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#訪問カウンセリング
tanakaeri · 9 months
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あたたかい人
一緒にいると安心できる人 波長ってあるのかなと思います。話をしていない段階でも、気が合うような感じがするとか、話してみたいとか思う事ありませんか。 一緒にいると、気持ちが楽になる人もいます。 不思議ですが、わたしたちは普段からアンテナをたてているかのように、瞬間に様々な出来事を判断しています。 秀でて素晴らしいという方も、沢山いらっしゃいますからとても素敵に見えますが 少し、気が抜けるくらいのキュートさを見られると、安心できたりします。 人と比べないといいますが、比べて生きていくのが人間というものかもしれません。 一緒にいると安心できる人、であったら手伝ってあげたくなりますし、相談にも乗ってほしいと思います。そして、何より自分らしく背伸びをしなくていいという心地よさです。 どう在りたいかは、いつでも自分自身で決められます。 ご自身を大切にしてあげてくださいませ。 くれ…
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takeuchiyoshihiro · 2 years
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東京(西新宿)にてランチ会を開催させていただきました! 【場 所】#バリラックス ザ ガーデン 新宿さん 当日のカウンセラー #外山佳子 カウンセラー(江東支部)  #小松万佐子 カウンセラー(安曇野支部 東京対応)  #水上奈美 カウンセラー(練馬・川越支部)  #菊池友子 カウンセラー(つくば支部)  #井上未来 カウンセラー(柏支部)  #柴田桃子 カウンセラー(安城支部他)  #青柳裕美 カウンセラー(浜松支部)  #竹内嘉浩 (名古屋本部)  ご参加いただいたゲスト様、ありがとうございました。 #くれたけ心理相談室 #心理カウンセリング #所属カウンセラー募集 #プロカウンセラー養成 #対面カウンセリング #オンラインカウンセリング #夫婦カップルカウンセリング #訪問カウンセリング #株式会社呉竹 (バリラックス THE GARDEN新宿 BALILax) https://www.instagram.com/p/CpaVxgVu36B/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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momoko-shibata · 10 months
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個人カウンセリングのご案内です
法人ではない、個人でのカウンセリングも承っております。 柴田桃子
いつも公式サイトにご訪問いただきありがとうございます。 この度、当サイト内のメニューに、『個人カウンセリング』についてのご案内を追加いたしました。 ・職場のことで悩んでいるが、会社の面談を受けることに抵抗がある・会社の人に相談内容を知られたくない 等、お仕事をしている中で、相談はしたいと思っていても、悩んでいることはあっても、「会社では…」と躊躇されていらっしゃる方もみえ、「個別で相談したい」とご依頼を受けることもございます。 そのような思いを持っていらっしゃる方へのカウンセリングも対応しております。 なかなか出せずにいる思い、心の中で抱えている思いなど、まずはお話を聴かせてください。 出すことはとても大切です。お話をお聴きし、一緒に整理し、一緒に考えてまいります。 詳細については、下記ページをご確認ください。 個人カウンセリング
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manganjiiji · 1 year
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まるい蕾が剥がれるように
母親から入電。退職者向けの書類がなぜか私の住所ではなくて実家に届いてしまったらしく、仕事を辞めたなどとは聞いていないがどういうことだ、という電話だった。そう。確かに仕事を辞めたことは言っていない。べつに、言う必要が無いかなと思ったので、単純に言っていない。しかし母親にはそれが信じ難い裏切りのように感じられたのかもしれない(という感じの口調だった)。私は今のところ年金による貯金があるし、金銭面で母親を頼る必要もないし、私が仕事を辞めようが続けようが、私のことなので母親には関係がないことだと、単純に考えていたのだけど、「そういうこと」は報告するのが「義務」だと、母親は考えている。私も、たぶんそう思っているのだろうな、とは思ったが、母親と関わるとかなり精神状態が乱れるので、「一旦保留」ということにしておいた。その保留は今日終わった。
母親は、「そっちに行った方がいいか?」「病院の日に(母親が)病院まで行くか?」ということを言っており、なんというか、この人はこの人で、私との間の愛着障害や依存関係に苦しんでいるのだ、と思った。私のほうが、勝手に「ある程度のお金は返したし、これからはプライベートは報告しなくてもいいよね(その義務はないよね)」と思っても、それを母親に伝えていないのだから、彼女のほうでは問題はなんら進展していない。こういうことも話し合っていかなければなと思う。私は「書類を郵送してくれればいい」と言ったが、母親は書類を渡すことを口実にして、私に直接会いたいようだった。でも、会って何になるのだろうと思う。私は家を出る前に「引越し資金を工面してほしい」というお願いをした時に、結構はっきり、家とはほとんどの縁を切りたいという意味のことを言ったと思う。でも、それは「母親ごと」縁を切りたい、という意味では伝わっていなかったようだ。家と縁を切っても、母親のことは頼る、という体制でいく、という宣言だと思われているのかな。でも私は母親とのことが、正直最大の問題だ。母親のことを好きすぎるがために(そして母親にとって私がそこまで重要な存在ではなかったという事実に打ちのめされ)、この歳になってもここまで苦しんでいる。しかし、母親は母親なりに私を愛してくれていた。それはもちろんわかっているし、でも、心底からは認めていないのかもしれない。あの時も、あの時も、あの時も、母親は私ののことを本気で心配したりはしてくれなかった、という恨み節がここぞとばかりに炸裂しているのだと思う。母親は、ただやり方がわからなかっただけなのに。なぜ私はもう少し大人になって、思いやりをもって、母のことを許せなかったのだろう。それは今でも遅くないとは思うのだが、母親と相対すると、どうしても5歳の自分になってしまう。このことは容易には克服できない。電話を切った後も、たいした会話はなかったのに泣いてしまったし、とにかく母親に関係することを思ったり考えたりすると、私は泣くのである。これを書いている今も泣いている。5歳の、自分の心を守ることができなかった自分。それがそのままここにいる。
カウンセリングでは、母親のことを中心に先生と話している。私の問題は、父親でも兄でもなく、母親なのであり、その執着が、今の生活のところどころに暗い影を落としている。母親とこれからどんな関係を築くべきか。話し合うとしたら何を言うべきか。カウンセリングの先生とは来週会うので、また話してきたいと思う。
人間関係、とくに、私がいちばん大切で、重要だと思っている、友人関係において、この愛着障害から来るさまざまな幼児性が、かなり深刻に問題になっている。直近でも、とても仲良くしてくれていた友人を、またしても(つまり2度目)深く傷つけてしまい、これ以上になく反省している最中です。このことで、私は、ずっと逃げ続けていた「愛着障害」というもの、自分が「友人に対して、赤ん坊が母親に求めるような安全基地の役割を無限に求めてしまうこと」に対して、やっと対策しようと思うことができた。人を傷つけるだけ傷つけておいて何を、という感じだが、ここまで人を深く傷つけておいて、さすがにもうこんなことは止めたいと思った。
考えたことはいろいろあり、それはノートに書き出した。とにかく、子供の頃のように、なんでも紙のノートに書き出して、周囲の目に触れない場所で自分の感情を整理することだと思った。そして、どうしてもそれを外に向けて吐き出したい時、それはそのままの形ではなく、小説に詰めて書いていこうと改めて思った。本当はずっと前からそう思っていたはずなのに、近頃はもう、そのままの感情を自分用のTwitterに書き出していた。そういうところでも、「だれて」いたのだと思う。小説が書けないのを体調のせいにして、書くことで自分を救うということをさぼっていた。気持ちは紙のノートに書く。そのうえで、小説を書く努力をする。そうすることでしか私は生き延びていけないのだと思った。
友人に依存してしまう件に関しては、これはすっぱりと辞めるべきだと考える。たとえば、辛い時や、誰かにかまって欲しい時、つまり、精神がネガティブな方向に傾いている時、自分から連絡を取らない。そういう時に「友人(他者)」を頼らない。それは自分の問題であって、まず自分できちんと紙に書き出して、何が嫌で、何を改善したいのか考えてみる。安易にTwitterにメモを取らない。人に助けを求めない。もちろん、自分で考えた結果、これは人の意見を聞いた方がいいだとか、人に話を聞いてもらったほうがいいと判断した場合は、きちんと冷静になってから友人に連絡を取り、話を聞いてもらえるかどうか打診する。
友人との会話ややり取りの中で、深く傷ついてしまった場合があったとしても、その時に反射で発言したり行動したりすることは、我慢する。その時には一旦黙って、やはり紙や、自分しか見ないメモに気持ちを吐き出す。そうしてから、何を言いたいのか、聞いてほしいのか、きちんと整理して相手に伝える。その場で対応すべきことが起きたとしても、「度が過ぎたこと」をしないで、友人に試し行���をしてしまいそうになる自分を客観視して、我慢する。私は成長すると決めたのだから、どんなに心の中の赤ん坊が泣き叫んだとしても、その赤ん坊に従ってはいけない。
普段から、いろいろなことを我慢しすぎないというのも重要かもしれない。自分で勝手に嫌なことを我慢しておいて、それを盾にして、「私はこれだけ我慢してきたのに、なぜそんなことを言うの」というのは、ただの我儘だ。自分が我慢したことは、相手の要求でもなんでもなく、私が勝手にやったことで、そんなものを人質にするのは、まったくの見当違いだ。自分が「ここは我慢した方がいいな」と感じたのなら、我慢してその覚悟を最後まで通すべきだし、我慢したくないなと思ったのなら、「こういうふうに感じたんだけど、そういう言い方(やり方)をやめてもらうことはできるかな?」と、相手に冷静に伝えればいい。それが友人関係、信頼関係の構築だと思う。それができない相手ならば、私はたぶんその人のことを好きではないのだから、友人関係は解消すればいいだけの事だと思う。
いつでも、私だけが相手を好きなのだと思う。こう思うことも良くないとは思うのだが、相手の優しさに甘えて、つい連絡を取ってしまう。相手は優しいから連絡を返してくれる。しかし、送るのがいつも自分からなのであれば、それは一方通行な感情で、相手は私との関係を求めていないと認めなければならない。それがすごく辛いとしても、私に、相手にとっての魅力がないことがすべてで、そのこと(相性)はどうにもできない。
一人になる練習をする。1人で何かを行うことを習慣づけていく。1人でいても「平気」であることを、自分に覚えさせていく。勉強をする。小説を書く。家事をする。何かを見る、聴く。私のこの「一人が怖い」というのは、単なる寂しさのほかに、1人になると「発狂」しそうになるのが怖いという理由もある。でも実際には発狂しない。自意識が何重にも重なっていることが怖くて仕方ないが、それを感じたとしても、実際には発狂しない、と思う。ただ、小さい頃から時おり訪れるその感覚が怖くて、できるだけ1人にならないようにしているうちに、人への依存が強まっていった可能性がある。正直、今でも「発狂」するのかしないのかは、わからない。でも、しないことを信じて一人に慣れていかなければ、この先の成長はないと思う。自分の頭の中に、自分一人しかいないこと、そして同時に、何十人も自分がいること、このことは確かに自分の理解を超えた恐ろしいことだが、それで死ぬわけではない。死ななきゃ安い、というせりふは格好いいが、死ななくても頭が壊れることはある。自滅だ。だから、その思考に陥りそうになった時には、可及的速やかに「1人の頭に1人分」の思考に戻ってこれるようにする。自分の視界を、現実の自分の目とリンクさせる感覚で、体に「1人分」の意識だけでいっぱいになるように頑張る。他のことを考えて、「自分」のことを考えなければいい。そのためにも勉強や小説は有効だ。空想や妄想や思惟や黙考。そういえば瞑想というのは自分には難しいだろうなと思う。あれをやったら、どこかで間違えて、また「無限の自意識」と向き合うことになり、泡を吹いてそのまま死んでしまいそう。私の中にこんなに何百人、何千人も人がいるのが良くないと思う。一人でいいのにな。
できるだけ多くのことを、普段から忘れておくことだ。何かを考えてもろくなことは無い。だからインプットをしたりアウトプットをしたりして、気を紛らわす。この世はとにかく気を紛らわし続けて過ごすべき場所で、何かを考えたりなんかするもんじゃない。体を動かすことにもっと神経を使えばいいのかもしれない。じっとしているから思考が沈殿してくるのかもしれない。体を動かすというか、少し歩いたりするだけで、私はわりと元気になるので、体調が悪くなければ、歩いたり、部屋の中でも体操したりするのがいいかもしれない。今日は「とりあえずお湯沸かそう」という思考でじょじょに動けるようになった。
