#君に送りたい手紙
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I still remember the day we met.
September 6th, 2017.
In the present timeline, a few days have passed since that date—it's currently September 12.
When I think back to that day, many things happened. I feel like I should continue to write down my experiences when I have time. It serves as a way to heal from the trauma of the past. But, I'm hesitant.
Why am I so hesitant to write my experiences? I feel like it's partially due to the fact that I don't really think I'm a good writer. It's partially because I feel like I don't remember everything. Sometimes it's painful to remember.
However, maybe one day I'll send these letters to you. Maybe it's better that I write it down to remember.
A few days before September 6th, my homeroom teacher asked me if there are any after school activities that I'm interested in. I already had my mind set on a few options: either orchestra club since I've wanted to continue playing the violin, wind ensemble since I also played the flute at my old high school, and lastly, kyudo club.
Why kyudo club? I knew nothing about it. However, I knew it was traditional archery, and as someone with back pain due muscle weakness, I felt like it would be a good opportunity to learn something fun while strengthening and fixing my posture.
When I said kyudo, my homeroom teacher, Kana-sensei, expressed a slight glimpse of surprise and said, "Oh I know just who to ask." She then called a girl over. "Yui, can you come here?"
A tall girl with medium length black hair came towards my desk and stood next to sensei. "Yui, she's interested in kyudo. Could you take her to tour the club after school today?"
Yui's eyes lit up and she nodded with a smile. She turned to me and asked, "So you're interested in kyudo? What do you like about it?" Yui was a few years younger than me, since I was technically a third year but was in a class with first year students. I could feel a bit of a distance in the way she spoke to me, since I was technically an upperclassmen.
"I actually don't know much about it, but I heard it was an option so I'm interested in seeing it." I said with a smile. "If possible, I'd like to join two clubs, maybe one that's more traditional culture, and the other instrument related since I would like to continue practicing."
"I see, two clubs. Most students don't do two clubs since it's difficult with school," said Kana-sensei with a slight worried expression. "However, since you have time and don't necessarily need to participate in lessons, I think you will be able to manage."
Kana-sensei became quiet and began to ponder.
"Also, kyudo is really different from western archery," continued Kana-sensei. "It seems a little hard to learn, but I think if it's something you have interest in after seeing the club, you may have fun."
Yui smiled and said, "Our bows are more than 2 meters tall, and we get to wear cool hakama!" I smiled back and said, "I've never worn a hakama before."
"Yui has been doing kyudo since she was in middle school, and I've heard she's really good," said Kana-sensei. "If you have any questions, please ask her."
I nodded my head and said thanks, and the bell signalling the next class period rang throughout the halls. Before I knew it, the day had passed by quickly and the after school activities were starting. Yui came to my desk after our classroom cleaning time and led me to the kyudojo. It was tucked away behind the school, next to the baseball field. Hydrangeas and other summer flowers were blooming in the bushes beside it, where tall trees from the trail that wrapped along the school grounds provided subtle shade to the shooting range.
As Yui and I approached the kyudojo, a female upperclassman came to greet me. Yui said to me quickly, "She will help you out from here on. I have to go, but good luck!" and she shuffled her feet quickly into the kyudojo to prepare for evening practice.
Gazing towards the kyudojo, I met eyes with another. A white kyudogi with characters embroidered on the sleeve, and a black hakama with characters embroidered in purple—it was different from the other students who wore plain white pieces with red characters embroidered in their black hakama.
Our eyes met momentarily before you diverted them towards your friend walking next to you, smiling.
That day is when I met you.
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豊島 心桜(とよしま こころ、2003年9月25日 - )は、日本の女優、グラビアアイドル。新潟県五泉市出身。アービング所属。
スリーサイズはB82-W62-H88。かつては洋服を購入する際に胸が入らずあきらめるなど、巨乳がコンプレックスで知らず知らずのうちに隠そうと猫背になっていた。また、SNSに写真を公開する際にはボディーラインが出る服を着ない、横向きのものは加工ツールで小さくするなど、胸を���立たなくなるよう逆加工していた。かつては削ぎ落としたいとまで思い詰めており、これを活かせるグラビアの仕事をしていなかったら確実に要らないと思っていたという。なお、巨乳については祖母や叔母に似たと自己分析している。
高校時代より『週刊プレイボーイ』からグラビアのオファーがあったが、上記の理由で抵抗感や恐怖感を持っていたために断っており、高校卒業後にオファーを受諾した。母と祖母は最初のオファー時点で乗り気だったうえ、2歳下の弟[注 13]の彼女も応援してくれており、『メジャー感』を購入したことを弟経由で連絡してきたという。なお、祖母はグラビア開始以前に(ドラマやバラエティなどの)出演作品をすべてチェックしており、厳しいアドバイスもくれていたという。また、同デジタル写真集の表紙は『君が獣になる前に』のプロデューサーの目に止まり、それを見せてもらった監督も快諾した結果、千田ミヤコ役への起用につながったという。
高校2年時に校則で禁じられていなかったからとUber Eatsを呼んで学校に激怒された結果、3年時の生徒手帳には「デリバリー禁止」が追記された。また、水泳の授業については「朝から塩素の入った水で髪を濡らしたくない」との思いから体調不良と偽って一度も出なかったため、入学時に購入したスクール水着はタグ付きのままで実家に眠っている。当時はオンライン授業ばかりになるなどのコロナ禍にあり、修学旅行については駄目になった海外の代わりである沖縄へ荷物を送ったが、生徒に新型コロナウイルス感染者が出たことから沖縄も駄目になり、1週間後に荷物が返ってきた。さらには、大阪へ変更された時点で緊急事態宣言が出されたため、すべて中止になってしまったという。
スカウトされて仕事を始める前は社長かキャリアウーマンになりたいと思っていたが、20歳になった後は心境に変化が生まれており、タレントとしてこのスタイルが活かせるかもしれないと思うようになったほか、グラビア撮影の際にスタッフからスタイルを褒めてもらった結果、やっても良かったとの旨を述べている。初披露後の反響は凄く、もっと早くからグラビアを始めていれば良かったとの旨で後悔を滲ませている。
『週刊プレイボーイ』2023年47・48合併号にてグラビアを初披露する際にビキニを着用したが、これは1歳半の時にキティちゃんのビキニを着用した時以来のことだった。なお、初披露に際しての予習では頓知気さきなのグラビアを良いと思っていたところ、掲載号の表紙を彼女が担当していたため、思わずテンションが上がってしまったという。また、通常の『週刊プレイボーイ』を見ておこうと思っていたが、増刊『週プレPREMIUM 2023上半期グラビア傑作選』に多数のグラビアアイドルが掲載されているのを見てこちらを先に買い、後から通常の『週刊プレイボーイ』や何冊もの写真集も買って予習したという。
特技は幼稚園年中から中学3年末まで10年ほど続けたクラシックバレエ。ただし、2019年7月時点で身体は固まって久しく、ストレッチ時に頑張れば開脚ができる程度との旨を明かしている。
月に2回は猫カフェへ通うほどの猫好きであるが、上京後は猫アレルギーになってしまい、猫と触れ合う際にはマスクを着用している。
好物にラーメンや麻辣湯(中国語版)を挙げており、前者は週1回、後者は週2回食べている。一方、シイタケが苦手だったが20歳になった後は食べられるようになったという。
「仕事を始めるきっかけとなった憧れの人」には横田真悠を挙げているほか、「私の運命を変えたとっておきのエンタメ作品」には中学生当時に見ていたテレビアニメ『ラブライブ!』を挙げている。
マネージャーはかつて小池栄子を担当していたことからも、豊島には「グラビアもおしゃべりもお芝居もできるようになりなさい」と指示しているという。
本名でもある「豊島心桜」のうち名前の「心桜」は、祖父が好きだったドラマに「桜」の名を持つ人がいたことからその漢字を使いたく、「こころ」か「さくら」にしたいという願望を同時に叶えたものである。
酒については、飲み始めた当時はビールや梅酒のソーダ割りなら飲めるかなという程度だったが、その後は担当編集者と飲みに行かせてもらった際に同じペースで飲んでも自身はまったく顔に出なくなったという。ただ、酒よりもコーラの方が(20歳になる前と変わらず)好きであるという。
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松本隆さんから大瀧詠一さんへの弔辞
今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。 ぼくと細野さんと茂の三人で棺を支えて。 持ち方が緩いとか甘いなとか、ニヤッとしながら叱らないでください。
眠るような顔のそばに花を置きながら、 ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました。 だから片方が肉体を失えば、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします。
1969年雨の夜、ぼくは初めて君の部屋を訪ねた。 六本木通りでタクシーに手を上げながら、 濡れた路面が鏡のように映す街の灯に見とれていた。 布団と炬燵しかない部屋に寝転んで、 来る途中、見てきた光景をぼくは紙に書いた。
君は時々、ギターを弾きながら、漫画を読んでいたが、 詞を二つ書き上げる時分には、うとうと眠ってた。 炬燵の上に、書き上げたばかりの詞を置いて、ぼくは帰った。
「曲がついたよ」と君が言うので、 西麻布のぼくの部屋に楽器を抱えて四人集まった。 聴きながら、ぼくは「あ、できた」と思った。 それが「春よ来い」と、「十二月の雨の日」である。
北へ還る十二月の旅人よ。 ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。
なぜ謎のように「十二月」という単語が詩の中にでてくるのか、やっとわかったよ。
苦く美しい青春をありがとう。
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2014年3月21日 お別れ会
(via 風をあつめて/松本隆+細野晴臣+鈴木茂 LIVE - YouTube)
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並��焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また���えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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ACT1 Giovanna
沢山の人を見届けた。この紙切れは確かに幸せへのチケットなんだ。とはいえ、行く先は私にはわからない。彼らがどこに向かうのかも知らない。少し疲れた、モギリの仕事も一段落しただろう。もう疲れた、少し休んでも誰にもバレないよね、きっと。
「そんな所で寝たら、風邪をひいてしま��よ。」
あぁ、どうやらまだ客はいたらしい。情けない姿を見せてしまった。差し出された切符を受け取って、乗車の証をつけて返す。
「あぁ、いや。こっちは君の分だ。」
もう一度、しかし今度は乗車の証がついた切符を渡される。だめだ、私は乗る資格がない。受け取れないと断っても、相手も譲る気はないらしい。どうせ居眠りするつもりなのだ、いいだろう。
「いつもここに居るのに、君は入ったことがないだろう?」
そういえば、そうだ。間違いない。散々人々を見送ったが、自分が乗るのは初めてだ。
動く前にお菓子がほしいな、これから先、どこまで続くのかわからないから。
「君と一度話がしてみたかったんだ。」
なぜだろうか、私もそんな気がする。
私もあなたと話してみたかった。私たち、やっと二人きりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。
「本当?うれしいな。」
嘘つくはずがない、君に会うためにこの仕事を続けてきたんだから。
「君の分の切符を手に入れるのに時間がかかってしまったんだ。遅くなってごめん。」
謝らなくていい。ただこうして迎えに来てくれたことのほう���嬉しいのだ。
そうだ、ほんとうにこの紙切れでどこまでもいけるのだろうか。できる限り時間がほしい。たくさん話したいことがある。
「僕もたくさん話したいことがあるよ、でも、時間は限られている。」
あれから沢山話をした。好きなお菓子とか、本とか、今まで見てきた乗客の話を。
「あぁ、もうじき君の停車場だよ。ほら、あの星を見てご覧。」
指さされた先には水の塊があった。
「あれが君の降りる場所だよ。」
あなたは来ないの?そんなのいやだ、あなたがいないなら私はここから降りることはできない。
「大丈夫。ボクはほんとうのさいわいがあるところで待っている。」
私には何がしあわせかわからない。どうやってあなたを見つければいいの?
