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#ふつうのマヨネーズを添えて
a2cg · 2 months
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いの一番と私
近所に日本最古のバーと呼ばれる神谷バーがあるのですが、そこの住所が浅草一丁目一番地なのでまさに浅草で一番最初に出来たんだなと思います。
政治の世界でも「改革の一丁目一番地」なんて言葉をよく聞きます。似たような言葉で「いの一番」というものがありますが、こちらは建築用語が由来のようです。
家を建てる時に重要な柱が横は「いろは」の順で縦が「一二三」の順になっていることから一番最初の柱のことを「いの一番」と言う見たいですね。
初めてのことは兎角注目を浴びるものですが、キリスト教における最初の殉教者と言えばこの人でしたね。と言うわけで本日のディナーは #ステファノ #ステファノ神楽坂 です。
後輩と狂言を観た帰り道にどこか良さげな店は無いのかをフラフラしながら目についてパッと入ったのがこちらのお店です。
日替わりのコースが良さげだったので、それを頼みまずはイタリアのビール #ビラモレッティ で乾杯です。少し甘みがあって、美味しいですね。
続いてやって来た前菜はブロッコリーのマヨネーズです。少し緑色になっているのがブロッコリーを混ぜたものなのでしょう。これに鶏肉などと一緒に食べたら最高な味わい。
続いては生ハムとホワイトアスパラとウイキョウ。バジルのソースをつけながら食べる味わいはほんのり苦味のあるウイキョウの味わいと生ハムの塩気がいいバランスです。
途中で出てきたパン、グリッシーニなどもビールが進む味わいですね。いよいよパスタに差し掛かればエビとバターの味わいが濃厚で食感も含めて最高です。
#ハンバーグ は鹿肉の #ジビエ です。土台に添えられたマッシュドポテト、カリッと上げられたニンジンそして一緒に添えられた玉ねぎの甘さのバランスが取れています。
最後のデザートはレモンのムースでふわふわで爽やかな味わいでした。最後はコーヒーで締めて大満足なまま帰りました。
#神楽坂ディナー #神楽坂グルメ #神楽坂洋食 #神楽坂イタリアン #神楽坂パスタ #麺スタグラム #とa2cg
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recipeclips · 1 year
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マリネの作り方 1. 塩と砂糖を同量混ぜたもののサーモン重量4.5%をまんべんなくふりかける 2. パッドに置きラップして、冷蔵庫で6時間おく(8時間以上だと塩辛くなる) 3. キッチンペーパーで水分を取る 4. カットして冷凍
・解凍後はそのまま食べても、加熱調理してもOK コストコの巨大サーモンはマリネ冷凍で美味しく攻略① https://mart-magazine.com/food-recipe/recipe/115010/
サーモンマリネオレンジソース
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材料(4人分) オレンジ(皮も使用) 2個 サーモンマリネ(解凍する) 約200〜300g EXVオリーブオイル 小さじ1 ミニトマト(8等分に切る) 12個 青ねぎ(小口切り) 適量 サワークリーム 100g
つくり方 1.オレンジは皮をすりおろし、実は果汁を搾る。皮は表面のオレンジの部分のみ使い、白い部分まですりおろさないように注意。果汁はこして鍋に入れ、中火で1/4の量になるまで煮詰める。そこにすりおろしたオレンジの皮を合わせて冷ます。 2.薄くスライスしたサーモンを器に並べ、1をかける。
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右利きなら左側から切ったほうが厚みを確認しやすい 包丁を奥から手前にゆっくり引いて切る
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サーモン同士は少し重ねてソースが皿に落ちないようにする 3.オリーブオイルを回しかけ、ミニトマト、青ねぎを散らし、サワークリームを盛りつける。
サーモンマリネのカルボナーラ
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材料(4人分) サーモンマリネ(半解凍する) 約300g [A] 塩 少々、EXVオリーブオイル 適量 ペンネ 320g アスパラガス 8本 [B]牛乳 200㎖、コンソメ顆粒 少々 [C]パルメザンチーズ 大さじ8、卵黄(ボウルで溶く) 8個分
つくり方 1.サーモンは1.5~2㎝角に切り、ボウルでAとあえる。 2.ペンネを規定時間より1分短くゆでる。アスパラはペンネと同じサイズに斜め切りにして、ペンネがゆで上がる1分前に鍋に加える。 3.2をざるに上げ、水気を切ったらフライパンに入れる。 4.Bを加えて中火で熱し、コンソメが溶けたら火を止め、Cを加えて混ぜる。 5.弱火にかけ、ソースがとろっとしてきたら器に盛り、1をのせる。
解凍せず調理!サーモンマリネのムニエル ゆずバターソース
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材料(4人分) じゃがいも 2個 オリーブオイル 適量 塩 適量 サーモンマリネ 4ブロック(1ブロックは60~70g) 薄力粉 適量 バター 120g(1ブロックにつき30g) ゆず 2個 クレソン 適量
つくり方 1.じゃがいもは電子レンジで数分加熱したあと、2~3㎝角に切り、オリーブオイルでソテーし、塩で調味する。 2.凍ったままのサーモンの両面に薄力粉をまぶし、バターを溶かしたフライパンに入れる。 3.バターが焦げないように極弱火で熱し、ムース状の泡が常に出ている状態にする。焼き色がついたら裏返す。たまにスプーンでバターをかけながら焼き、焼き上がったら取り出す。 竹串がすっと入れば焼きあがり。 4.フライパンに残ったバターにゆずの搾り汁とすりおろした皮(黄色い部分だけ)を加えて中火で熱する。 5.器に3を盛り、1とクレソンを添え、4をかける。 サーモンとアボカドのオーブン焼きローストトマト添え
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材料(4人分) トマト 2個 塩 少々 オリーブオイル 適量 アボカド 1個 [A] マヨネーズ 20g、しょうゆ 小さじ1/2弱、マスタード 10g サーモンマリネ 4ブロック(1ブロックは60~70g) パン粉 適量
つくり方 1.オーブンは200℃に予熱しておく。耐熱皿に横半分にカットし、底部分も少しスライスして平らにしたトマトを並べ、塩とオリーブオイルをかけ、オーブンに入れて25分ローストする。 2.アボカドは皮と種を取り、ボウルに入れて泡立て器でつぶして混ぜる。Aを加えてさらに混ぜ、クリーム状にする。 3.凍ったままのサーモンをオーブンシートの上にのせ、2を塗り、パン粉をふりかける。 4.3を200℃のオーブンに入れ約20分焼く(金属製の串やフォークを刺してみてスッと入ってスッと抜けたら焼き加減はOK)。 5.器に1のトマトを並べ、その上に4のサーモンをのせる。
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yokohamamiuken · 1 year
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今回紹介するのは横浜橋通商店街のすぐ脇にある、「つくしや」さん。 公式💁‍♀️ @tsukushiya0701 この「つくしや」さんがウリとされているのは、おかずが選べるビストロちっくなお弁当。 ガラスケースにはいろんなおかずがズラリと並んでいますが、そのどれもが美味しそうだし手が混んでいてオシャレ!! この中からメインが1種類、さらにおかずが2種類選べて850円から。 選ぶおかずによってお値段が上下しますが、そのどれもが丁寧に作られて、「かぁちゃんが作った弁当」というよりも「ビストロシェフが手がけたお弁当」という表現がふさわしいと思います。 今回はお弁当を2つ買い求めました。 メインだけを選んで、あとのおかずは「おまかせで」お願いしてみました! 【お弁当その壱】 メインは「ポルケッタ」(+190円)。イタリア風のローストポークです。 セージとローズマリーが香り、ハニーマスタードも添えられています。 お肉の旨味がしっかりと活きており、しっとり柔らかなのにガッツリと肉を食べている満足感がすごい!! 甘いのにピリッと香るハニーマスタードが、お肉っぽくなったお口をサッパリさせてくれて後味も爽やかです。 おかず1は「エビ・ブロッコリー・ディルマヨネーズサラダ」(+20円)。 エビがぷりぷりで食感がよく、ほのかに香るディルが一気に西洋気分を盛り上げてくれます!! マヨネーズの味付けもしっかりしているし、おかずにもおつまみにも最適なお惣菜ですよね。 おかず2は「しいたけ・ベーコン・アーモンドのバルサミコソテー」(+50円)。 しいたけは干し椎茸でしょうか? 肉厚プリップリ、噛むごとにあふれるキノコの旨味!! しいたけのプリッとした食感、アーモンドのカリポリ感も対照的で面白いし、ベーコンからあふれる旨味とバルサミコの爽やかさががベストマッチです。 【お弁当その弐】 メインは「サワラの竜田揚げ」(+170円)。ちぢみホウレン草のあんかけが乗っています。 サワラはしっかりした大きさで、カリッと揚がっていますね!! 甘酢の効いたアンが味わい深くてオカズ感あるのに、後味はサッパリとしています。 特筆すべきはほうれん草。茶色くなりがちな揚げ物に、見事に彩りを添えてくれていますねぇ。 おかず1は「生ハム・3種チーズのポテトサラダ」(+20円) クリームチーズ・カッテージチーズ・パルメザンチーズがガツンと濃厚でチーズ好きには嬉しい!! 