Tumgik
#恩返しと恩送り
umedanakazaki · 2 years
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地域の高齢者へお礼を兼ねてゆっくりお話が出来た。毎年この時期開催の手作りイベントが素晴らしくて、おかげさまで来店客が増えることにも感謝だけど、この地域でお店を営業していることが誇りに思えた。7年間も営業してきてくれてありがとう、と、逆にお礼を言われて驚いた。ありがとうございます! 恩は、受けてそのまま返すより。受けた恩を他の人へ送ると進化し続ける。恩送りは恩返しだ。 さて、本日の日替わり弁当です。 #2月12日 #日替り弁当 まぐろの旨味とねぎ塩たれ #まぐろのつくね風 #ねぎ塩で #楽しい食感 #旨さそのまま キャベツの千切りも添えてます ご飯の上に #エビマヨサラダ 副菜は #根菜の炊き合わせ #ブロッコリーと蛸のシーザーサラダ まぐろの旨さを再認識 税込550円 皆様のご注文お待ちしております。 #てつたろう #恩返し #恩送り #梅田居酒屋 #中崎町居酒屋 #海鮮居酒屋 #大阪グルメ #梅田グルメ #イーデリ #支援者募集中 #社会貢献 (梅田中崎 てつたろう) https://www.instagram.com/p/CoiKglByb9z/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nihongo · 1 year
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アップデート情報
🌟 新機能
モバイルアプリのバージョン31.2で、新しいサポーターバッジ機能が、英語版を使用しているユーザーに向けて開始されます。すでにWeb版でもチご利用いただけできます!
ラボで、「コレクション」という新機能の実験が行われる予定です!協力していただけるユーザーを探していますので、興味のある方はこちらの投稿をご覧ください(英語のみ)。
Web版で、パスワード保護されたグループブログを使用しているユーザーに向けて、グループブログに他のメンバーの新しい投稿があった時にナビゲーションの「アカウント」に表示される通知バッジが復活しました。
ダッシュボードタブ設定オプションがすべてのユーザーにロールアウトされました。ただし、まだ「フォロー中」と「あなたへのオススメ」の間のデフォルトタブを変更する機能の追加に取り組んでいるところです。また、実験に参加し、人気リブログやブログサブスクリプションなどの特定のタブを有効にしていた場合、これらの設定は新しい設定画面で設定可能なオプションではなく、Tumblrラボの設定に戻っていることにご注意ください。
エンドレススクロールへの対応など、フィード閲覧のパフォーマンスと安定性が改善されました。ダッシュボードの環境設定で、タイムラグが理由でエンドレススクロールを無効にしている場合は、もう一度試してみてください。ページ表示の方が好みで無効にしている方は、そのままで大丈夫です!どちらにしても、この改良の恩恵を受けることができます。
Tumblr全体の検索の改善に取り組んでおり、最新の実験の1つは画像認識に基づいて検索結果に投稿を表示する試みです。もし、Tumblrで何かを検索した時に検索した内容とは関係のない画像が大量に表示され、なぜそのような画像が表示されるのかを示すテキストやタグも表示されない場合は、使用した検索キーワードと間違っていると思われる投稿を添えて、サポートまでフィードバックをお送りください。
Web版の投稿エディターで、リンクを貼り付けた時に生成されるリンクブロックのミートボール(3点ドット)メニューから、リンクブロックをテキストリンクに変換することができるようになりました。
質問ボタンの最大文字数が26文字に短縮され、その制限を超えた場合に表示されるエラーメッセージが改善されました。
作成者をブロックしている、または作成者がブロックしているブログからの返信やリブログ、「スキ!」は、あなたの投稿のリアクションビューに一切表示されなくなりました。
受信者をブロックしているブログからの質問や投稿がフィルタリングされるようになりました。
🛠️ バグ修正
稀に「あなたへのオススメ」フィードのコンテンツがすぐに足りなくなってしまう問題が修正されました。
Web版でブラウザのズーム(または画面の拡大縮小)が100%以外に設定されている場合、投稿間をスキップするキーボードショートカット(JとK)が機能しなくなることがある問題が修正されました。
投票オプションで、「null」ユニコード文字が使用できなくなりました。また、バックスラッシュを投票オプションとして使用した場合に発生するバグについても修正に取り組んでいます。
「フォロー中」タブと「あなたへのオススメ」タブで、スクロールすると次のページの読み込みに10秒以上かかることがある問題が修正されました。
Web版の投稿エディターで、テキストのコピー&ペーストや選択に関するさまざまな問題が修正されました。
ログアウト中に投稿に「スキ!」をつけるためにクリックし、その後ログインすると、探索に移動する代わりに投稿に戻るようになりました。
Web版の投稿エディターでメディアをアップロードする時、メディアのアップロードが完了するまで「投稿」ボタンが無効になるようになりました。
投稿のリアクションからリブログや返信を削除すると、関連するアクティビティ項目も削除されるようになりました。
ブロックしている、またはブロックされているブログについて言及することができなくなりました。すでにほとんどの環境に対応していますが、ユーザーが回遊する中で現れていた複数の稀なケースも修正されました。
🚧 現在対応中
今回、お知らせする対応中の問題はありません。
🌱今後の予定
近日、グループブログを含むサブブログを使って投稿に返信できるようにする実験がロールアウトされる予定です。ご期待ください!
問題が発生していませんか?そんな時は、サポートリクエストを送ってください(英語でのみ対応)。できるだけ迅速に対応させていただきます。
共有したいフィードバックがありますか?「Work in Progress」ブログ(英語のみ)をチェックして、コミュニティで議論を始めましょう。
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quotejungle · 14 days
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シリコンバレーには 、見返りを求めずに互いに助け合う「恩送り」 の文化があります。これは、60 年代の半導体業界で、競合他社がチップ製造プロセスのバグを解決するために互いに協力していたときに生まれた文化です。
忙しくて会えない人との会議の実現方法
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udenonaka · 7 months
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お母さんのこと
私の母は、運動神経が悪い。お世辞にも綺麗とはいえない顔立ちで、鈍臭くて無神経なところがあって少し性格が悪い。
中学生くらいから、周りの友達のお母さんたちと比べて、小太りで老けて見える母が恥ずかしかった。
中学一年生の時、私はバレーボールに入部した。部活仲間のお母さんたちは、ママさんバレーの経験者がほとんどで、ルールを知らないのは私の母くらいだった。練習試合の応援に来てくれているときも、ママ友たち(と呼べるほど仲良くはなかったと思うが)の1番端っこで、ベンチに座り小さく丸まってモジモジしている姿を見て、「なんで私のお母さんはみんなみたいじゃないんだろう」と睨みつけたことがある。
そのとき、母と目が合い、母は何かを察したのか、とても申し訳なさそうな表情を浮かべた。それがまた腹立たしくて、そんな下らないことを思う自分が心底、心底情けなかった。
父と母は共働きで、職場が同じだ。母の方が帰りが遅いことが多かった。家事が不得意な父が夕飯の支度をすることは滅多になく、夜の9時や10時をすぎて帰宅した母が毎晩台所に立っていた。
その頃は父方の祖父とも同居しており、母は祖父(母からしたら義父)の病院の送迎から下の世話までしていた。
なんてすごい人なんだろうと思う。今になって、本当に今になって母の偉大さが分かるなんて良くあることかもしれないが、今まで母にしてきた言動をチャラにできないしあの頃に後戻りできないから、今から、今からでも遅くないはずだから、母にたくさんの恩返しをしていきたい。
うちのお母さんってすごいんだよって世間に自慢したい。あんな苦労してる人が身近にいながら、私は本当に怠慢だった。母親になろうとしている今だから気付けたのかもしれない。
実家に戻ったら、毎日肩揉みしよう。ご飯の支度も手伝うんじゃなくて、率先してやろう。片付けもしよう。落ち着いたら、旅行に行こう。お母さんに美味しいものをたくさん食べさせてあげよう。少し痩せた身体に栄養をつけてもらおう。
白髪増えたねえって笑いながら温泉に入ろう。
もっともっとお母さんを大切にしよう。まだ遅くないから。
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makkyro · 1 month
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声を大にして言うことじゃないねんけどさ!!