「本当に近づいていれば、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうのさいわいまで遠くない。」
わたしのからだを、だまってあなたに渡せていたならば。どうか神さま。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかいください。
「泣かないで。そうだ、これを見せてあげる」
勢いよく窓を開けたあと、首にかかった瓶から、そのきれいな砂を一つまみ、掌にひろげた。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」
そして、窓の外に放り投げた。
あまりにも美しかった。一つ一つが命の火ようだった。
「終着点でまっている」
あなたは首にかけた小��を私に託した。
わかった。それが私のカルマとして君臨するのか。
どうせなら、あなたに責められたかった。君がもっとはたらいていれば!君がもっと、やすんでいれば!そんなふうに。それでも、私は生きるしかないのだ。
あの日見たように、あなたがしたように。海に砂を放り投げた。
風にのって星は運ばれていく。遥か遠くまで運ばれていく。
あの日とはちがって、少ししょっぱい。海の香りが鼻を穿った。
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しゅうまつがやってくる! / Hafta Sonu Geliyor! - Türkçe Çeviri
Shuumatsu ga Yatte Kuru!
Orijinal - Çevirili video
Sasakure.uk (ささくれUK) feat. Kagamine Rin 鏡音リン
国のエラい人こぞって机とにらめっこ
Ülkenin büyük insanları masalarına bakıyor.
何も進展(かわら)ないよ
Hiçbir şeyi değiştirmiyorlar.
知ってる現実(こと)だけ知らんぷり
Sadece gerçek olduğunu biliyorlar.
偶然だね、とウソをついて
Bugün de sokağın köşesinde, bunun bir tesadüf olduğunu söylersem yalan olurdu.
きみのひだり キープ
Soluna doğru saklıyorum.
5分と笑顔が宝物
5 dakika süren mutlu gülümseyişin hazinemdir.
“世界が”どうなっちゃうとか
“Dünya”ya neler olacak diye düşünsem
全然実感わかないよ
Hiç nasıl hissederim bilemiyorum.
ただ君との距離が今、肌と両手に伝わる
Yine de senin yanındayken ellerim ve tenimdeki his
幸 福 感
beni mutlu ediyor.
終末がやってくる!
Son geliyor!
そんなこと別に 興味ないんだ
Bu tür şeyler beni ilgilendirmiyor.
週末がやってくる!
Hafta sonu geliyor!
今度こそ想い 伝えなくちゃ
Bu kez, duygularımı iletmeliyim.
世紀末の大予言も
Yüzyılın sonundaki büyük son kehanetleri
オオハズレ 人類ビックリです
yanlış çıktı ve insanlık bu duruma şok oldu.
シュウマツロンだって きっと
Bunlar SON hakkındaki tartışmalar tabi ki.
宇宙人?かなにかのイタズラでしょ?
Uzaylılar mı? Şaka yapıyor olmalısın?
国のエラい人こぞって机とにらめっこ
Ülkenin büyük insanları masalarına bakıyor.
何も進展(かわら)ないよ
Hiçbir şeyi değiştirmiyorlar.
知ってる現実(こと)だけ知らんぷり
Sadece gerçek olduğunu biliyorlar.
君は 突然さ
Sen, ani bir şekilde
『遠く』に行ってしまったんだ
『Uzaklara』 gittin.
大人たちのヒトコトで
Yetişkinlerin söyledikleri şeyler
幸福論なんてチリ紙で
kalan umudumu kağıt gibi parçaladı.
“世界が”なんて知らないよ
Daha "Dünya" nedir bilmiyorum.
「戦争?」「天災?」知らないよ
「Savaş?」mı「doğal nedenler?」mi bilmiyorum.
ただ君との距離が今、肌と両手に伝わる
Yine de senden uzakta olunca ellerim ve tenimdeki his
喪 失 感
Seni kaybetmiş gibiyim.
終末がやってくる!
Son geliyor!
そんなことホント 興味なかった
Bu tür şeyler beni ilgilendirmiyor.
週末がやってくる!
Hafta sonu geliyor!
どうしよう気持ち 伝えなかった
Ne yapmalıyım, nasıl hissettiğimi sana söyleyemedim.
抑えきれない想い
Bastıramadığım duygularımı
願い 夢 うたをつめこんだ
Dileklerimi, hayallerimi, şarkılara boğdum.
✉(てがみ) 一つじゃ足りないの
Bir tek MEKTUP yeterli olmayacak.
どれだけ書いても 伝わんないんだ もう
Ne kadar yazmış olsam da artık sana anlatamayacağım.
両手じゅう想いのピース
Ellerimde tuttuğum, hislerimin parçaları
『送る相手?』知らないよ
『Gönderilecek kişi kim?』Bilmiyorum.
それならば いっそのこと
Eğer öyleyse yapılacak en iyi şey
世界中にばらまいてしまおうか?
Onları Dünya'ya mı yaysam acaba?
しゅうまつがやってくる!
Hafta sonu geliyor!
愛のうた ひとつ いかがですか
Bir aşk şarkısı nasıl olmalıdır acaba
どこかのだれかがちょっとでも
Bir yerde, birisine küçük bir
笑顔になれるよな 世界なら
tebessüm getirebilmeyi sağlayabilirsem bu dünyada.
終末がやってくる!
Son geliyor!
君はもうやってこないのにな
Sen artık geri gelemeyeceksin.
週末がやってくる!
Hafta sonu geliyor!
君はも��やってこないのにな
Sen artık geri gelemeyeceksin.
終末がやってきても
Son geliyor olsa bile
もう二度とこないで 大嫌い
(Senin) Bir daha gelmiyor olmana nefret ediyorum.
週末がやってきても
Hafta sonu gelse bile
もう二度とこない だれかの笑顔
Bir daha kimsenin gülümsemesi gelmeyecek.
しゅうまつがやってくる...
Hafta Sonu geliyor…
しゅうまつがやってくる...
Hafta Sonu geliyor…
しゅうまつがやってくる...
Hafta Sonu geliyor…
しゅうまつがやってくる...
Hafta Sonu geliyor…
終末(Son) ile 週末(Hafta Sonu) kelimelerinin okunuşu shuumatsu olduğundan kelime oyunu yapılmıştır.
Şarkının sonundaki mektupta きみときみの あいするひとへ yazılıdır.
“Sen ve Değer verdiğin(Sevdiğin) kişiye...”
Vocaloid'ler Felaket Gününü Düşünürler mi? isimli seriden.
İlgili şarkılar(Türkçe çevirili videoları ile birlikte):
*Merhaba, Gezegen.
16bit SavaşlarımıZ (Bu videodaki çocuğun bakış açısından.) Orijinali
↑ Çeviri @translations-of-alexandra tarafından yapılmıştır.
Son düzenlenme tarihi 23 Mayıs 2024.
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木田金次郎 - Wikipedia
木田 金次郎(きだ きんじろう、1893年7月16日 - 1962年12月15日)は、北海道岩内町出身の画家。 有島武郎の小説「生れ出づる悩み」のモデルとなった画家で[1]、自由奔放な作風によって同町の自然を数多く描いた。
生れ出づる悩み - Wikipedia
『生れ出づる悩み』(うまれいづるなやみ)は、有島武郎による小説。 1918年(大正7年)3月16日から4月30日まで『大阪毎日新聞』と『東京日日新聞』にそれぞれ三十二回にわたって掲載
自分の仕事を神聖なものにしようともがいていた「私」は、さびしさのあまり「君」のことを思う。かつて絵を持ち込んで妙に力強い印象を私に残し姿を消してしまった「君」であったが、十年の後手紙とスケッチ帳を送ってくる。 見事に成長した「君」は「私」との再会の一晩に姿を消してからの生活と芸術の悩みを語る。翌朝すぐ帰っていく「君」を見送ると、「君」の話した内容を元に「私」は同感の力をもって「君」の生活と苦悩を書き出して行く。 画家であり有島と深い交流のあった木田金次郎がモデルとなっている。 木田と有島の交流の概要は木田金次郎美術館解説等で見られる他、��田自身の自伝や有島全集の解説などで確認出来る。
青空文庫雨:有島武郎 生まれいずる悩み
「吹雪ふぶいてひどかったろう」
「なんの。……温ぬくくって温くって汗がはあえらく出ました。けんど道がわかんねえで困ってると、しあわせよく水車番に会ったからすぐ知れました。あれは親身な人だっけ」
包みの油紙は雨水と泥どろとでひどくよごれていて、差出人の名前がようやくの事で読めるくらいだったが、そこにしるされた姓名を私はだれともはっきり思い出すことができなかった。ともかくもと思って私はナイフでがんじょうな渋びきの麻糸を切りほごしにかかった。油紙を一皮めくるとその中にまた麻糸で堅く結わえた油紙の包みがあった。それをほごすとまた油紙で包んであった。ちょっと腹の立つほど念の入った包み方で、百合ゆりの根をはがすように一枚一枚むいて行くと、ようやく幾枚もの新聞紙の中から、手あかでよごれ切った手製のスケッチ帳が三冊、きりきりと棒のように巻き上げられたのが出て来た。私は小気味悪い魚のにおいを始終気にしながらその手帳を広げて見た。 それはどれも鉛筆で描かれたスケッチ帳だった。そしてどれにも山と樹木ばかりが描かれてあった。私は一目見ると、それが明らかに北海道の風景である事を知った。のみならず、それは明らかにほんとうの芸術家のみが見うる、そして描きうる深刻な自然の肖像画だった。
生れ出づる悩み 教科書 - 検索 / X
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Mourning a dear friend (verse)
My dear friend A passed away.
We are close in age and met in our early 20s.
A and his friends were eating at a certain natural food restaurant.
I heard someone say, ``Trihalomethane (*1) ...''
Since that was my specialty, I called out to him from behind.
That's the encounter.
He is an acupuncturist, and his girlfriend who was also present
After that, I started working at a botanical garden. The strongest couple.
He is someone who cannot fit into one profession.
Most of the work he has been involved with
Now he can do more than a professional job.
He called me a ``genius,'' but he was a ``super genius.''
If I were to compare him to an animal, you could say he was a ``capable four-legged beast, a bear.''
There were a lot of things going on, and the happy times outweighed the sad ones.
But I said goodbye to him twice.
I thought plants, especially wildflowers, were precious, but
He had a strong air of disdain for wildflowers.
"I'm not as versatile as you think.
If I were to be reborn, I would like to become a chickweed.”
I wrote a letter to him.
A few years later, I contacted him and we resumed our friendship.
However, I wrote my book ``Eating Wildflowers - Nourishment (JIMI)!!''
When I tried to write it, I used the comfrey (*2) item as a sample.
When I sent it to them and asked for their opinions,
“Comfrey is a poisonous plant, people who irresponsibly published it and ate it
Will you be held responsible if they get poisoned? "and.
(Even wild plants with the same poison will not addict you unless you overeat them.)
That's what I thought. Listening to Mr. A's words,
"That's enough," I said and hung up.
After that, I stopped contacting him.
If someone says, "It's too young, Morishita," that's all that matters.
I thought, ``At the time of Chickweed,'' I realized that nothing of A had changed.
I was disappointed.
So I stopped dating. Even so, he still gave me New Year's cards.
Mr. A has left this world.
"Thank you for your hard work, Mr. A. Let's meet again in another world."
