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#皆どれだけ欲深いんだ
pezo-pvntp · 2 years
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初めてのカナモトホール 笑いあり学びあり涙あり… ビンゴ大会でビンゴ!٩( ᐛ )و 全員起立させるドッキリとか 内容モリモリで楽しかった! 登場人物が見える一人芝居とか ナックスの芝居も見てみたいな #ビンゴの一斉起立 #ワタシ出遅れた、、 #皆どれだけ欲深いんだ #景品はジャガイモとレシピ #アグリマンショー https://www.instagram.com/p/Cp8OX6iybFDpL3N1hvaNCqnCIQSryZsFaSa1qA0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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petapeta · 2 months
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キングダムハーツの一作目は私自身が深く関わった作品です。「ディズニーにとっても画期的かつ実験的プロジェクトだとおもいます。大げさかもしれませんが、ディズニー史に残るプロジェクトになるんじゃないかな」というこインタビューのコメントが、第一作目が発売される時にファミ通のインタビューに掲載されています。 当時、私はディズニーに在籍しており、日本を含むアジアのゲーム部門を見ていましたが、このプロジェクトが一番記憶に残りかつ成功したプロジェクトとなりました。ディズニーサイドのプロデューサーを務めたわけですが、この作品、幾つもの奇跡が重なり大ヒットに繋がり、ファミ通に引用されたコメントがあながち外れていなかった事になりました。今だから言える、キングダムハーツ一作目の舞台裏を、ディズニーの中での様子や、ビジネス面にスポットを当てながら今から振り返って見たいと思います 私がディズニーに入った時、米国のメンバーから実験的なプロジェクトが動いているという事は聞いていました。ただ、全くディズニー社内でオーソライズはされておらず、実験をしているという名目でした。ところが、私がディズニーにはいってしばらくたっても、契約は存在せずに、実験のはずが現場ではどんどん開発を始めていきます。スクエアエニックス(以降スクエニ)では開発ディレクターの野村哲也氏の想いがあり、非常に前のめりに開発を続けたいという意志が固く、一方で、ディズニーはイエスともノーとも言わないで、頑張りましょうという曖昧な返事を繰り返していました。先ずは、何とかプロジェクトをオフィシャルにしなくてはいけません。 そもそも、『キングダムハーツProject』は、承認を得るには大きな問題がたくさん含まれていました。それは内容に関するクリエイティブのチャレンジが原因となっています。普通のライセンス契約は、すでにあるイメージを利用して商品を作るもの、ゲームのライセンスもすでにある映画やキャラクターの���界観を使ったゲーム制作がそのベースとなっていました。ところが、キングダムハーツは例外事項のオンパレードでした。 ・米国の外で、少なくとも日本では、全く新たな世界観を持ったディズニーのライセンスが認められた事はなかった。 ・当時、まだ3D のミッキーのモデルが公に存在していなかった。 ・ディズニーの違った世界観、例えばターザンとピノキオとミッキーを一つの作品の中に入れる事ができるのはディズニーランドだけであった。 皆さんも想像できると思うのですが、ディズニーという会社は非常にアメリカ的な会社です。アメリカ、ハリウッドが中心で、ここで作られたクリエイティブを日本を含めた世界に流すのがビジネスモデルです。ある意味、ハリウッドのクリエイティブを頂点にライセンスのビジネスモデルが完成されているのです。ディズニーの財産は、ディズニーの世界観である事が徹底されていて、ディズニーの世界観を守るため、とても細かいライセンスのガイドラインが設けられ、世界にその指示が渡っていました。ブランドを守るグループの力は強く、社内での隠語でPolice(警察)と呼ぶ人もいました。
日本においてのライセンスグループは、ミッキーの新しいイラスト一枚を米国に認めてもらうために四苦八苦するのが実情でした。その様な状況で、上の様な問題?を持ったゲームが認められるはずがないというのが社内の空気だったのです。
皆さん、ご存知ですか?ミッキーの耳はいつでも正面を向いている事を。2Dイラストのミッキーはたとえ横を向いている時でも、その耳はまん丸で正面を向いているのです。それが3Dになったらどうするんだ、そもそも3Dのミッキーなんて米国が認めないし、他の膨大なキャラクターの3Dデータ、個々のアニメーションデータをどう承認してもらうのだというのです。
日本のディズニーでは、日本初のジャパンクリエイティブ作品を是非押して行こうと言う掛け声はあったものの、ディズニーの日本のベテラン社員の方が、「事が大きくならないうちにダメならダメと言ってあげるのがクライアントに対する本当のサービスだよ」という忠告をしてくれました。
当時のディズニーゲーム部門のプレジデントはディズニーストアの店員からのし上がって行った女性でした。とてもガッツがあり、野心があり社内政治的にも一目置かれており、彼女もこのプロジェクトにかけていました。ディズニーでは、業績だけでなく、新たなプロパティ、クリエイティブを生み出せるという事が、高い評価となるからです。プロジェクトは挑戦的でクリエイティブだし、部門トップもやりたいと言う事で、そういう意味では、ゲーム部門には米国も含めて何とかこのプロジェクトを通したいと気持ちが行き渡っていました。
日本のディズニーブランドグループのアドバイスは当然NGです。ただ、あまりに彼等の評価基準からは、かけ外れすぎているので、あえて���断出来ないと言うのが、彼らの立場でした。米国では常にブランドとゲーム部門の交渉が行われていましたが、私も良く呼び出されました。ついていた事に、タイミングは悪くありませんでした。
当時のディズニーのブランド��門のトップの悩みは、ディズニーのキャラクターが女性にしか受けず、対象年齢も下がりすぎており、何か新しい動きが欲しいと思っていたのです。話してみると、ブランドのトップの人はディズニーの世界観のエッジがなくなって行くのを危惧していたのです。当時の私は、前職がセガの(コンスーマー)開発のトップでしたので、クリエイティブの匂いを感じてくれたのでしょう、非常に長い時間ディズニーのブランド論やキャラクターの見せ方について語り合いました。如何にビデオゲームという舞台が、当時のディズニーにかけているお客さんに上手くアピールしうるメディアであるかといった話もしました。
先方は、ミッキーが最初に出て来た時には少しやんちゃな部分があったのに、今はお利口さんすぎてエッジがなくなっていると言う事も正直に話してくれるのです。ある意味、それにどう答えるのかもテストであったと思うのですが、ディズニーのブランドをどうしたらあげていけるのかというアイデアや考え方も私なりの意見を述べました。セガの時代に、ソニックの再生プロジェクトに関わっていたのも役立ちました。また、ブランドトップの彼には、時々途中経過を流したり、事前にちょっとした事を相談する様にしました。いわゆる、根回しをして信頼を得る作戦を取ったのです(これが出来たのは、当然、絶対的に当時のスクエアの制作能力が高かった事が挙げられます。最初に彼らの作ったいくつかのキャラクターの3Dデータ、アニメーションの審査の時に、ディズニーのスタジオの人たちがその品質に驚いた程でした)。
ディズニーにとって、当時ゲーム部門は主流の部門ではありませんでした。あくまで、映画、テレビ、パークがメディアの中心で、ゲームはライセンス部門の一部でした。(因みに今では、ゲームとインターネット部門が一つになり、ディズニーの独立部署かつ戦略部署と位置づけされています。) ディズニーがあまり強くない領域であまり強くないターゲット層に向けて、他人のお金で(スクエア)実験的な施策を打つのは会社に取っても悪くないと言う空気になっていきました。しかも品質は高く、ゲームで定評のあるパートナーなのです。ただ、それでもブランドグループもなかなかオフィシャルにGOを出しません。 我々にとってもう一つの追い風は、当時他国が落ち込んでいる中、日本のディズニーが全体で絶好調だった事です。東京ディズニーランドに加えディズニーシーがまさにオープン準備中でしたし、i-modeへの対応でモバイル部門も立ち上がっていました。ライセンス部門も他国が落ち込んでいる中好調を維持し、ジブリ作品のビデオ流通も当たっていました。
そこで、長年ディズニーでCEO(当時)として君臨をしていたアイズナー氏が、久しぶりに日本を訪問する事になったのです。この時の彼への権力の集中は凄まじく、彼の日本出張時に、何や感やで米国から100人以上の人が同時に日本にやって来ました。この様な中、日本での活動報告をアイズナー氏にする事になり、私もプレゼンをする事になったのです。
我々ゲーム部門の目的は、何とか此処で『キングダムハーツ』をオフィシャルにすることでした。数日かけて、ゲーム部門社長やディズニージャパン社長とプレゼン内容を相談し、当日に挑みました。アイズナー氏は流石にちょっと尊大とも言えるくらい威厳があり、カジュアルなセッティングにもかかわらず、場には緊張感が走ります。ストレートで厳しい質問もどんどん投げかけます。
私の順番になり、ゲーム業界の様子やいくつかのプロジェクトを説明したあと、『キングダムハーツ』の説明をはじめます。このプロジェクトが如何にクオリティが高くディズニーにメリットがあるか自分が説明するのを、横からゲーム部門社長が援護説明を入れます。とても助かったのは、アイズナー氏の内容に関する質問に対し、ブランドのトップが如何にディズニーのブランドにとってメリットがあるか援護射撃をしてくれたことです。
アイズナー氏は気軽に、「おー、そうか。頑張ってくれ」と励ましの言葉をくれましたが、この時が本当に『キングダムハーツ』がオフィシャルにディズニー内でGOになった瞬間でした。プレゼンが終わった後には、皆が祝福の握手に来てくれて、ブランドトップは祝福のハグまでしてくれました。この時まで、中立だった人たちがサポートに回ったのです。
何で、こんなに大袈裟なのかと思うのですが、ディズニーのクリエイティブに対する想いと、当時の組織の膠着が重なり合ったことが背景となっているのでしょう。あの時、アイズナー氏がちょっとでもネガティブな事を言っていたら、あのプロジェクトは飛んでいたかもしれません。
余談となりますが、当時一応、ブランドのトップは創始者ディズニーの甥 Roy Disney だったのですが、彼は保守的な立場の人でしたが、アイズナー氏との折り合いは悪く、彼は会議には出ていませんでした。彼がいたらここも一悶着あったかもしれません。