ってあほみたいにでかい声で言うてみました。初めて文字大きくする機能使ったかもしれん。やっぱりそんなことなかったかもしんないっす。分からへん。覚えてへん。ほんま自分の記憶力がゴミすぎてなんも覚えてへんやんけ!ってクレーム入ることもしばしば。覚える気ないんじゃなくて、まじインプットされへんねん。これはどうしたらよろC……?って俺自身もなってるときある。そんな俺が唯一覚えられてるというか、もう頭に刷り込まれてることがあって。
きょへなが、8月1日で1年記念日でしたー。あざっす!当日はお互い仕事やったから直接会ってありがとうおめでとうができひんかってんけど、あつ森でお祝い(?)することができまして。謙杜の島で写真撮りまくりました。こんなポーズあった!?ってなったし、久しぶりに開いて自粛期間中にばりやり込んでたの懐かしくなった!楽しかったからまたしたいっすね。今度は俺の島に招待したいと思いまーす。気向いたら!撮ったやつの中から厳選してぺたってしときます。
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ほんでさ、話戻らせてもらうけど1年やって。しょーみいろいろありました。喧嘩もしたし、すれ違うこともしばしば。悩んだこともありました。感情がまじジェットコースターみたいな。あっという間やった気もするし、意外と長かった気もするんすよねー。長く感じたのは閏年やからってことにしとこ。よく言われるねん。お前が1年も続くの珍しくない?って。自分でもそれはめっっちゃ思ってて。何億光年ぶり?くらいの勢い。それくらい謙杜の隣が居心地良いんかもしれへん。こんなに気持ちが穏やかで過ごせてることも今まであんまりなくて。やから、毎日がめっちゃ新鮮。まあ今までのことも含めて、今の俺がおるみたいなとこあるんで。それはそれでええ思い出。でも、こうやって過ごせてることが奇跡。そう思うことが多かった1年やったかなー。それはいつも優しく包み込んでくれる謙杜のおかげ。優しすぎて心配なる時もあるけど。まじYogiboみたい。全部受け止めようとしてくれる。ほんで、それに俺も甘えちゃうわけやん?ほんまクッションにぐでんって収まってる感じ。謙杜おらんとむりやー、状態やねん。ずっと。きょへをだめにする謙杜。ってキャッチコピーつけてあげてほしいくらい。俺も同じくらいちゃんと返せてんのかな。そうやとええな。あと、俺も謙杜も周りの人に恵まれてる。「ふたりなら大丈夫やって!」って俺のいろんな話を知ってる昔から付き合いある人が言ってくれる大丈夫って言葉は魔法みたいな言葉で、それこそ不安に陥った時とかどうしたらええか分からへん時とかそれで救われたこともあって。それはあいつも同じらしい。あいつもあいつでフォロワーさんに救われてるみたい。俺はあんまり確証のない言葉は好きじゃないねんけど、もらった言葉を純粋に受け止めてみようと思ったり、普段自分から話さんけどちょこっと話してみたりしていろいろ自分の中でも変化あったなあーってしみじみ。周りの人たちに甘えてばっかじゃあかんのは百も承知。でも、俺らのこと、特に謙杜のことは!これからもよろしくお願いしますって感じで。俺のせいで頭抱えることも多いやろうから、って書いてもここ読むの俺の友達しかおらんねんけども。謙杜にもみんなにもお世話になりまくってるから、いつか恩返しできたらええなって思います。いつかね。改めてやけど、1年ありがとう。でも、まだ始まったばっかやんな?これから先もいっしょに過ごしていくことを考えたら、まだ1年かーってならん?毎日過ごしてたらいろんなことがあるように、ふたりのこれから先もいろんなことがあほみたいにあると思う。山あり谷あり。ラジバンダリ。激しい道のりに出会してしまうかもしれへん。やけど、どんなことがあっても気持ちは変わらへんから。俺は謙杜のことがすき。これはぶれへん自信ある。やから、謙杜も変わりませんようにー。って毎日念送っとくわ。嘘やけど。念送らんでも好きでおり!これからもいっぱい怒らせることもあるやろうし、なんやねんって思わせることもいっぱいあると思う。そうならへんように俺も頑張るけどな?こんな奴やけど、これからもよろしく頼んだ。だいすきやでー。
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reportsofawartime · 3 months
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スコット・リッター: 「ロシアはウラジーミル・プーチン大統領の政権下で、長い間、パートナーとして西側諸国との協力を求めてきた国だった。 ロシアは常に自らを西側諸国のパートナーとみなしており、ウクライナで起こっていることや西側諸国の行動を見て、特に西側諸国に裏切られたと感じている。 ウラジーミル・プーチン大統領が今回の(東アジアへの)訪問で行ったことは、パートナーシップは終わったというシグナルを送ることだった。 このパートナーシップの重要な側面の一つは、ロシアが国連、中国、その他と協力し、北朝鮮に核兵器計画を放棄するよう圧力をかけた方法であった。 ロシアは、核不拡散に関してはロシアの感情に反するとして、北朝鮮の核兵器計画を支持していなかった。 ロシアは北朝鮮に課せられた制裁の多くに同意した。 しかし、ロシアは制裁を受け、西側諸国が公平な解決には関心がなく、むしろ制裁といわゆる合意形成のプロセスを利用して国家を破壊し、米国にのみプラスとなる結果を得ることに興味を持っていることがわかったため、ロシアは立ち去り、これで終わりだと言った。 ロシアは、アメリカ国民が完全に理解できないレベルで北朝鮮と関わってきたと私は思う。 これは上から下までの戦略的な取り組みであり、すべてを変えます。 北朝鮮を悩ませていた問題の一つは食糧不足だった。 彼らは農業部門に大きな問題を抱えており、労働力のかなりの部分が、しばしば失敗して飢餓につながる非常に非効率的な農業慣行に転用され、労働力の効率を低下させていました。 北朝鮮の人々が再び飢えることは決してないだろう。ロシアが食糧供給を保証するからだ。 これにより、ロシアの労働力のかなりの部分が、今や十分な食料を得て、西側諸国による制裁発動以来繁栄してきたロシアの産業と完全に統合された拡大産業に統合されるようになる。 これには防衛産業と民間産業の両方が含まれます。 これにより北朝鮮は根本的に変化するだろう。 振り返ってみると、北朝鮮は決して同じではないだろう。 ここで皮肉なのは、平壌の街を車で走っていたのはアメリカ大統領だったかもしれないということだ。 ドナルド・トランプは、北朝鮮の核兵器を廃絶し、北朝鮮を同盟国に引き入れ、北朝鮮にこの種の経済発展を認め、ロシアにこの素晴らしい地政学的戦略的機会を与えないという結果を達成しようとした。 しかしトランプはジョン・ボルトンとマイク・ポンペオに裏切られ、失敗した。 ジョー・バイデン氏は、金正恩氏が「どうか、どうか、どうかこのバトンを受け取ってください。私たちはこの方向に進みたいのです」とバトンを差し出したにもかかわらず、バトンを受け取ることを拒否した。 現在、北朝鮮は非核化ではなく、核兵器を搭載した非常に高度な弾道ミサイルを保有しており、その能力は今後さらに向上するばかりです。 ウラジーミル・プーチン大統領は、北朝鮮を強化する技術と兵器システムを引き渡すことを約束した。 北朝鮮の核抑止力は非常に強固なものとなり、アメリカによるいかなる先制攻撃も禁止されるだろう。 今後、アメリカ、韓国、日本が北朝鮮に対して勝利することはないでしょう。 北朝鮮は現在、戦略的にロシアと連携しており、北朝鮮と戦争をすれば、ロシアとも戦争をすることになる。 朝鮮半島を写した有名な写真(見方によっては悪名高い写真)があります。 人々はこれを利用して北朝鮮を嘲笑し、韓国全体が明るくなり、北朝鮮は暗くなり、平壌がある場所には小さな点だけが示される。 3年後には、北朝鮮がかつてないほど明るくなるのを目にすることになるでしょう。 これは変革をもたらし、力を与えるものである。なぜなら、ウラジミール・プーチン大統領は、米国が日本、韓国と築こうとしていた三国同盟を一挙に破壊したからである。 日本と韓国は今や、北朝鮮が消滅するどころか、かつてないほど強力になるだろうと認識している。 日本と韓国がこの地域で生き残りたいのであれば、北朝鮮とビジネスを始める必要がある。 これは根本的なゲームチェンジャーです。 その後、プーチンはベトナムへ行きました。 ベトナムに関して重要なことは、米国がベトナムを誘惑してきたということだ。 私たちはASEAN機構を通じてベトナムとの絆を強化しようと努めました。 ベトナムは、ウラジミール・プーチン大統領をこのように受け入れることで、西側諸国にこう伝えた。「あなた方は我々を当てにできない。我々はあなた方の味方ではない。我々はこれらの人々と共にいる。我々が共にいたいのはこれらの人々だ。」 これはベトナム側の認識であり、今やもう一つのASEAN諸国であるマレーシアが「BRICSに参加したい」と言っているのがわかります。 ベトナムはBRICSに加盟したいと思うだろう。誰もがBRICSに加盟したいと思うだろう。 BRICSは状況を一変させるフォーラムであり、もちろんウラジミール・プーチンが今年のBRICS会議の議長を務める。 ウラジミール・プーチンが先頭に立っている。 彼がしたことは、アフリカにロシアの印を置いたのと同じ方法で、太平洋にロシアの印を置いたことだ。 ロシアは現在、太平洋において支配的な勢力となっている。 これはアメリカにとって太平洋への拠点となるはずだった。 ここは私たちの世界の地域であるはずでした。 そしてロシアは『今日はだめだよ、チャーリー!』と言った。」
