Tumgik
#同じ骨
kmnmscat · 8 months
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拡張 その1
フィストができる骨格、できない骨格。というのを昔聞いたことがある。まぁ、できる人にとっては「日頃の訓練」、できない人は「才能(骨格)の問題」と、それぞれの言い分があると思う。
まぁ、それを踏まえた上での過去話
上野の24でやった時のこと。土曜の夜に入店しすぐにケツを洗い、トイレの個室でツメ10。浴衣の紐(この当時はまだ紐でした)で腕を縛り、血管めがけてプスッ。グイっと筒を引くと赤いキノコ雲。それを確認すると押し込んだ。
オレはキターーーーー!って感覚を味わいたいから押し込んでる最中はいつも息を止める。押し込んで紐を外し水を吸ってキャップを閉めて置き、腕を抑えて一気に息を吸い込む。すると体の中を勢いよくあれが流れて目がチカチカする。すーーーーーーっと頭が冷えてくのを感じてると同時に、自分のチンポコがすーーーーーーっと縮こまっていくのもわかる。あ、これすげーいいネタだ。ラッキーと思い道具をロッカーにしまい、大部屋へ。
大部屋に行く通路でマッチョな親父にケツ触られて、ビクっとなる。そのままドリチンも触られるとにや~っとエロい表情でオレをベッドの部屋に誘導する。ベッドでベロチューをすると「おぅ、変態な味がするなぁ」と言われ、ローションでケツをほぐされる。オレは親父のチンポが舐めたくて舐めたくて、ケツをほぐされながらかがんでチンポを口に入れた。太さ、長さもでかすぎず、最初の相手にはちょうどいいサイズ(15~16cmくらい??)
正常位でオレのケツに生でゆっくりと挿入。ローションでグチュグチュいいながらケツの中で生チンが動く。あっ・・・あっ・・、やべぇ、今日のネタあ・・うぁ・え・・・・。と多分白目剥きながらそんなことを頭の中で考えながらケツの中のチンポを感じていた。
暗闇で良かった。たぶんアヘ顔でやべぇ顔しながら掘られていたと思う。本能的に気持ちいいところに手がいく。右手はドリチン、左は乳首。ローションも塗ってないのにチンポがヌルヌルしているから、先走りがダラダラと漏れ出てるのだろう。そのままバックの体制になり、ケツの奥のもう一つの穴に親父の生チンが入り込みしばらく掘られていると「あ、イク・・・イクぞ、イクイクイクイクぅ!」一瞬動きが止まったかと思うと、ドびゅーーぅ・・・、ドクン、ドクドクン・・・とケツの中に生種をつけられるのが分かる。このドクンドクンとザーメンが放出されると同じリズムでいきり立った生チンもビクンビクンいうからたまらねぇ。
「ありがとな。」と言うとそのまま去っていった。種まみれのチンポしゃぶりたかったけど、まぁしゃーない。と思っていたらそのままバックですぐに違うチンポがケツの中に入ってきた。「え!?」と思ったが気持ちがいいので相手が誰かはどうでもよくて、ケツの中に入ってきたチンポを感じてた。さっきの生チンよりも太く、ケツがムリムリムリムリっと強制的に広げられ、ぐいぐいっとねじ込むようにケツの中に入ってきた。いい感じになってるのと、さっきのザーメンのおかげでケツは痛くない。耳元で「ほらほら生だぜ生生生生」と低音でボソボソ連呼される。このオラオラ感、隠語連呼系はおそらくこいつも↑ている。声の感じから若い、背中に密着される肉質からスリム系。「あぁ、たまんねぇこの種まみれの生ケツ。さっきのやつの雄臭ぇ生種をオレの生チンでケツのヒダに塗りこんでやるよオラぁ。」たまんねぇ、こういうオラオラ系の言葉責めとかゾクゾクする。バックから体を半ひねりさせて松葉崩し、ケツの中に生チン突っ込まれたままさらに体をひねって正常位。暗闇での視界も慣れてきていたので相手の顔をみると顔がちょっとコケた感じのジャンキーっぽい。ヘラヘラニヤつきながらオレのケツを掘り続ける。汗かきながら掘られていると、「種が上がってきたぞホラホラホラぁ・・・ウッ!」と言い、動きはそのままパンパンとケツのヒダに打ち付けながら生種をケツの中にぶちまけられた。そのままオレに覆いかぶさり耳元で「ちょっと場所移動すっから来いよ」と言われた。
ついて行くと、突き当りにあるシャワー付きの個室トイレ。そこでジャンキー君がシャワーを出そうとしたので、「ちょっと待って、そのチンポしゃぶらして」と言いかがみ、種まみれの生チンをしゃぶった。ネトネトに絡みついてるザーメンを舌で舐めとり、味わいながらごくんと飲んだ。「うめぇな。ションベン出る?出るなら口ん中に出してほしい」すると、ジャンキー君は躊躇なくションベンを出してくれた。苦味の強いションベンで、キメションとすぐに分かった。飲める分は飲み、飲み切れない部分は体にぶちまけてもらった。オレが「何メモ?」と聞くと「12のあとの10の8で勃起薬」と教えてくれた。シャワーを一緒に浴びながらクセェ汗を流し、「お互い気をつけような」と言い別れた。
時間を見ると3時間くらい経っていた。
一度ポーチを取りに行き、追加をして第2回戦(3回戦?)に挑む。
その2に続く。
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kennak · 3 months
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イオンシネマで介助を断られた経験をX上で投稿し、議論になっている車椅子インフルエンサーの人(以下N氏)が話題のようですね。全容をご存知でない方もおられるかと思いますので、ネット上で見かける疑問や質問、批判意見などを基に一問一答形式で当方の考えを述べていきますね。 (1)「車椅子ユーザーの介助を断るなんて、イオンシネマ酷くない!?」 ⇒「介助を断ったのではありません。当該イオンシネマには車椅子のまま利用できる席があったにも関わらず、N氏はあえて介助が必要なプレミアムリクライニングシート利用を希望し、1人で訪れては毎回劇場スタッフに介助してもらっていたのです。今般はその介助終了後に、支配人らしき人から『スタッフのリソースにも限りがあるので、今後はご遠慮頂きたい』との主旨の発言があり、N氏は『これまで何回もやってくれてたのに!』と悲しみと怒りの感情が高まり、X投稿に至ったという背景事情です」 (2)「スタッフの人手不足といっても、車椅子で不自由している人の介助くらいできるだろう!?」 ⇒「車椅子専用スペースまでの案内程度ならできるでしょうが、今般は段差のある席まで車椅子と人を運び、席に乗せるところまでおこなう必要がありました。N氏自身の投稿でも、今般のスタッフは過去同様の対応経験もなかったようでしたが、サービス介助士など専門の資格や講習を受けていないスタッフが対応することは大変な重労働であるうえ、車椅子ユーザーに怪我や骨折をさせるリスクがあるほか、緊急避難時にも差し支えるため危険です。施設としてもそこまで対応する必要はないでしょう」 (3)「イオンシネマは車椅子ユーザーに対して『合理的配慮』ができてない! これは障害者差別解消法違反だ!」 ⇒「法律のガイドラインをお読み頂ければ明白ですが、合理的配慮は『その実施に伴う負担が過重でないときに』講ずること、とされています。そして車椅子ユーザーに対する合理的配慮の具体例として『車椅子のまま着席できるスペースを確保』が挙げられていますので、今般のように『介護資格者でもないスタッフに車椅子と人を運ばせ、段差がある席まで移乗させる』というのは明らかに『過重負担』です。合理的配慮義務とは、決して『ワガママを全て受け容れる』と同義ではありません」 (4)「じゃあなんでイオンシネマは謝罪文を出してるんだ!? イオンシネマ側にも悪いところはあったんだろう!?」 ⇒「これも謝罪文をよく読めば分かりますが、イオンシネマが詫びているのはN氏に対する『不適切な発言』のみです。合理的配慮については一切言及していません。あえてイオンシネマ側の問題を挙げるとするならば、これまで良かれと思って、N氏に対して介助(移乗)サービスを複数回おこなってしまったことですね。そのため『前はやってくれたのに』という前例を作ってしまいました。『当劇場には身体介助できる有資格者がおりません。お客様にもしものことがあっても責任を負えませんので、サービス提供はできません』で通しておくべきでした」 (5)「なぜ日本人は障害者や弱者にこれほど厳しいのか!? 人権意識が低い!」 ⇒「障害者に厳しいのではなく、『理不尽な要求をするクレーマー』に厳しいだけです。あと、低賃金で理不尽クレーマーの相手をさせられる接客スタッフもまた弱者といえますので、人権をとやかく言うなら、店員さんの人権にも配慮すべきでしょう。またN氏は『車椅子インフルエンサー』を自称しているようですが、氏の今般の発言のせいで、他の車椅子ユーザーの方々がこれまで築いてこられた善意と信頼の関係をブチ壊し、彼ら・彼女らが肩身の狭い思いを強いられることになりかねません。せいぜい『迷惑系YouTuber』といったところでしょう」 今般の騒動で、イオンシネマで働く方々が今後理不尽な対応を強いられ、無理をされることがないよう、くれぐれもお願いしたいところです。会社側は顧客のみならず、従業員の皆さんの心身の安全も確保なさってください。 あと、社会運動家の皆さんもぜひご留意頂きたいですね。単に弱者属性に身を置いていれば正しい側に居られる時代はもう終わりました。日々の活動の中で、我々一般労働者やサービス従事者の善意をさも当然かのように扱い、理不尽な要求を強いて、断られたら会社相談窓口よりも先にSNSで晒して悪者扱いをしてしまうと、あなた方のお仲間の支持は得られても、大多数の労働者を敵に回すことになりますので。 (画像出典:内閣府リーフレット「令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義��化されます!」 https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/pdf/gouriteki_hairyo2/daikatsuji_print.pdf…)
Xユーザーの新田 龍さん
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Sean bienvenidos, japonistasarqueologicos, al tercer capítulo del Japón prehistórico y seguir recorriendo sus lugares mitológicos y mágicos, una vez dicho esto póngase comandos que empezamos. - Para continuar nuestro viaje, más vale tarde que nunca, pero despacio y con buena letra. Nos trasladamos al yacimiento arqueológico de Sannai Maruyama en la prefectura de Aomori, localizada en la región de Tōhoku. - La estructura, de madera, data del periodo jomon, es una estructura que funcionó como un gran calendario, ya que algo común que tienen todas las culturas en el mundo es adorar a las estrellas en lo que respecta a la prehistoria. El yacimiento data del 3900 a.c localizado a lo largo del río Okidate en la punta de una suave colina que se extiende desde las montañas Hakkoda. - En la década de 1992, tuvieron lugar las excavaciones que han desenterrado los restos de viviendas en pozos, tumbas de adultos, niños y los pozos de almacenamiento, entre otros rastros de la vida cotidiana. Además de una hay una gran cantidad