Tumgik
#世界同時瞑想
kentahayashimusic · 2 years
Photo
Tumblr media
ヨーロッパミッション順調に進んでいます!😊🌈🌹✨ 女神フェスラストのアルメニアが無事完了し大成功となり、みんながとても感動し喜んでくれて追加で9/13にもう一回女神フェスアルメニアを開催する事になりました🌹🌈 落ち着いたら各国の女神レポートアップします😊🌹 明日とても重要なマンスリーの世界同時瞑想があります😊 導かれし皆様ご参加宜しくお願い致します🙏✨ 🌟神聖な介入世界同時瞑想🌟 🌈日本時間9月10日土曜日18時59分開始🌈 この勢いを維持するため、光の勢力は導かれていると感じた人に対して、月に一度の満月の瞬間に神聖な介入の瞑想を行うよう求めています。これにより光のポータルを開放状態に保ち地球上の光のグリッドが強化されることになります。 視覚化しやすいビジュアルつきの日本語音声ガイドはこちら🌈 https://www.youtube.com/watch?v=ViqvZjmaFV4 日本語音声ガイドのMP3ダウンロードリンクはこちら🌟 https://bit.ly/3s5MKhR Victory of the Goddess 🌹 Victory of the Light🌟 Our European tour is at the final stage! Additional Goddess Festival in Armenia 🇦🇲 on Sep 13th 4PM!😊🌹🌈 If you feel guided , please join the upcoming Global Mass Meditation!🌈✨ Reminder of full Moon Meditations and International remote healing sessions between September 9th and 11th Divine Intervention Meditation on Saturday, September 10th at 9:59 AM UTC To keep the momentum going, the Light Forces have asked that those who feel so guided can do the Divine Intervention Meditation once a month at the exact moment of the full Moon. This will immensely help to keep the Light portals open and to strengthen the Light grid around the planet. Victory of the Goddess 🌹 Victory of the Light🌟 #ライトワーカー #アセンション #光の勢力 #世界同時瞑想 #地球解放 #地球の黄金時代 #黄金時代 #銀河連合 #プレアデス #シリウス #アルクトゥルス #光の戦士 #cobra #globalmassmeditation #massmeditation #victoryofthelight https://www.instagram.com/p/CiSwGDdD6V7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
yoga-onion · 1 year
Photo
Tumblr media
The Quest for Buddhism (118)
Buddhist cosmology
[Spinoff] Transcendental Meditation – One of the modern meditation methods.
As a comparison and contrast to Vipassana meditation (Ref) as an alternative medicine, we would like to mention Transcendental Meditation of Hindu origin.
Transcendental Meditation (TM) is a form of silent mantra meditation technique derived from the Vedas, made known in the mid-1950s by Indian Maharishi Mahesh Yogi. Maharishi summarised and presented the Vedic teachings in a form that was understandable to Westerners, using scientific language.
Advocates of the Transcendental Meditation movement (TM) claim that the technique promotes a state of relaxed awareness, stress relief, and access to higher states of consciousness, as well as physiological benefits such as reducing the risk of heart disease and high blood pressure.
Transcendental Meditation is said to foster a higher consciousness and improve one's luck (described as receiving nature's support). When done in groups, it is said to promote very powerful attunement, creating harmony and positive influences in the environment (making the world a better place).
The connection between mantra and meditation is considered a "scientific technique" and is called the "science of creative intelligence. It is said to develop latent abilities, drawing out vitality, intelligence, and fulfillment, and even "transcending" thought. Maharishi states that "transcendence" is the transcendence of the mind over thought, the turning of the mind inward, beyond thought, beyond the conscious mind, to experience pure consciousness which being absolute bliss consciousness, totally unchanging and eternal. The "ultimate goal" of transcendental meditation is "God-realisation," the realisation of the value of "God" within oneself, and the attainment of God-consciousness.
Building on the teachings of his master Brahmananda Saraswati (known honorifically as Guru Dev), the Maharishi taught thousands of people during a series of world tours from 1958 to 1965, expressing his teachings in spiritual and religious terms.
Many celebrities and celebrities such as the Beatles studied Transcendental Meditation during this period, and its influence on the subculture was significant. It is known to have had a major influence on musicians during the Flower Movement, and among hippies in the 1960s, 'meditation' and 'zen' were seen as techniques that could provide similar psychedelic experiences without the use of drugs.
They were loved by hippies as a method for 'mental expansion' and so-called 'opening the doors of perception', with Transcendental Meditation being described in the rock media as the most 'effective' and known amongst young rock lovers.
Beginning in 1965, the Transcendental Meditation technique has been incorporated into selected schools, universities, corporations, and prison programs in the US, Latin America, Europe, and India. The technique has still been included in a number of educational and social programs around the world.
Tumblr media
仏教の探求 (118)
仏教の宇宙論
[番外編] 超越瞑想 〜 現代瞑想法の一派
代替医療としてのヴィパッサナー瞑想(参照)との比較対照として、ヒンデゥー教由来の超越的瞑想について触れておきたい。
超越瞑想 (ちょうえつめいそう、トランセンデンタル・メディテーション:TM) は、インド人のマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーによって1950年代に知られるようになった、ヴェーダに由来するマントラ瞑想法である。マハリシはヴェーダの教えを、西洋人にも理解しやすい形で、科学的な言葉を���って要約し紹介した。
超越瞑想運動 (TM) の提唱者は、このテクニックがリラックスした意識状態、ストレス解消、より高い意識状態へのアクセスを促進し、心臓病や高血圧のリスク軽減などの生理学的効果もあると主張している。
超越瞑想を行うことで、より高次の意識が育まれ、運がよくなる (自然の支援を受ける、と表現される) という。グループで行うと、非常に強力な同調を促し、環境に調和と肯定性の影響が生み出される (世界がより良くなる) という。
マントラと瞑想の結びつきは「科学的テクニック」とされ、「創造的知性の科学」と呼ばれる。これによって潜在的な能力を開発し、活力、知性、充足感を引き出し、さらには思考を「超越」させるという。マハリシは、「超越」とは、思考を超えた心の超越であり、意識を超え、純粋意識を体験するために心を内側に向けること、純粋意識は絶対至福意識であり、全く不変であり、永遠であると述べている。超越瞑想の「究極の目標」は「神の実現」であり、自らの内にある<神>の価値に気づき、「神意識」に到達するとされる。
マハリシは、師であるブラフマナンダ・サラスワティ (敬称はグル・デヴ) の教えを基に、1958年から1965年までの一連の世界ツアーで何千人もの人々に教え、その教えを精神的、宗教的な用語で表現した。
この時期、ビートルズなど多くの有名人や著名人が超越瞑想を学び、サブカルチャーに与えた影響は大きい。フラワームーブメントの時期のミュージシャンに大きな影響を与えたことが知られており、60年代のヒッピーの間では、「瞑想」や「禅」は薬物を使用せずに同様のサイケデリック体験ができるテクニックとして捉えられていた。
「精神拡張」、いわゆる「知覚の扉を開く」ための方法としてヒッピーたちに愛好され、中でも超越瞑想が最も「効く」とロック系のメディアで語られ、ロックを愛好する若者の間で知られていた。
