Tumgik
#信濃大町
sayasaan · 2 years
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♡ ⁡ ⁡ #ドアラさん東京来てるのに ⁡ 先日、神宮へ行った時久々に寄ってきた #つば九郎神社 ⁡ びっくりするぐらい誰もいない… ⁡ とりあえず? 昨シーズンのヤクルトのような快進撃で ドラゴンズが優勝できるよう願ってきました。 ⁡ ⁡ #あやかれるものならあやかりたい #神宮は相性悪すぎるので今年は頼むよ ⁡ ⁡ ⁡ ✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧ ⁡ #ドラゴンズ #ドラゴンズファン #ドラゴンズファンと繋がりたい #ドラゴンズ愛 #中日ドラゴンズ #ドラゴンズ好き #ドラゴンズ大好き #ドラゴンズ頑張れ #くまこさんと散歩 #東京散歩 #さんぽ #東京さんぽ #神宮外苑 #信濃町駅 #アトレ信濃町 #つば九郎 #東京ヤクルトスワローズ (信濃町付近) https://www.instagram.com/p/Cn1298YPD31/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sharp7datwikk · 2 years
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さてさて、長野県松本市へ引っ越してきてからの最初のTRIPは、『諏訪TRIP 22-11』。 2つ目の目的地は、『信濃國一之宮 諏訪大社』の下社秋宮。 長野県は諏訪郡下諏訪町にあり、八坂刀売神を主祭神に祀っています。その霊代が8月1日~1月31日に納められているから、秋宮です。 とてもエネルギッシュな空間で、背中を押された感じがしました♪ #下諏訪町 #信濃國一之宮 #諏訪大社 #諏訪大社下社秋宮 #下社秋宮 #諏訪明神 #八坂刀売神 #寺社仏閣巡り #shrine #suwashrine #mythrobbing #myeos_m100 #mononofu #mononofu_daily (諏訪大社下社秋宮) https://www.instagram.com/p/CmJWDRZPY3f/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 5 months
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今回の報告書で「消滅可能性自治体」とされた自治体は、以下の通り。 【北海道】 函館市、小樽市、釧路市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 【青森県】 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 【岩手県】 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手町、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 【宮城県】 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 【秋田県】 能代市、横手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 【山形県】 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 【福島県】 会津���松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 【茨城県】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 【栃木県】 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町、 【群馬県】 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 【埼玉県】 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 【千葉県】 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 【東京都】 檜原村、奥多摩町 【神奈川県】 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 【新潟県】 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、関川村、粟島浦村 【富山県】 氷見市、南砺市、上市町、入善町、朝日町 【石川県】 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町、 【福井県】 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 【山梨県】 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 【長野県】 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 【岐阜県】 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村 【静岡県】 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 【愛知県】 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 【三重県】 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 【滋賀県】 高島市、甲良町 【京都府】 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 【大阪府】 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 【兵庫県】 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 【奈良県】 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 【和歌山県】 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川町、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 【鳥取県】 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 