de herramientas de loza de piedra. Se han excavado una gran variedad de huesos de pescado y de animales que indican hábitos alimenticios de aquella gente, también fueron encontrados frutos secos: como castañas y nueces. Además, se han desenterrado muchas reliquias orgánicas, como productos de madera, herramientas de hueso, canastas tejidas, así como artículos comerciales como jade, obsidiana de áreas remotas y asfalto. Hay una teoría: en Iwate se crean estructuras similares para realizar la danza de los ciervos ¿Qué opinan al respecto? _ Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones mis amantes del mundo japonés, que pasen una buena semana. - 考古学者の日本主義者の皆さん、先史時代の日本の第 3 章へようこそ、神話と魔法の場所を旅し続けてください。 - 旅を続けるには、遅刻しないよりはマシですが、ゆっくりと上手な字で。 東北地方にある青森県の���内丸山遺跡へ移動します。 - この木造建造物は縄文時代にまで遡り、先史時代から世界のどの文化にも共通して星を崇拝しており、偉大な暦として機能していた建造物です。 この遺跡は、八甲田山系から続くなだらかな丘陵の先端、沖館川沿いに位置し、紀元前 3900 年に遡ります。 - 1992 年代に発掘調査が行われ、井戸内の住居跡、大人、子供の墓、貯蔵穴、その他の日常生活の痕跡が発掘されました。 1 つ以外にも多数の石器の道具があります。 当時の人々の食生活を示す魚や動物の骨が多数出土しており、栗やクルミなどの木の実も出土しています。 さらに、木製品、骨道具、編んだかごなどの有機遺物や、翡翠、辺境の黒曜石、アスファルトなどの交易品も発掘されています。 岩手でも鹿踊りをするために同じような建物が作られているという説がありますが、どう思いますか? _ 日本の世界を愛する皆さん、良い一週間をお過ごしください。 - Welcome, archaeological Japanists, to the third chapter of prehistoric Japan and continue touring its mythological and magical places. Having said that, put yourself in command and let's begin. - To continue our journey, better late than never, but slowly and with good handwriting. We move to the Sannai Maruyama archaeological site in Aomori prefecture, located in the Tōhoku region. - The wooden structure dates back to the Jomon period, it is a structure that functioned as a great calendar, since something common that all cultures in the world have is worshiping the stars in regards to prehistory. The site dates back to 3900 BC located along the Okidate River at the tip of a gentle hill that extends from the Hakkoda Mountains. - In the 1992s, excavations took place that unearthed the remains of dwellings in wells, graves of adults, children and storage pits, among other traces of daily life. In addition to one there are a large number of stoneware tools. A wide variety of fish and animal bones have been excavated that indicate the eating habits of those people. Nuts such as chestnuts and walnuts were also found. In addition, many organic relics have been unearthed, such as wooden products, bone tools, woven baskets, as well as trade items such as jade, obsidian from remote areas, and asphalt. There is a theory: in Iwate similar structures are created to perform the deer dance. What do you think about it? _ I hope you liked it and see you in future posts my lovers of the Japanese world, have a good week.
