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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。
中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。
中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。
あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。
あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。
(中国総局 高島浩)
日本人の祖母と中国人の両親
私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。
戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。
父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。
私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」
1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。
天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。
軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。
しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。
中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。
「知る必要はない」父のひと言
戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。
天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。
中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。
「よく知らないし、知る必要はないよ」
記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。
「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」
遺族取材の担当に もう逃げない
4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。
当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。
国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。
天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。
私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。
事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。
そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。
集会を断念した遺族グループ
6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。
これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。
遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画���稿サイトに声明を公開しました。
「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」
「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」
事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。
そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。
厳しい監視、通信遮断の面会
声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。
遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。
張先玲さん
呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。
自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。
記者を志した息子の死
張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。
記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。
張さんの息子 王楠さん
そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。
のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。
なぜあの時… 消えぬ後悔
張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。
なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか…
張先玲さん
「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていた��しょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」
黙り続けることは許されない
王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。
張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎���6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。
息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。
張さん
「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」
「ごめん、生きてくれ…」最後のことば
今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。
尤維潔さん
尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。
政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。
病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。
尤さんの夫 楊明湖さん
「ごめん、しっかりと生きてくれ」
2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。
尤さん
「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」
若者たちはなぜ立ち上がったのか
天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。
天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。
胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。
学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。
天安門広場に集まった市民や学生たち
尤維潔さん
「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」
“隠ぺい”と“沈黙”の35年…
さらに大事なことを話してくれました。
当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。
しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。
尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。
尤さん
「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」
メッセージアプリに突然、使用制限
今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。
遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。
尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。
ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。
尤さんが所在不明に 警告、そして尾行
尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。
しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。
自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。
尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。
「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」
短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。
男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず
あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」)
今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。
厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子
そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。
天安門の叫び、今も
「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」
遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。
かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。
それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。
北京での白紙運動(2022年11月)
おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。
そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。
私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。
取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。
「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。
息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」
(6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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パールレディ店舗とのタイアップが決定!
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パールレディのInstagramアカウントをフォローして、対象の投稿に「いいね」した方の中から抽選で10名様に劇場鑑賞券をプレゼント!
【キャンペーン概要】
■賞品:映画「Gメン」劇場鑑賞券(ムビチケ)1枚を10名様にプレゼント
■実施期間:2023年8月11日(10時頃)~2023年8月17日(23時59分)
■対象アカウント:パールレディ公式インスタグラム(@pearllady_official)
■応募方法
①Instagramアカウント【@pearllady_official】をフォロー
②8月11日の10時頃にアップされる「Gメン」キャンペーン投稿に「いいね」をすると応募完了!(応募は8月17日23時59分までにいいねしていただいた方が対象)
〔注意事項〕
以下に該当する場合は抽選の対象外にさせていただき���すのでご注意下さい。
・海外にお住まいの方(発送先が日本国内以外の方)
・非公開(鍵付き)アカウントの方
・当アカウントをフォローしていない方
▼抽選・当選発表
応募期間後に厳正な抽選の上、当選者を決定します。
当選者の方には8月19日までに当アカウント@pearllady_officialよりDMでご連絡します。
当選後、指定の期日までに返信がない場合、賞品が受け取れない場合は当選無効となりますのでご注意下さい。
応募受付の確認、抽選結果のお問合せはお答え出来ませんので、予めご了承下さい。
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『 貨物列車で行こう!』長田 昭二 緒 (文藝春秋)
わたしも乗りたい。
第一章 ついに貨物列車に乗る!
貨物線を歩く/乗れないから乗りたい――そこにロマンがある/人知れず日本の物流を支える駅/極限までのスリム化/「拳一つ分」の隙間/動力車の拠点「機関区」/ついに貨物列車に乗る!/突然の鉄道無線/いよいよ「貨物専用線」に進入/東京で貨物列車を見ない理由
第二章 ルポ・東京貨物ターミナル
鉄道貨物の全容を見るべく「東京タ」へ/貨物列車に乗って貨物駅に向かう/「新鶴見信号場」とは/梯子段を上る「垂直乗車」/「ブレ��キ、ゆるめーゆるめー!」/心躍る〝短絡線〟/「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ/羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ/昭和で見た夢が令和に実現/添乗区間が延長した!/「東京タ」の構内をほぼ二往復/輸送量は毎年約一〇三%の伸び/高まる大型コンテナのニーズ/変わりゆく物流の仕組み/日本最大の貨物駅にある「中央研修センター」に潜入/異常生時の対応を学ぶシミュレーター/ここに座った以上は定時運行遂行の義務がある/「輸送指令」は〝二度呼び〟が基本/懐中電灯一つで長大な列車を点検
第三章 経営再建と未来の貨物輸送――JR貨物トップインタビュー
「変えるをよし」の企業風土が自信をもたらした/さらなる被害が予想される南海トラフ地震への対策/経営が厳しいJR旅客会社が増えた現状/貨物輸送の新提案・新幹線による鉄道輸送は?/総合的な輸送体系「モーダルコンビネーション」という概念/「安全」のための人材確保と労働環境の整備が不可欠/あらゆる物流の集積地点「東京レールゲートWEST」/銀行員、ハウステンボス……様々な経験から生まれた経営軸/「企業として安全はすべての基盤である」/原風景は「貨物列車のある情景」/「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み/運転士によるリレー方式――確立された輸送体系が強み/鉄道貨物が抱える問題をテクノロジーで解決できるか/従来の設備を有効活用「積替ステーション」/「空荷」を解消した「ビール列車」
第四章 広島車両所探訪記
重要拠点・広島/迂回運転を実現した「匠の技」/歴史を刻む広島車両所/「日本一」の車両所/全般検査と重要部検査奈々枝歴史ゆえの「使いにくさ」/「走って磨かれて輝く」車輪/時に親子、時に兄弟/機関車にはトイレがない/憧れの〝車掌車〟の現実/ベテランから若手へ「技の伝承」/車両所は「大きな家族」
第五章 「セノハチ」貨物列車添乗ルポ――広島貨物ターミナル駅‐西条駅
フィーダー輸送の拠点/数字に出てこない忙しさ/日本一のフォークリフトドライバー/営業面の司令塔/���し列車が遅れたら……信号扱い所の修羅場/〝途中下車〟できない貨物は……/鉄道マンにとっての〝難所〟はマニアにとっての〝名所〟/九州と首都圏を結ぶ物流の大動脈/居住性に優れた運転室/無線の通信に沸き上がる感動/普段乗れない貨物線を走行/本格的な上り坂へ――補機本来の業務開始/上り線には架線が二本/「ノッチオフお願いします。どうぞ」/登りきって連結を外す/「ポウッ!」遠ざかる本務機/待ち時間も切らさない集中力/「発車!」「進行!」一人ぽっちで走り始める/視界も広く、軽快に走る/帰りのほうが忙しい/シカ、イノシシ……夜に遭遇する動物たち/登りと同じ十三分で「瀬野八」を下り終える/列車は貨物専用線へ。時速八十キロで快走/廃車を待つ〝もみじ色〟の機関車/物流を支えるプロの技と知恵
第六章 「文藝春秋」を北に追え!――青函トンネル貨物列車添乗ルポ
大きなミッションを持って貨物列車に乗り込む/「文藝春秋」十月号の積み込みを見学/貨物の積み下ろしや旅客の乗降は行わない「青森信号所」へ/貨物列車でなければ通れない区間に感じるロマン/中村さんが席を譲ってくれた理由が判明/トンボが乱舞する田園地帯を疾走/青函トンネル五十三キロを貨物列車はひた走る/世界第四位、長大トンネルの入口/しばらくすると飽きてくる……運転士の眠気対策は/地上に出たと思ったら次々とトンネルが……/津軽海峡と函館山を望む〝絶景路線〟/急に無数の線路と並走するようになり……/三〇五九列車は定刻より二分遅れで到着/「北斗9号」で三〇五九列車を追跡/コンテナ貨物取扱量全国二位の「札幌タ」/十七時間五十分の鉄路の旅/「盛りだくさん」にもほどがある一日の終わり/一日半ぶりの対面/「イクラ丼」か「混載丼」か/「あとがき」に代えて
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バイコット
「バイコット(BUYCOTT)」とは、不買運動である「ボイコット(BOYCOTT)」の対義語。
購入することで、より公平な企業や団体、生産者を応援しようというものです。
普段食べる食品や、身につけたり、使ったりしている製品が、どのように作られているのかを知り、共感し、お金を使うという行為は、誰もが共生できる世界につながっていくと思います。
パレスチナの人々が作る農産物や加工品、伝統工芸品などを購入することもそのひとつです。
何より、食べて美味しく、目にも美しく、使って嬉しくなるパレスチナ製品をお近くのお店で、通販で、ぜひ手にしてみてください。
◎架け箸
(ヨルダン川西岸地区の作り手とのフェアトレード雑貨/パレスチナのオリーブの剪定材を使用した箸やブローチ、手刺繍雑貨、アップサイクルバッグなど)
・オンラインショップ
・instagram
◎タトリーズ
(レバノンのパレスチナ難民女性たちが作る手刺繍製品、ガザ応援グッズの缶バッジ、ステッカー、ポストカードなど)
・オンラインショップ
・instagram
*パレスチナ子どものキャンペーン (CCP Japan)による運営です。
◎パレスチナ・アマル
(UNRWA・Sulafaガザ難民女性によるパレスチナ刺繍など)
・オンラインショップ
・instagram
*Sulafa:1950年に立ち上げられたUNRWAの刺繍プロジェクト。難民女性の収入や刺繍の伝統文化を守り、継承していく役割があります。
*パレスチナ・アマルさんはガザ支援NGO 【Amal for Gaza】を立ち上げられました。こちらもご覧ください。
◎パレスチナ・オリーブ
(ガリラヤ地方の生産者団体からのオリーブオイル。※2024年度はヨルダン川西岸地区からのオリーブオイルとなります。
ヨルダン川西岸地区からのオリーブ石けん、刺繍製品も。)
・パレスチナ・オリーブの商品のお取扱店一覧
・パレスチナ・オリーブから直接通販する場合はこちらをご覧ください。
・instagram
◎APLA
(ヨルダン川西岸地区産オリーブオイルと、そのオイルを使用し日本で製造した石鹸など)
・オンラインショップ
・instagram
◎FOVERO
(パレスチナのストリートファッションブランド。パーカーやトレーナー、Tシャツ、トートバッグなど)
・instagram
*注文から到着までの日数が数週間〜2ヶ月と幅があったり、着払い料金が発生する場合もあるようです。その時々の国内情勢により変わる可能性を踏まえつつ、お友達とまとめて注文して送料を分担するのもオススメです。
【 番外編① 】
◎MOMO
大久保にお店を構えるとても美味しいお菓子のお店です。「パレスチナについて話すきっかけになれば」という思いから『オリーブの枝葉をくわえた鳩のクッキー』を販売されています。売上の一部は北海道パレスチナ医療法師団への寄付となります。通販ページには寄付のみをできる項目も。
お店の営業日、イベント出店の詳細はXアカウントなどで事前にご確認ください。
【 番外編② 】
日本の食品メーカーである下記の3社が、パレスチナ支援のため、国際連合世界食品計画WFP協会にそれぞれ1000万円の寄付をされました。
◯プリマハム(2024.2.15)
◯明治(2024.3.5)
◯カゴメ (2024.4.1)
人権意識の高い良識ある企業の製品も、日常品の買い物の中に取り入れて、買って応援していきましょう。
※追記※
上記で紹介した企業の中には、パレスチナ支援の一方で、まだ未解決の問題(動物実験を継続しているなど)を抱えている企業もありました。こういうこと(例えば○○ウォッシングなど)は見極めるのがとても難しいですが、パレスチナの食料支援や人道支援を行う企業がもっと名乗りを上げて欲しいという気持ちもあり、ひとまず掲載はこのまま続けます。ひとりひとりで考え、検討し、「買って応援する」という行動に繋がっていけたらと思います。
*今後は、オリジナルのチャリティグッズなどを販売されているお店なども、少しずつご紹介していけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)8月13日(火曜日)
通巻第8365号
バングラ政変の黒幕に米国が関与? 『南アジアの春』?
