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#強迫性障害などに繋がります
okumaseitai · 2 years
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・ もしも 手洗いをそんなにしなくてもいいのにやってしまう!洗っているのはわかっているのに、何時間も洗ってしまう! 確認をそんなにしなくてもいいとわかっているのに、やってしまう! このようなことでお悩みの方へ ❶強迫行為をしてしまっても自己否定しないでください。自分を責めないでください。負けた〜と思わないでください。 ❷すぐに諦めないでください。諦めたら、そこで試合終了になります。逆に諦めなければ、チャンスは何度でもあるんです。焦らないでください。0.1でもマシになっている事を探してみてください。 できたことに注目してノートに書き出してみてください。 それはあなたが自分で経験した成功体験なのです。 後で見返すと「私ってこんなにできたんだ!」「私って、なんかいけそう!」と思えてくるんです。 大丈夫です! あなたならできます! #強迫性障害 #強迫性障害克服中 #強迫性障害の人と繋がりたい #強迫性障害です #強迫行為 #強迫性障害がジャマする #強迫性障害克服体験記 #強迫性障害は治ります #強迫性障害を乗り越えて #強迫性障害に気付くまで20年かかった話 #強迫性障害を克服したい #強迫性障害などに繋がります #強迫性障害は自力で治します #強迫性障害しってほしい #強迫性障害の子を持つ母 #強迫性障害の人との関わり方 #強迫性障害カウンセラー #強迫性障害ママ #強迫性障害の家族 (若江岩田駅から徒歩3分のおおくま整骨院) https://www.instagram.com/p/CmS6dSKJReW/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 2 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)5月6日(月曜日)
   通巻第8241号 <前日発行>
 全米40の大學キャンパスがパレスチナ支援の「学生」で占拠された
  2000名の活動家を逮捕。陰の支援者、胴元は誰か
*************************
 コロンビア大学を占拠した「学生」らは、プロの極左活動家から数ヶ月に亘って訓練を受けていたとウォールストリートジャーナルが伝えた(5月3日付)。なんだか日本共産党の暁行動部隊、極左セクトの革命夢想組、軍事組織まがいを連想してしまった。
 たびたび予測してきたようにアメリカは『完全な』分裂状態にあり、カリフォルニアなど20の州兵、武装民兵が首都ワシントンに攻め込んで大統領を殺害するという近未来映画「シヴィルウォー」が大ヒットとなっている。
 不法移民、中絶、LGBT、同性婚、大學ローン減免などで世論は真っ二つに割れ、従来のパターンとは異なった暴力的対決が迫る。地図的に南北に分かれるのではない。イデオロギーと政策的差違が未曾有の対決と分裂をまねきよせたのだ。
 
 この分裂をかろうじて抑止しているのが外的要素、すなわち中国の軍事的脅威、中国の軍事的挑発に対してのアメリカ人の敵愾心、反発である。
 ロイターの世論調査では58%のアメリカ人がTIKTOKは中国のスパイという認識をしていることが分かった(5月3日)。
 アンチ中国では共和党民主党を問わず、結束がみられる。
 トランプ前大統領のシンクタンク「米国第一政策研究所(AFPI)」が安全保障政策の提言書を発表した。
「米国第一の国家安全保障アプローチ」とし、「バイデン政権は中国やロシア、イランなど敵対勢力の抑止に失敗した」と痛烈に批判した。
 中国を最大の脅威」と位置づけたポイントに特徴がある。
「米国民の利益を優先させる」目的を掲げたトランプ政権の統治アプローチ」は過去の実績を誇示して、「米国第一政策のもと、トランプ前政権下では平和がもたらされ、20年間で初めて海外の新たな戦争に参戦しなかった」。
 一方、「バイデン大統領の不適格な指導力も加わって米国と世界の安全は悲惨な状況に陥った。アフガニスタンからの米軍撤退は敵対勢力に対して「米国の弱さ」をみせてしまった。以後、ロシアのウクライナ侵略、中国の台湾への威圧や北朝鮮の核・ミサイル開発の加速、中東でのイランや親イラン勢力の攻勢など不安定で危険になった」とする。
米国第一政策は「孤立主義」ではない、「アメリカは自由世界の指導者から後退するものではない」。しかしながらNATOなど同盟諸国と密接に協力しつつも、相互防衛に応分の費用を負担することが不可欠である。強固な同盟関係が敵対勢力に勝る最大の比較優位になる」と唱えている。(トランプは、或る集会では「EU諸国は安保に『ただ乗り』している」と発言している)。
AFPIは、「米国の安全保障の最大の脅威はウクライナ戦争ではなく中国だ」と断言し、「台湾への中国の侵略にそなえ、不可欠な兵器や訓練の確保など、『台湾関係法』に基づく関与の重要性」を強調し、日本に言及した。
すなわち、「台湾有事に関し最重要パートナーである日本に対し、「自衛隊の再軍備」に加え、東・南シナ海での中国の台頭に対抗するため他の同盟諸国への強固な支援が必要だろうとまとめた。
 ▼「中国脅威」とは幻影なのか、リアルなのか?
 軍事的脅威は張り子の虎の実態があるが、習近平の政治外交力はEU諸国の個別撃破にあり、ロシアとの強い絆の強化が狙いだ。
 経済的には国内の行き詰まりからの打開は輸出増大にあり、外的要因によって経済の活性化を図ろうとする中国である。
��ステノ・リサーチCEOのアンドレアス・ステノ・レーセンは『人民元の劇的な切り下げが近い』と予測する。
レーセンは中国の『戦略備蓄』の激増ぶりに注目し、とくに金備蓄が17ヶ月連続で戦略的におこなわれており、「経済戦争での核兵器に値する」。
何故なら中国は、人民元切り下げで輸出競争力を強化し、外国資本を再び呼び込むことになるからだ」とした。
 「外貨準備の通貨の多角化、とりわけ金備蓄増量は中国の戦略的動きだが、世界経済に緊張感を深めるばかりか、人民元安は輸入代金をかさ上げしインフレを将来する。サプライチェーンが混乱することになり、人民元切り下げをおこなう環境ではない」とするのがコーネル大学のエスワープラサド教授(元IMF幹部)だ。
 経済のアキレス腱、中国の脆弱性のどこをアメリカは攻めようとしているのか。いずれも参考にはなるが決定的な政策立案へは繋がらないかもしれない。
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manganjiiji · 1 year
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水溶液回す
私はもしかして…なにか、こう、外界からの刺激を、大きく受けとりすぎている…!?そもそも肉体疲労が…!?といういつもの暗黒思想を経て、なんというか、それに加えて今回は自律神経が変調をきたしているのではないかと思いました。寒暖差。そして部屋の温度調節にいまだ慣れていないこと。引っ越して20日は経ちました。
外界からの刺激をたくさん受け取ることが私の健康維持のためにはかかせないのだが、それが許容量を超えるとおそらく、ばた…。と受容のための神経が死んで、急激なうつ状態がやってくる。そこに肉体疲労が加わっていると薬の効きが悪くなるので、とにかく疲れすぎないこと、あまり大きな「(肉体疲労を伴う)体験」をしないことでうつ状態を回避できるのだと思うが、社会的にそうもいかない場合というのがあり、もうどうにもこうにも。ここ何日かうつ状態が寄せては引いてを繰り返しているし軽度の希死念慮も来たし、とくにストレス要因と思われるものもないのに、ご苦労なこった。ほんとによ。はあ。対抗策として、体力を徐々にでいいから増強していくこと。かすかに、少しでも、運動量を増やしていくこと。まず朝、ラジオ体操とフォームローラーをやろうと思うのだが、夜風呂に入ってから寝るというのも大切だと思う。風呂に入るとかなり疲れるし発汗するので。また風呂に入った時にシャワーを浴びながらストレッチするのが習慣なので、風呂に入らないと肩が凝ってしまう。まあ頭を洗うのは1日置きでいいとしても、運動量のために風呂は毎日入った方がいい。ということに今気づいた。
今日何か日記に書こうかなと思ったことがあったが、忘れた。その程度のことだったのだろう。増田(はてな匿名ダイアリー)の「子供を産まなくて本当に良かった」というエントリを見て(非常に頭が良く冷静な書き口でおもしろい)、なんとなく、まあこういう考えの人は多くいるよなあと思う。みんな自分の好きなように生きる選択をして、それでも社会が成り立っていくようにするにはどうしたらいいんだろう。私は人間1人あたりが新しい人間1人を生み出さないと、次の世代の負担が爆増してもっともっと厳しい貧しさが到来するぞと思ってすぐ悲しい気持ちになってしまうのだけど(既に私たちの世代が厳しい貧しさを体験している)、次の世代の痛みなど知らぬ、という人もそりゃいるか。とは思った。確かに。でもそれってあんまり大人らしい態度じゃないなと思った。自分が属するグループ、組織、社会の将来を良くする=人類を良くするために生きるのが、人間ってもんじゃないのか。もちろん、次の世代の苦しみが少なくなるように政治でなんとかしようという動きが今後出てくるかもしれないし、団塊、そしてその次に団塊Jrの世代が死に絶えてやっと人口分布がまともになり、若い世代が苦しまなくなる、という、その時代到来までの半世紀くらいで、日本人の貧しさによる精神ズタボロ度はすごいことになってしまうんじゃないか。心配である。私は人口が漸減していくことには概ね賛成だが(そんなに多くの子供をかかえる余地はもはやこの国にはないし、実際的に仕事に必要な人間の数はこれからどんどん減っていく)、ドデカい退役世代を、細々とした現役世代が養うというのは、無理があるし、つらい。今の退役世代はまだ貯蓄があるからいいが、団塊Jrが退職し非労働人口になった時に、彼らの生活を金銭面でも身体面でも、現役世代が支え切れるのかは本当にわからない。年金制度の崩壊と言われる2025年は2年後に迫っていて、そこから本当の地獄が始まると思う。すごく極端で非倫理的な話をすれば、老人達が長生きしすぎで、これは現行の年金制度を作った時には想定されていなかったと思う。そして、老人というのは家や車を新しく買うことはないので、まとまったお金があってもそれを経済に返還できない。子世代の建てる家や土地にどんどん老人たちがお金を出してやればいいと思うのだが、それはそれでしがらみになりそうで、難しい問題だと思う。そうして遺産相続の時が来る頃には、子世代ももはや退役している。長生きしすぎである。頼むから70くらいで死んでくれ。私も70くらいで死にたい。70くらいなら子世代もまだ40とか50のはずで、孫世代の教育費に遺産を宛てたり、新たに家を建てたりできる。ただ、孫の世話をまかされている祖父母を考えた時に、70は早すぎる。かもしれない。私の祖父は80で死んだ。祖母は認知症を発症し、施設でまだ生きているが90を過ぎ、これは生きすぎだと思う。ただ、戦前生まれの体が頑丈なのであって、敗戦後に生まれた人々はもっと軟弱で、そんなに長生きはしないと思うし、生活習慣が変わったことによる病気も多いと思うので、平均寿命は現実的には80弱くらいになって欲しいと思う。介護現場の人手不足は国の縮図で、少ない現役世代が、自分たちの数倍の人数の入居者の世話をしている。
下の世代が苦しみながら、「もうじゅうぶん生きた、早く死にたい」と言っている世代を支え続ける構図は続く。ただでさえ老人の数が多いところに、出生率1.3というのは、「1.3人の人間の働きで(金銭的にも身体的にも)2人の老人を養う」ことであるから、国が必死になって子供を産ませようとしているのは確かに理論としてはスタンダードだ。しかし、子供を産み育てる土壌があまりにも貧しくなってしまったために、子供を持つことはかなり難しく、私にはもはや特権化しているように見える。経済面、また、身体面および精神面で一定の条件をクリアし、他人(異性)と生計を一にすることができる人、というのが、現在この国で子供を持つ権利がある人々である。ここがもうかなり狭き門のように思える。異性愛者または子供のために異性と性交することができる人、かつ、健康で共働き+家事+育児ができ、子供の教育費を過不足なく捻出できる人。で、できねェ〜〜〜〜〜。こんな…ハードモードすぎるってばよ。加えて出産(初産)は30までに済ませておいた方が体の負担が少ないので(と私は思っている)、20代で仕事をしながら、人生のパートナーが誰なのかを見極め、その人と着実な関係を構築しなければならない。ウワーーー!難しいよ。私は友人からもきつく「お前は子供を持ってはならない」と言い含められているとおり、そもそも治療薬の関係で妊娠ができないし、おそらくこの病状では育児にも耐ええないだろう。その前にパートナーがいないことも大きな問題だ。私のような「外れ物」が子供を持てないのはまあ当然として(本当は「家族」というものが欲しかったが…)、それなりに普通の生き方をしている多くの人が、上述のなんらかの条件をクリアしていないために、30年前なら結婚出産をしていたであろう結構なボリューム層が、非婚のままである。ただ、30年前のように誰でも彼でも結婚出産しましょう、という風潮だと、本来その能力のない人が親になり、私のようなアダルトチルドレンおよび精神障害者が大量発生してしまう。正直、親世代の雑な育児のツケが回って「結婚できない」という人もかなり多いと思う。それを言い出したらキリが無いかもしれないが、ちょうど戦後に生まれた人達というのは、目まぐるしく変わった価値観を土台にする社会を生きながら、親は戦前の四角四面な道徳観念をもっており、それによって躾けられるという、かなり不安定な人達なのである。既にこの世代からして。大人の「未成熟」というのは、敗戦後生まれた人達から始まる問題だと思う。「未成熟」という言い方はよくないかもしれないが、大人としての役割のひとつだと私が思っている、「子供が1人で生きていけるように育てる能力」を有していない人が、この辺りから大量に出てくる。または、戦前はそこまで個人の責によらず、社会全体でなんとか、どんな子も生きられるようにしよう、という、厳しさ前提の優しさがあったのかもしれない。たとえば子供がだめでも、孫が優秀かもしれない。そうやって、とにかく世代を繋いでいくことが優先されていたのは、日本の古来よりの習慣(家制度)である。敗戦により、新自由主義、個人主義が「日本人なりに」受け入れられた結果、家制度は解体され、本人の希望によってパートナーを見つける形に変わった。それが時代の進歩というもので、これが「自由」である。どんなに下の世代が辛い思いをしようと、私たちは「自由」を手放してはならない。破れ鍋に綴じ蓋だったり、不均衡だったり、時には大きな問題のある相手を宛てがわれてする結婚は終わり、自分にとっての最上の相手を探す時代が訪れた。そこで、今まで「宛てがわれて」結婚していた層の「問題のある人達」は結婚できなくなり、子供の数は減っている。これは、その人たちの遺伝子が淘汰されるならいいのでは?と一瞬思うが、遺伝というのはそう単純なものではなく、最悪な親からでもまともな子供が生まれたりするので、とりあえず宛てがって産ませよう作戦は、生物の生存戦略としては優秀賞だと思う。ただし私たちは人間なので、やはり「自由」を捨ててはならない。子供を持たない人間たちは、その仕事によって次世代になんらかのものを残すしか手がない。私たちは「自由」だと体を張って証明すること、そして、自分より後に生まれる命のために、少しでも貧困の構造や社会制度をよりよいものに作り替えておくこと。これは子供を持っている人ももちろんやっていると思うが。私は結局子供は社会で育てるものだと思っているので(親個人の責任はそこまで重くするべきではない)、実際に子を持たない人でも、その働きはひいては次世代のためのものなのだから、誰が子供を持っているとか持っていないとかで揉めるべきではないと思う。
さて、寝ましょう。
2023.6.5
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iconomiccc · 2 years
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tagged by @katebvsh to list seven of my favorite films.I would like to thank my friends who always take an interest in me and care about me. I would be happy if it was an opportunity to meet good works. それぞれのタイトル下に解説文をつけました。ネタバレしているので嫌な方は読まないでください。I've added a commentary below each title. Please do not read if you do not want to spoil the content of the story. カラスの飼育~Cría Cuervos~ (1976) 高校生の頃にカヒミ(kahimi karie)のアルバムでカバーされていた「Porque te vas」という曲で知って見た映画。カヒミさんは主役のアナ・トレントが自分の幼少期のようでシンパシーを感じると言っていました。私も同じように感じたのかは初見時はよくわからなかったけど、とにかく湿度の高すぎる古めかしい屋敷の中の空気のように重く苦しいストーリーなのに、24時間ずーっと流していても気分が良い不思議な映画だと感じました。やはり自分の感性に似たものを感じて懐かしかったんでしょうね。 汚いことがたくさんある大人の世界に対する子供の鋭い視線、汚い世界で生きていて死んでしまった大好きな母親に対する愛、でも大きくなれば自分もその汚い世界に入っていくのだ、望む望まずに関わらず。それに対するどこまでもピュアな嫌悪感・拒否感が彼女を殺人に駆り立てたのではないだろうかと思っています。 アナの子供特有のスラリとしたお人形のようなスタイル、髪型、顔立ち、衣装、とても愛らしくて全て完璧。スペインの田舎の草原はどこまでも終わりがなく続いているようで、物語と同じく、救いなく連綿と続いていく人生のような寂しい風景だと感じました。 夢 (1990) 黒澤明とスティーブン・スピルバーグの合作。 高校時代の同級生に親が映画マニアで家に死ぬほどテープやDVDがある女の子がいて。その子と私がたまたま天気雨(狐の嫁入り)という気象現象に遭遇した時、私が「天気雨大好き!!」と言うと、「黒澤明の夢って見たことある?狐の嫁入り行列の映���があるんだけど、霧深い杉林の中で子供時代の黒澤明が狐に見つからないように隠れて嫁入り行列を見るの。その時の狐たちがリズムに乗って歩いていて、三歩に一度突然ぐわっと後ろを振り向くのが怖くてねー」って。 それがずっと記憶に残っていて、見てみたら最高でした。まさに私が思い描く通りの狐の嫁入り行列の映像化。見つかったら殺される、と言う緊迫感を忘れさせるほど幻想的なシーンで、何回も繰り返しみてしまう。 同時収録されているお雛さま人形たちが段々畑で実際の人間の大きさになって花吹雪の中舞い踊る話も大好き。黒澤監督が幼い頃にみた夢の映像化作品なので、ストーリーにあまり意味はないけれど、とにかく映像が美しいです。 The Addams Family (1991) 24時間ずーっと流してても苦にならない不思議な映画二作目。これもカヒミさん繋がりで知り好きになったもの。 中学、高校時代の私はカヒミカリィという人の感受性に痺れるようなシンパシーを感じていて、彼女が理想の姿でもあったけれど同時に全く自分と同じ悲しみを含んだ魂の形をしているなとひしひしと感じていました。懐かしい、いつも私が感じているもの、好きな感じ、落ち着く感じ。 カヒミさんはアダムスファミリーのようなお城で暮らしたい、世間と常識が真逆であっても家族の中では愛や信頼が成り立ち、幸せに暮らしていると言う姿が理想的とおっしゃっていました。アルバム「クロコダイルの涙」収録の「superfreak」はまさにその世界を彷彿とさせます。 私も赤い絨毯に蜘蛛の巣のはった不気味な古城に暮らしていた前世があると思う。世の人の不気味に思うものが私の美を感じるもの。 お気に入りキャラはイケてるいとこのモップさんとペットの賢いハンドくんです。可愛すぎ。 Nell(1994) ジョディ・フォスター主演。ノースカロライナ州の深い山奥、美しい、湖のほとりにある木でできた家。そこに住む言葉が不自由な現代版狼少女のネルと医師のジェリー、心理学者ポーラ三人の心の交流・家族愛が不器用に育つ過程を描いた物語。体は大人だけど心は幼児でもない、小さな子猫でもない、不思議な存在であるネルと関わることで、常識の中で生きてきた普通の大人の男女二人が、一人の生き物としてそれぞれネルを守ろうと変わり始める姿に胸を打たれる。 私はなぜか小さい時から泉や水辺で水浴するという行為やシーンがとても好きなのですが、ネルが夏の夕方、森の中の湖で泳ぐシーンがすごく好きです。なんだろう、体が溶けて揺れて大気と水と一体になるような陶酔感。 真っ当に育った人間ではない存在であるネルが社会に復帰するために街に出るシーンは人々の好奇な目線やからかいに胸が苦しくなるのだけど、それをも乗り越えて人生は変化をし続けながら続いていく。目と心を世俗の汚れから洗ってくれるような作品。 Digging to China (1998) 実家にいた時衛星放送で偶然録画してすごく気に入った作品。まず登場人物全員の衣装やメイクや背景が半端なく可愛くて感心する。(一番の推しは主人公のお姉さんが妹捜索時に着ていた透明に白のドットの雨ガッパ) 思春期前の少女と知的障害ゆえに少年のような心を持った大人の男性の不思議な友情を描いた素敵な作品。 リボンのついたキャンディーのように可愛くて、でも油断してたら包み紙で手を切ってしまって血が滲むような、なんとも言えない純粋さと可愛らしさが混ざった妙味ある童話みたいな映画。大好き。 かぐや姫の物語 (2013) あまりにも打ちのめされるので気軽に繰り返し見たいという作品ではないけれど、強大な力を持っているので選ばざるを得ない。 鬱病から社会復帰するときにリワーク施設に通っていて、そこでのプログラムで映画鑑賞というものがあり、月に二、三回スタッフさんの持ってきたDVDを見ていて出会いました。 もう、上映後は泣きに泣いて震えて頭が働かないくらい衝撃的でした。 このDVDを持ってきた支援員さんに、私が泣きながら「○○さん、これ。私、わかった」というと、彼女も目を潤ませながら笑顔でうなづいてくれたことを覚えてる。 これは竹取物語という昔話の単なるリバイバルではなく、「この地球で生きるとはどういうことなのか」「人間は死んだらどうなるのか」を描いた物凄く重い作品です。 これは、「この世に生まれてきて、自分を愛してくれた両親が望む娘の幸せと自らが望む幸せが合致せず、親のためにとひたすら自分を殺し続けた結果、苦しさに耐えきれなくなり自殺に至る娘の生涯」を描いた作品なのです。 姫が帝に抱きしめられて瞬間移動ができているのは、もう半分死の世界に行っているからです。生身の人間にあんなことはできません。最後に月の使者が迎えに来るのは文字通り死の世界からのお迎えです。兵士たちの放つ矢は全て花になってしまう。死の前にはどんな権力も力も通用しません。 羽衣を着てしまえば地球でのこと(生きていた時のこと)を全て忘れる、躊躇した姫に親の愛で動けるようになったおじいさんとおばあさんが駆け寄ったとき、「ととさま、かかさま!!」と泣きながら振り返り、二人に抱きつきながら「離れたくない!!」と叫ぶ姫のセリフは、「死にたくない!!」という生への執着、生への恋慕の叫びなのです。 死んだら無の世界に行きます。生きていた頃の記憶は全て忘れて、喜びも痛みも悲しみも何もない光に満ちた世界に行くのです。 姫が地球を飛び立ち、宇宙を月に向かって進んでいるとき、ふっ、と振り返って青い地球をかえり見たとき。一粒涙を流したのは、喜びも悲しみも苦しみも全てが咲いては枯れ、沸き起こり、繰り返されている、生の世界の営みを愛おしく思う心の表れでしょう。 今生きていることが途方もなく尊いことだってことは普段、忘れてしまいがちなのですが、見た後にそれを思い出して自分を抱きしめたくなるような凄い映画です。 中国の植物学者の娘たち(2006) フランスとカナダ合作映画。監督は中国の方ですが同性愛を描いた作品のため中国では撮影許可が降りず、ベトナムで撮影されたもの。 映像も俳優さんたちも風景も全てが物凄く美しいけれど、物凄く悲しいストーリー。二人の愛が本物であったが故に、その愛の花が咲く大地が中国であったというだけで最後、二人は死刑にされてしまいます。 私は植物が好きなので画面に溢れんばかりに写り続ける緑と水と土の香りにとても癒されます。二人が出会い、互いに恋心を抱くようになり、少女のような淡い確かめ合いの時期を経てむせかえるような花と緑の中で激しく結ばれる。しかしその愛はこの人生では許されないものだった。関係が露見した二人は不幸になり、周囲から孤立し、ラストは死に別れるというとても辛い結末。 人間の幸福とは、国家とはなんなんだろうか?考えざるを得ません。 私は異性愛者ですが、幼い頃から同性愛者の人たちに不思議なシンパシーを感じていました。なんなら、そこらじゅうに在る異性愛よりも日の目を見ない同性愛の方が純粋であるとも思っていた。 どうして、同じ性別の人を愛しただけで罰せられなければいけないのか理解不能でした。愛の感情は人間に等しく与えられているものなのに。 見た後悲しくて胸が潰れそうになるので、これも気軽に何度も見ようとは思えないけれど、しかし心に残る作品です。
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niyuuhdf · 2 months
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冷泉慧鶴 設定と発言まとめ
愛はひとを黙らせる … 硬直させる 変化を禁じる 思考を捨てさせ 自主性を奪い 生存の幅を狭め 反撃の意思を挫き 抵抗する相手を悪者に仕立てる
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作者から割り振った疾患・病名:強迫性障害、摂食障害、複雑性PTSD、毒母(潔癖・拒食・愛を悍ましく感じる)
本名:?????(ローマ字) PN:? あだ名:?
?小学校→?中学校→?高校→?大学入学、同校卒、?学部?科?コース?ゼミ
?歳 ?年(平成?年)?月?日生まれ ?座 身長?㎝ 体重?kg ?型
家族構成:? 実父:? 実母:? (主治医:?)
髪の色:? 目の色:?(虹彩の模様:?) 肌の色:?
