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#昨日入荷しました
eieneie · 7 months
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肉斬骨断イベントよかった! エンドゥちゃん可愛かったが…可愛かったし終わり方も最悪のバッドエンドではなかったが…なかったが~~~!! あの声聞いて大丈夫か!?大丈夫みんな生きてるから大丈夫って感じですか!?再登場ドキドキする あと最後にめちゃくちゃ嬉しい驚きだったのがLCD!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!嬉しいよーーーーーー!!!6章以降出てくるのかな…期待 ーーーーー BOOTHに送った新刊既刊再販分が爆速入荷されまして(入荷まで15営業日くらいかかるって聞いてたんだが?!)、昨日通販開いてました。 手に取ってくださった方、ありがとうございました。
・よすがの向こう岸 ・罪悪のワルツ こちらの2冊ですが、次のイベント参加に合わせてもっかい再販して、残部を通販に入れたいな~っ…て感じです。 夏のイベントのどこかに出られたらでたいな…て思ってるので、また予定決まったらお知らせします! 大分先になっちゃって申し訳ないんですが、ご興味ある方は検討いただけると嬉しいです。 あと、今回の通販に合わせて発掘されたルイナ既刊を数冊送ろうと考えてたんですが一旦やめて、夏のイベントでルイナの再録作りたいな…て考え中です。 色々ごっちゃ煮の再録になると思うが…あと大分修正したいが… ーーーーー ダズムン6.5で頂いた差し入れを日々少しずつ頂いてるんですが、どれもめっちゃおいしくて本当にありがとうございます!!! 甘いのも…しょっぱいのも…美味い!! 美味しすぎて自分でも同じの買ったりしました。 あと、自分で食べてるとパッケージってあんまり意識しないんですが、頂いたものだとパッケージの可愛さをしみじみ噛み締めることができるというか…めちゃ…かわいいな~っ…そして美味いな…て出来て嬉しいです。 改めて、ありがとうございました~ ーーーーー サイトログ色々更新しました。 これでロボトミルイナはようやく…ようやく格納し終わったかな!て感じです! 色々ガタついてたので表示とか直しつつ… ちょこちょこ改装と追加進めていきたいの感じ
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jujirou · 3 days
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おはようございます。
福岡県北九州市小倉は晴れております。
昨日早朝、北九州市の新門司港フェリーターミナルに着岸後、小倉の展示会会場まで移動し、ブース設営やら搬入作業。
朝一の車からの荷下ろし時、会場内はクーラーが効いておらず、ブース設営が終わる頃には汗だくに…
その後は段ボール箱から在庫を出しては、展示台の下に整理したり、展示品を箱から出しては並べたり…
毎回どの様に並べ様かと、アレコレと考えているうちにお昼。
お昼過ぎからはある程度並べ終わり、プライスカードを並べたりライトを設置したり、何とかかんとか並べ終わりました。
そして本日19日から24日迄の六日間、北九州市小倉北区の西日本総合展示場・新館にて、一年に一度の第46回 西日本陶磁器フェスタが始まります。
今回も新作の他、様々な品々を展示しておりますので、お近くにお住まいでご興味の有ります方は是非、ご高覧頂けましたら幸いです。
今年の小倉の展示会でも、期間中良いご縁があります様に。
そして皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田の物作り #漆 #うるし #ウルシ #髹漆 #寿次郎 #西日本陶磁器フェスタ #西日本陶磁器フェスタ2024 #ブースno28 #9月19日から24日まで #今日から六日間開催 #本日展示会初日 #昨日は搬入日 #伝産法改正 #個人の未来と産地の未来 #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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yuihyz · 1 month
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tumblrのアイコン戻ってる。
昨日は1時間くらいチャリ爆走してて9-18まで様々な予定をこなしたので何にもしなかった。何も、は嘘。
でも夜は休んだ。
今日はコンペに出す記事を書き上げる。とりあえずお風呂に入ってお化粧しよ。昨日買ったブルーのTシャツ着ようかな。
何もしてなくないね。
食器洗って歯医者さんいっておばあちゃん荷物もって、そのまま買い物行って帰って少しだけご飯食べてピラティスいって帰ってご飯作って洗濯物干して病院いって帰ってきた。