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kinemekoudon · 1 year
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スマホを解析されて、薬物売買のログを見せられたときのレポ
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―逮捕から7日目。この日は2回目の検事調べが予定されており、今回はワゴン車による単独の護送ではなく、護送車での複数人共同の護送になるとのことで、僕は初めて護送車に乗れることを少し楽しみにしていた。
朝8時30分頃、点呼とともに居室から出され、留置場の出入り口扉の前に連れていかれると、扉の前には既に2人の収容者が縦一列に並ばされており、僕はその2人の後尾に立つよう指示をされる。そして例によって身体検査をされると、いつもよりキツく手錠をかけられる。
その後、留置官が先頭の収容者の手錠の間の輪に、通常より長い腰縄を通してから腰に巻き付け、同じ要領で、その長い腰縄を中間の収容者、そして後尾の僕に巻き付け、見事に3人を数珠繋ぎにすると、その長い腰縄を自分の腰につけているフックに括りつけ、後尾に立つ僕の後ろについた。
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それから、3人の前後に警官が3人ずつついた体制で、地下の駐車場まで連行され、しばし駐車場で待機をしていると、白色と灰青色のツートーンカラーで、黒色のスモークガラス窓のマイクロバスがやってきて、3人の手前に停車した。
僕はその時まで、護送車とは、青地に白のラインが入っている、窓に金網のついたバス型の車だと思っていたので、実際の護送車がひどく凡庸なことにがっかりした。
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上が護送車、下は人員輸送車(警察官を輸送する車)
そうして、3人は連結されたまま護送車に乗せられる。護送車の車内は、右側2座席に左側1座席の3列配置で並んでおり、窓には鉄格子が嵌められていて、運転席との間には壁があって全く見えないようになっていた。
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また、護送車は周辺地域の警察署を順繰りにまわり、地検に移送する被疑者らを拾っていくシステムのようで、すでに15人ほどの先客が座っていた。
彼ら15人は、非常に長いロープで数珠つなぎにさせられており、全員が上下グレーのスウェットに茶色の便所サンダルの恰好で、手錠をかけられ、姿勢よく無言で着座しているので、捕虜の集団のようだった。
車内にいた警官らによって、3人は各自指定された座席に座ると、3人を連結していた長い腰縄が外され、今度は15人を連結している非常に長いロープに括り付けられる。
18人の被疑者と1本のロープによる数珠が完成すると、1人の警官が、「車内では会話や目配せはもちろん、足を組むのも禁止する」などという護送車内の規則を、大声かつ歯切りのよい口調で説明していた。
車内に5人ほどいる警官らも、これだけの逮捕者を移送するというだけあってか、非常に緊張感を持った面持ちで、ちょっとでも無駄に声を発したら怒鳴られそうな緊迫感がある。
僕は幸い、右側2座席の窓側の席であったので、外の景色でも見て気を紛らわせていようと思った。なんだったら、前回の単独移送では、両隣に警官が座っていて、窓はほぼ塞がれている状態だったので、久しぶりに外の景色を見られることは楽しみだった。
そうして、護送車が出発する。捕虜同然の惨めな状態というのもあってか、留置場では見ることのない格好や表情をした道行く人々を見ると、外の世界は自分とはもう関係がないように思えてきて、非常にセンチメンタルな気持ちになる。梅雨時で曇天模様だったのがまだ救いであった。
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出発からおよそ1時間が経過し、護送車が地検に到着する。護送車のドアが開くと、地検で待機していた警官がドア横に立ち、日本陸軍の点呼のような厳格さを感じる大声で「第三系統! 総員十八名!」と号令をする。車内の被疑者らが数珠つなぎにされたまま、1人ずつ車内から降りていくと、その警官はやはり日本陸軍のように「一!二!三!…」と点呼をとっていた。
数珠つなぎのまま連行され、待合室のある広間に出ると、そこには前回よりもはるかに多い、100人弱の被疑者らがおり、見るからに力士のような者からヤクザのような者まで、前回より威圧感のある男が多く集結していて、全体的に迫力があった。
また今回は人数が多いためか、警官の人数が多く、警官らはみな厳格な号令と点呼を行い、鋭い眼光で被疑者らを監視しているので、今までに味わったことのない張り詰めた空気が漂っている。
それから例によって、待合室という名の牢屋で、座る者の事など考えていない直角の硬い椅子にすし詰め状態で座らされ、時間もわからないままひたすら待ち、昼食時にコッペパンを食べ、いつ自分が呼ばれるか分からないまま、またひたすら待つ。相変わらず地獄。
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おそらく3時くらいになってようやくお呼びがかかり、僕は一人の警官に連れられて、検事のいる部屋に入室した。あくまで検事が起訴か不起訴かを決めるので、入室の際、僕は少しでも検事の心証を良くしようと、礼節を重んじている風の挨拶を決め込む。
