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#高橋源一郎
findareading · 2 years
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くりかえされる読書、経験と知識の堆積が少しずつ「読書」から不必要な要素をとり除いていき、やがて読書は極度の集中とリラックスが不思議に混在する場所でおこなわれるようになる。
高橋源一郎著「開高健『耳による自伝』を読む」(『ジェイムス・ジョイスを読んだ猫』2020年11月kindle版、講談社文庫)
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ishiduca · 3 months
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高橋源一郎「一億三千万人のための『歎異抄』」を読んだ。歎異抄をシンランの弟子ユイエンがくだけた言葉で語るという独自のスタイルで訳し、高橋による解説「宗教ってなんだ」と歎異抄原文を加える。他力本願ということの意味がよく分かる。解説で、法然らの「ただ念仏を唱えればよい」に対して「念仏は真の菩提心があってそれが言葉になるもの」という批判(興福寺奏状)を取り上げ、むしろ演劇などの文学はことばが先にあるのだという反例は腑に落ちる。カール・バルトの「神との一対一の契約」に対するクルマンの「神からの愛の一方的贈与」という批判も示され、「ネンブツはアミダからの贈りもの」に通じるという
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doggie · 9 months
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高橋 源一郎『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』
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ansaibye-bye · 9 months
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『「ロスト・ハイウェイ」のはじまってわりとすぐ、アンディという男の家のパーティーで、主人公の中年男のフレッドのところに、顔を白塗りにしたような不気味な男が、
「前にお会いしましたね。」
と言いながら近寄ってくる。
「覚えがないんだが、…。どこで会ったと?」フレッドが怪訝そうに答える。
「お宅でですよ。覚えてないんですか?」
「まったく覚えてない。確かに私の家で?」
「そのとおり。実際、今も私はあなたのお宅にいますよ。」
「今どこにいるんだって?」
「あなたのお宅ですよ。」
男はフレッドに携帯電話を差し出し、
「私に電話を。(call me.)」と言う。
「私はお宅にいます。さあ、早く電話して。」
そして本当に、目の前にいる男の声がフレッドの家の電話からする。
「実際、今も私はあなたのお宅にいますよ。」
という台詞が言われた瞬間、観ていた私は、体の中の一つしかない矢印が二方向に向いて体に裂け目ができた気がした。
人はただ言葉をしゃべっているのではなく、体を担保にして体を使って、聞いたりしゃべったりしている。相手が「私」と発語したら、私の体の中の矢印は相手を向き、相手が「あそこ」と発語したら、体の中の矢印はどこか遠くに向く。そんな矢印なんか考えたこともなかったが、間違いなく人は体を運動させたり指示させたりして言葉をしゃべっているのだ。
こういうことを発語(音声)をともなわない文字だけでわかってもらうのは不可能にちかいことを承知で書くのだが、
「ほら、俺はそこにいるよ!」
と、ふつうの会話でしゃべることはありえない。こうして文字で書かれたこの台詞を読んだら、ほとんど自動的に読者は、「俺」が映っている写真かビデオの映像を思い浮かべているだろう。この台詞を写真やビデオがない ―つまり、「俺」を「ここ」ではなく「そこ」に切り取るフレームがない―、言葉どおりの、
「俺はそこにいる」
というセンテンスとして、そのまま受け入れることはふつうの人間にはできない。センテンスの構造としてはじつに単純で、文法的な間違いなんかどこにもないにもかかわらず、人はこのセンテンスをそのまま受け入れることができない。』  ―保坂和志「遠い触覚」
『俺もこんなことばかり言ってるのも、そろそろダルいかな。ずっとサーフィンできればいいし、どんどん自分の人間としての脳味噌のシワを増やすしかないと思っている。みんなはインターネットでもやっていて下さい。