また長い日記になってしまったが、今日考えたことや決めたことは、なかなか重要な事だったと思う。こわがって何もしないでいること、少しずつでも体を動かして、空気を変えていきたい。
2023.10.10
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kennak · 1 year
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5W1H+Then状況説明 Who(誰が) 劣悪な家庭環境で精神の療養をしていた筆者が、 When(いつ) いちおうアラサーのとき、 Why(なぜ) 実家での療養に行き詰まりを覚え、命の危機すら感じたので、 Where(どこで) 実家から出て生活保護を受給し、一人暮らしをしながら療養することを決めた。 What(何を) その際、転居後、プロフェッショナルをはじめ可能な限り多くの人たちの支援をできるだけたくさん受けられるよう、 How(どのように) また、しんどいメンタルの中でもそれをスムーズに行えるよう、調査・相談・計画し、実行に移していった。 Then(どうなった) 結果、自分を支援してくれる医療福祉リソースの「最強デッキ」を作ることができ、次第に格段に心身の状態が良くなった。 前提条件 父はひどいコミュ障かつ恐らく結構なASD、母は統合失調感情障害かつ恐らくASD+ADHDであった。 筆者は家族とうまくコミュニケーションをとったりすることができず、家庭内別居というか引きこもり状態であった。 なぜやってよかったのか 一人暮らしを改めて始めたことで、自分自身への責任と自由が得られた。何にも遠慮しなくてよくなった。 心身の状態が格段に良くなった。QoLが上がった。未来はまだ見えないが暗いものではなくなった。 多くの専門の医療者福祉者友人たちなどの目があること、相談できること、頼れることで、孤独でなくなったほか、心身の状態を比較的よい状態に維持できるようになった。 やらなかったらどうなっていたか 筆者の心が壊れたり、筆者に何かあったときに親に頼ろうとしても応えてもらえず、同じ家の中なのに野垂れ死にしてしまう可能性があった。実際それを実感する出来事もあった。 転居し生活保護を受けても、「最強デッキ」がなければ、精神をより病んでいた可能性がかなり高い。生活保護での生活が安定するまで、��ても心身が辛かったことが証左である。 現在のように、少しずつよくなっていってるし、良くなっていけるだろうから、まずはそれでいい、という発想にも至らなかっただろう。 実際の流れ〜事前の検討 まず情報収集と検討を行った。市役所の福祉課に行き相談して、生活保護の制度について詳細に伺った。優しく丁寧に些細に教えてくれた。シェルターの利用も検討し、福祉課から紹介されたシェルターを運営する(全国的に有名な)NPOに伺い相談した。 また、地域包括支援センター(筆者のいた市の場合。一般的には相談支援事業所)に相談し、担当してくれたスタッフともよく相談し、通っていたカウンセラさんにもよく相談し、引越して生活保護を受給し始めたあと、「どんな医療体制・福祉サービス体制で、どんな生活が出来るだろうか」を幅広く検討・イメージし、洗い出した。 実際の流れ〜転居まで 筆者の場合は、引越し生活保護を受けるまでの資金として、父に「手切金のようなもの」を要求した。父は長い間計画の実現可能性を信じず応じなかったが、カウンセラさんを交えた気の長い説得と、市役所福祉課に一緒に来てもらって実現可能性などを確認したことで応諾した。 手切れ金の額は数ヶ月分の家賃や生活費用、家具などの初期費用、引越しにかかる費用などから算出した。 実際の流れ〜転居後したこと 転居先には、親しい友人がいたり、筆者が昔暮らしていて馴染んでいる土地で、都会を選んだ。 物件は転居する地域の生活保護の基準程度のものを選んだ。手切れ金の額は、選んだ物件の保証会社の保証に必要な金額を上回っており、無事転居できた。 転居して、まず、区役所と警察で住民票の閲覧制限をかけた。 次に区役所の福祉事務所への生活保護の相談をした。快く応じてくれた。何事も事前に相談ができるならそれに越したことはないし、相談しておけば差し迫ったときにもスムーズに話が進むものである(実際に生活保護の窓口では事前の相談を推奨している)。 そして、保健相談センター(保健所)の保健師さんと面会・相談し、今後のこと(医療サービス福祉サービスの利用)についてどんなサービスが利用できるか幅広く相談し検討し、利用の作戦を立てた。 各種サービスの利用には申請が必要とか確認が必要とか手続きが必要など色々あって複雑であったが、事情を知った有能な保健師さんが可能な限りの使えるサービスを教えてくれ、さまざまな関係機関との調整もしてくれた。 実際の流れ〜生活保護受給以降 数ヶ月して、資金が切れる見通しとなったので、生活保護の申請をした。書類上の審査のみで、DVがあったことから家族・親族に連絡もいかず、無事2週間程度で保護が決定した。 利用することになったサービスは、通常の精神科受診のほか、精神科看護のプロによる訪問看護、事情をわかってくれるヘルパー(家事(調理や清掃など)援助)であり、のちに入院や、入院した病院で、退院後も継続的に、保護費の医療扶助の範囲内でカウンセリングが受けられることになった。 そしてこれこそが筆者の心身をさまざまに支え、筆者が回復していくための「カード」(デッキ)であり、筆者の知る限りこの組み合わせが「最強」である。 現在 精神科の主治医、週に3回の訪問看護、週に1度のヘルパーさん(調理・清掃)、主治医とは別の精神科病院での保険診療内の心理カウンセリング、親しい友人たち、パートナーさんに支えられ、引き続き療養している。 以上のような「最強デッキ」に支えられ、少しずつ心身が回復していっている。転居し生活保護を受けしばらくまでは非常に精神が辛かったが、ここ数年で見違えるほど安定し楽になり、ときに就職に挑戦したりするようになった。今でもひどいうつなどで入退院を繰り返すなどしているが、精神的にはずいぶん楽になったのは間違いない。 今後の人生ももっとよくなっていくという確信が持てている。 備考 飽くまでこれはさまざまな条件に恵まれたケースであることであり、それが特記すべきことであることは否めない。 また、筆者が医療者福祉関係者の利用の仕方がうまいとか、出会った全てのスタッフが素晴らしいスタッフだということも特記すべきであるかもしれない。 しかしながら、制度自体は全国どこでも同じであり、原理的には全国どこでも似たようなデッキを組めるはずである。とはいえそれは理想論で現実にはそこまでうまくいかないことが多いことは容易に予測できる��、色んな人の話を聞いていると実際そうである。そのためにも、大きな都市でこれを試みることが極めて重要なのだと思う。 また、もっと色んな人の力を借りて、こうしていきたいと思ったり、プロフェッショナルに支えてもらいたいと考えることも肝要だと考える。 これはメンタルを病んでいる人がどのように医療資源・福祉資源を利用したらいいか、ということでもある。メンタルを病んでいるからこそ、医療福祉資源カードの最強デッキが必要なのである。 自分の場合はこうだとか、ここをもっと教えて欲しい、ここはどうしてるの、ここはどうしたらいいの、といった事柄があればコメントなどで教えて欲しいです。適宜更新します。 過去のまとめ このお話は、過去にTwitterでもつぶやきTogetterでもまとめています。 一方で、健エミュを知り、この体裁のほうがわかりやすいだろうということで、この投稿を作りました。 Togetterのまとめとこの投稿で重点を変えていますので、ご興味の方はこちらのまとめをご覧ください。 最後に ここまで読んでいただきありがとうございます。長々と難しいことを書きましたが、「できることをできる範囲で、できるかぎりやった」「自分自身のサポート体制を整えようとした」この2点が一番大きいです この記事を書くにあたって、健エミュDiscordサーバの方々から有用なアドバイスを頂きました。感謝します。 最強デッキを授ける前に、猫の日にお空へ旅立ってしまった友人に、この記事を捧げます。
毒親など辛いメンタルから逃げるには、自分自身を支援してくれる人たちの「最強デッキ」を組むとよい - 健常者エミュレータ事例集 カウンセリング
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ayaconakamura · 6 days
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以前本多孝好さんの作品「アフター・サイレンス」の新刊で装丁写真を提供させていただきましたが、この度氏の作品が文庫化してそのまま引き続き写真をつかっていただきました。内容の被害/加害の問題は近年になって(現実においては)ようやくフォーカスされてきた気もします。重めの題材で、ルポとかではないミステリーだからこそ考えたり接したりできることあるなとおもったりしました。一気読みな本でした。 ================= アフター・サイレンス 著者:本多 孝好 出版社 集英社 定価:1,870円(10%税込) 内容紹介 高階唯子(たかしな・ゆいこ)は警察から依頼され、事件被害者やその家族のカウンセリングを行っている。 彼女は様々な傷を抱えたクライエントと向かい合う。 夫を殺されたのに自分こそ罰を受けるべきだという妻。 誘拐犯をかばい嘘の証言をする少女。 心の傷から快復したはずなのに、姉を殺した加害者に復讐した少年…… 多くを語らないクライエントが抱える痛みと謎を解決するため、唯子は奔走する。 絶望の淵で、人は誰を想い、何を願うのか。そして長い沈黙の後に訪れる、小さいけれど確かな希望――。 80万部突破「MOMENT」シリーズ、ドラマ化で話題となった『dele』の著者が贈る、深く胸に響く物語。 プロフィール 本多 孝好 (ほんだ・たかよし) 1971年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業。94年「眠りの海」で第16回小説推理新人賞受賞。99年、受賞作を収録した短篇集『MISSING』で単行本デビューし、高い評価を得る。著書に『MOMENT』『WILL』『MEMORY』『正義のミカタ』『チェーン・ポイズン』『魔術師の視線』『君の隣に』、映画化された『真夜中の五分前』『at Home』『ストレイヤーズ・クロニクル ACT-1~3』などがある。 #装丁写真
編集済み · 4分前
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clubnowxyz · 3 months
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Shisha Ruhe - シーシャルーエ(宇都宮シーシャ)
シーシャルーエ(Shisha Ruhe)は、栃木県宇都宮市江野町に位置するシーシャカフェです。本場トルコやイランのパイプを使用し、フレーバーのカスタムが可能です。店内はドライフラワーで装飾され、季節ごとの花が飾られています。営業時間は月〜木が18:00-24:00、金が18:00-26:00、土が12:00-26:00です。 Shisha Ruhe – シーシャルーエ(宇都宮シーシャ) シーシャの本場であるトルコ、イランの本格的なパイプ使用して味の濃い煙を堪能できるシーシャカフェです! 丁寧なカウンセリングを行ってフレーバー選定をするので、初心者から上級者問わずお楽しみいただけます! また、店内にはドライフラワー装飾、フロア中央には季節のお花を飾ります。 何回でも吸いたくなるような煙、何度でも訪れたくなるようなお店を提供致します! Shisha Ruhe –…
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saintdesire · 4 months
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新規ノート
2024.05.27 月 午後 3:07 ・ 25分 31秒
こんばんは。豊島美穂です。収録している今日は5月23日木曜日です。
今日はですね、早速なんですけど、お便りを最初に読ませていただきたいと思います。前回読みきれなかったって言ったお便りですね。千葉県40代のスズメタカさんからです。これ、4月5日付けで、結構ね、立ってしまって申し訳ないんですけどとポットキャストを引っ越しだなんだという理由で休んでいた時にいただいたメッセージですね。
読みます。シマさん、こんにちは。お引越しお疲れ様です。そして、ご入学おめでとうございます。聖なる欲望。大場がない日々はなんだか物足りないです。過去、プレッシャーをかける意図ではないのですが、それくらい毎回楽しみにしております。過去と時。ありがとうございます。
更新のない間、以前にご紹介されていた雁須磨子さんのあした死ぬにはを読みました。自分と同世代の女性3人の悩みや葛藤や、体と心の変化が書かれていて、とても良かったです。そうですよね。もう中身をね、きっちり説明してくださってます。スズメダカさんが。
この作品を読み終えて、田島さんに伺えたらと思ったのですが、中年の危機のようなものを感じることってありますでしょうか。私はそのようなものをここ数年感じていて、出口のないモヤモヤに困惑しています。
20代の頃のように、これから仕事やライフステージにおいて全く新しい局面が訪れるとも思えず、けれど、このまま現状維持でなんとなくやり過ごすには、人生はまだまだ長いようにも思います。
