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#私学共済
myonbl · 4 months
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2024年5月23日(木)
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出勤してメールボックスをのぞくと、法人事務局からの封筒が入っていた。開封すると、中には私学共済事業団からの<永年勤続加入者直営施設利用優待券>が2枚入っていた。過去2回頂いているが、2014年には金沢へ、2019年には福岡へ、いずれもこの優待券を使っての(1枚5,000円、2枚同時に使用可能)旅に出ている。私にとってはこれが最後の優待券、早速お盆(直前)の東京遠征に使おうと宿に予約を入れ新幹線を手配した。むふふ、楽しみだなぁ〜。
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5時30分起床。
洗濯。
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朝食。
珈琲。
弁当*1。
プラごみ、45L*1。
ツレアイは夜の予定があるので一人で出勤する。
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順調に到着、往路で燃費が30kmを記録するのは珍しい。
<スタディスキルズ>第7回の資料作成、印刷。印刷室に向かうとsampe兄に遭遇とは珍しい。
私学共済から優待券が届いた、それでは夏の東京遠征に使おうと<東京ガーデンパレス>に予約を入れた。
昨日の<情報機器の操作Ⅰ(栄養学科)>の入力課題をチェック、どう考えても進歩の見られない学生が数名居る、困ったものだ。
木曜日は3限<スタディスキルズ(教育学科)>、このクラスは恐らく進路変更したであろう1名を除いて毎回全員出席。反応が良いので、授業の進行がとてもやりやすい。今日は<一冊の本>というテーマのレジュメ作成トレーニング、みな予想以上に頑張ってくれた。
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早々に退出、帰路の方が燃費が悪いのは初めてか。
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すぐにセントラルスクエア花屋町店へ買い物、すでに値引シールが貼られていたので、息子たちにはハンバーグ、私たちは塩麹漬と手抜きの夕飯メニューが決定した。
作業場の片付け、週末にはまた<もったいない本舗>へ発送すべく段取りする。
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息子たちの夕飯、ハンバーグを焼くだけでは申し訳ないので、トマトケチャップ・とんかつソース・バターでソースを作る。
ツレアイは月一の太鼓のワークショップ、20時過ぎに終了との連絡、夕飯の用意を始める。
いつも通り、🍶+🍷+桂枝雀、今夜は「皿屋敷」「日和違い」を楽しむ。
片付け、入浴、体重は500g減、よし!
パジャマに着替えて日誌書く。
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辛うじて3つのリング完成。
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daruma1004 · 4 months
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みんな知らない「実は略語」の言葉をまとめました。詳しくは...
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食パン:主食用パン
食パンの語源に関しては複数ありどれが正しいかわかりませんが、有力な説を2つ紹介します。1つは、「主食用パン」の略。パンが日本に入って来た当時はイースト菌などもなく、比較的小さな菓子パンだけが作られていました。それからパンが大きく膨らむようになり、米の代わりになり得るようになったため、「主食用」と名付けられました。もう1つは、消しパンではない「食べられるパン」の略。昔は美術のデッサンなどでパンを消しゴム代わりに使用していたためです。
ブログ:ウェブログ
ウェブサイトの一種で日記形式のもの。英単語でも”blog”がありますが、もともとは”Web”と記録を意味する”log”が合わさった言葉である”web log”の略です。
軍手:軍用手袋
元々軍隊用の手袋として使われていたためです。日露戦争の際に、寒冷地を戦場とする兵士に支給するために考案されたものです。その後、荷物運搬や土いじりなど日常生活で使われるようになりました。
演歌:演説歌
元々は自由民権運動の政治運動家(壮士)たちが演説の代わりに歌った壮士節が始まりとされます。1930年代にジャズやクラシックが大衆歌に組み込まれていき、歌詞も政治とは関係のない叙情詩的なものに変わっていきました。
教科書:教科用図書
主に小・中・高および特別支援学校などで学ぶ時に配布される中心的な教材のことで、「教科用図書」の略です。教科書と教材の違いは、文部科学大臣の検定に合格したものが教科書と呼ばれます。
チューハイ:焼酎ハイボール
焼酎とハイボールを組み合わせた「焼酎ハイボール」の略語。焼酎やウォッカなど無色で香りのない酒類をベースに、炭酸で割ったものを一般的に指しますが、炭酸ではなくウーロン茶で割ったウーロンハイもチューハイの一種です。
ジャガイモ:ジャガタライモ
ジャガイモはそもそも南米原産の食材であり、日本には16世紀末にインドネシアのジャカルタからオランダ人により伝えられました。そのため当時は「ジャガタライモ」と呼ばれていましたが、後に略されていきました。ちなみに日本では中国語由来の馬鈴薯とも呼ばれます。
ワイシャツ:ホワイトシャツ
主に男性が背広の下に着るシャツのことですが、元々は和製英語である「ホワイトシャツ」の略。よく「Yシャツ」と記載されることがありますが、これは完全に当て字です。一方で、「Tシャツ」はアルファベットのTの字に似ているためこう呼ばれるようになりました。
割勘:割前勘定
友人との飲み会などでよくある割勘は「割前勘定」の略。割前とは分割してそれぞれに割り当てることを意味する言葉です。江戸時代後期の戯作者で浮世絵師として有名な山東京伝が発案されたと言われており、当時は「京伝勘定」と言われていたそうです。ちなみに世界的に見ると割勘の文化は少数派で、男性や年上が払うのが一般的のようです。
カラオケ:空オーケストラ
歌のないオーケストラの意味で、「空(から)オーケストラ」から「カラオケ」と略されました。カラオケは日本で1960年後半に誕生したとされ、その後世界に広がっていきました。そのため英語でも”karaoke”と書きます。ちなみに中国語では「卡拉OK」と突然アルファベットが出てくる不思議です。
バス:オムニバス
ラテン語で「すべての人のために」という意味の「オムニバス」が語源で、フランスの乗合馬車の発着所の雑貨屋の看板に書かれていたことに由来します。そこから多くの人が利用する乗合自動車をオムニバスと呼ぶようになり、その後略されました。
リストラ:リストラクチャリング
英語で「再建」を意味する”restructuring”から略されたものです。リストラと聞くと人員削減をイメージしますが、本来の意味は事業構造を再構築することです。その中の一環として、人員削減が起こります。
リモコン:リモートコントロール
英語で「遠隔操作」を意味する”remote control”から略されたものです。TVなどに向かってリモコンから赤外線をデジタル信号で送ることでチャンネルや音量などを操作することができます。
ソフトクリーム:ソフト・サーブ・アイスクリーム
海外では「柔らかいクリーム?」となり伝わらない和製英語です。英語では” soft serve icecream”であり、ソフトクリームサーバーの製造などを行っている日世の創業者・田中穰治が日本でソフトクリームを広めるのにわかりやすくするために省略したとされています。
ペペロンチーノ:アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ
唐辛子をオリーブ油で炒めたパスタ料理。正式名称は「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」と言います。イタリア語で「アーリオ」は「ニンニク」、「オーリオ」は「オリーブオイル」、「ペペロンチーノ」は「唐辛子」を意味しています。
経済:経世済民
中国の晋朝について書かれた歴史書である『晋書』に書かれた「経世済民」を略した言葉です。現在の政治と同じような意味で昔から使われていました。明治以降、”economy”の訳語として頻繁に使われるようになったようです。
首相:首席宰相
首席はトップを意味し、宰相は辞書で調べると「古く中国で、天子を補佐して大政を総理する官。総理大臣。首相。」と載っています。首相の言葉の中に首相が含まれている二重表現のような言葉です。ただ「首相」は日本国憲法に記載された言葉ではなく、報道などで使われる内閣総理大臣の通称です。
切手:切符手形
お金を払って得た権利の証明となる紙片のことを古くから「切手」と呼んでいました。日本の近代郵便制度の創始者である前島密が、“郵便物に貼って支払済を表す印紙”に「切手」という言葉をそのまま当てたそうです。
出世:出世間
元々は仏教語で、仏陀が衆生を救うためにこの世に出現することを指す言葉で、「出+世間」でした。そこから略され、日本では僧侶が高い位に上ることを意味するようになり、世間一般でも役職が上がることなどを指す言葉となりました。
断トツ:断然トップ
2位以下を大きく引き離すことを指す言葉ですが、元は「ずば抜けて」の意味を持つ「断然」と首位を表す英語の”top”が合わさった言葉の略。そのため「断トツの1位」という表現は二重表現になります。
押忍:おはようございます
朝の挨拶である「おはようございます」から「おっす」と短くなり、さらに「おす」へと略されました。そこから「自我を押さえて我慢する」という意味を込めて「押忍」という漢字が当てられました。
デマ:デマゴギー
大衆を扇動するための政治的な宣伝を意味するドイツ語の「デマゴギー」を略したものです。元の意味の通り、政治的な意味合いを持つ言葉でしたが、昭和になってから、単純に「嘘」や「根拠のない噂」の意味で使われるようになりました。
おなら:お鳴らし
屁を「鳴らす」の名詞である「鳴らし」に「お」をつけて婉曲に表現した言葉で、そこから一文字略されました。元々の言い方の方が上品な感じがあって良いですよね。というのも、一般庶民は昔から「屁」と言っていましたが、宮中に仕える女房たちは隠語として用いていたためです。
電車:電動客車
電動客車をより細かく表現すると、「電動機付き客車」または「電動機付き貨車」となります。電車は架線あるいは軌道から得る電気を動力源として走行しています。
電卓:電子式卓上計算機
計算機という本来役割を表す意味の言葉が略されています。1963年に世界初の電卓が登場し、1964年に現在のシャープから日本初の電卓が発売されました。当時の価格は53万5千円と車を買えるほどの値段でした。今では100均で売られているものもあるのに驚きですね。
ボールペン:ボールポイントペン
英語で”ball-point pen”と言い、これを略した言葉です。ボールという単語が使われている理由は、ボールペンの構造上、先端に小さな回転玉(ボール)があるためです。
インフラ:インフラストラクチャー
英語で「下部構造」や「基盤」を意味する”infrastructure”から略されたものです。電気・ガス・水道・電話・道路・線路・学校や病院などの公共施設など、私たちの生活に欠かせないものを指す言葉となっています。
シネコン:シネマコンプレックス
「コンプレックス”complex”」が「複合の」を表す英単語で、同一ビル内に複数のスクリーンを備えた複合型映画館のことを表します。国内の代表的なものとしては、TOHOシネマズ、イオンエンターテイメント、MOVIX、ユナイテッド・シネマなどがあります。
シャーペン:エバー・レディー・シャープペンシル
シャーペンが「シャープペンシル」の略ということを知っている方は多いと思いますが、実はこれも略語。1838年にアメリカで「エバーシャープ」という筆記具が登場し、その後1915年に現シャープの創設者である早川徳次氏が国内初となるものを考案し、「エバー・レディー・シャープペンシル」という商品名をつけヒットさせました。
ピアノ:クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ
イタリア語で「小さい音と大きい音を出せるチェンバロ」という意味です。いつの間にか「小さい音」を表すピアノだけに略され、楽器を表す名詞となりました。元のピアノの意味は今でも音の強弱を表す「メッゾピアノ」や「ピアニッシモ」と合わせて音楽記号として使われていますね。
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yoga-onion · 4 days
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[Image above: D. T. Suzuki (11 November 1870 - 12 July 1966) was a Japanese Buddhist scholar and doctor of literature. ]
A message from 23 nights temple Q&A: Part 2 [Part 1]
Next question was, want to know more about Tendai Buddhism and how to do face-to-face learning outside of Japan:
More than 1,400 years after its introduction, Buddhism in Japan was born from the founders of sects in Japanese history and culture. Today, about 13 major sects exist, including the Tendai sect. Of these, three are Zen sects: the Soto, Rinzai and Obaku.