俺はネットしないから、お前にはメールは送れないし、俺もお前のメールは読めない。でも絶え��その間にも波は割れてるし、どっかで雪は振ってるしさ。俺はそっちにいる。』  ―真木蔵人「BLACK BOOK」
『わたしは、ただ言葉を、「うわさのベーコン」の言葉の運動を見ています。その言葉は、どんな「規則」にも従わず、無意味に動いているように見えます。
わたしの使う言葉が、わたしの言葉を動かしている「規則」が、「文学」を産み出すなら、「うわさのベーコン」の言葉は、如何なる意味でも「文学」を産み出すことはないでしょう。
だが、それにもかかわらず、そこには、きわめて重要ななにかが存在しています。
それは、それが文学ではないというあり方において、我々の使う言葉が、どんな「規則」に従って「文学」になっているのかを、逆方向から照らし出して見せる、という点において、重要なのでしょうか。
つまりあのダザイという小説家が書いた、不愉快な音のように。
いや、それだけではない、そこには、なにかもっと積極的ななにかがある、とわたしは感じているのです。』  ―高橋源一郎「ニッポンの小説」
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hih0whigh · 11 months
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tokaidocmovie · 1 year
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『チョコレートな人々』🍫高橋源一郎さんコメント
\2023年1/2㊊🎍公開/ ◤東海テレビドキュメンタリー劇場 第⓮弾◢ 『チョコレートな人々』🍫 : 高橋源一郎さんのコメント🖊  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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🟥 🟧 🟨 🟩 🟦 🟪 🟫 ⬛️ ⬜️
「障がい」のある人たちがチョコレートを作る。働く、ものを作る、売る、賃金を得る。ただそれだけの話なのに、見始めると、目をそらすことができなくなる。そこには何かがあるからだ。忘れてはならない大切な何かが。
高橋源一郎(小説家)
🟥 🟧 🟨 🟩 🟦 🟪 🟫 ⬛️ ⬜️ : : 🌟『チョコレートな人々』予告編🌟 ・ 🟠HP🟠 🟡ツイッター🟡 🟢FB🟢 🔵インスタグラム🔵 ・ 🎬2023年1月2日(月)より 〔東京〕ポレポレ東中野、 〔愛知〕名古屋シネマテーク、ユナイテッド・シネマ豊橋18 〔大阪〕第七藝術劇場、〔福岡〕KBCシネマ ほか全国順次公開! ・ 舞台挨拶や日本語字幕付き上映回もあります✨ 詳しくはこちらをチェック🔻 https://tokaidoc.com/choco/#theater
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team-ginga · 2 years
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『日本文学盛衰史』
 こちらは9月17日(土曜)に養父市のやぶ市民交流広場で見た青年団の『日本文学盛衰史』の劇評です。
 これもあまりに辛口で、このままでは雑誌に載せられないので、ここにだけコピペしておきます。
****************
 この日ここで上演されたのは高橋源一郎原作、平田オリザ作・演出の『日本文学盛衰史』――キャスト、スタッフは平田オリザが主宰する劇団・青年団のメンバーである。面白いのは開演前から女中役の女優たちがなにやら話したり、鼻歌を歌ったりしながら座敷にお膳を運び込んでいることである。観客が入ってきた瞬間から芝居は既に芝居は始まっているという趣向である。演劇の世界では時折あることだが、こういう趣向は楽しい。
 時間が来るとブザーもアナウンスもないまま芝居に入る。次々に役者が舞台上の座敷に現れ膳の前に座る。話の様子からそこは北村透谷の葬儀の席であり、客たちは明治の文人たち――森鴎外、夏目漱石、二葉亭四迷、島崎藤村、田山花袋、樋口一葉、正岡子規、国木田独歩、中江兆民、幸徳秋水といった面々であることがわかる。
 彼らはみな思い思いに話をしている。だから、ふた組の会話が並行して行われる場面もある。セリフが聞き取りにくいと言えばその通りだが、現実の宴席(葬儀の席だから「宴席」ではないかもしれないが)ではよくあることだ。現実がそうである以上、舞台でも同じようにするという趣向であろう。
