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#個人での買い付けは痺れる
tokyomariegold · 12 days
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2024/3/4〜
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3月4日 バレンタインのモロゾフのミッフィーを渡した方から、お返しに…、と可愛い栗のお菓子をいただく。その方には以前、ベンガルスパイスの紅茶を一つあげたことがあって、そのハーブティーのシリーズの、アップルシナモンを買ったことを報告してくれた。
昨日買って、開封した袋のままラップになんとなく包んだ油揚げが、今日もまだ使えるか不安で、インターネットで調べても大丈夫そうだけど不安で、よくしてもらっている職員さんに訊いてみると「3日くらいは全然平気!冷凍すればもっと大丈夫よ!」と教えてくれた。 昨日は油揚げと見切り品のレタスで作ったお味噌汁がとてもよかったので、できるだけ続けたい気持ち。 レンジで味噌汁を作った話をしたら「息子が4月から一人暮らしをするかもしれないから、いいこと聞けた!」と言ってくださった。 高校を卒業できないかも?というエピソードを聞いていた息子さんだったので、卒業はできたのかな?と思った。
今日はロキソニンを飲まなかった。 でも代償としてずっと頭や首や肩や腰や、身体中が痺れて痛かった。
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3月5日 都庁の展望台は火曜日がお休み。 また、新幹線で大阪へ行ける時間を費やしながら都庁から職場へ戻り、そしてまた明日都庁へ行くことになってしまった!
明日は元々出張の予定があって、終わったあとの時間は坂本龍一の展示でも行こうかなと思った矢先。 でも今は何も楽しめない感じの無の心なのでちょうど良かったかも。
ポッドキャストを聴くのに思ったよりはまってしまい、いろんな番組を探すのも楽しい。
amazonセールも楽天スーパーセールもあやかりたくても何も欲しくない(届いた時のことを考えると面倒になってしまう)。 でも今朝、鏡につけているライトの灯りがつかなくなってしまい、以前と同じものをamazonで注文した。
出張先から職場へ戻ると、リュックにつけていた毛(黒カビ)が落ちてしまった。 書類を運ぶように持っていた手提げにつけていた、てらおかさんの犬のピンバッジも取れていることに気がついた。悲しい。
雨だったと出張の荷物が重かったので一旦家にもどってからスーパーへ。いつも買いたいものたちが今日は少しお安めだったり、レンジでゆで卵を作る機械が届いたので生卵を買ってみたりして、セルフレジでお会計をしようとしたところ、iPhoneもお財布もおいてきてしまっていることに気がつく。 店員さんに事情を説明して、iPhoneを取りに戻り、またスーパーへ戻っている。
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3月6日 昨晩は、連続して出張のために自分のデスクでしておくべきことを忘れていたこと、それがちょっと怒られ気味案件だったことを思い出し、ただただ怒られ対策メールの文面をずっと考えたりしながら怒られたくない!という気持ちで過ごしていた。
そのせいかとても頭が冴えてしまい、でも夜の一食目の食事がなかなか進まず、22時からたぶん日付が変わる頃までかけて食事をしてしまった。
ゆで卵のお稲荷さんをレンジで作りたかったけれど、半分に切った油揚げは卵1個分がはみ出てしまう大きさで、油揚げと卵の他人丼の具みたいなのを作ってしまった。でも美味しかった。
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今日はいつもの東京出張からと都庁へ移動。 思いがけず2日連続でナチュラルローソンのコバトンに会って、昨日は陳列していなかったグルテンフリーのドーナツを買って食べてみた!散々ミスドの話をした日々で、流石にドーナツ本体を食べてみたくはなっていたので丁度よい感じで食べることができた。
新宿三丁目から西口まで地下を歩きながら、伊勢丹や紀伊國屋や丸井によって、平日でも伊勢丹の人気店は長蛇の列ができていて、丸井はとっても閑散としていて、紀伊國屋の地下に大将がいるカウンターのお寿司屋さんは誰も居なかった。前を通りかかったら、嘘みたいに「へいらっしゃい!」と声をかけられた。
都庁で数十分で用事を終えて、ニコンサロンで若山さんの写真展を鑑賞。 都庁もニコンサロンもおじさんばかりだった。
どんなに忙しくても、もうすでに無の心の年度末を迎えてしまっているけれど、人生するべく大阪に行くんだよ!と新幹線のチケットを取った。
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3月7日 久しぶりにまともに職場に出勤した気がして、出張は移動するのがお仕事だということを実感。溜めていたお仕事を少しずつ動かしてあっという間に1日が終わってしまった。
朝、向かいのデスクの方から「コーヒー飲みますか。新しいドリップ買ったので良かったら」と声をかけていただく。コーヒーもお酒も飲めないしタバコも吸わないし、嗜好品がない人生、何が楽しいんだろう、と思ってしまう。「胃が痛くなってしまうんです…」とお断りさせてもらう。
本当、最近は何を楽しみに生きているのかわからなくて、嫌なことや辛いことを予防することに精一杯だったり、それでもそんな良くないことが起きてしまいそうな予感に怖くなり、焦って祈ることしかできない日々。
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ポッドキャストを聴く日々を始めて、chelmicoの番組とゆっきゅんが出ているY2Kの番組などを聴いている。chelmicoの2人の感じがハッピーでとても良い!と思っていたら、あのちゃんの番組の直近の回にゲスト出演していることに気がつき、嬉しくなってすぐ観てしまった。そして番組の中でレイチェルさんが怒ることについての本を紹介していて、怒られ案件の日々に嬉しい紹介だった。
駅まで歩く帰り道にあった、しあわせのポキ丼の店が潰れていた。
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3月8日 朝起きて窓の外が思ったよりずっと雪で「雪じゃん!」と声が出てしまった。それで写真を撮って、思わずカメラを持って出かけてしまった。 今年は寒さが長引いている気がする。
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去年の今頃は白い花が咲く中で三脚を立てて自撮りをした気がして、その花を確かめに行ったらまだ咲いていなかった。
金曜日なのでとても掃除をしたいけれど、もうへとへと過ぎて今日こそは何もできないかもしれない。 何もできなかったらそれはそれで、何かを克服できた新しい気持ちになれそうで、そっちへ転んでもよいかな、と思ったりしている。
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peeyots · 9 months
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2023年に買ったボードゲームのまとめ
(記憶が正しければ、)2023年に届いたものが対象。ミニ拡張は除く。
Twilight Struggle: Red Sea - Conflict in the Horn of Africa 7.5: 居合のようなタイム感にアレンジされたTwilight Struggle。クーデターはできるけど、その前のカードガチャでしくるとDEFCON 1下げになるというエチオピア&ソマリアのFlashpointが緊張感を作っている。どう転んでも、比較的短期間で勝負がつくので、良くも悪くも本家のような湿った悔しさは生まれない。
ルナックの失われし遺跡:調査隊長 日本語版 (Lost Ruins of Arnak: Expedition Leaders) 未プレイ
ドミニオン:略奪 日本語版 (Dominion: Plunder) 7.0: 半ば意地になって拡張を買っているような。最近は新しい拡張が出るとアプリでも買っており、そこでカードをなんとなく覚え、なんとなくプレイしている習慣となっております。戦利品ガチャ+特性(サプライの特定のカード山に効果を与えるやつ)はここのところの似たり寄ったりの拡張の中では新鮮さのある方。
ロフォーテン 日本語版 (Lofoten) 4.5: 2人専用ゲーム。バイキング船をカードプレイで移動&回転させて、物資を場から自分のストレージにピック&デリバリー。複数あるセットコレクションのスコアリング条件で優勢を決める。手なりで進みそうなゲームだと思ったら、まったくその通り。Pearl Gamesの遺作だとすると悲しいな。レコード会社との契約で出さざるを得ない、不仲で解散したバンドのラストアルバムの雰囲気!
ドミニオン:繁栄 第二版 日本語版 (Dominion: Prosperity Second Edition) 評価保留: 新カード何枚か入れて遊んだんだけど(もちろんアプリで!)、全然覚えてません。
エクスペディションズ (Expeditions) 7.0: Scytheの世界観で遊ぶ劣化版コンコルディア、という印象。Scytheの目標早取りルールもそのまま踏襲しているので、ゴチャゴチャしてるけと案外ルールの入りは良い。Scytheのガチガチすぎるプレイングと比較すると、カードでふわっとしているこちらのほうが最近の自分の好みかもしれない。
キューボサウルス 日本語版 (Cubosaurs) 5.5: カード押し付けも可能なドラフト&セットコレクション。ゲーム中に1度か2度だけ痺れるような場面がやってくるが、それ以外の時間は手なり of 手なり。それをじっと待つゲーム。
ダーウィンズ・ジャーニー コレクターズエディション (Darwin's Journey Collector's Edition) 7.5: ルチアーニらしい、PvE味の強い(=プレイヤーに攻略したいと思わせる)ゲーム。徐々にアクションエリアが開いていくところは好き。なんとかテーマは乗っているので、ルチアーニにしてはルールの入りも良い。
蒸気の時代DX 拡張マップパックVol.2 (Age of Steam: Expansion Volume II) 未プレイ: 蹴っていたのを忘れてた。IVは終了するまでプロジェクトをやっていたことすら知らなかったのに!
蒸気の時代DX 拡張マップパックVol.3 (Age of Steam: Expansion Volume III) 未プレイ
蒸気の時代DX フランス/ポーランドマップ (Age of Steam: France / Poland) 未プレイ
ワイマール:民主主義の戦い 日本語版 (Weimar: The Fight for Democracy) 7.5: ユーロゲームのドイツ人作家がこの題材を選んで、4人のプレイヤーを8時間とか拘束させる&こんなニッチなものをホビージャパンがカッチリ日本語版を出したということだけで100点! ほとんどの時間で与党だった自分は、ただただ面倒な仕事に追われるだけで、脳汁の出る瞬間などなかったけど、後半にかけて、そろそろ自分も連立さんみたいに得点が欲しいな!と欲が出て外交仕事をやりやじめたら、「やーい、弱腰~!」と、国内で急進右翼がブイブイいわせはじめて、5R最終ターンに国がぶっ壊れました。このバランスはシリアスゲーム的でもあり、メッセージ性が強い!
チャレンジャーズ! 日本語版 (Challengers!) 8.0: オートチェスのボードゲーム化が完成。しかもTCGトーナメントのごっこ遊びで。インストコストの安さも正義。ギャラクシートラッカーもそうだけど、他人と一緒に答え合わせをあーだこーだ言いながら眺めるのは単純に楽しい。
チャレンジャーズ! ビーチカップ 日本語版 (Challengers!: Beach Cup) 7.5: 味変したいのはよくわかるが、途中あれこれ人間さまが判断して手を加えたら、それはオートチェスではない。
Evacuation 7.5: あれこれ持ってきている個々のメカニクスに特に新鮮味はないんだけど、太陽系死ぬわ~のお引越しテーマが上手く乗っているのがすばらしい。汽車系の読み取りが難しい類のものではなく、プレイヤーボード上での旧世界/新世界という二元のロジスティクスなので、なんとかコントロールしきれるバランスなのもちょうど良いという感じ。中重量級。
アルナックの失われし遺跡:消えた調査隊 (Lost Ruins of Arnak: The Missing Expedition) 未プレイ
テラミスティカ:革新の時代 日本語版 (Age of Innovation) 未プレイ
パパヨー (Papayoo) 6.5: 入手性が悪く安いゲームということで、海外旅行のお土産に手配いただきました。誰かが盛大に死ぬゲームって楽しいですよね。自分でなければ。
グレート・ウエスタン・トレイル 拡張 北部への道 第2版 (Great Western Trail: Second Edition – Rails To The North) 未プレイ: たまたま見かけて「あらいいですね」と思わず買ってしまった。ニュージーランドを遊んだあとに、これ、遊ぶかなぁ……
インペリアルマイナーズ 日本語版 (Imperial Miners) 6.0: マウンテンキングの資源の湧き方のところだけを借りてきたようなタブロービルド。ルールを読んで想像した以上の面白さはないが、後半きれいに組み上げたコンボルートがワークしている姿を見れば、ゲーマーはニンマリしてしまう。
Orleans: The Plague 未プレイ
カスカディア 拡張:ランドマーク 日本語版 (Cascadia: Landmarks) 未プレイ
マッチオブザセンチュリー 日本語版 (Match of the Century) 7.0: カードドリブンの超シンプルな切り取り。駆け上がるべき階段の一段目として持ち出して様子を見てみよう! ゲームとしては、しゃがみ力が非常に問われる。しゃがむための準備(=ハンドマネジメント)とタイミング。初プレイでは、パワー5のカードを開いてプレビューしたほうが良いと思う。
今年初めて遊んだゲームベスト5
1位 チャレンジャーズ
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2位 マラカイボ
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だいぶ詰んでいたブツを売却前に遊んでみるかとやってみたら、これが思いの外楽しい…… 出版社との契約でリリースしたベストアルバムみたいなこんなゲームでキャッキャしてしまい、自分の意識の低さが恥ずかしい! 後述のGWT: アルゼンチンの方向性が最近の自分の好みになっているので、プレイした時期も良かったと思っております。
3位 ワイマール:民主主義の戦い
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4位 サビカ
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2020年代のロンデルのあり方! 三重ロンデルの移動ルールとリソースの所持上限の厳しい設定のおかげで、プレイ順の計画が非常に悩ましい。ミスっても、いまどきのヘビーゲームっぽく、得点ルートがわんさかあるのでなんとかなりそうな雰囲気なんだけど、やはりベストで打てないとライバルには勝てねえ。騙されちゃダメ! そーいや、Bitoku遊んでねえ。
5位 グレート・ウエスタン・トレイル:アルゼンチン
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はいはい、きみらこんなん好きっショ!という感じで、その商売っ気にちょっとイラついたりもするのですが、こんな全部乗せ、配膳されたらバクバク食っちゃいますよね。競技性高めのアルゼンチンよりも、カードのあれこれで、新しくできるようになることを段積みしてもてなしてくれるこっちのほうが断然好き。あと、あんな風におじさんを拉致したくない!
総括
去年からの傾向がさらに加速。可処分時間のやりくりでボードゲームを遊ぶ機会が減っていくと、他の方からも段々と声が掛からなくなってくる&自分であれこれをオーガナイズするモチベーションにもなく、更に遊ばなくなっていくスパイラル。
「ピーさん、まだボードゲーム遊んでるんですか��www」とか訊かれました。
家族の立ち退き運動が激化して、ボードゲームを150個くらい売却しました。それでも、棚にちょっとでもスペースが空くと、息を吸うようにまた買ってしまう。また溢れた。
自分で好んで買ってるヘビーゲームのルール(おおよそ英語)を読み込む手間にイライラしはじめて、「自分、狂人なのでは? いや、ヘビーゲーマー全体が!?」と思い始めました。
ボードゲーム遊びましょう!(行けたら行く)
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jinsei-pika-pika · 1 year
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yusuke narita & michiko kitamura & chikachi suzuki
下着だけで十分? 成田悠輔 × 北村道子 × 鈴木親が考える「100年後の服」
photography: chikashi suzuki text: sogo hiraiwa
portraits/ ファッションは芸術か、あるいはビジネスか。答えはもちろん、そのどちらでもある。では、相反するかに見えるその両側面はいかにして重なり合っているのか。この日初顔合わせとなった経済学者の成田悠輔、スタイリストの北村道子、フォトグラファーの鈴木親による座談会は、そんな「ファッションの複雑なおもしろさ」についての話題から幕をあけた。ここに紹介するのは、2時間以上にわたる白熱したおしゃべりのほんの一部である。3人寄ればナントヤラ。
portraits
jun 24, 2023 6:00 pm
鈴木親(以下、鈴木):ファッションには経済的な側面もあれば、ロジックからは遠い美学的な側面もあると思いますが、成田さんはファッションというものをどう考えていますか?
成田悠輔(以下、成田):ファッションは外見であると同時に内面。ビジネスであり、文化・芸術でもあり、自己表現でもある。いくつもの異質な要素が織り重なっていて、定義が難しいですよね。というか、その定義できなさや不純さこそがファッションの面白いところなんじゃないでしょうか。お高くとまった芸術のような雰囲気を醸し出しながらも、それを徹底できない構造がはじめから埋め込まれている。かといってビジネスとしてスケールさせられるかというと、そもそも単価が十万円単位で人口の数%くらいしかターゲットにしていないとなると難しいですよね。さらに、100年以上前に生まれた老舗ブランドが今でも業界のトップに君臨し続けているのとかもずっと不思議に思っていました。規制があるわけでもないのに、Alexander McQueen (アレキサンダー・マックイーン)や Martin Margiela (マルタン・マルジェラ)のような突出した才能でも下剋上できないのはなぜなのか。
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鈴木:北村さんは普段ファッションを美学的に見られていると思いますが、ビジネスを意識したことはありますか?