Among them the most representative are, Saicho, founder of the Tendai sect, whose head temple is Enryaku-ji on Mt. Hiei; Kukai, founder of the Shingon sect, who brought esoteric Buddhism to Japan, whose head temple is Kongobu-ji on Mt. Koya; and Dogen, author of the Shobogenzo, a philosophy book said to be a manual for Zen meditation practice and originator of mindfulness. Founder of the Soto sect, whose main temple is Eiheiji Temple.
Buddhism means 'Buddha's teachings'. In the beginning, everything was transmitted orally and it was only after Buddha's death that documents and scriptures were created. All of the Buddhist scriptures that remain today were described by the memory of Buddha's disciples. In the meantime, it underwent various transformations through the views of translators and other factors, and representative gurus from different countries established and divided into sects. The Tendai sect is one of these sects, founded by Master Saicho. Incidentally, my trusted teacher is a Zen monk of the Soto sect, and he says that one should not be confined to a sect. It is because Dogen, the founder of the Soto sect, taught that the Buddha's teaching is one and that we should not be obsessed with sects.
Those wishing to study face-to-face or Buddhist thought outside Japan should visit your local Buddhist temple or Zen centre. You can easily find one by hitting the usual keywords. However, not all are good teachers. It is recommended to search patiently for a teacher or centre that suits you. For international learners, books by Japanese Buddhist scholar D.T. Suzuki are relatively accessible. He wrote on Zen in English and introduced Japanese Zen culture to the rest of the world. He was also a prolific translator of Chinese, Korean, Japanese, Vietnamese and Sanskrit literature.
In fact, the teachings of Zen that we are learning are not like there is a holy scripture that says this is the absolute truth, nor is there a founder who says that this is the absolute truth.
And it is best not to decide on a teacher based on sect or culture, but to knock on the door of a person you can identify with. More importantly, he or she may not only be in the temple.
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二十三夜堂からのメッセージ Q&A: その2 [その1]
次の質問は、天台宗についてもっと知りたい、日本国外で対面で学ぶ方法を知りたいというものでした:
伝来から1400年余りの年月を経て、日本の歴史文化のなかで、宗派の開祖たちから生まれたのが「日本の仏教」。 現在、大きな宗派として存在しているのは、天台宗を含め約13宗派。その中で禅宗は、曹洞宗、臨済宗と黄檗宗の3宗。
中でも代表的なのは、天台宗の開祖の最澄、総本山は比叡山延暦寺、日本に密教をもたらした、真言宗の開祖の空海、総本山は高野山金剛峯寺、そして、坐禅修行のマニュアルとも言われている哲学書「正法眼蔵 (しょうぼうげんぞう)」の著者でマインドフルネスの元祖、曹洞宗の開祖の道元、大本山は永平寺など、が挙げられる。
仏教とは「ブッダの教え」という意味である。当初、全ては口頭で伝えられており文書·経典ができたのはブッダ没後のことだ。今日残っている仏教経典はすべて、ブッダの弟子たちの記憶によって記述されたもの。その間訳者の見解などを通して様々な変形を繰り返し、各国の代表的な教祖が宗派を立ち上げ分かれていった。天台宗はその一つで、最澄が立ち上げた宗派である。因みに私の信頼できる先生は曹洞宗の禅僧だが、彼は宗派に囚われるべきではないと言っている。というのも曹洞宗の開祖である道元禅師が「ブッダの教えは一つであり、宗派に執われるな」と教えていたからだ。
国外で対面学習や仏教思想を学びたいとご希望の方々は、ローカルの仏教寺院、または禅センターを訪ねてみると良いと思います。お決まりのキーワードを叩けば、すぐに見つかります。但し、全てが良い先生とは限りません。自分に合った先生やセンターを根気よく探すことをお勧めします。海外の方々は、日本の仏教学者、鈴木大拙氏の本が比較的手に入りやすいと思います。彼は英語で禅に関する著作を発表し、日本の禅文化を世界に紹介し、また中国語、韓国語、日本語、ベトナム語、サンスクリット語などの多作な翻訳者でした。
実際、私たちが学んでいる「禅」の教えは、これが絶対の真理だという聖典があるわけでも、これが絶対の真理だという教祖がいるわけでもありません。
宗派や文化で師を決めるのではなく、ご自分が共感できる門を叩くのが最良かと思います。もっと言えば、その人はお寺にのみいらっしゃるとも限りません。
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shinjihi · 2 years
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何故、中共は「中国4000年の歴史」とか「中華民族」とか見えすいた嘘を吐くのか?侵略の準備なんだよ! 
本当は夏朝、殷、隋、唐、金、遼、元、清など全て騎馬民族など異民族支配で元々の漢民族は殆ど後漢で滅んでる
その王朝でも支配してたのは北京周辺であり今のチベット、内モンゴル、ウイグルなどの地域も異民族に支配されており、北京周辺王朝は貢いでたり、王族などから女を贈って、勘弁して貰ってた
女を贈って置いて「あの地方王朝の王は俺たちの婿様だから、あそこも中華王朝の一部」とか無理な事を言ってる
しかし中共はその論理でチベットを盗り、内モンゴルを裏切り、東トルキスタン(ウイグル)を強奪して、中共から人を沢山送り現地人をレイプ強姦して妊娠させ混血児を増やし、現地人には強制堕胎、強制不妊手術を行い純粋な現地人人口を減らし、言葉を奪い、文化や宗教を禁止して文字通り民族浄化して、根絶やしにしようとしている
「元々は中華の一部」「太古より中華民族(なんだソレ?)が住んでた」と言い張り、侵略している
同じ論理をプーチンがウクライナに言って「元々はロシアの一部」「昔からウクライナにもロシア人が住んでた」と言い張り、ロシア系住民保護と主張して、ウクライナに侵攻した
おんなじパターン
中共は「尖閣は中共の土地」「沖縄は中国(どの支那だよ?)に朝貢してた中国の一部」と主張している
北海道には沢山、移民させてる
次はどうなるかって?
そりゃ中共による尖閣、沖縄、北海道の侵略が始まるんだよ!
だから「中国4000年の歴史」とか「ずっと中国はあった」とか「偉大な中華民族(何ソレ?)」という嘘に加担しては駄目だ!
それは彼らの宣伝
それは彼らのプロパガンダ
なんだよ?
欧米なんか知ってか知らずか
鵜呑みにしてる
日本国民は洗脳されて
鵜呑みにしてる
まずそこを否定して
防衛強化して
教育を強化して行こう!