生ハムも良い生ハムを使っているなぁってのがわかります。 オカズ力だってしっかりあるし、これはお惣菜で買って帰ってワインのお供にしたい「特別なポテサラ」です。 おかず2は「人参・オレンジのハニーレモンサラダ」(+20円) ゴロッと入ったオレンジはしっかり果実感を残し、ニンジンはシャキシャキ!! ハニーレモンの爽やかさとニンジンの甘みの対比がよく、脇役なはずのに主役級のインパクトです。 そして、特筆すべきはごはんがふっくらで美味しい。 量もしっかり入っているので、満足度も高いです。 デザートに「レモン&ライムクリームチーズケーキ」(350円) 中に仕込まれている緑のツブツブはライムの皮だそうです。 しっかり香るレモン、しっとりとした口どけ。しっかり甘いのに、ベタベタ甘ったるくないのが大人なデザートです。 これはコーヒーに良く合うし、食後を彩るサッパリ感のあるデザートですねぇ。 結局アレコレと美味しいのを選んでしまいましたが、この「つくしや」さんのお惣菜はどれを選んでも間違いがなく、いつ食べても大満足できる美味しさです。 横浜橋通商店街は、世界のいろんな���おいしい」が集まるハマっ子の台所のひとつ。 その横浜橋通商店街わき、「DELICATESSEN つくしや」さんのお弁当は、是非ともお試しいただきたい逸品です!! 公式💁‍♀️ @tsukushiya0701 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ DELICATESSEN つくしや 045-315-2363 神奈川県横浜市南区浦舟町1-1-56 マークス横浜橋通り 1F https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140306/14085575/ ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ #DELICATESSEN つくしや #デリカテッセンつくしや #つくしや #横浜橋つくしや #横浜橋商店街つくしや #横浜橋通商店街つくしや #横浜橋商店街 #横浜橋通商店街 #Yahoo地域クリエイター #横浜テイクアウト #横浜コスパグルメ #横浜グルメ #食べログ人気店 #食べスタ #食べロガー #食べロガーみうけん #食べログ #みうけん @gourmet_kanagawa_ (つく��や) https://www.instagram.com/p/Co9V0gwS0ht/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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shagekirenshu-blog · 2 years
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9月15日から9月20日のごはん
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9月15日 甘鯛塩煮、甘鯛出汁、ゴーヤ白和え、焼き獅子唐 ふだんは甘鯛は丸魚で売っているのだが、賞味期限が近いのだろう、三枚におろした状態で売っていた。一パック二切れで980円。高いな、と思いながら買って帰った。 塩煮にした。塩を入れた80度くらいの昆布だしにしばらくひたすだけ。やはり甘鯛は甘くておいしい。色もとってもきれいだし。茹でるのに昆布だしにもだいぶ味が出ていておいしかった。 食べ終わったところで「まだ食べたい」と思った。もう一パック買えばよかったことに気づいた。二切れ食べれば十分というくらい食べられたのに。「飽きるまで甘鯛を食べたい」という思いを多分成仏させることができたのに。でも買い物しているときはそこまで思考が至らなかった。甘鯛がこんな手頃な値段で食べられることなんて滅多にないのに、その機会を逃してしまった。甘鯛への執着を抱えたままこれからも生きることになった。 あとはゴーヤの白和えと獅子唐を焼いたもの。獅子唐、昨日食べたときにあまりにも辛い個体が多い袋だということがわかったので、半分に切った段階で少しだけ舌に当ててみて辛いものは省いた。半分以上辛い個体だった…。
9月16日 鮎フライきゅうりのせ、さざえ、春菊サラダ、すぐき漬 大きな刺身用のサザエが二つで600円で売っていたので買ってみた。生まれて初めてサザエを食べる。もちろんサザエを捌くのは初めて。クラシルを見ながらサザエを解体した。手間がかかる。肝心の味だが、あまりピンとこなかった。 チェンチに行ってよかったことのひとつは、鮎のフライがおいしいと知ったことだった。そろそろ今年最後の鮎になるだろうなと思いつつ鮎を買い、フライにした。頭や骨まで食べられるし、鮎の草っぽい香りも存分に感じられてとてもよい。やはり塩もみしたきゅうりとよくあう。ちょっと品がないとは思いながらも、マヨネーズを添えて食べるととてもおいしかった。まあいいか、チェンチでもタルタルソースが添えられていたし。 春菊はレモンとオリーブオイルでサラダに。鮎の付け合せ。 上記の料理は日本酒がよく進む割にごはんがあまり減らなかったので、ふと買っておいたすぐき漬を取り出して食べた。飲み屋の〆みたいなかんじで楽しかった。すぐき漬みたいな日本のちょっとした加工食品の文化は僕が守る。
9月17日 王様のハンバーグ、春菊サラダ、ゴーヤマヨ  「学生ステーキ」改め「王様のハンバーグ」。つなぎが一切入っていないハンバーグだと思うととても贅沢。最近はオオゼキで超粗挽きの牛ひき肉が売っているのでそれを使っている。1ヶ月ほど前に現れた商品だが、好評なのか途切れることなく売り場に並ぶようになった。これで作る王様のハンバーグは本当においしい。三倍くらいの値段がするステーキよりおいしい。本当にオオゼキはありがたい。 今日の春菊サラダはバルサミコとオリーブオイル。 王様のハンバーグを更に迎え撃つべく、ゴーヤをマヨネーズであえたものを添えて。
9月18日 豚肉のリヨン、フェンネルサラダ、アスパラと卵 豚肉のリヨン。煮汁をさらに煮詰め、酢、砂糖を加えてソースを作ったのだが、煮汁の脂が強すぎるのかぜんぜん酸味が効かない。 フェンネルが大きな一株298円で売っていたので買ってきた。今日は茎の部分を使ってサラダを作った。大きな株だったのでこんもり一山できた。 なんだかフランス的なごはんだなと思ったので、もう一品もフランスを意識して作った。茹でアスパラガスに温泉玉子。
9月19日 フェンネルの水餃子 フェンネルの水餃子がおいしい、と聞きかじったので作ってみた。味付けはさらにシンプルにして、フェンネル、鶏肉、ごま油、塩のみ。レモンと塩で食べる。とてもおいしかった。また食べたい。
9月20日 フェンネルパスタ、万願寺とうがらし焼き まだまだフェンネルがあったのでオリーブオイルとペーストにしてパスタに。フェンネルらしい香りが弱まってしまい、いまいち。 万願寺とうがらしはよく焼いて塩を振った。
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gacchan-recipe · 2 years
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【レシピまとめ】ヘルシータンパク質食材◎豆腐Part2
ヘルシータンパク質食材◎豆腐Part2 #豆腐 #豆腐レシピ  過去投稿したレシピより 今日は我が家の #豆腐レシピ にピックアップしてレシピ をご紹介📝 低カロリーで高タンパク質、カルシウムも多く含む女性に嬉しい食材です🤍 メイン料理や副菜に!優しいかさ増しになります🌱 バリエーションを増やしたい方ぜひご参考にどうぞ💡 #がっちゃんレシピ #料理好きな人と繋がりたい #料理好きな人とつながりたい
豆腐でかさ増し◎豆腐ナゲット ① 木綿豆腐1/2丁をキッチンペーパーで包み、レンジで500W3分加熱し、重しを置いて30分ほど水を切る ② ボウルに鶏ひき肉200g・粉チーズ小さじ1と①と〈塩コショウ少々・ニンニクチューブ1センチ・マヨネーズ大さじ1・青のり大さじ1・片栗粉大さじ1〉を加えてよく混ぜ合わせる ③ フライパンに〈オリーブオイル大さじ2〉を熱し、②をお好みの大きさに丸め両面焼く ④ ③に火が通ったらキッチンペーパーに置き、余分な油を取る ⑤ 皿にレタス1/3個・ミニトマト2個と④を盛り付け、お好みで〈ケチャップ適量〉を添える 投稿ページ Instagram ふわふわ!シャキシャキ!◎れんこん入り和風ハンバーグ ① 木綿豆腐1丁を耐熱皿に入れラップを軽くし、レンジで700W3分加熱しだ後に重しを乗せて水を切る ②…
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aizumin · 2 years
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今朝のごはん。
鹿肉ソーセージ添え欧風カレー、しろざのおかか磯辺マヨ和え、マクドゥース、ベーコンとポテトのポタージュ。
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朝と言うよりはお昼に近かったけど😅
以前購入した🦌肉ソーセージを、そろそろ食べないとなぁとずっと思ってまして、🍛の肉が少ないのをいいことに添えてしまえと(この前もそうだったんですよね。次は🌭にしようかとか言ってたのに💦)
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🍚には彩りと少しだけ味つけの為に、茶葉とクリームシチューふりかけを混ぜ込んであります。ふりかけのお陰でごはんにコクが出せました😊🎵レトルトの欧風カレー(ただし金沢の有名フレンチレストランのシェフが監修)も、ひと手間加えたらご馳走になりました。🦌肉ソーセージ、また機会があったら購入したいです。少しクセがあるものの、🍻に合わせるにはぴったりの味。
次は絶対に🌭にして🍺と一緒に食べたい!!