趣味:? 好きなもの: 嫌いなもの:
イメージ:? モチーフ:?
体質:?
外見:?
内面:?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
愛すること・愛されること・愛そのものが理解の外にある(という自認?)。知性や理性で了解はするものの、根本的な理解からはどうしようもなく阻まれる。 冷たく透徹した瞳でそれらを流し見て生きるしかない。 愛への凄まじい嫌悪感は、実際にはそれへの渇望から来るものではないかと本人も理性では考える。 が、メタ設定としては、冷泉さんにはそういう捩れはなく、愛への嫌悪や諸々の悪感情は生来のもの。愛憎両儀的でなければ発生しないはずの愛を生来ごっそり欠いた精神構造。 冷泉さん本人も、愛を一概に単純化(例えば優しく暖かく許し抱擁するイメージ、などのように美化されたものなど)して捉えてはいないからこそ、「根本的に他人と情緒面でどのようにも関わることが不可能な自己」を、もう諦めている。 ※イキヤ曰く「諦めてしまった人のように見える、けど諦められないからあんなにもすべてを憎悪している。だから誰のことも嫌わない」 冷泉さん本人があまりにも社会の中に自然に溶け込んでいるのは、本人が自分をごっそり無視しているから。社会と自分が軋轢に晒されて苦しむことは起きない。完璧に作り込まれた社会的な外面には、宿るはずの人の心が乗っていないが、本人が知識と知性で補った人間の情緒にもっとも近いなにかを意図的に纏わせている。そこまで人間に接近してもなお、それを冷泉さんは自分の中に宿った本物のなにかだとは感じない。 根が生真面目なので、人と関わろうと試みすぎて疲れ果てた結果の今の姿。そこまでには、自分にも人並みの精神構造があるはずだとして、無理やり生み出した人工的な苦悩、葛藤、矛盾を手放さずにわざわざ苦しみ続けた人生がある。 例えば母親。冷泉さんは名廊直人にも「結局関われなかった」と思っている。 実は唯一イキヤに対してだけ、人間的な感情を抱いている。幼いイキヤに加害を強要されたことで、イキヤのことだけは本当に嫌うことができている。イキヤのことを気にかけながら生きているのは、他のすべての他者へ分け隔てなくそうすることと表面上は似ていても、実はまったく異なるもの。
ーーーーー
真澄が冷泉さんのこと大事に扱ってくれるから なにを搾取するでもなく、蔑ろにしないでくれる 冷泉さんは自分が大事にされたり報われるような世界が許せない 自分を虐げた世界を肯定するために世界にその在り方を崩すな、一度虐げた者へ最後まで筋を通せ、 みたいな怨念 が、自己として根付いてしまってる 大事にされたり報われると、虐げられた自分をさらに何重にも踏み躙られるようでくるしい この怨念がなきゃ今日まで生きてこれなかった 自分にはどうにもできない
「… ーーーーーー…」 冷泉さんの顔から一気に血の気が失せた… 蒼白 死体みたいになって呆然と表情なくした 「…抑え難い な たしかに これが … 同い年のガキどもに俺を凌辱させた原動力 ………理解を 拒み続けるわけだ 俺が 」 唇引き攣ってうっすら笑んでいる… 真澄「そいつを抑えられるのが愛だ、とする文化もあるくらいですしね」巨大な感情を抱えるほど苦しむことになるわけだ。…相手と結ばれない限り。題材として昔話にも取り入れられてきている 人魚姫がこの文化的傾向を帯びたのも恋愛が横行し始めてからでしょう。ありふれたものだからこそ共感される。それ自体は生理現象だがそいつさえ持て余したなら他者を凌辱する行為などに繋がる …」 「そこまで人間が真摯なモンだったら俺も理解を拒んだりはしなかったろうにな… あれは 遊び半分だ 持て余すほどの感情があったかどうか…」 真澄「ねえよ」違うんだ 真澄「だから凌辱だ それは 許さなくていい」… 真澄「悪いことは無い」あなたに悪いことはない 何も 「やめてくれ それが一番受け入れがたい やめてくれ やめてくれ… 」 ←自分が悪くなかったことが受け入れられない
イキヤ「生き霊 みたいな …。」 本人の体に取り憑いてる怨霊…生き霊… 「…ほぉーん。」 ※冷泉さんかなり核心ついたワードに感心しているし内心グェッてなってるww
冷泉さんのことを「ガラス細工」っつったの稔さんだからな… 透明で 自分自身の内側の屈折でしか見てとれない 触れてやらなきゃ居ないも同然 壊してやらなきゃ面白みが無い
真澄に「今は触れ合いたくない」てふうにだけ言われたり態度取られると、その由来が分からなくて、真澄の心理的な拒絶感とか感情面のほうを��大してとっちゃう(これは���泉さんの考え方のクセっぽい)んで、勝手にグサっときて→勝手にグサっときてる自分が浅はかでつけあがってて吐き気がするみたいな自己嫌悪でしぬ、みたいな悪ローテ組まれてる
冷泉さん自分が吐くとなると吐き慣れてるから、逆に今の真澄みたいな嘔吐への正確な対処は知らない
 「苦しすぎるって限界のラインでもありゃいいのに… どれだけ苦しくても発狂できるわけでもねえショック死するでもねえ …きっついなあ… 」
どうしても言葉にはならないものを相手に伝えようとするとき 身体を駆使したくて でも相手に伝わるために充分な触れ方をしようとして足掻いてもその100分の一も身動きできない無力な身体がある 全力振り絞って走っても走ってもひたすら追い抜かれて置き去りになってくばかりのような身体に 疲れている 言葉にならないものを示せないならと相手から向けられるものに応えて受け入れようとする悪い癖が付いた
実母が代理ミュンヒハウゼン症候群だた
可愛がられて愛されて構われることで、相手から褒められるその姿かたち以外の選択肢がすべて根こそぎ絶滅してしまう
俗に言われる潔癖症の人が他にも苦手としやすいものとかは、案外平気だったりする 潔癖症でなく強迫性障害 結構ムラっけもある 今日はそれほど強迫強くないから今日中に郵便受けとろう、とか ピッカピカにし過ぎそうになってほどほどにしておく…
「洗いすぎねえように気をつけてんだよ」 強迫体質、丁寧に洗ったり何かしだすとやばいレベルまでいってしまうのでな
ヘアオイルとヘアミルクと高価なドライヤーで毎朝ヘアセットして髪の毛を僅かに切り揃える。時が進むことを忌避・拒絶するかのように。
「俺はあれこれメンテナンスしねえと …縛りがなきゃ生活サボるからな」 逆にいうとかなり放置してもサボっても死なない身体である
冷泉さん基本的にお風呂のお湯に浸からない生活 風呂大嫌い
冷泉さんは肉系を消化できるのか本人にも謎 少量ならいけるのかもだが  ベジタリアンな家庭で育った
この人は夜型人間…(°▽°) 朝弱いのをいつも頑張って取り繕ってるが
ほぼ骨だからフローリングとか硬い床と当たった箇所は、ぶつけてなくてもひどい青痣になったり関節グキャッとなったり攣りやすくなる めっちゃあざができやすい
真澄: …僕が する程度の、「何もしなさ」さえ、誰からも与えられて来なかったのか? (その通り) 先生案外コミュニケーション下手ですか?100-0かよ…関わるたってそんな一気に覚悟しなくていいんですよ。 「今更… 俺は拗らせたコミュ障だぞ。自分のコミュニケーション不全の負担を周りに適度に分散させて優位性を相手に感じさせることでうわべの関係を円滑にしてんだ」苦笑…
真澄: 今までの関わりが侵略されてばかりで侵略を伴わないものを深く関係していると思えなくなっている  なるほど、侵略がない、って、冷泉さんにとって、「?」だ… そこになにかがあるように感じとりづらい そんなやさしい関わりが成立して肯定される世界が許せなかった…か
真澄の着音にビクッ!としてたみたいに 環境音以外が鳴るとめちゃビビる というか環境音に常時休みなく緊張状態で耳を研ぎ澄ましてる
冷泉さん、コーヒーの匂いがするとご機嫌になる 自覚ないが チョコレート大好き…コーヒーと合わせるともっと好き…
冷泉さん無表情だとめっちゃ神経質で冷たい感じになるから本人も意識して表情豊か
おしゃべりすきなんよ冷泉さん…( ・∇・)そこだけでなら講師は向いてるほうなんかな…??
冷泉さんの服は武装であり拘束具であり…てかんじだから、自分が楽で過ごしやすいように自分に合った服を自由に着てる人のことは好きだぞ だらしないとかダサいってふうにはあんま思わない
「椅子は椅子だ… 擬人化して貶める趣味はねえし、こっちから触れるほど孤独が身に突き刺さる」
「言葉そのものにそれほど重心置いてねえからな…」←タルムード的な、内容ある議論や結論ありきの会話ではなく、対話し続けること、終わらせないこと、問い続けあうことと、その間に発生する言葉ではないものを重視する 「その辺は師匠の受け売り」 「大学での恩師…つっても教授ってわけじゃねえ…絵描き、かな 今はペンネーム使ってあやしげな漫画家やってる」 自分となるべく遠そうな人を師に選ぶ冷泉さん、うかいさんのこと。
長身だった父親、もっと伸びるはずだったかもしれない事件後にピタッと伸びの止まった自分の身長
床に直座りだと正座が一番楽 というかそういう育ち… 背筋きれいに伸びてないと相手を軽視してるみたいな…ふうに
なんか もっとしんどい 内臓ぐちゃぐちゃに引き出されて尊厳を地の底まで落とされてさらに汚れた靴底で開かれた内臓の底までかかとでグリグリ踏みつけられるみたいな体感が長かった
布団握りしめた手が震えて内臓しんどいのが全身にひやあああああって 自我ごと吹き飛ばされて無くなりそうな体感に襲われる… この冷泉さんが公式設定通り性的不能だとすると、身体的にどうあるのかで事情が変わってくるのかな… この体感きたら問答無用で射精して服汚してしまった可能性もある…? ひやあああああああああああああ っていう体感、強すぎる性的な絶頂かもしれない、けど冷泉さんはきもちいい自慰も射精も���ックスも体験がないので知りようがない、唯一思い出せる近い感覚は高校生の頃にクラスメイトたちにレイプされたときの…… 強制射精してるか、してなくても冷や汗で全身べったり…べっとり濡れた服に全身纏わりつかれて汗はすぐ冷えるしさらに体冷たくなって歯の根も合わないくらいに寒くて凍えだす…
「嫌悪感、拒絶感、抵抗感、絶え間ない屈辱と敗北と無力感、そんなんばっかだぞ。うわべだけへらへら取り繕えるってだけで」
相手の名前よく呼ぶキャラと呼ばないキャラといる 冷泉さんは呼ばないほう 暗に他人と距離をとりたがる
お湯で濡れたんで服の上からでもめちゃめちゃ病的に痩せきった骨と血管だけみたいなガイコツみたいな体型もバレた 痩せてるけど随所に極端に浮き出た血管がやけに太くて逞しくて脈うつかんじ
美形。について。この外見なんだから当然こういうことが起きる、みたいな 冷泉さん自分の外見に現実ほどには自覚がないんだが、大人になってから自分が中身グッチャグチャでも見た目がこれなだけで見た目のほう優先で好評価されたりしてきて、そーゆーもんなんだな…?と 子供時代は生まれ育った閉鎖的な地域で「外人」みたいに言われて友達できなかったりいじめられたり だから冷泉さんの自分の容姿へのイメージはマイナスからスタートしてる 創作内での位置付けは公式美形だが 認知が歪むしかない
好かれて想いあえたら もちろん嬉しい でもそんなことは起きるはずがない、起こりようもない不可能なことだと 認識してた 実現してるし だからセックスもできたのに 自分を人間より一段低い生き物みたいに思ってた? 自己肯定感が低いとかではなくて、冷泉さんは冷泉さんなりの自己肯定感と自信とかもあって でもなにか 対等ではない ? …自分が報われるような世界が許せない、あってはならない、みたいなやつと地続きなんだろうか……? 「恋人や夫として連れ歩くぶんには最適」な「ちゃんと身綺麗にしてるし整ってる」、「人間としてはつまらないけど中身はべつにたいした問題ではない」、ひと
幼い頃から愛されることが苦しかった冷泉さんにとって、愛する人に自分の愛し方を向けることほど怖いことないからな
冷泉さんお湯に浸けられたときこのまま真澄に殺されると無意識に感じたしそれを覚悟?して死も受け入れた けどそうはならなかった… そこで、無事な自分と真澄の状態に(……なんで死ななかった…??)てキョトンとなってるし、それまでの冷泉さんが前提にしてきた世界観が壊れた それで、これまでの本人も吐き気を催すような無意識下の自傷的自虐意識と認知の歪みを、一人で開き直ることを、改めようとおもった 
冷泉さん、恋人できてたやん あのままその恋人と添い遂げようとする可能性もかなり 高かった 自分が報われることが許せない  そういう苦しみに染まった自分は 真澄は 今の自分を打ち壊してでも「健全で健康的」な幸せを目指すべきだと …それも歪んでる 真澄がまだ守られるべき幼い子供なら話は違うかもしれない 実際真澄はまだ子供だ でも立派な一人の大人でもある 真澄がこれまで生きてきた人生を丸ごと否定されるような救済は、ーーー侮辱だ ( ・∇・)…こういうとこあるからがんじがらめになってた自分を真澄が救ってくれた… てとこまで自覚あるので、ここまで関わってるのだと思う…
「そのひとが自分の身のうちがわのように想い、重視するだれか」 みたいな イキヤにとっての身内 イキヤからみて冷泉さんにはずっとそれがなかった(から楽だった)わけだな
「兄貴にリスクごと返してやれねえのか それで何が起きたとしても、それがおおかた予想できても、それでもだ」 「予測可能な悲劇を片っ端に弾いて守るのは 暴力だ」←過干渉への恨み
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takahashicleaning · 10 months
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TEDにて
ケイ・タイ:神経経路の研究によってメンタルヘルスについて明らかにできること
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
神経科学者のケイ・M・タイは、脳が、うつ、不安、孤独などの複雑な感情状態をどのように引き起こすかを研究しています。
光を用いて特定の神経細胞を活性化することでマウスの行動に劇的な変化を起こさせるツールの開発といった最先端の科学からの最新の発見を紹介します。
これらの発見が、自分の心についての考え方をどのように変えうるか。
さらには精神障害の有効な治療法へと繋がる可能性を学びましょう。
誰もが真実だと分かっているつもりでいることからお話しします。
脳が心のあらゆる面を作っているということです!!
では、なぜ私たちは、精神と身体の病気をこうも違うように扱うのでしょうか?
心は脳からきていると知っているというのに神経科学者である私は、不安、欲望、孤独などの内面の状態を脳がどう表現するのかは研究すべきでないとよく言われます。
そこで私は、まさにその研究に、着手することに決めました。
私の研究計画では、心を理解するために脳の回路を研究します。特に、脳が感情をどのように引き起こすかです。
感覚や感情を研究するのは、本当に難しいです。測ることができないですから「行動」は、今でも他人の感情体験を知る最善かつ唯一の手掛かりです。
動物でも人でも自己報告となるのは、行動の表出です。
動機付けられた行動は、一般的に2種類に分類されます「快を求める」か「苦痛を避ける」かです。
自分にとって良いものに近づく能力と悪いものを避ける能力は、生存のために必須です。そして現代社会においては、両者の区別が難しい場合は精神疾患と分類されます。
もし車の調子が悪くて修理に持って行ったら修理工が最初にすることは、ボンネットを開けて見ることです。
でも、メンタルヘルスの研究では、ボタンを押してボンネットを開けるというわけにはいきません。
だから私たちは、動物で実験するわけです。私の実験室ではマウスを使います。脳を理解するためには、脳を研究する必要があります。そして私たちは初めて実際にボンネットを開け内部を見て実験をして何が起こるかを見られるようになりました。
テクノロジーが、私たちの心というブラックボックスに新たな扉を開いたのです。
光遺伝学ツールの開発によって脳内にある特定の神経細胞やそれらが、電気信号を発して互いに通信する方法をかつてないレベルで制御できるようになりました。
神経細胞が光を感知するよう遺伝子操作��ることで光を使って神経細胞の発火を制御できます。これが動物の行動を変え、その神経回路にできることは何か知るための手掛かりとなります。
科学者がどうやっているのか知りたいですか?
科学者たちは、光遺伝学ツールを開発する際に他の基礎科学分野の知識を借りました。藻類は単細胞生物で光に向かって泳ぐよう進化しました。
青い光で藻類の細胞の眼点を照らすとチャネルが開き電気信号が送られ、小さな鞭毛を動かして藻類は、光に向かって前進します。
この藻類の光を感知する部分のクローンを作り、遺伝子操作でそれを神経細胞に加えると私たちでも、光を感知する神経細胞が作れます。
ただし、神経細胞では、脳の奥深くに差し込んだ光ファイバーで照らすと脳内にある別の神経細胞に電気信号を送る方法が変わり、それにより動物の行動が変化します。
同僚の協力を得て私は、光遺伝学ツールの使用法を開拓し、A地点にある神経細胞だけを選択的に標的にしてその神経線維を介してB地点に情報を送らせながら他の部分に連絡する周囲の神経細胞には、影響を及ぼさないようにしました。
この手法によって、私たちは、煩雑な脳内で個々の神経経路の機能をテストできるようになりました。
扁桃体と呼ばれる脳の領域は、長い間、感情にとって重要な部位だと考えられてきました。私の実験室では、扁桃体が道路の分岐点に似ていることを発見しました。
ある経路を活性化するとポジティブな感情と接近行動が起き、別の経路を活性化するとネガティブな感情と回避行動が起きます。
いくつか例をお見せしましょう。生のデータですよ。光遺伝学手法を使って特定の脳神経細胞を標的にすることで特異的な(特有の)行動変化をいかに引き起こせるものか不安障害の患者は扁桃体にある2つの部位間の伝達に異常が見られます。
しかし人間の場合、この異常が病気の原因なのか結果なのかが分かりづらいのです。光遺伝学を使えば、人間ではないので基本的人権のないマウスで同じ回路を標的にし何が起きるかを観察できます。
これは高架式十字迷路です。不安の測定に広く使われていてマウスが、壁のある安全な道にいる時間と壁のない開けた道で探索をする時間の長さを比較します。
マウスは、自分たちの巣穴のような閉ざされた空間を好むよう進化してきましたが、餌や水、配偶者を見つけるには、外に出て行く必要がありそこでは捕食の危険にさらされます。
さて、私は目立たない所に座ってスイッチを入れます。今、光ファイバーのライトが点きました壁のない開けた道をマウスが、大いに探索し始めました。
不安障害の薬物療法とは違って鎮静作用や運動障害はなく、スムーズな自然に見える探索行動があるだけです。効果が、ほぼ瞬時に現れるだけでなく副作用も見られません。
さて、スイッチを切ると脳が通常の機能に戻り、マウスは隅に戻ります。実験室でこのデータを取っていた時、私1人だったのですがとても興奮しました。あまりに興奮して声に出さずに叫んだものです。
なぜそんなに興奮したのか?
もちろん理論的には、脳が心を制御すると知っていましたが、自分の手で入れたスイッチによってマウスの行動様式の変化が、こんなにも素早く起きそして元に戻るのを見て本当に初めて心から信じることができたのです。
この最初の大発見以降、他にも多くの発見がありました。動物の行動に劇的な変化を引き起こす特定の神経回路を発見しました。
別の例を見ましょう。強迫的過食症です。私たちが食べるのは、2つの理由からです。美味しいものを食べるというような快を求めるため、それから空腹のような苦痛を避けるためです。
生存に必要な空腹による摂食行動を乱すことなく強迫的過食症を治療する方法は、どうすれば見つかるでしょうか?まず初めに理解すべきことは、脳が摂食行動をどのように引き起こすかです。
この満腹のマウスは、食べ物が全くない空間を探索しています。ここで光遺伝学を使って標的にしているのは、中脳に向けて情報を送る視床下部にある神経細胞です。ライトを点けるとちょうどここですが、マウスがすぐに床を舐め始めました。
一見奇妙なこの行動が、本当にビックリするようなことになります。ちょっと幻覚みたいですよ。いいですか?ほら、ここです。まるで食べているかのように手を口に持っていきますが、そこには何もないんです。
何度も言いますが、人間ではないので基本的人権のないマウスだからできる倫理的にギリギリのことです。
マウスは何も持っていません。つまり摂食行動を引き起こすにはこの回路が働きさえすれば十分なのです。空腹でなくても食べ物がない場合さえもです。
このマウスがどう感じているかは、分かりようがありませんが、この経路を刺激した際に引き出された行動からするとこれらの神経細胞が、渇望を駆り立てているのでしょう。
ライトを消すと、マウスは普通に戻りました、この経路を鎮めれば、空腹による摂食行動は変えずに、強迫的過食症を抑制できます。
今お見せした2本の動画から、何が得られましたか?、脳の神経回路に、特別な変更を加えることで、特異的な行動変化を、引き起こせるということ、私たちの意識的な経験はどれも、脳内の細胞に支配されている、ということです。
私は物理学者と生物学者の娘で、両親は、アメリカへ留学する、船の中で出会いました、だから科学者になるのは当然で、プレッシャーなんて、ございませんでしたとも。
大学生の頃、心を研究する心理学か脳を研究する神経科学かを選ばなくてはなりませんでした。そして私は神経科学を選びました。生物学的な組織からどのようにして心が生まれるかを知りたかったからです。
でも、結局、一巡りして両方を研究しています。今の私の研究計画は、心と脳のギャップを埋めることです。
私の実験室の研究が示唆するのは、特定の神経回路と感情状態とを結び付けていけるということです。そして私たちは、不安関連行動や強迫的過食症、社会的相互作用、回避、その他、内なる感情状態を反映し得る多種多様な動機付けされた行動を制御する回路を発見しています。
私たちは、脳のそれぞれの領域が、心のそれぞれの働きを定義すると考えてきました。しかし私の研究で脳の特定の領域内には、多様な働きをする多様な神経細胞があると明らかになりました。
そして心の働きは、ある部分、神経細胞が接続している経路で反射的に決まるのです。
これらの発見が、私たちの脳についての考え方をどう変えるか比喩を使って説明しましょう。脳は世界のようなもので神経細胞は人々のようなものです。
情報が世界中でどう伝達されるかを私たちは理解したいと思います。もちろん人々が言っていることを記録する時にその人がどこにいるか知るのは有益です。
でも、同じように重要なのは、その人が誰に向かって話しているのか誰が聞いているのかそして聞いている人々が受け取った情報にどう反応するかです。
精神疾患治療の現状は、基本的には試行錯誤の戦略です。でも、うまくいっていません。精神疾患に対する新しい薬物治療の開発は、壁にぶち当たっており1950年代以降、ほとんど進展がありません。では、未来はどうなるのでしょうか?
私は、近い将来、脳内の特定の神経回路に焦点を当てた精神疾患治療の革命が起きると予測しています。診断は、行動症状と測定可能な脳の活動の両方から行われるでしょう。
もっと先の将来には、脳を一時的に変化させて行動を短時間のうちに変える力とより永続的な変化を起こすシナプス可塑性に関する知識を組み合わせ、神経回路を再プログラムすることで脳が自己修復できるようになるでしょう。
神経回路レベルでの暴露療法です。自己治癒の状態になるよう脳のスイッチを入れたら副作用なしに、長期的な効果が得られるかもしれません。
私が想像する未来では、神経回路の再プログラミングによって治療だけでなく完治できるのです。
では、今はどうでしょう?