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828 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:12:24 ID:fsTA3r1B0(4)
支那人にも孔子、老子、孟子を生んだ立派な文明があると誤解している日本人が多いのだと思います。
漢文を通じて中国人を理解することぐらい、絶望的な行為はありません。何故なら漢文はこの二千年間というもの中国語とは全く関係がない。日本人のほとんどは漢文を中国語の古語と思ってきたのです。
つまり日本人が尊敬し 知っている漢民族は紀元二世紀でこの地球上から姿を消し、中国住民はそっくり北方の騎馬民族の子孫に何回も何回も入れ替わってしまったのです。
そして秦や漢時代の中国人は,そのほとんどが大陸から居なくなったということです。
ところが日本は遣隋使や遣唐使たちの使節が派遣され膨大な漢籍を大陸から持ち帰り,それを今日まで途切れることなく勉強してきたのです。
つまり日本人は騎馬民族の子孫である中国でなく2000年以上前のいなく なった漢民族の文化を勉強してきたのです。
日本人なら誰でも知っている儒教の開祖である孔子は,紀元前6~5世紀 中国各地の有力諸侯が覇権を争っていた春秋時代のことです
830 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:13:38 ID:fsTA3r1B0(4)
使節団が中国から持ち帰った無数の漢籍を日本人は今日まで約1300年間も読み込んできたのです。
早い話が遣隋使や遣唐使が持ち帰った「論語」や「漢詩」などによって 皮肉なことに中国人でなく日本人の人格が磨かれてきたのです。
中国語と漢文は全く関係がない、つまり漢文の読めない中国人にとって孔子や孟子の教えなど身につくはずもありません。
いわゆるこの二千年間というもの,漢文は中国語とは全く関係がないと いうことを多くの日本人は知らなかったのです。
私はこれらのことを中国史研究の第一人者である岡田英弘先生から教えてもらいました。
私も20年前 漢文を通じて身につけた中国イメージのまま中国に進出してそのギャップの大きさに仰天した記憶があります。
中国進出する前は、信義に厚く,礼を尊ぶ文化人の国であると信じていました。しかし現実にいるのは,油断も隙もならない、詐欺師の野蛮人ばかりでした。
中国人に取って漢文とは外国語同然なのです.中国で話されている言葉とは全く無縁の言語体系なのです。
831 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:14:22 ID:fsTA3r1B0(4)
現在の中国人は,彼らが使っている中国語が,実は文体もボキャブラリーも日本語からの借用であるということを隠そうとしています.現代日本文の真似をして前置詞や助動詞を明確に記すことによって、やっと文章が書けるようになったのです。
日清戦争後,日本に大量の清国留学生がやってきて,日本語を学び中国語を誰でもが読める中国語の表記法を改良していったのです.その中にかの有名な魯迅もいたのです。
日本語をマスターした魯迅の頭��中は日本語の文章があり,それを漢字に置き換えて表現することによって原文一致体の「白話文」が生まれました。
そして試行錯誤の結果 現在における中国語は北京語を元にした「普通話」がやっと確立されたのです。
つねに色んな異民族に取って変わられた中国の歴史を眺めたとき,中国政府が宣伝している四千年の歴史は中国人の歴史ではなく中国大陸の歴史だということがわかります。
中国には単一民族としての中国人は一度も存在しなかった.中国語には
北京語,上海語,福建語などの言葉があることを知られていますが、実際はもっと言語は細分化されています。これらは単なる方言というのでなく,ほとんど共通点がありません。
そこで中国政府は各国が持っている「国民国家」というシステムを作るために国民を北京語に統一して教育してきたのです。それもまだ100年足らずのことです。
833 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:16:10 ID:fsTA3r1B0(4)
そして言語だけでなく異文化、異言語の人々の寄せ集め集団である中国を統一するために歴史も歪曲せざるをえなかった。
毛沢東は少数民族を含めて全ての中国人を漢族にしてしまうために少数民族の文化を奪い、抵抗するものは容赦なく抹殺してきたのです。
もし少数民族の自治や、言論の自由といったものを実現させれば、中国政府が意図する最強の「国民国家」システムの改造計画が頓挫してしまいます。
この中国共産党の意図が理解できたとき、日本人やアメリカ人が思っている「中国は資本主義開放経済への道を進めば自然に民主国家になっていく」という考えが いかに愚かな事であるかということがわかっていただけたとおもいます。
http://2nnlove.blog114.fc2.com/blog-entry-2836.html
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kennak · 2 months
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人��す。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅��いることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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xf-2 · 1 year
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記者である私、石井孝明が脅される
在日クルド人が彼らの問題行為を報道する記者、私、石井孝明を脅迫した。1日午後、携帯電話をかけてきて喚いた。その中には、私の体に危害を加えると受け止められる言葉があった。私は警察に連絡し、現時点で警察が介入した。
これ以上は詳細を明かさない。事件が警察案件になっているためだ。そして相手が何をするか不明であるためだ。ただし事件の存在を公にすることで、在日クルド人に関わる人への注意喚起と、他人の注意の目を増やして私自身のの身の安全を図ろうと思う。
ただし、どう自分で振り返っても、私は他人に批判されるべき行動はしていない。また脅迫は怖いが、私はそれに屈するつもりはない。在日クルド人の多くは「難民」と自称しているのに、日本で暴れ、日本人記者を脅迫するとは異様だ。遵法意識のかけらもないし、彼らの行動を放置すれば日本社会が壊れるだろう。
事件の背景−報道により憎しみを受ける
私は、今年5月から、埼玉県南部に集住する在日クルド人の行状と、住民との間で起こしているトラブルを取材している。彼らの住民への迷惑行為、違法行為について、私の見聞した事実を伝えてきた。埼玉県南部の日本人たちが、彼らの行動に苦しんでいる。
8月になってようやく一部メディアが報道を始めた。ところが地元紙の埼玉新聞をはじめ、大多数のメディアがこのトラブルに今でも沈黙し、行政、警察の動きは��い。その事実に私はいきどおりを感じ、孤軍奮闘の状態で、無償で自分のサイト、SNSで報道をしてきた。クルド人の怒り、日本人からの「差別」などの批判はあった。はっきり言って、不快で怖かったが、「埼玉県民を守るために自分の仕事であるペンの力で情報を広げる」という使命感で、報道を続けた。
そして「クルド人問題を解決しなければならない」という世論の流れを少し作った。自慢するのは嫌いだが、この行為にある程度の評価はいただいていいと思う。ただし結果として私だけが目立ち、在日クルド人の憎しみを受けている。もちろん私は主に事実のみを伝え、「クルド人・外国人を排撃しろ」などの主張はしていない。それどころか、日本人による過剰な外国人排撃運動を批判し、「日本人による差別行為は許されない」と主張した。
そして埼玉県民や、地元政治家の努力により、状況は少し動き始めた。私の行動はこの動きの小さな一部に過ぎず、主役は彼らだ。産経新聞によると、埼玉県川口市の奥ノ木信夫市長が1日、法務省を訪れ、不法行為を行う外国人について厳格に強制送還することなどを求める要望書を斎藤健法相に手渡したことが分かった。
報道によると、要望書では、クルド人の現状などを説明。難民認定申請中で、入管施設への収容を一時的に解かれた「仮放免」のクルド人が市内に相当数いるとして、行政サービスの提供を国の責任で判断することも求めた。
同市議会は6月、一部のクルド人を念頭に、国や県などに「一部外国人による犯罪の取り締まり強化を求める意見書」を可決し、警察官の増員や犯罪取り締まりの強化を求めている。このまま問題解決による変化を期待したい。
絶対に謝らないクルド人−日本人との共生は無理
この脅迫では、彼らは日本語が読めない、また話せないために、私の話を誤解していた。誤解で殺されたらたまったものではない。また情報をやり取りするために、クルド人の会社経営者(名義は妻)1人だけに携帯の番号を交換した。この人物は、後に私の報道を批判し、この携帯の番号を脅迫者に漏らした。クルド人を信じた私が愚かだった。裏切られたわけだ。この人物も、警察の監視の対象になっている。
私に対する在日と海外からのクルド人の罵倒は、合計で20件ほどになった。カタコトの日本語で「糞」「バカ」「豚」「犬」という幼稚で下品なな言葉を垂れ流す文章だ。イスラムでは、豚と犬は一番汚い罵り言葉らしい。彼らはトルコ語、クルド語でも送ってくるが、誤字だらけなのか翻訳ソフトにかけても翻訳できない。教育の水準がわかる。在日クルド人の大半は小学校以上の教育を受けているか、怪しいとされる。
さらに、これまで在日クルド人に、対面、もしくはSNSやメールで15人ほど、海外在住のクルド人と10人ほど、やり取りした。約25人の全員に「日本でのクルド人の迷惑、違法行為をどう思うか」と聞いた。「クルド人は態度を改めなければいけない」と返事をした人は1人のみ。残りからは一つも反省の言葉もなかった。「日本人もやっている」「小さなこと」「私はやってない」「なぜ他の外国人も悪いことをしているのにクルド人だけを批判されるのか」「我々は差別されてきたことを考えろ」「悪いことをするのはトルコ人だ」という返事で、責任を転嫁し、話をずらした。そのまともな返事をした1人は上記の経営者だが、その人物は私を騙した。
これが在日クルド人の姿だ。このような人々が自発的に日本人への迷惑行為を変える可能性はないだろう。私は5月の段階の報道ではクルド人との「共生」を唱えていた。しかし今では、在日クルド人のが「良き日本人」になることは無理と思っている。絶対に、日本に馴染まない人がいるのだ。まともな人はいるのかもしれないが、私は出会っていないし、他人を脅迫する人が一定数混じる集団は日本にいる必要はない。
日本政府は粛々と法律を適用し、違法滞在者、「難民」と嘘をつく人を、トルコに強制送還してほしい。そうしないと、彼らと暮らす日本人、埼玉県民、川口・蕨市民は永遠に苦しみ続ける。在日クルド人の一部には、おかしな人がいることを、日本人、日本在住の外国人は知り、警戒していただきたい。
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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plasticdreams · 10 months
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日本の若者には、「日本はダメなんでしょ?」ではなく、こうした取り組みを知り、自分もできると思ってほしい。どう考えても、シュプレヒコールをあげている若者より、このstart up Villegeに出展している若者の方が、CO2を減らすことに貢献するはずで、こういう若者を増やしていきたい。 なので、私は毎年しつこく化石賞についてのメディア報道に対して、「それだけではない」ことをお伝えしていきたいと思っています。
私はなぜ化石賞に関する報道に、毎年飽きずにコメントするのか|竹内 純子(国際環境経済研究所理事/U3イノベーションズ合同会社共同代表/東北大学特任教授)