前回同様、義務的な質問などがされ、黙秘権について告知がされるので、僕はここぞとばかりに、昨日弁護士にアドバイスされた通りに、「担当の弁護士さんから抗議書が送られていると思いますが、昨日、留置担当官の方に「ブチ殺す」などの脅迫を受けて、警察や検察の方を信用できなくなったので、取り調べには協力できません」などと、あくまで被害者ぶった深刻な表情で言う。
すると検察官は、こちらの会心の一撃をまるで意に介さないような表情と口調で「わかりました。その件についてはこちらでも事実確認と調査を行ってまいります」などと流暢に返事をし、「ただ、本日は見ていただきたい資料があるので、応えられるものに関しては応えていただけませんか?」と尋ねてきた。
僕はその見せたい資料とやらが気になったので、「資料は見せていただきたいですが、黙秘はします」と応えると、検察官はそれを了承し、A4サイズの紙が200枚ほど綴じられている分厚いバインダーを取り出して、付箋の貼ってあるページを開き、僕に見せてきた。
そのページには、僕がプッシャーから薬物を買おうとやり取りしていた、Telegramのログ画面の写真が貼り付けてあった。
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僕はまず、そもそもスマホの解析承諾をしていなかったので、無断で解析をされていたことに度肝を抜かれたし、露骨な薬物売買の証拠を見せられて、少し動揺が出てしまった。
ただ幸い、今回一緒に逮捕されたプッシャーとのやり取りのログは完全に消去していたし、見せられたログは、僕が「在庫はいかがですか?」と尋ね、プッシャーが「こちらになります」と隠語で書かれた薬物のメニュー表を画像で添付して送り、僕がそれを既読無視しているという、購入の意思を見せていない内容ではあった。
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メニュー表のイメージ
ちなみにTelegramにはパスコードロックをかけていなかった。
検察官は僕が動揺している隙に、「これは、あなたが薬物を購入しようとして、売人にコンタクトをとったものじゃないですか?」と単刀直入に質問をしてくる。
僕は、このログについてはどうとでも取り繕って否定できそうだったので、つい否定をしたくなったが、下手に喋ってボロを出しては検察の思う壺なので、「黙秘します」と応える。
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それに対し、検察官は無言で頷き、プッシャーが提示していたメニュー表の画像を指さして、「この“罰”っていうのは、コカインのことですよね?」と尋ねてくる。
僕は反射的に、「いえ、罰はMDMAの隠語です」と本当に危うく口走りそうになったが、一呼吸置いて「黙秘します」と応えると、検察官はやはり無言で頷き、再び付箋の貼ってある別のページを開いて、僕に見せてくる。
そのページには、一緒に捕まった友人の吉岡とのLINEでのやり取りの写真が貼ってあり、どう見ても薬物を言い表した代名詞でのやり取りや、それに付随して、「悟ってる時の顔」などと言って、僕がLSDのピーク中に目を瞑って微笑んでいる顔写真を吉岡に送りつけている赤面不可避のログも載っていた。
当然、これらに関する質問にも黙秘を貫いたが、検察官は少し呆れた表情で、「…うん。でもね、小林さん(一緒に捕まったプッシャーの本名)のTwitterアカウントのリンクが、吉岡さんからあなたに送られているんですね」などと言って、今度はそのログの写真を見せてきた。
僕は吉岡とは完全にクロな証拠のやり取りをしていなかったつもりでいたので、これにはさすがに焦りを感じたが、そのメッセージの前後に脈絡はなく、リンクだけが送られているという内容のログではあったので、これだけでは証拠として不十分であろうとは思った。
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検察官は続けて、「この小林さんのアカウントにコンタクトを取って、小林さんから大麻を購入したんじゃないですか?」と名推理をしてきたが、僕はなんとか無表情をキープしたまま、「黙秘します」とだけ言っておいた。
検察官は表情を変えず、「わかりました。それでは本日はこれで以上です」などと言って、この日の取り調べは終わることになり、僕は当然、調書への署名・押印を拒否して、部屋を後にした。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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28-yasha · 10 months
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②お姫様抱っこのサングリのアクキー
キスをせがむサングリアクキーと同じ偏光アクリルで、アクリルチャームはライトブルーの骨(ボーン)と、オレンジクリアの炎(フレイム)を付けました!サングリにピッタリで凄い可愛いです💀🔥
🚫転載・使用禁止 Repost is prohibited. Do not use my picture and videos.