北村道子(以下、北村):ないない。75年間生きてきて、いつも意識しているのは自分自身ですよ。自分自身を知ることによって世界を見ることができる。そういう考え方。だからファッションも私にとっては全然どうでもいいことなんだよね。 基本的にファッションは概念じゃないですか。でも、自分自身は概念じゃなくて確固たるものだから。
成田:ほとんどの人にとってファッションが概念というのは、そのとおりですね。特にハイブランドの場合は、どこまでいっても人類の数パーセントにしか関係ないものなわけで。CHANEL (シャネル)にしても Hermès (エルメス)にしても、誰でも名前は知っているけど、その服を一生に一度でも着る人は人口のごくわずか。ハイファッションは「存在しているようで存在していない産業」だと思うんです。
鈴木:実際、ハイブランドがいちばん大事にしているのはオートクチュールの顧客層ですからね。CHANEL とか Dior (ディオール) の本社にはオートクチュール用の部屋があって、上顧客はそこで服を買っているし、ファッションショーにしても、本当に大事なゲストはまずオートクチュールに招待するんです。見栄えだけでいうと、プレタポルテのショーのほうが派手ですよね。報道もされるし。でも、本当に大事にしたい上顧客はオートクチュールのショーに呼ぶんです。Martin Margiela (マルタン・マルジェラ) がうまくいったのも、オートクチュールをつくっていたこととは無関係ではなくて。彼はアンチファッション的なことも部分的に試みつつも、ファッションに対するリスペクトがあり、守るべき慣習はしっかりと守っていました。
成田:なるほど。
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鈴木: Hermès も CHANEL も、ぼくらがコンビニに寄るみたいに来る人っていますからね。忘れられないんですけど、90年代の終わりパリに住んでいたときに、母親に買い物を頼まれて Hermès のお店に行ったら、おっちゃんが海パンを持って入ってきて「直してくれ」って注文するんですよ(笑)。萬屋みたいな感覚ですよね。普通の服を買う感じでそういうメゾンの服を買う層の存在は報道にも載らないですし、ファッションの分かりにくい側面だと思います。
北村:私たちが普段見ているファッションブランドのイメージはマーケティングに過ぎないんですよ。アラブの富豪とか本当の金持ちは、わかりやすいブランド(ロゴ)が要らないから。いちばん上にあるのは金(ゴールド)の世界ですよ。彼らは Louis Vuitton (ルイ・ヴィトン) 社に頼んで「俺用の飛行機つくってくんない?」って、そういう感じだと思うよ。 モナコあたりに行くと、どのヨットにも Vuitton のマークが付いている。だから100万、200万というレベルじゃないわけですよ。若いころにそういう光景を目の当たりにして、これは日本にはない世界だなと思った。白いポロシャツに白いパンツを履いてやっているだけなんだけど、本当に綺麗なんです。
成田:それがさっきの疑問への答えかもしれないですね。ブランドは広い消費者に向けてビジネスをしているように見えて、本当のお客は見えない資産家層。だから、新しいブランドやデザイナーが出てきて民衆の心を掴んでも、ファッション業界のヒエラルキーをひっくり返すことは難しい、と。
鈴木:大衆がブランドを欲しいと思えば思うほど、そのブランドのステータスが上がり、富裕層の満足度も高くなりますからね。
成田:民衆の熱狂は、資産の気分を変えるためのワサビかガリくらいの存在でしかないのかもしれないですね。
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100年後の服は裸か、サランラップか
成田:もう一個お伺いしたいのは、100年後の人間はどんな服を着ているのかということです。ファッションは近代以降どんどんミニマムに、軽くなっていっていますよね。このままその方向に突き進むのかが気になっていて。サランラップ巻きつけるみたいに無駄を極限まで削ぎ落とした服を着るようになるのか。裸までいくのか。
北村:私が面白いなと思って見ているのはリアルクローズ。THE NORTH FACE (ザ・ノース・フェイス)とか Nike(ナイキ) みたいなスポーツブランドがハイブランドを超えていくと思う。いや、もう超えているかもしれない。
成田:大勢の心を動かしているという基準でいえば、ハイブランドよりも Nike とかスポーツブランドのほうが全然上ですもんね。
北村:そう。要は「プレーをする」ということですよ。今のパリコレを見ていても、全然プレーがない。止まってる「点」の世界。動くっていうのはアクションだから、パワーなんだよね。邪魔なものはいらない。デカルトじゃないけども、否定から入ってく。無駄をどんどん削ぎ落としていく。スポーツは基本的にそういうもの。だから、あんなに重かった Nike の靴が今ではすごく軽いじゃないですか。スポーツブランドはものすごく進歩しているんです。ハイブランドは今むしろコラボしているでしょう、スポーツブランドと。でもおもしろいとは思わない。私がデザイナーだったらまだ行ったことのない国に行って、そこで暮らす12歳の子どもとコラボしますね。
成田・鈴木:(笑)。
北村:メットガラにも全然興味がない。ああいうのは飽きちゃうんだよね。ところが、肉体に近いものはずっと本質的で、人間を魅了し続ける。私はそう思うのね。
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成田:スポーツブランドがますます技術革新を進めていくとして、その先にある究極の服ってなんだと思いますか?
北村:私は下着だと思います。
成田:全く同じことを考えていたので答え合わせできました(笑)。アスリートにとっても下着でプレイするのがいちばん機能的ですよね。彼らがユニフォームを着ているのは観客や審判や他の選手に見せるためであって。だからそのうち、見せるためのファッションはスマート化したメガネやコンタクトレンズで見る側が表示するなり補正するなりすればよくなる。そうしたら物理的に着るものは下着だけ、ということになりますよね。
北村:私は SF ファンなんですけど、映画『ブレードランナー』に出てくるレプリカントの服が最高のファッションだと思っているんです。
成田:ロバートの秋山さんが「YOKO FUCHIGAMI」っていう架空のファッションデザイナーをパロディで演じているんですけど、彼女の決まり文句は「一番のおしゃれは裸」っていう——。
北村:うん、それわかります。Margiela はコレクションのときにモデルに必ず肌色の下着を着せていて、それが素晴らしかったんですよ。私はそこに痺れた。だから当時、親くんと Margiela の服を撮影するときはよく「下着だけでいいんじゃない」って言ってたよね?
鈴木:言ってました(笑)。
北村: Margiela はトップスからブーツまでナチュラルカラーを使うことが多くて、それが最高にセクシーだった。それが人間の未来の姿なんだと私は思います。ところで、成田さん声がいいね。なんていうか、質感がある。大学教授にしておくのはもったいないよ。声を生かして、政治をやってみるのもいいんじゃない?
yusuke narita & michiko kitamura & chikachi suzuki
photography: chikashi suzuki text: sogo hiraiwa
プロフィール 成田悠輔 (なりた・ゆうすけ)
経済学者、データ科学者、起業家。専門は、データ・アルゴリズム・数学・ポエムを使ったビジネスと公共政策の想像とデザイン。ウェブビジネスから教育・医療政策まで幅広い社会課題解決に取り組み、多分野の学術誌・学会に査読付学術論文を出版、ZOZO など多くの企業や自治体と共同研究・事業を行う。報道・討論・お笑い・アートなど様々なテレビや YouTube 番組の企画や出演にも携わる。イェール大学助教授、半熟仮想(株)代表。著書に『22世紀の民主主義:選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』、絵本の翻訳に『挫折しそうなときは、左折しよう』、ハイファッションに関するエッセイに HIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE09+ YUSUKE NARITA など。
北村道子(きたむら・みちこ)
1949年、石川県生まれ。サハラ砂漠やアメリカ大陸、フランスなどを放浪ののち、30歳頃から、映画、 広告、雑誌等さまざまな媒体で衣裳を務める。映画衣裳のデビューは85年、『それから』(森田芳光監督)。07年に『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(三池崇史監督)で第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞した。著書に『Tribe』(朝日出版社)、『COCUE』(コキュ)、『衣裳術 2』『衣裳術《新装版》』『衣裳術3』(リトルモア)がある。
鈴木親 (すずき・ちかし)
1972年生まれ。96年渡仏し、雑誌『Purple』で写真家としてのキャリアをスタート。『Purple』(仏)、『i-D』(英)、『Dazed & Confused』(英)、『CODE』(オランダ)、『Hobo』(カナダ)、『IANN』(韓)、『honeyee.com』(日)、『GQ』(日)、『commons&sense』(日)、『Libertine / DUNE』など国内外の雑誌で活動。Issey Miyake、United Bamboo、Toga などのワールドキャンペーンを手掛ける。主な作品集に『shapes of blooming』(treesaresospecial刊/2005年)、『Driving with Rinko Kikuchi』(THE international刊/08年)、『CITE』(G/P gallery刊、09年)など。
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patsatshit · 1 year
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スチャがキービジュアルをつとめた『Adidas Originals ADIMATIC MID』が届いた。
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ADIMATICは90年代に人気を博したスケートシューズ風のデザインで「幻の1足」(みんな「幻」使いたがるよね〜)と称されるほどレアものだったらしい。私は知らなかったのだけど、2022年に復刻していたみたい。確かにデザインは一般的に想像するadidasのデザインとはかなり違う。3本線がぶっとい。色味は黒白だけでなく、90年代を彷彿とさせるモスグリーンがしれっと入っている。
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↑ちょっと見にくいですが…。ギザギザデザインもかわいい。
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↑90年代に流行したモスグリーンの参照画像。95年に発売された『adidas country Mid Hi』。70年代に登場したモデルの復刻らしい。かっこえ!!(adidasについて詳しくまとめてるADI-filesさんから画像を拝借)
この大胆でクラシカル、細部まで洗練されたスタイル、確かにかっこいい。ソールの地図みたいなデザインもかなり良い。立体感ありげ。
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紐は白(というかあの色はなんだろ。コンクリートの色)も付いてましたが、とりあえず黒をチョイス。
当時若者だ��た人たちは…渋谷に常に沸いてた人たち、下北に溜まってた人たちとか…は「エモー!」って興奮するのかな〜とか考えながら、いざ入足!!!めちゃくちゃ心配していたけど履き心地も良い!外反母趾+甲高の歪な足なので試着せずに購入するというのはかなりの大博打だったけど見事…泣けます。クッションがやわらかいから足がちゃんと呼吸できてる。骨が出っぱってる部分もフカフカで見事にカヴァー。本当に良かった。足が歪な人間にとって新しい靴を買うのは至難の業。友だちとかと靴買いに行くとかなったら間違いなく盛り下げる不憫なパターン。通販で買うなんてもってのほかと思っていたけど、今回は稀に見る成功例でした。ブイ!✌︎
https://www.atmos-tokyo.com/lp/adidas-adimaticmid-ogblack
@@@@@@
このADIMATIC MIDのカラーは「96年に登場した幻のオリジナルカラー」とのことですが、96年といえばスチャの6thアルバム『偶然のアルバム』のリリース年!
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まじでいつも一番好きなアルバム聞かれて『FUN-KEY LP』と悩むんだけども…。んー。『スチャダラ外伝』もいいよなぁ。…一体追っかけとか推しがいる人って、「好きなアルバム」「好きな曲」「好きなネタ」「好きなリリック」とか聞かれた時にこう言おうって決めてるのかな。いつも答えられなくて悩んでる。その時の気分もあるしね。
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スチャのCDとかすべてアートワークのセンスが抜群(野暮な言い方!)なのだけど、この『偶然のアルバム』が一番気に入っている。DIY感がたまらない。手作りステッカーマデツイテルンデスヨ!!2枚買わな切り取れませんけども…つまり複数枚買わそうって魂胆⁇!ともかく個人的には創作意欲をくすぶられる仕様となっております。
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「3つの輪ゴム」のイントロでいつも「La十八番」と勘違いする楽しさ。宇宙感のある曲ばかりで何気ない日常がワープしていく感覚。「World IZ..(ヤバイ男知り合いに一人イル)」はタイトルからしてツボなのだけど、一体どんな変な曲なんやと聴いてみると意外にかわいらしいコードでいい意味での拍子抜け!!この衝撃忘れない。好きなタイトル1位かもしれない。「MR.オータム」のリリックとかまじで痺れるし、ビートがオシャレ。終盤のおフランスチックになるとことかFrench Vacationやないの!「CARSJOINT」は笑けるしヤジが楽しくておもろい。これのリリックにある「クマった」って『ゲストダイアン』の初回で東出昌大サンが言うてたやつ!オナラもそうですけど昔頃のギャグは令和にも通用するんですね。多分令和の次も。未来永劫。
バリエーション豊かな曲たちに囲まれて掃除洗濯晩飯テレビ。一生聴いてられます。「EQ」に関しては大学時代の思い出が詰まった曲。数少ない友人にSDP布教していた時、ほぼ毎日講義室で「今夜はブギーバックsmooth rap ver」の練習をしていたのだけど、ある日たまたま流してた「EQ」に友人がはまって事あるごとに口ずさんでたという思い出。これは私のzineにも書いてるけど…、それまでスチャダラパーも言えてなかった友人が突然、朝起きて「EQ」の「なにがマトモかはまぁともかく」が浮かんできて覚醒を遂げたっていう話。そんな彼女と今年初めて一緒にスチャのライブに行った。最後の日比谷野音ライブ。脱線しまくりなのでこの話はまたどこかで。
京都のvinyl7さんで見つけた掘り出しもの、『アクアフレッシュ』。デモ音源の入った貴重なLPを自慢してお別れです。
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Spotifyに『アクアフレッシュ』が出てこんので昨晩満月見ながら聴いてたオジー・オズボーンの『NO MORE TEARS』から「Mama, I’m Coming Hone」置いときます。こんな綺麗なバラードもうとてはったんですね。キュンです。
【突然!おすすめ映画】
『サーチ&デストロイ』(1995) 大衆そっちのけで仲間内で楽しく作ったであろう自己満足映画。監督はNYアートシーンの最重要人物デヴィッド・サレー。プロデューサーのマーティン・スコセッシ(本人も登場する)を始め、グリフィン・ダン、デニス・ホッパー、ジョン・タトゥーロとソレ系の映画(つまり商業的成功などを祈らない自主作品)常連の面々+突然のクリストファー・ウォーケン。基本みんなどこかネジの外れたキャラクターを表情豊かに演じてます。私も大好きなクレイジー&ワイズな俳優、デニス・ホッパー演じる胡散臭い博士が最高にオモロいです。グリフィン・ダンはまた幸薄キャラを熱演。幸せってなんでしょうね。※レンタルのみ
https://eiga.com/l/lZyl
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kennak · 2 years