【島根県】 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 【岡山県】 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 【広島県】 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 【山口県】 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 【徳島県】 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 【香川県】 さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 【愛媛県】 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 【高知県】 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 【福岡県】 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 【佐賀県】 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 【長崎県】 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 【熊本県】 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 【大分県】 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 【宮崎県】 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 【鹿児島県】 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
【全744自治体リスト】「消滅可能性自治体」を一挙公開…北海道から鹿児島まで 出産年代の女性人口が半数以下に 日光市や草津町も  |FNNプライムオンライン
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oldkwaidan · 6 months
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肴を盗られた大工
 長野県北安曇郡社村宮本区の大工の体験談。  ある年の暮れのことである。  当時、彼は隣の大町の現場に通っていた。  暮れの忙しい時期なので、朝まだ暗いうちに家を出て、夜も暗くなってから帰宅するという調子だったそうだ。  あるとき、大町の店で肴を買って帰途についた。  社村曾根原の松井の坂の下にある水車小屋のあたりに火が見えた。  あのあたりに燈なんかないはずだが……  不思議に思った大工はしばらく立ち止まって火を見つめた。  すると最初は二つだった火がだんだんと増えてきた。  おやっ、と思うと火はすべてふっと消えた。かと思うと、再び灯った。  火は灯ったり消えたりをしばらく繰り返した。  これは狐の嫁入りだろうか。  大工はそう考えたが、耳を澄ますと人の声が聞こえるような気もする。  ならば人なのだろうか、でも狐のよう���気もする、いったい何の火だ。  思考が堂々巡りをしているうちに、ハッと気づくとしっかり持っていたはずの肴がなくなっていたという。
 (信濃教育会北安曇部会・編『北安曇郡郷土誌稿(一)』九、動物、變怪民譚附獵の話 「1 狐の話」)
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ryotarox · 10 months
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大学は出たけれど(邦画 / 1929)の動画視聴 | U-NEXT
就職難だった昭和初期の時代背景が色濃く反映された、サイレント・コメディ映画 |1929年
監督 小津安二郎
現存するフィルムはごく一部ながらも、昭和初期の庶民の暮らしが丁寧な筆致で描かれた小津の貴重な初期作品。主人公を支える婚約者を演じた田中絹代の演技が瑞々しく輝く。 大学を卒業したものの、就職先が見つからないままの徹夫。故郷の母親には就職したとうそをつき、それを信じた母親は婚約者の町子を連れて上京してくる。2人に真実を告げられずにいた徹夫だったが、彼のうそを見抜いた町子はひそかにカフェで働き始める。
大学は出たけれど - Wikipedia
公開当時は70分の長編作品だったが、現存するのは11分ほどの断片フィルムのみ
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U-NEXTはこんなものまであるのか。
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fukagawakaidan · 1 month
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に��れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわ�� ●小判を得る話を��め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたも���だが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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shunya-wisteria · 2 years
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リゾートビューふるさと、乗ってみた。
長野発、篠ノ井線・大糸線を経るリゾートビューふるさと にて、秋の信州を旅してみた。
秋の行楽シーズンは信州に限るね、ということで今年も旅してきました。今回は、長野から篠ノ井線を経て松本、その先 大糸線へ入るJR東日本の観光列車 リゾートビューふるさとに乗ってみました。土日祝を中心に1日1往復運行される全車指定席の快速。指定券はえきねっとから予約し、信濃大町まで道中を楽しみました(この列車の終点はJR西日本との境界駅 南小谷)。
早朝の新幹線で東京から移動、一路 リゾートビューふるさと の始発駅、長野へ。乗車時間がそれなりに長いため、長野駅で飲み物とおやつを調達し列車へ。リゾートトレインとして設計されたこの車両は大きな窓と前後に広い座席が特徴。道中、信州の美しい秋の景色を楽しめます。