インドから見れば、周りのスリランカ、ミャンマー、モルジブに政変が起きた
*************************
筆者の印象ではバングラデシュの人々はたいそう親日的である。国旗をみても、日本の国旗そっくりのデザインで、白地がみどり、日の丸は赤。小学生でもまっさきの覚える国旗だ。
1971年の戦争でパキスタンから独立後、日本が最大の支援国だったこともある。
そのバングラ人が日本にあきれかえった事件は、ダッカ空港日本赤軍ハイジャック事件で、凶悪犯人の出鱈目な要求を当時の福田政権は「命は地球より重い」と言って身代金にも応じ、ハイジャッカーの言いなりになったことだった。
日本には武士道があったのでは?
2015年に筆者は関空からダッカへ向かった。飛行場で登場寸前に継体電話が鳴り、うっかり或る新聞コラムの原稿締め切りを忘れていたことを知った。原稿の督促、それも24時間以内。
機中で書き上げ、ダッカのホテルから、FAX送稿して間に合った。間一髪だった。原稿用紙を持っていないので、同行した家内に下書きの字数を数えてもらい、1200字にまとめた。強烈に思い出すのはダッカの三流ホテルからでもFAXが通じたからだ。
機内で隣に座ったのは若いバングラデシュの男性。日本ではタイル工務店で働き、一年ぶりの里帰り、親方がボーナスを呉れたからと嬉しそうな笑顔だった。「おみやげも沢山買えた」。
先般のバングラ政変はシェイク・ハシナ首相がインドへ逃亡し、欧米が保護していた銀行家のムハンマド・ユヌス(ノーベル平和賞。グラミー銀行創設)を暫定政権のトップの据えることで、混乱は一時的に収まった。超法規的措置だが、最大野党BNPと軍が納得したからで、軍は出来るだけ早い時期に民主手続きによる選挙を行うと宣言した。
バングラデシュの軍隊はエリートで陸軍13万2000人、海軍1・7万、空軍が1・4万の陣容である。
さてバングラ政変の「黒幕」は誰なのか?
ハシナ前首相は亡命先のインドでメディアの取材に応じ、「明らかに黒幕はアメリカよ」と言っている。
中国では? と切り返す暇を与えず、アメリカ黒幕説の理由を「セント・マーチン島をアメリカは軍事基地として租借し、ベンガル湾で睨みを利かそうとしていましたが、私が拒否し続けたからです」と説明した。ハシナは親中派である。
セント・マーチン島はチッタゴンから南へ、ミャンマー沿いのリゾート島で、バングラの国内観光では人気もあるが、インフラが整っていないばかりかアクセスが悪く、外国人はほとんど行かない。
そもそもバングラは日本の四割しかない面積に一億八千万の人口を抱えて、世界一の稠密度をほこり、そのうえ国土の半分が湿地帯、海岸線はマングローブ、人が住める土地は限られている。
▼軍事要衝の確保を急いでいるのは中国である。
米軍が、いくら地政学的要衝にあるとはいえ、この島を租借して空軍基地をつくるとは考えにくいのではないか。
とはいえ当該島の北にあるチッタゴンは中国がねらっているし、南のミャンマーのチャオピーはすでに中国の石油とガスのパイプラインの拠点化し、将来は港湾近代化を予定している。
筆者は、このチャオピーにも行ったことがあるが、ミャンマーの仏教原理主義過激派が70万人のロヒンギャをバングラに追いだした拠点でもある。中国が大工業団地を造ると言って土地の買い占めをしていた。
一方、インドの心配事は何かと言えば、バングラ国内に19000人のヒンズー教徒、その安全である。バングラではヒンズー教徒への謀略事件が目立ち、8000人のインドからの留学生は政変前後に帰国した。カナダのトロント等では、ヒンズー京都を守れという集会とデ��が行われている。
バングラの政治はAI(アワミ連盟)とBNP(バングラ民族党)の対立構造で、最大野党BNPは過去二回の総選挙をボイコットした。
BNP総裁のジア元首相(殺害されたジア将軍未亡人)は自宅監禁を解かれたばかりで、これから政治力量を発揮できるか、どうか。
BNPには過激派JEI(ジャマート・エ・イスラミ)を抱えており、さらにこの分派の過激派が昨今のバングラ暴動を仕掛けたとされる。
ハシナが去って、ラーマンミュージアムは破壊された。ハシナの邸宅は民衆が押し入り、手当たり次第に家具、備品を持ち去った。
エアコン、応接セットから扇風機、絨毯、植木鉢から家畜まで。陽気に歌を唱いながらの略奪だが、新聞も余裕を持って写真グラビアを特集したが、罪を咎める風情はまったくなかった。
▼バングラの産業は繊維だが女工哀史、ユニクロも撤退
さきのグラミー銀行と組んでバングラに繊維工場、店舗を展開したのがユニクロだった。
そのグラミーユニクロは経営方式などで意見が合わず、撤退した。
また日本が援助し、JICAが中心となって、ダッカ市内を縦断する地下鉄は部分開通していた。ところが、さきの暴動で駅や改札などが破壊され、メトロかいつの目途は立っていない。日本企業も新たな難題を抱え込んだ。
日本に住む外国人は増えるばかりで、中国の82万人を筆頭に、二位ベトナムが57万人、三位韓国が41万人。犯罪件数もこの順番である。
四位以下はフィリピン人が32万、ブラジル22万、ネパール18万、インドネシア15万、ミャンマー8・7万、台湾、アメリカ、タイ人とつづき、ミャンマー、ペルー、インドスリランカのあと、第十五位がバングラデシュ人の27962人(23年度末統計)。
そういえば日本のコンビニ店員は十数年前までは中国福建省閥が多かった。
いまではスリランカ、バングラ、ミャンマー勢にカザフスタン、ウズベキスタンなどの新顔。つまり他の国からの出稼ぎ組はコンビニや居酒屋より給与の高いところへ移動したのである。
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投資家に蹂躙される日本
2024年7月21日 01:19
40代女性
「先生が以前書かれた『粉末ワクチン』の記事の中で、「リニューアルした商品に気を付けて」とありました。私もこれについて、思うところがあります。
https://note.com/nakamuraclinic/n/n21ec27aaf126
国産のサプリをいくつか飲んでいるのですが、最近やたらとリニューアルされていて、おかしいなと思っていました。調べてみると、ほとんどすべてのメーカーで、投資家が関連した動きがあることに気づきました。
たとえば、私、小林製薬のナットウキナーゼを飲んでいるのですが、これ、今月リニューアルされました。ほら、パッケージが変わったのは見ての通りですが、原材料を比べても何も変わってない。それで、相談窓口に電話すると、「成分に変更はありません。パッケージだけの変更です」と。なぜこんなことするのかな、妙だなと思いました。
ご存知の通り、小林製薬は紅麹問題でメディアから散々叩かれました。その理由としては、いろいろ言われていることは先生もご存知の通りです。
「本当はワクチンが原因の死亡を紅麹のせいにすることで小林製薬叩きのネタに使ったのではないか」とか「日本文化である発酵食品全般のイメージ低下を狙ったのではないか」とか「ヨウ素とか本当にコロナに効く商品開発に取り組む不都合な企業なので攻撃されたのではないか」とか「小林一族とその財団の持ち株比率が高くて外資から見てコントロールしにくい会社だから狙われたのではないか」とか。
どれもありそうな説ですが、私としては、最後の『外資系による攻撃説』に一番説得力を感じます。この記事を見てください。
ものすごいことがさらっと書いてあるんですが、分かりますか?
香港の投資会社(オアシス)が「株主還元の向上、非上場化、ガバナンス改善に向けたオアシスとの協力」という3つの選択肢を提示した。
どういうことかというと、「株価が低迷して困っているようだから、助けてやろう。ただし条件がある。取締役会にうちから送り込む外部役員を迎え入れろ。そして、もっと俺ら(株主)の言うことを聞け」要するに、小林一族の影響力を排除してもっと儲けたいと思っている。究極的には、小林製薬の乗っ取りを狙っているわけです。
オアシス・マネジメントという投資会社は、グローバルハゲタカファンドの���表格です。こういう外資系ファンドがその気になれば、一私企業を潰すことなんて簡単ですよ。なんといっても、アジア通貨危機のように、国家をデフォルトに追い込むことさえできる連中ですから。
自分で騒動を仕掛けておいて、評判が低下してダメージを受けたところで、「助けてあげましょう」とやる。彼らの常套手段です。
オアシスの提案に対して、小林製薬がどのような応答をしたのか。それは分かりません。突っぱねたかもしれない。あるいは、飲んだかもしれない。飲んだとして、具体的にどんな条件を飲んだのか。たとえば「このサプリの製品工程でこの物質を混入させろ」といった指示が出たとすれば、、、
私としては、まったく意味のないパッケージのみのリニューアルが不気味です。何かの合図かな、と思ってしまう。だから怖くて、買えなくて、飲めない。リニューアル前に買い溜めたストックがなくなったら、もう飲むのはやめようって思っています。
最近あった別の事例としては、こんなのがあります。
北越コーポレーションは、紙とかパルプ製品の製造販売をしている会社で、この会社に対してオアシスが社長解任を要求した。「社長のワンマン経営のせいでこの会社が本来持っている企業価値を実現できていないから」という理由だけど、実態は、単なる乗っ取り工作です。外資ファンドによる敵対的買収です。日経新聞が普通に報じてるけど、大問題ですよ。本来は。
幸いこの一件については、北越コーポのバックに大王製紙がついたことで、外資に飲み込まれずに済みました。でも、これからもこの手の攻撃は続きますよ。北越コーポだけではありません。日本の優良中小企業のすべてが彼らの攻撃対象です。
日本人社長の優良企業に対して、攻撃を仕掛け、弱体化したところで、ファンドが「助けますよ」と手を差し伸べる。「ただし条件を聞いてくださいね」と。オファーを受けると、確かに売り上げは急上昇、株価も上がる。ビルは大きくなり、資産も増える。しかしやがて、役員がすげ替えられ、最後は社長解任。乗っ取り完了。
北越コーポは、ひとまずしのいだ。でも小林製薬は、よくない方向に持っていかれた可能性がある。そこの安全性が不安だと、サプリは飲めません。
投資会社は、まず最初、国営企業を狙います。実際、国鉄もやられたし郵政もやられました。その次は、民間の大企業で、あとは中小企業。特に、独自の技術を持っている優良な個人経営者を潰します。最後は、個々の国民。「はい、せーの」の号令で、一斉に全員にワクチンを打たせて、殺すなり病気の種を仕込むなりする。まもなくみんな死ぬから、葬儀場や火葬場にしっかり投資しておく。ハゲタカファンドが日本の富を吸い上げるための構造が、すでに着々と準備されているわけです。
先生、コロナの犯人は誰だと思いますか?いったい誰が何の目的でこのコロナ騒動を起こしたのでしょう?
