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#向田邦子
anamon-book · 1 year
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寺内貫太郎一家 向田邦子 サンケイ ノベルズ サンケイ新聞社出版局 装幀・イラストレーション=横尾忠則
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findareading · 2 years
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読書は、開く前も読んでいる最中もいい気持だが、私は読んでいる途中、あるいは読み終ってから、ぼんやりするのが好きだ。砂地に水がしみ通るように、体のなかになにかがひろがってゆくようで、「幸福」とはこれをいうのかと思うことがある。
向田邦子著「心にしみ通る幸福」(『新装版 夜中の薔薇』2016年3月Kindle版、講談社文庫)
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dotthx · 1 year
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当時珍しかった留守番電話を早い時期に導入していた。機械に慣れない人々が面白いメッセージを多く残したが、中でも秀逸は黒柳徹子で、一分/一通話のシステムでは足りなかったらしく、特有の早口で九通話連続で吹き込まれていたというものであった。しかし用件には全く触れられておらず「後で直に会って話すわね。」という滑稽な伝言であったため、消去せずに保存して来客に聞かせて、もてなしの一つとしていた。
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sekasu2007 · 2 years
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東野幸治、爆笑問題・太田に影響されて向田邦子作品にハマっていると告白「自称・一番最後の向田邦子ファン」
東野幸治、爆笑問題・太田に影響されて向田邦子作品にハマっていると告白「自称・一番最後の向田邦子ファン」 #東野幸治 #向田邦子 #爆笑問題 #太田光 #東野幸治のホンモノラジオ
2023年1月27日放送のABCラジオの番組『東野幸治のホンモノラジオ』(毎週金25:00-26:00)にて、お笑い芸人・東野幸治が、爆笑問題・太田光に影響されて向田邦子作品にハマっていると告白していた。 東野幸治:一番最後の向田邦子ファンとして、自称。 渡辺鐘:はっはっはっ(笑) 東野幸治:ふふ(笑) 渡辺鐘:怒られへ��? 東野幸治:怒られへんよ(笑) 渡辺鐘:ふふ(笑) 東野幸治:爆笑問題の太田さんが、自分の一番好きな小説で、「向田邦子さんが…」って話をしてて。 渡辺鐘:はい。 東野幸治:BSでたまたまそれ見て、今やっと太田光の大学時代にたどり着いた55歳(笑) 渡辺鐘:はっはっはっ(笑) 東野幸治:遅いです(笑)大人になんの遅いわぁ、俺。 渡辺鐘:はっはっはっ(笑) 東野幸治:難しいなぁ(笑)凄いですね、本当に。 https://radsum.com/archives/4007…
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ahao823 · 2 years
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. 來看國小課本收錄的文章 以及寫文章的人 . . #向田邦子 #紀念照 #父親的道歉信 #好書大家讀 #reading #books #bookstagram https://www.instagram.com/p/CmwR_WqPUa5/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 15 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)9月11日(水曜日)参
  通巻第8404 <前日発行>
 グーグルが独禁法裁判で敗訴する日 AT&Tの二の舞になるか
   アメリカの独禁法はグーグルのビジネスモデルを終焉させる
*************************
 検索エンジンから出発したグーグルは、オンラインの広告を寡占し、巨大な存在となった。2007年にユーチューブを買収、翌年にはダブルクリック社を買収し、ネット広告を寡占し、広告料金の30~40%がグーグルの懐に入るビジネスモデルを築き上げた。
あとから親会社アルファベットを設立するというあべこべの企業方式も注目された。 ソフトウェアのプログラミング裁判で係争中が二件、まだ裁判は続行中である。
 アメリカの独禁法は1910年代にスタンダード石油を被告席において、その独占体制を解体させた。石油の採掘、精製、運送、販売の部門に分割され、ロックフェラー帝国は解体されるに至る。
 1940年代のアルコア解体、そして1980年代にはAT&Tが分割となった。弁護士稼業にとって独禁法はディープポケットを狙う稼ぎの場でもある。
 グーグルは分割へ向かって進んでいる、と見て良いだろう。
 2018年にジョージ・ギルダーが『グーグル以後』(LIFE AFTER GOOGLE)を出版したとき、筆者はすぐに原書を取り寄せて読んだ(邦訳は一年後に武田玲子訳で『グーグルの消える日』、SBクリエィティブ)。
すでに五年前にグーグルの運命を論じる評論家がいたのだ。ギルダーは往年のベストセラー『富と貧困の政治学』で論壇を席巻し、その20冊近い著作のうち、六冊が邦訳された論客である。
 さて裁判のゆくえは予測の領域だが、そもそもグーグルの歴史をおってみよう。
 スタンフォード大學で同級生だったラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンはともにユダヤ人。お互いがコンピューと技術の卓越した才能を牽制しあっていたが、或る日、二人の共通目的が一致するとわかり、1998年にガレージで会社を設立した。
この創成期にジェフ・ペゾスらが注目し、またYAHOOも出資したので株式公開のおりYAHOOは840万株を所有していた。ペゾ府は98年に25万ドルを出資し330万株を得たが、それは2017年に310億ドルに化けていた。
 ラリーもセルゲイも両親がコンピュータの専門家で、幼い時から数学に強かった。またセルゲイの両親はロシアからの移住組でセルゲイ自身はロシア国籍も保有している。
 セルゲイの父親は有名な数学者で、六歳の時にアメリカに移住したため、ロシア語をバイリンガルの家庭である。
セルゲィ・ブリンの前妻のニコール・シャナハンはRKJの副大統領候補だった。シャナハンはイーロン・マスクとの不倫関係が報じられ、それがセルゲイとの離婚原因とされたが、真相はわからない。米国のジャーナリズムも有名人のスキャンダル報道では裏付けのないことを報じる。
 その後、紆余曲折をへて創業のラリーとセルゲイは経営から離れた。しかし依然として16%の株主であり、それぞれの個人資産は500億ドル以上といわれる。
 グーグルは組織改編後、アルファベットの子会社となり、CEOもインド人のスンダー・ピチャイとなった。従業員は世界中で18万人。日本支社も千名を超える社員がいる。
 
 ▼中国のオリジナリティを探してみると。。。。。。。
 グーグルは中国に早くから進出したが、『天安門事件』「ダライラマ」などが検察出来なくなり、また保守派からは「中国の圧政に加担している」と批判攻撃を受けた。2010年に正式に中国から撤退したが、生成AIや人工衛星では中国との関係が続いておりトランプからは「中国と協力している」と非難されている。
 テレグラムの創始者兼CEOのバベル・ドゥロフがロシア人であることは前号までにも見た。
世界のネットで防御、脅威の検索と除去、プライバシー保護のソフト企業「カスペルスキー」もロシア人のユージン・カスペルスキーが発明した。かれはKGB出身で、ロシアアカデミーで暗号理論を研究し、ウィルス防御で業績を上げ、このソフトは世界中で使われている。
 つまりロシア人もコンピュータには滅法強く、シリコンバレーと並ぶのである。この点で中国人はアリババもテンセントも百度も、率直に言ってアメリカの猿まねから出発し、独創性が希薄である。
 
 中国のグーグルといわれる百度は、恣意的な選択のため、まともな検索エンジンからは遠く、またフェイスブック、ツィッター、ラインは禁止されている。
 言論を封じ込めるための検索、ネットの監視、ハッカー、フェイクにかけては世界有数の技術をもつ中国だが、オリジナリティに脆弱性がある。
 独走的な技術開発や発明は、自由な思考ができる環境、のびのびと発想が展開できる空間を得なければなしにくいと言える。
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imdingdingdang · 4 months
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诗篇2
             骐驎 铁蹄生焰尾拖尘,风行千里任骁腾。 重返美洲新大陆,不教自由缚缰绳。
           甲午抒怀 飘零书剑意气豪,寰球比邻何曾遥。 我凭赤胆行天下,自信人间大爱曌。
             感时 为祈天道叹倾危,仰天拊膺今古悲。 烈烈红祸国步窘,沉沉黑云世风歪。 此间莫要话政治,当朝工于钳人嘴。 但有压迫须反抗,砰然横空爆惊雷。
题秋瑾女士《黄海舟中》后(其一) 弹剑作歌归去来,承蒙大荒不弃□。 身陷涸辙千秋梦,心驰神州万里陲。 拯时在即当效力,匡世有需敢无为? 中华儿女多壮志,滔滔激浪问英才。
题秋瑾女士《黄海舟中》后(其二) 百年离乱云蔽晖,嗟我禹域多难灾。 铁枭屠亚颠成败,蟊贼窃国混是非。 连心手足顾疆藏,一体血肉念港台。 两字中华千钧重,力将狂澜再挽回。
             纪梦 国梦悠悠预之先,借得神兵下九天。 卧龙抚剑殚多少,跃马请缨策八千。 东穷旭日瀚海际,西绝长风昆仑巅。 澄我华夏庄严地,再归林泉罔少年。
           告同胞书 混沌歧途曳彷徨,天地人间两茫茫。 祚争沉浮尔马列,事关兴亡我炎黄。 虽有五鬼足乱华,再无紫阳可耀邦。 海外赤子多悲心,烈缺九评现光芒。
            天龙赋 迎飙穿云居重霄,霄纵九亿万丈高。 磞硠滚雷震英雄,熠煜掣电曜天骄。 啸吟千峰兹气壮,腾舞半空此心豪。 为将真理扬东土,冲入瀛海鞭怒涛。
             励志 皓皓白日曌青冥,壮思乘风万里行。 回望中原金雕举,来仪斯世彩凤鸣。 我有四海遍兄弟,我有五洲皆知音。 但使民约大归心,不向茅庐纸谈兵。
             长城 东方有硕举世雄,巍巍筑我民族魂。 长河入海潮起落,神龙连天气吐吞。 下顾颓朝非盛世,此去险途更鹏程。 一念天下民之任,岂容邪教惑妖氛!
             写怀 遗世佳人独立侠,对月起舞弄长铗。 蝇咂鼠攫不可赦,戾政邪治罪当伐。 振把新知革敝俗,奋将民权烨中华。 何当倚天诛毒龙,环球一家自由达。
             元旦 一自洪荒划九州,悠悠五千春与秋。 眼中棋局已维谷,海内国运孰中流。 堪唾时弊不可救,幸喜宪政所同求。 万古霸史将翻去,人间巨作乃自由。
         示友 大道难申展,党国非民国。 赤霾障目下,青天白日何?
         感赋 涂足尘埃里,奉诗以鸣皋。 所有一腔爱,横天铸宝刀。
    金石君致力基督传教有赠 漫漫远航启,如日方东隅。 国难堕泞淖,明德思琼琚。 不经砺与炼,怎配七尺躯。 加油好男儿,勠力天下须!
         民觉 虐政如饕餮,夫子言无差。 四海豢走狗,五毛趋噪鸦。 楚楚鹰犬恶,堂堂鬼魅猾。 人非牛与马,习焉而未察。
         天罚 皇军八千万,苏维之余埃。 在野备胎众,为官脑肠肥。 凶器“铁血”溅,巧言“环球”飞。 垂死猖狂甚,天灭红袍贼。
             义愤 民之灾愆国之殇,一自马列驻我邦。 此心所欲天地鉴,为求日月复明光。
             出塞 激流砥砺沧浪寒,奉请真理做心磐。 天道邪岂能压正,一马肝胆勇向前!
           七绝其一 苛政不公民不平,恣睢无忌触怒霆。 请教国策求利器,复还乾坤清与明。
           七绝其二 身隐兰皋漫修韬,把茗夜思中山樵。 前辈遗业忍轻弃,会当新华换旌旄。
           七绝其三 大道夙夜为国筹,风骨甘为孺子牛。 有朝太平问世日,再看江山绘金瓯。
             复友 …… 绵延浩气承日月,激烈壮怀驱龙蛇。 已有先导千载拓,更需吾辈万里搏。 ……
             省思 噩梦未觉生亦灰,皦日惊破鸿蒙开。 万姓奴役身心木,举国愚化子孙哀。 百无一是唯党是,灭德立违诸善违。 披沥上陈斯微语,省察邪教真道哉。
             天刑 莽荡龙战海天西,声振太霄众星移。 大爱无疆岂能灭,自由万岁不可羁。 怵惕酷政封民瘼,慷慨环宇兴义旗。 赤魔不除人类患,与天为盟共诛殛。
           时闻有感 振臂有言疾一呼,除了翻墙无可抒。 朝嘉实话留学女,夕绥港星治下奴。 泱泱苏联复临世,浩浩航母又试浮。 堪叹我教洗脑功,激奋群情好模糊。
           朝登岵岳 壮气玄黄弥太空,截峰为躯谷为胸。 身安荒峦迎风立,神飞长天与日横。 磨剑故园谢君伴,萃英九州知谁同。 历劫万千终不改,浮云安屈我昆仑。
             暴政 街警执大棒,网民囿高墙。 镇内鞭其行,防外灭其想。
         暗袭 孤立台交陷海峡,饮马香江踏荆花。 呼我九夏博大地,遭劫于此遏荒沙。
             生辰 翠屏天降郁葱葱,久怀登临慕长松。 飞云瀑下绝壁挂,铁索栏外乱石奔。 遥知前路艰难甚,终须不空负此行。 临巘毋忘所来径,当谢千花祝东风。
赴杭州送友留洋西湖畔诸君索句 久已词笔疏红牙,为饯诸谊感梦华。 适过钱塘女儿墓,犹思灵隐山中茶。 永福党下无妙法,西湖依旧好烟霞。 此去玄奘朝圣地,听取自由大乘筏。
             惊愤 逆党排华匪气骄,为逐蚁民借火烧。 帝都贫庶驱若狗,皇城幼儿虎口羔。 榨尽血汗赶将去,丧尽天良鬼辟谣。 低端上流祸政下,通国无人能幸逃。
             怳惘 老幼不宁钓丝惊,其名美曰时代新。 国无人权拜于党,党有人权论在京。 猎鹿裹足饲恶虎,鱼肉哑口哺贪蝇。 往日“美帝”逢灾庆,今朝天朝盛会禁止评。
             时评 为称霸主运深谋,第六国际大出头。 才宴政党号世界,又办网会曰全球。 厉鬼幻化讲人道,井蛙做梦说自由。 新装毕裸万邦贺,扫过流民一片愁。
             倡义 巍哉中华有何缺,广有灵气多俊杰。 尔来全地蒙剧痛,如此苍生遭大劫。 岂可甘心侍宵小,决不认命屈妖邪。 天赋尊严与生俱,高举民权与之绝!
             挞伐 红匪窃国为家私,蚁萃鸱张任所之。 盘踞宇内横戕虐,附体函夏悍鞭笞。 晦夜无光万恶聚,腐水久阴百孽孳。 今此罪贯满盈日,正是其命作古时。
             维新 一派民怨载邦闾,正好升平庆无虞。 逆流到头文明唾,通衢无阻大势趋。 舆情旨在督失政,人权为保受害需。 万里长城凝众志,天命鼎新破旧局。
             正道 红荒遗害盖地余,及时甘霖祛污泥。 光大初心星八万,昌明乾坤梦若而。 承恩天道仰人道,保障民生赖民权。 东方睡狮已苏醒,迎来春回诸焕然。
留迹于某老课本贴吧被删,外二首 生涯骨感忆蒙学,一片青壮叹老也。 睃眼个中之私货,摧残我等小花朵。
校内僵化国子监,校外魔鬼培训班。 一朝卒业淘汰去,可怜父母血汗钱。
逐梯应试至终端,出身娱乐儒林间。 承蒙红党再造恩,二考荣升公务官。
         戊戌维权事件 明劫暗掠层盘剥,中华百姓不可活。 新揭千竿横幅起,上书尊严不可夺!
      “新时代”之怪现状 朝呼故旧不应人,夕闻疯魔乱砍人。 何事人心荒如此!国本不国人非人。
          白手套之死 民脂国库有鲸吞,输血魔窟掩真凶。 此间知情即是罪,为封其口灭帮佣。
            国权抒 悉将土滨奉一人,五千高寿官欺民。 浩荡时势不可逆,天下为公大道行。
            历史抒 故事因循未转机,万岁城头易王旗。 而有国蠹狂如此,是以苍生哀于斯。 挥散烟云氛埃肃,起看明阳光荣施。 昭昭民权天赋予,安排真知凝共识。
         革命抒(之一) 百纪沉沦感苍茫,借天雷电破大荒。 人权无价民之本,法律至上国之梁。 不能安居遑论富,似此奴役何谈强。 亟起风云九万里,只认自由是吾乡。
         革命抒(之二) 江山如此祸未休,如此江山能不忧! 萧条民生谁之过,飘摇国计党比周。 十载长歌述自省,百万劲旅呼同仇。 共举无敌新宪器,重把沉沦危局收。
         民主抒(之一) 江山民主与旧殊,兴国公民须匹夫。 陆沉魔掌同胞难,长啸我闻轩辕哭。 来者宪政遍世界,去他马列归空无。 曙光新放诚在望,共传圣火煜吾族。
         民主抒(之二) 安得剑斩冰崖消?滔天一震涨怒潮! 莽莽旧制寿当暮,朗朗新宪永如朝。 太息神州以吾爱,重整山河有旌招。 何以救国于万岁?唯此民主是航标!