列車は善光寺平を望む篠ノ井線を進み、日本三大車窓の1つで、数少ないスイッチバック駅として知られる姨捨駅に到着、30分程の停車。ホームから善光寺平の美しい景色をじっくり堪能。善光寺平を離れた列車は一路 松本へ。
松本にて進行方向を変え、大糸線へ。途中、穂高駅で再び30分程停車、この時間を利用し駅近くの穂高神社を参拝可能。少しずつ色づき始めた紅葉のグラデーションが楽しめました。
再び列車に戻り、車窓から立山連峰の美しい山並みを楽しみ、信濃大町にて下車。のんびり心落ち着く3時間半の旅を堪能できました。乗車券+530円の指定券で乗れるので、大変お得ではないかと思います(座席間隔・窓の大きさとも、新幹線(E7系)、特急あずさ・しなの より優れているし)。
次の電車まで信濃大町の街をしばし散策、山並みを電線の干渉なく写真に収められるスポットを探す。おやきで軽く腹ごなしをした後、反対方面の普通電車で来た道を折り返し松本へ戻ります。
せっかく松本にきたということで、松本城を再訪。西日に輝く天守は紅葉と相まって大変 美しいものでした。外国人観光客の方も少しずつ増えてきている感覚で、ノーマルな光景が戻りつつあるなと感じました。また状況が悪い方向に変化しないことを祈りながら。
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runpenparis · 2 months
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
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【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャつい��いた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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moko1590m · 2 months
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四角い紙パックや瓶での販売が一般的な牛乳だが、茶など他の飲料のようにペットボトルに入った商品はなぜ身近にないのか。軽くて持ち運びやすいため、ニーズもあるように思える。北海道で酪農を担当する記者が調べたところ、ごく少数だが流通はしていた。取材を進めると、普及が難しい牛乳特有の事情が見えてきた。 【画像】「ペットボトル牛乳」実現の流れ  手始めに、日本乳業協会に聞いた。日本では、安全面での懸念からペットボトル入りの牛乳の製造は食品衛生法で禁じられていた。乳業メーカー側の要請を受け政府は2007年、「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」(乳等省令、現・乳等命令)を改正。雑菌が繁殖しやすいなどの特性に注意することを条件に、解禁された経緯があるという。  同協会は省令改正を受け、①容量は、常温で持ち運びせず一度で飲み切ると想定される350ミリリットル以下か、直接口で飲む、または常温で持ち運ぶことが想定されにくい720ミリリットル以上とする②10度を超える場所に長時間置かないことなどを容器に表示する──といった自主基準を制定。安全に商品を販売するためのルールは整備されている。 「瓶形状」で差別化  では、現在実際に製造・販売されている商品はあるのか。同協会から「流通量は少ないが、タカナシ乳業(横浜市)が取り扱っている」と聞き、同社に詳細や開発経緯を問い合わせると��書面で回答が得られた。  同社は、17年4月からペットボトル容器の牛乳を販売する。容器の形状が牛乳瓶型で、「瓶容器の親しみのある形状も生かし、差別化できると考えて商品化に着手した」(商品部)という。  原料には北海道浜中町の指定牧場で生産された、乳脂肪分4%以上の特選規格の生乳を使用。容量は同協会の基準を踏まえて飲み切れる200ミリリットルとし、光による風味劣化を防ぐため、専用の遮光性フィルムも導入した。  現行商品の「特濃牛乳 200ml」は一部小売店で販売され、同社のオンラインショップからも購入可能。消費者からは「紙くささがなくておいしい」「小さな子どもでも1人で持ちやすい」などの声があるという。 輸送効率良いが…  同社はペットボトル容器が紙パックや瓶より優れる点について、輸送効率の良さや輸送時の環境負荷の少なさを挙げる。容器の形状や容量の自由度が高い点もメリットとする。  しかし、大手を含めほとんどのメーカーは解禁から15年以上たっても商品化していない。同協会によると、衛生面への根強い懸念や容器の開発、設備投資に高いコストを要することなどが背景にあるという。  同社も「牛乳は日用必需品として購入されることが多く、デザイン性や付加価値を求める人が少ない」(同)ことを指摘する。 取材後記  「ペットボトルで牛乳が売られていたら、買う人は結構いると思いますけどね」。取材のきっかけは、記者の自宅近くにある飲食店の40代店主のこんな一言だった。  当初、もしペットボトルでの販売に消費拡大の可能性があることを報じられたら、現在も厳しい情勢が続く酪農経営に明るいニュースを発信できるかもと、淡い期待を抱いて取材を始めたが、現実問題としてそれは難しそうだ。  ただ、暗い話ばかりではないようにも思えた。タカナシ乳業のペットボトル入り牛乳を販売する浜中町のスーパーの店長は、「この容量ならすぐ飲み切れるので、買っていく観光客が多い」と話す。シェアの大幅な拡大とはいかずとも、確実にニーズはあるようだ。今後の動向にも注目していきたい。(松村直明)
「ペットボトルの牛乳」少ない理由は? 2007年に解禁したものの…(日本農業新聞) - Yahoo!ニュース
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emeraldecheveria · 3 months
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月の光と海うさぎ【4】
新しい家
 新居がある隣町は、田園が広がるのどかな風景の町だった。
 父が運転する車の助手席に母、後部座席に私と美夜がいる。私は父の後ろで、美夜は母の後ろで、それぞれ窓に顔を貼りつけてその景色を見つめた。引っ越しトラックが私たちの車に後続している。
「あの家だぞ」と父が言って、私も美夜も急いでフロントガラスを向いた。ざあっと稲穂が続く中に、晴れた空と同じ水色の家があった。
 胸がどきどきしてくる。まるでルルが喜んで跳ねているみたいに。実際、心の中にあの陰気な雨は降っていなかった。出窓を見つけたように、私の胸にはさわやかな風が抜けて、爽快なほどだった。
 だって、やっとあの学校を解放されたのだ。みんなからのいじめ、先生たちの嫌味、静くんの視線からも逃げおおせた。このすがすがしい光景の町で、ようやく自由を手に入れた!
