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#お家で焼き鳥
cyunley · 2 years
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なう(2023/01/17 20:30:44) 年始に買ったノンオイルフライヤーで お家焼鳥🐔脂が落ちてヘルシー且つ ふっくら仕上がった😃パサつかへんか 心配やったけど柔らかく風味も豊かで 美味しくできました🤗 #焼鳥 #焼き鳥 #お家で焼き鳥 #春雨玉子マヨサラダ #トマトのチーズ焼き #梨 #サッポロゴールドスター #家呑み #おうち居酒屋 #おうちごはん #おうちごはん部 #おうちごはんlover #今日の晩ごはん #TodaysDinner #晩ごはん記録 #献立記録 #てづくりごはん #てづくりごはん365 #cooking #cook365 #タベリー #フーディーテーブル #クッキングラム #キッチングラム #夫婦ごはん #ふたりごはん #豊かな食卓 #cyuley作ディナー #cyuley 昨日アマプラビデオで観た韓国映画🎥 「最後まで行く」がめちゃくちゃ面白かった😀 ヒール役のパク刑事(チョ・ジヌン)が @yumi_diet_cooking さんのダーリンに 似ててかっこ良かった🤩超悪役やけど😂 今日は何観よかなー?最近韓流系観すぎて 久しぶりに韓国旅行に行きたくなっている✈️ https://www.instagram.com/p/Cng9K3HyfNQ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 1 year
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の���軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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lumi-kissa · 22 days
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9月半ばに飲みに行く約束をしている、エステの事務員時代の同僚Kちゃん。
会社で一緒に働いてたのは2年ちょっとだけど、その後も年に数回飲みに行く関係が20年以上続いてる大切な友達です。
Kちゃんは2人の女の子のママで、近所のママ友さんたちと毎週のように飲み歩く大のお酒好き🍷🥃🍸🍾
最近は、1軒目はイケメン店員がいる焼き鳥屋、2軒目は面白いマスターがいるカラオケバー、最後はKちゃんの彼氏が店長をしているバーという、近所のママ友さんたちと飲む時の定番コースが私にも適用されています。
Kちゃんはどこに行ってもそこで飲んでる知らない人に話しかけて一緒に飲み始める。美人なKちゃんに話しかけられて嫌な顔をする人はいない。まぁお酒の席だから基本みんなフレンドリーなんだけど。
最後にKちゃんの彼氏のバーに行くのは、Kちゃんが行きたがるのもあるし、そこならKちゃんを置いて先に帰れるので私にとっても好都合だから。
大事なKちゃんを知らないお店に置いて帰るわけにはいかないし、朝まで飲むKちゃんにはとても最後まで付き合えないし、ベロベロのKちゃんをタクシーに乗せても無事に家まで帰れる保証がないからそれもできない。(Kちゃんの家は私の家までの5倍以上タクシー料金がかかる場所だから付き添えない)
そんなわけで、Kちゃんの彼氏のお店に行って、適当なところで私は先に帰るんです。
ここ1年くらいそんな感じで、ふと考えたら1軒目以降、私はほとんどKちゃんとおしゃべりできてなくて、Kちゃんと知らない人との交流を一歩引いて見てる感じになっているわけです。
たまにさびしくて、たまにバカらしくなる。
夜遊びして知らない人と話して歌ってLINE交換して、という遊び方より、家でリカちゃんやこえだちゃんを眺めるほうが楽しいし幸せ。
これはこれで、ヤバいのかい?🤭
夜はどんなに遅くても2時には家にいたい。理想を言うと、23時にはパジャマを着ていたいんだよなー🧬( ᵕᴗᵕ )🧬
Kちゃんには、どうしたのそんなに落ち着いちゃって!と言われるし、内心おもしろくなくなったなぁと思われてるのかもしれないけど、仕方ない。
今の私は、お酒の場で知らない人と盛り上がる自分より、家族に信頼されている自分の方が好きなのです。
友達は失うのはイヤだけど、自分を見失うのはもっとイヤ。
そろそろ、Kちゃんと会っても翌日ドッと疲れが出ない飲み方を考えなきゃな、と思ってます。
直接Kちゃんに言いづらい理由がふたつあって、ひとつは、私は相手と違う意見をはっきり伝えるのが苦手だから。もうひとつは、Kちゃんはストレスがあるとすぐお腹が痛くなる体質だから🥲︎
なので、お互いのために否定的なことは言わず、楽しく飲める道を模索します🎀
今日で8月終わりだね。
楽しい9月を過ごしましょう🫶
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asagaquru · 2 months
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花火大会があるから仕事終わりに行こう、と決めたのはその日の朝だった。一人暮らしをしていた時の最寄駅に久しぶりに降り立って、ふたりで河川敷に向かって歩く。串鳥で沢山焼き鳥を買ってきてくれていて、言ってないのに私の好きなきたあかりバターと南蛮つくねも買ってきてくれていた。河川敷に座り、焼き鳥と缶ビールで乾杯。19:40になって、花火が上がるけれど、ビルの陰で隠れてしまっていてすぐ��ま移動。結局、豊平橋の上から立ち見することにした。
通りすがる車の中に目をやると、信号待ちがてらみんな写真を撮っていた。車内からじゃ上手く撮れるわけでもないのに、きっと家で見せたい人がいるのだろうと思った。隣に松葉杖をついた中学生ほどの息子を連れた家族がいた。花火の終わりが近づいた頃に父親が「なんだかんだお前が保育園の頃から来ているな」と呟いていた。いつも近くで見ると首が痛くなるよなあとも話していて、きっと今年は息子が怪我をしているから少し離れた一条橋の上で見ているのだろうと思った。毎年こうやって花火大会がある凄さ、大切さを思い知る。当たり前を当たり前と思うなと言われつつも、いつも日常が当たり前のように来るからその尊さを忘れてしまいそうになる。四季は巡っていくものだから、1年は繰り返していくものだからこうやって毎年毎年訪れる物事や、同じ場所で今年も咲く花をひとりでも、誰かと見ることで日々を過ごして重ねていくことの素晴らしさを実感することができる。母がよく毎年花火を見たがって、一緒に出かけた理由がわかった気がする。恋人は写真を撮るでもなく黙って花火を見ている。思い出は何とだって思い出したいし、何回とだって一緒に積み重ねたい。
