリスマス・アドリブから始まり、イエスキリストを讃える一曲へと繋がる。
色々な作曲家のPie Jesuがありますが(Faureフォーレのも好きで迷いました)、アルバムに収録されてることと、京都音舞台での思い出もあり(お寺でのPie Jesuなんて、日本の神は心が広い)、Andrew Lloyd Webberバージョンに。
皆さん驚かれたかもしれませんが、後ろから登場し、キャンドルを灯し、歌いながらバージンロードを歩きました。
教会の大きな十字架✝️を見ながら歌う感覚。
色々な感情が心に重く、深く、宿る。
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
クリスマスは基本違和感と寂しい思い出しかなかったですが(夏のオーストラリアで、クリスマスを祝わない家族)、
昔からクリスマスソング・キャロル・讃美歌が大好き。とても嬉しいことに、オリジナルのクリスマスソングを歌わせて頂いています。それも、憧れのムーミンの。映画『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』で英語版と日本語版で主題歌を歌わせて頂くクリスマスの奇跡が起こりました。
そんなムーミン一家も、クリスマスはお祝いしません。
クリスマスが何なのかすら、知りません。
でも、「クリスマスさんがやってくる!」
人と勘違いしてる?
ツリーの飾り方も分からず独特。テッペンには薔薇。
そんなムーミンは、何よりも大事なクリスマスのメッセージに気づきます。
そんなハートフルなクリスマスソングを教会でも歌えるなんて。
年に一度しか使えないと思ってゲットした鈴は、今日も大活用。
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
さあ、ここからが難関。思いだすだけで冷や汗。
人生初のパイプオルガン演奏。弾き語り。そして途中で指揮。
本来予定してなかったのですが、教会の下見に行った時、オルガンを見て、これは演奏してみたい!、と燃えてしまいました。
どの楽器もマスターするのに難しいですが、その中でもパイプオルガン奏者にはリスペクトしかありません。
ピアノ、チェンバロと違って、鍵盤が三段階。それぞれ音色は違いますが、その音色をさらに左と右横にあるストッパーで調整する。演奏中引っ張ったり押したり大忙し。シンセも昔から好きだったので、感覚が似てて、音色を選べるのはとても楽しいです。演奏してる間は別問題ですが^^;そして、私にとって何よりも困難だったのはペダル。ペダルも鍵盤になっているんです!ひ〜
エレクトーンの経験もないので、シクシク家で妄想練習。手書きの鍵盤。
あるピアニストがピアノがなくて紙の鍵盤で練習したという都市伝説を聞いたことがあったけど、
本当だったかもしれない。
最初はオルガンソロのみ予定してて、何が良いかなと思って、冗談で「バッハのトッカータとフーガニ短調BWV 565」なんて!と言ったら、ピアニストの塩入俊哉さんが、「それで良いんじゃない」と真面目に答えられてから、やることになっちゃいました(塩入さん、体調回復されて、元旦でお会いします^^)
どうやって鍵盤を弾きながらペダルを踏んで歌うのだろうか。。。練習ができないため、
今回はずっと足を見て演奏するしかない。
そのため、普通のマイクではなく、ヘッドセットをお願いしました。
ここで合唱が登場したらカッコ良いなと思い、バッハからウクライナの新年の曲「Shchedryk」、別名「Carol of the Bells」(ホームアローンやテーマパークでもよく流れるクリスマスの定番)に繋がる。
ペダルを踏んでない時は指揮。オルガンが大きくて見えにくい位置でしたが、さすが聖歌隊、
Sarah’s Angels見事について来ています。
「Carol of the Bells」 「鐘のキャロル」というだけに、パイプオルガンにも鐘があるので、このチャイムをペダルと鍵盤でもONに。
今回は合唱のアレンジをさせて頂き、こちらも燃えました。
GLORIA CHAPELだけに、アレンジに「Gloria」(讃美歌)も取り入れました。
ウクライナ語、早口英語(合唱お見事)、脳みそがフル回転に働かされる一曲でした。
足元の動画をとってあとで見返してみると、おそらくこの姿勢���筋肉痛になったかと。
YouTubeにアップしました!
動画編集に苦戦。いくつかのカメラが音と映像がシンクしない。多分カメラの位置とホールの響きの影響も?
また、見返して思い出したのは、音のディレイ。特にオルガンは、鍵盤を弾いてる時と、実際に聞こえてくる音とズレがあります。ゆっくりなところは大丈夫でしがた、早いパッセージは心臓バクバク。
【LIVE】Shchedryk Carol of the Bells /Pipe Organ, Voice & Choir|Sarah Àlainn サラ・オレイン | パイプオルガン弾き語り
<初!パイプオルガン弾き語りinウクライナ語+指揮🎄>
youtube
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
ここでやっと普通のMC。
次からは合唱メインの選曲へ。
今回リーダーのSAK.に合唱についてご相談させて頂きました。SAK.とのご縁はゲーム音楽のコンサート。
そんな繋がりもあり、一番最初に合唱とやりたい!と浮かんだ曲は、ゲーム音楽でした。
私の歌のデビューは光田康典さんのゲーム音楽『ゼノブレイド』の「Beyond the Sky」。
よくライブで歌わせて頂いている大切な楽曲。SEGAの 『蒼き革命のヴァルキュリア』でもコラボが実現。
ラテン語で英語で作詞させて頂き、とても好きな世界観。でも、ライブでは一度も歌ったことがありません。
レコーディングでは自分の声を何重に重ねたセルフ・クワイヤー。
ループするようなラインでもないため、ルーパーでも一人でライブでは歌えません。
今日までは!
合唱のおかげで、やっと生でこの歌が届けられる!テーマも「Requiem(レクイエム)」な��で教会にもぴったり。
ゲームの中では死神の歌なので、プレイヤーとしてはあまり聞きたくない曲かもしれませんが^^;
さらに、この曲は完全にアカペラ。オリジナルと同じように表現できた喜び。
アカペラが大好きで、合唱の皆さんにまたハードルが高い曲を2曲目に持って来たのにも関わらず、Bravo!
正面向きながらの指揮。
5. Eight Melodies 『MOTHER』
ルーツのvgmが続きます
ご縁があり、作曲家のChip Tanaka(田中宏和さん)の前で彼の作品をいくつか演奏する貴重な機会がありました。私が最初にプレイしたゲーム機はGAME BOY(ゲームボーイ)。唯一入ってたゲームがDr. Mario。今でも完璧に覚えてるあのチップチューン。それがまさかのChipさん作曲。そんなDr.MarioとRPG『MOTHER』をご本人の前で演奏させて頂く夢のようなステージがありました。
その時はサラカルの編成だったため、歌とヴァイオリンはルーパーを使ってました。
この名曲をSt. Paul’s Cathedral Choirが歌われてるバージョンをサラジオでも以前お届けしましたが、
これぞ教会で聞きたい一曲!ゲームでは8つのメロディーが物語のキーとなるのですが、アレンジバージョンには英語歌詞がつきました:
Take a melody, simple as can be
Give it some words and sweet harmony
Raise your voices, all day long now, love grows strong now
Sing a melody of love, oh love…
作詞:Linda Hennrick
作曲:鈴木慶一さん/Chip Tanaka
簡単なメロディーをとって、歌詞をつけて、
優しいハーモニーを当てて、
声をあげて、愛のをメロディーを共に歌おう。
何とも純粋な美しい歌詞。。。
以前のループも生かしつつ、合唱とピアノ演奏を加えた教会バージョンにアレンジ。
Chipさんに映像を送らなければ〜年末は休めるのだろうか^^;
今回は出番が短かったですが、ここでサラ・オリジナル八ヶ岳カリンバが重要なところに登場。
シンプルなメロなので、これもいずれ皆さんとカリンバで演奏するのが夢です^^
6. Hijo de la Luna
合唱がミステリアスなピアノアドリブの中ゆっくり去っていく。
ガラッと雰囲気を変えて、不思議なスペイン語の世界へ。
スペイン語は話せないので、早口言葉がとても難しい一曲です。
子供の時ラジオでも流れてたヒットで馴染みがある一曲なのに、大人になってから歌詞の意味を知り、びっくり:
かなりダークです
当日のセリフをそのまま:
『母といえば、息子が欲しかったお月様の話、ご存じでしょうか?
ある女性の望みと引き換えに、息子を手にした、お月様
女性は望み通り、夫をもらった。
でも、その間に産まれた子は、夫と違い、肌色が真っ白だった。月のように。
あまりの怒りに、夫は女性に怒り、最悪な結末に。
お月様は、こうして母になった。
「お月様、腕がなくて、あなたはどうやって息子を抱くの?」
「三日月になって、息子を揺らすのよ。」
Hijo de la Luna 月の息子』
やっぱり怖い。
ヨーロッパで大ヒットしたMecanoの名曲。オリジナルがとにかくカッコ良い。
Takanaからお借りしたシェーカー(振り方、角度によって音が変わる!欲しい)も登場。
音楽的にはシンプルに1番、サビ、という構成ですが、違和感がある転調があったり、
演奏してみると意外とミスしやすい(そして目立ちやすい)、難関な曲。