BGM: Self-Portrait (Ryuichi Sakamoto)
(*1) Trihalomethane: A carcinogenic substance contained in tap water as a result of chlorination.
(*2) Comfrey: An herb native to Russia. Contains vitamin B12.
(2019.11.21)
畏友を悼む(韻文)
私の畏友・A君が亡くなった。
お互い年齢は近く20代初めに知り合った。
A君たちが某自然食レストランで食事中、
「トリハロメタン(*1)が・・」と話すのを耳にした。
それは私の専門だったので、背後から声を掛けた。
それが出合い。
彼は鍼灸師の卵で、同席していた彼の恋人も
その後某植物園で働くようになった。最強のカップル。
彼はでも1つの職業に収まらない人で
関わったほとんどの仕事で
プロ以上の仕事が出来るようになった。
彼は私を「天才」と呼んだが彼こそ「超天才」だった。
彼を動物に喩えると、「能ある四脚獣=熊」と言えた。
いろいろあった、楽しい時が悲しい時より多かったか。
でも私は2回、彼に別れを告げた。
私は植物、中でも野草を尊いと思っていたが、
彼には野草を蔑む空気が濃厚だった。
「僕は、君が思うほど万能ではない、
生まれ変わるならハコベになりたい」
と彼への手紙に書いた。
それから数年、私のほうから連絡し、再び交遊関係が復活した。
ところが、私が拙著『野草を食べる・滋味(JIMI)!!』
書こうとした時、サンプルとしてコンフリー(*2)の項目を
送って、意見を聞いたところ、
「コンフリーは毒草だ、無責任に本にして、食べた人が
毒に当たったら、責任は取れるのか?」と。
(同じ毒を持っている野草でも、過食しなければ当たらない)
と私は思ったのだ。そのA君の言葉を聞いて、
「もういいよ」と電話を切った。
以後、こちらからは連絡しなくなった。
「青いね、森下さん」と言われればそれだけのことなのだが。
私は「ハコベの時」と、A君はなにも変っていないことに
気付いたのだ。失望したのだ。
それで付き合うのを止めた。それでも年賀状をくれていた
A君はこの世を去った。
「A君、お疲れさま。どこかの世界でまた会おう。」
BGM: Self-Portrait (坂本龍一)
(*1)トリハロメタン:塩素処理の結果、水道水に含まれる発がん性物質。
(*2)コンフリー:ロシア原産のハーブ。ビタミンB12を含む。
#Mourning a dear friend#verse#rei morishita#acupuncturist#bear#chickweed#comfrey#Trihalomethane#Ryuichi Sakamoto
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今年5月、神奈川県茅ヶ崎市にある市立小学校で起きた、小学6年生の男子3人による小学2年生女児への性加害疑惑。25日、集英社オンライン編集部のもとに茅ヶ崎市教育委員会から「関係児童側の情報に係る一部情報開示と、報道に当たってのお願いについて」と書かれたA4用紙7枚にわたる文書が届いた。文書内には、これまで報じられていた加害児童3名と教師たちの“言い分”が7000字にわたり記述されていた。 報道と食い違う茅ヶ崎市教育委員会による情報開示 ことの発端は、9月16日に神奈川新聞が報じた記事だった。 今年5月31日に、小学2年生の女子児童が休み時間に友人と学校の図書室にいたところ、6年生の男子児童3人が近づいてきて、服の上から下半身を複数回にわたって触ってきたという。 同日、保護者が女児の異変に気づき聞き取りをしたところ、トラブルが発覚。後日学校に連絡し、加害男児3人の保護者との話し合いの場が持たれたことが報じられた。 また、被害女児の母親は9月26日に発売された「週刊文春」の取材にも応えており、記事では“事件”について次のように詳報している。 〈図書室で(被害女児である���A子さんが友人と本を探していると、後ろにいた6年生の男子3人が2人の前に回り込んだ。立て続けにA子さんの性器に手を伸ばし、服の上から触って逃げ出した。A子さんたちが図書室を出ると、3人は戻ってきて再び彼女の性器を触って走り去った〉(『週刊文春』2024年9月26日発売号) 一方で、茅ヶ崎市教育委員会から送られてきた文書の内容は、これまでの報道とは食い違う点がある。文書内では、「関係児童側の情報に係る一部情報開示と、報道に当たってのお願いについて」という表題のもと、「1 関係児童側の情報開示について」と「2 各報道機関に対し、今後の報道に向けたお願い」と大きく分けて2つの事柄が記載されていた。 そのうち「関係児童側の情報開示について」では、小2女児の体の一部に触れたとされる関係児童数名への聞き取りなどが、以下のトピックに分けられたうえでまとめられていた。 文書内では被害を受けた女児を「当該児童」、加害した男児たちを「関係児童」と呼んでいる。 ------------------------------------- (1)関係児童側の言い分 (2)謝罪の場のやりとりの内、他のことに関する関係児童の認識について (3)関係児童Bの保護者より、報道機関に情報提供してほしい旨ご要望いただいた内容 (4)以上のご質問の他、関係児童側としては回答を控えさせていただきたいこと ------------------------------------- 加害者として報じられている3人の関係児童への聞き取りは、“お互いの言い分を伝えない段階”で、それぞれ個別に行なったという。関係児童側の言い分としては、主に以下のような点が挙げられている。 ------------------------------------- ●関係児童3人が話す中で、悪ふざけで、すれ違う児童の体に触れようという話になったこと ●関係児童3人が、学校内図書館(いわゆる図書室)内や、その付近の廊下などを練り歩いたこと ●関係児童の内2名は、それぞれすれ違う2人の児童のお腹付近(お腹やわき腹、ベルトを着ける部分のあたりのどこか)を(ぶつかるように/邪魔するような感じ/ハイタッチするような感じで)触れた認識であること ●関係児童の内1人は、すれ違う2人の児童に触れるふりをしただけで、実際にはその体には触れていないこと ●関係児童2人が触れた児童に、共通の児童が含まれるか(1人の児童に2人が触れたか)ははっきりしないこと ●関係児童3人が、触れた/触れるふりをした他の児童には、女子児童の他、少なくとも男子児童が1人いたこと ------------------------------------- 慰謝料に向けた話し合いの場を設けるよう要望が出された また、文書内では「関係児童Bの保護者より、報道機関に情報提供してほしい旨ご要望いただいた内容」として、事件後に設けられた謝罪の場およびそれ以降で、次のような出来事があったことが記載されている。これは、見出しの通り、関係児童Bの保護者からの提案により開示されたものだ。 ------------------------------------- (1)謝罪の場の中で、関係児童の本人や保護者からの謝罪を反省に向けた言葉を受け、話し合いの終盤に、当該児童の保護者から、関係児童らに対し、「君たち(関係児童ら)にも未来があるんだし」 「何か、人の役に立つことをやる。できるんだったら、学校に来ていい」といった発言があった。 (2)謝罪の場の終わりに、関係児童の家庭に対し、慰謝料を請求するつもりである旨の話があり、また学校に対し慰謝料に向けた話し合いの場を設けるよう要望が出される。 (3)学校が教育委員会に確認した上で、学校は教育活動の場であり、慰謝料の話し合いを行うような場ではないことから、そのような話し合いの場の設定はできない旨を回答する。 (4)学校に対し、当該児童の保護者から、関係児童の連絡先や住所を教えて欲しいという要望が出される。 (5)学校が教育委員会に確認したうえで、個人情報保護の関係から、関係児童側の許諾なく学校外の情報は開示できないこと、関係児童側に確認したところ、現時点では開示できないと言われているところだが、許諾をもらうために、関係児童に伝えたいことがあれば教えてほしい旨回答する。 (6)当該児童の保護者から、警察に対し、関係児童の家庭の住所や連絡先を欲しい旨要望があったとして、警察から関係児童の家庭に連絡が入る。(関係児童側の情報提供)これに対し、関係児童の家庭は、開示について承諾をしていない。 (7)教育委員会に対し、本件に係る報道機関からの取材が始まる。 (原文ママ) ------------------------------------- 同文書では、こうした関係児童側の事実確認や情報開示はされているものの、被害者側の視点はまったくと言っていいほど盛り込まれていない。 また、これまでは「下半身に触れた」「性器に触れた」と報道されていたのに対して、茅ヶ崎市教育委員会による聞き取りおよび文書内では、具体的な言及はほとんどない。 さらに、神奈川新聞の記事では、1人でトイレに行くことができなくなった被害児童に対し、担任の男性教諭が「トイレまで(加害者が)来るわけないだろ」と発言したと報じられているが、これに対しては「当該学級担任は、トイレに付き添う場面(女性職員に引き渡すまでのやりとり)で、記事にあるような発言をしたことはないと述べており、また、別に確認した付き添いをしている女性職員もそのような発言を聞いたことはないと述べております」としている。 なぜ、このような食い違いが起こるのか。また、なぜ関係児童側の言い分のみをまとめた情報を開示したのか。改めて、茅ヶ崎市教育委員会の担当者に電話取材した。 被害児童の保護者も目にしていると思いますが… ――被害児童と関係児童(加害側)で、触れ方や触れられた箇所にかなりの差異があります。この違いについて、どう認識されていますか? 被害児童と関係児童で認識が違うことは、当初からお互いにわかっている状況ではあります。今回は、どちらが正しいのではなく、お互いの言い分というところで(書面を)出しています。 ――この文書は、当然ながら被害児童の保護者も目にしていると思いますが。 この文書自体は見せていませんが、関係児童の聞き取りをまとめた同じ内容の文書は見ています。その際、「こちらの認識とは違う」というお言葉もいただいておりますが、児童の保護者の了承を得たうえで、情報開示しています。 ――文書内では、関係児童への聞き取り結果のみが記載されていますが、被害児童側への聞き取りは行なっていないのですか? (被害児童への聞き取りは)行なっていません。児童を連れて病院の診断を受けた保護者より「被害に遭った状況を想起させないことが大事」と言われているので、学校としてもそれを避けるために、被害児童に対しては聞き取りを行なっていません。