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ari0921 · 4 months
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<正論>共産党の私兵組織中国軍の弱み 
東京国際大学特命教授・村井友秀
中国の挑戦
中国共産党は今、「中華民族の偉大な復興」をスローガンに米国の覇権に挑戦しようとしている(1つの山に2匹の虎はいない)。米国政府も米国に挑戦する力を持っているのは中国だと考えている。中国が持つ世界を変える力とは、多くの国の同意と共感を得るソフトパワーではなく、多くの国に望まないことを強いるハードパワー、すなわち経済力と軍事力である。
GDPを見ると、米国が第1位、中国が第2位である。中国のGDPは米国の7割に当たるが、最近は中国のGDPは将来も米国に追い付けないだろうという予測が多くなっている。軍事力を見ると、兵員数や軍艦の数で中国軍は米軍を上回っているが、中国の核兵器は現在のところ米国の10分の1であり、総合的破壊力には大きな差がある。何よりも常に世界のどこかで戦っている米軍とは異なり、中国軍には大敗した中越戦争(1979年)以来大規模な戦闘を戦った実戦経験がない。
また、中国政府は常に問題を外交によって解決すると言う。外交とは「棍棒(こんぼう)を持って静かに話す」ことであるが、ソフトパワーがない中国外交は静かに話して相手を説得することは難しく、棍棒による威嚇に頼らざるを得ない。中国の棍棒の硬さを検討する。
社会の屑から革命の大黒柱へ
現在の中国軍の名称は「人民解放軍」であり中国軍ではない。人民解放軍が守っているのは人民、すなわち共産党支持者であり国民ではない。共産党に反対する中国人は人民の敵であり打倒すべき対象である。
人民解放軍(紅軍)の起源を見ると、紅軍は共産党の革命の道具として作られた。共産党が生まれた1920年代の中国では、軍隊は略奪暴行以外に能のない社会の屑(くず)(遊民無産階級)だと見なされていた(好(よ)い鉄は釘(くぎ)にならず、好い男は兵にならない)。紅軍も例外ではなく、毛沢東も「紅軍の成分は遊民であり労農分子に取り換えるべきだがその方法がない」と嘆いていた。紅軍の敵であった国民党軍も「自分のことしか考えないゴロツキの集団である。指導者の興味はただ金、権力そして地位だけだ。手に入るものには何でも頭を下げ、自分は戦わないように心がける」(中華民国軍参謀長スティルウェル米陸軍中将の日記)ならず者の集団であった。
革命は基本的に内戦であり、勝敗のカギは戦闘力ではなく国民の支持である。革命戦争の本質はプロパガンダでありハイブリッド戦である。毛沢東は共産主義者であり、社会の屑と見なされていた貧しい農民労働者(遊民無産階級)が社会を変えると信じていた。国民党や軍閥が兵士の士気を高めるために略奪暴行を黙認していたのに対して、毛沢東は紅軍兵士の略奪暴行を禁止し(三大規律六項注意)、人間の屑を良民に変えようと教育訓練し、紅軍を人民に信頼される軍隊に変えた。これが革命成功の原点である。毛沢東が軍幹部に要求したものは、革命への情熱と共産党への忠誠であり、戦闘レベルが低い国民党軍や軍閥との戦闘では高い戦闘能力は必要とされなかった。
現在の人民解放軍も基本的に同じ軍隊である。「人民の軍隊は中国共産党の旗印を高く掲げ、揺るぎなく党の指示・指導に従って人民の解放のために奮戦します」(駐日中国国防武官2023年7月)
共産党にとって危険な中国軍
各国政府は二本の柱、すなわち国民の同意と国民を強制する力によって支えられている。民主主義政権は国民の同意により、独裁政権は強制力により支えられている。中国共産党の権力を支える柱は国民の同意ではなく、軍や警察といった強制力である。共産党を支える軍の第一の任務は反革命勢力の打倒であった。外国の正規軍ではない国内の反革命勢力を打倒するのに高レベルの軍事能力は不必要である。したがって、中国軍幹部に要求される資質として、共産党への忠誠心が戦闘能力よりも優先された。中国軍では、戦闘指揮官としての能力は高いが共産党への忠誠に疑いがある軍人(専)よりも、戦闘指揮官としての能力は低いが共産党への忠誠には疑問がない軍人(紅)が高いポストについてきた。
しかし、今、中国軍には米軍との戦争という大きな課題が突き付けられている。現在、中国では国内治安維持の要であった陸軍が削減され、外国との戦争で重要な役割を果たす海軍やロケット軍が増強されている。共産党が人気取り政策として「中華民族の偉大な復興」を掲げ対外進出を図る限り外国との衝突は避けられず、「専」の軍人を重視せざるを得ない。
「専」の軍人を重視すれば、中国軍は共産党の私兵から国軍へと変質せざるを得ず、共産党は軍を信頼できなくなる。世界初の空挺部隊や機械化部隊を発案し、強力なナチス・ドイツ軍に勝利したソ連赤軍は、ソ連崩壊に際して共産党を支持しなかった。
人民解放軍の近代化は共産党支配に深刻な矛盾をもたらすだろう。(むらい ともひで)
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ryotarox · 5 months
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万物の黎明 人類史を根本からくつがえす (翻訳) | デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井隆史 |本 | 通販 | Amazon
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西欧史観への異議 人類の「先史」については文字記録がないこともあり、様々に書かれてる。 特に近年は、 歴史学者YNハラリ「サピエンス全史」「ホモデウス」、 進化心理学者Sピンカー「暴力の人類史」、 進化生物学者ジャレドダイアモンド「昨日までの世界」「銃・病原菌・鉄」 などが人気だ。 こうしたいわば「ビッグヒストリー」に(僕自身を含め)心踊らされた読者も多く、ブームと言っても良いほどだ。しかしグレイバーらは、本当にそうなのか、根拠が薄いのではないかと厳しく批判する。 そして、経済学者アダムスミスの「国富論」(1776)、政治学者ホッブズの「リヴァイアサン」(1651)、ルソー「人間不平等起源論」(1755)などの古典まで批判の射程は及ぶ。 アダムスミスに対しては「商品貨幣説」(物々交換が携帯可能な貴金属が貨幣へと発展した)に対してグレーバーの前著「負債論」で文化人類学の知見を以て否定している。 また「不平等の起源」についても、ホッブスが主張する「万人による万人との闘争状態」が、行政・国家といった機構により回避できるよう進化したという説(右派に好まれるという)、その対極のルソーの主張「かつて狩猟採集の民は上下なく平和に暮らしていたが、農耕牧畜による土地の囲い込み・土地私有・国家の領土争い、国民の社会的格差という不自由な状況が生れた」という説(左派に好まれるという)の両極またはその中間に人類の進化の歴史が位置づけられることが多いという。 これらに対しても、それらの根拠の脆弱性について(つまり「物語」に過ぎないのではないかと)指摘する。
こうした「先史への理解」はそもそもなぜ形成されてきたのか。そしてその「物語」はエビデンスに基づいているのだろうか。ハラリ、ピンカー、ダイアモンド、アダムスミス、ルソー、ホッブスらは、人類学者でも考古学者でもなく、先史をピックアップした歴史のトピックと持ち前の想像力で描いたのである。その歴史観(物語)はそれぞれに違いがあるものの大方共通する。つまり、
万物の黎明 デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ、酒井隆史/訳 | ノンフィクション、学芸 | 光文社
凄い本だ。人類史に関しては『サピエンス全史』が先例だが、専門家による人類史再検討書・素描書が『万物の黎明』の話→興味津々の声が集まる - Togetter
今後数十年は本書が人類史に関する議論の土台になるだろう。ビッグ・ヒストリーは万人にウケる。『サピエンス全史』もその先例だが、著者のハラリは専門家ではない。一方で、本書は専門家による人類史再検討書・素描書である。この本を読めば、『サピエンス全史』のヤバさがよくわかる。
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reportsofawartime · 2 months
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たくさんのリプライを頂きましてありがとうございました。と��も全部は返信できないので、批判的だったコメントにまとめて返信したいと思います。 ①高齢者優遇はやめろ  1番多かったのはこの反応でした。私も業務においては高齢者の意思決定に抗うことが多いのですが、年寄りを大切にできる社会のほうが姥捨社会よりも良い社会だと思います。年老いた母、障害を負った父を持つものとしてもケアが充実した社会の方がよいなぁと思います。  元のポストで意識したのは、医療・介護費を抑制するために、ケアワーカーの賃金が抑えられてきた、という現実です。医療・介護費を潤沢に出そう、賃金を引き上げよう、とした方がハッピーなのではないか?  もうひとつ。ケアを削減しろ!という圧力に乗っかることは、高齢者ケアは削減して、子どものケアは増やせ!とはならないだろうということ。連帯を示さないものには、他者からの連帯を示されないからです。分かち合いの社会を目指した方が、いいのではないかな。 ②医療費亡国論  伝統的な批判ですが医療費や介護費が増えると国が滅びる=経済成長率が下がる、というものです。人口のボーナス(現役世代が多い)があるときに経済成長した、という過去の経験の裏返しの問題意識。これは生産性が向上した現代からすれば妥当しないと考えられます。  経済成長のコアは生産性の向上ですが、サービス産業が大宗を占める知識社会では、より美味しいご飯が食べられること、よりアトラクティブなコンテンツ(小説、音楽、映画、アニメ、ゲーム、スポーツ)が提供されること、より良質なケアが提供されること、これらの付加価値(賃金)が上昇することが経済成長を意味します。一次二次産業の高い生産性をベースにして。  医療・介護がそのほかの分野と違って市場(自己負担)で成り立っていないので、ほかの産業と比べて反発があるのは分かります。が、経済成長の足枷になるというのは間違いでしょう。ただしやり方次第では足枷になる場合があります。それはこれまで日本政府が行なってきたような単価の引き下げと量的拡大を組み合わせることです。産業の低付加価値化は亡国への道かもしれません。だから、disるより応援した方がいいのだと思うわけです。 ③負担が重い  再分配を強化せよ、がポストの意図でした。財政赤字は増やしたっていいけれど再分配を強化しない理由にはならないでしょう。ここへの批判は、「私は高所得層である、高所得層を虐めるな」というもの、「私は中低所得層であるが、高所得層を虐めるな」というものです。  ここでの高所得層はトップ10%の所得で、大体額面で1100万円以上のひとたち。私たちも生活は苦しいんだ!という意見は多いですね。正直、私も共働きでそこそこ所得はあるはずなのに全く生活は苦しいです。が、中低所得の苦しさとは別物です。貧困の母子家庭で育ち、タンパク質は卵で、食物繊維はモヤシで摂取する子ども時代を過ごしましたので、やはり累進的な負担の方がいいだろうと思います。  年収1億円以上の超高所得層が相対的に低い租税・社会保険料負担をしていることは、とにかく不公平なのですが、高所得層のおかげで経済成長しているのであって、高所得層に負担を求めたら回り回って中低所得層の私たちの��活も脅かされるのである、という意見も多く頂きました。  高所得層が海外に移住しても、財産を海外に移転しても日本の豊かさにはあまり影響ないでしょう。というのは経済的豊かさというのは生産力がベースにあって財産ではないからです。財産はこの生産力を利用する権利のことですから、これを国内で行使しないということであれば生産力にはむしろ余剰が生まれる。 ④内容のない罵詈雑言  ハラスメント気質が疑われますので自戒なさることをお勧めします。職場でも、家庭でも、批判はしてもハラスメントはいけません。特に「学生がかわいそう」などとして矛先を私の大切な人たちに向けるのはかなりいただけない。おやめください。  そのほかバカ、アホ、無能、マル経といった罵詈雑言を頂きましたが、マル経が悪口になるとは思いませんでした。マルクス・トゥッリウス・キケロー、マルクス・アウレリウス・アントニヌス、カール・マルクス。対して勉強してないのに学んだというのは烏滸がましいですが、誇らしく批判は享受しましょう。