この間移動ずっとチャリ。そりゃ体重も減るわな。
目指せあと-8kg
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europiumoon · 2 months
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茹だる
うだるような暑さが続いていた。うだる、を漢字で書くと茹だるらしい。茹でられながら家と会社の往復をしている毎日だった。仕事量も徐々にだけど増えていて、前部署にはなかったような残業時間。あっという間���周りが帰っていたころとは違い、さすが本社だな、と思う。出退勤をお知らせしている社内チャットツールには、「お疲れ様でした」と22時に近い投稿時間に慄いた。起床時間は実家に居た頃と変わらない。身だしなみのほかに、弁当作りと朝ご飯、皿洗いが追加された。2日に1回は洗濯物を干している。実家に居る弟曰く「お姉ちゃんがいなくなってから洗濯物の量が減った。」と言われた。そんな弟から珍しく「電話してもいい?」と連絡があった。ただ事じゃないなと思い、返事をし、電話をかけると、『仕事をやめていたのがバレた』とのことだった。いや、そもそも辞めていたなんて私も知らないし。昨年末に辞めてたなんて、あんた詐欺師になれるよ、なんて言ったりもした。そんな弟とは月末に、気晴らしにでもなるかなと、都内で開催されるCLAMP展にお誘いしていた。なんやかんやで、弟は両親には怒られず(もう立派な大人だし)、無事共に行くことができた。美術館までの移動中に、仕事について聞くと、「自分の自由時間がしっかりとれるところに行きたい」と役所系を目指すと言っていた。私も過去に役所に行けと言われ、結局最終面接で落ちて今に至るんだけど、私は弟に「向いていないんじゃないか」とも伝えた。元々勤めていたところも準お役所系な場所で、上司からひどく扱われ、見合わない給料に嘆いていたから。それでもって、休職をしていたのだから、もう同じような場所で働いて疲弊している姿を見ていたくない。とそれとなく伝えたが、囚われている気がした。LINEでほぼ毎日連絡はしているけれど、弟がどうしたら幸せになるのか考えているばかりで。私の考えすぎで、それでもって迷惑かもしれないけどね。ただ幸せになることはこれからも祈っていくよ。
お弁当を1人暮らしになっても持って行っている。実家の時は母に詰めてもらっていたが、大学時代とかでも、きちんと自分で作っていたよ!なんだか、私にとって、コンビニの弁当とか、はじめのうちはいいんだけど、どんどん好きじゃなくなって、しんどくなる。(個人的な意見です)なので、修論書いているときは、自分で作る時間もなく、他で買った弁当も食べたくなくて、みるみる痩せていった。不正出血もした。私の弁当道にはこだわりがあって冷食をいれないこと。いや、便利なんだけど、母も入れるし嫌いでもないんだけど、なんだか自分の作る弁当には嫌で、ずっと手作り。きっと人生のステージが変わる時が来ればそんなことないんだろうけど。恋人のお弁当も手作りで、毎日ゆで卵2つと肉を要求される。肉というよりタンパク質かな。ゆで卵は味付けを変えるだけだけど、毎日同じの作るのも嫌なので肉はアレンジしている。月々5,000円。高いというけど、材料費と愛情と手間暇にケチるな。ゆで卵を作るのが嫌になってきて、とうとうゆで卵メーカーを月末に導入した。もっと早く導入すれば良かったと思うくらいのぷりんぷりんのゆで卵。おすすめ。私は2段のものを買ってブロッコリーだったり、温野菜もした。
恋人がパーマをかけたらブロッコリーになった🥦私はそれを気に入ってイラストにしてロック画面にしている。2周年に、とブロッコリーの恋人イラストTシャツを送り付けることにした。3XLって聞いたことないけど。
実はゆで卵の殻を剥くのがしんどかった時がある。それこそ恐怖のアンパンマンスライサー事件。恋人と話していて悩む部分がありながら新品のスライサーで胡瓜をスッスッとしていたら親指もスパッといってしまった。ものすごく血が出てパニックで涙が出たけど、今はもう元通り。生命力ってすごいね。それこそ暫くはアンパンマンの食べかけの顔状態になっていた。
弟との話に戻るが母が食べたいと昔ねだったおはぎを買いに行った。茹だるような暑さの中、噴き出す汗に弟から「お姉ちゃん汗やばいよ」と言われながらも手に入れた。カラフルで美味しい『タケノとおはぎ』サボリーマン甘太郎から私も虜だった。私の分と家族の分2つ予約して買った。
私は和菓子にはどことなく目がなくておはぎもそうだけど、あんみつだって、おしるこだって、羊羹だって大好き。昔から祖母が手作りで餡を作っていたが故に大好きなんだと思う。ういろうも大好き。昔恋人の故郷で、虎屋のういろを一本食べた。死ぬ思いだった。恋人にホワイトデーのお返しの品が返ってきていない!と言い続けたら靴と虎屋のういろコラボバッグをもらった。「○○はいつも不思議なバッグを持ちますね」と言われるけれど、好きに包まれてるんだからいいでしょう?