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momokuri-sannen · 30 days
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昼飯はまたもや「マルタイ棒ラーメン」である。
例によって「けんた食堂」さんのレシピで。
うーん、いつ食っても旨い。
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ようやく米を入手した。
成城石井だからなのか普段よりも高価になってしまったが、エラい先生方は与党も野党も代表選挙ばかりに注力しておられるので打開策はまったく期待できないから仕方あるまい。
言っとくが、そんなことばっか一生懸命だから国民が離れていくんだぞ。
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晩飯は家人が買ってきてくれたブツ。
「キムパ」「高野豆腐」「焼き鳥」「冷製カッペリーニ」
いや買い過ぎだろ。
ごちそうさん。
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m12gatsu · 9 months
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無題
納会の福引で社長賞をぶち当てて、デラックスな炊飯器を勝ち取った。阿部寛が広告塔になっているやつ。クリスマスイブに郵送で届いたので、クリスマスの朝に炊き上がるよう予約した。しゃっきりした米がスタンディングオベーションで祝福してくれた。おこげを焼きつけてくれる機能もある。ごはんがうまいと毎日嬉しくなれるだろ? と阿部寛がいっていた。朝起きるのがちょっと楽しみになりました。
無事に仕事も納めて、本を読んだり、無心でギター触ったりしてる。大江健三郎の『燃えあがる緑の木』三部作をもうちょっとで読��終わる。年内には間に合いそう。津原泰水の遺作も並行して読んでいる。これは正月までかかるだろう。あと仕事で読まないといけないものがいくつか積んである。メインで触ってるセミアコの1弦が切れた。押し入れからテレキャスターを引っ張り出して、どちらも弦を交換した。ハヌマーンを練習したり、手癖のままのコード進行に鼻歌を乗せて作曲っぽいことをしている。歌詞を書くのは恥ずかしい。考えたら、母方の実家に眠っていたアコギを引き取ったのが中学3年生の時だから、かれこれ15年はギターを触っている。きもい。だったらもっと弾けてもいいと思うんだけど。
彼女の心も体もまだ不安定で、術後のまだ痛むお腹を抱えて、しくしく泣いていたりする。気分転換に適当にかけていたバカ映画で、血まみれの嬰児を使役して戦うヒロインが出てきて閉口してしまった。いま自分が敏感になっているだけだけど、ホラー映画とかでよく赤ん坊って利用されますよね、泣き声とか。みんな潜在的に堕胎を恐怖しているんだよな、と思う。当たり前だけど。チェンソーマンに堕胎の悪魔っていたら強いだろうな。
買い物袋を提げて、アパートの外廊下を歩いている時に、ちょうど5時のチャイムが鳴り出して、それを合図に��視界にそびえているでっかいオフィスビルの各フロアの電気が、波打つように一斉に消えるのを見た。ひとつふたつ、まだ点いている部屋もあった。飛行機雲がビルに突っ込む格好で斜め下に折れ曲がってたなびいて、墜落の軌跡を描いていた。緑色の鳥が2羽飛んできて、電線に止まった。つがいかしら、野生には見えない、どっかから逃げ出したのかしら。部屋に戻って、彼女を呼んで、寝室の窓を開けて、あれ、といって見てもらった。
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imwatashi · 7 months
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20240214
恋人が中野に住み始めたので仕事終わりに向かう。ずっと好きな街だったので気軽に行けるのが嬉しい。スーツケースを持って行ったので、徐々に変わっていく街並みを車窓越しに見ながら上京する田舎っぺの気持ちになった。ラストオーダー10分前の秋吉で焼き鳥と串カツを食べた。秋吉はいつも串カツを頼んでしまう。
20240215
仕事を早めに切り上げて成田空港へ。4年ぶりの海外、3回目のタイへ向かう。コロナが流行る寸前に滑り込みでシンガポールから帰国し、その間にパスポートも切れ、ずっと時間が止まっていた。はじめての赤色のパスポートなので、自動認証ゲートを抜けたあとにわざわざスタンプを押してもらった。搭乗前に吉野家の牛丼を食べた。
20240216
早朝2:30にバンコクへ到着。受託手荷物とSIMカードをゲットし、Grabでタクシーを捕まえてホテルへ向かう。Grabだから大丈夫しょ、と思って現金を持たずに飛び乗ったら、クレカ情報の登録を忘れていて、無銭でタクシーに乗り込む日本人2人になってしまってめちゃくちゃ焦った。運転手は英語もままならず、Google翻訳を使ってなんとかATMで現金を下ろす。ホテルについた頃にはもう朝で、近くの屋台でご飯の上にオムレツが載ったものを買って食べた。おばあちゃんがWokでつくる美味しいオムレツ、40バーツ、約160円。
仮眠をとってからバンコクの渋谷ことサイアムに行き、お昼ご飯にプーポッパンカレーをはじめて食べた。高かったけれどそれに見合う美味しさだった。フットマッサージを30分受けて、アンパワー水上マーケットやメークローン市場へ。ガイドなしのツアーに申し込んだが、自分たち以外中国の方で、マーケットに着いても中国人ばかりでアウェイな気持ちになった(元々ホームではないけど)バンコク3回目だけれど、どちらも初めて行く場所で新鮮だった。生まれて初めてホタルを肉眼で見た。再びサイアムで解散しマンゴースムージーを飲みに行くと、そこは日本人だらけだった。みんなここにいるんだね、と話しながらホテルに帰る。この日はパッタイ1回とガパオライスを2回も食べたけれど、結局おばあちゃんがつくる40バーツの朝ごはんが一番忘れられなかった。
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東南アジアのこの空気感がやっぱり好きです
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kennak · 3 months