1965年以来、超越瞑想法は、アメリカ、ラテンアメリカ、ヨーロッパ、インドの特定の学校、大学、企業、刑務所などのプログラムに取り入れられている。この技法は、現在も世界中の数多くの教育・社会プログラムに取り入れられている。
115 notes · View notes
kinemekoudon · 1 year
Text
【9話】 弁護士に言われたとおり取調べで黙秘してみたときのレポ・後編【大麻取り締まられレポ】
Tumblr media
朝8時になると、200冊ほどの書籍が並んでいるキャスター付きの本棚が運ばれてくる。この本は官本と呼ばれ、収容者が借りることのできる本なのだが、借りられる機会は1日1回、1人3冊までなので、慎重に選ぶ必要があるらしい。
留置官は先に隣のベトナム人を居室から出すと、ベトナム人は『世界の絶景』みたいなタイトルの大型本を1冊手に取り、居室の中へ戻っていく。
続いて僕の番になる。官本のラインナップは、東野圭吾や筒井康隆などの著名なエンタメ小説をメインに、歴史小説や純文学、学習まんがなども置いてあり、案外退屈しなさそうであった。
僕がどの本にしようか悩んでいると、留置官が「あ、5番はこのあとすぐ新件だから、借りてもすぐに回収することになるよ」と言うので、結局何も借りずに檻の中に戻ると、本当にその後すぐに点呼がかかった。ちなみに新件とは、最初の検事調べのことである。
Tumblr media
僕は初めての検事調べにまだ心の準備ができていなかったが、点呼からすぐに居室から出され、手錠と腰縄をかけられると、地下の駐車場に連れて行かれたのち、ワゴン車の後部座席の中央に、留置官2人に挟まれた状態で座らされる。ワゴン車は、運転席との間に金網のフェンスがあり、運転席と後部座席は完全に区切られていた。
僕はてっきり護送車で送致されると思っていたのだが、今回は近辺で検察に送致される被疑者が少なかったため、護送車を出すほどではないという判断になったそうだ。
ワゴン車が出発すると、僕は次第に不安になってきたので、隣の留置官に「大麻は持っていたんですけど、黙秘すれば不起訴いけるかなあと思ってるんですが、どう思います?」などと、留置官が捜査には関与しないのをいいことに、正直な悩みを打ち明けてみる。
左隣のニューヨーク嶋佐似の留置官は「持ってたなら正直に話すべきだろ。自分から正直に話したら心証がよくなって罪も軽くなるだろうし」などと想定通りのことを言うので、僕は「でも黙秘してたらそもそも無罪で済むかもしれないんですよ」と反論すると、嶋佐は「それで上手くいったとしても、一生、嘘をついたっていう罪の意識を抱えて生きていくことになるんだぞ」などと感情論で反論してくる。
Tumblr media
僕は「嘘はついてないですよ。何も喋っていませんから」と揚げ足をとると、嶋佐はムキになって「本当はやったのに何も言わないのは、嘘をついてるのと一緒だろう」などと言ってくるので、僕は「勝手に質問しといて、答えなかったら嘘つき呼ばわりされるのは意味が分からないです」などと屁理屈を言う。
僕は続けて「そもそも大麻を所持していたこと自体罪だと思ってないんですよ。むしろこうして拘束されていることに被害者意識を持ってるくらいなんで、黙秘をするっていうのは、大麻取締法違反で罰を与えてようとしてくる検察に対しての正当防衛だと思ってます」などともっともらしいことを言う。
嶋佐は平静を装っているが本心は苛立っている感じで「でも人を殺した人がそれと同じこと言ってたらおかしいだろ?」などと反論してくるが、僕は「殺人は被害者がいるんで、殺人だったら罪の意識を持つと思いますけど、大麻所持は被害者がいないんで罪の意識を持ちようがないです」と応える。
嶋佐は「いや…」ととりあえず口に出してから熟考して、「大麻は身体に悪影響だから犯罪になってるんだろ」と少し論点をずらして反論してくる。僕は嶋佐を言い負かすのがおもしろくなって「たとえ悪影響だとしても、自分の身体は自分のものですから、究極、自殺しようと自分の勝手だと思いますけど」などとわざと憎たらしく言ってみる。
すると嶋佐は「まあ5番が黙秘しても、これから証拠は出てくるだろうし、今のうちに自白しといた方が楽になると思うぞ」などと半ギレで議論を放棄してきたので、僕は「確実な証拠が出たら自白するか考えますけど、今は黙秘でいかせてもらいます」などと勝ち誇った感じで、留置官に言っても意味のない宣言をした。
留置官はこの議論に辟易とした様子で「まあ5番の人生だから5番の好きにしたら」と投げやりに言うので、僕は心中(その思想がまさに、自分の好きに大麻を吸わせてほしいという発想の根源なんだが)と思ったが、口に出すとさすがに空気が悪くなりそうだったので、口をつぐんでおいた。
Tumblr media
僕は留置官相手に自分を正当化し、言語化する中で、黙秘がいかに賢明な選択であるかという理論を確立できたので、断固たる気持ちで黙秘しようと踏ん切りがつき、不安がなくなっていた。
そうこうしている内に地方検察庁に着き、留置官に連行されながら、被疑者用の出入り口から入って、迷路のようなルートを進んでいくと、待合室がいくつもある広い空間に出る。
待合室と事務室の間の廊下には、都内のいろんな留置場から集結した被疑者たちが30人くらい並んでいて、僕もその列に並ばされ、何分か経つと、地検に勤務している警備役の警官が点呼をとり、各被疑者を各待合室に振り分けていく。
留置場も異様な光景であったが、地検の待合室のある空間は、より緊張感が張り詰めていて、警官の態度や点呼の仕方は軍人のように厳格で威圧感があり、集められた被疑者たちは、容貌からいかにも半グレな人や大人しそうなおじさんから外国人までが全員グレーの上下スウェットを身につけているので、危うさとカオス感がある。
待合室は、鉄格子と金網の扉が一面についた、5人掛けの硬い木のベンチが部屋の両サイドにある、奥には衝立があるだけで隠れることのできないトイレと洗面が付いているだけの殺風景極まりない部屋で、入室前に警官に「他の人と会話をするな」とか「足を組むな」など厳しく注意された後、僕はキツく両手錠をされたまま待合室に入れられる。
Tumblr media
待合室の定員は10名で、混んでいるときは満員になるそうだが、今回は運良く、詐欺で捕まってそうなチンピラ風���若者と、傷害で捕まってそうな腕を組んで足を広げて座る低身長ガチムチの若者2人のみだった。
10時頃から待機していて、おそらく1時間は経過したであろうが、時計がないので今何時かわからず、やることもなく、自由もなく、呼ばれる気配もないので、本当に時間が長く感じる。ガチムチの若者はイライラして貧乏ゆすりをし出し、僕はそれを見て苛立ちそうだったので、目を瞑って瞑想をする。
しかし、待合室のベンチは壁にぴったり取り付けられており、背もたれは90度に近く、硬く滑りやすい材質の木でできているので、浅く腰掛けて背もたれに寄りかかることができず、姿勢正しく座るのが最も疲れない造りになっていて、リラックスすることができないようになっているので、瞑想に集中するのも難しい。
待機から体感1時間半ほどが経過し、チンピラ風の若者が警官に呼ばれ、待合室を出て行ったが、それからは何も音沙汰がなく、ついに2時間が経過し、12時の昼食の時間になった。警官によって手錠を片側だけ外され、コッペパン2つと使い切りの個包装されたジャム2つにマーガリン1つ、棒状のチーズ1本、小さい紙パックのりんごジュースが支給される。
Tumblr media
質素な食事ではあるが、僕は待つことに体力と精神力を奪われて疲弊していたので、夢中になって食べてしまう。それに、なにかやることがあるというのが嬉しい。
食べ終わったゴミが回収されると、再び両腕にきつく手錠がかけられ、地獄の待機時間が始まる。ガチムチの若者は食後に小便をするのだが、見ようと思えば見えるし、放尿の音は聞きたくなくても聞こえてくる。それはそうとさすがに腰が痛いし、この仕打ちは人権侵害だと思う。
1時30分頃、ようやく警官に呼ばれ、待合室を後にする。待機時間は人生で最も時間が長く感じた。腰縄をつけられ、留置官に連れられてエレベーターに乗り、担当検事のいる執務室に入る。
執務室は待合室の4倍くらいはある広い部屋で、検事と検察補佐官がそれぞれ大きい机の前に座っていて、その前にパイプ椅子が置いてある。検事は50代後半くらいの男で、上等な眼鏡とスーツを着用し、姿勢がよく余裕のある雰囲気で、おもしろいくらいにエリート感が漂っており、先程まで見ていたワルたちとはちがう威圧感がある。
Tumblr media
僕は執務室に入り挨拶をし、指示されるがままにパイプ椅子に腰掛けると、留置官によって手錠をパイプ椅子に繋がれる。検事は柔和な表情で「取調べの内容は録音させていただきますが、よろしいですか?」と聞いてくるので、僕は「はい」と応える。検察補佐官はノートPCで会話の内容を記録している。
検事は続けて、僕の口から自分の名前や生年月日などを言うよう指示してくるので、僕がそれに応えると、「被疑者〇〇は、大麻成分を含有する植物片13.8gをみだりに所持した疑いで…」などと僕が犯した罪状を読み上げたのち、「あなたには黙秘権があり、言いたくないことは言わなくていい権利があります」と告知してくるので、僕は元気に「わかりました」と応える。
検事は柔和な表情のまま「こちらの罪状を犯したことについては間違いないですか?」などと質問してきたので、僕は一呼吸を置いて「黙秘します」と言う。すると、検事は急に真顔になり、「わかりました」とだけ応える。
検事は真顔のまま「現場ではあなたも乗車していた車の中で大麻成分を含有する植物片が見つかっていますが、これはあなたのものですか?」と質問してくるが、僕は変わらず「黙秘します」と応えると、検事は少し怒ったように目を開いて「わかりました」と言う。
検事は続けて「一緒に同乗していた人はあなたとどうゆう関係ですか?」と質問してくるが、僕は頑なに「黙秘します」と応える。すると検事は再び柔和な表情に戻り、「わかりました。それでは取調べは以上になります。こちらの調書に問題がなければ捺印をお願いします」などと言って、白紙同等の調書を差し出してくる。
僕は「捺印はできません」と応えると、検事は再び真顔になり「わかりました。それではこれで終わりとなります。お疲れ様でした」と言い、補佐官とともに立ち上がって頭を下げていた。
Tumblr media
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
29 notes · View notes
awajibaikundo · 2 months
Text
あの世あるならまだ間に合う淡路島お土産日本から世界平和へ。
緊急2024今世の幸せ司る良いことあるよう4月8日お釈迦様の誕生日お祝い必ず手にしたい甘茶のお香
厄除開運あまちゃ香(お香•お線香)
4月8日はお釈迦様の誕生日です。
この特別な日に、甘茶のお香である「厄除開運あまちゃ香」を仏教徒や神仏におすすめします。
https://amzn.to/3zpMQ6s
この香りは、心を清め、邪気を払い、幸運を招くと信じられています。世界平和への祈りと共に、この香りを焚くことで、心が静まり、調和と平和をもたらすことを願います。
淡路梅薫堂の甘茶香は、神仏の好物である甘茶を原料としたお香です。甘茶は、お釈迦様の誕生を祝う花祭りの際に用いられるお茶で、甘く優しい香りが特徴です。
甘茶香は、その香りによって神仏の加護を招き、願いを叶えてくれるとされています。また、厄除けや魔除けの効果があるとも考えられており、厄年の方や、災難や不運から身を守りたい方におすすめです。
淡路梅薫堂は、兵庫県淡路市に本社を置く老舗のお香メーカーです。創業は1905年で、120年以上の歴史があります。淡路梅薫堂の甘茶香は、伝統的な製法で作られており、高品質な香りが特徴です。
世界平和を祈願して、淡路梅薫堂の甘茶香を焚いてみませんか?
淡路梅薫堂の香りの良いお線香を送る。
神仏お好み甘茶香。仏様のご馳走様する。
神以下六道さ迷いの手前食べ物より、神仏お好み甘茶香☆彡
��近所にありがたいお香��フト仏の使いおすすめ!
Japan incense sticks.
淡路梅薫堂
兵庫県淡路市江井2845-1
0799-86-0065
http://www.awaji-baikundo.com/
- 世界平和への願いを伝えるために、世界中の人々が参加できる世界同時祈願キャンペーンを開催する。甘茶香を焚くだけでなく、様々な地域や宗教の人々が自分たちの祈りを共有し、世界平和を願うことができる。- 甘茶香を焚くという伝統的な行為を通じて、世界中の人々に平和の意味と重要性を伝える記事を執筆する。甘茶香がもたらす心の安らぎや癒しを通じて、平和を願うことの大切さを伝えることが目的。- 甘茶香を焚くだけでなく、甘茶香の素晴らしい香りを楽しむことを提案する記事を執筆する。世界平和への一歩として、自分自身の心に平和をもたらし、甘茶香の香りに癒されることで、周囲の人々にも平和を広めることができる。- 甘茶香を焚くことで天界と地上を繋ぐという信仰や伝説を調査し、記事としてまとめる。甘茶香の起源や歴史、さまざまな文化における甘茶香の役割に焦点を当て、読者に新たな視点を提供することが目的。- 甘茶香を焚くことで集中力や心の平穏を得る方法を紹介する記事を執筆する。甘茶香がもたらすリラックス効果や瞑想における利点について詳しく解説し、読者が自身の生活に取り入れることでより心地よい日常を送れるようにすることが目的。