 どんどん近づくほど、新居がびっくりするほど大きな家だと気づいた。一階が車庫になって、その上に二階建ての家があって、実質三階建てだ。遠くから見えた通り壁は水色で、屋根は青、窓枠は白、コントラストがまるで大空と海原と白雲みたい。周りの稲穂の音も、本物の海みたいだった。
 ああ、そうか。海なら心配ない。私の中のルルが海うさぎなら、この家は帰ってきた場所になる。だからきっと、ルルにも友達ができる。私にも友達ができる。ここが私の居場所になるんだ。
 新居の前に到着して、大人たちが荷物を抱えていそがしく動きまわる中、私と美夜は家の中を駆けまわって探検した。
 いくつもある部屋。木目の階段。大きなベランダ。ぴかぴかのお風呂。トイレだって真っ白だ。
 何より嬉しいのは、三階に自分だけの部屋があることだった。今までは美夜と同じ部屋だったから、一気に自分が立派になったような感じがした。私も美夜も「すごい」「すごい」ばかり言うので、母の反対を押し切ってこの家を建てることにした父は、すっかり上機嫌だった。
「自分の荷物は自分でほどきなさいね」
 新築の匂いがする自分の部屋で、南向きの窓を開けていると、私の名前が書かれた段ボールが続々と運ばれてきた。私の荷物がすべて部屋につめこまれると、顔を出した母がそう言った。「うん」と私が段ボールに駆け寄り、さっそくガムテープを剥がそうとしたとき、「よかったね」と不意に母が言った。
「えっ?」
「これで、いじめられることもなくなったから」
 私は母を見た。母は目は合わせず、そそくさと隣の美夜の部屋に行ってしまった。私は手の中のガムテープを視線を落とし、気にしてくれてたんだ、と思った。
 ざざあっと潮騒のような音と共に、涼しい秋の風が舞いこんでくる。そのそよ風がするりと私の長い黒髪を揺らし、深く呼吸すると、白い天井を見上げて自分は救われたのだと思った。
 本当にそう思った。段ボールを荷ほどきしたり、住所変更の手続きをしたり、数日、学校に行かなかったあいだは。
 そのまま、学校なんて私の生活から消えてしまえばよかったのだ。でも、心が解放感で清らかになって、学校への警戒心さえ流れてしまっていた。というか、何の根拠もなく新しい学校ではうまくいくと思っていた。
 新しい中学校には、転入前に母と挨拶に行った。小さな中学校で、学年ごとにクラスはふたつしかないらしい。私は一年二組だと告げられた。田舎なので、特に高齢化で子供が町から減っている。そのため、学校の生徒数も少ないらしく、「でもそのぶんアットホームなんでね」と校長先生はにっこりした。私はその言葉を信じて、ここなら大丈夫そうだと改めて安心した。
 アットホーム。確かにそうだったかもしれない。物は言いようだ。
 私は分かっていなかった。町にひとつしかない幼稚園、小学校、そして中学校に、エスカレーター式でもないのに一緒に進学してきた子たち。それはひとつの家族であるように、とても密接な関係を作っていた。そのぶん、ホーム外のよそ者に対しては──その危険性を、私はまだ知らなかった。
 転校初日、私は黒板の前で丁寧に教室に向かって挨拶したし、できる限りの笑顔だって頑張れたと思う。転校生に奇妙なムードがあるのは、前の学校を去るとき、女の子たちが泣いたことで分かっている。きっとこちらの学校でも、あの空気に押されて誰か私に話しかけてくれるはずだ。
 そわそわしていると一時間目が終わり、休み時間になった。ちゃんと答えられるかな。言い間違えたりしませんように。そんな心配をしていると、十分間の休み時間はあっという間に過ぎた。
 あれ、と顔をあげて、ふと私は、教室でひとりだけ「違う」ことに気がついた。その違和感が、微妙な被膜を作っていることも。
 二時間目が終わっても、私に近づいてくる子はいなかった。無視されているわけではないようだ。みんなのほうも違和感を感じ取っている。そして、どうしたらいいのか分からないというふうに遠巻きに私を見る。
 目が合ったら慌ててそらされるので、私から話しかける勇気も持てなかった。だいたい、こちらからみんなに言えることなんて、朝の挨拶で言ってしまった。だから、今度はそれに対してみんなが好奇心を持って尋ねてくれないと、私は誰に何を言えばいいのか分からない。
「え、えーと……み、光谷さん?」
 味わうゆとりもなかった給食のあと、昼休みになって、ようやくそんな女の子の声がかかってきた。自分の席で、つくえに伏せって寝たふりすらできずに固まっていた私は、はたと振り返る。