自分が時間も心も傾けたいと思える何かを見つけた、いわばそれで社会的なリターンかお金や立場などがあればさらに良い、などと思ったりもしますが、ラセン時間というリソースを家族のために使わなければならない部分も多く、思うに任せず点々々まで、 トシさんの母や妻としてではない、個人の人生における目当てなどがありましたら、ぜひ可能な範囲で伺えたらと思っておりますしな質問で申し訳ありません。過去触れていただかなくても全く問題ありませんとまで書いてくださってます。
そして最後はこれからも番組を楽しみにしておりますという言葉で結ばれていました。スズメダカさん、どうもありがとうございました。すごい色々気遣いながらメッセージ送っていただいたんですけど、全然物と思わないです。私。個人的にはね。むしろなんか話していくテーマをくださってありがとうございます。という感じです。
今日はね、この中年の危機についてちょっと話してみたいんですよね。なんか今更ですけど、今回もガラガラ声ですいません。なんかここに来た急に声がガラガラす。中年の危機についてっていうかね、前回ちょっとこの中年の危機についてのお便りが来てるっていうことに触れたと思うんですけど、なんかそれで私、これを語れる立場にあんのかな。っていう疑問はその時点でお話しましたね。
確かね、私今42歳で、中年の危機。中年の危機か。っていう気持ちもあったり、カリスマコさんの明日死ぬにはっていう漫画に、もうまさにそういう転換点が描かれていて、あれって、あ、ま、言ってしまえば、中年の危機だったのかなっていう、主人公にとってね、
ていう感じもするんですけど、自分自身の経験から、すごい10年の危機の、こんな山があったよっていう話は、私はもう、最初に言っちゃうけど、出てはこないんですよね。
でも、なんか、このモヤモヤがあるっていうことについては、わかんない気もしなくもないので、ちょっとね、あと、結構、こういうことで、なんかこう、モヤっとしてる人っているのかな、多いのかなと思ったので、 ちょっと、今日はね、それを、テーマっていうほどでもないですけど、なんかちゃんと喋る気があんまりしないんですけど、こう、お喋りのネタにして喋ってみたいと思います。今日で第51回になります。それでは始めましょう。聖なる欲望ラジオ。
また前回の話で申し訳ないんですけど、つ独のさ遠い太鼓っていう村上春樹さんのエッセイがすごい分厚いエッセイの文庫が出てる。40歳ぐらいの転換点について書いてるという話をしたんですけど、残念ながらやっぱり このままでしたね。本当に日々の積み重ねみたいな本だからさ、すごい時間のある時に読まないとゆっくり読めないかな。
代わりと言ってはなんなんですけど、カイハさんの中年危機っていう本を、朝文法からで、でも元がすごい古い本なんですよね。なんか犯行法の本当に最初出たもんでか、カイは先生だし、1993年の本で、ちょっとキドでね、買って、前半3分の1ぐらい読んだ。
それはね、結構小説を題材に中年の危機を読み解いていくみたいな臨床の先生なんで、その臨床例っていうのをすごいたくさんさん、その心療内科で、カウンセリングにおいて、 こう、中年の危機っていう事例をたくさん見てるけど、自分は守秘義務があるんで、なんかね、そういうのちょっと変えたいして喋る人もいますけど、ちょっと話せないから、なんかちょ せっていうのを題材にして、河合は先生はなんかすごいさ、人物語好きじゃないですか。だからちょっと適当に撮ったみたいな感じゃなくても、ガチですみたいな感じで読み解いていくみたいなもんなんですよね。ちょっと読書案内にもなってて、結構
話っていうか、知らない本もいっぱい出てくるけど、あとちょっとね、13年の本だから、昔の作家さんが多いなとは思うけど、でも夏目漱石とか知ってる作家ももちろんいてさ、結構面白げな本ですよ。
何が言いたいかって言うと、そこになんかこう、概要、その中年の機器っていうものについてさくっと触れてるねところがあったんで、ちょっと読んでみますね。
心理学の中で中年を結構ユングが扱ってるそうなんですよね。で、ユングが言うには、中年において人間は大切な人生の転換点を経験すると考えるようになった。
彼は人生を前半と後半に分け、人生の前半が自我を確立し、社会的な地位を得て、結婚して子供を育てるなどの課題を成し遂げるための時期とするならば、今このように、一律じゃないですけど、ま、昔ですかね、ユグの時代だから、 そのような一般的な尺度によって自分を位置付けた後に、自分の本来的なものは何なのか、自分はどこから来てどこに行くのかという根源的な問いに答えを見出そうと努めることによって、来るべき詩をどのように受け入れるのかという課題に取り組むべきであると考えたのである。ちょっとま長い文章ですけど、ちょっとそのまま読みますね。
太陽が上昇から下降に向かうように、中年には展開点があるが、前述したような課題に取り組む姿勢を持つことにより、加工することによって上昇するという逆説を経験できる。
しかし、そのような大きい展開を経験するためには相当な危機を経なければならないというわけである。ま、もうちょっと後でもう1回。これからの人生は、一山型のカーブではなく、 双子型の山���軌跡を辿ることになり、1回目の山を止め、2回目の山に取りかかろうとするあたりが中年にあたると考えられる。これは河合先生自身の解釈なんですけど、そういうさ、人生の
山が、山が、昔は超、昔は1個あったけど、今2個あるよねっていう話で、その2個目の山を見るのが、見始めるのが、こう、我々。スズメタカさんも40代って書いてたので、我々ってくっちゃいますけど、我々40歳前後の人間だっていうことになるんでしょうかね。
ちょっとお便りに戻りたいと思うんですけど、トシさんに伺えたらと思ったのですが、中年の危機のようなものを感じることってありますでしょうか。そして、トシさんの母や妻としてではない、個人の人生における目当てなどがありましたら、可能な範囲で伺えたらと思っております。という風に書いてらっしゃるんですけど、
うん、このなんていうの。時間というリソースを家族のために使わなければならない部分も多く、思いに任せるっていうのはすごいわかるんですよね。
私はさ、結構自己中なんですけど、なんか子供産んでから夫になんでそんなに変わんないの。っていう風に何回も言われるんですけど、でも、それでもさ、やっぱ時間は使ってる。子供いない時期と同じようには全然過ごせないですよね。
なんかその中で、母や妻としてではない、個人の人生における目当て、これですね。私、正直焦んないみたいな感じを日々心がけてるんですよね。
なんか目当て。そういうわかりやすい目標とか、私は子育てしながらこれ頑張ってるみたいなことがあったらさ、あるに越したことないなってね、思うんですけど、本当、かっこいいってやつですよ。私はよく言う、そういう方がかっこいいなって思うっていう、そういう憧れの対象にはなってるけど、うん、自分がそれできるかって言ったら、多分、できない。
それは、その、体力的な問題とか、持病があったりとか、そういう話もあるし、あと、私の性格的にさ、すごい怠け者っていうか、本当、隙間を縫ってなんでも努力するみたいなさ、そういう、なんか、大きな志を持った人間
ていうか、大きな志が乗る乗り物になってない感じっていうか、そういうのを、さすがに、うん、悟ってきたと思ってんですよね、自分では。それ、世の中では諦めと言うのかもしんないけど。
だから、なんかこう、何かをしようっていうよりは、何かを、なんか今回は自分の人生ちゃんと立てていかないといけないみたいなことを、なるべく逆に思わないようにしてんですよ。
うん。でも、その考えが固まってきたなって思えば、結構最近なのだろうかっていう気もしますね。
なんか思うところがあって、私、その前やってたyoutube、そもそもこのポッドキャストは何かって言うと、そのyoutubeチャンネルの最初、なんか本を紹介するyoutubeになってって始めて、それが全然回んなくなってポッドキャストに移ってきて、なんか話題をもうちょっとさまにしたっていう経緯があるだけなんですけど、
その、youtube始めた頃って、やっぱそういう気負いがまだあったかなって思うんですよね。それを、なんか、この、なんか、さっきさ、その、youtube、自分の喋りを、なんかyoutuber無理でした、すいませんみたいなタイトルの動画を見るまで忘れてたんですけど、本当、マジで忘れてたんですけど、 それが、動画を2、3個アップした後に、もうすぐさ、体調崩して、めっちゃ色々、連鎖反応的に具合が悪くなって、全部直った、よかったっていうとこで、最後、骨折するっていう、
すごい、なんか、どうしようもないことがあって、カーミだって、うん、思った。あの辺までは、やっぱり、なんか、なんか頑張んなきゃっていう気持ちってあったと思うんです。
あれって2年前だから、子供の連中ですよね。その辺ってすごいさ。
うん、結構、こっからどっかで立て直していかないとっていう気持ちは、確かに思い出せてきたけど、あったような気がしてきましたね。うん。危機みたいな、さしてったものには感じなかったですけど、なんか、
何をやっているんだとまでは思わなかったですけど、自分にはもう、その、お母さんやりながら働くっていうね、今はかなりの人がちゃんと履きこなして、そのあと、私は絶対書けんって思うわって思う決断があって、選挙になってるから、なんかそこからさ、何をやっているんだとまでは思わないわけなんですけど、 でも、なんか副業的なものをやりたいなって思ったりとか。そうそう、本当、この年中組ぐらいのあって子供さん、なんか金が欲しいって思ってましたね。
金なんかの身も蓋もなく言うと、なんかすごい。あの子、お金欲しかったな。なんでだろう。うん、なんか本当、専業主婦の1番面白くないとこ、やっぱ稼げないっていうとこ。だから、
なんか頑張ってもお金が入ってくるわけじゃない。なんか自分で好きなもの買いたい。なんか頑張ったから、ごめん、今日、今日じゃない、今月8万円入ってきたよって、よっしゃ、あれかちょうみたいなさ。
なんかこんだけ頑張ったからこれ買おうっていう計算が何もできなくて、なんかあんまりお金のかからないように生活しようなんとか、でもあんまり我慢したくないから、折り合いつけてこうみたいな、なんかこう、いいところを探っていくみたいな、そういうのも
悪くない。悪くないけど、でもやっぱぱっと使いたい時あるから、なんとかもうちょっと、なんか副業みたいなやつないかなって思ってたんですよね。youtuberで。それまではいけないんじゃないかなってすでに思ってたから、別にそれですぐ投稿しようと思ったわけじゃないですけど。
でもそういう思いが、なんかどっちかっていうと、こう、無理しないようにしようっていう方に向いてきた。
でもそれってあんまり一般的に当てはまんないですよね。なんか無理が利く人の方が、私はもう早々に自分は無理が利かない顔だってわかって、
なんかそっちは胃の継ぎというか、むしろ自分のケアっていうかさ。なんかこれ、夫も聞くから、こんなこと言うの微妙なんですけど、結構自分を甘やかして生きていこうっていう風に決めて、なんかこう、今がグズグズでさ、グズグズでダラダラでもしょうがないっていう風に 思ったけど、なんか逆に、私と違うさ、体力のある人の方が、なんかそんなに簡単に割り切れないって感じがしますよね。なんか、その頑張りが効く人の方が、もうちょっと頑張んなきゃっていう、頑張んなきゃでもないか、そういう、その外側からのとまた違うんだもんね。
もう人一山欲しいなって思うっていうことですかね。うん。
ちょっとすいません。別の角度から喋ってみたいんですけど。私はそうやで。グズグズで過ごしてるけど、一方で、うん、��事やライフステージにおいて全く新しくなると思えば。っていう。
この文面を読んだ時に、なんかそうかなと。
私はさ、そうやってグズグズに生きてる割に、なんか新しいことって全然あるかもと思ってんですよね。でもこれ反対意見じゃないんで、ちょっと最後まで聞いていただきたいんですけど、なんか40代でみんな結構固まってると思ってんのかなっていう。
私はまだまだ何があるかわかんないと思って日々過ごしてるんですよね。それはもちろん外部からの何かが急に悪いこと含めてさ、なんかあって、自分の人生が想定外にあるかもしれないっていう、うん、例えばこう、かなりきついですけど、なんか事故とかにあってさ、体の機能を何か損なうようなことがあって、
今の自分と全然違う風にしか思い切れなくなったとかさ、そういうネガティブなことも起こりうるし、逆に、私は何も努力してないから、こう、新しく素敵な局面に、こう、ライフステージが上がっていくっていうことは絶対にないんだけど、それでも、なんかこう、趣味で始めたことがかなり楽しくて、かなりこう、楽しいの階段を上がっていくその ちとか、人の役に立つとかでは、多分上がっていかないかなって、もう思ってんだけど、でも、ちょっとずつさ、何か自分なりの楽しい階段は上がっていくかなって。
なんか、それがさあ、私はすごいスーパーミック坊主みたいな人間、すごい。前回相場の話したけど、もうやってないですからね。そう、あれ、本当に本当に3日ぐらい、相場面白いっつって思いましたね。
そんぐらいさいか坊主なんだけど、でもなんか楽しくて、続くことあるかもって思って、なんかこう、外側から見た自分が塗り替わることはもうないけど、内側から見た自分は塗り変わるかもしれないと思ってんですよ、日々
でも。でもですよ、まだまだ話終わりじゃないんですよ。だからこう、40って、私、全然固まったと思ってなくて、自分的には。なんか一方で、よくこのお便りを、スズメタカさんのお便りを読み返してみるとさ、なんか私も、でも固まってないと思ってる自分も、ある種の方にはまってんなと思ったんですよ。
方が新しいこと始まらないと思ってるっていうお便りに、新しいことはきっといつもあるんじゃない。っていう私が、なんかこう、反対の立場にいるように見えるけども、本当は私はさ、そういう3日坊主を繰り返すっていうサイクルにはまってる。