 会話の中で鷗外が「漱石にLineで連絡する」と言ったり、透谷の妻が喪主の挨拶で「エリザベス女王も亡くなり、安倍元総理の国葬もあのようなことになり」と言ったり、時代錯誤的なというのだろうか、要するに明治の物語に現代の事柄を混ぜ込むギャグは、パターンとして決して珍しいものではないし、あざといと言えばあざといが筆者は好きだった。
 ただ、シェークスピアの『ハムレット』の話の際、「私は世パブで見た。主演は野村萬斎の息子だった」、「私は彩芸で見た。主演は藤原竜也だった」などと言うのはいかがなものだろう。「世パブ」は世田谷パブリックシアターの、「彩芸」は彩の国芸術劇場の略称・俗称であると想像できるが、演劇人か演劇愛好家にしかわからないことである。そういう内輪向けのギャグ、狭い「演劇村」でしか通用しないギャグを使うのは感心しない。演劇祭の演目なのだから、もっと一般の観客、初めて芝居を見るような観客をも取り込むような芝居にして欲しかったと思う。
 やがて来客たちが去り、田山花袋と島崎藤村だけが座敷に残る。田山花袋は畳の上にうつ伏せで突っ伏す。気分が悪いわけではない。女性が座っていた座布団の匂いを嗅いでいるのだ。この芝居では田山花袋を徹底してコミカルに描いており、第2幕ではなぜか田山はアダルトビデオを撮っていることになっていて、女流作家に叱られてはひたすら頭を下げている。田山花袋の関係者が見たら腹を立てそうだが、芝居のアクセントとしては決して悪くないと筆者には思えた。
 照明が徐々に暗くなり、田山花袋と島崎藤村だけに明かりが残る。すると来客たちが座敷に現れる。第2場、正岡子規の葬儀の席である。来客が揃うと喪主の挨拶があり、来客同士の会話があり、来客が去り、田山花袋と島崎藤村だけが残り、田山は女性が使っていた座布団に突っ伏すという展開が繰り返され、第3幕・二葉亭四迷の葬儀、第4幕・夏目漱石の葬儀と続く(喪主はもちろんその都度違う人物だが、つねに同じ女優が演じている)。
 こういう芝居の作り方には賛否両論があるだろう。何より問題となるのは、観客の側にある程度の文学的知識がないとわけがわからないことである。だが、少なくとも名前くらいは知っている文豪たちが大部分はくだらない話を、しかしときどきは文学や社会についてのまじめな話をしているのを見るのは筆者には面白かったし、最後まで登場する文豪もいれば、途中で死んでしまう文豪や新たに加わる若い文豪もいるというところで時の流れを感じさせるのも面白い。筆者は非常にいい芝居だと思った……第3場の終盤までは。
 第3場の終盤、ある女性が漱石に「なぜ私たちは思っていることを書いただけで弾圧されるのですか」と問いかける。漱石は答えるーー「我々文人は悲しいとか寂しいとか書かずに悲しさや寂しさを表現できます。政府はそれを恐れる。だから、我々が犬とか猫とか書くだけで、政府が弾圧する日が来るでしょう」。漱石は椅子をおいてそこに女性を座らせ話を続けるーー「これは単に女性が椅子に座っているだけです。でも政府はそれを恐れて弾圧するのです」。
 もちろんこれは慰安婦像のことを意味している。慰安婦像や「表現の不自由」展については様々な意見があるだろう。ここに筆者の意見を書くつもりはないが、「表現の不自由」展に脅しをかけたのはネトウヨとおぼしい一個人であって、政府が慰安婦像を弾圧したわけではないこと、慰安婦像はいまや日韓間の外交の道具、政争の道具となっているため、慰安婦像を見て大戦中慰安婦にされた若い女性に対して素直に哀悼の意を表することは非常に困難になっていること、その責任は日韓両政府にあること、つまり慰安婦問題は表現の自由・思想信条の自由の問題を離れて政治的外交的問題になってしまっていることは言っておきたい。そのような複雑な問題を政府の言論弾圧というシンプルな問題に引き下げてしまうのはいかがなものだろうか。
 第4場・漱石の葬儀の終盤には、第二次大戦後に文壇に登場するはずの太宰治、坂口安吾、織田作之助の「無頼派トリオ」が現れ、その場にいる文豪たちに彼らの未来を伝え、「北原白秋さんと高村光太郎さんは戦争を賛美する詩を書きます。島崎藤村さんはそれを見て見ぬふりをします。永井荷風さんは戦後、実は戦争に反対だったと書いてお金を儲けます」と言う。筆者は日本近代文学には詳しくないが、おそらくその通りなのだろう。しかし、未来の人間が過去の人間をまだ起きていないことを理由に告発するのはいかがなものか。それは「後出しジャンケン」というもので、あまりに傲慢ではないだろうか。
 芝居そのものはその後、芝居の原作者の高橋源一郎が登場し、文豪たちと一緒にスマホで自撮り写真を撮り、なぜか全員で「およげ!たいやきくん」のロックバージョンに乗せて踊って終わるが、終盤のこの展開は筆者には受け入れ難いものがあった。