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2017年に脳性麻痺で生まれてきて、ずっと寝たきりで人工呼吸器を付けていた息子が、2022年11月に亡くなりました。 遺族としてのいろいろな整理はある程度付いてきたので、良くも悪くも忘れる前に記録を残しておきたい。主に自分の中での整理のために。 就学義務の免除申請 2017年2月生まれの息子は、来る2023年4月に小学校に入学するはずだった。 もちろん生まれてこの方意識と呼べるものが宿らなかったので、市役所と相談して就学義務の延長という申請を行う予定だった。 寝たきりの子の場合であっても、訪問学級のような形で対応してもらうのが基本とのことだったので多少揉めたが、最終的には 主治医に診断書を書いてもらい、就学を延期するような方針としていた。訪問学級を拒否したのは、親としてその姿を見るのが辛かったという理由による。 最期の入院 2022年は2月から始まり、毎月のように入院したり救急外来を受診したりしていた。そのたびに「本人の、予備力とでも言うようなものを消耗している」ような話を主治医としていた。 11月の頭にも体調が悪化し、小児ICU(PICU)へ入院となった。容態は思っていた以上に悪く、病床に余裕がないながらも親族みんなが面会できるような個室を調整してもらった。急いで実家の両親に来てもらい、生前最後の記念写真を撮った。ついでにiPhone 12 ProのLiDAR機能を使ってベッドと本人を3Dスキャンをさせてもらった。 最期の連絡 入院後はいったん体調を立て直すも、やはり限界が来ていたようだった。深夜3時すぎに病院から連絡があった。取り急ぎPICUへ向かったが、心拍はゼロを示していて全てを悟った。両親揃ってからの死亡診断とするかを主治医に聞かれたので、現時点で診断してもらって構わない旨を伝えた。呼吸器のホースを自分で外し、死亡の診断を下してもらっていったん帰宅。 最期の帰宅 自宅に戻り、通院用のバギーなどを準備して妻とともに病院へ。その間にエンゼルケアを済ませてもらっていたので、再会したときには顔も身体もさっぱりしていた。 考えてみれば、鼻や口、首になにもついていない姿というのは緊急帝王切開の直後以来ということになる。それ以降は気管挿管されていたり、気管切開して首にカニューレが付いていたりしていた。 呼吸器もパルスオキシメータも繋がっていない息子を抱っこしてからバギーに乗せ、いつも通りの静かな帰宅となった。 直葬の準備 入院した段階から葬儀屋の目処は付けていたので連絡し、とりあえずドライアイスを持ってきてもらった。 詳しい相談や追加のドライアイスはあとでもう一度、とのことだった。死亡届を預けて市役所に出してもらい、火葬の手配を依頼した。 お世話になっていた訪問看護ステーションに連絡を入れたところ、挨拶に来たいとのことだったのでいつでも構わない旨を伝えたりした。 結果的にはほぼ全ての訪問看護さん・訪問リハさんが顔を見に来てくれた。 川の字の生活 火葬は2日後となったので、二晩を共に過ごすこととなった。良心がヘルプに来てくれている関係もあり寝床の調整が大変だったが、家族みんなで川のような字の形で寝ることができた。機材の関係で生前には難しかったことが、亡くなると容易に実現可能となるのが嬉しくて悲しかった。 火葬と葬儀 2日後、直葬と言うことで葬儀をスキップして荼毘に付した。骨壷とともに帰宅し、ひとまず一段落となった。 遺骨についてはどうするか検討を重ね、最終的には「遺骨からダイヤモンドを作るサービスを使うが、ごく一部を自分の実家に納骨」という形を取った。四十九日前に実家に戻り、菩提寺で四十九日法要とともに納骨してもらった。(ついでに葬儀相当の内容も含めた法要としてくれたらしい) とはいえ大半の遺骨は再び持ち帰り、後日ダイヤモンドを作るサービスに引き渡している。我ながら弔いの建て付けが曖昧だと思った。 事務手続き: 役所系・障害児関係 人が死ぬと手続きに忙殺されるのは覚悟していたが、こと障害児となるとなおのことだった。覚えている限りで列挙しておくが、自治体によって異なると思うので素直に「どうしたらいいですか」と聞いて回るのが早いと思う。 障害児福祉手当(本人への給付) 特別児童扶養手当(両親への給付) 障害者手帳の返納 形見として持っておけないか相談したが返納が必要とのことだった。写真部分だけ切り取って返すことはできるとのことだったので返してもらった。 児童手当の変更 保育要件の変更 父親が勤務、母親が障害児の看護という理由で保育申請していたが、保育の必要性が変更となったため ひとまず求職活動に変更することを提案されたのでそのように申請した 実際に求職活動もしたが、メンタル的な問題からドクターストップとなり、勤務/療養での保育申請となっている 水道料金減免申請の変更 減免申請したことすら忘れていた 障害者用おむつの補助の停止 納品待ちの状態だったので相談したところ、市役所の方から業者に話しが行くとのことだった なお、マイナンバーカードは返却の必要はないし、マイナンバーが確認できないと確定申告で困るので注意。 申請のついでに、相続に備えて住民票の写しと除票を入手しておくとよい。 前者はコンビニで取れるが後者はおそらく窓口での申請となる。 事務手続き: ジュニアNISA 我が家では息子の名義でジュニアNISAを運用していた。楽天証券に問い合わせたところ、 息子から親への相続という手続きになるとのこと。 www.rakuten-sec.co.jp そのため、法定相続情報証明制度に従った準備をしておく。 https://houmukyoku.moj.go.jp/homu/content/001331399.pdf 戸籍謄本が必要となるが、死亡届の提出から反映まで2週間ほどかかるので要注意。 自治体によってはコンビニで取得できるので、その間に準備しておくとよい。 今回の場合、戸籍謄本1通で「結婚して戸籍作成→子供が生まれる→子供が亡くなる」の一連の内容が確認できるので、 除籍謄本は必要ないとのことだった。被相続人(亡くなった息子)と相続人(両親)が記載されているので、 戸籍に関しては謄本だけでOKとのこと。 登記所に相談し(「お子さんに相続が必要な財産が…?」と驚かれた)てから郵送。しばらくすると法定相続情報一覧図と書類が返送されてくる。 これを使って楽天証券の相続手続きを進める。 なお、自分の場合はジュニアNISAで運用していた商品が含み損状態だったのだが、相続実施日の価格で売却され、自分の楽天証券の特定口座に入金される形となった。悲しみが加速した。当然ながら損益通算の対象にもならない。 手続きが割と遅かったこともあり、2022年内の売却も間に合わず、買い直しは2023年の自分のNISA枠を消費することとなった。とにかく悲しい。 事務手続き: 産科医療補償制度 産科医療補償制度のコールセンターに電話し、事情を伝えると書類一式が送られてくる。 補償金の受給を息子から両親へ相続する、という��続きとなるらしい。 産科医療補償制度の場合は相続人の関係がほぼ自明ということもあり、戸籍謄本で申請できた(はず)。 手続きを行うと、次回からの補償金振込依頼のフォーマットが変更となるぐらいで、実際のところ大した変化はない。 本人が死亡したところで、補償金は誕生年の20年後まで振り込まれる。仮に親が死んだ場合には、同様に相続されるようだ。 在宅医療用品の返却・片付け 人工呼吸器やパルスオキシメータなどについては、レンタルという形で提供されている。 死亡診断後に主治医の方から業者に連絡があり、しばらくすると引き取り日程の調整連絡がきた。 自分の場合は死亡から約2週間後ぐらいだったので、少しずつ片付けと整理を進めたが、精神的にはこれがかなりしんどかった。 「これを使う人がいなくなるんだ」「これをどかすとこんなに広かったんだ」のようなダメージが積み重なっていく。 さらに言えば、基本的に何かあっても1ヶ月ぐらいは過ごせるように予備を多めに貰っているので、その分整理しなければいけないものも多いため、肉体的にも割としんどいところだった。 医薬品については基本的には手元で処分することとなるが、量が多かったり処分の方法に困る場合には薬局に相談するとよい。 自分の場合は、取扱に注意した方が良さそうなものがいくつかあったのと、息子のためだけに確保してくれていそうな薬剤がいくつかあったので、 処分の依頼と一緒に「亡くなったので今後の仕入れは不要となります、いままでお世話になりました」の挨拶をした。 バギーや吸引器など、買ったものについては自分でなんとかすることになる。 バギーは畳んでしまっておき、吸引器は鼻風邪のたびに活躍することとなった。 税金方面の話 障害者手帳を交付されている場合、特別同居障害者控除という枠がある。76万円の控除であり非常にありがたい制度である。 これについては死亡した年については適用されると考えてよいはず。年末調整や確定申告の際に相談するとよい。 www.nta.go.jp 当然ながら、次の年からはこの76万の控除がなくなるので覚悟が必要となる。財布にも悲しい。 生活方面の話 24時間365日つきっきりで在宅医療に取り組んできた生活から、「そうでない」生活に切り替えるのは肉体的にも精神的にも変化が大きくて大変だった。 こればっかりは時間の力に頼るほかなかったのでいかんともしがたいが、「ああ、もうケアしなくていいんだ」のような「楽だな」といった感情とそれに対する自己嫌悪のようなものとの戦いは特に悩ましいところだった。グリーフケア含め、相談できるところには相談した方が良かったと思う。 あとは、ホームセンターや子供用品の店で「そういえばそろそろアレを補充しなky……もう要らないんだった……」みたいなダメージの受け方をするのがつらかった。 さいごに この記事が、どこの誰にも役に立たない世界を願っています。
脳性麻痺の息子が亡くなった - しょんぼり技術メモ
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loginsave · 3 months
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舞台『魔法使いの約束』エチュードシリーズPart1(6/20 マチネ)を観に行きました。
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約6年ぶり?の2.5次元舞台⋯ずっと行きたかったまほステ⋯とりあえず記憶に残っていることを書き連ねていきたいと思います。
まず開始早々幕が上がると目の前に真木晶が立っててビックリした。舞台って魔法みたいにキャラクターが突然現れるからスゴい(?)
他の魔法使いたちも続々と登場するんだけど、全員ゲームの中から飛び出してきたような再現度なうえに歌がうますぎました。声量が凄まじくて劇場がちょっと振動してましたよね⋯?
「お引越し♪ニューデイズ♪」がかわええ〜 新しい出会いと生活にワクワクドキドキする魔法使いもいれば、かったるそうにする魔法使いもいて(ネロとかネロとかネロとか)俺はその対比が見たかったんだ!と歓喜しました。
魔法舎のみんなと仲良くしたいクロエが��落ち着かないのは仲良くなれる自信がないから。変なことをして嫌われたくないし」と言ったときに、ラスティカが「僕は嫌わないよ。なんで変なことしたんだろうって面白くなって僕も一緒に変なことをしちゃうだろうけど」と答えるシーン、大好きだ⋯ケアする対話⋯
クロエとヒースクリフのあの初対面のぎこちなさとかお互い話してみたいけど何を話せばいいかわからん感じ、理解(わか)る!
あとこの日の日替わりで、フィガロが三点倒立をしようとして観客を騒然とさせてたのがウケました。「自分の限界に挑戦しようと思ったけど、すでに限界みたいだ」と言って会場を沸かせるフィガロはやっぱり流石だなと思いました。
ムルの登場シーンで度肝を抜かれました。いや⋯あの本当にムルが目の前に存在してたんですよ。舞台が近かったっていうのもあるんですけど、ムルが飛び跳ねるたびに振動が伝わってきて、こんなに飛び回って動くんだ⋯と感動しました。ゲームの文章のまんまだった。あと声のトーンもだし、何よりも歌声が素晴らしくて⋯橋本真一さん、すげえ!と脳内でスタオベしました。
シャイロック先生の授業楽し〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!魔法の質問には分かる範囲で答えるけど、個人的な質問には答えないスタンスとかマジで大好きです〜〜〜〜〜〜!!!
『悪戯好きな仮面のエチュード』、冒頭からシャイロックとフィガロがバチバチ火花を散らしてて最高でした。みんなの衣装も可愛い。
そしてエレベーターの可動音とともに上からシャンデリアがおりてきたと思ったら唐突に始まる誰も踊らない華やかなマスカレード(仮面舞踏会)!「身分も素顔も本音も仮面の下に仕舞い込んで」って歌詞が良すぎるよ。アンサンブルの方達、歌が上手い。本当にその場の空気が変わったもん。
『孤高な盗賊のエチュード』、ブラッドリーだからこそ成立する面白さと痺れるかっこよさがありました。さすがキーマンだ。
ミスラとオーエンが箒に乗りながら喧嘩してるときポケモンバトルみたいな構図でテンション上がった。
盗賊団の頭領とムルの日替わり、好きになっちゃうだろ!!
最後お酒で乾杯するときにボトルとかが光るのすごい。ミスラとオーエンがグラスをカチンと合わせてて良かった。北の歌声は低くて力強くて、さすが北の国で生きてきた魔法使いたちだなと思った。
北3とシャイロックの日替わり⋯ふふ⋯となった(でもわたしはマクド不買中なので複雑な気持ち)
『哀愁のひまわりのエチュード』、わたしが見たかったものが全部詰まってました。ファウストがフィガロに向けた言葉「あなたと一緒に生きるのは、僕じゃないし、僕と一緒に生きるのはあなたじゃないんだよ。」が衝撃的だった。寂しいし苦しい。フィガロの諦念とファウストの孤独がぶつかり合っていた。理解できない(したい)他者との関係性。これを生で観ることができて良かったです。
ヒースとシノが二人で大きな荷物を持ちながら喧嘩するとき、ヒースが「レモンパイも入ってるんだぞ!」と怒ったら、シノが「そんな大事なことはもっと早く言え!」と返してて微笑ましかった。ここの台詞も日替わりだったんだ。
シノの「あの月を跪かせて、オレの靴底で踏みつける日まで、あんたたちが必要だ。一緒にいれない奴らだとしても、一緒にやっていこう。」を聞いて、わあああってなった。シノ、そして東のみんなの決意。
ファウストの歌声やばい。声量どうなってるの!?ファウストの歌声でひまわり畑が浄化されるとき、客席も光に照らされてわたしも消えるかと思った。
ビアンカの歌〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 透き通ってた。ビアンカ大好きだよ。欲を言うなら、本当にビアンカ役の方が生で歌ってるのを聴きたかった。
最後さー!オープニングで歌った曲とマスカレ���ドReprise(わたしはそう呼んでる)をみんなが仮面をつけて踊る演出最高すぎませんでしたか?みんなの歌声とダンスが素晴らしすぎて終始鳥肌が止まらなかった。
「華やかなマスカレード 歌って踊ろう お手をどうぞ 仮面の下で微笑んで
華やかなマスカレード 食べて飲んで語り合って 仮面の下を覗かないで
国も素性も本音も 仮面の下に仕舞い込んで
マスカレード マスカレード 今夜限りの仮面舞踏会」
お互いに素性を隠しながら、それでも、手を取り合って踊れるということ。華やかで煌びやかで眩しかったです。
それとさ、ペアダンスの振り付け変わってましたよね!?手繋ぐとか聞いてないよ。
ネロとムルが一緒に踊るってだけでもビックリしたのに、目を合わせながら手も繋いでてわたしは⋯わたしは⋯ この二人の組み合わせもいいな⋯という新たな気づきを得ました。
まほステは本当に原作の物語の行間を埋めるのが上手いし、観劇すると色々な発見や解釈が出てくる。そしてゲームをより深く楽しむことができる。脚本も演出も音楽もメイクも衣装も役者の皆様の演技もどれも素晴らしくて、この舞台を生で観ることができてわたしは幸せだなと思いました。
あーあ!!!!!仕事したくね────────(大の字になって寝転がる絵文字)
まほステエチュードPart2、絶対行くど!!!!!!オーケストラも行きたいな!!!!!!!!!!
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niyuuhdf · 5 months
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行屋虚彦 生育歴 +α
生育歴:
誕生してしばらくは、まだ少し自律して動けたナナちゃんが赤子イキヤの世話を、冷泉・山雪などと一緒にしていた。冷泉さんはまだ稼ぎの少ない生活だったが、雇えるときには信頼するお手伝いさんを呼んでもいたようだ。(冷泉さんの実家にたまに来ていた親戚?少なくとも美遊さんが信頼する人間) 冷泉さんはイキヤの新聞記事など含めた、優しい記憶だけのアルバムを作り続けていた。
イキヤ、発達が早い。 一才と2日目で立った。そのあとすぐ歩いた。 二歳の誕生日には普通に意味のある単語文を喋る。(作者とも行屋家の遺伝とも共通。)
2歳の頃に、絵本を読む。※実際は絵本を見ながら絵に描かれている内容を推測してペラペラと突っかかることなく流暢に話し続けていた。その内容がしっかりと筋が通っていていかにも絵本らしい語彙や表現にも満ちていたため、周囲の大人は「2歳でもう本が読める子」と勘違いするほどだった。 (実際はむしろ識字に困難がある)
2歳の頃には自主的にあれこれ動き回り、庭の草むしりなどもしていた。(命に圧されて殺されないよう、相手を殺していた) そのうち、弱った生き物を拾ってきて世話をし、死ぬ寸前に殺して標本にしたりなどを始める。 近所の年上の子どもに、泥水や砂をかけられたり目の特徴や機械的な動作について野次られる。が、本人は「なるほど、そう見えるのか」と納得しただけだった。 攻撃はすぐ回避アクションを体得したため、怪我を負ったことは少ない。
「イキヤは昔から…少なくとも2歳の頃にはすでに、人に触れられるのを極端に嫌った 嫌うというより…強い生理的嫌悪感のような 触れようとしてきた人間を蹴り飛ばして暴力沙汰になったことが何度かある 例えば敵意も害意もまるでなく優しく頭を撫でようとしてきた大人を、あの痩せた小柄で蹴って何メートルも吹っ飛ばして大怪我を負わせたことも 本人はあとで悔やんでたよ 相手に敵意や害意がないことが、目では見えてたはずなのに、体が先に動いちまったと
※3歳ごろから母の世話をもうしていたのではないかと思われる。 ※たまに帰ってくる父・疾彦の羽織の裾がたなびく様子を「かっこいい」と思い、「大きくなったらあれを譲ってもらって俺も着る」と思っていた。 ※新屋敷佐がイキヤを児童相談所案件ではないかと見ていたのもこの頃? ※同時期から、面前DVに遭っている。複数のアトリエに出入りしていた際、山雪のアトリエではないアトリエで、大人たちのセックスの遊びに付き合わされ、見ているようにと強要された。
5歳、アイロン事件。 ここから極寒の世界が始まる。あったかいものや湯気などが、感覚過敏とよくない生活習慣とともに受けつけなくなっていく。 「あったまると、溶けて崩れてカタチを保てず、終わる」 感覚過敏と神経が、ずっと極寒の中にいたらほんのり麻痺したり、暑さで汗をかかないから肌がかぶれたり痛くなったり痒くなったりについてすこし安全になる、という側面も、あたたかさの拒絶と極寒を助長した。 ※火傷を負わせた犯人は、直後に行方不明、のちに遺体で発見された。謎の謝罪文のような遺書を残していた。トキさんの仕業?