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(注意: つらい内容が含まれます) ヨギタ・リマエ、BBCニュース 丘の上、木々の合間に、ミャンマー軍キャンプの廃墟がある。眼下に、特徴的なハートの形で地元で有名な、絵のように美しい湖が見える。足元には、地雷の薬筒や使用済みの弾丸が散乱している。兵舎があった場所では、散らばるトタン屋根の隙間から、黄色い花をつけた野草が顔を出している。キャンプの一角には、急いで掘られた塹壕(ざんごう)がある。 赤、白、青の横じまの中央にサイチョウという鳥が描かれた旗が、曇り空の下で風になびいている。ミャンマーの西部チン州で同国の軍事政権と戦う、民族武装組織「チン民族軍(CNA)」の旗だ。 CNAは7カ月前、地元の武装住民グループとともに、インドとの国境貿易の町リクホーダルにあるこのキャンプと、チン州の他の地域からミャンマー軍を追い出した。チン州の武装勢力は、2021年のクーデターでミャンマーのぜい弱な民主主義を粉砕した軍事独裁政権と戦ってきた。その彼らにとって、前例のない成果だった。 国軍がこの地域で支配権を失ったのは初めてだ。BBCは今回、同国西部で反政権勢力の躍進を目にするという、めったにない機会を得た。 リクホーダルでの勝利は、決して簡単ではなかった。武装勢力は1年以上にわたり、何度も攻勢をかけた。一部の家族は、耐え難い犠牲を払った。 画像説明,武装抵抗運動に加わったラルヌンプイさん ラルヌンプイさんはダンスが大好きな17歳だった。彼女のソーシャルメディアのアカウントは、人気映像のダンスをまねる彼女の動画でいっぱいだった。 「彼女はいつも自信たっぷりに踊っていた。でも、着飾ることには興味がなかった。兵士に憧れ、国のために命を捧げた兵士についての歌を一日中聴いていた。勇敢で強く、怖いもの知らずだった」。ラルヌンプイさんの母ラルサントルアンギさんは、そう話す。 クーデターが起こると、ラルヌンプイさんは両親を説得し、家族が暮らすハイムアル村で武装住民運動に加わった。その理由を、学校で手書きした英作文の中で、次のように説明していた。 「ミャンマーはいま、壊れている。(中略)ビルマ兵は私にとって敵だ。情けがないからだ。(中略)私��将来は国民防衛隊にあって、私はそれが好きだ」 2022年8月、彼女の村の武装住民らは他のグループとともに、リクホーダルの軍キャンプに攻撃を仕掛けた。 「私たちは13日間連続で、相手側にドローン(無人機)の雨を降らせた。爆弾のほとんどは私が作った。私が部隊で一番の溶接工だったので」と、ラルヌンプイさんの父ラルジディンガさんは言う。彼はクーデター前はトラック運転手だったが、ハイムアルで何人かと国民防衛隊を組織するようになった。 この時の攻撃では、軍キャンプを奪うことはできなかった。双方に犠牲者が出た。 ミャンマーの地図 2022年8月14日、ミャンマー軍は報復攻撃としてハイムアル村を急襲した。住民の話では、民家十数軒に火が放たれた。私たち取材班は、そのような家屋の残骸をたくさん目にした。ミャンマー軍は、北部と西部で抵抗勢力を抑え込むため、何万軒もの民家を焼き払ったと非難されている。 この報復攻撃で、17人が軍に人質に取られた。ラルヌンプイさんと、弟のラルルアトマウィアさん(15)も含まれていた。その後、この2人を除いて全員が解放された。2人の父親に軍が仕返しをしたのだと、家族は考えている。 2日後、ハイムアルの外れにある森の浅い墓の中に2人の遺体があるのを、村人たちが発見した。 どちらも残忍な拷問を受け、銃床で殴り殺されていた。ラルヌンプイさんはレイプされていた。弟の胸、腕、性器には熱湯によるやけどの跡があった。BBCは、遺体の詳細な写真と検死報告書を確認している。 BBCはこの件でミャンマー軍に質問を送っているが、まだ回答はない。 ラルヌンプイさんの弟ラルルアトマウィアさんはまだ15歳だった 「子どもたちに何が起こったのか、考える勇気がない」。父ラルジディンガさんはしばらく黙った後、言葉を探すように言った。「子どもたちは殉死者だ。私よりずっと立派だった」。 少しの間を置いて、彼は続けた。子どもたちのことを愛情をこめて語る、誇らしい父親の姿だった。「息子は私より5センチ背が高くなっていた。話し好きで、家の手伝いを何でもいやがらずにやった」、「2人は切っても切れない仲だった。人が集まっているところに娘が行けば、みんな楽しく笑顔になった」。 母ラルサントルアンギさんは、涙を拭いながら末娘のハダシちゃん(4)を抱きしめ、こう話した。 「夫には、子どもたちの死で落ち込まないように言っている。これは私たちだけの問題ではない。将来の世代も自由は必要だ。何の権利もなく、軍の言いなりになるような、そんな状態で暮らすのは正しくない。命をかける価値がある戦いだ。私は自分の子どもたちを誇りに思っている」 私たちはミャンマー滞在中、戦闘服に身を包んだ人たちに会った。半自動小銃などの銃器を携えている人もいた。ただ、職業軍人ではない。野蛮な紛争に直面し、見事なまでに意を決している農民、学生、一般住民たちだ。 国民防衛隊のヴァラ司令官は、ハイムアルの眼下に広がる緑豊かな谷を指さしながら、ミャンマー軍はこの全域から撤退し、最も近い基地でも直線距離で50キロ以上離れていると笑顔で説明した。現地の墓地では、ピンクと白の造花で覆われた新しい墓へと私たちを案内した。 「軍事政権と戦って死んだ人たちのものだ」と、ヴァラ司令官は義理のきょうだいの墓のそばに倒れている花束を戻しながら言った。私たちは、ラルヌンプイさんとラルルアトマウィアさんの墓も見つけた。 私たちが会った住民らのほとんどは、ハイムアルの南にあるチン民族軍のヴィクトリア基地で訓練を受けていた。私たちは、緑深い森と山間部を通る、曲がりくねったでこぼこ道を進み、同基地を訪ねた。 そこでは、制服を着た何百人もの若者が新兵となって、広々とした平原を行進していた。 行進が終わると若者たちは、「私たちの祖国、愛する土地、私たちは血と命をかけてそれを守る」と歌う。 そして、武器の訓練へと続く。銃声が響く。 全員18歳以上だと説明されたが、もっと若く見える人も多い。2011年のミャンマーの民政移管で、大勢が自由を味わった。それだけに、もはや軍事政権は受け入れられないと考える10代の若者たちが、それぞれの夢を捨てて、抵抗運動に加わったのだ。 サン・ダール・リンさん(19)は教師を目指していた。 「クーデター後の最初の1年は、それほど悪くなかった。けれども、やがて軍が私たちの村を砲撃し始めた。私たちの家は壊されて、村に入って来た兵士は家を燃やし、人や動物まで殺した。私たちはジャングルに逃げた。かなりの人数がいたので、ジャングルがそのまま村になった」 「おじは無残に射殺された。私は軍が大嫌い。自分の国と国民を守るため、CNAに加わった」 私たちは行く先々で、ミャンマーの若者たちが革命の波に巻き込まれているのを目にした。 ビルマ国家のために働いていた何千人もの人たちもまた、支持する対象を変えた。 ヴァンラルペクタラさん(22)はかつて警官だった。 母親のモリー・キアンさんは、息子が警察で訓練を受けていたころの古い写真を3枚差し出すと、「彼はそこそこの月給をもらっていた。私たちは幸せで満足していた。そうしたらクーデターで政府が倒され、彼は抵抗運動に参加することを決めた」と説明した。 モリーさん自身は青春時代を軍事政権下で過ごした。