しろざは今回マヨネーズ和えにしてみました。それだけだとワンパターンの味つけになってしまうかな?
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という訳で焼き海苔を軽く炙って千切り入れて混ぜた後で、トッピングにおかかを振りかけて香ばしさをプラス。それだけでも良かったんですが、マクドゥースもおかずに加えて少しでも野菜を摂ろうと💦💦自分で作ったものではないのが、ちょっと……ですね😥
炊いた🍚が少なめだったこともあり、普段はなるべく避けているクノールの根菜系のポタージュもメニューに加えました。🥓と🥔の組み合わせは最強!!🥔のねっとりとした味わいが好きで購入したんですが、なかなか食べる機会がなかったんですよ💕
今朝はほぼ茹でるだけの調理しかしてません😋またもや楽をしてしまった。
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umedanakazaki · 2 years
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ネットで「ひとり飲み」を検索するとHITするらしく、相次いでおひとりさまが来店される。昨日のお客様は「大当たりです!」と喜び、今日来店のお客様は滞在中も帰り際も、ずっと喜んでくれた。さっき検索してみたらオシャレなお店が並ぶ中になぜかポツンとてつたろうが有った。ありがとうございます! 愛情の反対は憎しみではなく、無関心だ。一言、声を掛けてみる。ただそれだけで何かが伝わる。 さて、本日の日替わり弁当です。 #7月1日 #日替り弁当 関西の夏といえば鱧 #鱧フライ #ふっくら食感 #タルタルソースで 湯引きだけじゃない フライも美味しい ご飯の上に #照焼きチキン ネギとマヨネーズを添えて 副菜はい #竹輪とこんにゃく炊いたん #夏野菜のマリネ バランス抜群 税込み550円 皆様のご注文お待ちしております。 #てつたろう #マザーテレサ #名言 #梅田居酒屋 #中崎町居酒屋 #海鮮居酒屋 #大阪グルメ #イーデリ #支援者募集中 #セキュリテ #ファンド募集中 (at 梅田中崎 てつたろう) https://www.instagram.com/p/CfcqCi0Pbjy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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pezo-pvntp · 2 years
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頂き物のアスパラを 1回戦は蒸しで 2回戦はグリルで 3回戦はナムルのつもりが そのまま食べてしまった、、 #ふつうのマヨネーズを添えて #コーンパンも添えて #また貰えたらグリルだな https://www.instagram.com/p/Cd2Pg14OKj1FIezU8_2D1xFj_y5o9clkn1xGm80/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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arara1212 · 3 years
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長野市「かっぱ寿司 長野稲田店」夜のかっぱ寿司② 店名 かっぱ寿司 長野稲田店 場所 長野県長野市稲田1-13-16 電話 026-2591253 ジャンル 回転寿司チェーン バリアフリー ◯ 駐車場 あり 食べたもの 多数 ⁡ ⁡ さて続きでございます。 ⁡ ⁡ 「ほたて」220円 定番中の定番。そもそも貝好きであるからしてこれを食べないわけがないではないか。旨味たっぷり、ほんのり甘味と舌先でほろりとした崩れっぷりが楽しくてならない。 ⁡ ⁡ 「ねぎとろ軍艦」110円 これも定番。というか、いつの間にねぎとろは定番化してしまった。これも賄いから発展したメニューであったかと思う。出汁醤油をたっぷりふりかけていただく。ねっとりとした舌ざわりがなんとも言えずによい。 ⁡ ⁡ 「茄子の揚げびたし」110円 これも季節商品なのであろうか。そんなことはどうでもよろしい。世の中でナスほど美味いものはない、目の前にナスがあれば喰らい尽くす。これが私の使命、ライフワークといえるのだ!美味い!美味い!美味い! ⁡ ⁡ 「ルーロー飯風つつみ」110円 ルーロー飯とは『滷肉飯』、台湾の代表的な具のせご飯。香辛料を効かせた肉の煮物が印象的な料理をかっぱ寿司風にするとこんな感じになる。白飯ではなくシャリの上に甘い角煮、その上には1/4に切り取られた味玉。美味いけどもう少し欲しいよね、と思わせるところが巧みなところでもある。 ⁡ ⁡ 「サーモン三貫オニオンマヨ」165円 サーモン、焼きサーモンそしてとろサーモンというかっぱ寿司代表作にオニオンスライスをのせマヨネーズを添えたもの。だれが思いついたのかはわからないが、オニスラ、サーモン、マヨネーズと醤油の味わいが見事な調和をみせてくれる。 ⁡ ⁡ 「一貫とろぶつ軍艦」110円 こちらはねぎとろではなくぶつで作られている。味わいはあまり変わらないが、舌ざわり歯ごたえがまったく違う。世界観そのものが違うというか。軽く出汁醤油をふりかけていただくと味わいが一層増してくる。 ⁡ ⁡ 「厚焼き玉子」110円 デザート代わりの玉子焼き。気が利いていて暖かいものと冷たいものが用意されている。時間があれば両方いただいたが、ラストオーダーぴったりだったので冷たい方のみ。冷やりほんのり甘く柔らかくという玉子焼きはとても完成度が高い。 ⁡ ⁡ 30分ほどの時間で全11品。食べも食べたりというところだがしみじみ美味かった。もう少しゆったりいただきたかったが、こればかりは仕方がない。飲食店のみなさんも大変だ。こんな程度で応援などとは言えないが、お互いしっかりやっていきましょう。 ⁡ ⁡ ⁡ #長野 #長野市カフェ #長野グルメ #長野市 #長野ランチ #ランチ #長野市グルメ #寿司 #回転寿司 #かっぱ寿司 (かっぱ寿司 長野稲田店) https://www.instagram.com/p/CTXK8PbFy0y/?utm_medium=tumblr
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本日のレシピ「ブレザオラ、サンペレグリノとアボカドのマヨネーズ、ブッラータチーズ添え」 いつの時代でも、私は食事のはじめに、アンティパストと呼ばれるハムやチーズ、オリーブなどのフィンガーフードを豪快に盛り付けて楽しみます。 熟練した職人が、これらの生ハムを作るために惜しみない努力をしているからこそ、一切れ一切れに感謝することができるのです。 今回紹介する「ブレザオラ、サンペレグリノとアボカドのマヨネーズ、ブッラータ添え」は、美味しいブレザオラ(100%天然、保存料不使用)を作った職人と、私がレシピによく使っている天然水サンペレグリノの生産者への尊敬と称賛の気持ちを最大限に表した料理です。 ブレザオラはイタリアで人気のある生ハムの一種で、牛の脚肉を使用して作られます。 塩、ナツメグ、シナモン、ジュニパーベリーなどと一緒に、1〜3ヶ月間熟成させます。 一般的な食べ方はオリーブオイルとレモン汁をかけ、薄く削ったパルメザンチーズをのせて、カルパッチョのように食べます。 しかしこの料理では、パルメザンチーズの代わりにクリーミーなブッラータチーズとアボカドのマヨネーズを使うことにしました。 鮮やかなトマトの色は食卓を華やかにすること間違いありません。 皆さんもぜひ、前菜として作ってみてください!   材料 - 2人分 チャバッタ(またはバゲット)の薄切り8枚(クルトン用) ※チャバッタとはイタリアの北部、ロンバルディア地方が発祥の地とされる伝統的なパン