6歳、たまに現れてる時期に、図画工作とかの授業で必ず先生がイキヤの作品を褒めて、イキヤは居場所なくしてして クラスメイトや学校中の子から 「いくら自分ががんばって絵を描いても、どうせ選ばれるのは行屋に決まってる、いつもそう、もういいよ」って それで、周りの子どもの絵を描くモチベーションを自分が下げて奪っていると感じ、早々に学校の授業で描くのはやめて、師匠のアトリエで描き始めた。
それでもたまに顔を出さなければいけなかった小学校で、上階からバケツに入れられた鉛筆やコンパスや雑巾や定規などの入った水をかけられる。そのとき、咄嗟に頭を手で庇ったときに手に鉛筆が貫通するが、イキヤは帰宅してから描く絵のことで頭がいっぱいで(なんとなく手に違和感がある)としか感じず放置。 絵を描くときに不便を感じて初めて鉛筆が突き刺さっていることに気づいた。 クラスメイトからは、痛覚のない機械かロボットのようだとさらに不気味がられた。
6歳、ピアス事件。 冷泉さんの中のばけものを鎮静化させるため、冷泉さんの中の被害と加害の意識を同じにしよう、八つ当たりをさせようと、ピアスをあけるようにねだる。冷泉さんが拒絶し、諭そうとすると、イキヤは冷泉さんの過去の被害をその場で克明に見透かして言い当て、すべて言葉にした。動揺してフラッシュバックを起こして朦朧とした判断力のない状態で、ピアッサーに手を招かれて、挟まさせられて、イキヤがその上から冷泉さんの手を握ってバチン!と開けた。両耳を開けた以降の記憶は、冷泉さんの側にはしっかりとはない。 「バケモノにされたひと。暴れもせず、泣き叫ぶことも、喚き散らすこともなく、ひとを傷つけないように生きるバケモノの姿を、そのままただ見ていられなかった」 冷泉さんはイキヤに黒曜石のピアスをあげた 「二度と他人に同じ真似を強いることのないように 情動に飲まれそうになったらこのピアスに触れて思い出せ」と
6歳、ヌードモデルの仕事が、給料がいいので引き受ける。イキヤのヌードをほとんど性的な娯楽にしていた画家がおり、いかにも創作活動と芸術を装って隠れ蓑にして性的に搾取してくる視線にイキヤが自分で気付けたとき、イキヤは相手を蹴り飛ばして「筆持っといててめえにプライドねえのか」と叫び大暴れ。少し騒ぎになった。が、内輪でのことだからと、身内ネタで誰にもお咎めなしで終わった。
6歳、頭痛に悩まされ、市販の鎮痛剤を濫用・多量摂取しはじめた。飲んで効く間だけ、頭痛も全身の痛みも苦痛も和らぎ、他人ともそつなく接することができるようになると気付いてから、いつも市販薬を常備し、持ち歩くようになった。連日連用するとすぐに薬に耐性ができてしまう体で、用法容量を守っていては効かないときには過剰摂取していた。15歳時点でもまだそれは続いている。
6歳、それまでに描いた絵と師匠のアトリエで描いた絵すべてトータルで新聞記事に載る。その頃はまだ世間で物珍しかった「共感覚」という言葉を強調して載せられたことで、世間から注目の目が集まる。 それから逃げようと、ここからイキヤはモノトーンの絵しか描かなくなる。(それだとそういう画風として、何を描いてもいろいろ誤魔化せたから)
8歳、名廊直人に「見たままを描いてごらん」と言われ、そこから自分の色覚に完全に従順を通り越して隷属した絵を描き始める。 その絵を師匠のアトリエに置いていたらアトリエに来た人間(かなりの名士で富裕層の資産家)が「相応の額を払うからこの絵を買いたい」と言う。イキヤはなにげなくいつものハイペースで描いた絵の中のひとつだったその絵を、売る。 買った人間が、豪奢な自宅(大勢の富裕層が出入りする)の応接間にその絵をしっかりと飾ったこと、応接間に通された来客が話題の一端としてその絵について尋ね、しっかりと答える(イキヤの創作活動の一助になり支援するような感覚もおそらくあった)ことで、その人間の人脈にイキヤの絵は評判となり、 8歳のイキヤのもとに「自分の家にもあのような絵がぜひ欲しい」という、かなり裕福な大人たちからの依頼が来るようになる。 8歳のイキヤはせいいっぱい依頼に応え、「あのような絵」と称された最初に売れた絵から大きく枠を外れない絵を描いて売った。 依頼された絵以外はどんなようにでも好きに描いていたが、やがてそれもあまり人目に触れないようにし出した。(酷いことだから、だけではない。)
8歳、大人から飲まされた酒で急性アルコール中毒で倒れて死にかけた。以来、酒を飲んだことがない。 酒を飲まされる時、脱がされ引き倒され、「肛門で飲むか自分でちゃんと飲むか?」を脅され、選択させられたことで脳に異常が出る。が、本人は脅された部分の記憶を忘れ去っており、大したトラウマにもならず、さらに後日罵倒された言葉で、「自分が酒に弱かったせいで急性アルコール中毒で倒れた」とだけぼんやり記憶していた。急性アルコール中毒に死の危険があることなど、無意識に関連情報について調べたり、考えることを避けてやめていた。
依頼された絵を描くうちに「個展をやってみないか」と言われ、依頼された絵に近いものを選んで個展をした。 イキヤの中で「売れる絵を描けば当然売れる」ということが、思春期あたりで漠然と腑に落ちなくなってきてイライラしだし、粗暴になる。 (この辺りから公式デフォルトイキヤになっていく) 自慰行為では消えたくなる。
13歳の時、同じ公募展で入選した篝要の絵(ドローイング作品)を見て、展示会場の近くにいるカガリの色と気配を追い、初対面のカガリにイキヤから声をかける。「お前の描く絵は凄いものだ。絶対に描くのをやめるな」 その二言で身を翻してイキヤは走り去った。その褪せた黒い細身のパーカー姿の背中が遠ざかっていく、それがユーレイだったカガリが、イキヤを自分の「本体」として捉えた原風景となった。 これ以後、カガリはイキヤに接近し、たびたび脈絡もなくイキヤの首を絞め、それを許さないイキヤに容赦なく蹴り弾かれる。カガリの中でその度にイキヤは「殺しても殺しても絶対に死なない、壊しても壊しても壊しても大丈夫な最強の本体」になっていく。
15歳の時、名廊直人が40歳で自殺して死亡。 自分の視覚に静謐に従い続けた直人の命が早々に途切れたことで、イキヤの中で何かふっきれた。このままではいけないと。 これまでで一番大きな個展を開き、作風も画風も画材もテーマも纏まりも一貫性もないこれまで好きに描いた絵すべてを晒す。
その後、「行屋虚彦」の絵の確立していたブランド性はやや落ちた。しかし評価をあげる人間もいたため相変わらず売れる。
16歳の時、母・ナナが2階からの転落で首の骨を折り、死去。 不眠症だったイキヤがほんの5分ほどうっすら眠っていた隙の出来事だった。2階の手すり、落下した母の長い髪の毛の先が指に触れるところまでイキヤは駆けつけていたが、遅かった。 落下時に掴んだひと束の髪の毛は頭皮から抜けて2階のイキヤの手の中に残った。 そして母の亡骸を抱きしめて、母を一人にしないように(自分が置いていかれたくなかった)と死後の世界についていこうとした結果、発見されたときには目も耳も聞こえなくなっていた。それは視覚が強いイキヤにとっては冥界に近いなにかだった。
17歳、母の死後、守るものを亡くしたイキヤはとにかく自分にできる仕事ならなんでもやり始める。 あまりの手数の多さ、しかしオールマイティと呼ぶには偏っているさまが「外見的シーラカンス」モチーフの由来。 画家としては生粋の画家というよりやや「便利屋」的なふうにもなっていく。 もともと注文が多ければ多いほど不自由で楽しく絵が描けるイキヤ。
18歳、神経と感覚を研ぎ澄まして集中し絵を描き続けたことで、身体が緊張状態から戻ってこれなくなる。(生来そんな状態が続いてもいた) 胴体内(胸部から腹部全体、下腹部まで)を内側から誰かの手で優しく撫でられるような、性的快感に似た刺激に悶え苦しむ日々が始まる。本人が拒絶する意に反した性的快楽、に似た苦痛の継続。それで身体が死に至ることがないことも、イキヤ本人にもずっとよく感じられるような苦痛の継続。※トキさんはこれをさらに激しい激痛や快楽にすり替えて、自分であらゆる薬を試して、薬を見つけて生き延びた。
18歳、ある日絵を描いていて突然、眼球を無数の夥しい針で刺されるような痛みが目にくる。 逆まつげではないかとイキヤは睫毛を毟った。 眼科、脳神経外科、その他あらゆる検査でなにも身体には異常なし。原因不明となる。 目を閉じていると和らぐことから、ここからイキヤはほとんどの時間を目を閉じて視覚なしで生きる。 絵を描ける時間とタイミングが極端に制限され、作品数も激減を余儀なくされ、生きていくのにギリギリの収入しか得られなくなる。 途端に貧困と、目の見えない生活苦に陥る。
19歳、発狂。 ナナと同じ茫然自失の状態になる、もしくは幼児退行し健忘の激しい無邪気なさまになる。 目が見えないことと腑をくすぐられる病により、発狂。絵の中に描いて潜ませることで語れていた心を語るすべを奪われたことが決定打となる。 イキヤが潜在意識で絵の中に潜ませ続けたのは一貫してたった一言、「助けて」だった。
19歳、発狂状態で、行屋灯彦の家に囲われて生きることになる。 病の苦しみを知る灯彦と、その娘・冥(昏と同音だが別人。空海の詩からとった漢字)が、イキヤの身体を安らげようとしてイキヤをレイプするのが日常になる。 冥はイキヤの子を身籠り、イキヤの娘・行屋瞳(いきや・まな)が産まれる。 現状を知った冷泉、山雪らは灯彦と話し合うが、何度も決裂。 が、話し合いの途中で灯彦が若くして死亡。 最終的にイキヤは精神病院に入院しての生活に入る。
享年20歳。精神病院の病室で、殺害、変死?(閉鎖病棟なので普通は簡単に出入りできない)された状態で発見される。トキさんの仕業?
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honnakagawa · 9 months
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12月27日(水)open 12-18
定休日明け、薄曇り。 今週もnakabanさんの鮮やかな『トラタのりんご』の原画や作品たちとお待ちしております! 初めて年またぎで展示が続きますので、年内バタバタの皆さまも、年明けにもお出かけいただけますよ🍎 年内は29日が最終営業日となります。
定休日、京都へ行ってきました。 色々と観たいもの、会いたい人がたくさんだったので、詰め込み旅になりましたが、とても気持ちが充実しております。 その中でも新刊絵本『おやすみまくら』(写真2)が最高にかわいい、nowakiさんで開催中の牧野千穂さんの個展はどうしても今年観ておきたい、と思っていました。 繊細だけど柔らかで奥行のある原画たちに、とても満たされて参りました。 すでに来年のカレンダーたくさんあるのに自分用に買っちゃった…!(写真3) nowaki(https://nowaki-kyoto.net/)さんの通販で購入できます。 牧野さんの個展も来年15日まで開催、事前に予約が必要ですので、nowakiさんのサイトをよく読んでお出かけくださいね。
そして少し届いた本たち(写真4)
別冊暮しの手帖 『台所と暮らし』 暮しの手帖社
Penny Davnnport作品集 『Naked Miljy Way』 torch press ペニー・ダベンポートさんは、いつの頃からかSNSで目にし、その作品世界に魅了されてます。 大ファン。 作品集が出版されてとても嬉しい。
そろそろ本の入荷も年内最後になりつつあるかな。 暮しの手帖別冊『台所と暮らし』の中でたくさんお仕事をしている、写真家の有賀傑さんが、今日は中川に遊びに来てくれました。 かれこれ20年ほどのお付き合いの有賀さんの写真展、いよいよ来年中川で開催予定です。 どうぞお楽しみに! あ、京都では誠光社さんでの「花森安治の言葉」展も観てきました。 とても痺れたよ。 こちらも来年15日まで。
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kozuemori · 10 months
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今日の東京は比較的暖かです。今週はやっとクリスマスツリーをかざり、明日からのワークショップに向けて最終調整をしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。イスラエルとハマスの戦闘も2ヶ月目を迎え、ガザ地区では1万6248人が死亡し、4万3000人以上が負傷したと伝えられています。戦闘の長期化によりガザ地区の人口の8割を超える約190万人が避難を余儀なくされ、食料や燃料、医療物資などの支援物資が十分に搬入されない中、感染症によって命を落とす人々も増え、状況の悪化がますます深刻になっています。
前回のブログでAIのコードに潜む偏見について書きましたが、今週も似たようなテーマです。以下のニュース記事をご覧になった方も多いと思います。
21世紀の今も焚書や言論の不自由があることに驚きを隠せませんが、日本語訳が出版されないとあって少しでも事実や情報に近づきたく、色々探したら以下の記事を見つけました。拙い訳で長いですが、ポッドキャスト版を全訳したので紹介します。
・・・・・・
バリ・ワイスです。ネットの世界では個人のリアリティの違いによって、特定の人物についての評価がますます二極化しているようです。例えばデイブ・シャペルやジョー・ローガンのような人物も、人によってヒーローか悪役かのどちらかに分かれて評価されているように、アビゲイル・シュライアーもまたその標的となっています。彼女の著作『不可逆的なダメージ』はあらゆる書店や図書館、量販店から締め出されました。2021年にプリンストン大学がシュライヤーの講演を大学内で予定していましたが、脅迫によって警察が出動する事態となったため、別の場所で講演が行われました。参加したのはたった35人で、そのほとんどの人たちが自分が参加しているのを知られたくない為、撮影に協力的ではありませんでした。私は35人以上の人が聞くべき価値のあるものだと判断したので、シュライアーの講演内容を知って欲しいと思います。
(広告:3:17まで)
リスナーの皆さんこんにちは、アビゲイル・シュライアーです。これから私がプリンストン大学で講演した内容をお伝えしようと思います。
(以下、プリンストン大学の学生に向けて行われた講演内容:カッコ内は私が付け足しました)
私が最もよく受ける質問は、多くの面接官が高尚なことを聞くふりをしながらするような内容です。「嫌われるってどんな感じですか?」興味本位でこのポッドキャストを聴いている方の中にも知りたい人がいると思いますが、「GLAAD(アメリカ国内でLGBTのイメージに関するメディアモニタリングを行う非政府組織)のブラックリストに載るってどんな感じですか?」「ACLU(アメリカ自由人権協会)の一流弁護士たちがあなたの著作を出版禁止にするのはどんな気分ですか?」「一流大学が卒業生のあなたを認めないのはどんな感じがしますか?」「以前は味方だった意識高い系の人々の好意を失うのはどんな感じですか?」
まずは私自身のことを少しお話ししましょう。きっと皆さんとそれほど違わないと思います。私はメリーランド州判事の娘として、メリーランド州の多人種が入り混じった郊外で育ちました。ユダヤ系のコミュニティ・デイ・スクールに通い、高校時代にはワシントン・ジューイッシュ・ウィーク紙の記者として働き、学校新聞の編集にも携わりました。コロンビア大学に進学し、ケレット奨学金を得てオックスフォード大学で2年間学びました。その後、イェール大学ロースクールで法学の博士号を取得し、クリントン政権が任命したD.C.巡回控訴裁判所の事務官を務めました。
法曹事務の職に就いたばかりの時にロサンゼルス在住の男性からヘッドハンティングされた私は、その年の暮れに当時の恋人を追ってカリフォルニアに行くことを決めました。そしてロサンゼルスで超一流の法律事務所に就職し、日々の業務に追われ、感覚が麻痺状態でした。私は恋人と結婚し、妊娠期間の奮闘後、法律事務所を辞めて3人の子どもを授かりました。子どもたちに本の読み聞かせをし、下手な歌を歌い、出版できない小説を書き続けました。以前から私を知る人は、何て無駄なことをしているのかと不思議に思っていたでしょう。
私は地元のユダヤ系新聞にいくつかの論説を書き始めましたが、そのうちのひとつをウォール・ストリート・ジャーナルの編集者が見つけ、ウォール・ストリート・ジャーナルに投稿しないかと誘ってきました。そして、その年のうちに13本の論説をウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿しました。そのうちの一つの論説がある読者を惹きつけ、彼女の10代の娘が突然性転換をしたという話を伝えてきたのです。その話について調査し、報道する記者を探しましたが誰も名乗り出なかったので、私は自らその仕事を引き受けました。その時の私の調査結果が『Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters』(直訳:不可逆的なダメージ:娘たちを誘惑するトランスジェンダーブーム 日本語版タイトル:不可逆的なダメージ あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇)というタイトルで出版されたのです。
ですから、私は挑発者ではないのです。人を怒らせることで快感を得ることはないですし、論争の渦中に身を置くためにわざわざ事を荒立てる必要性も感じません。『諦めない』『効力を持つ』この2つが組み合わさると、論争の中心になることがあるのです。
なぜ、私は諦めないのでしょうか?なぜこれほど多くの10代の少女たちが突然トランスジェンダーだと認識し、自分の体を変えたいと熱望しているのかについて、私がごく標準的なジャーナリスティックな調査したことが他者の怒りを買うことになったのでしょうか?そもそも、なぜ私はこの本を書き、それで良かったと思っているのでしょうか?
