Tumgik
#全般的に超薄味
pezo-pvntp · 2 years
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尾道滞在はちょっと贅沢して 過去2回具合悪くしてて 生牡蠣をバーニャカウダに変更したら まさかの牡蠣なしだった件、、 しきりに"焼き牡蠣もできる"って 店員さんが勧めたのはそういうことか、、 #牡蠣食べ損ねちゃって #ちょっと損した気分、、 #魚が引き締まってて美味 #全般的に超薄味 #部屋の間取りが使い勝手悪すぎて #次回泊まるかは要検討 https://www.instagram.com/p/ClRFrFzL8Tefl66LwwLZoqqnxcV16ejFQdZL6U0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oivgbqiqfz358 · 4 months
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--深海人形-- 受け継がれる意志(ハジケ)
※多く、Threadsより引用
※クロスオーバーネタ注意
※全体的に閲覧注意
※雑多にネタをぶち込み
※キャラ崩壊注意
※格言:私の性癖に読者は無関係である。
…。
『Effigy(生体部品)』加工なんてのをやってる時点で、ワイにEXAを批判する権利なんて無ぇよ、畜生(※何れはハマーン様辺りが其れになった系の更なるIfを描きたいです!!!!)!!!!
…Effigy作った開発チームさぁ、本当は、Effigyを、なるべく、アニメ悪魔の桃玉か某侍魂の鶴女中(※萌えの究極体)かID-F87みたいにしたかったってさ(※無理です)。…筆者は最初から無理だと思います(※ぽよ)。
…。
…公式で海腹川背の子孫、横山埜鼓たんが存在する限り、海腹川背は人生の一度だけでも、結婚して、旦那持ちで子持ちでないと話が成立しないのだ(※…少なくとも、一生独身は無理)。
…『○○は××の子孫(※時空超越ネタ込み)』ネタ自体は大変ありきたりだが、安直に入れるべきでは無かったと思う。キャラを深掘りすれば深掘りする程、今回の彼奴等みたいに脳を焼かれる奴が出て来る(※怖ろしいね)。
…世界観とか話作る能力無い人間が、ストーリー性とキャラクター性がやけに強いゲーム作ると大抵悲惨な事になる(※気がする)。
…。
…ロボアニメ(特にリアル系)全般に言えるけど、オート操作と見せ掛けて実はマニュアルなので其の隙に奇襲をするみたいな攻撃も出来る筈なのにな(※…けれど、実際は全然無い)。
…基本的に、ロボアニメで描かれる、ロボ同士の戦闘って、スタイルが鬼滅か聖闘士星矢に近い(※気がしてる)。…HxH、ジョジョみたいな『兵は詭道也(孫子)』の、相手を騙して少しでも出し抜く、知恵を使う戦い方は基本しない(※其う言う方面についての議論もされない)。
…「…此の一連の動作は全てオート操作だ!動作が終了する迄相手は隙だらけだ!!(※確信)」…と相手が思い込んで、ある程度近づいた瞬間に、実は此れ等動作は全部オート動作に見せ掛けたマニュアルで、一気に此方が詰め寄りバッサリ斬る(※…みたいな戦法全然無い)。
…宇宙世紀ガンダム履修してる時と過去拙作(特に異宇宙とボクは許さない辺り)を書いてる時によく思ってた……HxHって皆全編に渡って最高に高度な戦略を張り巡らせて戦ってたんだな……って(※其う考えると星矢は正反対)。
…The Oってどのモビルスーツ、モビルアーマーともパーツの互換性無さそうだけど、どうやって修理用のパーツ調達してんの?…真逆、わざわざ一から作ってんじゃないんだろうね?(※趣味で作ると如何しても其うなる)。
…The Oとエルガイム mk-1は割と対照的だと思う(同じ意見は全く見掛けないけど)。片方は性能重視で量産性も度外視なのに、エルガイムはパーツ一つ一つをデチューンしてでも量産性と整備性を確保したモンな(…其の御陰で、反乱軍はエルガイムを量産してポセイダル軍に優勢を取れる様になった)。
…世間は逆だと考えてるだろうけど、The Oは隠し腕だけ完全マニュアルで動かして居ると思う(※サイコミュ操作万々歳)。
…。
…コウ・ウラキ君にAT・アーマードトルーパーを見せてやりたい、どうせシロッコみたいな感想になる(※如何足掻いても最低の匂い染み付いて む せ る )。
…ポケ戦のバーニィ、ザクに乗るよりATに乗った方が戦果出せたんじゃないか説(※…ATの操縦は凄まじく簡単だし……)。
…。
…ウラキとかガトーとかも泳げると思いますよ。泳げない正規軍人とか有り得ない(※…宇宙賊とかゲリラとか宇宙戦国時代の軍隊なら幾らでも居るだろうけど)。
…宇宙世紀じゃなくこれてアナザーだけど、鉄華団とかはどうしてたんだろうな……??(※あの時に落ち所が悪かったら大打撃被ってたんじゃ……??)。
…。
ワイの歴代ネタ&(男・ショタ)リョナ用サンドバッグ(※或いはトレモの木偶かあすらん並オモチャ)一覧(※此れからの拙作で、昔の奴で復活する奴居るかも)。
…意外と少ない(※…尚、アールじみやが生存する限り無限に増えます)。
ウェイン兄弟(※元祖でありR-9A的存在)
京サマ
NAOYA
漂流者数名
俺だけひょうきん族(※史実の新撰組副長は若かりし頃、非常にひょうきんであった為、検索避け目的でも此の様な渾名で呼んで居た)
死に損ないの猿
無言の不審者
元メトロシティの英雄
某モテモテリア充武神流忍者
某盗賊団の団長
ヒソカス
交渉人(ネゴシエーター)
七瀬ちゃん
ブレア・何とか
せぇこちゃん大好き反則君
ロソ豚
イカサマタマゴ
たまの��ピエロ
アナベル・コケコッコー
死因:スイカバー突撃自称一握りの天才
…他に居た様な気がする(※居たら教えて欲しい)。
…。
ジェリド「…嗚呼、…シロッコか……。…彼奴は木星時代から不健康な生活してそうだからな……、…脱いでも……ってぇ、…うわっ……、…貴様?!何故其んなに筋肉質なんだ?!???(※注:ジェリド君はシロッコ君が上半身を脱いだところを見ました)。」
シロッコ「…木星は基本的に娯楽も無くて地獄だ。其れに、暇な時は筋力鍛錬で暇を潰してたからな(※謎のドヤ顔)。」
ジェリド「…何て健康的なんだ……!!(※健康的過ぎだろ!?)。」
…。
…此のシロッコ君は長生きしそう、どこぞのヴェイガン絶対殲滅爺さんみたいに(※絶対嫌な爺さんになるww)。
…。
…新人クリエイターを寄せ集めた練習台、当の監督にZガンダムの踏み台扱いされながら、FSSとZガンダム及び以降のガンダムシリーズの基礎になれたエルガイムは、可也の幸福なアニメかもしれない(※正直ドラグナーよりも幸福だと思う)。
…レイズナーは、何とか再アニメ化して、最後迄当初の構想通りに全てを描き切れないと、何時迄経っても救われないんだろうな(※遠い目)。
…ドラグナー最大の救いはスパロボに出て再評価された事とSEEDシリーズの礎になれた事(※割と救われてる、完全にリアルロボットアニメ史に埋もれなかったのは、最早奇跡に限りなく近い僥倖)。
…ガンダムだけが勝者でエルガイムとレイズナーとダグラムとドラグナーは敗者なんだね(※辛い)。
…本当はドラグナー好きな筈なのに、すぐ「…あんなアニメ凡作レベルじゃんww此れだから、マイヨニキとミン大尉は0083のガトーとシーマに本家越えされたし、ZZより可哀想な扱いなんだわww(※嘲笑)。」…みたいな事言い出すワイ(※最高に面倒くさい)。
…頼む!!!!!!!!!!!!!!エクバのシステムでスパロボさせてくれ!!!!!!!!!!!!陽昇リアルロボットアニメ限定でも良いから!!!!!!!!!!!!!!!(※特にレイズナーとドラグナーを頼む!!!!!!!!!)。
…。
ウラキ「…ガトーを家具の椅子としてうちに置きたいなぁ……(※溜息)。」
モンチッチ「…辞めとけ……(恐怖)。」
ウラキ「…花瓶にもしたいなぁ……(※過激派)。」
モンチッチ「…ええッ……(※後のティターンズドン引き)。」
…。
…館主様かふーけつかガトーをカタリ派の完徳者(※正統派からマニ教と一緒くたにされた奴)か異端審問官(※ほぼ実質悪役)にするって言う計画のネタがありまして(※急なネタ出し)。
…。
…星乃⚪︎ってレーダーシステム無いから、本家と違ってDiscordとかで連携取り合いながらじゃないと上手く共闘出来ないって聞いて、WW2の日本軍思い出した(※日本軍もレーダー無い所為で後半になれば成る程苦戦した)。
…エクバと星⚪︎翼、連邦とジオン以上あるよな基本的な戦力差(※…然も、其のジオン側には、ソーラレイも水泳部も無いと言う……)。
…大高達帝国(※元祖機動兵器群プラモデル文化込み)vs薄っぺらい中華な山寨文化スレスレコンテンツ(※某Kansenゲー似)じゃ、…其りゃぁ、絶望的ですよ(※連邦vsジオン以上に)。
…星⚪︎翼って完全に某艦船擬人化ゲーに対するブルオ⚪︎とかブラ⚪︎ジとかアズ⚪︎ンポジションやん。本家に勝てずに敗北して行くパターンやん(※中華って基本其んなばっかりかも??)。
…と言うか、東方エクバ作ってくれよ(※切実)。
…“幻想のヴァルキューレ?” 知ってる子ですね()。
…。
※以下、クロスオーバー注意
…キリコが聞いたら、普通に祝福すると思います(※…他の二人は、脳を焼かれてたけど)。
「…そうか。男を見つけて家庭を築いたのか。…彼奴らしくも無いが。」
「…俺にも、かつては、幸せにしてやりたい女が居た。」
…。
メモ 此奴等が泳げる理由
キリコ ギルガメス正規軍が教えた
ロジャー 軍警察が教えた
シロッコ 水泳教育の機会が多かった。
坊や(没案) 同上。
後、航空機や宇宙船が海に不時着した時、泳げない故の無駄な事故死を防ぐ為に宇宙船の乗組員は必ず泳げる様に教育されて居る(此れは現実の航空機パイロットや宇宙飛行士も同じ)。
…。
にせウラキ(嶺厳偽装型)
…館主様がウラキに擬態した姿。弁髪の様な後ろ髪を切っており、ウラキと同じ短髪である。余りにも、本人に似て居る為普段は左目に眼帯をしている(※モノアイ)。
ガトーを誘き寄せ、釣る為の『擬似餌(ルアー)』だとよく言われるが、実際、ガトーはよく騙される。声質も違うのに(※…流石、Bガンダム関係の誤報に踊らされたと噂された奴だ。面構えが違う)。
……後、『中国のアレ』とか『中国製ウラキ』とか『中国製のパチモン』言うな(戒め)。
…最後は、ケジメとして、本物にスイカバー突撃され、ド定番変な顔芸しながら戦死(※御約束)。
…と言う訳で、ウラキはZガンダムに乗るかも?(※…但し、乗せる気は無いが)。
…。
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kennak · 1 year
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週末精神科に再診するので整理を兼ねて書く。概要・20代後半の社会人女・全般的な感覚過敏(後述)で大学時代から抗精神薬(エビリファイ)を飲んでいた・引っ越したので、1週間と数日前に新しい精神科に行ったところ、前述の薬ではなく抑肝散という漢方を処方された・結果、感覚過敏が解消されるとともに抑肝散が効いている間は感性が変わり、分かりやすく言えば自分②が生えた・自分の感性が2種類ある状況をうまく処理できず精神的に参っている追記・感覚過敏は先天的なもの。小さい頃から世界が眩しく、音はうるさく、タートルネックは着れなかった。・エビリファイは何も飲まないよりは随分マシ程度には感覚過敏を抑制してくれていた。エビリファイがなければ卒業も就職もできていない。感性の変化とかはなかったが。・いま思い立って今まで一口も嚥下できなかったチョコミントアイス��買って食べてみているが、食べられないことはないしなんならちょっと美味しい。やや美味しい歯磨き粉。追記終わり変化改善された感覚過敏かいつまんで書くと以下。詳細は末尾にまとめているので興味あれば。元の状態→抑肝散が効いてる状態。・繁華街では視界の情報量に負けてすぐ気持ち悪くなっていた→平気になった・首にストラップが当たるのが無理で社員証を首からさげられなかった→さげられるようになった・香水に常に不快感があった→ただただ良い匂いと感じる。なんとLUSHにも行ける。感性の変化抑肝散が効くことで、単なる感覚過敏抑制の枠を超えた変化があった。・好きだった音楽がとてもぼやけて聴こえるようになり、今まで聴けなかった曲をリピート再生するようになる。・好きだった服(派手な柄シャツ)が嫌いになる。全く違うテイストの服(ほぼ無地のモノトーン)が好きになる。・好きだった食べ物の味がぼやけ、嫌いだった食べ物を美味しく感じるようになる。・友人たちのことは好きなままだが、新たに人間関係を築く際の人間の好みが若干変わっている感覚がある。 具体的には、頭の良さよりも行動の面白さを重視するようになり、体格は小さい方が好きだったのだがどうでもよくなった。その他の変化抑肝散によるその他の変化は以下。・絵を描いているのだが、「人間や物体を球や円筒などの概形で捉える」という感覚が薬の効いている時のみ分かるようになった・肌がきれいになった(肌が過敏じゃなくなった???)・食欲が約半分になった・夜の7時間半+昼寝20分が必要睡眠時間だったのだが、夜の6時間半程度のみで大丈夫になった。(スマートウォッチによれば睡眠時の心拍数が平均で3~5拍/分 下がっている)・(上に関連して)眠気回避のためコーヒーを毎日かなり飲んでいたのだが、ほぼいらなくなった。所感、困っていること感覚過敏がほぼ消失したことで、今まで楽しめていなかったものが楽しめるようになった。絵が若干だが描きやすくなったり、肌がきれいになったり、コーヒーを飲まなくても覚醒していられる等、ほかのメリットも多い。ただ、薬が効いている時と切れかけている時で自分の「好み」が変化するのがつらい。朝起きて薬を飲んで着替えようとすると、部屋には自分の好みではない服しかない。今まで好きだったものをもう一度味わおうとしても、常に「今の自分はこれを好きだと思えるかが分からない」と不安になる。実際にあまり好きではなくなっていることも多い。なんとなくやる気が出ない時、好きなもので気分を上げようとしても、その「好きなもの」がいちいち試さないとわからない。「好きなものが広がる」のとは体験として違う。薬を飲んだ朝好きだったものが夕方にはたいして好きではなくなり、夜の薬を飲んだらまた好きになっている。思考する自分は一貫して存在している。ただ、感性が2種類ある。それぞれ好きなものが違う。 「好きなもので自分を語れよ」と言われるように、「好きなもの」というのは自分の一部である。自分が2人いるような感覚になるのだ。これが思ったよりかなり精神的にストレス。感覚過敏だけ抑えて、感性にまで影響を及ぼさない薬があればいいが、それは存在しない気がする。今までの私の感性は過敏な感覚を前提にしたものだったからだ。体調や気分次第で行動が変わる人はいると言い聞かせたが、そんな程度のものじゃないだろと思ってしまう。感性の経年変化とも違う。朝着た服が夕方気に入らないのだ。 ネットで有名な投書に以下のものがある。【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつあるhttp://kokoro.squares.net/?p=7763私はこの投稿者と違い、精神的なすべてのものが中枢神経の発火であることにショックは受けない。薬が効いていないときと効いている時の両方を自分だと思う。ただ、私の精神は「自分が二人いる(感性の状態が2種類ある)」ことに現状耐えきれない。 冷静に見れば抑肝散を飲むメリットの方が多い。どうにかして折り合いをつけたいが、方法が分からない。感覚過敏の変化の詳細視覚・繁華街の看板群、人混み、夜のネオンが平気になる・色がうるさいとあんま思わなくなる・外が眩しくない・(ガン効きのときのみ)視界の端まで意識が及ぶ感覚がある聴覚・ノイキャンヘッドフォンなくても生活できる・音楽の音の輪郭が全て鈍って聴こえる・ヘッドフォンの音質がいいことに気付く・米津玄師や他の邦楽が全て飽きない限りエンドレスで聴けるようになる(今までは一曲聴き終われないこともあった)・好きだった音楽(KPOPや洋楽)では刺激が足りなくなり、日本語の曲ばかり聴くように・今まで楽器別に聴こえていた音が、「声」と「楽器群」の2つにグルーピングされて聴こえるようになる触覚・全身の触覚と痛覚が鈍麻(温度感覚には影響なし) ロキソニンを飲んだときよりも鈍麻している・社員証が首からさげられるようになる・手首のスマートウォッチの振動に気付けなくなる・首元の詰まった服が着られるようになる嗅覚・香水をいい匂いと認識できる・LUSHも平気※嗅覚は鈍麻したわけではなく、不快感のみ消えた味覚・一定以上の強い味は切り下げられて感じるようになる・反対に薄めの味をしっかり感じられるようになった・甘いものを美味しいと感じる(今まで苦手だった)・しいたけなど食感がだめだったものを食べられるようになった
精神薬変えたら自分②が生えて困っている
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r1ok4 · 2 years
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推しを推せなかった話
国際男子寮の食堂で働いている。