なんか新しいことをさ、初めてはすぐやめるパターンが身についちゃってんですよ。多分ね、自分。自分が楽しけりゃいいやっていうパターンにはまってんですよ さ、スズメナカさんは、そうやって周りからのその地位とか、お金もついてくるといいなって思ってることは、持ってるってことは、周りに貢献する気持ちがおそらくあるんですよね。直接書いてないですけど、社会の役に立ちたいとか、わざわざ書いてないけど、当然なんか前提として、そういうのに付随してお金はついてくるからさ、そういう風に多分お考えなんだなって私は勝手に思ったんですけど、違ったらすいません。
一方でさ、私は何も積み重ねたり、人のために、人のために続けるっていうのをさ、してないわけですよ。なんかいつもいつも私繰り返してねっていうさ。
ここでポッドキャストでさ、趣味の話よくしてるじゃないですか。今これ楽しい。みたいな。これ楽しいんだよね。今キャハハみたいな感じで喋ってさ、喋ってすぐ忘れてるっていう。また次の楽しいこととかして、きゃははってなってるっていう。なんなんだこれ。と思って、 あれ、私ってなんかもう完全その方にハマってるわって気づいて、ちょっとぞっとしたんですよね。
スズメタカさんみたいな人はこう、ちゃんとライフステージがこの後変わると思えないって言ってるっていうのは、ちゃんと積み重ねてく人の発想なんですよね。それ、多分私は自分の趣味でさ、自分ができる範囲で、自分だけの力で、 もう通りがでかくなったぐらいのこう方みたいなのをさ、そでシュシュシュって編んでさ、そんで新しい海だわつってそこに飛び込んで、バシバシャつって、すぐ転覆して、サブって書いて転覆して、あ、無理だったわって帰ってきて、まだ新しい海だって。それずっとやってるだけで、もうなんかスズメタカさんみたいな人は、こう、コツコツと船をさ、ちょっとこの海に出よう。風はどうやって行くんだ。
ちょっとこの調査をして、こういう船が適している、よし、じゃあこの船を1から組み立てていこうじゃないかって。この材料はよそから持ってこなきゃいけないとかさ、そういうことをして、しっかりして船を作って出ていく。だから、そういうことは容易ではないですよ。確かに。だから、なんか簡単に次の場所に行けないって思うのかもしれないなって。
なんかそういうのをすごい読んだ。読んだんじゃない。そ、勝手にこの3つのお便りから色々考えちゃったんですよね。
うん。でもなんかそれに、自分がその型にはまってるっていうことに気づいてなお、なんか私はちょっと1回かってなったけど、でも本当にショックじゃなかったんですよね。そうかっていう。
40ともなれば、やっぱりそういうパターンっていうのは出てきてる。なかなか変わるものでもないっていうか。さっきのカイ先生の話だと、本質本みたいなこと言ってなかったですか。
自分の本来的なものは何なのか、自分はどこから来てどこに行くのかという根源的な問いに答えを見出そうと努めることによって、死をどう受け入れるのかみたいなことは書いてましたけど、うん、そこまで残ってると、だんだん自分の本来的なものっていうのに
近づいてきてるとも言えんのかなと思って、うん、私はこういうさ、なんか 役に立たないっていうか、こう、何もなさない人生においての、うん、意味みたいなのを、若干考える時があるんですよね。うん、なんか、やっぱ、それがダメなことじゃない。そういうの、言い方で、転覆して、 3日歴史に戻ってきてても、自分が楽しければ万々歳だなっていうところと、
なんか、それは、私は、一山目がそういう課題だったんですよね、多分、課題っていうか、自分にとっての一山目での学習が、やっぱりこう、私だって、前は船を立てようとしていたけど、なんか、 当たらないわけじゃないけど、それをやるのに、こう、結構無理していたというか、 うん、なんか、結果を出さなければとか、ちゃんとしなきゃみたいなプレッシャーがすごくて、でも、そっからこう、自由になるっていうか、それはやんなくてよかったなっていうのが、一山目での学習だったから、
山は今んとこないというか、学習の結果によってののんと生きてるっていう感じになってるんですよね。何が言いたいかわかんなくなってきたんですけど、すいません。
私はですけど、多分、ある程度の人生に対する本来的な役割、 自分がこうあればいいっていうのは、もうある程度決めてるっていうことが1つと、もう自分が楽しいのが、
なんかそれ以上求めても無理かなっていうね、そういう諦めなのかな。違うような気もするんだけどな。私はとにかく楽しければいいやっていうことが1個と、20代の若者ももっともっと浅はかだよね。重大レベルのこと言ってると思うんですけど、そういう楽しみが1個の目的だっていう 最終結論と、あともう1個言っても絶対先がわかんないなっていう。その 自分の人生を10パーセント自分で選べるわけじゃない、自分では察することもできない、どうしようもない流れみたいなのがあるから、今どう思ってても、どんだけ固定されてると思っても、まさかではないっていう。
その2つがあるから、あんまり結果として、中年に対する不安感みたいなものは今はあんまりないのかもしんないですね。
それも、でも、あがいてみたかったけどね。そのyoutuberとしてやっていこうみたいなことを、一応、一応あの時ちょっとでもやってみたから思うのかもしんないですね。
なんか本当回答になってない回答ですいません。スズメナカさんのお互い本当に話題のね、なんかこう、きっかけにして色々勝手に喋ってしまったなっていう感じで、あんまり質問にすっきり答えたなと思ってないんですけど。すいません。
うん。なんかもうちょっと喋りたいことあったような気がするんだけどな。今日を改めてまた喋っております。5月25日土曜日になってます。
結構前の話をつぎはぎして編集して、なんとか形にして、何回も聞いたりしたんですけどね。本当に今回はまとまってなくてごめんなさい。
これですね、夫の話とか足して、あとなんか自分が喋ったこととか、本で読んだこと、無理やりこう、きゅきゅっとまとめて、話をまとめようかなって思ってたんですけど、聞き返してるうちに、なんかそういう風に無理まとめない方がいいかなと思い始めて。
私のさっきの話って、結局もう中年の危機の中年をさ、縁をくるくる回っているだけで、あまり入ってってない当事者感がなかったなと思って。でもそこが今の自分の把握してる部分だなっていう風に思ったので、ここまでにしようかなと思います。スズメナカさんは、今はもうモヤモヤしてらっしゃるのかな。
うん。なんか今話してみて、ぼわってだんだん思ってきたのは、やっぱりみんな何かしら納得感が欲しいんじゃないのかなっていう、自分が自分であることを納得感。
なんか、若い時も、そういうのって欲しいような気がしてたけど、それって、もうちょっと手前の、浅いってわけじゃないけど、
それこそ、うん、許容されたいというか、周りからも存在を許されたいし、その、社会的な意味でも、プライベートでもね、 し、なんか、自分、でも、なんか、もっともっと手前の、思春期の時とかって、こう、すごい自分に不満をぽんぽんって爆発させながら生きてるわけだから、その不満がなんとか片付くとこまで行くみたいな、なんか、それが、20代のさ、1つの山かなって私は振り返ると思ってて、この2つ目の山っていうのは、もうちょっと
自分で良かったなっていうとこまで結構行かなきゃいけないのかな、行かなきゃいけないってこともないけど、行きたくてモヤモヤするのかなっていう風に思ったんですよね。だから私もこの先まだあるかもしない42でさ、まだなのかもしれないです ね。今の納得ではやっぱりダメだって、自分が楽しいだけじゃ生きていけないわみたいな感じでやっていくのかもしれないなっていう風にね、もう1回、もう1回じゃない、3回ぐらい聞いて思ったりしましたね。ちょっと中途半端な感じで終わっちゃって申し訳ないんですけど、 そういう、うん、自分であることの納得みたいなことにね。最近近い読書をしたので、その本を紹介して終わりたいと思います。
柴崎智子さんのあらゆることは今起こるっていう、これ新刊ですね、結構出た。ペアやぽや、5月15日間ですね、医学所っていうとこが出てる部屋を開くっていうシリーズがあるんですよ。
部屋を開くがひらがなね。医学書院って、その名の通り医学系の専門出版社なんですけど、 このケアを開くっていうシリーズは単行本でみんな2000円台ぐらいの、結構ね、ソフトカバーだけど、がっしりした作りの厚めの単行本で、いろんな人が書いてるんだけど、
なんていうの。そのシリーズ名の通り、ケアする側の、なんていうのかな、テキストじゃないけど、そういうものも若干あるみたいですけど、近年割と、 うん、ケアが必要な人、必要な人って言い方もあるかな。一般的に誰かの助けをかいた助けを買いたいって言うよりも、その人のために社会が変わった方がいい。
なんか、そのままではフィット感のない人たちの当事者の声みたいなのを届ける本も結構出してて、ご存じの方もいらっしゃると思うんですけど、毎回、多分それなりに売れてるっていうか、話題になっているんですよね。私もね、ここまで3冊、
何十冊も出てるうちのですけど、3冊ほど読んでて、今回シバサキさんがそこからセ出すっていうの、どっかで見て買ったんですよね。その本の端的なことを書いたシバサキさんの文章があるので、ちょっと読みますね。
ここで書くことは、私がadhdと呼ばれる脳の特性があるとの診断を通じて、捉えたり考えたりした、私自身の感覚だったり認識だったり、今までの経験です。本当にこのadhdのものとしての感覚とか認識とか、認識とか経験っていう、 そう割と系統だった話じゃなくて、結構ふわっとした作りのエッセイの本なんですよね。シバサキさんはadhdの特性があって、さらにはaの傾向もあって、両方持ってる、
そういう診断を受けて、服役をしたりして、そういう日々と、なんかそれまでの経験もいろんなこと含めて、1冊分、結構本当ボリュームあるんですけど、このボリュームの中で、こう、ふんわり本当に行ったり来たりしてるみたいなエッセー集だったんですよね。
シバサキさんはその診断を受けたのは2021年の9月って書いてらしたと思うんですけど、私はもうちょっと後の時期に 検査を受けて、asdの傾向がある、なんかそういう、限りなく白に近い売れみたいなふうに先生に言われて、いつも行ってる病院だけとかで、なんかこう、特別にそのために検査の病院に行ったとかじゃないんですけど、そういう風に言われて、
だから、めっちゃ、なんで、なんでその検査を受けることになったかっていうと、あまりにも人と比べて価値ができなさすぎっていう問題が1つと、あとは、友達ができなさすぎるっていう、なかなか、なんていうのかな、なんか自分以外の人はみんなこう、 なんか鈴虫とかさ、蛍みたいに、何かでこう共鳴し合って、ファーファンファンてなって友達になってるのに、自分だけそれついてないんじゃないかなみたいな、違う生き物かな。みたいな風に感じる時があって。うん、 でも同じ特性。なんか本とか読んで、多分私っぽいなって思ったんでしょうね。あんまり覚えてないけど。その流れの順番をさ。
でも何かこう、社会的に確定診断が欲しかったわけじゃなくて、その家事の敵なさについて家族に分かってもらうっていうことが1つと、あと、当事者会みたいのに行きたかったんですよね。
なぜなら、友達が欲しいかとも。なんかそこに行くと、私も今まで周りの人たちがやってると思ってたみたいに、こう、ふわふわんわんってなって、こうさ、なんか信号送るやつ、友達になったらいいのかなと思ってなか、それは極端に、今言いましたけど、そういう共鳴現象みたいなのが起こって、友人ができるかもしれんと思って、
そのためだけに受けた検査だから、あんまり、なんていうのかな、このシマザキさんの体験談を読むと、なんかここまで深いテストじゃなかったなっていうのもね、かなりぼかして書いてますけど、それは思って、 ま、だから、そんなにしっかりした確定診断ではなかったかもしれないですけど、一応、知能検査みたいな、人通り受けてま、すごい人と比べて、その単純作業の能力がめっちゃ劣ってるみたいな結果が出て、そのiqみたいにさ、普通の数値が0のとこ、87みたいな数字で、 iqだったら、85からしたら評価機能って言われるから、もうほぼほぼそういう線の単純作業能力しかないっていうことがわかって。
だからといって、なんか共鳴、共鳴しないみたいな風に。そこでね、言われるわけじゃないけど、テストの結果として、なんかでもその診断を、診断ってほどでもないけど、そういう先生の言葉を受けて、よし、これで当社会に行けるぜ。と思って。でも調べたらコロナ中であんまやってなかったんですよね。
中は全然開かれなかったし。それで、その後、いけねえやってなって、グズグズになって、わたなんか何も生かすところなく終わってしまったんですけどね。友達もさ、やっぱ同じ幼稚園で過ごすうちに、徐々に徐々にこう、
素早い共鳴はしなかったけど、だんだん人のことが分かってきて、みたいな風になって、なんとなく問題が流れてったみたいな感じだけど、なんかやっぱ自分の中で経験をさ、振り返って、ああ、こういう傾向があるからあんなことがあったんだなとか、やっぱりこの共鳴しなさみたいなのも、もうしょうがないんだなっていう風に 思ってたんですよ。最近ね、最近っていうか、その2年前の秋ぐらいから。ちょうどこのポッドキャストのスタートの時ですね。でもそれはなんていうのか、
あくまで自分がその目的を持って受けたもので、別に人に言いたいわけでもないし、なんか親にも言いづらいなって。正直結構言いづらいなと思って言ってなかったし、今初めて多分親聞いてあ、そう、そうなの。ってなってると思うんですけど、なんかそういう興味もあって、このシバサキさんのあらゆることは今こ呼んだんですよね。
それで、やっぱりさ、結構ふわっとした作りの本だから、こういうとこめっちゃ一緒とか、ここ全然違うなとか、いろんなことを思いながらさ、割と普通に淡々と読んでいって、ふってページを閉じたんですけど、