7. Airmail Special Xmas Vers.
今回のセトリからカットされそうになった一曲。
でも、リハで試しに一回Takanaとやってみて、これはやっぱり入れなきゃとcome-backしたジャズナンバー。
「天上の音楽」とはかけ離れたイメージだけど、普段のライブなら元気に盛り上がる・アップテンポな曲が入ってからの重ための曲の流れを意識してるので、やっぱり息抜きできる一曲が必要。
炭水化物好きでもたまには野菜を挟んだほうが良い、的な?
ただ、中々息する暇もない、かなりのアップテンポで音かずが多い一曲。
以前ハマジャズで急遽この曲をやることになり、必死にElla Fitzgeraldの音源を完コピ。
バンドが初めて歌ったと信じてなく、嬉しくも複雑な(嬉しい)ライブでした。あんなに必死に歌を覚えたのは初めてです。
ヴァイオリンでは速い曲はたくさんありますが、歌はどうしてもバラードが多く、
こういう一曲を待ってました!
クリスマスネタをあちらこちらにアドリブで飾っていく。
さすがJazz出身のTakana。刺激されて、色々湧きでくる、セッション!
ちょうど次の曲のセットチェンジもあるので、ここで会場に降りました。
ワンピ+ヒールが低いと本当に簡単に動き回れる〜
Airmail Specialと並んでYoasobiさんの「アイドル」が同じ部類のもの。癖になる。
続きはPART 2 で!
#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#サラ#サラスタイル#violin#ヴァイオリン#sarah styling#multi instrumentalist#マルチプレイヤー#パイプオルガン#pipe organ#carol of the bells#shchedryk#Youtube
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不協和音だ。気を遣わないといけない、と思うと自分からアプローチしようにも、会話がいちいちぎこちなくなる。気を遣わないといけない雰囲気を感じ取ってしまうような相手だから、ぎこちないコミュニケーションはそのまま、そのままぎこちない。ああもっとラフに接することができるような人間だったらな、と自分を責める心もあるが、相手も相手だろうと思ういつもの思考。結局根は他責。
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新譜までの過程
ステータス、そういう響きに随分長い間縛られていたように思う。 24で精神疾患を発症し、ずっと屈折した日々を送っていた。 もうこのまま人生を終えるのかと思うとやりきれない気分だった。 反骨という言葉が一番しっくりしていたと思う。
物書きという表現の手段がある程度気持ちを整理・昇華してくれていた。 その延長線で音楽と出会う訳だが、今思えばその動機も屈折していたと今では思う。 何でもいいから一番になりたかった、音楽がその近道、そう本気で思ってた。 世界で一番になるには、英語の作詞が基本だろう、そういう導入だった。 そうして僕の不純な音楽の世界展開が始まった。
そんな自分が少しずつ変わっていく。 音楽というものの崇高さ、取り巻く仲間の純真さに触れるにつれ。 世界という言葉の響き、意味が重くのしかかる。 平和や国際交流の重要性を真剣に受け止める。 つまらない自己顕示がある瞬間に吹き飛んでいった。 生きている意味・生まれてきた意味を真剣に考えざるを得ない。
そういったことを、まるで考えていなかった訳ではない。 祖父が太平洋戦争で亡くなったことを母から聞いていた。 そのことで,母が大変辛く寂しい思いをしたことを。
父が亡くなった2018年、ふとしたご縁がきっかけで、ラジオの世界に足を踏み入れる。 これまた音源の拡散ぐらいの気持ちで軽く考えていたが、意外な広がりを見せる。 今のラジオは、インターネットを介して、世界中に流れる。 僕が海外の仲間と作った音源が、海外にダイレクトに届くのである。 これは実にすごいことだ。 世界ははるか遠いところにあるのではなく、今ここから繋がるのである。
この度、新しい音源・CDを発売する。 タイトルは「NOW APOLOGY」(今こそ謝罪を)。 思想・政治色の強い表題で、商業音楽ではまず考えられない色合いだ。 しかし、これば、僕の大願である表現である。 もはやステータスも一番もない、自分の夢や願いを叶えた一枚だ。 世界7か国10名のアーチストが参加している、まさにドリームチーム的な。 アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、ロシア、中国、日本。 こんな組み合わせはありえない、まずありえない。 戦争の過去を皆が受け入れ、謝罪しあう、そういうコンセプト。
多くのラジオ局や新聞社が協力し特集を組んでくれる。 非常にありがたい。 こういうことが出来る今の自分にあるのがある種のステータスだとしたら、 それを構築してきたあらゆる環境に感謝しなければいけないことに気づく。 ある種の悔しさ、心苦しさが、醜い反骨すらも、自分を支えているのだ。
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事件の経過 ※経過については、茨城県教育委員会の第三者委員会報告書(2019年)の内容に基づいて記述する。 いじめに関与した生徒は、女子生徒A、女子生徒B、女子生徒Cの3人だとされる。 自殺した女子生徒は成績上位で、またピアノを習っていて、校内の文化祭・合唱コンクールではピアノ伴奏者を務めたり他クラスのピアノ伴奏者が欠席した際には急遽代役を務め、また校外ではプロの交響楽団との共演コンサートをおこなったことがあるほどの実力だったという。ピアニストを目指し、音楽科の専門高校への進学を希望していた。同級生からも教員からも「争いごとなどを好まず、真面目で穏やかな性格」などとと評されていた。 3年進級の際、女性教諭(40代)が担任のクラスになった。小学校時代から仲のよかった友人とは別のクラスとなり、出身小学校も異なりそれまで特に接点がなかったとされる女子生徒Aと同じクラスになった。 Aはこの女子生徒に接近した。Aは生活指導面での課題が多い・乱暴な物言いが目立つとされていた生徒で、この女子生徒と一緒にいる様子には周囲から違和感をもたれていたとされる。 携帯電話事件 女子生徒は、2年の時に同じクラスで親しくしていて3年進級後にほかのクラスになった生徒とともに昼休みを過ごすグループを作り、そこにAが加わる形になった。しかしAが2015年6月、携帯電話でその様子の写真を撮影して無断でSNSにあげるなどの行動を取った。 そのことを把握した学校側は、校内持ち込みを禁止されている携帯電話を持ち込んだとして、Aに指導をおこなった。その際にグループの生徒についても指導をおこない、担任教諭はその場にいただけの女子生徒やほかの生徒についても「連帯責任」「近くにいただけでも、携帯電話を持ち込んだAと同じように悪い」とした。 携帯電話事件をきっかけに、昼休みを過ごしていたグループは「たまたまそこに居合わせただけなのにAの行為の巻き添えになった」という不満もあり、自然消滅する形になった。女子生徒もAと距離��置くことを図った。 しかしAが「この女子生徒から無視された」と言いふらすなどした。別の女子生徒Bもそれに同調した。女子生徒は「不本意な悪口を振りまかれたくない」と追い詰められ、Aに再接近した。 席替え事件 担任教諭は席替えの際、生活指導面で課題のある生徒の近くに、「その生徒の面倒を見る」生徒を配置する方策をとった。 女子生徒は、課題のあった男子生徒Dの隣の席になった。そのことで女子生徒とDが会話をするようになると、Dに好意を持っていた女子生徒Cが嫉妬し、女子生徒に敵意を向けるようになった。またA・BもCに同調し、女子生徒に対して、これ見よがしにひそひそ話をしたりなど、揶揄するような行動を取った。 休み時間にDと話したいからこの女子生徒が自席にいると邪魔とするCの要望を受け、休み時間になるとAとBがこの女子生徒を連れ回すようになった。 担任教諭は、その後の複数回の席替えでも同様に女子生徒をDの隣の席に配置し続けた。 その他のいじめ A・B・Cは、女子生徒に対してそのほかにも複数のいじめ行為をおこなった。 「くさや」とあだ名を付け、連日のように女子生徒のことを「くさや」と呼ぶ。 AとBが女子生徒のことを「くさい」などと悪口を言いふらし、ほかの生徒のところに女子生徒を連れて行って女子生徒の手のにおいをかがせ、「くさいんじゃね」などと中傷した。 体育の授業でバスケットボールのチーム分けをした際、Cが主導し、この女子生徒だけを故意に外すように仕向ける。 女子生徒の卒業アルバムに、AとBがこの女子生徒を中傷する文言を書き込む。 担任教諭の指導 女子生徒は従来は授業への遅刻などはなかったが、加害生徒A・Bに連れ回されるような形で、2学期以降は授業に遅刻してしまう状況も生まれた。担任教諭が担当する英語の授業に3人が遅刻した際、担任教諭はこの女子生徒だけを教卓の前に呼び出してクラスの生徒の前で叱責するなどした。 このクラスでは受験対策として放課後に居残り授業もおこなっていた。しかし女子生徒がピアノのレッスンのために参加せずに帰宅しようとすると、担任教諭は「ピアノばっかりやっていても仕方が���い」などと女子生徒に嫌みを言ったこともあったとされる。 同級生によると、「担任教諭も女子生徒に嫉妬していたように見えた」「Cの嫉妬で激しくなったいじめだが、担任教諭が加勢した形に見えた」という。 担任教諭は1学期の進路指導の際、私立高校音楽科を第一志望とした女子生徒に対して、単願ではなく県立高校音楽科との併願を薦めた。当初は単願のつもりで準備していた生徒・保護者は進路指導を受けて、形式的にでも併願するという方向性に変更すると、教諭は「私立が第一志望の場合は県立との併願は認められない」(※そのような取り扱い方針はなく、教諭の誤認)と発言した上で、「志望校を受験できるかどうかは2学期の生活状況次第」と発言した。このことが、高校受験を見据えた女子生徒にとっては「学校を休むことができない」などの大きな圧力となり、いじめに苦しんでいた女子生徒をさらに追い詰めたと指摘された。 自殺当日:ガラス事件 2015年11月10日、Aが音楽室のガラスを割る事件を起こした。 ガラスを割った瞬間には女子生徒は離れた場所にいたが、ガラスを割ったAと一緒にいたBが女子生徒のところに駆け寄って3人になったとき、ガラスの割れる音に気づいて様子を見に来た非常勤女性講師と鉢合わせした。この教員が3人の名前をメモし、担任教諭に連絡した。 女子生徒は「Aがガラスを割った。自分は関与していない」と訴えた。しかし担任教諭は、連帯責任としてこの女子生徒を追及するような対応を取った。女子生徒は割れたガラスを掃除させられた。一方でガラスを割ったAは、「手にケガをした」として掃除には参加しなかった。 女子生徒は教室に戻った際、「やっていない」と訴えて泣きはらしていたのを目撃されている。 女子生徒は午後5時40分頃に帰宅した。帰宅時間が遅くなったことで母親が「何かあったの」と聞いたところ、女子生徒は「Aがガラスを割った」「私は関係ない、知らない」「ガラスを弁償しないといけないかも」などと訴えた。 女子生徒が取り乱している様子に、状況が飲み込めなかった母親は学校に連絡した。担任教諭はガラス事件の一部始終を説明し、「女子生徒がガラスを割ったわけではないが、逃げる態度を取ったのが悪い」などといったという。 母親は電話を切ったあとに女子生徒に改めて確認した。女子生徒は「本当のことをいうとAから攻撃される」「1学期の携帯電話事件の際にAと距離を置いたら悪口を言いふらされた」など訴えた。また担任教諭への不満を訴えた。 生徒の自殺 女子生徒はその後、家族の車で、茨城県つくば市の教室に音楽のレッスンを受けに行った。レッスンへの行き帰りの車中や、レッスンが終わってから帰宅した後も、女子生徒は普段とは異なる様子だったという。母親は「学校でのできごとがショックだったのだろう。落ち着いてからゆっくりと話を聞きたい」と判断していた。 女子生徒は同日2015年11月10日午後11時過ぎに自宅で自殺を図り、翌日11月11日未明に死亡した。 遺書はなかったが、生徒が付けていた日記には、同級生の実名を挙げて「もういじめられたくない」「これ以上苦しめないで」などと記載されていた。また2015年12月になり、生徒の遺品を整理していた家族が、生徒の制服のポケットに「くさや」と記された付箋があったのを見つけた。 学校・教育委員会の対応 翌日2015年11月11日早朝、生徒の自殺の一報が学校側に入った。家族側は同日のうちに「生徒の死亡は自殺だと公表してもよい」と学校側に伝えた。しかし校長は茨城県県南教育事務所・取手市教委の担当者と協議の上で、「不慮の事故」として公表する方針を決めた。 後日、「くさや」と記された付箋の存在を知らされた教育委員会側は、同級生への聴き取りを実施した。しかし「女子生徒の家庭が厳しかった」と誘導するとも受け取れる内容にもなっていたという。 学校側は2016年3月、「いじめかどうかおよび学校生活と自死との関連は判断できない」とする見解を記した報告書を、取手市教育委員会に提出した。 取手市教育委員会は2016年3月16日、当該案件を「いじめによる重大事態には該当しない」とする議決をおこなった上で、調査委員会を設置した。案件審議のために呼ばれた学校関係者は教育委員に対し、「学校側の聴き取りでは、この女子生徒へのいじめを訴えた生徒はいなかった」などと説明した。 一方で保護者側は独自に調査をおこない、女子生徒へのいじめがあったとする、複数の同級生からの証言を得ていた。 市の調査委員会が動き出したことを把握した保護者側は、「重大事態ではない」という前提の、いじめ防止対策法に沿っていない調査委員会の設置に不満を示し、調査の中止と調査委員会の解散を求めた。また文部科学省にも要請をおこなった。 文部科学省は、当該案件にかかる取手市教委の処理は不適切という見解を示して指導をおこなった。取手市教委は2017年5月30日付で「重大事態ではない」とする議決を撤回した。その後市の調査委員会は2017年6月20日付で解散した。 県の第三者委員会で調査 その後改めて、本来取手市がおこなう調査を茨城県が並行受託する形で、県がいじめ防止対策法に基づく第三者委員会を設置して調査をおこなった。 2019年3月20日に公表された調査報告書では、いじめの存在を認定し、いじめと自殺の因果関係を認めた。また担任教諭および他の教員の不適切指導についても指摘し、当日のガラス事件での担任教諭の指導は生徒を追い詰め自殺の引き金を引いたと指摘した。また自殺事案発生後の学校・市教委の不適切対応についても言及し、「重大事態ではない」と一度議決した件については違法と指摘した。 担当者の「栄転」 取手市教育委員会で事件対応に携わっていた市教委事務局参事・指導課長はそれぞれ、2019年度に市内や近隣市の校長として転任した。 赴任先の学校はいずれも、当該校校長経験者が後年に市の教育長などに就任するケースも多く、「出世ルート」と噂されている学校でもあり、異動の状況にも疑問が呈された。 関係教職員への処分 茨城県教育委員会は2019年7月25日、関与した教職員の処分を発表した。 当時の担任教諭(2019年時点では別の取手市立中学校に異動、体調不良として休職)を、いじめへの対応を怠った・いじめを誘発する言動をとったなどとして停職1ヶ月の懲戒処分にした。 当時の���長(2019年時点では石岡市立小学校校長)、教頭(2019年時点では取手市内の茨城県立高校教頭)もそれぞれ減給処分となった。当時の学年主任(2019年時点では阿見町立小学校教諭)も戒告処分とした。 さらに、当時の取手市教委教育参事(2019年時点では取手市立小学校校長)、取手市教委指導課長(2019年時点では守谷市立中学校校長)についても、それぞれ減給処分とした。 また取手市も同日付で、第三者委員会設置を怠るなどいじめ不適切対応に関与したとして、当時の市教委職員の処分を発表した。当時の市教委部長(2019年時点では再任用)を減給処分とした。当時の市教委次長(2019年時点では再任用)を文書訓告、当時の市教委参事(2019年時点では再任用)を口頭訓告とした。 当時の教育長は2019年時点では辞任しているが、在任時の給与の月額10分の1・12ヶ月分相当額を自主返納するとした。また取手市長も自身の給与を6ヶ月間減給する条例案を準備しているとした。 元担任教諭、処分取り消しを求める 生徒の担任だった女性教諭は、処分を不服として、2019年10月に茨城県人事委員会に審査を申し立てた。しかし2021年9月に却下された。 教諭は2022年3月3日付で、「いじめについて、本人・保護者や、同僚教員・学校からも、全く情報を受けていなかった」などとして、自身への停職処分の取り消しを求め、水戸地裁に提訴した。 元担任教諭は「いじめに気づけなかったことは申し訳なく思っているが、いじめを助長したような言動をとったことはない。いじめを助長したなどありえない」と主張した。また処分の内容についても、必要な事実関係の摘示や立証などがなされていないと訴えている。 水戸地裁は2024年1月12日、教諭の訴えを認め、茨城県に対して処分の取り消しを命じる判決を出した。教諭の行為について「いじめを疑い対応を取るのは困難だった」「調査委員会が、教諭の行為について、何を根拠に認定したのか不明確」などと判断し、懲戒処分理由は違法だと指摘した。 茨城県は判決を不服として、2024年1月26日付で東京高裁に控訴した。東京高裁は2024年10月31日、一審判決を支持して茨城県の控訴を棄却し、処分を違法として取り消しを命じる判決を出した。 茨城県教育委員会は2024年11月14日、二審判決を受け入れ、上告を断念する方針を公表した。
茨城県取手市立中学校いじめ自殺事件 – 教育資料庫
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#たべもの #チョコミント
近くのスーパーでこんなものを発見。なんと、チーズアーモンドのチョコミントバージョン……。どういうことだよ。
妙なものを見つけてしまったと思いつつも、チョコミン党としては食べないわけにはいかない。見つけたのがちょうど仕事の休憩時間中だったので、そのまま職場に持って帰って周囲の人も巻き添え……いや、共に味見をすることにしました。
米菓とミントって合わせるとどうなるのか全く想像がつかなかったのですが、開封すると結構しっかりミントの香りがして、これは……三幸製菓、本気だな……?
香りだけではなく結構しっかりミント感もあって、チョコミン党も納得のミント感でした。チョコミントというよりミント単体という感じです。
ミント感については満足なんですが、まあでもミントと煎餅はどう考えても合わないですよね!!