この前投稿した大雨事件は、とても近くで止まってしまった。結局遠回りしてついたけど、翌日に荷物を頼んだ。頼んだら宅配ボックスに詰められて???となったけど、受け取れて良かった。実家の米。私は米を買ったことがない。米を入れる準備をしていると母親からFacetimeで電話がかかってきた。早く開けて!と言われるので何かと思ったら桃が入っていた。1日置かれた桃は熟していたけど丁度レタスとモッツァレラと生ハムがいたのでサラダに入れた。甘い桃だった。
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髪をバッサリ切った。いつものように赤を入れてもらって。今度からは、半年とかじゃなくて定期的に来ますね、と言うと「お待ちしております半年後」と笑ってくれた。
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kyokocanary777 · 1 year
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昨日は横浜にいました
昨日は、仕事の用事と音楽の用事があって1日横浜にいました。
毎回、横浜や東京に行く時は、夜行バスで行って夜行バスで帰ってきます。宿泊はしません。
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理由は、節約もありますが、それだけではありません。
新幹線に乗って行ったり、宿泊するとなると、私にとっては負担が多いことに気づきまして…
まず、節約面の話をすると、京都から新横浜までの新幹線代は往復で2万6000円位で、
夜行バスは、平日ですと、往復が5000円から6000円ですから
かなり違います。
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しかも、夜行バスは京都駅まで行かなくても、近くの長岡京市から乗り降りできるようになってしまいましたので、移動も楽です。
そして、一時は事故が多くて勤務体制が指摘されていた夜行バスですが、現在は絶対に2名交代制になってます。
次に、新幹線に乗って東京や横浜に行く場合、私なりに感じる負担をあげてみます。
・朝早く起きなければいけない
・切符を買うのに駅まで行かなければいけない
・日帰りとなると滞在時間が少なくなる
・横浜の場合は、新横浜から横浜や石川町に移動しなければいけない
・宿泊するとなると宿泊代がかかる
・宿泊するとなると荷物の用意が面倒になる
こんな感じです。
さて、昨日は少しだけですが写真も撮りました。
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しかしながら、昼過ぎまでは順調だったものの、雨風が強くなってきて、関内駅でベイスターズファンと一緒に雨宿りするはめに笑。
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傘さしても、傘に風を受けて持つのが大変で、横殴りの雨が入り込んで結局濡れてるし、あんまり意味なしでしたね☔️
予定では、400枚くらい撮る予定だったのに、100枚くらいになってしまいました。
iPhoneでも撮りたかったのに、雨に濡れて壊れたら困るのでやめました。
雨宿りの間は、仕方なしにiPhone取り出してライターの仕事の記事をまとめてました。
アウトラインだけでも作成しておくと、後から楽なので♪
写真が撮れなかったのは非常に残念ですが、、、石川町にオープンした料亭屋さん経営のおにぎり屋さんと、桜木町のシアルの中のカフェに行けて、写真も撮れたのでよしとします。
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それと、関東の仕事関係や音楽人と話せて楽しかったです♪
では、後日写真など投稿していきます。
こちらのブログも更新ペースが安定しつつありまして、最終的には短めの記事をメインに、1日1投稿になると思います。
Instagramは、2日に1投稿で、少しだけストーリーズやってます。
ぼちぼち。
では👋
2023/05/12
23:14
カナリヤ響子
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gupaooooon · 6 months
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🍉1日1回のクリックで、パレスチナへの支援ができます(国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への寄付)
🍉UNRWAへの寄付、国境なき医師団への寄付
🍉FOVERÓ | MADE IN PALESTINE
D4Pの安田さんが紹介していた、パレスチナの人々によるストリートファッションブランド。日本からも注文可能。
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🍉パレスチナ・オリーブ
D4Pの安田さんが紹介していた、パレスチナのオリーブ/オリーブ石鹸などが注文できるお店。
🍉「ガザで一体何が起きているのか-民族浄化とはなにか-」
🍉 「ガザとは何か」パレスチナを知るための緊急講義 - 株式会社大和書房
(緊急出版、ガザで何が、なぜ起きているのか。歴史的文脈とポイントを平易に解説する「まずここから」の一冊)
🍉 Radio Dialogue 147 ゲスト:板橋拓己さん「ドイツとイスラエル」(2024/2/14)
ドイツはイスラエルに軍事支援を行い、昨年それを大幅に強化。「ホロコーストの加害の歴史と向き合う」中で、なぜイスラエル批判がタブー視されるようになったのか。なぜ停戦を求めるデモまで「反ユダヤ主義」扱いされるのか。歴史を踏まえた板橋さんの解説(D4P 安田さんのツイートから引用)
🍉ユダヤ団体「平和を求めるユダヤの声」が当時/10月に出した緊急声明  
(イスラエルに対する抗議/停戦を求める抗議が、人種差別と見做され政府から弾圧されたり。実際に差別主義者が抗議に擦り寄ってきたりする動き(人種差別だけでなく、ピンクウォッシュに便乗した性的マイノリティ差別もとても多い)本当に、憤りしかない。)
🍉日本の各地のパレスチナ連帯アクションや展覧会情報をまとめてくださっているリンクツリー
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foucault · 5 months
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「坂本創・松田健悟の仕事」展より、坂本創・ちゃわん2種と、松田健悟・まかい2種。いずれもごはんちゃわんとして適度な寸法です。
昨夕、健悟さんから追加が届きました。前の入荷の際になかった柄が少しあり、嬉しいです。
会期は29日(祝・月)まで。お待ちしております。
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shimanomoyou · 10 months
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昨日は野菜の出荷のお手伝いデー。
みんなやたら元気で
テンション高めで
おしゃべりしながらも手はちゃっちゃと動く!