ただのあるもんじゃないですよ、かなり。やっぱり医学書にから出てるだけあって、なんかプラス、やっぱシバサキさんがちゃんとしたご配慮のある人だからさ、なんか本当に書く間、なんていうのかな、決め付けみたいなことしないように、こういうのの特性があって、こういう困り事があるんですっていう断定的な書き方じゃなくて、 その因果関係もふわっとしてるままっていうか、もう本当にいろんなことが人によるんだよっていうことを、なんでも断りながら断りながら、自分でも迷ってるっていう風に、書きながら、語ってってくれるんですけど、
なんか、そういう風に、何かはっきりしたメッセージがこの本にあるわけじゃないにも関わらず、なんか、読んだと3日ぐらいしてからさ、すごい 不安とした気持ちにな��てきたんだよね。不安とした気持ち、なんていうのかな、その、脳の特性によって、うん、困ること。実際、そういう泊まりができにくいとか、私の場合はね、 なんとなく、あんまり、共鳴してる人と、人間と、共鳴してる感情があんまりないとか、そういうのがあるんだけど、なんかそれだけじゃなくて、本当に、なんか絶対いいこともあるはずっていう、なんていうのかな、本当、シバサキさんも書いてはいたんですけど、この社会の中で
そういう困り事とかは発生してるけど、別にね、なんかそういう、困るためにいるわけじゃないっていうか、なんか絶対いいことあると思うんですよ、 なんかそういうのね、なんか個人的にちょっと思ったりしてたけど、この本読んだことで、余計さ、なんかこう、勝手に確信を深めてるっていうか、勇気、勇気づけられたって、なんかすごい。なんかベタっとして、言葉であんまり使いたくないんですけど、なんか頼もしい感じがしてきて、
うん、さっきの私の話もね、前半で喋ったのもなん。なんでこの人こんなやる気ないの。とか、なんか私の仕事人生、前半の仕事を見てくれた人もきっとたくさん聞いてると思うから、なんかマジで仕事やる気ないのこの人。みたいなので、ドン引きした人もいるかもしれないんですけど、ちょっとそういうね、人には申し訳ないなっていう感じはするんですけど、 なんかやっぱ、そういう特性のこともあって、一般的な意味での、こう、頑張るとか、仕事を頑張る、なんか使命を持つみたいなの、 こう、みんなと同じになるっていう意味合いではやんなくていいんじゃないかなっていう風にさ、最近は思うようになってたんですよね。何が言いたいんだっけ。
とにかく、このシバサキさんの本読んでより、本当、うん、まだなんかあるはずって、なんか、なんかいいことあるはずっていう風に思ったんですよ。
正直、前半で紹介したカイは先生の本よりこっちおすすめです。なんかもうちょっと読み進めたら、結構退屈になってきちゃってね。前半で面白げな本ですって紹介したけど、なんか中盤割となんか眠いなみたいな感じになっちゃったから、 この進化の方がね、やっぱり興味ある方、ぜひ買ってみてください。別にそういう特性とかない人でも、あの人はへーみたいな、え。まじで。みたいな感じなのかな。
でも、何かしらさ、本当にペタっと平均の人っているわけじゃないからね。なんか私から見ると、こう、すごいどうしても自分と自分じゃないものに分けがちと思う。
何か劣ってる自分と、なんかみんなうまくやれてるみんなっていう風に負けがちだけど、そうじゃないんだもんね。なんか、なんかしら、やっぱみんな困ってることとかちょっとあるよねっていう感じ。だから、気になる人はぜひ読んでくださいと思います。
最後になりましたけども、お便りくださったスズメタカさん、どうもありがとうございました。本当に今までの中で1番ぐらいむにゃむにゃな回答で申し訳ありません。どうかね、なんかあんまり焦らず、いつも私、人に焦らずって言っちゃうんですけど、ゆっくりね、人生の山を登っていっていただければと思います。
ここでね、いつもでしたらお便りコーナー行くんですけど、今週はお便りいただいておりませんので。そして曲紹介コーナーもね。曲が紹介できなくなっちゃったから、ここでお別れみたいな感じにしよっかな と思いつつ。でも本当はね、今週すごいこのテーマでかけたい曲あったんですよ、私。回答はむにゃむにゃだけど、もういっそ曲で締めくくろうかなみたいな曲があって。それはカーネーションっていうバンドのリアルマンなんですよね。99年のシングルで、 ちょっともう曲紹介コーナー入ります。ミュージックプラストーク機能がなくなってるのに曲紹介だけするので、ちょっと雑談。お付き合いいただける方はよろしくお願いします。
これでも私、その、リアルタイムで聞いたわけじゃないんですよ。正直99年にこの曲聞いた覚え全然なくて。どこで出会ったかって言うと、私、中村貴子さんのミュージックスクエアスジだっていう話をこの番組の序盤では結構度々してたかと思うんですけど、2011年にこの番組、リスナーによるリナーのためのdjイベントがその時あったんですよね。
岡山でなんですけど、たかちゃんライト、その名もタカちゃんナイトっていう、たかちゃんがミュージックスケアしてた時の曲を流してもみんなで踊るみたいなさ、すんごい楽しみなイベントがあって。私、明日から春まで行ったんですよね。その時、岡山まで
だからさ、何もしてない時だから。2011年2月。それでその時に懐かしい曲がさ、たくさん流れてさ、めっちゃ楽しかったけど、この曲だけ知らなくって、正直自分の中ではもうほぼ新曲みたいな感じで聞いたんですよ。
でもその時のさ、高揚感とか、今こう何年か、1、2年田舎で何もせず過ごして、でもなんかそろそろ動き出そうかなっていう辺りの高揚感。なんかこう、パッと行くのに、こう、離陸にふさわしい曲だったんですよね。すごく もうそういうのて、でも頭で考えないで、もう、ぱって体に落ちてくるじゃないですか。これだ。っていう、
もう帰ってすぐさ、曲を買って、そのitでさ、ぴぴってすぐ買えるからさ、それがずっと自分の中でお守りみたいにしてる曲なんですよね。これ、あれだわ、今wikipediaをじっと見て気付いたけど、メンバーのナエさんがその作詞、作曲のナオエさんが40歳の時の曲ですね。なんか今ふっとさ、中年関係あるかなこれ。と思って。
そうですね、なんか20代の終わりに聞いてすごい響いたけど、なんか今も響き続けるっていうか。アルマン、リアルマンっていう自分の外側の人間がいて、
外側、今の自分と一体ではないけど、それはリアルマンは自分なんですよね。なんか、なんていうのかな、そうやって今の自分に納得するっていう話と非常に似てるかなって思うんですよ。外側にあるって言っても、なんか違うものになる。返信をするっていうのとはやっぱ別の話だと思うんです。
外にいるけど中にいるみたいなさ。なんかなんかすごい。感覚的にはすごい。言いたいんだけど言葉にできない。言語化ができない。でもこの曲を聞けばきっとみんな納得するだろうっていうぐらい、なんかすごい曲なんですよね。
うん。リアルマンがまだ一体化してないけど、自分と。でも欠乏感のない曲なんですよ。何かが今の自分から欠けているっていうとこなしに、 なんていうのかな、むしろこう、ピーンとさ、繋がってるっていうかさ、そうと感覚的な言葉しか出てこない。本当にね、充足感に溢れてんですよ。なんかまだ目覚めてない何かだけど、でも絶対いるなっていう確信。より良き自分みたいなものがね。
そういう歌なんですよ。ちょっとぜひspotifyとかで聞いてみていただければと思います。spotify初めね、いろんなとこでね、皆さん自分の耳にしやすい配信ツールで聞いてもらったら、
結構気に入る人もいるんじゃないかなと勝手に思っております。本当に人聞き惚れだったからさ。そういうことってそんなにはないですよね。そのさあ、元々すごい親しみのあるバンドで、なんか今回の曲すげえいいじゃん。みたいなのも違う話なので。本当 ね、別にカーネーションのこと知らなかったわけじゃないけど、すごい1曲をパシッと意識するてこと、それまで正直なかったのにも関わらず、これはパンって来たから、本当に名曲だと思っております。
なんかあれ作りたいな。spotifyのリスト作りたいですね。今までもさ、実は密かに欲望ラジオ紹介曲っていうタイトルで紹介した曲をね、1か所にまとめてるんですよ。それ私の実は便宜的な理由でまとめてんですけど、そこに勝手に足していこうかな。なんか50回かも。その、作っちゃおうかな。そんな風に考えております。
じゃあ今回はこの辺にしましょうか。皆さん、長い間お付き合いくださりありがとうございました。いや、なんか何もさ、自分がこれからやんなきゃいけないことはないみたいで。さっき喋っゃったかもしれないけど、このポッドキャストは割とその、楽しいもの、だんだん楽しい階段を上がっていくつもりで続いているものではあるので、今後もお付き合いいただけましたら幸いです。
じゃあ、今回も最後まで聞いてくださり本当にありがとうございました。じゃあね、だんだん暑くなってきますし、あれが出てきたかが最近出てますので、皆さん外出の際は無視よけおやれなく。
じゃあ、どうもお付き合いありがとうございました。じゃあまたお耳にかかりましょう。もしくはおやすみなさい。トシまミほでした。
clovanote.line.me
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mode8jp · 5 months
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-新規投稿! 【【対比】SNSと昭和 ~平成を駆け抜ける~】 【対比】SNSと昭和 ~平成を駆け抜ける~   「バズる」いつからか、Webに注力する多くの人たちが使う用語になりました。 登録者数と再生回数で、人様のお財布を予測する時代になり、一攫千金=1度バズれば全て良し…、という風潮は違和感しか残りません。 シンプルに投稿を楽しむために構築されたSNSの殆どは、現在「広告」という言葉を使い、収益化につながるサービスを始めてしまいました。 Facebook、Instagram、Pinterest、残念なことにほぼ全てのSNSで有料の広告関連のサービスに力を入れています。 本来の目的から離れつつあるSNSですが、ここ10年間で斬新で画期的なサービスは生まれていません。 生まれても、消えてしまっています。(例:Clubhouse) 世界では(もっともアメリカですが…)、PostやBlueskyなど、「次世代のSNS」と言われていますが、日本では「よほどのインパクトがない限り」なかなか浸透しません。 その逆パターンの最も良い例は、mixiです。 日本では、インスタとLINEがビジネスの両輪になっていますが、拡散・発信・リーチ(到達)・対話の4つの視点でみると確実にX(旧Twitter)が断トツです。 インスタは、時間と共に若年層に「読むより、直観で脳裏に残るもの」として愛されてきました。 その後、Youtubeの爆発力に煽られるように、TikTokからFacebookのストーリー、インスタのリールといった「ショート動画」が流行しました。 これもよく考えてみる��、TVの広告が15秒からの流れで、「いかに短時間で洗脳するのか」に焦点が集まり始めました。   で、これらのSNSはどうよ?前提には…、① 不特定多数に観てもらう② その中から、「いいね」をもらう③ その中から、興味をもってもらう④ その中から、別の媒体をチェックしてもらうまさに、AIDCAモデルの流れで、ファンを増やしていくべきだと思います。 その最も重要とされているのが、最初の【A】=Attention(注意)です。 注意をひくために、人を惹きつける画像を「注目画像」に選び、タイトルを埋め込み【I】=Interest(関心)を持たせようとします。 しかしここまでしても、その後の結果につながらないことが殆どです。 なぜか? 多くの同業者はその原因を顧客に直接言わず、「自分たちのモノを売ろう」とします。 原因は、「そのWebサイトに、訪問者が本当に見たいという質の高い内容がない」のです。 (確か)2018年頃から実際に稼働し始めたGoogleの「質量を重視した検索ランキング」によって、それまでよく見受けられた「検索にひっかかりやすいように、やたら文字列を羅列するか、ページ内に非表示で埋め込む」ことはなくなりました。 そこで多くのWeb業者は、「SEO対策」「Webマーケティング」といったツールを売り始めました。 「どこの業者が本物なのか」は割愛しますが、その多くは「アクセスさえ伸びれば良い」で提供しているため、自分たちのノウハウだけを提供することに注力して「その後」や「中身」は考えていません。 「いえいえ、考えていますよ。」…「弊社のシステムを使い続ければ、常にランキングでは上位につけます。」と…。 こんな面倒な話よりも、SNSは「コミュニティ」というくくりで利用者にサービスを提供しているため、検索サイトでの検索結果ではあまり反映されないのが現状です。   …とすれば、SNSをどう生かすべきなのか。(やっと本題ですね。) 例として、「一人のアイドル」が皆様(会社やグループ)だとします。 さて、このアイドルをどう「人気にしていくのか」ですね。 モーハチでは、令和(REIWA)の時代のSNSを、昭和(SHOWA)に置き換えると以下のように位置づけます。  ポン① 新聞      => ブログ② テレビ     => YouTube③ ファンクラブ  => Facebook④ ファン通信   => LINE⑤ ライブハウス  => Instagram⑥ タブロイド雑誌 => X(旧ツイッター)   今では、各種SNSで直接やり取りが可能なので、かなり開放的ですね。 これら全てに一人ないしは数名で対応するのは非常に困難ですが、ユーザーは「自分の好みのSNSでチェックしたい」ので、全てに対応しなければなりません。 上記のように置き換えて考えると…、やはりファンを増やしやすい「ライブハウス=インスタ」が日本人にとっては手軽だった…と言えます。 モーハチでは、インスタグラムは「昔はめちゃくちゃ良かったけど、でも今は非常に使い勝手の悪いツール」と位置付けています。 理由は、簡単です。  インスタグラムからの先に進めない。=記事内のリンク付けが× 複数の画像で惹きつけようとするが、結局ユーザーは別のツールで探さないといけない。 ユーザーがあげた画像の権利が、いまいち明確ではない =ジャイアン化?つまり、本当のファンでないと、伝える側が受け取ってほしい本当の真意にたどり着くまでに、かなりの距離感が生まれる…ということです。 海外のエンジニアやプログラマーの中でも、「お客様が望めばインスタは連携するが、短方向で使い勝手が悪いのであまり触れない」という方が圧倒的に多いです。 このようなことから、インスタグラムやLINEは、限られた業種=直接的マーケティングが強い業種(美容関係、レストラン、サロンなど)ではある一定の結果を残せますが、ツールとしては他に比べて「費用対効果」が低いと判定しました。 またインスタが流行した時の若年層の世代が年齢を重ね、選ぶツールが徐々に変化しつつあると言われています。 それよりも、上記に挙げていないPinterestは拡張性や情報量などインスタグラムよりはるかに将来性の高いツールとモーハチは捉えています。 モーハチでは、皆様の業種や目標、製品・サービスをお聞きして、各種SNSでの活用についてしっかりカウンセリングします! 皆様のWebライフが、より美しいものになることを願って…。 ##シーフー #昭和と令和 #色々仕組みは変わったね #伝えたい気持ちは同じ #インスタは良かった    #Mode8 #mode8jp 元記事:コチラ #Mode8 #mode8jp #インスタは良かった #モーハチ #伝えたい気持ちは同じ #色々仕組みは変わったね