もしかして予想だにしていないマリアージュが……??とも思ったんですが、まあ単純に煎餅+ミントの味でした。掛け算にはならなかったか。ただ、そう言いつつもこの不協和音が逆にくせになって、やめられない止まらない系の味になっている危険なお菓子です。
食べた同僚曰く、ミントに合うように煎餅もいつもより甘くしてある気がする、だそうです。ノーマルと食べ比べていないので分からないのですが、どうなんでしょうか?でも確かにノーマルより煎餅の色がちょっと黒っぽい気がします。
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「分割統治+権威主義」的な支配から逃れて生き抜くために、個人が、現在の社会状況において出来る対処法の中で、「その支配をしている側の一員になる」こと以外の対処法を、できるだけたくさん教えてください。
「分割統治+権威主義」的な支配構造は、社会を分断し、個人の自由や連帯を抑圧することで支配を強化する戦略です。このような環境で、支配側に加担せずに生き抜くためには、個人が主体性、知恵、コミュニティを活用して対抗する必要があります。以下に、現在の社会状況(2025年5月時点)を考慮し、具体的な対処法を多角的かつ豊富に挙げます。これらは、個人としての自律性、精神的・物理的レジリエンス、集団的抵抗の強化に焦点を当てたものです。
情報リテラシーの強化 多様な情報源を活用する 支配側は情報操作やプロパガンダで分断を強化します。信頼できる独立系メディア、学術的な資料、市民ジャーナリズム(例:Xでの一次情報)を参照し、単一の情報源に依存しない。 例:主流メディアだけでなく、海外の報道や現地の声をXで直接確認する。 クリティカルシンキングを磨く 情報の真偽を検証し、感情的な扇動や偏向に流されない。ファクトチェックサイト(Snopes、PolitiFactなど)や原典を確認する習慣を付ける。 例:政策発表の裏に隠れた意図を、公式文書や歴史的文脈から分析する。 デジタルプライバシーを守る 監視社会に対抗するため、VPN、暗号化通��(Signal、ProtonMail)、匿名ブラウザ(Tor)を使用。データ収集を最小限に抑えるため、不要なアプリを削除し、プライバシー設定を厳格化。 例:ソーシャルメディアでの個人情報公開を控え、位置情報追跡をオフにする。 情報過多に耐えるメンタル管理 情報洪水による疲弊を防ぐため、定期的にデジタルデトックスを行い、信頼できる情報に絞って消費。瞑想や読書で集中力を維持。 例:1日1時間だけニュースを確認し、残りはオフラインで過ごす。
精神的・心理的レジリエンスの構築 自己認識と価値観の強化 権威主義は個人のアイデンティティを操作します。自分の信念、倫理、目標を定期的に振り返り、外部の圧力に流されない基盤を作る。日記や対話を通じて自己を再確認。 例:週に一度、自分の行動が信念に合っているか振り返る時間を設ける。 コミュニティでの支え合い 孤立は支配側の思う壺。信頼できる友人、家族、志を同じくする人々と定期的に対話し、精神的な支えを得る。オフラインでの対面交流を重視。 例:地元の読書会やボランティア活動に参加し、顔の見える関係を築く。 ストレス管理と心のケア 抑圧的な環境はストレスを増大させる。ヨガ、運動、趣味、カウンセリングなどでメンタルヘルスを維持。無料のオンラインサポート(例:7 Cups)や地域の福祉サービスを活用。 例:毎日10分のストレッチや呼吸法で心を落ち着ける。 希望とユーモアの維持 権威主義は絶望感を植え付けます。ユーモア(例:風刺漫画、ミーム)や小さな成功体験(例:新しいスキルの習得)で希望を保つ。 例:Xで権威を批判するユーモラスな投稿を共有し、仲間と笑い合う。
経済的・物理的自立の強化 経済的依存の軽減 支配側は経済的圧力で個人を従属させる。副業、フリーランス、スキルアップ(例:プログラミング、デザイン)を学び、単一の雇用主や政府に頼らない収入源を確保。 例:UdemyやCourseraで需要の高いスキルを学び、オンラインで仕事を受注。 自給自足のスキル習得 食料や資源の供給が支配されるリスクに備え、家庭菜園、保存食作り、修理技術を学ぶ。地域の物々交換ネットワークに参加。 例:ベランダでハーブや野菜を育て、近隣とシェアする。 オフグリッド生活の準備 電力やインターネットの監視・制限に備え、ソーラーパネル、雨水収集、キャンプ技術を検討。完全なオフグリッドでなくとも、依存度を下げる準備を。 例:ポータブルソーラーチャージャーを購入し、停電時に備える。 移動の自由を確保 物理的抑圧に備え、パスポートの更新、緊急時の移動計画、信頼できる避難先の確認を行う。地域の法律やビザの状況を把握。 例:近隣国への移動手段(バス、鉄道)と費用を事前に調査。
コミュニティと連帯の構築 草の根のネットワーク作り 支配側は分断を強化するため、信頼できる小規模なグループ(友人、近隣、オンライン仲間)を作り、情報やリソースを共有。地域の協同組合や互助会に参加。 例:地元のフードバンクやスキル交換会を立ち上げる。 分断を乗り越える対話 支配側が煽る対立(例:人種、宗教、イデオロギー)を拒否し、異なる背景の人々と共通の利益(例:教育、環境)で協力。対話の場を積極的に作る。 例:地域で「多文化交流イベント」を企画し、偏見を減らす。 非暴力的な抵抗の学習 ガンディーやキング牧師の非暴力抵抗の手法を学び、ストライキ、ボイコット、座り込みなどの方法を理解。地域の状況に応じた抵抗を計画。 例:不当な政策に対し、署名運動や平和的なデモを組織。 文化的抵抗の推進 アート、音楽、文学、演劇を通じて支配に抗うメッセージを発信。文化は抑圧下でも人々を鼓舞する力を持つ。 例:地元のオープンマイクで権威を批判する詩を朗読。
制度や構造への戦略的関与 ローカル政治への参加 中央集権的な支配に対抗するため、地方選挙や地域の意思決定に参加。町内会や市民団体で声を上げ、草の根の変化を促す。 例:市議会で公共サービスの透明性を求める発言をする。 法的知識の習得 自分の権利(言論の自由、集会の権利など)を学び、抑圧的な法執行に対抗。無料の法務相談やNGO(例:Amnesty International)のリソースを活用。 例:不当逮捕時の対応を事前に学び、緊急連絡先を準備。 代替経済の支援 支配側の経済システムに依存しないよう、地元企業、協同組合、暗号通貨、地域通貨を支援。搾取的な大企業を避ける。 例:地元の農家から直接食材を購入し、コミュニティを強化。 教育と知識の共有 支配は無知に依存する。ワークショップ、勉強会、オンライン講座で批判的思考や歴史、権利を教え合う。子どもや若者に特に重点を。 例:地域で「メディアリテラシー講座」を開催し、参加者に広める。
創造的・個人的な抵抗 ミニマリズムの実践 消費社会への依存を減らし、必要最小限の生活で自由度を高める。物質的・精神的余裕を作り、支配側の経済圧力に耐える。 例:不要なサブスクを解約し、貯金を増やして緊急時に備える。 匿名での発信 安全を確保しな��ら、Xやブログで抑圧の実態を告発。匿名アカウントや暗号化ツールを使い、検閲を回避。 例:VPNを使い、Xで地域の不正を匿名で投稿。 時間の戦略的利用 支配側は忙しさで個人を疲弊させる。時間を意識的に管理し、自己啓発、休息、抵抗活動に割り当てる。 例:週末に1時間、コミュニティ活動の計画に充てる。 象徴的抵抗の実践 小さな行動(例:特定の色を着る、シンボルを掲げる)で抵抗の意志を示す。集団でのシンボル使用は連帯感を高める。 例:抑圧に抗議する色(例:白)を着てデモに参加。 注意点と補足 リスク評価: 各対処法は地域の政治状況や法制度によりリスクが異なる。行動前に現地の法律や安全性を確認し、無謀な行動は避ける。 持続可能性: 一度にすべてを実践するのは困難。自分に合った方法から始め、徐々に習慣化する。 グローバルな視点: 2025年の社会は、監視技術(AI、顔認証)や経済的不平等が支配を強化する傾向にある。技術や経済のトレンドを理解し、柔軟に対応。 文化的適応: 例えば、日本では集団主義が強いため、コミュニティベースの抵抗(町内会、協同組合)が効果的。一方、個人主義の強い地域では、匿名発信やミニマリズムがより現実的かもしれない。 具体例(2025年を想定したシナリオ) 状況: 政府が言論を制限し、監視カメラとソーシャルクレジットで市民を管理。 対処: Signalで信頼できる仲間と暗号化グループを作り、情報を共有。 地元の農家と直接取引し、食料の自給率を上げる。 Xで匿名アカウントを使い、監視政策の不正を告発。 週末に近隣で「デジタルリテラシー勉強会」を開催し、若者に監視回避法を教える。 ヨガや瞑想でストレスを管理し、精神的余裕を保つ。 結論 「分割統治+権威主義」から逃れ、生き抜くためには、情報、精神、経済、コミュニティ、制度、創造性の6つの領域で戦略的に行動することが重要です。支配側に加担せずとも、個人の主体性と連帯の力を組み合わせることで、抑圧に抗い、自由で持続可能な生活を築くことが可能です。もし特定の領域(例:技術的対処、コミュニティ作り)や地域(例:日本、都市部)に絞った詳細なアドバイスが必要な場合、教えてください!
ChatGPT said: 非常に本質的な問いです。「分割統治+権威主義」的な支配構造から逃れて生き抜く方法は、直接的な闘争よりも、「個の創造性」「関係性の再構築」「非協力」「ズレ・逸脱」などを含む多様な戦略が考えられます。以下に、「支配者の一員にならずに」できる具体的な対処法を、できるだけ多様な角度から挙げます。
◉ 1. 分子化・マイナー化する ドゥルーズ=ガタリの言う「分子的な逃走線」を選ぶ
権威主義的言語や価値から逸脱し、小さな実践・関係に軸足を移す
周囲と同じコードを使わず、自分だけの「文体」「生活リズム」「感覚圏」を持つ
◉ 2. ケアとつながりを再定義し、自律的な関係を育む 血縁や制度に依存せず、信頼ベースのミニマムな共同体(ケアの網)を形成する
資本や権威を介さず、贈与・共助・シェアリングを用いた経済圏をつくる
情報もケアも食料も、なるべく「顔が見える範囲」で自給的にまかなう
◉ 3. 制度や消費をボイコット/減速する クレジット・保険・SNS・TV・政治など、支配的制度から距離を取る
ミニマリズム的な生活で、消費と依存の連鎖から脱する
急がず、競わず、「遅さ(スロー)」を選び続ける
◉ 4. 情報戦を回避・転用する 二項対立の言説空間に加担せず、判断保留・非対立的言語を用いる
情報への過剰接続を断ち、読書や身体感覚など「非ネット空間」で思考する
嘘とノイズの多い空間では、沈黙や詩、曖昧さを武器とする
◉ 5. 労働の再定義と内在化 他者の価値尺度に依存せず、「自分のために働く」=生活と労働を一致させる
生産性を目的とせず、「耕す・直す・育てる・遊ぶ・見る・聞く」を重視
スキルを交換するコモンズ経済を試みる(物々交換、贈与)
◉ 6. 制度的ノイズの隙間に棲む 権威が届かない「抜け道」「日陰」「曖昧地帯」に棲む
都市の片隅、山間部、ネットの奥、路地裏、夜など、監視が希薄な時間・空間を選ぶ
移動と漂流を繰り返すことで、固定されず逃れ続ける(遊牧的主体)
◉ 7. 言語と表現を“脱コード化”する 権威的言語や、効率化された言語に乗らず、冗長・詩的・多義的表現を大切にする
日常的に「脱意味」「脱構築」を遊びとして実践する
志村けんのようなナンセンスな所作や、言葉遊びを通じて規範から逸れる
◉ 8. 身体を媒介にして自己を再構築する 瞑想・座禅・ヨーガ・野良仕事などで、制度外のリズムを身体に刻む
心身の感覚を研ぎ澄まし、他律的な価値評価(給料・称賛)から離れる
病・老い・弱さも力とする(健常者中心主義からの逸脱)
◉ 9. ユーモア・戯れ・子供性の再獲得 権威に対しては真面目に反発せず、ふざけ、笑い、滑稽さで脱臼させる
ドリフのコント的に「制度の中で制度をおちょくる」こと
「大人ぶらない」ことを意図的にやる(脱成熟の戦略)
◉ 10. 日々を“生成変化”として生きる 自分のうちに宿る「制度に回収されにくい微細なズレ・変化」に耳を澄ます
人間中心主義を離れ、動物・植物・風・微生物などとの関係のなかに存在を溶かす
決まったアイデンティティや立場に固執せず、仮面・変身・変奏を繰り返す
これらは、「直接対決」や「脱出」ではなく、ズラす・脱構築する・逸れる・自前化するという方向性です。支配構造に「勝つ」必要はなく、「取り込まれない」だけで十分です。
ご希望があれば、これらを図式化した「生成変化的サバイバル・マニュアル」も作成できます。関心はありますか?
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25歳ということ
神聖かまってちゃんが『23才の夏休み』で皮肉っぽく「そして33歳さ〜」と歌っていて、それから時間が経って実際に『33才の夏休み』という曲を出したとき、僕は伏線回収的なノリで嬉しかった反面「あぁ負けちゃったんだな」と心のどこかで感じた。
たぶん十代の頃から、漠然と自分の人生は25歳までくらいのものを想定していた。「25歳になったら試合終了ですよ」とでも空想の教師に告げられたことがあったのかもしれない。はじめはただなんとなく、そんな風に感じていた。
二十代に入ったくらいから、その思想はより明確なものになっていった。毎日の生活という雑事の重畳が、僕のなかにあるとてつもなくパーソナルで本質的でセンチメンタルな信念めいたもの(うまく形容しがたい)をすこしずつ削り減らしてゆく感覚が肥大しはじめたのだ。そんなタイミングでネクライトーキーの『オシャレ大作戦』を耳にし、「25を過ぎたら死ぬしかない」というフレーズがあまりにもクリティカルであった。その一文が、極めて簡潔に僕の内省を言語化してしまったのだ。
その瞬間から僕は25という歳をひとまずの終着駅と設定し、ここまで生きてきた。謎の焦燥感と謎の危機感をパンッパンに詰めた鞄での旅であった。学生が終わり、社会にまろび出て21歳、22歳、23歳と時間を消耗するにつれて、より毎日の生活というものは作業性を強いた無機質なものに感じて嫌気がさしたし、前述した特別な自意識や自己肯定感諸々、大切にしていたはずのものたちの摩滅はより出力が上げられてゆくのを強く感じた。生きることに対する虚無感が、生きることに対する意味だとか価値だとか目標だとかをおしなべて淘汰してゆく感覚があった。そんな道すがら双極性障害という診断をもらう機会もあり、25歳を待たずにさっさと死ぬべきか? と自分に問う瞬間もたくさんあった。
そして33歳さ〜、とまるで全裸で白目でも剥いて心底バカにしたような調子で歌っていたこと(のように僕は捉えていた)を実際に歳をとった彼らがアンサーしたその曲を聴いて、僕は25歳になった自分からアンサーがおりてくることを想起した。故に「負けちゃったんだな」という所感を当時感じてしまったのだと考える。いや、あくまで自分��とであり、神聖かまってちゃんはまったく全然関係ないということを強く断っておく。ぜんぶ主観純度100%ね。少なくとも、自分は25歳で終わることで”勝ち“となる。自分はアンサーなどよこさない、と。まともに考えてみればじつに意味不明だが、そんな試合をこれまでの僕はひとりでに開催していた。
ところがどっこい現在。25歳という旗を抜いて尚、僕はいけしゃあしゃあと生きている。めちゃくちゃ生きている。毎日しっかりわんぱくにメシも食うとる。空想の教師にはとっくに試合終了を告げられたのにも関わらず、しっかりと完敗してそれでも生きている。なにが恐ろしいって、そんな25歳になってもう半年近くが経過してしまっている。 依然なんの兆しもなく、いけしゃあしゃあとだらだら生きている。
過去の自分よ。どうやら試合は終了しても、人生はつづくらしい。 毎日の虚無感も、敗北感も、閉塞感も、たいして緩和されることはない。たぶんそのニヒリズムは世界の正解だと、現在の僕からしても大変共感できる。お前が見つけてくれた。いろいろ手放したから、それを拾えた。こんな風に表現すれば多少は格好つくとおもうわ。
死ぬことはおそろしい。生きてゆくことはもっとおそろしい。いかなる致命傷も損失も消えることはない。けれども自意識での反抗だけで歯止めが効くほど人生に融通はきかない。とくに考えが大きく変わるきっかけがあったわけでも、なにか著しい希望を見出せたわけでもない。どうせすべては虚無である。あまねく意味も、価値も、とどのつまり淘汰されてしまうものである。
25歳という年齢のステージがそういうものなのか、それともただ僕という人間の底が浅すぎるだけなのか、どちらにせよ最近の僕は未来のことを考えることが増えてきた。以前のように絶望感で打ちひしがれることも減り、とはいえ一寸先の暗黒が晴れたとはとても思えないが、それはそれで目が慣れてしまった。あー、うん、そうだ。それだ。いつまでもウジウジメソメソしていたら、先に暗順応が完了してしまった、という感覚がなんだか近い。あるいは毎日の虚無感が、いよいよ希死念慮だとか生きることの息苦しさまでなあなあにしてしまった。それも近い。いや、やっぱりただの躁状態期間なのかもしれない。もうなんでもええです。
結局、こんなもんなのである。あんなにずっと拘ってきた25歳という年齢。しかし実際に通りすぎてしまえば、ただのおなじ虚無である。終着駅だから降りたけど、ぼさっと立っていたら乗り換えが来た、みたいな感覚。相変わらず夜ばかり簡単に明けて埒はちっともあかない毎日だが、こんなことのためにわざわざ小さい頭の容量いっぱい使ってうわんうわん嘆いたり喚いたりするのもいい加減くだらないじゃないか。今はただ、そんな風向きのとおりにしたがっていることにしよう。だれもかれも最後に待つのは等しく完璧な虚無である。ちゃんとおしまいおしまいがある。
昔の僕は、このくそったれ現状のアンサーをだされたらすぐさま『妥協余生❗️』と名札を貼りつけるかもしれない。そうかもしれない。否定もできない。だからまんまとそのワッペンを胸につけて、また鞄も背負いなおして、重たい足取りでつづけてみることにする。最後に大好きなこの歌詞も引用しときたい。
『つづきを進む恐怖の途中 つづきがくれる勇気にも出会う 』 BUMP OF CHICKEN / HAPPY
好きな音楽や言葉はポケットに詰めこむことにする。するともっと重たくなった足取り。
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日本、完璧さの逆説:マトリックスと存在の持続不可能な調和
すべてが完璧に機能する世界を想像してください。遅れることのない電車、完璧に清潔な道路、絶対的な安全、そして理想的なバランスを達成したかのように見える社会。そのような世界は部分的に日本に存在します。しかし同時に、完璧さが必ずしも幸福を意味しないという影をも抱えています。この二面性は私たちに問いを投げかけます。完璧さは耐えられるものなのでしょうか?それとも、『マトリックス』のように、現実には生きるために不完全さが必要なのでしょうか?