これは、言ってしまえば社内ポリティクスの苦労話です。そこには、普遍的な事もあるし、ある意味ディズニーという特殊な問題もあるでしょう。普遍的なことを言えば、どんな会社も形は違えどもなんらかの根回し、プロトコルがあるのだということです。よく、アメリカの会社には根回しがないという言葉を聞きますが、少なくともディズニーには全くその言葉は当てはまりません。ただ、日本の根回しとは少し違った感じはします。有力者にとにかく頭を下げてお願いするというよりは、一応こういう正義と言うか正しい気持ちとそこに伴うコミットメントが込��られているかという説得はついていました。まあ、サプライズをビジネスマンは好まないという意味では同じなのかもしれません。また、どんな企業もトップが傲慢になりすぎると、決めるプロセスで苦労するというのも普遍的かもしれません。
ディズニーの特殊な面で言うと、クリエイティブに対する考え方、決め方、こだわりもこの件を通じてよく理解出来ました。あるところではビジネスを追求しているのですが、クリエイティブに対して尊敬しなければいけないとする問題意識は共有されています。ライセンスのガイドラインの作り方、ビジネスの作り方も見事なものです。コンテンツやIPをビジネスにする仕組みを積み上げているのです。
現在、日本ではサンリオが非常に上手いグローバルライセンス展開をしていますが、一方で集英社プロパティを中心に勿体無いコンテンツが沢山あります。世間で、ジャパンクールとはいうものの、その広がりを見せている様には思いませんが、コンテンツやライセンスのプロデュース、事業化能力をあげることも、コンテンツ、IPビジネスにおいてクリエイティブにも劣ることなく必要なことであるということはディズニーから学べるところです。
では、このライセンス商品を、ディズニーとしてどうプロデュースし盛り上げたかという施策を紹介します。ひとつが音楽に関する取引と、もう一つがプロモーション施策です。音楽に関して言うと、スクエアのクリエイターでディレクターを務めた野村哲也さんは、出来れば当時人気絶頂であった宇多田ヒカルさんを起用したいと言って来ました。ディズニーのゲームライセンスの契約で(とんでもない)社内ルールは、基本ディズニー作品に使われた曲はディズニーのものになるというものでした。
凄いアーティストと組んでゲームを作るという発想が、もともとなかったのです。ディズニーのリーガルと宇多田ヒカルさんの事務所、レコード会社と交渉しますが、此処でディズニーマジックが起こります。宇多田ヒカルさんがディズニーの大ファンで世界的に曲が広まるのであればと嬉しいと、日本語と英語版の楽曲提供を基本合意してくれたのです。然も、ディズニーの条件である、音楽のパブリッシング窓口がディズニーとなる事も納得してくれたのです。
キングダムハーツの主題歌「光」は、テクニカルには、宇多田ヒカルさん初の海外版になっているのです。ちょっと、蛇足ですが、この「光」という素晴らしい曲ですが、出来上がるのに時間がかかりました。丁度、彼女の病気と結婚の時期とかぶってしまったのです。この曲が素晴らしいものであったにもかかわらず、プロモーションビデオがとても地味な(失礼)出来になっているのは、病気が大きく影響していた様です。この曲は発売以来3週連続のオリコン1位を獲得します。人気絶頂だった宇多田ヒカルさんの曲とゲームのプロモーションを上手くリンクさせる下地が出来上がったのです。
私は、『キングダムハーツ』の問題として(今でこそとても当たり前に自然に見えているかもしれませんが)、スクエニのキャラクターとディズニーのキャラクターが並んだ時の違和感を感じていました。これを払拭するには、その世界観をあまり見せないか(ミステリーにして口コミに頼る)か、目一���メディア露出をするかだとおもいました。前者は何もしないに等しいことなので、せっかくディズニーも絡んだ大型作品なのでどう露出するか考えました。スクエニに広告費露出を頼もうにも、先方は開発費が予算を大幅に越えており、その枠にも限界があることはわかっていました。
ディズニーには、新しい映画を世間に出すときに、他の企業と組んでプロモーションをするというco-promotion という仕組みが出来上がっていました。例えば、トイストーリーの映画封切に合わせて、マクドナルドがハッピーセットを出してその告知をメディア広告(主にテレビ)するという類のものです。ゲームではこのモデルを使ったことがないけれど、何とか出来ないものかということで、幾つも営業に回りました。その甲斐あって三井ホーム社、日清社そしてアサヒ飲料社とco-promotion 契約を結べました。
特に、アサヒ飲料社とはゲーム業界史上最大規模となるco-promotionが成立します。内容は、バイヤリスオレンジと三ツ矢サイダーを対象に、キングダムハーツのボトルキャップとデザイン缶キャンペーンを実行し、さらに大々的にキングダムハーツのイメージと宇多田ヒカルさんの「光」を使い、バイヤリスオレンジと三ツ矢サイダーをテレビ広告を中心としたメディア広告を展開するというものです。ブランドを二つに分けたのには実は裏の事情があります。ディズニーはグローバルにコカコーラ社とキャラクターライセンス契約をしていました。そのため、炭酸飲料についてはミッキーとその仲間たち、ディズニーでいうところのスタンダードキャラクターに関しては使えませんでした。そこで、どうしてもスタンダードキャラクターも使いたいアサヒ飲料社の要望に答えるべく、バイヤリスオレンジにスタンダードキャラクターをあてがい、本当に推したい三ツ矢サイダーにはその他のキャラクターをあてがうことにしたのです(ちなみにすべて『キングダムハーツ』に出ているキャラクターでないといけない)。
結果デザイン缶は10パターン作ることになります。こちらにとって結果的によかったのは、アサヒ飲料社が2つのメインブランドを推すキャンペーンになったためプロモーション規模が結果的に大きくなるおまけもついて来たのです。ここであえて追加すると、日本の他のディズニー部隊の協力は素晴らしいものでした。当然、コカコーラ社を担当している部門や当時のディズニージャパンの星野社長(現在ジブリ社長)の協力が無ければ到底出来ない内容でした。
このキャンペーン規模、テレビ広告の規模全国2500GRP以上という凄まじいものでした。どれくらいすごいかと言うと、ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時。以下SCE)とスクエニがキングダムハーツにかけた広告を足したものの倍近くあったのです。また、ボトルキャップとデザイン缶を併せた『キングダムハーツ』仕様のドリンクは3000万缶近く作られ、コンビニでも『キングダムハーツ』のイメージが一気にばらまかれました。
キャンペーンタイミングも奇跡的にピッタリ合わせることが出来、今から考えても信じられないくらい上手く連動が出来たと想います。ゲームとの相性バッチリのアサヒ飲料のテレビ広告(YouTubeで捜しましたが見つかりませんでした。残念)は、ゲームの発売1週間前から集中投下され、この広告が始まるや、コンビニでのゲーム予約が8倍に跳ねました。ゲームも初回発注から、週末を待たず追加発注がなされ、何と1週目にスーパーロボット大戦の発売があったにもかかわらず、1位を獲得、大ヒットダイトルヘと成長をして行きます。海外では、『キングダムハーツ』はファイナルファンタジーを凌ぐビジネスとなっています。 当然、この『キングダムハーツ』に関しては、ゲームの力やクリエイターの執念、またパブリッシャーの努力が第一義的に成功の要因です。彼等の更なる努力により、キングダムハーツが10周年を迎え、さらに大きなIPに育っていることを本当に嬉しく思います。おめでとうございます。
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moment-japan · 3 months
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極楽浄土に住む伝説の霊鳥「共命鳥(ぐみょうちょう)」
���つの体に頭が二つある極楽浄土に住む鳥「共命鳥」。
極楽浄土には白鵠、孔雀、鸚鵡、舎利(九官鳥)、迦陵頻伽、そして今回登場する共命鳥が仏に仕える鳥として住んでいますが、それらの鳥をまとめているのは天空の守護神である迦楼羅王です。
ブッダが生まれる遥か昔、ヒマラヤの奥地に双頭の鳥が住んでいました。
一羽の名前はカルダ、もう一羽の名前はウバカルダ。
その鳥は「共命鳥」と呼ばれ、一羽が起きている間、もう一羽は眠っています。
ある日、カルダはウバカルダが眠っている間に摩頭迦という木の花を食べました。
カルダは摩頭迦の花を食べることは、もう一方のウバカルダもお腹いっぱいになって両方とも幸せになると思ったのですが、ウバカルダは目を覚ますと、カルダだけ美味しい花を食べたことに腹を立て、怒りの思いでカルダが眠っているうちに毒花を食べ恨みを晴らそうとしました。
眠りから覚め、ウバカルダが毒花を食べたことに気づいたカルダは、
「怒りや、貪り、愚かさには徳はない。このような愚かな行動は、自らを傷つけるだけでなく、多くの者をも巻き込んで皆を不幸にしてしまう」と語った後、2羽とも命を落としてしまいました。
片方が右へ行こうとすると、もう一方は左へ行きたいといい、片方が遊びたいといえば、もう一方は休みたいと、その都度別の意見で衝突して次第に怒りの念を増長させ、愚かな行動に走った共命鳥。
体が一つなのに頭が二つあるが故に生じる感覚や考えの違いが怒りに繋がり、やがて自らを滅ぼすという悲しい結末を迎えたこの物語。
貧欲、瞋恚、愚痴といった「三毒の煩悩」でお互いを傷つけあうことは無意味で罪深いことだと、この共命鳥のエピソードが教えてくれています。
共命鳥がこの世から消えてこの鳥の伝説も人々の記憶から忘れかけられた頃、修行中の僧が釈迦に質問をします。
「提婆達多(ダイバダッタ)は、あなたを妬んで悪いことばかりするが、それはどうしてでしょうか?」
すると、釈迦は「遥か昔の時代、彼と私は一身双頭の関係にあった。その時に毒のある実を食べたのが提婆達多で、私は体に役立つ方の実を食べた。かつてのことがそのまま続いており、私はいつも提婆達多に足を引っ張られている」と語ったそうです。
「共命鳥」に関するものは明治の無教養な連中による廃仏毀釈によってそのほとんどが失われましたが宗派を問わず、ごく一部の寺院の欄間や所蔵する仏画でその姿を見ることができます。
「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道、他を生かす道こそ己の生かされる道」と悟った共命鳥は、阿弥陀如来に救われ、極楽浄土で朝夕6時になると美しい声で鳴き、仏の教えを伝えているといわれています。
提婆達多(ダイバダッタ):特撮ドラマのレインボーマンにも登場する釈迦の弟子で従兄弟の僧。
���見の違いから釈迦とぶつかり合い、釈迦を殺そうとして無間地獄から最下層の阿鼻地獄に落ちるが、もともとは釈迦の片腕である非常に優秀な僧であったため、伝説では幾度か転生を繰り返し天界を次第に昇り、聖者となって最後に人間界に戻ってくるといわれており、法華経では「天王如来」という位の高い仏として登場します。
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sarahalainn · 9 months
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PART 2!