皆さんなら、決められた台本から外れるたびに遭遇する不愉快な出来事の一部をご存じのはずです。では改めて、多くの憎しみの的になるのはどんな感じなのでしょうか?それは自由を謳歌している感じなのです。それが今夜、私がお話ししたいことです。
哲学を学んでいた学生時代、私は自分の意志は自由であるかどうかについて膨大な時間をかけて考えていました。これは誰もが思うであろう「自由に」行動したと言えるのか、という形而上学的な問いです。そして、ほとんどの哲学者は私たちの意志はそれほど自由ではないと考えているようでした。形而上学的決定論者たちは、人間のあらゆる行動は最終的に素粒子の波動関数によって説明でき、ニューロンが発火し、私たちが自由に決定したものは何一つないという世界を描いていました。
形而上学的決定論者でなくとも、人間の意思決定やその背後にある理由は、その人の生い立ちや経験、あるいは先天的な個性によって構成されるという明白な問題に皆さんは直面してきたはずです。人間の自由意志と決定論とは両立するという説を支持する適合主義者は、人はせいぜい自分の動機と好みに従って生きることを望むことしかできないと主張しました。つまり、動機と好みは個性によって大きく左右されると認識されてきたのです。
かつて18世紀の決定論者ホルバッハ男爵は「人間の行動は決して自由ではない。それらは常にその人の気質、受け継がれてきた考え、そしてその人が形成した幸福の観念、さまざまな模範によって、教育によって、日々の経験によって強化された自分の意見の必然的な結果である」と書いています。
私は学生の頃、ホルバッハの言う通り、私たちの動機は自分の性格や生い立ち、そして受け継がれてきた考えによって決まるのかもしれないという心配に囚われながら、彼の主張を読んだことを覚えています。
2021年の現在において、私たちは自分の自由意志が受け継がれてきた考えと自分自身の個性によって形成されたものかもしれないと心配することは、ちょっとした余裕のように思えます。今日、私たちは何かを望む前に、まずは携帯電話を開き、自分の意志とは異なる考え方や見方、他人の投票結果などの情報によって、自分の意思を操っています。つまり、昔は完全に自由でなかったかもしれませんが、今はそれよりも更に自由を失っているのです。
どのマッチングアプリも、数少ない同じ魅力的な交際相手を選ぶように誘導され、Spotifyは同じ音楽を好きになるように働きかけ、Amazonは特定の本を購入するように薦め、他の本から遠ざけます。Amazonがあなたに勧める本が、中立的なアルゴリズムだけに基づいていると思っているのなら、今すぐその思い込みを解いてあげましょう。私はかつてAmazonに勤める情報源の一人に尋ねたことがあります。彼は購買者の検索結果がどのように操作されているかを調査し、事実上ほぼすべての検索結果が前大統領夫人ミシェル・オバマの著作『Becoming』(日本語版タイトル:マイ・ストーリー)を勧めることになった事を伝えてくれました。
その逆もまた然り。Amazonのアルゴリズムによって、どれだけ売れたか、あるいは特定の人がどれだけ購入する可能性があるかにかかわらず、決して勧められない本があります。少なくとも、そのような本が一冊存在します。それが何なのか、想像してみてください。
重要なのは、皆さんの意志は弄ばれ、破壊され、操られているということです。しかも、かなり陰湿な方法で。Googleが私たちに特定の検索結果を促しながら決められた視点へ導くのは、決して驚くことではありません。しかし、Wikipediaでは議論の対象となっている項目に対して編集者が割り当てられ、その中にはイデオロギーに傾倒した活動家もいて、その多くがあなたを非常に特殊な見解に導いていることをご存知でしょうか。
もし皆さんがそうしたWikipediaの記事や偏ったファクトチェッカーの報告に基づいて意見を形成して行動するならば、あなたは意志の自由を行使していることになるのでしょうか?見えない説得者たちによって、あらかじめ決められた結論へと誘導され、絡め取られ、突き動かされているとすれば、おそらくそうではないでしょう。おそらく皆さんは、ヴェニスのムーア人と同じような気の毒な状態に置かれています。弄ばれ、転覆させられ、操られ、誰かの計画を実行し、彼らの望む方向へと歩みを進めているのです。
私たちはここ数年、この種の操作が政治的分裂の根源であるかどうかを議論することに多くの時間を費やしてきましたが、さらに基本的な問題、つまり良心の自由、ひいては自由意志をいかに妨げてきたかについては、十分な注意を払ってこなかったと思うのです。
世論調査によればアメリカ人の3人に2人近くの62%が、不人気な意見を表明することを恐れていると答えています。それは自由な国の自由な人々とは思えない結果です。私たちは毎日、評価と職業の機会を失うことを覚悟の上で、真面目に受け止めることを期待される虚偽の情報を強制されているのです。
・生理があって妊娠する男性もいる 
・勤勉さと客観性は白人の特徴である 
・自分の本当の性別を知っているのは子どもだけだ 
・トランス女性が女子スポーツで不当に有利になることはない 
最後の例は、女子スポーツにおけるトランス女性についてです。プリンストン大学の学生でエリー・マーカートという名の素晴らしいアスリートは、1年生の時に500ヤード自由形でアイビーリーグ記録を樹立した水泳選手です。2019年11月、エリーは大会最高記録を保持していた500ヤード自由形で、ペンシルベニア大学の22歳の生物学的男子生徒との競泳において約14秒もの大差で敗れました。現在、その選手は女子水泳で複数の米国記録を保持しており、多くの優秀な生物学的女性アスリートたちの努力を消し去り、女性たちが何世代にもわたって闘い続けた後に獲得した権利を軽々と奪い続けています。
エリー・マーカートはプリンストン大学のために全力で戦いましたが、果たしてプリンストン大学はこの不平等な現状において、いつ彼女のために戦ってくれるのでしょうか。「もうたくさんだ」という学生たちの抗議の矛先をどこに向ければいいのでしょうか。男性としての思春期の恩恵をフルに享受してきた生物学的男性、すなわち、生物学的女性より大きな心血管系や40%増の上半身の筋肉量、より多くの速筋繊維や、より多くの酸素を供給する血液をもつ選手が、男子チームで3シーズン選手としての経験を積んだ後、今度はトランス女性として生物学的女性と競い合うことを決意し、この国のトップ女性スイマーの記録を打ち破ったのです。それは勇気��はなく、ただの破壊行為です。
この事実において、声を上げるべき点はどこにあるのでしょうか。ちょっと想像してみてください。もしあなたがプリンストン大学の女子水泳部員だとしたら、どう思うでしょうか。NCAA(全米大学体育協会) の競技が公平で冗談以外の何者でもない事を知っているふりをしなければならないのです。男性から「もっと泳げばいいんだ」と説教され、言いたいことも言えないとしたらどう思いますか。「女の子たち、銀メダルに感謝して次はもっと頑張って」というメッセージをどう受け取りますか?そうしたレベルの抑圧が、彼女たちの魂をいかに歪めているか想像してみてほしいのです。
では、女子水泳選手が全員試合を放棄し、こう言ったとします。「私たちはどんなライバルにも真っ向から立ち向かいたいと思っています。でも、こん���茶番のために毎朝4時に目覚まし時計をセットし、登校前と放課後に何時間もトレーニングをするために子ども時代を過ごしたわけではないのです。」
学生たちがそうした波風を立てない理由は、ゴールドマン・サックスやニューヨーク・タイムズのインターンとして働く機会を望んでいて、その可能性を危険にさらしたくないからです。けれど最も優秀で有能な若者たち(プリンストン大学の卒業生のことです!)を引き抜き、その会社の言うとおりに考え、口をつぐんでいなければそこで働くことはできないと言うような機関は、本物のゴールドマン・サックスではないし、偉大な新聞社でもありません。それはかつての素晴らしい機関の抜け殻であり、そこで働く価値はありません。大学の卒業生たちに話を聞くと、まるで共産主義政権下で暮らす人々のようです。もし皆さんが声を上げようとしないなら、それが皆さんの将来を担っているアメリカの実態なのです。
この国で最も素晴らしい教育機関のひとつで学びながら、卒業後は就職先の言うとおりに考え、決められた台本に従わなければならないのなら、果たしてそこに生きる意味はあるのでしょうか?コンピューターは私たちよりも計算が圧倒的に得意ですし、より複雑なあらゆる作業もこなせるようになるでしょう。しかし、コンピューターは原則に立つことができません。コンピューターには不正な競争に信頼性を加えることを拒否し、次の女性選手が声を上げるのをより難しくすることを拒否する機能がありません。コンピューターが知り得ないのは、嘘に屈することなく真実を公然と語るとき、人間の意志が発揮される栄光の瞬間です。
私は人々を挑発するために『Irreversible Damage』を書いたわけではありません。もっと自由な世界だったら、この本が論争を巻き起こすことはなかったでしょう。この本を書いたのは、それが真実であることを知ったからであり、私が発見したこと、つまり、多くの10代の少女たちを取り返しのつかないダメージへと導く、社会的伝染病の存在を記録しておくことが正しいと信じているからです。そして、もし私がこの本を書かなかったら、さらに多くの少女たちが自傷行為へと導くアイデンティティ運動に巻き込まれていただろうと思っています。けれど、それを食い止める目的で書いたわけではなく、単にそれが真実だから書いたのです。
3月に上院司法委員会の前で証言したとき、私はまず最初に、ゲイやトランスジェンダーのアメリカ人が、アメリカの歴史のどの時点よりも汚名や恐怖を感じることなく生活できる現在のアメリカに住んでいることを誇りに思うと述べました。それこそが自由の栄光であり、成熟した大人が本物の人生を歩み、自らの運命を切り開くチャンスなのです。そして、成熟した大人が自分でそのような選択をすることを社会が認めることは、自由な社会の絶対条件なのです。ジェンダー・イデオロギーの誤った独断的な主張を拒絶しても、私はトランスジェンダーとしてアメリカ人がアメリカで活躍し、夢を実現するのを見たいと願っています。
私がこの本を書いたのは、ある母親とティーンエイジャーの娘をはじめとする何十人もの人々の体験談が私を突き動かしたからであり、私の素晴らしい母校がこの本を祝福してくれると思ったからはありません。祖母の世代の女性たちが得られなかった教育の機会を孫の世代である私が得たことの意味や、両親が私の教育のために払った犠牲の目的、教授が私のために割いてくれた時間の目的が、強制的な行進を強いられながら人生を盲目的に突っ走ることであってはならないと思ったからです。両親や恩師が私に捧げてくれたすべての時間の意味は、世界最高精度の操り人形になることではなかったはずです。それが特権の意味するものではなかったはずです。
Spotifyの社員は、ジョー・ローガンと私のポッドキャストエピソードを放送したことを理由に、会社に不当な要求を突きつけました。アマゾンの従業員は、私の本を扱い続けるなら辞めると会社を脅しました。GoFundMeは、私の本を宣伝するために設立された親たちによる草の根募金を閉鎖し、ACLUは100年以上にわたる使命のすべてをゴミ箱に捨てたのです。このような暴挙は力の誇示でもなければ自由でもなく、隷属に近いのです。
もし皆さんが自分の意志を行使する勇気があるなら、最高裁判所の判事の椅子に数十年にわたって座り続けることができるでしょう。そして、皆さんが最高齢のメンバーで唯一のアフリカ系アメリカ人として優れた職務を誠実に果たしたとしても、アメリカのどの小学校も皆さんの名前を冠することはないでしょう。それがトーマス判事(アメリカの最高裁判所の保守派判事)自身ではなく、彼を非難する人々の評判を下げる実態だと思わない人はいるでしょうか?