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kijitora3 · 1 month
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まあ、政権担当能力が皆無のくせに政権担当した3年間で日本を破滅寸前まで追い込んだ実績は燦然と輝いていて、他の追随を許さないから、政党として批判されて当たり前
それ以外に政党は色々批判されて当たり前なのに、週刊誌ネタをユーモア交えて揶揄したに過ぎない一般人に対して青筋たてて告訴したリッケンは、中国共産党とか、ロシアのプーチン政権と同じ 批判されると即ギレして相手を追い込みにかかるところがおんなじ
リッケンはじめサヨクの面々は自民党政権、特に安倍さんに対しては聞くに堪えない侮辱罵倒、事実無根のでっち上げを散々展開してきたくせに、自分が「脱糞」と言われたら、ウオリャー、告訴じゃあ!破滅させたる!!ってか 小学生がウンコちびったのどうので、喧嘩してるレベル以下だな
こりゃ、とてもじゃないけど、政権担当は無理だわ こいつら政権とったら、政権批判した国民は告訴される 前の悪夢のミンシュ政権時代にも松本復興担当相が��「この件書いたら、そこは終わりだから」って露骨にテレビカメラを前に恫喝してたけど、それ以上言論弾圧国家になるぞ リッケンが政権とれば あ~あ��脱糞だ
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eieneie · 4 months
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肉斬骨断イベントよかった! エンドゥちゃん可愛かったが…可愛かったし終わり方も最悪のバッドエンドではなかったが…なかったが~~~!! あの声聞いて大丈夫か!?大丈夫みんな生きてるから大丈夫って感じですか!?再登場ドキドキする あと最後にめちゃくちゃ嬉しい驚きだったのがLCD!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!嬉しいよーーーーーー!!!6章以降出てくるのかな…期待 ーーーーー BOOTHに送った新刊既刊再販分が爆速入荷されまして(入荷まで15営業日くらいかかるって聞いてたんだが?!)、昨日通販開いてました。 手に取ってくださった方、ありがとうございました。
・よすがの向こう岸 ・罪悪のワルツ こちらの2冊ですが、次のイベント参加に合わせてもっかい再販して、残部を通販に入れたいな~っ…て感じです。 夏のイベントのどこかに出られたらでたいな…て思ってるので、また予定決まったらお知らせします! 大分先になっちゃって申し訳ないんですが、ご興味ある方は検討いただけると嬉しいです。 あと、今回の通販に合わせて発掘されたルイナ既刊を数冊送ろうと考えてたんですが一旦やめて、夏のイベントでルイナの再録作りたいな…て考え中です。 色々ごっちゃ煮の再録になると思うが…あと大分修正したいが… ーーーーー ダズムン6.5で頂いた差し入れを日々少しずつ頂いてるんですが、どれもめっちゃおいしくて本当にありがとうございます!!! 甘いのも…しょっぱいのも…美味い!! 美味しすぎて自分でも同じの買ったりしました。 あと、自分で食べてるとパッケージってあんまり意識しないんですが、頂いたものだとパッケージの可愛さをしみじみ噛み締めることができるというか…めちゃ…かわいいな~っ…そして美味いな…て出来て嬉しいです。 改めて、ありがとうございました~ ーーーーー サイトログ色々更新しました。 これでロボトミルイナはようやく…ようやく格納し終わったかな!て感じです! 色々ガタついてたので表示とか直しつつ… ちょこちょこ改装と追加進めていきたいの感じ
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li--c-ht · 5 months
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出会った頃から掴めない人だった。もう8年の付き合いになると気づいた時、お互いに笑ってしまった。初めて会った日を全く覚えていないし、恐らく相手も覚えてないだろう。学生の頃は良く遊んでいたけれど、社会人になってから予定がすれ違い、久しぶりに会うと随分と髪が伸びて、金髪になっていた。新宿駅の待ち合わせでかなり探してしまった。お互い最後にいつ会ったかも覚えていなかったけど、たまに交わす連絡で大まかな近況は知っていた。4年付き合った彼女と別れた、私は仕事を辞めた、など。暑い夏の日だった。
そこから1年半後、最悪の状態で終電を無くした私はダメ元で「家に泊めてくれないか」と連絡していた。1人暮らしで夜中に起きている人はかなり限られている。3人に連絡して、1番最初に連絡が返ってきた。同棲していた彼女と別れて1人暮らしに戻っていた家に、こんな形で来ることになるとは。笑ってしまった。タクシーで向かうと、1年半前よりももっと髪が伸びて、後ろにひとつに結んでいた。毛先だけ金髪で、また誰なのか分からなかった。学生の頃は私が喫煙者、相手は非喫煙者。嫌煙していたのに、今では喫煙可能の喫茶店を探すほどに。ワンルームなのに煙草の匂いが全然しなかった。「生活感がない」という言葉を体現したかのような人間なので、部屋も本当に物がなかった。同棲する前の、学生の頃に住んでいた家は何回も行ったことはあったけど、その時よりも何もなかった。柑橘の、何か甘いような匂いがした。夜中に押しかけた上に、1年半ぶりの再会がこれなので、申し訳なさすぎてベッドの横に座布団を敷いて、座ってずっと映画を見ていた。仕事終わりだったらしく、すぐベッドに入って眠っている。時間が過ぎるのを待てれば良いので、息をひそめていた。寝返りを打つたびに、手が触れるのを感じていたけど、もう良い大人なので、気付かないふりをした。床が冷たすぎて、何も考えずに済んだ。