            董瑶琼 琼瑶小家女,义勇惭须眉。 墨泼魔王像,感召讨国贼。
       时感口号 聊天监微信,发文删贴吧。 料得文革再,乐见贸易罚。 噩梦终憬悟,文明已萌芽。 欲自救个我,当共济国家!
          Alita,观影 撒冷强食弱肉畸,降生沸汤烹肉糜。 上有铁律压与掠,下无人道诓更欺。 可喜姽婳渐已醒,非彼天坠不可医。 剑指魔王呼正义,还我日曜宇天熙!
            年后杂言 万马齐喑哑,道路唯以目。 君可见数省打砸掘墓剖棺焚尸处? 君可见多地又现“红袖标卫兵”否? 苞谷贱粜七毛五,官家收去利饱足。 逼出田园挤入城,卖身为奴贡献十三五。 呜呼!一年总算完,衣锦还乡过个年。 年景多艰难,盼头依旧满春联。 一番麻醉休整再出发,如此年年复年年。 萧索最是今年节,冷清酒肉并烟火。 经济衰退薪尚欠,日子难过年易过。 无聊此心,何以填充?有快手抖音。 好个显摆晒满屏,好个治国法宝艳女唱后庭。
           箴言(一) 痛将自由之炬搴,播撒火种向此寰。 先有个我觉人本,后有国家为多元。 党禁党虐且共产,民治民有更安澜。 通天无路沦地狱,起来人民解倒悬!
           箴言(二) 前进进前步铿锵,唤醒久跪齐首昂。 我鞭愚蛮及全域,我歌文明跨五洋。 人手一票择优善,鼎足多党制嚣张。 神州不是奴隶场,可把此诗入宪章。
           箴言(三) 暴秦积怨云怒号,欢呼宪政止旧朝。 自上而下粪蛆附,由下及上金沙淘。 党政军前人魔变,议政法侧现津桥。 国有救星乃民主,监缚霸权于笼牢。
           箴言(四) 何当为国筑利闸?愿撷真理如是答。 能选能劾绝舞弊,敢言敢抗有鞭挝。 巍巍权利不可犯,浩浩尊严岂能铩。 山河有缺穹未补,持此金石祭女娲。
             反歌 千年陈尸诗剑剖,荣把天光长歌讴。 识破满朝画皮伎,引进普世之嘉猷。 西去东物堪对等,东来西物难比侔。 人间万般多良友,除却暴政是仇雠。
             民歌 民有祖国无安居,身在中华沦陷区。 上奉狼道唯霸凌,下好奴性惯阿谀。 天降春雷惊蛰启,法授自由不再拘。 平权等利同机会,挽起新政塑旧墟!
             凯歌 为安天地日月挟,崛起义师伐纣桀。 弱水三千黜左术,只取一瓢尊宪哲。 若不天下为己任,何来权利履民责。 至道所向声响应,挝鼓助捷振金铎。
             国歌 蒙羞文明外,雪耻以开蒙。 公民只两字,合格鼎万钧。
       “扫黑除恶”运动 大厦将倾倩谁扶?巧立名目此蛊毒。 一刀劫富一刀霸,恫吓阶下亿万仆。
    偶感破格,寄言体制内者 振兴终须覆弊制,维新首当革愚思。 一梦槐南犹未迟,共填地狱裂云石。
            分权篇 为阻国政沦私房,析分三权相与防。 阿房不倒民不立,元首有约始敦煌。
            制军篇 非王非党非军阀,军权坼政分而辖。 虎狼阅兵意威慑,可怜屁民难自拔。
            平等篇 贫富无所限,官民同此标。 机会为我备,权益向我昭。
            民主篇 西方传公器,乃器千古磨。 蠹政明镜鉴,害民宝剑觉。 因之自由瀚,是以尊严峨。 江山谁与主?民主天地谐!
            人权篇 进为吴钩退兜鍪,吾权吾利吾政投。 公民法定磊而磊,尊荣天赋赳其赳。 千载专制满屈辱,一朝民主雪耻羞。 文明如日必普世,亚非拉与澳美欧!
            选举篇 天下为公岂容侵,腾挪江山扼要津。 剔除国蛀肃妖党,自有栋梁出茂林。 官场即今去场字,天道只合正义赢。 民选公仆官亦民,联通昆仑与沧溟。
            法制篇 瞻彼日月星三辰,辰列无上之昊穹。 天具设计故奥妙,国需创制始至臻。 巍哉法治替专断,壮乎指南司元戎。 但得人民获护盾,不吝雷霆使彰弘。
            党竞篇 象为标志驴作徽,开放异见供栽培。 与民请命甄而选,为己服务滤以筛。 我票主我杜跋扈,他党排他防自肥。 国宪秉国安天地,先亡邪共大独裁!
            自由篇 万世众望以宪镌,更始诗谱自由篇。 源于我思故杲杲,基于自治乃拳拳。 香江浣海值抗暴,玉山通天可申言。 唯有九夏尽解放,五洋归主济云帆。
            宪政篇 神爱世人造亚当,东方一脉传炎黄。 祖登昆仑划舆地,两河上下兴家邦。 尔来四千八百载,莽荒旧制未曾改。 不得人之为人尊,生民但有奴与跪。 辛亥转机悲夭折,一朝赤魔侵我国。 江山遭劫无颜色,多少血泪流成河。 为救中华昏睡狮,天启普世真价值。 法治国家民主政,保障自由人权之。 新天有望须政宪,收拾山河新颜换。 十亿宝剑呼新人,一举击破邪灵散。 邪灵烟消纪元新,四海五洲皆朋宾。 生当昂首与阔步,日月昭焕文明旌。 弘新知为道正信为爱兮,天意诛伐。 驱逐百年来附国邪教兮,还我中华。 上赞美我天父上帝之大能与荣耀兮, 下讴歌我手足同胞联袂天下于一家。
      破阵子·登阁 无主中原谁土,空嗟北西一陬。 苍生涂炭何以立,江山信美终难留。天地此恨悠。
犁新东土丰壤,汤风叱驭周求。 八千大刀镮铭志,十万云中军伴游。誓师从此楼。
             浪淘沙 江山谁纵横,还在我氓。 夐古专制费长征。但得一朝民智启,虎跃龙腾。
天地人日臻,爱结同盟。 和平理性以争锋。不信朽木不倒耳,一举功成。
             临江仙 故国沉睡悲胸臆,茫茫星暗云昏。 文明普世无西东。谁能遮旭日,一照天下同。
君有权利凛然也,觉醒即为战功。 海陆广大岁月洪。属我正之义,归我万民群。
             小重山 毒蛛长线连中枢。日新洗脑网,君跳出。 亦如厉鬼画人肤。恶贯满,天谴必祛逐。
邪恶正义除!我思而自主,剑昆吾。 法尊民贵换舆图。自由者:有权如是摅!
             南乡子 专政致愚迷,世有沉痼国有疾。 万般阴郁皆魔障,何医?除非行宪共传檄。
宪制信无敌,架海抟疆连八极。 炫燿辉荣弗远矣,可期,文明圣火永不熄!
             酹江月 国脉如此,几人是、堪鸣不平英物。 隔断文明仇外界,深囿高墙网壁。 大谎瞒天,长鞭斫地,奴耻如何雪? 难得领袖,“公民”即是雄杰。
毋负万里山河,正千秋其时,智启蒙发。 世间新陈总代谢,除却正义不灭。 昭彰尊严,光大生命,快意冲冠发。 非痴语也,众志能举日月!
             望海潮 依杳山岛,飘渺海蜃,激扬战浪惊潮。 牛斗冲天,鱼龙潜水,孰与斩鳄射蛟。 征帆需撼摇。望泱漭天际,万顷纤毫。 萧瑟秋风,涌起星月洗寒涛。
千古高歌离骚。解胸中块垒,岂是酒浇。 奔雷怒操,龙泉狂吼,羞与腐败同曹。 桀纣终一毛。有虹气吞吐,汗漫长飙。 异日波平海晏,骑鲸再遊遨。
             沁园春 悲夫红朝,阴天晦夜,恶行邪藏。 是民受沥髓,驱为牛马,官之捶骨,养成豺狼。 求美不能,求真未允,求善何以制凶狂? 共人类,举倚天长剑,诛赤魔亡!
公民新知武装。看文明锦绣我东方。 但法替人治,爱必彪炳,民为国主,义必伸张。 解放自由,回归权利,巍巍众望劲且刚。 为明日,请宪政圣火,播扬华光!
             满江红 世界潮流,纵歧阻、天与捭阖。 唤神州、十亿儿女,铸心伏魔。 山河呼应群情伟,日月添助中肠热。 速醒觉、解脱此幽笼,冲天鹤。
邪教冤,凭爱雪;专制恶,以宪灭。 引人间真谛,弘传情切。 千载屈膝祈硬骨,百年奴役盼活血。 谢云龙、腾起大纪元,风雷烈。
            水调歌头 腾转风云翼,周览我河山。 抟扶直上,极目九万里方圆。 因之庄严上意,而有可为人事,耳畔忽鸣鸾。 大道虽漫漫,秉心犹可攀。
开鸿烈,创新制,补缺残。 中华鼎兴在望,紫气氲威严。 余既滋兰九畹,又树蕙之百亩,不问但顺天。 相信以此爱,赢得寰宇安!
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lgbtqromance · 7 months
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巨棒教练
阿豪一直暗恋著阿德老师,只要是与阿德独处的时候,他就会毫不知羞的去勾引血气方刚的阿德老师,但是除了阿德老师之外,阿豪似乎还不甚敢用这样的方法去对其他体育老师,所以他和阿德老师只能偷偷摸摸的偷情。
阿豪勾引阿德老师的方式千奇百怪,像现在,阿豪藉著到水给阿德喝,偷偷的弯腰爱抚阿德牛仔裤里的硕大鸡巴,因为还有其他老师在体育室內,虽然没有人注视著他们,但是他还是红了脸。慾望和羞愧混杂著。
「唔……」阿德老师再也受不了,他必须现在就发泄。
他趁著体育老师们转过头处理自己的事时,一把將阿豪压进办公桌前下方的空处,拉起椅子向前靠紧,將阿豪完全几在自己放脚的地方。然后阿德拉开了自己的拉链,掏出自己胀红的大屌,马眼还分泌著大量的前列线液,要阿豪在还有人在现场的情况下,帮他口交。
阿豪笑得很淫荡,觉得这真是刺激极了。现在体育室內还有篮球老师阿海,田径老师建群,这两个男人也都是壮硕的男人,隨然现在他们没有发现,但是阿豪似乎期待著他们能发现。
阿豪低下头,张嘴含进他已经很熟悉的阳具,茎干上的青筋他都很清楚那分佈位置。努力的吞没吞没,直到阿德老师的睪丸碰触到阿豪的下顎。灵活的舌头舔弄著。阿豪慾火焚身,他自己的手也开始搓揉自己的胸部。
阿德努力压抑自己的喘气,这实在是太刺激了,这么明目张胆的偷情,这段时间他最常在游泳池旁干阿豪,可是都不如现在的刺机与紧张,他感觉到阿豪的嘴比往常更湿热,而自己的阳具也涨的比平常更大。
更紧张的事情来临了,阿海老师走近自己的办公桌,看见阿德的脸色很红,「阿德老师,你没事吧?」
阿德勉强挥动大手,「我没……事!」该死的阿豪,他竟然这么用力搓揉他的睪丸。下有阿豪的攻击,前有外人的注视,阿德感觉自己已经逼近爆发了。
建群老师转过身来,「阿豪呢?他在哪里?我有事情要拜託他?」阿德嚇了一跳,但连忙镇静下来,「他……有事出去了!」
「出去啦!我这事很急耶,算了,我去找他吧!」建群老师头也不回的走出门。
过一会,阿海老师脱下自己的运动外套,露出健壮的胸膛,「我去上课囉!阿德老师!」
就在阿海踏出门的那一瞬间,阿德的鸡巴在阿豪嘴里涨到最大状態,浓烈的精液全射进阿豪口中。阿德的双手重重搥及桌子,大大的喘了一口气。阿豪面带微笑的钻出桌子下,嘴里的精液多到让他吞也不是,不吞也不是,只得吐出一些在手掌上。
这只是阿豪与阿德偷情的其中一幕,照理说,有一个这么壮硕的泡友,他的阳具又是这么粗大,阿豪应该很满足了。可是让他无奈的是,阿德不可能天天陪著他,阿德有在游泳池兼职教人游泳,一星期的星期四五总不在学校,可是阿豪的慾望是撑不过这两天的。於是,他开始注意其他的体育老师。
另一位让他注意的,就是现在走进办公室的另一个壮硕男人,棒球队的正平教练。当然,今天也是阿德不在学校的日子。穿著紧身棒球衣的正平教练走了进来,没看著阿豪就走到他自己的办公桌休息。阿豪偷偷注视著正平教练,觉得这个男人有著不亚於阿德的壮硕。正平教练今年二十七岁,才刚刚结婚,可是正平教练的老婆在美国读书,如此壮硕的男人,怎能让他床榻空虚呢?
正平教练的裤子似乎太过紧身了,他的跨下大的像是塞个碗在裤子里一般,看著正平教练的壮硕,虽然正平教练长的不若阿德俊帅,但是也有一种特殊的男人味。阿豪光是看著,就感觉到鸡巴硬了起来。
他想要正平教练用他握棒球棒的粗大手掌,暴力的揉搓他的鸡巴,他想要正平教练用他跑垒用的双腿,如同强暴般的撑开他的双腿,让他那「大球棒」来灌满阿豪的小穴……
「阿豪!阿豪!你怎么了?」正平教练背起背袋,站在阿豪面前看著阿豪的呆楞。
「我今天不再进办公室了,我会一直待在球场,如果有人问,你就这样告诉他。」得到阿豪的点头,正平教练很满意的离开。
「球场……」阿豪喃喃著。在球场做爱,一定很刺激……
下午五点五十分,正平教练在棒球场带著子弟兵一起练球,一天的训练就快要结束了。阿豪站在一旁的树丛里,望著球场內正平教练自己投球给自己挥棒,击出球要队员练习接杀,看著正平教练狂吼著指挥这些学生球员练习,他甚至亲自带著学生跑球场练习体力。这一幕一幕都让阿豪沈迷於正平教练的男性阳刚。
跑步中的正平教练,两条粗壮的大腿在举起放下间展现出惊人的腿肌,两腿交合的跨下也隆起著惊人的画面。正平已经脱下球衣了,跟著所有学生一起赤裸著上身,让壮硕的肌肉在夕阳中飞舞。成熟男人的正平教练与这些毛头小伙子真是差距甚远。
跑完了好几圈,今天的练习也结束了。正平教练將所有学生集合好,对他们训一训话,之后就放他们回家了。归心似箭的学生一哄而散,不一会儿,整个棒球场包括练习室,只剩下正平教练在收拾自己的东西了。
正平教练像是累极了一般,连上衣都还没穿上,靠著一旁的长凳就整个人先躺下来休息。他的手屈著压在自己的额上,眼睛闭著想好好休息一下。看著这个画面的阿豪,开始移动身子从暗处走向球员休息室,来到正平教练的身旁。正平教练的胸膛很结实壮硕,特別是手臂的肌肉大的惊人,果然是靠手臂吃饭的棒球员。阿豪摒著息,伸出手想试试他的肌肉。阿豪发现正平教练竟然睡的这么熟,当自己的手抚摸著正平教练的乳头时,他只是微微颤抖一下,没有更多的动作。
看著正平教练睡的这么熟,这可壮足了阿豪的胆。他的手从胸膛,来到正平教练肌理分明的腹肌,再往下,来到正平教练的男性性徵。虽然只是隔著球裤,而据他瞭解,棒球员都会穿一件裤襠,但是阿豪仍旧可以感觉到正平教练的硕大。最让阿豪惊讶的是,还在未勃起状態,软软的阳具竟然就已经抵到正平教练的裤腰带,阿豪渴望的想像著,结过婚的男人果然更有「內涵」。
阿豪轻轻的,企图不打扰的想探知正平教练的「重武器」,他伸出手,缓缓的拉下正平教练的裤拉链,果然,里面还穿著一件护襠,可是正平教练的鸡巴太肥厚了,导致已经露出一节在护襠外。阿豪心一横,收出手將正平教练的阳具完全拉了出来。但是这个大动作可稍稍惊动了正平教练,正平教练低呼一声,阿豪嚇了一跳弯下腰去。却在发现正平教练没有继续的动作之后,再度振起身来,看著这根「大球棒」。
阿豪惊嘆一声。真是大啊!他无法自己赶紧將鸡巴握起,將那颗大龟头塞进嘴中来回抽动,直到阳具完全勃起,阿豪將阳具吐了出来,想好好端详完全勃起的阳具有多大。虽然正平教练不比阿德老师长,大概只有二十三分公分,但是那七公分的厚度可是扎扎实实的。无怪乎每次他看到正平老师跨下总是觉得真是大的嚇人。
阿豪继续吞没正平教练的阳具,想嚐嚐他的精液味道,跟阿德老师的像不像。他喜欢帮男人口交,也喜欢被干。但若相较之下,他更爱前者,因为那可以掌握男人的高潮。就在阿豪持续吞吐著这根巨大肉棒时,正平教练已经完全清醒了。
正平教练明显的是嚇了一大跳,阿豪不好意思的吐出他湿淋淋的巨蟒,从正平老师的马眼还牵起一条曖昧的丝到阿豪的嘴。
正平教练惊讶极了,「阿豪……」
阿豪站起身,���引似的用自己的胸肌正平教练,若隱若现的乳香让正平教练心盪神驰,但他还是努力自持著,「阿豪……我已经结婚了 阿豪撇唇一笑,「正平教练,你需要发泄,」阿豪咱著他怒张的大龟头向昂首吐信的蛇,「不是吗?」
阿豪用自己的胸肌夹住正平教练的阳具,那一颗湿淋淋的大龟头就露在胸肌之间,抵著阿豪的下顎,这可让正平教练喘了起来,那根被夹住的阳具明显的青筋跳动。阿豪说,「而我也需要一根大鸡巴来干我!」
正平教练虚弱一笑,「你都是这样勾引男人吗?」他说的没错,他的妻子两个月才回来一次,距离上一次射精虽然是昨天,不过那可是因为太久没做了而梦遗。
阿豪笑著,放开正平教练的鸡巴,很满意的看著鸡巴涨到紫红色的状態,「那可不,到现在我只有跟阿德老师做过!」
「阿德那小子!」正平教练深吸一口气,看著阿豪脱去他全身的衣服,只剩下一件红色丁字裤。该死,他只是个正常男人,他已经忍不住了!