私、小学生の娘がいるのですが、学校でいまだにマスク着用を求められたり体温を測られたりするので、学校に抗議の意味で電話しました。「いったい誰の指示でこういうことをしているのですか」と聞くと、もごもごと口ごもって要領を得ない答えが返ってくる。「特に誰ということはありませんが、、、」私が厳しく問い詰めると、電話口の担当者は、何かの資料を見たのか、「感染対策協会です」と急に明瞭な返答があった。それで、さっそく感染対策協会に同様の質問をしましたが、やはりよく分からない回答が返ってくるばかりでした。
コロナを仕掛けたのは誰なのか?誰も分からない。一番知りたいところが、見えない���造になっているんです。
私としては、犯人は「グローバル投資家」だと思っています。「ロスチャイルド」とか「ビル・ゲイツ」という答えではピントがボケています。結局のところ、暴力を使って人を脅したり盗んだり詐欺をしたり、というのは投資家がやっています。企業の裏、政府の裏にあるのは、すべて投資家です。彼らが私たちの税金を奪って大儲けしています。
本当のことをいうと、日本はもはや国の体をなしていない。株式会社日本なんです。株式会社であるということは、株主がいます。つまり、この国は、海外投資家のものです。日本だけれども、日本人のものではありません。
そのことを典型的に示すエピソードがあります。たとえば、日本国内でコロナワクチンについて研究することはできません。それで、日本政府はイタリアに研究依頼を出した。ネズミにルシフェラーゼで標識したコロナワクチンを注入する実験がありましたが、あの実験は日本国内で行われたのではありません。なぜなら、日本は株式会社だからです。株主の反感を買うような研究は許されないのです。
もっというと、日本人の労働の成果は日本人には還元されません。株主に還元されます。我々日本人は、海外投資家のために労働し生活しています。
メディアはこれを指摘しません。だから、この構造に誰も気付かない。
いえ、正確には、団塊ジュニア世代(1971~1974年生)、あるいは、ポスト団塊ジュニア世代(1975~1981年生)あたりまでは、かつての豊かな日本を知っています。投資家に蹂躙される前の、日本の富がきちんと日本人により享受されていたのを知っている最後の世代です。
しかしこの世代以降の日本人は、豊かな日本を知りません。日本が今後ますます貧困化していくことはほぼ確実で、かつての豊かな日本を知る人もどんどん亡くなっていきます。すると、貧乏であることが当たり前であり、海外投資家の奴隷であることを当然のように受け入れるようになります。
生まれながらの奴隷は、もはや、反抗のために立ち上がることはできません。
だから、今、声をあげるべきは、私のような団塊ジュニア、先生のようなポスト団塊ジュニアです。今、投資家によってどんどん日本が壊されている、買われていることに対して、しっかり反発しないといけません。でないと、この国は本当に終わってしまいます」
投資家に蹂躙される日本|中村 篤史/ナカムラクリニック
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ソニー、録画用BDの生産を段階的に終了へ。「当面の間は販売を継続」 - AV Watch
以下引用
光ディスクの生産に関する一部報道を受け、ソニーは1日、AV Watch編集部の取材に回答。宮城県多賀城市(グループ傘下2拠点)で行なってきた、録画用ブルーレイディスクを含む「記録型光ディスクメディア」の開発および生産を段階的に終了することを明らかにした。4層の記録層を持つ光ディスクの量産化など、世界初・独自の技術も持つが「海外への移転も検討していない」という。
今回生産終了が決まった記録型光ディスクメディアは、コンシューマー向けの録画ディスク「BD-RE(25GB)」「BD-RE DL(50GB)」「BD-RE XL(100GB)」「BD-R XL(128GB)」の4種類と、映像制作向けのプロフェッショナルディスク、およびデータストレージ向けのオプティカル・ディスク・アーカイブ。
生産終了の具体的な時期は不明だが、「B2B向けについてはつくり置きを行ない販売を継続。コンシューマー向けについては具体的な終了時期は量販店などの流通パートナーと議論して今後決定していくが、当面の間は販売を継続していく」という。
光ディスク事業の見直しについて、ソニーグループ広報は、「コールドストレージ市場の成長が想定に届かず、ストレージメディア事業全体の業績は赤字が継続し、収益性の改善に向けて事業の体制を見直す必要があると判断した」と説明。
「①記録型光ディスクメディア事業における開発・生産の段階的な終了と人員規模の縮小、②テープメディア事業における人員規模の縮小、③2025年4月から一社体制に移行し、ビジネス規模にあわせた効率的なオペレーションに変更する、という3つの施策を経て、市場環境に合わせた適性な規模での事業を継続し、黒字化を目指す」と回答した。
ソニーの光ディスクメディアは、1986年発売の12インチ、8インチ追記型光ディスクメディア(Write Once)を皮切りに、小型化、高容量化、高密度化の商品を開発・販売してきた。
1998年には青紫色半導体レーザーの光ディスクメディアへの応用を他社に先駆けて実証。2003年に民生用ブルーレイディスクとして商品化に成功。翌2004年には放送局のファ���ルベースのワークフローに対応したプロフェッショナルディスクを、2013年には放送局の膨大な過去のコンテンツや公官庁や学校などの大容量データを保存する媒体としてオプティカルディスク・アーカイブを商品化している。
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【予告】12/1よりオリラボマーケット様からグッズが発売されます😊
X(Twitter)で同日にプレゼントキャンペーンも行いますので、
ご興味ある方はぜひチェックしていただけますと幸いです🍀
X→ https://twitter.com/hikkikomori17
グッズの販売は海外発送も対応されています。キャンペーンへの参加は日本国内に居住されているの方のみ可能となっております。
[Notice] Goods will be on sale from Ori Labo Market from December 1st 😊
We will also be holding a giveaway campaign on the same day on X (Twitter), so
If you are interested, please check it out 🍀
Goods sales can also be shipped overseas.
The campaign is only available to those residing in Japan.
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Persona 3 Club Book teacher's pages scan and transcription.
月光館学園の先生
Teacher in Gekkoukan educational institution
高等部2年生の授業を受け持つ先生たちは、生徒のほとんどが勝手知ったる内部進学生だからか、かなり趣味に走った奔放な授業で有名。個性と独立心を獲得した、港区に誇れる立派な月高生の育成に勤しんでいる。
鳥海先生 Toriumi かに座/AB型 2-F担任、現代文担当、生徒会顧問
2年F組の担任で、現代文の担当。非常にさばけた性格で、真面目に話を聞かない生徒に謝罪を要求したり、サボりの生徒の席を勝手に再分配するなど、裏表のない性格そのままの授業をやっている。はっきりとした目鼻立ちと茶色がかった髪のため、実家のある島根ではお人形さんのようだと近所のオバちゃんたちに評判で、小中高の子供時代もそこそこモテ期をすごしていた。当時から文学少女だったために大学は国文科に進み、「日本文学に精通した可憐な新入生降臨!」くらいのウワサは辞さないとさえ期待していたが、いざ上京してみると、 自分の程度が世間でいかに平凡かに気付かされ、以降はこれといった華やかな出来事にめぐり合うことのないまま、29歳の現在に至る。
趣味で同人作家としての活動も行なっているが、これといった手応えはない。職場である月光館学園でも浮いた話に恵まれず、日本語の在りかたという点で話が合わないため、古文の江古田先生とは犬猿の仲だったり、倫理担当の叶先生からは女として負け犬確定の扱いを受けるなど、くさくさした日常を送っている。
心は可憐な
三��路前
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあ
知的な顔とやる気のない中身とに非常にギャップがある29歳独身。世間一般の女性の例にもれずケーキ好きで生徒に要求している。
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあいだに垣根を感じさせない。
鳥海先生のボヤキ
• じゃあ今日は明治の文学ね。教科書の12ページ。···あ、先生、この作家あんまり好きじゃないな。やめ ましょう。(4月21日・授業)
• イジメに関する小論を読んで、感想ってやつね。こんなのサービス問題じやないの。なーんか書きゃ点あげたわよー。“この学校におけるイジメを告発” とかねー?···って、ウソよお。イジメ、無いわよねえ。無い無い。面倒。(5月25日・授業)
• アイギス・・・さん?珍しいお名前ね、生まれは外国なのかしら。他に特記事項は···ん?···人 型···戦術兵器?···なんかの間違いね、この書類。見たもの、聞いたもの全てが、正しいなんて思っちゃ駄目よね。 (9月2日・ホームルーム)
• 世の中は椅子取りゲームなの。みんなも気をつけてね。(11月9日・ホームルーム)
• みんなー、修学旅行はどうだった〜?先生、寺なんか興味ないから参ったわ。火曜からは体験学習ね。面倒な社会科見学だと思えばいいわよ。社会に出るって大変なの。これをキッカケに皆にも分かってもらえそうで嬉しいわー。その間、先生遊べるしね。(11月21日・授業)
確かに、この社会に希望なんて、そうそう転がってないよね。逆に、そこらに転がってるもんで満足すんな!甘えんじゃねーよ!···って、思ったワケよー。···先生、いま良いこと言ったから、期 末にこのまま出すよ?(1月 28日・授業)
江戸川先生 養護教諭 総合学習担当
見るからに健康、清潔とは縁のない養護教諭。カリキュラムが自由なのをいいことに、趣味に走った授業を行なっている。
怪奇!