「当時は楽しい日なんて1日もなかった。軍がとても怖かった。だから私は息子の決断を支持した」。 息子ヴァンラルペクタラさんは2022年3月に抵抗運動に参加。その6日後に殺害された。 モリーさんは胸と首を指さしながら、「息子はこことここを刺された」と言った。「残忍に襲われた。片足は切り落とされていた」。さらに話を続けようとしたが泣き崩れた。「この話をするのはつらい」。 ヴァンラルペクタラさんが死んだ時、彼の妻は妊娠していた。もうすぐ1歳半になる男の子は現在、遠く離れた難民キャンプで暮らしている。 軍が村から追い出されたときの気持ちを尋ねると、モリーさんは拳を突き上げた。「とてもうれしい。でも完全な勝利が見たい」。 彼女の次男も国民防衛隊の一員となっている。 国軍に比べれば弱い複数の反政権勢力が、この紛争の流れを変え、はるかに強力で装備の整ったミャンマー軍を守勢に立たせた。それができたのは、一般国民の幅広い支持があるからだ。 「最初は軍が勝っているように見えた。しかし、戦争であれ政治であれ、国民の支持がなければ誰も勝てない。軍は武器では優位かもしれないが、民衆を味方につけられていない」。チン州の反政権グループが設立した並行政権の「首相」に指名されている政治家、パ・サンさんはこう話す。彼はアウンサンスーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)のメンバーでもある。 並行政権は、チン州全域の80%近くを掌握していると主張する。しかしミャンマー軍は、州都を含め戦略的に重要な町のほとんどを今も支配している。 それでも、反政権勢力には勢いがある。今週初めにはトンザンという町を奪った。 チン民族軍のフテト・ニー広報官画像提供,AAKRITI THAPAR/BBC 画像説明,チン民族軍のフテト・ニー広報官 「ここは私たちの土地だ。ビルマ軍の土地ではない。私たちは勝利を収めつつある。この土地の隅々までよく知っているからだ」。チン民族軍のフテト・ニー広報官はそう言う。 民族軍側が戦果を挙げている理由は、ほかにもある。国内各地の反政権勢力が協調し、軍が力の入れどころを選ばなくてはならない状況を作っているのだ。チン民族軍によると、自分たちはカチン独立軍やカレン民族解放軍、カレンニー軍と協力関係にあるという。 反政権勢力が直面する最大の課題は、グループ同士の内紛だ。チン州だけでも数多くの派閥が活動しており、その多くは従来から敵対している。 前出の政治家パ・サンさんは、結束を維持するのは可能だと主張。クーデター後に軍によって投獄されたアウンサンスーチーさんが率いる、選挙で選ばれた文民政府を代表する国民統一政府(NUG)の下で活動することに向けて、将来的な計画があると話す。 「私たちは鋭意、法律と憲法を作成している。NUGの一員として、チン州から大臣2人と副大臣1人を出す予定だ。ミャンマー軍が敗北を認めるときに向けて、あらゆる準備をしている」 私たちが会った人たちには、明らかな共通点があった。自分たちは勝てると、全員信じているのだ。 「もう、それほど長くはかからない」とパ・サンさんは言う。「こういう予測をするのは良くないが、私たちがあと2〜3年以上戦うような、そんなことにはならない。そう信じている」。 (追加取材:アアクリティ・サパル、サンジェイ・ガングリー) (英語記事 The devastating cost of fighting Myanmar's military dictatorship)
【ルポ】 ミャンマー軍事独裁政権と戦う人たち その途方もない犠牲 - BBCニュース
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harawata44 · 8 months
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震災経験者「非常食を準備するなら『乾パン』はやめたほうがいい。食べにくいしストレスになる。オススメな非常食は◯◯◯」 : はちま起稿
以下転載 https://x.com/raityou1gou/status/1747383152094699587?s=20
震災経験者から一言 自分の非常食を準備するならカンパンはやめといた方がいい 水分無いと食べにくいし、口の中も切れやすくて、災害のストレスで口内炎になるん。 焼き鳥の缶詰なんか甘くて元気が出やすいからお勧め。 使わなくなったメガネを家の外の安全な所に置いとく。 無いよりマシ。
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・https://x.com/raityou1gou/status/1747869335165829432?s=20
防災セットとか高いから、普通に好きな缶詰を備蓄しといて、賞味期限が近くなったらそれを食べるローテーションがいいと思いますよ。
・https://x.com/chax3rin/status/1747735612478931066?s=20
かんぱんは一緒に入ってる氷菓子と一緒に食べるんやで? 食べにくいんは分かるけど、食べ方も知った方がいいなとおもた
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・https://x.com/acupofwine__/status/1747735445235257663?s=20
本震直後に皆コンビニに殺到するやん? 飲み物・弁当・パン・惣菜が秒で売り切れて最後に残るのはジャム、サラミとかのおつまみ、それと袋に入った粒のチョコレートなの。 全てコンパクト&高カロリー、絶対ゲットすべきだわ。 東日本大震災で空腹だった俺を15km先の家まで歩かせたエネルギーがこれ。
・https://x.com/kaz_type/status/1747641631011213362?s=20
高ストレスな上に、初期の食料配給はどうしても炭水化物ばっかりになりがちだからビタミン剤も非常持ち出し袋に入れとくと良いよって聞きました
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tokyomariegold · 4 days
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2024/3/25〜
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3月25日 無の心でもうどう年度を納めていけばいいのか、しなくてはいけないことがたくさんあって、生活にも追われていて、写真のことも何もしたくなくて、とにかく悲しくて朝のバスで泣いてしまった。
職場は雨の降る卒業式だったので晴れ着の方々がいろんなところに集っては写真を撮ったりはしゃいだりしていて、なんかいいですねおめでとう、とすっかり外側の立場で見てしまっている。