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tomoyoshi-abe · 5 months
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訪問カウンセリング
訪問カウンセリングは、ご相談者様のご自宅やお仕事先に近い喫茶店やレンタルルームなど、ご指定場所にお伺いして、カウンセリングを行います。 ご自宅から身体的・精神的な理由によって表に出られない方、忙しく移動のお時間を費やせない方、 または、小さなお子様いるので自宅に来てほしいなど、様々な状況・環境にご対応可能です。 日頃からご自分が知っている環境でカウンセリングを受けることは、精神的に落ち着いてリラックスでき、より効果的なカウンセリングが期待できます。 カウンセリングメニュー お一人様 90分 ¥ 11,000ー(学生様 ¥ 8,800ー) お二人様(カップル・親子など) 120分 ¥ 16,500ー 博多区、中央区、南区は、交通費無料。(左記以外の地区は、別途交通費を申し受けいたします。) 最後までお読みいただき、ありがとうございます。 皆様にとって未来が、健やかで輝かしいものであります…
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tanakaeri · 1 year
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そわそわして整理できない気持ちin名古屋こころのケア
季節は秋に近づいていると言いますが、太陽の日差しに負けそうな週末ですね。 季節の変化とともに、こころや身体の変化を感じらえていますか?ご自身にアンテナを向けてあげてくださいね。色々事情がありますし、乗り越えなくてはならないと感じることもあるかと思います。 自己選択そして自己実現を、自分以外の第三者にゆだねてしまう事のないようにして下さいね。 誰かの意見は、その人が置かれた状況や立場での意見であり、あなたの意見ではないです。 ただ、心配していくれている気持ちは、感謝の気持ちで受け取って下さい。 あなたはあなたしか存在していないから。あなたの気持ちが晴れるように、考えること、行動すること、アドバイスもチャレンジすることはすすめしますが、その方法がご自身に合っているかどうかは、行動してみないとわからないことがあります。 行動してみると、感じられることが多いです。行動する気力がない場…
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takeuchiyoshihiro · 2 years
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初回以降のカウンセリングについて 当相談室では、初めてカウンセリングを受けていただいた方に関して、継続のご要望をされる方以外では、基本的に次回のカウンセリングのお約束をできるだけしないように心がけています(必要と感じたご状態の際はもちろんお伝えいたします)それは、人によっては一回のご相談でもご状況が改善をされる可能性があるからです。 その方によって異なりますが、目安としては初回カウンセリング後に、一週間から二週間ほどご自身の心の状況をお確かめいただくことを目安にしていただければ幸いです。(但し、過度な我慢は不要です)少しでも改善が見える状況がございましたら、もう少しご様子を見ていただければと思いますが、もし、ご不安が募るようでしたら、ご御遠慮なく再度ご連絡いただければ幸いです。ご相談の上その後のプロセス(改善方針)を一緒に決めていきたいと思います。 カウンセリングには、様々な手法・技法がございますので、前回とは全く異なったカウンセリング方法でセッションをさせていただいたり、ワーク形式のセッション等の様々なアプローチから検討させていただきます。 そして、当相談室には様々なカウンセラーが控えておりますので、ご状況によって他のカウンセラーとのセッションをお勧めさせていただく場合もありますし、ご希望によってカウンセラーを代えてみるのもひとつの方法かと思います。 尚、くれたけ心理相談室におきましては、各種イベント(お話会やランチ会、オープンハウス等)を随時開催させて頂いております。カウンセラーの顔を見に来てくださったり、ちょっとしたご相談やご報告もしていただけると幸いです。出来る限りより良い状況を作っていただく為のサポートさせていただきたいと思っております。 #くれたけ心理相談室 #心理カウンセリング #所属カウンセラー募集 #プロカウンセラー養成 #対面カウンセリング #オンラインカウンセリング #夫婦カップルカウンセリング #訪問カウンセリング #株式会社呉竹 (くれたけ心理相談室(全国)) https://www.instagram.com/p/CpQBGybuYlg/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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keiko-iwasaki · 5 months
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対面・訪問カウンセリングのご案内です
いつも公式サイトにご訪問いただき、 ありがとうございます。   この度、当サイト内のメニューに 『対面カウンセリング』 『訪問カウンセリング』 のページを追加いたしました。   対面カウンセリングは、 ご希望のカフェでお茶をしながらゆったりと、 個室レンタルスペースでは、人目を気にせず カウンセリングを行うことができます。   また、訪問カウンセリングは、 カウンセラーがご自宅に訪問いたします。 外出困難な方、小さなお子様のいるご家庭の方など 慣れ親しんだ空間でリラックスして、 カウンセリングを行うことができます。   守秘義務のある空間で、 ご自身と向き合うことで得られる『気づき』 を、明日からの日常にお役立てください。   詳しくは、下記の公式サイトをご覧ください。 対面カウンセリングはこちら 訪問カウンセリングはこちら
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kozuemori · 6 months
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昨日、東京で桜の開花宣言がありましたね。近所の桜もつぼみが膨らみ、ちらほらと咲き始めています。今日の東京はジャケットやコートなしでも過ごせる暖かいお天気でしたが、まだ気温が安定しない時期ですし、花冷えという言葉もあります。寒の戻りに気をつけながら体調を整えつつ、春を迎えましょう。🌸
明日、3月31日は近代スピリチュアリズム176周年記念日です。私のサイトに歴史やスピリチュアリストの先駆者達を紹介していますので、よかったらご覧になってください。
日本で『スピリチュアル』というと、本来とは少し異なるニュアンスで捉えられていることがあるようです。恋愛や結婚、占いやおまじない、護符やパワーストーン等の各アイテムや迷信などをスピリチュアリズムと関連付けていますし、霊や霊界に関しての認識も恐いもの、悪影響を及ぼすもの、未知なるもの、というところにとどまっているようです。
以下の7つの信条を理解することがスピリチュアリストに求められています。
1  神は親です 2  人類は皆同胞です 3  霊との交わりと指導霊の参与を認めます 4  人の魂は死後も存続します 5  個人に責任があります 6  カルマの掟を認めます 7  永遠に進歩する機会が、すべての人に与えられています
そしてまた、これらの信条に基づくスピリチュアリズムとその哲学を広めることもスピリチュアリストには求められています。
ちなみに、優秀なミディアムやヒーラーを輩出し、スピリチュアリスト教会やアーサー・フィンドレイ・カレッジなどの母体でもあるイギリスのスピリチュアリスト・ナショナル・ユニオン(SNU)では、スピリチュアリストの活動指針やゴールとして、以下のミッションステートメントを掲げています。
・宗教や宗派にとらわれず、人間は皆平等であるという認識を持つこと ・スピリチュアリストとスピリチュアリスト教会の形成を支援すること ・スピリチュアリスト相互の友愛関係を強化すること ・あらゆる階層のスピリチュアリストを増やし、育成すること ・文献の印刷、出版、頒布 ・宣教活動を促進すること ・スピリチュアリズムの発展のために合法的なあらゆることを行うこと
私がこのブログでデモンストレーションやサーモンの様子をお伝えしているのも、クラスやイベント、ワークショップを開催しているのも、全てこのミッションに従った行為です。それは霊界から期待され、推奨されている行為です。スピリチュアリストはミッションに沿った責務を担うなか、時に個人的な見解や独自の趣味嗜好から離れることも求められます。
また、スピリチュアリストは自分の能力だけでそれらのミッションを行なうのではありません。大神霊、類魂霊、指導霊の導きや応援のもと、その多大なアドバイスやインスピレーションという光の源泉があってこそ、スピリチュアリストとしての自分の活動が可能となることを理解する必要があります。
クラスの中で行なっている誘導瞑想も私自身の指導霊に導かれ、ヒントを与えられて作った霊界との共同作品です。春学期のクラスで行った誘導瞑想のいくつかをピックアップしてショップで販売していますので、ご興味があれば春休みにぜひ試してみてくださいね。
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誘導瞑想「もののあはれ」 30:41
平安時代の美的理念『もののあはれ』を旅する誘導瞑想です。『もののあはれ』とは日本文化においての美意識、価値観に大きな影響を与えた思想で、四季に移ろいゆく季節の風情やさまざまな人間関係の間に生じるしみじみとした情緒を大切に思う心です。『もののあはれ』を感じるだけでなく、知ることの大切さを平安時代の女流作家や歌人たちと共に探ります。
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誘導瞑想「ライトワーカー」 31:30
この誘導瞑想では地理的な条件とその特有の歴史によって、宗教的な主都となっている国境の街を訪れます。丘陵と川に囲まれた自然の要塞に守られるようにして築かれている、緑豊かな国際都市であるこの場所に世界中からライトワーカー達が集まり、共同生活を送っています。あなたもその仲間に入り、自分に課された使命を確認しましょう。
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誘導瞑想「ジャポニズム」 31:30
第2回パリ万国博覧会に招待されたあなたは、当時の最新技術と芸術、文化教養に触れます。活気のある会場は熱気と娯楽性に溢れ、訪れた人々を魅了しています。その中でも特に異彩を放つ日本趣味『ジャポニズム』の展示会場は、ヨーロッパの芸術家たちの注目の的。あなたもそこで、ご自身の内側にいるアーティストと出会ってください。
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誘導瞑想「聖杯伝説」 33:41
美しい七色の光に誘われながらイタリア・ミラノの教会を訪れます。そこで最後の晩餐に使われたキリスト教の聖遺物とされる4つの聖杯のエネルギーに触れ、修道院の食堂で聖なる響きに出会い、壁画に現れるあなただけに与えられた特別な聖杯を受け取ってください。指導霊からもたらされる慈愛に触れ、聖杯のありかを教えてもらいましょう。
全て動画ではなく音声ファイルです。サイトまたは直接ショップからご購入いただけます。
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今後のイベント・ワークショップ 
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All About ミディアムシップ