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longgoodbye1992 · 11 months
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Dear M
今から三ヶ月前に同時に仕事や恋人を失った時に支えてくれたのは、Tumblrで知り合ってかれこれ五年話していた愛奈だった。
その愛奈に先日会うことが出来た。
ここに書こうとは思ってなかったけれど、愛奈が望んだので綴っておく。
降りるはずのインターを一つ過ぎて愛奈に連絡した。
アパート近くの変な名前のラーメン屋が待ち合わせ場所だった。
カーナビの到着予定時刻は約束より五分過ぎた時間。
愛奈の顔を見たのは今から五年前くらいか。まだ十代だった。そのイメージだけが頭にあってどんな女性なっているのか見当もつかなかった。
長閑な農道の中にあるセブンイレブンで気を落ち着けるために緑茶を買った。
マウスウォッシュで口をすすぎ、お気に入りのナイルの庭を首筋や足首につけた。
約束の場所に到着してすぐにLINEを送った。すぐに今から向かうと連絡があった。
間もなく道路の向こう側からスラリとした女性が歩いてきた。白いニットに黒のスカート。肩まで伸びた黒い髪。すぐに愛奈とわかった。
運転席に座ったまま、どうしていいかわからなくなった。どんな言葉をかけたらいいのか、どんな表情をしたらいいのか。
とりあえず降りることにして運転席のドアを開けたタイミングで愛奈が助手席のドアを開けてあららとなった。
愛奈と向き合い顔を見た。昔見た写真とは随分と変わり、大人の女性になっている。例えるなら吉高由里子や和久井映見、笑うとYUIや橋本愛に似た雰囲気で和服が似合いそうだという印象を受けた。
この辺りは何を話したのか記憶にないが、地元の名産や実家で作った米、お守りなんかを渡した。そのお土産があまりにも多かったからアパートの近くで待ち合わせていた。
荷物を置きに一度部屋へ戻る愛奈の後ろ姿を見ながら素敵な人になったなとしみじみした。
車で繁華街へ向かう。夜市があってそこに行こうと約束していた。
車内では昨日の飲み会の話を聞いて青春だななんて羨ましくなった。愛奈は大学生だ。
「電話で聞くのと声若干違う」
「確かに」
助手席側の窓から西陽が射し込む。
「いい時間ですね」
「そうだね、着いたらちょうど薄暮でお酒が美味しいんじゃないかな」
緊張していた。助手席に座る愛奈の横顔をほとんど見れなかったのを今では後悔している。それとカーオーディオから流れる曲がたまたまTaylorSwiftの「DearJohn」とかバラードばかりだったのがちょっと恥ず���しかった。
俺が泊まるホテルにチェックインしてから夜市へ向かった。川沿いの道を愛奈と歩く。
「この街を歩くのは初めてですか?」
「そうだな、中学生の時に歩いて以来だから十五年くらいぶり」
「そっか研修で来たって言ってましたね」
「いい街だね。住みたいくらい」
「私ももっと住んでてもいいかなって思う」
マンションの間をすり抜けていくと目の前に夜市の旗が掲げられていて、大勢の人で賑わっていた。
「まずは食べたい物に目星つけて端まで歩こうか」
「途中でビール買いましょ」
「いいね」
焼鳥、海鮮焼き、日本酒、スイーツなど様々な店が並んでいる。人は多いが決して歩けないわけじゃない。
「彼に夜市行くって言ったらいいなって言ってました」
「今度連れてきたらいいよ」
「でも彼人混み苦手なんですよね」
「それじゃあダメか」
「そういう私も苦手なんですけどね」
「俺も得意ではないな」
ビールを売ってる店を見つけて並ぶ。
ふんわりした泡が美味しそうな生ビールだ。
生憎座る場所が空いてなかったので立って乾杯した。
「はじめまして」
「はじめまして」
二口で半分くらいまで飲んだ俺を見て愛奈は笑っていた。好きな銘柄ではなかったけれどここ何年かで一番美味しい生ビールだった。
色々と歩いて海鮮焼きを買って食べることにした。
何となく愛奈の前を歩いたのは横に並んで歩くのが照れくさかったのと、俺が横にいることで愛奈の価値が落ちてしまうじゃないかと思ったからだ。それくらい愛奈の姿は美しさとミステリアスさがあって、もし知らない間柄でどこか別の街ですれ違っていたらきっと振り返ってその後ろ姿を目で追ってしまっただろう。
親子連れの横の席がちょうど空いており、了承を得て座った。
Tumblrの人の話なんかをして海鮮焼きを食べる。
イカ焼きに苦戦してタレを服にこぼしそうになる愛奈を心配なようなちょっと可笑しいような気持ちで見ていた。
「ビールもう一杯飲んだら帰ります」
「えっ?」
虚をつかれたような気持ちになった。
「そう言わずにどこかお店行こうよ」
「週報書かなきゃいけなくて…」
「まあな、今朝まで友達と飲んでたんだもんね」
無理矢理そう納得させる。
何か嫌なことでもしていたのだろうか。もしくは俺のルックスやらファッションが想像と違っていたから早く帰りたいのかとも考え、次のビールを買いに行った愛奈の背中を見ながら天を仰いだ。
ビールを飲みながら残っていたホタテを食べた。手がタレだらけになっているのを見て愛奈がハンカチを渡してきた。
「いいよ、せっかくのハンカチが汚れる」
「裏側ならいいですよ。見えないし」
「なんかごめんな」
お言葉に甘えて手を拭いた。十一匹のねこの刺繍があった。
「かわいいね」
「お気に入りです。書店で買ったんですよ」
ハンカチを返す。
「口にもついてます」
そう言うとそのハンカチで俺の口の横を拭った。
ほんの数秒の出来事なのにその瞬間は鮮明に残っている。
「なんか子供みたいだな。かっこ悪いね」
「男の人はいつまでも子供ですから」
愛奈の底知れぬ母性は本当に罪だ。年甲斐無く甘えてしまいたくなる。かれこれ五年も話しているからどんなバイトをしてどんな男と交際しているのかほとんど知っている。だから同い年の女の子達とは一線を画すくらい魅力的な人になったんだな。
夜市を後にする。空は確実に夜に近づいているがまだ青が見えている。
駅の方向に向かいながら二人してトイレに行きたくなり場所を探した。
「この街のトイレなら任せてください」
そう言う愛奈の後ろをついて行った。
二人とも限界に近づいていたから小走りでテナントが多数入る建物に入った。
終わるとお土産コーナーを見ながらコンビニに入った。
玄米茶と愛奈が吸ってる赤いマルボロを買った。
「そこの角で吸いましょう」
「そうしよか」
玄米茶を一口飲んでアメリカンスピリットに火を点ける。愛奈はライターを持っていなかったのでその後に俺が点けた。
「今日はありがとう」
「こちらこそたくさん貰ってしまって」
「いいんだよ。命の恩人なんだから」
「いやいや」
「これで思い残す事はない。いつ死んでもいい」
「そんな事言わないで。悲しい」
「最近思うんだ。生きてる価値あるのかなってさ」
「じゃあ飲みながら人生語りましょ」
愛奈の言葉に驚く。
「帰らなくていいの?」
「いいです。お話しましょ」
なんか泣き落とししたみたいでかっこ悪いなと思った。愛奈の時間を奪っていくみたいで罪悪感も湧いた。でもそれを超えるくらい愛奈ともっと飲みたい話したいというエゴがあった。
「そうか。ありがとう。愛奈ちゃんと一緒に行きたい店があるんだ」