業務の中で上席の方とたくさんお話しできる機会があった日だった。 「ほんとうに異動になっちゃったね」と言われ、裏話を少し聞かせてもらったり、やっぱり今持っているお仕事は引き続き担当してほしい旨を相談してもらう。 私だからできることはこの仕事にはないけれど、でも、たまたま担当した業務と足りなすぎる人手の環境を棚に上げて、必要とされている社会的承認が少し満たされた気持ちになってしまった。
月末にアメリカから帰国される大学時代の職員さんに会うため実家に帰るので長島先生にもお会いできれば、とご都合を伺ったところ、ロサンゼルスから友人を迎えるためにだめとのこと。
満月なのに曇天。でも写真を撮らなくていいので少し安心している。
昨晩のマッシュルーム中毒はまだ発症していない模様。
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3月26日 たくさん机の紙を捨てた日。 いろんないろんなことがあったけれど、何もなかった気持ち。 昨晩そういえば買っていたレンジでゆで卵を作る機械でゆで卵を作った。単細胞調理器具。 ちょうど苦手な弾力(ぷるぷる)のゆで卵が出来上がってしまいあまり食べ進められず気持ち悪くなり捨ててしまった。
どこかの商業建築の閉店に立ち会いたい気持ちが募り、松本PARCOやイトーヨーカドーの閉店情報を見てみる。松本PARCOは池があって鯉が泳いでいた印象が強かった。インターネットで「松本PARCO 鯉」で検索したら同じ様に鯉に注目している人が少なからずいた。城下町PARCOの演出なのかな。 松本にも無性に行きたくなり、日帰りでどこかでふらっといけないかな、と思っている。日替わりソフトクリームを作ってくれるロボットにも会いたい。
今年度で退職される一期下の他の部署の方とご挨拶をした。去年まで同じ部署で、お休みの日に焼き鳥を作ったりして遊んでもらった方だったので勝手に仲良しの気持ちがありご挨拶をさせてもらった。 興味のあったIT系のお仕事が決まったそう。また、もう2度と会わないんだろうな、なお別れをしたんだと思う。
昨日はへとへと過ぎてご飯の味がしなかったので、今日は気をつけたい。
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3月27日 例のお隣さんはパルシステムをしていることが判明。オートロックのエントランスの外にパルシステムの箱があり、お隣さんの部屋番号が書かれていた。オートロックだと配達が難しいのかな、とあきらめていたので、ちょっといいな、と思った。
昨日は、雨の日はだめだ!と思いながら、レインコートを引きずる様に帰宅したのだけれど、朝駅で定期券や職員証を入れたパスケースがないことに気がつく。 最後に使ったのは部屋から徒歩数分のスーパーだったので、ほんの少しの間歩いた途中で落としたみたい。年一回くらい定期券を落としている気がする。それもあってかあまりへこむこともできず、高い高い切符を買って出勤。 定期を探したのでいつもより遅い時間の電車に乗って、ちょうどいいバスがなく、駅から歩いて出勤した。それもあってか足がとてもへとへと。
明日は通院してから都庁にお仕事に行って、いつもの職場には出勤しないことにした。 少し時間に余裕があるはずなので、今日いっぱいパスケースを探してみよう。 (スーパーには2回落とし物の問い合わせをしたけれど届いていなかった。)
本当にだんだん終わりになってきている感じ。 思ったより例年よりはねることもなく無のまま終息しそうな年度末。
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【団員レポート】有志演奏:Voiceふくしま納涼祭 8/18(日)に『Voiceふくしま納涼祭』で有志の団員が演奏させていただきました。 今回の団員レポートは3期生ヴァイオリンパート、市川真名がお送りいたします!
今回参加したメンバーは12名、初めて参加した人もいるなかでスタートしました。
 会場は福島市のまちなか広場。みんなの日頃の行いが良かったのか、快晴でした! まず、福島事務局である渡辺豊さんが経営する、 ブリリアントカルチャースペース ideal "イデアル"を利用してリハーサルを行いました。
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本番前の最終チェックです 。アットホームなスタジオの雰囲気のなかでリハーサルです。
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本番に向けて皆さん真剣です。
福島在住の音楽家のみなさんぜひ、イデアルを利用してみてください! 詳しくはHPから!
■楽器専門店"ブリリアント"HP     https://mif-brilliant.com/ =====
リハーサルが無事終了し、会場に移動していよいよ演奏です!
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今回は鈴木南美さんにMCを担当してもらいました。
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1曲目は坂本龍一監督作曲「Behind the Mask」です !
これは外せない、私も大好きな曲です !!
 特徴的なテクノポップのリズムでかっこよく始まりました。
TYOの本公演でも第3期に演奏した曲でもあります。
 2曲目はJITTERIN'JINNの「夏祭り」です !
 わたあめや金魚すくい、焼き鳥の屋台が並ぶところに花火が打ち上がっている様子を思い浮かべてもらえるよう演奏しました。
”太鼓の達人”でよく夏祭り使われていますよね。
この曲はトランペットのソロから始まりました。
ソロを吹くのは、福島県出身、8期生の我妻世音くんです。
今年から大学生となり、赤髪に。。。
楽譜カバーの色とマッチしてますね!
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 3曲目は福島県福島市出身の作曲家、古関裕而さん作曲 「栄冠は君に輝く」です !
 夏の全国高等学校野球選手権大会の大会歌として大会の開会式、閉会式で演奏され奉唱されている曲です 。会場の暖かい手拍子と共に演奏しました。
4曲目はNHK連続テレビ小説『エール』より主題歌「星影のエール」です!
このドラマは古関裕而さんの生涯を描いたもので、福島市民の好きな歌のひとつではないでしょうか。
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最後は「八重の桜 メインテーマ」です !
この曲も我らが坂本監督が作曲した曲で、NHK大河ドラマ『八重の桜』のオープニング曲です 。
この曲、最初のフルートがとってもかっこいいんです!
フルートを演奏するのは私と一緒で3期に入団した坂本彩雲さんです!