tiktok
https://www.tiktok.com/@awajibaikundou
#世界平和
#お釈迦様
#仏陀
#甘茶香
#worldpeace
#buddhism
#花まつり
#花祭り
#灌仏会
#灌頂
#甘露
#仏教徒
#仏教
#神道
#お香
#線香
#お線香
#甘茶香
#淡路島お土産
#淡路島おすすめ
1 note · View note
manganjiiji · 7 months
Text
まるい蕾が剥がれるように
母親から入電。退職者向けの書類がなぜか私の住所ではなくて実家に届いてしまったらしく、仕事を辞めたなどとは聞いていないがどういうことだ、という電話だった。そう。確かに仕事を辞めたことは言っていない。べつに、言う必要が無いかなと思ったので、単純に言っていない。しかし母親にはそれが信じ難い裏切りのように感じられたのかもしれない(という感じの口調だった)。私は今のところ年金による貯金があるし、金銭面で母親を頼る必要もないし、私が仕事を辞めようが続けようが、私のことなので母親には関係がないことだと、単純に考えていたのだけど、「そういうこと」は報告するのが「義務」だと、母親は考えている。私も、たぶんそう思っているのだろうな、とは思ったが、母親と関わるとかなり精神状態が乱れるので、「一旦保留」ということにしておいた。その保留は今日終わった。
母親は、「そっちに行った方がいいか?」「病院の日に(母親が)病院まで行くか?」ということを言っており、なんというか、この人はこの人で、私との間の愛着障害や依存関係に苦しんでいるのだ、と思った。私のほうが、勝手に「ある程度のお金は返したし、これからはプライベートは報告しなくてもいいよね(その義務はないよね)」と思っても、それを母親に伝えていないのだから、彼女のほうでは問題はなんら進展していない。こういうことも話し合っていかなければなと思う。私は「書類を郵送してくれればいい」と言ったが、母親は書類を渡すことを口実にして、私に直接会いたいようだった。でも、会って何になるのだろうと思う。私は家を出る前に「引越し資金を工面してほしい」というお願いをした時に、結構はっきり、家とはほとんどの縁を切りたいという意味のことを言ったと思う。でも、それは「母親ごと」縁を切りたい、という意味では伝わっていなかったようだ。家と縁を切っても、母親のことは頼る、という体制でいく、という宣言だと思われているのかな。でも私は母親とのことが、正直最大の問題だ。母親のことを好きすぎるがために(そして母親にとって私がそこまで重要な存在ではなかったという事実に打ちのめされ)、この歳になってもここまで苦しんでいる。しかし、母親は母親なりに私を愛してくれていた。それはもちろんわかっているし、でも、心底からは認めていないのかもしれない。あの時も、あの時も、あの時も、母親は私ののことを本気で心配したりはしてくれなかった、という恨み節がここぞとばかりに炸裂しているのだと思う。母親は、ただやり方がわからなかっただけなのに。なぜ私はもう少し大人になって、思いやりをもって、母のことを許せなかったのだろう。それは今でも遅くないとは思うのだが、母親と相対すると、どうしても5歳の自分になってしまう。このことは容易には克服できない。電話を切った後も、たいした会話はなかったのに泣いてしまったし、とにかく母親に関係することを思ったり考えたりすると、私は泣くのである。これを書いている今も泣いている。5歳の、自分の心を守ることができなかった自分。それがそのままこ���にいる。
カウンセリングでは、母親のことを中心に先生と話している。私の問題は、父親でも兄でもなく、母親なのであり、その執着が、今の生活のところどころに暗い影を落としている。母親とこれからどんな関係を築くべきか。話し合うとしたら何を言うべきか。カウンセリングの先生とは来週会うので、また話してきたいと思う。
人間関係、とくに、私がいちばん大切で、重要だと思っている、友人関係において、この愛着障害から来るさまざまな幼児性が、かなり深刻に問題になっている。直近でも、とても仲良くしてくれていた友人を、またしても(つまり2度目)深く傷つけてしまい、これ以上になく反省している最中です。このことで、私は、ずっと逃げ続けていた「愛着障害」というもの、自分が「友人に対して、赤ん坊が母親に求めるような安全基地の役割を無限に求めてしまうこと」に対して、やっと対策しようと思うことができた。人を傷つけるだけ傷つけておいて何を、という感じだが、ここまで人を深く傷つけておいて、さすがにもうこんなことは止めたいと思った。
考えたことはいろいろあり、それはノートに書き出した。とにかく、子供の頃のように、なんでも紙のノートに書き出して、周囲の目に触れない場所で自分の感情を整理することだと思った。そして、どうしてもそれを外に向けて吐き出したい時、それはそのままの形ではなく、小説に詰めて書いていこうと改めて思った。本当はずっと前からそう思っていたはずなのに、近頃はもう、そのままの感情を自分用のTwitterに書き出していた。そういうところでも、「だれて」いたのだと思う。小説が書けないのを体調のせいにして、書くことで自分を救うということをさぼっていた。気持ちは紙のノートに書く。そのうえで、小説を書く努力をする。そうすることでしか私は生き延びていけないのだと思った。
友人に依存してしまう件に関しては、これはすっぱりと辞めるべきだと考える。たとえば、辛い時や、誰かにかまって欲しい時、つまり、精神がネガティブな方向に傾いている時、自分から連絡を取らない。そういう時に「友人(他者)」を頼らない。それは自分の問題であって、まず自分できちんと紙に書き出して、何が嫌で、何を改善したいのか考えてみる。安易にTwitterにメモを取らない。人に助けを求めない。もちろん、自分で考えた結果、これは人の意見を聞いた方がいいだとか、人に話を聞いてもらったほうがいいと判断した場合は、きちんと冷静になってから友人に連絡を取り、話を聞いてもらえるかどうか打診する。
友人との会話ややり取りの中で、深く傷ついてしまった場合があったとしても、その時に反射で発言したり行動したりすることは、我慢する。その時には一旦黙って、やはり紙や、自分しか見ないメモに気持ちを吐き出す。そうしてから、何を言いたいのか、聞いてほしいのか、きちんと整理して相手に伝える。その場で対応すべきことが起きたとしても、「度が過ぎたこと」をしないで、友人に試し行動をしてしまいそうになる自分を客観視して、我慢する。私は成長すると決めたのだから、どんなに心の中の赤ん坊が泣き叫んだとしても、その赤ん坊に従ってはいけない。
普段から、いろいろなことを我慢しすぎないというのも重要かもしれない。自分で勝手に嫌なことを我慢しておいて、それを盾にして、「私はこれだけ我慢してきたのに、なぜそんなことを言うの」というのは、ただの我儘だ。自分が我慢したことは、相手の要求でもなんでもなく、私が勝手にやったことで、そんなものを人質にするのは、まったくの見当違いだ。自分が「ここは我慢した方がいいな」と感じたのなら、我慢してその覚悟を最後まで通すべきだし、我慢したくないなと思ったのなら、「こういうふうに感じたんだけど、そういう言い方(やり方)をやめてもらうことはできるかな?」と、相手に冷静に伝えればいい。それが友人関係、信頼関係の構築だと思う。それができない相手ならば、私はたぶんその人のことを好きではないのだから、友人関係は解消すればいいだけの事だと思う。
いつでも、私だけが相手を好きなのだと思う。こう思うことも良くないとは思うのだが、相手の優しさに甘えて、つい連絡を取ってしまう。相手は優しいから連絡を返してくれる。しかし、送るのがいつも自分からなのであれば、それは一方通行な感情で、相手は私との関係を求めていないと認めなければならない。それがすごく辛いとしても、私に、相手にとっての魅力がないことがすべてで、そのこと(相性)はどうにもできない。
一人になる練習をする。1人で何かを行うことを習慣づけていく。1人でいても「平気」であることを、自分に覚えさせていく。勉強をする。小説を書く。家事をする。何かを見る、聴く。私のこの「一人が怖い」というのは、単なる寂しさのほかに、1人になると「発狂」しそうになるのが怖いという理由もある。でも実際には発狂しない。自意識が何重にも重なっていることが怖くて仕方ないが、それを感じたとしても、実際には発狂しない、と思う。ただ、小さい頃から時おり訪れるその感覚が怖くて、できるだけ1人にならないようにしているうちに、人への依存が強まっていった可能性がある。正直、今でも「発狂」するのかしないのかは、わからない。でも、しないことを信じて一人に慣れていかなければ、この先の成長はないと思う。自分の頭の中に、自分一人しかいないこと、そして同時に、何十人も自分がいること、このことは確かに自分の理解を超えた恐ろしいことだが、それで死ぬわけではない。死ななきゃ安い、というせりふは格好いいが、死ななくても頭が壊れることはある。自滅だ。だから、その思考に陥りそうになった時には、可及的速やかに「1人の頭に1人分」の思考に戻ってこれるようにする。自分の視界を、現実の自分の目とリンクさせる感覚で、体に「1人分」の意識だけでいっぱいになるように頑張る。他のことを考えて、「自分」のことを考えなければいい。そのためにも勉強や小説は有効だ。空想や妄想や思惟や黙考。そういえば瞑想というのは自分には難しいだろうなと思う。あれをやったら、どこかで間違えて、また「無限の自意識」と向き合うことになり、泡を吹いてそのまま死んでしまいそう。私の中にこんなに何百人、何千人も人がいるのが良くないと思う。一人でいいのにな。
できるだけ多くのことを、普段から忘れておくことだ。何かを考えてもろくなことは無い。だからインプットをしたりアウトプットをしたりして、気を紛らわす。この世はとにかく気を紛らわし続けて過ごすべき場所で、何かを考えたりなんかするもんじゃない。体を動かすことにもっと神経を使えばいいのかもしれない。じっとしているから思考が沈殿してくるのかもしれない。体を動かすというか、少し歩いたりするだけで、私はわりと元気になるので、体調が悪くなければ、歩いたり、部屋の中でも体操したりするのがいいかもしれない。今日は「とりあえずお湯沸かそう」という思考でじょじょに動けるようになった。
また長い日記になってしまったが、今日考えたことや決めたことは、なかなか重要な事だったと思う。こわがって何もしないでいること、少しずつでも体を動かして、空気を変えていきたい。
2023.10.10
2 notes · View notes
tanakadntt · 1 year
Text
グッズのマリン三輪隊の話(二次創作)
あなたの詠唱はどこから?
 三輪秀次はビリジアングリーンの毛先を持つデッキブラシをぐるりと回して、コツンと甲板に突き刺した。風がデッキを渡り、身につけたセーラー服の襟がふわりと浮いて首を包む。腰の金ボタンが僅かに震え、陽光を反射し、古寺が一瞬目を瞑った。
 『詠唱』が始まる。
 しかし、その詠唱はお粗末なものだった。
「……世界を繋ぐ青い空‼ えーと、希望の空から降り注ぐおひさまのシャワー‼ ……んん、きらめくソード‼ キュア…」
「違います!」
「違う!」
「違うってよ〜」
「違うのか?」
 隊員たちからすぐさまダメ出しされ、隊長は詠唱を途中で遮られたことに不服のようだ。
「それは詠唱じゃないな」
 奈良坂は手旗をバツ印に重ねながら言う。こちらもセーラー姿だ。本日、三輪隊は嵐山隊他と一緒に広報の撮影に来ている。メインはやはり嵐山隊で、三輪隊も「他」に入る部類なので待ち時間が多い。
 スタジオ撮影ではない。わざわざ海近くの公園まで来て、観光用に係留されている帆船を借りての野外撮影だ。そんな場所だから、隊服の撮影ではない。隊それぞれに衣装が用意されている。マリンを意識した、水兵服風だ。
 そういうのは、広報部隊だけでいいだろうと思う人間は結構いるはずだが、どうしても必要だから、とメディア広報室長の根付から、ではなく、営業部長の唐澤に爽やかに笑ってポンと肩に手を置かれると誰も断れない。三輪も同様だった。
 時期を違えて、他の隊でも撮っていると聞けば尚更だった。
「さっきから何をやっている」
 やはり撮影待ちの風間が船底からデッキに出てくる。隣には緑川もいる。嵐山隊他の「他」の仲間はこの風間蒼也と緑川駿で、なぜこの二人が隊ではなく、それぞれ呼ばれたのかは唐澤にしかわからない。
 風間は蒼也の蒼にちなんでブルーの、緑川は緑にちなんでグリーンのセーラー服を支給されている。三輪隊は隊服カラーの紫だ。皆、まったく一緒という訳でなく、少しづつ違っている。
 そのことに言及すると、奈良坂から何を当たり前のことを?と言いたげな視線を送られたので黙った。
例えば、緑川と風間のセーラー服は造りはほぼ一緒と言えるが、色はもちろん、金ボタンの位置やズボンのデザインが違う。さらに風間はつばを深く折ったような帽子を被っていた。セーラーハットというそのままの名前の帽子らしい。一方、緑川は縁にリボンの付いたベレー帽だ。彼の衣装は横ボーダーのインナーと短い丈のセーラージャケットで、両襟をアクセサリーで留め、まるでアイドルのようだった。
「先輩たち、暇だから遊んでるんでし��」
 中学生に訳知り顔に指摘されて赤面する。尊敬する風間の前で言われるのも恥ずかしい。しかも、図星だった。