(PART 1 は一つ前の投稿より)
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
Airmail Specialをはさみたかった最大な理由が、
ここからの絶対的な3曲のため。
Hallelujah
タイトルだけ見ると教会にぴったりな選曲。
でも、これはレナード・コーエンのハレルヤ。
歌詞の内容を思うと、やって良いものなのだろうか、悩む。
「神様は、いるかもしれない
でも、愛から学んだのは、
自分より銃を早く抜くことが出来る人を、
どう撃つかくらいだ」
壊れたHallelujah。
でも、コーエンが言ったもう一つの名言を思い出す:
「すべてのものにヒビがある。そこから光が差し込む」
そう、私たちは壊れてる。ヒビだらけ。
でも、そこから光が差し込むのよ。
Jeff Buckleyのカバーが特に好きで、ギターが印象的。
今年ツアーでエレキを弾く機会があって、今回もと思っていたのですが、
PAさんとも相談し、結果エレアコに。
久しぶりに登場したオーストラリアのMaton。
指が攣りそう><エレキと違って、ヴァイオリンとも違った力の入れ方があり、フォークギターはとにかく毎回緊張します。
エレキヴァイオリニストの壷井彰久さん、ギターも以前弾かれてましたが、「ギターを弾くと指が硬くなってヴァイオリンに影響するからやめた」と話されて、確かに。いつかもっと弾けるようになりたいものですが、今のところ練習を控えてた楽器。
なので、パイプオルガンと並んで、1番緊張した楽曲。
筋肉痛、きっとここからも来てる。
サビでのTakanaとのハモリーがまた気持ち良い。
心の叫びのような、大好きな一曲です。
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9. Andata (坂本龍一)
セトリを考える時、一番大事にしてるのは流れ・物語。
演奏者としての自分のことはその次、または無視。
なんでギターの後にまた大変なオルガンを持ってくるのか><
でも、上手くいったら、綺麗なFlowになる。
それを信じて、突き進む。
パイプオルガンのソロ曲、バッハは冗談で言ったものの(ディズニーの「Fantasia」にも出てくるし、分かりやすいかなと。Takanaが当日初めてリハで聞いた時、ふいちゃいましたw)、可能なら挑戦してみたいと思った曲は坂本龍一氏のAndata。アルバム「Async」のバージョンが一番好きで、これをパイプオルガンで演奏できたらなんと素敵だろうと。。
ご本にの前で演奏してみたい。みたかった。
そんな教授へのRequiemでもありました。
終わったから言えますが、初めの和音を弾いた瞬間「やっちゃった。。><」
Shchedrykで消したはずのFull Organ(音色を変えるボタン)がONになってました。
最初は「え!何でこんなに音が大きくて音色が違うんだろうと」、左、右い、上下を次から次へと見て、
最後に赤いランプを見て「うわあ、まさかの」と。
頭の中ではこんなことを色々考えていたけど、現実ではおそらく多分2秒くらいしか絶ってなく、パニックした割には落ち着いて演奏ができました。ちょうどリピートがあったので、落ち着いてボタンを押し、2回目は想像してた音色に。
後で関係者に聞いたら、意図的だったと思う人がいるよ、とのことで、安心。
ハプニングがあったけど、今回一番集中できた演奏でした。
落ち着いたらこちらもYouTubeでシェアしたいです。
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
もちろん、この季節に欠かせないこの一曲。
ツアーではキーボードの弾き語りをしてますが、Andataからの流れを考えて、パイプオルガンに。
いつもはもっとRubato気味で演奏してますが、オルガンはオリジナルのテンポ感の方があってたので、
演奏してて新鮮でした。最近混ぜてるYMOの「Behind the Mask」もパイプオルガンの音色がハマり、
やっぱり、シンセサウンドに近いものがある!
ここで一番アレンジで苦労したのはピアノとのバランス。
当日でしか分からなかったのですが、オルガンとピアノのチューニングが違う。
あんな大きな楽器で、寒いホールなので、音が狂わないほうが不思議です。
そこでTakanaと上手くどうぶつからないか試行錯誤。
10代の時ピアノトリオで戦メリーを弾いたこともあり、自分の中ではヴァイオリンの激しい部分あってのMerry Christmas Mr. Lawrence。今回のセトリは見ての通り、殆どヴァイオリンの出番がないTTやはりできればここで演奏したい。
そんな構成もあって、楽器の配置も考えました。ヘッドピースは衣装につけられないため、電池を持ちながらヴァイオリンを拾う地味にむずい動作。
色々なアレンジ、編成で演奏して来た戦メリですが、人生でせめてもう一回、またパイプオルガンの弾き語りで表現してみたい。
遠くにいる教授へ
遠くにいる知らないあなたへ
この歌が届きますように
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11. Joyful Joyful / 第九
クリスマスは喜ばしい季節。
だから一層悲しみも深く目立つ。
誰もが贅沢できる、少なくとも安心して生きられる、そんな世の中になって欲しい。
でも、現実は違う。
毎日複雑な思いで生きています。
自分自身の行動に矛盾があることにどんどん気づく日々。
今年も出させて頂いた、体にも、環境、動物に優しいクッキー。
今年のクッキーの寄付先はTABLE FOR TWO へさせて頂きます:
https://jp.tablefor2.org/
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お陰様でSold Outに。
沢山お作りしたいのですが、ひとつひとつ気持ちを込めて手作りのため、数量限定での販売となっています。
皆さんのおかげで、健康的な食料が、必要とされてる子供たちに届けられます。
最高な、クリスマス・プレゼントでは?!
サポートありがとうございます😇
さあ、クリスマスは、そんな自分にも優しく、遠い誰かにも優しく!
クリスマスをお祝いする方も、
ムーミンみたいに本来お祝いしない方も、
クリスマスは喜ばしい、Joyfulな季節だから!
クリスマス、年末年始にやっぱりこの曲でしょう。しかも今年は合唱入り!
合唱も手拍子しながらのノリノリなゴスペルで「Joyful Joyful」からの日本語で賛美歌のような「喜びの歌」。
そしてラストは声楽で「第九」。Takanaアレンジでお届け!一曲の中で人格がなん度も変わる。好き。
普段声楽を歌われない合唱がさらにドイツ語で歌われて、bravissimo!!!!