4月21日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
4月22日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込)
両日共に同じ内容です
どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
ミディアムになりたいと思っている人、ミディアムの役割について知りたい人のための6時間ワークショップです。アイイスでの講師歴9年、ミディアム歴8年、イギリスのアーサー・フィンドレイ・カレッジにて数回に渡って講師・プロの為のミディアムシップ、サイキックアート、トランス、シャーマニズム等のワークショップに参加し、海外のミディアムとも交流のある講師による最新の情報を含めたレクチャーとゲーム感覚で楽しめる実習を通じて、あなただけの唯一無二のミディアムシップを作り上げていく過程を経験していただきます。
あなたの中に潜在する本来の能力を知り、それを呼び覚まし、育み、特化した分野をさらに伸ばして磨き上げましょう。そして同時に自分の苦手な分野を知り、それを伸ばす方法も試してみましょう。
ミディアムシップは決して完成することのない、永遠に学び、伸ばし、育むことのできる能力です。その過程を指導霊の応援と協力のもと、楽しみながら一歩一歩着実に進んでゆきましょう。大切なのは、自分に期待しながら挑戦し続けること、自分を信じて諦めないことです。練習すればするほど、そして失敗を重ねるほど感覚が研ぎ澄まされ、あなたは素晴らしいミディアムになれるでしょう。
レクチャー内容
 ・ミディアム、ミディアムシップとは
 ・ミディアムシップの種類とその役割
 ・良いミディアム、ミディアムシップとは
 ・霊能力はなぜ与えられ、なぜ失効するのか
 ・ミディアムとサイキック 
 ・想像と霊感の違い
 ・デモンストレーションとカウンセリング
実習
 ・シッティング・イン・ザ・パワー 
 ・ミディアムシップクイズ・30問に挑戦!解説付き
 ・サイキック、ミディアムシップ、トランス各実習
 ・直感と指導霊により深く繋がるための各実習
このワークショップは以下のような方に向いています 
 ・ミディアムシップついての理解を深めたい
 ・ミディアムシップの練習、経験をしてみたい
 ・ミディアムという役割に興味がある
 ・ミディアムになりたい
 ・指導霊との繋がりを深めたい
 ・本当の自分の人生の目的を探りたい
 ・自分自身の可能性や能力を探りたい
 ・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
このワークショップは2019年4月17・21日に開催した同タイトルのワークショップの内容と同様ですが、一部を加えたりアレンジしてアップデートしています
詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。
ショップからも直接お申し込みいただけます。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
5月19日   担当ミディアム:澤輪・森
6月30日  担当ミディアム:ゲスト・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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ドロップイン・ナイト 木曜日 19:00〜20:00
5月23日(木)指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
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夏学期クラスのスケジュールが決定いたしました。サイトとショップにてお申し込みを受付中です。(アイイスのサイトでも告知されています)
春学期に蒔いた霊性開花という名の種を、眩しい太陽と清らかな水、豊かな土壌、そして爽やかな夏の風のエネルギーを享受しながら、共に大切に育んでゆきませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラス 
月曜日:10:00~12:00  日程:5/13、5/27、6/10、6/24、7/8
火曜日:13:00~15:00  日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス   
土曜日:19:00~21:00  日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00  日程:5/14、5/28、6/11、6/25、7/9
木曜日:10:00〜12:00 日程:5/9、5/23、6/6、6/20、7/4
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アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00 日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
金曜日:19:00〜21:00 日程:5/17、5/31、6/14、6/28、7/12
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00  日程:5/12、5/26、6/9、6/23、7/7 水曜日:16:00~18:00  日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
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インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス  
月曜日:16:00~17:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
土曜日:10:00~11:00 日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
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マントラ入門 Zoomクラス  
土曜日:13:00~15:00 日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
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トランスZoomクラス
土曜日:19:00~21:00  日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
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サンスクリット・般若心経 Zoomクラス 
月曜日:13:00~15:00   日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
水曜日:19:00~21:00   NEW! 日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
サイトのクラス紹介ページはこちらです。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
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manganjiiji · 1 year
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桜くつ器
「くつ」というのは今自分で考えた動詞で、その場に固定するみたいな意味です。くくりつけるとか、打つとか、木槌で叩いてぴんと固定させる感じ。なにかいい漢字がないかなと思ったけど、思いつかなかった(と思ったが、「繰つ」というのがいいかもしれない、口が3つもあって硬そうなところがいい)。桜くつ器というのは、桜が固定されて飾られている器の意。
カウンセリングに行ってカウンセラーの先生に3ヶ月ぶりに話をしてもらい(ずっと予約の電話をかけることができず、3ヶ月ぶりとなってしまった)、さまざまなことが整理され、やっと、ここ数週間のうつ状態からすこし回復したように思われる。とくに一秒ごとに噴出していた希死念慮は無くなった。帰りに蔦屋書店に寄ってしまい、まさかここで本を買うとは思わなかったのだが、文庫本4冊をレジに持っていっていた。まだ前に買った本を読み終わっていないのになぜかこのようなことをしてしまう。これは23歳くらいからずっとそう。恐ろしい書籍購買依存症だ。「本を買う」という行為にのみ意味があり、読むことは全然しない。たまには読むが、1冊を頭から終わりまで読み切るということは殆どない。最近はその事に罪悪感も苦悩も呆れも何も覚えなくなってきた。この数ヶ月本を買うことをやめられていたのに、いきなりこのように浪費してしまい、衝撃もあるが、まあいつもの自分だなと思った。『京都SFアンソロジー』『貝に続く場所にて』『クララとお日さま』『実力も運のうち』の4冊。京都SFは暴力と破滅の運び手さんの「ピアニスト」が読みたくて買った(まだエチ小賞アンソロも読み終わっていないし、ブラームスの乳首も読み終わっていないのだが)。貝に〜は、書店で見て、芥川賞と群像新人賞の受賞作で、言語に関する物語とあったので、かなり気になって買ってしまった。講談社文庫はビニールが最初からかかっていて中が見えないのだが、帰宅してビニールを破って(この作業、省略したい。講談社は早く正気に戻って文庫本にまでビニールを掛けるのはやめてほしい)中を見たら、かなり余白の多い組版で、行間もひろく、見た目のうつくしさに拘りを感じた。いかにも芥川賞受賞作という感じで良い(組版への拘りというと黒田夏子の『abさんご』を思い出す。あれもかなり好きだった)。クララとお日さまは、ことこさんに内容を教えてもらった時に読みたいと思い、文庫化もしたことだし、と買っておいた。ひじょうによい子のAIの一人称で、カズオ・イシグロのいつものあれですよ、と言われたので(語り手の認識と世界との齟齬というかズレが特徴的なことが多い)、そして立ち読みしたところクララ(AI)にかなり好感を持ったので、読もうと思った。マイケル・サンデル(実力〜)は、かなり西洋哲学やキリスト教的価値観を引いて解説している(おそらくアメリカ人の状況を)と感じたので買った。『資本主義の〈その先〉へ』(大澤真幸)を読んでいるところなので、かなり内容に惹かれた。昔からだが、やはり「アメリカ」というものの面白さが私の冒険心を掻き立てる。同じくらい「日本」というものも面白いのだが、日本には一見してわかるような一貫性がない。だからこそ歴史の追いがいもあるのだが、やはりプロテスタントの「理想国家」として作られた人工物のアメリカのほうが理解しやすく、直截的なエキサイティングが得られる。昨日観劇したミュージカル「ラグタイム」では、二十世紀初頭のアメリカのフランス系アングロサクソン、ラトビア系ユダヤ、アフリカ系黒人の三つの民族の交わりがえがかれており、面白かった。私はスウィング・ジャズが好きなので、音楽としてのラグタイムにもっと言及があるのかしらんと思ったが、そこは特になかった。ミュージカルとしては、クラシック、ラグタイム、スウィング、ポップスと、割とオーソドックスなラインナップだったので、音楽的にはそこまでラグタイムに特化していたわけではなかった。そもそもこのラグタイムという語の、本来次の音が来るであろう箇所(次の拍)ではまだ音が来ず、ラグがあって少し拍より遅いところで次の音が来るシンコペーションのことを表している本来の意味とともに、さまざまな人種や民族がアメリカに絶えず流入し、立場がさまざまに変わりながら、「アメリカ人」になっていくまでのラグタイム(過渡期、猶予期間のようなイメージ)を描いているということなのかもしれない。私は音楽的なラグタイムは、クラシックとジャズを繋ぐ時期のもの(リズム、シンコペーション)という認識なので、まさにラトビア(欧州、クラシック)から移民としてアメリカ(新大陸、ジャズ)へ渡って、映画監督として「アメリカ人」として認められるまでのターテ(俳優は石丸幹二さん)の不遇の期間のことと考えると自然だ。音楽を、ジャズを主体としたミュージカルというのが見てみたいと思う(映画でも)。そういう作品はたくさんあるので、そのうち出会えるといいなと思う。そういえば前回日生劇場で見た「ジャージーボーイズ」はジャズを通り越してポップス…というかブルー・アイド・ソウル(白人がアレンジしたR&B)またはロックの話だったが、アメリカの商業音楽の世界を存分に楽しめた。ジャズのミュージカルとしては誰に焦点を当てるかだが、誰に当てても大物だらけの舞台(要素がもりだくさん)になってしまい、かつミュージカル・ナンバーもジャズにしないと成り立たなさそうだが、日本のミュージカル俳優はジャズ・シンガー(の歌い方)ではないので、なかなか難しいのではないかと感じる。「ラグタイム」ではサラ(黒人女性)役の遥海さんの歌唱が圧倒的で(彼女だけミュージカルの発声ではなく、全編通してソウルの歌い方だった)、歌だけでいえば主役の3人を凌駕していたのではないかと思う。完全に自分の声を縦横無尽に舞台全体で走り回らせ、かつコントロールも完璧だった。ミュージカルの歌い方では、ああいう芸当はできないというか、そもそも方向性が違うのでなんとも言うべきではないが、ソウルやジャズの歌い方もできるミュージカル俳優というのがもしいたら最強だろうな、ということを夢想した。