 天然パーマっぽい長い髪なのに、どこかおどおどした雰囲気のせいで地味な女の子が、私のかたわらに立っていた。彼女が笑うと、乱杭歯が覗いて、私はぎこちない表情になって「はい」とだけ答えた。
「あ、あの、校内を、あ、案内……させてもらって、いい、かな?」
 私はまばたきをして、確かにそれはしてもらわないと困るな、と思った。「お願いします」とうなずくと、「う、うん。じゃ、行こう」と彼女は教室のドアをしめした。
 私は席を立ち、彼女についていく。くすくすという笑い声が聞こえた気がした。けれど、ちらと振り返っても、そんなふうに嗤っている人はいっけん見当たらなかった。
 彼女は金子さんというらしい。並んで廊下を歩いていると、「お前、ドーモが感染るぞ」と揶揄ってきた男の子がいた。
 どうも? 別にそんな挨拶はされなかったけど。そう思って私は首を傾げたものの、やたらと「ドーモじゃん」「うわ、ドーモ」と言われている金子さんが、どうやらこの学校で“生け贄”の立場にあることは察した。
 それでも、一生懸命に話しかけてくれるから、私も緊張しつつ金子さんの質問に答えた。前に通っていた学校のこと。おろしたばかりのここの制服のこと。質問されることにただ答えていた。頭が素早くまわっていなくても、おかしなことも悪いことも言わなかったと思う。
 なのに、広くない校内をまわって教室に戻ると、金子さんはすっと私を離れて、教室にいた女子グループに私の返答を報告しはじめた。ときどき笑い声が聞こえ��、私は急に冷たい手に心臓をつかまれたように、ひやりと不安を覚えた。
 あとで分かってくることだけど、金子さんは吃音があって、「どもる」から「ドーモ」と呼ばれているらしい。察知の通り、やはりみんなにいじめられていた。そして、私の情報を流して、いじめっこのグループの仲間になろうとしていたみたいだった。
 ちなみに、こちらのほうが田舎町のせいか、勉強の進みが遅かった。前の学校でどこまで進んでいたか訊いてきた数学の先生は、「みんな分からないことは光谷に訊くといいぞ」とかとんでもないことを言った。
 学校の勉強は進んでいても、私はそれに追いつけていなかった生徒だ。その先生は何を調子に乗っているのか、授業中に問題を答える挙手がないと、集中的に私を当てて「光谷なら分かるよな?」と黒板に呼んだ。
 しかし、当然ながら私はまったく分からない。いくら当てられても、決まって答えられない。脳が張りつめて吐き気がして、「分かりません」の声さえ出なかった。
「あいつ、頭悪いんじゃねえの」
 そんなささやきは一気にクラスに伝染した。あっという間に、私は頭の悪い無口な子だとうわさを立てられた。
 ちなみに、金子さんは私の情報を使ってもいじめっこグループに昇格はできなかった。それでも、いちいち私に話しかけてきて、それを女の子たちに報告することはやめなかった。教室で失笑が聞こえてくると、私はびくりとすくみそうになった。
 教室になじめることがないまま、長く厳しい冬に入った。二学期が終わる直前、その日も私は心の中にもやもやしたものを抱えながら帰宅した。
 空は灰色で、すぐにでもあたりは暗くなりそうだ。収穫まで豊かだった田園は、今は耕耘されて土が剥き出しだった。周りに何もないぶん、吹き抜ける風音がすごい。
 家に入る前にポストを覗いた。新聞の下に藍色の封筒がある。手紙かな、と手に取ってみると、私宛てだった。誰だろう、と裏返して差出人を確認し、目を開く。
『山田静司』
 静……くん? え、何で。ここの住所は教えずに引っ越したのに。
 とっさに、私を見つめていた静くんの目がよみがえる。じわりと気分が悪くなった。何だろう、いまさら。何も言わずに引っ越したんだから、いい加減つきまとうなって意味だって察してよ。
 びゅうっと寒風が長い髪と紺のスカートを巻き上げ、刺すような冷えこみで我に返る。気味が悪いと思いつつ、一応、静くんの手紙はポケットに入れた。インクのにおいが濃い新聞も腕に抱え、暖房と石油ストーブで暖まった家に入る。
 今夜の夕食が決まらないのか、母はキッチンにまだ立たず、リビングのソファでレシピ本を見ていた。「ただいま」と声をかけると、こちらに顔を向けた母は「おかえり」と返す。
 私は新聞を座卓に置き、「美夜は?」とリビングだけでなく見渡せるダイニングにも目を向ける。
「友達の家に遊びに行ったわよ」
 友達。……そっか。そうだよね。できるよね、友達。
 母は私のそんな内心を読んだのかどうか、本を膝に置いた。
「希夜は友達できたの?」