そうそう、偶々第九のワインを見つけました!いつか合唱とゆっくり飲む予定^^
Joyful Joyfulから最後までは、ほっと一息。
力が抜けてリラックス。
12. O Holy Night
聖なる夜に聖なる場所で皆さんと過ごせた幸せ。
本編最後はやはり、この一曲。
昔からもっとも好きなクリスマスソング。これ、歌っててとても気持ち良いのです。
歌詞も音符・キーも含めて、とにかく歌いやすいんですよね。発生しやすい?というのだろうか。
綺麗に音が響く、計算されて作られた一曲なのかもしれません。
こちらはウィーン少年合唱団と歌わせて頂き、レコーディングをさせて頂きました。
男の子になりたかったチビサラ。それは叶わないと思った時、せめてボーイソプラノになりたいと思った。
その時からなのか、声を真似て高音が出るようになりました。ビブラートが殆どない、ピュアな歌い方。
こちらの方が誤魔化しが効かないので難易度が高い。後半に連れて疲れてくるとビブラートに逃げたりもします。
今回はウィーン少年合唱団のアレンジをベースに、最後は「Amen」を足してみました。🙏
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ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
きっとアンコールがあるだろうと、お客様は思ってくれるでしょう。
でも教会だから、ここで終わりなのかなと思われたりして。。
色々考えながら、焦りながら、大移動+早着替えを。
オルガンももうないので、ロングのウェディングドレスに合わせてハイヒールに。
ヴェールも被り、慎重に急ぐ。
今度はTakanaがパイプオルガンへ。
Sarah’s AngelsのSAK.と磨裕美さんがヴェールを丁寧に持って下さり、素敵な絵になりました。
この曲は是非ともオルガンと、この時期に、こんなお衣装で歌いたかったです。
2000年以上前の今頃、お腹が大きかった聖母マリア様は大変な思いをされて旅をします。
そんな偉大な母の存在も、決して忘れたくありません。
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バージンロードを歩きながらの「Ave Maria」。
静かに見守るお客様。
この歌にもっとも相応しい会場。
大好きなこのAve Maria。よくCacciniと表記されてますが、実際はもっと最近のロシアの作曲家、Vavilovの作品。
あまり知られてないので分かりにくいかもしれませんが、これからはこんな素晴らしい曲を作られたVavilovの名前で表記します。
いつもならMinor(短調)、切ない感じで終わるのですが、打ち合わせも特になかったのに、TakanaがMajor(長調)で終わり、顔を見合わせながら、「だよね!」と二人頷く。
切ないけれど、絶望的でもあるけど、ハレルヤのように希望を感じさせる、そんな気持ちにさせるクリスマス。
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14. Silent Night
ここで演出として、会場と一体になりたく、「きよしこの夜」を皆さんと一緒に歌いました。
みなさんが立ち上がり、事前に作った歌詞カードを手にされ、声を一斉に。
伴奏もあっても良かったですし、合唱がハモるのもありでしたが、
ユニゾンで、同じ音で、アカペラで一緒に歌うことに、力を感じました。
シンプルに、ストレートに、心を一つに。
心の中でうるっと🥲
唯一今思うと、私も合唱もマイクを通さないで歌ったらさらに一体化しましたね。
なので、それは絶対にまたどこかで実現したい。
響き渡る皆さんの歌声。Bravi 👏
ここからさらに高いキーに転調し、Takanaのパイプオルガンのベースが鳴る。
合唱がSAK.の指揮によって入られる。
これまたエグいアレンジ(すみません)。
でもSarah’s Angelsは「こういうの好き!」と、
優しさからなのか、チャレンジ精神豊かだからか、天使の笑顔で微笑んでくれた。なんて良い人たちTT
本当に美しかったです。
15. Nessun Dorma
2023年ファイナルということもあり、音響が美しいということもあり、
「Silent Nightでも、誰も寝てはならぬ!」
本人はこの後10時間爆睡しましたけどね。
ツーランドットの女性バージョンを歌いきり、カーテンコールへ。
本当に皆様お疲れ様でした!
関係者の皆様、来られた皆様、
一生忘れない、クリスマスプレゼントをありがとうございました。
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16. You Raise Me Up
本来は「Nessun Dorma(誰も寝てはならぬ)」で終わるはずだった舞台。
大きく二つの理由があって、もう一曲アンコールを。
ちょうど一ヶ月前の11月21日、1/f FANCLUBの限定イベントが開催:
https://www.sarahalainn.net/
リクエスト曲ライブ。
最後、ノーマイクで歌って演奏した「You Raise Me Up」。
いつもサポートして下さってる方に最後は肉声で思いをお届けできればと。
限定ライブだったため、もう一度似たような演出を今回も。
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満員のホールにもか変わらず、響く教会にビックリ。
ここだったら完全にunplugged (PA・マイクなし)のコンサートは全然あり得ますね。
そして、もう一つ。
コンサートとはいえ、教会でのクリスマスということで、
拍手とお辞儀で終わるのが、ちょっと違和感を感じました。
聖なる夜に、本当の意味のクリスマスをお届けしたい。
メッセンジャーというスタンスで。
最後は、会場に下り、バージンロードを演奏・歌いながらその場を去りました。
ディナーショーなら手を差し伸べたい気持ちは分かりますが、
教会でのマナーを意識されたお客様のおかげで、こんな演出が可能でした。
安心して楽器の演奏も。エンターテイナーとして今後も安心しながら面白い演出をしたいので、とてもありがたいです🙇‍♀️
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サラジオのプロデューサーも来て下さって、とても嬉しい感想だったのでシェアさせて下さい:
「お客さんもあの終わりかただと満足度が極まって、アンコールの拍手も止んでしまいますね。
アンコールの拍手が出ないと言うことは、満足したと言う証明ですから、昨日はそれを実証しました。」
ここまで読まれたのですが?!
ありゃま。ワオ。お疲れ様です!
いつもこんな感じでコンサートの準備などしてます!
年末年始ということで、いつも以上に舞台裏を書けました^_^
そして終わっていつもこうなる:
「次どうしよう。。。><」
今年も沢山のサポート、愛をありがとうございました🫶
Merry Christmas! Happy Holidays! Happy New Year!
Happy New/Old YOU!
良いお年を!新しい自分、今までの自分に乾杯!
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maristelina · 1 year
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Milgram Side W
⚠️This is secret content available only through purchase of physical Milgram Novel 2 + Milgram manga books from Animate. Please buy the novels to support Milgram! Please don't reblog!
「今までの看守の話が聞きたいだって?」
"Do you want to hear about the previous guards?"
「あぁ、何かの参考になればと思ってなめるか? ジャッカロープ。」
"Ah, are you considering on helping me by giving some references? Jackalope."
目の前の看守エスは、私が日をかけたとおり実に優秀だ。
The warden Es, as I had observed for the past few days, is truly excellent.
情報収集に貪欲で、考察も深く鋭い。広い知識を持ち、多様な価値観を併せ持つ。
They are eager to gather information, while holding deep and keen insights. Es possesses wide knowledge and diverse values.
理想的な看守と言って良い! ——まぁ、今回のミルグラムはそういう風にデザインしたのだから当然といえば当然なのだが——それでも、ここまで上手くいくとは 思っていなかった。
It's fair to say Es is an ideal warden!——Well, it's only natural since that's how I designed this Milgram experiment——but still, I didn't think it would go this well.
難点は精神の不安定さだが——それも、仕様上致し方がないことだ。
Their only flaw is their mental instability -- But even that is unavoidable given the current structure of the experiment.
今もこうして僅かでも新たな視点を取り入れようと、大きな瞳でまっすぐ私を見つめている。その瞳に見つめられる度に私の胸躍る。
Even now, looking straight at me with their large eyes, they are trying to adopt even the slightest new perspective. My heart flutters every time I'm gazed at by those eyes.
「んー、オレ様の記憶に残ってるような看守なぁ…」
"Hmm, I can't remember a warden who's made a lasting impression on yours truly…" (TN: "オレ様" means "my esteemed self" but it doesn't sound great on EN imho so I translated it to something closer to its original meaning.)
監獄ミルグラムは、幾度となく繰り返されてきた営みである。
Milgram Prison is an undertaking that has been repeated over and over again.
度重なるトライ&エラーにより、規則やフォーマットを最適化して現在の形にたどり着いている。
Through repeated trial and error, the rules and format have been optimized to reach it's current form.
つまりは失敗の歴史ともいえるわけだが、その中でも印象に残っている石守はそう多くない。
In other words, it's a history of failures but there aren't many among the stone faced guards who have left a lasting impression. (TN: I have no idea what "石守" Ishimori is referring to. It seems like a character but based on my list, I can't find anyone that fits it.)
「そうだな。バッと思い出せるのは審判の前に囚人を全部殺しちまったヤツ」
"Right. The only one who comes to mind is the guy who killed all the prisoners before the trial."
「……何の参考にもならないな」
"...That's not helpful at all."
エスは不快そうに眉をひそめる。期待通りのリアクションだ。
Es frowns in discomfort. Just the reaction I was expecting.
「看守と囚人 くものと裁かれるもの。絶対的な上下関係が出来上がる中で、そうなっちまう看守は珍しくねぇ。まぁ皆殺しはレアケースだが······数人手にかけちまうなんてことはまぁある
"Warden(s) and prisoners, the one(s) who imprison and the ones who are judged. In a relationship with such a clear hierarchy, it's not rare for some warden(s) to go off the rails. Well, killing everyone is a rare case, but taking out a few isn't unheard of."
「僕は、そのやり方は好まない」
"I don't approve of that approach."
「そうかそうか。 お前は暴力反対派だもんなぁ~」
"I see, I see. You're against violence, huh~"
「当たり前だ。 元々そのつもりだが――」
"Of course. That was the intention from the beginning—"
エスの表情がわかりやすく唸る。
Es visibly grimaces.
「今の監獄の状況を見れば、確信に変わるというものだろう」
"If you consider the current conditions in the prison, it should only reinforce your conviction, shouldn't it?"
無理もない話だ。
"It's not an unreasonable argument."
今回のミルグラムは囚人の暴力により、大きく状況を動かされたのだから。
In this iteration of the Milgram experiment, it's that one prisoner's violence that has significantly changed the situation.
エスは1人の囚人と協力関係を結んだ。エスの思惑とは裏腹に、その囚人はまるで看守の代行をするかのように、赦されざる囚人に暴力による私刑を執行したのだった。
Es formed a cooperative relationship with one of the prisoners. Contrary to Es's intentions, that prisoner acted almost as if they were a substitute warden, meting out vigilante justice through violence on the guilty prisoners.`Es formed a cooperative relationship with one of the prisoners.
囚人同士の争いという意味では過去のミルグラムでも前例はあるが、囚人が看守を気取るなど前代未聞だ。
During previous Milgram experiments, it's not uncommon for prisoners to have confict with one another. But a prisoner taking on the role of a warden is unprecedented.