クラシックの基礎の上にジャズの歌い方もマスターしているとなると、日本では平原綾香やKOKIAが私などは浮かぶが(上の世代だと美空ひばりや森山良子だろうか)、芝居も歌も極める上に、歌は2種類も、というのはやはり難しいのだろうか。我らが東啓介氏(私が舞台刀剣乱舞のバックステージ映像で好きになり一時期ガチで応援していた俳優)に関しては、私は今回もあまり納得が行かなかった。同行した友人は「28歳だし、そんなにすぐに変わる(成長する)ものではなく、熟達を求めるのは10年後とかかなあ」というようなことを言っていて(記憶違いがあったら申し訳ない)、私は東啓介にあまりにも多くを求めすぎているのだろうか、と思う。応援していることは応援しているのだが、追っていた頃の急成長と比べて、本格的なミュージカル俳優となってから、舞台上で分かりやすい「成長」というのが感じられないため、刺激に飢えているのかもしれない。演技もいつも同じに見えるし、発声の仕方も特に試行錯誤するでもなくいつも変わらず、なんかこう、変化…バリエーションが無い。それがつまらなく感じる。育ちが良く上品な所作、という当て書きのような役柄を続けて見てしまっているせいもあると思う。5DAYSの時みたいな、もっとしょうもない若者とか、マタ・ハリの時の恋に狂った青年とかの、本人の育ちの良さを封印するような役の方が見てみたいなあと思う。もっとヘドロの中を生きてきたような役を与えられた時に、果たしてどこまで生来の「品の良さ」を封印できるのか。というのは、彼を起用する演出家やプロデューサーが、どこまで東啓介の演技に期待してくれるのか、という問題も関わってくると思う。舞台上の発声はもっと先輩俳優の声の響きを聞いて試行錯誤してみてほしい。声が小さくても響かせるための発声。歌い方も最初の子音の破裂音というか呼気が入りすぎているが、これも前回から変化なしで、歯がゆい気持ちになった。歌はロングトーン以外でも「聴かせ」なければならないが、今のところロングトーンがないと東啓介の歌声はあまり目立てないというか、ほかの歌声との差別化が為されない。これに関してはどうすればいいのか素人にはわからないが、とにかく今までの練習や方向性を踏襲するのではなく、さまざまなやり方、歌い方、技法、発声方法を試して、もっと声に色をつけてほしい。ファンレターに書けばいいことを長々と書いてしまった。ファンレターに書きます。
夜、じゅんえん先生と話していたら赤森さんが来訪し、最終的に2時過ぎまでウエルベックの小説や文化や価値観の違いについて話してしまった。私は『ある島の可能性』を見つけて買って持っているだけでまだ最初の3ページしか読んでいないのだが、今日あらすじを聞いて、中身を結構拾い読みして、どんどん読んでいきたいと思った。ウエルベックを紹介する時の赤森さんは「とにかく中年男性主人公がキツい(見ていてキツい、キショい)」ということを語るのに非常に活き活きとしていて面白い。赤森さんはもともと面白い方なのだが、ウエルベックを語る時の赤森さんは「主人公のここが無理」ということを鮮烈に話してくれるし、ストーリーの面白さもきちんと伝えてくれるので、凄いなあと思う。ちなみにファフナーをTwitter上で語っている時の赤森さんもかなりのエンターテイメント性がある。
じゅんえん先生は酒が飲めない、かつ所得の低い私のことを気遣って、飲みに誘わないでいてくれたのだが(とても優しくて感動した)、今後は数回に一回は混ぜてくれるらしい。私があまりにも拗ねすぎたなと思ったのでやや反省した。
2023.9.19
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kennak · 1 year
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父親、70代半ば。定年してから家ですることないし何もしないし酒飲んでばっかり。人との関わりもできないし社会と関わり持つようなこともなくて時々2階の自室から降りてきて、家族にあることないこと文句言う。で、本人もコミュ障なのかアスペなのかわかんないけど、酒飲んでなくても認識がおかしいところもあるし、何よりも怒る事くらいしかエンタメがないのか、過去の嫌だった事を1人で煮詰めて、それがグツグツしてペースト状のドロドロになった頃に人にぶつけたりする。友達とかはいない。一緒に遊びに行く友達の存在とかもほぼ居なかったと思う、聞いたことない。すぐに人をこき下ろしたがるのでだれも仲良くしないと思う。極端に、周りを見下すことでしか自分の優位性を保てないんだと思う。テレビ見ても雑誌みても、フン、て偉そうに多分何も知らないのに間違っとるとか批評家気取りのズレたご高説を垂れるばかり。聞いてる側も気分悪いのでいつからか家族もまともに返事しなくなった。気を使って話しかけても、自分すごいorお前は大したことない、の話しかできないから。目的があって外出するのは月に1回の通院と、タバコと酒買いにコンビニ行くくらい。地方都市なのでヨボヨボだが車を運転していく。食事も、家族が作ったものは選り好みするし決まった時間に食べる習慣もないし、置いてあるカップラーメンやチルドうどんとかを食べてたりする。スーパーの弁当なんかも置いておくと食べてたりする。で、最近特にひどくなってきて身体も思ったように動かなかったりとかの不安もあるんだろうけど家族への暴言や暴力が頻度が高くなってきて、限界も近くなってきた。夜中に家族の寝ている部屋で訳のわからない気分悪い話やどうしようも無い人のルーツを馬鹿にする発言をしたり、扉をデカい音で閉会したり、テーブルにコップをゴンゴンあてたり、階段をわざと大きな音で歩いたりとか、もう明らかな異常性がでてる。父親本人は構ってほしくて構ってほしくて仕方ないんだろうけど、本当に話すネタも自分かわいそう、か誰かしらが悪い、くらいでつまらないし、無視してると嫌がってるのに顔を無理やり覗き込んできたりとか、反応貰えるのがそんな事しか思いつかないのかロクな事をしない。第三者にSOSを出すとしたらどこなんだろう?暴れる(大声の暴言含む)時に7119とかは迷惑?それとも警察?保健所に相談したらどこかと繋げてくれるんだろうか。アル中単体とかなのか、性格だったり心の障害なのかも判断できないし、かと言って本人が自ら精神系やカウンセリングみたいなところに行けと言っても絶対行かないだろうし、何をどうしたらいいのかわからない。病院では暴れてる事なんで自己申告してないだろうし、下手すると本人も覚えてないから、酒の飲み方も週に2回飲まない日作ればいいとか言われてるらしいけど怯える日が増えるので家族としては正直余計な事を、と思わずにいられない。今月になってから、目立つ飲酒時の奇行とかはスマホのメモ帳に付け始めた。他に準備できることあるんだろうか。【追記】散歩くらいしたらって言ってるんだけど、行かないね家の周辺歩くのに人の目が気になるなら山とかの駐車場に車止めてその辺15分くらいでも過ごすと違うと思うんだけどね習い事も、きっと周りを馬鹿にして自分スゴイをやるし、そもそもそのお金を払うのが馬鹿だと思いそうきっと行った店の店員さんにも変なキレ散らかし方してご迷惑かけてそう【追記】たくさんコメントあって驚いたのと、有難いのとこの手の高齢男性って多分たくさんいるんだろな自分も含めてこれから歳をとる世代のみんなは、苦手な人こそどうか感謝と謝罪を口にできる訓練をしておいてほしいそういう意固地って自分の行動範囲を自分でジリジリと削り続けてなんでだよって逆ギレかますみたいなもんで、周りはドン引きしかしないし手を差し出す事もできればしたくなくなっちゃうから社会と関わりがなくなるとこうなるんだと思うけど本人ももう働いたりする気はないみたい犬は飼ってるけど、ペットの管理で過去にやらかして信用もないし、犬自体もやっぱりおかしいのがわかってるから懐かない、懐かなくて犬も文句をいう材料にする、の負のループ昔から犬の散歩もしないし犬の粗相も家族にオイ、って知らせて犬の世話をしてる気になるタイプだったとりあえず保健所や福祉系のところに相談実績を作るから始めようと思う高齢者でも性欲ってあるんだね、母親の体をなんとかして触ろうとしているときがある、それがまた自分本位なので本当に醜悪で…コミュニケーション能力や相手をちゃんと人として扱うって大事すぎるなって父親の尊厳を傷つけるのはと思っていたけど、向こうはこちらの尊厳をゴリゴリに削ってくるんだからストレスすごい、それでもここで吐き出せてよかったです実は2年前に父親は食事もまともに取らず酒飲んで寝てたので意識がなくなって?救急搬送から月単位での入院のコンボをかましている部屋は見事な酒の紙パックだらけだった、腰の高さで埋もれるくらい昔見かけた競売物件で「まる」だらけの部屋があったけど、あれプラス謎の溜め込んだ金属ゴミ系(空き缶を切ったりした物は破片が危なく片付けに苦労した)趣味がなかったり、人を馬鹿にしないと生きていけなかったり、せっかく死にかけたところから戻ったのに何も見つけられないのはどうしたらいいんだろう、1人でできて金もかからない、前向きな気持ちになれる気軽な趣味を見つけてほしい【追記】初めて匿名ダイアリーを使うので、返信のお作法がわからないのですがいただいたコメントは基本目を通しています。共感いただく方が複数いるという事は少なからずあるパターンなんですね。増田本人の心配をしてくださる方のお声もありがたいです。コメントの通り、どうやって本人を福祉なりに繋げられるように連れていかせるかが焦点になるでしょうか通院先は総合病院で(入院したところなのでその辺の事情のデータも残っているかもしれない)ソーシャルワーカーもいるのでそちらあての相談もできないか調べようかなそういえば思い出した、以前に地域包括支援センターの方が本人に会いにきたのだけれども怒鳴ったり暴言吐いて追い返したらしい、自分はその場にいなかったから後から聞いた。訪問されたスタッフなんて正社員でも何でもないモンが、偉そうに指図しやがって、的な事を言っていたらしいのだが正社員なら言うこと聞くわけでもなかろうに誰の言うことなら聞くんだろう【追記】ネットを検索してもなかなか見つけられなかったヒントが、吐き捨て目的の匿名ダイアリーのブコメでこんなに集まると思わなかった、集合知に感謝です。既に終わった人も大変だったろうしなかなか人には言いづらい事を教えてくれて助かります、これからに備える人も何かしらの参考になるなら書き殴りの文だけど、できそうな対策を1度考えてみてもいいのかなとたくさんいただいてる意見の中の認知症疑い、これは多少ある気もしますが、それで急におかしくなったわけではなくて元々の本人の性格におかしなところはありました。働いてる時でもいきなり癇癪起こして自室から数ヶ月出てこないとか定期イベント。一緒に住むなら心をフラットにできる薬を服用してほしい。あとは睡眠薬等で夜中に寝て朝に起きる癖をつけて欲しい。夜中や早朝に異常行動起こすのは思えばここ数年…?そう思うとだいぶおかしいのか。増田が同居してるのが悪いって意見、考えたことも無かったですがそれもあるかも知れません、しかし離れた県外で結婚して家庭をもっている兄弟(息子)への暴言や難癖もひどく、結婚相手の実家に対する根拠もない差別発言を聞いて、同じように自分が家を出たところで文句を言う材料にするんだろうなと。で、あいつも悪いから何も相続させん!とか叫んでそう。他者が悪い、すなわち自分は正しいという思い込みしか拠り所がないんですかね。あと、自分が同じ部屋にいる時は比較的おとなしい。自分の部屋に怒鳴り込みにはこない。ターゲットは基本母親。娘の前では少し理性が働くのかフルスロットルにはならない、少し前に母親殴りそうな時に平手打ちしてメガネぶっ飛ばした。その時に力でも勝てないのも理解したんじゃないかな。反撃しようとして半世紀前に習ったか何かの空手かなんかの型みたいなので威嚇してきたけどびっくりするほど痛くもない肩パン。色々書きながら思い返すとやっぱりダメですね。物理的距離を取る、を第一目的に動こうと思う。前に支援センターの人が来たのは何だったかな、近所に呼ばれたとかではなかった。入院してて退院前後は介護認定3がもらえた(という表現もおかしいが)ので話早いといいな酒で入院した時はウェルニッケの疑いの話されたけど、なんか案外元に戻ってしまった。酒飲むの止められない人、極力減らすのが1番だけど各種ビタミン忘れず取ってね。酒のカロリーで生きてもロクな事ないですよ。結婚したら一生セルフケアしてもらえると思ってた世代ってあ���のかな。成功しないのに察して察してを続けて、何かこちらが提示しても後出しのイヤイヤ。70代のイヤイヤ期なんて情けなさしかないからそういう思想なくなればいい。教育テレビで尊大な自尊心を穏やかに丸くさせるような番組とかしてくれたら助かるんじゃないか【追記】思いのほか拡がってしまい戸惑ったけど、たくさんのためになる情報をありがとう「自己愛性パーソナリティ障害なんじゃないか」の声を複数見かけて、調べてみたら全てが当てはまって今までの奇行にも納得がいくし、本人幼少期にロクな扱いされてなかった話は聞いた事もある(田舎の次男)、診断こそおりてないけど多分そう。少なくとも対処法が近いのでこちらも考えやすいしお互いのつらさは少し減らせるかもしれない。今の父親本人は暴れたあとの落ち込みタイムとでも言うのか、これも定期イベントだけどしばらく大人しくなる期間ぽい。このやらかす→大人しくなる、の繰り返すスパン短くならないといいなソーシャルワーカーさんにも相談したし、あとは地域包括支援センターにも話を通したりしながらどうにか改善できるように手探りしていこうと思う。将来が不安だったり、不安定な身内がいる人たち、自分も含めて穏やかに過ごしていけるといいね。日光浴して、肉食って、歩いて、無理せず笑える日常がそこにありますよう。
父親狂い始めてどうしていいかわからない
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