ですので、(被害)児童から直接的に話を聞いているのは、親御さんのみになります。 ――被害児童は現在、通常どおり登校できているのでしょうか? 夏休み明け初日は休んだものの、2日目から登校していました。しかし、神奈川新聞の記事が出た翌日の9月17日から登校できていない状況です。 ――今後、被害児童への聞き取りやケアなどはどうされていくのでしょうか? 学校から保護者に連絡を入れたり、学習の内容を届けたりしている状況です。児童が登校できるようになるまで、毎朝、教頭が校門で児童を待って教室まで送り届けるだけでなく、 教室に「ふれあい補助員」を1人配置し、担任以外も児童を見守れるような状況にしています。 また、児童がトイレに行く際に付き添えるように女性教諭を用意したり、女性の教育相談コーディネーターを配置し、何か困ったことがあるときにいつでも相談できたりするような環境をつくっています。 被害児童側と関係児童側、どちらの発言が正しいかは、現時点では判明しない。しかしながら、被害を訴えている人間がいる以上、現時点で関係児童の言い分だけを情報開示するのは、あまりにも中立性に欠けると言えるのではないか。 茅ヶ崎市教育委員会には、被害を受けたとされる児童に対する十分なケアを含めて、しっかりとした調査を願いたいものだ。 ※「集英社オンライン」では、今回の記事に関連して、学校に関するいじめやトラブルなどの情報を募集しています。下記のメールアドレスかXまで情報をお寄せください。 メールアドレス: [email protected] X @shuon_news 取材・文/河合桃子 集英社オンライン編集部ニュース班
《茅ヶ崎・女児の性被害疑惑》「悪ふざけ」「ハイタッチする感じ」被害女児と“食い違う”加害男児の主張を市教委が文書で発表。「慰謝料を請求」の文字も…被害者側の主張は盛りこまれず (集英社オンライン) - Yahoo!ニュース
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戦闘服の男たち No.1 裏話
1982/S57/3 入隊(2等陸士)
1983/S58/1 1等陸士
“ 「遠くで突撃喇叭が」
1984/S59/1 陸士長
1985/S59/3 1任期継続
” /7 「戦闘服服の男たち」
1986/S60/2 陸曹候補生(陸曹教育隊前期4〜6)
1987/S61/1 3等陸曹
“ /2 「続 戦闘服の男たち 俺を見よ俺に続け」
自分の昇任と作品を並べるという暴挙をしてみました。詳しい方以外はなんのこっちゃという一覧表ですが、リアルタイムで経験を小説に落とし込んでいるのがわかります。
「遠くで突撃喇叭が」は新隊員教育の感動とプラトニックなラブのノンフィクションでした。
「戦闘服の男たち(No.1)」陸曹になって職業軍人になろうか、なれないかという実際の思いを記したものです。嘘っぽいセックスの描写はあっと驚く実話で、これがあったこそこの小説ができたと言っても過言ではありません。書いてスッキリしたところで、陸曹候補生試験は主人公より早く、一選抜で合格しました。
この作品より新兵器日本語ハンドヘルドコンピュータと世界初のポータブル漢字プリンターで作品を打っています。それをサン出版に出したところ、それがそのまま…つまり24ドットの原稿のまま雑誌に掲載されてしまいました。たぶんさぶの誌面では最初で最後だと思います。
原稿の修正は不可能なので、誤字、脱字そのまんまです。保存もフロッピーディスクなぞ���価で買えなかったので本体内蔵のマイクロカセットでした。
今回はiPhone のメモアプリによる撮影によるテキストスキャンを使い、雑誌を撮影。40年ぶりに構成、修正しましたが、やはり誤字、脱字で赤面モノでした。いや、まだあるかもしれません。
ちなみに一般的なパソコン用ワープロソフト「一太郎」発売されたのは1985年、同じ年でした。漢字が使えるOCRも一般的では無く、出版会社もその使い方がわからなかった時代です。
サン出版では当時原稿料は400字詰め原稿用紙で計算されました。そこで次の「続戦闘服の男たち」から原稿用紙に直接プリントアウトする方法にしました。こういう話をすると、国家公務員法に抵触しますが、時効という事で…
時を経て2009年この作品がG-men に再掲載されることになりました。
このきっかけは何を隠そう高畠次郎君です。
高畠次郎の単行本を出したいので次郎君に話しをして欲しいと…
当時G-men 編集部は次郎君と、意見の違いがあり話しができる状態ではなかったみたいです。しかも次郎君は家庭の事情で、作品を家に保管できない為多数の作品を俺が所持してました。もちろん次郎君に勝手に編集部に渡す事はできません。そこで編集部と次郎君の橋渡しをすることになり、その話の進む途中で「戦闘服の男たち」の掲載が持ち上がったのです。
そこにも、次郎くんのイラストの新作を入れる話で。そのイラストは「続戦闘服服の男たち」で掲載されました。
なおこの時の原稿読み取りはさぶ掲載誌からOCRで読み取りパソコン(MAC)で行ってます。
さらに国会図書館に高畠次郎の単行本を送り込む作戦は成功しました。
雑誌が続々休刊する現代ではできない事です。
貴重なサイン本いただきました。
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日記(心情吐露)
ふあんふあんふあんふあんふあんふあんふあん なぜ不安?いまだに遊ばれてるかも?てかちゃんと好かれてる?こう言う時ってねぇ〜〜〜寂しい〜とさ不安〜〜〜とか送ってもいいものなのか?私が相手の立場だった場合、遊んでる時or飲み会中にこんな内容を送ってこられたら萎える。だから送らない。けど、も、わかってる。他趣味を充実させろって、でも何か違う。多分ここに書いてることが私の本当の不安や悩みやストレスじゃない。だってこんなに書いても(すでにコピー用紙2枚殴り書き���み)スッキリしない。心が鉛みたいに重い。なんで?何が原因?自分でもわからないみたい。恋ってこんなもん?思い出してみて、元彼と付き合ってすぐを、不安だったな、普通に。今と変わらず、そんなもんか、恋愛って、確か、確かだよ。不安だったか実習だったかのストレスでピアスを開けた記憶がある(今また開けようとしている)皮肉だよね。
この2年くらいでいろんな男と出会う中で絶対に幸せというより私のこと不幸にはさせないだろうなって男はたっっっっくさんいたのに結局その誰にも心から惹かれることはなかった。うまくはいかなかった。結局は自分から不幸の道、破滅の道を選んでるんだよ。しょうもない人生だな。結局感情に揺さぶられることでしか、セロトニンを生成できないし、生を実感できないんだろうな。生きていく上でかすり傷すら負いたくないって思ってるけど、かすり傷すらつけてこないような、は?笑顔でお前の性器を見れる自信なんてあるわけないだろみたいな人間的な魅力はある人を私は選ぶことができなかったんだな。人は見た目じゃない!なんてぬるま湯に浸かって愛されて生きていくのも案外いいよなんて言う君はずっと天国に憧れて生きていけばいい。きっと私は刺激と不安と快楽に溺れて己が手で地獄を選択してしまうことでしょう
DV、モラハラを一度でも経験すると今後の人生そのタイプの男しか選べないと言うのは共依存という甘い蜜を啜ったツケなのでしょう。唐突だけど、私は白色が好き。何にも染まっていない色だから、染まったらすぐわかる色だから、私の心の中はいろんな考えと不安と悩みと好きなもと色んなもので真っ黒に茶色にピンクに水色に染め上げられている。誰かが私の心をみて慰めてくれるかもしれない、誰かは芸術的!と言ってくれるかもしれない。私はただ私自身を認めてあげたい。今よりとっと、ああやっぱりまたここに帰ってきてしまう。結局全ての原因は私が私を心から認めてやれてないからかもしれない。昔よりは自分のこと好きになったけど、恋愛するとてんで自信がなくなる。恋愛スキルとか容姿とかそういうのだけじゃなく、全てが全て不安になる。私の心を無視してしまう。かといって好きな人に呼ばれたら終電も風呂もご飯を仕事だって全て放り出せるほど私は欲に忠実ではない。テルちゃんみたいに好きな人に一途に走っていけたらきっと結果がどうであれ幸せなはず。でも私はテルちゃんにはなれず、かといってようこさんにもなれない。恋愛をバカにしたり、恋愛を励みに何かを頑張るなんてこともできない。綱引きの真ん中についた目印にみたいに、本能と理性の狭間で揺れている。そらしんどいわけだよ。多分私は、彼の対応にストレスを感じているのではなく(もちろんストレス源は彼)彼の対応を通じて自分の心の未熟な、未完成なところを見てしまっているからなのだろう。彼に対してすべきこと、言うべきことは先ほど書いた通りあった時に聞く。あとは私の心の未熟さが原因だから、ストレスを感じたら飽きが来るまでこうやって書き殴る。ごちゃごちゃのぐちゃぐちゃだった頭が少し楽になった気がする。綺麗に書かなくたっていい。綺麗な感情じゃなくたっていい。これがありのままの私。
A4用紙5枚分に本音を書いても涙が出てこなくなった。本音を吐き出すのが上手になってきた。その調子だよ。私。
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『光る君へ』第25回「決断」:メモ
所謂「考察」にはさほど関心はないが、「行間を読む」のは愉しくて仕方がないので、今週の『光る君へ』(第25回「決断」)は「The 行間」の回で、クラクラするほど愉しめた。例を挙げるなら、①道長が一条天皇に「辞表を叩きつける」場面。②蔵之介(役名忘れた)が、道長に「結婚の報告」をする場面。③まひろさんが、蔵之介から「左大臣(道長)に結婚の報告」をしたよ、と聞かされる場面。④百舌彦(本多力)が届けてきた〔道長からの結婚祝い〕に入っていた手紙が〔道長の直筆ではなかった〕ことが分かるところからの最後の場面まで。行間、行間、行間の嵐。特に、③のあとの「無言・無BGMの十数秒」は秀逸。いや、①の「許さない」道長もよかったなあ。
更に、野暮なことを色々書けば、最初の方で、まひろさんが越前で見上げた月が、モノすごーく遠くにあるのに、その直後に道長が京都で見上げている月は、(昔のまま)割と近くて大きい。これは、勿論、まひろさんにとっての道長との「心理的距離」と、道長にとってのまひろさんとの「心理的距離」以外の何物でもない。直後に、道長が自分の子供達と「イチャついている」場面を挿入する、視聴者フレンドリーな演出。
あと、蔵之介が、わざわざ道長に「結婚報告」をしたのは、まず道長に「まひろとは心の縁を切れ」というメッセージを送り、それを受けた道長が、ちゃんとまひろさんに「直筆ではない手紙」を送ることで「僕らの恋はもうオシマイですよ」を伝え、結果、まひろさんが蔵之介との結婚を決意するという流れを、二人よりも「大人」の蔵之介が作っているということ。「忘れえぬ人」を「とりあえず」忘れてもらわないことには、まひろさんはいつまで経っても蔵之介と結婚はしないからね。でも、これは蔵之介の悪意ではなく、或る種の「優しさ」だろうなあ。まあ、京極夏彦的に言えば、まひろさん(と道長)「憑き物を祓った」ということ。