まさにこの瞬間から皆さんひとりひとりが、このトークを聞いて心は完全に脳の細胞から来ると本当に信じれば、多くの人にとって必要なメンタルヘルス支援を受ける妨げとなる否定的な認識と恥の意識を即座に取り除くことができるでしょう。
メンタルヘルスの専門家はいつも次の治療法は何かと考えています。しかし、新しい治療法を採用する前に人々が治療を求めることに抵抗を感じない必要があります。
メンタルヘルス支援を必要とする全ての人が、実際に支援を受けることができたら自殺や学校での銃乱射事件をどれほど劇的に減らせるか想像してみてください。
心が脳からどのように来ているのかを正しく本当に理解すれば、生涯の間に精神疾患にかかる全ての人々。
つまり、人口の半分の人々の生活が改善し、彼らと共に生きる他の全ての人々の生活も改善するでしょう。
ありがとうございました。
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shinayakani · 1 year
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230411 差し迫る破局のなかで問われているもの
《八五年頃の危機は、つながりの危機であり、排除という言葉にその十全な意味を与えるものであった。それは、不幸と心的外傷〔トラウマ〕という概念にまぎれもない転換をもたらし、その動揺の広がりを私たちは今ようやく測り始めているところである。失業者、ホームレス、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ患者、重度の鬱病者、自然災害の犠牲者、こうした人々の全てが、互いに似たような存在となってきた。私が『新たなる傷つきし者』でその相貌を描こうとした、新たな越境的同盟〔インターナショナル〕が生まれようとしている。ジジェクが言うように、心的外傷後の主体の形は、同一性の空虚と放棄というこれまでに見たことのない人間の姿を示しており、それはほとんどのセラピー、とりわけ精神分析の手には負えないのである。  こうした状況のなかで生活すること――だが、つきつめて言えば人は常にそのような状況のなかにあるのではないだろうか――は、外部の不在の経験に行き着くものであり、それは同時に内部の不在である。そこから逃れることは不可能で、ただその場で変貌を遂げるしかない。世界の内も外も存在しない。変化はより一層根源的で、暴力的にならざるをえない。それだけに、必ず〔存在の〕断片化が生じる。主体の主体自身に対する不和が最も亢進した場合、その葛藤が最も深刻な場合には、もはや悲劇的な像すら構成しない。それは、逆説的にも、無関心と冷淡さによって特徴づけられるのである。》
 ……カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論』(鈴木智之訳)
 カトリーヌ・マラブーによれば、人間には、予期せぬ破局(偶発事)の到来によって、ある日突然これまでの同一性とは全く繋がりを持たない別の人間に生まれ変わる「破壊的可塑性」が備わっているという。認知症などの病いによって、また引用した文章にある様々な外的要因(文中では社会的要因が強調されている)によって、そして漸進的にではなく突如やってくる老いによって、人は別人のように変貌してしまう。そのとき、ひとりの人間の《自分自身に対する別れ》が、《死ではなく、生の生に対する無関心として、生のなかで生み出される》。マラブーは、この変容を「破壊的可塑性」として概念付け注視することによって、《主体性の解体》がひとりの人間(主体)にとってより根源的なものであると見なしている――《破壊的可塑性の認識は、同一性の構成それ自体の中核に、これを無化する能力が潜んでいることを明らかにする》。
 「破壊的可塑性」という概念は、それまでの同一性とは無縁な主体を発生させる特異な可塑性が人間(の脳)に備わっていることを示唆する。しかし、これまでの形而上学の伝統では、目まぐるしく姿形を変化させようと、また主体が解体されたものとして示されるとしても、それでもなお主体の同一性が前提にされている。例えば文学の変身譚においても、人間がどれだけ異形なものに姿を変えてもその内部の本質(実体)は変わることがないかのように描かれる(本文ではカフカの『変身』すら例に挙げられている――《おそらく私たちは、自らの変容にまったく無関心な、そのことに関わりをもたないグレゴールを想像してみることもできる。そこにはまったく別の物語が語られるだろう》)。そして、同一性を前提とするこれまでの形而上学の存在論を一変させてしまうような存在様態を「破壊的可塑性」として見出すことは、《暴力の現代的相貌を理解するための解釈装備として、必要不可欠》なものであると、マラブーは言う。無防備なまま偶発事に曝されている人間の存在論は、遭遇する破局が外的な要因によるものであれ、(老いや病いなどの)内的な要因によるものであれ、現代ではいっそう、これまでの同一性を前提とした議論では語りがたいものに見えるからだ。
《しかしながら、病いを同一性の破局と見るここまでの読み方は、病いの経験に関する一定数の証言と一致するとしても、まだ十分ではない。このような見方は、「同一性の核」の存在を問い直すことなく前提に置いているからである。しばしば、主体の真の同一性が存在するのだと見なされ、病いが身体的ないし心理的な試練によってこれを変形、または消失させるのだと考えられている。しかし、この初発の同一性、「本来の」同一性とはいかなるものだろうか。単純にそれは存在するのだろうか。それとも、病いによって自己を見失ってしまったと考える人の回顧的な幻想、ノスタルジックな表現にすぎないのだろうか。主体は失われてしまったのだろうか、それとも、その存在の剝き出しの姿において発見されたのだろうか、と問うことができる。主体は、習慣の覆いの力が病いによって一掃されてしまったあとに、特性も資格もないもの(特性の欠如に苦しむ存在)として見いだされるのかもしれない。この時、病いの内に、主体を破壊する力を見るべきだろうか。それとも、自己とは深く根づいた習慣によって織り上げられたもので、強い暴力が経験されればたちまち表層的虚構として姿を表すのだということを明らかにする、啓示的な存在論的経験を見るべきなのだろうか。後者であるとすれば、私たちの「真の同一性」とは、さまざまな習慣的思考や姿勢の身体化や内面化の帰結にすぎず、本性ではなく、生活の習慣でしかないことになるだろう。病いが示すもの、それはおそらく、私たちの存在様式の内に不動のものはひとつもないということなのである。それを根こそぎ覆そうする力に完全に抵抗することができるほど強固なものは、何ひとつないのだ。》
 ……クレール・マラン『病い、内なる破局』(鈴木智之訳)
 破局が近づく予感にとり憑かれている切迫した情勢のなかで、存在論のハードコアを追求するマラブーの議論はとても魅力的だ。その一方で、自身も自己免疫疾患という病いを生きる哲学者クレール・マランは、マラブーの議論を共有しつつも、想定不可能な偶発事の破局に遭遇した人間は、ほんとうにかつての同一性を完全に消失させてしまうのだろうか、と疑問を呈する。病いという「内なる破局」であれ、偶発事の破局に見舞われた人々は、マラブーの言うように、たとえ自分自身(かつての?)に対して《無関心と冷淡さ》を示しているにしても、同時にそのあり方に苦痛を感じてもいるだろう。この本のなかでマランは、病いの経験を、それまで自身の同一性を織り上げていた「習慣」が破局に曝される試練として定義する。それはまた、上に引いた文章で述べられているような「習慣」に支えられた同一性を、幾度も問い直す経験になりうる――《病いは、自分の体と思考を変形させ、それらを支え導く内なる構造の再配置を強いる。それには、非意志的なものの新たな形の創出、主体の深みに埋め込まれた暗黙の力の組織化された全体の創出が必要になる》。
 主体の同一性は、これまでの「習慣」によってかろうじて支えられている。そして、偶然やって来る破局に遭遇したとき、主体に備わる「破壊的可塑性」ゆえに、突如その同一性は変貌してしまう。しかし、それでもなおまだ問うべきことは、《この初発の同一性、「本来の」同一性とはいかなるものだろうか》ということ、つまり、《モンテーニュが言うように「私たちの行為というのは寄せ集めの断片でしかない」のだとしても、やはり何がそれらの断片をひとつにまとめているのか》ということではないか。マランは、自身の病いという「内なる破局」の経験をもとに書かれたこの本によって、一つの主体における《「本来の」同一性》の脆さと捉え難さを示そうとしている。そして、マラブーが、危機の時代を生きる人間の形象から「破壊的可塑性」を浮かび上がらせたことも、同一性についての議論のあり方を問い直すためのものだろう。
 たしかに、人間の同一性について、それが確固としたものではなく脆弱なものであるということは、これまでにも頻繁に語られてきた。しかし、ふだんの生活のなかで、私たちはそのことをあまり意識せずに生きている。たとえ破局に直面した他者を眼前にしても、実際にその状況に立たされていなければ、自分自身の連続性を保っている同一性の感覚を疑わしいものには思わない。危機の時代に現れた存在様態を、どこまでも否定的なもの(既成の言説に容易に回収されえないもの)として追及するマラブー。破局の試練を、それまでの自己の同一性を問い直すことで「新しい皮膚」を纏いうる《混沌の両義的な経験》と定義するマラン。現代に差し迫った破局――それが外部から突如やって来るものであっても、内に秘められたものであっても、私たちの存在様態がいかなるものであるのか、いかなるものに変わりつつあるのかが、つねに問われ続けている。そして、破局の渦中にいる他者とともに、いかに生き直すことができるのか、ということも。
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kisanebacci · 1 year
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続編 公開版 作業所患者自治会のススメ 補遺であり発意として 本身乃発意願文として Dグループのミナサンへの
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『オモタい病者や知的障害者や、お年寄りや、弱い人たちを、自分より下の存在と見下し、利用して、なかま達みんなの集う大事なたまり場を作業所を自分の権力行使の場として支配し利用しようとするヒトは、発達障害であろうが、知的障害であろうが、精神病者であろうが、個人として、ヒトとして、自治会にふさわしくはない、ということで、そう言っていけばいい、、、そう言っていかなければならない、、、シンドくても、、、
続編 公開版
作業所患者自治会のススメ 補遺であり発意として 本身乃発意願文として Dグループのミナサンへの 飽くまで、 「作業所患者自治会のススメ」として 「患者自治会を作り維持するために」として しかしながら、『ノウハウ』なんてモノには為り様も無く 飽くまで【D】グループの諸君に 飽くまで【所謂言うトコロの】発達障害を【自称し】 精神病とはチガウと言いつのり、発達障害を 【利用し胡坐をかいている】諸君に対してのものであり、 そしてそれは、当然のことに、所謂云うトコロの発達障害概念の批判として、『無仁義アクジ犯』への激烈な糾弾と為り、
「本編 作業所患者自治会のススメ」への補遺続編原稿であるとともに、真剣なる「本身乃発意願文」なのである
 誰だって、「出て行ってくれ」と言うのは嫌なものである。誰だって「来ないでくれ」 と言うのは嫌なものなのである。だから、この項を書くにあたって「迷い」がアッタ。そしてその「迷い」が、この項の意味を分からなくしてしまった。だから「補遺であり発意として 続 作業所患者自治会のススメ」として、稿を改めて、想いっきって、想うトコロの存念を赤裸々に、「エバッチは見た」から、書くことにしたのである。まずは「本編の素稿」にコウ書いてあって、そして消したのである。
  悪いけれどもあなたたちは、AグループBグループCグループが必死になって作っている精神病者の患者自治会には来ないでください。あなた方が来れば、結局は、リクツでもって不和をバラ撒き、不仁義と嘘でもって混乱させ、まるで官僚のような作文でもって支配することになる。ハッキリ言う。あなたたちが【自称として】発達障害を言うのであれば、発達障害の会を作ってくれ。その方が良い。なんとなれば、リクツジャないんデスヨ、コレは、、、なんとなれば、精神と知的の卓球大会を見ればいい。みんなが愉しく卓球をやっているときに、あなた方のような発達を自称する異様に動きに切れがある、クスリも飲んでいないような、ゲンキもある連中が、しんどい病者をしんどい障害者を食い物にして、エラい試合で強いやないの。だいたいトップをとるのはハッタツ系や。だから、この作業所の患者自治会でも、あなたたちは弱い病者たちを支配するだけに終わるだろう。それだけではない。Cグループの専門職すら、何やかんや言うていつの間にか、言い込めて、良いように使っている。恐ろしいことだ。
 そう、だからこそ、あなたたちを押さえるのは、支援者たるCグループの最大の大事な大事な役目なのです。スタッフこそがこの手のDグループにダメを出さなければならないんですよ。ナンとなれば、リクツじゃないんですよ、コレは。例えば、えばっちはこの文章の前に「作業所患者自治会を目指しませんか」と云う文章を書きました。その中に、こんな一節があったはずです。「なーーーあーーんやえばっち、そんなことは試したで。試して上手く行かんかったんや」と云う一節があったはずです。これ実はえばっちは何人かの方が、あるいは、何箇所かの方が「作業所患者自治会」や「たまりば学習会参加者自治会」「反差別運動体内患者自治会」を作ろうとし、実際やろうとし、実際にシッパイし、ポシャって行ったことを見ているからです。そして、その時はこのように文章化できなかったのですが、今なら文章化できます。なぜ、その取り組みがシッパイしていったか。何故、タイヘンな事態を招いてしまったのか。
 それは、こういうものに取り組もうとした時点で、実は、Dグループの無仁義なやりようを、人を人とも思わぬ、とんでもないやり口によって、AグループやBグループの病者たちが支配され、さらに言えば、不和をまき散らされ、もっと言えば、まるで権力闘争のようなヘゲモニー争いのようなDグループのやり様にみんなが疲れ、やる気のあった作ろうとした作業所の職員さんや看護婦さんや看護士さんたちが、「あの人たちも当事者だから言えんわ」とDグループの無仁義なやり様を止めなかったからなのでした。根性を叩きなおすつもりで止めるべきでした。今ならえばっちはコトの経緯を文章化できると想います。でも、細かいことは書けない。大事なことなのに、たくさんの病者のなかまたちや、やる気のあったスタッフのみなさんたちのことを考えると、そう軽々には詳細を書いたり言ったりできません。だからこの項にえばっちの『エバッチは見た』と云う結論だけを、これから自治会を作る皆さんに言っておきたいと想います。Dグループのミナサンには、引き取ってもらってください。どうしてもと言うのなら、「A>B>C>D」を徹底的に守るように徹底して言って下さい。あっ、これは、Cグループのみなさんに言うべきことでしたかね。ともあれ、宜しくお願い致します。
 たしかに、此れダケでは、ダメだ、とそう想う。ホントウのコトを赤裸々に語ってはいない、キレイ事に為りかかっていると、ソウ想う。だから、「エバッチは見た」をでき得る限り、例えばのハナシとして、例えばとして、もう少し、書いてみようと、想う。ドコに繋がっていくか、惧れを感じながらである。畏れている。恐れている。ドコに向かうかは、もはや分かっているのだから、、、、、ドウすればヨカッタのだろうか、、、
 ただ、その前に、一点、言わずもがなのコトだけれども、以下の点をハッキリと言っておきたい。『健病者』と言ってきたことに近いのではあるが、『神経症やノイローゼや神経過敏』と言われてイル、キタみなさんは『なかま』なのである、と。えばっち的には『所謂言うトコロの発達障害』とは、想っていないのである。だから『健病者』と云うコトバを生み出したのである。
 神経の過敏や得意不得手の差が激しかったり、音や匂い、カビの匂いが取れない、スプーンに鉄の味を感じてしまう、雑音を拾い過ぎてしまう、光がまぶしすぎたり、原色が眼に突き刺さってきたり、次から次へとコトバが湧き出ちゃったり、一定の決まった動作ややり方ににこだわり過ぎたり、ソレをしないと次の行動に進めない等々で、生活出来なくなってきたり、学校や家庭や会社や、村や町に居ずらく為ったり、クルシカッタり、病院や施設に閉じ込められたり、感覚の過敏や、清潔の強迫や戸締りの強迫などで苦しんでいる人達も多いと想う。えばっちは、これらのなかまたちを『所謂言うトコロの発達障害』だとは想っていない。『自閉症』や、『ノイローゼ』や『神経症』『強迫神経症』等々で苦しんでいる皆さんは、なかまなのである。良かったら、ドンドン、来てもらいたいと、想うのである。ただし、『健病者』的側面もあるので、オモたい精神病患者さんに配慮はしてもらいたい、とそう想うのである。えばっちだって、聴覚過敏と鍵の戸締り確認強迫神経症に憑りつかれて、苦しんでいるのである。これはこれで苦しい。よくわかる。自分もそうだから。病理的にはよくわからないが、躁うつ病の上に、この確認強迫神経症と聴覚過敏が重なっている。自宅の冷蔵庫のコンセントは引き抜いているのである。あのブーーンと云うコンプレッサー系の音に耐えられないからである。冷蔵庫はコンセントを入れないので、夏場はなかなかシビアーな暮らしである。国鉄はマダしも地下鉄に乗るのは苦行である。耳栓は手放せない。隣のベランダのクーラーの室外機のウォンウォンの音には、クルシメられてきた。夏場はツライ。なかま達は、よく知っていてくれているのである。だから、実は、感覚の過敏や強迫神経症のシンドさは、よくわかるのである。
 だから例えば、『躁鬱病がなく』『精神分裂もなく』この強迫神経症のような症状や感覚の過敏で苦しんでいる人達がいたら、我々のような在り方が、我々が目指しているような在り様が、『キーサン患者会』『地を這う患者会』『作業所患者自治会』のような在り様が、良いのであれば、どうぞ来てください、と、心から言いたいのである。でも、でも、己が『健病者』的側面を見つめながら、精神分裂病圏のなかまたち、躁鬱病圏のなかまたち、病歴の長いなかまたち、入院歴の長いなかまたち、入院の回数が多いなかまたち、苦労を重ねてきた薬もオモくクチもオモい年長のなかまたちを尊敬し、尊重し、配慮し、その上で、仲良く楽しく暮らしましょう、セーカツして生きましょう、と言いたいのである。さらに言えば、本当に重篤な『自閉症』の人たちは、Aグループに近い人たちだとえばっちは想っている。だから、ボクたちがちゃんとなかま��してやれるかどうかは分からないけれども、Aグループに最も近いなかまたちと、想うのである。
 そして、敢えて書く。ムカシのコトバを大事にした方が良い。先人たちの苦労と、知恵と、哀しさと、怨念と、想いとセーカツが詰まっている。この点でも、こういうことを分かりにくくしてしまったのが、『所謂言うトコロの発達障害』概念の最大の愚かしさであると、想う。
 さて、いよいよ、「エバッチは見た」を書いてみたいと、想う。長くクルシい物語である。この物語は、この原稿を手渡させて頂くことが出来たなら、おそらくは、みなさん方の方で、もし、もし、『思い当たるフシ』に思い当たり、「アノ時のアレはナンだったのだろう」と思い続け、  今現在も「コレってナンなの」と不審に思われていたとしたら、まさに、その物語であろう、と、えばっちは想っているのである。そして、リクツとしてコの物語を書いているのではなくして、今後その『思い当たるフシ』に出くわすことに為ったらドウしたらよいのか、、、あるいは、そうあの時の『思い当たるフシ』に、何時のタイミングで、ダレが、ドノように、ドウ言って、『出て行ってもらうべき』であったのか、悔恨と悔しさと涙の、悔し涙とともに、想い出されてくる物語なのである。つまるところ、この物語は、『何時のタイミングでドウ言い出すべきであったのか』の、今後、患者自治会を目指すにあたって、避けては通れないゲンジツのモンダイを赤裸々にし、考え抜き、想い抜くために語られるのである。
 最初は、素晴らしい仲間が来たと思うのである。素晴らしい通所者の当事者のリーダーに為れそうな好感の持てる人物が来たと思うのである。最初は、これでついに当所も『当事者主体』を実質的に担保できる時が来たと思うのである。
 ぴかぴか光っているのである。素晴らしく理論的に弁も立つのである。文章を書かせれば、学者か行政官僚のような文書が書けるのである。パソコン仕事も上手いのである。一見、仲間たちの相談にも乗っているようなのである。そして、そうこうしているうちに、なんだか知らないうちに、ヘンなことになってくることに気付くのである。ワサワサしだすのである。ナンダカ、喧嘩が不和が嘘が多くなってくるのである。しかも、それは今までのキーサンならではの憎しみのおしくらまんじゅう『ニクマン』とは違うのである。ナニかがチガウのである。この時点で、その違和感とナニかが違うということが、なかなか言葉として出て来ないのである。そうこうしているうちに、ドンドン事態は進行していき、そこが患者会であろうが、作業所であろうが、運動体内学習会であろうが、とにかく、ナニかがおかしくなってくる。それをどうにかしようとして、スタッフたちが忙しくなってくる。無駄な忙しさである。それは忙しくなったスタッフが一番感じている。何とかしなければならないと思う。この時点でもまだ、素晴らしい、ぴかぴか光った仲間が来てくれているのだから、ナントカここの通所者の中の役員やリーダーになってくれないかとも思う。だからますます一所懸命に話を聞き、サポートしようとする。いつの間にか、『巻き込まれ』てしまっている。そして、スタッフとして、あるいは仲間として、妙に視野が狭まってくる。いつの間にか、訴えの質が変わってくる。いつの間にか、良い様に利用されているのだが、それに気が付かない。それを気をつけないようにさせているのは、一見のうわべダケの素晴らしさなのだが、なかなかそれに気が付かない。
 要求は、訴えは、どんどんエスカレートしていく。議員や弁護士や学会の学者を紹介してくれ、あるいは、兎に角偉い人に会うように、あるいは、学会のようなケバい場所に連れて行くように、とばかり言われたりする。『なかま』や『たまりば』より『運動』の方が『エライ人に会う』コトの方が『議員』が『弁護士』の方が、ソンなに大事なのかとも、言いたくなってくるのである。
 そのうち、今度は、自分専用の秘書のようなスタッフや、運転手のようなスタッフが、必要だと、それとなくほのめかすようになってくる。このようなことを言い出した時には、このような状態にいつの間にかその場所がなっている。その場が、そうなるために、後から見えることだけれども、その場では、その時は、なんだか知らないが、そういう場に為り、為らせ、維持するために、そのために、嘘と不和が撒き散らされながら、いつの間にか、自分より弱い病者を支配し、良いように使っていることになる。本当にそうなのだ。ビックリする。しかも、弱いオモタいシンドい病者たちは、自分の病を押して、そいつの役に立とうとする。やばい状況に立ち至った時は、ナントカしてやろうと想うようになってくるのである。それで、スタッフとそいつが意見が対立するようなときに、間に立ってやるようなことまでしようとする。そして、病状が崩れて来るのである。疲弊が始まる。
 どんどん、状況は悪化する。ますます、図に乗ってくる。いつしか、人を人とも思わぬ態度が鮮明になってくる。人の気持ちを分かっていないのではないか、と思えるような言動が目立ってくる。だからますます嘘が増えていく。
 そして、スタッフたちは、二つに分かれていくようになる。気が付いて、この状況を何とかしようとするスタッフたちと、全く気が付かず、そいつの言いなりになることが『当事者主体』である、素晴らしい活動家とともにやっているのである、と云う騙されたスタッフたちである。スタッフ間に不和が撒き散らされる。やらなければならないことは、どんどん、増えていく。しかもそいつは、理屈は超一流、頭は素晴らしく良く、そう、まるで学者のような、役人のような、なのである。しかも、このぐらいになると、実は、オモたい病者たちが事態の進行に気付き始める。何故なら、そいつに手がかかり過ぎ、スタッフたちがモノ言わぬオモタいシンドい分裂病圏の病者たちの相談や生活の支援がおろそかになってくるのである。しかも、そのおろそかになったが故に、生活がままならなくなってきた病者も、まだ、そいつに期待を抱いているようなのである。病者たちはドンドン疲弊してくる。スタッフ側もドンドン疲弊してくる。ところが、人を人とも思わぬ態度によって、不和と嘘とでもって、実は、真の友達というものはできていないことが、だんだん、明らかになってくる。だから、スタッフ側も病者側も気が付いた人たちと、気が付いていない人たちに分かれていく。
 ところが、そんなことは二年も三年も続かない。そのうちに、大きな大きなタイヘンな仲間たちの死に直結するような事件が勃発する。事故のような事件かもしれない。ところが、その事件を糊塗するために、さらなるウソと不和とがまき撒き散らされる、ついには不義・・・無仁義と言えるような状況に立ち至る。
 ここまでくると、気が付かなかったスタッフたちも、巻き込まれ過ぎ、余裕がなくなりすぎ、状況と事件によっては『鬱的な神経症』みたいになってくるスタッフたちも出てくる。ますます、オモタい病者たちに支援の手が届かなくなり、再入院者や病状を崩すなかまたちが増えてくる。そいつは、我関せずのように何も感じていないかのように、自分のことだけを進めようとする。さすがに、ここら辺でみんなが気づく、なかまたちにとっては、そいつがジブンだけがエラく為ったり、学者や活動家や何らかの名分を得るためだけに、そのためダケに利用されたんだと云うことに気が付いてくる。そして、本当に友達と言えるのかどうかわからなくなる。