国際男子寮の明確な定義は何かと言われるとよくわからないけど、とにかくその寮の近くには国際系(「国際系」って大学の専攻とかの区分で最近よく聞くけど、そもそも「国際系」って何なんだろうか。未だによく解らない)の大学があり、その大学に通う男子学生が多く暮らしている寮である。日本人も勿論いるが東南アジアや中国・韓国にルーツがある学生が大半であり、私の仕事はその寮の食堂で彼等の食事を作ることだ。日本語でのコミュニケーションが難しい彼等と私の間にボーイミーツガール的なラブイベントが起きることは勿論なく、1年近い勤務期間の間に無精髭に薄汚れたタンクトップ姿の彼等と三角巾にマスクで目以外は何も見えない容姿の私が交わした会話と言えば「こんばんは」「ごちそうさまです」「ありがとうございます」「ヘイ ワンピーポーワンプリン」くらいのものである。私の職場は、彼等にとっては自宅のキッチンだ。自宅のキッチンでわざわざ髪を整え髭を剃りアイロンのかけられたジャケットを着て「お姉さん、今日も美味しいご飯をありがとう(ニッコリ)」なんてしてくれる男は居ない。
そんな無精髭タンクトップ男達の中で、ふと目を引く男の子がいた。190cm近そうな長身にふわふわの銀髪。いつも黒いオーバーサイズの服を着ているが、それが本人の体格によく似合っている。皿を受け取る時の手は大きく、指は節ばっている。たまにその指先にある形のいい爪にネイルが塗られていることもあった。大抵は黒、たまに他の暗い色。ふわふわの銀髪は結べるくらい長く、実際に何度か結ばれていた。私は何度か彼を見るうちに、なんだかジョングクに似ているなと感じた。図体はでかいのだけど、挙動が素直で綺麗な目をしている。
彼はいつも野菜も残さず食べてくれるが(男子学生というのは大半が野菜を残してくる)、最初に並んだ惣菜を選ぶ際には真剣な目でどの皿が一番肉が多いか見定めている。野菜が好きというよりただ飯であればなんでも全部かっ食らうようだ。私は肉への執着心が強いジョングク似の彼をジョン肉と呼び見守ることに決めた。
1ヶ月ほどジョン肉を見守っていると、彼がおそらく韓国人であることに気付いた。他の学生とハングルで会話していたからだ。これまで「ご馳走様でした」以外の日本語を聞いたことがなかったので気付かなかったが、言われてみれば確かに発音に若干のぎこちなさがあるように感じる。
彼の「ご馳走様でした」は、私が彼を気に入った理由でもあった。食器を戻す時に毎回、律儀に「ご馳走様でした」と言ってくれるところ。多くの人の言うそれとは違って、彼の「ご馳走様でした」は、本当に「ご馳走様でした」と言っているように聞こえた。言い慣れて惰性で意味を失ったおつかれさまでーす、や、あざーす、とは違う。わざわざ食堂にいる寮長や寮母さん、私の方を向いてぺこりと頭を下げて、「ご馳走様でした」としっかり言ってくれるのだ。
気付いたら私は彼の「ご馳走様でした」を聞くために、積極的にそれまで嫌いだった洗い場に入るようになっていた(洗い場にいれば学生から直接皿を受け取ることができる)。なんなら仕事に向かうため自転車を走らせながら、今日はジョン肉を見られるかしらと考えることもあった。ジョン肉。今日はどんな服を着ているだろう。成人しているんだろうか。本当に仲良い友達と話す時はどんな感じ?あんなに背が高くて銀髪で、こんな田舎に住んでたら目立つだろうな。筋肉質な身体をしているけど、何か運動をしているんだろうか。毎日のように食堂で夜ご飯を食べているけど、あまり人と飲みに行ったりはしないのかしら…でも、そんなこと話せるような仲ではない。私はジョン肉の顔を知っているけど、ジョン肉は私の(目しか見えないので)顔すら知らない。寮の外ですれ違ったら彼は私に気付かないだろう。ああ、それでもこのまま、どうにかしてもう少しだけジョン肉のことを知られたら…
そこで私ははたと気付いた。このジョン肉への感情。私はこれをよく知っている。23年間の人生で何度も経験した胸のときめき。その中にふと訪れる切なさとどこまでも深い理屈を超えた愛おしさ。これは…
完全に、推しだ。
推しだ。完全に推しだ。私はジョン肉を推している。完全に、完璧に、推している。
私は推しへの愛と恋愛感情の違いを明確に理解している。恋愛感情は、「私がその相手と実際にどうにかなりたい」だ。私はジョン肉と、どうにもなりたくない。赤の他人のままでいて欲しい。誰と付き合っていようがどうでもいい。私はただジョン肉を推しとして愛したいだけなのだ。新規供給情報に暴れて画像を何枚も保存してちょっとしたエピソードから人間性をなんとか掴もうと考え込んでVLIVEを見返しては生きる糧を貰って寝る前に今何してるかな、元気だといいなと思いを馳せたりどれだけ彼を愛しているかをやかましい言葉でインターネットに垂れ流したりしたいだけなのだ。私にとって『推す』とはそういうことだ。
でも、そんなことをアイドルでない赤の他人にすることはできない。ストーカーどころか人権侵害だ。怖い。
そこまで理解したとところでぐらりと世界が反転した。全身の力が抜けた私は食堂の冷たい床にがっくりと膝をつく。
神様!!!!!!!!!!!!!!!!
ああ、私はジョン肉を推すことはできない。彼はアイドルではないのだ。アイドルでない他人を推すことはできない。ジョン肉はアイドルではない。故に、私は彼を愛することはできない。私は彼を愛することはできない…
私は、ジョン肉と、アイドルとファンになることができない。もっと彼のことを知って眺められたらどれだけ良いだろう。でもアイドルでない彼にそれを私が求めることには、責任と覚悟が必要とされる一対一の現実的な人間関係が生じる。一体どのオタクが推しと責任と覚悟が必要とされる現実的な一対一の人間関係を生じさせたいというのだ。それを望んではもう「推し」ではない。違うのだ。私はただ、アイドルの推しを推すようにジョン肉を一方的に推したいのだ。けれどそれは敵わない。私は彼を推すことはできない……
そこまで気付いてしまった私は、静かに一人、この気持ちを封印するしかなかった。推せない推しを推すことはできない。私はどれたけジョン肉を推していようと、彼の情報をインターネットで漁ったり個人情報を知ろうと話しかけたりしてはいけない。何故なら彼はアイドルではないからだ。彼は私に推されるべき人間ではないからだ。彼は完全に一般人で、彼のことが知りたければ私は彼と、ごく健全で現実的な人間関係を構築しなくてはいけない。無責任に愛の捌け口とすることが許されるオタクとアイドルではなく。そして、それは私が求めていることではなかった。私はジョン肉とごく健全で現実的な人間関係を構築したい訳ではなかった…
さようなら、ジョン肉。いつか日プ3があったら、出てね。毎日、投票するからさ。もしよかったら、アイドルになってね。でも、ならなくてもいいよ。私に「ご馳走様でした」って言ってくれてありがとね。あれだけはファンサと思って浮かれていいかな?
じゃあ、いつか推すことができるその日まで。
さようなら、ジョン肉。私の、推せなかった推し。
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shintani24 · 2 months
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2024年8月4日
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「安い豆腐」限界 豆腐店の倒産・廃業急増 「物価の優等生」薄利多売で利益出ず、半数が「赤字」経営(帝国データバンク)
「豆腐店」の倒産動向(2024年1-7月)
卵やもやしと並ぶ「物価の優等生」として食卓を支えてきた豆腐で、メーカーの倒産や廃業が急増している。スーパーなど小売店向けにパック豆腐などを生産する「豆腐店」の倒産(負債1000万円以上、法的整理)と廃業は、2024年1-7月に計36件発生した。年間で過去最多に並んだ2023年(計46件)を上回るペースとなり、前年を大幅に上回る年間60件台に到達する可能性がある。
豆腐店の経営は、豆腐づくりのコスト増と価格転嫁の難しさのはざまで厳しい状況が続いている。量産豆腐に多く使用される米国産など輸入大豆の価格は落ち着いたものの、円安などの影響を背景に高止まりで推移するほか、電気・ガス代や物流費、プラスチック製が多い容器代などのコストも値上がりした。
他方で、豆腐は生鮮食品などと同様に日持ちせず、「特売品」の目玉として小売業者からの値下げ圧力は高い。加えて、主要な販売先のスーパーで近年急速に台頭してきた安価なPB豆腐製品や、大手メーカーによる安価な大量生産品との価格競争が厳しくなっている。
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「豆腐店」倒産・休廃業解散件数 推移
実際に、豆腐1丁あたりの大豆原価率を試算すると、足元でコロナ前を上回る10%台で推移するなど高い水準が続いている。他方、こうしたコスト上昇分を販売価格へ転嫁できるケースは少なく、豆腐店の損益は約半数が「赤字」となった。「薄利多売」による経営環境の悪化に、後継者難といった経営課題も重なったことが、豆腐店の倒産・廃業が急増した要因とみられる。
安値で食卓を支えてきた「物価の優等生」の看板を前に、豆腐の適正価格への理解が進まなければ、豆腐店の倒産や廃業が今後さらに増加する可能性もある。
井出留美(食品ロス問題ジャーナリスト・栄養学博士 補足 私たち消費者の買い方や習慣も豆腐店の倒産や廃業の急増に拍車をかけています。スーパーに行けば豆腐でもなんでも手に入ります。一ヶ所で買い物が済めば便利。一方、豆腐屋はスーパーとは別の場所にあるし、スーパーの豆腐よりも2倍以上高いことがほとんどです。消費者が、便利さや安さを求めてスーパーやコンビニに走り、結果として豆腐屋が倒産する。豆腐屋に限らず、八百屋や魚屋、肉屋、街の本屋も減りました。これも消費者が利便性や時間の効率、経済面を優先させた結果だと、明治学院大学の神門善久先生は、著書『日本の食と農 危機の本質』(NTT出版)で主張しています。ヨーロッパには「バイイングフロムアルチザン(職人からものを買え)」という言葉があるそうです。専門の個人店から買わないと、技術がどんどん廃れてしまう。大石暢夫さんの著書『ひき石と24丁の豆腐』は90歳を超えた女性が豆腐を手作りする話で、子どもたちにお勧めです。
中井彰人(株式会社nakaja lab 代表取締役/流通アナリスト)見解 豆腐が特売の目玉、というくだりを少し補足すると、���要販売チャネルであるスーパーは、来店頻度を高めるために、日持ちせず頻繁に買いに行く、豆腐や牛乳のような日配品を安くする。中でも、どこの食卓でも食べている豆腐は特売対象として効果も高く、なかなか利幅を確保出来ない。そんな中での、原価高騰で仕入れ値が先行して上がるため、気がつくと採算割れとなってしまう。中小零細企業が多いこの業界は、正直言って正確な原価管理の体制もない企業は少なくない。資金繰りが回っているからなんとかなると思っていたのに、赤字がかさんで、資金繰りが急に破綻する、ということもあると聞く。不得手な経営者は、早めに公的支援の専門家などに相談する方がいいかもしれない。
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コーヒー1杯に出せるのは「500円」 カフェ倒産が過去最多、本当の要因は? #くらしと経済(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)2024年8月4日
昨年の喫茶店(カフェ)の倒産が過去最多を更新したと報じられた。産地での不作や円安によるコーヒー豆の価格高騰が理由の一つにあるという。街のカフェには多くの人が親しんでいるが、1杯の価格があまり上がってしまっては寄りづらい。消費者はいくらまでなら出せるのか、アンケートを実施するとともに、カフェの倒産について、コーヒー豆のメーカー、大手チェーン、カフェ、コーヒー豆を取り扱う団体などを取材すると、違う要因が見えてきた。(文・写真:ライター・上條まゆみ/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
家庭用コーヒー豆は20~30%値上げに
ここ数年、コーヒー豆の価格高騰が続いている。
おもな原因は、ベトナムやインドネシアなど有力産地における天候不順による不作、中国をはじめとするアジア圏での需要拡大、そして2年半ほど前に比べて大幅に進んだ円安だ。
家庭用豆を販売する大手メーカーも、コーヒー製品の値上げに踏み切った。ネスレ日本では今年9月以降、ペットボトルのコーヒー製品8品目を値上げすると発表。「ネスカフェ ゴールドブレンド」の3製品は、量を増やしたうえで希望小売価格を引き上げる。
UCC上島珈琲も、家庭用の製品を値上げする。家庭用のレギュラーコーヒーは7月1日の出荷分から、ペットボトル入りのコーヒー製品は9月2日の出荷分から価格を引き上げる。店頭での販売価格は20~30%程度上昇する見込みだ。キーコーヒーも8月1日の出荷分から値上げし、店頭での価格が同じく20~30%程度上がると見られている。
カフェの倒産最多 コーヒー1杯に消費者はいくら出せるか
カフェの閉業・倒産も増えている。今年1月に発表された帝国データバンクの調査結果によると、2023年の喫茶店(カフェ)の倒産は72件。前年の34件から2倍以上増え、過去最多を記録した。同調査結果では、倒産理由の一つに「コーヒー豆の価格高騰」が挙げられている。
もし今後コーヒー豆の価格が上がり続けるとすると、街なかのカフェで提供されるコーヒー1杯の価格も上がる可能性がある。消費者としては、1杯どのくらいの価格まで許容できるのだろうか。
今年6月下旬、ネット上で全国の男女5000人に3つの条件でのアンケートを実施した。
集まった回答の属性は、男性がおよそ6割で、40代以上が8割。毎日、複数回飲んでいる人が多数派で、全体のおよそ7割が毎日1回以上、コーヒーを飲んでいるというものだ。
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コーヒー1杯は「500円」までに抑えたいというのが多くの消費者の希望だ
1つめの条件は、「待ち合わせまで30分早く到着し、カフェで時間をつぶす場合」、1杯のコーヒーにいくらまで出せるか。結果は「500円」が最多で46.4%、次点の「300円」は46.0%。合わせて全体の約92%を占めていた。
2つめの条件は、「仕事や勉強のために1時間ほどカフェを利用する場合」。こちらも最も多かった答えが「500円」で49%。次いで「300円」が33%。一方で、「700円」も14%あり、「900円以上」という答えは4%ほどだった。
3つめの条件は、「カフェで友だちとゆっくり過ごす場合」。ここでも「500円」は41%と最多だが、「300円」は19%と他の条件と比較して少なかった。次点の「700円」が28%となり、「900円以上」では13%となった。
こうして見ると、短い時間の時間つぶしには「300~500円」と安く済ませたいが、仕事や勉強でじっくり、あるいは友人とゆっくり過ごしたいときには、「700円」「900円以上」でも許容できるという消費者の意向が見える。
一方で、友人と過ごすという状況でも「300円」という層が2割近くと、安い価格を希望する層もいる。今後、コーヒー豆の価格高騰とともにコーヒー1杯の価格が上がれば、カフェから足が遠のいてしまいかねない。
コーヒー豆の価格高騰は豆の種類で違う
「いまのコーヒー豆の価格高騰は、人件費や光熱費等の諸経費の高騰とあいまって、街のカフェの経営に影響を与えています」
そう語るのは、一般社団法人全日本コーヒー協会の専務理事・大山誠一郎さんだ。同協会は、ロースター(コーヒー豆焙煎加工業者)や輸入商社などコーヒー関係者で構成されている。大山さんは、次のように説明する。
「コーヒー豆には、おもにアラビカ種とロブスタ種の2種類があります。アラビカ種は味や香りに優れ、有名な銘柄として、キリマンジャロやモカなどがあり、カフェなどで提供されるストレートコーヒーはほとんどがアラビカ種です」(大山さん)
ロブスタ種は、病害虫に強く、栽培しやすい一方、苦みも強く、日本ではおもにインスタントコーヒーやブレンド用に使われている。代表的な産地は、インドネシアやベトナムだ。従来、価格が高いのはアラビカ種で、ロブスタ種はアラビカ種の半値、あるいはそれより安い価格で長く取引されてきた。だが、この1年あまりでロブスタ種の価格が高騰し、アラビカ種との価格差は縮小してきた。
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ロブスタ種とアラビカ種の価格差が縮小してきている
「コーヒー豆は先物市場(アラビカ種はニューヨーク市場、ロブスタ種はロンドン市場)で指標となる価格が形成されていますが、この1年でロブスタ種はおよそ50%の値上がりとなった一方で、アラビカ種の値上がりは10%程度にとどまっています」(大山さん)
実際、ロブスタ種がメインの家庭用コーヒー豆を扱うメーカーは前述のように値上げ比率が20~30%と高いが、おもにアラビカ種を扱うカフェチェーンは値上げを踏みとどまっているところが多い。
「ドトールコーヒーショップ」や「エクセルシオール カフェ」などを展開するカフェチェーン大手のドトールコーヒーは「当社店舗事業においてはアラビカ種がメインなので、ロブスタ種の高騰による影響はない」(同社・広報課)という。
また、「セブンカフェ」でテイクアウトのコーヒーを提供するセブン-イレブン(セブン&アイ・ホールディングス)も「使用している豆は100%アラビカ種。ロブスタ種の価格高騰による直接的な影響はない」(同社・広報センター)と回答した。「セブンカフェ」は今年3月、アイス・ホットのレギュラーサイズを110円から120円に引き上げているが、それは「コーヒー豆だけでなく、カップなどの容器や梱包材、物流など『セブンカフェ』を構成するあらゆるもののコスト上昇を受けてのこと」だという。値上げによる販売減はなく、売り上げはほぼ例年通りに推移しているとのことだった。