「え……、あ、話す……人は、いるよ」
 その人は、私の発言を全部、クラスを牛耳るグループに報告しているけど。
「そうなの。いつでもここに連れてきなさいね」
 気まずくて黙ってうなずき、「宿題しなきゃ」とその場を離れた。冷たい爪先で階段をのぼり、自分の部屋に入ると、ほっとしたぶんだけ憂鬱が押し寄せる。
 何なの。母も分かっているくせに。どうせ私に友達なんかいない。なのに、何で美夜と較べるみたいに訊いてくるの。
 ため息をついて、板張りのドアにもたれる。寒いな、と思ってもストーブまでの数歩さえだるい。
 そういえば、とポケットに手を突っ込んで、くしゃっと触れた手紙を取り出した。ぼんやりした目つきで、不器用な文字による自分の名前を見つめる。
 捨てようかな。あるいは、ポストに返そうか。そうも思ったものの、小さく息をついて封を切った。淡い水色にグレーの罫線が引かれただけのシンプルな便箋に、あんまり綺麗じゃない字が並んでいる。
『希夜ちゃんへ
 いきなり手紙なんて書いてごめんなさい。
 住所は野中さんにききました。
 僕にも教えてほしかったけど、急な転校だったみたいなので、仕方ないですね。
 そっちでは元気に過ごしていますか?
 希夜ちゃんが、今までみたいな思いをしてないといいなと思います。
 僕は相変わらずですが、大丈夫です。
 希夜ちゃんに言われた通り、何をされても強くなりたい。
 でも、希夜ちゃんがそばにいないのは、我慢できないくらい寂しいです。
 もしこっちに来ることがあったら教えてください。
 会いたいです。
 静司』
 私は眉をゆがめると、便箋をたたんで封筒にしまった。
 何だろう。何でそう思うのか分からないけど、喉の奥に水疱ができたような不愉快がせりあげてきた。
 何というか、……気持ち悪い。野中さんも、ただで静くんに住所を教えたわけではないだろう。そこまでして、私の住所を調べて、手紙なんて──気持ち悪い。
 手紙は、ゴミ箱にこそやらなかったものの、本棚の使っていない引き出しに投げこんだ。返事を書く気はなかった。また手紙は来るかもしれない。だが私が無視していれば、いくら静くんでも、いつかあきらめて一方的な手紙なんてやめるはずだ。普通に考えて、気が引けてくるだろう。私が好きなら、迷惑はかけないでほしい。
 ようやくストーブをつけて、冷え切っている部屋を暖めた。制服のままでストーブの前に座り、熱で赤く灯る光を見つめる。冷たくこわばる頬が、その光に染まって溶けていく。
 私は教室で、みんな──金子さん以外には、遠くから眺められているだけだ。何をされているというわけではない。確かに友達はいない。しかしべつだんいじめもない。なのに、こんなにも胸がもやもやして、学校に行くことが息苦しい。
 同じ種類のものを感じるのだ。教室にいると、前の学校でけして溶けこめなかった自分ばかり思い出す。深い深い水中で、一滴の油になってしまったみたいだ。
 石を投げつけられないか、教科書を破られていないか、そんな心配ばかりしてしまう。誰も私に近づいたりしない。こんなの自意識過剰だ。はちきれそうな不安を、そう思って抑えようとしても、カマイタチのような鉤爪が腫瘍をつぶし、恐怖が膿のようにどろりとあふれる。
 まもなく、冬休みになった。雪が降り積もる中で年を越し、三学期が始まった。相変わらずだった。私は勉強ができなくて、そのことを男子はバカにして嗤い、金子さんは私にあれこれ訊いて、報告された女子グループはくすくすと嗤う。
 そんな毎日に、私はまた、朝起きてふとんから出るという習慣がつらくなっていった。母が再びいらいらしはじめているのは分かったけど、朝の通学路をとぼとぼ歩いていると、心が締めつけられてルルの軆が強直するのも感じるのだ。
 こんなのダメ。私の心に棲むこの子を怖がらせてはいけない。この子が「つらい」と感じたら、私の精神はまた暗く冷たく沈んでいく。
 二年生になったら、クラス替えがある。そうしたら、何か変わるのかな。でも、それって状況が好転するの? あるいは悪化するの? この学校の人はみんな家族だ。そして私はよそ者だ。それは揺るぎなく、変わることはない。
 この狭い中学校において、私は招かれざる客なのだ。きっと二年生になったって一緒だ。身内で和気あいあいとしていたい一家は、居座る私に白い目を向け、とっとと去って消えろと訴えてくるに違いない。
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【前話へ/次話へ】