そういえば、最初から、トモダチは要らなかったように思える言動ダッタと気付く。
 裁判がやりたくて、弁護士が必要だっただけ。その法廷に傍聴人が必要だっただけ。何かの文章を発表するのに、有名な雑誌媒体が必要だっただけ。何かをやるための名分の御立派な組織が必要だっただけ。
 学会の理事会や評議員になりたくて、その推薦してくれたり紹介してくれたりするスタッフが必要だっただけ。そう、だから、通所者のオモタい病者の友達は、ハナッからいなかったのだ。友達になる気はなかったのだ。
 だから、よく考えてみると、自分にとって利用価値のある人間にだけ話をしていたはずである。そして、そう云うことがバレないように、上手く、立ち回らんがために、ウソや誹謗や中傷や不義や不和が必要だったのだ。だから、一見、良さそうに見えながら、非情な冷たさや冷酷さや、さらには、その場でヘゲモニーを握るために想像を絶するような汚いやり口のヘゲモニー争いのようなことが為されていたことに気付くのである。オモタい病者たちは、ただ単に利用されただけではない、バカにされ、否定され、虐められ続けられていたことに、やっと気付く。ところが、それに気付いたたときには、もはや遅い。ナニかの重大なジケンがおきてしまう。再入院者は出ている。死人も出ているかもしれない。そして、その場が実質上たまり場としての機能を失い、崩壊寸前であることに何人かは愕然とするであろう。その時に、恐怖を、想像を絶するような「こんなニンゲンもいたんだ」「いるんだ」という絶望と暗闇と後悔に苛まれることになる。
 ところがこれでコトは終わらない。
 この状況を改善して、再度やり直そうとしたときに、その動きを潰そうと、今度はなりふり構わず襲ってくるのである。
 何故か、再度��り直そうとしたときに自然と、そいつのやり様ややり口を明らかにするところから出発せざるを得ないからである。だからなりふり構わず潰そうと躍起になる。ところが、それが再構築しようとする側にはなりふり構わずというように見えるのだけれども、実は、計算ずくのとてつもない冷徹な、例えば、第三者機関や適正化委員会やあるいは刑事法廷や民事法廷、さらには警察、そしてネット上のアカウント停止審査委員会や、市役所や県庁などを駆使した、しかも、その時には、何かの学会の役員などになっており、その学会も、あるいは、スタッフ側が何かの専門職の場合、その専門職能性の学会や協会の監査委員会や倫理委員会などの、ありとあらゆる権力機構を利用とするのである。そしてここまでくれば、これを外から見ている人達からは、まるで、そいつが『正義の改革活動家』のように見えたりもし、ということは逆に、その場をまるで掌中の珠のように、時間をかけてじっくりと育て上げてきた仲間たちとともに、重たい病者たちとともに、スタッフたちとともに、まるで自分の子どもの様に、自分の人生を賭けて守ろうとしている側が、打倒されなければならない悪の施設や専門職や作業所のように見えたりシテしまうのである。
これが、一つの典型例である。このような『無仁義なヤタラとヤカラ』な連中が、当事者として自分たちの名分として最大限利用しているのが、『ハッタツ障害』なのである。だから、『発達障害』に反対している。
 だから、申し訳ないことながら、作業所患者自治会から『ハッタツ障害』のミナサンは出て行ってくれという言い方になってしまう。勿論、そういう人たちばかりでないことは分かっている。キーサンとして、十分分かっているつもりなのである。だから、そういう人たちは、分裂病圏や躁鬱病圏のなかま達に配慮してくれるなら、一緒にやって行こうと言いたいのである。
 だから、だからこそ、上記のような『無仁義アクジ犯』があまりにも当事者として『ハッタツ障害』を名分とするので、『発達障害』に反対せざるを得ないのである。しかもさらに言えば、この点に関しては、また別項で書かなければならないのだけれども、書くつもりなのだけれども、さらに言えば、この『所謂言うトコロの発達障害』概念そのものが、上記のような『無仁義アクジ犯』を良いものだとするような方向性を打ち出しているのだと想う。だから、この『所謂言うトコロの発達障害』概念そのものが、『無仁義アクジ犯』たちを力づけ、勇気づけ、再復活を遂げさせていると想う。「再」と書いたのは、ムカシから、こういうヒトたちはいたからである。いたが、パシーーンんと「ええ加減にせなあかんぞ。このマンマなら出て行け!」と言えたのである。もちろん、みんなで話し合いを重ねた上でのことではあるのだが、、、それが言えなくなったのは、まさしく、この『所謂言うトコロの発達障害』概念そのものの持つ恐ろしいところであり、「再」と書いた所以である。そう、『所謂言うトコロの発達障害』概念に胡坐をかき、『我々も障害当事者だ』と云うワケなのだ。
 だから、そう、これらの無仁義な行動を『所謂言うトコロの発達障害』概念が正当化してしまうのである。その最初の第一歩が、「コミュニケーションに障害があるので、人の話は聞きません」「人のことは知りません」「人の気持ちなんて理解しなくてもいいんです」「自分だけに支援者が付けばいいです」「好きなことだけします」「能力があるので、その能力を花開かせたいです」「そのためのサポートチームが要ります」「その上で、責任はとりません」「しかも、友人はいりません」「人と付き合いません」「でも、自分にとって必要な人は、いります」「挨拶もしません」「年長者も病気のオモタイ人も、弱い人も、関係ありません」「これが何で嘘なんですか?」「嘘だという証明をしてください」「こちらは、学者が学問が第三者委員会が裁判所が学会が、正当だと認めています」「間違いだと言うのなら、そちらが証明してください」「最後に、これが正義だ、と言わせてもらいます」「こうやるのは、これが正義だからです」「間違っているのはそちらだ」と云うカタチで、『所謂言うトコロの発達障害』概念に胡坐をかいて、好き放題、不和をバラまき、ウソをつき、どうも自分だけは右肩上がりの人生が歩めると思っているのが、そのためなら、ナンでも利用するものは利用すると云うのが『無仁義アクジ犯』の『ハッタツ障害者』なのである。ハッキリ言う。作業所患者自治会からは出て行ってほしい。来ないでほしい。それは、サロン自治会でも、デイケア自治会でも、一緒である。もう一層のこと、『無仁義アクジ犯』の『ハッタツ障害者』だけで会を作ってほしい。
 ところがそうはならない。なんとならば、利用する相手がいないからである。
 喰い物にする相手がいないからである。だから、我々はそいつらが利用できるような対象にならないことが、最大の防御策である。
 つまり、『キチガイのキーサンのオモタい病者中心の潰れかかった、汚い、風呂も入らない、口の意地汚いキーサンばかりが集まって、どこからも相手にされていない』もんで、こいつらもう利用のしようがない、と云うのが最大の防御策である。ところがそうもいかない。ドウイウワケダカ、こいつらが利用したいような名分や、ナンなのか分からないが、こちらはトンと解らぬが、ナニかがあるらしく、利用しようとして来るのである。更には、今回、新しく『意識的に』、作業所内にデイケア内にサロン内に、精神病者自身の通所者自身の病者自身の患者自身の自治会を作ろう、と言い出したのである。
 これが、もしかしたら『意識的な』精神病者運動としては、最初の動きかも知れない。上手く行かないこともあろうが、みんなで、掌中の珠のように信頼関係を構築し合って、ナントカナントか、もし上手く行きかけたら、それこそ、利用するにもってこいの名分となるだろう。いや、来るのは確実なのであろう。まさに『利用するために来る』のである。
 だから、あえて、誰だって言いたくないことを言っている。誰だって、「来ないでくれ」、と言うのは嫌なものである。誰だって、「出て行ってくれ」なんて、言いたくはない。
 だから、この原稿を書くのを迷いに迷った。しかし、書かなければならないと想い、なんと、「自治会のススメの続編」として、書かして頂いた。老婆心で書いたものとは想わないで頂きたいのである。「エバッチは見た」のである。『所謂言うトコロの発達障害』概念が流行り出す前から、「エバッチは見た」のである。皆様のご意見を待ちたいと想う。そして、このコトがナニに繋がっていってしまうか、ナヤミに悩み抜いた末に、書いているのである。そして、最終的には、このような、具体的なケツロンに達するのである。今後『通所者患者自治会』『通院患者自治会』を目指そうとする、全てのABCグループのなかまのみなさんに想い続け、考え抜いていただきたい、一つの視点なのである。
想い続け、悩み続け、そして、
言わなければならない時には、コウ言わなければならないと、えばっちは、想うのである。
 
 『オモタい病者や知的障害者や、お年寄りや、弱い人たちを、自分より下の存在と見下し、利用して、なかま達みんなの集う大事なたまり場を作業所を自分の権力行使の場として支配し利用しようとするヒトは、発達障害であろうが、知的障害であろうが、精神病者であろうが、個人として、ヒトとして、自治会にふさわしくはない、ということで、そう言っていけばいい、、、そう言っていかなければならない、、、シンドくても、、、』
2019/12/1 精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所
 キーサン革命の鬼 えばっち  江端一起
【追記】
できますれば、「本編 作業所患者自治会のススメ」「作業所患者自治会を目指しませんか」と「患者会とはナンなのだ」を読んで頂ければと想います。長い文章ですが、宜しくお願い致します。「えばっちのホームページ乾坤一擲」よりPDFとしてダウンロードできるようになっておりますので、宜しくお願い致します。特に「患者会とはナンなのだ」の「❷患者会の構成A>B>C|D」を読んで頂ければありがたいです。宜しくお願いいたします。
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okumaseitai · 1 year
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・ 「自分を受け入れて心と体をつなげる」 自分の嫌いなところってありますよね。 不安になりやすい方は 自己肯定感が低い方が多く 自分の嫌なところは スラスラ出てくる方が多いです。 すると嫌なところを無視したり 見ないようにする方もいらっしゃいます。 例えば 冷蔵庫に自分の嫌いな食べ物があったとします。 その食べ物を見ないようにすると腐ってしまいます。 でも冷蔵庫にあることを認識して、好きな味付けや調理をすることで、食べれるようになることもあるのです。 同じように 自分の嫌なことを認めてあげることで対応できるようになります。 こんな時は 心と体を繋げることが重要です。 例えば あなたが不安になりやすく パニック障害が嫌だとすると 体には下腹に何か感じることも多いです。 その部位に手を当てて ここが辛かったんやね! 良いも悪いも判断せず ただ手を当てて 認めるだけでいいのです。 だんだん だんだん 心と身体がつながります。 少しづつ心が解放されていきます。 小さい頃 お母さんに振り向いてもらいたいから、わざと怒られるようなことをした記憶を私はあります。 でも振り向いてもらえて 認めてもらい 愛情いっぱいでかまってもらったら心が満たされた記憶があります。 それと同じで 自分で 自分を満たして欲しいのです。 手を当てるだけでいいです。 やってみてくださいね。 #自己肯定感 #セルフレギュレーション #ありのままを受け入れる ・ 参考になりましたら 😊いいね!ボタンをタップしてください! ・ 《あなたのお悩みを解決します!》 自律神経の症状、お悩みを解決するブログを書いております。 ・ どうぞプロフィールから一番上のブログをタップしてご覧ください。 ↓↓↓ @wakae_ookuma_seitai ・ 《ご相談・ご予約》 ご相談などございましたら LINE@への登録お願いいたします。 https://line.me/R/ti/p/%40vtd9415n ______________ 東大阪市若江岩田の自律神経専門整体 おおくま整骨院 東大阪市瓜生堂1-3-27リベラルコート1F 完全予約制 📞 072-968-8139 施術時間 ☀️10:00〜12:30 🌠15:00〜20:00 休:日曜日・祝日、土曜日午後18:00まで HPはプロフィール欄からご覧ください。 @wakae_ookuma_seitai ______________ 【こんなことでお困りではないですか】 #自律神経失調症 #パニック障害 #頭痛 #めまい #不眠症 #更年期障害 #冷え症 #息苦しい #うつ病 #強迫性障害 ______________ 【当院の場所や特徴など】 #若江岩田整骨院 #東大阪市整骨院 #若江岩田整体 #東大阪市オステオパシー #東大阪市整体 ______________ 【好きな歌手は】 #ミスチル #福山雅治 #浜田省吾 #尾崎豊 #MISIA #長渕剛 ______________ 【趣味は】 #マウンテンバイク #ガンプラ #サッカー #釣り (若江岩田駅から徒歩3分のおおくま整骨院) https://www.instagram.com/p/CqTwB2oyiKB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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alaephoenicis · 2 years
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クラウス・シュワブ博士、または「外交問題評議会(CFR)は如何にして、心配せずに核爆弾を愛することを私に教えたのか」 Dr. Klaus Schwab or: How the CFR Taught Me to Stop Worrying and Love the Bomb
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注:このタイトルは、「ストレンジラヴ博士」が登場するスタンリー・キューブリックの映画 『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか (原題:Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)』 のパロディになっている。
Johnny Vedmore著
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世界経済フォーラムは、単にクラウス・シュワブの発案によるものではなく、実はCIAが資金を提供したハーバード大学のプログラムから生まれたもので、ヘンリー・キッシンジャーが率い、ジョン・ケネス・ガルブレイスと「本物の」ストレンジラヴ博士であるヘルマン・カーンによって実現に向け推し進められたものだった。これは、クラウス・シュワブを採用し、世界経済フォーラムの設立を手助けし、「心配せずに核爆弾を愛することを教えた」、実在の人物にまつわる驚くべき物語である。
記録にある「世界経済フォーラムの歴史」は、あたかもヨーロッパで作られた組織のように創作されているが、そうではない。実は、クラウス・シュワブは、ヨーロッパを拠点とするグローバリストの組織を作るために、アメリカのエリート政治家チームを影で操っていたのである。クラウス・シュワブの歴史に詳しい人なら、彼が1960年代にハーバード大学に入学し、ヘンリー・A・キッシンジャー教授(当時)と出会い、生涯の友となることをご存じだろう。しかし、世界経済フォーラムの歴史書に書かれているほとんどの情報がそうであるように、あなたには全容が語られてはいないのだ。実は、キッシンジャーはハーバード大学の国際セミナーでシュワブを勧誘するのだが、このセミナーはアメリカの中央情報局(CIA)の資金援助を受けていた。この資金提供は、クラウス・シュワブがハーバードを去った年に発覚したが、その関連性はほとんど知られていなかったー今迄は。
私の調査では、世界経済フォーラムはヨーロッパが作ったものではない痕跡が見つかった。実際には、ケネディ、ジョンソン、ニクソンといったアメリカ政治の時代における公共政策の大立者たちから発せられた活動である。この3人は全員、外交問題評議会とそれに関連する「円卓」運動、および中央情報局(CIA)のサポート役と繋がりがある。
キッシンジャーを含む3人の極めて強力で影響力のある人物が、クラウス・シュワブを社会・経済政策の構築を通じて、アメリカ帝国と連携した完全な世界支配という最終目標に向けて導いていたのである。
さらに、そのうちの二人は、世界的な熱核戦争(Thermonuclear War)の脅威を常に作り出す中核を担っていた。私は、この二人をこの時代の地政学という広い文脈で考察することによって、1960年代にどのように彼らの道が交差し合流したのか、CIAが資金提供したプログラム���通じてどのようにクラウス・シュワブを勧誘したのか、そして彼らがいかに世界経済フォーラム創設の真の原動力となったのかを明らかにする。
ヘンリー・A・キッシンジャーについて
ハインツ・アルフレッド・キッシンジャーは、1923年5月27日、ドイツのバイエルン州で、ポーラ・キッシンジャーとルイス・キッシンジャーの間に生まれた。一家は、ドイツの迫害を逃れて1938年にアメリカに渡った多くのユダヤ人家族の一人であった。キッシンジャーは15歳の時、ロンドンへの短期移民を経てアメリカに到着し、ファーストネームをヘンリーに変えることになる。一家は当初アッパーマンハッタンに定住し、幼いヘンリー・キッシンジャーはジョージ・ワシントン高校に通うことになる。1942年、キッシンジャーはニューヨーク市立大学に入学するが、1943年初頭、アメリカ陸軍に徴兵される。1943年6月19日、キッシンジャーは米国に帰化。彼はすぐに第84歩兵師団に配属され、伝説のフリッツ・クレーマーによって、師団の軍事情報部門で採用され、働くようになる。クレーマーは、バルジの戦いでキッシンジャーとともに戦い、その後、戦後のアメリカ政治に大きな影響を与え、ドナルド・ラムズフェルドなどの未来の政治家に影響を与えることになる。ヘンリー・キッシンジャーは、2020年に書かれた『ニューヨーカー』の記事「The Myth of Henry Kissinger(ヘンリー・キッシンジャーの神話)」で、クレーマーを「私の形成期に影響を与えた最大で唯一の人物」と表現している。
その記事を書いたトーマス・ミーニーは、クレーマーを次のように評している:
「ニーチェの火付け役で、自己パロディーの域に達しているクレーマーは( 弱った目を酷使するために、良い方の目には片眼鏡をつけていた )、ワイマール時代末期、共産主義者や茶シャツのナチスと街頭で戦ってきたという。政治学と国際法の博士号を持ち、国際連盟でキャリアを積んだ後、1939年にアメリカに亡命した。彼は、キッシンジャーに「利口な知識人とその無血の費用対効果分析を真似しないように」と警告した。キッシンジャーが「歴史に音楽的に同調している」と信じていた彼は、「『計算』しない場合にのみ、あなたは小市民と区別される自由を本当に手に入れることができる」と彼に言ったのだ」
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ヘンリー・キッシンジャー、クラウス・シュワブ、テッド・ヒース(1980年世界経済フォーラム年次総会にて)
第二次世界大戦中、キッシンジャーはアメリカの防諜部隊に所属していたが、軍曹に昇進し、平和宣言後も長年にわたって軍の情報部予備軍に所属することになる。この間、キッシンジャーは、ゲシュタポやナチスの幹部など「妨害行為者」のレッテルを貼られた者を追い詰めるチームの指揮を執っていた。戦後、1946年、キッシンジャーは欧州司令部情報学校の教師に任命され、正式に軍を去った後も民間人として働き続けることになる。
1950年、キッシンジャーはハーバード大学で政治学の学位を取得。ウィリアム・ヤンデル・エリオットに師事する。彼は、後に6人のアメリカ大統領の政治顧問となり、ズビグニュー・ブレジンスキーやピエール・トルドーなどの指導者にもなった。ヤンデル・エリオットは、多くの弟子たちとともに、アメリカの国家安全保障体制と、イギリスのチャタムハウスやアメリカの外交問題評議会に代表されるイギリスの「円卓会議」運動とをつなぐ重要な役割を果たすことになる。また、大企業、政界のエリート、学界が共有するグローバルな権力構造を押し付けようとするものであった。キッシンジャーは、その後もハーバード大学で学び、修士号と博士号を取得するが、この時期すでに、FBIのスパイとして採用されることを希望していたとされ、諜報機関への道を歩んでいた。
1951年、キッシンジャーは陸軍作戦研究所のコンサルタントとして採用され、そこで様々な心理戦の訓練を受けることになる。このような心理戦への意識は、この時期の彼の博士課程での研究にも反映されている。ウィーン会議とその帰結に関する彼の研究は、熱核兵器をその手始めとして登場させ、退屈な仕事を少し面白くすることにもなった。1954年、キッシンジャーはハーバード大学の短大教授になることを希望していたが、代わりに当時のハーバード大学の学長、マクジョージ・バンディ(ウィリアム・ヤンデル・エリオットのもう一人の弟子)がキッシンジャーを外交問題評議会(CFR)に推薦してきた。CFRでキッシンジャーは、核兵器に関する研究会の運営を始めることになる。1956年から1958年にかけて、キッシンジャーはロックフェラー兄弟基金(この時期、ロックフェラーはCFRの副会長)の特別研究部長にも就任し、国防に関する複数の委員会を指揮してレポートを作成し、国際的に注目されることになった。1957年、キッシンジャーは、CRFのためにハーパー&ブラザーズから出版された「核兵器と外交政策」を発表し、熱核戦争を制定させる主要人物としての地位を確立することになる。
1966年12月、ジョン・M・レディ国務次官補(欧州担当)は、「欧州政策の形成」のために22名からなる顧問団を結成することを発表。この諮問委員会の最も著名な役者は以下の5人であった。ハーバード大学代表ヘンリー・キッシンジャー、ワシントン外交政策研究センター(フォード、ロックフェラー、カーネギーの資金で運営)のロバート・オスグッド、ロックフェラーのスタンダードオイルのメルビン・コナン、コロンビア大学のワーナー・シリング、同じくハーバード大学のレイモンド・ヴァーノンである。このほか、外交問題評議会のメンバー4人、フォード財団のシェパード・ストーン、あとはアメリカの有力大学の代表者という顔ぶれ。
この委員会の結成は、英米の帝国主義者がヨーロッパの政策を自分たちの思うように決定できる世界経済フォーラムのような組織を制定させようという「円卓会議」のアメリカ支部の意図を示すことわざの礎石の敷設と考えることができるだろう。
戦後のヨーロッパは重要な発展途上にあり、強大なアメリカ帝国はヨーロッパの再生とその若い世代のアイデンティティの出現にチャンスを見いだしつつあった。1966年12月下旬、キッシンジャーは「西ドイツにおける最近の州選挙はナチズムの復活を示すものではない」と宣言する声明に署名した29人の「アメリカの対独権威」の一人となる。この文書には、ドワイト・アイゼンハワーなども署名しており、ヨーロッパが再出発することを示すもので、ヨーロッパの戦争の惨禍を過去のものにし始めるという意味が込められていた。この文書の作成に関わった人たちの中には、すでに海外からヨーロッパの政策に影響を及ぼしていた人たちがいた。特に、キッシンジャー、アイゼンハワーと並んで署名したのが、当時外交問題評議会の代表でもあったハンス・J・モーゲンソー教授である。モーゲンソーは、「科学者対権力政治」という論文を書き、「政治的、社会的問題の解決策としての科学技術への過度の依存」に反対したことで有名である。
1967年2月、ヘンリー・キッシンジャーは、ヨーロッパ大陸で100年に及ぶ戦争と政治的混乱の原因を作ったのは、ヨーロッパの政策決定であると指摘する。ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された「フラー調査」と題する記事で、キッシンジャーは、レイモンド・アロンによる著作『平和と戦争:国際関係論』がこれらの問題のいくつかを解決していると述べている。
ヘンリー・A・キッシンジャー教授が、ヨーロッパの政策形成にアメリカが関与することは、将来の世界の平和と安定に不可欠であると認識していたことは明らかだった。この頃、キッシンジャーはマサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバード大学を拠点にしていた。ここで、後に世界経済フォーラムの創設者となる若き日のクラウス・シュワブ氏が、キッシンジャーの目にとまることになる。
キッシンジャーは、国際セミナーの事務局長であり、シュワブもハーバードでの生活を回想する際によく口にする人物であった。1967年4月16日、ハーバードのさまざまなプログラムが、中央情報局(CIA)から資金提供を受けていることが報じられることになる。その中には、ヘンリー・キッシンジャーの国際セミナーへの13万5千ドルの資金提供も含まれていた。キッシンジャーは、この資金提供がアメリカの情報機関からだとは知らなかったと主張している。キッシンジャーの国際セミナーへの資金提供に対するCIAの関与は、文理学部長だったフランクリン・L・フォードのアシスタント、ハンフリー・ドーアマンによる報告書で明らかになった。1967年に書かれたドーアマンの報告書は、1961年から1966年までのCIAの資金援助に焦点を当てたものだったが、キッシンジャーの国際セミナーは、CIAが資金援助したハーバードのプログラムの中で最も多くの資金援助を受けており、1967年まで継続されることになった。クラウス・シュワブは 1965年にハーバード大学に着任した。