アラビカ種のコーヒー豆を使用する商品についてはそれほど値上げをしていないというのが、大手チェーンの立場だ。一方で、帝国データバンクでのカフェの倒産増加の理由には「コーヒー豆の価格高騰」が挙げられていた。
では、カフェにとってコーヒー豆の価格高騰はどれほど影響があるのだろうか。
響くのはコーヒー豆より人件費や光熱費
東京・三鷹市の「珈琲松井商店」は、木目調で落ち着いた雰囲気のカフェだ。この地域に長く住むオーナーの松井寛さん(72)が、妻と2人で10年前に開いた。前身の酒・たばこ店には、作家・太宰治もよく買い物に来ていたこともあり、太宰治にちなんだ「Dazai COFFEE」も販売している。
松井さんは、カフェの閉業や倒産が増えている理由がコーヒー豆の価格高騰にあるとは考えにくいと言う。
「自営業や中小企業はみんなそうだと思うけど、むしろ高齢化とか、後継者問題とか、そっちじゃないかな。コーヒー豆の価格高騰だけでやめるという話は聞いたことがないですね」
その一方で、コーヒー1杯の価格やコーヒー豆の価格を上げるのはやむを得ないとも言う。松井商店がHPで値上げを発表したのは今年4月のことだ。
<2024年6月1日から珈琲豆、人件費の高騰により、価格を値上げしたいと考えております>
値上げの理由にはやはりコーヒー豆の価格上昇が大きかったということか。だが、松井さんは、「たしかにコーヒー豆の価格が上がったのも理由の一つ。けれど、値上げしたのはそれだけじゃないですよ」と話す。
「うちの場合、コーヒー1杯に使う豆は多くても20グラム。もともと何十キロという単位でコーヒー豆を仕入れているので、1杯単位で見れば上がってもわずか。経営に響いているのは、人件費や光熱費なんです」
いま同店は、松井さんと妻のほかアルバイトなど常時4人で回している。近隣の学生に手伝ってもらっているが、最近は時給も上がり「1300円くらい出さないと集まらない」という。
「うちの店の場合、建物が持ちビルで家賃がかからないし、豆も自分で焙煎して売っているから、コストを安くできている。もともと儲けるつもりもないから、それでやっていけるんです。けれど、儲けようと思って、1杯いくらのコーヒーを出すだけのカフェだと、いまの時代きびしいんじゃないかな」
コーヒーを出す店が増えすぎた
一般社団法人日本ネルドリップ珈琲普及協会の代表理事を務める繁田武之さんも、コーヒー豆の価格高騰だけで倒産はないだろうと話す。
「天候不順によるコーヒー豆の価格の変動は、この何十年かの間に何度かあったこと。僕ら長年やっている連中は、いつか収まるだろうと静観しています。実際、まわりでもコーヒー豆の価格高騰が理由で店を閉めた例は聞きませんね」
繁田さん自身は1970年代後半にブラジルの農園を訪れ、現地でコーヒーを栽培する日本人とダイレクトトレードを開始。1989年、東京・荻窪に自家焙煎カフェ「ブラウンチップ」を開き、2015年に一般社団法人日本ネルドリップ珈琲普及協会を設立した。同協会では、コーヒー豆を売るほか、自分で豆を煎りたい人のために自家焙煎機の貸し出しもしている。
繁田さんは自家焙煎でカフェを出店する後進の人たちにアドバイスなどをしてきた経験がある。そんな繁田さんが見るカフェの倒産の要因は、人件費や物流などのコスト上昇などのほか、もう一つ別の要因も指摘する。オーバーストア、つまりコーヒーを出す店が増えすぎたことだ。コーヒーを飲める場所は、カフェ以外にもたくさんある。
「僕が荻窪に『ブラウンチップ』を開いたころ、このあたりに自家焙煎の店はなかった。それが、いまでは荻窪駅周辺に自家焙煎だけで15軒以上も専門店があります。いまはコーヒーチェーンもたくさんあるし、ファミレスでもコンビニでも、どこでもコーヒーは飲める。つまり、過当競争になってしまったんです。それは荻窪だけに限らない。どこでもコーヒーを出す店が増えすぎたんだと思います。だとすれば、そのなかでやっていけなくなるカフェが増えるのは当然でしょう」
豆の価格は上がっても、独自性で勝負する
味、こだわり、雰囲気――店に何かしら特徴がなければ、やっていくのはきびしいと、繁田さん。逆に言うと、何かウリがあれば、1杯の価格が高くてもやっていけるという。ブランディング効果で、高いほど注目されることもある。
「たとえば、焙煎技術を誇るバリスタがいる店などは成功していますね」
カフェの経営はコーヒー豆の価格というより、店の独自性にかかっているということなのだろう。
日本ネルドリップ珈琲普及協会の取材中、協会内の自家焙煎機で豆を焙煎している女性がいた。東京・中延駅の近くに10席ほどの小さなカフェ「こはく珈琲」を約1年前に開いたという加藤奈穂さん。店で出すためのコーヒー豆を協会で仕入れているという。
「自家焙煎機は高くてまだ自分では買えないので、こちらのをお借りしています」
店ではブレンドコーヒーを600円、ネルドリップコーヒーを800円で提供している。ネットのアンケートでもっとも多かった「500円」という希望価格よりは高いが、自家焙煎の豆で1杯ずつ手で淹れるという点や、商業地ではなく住宅地の中での出店ということで、ひいきにしてくれる常連客がついているという。ピザトーストや手作りの菓子などサイドメニューも工夫の一つだ。
加藤さんは開店して日が浅いが、住宅街にふさわしい落ち着いた店づくりと自家焙煎で早くに常連客がついたこともあり、経営は順調。コーヒー豆の価格高騰はさほど気にならないという。
「たしかにコーヒー豆の価格は上がりました。でも、だからきびしいかというと、そうでもありません。人は雇わず回しているので、このままやっていけそうです」
ちょっと時間が空いたとき、一人静かに過ごしたいとき、友だちと楽しくおしゃべりをしたいとき、ふらっと立ち寄れる街なかのカフェ。価格以外で勝負する余地は、まだ残っているようだ。
上條まゆみ ライター。1966年、東京都生まれ。大学卒業後、会社員を経てライターとして活動。教育・保育・夫婦や親子など家族の問題等、幅広いテーマでインタビューやルポを手がける。
「#くらしと経済」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。生活防衛や資産形成のために、経済ニュースへの理解や感度をあげていくことは、今まで以上に重要性を増してきています。一方で経済や金融について難しいと感じる人も。くらしと地続きになっている日本や世界の経済について、身近な話題からひもとき、より豊かに過ごすためのヒントをユーザーとともに考えます。
門倉貴史(エコノミスト/経済評論家)見解 地球温暖化とそれに伴う気候変動により、コーヒーの栽培に適した土地は構造的に減少を続けており、気候変動のリスクを回避するために転作する農家も増えている。
ベトナムやインドネシアなど有力産地における天候不順による不作、円安といった一時的な要因を抜きにしても、長期的にコーヒー豆の供給は減っていくとみられ、需要と供給のバランスからみて、コーヒー豆の価格の上昇は続く公算が大きい。
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)補足 コーヒー豆の価格が上がってもコーヒー一杯の原価率は低く、いまのところ経営に影響を与えるほどにはなっていない。むしろ、人手不足による人件費の高騰のほうが問題で、都心の一等地なら家賃負担もばかにならい。
喫茶店はスタバやドトール、コメダといった大手-チェーンが全国的に店舗展開しているのに対し、昔ながらの街の喫茶店は経営者の高齢化による廃業もあり大きく数を減らしているが、レトロブームで注目されているところもある。
一方で���い人を中心に起業も目立ち、特色を打ち出し健闘しているケースも目立つ。
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naohayashi · 2 months
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本当に大事な選択¹を誤らないように
譲りがたいところ ほどよく妥協²して
自己をまず大切に、健やかに生きるため
既存のシステムにあやかって
あるもの上手に乗りこなす
人に合わせず丁寧に
自分のペース³を見つめては
焦点合わせて それから世界を見る
ボヤケた写真の風情のみでは⁴
新たな目線を配れない
隣の庭を眺めては
キッチリしすぎたり緩めすぎたりとせずに
ただ一点 自分を見定める
それだけに注力し続けるのだ
揺るぎない自分を保つために
「ここに在る」を実感し続けるために
在るというだけで しあわせだから
〜〜〜〜
(以下、自身の思想の想起となった事柄の注釈。文書及び表現は人によって―あるいはその時々の自分によって―見方が変わり、ときたま全然見当違い��解釈があるため しかしそれもまた趣深いのだが)
¹ここでいう選択とは、飲食や自己の中の優先順位など
²ゴミを増やしてしまう選択を選ぶことだったり衣食住の何かを手頃でファストなもので済ませることなど。
³ここでのペースとは、ざっくりと言えば個の体内時計。行動のペースや飲食の消化スピード、感受性の処理時間など多岐に渡るのではないか。
⁴個の視点は、その時節の自己の状態を反映する。すべては鏡。現在の自分の精神状態がまだ未熟で曇っているときは、そのままの視界でしか外の世界と関われないようだ。しかし、自身が成長しようとしているとき、感受性を大事にできているときは、その限りではない。今までまたは事実見えている世界を超えた、成長を促す先導的な視点が、自然と入ってくるようだ。
〜〜〜〜
まだまとまりきっていないのだが、アートや音楽を鑑賞したときのインプット→アウトプットの方法について、言語またはその他表現といった手法の取り入れ方は、人によって異なる。同様に、どういった思考回路を巡って表出されるのか、その過程も大きく異なる。
例えば視覚イメージを感性的にそのまま映像として脳に焼き付けてから、脳裏で知識経験の引き出しから掻き集めて言語化する方法があれば、
人によっては感覚を感覚のまま、抽象的な表現として情動的に爆発させられる人もいる。
または、視覚で受けた情報を感性機能まで迂回せずとも即座に言語化できる、言語突出型も存在するのだろう。
で、その過程が異なるのはすべて、私は脳の構造とシナプスの反応が違うだけで、それぞれの早さは経験値やらも関係するかもしれないがもっと突き詰めればもしかしたら、所謂〈迂回〉をしているか/していないかの差ではないか、などと考えている。
感性を感性のまま表現できるのは、そういった技術が伴ってこそ評価される世の中であるため、それで生き抜いていける人は少数派であろう。
この言語主体の現代社会においては、感性を言語に表す手段を、私達はある意味強いられているのだが、
やはりそれを得意とする脳の構造をデフォルトで持っている人、そうではなくて四苦八苦している人とは、同じ数だけいるはずなのだ。 と、私は思う。
何が言いたいかというと、{鑑賞}→{消化}するまで、更にそこから{意見を持つ}までが、すぐできてしまう人と、そうではない人の、言語化までの処理スピードは、各人でてんでバラバラなんだ。
だから、何か事物を鑑賞して、すぐに言葉にできる人と そうあれない人とでは 意見の交換までに時差が生じるはずだ。 いや、どちらにせよどちらも、自分の感性を引っ張り出すだとか、理性の部分と照合するだとか、複雑なプロセスをみながみな丁寧にやっていたら、全員その落とし込みには時間がかかるに決まっているのだが。
起こった事実について言葉を交わしていくだけなら容易いことであるが、それに対して自分がどう感じたか までを辿って表現するのには、やはり誰しもに時間がかかるものなのだ。その処理に要する所要時間は、個々の脳内でどういった経路を辿るかによっても、経験値によっても、左右されるのであろう。
「事実について言葉を交わす」ことについてもっと掘り下げると、そこで笑いに昇華させることでセンスを光らせる方々がいる。 私はそれは“ハードスキル”だと思っており、その技能はまるで私には持てぬ為、そいった人たちは尊敬している。ウィットやユーモアとゆうのは、努力の賜物だ。 それを前提に、私はやはり、笑いに昇華させることを後回しに、事実を目前に動かされた心・感情の部分を見させてもらいたい、と、いつも思う。 私はやはり、人のそいったところに真髄を見出し、〈表層〉ではないところで人を知りたいために、もどかしい思いをいつもする。 とはいっても、こうしなければ私は私を保てないため、〈表層〉の友達と〈深層〉の友達を、秘密裏に分けている薄情な人間である。 俗世間では、〈深層〉を見せることは恐らくタブーとされているために、一般には〈表層〉で社会と自分とを繋ぎとめる。 しかし、私からしたら現代社会には、〈表層〉だけの世界に繋がりを感じれず憔悴して孤立していく、素敵な感性を持った方たちが自己を喪失していく様が顕著に見られるため、 私はやはりそういった方々に(経験者として)手を差し伸べるべく、元ある良いものを伸ばすべく、〈深層〉で繋がっていきたいのです。 心の、その苦悩の内側を、見せてほしい。 私はそこに依存するでもなく、脆弱な綻びを見つけて遊ぶでもなく、 ただただあなたのもって生まれた感性の方向を、美しいものと讃えては、外野的に応援していてあげたいのです。 自分で決めた枠組み以外の応援に関してはしかしながら、こちらとしてはフアンやメンバーとはちょっと違う、アライのようなポジションでありまして。応援しましたからといっても、必ずしも共に歩もうて訳でもない。そこの程度が、やはり難しい。
言語化を得意としないのは社会的に不利ではあるのだが、彼らは言語化を得意とする人々と同様に貴重であり、寧ろ、言語主体でなければ理解できないほど言語といった〈ツール〉に頼りっきりの人々よりも、柔軟な思考を用いて魂に訴えかけやすい表現を得意としているため、重宝されるべきと私は思う。
(因みに私は言葉の裏の心を追う癖があるようなので、構造的に辻褄のあった文章を紡げないといった人たの言葉を、幾分か理解できるようである、)
〜〜〜〜
〈余談〉
亭主関白とは、男性の消化スピードや体力などに基準を合わせなければいけないように感じさせるところから始まるのかもしれない。
それは男尊女卑にも繋がりうる。個々人によって“ペース”が異なるわけだが、男女の差は恐らく歴然であり、それは生物学的種別の話だけではなく個の精神的な男性性/女性性の優劣の話にも繋がる。個々人がどこかでバランス取り合って存在するのだが、それが外野の個のバランスとちょうどマッチするなんてこと、なかなかないと思う。故に、食事や日常活動のスピードは、相互寄り歩み寄りをしなければ到底、合わせられるものではない。寧ろ、創造主である女性の身体を労るべきであり、女性が存在する環境では、女性に合わせた方がよいのではないかと感じる。
男性は、女性のそれらを待ってあげれるようにせねば 本当の意味での尊厳ではない。辛抱できないときは恐らく、余裕を持てていない。はたまた、愛が足りないのか。
この社会では、基本的に皆時間泥棒に吸い上げられて、心の余裕を保つことが難しい。だから無理もないのだけれど。
待てない時は、勝手にしててよい、内側に籠もってもよい。別のことをしていればよい。
食事を妨害してはならない。
食べきれなくても大丈夫 と、余り物を食べるなど、してあげてください。
まあしかし常に女性を待っているなどとなると 社会的時間は待ってくれずに、均衡が乱れて焦りが生じる。そんなことしてたら、個人では成し遂げれない大規模な生産や創造は生まれない。
常に個に集中しているわけにもいかない。我々は独立し存在すると同時に、社会の一部でもあるのだから。そして地球人、みなが(常に意識することは難しいにせよ)この地球の土地やそこから恵まれた資源といった財産を共有し合って生きている。国という概念を超えた人との繫がり、国としての人との繋がり、両方を踏まえて、この地を、今日を、生きるのだ。
てなわけで、男性も女性もお互いのペースを尊重して。どちらかに傾きすぎることなく合わせすぎることなく共に歩むために。
まずは自分を見つめ、そこから大事な目の前の人を見つめてあげる。
私が個人的に思う、‘’あなた‘’主体のややこしさは、自己の前に‘’あなた‘’が来てしまっているからだ。
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https://sup.andyou.jp/hoshi/zodiacsigns_contents/
この、ソースを求めようがない:信じる根拠すらないようにも思える思想は、鵜呑みにするのは危険であるような、根も葉もないデタラメのようにも捉えることができる。 しかしながら、私には経験から、なんとなく腑に落ちる節がある。 各星座の人物の対人関係に触れると、彼らの‘’外の世界‘’との繋がり方、依存の仕方にも、説明がゆくのだ。
ほんで私はやはり、「わたし」にも「あなた」にも寄り過ぎない、beyond us allなところに着眼もててる後半4星座が大好きであり、絶大な信頼を置いている。
どうやら「あなた」主体の方々は傾向的に、自己を見つめる行為を後回しにしがちであるようで、大分謙虚に「あなた」を通して自分を見る行為を続けねばならぬし、その上幾分か純粋な「あなた」からでないと、真に良いものは得られないであろう。 そういったことから、ややこしさが増すので、彼らの自己の成長は少し遅れてやってくることが多いかもしれない。