保健室に巣食う悪魔
無精ひげとよれよれの白衣、脂に汚れた黒ブチ眼鏡、およそ健康的とは言い難い頬と土色をした顔色で、「優しい保健の先生」のイメージとは似ても似つかないうさんくさい風貌の保健室の主。月高赴任前のことを知る人間はおらず、名前すら本名ではないとさえ言われている。元気なときに訪れても追い返されるだけだが、体調が悪いときに保健室の戸を叩くと、先生自ら調合した極めて怪しいクスリを盛られる。運よく効けば具合がよくなることもあるが、当然トドメの一撃になることもなきにしもあらず。
養護教諭として生徒の手当てや保健業務を受け持つほか、「個々の知識を結び付け、総合的にはたらかせる」 総合学習の授業を受け持っている。しかしその実態は、「魔術を利用した人間心理治癒」と称し、前代未聞の魔術理論を紐解く、生粋のオカルトマニア。オタク特有の傾向である、自分の得意分野に関して話が長い特徴がある。夏休みの補習では、ここぞとばかりにさらにディープな講義を展開し、計5日間の日程のうち丸2日を魔術講義に付き合わされることになる。
体調の悪い生徒をじつに嬉しそうに迎える彼。保健室での行ないが本当に手当てなのかも怪しい。
江戸川先生のオカルト講座
• 保健室に何か用かね、ヒヒヒ。でも困るなぁ⋯これから秘密のサ⋯おっと。⋯講習会なんですよ。⋯なんだ、おまえ全くの健康体じゃん。私の目はごまかせませんでございますよ。サボリはお断り。ハイ、出て行った、出て行った。(保健室・体調普通以上)
• ···おやまぁ一、傷かウイルスか呪いか恋か。ずいぶんと調子悪そうですねえ。これは···出番ですね、イヒヒヒヒヒヒヒヒ。さて、取り出しましたるこの秘薬··· ニガヨモギにドクニンジン、ヒヨスにナツメにエトセトラ、エトセトラ··· オロしてコネてウサギの手。白山の杜氏もビックリの大吟醸。たちどころにアナ夕の病気を治してみせますよ。さあ、飲みなさい···飲むんだ!(保健室・体調疲労以下)
• まあ魔術と聞いて、何でもできるようになるイメージを持ってるヤツもいるでしょう。誰かにイタズラしてやろうとか、苦しめてやろうとか··· そんなロクでもないことを真っ先に思いつく人間に魔術の習得はできません。これは、洋の東西を問わずに共通することですね。邪な者は、無力であるか、途中で破滅するか。そのどちらかになるのです。(5月28日・授業)
江古田先生 2-E担任古文担当
今年50歳を迎えたの古文の先生で、風花の在籍する2年E組の担任。古きよき日本を愛する感覚は、現代の若年層とかけ離れているため、教師たちの間でも煙たがられている。「エアコンは体に毒」のスローガンの下、冷房や暖房をしょっちゅう止めてしまうので、「エコだ」と揶揄されている。面白いを「ホワイトテイル」、白ける話を「ホワイト キック」と一生懸命使っているが、90年代に若者文化として知識を仕入れてから時間が止まっているらしく、なんだか哀れ。
江古田先生のエコ文化論
• えー···明日からは修学旅行だなぁ。京都、我が心の故郷だ。他の先生はあろうことか海外を推すからなぁ···毎年反対するのが大変なんだぞ、んん?(11月16日・授業)
●当時の発音には “F” が入るんだぞ。“ひさかたの光のどけき春の日に” は··· “ふいさかたの、ふいかりのどけき···” う〜ん、美しいですねぇ··· (11月16日・授業)
小野先生 歷史担当
熱狂的な戦国マニアの先生であだ名は小野ムネ。政宗がらみにヤマをはればテストで高得点が狙えるが、受験を考えると参考書や塾に頼らざるを得ないため、3年生からは「歴史のハズレのほうの先生」と思われている。金色の細い三日月の前立てが印象的な愛用の兜は言うまでもなく政宗公の戦装束。オーダーして作らせた一品物で、新入生はその格好で行なわれる授業に驚愕するが、ひと月もすると立派になじんで気にも留めなくなり、そうなって初めて月高生としての肝が据わる。42歳。
僕は政宗公に会いに行く!
• えーと今日は貝塚の話か。うーん、貝塚なんて、ただの貝だよね。もういいかなこれは。先生、早く戦国とかに行きたいね。ワクワクしたいね。(4月30日・授業)
• じゃ、今日は政宗公だね!もう先生ワクワクして全然寝てないんだ!じゃ、政宗公の生い立ちから丁寧に紐解いていくからね!時は1567年、米沢城··· (10月1日・授業)
• うっ···ううっ···こうして、9月24日、西南戦争は幕を閉じたのであった··· まつ···ぐすっ まさ、まさに··· 武士の、武士の時代の終わりであったぁ···!!···ここから現代までは飛ばして、また戦国やろうね···ああ、政宗公··· (1月15日・授業)
宮原先生 数学担当
三角定規を片手に数字のかわいらしさを語る数学の先生。ふさふさアフロでおねえ言葉という風采は、変り種の多い月高高等部の教師たちの中でも異彩を放っている。数字や数式への思い入れはかなりのものだが、「解法」を愛するけれど「解答」には興味がないため、最後の繰り上がり計算をいつも忘れてしまうという、「使えない」 先生ナンバーワン。
数字LOVEの心
• ···で、ここが繰り上がるので···答えはX=1ですね。···え、違う?あ、ここが11だから··· すいません��、X=2か。え、まだ違う??··各自、計算してくださいね。そういうわけで、すごいでしょ。数学って面白いよね。こんなに難しい問題も、解いてみるとX=1··· あれ、2だっけ?まあそんな感じで、簡単になっちゃうでしょ。ブラボーでしょ。(4月27日・授業)
この8、なんかすごく可愛いでしょ。9なんか尻尾がぷりぷりだし。マニアックだけど、2!!2もいいよね〜、ほんと、イイ!数字って可愛いよね。もうたまんない!(9月28日・授業)
竹ノ塚先生 物理担当
長身で渋めの男前、スーツは華美ではないが上質で、どことなくセンスを感じさせる45歳。見た目はいたってまともだが、せっかちで授業の進度が異常に早く、実験は結果のみの紹介、問題の解法を教えないままテストになだれ込むなどのせいで一部の生徒から不満が上がっている。板書の文字は大きく見やすいが汚く、折ったチョークの数は校内一。
かっこいい言葉集
• 言ってみれば、夏休みはもう··· 摩擦係数ゼロの坂道の上ってとこか。おっ、先生、今カッコよかったな。黒板に書こうか?(9月1日・授業)
• まずは基本中の基本、重力な。重くて大きなものが、小さいものを吸い寄せる。これが重力。女子高生に、中年男性が吸い寄せられる··· これも重力··· ···て、何を言わすんだ!(12月9日・授業)
叶先生 倫理担当
おもに3年生の倫理の授業を担当する先生。とくに男子生徒に人気が高く、「エミリ先生」と慕われている。授業熱心で進学指導に力を入れているのが評価されている一方で、若い男の子を手の平で転がして楽しむという、教師としてちょっと問題アリな性格。教師にしておくのは惜しい抜群のスタイルと評価が高いが、胸は詰め物とのウワサ。一部上場企業のサラリーマンと婚約中。
禁断の恋のゆくえ
自分にほれ込んでいる友近を、勉強を見るためと称して自宅に招いている叶先生。絶対に秘密のハズがどこからかバレて、九州の学校に転任することになって しまう。
大西先生 科学担当
細面ですらりとした、32歳の先生。婚約者と別れた過去があり、当分恋はいいと思ってるうちに、本格的にどうでもよくなり現在に至る。メガネを取ると美人なのだが、武器を隠し持っている感覚がいいという理由で、人前では外さないようにしているらしい。東洋医学批判者で、江戸川先生と新しい薬の開発を競っている最中。
やっぱり化学反応が好き
• 昨日ね、テレビ見てたらダイエット特集やってたんだ。“水を飲むほど痩せる!” とか言ってね··· んなワケないじゃない!浸透圧とかオール無視でしょ?なのに、だまされるのが多いんだから··· (5月6日・授業)
• 来週の火曜から試験かー。実験バリバリやりたいんだけどね。薬品を混ぜ合わせる瞬間って、最高に興奮するよね。(10月7日・授業)
寺内先生 英語担当
学生時代、留学先のインドで知り合ったイギリス人宣教師と、帰国後に感動的な再会を果たし、結婚に至る。そのシーンを「クリスマスの思い出」として毎年生徒に披露、英訳させる先生。会話中にかなりの頻度で英単語が混ざるが、本人曰く「関西なまり」みたいなもの。黄色いスーツにカチューシャという、どことなく海の向こうのセンスが香る28歳。
グレートイングリッシュスタディ
• はい、ここではAさんが死にそうなんですね。で、Bさんが言う “ステイ ウィズ ミー!” “しっかりして!” と叫ぶから、このあとAさんの魂が戻ってくるワケですね。これ、テストに出しますからね。面倒なんでこのまま出しますからね。と、もうすぐチャイムですね。それまで私のインド留学話でもしましょうか。(5月15日・授業)
今日はクリスマスの思い出をスピーチします。聞きながらイングリッシュに直してください。“もみの木の下で出会った私達は燃えるような恋に落ちたのです···” “イルミネーションはお互いの顔をビュー ティフルに照らし···” (12月24日・授業)
校長先生 校長
長年の政治的活動と少なくない資金とで、ついに私立高校の校長職を射止めた人。教師としての才覚には残念ながら恵まれているとは言い難く、部下である先生たちだけでなく、生徒からもデキない男と見抜かれている。美鶴の高校生離れした生徒会長就任演説に対抗意識を燃やし、つぎの週の集会でありがたいお言葉を用意するが、順平に同情される始末。
沽券に関わる大演説
えー、諸君らに今日は特別に、大切な話をしようと思います。あー、世間では、不可解な事件や、理不尽な事件���多いようですが··· うー、この学園の生徒である諸君らには、関係ないことだろうと思います。えー、しかし高校生という若い時期には、様々な悩みもあるでしょう··· まー、だからといって、あまり、思い悩むことはないのです。えー、“過ぎたるは及ばざるが如し” という言葉を、紹介します。あー、これの意味はといいますと··· (4月27日・朝礼)
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サイドシートの君
ゆかは旅先で呼んだコールガール。
地元が近いのと趣味が合った事がきっかけで連絡先を交換した。
そしてお盆の帰省のタイミングで会う約束を決めた。
ゆかのいる町まで車で一時間ほど。
来るか来ないかは半信半疑だった。
約束を破るような子では無いと思ってはいたけれど、連絡の返信の遅さがちょっと気になっていて、来なければ来ないでいいやと思っていた。
約束の時間の十分前に待ち合わせ場所に着いて車を停めた。
ゆかに着いた事と車の特徴を書いたメッセージを送る。
来ても遅れるだろうと思い、二十分後に発走する競馬を予想して買った。
既読が着いたのは約束の時間を二分過ぎたあたり。
あと五分くらいで着くらしい。
少し安心した。
それから十分後にメッセージ。
車のナンバーはこれですか?と来て、車の後ろを振り向くと、こちらを見ているゆかと目が合った。
手招きをして助手席に呼ぶ。
ゆかが席に乗り込んでくる。
「すみません」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「元気だった?」
「はい」
「ありがとね、来てくれて」
「いえいえ」
「じゃあ行こうか」
プランを二つ提案した結果、神社に行って近くにある貝出汁のラーメンを食べることにした。
近くのコンビニでコーヒーを買う。
「そうだ、さっき競馬買ってたんだよね」
「そうなんですか」
「一緒に見る?」
「見ましょう!」
一緒に見たレースは見事に的中だった。
ゆかも喜んでいた。
車を走らせる。
車内ではゆかが同棲中の彼氏に薦められて見た頭文字Dの話を熱く語っていた。
今度聖地巡礼に行くらしい。いろは坂はあのまんまだよと言っておいた。
ゆかが今日着ている服はライトなロリータ風のワンピースで、童顔の彼女にはそれがとても似合っていたので伝えた。
嬉しそうに笑うゆか。ロジータというブランドらしい。
田舎道を走っているとひまわり畑を見つけた。
下りてみると一面ひまわりが咲き誇っていて、その後方にある風力発電のプロペラがまたいい味を出していた。
夢中で写真を撮るゆかは無邪気な少女のようで、転んてしまわないか心配になるくらいだった。
車を再び走らせて神社へ向かう。
険しい階段を上って本殿でお参りをする。
「五円あった」ゆかが財布から硬貨を取り出す。
「俺は欲張りだから五円が十倍あるように五十円にするよ」
「なるほど!」
神様に祈ったことは今日が楽しく終わりますように。きつねの神様は俺を助けてくれるだろうか。
反対側に下りて行くと無数の赤い鳥居が並んでいる。何度来ても圧倒されるが、ゆかも同じだったようだ。
ここで少し雨が落ちてくるが気にせずに歩いていく。鳥居の中を歩いていくと横に水場がある。そこに咲く蓮の花を見つけたのでゆかに教えると鳥居から蓮にスマホを向けて撮影した。
白い花びらが水から顔を出して咲く姿は可愛らしさだけではなく強さも感じた。何となくそれはゆかの姿にも重なった。
高台から鳥居が並ぶのを眺める。
雨が本降りになってきたので木の下で雨宿り。