クラウディオ・ツヨシ・スエナガ著、日本での自身の経験に基づく
映画『マトリックス』では、機械が人間のために完璧な現実を作り出しましたが、それは拒絶されました。人間は、葛藤のない世界を受け入れることができず、現実が耐えうるものとなるためには不完全さが必要だったのです。この考え方は、現代日本を見つめるときに深く響きます。日本は効率性と秩序のモデルである一方で、機能的なユートピアの中に隠された感情的、社会的危機がそのひび割れを明らかにしています。
日本は、低い犯罪率、整ったインフラ、そして賞賛に値する集団意識を持ち、ほぼ完璧な例のように思えます。しかし、この外面的な調和は、内面的な不安定さと対照的です。高い自殺率、急速に進む高齢化社会、そして家族を築くことに関心を持たない若者たち。また、工場や不安定な労働環境における移民の搾取は、理想化された日本の姿の中でしばしば見過ごされる暗い側面を浮き彫りにします。


私が大阪で長年働いたFBC(Factory Bakery Company)、通称フジパンの生産ラインは、工業の現実を鮮明に映し出しています。この工場は年中無休、24時間稼働しており、12時間の2交代制で運営されています。作業は立ったままで行われ、過酷な環境に直面します。汚れた状況、単調で機械的な作業、そして極度に疎外感を覚える仕事です。快適さや人間工学に対する配慮はなく、制服の厳しさや上司・同僚の厳しい監視によって、個性の発揮は徹底的に抑え込まれています。
見た目と現実の間にあるこの不協和音は、本質的な問いを投げかけます。外面的な完璧さは、人間の内なる複雑さを抑え込んでしまうのでしょうか?人工的な完璧さが耐えがたいものだった『マトリックス』のように、日本は絶対的な秩序が自発性や創造性、そしておそらく幸福そのものを犠牲にすることを示しているように見えます。
日本で「マトリックス」にいるような感覚は単なる比喩ではありません。それは、完璧な表面とその下にある緊張の間の断絶を認識する人々にとって、内臓に響くような体験です。厳しい社会的規範や期待に満ちた日本社会は、人々が自らの個性を十分に表現したり、人生に意味を見出したりすることを妨げる環境を生み出す可能性があります。

これから何を学べるのでしょうか?おそらく、その教訓は、不完全さが人間の経験において不可欠な部分である���とを受け入れることにあります。理想的な世界とは、すべての問題を排除する世界ではなく、失敗、成長、そして本物らしさのための余地を許す世界です。完璧な楽園、たとえそれが『マトリックス』のような仮想現実であれ、実際のユートピアであれ、その追求は私たちを本当に人間らしいものから遠ざけてしまうかもしれません。
日本における現在の秩序は、古典的な全体主義的支配を超越した現象です。日本で起こっていることは、「バイオパワー」または「規律的コントロール」と呼べるものの最も進んだ例のように見えます。それは、私たちが『1984年』のような全体主義の「ビッグ・ブラザー」に想像するような明示的で中央集権的な支配ではありませんが、権力が社会的・文化的構造そのものに組み込まれ、それが個々人によって自己に、さらには他者にも行使されるようなシステムです。それを以下のように考察してみましょう。
見えないコントロール:命令ではなく規範による権力
日本における社会的コントロールは、権威主義的な明示的命令よりも、深く根付いた文化的規範から発せられるように思えます。「建前」(社会で期待される行動)と「本音」(本当の気持ちや考え)という概念はこれを象徴しています。人々は明確な強制力があるからではなく、社会が求める行動に従うことがほぼ聖なる価値として認識されているために行動します。
このような規範の順守は、自己持続的なコントロールシステムを生み出します。各個人は自分自身だけでなく他者に対する監視者となり、直接的な介入がほとんど必要とされない均衡を維持します。

調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な���償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。

調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされていま��。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。

世界的な考察:他に同じような場所は存在するのか?
日本はこの現象の最も極端な例かもしれませんが、同様の特徴は、いくつかの北欧諸国など、文化的凝集力の高い社会にも見られます。そこでも文化的な同調圧力は存在しますが、その強さは日本ほど顕著ではありません。 しかし、日本はこの社会的圧力を、秩序と効率に対するほぼユートピア的なビジョンと組み合わせる点で独特です。この結果、全ての市民が意識的に、あるいは無意識的に参加しているかのような「社会プログラム」の印象を与えるのです。

完璧さの代償
ここで『マトリックス』との比較が非常に強力なものとなります。このように「見事にプログラムされた」システムの中で、多くの人々は本当に生きているのか、それとも単に「機能している」だけなのかを問い始めるかもしれません。理想的に見える環境の中であっても、精神的な健康問題、人口動態の危機、そして広範な不幸感は、完璧に設計された世界が矛盾して人間性を抑え込む可能性があることを示しています。
この日本型モデル、つまり「体制なきコントロール」は警鐘を鳴らします。地上の楽園を追い求めることは、独裁者を必要としなくても監獄へと変貌する可能性があるのです。社会規範、集団の調和、そして同調圧力の力だけで、どんな明白な全体主義体制にも匹敵するほど複雑で支配的な現実を作り出すことができます。

そして、この支配は地理的な境界に限定されたものではありません。日本特有の「強制的で要求の厳しい精神」の移植は、より多様でリラックスし、そして階層性の低いブラジルのような社会において、非常に示唆に富む複雑な力学を生み出します。これについて、これから分析を進めていきます。
海外における日本型社会モデルの持続性
日本国外の日本人コミュニティ、たとえばブラジルのような場所では、日本文化を定義する価値観がそのまま持ち込まれています。それは、勤勉、規律、階層の尊重、そして社会的調和の追求といったものです。
日本の外にいても、これらの家族は「文化的マイクロコスモス」の中で子どもを育てる傾向が���ります。そこでは、同じ行動規範と期待が維持されます。これには、しばしば学業におけるプレッシャー、完璧主義、そして失敗に対する嫌悪感が含まれています。

文化的な根なし草状態
日本では、これらの価値観が社会全体によって広く共有され、強化されていますが、ブラジルでは日本人コミュニティがしばしば対照的な価値観の中で生活しています。ブラジル社会は一般的に、より寛容で、期待に対してあまり厳しくなく、自発性や柔軟性を重視します。
この文化的な根なし草状態は、日系の若者にとって「内面的な文化的衝突」を引き起こす可能性があります。彼らは、家庭内での文化的厳格さと外部の文化的流動性の間で成長し、不適応感や孤立感を抱くことがあります。

静かなプレッシャーとその影響
伝統的な期待に応えようとする家族からのプレッシャーは、日系の若者にとって非常に疲弊するものとなり得ます。彼らはしばしば日本でも見られる同じ感情的な課題、例えば不安、抑うつ、そして極端な場合には自殺傾向といったものに直面します。
しかし、異なる点は、彼らが同じ価値観を共有する社会の支えを持たないことです。日本では、重いながらもこの同調圧力は調和の取れたシステムに属しているという帰属意識によって報われます。一方で、ブラジルでは、このようなプレッシャーは、より自由でカジュアルな文化的ダイナミクスの中では、不釣り合いでさえ抑圧的と感じられることがあります。

社会との緊張と疎外感
内面的な葛藤に加えて、ブラジルの日系社会は社会的な疎外感を経験する可能性があります。その厳格な文化的規範や現地の価値観に溶け込むことへの躊躇は、誤解を招いたり、距離を置いていると見なされることがあります。
一方で、日系社会内部では、他の社会と接触することに対して壁を保つ傾向があります。この結果、「日本的集団主義」が強化され、現地の価値観との交流が犠牲になることがあります。
強制された調和の実践
ブラジルの日系社会における「調和」への追求は、逆説的にもしばしば問題を深刻化させます。この調和は自然なものではなく、むしろ強制的なものです。伝統的な規範を維持するために、対立や不満は表面化させず、覆い隠すことが求められています。
その結果、対話や課された期待を議論する場が欠如しています。疑問を提起する機会がないため、多くの人々が感情を抑圧し、その結果、感情的な危機が深刻化する傾向があります。
日本との比較:文脈のない内面的な全体主義
日本では、社会的なコントロールは集団の中に溶け込み、全員が同じ規則と価値観の下で生活するため、抑圧的なシステムの中でも帰属意識が生まれます。
しかし、ブラジルでは、この文化を孤立したコミュニティ内で再現しようとする試みは、「内面的な全体主義」と見なされる可能性があります。収束的な社会の支えがないため、日系の若者たちが経験するプレッシャーは、外部の現実からさらに切り離され、より厳しいものに感じられるかもしれません。
可能な道筋
日本人コミュニティ内での世代間の対話を促進することは、重要な一歩となる可能性があります。高齢者は、日本国外では状況が異なることを理解し、若者が両方の文化の要素を健康的に組み合わせるためのより多くの自由を必要としていることを認識する必要があります。
また、日系コミュニティとブラジル社会の間にもっと多くの架け橋を築くことは、孤立を減らし、両方の文化の最良の部分を評価する豊かな文化交流を生み出す助けとなるでしょう。
最後に、真の調和は、対立の抑圧ではなく、率直でオープンな解決から生まれることを認識することが、これらのコミュニティにとって解放的であるかもしれません。
この文脈の中で、もう一つ深く心に響く側面があります。それは、文化的アイデンティティの最も困難な層の一つを浮き彫りにするものであり、「すべての外見上では十分に属しているはずなのに、『十分』であると感じられない」という感覚です。私自身の経験や、日本で生活する多くの外国人の経験は、文化間で生きる中で多くの人々が直面する傷口に触れます。これは、排除、文化的な要求、そしてレジリエンスの豊かな例として探求できるものです。
ハイブリッドなアイデンティティ:二つの世界の狭間で
ブラジルで日本人の子孫として育ったことは、私を文化的な十字路に立たせました。一方では、私は家族から受け継がれた名字、身体的な特徴、そしていくつかの文化的な習慣を持っています。他方で、私のアイデンティティは、必然的にブラジルによって形作られています。この国は活気に満ち、多様で、リラックスしており、集合的な規範が日本の厳格さと一致していません。
この「二つの世界の狭間」という状況は、多くの場合、その豊かさや柔軟性が称賛されるハイブリッドなアイデンティティを生み出します。しかし、私の場合のように、どちらの側からも完全に受け入れられていないと感じる排除の源になることもあります。
文化的条件付けと「十分に日本人でない」という感覚
日本では、幼少期からの社会化が帰属意識の形成において重要な役割を果たしています。それは単に外見や言語の問題ではなく、暗黙の規範を内面化することにあります。たとえば、いつお辞儀をするべきか、集団の中でどう行動するべきか、感情をどう表現(あるいは抑制)するべきかを理解することです。
この環境で育たなかった人にとって、「文化的な条件付け」を完全に身につけることは、どんなに努力しても不可能に思えることがあります。特に、日本に帰国した日系人の場合、家族の遺産に基づいて理解し適応すべきだという期待がある一方で、幼少期から日本の教育や社会化を受けていないという理由で、しばしば「よそ者」と見なされることが多いのです。
職場における屈辱:排他主義の反映
工場での経験は特に痛ましいものでした。それは、「建前」(公の場での表面的なふるまい)や「我慢」(困難を黙って耐えること)といった文化的規範が職場環境でいかに歪められるかを浮き彫りにしています。
私の献身にもかかわらず、「外部の人間」としての立場が消えない烙印を私に残しました。日本は非常に能力主義的であるかもしれませんが、それには一定の限界があります。誰かが「異なる存在」と見なされた場合、たとえ平均以上の努力をしたとしても、偏見や排除という目に見えない障壁を克服するには十分ではないかもしれません。

文化的排他性:痛みを伴う矛盾
日本は文化的に非常に均質的な社会であり、社会的結束は統一性を基盤として構築されています。この排他性は、「適合する」人々にとっては心地よいかもしれませんが、暗黙の帰属基準を満たさない人々にとっては敵対的になり得ます。
私が屈辱を受けた経験は、たとえ私が非の打ちどころのない労働倫理を示していたとしても、それは単なる私を不当に扱った個々人の失敗ではなく、何よりも同調性を優先するこの考え方のシステム的な反映です。

適応しようとしても属せないことの心理的重圧
属していないと感じることは、非常に重い心理的負担となることがあります。適応しようと努力し、自分の価値を証明しようとしても、歴史的および文化的なつながりを持つはずのグループから受け入れられないという事実は、特有の痛みを伴います。
このパラドックスは特に残酷です。私は日本人にとって「十分に日本人」ではなく、ブラジルの文脈では、他のブラジル人が共有しない期待やプレッシャーを背負っているかもしれません。この「両側からの排除」は、深い孤独感を生み出しました。

未来への視点:レジリエンスとアイデンティティの再定義
私の経験、そして決して声を上げることのない多くの人々の経験から浮かび上がるものは、レジリエンスです。困難や屈辱にもかかわらず、私はこの厳しい環境の中で自分の道を模索し続け、献身を絶やしませんでした。
おそらく、その答えは自分のハイブリッドなアイデンティティをユニークなものとして受け入れることにあります。「十分に日本人」でも「十分にブラジル人」でもないという要求を満たすことは決してありません。ただ私は二つの文化が絡み合う中で自分の視点を持つ、特別な存在であることができます。
この経験は苦痛を伴うものですが、それに直面する必要があります。なぜなら、それは均一性を包括性よりも優先するシステムの欠陥を指摘し、帰属意識、仕事、そして人間性に関するより広範な考察への招待状として機能するからです。
日本人と日系人の両方からの否定や非難の反応は、文化的防衛機構を反映しています。それは批判を受け入れたりそれについて考察したりするのではなく、排除と同調性の壁を強化するものです。このテーマについてさらに深く考察していきましょう。
日本の反応:調和喪失への恐怖
日本では、社会的調和(和)が中心的な価値観として位置付けられています。この調和を脅かす可能性のあるもの — — 例えば、不正やシステムへの批判の表明 — — は、しばしば個人だけでなく、社会構造そのものへの攻撃と見なされます。
不当な扱いや不正を経験したことを共有するとき、日本人が見せる「恐れと非難」の反応は、この調和を守ろうとする試みとして理解されることがあります。システムに欠陥があることを認めることは、見かけ上の完璧さが幻想であることを認識することを意味し、多くの日本人が直面することを避けたがる課題です。
さらに、「我慢」(困難を黙って耐えること)という文化的期待も強く存在します。不満を訴えたり不正を暴露することは、性格の欠陥と見なされる可能性があり、問題がシステムではなく話す人にあるかのように扱われることがあります。