〜〜〜〜
あとは相当余談で脱線した先から戻る気配もないが、なにも全てを「グルテンフリー」にしなくてもよいと思う。そりゃ何も気にせず不調に気づかずグルテン取り続けてきた身体には許容量以上は摂取できないので、そういったリミテッドな方々の為には必要なポジションなのだけれど。私個人もパンを作る仕事をしていたにも関わらず、パンを食べるのはあまり好まない。グルテンがしっかりと形成されたものは、消化吸収面で、腸にとても負担がかかるからだ。だけれども、小麦や大麦等はそもそも食物繊維がとても豊富で、多量のグルテンが形成されたものでない限りは整腸効果が期待されるはず。今まさに、少し腸内環境が乱れているのだが、自身のお腹の声を聞いてみたところ、今回は玄米ご飯ではなく大麦のグラノーラ系などが良さそうだったので、そういったものを選んでみるに至ったのだ。結果、腸が絶えず動く音がする。
お腹の声を聞く。そして、身体が欲しているエネルギーを摂取する。そういったシンプルな作業を積み重ねていくことで、身体の調子は順調によくなるし、相まって精神の揺らぎも減るはずだ。
そしてこれは個人的な見解なのだが、ビールなどばかりを率先して飲み続けてしまう人には、第二の脳のポテンシャルを生かしてみるためにも、それ以外の酒だけで夜を明かすなんてことを試してみてほしいのかもしれない。 私がその変化を知りたい。何事も実験であると思う。 自身の身体を使っての実験。その実体験が、一番の学びで糧になるだろ��。 2024/7/27 朝の4-5時からすこしずつ書き溜めたもを 現在12時に手を加えつつツラツラと  何をやっているんだかとは呆れるがしかし これが私の優先順位だ
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inthestream3020 · 2 months
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2024白化の記録(0)
全記録はこちら
2023年から2024年の春までスーパーエルニーニョでした。現在4回目の世界的白化が起きています。もうサンゴの白化は商業的価値がないので日本おニュースでは流れませんが、2023年フロリダで水温が38度になったニュースは覚えている人がいるかもしれませんね。
2024夏、沖縄を含む黒潮域が白化する予想なのも、この一連の流れです。
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海面水温分布
場所別海面水温変遷
NOAA Coral Reef Watch
レベルの説明 https://coralreefwatch.noaa.gov/subscriptions/vs.php
現状
予想
座間味の予想(7/11)
90%でアラートレベル1・70%でアラートレベル2
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『白化』という言葉の説明
白化は白ではありません。白「化」です。
酸性化は酸性ではないし、右傾化は右翼になることではない。
「*化」は、物事の状態ではなく、物事の変化の方向性を示します。
海の酸性化は、ph8.1が8.0になると酸性化ですが、8.0はアルカリ性です。決してph7.0以下の酸性になる事ではありません。酸性の方向へ変化するということです。
共産党が、暴力革命を標榜しなくなって右傾化したとしても、共産党です(^O^)
白化は、白色の方向性に色が変化することです。つまり、彩度が下がると同時に明度が上がることを意味します。トーン表で、上へあがれば白化ですね。
黒がグレーになれば白化です。
鮮やかなオレンジがパステルのオレンジになれば白化です。
トマトソースをクリームトマトにすれば白化です。
暗い緑のハマサンゴが少し明るい緑になれば白化です。
環境庁などの公的機関、研究機関が白化という時は、薄色も含みます。だからニュースで、90%白化と書いてあっても、90%全部が真っ白になっているわけではありません。状況によりますが例としては・・・
90%の白化は、
■30%は白・ほぼ白で、弱い種はほぼ死ぬ、強い種も長期化すると死ぬ状態
■30%はかなり白いパステル色で、長期化すると真っ白になり弱い種は死ぬが、水温が下がればまだ色が戻る可能性がある、強い種は真っ白にならなければ結構大丈夫
■30%は薄色で、この状態のままであれば弱い種の一部は体力がなくなり病気になったりカイメン、藻などに抵抗できず死にやすいが、大半は生き残り、強い種は大丈夫
だったりするのですね。(比率は適当です)
ダイバーが、白化と思うのは、真っ白・ほぼ白・薄いパステル色などで、薄色は、皆さん気づかない可能性も高いです。
だからニュースで、90%白化と書いてあっても、ダイバー目線では50%くらいが白いなぁ~という感じかもしれません。
実際死にそうな確率はダイバー目線に近いと思います。
ニュースの白化率と実際サンゴが死にそうな白化率は異なります。ダイバーが感じる白化率とも異なります。
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白化と水温の関係、基礎知識
■29度・平気です。たまに、ごく一部白化しますが、他の要因との合わせ技かな?
■30度・基本大丈夫。白化しやすいサンゴは薄色になります。白化に弱いサンゴは、薄色のまま結局復活せず死ぬこともあります。白化で弱って藻やカイメンとの戦いに負ける感じかな?
■30.5度・白化します。長期間続けば、弱いものから死んでいきます。ただ少しでも下がれば30度以下なので、大規模な白化にはなりにくいかも?
■31度・急速に白化します。31まで上がるということは、30以上が長期間続くということです。大規模に白化する可能性が高いです。台風が必要です。
30度以上の水温が、何日続くか?それで白化の規模が変わります。
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白化に特化した多様なサンゴの生態説明
ほら、白化に弱いサンゴ強いサンゴとか僕もよく言います。ダイバーならどこかで聞いたことがあるでしょ?で、今回はその説明。
まず基本知識
■サンゴは褐虫藻に光合成させてそのエネルギーを搾取して生きています。
■サンゴは自分で夜、虫を食べて生きています。
つまりサンゴは2つのエネルギー獲得方法があります。
光合成と虫食う、です。
サンゴによってこの2つの比率が異なります。
ほぼ100%光合成に頼っている奴から、虫が主食の奴まで。
白化すると褐虫藻がいないので光合成が出来ません。つまり2つのうち1つのエネルギー獲得方法が失われます。
100%光合成に頼ってる奴は、真っ白になると獲得できるエネルギー0なので1週間で死にます。かなり薄色になっただけでも2~3割は死にます。トゲサンゴとかショウガサンゴみたいな子です。
虫が主食の奴は真っ白になって光合成無しでも虫食って長く生き延びます、1か月以上真っ白でも元に戻ります。ハマサンゴ、キクメイシ、アザミサンゴなどです。
僕らが綺麗だなぁと見てるテーブルや枝サンゴはミドリイシなので真ん中です、白化すると1か月は無理です、2~3週間くらいかな?
この虫食う能力が高いか低いかが白化に弱いか強いかです。
白化しやすいか?しにくいか?これはまた強い弱いとは別の話です。
白化に弱いサンゴは一般的に白化しやすいです。トゲサンゴなどはすぐ白化してすぐ死にます。高水温でなくても夏は常に薄色になっています。ほら、夏、ダルマ系の子供撮るときのサンゴきれいでしょ?あれ白化(薄色)だよ?
アナサンゴモドキは白化しやすいです。他の種よりも早く白くなります、しかしなかなか死にません。虫食えるからです。白くなっても意外に復活しちゃう種です。
ハマサンゴは、高水温でなくても毎年薄色になります。青や黄色系で凸凹の無い均一な光の回りの良い背景になりますので、撮影で夏よく使います。薄色までの白化は非常に早いが、白色までの白化は早くなく、なかなか死なない強い種です。
パラオハマサンゴは白化しにくい種です。白化しても強く死ぬまで時間がかかります。復活する確率も高いです。そしてなんとオニヒトデも一切食べません。無敵(^O^)でも、成長遅い種なので少数派です。ただ1998年以降ちょっとずつ増えてきています。最近増えたなぁ~と思いますが、それでも少ない、成長遅すぎ(^O^)
ユビエダハマサンゴ、阿真ビーチ前・宇論の崎・安室漁礁の大きな群落の奴。白化しにくくというか真っ白になったのは見たことがありません。オニヒトデも食べないわけではありませんが、好んで食べません。実はこの種は1998年以前と変わりがありません。逆に他のサンゴが少なくなってスペースが空くので増えています。
強いと弱い
早いと遅い
白化に対してもこのような差があります。
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moko1590m · 4 months
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2024年05月22日 23時00分動画 この宇宙は「ブラックホールの中」にあるのかもしれないという説 ブラックホールは宇宙空間に存在する超高密度かつ大質量の天体で、物質どころか光すら脱出できないといわれています。恐るべき存在としてブラックホールを捉えている人も多いはずですが、なんと「この宇宙自体がブラックホールの中にある」という奇妙な説があるとのことで、科学系YouTubeチャンネルのKurzgesagtが解説しています。 この宇宙はブラックホールの中にあるのかもしれません。 さらに、この宇宙があるブラックホールがまた別のブラックホールの中にあり、そのブラックホールがさらに大きなブラックホールの中にある……という入れ子構造になっている可能性もあるとのこと。 「ブラックホールは一般的に説明されているよりもはるかに奇妙で、時間と空間を破壊し、その過程で無限の宇宙を生み出す可能性があります」と、Kurzgesagtは説明しています。 宇宙を内包するブラックホールについて考える前に、まずは「空気をブラックホールにする方法」について考えてみます。前提として、この世のあらゆる物質は圧縮するとブラックホールになる可能性があります。 たとえば、地球をコイン大に圧縮すればブラックホールになります。 太陽なら小さな都市くらい。 非常に小さな空間に多くの質量が集中している場合、その物質は超高密度だと見なされます。ブラックホールもそのように超高密度の天体であると説明されますが、実際のところ必ずしも「超高密度であること」はブラックホールに必要な要件ではないとのこと。 詳しい数学的な説明を抜きにして言えば、「ブラックホールが大きくなるほど密度は低くなる」とのことで、本当に大きなブラックホールはある意味で「薄い」のだとKurzgesagtは述べています。 たとえば、太陽質量のブラックホールは幅が約6kmで、1立方メートルあたりの質量はヒマラヤ山脈に相当します。 一方、天の川銀河の中心にある超大質量ブラックホールは太陽約400万個分の質量を持ち、直径は約2400万km。 しかし、1立方メートルあたりの質量はシロナガスクジラ6頭分と、太陽質量のブラックホールよりも密度が低くなっています。 さらに、太陽38億個分の質量を持つ超大質量ブラックホールの「IRAS 20100-4156」は太陽系と同じくらいの幅がありますが、その密度は空気と同じくらい。 理論的に言えば、巨大な風船に空気を詰めて膨らませていくと、太陽系と同じ達した瞬間に突然「事象の地平面」が形成されて超大質量ブラックホールに変わることを意味します。 続いて、宇宙全体に存在する質量について考えてみます。地球から見える宇宙は半径約450億光年の球体であり、数千億の銀河や大量のガス、その他の物質で満たされています。 これらを合計すると、太陽約1𥝱(じょ)個分の質量があるとのこと。 これは非常に大きな質量に思えますが、宇宙は広大なため平均すればそれほど密度は高くありません。すべての銀河や星、ガス、エネルギーを分解して宇宙の体積内に均等に広げると、平均密度は1立方メートルあたり水素原子5個程度になります。 観測可能な宇宙と同じ大きさの風船を1立方メートルあたり水素原子5個に相当する「宇宙の空気」で満たすと、ブラックホールを作成することができるとのこと。実際には、このブラックホールは観測可能な宇宙の約10倍もの大きさになるそうです。 つまり、この宇宙は「巨大なブラックホールの中にある」と考えることができると、Kurzgesagtは説明しています。 しかし、この説は「この宇宙がどんどん膨張している」という事実を見落としています。膨張する宇宙はブラックホールの中に存在できないため、この説は成立しません。 この裏には、ブラックホールと宇宙に関する「ワイルドで気が遠くなるようなトリック」があるとのこと。 一般に、ブラックホールは重力場が無限大となる「特異点」と呼ばれる場所があり、そこを中心にすべての質量が集中しているものだと考えられています。しかし、実際のブラックホールはもっと奇妙なものだとKurzgesagtは指摘。 外からは、ブラックホールは黒い球のように見えています。 しかし、その中では空間と時間の役割が入れ替わった奇妙な状態になっています。通常の球体内では、空間が有限であり時間が永遠に続きます。しかし、ブラックホールの内部では空間が永遠に続いて時間が有限になっているとのこと。 ブラックホールの中では一方向へ延々と歩き続けることも、別の方向に歩いたのに同じ場所にたどり着くこともできます。しかし、ブラックホール内部の時間は有限であり、次第に空間そのものが変化していきます。 ブラックホール内部の宇宙全体が圧迫され、スパゲッティのように変化していき、最終的には宇宙全体が崩壊するそうです。 そして、この崩壊した宇宙のあらゆる部分が特異点に変わるとのこと。つまり、ブラックホールの特異点とは特定の場所に存在するものではなく、ブラックホール内部にあるすべてのものの「未来」にあるのだと、Kurzgesagtは説明しています。 特異点に至るとブラックホール内部のすべてのものは無限に小さな領域に押しつぶされます。このシナリオは、宇宙終焉(しゅうえん)のシナリオのひとつである「ビッグクランチ」に似ています。 ビッグクランチとは、ビッグバンによって生まれた宇宙がいずれ膨張から収縮に転じ、すべての物質と時空が特異点に収束するという考えです。 しかし、ビッグクランチが発生するのであれば、「ビッグバウンス」が発生する可能性もあります。押しつぶしたゴムボールが勢いよく元の形に戻ろうとするのと同じように、ビッグクランチによって特異点に到達した後に、ビッグバウンスによってブラックホール内部に新しい宇宙が誕生する可能性があるとのこと。 このシナリオの面白い点は、ブラックホールの外側から見た状態は何も変わっておらず、相変わらず黒い球体にすぎないという点です。この宇宙がブラックホール内部のビッグクランチとビッグバウンスを経て誕生し、今でも宇宙全体がブラックホールの中にいる可能性もあるとKurzgesagtは述べています。 また、この宇宙���内包するブラックホールが存在する宇宙が、また別のブラックホールの内部にあるというシナリオも考えられます。さらに、その宇宙が別のブラックホールの中に……という「ブラックホールと宇宙の無限の入れ子構造」になっている可能性もあるとのこと。 さらにKurzgesagtは、宇宙がブラックホールを形成し、その内部にさらにブラックホールがあるという状況は、「自己複製する宇宙が自然選択された結果」であるかもしれないと主張しています。 ビッグバンは混沌(こんとん)に満ちたイベントであり、発生する宇宙はそれぞれ微妙に異なっている可能性があります。従って、ブラックホールがたくさん形成される宇宙がある一方で、ブラックホールやその形成に必要な銀河やガスが形成されない宇宙もあると考えられます。 しかし、すべての宇宙がブラックホール内部で誕生している場合、長期的に見れば「ブラックホールを形成しないすべての宇宙」が消滅することになります。その結果、大量のブラックホールを作る条件を備えた宇宙が一般的となり、増えていく可能性があるとのこと。 この宇宙には膨大な数のブラックホールが存在していますが、それは「ブラックホールの形成に有利な宇宙が自然選択された結果」かもしれないとKurzgesagtは述べています。 ブラックホールの形成には銀河やガス、星が必要であるため、ブラックホールの形成に最適化された宇宙はこれらの物質も形成しやすいといえます。 これらの物質は生命の発生条件にも関わっています。つまり、ブラックホールの形成に最適化された宇宙は、生命の誕生にも適している可能性があるというわけです。 あくまで今回の説はすべて理論的なものであり、実際にこの宇宙がブラックホール内部に存在するのか、宇宙はブラックホールを形成するように最適化されてきたのかといった疑問を検証することはできません。 しかしKurzgesagtは、「これほど大きなアイデアが考えられる宇宙に私たちが生きているということは、本当に素晴らしいことではないでしょうか?」と述べました。
この宇宙は「ブラックホールの中」にあるのかもしれないという説 - GIGAZINE
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niyuuhdf · 5 months