ゆかの持っている赤いバッグには傘が入っていないらしい。
「折りたたみもってくればよかった」
「雨降るなんて考えてなかったよ」
「県の真ん中の方は降るって聞いてたんだけどなぁ」
「しゃあないよ、ここ真ん中じゃないし」
しばらく経ってもやまない雨。結局少し濡れながら歩くことにした。
雨降りにも関わらず別な色の蓮の花を見つけて二人で写真を撮った。
階段を上って下り、おみくじをひいた。
天然石が入ってるおみくじで、パワーストーンが好きなゆかにはぴったりだった。
昼食の時間になったので店へ向かうが、時期や時間もあって行列ができていたので、同じく貝出汁のラーメンを出している別な店で食べることにした。
運良くすぐに座れ、ゆかとあれこれ話した。
ゆかは小学校から高校まで卓球をしていたらしい。
大学ではクラゲの研究をしていて、クラゲの生態にも詳しかった。
「一応理系なんで」
確かに同人小説を書き方を聞いたら実に論理的に話を作っているなと感じていた。
そんな話をしているとラーメンが出来上がって食べた。貝の出汁とバターの風味がうまくマッチしていて絶品だった。ゆかも気に入ってくれたようだ。
店の外に出るとまたもや雨。
近くの公園にあった遊具も濡れていた。
「晴れてたらやりたかったのになぁ」
「これじゃ濡れちゃうね」
残念そうにするゆか。
ここの段階で時間は十三時をまわっていた。ゆかは十六時くらいまでならと言っていたので、次の場所を迷ったが、思い切って賭けに出ることにした。
市街地へ車を走らせる。
「あのさ」
「ん、なに?」
「夜の仕事、まだやってるの?」
「いや、しばらくやってない。昼の仕事で稼げるようになったから。このままやめようと思ってる」
「そっか、昼の仕事が順調ならいいね」
「うん、もう知らない人に会わなくてもいい」
「お疲れ様。よう頑張ったと思うよ」
「彼には絶対言えないけどね」
「体調もよさそうだね」
「うん、抗うつ剤は飲んでないし、元気になったよ」
「よかったよ」
ゆかの手に触れて握ると、握り返してくれた。
川沿いの堤防を走る。
カーステレオからは真夏の果実。
市街地にあるホテルへ入り車を停めた。
ゆかの表情は暗くて見えなかった。
「いい?」
「タダじゃ嫌」
「そっか」
その返答は予測していた。元々は金で繋がった関係だ。
「いくらくれる?」
価格交渉が始まるが、割とすぐにまとまった。
タッチパネルで安い部屋を選んで入る。横にあるシャンプーバーの香りが鼻についた。
部屋に入ってソファに座る。
唇を重ね、ゆかの胸に顔をうずめた。
その後の事は何となくしか覚えていない。何度もキスをして、何度も愛を囁いた。
そして二人並んで眠った。
ゆかの寝息を聞きながら時間を気にしていた。
リミットの時間はとうに過ぎている。
目を覚ましたゆかに聞いた。
「時間大丈夫なの?」
「ああ、うん。別に花火があるからそれまでに帰れれば。そんな花火見たいわけじゃないんだけど」
その日はゆかの住む町で祭りがあって二十時から花火が上がる日だった。
「そっかそっか。一緒に見る?」
「うーん、誰かに見られると嫌だから」
「だよな」
その後はゆかの書いた小説を読んだ。そしたら俺もゆかに自分の書いた物を見せたくなった。
「ゆかの事書いた作品があるんだけど見る?」
「えー!恥ずかしいからやだ」
「まあまあ、自分だと思って見なきゃいいからさ」
「うーん、ちょっと興味はあるんだけどね」
そしてTumblrに投稿してたコールガールを見せた。
時に笑いながら、時に考えながら読んでいた。
「この表現好き」
ゆかを花に例えた部分が気に入ったらしい。
「人の書いたもの見ると勉強になる。すごく読みやすかった」
「ありがとう」
「今日の事も書くの?」
「そうだなぁ、たぶん書く」
「めっちゃ恥ずかしい」
そんな事を話しながら、不思議な関係だなと思った。
現実で会った人にTumblrを見せたのは初めてだった。
彼女でもなければセフレでも無い。そもそも会って二回目の関係なんだから名前をつけようにもまだ難しいだろう。
それでもこの関係は何だろうと思いながら気づけば温くなった風呂に二人で入っていた。
洗面台で歯を磨くゆかに後ろから抱きついたり、服を着るのを邪魔してみたりした。
帰路につく。
夕焼けの時間だった。
この様子だとゆかの町に着くのは十九時くらいになりそうだ。
「今日さ」
「うん」
「何で来てくれたの?」
「えっ、うーん…誘われたし暇だったから」
「そっか。お金もらえるって思ってた?」
「いや、それはない。ただ会ったらするかもなとは思ってた」
「そうなんだ」
「うん」
途中の海辺で夕焼けの写真を撮った。
「すごくいいね!あとで送って」
「いいよ、今送るよ」
すぐゆかに送った。
「ありがとう」
そっとゆかの手に触れた。自然と繋ぐ。
車は海沿いの道を駆け抜けていく。
町に着くと大勢の人で賑わっていた。
「どこで下ろせばいい?」
「真ん中は嫌だから…朝会ったとこ」
���こへ向かって車を進めると、警備の人が立っていて入れなかった。
「ちょっと入れないな…」
「うーん、どうしよう」
ぐるぐると町中を周る。
「やっぱ入れないよ」
「離れたとこなら一緒に見てもいい」
「えっ、あっ、そっか。じゃあそうしよか」
「うん」
「食べ物買いに行こか」
「屋台はダメだよ。知ってる人いるかもしれないから」
「そうだな。コンビニでいいか」
その町にある唯一のコンビニで食事を買った。
その隣りにある駐車場から花火が見えそうだったので、そこに停めて見ることに決めた。
花火が始まる。
ここでもゆかは写真を撮るのに夢中。
俺も撮ってみたけれど、信号が邪魔して上手く撮れなかった。
合間に見せてくれるゆかの写真は上手に撮れていた。
プログラムの間、ひたすらゆかはスマホをいじっている。その動きが止まると俺のスマホに通知が来た。
「アルバム作った」
開いてみるとトーク画面に日付が入ったアルバムが出来ていた。花火や蓮、ひまわりの写真がたくさんおさまっていた。
「おー、いいね。ありがとう!」
「ふふっ」
ゆかはまた外にスマホを向けた。
「あの色はリンで…」
花火の色を見ながらそんな事を言っていた。
「覚えたことって言いたくなるよね」
ゆかが笑う。そうだなと俺も笑う。
あっという間に花火大会は終わった。
「帰ろっか」
「うん…」
帰りに降ろす場所を探しながら車を進めた。
「あっちに行くと公園がある」
「そこで降ろす?」
「いや、遠いからいい」
「行ってみようか?」
「うん」
公園に行くと暗くてよくわからなかったが、日中は眺めがいいだろうなと思った。
「あっちには小学校がある」
「行ってみよか」
何となくゆかの気持ちがわかった。
「あれだろ」
「なに」
「別れが惜しくなったんだろ?」
笑いながら言った。
「でも明日は友達と遊ぶから泊まれない」
「もうちょっとドライブするか」
「うん」
小学校へ入った。ゆかが通っていた小学校はかなりきつい坂の上だった。
「こんなのだからめっちゃ足腰鍛えられた」
「これは中々スパルタだな」
「でしょ」
小学校を後にして車を俺の地元方向へ走らせた。
「あれだよね」
「なに?」
「泊まっても寝ればいいじゃん」
「うーん」
「俺いびきかかないし」
「そうなんだ」
ゆかの右手に左手を重ねた。
「朝、めっちゃ早起きだよ?」
「いいよ。またここまで送るからさ」
「わかった」
「じゃあ、泊まろっか」
「親に連絡しとく」
コンビニでコンタクトの保存液とビールとほろ酔いを買った。
ホテルへ入る。今日二度目だ。
カラオケがついていたので酒を飲みながら二人で歌った。
夜は深くなっていく。
シャワーを浴びる。マシェリでゆかの髪を洗った。
洗面台でそれを乾かしてベッドへ入る。
互いに欲望のまま相手を求めあう。
眠っては起きて、キスをして、何度も何度も。
「俺に好きって言ってみてよ」
「言わない」
「いいじゃん、嘘でも言ってみなよ」
「嫌だ言わない」
「そっか」
力一杯抱きしめて、それをゆかも返した。
俺は六月にあったことを話した。
自殺未遂のことも。
「ガチで死のうとしたんだね」
「うん、そうだよ」
「生きててよかったね」
「ほんとそう思う」
「今も彼女のこと好き?」
「いーや、全然」
「そっか」
「新しい好きな人いるらしいし」
「いなきゃ好きなの?」
「いや、そういうわけでもない。俺にはあわなかった」
「切り替え早いね」
ゆかの首筋にキスをして眠りについた。
結局は予定の時間にゆかは起きれなかった。
俺も軽くは起こしたけれど、別れを早くしたくないなんてエゴが出た。
「私ほんと時間にルーズなんだよね」
と言いながら、そんなに慌てないゆかが滑稽だった。
「私と付き合わない方いいよ」
「どうして?」
「時間守れないし、好きなこと話すと止まらないし」
「時間を守れないのはよくないな。でもそれはパートナーがちゃんとしてれば支え合っていけるんちゃうか?」
「うん…」
ワンピースを着ながらゆかは俺を見た。
「うしろのチャック閉める?」
「閉めよっか」
「自分でも出来るけど」
「いいよ、閉めるよ」
背中を向けたゆかの背中のファスナーを閉めた。
「上のボタンもかけて」
「はいはい」
ボタンを掛けて後ろから抱き締める。
「かわいいよ」
「ふふっ」
ゆかにかわいいと言うといつも笑う。
そんなとこはあざといのかもしれない。
「友達との待ち合わせ場所まで送ってくれるんでしょ?」
「うん、送るよ」
「やったー」
「そのかわり」
「なに?」
「お金は無しな」
「えー、少しも?」
「当たり前だろ。泊まったし送るんだし」
「ふふっ、そうだよね。わかった」
「交渉成立な」
「電車代浮いたからいいや」
「なんだよそれ」
ゆかが笑った。
ホテルを出てコンビニでコーヒーと朝食を買った。
予定時刻までに着かないのはわかっていた。
友達やら予約しているカラオケに電話をしながら、車の中でアイラインを引き、ルージュを塗った。
「ちょっとはおしゃれしないと」
「昨日と同じ服だけどね」
「それはしょうがない」
「そうだな」
「そうだ、スッピンどうだった?」
「あー、うん。可愛かったよ」
「ふふっ」
相変わらず笑う。
海辺を見ながらゆかは言った。
「普段海見ないけど、やっぱりこっちの海のが好き。向こうはなんか深くて怖いから」
戻ってこいよ。なんて言おうと思ったけど、別に俺がそれを言える立場じゃ無い。
「やっぱさ、十八年見た海は特別なんだね」
「確かにそうかもな」
「今回帰ったら、次見るのは冬か」
「その時も一緒に見たい」
「うん、いいよ。あっ、あとは会いに来てくれれば会えるよ」
「行きたいなとは思ってるよ」
海辺を過ぎて内陸へ入る。
あと五分で目的地。
信号で止まった時にゆかの唇を奪った。
信号の色が変わるのを感じで離れる。
ゆかの表情はどこか寂しげだった。いや、そう思いたいからそう見えたのかもしれない。
カラオケの前で降りる間際にもキスをした。
去り際にゆかは俺を見てこう言った。
「死なないでね」
短いけど重い言葉だった。
「そっちもな」
車を大通りへと向かわせる。
何度もゆかの耳元で囁いた言葉を思い出す。
車線を変えながら車を一台二台と抜いた。
「俺って本当に」
アクセルを踏んで帰路につく。
サイドシートにマシェリの香り。
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ハロー(´ー∀ー`)2024.9.13
最近観た映画の感想
『ロストケア』
介護士の松山ケンイチが介護苦で辛く苦しみ悩みながら生活している人を救う為に介護老人を42人殺めたというお話です。
殺人をお願いされた訳でも何でもなく、自らの判断で殺めた事。それは紛れもない殺人なのだけど、実際には「救われた」と述べる家族もいたりして介護の闇や苦労、認知症の方とその家族の生活がかなり現実と直結していて、誰の身にも起こりうる事だと思うので鑑賞がかなり辛い作品ではありました。
ただの殺人、という訳でもなくその根底にあるのが犯人の壮絶な過去があったからで。その部分は悲しすぎて涙が溢れました。
色々考えさせられましたね〜。
検事の長澤まさみちゃんも、自分の母親とのエピソードがあってこの事件に本気で向き合い、それをきっかけに母親の介護に対して逃げていた事や自分自身を見つめ直し、殺人犯である男性の人生を
心から思った…そんな重いストーリーでした。
『ミンナのウタ』
和ホラーらしいゾッとするシーンもいくつかありましたが、とにかくGENERATIONSに興味のない人には少しだるい←ホラーではありましたね🥱
ミンナノウタってそういう意味なのね!って思う部分もあったりして途中までは面白かったんだけども、ラストでね元凶の女の子の自宅2階からバーンってお化けが出てきた時に口から掃除機のプラグが出てたんですよ。
そこで私は「?…なぜプラグ?🔌?」ってなって、しかもなぜ口から??って疑問だらけで笑いが出て、プラグかーらーの、ドアが外れてその上に2人乗った状態での階段スライダーが本当にダサすぎて(何ならスローモーションだった気がする)一気に興醒めって感じでしたよね😂
ほんでラストの極めつけがGENERATIONSのライブ映像😂
いらねー←
(ファンの人すみません
本日も言いたい放題の私でございます。
批判・中傷に敏感な現代でもギリギリを攻めていくスタイルです!