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真剣な眼差しです。。。
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今回は幅広い年代の方に楽しんで頂けるようなプログラムになったかと思います 。
 暑い中、日差しから楽器を守りながらの演奏でしたが、聴いていただいた方との一体感を感じられる素敵な時間となりました。
また皆さんの街へも伺って、TYOの活動を幅広く知っていただけたらと思います 。
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レポート読んでいただきありがとうございました! (ヴァイオリンパート 市川真名)
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naganumapiano · 28 days
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新作タルト
2種類のベリーのタルト
追分の農家さんから分けていただいたハスカップとブルーベリー
長沼産のも併せてタルトにしました。
眼に鮮やかなアントシアニンの濃い紫が特徴です。
甘いブルーベリーをハスカップの酸味で一層引き立てました。
メノビレッジさんの全粒粉で作ったザクザクのタルト台の上に四葉のクリームチーズにモチツモタレツファームさんの平飼い鳥の卵で作ったバスク風チーズケーキを焼き固め、ブルーベリーとハスカップの果汁と果肉で作ったゼリーを挟んでハスカップ果汁を生クリームに入れた淡い紫のクリームでトッピングしました。
上にはブルーベリーの甘煮をトッピングして居ます。
一つ500円(税込)で販売致します。
是非お試しください。
#長沼 #カフェ
#ベリー類も最後かな
#暑いうちに楽しみたい夏の味わい
#カフェピアーノピアーノ
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chibiutsubo · 10 months
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#おでかけ #氣比神宮
母親と出掛けた、ぶらり若狭旅行の記録です。
我が家では「美味しい海の幸が食べたくなったら日本海」が合言葉のようになっているので、美味しい海の幸を求めていざ日本海側へ。
今回の目的地は敦賀からもう少し足を伸ばして若狭方面へ。途中敦賀で高速を降りて、友人に渡すお守りを入手するため氣比神宮に立ち寄りました。
立派な大鳥居は国の重要文化財だそうです。中世以降は越前国の一宮に位置づけられており、そして明治以降は官幣大社に定められ、格式と歴史のある神社です。実際どれぐらい前に建立されたのだろうと何気なく調べてみたら、7世紀後半とか8世紀辺りから始まっているようで、なんかもう遥か彼方過ぎてピンときません。平城京とか古事記とかあの辺りでしょうか……と朧気な日本史の記憶を掘り起こしてみましたが、人の手で造られたものが1300年以上同じところに同じものが存在しているって、すごい……というか、途方もないなぁとぼんやり考えてしまいました。
ちなみに本殿は太平洋戦争時の空襲で焼けたとのことなので、建物自体は戦後のもののようです。
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私たちは裏側の駐車場に車を停めてそこから入ったので、最初に見た景色は神社の境内側からのこの姿でした。神社の前には広々とした道路が走っています。しかし赤の鳥居は青空と緑の景色の中でめちゃくちゃ映えますね。
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御守りも入手して、ミッションコンプリート。
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ところで大鳥居の前から見た景色はこんな感じなのですが、目の前にとても良い渋デザインのビルを発見して一人キャッキャしていました。
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myonbl · 2 months
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2024年8月3日(土)
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今年の<立秋>は8月7日(水)、なんとか<土用の梅干し>に間に合った。以前は梅を沢山買い求めて梅酒も仕込んでいたのだが、今年から契約農家から届いた梅を使っての梅干しだけにした。塩漬け作業はツレアイ担当、そして干すのが私の担当である。私自身はほとんど口にすることはないのだが、弁当やおにぎりに重宝する。さらに8月6日(月)は2度目の土用の丑の日、こちらもしっかり鰻を頂いて、暑さのピークを乗り切ろう。
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4時起床。
日誌書く。
朝のあれこれ。
5時30分シャワー、体重は100g増。
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洗濯。
朝食。
珈琲。
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朝刊を取りに出ると、昨日は夕刊を忘れていたことに気づく。さらに、よこはま落語会のチケットが届いていた。
2階南側のベランダに梅を並べる。
セントラルスクエア花屋町店まで買い物、猫砂とカルカン。
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初めての<古着deワクチン>、大半がツレアイのものだが、私も着なくなったスーツを提供、かなり断捨離が進んだ。佐川急便に集荷を依頼、明日の午前中。
ライフ西七条店で買物、ゴミ袋(可燃ゴミ用途資源ゴミ用、45L*4)、古着の処分で出たハンガー類を処分するためだ。
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ランチ、息子たちには素麺、私たちは冷蔵庫掃除。
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録画番組視聴、落語研究会から、「普段の袴」柳家喬太郎、「菊江の仏壇」春風亭一朝、「将棋の殿様」柳亭市馬。
私は午睡、ツレアイは買物に走る。
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テレビのオリンピック中継、陸上競技を見ながら夕飯、今夜はすき焼き。
落語研究会の続き、「団子坂奇談」入船亭扇辰。
続いて、刑事コロンボ。
第24話「白鳥の歌」/ Swan Songシーズン 1, エピソード 24 カントリー&ウェスタンの人気歌手トミー・ブラウンは駆け出しの頃、刑務所に入っているところをエドナという女性に救われて結婚した。エドナは「魂の十字軍」という信仰団体の信者で、トミーが未成年の少女に猥褻な行為をした過去をネタに収益のすべてを寄付するよう脅迫していた。
今夜も早めにダウン。
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今日は2回買い物に出たので、歩数もクリア出来た。