ちょっと暖かくていい天気だったからな〜気持ちいい秋の日。
やっと仕事も落ち着いてホッとしていて
ここへ写真をあげる心の余裕が生まれている。笑
今日は気になってたあれこれをやって
出っ放しやった扇風機3台も掃除して押し入れへ。
溜まりまくった段ボールも捨てに行って
冷蔵庫に買ってあったお揚げも炊いた。
それだけでめっちゃ気持ちがすっきりして気持ちいいわ。
明日は楽しみなイベントの日。早く寝るわおやすみなさい!
あ!昨日のこのご飯、セロリがめっちゃ美味しくって感動した。
セロリのお焼き、セロリのスープ。香りが最高やな。
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cmk-k · 5 months
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この春、新潟にUターン移住しました。
元々、いずれ帰るつもりではあったんで、 セインティアの長期連載完結が見えた頃から計画していたんですが、 その後入院手術などあったり、家族まわりの都合など色々あったりで このタイミングとなりました。 (余談ですが、星矢LCの手代木先生も一昨年、宮城に帰郷されましたが、私は手代木先生より先に地元に帰る予定の話をしていたのに、モタモタしてたら先を越されてしまったのでした・笑) 学生時代に上京して以来、20年以上横浜に住んでましたので やはり感慨深く……… 人生の区切り、新生活!のはずなんですが、、、 結局、引越し直前ギリギリまでお仕事やっていたり…… 仕事の資料や本があまりにも多すぎて、荷造りが終わらなすぎて 最後◯日くらい徹夜で、近場のアシさんに急遽手伝ってもらいながら半泣きで荷造りしたり…… (引越し屋さんに「よくこの量を…こんなにちゃんと荷造りしましたね…」と呆れ褒められました) 引っ越した後も、何だかんだでしばらく落ち着かず 色々バタバタしていたらお仕事スケジュールが始まり 今、すでに追い詰められていたり…… (ご連絡滞ってしまっている方、ごめんなさい。  落ち着いたらご連絡させていただきます…!!) ……というように、 あまり変わり映えしていないような…毎日です。 とはいえ、 目に見える景色と環境が一新しているのはやはり大きくて。 地元の魅力を改めて感じたり(離れていたからこそ分かる)、 これが私の原風景だったよな〜…というものを見ると 忘れていた自分の本質?が呼び起こされる感覚が確かにあって、 毎日、良い刺激を受けていると思います。
他、引越し時のアレコレについては、また後ほど機会があれば綴っていきたいと思います。 ひとまず、目の前に差し迫った作業を……片付けてきます。 ……そして、移住早々これだけは実感してます。 新潟は……食べ物が美味しすぎます……!!!
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servant222 · 4 months
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フラワームーン
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昨夜なんとなく目が覚めると、窓から明るい光がさしていた。覗いてみたらとまん丸の月が見えた。月のカレンダーを開くと満月の夜だった。5月の満月はフラワームーンというのだそう。色んな花が咲き始める季節だからなんだって。毎月そうやって満月に名前がついているのは素敵。月を眺めて季節を思う、そんな時間があっても良い。
月末に東京に行くことになった。長い文のやり取りをしてくれている友人に、上京するのだけれど会える時間はある?と聞いたら、もちろん!と返ってきた。嬉しすぎる。年明けに初めて会って2月、3月、4月、5月となんだかんだツキイチで会えている。幸せだ。でもこれで東京に行くことが無くなってしまうかもしれない。用事が無くても行ったらいいよね。今年に入って何度も東京に行くことがあって、慣れない新幹線にも1人で乗れるようになった。遠いと思っていた場所もそんなに気負わず行ける。成長した。
昨日は結局午前中にiPhoneの集荷が来ず、家から出られなくて困るのでappleに問い合わせた。集荷に来る予定の運送会社と担当の電話番号と使われる予定の送り状番号(集荷されていないので未登録)を教えてもらった。何度かかけたら担当のドライバーが出た。状況を説明すると、予定に入っていないと言う。それでも近くにいるから今から行きます、とすぐに来てくれた。予定が無かったせいか何だかしっくり来てなさそうだった。appleから聞いた送り状番号を見せると、会社に確認の電話をかけ、確認が取れたのでお預かりしますね、とiPhoneを持って行った。本当に大丈夫かな、と少し不安になる。今apple storeを確認したら状況が集荷済みになっていたのでほっとした。予定が無かったということは集荷はいつになっていたんだろう、私の休みは不定期だし問い合わせて良かった。
今日の天気予報は雨らしい。曇り空だった昨日海に行ってきて良かった。
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jujirou · 1 month
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、晴れのち曇りのお天気です。
昨日も休み…でしたが、朝から一合片口の木地拵え成形作業をのんびり進め様かと思っていたら、今日も又朝から用事果たし…
休み明けの息子の持ち帰るご飯が無いとの事で、近くの精米所で米つきからスタート。
帰宅後からは荷造りやらアレコレと行い、お昼前からやっと仕事場での木地拵え成形作業。
コツコツコツコツ進めるも、前日成形したのが気に入らず(削り足りず)、やり直しやら何やらで未だ半分弱残しながらも一日が終了。
そして今日は朝一から消防団活動やら、部落の神社掃除(時間的に重なり多分不参加)やら、夕方からは大舘部落の祭典警備(消防)やら、その他今日もアレヤコレヤと有り過ぎですが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い週末と成ります様に。
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kennak · 2 months