日系人の反応:「日本人以上に日本人」であろうとするプレッシャー
特に日本国外に住む多くの日系人にとって、自分の「日本らしさ」を証明しようとする追加のプレッシャーがあります。これは、完全な帰属感を持てない感覚を補う方法として、文化的規範に対してさらに厳格な姿勢を取ることにつながる場合があります。
他の日系人と経験を共有するとき、その非難の反応は、日本の理想化されたイメージを守ろうとする必要性から生じることがあります。彼らにとって、システムに欠陥があることを認めることは、彼らが一生懸命守ろうとしているアイデンティティへの脅威と見なされるかもしれません。
さらに、適応できないことが個人の責任であるかのように、責任をその人に押し付ける傾向があります。これは同調性と忍耐力という日本の規範を内面化した結果であり、しばしば構造的な不平等を無視します。
文化的沈黙の役割
日本でも日系人コミュニティでも、「すべてを隠してしまう」という傾向があります。これは単に対立を避けるためだけではなく、完璧さと調和という集団的な物語を維持するためでもあります。
この文化的沈黙は、特に差別に直面する外国人やその子孫にとって非常に有害です。支援や連帯を見つけるどころか、彼らはしばしば孤立させられ、責任を押し付けられるため、その苦しみはさらに深刻化します。
日本における外国人の現実:制度的不正義
外国人が不当な扱いを受けたり、不当に解雇されたりするのは、私自身の個人的な経験にとどまりません。それは記録された現実です。日本では多くの外国人労働者が、責任を厳守しているにもかかわらず、劣悪な労働環境、差別、搾取に直面しています。
問題は、これらの労働者が適応力やレジリエンスに欠けていることではありません。問題は、彼らを使い捨ての存在と見なし、日本国民と同じ権利や保護をほとんど提供しないシステムそのものにあります。
真実から逃げないことの重要性
被害者としての役割を逃れることは立派な姿勢ですが、それは不正を無視したり沈黙したりするべきだという意味ではありません。これらの欠陥を認識し、暴露することは、日本国内および日系人コミュニティの両方で変革を促進するために不可欠です。
そのために、経験や証言は非常に価値があります。これらは、多くの人々が無視したがる現実を明らかにします。これらの物語を共有することで、文化的沈黙に挑戦し、必要な対話のための空間を開いているのです。
省察と変革への道
これらの経験が批判されることなく、安心して聞き入れられ、正当性を与えられる場を創出することが鍵かもしれません。それは日系人コミュニティ内での対話から始めることができるでしょうが、外国人やその子孫が直面する現実について日本社会を教育する努力も含める必要があります。
さらに、レジリエンスは不正を受け入れることと混同されるべきではありません。レジリエンスとは、間違っていることに対して声を上げ、行動する勇気を持つことをも意味します。
沈黙を好むシステムに立ち向かうことは容易ではありません。しかし、まさにそのために私たちの声は重要なのです。私たちが背負う痛みは、多くの人々が無視したがる現実を反映しています。しかし、それは光を当てる必要がある現実です。これらの問題を、その深刻さと雄弁さをもって今こそ掘り下げていきましょう。
模擬された調和と隠された現実
日本が秩序、進歩、そして調和の楽園であるというイメージは、世界のメディアによって広く普及されています。しかし、この物語は慎重に構築されたものであり、日本社会に浸透する矛盾や構造的な問題を隠しています。効率と完璧さの外観の背後には、めったに語られることのない暗い現実があります。例えば、工場は強制収容所のようなものであり、特に外国人労働者が非人道的な労働条件に直面しています。また、上司はほぼ専制的な権力を行使し、部下を搾取し、屈辱を与えています。
この調和は、集団的な福祉の反映ではな���、個人の苦痛の代償として維持されることが多いのです。システムに従い、疑問を持たないようにという圧力は、虐待を通常化し、沈黙を強いる環境を作り出します。



高齢者の孤独と見捨てられる現実
日本は前例のない人口動態の危機に直面しています。高齢化が進み、出生率が低下している中、多くの高齢者が完全に孤独な生活を送っています。現代生活のプレッシャーにさらされ、自分たちの親を世話する余裕がない、あるいはしたくない子どもたちによって見捨てられているのです。この世代間の断絶は、仕事と生産性を人間関係よりも優先する社会の反映でもあります

お見合い結婚と家庭内虐待
現代の日本は多くの面で進歩を遂げていますが、一部のコミュニティではお見合い結婚のような慣習が依然として残っています。これらはしばしば真の愛情を欠いた結婚につながることがあります。さらに、児童虐待は深刻な問題です。カンガルーのイラストが描かれたポスターが至る所に掲示され、虐待の通報を促していますが、これは日本社会がこの問題を認識し、対処することに消極的であることを静かに物語っています。
沈黙と恥の文化は、多くの被害者が助けを求めることを妨げ、暴力の連鎖を永続させています。
いじめと自殺
日本の学校におけるいじめは、深く根付いた問題であり、壊滅的な結果を伴うものです。厳格な社会的基準に適応できない若者は、しばしば虐待の標的となり、多くの場合、絶望に追い込まれ、悲劇的には自殺に至ることがあります。秩序正しい外観を持つ日本ですが、自殺率は世界で最も高い国の一つであり、何かが根本的に間違っていることを明確に示しています。
ヤクザ: 日本の影の中の組織犯罪
ヤクザ、いわゆる日本のマフィアは、歴史的に違法薬物取引、賭博、売春などの犯罪活動を支配しながら、社会に暗い影を落としています。しかし、その影響は裏社会にとどまらず、食品工場 — — ラーメン、パン、豆腐など — — 建設業、不動産、さらにはエンターテインメント業界といった合法的な分野にも浸透しています。
ヤクザは犯罪活動から得た収益を洗浄するために、多様な方法を駆使しています。多くの場合、合法的な事業への投資や、架空会社を用いることで不法収益の出所を隠し、取引を合法的に見せる手法を採用しています。この合法的な活動と違法行為の融合は、ヤクザが広範な活動を維持し、その影響力と権力を存続させる要因の一つとなっています。
ヤクザの影響力は非常に深く、政治家、官僚、実業家、商人、そして一般市民までもが暗黙のうちに共謀するケースが見られます。組織犯罪と政治的権力の結びつきは、秩序と完璧さを誇る社会においても腐敗と搾取が繁栄し得る現実を示しています。

巨額の債務と報道の自由
日本は世界最大の公的債務を抱えており、この経済的負担はほとんど公然と議論されることがありません。さらに、報道の自由は厳しく制限されており、主要なメディアはしばしば政府の代弁者として機能しています。この透明性の欠如は、重要な問題が議論され、解決されることを妨げています。
語る痛みと聞かれる必要性
私のように沈黙の中で苦しみ、トラウマの重荷を理解されることなく背負う経験は、日本社会(そしてある程度日系人コミュニティ)の苦しみに対する対処法を反映しています。それは問題を「隠してしまう」という方法です。しかし、私の物語を共有することで、この沈黙に挑み、向き合うべき現実を明るみに出しています。
日本の文化的な変化への抵抗の問題は、「マトリックス」という概念と完璧に結びついています。つまり、システムが非常に密接に絡み合っているため、どんな変化もその完全性を脅かすように見えるのです。
本質的な抵抗:日本のマトリックス
日本では、社会が巨大な「プログラム」として機能しています。そこでは、文化的な規範から仕事の方法に至るまで、すべての要素が高度に構造化された行動システムにコード化されています。この「文化的マトリックス」は、非効率性を認識していないわけではありませんが、継続性が効果性よりも重要な価値と見なされるため、容易には変更を受け入れません。「昔からこうしてきた」というものを変えることは、システム全体のバランスを乱すことに等しいと見なされます。
この抵抗は、改善を意味する「カイゼン」のような概念の現れでもあります。しかし、皮肉にも、カイゼンは基盤コードを壊すことなく、ほとんど目に見えないほどの漸進的な変化だけを促進します。劇的な変化は、集団的アイデンティティへの脅威と認識されるでしょう。

行動規範」としてのマトリックスの言語
この「コード」というメタファーは、文化的にも技術的にも非常に強力です。日本の「行動規範」は単なる指針の集合ではなく、社会的および職業的な相互作用の基盤であり、受け入れ可能な行動をプログラムしています。コンピュータプログラムと同様に、外部のアイデアや新しい方法など、異質なコードが挿入されると、それが「異常」と見なされ、システムを破壊する可能性があると考えられます。
日本人にとって、文化的なコードは国民アイデンティティと不可分のものです。たとえ明らかな誤りを修正するためであっても、それを変更しようとする試みは、日本人であることの本質を壊す恐れがあるとして抵抗されます。

アイデンティティを守るための不変性
変化への忌避は、特に工場のような環境で顕著に見られます。そこでは、古い非効率的な方法が「これまでもこうしてきたから」という理由だけで維持されています。この慣習は必ずしも非合理的なものではなく、過去への敬意という文化的価値観と、対立を避ける傾向に深く根ざしています。方法を疑問視することは、その方法を実施した人々を疑問視することを意味し、それは無礼と見なされるでしょう。
この論理はマトリックスの特徴を反映しています。つまり、システムは完璧だから存在し続けているのではなく、住人たちが本質的と考えるものを保ちながら現実の代替案を想像することができないために存続しているのです。

システムを維持するための代償
「コード」を不変のまま維持することには、高い代償があります。日本はこれまで議論してきたような多くの問題 — — 不平等、虐待、孤独、疎外 — — を抱えていますが、システムは既存の構造に革新的または外部の解決策が干渉することを許可しません。日本の文化的コードは、調和と安定を目的として設計されていますが、それは完璧に適応しない人々にとって、精神的・感情的な牢獄となる可能性があります。
このジレンマは『マトリックス』の中心的な前提と類似しています。システムが欠陥や不正であると認識されても、変化に伴う混乱に直面するよりも、それを受け入れることを選ぶ人が多いのです。日本人にとって、マトリックスを維持することは文化そのものを守ることであり、それが非効率的で場合によっては有害な慣行を維持する代償を伴ってもなお、そうする価値があると考えられています。
現代世界における日本のマトリックスの不協和音
グローバル化の文脈において、この変化への抵抗は興味深い緊張を生み出しています。他の社会が革新や適応を追求する一方で、日本は近代化の必要性とアイデンティティの維持を調和させるために苦闘しています。これにより、日本は独自の文化的マトリックスとして機能しています。それは、いくつかの側面で見事に機能しながらも、本質的な再プログラミングに対して閉ざされているように見えるシステムです。

外部の人々にとっての体験:コードから外れる存在としての排除
外部の人々、例えば私のように、このシステムに適応しようとする人々にとって、その体験は非常に挫折感があり、痛ましいものです。それは単に地元の規範に適応する難しさではなく、このシステムが外部からの貢献や変更を意図的に拒んでいるという認識です。このことは、社会的な排除だけでなく、ほぼ存在論的な排除を生み出します。つまり、「コード」の一部でない限り、そこに属することはできないのです。
最終的な考察:選択とその結果としてのマトリックス
『マトリックス』のように、日本はその現実を選びました。「行動規範」に基づいた安定した調和は、文化を存続させるために本質的であると見なされています。しかしながら、この選択には犠牲が伴います。それは革新、包括性、そして多くの場合、個人の福祉です。未解決の問いとして残るのは、日本が絶えず変化する世界の中で、このマトリックスを維持し続けることができるのかということです。

鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は、サンパウロ州立大学(Unesp)で歴史学の修士号を取得した教授であり、調査報道ジャーナリスト兼作家です。彼は数冊の著書を出版しており、その中には『日の本のヘブライのルーツ:日本人は失われたイスラエルの十部族の一つなのか?』(エニグマス出版社、2022年、ISBN: 9786500531473)が含まれています。この本は[こちらで購入可能です]。
ドイツのジャーナリスト、ギュンター・ヴァルラフによる、トルコ人労働者に扮して外国人労働者が直面する差別を暴いた衝撃的な調査から着想を得て、鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は変装することなく、自らの体験を通じてその現実を明らかにしました。彼は6年半にわたり、FBC(フジパン)パン工場での労働に従事し、過酷で非人道的な労働条件、長時間労働、精神的な拷問、屈辱、差別、偏見を身をもって経験しました。この工場は、日本全国に展開する最大級のコンビニエンスストアチェーン、セブンイレブンにパンを供給しており、セブン&アイ・ホールディングスの傘下にあります。
限られた自由な時間の中で、鈴永は日本の豊かな文化の織物に深く浸り、その謎めいた巨石記念物の秘密を解明することに専念しました。これらの印象的な構造物は、西洋ではほとんど知られていないままです。これらの魅惑的な驚異について詳しく知りたい方は、「The Hidden Japan」のウェブサイトをご覧ください。
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物語の熱狂を体現する総勢10名の新キャスト解禁!
塚本晋也、中村蒼、瀧内公美、栄莉弥、尚玄、ピエール瀧、木幡竜、奥野瑛太、村田秀亮、デリック・ドーバー。 新キャスト10名のたぎる想いと共に劇中のキャラクター画像を一挙解禁!