他一把抱住赤裸的阿豪,首先就暴虐似的亲吻著他,带茧的手掌搓揉著阿豪的奶,带给他一阵电流。阿豪大声的呻吟著,果然如他想的,正平教练的手相当有力。他需要正平教练用他挥击全垒打的手蹂躪著他,而球棒就是正平教练的老二。
突然,阿豪像想到什么似的,「等等,正平教练!」
正平教练喘了一口气停了下来。阿豪开口问他,「你有强暴过男人吗?」看著正平教练摇著的头,阿豪继续说道:「我要你强暴我,不是干我,不只是对我插穴,你要让我达到羞愧的高潮!」他早就想嚐嚐那种毫不怜惜的姦淫,可以带著他达到怎样的高潮。
正平教练並不知道该怎么做,但是施展暴力本就是男人的天分,更何况A片正平教练也看了不少。他抽掉自己的皮带,抱起阿豪来到墙角,將阿豪双手绑在窗户的栏杆上。他顺手脱去阿豪的內裤,很满意的看这硬邦邦的龟头分泌出润滑汁液。
男人本就是野兽的化身,而男人的阳具就是证据。平素憨直的正平教练现在正淫秽的看著阿豪的躯体,一只大手伸出手指探著阿豪又湿又热的大屌,一支大手套弄著自己的阳具。他刺进阿豪的肛门的手只彷彿探到一个点,那个点可以让阿豪全身颤抖。正平教练知道,这是阿豪的高潮点。
正平教练將阿豪翻过身来,用自己的阳具对准阿豪,「我喜欢用这个姿势,像是干只狗一样,你是我的母狗。」硕大的鸡巴的龟头首先发难,如入无人之境一般的进入阿豪,后头的茎干隨即跟上,不一会儿,正平教练的腹部已经完全贴齐阿豪的背脊,而正平教练粗壮的大腿如阿豪所想的一般壮硕,现在正夹住阿豪的腿。
什么样叫做强暴呢?正平教练其实也不知道,但是强暴应该是不顾他人意愿吧!正平教练完全不等阿豪还没准备好,完全不在乎阿豪还无法適应正平教练过渡粗大的阳具快要撑伤了他的肛门,毫无预警的狂烈的抽插起来。
「啊……痛啊……」阿豪不敢想像,正平教练真的太过粗大了,他已经完全撑开了他的小穴,这感觉很难已形容,明明很痛,但却很让他期待接下来的发展。
「公狗,你竟敢勾引一只野狼,你自食恶果!」正平教练在他耳朵边说道,「我要干死你!」
「正平教练,正平教练……」阿豪陷入狂乱,至此,已经完全听不出他到底是在哭泣还是在呻吟。
肥大的阳具每一次都是这么的凶猛,直直的撞倒最深处在抽出直到只剩龟头在里面,然后在毫无欲警的猛烈刺进。阿豪的背脊一阵猛烈的颤抖,今天的第一阵高潮来了。
这高潮来的比平常还猛,猛烈到淫水淫水是用喷射的,完全喷洒在正平教练的龟头上,但是却被正平教练接踵而来的刺进给完全挤了回来,宣泄不出去的淫水,和正平教练粗大的阳具,一併再度点燃阿豪最深处的慾火,不到五分钟,阿豪第二次高潮又来了。
彷彿歷史重演一般,淫水和阳具的抽插让阿豪的慾望完全平息不下来,更加速了第三次高潮的来临。第四次,第五次,第六次……都发生在短短不到十分钟之內!
阿豪的声音像是哭泣,又像是渴望,「正平教练……你怎么……还不射……」
正平教练淫淫一笑,「你不该勾引我的,你这只公狗怎知道一只野狼的慾望,连我老婆都不太敢跟我上床,从勃起到射精,没个四十分钟不能解决,第二次射精那就更久了!」
正平教练用力抱紧阿豪的腹部,並且用力的挤压,他像是在捣桩一般干著这个穴,用他的阳具將这个穴塞的紧紧的,连正平教练都可以感觉到,阿豪的淫水被自己给挡住完全无法宣泄,他的大龟头像是泡在���水里一般。
「我……我……我不行了……」阿豪再次大吼,他真不敢相信,自己竟然已经到达了第九次高潮。他一直以为自己已经上不去了,但正平教练阳具的魔力,让一切都成为可能。
那一道又一道的淫水包围著正平教练的大龟头,麻痒已经开始攀升,正平教练知道,快来了,自己的高潮快来了。他抽插的更猛烈,几乎像是在机器在打桩一般,终於,大量且浓烈的精液决堤而出,混杂著阿豪的淫水,一起喷向阿豪的直肠里去。
一道,两道,三道……正平教练足足射了有三十秒之久,而阿豪早就已经昏了过去!
正平教练抽搐自己的阳具,整根鸡巴湿漉漉的,马眼还带著一滴精液,正平教练用阿豪丟在一旁的內裤擦拭自己的阳具,却发现自己刚射精的鸡巴又再度涨起来。
正平教练解开阿豪的手上的皮带,抱起阿豪,这时候,大量的淫水流了出来,在地上积成一洼水滩。「淫盪的公狗!」
正平教练將阿豪放在地上,整个人跨坐在阿豪的身上,等著阿豪醒来。他以为,按照自己过去跟自己妻子做爱的经验,阿豪没睡上一个钟头是起不来的。但是出乎他意料的,阿豪不一会就醒了过来,刚睁眼就看见正平教练的鸡巴,像是没射过精液一般完全勃起在他面前。
天啊!他到底招惹上什么男人,这男人性慾太强了吧!
正平教练笑道,用自己的龟头再度对准阿豪的肛门口,他要再干他一次!「你很耐干!以后我会常常找你做爱,当然,可以考虑考虑跟阿德一起干你!他那小子的老二也是很惊人。」突然又猛的捅了进去。
阿豪来不及反应,只得再次恩恩唉唉的呻吟著。而这一次,正平教练又得干多久呢?
他也不知道,只知道,以后有得享受了!
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kennak · 15 days
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1985年の日航ジャンボ機墜落事故から8月12日で39年になる。 当時、機体の残骸が散乱する現場で描かれた“3つのイラスト”がある。公式の事故調査報告書には記載されていない、非公式な資料のひとつで、アメリカの当局者が名刺の裏に描き、日本側に渡したものだ。 このイラストは、のちに事故原因の“核心”となるボーイング社の「修理ミス」を示唆するものだった。乗客乗員524人を乗せたジャンボ機が墜落した原因はどこにあるのか、日本の当局が特定できずにいた調査初期のころにイラストは描かれた。 藤原氏がアメリカ側から受け取ったイラスト(原本のコピー) 事故の“核心”伝えたアメリカ人 アメリカ側からイラストを受け取ったのは、当時 運輸省航空事故調査委員会の事故調査官だった藤原洋氏だ。 筆者は、藤原氏への取材の中で、名刺の裏に描かれたイラストの「原本」を見せてもらった。藤原氏は日本側の現地調査を仕切る立場にあった。機体後部の「圧力隔壁」が壊れたことに注目していたが、なぜそうなったのかまだわからない段階だった。墜落事故から10日ほど経ったある日、現場でひとりのアメリカ人に呼び止められたという。 1985年8月の事故現場 パノラマ撮影が出来ず連続写真で現場を撮影(藤原氏資料) 藤原洋・元事故調査官 「ちょっと、ちょっとという、こういう感じ。今、隔壁を一生懸命やっているけれどもこうなっているのを疑っている、と彼が言い出した」 藤原洋氏(2005年撮影) 藤原氏に声を掛けたのは、米大統領直轄の組織 NTSB=国家運輸安全委員会の調査官、ロン・シュリード氏だった。当時、アメリカはNTSB、FAA(米連邦航空局)、ボーイング社で構成する合同調査団を日本に派遣していた。 航空機の製造国であるアメリカは、ひとたび事故が起これば、今でも世界各地にこうしたチームを派遣している。シュリード氏は、その一員として御巣鷹の現場にいたのだった。 しりもち事故と“お椀型の壁”修理 墜落したボーイング747型機は、事故の7年前に大阪空港で機体後部を地面に打ち付ける「しりもち事故」を起こしていた。この時、機体後部の「圧力隔壁」が損傷し、ボーイング社の作業チームが来日して修理を行っていた。 航空機は気圧が低く酸素が薄い高度を飛ぶため、客室内は地上と同じレベルまで気圧を上げている。「圧力隔壁」は気圧が低い場所から客室を守る“お椀型の壁”のことを指す。ボーイング社による修理は、壊れた隔壁の下半分を新品と交換するものだった。 ボーイング社の修理指示書には、上と下の隔壁の間に1枚の「継ぎ板」をはさみ、2列のリベット(鋲=びょう)を打ってつなぐことが記されていた。しかし、実際には「継ぎ板」が途中で2枚にカットされていた。これによりリベットは1列しか効かず、強度は不足。金属疲労が進み隔壁破壊に至ったとされている。 シュリード氏が描いた3つのイラストは、隔壁の断面を簡潔に示していた。1枚目は「正常な隔壁」2枚目は「正しく修理された場合の隔壁」そして3枚目に、事故機の隔壁の「継ぎ板」が途中で切れていることを“点線”で表現していた。 シュリード氏が藤原氏に渡した3つのイラスト(原本のコピー) アメリカ側が修理ミスを示唆したイラスト(説明字幕を除く) 説明を聞いた藤原氏は… 藤原洋・元事故調査官 「(隔壁を)外からみていてもわからない。なんでそんなことまで知っているの?」 翌日から藤原氏は、昼食時も「隔壁」のそばに座り、残骸を眺めていたという。しかしシュリード氏が描いた「修理ミス」の痕跡はわからなかった。継ぎ目にシールが施されるなどしていたためだ。 藤原洋・元事故調査官 「我々の知らない情報を(アメリカは)持ってるんじゃないかなという感じは持ちましたがそれ以上、深くは考えなかった」 「名刺しか乾いた紙がなかった」イラスト描いた本人 筆者は、藤原氏からイラストの原本を借りアメリカへ向かった。御巣鷹の現場でイラストを描いたシュリード氏に会うためだ。シュリード氏は自身が描いたイラストと久しぶりに“再会”し、開口一番こう述べた。 シュリード・元NTSB調査官 「藤原氏にこの図を描いたことは、よく覚えています」 取材に応じたシュリード氏 2005年撮影 炎天下の事故現場、名刺の裏に描いたのには、訳があったという。 シュリード・元NTSB調査官 「あの時、名刺しか乾いた紙がなかったんです。汗でバックパックも、その中にしまっておいたノートも湿ってしまったのです。ですから、財布の中から名刺を取り出し、藤原氏の前でこの絵を描き、アメリカ調査チームが発見した内容を彼に説明したのです」 シュリード氏は、当時のアメリカ側の資料をもとに、名刺の裏に描いたイラストの根拠を説明した。 シュリード・元NTSB調査官 「チームに、金属疲労の専門家がいました。彼は、どうなれば圧力隔壁が壊れるかを試算したんです」 調査にあたってアメリカ側は、ひとつの「仮説」を打ち立てたという。7年前の「圧力隔壁」の修理が適切でなければどうなるのか。例えばリベットが1列しか効いていない場合、隔壁は何回の飛行まで耐えられるのか? シュリード氏が保存している内部資料によると、試算の結果、隔壁破壊までの推定飛行回数は「1万3000回」。この数字が当該機の修理から事故までの飛行回数と極めて近かった。この仮説をもとに、アメリカは隔壁の修理ミスを突き止めたという。 涙を流したボーイングの技術者 シュリード・元NTSB調査官 「私たちは、事故原因を特定した際に関係者全員を集め、アメリカ大使館で会議を開きました。ボーイングの技術者たちは、かなり落胆していました。実際、何が起きたかを悟った時、彼らは涙を流していました」 ひとつの「仮説」が、アメリカの結論となった。 シュリード・元NTSB調査官 「事故は、墜落した一機だけの問題で、747型機共通の問題ではありません。これを日本が公開しないことに私たちは、いらだっていました」 事故当時747型機は、全世界で600機以上運航していた。日本での墜落事故は、アメリカの象徴ともいえる航空機産業の行く末を大きく左右する問題だった。 日本側はアメリカから隔壁破壊のメカニズムを伝えられたが、それを公表するまでには至らなかった。並行して警察が捜査中だったことも影響していたとみる関係者もいる。 “トカゲの尻尾切り” 情報を公開しない日本に、苛立つアメリカ。その情報は事故から25日後、思わぬ形で表面化した。米ニューヨークタイムズは「ボーイングの修理ミスが原因か」との見出しでスクープ記事を掲載。まさにアメリカ側が日本に公表を迫った内容だった。 藤原氏はこの一報を、御巣鷹の現場で聞き、直感的にこう思ったという。 藤原洋・元事故調査官 「やったなという印象です。その意味は“トカゲの尻尾切り”と同じで、ボーイング社にしてみれば、ジャンボの747の隔壁が弱い、ウィークポイントという評価がくだり、そうすると世界中飛んでいる747を止めなければならない。こうなったら大変な事態なんで、この飛行機だけなんだよと、あとは大丈夫なんだよ、ということを言おうとしたのでは…」 747型機の構造に問題はなかったのか、事故調査官として調査途中の公表には違和感があった。ニューヨークタイムズの記事が掲載された直後、ボーイング社は「しりもち事故」の修理ミスを認める声明を出した。 氷点下196度「修理ミス」を確認 その後、日本の事故調査委員会は、機体の残骸を東京・調布飛行場の格納庫に運んで調査を続けた。藤原氏が保存している写真の中に、残骸をつなぎあわせて再現した「圧力隔壁」がある。修理ミスにより壊れた部分は、跳ね上がるようにめくれあがっていた。 1985年東京・調布飛行場で再現された圧力隔壁(藤原氏資料) 「修理ミス」を特定するためには、隔壁のシールで覆われた部分を確認する必要があった。ある調査官によると、液体窒素を隔壁にかけ氷点下196度の状態で接着剤を剥がしたという。こうして「継ぎ板」がカットされた部分を確認。残骸の精密な検査の末、日本もあのイラストが示す「修理ミス」を特定したのだった。 氷点下196度で確認された「継ぎ板」の切れ目(関係者撮影) 「事故調査」を語り継ぐ 記事に登場した藤原洋氏は、去年この世を去った。筆者が藤原氏を初めて取材したのは、日航機墜落事故から20年の2005年。その後も折に触れて、航空関係の解説をお願いしアドバイスもいただいた。後年、藤原氏は日航機事故を担当した調査官OBらとともにNPOを設立し、航空事故調査の伝承・調査官の育成などに尽力した。 1985年8月 事故調査の様子(藤原氏資料) 犠牲者520人…8月12日に起きた悲劇は、今も単独機としては世界最悪の事故だ。遺族の高齢化と同様に、あの壮絶な現場で事故調査に挑んだ元調査官たちにも高齢化の波が押し寄せている。「空の安全」を願う彼らは、日本の航空史の“語り部”でもある。 TBSテレビ報道局 松田��裕 社会部・国土交通省記者クラブ時代に日航機事故の慰霊登山などを担当。事故から20年(2005年)と30年(2015年)には特別報道番組の制作に携わり日米の事故調査官を取材。ニューヨーク支局では「ハドソン川の奇跡」で不時着機に搭乗し救出された日本人らを取材。
日航機墜落 “事故の核心” 御巣鷹で描かれた3つのイラスト アメリカが突き止めた圧力隔壁の「修理ミス」 | TBS NEWS DIG (1ページ)
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leomacgivena · 4 months
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ことわざを覚えはじめたぷり子さん。「類は友を呼ぶって?」、父「吉田類は飲み友だちをたくさん連れてくるってこと。「覆水盆に返らずは?」、「腹水がたまると盆には帰れないってことだなあ」。ヒドい親だな。反省の意向はある。
Xユーザーの荷方邦夫さん
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nyantria · 11 months
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アゴリスト・ネクサス独占:コルベット・リポートのジェームズ・コルベットが、アゴリズム、コビッド・サイオプ、日本でのリバタリアンライフについて語る。
by Graham Smith April 10, 2021
https://www.agoristnexus.com/agorist-nexus-exclusive-james-corbett-of-the-corbett-report-weighs-in-on-agorism-the-covid-psyop-and-libertarian-life-in-japan/
ジェームズ・コルベットは、オルタナティヴ・メディア界では実に侮れない存在である。コルベット・リポートでの彼の多作で、厳格で、目を見張るような仕事は、世界中のアゴリストやアナーキスト・サークルで当然の尊敬と注目を集めている。こうした影響力の圏外でも、彼は大きな影響を与えている。Agorist Nexusの寄稿者であるグラハム・スミスは最近、彼をデジタル・インタビューのために探し出し、アゴリズム、コビッド・サイオプ、日本でのリバタリアン生活などについてジェームスに意見を求めた。
アゴリスト・ネクサス:「アゴリズム」という言葉があなたの意識に最初に入ったのはいつですか?アゴリズムという概念を初めて聞いた人に、どのように説明しますか?