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sharp7datwikk · 2 years
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さてさて、長野県松本市へ引っ越してきてからの最初のTRIPは、『諏訪TRIP 22-11』。 最初の目的地は、『信濃國一之宮 諏訪大社』の下社春宮。 長野県は諏訪郡下諏訪町にあり、八坂刀売神を主祭神に祀っています。その霊代が2月1日~7月31日に納められているから、春宮です。 清々しい感じのする、特別感のある空間♪ #下諏訪町 #信濃國一之宮 #諏訪大社 #諏訪大社下社春宮 #下社春宮 #諏訪明神 #八坂刀売神 #寺社仏閣巡り #shrine #suwashrine #mythrobbing #myeos_m100 (諏訪大社下社春宮) https://www.instagram.com/p/CmEMXv0vKuc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 5 months
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「消滅可能性」744自治体 人口戦略会議 239自治体が脱却 / 日本農業新聞
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kurano · 3 months
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※ 菅野志桜里元衆院議員、「『何が原因か分からない』幹部たちが、立憲民主党の時代感覚を圧倒的にズレさせている」都知事選惨敗の蓮舫氏陣営の分析を嘆く
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c39c9b6522338e6c123fe260a52e64442f56b1b
*蓮舫氏〝大敗〟に立憲衝撃「信じられない」 共産との連携、裏目か
https://mainichi.jp/articles/20240707/k00/00m/010/147000c
*「どっちに転んでも美味しい展開?」都知事選、敗北を喫した蓮舫氏を擁立した立憲民主党執行部へ様々な考察が集まる
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 さすがに立憲関係者は、何が敗因か解っていますよ。それが解らなきゃ政治家の資格はない。そう書かないとニュースにならないから、マスゴミさんはそう書くだけの話です。
 それにしても、今回もまた、「有能な敵より、無能な味方の方がなんぼか怖い、やっかい!」を証明した選挙になりました。
 小池都政8年にたいした瑕疵はなかった。神宮外苑問題、そもそも都民のみんながそこにいくわけじゃない。渋谷宮下公園再開発。あの場所は新宿まで歩く時にいつも通ったけれど、そもそも渋谷の一等地空間としておかしかった。宮下公園に都民が抱くものは、ある種のノスタルジーに過ぎない。
 築地再開発。お金になるのが都民にとっての利益。都庁プロジェクション・マッピング。50億なんて端金でイベントできる。都民の誇りでしょうw。
 蓮舫も実は良い主張はした。非正規公務員の正公務員化や、教員の激務解消とか。でもそれらは全部、財政垂れ流しの美濃部都政の悪夢を再現するだけ。美濃部都政を持ち上げた時点で町山氏はずれまくっていた。
 そしていつもの限界左翼、死のバターン行進の始まり! 「テレビが都知事選を報じないのはなぜだ!」。いざ報じたと思ったら、「偏向している!」。「もっと投票率が上がれば!」。昔と違って、投票率が上がった所で、票は野党にはいかない。今回のようなことが起こるだけ。
 全て、町山氏の Twitter で、毎日のように繰り返された自爆行為です。この人たちは、情弱を過ぎて境界知能集団なのか! とうんざりした。
 留めは、選挙結果に対しての愚民批判、相手側批判。いや、私も日本人は総じて愚民だと思うし、民主主義は所詮愚民政治だと思う。でも、負けたら、その敗因を内側に探るのが貴方たちがやるべきことです。
 1日も早く、立憲から離れて下さい。貴方たちは本当に、史上最凶の無能な働き者です。共産党もれいわも、両手を大きく広げてあなたたちを受けて入れてくれます!