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そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。 正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。 実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちの��め、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。 母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。 じいさ���は先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。 じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。 寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。 じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。 そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。 その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。 そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。 それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。 死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。 最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。 最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。 父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。 父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。 父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。 亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。 ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。 (ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった) そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。 こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。 生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。 生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。 じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。 それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。 ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。 私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。 私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後
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myonbl · 9 days
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2024年9月12日(木)
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在学中から高齢男子の遊び相手をつとめてくれた妙齢女子、社会人となってからも時々話し相手になってくれる。普段は京都ツアーばかりだが、今回はスペシャルとして灘五郷の酒蔵めぐり、とは言え暑さを考慮して<神戸酒心館>で見学・試飲・食事を楽しんだ。帰路は阪神百貨店の地下でイカ焼き、いったい何年ぶりだろう。京阪神の個性と奥深さ、そして美味しい食べ物・飲物を堪能して帰路についたのだ。
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4時45分起床。
あれこれ。
5時45分、ツレアイ起床。
洗濯開始。
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朝食は中華ソバ。
珈琲を入れる。
洗濯物を干す。
彼女の弁当を用意する。
プラゴ���、30L。
彼女を職場まで送る。
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露の新治さんからメール、こんな会を知っているかと。知らなかったので、すぐに事務局に予約を入れるとすぐに返信、日曜日が楽しみだ。
阪急西院駅から梅田へ、妙齢女子との待ち合わせは10時だが、Privaceの関係で少し早めに着く。
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向かった先は<神戸酒心館>、<福寿>が運営する見学と食事の施設。予約しておいたので、スタッフの説明と見学と試飲、その後12時の予約を30分前倒しして食事を頂く。