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トキ/灯彦:『証言』
俺は先祖代々の故郷からは幾分離れた込み入った住宅街の一軒家で生まれ育った。 俺が産まれるって時に、俺の父の実父…つまり行屋のじいさんが単身故郷を離れて近場に越してきた。その理由を「可愛い孫のためだ」とかなんとか嘯いてたが。 じいさんには随分と可愛がってもらったもんだ。 そのじいさんがある時口にした 「俺たちは行灯の火を潜り抜けて現し世に偶然姿を晒しちまった。現し世の人々の目に、俺たちのこの姿が分け隔てなくうつるとは、ゆめにも思わずに。」 歌舞伎は東海道四谷怪談の提灯抜けに掛けたらしい言葉。 それは相変わらずの食えねえ薄ら笑みに紛れ溶け込ませるように、諧謔に包み隠しながらも深い悲哀と悔恨の織り混ざったような述懐であったことを覚えている。 その言葉は、まだ年若い俺の心のもっとも深部にある原風景をそのまま写し出したかのようであったから。
ある画家の手記 Part : 行屋虚彦 
『疾彦の証言』
海辺に故郷の土地があるなんてえのは、一つのもののたとえだと、じいさんは言った。 行屋の人間ーーーー随分と大雑把にして大袈裟で選民的な言い回しだと幼い俺は思ったが、他に言いようがなかったもんかねーーーーは、長く住み着いたそこに多少の愛着こそあれ、土地そのものを故郷だと強く体感してなどねえと。
ここからは俺のじいさんの語ったことだ。語るにも聞くにも死ぬほど退屈極まりねえんで適当に端折りながらじいさんの言葉を復唱する。 じいさんが俺に語ったことは、口伝とも言えねえ、じいさんも朧に伝え聞いただけの昔話 どれだけ眉唾か知れたもんじゃねえ そういう類の話だ
蔵を引っ掻きまわしゃ出てくる家系図では、行屋家は平安の武家まで遡る。かのエリート様、文武両道の色男にして若くに妻と幼児を捨てて旅の歌人の人生を選んだ、あの男だ。さもあらん。 そいつが真実どんな様相で生きていたかは知る由もない。ただ、「なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」なんて詠むからには、己の心に馬鹿正直ではあったかもしれねえ。 かろうじて行屋の血筋の生き様…様相を伺えるのは江戸から。 記録が片手落ちすぎて話にならねえが、その時代にはもう漠然と血縁同士で助け合い、どうにかこうにか支えあって普通に人里の中で生きていた、らしい。
行屋の血筋の者は見えるはずのないものをよく見た。 見えたものを人里でそのまま口にすれば何が起るかは自明の理ってんで、血縁同士で教え伝え合って戒めあった。見えるものを口にしすぎないようにと。 ごく稀に幼な子がうっかり口を滑らせちまって、ひどい仕置きも暴力も迫害も公然とあったらしいが、 行屋の血筋は遺伝的にそのほとんどが誕生からの発達と発育が異様に早く早熟…これは俺もナナも虚も例外じゃねえ。 だから幼い時分から言い聞かせ、親族の中での教育で悪しき事態を防いで沈黙することで、表向きには何事もなく暮らしていくことが可能だった。 それにも勿論個人差はあったろう、いずれ綱渡りには違いねえ気はするが。
まさに当時から、すべてを沈黙し隠蔽し尽くして生きることには限界があったらしい。なにごとにつけ全てが嘘ってのは具合が悪いもんだ。故に、何かしらが時折りふと見える程度の仄めかしを村の中で敢えて情報開示として行ってきた。 不運にも露呈するような形で知られるんじゃあ、周囲に不安と警戒心を与えて排斥されるってんで。そうじゃなくごく穏当に村の利益に繋がる形にして受け入れさせようと。 結果、この海辺の村では運良く受け入れられつづけたらしい。 村民にしてみりゃあ「ありがたい不思議な力、うまくご利益にあやかろう」てふうに…脅威として認識されることはうまく避けてたらしい。 まだ人知の及ばねえものがそこらを跋扈した時代でもあったろうし、…行屋の人間の立ち振る舞いや言動、人間としての気質もその印象に落ち着かせるのに一役買っただろうと。じいさんは言ってた、若い頃の俺が良い例だとな。 産まれてすぐにしっかりと大きく目が開き、よく笑い、人に懐く、すぐに立って歩き走りまわる、幼児に似つかわしくなく流暢によく喋る、運動神経がやたら良くて、口が達者な笑い上戸、周りを冗談や話術や手遊びで沸かせ賑わわせ、躊躇いなく道化にもなる、華やかにしてごく自然に人の輪の中心となり他者を牽引する、が、すべてを絶妙に抑制し、決して逸脱しすぎず飛躍しすぎず常軌を逸さず、己に人間としての分を弁えさせつづける。行屋の人間の若年期ってのは、代々こんなもんだったそうだ。まったく辟易するぜ、じいさんは学生の頃の俺しか知らねえからな、今の俺のざまを確と見ろと言いたくもなる。
昔の話に戻る。 この目は重宝がられさえしたらしい。村人に失せ物さがしなんかを気楽に頼まれたりな、都度その場で解決、不思議な力に村の皆で感謝しつつ宴会でもひらく、ってなふうに…楽観的で素朴なものとして受容されてたらしい。当然の如く例外はあったろうがな。 当時は30代よりかは多少長く生きてもいたらしい、当時はそれくらいの齢でくたばるのはそこまで異例でもなかったかもしれねえし、海が近いことも有利に働いたそうだ。
時代が進めば、怪奇も不思議も人地を超えた力も身幅が狭くなってくる。 里にも医者が それも西洋医学を軸に学んだ医療が及んだ。 行屋の人間の目と苦痛と短命が、放置されなくなった。 仁と医を尽くしてすべての人間に懸命に長寿を達成させようってえ向きだ。 しかし医者が手を尽くせば尽くすほど、行屋の人間だけは医学じゃどうにもできないことだけが只管に浮き彫りになってくる。
もっと時代が進むと、遠方まで容易に情報が行き交うようになった。 行屋の人間の一部は「霊能者」あるいは「エセ霊能者気取りの不気味で不謹慎な血筋」だってんで、一時期は強烈な迫害と少数の誤った信仰を招いて、非科学的なものを否定する世間の流行の猛威を浴びたらしい。
歳を負うごとに身体の苦痛が増し、自制を欠いた狂躁のような激しい気質を帯び、昂って暴走し、性的快楽に耽り、目には激痛が襲う、瞼を閉じ、家からふらふらと海へ向かって外へ出る、ふっつりと茫然自失になる、そういうさまから、行屋家の人間が遠方へ嫁いでいった先では、家に座敷牢なんて豪勢極まる代物も用意されたとか。
行屋の人間は、自分たちの目にも苦痛にも短命にも、名前をつけなかった。 苦痛は耐え忍ぶ。憐れむならそれを上回る快楽を。故郷の慣わしなんぞ何も知らねえ俺でさえ奇しくも似たような手段を取った。 目の激痛は光を遮断することで少しは和らげられる。暗く閉ざした部屋に行灯一つあれば充分。あとは多くの時間を瞼を閉じて生きるだけ。 今でも里じゃ親戚の中を見渡せば、ずっと瞼を閉じた者や、目隠しをした者がちらほら見受けられる。 今のように「病」だと呼ぶことも定義づけることもなかった。当事者間ではそのような認識ではなかったとよ。血族で似た者同士が群をなすと異質さはかき消える。道理だ。 あとは血族以外との折り合い、順応と適応の世界。 どれほどの苦しみであっても、家内で分かち合える以上それは体質に過ぎねえと。 しかし医学に割って入られると事情は変わる。そこから行屋の人間は「精神病者」と定義づけられて、積極的に私宅監置に置かれることになった。定義づけと命名が必要だったのは、医療を施すためだ。行屋の人間を捉える主体が当人らからそっちへ移ったわけだ。 即刻入院治療とならず私宅監置…座敷牢になったのは、もっと手に負えねえ精神を患った患者が病床を占めてたから。そいつらに比べりゃあ行屋の人間は意思疎通が可能で聞き分けがよく大人しい。
その後、また時代が変わって、医師の側の意識改革と医療の是正が始まった。 外部から調査にきた医師団が、親族の私宅監置の現状を調べて、あまりに杜撰で酷いものが多いことから、病院への入院治療を推し進める流れになった。 杜撰で酷い座敷牢ってえと目を覆うような惨状を思い浮かべそうなもんだが、それは東京って都会のど真ん中からカメラやら取材道具担いでやってきた人間の感覚で、その感覚は間違っちゃあいないが、当事者との齟齬は大いにあったとかなんとか。 おりしも行屋家の住む土地は人の少ない辺境の海辺、危険行為を繰り返す精神病者を完全に病院に隔離することなく開放的な入院治療と静養がかなうとして、里からほど近い静かな海辺に精神病院が建てられた。勿論行屋の人間のみのための病院じゃなかったろうが。
その後、この国の人口が増加したためか知れねえが、そんな海辺の田舎にも一般住宅が押し寄せひしめき合うようになり始めた。「海が綺麗だ」ってのがよそから好んで移り住みたがる人間の主な理由。 そいつらはいうにことかいて、古くから住む行屋を含めた住人も、そこに建つ不吉な精神病院も忌み嫌い、病院側に立ち退きを要求してきた。まあ海沿いのリゾート感覚で住み始めたんだ、そんなもんだろうな。 病院側は、「患者を院外に出さない」ことを条件に立ち退きを免れた。 これは行屋の人間にとって痛手だった。他の多くの患者にとっても自由と尊厳を踏み躙られる大きな痛手だったろうが。行屋の人間にとっては、思いのままに海へ出られない、これこそが痛手だった。 その後の大きな戦争と災害の度に、打撃を受けた精神病院から、一部の行屋家の連中が焼け出されて、そのまま身を隠した。 他の多くの患者は医師との信頼関係によって病院におとなしく留まったらしいが。 身を隠した連中が、海沿いの各地に散って、或いは村にひっそりと戻り、留まったのが、今のお里の実態なんだとよ。
他の地域の海辺で暮らす奴もいるらしい。面識はねえが。望みもしねえが。 海外に飛んだ奴もいるが、皆決して海から離れようとしない、離れ難いんだそうだ。 じいさん曰く、苦痛に耐えられなくなったとき、或いは茫然自失と化した状態で、招かれるように自ら海へ入っていく。そうして自らの火を、もといたあちらへ帰そうとする。火だるまになった身体の炎は海が消火し尽くしてくれる。 幼い頃から、耐え難い苦痛の際には海へ浸かるのがひとつの慣わしであり、自然な行動だったんだと。慣習と衝動のどちらが先だったかは判然としない。 はたから見れば判断能力をなくした入水自殺じみてうつるその行動も、案外現実的らしい。海へ浸かることで身体の苦痛が安らぎ、死に至るまでもなく平然と浜から自宅まで自分の足で戻ってくる場合のほうが多いらしい。 じいさんも七を知ってるが、七が月夜に招かれるように外へ出たがったのは、月より潮と呼応してたように見えたそうだ。
"死の先に帰る場所がある  我々はそこからやってきた  そこにしか我々のよるべはない  死の先に故郷がある  死そのものをのぞむのではない  死後になにかを期待しているのではない  死の先に明瞭な故郷の景色や幻想を抱いているのではない  ただ帰ろうとするときの帰路に偶然死が横たわっている  我々はただ帰りたい  我々は己らの生命、出生、誕生、人生を捉えられない  捉えられないものを無思慮に否定するものでもない  しかし  こちらにきたことは偶然だった  隔てなく人間の身に己がおさまることを知らぬ無知、隔てなく人間の目に我々がうつることを知らぬ無知故にここへきてしまった  その過ちは我々の目を焼き、腑を犯した ��我々はただ帰りたい  この由来なき形容し難い感覚を、閉鎖的に、つい近年まで血族とだけ共有してきた  ただ帰りたいだけなのだ  ただ帰してやりたいだけなのだ  どうか行かせてほしい"
じいさんのそのまた祖父さんが遺してった走り書き。遺書か。 「行屋」の姓の字の由来がそんな詩的なもんかは置いといて、 幼い俺にじいさんが零した戯言は、そんなような代々脈々と、連綿と続いた根深い感傷と言いしれぬ衝動に端を発していた。 走り書きの「我々」ってのが何を指してんだか知ったこっちゃねえんで検証にも足らねえが。 俺はそれらを言葉になった上っ面だけで聞き知ったとき、なんの異質さもねえ誰の内にも在るごくありふれた回帰願望の類だと思った。貶めようってんじゃねえ、ただ大袈裟に身内の中だけで秘める必要などなかったものを、ってな。 そういう意味じゃご先祖さんが一等賢い選択をしてる。家族を捨て、出家して、従者もなく一人、諸国をさすらい歌でも詠む、それで結構じゃねえか。 この回帰願望めいたなにか…理論立てれば幾らでも容易く突き崩せる穴だらけのなにか…が代々受け継げるほどに強靭に仕立てられていったのは、身体性…目と身体の苦痛に大きく依拠するだろう。身体���苦痛…身体的な経験の共有は同じ思想や信仰に染めるにもってこいの洗礼だ。おそらくなにより先立ってその身体性があった。 …ただ、「帰りたい」という情緒の言語化…、そこは解せねえ。積極的にそこを言語化して親族間で整えた環境と教育によって伝え刷り込んだという印象は薄かった。 共有したのは具体的な生き延びるすべのほうで、まあ生活様式に規範を揃えりゃそれだけで充分一つの具体的な信仰にはなっちまうが、情緒や思想にはなんの強要もなかったようだ。それよりかは、生来の生まれ持った形容し難い感覚に呑まれて苦しむ者を、血族がなんとかあとから帳尻合わせにそういう戯言を例外的に用いて掬い上げることもあった、程度。 そんな印象を抱いたのは、遠方の親族のことなんざ露知らず育った俺の中にも過去に似たような萌芽があったことを認めざるを得ねえからか、否か。
俺の実父は、俺が産まれる直前になって、抑制の効かない状態に陥ったらしい。意気揚々と里から離れた新天地に移ると言いはり、親族の反対を押しきって実行した。それをその父、つまりじいさんは、淡々と見ていた。 じいさんは、それに賭けた。 じいさんは息子を見張るような建前を身内には示しつつ、息子の移り住んだ土地に自分も移った。 奇矯を装いつつも、俺の父は薄々気付いていただろうとな。親族だけで寄り集まって閉鎖的に同じ場所に留まり続ける、その弊害と欺瞞に。 俺はそこから解き放たれて生まれ育った。虚も。 それは賭けだ。じいさんはその人生の行く末を見届けたかった。 七は大学入学まで里で生まれ育ったが、そこから七を連れ去ったのは俺だ。 その俺が、中学の頃、生家に火を放ち父母もろとも焼き滅ぼした。そのことにじいさんだけが目敏く気付いた、血は争えねえな。 尋ねられたわけでもねえのに、その時俺は動機めいた一言を口走った。嘘偽りない本心だった。「そろそろ帰してやらねえと」…と。
…………
虚の性的快楽への拒絶っぷりは血筋で言うなら異端中の異端だ。
ーーーーーーーーー
曽祖父:
海辺に故郷の土地があるなんてえのは、我々にとっては一つのもののたとえ。 行屋の人間はこの土地そのものを故郷だと強く体感してはいません。 勿論この土地に愛着はあります。何せ長く住み着きましたからな。
これから語ることは口伝とさえ言えない、伝え聞いただけの昔話で どれだけ眉唾か知れたもんじゃねえが…
辿れば平安の武家まで家系図はありますが、今のような様相で生きていたかは知る由もない。 かろうじて様相を遡れるのは江戸までです。 家業は本来なんだったか、記録が片手落ちなもので定かでないが、その時代にはもう漠然と血縁同士であることを感じ取って助け合い、なんとか支えあって普通に人里の中で生きていたようです。
行屋の血筋の者は、およそ見えるはずのないものをよくその目で見た。 見えたものを人里でそのまま口にすれば何が起るかは自明の理。 だから血縁同士で教え伝えました。見えるものを他者に口にしすぎないようにと。 ごく稀に、幼な子がうっかり口にしてしまい村の秘密を暴き、ひどい仕置きも暴力も迫害も公然とあったようですが。 しかし我々の血筋は遺伝的にそのほとんどが誕生からの発達と発育が異様に早く早熟です。 言い聞かせ、親族の中での教育でそのような事態を防いで沈黙し、表向きには何事もなく暮らしていくことが可能だった。 それにも勿論個人差はある。いずれ綱渡りには違いなかったろうが…。
当時から、すべてを沈黙し隠蔽し尽くして生きることにも限界があったとみえます。故に、何かしらが時折りふと見える程度の仄めかしを村の中で敢えて情報開示として行ってきた。 不運にも露呈するような形で知られるのでは、周囲に不安と警戒心を与え、排斥されます。そうではなく、受け入れさせるのです。 結果、この海辺の村では運良く受け入れられつづけた。 さしずめ村民にすれば「ありがたい不思議な力、うまくご利益にあやかろう」てなもんで…脅威として認識されることなく、ごく自然に受け入れられていた。 まだ人知の及ばぬものが許された時代でもあったろうし、我々の立ち振る舞いや言動、人間としての気質もその印象に落ち着かせるのに一役買ったでしょうな。若い頃の疾彦などが良い例です。 あの子はここで生まれ育ったわけでもないのに …否、だからこそだったのか、行屋家の人間の典型そのものでしたよ。幼い頃から見てきましたが。 産まれてすぐにしっかりと大きく目が開き、よく笑い、人に懐き、すぐに立って歩き走りまわり、流暢によく喋る。運動神経が良く、聡明で、口が達者な笑い上戸、周りを冗談や話術や手遊びで沸かせ、賑わわせ、躊躇いなく愛嬌ある道化にもなる、同時に泰然として威風堂々、自然に他者を牽引する人気者、…がしかし、すべての有能さを絶妙に抑制し、決して逸脱しすぎず飛躍しすぎず常軌を逸さず、己に人間としての分を弁えさせる。 行屋の人間の若年期とは、代々このような気質が多かった。
昔の話に戻りましょう。 この目は重宝がられさえした。村人に失せ物さがしなど気楽に頼まれたり、都度その場で解決してみせ、不思議な力に村のみなで感謝しつつ宴会でもひらく、というような…楽観的で素朴なものとして受容されていたそうです。当然ながら例外もありましたが。 我々も、当時は30代より少し長く生きたし、当時はそれくらいの年齢で亡くなることはそこまで異例でもなかった。海辺が我々に環境として合っていたのもある。