「棒が二本あるだろ? だから、オレが槍の使い方を教えてたんだけど、スタッフさんに危ないって怒られてさあ」
 米屋陽介が説明する。
「陽介、棒じゃなくてデッキブラシだ」
「棒だろ」
 デッキブラシは撮影の小道具で三輪と古寺のふたりがブラシ係だ。奈良坂は旗係で、二本の旗を持たされている。気に入っているようでずっと持っていた。米屋は何故か皮袋だ。デッキブラシを持たせても槍にしか見えないと思われたのだろう。ネクタイも腰に引っ掛けていて、休日に出かける船乗りという設定なのか、ラフな感じがよく似合っていた。
「それで、この棒を槍じゃなくて杖ってことにして、詠唱ごっこしてた」
「詠唱?」
 風間が首を傾げる。三輪が横から説明する。
「魔法使いが杖を使って呪文を唱えるじゃないですか?」
「ああ」
「最初は適当な呪文を言ってたんですが、今度は何かを召喚してみようって話になって」
「召喚?」
 緑川が面白そう、と言っている横で さらに風間が首を傾げる。三輪は申し訳なくなってきた。元々、考えついたのは三輪ではなかったから説明もしづらい。今度は奈良坂が助け舟を出す。
「魔法使いのごっこ遊びみたいなものです。魔法で精霊を呼び出す呪文を、一番それっぽく言えた奴の勝ちというルールです」
 奈良坂は進学校の学生らしく説明が上手い。しかし、明快に言語化するとますますやっていることのバカっぽさが際立った。
「それで三輪先輩ダメ出しされてたのかぁ」
 緑川がニヤニヤする。
「……」
 彼は迅以外には大体こんな感じだから三輪も気にしないことにしている。
「三輪は全然ダメだった」
「……」
 それには反論しようもない。三輪が魔法と聞いて連想するのは、昔、姉と観ていた魔法で変身する女児向けアニメしかない。
「今度は奈良坂がやってみろよ」
米屋が言った。
「ああ」
 コホンと奈良坂は咳払いをして、旗を上に構えた。デッキブラシではなく、こちらにするらしい。奈良坂の衣装はダブル六つボタンの付いたジャケットのようになっていて、カチッとした印象だった。
 長い腕で、二本の掲げた旗をくるり回すと舞踊を見ているかのようだ。奈良坂の詠唱は短かった。
「エクスペクト・パトローナム!」
「へ? 短くね?」
 ハリーポッターに全く興味のない米屋が無表情になる。元々、目に感情が入らないから少し怖い。
「守護霊生成ですから召喚とはちょっと違うかと」
 古寺が遠慮なく指摘する。
「ダメか」
「精進しろ」
 風間もわからないながらも審査に参加する気になったらしい。
「はーい、次オレ〜」
「よねやん先輩、頑張って」
 三輪からデッキブラシを渡され 嬉しそうにひと振りする。ぶんと勢いよく、棒がしなった。槍にしか見えない。彼の上着もジャケット仕立てで、奈良坂と違うところはシングルボタンである。大きく開いた上着から青の縞模様を見せている。足元はビーチサンダルで裸足同然だ。
 彼は魔法、魔法だよなあと呟いた。
「陽介、ちちんぷいとかじゃあダメだからな」
「と、思うじゃん?」
 米屋はニヤリと笑って、デッキブラシの柄でカンッと床を叩いた。そのまま、柄を丸く滑らせていく。
「魔法陣グルグル トカゲのし…」
「パクリでしょう!」
 また古寺が突っ込む。弟が二人もいて、少年漫画に詳しいのは彼しかいないのだ。
「そういえば、作戦室で観てましたね」
「テストで誰もバトってくれねえんだもん」
「勉強しろ」
「よねやん先輩かっこ悪い」
「ちぇー、奈良坂はパクリじゃねえのかよ」
「おれが許します」
「贔屓ィ」
 古寺は咳払いだけして無視する。
「じゃあ、次は古寺だな」
 風間は冷静に順番を数えた。
「はい、風間さん」
 途端に古寺が自信のなさそうな表情をする。三輪は「がんばれ」と励ました。
 後輩はデッキブラシを三輪から受け取って、杖を握り横に構える。目を閉じる。他の隊員たちよりひとつ下の年齢を意識してか、かわいいデザインになっていた。サスペンダーをし、ネクタイもリボンのように結んでいる。靴も軽快なスニーカーだ。
 しかし、その時、周りの者には風にはためく不吉な黒いマントの幻想が見えた。
「原初の時空に彷徨う白き者よ、我が誓願を聴きたもう。我が名を持ってここに顕現せよ。我は古寺章平、黄昏の支配者にしてこの地の放浪者なり」
 みんなポカンとしていた。
「これより一切の慈悲なく我が敵を殲滅よ!」
「ハーイ、カットぉー、木虎ちゃんお疲れ様ぁ」
 向こうから嵐山隊と撮影スタッフの声が聞こえる。
「えーと、終わりました」
 デッキブラシのブラシ部分を床に下ろして、こちらを見る。いつもの古寺だ。
「なんで、そんな本格的な……」
 三輪がうめくと、メガネの縁に手をかける。
「弟とやるカードゲームによく出てくるんで覚えちゃいました」
 絶対に読み上げなければいけないルールで、と付け加える。
「スゲエよ」
 と、米屋。
「カッコイイ、古寺先輩」
「お前が優勝だな」
 奈良坂は旗をパタパタと振った。
 風間もウムとうなづく。
 頃合いよく、スタッフから声がかかる。
「そろそろ撮影に入りまーす」
「ハーイ」
終わり
6 notes · View notes
kennak · 11 months
Quote
東京農工大学(府中市)の正門近くに、建設中の建物がある。約35坪の敷地は基礎工事が終了。旧統一教会の分派とされる団体が、教会を建てる予定地だ。 「昨年5月頃に団体の人が、『教会を建てるのでよろしく』と挨拶に来ました。朝6時頃、多い時には10人ぐらいの信者が教会予定地を訪れて瞑想をする姿を目撃しています。昨年7月の安倍晋三・元首相の銃撃事件後から工事は止まっていましたが、今年に入り再開すると再び挨拶に来ました」(周辺住民) 現在、地元では大騒動となっている。今年2月、建設反対のデモを実施したところ100人近い住民が参加。実行委員会の代表を務める甲田直己氏が憤(いきどお)る。 「工事現場には『RRS府中教会』と表示されていましたが、建築主は『霊連世協会』という団体であることがわかりました。旧統一教会の経典には『霊連世協会は次世代の活動を担う』と書かれています。代表者S氏に質問状を送り旧統一教会との関係を質(ただ)したところ、10年ほど前に除名されたから無関係と言ってきました。しかしS氏は、団体の設立目的が旧統一教会の創始者・文鮮明(ムンソンミョン)氏の考えた『霊連世協会』という理念と『合致する』と述べるなど、関係ないとは言えません」 東京農工大学や府中市も警戒する。 「学業や研究等に悪影響を及ぼす懸念があったことから、同団体に対し本学敷地内での勧誘や布教活動など行わないよう申し入れました。学生には、Web掲示板でカルト団体への注意喚起を行っています」(東京農工大学企画課担当者) 「旧統一教会との結びつきを認めていませんが、市民の不安が大きくなれば何らかの対応をしないといけないと考えています」(府中市市民協働推進部担当者) 『世界平和統一家庭連合』(旧統一教会)に『霊連世協会』との関係を尋ねると、次のような回答があった。 「代表のS氏についてや、当法人と関係のない土地の保有理由については存じ上げません。『霊連世協会』とは一切関係がありません」(広報部) 旧統一教会の元信者で、ジャーナリストの多田文明氏が注意を促す。 「『霊連世協会』の信者と話したところ、文鮮明氏の教えを忠実に守っていくと話していたことなどから旧統一教会の関係者の集まりだとわかりました。教会ができれば信者が集まり、勧誘活動もさかんに行われることになるでしょう」
【旧統一教会】分派団体が「新教会建設」で地元住民と大モメ中 | FRIDAYデジタル
2 notes · View notes
tecchaso1988 · 1 year
Photo
Tumblr media
#読書 #シリコンバレー最重要思想家ラヴィカント #ナヴァルラヴィカント 2022年読んだ本の中で 今のところ一番何度も読み返した本! 賢いインド人は、ユダヤ人をも凌ぐと思う。 #読書メモ この世界で運に頼らずリッチになるには。 カネではなく、地位でもなく、富を求めよ。 富とは、君が寝ている間も稼いでくれる資産だ。 カネとは、時間と富を人に与える手段だ。 地位とは、社会階層内での君の立ち位置だ。 倫理的な富の創造は可能だと理解せよ。 富を密かに蔑む人から富は逃げていく。 地位のゲームをする人は無視せよ。 彼らは富の創造ゲームをあうる人を攻撃して地位を得ている。 長期的な人と長期的なゲームができる業界を選べ。 ミクロ経済、ゲーム理論、心理学、説得術、倫理学、数学、コンピュータを学べ。 努力量は勝負を決めない。 努力の正しい方向性を探り、定めよ。 努力のうち、1%が実を結ぶ。 つまり、努力の99%は無駄になる。 全てにおいて複利で考えよ。 今得意で夢中になれるものが君の「特殊知識」 特殊ちしきは専門性や創造性が非常に高い場合が多い。 ゆえに外注や自動化ができない。 ビジネスという名のスキルは存在しない。 ビジネスという言葉からは逃れよ。 うまい儲け話などない。 君をカモにあいようとしているだけだ。 100%のめり込めないなら100%のめり込んでいる誰かに大差で負ける。 自分をプロダクト化せよ。 君らしさで君に勝てる人はいない。 人生の大半は、君を最も必要としてくれる人やものを探す旅だ。 自分らしさで競争から抜け出せ。 君が人と競争しているときは、要するに人を模倣している。 人と同じことをしているんだ。 でも人はみんな違う。模倣してはいけない。 最高の仕事とは、学び続ける者たちによる自由市場でもクリエイティブな表現である。 自分の「名」の下に取り組む。 自分の名の下に失敗するリスクを張れる人が莫大な力を得る。 「社会が求めているがどうやって手に入れるか知られていないもの」という金脈。 人が欲しがる「おもしろいものを」作れ。 「君にしかできないこと」が必ずある。 より高い利益は上流にある。 遊びのように感じられれば最高の仕事。 「楽しいから創る」が一番強い。 金銭欲はカネで満たされない。 お金はほんの一部に過ぎない。 自分の行動の「長期的影響は何か」と考える。 迷ったら答えはノー。 「今この瞬間」はとてつもなく希少で価値が大きい。 欲望とは「欲しいものを手に入れるまで不幸でいます」というタチの悪い契約を自分自身と交わすことだ。 人は「手に入れたもの」に慣れてしまう。 幸福とは持てるもので満足することだ。 成功は、非満足から生まれる。 選択せよ。 人生は常に「1人ゲーム」。一人で生まれ一人で死ぬ。 何を解釈するのも一人だ。何を記憶するのも一人だ。 そうせ全て、塵になる。 君はいつか死に、すべてが意味を失う。 だから楽しもう。 前向きなことをしよう。 愛を伝えよう。 誰かを喜ばせよう。 ちょっと笑おう。 今この瞬間を味わおう。 そして、君にしかできないことをしよう。 他人から自由になれ。 他人の期待は「その人の問題」。 他人を喜ばせることに時間を費してはいけない。 彼らが幸せになるかどうかは彼らの問題だ、君の知ったことじゃない。 彼らを幸せのするのは君の責任じゃない。 君が幸せであることが、彼らの幸せにも繋がるんだ。 瞑想とは、社会のスイッチを切って自分の声に耳を傾けることだ。 瞑想に効果があるのは、瞑想そのものを目的として行うときだけだ。 ハイキングは歩く瞑想だ。 ジャーナリング(頭に思い浮かんだことをそのまま書き出すこと)は書く瞑想だ。 祈りは感謝の瞑想だ。 シャワーは偶然の瞑想だ。 静座は瞑想そのものだ。 意味を見出す人になれ。 真理とは、予測力を持つものである。 https://www.instagram.com/p/ClWEjs1vOHp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
5 notes · View notes
kentahayashimusic · 2 years
Photo
Tumblr media
Please join if you feel guided🙏 Light Forces are asking as many people as possible to do the following meditation hourly at every full hour from now on until the end of August 2nd in your time zone: http://2012portal.blogspot.com/2022/07/urgent-message-to-surface-population.html 導かれし皆様緊急世界同時にご参加宜しくお願い致します🙏✨ 光の勢力は今から8月2日の終わりまでの間に1時間おきに毎正時に各地のタイムゾーンにしたがって、できるだけ多くの方に以下の瞑想を行うよう呼びかけています。 https://paradism.hatenablog.com/entry/2022/07/urgent-message-to-surface-population.html #ライトワーカー #アセンション #光の勢力 #世界同時瞑想 #地球開放 #地球の黄金時代 #黄金時代 #銀河連合 #プレアデス #シリウス #アルクトゥルス #光の戦士 #cobra #globalmassmeditation #massmeditation #victoryofthelight https://www.instagram.com/p/CgxT_pujGAM/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