そうそう。同僚たちにせっつかれて、「じゃあ、私がきつく意見しよう」と、左大臣(道長)に直談判にやってきた右大臣が、結局、腰砕けになってよくわからない挨拶をして帰ってしまう場面も好かった。このドラマは、僅か数文字の和歌に感嘆するような「察する能力の高い者たち」が主人公のお話なので(「人殺し」たちが主人公のいつもの「大���」とは違う)、きつい意見など何ひとつ口にせずモニョモニョ言って帰って行っただけの右大臣の行動の「真意」を、道長はちゃんと「察して(理解して)」(右大臣以下の者たちも我慢の限界にきてるんだなあ)、お上に「最後通牒」を突きつける決断をする。あの場面とかも、右大臣の情けないキャラを描いているようで、実は、道長の「能力」の高さ(安倍晴明の言うところの「よいもの」)を描いている。
そうそうそう。安倍晴明に「よいものを持っているのだからそれを使え」と言われた道長が、具体的にはっきり言ってもらわないと、何のことだか分からない、と答える場面は、「巨人」とクーパー捜査官のやり取りを連想した(『Twin Peaks』ファン限定)。まあ、「よいものをお持ち」で最初に頭に浮かぶのは、初対面のララァを評して言ったシャリア・ブルの言葉の方だけど(『ガンダム』ファン限定)。
いずれにしろ、明日の第26回が楽しみだなあ。
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KANさんへ あなたの新米ファンより
送るあてのないファンレターを書くのは、これが初めてです。
KANさんの音楽が、これからもたくさんの人に響きますように。
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KANさんへ
初めてお手紙を書きます。
「愛は勝つ」の人(らしい)。
世間大多数の人と同じく、これまでKANさんのことをそう思っていました。
ただ、Juice=Juiceの「ポップミュージック」をKANさんの提供曲だと知らずに気に入っていた私は、遅かれ早かれ、その音楽とどこかで深く交わる人生だったのかもしれないと思います。
そして、そのきっかけは昨年11月の訃報でした。
訃報を機に、KANさんのファンの方がSNSでプレイリストをシェアされていました。
それを頼りに曲を聴くうち、その奥深い音楽に魅了され、あっという間にファンになってしまいました。
訃報のたった3日後には、楽曲の感想をSNSに綴っていたので、本当にあっという間に好きになっていたんだなと思います。
それから今日に至るまで、音楽を聴くときはKANさんの曲ばかり聴いており、時間の経過に比例して好きな曲もどんどん増え、感想をスマホのメモに書き溜める日々を過ごしています。
そして、この断片的な思いをなにか形にできないかと思い、こうしてファンレターを書こうと思いついた次第です。
たった3日で好きになった、その理由
>自然体から滲み出る豊かな音楽、品があって、心にすっと馴染んで、、、 >まだまだ全部聴けてない、こんな音楽に出会えて良かったな
訃報の3日後に綴ったこの感想は、今も変わっていません。
最初に聞いたのは、先のプレイリストのランダム再生でした(当時はSpotifyの無料会員で、ランダム再生しかできなかったため。KANさんの曲を自由に聴くため、数日後にはプレミアム会員になりました)。
「23歳」(アルバム)や、「カレーライス」「世界で一番好きな人」が流れていたので、おそらく、リリースが新しいものを中心に再生される仕組みになっているのだと思います。
その時に聴いて印象に残っているのが、「23歳」に収録されている「君のマスクをはずしたい」。
一歩間違えば"強い思想をお持ちの方なのかな、、、"と引いてしまいそうな、センセーショナルなテーマですが、
"この人はそんな大げさなことを言いたいわけじゃなくて、自分の生活の中で素朴に感じたことを歌にした、それだけなんだろうな"
と、根拠はないけれどそう理解できたのが、自分でも不思議でした。
ハードロックサウンドの曲��ありながら、どことなく品があると感じたことも印象的でした。
また、ランダムに流れてくる曲を聴きながら思ったのは、シンプルで分かりやすいけれど、でもKANさんの中にある豊かな音楽が曲に滲み出ているということ。
実際のところ、楽曲には音楽的に様々な工夫がされていて、緻密な計算により、結果としてそれが違和感なくシンプルに聞こえているだけ、ということを後に理解するのですが。
耳につくようなわざとらしい奇抜さはなく、自然体でいるように聴こえるけれど、実は、一朝一夕には真似できない奥行きがある。
懐の深い音楽だなあと思います。
初めての音楽に出会うときは、いつも決まったイメージが自分の中に浮かびます。
自分の心に、聴いている音楽が染みこんでくるようなイメージです。
"この音楽は自分に向けて歌われてないな"と感じる場合は、触れ合った部分が反発し合って、まったく染み込まない。
"いいな"と感じる場合は、心の表面から深いところに向かって、"いいな"の度合いに比例して染み込む。
これで言うと、KANさんの音楽は、私の心の深い部分に入ってすっと馴染んで、初めて聴くはずなのに、ずっと前から知っていたように感じます。
私の心との親和性の高さに、もしかしてKANさんは遠い親戚だったんじゃないかと、もはや血のつながりを疑ってしまうレベルです。
実際には血縁関係はなく(当たり前)、でもそう思わせるような音楽、それがポップということなのかなと思ったりしました。
耳馴染みがいいけど、ありきたりじゃない。
ありふれているようだけど、ここにしかない。
これが、私がKANさんの音楽を好きになっていった最大の理由かなと思っています。
最適解が出せる人
つい最近聴き始めたばかりの私が、KANさんの音楽のすべてを理解できるわけもないですが、今日まで聴いていて感じるのは、様々な角度から、音楽について常に最適解が出せる人だということです。
ダジャレの数々やおっぱいだのなんだのっておっしゃる様子に惑わされがちなんですけど、すごく理性的に音楽を整理される方という印象です。
①ソングライターとしての最適解
メロディーと歌詞のピッタリ加減が天才的ですよね。
どの曲もそうですが、私が特にそう感じるのは「彼女はきっとまた」のAメロと、「レジ子スターの刺激」のAメロです。
「彼女はきっとまた」は、メロディーに歌詞がピタッとはまっていて、一緒に歌っていると楽しくて気持ちがよくて。
レジ子スターなんか、レジを通した時の金額を並べているだけなのに、この歌詞以外考えられなくなってしまいました。
曲先なのか詞先なのか、どちらにせよ音と言葉がバッチリはまっていて、この曲のあるべき姿、最適解はこれなんだと感じます。
②プロデューサーとしての最適解
"プロデューサー"という表現が合っているかは分かりませんが、アルバムを1つの作品としてプロデュースするセンスが素晴らしいと思います。
私の思う最たる例が「23歳」です。
ひとつひとつの曲が良くてバラエティに富んでいて、それがアルバムにまとまるとパッチワー���のように、近くで見ても離れて見ても美しくて。
洋楽邦楽、幼少期から現代まで、KANさんが今まで影響を受けてきたアーティストへのリスペクトも感じます。
ビートルズからきゃりーぱみゅぱみゅまで、1つのアルバムにこんなに幅広いアーティストの要素を盛り込めるのは、KANさんくらいでしょうね。
そして、曲ごとの個性を生かした緩急ある曲順で、最初から最後までおいしくいただけるコース料理みたい。
CDジャケットはポップで品が良くて、かわいさもある。
すべてにおいて最適解、私の思う”名盤”のお手本みたいな1枚で、素晴らしくて大好きです。
結果としてKANさんの最後の作品となりましたが、私はKANさんの音楽を初めて聴く人にもおすすめしたいです。
③歌手としての最適解
そのアルバムの最後の曲「エキストラ」。
この曲は、元モーニング娘。の譜久村聖さんがカバーされている動画も拝見しました。
譜久村さんはこの曲の主人公になりきるような表現で、"もう絶対に叶わない恋の辛さ、でも、、、好きです。"と強く伝わります。
なんかもう折れちゃいそうで、抱きしめてあげたくなる感じで切なくて素晴らしいのですが、KANさんの表現はそれとは違って。
KANさんの歌は、聴き手が心の奥底にしまい込んで、自分でも忘れてしまっていたような感情を丁寧に拾い上げて、やさしく包み込んでくれる、そんな風に感じました。
それはまるでカウンセラーみたいで、私につられて泣いたりせず、あくまでプロフェッショナルに、でもありのままの感情を認めて抱きしめてくれるような、そんな安心感。
実は私、つらかったんだな、悲しかったんだな。
KANさんの歌に包まれていると、自分のそんな感情を認めることができて、そしてその思いにひとつ区切りがつけられそうな、そんな感じがするのです。
”どうしてそんな風に感じるんだろう”と思い、この曲をしばらく聴いていたのですが、あることに気が付きました。
一緒に歌っていると、"ここは感情をこめて歌い上げたら気持ちいいな"と私が思うポイントで、KANさんはそうしていないんです。
歌詞にこめられた感情に呑まれすぎず、少し俯瞰したような歌い方は物語の語り手のようで、それは聞き手に寄り添ってもいて。
歌っている・演奏している自分の気持ちよさよりも、聴き手に心地よく、楽曲がより伝わる表現を選択していく。
それは真似しようとしても一朝一夕で出来るものではなくて、表現者として過ごしてきた年月あっての絶妙なバランス感覚だと思いました。
そして弾き語りの人
「弾き語りばったり#19」(アルバム)の「よければ一緒に」では、そんなプロフェッショナルが面白くなっちゃって笑う、かわいい一面も垣間見させてもらいました。
これまで、KANさんがピアノを弾く人だと知らなかったのですが、弾き語りのライブアルバムが本当に素晴らしくて、それがさらにKANさんへの"好き"を加速させました。
弾き語りのアルバムは2枚リリースされていますが、特に「弾き語りばったり#19 今ここでエンジンさえ掛かれば」での演奏は目を見張るもの��あります。
もちろん、もう1つの「弾き語りばったり#7~ウルトラタブン~」も良くて、「REGRETS」や「Songwriter」はオリジナルよりこの弾き語りの印象が強いですし、「朝日橋」の緩急あるドラマチックなイントロも素敵。
素直でまっすぐなピアノに好感を持ち、(私が#7より前の演奏を知らないためかもしれませんが)弾き語りの原点という印象を受けました。
ですが、#19は私の中でちょっと特別です。
まず、#7と比べてピアノ上手くなってませんか?