お互い何も言わないけれど、学生の頃に、何度もキスをしたことがあった。その先の、線は越えていない。不思議な関係だったことを、そういえばずっと忘れていた。それが去年の、寒い日だった。
年が明けた。ダラダラとラインをしていると「めちゃくちゃ酔っ払った」と来た。どうやら新年会で飲みすぎてしまったらしい。水を飲め、など面白がっていると「暇なら来てほしいレベル」との連絡。この前世話になったしな〜と、支度を始める。まだ三が日が過ぎたばかりで、私が家に押しかけた日から1ヶ月も経っていなかった。ウケるな〜と思いながら、タクシーに乗って向かった。夜中の0時前に着くと、ベッドに転がっていた。めちゃくちゃ酔ってるけど、頑張ってお風呂には入ったらしい。危険な行為すぎて呆れてしまった。しばらく酔った人で遊ぶ。おでこにペットボトルを乗せたり、水を飲ませたり。何要員で呼ばれたん?と聞くと、心の支え・おしゃべり要員、と言われた。そう言った割にすぐに寝息が聞こえた。まだ着いて1時間も経っていなかった。床が冷たすぎる。暖房がついてるはずなのに、顔にだけ温風が直撃して死にそうなので、寝ているのを起こしてベッドに入って良いか確認、滑り込んだ。背を向けて横になって寝ているので、私は壁に背をつけて、下半身だけベッドに入った状態で映画を見た。腰が痛くなって、私も横になる。お互いに背を向けた状態で寝っ転がって、ぼんやり映画を見ていると、後ろから抱きしめられた。もう私は彼氏と別れていたし、なんとなく予感と期待があったので放っておいた。暖かい。映画を見始めたばかりなのに、全然集中できないし、眠気も来ない。私は人と一緒に眠ることができない。暖かさだけを感じて、映画を見切った。もう諦めて、お互い向かい合って抱き合った。間接照明も消して、窓から明るさだけが頼りの部屋で。線を越えたことはないし、多分これからもない。性的な雰囲気が一切ない男だ。不思議と、それが私を安心させた。背中に回った腕で、背骨と肩甲骨の形を何度もなぞる。痩せていて、大きな背中だ。向き合っているので、何度も目が合う。唇ばかりに目が合ってしまう。暑い。手が何度も頬に触れて、焦げる。同じことをきっと考えているけど、何も話さなかった。キスをした。唇の形を確認し合うような、軽いキス。何も話さず、キスをしては抱きしめ合って、背骨の数を何回も数えた。1、2、3...と数えても、途中で分からなくなった。カーテンの隙間から、朝日が差し込んできた。何故か遮光カーテンだけで過ごしている。カーテンレールに、毛布を掛けて、朝日が眩しくないようにしていた。またベッドに戻ると、少しだけキスをした。
二日酔いどう?と聞くと、まだ頭が痛い、とうんざりした顔をしていた。ベッドから出ると、何も起きて無かったかのように、数時間前のように、2人で換気扇の下で煙草を吸った。仕事が残っているのはいつものことで、15時頃に一緒に家を出た。タクシー代をきっちり回収して、電車で帰った。コートとマフラーから、あの、柑橘の甘い匂いがして、顔を埋めた。体温を反芻しては、どんな性行為をするんだろう、と想像してしまい、死にたくなった。
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chikuri · 6 months
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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0nce1nabluemoon · 5 months
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BBCの輪島朝市の被災地取材の映像が、とても映画的なカットを積み重ねて、いくらかそれは審美的で、エモーショナルな印象を強く与える映像だった。Twitter上でそのことが震災直後に少し賑わっていた。一部には、日本のテレビにはできない映像手法だと誉めている人もいたが、僕は、BBCはイギリスが仮に同じような状況になったとしても、あのような映像の撮り方をするのか疑問に感じた。
地震と火災で瓦礫になってしまった場所に美を見出すかのようなカット。それは、映像に対する道徳観の違いから来るものなのか、伝え方の違いからくるものなのか。
元日にテレビで朝市が真っ赤に燃え続ける空撮映像がテレビで流れていた。東日本大震災でも、どこかのタンクが燃えて、一面真っ赤な映像が映し出されていたことがフラッシュバックした。あの時、一瞬でも、赤く燃える画面に呆然としながら、ただどこかで美しいものをぼんやりと見るような気持ちがあったかもしれない。
震災から2週目に朝市の現場に行った。大捜索が行われていた。人がまだ瓦礫の下にいるということを、規制線の間近に行けば行くほど感じずにはいられなかった。骨が見つかっているというニュースが後日報じられていた。そこに美的な感覚は存在しなかった。
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copal-sq · 1 year
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このブログを前から見てくれてる人は