「どこですか?」
「バーなんだけどさ」
「バーあまり行ったことないから行きましょ」
煙草を吸いながらバーを目指す。
途中で車に轢かれそうになると腕を引っ張ってくれた。
「いいんだよ、俺なんか轢かれたって」
「ダメですよ。死んだら悲しいですから死なないで」
「でもさ、よく思うんだよね。交通事故なら賠償金とかでお金残せるしさ」
「それは私も思うときあります」
そんな話をしていたら店についた。
俺が持っていた玄米茶を愛奈が自分の鞄に入れてくれた。
明るめな店内のカウンターに横並びで座る。
愛奈はモヒート、俺はモスコミュールをオーダーして乾杯。
「私、親の老後見たくないんです」
「そうなんだ」
「前に言いましたっけ?産まなきゃよかったって言われた事」 
「うん、覚えているよ。それならそう思うのも不思議じゃない」
「計画性ないんですうちの親。お金無いのに産んで。三人も。それでたくさん奨学金背負わせるなんて親としてどうかなって思うんです」 
「そう思うのは自然だな」
「だから私、子供産みたくない。苦労させたり嫌な気持ちにさせたくないから」
「でも愛奈ちゃんはそうさせないと思うけどな」
「育てられる自信ないです」
「そっか。でもそう思うのは愛奈ちゃんの人生を振り返ってみたら自然だよ。それでいいと思うし、理解してくれる人はたくさんいるよ」
「結婚しないと思いますよ」
「それはわからないよ。これからさ、その気持ちを超える人が出てくるかもしれないし」
モスコミュールを飲み干した。
もし自分が同じことを親から言われたとしたらと思う怖くなった。そんな中で愛奈は自分の力でそれを乗り越えて立派に生きている。愛奈を抱きしめたくなった。ただただ抱きしめてもう大丈夫だって言いたかった。
愛奈からマルボロを一本もらう。久々に吸った赤マルは苦みが程々で後味が美味かった。そこで知ったのは赤マルは二種類あって、俺が渡したのはタールが高い方で、愛奈は普段低い方を吸っているらしい。
「あの棚の右から二番目のお酒知ってます?」
「知らないな」
「友達が好きで美味しいらしい」
「読んでみよか」
スコッチだった。
ソーダ割りで飲むと中々美味しかったけれど、元々カクテル用のウイスキーとして作られただけあって、もうワンパンチ欲しい味だった。
三杯目は俺はヨコハマというカクテル、愛奈は和梨のダイキリをオーダーした。
「俺もさ、親を看取らなきゃいけないプレッシャーがあって辛いんだ」 
「一人っ子ですもんね」
「出来た親でさ。ほとんどのことを叶えてくれた」
「すごいですね」
「ほんとすごい人だよ。だから期待に応えなきゃって思うとさ。色々しんどくなるんだ」
ヨコハマを一口飲む。ウオッカとジンの二つを混ぜるカクテルだからぐっとくる。愛奈に一口飲ませると「酒って感じです」と感想を述べた。茹で落花生がメニューにあったのでオーダーする。愛奈は食感が苦手だったようだ。愛奈はダイキリについてきた梨を一口食べ俺にくれた。甘くて美味い梨だった。次にオーダーしたのは愛奈はシャインマスカットを使ったウオッカマティーニ。俺はサイドカー。
「ゴリラいるじゃないですか」
「実習先の人ね」
「ほんといいなって思う。優しいし人のこと良く見てるしたくさん食べるし」 
「既婚者じゃ無きゃね」
「そうなの。でも奥さん可愛かった」
「たぶん可愛いだろうな」
「一緒にいれはいるほどいいなって気持ち強くなる」
「叶うとか叶わないとかそんな事はどうでもいいから今の時間楽しめたらいいね」
「頑張ります。お局怖いけど。でも最近機嫌いいからいいや」
シャインマスカット一粒を俺に寄越す。繊維質の食べ物があまり好きではないらしい。サイドカーを飲ませると美味しいと言った。
「サイドカーに犬って映画知ってる?」
「知らないです」
「すごくいい映画だよ。小説原作なんだけれど」
愛奈がスマホをいじる。
「Huluで見れるんだ」
「そうなんだ。便利やな」
「今度見よう」
その後は愛奈の好きな小説の話をした。加藤千恵って読んだことなかったなと思いながら話を聞いていた。
「次なんだけどさ」
「はい」
「ピアノがあるバーに行きたいんだ」
「行きましょ。その後ラーメン食べて帰るんだ」
「いいね、そうしよう」
店を出てると少しだけ肌寒くなっていた。
ピアノのあるバーに向かって歩いていく。
「バーに入るの初めてでした」
「そうなんだ。前の彼とは来なかったの?」
「入るのに緊張するとこには行かなかったんです」
「最初は緊張するもんな。慣れればいいんだけど」
「あっちの方にあるビストロにもやっと入ったくらいだから」
「そうなんだ。でもいいもんでしょ」
「すごくよかったです」
「そうだ」
「どうしました?」
財布から千円札を数枚出して愛奈に渡した。
「タクシー代、忘れないうちに渡しておくよ」
「えっ、いらないですよ」
「遅くまで付き合わせてしまったし」
「いいですって」
「いや、受け取って。今日は本当にありがとうね」
愛奈のポケットに押し込んだ。
「すみません。ありがとうございます」
「ほんと愛奈ちゃんには救われっぱなしだよ。だからこれくらいはさせてよ」
そうこうしてるとピアノバーの前についた。
少しだけ緊張したが意を決して入る。
店内は混雑していたが運良くピアノが横にある席に座れた。さっきまでは横に座っていた愛奈と向かい合わせで座った。目を合わせるのが照れくさくなるなと思った。
「リクエストしてもいいみたいだよ」
「えー、い���な。弾いてもらいたい」
「何かあるの?」
「一時期、月光にハマってて」
「いいね」
「でも何楽章か忘れちゃった。ちょっと聞いてもいいですか?」
「いいよ」
愛奈がイヤホンを繋げて聞いている。
その間に俺は「Desperado」をリクエストした。
「一でした」
「そっか、次に言っておくよ」
Desperadoが流れる。
愛奈も知っていたみたいで俺が勧めたピニャコラーダを飲みながら聞いている。柔らかくて優しい表情が美しく貴かった。
「これはさ恋愛の曲っぽいけどポーカーで負けた曲なんだ」
「えー」
愛奈が笑う。
次にピアニストの方に愛奈のリクエストを伝えた。
始まると今にも泣きそうなくらいに感動している愛奈がそこにいた。スマホを向けてその時間を記録している。その時の顔は少女のよう、昔見た愛奈の写真に少し似ていた。
お酒が進んでいく。
カウンター席のおじさまがビリー・ジョエルをリクエストしている。ストレンジャーやHONESTYが流れている。
会話は愛奈の男友達の瀬名くんの話題に。
「今度ドライブに連れてってくれるんですよ」
「ロードスターに乗ってるみたい」
「オープンカーか。この時期はまだ気持ちいいね」
「天気の良い日見ておくねって」
「いい子やね。その子と付き合っちゃえば?」
「でもね、絶対彼女いるんですよ。いつも濁してくるけど」
「そっか」
「沼っちゃう男子ですよね」
「じゃあさ、俺と付き合って」
「仮にも彼氏いるんですよ」
「冗談だよ。俺は君に似合わない」
もっと若くて横浜流星みたいなルックスで何か才能があって自分に自信があったらもっとアピールしたかもしれない。そう、愛奈に合うのはそれくらい優れている人で、愛奈を大切に包み込むことが出来る余裕がある人に違いないからだ。
「あの曲聴きたい」
「なに?」
「秒速の曲」
「One More Time?」
「それ!」
「じゃあ頼んでおくよ」
ピアニストの方にお願いするとすぐに弾いてくれた。愛奈は感激してこのときは本当にその強い眼差しが少し濡れていたように見えた。
タバコに火を点ける。愛奈をちらちらと見ながら吸うタバコはいつもより目に染みる。
ダービーフィズを一口飲む。久々に飲んだがやはり美味しい。
「すごく嬉しかった」
「よかったよ」
最後の酒に選んだのは愛奈はシシリアンキス、俺はXYG。
そのオーダーを聞いていたピアニストの方はGet Wildを弾いてくれて俺は笑った。
「これさ、シティハンターで出てくるんだよ」
愛奈はもちろん知らなかった。男の子の映画だからね。
「ボズ・スキャッグス弾いてほしいんですけど」
近くの席の女性が弾いているピアニストに声をかけたがちょっと待ってと制止された。女性がトイレに入った間に俺はこの隙にと一曲リクエストした。
愛の讃歌。
愛奈も知っていた。
タバコも吸わず、氷だけになった酒で口を濡らし、聞いていた。少しだけ目頭が熱くなった。
曲が終わるとお酒が届く。
「渋いお酒飲まれますね。さっきのダービーフィズとか」
マスターから声をかけられた。ダービーフィズの泡がいいよねと話した。
ピアニストにさっきの女性が話しかけている。
「ボズ・スキャッグスをお願いします」