monthly-ambigram · 2 years
Text
2022-6月号
毎月8日発行 アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、 逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。 詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/@2r96
◆今月のテーマは「世界史」です◆
6月号の参加者は [ 赤川広幸氏、 douse氏、 ぺんぺん草氏、 Σ氏、 兼吉共心堂氏、 オルドビス紀氏、宮倉ひの氏、 いとうさとし氏、 kawahar氏、 海氏、 siun氏、  黒目氏、  増池誠史氏、   .38氏、    lszk氏、   ヨウヘイ氏、 peanuts氏、 サボンテ氏、 意瞑字査印氏、 伊藤文人氏、  あらたかな氏、 igatoxin ] 計22名
今月は参加者の皆様に「世界史」から連想する語句でアンビグラムを制作していただいております。  人類史から発想された逆さ文字の数々をご照覧ください。
—————————————————————————
では まずは赤川氏の作品からご覧ください。
Tumblr media
『フルメタルジャケット』   @赤川広幸氏  
回転型。180°ひっくり返しても「フルメタル ジャケット」と読めます。ベトナム戦争からの語句選択。キューブリック監督の映画タイトルです。見事な文字のスリット 。「ッ」の形がすごく好きです。 元ロゴを髣髴する素敵な回転文字になっています。
Tumblr media
『線文字B』    @douse氏 
回転型。  180°回転させても同じように「線文字B」と読めます。紀元前1500年頃の古代ギリシア文字からの語句選択です。糸の「小」部分が白眉ですね。いつも新しい表現で驚かされます。
Tumblr media
『明朝』         @ぺんぺん草氏
重畳型。  「日十・月」を二重にすることで「明朝」と読める明朝体アンビグラムです。本作は重畳型アンビグラムのお手本になる名品です。
Tumblr media
『肥沃な三日月地帯』    @Σ氏
鏡像型。  \軸の斜め鏡像文字になっていて「肥沃な三」を鏡に映すと「日月地帯」になる仕組みのアンビグラムです。なんとなくできそうかなという直感は働く文字並びですが いざ作品にするとなると技術を要する文字列です。対応解釈が的確かつ大胆で魅力的です。
Tumblr media Tumblr media
『歴史 ⇄ HERODOTUS』      @兼吉共心堂氏
回転共存型。ヘロドトス著「歴史(ヒストリアイ)」からの語句選択で 「歴史」を90°横倒しにすると「HERODOTUS」になります。勢いのある筆致で引き込まれます。
Tumblr media
『埃及 ⇄ 尼罗』  @Σ氏
回転共存型。 「埃及(エジプト)」を180°回転させると「尼罗(ナイル)」になるアンビグラムです。 どこかヒエログリフ味のある不思議な作品ですね。字画の省略が上手くはまっています。
Tumblr media
『自省錄』    @オルドビス紀氏
鏡像型。 シンメトリーな鏡文字。本作は鏡に映しても同じように「自省錄」と読めます。  ローマ皇帝の著作名からの語句選択ですね。自分を省みる形のレイアウトが面白いです。
Tumblr media
『魏 呉 蜀』    @宮倉ひの氏
鏡像型。  三国志を���材にした\軸mirrorのアンビグラムです。斜めに折り畳めば文字と文字が重なります。この角度だと「呉」の鏡像化が字形的に難しいのですがここまで仕上げてしまうのはさすがの力量です。
Tumblr media
『百年戦争』     @ぺんぺん草氏
回転型。180°回転させても「百年戦争」と読めるアンビグラムです。段々になった文字の組み方に工夫があり読みやすくなっています。字の雰囲気が良いですね。 「戦」の字がカッコイイです。
Tumblr media
『台頭/分裂』    @いとうさとし氏
図地反転型。「台」の背景が「分」に、「頭」の背景が「裂」になっているアンビグラムです。正方形の中でうまく領域を分け合っている文字組みが凄いです。
Tumblr media
『UltraPLINIan ⇄ ウルトラプリニアン』   @kawahar氏
回転共存型。  90度回転のバイリンガルアンビグラムです。 横書きの「Ultra PLINIan」を90°回すと縦書きの「ウルトラ プリニアン」になります。 クレタ文明の崩壊やポンペイの埋没など 人類史が引っくり返る天変地異であるプリニー式噴火をアンビグラム化。二段階の色の濃さが効果的で自然に読めるようになっていますね。
Tumblr media
『ジャンヌ・ダルク』    @海氏
回転型。   「ジャンヌ」を180°回転させると「ダルク」になるアンビグラムです。 色合いなどのレイアウトはジャンヌ・ダルクの紋章と同じになっています。カリグラフィー的でもあり やわらかい字形がとても良いですね。
Tumblr media
『新大陸』   @siun氏
鏡像型。 シンメトリーの鏡文字。鏡に映しても同じように「新大陸」と読めます。3文字の真ん中に「大」があり鏡像アンビグラムにしたくなる単語ですね。ミニマルな対応解釈が優れていて 尚且つレタリングも美しいです。
Tumblr media
『胡椒』    @黒目氏
回転型。 180°ひっくり返しても同じように「胡椒」と読める回転アンビグラムです。スパイスの王様コショウは大航海時代には同重量の金と交換されたそうです。字画の違う文字同士を上手く回していて驚きます。
Tumblr media
『貿易』   @増池誠史氏
回転型。 180°回転させても同じように「貿易」と読めるアンビグラムです。作者の増池氏のアンビグラムは毎回 読みやすいと思います。「貿易」は廻るものなのでアンビグラムの素材として完璧です。
Tumblr media
『シルクロード』     @.38氏
回転型。  繭をイメージした文字が面白いです。 180°回転させても同じ字形になる点対称デザインです。 本作は的確な対応解釈と独特なレタリングが合わさって極めてユニークなアンビグラム作品になっています。
Tumblr media
『年表 ⇄ 地図』     @lszk氏
回転共存型。 「年表」を90°横倒しにすると「地図」になるアンビグラムです。省略していいところを熟知している対応解釈だと思います。
Tumblr media Tumblr media
『私の辞書/不可能』    @ヨウヘイ氏
内包型。  「私の辞書」の字の中に「不可能」を見つけることが出来る内包型のアンビグラムです。「余の辞書に不可能の文字はない」として知られているナポレオンの名言です。ヨウヘイ氏なら何でも内包抽出してしまいそうだと思わされる作品です。
Tumblr media
『革命/戦争』    @いとうさとし氏
図地反転型。 黒字が「革命」。赤字が「戦争」になっているジグソーパズル状のアンビグラムです。 ボロボロに疲弊した字形が効果的です。 あと余談ですが「革命(レボリューション)」の語源は「回転」を意味するラテン語からきています。
Tumblr media
『古代 ⇄ 現代』     @lszk氏
鏡像共存型。 「古代」を鏡に映して90°回すと「現代」になるアンビグラムです。古きをたずねて新しきを知るアンビグラム。線を二重化して文字を成立させて字画密度の違いをうまく吸収する方法がすばらしいと思います。
Tumblr media
『ソンムの戦い』   @Σ氏
回転型。  180°回転させても同じように「ソンムの戦い」と読める点対称デザインです。戦車が初めて投入された一戦からの語句選択です。技ありな文字組で一塊で上手く語句を回しています。
Tumblr media
『宣言』         @peanuts氏  
回転型。180°回転させても同じように「宣言」と読めるアンビグラムです。 ∞宣言アンビグラム。躍動感があり 色合いも読みやすさに繋がっています。
Tumblr media
『世界恐慌』      @サボンテ氏  
旋回型組み合わせ。  「世⇔慌」「界⇔恐」がそれぞれ90°回転対応になっています。太さや模様を駆使して字画密度の差を吸収していますね。図案文字や美術字の味わいがあり可愛くて読みやすいです。
Tumblr media
『アナキズム』    @意瞑字査印氏
回転型。 180°回転させても同じように「アナキズム」と読めるアンビグラムです。∞無政府主義ロゴ。
Tumblr media
『連合/冷戦』   @いとうさとし氏
鏡像+図地���転型。  見開き状で折り畳むとピタリと合わさる仕組みです。 色合いは国連の旗のカラーになっています。「連/戦」の対応解釈が見事ですね。どこがどう対応しているかジックリ見てほしいアンビグラムです。
Tumblr media
『ぱりのだいかさい ⇄ のーとるだむじいん』    @伊藤文人氏
回転共存型。  「ぱりのだいかさい(パリの大火災)」を180°ひっくり返すと「のーとるだむじいん(ノートルダム寺院)」になるアンビグラムです。 アンビグラムは錯覚を活用した作字法とも言えます。  本作はそんなアンビグラム本来の驚きが詰まった長文アンビグラムです。
Tumblr media
『世界』   @あらたかな氏 回転型。  180°回転させても同じように「世界」と読めます。「世」を回すと「界」になる仕組みですね。丸みを帯びた字形は地球(世界)そのものをイメージしているのかもしれません。語句的に回転アンビグラムに適しています。 超名作アンビグラムです。
最後は私の作品を
Tumblr media
『諜報』   @igatoxin
鏡像型。「諜」を鏡に映すと「報」になる表裏一体のアンビグラムです。
Tumblr media
『遺跡』   @igatoxin
図地反転型。 「遺」と「跡」が90°旋回でジグソーパズル状になっています。
「世界史」をテーマにしたアンビグラム祭 いかがでしたでしょう。 各作家の個性も強く出て十人十色 多種多様な言葉のアンビグラムが集まったと感じました。
御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は『海洋』です。 クジラ、首長竜、 サンゴ、 真珠、船舶、ダイビングなど、参加者が自由に 海洋 というワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。    
締切は6月30日、発行は7月8日となります。 それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2017年 4月{ミステリー} 5月{音楽}        6月{童話}           7月{食}        8月{宇宙} 9月{回文}         10月{GAME}     11月{TOY}       12月{駅}
2018年 1月{書初め}    2月{蟲}               3月{映画}                4月{色彩} 5月{対語}        6月{アイドル}    7月{数学}                8月{恐怖} 9月{メカ}          10月{神}                11月{スポーツ}       12月{どうぶつ}
2019年 1月{書初め}       2月{地図}                  3月{漫画}            4月{職} 5月{都市伝説}   6月{速度}             7月{道具}     8月{文學} 9月{デパ地下}  10月{漢字4文字}    11月{学校}     12月{怪物}
2020年 1月{書初め}    2月{ART}           3月{気象}            4月{ギャンブル} 5月{カワイイ}   6月{建築}      7月{まつり}   8月{音楽} 9月{植物}       10月{ファンタジー}   11月{お笑い}       12月{時事}
2021年 1月{書初め}    2月{夜}                     3月{わびさび}       4月{日常} 5月{対語}     6月{医学}                 7月{トラベル}          8月{自然} 9月{料理}   10月{ファッション}    11月{ミステリー}    12月{時事}    
2022年 1月{フリー}      2月{天空}    3月{電脳}       4月{マジック} 5月{子供部屋} 
2 notes · View notes
kozuemori · 2 days
Text
Tumblr media
ベランダのバラの蕾が色づき始め、新しいシュートもぐんぐん伸びていますし、メダカたちが餌の時間が来ると水面に上がってきておねだりする様子も可愛いです。今日からゴールデン・ウイーク休暇に入る羨ましい人もいるのではないでしょうか。楽しく充実したお休みになるといいですね!