(ギリギリというかアウトだね←
最近まじでキツい。
クソババーのストレス←
(でたー
クソババー拒絶時代の到来←
いい加減このビッグウェーブ来んなって思う←
職場のクソババーが調子に乗りすぎやりたい放題+新人のやりたい放題暴走事件でメンタルが灰←
誰か…私の遺灰海に捨ててー!←
塵積もで心の許容がバーーーン!ってなった時のクソババー無双が本当キツい。
心にゆとりがある時は「あー、はいはい。いつものクソババー節ね?右から左で〜す」ってできるんだけど。
そうできない時のKBB(クソババー)瘴気がつらい😓
そんな中で姉の言い間違いなどに救われつつ←
先日も「ボディーソープ」と打ちたかったところが「ポーティソープ」になってたし。
本人も次女も気づかずスルーだったし←
「やあ!僕ポーティ!体臭が気になるお年頃だよ!よろしくね!」
って返事しときました←
そして誰も望んでいないのにやって来た
「私🆚N◯RO光戦争」の勃発←
大概にせえよ😡
突然通信機が点滅を始め、一切ネットに繋がらなくなる
↓
電源オフ、リセットをし何とか繋がる
↓
また繋がらなくなる
↓
電源オフ、リセットをしても繋がらなくなる
↓
繋がったり繋がらなかったりを繰り返す(繋がらない割合が多い)
といった状態になりました。
点滅の意味も調べたし、公式HPの対処法もしたけどダメでした。
そしていざ問い合わせ
↓
ネットが繋がらない、いつからなのかどういった状態なのか説明
↓
なるほど…建物の回線自体は問題無さそうなのでそうなりますと機器の故障かそちら側で何か問題があるようです…ではアラームが赤点灯しているっていう事ですか?
↓
アラームは点灯してません、LINEが点滅してます
↓
LINEが点滅ですか!?では本体カバーを開けてもらって配線を抜き差しするか難しければ押してもらって、コンセント側の配線も押してもらっていかがでしょう
↓
したけどダメでした
↓
WANは点灯してますか
↓
WANも点滅してます
↓
WAN点滅!?
この受け答えで私のイライラ値が上昇していきました。
いちいち点滅に反応を示す前に、今がどういう状態なのかまず始めに全部聞けや←
全部聞かずにあーだこーだ言い出してしかも全部わかってる体で対処法話しだしたりするし😡何やコイツなったよね
そして現在対応が大変混み合っていてまず担当へこの内容を上げるまでに1週間かそれ以上かかるかもしれません
↓
はあ?その間どうすればいいんですか?
↓
開通後のWi-Fi機器の貸し出し等はしてないんですーすみませんー
機器の故障となった場合、配送と訪問どちらがよろしいですか?配送となると自分で配線つけかえたり電源から替えてほしいんですけどちょっと複雑なので…
↓
(何それ?訪問して原因調査するのが筋だろが?設定や付け替えを客にさせるんか?💢)配送って自分でするって事ですよね?わかりませんよそんな事言われても。自分でつけてる時に壊れても嫌だし。
(というか複雑とか言うくらい難しいって分かってるのなら初めから訪問一択やろがい💢
というイライラMAX度世界記録を更新しました←
それから4日後に業者の人がやって来て、中からと外からと配線調べて原因は「コネクタ不良…ですかね」ということでした。
ものの15分程で作業は終わり、無事に復旧。(その後一旦速度低下はありましたが、再起動で完全によくなりました)
突然配線が不良になるのは仕方ない事ですが、ネットが���えない間の対処をどうにかしてほしい…まじで。
でも、言われた日程よりは早く解決したので本当に良かったです。これでまた快適な配信活動ができそう。
今後は配信の前に毎回速度測定をして配信に影響ないかどうかを調べようと思いました。
(10年以上活動しててした事なかったのかよ←
そのような感じで戦争は終結を迎えました。それ以外にもなんだかんだ(職場の食事会➡︎断った)色々あって疲労+ストレスで口内炎ができました←
ストレスって本当重なるのよね…
KPOPアイドルのライブが終われば…きっと…ゆっくりできる…はず
来月ディズニー旅行だったわ←
ディズニーもさ、Xでは「若者のディズニー離れ」とかいって話題になってたけど。若者の貧困と結びつけたいような記事だったけど、若くても稼いでる人は沢山いるんだよね。
ディズニーのやり方の問題では?とも思っちゃうよねー。
ある程度高くてもそれ相応の対価があれば、払うと思うんですよね。
対価以上に損失の方が大きいと判断してると思うんだよねー。
かくいう私もディズニー離れが進行してる1人ではあります。
私はトイストーリー4で「ん?」となってから、アナ雪2やバズ・ライトイヤーで「??」となって、ミラベルも「???あれ?私…ディズニーと合わなくなってきた?」って悲しくなってきたんだよね。
多様性や誘導、押し付けが目について「夢」のあるストーリーだからディズニーだったのに、「現実」って感じで近年の作品微妙だなぁって離れていってるんですよね。
新エリアのファンタジースプリングスもお金積まないと楽しめないとか長時間無理して並ばないと入れないとか、芸能人は沢山招待されてるだとか不平等・不公平のオンパレードで、更にチケット代の値上がりとかグッズの転売問題とかそういうのをネットで目にする度にまた気持ちが離れていくんだよね。
もちろん素晴らしい作品も沢山あるし、アトラクションも素敵なもの沢山あるんだけど。
遠方勢からすると、どんどんハードルが上がっていってるしディズニー信者の心は消えていく一方ですねぇ。
(元々信者ではない←多分
家族と楽しむ場所!って感じでディズニーにお金払うというよりは思い出にお金を払っていこう、というマインドに変えて楽しむべきですね。
というかディズニーリゾートを今までこんなに楽しむ事ができたのは、2番目の姉がディズニーコンシェルジュとして色々頑張ってくれていたお陰なので笑
本当に感謝しかありませんまじ土下座級
10月の旅行で個人的な大きいイベントが終わるので、またブログに旅の記録をアップしたいと思います😌
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アマリア・ザタリ、BBCロシア語ソヴィエト連邦時代のロシアでは、隣近所の人や同僚や、赤の他人でさえ、当局に密告するのは普通のことだった。それが今では、ウクライナでの戦争に批判的な国民をロシア当局が厳しく取り締まる中で、誰かが気に食わないとか、自分には政治的な主義主張があるのだなど、様々な理由から、他人を密告するロシア人が増えている。「うちは、祖父が密告が得意だったので、どうすればいいか私は祖父に教わりました」「アンナ・コロブコワ」を名乗る女性はこう話す。ロシアの大都市に住んでいるそうだが、具体的にどこかは明らかにしなかった。広告そのコロブコワさんの祖父はスターリン時代、ソ連の秘密警察に匿名で情報提供をしていたのだという。当時は、他人を密告したり糾弾したりすることは日常生活の一部だったし、孫娘も今や祖父のあとを継いでいる。彼女は今では、ウクライナでの戦争に批判的だと思う相手は誰だろうと、片端から通報している。密告の常習者を自認ロシアによるウクライナ全面侵攻が始まって以来、自分は1397通の通報文を書いたと、コロブコワさんは言う。自分の通報によって、大勢が罰金を科せられ、解雇され、「外国の代理人」のレッテルを貼られたという。「気の毒とは思わない」と、コロブコワさんは明かす。「私が通報したおかげで罰せられたなら、とてもうれしい」。2022年2月にロシアがウクライナに侵攻してから間もなく、新しい検閲制度が法制化された。それ以来、コロブコワさんは暇を見つけてはオンラインで過ごし、「ロシア軍の信用を傷つけた」と思う人たちを次々と通報している。今の制度では、「ロシア軍の信用を毀損(きそん)」した罪で有罪となれば、最高5万ルーブル(約8万円)の罰金���、2回以上の再犯の場合は最高5年間の禁錮刑の罰を受ける。コロブコワさんは私の取材に対して非常に慎重で、メールでのやり取りにしか応じなかった。自分の顔を出すのはいやで、自分の身元を証明するものも提示したくないと力説した。なぜかというと、「殺してやる」と脅されることが多く、自分の個人情報がハッキングされたり盗まれたりするのが怖いからだという。では、なぜ自分と同じロシア市民について、密告するのか。動機は二つあるという。第一に、ロシアがウクライナに打ち勝つための手助けを、自分はしているのだと。そして第二に、自分の経済的安定の助けにもなるからだと。コロブコワさんは独り暮らしで、人文系の教授としてパートタイムで働いているという。貯金を取り崩しながらなんとか、やりくりしているのだと。もしも戦争でウクライナが有利になれば、ロシアは賠償金を払う羽目になり、そんなことになれば国全体と国民全員の経済状態が打撃を受けかねないと、心配しているのだと話す。「特別軍事作戦に反対する全員が、私の安全と生活にとって、敵です」。こう言うコロブコワさんにとって、ウクライナの勝利は自分の敗北を意味する。「貯金がなくなって、フルタイムの仕事を見つけなくてはならなくなる」政府から離れて活動するロシアの独立系人権団体「OVD-インフォ」によると、新しい検閲法が制定されて以来、軍を批判した疑いで8000件以上の事案が立件されているという。標的コロブコワさんが通報するのは主に、マスコミに話をする人たちだ。特に、BBCなどの外国メディアの取材に応じる人たちを、標的としている。人類学者のアレクサンドラ・アルヒポワさんも、コロブコワさんに通報された一人だ。画像説明, アレクサンドラ・アルヒポワさんは人類学者として、ロシアで密告が再燃している現状を研究している「彼女はもう7回、私のことを通報しています」とアルヒポワさんは話す。「密告文を書くことがあの人にとって、当局とやりとりする手段で、それが自分の使命だと思っている」。「自分にぴったりな、得意なことを見つけたんでしょう。彼女に糾弾されると、専門家や研究者は往々にして、黙るしかなくなる」アルヒポワさんは今や亡命中だ。自分が昨年5月にロシア国内法に基づき「外国の代理人」と認定されたことと、コロブコワさんの行動は、無縁ではないかもしれないと思っている。「彼女に通報された私の友人たちは、もう一切、マスコミに話をしなくなりました。