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crispy-moratta · 2 months
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伊勢神宮へ 酔いと音の古殿地
先日、友人のピアニストであるふじいさんと伊勢神宮に行った。初めて観光地で昼間からお酒をのむということをし、今までの観光のなかでいちばん心地よく頭のまわらなさ、とてもよい小旅行だった。またわたしは偶然、京都の伏見と混号になっている伊勢特集のブラタモリを所持しており、これが今回とても役に立った。前の週に予習として読んだときは(ふ〜ん、)というくらいだったが、伊勢までの電車の中で読むと既に実感を伴い、(知識にも入れどきってもんがあるのよ〜)となった。わたしの人生初のお伊勢参りは午前中だったからか観光地としては非常にちょうど良いくらいの人の多さ(多くなく)で、曇り雨予報もお伊勢参り中は全く降られることなくとても良かった。神宮のつくりと見かけ、また観光地としての佇まいはとても美しく、気高く、tidyな賢さのある観光地であった。おおきく見ていてうれしかったポイントとしてはふたつある。
ひとつめは古殿地のシステム。古殿地というのは、伊勢神宮は20年毎に1��式年遷宮という正殿を筆頭にいくつかの社殿を真横にそっくりそのまま建て替えるということをする。古殿地とはそのための土地、要するにholyな空き地である。この20年を節目にして建て替えられるというのは飛鳥時代の620年あたりからで、ここまでのべ62回の造り替えが行われてきたそうだ。社殿に使われる装具品なども全て作りなおされるので、伊勢神宮はトラディショナルだが常に新しいということである。して、それの何がよかったのかというと、完成された社殿に開発できるスペースが常にあると言う状態がこの神宮の格式の高さだと思えたからだ。これをふじいさんに伝えようと思ったときに何に例えると良いだろうかと参道を歩きながら考えた。大抵いつもこういう感動を伝えやすいのはエンジニアの友人であるカイくんで、彼だったらプログラミング、書ききったコードにあらかじめバッファを残すやり方とかそういうものがありそうだな、、とか思ったが、その辺のプログラミングの素養がわたしにはないし、プログラミングに例えてもわたしもふじいさんも納得感が薄い感じ〜となりそうと思うと、ピアノのスケールに例えられる気がした。スケールというのは順当に並んだ音階のこと、単純言うとドレミファソラシドという音列(これはCメジャースケール)のことで、これをたとえば片手で1オクターブ分のスケールを引くときには、(右手で弾く場合)15音に対して指は5本しかないので運指を少し工夫する必要がある。ドレミまで123(親指から番号を振り)の指で引きファの音で指を潜らせて1の指で引いてやると次のドまでの音階を残った2345の指で弾いてやることができる。これを左手で行うと(小指から逆順に番号を振り)5432/1321の運指でありここまではとても美しいシステム、指の運びだなとわたしは思うのだが、わたしが気にしているのは2オクターブ以上引くときの運指である。音の始めはいずれにしても1の指からなのだが1オクターブ上のドに辿り着く指はいずれも345の流れである。つまり2オクターブ以上引くときには間で指を潜らせたり跨がせる所作をさらに加えて行う必要がある。具体的には右手の場合は123/1234/123/12345。左手だと54321/321/321/4321となる。このときの右手の運指に問題がある。1オクターブ引き切る前に2オクターブ目のスケールに向かうための運指の変化があるのだ。つまり1オクターブのスケールを弾くときと2オクターブ引くときの指を流れが違う。1オクターブ弾き切ってから(ア!もう1オクターブいきたいかも)にシステムとしては対応できていない。というようなことをつい先日スケールの練習をしているときにそういうことを考えていたことを思い出した。たとえばクラシックではそんな場面はあまりないかもしれないが、たとえばジャズでインプロビゼーションなどするのであれば土壇場でもう一音階上がりたいという場面があってもおかしくないのではと想像したのだ。前置きが長くなったが、どこまでも上がり下がりする音階をつく��ためには一般的な運指ではなくあらかじめ次の音階に上がれる「音(指)の古殿地」が必要かもしれないということ。それを彼女に話すと、よくそんなこと思いつくと言ったあと、でもそういった場合たとえばペダルを併用したりもう一方の手でカバーを入れたりして澱みなく繋ぎ直す方法もあると教えてくれて、わたしはとても愉快になった。ふじいさんはとてもピアノが上手いし、いつも話を聞いているとピアノに対しての甘えのない人だ。そしてこの彼女がシステムを超えるためのアドホックな技巧があること、またそう言ったときの(おそらく演奏というものは必ずしもそういうことではない)というような毅然とした態度に、わたしは増してわくわくした。
ふたつめは終点の標識。伊勢神宮には愛知から名古屋を経由し国道23号線をずっと走ってくると伊勢神宮までたどり着くことができ、そこには国道23号の終わりがある。標識の23の文字の下には白地に黒文字で終点と書かれており、ことは内務省より「東京より伊勢宗廟に達する路線」 として国道9号が指定されたのが1885年、1920年には旧道路法に基づく変更にのり国道1号となり名実ともに日本を代表する幹線道路だったわけだが、終戦後に再び何度かの道路改正があり、一級二級といった区別がなくなり今の一般国道23号線になったのは1965年のことだそうだ。この終点の標識ひとつとっても、当時からの伊勢神宮の位の高さが伺える。神宮としてあり続けるために観光面においても、御司という平安から明治の初めにかけて多くいた伊勢神宮への参拝のための旅行コンシェルジュのような存在や、江戸の街並みを再現したおはらい町など、伊勢神宮の気高さは街全体がつくってきたのだ。そして終点もそのひとつ。観光地が維持されながらも同時にアップデートされていく一端を見れてとてもうれしい心持ちであった。なんといっても「終点」 というのが良い、目的地のなかでも終点と言われてしまえば(真に目指す必要のある場所だ!)と思うのも頷ける。
とりあえず外宮と内宮を見て周り、初お伊勢参りとしては十分及第点だろうといったところで、そのまま横に流れ、おはらい町へ。てこね寿司を食べようと思ったが、ふじいさんがそんなに乗り気ではないように思われたので、とりあえずコロッケのおいしいという店でコロッケとメンチカツを頼んだタイミングで、焼酎をのもうと言われ2号をふたりで飲んだら、すごくきれいに酩酊。わたしは観光地ではいつも専ら学習モチベーションが高く、神宮でも、最高な巨木!美しい五十鈴川。気高き社殿群と、直感的には伊勢の空気に触れつつもしばしばブラタモリを開いてはふむふむしていたお昼まで、初めて旅行先の外でしっかり酔っ払いとても愉快であった。神宮に行く前に伊勢うどんを食べたこともあり、めちゃくちゃ腹減りという感じでもなく、すっかり機嫌の良いわたしたちは観光地とはおおよそ関係の希薄そうなアイスクリームを食べ、こちらは子供サイズというひと巻きかふた巻きほど少ないのが大きさのものがあり、一個は多いが、というニーズにぴったりであった。その後は本店の赤福を食べ、ふじいさんの友人の谷さんいわくお土産の赤福とは一線を画すとの前情報であったが、たしかに、食感においていつもの赤福より餅が柔く、餡も心なしかみずみずしいように感じられた。このあたりでは少し酔いが覚めてきて、非常にちょうど良さではあったが、良さのもう一段上、更なる心地よさへの高みに想像がはたらき(酔いの古殿地)、別のお店であともう一杯だけ日本酒をのむと、それはなんとも贅沢な昼の心地であった。