なんと、なんと愉快なのだろうか。
My, oh my, this is incredibly amusing.
「………僕は看守として、アイツらのことを知りたいんだ。そこに暴力は必要ない」
"….As a warden, I want to understand them. Violence isn't necessary for that."
「んー、お前は囚人に愛着を持ちすぎに見えるがね」
"Hmm, aren't you getting too attached to the prisoners?"
「………そんなことはない」
"……That's not the case."
「いや、別に悪いとは言ってねぇよ。看守のスタンスは自由だ」
"No, I'm not saying it's a bad thing. A warden's stance is their own choice."
囚人への強い愛着は、今回のエスの特徴のひとつだ。時には親のように、きょうだいのように、友人のように囚人のことを親しく想っている節がある。
Strong attachment to the prisoners is one of the defining characteristics of Es this time around. At times, Es appears to hold a fondness for the prisoners, as if they were like a parent, sibling, or friend.
直接傷つけたわけではないとはいえ、自分の選択により囚人が傷つく結果になったことを強く悔いているのだろう
Even though Es didn't directly harm the prisoners, it's likely they deeply regret that their choices led to the prisoners getting hurt.
俯くエスを見て、ふと追懐というべきか、1人の看守の顔が浮かぶ。
Looking at the downcast Es, whether it should be called a flashback or not, the face of a single warden comes to mind.
見た目はまったく似ていない。女性らしいロングヘアをなびかせる姿は印象としてはむしろ真逆に思えるが――。
Their appearance couldn't be more different. The image of her flowing, feminine long hair is the polar opposite in terms of impression and yet—.
「…………あー、そうか」
"……Ah, I see."
「ジャッカロープ?」
"Jackalope?"
「オレ様が直接見てたわけじゃねぇんだがな。 オレ様の部下が担当してた看守に、お前に似たヤツがいたんだよ。ちと思い出しちまった」
"I didn't directly oversee her, but one of my subordinates was in charge of a warden who reminded me of you. Just crossed my mind."
あのエスも、今回のエスと同様、看守でありながら囚人との親交を重視していた。共通しているのは、人間への強い興味だ。
Like the current Es, that Es also valued relationships with the prisoners despite being a warden. What they both share is a strong curiosity about people.
エスの顔を見ると、怪訝そうな表情でこちらを見ている。
Looking at Es's face, they appear puzzled as they look this way.
「ジャッカロープ・・・・・・お前部下がいたのか」
"Jackalope… you had subordinates?"
「おう、オレ様相当偉いんだぜ。お前を直接見てやってることをたまには感謝しろよ」
"Hooh, I'm pretty important, you know. You should feel grateful that I'm personally overseeing you now and then."
「ウサギの社会にも上司部下があるんだな」
"Huh, so even in a rabbit society, there are bosses and subordinates."
「ウサギじゃねぇ。ジャッカロープだ」
"I'm not a rabbit. I'm Jackalope."
あのときは今のミルグラムと比べれば、私から言わせると不完全なフォーマットと美しくないルールで進行していた。
Back then, in comparison to the present Milgram, it was following an imperfect format and rules that, in my opinion, lacked elegance.
担当のジャッカロープも監視役として中途半端だった。甘く、ぬるい。 ミルグラムの公平性を保つには不十分であった が――あぁ、そういえばあの女は結局どうなったんだったか。よく覚えていない。
The assigned Jackalope was also lacking as a supervisor. They were lenient and lackadaisical. They were insufficient in maintaining Milgram's fairness, but—ah, come to think of it, what happened to that woman in the end? I don't recall it very well.
「僕に似てる……というのは、どういうところがだ?」
"Resemble me… in what way?"
「なんだよ、気になんのかぁ?」
"What's this? Is it bothering you?"
「だってジャッカロープ、怒ってるだろう?」
"Because, Jackalope, aren't you angry?"
「………あ?」
"………Hah?"
「珍しいな。いつも飄々としているお前が」
"How unusual. You who are always nonchalant."
エスの言葉に驚かされる。エスが私の表情を読み取れるということにも、表情に出てしまうほどの感情をあのミルグラムに無自覚に持っていた自分にも。
I'm surprised by Es's words. Both that Es can read my expression, and that without realizing it, I held such emotions about that particular Milgram experiment that it even showed on my face.
あの看守自体に特別な問題があったわけではない。
There wasn't any particular problem with that warden herself.
問題は『彼女をきっかけ』におきた出来事の数々だ。
The issue lies in the series of events that she triggered.
ミルグラム史上 屈指の汚点である、あの事件も元を正せば彼女がきっかけだった。
If we trace back to the source, she was the catalyst for that incident, one of the biggest stains in Milgram's history.
��…………お前は余計な面倒を起こしてくれるなよ?」
"…………Don't go causing unnecessary trouble for me, okay?"
不思議そうにこちらを伺うエスの顔に、わずかな胸騒ぎを覚え、そう呟いた。
I muttered, feeling a slight unease in Es's curious expression.
【了】
[The End]
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nmtn-kobi · 1 year
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「あぁ…イク…イクイクイク……!」
種が潤滑剤になって、一段奥に入る。奥でヒクつくのがたまらなく感じる。擦りこむようにねじ込み、味わい尽くしてくださる。嬉しい。軽くキスをすると、ズロロっと引き抜く。ポッカリ開いたそこはまだ疼いている。
一戦が終わると静かになる。深夜何時頃だろう。時間を確認するために、ロッカールームへ行く。4時だ。さすがに皆寝ているか。一旦汗を流そうと、ロッカーからタオルを取り、シャワーを浴びにいく。もちろん種マンはそのままにしておく。
ロッカーに戻り、タオルをなおす。ふとスマホを見ると、メッセージの到着を示すランプが点滅している。
「今から行く。5時頃に着く。」
店に来る前に連絡を入れておいた雄から返信が来ていた。ヨシッ!なかなか予定が合わなかったが、やっと会える。かなり竿がデカいらしく、期待に胸が高鳴る。
とてつもなく長い時間が経った気がする。新しいお客さんが扉を開けた音だ。来た!その雄がロッカールームにやってくる。軽く会釈をすると、ロッカーに荷物を入れ、俺の目の前で、さっさと服を脱ぐ。デカい!太い!事前に聞いていたより���スゲェ!思わず唾を飲み込む。
「やるか」
暗闇に移動してすぐに跪き、先端からゆっくり頬張る。唇をまとわりつかせ、舌を使い、首をゆっくり上下させる。半分も銜えることができないが、あまりの雄感に、唾が勝手に溢れ出してくる。
マジでうめぇ…
すると、その雄は頭を撫で、耳を刺激してきて、腰をゆっくり前後に動かし始める。あぁ…犯してくださっている…たまんねぇ…ねっとり味わいながらご奉仕を続ける。
「あぁ…たまんねぇ…」
感じてくださるのは、この上ない喜びだ。さっきより一際大きくなってくる。スゲェ…
「そろそろケツ貸せ」
言われるがまま、口を放し、仰向けに寝転がると、両足を持ち上げ、開ききったそこを見せつける。
それを見た雄は、亀頭で穴をマッサージしてくる。あぁ…ナマの感触がたまらねぇ…早く欲しくてヒクついてしまう。だが、なかなか挿れてくださらない。あぁ…気が狂いそうだ…
「欲しい…ッス」
その言葉を合図に、ゆっくり亀頭を嵌め始める。あぁ…段々と押し拡げられてゆく。どこまで拡げられるんや…デケェ…あぁ………………あっ!ツルんと亀頭が全部入り、マンコが亀頭の段差を…包み…こんだ…気持ちいい…
「こっからだぜ」
うぉぉ…太い竿が入って…く…る…あぁぁぁぁ…スゲェ…たまんねぇ…気持ち…いい…あぁ…奥に入ってくる…あぁ…デッケェ…
「まだ入りきってないぜ」
雄は少しずつ腰を動かし始める。前後にゆっくりと、そして段々速く、奥を拡げるように突いてくださる。ガツンガツンと突かれるたびに、ヌチャヌチャと種とローションの音が響き渡る。あぁ…やべぇ…気持ち良過ぎて涎が垂れてきた…たまんねぇ…………そう思って力が抜けた瞬間、生デカマラが一段奥に、ズボっと侵入してきた。
「あっ!気持ちいい……………!」
雄からその声が洩れて興奮が伝わってくる。さっきよりも腰振りがガツガツと激しくなってくる。あぁ…嬉しい…たまらなく幸せだ…そこが気持ちよくて仕方がない。
「あぁ…やべ…種マン気持ちいい…やべやべやべ…あぁ…イクイク…イクイクイクイクイク…………!」
ズドン、ズドン、と奥に打ち付けてくださる。ズルっと奥に突き刺さり、デカい亀頭の形が中でわかる。やべぇ…エロっ………
「どうしたんこれ…?」
雄に腹を触られて、そこが濡れていることに気付く。いつの間にか、俺の先からも、種だかなんだかわからない液体が吹き出していた。雄は、中でまだビクビクさせながら、覆い被さってくる。デカい竿で満たされ、雄と種の匂いに包まれながら、俺はまたイッたようだ…やべ…
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chikuri · 10 months
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子���もたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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chibiutsubo · 18 days
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#日常
「ラストマイル」観てきました。
元々はMIUの二人組目当てというのが動機でしたが、それ抜きでも観に来て良かった!面白かったです!これ書いたらネタバレになるかな〜〜などと考えてると、感想は「面白かったです!」の一言に落ち着くんですね。ほんと…しみじみ良かった……。
勧善懲悪でスッキリする部分もあり、反面全てがめでたしめでたしで終わるわけではないので(救われないところはほんとに救われない)、彼らの明日を、今後を、かき乱されながらも考えてしまいます。問題提起されている部分がほんとに今この社会でのリアルな課題の部分でもあるので、リアリティがありすぎて現実と物語の境目が曖昧になってくるような感覚。つらい。
でも、観終わって絶望に叩き落されるとかそんな感じではなく、走り抜けた後の気持ちよさみたいなものはあるのです。それなりに気持ちよさを感じた後に、いやでもそういえば?と立ち止まって考えた時に、周囲に暗闇がいくつも口を開けて待っているさまが見えてしまって呆然とする、という感じでしょうか……。例えが下手だな。これだったら海苔弁が唐揚げ弁当に変わる方が上手いってもんよ!