形而上学的な意味で、私たちが本当に自由であるかどうかは私にはわかりませんが、もし宇宙が最後の素粒子に至るまで完全に決定されていないのであれば、自由も程度に応じて認められることになります。そうだとすれば、この10年間で私たちははるかに自由を失っていることになります。つまり今のあなたと同じ年齢だった時のあなたの両親が持っていた自由の大部分を、皆さんは失っているのです。自由を取り戻すこと、それが皆さんが要求すべき権利です。自分の考えを思慮深く、礼儀正しく、不快感を与えないことはもちろんのこと、それ以上の目標を持って主張する権利を取り戻してください。自由な国民を窒息させ、肺一杯に吸い込める自由な空気の爽快感を忘れさせようとする以外の理由もなく、人々が自由に発言することのできない真実のリストは急速に増大しています。
もし皆さんが自分には代名詞(LGBTQの文脈のプロナウン「私(一人称)」「あなた(二人称)」ではなく、「彼」「彼女」などジェンダーが関わってくる三人称)があると信じている、あるいは代名詞を持ちたいと思っているのであれば、特権としてそれが認められるべきです。聴衆を混乱させたり、議論を泥沼化させたりすることがない前提で、誰かからその人自身の代名詞を使うことを頼まれた場合、私はいつでもそうしますし、それが礼儀だと思います。でも私は私自身の代名詞を述べませんし、あなたがもしジェンダー・イデオロギーを信じていないなら、そうすべきではありません。自分の代名詞を述べるとき、あなたはジェンダー・イデオロギーの教理問答、つまり、対象者以外には知ることのできない、言い表せないジェンダーが存在するという信念に参加していることになります。 つまり私が自分で女性だと言わない限り、誰も私が女性であることを知ることができないのです。 私はそれを信じませんし、無意味だと考えています。代名詞を尋ねられたとき、私はこう言います。「私は女性です。」あなたの自由を取り戻してください。今すぐ、奪い返してください。
精神科医や小児科医は、思春期の子どもからアゴニスト剤を投与するよう要求されたとき、それに抵抗することを恐れていると私に言います。なぜなら、リスクや決断の性急さを指摘されたら、医師免許を剥奪されるのではないかと恐れているからです。また、親たちは子どもたちが通う学校の革新的な教師やソーシャルワーカーに反発することを恐れている、と私に語ります。そして、ここプリンストン大学で得た素晴らしい教育も、ある日突然、自分の専門分野で嘘が優勢になっているのを目の当たりにし、せいぜい匿名で私と電話で現状を嘆くのが精一杯ということになれば、すべてが無駄になってしまいます。皆さんはもうすぐプリンストン大学を卒業します。自尊心を示し、自由を取り戻してください。
自分の意志が試されるのは、期待されたことだけをする瞬間ではありません。コンピューターが成し遂げていることを超えるのは、決められた台本に書かれた台詞を読むことではありません。事前に誰かに承認された合唱団の無個性なメンバーになれたと思った瞬間、その姿は跡形もなく消え去ってしまうのです。
これから皆さん一人ひとりに重要なチャンスが訪れるでしょう。病院や銀行、法廷や新聞社で、自分が間違っていると知っていることが起こるのを目の当たりにするでしょうし、もう既に経験しているかもしれません。いつか幸運にも子どもを授かった時、自分がその子どもにとってこの世で最高の防衛手段であることに気づくかもしれません。そんな時、自分の意志の核心が何かをするように、何かを言うようにと働きかけてくるでしょう。そんな時、人形みたいに何もせずに座っていてはいけません。
私は43歳で、ここにいるほとんどの人に年をとった人物として見られていると感じています。でも、そう遠くない未来、皆さんも目が覚めたらあっという間に43歳になっています。これまでの人生を振り返ってみると、私が最も誇りに思う決断、つまり予期しないキスのような瞬間は、アルゴリズムに従った時ではなく、アルゴリズムに逆らい、生きていることの魔法とパワーを一瞬でも感じたときなのです。自分だけの極上の喜びを一瞬でも感じたとき、自分が何かの目的のために存在し、自分の住む世界よりも良い世界を残せる可能性があるという、まぎれもない感覚を味わった瞬間です。その感覚は堅実にキャリアを積んだとしても得られるものではないですし、左翼のスター生徒になったとしても訪れない瞬間なのです。
失敗する可能性があることを承知の上で、自分自身を捧げる結婚相手を選ぶとき、安全や成功の保証がない冒険の世界に子どもを導くとき、皆さんはそのようなスリルを味わうのです。勇気を奮い起こして人生を切り開くとき、勇気を出して人生を形作るとき、それはあなたがこの世を去った後も残るものです。 真実を公の場で、慎重かつ明晰に話すとき、そして皆さんが世界に向けて「お世辞を言って私を買うことはできません。 私の同僚かクラスメートという他の商品でも一括購入してみたらどうですか? 私自身は商品じゃありません。」と言うときです。
ありがとうございました。
・・・・・・
私はジェンダーを二分化したどちらかにある固定した存在ではなく、立体的なスペクトラム(連続体)の中にある常に形や色が移ろう存在といったイメージで捉えています。つまり、0か1か、黒か白か、女性か男性か、ではなく、その広大なグラデーションの中のどこかに、全員が一人として同じところに存在せず、常に形や色を変えて上下左右に揺れ動きながら移動しているような、曖昧ではっきりと定義できないものだと感じています。ですから、私は自分の生物学的な性別を受け入れていますが、だからと言って完全に女性だと思っているわけでも、決して男性ではない、と感じているわけでもないのです。
自分のジェンダーと生物学的な性別の関係については、本人の自由意志によって選択されることが大切だと思いますが、シュライアーさんは講演の中でジェンダー・イデオロギーだけでなく、自由意志についても多くの例を挙げながら言及しています。私自身はそれが彼女の本の1番の訴求点ではないかと想像しています。それについても自由意志はある、自由意志はない、という極端な二分化の中ではなく、自由意志に基づく傾向のあるもの、自由意志に基づかない傾向のあるもの、というあやふやなスペクトラムの中にその実態があると感じます。例えば前者については、純粋な祈りがあると思います。でも、私たちは常に先入観や思い込み、恐れや強迫観念といったエゴに操られているので、自由に自由意志を持つことは難しいのです。内省や瞑想がそれに近づく道ですが、それを選択する際にも、自由な自由意志が求められます。
この講演の中に、「自分の意志の核心が何かをするように、何かを言うようにと働きかけてくるでしょう。」という一文がありますが、これはまさしく私たちの持つ直感を意味していると思います。直感に基づいて行動することは、最も自由な自由意志の現れです。
この本の日本語版が発売中止になり、とても残念です。自らの自由を求めて戦っている人々が、他人の自由を認めないことが矛盾する行為だと、なぜ気づかないのでしょうか。
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takahashicleaning · 1 year
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TEDにて
ヘンリー・エヴァンズ&チャド・ジェンキンス: 人類のためのロボットを!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
突然の脳卒中による四肢麻痺を抱えながらも、ヘンリー・エヴァンズは、テレプレゼンス・ロボットという物を駆使してステージに立ち、この新しいロボット
「人類のためのロボット(Robots for Humanity)」という団体が、彼のために微調整してくれた遠隔歩行ロボットによっていかに、彼が自分の人生を生きられるようになったか語ります。
彼は、チャド・ジェンキンスのチームが開発した機敏な空中小型ロボットを(クワッドコプターorマルチコプター)飛ばすことで、自らの意思で空間を操れるようになり
再び、庭や大学のキャンパスを見てまわれるようになったのです。(TEDxMidAtlantic)
Googleで開発中のプロジェクト・タンゴ(Project Tango)と名付けられた画期的高速3D認識センサーが現在開発中です。
周囲を3Dスキャンしてモーショントラッキングと同時に3Dマップをリアルタイムで瞬時に生成することができるそうです。
2018年には、Project Tangoの開発を終了。ARの取り組みはARCoreに引き継ぐことでソフトで全て処理できるようになっています。
iPad Proには、2020年に「LiDAR(ライダー)スキャナ」が搭載されました。 自動運転車がクルマの周囲になにがあるかを認識するためにもLiDARが活用されている。
「LiDAR」は、「Light Detection and Ranging」(光検出と測距)の略。
レーザー光を利用して離れた物体の距離を測る仕組み。
電波を使って離れた物体との距離を測るレーダーもあるが、これのレーザー光版で、iPhoneなどのスマートフォンにも搭載されたこと。
LiDARスキャナは、光の反射をソナーのように使い広い範囲の距離(奥行き)を測る装置。自動運転やロボットのナビゲーションなどでも広く使われる歴史ある技術。
それから、技術革新による小型化。大量生産からコストが安くなり普及しつつあります。
もし、これらをロボットと組み合わせれば周囲の風景を自動認識しながら障害物を自動回避しつつ、自宅にいながら家の外に、外出することや遠距離にも行けることが、より簡単になるかもしれません。
テクノロジーの場合。進歩によって、人間の身体の障害は良いビジネスチャンスになることで克服できることがわかります。
私は、かつては思いもよらなかった可能性を見出しました。自分や同じ境遇にいる仲間のために生き、そして、貢献をすることです。人間、誰しも何らかの形で障害を抱えています。
例えば、時速100キロで移動しようとすれば、お互い補助機具が必要ですね。つまり、自動車です。障害があったからと言ってあなたの価値は変わりませんし、私の価値も変わりません 。
極端な例を言えば、私たちは、生まれながらに欠陥があって、自分では空を飛ぶことができません。去年、ウィロウガレージ社のカイジェン・シャオが、私をチャド・ジェンキンスに紹介してくれました。
チャドは、どれだけ簡単にクアッドコプター(無人飛行機)を買って、飛ばせるか教えてくれました。
それで気付きました。クアッドコプターを使えば、寝たきりの人たちの世界を広げてあげられると。飛ばすことで、自分の意思で動く感覚が持てるのです。素晴らしいことでしょう。
頭を動かして、マウスでカーソルを操り、私はこれらのウェブ・インターフェイスでロボットから送信されたビデオを見て、指示コマンドも送れます。
ロボットから送信されたビデオを見て、指示コマンドも送れます。それも、ブラウザのボタンを押すだけです。ちょっと練習すれば、このインターフェイスにも慣れて、自分で自宅の周りをドライブできるようになりました。
庭を見てまわって、ぶどうの育ち具合も見ることができます。屋根の上のソーラーパネルもチェックしましたよ。パイロットとして、難しいと思うのはクアッドコプターをバスケットボール用のバスケットに着陸させることです。
さらに、私は、頭装着型ディスプレー「Oculus Rift オキュラス・リフト」をFighting Walrus社に改造してもらい使えるか試しました。クアッドコプターで飛行する世界に没頭するためです。
ブラウン大のチャドのグループと私は、クアッドコプターを彼の研究室のまわりで週に数回。5千キロ近く離れた自宅から飛ばしています。四肢麻痺でも、よく学び、よく遊べと時間を見つけては楽しいゲームもします。
このクアッドコプターを使ってお見せしたいのは、寝たきりであっても、もう一度、世界を飛び回ることができるということです。ロボット工学により、すべての人に公平な場ができたのです。
鋭敏な精神と想像力が全ての世界です。障害がある人でも、他の人と同じように活動できます。む���ろ、上手いくらいかもしれません。
テクノロジーによって、現在、植物人間とみなされている多くの人々に人としての喜びも感じさせてあげられるのです。100年前なら私は、植物人間として世話されていただけでしょう。
でも、実際のところ私は死んでいたと思います。今は、全て私たち次第なんです。私たちは、ロボット工学をどう使うか決められます。
人間をただ置き換えることにも人々を良くすることにも使えるし、私たちがもっと色々活動し、楽しめるようにもできます。
ロボット工学の目標は、すべての人に内在する力を解き放つことです。私や世界中にいる私のような境遇にある人たちが、より世界と関われるようにするのです。
皆さんのお力添えがあれば、この夢を現実にすることができます。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任です! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
Apple Vision Pro 2023の登場で・・・
チャットGPTが、ここに搭載されれば?
どうなる?
今後のインスピレーションに期待します。
健常者にも活用できれば、月面や宇宙空間のロボットを自宅からゲームのように操作するだけで賃金がもらえるような、一神教での労働の概念が変わるかもしれません。
Before 2022, this would not have been possible, but with Apple, Google, and Microsoft agreeing to expand the use of “passkey,” a passwordless authentication system…
2022年以前では、不可能だったが、Apple・Google・Microsoftがパスワードな しの認証システム「パスキー」の利用拡大に合意したことで・・・
…on the basis of high security and a high degree of privacy as well…
高いセキュリティと高度なプライバシーも基本にして・・・
…and if, as Ivan Pupilev says, all everyday objects have gesture interface capabilities…
イワン・プピレフの言うように日常的な物すべてにジェスチャーインターフェース機能を搭載していれば・・・
By integrating them with a common smart home standard, “Matter,” and making it possible to automatically connect to them by simply approaching them, assuming permission and authentication…
スマートホーム共通規格「Matter」で統合して近づけるだけで本人の許可、認証を前提とし自動接続できるようにすることで
It may be possible to customize even simple functions as complex functions by combining various devices in a stand-alone manner.
単体では、単純な機能でもさまざまな機器を組み合わせることで複雑な機能としてカスタマイズできるようにできるかもしれない。
In the past, OpenDoc, a technology developed by Apple to realize compound document and document-centered operation, was available.
かつて、OpenDoc(オープンドック)は、Appleが開発したコンパウンド・ドキュメントとドキュメント中心の操作実現する技術があったが
Can we extend this technology to shift from a document-centric to a gesture-centric interface?
これを拡張して、ドキュメント中心からジェスチャーインターフェース中心にできないだろうか?
If you want to work on a larger screen from your smartphone, iPhone, or iPad with a user interface by wearing the Oculus Dash or HoloLens from Oculus Quest
Oculus QuestにあるOculus DashやHoloLensなどを身につけることでユーザーインタフェースをスマートフォン、iPhone、iPadからもっと大きい画面で作業したい場合
It was usual to use a computer with a large screen, but now it is possible to use a huge screen! However, there were limits to the amount of money and placement of the display.
大画面のパソコンでというのが、普通でしたが、もっと、巨大な画面で!!という場合はディスプレイの金額的、配置場所にも限界がありました。
Virtual reality as the future of the holographic age, Virtual reality Virtual reality OS and its extension to the gesture interface center.
ホログラム時代の未来にあるものとして、Virtual reality バーチャルリアリティのOSとジェスチャーインターフェース中心への拡張
Seamlessly linked together, there will be no spatial limits, and you’ll be able to work in a small room with any number of huge, large screens that you can place anywhere in 360 degrees!
シームレスに連携させることで、空間的に限界は無くなり、小さな部屋でいくらでも巨大な大画面で360度どこにでも置いて作業できるようになります!!
For example, even if it is not possible to display 3D without wearing glasses like the gesture interface in the sci-fi movie “Iron Man”…
例えば、SF映画「アイアンマン」に出てくるジェスチャーインターフェイスのようにメガネをかけずに立体表示させるとまではいかないまでも
It may be possible to “make it look realistic by wearing special glasses” such as Oculus Dash and HoloLens in Oculus Quest, so…
Oculus QuestにあるOculus DashやHoloLensなど「特殊なメガネをかけることでリアルに見せる」ことはできそうなので・・・
It would be fun to display the setting panel of a simple function device that you touch through the special glasses as if it pops up from inside the device in CG in a hologram format (image: Genie Effect on Mac)
特殊なメガネを通して、触った単純な機能の機器の設定パネルをホログラム形式でCGで機器の中からポップアップするように表示してくれると楽しそう(イメージは、Macのジニーエフェクト)
警察比例の原則。
警察比例の原則。
警察比例の原則。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
最近2023年から始まったジェネレーティブ人工知能の流行によって
ジェネレーティブ人工知能で作られたメディア(画像・映像など)が人々の目に触れる際には、情報源を開示するよう求めている(オープンAIなど10社が自主ガイドラインに署名した)
ヘンリー・マークラムの研究で脳のイメージが数値化されたデータから・・・
この膨大なデータをディープラーニングを搭載したジェネレーティブ人工知能に候補を複数映像化させる