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straycatboogie · 2 years
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2022/08/19
BGM: Phil Collins "Another Day in Paradise"
高橋源一郎が『失われたTOKIOを求めて』という本を出していたことを知る。興味を持ち、私自身早稲田に通っていた4年間東京に住んでいたことを思い出した。ああ、アホみたいなことをたくさんやってしまった大学生活だった。宍粟市で過ごした十代、私は東京に行けるなら行ってみたいと思っていた。こんなど田舎で自分の人生を送るなんてまっぴらだ、と思っていたのだ。ピチカート・ファイヴが歌う華やかな東京ライフに憧れたあの時代……結局東京に行っても生きづらさはぜんぜん改善されず、就職が見つからなかったこともあってこっちに帰ってきてしまった。
ああ、そして宍粟市に帰ってきてから20代・30代を私は日陰で生きてきた。「ポジティブ」なことなど何も考えられず、毎日酒に溺れて「もう死にたい」「生まれてくるんじゃなかった」とばかり思っていたのだった。40の歳に酒を断ち、それから運命的な出会いがあり、やっと私は自分の人生においてなすべきミッションを見つけたように思った。宍粟市で暮らすことにも少しずつ希望が見えてきて、友だちもできるようになって……やっと確かな幸せの形がつかめるようになった。私の人生はその頃からようやく始まったのだった。奇蹟は起こる。
フィル・コリンズの「Another Day in Paradise」という曲を聴き、ふと「私にも、別の人生がありえたのかなあ」と考えた。もし好景気が続いていたら、私は順当に就職して今頃大手企業に務めてウハウハな人生を過ごせていたかもしれない。今のような人生ではなく有名ブランドのスーツを着こなし、結婚して子どもを育て何の疑いもなく「幸せ」を謳歌していた人生。ありえたかもしれない。もちろん人生はすべて起こるようにしか起こらない(だから歴史に「もし」はないのだと思う)。だが、そんな可能性について考えてみることは、「今・ここ」を愛おしく思うために必要な作業でもあるのかもしれない。
J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読み終える。ホールデン・コールフィールドの饒舌な喋りに惹きつけられる。ホールデンとは「損」な少年だと思う。彼には知性がある。想像力が豊かでもある。だが、彼のそんな取り柄はなかなか活きない。人と話していても空気が読めないヤツとして扱われ、人を苛立たせてしまう。私自身のことを思い出させられた。私もまたホールデンのような存在だからだ。サリンジャーはそして、「空気が読めない」ヤツにここまで迫って作品を書いた。それは今なおヴィヴィッドにこちらの胸を打つ。
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ehonchan23 · 2 years
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こんにちは。こんにちは。 7月28日(木) 絵本ちゃんときのこ文庫は 13時~16時のオープンです📚️ 旧質美小学校は、pandozo cafeが11時~オープンされてます🍕🍝🍹☕️🍷 おかきのお店は休みです🏫 #京丹波町 #質美笑楽講 #質美小学校 #本屋 #絵本ちゃん #居場所がないのがつらいです #高橋源一郎 さん #毎日新聞出版 (絵本ちゃん) https://www.instagram.com/p/CgikQe1rFhT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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takigawa · 18 days