(参考:パンの図鑑https://bread.jp.net/ciabatta.php) アボカド1/2個 アンチョビ(塩漬け)1枚 レモン汁 大さじ1/2 ディジョンマスタード 小さじ1 エキストラバージンオリーブオイル(マヨネーズ用):大さじ2 サンペレグリノ(炭酸水) 大さじ3 フィオル・ディ・マーゾ・ブレザオラ・ナチュレル70g(6~7枚) ブッラータチーズ 100g オリーブオイル(盛り付け用)小さじ2 オリーブオイル(仕上げ用)小さじ2 バジル 1~2枚 おまけ:ニンニク(香り付け用)1/2片 「ブレザオラ、サンペレグリノとアボカドのマヨネーズ、ブッラータ添え」 作り方 1)チャバタまたはバゲットを0.5cm幅のごく薄いスライスにし、オリーブオイルで軽く焼き色がついてカリカリになるまでソテーする。 ペーパータオルの上で油を切っておく。 2)背の高い瓶または容器に、アボカド、アンチョビ、レモン汁、マスタード、オリーブオイル、サンペレグリノのスパークリングウォーターを入れる。 ハンドミキサーを使ってすべてを混ぜ合わせ、サンペレグリノ・アボカドマヨネーズを作る。 他にも、ニンニク1/4片(潰したもの)をマヨネーズに加えることもできます。 サンペレグリノとブレザオラにはすでに十分なナトリウム(塩分)が含まれているので、塩は必要ありません。 また、サンペレグリノの炭酸水を使うことで、よりふんわりとした軽いマヨネーズになります。 3)盛り付けるお皿にオリーブオイルを小さじ1杯垂らし、半分に切ったニンニクの断面を使い皿の底面にオイルが均等に行き渡るように優しくこする。 4)お皿の上にブレザオラのスライスを並べる。 このレシピで使用しているブレザオラは、保存料を一切使用せずに作られているので、自然な味わいを楽しむことができます。 ブッラータチーズを半分に切り、それぞれを3等分にする。 小さなスプーンでブッラータチーズをブレザオラの様々な部分に乗せる。 5)アボカドマヨネーズを小さなスプーンで、ブッラータに重ならないようにブレザオラの上にのせる。 6)盛り付けたアボカドマヨネーズに1で作ったクルトンのスライスを刺し、バジルの葉をブッラータチーズの上に飾り付けます。 7)最後に、小さじ1杯のオリーブオイルをかける。 この料理は、7歳になる娘のCassiからインスピレーションを受けて作りました。 次のブログ記事にどんな食材を使おうかと娘と話していた時に、私の話を聞いて、すぐに「ブレザオラのスライスにブッラータのボールをのせ、パンを添える」という絵を描いてくれました。 私の子供たちは皆、真の美食家だと自負していますが、彼女の美しい絵がこの料理を作るきっかけとなったのです。   サンペレグリノ日本公式HP https://www.sanpellegrino.com/jp/jp   私のホームページですべてのレシピをチェックしてみてください! https://salvatorecuomo.net/ @sanpellegrino_official @acquapanna @fiordimaso.tokyo @fiordimaso.it #chefsalvatorecuomo #salvatorecuomo #fiordimaso #bresaola #sanpellegrino #recipe #appetizer #burrata #italiancuisine #サルバトーレクオモ #サルヴァトーレクオモ #イタリア料理 https://www.instagram.com/p/CUNFUskJUZP/?utm_medium=tumblr
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nostalblue · 4 years
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かりふらわー
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晩夏にポットに種を蒔いて、ある程度の大きさに成長したら気象等のタイミングをはかって畝に定植し育てる。同じ時季に同じプロセスで栽培するブロッコリーは、カリフラワーと同じくキャベツの変種であり、幼苗はほとんど見分けが付かないが、定植後成長が進むにつれそれぞれの特徴が出てくる。花蕾の成長が早く先に収穫出来るようになるのはカリフラワーだが、頂花蕾の後に側花蕾も収穫出来るブロッコリーと違い、カリフラワーは頂花蕾を1回収穫したらそれでおしまい、首を落とされた胴体のごとく茎葉が残る(哀)。
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ちまたでは花蕾をより白く保つために、葉を巻いたり切った葉を乗せたりするらしいが、ここでは売るわけでもないのでそんなことはしない。定植後はほぼ放任だが元気に育ち、それなりの収穫が出来るので問題はない。ただ蕾がより大きくなるのを期待し収穫適期を逃すと間隙が出来て脆くなってくるので、その見極めは必要だ。幸い各株の成長に個体差があり、程々の大きさになったものから摘み取って食べていけるのは都合が良い。
そんなカリフラワーも今年はヒヨドリの食害を激しく受け、写真のように防鳥ネットで囲うハメに。ブロッコリーと混植しているのでまとめて囲えたのは不幸中の幸いだったけど。
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調理は他の具材と一緒に煮たり炒めたりするも良し、単独で塩茹でするのも良しだが、加熱し過ぎずある程度の硬さを残しておいた方がより食感を楽しめる。上の写真は、手で程よい大きさに割いたものを皿に載せ、電子レンジで好みの硬さになるまで加熱した後、イタリアンパセリを添えマヨネーズをかけただけのもの。極めて簡単だけど、食感良く、成分の流出もなく、おかずとして美味しく頂けるのであります。
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mark311text · 5 years
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mark=311
私は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)出身です。
今日は2011年から7年。2018年3月11日、午後2時46分から1分間の黙祷を終えたところです。
2011年3月11日
私は中学2年生で、卒業式の予行練習で午前授業だった。お昼過ぎには家に帰って、両親の部屋でテレビを見ていた。高校生だった兄も帰宅していて、家には私と兄と猫の太郎がいた。
こたつに入って横になっていると、突然、「ゴーーーー」というものすごい音がした。長かった。びっくりして固まっていると、次は激しい地震がおこった。体がゆさぶられるような揺れだった。太郎は驚いてこたつの中にとびこんだ。見ていたテレビが倒れ、画面が割れ、ここにいては危ないと思った私は、ベッドの上にあがり、上になにもない部屋のすみに避難した。クローゼットの扉は全開になり、中の荷物が全て床に落ちた。お母さんが使っていた、普段はうごかせないほど重いドレッサーも、揺れに合わせて生き物のようにズ、ズ、と前に動いていた。ガタガタと揺れる音や、ガシャーンと1階の台所からか食器の割れるような音が聞こえ、すごく怖かった。揺れはなかなか収まらず、もしかしてこのままずっと揺れているんじゃないかと怖くなり、耳をふさぎながら「あーあー!」と大きな声で叫んでやりすごした。
しばらくして揺れがおさまったので、自分の部屋に戻ろうとすると、ふた間続きになっている手前の兄の部屋は、タンスの引き出しや勉強机の上にあったものが全て落ち、足の踏み場がなくなっていた。地層みたいだった。物を踏みながら奥の自分の部屋に行くと、そこも同じように物の海になっていた。
兄に「とりあえずお父さんのところに行こう( お父さんは家の近くの公民館職員)。」と言われ、部活で使っていたエナメルバッグに持ち出せそうなものを入れ、ラックの上にひっかかっていた薄手の黒いジャンパーを着た。
もしかしたら役に立つかもしれないとお母さんドレッサーの引き出しに入っていた、カード会社や保険会社からの郵便物もカバンに入れた。無意識だったけど、もう家に戻ってこられないかもしれないと思ったのかもしれない。