1967年4月15日、ハーバード・クリムゾン紙は、CIA Financial Linksと題する記事でドーアマンの報告書について、「援助には何の制約もなかったので、政府が直接研究に影響を与えたり、その成果が発表されないようにすることはできなかった」とする著者不明の記事を発表。「いずれにせよ、もし大学がCIAの研究助成金の受け取りを拒否するなら、影の組織は別の協定を通じてその申し出をするのに問題はないだろう」と淡々と締めくくっている。
これは証拠としてクラウス・シュワブがキッシンジャーによって、ハーバード大学でCIAが資金提供したプログラムを通じて、彼の「円卓」帝国主義者の輪に引き入れられたことを示している。さらに、彼が卒業した年は、それがCIAが資金提供したプログラムであったことが明らかになった年でもある。
このCIAの資金提供によるセミナーで、シュワブは極めて人脈の広いアメリカの政策立案者と知り合い、後に最強のヨーロッパ公共政策機関となる「世界経済フォーラム」の創設に協力することになる。
ジョン・K・ガルブレイスについて
ジョン・ケネス・ガルブレイス(John Kenneth Galbraith、しばしばケン・ガルブレイスと呼ばれる)は、カナダ系アメリカ人の経済学者、外交官、公共政策立案者、ハーバードの知識人である。彼がアメリカの歴史に与えた影響は並大抵のものではなく、1960年代後半に彼が行った行動だけでも、その影響は今日でも世界中に及んでいる。1934年9月、ガルブレイスは、まずハーバード大学の講師として、年俸2,400ドルで教壇に���った。1935年には、ハーバード大学の12の寮の一つであるジョン・ウィンスロップ・ハウス(通称ウィンスロップ・ハウス)のチューターに任命���れる。この年、最初の教え子にジョセフ・P・ケネディJr.が加わり、2年後の1937年には弟のジョン・F・ケネディがやってくる。
カナダ人のガルブレイスは、1937年9月14日にアメリカに帰化。その3日後、彼はパートナーのキャサリン・メリアム・アトウォーター(Catherine Merriam Atwater)と結婚。その数年前、彼女はミュンヘン大学に留学していて、ミットフォードと同じ下宿に住んでいたが、その時のボーイフレンドがアドルフ・ヒトラーだった。結婚後、ガルブレイスは、東欧、北欧、イタリア、フランス、そしてドイツを広く旅行した。ケンブリッジ大学で、経済学者ジョン・メイナード・ケインズの下で1年間研究することになっていたが、ケインズが突然心臓発作を起こしたため、新妻の説得でドイツに留学。1938年の夏、ガルブレイスは、ヒトラー政権下のドイツの土地政策について研究することになる。
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ジョン・ケネス・ガルブレイス: チャーリー・ローズとのインタビュー映像
翌年、ガルブレイスは、当時「ウォルシュ・スウィージー事件」と呼ばれた、ハーバード大学を解雇された2人の過激派教官の米国内のスキャンダルに巻き込まれた。この事件で、ガルブレイスはハーバード大学から解雇された。
ガルブレイスは、降格してプリンストン大学で働くが、まもなく国家資源計画委員会から、ニューディール政策の支出や雇用プログラムに関する検討委員会の一員にならないかという誘いを受ける。このプロジェクトで、彼は初めてフランクリン・D・ルーズベルトに出会う。1940年、フランスがナチスの軍門に下ると、ガルブレイスは、FDRの経済顧問であったロークリン・カリーの要請で、国防諮問委員会のスタッフに加わった。しかし、この委員会はすぐに解散となり、ガルブレイスは価格管理局(Office of Price Administration, OPA)に任命され、価格統制を行う部門を指揮することになった。1943年5月31日、彼はOPAを解任される。フォーチュン』誌は、早くも1941年からガルブレイスのヘッドハントを試みており、すぐに彼をライターとして自社のスタッフに迎え入れた。
ガルブレイスにとって最大の転機は、1945年、ルーズベルトの死去の翌日だった。ガルブレイスは、ニューヨークからワシントンに向かい、ロンドンに派遣されて、戦時中の空爆による経済効果全般の評価を任務とする合衆国戦略爆撃調査局の部門長に就任。彼がフレンスブルグに到着した時には、すでにドイツは連合軍に正式に降伏しており、ガルブレイスの当初の任務は変更される。ジョージ・ボールに同行して、アルベルト・シュペーアの尋問に加わることになったのだ。この一手で、ガルブレイスは、価格設定に関する統計や予測を扱う政策顧問から、ナチスの高位戦犯の共同取調官になった。シュペーアは戦時中、ナチスドイツ国防軍の組織、整備、武装の中心人物である軍需・戦争生産大臣をはじめ、さまざまな要職に就いていた。
その後、ガルブレイスは、広島と長崎に派遣され、原爆の影響を評価することになる。1946年1月、ガルブレイスはアメリカ経済史の決定的な瞬間のひとつに関与。彼は、クリーブランドで開催されたアメリカ経済学会に参加し、ハーバード大学のエドワード・チェンバリン、テキサス大学のクラレンス・エアーズとともに、フランク・ナイトやその他の古典派経済学の主要な提唱者たちと討論することになった。この大会は、戦後のアメリカを支配することになるケインズ派経済学の登場を告げるものだった。
1946年2月、ガルブレイスはワシントンに戻り、経済安全保障政策局の局長に任命される。1946年9月、ガルブレイスはここで、ウィリアム・バーンズ国務長官のためにドイツの復興、民主化、そして最終的には国際連合への加盟に対するアメリカの政策を概説する演説を起草する仕事を任された。ガルブレイスは、当時「冷戦派」と呼ばれていた政治家たちに反対し、1946年10月に職を辞し、『フォーチュン』誌に復帰。同年、大統領自由勲章を受章している。1947年、ガルブレイスは、エレノア・ルーズベルト、アーサー・シュレジンジャーJr、ロナルド・レーガンらとともに、「アメリカン・フォー・デモクラティック・アクション」という組織を設立。1948年、ガルブレイスは、ハーバード大学に戻り、農業林業と土地利用政策の講師を務めることになる。その後、ハーバード大学の教授に就任。
1957年になると、ガルブレイスはかつての教え子で、当時マサチューセッツ州の下級上院議員だったジョン・F・ケネディと親密な関係を築き始めた。翌年、ガルブレイスの著書『ポーランドとユーゴスラビアへの旅』を手にしたJFKは、ガルブレイスを「学界のフィリアス・フォッグ」と公言し、社会主義計画を間近で検証した。ガルブレイスは1958年には『豊かな社会』を出版し、「常識」や「依存効果」といった言葉を生み出し、高い評価を得ている。ガルブレイスがハーバード大学のポール・M・ウォーバーグ経済学講座に就任したのもこの頃で、若き日のクラウス・シュワブに紹介されたのが、この講座だった。
1960年には、ガルブレイスはケネディ陣営の経済アドバイザーとなった。ケネディが大統領に当選すると、ガルブレイスは新政権のスタッフとして働き始め、ロバート・S・マクナマを国防長官に推薦した人物であることは有名な話。1961 年、ケネディはガルブレイスを駐インド大使に任命。同年末には大統領の要請でベトナムに赴き、テイラー・ロストウ報告書に対するセカンド・オピニオンを与えた。ケネディはガルブレイスの助言でベトナムから軍を撤退させ始めることになる。
1963年、ガルブレイスはケネディからのモスクワ大使就任の打診を断って帰国し、ハーバード大学に戻った。ケネディが暗殺された日、ガルブレイスはワシントン・ポスト紙の発行人キャサリン・グラハムと一緒にニューヨークにいた。ガルブレイスはそのままワシントンに向かい、新大統領の議会合同演説の原案作成を担当。JFK暗殺の翌年、ガルブレイスはハーバード大学に戻り、有名で非常に人気のある社会科学のコースを開設。そこで10年間教え続けた。その後、ジョンソン大統領の顧問という地位は維持されたが、残りの期間を経済学に特化した最後の学術雑誌の執筆に費やした。
1965年になると、ガルブレイスは大統領に演説や手紙を書き送り、ベトナム戦争反対をますます声高に主張。この亀裂はジョンソンとの間にも残り、ガルブレイスはついにAmerican for Democratic Actionの会長に就任し、"Negotiations Now!" というベトナム戦争反対の全国キャンペーンを展開。1967年、ユージン・マッカーシー上院議員がガルブレイスに説得され、来るべき予備選挙でジョンソンの対抗馬として出馬したことで、ガルブレイスとジョンソンの亀裂はさらに拡大。ロバート・F・ケネディもガルブレイスを自分の選挙運動に参加させようとしていたが、ガルブレイスは故JFKと親交があったものの、ロバート・F・ケネディの独特のスタイルにはあまり乗り気でなかったようだ。
1960年代後半になると、ガルブレイスとキッシンジャーは、ともにアメリカにおける一流の講演者、作家、教育者として知られるようになった。また、二人はハーバード大学のOBでもあり、ガルブレイスはポール・M・ウォーバーグの経済学教授、キッシンジャーは行政学の教授として、アメリカと新興の新欧州双方の外交政策づくりに力を注いだ。1968年3月20日、カリフォルニア大学サンディエゴ校で開催される「マンデヴィル講演シリーズ」と呼ばれる春のセッションの最初の講演者が、キッシンジャーとガルブレイスであると発表された。ガルブレイスは「外交政策:冷静な議論」、キッシンジャーは「アメリカとヨーロッパ:新しい関係」というタイトルで講演した。
キッシンジャーは、クラウス・シュワブをハーバード大学のJ.K.ガルブレイスに紹介し、1960年代も終わりに近づくと、ガルブレイスはシュワブの世界経済フォーラムの実現に協力することになる。ガルブレイスは、ハーマン・カーンとともにヨーロッパに飛び、シュワブがヨーロッパのエリートにこのプロジェクトを支持するよう説得するのを手伝った。第1回「ヨーロッパ経営者シンポジウム/フォーラム」(WEFの前身)では、ガルブレイスが基調講演者となった。
ハーマン・カーンについて
ハーマン・カーン(Herman Kahn)は1922年2月15日、ニュージャージー州バイヨンヌで、イェッタとアブラハム・カーンの間に生まれる。ブロンクスでユダヤ教の教育を受けて育つが、後に無神論的な信念を持つようになる。1950年代を通じて、ハドソン研究所で核抑止力の概念と実用性に関するさまざまな報告書を執筆し、それが後に軍の公式方針となる。また、放射線小委員会などの公聴会のための報告書も作成。冷戦初期のヒステリーの中で、カーンは知的、倫理的、道徳的に「考えられないことを考える」余地を与えられることになった。カーンはゲーム理論(合理的観念を持つ者同士の戦略的関わり合いにおける数学的モデルの研究)を応用し、熱核戦争に関する潜在的なシナリオと結果をウォーゲーム化した。
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ガルブレイスとキッシンジャー、そして広くアメリカの政治体制にとって、ヨーロッパは世界の安定だけでなく、一般的なアメリカの覇権に対する主要な脅威であった。戦後のヨーロッパの相対的な安定は、熱核の対立によるものと認識され、キッシンジャーは非常に早い時期からこの動きを認識し、アメリカの覇権のために状況を操り始めた。熱核抑止に関連する複雑な力学を理解しようとし、それが政策決定にどのような影響を与えたかは、ヘンリー・キッシンジャー一人の問題ではない。ハーマン・カーンは同時期の熱核戦略計画の第一人者であり、キッシンジャーは50年代半ば以降、同じ主題に関する仕事でカーンと何度も顔を合わせていたようだ。ハーマン・カーン(左)とジェラルド・フォード、ドナルド・ラムズフェルド
1960年、カーンは熱核戦争のリスクとその後の影響を研究して『戦争と抑止の性質と可能性』を出版。ランド社は、カーンの著作で議論された抑止力の種類を次のように要約している: 直接攻撃の抑止、敵が米国への直接攻撃以外の非常に挑発的な行為に関与することを抑止するための戦略的脅威の使用、そして、最終的には潜在的侵略者が、防衛者または他の者が軍事的または非軍事的な限定的行動によって侵略を不採算にすることを恐れるが故に抑止される行為。
翌年、プリンストン大学出版局からハーマン・カーンの代表作『熱核戦争について』が初出版される。この本は、近くて遠い将来の世界政治に大きな影響を与え、アメリカの制定派政治家たちを、最悪の事態を想定した熱核シナリオに対抗するための外交政策を具体的に打ち出すよう駆り立てることになった。イスラエルの社会学者で「コミュニタリアン」と呼ばれるアミタイ・エッツィオーニは、カーンが恐るべき著作を発表したとき、「カーンは、自由恋愛の提唱者がセックスに対して行ったことを核兵器に対して行った」とした。
カーンの複雑な理論は、しばしば誤った言い換えがなされ、そのほとんどが一文や二文で要約することは不可能であるが、それは熱核戦争に関する彼の考え方に象徴されている。カーン氏の研究チームは、さまざまなシナリオ、絶えず進化するダイナミックな多極化する世界、そして多くの未知なるものを研究していた。
熱核戦争については地政学だけでなく、文化にも即座に、そして永続的に影響を与え、数年のうちに非常に有名な映画によって表現される。1964年、スタンリー・キューブリック監督の名作『Dr.ストレンジラブ(奇妙な愛)』が公開され、その瞬間から、そしてそれ以来、カーンは「本物のストレンジラヴ博士」と呼ばれるようになった。この比較について質問されたカーンは、Newsweek誌に「キューブリックは私の友人です。彼は、ストレンジラヴ博士が私であってはならないと言ったんだよ」 と言っている。しかし、スタンリー・キューブリックの描く古典的キャラクターと実在の人物ハーマン・カーンの間に多くの親和性があることを指摘する人もいる。
1966年7月に外交問題評議会に寄稿した『ヨーロッパにおける我々の選択肢』というエッセイの中で、カーンはこう述べている。
既存の米国政策は、一般に、ヨーロッパの安全保障の手段として、西ヨーロッパの政治的、経済的、そして軍事的な統合または統一に向けられてきた。統一は西側諸国全体、あるいは世界の政治的統一に向けた一歩であると考える者もいる。ヨーロッパにおける国家間の対立は、近代史を根本的に破壊する力であり、その抑制や、より大きな政治的枠組みへの統合は、将来の世界の安定に不可欠であると考えられてきたからである。
この発言は、将来のヨーロッパとアメリカの関係において、ヨーロッパ連合を作ることが望ましい解決策であることを示唆している。さらにカーンにとって望ましいのは、米欧の統一超国家を作ることであった。
1967年、ハーマン・カーンは20世紀を代表する『紀元2000年 : 33年後の世界』という未来派作品のひとつを執筆。
アンソニー・J・ウィーナーとの共著であるこの本で、カーンとその仲間は、2000年の終わりに技術的に我々がどのような状態にあるかを予測した。しかし、カーンの『紀元2000年 』のすぐ後に、同時に発表されたもう一つの文書がある。それは、『教育政策研究プログラムのための補助的試験研究:最終報告書(Ancillary Pilot Study for the Educational Policy Research Program: Final Report)』と題された文書である。これは、カーンが『紀元2000年 』で描いた未来社会をどのように実現するかを描いたものである。
「意思決定者の特別な教育的ニーズ」という項目で、この論文は次のように述べている。意思決定者を明確に教育し、実質的に国家の運命を計画したり、より民主的なプロセスで策定された計画を実行することができるようにすることは、非常に真剣に検討されるべきである」。この手順の一面は、共有の概念、共有の言語、共有の類推、共有の参照...を作り出すことであろう。さらに同項で次のように述べている。「ヨーロッパの人文主義的伝統の精神に基づく普遍的な再教育は - 少なくともその包括的な指導者層にとっては - 多くの点で有用であろう。」
先に述べたレトリックを研究し、その意味を読み解くと、この文書の中でハーマン・カーンは、社会の中の特定のグループだけを潜在的リーダーとして養成し、権力のためにあらかじめ選ばれた少数の人々が、社会として共有すべき価値観を定義できるようにして、民主主義を破壊することを提案しているのである。ハーマン・カーンも、世界経済フォーラムの「ヤング・グローバル・リーダー」制度には賛成するだろう。
1968年、ハーマン・カーンは、ハドソン研究所では何をしているのかと記者に聞かれる。という記者の質問に、「私たちは神の視点を持っている」と答えている。大統領の見解だ。壮大。天空的。グローバル。銀河的。エーテル的。空間的。総体的。メガロマニア(誇大妄想)は職業病の定番だ」。この後、ハーマン・カーンは椅子から立ち上がり、空に向かって指を指し、突然「メガロマニア、ズーム!」と叫んだと言われている。
1970年、カーンはガルブレイスとともにヨーロッパを訪れ、クラウス・シュワブによる第1回ヨーロッパ経営シンポジウムの募集を支援。1971年には、後に世界経済フォーラムとなる政策立案組織の歴史的な第1回会合で、ジョン・ケネス・ガルブレイスの基調講演を中央舞台で見ることになる。
1972年、ローマクラブは「成長の限界」を発表し、2000年までに世界人口のニーズが利用可能な資源を上回るだろうと警告を発した。カーンは晩年の10年間をこの考えに反対することに費やした。1976年、カーンは、資本主義、科学、技術、人間の理性、自己鍛錬の可能性は無限であるとする、より楽観的な未来予想図『次の200年』を発表。また、『次の200年』では、地球の資源が経済成長に限界を与えることはなく、むしろ人類は「太陽系のあらゆる場所、おそらく星々にもそのような社会を作り出すだろう」と予測し、悪質なマルサス的イデオロギーを否定している。
(ALAE P.💬ここからが本題という感じ…)
シュワブの3人の恩師
カーン、キッシンジャー、ガルブレイスの3人は、それぞれ熱核抑止論、外交政策立案、公共政策決定に関して、アメリカで最も影響力のある人物となった。この3人のキャリアは、ヨーロッパと冷戦に焦点を当てたものだったが、この時代の他の重要な出来事における彼らのさまざまな役割は、いずれも他のもっと破壊的でよく隠された出来事から研究者の目を容易にそらす可能性を秘めていた。
この3人の強力なアメリカ人は、多様な形で互いに結びついていたが、特に、キッシンジャー率いる22人の顧問団が「ヨーロッパ政策の形成」のために設立された1966年から、世界経済フォーラムが設立された1971年までの間に、ある興味深い、注目すべき糸がこの人々を結びつけていた。3人とも英米帝国主義の「円卓」運動のアメリカ支部である外交問題評議会のメンバーだった。キッシンジャーは、卒業後すぐに米外交問題評議会(CFR)にリクルートされてすでに深く繋がっており、ガルブレイスは、1972年に「極めて公然と」CFRの会員を辞めたと言われている。CFRは退屈だとし、あるジャーナリストに対して、「ほとんどの議事は『このまま座っていていいのだろうか』と疑問に思うほど陳腐さのレベルは根深い」と語った。ガルブレイスがCFRのメンバーになった時期は明らかではないが、1958年7月には早くもCFRの機関誌『外交問題』に「インドのライバル経済理論」が掲載されるなど、CFRの出版物を執筆していた。また、カーンは、国務省の公式顧問として働きながら、1966年7月に「ヨーロッパにおける我々の選択肢」、1968年7月に「交渉が失敗した場合」という作品を書き、CFRを通じていくつかのエッセイを発表していることが確認できる。
1960年代以前、この格別に影響力のあるアメリカの3人の知識人は、それぞれ戦後のヨーロッパの問題を理解し、戦争で疲弊した大陸の将来を描くことに深く関わっていた。
ガルブレイスは、第三帝国時代のドイツの政策研究などヨーロッパを広く旅し、ヒトラーのドイツが崩壊した後は、同じようにソビエトのシステムを研究していた。ガルブレイスは、後に大統領となるジョン・F・ケネディに幼少の頃から影響を与えたことは言うまでもないが、彼の推薦でJFKがベトナムからの撤兵を開始するほどの力量を持っていた。ケネディがダラスで暗殺された時、ガルブレイスは次期大統領の最初の演説を起草することになるが、ガルブレイスはすぐに傍流へと追いやられた。1960 年代の混乱の中で、ガルブレイスはヘンリー・キッシンジャーと親しくなり、二人ともハーバード 大学教授で外交問題評議会(CFR) のメンバーであり、ヨーロッパを安定させ、ソ連の侵略からヨーロッパを守る、という同じ目標を持っていた。
ガルブレイスとキッシンジャー、そして広くアメリカの政治体制にとって、ヨーロッパは世界の安定だけでなく、一般的なアメリカの覇権に対する主要な脅威であった。戦後のヨーロッパの相対的な安定は、熱核の対立によるものと認識され、キッシンジャーは非常に早い時期からこの動きを認識し、アメリカの覇権のために状況を操り始めた。熱核抑止に関連する複雑な力学を理解しようとし、それが政策決定にどのような影響を与えたかは、ヘンリー・キッシンジャー一人の問題ではない。ハーマン・カーンは同時期の熱核戦略計画の第一人者であり、キッシンジャーは50年代半ば以降、同じ主題に関する仕事でカーンと何度も顔を合わせていたようだ。
カーンはキッシンジャーに、政治家や政策立案者が渇望する将来の出来事を比較的正確に予測する能力を提供した。カーンは、そう遠くない将来の技術進歩に関する正真正銘の預言者であり、彼の仕事は、しばしばストイックで人間の感情を排除してはいたが、時の試練によく耐えてきた。カーンとキッシンジャーの目標は1960年代半ばから後半にかけて重なり、この時期にカーンが行った脅威の評価がより楽観的になると、キッシンジャーはカーンの仕事が世界の人々に新しい未来を提供するための基本的なものであると考えるようになる。
しかし、キッシンジャーの未来像は、自由で公正な社会が共に「勇敢な新世界」へと進むというものではなく、キッシンジャー自らの外交問題評議会CFR主導による制定派の視点によって歪められた世界イメージを作り出そうとするものであった。キッシンジャーは、真の政治家として自己を再ブランディングしようとしたが、外国の民主的プロセスを破壊するだけでなく、最終的にはグローバリスト・アジェンダの利益のためにアメリカのシステムを弱体化させ続けることになったのだろう。シュワブがキッシンジャーに将来のグローバリストの指導者に��る可能性を見出されたとき、このまだ若かったドイツ人はすぐにガルブレイスとカーンに紹介されたようだ。これは、カーンが、一般的な教育モデルとは別に、リーダーシップの潜在能力を持つ個人を特別に訓練する必要性を指摘したのと同じことである。
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世界経済フォーラムの設立総会で講演するクラウス・シュワブ(1971年)
クラウス・シュワブは、ハーバード大学を卒業したその年に、エッシャーウイス社をスルザー社に売却したばかりのピーター・シュミットハイニーに声をかけられた。シュワブの父オイゲン・シュワブは、第二次世界大戦中、エッシャーウイスのラーヴェンスベルク工場を経営し、ナチスの原爆用重水タービンの製造に極秘に携わっていたのだ。シュワブは、あるインタビューの中で、シュミットハイニーに呼び出された時のことを語っている:「君は今ハーバードから来て、近代的な経営手法を知っているから、統合を成功させるために手伝ってくれ」。しかしクラウスはそのインタビューでは、スルザー社とエッシャーウイス社の合併に協力し、スルザーAGという新会社ができたことには言及しなかった。シュワブが取締役を務めるこの会社は、南アフリカのアパルトヘイト政権の違法な熱核兵器開発計画に協力し、国際法を破ることになる。
クラウス・シュワブは、熱核戦争の最も重要な専門家たちの影響圏を離れるてすぐ、ハーバード大学を出て同じ年のうちに、熱核爆弾技術を専制政権に伝播することを扱う会社の合併の責任者を務めることになったのだ。
多くの人は、恐ろしい絶滅のシナリオを描いたりしないし、アパルトヘイトの南アフリカが歴史のこの時点で核兵器を手に入れることが、起こりうる最悪の事態の1つであると信じているかもしれない。しかし、ハーマン・カーンの熱核災害シナリオは、「災害や妨害工作、事故がない限り、主要な核保有国が侵略行為として熱核兵器を発射する勇気は当面ない」と、全くの天才に信じさせてしまったのである。実際、制定派の考え方は大きく変わり、ハーマン・カーンなどは、あるシナリオでは、フランスのような国を核保有国にすることは、地域的にも世界的にも安全保障に大きな利益をもたらし、米国の防衛費削減にも役立つと助言するようになっていた。
熱核戦争はもはや戦略的防衛政策の全てでも終結でもなく、1960年代も終わりかけの時期に、熱核による終末の恐怖を引き起こしていた当人たちが、本当に心配するのをやめて、核爆弾を愛するようになったのです。
注意:堕落した先駆者
世界経済フォーラム設立の真のブレーンは、クラウス・シュワブなのか?
キッシンジャーがシュワブを勧誘するために利用したセミナーに、CIAが関与していたことをどう考えればいいのだろう?
外交問題評議会(CFR)のような組織の背後に潜む権力者が、グローバリストの政策立案組織の真の創設者だったのだろうか?
世界経済フォーラムは、単にヨーロッパを統合するためのものだったのか?
それとも、キッシンジャー、カーン、ガルブレイスといったCFRの大物たちが設計した新世界秩序が意味するところは、ヨーロッパとアメリカ、そして残りの超国家の統合なのだろうか?