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石森プロ時代のお話を。 https://x.com/takigawa_w/status/1789176940924223586?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w 2011年3月11日 東日本大震災 石ノ森萬画館のある石巻市、石ノ森章太郎ふるさと記念館のある登米市も被災しました。 特に北上川の中州にある石ノ森萬画館は津波に往復で襲われました。 津波が押し寄せた時、一階の玄関エントランスなどはビルっぽい四角い形で瓦礫が突っ込みダメージを受けました。が、それより上は丸い形状が幸いして津波が逃げて建物全体の破壊は免れました。 なんと、石ノ森萬画館は石ノ森章太郎先生が生前に「中州に降り立った宇宙船のイメージで」との設計コンセプトで丸みを帯びた楕円形のフォルムだったのです。 石ノ森章太郎先生が起こした奇跡と感じました。 震災の当日、地震と津波に建物は耐えたものの、中州の橋の欄干に津波で流されかけた方々、約20名が命からがら、掴まっていました。石ノ森萬画館のOさんがこれを見つけて「萬画館の中に入ってください!」と招き入れました。 しかし北上川を上った津波が戻って来たのです。 そこで再び欄干に摑まる別の約20名の方々。またOさんが、萬画館に招き入れ、約40名の方々とOさんは、余震の中、萬画館で過ごします。 幸い、萬画館には非常用電源もあり、レストラン用の食材もあったので、石ノ森萬画館を避難所がわりに5日間過ごしたそうです。 石ノ森萬画館の職員家族の方も奇跡的に皆さんご無事でした。 以上は全て後から聞いた話ですが石巻市では有名な話となりニュースやマンガにもなりました。 東京に居た我々は心配しながら石ノ森萬画館のK役員に連絡を取り「必要なものは何ですか?」とお聞きしました。 きっと食糧、医療、衣料など不足しているものが沢山あると思ったからです。3月19日の事です。 するとKさんは「石ノ森章太郎先生の生原稿が10万枚、石ノ森萬画館に保存されています。幸い棚から一つも崩れずに浸水もせずに無事です。ただ玄関ドアが壊れてしまい、���犯的に危ないので生原稿を引き取ってくれませんか」と仰るのです。 あんなに大変な時に心配しているのは石ノ森章太郎先生の生原稿なのです。 僕は「取りに行きます。取りに行きますからその際に必要な物資を持って行きます。」とお伝えして、その日からAmazon、楽天などで簡単に食べられる各種食品、オムツ、生理用品、などなどを会社で買い込みました。 震災直後はそれらの品々こそ、なかなか物不足だったのですが、何とか集め集めて、Kさんと相談して、ようやく東北自動車道も復旧していた3月30日早朝5時にレンタルした(ガソリン不足だったので)プリウスに社員2人と僕、2トントラック🚚とその運転手さんとで、 石巻に向かいました。 途中、渋滞があったり、被害のあった道を通りながら、石巻インターに着いたのは午後1時頃だったと思います。 石巻インターに付くと高速道路の係員のオッチャンが「どこから来たの?あ、東京。何か運んでるの?」 と聞かれたので「救援用の物資、食べ物を後ろのトラックに積んで来ました。」と答えると 「許可証もらって来たの?」と言うので 「分かりません。」と答えると 「許可証あれば只になるんだけど、無いかぁ。 東京からかぁ、高いなぁ、もう高いからタダでいいよ!行きな!」と無料で通してくれたのです。 ちょっとビックリしましたが、有り難く受け入れ、石巻インターを通過しました。 そこから石巻市に向かうと最初は道もさほど荒れていなかったのですが、石巻市に近づくにつれて、瓦礫は増え道は荒れ、市内に入れば電信柱の上の方に何かが突き刺さり、船は乗り上げ、震災がいかに激烈なものであったかは、否が応でも心に刻み込まれました。 石森プロの社員二人とは「どんな事があっても俺たちは冷静でいような!」と誓い合っていたのですが、あの光景は心にズシリ、ズシリとダメージを与えます。 ようやくの思いで、石ノ森萬画館に着きましたが、中州にあった他の建物は見当たらず瓦礫の中に石ノ森萬画館はありました。 そこでKさん達にお会いできて最初にKさんが仰ったのは「遠い所、来ていただき本当に申し訳ありません。先生の生原稿は全部、無事ですから。」でした。 その言葉を聞いて、ご本人達がどんなにか辛い状況だったろうに、この言葉をかけられて、魂が震えるほど感動、感激しました。危うく泣きかけました。 これが日本人 これが東北人 これが石ノ森萬画館 これがKさん。 日本全体に「日本はどうなるのか」という気分が満ちていた2011年3月。 僕はその時に「大丈夫だ」と確信したのです。 その後、石巻市内に設置されたサイボーグ009や仮面ライダーの立像を見たのですが、なぜか全て無事で更に仮面ライダーの立像などはピカピカに綺麗なのです。 聞けば「石巻市民の方が埃がついて可哀想だからと磨いてくれているようです」とのこと。 これも涙腺に来ました。 #東日本大震災 #石ノ森萬画館 #石巻市 #石森プロ #サイボーグ009 #仮面ライダー
https://x.com/takigawa_w/status/1789176940924223586?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w