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メインはソバと酒、追加で天ぷらと蛸の揚げ物、ビール(中瓶)1本+酒4合。
暑いので他の蔵の見学は断念して梅田へ戻る。
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阪神梅田とくれば名物は<イカ焼き>、ここで食べるのは恐らく50年ぶりのこと。焼きそばも追加してお腹は満腹。居眠りによる(互いの)乗り越しを確認しながら帰路についた。
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阪急桂駅で下車、フレスコで買い物して帰宅、荷物を置いてすぐにライフ西七条店へ、今夜はすき焼き、明日は煮魚。
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セブンイレブンとAppleのキャンペーン、7月に10万円のギフトカードを買ったものに5000円の交通系ICカードがプレゼント、ラインで連絡が来たのでセブンイレブン花屋町店でチャージする。
ツレアイ帰宅、すぐに三男とココに点滴。
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早めに夕飯準備、今日の報告をあれこれ。
長男から着信、昨日送ったiPhone&Watchが届いたと。大事に使ってくれれば嬉しい。
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第5話「カーテン~ポワロ最後の事件~」/ Curtain:Poirot's Last Caseシーズン 13, エピソード 5 スタイルズ荘は、かつて殺人事件の舞台となった場所だが、現在はラトレル夫妻が経営するゲストハウスとなっていた。ヘイスティングスは親友ポワロから招か れ、久しぶりにこの地を訪れる。ポワロとの再会を楽しみにしていたヘイスティングスだったが、出迎えたポワロは見違えるほど痩せ衰え、しかも車椅子に乗っ ており、ヘイスティングスは愕然とする。スタイルズ荘にはポワロ以外にも数名の滞在客がいた。
このシリーズもこれで最後、しばらく見ることはないだろう。
風呂の順番を待つ間に寝落ち。
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さすがによく歩いた。
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emeraldecheveria · 10 days
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月の光と海うさぎ【8】
明日のない朝
 すみれさんが戻ってきても、私たちは朝になるまでモーター音が響くコインランドリーで軆を温めていた。
 この時間帯でもたまに利用客が入ってきて、訝しげに私たちを見る。すっかり太陽が昇りきる前に、「少し移動しましょう」とすみれさんが立ち上がり、さくらも目をこすって目を覚ました。私は頭はぼんやりしていても、一睡もできないままだった。
 人通りが少ないうちに駅前に出た私たちは、駐輪場で鍵のかかっていない自転車を盗んだ。そして、やはりすみれさんの先導で、騒がしい朝へと目覚めていく街の中を走った。
 だいぶん走った気がする。一時間は漕いでいたので、運動が得意でない私は息が苦しくなった。大通りも走ったりして、車との接触に気をはらったりしていると、ブレーキを響かせてすみれさんが停まった。
「ここだと思う」
 自転車は乗り捨てて、私たちはすみれさんがしめした広い公園に踏みこんだ。
 あまり人はいなかったけれど、ひとつのベンチに何人か男の子たちが溜まっていた。すみれさんはその男の子たちに近づき、何やら話したあと、「さくらと希夜ちゃんはここにいて」とベンチを指してから男の子たちとどこかに行ってしまった。
 私とさくらは顔を合わせ、疲れもあったのでおとなしくベンチに腰かけた。周りの樹木は紅葉も過ぎて、枯葉をこぼしていた。
 すみれさんとあの男の子たち、何なのかな。そんな疑問もあったけど、何だかさくらに訊く気力もなかった。
 今日も空はよく晴れていた。けれど、自転車を漕いでいた発熱が落ち着いてくると、吹きつけてくる風が寒かった。公園の外の騒音がざらざらと響く。
 昨夜から何も食べていなかったけど、食べたいものがひとつも思いつかないくらい、何だかどうでもよかった。それより、どのタイミングで家に連絡を取りたいと言い出せばいいのか──
「希夜」
 ふとさくらがつぶやき、「……うん?」と私は少しだけ首をそちらに捻じった。
「何か、ごめんね」
 私はさくらの正面を眺めるままのぼうっとした目を見つめ、「ううん」と言った。さくらの赤い唇から白い吐息が流れる。
「このまま、私たちと来る?」
 うつむいた。このまま、さくらたちと? それは──
「……家に電話しないと」
 正直に答えると、さくらは薄く咲って「そう、だよね」と首を垂らした。「ごめんね」と今度は私が言うと、「いいの」とさくらは私に微笑む。
「希夜は、私たちみたいにダメにならないでね」
「さくらはダメじゃないよ。すみれさんも」
「ダメだよ……」
「そんなことない」
 さくらはまた顔を伏せ、膝の上で白い手を握りあわせた。
 さくらもすみれさんも、昔からかわいくて女の子らしい洋服なんて与えてもらえない。トレーナーやジーンズ、男の子のおさがりのような服装が多い。でも、それはそれで似合うくらい、ふたりともかわいかったけれど。
「私さ」
「うん」
「ずっと希夜に言えなかったことがあって」
「……うん」
「ルルのこと、憶えてる?」
 私はさくらの横顔を見てから、「うん」とうなずく。
「たぶんね、滋くんたちなんだ」
「シゲル……くん、って」
「私のいとこ」
 目を開いた。さくらは長い睫毛を伏せている。
「たまにうさぎ小屋に行って、ルルだけじゃない、ほかのうさぎもいじめてた。よく分からない薬を塗ったにんじん食べさせたりとかして」
「………、」
「私がそれを知ってるのを、滋くんたちも知ってた。ルルが死んだときには、絶対言うなよって言われて……」
 さくらは声を震わし、「でも」と話を続ける。
「私が先生とかにほんとのこと言ってたら、希夜はあんなに苦しまなかったよね。だから、ほんとは……全部私のせいなんだ」