兄が「避難所では猫の食べるようなものはもらえないと思う」と言うので太郎のご飯が入ったタッパーも鞄に入れた。太郎が怖がってこたつの中から出てこなかったので、兄に頼んで無理やり引っ張り出してもらった。このとき、兄は膝を悪くしていて、無理をすると膝の皿がずれてしまう状態だった。太郎を無理にだしたので膝が痛んだようで、少し休憩してから家をでた。その間も何回か揺れがきていて、家の壁には亀裂が入っていた。
外にでると、道路はでこぼこになっていて、マンホールからは水が溢れていた。家や電柱は傾いて、いつもの景色がゆがんでいるようだった。私たちと同じように、みんな近くの避難所へ移動しようとしている様子で、公民館に向かった。公民館のグラウンドでは小さい子たちが楽しそうに遊んでいた。状況がよくわかっておらず、興奮しているようだった。
公民館の中で誘導をしていたお父さんに会いに行くと、「津波がくるそうだ。公民館は津波の指定避難所ではないから( 公民館は二階建てで低い建物) 小学校か中学校に誘導するよう連絡がきたから、お前たちもそっちに早く避難しろ。」と言われた。
お父さんに話しかけるまで舞台の上で座っているときに、自分の膝から血が出ていたことに初めて気づいた。どこかにこすったようだったけど、不思議と痛くなかったことを覚えている。
お父さんから、津波がくると言われたけど、いつも津波がきても何センチかで結局大したことなかったので、今回もそんなもんだろうと思っていた。いつだったかのチリ地震の際もそうだったからだ。同じようなことを話している人もたくさんいた。私たちは2キロ先の小学校に向かった。
小学校に向かう途中、生協の前でNちゃんに会った。お兄ちゃんとはぐれたらしく、家に一回戻ると言っていた。私は津波が来るらしいから戻らないほうがいいと言ったが、大丈夫だからとNちゃんは戻ってしまった。
Nちゃんは津波にのまれて死んでしまった。
もっと強く引き止めていればよかった。
消防車が走って避難を呼びかけていた。
いつも何かあると鳴る、町のサイレンはこの日、鳴らなかった。
中学校の前で兄の膝が痛み出したので、予定を変更して中学校に避難することにした。中に入ると誰かが「3階か屋上へ!」と叫んでいた。兄と私は上へと向かった。外階段から中へ入られるドアをガンガン叩く音が聞こえ、見ると女の人が必死にドアを叩いていた。ドアの前に机が置いてあり、開かないようだった。でも、みんな自分の避難に必死で誰もどかそうとはしなかった。兄と机をどかし、ドアを開けた。「津波だ!」と、窓の外を見た。黒い水がじわじわと学校の駐車場に流れてくるのが見え、おじいちゃんが一人、まだ外にいるのを見つけた。「逃げて!」と叫んだけど、そのおじいちゃんが助かったかはわからない。
少し遠くを見ると。ず……、と、景色がそのままゆっくりゆっくりと動いた。町の中に船が見えた。船が家にぶつかり、家はぼろぼろになって崩れていった。あちこちに水の上なのに火が見えた。町全体が濃い灰色だった。兄と三階の教室から、水没したグラウンドを見た。水でいっぱいで、まるで映画を見ているようだった。夜になるにつれてどんどん暗くなり、懐中電灯を教室の真ん中あたりに置き、壁や周りにアルミホイルを貼って反射させて明かりを作った。持ってきたラジオからは、「絶対に水辺には近寄らないでください。被害の状況は­———」というような声が繰り返し聞こえていた。私は湿った教室の床に横になり、太郎を抱いていた。何も食べていないはずなのにお腹は空いていなかったし、眠気も全く来なかった。気づいたら朝になっていた。
朝になると水は引いていた。町を見たくて屋上にいった。それと、太郎がトイレをするかなと思って。屋上から見た景色に、町はもうなかった。グラウンドには車や船や瓦礫のようなものがぐちゃぐちゃになっていた。目の前にあった生協もなかった。今度は町が茶色だった。
あのときのトイレは今でも思い出すと吐きそうになる。人の用を足したものが積み重なり、ひどい臭いだった。吐きそうになりながら用をたした。学校には知ってる人がたくさんいて、Sちゃんに会った。Sちゃんは学校のジャージで、お腹から下は泥まみれだった。津波に少し飲まれたらしい。Sちゃんはお母さんとまだ合流できてない、小学校の方にいるかなあと言っていた。あとから知ったが、Sちゃんのお母さんは津波で死んでしまっていた。
お昼前ぐらいに兄が自宅の様子を見に行くと言って、少しして戻って来た。うちがあった場所には、うちの二階の屋根があっただけだったようだ。まだ実感がなく、そうなんだうちはもうないのか、と冷静に思った。
そのうちに大人の人たちが崩れてしまったお店から、食べ物や飲み物を持ち出してきた。避難した時に食料を持ち出すことのできた人たちから少しだけお裾分けをもらった。でも全員分はもちろ���ないので、たしか私はベビーチーズのようなものを一口分食べた。太郎にはお水を少しだけもらえたのでそれをあげた。
安全な内陸の避難所に全員移動することになったが、中学校の出入り口やバスが迎えに来てくれるおおきな道路にでるまでの道には、船や車や瓦礫などがたくさんあって、大勢の人が移動できるような状況ではなかった。なので自衛隊が道を作ってくれるまで待機するように言われた。
暗くなる前に作業は終わり、みんなでバスのところまで歩いた。海水のようなにおいと、ものが燃えたこげたにおいとガソリンのようなにおいがした。いたるところに車や船があって、きっと中には人がいたかもしれない。水は引いていたけど泥がすごくて、靴はすぐにぐしゃぐしゃになった。靴にビニールをかぶせていた人もいたけど、結局みんなどろどろになって歩いていた。
私と兄と太郎は、内陸の小学校の体育館に避難することになった。着くとすでに近隣の地域の人も避難していて、人がいっぱいいた。入り口でおにぎり一つと使い捨ておしぼりを一つずつ配られた。どこか寝る場所を確保しようとしたけど全然場所がなくて、体育館の中のゴミ回収のスペースの前が少し空いていたのでそこに落ち着いた。おにぎりを食べて、おしぼりで足を拭いた。毛布やシートも物資で配られたりしたようだったけどわたしたちがついた頃にはもうなかったので、余っている段ボールをもらって、段ボールを床に敷いて横になった。近くから避難してきた人たちは、自分の家から持ってきた毛布や服などであたたかそうで、わたしたちみたいな海から逃げてきた人たちとはギャップを感じた。目も怖かった。太郎も不安なのか、私のジャンパーの中から出てこようとしなかった。でもそのおかげで、すごく寒かったけど、お腹はあったかかった。中学の先生が状況把握のため点呼をとっていて、太郎をお腹に抱えた様子をちょっと笑われた。
夜、暗い中で何回か余震があって、そのたびに体育館の照明が大きく揺れて、ざわざわした夜だった。
朝になると支援物資が届いた。飲み物はコップがないともらえないと言われて、考えて、ひとり一個もらえるパンの中からサンドイッチ用のパンを選んで、その空き容器で飲み物をもらうことにした。兄はマヨネーズ入りのカロリーの高いロールパンを選んで、とにかく栄養を確保するように2人で食べた。トイレは、プールの水をバケツでくんで流せたので困らなかった。古着も物資で届いたので、パーカーなどの着られそうなものをもらった。わたしたちの隣にいた老夫婦が小さな犬を連れて避難していて、太郎は犬に懐かれていて面白かった。
兄と座っていると、名前を呼ばれた。お母さんとお姉ちゃんが走ってこちらに向かって来ていた。
生きててよかったと抱きしめられた。みんなで号泣した。
お母さんは仕事で内陸にいて、お姉ちゃんもバイトで海からは少し離れたコンビニにいて、津波が来る前に東部道路に避難して助かっていた。2 人は違う小学校で合流できていたようで、わたしたちの地域の人たちが避難している場所を探していてくれたようだった。お母さんが働いていた保育所の休憩室を間借りしていいといわれたらしく、そこに移動することにした。車できたからそれでいこうと外にでると、血の繋がっている方の父がいた( 私の両親は離婚していて、お母さんは再婚して、新しいお父さんがいます)。私は父のことを嫌っていたし、何年も会ってなかったけど、そのときはなぜだかとっても安心して、頭を撫でられて肩を抱かれると泣いてしまった。非常事態だったので、お母さんも連絡をとって食料や布団などをわけてもらったらしい。