「曲はなにがいいですか?」
「曲名がわからなくて…」
「それならウィー・アー・オール・アローンを聞きたいです」
俺が言った。すると二人ともそれがいいとなって弾いてくれた。
訳詞には二つの解釈がある。
僕ら二人だけ。なのか、僕らはみな一人なのか。
今だけは前者でいさせてほしいと思った。
「ピアニストの人が弾いてて気持ちいい曲ってなんなんだろう」
愛奈が言う。
「確かに気になるね。聞いてみるよ」
ピアニストの方に聞く。
「その時で変わります。上手くできたなって思えば気持ちいいですから」
なるほどなと二人で頷いた。
最後のリクエストに「ザ・ローズ」をお願いした。
ピアニストの方も好きな曲らしい。
「気持ちよく弾けるように頑張りますよ」
この曲は愛奈も知っていた。
オールディーズの有名な曲だ。
気持ちよさそうに弾くピアニストと聴き惚れる愛奈を見ながら最後の一口を飲み干した。
後半はあまり愛奈と話をした記憶がない。二人ともピアノの音色に癒やされながら静かに酒を飲み、少しだけぽつりぽつりと会話をする。そんな落ち着いたやり取りが出来る関係っていいなと思った。
会計をする。
お釣りを全て、といっても少額だがピアニストの方に渡してもらった。
財布の中身が増えている気がした。
愛奈に聞くと何もしてないらしい。
「きっと財布の中でお金が生まれたんですよ」 
そういうことにしてピアノバーを出た。出る直前に流れていた曲はドライフラワーでちょっとだけ不釣り合いで笑えた。
愛奈がラーメン屋を案内してくれるが場所が少し分かりにくくて何とかたどり着いた。
ビールを少し飲みながら餃子を食べているとラーメンが届いた。
二人して黙々と食べた。美味かった。
「大盛りにしてもよかった」
「私もう食べられないからあげますよ」
愛奈が麺をくれた。それを全て食べてビールを飲み干す。
二人で一頻り飲んだあとに餃子をつまみながらビールを飲み、ラーメンを一緒に食べてくれる女性は出会った事なかったかもしれない。
会計前にトイレに行きたくなって財布とカードを愛奈に渡して払っておいてほしいとお願いした。
戻るとテーブルに忘れていた眼鏡を俺に渡しながら
「使い方わからなくて自分で払っちゃいました」
「えっ、ああ、ごめん。現金渡すよ」
「いらないですよ。たくさんご馳走になったんでこれくらいはさせてください」
何度かやり取りしたが甘えることにした。
愛奈には甘えてばっかりだ。
店を出て大通りに向かう。
タクシーをつかまえようと。すぐにつかまった。
「このタクシー割引使えるんですよ」 
「ありがとうね、また会おう」
「はい!」
タクシーを見送った。夜の大通りをすーっと去っていった。
ホテルへの帰り道。コンビニでお茶と赤マルを買った。久々に吸って美味しかったからだ。お茶は愛奈の鞄に預けたまま忘れていた。
赤マルに火を点ける。
やたらと煙が目にしみる。夜空を見上げたら明るい繁華街にも関わらずいくつか星が見えた。
生きていてよかった。
それくらい楽しくて美しい夜だった。
また愛奈に会いたいと思った。次はいつ会えるだろう。そんな事を考えながらホテルのベッドに倒れ込む。
「死んだら悲しいですから死なないで」
今日何度か言われた愛奈の言葉がリフレインしている。
本当に素敵な人だ。あんなに幼くてどうしようもない人と恋に落ちてたのに上手に成長した。
あんなに気遣いできて疲れないのかなって思う。
少し心配だ。
愛奈を写した写真を見返す。ブレてる写真ばかりで下手さが目立つが二枚ほどいい写真があった。
大切にしなきゃならない人がこの世にはいる。
間違いなくそれは彼女である。
これは一夜の記録と愛奈への恋文だ。
なんてね
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ari0921 · 6 months
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桜林美佐の「美佐日記」(251)
ひたすら「誰かのために」生きた柳澤慎一さん
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、251回目となりま
す。
 現在、放送中のNHKの朝ドラは「ブギウギ」で、笠
置シヅ子がモデルになっているようです。
 あくまで「モデル」になっているだけで、事実と
いうわけではないところが複雑で、常にこの手のド
ラマを観る時は注意が必要です。
 歌われている楽曲が実際に存在するものであった
りするため、本当の話なのか作り話なのか分からな
くなり、困ったものです。
 このドラマには榎本健一(エノケン)と思われる
人物が登場します。そう、言わずと知れた日本の
「喜���王」です。
 実は、私、かつてエノケンと深く関係する仕事を
したことがあり、そのため、朝ドラにそれらしい人
が登場すると興味深く観てしまいます(と言うほど
ちゃんと観ていないのですが・・)。
 私がどんなことでエノケンさんと関わったかと言
いますと、さかのぼること2003年(平成15年)、
東京の「浅草演芸ホール」にある「東洋館」におい
て「エノケン生誕100年祭」が開催され、私はな
んとその総合司会を務めたのです。
 エノケン夫人を招き、小林のり一さん(三木のり
平の長男)、八波一起さん(八波むと志の長男)、
三波伸一さん(三波伸介の長男)によるコント、前
田憲男さんのピアノで柳澤慎一さんが歌うエノケン
メドレー・・・など、豪華盛り沢山で、最後は私も
皆さんと一緒にステージで「月光値千金」を歌い、
幕を閉じたのでした。
 こうした皆さんと丸一日過ごさせて頂いた経験は、
本当に得難いもので、楽屋でのしきたりなどで失礼
があってはいけないと、その日は知人の芸人さんの
付き人に身の周りの世話をお願いするほど気合を入
れました。舞台裏での張り詰めた空気や緊張感を忘
れられません。
 なぜ、私がこのような大役を仰せつかったのかと
いうと、かつて俳優や歌手として名をとどろかせた
柳澤慎一さんとの出会いからでした。
 柳澤さんは介護のNPOを立ち上げ、老人ホームの名
誉館長をされていて、私がその施設をリポートする
仕事で訪れた際に初めてお目にかかったと思うので
すが、悲しいかな、そこから先が思い出せません!
 いずれにしても、きっかけは全く関係のないこと
だったのですが、柳澤さんは、私の恩師が脚本家の
西澤實であり、西澤門下で朗読の活動をしていたこ
とや、懐メロに詳しかったことで「大抜擢」して下
さったのだと思います。
 柳澤さんは戦後、信徒ではなかったようですが、
通っていた教会で宣教師の方と出会い、奉仕活動に
目覚めたといいます。
 進駐軍クラブでジャズを歌い始めたのは、戦災孤
児や障害者の慰問費用を捻出するためでした。
 エノケンに可愛がられ「柳澤をオレの二代目にす
る」と言われていたほどだったといいます。数多く
の映画やドラマに出演していますが、私がリアルで
知っているのは「奥様は魔女」のダーリン役の吹替
です。
 福祉活動をしていたことは秘匿していたといい、
老人ホームの受付にいてもその人だと気付かれるこ
とはなかったようです。
 そんな方が「エノケン100周年」の時だけは恩
返しということでステージでスポットライトを浴び
たのですから、実に貴重な場面に私はご一緒したの
です。
 柳澤さんが一昨年2022年の3月24日に89
歳で召天されたと知ったのは昨年になってからでし
た。
 亡くなってから1年間も公表されなかったのも、
柳澤さんの遺志だったのでしょうか。とにかく「善
行を見せびらかさない」という、手本のような方で
した。
家を売却して福祉活動に投入したという逸話に驚か
されましたが、そもそも芸能界に入ったのは福祉活
動のためだったといいますから、その意味では柳澤
さんが人のためにタダ働きをすることはこれ以上に
ない自己実現だったということになります。
 一流のオーラを持ちながら、絶対に目立たないよ
うにして、ひたすら「誰かのために」生きた柳澤さ
ん。今やその名前を知る人も少なくなっているかも
しれませんが、日本人が忘れないように、こういう
方の物語を朝ドラにしてはどうなのでしょう(ご本
人は嫌がるでしょうけど)。
それにしても、朝ドラのおかげで柳澤さんの命日に
合わせてこのような思い出を書けたわけですから、
観ていて良かった!ということですね。
 
 今日も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た。どうぞ良い1週間をお過ごし下さい!