ただまあ、観終わって最初に思ったことが「……明日も頑張るか」だったので、そう思う私はとても単純なんでしょうか。でもそう思わせる力があるってすごいことだよなぁと思うのです。
あとは、纏まらないけど思ったことをちらほらと。初見の感想なので何も煮詰まってないです。思いつくまま箇条書き。
▼すべてはお客様のために、ね……。ほんとにこれ、魔法の言葉でもあり呪いの言葉であるわけで。考えてみれば、私のいるところだってもうひとつの「ラストマイル」ならぬ末端であるわけで、何だかなぁ、そうなんだよなぁ……皆様の尽きぬ欲望の何千億?何兆億分のいくつかを受け止めているんだよなぁ。しかしその欲望なしには何も動かぬこの世界。欲望あっての我々でございます。
何度も出てくるこの「want」、消費者側である私たちに問いかけてきているのでしょうね。What  do you want? あなたの欲しいものは何ですか?
あなたの本当に欲しいものは……?
▼しかし物流センター、この映画の中のシステムがどれだけ現実と一致しているのかは分からないけど、まるでボールコースター(正式名称が分からないけど、レールの上をボールが延々と転がっていくやつ。名古屋市科学館の中にあるのは見たことがある)を見ているような気分。一日でもずっと見ていられそう。
ぐるぐるぐるぐる回って止まらないボールのように、永遠に止まらない物流の世界。それこそ、人が命を絶とうとしても……。
そんな血の通っていないローラーコンベアと、末端の人力とアナログの世界の非情なまでの対比が印象に残りました。
本社側(それこそ米国側)の人々にとって、羊運送やラストマイルのあの佐野運送の親子などの人たちは、きっとローラーコンベアと同じようなものに見えているんだろうなと。
そういえば途中エレナが「FAX〜〜〜〜!!??」と叫ぶシーンがあるんですが、そうなんですよ!!末端はまだろくなシステムが構築されてないのでFAX大活躍の世界線なんですわ(使う側の高齢化もあり)。
「稼働率」の世界とアナログの世界で挟まれるヒツジ急便のヤギさん……なんかもう、わかるぅ……投げ出したくなるよねぇ……と、ある意味あれは涙なしには見れない部分だわ。血と汗と涙的な意味の涙ですが……。
ところでボールコースターの話を出したら、志摩のピタゴラ装置を思い出してしまいました。MIUではあのピタゴラ装置が結構重要な視点になってきていたけれど、それはラストマイルとリンクしているのだろうか……?
▼それにしても、伏線のように思われる箇所が大量に出てきて、1回ではとても推理しきれないところばかりでした。
※※この辺りからかなりネタバレが多くなってくるので、回避される方は薄目でスクロール推奨します※※
・12個の爆弾は全て見つかっている、という理解で間違ってないですよね??サラに向かってエレナが最後に言い放った「爆弾はまだある!」の爆弾は、飛び降り事件の隠蔽?の件や、物流業界での問題がまだ山積していること(またいつ爆発するか分からない)への比喩かなと思ったのですが、本物の爆弾がまだ残っていると考察される方もいて、どっちなんでしょ??
・事務所に泊まっている時にエレナが電話していた相手は恐らくサラだろうなと思うんですが、最後の「私はどっちだと思う?」の意味がまだ掴み切れない……。
考察動画で、メケメケフェレットが出てきた時点でもう私は「すごい……」としか言えなくなったのですが、まさかここでまたメケメケフェレット(伊吹語)を考えることになるとは……!しかし私の知識が非常に不足しているために、このメケメケフェレットの部分は考察し切れない……何故なら私がよく分かっていないから。勉強は何のためにするのか見失っている学生の皆さん、勉強や知識とは、こうやってお話をより深く楽しむために必要なのですよ。知らないということは、表面的なところだけ観て分かったような分からんような気分で悔しがる私みたいになるということだからな!!なんというか、学生時代にもっと名作と呼ばれるものにしっかり触れておけばよかったと、最近とみに反省している私なのでした。
・最初にも書いた「爆弾とは?」と思うものの、エレナがサラに最後言い捨てたシーンはめちゃくちゃスカッとして良かったです。
しかし、何かイレギュラーな事態が起こった時、あれだけ大胆に判断を下していけたらさぞかし気持ち良いだろうなぁ……。ここまで至る間の、アメリカ時代のエレナも見てみたい。
それこそピタゴラ装置じゃないですけど、誰と出会うか、出会わなかったか。五十嵐の下で働いていた山崎が嵌まってしまった袋小路、もしかしたらそれは、3年目のエレナだったかもしれないし、エレナと出会わなかった世界線の孔だったかもしれない。
そこで一つ救われるのは、エレナと出会ったことで、孔の分岐点は変わっただろうなと。この話の中で、それでも変わらない無情というものも描かれる中、明らかに変わっただろうな、と確信できる部分でした。ただ、だからといって孔の未来が光に満ちているかというと全然そうではなく、立場が変わり、その先には更に分岐点がいくつも待っているのでしょうが。
・例のあの暗号なんですが、見たままの意味だけではなくて、まだ何かあるの?か?最後のシーンで五十嵐が血相変えてロッカーを確認するシーンや、孔の最後のロッカーでのシーンがまだ咀嚼しきれておらず。この辺りは自分の中でもっと噛み砕くことができてから文にしたいと思います。一度では到底無理だわ……。
あと、MIUの音楽が流れた瞬間に沸き上がる血よ。これ多分たくさんの方と共有できそうなんですが、あれですあれです。……と書いといて、アレ?流れたのってMIUのテーマだっけ?伊吹のテーマのメロディーラインでしたっけ?特徴的なあのメロディーライン、イーリアンパイプという楽器の音らしいですね。MIUのテーマの方では、そこからバイオリンが入ってくる辺りの上がり方がもうね、大好きです。この曲流れると自動でスイッチ入るんですけど、多分これきっと私だけじゃない。滾るよな……!
数年越しにMIUのサントラ入手するかどうかを本気で考えている本日でございます。
・今回佐野運送の息子役を演じてらした宇野祥平さんという役者さん、私は以前「罪の声」(これも野木さん脚本でとても良かった)を観た時に、そのじんわり沁みるお芝居に良いなぁすごいなぁと思ったのですが、今回ので確信しました。良い……!
日ノ本電機のくだりはとても…とても良かったです。胸を張ってものづくりをしてきた人。会社はなくなっても、良いものを作ったのだという矜持が伝わってきて、じんわりくるシーンでした。
あと毛利刈谷おじさんバディ組も良き。何ででしょう刈谷さん実際に近くにいたらめちゃくちゃ鬱陶しいオッサンだと思うんですが、MIUの世界の中だと何だか憎めないんだなぁ。
▼そして最後に流れる、米津さんの 「がらくた」 。
MIUの「感電」が志摩と伊吹ソングだったし、「Lemon」は中堂さんと亡くなった彼女の歌。となると今回はエレナと孔に焦点が当てられているのかな?と何の根拠もなくそう思っていたのですが、映画鑑賞後は呆然としていてそれどころではなかったので、歌詞まで深く聴くことはできず。そして家に帰ってきて改めて歌詞をじっくり読んでみたのですが……。
これは……エレナと孔のことを歌ったものではなく、もしや…………。
作中で深く描かれることがなかった部分がこれだとしたら。切なさ大爆発で、観てから2日経った今、がらくたをリピート再生してはしょぼくれているところです。これは何というか……遅効性の毒みたいに効いてくるな……。
※※ネタバレ区間おしまい※※
というわけで、2日かけて仕事終わりにちまちまと書きためた初見の呟きです。とりあえず今は、職場で仲良い人たちに「み゛て゛!」と言い回る妖怪みたいになっているところです。み゛て゛!!!!
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yu-en · 3 days
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uihy
自室の記録
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5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。
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小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。
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Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。
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小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。
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小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。
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窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。
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向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。
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ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。
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職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。
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ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。
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モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。
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microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。
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机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。
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ギター・くま・本棚
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ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。
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左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。
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低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。
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声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。
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高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。
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Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。
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小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。
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キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。
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Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。
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この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。
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食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。
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ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。
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部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
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takahashicleaning · 3 months
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TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラヤ山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東洋や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求めながらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というとあまりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しましょう。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということです。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。それらはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が出来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につながる心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そうする事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出す鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象のことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えます���、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!これもブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味することろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより現実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が強化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは、3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待しましょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てん���く)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になる���だけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違う���ど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバ��の1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
<おすすめサイト>
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
バリー・シュワルツ:選択の自由パラドックスについて語る
ダン•ギルバート:私たちが幸せを感じる理由
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
<提供>
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niceage1993 · 9 months
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色狂いが落ちる地獄ってなんだっけ?