ジェームス・コルベット:アゴリズムに初めて触れたのは正確には覚えていないが、ウェブサイトでこのトピックを最初に探ったのは2015年のことなので、それ以前のことだろう。コンキンに倣って、私はアゴリズムを「国家を弱体化させ、真に自発的な社会の創造に必要な平和的革命を達成するために、反経済理論を用いること」と定義している。
AN:私たちは今、潜在的なワクチン・パスポートや企業向けの「WELLヘルス・シール」の導入を目の当たりにしている。この強力な世界的権威主義的権力に打ち勝つ希望はあるのでしょうか?
JC:お住まいの地域にもよりますが、ワクチン・パスポートの導入には法的・政治的な課題がいくつもあります。しかし、実践的な反経済学者として、唯一実行可能な長期的な解決策は、中央集権的な権力の指令の外で平和的に取引を行いたい人々のために、グレー・マーケットやブラック・マーケットの空間を作り出すことです。
AN:日本文化にアゴーリスティックな要素やアナーキズム的な要素があるとすれば、どのようなものがあるとお考えですか?
JC:日本の家庭は一般的に、いまだに家族経営の農場/田んぼ/庭とのつながりを持ち、田舎の「ふるさと」空間を偶像化しています。これは、中央集権的な食料生産・流通メカニズムに代わる手段が、少なくとも(減少しつつあることは認めますが)存在することを意味します。このことはまた、食糧供給が途絶えたときに、コミュニティ・ガーデンやファーマーズ・マーケットが生まれる(あるいは脚光を浴びる)機会があることを意味する。これは、(少なくとも他の多くの国と比べて)日本ではすでに比較的広く普及している暗号通貨を含む、コミュニティ通貨や代替通貨などを組み込んだ、日本における反経済的抵抗勢力を構築するために利用できるレバレッジポイントである。とはいえ、日本では反経済活動に対する哲学的な理解(あるいは関心)はほとんどないし、日本人の封建的な条件付け(現在は企業封建主義として現れている)が、大規模な経済的混乱が起きない限り、ここでのアゴリスト革命の可能性を低くしている。
AN:現在カナダやイギリスなどで起きているような、国家による全面的な封鎖が日本でまだ行われていないのはなぜだと思いますか?このような規制はいずれ日出ずる国にも及ぶのでしょうか?
JC:一言で言えば、オリンピックです。日本は、ますます不正確な名称になりつつある東京「2020」オリンピックが、どのような去勢された形であれ開催されるように、まだ平常心を装おうとしている。それが実現すれば(あるいは大会が完全に中止されれば)、歌舞伎のショーは終わり、より厳しい規制が導入されるだろう。政府はすでに、(罰金という形で)店舗の営業時間などを都道府県の手に委ねようとする新たな法案を可決している。そのため、オリンピックが一段落した後、日本がどこまで迅速に「正常化」(つまり、非人道的な封鎖規則を導入)するかは、この新たな緊急権限に対する法的挑戦によって決まるだろう。
AN:政治家、保健当局者、その他の著名人が、マスクに関する自らの勧告や警告に従わなかった例はたくさんある。ジョー・バイデンは、連邦政府敷地内でのマスク着用を義務付ける自身の大統領令に従わなかった。ここ日本では、女子サッカー日本代表がオリンピックの聖火リレーでマスクをせずに走った。なぜ大衆は、このような明らかな矛盾にもっと注意を払わないのだろうか?
JC:大衆が気づいていること、気づいていないこと、信じていること、信じていないことについて、主流メディアが私たちの認識を形成しないように注意しよう。国民の大部分には大きな不満の兆候があり、その怒りがほとんどの主流メディアに反映されていないからといって、それがそれほど強力でないということにはならない(例えば、クオモ知事やその他の役人が路上で憤慨した市民に立ち向かっている動画がソーシャルメディアにいくらでも出回っているのを見てほしい)。真の問題は、政治家やその他の人々が、いかなる種類の説明責任からも完全に隔離されていることであり、こうした明らかな偽善行為を指摘されても、一般人は何もできないと感じるのだ。
AN:2025年の世界をどう見ていますか?
JC:未来はまだ書かれていない。もし私たちがグレート・リセットのアジェンダを野放しにするのであれば、2025年までに、私たちはバイオセキュリティ国家の制度化への道を歩むことになるでしょう。このシステムは、中央銀行のデジタル通貨や「ユニバーサル」ベーシックインカムの支給に連動するバイオメトリクスIDや社会的信用スコアに結びついたワクチンパスポートによって促進されるだろう。大規模な市民的不服従が起これば、このアジェンダは後退するか、最悪のシナリオでは当分の間頓挫することも考えられるが、反経済革命が分散型通貨を使った平和的で自発的な個人間の真の自由貿易の場を切り開かない限り、そして切り開かない限り、このアジェンダが本当に阻止されることはないだろう。
AN:2020年初頭にコビッド・サイオプが一般大衆に向けて開始されて以来、あなたの報道は驚異的なものだった。ビル・ゲイツに関する暴露記事は驚くほど詳細で、目を見張るものがあります。何があなたをそこまで深く掘り下げ、数え切れないほどの時間を費やしてこの重要な情報をまとめ、あなたのファンやフォロワーに提示する原動力になっているのでしょうか?
JC:自分のことを深刻に考え過ぎないようにしていますが、同時に、私が提示しようとしている情報は極めて深刻に受け止めています。ゲノム編集技術や脳チップ、中央銀行のデジタル通貨など、テクノロジーの進歩が優生主義者たちの手の届くところになってきており、人類の未来が危機に瀕していることを実感しているからだ。私たちが直面しているアジェンダの本質を真に理解し、警鐘を鳴らし、峠を越えてそれを阻止するために全力を尽くさない者は、すでに人間性を喪失している。
AN:もし、あなたがたった3つの言葉で世界にひとつのメッセージを伝えることができ、誰もがそのメッセージを聞き、理解し、行動するとしたら、それは何ですか?
JC: You. Are. Free.
Agorism - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Agorism
アゴリズム(Agorism)とは、非暴力革命の側面と関わりながら、対経済学によって人と人との関係がすべて自発的な交換であるような社会を作ることを提唱する社会哲学である。アゴリズムはアナーコ資本主義と似た要素を持つが、一部のアナーコ資本主義者とは異なり、ほとんどのアゴリストは望む結果を達成するための戦略として投票に厳しく反対している[1]。 アメリカのリバタリアン哲学者サミュエル・エドワード・コンキン3世(1947-2004)によって、1974年10月のCounterCon Iと1975年5月のCounterCon IIという2つの会議で初めて提唱された。
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ryotarox · 7 months
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(ばかもの - YouTubeから) 予告
ばかもの - Wikipedia
『ばかもの』は絲山秋子の小説。および、その映画化作品。 ヒデは、群馬県に住む大学生。年上の額子との情事に溺れる日々を送り、留年してしまう。額子は、ヒデを公園の木にペニスを露出させたままの状態で縛りつけ、置き去りにして結婚してしまう。ヒデは「想像上の人物」に助けられてその窮地を切り抜け、何とか卒業し県内の家電品量販店に就職し、翔子という女と付き合い始めて結婚を前提とした関係になりつつあり、仕事もそこそこ順調で、まずまずの人生を送っているつもりだったが、なぜかアル中になってしまい、家族以外のすべてを失ってしまう。そして事態は思わぬ方向へ…
映画版 2010年12月公開 監督:金子修介、出演者:内田有紀・成宮寛貴
絲山秋子 - Wikipedia
文庫版『海の仙人』の後書きを手掛けた文芸評論家の福田和也は『SPA!』2008年10月21日号の坪内祐三との連載対談で、『ばかもの』を絶賛して、絲山が村上春樹を駆逐する存在になるのではないか、と評した[8]。
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独房、雑居、紋発、乱射、雑念、五輪、三振、欄居、托鉢、紋腹、画狂、欠年、射殺、殺傷、脳初、目車、濫用、懸念、學年、身者、卓越、餓死、軟卵、場者、童空、我作、滅法、涅槃、抹殺、怒気、燃焼、略奪、宰相、馬腹、刳発、南山、活発、沙羅、割腹、殺戮、循環、奈良、菜道、紗脚、残雑、颯和、和歌、東風、南富、背面、焼却、四季、同發、博羅、無償、透明、明闇、雲海、陶酔、溺愛、泊雑、湖畔、花車、小雑、蘭風、雑魚寝、逆発、罵詈、検遇、明細、鳥羽、無数、飾西、涼感、割烹、面月、略発、明暗、御覧、絶滅、名者、焼却、野版、絶筆、数界、洒落、羈絆、四索、敏捷、旋律、脚絆、安行、軽安、難産、伊賀、消滅、生滅、巡数、水災、万華、論発、処住、崇拝、年月、画鋲、我流、剣率、草庵、律年、雑魚、規約、貨車、蒸発、重大、錯乱、蓮妙、奈良、坐楽、延宝、財年、爆発、龍翔、日向、塁側、席園、座札、風評、財年、何発、旋律、画狂、論券、戦法、尊師、大概、二者、那波、麺期、演説、合邦、放射、雑律、貨客、選別、燕順、考慮、試薬初、財源、富、符号、井原、若榴、清涼、無數、才覚、絶望、奈落、奔放、有識、台東、詮索、懸念、病状、設楽、宴客、怠慢、時期、同部、弁解、冊立、立案、前略、妄動、侮蔑、廃絶、間髪、図解、経略、発泡、者発、立案、滅鬼、自利、論酒、桜蘭、五月雨、垓年、処理、短髪、散乱、絶滅、命日、庵客、実庵、龍翔、派閥、同盟、連峰、焼殺、勝中、割裂、残虐、故事、量発、敗残、花夢里、面月、原氏、雑考、推理、焼殺、膵癌、導風、千脚、砂漠、漁師、活滅、放射、洋蘭、舞妓、邪武、涅槃、毛髪、白藍、他式、民会、参謀、廃車、逆発、峻峰、桜蘭、殺戮、銘客、随分、刺死、脳犯、我版、論旨、無垢、血潮、風泊、益城、拝観、舘察、懺悔、空隙、髭白、模試、散乱、投射、破滅、壊滅、下痢、他殺、改札、寿司、葉式、魔雑、渾身、等式、命日、安泰、白藍、良志久、中須、掻敷、北方、監視、血式、血流、詐欺、加刷、販社、壊滅、坐楽、白那、苫小牧、欄物、演説、開脚、摩擦、欠史、宰相、掻敷、飾西、近隣、可能、刺自虐、崑崙、独歩、良案、隔絶、菜作、妄動、犬歯、核別、概要、立案、破格、殺戮、良案、快絶、防止、那古、風別、焼安泰、独庵、囲炉裏、壊滅、外傷、刃角、視覚、耳鼻、下顎骨、子孫、剥奪、憂鬱、優越、液状、先端、焼子孫、兵法、那波、安楽、最短、数式、絶句、庵杭、雅樂、動乱、者妙、垓年、独初、前報、奈落、数道、弓道、拝観、俯瞰、散乱、男爵、害面、炎上、抹殺、破棄、分別、額欄、学雑、宴客、体面、村落、柿区、害初、告発、欄式、体罰、侮蔑、浄光、情動、差額、君子、何発、兵式、童子、飾西、各滅、我札、審議、半旗、普遍、動脈、外傷、無償、木別、別格、名皿部、京脚、破棄、試薬、絶滅、学札、清涼、爆発、組織、壊滅、ここに、名もなき詩を、記す。風水、万別、他国、先式、続発、非力、産別、嘉門、神興、撃易、弊社、紋別、座泊、画狂、式典、胞子、画力、座敷、学舎、論別、閉域、爆風、万歩、博識、残忍、非道、望岳、死骸、残骸、符合、壊滅、匍匐、弄舌癖、死者、分別、砂漠、白藍、模写、服役、奈落、忖度、符尾、同盟、田式、左派、具癖、退役、蛇路、素白、昆北、北摂、写経、文武、択液、図解、挫折、根塊、道厳、視野別、奈落、鳥羽、グリシャ・イェーガー、粗利、惨殺、学癖、優遇、陶器、場作、土壌、粉砕、餓鬼、草履、羅列、門泊、戸癖、山系、学閥、座枠、忠膵癌、視野別、脳族、監視、佐伯、釋迦、敏捷、遇歴、佐渡、名張、紀伊市、名刺、干瓢、夏至、楽節、蘇遇、列挙、間髪、風脚、滅法、呪水、遇説、死骸、爆発、山荘、塀楽、茗荷、谷底、愚者、妄動、還魂、色別、最座、雑載、論客、名足、死期、近隣、名張、迷鳥、呑水、飛脚、晩別、獄卒、殺傷、視覚、乱脈、鉱毒、財閥、漢詩、死語、諸富、能生、那波、合理、血中、根菜、明初、鹿楽、宮札、度劇、臥風、粋玄、我馬、洞察、今季、爾脈、羅猿、激園、葉激、風車、風格、道明、激案、合祀、坐楽、土地油、力別、焼殺、年配、念波、郭式、遊戯、富部区、奈脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、
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こんなやつだな、お前らの、顔は
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nejiresoukakusuigun · 11 months
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『故障かなと思ったら』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2022年 文学フリマ東京35にて発表したSF短編アンソロジー『故障かなと思ったら』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
石井僚一「森/The Forest」
一言
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」からのずらし具合が絶妙すぎて良い
よく見るとけっこう別の話になってるのに、ちょっとした場面とかぜんぶベースになってるのがわかるのすごいですよね……
もちろん湖/森の、なんだろう、ちょっと魔法っぽい場(「はる!まほうだよ……」のダメ押しよ!!)みたいなのはちゃんと共通してるし
婉曲的な話運びに圧倒されました。持ち合わせた感性に絶対の自信を持って話の輪郭を描ききる力に畏怖さえ覚えます。
単純に文章がとにかくきれい。もちろんそれは「みずうみ」(の宇野訳)を範にとったものではあるんだけど、それ以上にこの設定・内容にアダプトさせてるのがすごい(宇野訳もけっこうやわらかかったけど、もちょっと柔らかくなっている印象がある)
森を歩く歩きごこちのところとかが特に好き
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」読みました。もとの文章がもうきれいなんだけど、それをほとんど違和感なく改変(という言葉が適切でなかったらすみません、単純な改変ではないんだけど)していて、このやわらかい文体で最後まで走り切れるパワーがすごいと思いました。
巻頭の森と巻末の閲覧者のおかげで、アンソロジー全体がstaticな感じがする。取扱説明書としてのすわりがよくなる印象
細部
P13の「ぼくはまだ、」から始まるパラグラフがすごく好きです。ずっと何度も読み返していたい美しい詩のようで、こんな文体に憧れました。
ここすごく美しいですね。
どれくらい推敲に時間を割かれているのでしょうか。言葉選びにどれだけの時間を要すのでしょうか。気になります。それくらい一文一文に隙がなく強度があります。
ざっくり構成をみていく
p10「朝のしめった空気が」~「ひとりでゆっくり回ってみたくなった」」
(ここ消えてる?)
p12「「いいよ。だけど」〜「遠くはなれた向こうで〜」
森のなか、はるとふみなさん。ふみなさんがいなくなる
「みずうみ」では、母と湖でちゃぷちゃぷしてるところ。タリーの役割と母の役割がどちらもふみなさんにかかっている……わけでもないか……でもまあそんな感じになっている
母の役割をいったんおいといたとして、タリーとふみなさんが対応している、のはそうなんだけど、タリーは事故によって命を落としてい���のに対して本作でははるがふみなさんをここで捨ててきている(p11「彼女をおいてここを去ることになっている」)のは明らかに位置づけが違う
で、捨てるっていうのが、恋人を振るっていう意味じゃなくて、どうやらロボット(?)的なものを物理的に置いて帰るということらしいというのが後でわかるんだけど、でもやっぱりわからない(なんで捨てたかったのかは特に言われてない、よね)
「ひとりでいるのは、」のパラグラフは、原作でもここまで主人公視点(主語 I)の過去形だった語りが、急に三人称(主語 a twelve-year-old child / he)の現在形が挿入されるところに形式的には対応していて(邦訳でどうなってるか誰か確認してくれ)、一方で内容としては子供らしさを求められる子供、から、恋人とはこうするもの、という規範に書き換わっている。
これはミスリードを超えて、はるとふみなさんはやっぱり恋人という位置づけということでいいんだろうか。ロボット(?)だとしても。
「木の枝をふりまわして、魔法つかいだと言って、きれいに笑った彼女を、ただ思い出した」:最後の「はる!まほうだよ……」に対応
p14「そして、ぼくは」〜「ぼくはそこを動けなかった。」
森を離れて、時間がとび、さくらさんと同棲をはじめ、森(箱根!)に戻ってくる。さくらさんもいなくなる(!)