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manganjiiji · 7 months
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思いもよらぬ状況に今…ありますんで
というテロップのニュースを映したテレビの上に猫が乗っかっている(なにやら迫真の表情)画像がかわいかった。ツイート主は「遅刻しそうな時に上司に送るスタンプとして使ってください」と書いていたので、まあここに貼ってもいいだろう。これである。
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思いもよらぬ状況に今、あったら、たしかに遅刻するかもしれない。と思い、しぬほど笑った(死なない)。猫がいることで「ぜってー嘘だ」感が出るし、猫が言っているかのようなニュアンスも持たせられ、とにかく猫の表情がいい。
もし、新卒のあの期間、今くらい病状が安定しており、生まれた家との距離も取れており、とにかく今のような考えかたのできる人間だったら、今頃私はそれなりにちゃんとした大人になれていただろうなと思った。そして、今のような安定した状態で働けることは、なんていいことなのだろうと思う。自分が不安定な家の生まれでなかったら、もしくは、そういう家でも自分を見失わず精神疾患に陥ることがない因子をもつ人間だったら、という夢想に意味はないのだが、でも、もしそうだったら、新卒の時あんなに周りに迷惑をかけなかったし、もっと楽しくやれただろうし、良くしてくれた人達にたくさん恩返しすることが出来ただろうにと思う。それに岡山はとてもいい場所だった。岡山に馴染むことだってできたかもしれない。それができなかったのは、やはり、病気だったこと、家族との関係の整理に10年以上の歳月が必要だったこと、まだまだ子供時代をやり直す必要があったこと、東京が自分のやりたいことができる場所だったこと、様々な要因がある。岡山の会社を辞して東京の念願の書店に就職し、明らかなブラック企業だったが、とにかくみんなが売上に向けて団結していて、そういう熱血なところが自分に合っていた。ただ、その会社で初期の社会人教育を受けたため、私の仕事観、労働観は暫くのあいだ歪んだままだった。矯正できたのはここ数年のあいだで、32を超えてからやっと、「働きすぎる」をやめることができた。そこから、病状の快癒にも本気で取り組み始め、今やっと、穏やかな気持ちで仕事に向き合うことができている。人間、生き延びればなんとかなるんだなあと、思うことしきり。それだけ周囲の人間とぶつかり、迷惑をかけ、様々な問題を起こしてきたということなので、全然「申し訳ありませんでした」の気持ちが強いが、正直、私のような、家庭で教育を受けずに育った人間を育てるのもまた社会の役目であるから、(会社や友人が私に迷惑をかけられるのは)まあ仕方ないよなと思う。私は私で、社会としてそういう人を育てていくことをしていきたいと思う。そうやって恩を返すしか他にない。社会全体がこういう考えを持ってくれるといいなと思う。子供は家庭が育てるものというより、社会が育てるものという思想の方が私の肌には合う。
今後の進路に悩んでいる。というか、何をしたいという感情も最近なく、ただ生きていきたいかなあと思う。ただ生きていくためには今の収入では厳しいので、転職…だよなあ。という気持ちだが、いかんせん体力が追いつかない。体力���つけたいが、すぐに寝たきりになり、回復のタイミングが掴めない。じゃっかん病状が後退している気もしなくもないが、冬季で日照時間が減っている影響かもしれない。去年の今頃はもう少し体力があったのだが、生家で過ごすストレスにやられて限界を超えていた。それを思えば精神的にはかなりましだと思う。自炊ができなくなってかなり経つ。朝食がまず用意できないのでなにもかもがご破算、という感じで、きつい。もはや食事という行いをしていない。ただお菓子を食べ続けている。それでは力が出ないのは当然だと思うが、もうお菓子を食べることしかできないので、最悪な循環に陥っている。どこかのタイミングでまた自炊ができればいいのだが、体力がつくまでは無理かもしれない。それでもとりあえず仕事は休まず行っているのでいい。欲を言えば、仕事が週3だと少なすぎるので(=休日が多すぎて精神的にどんどん沈んでいってしまうので)、週4にしてほしいなと思う。店側の事情もあるのでなかなか言えることではないが、当初の週4という希望を上司が忘れることがない程度にはリマインドしていきたい。そのためにはまあ3ヶ月は休まず出勤する必要があるだろう。今月、休まず行ければ、シフトの相談をしてもいいのではないかと思う。
このツイートを今のタイミングでするのは良くないな、と思い、ツイートするのを我慢したことが、今日は良かったと思う。別に人を傷つけたいわけではないのだが、私の意見で傷つく人もいるだろうなあという想像力はあり、タイミングは選んだ方がいいと思った。凹んでいる人に追い討ちをかけるような真似は慎んだほうがいい。でも、まあ、そこまでいちいち「他人が傷つく可能性」を斟酌して振る舞い続けるのもどうなんだ、という思いはある。私の意見は変わらないのだし、傷つく人は結局いつであれ傷つくだろうし。ただ、タイミング的に個人攻撃と受け取られそうな危険は回避すべきだと思った。攻撃したいわけではない……しかし、やはり、「それはちがうだろう」と声をあげたい時は私にもある。そういうの(考え)は私は好まない、私は違うと思う、という思いは、まあ別にひけらかす必要はなく、自分が持っていればいい。ただ、目の前で、たとえば仲のいい友人が、その思想と真逆のことを言っていた時(行っていた時)、一体どうすればいいんだろうと思う。黙っていたらその思想に追随する人のように思われるかもしれないし、かと言ってその場で否定を唱えても、事件化してしまう可能性もある。静かに離れるのがいいのだろうか。そうやって自分と違う意見の人と離れていった結果、社会的に分断が生まれてはいないだろうか。私は、ある程度は、その友人と関係を続けたいならば、「私は違うと思う」を表明していったほうがいいと思っている。ただ、それを表明するタイミングと場所は…考えないと無為に人を傷つけてしまう、そのことはかなり難しい問題だなと思う。相手の立場や、自分との関係にもよるが。
2024.3.4
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istut · 9 months
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*2023.12.31.