 私はびっくりしてまばたく。そんなふうには考えなかったし、思いもよらなかったから。
「さくらのせいじゃないよ」
「私が滋くんたち怖くて、犯人知ってるくせに黙ってたせいで、」
「さくらは悪くない。悪いのは滋くんたちだよ」
 さくらはかぶりを振って「私が悪いんだ」と繰り返した。その瞳は涙が滲み、赤くなっている。ルルの赤い瞳を思い出した。「さくら」と私はさくらの手に手を重ねた。
「ルル、何で死んじゃったのかな、とは確かに私も思ってた」
「……ん」
「私が悪かったのかもしれない、とも考えたよ」
「希夜は、」
「でも、そうじゃなかったんだよね。ほんとのことが分かっただけでも、よかったよ。ありがとう、さくら」
 さくらは私を見て、開いた目からぽたぽたと涙を落とした。
 ずっと私にそのことを言えなくて、さくらはひとりで苦しんできたのだろう。さくらは何も悪くないのに。巻きこんでしまって申し訳ないのは、私のほうだ。
「ねえ、さくら」
「……ん?」
「ちょっとね、バカみたいな話していい?」
「ん、うん」
「私、あの頃から、ルルが心の中に棲んでるような気がするの」
「心に?」
「そう。私がいじめられると、ルルも傷ついて、心の中に雨を降らせるんだ」
「雨……」
「私、上手に泣けないから。代わりにルルが心で泣かせるの。私も、ルルも、ひとりぼっちなんだよね」
「何で」とさくらは重なった私の手を握った。
「ルルはうさぎ小屋に友達がいたし、希夜には私がいるじゃない」
 さくらを見た。さくらも私を見た。小さく咲いあうと、「うん」と私はうなずいた。やっと微笑んださくらは、私の肩をぎゅっと抱いてくれた。ちょっと煙草の匂いがする、と思いながらしばらくそうしていた。
 それから、さくらは「家に電話しなよ」とテレカを貸してくれた。私はそれを素直に受け取り、周りを見まわして公衆電話ボックスを見つけると、そこに駆け寄った。
 午前七時をとっくにまわっても帰宅しない私に、家は大騒ぎになっていた。今すぐ迎えにいく、そこで待っていなさい、と母はまくしたて、私はおとなしく「はい」と答えた。
 ベンチに戻ると、そんなに長くない電話だったのに、ちょうどすみれさんのすがたがあった。「家に電話したの?」と訊かれ、肯定する前に「すみません」と何となく言ってしまうと、すみれさんは一応首を横に振ってくれた。
「私たちのことは言った?」と問われ、「訊かれなかったので」と答えると、「じゃあ、そのまま私たちのことは絶対に言わないで」とすみれさんはさくらを立ち上がらせた。
「どこに行くんですか?」
「ごめんね、聞かないほうがいいと思う」
 突っ立つ私を残し、立ち去りかけたふたりを呼び止め、私はさくらにテレカを返そうとした。「また会えたときでいいよ」とさくらは無邪気ににこっとした。
 また、会えるのかな。なぜかそんな不安を覚えたけれど、ここで押し返したらもう会わないと言うようで、私はこくんとした。
 さくらとすみれさんは荷物を連れて公園を出ていった。私はひとりベンチに座り、ぽつんとしていたけれど、ふとテレカの写真を見た。
 夜桜を切り取った写真で、満月を背景に桜の花びらが舞っている。昨夜の月を思い出し、またさくらと月を見れるかなと思った。十五夜も。十三夜も。一緒に見て、お互いの幸せを願ったりできるかな。そうできるといいな。
 そんなことを淡く願っていると、親が迎えに来た。母だけでなく、父も一緒だった。ふたりは捜索願いまで出してしまっていて、私は警察に行かなくてはならなかった。
「あのふたりは?」と訊かれてぎくっとして、「ひとりだよ」と白々しく言ったけど、「希夜ひとりでこんなことするわけないだろう」と父が言い、母はさくらのおとうさんから連絡が来たことを教えてくれた。さくらのおとうさんは、さくらの日記を見つけて計画を知り、私の家と私の中学にまで連絡を入れたらしい。
 学校にもこのことを知られたのか。車に乗りこんだ私は、何でそんなことするかなと、後部座席で歯噛みした。私はそもそも帰るつもりだったし、そんな大変なことみたいに伝えなくていいのに。でも母も「ほんとにバカなことして」とあきれた息をついていた。
 地元に戻ると、両親に警察署に連れていかれた。「あんたの歳ならそんなに厳しくないから」と母に言われていたのに、私はそもそも年齢も訊かれず、ひとりで取調室に通された。
 それでも、軽い注意くらいだろうと思っていた。しかし、担当した刑事のおじさんはすごく横柄で、明らかに問題児を見下す目をした人だった。
「お前、売春する気だったんだろう」
 いきなりそんなことを言われて、そういう経験はキスさえしたことがなかった私は、土足の物言いに驚いた。
 刑事のおじさんはすごい剣幕であれこれと私をなじった。怖くなった私は何も言えなかった。調書を取られ、拇印も押せと言われ、嫌だったけど逆らえなかった。
 ただ、そのとき同時におじさんは私の年齢に気づいたようで、怯んだ顔を見せた。やっぱり、母の言ったとおり、本当は子供に対してこんな取り調べはダメだったのだろう。
 しかし、おじさんは子供と見たら見たで、「子供がこんなに大人に迷惑をかけやがって」と私に頭に下げて謝罪するよう言った。できなかった。したくなかった。父と母にはきちんと謝る。ふたりには確かに心配をかけた。でも、このおじさんに何で謝らないといけないの?
「お前は子供だから分かんかもしれんが」とおじさんは私に顔を近づけ、煙草臭い息で言った。さくらに感じたあの匂いと違い、何だか不潔だった。
「女なんて、あっという間に汚されるんだ。だから、あんなふたりとはとっとと縁を切るんだな」
 汚される? 何その言い方。さくらとすみれさんが汚れているみたいに。この人は何を言っているのだろう。
 だんだん意固地な気持ちになってきて、私は黙りこくった。おじさんは「人に迷惑をかけておいて、なんて態度なんだ」と今度は説教を始めた。
 人に迷惑、って。そんなに他人には迷惑かけてない──と思ったけど、なぜか急に、私たちを市街地まで乗せてくれたダンプの運転手さんを思い出した。
 あの人には、確かに、迷惑をかけたかもしれない。仮眠を邪魔して、嘘ついて。私たちを心配することも言ってくれたのに。きっともう、謝る機会なんて絶対に訪れない。あの優しさに何も返せないのだと思うと、私の目に、急激に涙があふれてきた。