「みずうみ」でも、長じてマーガレットと旅行に来るところ。場所はぜんぜん違っている
でもこの固有地名を出すタイミングは多分原作を参考にしている?かなと思った。原作でも最初のシーンではみずうみがどこなのかは明示されてない(よな)ところから去るときに初めてイリノイが言及され、マーガレットはサクラメントで出会ったというのが明記されてて、地名によるリアリティで急に大人になる感じがでるのと、多分なんだけど東部(中西部か)と西海岸のコントラストが効いている
「みずうみ」の舞台のレイクブラフはシカゴとミルウォーキーの間くらいにある小さい村 https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Bluff,_Illinois
みずうみっていうかもうほとんど海だよね、サイズ感としては https://www.lakebluffparks.org/parks-facilities/sunrise-park-beach/overview/
そして実際箱根町の人口が約1万なの符合がすごくて絶妙だな
p16「ここで待っていて、はる」の展開は「みずうみ」から反転してあって、「みずうみ」では主人公がマーガレットを置いてみずうみのほうへいくところ、本作では逆にさくらさんが主人公を置いていこうとし、かつ、そのときのセリフ「この森の中を回ってみたくなった」「さよなら、さよなら」は冒頭部で主人公がふみなさんを置いていったときのものを使っている
p17「「こちらの子が」〜「そして、パッケージをあけた」
ロボット(でいいのか?)の販売員との会話。ふみなさんを購入
「みずうみ」では、水死体が見つかった云々のところ。ここの改変はかなりでかい。「みずうみ」だと不穏さがぐっと出るところなんだけど、こっちはいっきにSFに飛ぶ
「みずうみ」で死で成長しない、時間が流れない、だったのが機械!っていう、その差し替えがすごくて興奮した
ここでロボット(?)のふみなさんを購入しているのは、普通に考えると過去の回想ということになる?(購入したロボットであるふみなさんを、かつて森に捨てて帰った主人公が、ふたたび森を訪れてふみなさんと再会している、という流れ?)
p18「視界のなかに人かげがあった」〜「はる!まほうだよ!」
固有名詞が出てきていないし、場所と時間が急にふわっとする。が、描写や↑とのつながりから、はるとふみなさんとして読むところのはず
「みずうみ」では、あえていえば、砂の城に戻ってきてオチの部分
箱根湯本から登山鉄道に乗り換えた先の森、強羅とか彫刻の森?
「彼女がぼくの名前を呼んだ気がした」「ぼくだってずっと変わらない……?」から、主人公が名前を呼んで起動する側だけでなく、起動される側?であることが示唆される?
さくらさんに置いていかれるという反転とも合わせて読むと、そう?
原作では主人公にとってタリーは特別、自分とは異なる存在という側面が強いように思うけれど、本作のはるはふみなさんと自分に同じ要素(ずっと変わらない)を見いだしている?
原作では足跡(よくわかってないんだけど)を見た主人公が最後に気づいて(?)砂の城を完成させる(ええと、原作の読みに自信なくなってきた。今度はタリーが半分作った城の残り半分を主人公が作ったシーンでいい?)のに対して本作では作った墓がそのままになっている(新たにというよりも最初のシーンで作った物そのままの印象を受ける)ところにある説明書(誰の?)を見つける
原作の最後は主人公が死によって永遠になったタリーを永遠に愛し続けることに気づいて、それでマーガレットを見る目が変わっている強烈なオチで終わるけど、本作ではさくらさんはフェードアウトしており、あくまではるとふみなの二人で終わっているように読める
「みずうみ」との人名対応
ハロルド→はる:音だよね
タリー→ふみな:なんだろう
マーガレット→さくら:花だよね
小林貫「取説ばあさん」
一言
CM好き。この微妙にバリエーションあるのめっちゃ良いでしょ。ジオを抱こうとしたら流れるとこでマジで笑��ました。
ここ、ぼくも笑いました。
「DNAを、統制せよ」じゃあないんだよ
YoutubeのクソCMの経験をしている現代だからこそ通じるところがあっていい
モチヅキはCV津田健次郎というかんじがします。シブい。
わかる
小林作品の中で一番好きかもしれない。ちょうどサイバーパンク2077やってるから情景がめっちゃ浮かんでくる。
トリガーにアニメ化してもらおう。
ベルチナとのシンクロニティを感じる。今回ち〇こが出てくる作品多い。
ばばあ勝負では正直負けたなと。次のばばあ勝負では勝ちます。
台詞回しが上手いのと、描写の際の言葉選びにセンスを感じました。会話描くのが上手すぎるので参考にしたいです。今俺が理想としているのはこういう小説なんだなあと思いました。CMのインパクトが最強ですね。頭から離れません。
登場シーンで羅生門のばばあ以来のヤバいばばあが出てきたと思いました。
完全に「サイバーパンク」っぽい文体やガジェット、そして物悲しさみたいなものを自家薬籠中にしていやがる……そんななかでどうしても残ってしまってる人情みたいなのもいいんだよな
細部
俺もスマートウォッチかカシオの腕時計で迷って、大体主人公と同じ思考でカシオを選んだのですごく親近感がありました。
スポンサーがついている娼婦のアイデアが面白すぎてばあさんが全部どこか行きました。……結局、何でばあさんは紙の説明書を集めてたんでしたっけ……。
「終わりかけのおしっこのようなうめき声」という比喩、良すぎる。
「老婆通いの日々」みたいなのも、こう、ユーモアだよな……
ユーモアのちりばめめっちゃ良いんだよね
ざっくり構成をみていくコーナー
p22 冒頭のCM〜「ひさしぶりにいい夢を見た気がする〜」
サイバーパンクだよ、という導入。怪しげな道具屋(モチヅキマート)や焦燥感はやっぱり必須なんだ……(ほとんど「クローム襲撃」なんだよな)
p25「太陽も昇り切らない」〜「思わずつむってしまった目を〜」
取説ばあさんが出てくる。取説ばあさんて。「怪しげな稼業に手を出してしまう」も定番だけど、それが取説ばあさんなのはなんなんだよ
だからそう、ここでいかにもな電脳とか身体強化とかメガコーポがとかに向かわず、いっけんミスマッチな「取説」に向かうのもすごくいいんだよな
p29「老婆通いの日々が始まった」〜「自嘲めいた笑みがこみ上げてきたので」
取説ばあさんの噂、娼婦がなにか知っているらしいことを知る
p32「次の休み、おれは夜の」〜「抗うことのできない眠りに〜」
ジオという娼婦を買う。うまくいかない(途中でCM)。これもファムファタールなのか……?
p36「しかしそれ以来」〜「しずかに黒い幕がおりる」
取説ばあさんに襲われる。ここの襲撃描写の加速感が地味にうまい
p40「わたしには名前がない」〜「おぉ、おぉ……。」
ジオ=取説ばあさんの悲しい出自。めっちゃ義体化してる
p43「深海のように」〜「…………一分が経過した」(※便宜上ここで区切る)
ジオに縛りつけられピンチ
p47「我慢できずに」〜「いかめしいサイバー視覚器の下で」
モチヅキが颯爽と助けにくる。ジオ=取説ばあさん=キヌ(ばあさんぽい名前だ!)とモチヅキの血縁が明かされる。モチヅキがばあさんを撃退して、なんかブルースな感じになる
なんか世界の理不尽さ?を説明してくれる?知識欲?みたいなのが取説集めにつながってんのかとか、自分が何者かわからなかったところから名前を知ることが少しの救いになる?のとか、わかりそうなところとやっぱりわからない感じとのせめぎ合いがあり、怪異としての取説ばあさんの謎は解けてはいけない(解けてないからラストが光る)のと、でも結局ばあさんなんだったんだという、もやもやの残りと、両方ある
そうそう、ここの「結局なんだったんだよ」のわかりそうでわからない具合がかなりいい味なんですよね……
p50「おれは街を出た」〜「ねえ、取説ばあさんって知ってる?」
それでも人生は続く
しれっとネオンシードFにツッコミを入れているのもニクい
これは個人的には非常にポイントが高いというか、CMのリフレインに対応する形でこういうツッコミがあるのが良いんだよな
ラストが再度の怪っぽいのも自分は好きですね
笹幡みなみ「私の自由な選択として」
一言
SF設定が素晴らしい。パラスタット技術によって人間の精神活動が大きく変わることは想像、納得しやすい。古代の人間が神の声として並行世界の自分の声を聞いていた(『神々の沈黙』への接続)ことと結びつけるところがエレガント。バウマイスター野の刺激による本当の沈黙を経て、じつは現代においてもその声は沈黙していなかったというくだりも自然に受け入れられる。
読み終わった後また頭に戻って読み直したくなる終わり方。
テーマとギミックと文体と視点が綺麗に噛み合っていて圧倒的でした。前半は割とライトな感じで読めるのですが、進むうちに結構重めでこちらに取っ組み合いを仕掛けてくるような構成になっていて、そのエスカレートぶりが好きです。
第二論文の紹介あたりまでの説明のそつのなさ(ほんとそつがなくてこれはこれですごいんよ)から一点、第三論文の紹介で並行世界の話がぶちこまれてオッオッってなって、ユニカの過去の話とかでウェットになりつつ(このへんも淡々として見せつつ情念が滲んでる塩梅が良い……)、終盤に雪崩れ込む構成すげえうまいですよね……
各要素が違和感なくつながっていって上手だなーとおもいました。
いつもの作風に比べるとオールドスクールで、それが海外SFっぽい味わいでよき。
この内容で大きな破綻なく話を書き切るの、強すぎる……。
細部
冒頭の語りの時点はいつか。語りは並列世界を移動していないか。
p.33 「そして彼は愚かにも(ユニカはそこでエアクオートして、彼女の爪が非常灯の光を反射した)」ここのディテールが好き。
好き
わたしだけかもしれませんが最後の一文に謎が残っています。
俺もでした……。後日もう一度読み直します。「長い話」どこからどこまで?
ここは自分もわからなかったので読書会の論点にしたいです
ユニカが臨床家であるという設定が実はすごく効いていると思っていて、自由意志と決定論というテーマにもし臨床的な切り口を与えたら? というifに反射療法という道具を与えて真相に迫ろうとするのはチャレンジングでワクワクしました。
それを踏まえて、最後の実験に他人を使った人体実験を行わないのも彼女のキャラクターを表していて好きです。人道的……なのか?
タイトルにもある「私の(その人の)自由な選択として。」というフレーズの繰り返しが不気味な感じでよかったです。自由な選択に固執していて、逆説的に全然自由じゃない感じ。
ざっくり構成をみていく
p54「二〇二五年」〜「彼女のために〜」
いきなりエレベーターで足を揉んでいる。反射療法がテーマっぽいなというのもわかるところ。話のマクラとしてヒキがありすぎるんよ
p55「ユニカ・クーリッジは」〜「臨床家であったユニカは〜」
ユニカの実績を紹介するにあたっての、反射療法および自由意志(自由意志信念)に関する前提知識の共有。ユニカの第一論文の内容以外はほぼ現実そのままの説明になっている……はず(逆にここがフックになってるということでもある)。パラスタットについてもここでいちおう出てくるが、詳しい説明はされない(勘がよければわかるよね、くらいの温度感)
p60「第一の論文」〜「人類の痛みへの反逆の歴史を〜」
ユニカの三本の論文についての説明。第一第二は前節からのわりと素直な延長なんだけど、第三で並行世界が導入される(エスカレーションの第1段階)
p63「私がユニカ・クーリッジと」〜「この一連のできごとが〜」
冒頭の話に繋がる筆者個人に関する語り。冒頭に繋がる出会いや、ユニカの出自、モチベーションなどが紹介される。パラスタットについても(前節でほぼわかるとはいえ)ここではっきり判明する
p67「ユニカ・クーリッジの研究に」〜「電気刺激を停止しても」(*で区切られてはいないけど便宜上ここで区切る)
ユニカが温めていた仮説(神々の沈黙っぽい)についての説明(エスカレーションの第2段階)。バウマイスター野を直接刺激する実験(筆者も手伝った)と、その結果「ひとりになってしまった」というユニカ。ここらへんから「これ何の文章だっけ?」みたいになってくる
p71「彼女の実験ノートの中に」〜「私は開頭用ドリルを手に取った。私の自由な選択として」
ユニカの手紙を見つける。「ユニカはこう記していた」〜「次の一歩を踏み出そう。私の自由な選択として」
「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と」からまた筆者の語りに戻る。「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と、彼女のこれまでの研究の一切は――このあと実施する実験も含めて――データ化され、彼女の脳に信号として入力される。」
最後の一文のやつ、これか!(これか?)
p75「ユニカは長い話を終えると、二杯目のコーヒーを求めて立ち上がった。」
Garanhead「故障とは言うまいね?」 
一言
直球で説明書の奇想(?)をやってて良い
王道の良さがある
この説明書産業っていうでっかい嘘にこまかいギャグとかセンチメントとかをすべて集約させる腕力も良い。なんというか変な設定で王道の話がされてるのを読むのは単純に楽しい
「故障とは言うまいね?」のミーム画像がめちゃめちゃ想像できるのが良い
文量的には長めのはずだけどスッと読めました。
ちゃんとした小説だ!となる。ねじれ双角錐群の良心。
会社間の関係とかの設定をちゃんとしているところが見習わないとなと思う。
設定が説明的になりすぎず、物語のなかで自然と読ませるかたちになっているのがすごいな、と思いました。リーダビリティが高い文章。
細部
p78「その日、ウニベルシダマニュアルカンパニーで」~
復刻版説明書の販売とサイン会。説明書とマニュアリストロの導入
ここで、この世界では説明書に異常な価値があること、マニュアリストロという資格者に異常な価値があることが、戯画化された掴みシーンと共に印象づけられるのが、さらっとすごいことをやってる
「完売。説明書、完売」とか「本間くんを、包囲しろ!」とかパシパシとノリ良く無茶を導入していて良いよね
女性に顔のインク拭いてもらってるのとか、御曹司感とギャグ具合を絶妙に表現できてて笑うんだよな
p81「時を四十年ほど遡る」~
マニュアリストロに至るまでのこの世界の設定説明パート
前のシーンで無茶苦茶ながら導入された上での説明なので、言ってることは無茶なのだがなんかそれっぽさがあってなるほどねという感じが出る(?)
この辺の細かい設定は元ネタがありそう
ここの設定の練り込みがまず好き。無茶苦茶なんだけど、すごく「それっぽさ」が出てる……
p83「俺は顔のインクを綺麗に落としてもらって車を降りる」~
チャリア工業でのマニュアルコンペ。タアナとの出会い
「食堂のカプチーノマシンがぼかーんって芸術的に故障したので、うっとりして眺めてました」そんなギャルゲヒロインみたいなやつおる?(好き)
「え、根回ししてなかったのか?」この微妙なメタツッコミみたいなやつ人を選ぶだろうけど自分は好きで、そもそもマニュアルのコンペってなんだよみたいなところから言い始めたら切りがないところを、いやまあそこはいいんですよって押し通してくれる推進力に繋がる
「ボイスチェンジャーで加工された声が響く」なんで父親がボイスチェンジャー使ってんだよ、とかさ、ずるいだろ
p86「大空タアナを捕まえたのは地下の駐車場だった」~
本間くんの因縁の提示、タアナの動機の提示(ここ結構複雑な構図をさくさくっと作ってるからちゃんとまとめたいな)
十年前、マニュアル記載漏れによる「チャリアトル事故」で主人公の母親が死亡、父親は右足を失くして顔面に怪我
声帯やられたのかな
これによりチャリア社ソーラーセイルのマニュアル作成はウニベルシダ(主人公社)からヘリオス(タアナ社)に変わる
マニュアリストロの制度ができるきっかけになる
安全なガルダのマニュアルを作るのが母への償いになると考えている
タアナの動機
マリウスくんの説明書をつくった主人公に会いたかった
「そつないなあって思いました」この口調のぶれって計算してやってんの? そつがなさすぎるよ
「過激だな。ヘラクレスか」すき
p97「車は高速道路に入り最初のパーキングエリアで停車した」~
「故障とは言うまいね?」のコラ画像
言葉の元ネタ的には卑怯とは言うまいね?なのかな
でも自分はなんか英語のミーム画像をイメージしたんだよな(画像に文字を入れるっていうところが?)
p100「案内されて大広間に出た」~
タアナからマリウスくんの説明書を一緒に作ることを要求され快諾
p102「組み立て工場はタイにあるようだったが」~
自分はここのパートがめちゃくちゃ好きで、この設定の上で相当にデフォルメされた「説明書作り」の醍醐味が伝わってくるのすごいなと思うんですよね。本作について、個人的にはここがいちばんの推薦ポイント
もちろんそのデフォルメ具合自体(現実の説明書はそうやって作らんやろ)自体も楽しい
工場に行くぜ!