ここ最近よく通るようになった並木道があります。つい2週間前まではそこが桜の花びらの絨毯になり、風が吹く度に花びらがあちこちから舞い降りる幻想的な景観が楽しめました。そして今は新緑のトンネルになって出迎えてくれます。その両脇で白、ピンク、フューシャ、赤い色の花をびっしりとつけたつつじの植栽が、風に吹かれながら花びらを揺らしています。他に誰も歩いていない時でも常に誰かに見守られているような、素敵な道です。
最近観た2本の映画はどちらも人間の孤独を描いていました。ネタバレ部分がありますので、観る予定の方はご注意ください。
アンドリュー・ヘイ監督によるイギリス映画『異人たち』は、去年亡くなった山田太一の小説をロンドンを舞台にリメイクしたゴースト・ストーリーです。子どもの頃に事故で両親を亡くした40歳半ばの男性が、同じアパートに住む人物と出逢ったことがきっかけで霊界に旅立った当時の姿で現れた両親と再会し、次第に孤独や後悔から解放されていく過程を描いています。主人公の趣味嗜好をポップスターのポスターやテレビ番組で示唆するシーンや、親子で思い出を共有しながらも、時の経過という事実に直面せざるを得ない場面が切ないです。成長した息子のアイデンティティを認めることを最初は拒んだ母親が歌う『オールウェイズ・オン・マイ・マインド』が心に響きましたし、自分より年下の姿で現れた父親からの謝罪を受ける主人公の表情も印象的でした。けれど、スピリチュアリストである私が一番気に入ったのは霊界に旅立っても生前と変わらない性格や振る舞いで現れていた両親の姿です。
もう一本は濱口竜介監督の『悪は存在しない』です。前作の『ドライブ・マイ・カー』同様、男女2人がドライブしながら人生を振り返ったり本音を語り合ったりするシーンがあります。全編に漂う静かで不穏な空気の中、このシーンだけはちょっと微笑ましく、客席のあちこちから笑い声が聞こえました。最初は悪役だと思っていたこの男女が、実は孤独を抱えた愛すべき人間だとわかってホッとしたのでしょうか。この世に悪は存在しないけれど、善もまた存在しない。あるのは水が上から下に流れるような自然の摂理だけだ、そんなメッセージが物語のあちこちに散りばめられています。森の中を歩きながらふと見上げた時に感じる木々からの視線、木々が落とした足元に伸びる縞模様の影、木々が伸ばした枝葉には注意を向けなければなりませんし、森の住人たちが残した足跡、羽、朽ちた肉体もまた、自然の摂理を表してます。そういった摂理、神様が巡らせた謀(はかりごと)に人間もまた含まれていて、決して孤独ではないということを教えてくれたように感じました。
Tumblr media
夏学期クラスがもうすぐ開講します。サイトとショップにてお申し込みを受付中です。(アイイスのサイトでも告知されています)
春学期に蒔いた霊性開花という名の種を、眩しい太陽と清らかな水、豊かな土壌、そして爽やかな夏の風のエネルギーを享受しながら、共に大切に育んでゆきませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラス 
月曜日:10:00~12:00  日程:5/13、5/27、6/10、6/24、7/8
火曜日:13:00~15:00  日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
・・・・・
アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス   
土曜日:19:00~21:00  日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
・・・・・
アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回
・・・・・
アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00  日程:5/14、5/28、6/11、6/25、7/9
木曜日:10:00〜12:00 日程:5/9、5/23、6/6、6/20、7/4
・・・・・
アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00 日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
金曜日:19:00〜21:00 日程:5/17、5/31、6/14、6/28、7/12
・・・・・
サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00  日程:5/12、5/26、6/9、6/23、7/7 水曜日:16:00~18:00  日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
・・・・・
インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス  
月曜日:16:00~17:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
土曜日:10:00~11:00 日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
・・・・・
マントラ入門 Zoomクラス  
土曜日:13:00~15:00 日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
・・・・・
トランスZoomクラス
土曜日:19:00~21:00  日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
・・・・・
サンスクリット・般若心経 Zoomクラス 
月曜日:13:00~15:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
水曜日:19:00~21:00   NEW! 日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
サイトのクラス紹介ページはこちらです。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
0 notes
stormfrozen · 4 days
Text
サンディエゴの決意とアイヴァンヌの想い
駄目だよ!2人とも!特にイヴは!
グゥエルの目の前に立つアイヴァンヌとサンディエゴを必死に止めるジニーエイラ。それは当然の事、グゥエルに対して相手するには余りの相性の悪さに、本来なら逃げの一手を打つのが筋なのだが…今はそうも言ってられないと言わんばかりに、アイヴァンヌはジニーエイラを見て首を横に振る。
ごめんね、ジニィ。誰かの時間稼ぎの為に、時には出なければならない時があるの。それは今。フェリンソワ様とエオレンスタ様の為に、グリッシーニ様もマリナディア様も、ウバーデゴス様も、そして他の神様も。自分が傷を負う事も厭わずに、時間を稼いでグゥエルのバリアを割ってくれた。次は私達の番だから…。
これを渡す。それを使って、他の人達を復活させてくれ。聖なる灰はグゥエルと戦う前にもう使い切ってしまってな、今残っているのはこのかけらしか無え。
頭を下げて目を瞑り、申し訳なさそうにするアイヴァンヌの横でサンディエゴが元気の欠片を渡した。既に最初に戦っていた「アヴェック・スター」の6人は勿論、神様達も気を失っており、さっき戦っていたウバーデゴス、グリッシーニとマリナディアもダイマックスエネルギーの嵐の余波によるダメージで倒れ、またしても戦闘不能となっていたのだった。
うん………でも何で欠片なの。塊は? 無い。聖なる灰は持って来たが、元気の塊は持って来る余裕が無かった。
サンディエゴによると、どうやらインベントリに余裕が無く、聖なる灰と元気の欠片しか持てなかったらしい。回復の薬は「アヴェック・スター」の6人が持っていたのだが、3姉妹との対決で使ったが故にグゥエルと戦うまでに使い切ってしまった為、傷を治す余裕が無くなっていたのだ。
取り敢えず、ジニィと2人にヘイトが向かないように戦う。復活するまでの時間は稼ぐ。それと………1つだけ伝える事があるの。
アイヴァンヌはジニーエイラの耳元で何かを話し、最後の想いを伝える。そして、サンディエゴと共に、グゥエルとの戦闘に立ち向かった。
よーし、行くぜ! え………?あっ!ちょっと!! ジニーエイラさん、今の内です。 僕達が倒される前に、手を打ちましょう。 ………はい!
ジニーエイラは2人に声を掛けたが、後ろからフェリンソワとエオレンスタに止められた。2人の時間稼ぎが間に合えばまだ勝機はあると言い、元気の欠片を1人ずつに食べさせる事に。
俺が上を取る。アイヴァンヌはそれ以外を狙ってくれ。 ええ。何とかしましょう。
その初っ端、サンディエゴの燃え上がる攻撃がグゥエルの上から来る。そしてその隙に、アイヴァンヌの決死の体当たりが繰り出された。
腑抜けた事を………!唯の命知らずか!!
ダイナックルで2人を飛ばそうとするがアイヴァンヌにはダイウォールでガードされ、その隙にサンディエゴからの素早い一撃が飛んで来る。三度、張られたバリアが割れて薄くなっていく。
ぐぐ………なら力で捩じ伏せてやろう。此処で貴様らも塵となれ!
グゥエルの繰り出す、力業の巨大一撃。凄まじい殺気に満ち溢れた彼だからこそ、為せる大技。
(………来る!)
それに負けじと、アイヴァンヌも彼の使う暗黒強打を模倣して剣に乗せ、使ってみるが………
ハッ!愚か者が!!我が拳法の真似事など、100世紀早いわ!!!
叩き付けられた地面の衝撃波に、大きく吹き飛ばされるアイヴァンヌ。やはり模倣したところで所詮はコピーしただけの偽物、それは本物を前にただ沈められる運命でしか無い。だが彼女は最初から、暗黒強打で攻撃する気は無かった。
そう。「本来なら」剣は使わない。暗黒強打はその強烈な一撃を叩き込む拳法………おかしいと思ったよね。
吹き飛ばされた反動で飛び上がり、彼の後方を取る。そして頸を狙い、毒の刃が突き立てられた。
がはああああっ………!!
首筋からは流血し、彼の身体は既に血に塗れている。そのまま、サンディエゴが2度目の火炎の突撃を繰り出す。
ふ、ふふん………勝ったつもりか?まさかそうはならんよな!
吹き飛ばされても尚、この状況で不敵な笑いを浮かべるグゥエル。そのまま、早業の巨大連撃が襲い掛かる。
貴様の炎も岩も、全てこの水で消し流してやろう。ふははははは!!
水流連打が元になった巨大連撃。水の苦手なサンディエゴがこれを喰らえば、当然ただでは済まない。
ぐはっ………!!
突きの連打がサンディエゴを襲う。威力こそ落ちるが、それでも追撃するには十分であった。グゥエルはそこから間髪入れずに水流連打を3発喰らわせ、攻撃で動きが鈍った彼を吹き飛ばす。
うっ…がはぁっ!!!………後は………頼む………
アイヴァンヌにそう伝えた後、ダウンするサンディエゴ。しかしグゥエルもまた、アイヴァンヌから喰らった毒により時折跪いている。その隙に彼女が襲い掛かり、止めを刺そうとする。
ふん!!
しかしながら、グゥエルは突きの連打で逆にアイヴァンヌを防戦一方に追い込んでいく。剣を構えていた彼女は途中からダメージを喰らい、盾に持ち替えていた。
やはり貴様はあの日から………殺しておくべきだった。俺が得た力と代償に失った日常………この重さが分かるか?
空の瞳と桃の瞳、その2つを光らせたアイヴァンヌは込められた怒りと共にグゥエルに返す。
きゃあっ!………それは貴方が………ジニィを………いや、私の友達を奪いに来ていたからじゃない。貴方の様な胡散臭い人に、ジニィを殺される訳にはいかない。でも…後に王に就任したけど、他の世界の人達を守れなかった。だからこそ、綺麗事かもしれないけど………神界に身を置いていた時から言われていた貴方の様な危険な人を、もう放っては置けない。今此処で………他の人達の為に命を賭けて、貴方を止めなければならない!
並々ならぬ想い。それは[Aile]の王になったアイヴァンヌが抱えていた葛藤だった。彼女は時に血を流しながらも、真性のメレンジアとしての生き様を貫く事を決意する。
ふっ。ふはははは、ははは!!流石は真性………メレンジアの頂点に立つ者で無ければ出ない言葉だな。俺の作った失敗作どもとはえらい違う。だがそんな貴様が、何故あんな他にいるであろう友達と言う女の為にその力を振るう?
飛び掛かるアイヴァンヌの剣を止め、そう話すグゥエル。また距離を取るアイヴァンヌは止まって話した。
………ジニィは、私の大事な幼馴染にして友達だからだよ。それ以外には誰かを守る為の理由なんて無い!
膨大なダイマックスエネルギーの暴走と、野生の本能にも似た凄まじい殺気。それが更に加速し、塔が崩壊を始めている。
ほう。………いいだろう。ならばこの殺意、貴様とジニーエイラと言う女に向けて、あの日の復讐を果たしてやろう。死ぬがよい!
互いの暗黒強打による一撃。それらがぶつかって相殺され、力で押されたアイヴァンヌはブロッキングで防御しようとする。だが、それはグゥエルの前では無意味だった。
防御など無駄だ!俺の拳は盾をも貫く!!
手刀により吹き飛ばされ、再びダイウォールを出すアイヴァンヌ。不利であるが故なのか、防戦一方である。
何度やっても同じだ!!巨大な攻撃の前では、その防御など無意味!続けてこれも喰らえ!!
そのアイヴァンヌの胸元に、打ち込まれたのは巨大一撃。そして両腕と両脚に、巨大連撃が叩き込まれた。体勢を崩した彼女に、止めの拳が襲い掛かる。
終わりだ。派手に散れ!
その痛打が彼女の心臓に刺さったのだった。打ち上げられたアイヴァンヌは高い悲鳴を上げ、吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。
きゃあああああぁぁぁ!!!………はぁ………はあっ………
しかし、グゥエルも飛ばされて顔面が血に濡れている。実は彼女は、痛打をする機会を狙いカウンターを決めようとしていたのだが、それが何と彼女の右足による蹴りでグゥエルの顔面を薙ぎ払う様に吹き飛ばしていたのだった。
………イヴ!!
元気の欠片を全員に使い切り、アイヴァンヌに駆け寄るジニーエイラ。既に意識が朦朧としており、息絶え絶えの状態である。
大丈夫!?しっかりして! ………ごめんね………もう、だめかも………
涙を流すジニーエイラ。幾らアイヴァンヌが想いを伝え、覚悟を決めた戦いだったとは言え、やはり目の前で彼女を失うのはジニーエイラにはあの時の恐怖が蘇るトラウマでしか無かった。
そんな!私の所為で………また、イヴを失いたく無いよ………。お願い!死なないで!!