一段階、いやもっとかもしれない、何段階もレベルアップした表現は自由自在。
フレーズに緩急があり、歌とも一体感があり、流暢で芸術品のような完成度。
私が特に好きなのが「ひざまくら〜うれしい・こりゃいい・やわらかい〜」のピアノで、歌に寄り添ったり、伴奏になったり、歌の合間にちょっとしたフレーズを聴かせたり、、、
次々に役目が移り変わる様子が楽しく、間奏のジャジーな雰囲気もかっこいいです。
ピアノの上手さだけで言えば、KANさんよりも上手なピアニストはいると思うけれど、KANさん自身がピアノを弾き、歌うことでしか表現できないものがある。
びっくりするような派手なテクニックは披露されていないけど、ひとつひとつの音から、上質なポップが滲み出ている。
楽曲の芯の部分がダイレクトに感じられて、これがKANさんの真骨頂なんだと感じます。
そして「愛は勝つ」のような大ヒット曲を出した人でも、その実績に甘んじることなく、貪欲に音楽を学び続ける姿勢がそこから見てとれました。
それがKANさんのミュージシャン人生ということなのかな、と思って聴いています。
生でこのピアノの音を聴いてみたかったな。
「よければ一緒に」で"はい"って促されて、いっしょに歌ってみたかったな。
それが叶わないのは決してKANさんのせいではなく、私がKANさんの音楽に出会うのが遅かったから。
なんでもっと早く気づけなかったんだろう。
これから一緒に
去年のクリスマスは、KANさんの音楽とともに過ごす、初めてのクリスマスになりました。
再生している曲名を確認しようとスマホをポケットから取り出すと、着ていたダウンから抜けた羽根が、画面にくっ付いていました。
再生画面の"KAN"の文字の両脇に、カタカナのハの字に羽根がくっ付いているその様子は、まるで天使でした。
KANさんはたびたび、背中に羽根が生えた姿を披露されていたようですが、私の前にも舞い降りてくださいましたね。
KANさんを応援されてきた方々は、慧眼の持ち主だと思います。
私は出会うのが遅すぎて、KANさんのアーティスト活動を支えることができませんでした。
訃報ありきの再評価なんて、勘弁してくれって感じですよね。
だったら、生きてるうちからもっと応援しろよ、って感じですよね。
どこか後ろめたさも感じていた、KANさんとの出会いのきっかけ。
でも、都合のいい解釈かもしれないけれど、このクリスマスの出来事は、こんなリスナーのことも肯定してもらえたように感じたのです。
サブスクで配信作品の一覧を見て、そのキャリアの長さに驚くとともに、たくさんの曲を残してくださったことに感謝しています。
KANさんの作品は聞き流すのではなくて、アルバム1枚ずつ、一曲一曲と大切に出会っていきたいと感じるので、サブスク解禁が後発組の曲は、今ゆっくりと聴きすすめているところです。
とっておきのチョコレートを、わくわくしながら慎重にひとつ選んで、口に入れるような日々。
愛おしい曲が日々増えていくことがとても嬉しく、まだまだ出会えていない素敵な曲があるのだろうと思うと楽しみです。
「愛は勝つ」の大ヒットをリアルタイムで体感していない私。
私の中のKANさんは、訃報が報じられた昨年の11月17日から息づき始めました。
だから、私の中にいるKANさんと、もうこの世にいないKANさんは同一人物なのだと、分かっているつもりではありますが、やっぱりうまく理解できないままで、お別れするタイミングを逃してしまいました。
楽曲がこれ以上増えることがないのは淋しいけれど、私のこれからの人生のあちこちが、KANさんの曲で彩られていくような予感がしています。
これから一緒に、私の人生を過ごしてもらえたら嬉しいです。
2024.6
KANさんの新米ファンより
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柔らかな熱
僕がこの世界に生きている証
体育祭なんて、誰ひとり楽しいと思っていないのだから、とっとと廃止すればいいのに。
痩せた脚のせいで徒競走で転んで、ひとり手洗い場でハンカチで膝の血をぬぐっていた。ああ、またかっこ悪かった。しかもこの中学の全校生徒、先生たち、保護者たちの前で。
冷たい水分が擦り傷に響く。思わず顔を顰めていると、「城木くん、だっせえ」という声がして振り返った。いつもの何人かのクラスメイトがいて、僕はぎゅっとハンカチを握る。
その中のひとりの手が蛇口に伸びて、きしむような音を立てて水音が止まった。
「向こうつまんねえから、つきあえ」
前髪の隙間から目だけ動かして、そう言ったクラスメイトを見る。
こちらを見る目は、嗤ってすらいない。本当に、ただ怒っている。くそつまらない体育祭にいらついている。僕がうざいとか、そんな感情すらない。ゴミ箱や便器に向けるような、汚物を嫌悪する目──
背中を押されて、囲まれて、静まり返った校舎に入った。「かったるいよなー」とか「親は来るなっつったのに」とか、うんざりした言葉と足音が廊下に響く。
一年二組。僕たちの教室にたどりつくと、「また転べよ」と肩を突き飛ばされて、前のめりになった僕は転ばず立てそうだったけど、わざと床に膝について座りこん��。
擦り傷が痛覚に刺さる。笑い声がぐるぐる降ってくる。
「マジ城木だせえ」
がつっと肩胛骨のあたりを蹴られて、脇腹も鋭く爪先でえぐられる。小さくうめいて、上履きの臭いが染みついた冷たい床に顔を伏せてうずくまった。頭、背中、腰にいくつも嘔吐のように足が飛んで、まだ治っていない軆じゅうの痣を踏み躙る。
目をつぶって、唇を噛んで、こぶしを握って、頭蓋骨に直接響く攻撃に耐える。上履きの臭い硬いゴムの靴底が、全身を強く穿って、本当に軆に穴が開くんじゃないかと恐怖がこみあげる。
虚ろになる頭に、校庭の次の競技の放送がぼんやり聞こえる。熱中症に厳重注意の日射しが、教室に白くあふれている。
いつまで吐き捨てられていたのだろう。気づくと、教室に取り残されていた。
ぐらぐらして取り留めのない声をつぶやいて、ゆっくり起き上がった。体操服をめくってみると、内出血がべったり広がっていた。少しカッターで切れ目を入れれば、血管から破裂しているその血がほとばしるのかもしれない。
ため息をついて、自分の席にまで這いずっていくと、椅子によじのぼって座った。背もたれに寄りかかろうとすると、腫れた感触がずきっと脊髄を刺した。だからつくえに顔を伏せて、丸くなって、乾いていく瞳で日がかたむくのを見つめて教室で過ごした。
緩やかに赤く焼けていく空の下で閉会式が行われたあと、生徒はいったん教室に集まって、参加賞のノートと鉛筆、そして紅白饅頭が配られる。
勝ったのは紅組だった。得点に一番貢献したクラスには、賞品が贈られる。もちろんそれは僕のクラスではなかったし、それどころか僕は先生に不在を知られていたらしく、「城木くんにはこれはあげられません」と参加賞をもらえなかった。
だって、みんなが、僕を。
言いたくても、絶対いつも言えなくて、僕はうつむいて「はい」とだけ言った。先生は教壇で今度作文を書くこととかを話して、すぐ解散を言い渡した。すぐに日は落ちて、怪我した脚を引いてひとりでたどる帰り道は、もう暗かった。
住んでいるマンションのそばにまで着いて、明日回収の生ゴミが積まれたゴミ捨て場の前を横切ろうとしたときだった。不意に泣き声が聞こえた。子供の泣き声に聞こえた。あたりを見まわし、その声はすぐ足元からだと気づいてびくっとする。
でも、そこにいたのは子供ではなかった。口をきつく縛られたビニールぶくろを破って、頭だけ出している焦げ茶の猫だった。
ほっとしてから、しゃがみこんでみた。飼われていた猫だろうか。ほとんど警戒しなくて、頭を撫でると嬉しそうに鳴いた。ふくろに入れて、口を縛って、生ゴミと一緒に置いておくなんて──
「ひどいね」と小さく言っても、緑色の瞳は無垢に開かれている。僕は猫をがさがさとふくろから出してあげた。そして立ち上がろうとして、振り返って、また身をかがめてしまう。
猫が哀しそうに鳴いた。ペットは飼ったことがないから、猫のつらい鳴き声がこんなに泣いている子供の声に似ているのは、初めて知った。
ふかふかした軆を抱きあげてみると、連れて帰りたくなったけど、マンションだからもちろんペットは禁止だ。どうしよう、と動くに動けず、ただその猫の頭を撫でていた。とりあえず生ゴミの臭いから離れて、マンションに隣接している公園に行った。
街燈だけ灯って、誰もいない。ブランコで猫の顔を覗きこんだり、胸に抱きしめたりしてると、猫のほうも僕に慣れてきて鳴き声が落ち着いてきた。僕でも知っている、「にゃあ」という鳴き声だ。
このまま、あのゴミ捨て場に置いておくわけにはいかない。心を決めると、猫を抱いたままマンションに入って家に帰った。
鍵をまわしてドアを開けると、おかあさんの声がした。電話をしているみたいだ。「日曜日も私たちのところには帰ってこれないの⁉」──怒鳴っている相手は、おとうさんだとすぐ分かった。
おとうさんは一度、僕を知らない女の人に会わせたことがある。いつも家にいないのは仕事だと思っていたのは、それで崩れた。
おかあさんに気づかれないように、自分の部屋に駆けこんだ。猫はベッドの上に下ろして、部屋をあさって悩んで、口が大きく開くリュックを広げて服を詰めて、寝床みたいにした。ベッドの上を歩いていた猫を抱くと、そこに移させる。
大きくない猫だったから、さいわい大きさが足りないこともなくて、そこに丸くなってくれた。牛乳なら飲むかな、と部屋を出て、キッチンに行くとリビングのおかあさんが僕をちらりとした。でも「おかえり」を言う前に、「切らないでよ!」とケータイ相手にヒステリックに怒鳴る。
僕はコーンフレークの食べるときの皿と牛乳、魚肉ソーセージを素早く抱えて部屋に戻った。
服を着替えると、その夜はずっとその猫を見つめていた。冷房でちょっと部屋を冷ました。猫は牛乳でお腹がいっぱいになったようで、魚肉ソーセージは残して眠りについてしまった。
おかあさんは遅くまで叫んでいて、僕はその声が怖くて小さくなる。うつらうつらしてくると堅いフローリングに横たわって、すぐそばで猫の寝顔を見ていた。
翌日は、代休で学校は休みだった。このままおかあさんに気づかれず猫を飼えたら一番だけど、そんなのうまくいかないのは分かっている。おかあさんが出かけて家が空っぽになった隙に、猫を抱いて外に出た。
九月の白日は、まだまだ暑い。でも、猫の体温は優しいから心地いい。
ひとまず向かったゴミ捨て場は、空っぽになっていた。この猫がゴミと思われて、収集車のあの回転する圧迫につぶされていたかもしれないと思うとぞっとした。
この猫の飼い主は探さないほうがいいのだろう。あんまり僕も会いたくない。だとしたら、新しい飼い主か。どこに連れていけばいいのだろう。
たたずんで猫と見合って悩んで、そういえば、駅までの道にある動物病院が迷い犬を預かっている張り紙をたまに出しているのを思い出した。よく分からないので、僕はそこに行ってみることにした。
猫は僕の腕に抱かれて、おとなしくしている。いつも抱かれていたから、慣れているのだろうか。いつも抱いているような飼い主だったのに、あんなふうに捨てたのか。何で愛したはずのものにそんなことができるのか、どうしても分からなかった。
動物病院の前に着いても、嫌な顔をされたらどうしようとドアを開けられずに躊躇っていた。そうしていると、後ろからビーグル犬を連れた女の人がやってきて、入口のドアを開けて犬を先に中に入らせ、「どうぞ」と僕のことも自然と招き入れた。
僕は挙動不審になりそうになっても、動物のにおいがする病院の中にぎこちなく入った。
その瞬間だった。
「せぴあ!」
突然そんな声がして、おろおろする間もなく、高校生くらいの女の子が僕に駆け寄ってきた。猫はするりと僕の腕を抜け出して床に降り、その子の足元にすりよる。女の子は待合室の床に座りこんで、いきなり大声で泣き出して、ビーグル犬も、その飼い主の女の人も、顔を出した白衣の男の獣医さんも、もちろん僕もぽかんとした。
「ほたるちゃん」
そう呼ばれた女の子は、獣医さんを振り返って「先生、せぴあ見つかったよお」と大粒の涙をぼろぼろこぼす。すると、獣医さんもほっとした表情を見せて、突っ立っている僕を見た。
「君が見つけてくれたのかい?」
「え、……あ、はい」
「どこにいたんですか⁉ 私、昨日の夜からずっと探してて、」
「夜……は、僕が部屋に連れていってました。すみません」
「どうやって連れていったんですか? この子、家猫で外には出ないのに──」
「えっ……と、……ご、ゴミ捨て場に、いたので。マンションの」
「……え」
「ふくろに入れられてて、そのままじゃ、ゴミと一緒連れていかれるかもしれないと思って」
待合室が静かになって、奥から犬の鳴き声だけが響いた。女の子は猫を抱き上げて、「あのくそ親父」と苦々しくつぶやいた。
それから立ち上がって僕を見て、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「たぶん、それをやったのは父です。ご迷惑かけてすみません」
「あ、いえ。連れて帰ります、か」
「はい。もちろん」
「大丈夫、ですか」
「……父は普段、家にいないので。ふらっと帰ってきて、この子がいたからそんなことしたんだと思います。昨日、私が留守にしてたのが悪いんです」
「ほたるちゃん、またそんなことがないとは限らないだろう。ここで一時的に預かってもいいんだよ」
獣医さんはビーグル犬の前にかがんで、その喉を撫でてやりながら言う。
「でも」
「来年、高校を卒業したら家を出るって話してたじゃないか。それからまた、せぴあちゃんと暮らすほうが安全じゃないかな」
女の子はうつむいて押し黙った。僕はその横顔を見つめて、ずうずうしいかとも思ったが、「そっちのほうが」と言った。
女の子は僕を見て、「少し考えてから」とせぴあというらしいその猫を抱いてソファに座った。「ゆっくり考えなさい」と言った獣医さんは、ビーグル犬を抱き上げて女の人と診��室に入っていった。
僕はどうしたらいいのか��い、ここで去るのも冷たい気がして、何となく女の子の隣に隙間を作って座った。女の子は僕に顔を向けて、「この子がいないと」と泣きそうな顔で咲った。
「私、家でひとりぼっちなの」
「……ひとり」
「おとうさんはそんなだし、おかあさんとは血がつながってないし。妹はおとうさん同じだけど、おかあさんに懐いてるから」
「………、そっ、か」
「私なんか、存在してないみたいなの。この子だけ、私にあったかくて、話聞いてくれて、優しいの」
僕はうなずいて、視線を下げた。ふと、彼女がこんな残暑に長袖に着ているのに気づいた。
ちょっと考えたあと、「でも預けたほうがいいと思う」と僕はつぶやいた。何か言おうとした彼女に、勇気を出して先に言ってみた。
「僕が話を聞く」
「えっ」
「あったかい、とかはできなくても。僕が君の話を聞くよ。またその子と暮らせるまでのあいだ。僕でいいなら」
「………、」
「変な、意味とかはなくて。その猫がまた同じ目に遭うのは、僕も怖いし。次も僕が助けられるかなんて分からないし」
「……いいの?」
「うん。あっ、でもすごいこととか、意見とかは言えない。聞くだけしか、できないと思う。それでよければ」
彼女は僕を見つめて、ふと柔らかに咲うと「優しいね」と言った。慣れない言葉に狼狽えて、僕は首をかしげた。彼女はせぴあを抱きしめて、涙の痕がある頬を焦げ茶の毛並みに当ててから、「分かった」と目を閉じてうなずいた。
そうして、せぴあは動物病院でしばらく保護してもらうことになった。
僕は学校が終わると、ほたるさんというその人と待ち合わせて、晴れの日は公園で、雨の日は図書館の軒下で、いろいろ話して過ごした。僕は僕のことをあんまり話さなくて、ほたるさんが空を眺めながら自分のことを話してくれた。
ほたるさんの歳は十九歳。ほとんど記憶にない二歳のとき、本当のおかあさんは出ていった。おとうさんはまもなく再婚した。おとうさんはリストラ以降働かなくなった。義理のおかあさんと妹は結束しておとうさんを疎み、まとめてほたるさんの存在も疎んでいる。家族に嫌われているうち、いつのまにか人間関係に混乱するようになった。自然と作れていた友達との距離が測れなくなった。
もしかして今のうざかったかな。ううん、逆に冷たかったかも。でもどうしよう、目を見て確かめられない。あれ? 人の目の見るのってこんなに怖かった……?