そうこうしているとおおよそ帰路に着く時間に近づいてきていたので、わたしのリクエストでバスで宇治山田駅へと向かう。かく宇治山田駅もお伊勢参りの後援として一役買っている重要な場所である。1931年に建てられたこのモダン調の駅舎は近鉄電車、大阪のなんばから宇治山田駅間を2時間ほどで繋いでおり、関西から参拝にくるひとの多くが利用するルートのひとつである。ちなみにブラタモリには駅舎のテラコッタ色のタイルが印象的であると書かれていたのだが、わたしが見る限りではどこにテラコッタ色のタイルはなく(見つけられず)、それは少し悔やまれたが、しかしそんなことはどうでも良いと思わせるほどのサプライズがあった。なんと宇治山田駅にはストリートピアノなるものが設置されていたのだ。開けた構内には普段であればちょっとピアノ弾くか迷うくらいのひとの多さがあったが、ここで追い日本酒がほどよく効いていたのもあり、純粋に突如現れたグランドピアノにテンションがあがった。思いもしないタイミングでふじいさんの演奏を直に聴くことができるのがうれしい。確実に演奏家として彼女の方がはるかに上手に弾くだろうと思ったので、先に私から演奏する。すこし音をならすと、非常に良い調律というか鍵盤の硬さで(あとでピアノの写真を見返すとYAMAHAであった)、初見でこんなに手に馴染むピアノがめずらしく、また酔いも助けてわたしはとても良いモチベーションで演奏できた。楽しく弾くことができたし聴き手からしても楽しさ〜という演奏になっていたように思う。あとからあれはBLUE GIANTの2巻でダイが、「音楽はいいな〜音楽はスゲェな〜を吹きます」 のシーンの心持ちだった。それからふじいさんの演奏。連弾用に椅子が二脚あり横に座って聴いたのだが、彼女の演奏はとても流暢で、酔いのなか、彼女としてはどんな出来だったのかは分からないが、とても軽やかで流れのある水を撫でているような心地よさ、砕けたいうにはいささか繊細な粒子の細かいフランクな音でとてもよかった。彼女の手の動きは見ていてもおもしろかったし、途中からは音楽に身を委ねて目を瞑って聴いたのであった。彼女は2曲(だったと思う)弾いてくれ、一曲はラヴェルだと言っていた(もう一曲はなんだったんだろう)そのあとは少しだけふたりでポロポロと弾いたり弾かなかったりした。あらためてとても良い旅であった。
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krkwngm · 8 months
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ファースト・カウ
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 映画初めに行ってきた。もし今年が丑年だったらお正月映画に位置付けた���のPRがなされたのかなとぼんやり思った。それはそれで愉快な気もする。
 長編7作目にして日本初配給のケリー・ライカート作品、ということで気になってたけど実際沁みる映画だった。去年の最後が『PERFECT DAYS』だったので、光の美しい映画を年末年始に立て続けに観てしまった。こりゃいい年にならざるをえない。  以下良かったところのメモなのでネタバレがある。
 歩いてる足元を映すシーンが多かった気がする。劇中の音楽はきれいだったけど多用はされておらず、枯れ枝を踏みしめる足音やオールを漕ぐ水音、クッキーが菓子を焼いてるときの火の爆ぜる音なんかはほとんど飾られていなかったと思う。だからいっそう足元のカットが印象に残ったのもあるだろうけど、歩きかたってやっぱり感情出るよな(観てるこっちが読み取ってしまうだけかもしれないけど)と感じ入った。監督はそういう小さな変化を撮るのが好きなのかもしれない。農業をやりたかったキング・ルーと旅人のためのホテルかパン屋をやりたかったクッキーが少しずつ友情を深めていく、そのかすかな変化を大事に拾い上げていくような物語が、小さな音や光の移り変わりや自然の表情をこまやかにとらえる映像で作られているのは説得力があった。現代の川をずみゃーーー……と進んでくる長いタンカーの黒とオレンジの船体と当時の川をのんびり渡ってく小舟の対比がなんかよかった。  見ててくれって頼まれた赤子を置いていくのを躊躇ったり乳搾りのあいだ牛に話しかけたり、くつろいでくれと言われたのにルーの家の掃除始めたり枝を採ってきて飾ったりしちゃうクッキーが全体的にいいやつすぎて……ボストンのパン屋で働いてたことがあるって仲買商に打ち明けてたけどあれキング・ルーは知ってたんかな。頭打って体調悪いのに「baker(パン屋)とbeggar(物乞い)が似てるのはどちらもb-read(パン)が必要だから」てジョークかますところもよかった。父が死んで母が死んで家を出てあちこち彷徨ってきた経歴のわりに物の見方が荒んでないのは、両親の記憶とかパン屋の経験とか、放浪のなかにも良い出会いがあったからかもと想像した。  クッキーがそういう人間である一方で、「中国じゃ白人より嫌われる」北生まれのキング・ルーはたぶん自分の生まれた場所を思い返すと苦い記憶が入り混じるんだと思う。本当は農業をやりたかった、は自分の土地がほしかったって意味でもあるだろうから。「カードを一枚しか場に捨てない古いルールに則るペテン師ことジョン・ハート(ハートは心臓でなく牡鹿(dear)のほう)」の意味合いがうまく呑み込めずにいるんだけど、酒場でクッキーを見つけたときにカードをやってるテーブルじゃなく自分の家の卓で酒を飲まないかって誘ったあたり、ルーはクッキーに助けてもらったことが本当に嬉しかったんだろうな。自分を追ってたロシア人が戻ってきて家をめちゃめちゃに壊して去ったあとのルーが、残骸のなかからクッキーがお菓子作りに使ってた枝を拾い上げて石の上にそっと置き直したところに愛を感じた。  あと観に行ったフォロワーさんも言ってたけど、映画の冒頭で並んで横たわった状態で見つかる二人ぶんの骨がさあ……。ドーナツの列に割り込まれたり働けって怒られたりして結局買えてなかった男性が逃げる二人を尾行してたけど、最終的には彼がキング・ルーを撃ったんだろうか。というか観終わったあとにチラシを見たら牛を牽いてたのも同じ男性だったので(全然気付いてなかった)よくもおれの牛をってことだったのかもしれん(この人の牛ではない)。あと仲買商がすごい見覚えのある俳優さんでびっくりした。トビー・ジョーンズじゃん!  キング・ルー、ビーバーの脂は高く売れるとかサンフランシスコのホテルはどうとかクッキーの前でずっとぽつぽつ喋ってたけど、あれクッキーに聞かせるというより自分に言い聞かせてたんだと終盤で気付いた。頭を打ったクッキーがしんどそうに木の陰に横たわったとき「眠っていろ おれが見張ってる」て隣に座って膝抱えてたのに「すこし眠ろう」て隣に横たわって「おれがついてる」て目を閉じるじゃん。その言葉のとおりに最期までクッキーのそばについていたんだなと分かる冒頭の骨ですよ。ハートはペテン師でもキング・ルーは何も欺かなかった。ほんとに「鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情」だったんだな……てしみじみしたし、このラストに至った二人の歩みに納得しかないくらい、最初から最後までささやかでも得がたい交友の重なりを見せられたところが良さだと思った。良い映画が観られてうれしい。今年もいい年にしよう。
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