首を横に振るアイヴァンヌ。瞼がうっすら閉じており、息が切れそうになっている。だが彼女は、それでも伝えた。
………君の、所為じゃ無い………。私が、決めた事、だから………。責めなくていい………。
………グゥエルを、倒して………。
そして、そう最後に伝えた彼女の瞳は閉ざされ、2度と起き上がる事は無かった。
………え、嘘………嫌だ!やめて!イヴ!!起きて!!いやああああぁぁぁぁっ!!!うわあああぁぁぁん………!!!
0 notes
poetry-for-absence · 4 days
Text
陰翳礼讃における詩性 (2008)
      
この著作では、西洋文化との比較における東洋文化としての、日本に独特な美意識が「翳り」を切り口にして綴られている。
現在、私たちの日常は、”西洋的な思考のかたち” で殆ど満ちている。そんな中、本当に純粋な日本的な美を、日常の内に見つけることは難しいことに思える。しかし、私はこの著作の中に、そのような美を確かに見、感じた。それは、静寂の音楽であり、仄暗さであり、暗闇への意図の介入であり、許容の美であった。
詩性および美なるものは、人間の生活に織り込まれており、そこから感じ取られ、見出されるものである。そのためか、谷崎は、生活の根幹である住居について、多くの言及をしている。その中で、厠についての叙述が特に詩的で印象深いものであった。そこに描かれていた厠こそが、最も端的に日本的な美を表しているように思え、ひいては、全ての日本的な美がそこから派生したものの様にさえ思える。
五月の優しい雨の降る午前、書斎で読書をしている。部屋には清らかな空気が満ち、障子からは淡い白い光が滲む。ふと、思い立ち、手を休め、席を外す。障子を開ける音、廊下を歩む音が、雨に包まれて、静かに響く。厠の戸を開け、入り、用を足す。桟越しにのぞく庭木の緑が、厠の暗さに映える。ああ、葉々の緑は初夏のものが一番美しい、と思う。雨粒は葉に落ち、大地を想い、したたる。今日は穏やかな日である。
これは、本文から着想を得た創作だが、この様な厠の詩性には、大いに感じ入るものがある。
著作中に描かれている厠に日本的な美の本質がある、という私の認識は前に述べた。そこで、日本的な美を構成する詩的な要素を厠の詩性から抽出し、著作に感じた詩性についての把握を確固たるものにしようと思う。
詩的な要素として、まず挙げられるのが、「瞑想性」である。それは、静けさによってもたらされる。葉のさざめき、風鈴の音、雨の庭石を打つ音、虫の音、澄んだ月夜。それらの詩は、静寂の音楽により澄明なものとなった繊細な心へと届く。また、かすかな音・静止の景色は、対比により静寂を引き立て、それを一層深いものにしてゆく。そして、心は更に深い瞑想へと誘われる。
この様な静寂の音楽は、日本的な美に於ける底流として、常にその気配を立ち昇らせている様に思える。
次に挙げられるのが、「仄暗さと暗闇」である。障子により濾過された外光、蝋燭の明かりに照らされる膳の上の椀と、その中の闇のゆらめきの様な味噌汁。おひつの中の、真珠の様な飯粒。闇の底で鈍く光る椀の金装飾。鈍い光を闇へと滲ませる金襖と金屏風。そして、その仄暗さの中で暮らす人達。
闇に溶かしてしまうことにより、魅力あるものは秘められることで蠱惑を纏い、醜いものは、闇のふところに抱かれる。美醜の、どちらも闇に溶かすことにより、日常には、仄暗い静寂と澄明さのみが残る。
そして、「暗さとの対比」が、三つ目として挙げられる。例えば、町屋の薄暗い部屋から眺める坪庭の緑は、往来で見るよりも鮮やかである。それは、明と暗の対比によりもたらされるものであり。闇の無により葉々の有が引き立つ。そして、その様な、闇との対比から色を感じる感性は、独特な色彩感覚を生む。例えば、能に於ける、闇から生まれた様な暗い緑や 淡い柿色の衣は、闇に秘められた役者の、日本民族的な色味の肌を美しく映えさせる。また、暗闇の中で鈍く光る金襖、金屏風。武者の鎧と朱の面。細部まで気の配られた能面などは、その色彩も、その造形も、闇と切り離しては、そのものの最上の美しさは立ち現れないだろう。
最後に挙げるのが、「許容による美」である。渋く黒ずんだ銀食器や、コクのある照りの出た道具に感じられる美と詩は、道具が古びてゆくという現象から「手沢」というポジティブな価値が見出されたことにより生まれる。ここでは、本来では嫌がられる「手沢」とは表裏を成す価値 ― 古びる、手拓がつく、しみが出来る、等 は、「手沢」の美と詩性により許容され、その美意識のふところに包まれている。(厠に於いては、日本的なるものの詩性の全てをもって許容され、美と詩性が生まれている、と考えられる。)
このようにながめてみると、、静寂の裡に、ものごとの白黒(=境界)を曖昧にさせることが、日本的な美の一つの側面であるとすることが出来るだろう。それは、少なくとも、この著作中に描かれた詩性の性格であろう。
現在の私たちの日常の殆どは、西洋的な思考のかたちで満ちていると最初に書いたが、だからといって私たちの日常から詩性や美が無くなってしまった訳ではない。美と詩とは、瞬間が落とす永遠の名の影であり、時代に遍在している。だから、現在に生きる私も日常のなかに詩を感じることが出来る。そこで、私の感じる日常の詩を羅列してみる。
夜降る優しい雨。夏の夜の停電。ベンチに休む老夫婦。花。深く優しい声。静かに佇む猫。早秋の空。散歩。マフラー。寒い日のバス。冷たく澄んだ部屋の空気と暖かいふとん。リンゴジュース。
いずれにしても、その詩性を詩性たらしめているのは、「静寂の音楽」である。静寂こそが、その身を詩に溶かす。騒がしさに詩が溶け込んでいることは稀である。
現代の日本に於いて、商業的な目的のみにより開発された地区ほど詩情に乏しいものは無い様に感じられる。その詩情の乏しさは、ひとえに「さわがしい」という点に起因する。その「さわがしい」のは、聴覚的にだけでなく視覚的にもである。
具体的には、過度の広告行為が挙げられる。渋谷の街などで、アイドルの新譜を大音量で広告する車を見かけるが、あれ程あさましいものはない。道行く人の親密な会話を破ってまで行う広告は、本来、人に一番近いものであるはずの「うた」への冒涜にも思える。また、延々と続く録音テープの客引き。あれを聞くと、殆ど絶望に近い気持ちになる。
「にぎやか」ならば良い。楽しいし、好きだ。詩的ですらある。けれど、機械の発する電子音、作動音が人の音を覆い尽くしてしまった「さわがしさ」に詩は感じない。そんな所に、人の尊厳も誇りもあるものかと思う。また、繁華街の、真夜中を真昼の様に照らす過度の照明、ネオンサインには非常に気が滅入る。沈黙・静寂を騒がしさの下に埋め、闇を光により押し潰している様な街の風景は、まるで空白に怯えているかの様だ。
お金と資産とは、人が人からものやことを買うための約束事である。それと同時に、権利でもある。お金があれば、ものやことを手にすることが出来る。そして、物質的豊かさが社会的地位となりうる世の中に於いて、金権は絶大な力を持ち、そのことが拝金主義を助長する。
拝金主義による物質的豊かさの追求は、空白を恐れる。それは、空白には利益が埋蔵されているという強迫観念による。そこで、物質によりその空白を埋める。ここで言う物質とは、消費される記号のことであり、それは本当の意味の食料でも衣類でも住居でもない。そんな物質に胸の奥の空白を埋めることは出来ない。むしろ、空白を広げる。しかし、その空白は気づかれず次第に忘れ去られる。いつのまにか、人はからっぽになる。そこは全くの真空であり、静寂の音楽は響くことはない。
その真空状態は、おぞましいことである。そこでは人から生気が抜け、動物としての美しさが失われている。そのおぞましい真空に空気を送り込み、人を健やかにするのが感情であり、生の歓喜である。それは、詩と美そのものだ。
私は、詩の作品たちが好きで愛読しているが、詩ほどに心を打ち、かつシンプルなものはない。詩とは花のようなものであると思う。花の美しさには、媚びや おもねりや 衒いが無く、圧倒的な純粋さを持つ。そしてその純粋さが私たちの心を打つ。その様な詩の力を、私は信じている。従って、生活に詩性があることはとても重要なことに思える。
詩性は、生活の様式の上に立つ。その生活の様式に一役(それも、とても大きな)を買うのが建築であり、その建築の様式である。建築の持つ責任は大きな強度となる。そして、様式とは作られてゆくものである。
私は、花がそうであるように、私たち自身に誠実であり、人間の尊厳に誠実である建築を創りたい。その様に、歴史の紡ぎ手の一人となりたいと、建築を志す者として思う。
(了)
0 notes
ymifune · 5 days
Text
awai #189
ここ数日、なのか、ここ1週間ぐらいなのか、割と散らかっていたように思う。今日はできるだけ部屋の掃除をするとか、昼寝をするとか、そういうことに時間を使った。 母が私の口座に大金を振り込んでくれた。というのは、母の終活の一環としてだ。母は音大出身なのだが、その音大の昔の同級生たちが、子どもたちに遺産を相続する際、莫大な相続税がかからないように、振り込んで贈与しても税金が発生しないギリギリの額を子どもたちの銀行口座に振り込むようにしているからだという。 ありがたいことこの上ない。でも、どこかしらに割り切れないモヤっとしたものを感じてもいる気がする。何にモヤを感じているのか、今はまだ言語化できていない。母がこれから先どのくらい生きるのかはわからない。が、例えばあと15年ぐらいだったとして、・・・。なんだろうな。 変わっていくこと。関係性や関係値が変わっていく渦中であること。母はなんというか、うまく書けないが、少なくとも他人というか、子どもをガス抜きの相手に使うタイプの親だった。私や、私が絶縁を申し出た姉が幼い頃からずっとそうだった。その部分の和解を期待していたことわけではない。母こそが家庭崩壊の一番の原因だったと気が付いてからは距離を取ること以外のことはしていなかった。今もそうだ。 が、子どもは大切にするものであるし、子どもには遺産を残したいというのが、母の行動になって現れていることに、私は驚いているのかもしれない。私たちは全くいい親子だったなんて言えないけど、子どものためなら銀行振込をするぐらいの親らしさが母に残っていることが、少なくともわかったということだと思う。 また、こういう生きていく上でプラスの恩恵にあずかれる人というのも今現在さほど多くは無かろうと思っている。自分の老後資金と自分の医療費、自分の介護費用を捻出するだけで精一杯どころか、子どもたちの仕送りなくては生活が成り立たないという親世代もきっと多いことだろうと思う。そのことを思えば、確かに私は恵まれている。 私は・・・今いる場所で働いている限り、そういう老後の資金まできちんと考えられる給料にまで至る道筋はまるで見えてはいない。かろうじてつみたてNISAを始めたとか、音楽の副収入がまああることとかはあるが、まあ両親ほどの金銭的に豊かな生活は見えてはこない。 父との関係性も変わっていく最中であると言えるだろう。父の京都での生活の終わりが本当に見えてきている。そもそも2023年3月には京都を撤退するというような話だったものが、延期に延期を重ねて、2026年3月が終わりということになっている。私はもう、父は京都で最期まで生きた方がきっと幸せだろうにと思っていた。今もそう思っている。が、おそらく、父は東京に戻ってくるのだ。で、おそらくまた今私が住んでいる家で一緒に住むことになるかもしれない。 また父と母と同じ家で一緒に住むことができるのかどうか。父は母がいる環境に耐えられるのかどうか。父は、今々の仕事が本当に忙しく、あまり先々のことまで考えないで生きていると思う。