眉を顰めてうつむきがちになって、やがて周りにはひとりも友達はいなくなっていた。明らかなイジメはない。強いて言えば仲間外れ、無視、孤立。
笑い声が恐ろしい。その場にいて申し訳ない。消されていなくなりたい。中学を卒業し、ベッドでふとんをかぶって一年引きこもった。
おとうさんは部屋に怒鳴りこんでくる。おかあさんと妹は蔑んだ目を向けてくる。
ここにいても救われない。この家庭は居場所にならない。どこかへ逃げなきゃ!
気づけば、手首がいっぱい泣きじゃくって、赤く染まっていた。このまま病んでしまわないために、自分ですべて調べて、通信制高校に通うようになった。友達は相変わらずできない。けれど、通信制高校ならそれでもわりと浮かない。
淡々と単独行動で登校し、ついに今度の三月にほたるさんは高校を卒業する。
「ずっと明日が地獄だった」
晴れた冬の日、薄く白くなるようになった吐息と、ほたるさんは公園のベンチに腰かけた。僕も隣に座った。
「でも、やっと春から自由なんだ」
「うん」
「楽になれるといいな。家さえ離れたら幸せになるってものでもないだろうけど」
「そうかな」
「分かんないけど。切ったりするのは治ってほしいな」
「今でも切るの?」
「いらいらするとね。吐きたくなるの。食べ物吐く人と一緒だよ。血を出してつらさも流す」
「……そっか」
僕は自分の無傷の蒼い手首を見る。それに気づいたほたるさんは、「真似しちゃダメだよ」と微笑んだ。僕は小さくこくんとする。
「ずっと、切ることしか手段がなかったけど。せぴあ拾ってから、あの子が気持ちを癒してくれるの。抱っこしたらあったかいことで、すごくほっとする」
「せぴあ、あったかいよね」
「うん。あの子がそばにいるあいだに、人間として立ち直れたらいいな」
冷えこむ指先を握りしめて、そうだな、と思った。せぴあがほたるさんに生涯寄り添ってくれたら安心だけど、そうはいかない。あるいは、せぴあのように思える人間とほたるさんが出逢えたらいいのに。
それを言いたくてもうまく言葉にまとまるか悩んでいると、「ふふ」とほたるさんはおかしそうに咲った。
「何か、いつもだけど。私の話ばっかりだね」
「えっ。あ──いや、ほたるさんの話を聞くって約束したから」
「君のことは訊いちゃいけないの?」
「……僕、は」
イジメられてるから。さくっと言ってしまうのは簡単なのだけど、そのひと言で終わらせるのが妙に苦しい。
「あんまり、おもしろくないよ」
「私の話もおもしろくないでしょ」
「そんなことないよ」
「私は、君の話も聞きたいけどなあ」
「僕の話……」
「無理は言わないけどね」
僕は顔を伏せて考えた。学校や家庭での光景が、またたいて頭の中を走り抜ける。
蹴る。怒鳴りあう。罵る。放り出す。貶める。
僕は学校では生きている価値がない。僕は家庭では存在している価値がない。けれど、それを言葉にしたら、声が空中を引っかいて何かの痕痕になるのだろうか。そう思った僕は、ゆっくり口を開き、「嫌な話だけど」とぽつりぽつりと学校や家のことをほたるさんに話していた。
ほたるさんの地獄は、春になれば終わる。僕の明日にはまだ地獄が来る。クラス替えまでだろうか。卒業までだろうか。死ぬまでだろうか。死ぬまで僕は「みんな」の中に溶け込めず、孤立して心を粉々にしていくのだろうか──
ふと、ほたるさんが僕の頭に冬が染みこんだ冷たい手を置いた。僕はほたるさんを見た。
「泣かないんだね」
「……え」
「泣いてもいいんだよ」
目を開いた。色づく息が震えた。
何、で。何で、そんなこと。
だって僕は、苦しくていいのに。みんな僕に怒りを捨てていくけど。哀しくていい。僕がいなければ離婚できるけど。痛くてもいい。心も軆もぼろぼろだけど。全部全部、慣れてしまったから。
でも、優しくはしないで──
僕の頭を撫でて、ほたるさんの袖の陰が見えた。
「かっこ悪いとか、気にしなくていいんだよ」
優しい声に、視界が滲んだ。そのまま、熱い雫が頬を伝っていた。ついで、どんどんあふれてくる。ほたるさんは袖を引っ張って、その手を僕の手に重ねた。僕の手もほたるさんの手も冷えている。
「この手でせぴあを抱いて、助けてくれたでしょう? 君が拾いあげてくれたから、今、あの子は生きてるんだよ」
「………っ、」
「君がここにいるから、春になったら、せぴあはまた私と暮らせるんだよ」
「……そんな、の」
「君には、そんな温かさがここにあるんだよ」
何も持たないほたるさんの手が、僕の何も持たない手を握った。すると、ゆっくりと微熱が生まれてくる。
ここに、ある。僕も、ここにいる証拠を持っているのだろうか。
ひとつでいい。小さくていい。ここにいる証明。
せぴあを拾ったあの日、当たり前にもらえる参加賞ももらえなかった。でも僕も、生きている参加賞を持っているのだろうか。訊きたくても、もう嗚咽で声が出なくて、ただ手を握りしめていた。その手をほたるさんが包んで握ってくれていた。
春になり、ほたるさんはせぴあと一緒に町を出ていった。僕は春風に桜が舞う中でそれを見送り、ほたるさんと最後に交わした握手で、手の中に残る柔らかな熱を握った。
数日後、新しいクラスで学校がまた始まる。今度はクラスメイトにきちんと挨拶してみよう。死ぬ気になって。どうせ本当に死ぬわけじゃない。なのに何にビビるっていうんだよ。きっと、何も怖いことなんてないんだ。
ほたるさんとせぴあみたいに、僕も新しい毎日をつかもう。伸ばせば誰かに届くこの手で、きっとつかむ。だって、この陽射しの下、僕も確かにこの世界を生きているひとりなのだから。
FIN
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2024年5月12日(日)
京都国立近代美術館で開催中の<没後100年 富岡鉄斎>、観覧したツレアイから瀞峡を描いたハガキと布袋を描いた一筆箋を頂いた。
良い絵を描くためには「万巻の書を読み、万里の路を行く」ことが必要であるという先人の教えを徹底して守ろうとした彼は、何を描くにもまずは対象の研究に努め、北海道から鹿児島まで全国を旅して各地の勝景を探りました。
まさにフィールドワーカーとしての芸術家、名前しか知らなかったがこれをきっかけにちゃんと研究してみたい。その上で、<もはや布袋では無いぞ!>と叫んでみたい気分である(楽屋落ち)。
5時30分起床。
日誌書く。
洗濯機回す。
朝食。
珈琲。
ツレアイは奈良で太鼓の練習、京都駅まで送る。
前任校時代の教え子・M君の誕生日、祝福メッセージを送る。気がつけば、知りあった当時の私より年上になっている。
室内履きがそろそろ暑く感じるので、無印良品で夏用のものを発注する。
あれこれ片付け、30L*2のゴミが出る。
ランチ、息子たちにはきつねうどん。
ツレアイを京都駅まで迎えに行く。
遅いランチは伊勢うどん+🍷。
録画番組視聴
笑福亭松喬 落語「近江八景」
初回放送日:2024年5月12日 笑福亭松喬さんの落語「近江八景」をお送りします(令和6年4月4日(木)NHK大阪ホールで収録)【あらすじ】ある男が「紅梅という女と夫婦になる口約束をしたが、本心が気になり仕方がない」というので、占ってもらうことに。すると易者は「女は別の男へ逃げてしまうので、あきらめたほうがよい」と言う。納得のいかない男は「『近江八景』がよみ込まれた手紙を女からもらった。これを読んでもう一度占ってくれ」と頼むが…。
少しいただきすぎてしばらく横になる。
今日は<還幸祭>、彼女は買物と写真撮影に走り回る。
<もったいない本舗>に頼んでおいた段ボール箱が届く、来週末に発送しよう。
今日は<母の日>、例年通り三男から彼女にワインのプレゼント。
夕飯は、昆布締めポークステーキとツレアイ特製の玉子焼き、みなで乾杯する。
録画番組視聴。
サ��メシ (5)滋賀・菓子メーカーの社員食堂▽霊きゅう車工場の弁当
初回放送日:2024年5月9日 滋賀・近江八幡市にある老舗お菓子メーカーの本社は、草や木に囲まれた広大な敷地の中。店舗も併設され観光スポットとしても人気だ。ここを整備するガーデンプランナーの皆さんの仕事、“大盛り”社食ランチを紹介▽富��にある霊きゅう車専門の工場。棺を納めるために車体を切断し1台ずつ丁寧に仕上げる。製造の様子と技術者たちのランチを、お弁当ハンター・阿部了さんが拝見!▽テレワーク中のランチを覗き見!「テレメシ」。
<落語のお時間>から、桂南光「らくだ」
素晴らしい! 南光テイストに味付けされた絶品!