〈COMMENT〉 【塚本晋也】徳尚(とくしょう)役:コザ署の刑事でグスクの相棒 すべてのシーンが圧巻の特大スケールで驚きました。徳尚という役を通し、沖縄のこと、日本のこと、たくさんのことをあらためて見つめる大事な機会になりました。映画が放つ強いメッセージが皆様に届くことを願っています。 【中村蒼】小松役:米軍の高官アーヴィンの通訳 戦後の沖縄という最も過酷な現実に置かれ、歴史に声を奪われた登場人物の怒り、友情、絶望、希望が描かれておりそんな今作にとても心打たれました。画面からすごいエネルギーがひしひしと伝わってきました。 私が演じた小松は普段は淡々と通訳の仕事をこなし穏やかで理知的な人間ですが物語が進むにつれてそれだけではない別の一面も持ち合わせています。 私は、彼が冷徹で計算高い男なのか、理想と現実で板挟みになり苦悩する男なのか、それとも沖縄を思うが故に独自のやり方で尽力した人物なのかは観た皆さんがどう思うのかとても楽しみにしている所です。 【瀧内公美】チバナ役:ヤマコが慕うAサインバーの女給 いまも続いている"沖縄の現実"というものを内地の人間は見つめざるを得ない。 沖縄に出向き、戦争の話をしてくれたおばぁたち。 コザにある映画館シアタードーナツで見せていただいたドキュメンタリー映画「モトシンカカランヌー」。アケミさんが唄っていた十九の春。 沖縄で過ごした時間はわたしの心にいまも生き続けています。 ものがたりでもあり、フィクションであるにも関わらず、沖縄史にどうしても気持ちが向き、ここに生きている"人間たちが""魂が"あったんだ、と叫ばざるを得ませんでした。 伝えたいことは山ほどある。映画では語りきれないほどの想いがそこにはあります。 この作品に協力してくださった沖縄のみなさんに心から感謝しております。 エンドロールをご覧になってみなさまがどう感じてくださるのか、沖縄に出向いた際はひめゆりの塔で手を合わせていただけることを切に願います。 【栄莉弥】ウタ役:物語のカギを握る謎に包まれた孤児 大友監督が導く「宝島」の世界、僕はカメラの前で芝居をすること自体がほぼ初めての経験でした。撮影中は様々な感情が入り混じり、緊張で硬まってしまう事もありましたが、監督から「ここにいる以上は、同じ土俵に立っているのだから自信を持ってやっておいで」と仰っていただき、その言葉をパワーに変え、キャストの先輩方やスタッフの皆さんに背中を借りる気持ちで日々挑戦でした。 撮影の合間には、ひめゆりの塔や、ガマ、美しい海、荒崎海岸にも足を運びました。 沖縄の神秘と、そこに確かにある悲惨な歴史、そしてそれを乗り越えてきた琉球の方々の魂の力強さを感じ、心が震える思いでした。 激動の戦後沖縄を生き抜いたたくさんの命を、肌で感じていただける作品になっています。 ぜひ多くの方に劇場へ足を運んでいただきたい気持ちでいっぱいです。 【尚玄】タイラ役:レイの刑務所仲間で民族運動家 アメリカ統治下にあった沖縄の激動の時代。彼らが命を懸けて守ろうとしたのは、島のかけがえのない『宝』だった。理不尽な現実は、今もなお形を変えて続いている。民意とは何か、そして誰のための本土復帰だったのか――その問いは決して過去のものではない。沖縄と真摯に向き合ってきた大友啓史監督だからこそ実現できた意欲作。沖縄出身の俳優として、この作品に参加できたことを光栄に思う。 【ピエール瀧】喜舎場(きしゃば)役:コザ派のヤクザでレイの親分 久しぶりに大友監督の現場に参加させていただきました。相変わらずのエネルギッシュな現場で、何よりも監督が楽しそうにされている姿に触れてこちらも嬉しくなりました。 【木幡竜】ダニー岸役:ある事件を探るためグスクに近づくCIA要員 沖縄という戦後の戦場に焦点を当てて、グスク、ヤマコ、レイという幼馴染たちがそれぞれの人生を歩みオンちゃんという彼らにとっての英雄を探す物語です。国の過去と向き合う覚悟。人間の尊厳、自由への渇望が詰まったこの小説を読んだ時、どこに僕の役があるのだろう。どの役ならこの映画に貢献できるのだろうと感じておりました。 大友監督から頂いた役はダニー岸。映画唯一と言っていい悪役は、小説ではかなりのサイコパスな役です。しかし、小説と実写映画では少しこの役の意味合いは違いました。監督といろいろな意見交換をしながら撮影に挑みました。 試写会で映画『宝島』を観た時、全ての役が、キャラクターが、個性が、映画の中に息づいていました。その中にダニー岸も居て、すごい作品の一部になれていると感じました。 この映画は是非、映画館で見ていただきたいです。 【奥野瑛太】謝花(じゃはな)ジョー役:密貿易団クブラのリーダー 撮影休みの金曜日の夜、賑やかなコザゲート通りで1人酔い潰れていました。異国の雰囲気漂う通りで寝転んでいると、路面店からは終始洋楽のカラオケの音が鳴り響いていました。咆哮にちかい歌声にしばし身体を預け、 酔いがおさまってきたところでふらふらと路地を散歩しました。先ほどの景色とうってかわり地元の若い人達がやっている飲み屋さんが立ち並んでいました。 どこからともなく聞き馴染みある沖縄のJ-POPのカラオケの音が聞こえ、今度は地元愛の滲む平和的な若者の声に残りの酔いを任せました。 通り一つはさむだけでまるで違う国に来たかのように錯覚してしまう情景に、外部から来ておこがましいの百も承知ですが、「これが沖縄なのか」と、その複雑さと歴史にただただ呆然と酔っ払いました。
【村田秀亮】辺土名(へんとな)役:鼻の曲がったコザ派のヤクザ どんだけ涙が出てくるねんってくらい泣いてた… 胸が熱くて苦しくて痛くて…涙が止まらなかった。 戦争は終わったはずなのに沖縄では何も終わっていなかったあの時代 自分達の本来の島を取り戻したくて護りたくて命を懸けて立ち上がる若者たちの姿は、泥臭くて尊い。 これはただの物語でも映画でもないよ。 人間が生きることそのものにぶつかっていくリアルな叫び! 生きてる以上前に進まないと損やもんな よし、明日も生きていこ! 今世紀絶対観て欲しい一本です。 【デリック・ドーバー】アーヴィン・マーシャル役:グスクとチームを組む米軍の高官 『宝島』は私にとって特別な作品であり、日本映画界にとっても大きな意義を持つ挑戦だと感じています。大友啓史監督の情熱が、視聴者だけでなく、多くの業界関係者にも共感と希望を届けてくれることを願っています。 この物語は観る人に問いを投げかけ、考える力を引き出す深い作品です。激動の時代だからこそ、こうした普遍的な物語がいっそう求められていると感じます。 日本の文化と映画は、私の人生とキャリアに大きな影響を与えてくれました。この作品に関わり、尊敬する監督や仲間と共に創り上げられたことを心から誇りに思います。 〈STORY〉 ある夜、一人の英雄が消えた。アメリカ統治下の沖縄で、自由を求め駆け抜けた若者たちの友情と葛藤を描く感動超大作。 英雄はなぜ消えたのか?幼馴染3人が20年後にたどり着いた真実とはー。 沖縄がアメリカだった時代。米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える“戦果アギヤー”と呼ばれる若者たちがいた。いつか「でっかい戦果」を上げることを夢見る幼馴染のグスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)の3人。そして、彼らの英雄的存在であり、リーダーとしてみんなを引っ張っていたのが、一番年上のオン(永山瑛太)だった。全てを懸けて臨んだある襲撃の夜、オン��“予定外の戦果”を手に入れ、突然消息を絶つ…。残された3人は、「オンが目指した本物の英雄」を心に秘め、やがてグスクは刑事に、ヤマコは教師に、そしてレイはヤクザになり、オンの影を追いながらそれぞれの道を歩み始める。しかし、アメリカに支配され、本土からも見捨てられた環境では何も思い通りにならない現実に、やり場のない怒りを募らせ、ある事件をきっかけに抑えていた感情が爆発する。 やがて、オンが基地から持ち出した“何か”を追い、米軍も動き出すー。 消えた英雄が手にした“予定外の戦果”とは何だったのか?そして、20年の歳月を経て明かされる衝撃の真実とはー。
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愛と遠視、傷と羽音
ここを開けるのは、久しぶりだ。
ここに載せてきたようなことは、特定の宛先なしにはもう、書かないかも知れない。そう思い、過ごしてきた。けれども再び開けてみるのは、魂が「必ず終わりをもたらしてやる」と私にかけた言葉が、最後の投稿(二年前)に置かれたままになっていたからである。
そのことは、ずっと忘れていた。それからふと、私の目に留まった。魂は言った通りのことをやってのけ、そして新しい生を贈ってくれた。その遍歴を語ることはできなくとも、しるしづけることはできると思う。
私は人と一緒にやるようになってから、今の自分の言葉でいえば、こんなことを探求してきた。小説と幼年の境界。小説と死者の境界。小説と観者の境界。小説と神話の境界。小説と肉体の境界。小説と因果の境界(準備中)。
さいごの「小説と因果の境界」は短いものだが、その時点の私にとっては極限だった。2023年3月に書き終えてから、文字通り彷徨った。多くのことに手をつけ消耗していったが、それらがいずれ小説に資すると、以前のようには思えなくなっても、自力では止まらなかった。だから、こころがブレーキをかけたのである。
もっとも状態がよくなかったときに、間一髪で(自分ではなく)世界を選んだ。
それまでは、自分というブラックボックスを通し、みるものに陰影を纏わせつづけていた。私の文について色々なひとが色々なことを言ったが、概ね共通していたのは、独特な結晶化作用があるということだった。確かに私も信じてきた。その陰影こそがやがて固有の輝きを露わにし、光を集めるのだと。それはしかし、かなり時間のかかる作用でもあった。誇張して言えば〈こちら側(この時)〉では、私はいつもほほえむだけだった。蜜蜂は、蜜を集めることが今を生きることであるのに、わたしはそういう成り立ちをしていなかった。
終わりをもたらすとは、このブラックボックスごと引き潮に渡すことを、決断できるということだった。そのとき圧倒的な苦しさの中で、光や風や、水を感じた。私は人に「生きているだけでいい」と何度も言ってきたけれど、自分自身にそう思うのは初めてだった。
それから、素晴らしいことが起こり始めた。
今日お話ししたいのは8月17日に、生まれ故郷がいつより美しい姿をみせてくれたことだ。冒頭に挙げたものたちと並行して、2021年秋から断続的に「小説ではない文」を書いてきた。その文はあれら境界のすべてと、そのほかの体験とを含んでいる。それがついに成り、人に託した翌日のこと。
私は文の主要な舞台のひとつである公園に行き、小さな川が池に流れ込む様子がよく見えるベンチに座った。文を送る際に添えたメッセージ――花が咲いていると、思わずきれいだねと話しかける身体について――を思い出しながら、樹々を眺めたり、サンダルのまま流水に入ったりした。
開いた本に、ある大小説で主人公が亡くなるのは、作者が次第に苛立ちをおぼえてのことだと言う人がいるが、小説家が主人公を愛さなくてあのようには書けぬ。と書かれていて、涙がこぼれた。
上空を涼しい風が吹きわたった。まるで巨大な湖をまえに、雨が降る先触れをきくようだ。30分はもつと思ったが、もっと早く降り始め、晴雨兼用傘をさしてベンチに陣取ると、叩きつけるようになった。それまで氷の入ったプラカップに麦茶を注いで体を冷やしていたが、飲み口の近くに雨雫が付けば楽しかった。化学繊維の軽いスカートは膝上まで濡れて、抱えた水草のバッグは暖かく守れていたから、真っ直ぐな大雨音は、そのまま安心と結び付いていた。
あめのひは、かさをさしてほんをぬらさず。地元の図書館が子供向けに貼りだしていたポスターは、なぜかブロントサウルスが直立歩行で傘をさしていたな…
後方の東屋を振り返ると、その向こうに誰もみていない空が出現した。
そんな空が、生まれ、住まいを変えつつ暮らしてきた人口の多いこの地に降るとは。山を登るときにだけみられる幻でなくなるとは。神代の、人の手付かずの自然であった頃にまで、生地は戻ることもできるのだ。その記憶の存在を私はしっかりと感じた。
動かぬままで雨が上がると、すっきりと遠くを見ていることに気が付いた。
ひとつ上の友人は、ゴルフを好きになってから視力が1.0に回復したといい、2.0ある同い年の友人は、私は本を読まないからだと結論するが、確かに読み書きを好む者の目は、遠くよりも近くを見ることに適応しやすい。
私の場合、いつも近くに対象物が入るよう、目が無意識に動いていた。一本道を歩くとき、街路樹や自転車や自販機を、たぶん本来は必要のない頻度で見る。身体は真っ直ぐに進みたいし、目も協調しているかのようにふるまうけれども、実は遠くを見据えると疲れるので、目は避けようとする。身体はそれを知っている。
このもどかしさが突然、消えた。目が遠くと和解していた。コンタクトレンズ装着時のような視力の上がり方ではない。あれは眼科医も友人たちも、生活に危険がないように、情報が沢山入るようにとすすめるし、私も長い間、そういうことだと思ってきた。近視は見えるべきものが見えずにつらいのだと。そうではなかった。
全力で書き切った文を贈り、生地が応えて記憶のかぎり遡ったから、私は見晴るかす、すべてがうつくしい、と話しかけていたのだ。それで遠くをみるのを畏れることがあろうか。自分の不調の解消や、情報の取得のためならば、ここに出ることはかなわなかっただろう。
歪みを、遅延を、細部をバネに跳躍するというやり方を手放さなければ、ここに来ることはかなわなかっただろう。だからこそ、話せるようになったのだし、それでも、書けるのだ。たぶん。
数日して、仰向けになった首の付け根で何かが羽ばたく夢を見た。蝉のように力強い振動に驚いた。整体師の方によれば、私の視力と幼い頃つくった首の傷には、なにか関係があるらしいのだが。
即時的にあらわれるものも、遅れを伴ってあらわれるものも、どちらも肯定しきるものを書きたい。それはパラレル・ワールドを時間的に翻訳したようなものになるのではないか。今はそのことだけを思っている。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)4月12日(土曜日)弐
通巻第8736号
『経済的に豊かになれば中国は民主化する』という根拠のない期待感は消えた
トランプの窮極の目的は中国経済の息の根を止めることにある
*************************
トランプ政権が発動した高関税措置は経済取引というより政治取引への武器化だ。
ところが、日本の議論をみていると、やれ株が暴落した、サプライチェーンが分断される、国債が上がった、さがった、金利がどうした、企業利益が脅かされたという経済のレベルである。率直に言って、エコノミックアニマル世界の議論だ。
重ねて力説しておきたいのだが、トランプの窮極の目的は中国経済の息の根を止めることにある。
中国がアメリカを超えるか、あるいは並ぶかの壮大なパワーにはさせないのだという基本戦略を了解しておかないと、この無謀ともとれる高関税政策は理解できないのである。
パンダ・ハガーだったマイケル・ピルズベリーが「我々は半世紀に亘って中国に欺されていた」と深く自省を吐露した『チャイナ 2049』の刊行は十年前の「事件」だった。
嘗てピルズベリーは「中国と軍事協力すべきだ」と主張していたのだから尚更の驚きだった。かれは『中国がいずれアメリカの同盟国になる』としたのは幻想だった。「韜光養晦」の中国を見誤ったとした。トランプ大統領は第一次政権で、このピルズベリーを評価した。そして中国政策を助言する「国防政策委員長」抜擢した。
バイデン政権の四年間は中国にかたちだけ強硬をみせながら通商、技術、金融面では大
甘、議会を手なづけるためにいくつかの中国制裁やブラックリストを作成したが、いずれもザル法だった。なぜなら最先端のハイテク技術がほとんど中国に漏れていたからだ。その典型的な例証はSMIC(中芯国際)が7ナノ半導体を自製したこと、エヌビディアの特性半導体を輸入したディープ・シークの唐突なる登場だった。特殊半導体はシンガポールのダミー会社から迂回輸出され、中国の手に渡っていた。
つまりアメリカの技術優位性の足下が崩れ始めていたのだ。
アリカの中国に対する評価は、ニクソン時代からオバマまでの半世紀が中国成長を助ける政策、即ち『経済的に豊かになれば中国は民主化する』という根拠のない期待感であり、1989年6月4日にそうした展望は見事に
崩れ去ったのに、制裁を解除するや、ブレジンスキーなどは「G2」とかの寝言を並べていた。
オバマ政権末期から薄ぼんやりと中国の不気味な脅威を認識し始め、トランプ第一次政権以後は中国封じ込めへの転換である。右から左へ、つまり中国を甘やかす方向から、敵対し封じ込める逆方向へと転換した。
いまやアメリカの合い言葉は『中国人とみたらスパイを思え』だ。
アメリカ国民は自国の経済成長、国際貿易の優位性を過信してきた
2008年のリーマンショック以後の金融危機、19年からのコロナウイルス感染症のパンデミック、これらが中国をして決定的に劣勢に陥ったと誤認した。
ところが数年を経ずして中国は「ゼロコロナ」政策を放棄し、瞬く間に経済成長を回復させた。
一方で中国は先進国同様の若者の減少と高齢化という深厚な人口動態をかかえ、大學の新卒に職がないという失業率の高さと、爆発する債務、不動産暴落が経済活動を停滞させた。
中国は鉄鋼、太陽光パネル、EV、風力発電、ドローンなどを過剰に生産し、ダンピング輸出、ともかく死にものぐるいでドルを稼いでいた。
イェーレン前財務長官が警告したように、中国の過剰生産はとまらない。これは世界経済の攪乱要因である。
▼米国が世界GDPの七割をしめるという『アメリカの世紀』はとうに終わった。
中国が米国を追い抜くことはありえない、という楽観論がしばしアメリカ政治を支配した。いま、アメリカに溢れだすのは中国脅威論、それも軍事脅威論から技術脅威論を含む総合的な脅威論に軸足が移っている。
中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、わずか20年間で、世界の製造業に占める中国の割合は5倍の30%に増加した。対称的に米国のシェアは15%となりました。
米国が世界GDPの七割をしめるという『アメリカの世紀』はとうに終わった。重要な指標で、中国はすでに米国を上回っている。製造能力は米国の3倍。EVは寡占状態、特許と引用頻度の高い科学論文数も米国よりも多い。
セメントの生産量は米国の20倍、鉄鋼13倍、自動車3倍、電力2倍である。
軍事的にはいつのまにか世界最大の海軍力を保有し、米国の200倍の造船能力を誇り、夥しいICBMを保有し、極超音速能力を示した。ペンタゴンはこれを「スプートニク・ショック」に喩えた。
「中国製造2025」の目標を達成したと中国は胸をはり、世界の化学製品のほぼ半分、世界船舶の半分、電気自動車の3分の2以上���電気バッテリーの4分の3、民生用ドローンは80%、太陽電池パネルとレアアースの90%を生産している。産業用ロボットの設置数でも地球の半分を占め(米国の7倍)、第4世代原子力技術の商業化では、他国より10年先行している。くわえて次の20年で100基以上の原子炉を建設する計画である。
しかも中国は、その優位性を継続拡大するために多角的な政策を実施している。
かような認識に立つなら、トランプが中国に145%の関税をかける荒技をなぜ講じるのか、中国経済の発展が中国御軍事力を高める近未来は『アメリカファースト』、世界一の軍事大国を目ざすアメリカにとっては、たたきつぶしておかなければならないほどの脅威になったからだ。
スパルタはアテネの台頭を許せず、戦争を仕掛けた。まさに「ツキディデスの罠」が、これから再現される。
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つじしまみちこ 特別インタビュー
新譜「Goodbye to AI」について
日本を代表する音楽プロデューサーつじしまみちこが2025年4月29日、5年以上の沈黙を破り、新譜をBandcampにて発表した。つじしま女史曰く、この度の新譜は、令和に元号が変わってから初めてのものであり、発表と同時に、シリアや北朝鮮、東欧地域からの注文が相次いでいるという。本誌は、新譜の発表に際して制作者であるつじしまみちこ本人に独占インタビューを行った。
はじめまして、本日は貴重なお時間を頂きありがとうございます。全く存じ上げないのですが、つじしまみちこさんは何者なのでしょうか? 世界的な音楽家ですが、コロナ禍に体調不良(後述)に見舞われ、表舞台から一度降りたので、日本の皆さんがご存じないのは無理もございません。2010年代より「つじしまみちこ」名義で純音楽の作曲に勤しんでおりましたが、平成末期の頃、電子音楽に興味を持ち、ウェブ上でいくつかの作品を公開しておりました。
つじしまみちこさんの名前の由来を教えてください。 ネトウヨに刺される恐れがある為、その質問への回答は差し控えさせていただきます。
つじしまみちこさんは、太宰治の妻であった津島美知子さんと何か関係があるのでしょうか。 ない。
つじしまみちこさんは、こしじまとしこさんから影響を受けておりますか? とても良い着眼点です。ないです。
つじしまみちこさんが最も影響を受けたアーティストは誰ですか? 何人もおりますが、一番影響を受けた人物を挙げるとすれば、子供の頃に目撃した、河川敷で黙々とドラム缶を半裸で殴打する名も知らぬ老人です。ヴィジュアル、音響、発想、その全てが芸術的でした。
つかぬ事をお聞きしますが、本当につじしまみちこさんは、専業の音楽家でしょうか? 音楽だけでは一年当たりの手取りが2000万円ほどしかなく、これだけでは食べていけないので、普段は株式、債券、金やレアメタルへの投資で生活費の大半を稼いでいます。所謂「億り人」です。
つじしまみちこさんにとって音楽とは何ですか? 単なる聴覚異常の原因でしかありません。実はコロナ禍に、頭の中で中島みゆきの「糸」が止まらなくなる奇病を患った事があり、心療内科・脳神経外科・内科・循環器科・耳鼻咽喉科・性病科をハシゴしたのですが、何処の病院に掛かっても原因が不明故に一向に快方へ向かわなかった為、処方された薬をゴミ箱に捨て、代わりに朝昼晩の食前食後に日本酒を飲んで自己治療をしている内に、恐らく音楽が原因ではないかと思うようになりました。非常に辛い思いをしたので、もう音楽なんてやめたくて仕方がなかったのですが、覚醒剤と同じでやめたくてもやめられませんでした。