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mlyzvt-no2157 · 1 year
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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。 私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。 身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。 ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。 何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。 Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。 すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。 YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。 その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」 「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」 「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。 なぜ、そんな噂が流れているのか?! カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの?? 私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」 「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△��部長にそう言ってましたよ」 「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」 「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。 しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。 百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。 自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。 てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。 私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。 そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。 だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。 勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。 これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。 ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。 しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。 もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。 私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。 まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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ak794itomugi · 2 years
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今年も気づいたら年末 いつもの振り返りをぽちぽち書いてたので上げちゃいましょう。
今年も色々ありましたが、1番自分にとってデカかったのはリアルで、転職をして今の職場に着任できた事です。 人や社風や職場の雰囲気が自分に合ってるので、毎日あー仕事やだなーじゃなくて、今日も頑張りますかねーってなれる幸せがようやっと来ました。 金銭とかよりも、まずは精神面での安寧と安定を求めていたので、これはやっぱりすごく大きいです。 とはいえ、このTumblrは一般ブログではなく一介のオタクブログなので、リアルの話は程々に一年の振り返りをしましょう!
今年は去年同様意図的に漫画の量を増やしてます。 去年と違って、というか実は初の試みで、30ページ以上のクソ漫画を作ってます。 今まではエイプリルフール漫画くらいだったのですが、通常でフルギャグが前提のコンセプトの短編ではなく一品でその規模は実は地味に初めてだったりします。 去年は実はかなりクソ漫画を描く事を渋ってたのですが、色々考えた末に解禁してます。 ただSNSだと考えた結果なんですが、検索避け前提になってます。絵文字って便利だね🐓🐎🐢🐏🍰
あとは初の試みとして、あえて作画を崩したり、原作からちょっと違うデザインにしていたりします。 これはクソ漫画を描くにあたり、原作のキャラ=クソ漫画での話という安直な式を作ってもらいたくなくて、試験的に効果があるかを試す為サイレントで決行していた事なのですが、 これはあんまり見る方には効果なさそうだなーとなったので、服装チェンジやアレンジだけ引き継いで、 キャラのパーツに関しては順次来年から原作寄りに戻していこうかなと思います。 既に年末の方で🐓や🏇に関してはお試しで来年版もデザイン出しているので是非ご確認あれ。
それはそれとして、今年色々頑張ったので来年はちょっと休ませて欲しいです。 これ毎年思ってるし毎年休めてないね?つまりはそゆこと
あとは旅行!!とはいえまだコロナはあるので、そこまでガッツリじゃなくて、例大祭の前日に横浜行ったとかですが。 ていうか今年ついにコロナ陽性しょっぴいて大変な目に遭ったんですよね 8月の末ごろに熱でて、幸い熱そのものはすぐ引いたんですが、 結局今月の頭くらいまで咳と鼻水が結構酷かったです。今はやっと咳がほぼほぼ無いって状態にまで回復しています。後遺症こえー 絶対かかんない方がいいです……。
とはいえちょっとずつですが、コロナムーブは明けてきてるし、来年はまずは三重を満喫するぞー!って気持ちです。
作ったものにフォーカスして話をしようとすると、 逆に色々と作品を作ってたのでなんか今年の作品は!とかは言いづらいのですが、 やはり「後ろに幻想」はめちゃくちゃ拘ったので楽しかったです。 (途中ギャグありますが)シリアスな漫画で地味に同人誌で3桁ページってこれも初めてですね。しかも題材やキャラの選抜から考えても想定していたよ���多くの方に手に取っていただいています。すごーい。 今年の後半の本は在庫も残せたので、来年にもイベントで持っていけます。
それからこの一年作っててと頒布してて感じたのは、東方っていつでも若い子が多いよなって思います。て言うか私も小学生の頃にハマった人間なので、気持ちは何となくわかります。 自分は東方の前に親戚の影響で幻想水滸伝やポップンからこのオタクの道に既に触れていたのですが、東方は自力で見つけて自力でハマった最初のオタクな作品なのもあり、同人誌とかもリアタイでゲットできる環境が委託含めても整いつつあった頃でしたので、中学生くらいの頃ゲットしたものは今でも大切な宝物です。 当時から小説と音楽が大好きなので、分厚い本を見るととてもニヤニヤしていたので、本やCDをゲットする時ってほんとイベントの日や委託開始日が待ち遠しかったのを今でも覚えてます。
そう考えると、もしかしたら今私が待ち遠しいと思われている立場なのかもしれないな、とこの一年イベントで同人誌を頒布してて感じました。 親子の方かな?とか、未成年の方かな?って人たちにも手に取ってもらっていて驚きです。 今までも頒布してた際でも若い方はたくさんいましたが、即売会となると、低くても自分より少し年下くらいの方や普通に年上の方がやはり多かったので、何年も風通しがいいって凄いですね。
私はこれからどんどん老いていきますが、本や物語を作るのが趣味の人間なので、 今とても若い人たちが楽しめる環境やノウハウってのは、老いていく中では、やはり残していきたい気持ちにもなります。 何故かというと自分が楽しめる二次創作の作品がまともな形で増えて欲しいからです。 今までまぁ色々あって内に内に、分かる人が分かれば良いとしてアンダーグラウンドかつクローズドな世界にいる事を望んでいたのですが、 長い目で見たら、ある程度オープンの方が自分にとっても助かることが多いなぁと思わされる一年でもありました。(このあたりの経験則は仕事とか含めてですね……)
老いる事は置いていかれる事でも、若い人と共存する事でもないと思います。ですが、だからといって邪魔するのではなくて、 自分の居場所でできる事をやりつつバトンタッチをするステージになっていく、それが死への道かなと感じています。 死というと悲しい事に見えますが、これは悲しくないようにするためにまさに道があると思うので、ポジティブにとらえるべきだと思っています。 しがみついて居座るのではなく、少しずつ手放しながらもゆっくりと機能停止する感じが理想ですね。急ブレーキは誰だって辛い。 私が絵を手放す事になるのは多分ほぼ最後の方な気がするので、素敵な老人になる事に努めます。
しんみりした話題の後にいうのも何ですが、 東方以外で今年楽しかったと言ったら、ポケモンは楽しんでます。アルセウスもSVもサークルメンバーとめっちゃはしゃいでプレイしてます。 レイドしまくりで全員廃人みたいな構成作っててダメですね、誰だよ厳選と努力値の知識持ち込んで他人に仕込んだ悪い奴は 私やけど……
あと万聖街!!!毎週楽しみにしてます。Blu-ray予約しちゃってるから無敵 プリキュアも来年のが楽しみですね まずは春映画か秋映画か 話はそれからだ……
とまぁ色々と感じることの多い一年でしたが、 来年も普通にのんびりやるつもりです。 2021年は色々あってなんだかなぁという感じが多かったのですが、 今年は結構楽しかったです。来年はもっと楽しい年にしていきたいですね。 ちな、今年はなるべく広範囲という事を務めていましたが、 来年はある程度描くキャラをフォーカスした状態にしようと考えています。 とはいえ、ローテーションでかいてるイラスト系はいつも通りで、 あくまでもwebや紙媒体での漫画でのお話なので、見てる方はあんまり変わりないかもしれないです。 なお百合の中でも恋愛的な方はどうするか……なんですが、そもそも畜生側の方は百合を全く想定した作りになっていない為おいとくとして、 他もちょっとわかんないです。まぁ新作とかでた時に狂うかもしれんので、現時点でって事にしておきましょう。
色々頒布する機会や作るものに関しては来年の予定ほぼ決まっていて、とりあえずまずはそいつらの確実な完成を目指します! 実は既に1つ完成してて、年始に二冊目も着手しだします。 サークル参加手続きも済ませているのがあるのでぼちぼちがんばっていきましょう。 私の病気についてはips細胞を信じましょう!