車に乗り、保育所に向かう途中、太郎が安心しておしっこをもらした。避難所では粗相をしなかったので、太郎もがんばっていたのだなと思った。
保育所の休憩室は、5畳ないくらいのスペースで小上がりの畳になっていた。畳の上に段ボールを敷いて、布団を敷いて、家族で川の字になって眠った。やっぱり寒くてなかなか寝付けなかったけど、お母さんが抱きしめてくれたおかげで、よく眠れた。
次はお父さんと合流しようと、情報を求めて市役所に向かった。市役所の中に入ると、壁いっぱいに「◯◯に避難しています◯◯みたらここに連絡をください」といったような内容の紙がびっしりと貼られていた。その中には知っている名前も幾つかあって、ああ無事だったのだなと安心したこともあった。お父さんの名前を見つけたけど、けがをしている、というようなことが書いてあったので焦った。とりあえずお父さんがいるという避難所へ向かうと、お父さんは元気そうに出入り口近くの椅子に座っていた。安心したお母さんはへなへなになって笑った。あのときは情報が錯綜していたので、間違ってそう書かれてしまったらしい。すぐに同じ場所にお父さんも移動したかったけど、お父さんは公務員なので被災者の誘導等の仕事があったのですぐには保育所に一緒に戻れなかった。
保育所での生活は体育館にいるときよりずっと過ごしやすかった。狭かったけど、家族がみんないて、人の目を気にしなくていいのはすごく救われた。電気はまだ復旧していなかったけど、水道が使えて嬉しかった。ごはんも、お母さんの仕事仲間の人が炊き出してくれたりして、あたたかいものを食べられた。ずっとお風呂に入れてなかったので気持ち悪くなって一度、水で頭だけ洗ったけど、寒すぎて凍えた。被災してから一週間たたないくらいに、電気が復旧し始めて、近くの家に住んでいたお母さんの職場の人の好意でお風呂に入らせてもらった。久しぶりのお湯はあったかくてきもちよかった。
お店もすこしずつものを売られるようになって、学校もない私と兄と姉はそれぞれ生活に必要なものを行ける範囲で探し回った。持ち出せたお小遣いをもって、とにかくいろんなお店でなにか買えないか歩き回った。個数制限で、ひとり3個までしかものが買えなかったり、なにも残ってなかったり、3時間以上並んだりした。
あるとき、ひとりでお店の列に並んでいると、知らないおじいちゃんに話しかけられた。どこからきたのかなんでひとりなのか聞かれ、答えると「大変だったね」と自分が買ったバナナを分けてくれた。少し泣いてしまった。いろいろなところで食べ物などを買えてうれしかったけど、そのころは物資不足で窃盗や空き巣が多発していたので、ビクビクしながら保育所に帰る道を早歩きでいつも帰っていた。
銀行でお金をおろせるようになり、保育所も再開するので長くはいられないと、アパートを借りることになった。お父さんががんばって見つけてくれた。引越して、いろんな人の好意で家電や家具をもらって、なんとか避難所生活はひとまず終わった。
アパートで炊飯器をつかって炊いた、炊きたてごはんをたべたときはすごくすごくおいしくて、おかずは缶詰の鯖だったけど、何杯もおかわりをした。あのとき食べたごはん以上に美味しいと感じたものは今もない。
アパートで暮らし始めて少しして、携帯の電話番号を覚えていた友達に電話をかけてみた。その子は飼っていたペットたちは犠牲になってしまったけど無事だった。ただ、その子との電話で「Aちゃん残念だったね。」と言われた。Aちゃんは私のすごく仲良しの女の子で、どういうことなのか理解できなかった。
Aちゃんの妹の名前と避難先の書かれたメモを市役所でみていたので、Aちゃんもきっと無事だろうと思っていた。「新聞の犠牲者の欄に名前が載っていた」そう言われて、後の会話は覚えていない。電話の後に新聞を読み返して犠牲者の欄を探したら、Aちゃんの名前を見つけてしまった。新聞に名前が載っている,という証拠のようなものをつきつけられて、一気に怖くなり、悔しくて信じられなくてまた泣いてしまった。
兄もその欄に仲の良かった友達の名前を見つけてしまったようで、リビングのテーブルに突っ伏して、「なんでだよ」とつぶやきながらテーブルを叩いていた。
4月のある日の夜、また大きな地震が起こった。また津波が来るのではないかと家族全員で車に乗り、指定避難所に急いだ。幸い、なにもなかったが、その日の夜は怖くて車から降りられず、朝まで起きていた。
通っていた中学校から一度学生も職員も集まるよう連絡が来た。当日は市の文化会館に集合し、そこからバスで市内の小学校に移動した。久しぶりに同級生と再会して、今どこに住んでいるのか家族は無事だったのかたくさん喋った。そしてみんなが集まった前で先生が、犠牲になった同級生の名前を読み上げた。Aちゃんの名前も呼ばれた。先生の声は震えていて、最後は泣きながら私たちに向かって話していた。7人の友達が死んでしまった。学校全体では、14人の生徒が犠牲になった。
私はすごく後悔していることがある。遺体安置所に行かなかったことだ。市内のボーリング場が安置所になっていて、そこにAちゃんがいることもわかっていたが、怖気づいていけなかった。私とAちゃんともう一人とで三人で仲良くしていて、そのもうひとりの子は会いに行っていた。顔中があざだらけでむくんでいた、と言っていた。お化粧をしてあげたよと聞いた。私も会いに行けば良かった。
学校は市内の小学校の旧校舎を間借りして再開した。歩いて行ける距離ではなく、駅から毎日臨時のスクールバスが出ていたので、私はそこから毎日学校に通った。文房具や教材は支援物資が届いて、しばらくは制服もなかったので私服登校だった。何週間も字を書いてなかったので、文字が下手くそになっていた。遠くに避難して、転校してしまった子もいたけど毎日家族以外の人とも会えるのは嬉しかった。でも、間借りしていることは肩身が狭かった。間借り先の小学校の子とは話した記憶がない。支援物資や有名人がきた時は「ずるい」、「 そっちばっかり」と言われるよ���なこともあった。自分は生徒会役員だったため、お礼状や物資管理を手伝っていたけど、千羽鶴や「頑張って!」、「絆」などのメッセージを見るたびに複雑な気持ちになった。無理やり前向きになれと言われているようだった。
学校も落ち着いた頃、同級生の一人のお葬式に参加した。小学校の頃から係活動で仲良くなった子だった。その子はお母さんも亡くなって、その子のお父さんから良かったらきてほしいと連絡があった。とても天気のいい暑い日で、田舎の方の緑がたくさんあるところでお葬式が行われた。久しぶりに会ったKちゃんは小さな箱になっていた。焼かれて骨になって骨壷に入ったKちゃんは、軽くて白かった。お墓にお箸で骨を一つ入れさせてもらった。「ああ、Kちゃんはもういないんだ」と、「こんなに小さくなってるなんて」と、脱力した。
私は夢を見るようになっていた。夢の中で津波から逃げたり、友達と会ったりしていた。その中でも強烈だったのが二つ
ある。一つは、どこかのホテルに友達と泊まりに来ていて、ホテルのベッドで飛び跳ねて遊んでいた。途中までは私も遊んでいたけど、何か変だと感じて、だんだん飛び跳ねている音がうるさくなってきて、「ねえもうやめようよ」と声をかけた。するとその音は「ゴーーーー」という地鳴りの音に変わって、私は耳を塞いでしゃがみこみ、叫んだところで目が覚めた。自分の叫び声で起きた。
もう一つは、なぜか私は小学生で、小学校の帰り道をAちゃんと何人かの友達と歩いていた。夢の中では納得していたけど、不思議なことにみんなでAちゃんのお葬式に行こうとしていた。道の途中で、2本に分かれているけど少し行くとまた繋がる道があり、そこで私はAちゃんをびっくりさせようと「また後でね!」と違う方の道を走って待ち伏せしていた。でも、だんだん不安になって、泣きながらAちゃんを探した。立ち止まっているAちゃんを見つけて、「 行かないで!」と抱きついた、Aちゃんは静かに「なんで私のお葬式があるの?」と、聞いてきた。
そこで目が覚めた。しばらく体は動かず、寝ながら泣いていたようで、頬が涙でカピカピになっていた。