時代が進めば、怪奇も不思議も人地を超えた力も身幅が狭くなります。 ここにも西洋医学を軸とした医療が及びました。 我々の目と苦痛と短命が、放置されなくなった。 …そのことを、我々は沈鬱な内心を抱え、それでも静かに時代に従った。 仁と医を尽くしてすべての人間に懸命に長寿を達成させようとする向きです。 しかし医者が手を尽くせば尽くすほど、行屋の人間だけは医学ではどうにもできないことだけが浮き彫りになってくる。
もっと時代が進むと、遠方まで容易に情報が行き交うようになった。我々は「霊能者」あるいは「エセ霊能者気取りの不気味な血筋」として、一時期は強烈な迫害と少数の誤った信仰を招き、非科学的なものを否定する世間の流行の猛威を浴びたようです。 歳を負うごとに身体の苦痛が増し、自制を欠いた狂躁のような激しい気質を帯び、それが昂って暴走し、目には激痛が襲い、家からふらふらと外へ出る、そしてふっつりと茫然自失になるさまから、行屋家の人間が遠方へ嫁いでいった先では、家に座敷牢が用意された。
我々は、この目にも苦痛にも短命にも、名前をつけなかった。 苦痛は耐え忍ぶのみ。憐れむならそれを上回る快楽を。 目の激痛は光を遮断することで少しは和らげることができる。暗く閉ざした部屋に行灯一つあれば充分。あとは瞼を閉じて生きるだけ。 ここに住む親戚の中にも、見渡せばずっと瞼を閉じた者や、目隠しをした者がちらほら見受けられるはずです。 今のように「病」だと呼ぶことも定義づけることもなかった。当事者間ではそのような認識ではなかった。血族で似た者たちが群をなすと、異質さはかき消えます。 あとは血族以外との折り合い、順応と適応の世界になります。我々のうちではどれほどの苦しみであっても、それは体質に過ぎません。 しかし医学に割って入られると事情は変わります。そこから行屋の人間は「精神病者」と定義づけられ、積極的に私宅監置に置かれることとなった。定義づけと命名が必要だったのは、医療を施すため。我々を捉える主体が我々自身からそちらへ移ったわけですな。 我々はそれを静かに受け入れた。
その後、また時代が過ぎて、医師の側の意識改革と医療の是正が始まった。 外部から調査にきた医師団が、我々の親族の私宅監置の現状を調べ、あまりに杜撰で酷いものが多いことから、病院への入院治療を推し進める流れになった。 杜撰で酷い座敷牢と聞くと目を覆うような惨状を思い浮かべられるかもしれない。が、それは東京という都会のど真ん中からやってきた者の感覚です。その感覚は間違ってはいないが、当事者との齟齬は大いにありました。 おりしも行屋家の住む土地は人の少ない海辺であったので、危険行為を繰り返す精神病者を完全に病院に隔離することなく開放的な入院治療と静養がかなうとして、ここからほど近い静かな海辺に精神病院が建てられた。勿論我々のみのための病院ではなかったはずですが。
その後、全国で人口が増加したためか、こんな田舎にも住宅が押し寄せひしめき合うようになり始めました。「海が綺麗だ」というだけの理由で好んで住みたがる人間たちが、各地から集い出した。 その人間たちは、古くからここに住む我々も、そこに建つ精神病院も忌み嫌い、病院側に立ち退きを要求してきたそうです。 病院側は、「患者を院外に出さない」ことを条件に立ち退きを逃れた。 これは我々にとって痛手だった。他の多くの患者にとっても自由と尊厳を踏み躙られる大きな痛手であったでしょうが。我々にとっては、思いのままに海へ出られない、これこそが痛手だった。 その後の大きな戦争で打撃を受けた精神病院から、一部の行屋家の者が焼け出され、そのまま身を隠した。 多くの患者は医師との信頼関係によって病院におとなしく留まったそうですが。 身を隠した者たちが、海沿いの各地に散り、或いはここにひっそりと戻り、留まったのが、今の我々の実態です。
ここだけではなく、他の地域の海辺で暮らす者もいますよ。 海外に飛んだものもあるが、皆決して海から離れようとしない。離れ難いんでしょうな。 苦痛に耐えられなくなったとき、或いは茫然自失と化した状態で、我々は招かれるように自ら海へ入っていく。 そうして自らの命の火を、もといたあちらへ還すのです。火だるまになった身体の炎は海が消火し尽くしてくれる。 幼い頃から、耐え難い苦痛の際には海へ浸かるのがひとつの慣わしであり、自然な行動でした。慣習と衝動のどちらが先だったかは判然としない。 はたから見れば、判断能力をなくした入水自殺じみてうつるその行動も、案外、現実的なのです。海へ浸かることで身体の苦痛が安らぎ、死に至ることなどなく平然と浜へ自分の足で戻ってくる場合のほうが多い。 七が月夜に招かれるように外へ出たのは、潮と呼応していたように見えた。
我々の故郷はここに無い。 死の先に、帰る場所があるように感じている。 我々はそこからやってきた。 そこにしか我々の帰る場所はない、とも。 …この由来なき感覚を、閉鎖的に、つい近年まで血族とだけ共有してきた。 死の先に 故郷がある。 幼い疾彦に私が零した戯言は、そんなような根深い感傷に端を発していたのです。
私の息子…疾彦の実父は、疾彦が産まれる直前になって、抑制の効かない状態に陥りました。意気揚々とここから離れた新天地に移るのだと言いはり、親族の反対を押しきって実行した。 私は それに賭けた。 だから私は息子を見張るような建前を身内には示しつつ、息子の移り住んだ土地に私も一度は移った。 奇矯を装いつつ、息子も薄々気付いていたのでしょう。親族だけで寄り集まって閉鎖的に同じ場所に留まり続ける弊害と欺瞞に。 疾彦はそこから解き放たれて生まれ育った。…虚彦も。 行く末を見届けたかった。 七は大学入学までここで生まれ育ちました。ここから七を連れ去ったのは疾彦です。 その疾彦が、生家に火を放ち父母もろとも焼き滅ぼした。その動機を疾彦は呟くように私にこう一言語った、「そろそろ帰してやらねえと」…と。
それらすべてが間違っていたのかどうかは …………
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imassamayr · 5 months
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東京都内を中心に7店舗を展開するディスカウントスーパー「ABS卸(おろし)売センター(ゑびすや商店)」の足立区内の店舗を訪れてみると、店内は物価高などどこ吹く風。 大手スーパーでは100g当たり120円前後が相場の鶏もも肉が98円、醤油450mlが68円、ミネラルウオーター500mlが41円......。 運営会社・ゑびすやの唐鎌(からかま)孝行社長はこう言う。 「大手スーパーの値入れ率は25~30%程度、ある大手ディスカウントスーパーでは16.5%といわれますが、われわれは15%に照準を合わせ、薄利だからこそ数で勝負する。まあ、この商売は厳しい、厳しいと言っているくらいがちょうどいいんですが、それでも今の厳しさは想像を超えていますけどね(苦笑)」 同社が取り扱う飲食料品は、メーカーや卸から正規ルートで仕入れる定番品と、大手スーパーなどから定期的にモノが出る"訳あり品"の2種に大別されるという。 「定番品は各ジャンルの2番手以下の中小メーカー、場合によっては地方の無名メーカーから調達します。大手メーカーほどには宣伝広告費などが乗らない分、いい条件で仕入れることが可能です。 ただ、従来1L98円で販売していたあるメーカーの醤油は、今や仕入れ値が139円。売価168円だった砂糖も仕入れ値が2割ほど上がりました。毎日の料理に欠かせない砂糖や醤油や油などは値上げすると『高い!』というイメージがつきやすいのですが......醤油は168円、砂糖は198円に引き上げざるをえませんでした」 "訳あり品"とは? 「小売業界には"3分の1ルール"という商慣習があり、各スーパーは製造日から賞味期限日までの期間が残り3分の1を切った商品を売り場から外し、卸会社に返品します。これが"訳あり品"として出回ったところをまとめ買いすることで、仕入れ値を抑えているんです」 "訳あり市場"にも値上げの波は押し寄せている。大手食品卸社員が説明する。 「スーパーの棚から撤去された商品は、基本的に正規価格の半値で出回る。だから、例えば最初の店頭価格が100円から150円になれば、処分品の価格も連動して50円から75円に値上がりする。ドン・キホーテやジェーソンなど、ディスカウント業態の店はこれに苦しんでいます」 「スーパーの冷凍庫や冷蔵庫は店休日も含めて24時間フル稼働です。特に弊社は冷凍食品が多く、冷凍庫がズラリと並ぶ。しかも、省エネ性能が低い旧式のものがほとんどです。全店合計の電気代が22年は年間5000万円でしたが、昨年は8300万円まで膨れ上がりました。省エネ型の冷凍庫に入れ替えるか否か、まだ決めかねています」 「チョコ菓子は円安とカカオ豆の不作の影響で全般的に値が上がっていますが、売れ筋のキットカット大袋は各スーパーで特売の対象となりやすく、店の利幅がほとんどない198円で売られることが多かった。ネスレ日本は以前からこの安売りを嫌っており、どう頑張っても特売に踏み切れない水準まで価格を上げたわけです。業界では"キットカットの乱"と呼ばれています」
「スーパー玉出」もダメージ! 苦境の激安スーパー"訳あり品"も高騰、大量閉店で価格死守も(週プレNEWS) - Yahoo!ニュース
ゑびすやはカンブリア宮殿でも取り上げられていた。
処分に困る卸売から378円のゼリーを30円で仕入れ、68円で売る。
キットカットはスカスカになった上に、さらに高くなるというw
小売りも潰れるところが増えるかも。
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pureegrosburst04 · 5 months
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超鬼難ドンガッチャ00「(お、ブログ通りの守護女神候補生が居た)なあ、俺も純粋硬派柱なんだけど水と油の居場所を知ってるか?アイエフなんて雑魚は俺が倒したから今度は敵討に倒しに来いよって伝えてくれ」ユニ「初対面に人に失礼じゃない、女の子相手に本気になる時点でアンタの負けよ」超鬼難「あー。だめだwww そこはあんなカスみたいな奴をいたぶって嬉しいか?😛が模範解答だろ」ユニ「いくわよ?」超鬼難ドンガッチャ00「来いよwww」
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ボカボカボカ‼️‼️
失礼をしてボコられた超鬼難ドンガッチャ00はこんな顔🥹をしながら敵を嘲笑った こんなカスみたいな奴をいたぶって嬉しいか?(´;Д;`) と……
ユニ「どんな大喜利がしたいのよ…まあ、なんか憎めないから謝るなら紹介してあげても良いけど…」超鬼難ドンガッチャ00「わかった、表版仮想大鉱山の頂点にたって利益をもたらしてやる。なんでもメンチース09と富豪05にとっては初心者向けの龍門らしいからな」
〜別場面〜
ノワール「そういえばウブなむっつりさん達、最近真なる魂族に来ないわねー」ネプテューヌ「別にいいんじゃないかなぁーww 新メンバーの中にはあの子達目当てで入って来た子もいるらしいし水と油が居ないなら活動しなくても別に🙃」ベール「2人に聞きましてよ、冒険に行ってくるみたいですわ」ブラン「…私の国が上品なあの子達のコミュニティを傘下に迎える、異論は認めない」女神達「むーー…」 ばちばちバチ💢
〜ロクな描写もなく潰される秘密結社ゲゼルシャフトの大傘下〜
ゴールドガッチャ「つ、つよいのう。我等が雑魚とでも言える程にここまでやるとは驚きじゃな…」超鬼難ドンガッチャ00「出番と魅力はインフレ物なら反比例すんだよ」ゴールドバズー「でもアニメのサブは古株メインの劣化だろwww いじめられっ子でも香氣04の方が現実にいる時点で偉いんだよ(笑)」超鬼難ドンガッチャ00「偉いか…俺が香氣04に唯一共感できんのは自分をのび太扱いする奴を5秒以内に消えろゴミってブロックする所だな👎。運動音痴って言葉は遠回しに健常者と身障の中間にカテゴライズする最低なクズの言葉だ。頭が悪いは知障に近いって意味だろ(俺も綺麗事は嫌いだからな)」ゴールドバズー「(かっけえ……まじで”””アイツ”””を超えられるかもしれねえ、熱血な純粋硬派柱か👍) 」
超鬼難ドンガッチャ00「俺にも心は読めるぜ?」ゴールドバズー「ビクっ(大丈夫だ、わ、悪口は言ってねえはず…)」超鬼難ドンガッチャ00「表版仮想大鉱山の馬鹿どもには分かんねえか?他の著作存在に寄生するやり方は好きじゃねえ。ここ”””2次創造世界”””如きが我が物顔して作ってるやり方が許せないんだよ 香氣04だけがズルをしてる。みんな作品の限られたページで1から魅力とキャラを作ってんだ。なのに即席だとか薄っぺらいだとか出番の少ねえ奴を馬鹿にして”””””公式世界”””””を軽んじる奴は許せねえ 悔しかったら俺の次に最強だった純粋硬派柱を誰かの引き立て役にしてみろってんだよなあ」
高級ゴールドキング/バラバズー500F「我々は最初の段階↑でつまづいた。完全武装を重ね多くの犠牲を払いようやく最恐危険種スライム2匹討伐。しかしこのお方ならば、神話に出てくる”””ドラゴン”””とも渡り合えるかも知れないのだよ(ドヤァ)」
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⬆︎表版仮想大鉱山と複製電脳軍要塞(下層)を血祭りにあげる。この二拠点からは全世界滅亡レベルと噂されている
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御茶ヶ滝「くしゅん🤧!エンパスが発動した…安心して。もう引き立て役になってるから………」
超鬼難ドンガッチャ00「おいおい…集合的無意識が俺に出来たてほやほやの黒歴史ができた知らせを舞い込ませやがる🥵」せっせと働くゴールドバラバズー500「どうしたのかね?💦」超鬼難ドンガッチャ00「(にしても天然記念物か…ラオウ様の方がよっぽど天然記念物だろ。あの黄金比の頂点にたつ男の筋肉体 一途で信念があり色々な意味で空前絶後の真主人公)
このpureegrosburst04のタイトルを務めてるのが霊猫蒼海じゃないのは女性より生命が尊いからなんだよ(赤き真実)」
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香氣04(ブログ主)「放っておいて下さい。俺は家族と静かでささやかと合わせた幸福な人生を送るのが大好きなんです ママゴン💖に美味しいものを奢って生きていきます 俺の正体より知る価値は勉強に励む事に、幾らでもありますm(_ _)m」
知球(パワー系池沼)「妖精さんにあだなすくずを殺すコロス‼️」 高級ゴールドデューク/バズー「ひ、ひいいいい💦 た、助けてくれよ、」知球(キモオタ)「女の子を性的な意味でイジメるのは大好きだけど、羊の妖精さんをいじめる奴は許せないんだよね」ボカボカボカ🌟 ぼわん♨️
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知球GrassShining1 チー牛「パルワールドは残酷です。でも僕達には知性があって、壊れた世界を否定できる優しい人間だから 宝魔 端武者としてゴミクズをオタカラに加工するんですだから、卑猥なカスケラの為に愛くるしいパル様を裏切るつもりはありません(黄金の真実)。
高級ゴールドクイーン/ガッチャは真っ二つに両断された。 ポワン♨️
持つべき君に返す為に、さあ香氣04とは別に手に入れたこれを……🌿🀄️」
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モコロン「メェー🎵(僕たちのかたきうちして、プレゼントまでくれてありがとう🎶)」 共有緑知(ヴァストローデ)「お姉さん達は生まれる前から貴方達の味方だよ……ずっと一緒だし、死なないんだからね…(あいつら酷いよ、こんなに可愛い羊の妖精さん達に手を出すなんて)」
人は変わらない
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junikki · 5 months
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色々未来を見たいし、色々経験したいことあるし、めちゃくちゃ長生きしたいと思ってるけど、どうも自分は長生きできない気がする。
こういう記事を見つけた。まあこれは明らかにもっと年配の方向けの記事なんだろうけどもさ。確かに病気で死にかけなのに異様に若く見える瞬間ってあるよな…とか思い当たる節があるんだよね。大学時代にバイトしてた寿司屋で60歳超えのおばちゃんと仲良かったんだけども、肥満体型なので当時はそこまですごい若いとも思ってなかったけども、今思えば異様に肌が綺麗で、毛穴とかないしシワもなかった。当時大学生の私よりも美肌でゆで卵のような肌だった。その後、もうずっと会ってないけども、大病して痩せたらしく、当時のバイト仲間の友達が一緒に撮った写真をLINEで送ってきてくれたんだけども、痩せたらとても60代に見えないほど、異様に若々しく見えた。めちゃくちゃ若返ってて綺麗になっててびっくりしたわ。でもめちゃくちゃ病気で長いこと入院して大きな手術もした後らしい。もう何年も連絡取ってないからわからないけども、亡くなってるかもな…