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hachikenyakaiwai · 3 months
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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findareading · 1 year
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もう少ししたら、キイちゃんのところに行って、膝の上に座らせて、センダックの絵本を読んでやることにしよう。でも、キイちゃんは、読んでもらうより、自分でめくることの方に、ただ猛然としたスピードでめくる方に快楽を感じるから、わたしが一行読むと、もう、さっさとめくるでしょう。そうしたら、その次の頁の一行を読んであげる。また、キイちゃんがめくる。それで、よろしい。
高橋源一郎著『悪と闘う』(2010年11月Kindle版、河出書房新社)
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ishiduca · 1 year
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NHKラジオの「高橋源一郎の飛ぶ教室」で著作権法に触れる部分があった、とNHKが謝罪したという記事が新聞の片隅に載っていた。  山本文緒の遺作『無人島のふたり』からの引用が一般に認められる範囲を越えていたというのである。  たまたま私はラジオを聴いていた。たしかに長い朗読だった。内容は著者の死の直前までの日記である。感動的な部分である。高橋源一郎はこの文章に感心した。それを視聴者に伝えたかった。で、長い語りとなったということだろう。  引用を著作権側と相談するとか事前打ち合わせをしてなかったことが問題だった。しかし、考えようである。これがいい宣伝になって、多くの人に読まれるようになればよい。あの朗読を聞いて、久しぶりに山本文緒を読んでみようと言う気になった。
http://housinn-n.cocolog-nifty.com/blog/2022/12/post-d4968d.html
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doggie · 9 months
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わたしの感想は、たった一つだけである。「人間には失敗する権利がある」ということだ。この「失敗する権利」のことを「自由」というのである。
高橋 源一郎『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』
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leomacgivena · 19 days
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学生時代に高橋源一郎や島田雅彦やナンシー関や宝島関係を読んでそっから留学したまんまという浦島太郎からすると,ナンシーはもういないけど他が「老害リベラル」化したことへの実感がない.そりゃツイッター発言はそうなっていても「リアル」の仕事はちゃんとしてるんでしょ,とか思い込んでしまう.
XユーザーのTakashi Hayashiさん
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ashi-yuri · 4 months
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トマス・M・ディッシュ「SFの気恥ずかしさ」
神を信じないあなたが贈るSFへの信仰告白
昨年国書刊行会から出たSF評論集。ディッシュのSF短編集「アジアの岸辺」をむかし読んで、すごく露悪的だし悪意に満ちてるけれど、どこかさわやかなところが印象に残っていたので買って積んでた。
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同業他者の本をこう評す文章が楽しめる人は楽しめるとおもう。わりと楽しかったです。
この本は小説ではなくて治療的読書の英語で書かれた空想である。それが私にはうまく働かない。