なので、彼女は成功したと言えるでしょう。任務完了です」もう一人、標的にされたのは、タティアナ・チェルヴェンコさんというモスクワの教師だった。ロシア政府が2022年9月に愛国教育を導入した際、チェルヴェンコさんは独立系メディア「ドシチ(TV Rain)」で、自分は代わりに数学を教えることにしたと発言した。「ドシチ」はその後、ロシア国内では閉鎖され、今ではオランダを拠点にしている。「ドシチ」のインタビューを見たコロブコワさんは、チェルヴェンコさんを攻撃し始めた。チェルヴェンコさんの勤務先に苦情を繰り返し、モスクワの教育当局やロシアの子どもの権利当局にもクレームを重ねた。結果的にチェルヴェンコさんは、2022年12月に解雇された。画像説明, タティアナ・チェルヴェンコさんは、自分が教職を追われたのは、通報・糾弾されたからだと言うコロブコワさんは自分のしたことを、何も後悔していない様子だ。それどころか、自分が通報した人たちのデータベースを作り、その結果どうなったかも記録している。自分の通報の結果、6人が解雇されたほか、15人が罰金処分を受けたのだという。コロブコワさんは、ロシア国家の敵だと思う相手しか自分は相手にしていないと力説する。しかし、ロシア国内には個人的な恨みつらみを晴らすために通報している人もいるという話が、BBCに寄せられている。投獄され、自由を求め漁師のヤロスラフ・レフチェンコさんは、ロシア極東のカムチャッカ半島出身だ。半島は火山と珍しい野生動物で有名なだけでなく、ロシア軍が重点配備されていることでも知られる。この地域に住む人たちの多くは、ウラジーミル・プーチン大統領を支持している。レフチェンコさんの同僚たちもそうだ。画像説明, ヤロスラフ・レフチェンコさん2023年2月のことだ。レフチェンコさんの漁船は1カ月の航海を終えて、カムチャッカの港に戻った。仲間の漁師に酒を勧められたが、断った。相手の男は以前から自分に不満があったらしいと、レフチェンコさんは言う。酒を断ったことから口論になり、レフチェンコさんは頭をびんで殴られ、意識が戻った時には病院にいた。退院が許され、被害届を出そうと警察署へ行くと、通報されていたのはむしろ自分の方だと知らされた。暴行ではなく、反戦思想を理由に。愕然(がくぜん)とした。レフチェンコさんに警察は、彼を殴った同僚を訴えられるほどの証拠がないと告げたのだという。やがて7月13日になり、レフチェンコさんは逮捕された。BBCが確認した裁判資料によると、問われている罪状はテロの正当化だ。そんなことはしていないと否定するレフチェンコさんは、公判開始前という理由で勾留された。BBCと連絡をとるには、弁護士に手紙を託すしか方法がない。「私が他の船員に暴力をはたらいたと、捜査員たちは言う(中略)そして、ロシア連邦に対して敵対行為をするつもりだと、私がそう話していたことになっている」と、レフチェンコさんは私たちに書いた。画像説明, BBCが確認した書類によると、レフチェンコさんはテロを正当化した罪に問われている。本人は否認しているレフチェンコさんの友人たちは、相手の船員が自分の暴力行為をごまかし、警察の目をそらすために、彼が通報したのだろうと、私に話した。漁船内での飲酒は禁止されているのに、酒を勧めたことも、相手の男はごまかそうとしているのだろうと。「自分はただ家に戻りたい」と、レフチェンコさんは言う。「自分の牢(ろう)では、何重もの鉄格子の向こうにかろうじて、空がぎりぎり少し見えるだけで、こんなことは耐えられない」。彼がこう友人に書き送った手紙を、その友人がBBCに見せてくれた。「果てしない訴え」戦争が始まって以来、あまりに大量の通報が次々とくるため対応しきれないのだと、ロシア警察は認めている。「誰かがロシア軍を批判したという訴えが、延々と届く」ため、警察はその捜査と対応に多くの時間を割いているのだと、警察関係者はBBCに匿名で明らかにした。「特別軍事作戦」をめぐり「何かしら他人を攻撃したい人たちが、常に言いがかりの口実を探している」のだと、引退間もない警官がBBCに話した。「おかげで、たとえ具体的な中身のある本物の案件がいざ来ても、捜査しようにも人手がない。みんな、ウクライナの旗に見えるカーテンを見たという、どこかのおばあちゃんの話を確認しに、出払ってしまっているので」プーチン大統領は、「裏切り者を罰せよ」と繰り返している。そして、ウクライナでの戦争に終わりは全く見えない。それだけに、コロブコワさんのような常習的な密告者も、ほかの市民について密告するのを全くやめようとしない。「私はこれからも、通報文を書き続ける」と、彼女はメールでBBCに伝えてきた。「たくさん書かなくてはならないので、忙しい」のだという。(英語記事 Ukraine war: The Russians snitching on colleagues and strangers)
ロシアで増える密告……同僚でも他人でも - BBCニュース
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月の光と海うさぎ【5】
染まれない教室で
春の空は青く澄み切っていた。校門の周りに植えられた桜が、今年もふっくらと蕾をつけている。
一年生が終わって、きっと、絶好のキリがいい逃避行の日。でも私は結局、学校に行かないなんていう選択肢を取る勇気もなく、校門をくぐって今日からこの学校で中学二年生になる。
いったん向かった旧一年生の教室は相変わらずで、まだ来るよあいつ、と言いたげな嗤笑が聞こえた。金子さんも「お、同じクラスだと、いいね」とか話しかけてきて、私はあやふやに咲うしかなかった。
体育館での始業式のあと、クラス発表は点呼形式で伝えられた。私の名前を呼んだのは、二組の担任教室となる若い男の先生だった。
その先生の引率で、新二年生の教室に向かう。大量のプリント配布。教壇で挨拶している新しい担任が、私への疎外に何もしなかった一年生の担任ではなかったことに、私は安堵した。
けれど、今回の担任は何もしないというか、何もできないといった感じだった。やけにおろおろしていると思ったら、まだ二十代なかばの新任教師なのだそうだ。かわいい感じの顔立ちをしていたけれど、あまりにもいつも困っているので、その後、特に女子からの人気が出る様子もなかった。
一年生のときのクラスメイトとは、わりあい離れることができた。特に金子さんがいないことにほっとした。でも、この学校は学年たった二クラスだし、私がよそ者なのはみんな知っている。私への反応は、遠巻きにひそひそ言うばかりで、仲良くなれる子がいないことに変化はなかった。
この学校は、ローカルルールというか、暗黙の了解が多い。別に禁止されているわけでもないのに、靴下は黒でなく白とか。鏡はトイレに見にいくもので手鏡は気取ってるとか。飲み物はペットボトルで水筒はださいとか。
どう考えても変なものもあって、予測もつかないので、私はそれをほとんど知らない。黒いソックスを履いていった日もあったし、胸ポケットに手鏡が入っていたこともあった。そういうとき、「黒はダメなのにねえ」と皮肉を言われたり、「鏡が必要な顔なのかよ」とバカにして嗤われた。
でも、その翌日に私が白のソックスを履いたところで、「あいつ必死すぎる」とどのみちみんなで笑ってくるのだった。
担任は頼りにならない中、頭に落下してくるように渦巻く笑い声に私が唇を噛んでうつむいていると、「リップは色つきも香りつきもダメだからね」という声が不意にかかった。
顔をあげると、栗色の長い髪に綺麗にパーマをあて、白い肌に睫毛の長いぱっちりした瞳の女の子がいた。そう言うこの人のリップクリームは色つきではないのかと思うほど、唇はいちご色をしていて、手足も腰つきも華奢だ。とにかく、はっと目の覚める美少女がそこにいた。
「マリー、何構ってんの」
「ほっときなよ」
そんな声がかかると、彼女は「何でよ」とそちらを睨んだ。
「あたしが光谷に話しかけるのは、あたしの勝手じゃない」
マリー、と呼ばれた美少女を見つめると、「分かんないことはあたしに訊いていいから」とえんじのスカーフの自分の胸に手を当てた。すでに胸のふくらみまで豊かだ。私がぎこちなく、「ありがとう」とぼそりと答えると、「うんっ」とマリーはにっと笑ってみせた。
松部万里衣という名前の女の子だった。万里衣という名前からして何だかお洒落だし、この田舎町に見合わない、垢ぬけた美貌でちょっと有名な子だった。男の子にはもちろん好かれていたし、女の子たちにも羨望より憧憬を持たれてそこそこ友達がいる。ただし、自分の意見を言うというか曲げないせいか、先生たちには嫌われていた。マリイだからマリーと呼ばれている。
二年生になって同じクラスになったこのマリーが、話しかけてきたこの日から、なぜか私の面倒をよく見るようになった。あるいは、私なんかの世話をする物好きな生徒だから、先生たちには疎まれる厄介な生徒だったのかもしれない。
しかし、私はマリーに良くしてもらっても、素直に喜べずにとまどった。正直、あんまり感覚が合わなかったのだ。たとえば、トイレに行くこと。私はトイレくらいひとりで行くし、ひとりで行けと思う。マリーは違った。トイレは必ず人と行くものだった。わけが分からないけど、マリーにはトイレとはそういうものだった。
休み時間、マリーは「一緒にトイレ行こ」と話しかけてくる。私もそういうタイミングなら構わないけど、別に自分は用がなかったら「私は別に、今トイレ行かなくていいから」と答える。するとマリーは、「何でそんなこと言うの!」とめちゃくちゃに怒った。
それどころか、私が誘いをかけずにひとりでトイレに行って、帰った教室ではマリーが目を見開いて怒り心頭している。確かにやっと、金子さんとは異なり、私に良くしたいと思って話しかけてくれた人だけど、この子にはつきあっていられない、というのが本音だった。
だって、トイレくらい自由に行っていいでしょう? 何で人に合わせてトイレに行けたり、行けなかったりするの? でも、マリーがそんな感覚だから、ほかの女子もそういう子が多かった。
私はマリーに従わず、勝手にトイレに行った日、つくえに白いチョークで『裏切り者』を書かれていた。誰が書いたのか分からない。ただ、マリーの字ではなかった。トイレに行った私を例によって叱責しようと近づいてきたマリーも、それを見て、「何だよ、これ!」とそちらに怒りはじめた。