2023年が終わりますね。
今年は1月の大寒波でガス釜が壊れ、50日間お湯の出ない暮らしを経験し、生まれて初めて膀胱炎になりました。
ようやくお湯が出たと喜んだ1週間後。
最愛のシブが、僅か1歳という若さで突然亡くなってしまいました。
経験したことのない悲しみは、その後発症した帯状疱疹で強い痛みに変わり、プライベートでは前を向くことが難しい時期もありました
                                                     それでも多くの方々の励ましを頂きながら、今年も良いお仕事に恵まれ、ふたりで様々なことにトライできた1年でした。
そして今、シブが繋いでくれた縁で素晴らしい保護猫さんに出会うことができました。
つぐちゃん、我が家に来てくれてありがとう。
人生は悲しいことと同じくらい嬉しいことが起きる。
それを実感した1年でした。
今年ふたりは55歳になります。
体力的に無理が効かないと実感することが増えました。
もう時効だと思うので告白しますが、今秋のフィンランド買付けの時も、最後に大きな怪我をしました。
今月も出店先でも予期せぬ怪我をしました。
健康が一番。
つくづく実感しています。
この先もふたりが元気に笑顔で過ごしていくことが、皆さんへの恩返しだと思っています。
明日は今日の続きでしかないけれど、皆さんにとって新しい年が素晴らしい時間でありますように。
いつもいつも長野市から、つぐと3人でエールを送り続けています。
どうぞ良いお年をお迎えください。
#istut
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shiri1124 · 1 year
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日記
近頃は以前よりも上手に親との距離感を取ることができております。と言うのも一人暮らしを始め早一年、一人暮らしをする前は親(特に母)との距離感の掴み方が難しかった。子供(私)にとって親というのは幾つになってもやはりどこか特別で割り切れない存在だった。昔から親の顔色を伺って生きてきたせいか帰宅後すぐ今日親が不機嫌かどうかがわかるようになってしまった。親の機嫌が悪くなると居心地が悪かったからだ。しかし最近は割と腹を割って話せることも増えてきた。
 そして話していると気付くことがある。私にとって親は、完璧であるべき大人、私のことを作った人。という認識だったのだけれども、実は親も歳をとっただけの子供という言葉が染み込んできた。テレビやYouTubeなどで人の発達発育については親の存在が大きく関わるというような話が流れるたび、母は「自分の親はああだから仕方ない」「私は苦労をしてきた、かわいそうだ」といったニュアンスの内容を話す。私はお母さんにとって育児の話は自分の行いについて振り返る場面というよりも、自分が今まで受けてきた行いについて振り返る場面なのだ感じた。もっと分かり易く伝えると、母はその両親から受けた教育、育て方に満足がいっていない。だから自分はその被害者であると感じているのだと。私の中で親という生き物は完璧な存在だと思っていたし、完璧であるべきだと思っていた。だから完璧じゃない自分の親のことが許せなかった。でも、完璧になることは難しいのだと気がついた。親は20代半ば〜30代前半と今の私とそう違わない年齢の時に、ある日突然親になることを宣言されたのだろうと。親になる!と親になるための考え方、知識、決意を持って親になったのではなく、周りの環境、時代の流れなどそういったものに囃し立てられて親になったのだろうとそう感じた。そう思った途端親のことを責められなくなった。恨んでいたいじめっ子が実は私よりも惨めな環境に居たことに気づいて戦意を喪失するようなそんな感じ。親に「子供がいなかったら」と言われた瞬間から私は被害者なんだ、勝手に産んだくせに人のせいにしてくる加害者から被害を受けたんだと思って生きていた。でも、その加害者もその親からありとあらゆる被害を受けて育ってきたんだって知った。30を過ぎても親のせいにして生きている奴はダメな奴だって聞くけれど30過ぎても自分の人生が送れないほどに私の親も傷ついて来たんだろうって思ったんだよね。 
 「産んでよかった。生まれてきてくれてありがとう。」この言葉を親の口から聞くことができたらそれこそが過去の私に対して一番の恩返しになるんじゃないかって気が付いた。これは親の顔色を見て決めたことではない。昔の私が命を生きることを諦めなかったからこそもらえる言葉だし。一番認めてほしい相手に心から認めてもらえることができたら、それは私の一番の存在価値に繋がるんじゃないかって思うんだ
 (なお父はすでに私のこと大好きな様子)
 親というコンプレックスを乗り越えた先の私は今よりもずっともっとキラキラ輝いた SO CUTEな生物になれると思うんだ
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njnjhoney · 2 years
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2023/01/02
元旦は毎年、親族がうちに集まって食事。朝昼晩とたくさん食べた満腹感で年の始まりを感じた。弟に勧められてチェンソーマンを一気に11巻まで読んだ。弟の解説付きだったので、自分で気づける以上のことを教えてくれて楽しかった。弟とは最近、将来的な真面目な話をすることが多くなった。両親が寝たあと、さっき話していたことを忘れたくないので記録として。
まず弟は最近 、自分の生き方を否定されるような発言を受けたらしく、傷ついた経験をしたそうで、そこで他人との距離感を学んだらしかった。弟も、私と同じとは言わないが我が強い性格をしているので、干渉されることが嫌いなんだと思う。私も思わず彼に対してモヤモヤされたエピソードを話したら、「男の子」 らしく、しかしちゃんと私のことも考えて、アドバイスしてくれた。聞いてほしいだけなのにアドバイスしてくるところも父に似ている。弟は 「仕事以外の目標もメモしといて、仕事をとりあえず頑張るでいいと思う」 と言っていた。彼へのフォローも欠かさなかったのは我が弟ながら本当に偉いと思う。このエピソードも含めて、彼に話せそうかな、と考えたり。
あとは “幸せ”について。弟にとっての幸せはうちの家業を継いで、結婚して子どもを授かって、その子どもたちに贅沢させてあげるだけのお金を稼いで、看取られて生涯を終えることだそうで。両親に今の生活を送らせてもらっていることにとても感謝をしていて、その恩返しをしたいとも言っていた。アバウトではあるがちゃんとそういうことを考えていることが成長を感じた。最近彼女ができた報告をしたのも、両親への恩返しの一環らしく、そのことが愛おしかった。地に足つけて地元で暮らす人生を選ぶ弟と、 “好きなこと”ベースで自由に生きている私とでは、意識の違いはあるものの、不器用だけど考え続けている姿勢と、「恩返し」 を意識していることは一緒でおもしろい。
あと 「日々30%の “ストレス”を受けて生きる必要がある」 「高次な幸せを目指して生きたい」 という話もしていた。弟が最後に話してくれた言葉で救われたのは、好きなアーティストが 「天才とは優しさ」 と言っていたというもの。その人曰く、「優しさとは共感する力であり、それを引き出して表現としてつくれることが “天才”」 ということらしかった。弟は 「人に優しくできるってすごいことなんやなって思った」 と言っていて、その言葉に、本当に当たり前のことだけれど大切なことを思い出すことができた。まだ完全にメンタル復活はできていないけれど、この言葉をお守りに、立っていられることはできそう。弟の未来が明るいものであってほしいし、私よりも不器用なところもあるけど、これだけ根が澄んでいるならなんだかんだ大丈夫だ、となんとなく安心した。
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kennak · 1 year
Quote
肌感覚ではあるが、最近どうも子を持たないような風潮がある気がする。調べたところ、子を作らずに夫婦共働きをする生き方を、最近は「DINKs」と呼ぶらしい。どのくらい一般的な言葉なのかは馴染みがないため解らないが。私は40年近く、そのDINKsと呼ばれる生活を続けてきて、つい先日還暦を迎えてしまった。しかしながら、正直DINKsという道を選んだことを後悔している。子を持たない選択をした20代の自分の価値観や知見と、実際にそのまま突き進んだ先にいる60代の自分の価値観や知見との間に大きな乖離があった為だ。平易に言えば、若く経験もない20代の頃に考えていた「合理的な選択肢」は、そこから40年近くの人生経験を積んだ60代になってから見えてきた「真に合理的な選択肢」ではなかったということになる。DINKsのメリットと当時考えていたこと1.子育てに時間を取られないため、余暇を確保できる2.フルで共働きが可能なので、経済的にも余裕のある生活ができる・上記の結果として、金銭的・時間的に余裕を持つことができるので、例えば趣味に時間を割くことができるとか、いい家に住めるとか、車を持てるといった形でその恩恵を受け、実生活における充実度は上がるものだと考えていた。DINKsを実際に40年続けて気がついたデメリット1.趣味としていたものは40代くらいで飽きてしまう・趣味に打ち込む時間が多い分飽きも早い。たまに打ち込むからこそ長く続く趣味になるのだと、飽きてから気が付いてしまった。→そしてその結果として余暇を持て余しているのが現状である。・そもそも60代にもなって増田をしている時点で、どれだけ余暇を持て余しているかは察することができるだろう。2.子供がいないことで人生における起伏が減る・子供の成長や受験・結婚など、子の人生における成長過程はその1つ1つが親の人生においても大きなイベントになる。→子を持たなかった結果、そのようなイベントが少なく、起伏の少ない人生を送ることになり、総合的な満足度は低くなると気が付いた。・最近よく耳にする「コスパ」という概念に当て嵌めるならば、低コストではある一方で低パフォーマンスな人生になり、総合的にはむしろ子を持った方が充実した良い人生を送ることができたと思う。3.結局夫婦共働きでも生活水準はそこまで上がらない・2人で働き、子に使う分が浮いた結果手にしたお金の使い道など、精々いい家に住む、家具や車を買う、趣味の道具を揃える程度であった。→正直お金は余る一方なので、共働きと子なしで収入を増やし支出を減らしたところで仕方なかったと、今になって思う。4.精神がかなり摩耗する・この生活をしていて、周りの人々から「お子さんは?」と訊かれることが非常に多かった。その度に社会通念に反した自らの選択の合理性の説明を強いられる上、結局は価値観の相違に帰着する為、腑に落ちない顔をされるか、「成程」と適当な相槌を打たれて終わるのみである。