この3人の権力者は、それぞれ自分の知的欲求の反映をシュワブの中に見出していた。クラウスは、テクノクラート運動が始まった10年代の後半に生まれ、戦後の世界で形成期を迎えた最初の世代の出身である。カーンの未来予測は、人間の驚異を表現するだけでなく、その予測をできるだけ早く、結果がどうであれ、現実のものとするためのプロジェクトでもあったのだ。
1964年、クラウス・シュワブは、自分のキャリアをどうするか決めかねていた。彼は26歳で、自分の進むべき道を探していたが、その方向性を家族から見出すことになる。彼の父、オイゲン・シュワブは、第二次世界大戦中、ナチスの原爆投下作戦に参加し、歴史の「間違った側」にいた。オイゲン・シュワブ氏は、息子に「ハーバードでこそ、本当の力を発揮できる」と語っていた。戦後の分裂したドイツでは、熱核戦争の脅威が日常的に叫ばれ、人々の心理に大きな恐怖を与えていた。当時、ハーバード大学は、冷戦時代の欧州政策において中心的な役割を担っていた。
ハーバード大学在学中、シュワブはキッシンジャーの「国際セミナー」に参加していた。このセミナーは、CIAが資金を提供し、そのパイプ役として知られていた。このセミナーで、クラウス・シュワブは、差し迫った核の恐怖を利用するなど、あらゆる方法でヨーロッパの公共政策に影響を与えようとする人物たちと知り合った。そして、カーン、キッシンジャー、ガルブレイスの3人は、このプロジェクトに信頼性を与え、世界経済フォーラム設立のためにシュワブを支援した。シュワブ一人ではヨーロッパのエリートに自分の意図するところを説明するのは容易でなかったので、彼はカーンとガルブレイスをヨーロッパに連れてきて、他の重要なプレーヤーにプロジェクトの一員になるように説得。ガルブレイスはフォーラムの最初の基調講演者となり、カーンの参加も大きな関心を集めたが、第2回世界経済フォーラムは大物の参加なしでは失速し、クラウス・シュワブはフォーラムの第3回年次総会に観衆を集める何かが必要であることを理解していた。
1972年、ローマクラブの創設者アウレリオ・ペッチェイは、ローマクラブの依頼で、過剰人口に対してマルサス主義的なアプローチをとった「成長の限界」という本を出版し、物議をかもしたことがあった。この本は、世界の経済成長の持続可能性に疑問を投げかけるもので、ペッチェイはシュワブから1973年の世界経済フォーラムの基調講演に招かれることになる。このきわどい広報戦略は、シュワブとその組織にとって大きな利益をもたらした。それ以来、このフォーラムは、規模、スケール、パワーともに大きくなっていった。しかし、すべての始まりは、CIAが資金を提供し、シュワブが運営する講座であった。
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アウレリオ・ペッチェイ(右端)、1975年ローマクラブ会議(パリ)にて
シュワブは単なるテクノクラートではなくなっている。彼は、自分の肉体的・生物的なアイデンティティーを未来のテクノロジーと融合させるという意思を強く打ち出している。スイスの山奥のシャレーでエリートたちと密談する、悪の絆のような生きた悪役の戯画となった。我々が持っているシュワブのイメージは決して偶然ではないと思う。戦後、西洋文化において非常にユニークなことが起こった。政府が主流メディアをツールとして使い始め、軍事級の心理作戦で大衆をターゲットにしたのである。支配的な制定派は、紛争シナリオのドラマを映画のようなメディアと併合させることは極めて有効で、場合によっては殆ど自己増殖的なプロパガンダを作り出することを発見した。スタンリー・キューブリックの『ストレンジラヴ博士』のような映画は、人々に熱核災害のシナリオ計画のばからしさを理解させるには素晴らしい手段であった。
しかし、権力や富を求める人々、つまりクラウス・シュワブの言うところの社会の「利害関係者(競合権利者・ステークホルダー)」からは注目されることになる。これは非常に重要なことで、極端な富と権力の投影は、社会の「ステークホルダー」を引きつけ、世界経済フォーラムのテーブルに呼び寄せることになるのです。クラウス・シュワブ氏の主要なイデオロギー商品である「ステークホルダー資本主義」は、こうした「ステークホルダー」を取り込むことで、真の民主的プロセスからあらかじめ選ばれた少数のリーダーグループによる統治システムへと権力を移行させるだろう。彼らは、ハーマン・カーンが予測したように、前世代によって定められたアジェンダを継続するよう訓練されている。彼らがすべてのカードを握る一方で、庶民には幻の疑似民主主義プロセス、貧困、そして常に不条理な心理作戦が残され、私たち全員の注意を常にそらすことになる。クラウス・シュワブはやがて、ハーマン・カーンが最も悲観的な予測の中で恐れてきた通りの人物になる。ローマクラブが「成長の限界」レポートを発表すると、ハーマン・カーンはその結果に反論し、その悲観論に反対する。同時に、クラウス・シュワブはそれを自分の計画の中心に据え、ダボスでの彼のフォーラムでその創設者を基調講演者として招いたのである。
現在の地政学的状況は、冷戦時代の東と西の構図に回帰しているように見える。最近のウクライナでも、主要メディアは60〜70年前と全く同じような核の話法をまたもや繰り返している。私が思うに、冷戦時代のレトリックに戻ったのには、非常に明白な理由があるのだろう。それは、クラウス・シュワブとその支持者たちがアイデア不足であることを示す、非常に明白なサインである。彼らが、自分たちが安全だと感じ、最も重要なこととして熱核戦争に対する大衆の恐怖を引き起こすような地政学的パラダイムに戻ろうとしているように見えるのだ。イデオロギー運動は独自のアイデアを使い果たすと、この繰り返しサイクルが常に起こる。1960年代後半から、クラウス・シュワブは���ーマン・カーンが予言した世界を作ろうとしているが、カーンの未来像はかなり正確ではあっても、半世紀以上前のものである。シュワブのテクノクラート運動は、革新的なテクノロジーの開発に成功し、1967年に作られたビジョンに向かって私たちを前進させることにかかっているのだ。カーンの予測をもっと詳しく調べてみると、シュワブが推進するあらゆるアイデアは、ほとんどすべてカーンの『紀元2000年』、そして60年代後半にさかのぼる未来の姿の予測文書に基づいていることがわかる。しかし、シュワブが無視しているように見えるのは、カーンの予測の多くは、将来の技術的進歩から生じる危険への警告と結びついたものであるということである。
シュワブは人生の終盤にさしかかり、明らかに世界的な災厄をもたらす可能性のある急進的な未来派アジェンダを必死に推進しているようにみえる。私は、世界経済フォーラムが必然的なる崩壊を前に、その拡大が最大レベルに達しようとしている、と考えている。なぜなら、やがて自分たちの国のアイデンティティを愛する人々が、自分たちの特定の文化に対する直接的な脅威に立ち向かい、彼らはグローバリストの支配に反撃するであろうから。端的に言えば、いくら洗脳を施したとしても、すべての人をグローバリストにすることはできないのだ。国家の自由とグローバリズムの支配の間には自然な矛盾があり、両者は完全に相容れないものである。
最後に実にしっくり来る考察として、ハーマン・カーンはシュワブがハーバードを去るのと同じ年に、とても重要なことを書いている。前述のハドソン研究所の『教育政策研究プログラムのための補助的な試験的研究:最終報告書』と題する1967年の文書の中で、カーンはこう書いている。
「われわれの技術的達成、さらには経済的達成は、さまざまな恵みをもたらすものであることがますます明らかになってきている。進歩を通じて、大量破壊兵器の蓄積、増強、拡散、プライバシーと孤独の喪失、個人に対する政府や私的権力の増大、人間のスケールと視点の喪失、社会生活や心理生物学的自己の非人間化などの問題が生じている。危険で、脆弱で、欺瞞的で、あるいは劣化しやすい管理・技術システムの中央集権化の拡大、悲惨な乱用の危険性をはらんだ他の新しい能力の創造、そしてあまりにも急速あるいは激変しすぎてうまく適応できない変化の加速化。おそらく最も重要なことは、誤りを犯しやすい人間に安全を任せるには、あまりにも大きく、複雑で、重要で、不確実で、包括的な選択を迫られることであろう。」
著者:ジョニー・ヴェドモア
ジョニー・ヴェドモアは、ウェールズのカーディフ出身。完全に独立した調査ジャーナリストであり、ミュージシャンでもある。 彼は、他のジャーナリストが見落としている有力者を暴き、読者に新しい情報をもたらすことを目的に活動をしています。 ジョニーに協力したい方、または情報をお持ちの方は、johnnyvedmore.com、または [email protected] までご連絡ください。
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ari0921 · 3 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和三年(2021)8月13日(金曜日)
通巻第7012号 
 新任の秦剛(駐米中国大使)がワシントンで話し合いを始めた
  イエーレン米国財務長官が近く訪中の観測
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 イエーレン米国財務長官が訪中する予定という。
 8月12日にブルームバーグが報じたが、財務省のリリー・アダムズ報道官は、「イエーレン長官が秋に中国を訪問する計画はない」と否定した。もし訪中となれば、現職閣僚だから、バイデン政権では最高位の訪問となる。
情報通が解説するには「長官訪中の場合、気候変動対策など米中共通の課題のほか、貿易などの協議が目的となる」とし、対談相手は劉鶴副首相だろうとした。
しかし、先のシェルマン国務副長官の訪中は中国側が罵倒を繰り返し、天津に留め置いて、文句ばかりを並べて追い返した。米国は相当の不快感を抱いたが、同時に中国はまったく譲歩する姿勢にないことを掌握した。
イエーレン米国財務省官はFRB議長を務めた金融、財務のベテランであり、現在のバイデン政権が進めているバラマキ路線の中枢にいる。
彼女が中国へ行って知りたいことは、第一にデジタル人民元の本気度と、その可能性、そして米国はいかに対応するべきかのヒントを得ることだろう。というのもブレトンウッズ体制下のドル覇権が何時まで維持できるかという米国の戦略に絡むからだ。
 第二に中国企業のウォール街への上場がピタリ止んでいることと、中国企業の社債償還、株式市場の下落予測などの参考となる実態を把握することだろう。二年以内に230兆円の償還がくる中国の債券市場はパニックを回避できるか、どうか。
 第三に中国共産党は教育産業の予備校や、ゲーム産業は不健全として市場介入を間接的に行ったが、この悪影響が中国国内ばかりか、すでに日本のソフトバンクGや楽天に甚大な悪影響が出ており、市場の今後の予測に繋がる。
 中国は世界に先駈けて「デジタル人民元」を普及せんと実験を繰り返している。そのうえで、潜在的な阻害要因を駆除しており、例えば、ビットコインなどの暗号通貨の取引所を閉鎖した。
 中国人はビットコインに集中的に投機してきたため、世界シェアは80%にも及び、同時にビットコイン現金化闇市場も出現した。顧客のなかにはハッカーで稼ぐ北朝鮮の集団があった。また電力消費が膨大なため、国内取引所を畳み、米国テキサス州へ移動する「業者」も目立つようになった。
 またアリババ、テンセントのモバイル決済は国民から支持されており、最初は奨励してきた中国共産党だったが、データ管理とデータ流失に問題があるとして、規制を強化した。デジタル人民元を世界市場に普及させ、国家がそのデータを管理すると中国の全体主義体制は、管理監査が完璧となる。しかし、そうした中国の目標は可能なのか、どうか。
 
 デジタル通貨は国際的流通性を獲得すれば、当該国の通貨管理、すなわち通貨発行という主権はどうなるか。
仮想通貨は、ドル基軸の世銀IMF体制と、どういう整合性を取るのか、デジタル人民元などの仮想通貨は、どうやってドルと交換できるのかという問題だ。こうした重要な問題で米中は突っ込んだ話し合いをしていない。
▼二年以内の中国国有企業の社債償還は230兆円
 昨秋から噂されたデベロッパー大手の「恒大集団」が債務危機に陥って中国の不動産業界は青ざめた。香港では開発中のマンション販売に関して、主幹事のHSBCは住宅ローンを停止した。広東省では広発銀行の要請により二軒のマンション開発販売を停止した。
 恒大集団は全物件を30%割引で販売して手元現金をかき集めた。償還の迫った社債のために急いだが恒大の社債は金利が14%に跳ね上がった。
 恒大集団の倒産が秒読みだということではなく、GDP躍進の基軸だった不動産ビジネスが本当に危殆に瀕しているのであり、値崩れのあと住宅ローン、個人破産のラッシュとなるだろう。
すでに北京大学系の方正集団や、鳴り物入り国策企業だった紫光集団が外貨建て社債をデフォルト(13億元)。王岐山系といわれる海南集団は事実上倒産している。
 ほかにも華夏幸福基業(157億元の債務不履行だった)、天津地産が社債デフォルト。
 2021年第一四半期だけでも格力電器などがデフォルトをやらかし、前期比で24・3%の増加、合計で61社の社債が紙くずとなった(2020年は通年で142社の社債が紙くずに化けた。このペースだと、今年は240社以上になる)。
 このため新規に社債の起債もしくはCP(コマーシャルペーパー)の発行を予定していた248社が社債発行を見送った。
 
 国有企業大手も債務不履行危機が近いとされ、国家鉄路集団が900億元、国家電網が140億元の社債残高を抱えるなど公的企業の債務は、6000億元とされる。
 23年までに償還時期が来る債務は邦貨換算で230兆円。このうちドル建て社債は1720億ドル(19兆円)で全体の8・3%。西側投資家の杞憂は後者のデフォルトだ。
 
 ▼ウォール街の関心事は中国の株価の行方だ
 イエーレンはFRB議長と財務省との格差をわきまえている。財務省はドル札���印刷し、そのグリーンバックにサインをするのは大統領ではなく財務長官の特権である。
 米国の投資家やファンド筋は、これまでにも中国株式で大いに潤ってきた。とくにゴールドマンサックスなど証券会社は、上場の主幹事となることで、巨額の手数料を稼いできた。だからこそ中国の最近の動きが気になるのだ。
 滴滴(DIDI)は6月30日にNY市場に上場し、予定価格14ドルのところ、初値が18ドル。時価総額はいきなり7兆5700億円となった。
四日後、中国はDIDIの審査に入ったため株価は暴落した。7月9日の時価総額はピークから2兆3000億円ほど減らして、5兆2000億円ほどになった。
 ついで7月26日、学習塾規制強化により、香港株式市場で中国教育銘柄の株価が半値以下に暴落した。新東方教育科技などはオンライン個別指導で業績を伸ばしたが、いきなり47%下落した。四日間続いた続落で中国の株式市場から6兆3000億円弱が蒸発した。
 中国当局は学習塾、補習斑、家庭教師センターなど「教育産業は利益追求であってはならない」とし、「免許交付を新ルールにかえる」とした。
 中国の教育産業界は大学進学率の急上昇(ことしの大卒は909万人)に伴い、たとえば、宿題アプリで急発展してきた「猿輔導」は、時価総額1・6兆円。昨年に猿輔導が上場した折には、2300億円をかき集めた。教育補習など広く利用されるアプリゆえに利用者は四億人を超えたという。
 この当局の措置により、大手のTAL(米国でも上場)の株価は71%の暴落、「GAOTU TECHEDU」が53%、新東方教育が41%の下落と、いずれも土石流被害は甚大。付帯して校舎賃貸オーナーから参考書出版社、流通など、猛烈な被害がでるが、じつは出資側のほうの被害がもっと大きい。
 補習産業の急伸ぶりをみてアリババ、テンセント、バイトダンスなど中国の大手ベンチャーはファンドを通じて教育産業に投資した。2020年だけで、この業界には100億ドルもの巨額が雪崩れ込んで、まるでマネーゲーム。教育者としてはふさわしくない行為に目が眩んでいたことも事実ではある。
 そして中国はセキュリティ安全法の観点から新規海外上場を規制するとした。上場に際して幹事行となると、膨大な手数料を手中にできるのが、ゴールドマンサックス、JPモルガンなどのウォール街の禿鷹金融軍団だから、錬金術の手伝いが出来ないとなれば、また次の手口を考えなければならなくなる。
 ラッキン珈琲の不正経理、水増し決算による上場は、投資家が大損をしたと言われ、中国企業への不信感の増大、中国企業の社債格付けの劣化などから、ファンドの投資マインド後退とともに、中国企業そのものが上場を延期、もしくは取りやめも目立つ。
 中国の習近平にとってみれば、中国のエクサレントカンパニィが、そろいもそろって自国では上場せず、中国を避けてNY市場で資金調達する行為そのものが、共産党統治を馬鹿にしている証拠だといきり立っている。しかしながら、それこそが中国の金融への国際的評価であり、客観的状況だといえる。中国側からみると、海外へ中国の情報が漏洩する安全保障上のリスクがあるとも考える。NY上場の中国企業は400社、これからの運命は? 
 7月29日、米上院議員らSECにNY上場のすべての中国企業を調査せよと要求した。
 正反対の動きがある。
 第一に米国企業の中国への直接投資は増えている。1160億ドルに対して中国の米国への直接投資は376億ドル。差引き874億ドルが米国からの流失だ。
 第二に証券投資はバランスが逆で、中国の米国再建保有は1兆960億ドル、米国のそれは3000億ドルである。
 第三に中国の対米貿易黒字は依然として2850億ドルである。最近とくに目立つ手口は「変動持ち分事業体(VIE)を通じておこなう「迂回上場」という巧妙なやり方で、アリババ、ピンドウドウ、京東集団、ネットイーズ、百度、滴滴などが採用した。
 ▼「宗教はアヘンだ」じゃなかった「ゲームはアヘンだ」
 ついで中国共産党は「ゲームは精神のアヘンだ」として規制に乗り出した。
 宗教はアヘンと早くから共産党は唱えて来たが、文字通りに受け取る向きは少なく、ようするに共産党独裁そのものが一神教だから、ほかのカルトの存在は認めない、抹殺の対象である、と宣言していたことになる。
 8月3日、共産党御用達の国営通信社・新華社系の『経済参考報』が「子どものオンラインゲーム中毒の蔓延に苦言を呈し、「ゲームの有害性が高まっている。まさに『精神のアヘン』、『電子薬物』という批判があるが、どのような産業であれ、スポーツであれ、社会をむしばむような発展は望ましくない」としたのだ。
 これによって中国最大のゲームソフト企業テンセントの株価が暴落、日本のゲーム業界の株価にも波及した。日本のゲーム大手はソニー、任天堂、バンダイナムコなどで、この業界の規模は5・3兆円(ほぼ日本の防衛予算に匹敵)、9・7%の成長率を誇った。地下鉄や電車に乗ると分かるが、90%近い乗客はスマホを見ている。その半分近くがゲームをしている。精神の荒廃が、ここまで来ている暗黒は、中国に限った現象ではない。
 テンセントは三月に日本企業「楽天」への出資をしている。「テンセント・リスク」と大騒ぎになった。楽天へ日本郵政が8・32%、テンセントは3・65%を出資したのだが、楽天の幹部は「なにも問題はない」と言い切った。ところが、市場では楽天の社債格付けがドカンとさげられてことに懸念が拡がった。
 8月12日、新任の秦剛(駐米中国大使)はワシントンで国務省高官らとの話し合いを始めた
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trinityt2j · 4 years
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに  この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々……  1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。  いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。  ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。  ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。  当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。  ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。  夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。  その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。  辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。  そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。  さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。  ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4  持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代    当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。  ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。  さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン  ガ 誌 時 代 に 突 入   実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。  初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~   後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。  この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~   上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。  「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~   久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録]  エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。  この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9���~   この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々]  この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ]  この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~   なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。  この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。  この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~   美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。���構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。  掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中]  この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3   ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。  この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド!  本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~   「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。  またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~   くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結  前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。  10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~   この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。  「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。  「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~   さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~   「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。  TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。  この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~   ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。  短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ!  「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~   この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。  「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3   「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。  この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。  いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。  この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない?  この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5   ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。  ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。  この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~   美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。  「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。  「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」]  「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7   同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位��別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。  今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。  さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。  今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語]  こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・      燃 え よ ペ ン !  なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
http://www.rx.sakura.ne.jp/~dirty/gurafty.html
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kiyomune0115 · 3 years
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エルリの香水の話
《この記事は》
Celesさんの推し活企画(https://www.celes-perfume.com/product/oshi_katsu/)で、香水をお願いした記録です。
《依頼文》
パブリックでの姿とプライベートの姿、それぞれを内包した、奥行きのある香水が欲しいな〜!というのが譲れない願望だったので、世界観等は一切省略し、人柄に焦点を絞って文章を書くよう心がけました。
それから、来る日も来る日も誰かの推しと向き合っていらっしゃるであろうスタイリストさんに、長文を送りつけるのもよろしくなかろう、ということで、推しの説明は、1香水につき原稿用紙1枚程度に定めています。(実際は、1枚半くらいになってしまったものもありますが……)。
実際に送った説明文は以下のとおりです。
◆エルヴィン
体格がよく、190cm近くあります。
金髪の七三分けで、彫りが深く、老成した雰囲気がありますが、大きな瞳が控えめな幼さを面影に添え、アンバランスな魅力を形作っています。
瞬きをあまりしません。平生は、物静かに周囲を観察しています。
しかし有事とあらば雰囲気は一変、類稀なる演説力で場のイニチアシブを握り、人を導いてゆきます。
仕事は自ら先頭に立って采配を振るいます。よく通るテノールの声で、末端の人間にまで、的確な指示や励ましの声をかけることを忘れません。
その仕事ぶりから、部下からの信頼は非常に厚いのですが、一方、結果のためには犠牲を問わぬ傾向が強く、悪魔のような人、と罵られてしまうこともあります。
知的探求心が強く、それをどこまでも追い求めたがる無垢な幼さを有していますが、その性質のせいで、間接的とはいえ、唯一の肉親を死に追いやっており、罪の意識にとらわれています。
その贖罪と、贖罪の障害となる好奇心を押し殺すうち、次第に、己の本心を人に話さなくなりました。
彼の本音は、ひとりの腹心だけが、正しく理解しています。
推しの名を、エルヴィン・スミスと言います。
◆リヴァイ
身体能力が抜群に抜きんでており、その力で数々の窮地を捩じ伏せてきた、誰もが一目を置く存在です。
小柄な東洋人風の出立ちで、センター分けの前髪から覗く瞳は三白眼。目つきだけでなく口も悪く、近寄りがたい雰囲気を醸し出しています。
見た目のせいで人となりを誤解されがちですが(事実恐ろしい人なのですが)、実際は非常に面倒見がよく、部下に慕われています。
神経質ともいえるほどの綺麗好きで、いつも清潔感のある身なりを心掛けています。
嗜好品として、紅茶をこよなく愛しています。
生涯の魂の主と決めた相手がおり、彼が己に何を望むのかを的確に見極め、その望みを叶えることに全力を注ぎます。
冷静さと抜群の決断力・行動力を有しますが、彼が絡むと、感情が先行し、判断力がやや低下する傾向が見られます。
幼少期、親代わりの伯父に置いていかれた過去があり、以降、慕っている人に先立たれる運命に見舞われがちです。
そうした運命に翻弄されるにあたり、大きな決断を迫られてばかりですが、自らの意思で選択肢をし、どのような結果でも受け止める覚悟と度量があります。
生涯の魂の主と決めた相手との望まぬ別れも、彼が、自分自身で終止符を打ちました。
推しの名を、リヴァイと言います。
今読み返すと、占いの診断文みたいですね。
《試香の記録》
注文から12日後に発送準備に入った連絡が入り、14日後に商品が到着しました。
開封して4時間くらい、この2本の香水に遊ばれていたように思います。悔いはない。
以下記録です。
◆エルヴィンの香水/ディプティック - フルール ドゥ ポー
2019年に、特別香水賞、ならびに女性香水賞最高賞を受賞したオードパルファン。
「女性」の文字に、「celesさんと私の道は分たれたのだ!私の文章が至らないばかりに!」と反省会をするところからはじまりました(※なおcelesさん的にはこれはユニセックス香水)。
そんなこんな、自分の至らなさを散々大袈裟に悲しみ、おそるおそる舐めるように香りを嗅いだ感想ですが、
ねぇリヴァイ、君エルヴィンからこんな香りがして大丈夫なの?息できる?
でした。えっこれ……やばない……?
公式サイトの商品紹介文言は以下の通り。
ーーウォルプタス(快楽の意味)という名の娘を生むことになるプシュケとエロスの神話の愛にオマージュを捧げます。
この伝説を表現する香りがムスクです。「フルール ドゥ ポー」のムスクはコットンのように柔らかく、ふんわりとして、心地よい香り。
アイリスとアンブレットシードがムスクの香りを引き立て、触れられるかのような錯覚を覚えます。
(https://www.diptyqueparis.com/ja_jp/p/fleur-de-peau-eau-de-parfum-75ml.html)
か、かいらく……!
アンブレットシードとは、麝香の代用品。麝香は、過去媚薬として使われることもあったムスクのことですが、その香りには「気持ちを前向きにする、不安解消」などの力があると言われているようで、これはたぶん、推し説明の際に力説した、観察をベースとした助言と鼓舞のあたりを汲んでくださったのだろうなと……
あと、アイリスは、有事の際にオリンポス山と人間界の橋渡しをしていく女神の化身と言われた花で、調査兵団団長への餞か⁉︎と大騒ぎしました。
(なんでもこじつけて喜ぶことができる女です。特技なので見逃してください。)
で、肝心の香りの印象なのですが、最初、当たりがキツいんです。はっきりとスパイシー。たぶん、ピンクペッパーの香りなのですが、これが、しだいに燻るように引き下がってゆくと、なんだか古書の香りが立ち上がってくるんです……ち、父との絆の源にある、歴史書のことですか……?のっけからありがとうございます……
あとちょっとファーストインプレッションがとっつきにくいの、最高です、解釈に合います。
あとに続くのは、泡立ちが滑らかな石鹸の清潔感と甘さ。
洗い立てのシーツ、風に煽られたカーテンの柔らかい香り、お香のような持ち重りのする香り。
これ、試香用のカードにワンプッシュしてからかれこれ1時間はくんくんしているのですが、離れがたい香りなんですよ……くんくん……
たぶんスパイシーさがずっとあとを引くからこその、飽きの来なさなのだと思うのですけれど……くんくん……
これがあのガタイのいい、体温の高そうな男からそっと香るのか……?と思うと……えっ兵長どうやって職務に戻るの……?無理では……?以外の語彙がすっかり失せてしまう……
調べてみると、この香水は、celesさんの香水ガチャ「神秘的なムードの大人の香り」の中にピックアップされているそうで、さもありなん、という気持ちです。
今は甘さが少し薄れて、雨の日のくすんだ香りがほんのりしています。時間経過による変化は、またどこかで書き殴りたいと思います。
現段階の総括:リヴァイが仕事に戻れないので困ります
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◆リヴァイの香水/ペンハリガン - エンディミオンコンサントレ
何はともあれ公式の説明をご覧ください。
ギリシャ神話から名付けられたロマンチックな香り
2003年に登場したエンディミオン コロンの世界観を再解釈し、より濃密でラグジュアリーな香りに仕立てた男性用オードパルファム。香りの軸となるのは、スパイス、レザー、フローラル。中でも、コロンより存在感を増したレザーノートは、香り全体に力強さと官能的な深みをもたらし、コンサントレならではの魅力を引き立てます。 トップノートは、アロマティックなセージとラベンダー。やがてスエードとゼラニウムがセンシュアルに香り立ち、美しく鮮烈なハーモニーを奏でます。ラストは、肌の上で温められたレザーノートとクリーミーなナツメグが相まって、華麗なセミオリエンタル調の香りに。清々しさを残しながら、陶酔を誘うような甘く魅惑的な香りが長く続きます。
香調:ウッディ アロマティック
(https://latelierdesparfums.jp/products/endymion-concentre-edp-spray)
神話香水が揃った。
これ以上めでたいことはない。
エンディミオンって、女神に不死を与えられた羊飼いのことではないですか……実質リヴァイの人生の抽象化では? ありがとうございます????
ペンハリガンは、フォロワーさんがよく言及されております、英国王室御用達の理髪師兼香水商、です。
先の団長のディプティックはフランス産らしい甘やかさがありましたが、こちらはかなりキリッとした、真面目な香りがします。
香りの感想ですが、最初に感じたのは、ソリッドな夜のイメージ。
初プッシュでびっくりするほど液体が出てしまって、慌てているうち、トップの華やぎを嗅ぎ落とした感じがありますが、私が最初に感じたのは、男性が整髪料で髪をしっかり固めた時のあの、ツンとした香りでした。
自信があるな、若いな、という印象で、びっくりしたのですが、これは……もしや……ゴロツキ時代の香りでは……????
そのうちレザーの動物的な香りが、甘い香りを牛皮のように包んだ感じになり、あーっこれは隠しきれないリヴァイの優しさですねオーケーよくわかります!!!!と得意顔をキメました。
まだ鋭さも健在で、なんとも不思議な香りがします。これは苦手な人もいるかもしれない近寄りがたさ……そう、近寄りがたさ……これはもはや彼の全人生を通した第一楽章ですので……
ところでここまでの香りですが、はっきり言って、団長のトップ〜ミドルが並ぶと喧嘩しそうな雰囲気です。さすが英国産と仏国産。と納得はしつつも、これは私の中で大問題でした。大変よろしくない(CP的な意味で)。
で、一旦晩御飯を食べ、試香カードを改めて嗅いでみたのですが、柔らかくなってるんですよ、香りが。ジャワティーが紅茶花伝のミルクティーになったくらいに。柔らかくなっているんです……なんで……?