 私が泣き出したことで、おじさんはようやく満足したらしい。外で待っていた両親にも、「反省したみたいです」とか言っていた。でも、私はダンプの運転手さんには本当に申し訳なく感じたけれど、それ以外は反省も後悔もしていなかった。
 中間考査中は学校を休み、日程をずらしてひとりで試験を受けた。当然、結果はぼろぼろだった。
 学校でももちろん職員室に呼び出され、今回の件はどういうことなのか説明しろと怒られた。私は訊かれたことには正直に答えたのだけど、結局は、ますます先生たちに不良あつかいされるようになっただけだった。
 しばらくして、母がさくらたちの話をしてきた。ふたりはあのあと、公園にいた例の男の子たちに心配され、警察に行ったのだそうだ。ふたりが今、どこで何をしているのか何も分からなかった私は、少しほっとした。
 さくらとすみれさんの家出は、あれが初めてではなかったそうだ。お金がなく、売春することもあった。そういうお店だか組織だかにいて、ずいぶん帰宅しなかったこともあったという。その組織だかが摘発されたことで、あのときふたりは家に帰ってきていたのだと母は話した。
「希夜」
 つらすぎるふたりの環境に押し黙り、ただうつむいていると、母がはっきりと言い渡した。
「もう二度と、さくらちゃんには会っちゃいけないからね」
 ──部屋に戻った私は、さくらに渡された夜桜のテレカを見つめた。
 また会えたとき、ってさくらは言った。だから、会える。会えるよね。みんな会っちゃダメだって言うけど、私にはそれが分からない。
 だって友達なのに。味方なのに。私のこと、分かってくれる存在なのに。会っちゃいけないなんて、意味が分からない。
 そうだよね、ルル。ルルもさくらに会いたいよね。さくらにまた会えるって一緒に信じてくれるよね。
 ねえ、泣かないでよ。私の心に雨を降らせないでよ。寂しいなんて思わなくていいんだよ。私たちには、さくらがいるんだから、寂しくなんて──……
 けれど、私が再びさくらに会えることは、このあとの一生で、結局、一度もなかったのだ。
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【前話へ/次話へ】
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gupaooooon · 2 months
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#招待するな虐殺国家 #DisinviteIsrael
#広島市はイスラエルを平和記念式典に呼ぶな
#松井広島市長はイスラエルを平和記念式典に呼ぶな
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此方は数ヶ月間Twitterを中心に続いている抗議活動/SNSアクションです。原爆の日を目前に、tumblerにも、改めて、共有/記録します。
🍉明日8月6日の広島、原爆の日、平和式典。多くの市民の抗議を無視して、イスラエルを招待する広島市、日本政府。イスラエルなどの虐殺国家にすり寄り続ける最悪な差別主義独裁政党自民党の、現政権に追随するばかりな広島市のありさま。平和の名のもとに、虐殺を肯定する式典。憤りしかない。
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🍉パレスチナ駐日大使は、平和式典には招かれず。自治体/政府とは関係のない市民による集会にオンライン参加されます。
🍉抗議の気配を察してか、今年、広島市は「平和式典」の行われる公園を一方的に入場規制し、平和式典から「平和運動」を締め出すという決定を下した。(↓東京新聞)
これには、内部の、市の職員からも、抗議の申し入れが出ています。
記事の一部引用 「申し入れ書では、式典会場を原爆ドームを含む公園全体に広げた上で、手荷物検査を実施して拡声器などの持ち込みを禁止する点を問題視。憲法に定める表現の自由や、「正当な理由がない限り公の施設の利用を拒んではならない」とする地方自治法に違反しているなどと主張している。」(↓中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター)
🍉 広島市の平和記念式典に関して、ワリード・シアム駐日パレスチナ大使のコメント全文
🍉広島平和式典、イスラエル参加はなぜ問題か(Dialogue for People、2024.07.27)
記事一部引用 「今年の出席も、「広島の平和式典に参加しました」とイスラエルは最大限に利用しますよね。イスラエルは近年、文化広報活動に力を入れてきましたし、よく知られているのは、東京レインボープライドへのブース出展など、「ピンクウォッシュ」(「LGBTQフレンドリー」といったアピールが、イスラエルによるパレスチナ占領や人権侵害を覆い隠す効果を持ってしまうこと)の問題ですよね。最近では「ピースウォッシュ」という言葉を使う人が出てきましたが、こうしてジェノサイドの最中でも平和式典に参加することを日本側に受け入れられ、「普通に扱われている」ことを利用するはずです。私たちは昨年(2023年)10月13日から、ジェノサイドに抗議し、停戦を求めて原爆ドーム前でスタンディングを続けてきましたが、こうした取組がかき消されてしまうようにも思います。」
🍉対して、8月9日に原爆の日式典を行う長崎市(Nagasaki)は、イスラエルを招待しないと正式に宣言し、イスラエルに対して停戦を求める書簡を送付しています。この事実についても、強調したいです。
記事一部引用「イスラエルに停戦を求める書簡を送り、現時点で招待状を送付しないと明らかにした。ロシアとベラルーシは3年連続で招待しない。」
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foucault · 16 days
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新入荷品より、石川昌浩・浅鉢・大。
昨日、石川さんから硝子さまざま届きました。今年から登場した浅鉢・大は��小・中と形がちょっと違うのですが、面取鉢・大より底面積が広いので量が入る気がします。ひとまずは届いたばかりの季耕舎さんの葡萄を盛って。横のお盆は松本行史さん。皆岡山の仕事。
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