片付け、入浴、体重は400g増、週末故仕方なし。
血圧は、先週よりもずいぶん低くなっている。
パジャマに着替えて日誌書く。
午後からの雨模様、ウォーキングを諦めたので3つのリング完成ならず。
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FAITHにおける「神はなぜエイミーを助けなかったのか」という神学的問題に対する回答試案
以下は、キリスト教徒でもなければ、神学をちゃんとかじったこともない素人が本問題を考えるための材料を記した覚書である。
※この覚書はどのような事実も保証しない
※全Note、全endingネタバレ注意
結論
エイミーの救済は、弱く罪を抱える人の子がそれでも人を救えるのかという神の試練である。
事件の概要
(ゲーム開始前)
マーティン夫人が双子を流産により失う
マーティン夫人が双子が生存しているように振る舞うなど、精神不安定状態となる
夫人は治療で一時回復に向かうが再度悪化。
マーティン氏が送った怪しげな人形に触発されて(?)マーティン夫人が双子の依代を作り始める
Chapter3 Note44 ボブへ 君が昔からの友人でなければ、こんな風に患者の秘密を破るようなことはしない。私はこの状況を本当に憂いているんだ。 ナンシーの妄想は、初めの頃よりもずっとひどくなっている。私は彼女に徐々に現実を示すよう注意深く接してきた。君は、彼女がまだあの二人のことを話したり偽のお誕生日会を開いたり、その他諸々についてもとても忍耐強く対応していた。彼女が流産したこと、そして双子が亡くなったことを受け入れたとき、私たちは前進しているのだと思った。 けれど彼女は今、双子が自分とコンタクトを取ろうとし、双子の魂が宿る "代用品 "を見つけられると確信しているようなんだ。 聞き覚えはないか?ニカラグアの村で見つけた家を覚えているか?君が彼女に話したのか?���ぜ君がそんなことをするのかわからないが、そうでなければなぜそんな話が出るのか、他に理由が思い当たらない。 できるだけ早く私のオフィスに来てくれ。次にどうすべきか、話し合う必要がある。
エイミーが婦人科クリニック(ゲイリー率いる教団が運営)でボランティアを始める。教団がエイミーと接触を図る
エイミーに悪魔が憑く
1986年9月21日
エクソシスト2名(オルレッド神父とジョン)がエイミーの悪魔祓いを試みる
悪魔に敗北し、オルレッド神父が死亡
エイミーが両親2名を殺害
ジョンはエイミーに対して単独で悪魔祓いを行おうとするが失敗。悪魔に圧倒され、恐怖に負けて逃走しようとする
ジョンに対して、白い謎の存在がエイミーはどうするのか問う
ジョンは逃走を希望する
白い謎の存在は、エイミーの運命をジョンの記憶に封印することを条件に、ジョンをマーティン家から逃がす
ジョン:これは、私の身には余ります。私は怖ろしいのです。どうかこの場所から逃してください。 ??:少女はどうする? ジョン:私はただ帰りたいのです。 ??:汝を安全な場所まで導けば…彼女の運命は汝の頭に封されるだろう。 ジョン:お望みならなんでもします。どうか、ここから連れ出してください。 ??:誓いなさい。 ジョン:誓います。
事件後、ジョン及びエイミーは精神病院に収容される
1986年10月23日
ジョンは悪魔祓いを間違いだったと認め、信仰を捨てることで退院を認められる
この時点で、正式な聖職者としての地位は辞しているかも?
(神父を辞したのち、ジョンはモリーと暮らしはじめる)
Chapter1 Note20 1986年10月23日 マクグラーシャン先生へ ここエール精神医学研究所で私の治療が始まってから、30日が経とうとしています。スピネル先生は私に辛抱強く寄り添い、私の苦悩を理解し、私が真実を受け入れて前に進む方法を見つけるのを助けてくださいました。 スピネル先生の助けを借り、私は実際にマーティン家で起こった9月の出来事について受け入れられるようになりました。これは超自然現象の結果ではなく、独断的な両親と前時代的な教会による悪魔祓いといわれる儀式によって、暴力的にならざるをえなかった少女の必死な抵抗であったと受け止めています。 嬉しいことに、真実を受け入れてから、悪夢は止み、事件以来感じたことのない心の平穏を享受しています。こちらに来てからの私の経過を考慮いただいたうえ、今後のスピネル先生の経過観察を条件に、エール精神医学研究所からの退院を謹んでお願いいたします。
1987年9月
エイミーが精神病院から脱走?
カルト教団が儀式を行い、エイミーの顔を削り、器とする
ジョンが悪夢を見る
Chapter1 Note18(抜粋) モリーへ 私はあの家へ戻らなければならない。私の見ている悪夢は現実だ。エイミーはまだあそこにいて、私を待っている。まだ彼女を助けられる。
Chapter1
1987年9月21日
ジョンはマーティン家へと戻り、器となったエイミーと邂逅
ジョンは悪魔を祓いきれず、エイミーは脱走
ジョンは銃を手に取るが、エイミーに手をくださないまま、家へ帰る
chapter2
ジョンが悪夢を見る
悪夢から目覚めると、ガルシア神父の手紙が届いている
(モリーは家を去っている)
chapter3
1987年10月28-30日
ガルシア神父の手紙に従って、カルト教団の目論見を阻止するためクリニック・アパート・保育園を探索する
1987年10月31日(冒涜の安息日)
(Neutral ED)
ジョンはカルト教団の本拠地で、白い謎の存在に誓ったことを思い出す
ゲイリーを退け、カルト教団の目論む冒涜の安息日を阻止する
エイミーの悪夢を見続ける
ジョン:神父さま、去年初めてエイミーと会った時に……悪魔を見たのです。悪魔は私を惑わしました。これからずっと、私はエイミーから解放されることはないでしょう。
(Good ED)
ジョンはカルト教団の本拠地で、白い謎の存在に誓ったことを思い出す
封印を解き、カルト教団の最奥「坩堝」の中でミリアムとゲイリーとマルファスの穢れた三位一体と対戦
撃破後、エイミーに出会い、悪魔祓いを終える
(Bad ED)
ジョンはなにもしない
自宅にいたエイミーに取り憑く悪魔に呑み込まれ、天罰「Damnatio Memoriae」(記憶の抹消)が下される
前提
人間には善を為すor悪を為すことを決める自由意志がある。これを尊重し、原則、人の子の問題は人の手により解決すべきである。
ただし、神の恩寵を実現させるため、自由意志を助ける形で神は介入を行う場合がある。(傾かせるが強いない)
この項における「救い」とは魂が悪魔から解放されることを指す。
(白い謎の存在の補足)
白い謎の存在をジョンの空想上のイメージと見なした場合でも、ジョン自身がイメージとの対話により意志を持つに至った結果を重視し、以下の推論を妨げないとする。
白い謎の存在が天使か悪魔かは、作中で明言されないのでここでは問わない。開発者のAirdorf氏は「コリント信徒への手紙二11章14節」を引き、あの存在は悪魔が天使を装ったものと示している。
コリントの信徒への手紙二/ 11章 14節 しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の天使を装うのです。 「旧約聖書」日本聖書教会 聖書教会共同訳より
推論の過程
マーティン家の状況は、オルレッド神父とジョンが来た時点ですでに破綻状態にある。神父たちがエクソシストとしてできることは、エイミーに憑いた悪魔を祓うことだけだ。けれど、悪魔祓いは失敗する。
オルレッド神父が死亡したのち、エイミーが救われるか否かはジョンの手に委ねられる。ジョンにとってははじめての悪魔祓いであり、ジョンは悪魔にたやすく圧倒され、恐怖にのまれてしまい、人智を超えた存在となってしまったエイミーから逃がれたい一心で助けを求める。
ここから、なぞの白い存在との対話が始まる。
白い存在にこのまま逃げたらエイミーはどうなるのか、暗に見殺しにするのかと問われたとき、ジョンはそれでも恐怖から逃げることを選択する。
この選択により、エイミーが現世で救われないこと、悪魔の器となる運命は確定する。人間だけでは悪魔の目論見を防ぐことができなかったことも。悪魔から逃げることを選択し、エイミーが悪魔の器となる運命を最終的に決定した人間はジョンである。
救うべき者を見捨てた罪の代償は「エイミーの運命をジョンの頭に封じる」ことだ。それはジョンにとって誓いであり、呪いでもある。
白い謎の存在:汝を安全な場所まで導けば…彼女の運命は汝の頭に封されるだろう。
頭に封印された記憶は悪夢となり、1年後にジョンは再びマーティン家へと赴く。信仰を捨ててあたたかなはずの愛を得たにも関わらず、ジョンはそれらを捨てて、あの家へ戻らなければならない。
誓いを果たすため、または呪いを解くために。自らが犯した罪、助けなければならなかった無垢な子どもを見捨てた罪へと向き合い、今度こそ悪魔を祓うために。悪魔の器となってしまったエイミーから悪魔を祓い救うことができるのは、そうなる道を選択してしまったジョンしかいない。
エイミーを救うことは彼個人の願いであるとともに、神の意思でもある。悪魔を祓う力を持つ十字架は、ジョンの願いを助け、神の意思を示す。エイミーを救うという神の意思を達成するか否かは、良き神の子たるジョンの行いにかかっている。
それは、救うべき者を救わなかった罪深き者が、なお人を救えるのかという神の試練である。
悪魔の器となったとしても、誰の手にも及ばない存在になったとしても、エイミーはまだ救われる可能性がある。ジョンが歩み続ける限りは。
(おまけ)神に頼らない世俗的な救済について
ついでに、神の助けを借りずとももっと早く助けられなかったのかなあと考えてみる。
世俗的な救済は一般人が対応するため、家庭が破綻に至る前の早期対応が重要だと思われる。
具体的には、親戚・近隣・公的団体等による早期のエイミー母への共感的なメンタルケアやグリーフケア、エイミーの状況把握及び学校への登校支援、適切なコミュニティ(信頼できるボランティア団体や普通のバイトなど)への参加誘導などが必要だったんだろう。
だけど、1980年代という時代背景や孤立化しやすい森の一軒家という環境を考慮すると、救済難易度高めでいろんな難しさを感じる……そしてエイミーが器となり死亡が確定した時点で、世俗的にできることはもうない……
器となったエイミーを救うことができるのは、結局ジョンだけなんだろう。
あとがきと感想
神の���在を前提とする場合、残酷なこの事件をどう神学的に解釈するんだろうという個人的興味により書いてみました。
理論的に導くならこんな感じかなと思ったけど、神学者の方の解釈を聞いてみたいなあ。ちゃんと書くなら、アウグスティヌスとかの著作やそれに続く自由意志論争を読みとかなきゃいけないんで無理。結局ただの感想文に近いけれど、ふしぎ論理学っぽく色々考えられたのは楽しかったです。
もし、白い謎の存在が天使を装った悪魔なのだとしたら、作中いちども神の意思は直接示されることはなく、ほんとに十字架だけが頼りであまりに信仰ハードモード……
ヴァチカン非公認でも、神との一対一の信仰を果たすためとにかくやるんだ!という感じはアメリカのプロテスタントっぽいかもね。本作はテキサス在住のキリスト教徒(notカトリック)の方が開発してるので。
神を信じるならここまで考えてきた問いに意味があるけれど、そうでなければ、ジョンの所業は罪悪感や後悔による偏執的な思い込みにしか見えないし、半分おかしくなってるんだと思う。エイミーのことは手遅れなので、ふつうに考えたら贖罪にもならないし。そうせざるをえない心理状況に追い込まれてしまったのだとしても。
でも、本当の結論はあなたの心のなかの信仰次第です。
そして、ゲイリーはなんだったのとかそもそもなんでエイミーに悪魔が憑いたの?という話はまた次回。
※ゲーム画面、日本語翻訳は非公式日本語modを使用しました。
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