特に、親の死に際に「孫が見たかった」と言われたのはかなり精神に応えた。親には子を持たない選択について話していた上、それなりに理解してもらえていたのだと思っていた分、最期に親との隔絶を突き付けられたのは相当に苦しいものがあった。ただ、これは増田が若かった時の価値観に依る部分があると思うので、今の若い人であればそこまで周りに精神を削られることはないのかもしれない。5.必然的に介護が厳しくなる・まだ60代で比較的身体は動くと思っているが、これが70代や80代になってもお互いで支え合うのは正直苦しいと思う。なお、子供を介護要員として捉えるのは利己的に映るかもしれないが、増田自身も親の介護に奔走していた時期がある。則ち、「親を介護し、子に介護される」というところまでが1つのサイクルなのではないかと最近になって思う。6.友人が減ってしまう・子を持つようになると、皆家庭内のことで忙しくなり、暇な私と休日を過ごしてくれることはなくなる。また、子育てという共通の話題を持たないことによる疎外感は存外大きかった。・20代、30代の頃は学生時代や職場の友人とこの先も仲良くやっていくことができると考えていたが、実際は友人がどんどんと家庭の時間を重視し、私からは離れていった。7.上記の後悔はもう取り返しがつかなくなってから襲ってくる・一番苦しいと感じているのがこの点である。子供を持った方が良かったと、気づいた時にはもう遅いのだ。・40代も近くなり、身体的に出産が難しくなってから急に結婚や子作りに取り組むようになる人を見たことがあると思う。これも歳を重ねるうちに上記のデメリットの大きさに気付いた人の末路だと考えている。かくいう私も、40代に差し掛かる頃に妻と最後の話し合いに臨んだことがある。その時点ですでに子を持たない選択をしてから10年以上が経過しており、既に周囲にも十分に喧伝していた手前、自らの選択を撤回できずに進んでしまった。あの時に柔軟な選択肢を取ることができれば、或いは違った状況だったのだろうか。時すでに遅しと理解しつつも、やはり考えてしまう。結論・DINKsに魅力を感じている人はもう一度よく考えて欲しい→DINKsによる経済的・時間的なメリットは、結局そこまで享受できない。→一方で、DINKsに踏み切る際に意識していなかったデメリットは40代以降に顕在化し、気が付いてからはもう取り戻すことができない。・20代での想像と60代になっての実感は相当にギャップがあるということを20代のうちに知っておきたかった→今これを読んでいる人の中に子を持たない選択をしようとしている人がいれば、考え直して欲しいと強く思う。
子供は作っておいた方がいい
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ndmnemosyne · 1 year
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2023.7.8
夜中に目が覚めてしまい、二時間ほど眠れなくなった。ちまちま鎮静する薬を飲んだがだめで、諦めて導入剤を再び投下するまで迷い、時間がかかってしまった。その間新書サイズで作りたい本の下調べをしていた。先送りにしてあとあとのことを考えられない、神経むき出しのわたしの愚かさよ。
五連勤二日目、朝からできるだけのことをしているのに、何かに常に追われているような気持ちで、座っていられない。しゃがんで立って、を繰り返す。その合間にペットボトルを使っておもちゃを作る。三十分後には興味がなくなるような、そういうおもちゃ。ペットボトルが準備できたのは七本なので、七つ。あとはデコレーションだがそれは数が揃ってから一気にやるつもり。あと何本、わたしは300mlのドリンクを飲めばよいのか……ゲボ出る。
まとまって返ってきた本をずっと返していた。他にも人はいるが、以前所属していた、そしてとても恩義を感じている館長たちは、「完全に手の空いた時は自分の仕事、でも配架が先。その日返ってきたブックトラックにある本がある程度落ち着くまでは、自分の仕事を優先せず、皆で整えましょう」というスタンスだったのもあり、生まれたてのひよこ司書だったわたしは今でもそうしてしまう。それが今の館長の思うところと同じかはわからないが、なるべく自分のことにかかりきりになってフロアに出られない状況は避けるようにしていて、手空きならすぐ配架に向かう。事務所で自分の仕事をするのはどうにも苦手で、カウンターでできることは全部カウンターでやる。周りを見ているとそうでもない様子だけれど、まあ駒が一つ余分にあるのだし、カウンターにいるだけが仕事ではない。書架に向き合い整えることは嫌いなことではない。閉館の作業のうちに新聞かけから新聞を外し、書庫の所定の位置に仕舞うのも割とよくやる。決まったものの場所があるので、それに従うのはとても楽だ。自分の部屋はぐっちゃぐちゃだが。
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all-saturday · 1 year
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2023 first half
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2023年の上半期を振り返ってみる。
1月
せっかく地元に帰ったのに、元旦に弾丸で県外にドライブ。ついでに弾丸でアウトレット行って全然今必要じゃない夏物を買う。
2月
目標月収を達成。吸い取られる税金に泣く。
ついに最後の親知らずを抜歯。過去イチで痛い。これが最初の1本じゃなくて本当によかったと思う。
地元の友達が、半日かけて熊本に遊びに来てくれる。草千里をご案内
3月
人生初のいちご狩り。美味しかったけど3月なのに暑くていちごがぬるい。
初めての天草!一人ドライブ。海がきれい。ドーナツに衝撃を受ける。今まで食べた中で一番おいしい。
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4月
東京出張でオフィスに2回目の出社。楽しかったけど思いきり体調を崩す。1週間後に控えている沖縄に向けて死ぬ気で治す。
同僚と1週間の沖縄ワーケーション。airnb初利用。沖縄の虫は大きい。マンゴーパフェが美味しすぎたのでもう1回食べたい。
熊本に来て1周年を迎える。
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5月
人生で2人目のカメラマンさんとのポートレート撮影。写真の空気感ドンピシャで好き〜!(記事サムネイル)
ミッフィー好きな友達がはるばる遊びに来てくれたのでハウステンボスのミッフィーコラボカフェに行く。うっかりミッフィーが好きになる。
絶対似合わないと思っていたワイドバングに挑戦してそこそこ好評を得る。
仕事で思い悩むことが多すぎて本格的に精神が参る。周りがいい人すぎるから逆に困る。
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6月
福岡日帰り旅行の帰りに駐車場が故障し、1時間半閉じ込められる。檻と化した駐車場の中から、パチンコ店に違反駐車している人たちの帰路を10人近く見送る。
紫陽花とポートレート撮影。花×人はやっぱり素敵だ。
宮崎初上陸!残り九州は鹿児島だけ!
同居人の誕生日にリファのシャワーヘッドを買う。自分もちゃっかり恩恵に預かる。
撮影会にモデル&カメラマンとして初参加。友達以外のポートレート撮影は初めてで、大いに刺激を受ける。
撮影会の1週間後くらいに勢いに任せて初フルサイズに手を出す。もう直ぐ届くはず…
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下半期に向けて
タイ旅行に行く。
好きな髪型を見つける。
もっと身体しぼっていく。
UIUXもっと勉強する。
好みのカメラストラップとカメラバッグを買う。
撮影・被写体どちらでも自分の好きな表現を創り上げていく。
最低もう1回モデルの撮影をする。
レタッチのスキルをあげる。
55mmの単焦点をひたすら使い倒して作例をnoteにまとめる。
構築中の写真の作品サイトを公開まで繋げる。
ジップスライドに乗る。
ここで総評。
なんだかんだ、「はじめてだな〜」みたいなことにチャレンジする半年だった気がする。熊本にきてから知り合いが特にいないので、ポートレートのカメラマンは全然やっていなかったけど、ひさびさにやったらやっぱりめちゃくちゃ面白かったしもっともっとやりたくなっちゃった。
仕事については、実力以上のことが求められたり、入社してからというもの「やったことないことしかやっていない」という毎日なので、ぜんぶ伸び代〜〜!という気持ちはありつつもしんどいのは間違いない。何がしんどいのかもう少し分解すると「私のこれまでの経験をフルに活かせます!」といえないこと。私もわからないのでとりあえずやってみるしかない。聞かれたってわからないから全部調べる。とにかく時間がかかる。脳死でできる仕事がない。笑 周りにいる人たちは本当にすごくて、「自分が力が及ばない」ことに申し訳ない気持ちになるばかりだけど、でも胸を張っていえることは、一年前より明らかに成長しているってこと。知識も、使えるものも、どんどん増えているのが振り返ってみた時に気づいた。 そのときすこし気持ちが楽になった。昔の自分よりは確実に成長している。だからこのまま頑張っていこう。
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kanade0929 · 1 year
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Gメン月間28日目!!
今朝は奥野壮さん演じる八代弟のキャラクター紹介でした、、!1年生なので勝太達とは同い年ですが、どう物語に絡んでくるのか、楽しみです、、!
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そしてGメン月間も残すところあと2日になってしまいました、、😭本当に欠かさず毎日お知らせしてくれて、日にちに6が入る日ではサプライズ感を大切にしてくれたGメン公式様、、!恩返しはとにかく映画をヒットさせることだと思うので、頑張りたいですね、、!是非、一般の方や他界隈のオタクの皆様にも見て頂きたい、、!そのためにも上映館数を増やすことが大事です!!
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というわけで現在、映画.comでアクセス数を競うイベント開催中です、、!1位~3位までには宣伝にも使えるアクセスランキングバッチなるものが送られるそう、、!是非〝1位〟を目指してアクセスお願いします、、、!
映画『Gメン』まであと、
5⃣8⃣日!!!!!!
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