ディズニーランドに行った疑り深い人間のように、私はつい本物でない細部に目が向かう。つまり椰子の木のコンクリートの幹だとか、すりきれた人工芝だとか、人造ライオンの生気のないうなり声だとか。しばらくすると旅行者ばかりが気にかかる。つまり、どこのどいつがこんなに手順通りのにせものを楽しめるのだろうか、楽しめるのだとしたら、本物でないから楽しいのだろうか、それとも、とても信じられないが、あえて虚構性に目をつぶっているのだろうか、と。
「SFの気恥ずかしさ」
実験・思弁小説としてではなく、いわゆる大衆小説としてのSF批判なんだと思う。現代日本に置き換えると需要層に向けてもっとピーキーになった「なろう小説」批判に近いように思える。
ただ、ここで批判される子供っぽい欲望や恨みという感情、さらにそれに対する複雑で変わりゆく眼差し自体を消費させながらすごい速度で大量の情報と欲望を集めて、メディアミックスを駆使しテキストをお金集約装置へと変えていくあまりにもファストなシステムを横目で見てると、本編は大衆小説批判としては少し古びてしまった印象
それとはまったく別にSFへの信仰告白としては100点
いまいったようなことは、どれも重要ではないと。そして、結局のところ、こういう調子で締めくくって、どこがいけないのでしょうか?たとえ完全な真実ではなくても、それは良い本をかこうとするものの信仰の祈りでなければならない。わたしはそれを信じます。みなさんもそれを信じるべきなのです。
「アイデア」「壮大なアイデアと行き止まりのスリル」
古今東西のさまざま文学と結びつけ、するどい言葉でさくさく刻んでいくのが読み物として楽しい。個別の作品がわからないので適切な批評かはよくわからない。ポーへの批判がすごい。ディックは高評価。
ポーは昔読んだきりだけど、これ聞いてなるほどと思うとともに、奇想と雰囲気いいのでポーっぽい一人称ホラー短編ゲームは楽しそうと思った。
「ポーのあきれた人生」「テーブルいっぱいのトゥインキー」
ポーとかブラッドベリとかに半分自己嫌悪に近い形で悪口言ってるときのが筆が乗ってていきいきしていて魅力的。以下、ブラッドベリの悪口から引用。
たくさんの大人たちにとってこうした短編は早すぎる埋葬をこうむった十一歳の自分に戻る戸口となり、子供たちは(ずっと昔、私がそうだったように)まるで本物であるかのようにこの魅力にとびつくのだろう。―ホステスのトゥインキーやキャンディー・コーンやストロベリーのクール・エイドが、どれもギラギラと火星のように赤色二号の怪しい光を放って並ぶビュッフェであるかのように。
「レイバーデイグループ」「聖ブラッドベリ祭」
二流作品(ディッシュ評)お焚き上げの会。文章も性格もわるくていいですね。
「ヴィレッジ・エイリアン」「最初の茶番」
ベストセラーとなったUFO連れ去り事件ノンフィクションor小説?についてのフィクション込みの論考。往年の高橋源一郎の文学探偵みたいで、嫌���と紙一重のもってまわった技巧含めて楽しかった。 ディッシュ、すごくSFを愛してるからこそSFづらして出てくるいい加減な作品のこと許せないんだろうな。
「『未知との遭遇』との遭遇」
スピルバーグの未知との遭遇の解題。宇宙戦争とかもそうだけど、結構宗教的だなあと思うスピルバーグをよく説明してくれている。最後の皮肉っぽさ、ディッシュだなという感じ。
それが本当に映画のサブテクストだとしたら、どうしてこんなにヒットしたのだろう。(中略)観客が映画の教訓に感銘を受けたからではなく、迫力ある映像、金色の仔牛としての神という、印象的な神の実像を描いてみせたからだ。我々は神の顔を見たいと渇望しても、神のために狂人になる覚悟はない。大勢の宗教者が狂気は神にいたる道だとくり返し説いてきたが、凡人にできることではない。しかし、それを映画のシミュレーションで見るなら楽しめるし、しかもその映像がSFのお約束のイメージで無菌化されていれば、なおさら考える必要はない。SFはその定義からして、重要なことを決して意味しないのだから。
「SF ゲットーへの案内」
欧米SFをくさすレムに、もっとちゃんと現代欧米SFを読んでくれ!という訴え
ディッシュは無神論者だったらしいけど、全体的にSF信仰を強く感じる。SFの価値を信じてて、SFかくあるべしというのが強固にあるからこそ、各作品をきちんと読んだうえで駄作という批判も傑作という賛辞も強く示していくそういう文章はきらいじゃない。
ディッシュの破綻してしまった人生最後の支離滅裂な小説「The Word of God」が、SFへの殉教だったのかなとSFロマンチストとしては考えてしまうところ。参照Wiki
ところで、マンハッタンについてのインタラクティブテキストであるところの「アムネジア」というテキストADVゲームの脚本書いていたのははじめて知った。
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