まずは現場という謎の納得感があるのが良い
冷静に考えると設計のほうにいくんじゃなくて工場で現物から図面起こしてたりとか、何かがおかしくて笑うんだけど突破力があって良いんだよな。
「なぜなら俺はマニュアリストロだから」
なんだこの洋画感
「尻尾センサーを三年以上引っ張って『おやすみモード』にした場合の注意書き」
三年以上引っ張ったら子供も成長してるよ
とかいうギャグやりとりの流れから主人公が自然に笑うことができたという、「故障なんかしていない」の流れに持ってく
p106「大空タアナは死んだ」~
このへんの説明書と感情のなぞらえかたやタアナの粋なはからいもクール
最初読んだ時ロジックが結構複雑でよくわかってなかったけど、読み直したら尻尾センサーネタを上手くひっくり返してバッチリ噛み合うようになっててすごい
それで主人公の因縁というかトラウマを乗り越えて救われることができる
p112「それから月日は流れて」~
最後にミームオチなの良いんだよな
全自動ムー大陸「直射日光の当たらない涼しい場所」
一言
「なめたねじ、」好き
「電源ひ」と「大人にな」が好き
「ばらしてる」が好きです
短歌だと最初は気づかずに読んで、全部通して詩のように感じました。全てに通ずる何かの企てがあるのか、果たして……。
全ムーさんの歌、やわらかな読み心地がある
わりと視覚的イメージを軸にした歌が多い印象で、その視覚的イメージがちょっと抽象に寄っているところが特徴な気がしています。
細部
「めくるめく〜」
呪文の詠唱みたいで好きです。
「説明書→綴じる」の自然なつながりから、冒頭の「めくるめくこの世はでかい」(この時点ではたんにでかいということしか言っていない)を引き継いだ最後の「銀河」に至って「銀河が綴じられる」という形に具体化するイメージがすごいいい
「沈黙の倍」っていうのもそのでかさの表現というか、茫洋とした感じが出ていると思ったんだけどどうだろうか
紙を綴じて折ると厚さは倍になることと関係あるかな
紙をたくさん折ると月に届く的な話も連想した
「この世」をすべて説明ないし記載可能なものとして捉えているうえに、それを「綴じよ」と製本みたいなことができるものとして考えているのが面白い。「綴じる」に入っている「閉じる」のニュアンスも含めて、世界をぜんぶ掌握したい、みたいな意識も感じます。「沈黙の倍の銀河」はちょっとイメージしにくい。
沈黙は金との対応
「この世=地球」「銀河」の対応
ドラゴンボールのOPが脳内再生される騒がしさと、「沈黙」との対比が出る
「まちがいを〜」
「涙 - 氵 = 戻」ってこと……だよね?
まちがいにたいして、「よくあること」と言って手を引いて「戻す」ときに、(まちがいであったことによる?)涙が云々みたいな雰囲気で読んだ(いやこれだと「手を引くほうの」が組み込めてないんだが)
「まちがいなんてよくあるねー」となみだが言っていて(思っていて)、���の意志に反してなみだが引っ込んじゃうんだけれども、そこに涙の痕跡が残っているよ、が歌意かと思います。そこに上述の漢字のユーモア。目から出てる水(=さんずい)と別に「手を引くほうのなみだ」(=戻)があるよ、という。
「手を引く」がここだと「退く」みたいな意味かと思うんですが、別の「手を取って導く」みたいなほうも出てきてやや読みにくいかも。と言いつつも「手引き」からこの語をつかうことにしたならやむなしだが。
皆さんの考察を読んでめちゃくちゃ好きな歌になった
てへんにもどるの「捩る」もあって、さらにそこから↓に繋がる!!!
「なめたねじ〜」
突き放しているようで、これは優しさじゃねえか?
「いいので」という結句の言い方が、おっしゃる通り突き放しているようだけれども、歌の内容自体が優しいので、別の響き方になりますね。前の歌に引きずられながら読むと、ちょっと涙をこらえながら「もう回らなくていいので……(だいじょうぶだよ……)」と言ってるような感じも。
もう回らなくていいってことはそのねじは何かを固定していて現在のところ分解する必要がないっていうことだと思って、説明書というベースから想像を膨らませると、説明書を読みながら頑張って不慣れな人が(子供かもしれない)何かを組み立てたり組み替えたりしていて、下手だから潰してなめたねじにしてしまったりするんだけど、それが完成したあと時間が経っていてもう回らなくていい(たとえばもう使わなくなった子供用の椅子とか)、みたいななんか優しさを感じる。
「YES/NO〜」
「はい/いいえ」で答えていくと「あなたにはこれがおすすめ!」ってところにたどりつくあれでいいんだよな。あれやってるとなんか自己なりなんなりに気付いてしまう感じじゃなかろうか、べつに気付いてもたいして嬉しくもないのに、みたいな
視覚的には指と紙面しか出てこず、その指先に灯るっていうのは見た目にもクールな感ある
表現としては全体的にやわらかい歌の印象。「ユリイカ」なのでチャートを通してある程度の気づきは得られているのだけれども、あくまでチャートに沿った規定の気づきということで「怠い」という修飾語が出てくるのかな。ぼんやりした目ざめ、みたいな一首。
YES/NOチャートによって提示されるおすすめなのかタイプなのかに対して、こんなので自分のことがわかってたまるかよという冷めた見方と、でも気づきがある発見があるという自覚と、その両方なのかなと思った。
Y音のリフレインが気だるさや脱力感をかもす。N音もあり「なよなよ」感が出る
「電源ひ〜」
まずもって「馬」まで来ないと像が結ばれないのが楽しかったです。で、そこまできてやっと「あーこれ遊園地とかにあるコイン入れて動く馬か」(なのかな、わからんけど)とかなった次ですぐに「ただしさ」、そうだよね、正しいよねー、なりたいよねーってなる収束(言ってること伝わるか?)
電源につながれた馬(メリーゴーラウンドかな、と)がいて、たぶんその馬が自分で電源コードを引きちぎって、あえて朝に駆ける(普段は夜にキラキラと駆けている)ことを「きたない」と言いつつも、その与えられた役割からの逸脱に正しさを感じて憧れている感じの歌としてとりました。
馬の描写までの荒々しさと、そこ以下の弱弱しいような言い方の対比が歌の魅力。
メリーゴーラウンドって木馬自体に動力があるわけじゃないから電源つながってないような気もするんだけどイメージ的にはやっぱりメリーゴーラウンドなのかな。コイン入れて動く馬、みたいなあれは充電式?なイメージがある。
ライ麦畑的な……(あれは朝じゃなかった)
ゲーセンの競馬ゲームが思い浮かんだ。メダル賭博の対象である(しかも疑似的な賭博にすぎない)ことのきたなさや情けなさからの解放を想起。
「完ぺきで〜」
ひどい話のような気がする
「どうして」っていうからには不本意なんだろうけれども、それでもやさしいきみに打ちひしがれるしかないんだよ……。
こういうシンプルな歌のパワーよ……
「組み立てよ〜」
(短歌の読み方よくわからんのだけど)「いち葉の」でいっぺん切れて、まあ葉っぱのすんとした感じに読まれての、「かさぶた」で生っぽくなって、とはいえ意味としては依然通じる(かさぶたのないことの淡白さ)あたりの動きが好き
「淡白な日々」に「しずかな暮らし」を重ねる効果はよくわからなかった
「組み立て」は説明書の文言ですね。
「かさぶた」=傷の治る途中のもの。傷つかない暮らしをしましょうよ、という歌としてとりました。あんまり具体的な描写が無いので、感情の問題としての傷つかない、と解釈。「組み立てよ」という文言で、その暮らしの達成をあくまで理知的に促しているところが面白いです。感情を理性で抑えようとする感じ(1首目の「綴じよ」と似たイメージ)。
傷つかず心が動かない生活をしたい(していないからしたいといっているのか、半ばすでにそうなのか)、いずれにしてもさみしい話なのかな。
「大人にな〜」
強そうな名前の電池。エボルタ……かな? マクセルは会社名か。
自分は「これエボルタだな……」と思いながら読みました
ちょっと自分に充電しようとしてないか?
「自分に充電」はめっちゃ良い読みですね。
なんで大人になったことを嘆いているんですかね。電池に子ども時代を見ているような印象も。おもちゃの電池とかを大事にするようなニュアンスを少し感じます。
世代差もあるんだろうけど子供の頃おもちゃに入れるものとしての電池って存在感大きかったし、ブランドも重要だったりしますよね。大人になるとリモコンの電池替えるみたいなのは機械的な日常になる
最近だと(昔どうだったかは覚えてない)パナソニックとタカラトミーは仲が良くて最強のエボルタ電池でトミカやプラレールがめちゃめちゃ動くぜみたいなプロモーションをやっているので子供はエボルタ覚えがち
「エボルタ」は「エボリューション」と「ボルテージ」が由来みたいですね。このへんは確かに子どもに象徴的かもしれない。
「ばらしてる〜」
「〜思い出す」まででとりあえず中途半端に組み合わさってる家具みたいなのがイメージされて、そこから「ページが」で説明書の組立手順のとこみたいなのが浮かぶんだけど、「あった」で落とされて、なんか奥行きを感じる(何も言ってないなこれ)
少なくとも説明書としては役に立たない無のページ。このページを見ているときは解体も組立もしておらず手が止まっているはず。その現実には何も行われていないふわっとした瞬間にささげるアンセム。
そういうページに対する憧憬なのかな
「季がくらむ〜」
「○月なのになんだよこの気候は」って日に「文字を焚く」までひとつらなりでいったん切れて、その次、「肘かけた杢」でまた切れる(で、「けぶる目のはし」で焚かれたときの煙に戻ってくる)でいいんだろうか
杢の模様と文字のイメージの関連とかあるか
名詞も動詞も多くてちょっと読みにくいが、初句の「くらむ」で宣言されている通りに、その連なりをイメージのままにめくるめく感じていくかたちで読むしかないのかな。
この歌のわかりにくさは、そもそも説明的な言葉への否定みたいなものもある気が。「文字を焚き」なんかは、ある意味で1首目でやってることを最後に全部なかったことにしようとしているようにも捉えられます。
murashit「子供たちのための教本」
一言
続柄の欄に書く初恋の人、のところめちゃくちゃ良い。
終盤がまだ全然わかんないんだけど。
父が作った街で生まれ育った自分も父が作ったもので、��も一度は街を出ていくんだけど、また戻ってきて、父が死ぬ、死ぬけど都市が消えるわけじゃない、けど父が作った都市ではある、という、こう、父権からの逃れと逃れられなさとそれも悪くなさみたいな話……か!?
この果てしない不条理な葬送を巡るお話に、総じて自分は寂しさを受け取りつつ、作品全体に散りばめられた()の形式で明かされる心の声が、客観的であろうとする語り手の支えになっているような気がしました。
もう少しじっくり読んでみたいですね。
むらしっとさんの描く冠婚葬祭、冠婚葬祭特有の一切合切がめんどくせえな、でも仕方ねえという淡々とした感じがありとても好きです
panpanyaっぽい
なんかわかる
父が作った街であり世界を歩くということがメタファーとして愛おしくさえある、ような心持ちになってしまうパワーがこの飄々とした文体にはある。父殺しの対極(地の文の視点:父が作った世界に内包されているという意味で)のようであり、じつはしっかり父殺し(括弧内語りの視点)であるところの二面性がいい。
最後(合唱曲以後のところ)が圧倒的によかったです(ぶっちゃけ内容はよくわかっていないが)。
細部
はじめの「そうだったのか」、初読でなにが? と思ったんだけど、そういうことなのか(まだ言語化できていません)。
これわかんないんだよな
直接的には、直前の文「郵便局のバイクが門の前に停まった」に対して「そうだったのか」と言っているように読めるが。
緻密作為コーナーにも書いているとおり、この最初のパラグラフでは一番最初だけ語り手の一人称「私」が出てきて、それがパラグラフの最後になると「ア兵」と三人称名前呼びにすり替わり、以降本作の地の文では「私」ではなく「ア兵」という呼び方で焦点化して語りが続く。
この場面での「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことが縁側で将棋をしている二人の目には入っていなかったという解釈を考えることができると思う。配達員が「縁側の二人に声をかけた」とあるから、配達員の方からは縁側に人がいることが(覗き込めば、少なくとも部分的には)見えるわけだが、二人は将棋に集中していたのか、あるいはア兵は背を向ける角度だったからで、少なくとも見えていなかった。だからア兵は当時「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことを知らない。知らなかったことをここで知ったから、「そうだったのか」
つまり現在の「私」が過去の「ア兵」の周辺の物事を何らかの形で知覚し語り直しているのがこの文で、当時の自分が見えていなかったことをこの語り直しなのか追体験なのかの中で発見して「そうだったのか」と言っているとする説。
これはなんか、控えめすぎるというか、そこに注目して「そうだったのか」と言うほどのことなのか、というのがよくわからない。直後に配達員から呼びかけられているんだから、そこに配達員が来たタイミングはその少し前というのは当然の類推のはず。たとえば配達員が投函していって将棋が全部終わった夕方に郵便受けで発見したとかいう話の流れならば「そうだったのか」は自然ではあるが……。
あと、これは弱い要素だけれど、p151ではア兵がクリップボードの方を見ていたので実際に視覚的に確認したわけではない職員の挙動を、地の文で書いて、カッコ内で「実際には目にしていない」と断っている。これはやはり、当時知覚できなかったことは推測でしか書けないのではないかと思われ、そういうルールが全編に適用されるのなら、バイクが停まったことに対して「そうだったのか」はやはり不自然になる。
なのでこの説は微妙だ。
直前の文のカッコ内、「ようやく詰みまでの道筋が見えたところで」に対して「そうだったのか」と応答しているとする説。
つまり、片方は「ようやく詰みまでの道筋が見えた」のだが、対局の相手方は詰みがあることに気づいていなかった。詰みが見えていたことをこの語りの中で知らされて、「そうだったのか」と反応している。
これはしかし、地の文とカッコ内の文の語り手がいずれもア兵で一貫しているとすると矛盾が生じる。
地の文については最初の一行で「私」=「ア兵」であることが明記されている。
カッコ内の文についても続く行で「誘ったのは父」「こちらといえば」と言っているのだからやはりア兵であるはずだ。
であれば「詰みまでの道筋が見えた」のもそれに対して「そうだったのか」と言っているのもア兵なので、応答としては不自然である。前段のバイクが門の前に停まった説は、当時のア兵がそのことを認識していなかったという解釈がとれるが、バイクと違い詰みまでの道筋が見えたのはその時点でのア兵の認識そのものだから、後から気づいたというのもおかしい。
「括弧内語り→地の文に対してコメント」はあるが、「地の文→括弧内語りに対してコメント」の方向は全体通してあった?なかったような印象
p137「(誰かと会った?)」→「会った」みたいな応答はしている
では地の文とカッコ内の語りの一部を父が担当していて、対局者であるア兵が既に詰み筋に気づいていたということをこの語りの中で知った、という解釈ならあり得るのか。
前述の矛盾は解消されるのだが、そんなシームレスに語り手が父になって良いものだろうか。
地の文がア兵でカッコ内が父、とかならまだそういう構成はあり得ようが、そんな単純さでは少なくともないように見える。
いいのか。父がア兵を作ったから。ア兵がそう考えるよう父が作ったから。だから混ざっていて良い?
まあでもそれはそれで、そういう全知性を持ってたら、「そうだったのか」ってならなくない?