「だってあいつ、マリーを裏切ってるじゃん」
そんなささやきが聞こえてはっと教室を見渡したけど、誰の声だったのか分からない。黒板消しを取りに教壇に向かったマリーには、聞こえなかったようだ。
マリーは落書きを丁寧に消してくれて、「ありがとう」と言った私に、「というか、希夜、トイレひとりで行ったの?」と結局マリーは蒸し返して怒った。この人のそういうところがしんどいと思った。
マリーはかわいい。優しいし、私の面倒を見てくれる。なのに、「いい子だなあ」と感激したことは一度もない。していたら、私はマリーと友達になれて、中学生活も変わっていたのかもしれない。しかしやはり、マリーは性根はあまりよろしくない子だとつねづね感じていた。
その愛らしいルックスやシュガーボイスをマリーは自覚していた。声をかけられた男の子たちはたやすくなびいて、たくさんの男子とマリーは仲がよかった。それ校内に飽き足らず、他校や高校生、社会人とつきあっていることさえあった。中学生が社会人とつきあったら犯罪なのではと思ったけど、閉口していた。
マリーはその体験談を交換日記に生々しく綴り、私に次々と披露した。一応それを読んだ私は、この交換日記が親に見つかったら危ないとまで感じた。私がこんなあからさまなものを読んでいると知ったら、母は怒るどころか嫌悪してくるに違いない。
マリーの過激な内容に刺激されて、他の交換日記のメンバーもあれこれと書いた。私はそんなことは何の経験もなく、当たり障りないことしか書かなかった。何で私がみんなの、特にマリーの性体験に詳しくなっているのか、よく分からなくなるときもあった。
以前の中学は家から十五分だったけれど、今は片道、徒歩で二時間近くかかる。田んぼと畑しかない道を、ひたすら歩く。近所の友達もいなくて、登下校はいつもひとり��った。
そもそも、「近所」というものが近所にあると言えず、それでも一応「近所」の家には、子供がいなかった。この景色の通り、私の家は田舎町のさらなる辺境、隣町との境にある。つまり、校区外に限りなく近く、とにかく学校から離れていた。
引っ越してきたときは、雄大な風景の中の家が嬉しかったのに、そんな登下校のせいでますます学校が嫌になった。拷問のように歩きつづけ、クラスに友達もおらず、勉強は分からず、また脚がふらふらになるほど歩いて帰宅する。
朝はふとんを頭にかぶって、起こしにきた母と格闘した。怒鳴られたり、なじられたり、ときにはぶたれたり──母は何が何でも私を学校に送り出す。母も仕事を始めていたのだけど、出勤前でばたばたしていても、私を車に押しこめて学校に連れていくのは譲らなかった。
父は相変わらず単身赴任で家にいなかった。かなりいそがしく働いているようだった。だいたい、この大きな家が我が家に見合わない買い物でもあった。父がいくら働いても家計は苦しくなり、それで母も仕事を始めたのだ。父の出稼ぎは昔からだから寂しくなかったし、家にいなくてよかったと思う。学校に行くのをぐずる私のことを知ったら、面倒なことになっていた気がする。
去年、しばらく家で一緒に暮らしていた頃、父は私や美夜が門限を少しでも過ぎて帰宅すると、ものすごい勢いで怒った。そして、遅い帰宅を怒っているはずなのに、外出禁止どころか家から締め出す。
娘である私や美夜が、夜道を歩いたりするなんてと憂慮してくれているのは分かる。だが、言動が過剰すぎて迷惑だった。母より愛情表現があったということかもしれない。しかし、愛されているという温かさはなく、ひとつも嬉しくなかった。
父も母も懸命に働いていたわけだけど、四人ぶんの生活費や家や車の維持費で、やがてお金は尽きた。私たちには、お金を借りるあてがない。せいぜいサラ金くらいだ。
かくして、両親はついに借金を始めた。不払いもあり、その対応をさせられるのが私だった。電話が鳴っても、柄の悪そうな人が訪ねてきても、「おかあさんは留守です」と白々しい嘘をつく。しぶしぶ許してくれる人もいたけれど、中には執拗に文句を言う人もいたし、脅すように怒鳴りつけてくる人もいた。まだ十四歳にもなっていない私は、そのたび恐怖が刻まれ、玄関のチャイムや電話のコールに怯えるようになった。
そんな家庭内だったから、私がいじめられているなんて、まったく問題として話題にのぼらなかった。父は知ったらあの怖い顔で学校に怒鳴りこんでいたかもしれないけど、それは嫌だったので、知られなくてよかった。
母も美夜も、父が私の学校に乗りこむのが嫌で、何も告げなかったのだろう。この田舎町において、人前で激怒する父がたとえばヤクザということになったら、もう居場所なんてない。父自身、私に学校生活について訊いたりしなかったので、興味も心配もなかったのだと思う。
夏になっても、私は学校に行きたくなかった。マリーがいようが、そんなの何の心の支えにもならない。それ以外の女子は遠巻きに私を眺めるか、存在していないみたいに無視か、私のつくえに『裏切り者』と書いたみたいにたまに嫌がらせする。男子は勉強ができないとか顔がかわいくないとか言いたい放題で、私をいじめるようになってきた。
夏休みをはさんで二学期になり、最悪の事態が起きた。前の学校にいる子と今の学校にいる子に、親戚だか何だかの接点があって、私が以前いじめられていたことが現在の中学に知れ渡ってしまったのだ。そして、私はまた、「あいつはいじめてもいい奴だ」と認識されるようになった。
美術の授業で作った粘土細工を、次の時間には叩きつぶされていたこともある。そのときの美術の先生の対応で、私は先生たちも味方ではないことを思い知った。美術の先生は新しい粘土を用意し、「これで頑張ってね」と目をそらして言っただけだった。
どうも先生たちは、私をよく思っていないみたいだった。私と少しでも関わった子は、すぐさま生徒指導室に呼び出され、「光谷希夜と仲良くするな」「あいつの友達にはなるな」と厳しく言い聞かせられるらしい。
何で、とそれを知ったときはショックだったけど、理由は簡単だった。以前の学校が、素行の悪い生徒が多い不良中学校だったからだ。あの学校から来て、遅刻欠席が目立ち、勉強もできない──先生の目には、そんな私もまた、「不良」として映っているようだった。
私という人間を見てくれることはなかった。見ていたら、引っ込み思案な私なんかが、不良なんていう物騒なものにはなれないのは分かっただろう。私自身もまた、前の学校の知り合いとは関わってはいけないと先生たちに警告された。
マリーはそういう、生徒を取り締まる横行みたいなことが嫌いだ。だから、反抗したいのもあって私の面倒を見ていたらしい。しかし、それでマリーはますます先生たちに嫌われるハメとなっていたから、なぜそこまでして私と仲良くするのかは、やはりよく分からなかった。
やっと涼しくなってきた九月中旬、その日も二時間近くかかって帰宅し、私は誰もいないリビングでふらりとソファに横たわった。制服のままで、紺のプリーツスカートから投げ出した脚が重苦しく痛む。膝をさすって、今日も学校が息苦しかったことを思い、二度と学校に行かなくていいほどの病気にでもなりたいと唇を噛んだ。
病気だってつらいのは分かっている。でも、学校がつらいのは家族さえ分かってくれないけど、病気がつらいのは他人でも分かってくれるでしょう?
ゆらゆらする意識が目障りで目をつぶったとき、電話が鳴りはじめて私はびくんと身をすくめた。
また、サラ金の人かな。今、母は本当に留守だ。無視していいだろうか。いや、そうしたら家に来るかもしれない。それはもっと嫌だ。
私は仕方なく起き上がり、廊下に出て電話を取った。
「もしもし、光谷です」
私のこわばった声の応答に、相手は無言だった。それで相手が誰なのかは分かった。一応ほっとしたあと、私はくすりと咲ってしまう。
「さくらでしょ?」
やわらいだ私の口調の呼びかけに相手は息を飲み、『ええー……』と嬉しそうな声がやっと聞こえてくる。
『すごい。何で分かるの?』
「さくらのことは分かるよ」
『へへ、何か嬉しい』
「どうかしたの」
『んー、希夜どうしてるかなって』
「あ、ごめん。手紙、私で止まってるね」
『いそがしい?』
「ううん、ただ──まあ、楽しくない」
『そっか……私もあんまり楽しくない』
「会いたいね」
『うん。また会おう。話聞くし』
「私もさくらの話聞きたい」
──白雪さくら。小学校のときの友達だ。さくらが小学生のときに転校していったので、中学は最初から別々だった。それでも、いまだに手紙をやりとりしている、仲良しの子だ。
さくらの家には電話がないので、私から電話をかけることはできない。代わりに、さくらがどこかの公衆電話から、こうして私の家に電話をかけてくる。そして私たちは、ささやかに話をした。さくらと話していると、不思議と心が安らかになって、ああ友達ってこんな感覚だったなあと思い出せて嬉しくなれる。
その日も少しだけ話をして、『ああ、もう百円切れる』とさくらが言ったことで電話を切った。かちゃ、と受話器を置き、私はため息をつく。このやりとりが学校に、いや親にばれたって、顰蹙されるのだろうなと思う。
さくらはすごくいい子なのに。私のことだって心配してくれる。話聞くよって言ってくれる。なぜ私は、そんなさくらとのつながりを隠して、学校では先生たちにほかの子と親しくなるのを邪魔されて、近づいてくるのはあのマリーくらいなのだろう。
友達が欲しいよ。そばにいてくれる友達が欲しい。
窓ガラスの向こうの稲穂の波を見た。この町に越してきたとき、ここは海で、仲間がいて、帰る場所になると思った。
ねえ、ルル。私たち、やっぱりひとりぼっちだね。どこも私たちを受け入れてくれないね。
泣きそうだよ。涙はもう出ないけど。そのぶん、ルルが心に雨を降らす。暗く、冷たく、じめじめと──私の心が、再び浸蝕されていく。このまま崩れ落ちたら、私は心を失って何も感じなくなるのかな。それって、死ぬのと同じじゃないかな。
電話を見つめた。さくら。「会いたいなあ」とひとりごちた私の耳に、窓越しにもざあっという潮騒に似た音が虚しく響いた。
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