それがいい悪いとかいう問題ではなく、とにかく今はそうなのだ。で、そういう切羽詰まった忙しさがパタンとなくなって、父が何かしら引退後を趣味人として生きていけるのかどうか。あるいは、引退後にもまた誰かしら、あるいはどこかしらの会社や組織から必要とされ、働くのか。それとも頼りにしてくれる当てがなくなるのか。頼りにしてくれる人やものや組織がいないことに満足できるのかどうか。 私が先んじて考えることでも、案ずることでもないとは思っているのだが、とばっちりを喰らいやすいところに私はいるから考えてしまうのだとも思っている。日中は代々木あたりにオフィスを構えてそこで生活し、寝泊まりに帰ろうと思っているというプランは聞いているが、そういう二重生活が許されるほどの財力が果たして残っているのかどうか。 いつかどこかのタイミングで、きちんと精算し、これからはもう少しこうしようと軌道修正をする前向きな機会がまだ作れるのかどうか。 今日は、こういった未来への漠としたモヤモヤを書く日ということにしよう。 スペインのG監督から新作長編映画のための東京でのある種のコーディネーター役として声をかけられたこと・・・、そのG監督のトータルとしての意図がまだ私にはわからない。スペインの男・・・そういう書き方をしていいものかどうかはわからないが、彼のメール、彼の語り口に若干ウェットなものを感じる気もするし、それは私がまだ何かを期待しているからそう思うだけだという感じもする。が、何かしらを私に託そうとしているし、私が東京で低予算で長編映画を撮影するにあたって、彼にとって何か必要なピースであるということはとりあえず受け止めているし、できる限りのお手伝いはしたいと思っている。 私は考えすぎなのかもしれない。G監督が酸いも甘いも経験した46歳の大人のゲイで、語り口に余裕があって、ショービズの世界でもジャーナリストとしても生きていて、表現欲求もあって、そういうものが長らくの間スイッチを完全にオフにしていた私のとある部分をどこかしら刺激するのだということだとは思う。 変わる。 変わらないのは音楽を作ること、瞑想を続けること、筋トレをすることが自分のメインミッションであるということだけだ。この3つさえ守り続けられれば。
0 notes
dog-doll · 9 days
Text
「気持ちへの」理解など要らない 不可能だろうから お節介は嫌いだ 俺が何も考えてない様に見えたんだろ? 同情はごめんだ 見下し故のお情け 俺が欲しいモノ 慈悲、慈愛、受け入れ、救済 狂う様な真愛 …愛 上で挙げたものとどう違う? 理解、お節介、同情 こいつらが下敷きになって、いずれ
あの人達は信じて疑わない 俺は今、若い女の子で この先良い男と付き合って 幸せな結婚式を挙げて 良い奥さんになって 抱かれて 子育てを頑張って 良い母親になって 良いおばぁちゃんになって やがては家族に囲まれ死んでいくのだと あの人達は信じて疑わない 俺の思想、俺の思考、何を嫌がり何を好む 雰囲気、顔の造形、立ち振る舞い そんなモノ意味が無い 彼らはそんなモノ見ちゃいない 俺が俺を”俺”と呼ぶ現状 ま、世間的には異様なのも間違っているのも俺だろう 立場的には下、俺が黙らなくちゃいけない 阿呆の様に声をあげるな、それが仇になるぞ 細切れの感情を見せるな、それが隙になるぞ 「���も感じない」と思い込める様になるまで笑い続ければいい そうすれば、ああ、この世はほんとに笑えるぜ
生きる時間が増えていく中で 頭が優れていく自覚はあるが 視界も狭まっている気がするぜ 目を瞑れば見えた世界 鉛筆を持てば描けた情緒の仕組み 無いものを強請って、出会いたくてしょうがないから作り上げたみんな 遠く、見えないところで息をする人々 …を、感じづらくなってるんだ 日常に不満は無く、俺は幸せ者だ ちぃちゃな不幸はあれど、ただ生きるだけならかなり恵まれている方さ 文句がある訳でもない ただどうしようもない事への、やるせなさが たまにドロリと、視界に垂れる 足枷なんだろうか カルマってやつか? シンプルな不運 そーいう運命(は?) 要らないだろ設定的に 何が性同一性障害(���時名乗れば誰でも男女)だ いらねぇよ、ほんと 特異な性格 特異な性別 特異な恋愛事情 特異な人生 「個性があって素晴らしい!😁」 なんて粋超えてるだろ 神様ひどいぜ、俺何かやったか? ま、性別以外は結構気に入ってるけど
大きなものを感じる力 大きなものを考える力 切れ味、毒、そして若干不快な…ユーモア 俺の武器、俺の力 両手に掴めるものは何も無いが 目に見えないものを信じなくちゃならない いつか大事なものをハグする時がきっとくる 暫くは、その時の為に生きようか
2024.4.12.13.16
0 notes
taruhikusaba · 20 days
Text
【環境音楽】
疲れた身体を横にし、思い悩みがちな頭を枕にのせて、イヤホンを装着し、好きな音楽を聴いている時間が幸福だ。目を閉じて、静かに音楽に意識を向ける。それが心地よい。そして、今の時代に生まれて良かったと思う。現代文明に生まれて良かったことなど普段は考えないけれど、もし異なる時代に生まれていたなら、こうして音楽を個人的に楽しむことなど有り得なかっただろうと想像できるからだ。しかし、その想像を少し深めれば、身の周りの文物を当然のように享受し、生活に欠かせない物として捉えたり、自己の内面を投影して大事にしたりすることは自然で自明なことだろうかと自分自身に問いかけたくなる。その問いは、あらゆる物に言えるけれど、愛着の分だけ音楽に対しては強く思う。
音楽を聴く方法は歴史とともに変化してきた。まず楽器を奏でる奏者や歌手と空間を共有しながら、時に身体が震えるような経験を味わうことができる実演奏が一つ。次いで工業化に伴う、録音や通信技術の発展により、楽器も奏者もない家庭であっても、ラジオを通して、例えば重奏的で華麗な旋律を楽しむことができるようになった。加えて、レコードを初め、カセットテープやCDなど、音楽作品を記録した媒体がやがて普及した。そして情報技術の成長と電脳空間の拡大により、音楽作品のデジタルダウンロードやストリーミングサービスが流行し始めた。それらは人々が音楽作品を手軽に入手したり、手持ちの電子機器で再生したりすることを可能にした。聴き手が自分で好きな音楽を集めたプレイリストを作り出し、時と場所を問わない、より個人的に音楽を楽しむための基礎となっている。また、雑音を排するように耳を塞ぐイヤホンやヘッドホンは大衆が確かに耳で聴き取ることのできる音数を変え、より低音が響くようになり、そのような聴き手の聴き方の変化に音楽家は無頓着ではいられなくなり、市場に流通する音楽性に少なくない影響を与えた。これから、また更に音楽の新しい聴き方が生まれるのか、私には想像がつかないが、もし、そういったことになるなら、とても楽しみだ。
インターネットを介して無数の情報に接することができる私は、様々な音楽に関心を寄せている。この世界には様々な曲調の音楽作品があり、それぞれが私の心の奥底を掘り起こすようにして、何か新たな思いに出会わせてくれる。気分を高揚させ、一歩を踏み出す勇気を与えてくれるもの。神聖な存在を美しく讃え、人の絶望を希望に変えてくれるもの。軍隊の規律を統率し、異なる人間の集合である社会の基調となってくれるもの。歩くにも重たく感じられる身体を軽くし、楽しく踊らせてくれるもの。優雅な社交の背景として、その場の雰囲気を演出してくれるもの。悲しい物語を想起させ、目に映る風景の見え方を変えてくれるもの。
いつでも新しい音楽に接したいと思っているが、しかし様々な所を巡りながらも、その中で心が落ち着く場所を自然と見出だすように、私にも好きな音楽の作風といったものがある。私はピアノの楽曲を頻繁に聴く。超絶技巧や壮大な感情表現よりも、一音の余韻が空気の中に溶け込んでいくように響く、しかし、それでいて感傷的すぎない、ゆったりとした曲調の作品に惹かれる。私がとりわけ好きな作品は録音過程に入る雑音が消去されておらず、粗いのだが、優しく、不思議と懐かしい気持ちにさせてくれるものだ。ピアノの鍵盤が沈み込んだり、ペダルが動いたりする音が作品の一部として構成されていて、それは確かに一つの楽曲として完結しているのだが、旋律を聴かせる作品ではないようにも感じる。
調べると、それは環境音楽と類されているらしい。脱力したり、意識を集中したり、または瞑想するために、特定の場所に流れている環境音などが取り入れられ、静かで穏やかな雰囲気を演出する表現らしい。環境音楽は、森や洞窟、公園、街の雑踏、空港、駅などの環境を音楽作品として聴き手に体験させてくれるという。そう言われてみると、私の好きなピアノ曲も楽曲が何かを表現しているというのではなく、そのピアノ曲の響く環境を示唆しているようだ。
静かなピアノ曲を好んで聴いている私はどうして、そのような音楽に心惹かれてしまうのだろうとふと考える。私は音楽に関して専門的な知識に乏しいため、音楽一般や、その性質などを客観的に語ることができないが、それに何を求め、聴いている間の私に何が起きているのか、楽曲から影響を受ける自己の心境と体験を言葉にしてみたくなった。
ある曲は早朝の森の木漏れ日に照らされたグランドピアノと奏者の姿を思い起こさせ、また別の曲は古く埃っぽい館の一室で鍵が動いているようで、他にもたくさんあるのだが、そのどれもが静謐な空間を表していて、それを守っているというか、大事にしているような感じを聴いていて思った。そこに争いの気配は全くない。しかし脆く、少しの衝撃で壊れてしまいそうな不安定さも同時に儚げな音色は伝えている。音楽を何の気なしに私は享受しているけれども、その分だけ音楽が響く空間とは特別なものなのではないかと考えさせられる、同時にそれを好む私の求めも。
音楽を聴きながら、私が心から求めているものとは、音楽それ自体ではなく、実は、それが響いている環境なのではないか。じっと静かに音楽を聴ける空間や居場所があればよいと思っている。その欲求を確認させてくれるのが、私にとってのピアノ曲であり、そして環境音楽なのだ。聴くという行為ではなく、ピアノの音が流れている空間に身を置き、その音に相応しい環境を体感させてくれる音楽を私は求めているのではないか。
気分の高揚や情熱的な愛、信仰の壮大な昇華、そのような音楽の表現よりも、まず音楽作品を聴くことのできる居場所や空間が欲しい。周囲が音で溢れている環境で音楽作品を聴こうとするとき、人は耳を塞がなければならない。耳を塞がなければ音楽を楽しむことができない場合がある。独立した固有の作品としての音楽を聴くには、音楽よりも、音楽を聴くための静かな環境が必要であり、それはつまり人が個人的に音楽作品を聴くという行為の観点からは、音楽を聴く環境が音楽に先行することを意味する。それは、まるで言葉で記されながらも言葉でない物語のように、その言葉を正確に理解する必要がなく、言葉が表れる物語空間に浸る体験に似ているかもしれないとも私は思う。
いま音楽を聴くことができる環境に感謝の気持ちが芽生える。環境音楽であれ、どのような音楽であれ、音楽を聴いている時間には変わりがないけれど、私の好む音楽は、自らが音楽を聴いていられる境遇を自覚する方向に思考を向けさせてくれる。これまで私には違和感があった。音楽を聴く行為にまつわる違和感だが、音楽がもたらす美しい陶酔に私は心のどこかで馴染めない気持ちを抱えていた。しかし環境音楽は私の違和感を解消する方向を示してくれているように思う。いま私が音楽を一人で気軽に楽しむことができる境遇にあるということの意味、音楽作品を楽しむことよりも先に、その環境にこそ聴かなければならない音楽があるのではないかと私は環境音楽に導かれているような気がしている。
1 note · View note