この説は有力な気がする。だからこそ「対局は途中止めにされた(体よく逃げられたと言っていい)」
俺は「詰み」に対しての「そうだったのか」だと思ったんですが、まあその後の語りのルール?というか、わかんないんですよね。
ア兵とかサン議とかのネーミングが新鮮でした。
「夏ハバキ」好き。「岩本」とか普通っぽいのが混じってるのもいいですね。
ネーミングはまじで上手いと思いました。
老人たちが流れてきて賛辞の嵐を浴びせてきたり、役所の職員が手続きのための説明を一息でやり終えて仲間が拍手を打たんばかりの状態になり紙吹雪(書類)も舞ってといったり、唐突に始まるミニゲームみたいなお祭り感が好きです。
(けれどもフクロウではぜったいにない)好き
p.148 「高基線の建設による変化」高基線って高速道路みたいなやつ?だとすると、この建設で雪が降るように気候が変わるというのはどういうことか。フェーン現象を形成する山脈を取り去る勢いで高速道路を敷設しているのかもしれない。
p.154「ポイントが十倍ですので」流石になんのポイントだよ
p154「二人が役所から出ると」あたりからなんか「やってる」んだよな
なかったはずの全裸男性の銅像が出現しているが、ア兵がそれを無視する
(さすがにやりすぎ)
全裸男性の銅像(父をモデルにしている?)を出現させたことに対して、やりすぎ、とツッコミを入れている
そんな銅像を出現させるという理外の力がここにあり、かつ、それをア兵は認識していて誰がやったかもわかっていて無視していて、この発言?
「いずれにせよこの期に及んで父が受け答えすることなどできはしない」
やりすぎ、と指摘している相手は父であり(つまりア兵は銅像を出現させたのが父だと思っていて)、しかし父はそれに応答しない、ということ?
「それにしても、どうして今になって――/(え、わかんないの?)/藤十郎のこと――と、間髪入れず、ア兵は今度は声に出し、「連れて行かなかったらどうする?」」
読みにくくてわからない。「今度は声に出し」で問いかけている相手は父。なのでやはり前段から続く「さすがにやりすぎ」も含めて父に対する呼びかけ。
途中で切れている藤十郎のこと、のところは、「どうして今になって初恋の人である藤十郎と一緒にこの役所に来るように取り計らったのか」ということ?
p154までは引っかかりを覚えながらも何とかたどり着けるんですが、ここから先で一気に振り落とされるんですよね。でも、きっとここからが重要なパートなのでしょう。
p155あたりまで読み進めると、なんかまるっと総合すると、
この都市を作ったのが父であり、だから父が基本的になんでもできる(?)
銅像をいきなり出したりして遊べるのはそれを端的に示した描写だ
だから「父が決めたことだ。自分勝手に死ぬことを決めて、その埋め合わせにでもしてやろうと」初恋の人である藤十郎と二人で役所に赴くイベントを起こした
父の筋書に沿って物事が進んでいて、だけどそれが「悪くない」
p156「(ぐずぐずじゃん)」以下で、
この街は父が作っていて、
父が自分に死亡内定通知を届かせた、
父が死ぬに際して、だから街はぐずぐずになりつつある
ア兵も父が作ったのでありア兵がどのように考えるかは父の作意の通りだ
(本文と順序が前後するけど)でも父が死ぬからと言って街やア兵や藤十郎が消えるわけじゃない
地の文が父になっていて、カッコ内のア兵と会話になっている
この地の文で父が出てくることの先出しが冒頭の「そうだったのか」なのか
死を計算する機械も父が関与してるんだっけ→特別そんな説明は無かった
p158「すり潰される」「グラインダーのような機械で、喩えるならコーヒーミル」はこどもブロイラー感があり、その前のp154「ポイントが十倍ですので」とかの戯画化もなんかそれっぽい
ラスト、()が語りを途中で終わりにすることで(父の死を語らないことで)、父の世界を、ないしは親子の関係性をふわっとしたまま残存させることを狙っている気が。泣ける。
ここ緻密に作為をもって語られているだろコーナー
人称と焦点
冒頭だけ「私」、以降「ア兵」
一番最後の括弧内に「わたし」「わたしたち」が出てくる(「わたしたち」のところ、藤十郎と目配せしあってという記述なので、このわたしたちは、ア兵からみたア兵と藤十郎を指しているように読み取れ、したがってこの括弧内の「わたし」はア兵のように思える、が)
地の文の語りと括弧内の語り
括弧内は、単純にア兵の心内語や言い足しであるように見えるところと、そうではない主体が語っているように見えるところがある
ア兵が描写せざるをえないとか描写しようとしたとか、語りに対して括弧の内外共に意識的である
「そうだったのか」問題のところに書いたとおり、基本的に両方ア兵のように見えるのだが、使い分け方がわからない
単なるア兵の心内語や言い足しを超えて他者的であるように読めるところ:p125「あー、なるほどね」、p126「ははあ、発育が、いい、と」、p129「で、次はなにを?」、p131「そうですか」、p136「老人が流れるってそういうことか」、p137「誰かと会った?」、p139「同意する」、p141「「老人が一人」だったんじゃないの?」、p154「え、わかんないの?」
仮説1:地の文=父にとってのア兵、括弧内=ア兵と読めないか
p.154「やはり父は何も答えない(これだけ饒舌なのに)」饒舌なのが父だとすると、地の文が父の語りと読めないか
p.155「「しかも、初恋の人と」〜(中略)〜それは父が決めたことだ」藤十郎と行くことを決めたのは地の文のア兵だが、括弧内のア兵はそれを決めたのは父だと言っている。
父が自分が作った世界をたたむにあたって、それを外側から眺めているア兵の語りが括弧内の語りということ?(→仮説3)
この仮説が無難な気がします。前半は地の文と括弧内の思考かなり近いけれども、物語が進むにしたがって括弧内の自我が強くなって最終的に地の文から完全に分離するイメージ。親離れの主題?
仮説2:フィクションにおける語り手 vs 読者・作者との関係性の違いによって、地の文のア兵と括弧内のア兵を使い分けているのではないか
フィクション論はよく分からないのでよく分からない
仮説3:父が作った世界のなかのア兵と、外側のア兵の違いではないか(仮説1に近い)
安直なたとえだがVR世界のなかの父・ア兵・藤十郎を外から見ているア兵の語りが括弧内に書かれているようなイメージ
性別
ア兵には父がいて、母がいて、父にはでかいちんこもついているが(身体全体がでかいんだよ)、一方でア兵と藤十郎の性別は意図的に不明確にされている(あるいはそもそも性別があるのかどうか自体が定かではない)(ように読める)
藤十郎は我々の日本で言えば男と思われる名前だけど、「ははあ、発育が、良い、と」みたいなことがかいてあり(いやこれは別に背の高さとかでも一応は成立して、あまり手がかりではなくて、ミスリードされているだけなのかもしれないのだが)
ア兵は陰茎を備えていない様子の描写がある(これは割と明確なようには思える)
二人が同級生に囃し立てられたりする話からすれば、我々の日本の今の前提からすると二人が異性である蓋然性が高いという読み取りが生じるっちゃ生じるんだけど、強い根拠にはならないよね
ア兵には母がいて、とかいたけど、父は母がいたという体でいるけれど、ア兵のほうは(少なくともカッコ内の語りは)自信がなさそうだ p129「(そういえば、母のことが思い出せない、ほんとうに母などいたのだったか」p130「(ほんとうに母とやらに」
父がこの街を作ったという設定の本当らしさと嘘らしさ(おそらく語る視点によって異なっている)
この街のリアリティラインもですね。イオンモールとか書いてあるからいやらしいんだが、本屋が無限スクロールしたり、一点透視の商店街の消失点、とか、無限遠の太陽から光が届く、とか、つくりもの感を所々に出している感じがある
街路樹の果物が食えるのとかもゲームっぽい
予感はさせてくれるんですが、尻尾がつかめないんですよね。最後に全裸の男の銅像が出てくるところで「父にはこの世界の創造権がある?」と思わせてくれるんですが、これが決め手で良いのかと思うところもあり。
リスペクト先
タイトル「子供たちのための教本」
ドナルド・バーセルミ『死父』(柳瀬尚紀訳)(原題:The Dead Father)
読んだことないけど、死んだ父を墓穴に連れて行くらしい(?)
作中に「息子たちのための教本」(A Manual for Sons)という章があり、もとは独立して発表された短編が取り込まれる形となっているらしい
だからこれが説明書要素であると同時に、でかくなる父を墓へと運ぶという要素だろう。
紹介文
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
読んだことないけど、役所から死亡予告を通知された子どもを墓地に連れて行くという要素があるようで、その部分が子どもではなく父という形で引かれているのだろう。
エピグラフ
円城塔「良い夜を持っている」
読んだことないけど、異常な記憶能力を持った父親が、物事を彼の頭の中の都市のなかの事物と関連付けて記憶するみたいな話のようだ。
父が都市を創造しているという要素だろう。
鴻上怜「沼妖精ベルチナ」 
一言
説明書要素は……ない!
説明書要素が薄いので「社会を識る」という補足をつけてみたのですが、姑息なエクスキューズはよくない気がしたので最終的に削除しました
ISMSとかeラーニングとか、体温報告とか、数え切れないちりばめられたダメ総務・情シスしぐさが面白すぎる
アクションとバイオレンスが飄々とした文体によって綴られていて、何箇所も笑いどころがありながら、最後はハッピーエンドで締めるのが憎いですね。ベルチナかわいい。闇のジブリが映画化しそう。
とにかくまず文体が良くて、講談みたいな語りで無限に繰り出されるホラを読んでるだけで楽しいのがいい。こういうのが書きたいんだ……
あと鴻上さんがこうやって醸し出すサラリーマン的ダルさはいつも好き
めっちゃウケました。全体がユーモアに覆われているけれども、物語の土台が労働と人生過ぎる……。
出てくるものが全体的にぬめぬめしている。
細部
「もいもい食べはじめる」のいいな
のんのん、じゃないという工夫
https://d21.co.jp/akachan-ehon/
「オッドラときたらたいしたもんだ。」という最初の一文と「もいもい」でこの小説の雰囲気がみごとに提示されたな、と思いました(もいもい以外も全体的にオノマトペが良い)
ISMSを遵守するババアでめちゃくちゃ笑いました。
「eラーニングで学んだろ?」良すぎる。
物理的な情報セキュリティ対策。こういうのに弱いです。ああ面白い。
アクションシーンが上手すぎて、モーションまで想像できてしまうのが悔しい。
ベルチナに肉と骨が詰まってふくふくしているのは……→いい!
いいところを書き出したらキリがなさそうなのでやらないぞ
なにかと出てくるオッドラの自由気儘新入社員ぶり
「死と太陽を直接見つめると目がつぶれるから、労働というサングラスで保護してやる必要があるのだ」が名言すぎる。
あらすじ文の「そしてそれとは関係なく」ずるすぎる。実際本当に関係ないし。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p162「オッドラときたらたいしたもんだ。朝」〜
出社、データがぬるぬるになるトラブル
NULLs propagateってことでいいんだよな!?
こういうのをネタとしてメインにするのかと(あらすじ文での言及も含め)思ったらサクッと流されるのが良すぎる。
電子粘菌ってなんだよとかいろいろ言いたいことが多いんだが、それにつけてもダルダルの職場感が最高
ちなみにこのへんの「オッベルと象」オマージュはとくに別にどこにもかかってないですよね?なんなのもう!
「デウスに誓って」とかあたりの雰囲気くらいか?
宮沢賢治のあの作品も、象がブラックな労働をさせられる話なので、孤独な老象辺りでかかっているはず…
p166「オッドラときたらたいしたもんだ。内勤のくせして」〜
サーバー室に入り対処しようとしたらサーバ(ー)やまんばと遭遇し、追い返される(主人公の諦めが早いのもダルい感じでいい)
途中でダークソウルになるところとかいろいろ言いたいことが依然多い
老婆が退職再雇用の平社員とはいえ重役と昵懇かもしれんみたいな下りが良すぎる
p171「どのみち今日は仕事にならないから」〜
残業のうえ帰宅。ベルチナ登場、餃子、フェラ、そして我に返る
ベルチナの描写に主人公のドルオタ性が滲むところとかいろいろ言いたいことが依然多い
さっきの「同僚老婆を殴っちゃまずいよな」の我に返りの相似形としての沼妖精に舐めさせたらまずいよなの我に返り方!
p179「ヨギボーを掌底で押し込み」〜
主人公のしょんぼり、沼妖精は印旛沼の妖精である、印旛沼を襲う地上げと妖精婆率いる反対運動、その婆を探している、婆の道は婆
婆の道は婆ではないんよ
地名とか固有名詞のズラし方がいちいちずるい
p184「翌日、俺は」〜
ベルチナを伴って出社、おかげで職場でちょっといざこざ
このへんのなんか妖精とか学校に連れてきちゃったドタバタ的なやり口が良い
p188「サーバ室へ通じる」〜
ベルチナを伴ってサーバ室へ、セキュリティの観点からババアの攻撃を受けベルチナが死亡、主人公もピンチ!、一人情シスのヘモトにより助けられる
「何って、マシンを強制終了しただけだが?」をはじめいろいろ言いたいところが多い
p193「俺は地上へ戻ると」〜
業務への復帰、終業ののちベルチナを想い苦しむ主人公、オッドラに誘われてラーメンへ、オッドラによるベルチナの復活
いや!なんかいい話ふうに締めるんじゃないよ!
ベルチナシスターズが普通にかわいいんだよな
cydonianbanana「閲覧者」
一言
みんなだいすきメタ構造。
1:1地図、ヘッドセットの説明書、本書の説明書と説明書の多層構造が作られているのに貫禄がある。
描写しまくり系がしっかりできる体力、すごい。
タイトルからしてかっこいい。
感覚的なことをいいますが、潜っていく感じが気持ちよかったです。
ストリートビューの棒人間を地図へぽんと落とすあの感覚
視点を担う対象にの心的描写を排し、純粋なカメラとして作品全体を眺め回すスタイルはハードボイルド風でありつつも、選択したオブジェクトやシチュエーションにどこか回顧的で懐かしさを呼び覚ます効能があり情緒が失われてもいない。細部に神が宿ってる。物語構造を引っこ抜いて、物語の説明を試みたまさに「物語の説明書」だと感じました。すごい。
「覗き込む(=作中作に移行する?)とインデントが一段下がる」の使い方がうまい。最後できっちりおっと言わせてくれる……
これを軸にちょっと内容まとめたい気持ちがあります
インスパイヤを感じたもの
作中作に潜る、潜る、潜る、ドーンみたいなのはインセプション感
VRの多層性や、ヘッドセットを外すという行為への注目は、PROJECT: SUMMER FLARE感
そのワールド性というかVR的な題材を地図の話と作中作の議論に結びつけて小説としての強みというか特徴に繋いでいるのが良いですね
細部
細部に神が宿ってる。何度でも書く。
小説における情景説明のパラグラフ、その作法をレイヤー化して表現しているのが技法として新しい。私も感覚としては無意識にやっていることだけど、大枠から細部へと向かう描写の手法を字下げというかブロック分けで詳らかにしているのが「分かる」って感じでした。
「いま、あなたが見ているその地図、わたしが立っているこの場所は〜」から「たまらずヘッドセットを」へのジャンプが読み手の視点を物理的にジャンプさせている。そしてまた次のパラグラフで「潜る」。このジグザグ加減がたまらない。
文章に点在するこの切れ込みのちょうど境目の描写が好き。長すぎるエレベーターとか、バス停とか。モンタージュを多用した古いソ連の映画みたいで好きです。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p204「盛夏の日射しと」の段落
レイヤ0(便宜的にここをいったんレイヤ0とする。部屋の外)
p205「玄関の中は」〜
レイヤ1(部屋を進む視点)〜2(仕切りの奥や棚の中、置かれた説明書の中など)の行き来
男性の一人暮らしのように見える
っていうかばななハウスすぎるだろ!!
https://cydonianbanana.net/2022/02/06/%e8%87%aa%e5%ae%a4%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%aa%e3%82%a22022/
だからばななハウスをフォトグラメトリでVRChatのワールドにして閲覧者ワールドとして公開して欲しい
内側から鍵がかかった扉(レイヤ1)のむこうからくぐもった女の声がする(レイヤ2)
あとのほうでも女の声が出てくる
ウイスキー棚(レイヤ1)に並んでいる瓶のラベル(レイヤ2)から未来っぽいことがわかる
ただここは基本的に実在のウイスキーの名前っぽい?(「UMC2273〜」から出てきたりはしてねえ)
董啓章『地図集』からの引用(レイヤ2):ボルヘスの縮尺一分の一地図の話。考察ポイントだ
読んだことあるはずだけどぜんぜん覚えていない。っていうか、この 『地図集』-「学問の厳密さについて」-『賢者の旅』の(引用もしくは作中作による)重層構造がそもそも本作全体の示唆にもなってるのか
p212「《……作中作とは」
レイヤ2(部屋にあるコンピュータの画面上)
原寸地図についての話。ここも考察ポイントだ
emacsおじさん
p215「書斎の机に載っているものは」
レイヤ1(部屋にあるヘッドセットの描写)〜レイヤ2(ヘッドセットを被って見るなかで映写機)〜レイヤ3(映写機の映し出す映像と女の声)
レイヤ3の女の語りも考察ポイント
ファムファタール感
レイヤ3の最後で炎→レイヤ2の映写機も燃える→レイヤ1の部屋にも煙
p220「もうお気づきのことと思いますが」
いきなり3段階落ちて、ここまで出てきていないレイヤ4
「出口を」ということで、逃げてね的なことを言われる(お前は誰や)。このへんの語りの内容も考察ポイントだ
p220「たまらずヘッドセットを脱ぎ捨てると」
そしていっきにレイヤ0に上がる
冒頭では「屋外=レイヤ0、部屋のなか=レイヤ1……」であったが、ここでは「冒頭から一貫した描写をVR内と捉えなおしたときの、そこからヘッドセットを外した状態」がレイヤ0になっている(「レイヤ0」でインデックスした先がズレていることに注意)。これ言ってること伝わるか?