それではみなさん、良いお年を〜!
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monthly-ambigram · 8 months
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2024-2月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「レトロ」です◆
今月は参加者の皆様に「レトロ」のお題でアンビグラムを制作していただいております。各参加者が思い描くレトロなものは何でしょうか。ぜひじっくりご覧ください。
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「懐古趣味」 旋回型:きいろいビタ氏
レトロをそのままとらえれば、「Retrospective=懐古趣味」。レトロ文字風にきれいにまとまっています。既存作との違いにも注目してみてください。装飾によりエレガントに仕上がっていますね。
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「懐古趣味」回転重畳型:Σ氏
一見同じ対応付けのように見えますが、字画の差分を重畳型で解決し自然に仕上げています。足し引きの調整が絶妙です。対応付けを読み解いてみてください。
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「レトロゲーム」鏡像型:ヨウヘイ氏
ドット絵にするとレトロ感を感じるのは、実はある程度以上の世代だけなのかも知れません。 ロゴ的にまとまっているのと、ドット表現がぴったりなこともあり、変形していても何となく読めてしまう面白さがありますね。
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「アーケードゲーム」 旋回型:つーさま!氏
同じ形が「アー/ケー/ド/ゲ/ーム」の5とおりに読める力作です。前後の言葉のつながりにより「ケー/ゲ」を振動させているのも面白いです。
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「ブラウン管のレトロなテレビ」 回転型:超階乗氏
ブラウン管のテレビ、今は教科書から知る人も多いでしょうね。 ブラウン管の画像の乱れのような表現が解釈に自由度を持たせているようです。
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「しろくろテレビ/ちゃぶ台」 図地反転型: いとうさとし氏
1950年代のお茶の間の光景ですね。 7文字と4文字で対応付けできてしまうのが神業ですね。文字数の差をどのように吸収しているかに注目してみてみると面白いです。
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「pixel」回転型:繋氏
液晶パネルや電光掲示板なども昔はピクセルがしっかり見えているのが普通でした。 「pi/el」を切り替える共有部分の表現がピクセルにマッチしていて自然ですね。読みやすいです。
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「古びた箱庭の下、広い芒畑が昭和の幻影と馨.辺境が甦る」 鏡像型:ちくわああ氏
文字列生成の大作が仕上がってきました。とにかく解読するのが楽しい作品、すごいです。ぜひじっくり読み解いてみてください。
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「ガリ版」 回転型:lszk氏
謄写版の俗称。昔はテストや学級新聞などもガリ版で刷っていました。 輪郭の角度調節が上手なので、ここまでデフォルメしても容易に読めてしまいます。匠の技です。
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「大正ロマン」 回転型:peanuts氏
大正時代の雰囲気を伝える思潮や文化事象。 既存作とは対応解釈が異なり、余計な線がなくなるように作字している点が優れていますね。作字としてもステキで素晴らしいです。
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「レトロモダン」 図地反転回転型: いとうさとし氏
古いながらも現代的で洗練された意匠。 レトロキネマ風の文字を彷彿とさせるデザインでステキです。「ロ/モ」が裏表にできるのが驚きです。
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「明治モダン」回転型:無限氏
昭和レトロ、大正ロマンときたら明治モダン。 右から左に読むようにデザインすることで対応付けがしっくりくる一石二鳥の解決策です。字形もハイカラでよいですね。
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「セピア色」 振動型:lszk氏
色あせてセピア色になると古さと共にエモさも感じます。 切り替わる字画は一本だけできれいに読みが変わります。素晴らしい発見と表現力です。
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「三丁目の夕日」 鏡像型:kawahar氏
昭和30年代の東京を舞台にしたお話。 影のような表現で斜めになっており純粋な鏡像型アンビグラムとはなっていませんが、この表現が雰囲気と可読性向上につながっていて面白いです。
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「湯沸かし器」振動型:海氏
昭和の台所には湯沸かし器が設置されているものでした。 各文字とも大胆な解釈ですが、確かにそう読めます。「器」の略字を知っているとより読みやすそうです。
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「高度経済成長」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
日本においては1955年頃から1973年頃が高度経済成長期とされます。 さすがの仕上がりです。3組分きれいに対応付けできる言葉を見つけるのも関心です。隙間で調整している部分が気になって文字として読めない人は、薄目でぼんやり見るなどすると読みやすくなるかもしれません。
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「鉄人28号/横山光輝」 回転共存型:兼吉共心堂氏
昭和30年代に描かれた、同時代を舞台にした漫画。 赤字と黄色の縁取りのカラーリングは実際のロゴのうちの一つに似せたものですね。黄色部分をうまく利用して字画あまり部分を処理しています。
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「ティファニーで朝食を」 回転型:.38氏
1958年小説発表、61年オードリー・ヘプバーン主演で映画化。 「朝食」を手掛かりに解読可能なデザインになっていて、「ティファニー」部分の組み方を読み解くのが楽しいです。
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「写ルンです」 鏡像型:douse氏
1986年発売開始、レンズ付きフィルムの先駆け。 「写/す」がピッタリすぎますね。全体的に作字としてステキで、レトロ文字の香りもします。
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「純喫茶」  回転型:螺旋氏
酒類を扱わない純粋な喫茶店のこと。特殊喫茶と区別するため昔は純喫茶と名乗る喫茶店が多かったようです。 随所に思い切った解釈がされていますが、うまい字画配置により読みやすく仕上がっています。レトロ文字風の書体でまとまっていてステキです。
最後に私の作品を。
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「感慨」 旋回型:igatoxin
昔を思うといろいろと感慨深いものがあります。レトロ文字風に仕上げてみました。
お題「レトロ」のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。昔を感じさせつつ新しい風も感じさせる作品が集まったと思います。
さて次回のお題は「うた」です。カラオケ、歌謡曲、和歌、現代詩、Ado、替え歌、ファルセットなど 参加者が自由にうたというワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は2/29、発行は3/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
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2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}     10月{ヒーロー}     11月{ゲーム}         12月{時事}
2024年 1月{フリー}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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shinjihi · 1 year
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2023年9月5日に開催された「慰安婦問題をめぐる韓日合同シンポジウム」と6日の慰安婦像傍の街頭集会は、日韓の真実勢力がソウルに結集して声を挙げる記念すべきイベントとなりました。
シンポジウムが行われたコリア・プレスセンターでは、横断幕に日の丸が、開会時には君が代が斉唱されました。近年プレスセンターでこういったことは有り得なかったそうです。
また、6日の街頭活動は、正義連(旧・挺対協)水曜デモよりもさらに慰安婦像の近くで、正義連より参加者が多く賑やかに行われました。
2019年12月金柄憲氏、李宇衍氏らが、同じ場所で慰安婦像撤去の街頭活動を始めたときは小さな日の丸を持っていただけで、罵倒され妨害にあったそうです。
この日は青空をバックに大きな韓国旗と日章旗が翻り、参加者は韓日の小旗を振って声を挙げました。
<シンポジウム資料>
当日配布されたプログラム・資料冊子(韓国語・日本語併記)
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2023.9.5_symposium_siryo.pdf
シンポジウム パワーポイントPDF
・第一部
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/1.pdf
・第二部
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2.pdf
西岡力 (麗澤大学特任教授)発表原稿
・日本語版
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2023.9.5_symposium_nishioka_jp.pdf
・韓国語版
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2023.9.5_symposium_nishioka_kr.pdf
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<日韓真実勢力 共同声明>
【 PDF版 】
2023年9月6日 ソウル
日韓真実勢力一同
2023년 9월 6일
한일진실세력 일동
慰安婦問題のウソと戦う日韓真実勢力共同声明
위안부 문제의 거짓말과 싸우는 한일 진실 세력 공동 성명
慰安婦は日本軍が管理した公娼だった。貧困のために両親が受け取った前渡し金を返済するために売春に従事した女性たちだった。その時代を生きた日本人、韓国人はそのことをよく知っていた。
위안부는 일본군이 관리한 공창이었다. 빈곤 때문에 부모님이 받은 전차금을 상환하기 위해 매춘에 종사한 여성들이었다. 그 시대를 살았던 한국인, 일본인은 그것을 잘 알고 있었다.
南労党出身の在日朝鮮人共産主義者はこう語っていた。「故郷の済州島の村では早く夫を亡くした未亡人が村の若い娘を連れて中国で慰安所を経営し、大変カネを儲けた。そこで、村人たちはこぞって家の娘も慰安所で働かせて欲しいとその女性に頼み、多数が金儲けのために慰安婦になっていた」
남노당 출신인 재일조선인 공산주의자는 이렇게 말했다. “나의 고향 제주도 마을에서는 일찍이 남편을 잃은 과부가 마을의 젊은 여성들을 데리고 중국으로 건너가 위안소를 운영해 많은 돈을 벌었다. 그래서 마을 사람들은 모두 자기 집안의 딸도 위안소에서 일하게 해달라고 그 여자에게 부탁했고, 다수가 돈벌이를 위해 위안부가 되었다.”