こうすることでストーカーしかできない人工知能の問題を解消できる?かもしれない
憲法第19条にもあるように「内心の自由」正確に特定しないようにして
権力者の頭脳の中身をリアルタイムに複数映像化したことをチャットGPTに説明してもらう。
これは三つしかない内のひとつ。リカレント・ニューラル・ネットワークを使います。
この権力者の頭脳の中身をリアルタイムに映像化したことをニティシュ・パドマナバンの老眼鏡を含めた未来の自動オートフォーカス搭載メガネなどを用いて
特殊なメガネを通して、ホログラム形式でCGからポップアップ表示できる可能性もありそうです。
しかし
機械学習ディープラーニング物体検出データベースのことを「Darknet」と呼んでいます。
フェイフェイ・リー構築した機械学習ディープラーニング画像データベースのことを「ImageNet」と呼んでいます。
他には、今のところ、リカレント・ニューラルネット(RNN)フレームワークなど・・・
たった三つしかないのが2022年の現状です。
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keiesu20 · 2 years
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ODによる自殺未遂の体験談
はじめに
私は昨日、出勤途中の大きな駅のトイレで市販薬の過剰服用による自殺を図りました。経験から言えることは、「とにかく死ぬことは辛く苦しいことである」ということで、薬が効いている最中は本気で生きたいと思いました。
しかし当然、この経験をしたからといって、自殺に至った原因が解消されたわけではありませんし、私自身「死ぬことはとても辛いが、生きることも辛い」と未だに考えていることは事実です。
私がこの文章を書こうと思った理由は上記のことに関連しており、もう2度と同じ過ちを繰り返さないようにするために、そして、あの時の苦しみを思い出して自殺という選択を自らが選択しないようにするためにこの体験談を書きます。
ODをするまで
当日は久しぶりの出勤予定で、家を出てからも会社へ向かう心算でした。しかし、電車に乗った直後からこれまでと同じように身体の震えや汗、眩暈が止まらず、駅に着いた時には抜け出すように車両を飛び出ました。
会社へ向かうための乗り換えをしないといけないのにどうしても身体が動かせず、そうしている間に出勤の時間に間に合わなくなり、その時点で「死にたくはないが、今大きな事故にたまたま巻き込まれれば会社に行かなくて済むのに」と考えていました。そして、「ODなら楽に入院くらい出来るかもしれない」と考え、すぐにネットで市販薬のODについて調べました。
大きな駅だったので薬局も多く、ネットで調べた市販の風邪薬を分割して買うために4件ほどはしごをしました。(リュックの中身が風邪薬入りの紙袋でいっぱいになり、それだけで1万円ほど払った際に勿体無いなあとも考えていました。) 風邪薬の購入後は、大量の薬を飲むために2リットルの水をコンビニで購入しました。
その後、どうせ1日中過ごすなら綺麗なトイレが良いと思い、百貨店を探しましたが、朝なのでどこも開いておらず、また、そうこうしている間に会社から連絡が来ることが恐かったので、結局駅のトイレを選びました。
OD体験記(前編〜トリップ中〜)
結局ODをしようと決心してから準備を済ませ、トイレに篭るまでに約1時間かかりましたが、トイレに篭りました。そしてリュックを置き、コートをかけ、錠剤を50錠パキパキせっせと飲みました。
飲んですぐは効果が出ず、もう少し飲むべきかなとも思っていましたが、10分くらい待つかと思ったことを覚えています。その後すぐ、頭と首が痒くなり、薬が効いてるのかなと冷静に思った直後から記憶がぷっつりと途切れました。
次に目を覚まし、冷静に時計を見ようと思えたのは3時間ほど経った12:44でした(腕時計を見て、思ったより時間が経っていないな。ということと、会社は昼休憩中だから今は連絡がこないな。と安心したことを覚えています。)
この直後は、記憶が曖昧ですが、天井のタイル張りが目の前にあるように見えたり、視界が金色や真っ白に見えるようになり、「vampire survivorsみたいだな…」と思っていました。また、イヤホンで音楽を流していたのですが、その音楽が凄く遠くで、しかし爆音で音が割れているような感じで聴こえており、「間違って覚醒剤を飲んだのか!?」と思っていました。記憶が途絶える前は便器に座っていたのですが、目が覚めた時点でからはトイレの床に直接座っており、何度か吐き気を催しては平気で床に吐いたり、口から固い泡を吹いていたことも覚えています。(平気で床に吐けばいいと思っていたあたり、気が大きくなっていたのかもしれません)
この症状は3〜4時間くらい続いており、実際の体感としても以降の症状に比べて1番長く感じていました。この間は苦しみよりも、ただただトリップしているなあという実感だけがありました。
OD体験記(中編〜不快感と身体の異常の実感〜)
最後に時計を見ることが出来たのは15:44だったと記憶しています。その後も苦しみは感じず、冷静に今日が心療内科の通院日であることを思い出し、そこが開く時間もスマホで調べ、その時間ちょうどに着くには17:30くらいにトイレを出ればいいか。と考えていました。また、日本語はめちゃくちゃで短文ですが、ツイートをする余裕すらもありました。
しかし、ふと立ち上がろうと思った際に身体が凍ったように動かず、立ち上がれないことに気付きました。その直後から手足の痺れを実感しました。
床に座ったまま、音楽が途切れていたので再生するために、スマホをポケットから取り出そうと、開いたままの手で本能的にポケットを漁り、スマホを手に乗せて取り出しましたが、自分の手の皮が何重にも膨れ上がったような感覚でした。それでも現代っ子のスマホ依存は恐ろしく、電源ボタンをこれまた本能的に触っていましたが、画面は暗いままでした。スマホはバッテリーが切れただけでしたが、自分は「なぜこの機械は暗いままなんだろう?そもそもなぜこの機械を触りたいのだろう?この機械はなんなんだろう?」と思ったことを覚えています。
この頃に、急に笑い出したり何か独り言を大きな声で話したり、「会社なんか辞められるわ!」という解放感というか無敵感のようものを感じたりするようになっていました。しかし、一度ドアをノックされた際には、笑いを止め、冷静にドアノックを返したことを覚えています。
その後、ようやく立ち上がってから、初めてODの辛さを実感します。
まず、視界がぐるぐる回転していることに気付きました。直後は「回転に合わせて首を回せば楽だな」と思ったり、目を閉じたりしていましたが、数分後には猛烈な吐き気に襲われました。また、猛烈な寒さを感じたり、口が震えて歯をガチガチ鳴らしたり、両手足も痙攣していました。
その後も、視界が波打っているように見えたり、駅構内のアナウンスが爆音で聞こえたりもしており、その全てに不快感を感じていました。しかし、早くトイレを出ないといけないと感じ、何度も床に倒れては立ち上がりということを繰り返していました。
この間もとても辛かったですが、震えが足だけになり、意識が朦朧になりながらもリュックからモバイルバッテリーを取り出してスマホの充電をしたりもしました。そして、自分でも症状が軽くなったと体感し、スーツの上着とコートを羽織って初めてトイレを出たのは17:30頃だったと思います。
OD体験記(後編〜トイレからの脱出〜)
トイレを出て歩き出してすぐ、目の前の立ち小便器にも男の人がいましたが、肘や膝といった関節が曲がらず上手く歩けませんでした。右手個室トイレの扉に手をつきながら手洗い場へ歩き鏡を見ると、自分の頭はボサボサで、なによりも目がおかしい。異常なほど開いており、1秒に1〜2回白目を剥いている。こんな状態で病院に行けるわけがないと思い、すぐ個室へ引き返しました。
トイレに戻ってから改めて「自分は恐ろしい状況にある。心療内科に寄らず帰るべきか?救急車を呼ぼうか?」と考えながら、2リットルの水を何度か飲みました。しかし、猛烈な吐き気は続いており、飲むたびにすぐに嘔吐してしまいます。
その頃は不快感を感じながらも、トリップ中の頃と違い意識はハッキリとしているような状態でした。ふと、スーツに吐瀉物がかかっていることに気付き、「濡れティッシュで拭いてから出ないといけないな」と思い、リュックを漁りました。途中ハンドクリームを便器の中に落としましたが、独り言で「あー大丈夫です!ハンドクリームでよかったです!」と、なぜか会話口調で、独り言をかなり大きな声で話していました。(話した内容を覚えているのはこれだけですが、なんどか同じように話し口調で独り言を話していました)
結局リュックに濡れティッシュがないことを確認し、ふとトイレ備え付けの便座クリーナーが目に止まりました。読んでみると、トイレットペーパーに吹き付けて使用するもので、これでスーツを拭いても汚くはないしその場凌ぎにはなるか。と思い結局これで拭きました。
幸い吐瀉物はあまりかかっていなかったため、スーツを綺麗にするのに時間はかかりませんでした。その後、水を飲んでも吐き出さなくなり、時計を見ると18時でした。「そろそろ心療内科に行かないと家に帰るのが遅くなるな」と考え、2度目のトイレ脱出を図ります。やはり目は異常に開いており、関節も曲がらず、手をつきながら歩いている状況でしたが、ここで初めてトイレから出て改札を目指します。
地下鉄を使うかタクシーを使うかを考えながら歩きましたが、トイレを出て改札へ向かう経路の半分を過ぎたあたりで、視界がぐるぐる回り出します。その回転の仕方が今日1番といえるくらいで、慌ててトイレへ引き返しますが、当時の自分からするとトイレから相当歩いていたため、引き返して2〜3歩ですぐ、その場で嘔吐しました。
マスクをしていましたが、マスクはびしょびしょになり、今度はコートやズボンにも派手にかかってびしょびしょになりました。当然駅の床にも漏れてしまいましたが、一度吐いてからは吐き気がなくなり、そのまま動かない身体でトイレの個室に引き返しました。(当時の周囲の方や駅員さんごめんなさい)
本日2度目のトイレ脱出に失敗し、泣きながらマスクを便器に落としました。今度の吐瀉物は朝から何も食べず、また、それまで何度も吐いていたからか、ほとんどが水のようなものでした。しかし、コートやズボンがびしょびしょでそのままで出ると確実におかしい(歩き方や目の時点で既におかしかったけど)。泣きながらコ��トやズボンをトイレットペーパーで拭きますが、濡れた後は落ちません。また吐瀉物が右手のシャツの中に入っており、濡れている不快感を感じますが、そこはもう周りから見えないのでどうでもいいと感じていました。
OD体験のその後
2度目の脱出に失敗したものの、外で盛大に吐いてからは一気に不快感が消え去りました。そして、自分の身体を誰かに診てもらいたいと思い、改めて心療内科へ行くことを決心します。(ここで家に帰ったり救急車を呼ぶ選択を取らないあたり、相当思考がおかしくなっていたと思います。)
3度目の脱出を図ったのは18時半頃でした。替えのマスクがなかったためノーマスクで、しかしハンカチを持っていたので顔を洗い口を濯いでトイレを出ました。スーツは吐瀉物でびしょびしょですが、モノ自体は「ほぼ」見えていなかったと思います。結果から言うと、この3度目の脱出は成功し、ようやく半日を過ごしたトイレを後にします。
しかし、改札を出ようとカードを通すとエラーが出ます(駅構内で何時間も過ごしたからかもしれません)。窓口へ向かい駅員にカードを差し出しますが、そこで初めて呂律が回らないことに気付きます。それでも必死に平静を装い、駅員に明らかに変な目で見られながらも改札は通してもらえました。そして初めて駅を出て、タクシー乗り場へ向かいます。
呂律も回らず、歩こうにも関節が曲がらず、服装は吐瀉物でびしょびしょですが、横断歩道も渡り、見事タクシーに乗り込みます。また呂律が回らないながらも行き��を伝え、走行中は地図アプリでドライバーに場所を詳細に伝えたりもしました(運転中車内で吐かないか不安でしたが、今日はそれ以降吐くことはありませんでした。)
タクシーは10分かからない程度で心療内科に着き、クレカで支払いを済ませて心療内科へ入りました。受付にて、予約日が1週間ずれていたことも発覚しましたが、呂律が回らず、また「どうしても今日見てほしい」という訴えもあってか、何時になるか分からないが待ってほしいという条件のもと、今日中に先生に診てもらえることになりました。
結局30分ほど待っただけで呼ばれ、その頃には歩き方もややましになり、部屋へ入ると、先生に今日あったことを全て話しました(先生のことは信頼しています)先生は、「そんな中よく来てくれました。今日来てくれてよかったです。」と言い、仕事の今後についての相談や診断書の発行等を行ってくれました。ODのことも話しましたが、市販薬ならそこまで〜と思ったより薄い反応だったため、何錠飲んだかは話せず自分も「まあいけるか…」と思い、救急車を呼ぶべきか等の深い相談はしませんでした。
診察後は更に体調も回復し、近くの薬局でマスクを買って電車で自宅に帰りました。帰りの電車内では座れず、また、ODの最後の症状としてしゃっくりが止まらなくなり、その服装も相まってか周囲にジロジロ見られましたが、自分は、とにかく吐き気がなく、また、無事に家に帰れるという安心感でいっぱいでした。事前に親に「車で送ってほしい」とだけLINEを送り、最寄駅からは、親の車で家まで送ってもらいました。
さいごに
家に帰ってから親に吐いてしまったことを伝え、スーツ等を全て預けて服を着替え、顔と口を洗うとすぐに部屋のベッドに飛び込みました。
しばらくしてから親が部屋に入ってきて、そこで初めて、今日は仕事に行けなかったこと、そして、死にたくはなかったがどうにかなりたくなり、駅のトイレでODをしたことを伝えました。「馬鹿なことをするな」と言われ優しく叩かれましたが、なによりもそれを伝えた直後から罪悪感と安心感が溢れ出し、成人男性とは思えないほど泣きじゃくりました。その後は、部屋を出てほしいと伝えたのだったか、すぐに親は部屋からいなくなり、自分は泣き疲れて眠り、夜中の3時頃に目を覚ましました。(余談ですが、この時、好きなゲームであるOMORIのBGM 「Clean Slate」が脳内再生されました。)
アナウンスや人の出入りがうるさい駅のトイレで半日を過ごし、ゲロや泡を吐き、呂律が回らず身体が動かせずトイレの床で転げ回った後に、自宅の布団で寝ていると、静かで綺麗な自分の部屋で眠ることと、自分を思ってくれる人がいることの素晴らしさを改めて実感することが出来ました。
はじめに書いたように、私はこの経験があった翌日からも仕事や将来を考えると生きるのが辛いと感じています。しかし、生きることと同じように死ぬことも辛いと肌身に感じました。将来の自分も含めた今生きるのが辛いと感じている人が、この文章を読むことで「死ぬことも相当辛いことである」と感じ、同じ経験をする人が1人でも減ればと思い恥ずかしながらこの文章を公開しました。最後にこの最悪の日のことを忘れないため、その記録として、なぜか撮影していた当時の2枚の画像を添付します。
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s---o---r · 2 years
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20230106 SixTONES 慣声の法則@横浜アリーナ
※ツアーのネタバレを含みます
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ついに行ってきました。まさか当たるとは思っていなかったので当選した時はひっくり返るかと思った。根気よく生きてりゃいいことあるもんですね。メンバーが出てきた時泣いたもんね。本当に存在したんだね……。
内容、もちろん覚えているんですが全然覚えていないので(どっち?)、とても印象に残ったところだけ感想を書きます。私はライブのセトリをいつまでも覚えられない人間です。ライブ中興奮してるんだからしゃーねーよな!!
【曲】
・人人人
センステの上から糸で吊るされた6本のマイクが降ってきて、メンバーが吊るされたマイクで歌う演出があまりにもカッコよくて痺れた。普通のマイクじゃなくて、なんかでかいやつだった。遠くてよく見えなかったんだけど、ニュアンス的にはセカオワのドラゲナイみたいなマイクだった。(例えが雑)
人人人、良い曲ですよね。私から見たらキラキラして完璧なアイドルも、ステージ裏ではきっと。アイドルも私たちと同じ人間。
・愛という名のベール
ジェシー、まじで歌うますぎる。ラスサビでセンステからベールが降りてくる演出がすごく綺麗で感動した。バッと降りるんじゃなくて、なんかゆっくり降りてくるんだよ。ベールの素材の問題……?(そこ?)
・ラ・ラ・ラ・ラブストーリー
め〜〜〜っちゃ可愛い!きょもゆごにしか出来ないねあれは!歳上組万歳!最初に顔はめパネル的なやつからふたりで顔出すのすごい可愛かった。
SixTONESはいろんなジャンルに挑戦している印象はあって、その中でもEDM・R&B・HIPHOP系が多いイメージだったので、まさか渋谷系の曲を出してくるとはびっくりでしたね……渋谷系はいいぞ。
・マスカラ
これはこの曲に対する私の個人的な所見なので勝手なこと言ってたら申し訳ないんだけど、マスカラがリリースされた当時の歌番組でメンバー全員がすごく歌いづらそうにしていたのを覚えていて。きょもとか歌うま王なのに、なんかアレ?調子悪いのかな?みたいな。きっとメンバーにとっては難しい歌なんだろうなと思っていて、でも今回生で聴いてびっくりした上手すぎる。きっとみんな努力したんだな……すごいな……と、密かにだいぶ感動してた。SixTONESのそういうところがマジカッケーよな!
・WHIP THAT
ラスサビできょもが腹筋し出して、6人で腹筋してるのがウケた。そういう曲じゃねーのよ、おもろすぎる。このあたりのEDMメドレー(メドレーではない)超楽しかったー!
・この星のHIKARI
ずっと生で聴きたかったので念願が叶った。説明不要で本当に良い曲。
・Good Luck!
田中が自分のパートそっちのけでファンサしまくってるのが見えて笑った。だいぶ忙しそうだった。
【MC】
・優吾とジェシーのヒゲ写真がモニターに出る(なんで?)
「髙地はこの写真で何のCMきそう?」「(ソファ座ってたから)ニトリ」でワロタ
・ツアーグッズで本気でソファを出したかった慎太郎
樹「ツアー来てソファ買う人いねーから、どうやって持って帰んの」
慎太郎「配送だよ!なんか配送受付ブース作ってさ、いけるくない!?」
と真面目に力説してて、慎太郎前にテレビでも「おれはベッドソファを発明したい!」って言ってたしそんなにソファが好きなのか……とおもろかった。ベッドみたいなソファはもう存在する。
・担当ごとの系統の話
すべて樹くんの発言
「髪色が明るかったら大体俺のファン」
「でも、金髪だから俺のファンかと思って手振ったらきょものファンだったことある」
「きょもと北斗のファンは俺に興味ないんだけど、俺のファンはメンバー全員に興味があるの!俺と一緒!」
という発言があまりにも私に当てはまりすぎて恥ずかしくなってしまった。金髪だし樹くんのことが世界一好きだけどメンバー全員のことも好きなので……あと俺と一緒ってお前……苦しい…………
【演出】ここ重要
 
トロッコが目の前に来た。
いやあのですね、席がスタンドだったんですよ。いわゆる天井席ですね。まぁそれでもライブが見れるだけ本当に嬉しかったんですが、まさかトロッコ来るとは思わなくてですね、いやなんかあの、パニックだった。パニックパニック。(©︎渡辺翔太)
スタンドだったけど前に他のお客さんがいない席だったので、マジで目の前に来たんですよメンバーが。まさかそんなことが起こると思っていなかったので理解が追いつかずパニックパニック。(©︎渡辺翔太)全員お顔が綺麗すぎて、なんかこんなブスでごめん!!!!!私がんばるから!!!!!となったね……卑屈なオタクになってしまった………
ジェシー来た時にジェシー!!って手振ったら多分こっち見て反応してくれた多分。多分ね。一緒に行った友達がジェシーのうちわを持っていたので友達にやってたのかもしれない!それも嬉しい!!!!もうなんでも嬉しいよほんとに!!!!
大本命・田中樹さんは、なんか指さして辿りながらファン全体を眺めてる?感じで、私の方見た時に「あれ?お前俺のファン?」みたいな感じで手と目を止めてくれたような素振りを見せてて、いや気がしただけかもよ???オタクの妄想かもしれないよ??その一瞬の出来事に私は思わず直視出来なくなってしまい……本当に卑屈なオタクだ……
実際マジでパニックすぎて樹くんが何をやってるのかその時はよく分からず、後から考察した結果も含まれているのでまじで妄想の可能性はある。いやでも本当だと信じたい。私は金髪だし。(?)