檜のような木の香りの中から、キャラメルみたいな柔らかな香りがするんです。
これは、人の体温に乗ると、さらに柔らかくなるのではないかしら。
びっくりするほど静かで、そう、まるで余生のような……ここまで再現してなんて誰も言ってないのになんてことを……リヴァイの余生の話をされると私の情緒はぐちゃぐちゃになるんだ……
2枚の試香カードを重ねてラストノートを楽しんだのですが、ゆったりと歩調が合っていて、怖かったです。ありがとうございます……
現段階の総括:ゴロツキから車椅子までリヴァイのすべてを包括した抽象化の香りがして大変
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《おわりに》
エルヴィンにはもっと西洋的なゴツいのが来ると思っており、(それは私が普段使いできないので)リヴァイには、紅茶だとか東洋系だとか、香りに繋げやすそうなワードを意図的に散りばめてお願いしていました。どれか当たれば、くらいの感覚でいたのですが、小手先の誘導を一蹴され、とても愉快な心持ちです。
私はエルヴィンの内奥のやわらかいところが猛烈に好きなので、この香りは結果として大大大正解だったのですけれど、やっぱり女性寄りのユニセックス香水には違いないので、人によってはピンと来ないやも知れません。
(金銭のやり取りが発生してはいますが)贈り物と同じく、良いものを贈ろうと気合を入れすぎて外したり、センスが合わなかったり等の、人間づきあいにおけるエラーは必ず発生すると思うので、のんびり構えつつ、たとえば、はっきりとキャラ化した性別個性を出してもらいたい場合には、推しの説明文の「男らしさ/女らしさ」(この言葉好きじゃないけど)を表す分量割合を増やすなど、工夫が必要なのかなぁと思います。外せないイメージワードに順位をつけるとか。
最後の最後に。
散々香水に狂った夜の睡眠波形がめちゃくちゃ優良成績を収めていたので、誇らしげに胸を反らしながらグラフを貼り付けておこうと思います。
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生活に推しがいることの幸いがぎゅっと詰まっている良質な睡眠……これが推し活……
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takahashicleaning · 11 months
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TEDにて
メリッサ・ウォーカー:アートはPTSDの見えない傷を癒せる
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
「トラウマによって、被害者は口を閉ざしてしまいます。しかし、アートは戦争の心理的な外傷に苦しむ人々が心を開き、その傷を癒す手助けが出来るのです。」
クリエイティブな芸術家であり、セラピストでもあるメリッサ・ウォーカーは語ります。
精神的なダメージを負った兵士たちが、仮面の制作を通じて自らを悩ますものが何であるかを知り、遂にはそれから逃れられるようになっていく過程が、感動的に描かれるトークです。
あなたは、上級の兵士でアフガニスタンに配属されています。何百人もの男女の生命を託されており、基地は攻撃を受けている最中です。迫撃砲の一斉襲撃を受け、周囲いたる所が爆発しています。粉塵や煙の中からようやく目を凝らし、最善を尽くして負傷兵の手当てをしてから、近くのバンカー(退避壕)まで這って行きます。
爆風により、もうろうとなりかけた意識で身を横たえ、今起きた事を理解しようとします。視力が回復してくるにつれ、血だらけの顔があなたを振り返っているのが見えます。その姿はおぞましいものですが、すぐさま気づくのです。それは現実ではないと。
その幻影は1日に何度も襲ってきます。日中も寝ている時もです。それを誰かに打ち明ける気はありません。仕事を失ったり、弱い人間だと見なされるのが怖いのです。この幻影には名前がついています。Bloody Face in Bunker(バンカーの血だらけの顔)と言い、略してBFIBと呼びます。BFIBが心の中にずっと留まって離れず、密かにあなたを苦しめるのです。その後��年間に渡って。
さあ目を閉じてみて下さい。BFIBが見えますか?もしそうであれば、あなたには戦争の見えない傷、一般的に心的外傷後ストレス症候群や心的脳外傷として知られる様相が見え始めているのです。
自身がPTSDを経験した訳ではありませんが、病気の知識はありました。
幼い頃。毎年夏になると祖父母を訪ねていました。正に祖父だったのです。戦闘が精神に及ぼす影響を私に教えてくれたのは、祖父は、朝鮮戦争で海兵隊員として従軍していた時、銃弾が首を貫き声を上げる事が出来なくなりました。1人の軍人が彼の前を通り過ぎ、祖父を瀕死と宣言し放置されました。
数年後。祖父の身体の傷は癒え故郷に戻りました。彼は起きている時、めったに自分の経験を語る事はありませんでした。しかし、夜になると階下の部屋からなんとも嫌な叫び声が聞こえたのです。昼間、部屋に入る時も祖父を驚かせたり、興奮させないようにと声をかけてから入室しました。彼はその余生を孤独、且つ、寡黙に生き抜き、決して自らを語る事をしませんでした。私もまだ彼を導く術を知りませんでした。
彼の状況を表す言葉を知らなかったのです。20代までは。私はアートセラピーの学位を取得する過程で自然とトラウマの研究に 惹きつけられました。教室で心的外傷後ストレス症候群。PTSDについて学んでいる間、祖父のように苦しんだ兵士の手助けするという自分の使命がはっきりとしてきました。
戦争の歴史を通して、心的外傷後ストレス症候群には様々な別名がありました。例えば「ホームシック」「兵士の病」「弾丸ストレス反応」「戦闘ストレス反応」などです。
研究に従事している最中に新たな戦争が続きました。そして、新しい戦闘服や軍事車両のお陰で兵士が爆発で負傷しても、以前と違って生き延びられるようになりました。しかし、見えない傷は新たなレベルにまで達しました。これが、軍医や研究者を突き動かし、心的脳外傷、TBIやPTSDが脳に与える影響を真に理解しようとさせたのです。
テクノロジーと神経画像の発達により、トラウマの体験をすると実際にブローカ野や言語中枢の機能が停止することが分かりました。この生理学的な変化は「恐怖による言語喪失」と呼ばれるものです。
これが、精神疾患の負のイメージと結合し、批判され、誤解される怖れとが相まって、そして、おそらく解役の惧れからも兵士達の見えない苦悩が引き起こされたのでしょう。何世代にも渡って、退役軍人は、自分達の経験を語る選択をせず、孤独の中で苦悩してきたのです。
就職して最初は最大の軍事医療機関であるウォルターリードでアートセラピストとしての仕事を与えられました。
数年間。精神病患者拘束施設で働いた後、私は、国立イントレピッド・センター・オブ・エクセレンス(NICoE)に移りました。そこは、従軍中の兵士の為のTBIケアを主導する施設です。私は、アートセラピーを信じていましたが、大柄でタフで強い男性やそこに混じった女性の兵士たち向けの精神療法としてのアート制作を試みようと説得する必要がありました。
結果は、全く予想以上の素晴しいものでした。
鮮やかで、象徴的なアート作品が患者である兵士達によって創り出され、その1つ1つの作品が物語を持つのです。このアートセラピーのプロセスは、会話-言語に関する脳の障害を、う回できる事に気づきました。
アートの制作でアクセスするのは、トラウマを記憶しているのと同じ感覚野です。兵士達は、怖れる事なく、自分の経験を乗り越える為のアート制作が出来るのです。その後、彼らは実物の作品に言葉を当てはめ、左右の大脳半球を再統合させるのです。
あらゆる形式のアートで効果のある可能性が見つかりました。スケッチ、絵画、コラージュ― しかし、最も影響が大きいと思われる物は仮面制作です。結局、この見えない傷には、単に「名前」があるだけでなく「顔」があるのです。
兵士達は、仮面を制作すれば、文字通り自分のトラウマ(仮面)を手で掴むことができるようになります。素晴らしい事に、しばしば、これがトラウマを打ち破り、傷の癒えるのを可能にします。
BFIBを覚えていますか?
これは、私の患者の1人が実際に作ったものです。彼は、仮面を作った時、取り憑いた像を切り離す事が出来たのです。文字通り、それは、兵士にとって非常に困難なプロセスでしたが、結局、彼は、自分の内なる傷としてではなく仮面として、BFIBを捉え始め、それぞれのセッションで全てを拭い去りました。
彼は、仮面を私に手渡して言いました「メリッサ。彼を宜しく」私達は、BFIBを箱の中に入れ、更にそれを遠ざけました。その兵士が、NICoEを去る時、BFIBを置いていく選択をしました。1年後。彼は、僅か2回しか、BFIBを見ませんでしたが、2回共、BFIBは笑っていて兵士は不安を感じませんでした。
その兵士は、あるトラウマ記憶に捉われると絵を描き続けます。動揺するような像を描く度に彼にはトラウマが少なくなったり、全くなくなるのが分かります。
哲学者は何千年間も私達にこう語ってきました。創造する力は、破壊する力と緊密に繋がっているものだ。科学者は、こう説明しています、トラウマを記憶する脳の部分は、癒しが行われる脳の部分ともなりうるのだ。アートセラピーは、それをどう繋げるかを明らかにしているのです。
私達は、兵士の1人に頼みました。如何に仮面の制作が彼の治療に影響を与えたか教えてくれないかと。そして、これがその内容です。
(ビデオ)兵士: 仮面にぼんやりと意識が移ります。絵の中に意識が移ります。
そうすると自分を縛っていたものから解き放たれました。それが出来るようになったのです。それを見た2日後。こんな感じでした「何てガラクタだい。ここにあるのは、絵やら、鍵やら、パズルだ」
そして、気持ちが高まりました。そこから、治療はすごいスピードで進みました。周りも驚いてどうしたんだ?どうしたんだ?と言います。23年目にして初めて実際誰にでも大っぴらに、その話が出来るようになりました。聞いてもらえるなら今でもその事を話せます。
解き放たれたからです。ただただ驚きです。お陰で23年間治療困難だったPTSDが、TBIの治療と共に進むようになりました。初めてのことです。すみません。
メリッサ・ウォーカー: 過去5年間に渡って、作られた仮面が千個以上あります。本当に凄いですよね?
ありがとうございます(日本では、能面という戦国時代に確立した技術があります。何か共通性があるかもしれません)
このプロセスを祖父に話してあげられていたら、きっと喜んだと思うのです。私達が、今日。そして、明日の兵士達の癒しの手助けの方法を探り、彼らを癒す為に求める事の出来る手段を彼ら自身の中に見出していることを。
ありがとうございました。
<おすすめサイト>
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
(個人的なアイデア)
一度でも、人が人を殺してしまうと、その人は人間という概念には入らなくなる。これを仏教では、「業(ごう)を背負う」と言う概念というが、憎しみの連鎖も近い概念。
解決する方法は、戦国時代の古代日本にあって、人間の概念から外れたサムライ同士が、社会システムのために最前線まで自ら戦いに行き、日本の社会システム内で生きれない代わりに生贄として命を捧げる
こうして、戦いという形で善性に奉仕し、業(ごう)を背負ったサムライも憎しみの連鎖から転化されることで社会システム内の許しを請うという昔の人の知恵です。
法律がない時代の悲しい運命。しかし、法律がある現代でも万能ではないので感情や倫理などもあり難しい問題です。
現代では、人が人を殺してしまった兵士に近いかも。ナショナリズムとも呼ばれる。
最新物理学では、不確定性原理とエネルギー保存の法則により、他人が見ていなくても本人が見ているし、その行動や思いは波動として広がり続け、本人が話さなくても時空に折りたたまれ記憶されていくので
人間の善行為も悪行為も関係なく何千年でも繰り返して行く事象もありえます。
これは、最新物理学で裏付けられてて、仏教では「因果応報」とも言われます。
それに近い現象として・・・
研究論文「Killing Horizons Decohere Quantum Superpositions(キリング・ホライズンは量子の重ね合わせをデコヒーレンスする)」からのインスピレーション。
はじめに量子論で言われる粒子性と波動性。
次に、二重スリットの観測者問題。
三つ目に、ホーキング博士の「ブラックホール情報パラドックス」より・・・
「ソフトヘア」部分は、ブラックホールに落ちる物体だけでなく、ブラックホールの周辺に存在する量子の情報も記録しており、人間のように先入観はない「観測者」の条件を満たしていたことが、最近示されました。
この三つからインスピレーションがきた!
マクロ的にブラックホールが人間の原始的な目の機能を有しているなら・・・
まず、現在2023年までに判明しているユニバースの成り立ちの経緯を説明します。
ビックバン後に��粒子の標準理論に従うならば、ブラックホールが時間をかけて大量に点在して形成していく。
その後、ブラックホールも増え、融合、大質量になるに従い、ブラックホールの重力も範囲が広がる。
それに従い、重力波やその影響を受けた粒子の方も三つ目のメカニズムにより存在が確定していく。指数関数的に物質形成スピードも加速するメカニズム?
ビックバンの爆発を契機に、ブラックホールが波動性のダークエネルギーに満たされたユニバースの「最終的に宇宙に存在する全ての重ね合わせが完全に破壊されることになる」ことで
ユニバース全体の加速度的な時空の膨張にもに繋がります。
つまり、重力波などにより時空の膨張範囲も自発的に起こりつつ、指数関数的に時空膨張スピードも加速していくメカニズムの可能性が示されたかもしれない。
斥力やアクシオン、ダークマター、ダークエネルギーではない?
大質量ブラックホールが中心にある銀河系以外の場所には、物質が存在しない事象も説明可能になる。時空は存在するが、波動性のままなので物質が生まれないから。
ブラックホールが人間の原始的な目の機能を有している可能性もあります。
逆に、考えるとミクロ的に人間の眼は、マイクロブラックホール生成装置?にも。今まで展開してきた仮説が正しいならそう見えなくもない。
視線に関する日本語の多様な表現には「視線に引き込まれる」など似たような言葉が。
果たしてただの偶然の一致なのか?
人間の眼の新たな機能、可能性として、新しいユニバース視点からここに到達しました。
と考えていたら・・・
さらに、インスピレーションがきました。
ブラックホールの周辺に存在する量子の情報も記録しているなら「梵天」や「アカシックレコード」が、実は、銀河系中心の大質量ブラックホールのことかもしれない。
このレベルの巨大な記憶装置なら原初の宇宙からの全記録をしていても不思議はない。
仏教の無明にも概念が似ているし、量子エンタングルメントがブラックホールと人間の脳と相関作用して
宇宙際タイヒミューラー理論からアクセスして読み出してるメカニズムがあるかもしれない?
そうなら、少しユニバース領域を拡張してみると別の銀河系の大質量ブラックホールにもその場所の原初からの全記録がある?
遥か銀河の遠くから重力波?何かのテクノロジーで読み出しができれば、地球にいながら別銀河文明の痕跡も知り得るかもしれない。
と考えてしまいました・・・
そして
モルフォジェネティックフィールドと「キリング・ホライズンは量子の重ね合わせをデコヒーレンスする」から
モルフォジェネティックフィールドによって時空に波動性が記録されていく可能性があるなら
それなら強烈な波動性の感情も時空に記録される?梵天に?
つまり、銀河系の中心にある大質量ブラックホールに?
しかも、感情は形ある人間にしか発生しないので他の動物は共鳴しない仕組み?
ブッダの言うように人間の「パワーか?フォースか?」の本でのパワーレベルを上げて
自ら変わることで良い感情と共鳴しないと憎しみの連鎖も変わらない?終わらない?
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skf14 · 4 years
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11180143
愛読者が、死んだ。
いや、本当に死んだのかどうかは分からない。が、死んだ、と思うしか、ないのだろう。
そもそも私が小説で脚光を浴びたきっかけは、ある男のルポルタージュを書いたからだった。数多の取材を全て断っていた彼は、なぜか私にだけは心を開いて、全てを話してくれた。だからこそ書けた、そして注目された。
彼は、モラルの欠落した人間だった。善と悪を、その概念から全て捨て去ってしまっていた。人が良いと思うことも、不快に思うことも、彼は理解が出来ず、ただ彼の中のルールを元に生きている、パーソナリティ障害の一種だろうと私は初めて彼に会った時に直感した。
彼は、胸に大きな穴を抱えて、生きていた。無論、それは本当に穴が空いていたわけではないが、彼にとっては本当に穴が空いていて、穴の向こうから人が行き交う景色が見え、空虚、虚無を抱いて生きていた。不思議だ。幻覚、にしては突拍子が無さすぎる。幼い頃にスコンと空いたその穴は成長するごとに広がっていき、穴を埋める為、彼は試行し、画策した。
私が初めて彼に会ったのは、まだ裁判が始まる前のことだった。弁護士すらも遠ざけている、という彼に、私はただ、簡単な挨拶と自己紹介と、そして、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書き添えて、名刺と共に送付した。
その頃の私は書き殴った小説未満をコンテストに送り付けては、音沙汰のない携帯を握り締め、虚無感溢れる日々をなんとか食い繋いでいた。いわゆる底辺、だ。夢もなく、希望もなく、ただ、人並みの能がこれしかない、と、藁よりも脆い小説に、私は縋っていた。
そんな追い込まれた状況で手を伸ばした先が、極刑は免れないだろう男だったのは、今考えてもなぜなのか、よくわからない。ただ、他の囚人に興味があったわけでもなく、ルポルタージュが書きたかったわけでもなく、ただ、話したい。そう思った。
夏の暑い日のことだった。私の家に届いた茶封筒の中には白無地の紙が一枚入っており、筆圧の無い薄い鉛筆の字で「8月24日に、お待ちしています。」と、ただ一文だけが書き記されていた。
こちらから申し込むのに囚人側から日付を指定してくるなんて、風変わりな男だ。と、私は概要程度しか知らない彼の事件について、一通り知っておこうとパソコンを開いた。
『事件の被疑者、高山一途の家は貧しく、母親は風俗で日銭を稼ぎ、父親は勤めていた会社でトラブルを起こしクビになってからずっと、家で酒を飲んでは暴れる日々だった。怒鳴り声、金切声、過去に高山一家の近所に住んでいた住人は、幾度となく喧嘩の声を聞いていたという。高山は友人のない青春時代を送り、高校を卒業し就職した会社でも活躍することは出来ず、社会から孤立しその精神を捻じ曲げていった。高山は己の不出来を己以外の全てのせいだと責任転嫁し、世間を憎み、全てを恨み、そして凶行に至った。
被害者Aは20xx年8月24日午後11時過ぎ、高山の自宅において後頭部をバールで殴打され殺害。その後、高山により身体をバラバラに解体された後ミンチ状に叩き潰された。発見された段階では、人間だったものとは到底思えず修復不可能なほどだったという。
きっかけは近隣住民からの異臭がするという通報だった。高山は殺害から2週間後、Aさんだった腐肉と室内で戯れている所を発見、逮捕に至る。現場はひどい有り様で、近隣住民の中には体調を崩し救急搬送される者もいた。身体に、腐肉とそこから滲み出る汁を塗りたくっていた高山は抵抗することもなく素直に同行し、Aさん殺害及び死体損壊等の罪を認めた。初公判は※月※日予定。』
いくつも情報を拾っていく中で、私は唐突に、彼の名前の意味について気が付き、二の腕にぞわりと鳥肌が立った。
一途。イット。それ。
あぁ、彼は、ずっと忌み嫌われ、居場所もなくただ産み落とされたという理由で必死に生きてきたんだと、何も知らない私ですら胸が締め付けられる思いがした。私は頭に入れた情報から憶測を全て消し、残った彼の人生のカケラを持って、刑務所へと赴いた。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
「失礼します。」
「どうぞ。」
手錠と腰縄を付けて出てきた青年は、私と大して歳の変わらない、人畜無害、悪く言えば何の印象にも残らない、黒髪と、黒曜石のような真っ黒な瞳の持ち主だった。奥深い、どこまでも底のない瞳をつい値踏みするように見てしまって、慌てて促されるままパイプ椅子へと腰掛けた。彼は開口一番、私の書いている小説のことを聞いた。
「何か一つ、話してくれませんか。」
「え、あ、はい、どんな話がお好きですか。」
「貴方が一番好きな話を。」
「分かりました。では、...世界から言葉が消えたなら。」
私の一番気に入っている話、それは、10万字話すと死んでしまう奇病にかかった、愛し合う二人の話。彼は朗読などしたこともない、世に出てすらいない私の拙い小説を、目を細めて静かに聞いていた。最後まで一度も口を挟むことなく聞いているから、読み上げる私も自然と力が入ってしまう。読み終え、余韻と共に顔を上げると、彼はほろほろ、と、目から雫を溢していた。人が泣く姿を、こんなにまじまじと見たのは初めてだった。
「だ、大丈夫ですか、」
「えぇ。ありがとうございます。」
「あの、すみません、どうして私と、会っていただけることになったんでしょうか。」
ふるふる、と犬のように首を振った彼はにこり、と機械的にはにかんで、机に手を置き私を見つめた。かしゃり、と決して軽くない鉄の音が、無機質な部屋に響く。
「僕に大してアクションを起こしてくる人達は皆、同情や好奇心、粗探しと金儲けの匂いがしました。送られてくる手紙は全て下手に出ているようで、僕を品定めするように舐め回してくる文章ばかり。」
「...それは、お察しします。」
「でも、貴方の手紙には、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書かれていた。面白いな、って思いませんか。」
「何故?」
「だって、貴方、「理解させる」って、僕と同じ目線に立って、物を言ってるでしょう。」
「.........意識、していませんでした。私はただ、憶測が嫌いで、貴方のことを理解したいと、そう思っただけです。」
「また、来てくれますか。」
「勿論。貴方のことを、少しずつでいいので、教えてくれますか。」
「一つ、条件があります。」
「何でしょう。」
「もし本にするなら、僕の言葉じゃなく、貴方の言葉で書いて欲しい。」
そして私は、彼の元へ通うことになった。話を聞けば聞くほど、彼の気持ちが痛いほど分かって、いや、分かっていたのかどうかは分からない。共鳴していただけかもしれない、同情心もあったかもしれない、でも私はただただあくる日も、そのあくる日も、私の言葉で彼を表し続けた。私の記した言葉を聞いて、楽しそうに微笑む彼は、私の言葉を最後まで一度も訂正しなかった。
「貴方はどう思う?僕の、したことについて。」
「...私なら、諦めてしまって、きっと得物を手に取って終わってしまうと思います。最後の最後まで、私が満たされることよりも、世間を気にしてしまう。不幸だと己を憐れんで、見えている答えからは目を背けて、後悔し続けて死ぬことは、きっと貴方の目から見れば不思議に映る、と思います。」
「理性的だけど、道徳的な答えではないね。普通はきっと、「己を満たす為に人を殺すのは躊躇う」って、そう答えるんじゃないかな。」
「でも、乾き続ける己のままで生きることは耐え難い苦痛だった時、己を満たす選択をしたことを、誰が責められるんでしょうか。」
「...貴方に、もう少し早く、出逢いたかった。」
ぽつり、零された言葉と、アクリル板越しに翳された掌。温度が重なることはない。触れ合って、痛みを分かち合うこともない。来園者の真似をする猿のように、彼の手に私の手を合わせて、ただ、じっとその目を見つめた。相変わらず何の感情もない目は、いつもより少しだけ暖かいような、そんな気がした。
彼も、私も、孤独だったのだと、その時初めて気が付いた。世間から隔離され、もしくは自ら距離を置き、人間が信じられず、理解不能な数億もの生き物に囲まれて秩序を保ちながら日々歩かされることに抗えず、翻弄され。きっと彼の胸に空いていた穴は、彼が被害者を殺害し、埋めようと必死に肉塊を塗りたくっていた穴は、彼以外の人間が、もしくは彼が、無意識のうちに彼から抉り取っていった、彼そのものだったのだろう。理解した瞬間止まらなくなった涙を、彼は拭えない。そうだった、最初に私の話で涙した彼の頬を撫でることだって、私には出来なかった。私と彼は、分かり合えたはずなのに、分かり合えない。私の言葉で作り上げた彼は、世間が言う狂人でも可哀想な子でもない、ただ一人の、人間だった。
その数日後、彼が獄中で首を吊ったという報道が流れた時、何となく、そうなるような気がしていて、それでも私は、彼が味わったような、胸に穴が開くような喪失感を抱いた。彼はただ、理解されたかっただけだ。理解のない人間の言葉が、行動が、彼の歩く道を少しずつ曲げていった。
私は書き溜めていた彼の全てを、一冊の本にした。本のタイトルは、「今日も、皮肉なほど空は青い。」。逮捕された彼が手錠をかけられた時、部屋のカーテンの隙間から空が見えた、と言っていた。ぴっちり閉じていたはずなのに、その時だけひらりと翻った暗赤色のカーテンの間から顔を覗かせた青は、目に刺さって痛いほど、青かった、と。
出版社は皆、猟奇的殺人犯のノンフィクションを出版したい、と食い付いた。帯に著名人の寒気がする言葉も書かれた。私の名前も大々的に張り出され、重版が決定し、至る所で賛否両論が巻き起こった。被害者の遺族は怒りを露わにし、会見で私と、彼に対しての呪詛をぶちまけた。
インタビュー、取材、関わってくる人間の全てを私は拒否して、来る日も来る日も、読者から届く手紙、メール、SNS上に散乱する、本の感想を読み漁り続けた。
そこに、私の望むものは何もなかった。
『あなたは犯罪者に対して同情を誘いたいんですか?』
私がいつ、どこに、彼を可哀想だと記したのだろう。
『犯罪者を擁護したいのですか?理解出来ません。彼は人を殺したんですよ。』