 ただし、連合の本音はどうなのだろう。共産党と組んでも勝てないよ? と悟っていたのは立派だけど、されど連合が、自民党に近い小池さんを応援するのは筋違いではないのか? という疑問は拭えない。
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oldkwaidan · 4 months
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稲荷様の神木(二)
 長野県北安曇郡池田町の下町にある稲荷様の境内に槻の大木があった。  この木の周囲で子どもが鬼ごっこをやっても捕まることがなかったほどの大木で、神木として崇められていた。  あるとき、北條という庄屋が権勢を頼み、その木を伐り倒して、新築する自分の屋敷の木材にした。  その家に住み始めてからすぐ庄屋は死んだ。  次いで木を伐り倒した木挽も死んだ。  神木を木材にしたときに出た木っ端をもらって薪にした小坊長屋の四家族の者らも相次いで死んだり、行方不明になったりした。  同様に出た枝を引き取ったのは三人の山師であった。  新町の方へ持って行って売るつもりで、筏に組んで犀川を下っていったが、途中の山清路で一人が死に、残りの二人も不運が続いたという。  これは、恐ろしい話として、今も土地の人に語り継がれている話である。
 (信濃教育会北安曇部会・編『北安曇郡郷土誌稿(一)』八、樹木の話 「12 稲荷様の神木」)
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leomacgivena · 4 months
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昔は信濃町の創価学会の施設もトイレ貸してくれたりして優しかったのに、今は部外者お断りで城砦国家みたいになってる。創価学会も公明党も、組織を広げたいならこういう積み重ねとちゃうかなあと思う。
あらいちゅー🐴馬主で大家で占い師さんはTwitterを使っています
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each82 · 5 months
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おもろいマインド。深夜テンション長文。時間あったらぜひ。
幸せな自分へ。
無い物を欲しがり、違う立場を羨み、他人を見てばかりいる。それは本当にもったいない。
その気持ちわかる。思ってしまう瞬間もあると自覚している。
でもどれも捉え方次第だし、自分に都合のいいように変えてしまえた方がすごく楽しい思考になると思う。
例えば3番目に生まれたことを、「いいね、末っ子は」と言われたとする。
3番目に生まれたことは変えられないし、選んだわけでもない。そんな変わりようがない事実を羨んでも仕方ないのに、と思う。
わたしからしたら、長女は初娘、初孫という素晴らしい特権があるし。全てが初めてなのだからその分目をかけてもらえると思う。
次女は、生まれた時に心強い姉がいて、しばらくしたら可愛い赤ちゃんを迎えられる。
いわばサンドウィッチの具の部分。1番美味しい所。
これがいいもわるいもないのにね。
自分の気持ちのいいように捉えればいいだけなのに。辛い面にわざわざフォーカスして考える必要ないのに。
自分は恵まれてないとか、不幸なんだとか思って生きていると、なんだかその通りになってしまうと思う。
わたしは常々、できればいいことをしたいって思う。好かれたいのではなく自分の気分がいいことをしたい。
ポケットティッシュを配っているのを素通りする人はなぜなのか?コンビニにいけば値段がつくものをわざわざ無料で配ってくれているのに、無料で鼻かんでいいですよ。っていわれてるのに。もしかしたら貰ったティシュで、突然鼻血が出た人の役にたつかもしれないじゃないか。そこから恋が生まれてしまうかもしれないじゃないか!そんなチャンスを捨ててるなんてもったいない。
ティッシュもらう人にここまで考えている人なんてきっと多くないと思うけど、何時間も配っている人からしたら貰ってくれた方がなんだなポカっとするでしょ。気分がいいってそういうこと。
まだまだたくさんある。
大森駅から乗って、信濃町で降りてバイト行くんだけど、帰りは代々木まで歩いて大森に帰る。そうしたらたった88円だけど節約できるんだ。そんでもって歩いてるってことは健康にも繋がるし、歩いてることに価値がついてるんだ。歩いたら88円もらえますよ。って。
きっと人間の思考的に、88円安くなります!より、
歩いたら88円!!の方が価値を感じると思う。だからそう思って歩いてる。そしたらすごく楽しい。単純でよかった。自分。ありがとう。
水筒を持って歩くことにも幸せを感じる。
持たないで出ると必ず買う羽目になる。でも持って出たことによってプラスチックゴミも増やさなくて済むし、100円節約できた、と思える。やはり単純だ。ありがとう。自分。
きっとお金をいかに使わずに生活することに幸せ感じてたりする。
だって、楽しいんだもん。得してる感じが。
0:59
        捉え方が気持ちいい王子より
単純にメモに書いていた一部を共有してみたくて残しておく。🤭なーんか、無敵の思考だと思ってる。ありがとう。自分。
代々木まで歩いたおかげで出会えた猫とおばあちゃん👵🏽🐈🐈‍⬛
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