冬になって、12月11日の早朝、お母さんとお姉ちゃんの声で起きた。どうしたのかとリビングに行くと、2人が「お父さん!」と声をかけて、体を揺すっていた。後から聞いた話によると、朝、お姉ちゃんがバイトの支度をしているときに、お父さんから寝息が聞こえず、お母さんに「変じゃない?」と言って、2 人で起こそうとしたようだった。私も声をかけたが起きず、お母さんは「かなこ!( お姉ちゃんの名前) 救急車!」と叫んで、心臓マッサージを始めた。バキバキと骨の折れる音が聞こえた。お父さんの胸はベコベコにされていたが、起きない。私も交代でマッサージをして、救急車を待った。救急車が到着して運ばれる直前、そっとお父さんの足を触った、氷のように冷たくて硬かった。救急車を後ろからお母さんの車で追いかけ、病院についた。ドラマで見たような部屋に運ばれ、看護師に心臓マッサージをされていた。心電図はまっすぐで、「ピー」という音がなっていた。何分間かどれくらい経ったか、マッサージが止まり、瞳孔を見られていた。「すいません」と看護師の方が言い、「ご臨終です」と、初めて聞く言葉を耳にした。病室には「ピー」という音とが響いていた。
みんな無言で家に戻り、お母さんがリビングに座ったところで、「どうして!」と泣き叫んだ。お母さんがそんなに泣いているところを初めて見た。お父さんのことはまだショックでよくわかっていなかったけど、その姿がどうしようもなく悲しくて、お姉ちゃんと抱き合って泣いた。
中学校には、お母さんが色々な手続きで忙しそうだったので、自分で電話をした。担任の先生に繋がり、ほぼ文章になっていなかったけど泣きながら事情を説明した。先生はゆっくり聞いてくれて、学校のことは心配しなくていいよと言ってくれた。
お葬式までの間、斎場でお父さんと過ごした、ドライアイスで冷やされて、冷たかったけど、箱の中にはずっといて、怖くもなかったし、もしかしたら起きるんじゃないかなんて思ったりもした。まあ、当たり前にそんなことはなく、火葬の日がきた。
お父さんが焼かれる場所へ、親族一同で向かった。炉の中へ入れられるとき、もう体さえもなくなってしまうんだと、お父さんに会えなくなるんだと理解した私は一気に悲しくなり、「お父さん」とつぶやいた。涙が止まらなくなり、「行かないでよ」とつぶやいた。お母さんが私の背中をさすった。兄が私の頭に手を添えた。
お父さんは焼かれた。ちゃんとお骨を拾い、壺の中にお父さんは収まった。
お父さんは公民館職員で、そして糖尿病を患っていた。震災の日、公民館は建物が低いので、違う避難場所に誘導している途中で津波が来た。目の前で他の職員が流されるのを見たそうだ。公民館にいた人はギリギリ二階に登り助かったものの、船が建物にぶつかって半壊し、もう少しでみんな死んでしまうところだった。でも、避難途中で犠牲になった人の遺族からすれば、いたら助かったじゃないか! とひどく責められていたらしい。
避難場所でも、公務員はずるい優遇されていると同じ被災者なのに責められ、ストレスで体がおかしくなっていた。持病の糖尿病が悪化し、20キロ体重が増えていた。お母さんから後から聞いた話によると、毎晩のように公民館のグラウンドいっぱいに遺体が並び、こっちに来いと呼ばれる夢を見ていたそうだ。死因は無呼吸からの心肺停止だった。
お父さんは震災に殺された。
お父さんの死と、自分の受験のシーズンが重なり、私は少しおかしくなっていた。受験している場合なのかと悩んで、身が入らなくなっていた。トイレで隠れて手首を切るようなこともあった。今思えば、なにも考えたくなかったからそういうことをしてしまったのかもしれない。様子がおかしいと思われたのか、スクールカウンセラーの先生に、週1回、カウンセリングを受けることになった。行きたくなくてサボった日もあるけど、先生は怒らなかった。優しくいろんな話をしてくれた。友達にも支えられて、なんとかいつも通りに過ごせるようになった。
高校受験もおわり、合格発表の日、私は1人で受験した高校に結果を見に来ていた。無事番号を見つけてお母さんに連絡すると、すぐにメールで返事が帰ってきた。メールが2通届いて、確認してみると、もう1通はお父さんの携帯からだった。「合格おめでとう!」と、本当にお父さんからきたかと思って嬉しかった。すぐにお母さんがお父さんの携帯で送ってくれたのだろうと気づいたけどとっても嬉しかった。
高校では美術科に在籍していたため、常にコンペに向けて制作をしていた。一度だけ、Aちゃんを描いたことがあったけど、周りには誰ということはなにも言わずにただ描いた。それっきり震災関連で制作をすることはなかった。
高校生活の中で辛かった授業がある。保健体育の授業だ。心肺蘇生の心臓マッサージを学ぶ授業の時は、お父さんの感触を思い出して辛かった。避難について学ぶ授業では、ふざけた男子生徒が、避難のシミュレーションを発表するときに「津波だー!」とヘラヘラしながら津波のモノマネをしていて腹がたった。そういう授業があった日は、その日1日は震災のことなどで頭がいっぱいになり、帰ってからいつもお母さんやお姉ちゃんに慰めてもらった。
そして何度か震災復興のためのアートプロジェクトに参加した。被災者として何かしなければと義務感に駆られて、割と積極的に参加した。でも、いつも心の隅には、こんなことをしてなにになるのだと皮肉な自分もいた。震災の時のことを公演してくれ、文章にしてくれ、という依頼は全て断った。語ったりはしたくなかった。
高校の卒業制作展で、ゲストを迎えたパネルディスカッションを行った。ゲストは有名な大学の先生で、私は卒展の実行委員長としてトークをした。その中で、「地域復興」の話題を担当し、いろいろなことを話したけど、「私もゆくゆくは自分の地域をなにかしら盛り上げたい」と口にした後は「本当にそう思っているのか?」と、苦しい気持ちになった。立派なことを言わなければ、というプレッシャーがあった。
いつも3月11日は家で家族と過ごすようにしていたけど、2015年のその日は、震災以来初めて閖上にいた。
京都に引っ越す前にみんなに挨拶がしたいと思ったからだ。お花を持って友達と待ち合わせをして、久しぶりに来た日和山は、前はみんなで鬼ごっこをして遊んだ場所だったけど、今は慰霊の場所になっていて、上から街を見渡すと、何にもなかった。まっさらでたまに草が伸びている、そんな景色だった。
中学校に移動して、2時46分を待った。鳩の形の風船が配られて、メッセージを書いた。「行って来ます。」と。そして2時46分、みんなで風船を飛ばした。
でもその瞬間はひどいものだった。多くの人がスマホを構えて、風船を飛ばす瞬間を撮っていた。カメラの音がたくさん聞こえて悲しくなった。なんのためにやっていることなのか、気持ち悪かった。一緒に来ていた友達も怒っていた。イベントじゃないんだ、と叫びたかった。
京造に進学してからは、震災の話題に触れることは少なくなった。し、自分でも避けるようになった。
宮城出身です、というと大体「震災大変だったでしょ?」と言われた。「そうですね」と正直に言うと、気まずそうな申し訳なさそうな対応をされた。それが嫌で、出身は言いづらくなって、「震災大変だったでしょ?」と言われても、「大丈夫でしたよ」と言うようにした。一回生の授業である先生が、どんな内容で言ったのかは忘れてしまったけど、「津波はあっけなく人を殺すからね〜。」と、さらっと言ったことがあった。私はショックで涙がとまらなくなった。俯いて、寝てるふりをした。周りの子にはバレていたかもしれない。その日はずっと気分が上がらず、帰ってからお母さんに電話をした。当時一緒に住んでいたルームメイトに抱きしめてもらった。
二回生の時は、授業中に阪神淡路大震災の映像が流されて、震災の時の記憶がフラッシュバックしたこともあった。イヤホンをつけて目をつぶってやり過ごして、大階段を登ってすぐ横の芝生のベンチで家族に片っ端から電話をかけた。午前中でなかなか繋がらず、体育すわりをしながらずっと待っていた。お姉ちゃんとつながって、落ち着かせてもらって、その日は授業があったけど、一度家に帰った。夜は眠れなかった。
7年経った今でも、津波の映像や写真は見ることができない。彷彿とさせるようなものも苦手だ。3月はいつものように睡眠を取ることもできなくなる。11 日は家族と実家で過ごすようにしている。閖上の方向を向いて必ず黙祷をして、黙祷している時は、悲しい、悔しい、いろんな感情が混ざったように涙が出る。
私はずっと震災に潰されている。それが、とても嫌だ。
——
でも、このままでいるのはもっと嫌だ!