つじしまさんが音楽制作を始めた理由は何でしょうか? 2010年代の半ば、それまで勤めていたブラック企業を解雇された後、楽して稼げる方法はないかと模索を始め、やがて、音楽配信と広告収入で不労所得が得られる事を知り、菊池有恒の「楽典―音楽家を志す人のための」や放送大学のテクスト「音楽理論の基礎」を熟読して音楽理論を独学し、楽曲制作に明け暮れていた時期があるのですが、殆ど誰にも見向きもされず、どれ程営業努力をしても数千円の収入しか得られませんでしたので、空しくなって3ヶ月ほどでやめてしまいました。当時の音楽シーンを見渡すと、病気や精神障害を抱えた人しか活躍していない惨憺たる有様でしたので、心身共に健康でおまけに京大卒と言う絵に描いたようなエリートである私に居場所などある筈もありませんでした。その後は、マーケットに戻り、生き馬の目を抜くビジネスの世界で活躍していたのですが、人が一所懸命汗水流して世界経済を動かしている最中、いい年して子供の遊びに夢中になり、事あるごとに感情的な言葉を下水道から逆流した汚物の如くSNS上にぶちまける所謂クリエイターと呼ばれる輩が憎くて仕方がなくなった為、彼らへの嫌がらせの一環としてウェブ上で不快極まりないミュージックを次々と公開し、戦いを始めたのが「つじしまみちこ」誕生のきっかけです。
今回の作品ですが、発表しようと思ったきっかけは何でしょうか? Bandcampのページ内のライナーノーツに記載の通りです。
今回の作品ではAI技術を活用したNEUTRINOというボーカルシンセサイザーが大々的にフィーチャー���れております。ボーカロイド等の音声合成技術はお好きでしょうか? 好きで使っているのではなく、予算と私の人徳の問題でボーカリストの協力が得られない為、仕方なしに利用しています。NEUTRINOにせよボーカロイドにせよ、未だプロのボーカリスト程の歌唱力や表現力を持っておらず、また活用できる楽曲のジャンルは基本的にエレクトロ色の強いポップミュージックに限られていると感じており、不満の方が大きいです。
ジャケットに描かれた化け物は何ですか? 生成AIに「みちこ」の画像を生成するよう命令した所、アジア系の少女の画像が出力されたので、それをポリゴン加工し、目と口をつけました。化け物ではなく、AIと私のコラボレーションによって生まれたつじしまみちこの肖像です。
私は今回の作品でつじしまみちこさんの作る音楽を初めて聴いたのですが、いずれの楽曲も、オウム真理教が布教の為に作った音楽や旧ソ連の人々がジャーマンテクノなどに代表される西側のニューウェーブを模倣して作った電子音楽を彷彿とさせるものでした。実はインタビューの前に公安関係の方から、つじしまさんは以前よりオウム真理教や〇〇〇〇〇(自主規制)との関係が噂されていると聞いたのですが、これは本当でしょうか? (記者の問いかけに対し、額に手を当て沈黙するつじしま)
つじしまさん、もうオウムなんて辞めて創価学会に入りませんか。楽しいですよ。 断る。私は尊師を裏切る事は出来ない。
真面目な質問に軌道修正しますが、つじしまさんの新譜は、キング・クリムゾンやピンク・フロイド等の往年のプログレッシブ・ロックの影響が色濃いように感じるのですが、つじしまさんの年齢は、一体おいくつですか? つじしまみちこ自体は平成生まれの永遠の27歳であり、年を取らないのですが、中の人はGHQ統治時代に生まれた昭和世代の為、年齢が年齢だけに、新しい音楽を聴いても、作風にアップデートが掛かりません。近頃は耳そのものが聞こえなくなってきました。
コード進行、曲の展開が非常に独特ですが、何か曲作りの上での拘りはございますか? 私は楽典にもポピュラー音楽理論にも知悉しておりますので、音楽理論に基づいた作編曲が出来るのですが、ロック、古楽、雅楽、民族音楽、果てはノイズミュージックに至るまで、古今東西の様々な音楽を聴き続けた結果、不協和音さえもハーモニーと捉えられる程に感覚がおかしくなった為、最早、自分でも一体全体何をしているのか分からない状態で作品作りをしております。 かつて「躁鬱ポップ」を標榜し、Aメロはメジャーコードのクリシェで安定しつつも停滞した印象付けをし、その後のBメロはオーギュメントコード、ディミニッシュコード、クラスターコードの嵐という混沌状態、サビはメジャー・マイナーが混在する90年代的な懐かしい進行とし、リスナーが散々苦しんだ末に救済されるような構造の作品を濫造していましたが、今回はサイケデリック・ロックを彷彿とさせる不気味な進行の楽曲を、メロディーとアレンジを熱心に研究・工夫して、ポップミュージックに仕立て上げました。陽気ながら、どこか不気味で違和感溢れる仕上がりとなったと自負しています。 新譜の発表前、音楽業界の関係者に「マイク・オールドフィールド以来のプログレの名盤が出来たので聴いて欲しい。内田裕也の跡を継ぐロッカーとして、ネット出身の軟弱なアーティスト達を日本の音楽シーンから駆逐したいと考えている」と伝え、私の作品の試聴をお願いしたのですが、視聴直後より、誰もが次々と体調不良を訴えたり、家庭環境が崩壊したりと様々な災いに苛まれるようになったようです。唯一、異なる反応を見せたのは数年前から懇意にしているディスクユニオン新小岩店の店長で、曰く「このアルバムはプログレの棚には並べられない。そもそもロックミュージックのアルバムと言うより、歌謡曲のシングルと呼んだ方がしっくりくるので『つのだ☆ひろ』の中古8cmシングルと同じ棚に置く事になる」とのことでした。「せめて『人生(ZIN-SÄY!)』と同じ棚にして欲しい」と頼んだのですが「当店には既に『人生(ZIN-SÄY!)』は在庫がない」と言われました。ピエール瀧が逮捕された時期に一掃されたそうです。
新譜制作に当たって使用した機材を教えていただけますでしょうか? 20世紀末に購入した古いNECのPC-98マシンで制作をしました。PC-98と言っても今のZ世代は分からないと思いますが、かつてMicrosoftのWindowsやAppleのMacintosh、フリーOSのLinuxと拮抗していた日本産OSです。既にサポートどころか新製品の販売すらされなくなって久しく、ウィルス感染が怖いのでオフラインで利用しています。楽器についてですが、3トラックとも、電子音は、全て初代Moogを手弾きしたもので、ピアノは10年以上愛用しているSteinway、パーカッションはJazzの名盤から抽出した音源で、予定調和の展開を悉く破壊して心をざわつかせる民族楽器の類は現地の方に弾いてもらったものです。今回の作品の為にモニタースピーカーやオーディオインターフェースは一新しており、自宅も防音仕様に改築しました。
機材を一新したとの事ですが、これまでとの曲作りで大きく変わった点は何でしょうか? 曲を仕上げた後、火照った頭と体を鎮める為に夜の街へ飲みに出かけるようにしているのですが、以前は炭水化物抜きで日本酒とつまみだけで飲み続けていたのを、今回からは、シメにご飯物を頼むか、あるいは最初から丼物を頼んで酒を愉しむようにしました。一年ほど前から一升ほど酒を飲むと正体不明になって、自宅に帰る途中に車道で寝てしまったり、気が付くと明け方のゲイバーで店主と口論になっていたりと大変な事態に見舞われるようになっており、当初は年のせいかと思ったのですが、どうやら、医学的には酒を飲んだ時は炭水化物を摂った方が良いとの事でしたので、飲酒の仕方を大きく変えるようにました。太るかと思ったのですが、毎朝、酔っぱらった状態でジョギングをしたり、ジムでトレーニングをしている内、代謝が良くなり、沢山食べても体形が変わらなくなりました。時折、血尿が出ますが元気で暮らしています。
アナログシンセの音作りが絶妙にレトロで、YMOを想起させますが、坂本龍一氏と同じクラシック畑出身のつじしまさんは、坂本氏にどのような印象を抱いておりますか? 彼の作品は「千のナイフ」と「音楽図鑑」しか聴いた事がないのですが、電子音楽という形態を取らず、ピアノや管弦楽器などの生楽器を主体とした編成の方が良いものになると思っておりました。彼にこの事を伝えようと、上野辺りに呑みに誘おうとしていたのですが、その前に癌で亡くなってしまいました。
つじしまさんがヨーロッパ出身というのは本当ですか? はい。フランスで生まれました。
虚実入り混じるお話を延々として頂いた所で恐縮ですが、最早、誰もが理解不能な内容になっている上、好い加減、私自身が耐えられなくなっておりますのでインタビューを仕切り直したく思います。ここから先は真剣に答えていただけますか? 構いません。
つじしまみちこ 特別インタビュー
新譜「Goodbye to AI」について
日本在住の音楽プロデューサーつじしまみちこが2025年4月29日、5年以上の沈黙を破り、Bandcampにて新譜を発表した。本誌は、新譜の発表に際して制作者であるつじしまみちこ本人に独占インタビューを行った。デビュー以来、初めて真実を語るつじしまに迫りたい。
2020年代に入って音楽活動を事実上停止していたつじしまみちこさんがこの度、新譜を公開した背景は何でしょうか。 事の発端は昨年2024年11月にアメリカの大統領選挙でドナルド・トランプが再び大統領に選出されるという歴史的場面を目にした事でした。開票結果の出た日、私は、アメリカの知識人たちが民衆に対して語る言葉や伝える力を失った結果、あのような事態を招来したと感じました。同時に、私自身も、これまでの音楽活動の中では、具体的な説明を放棄し、受け手である視聴者に冷淡な態度を貫き、事あるごとに辛辣な言葉を浴びせかけてきたものの、よくよく考えると、私のしていた事は、反知性主義者の前に脆くも破れ、時代の敗者となったアメリカのインテリゲンチャと変わらない事に気付き、これまでの態度を猛省し、次こそは、難解な事柄を理解出来る知性を持つ少数者が聴いても、そして、前提知識のない愚昧な一般大衆が万が一聴いてしまっても、両方の層が楽しめるような作品を作ろうと一念発起した事が新譜制作の動機です。
今回の作品では全ての曲で、NEUTRINO(AI技術を用いたボーカルシンセサイザー)が使われておりますが、理由は何でしょうか? 私はボーカロイドやUTAUなどの従来のボーカルシンセサイザーには、歌唱力や表現力の点で落胆させられてきました。発売当時から、キャラクター性やCVを担当した声優の人気に頼る以外、セールスポイントがない代物とさえ思っています。しかし、2020年に登場したNEUTRINOは別格でした。従来のボーカルシンセサイザーに特有の発声の不自然さはなく、人間の歌声と遜色がないものでしたので、是非自身の楽曲に使いたいと思いました。調声はAI任せなので殆ど弄れませんが、素晴らしい技術であるのは事実です。それにも関わらず、NEUTRINOが大きな話題にならないのは、非常に残念に思います。今回の作品では、何も知らずに聴いた場合、私がボーカリストに頼んで歌ってもらったと思われるような楽曲にしようと考え、飽くまで生成された歌声に合う音作りを心掛けました。NEUTRINOにもボーカロイドのようにいくつかのキャラクターがあるのですが、私はボーカルシンセサイザーにせよ人間の声にせよ単なる音、楽器の類と捉えておりますので、キャラクターの情報を出しておりませんし、楽曲のテーマは、あらかじめ設定されたキャラクターの性格とは関係がございません。
いずれの楽曲も3分未満のたいへん短いものですが、これは何故でしょうか? 飽くまで、NEUTRINOの実験の為の楽曲と自身の中で位置付けており、一般流通する音楽とは異質なものにしたかった為です。今の時代とは異なり、20年以上前のウェブ上には、一般市場に流通する音楽作品とは一線を画した、実験的な音楽作品が数多く存在していたと記憶しておりますが、かつての「作品未満の作品」が気軽に発表出来た時代の雰囲気を再現できればと思った事ももう一つの理由です。既に過ぎ去った過去であるのは間違いありませんが、リアルな世界では体験し得ないような出来事に遭遇する事がゼロ年代のインターネット上にはあり、当時の私はバブル崩壊以来の「失われたウン十年」を打ち破るポテンシャルをインターネットに感じ、明るい未来を期待をしていたのですが、その後、年を重ねた私の目の前に現れたサイバー空間は最早、フィルターバブルによって正気を失った輩が、自分とは何の関係もない事柄に首を突っ込んで気狂い沙汰を起こす、ただただ不愉快な世界となっており、現実世界と何の違いもなくなっておりました。しかし、私はシニシズムに陥る必要はないと考えています。今回の作品では、サイバー空間、そして、過去への郷愁にさえ別れを告げ、新たな世界へ出発する事を全楽曲を貫くテーマとしています。当初、新譜のタイトルは「Goodbye to Vaporwave」とするつもりでしたが、楽曲がVaporwaveと程遠い質感のものしか出来なかった上に、既にVaporwaveの時代でもないので「Goodbye to AI」に変更しました。
それぞれの楽曲のテーマは何でしょうか? ライナーノーツにも英語で記載しておりますが、1曲目は「SNSにおけるデジタル・ファシズム」、2曲目は「過去との決別」、3曲目は「青年期」です。
ご説明頂きありがとうございます。しかし、楽曲を聴いた際の印象との乖離が激しく、説明していただいたのにも関わらず理解が追い付きません。 以前から同様ですが、歌モノの楽曲を制作する際は、曲調とは対照的なテーマを設定し、それを元にして作詞をしております。今回は長調の曲しかないので、テーマはいずれも、暗く、重く、深刻なものです。 私は元々Aphex TwinやClarkのようなIDMに強い憧れを抱いて音楽制作を始めたのですが、その後、プログレッシブ・ロックや現代音楽等の方面へと音楽の関心が広がるにつれて、趣味も作風も著しい変化を遂げ、今ではOrchestral Manoeuvres in the Darkのようなスタイルに行きつきました。尤も、意図的に似せようとしている訳ではなく、また、歌詞が英語ではなく日本語の為、楽曲のメロディーやコードは全くの別物です。
制作に当たって苦労された点は何でしょうか? NEUTRINOは基本的にAI任せの為、生成される声には細かな調節がききません。望んだようなボーカルが生成されるまで、音声合成の為の処理を幾度も走らせる必要がありましたが、まるで、スタジオにおけるレコーディング作業において、延々ボーカリストにリテイクを求めるのと同じ思いがしました。人間に匹敵するAIを使いこなす為には、人間が行った場合と同じ労力が求められるのではないかとさえ思い奇妙な気分になりました。 アレンジについては、実験作品でもあるので、音数を出来るだけ少なくし、チープな質感を出そうとしていたのですが、NEUTRINOは、発声の再現度が高すぎてピッチが怪しいものや息切れしかかった歌声までもが生成される場合があり、ボーカルのサポートの為に楽器を足している内、結局、30トラック超のアレンジにならざるを得ず、いつもの事ながらミックスにたいへんな時間を取られる事になりました。また人間的で生々しいボーカルとの調和を図る為、オケは電子楽器であっても生演奏感が出るようにピッチやテンポ、ベロシティを細かく調整し、揺らぎが出るようにしています。 マスタリング工程では、AIに因んだ作品ですので、Bandlab MasteringというAI技術によるマスタリングサービスを利用したのですが、敢えて音にアナログテープの質感を持たせるような形でマスタリングしています。音割れする程に音圧を上げた作品が流通している時代ですが、私は元々高音圧のマスタリングが好きではないので控えめに仕上げています。飽くまで、視聴する側で音量を調整すれば良いと思っています。
その他、新譜制作の際のこぼれ話はありますか? 久々の音楽作品制作でしたので、MP3配信の他に有料のアナログレコードかソノシートを用意しようとしたのですが、思いの外、高額な見積もりとなり、予算の都合が付かず、実現できませんでした。尤も、売る売らない以前に、単純に、自分の楽曲がアナログ盤になった場合、どういうものが生まれるか関心がありますので、1枚だけでもよいので、いつの日か作ってみたいと思っています。
質問に対して真摯にご回答いただきありがとうございました。つじしまさんが案外、まともな方で安心しました。 はい、仰る通り、実際の私は至って常識人です。
個人的な相談なのですが、この間、実家の猫が認知症になり、自分の前世が尿結石だと語り始め、家の中で妹に四六時中DVを振るうようになりました。果ては、近隣住民や自治体とトラブルを起こすようになった為、私は家族と協力して、止むを得ず、市長を山に埋めたのですが、以来、私も家族も霊障に苦しめられています。夏休み子ども科学相談室にも相談しましたが納得のいく回答が得られず、一向に解決の兆しがありません。妹は私のDVに耐え兼ね、手首の傷を増やす日々を送っております。家業の競輪でも立て続けに負けており、不幸の連続で、このままでは一族郎党離散せざるを得ないのですが、どうすればよろしいでしょうか。 病院行ってください。
最後になりますが、リスナーの皆様へ何か一言お願いいたします。 特にございません。ありがとうございました。
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稽古日誌
新しい役者紹介が投稿されたと思ったか!!
残念、これは2週間前の稽古日誌です。
4/3(金)の稽古内容です!
一旦過去を振り返るのも悪くないだろう↓
シーン練
キャスパ練
またまた(シーン練をするのが)難しい役を貰ったな〜って思ってます。けど、おかげでらびさんとソウル❤️🔥andメイト👯♀️になれた気がしてよかったです。
前回演じた役との共通点といえば、また主人公の元カノ...とか、なんとも言えない関係性なんですよね。気付いた時はなんとびっくり!ジョジョジョ〜!って感じでしたが。今回は脚本家の性癖のアテではなくてよかったです。
あれ...?
なんかハセハセしてきたな...
あなたは間違えているわ役者紹介
みなさんが日々の暮らしでちょっとずつ間違えていそうなことを、私長谷川が正しく伝えていきます。長谷川がどのくらい責めるかは、運次第です。
北山役 錫蘭リーフ
妥協点を間違えてそう。箱で作業してて「2時?うーん、まだ大丈夫かぁ」とか、お酒飲んでて「いつもより飲んでるっけ、まあいけるいける」とか言ってそう、知らんけど。でもそういうところよ(理不尽)
頑張るセイロンさんに、乾杯。
今井役 園堂香莉
朝のお急ぎ時間に内巻きと外巻きを間違えてそう。先に左側を巻いた時点で気付くけど、何事もなかったかのようにシンメトリーに巻き出してリカバリーしそう。で、それはそれで結局納得するんですよね。......そういうところじゃないですか!?(???????)
長谷川役 海月
みんなは間違えているわ......みんな、間違えている......
スミはカタカナ表記です
楽田役 森々仙入
声量間違えてそう。なんか出す予定じゃなかったのにデカい声出ちゃって相手も本人も焦ってそう。それか小声で喋ろうとしてるのに意図せず大声になってそう。声が勝手に出たんじゃない、あなたが出してるの。←この構文結構煽り性能高くてすき
なーんにもわかってないんだな←こっちもすき
安岡役 黒井白子
ちゃんとしたルーティンあるのに行程を1ミリずつくらい間違えてそう。牛乳を30秒温めようとしたら手が滑って500wを600wにしててアチチみたいな。黒の靴下と紺の靴下同時に取っちゃうみたいな。完璧とうっかりを黄金のバランスで両立しててほしいランキングNo.1
白子さんには何もいえません......
鹿島役 和來
幕と間違えて黒のスカート持ってきてそう。持ち場について自分で気付いて間違えたーって周りと一緒に笑ってそう。きなこが勝手に持って来たんじゃない、スカートが来たんだ。つまり悪いのはスカートです。
高木役 粕味
書類やらプリントやらの注意書き見間違えて記名忘れてそう。ひっそりとデカい���らかしをしてるやつね。でも今回の公演期間はしっかりしてるイメージだったよ。なんかトラブっても、なつめならなんとかなるんじゃない?(他人事)
名取役 叶イブ
言わずもがな、女性の身体の触っていい箇所を間違えていますね。これは偏見ではなく事実です。ふぃーちゃん、自覚がないのよ。触っているというよりむしろ、撫で回しているという自覚がないの。
桜井役 水原一PAY
なびちゃん......あなたは間違えている。この芸名。控えめに言って、アウトよ。
牧野役 暁レミエル
料理する時、最初に切るものの順番から容器まで決めてるのに、いざ始めてから順番間違えてるのに気付いて「うわっ」ってなってそう。でもなんか、えるを責めるのって違う気がするのでやめときます
阿部役 鞠凸二郎
「鞠」の字間違っててほしい。自分で書けないんじゃない?という期待を込めて。なんかちょいキモいんだよね、鞠の字って。でも自覚がないのよ。最後にあなたの師匠(たぴ様)が投稿した稽古日誌、覚えてる?あなたは鞠凸二郎という名前を使ってるんじゃない、その名前に使われている。
渡辺役 中森ダリア
もう一つの方のサークルで間違えてネットミーム言っちゃダメですよ。いや、意外と許される雰囲気なんかな知らんけど。そこら辺気になる。最近Twitter始めたらしいですね。いや、そんなんダメですよ。
店長役 雨々単元気
ジョジョの師匠。もしてにが照明チーフだったら絶対一回はプラン図のデータを間違えて全消ししてそう。卓のデータも消しちゃってそう。
(全て空になったデータを見て)綺麗ね......
奥さん役 東愛莉
マンションの自分の部屋間違えてそう。で間違えて入ろうとした部屋の人となんか仲良くなってそう。あず気さくすぎてオモロい(爆笑)。家に帰って来ない日だって、ある。
警官役 帝京魂
コンクリートの色がついた部分だけ歩こうとして間違えて白のブロック踏んじゃって密かに残念がってそう。横断歩道の白だけ踏むとかもやってそう。良い意味で。足が勝手に動いたんじゃない、あなたが踏んだの(適当でごめんなさい)
脚本家 近未来ミイラ
あ!大先生!ちょっとちょっと改訂はいけませんよ。一度それで通したものが“間違い”だったことにはなりません。
......と、演出未経験の私なら言ったと思うんですけど、脚演を経験した身からすれば改訂に至るまでの苦悩が分かるのであまり責められません。本当にお疲れ様でした。
演出 筝
舞美チと会計やりながら演出任されるのは完全にキャパ間違えてるんご......どれかしらは誰かに仕事回せたはずんご......と心配だったんですが、なんとかしちゃいましたね。えらいです。最後に二人で出かけた時のこと、覚えてる?二人で一緒に丸十に行った。あれもう3日も前のことよ。もうそんな前か.....よし、またどっか行くぞ。
<余談>
すいません店員さん
あすいません練習です。
すいません、「私は間違えているわ」みたいに、「私間違えているわ」の間に「は」を入れても通じるだろ?
でも、すいません店員さん
あすいません練習です。
すいません、「あなた間違えているわ」みたいに、「あなたは間違えているわ」の「は」を抜かしてしまうと、急にデヴィ夫人みたくなってしまうんだよ
この現象は他でも見られる。例えば、月曜の22時にテレビをつけるだろ?で、月曜から夜ふかしを見るだろ?そんときにさ、私達は自然と「あんた間違えてるわ」って聞いてんだよ。長谷川のセリフと何ら変わりはないはずなのに、マツコの音声で再生されちゃうし、伝わっちゃうんだよ。すごくない?
物分かりの良すぎる牧野「うわマジじゃん、すっげ」
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モアナと伝説の海2(Moana2)見たよ