こんな感じでした。夢みたいな出来事でしたね……生きてて良かったね……
ドーム申し込んだけど、アリーナ当たったから多分無理だろうな〜。でもいいんだ、死ぬまでに見れただけで幸せだよ。ありがとうSixTONES……ありがとう…………
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herbiemikeadamski · 2 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 12月3日(土) #友引(庚寅) 旧暦 11/10 月齢 9.2  年始から337日目(閏年では338日目)にあたり、年末まであと28日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 実は、昨日の帰宅時に交通事故に 逢いました🚘💢🚙🌬️🚓ナロ-ッ💢💢💢 交差点内での「右直事故(ウチョク)」 こっちが右折時に対向車が直進の 出会い頭なので、ほぼ正面衝突に 近い感じですが、対向車の方は左 にハンドルを切ったせいで右角側から アタックして来た🏐しかもノンブレーキです。 私どもの方は車の全面を剝ぎ取ら れる様にフロントグリルからナンバープレート にバンパーが欠落して先方の車両に 刻印されるかの様にめり込んでて 右角から右側面のボディが後方まで 傷が達して運転席と助手席側の方 もエアバックが作動(o゚д゚)マジスカ? \(__ )マジデスw💢💢💢ノンブレーキで こっちに衝突したから止まれた。 そんな具合✋もし、こっちの側面 に当たって居たら間違いなく横転 してたでしょう✋私どもの非とし ては、交差点内及びその手前30m 以内の場所においては,追越し及 び追抜きの前提となる車線変更が 禁止とされてる事✋対向車に関し ては、横断歩道や交差点内おいて は、横断しようとする歩行者また は自転車が明らかにいない場合以 外は徐行を義務付けられて居ます。 歩行者や自転車が居る場合は停止。 また、前方の進路妨害が適用され るんじゃないかと❔お互いに前方 不注意ではと✋しかもどもの方は 前車両が信号が黄色にでもなるか 赤信号だったので停止して居たの でしょう✋その後ろで進路変更を して右折をしようとした所へ前の 車が突っ込んで来たという事で 明らかに先方は信号無視をして 早く交差点内を通過しようとした と思われます✋こちらは停止車両 の後ろから進路を変更をしたので 前から来る車が見えなかったとの でしょうが、対向車は直進ですの で、一部始終見えて居たんだと思 わるが、奴の証言では見えなかっ たと云って居やがるが「嘘」です。 奴は信号が黄色又は赤になりそう な時にやる信号無視気味でよくや るやつですよ✋ブレーキと云うよりも アクセル踏みぱなっしですわな😅💦 こんな証言をしてやりゃあ良かっ ただろうか❔と今更に思うがその 時はとてもそんな気になれないし ドライバーさんに悪いかなって云う よりも「極寒」の夜空の中での 現場検証が2時間にも及んだのに 凍えそうで手足が痺れちゃった💢 って事で寝たの2時過ぎ😪💤のにw . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #みかんの日. 毎年11月3日が「いいみっか(3日)ん」=「良いみかん」という語呂からみかんの日として制定されています。  本日、12月3日と毎月第一日曜日も同じ記念日として、全国果実生産出荷安定協議会と農林水産省が制定しています。  みかんは日本を代表する果物であり、冬といったら #コタツにみかん。  三個のみかんを食べるだけで1日のビタミンCが摂取できるといわれています。  昔は、この時期になると各々の家庭では、みかんを箱買いしてあったんじゃないでしょうか?  みかんを食べて寒い冬を風邪知らずで乗り切りましょう。 . #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。  つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。  ちなみに六曜は仏教とは関係なく葬式を避けるという話は迷信である。 . . #魚群探知機の日.#カレンダーの日.#わらべうた保育の日. #個人タクシーの日.#ヒルズダイエットの日.#奇術の日. #プレイステーションの日.#プレママの日.#ひっつみの日 . #着うた®の日 .#国際障害者デー.#自動車電話の日(コードレス電話の日). #妻の日.#世界初の麻酔で手術に成功(NIPPON). . #くるみパンの日(毎月3日). #ビースリーの日(毎月3日). #みたらしだんごの日(毎月3日、4日、5日). . . #国際バスク語の日. . . ■本日の成句■. #名を取るより得を取れ(ナヲトルヨリトクヲトレ). 【意味】 実益の伴わない名誉を求めるよりは、実利を取るほうがよい。 . . 1950(昭和25)年12月3日(日)先負. #イルカ (本名:神部としえ/旧姓:保坂) 【フォークシンガー、絵本作家】 〔東京都中野区〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/Clrs934vKuEqy07Lha10wO3KGg_TVh8XNWXTzU0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kitatou403 · 2 years
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煙を吐く鏡は心臓を求める/佐藤究『テスカトリポカ』感想
 本書によるとアステカの神・テスカトリポカは心臓がお好きだそうだ。年に一度の大祭では生贄の少年が階段ピラミッドのてっぺんまで登り、黒曜石のナイフを持った神官に生きたまま心臓を抜かれる。死体は腕を落とされ、首も落として神殿の壁に飾られ、残った体は階下へ投げ落とされる。落ちてきた人体の残骸は分配されて下の人間たちの“ご馳走”になる。
 神様は心臓を要求していらっしゃる、神聖な祭りで正当な儀式を行なっているだけ…と言い訳しているが、つまり人間はグロテスクなショーが大好きで定期的に見ては集団で興奮したくなる糞みたいな種族なんである、多分。どんなに綺麗な神話を語っても殺人は殺人なんで、ダメです基本的には、マジで。ほんとに。アステカに限らず人間ってやつは生贄の解体ショーを見るのが楽しいんだよ。儀式での殺し方には明確な手順と型があったらしいし、アステカで行われていた供犠は直裁に言えば高度にシステム化された=流れ作業的な=洗練された手法による殺人だと思う。  よっぽど神に心酔していない限り、生で供犠を目にしても「心臓を取られる側に選ばれなくてラッキー!わあ痛そう」「祭り楽し〜」くらいのノリじゃないのか?  観客は恐怖と興奮を楽しむ。古来から死刑は民衆の娯楽だったと世界中の文献に書いてある。一瞬で死ねるギロチンの発明は人道的だとか言われちゃうくらい、それまで巷には残虐な死刑方法があふれていたわけで。八つ裂きとか…っていうか最近のSNSの炎上とかさ…生贄システムっぽいよね…とか思う…(小声)
 殺しを楽しむ感覚には後ろめたくも覚えがある。私は幼稚園生のころ蜘蛛の巣に出来心でシジミチョウを放り込んだし、学校に上がったあとも同級生が大きなアリの頭と胴体を小枝で分解するのを制止せずに見た。苦しみもがいて暴れる虫の動きは数十年経っても忘れられないし、はっきり言ってテンションはかなり上がっていた記憶がある。当時の私と同級生、全員まとめてクソガキが過ぎるのでお尻を釘バットで100回叩いても足りないが命の重さをきちんと理解するまではそんなもんだろうとも思うし…。  今作で取り扱われる題材テスカトリポカ、ナワトル語を直訳すると煙を吐く鏡、これは「生贄殺すの楽し〜」「どうせ殺しちゃったんだからムダなく人体を活用しよ!」というマジで終わってる人間の本能をそっくり鮮明に映すものと私は読みました。まじでごめんなさいシジミチョウとクロオオアリ…こどもって残酷だよね…。  作中、テスカトリポカの材質は黒曜石ということになってます。丸くて黒いシンプルな鏡。伝承では曇ったところに未来が映るとも言われているようです。黒曜石の色ツヤ、かっこいいよね。
 本作で心臓に価値を見出すのはアステカの狂信者だけではない。元心臓外科医の末永は難しい心臓移植手術の手順そのものを愛しているし、また死体を解体してパーツごとに高値をつけて売り捌くのもお好きな様子。昔も今も、宗教的にも経済的にも、心臓は変わらず高い価値を持つ。赤い宝石、赤いマーケット。心臓移植って高いよね。一億なんて当たり前、という報道を頻繁に見る。  アステカと臓器ディーラーの殺しの手順はよく似ている。両者とも決まった手順で心臓を抜き、死体の残パーツを売り捌くための社会システムを完成させている。そこに良心の呵責は必要ない。  そういえば作中の臓器ディーラー末永はお金儲けが行き過ぎて70億は稼いでるんだけど、そのお金で何すんの??エコノミックアニマルここに極まれり…。仕事のできるマフィアって出来のいい起業家と紙一重なのかな、とも思った。
 この話の前半はメキシコ、後半は川崎が舞台なんだけれども、やべぇよこんな人体売買組織とアステカ狂いの麻薬密売人が来たら川崎が終わっちゃうと思ってたら内紛で全部爆発四散したので安心した。川崎のことはよく知らないが街が滅ばなくて本当によかった。川崎に階段ピラミッドとか建たなくてよかった。  リオグランデ川を挟むアメリカとメキシコ、多摩川を挟む東京と川崎の経済格差と地形の類似にはハッとした。確かに似てるね。川を一つ越えることすら、力を持たない個人には難しい。
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 佐藤究は図像について文章で語るのが上手いので、アステカ特有の文様や神々の形状を容易に思い浮かべることができて助かった。文章も平易で読みやすい。朗読向きのリズムの良さも感じる。  この本のもう一つの魅力はルビ芸で、「煙を吐く鏡」という言葉の傍に「テスカトリポカ」という文字を発見した瞬間に(これは凄い文だ)と直感的に思った。本文を読み進めていくとアステカの狂信者が殺人を犯しながら頻繁に「われらは彼の奴隷、夜と風、双方の敵、煙を吐く鏡」と唱えるのだけれども、そこに「ティトラカワン、ヨワリ・エエカトル、ネコク・ヤオトル、テスカトリポカ」とルビが振られるんだよなぁ。痺れるね。  外国の固有名詞を特に訳さず文中にポンポン投入するのは翻訳ものの(あるいは翻訳者の)得意技だけれども、佐藤究は良い感じに単語を日本語訳してくれているのでルビ芸が生きるんですな。多国籍感を楽しみつつ意味も分かるので存外読みやすかった。アステカに狂ったお祖母ちゃんの語りパートなんか最高に呪術的で良かった。民話って面白いよね。
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 主人公コシモのその後は詳しく語られないけれど、エピローグを読む限り元気に暮らしてるんでしょう。誰もが心の中にテスカトリポカを飼っているんだろうが、コシモが終盤気付いたようにモワモワ悪意の煙を吐く鏡を自力で押さえ込んで人間の心を失わずに生きような…と思いました。
 読み応えのあるノワールでした。作者曰く「Ank: a mirroring ape」「QJKJQ」「テスカトリポカ」3つ合わせて鏡の三部作だそうで、残りも読みます。次の作品は三島由紀夫らしいので、凄いものが読めるんじゃないかと思って今からワクワクしています。
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zazaizumi · 2 years
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トルコ旅行の総括。
トルコ、また来てもいいな。すぐまた行きたいかというとちょっとかな〜りお腹いっぱいなのだけど、乗り継ぎとかでまた機会あれば寄るのはあり。その場合は空港からエディルネ直行とかアリだなぁ。市中の遠さは身にしみてわかったし。誰かと一緒というのも大あり。ひとりだとちょっと行きにくいなぁと思う店がけっこうあったし。今回パスした地中海側もやはり気になる。地中海側こそ誰かと行ってTheリゾートが合いそう。
リフレッシュというにはちょっと大変な旅だったなぁとは思うけど。しんどかったポイントはなんだろう。都市部の物価高、入場料高、一大観光地の混雑、都市部以外の英語通用度低さ、都市ごとに違う交通カード、名物多すぎて欲張ると胃と歯が疲れる、たまにスイーツが甘すぎて舌痺れる、交通機機関の時間が読めない、ちょいちょい突っ込んでくる車やバイク、あたりかな?エネルギーがどうしても要る。日々寝落ちしまくったレベルには疲れた。1都市4泊近くしてようやくエネルギー充電感が出てくると思った。というか異国で2,3泊で移動し続けるのやっぱり体力いるわ。1泊じゃなくて連泊さえすればマシな方と思ってたけどそうはいかない。歳取ったな。見どころが多すぎて日々出歩きまくったのも拍車をかけた。
でも全体的にはやはり楽しかった。町の雰囲気でいえばマルディンが一番気に入った。サフランボルとアマスラが次点かなぁ、どっちも好きだった。買い物としては南東部のバザールが圧倒的に楽しかった。安くて雰囲気が良い、Theバザールという雰囲気を満喫できた。南東部でバザール徘徊した時間は合計丸一日分以上は確実にある。遺跡類だと以前から知っていたギョベクリ・テペはやはりドンピシャでワクワクした。イスタンブールのド観光地以外は全体的に治安も良く、かなり油断して過ごせた。人も全体的に親切だった。南東部の情報少ない交通機関をなんとか切り抜けられたのはほんと人のおかげ。アジア人ほんっと見かけなくておそろしく目立ちまくった恩恵を受けた。都会だとイスタンブールのアジア側がすごく良かった。ローカルでリラックスした活気のある雰囲気が良かった。逆にこれらの経験しちゃうとイスタンブールの新市街や旧市街の観光地ド真ん中が物足りなくなってしまった。もし仮にそれらのエリアだけ見るような短期旅程だったらだいぶ感想が違った可能性が高い。
今回トラブルらしいトラブルは比較的少ない方だったと思う。トラブルは電子機器周りに集中した。失くす壊れるの連続。イスタンブールでスリのターゲットになりかけたが無事。2週目あたりで喉を乾燥でやられて体調がずっといまいちだったり、最終日付近にお腹の調子がずっと悪かった。どちらもなんとか耐えられる範囲で済んだ。よく聞く明らかなボッタクリやセクハラやしつこい客引きも遭遇しなかった。石鹸屋で手にテスターのオイルをやたら丹念に塗り塗りされたくらい?客引き類は想像より遥かにマイルドで黙るなり自分のペースで通り過ぎれば何も起こらなかった。
トラブルの少なさのわりにやたら疲れがすごかったんよなぁ。気が張ってたのだと思う。あとは昼夜の寒暖差かな。昼半袖でもいいくらい汗ばんで夜はライトダウンが欲しくなったり。かと思えば交通機関は超寒いと超暑いの両方を行き来したり。
アフターコロナの海外旅行がどうだったか。
アフターコロナだからという特別感も特に感じなかった。行きの飛行機の時点でCAさんすらマスクしてないのだもの。帰りのチェックインカウンターで接種証明書を見せたくらい。観光地は全部コロナ感なさすぎた。
たぶんコロナ云々よりインフレ物価高のほうがよっぽど印象強い。ほんとに日本並みの物価がゴロゴロしている。つまり欧米目線からしたら安い国。日本目線でもまぁ少し安いかな?という国なのだけど、インフレ打ち消し切れるほど日本円は強くなかった。何か買うのに安い!て思う機会が少なく、ふつうにめちゃくちゃお金使った。たいていのコロナ前の旅行記から日本円換算で1.3-1.5倍くらいの支出になる物が多かった。インフレひど過ぎてもしかしてぼったくられたとしても気づいてないかもしれないな?ってくらい。
観光客は戻りまくっていた。コロナ以前のトルコ知らないけどこれ完全にコロナ以前の人出だろうと想像つく。ヨーロッパからの観光客が多く、日本人含めて東アジア人は本当に少なかった。イスタンブールで日本人・中国人・観光客団体観光客を数回見た。カッパドキアでは韓国人個人観光客をちらちら見て、南東部は本当に東アジア人いなさすぎて一度しか会わなかった。ガズィアンテプのモザイク博物館で韓国人に話しかけられた。向こうもきっと南東部で初めて東アジア人に会ったんだろうという雰囲気。
トルコはアフターコロナすぎて、ヨーロッパあたりもきっと似たような雰囲気なんだろうなぁと思う。政府が屋外はマスク外せと言うのもそうだろうなぁという雰囲気。確かに3週間ノーマスクで過ごすと日本でマスクするの違和感ありそうだなぁ……とは思う。とはいえトルコでもマスクしている人は少ないとはいえたまはに見るし、それを奇異の目で見るような人はいない。特に都市部や交通機関だとマスクしている人それなりに見かけるのだけど、そういう人はちゃんと訳あってマスクしている感がある。ちゃんとした高性能そうな紙マスクをキッチリ着けている人が多い。鼻マスクとか皆無。すごく納得がいく。今の日本はとりあえず雰囲気と惰性でマスクしとけ感が出ちゃってる感じがする。飲み屋は規制なしでマスクしないで大声でしゃべっているのに、咳も出ず黙って屋外歩いているときにマスクする矛盾感とでもいうか。マスクは体に悪いとか陰謀だとか言うのはおかしいと思うけど、現状はシンプルに矛盾しているよなぁとはつくづく思った。
マスク無しの解放感が良いかというと一長一短だったのだけど。においがわかるのは良かったけど、桁違いの乾燥で喉やられるしすぐ喉乾いて頭痛くなることもあった。そういう場合でも世界的にマスクしやすくなったのはある意味いいことだと思う。コロナ前なら確実に奇異の目線が飛んでた。ムスリマ多くて口隠れてる人も多いからもしかするとそこまででもない気がするけど。マスクせずとも南東部は居るだけで目立ったからなぁ。
日本のアフターコロナ海外旅行第一陣には程遠いと思うけど、第二陣くらいかな?少なくとも海外旅行好きばかりの知り合いでまだアフターコロナ海外旅行した人を知らない。いろいろなタイミングが重なって日本人としては破格の3週間も休みを取れたのだけど。変わったのはやっぱりコロナより物価高だなぁ。トルコが極端すぎる気もするけどどの国も安くはなってないだろう。物価高いからと旅行見送った次に安くなっている保証なんてないなと思った。日本で働いて給料もらう身としては特にそう思う。海外旅行が下手したら国内旅行より安かったんだよ、って語る老害になっちゃう気がする。いい時期に大学生して、いい時期に海外旅行しまくれたなぁとつくづく思う。もしかするとこのトルコ旅行も数年後いい時期に行けたよなぁ、って思ってしまうのかな。それともあの時はやっぱりさすがに高かったわ、と思うのか。前者の確率のほうが高すぎるなぁ……未来に希望持てない感を改めて思う。トルコも物価高超太変そうだったけど出会う人はみんなたくましく見えた。旅行は行けるときに行ったほうがいいな。数年後、今回と比較してトルコがどうなっているのかすごく気になるし。
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h-dkk · 3 years
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アメリカ本国🇺🇸からやっと届いたブツ📦 気前良くステッカーまで付属してくれとる。。。 ただ、通関料と配送料でまぁまぁ取られた〜ぜ(笑) 明日時間あったら取り付けようそうしよう🤘 @ramjetracing Thx🙏 ☀︎ #アイソレータ #スタビライザー #剛性アップ #ramjetracing #アメリカからの贈り物 #個人での買い付けは痺れる #harleydavidson #twincam #twincam96 #fxd #fwdl #ハーレーダビッドソン #ツインカム #ツインカム96 #ハイカム #インジェクション #チューニング https://www.instagram.com/p/CNUy-gzrpNW/?igshid=mtezo9aavq8j
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