私も異様に若く見られるタイプで、歳をとるごとに違和感を感じている。もう今年37歳なのに、時々10代に見られるし、でもまあ30すぎると流石に明らかに成人している雰囲気を漂わせていると思うので、基本的には20代に見られていると思う。20代の友達に自分より若く見えるんだけど!とか言われて、それは流石にないだろうと思ったけど、確かに写真撮って二人並ぶと、友達の顔が大人っぽいから、友達の方がお姉さんに見えるんだよな。カジノやバーでは必ず年齢確認され、歳をいうと絶句される。それの繰り返しの人生だった。調子に乗って、まだまだ若く見えると思って、若者っぽいファッションやヘアメも楽しんでいるわけで、恩恵は受けているけども、先述のように年相応に見られない苦労は色々ある。大学時代はなんかトトロのメイちゃんみたいやな、とか言われてた。幼女やんwでも私別に低身長なわけでもなく、162cmくらいあったんだよね。それでそんな子供っぽく見られるのは不思議だった。どちらかと言うとサツキの方じゃ…とか思ったけども、確かにメイの方が自分に雰囲気似てるんだよな。私は小学生の姪っ子と似てるんだけども、姪っ子もメイっぽく見えるし。姪だけにw
母も私と同じタイプで、でも母は割と服装とかは年相応のおばちゃんぽい格好してたけど。それでも若く見られるタイプだった。でも、そんな母は最近足が悪くて、というかなんか全身どこか不調で、障がい者一歩手前という感じなので、早く死んでしまう気がしてならない。思えば、母方の祖母も早死にしたなあ。死んだ祖母は別にすごく若く見えるというわけでもなかったが、顔は私とよく似ていて、生まれつき心臓が悪く、二十歳まで生きられないかもしれないと言われていたのだった。それが60まで生きたのだから、長生きしたね、って感じだけどもさ。でもさ、60までってやっぱ早いよなあ…本格的に高齢者になる前だしさ…
母はまだ存命ではあるけども、まじでいつ死ぬかわからんなとか思ってる。この年でここまで身体が不自由になるとは。私も将来すげえこわい。でも私は不自由になったら車椅子や杖を遠慮なく使おうと思ってる。それで他人から見てわかりやすいように障がい者アピールしたい。実際、見た目で障害者ってわかることは大事だと思う。見た目でわからないと助けようもないし、配慮しようがないからね。それで、障害者の割には色々できますよ、っていうことをアピールした方がよっぽど生きやすいかと思う。乙武さんみたいに。障がい者グレーゾーンぐらいで健常者と混じって生きるのが一番大変かと思う。発達障害が問題になってるのってまさにそこだから。健常者に混ざって学校行っていじめに遭って不登校児になってヒキニートみたいな転落人生は多分発達障害を親が気付けなかったせいでもあると思う。そもそも障がい者用の学校に通っていたら大きく違っていたはず。発達障害程度なら障がい者学校の中では一番頂点に行ける存在かと思う。特別な配慮が必要とされる中でもエリートみたいな感じで過ごした方が絶対いいわ。
まあ佳人薄明というのはある意味当たってるのかもしれない。若い時期は誰だって美しいし全盛期だから、その時期が異様に長い人は、見た目に現れてないだけで身体の中身は劣化していて長生きできない。今健康で美しいけど、いつかガクッと落ちる時期が来るんだろうなと思っている。たまに20代前半でも異様に老けていて目尻にはっきりと皺がある人いるけど、ああいう人の方が長生きするんじゃないだろうか。
ᙏ̤̫͚
ビッグバンセオリーのシェルドンってアスペの典型みたいな人物像だけども、一応公式ではアスペとは名記されてないから、あくまでグレーということだけども。あんなん素人目でもアスペやん、みたいな。なんか友達にビッグバンセオリーの話題出すと、TBBTはおもしろいけど、シェルドンうざすぎて無理っていう人だらけ。やっぱ一般的にアスペって嫌われるよなあ…とか思ったり。でもロバートはわりとシェルドン好きなんだよね。ロバートはそんなハマってなくて全話見たわけじゃないけども、シェルドンってアスバーガー🍔やろって言ったら、違うと思うってはっきり言ってて驚いた。あんなん初見でアスペだと思ってたのに。1話見ただけで一目瞭然ぐらいに思ってたからびっくりした。そういう目線もあるのかと。それで、MBTI調べてみたら、シェルドンってISTJらしいね。ロバートと一緒やんw ロバートは割とシェルドンに共感するところあるみたいだから、やっぱISTJなんやろうな。まあ普通はISTJは優等生キャラということでそこまで嫌われにくいと思うんだよなあ。それでエイミーが私と同じINTPらしい。やっぱ相性いいんやなって。
ᙏ̤̫͚
登録者1000人行った。最後の2人は両親の垢からチャンネル登録して嵩増ししたがwでもそれ以外は友達とか2人ぐらいにしか言ってないし、ハンドメイドのイベントで話した十数人に名刺渡して登録お願いしますってしたくらいだから、ほぼほぼ知らん人だからすごくね?しかもたった3ヶ月だし。元々ネット上で有名人だったわけでもない一般人だし、しかも一般人の中でも身内に全然頼ってないしね。そういえば姉にも言ってないわ。まあ友達や知り合い多い人やったら100人はすぐいく気がするんだよ。そこから伸ばすのが大変なのかと思う。そして登録者千人達成してても、再生時間4000時間以上が地味に大変だとか聞く。でもそれは私は一週間前ぐらいに余裕でクリアしてて。もう5000時間突破してるしな。広告収入どのくらいもらえるか楽しみだ。まあ、そこまで期待はしてないけどもさ。
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kennak · 2 years
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昨日沖縄で開かれた「『台湾有事』を起こさせない・沖縄対話プロジェクト」のシンポジウムは現状維持と平和を目指す台湾社会への無理解と侮蔑的な姿勢が重なった。特に沖縄タイムスの宮城栄作編集局長による台湾に対する筋違いの図々しい「要求」は台湾側の神経を逆撫でする対話とは正反対で今後の議論を困難にしかねない衝撃はあった。 シンポジウムは昨年10月に行われた「沖縄対話プロジェクト」の発足イベントに続いて行われたもの。台湾側から2名の識者を招き、沖縄の「識者」と議論する形だった。台湾側の2名は一般的にそれぞれ民進党と国民党の立場に近いとされているものの、見識を深く備えた学者である。シンポジウムはまず10月に行われた発足イベントの議論内容の紹介から始まった。10月の内容自体が台湾海峡の現状と構造を全く正しく認識できていないものだったが、今回のシンポはそれを踏まえる形式をとって始めてしまった(10月イベントの詳細は下記ツイートをご参照ください)。 すでに嫌な展開となったがその後の稲嶺恵一元知事の基調講演や招かれた台湾側識者2名のプレゼンは時間やまとめ方など���クニカルな問題を除け��大変有意義だった。これはシンポの流れも改善されるかと失望状態から少しだけ希望を持ちはじめてすらいた。しかし、次に行われた沖縄側の一部識者のコメントや対話「台湾有事を起こさせない」沖縄対話プロジェクトの趣旨は賛同だが、発足イベントの報道みて失望した。沖縄タイムスによれば「台湾側には現実的な危機感は薄く、『日米政府が危機をあおり続けている』といった指摘に来場者は熱心に耳を傾けた」とのこと。台湾の一般的な認識を見事に歪曲してくれた。 セッションでのやりとりで再び失望した。コーディネーター(司会)である前泊博盛氏による台湾への理解が全くないからなのか要領を得ない質問の振り方は失望の象徴である。台湾側の識者は彼らにとって外国語である日本語で台湾有事の引き金を引くのは中国であって、ボールは台湾側になく、有事を招かないよう台湾は抑制的に振る舞っていることを懸命に説明し、有事の可能性についても台湾海峡の情勢を踏まえて冷静に論じた。だが、前泊氏は「どう台湾有事の可能性はないと2人に言わせて帰すか」「戦争はない、有事はないと2人にどう伝えるか」などあたかも両名が好戦的であるかの前提で議論を振り続けた。途中で「台湾が武力衝突を回避してきた知恵は何か」との質問を振っていたが、それこそ「台湾独立」など有事を招きかねない動きを台湾社会全体はバランス感覚を持って抑制してきたとともに、中国を台米日などで淡々と抑止して中国による台湾侵攻を先送りさせてきたからにほかならない。 その認識も共有せずにコーディネーターをやっていたのならあまりにも準備不足だったと言わざるをえない。そして沖縄側の識者として出た高嶺朝一氏(元琉球新報社長)は「(有事は)ないでしょう笑」と一笑に付した上で、「あってほしくはありません」と言った。台湾側もあってほしくないと平和を求めているにもかかわらず、嘲笑的態度だったのが前泊氏の振り方も相まって実に失礼に思えた。続けて高嶺氏は台湾側論者が例示した米国高官による2027年までに台湾危機が顕在化するとの警告について「(高官は)次の仕事を探すためにそういう発言をする、煽られないように気をつけないといけない」と反論した。これはシンポで議論する上であまりに雑な扱いだ。求職活動のためという目的が含まれていたとしても政府・軍高官がなぜ公聴会やインタビューなどの公式や公の場でそのような発言をするかといえばシグナルの役割があるわけで、それは何の意味をもつかを着目して分析する必要がある。 2027年までに台湾侵攻を中国が整える可能性が言及されているのは、中国の経済力と軍事力の強化に伴い、台米日等による対中抑止力とのギャップが埋まりつつあり、野心的な指導者(習近平氏)の登場で台湾の武力統一の可能性が過去と比較して高まりつつあるからでそれをこれまで通り有事を先送りさせるために防衛強化が必要なことを訴えるためだ。本当に侵攻が起こる可能性はまだ低いものの、有事の目を摘むための防衛強化議論が各国として必要となっているがゆえの発言だ。煽っているのは確かだが、それによってようやく必要な防衛強化議論ができるわけで、その背景を踏まえて台湾側の識者は例示をしている。前提のおかれた専門的な見方を揚げ足をとるように一蹴して議論の発展を期さないのは全く対話の姿勢が感じられない。そしてとどめを刺したのは対話セッション終了後にコメンテーターとして登壇した沖縄タイムスの宮城栄作編集局長の次の発言だ。 「台湾の人たちも有事にならないように、あるいは日本や沖縄に迷惑をかけることのないようなしっかりした世論を築いていっていただきたい」。一体何様のつもりであるのか。この発言は台湾で昨年行われた世論調査で台湾有事に自衛隊が参戦するかとの問いに参戦を信じると答えた割合が4割を超えていたことを受けてのものだ。確かに憲法9条をはじめとした制約を理解している人からすれば台湾社会の日本に対する理解不足は目につくが、これは台湾政府や台湾の専門家も危機感を覚えている。 日本が有事に際して直接台湾に自衛隊を派遣することはないと台湾の政策担当者は誰もがわかっているし、誤った認識の自国社会に現実を理解してもらい、台湾は台湾自身で守るのが前提で、対中抑止強化をまず自国で高めようと注力している。そもそも自衛隊の参戦期待は一昨年の調査では5割を超えており、日本への過度な期待は落ち着いてる傾向だ。せめて「台湾にも日本の政策や理念への理解を深めてもらいたい」など相互理解を前提にした指摘をすればよかった。 台湾社会は70年以上戦争の脅威に直面し続け、大国間に揉まれながらも有事を回避して平和を保とうとバランス感覚を身につけ、それこそ迷惑にならないよう成熟してきた。そんな台湾社会に「迷惑をかけるな!ちゃんとした世論を作れ!」と要求するのは台湾をどこまで愚弄すれば気が済むのかと本当に怒りを覚えた。シンポのアーカイブを見た台湾政府にいる友人はこの発言を受けて「そんなに迷惑な存在だと思われてるということは沖縄の主流民意は台湾が中国に統一されることを望んでいるのか」と私に聞いてきたが、「わからない」と答えることが精一杯だった。ここまでで名前をあげた方々には強い言葉で申し訳ないが次の言葉を贈りたい。恥を知れ、と。 それほど今回のシンポには失望を通り越して絶望した。救われたのは山本章子先生(琉球大)が最後に発言されたウィットに富んだ次のコメントである。「議論のスタート地点を明らかにした意味で有意義だった。願望や政治的主張でなく現実として我々が今のどこに立っているのか台湾と沖縄のそれぞれの立場から確認できた。今後も事実として我々が今どこに立っているのか、立たされているのか絶え間なく確認したい」。このコメントに私は全面的に同意するとともに沖縄の識者にこの言葉が通じることを私は期待している。 また同じく沖縄側で出席した神谷美由希氏の姿勢もありがたかった。台湾や中台関係についてわからないから知りたいとの姿勢は対話において重要に思えたし、台湾側もそれにうまく応える環境が整っていればよかったのにと悔やまれる。そして、台湾側も同じように沖縄が何を考えているのか自分たちの考えを理解してもらいたいのと同じように知る上で、神谷氏の姿勢は学ぶところがあったと思う。 ここまで感情的な点も含めて今回のシンポジウムについて長々と書いてきたが、改めて最大の問題は基本的な知識と理解が欠如して相手に対して敬意ある姿勢を示すことができずに対話にならない点と指摘する。プロジェクト主催者には中国や台湾の専門家を名乗る人物も含まれているが、彼らは明らかに台湾や中台関係に対する認識とそのフレームが20年以上前の状態から更新されず、見方が政治的にも偏ってしまい、現在の台湾の主流民意を理解できていないことが窺える。あと2回のシンポをどのように展開するのかわからないが意義ある対話が今後できるとはとても思えない。 プロジェクトを継続して健全に発展させたいなら早急に最も簡単なものでいいから台湾に関する基本書籍を読むか然るべき人からレクチャーを受けてほしい。最後には台湾政府にもプロジェクトのまとめとして意見書を提出するようだが、今回のシンポの内容を見る限りとてもじゃないがまともに内容を相手にしてくれないだろう(出すことが目的化しているなら気にしないだろうが)。今回のプロジェクトがせっかくの機会だったのは間違いない。台湾と沖縄はともに「帝国」の狭間で翻弄された歴史をもち、自分たちの権利や主権が蔑ろにされてきた過酷な運命を背負ってきた。 相互理解とともに平和を求める共通の利益も本来あるはずだ。歴史的経験と共同体の記憶の違いから埋めがたい差があるものの、それを乗り越えて大袈裟に言えば東アジアの平和のパートナーの一例になる契機にもなり得た。だから他の人が私に「出席者みたら無意味だとわかる」「沖縄左翼の自己満足」と批判してきても趣旨に賛同して期待もし続けた。 対話は相手を尊重し、まずは受け入れることが重要だ。今回、対話を仕掛けた側は本当にその姿勢をもっていたのか。結果を見る限り、それは全く感じられない。何度でも言うが、台湾は有事を起こそうとはしていないし、日本や沖縄を巻き込もうとも思ってない。私を含めて多数の台湾人は日本に参戦しろとも求めていない。過去70年以上、中国による台湾全面侵攻を回避し続けた事実とその経験をもとにこれまで通り一緒に平和を求めていこう、そのために協力することがお互いの利益にもなるはずだとの考えである。 それは端的に言えば中国の現状変化にあわせて台米日も対中抑止の度合いを変えるという長年の構造を継続しようというものだ。よく中国は経済関係上重要な相手で対中抑止を行うことはむしろ国益に反するとの主張を聞くし、今回のシンポで前泊氏などが中国との経済関係を例に挙げたが、これまでも対中抑止を続けながら経済関係を発展させてきたわけで尖閣諸島での対立激化時のレアアース禁輸や米中のハイテク覇権争いなど個々の特異な事象を含めて全体として対中抑止と経済活動の両立という構造が大きく変わっているわけではない。 中国が軍事拡張を続けているのにそれに対応しない方がこれまでの東アジアの平和と安定の構造を変えようとする新しい動きだ。その結果として中国の台湾侵攻など台湾有事を招けばサプライチェーンは破綻し、抑止強化反対の理由に使われる経済的利益すら守れずに失われる。だからこそ対中抑止は日本の利益でもあるはずだ。現在日米で進む抑止強化の方法に問題や議論の余地があるのは確かで、かつ経済面の抑止力が過小評価されていることも確かだ。 それを議論することは重要だし、これまでの平和の方法論に異論があれば、歴史と事実を踏まえた上で新しい平和の形を議論していくこともできる。対話を名乗り、仕掛ける以上は議論に必要なものは何かを理解して臨んでほしい。沖縄対話プロジェクトにもう期待はないが、残りが少しでも実りあるものになればと祈る。
劉彦甫さんはTwitterを使っています
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yudai-mush · 6 months
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感想、アナザーコードリコレクション
DS、Wiiのシリーズを当時遊んだ人間の感想。ネタバレがある。ただし記憶はあいまい。
ストーリー
偽パパへのミスリードが薄くなってる気がする、やさしい。こんな黒い笑いをするやつがパパなわけが無いとわかりやすい。なんとなくオリジナルより対象年齢低くしてあるような気がした(こっちが歳食ったせいか)。
オリヅルの補完が良い。偽パパとのギャップや真パパの行動など、進めながら明かされる・考察していける構成になっていると思う。ブレワイの記憶巡りとティアキンの姫目撃談を一緒に進めるようなハラハラの楽しさがあった。
キャラデザ
髪型や髪色変わってるなー!記憶の扉のキャラは結構変更が大きかったんだね、サブキャラはあまり覚えてなかったな
ジェシカはクール系と思ってたけど結構オバチャンて感じだったんだな!意外だけど好き
2周目の服が懐かしい!