だから、反日政策を進めた李承晩政権も日本との国交正常化交渉で慰安婦への補償は求めていない。
그래서 반일정책을 추진한 이승만 정권도 일본과의 국교정상화협상에서 위안부에 대한 보상은 요구하지 않았다.
私たちは昨年に東京で、そして昨日ソウルで「慰安婦問題をめぐる日韓合同シンポジウム」を開催して、以上のような歴史的真実を確認した。
우리는 지난해 도쿄에서 그리고 어제 서울에서 ‘위안부 문제를 둘러싼 한일합동 심포지엄’을 개최해 이상과 같은 역사적 진실을 확인했다.
ではなぜ、慰安婦は公娼ではなく、日本軍に強制連行され、性的奉仕を強要された性奴隷だという、ウソが拡散し、日韓関係を悪化させてきたのか。
그렇다면 왜 위안부는 공창이 아니라 일본군에 강제 연행되어 성적 봉사를 강요받은 성노예라는 거짓말이 확산되어 한일관계를 악화시켜 왔는가.
その元凶は、強制連行、性奴隷説を広めていった日本と韓国の嘘つき勢力だ。日本の朝日新聞が職業的嘘つきである吉田清治の強制連行ウソ証言を繰り返し大きく報道した。日本人活動家が韓国で元慰安婦らを探し、日本政府を訴える裁判を起こした。原告の元慰安婦は強制連行されたとは言っていなかったのに、その証言を捏造したのも朝日だ。
그 원흉은 강제연행, 성노예설을 퍼뜨려 나간 한국과 일본의 거짓말 세력이다. 일본의 아사히신문이 직업적 거짓말쟁이인 요시다 세이지의 강제연행 허위증언을 반복적으로 크게 보도했다. 일본인 활동가가 한국에서 전위안부들을 찾아다니며 일본 정부를 상대로 재판을 일으켰다. 원고인 전위안부들는 강제연행되었다고는 말하지 않았는데, 그들의 증언을 날조한 것도 아사히 신문이다.
そして挺対協と遺族会という韓国の二大反日団体が日本発のこのウソを韓国で大々的にひろめた。それを韓国の新聞、テレビが第二の独立運動であるかのように大きく報じた。そして見逃せないのは日韓の嘘つき勢力が北朝鮮と緊密な連携をとっていたことだ。今回、正義連の元理事長の国会議員と現理事長が東京で北朝鮮の手先である朝総連の行事に出たことがそのことを象徴している。
그리고 정대협과 유족회라는 한국의 양대 반일단체가 일본발의 이 거짓말을 한국에서 대대적으로 확산시켰다. 그것을 한국의 신문, TV가 제2의 독립운동인 것처럼 크게 보도했다. 그리고 놓칠 수 없는 것은 한일의 거짓말 세력이 북한과 긴밀한 연계를 취하고 있었다는 것이다. 최근에 정의연의 전 이사장이자 국회의원인 유미향과 현 정의연 이사장인 이나영이 도쿄에서 북한의 앞잡이인 조총련의 행사에 참석한 것이 이를 상징하고 있다.
ところが、日本と韓国の真実勢力は民族感情などのためなかなか協力することが出来なかった。日本では30年間、真実勢力が戦いを続け、朝日が吉田証言をウソだと認めて過去の記事を取り消すところまでいたった。韓国でも、2019年からここ、慰安婦像のすぐ横で「慰安婦は売春婦」「慰安婦像撤去」を叫ぶ韓国の真実勢力が反撃を開始した。そしてついに昨年と今年、東京とソウルで日韓の真実勢力が合同シンポジウムを開催することが出来た。
그런데 한국과 일본의 진실세력은 민족감정 등을 이유로 좀처럼 협력할 수 없었다. 일본에서는 지난 30년간 진실세력이 싸움을 이어가, 아사히 신문이 요시다 세이지의 증언을 거짓말이라고 인정해 과거의 기사를 철회하기까지 이르렀다. 한국에서도 2019년부터 이곳 위안부상 바로 옆에서 ‘위안부는 매춘부’, ‘위안부상 철거’를 외치는 한국의 진실세력이 반격을 시작했다. 그리고 마침내 지난해와 올해 도쿄와 서울에서 한일의 진실세력이 합동 심포지엄을 개최하기에 이르렀다.
ここで私たちは宣言する。日韓の真実勢力が力を合わせて、日本、韓国、北朝鮮の嘘つき勢力の陰謀と工作を暴露し、彼ら、彼女らの責任を追求する。韓国と全世界に立てられたウソの象徴である慰安婦像を必ず撤去させる。
여기서 우리는 선언한다. 한일의 진실세력이 힘을 합쳐 일본, 한국, 북한의 거짓말 세력의 음모와 공작을 폭로하고, 그들의 책임을 계속해서 추구할 것이다. 한국과 전 세계에 세워진 거짓말의 상징인 위안부상을 반드시 철거시킬 것이다.
以上
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kennak · 2 months
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周囲のアメリカ人から「あの本読んだ?」とよく尋ねられる本が毎年何冊かある。韓国系アメリカ人作家ミン・ジン・リーの長編小説『パチンコ(Pachinko )』もそのひとつだ。 韓国と日本を舞台にした、在日韓国・朝鮮人の4世代にわたる年代記なのだが、アメリカでベストセラーになり、2017年の全米図書賞の最終候補にもなった。私の周囲だけでも、義母、娘、娘の婚約者の母親が同時に読んでいて、まるで「読書クラブ」のようだった。それほど、多くの人に読まれている作品であり、読者の評価も高い。 小説は1910年の釜山からスタートする。大日本帝国が大韓帝国との間で日韓併合条約を締結して韓国を統治下に置いた年だ。釜山の漁村に住む漁夫の夫婦は、その運命を黙って受け入れた。「泥棒相手に国を失った無能な貴族と腐敗した母国の統治者」には、それ以前からすでに諦めの気持ちを抱いていたのだ。動揺するかわりに夫婦は身体に障害があるが利発なひとり息子フーニーの将来を考えた。夫婦は息子に学校で韓国語と日本語を学ばせ、仲人を使って見合い結婚をさせ、労働者用の宿屋を経営させた。 フーニーの若い妻ヤンジンは何度も流産を繰り返した末にようやく健康な娘スンジャを得た。そして、働き者のフーニーが亡くなった後も、未亡人は娘の助けを借りて評判の良い宿屋を営み続けた。 スンジャは働くことに生きがいを見出す生真面目な少女だったが、16歳のときに年上の裕福そうな男コー・ハンスーから誘惑されて妊娠してしまう。相手が既婚者だと初めて知ったスンジャは、自分の過ちを恥じ、「結婚はできないが面倒は見る」という申し出を拒否して別れる。 田舎の漁村で未婚の女が妊娠するのは醜聞だ。結核で倒れたときに母娘に看病してもらったことに恩義を感じる若い牧師イサックは、これを神が自分に与えた機会だと考えてスンジャに結婚を申し込む。若い2人は、イサックの兄ヨーセブの誘いで1933年に大阪に移住する。 イサックとヨーセブの両親は裕福な地主だったが、韓国社会の不安定化で経済的な余裕はなくなっていた。大阪では韓国人牧師のイサックが得られる収入はほとんどなく、2組の夫婦は会社に務めるヨーセブの収入に頼ることになった。そのヨーセブにしても、雇ってもらっているだけで感謝しなければならない状況で、そこに付け込まれて日本人より安い賃金で倍以上働かされていた。 さらに戦争前夜の日本の思想弾圧により、牧師のイサックが逮捕されてしまう。一家はますます窮地に陥る。男としての甲斐性にこだわるヨーセブは妻たちが外で働くことを固く禁じるが、スンジャはコー・ハンスーから受け取った唯一の贈り物である高級時計を売ってイサックの借金を返し、ヨーセブの妻が作ったキムチを路上で売って家計を支える。 イサックは、スンジャが産んだコー・ハンスーの息子のノアをわが子として愛して育てる。しかし何年も刑務所で拷問を受けた結果、結核が悪化して解放直後に死んでしまう。イサックの性格を受け継いだように生真面目なノアは、働きながらも早稲田大学で英文学を学ぶ夢を叶えるが、自分の誕生の秘密を知って絶望する。日本で受け入れられるために愚痴も恨みも言わずひたすら努力を積み重ねてきたノアは、母を罵り、家族を捨て、見知らぬ土地で日本人としての偽りのアイデンティティを使って新しい人生を生きようとする。 スンジャの次男モサズは、兄とは違って、学問にまったく興味がない。だが、商売の嗅覚があり、パチンコ店に勤務して頭角を現す。そして、自分でも店を持ち成功する。モサズは、ひとり息子ソロモンをアメリカのコロンビア大学に留学させる。それは、亡き妻が抱いていた夢の実現でもあった。しかし、日本に戻って外資系の投資銀行に勤務したソロモンは、その環境であっても自分が在日韓国人として扱われる現実を実感させられる――。 在日韓国人の4世代にわたる年代記が、アメリカでベストセラーになり、しかも全米図書賞の最終候補にまでなったのはなぜなのか? それは、場所や人種が異なっても、「移民の苦労ばなし」が普遍的なものだからだ。 読んでいるうちに思い出したのは、20世紀前半にアメリカに移住したアイルランド系やイタリア系移民が受けた差別や紀元前からあるユダヤ人の迫害だ。 ユダヤ系には金融業、医師、弁護士、科学者が多いが、それは古代のヨーロッパでユダヤ人の就業が禁じられていた職種が多かったからだと言われる。アメリカのニューヨークやボストンでは、アイルランド系移民の警察官が圧倒的に多い。これも、アイルランド系移民が初期に受けた職業差別が少なからず影響している。20世紀の日本での在日韓国・朝鮮人によるパチンコ経営は、これらに比類するものだ。 アメリカは、先住民以外はすべて「移民」とその子孫だ。何世代か遡れば、必ず移民としてのこうした苦労ばなしに行きあたるはずだ。こうしたアメリカ人のDNAに刻み込まれた記憶が、小説への共感を生むのだろう。 日本統治下の韓国での日本人による現地人への虐めや、日本人による在日韓国・朝鮮人への差別、そして単語こそ出てこないが「慰安婦」のリクルートなど、『パチンコ』は日本人にとっては居心地が悪い小説かもしれない。 しかし、これは日本人を糾弾する小説ではない。1人の人間として「読者」になれば、誰でも感情移入できるし、家族ドラマとして楽しめる本だ。私は、若い頃に観たNHK連続テレビ小説の「おしん」を思い出した。そういう雰囲気もある。 著者のミン・ジン・リーはそんな私の意見に対して、このように答えてくれた。 「日本人の読者は洗練されているし、微妙なニュアンスも理解できる。あなたのように先入観なく、公平な視点でこの本を読んでくれると強く信じている。(英語で読んだ)多くの日本人読者は、すでにこの本をとても支援してくれて、とても感謝している。私の夫は日本人とのハーフで、私の息子は民族的には4分の1が日本人だ。現代の日本人には、日本の過去についての責任はない。私たちにできるのは、過去を知り、現在を誠実に生きることだけだ」