かなり本格的にセックスというものに絶望してしまった。セックスっていうのはつまりセックスで、人と人とが皮膚に触れあったり粘膜をこすり合わせたりして性的に気持ちよくなるというアレなわけだけど、わたしは若干三十歳にしてその行為に対し心の限りなく底のほうから“こりゃわたしには向いてないわ”とネガティブな感情を湧きあがらせているわけである。わけである、ではない。
自分の意に反して馬鹿でかい乳房とぽってり薄ら開いた唇のせいで助平の権化みたいな見てくれをしている自覚はあり、加えて求められれば比較的誰とでも寝てきたせいで(本当におしまい)勘違いされがちなんだけれど、わたしは元来、性に対してかなり淡泊な性質だと思っている。セックス“できる”だけで“したい”と思ったことはほとんどなかったし、ごくまれに沸き起こる性欲的なものは自分で適当にやり過ごすことができる程度のそれで、別に他者の介入を求めようだなんて考えたこともなかった。
そもそもわたしにとってセックスは目的というより手段の要素が強くて、自分が手に入れたいもの(お金とか地位的なものではない)のために相手の要望に応えて体を重ねる、ということをしてきているせいで、そもそも行為自体に愛とか勇気とか希望とか、それから快楽とかを期待することもなかった。じゃあ何を求めていたかっていうのは、話が逸れるしクソ長くなるので割愛する。ちなみにキスとかは好き。
実はわたしと旦那の性に対する意識に北極と南極くらいの距離があって、夫婦関係がマジでヤバくなったときがある。旦那はとにかくヤりたくてたまらないし、わたしはわたしで子どもを産んだり育てたり社会復帰したりとかで手一杯でそれどころではなく、とにかくヤりたくなかった。別に旦那が嫌いになったわけでもなんでもなくて、ただ肉体的に交わる余裕がないというか、そんなことする時間あるなら一文字でも多く本を読みたかったし1秒でも長く寝たかっただけで、つまりセックスの優先度が地面にめり込むほど低かった。で、じゃあどうやって打開したかっていうと旦那に対して婚外交渉をOKしたわけである。今っぽく言うと“オープンマリッジ”ってやつ。案外旦那が外に遊びにいくことへの嫌悪感とかはなくて、むしろよそ様が発散させてくれることで家庭内に平穏が訪れるならかえって良いことなのでは?という気持ちでさえいる。わたしの知らないマッチングアプリの女性のみなさん、旦那をよろしく頼む、と感じている。大抵の人はこの話を聞くと驚くか呆れるか、もしくは“じゃあこいつともヤれるのでは?”なんていう感情を抱くかするんだけど、わたしたちはこれでかなり上手くやってるし、当然わたしとはヤれない。
そこまでして性的な接触をなるべく避けてきたわたしが、どうして今改めてわざわざセックスに絶望なんかしているかというと、ごく最近に、意外にも「あ、したいかもしれない」と思う瞬間があったからだった。残念ながらその相手は旦那じゃなかったけど、個人的にはそういう感情に至ったこと自体が奇跡みたいなもので、正直処女を捧げることになったときくらいの胸の高鳴りを感じていた。三十路にもなって。結局その人とはラブホテルのベッドの上で小一時間転げ回るだけでとくにそういうことにはならなかったんだけど(というかわたしがしないことにしていたんだけど)、その胸の高鳴り、というか紛れもない性欲は数日尾を引いた。その人との接触が引き金になったのは言うまでもないが、果たしてその人としたかったかどうかというのはいまいちよくわかっていない。実際わたしは、閉鎖されて二人きりの薄暗い部屋のベッドの上で触れられて気持ちが昂っても、その人に「抱いてくれ!」とはついぞ言わなかったし。こういうところが自分の面倒なところだよな、と思う。思うだけでとくに対策を講じなかったので、いい歳をこいてこんなことになっている。で、旦那が登場するわけである。こういう書き方をすると、ラブホテルのベッドで転げ回った相手にも気まぐれな性欲のはけ口にされた旦那にも本当に失礼だというのは承知なんだけど、でもやっぱりわたしが気軽に「抱いてくれ!」って誘っていいのは旦那だけだと思うし、実際旦那も喜んでくれたのでいいことにしてほしい。
結論からいうと本当に地獄だった。旦那の名誉のために誓って言うけど、彼のやり方がダメだったわけでは断じてない。むしろ彼はあらゆる面において丁寧でなんならかわいらしさみたいなものもあり、彼自身も素晴らしいと思うのでマッチングアプリでこれから出会うかもしれない皆さんは心配しないでほしい。最悪なのはわたしで、一時間半あまりの行為のうち三分の二の時間は「早く終わってくれ」ということばかり考えていた。気持ちいいとかよくないとかそういう次元の話ではもはやなく、というかもう快感を与えられそれを拾い体が勝手に動いたりうっかり声が出たりすることすら億劫だと感じていた。こんなにむなしいことってあるだろうか、とかなり明確に自分に対してうんざりして、それがよりセックスに対する絶望へ拍車をかけた。ほかにうまく言い表す言葉が見つからないし、そんなもの多分なくて、ただただ“向いていない”んだと思う。なまじ「したいかも」なんて淡い欲と期待を抱いてしまっていたせいで、落ちた地獄はあまりに深い。もう二度としたくないとさえ思うけど、旦那と夫婦である以上この先も肌を重ねることはきっとあるだろうし、そのたび腹の底で「早く終われ」と思っているわたしを抱かせるのはしっかり申し訳ないと思う。そういうのもひっくるめて、わたしは本格的に自分のセックスというものに絶望してしまった。
気が削がれすぎてこれをどうしようみたいな気持ちにもならない。こういう話をすると「女性は30代以降から性欲が強くなる」とか「おれが変えてやる」とか言い出す人が出てくるし、実際に言われたこともあるんだけど、やれるもんならやってみろ、こっちは本気だぞ、本気の絶望と地獄だぞ。とか思う。そのくらい諦めている。別にいいんだけど。でもなんかやっぱり衝撃を受けた部分も確かにあって、うわー自分この先誰とも肌の触れ合いを楽しむことないんだ、という悲しみもうっすらある。悲しみなのか?わからないけど。新年早々こんなことを長々と書き連ねるほどには驚いた、という感じ。どうでもいいと思い続けてきたことをまあまあ真剣に考えてしまった。
えーと、なんだっけ。つまり何が言いたいかというと、バイアグラ的なものってわたしみたいな終わり人間も奮い立たせることができるんでしょうか?
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kaoriof · 4 months
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にき��える。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらない���ま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じ��いだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月���次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこ��やってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本��学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけ��ぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもす���ようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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naramereshkigal · 10 months
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FF16プレイ雑記 1周目
バルナバスが好きだ、という話を綴りました。
ネタバレを含むので、本文は以下に畳みます。
アルティマニア未読、公式情報も含めて解説の類はまだ追っていないので、「何をいまさら」もしくは「全く的はずれ」と思われるようなことを書いている可能性が高いです。
その他、うろ覚えな部分も理解に至っていない部分も大いに含みます。
と、事前にいろいろ言い訳をはさみつつ。本文はフォトの下のリンクからお進みください。
Tumblr media
 バルナバスが好きだ。
 初登場シーンでの第一印象は、「顔色悪いなこの人、大丈夫なのかな」だった。その後もちょいちょい意味深な登場をするものの、どれにも特に惹かれることはなく、かなり終盤まで「よくわからない気味の悪いやつ」くらいにしか思えなかった。発売前のキャラクター紹介からは主役級インパクトを感じて期待していたのに、実際にはイマイチ薄味な感じじゃないか、とすら思ってた。それが最後の最後で覆され、一気に好きになった。
 きっかけはクライヴとの最後のバトル。突然の高笑い、声のトーンやそれまでのテンションとの差から「狂気!」という言葉が脳裏に浮かんで、「こんな一面もあったのか!」という驚きと共に興味を引かれた。陳腐な言葉を敢えて使うなら、ギャップ萌え、なんだろう。薄味に見えていた人物の中身は濃厚な狂気に満ちていた。クライヴと対峙することでその濃厚な狂気は更に密度を増し、遂に溢れ出してきた。これはすごくいいぞ、と思わず身震いするほどに。
 高笑いを聞いた瞬間に感じた狂気は、生理的に受け付けないものに近かったかもしれない。でもクライヴに語り聞かせる話の内容から、バルナバスの狂気は決してエゴイズムから来るものではないとも感じて印象が変わっていった。もちろん彼の行動が人類の救済だと思い込んでること自体はとんでもなく独り善がりなのだけど、自分さえ救われれば他はどうなってもいいという類のものではなく、むしろ他人も含めて皆が等しく救われるべきという考えには彼なりの正義があったはずだし、少なくとも救われるべき他人に対する何かしらの愛もあったんじゃないかと思う。そのことがすごく琴線に触れた。誰かのために動いてる。愛がある。それが人類のためなのか母様のためなのかはわからないし、クライヴとは絶対にわかりあえないだろうけど、ただ愛のある人だったかもしれないという可能性に心を動かされた。
 教団がらみのサブクエでウォールードを訪れた際、そこで出会った民がアカシアになることを望んでいたことには、心底驚いた。民は、完全に自我を捨て去ることが救いだというバルナバスの教えを信じていた。辛い現世から解放されて無垢な存在になりたいという願いは、結局は現状に対する不満の現れであるはずなのだけど、民はその不満を王にぶつけようとはしていなかった。それが許されないような圧政だったのか、そんな気力も起きないほど暗く絶望的な状況だったのか、その背景はわからない。でももし少しでも王に対する不信があったなら、王の教えに従い信仰を貫くようなことはしなかったはず。そう考えると、バルナバスは民を導く王として十分な信を得ていたということにならないだろうか。実態はどうあれ良き王としての素質をもっていたのならば尚更、アルテマのためだけに動いていたのはもったいなかったんじゃないかと思えた。