演技
海外ドラマ見てる気分。
ムービーも表情もあってアシュレイの感情がめちゃ伝わってくる。 2つの記憶ではジェシカもパパも見つからないサスペンス性が高く感じられ、話は知ってるのに「あれ、ふたりとも死んでないよな?」とハラハラした
記憶の扉ではパパへの感情がまた変化しているのが良いね
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リチャードの声高い感じすごいわかるー
マシューの声優さんの間の入れ方がすごいなんか、良かった
2周目を英語音声でやってて気付いた、音声にリップシンクさせてるのね?口パクがズレてない
設定
アシュレイと誕生日同じじゃなくなっちゃった、指紋認証もないのは残念。でも誕生日祝えるの嬉しい
リチャードの育毛剤なくなったんですか?あったよね前? ただなんだかオリジナル版より人生楽しんでそうで良かった。いやオリジナルの記憶も曖昧だけどね
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オリジナル版の記憶が曖昧でもライアンの変更は、さすがに驚いた!現代のAI技術を意識させるし、科学とオカルトをモチーフにするこのシリーズに合ってる良い改変だと思う。
美術的なところ
金崎さんのイ���ストを目にできる、最高!
3Dだけど空間の色合いが絵画的で良い。特に2つの記憶の屋敷内良いね。ムービ内でなく操作中もこの色合いの中にいられるのは良かった
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で、この温かみと対比で紫のシーン入れるのも良い。 そのあと屋外を挟むのも好き
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こういう屋外の景色もオリジナル版だと見れなかったと思うので空間の雰囲気が感じられて良いなと思った。(ただし感動しすぎてオリヅルを忘れた)
夕方の色味が良いんだろね
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太陽のキラキラ↓入れるのも良いね
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BGM
全体に懐かしい!
ジュリエットレイクのテーマソングはなんなん、いや好きよ。一時頭から離れなくなったよ。サントラ出ないかなー
謎解き
オリジナルより易しく感じた。まあ似たような謎はすぐ解けてしまうから仕方ない。 ただ、オリジナル版ではDSの開閉での解決に感動したし、そういうゲーム機の機能を活用した唸る謎解きが今回もあるかなと期待していた。ので、タッチ機能を全く使わないのは残念だなと思った。ジャイロはちょっと使ってたっけ?寂しいけど、switchも機種によって機能の差があるもんね…
でも謎解き(というかパズル要素)は後半ほど難易度を高くして飽きないようにしてる気もした。
なお一番時間かかったのはこれ↓
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ゲーム的なところ
吹き出しのミニキャラが超かわいい
マンガっぽい画面の割り方もおもしろいなと思った。 直近だとバディミッションBONDとか思い出した
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オリヅルは2周目リセットなのがやり込みにはつらい。こまめにセーブデータ分けよという話よね
ヒントの輪っかめっちゃ楽!1周目出さなかったけど、詰まったときは良いね
自分が文字読まないタイプなのもあるが…。ちょいちょい、UIのレイアウトがボタン配置と合ってないのが気になった。Rボタン系のガイドを画面左配置(逆も)とか
オリジナルの、アイテム押しつけて反応を見るアクションは地味に楽しかったので、無くなったぽいのが寂しい。
ゲームとしてはかなりさっぱりした感じ。ここでできることはもうコレだけだよね、という感じでサクサク進むので、ストーリーをスムーズに追えるのは良い。前半で記憶の扉篇に繋がる要素を入れてるのは良いね! でストーリー重視であれば、ムービー部分が見返せるアルバム機能があると嬉しいなーと思う。
ウィッシュルームネタ
ちょいちょい入っててありがとうございます!そっちもリメイクあったら嬉しいな!
全般
オリジナル版を遊んだ時、どこに最も感動していたかを思い返すリメイクだった。
当時最新のゲーム機は指紋認証もできるの!?と本気で驚いて、アシュレイと同じ誕生日だ!とさらに驚いて、画面の中だけじゃない謎解きにむちゃくちゃ悩んで感動していたなーと。
ストーリーもだけどゲーム性を評価していたシリーズで、だからリメイクでストーリーを上手く収めて、でもゲームとして自分で進めている感覚が弱く感じてしまったぽいのがちょっと寂しくはあった。初見の人ならまた違った感想になると思う
世界観というか雰囲気は好きなシリーズだから、サウンドトラックとか設定資料集、あったらいいな…amiiboもね
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ansoyb · 6 months
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240324 2024 ZEROBASEONE FAN-CON IN JAPAN
会場外
 横浜のドン・キホーテで単四電池と双眼鏡を買った。3倍の双眼鏡を買ったことをライブ中後悔することになる。
 10時前の時点で、Kアリーナはだいぶ人が多かった。物販は申し込んでなかったので(申し込めなかったの方が正しいけど)その辺をうろちょろしていた。CDの列に並んでいる間に入場が始まってしまった。今回は過去一で金欠だったのでCDを買うのは諦めた。今日のライブでは時たま聞く「ライブの前に餅系の食べ物を食べると尿意が減る」の実験をしてみようと思い、入場の前にいちご大福を食べた。もし歩きながらいちご大福を食べている人を見たなら、99%の確率で私です。
入場〜開演
 すぐ並んだおかげですんなりと入場出来た。形式だけの荷物検査を通過し、とりあえず自分の座席に行った。私はLevel5の9列目だったので、全然見えなかったらどうしようかと心配していたが、前の人が来��も体を左右に動かすことなく見れたので安心した。念のためにトイレも行ったが入場してすぐは空いていた。
 後ろの人がずっと「最速なのにlevel5💢」と怒っていて、勝手に仲間意識を持った。ペンラが自動で光り出した時、上の席の方がたくさん光っていて正直ちょっと運営に憤りを感じた。この状態で1時間以上待ち時間があって暇を持て余していたけど、ちょいちょい流れる音楽でどうにか乗り切れた。あれが無かったら発狂してたかも()
ライブ
 始まった時の「やっと始まった感」が凄かった。みんなが一斉に立ち上がったので、私は「椅子あるのに⁈立つの⁈マジ⁈」ってなった。てかIn Bloomの掛け声した人っているんですか?(急に) 私は興奮で掛け声どころじゃありませんでしたが。ゼベの中で1、2を争うくらい好きなTake My Handを生で聴けたのが凄く嬉しかった。
 ここで映像が流れた時、涙腺崩壊して泣きました(←え)
 ゲームの記憶は完全にハトゥビンのみかん運びに8割くらい持ってかれた。「あそこだけで10000円強払った価値あったかも!!」になっている。生で見てない人は損しました〜〜〜(煽) ゴヌクがずっとニコニコしてて可愛かった。
 そして次が問題のメルポ。写真とか動画撮影が出来たけどlevel5の私のスマホには画面を撮った映像しかないです!!!正直アリーナ以外は静まり返っててキツかった。ゲームの時のプレゼントはメンバーが頑張ってたので何も言えないけど、アリーナが一般だらけなのを知ってる最速先行or先行のオタクからしたら、客降りは普通に地獄だった。その後の「携帯しまってください」のテレちゃんは死ぬほど可愛かった。保護案件。
 セトリ調べたらKidz Zoneって書いてあるけど聴いた記憶がめっちゃ薄いです。ジウンのパートだけ覚えてる(何故) 多分メルポの客降りで記憶飛んだ(._.)
 NKotB(1、2を争うくらい好きな曲part2)はテレちゃんのダンスパートのおかげでちゃんと記憶あるんですけど、なんせ3倍の双眼鏡で見てたのでちっちゃ!ってなってました。次回は絶対6倍以上のやつ持っていきます。あとメテュが実際にサビ前でめっちゃ飛んでるかどうか見てたらみんなの2倍くらい足あげてて笑った。ヒゲダンの I LOVE...もゆらゆらもめっちゃ良かった。個人的にメテュの声(発音?)は日本語向きで生で聴いても凄くいいなと思った。
 23日に行った人のレポにアンコールまでが長かったっていう話があったから、めっちゃ長いのかと思ってたらすぐに終わった。後ろからの声が本当に大きくてやっぱちゃんとオタクしてる人の多くがlevel5と7だったのかなと思った。
 話の流れと関係ないけどリッキーって3次元の人なんですね。←レポ書いてる途中に思い出した事実(急すぎワロタ)
 アンコールではまさかのうちらの原点にして頂点な 나 빛나 を生で見れた。ボイプラの時は画面越しに応援してただけで現実味があんまりなかったけど、実際に存在しててこんなにもキラキラしたアイドルになれたんだっていうのが伝わってきて感動した。しかもJerry Popも見れたので超幸せだった。Our Seasonの回転するステージでは上の階にも手をいっぱい振ってくれた。今回のペンコンで改めてハンビンは配慮の神だと思った。通訳の人が大変にならないように、ある程度喋ったら訳し終わるのを待ってたり、プレゼントを投げる時も遠い席の人にも届け!と投げていたりしていて、ハンビンの優しさを感じた。
 2時間くらいであっという間だったけど、めっちゃ楽しかった!!ボイプラ懐古厨的にはゲームの所でオバミとホッサマ見れたのも良かった。次はtomboyも見たい!正直、運営の座席配分ミス以外は何も文句なかったから余計にどうにかして〜の気持ちが強かった。次は絶対運営のミスなし&良席で!!ゼベワンも司会の古家さんも本当にお疲れ様でした!!
ライブ後
 何の意味も成していない規制退場を潜り抜けて割とすぐ退場できた。捕まってる人がいた。あんなにいっぱい写真をマスターがあげてるのに1人だけ見つかった感じならちょっと可哀想だと思った。会おうって約束してた人達に全然会えなかったのが悲しい(◞‸◟) 闇市みたいな売り方してる前回のペンコンうちわが本物なのか気になって試しに買ってみた(おい)
 ちなみにライブ前のいちご大福(餅系の食べ物)は確かに尿意を抑えてくれると思います。何故なら水分を一滴も摂らなかった私は脱水症状が出たから。
📍神奈川県横浜市西区みなとみらい6丁目2-14 Kアリーナ横浜
📅 2024/03/24 12:30〜
🤝🏻 単番
💸 ライブ11000円 + ペンラ(事前購入)7300円 =18300円
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modeqs · 9 months
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2023年を振り返る(6)
前回よりつづき
2023年に読んだ良かった本
どれもAmazon Audibleで聴いただけで、まだ本格的に活字では読んでいない。
『NOISE──組織はなぜ判断を誤るのか?』(早川書房)
「ファスト・アンド・フロー」のダニエル・カーネマンが共著者に名を連ねる、集合的な意思決定におけるノイズについて議論した本。ノイズはバイアス(偏り)とはまた異なるもので、私の理解だと判断のブレということでよいと思う。あるときはAと判断するが、似た状況で十分な根拠もなくBと判断するというような。
専門家の判断にはノイズが含まれることを例に引いたうえで、簡単なアルゴリズム(予測モデル)でさえもそのノイズを強力に修正しうることを示している。私が知的興奮を覚えたのもそこで、著者らの主張するところを自分のキャリアでも真似(実行)できそうだと思ったからだ。
本文中に引用される「権威ある職業専門人の判断には、実はノイズが多い」事例に類する事象は、探せばおそらく私の職場でも見つかる。また判断をデータ化して簡単な予測モデルでもノイズの是正に貢献するというのも、できそうではないか。数学の確率論やら統計学やらの理屈は無視して「ある意思決定の際にある数学的道具を使ったらうまくいったので、その道具の理屈はまあ正しいのだろう」という緩い立場からすれば、使ってみて役に立つならそれでいい。つまり何が言いたいかというと、Excelで回帰分析(統計分析の初歩)をするノウハウはいまや無数にネットでアクセスできるため、各自の職場で「意思決定にアルゴリズムを持ち込む」ことの真似事が比較的低コストでできるわけだ。無論、ほかのツールが使えればもっと効率よく分析できる。
『超予測力──不確実な時代の先を読む10カ条』(早川書房)
なんだか浮薄なタイトルだが中身はすごく面白かった。原書は若干古く2015年刊行とのことだ。政治学者と心理学者の兼任みたいな人が書いた「市井で生きているものの諜報機関のエージェントよりも政治的問題の予測について精度が高い人々」(超予測者)に焦点をあて、なぜ彼らはそうした予測ができるのかを議論した本。
まずリテラシーとして次の点に私は注意したい。本文によれば超予測者はCIAのエージェントよりも高い精度で予測ができたという。これが非常にキャッチーだから本文に書いてある以上のことを妄想したくなる。だが著者らが実験した環境と、CIAのエージェントが日々予測のレポートを送らなくてはならない環境とかは異なる可能性があり、その意味で実験環境で超予測者がCIAに勝ったという刺激的な一文ほどには、実際の仕事においてCIAは超予測者には負けないのかも知れない。そもそも予測の成績であるブライアースコアにも文句がつけられるだろう。
なお著者らは十分こうした測定誤差には自覚的であって、彼らは決して超予測者の優越性を誇示するような書き方はしていない。ただ内容があまりにも興奮を催すために、ケチをつけながらでないと議論に批判的になれない。
予測とは未来の事象についての何かしらの言明だ。思考力を鍛えたいとおもったとき「予測」という「ジャンル」は思考全般には関わってこないように思える。それは一つのマイナージャンルのように思われる。
だが詳述される超予測者が予測を行う過程についてみていくと、まさに彼らが予測する過程とは慎重な思考そのものだと思う。超予測者は予測を行う前に、めっちゃ調べるのである。そしてその調べるも、あたかも他の惑星からきて地球の国際政治について調べている宇宙人のようにドライに行う。例えば日本と中国の対立について、両国民の感情(ナショナリズム)の点から説明しようとすることは、少なくとも積極的には行わない。
また情報の調べ方と検討の仕方についても系統的な方法論があり、闇雲に行っているわけではないようだ(当たり前か)。そういうわけで思考能力を高めより思慮深くなりたいと思う人にとって、超予測者の予測について解説した本書は非常に役に立つ。
超予測者はすごいかっこいい。真似したいと思った。本を読んでいて「憧れ」の気持ちを抱いたのってかなり久々のように思う。そんなすごい人達を「真似したい」って馬鹿みたいに聞こえるかも知れないけど、本書で予測のガイドラインは示されているわけで、自分のお頭の使い方一つの話なのだからトライする価値はある。
『限りある時間の使い方』(かんき出版)
よくあるビジネス書の一冊のような感じだが、私にとっては良かった。時間の有限性についての、エッセイ豪華版みたいな本。著者はジャーナリストだってさ。
どんなに時間を効率的に使っても己が望む全ての行動はできない。時間は共有財の一種で、一人で過ごせる時間がいくら多くともそれは幸福ではない。なんでもかんでもやろうとするな、どうせできない、本当にしたいことを数点に絞れ。あらゆることをできない以上、取捨選択の結果としてネガティブなことが起きることもやむを得ない。ある行動をするというのは別のことをしない決定であると同時に、自分がその行動をする人生を選び取ったということだ。私達の人生は何に注意を向けたかで決まる、というよりも何に注意を向けるのかということがまさに人生そのものにほかならない。
雑に列挙したが心に残った記述はこんなところ。どれも当たり前のことからも知れないが、時間の使い方が下手な私には役に立った。
自分のキャリアについて考えさせられた。一度しかない人生、文系サラリーマンとしてありがちで実際有用だけど自分は苦手な勉強に励むよりは、自分ができることのなかで企業に貢献しようと意識を変えるきっかけとなった。また選択の結果、誰かをがっかりさせることもまたやむを得ないという記述は私を勇気づけた。そうなんだよな、自分にとってのステークホルダー全員を満足させることなどできない。だからそうしたことは織り込み済みとして、くよくよする必要はないんだ。
余談
中途半端な読み方をしている本が多い。来年は一度に読む本を絞ってちゃんと最後まで読まなくては。教養を深めて人生を豊かにしなくてはな。
つづく
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