これは脱ぎ捨ててるヘッドセットが違う(一段上)のかもと思ったけどどうですか?
いや、むらしっとさんはそのことを書いてるのか。
ここはここまでのレイヤ1の「部屋のなか」と同じ部屋のなか(だが煙は出ていない)。「次の地図の記憶から」と言うとおりである
p221「踏み出した足が」
レイヤ1だが、先ほどの部屋(レイヤ0)との「ズームイン/アウト」関係が(すくなくとも一見)ないように見える。もちろん最初のほうからの「レイヤ1」ともまた別
「次は出口、出口」
いつもの伊豆要素
実際に伊豆市に出口という地名・バス停がある
p221「目の前に」
(空行を挟んで)レイヤとしてはマイナス1相当(本書の版面の上端より上から始まっている)
説明書を読んでるのにレイヤが変わってないとか、最初のほうで出てきた説明書とちょっと組み方が違う(階層でのインデントもあるし、空行も入ってる)とか
煙が出てるんですけど→お近くの非常口へ
目次の横のページの火気に注意っていうのと繋がる
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ari0921 · 4 months
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<正論>中国の空母にどう対応するか
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
新型空母「福建」の弱点は
5月1日から8日間、中国の新型空母「福建」は初の試験航海に出た。6年以上かけて上海の造船所で建造され、2022年に進水した。その後、係留状態で艤装(ぎそう)を施し、検査、試験などが実施されてきた。今回、東シナ海という実環境下で各種システムの検証が行われたことだろう。排水量は8万トンと米海軍新型空母に比べるとやや小ぶりである。だが既に実戦配備している「山東」(6万6千トン)、「遼寧」(6万トン)の2隻をはるかに上回る。
山東、遼寧がスキージャンプ方式で戦闘機を発艦させるのに対し、福建はカタパルト方式を採用した中国初の空母となる。ただ一般的な蒸気式カタパルトではなく、電磁式を採用しているのが注目点である。現在、電磁式カタパルトを実用化しているのは、米海軍原子力空母「ジェラルド・フォード」だけである。フランスの原子力空母「シャルル・ドゴール」は蒸気式を採用しているが、独自開発できず、米国からのライセンス生産である。
空母のカタパルト運用は容易ではない。米海軍は安全に使いこなすのに約40年かかった。電磁式を初採用したジェラルド・フォードはトラブルで起工から就役に7年かかった。中国は初めてカタパルト方式を採用したが、一足飛びに電磁式を採用した。軍事常識からすれば無謀に近い。電磁式は十分な電力確保が必要で、原子力空母であることが望ましい。通常動力の福建が必要な電力を円滑に供給できるか疑問視する声もある。
スキージャンプ方式による発艦では最大発艦重量が制限され、戦闘機の能力発揮が制約される。また艦隊防空の要である早期警戒機も、探知能力に劣るヘリコプター型しか搭載できず、空中警戒監視能力に弱点を抱える。
カタパルト方式では燃料、弾薬を最大搭載した戦闘機を発艦させることができる。さらに監視能力の高い固定翼の早期警戒機(KJ―600)が運用でき、山東、遼寧とは段違いに優れた戦闘能力発揮が可能になる。時間はかかるだろうが、諸問題を解決してカタパルト方式に熟達すれば、中国海軍の洋上作戦能力は飛躍的に向上するだろう。
なぜ空母を持ちたがるか
福建の任務は台湾有事の際、台湾東側の海域に展開し、米海軍の接近を阻止し、制海権を奪取することだ。米海軍を海域から排除できれば、台湾攻略は容易になる。最終目標は2049年までに西太平洋の覇権を獲得することである。近年、中国海軍力の増強は凄(すさ)まじい。艦艇数では既に米海軍を超えた。今後、福建型を4~6隻建造し、「原子力化」を進める計画があるという。
他方、対艦弾道ミサイルの登場、水中ドローンの出現、水中発射魚雷の長射程化などにより、空母はもはや時代遅れともいわれる。こういう時期に、なぜ中国は空母を持ちたがるのか。中国の梁(りょう)光烈国防相(2009年当時)は次のように述べた。「世界の大国で空母を持っていないのは中国だけだ。永遠に空母を持たないわけにもいかない」「中国には広い海域があり、海を守る任務も重い。中国の海軍はまだ力が弱く、発展する必要がある」
中国の空母保有は「中華民族復興の夢」「国威発揚と軍威発揚」といった政治目的が軍事的合理性に優先しているようだ。中国は今後とも空母保有に向けて莫大(ばくだい)な資源を投資し続けるだろう。早ければ10~15年後には、空母の戦力化が実現するかもしれない。
「無用の長物化」させる戦略を
安全保障の要諦は最悪を想定し準備しておくことだ。将来の空母の脅威に備え、無力化対策の検討を開始すべきだろう。「空母に対しては空母」の発想は、費用対効果上も軍事的合理性からも愚策である。各種対艦ミサイル、AI型ドローン、自律型魚雷といった空母の致命的弱点を突く先進技術が手に届くようになってきた。
現在、防衛省は長距離地対艦ミサイルや空中発射型対艦ミサイル、そして反撃力としてのスタンド・オフ・ミサイルなどを開発中である。だが空母対応としては不十分である。防御の余地を与えてしまう単純な攻撃手段では対応策にならない。多種多様な手段で空母艦隊の防御能力を飽和させて初めて無力化を強いることができる。空母の無力化に焦点を絞った空中、海上、海中の非対称兵器開発に着手すべきだ。同時に硫黄島の拠点化、要塞化も必要だろう。
対応策さえ準備できれば、日清戦争前の「定遠」「鎮遠」の如(ごと)き威圧効果で、大騒ぎすることはない。必要以上に恐れ、いたずらに騒ぐのは中国の思う壺(つぼ)である。
空母の運用には艦載機や早期警戒機だけでなく、随伴する艦艇群、潜水艦などが不可欠であり、莫大な予算を要する。中国空母戦力が完整した時点で、「無用の長物化」させる手段を手にしておけば、莫大な予算を無駄金に終わらせることができる。これが日本の採るべき戦略であろう。今すぐ着手すれば、十分に間に合う。(おりた くにお)
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manganjiiji · 1 year
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こはく雪積れ積れ
友人が結構復調してきているらしい。喜ばしい。私からはとくに伝えることがないので個人的なメッセージを送ってはいないが、周りの話を聞くとメッセージもスムーズなやり取りができるようで、とてもよかったと思う。私も何か言葉をかけたいような気はするが、こちらからは本当になんの報告もない。ただそのまま順然と回復していきますように、というのは皆が願っていることで、わざわざ私が個人的に伝えることでもないような気がする。そのような元気が自分にないだけの気もする。ともかく良い事です。本当に、もっと幸せになってから死んでもらわなきゃ困る。
今日は友人(こうこさん)の誕生日「苦肉の日」だった。昨夜21時半頃からもくり(通話スペース)を立てて、23:30になったらこうこさんお誕生日カウントダウン会場になりますと栞に書いておいた。そして集まった4人で(当然本人は寝ているので不在)30分前からカウントし、15秒前から数を数え、0時になった瞬間ハッピーバースデーを歌った。その後はもくりのタイトルが「こうこさん誕生日おめでとう」になった。本人は不在だが、祝いが届けばいいなと思い、その様子を今日報告した(やはり本人はまったく感知していなかった)。こうこさんには今年はかなりの、いわゆるキャラグッズをプレゼントとして送った(去年は洒落たボディソープなどを送った)。チェンソーマンとA3!のグッズ詰め合わせと、最近こうこさんがステッカー収集にはまっているので、ロルバーンの横型ノートと、その表紙につける透明カバー。このカバーに(もちろん本体にでもいい)たくさんステッカーを貼ってくれというわけだ。カバーを掛け変えれば別のステッカーの表紙にもなるし、ノートを使い終わっても、また別のノートにステッカー付きカバーを使いまわせる。無限大の夢が詰まった商品だ。すごい。あとかわいいジェットストリームがあったのでそれもおまけで付けた。友人のことがわかっていると、好みにジャストなプレゼントを送ることができていいな、と思った。無事に喜んでもらうことができ、安堵。こうこさん達の界隈というか、周辺では、誕生日付近になるとAmazonのほしい物リストを公開して、本を贈り合うのが慣例になっている。私も1冊送った(川端康成の異相短篇集)。明日着くと思う。みな誕生日前や誕生日後にもばらばらと届くように注文するので、誕生月は本が不意に降ってくる月になるらしく、お祭りだなあと思った。私は欲しい本があったらすぐ買ってしまうので、そういった催しには縁がない。また、読むべき本が意図せず増えてしまうのも苦手だ。本が読める人はすごいと思う。どんどん買ったり借りたりしてぐんぐん読んでいく。脳が強くてつねに空き容量があるのだなあと感動する。私は脳が貧弱で物語飽和症であるため、フィクションを摂取できる量が少ない。買う本はほとんど小説ではない本で、それさえも読むのが遅いし、積む。本日の時点で机の横に置いてある「今読んでいる本」を写真に撮ったものがたまたまあったので貼る。
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資本主義、民主主義、キリスト教、アメリカ、というのが相変わらず私の興味の中心だ。若い頃はもっと日本の歴史や思想にも興味があったはずだが、今はそのあたりへの情熱が薄れている。ミュージカル「ラグタイム」のパンフレットにもまだ目を通しきっていない。アメリカの近代というものに、私たち日本の今が凝縮されている気がして、ついそのような本を手に取る。ベスト・オブ・エネミーズの上映を友人(ことこさん)に薦められたのはたまたまだが、あまりにも私向きのコンテンツだった。舞台って、ミュージカルと違って歌のうまさを気にせずフィクションの世界にのめり込めるからいいな、ということに気づいた。そして英語を聞くのも心地いいなと思ったので、最近は数人の友人にアマプラで見れる洋画を沢山教えてもらった。物語としてまとまった英語が聞こえてくるのは楽しいな、脈絡がある知らない言語っていいな、と思ったので、内容が見えなくても流しておくくらいはしたい。寝たまま映画や動画を見るためにiPadを買ってはどうか、ということをいよいよ本格的に考えている。
数日前に、正式に退職した。次職も決まっていない。なんとなく応募してはいるが、たぶん決まらないだろうと思う。色んな人が私に仕事を辞めるように言ったし、そもそもどうせ続かないということもよく言われたし、その人たちの思惑通りというか予想通りになり、私は悔しいような気持ちもあるが、ただ、また敗けたのか、と思っている。私が働くことを無駄だと思う人、そんなことに意味は無いと思う人、私が働くと都合が悪い人、色々いる。私は前職の仕事も同僚も本当に好きだったので、退職したことはかなり悲しい。しかし、体が動かないのであれば、もう仕方がなく、私の「失脚」を望む人々の希望通りになった。それはそれで少し落ち着いた気持ちになった面もある。心配して言ってくれているとか、現実を見て言ってくれているとか、そういうことは頭ではわかっているが、私は単に仕事がしたくて仕事が好きなのであり、それを否定してくるということは私に死ね、今すぐ自殺しろと言っているのと同義である。と私の心は捉えている。これはもちろん拗ねているのだと思う。そのような捉え方はよくないし、幼稚だと思う。しかし、それでも、なぜ、私のやりたいことを応援してくれないのか、なぜ、最初からできない、やるべきではないと言われなければならないのか、そんなに私に「生きない」でほしいのか、と感じる心の動きは自分で押さえられるものではなく、自然発生である。私にとって生きることは働くことであり、働けなくなったら死ぬしかないと思っている���実際この世はそうだと思うし、そう思うことでしか生きていけないような個人的な事情が私にはある。そのことはカウンセリングでの先生との対���を通して整理していくべき課題だと思う。
仕事を辞めたことで、うつ状態になる確率が急上昇し、ふとした瞬間に、あ、ここで落ちたらもううつになるな、という「手前」を感じる。実際ほとんどうつ状態で寝ているし、希死念慮と自殺企図が一日おきに発生している。無気力はややましになったが、その代わりに、という感じだ。そのストレスにより、偏頭痛が頻発し、予防の注射を打ってもなお、毎日偏頭痛薬を飲んでいる。酷い時は朝も夕も飲んでいる。自炊する気力もきっかけもうしなって、とりあえずロッテリアをウーバーイーツで頼み続けているため、明らかにまた太ってしまった。ウエスト部分がきついと吐き気も生じやすい。まずロッテリアを食べることを辞めるべきだが、これも正気を保つひとつの手段になってしまっている。
なかなか正気を保てない。寝ているか、食べているか、余力があれば友人と通話する。さらに無理をして外出、勉強ができるときもある。今日はほとんど何もできなかったが、明日が期限の書類を速達で出すことができた。今日の成果はそれのみ���英語の勉強をしたかったなと思う。大澤真幸の『資本主義〜』も早く読み終わりたいのだが、段々話のレベルが上がってきて、そこまで早くは読み進められない(やっと第3章:増殖する知、勢いがどんどん増していき面白い)。マイケル・サンデルの『実力も運のうち』も、西洋思想やキリスト教にかなり突っ込んだ内容のようだったので気になって文庫版を結局買ってしまった。諏訪部浩一の『現代アメリカ小説探訪』も、かなり歴史の補助線として有難い。教科書的に(体系的に)アメリカ史を学んだことがあるわけではないので、独自の個別講義から得た知識で穴埋めしていっている感はぬぐえないが、このようなやり方も面白いなと思う。日本の歴史は小学校から徹底的に外枠から内実の順に埋めさせられたが、世界史(外国史)の知識は今のところほぼないので、内実から外枠に向かっている。果たして自分でアウトラインを説明できるほどになるのかはわからないが、できるようになりたいとは思う。しかしアメリカは広すぎて、地理知識が日本史の比ではない。連邦国家ということがそもそもアメリカの特徴的なすがたであるので、アメリカ史というのは、12から15くらいの国の歴史を学ぶ感覚になっている。ざっくりと北部と南部、西海岸、東海岸、と思ってはいるが、とにかく都市や州ごとにルーツの違う人達だし、ルーツの意識とは別に「アメリカ人」として育った意識もまた別にあり、縦にも横にも重層的な国だと思う。しかもこれが近代になってから作られた人工的な国なのだから、びっくりしてしまう。それでも現代日本人である私には、明治以前の社会よりは、アメリカ社会のほうがまだ感覚が近しい。そこにはキリスト教という絶対的な断絶があるけれども、その断絶を眺める作業はかなり楽しい。その仕組みさえわかれば、あとはだいたい私たちと同じ、と思えるので(というのも落とし穴だと思うが)200年前のことでも理解しやすい。日本だと、200年前の人というのは、その感覚をほとんど想像できない。同じ列島に住んではいるが異国の人だと思う、旧日本人は。それでも文化や宗教への感覚がほぼ変わっていない点があると思うので(勉強不足のため曖昧な表現だが)、前近代の感覚さえ掴めれば、霊的な部分の繋がりには、キリスト教圏ほどの隔たりはないように思える。
紀伊国屋ホールで「燕のいる駅」という芝居を見た。和田雅成さんが主演のため、友人(となりさん。和田さんの長年の、かなり前線のファン)が観に行っているのを見ていいな、と思っていたら控えめに薦められたので、そのままチケットを取り、話をした翌日、つまり昨日見に行った。帰宅しながらとなりさんにLINEで感想をぽつぽつ送っているうち、2人ともすごい熱量の文章を送りあってしまい、ひとつの演劇作品について、こんなにも自由度の高い読み取り方ができてすごいなと思った。私の感じたことは実はあまりなくて、ただ芝居のテンポやリズムがおもしろくて、そういうのがいいな、と思った。となりさんは脚本(物語)についてもかなり考えていて、私はそこまで深く考えて見ていなかったので、ほんとうに、観劇や読書というのは、受け手の人生体験に依るところが大きいのだなと改めて思った。二次創作の恋愛中心の小説でさえ、やはり読んでいる時は自分の恋愛観や人間関係の記憶が読む時の手すりになっている気がするし、人の数だけ物語がある。受け手が創造しているんだよな、と思う。私はこの、同じものを見たり読んだりしても、頭の中には違う物語が残っている現象というのがとても好きである。受け取り手がいて初めて物語は出来上がると思う。もちろん、書いている人も書きながら読んでいるので、書き上がった時点ですでに物語が1つできている。みんなそうやって、物語を読みながら、自分の人生に整理をつけて生きていて、偉いなと思う。私は読むことによって自分の人生の記憶と向き合うことを避けているのかもしれない。それはあまりにも大きな消耗を伴うため。読んでも読んでもすり減らないくらいに強くなりたいが、それはなろうと思ってなれるものなのだろうか。
2023.9.29
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