絵は船上で、モアナを先頭に後方にロト、ケレ、モニが巨大な影に不安そうに立ち向かっている場面。
身体的なアクション船のアクション、大勢の仲間と協力するという前作とは異なるコンセプトは面白かった。前作との繋がりに違和感があったり向上できてない部分は少し不満ではある。
もっとスピードを出さなきゃ!という場面でパラセーリングに船を作り替えるのは驚いたし面白かったw今作はモアナがリーダーとなり、みんなの能力を力にして目標を達成し、さらに外の世界と繋がらなければならない、というアイディアは成長譚のコンセプトとしては良かったし、モアナやマウイ以外の色んなキャラクターが出てきて面白い。
マタンギの曲も歌がうますぎてすごかった。
前作の繋がりに違和感、というのはモニがめっちゃ歴史を知ってる点wだってあれってモアナの祖母以外は先祖の歴史を知らなかったんじゃなかったっけ?あと先祖のタウタイヴァサが世界を繋げたのではなくその前に旅をした人がいたってことか?とか…。
音楽はマタンギの歌以外はあまり耳に残る感じではなかったかなぁという感じ。
前作もモアナの失敗から心を持ち直す過程が説得力が弱かったが、今回もそれは同じ。
仲間を得るコンセプトは面白いものの、(設計士以外は)それぞれのキャラクターの見せ場があったわけではないのも惜しい。
そこがストーリー全体にも影響してて、「世界とつながらなければ故郷が破滅する」という切迫感がなかった気がする…。
まぁもとは配信のシリーズにしようとしてたものだから色々と時間が足りなかったのかね。
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