彼は許されるべきだとも、悪くない、とも私は書いていない。彼は素直に逮捕され、正式な処罰ではないが、命をもって罪へ対応した。これ以上、何をしろ、と言うのだろう。彼が跪き頭を地面に擦り付け、涙ながらに謝罪する所を見たかったのだろうか。
『とても面白かったです。狂人の世界が何となく理解出来ました。』
何をどう理解したら、この感想が浮かぶのだろう。そもそもこの人は、私の本を読んだのだろうか。
『作者はもしかしたら接していくうちに、高山を愛してしまったのではないか?贔屓目の文章は公平ではなく気持ちが悪い。』
『全てを人のせいにして自分が悪くないと喚く子供に殺された方が哀れでならない。』
『結局人殺しの自己正当化本。それに手を貸した筆者も同罪。裁かれろ。』
『ただただ不快。皆寂しかったり、一人になる瞬間はある。自分だけが苦しい、と言わんばかりの態度に腹が立つ。』
『いくら貰えるんだろうなぁ筆者。羨ましいぜ、人殺しのキチガイの本書いて金貰えるなんて。』
私は、とても愚かだったのだと気付かされた。
皆に理解させよう、などと宣って、彼を、私の言葉で形作ったこと。裏を返せば、その行為は、言葉を尽くせば理解される、と、人間に期待をしていたに他ならない。
私は、彼によって得たわずかな幸福よりも、その後に押し寄せてくる大きな悲しみ、不幸がどうしようもなく耐え難く、心底、己が哀れだった。
胸に穴が空いている、と言う幻覚を見続けた彼は、穴が塞がりそうになるたび、そしてまた無機質な空虚に戻るたび、こんな痛みを感じていたのだろうか。
私は毎日、感想を読み続けた。貰った手紙は、読んだものから燃やしていった。他者に理解される、ということが、どれほど難しいのかを、思い知った。言葉を紡ぐことが怖くなり、彼を理解した私ですら、疑わしく、かといって己と論争するほどの気力はなく、ただ、この世に私以外の、彼の理解者は現れず、唯一の彼の理解者はここにいても、もう彼の話に相槌を打つことは叶わず、陰鬱とする思考の暗闇の中を、堂々巡りしていた。
思考を持つ植物になりたい、と、ずっと思っていた。人間は考える葦である、という言葉が皮肉に聞こえるほど、私はただ、一人で、誰の脳にも引っ掛からず、狭間を生きていた。
孤独、などという言葉で表すのは烏滸がましいほど、私、彼が抱えるソレは哀しく、決して治らない不治の病のようなものだった。私は彼であり、彼は私だった。同じ境遇、というわけではない。赤の他人。彼には守るべき己の秩序があり、私にはそんな誇り高いものすらなく、能動的、怠惰に流されて生きていた。
彼は、目の前にいた人間の頭にバールを振り下ろす瞬間も、身体をミンチにする工程も、全て正気だった。ただ心の中に一つだけ、それをしなければ、生きているのが恐ろしい、今しなければずっと後悔し続ける、胸を掻きむしり大声を上げて暴れたくなるような焦燥感、漠然とした不安感、それらをごちゃ混ぜにした感情、抗えない欲求のようなものが湧き上がってきた、と話していた。上手く呼吸が出来なくなる感覚、と言われて、思わず己の胸を抑えた記憶が懐かしい。
出版から3ヶ月、私は感想を読むのをやめた。人間がもっと憎らしく、恐ろしく、嫌いになった。彼が褒めてくれた、利己的な幸せの話を追い求めよう。そう決めた。私の秩序は、小説を書き続けること。嗚呼と叫ぶ声を、流れた血を、光のない部屋を、全てを飲み込む黒を文字に乗せて、上手く呼吸すること。
出版社は、どこも私の名前を見た瞬間、原稿を送り返し、もしくは廃棄した。『君も人殺したんでしょ?なんだか噂で聞いたよ。』『よくうちで本出せると思ったね、君、自分がしたこと忘れたの?』『無理ですね。会社潰したくないので。』『女ならまだ赤裸々なセックスエッセイでも書かせてやれるけど、男じゃ使えないよ、いらない。』数多の断り文句は見事に各社で違うもので、私は感嘆すると共に、人間がまた嫌いになった。彼が乗せてくれたから、私の言葉が輝いていたのだと痛感した。きっとあの本は、ノンフィクション、ルポルタージュじゃなくても、きっと人の心に突き刺さったはずだと、そう思わずにはいられなかった。
以前に働いていた会社は、ルポの出版の直前に辞表を出した。私がいなくても、普段通り世界は回る。著者の実物を狂ったように探し回っていた人間も、見つからないと分かるや否や他の叩く対象を見つけ、そちらで楽しんでいるようだった。私の書いた彼の本は、悪趣味な三流ルポ、と呼ばれた。貯金は底を尽きた。手当たり次第応募して見つけた仕事で、小銭を稼いだ。家賃と、食事に使えばもう残りは硬貨しか残らない、そんな生活になった。元より、彼の本によって得た利益は、全て燃やしてしまっていた。それが、正しい末路だと思ったからだったが、何故と言われれば説明は出来ない。ただ燃えて、真っ赤になった札が灰白色に色褪せ、風に脆く崩れていく姿を見て、幸せそうだと、そう思った。
名前を伏せ、webサイトで小説を投稿し始めた。アクセス数も、いいね!も、どうでも良かった。私はただ秩序を保つために書き、顎を上げて、夜店の金魚のように、浅い水槽の中で居場所なく肩を縮めながら、ただ、遥か遠くにある空を眺めては、届くはずもない鰭を伸ばした。
ある日、web上のダイレクトメールに一件のメッセージが入った。非難か、批評か、スパムか。開いた画面には文字がつらつらと記されていた。
『貴方の本を、販売当時に読みました。明記はされていませんが、某殺人事件のルポを書かれていた方ですか?文体が、似ていたのでもし勘違いであれば、すみません。』
断言するように言い当てられたのは初めてだったが、画面をスクロールする指はもう今更震えない。
『最新作、読みました。とても...哀しい話でした。ゾンビ、なんてコミカルなテーマなのに、貴方はコメをトラにしてしまう才能があるんでしょうね。悲劇。ただ、二人が次の世界で、二人の望む幸せを得られることを祈りたくなる、そんな話でした。過去作も、全て読みました。目を覆いたくなるリアルな描写も、抽象的なのに五感のどこかに優しく触れるような比喩も、とても素敵です。これからも、書いてください。』
コメとトラ。私が太宰の「人間失格」を好きな事は当然知らないだろうに、不思議と親近感が湧いた。単純だ。と少し笑ってから、私はその奇特な人間に一言、返信した。
『私のルポルタージュを読んで、どう思われましたか。』
無名の人間、それも、ファンタジーやラブコメがランキング上位を占めるwebにおいて、埋もれに埋もれていた私を見つけた人。だからこそ聞きたかった。例えどんな答えが返ってきても構わなかった。もう、罵詈雑言には慣れていた。
数日後、通知音に誘われて開いたDMには、前回よりも短い感想が送られてきていた。
『人を殺めた事実を別にすれば、私は少しだけ、彼の気持ちを理解出来る気がしました。。彼の抱いていた底なしの虚無感が見せた胸の穴も、それを埋めようと無意識のうちに焦がれていたものがやっと現れた時の衝動。共感は微塵も出来ないが、全く理解が出来ない化け物でも狂人でもない、赤色を見て赤色だと思う一人の人間だと思いました。』
何度も読み返していると、もう1通、メッセージが来た。惜しみながらも画面をスクロールする。
『もう一度読み直して、感想を考えました。外野からどうこう言えるほど、彼を軽んじることが出来ませんでした。良い悪いは、彼の起こした行動に対してであれば悪で、それを彼は自死という形で償った。彼の思考について善悪を語れるのは、本人だけ。』
私は、画面の向こうに現れた人間に、頭を下げた。見えるはずもない。自己満足だ。そう知りながらも、下げずにはいられなかった。彼を、私を、理解してくれてありがとう。それが、私が愛読者と出会った瞬間だった。
愛読者は、どうやら私の作風をいたく気に入ったらしかった。あれやこれや、私の言葉で色んな世界を見てみたい、と強請った。その様子はどこか彼にも似ている気がして、私は愛読者の望むまま、数多の世界を創造した。いっそう創作は捗った。愛読者以外の人間は、ろくに寄り付かずたまに冷やかす輩が現れる程度で、私の言葉は、世間には刺さらない。
まるで神にでもなった気分だった。初めて小説を書いた時、私の指先一つで、人が自由に動き、話し、歩き、生きて、死ぬ。理想の愛を作り上げることも、到底現実世界では幸せになれない人を幸せにすることも、なんでも出来た。幸福のシロップが私の脳のタンパク質にじゅわじゅわと染みていって、甘ったるいスポンジになって、溢れ出すのは快楽物質。
そう、私は神になった。上から下界を見下ろし、手に持った無数の糸を引いて切って繋いでダンス。鼻歌まじりに踊るはワルツ。喜悲劇とも呼べるその一人芝居を、私はただ、演じた。
世の偉いベストセラー作家も、私の敬愛する文豪も、ポエムを垂れ流す病んだSNSの住人も、暗闇の中で自慰じみた創作をして死んでいく私も、きっと書く理由なんて、ただ楽しくて気持ちいいから。それに尽きるような気がする。
愛読者は私の思考をよく理解し、ただモラルのない行為にはノーを突きつけ、感想を欠かさずくれた。楽しかった。アクリルの向こうで私の話を聞いていた彼は、感想を口にすることはなかった。核心を突き、時に厳しい指摘をし、それでも全ての登場人物に対して寄り添い、「理解」してくれた。行動の理由を、言動の意味を、目線の行く先を、彼らの見る世界を。
一人で歩いていた暗い世界に、ぽつり、ぽつりと街灯が灯っていく、そんな感覚。じわりじわり暖かくなる肌触りのいい空気が私を包んで、私は初めて、人と共有することの幸せを味わった。不変を自分以外に見出し、脳内を共鳴させることの価値を知った。
幸せは麻薬だ、とかの人が説く。0の状態から1の幸せを得た人間は、気付いた頃にはその1を見失う。10の幸せがないと、幸せを感じなくなる。人間は1の幸せを持っていても、0の時よりも、不幸に感じる。幸福感という魔物に侵され支配されてしまった哀れな脳が見せる、もっと大きな、訪れるはずと信じて疑わない幻影の幸せ。
私はさしずめ、来るはずのプレゼントを玄関先でそわそわと待つ少女のように無垢で、そして、馬鹿だった。無知ゆえの、無垢の信頼ゆえの、馬鹿。救えない。
愛読者は姿を消した。ある日話を更新した私のDMは、いつまで経っても鳴らなかった。震える手で押した愛読者のアカウントは消えていた。私はその時初めて、愛読者の名前も顔も性別も、何もかもを知らないことに気が付いた。遅すぎた、否、知っていたところで何が出来たのだろう。私はただ、愛読者から感想という自己顕示欲を満たせる砂糖を注がれ続けて、その甘さに耽溺していた白痴の蟻だったのに。並ぶ言葉がざらざらと、砂時計の砂の如く崩れて床に散らばっていく幻覚が見えて、私は端末を放り投げ、野良猫を落ち着かせるように布団を被り、何がいけなかったのかをひとしきり考え、そして、やめた。
人間は、皆、勝手だ。何故か。皆、自分が大事だからだ。誰も守ってくれない己を守るため、生きるため、人は必死に崖を這い上がって、その途中で崖にしがみつく他者の手を足場にしていたとしても、気付く術はない。
愛読者は何も悪くない。これは、人間に期待し、信用という目に見えない清らかな物を崇拝し、焦がれ、浅はかにも己の手の中に得られると勘違いし小躍りした、道化師の喜劇だ。
愛読者は今日も、どこかで息をして、空を見上げているのだろうか。彼が亡くなった時と同じ感覚を抱いていた。彼が最後に見た澄んだ空。私が、諦観し絶望しながらも、明日も見るであろう狭い空。人生には不幸も幸せもなく、ただいっさいがすぎていく、そう言った27歳の太宰の言葉が、彼の年に近付いてからやっと分かるようになった。そう、人が生きる、ということに、最初から大して意味はない。今、人間がヒエラルキーの頂点に君臨し、80億弱もひしめき合って睨み合って生きていることにも、意味はない。ただ、そうあったから。
愛読者が消えた意味も、彼が自ら命を絶った理由も、考えるのをやめよう。と思った。呼吸代わりに、ある種の強迫観念に基づいて狂ったように綴っていた世界も、閉じたところで私は死なないし、私は死ぬ。最早私が今こうして生きているのも、植物状態で眠る私の見ている長い長い夢かもしれない。
私は思考を捨て、人でいることをやめた。
途端に、世界が輝きだした。全てが美しく見える。私が今ここにあることが、何よりも楽しく、笑いが止まらない。鉄線入りの窓ガラスが、かの大聖堂のステンドグラスよりも耽美に見える。
太宰先生、貴方はきっと思考を続けたから、あんな話を書いたのよ。私、今、そこかしこに檸檬を置いて回りたいほど愉快。
これがきっと、幸せ。って呼ぶのね。
愛読者は死んだ。もう戻らない。私の世界と共に死んだ、と思っていたが、元から生きても死んでもいなかった。否、生きていて、死んでいた。シュレディンガーの猫だ。
「嗚呼、私、やっぱり、
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連帯する、ということについて。
 昨年来、応援してきているChoose Life Project。キャッチコピーは「自由で公正な社会のために」。オンラインでお話する知人たちに共有したり、クラウドファンドに参加したり。時代が変わっていく境目に、市民が公正でdemocraticなメディアを維持することはとても大切なことだと思っていて、これまでで一番しっくりくるもの、と感じて、可能な限り特集番組的なものは逃さず見ている。
 そのCLPで、森さんのsexism remarkをうけて、「Don’t Be Silent #わきまえない女 たち」という緊急企画がありました。2月6日。
 これまでも、福島みずほさんのフェミテレビなんかを見る中で、女性が女性たちのつながりによって作られる安全な器の中でことばを交わしていくことのlivelyな感じがいいなぁ(わたしも元気がでるなぁ)と思っていたので、そう言うものに触れられるのかな、というようなことを期待しつつ、パートナーと一緒に視聴。実際見始めると、やはりどうしても、自分のこれまでの体験から自分のからだの中に残っている感覚や感情のようなものが「あ、わたしも!わたしも!言いたいことあるよ!」とやってきて、それらと一緒に小さなiPhoneの画面を見続けることになる。でもだからこそなのかなと思うけれども「視聴する」という行為だけで、あっと言う間に画面の中の人たちと連帯してしまうかんじがある。
 対話を支える仕事をしてきて、この、同じことばを話すことの発見を通じて瞬時に連帯する感じ、というのは、それがオンラインであれ、オフラインであれ、人々がその共有する課題や問題に各々主体的に関わっていくために大事な入り口の感覚だと思う。それは、自分の身体や体験からしか生まれてこないことばで、誰かに否定されたり、頼んでいないのにケアの対象になったりするようなことばではなく、言ってみると、その人自身のサバイバルの歴史の証人のようなもの。あるいは、未来をこんな風に展望するんだ、ということを語るための、靴のようなものだと思う。この靴を履いて生きてきて、この靴を履いて生きて行くんだって、自分で認識している自分の靴。不意打ちでつけられた汚れも納得いかないまま生じたすり減りもあるけど、わたしの歴史。(ただし、勲章、のイメージではない。もう二度と見たくない傷、不可抗力によるダメージもあるもの)
 その例えをもう少し引き続けば、連帯の感じ、というのは、あ、同じ靴履いてる!って分かった瞬間に、相手が具体的にどんな体験をしてきたのか全く分からなくても、生じる感じ、だと思う。だから、「みんな似たような体験をして生きてきたと思うんです」っていう、ファシリテーションの基本で言えばNGな乱暴なカテゴライズがOKになる。ここでわたしたちがしたいのは、その靴を履いたままで「せーの」で同じ方向へ一歩踏み出すことで、靴の傷や汚れひとつひとつを解説したりすることじゃないから。
 ただ一方で、まっさらな靴のままでここまでやってくることが出来なかった、悲しみとかしんどさとか、未消化感とか後悔とか怒りとか、そういうものから生まれることばたち、というものもあって、それは、同じ靴を履いている!と分かった人たちの間でだけお互いに耳を傾けあえるものだ、と言うことも思う。ばーかばーか、とか、ゆるさん!とか、むかつく、とか。分かる分かる、だよね、という合いの手が来ると知っているから始めて出せることば。一生誰にも言う予定もなく自分の中にあることば。それらは、本当に実際に自分から出ていくことがなかったとしても、連帯を感じる相手が何かを語るだけで、ぷくぷくと沸いてくる感情の源泉のようなものとしてあって、「ああ、分かるその怒り」とか「そう言ってくれてとてもすかっとするー」といった心の中のつぶやきをうむ。他者を通じて自分を感じる、と言えばよいのかな。
 2月6日の「Don’t be silent #わきまえない女たち」の総勢24名の女性が出てくるという番組が為したこと、って、わたしは、社会問題を可視化する、というようなそんな上品なものではなくて、もっともっとプリミティブで、同じ靴を履く視聴者が「ああ、ひとりではないんだなぁ」って、自分が誰とも交換することのできない自分の靴を履いていることを感じることを通じて(密やかに、時には隣に座っている人にも内緒で)連帯していく、その力を生み出したことにあるんだと思う。インターネットの力だし、もはや伝統芸となっている放置remarksのpileが崩壊寸前のところまで来たから、だとも言える。それらがありつつも、わたしには今回の企画が、力を持っていた、ということが何よりも「わぁすごい企画だなぁ」という感想につながっている。情報のショーケースじゃなくて。気持ちや感情が動いたひとりひとりが「あれ?わたしって、大きな社会問題を共有する集団のメンバーだったのかー」と自認するためのメディア(媒介)として働いた、ってことを、今回は一番大事なことだった、と言いたい。それは、出演者たちの間にも起きていたし、見ているわたしの側にも起きた。(とわたしは感じた)
 なので、その後に予定されていた企画「Don’t Be Silent #変わる男たち」はちょっと期待しちゃっていて、中止と知って素直に「えーんざんねん」って思ったのだけれども、CLPのnoteを読んで、ああ、それなら中止になって良かった、って思ってしまった。仕切り直しでもなくていいんじゃないかなってすら思っている。
 今回の企画のきっかけになる出来事を、わたしたち(女性たち)はまず、女性蔑視の発言と見なすところから始めているから。
 もし、「わきまえない女たち」ではなく、例えば「わきまえることを迫る社会を生き抜くわたしたち」とか「もうわきまえるのはやだ!Noを言うわたしたち」とか、森さんの発言とそれを容認する風土について耐えられない思いをしている人々が口々に語るという切り出し方をしていたなら、そこには性別は持ち込まれることがなく、もしかしたら続編もつくれたかも。
 でも、それでは連帯を生む強い力学は作動しないだろうな、と思う。なぜなら、今の日本は、差別のカテゴライズのはしごを上げて行くには、まだまだ準備が足りてなくて、一番上位の「あらゆる差別と戦う」ための連帯を生むほどまでには、ことばたちが育っていないから。
 わたしは自分のパートナーが、パラリンピックに参加できる資格が十分あるにもかかわらず、障害を負いたてほやほやの現役アスリートであったがために「障害者初心者だからだめ(障害を克服して努力してやってきた先輩障害者を差し置いて実力発揮などけしからん、というようなことだと思われる)」という謎の理由で排除された経験があるのを知っているので、正直今回の森さんの発言は、日本のオリ・パラ運営界隈が内包している排除の理論が発動した一角にすぎないのだろうなと思って聞いたところもあった。過去にその時の実力よりも国民的な人気が優先された例なんかも思い出す。障害者差別、派閥差別(えこひいき?)、性差別、階級差別(人々を無報酬で労働させようとするなんていうのもそのひとつだと思う)などなど、そういったこと全部をまるっとひとつの問題として見なして解決を目指すというのは、民主主義が導き出すダイナミクスのひとつ、なわけだけれども、わたしたちの国・日本は現状として共有する社会問題に取り組めるであろう人々が繋がることを阻む仕組みづくりに成功しているし、市民の側のそれに向き合うための体力も技量も他に割かないと生きていけないところまで持ってこられている。そんななかでも、まっすぐに戦える個人は、使いたくない感情も使いながらがんばって進むことになるし、そうでない個人はわきまえるか何かして、同調するか面従腹背するか方向性は別としてサバイバルするしかない。結果、いつもみんな、自分の場所で自分のしかたで、ばらばらなまま。
 連帯って、仲良しクラブではないわけだから、連帯する人々が24/7でニコニコし合っている必要はない。イヤなヤツがいてもいいし、意見も統一される必要はない。ただし、これがわたしたちの前にそびえ立っている限りは、公正で公平な社会が望めないって言える共通のものが見えている必要がある。どうやっていくかは、いろんな方法があっていい。ただ、同じ障壁を見ている人たちが他にどこにいるか、お互いに知り合っておくことはとても大切で、そうじゃないと、社会が変わる、ということには辿り着かない。障壁は、なぜだか個々人の前に個別に立ちはだかっているように見えるけれども、実のところ巨大なひとつの壁。だから、同じものを認識している、ということを共有しないといけない。
 「あらゆる差別と戦うわたしたち」という集団が、連帯の連帯の連帯の・・・と連帯の連鎖によって生まれる最終最大サイズになるのだと思うけれども、今は、自分がどの連帯に繋がるものなのかも分からない・知らされていない人々もたくさんいて、その入り口にも立ってない状態のまま、日々もにゃもにゃしているから、遠い道のり。まずは、目の前の壁が自分にだけ見えているわけではない、というところから始めないといけない。でも分断されているわたしたち。
 そんなわけで、わたしは、男女もまた連帯していくことができるのだー!というところにまで、まだ辿り着いていない、と思っている。ここまで分断されてしまったわたしたちの「今」はまだ、女性たちの連帯のサイズが大きくなっていくためにあるのではないかな。
 他の国を見てきてしまったりすると、こういう契機は、世界に今すぐ追いつくために逃せない、って思ってしまうかもしれない。国の外からの呼び声も感じる。でも、「今の日本」にそれは難しい。じっくりじっくり時間をかけて、分断を進められ、間に障壁すら置かれてしまって(誰がそれをしたの?というような議論はここではしないけど)、代替的な安心安全で口をふさがれて。全てのピースが揃っているのに、全部違う場所に押し込まれて、一見完成しているように見えるジグゾーパズルのようです。
 だから、まずは、ピースをひとつずつはずして、
無理矢理押し込まれたことでダメージを受けた縁をケアして、
もう一度ひとつひとつ適切なところに配置していく、
そんな仕事の時期なんだなと思う。
 人間関係トレーニングだと、日本でのトレーニングはひとりひとりの中の「みんないっしょ」の思う込みを解体するところから始めなければならない特長がある、というのと同じだなーと思う。みんな一緒だと思っているところから離れて、自分の足で立つ感覚を得て、同じ靴を履いている人たちと集まって、せーので同じ方向に一歩足を出す。
 「わきまえない女たち」の緊急企画に集まった女性たちは、個々の歴史の上に立って、連帯するための準備が既に出来ていて、あるいは既に連帯の体験を持っていて、だから同じことばを話していることをお互いに判別できて、そのことばによって立ち現れる価値を見せることができた。
 そうやって進んで行く先に、個人の尊厳を奪い、自由を抑制してくるものと戦う力と技能、というものが個人的にも集団的にも身につくのだろうと思う。
 パンプスを履かない自由について述べる力、をわたしたちは得た。  自分の身体を他者にコントロールされたくない!と述べることも始めている。  生まれ持った名前をずっと使いたい!ということはわがままじゃないってことももう知っている。
 まだまだやることはあるのだけれども、それらの流れは、
 女性だからパンプスを履きたくないっていう話をしているのではないの、身につけたくないものは身につけない権利というものがあるの、だからあなたもイヤだったら外してもいいと思うよ、そのネクタイ。わたしは絶対に「ノーネクタイなど非常識!」なんて文句は言わないから。
・・・っていう会話を、必要と感じたらいつでもできるようになるための準���なのかもしれない、とも思う。
 男女、で分断されているわたしたちは、分断された結果、決して共有できないものを抱えてそれぞれに歴史を作ってきている。それぞれに、疎外され、奪われることも体験してきている。明け渡せと迫ってくる大きなものたちにNOを言い、それらが育つ土壌を耕さず、自らの歴史を綴る主体(学習権宣言を読んでね!)として進んで行く、と表現すると同じことになるけれども、実際にその道がどんな道なのか、は男女で違っちゃうのは当然のことなんだと思う。その道でどうstruggleするか、はそれぞれのものだから、応援はできても口は出せない。そして、逆もまた然り。
 だから、今回女性たちが怒っている、ということに、どう反応するのかというのは、男性ひとりひとりのもので、ごめんその反応はなし、とか、そう受け取る人がいると助かるな、とか、女性は女性でフィードバックしていけばいい。そして、その都度、繋がれる人とは繋がっていけばいい。
 ここまで社会が壊れてきているのを感じながら、焦らずゆっくり、というのはなかなか難しいなと思うけれども、でも、大きな力で長らく安定してきた分断を乗り越えていく時、まずできるのは、ようやく繋ぐことの出来た手は離さないことなんだと思う。そして、現実に隣にいる人と手をつなげるような現状ではない分、今回のCLPのような企画というのは、メディアだからできることをやったのだなぁ。
 マスメディア、って何だろうと考える体験なんてこれまでしたことがなかったけれども、マス、だって、その中身はひとりひとりの人間で、その間がどんな風に繋がっていくのか、ということがどんな世論を作っていくのか、ということなのだろうな、って思うと、場づくりと同じことがいろいろありそうだな、と思った。即時的で有益な情報によってだけ人々が連結されカテゴライズされていく時代はもう終わっている今、どう生きるのかを問い問われるところで生きようとする個人の連帯の場、というイメージが沸く。
 もう長らくテレビなるものから遠ざかっていて、マスコミなるものには何の期待もしない時期が続いていたわたしとしては、積極的に視聴するメディアを持つってこういうかんじなのかーとふむふむ思っているところだったりする。
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