 もちろん彼の行動の結果としての民の犠牲を考えると、決してバルナバスが良き王であったとは言えない。ただ彼にとっては犠牲ではなく救済であったわけだし、私利私欲を捨てて救済のためだけに動きそれを半ば実現させていたことを考えると、もし彼がもっと違った形の救済を目指していたら類稀なる名君にもなり得ていたのでは、なんて考えずにいられないのだよ。
 件の高笑いを見せたバトルシーンで、血が沸いてる、みたいなことを言っていた気がするけれど、バルナバスは生来戦いが好きな質なんじゃないかと思っている。(別の場面ではスレイプニルも、クライヴとの戦いを楽しんでる様子を見せていたけど、あれも主が元々持っていた性質が反映されていたせいなのではないかなと。)楽しくてテンションが上がっちゃうなんて、すごく人間らしいじゃない。自分なりの正義を持っていて、愛があって、それゆえに狂気も孕んでいて、楽しいことには高揚してしまう。このシーンではバルナバスの新たな一面を立て続けに見せつけられた。なんだ、バルナバスも人間だったじゃないか、そう思える一幕だった。それまで感じていた薄味な印象は、バルナバスが既に自我を捨ててアカシアに堕ちていたことによるものだったのだろう。ただ、それでもこの人は人間だったのだと思えた。捨て去ることのできない人間味が残っていた。それを垣間見てどうしようもなく切なくなった。もしその行いが誰かのためのものだったなら、そこに愛があったのなら、そのせいでアカシアになりきれなかったのだとしたら、この人には他に人間として幸せに生きる道もあったんじゃないか。もっと幸せになってもいい人だったんじゃないか。どうせなら幸せになってほしかったな、なんて。
 以前別の記事で、「ミュトス」という呼び名は人々の話題に上る立場であることを示しているのでは、と書いた。その点、外大陸からふらっとやってきて圧倒的な強さで灰の大陸を統一し新たな王国まで建ててしまったバルナバスこそ、「ミュトス」の呼び名にふさわしい条件を備えているんじゃないかと考えたことがある。建国から50年経っても歳を取っていないなんてまさに生ける伝説だったはず。更にはアルテマに対する信仰心も厚く、思念の楔も無いに等しいことも加えれば、器として最適な人材だったんじゃないか、と。
 彼自身、そんな風に考えたことはなかったんだろうか。自分がイフリートのドミナントでさえあればと悔しく思ったり、クライヴに嫉妬したりしたことはなかっただろうか。もしも召喚獣に関係なくアルテマに器として求められたとしたら、バルナバスは喜んでそれに応えていただろうか。時々そんなことを考えてみたりする。
 どちらにしてもバルナバスは悲しい人だ。悲しい運命の中で必死に生きた人なんだ。そう思うにつけてバルナバスに対する愛おしさが湧き上がり、好きにならずにはいられなかった。この気持ちは2周目以降で変わるかもしれない。だから今のこの思いをここに書き残しておこうと思った。
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ari0921 · 3 months
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桜林美佐の「美佐日記」(262)
「憧れの人・自衛官」を目指して:米軍基地行事からの学び
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、262回目となりま
す。
 前回の日記にも感想を頂戴しました。「私も、か
みさんの話は、意見を求められていないという前提
で聞くようにしていますが、話す側も、『今から話
すことは意見を聞きたいのではなく、共感して欲し
いの』と言われると、聞き手に徹する心構えができ
て、その後のやり取りが円滑に進むと思います。こ
ういう配慮をする人が増えて欲しいと思いました」
「今日の脱線話はなかなか興味深かったです。聴き
手と話者の関係でいえば、自衛官と
いうのはだいたい良い聴き手です。反応が分かりや
すい」
 ということで、ありがとうございます。そうです
ね、確かに自衛官の皆さんはよく話者を見て聞いて
下さいます。私は初めて自衛隊で講話させて頂いた
時は、自分が皆さんの前に立つような立場ではない
と非常に恐縮し、えも言われぬ緊張感があったこと
を思い出します。
 考えてみれば、だからこそこれに値する指揮官を
年月をかけて養成するのであり、政治家にも帝王学
の心得が必要な所以なのでしょう。
 さて、先日は米陸軍基地で開催された独立記念日
行事に行ってきました。基地解放日とあって多くの
人々で賑わい、出店やフードコートに長い列ができ
るなど、大いに盛り上がっていました。
かつて沖縄の普天間基地で開催された米軍行事にも
行ったことがありますが、その時も子供たちは大喜
びで、沖縄と言えば「反対運動」と思い込んでいた
同行した放送局のスタッフたちも全く想像と違う現
実に驚くばかりでした。
 確かに、普天間にはヘリなど乗り物があるので、
そうした展示を目当てに来るのかなとも思いました。
 日本でも例えば横田や厚木など、航空部隊が所在
する基地がイベントでは、いわゆる「マニア」の皆
さんが集まる、というイメージがありました。
 しかしそれも勝手な推測だったようです。飛行機
が並んでいなくても人々は集まるのです。
 よく「ブルーインパルスが来てくれないと盛り上
がらない」とか「戦車の展示が欲しい」など、行事
の「目玉」を求める声が聞かれますが、実際は、そ
ういうアイテムはそんなに必要ないのでは?と感じ
させられました。
 この米軍行事では、日没が近づき、いよいよフィ
ナーレを飾る軍楽隊の演奏が始まろうという時、人
々がグラウンドに向かい走って行きました。
 何かと見ると、グラウンドからUH60ヘリが離陸
しようとしているのです。その瞬間をとらえるため
に、あっという間に人だかりができます。
 そのうちにゆっくりとヘリが浮上していくのです
が、それって自衛隊関係者にとっては、いつも見慣
れた光景であり、特段、そんなことで人が喜ぶとは
思っていないのではないでしょうか。
 でも、最後のステージと花火が始まる前に観客の
頭上を旋回するたった1機のブラックホークが見事に
会場を沸かせたのです。私にとってもちょっとした
衝撃でした。見せ方、演出によって超魅力的なもの
になるのです。
 ああ、こんなパイロットになってみたい、と思っ
た子供もいたのではないでしょうか。
迷彩服姿の軍人さんを見て、カッコイイと感じた若
者もいたのではないでしょうか。
 幹部自衛官が平身低頭で「自衛官募集」ティッシ
ュ配りをすることがあるべき姿なのか?と考えさせ
られます。やはり自衛官は「憧れの人」であって欲
しい。
 ところで、このヘリのパフォーマンス(飛び立っ
ただけなのですが)で感じたのですが、佐賀に配備
しようとしているオスプレイには、未知数の可能性
があるように思います。
 「オスプレイ・エアショー」を毎年開催し、米軍
と共に飛行展示を行うのも一案かもしれません。約
90万人が来場する佐賀の「バルーンフェスタ」、
約50万人が訪れる「唐津くんち」に続く観光名物
になる日も夢ではないかと!
 今日も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た。皆様にとって素晴らしい1週間となりますように。
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shiri1124 · 7 months
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ネガティブを拗らせたが故のポジティブ
そこまで深い仲じゃなかったり、私のTwitterのアカウントをフォローしていない人に ポジティブだね と言われることが度々あった その度にいやいやびっくりするぐらいネガティブなんだが…?私のこと何にもわかってないじゃんねあんた…ってちょっと拗ねてたんですけど、最近気付いたんですよね。なぜ、びっくりするくらいネガティブだというのに気付かれていないのか、それは「ネガティブを拗らせすぎてポジティブに見てるからなんじゃないかと」どういうことか順を追って説明しますね。
 このブログを見ている皆様の中で古くから見てくださっている方はお気付きかと思いますが、私こう見えて、このブログ初めてもう7年経つんですね、早いもんで。投稿頻度は低いとはいえ、7年もブログを書き続けていると、言葉をチョイスする上での想像力が高まります、徐々に。類義語はもちろん、対義語も。勘の良い方はお気付きではないでしょうか、そうです。対義語、もしくは相反する状況を想像し、言葉に認める機会が多いわけです。と、いうことは、本当は「なんだこの礼儀を知らないガキは」と思っていても「フランクで話しかけやすい方ですね」と言い換えることができる。「もうやだ、何にもうまくいかない。死にたい」って相談された時に「わかる、あんたの人生まじクソだよね。アホだし、気遣えないし、この歳になって伸びしろなんてたかが知れてるんだから早めに死んだ方がいいんじゃない?苦痛を感じないためにも」って本音では思ってても、こんなこと言えるわけがないよね。ね、だから「そっか、でも○○は人の気持ちに心から共感できるとっても優しい人だから、そんなに辛く感じちゃってるんじゃないかな。少なくとも私は○○に生きてて欲しいな(お前の慌てふためく様見るの面白いし)」と言うしかない。言葉は表裏一体。長くなってしまいましたが、このように、誰でも彼でもに自分の心の中を明かせるほど、私は強くないから、今日も適当にはぐらかして相手の欲しい言葉を、望まれる自分像を無意識に演じることで心に防弾チョッキを着用しているのだと思う。だから、本来とは正反対のポジティブ人間って言われるのかもしれないな、と思った今日この頃。
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kennak · 10 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親��い方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形���記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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