『Pachinko』(Head of Zeus) - 著者:Min Jin Lee - 渡辺 由佳里による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
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jimbuchanan · 3 months
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ジェームズ・M・ブキャナン邦訳文献まとめ
- 単著(書籍, 出版年は原書)
『財政理論 ―― 民主主義過程の財政学』(1967)
『公共財の理論 ―― 公共財の需要と供給』(1968)
『選択のコスト ―― 経済学的探究』(1969)
『財政学入門』(1970)
『自由の限界 ―― 人間と制度の経済学』(1975)
『経済学の考え方 ―― ブキャナン経済学のエッセンス』(1987)
『公と私の経済学 ―― ブキャナン経済学のエッセンス』(1987)
『コンスティテューショナル・エコノミックス ―― 極大化の論理から契約の論理へ』(1991)
『倫理の経済学』(1994)
- 共編著(書籍, 出版年は原書)
『公共選択の理論 ―― 合意の経済論理』(w/ G.タロック, 1962)
『赤字財政の政治経済学 ―― ケインズの政治的遺産』『赤字の民主主義 ―― ケインズが遺したもの』(w/ R.E.ワグナー, 1977)
『ケインズ財政の破綻』(w/ J.バートン, R.E.ワグナー, 1978)
『公共選択の租税理論 ―― 課税権の制限』(w/ G.ブレナン, 1980)
『立憲的政治経済学の方法論 ―― ルールの根拠』(w/ G.ブレナン, 1985)
『財政赤字の公共選択論』(w/ C.K.ローリー, R.D.トリソン, 1986) ⇒ 内ブキャナン著作論文《「赤字体質の政府(w/ C.K.ローリー, R.D.トリソン)」, 「リカード流の等価定理の論理(w/ G.ブレナン)」, 「ケインジアン以後の政治における予算バイアス ―― 財政規範の侵食と復権の可能性」, 「債務不履行の倫理」》
『国際化時代の自由秩序 ―― モンペルラン・ソサエティの提言』(w/ M.フリードマン他, 1991) ⇒ 内、ブキャナン報告《「自由貿易の厚生政治学」》
『行きづまる民主主義』(w/ G.タロック, 加藤寛, 1998) ⇒ 内、ブキャナン報告《「多数決民主主義の制約」》
『財政学と公共選択 ―― 国家の役割をめぐる大激論』(w/ R.A.マスグレイブ, 1999) ⇒ 内、ブキャナン報告《「生い立ち、経験、およびアイデア:回想的評価」, 「マスグレイブ「財政の役割」への応答」, 「政治的行動に対する制約」, 「マスグレイブ「財政連邦主義」への応答」, 「道徳、政治、制度改革:診断と処方箋」》
- 論文など
「はしがき(w/ G.W.ナッタ​ー)」(F.H.ナイト 著『フランク・ナイト 社会哲学を語る ―― 講義録 知性と民主的行動』所収, 1960,)
「個人主義的アプローチによる政治過程論」(D.イーストン 編『現代政治理論の構想』所収, 1971) ⇒ 「政治過程の個人主義理論」として『公と私の経済学』に再所収。
「外部性(w/ W.C.スタブルバイン)」「公共財の供給(w/ M.Z.カフォグリス)」(経済企画庁経済研究所 著『公共経済学理論の展望』, 1971) ⇒ 「外部性」は『公と私の経済学』に再所収。
「公​共財の過密​」(西村光夫,​ ​西​山​千明​ 編『​新しい​自由​社​会の​展​望:木内​信胤先​生古​稀記​念​論​文集』所収, ​1972)
「​競争的供​給における​外​部​不経済(w/ C.J.ゴーツ)」(『​高速道​路と​自​動車』vol.15​ No.1​1 所収, 197​2-11)
「​赤字に​抱かれた​民​主​主​義​ ​―― ケインズ​卿の政治的​遺​産」(『​大​蔵​省​調​査月報』vol.68​ No.1​~5 所収, 19​79-1) ⇒ 『赤字の民主主義』(『赤字財政の政治経済学』)の抄訳。
「日本はまとまりの良い国か A Governable Country?」他(『日本は「ただ乗り大国か」国際シンポジウム 日本の主張’81』所収, 1981)
「ブキャナン教授に聞く ―― 米産業界にヤル気」(『日本経済新聞』所収, 1981-3-19)
「レーガン政権の新経済政策 ―― 減税は赤字財政拡大の懸念 ―― 大幅な歳出削減は当然 規制緩和で民間を刺激」(『日本経済新聞 経済教室』所収, 1981-4-4) ⇒1981年3月28日 日本経済新聞に抄訳記事あり
「レーガン政権の新経済政策 ―― カギ握る減税案の成否 ―― 景気の足引っ張る議会との妥協」(『日本経済研究センター会報』所収, 1981-4-15) ⇒1981年3月28日 日本経済新聞に抄訳記事あり
「財政赤字の諸問題」(『ファイナンス:財務省広報誌』17(3)(187) 所収, 1981-6)
「コスロフスキー「​資本主​義の倫理」に対す​るJ.M.ブキャナンの​論評」(P.コスロフスキー 著『資本主義の倫理』所収, 1982)
「政治とおせっかい好き」(R.D.トリソン 編『喫煙と社会 ―― よりバランスのとれた評価にむけて』所収, 1986)
「​人間と​国家」(『世​界経済』vol.42 ​No.1 所収,​ 1987-​1)
「ケインジ​アンの​愚​見」(『公​共選​択の研​究』No.​10 所収, 19​87)
「​再​生した政治​の経済理​論」(『​大​蔵​省​調​査月報』vol.77 ​No.6 所収,​ 1988-​6)
「経済インタビュー ブッシュのアメリカ ―― 歳出削減進みそう 為替が赤字調節機能担う」(『読売新聞』所収, 1988-11-10)
「カ​ルテル​・​提​携および​立​憲政治:探索的分析(講​演記​録)」(『公​共選​択の研​究』No.​13 所収, 19​89)
「組織化された人間社会の潜在力と限界」他(『第1回 ノーベル経済学賞日本フォーラム ― 21世紀への創造 ― 1988年』所収, 1989) ⇒ 1988年11月10日 読売新聞に抄訳記事あり
「ポスト社会主義の経済学」(J.D.ヘイ 編『フューチャー・オブ・エコノミックス ―― 21世紀への展望』所収, 1992)
「経済学の勝利 ―― フクヤマ論文は間違っているか もしそうならそれはなぜか」(『会計検査研究』第7号 所収, 1993-3)
「《​対​談》「​分配政治」​への​絶​縁​状(w/ 西​山​千明)」(『月刊 正​論』​250号 所収, 1​993-6)
「レント��ーキングと利潤追求」, 「外部不経済下でのレントシーキング」, 「レントシーキング社会における改革」(R.D.トリソン, R.D.コングレトン 編『レントシーキングの経済理論』所収, 1995)
「米のノーベル賞経済学者 ブキャナン氏に聞く ―― 財政赤字削減「米合意、意義ない」 日本の財政・金融分離 予測しやすい政策を」(『日本経済新聞』所収, 1997-9-2)
「ジェームズ・M・ブキャナン教授(ノーベル経済学賞受賞者)に聞く ―― 財政均衡化へ向け米国憲法を改正せよ」(『週刊東洋経済』1997年9月27日号 所収, 1997)
「小手先でなく抜本的改革こそ正道 ―― 日本もシステム全体の変革で「取引」の余地なくせ」(『日経ビジネス』2002年1月28日号 所収, 2002)
- その他
「欧州連邦憲法制定の好機 ―― アメリカ史からの教訓」(『世界経済 Journal of World Economy』vol.45 No.13, 1990-11) ⇒ 要約
「はだかの経済学者」(ブログ『himaginary's diary』, 2010年2月11日)⇒ 一部訳
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