だから私は向き合うことにした。
制作をはじめると同時にひまわりの種を植えた。ひまわりは、お父さんの1番好きな花だったから。
だけど、ひまわりは咲かずに途中で枯れてしまった。
私にはもう少し、時間が必要なようだ。
もうすぐ、8年目の3月11日がくる。
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hiraharu · 5 years
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<わざわざのパン、まだ買えちゃいますよ!> ・ こんにちは!スタッフしぶいです。まずは今更になってしまいますが、、GWは本当にたくさんのご来店、お声がけありがとうございました!本当はすぐにご挨拶すべきところが遅くなってしまい申し訳ございません、、改めましてありがとうございました。 ・ さて、そんなGWで一段落ついたのか、カンパーニュにまだ在庫がございます!本日ご注文いただければ明日の夕食か休日の朝食では食卓に並びますよ。 ・ わざわざの賄いでもちょいちょいやるのですが、ぼくはもっぱら目玉焼きとの組み合わせが大好きで、家で食べる時はベーコンをプラスしてそっからマヨネーズもかけちゃいます。コレステロールってなんでしたっけ?写真だとカンパはいぶし銀な表情してますが、ふわふわのもっちりした食感がたまりません。 ・ カンパだけじゃなくて角食もお菓子も楽しみたい!という欲張りさんには、おためしパンセットがおすすめです。量は店頭の在庫との兼ね合いになってしまいますが、角食とカンパ、それと焼き菓子が1500円分入ってます。 ・ また、ファンのみなさまには残念なニュースとなってしまいますが、わざわざの全粒チョコスコーンが販売終了間近となっております、、!お天気がつづくのは良いことですがどうしてもチョコが熱に弱く溶け出してしまうので、、ただ、また涼しくなる頃に生産を再開致しますので安心してください。これでお別れではないです。 ・ なお、問 touではプレーンとチョコを1個ずつ、更にヨーグルトと信州産杏ジャムを添えてお出ししております。テイクアウトに添え物は付きませんが、芸術むら公園内をお散歩しながら、コーヒーやパウンドケーキと一緒に食べるのが最高に気持ちいいですよ。おいしいというか、気持ちいいんです。僕はこれで何人もの友達を長野の虜にさせました。 ・ あと、芸術むら公園に入ってから道路沿いの右手に公園創設者の銅像があるのですが、道路を挟んでその向かいに元気百倍の丘というのがあります。そこからの眺めは本当に素晴らしいですよ。 ・ あとあと、明神池に沿うように梅野美術館の方に歩いていくと松のいい香りが漂って、森林浴と日光浴がいっぺんにできちゃいます。梅雨入りしてしまう前に是非味わっていただきたいです。それでは! ・ #info (パンと日用品の店 わざわざ) https://www.instagram.com/wazawazapan/p/BxOaoexgDWW/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1nopq4kf3g9li
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fumiekaneco · 5 years
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Today's vegetable dish. ・ きょうの野菜でひと皿は、茹でアスパラ。 ・ さっと塩茹でしたアスパラにマヨネーズに粉がつおをパラリとして添えたら、できあがり。 ・ 立派なアスパラは、シンプルに食べるべし。 ・ #vegetables #food #foodie #foodies #foodiegram #foodstagram #asparagus #greenasparagus #fumiekaneco #fumieshokudo #fumie_shokudo #野菜 #野菜料理 #アスパラ #グリーンアスパラ #マヨネーズ #エルグルメ #エルグルメfoodcreator部 #エルグルメフードクリエーター部 #金子文恵 #ふみえ食堂 #ニュースタイルレシピ #IGersJP #おうちごはん #お家ごはん https://www.instagram.com/p/BxGdemBA7a2/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=17xipb4yxe8sm
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takoyaki-tokyo · 6 years
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★★★☆☆
国分寺「 なる屋」2018.10.31
やさしい気持ちになるお店。
用事があって国分寺方面にむかったついでに昼休憩の時間を使ってダッシュでたこ焼き屋に向かうサラリーマン。国分寺駅から結構歩くのが誤算だったけど、ホームセンターの道路向かって反対側に構える家庭的な喫茶店のような風貌のお店。こういうポジションの店は貴重だ。
小さめだが10個で400円というのは良心的。他に牛すじカレー���どのランチメニューもやっていて、地元の方の憩いの場となっているみたい。ハロウィンの本日、たこ焼きが焼けるのを少し待っていると、隣にいた年配の方が、ハロウィンだからとお菓子をくれた。俺もまだまだ子供に見えるのかな。えへへ。ふふふ。
そんなたこ焼きはとろとろしていて、マヨネーズや生姜(紅生姜ではなくお寿司の付け合わせみたいな感じ)は横に添えてある。これはいいやり方だ。ソースはオタフクソース。オタフクソースって、一見使っているとブランドが上がる感じするかもしれないけど、自分はあんまり好きじゃないからちょっと残念。オタフクソース、そんなに美味しい?
ということで、たこ焼きの味はまあ普通といったところだけど、ほんとたこ焼きを焼いている女性も接客がとても優しい感じで、なんというかユニバーサルっていうか、誰も拒むことのない優しさ。すばらしい。
俺にもそんな優しさが備わって入れば星をもうひとつ足すのだけど、ここはシビアに星3つとさせていただきます。��れからも優しい、愛される店であってほしい。
たこ焼きだから美味しいんだけどね。
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aizumin · 2 years
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今朝のごはん。
桜えびと茶葉の混ぜごはん、焼き厚揚げの生姜醤油かけ、しろざとツナのごまマヨネーズ和え、切り干し大根の塩昆布煮、ミニトマト。
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台所に立って、今朝の🍙はどうしようかな……🤔と思った時に、不意に桜えびの混ぜごはんが食べたくなりました。ちょうど冷蔵庫に1膳分の🦐が残っているし😋ということで早速実行。
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お釜の🍚の上から🦐をまぶして、少々蒸らしている間におかずの用意。
昨日の内に軽く茹でておいたしろざと、ツナの水煮を合わせます。マヨネーズと香ばしさを出す為にいりごまをかけてざっと混ぜる。
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茹でる時に塩で下味をつけたので、ツナの風味だけでいいかなとそれ以外の調味料は省略。それと厚揚げだけではお皿のスペースが余るので、🍅を添えました。
この🍅は姉一家が家庭菜園で栽培して収穫したもので、噛むと甘味があって、でもちゃんと🍅の風味も濃い。いかにも家庭菜園の手作りという味でした😊たっぷりもらったから、明日以降またハニーマリネを作る予定です💕
そしてグリルで炙った厚揚げをお皿に移して、他のおかずも盛ったら今朝のごはん完成。
切り干し大根の煮物はこれで最後です。
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寝かせている内にちょっと味が濃くなってしまったんですが、厚揚げと一緒に食べると丁度良かった。具材に油揚げも入っているので、親和性はありますもんね。厚揚げはカリカリに焼き上がり、歯触りが最高でした🎶
🍚は、桜🦐がふっくらして(元々釜揚げなので柔らかかったんですけど)風味が良かった。それだけだと味が足らないかなと思って、ほんだしをちょっとだけ加えたら、丁度いい塩梅になってました。いつもだとちとケチ臭く感じる茶殻ですら彩り良く感じられた……かな?(歯にくっつくのが玉に瑕でしたが💦)
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