ご存知だと思いますが
私は古くて無骨なものが大好きです。
先日、古くて激安で程度のいい
軍払い下げ品との運命の出会いがあり
手元に迎える事にしました。
いくつか友人にテントを譲ろうとしていた
タイミングだったのでちょうどいい。
香りは芳しく古いカメラと同じスメル。
ジッパーはなくても穴はあるw
狭さと不便さがたまらんのよなー。
って事で相方とお試しソロ×ソロへ。
少し前の写真を貼っときます。
もう年末ですねー。
いろいろ放置中すみません。
落ち着くまでもう少し…
→→→→→
Sub blog : こぱるこっきんぐ
https://copal-xxx.tumblr.com/
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ari0921 · 4 months
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 反スパイ法のない日本、外事警察の苦闘
            櫻井よしこ
わが国は、四桁に迫る数の自国民を北朝鮮という国家権力によって拉致されたまま、約半世紀、取り戻せないでいる。
13歳で拉致された横田めぐみさんは59歳になった。母上の早紀江さんは、日本はなぜ、国民を取り戻せないのかと問い続け、新しく拉致担当大臣が就任する度に「真剣に取り組んでほしい」と要望する。歴代内閣は拉致解決を政権の最優先課題と位置づけるが、吉報は未だ訪れない。
第二次安倍政権の7年8か月間、安倍晋三総理を支えて国家安全保障局長等を務めた北村滋氏は、近著『外事警察秘録』(文藝春秋)の冒頭で当時の拉致問題への取り組みを記した。めぐみさんのものとされる遺骨が螺鈿(らでん)装飾の漆器調の器におさめられて日本側に手渡された時、その遺骨は警視庁鑑識課で横田御夫妻に示された。目に涙を浮かべた父上の横田滋さんが無言で坐る傍ら、早紀江さんが沈黙を破った。
「めぐみは生きていますから。これは警察の方でしっかりと調べて下さい」
早紀江さんは毅然と言い、「遺骨」を証拠として鑑定処分に付することを承諾して下さった。「それは娘の生存に対する確固たる信念の発露」だったと、北村氏は書いた。
周知のように、遺骨はめぐみさんとは無関係だと判明し、日本国内の怒りは頂点に達した。だが、振りかえってみれば拉致は金正日総書記が2002年に認めるまで日本での関心事にならなかった。遡って1988年3月、梶山静六国家公安委員長及び警察庁の城内康光警備局長が、「一連のアベック失踪事件は北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。
北村氏の指摘だ。
「拉致事件について国会で閣僚と警察の責任者が断言し、それと前後して日本人が拉致されたことを示す具体的な情報が複数取りざたされていたが、それでも捜査に追い風は吹かなかった。北朝鮮の国家犯罪の追及は当時、日本政界を支配していたムードに逆行するものだったのだろう」
事実、89年7月には土井たか子、菅直人の両衆院議員らが北朝鮮の工作員・辛光洙の釈放を求める要望書を韓国に送り、90年9月には自民、社民両党が「金丸訪朝団」を結成して訪朝した。当時は日朝友好親善の機運が高まっていたのだ。
世界一、与し易い国
警察が拉致を防げなかったこと、捜査が進捗しないことについての批判は依然として強い。北村氏は言い訳するつもりはないとしたうえで、日本国の体制に注視する必要性を指摘する。まず第一に、スパイをはじめわが国の国益を深刻に侵害する犯罪を直接、適切な量刑で処罰する法律がないことだ。米国では死刑、終身刑、数十年の懲役刑となるような犯罪が、わが国では北朝鮮のスパイ事件に見られるようにほぼ全員、軽微な刑罰にとどまると北村氏は指摘する。
警察庁が認定してきた1950年から81年までの北朝鮮スパイ事件42件に限れば適用された罪名は「出入国管理令違反」等の微罪にすぎず、執行猶予が付くケースが多いという。
第二次安倍政権が「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)を難産の上成立させたとはいえ、今もまだ拉致問題に典型的に見られる対日有害活動を直接処罰する法律は制定の動きすらない。安全保障に疎いわが国の、これが現実である。
『外事警察秘録』の頁をめくる度に、日本の安全保障体制が法的にも国民の意識という点においても如何に貧弱かを思い知らされる。北村氏が41年間のキャリアを振りかえって取り上げた事件は拉致問題、重信房子の日本赤軍、麻原彰晃のオウム真理教、暗躍する中国スパイなど、実に幅広い。一連の事例から浮かび上がるわが国の姿は、悪意を持った犯罪者にとって恐らく、世界一、与し易い国のそれではないだろうか。
日本と日本国民を守る手段(法整備)に事欠く中で、北村氏らは国内世論の無理解、日本政府内に蔓延する気概の喪失とも戦わなければならなかった。たとえばオウム真理教事件で、早急に打つべき手のひとつが麻原彰晃ら最高幹部の国外逃亡阻止だった。
彼らは当時頻繁にロシアに渡り、レーザー兵器、ウラン、軍事用ヘリコプター、毒ガス用の検知器、自動小銃などを入手した可能性があった。そこで北村氏ら外事警察は「旅券法に基づいて、麻原に旅券返納命令を出してほしい」と外務省に要請。95年3月30日、警察庁長官の国松孝次氏が狙撃された当日のことだ。外務省担当者はこう返答したという。
「返納命令を発出してもし報復テロの対象として我々が狙われたらどうなりますか。警察庁長官ですら銃撃から守れなかった日本警察に部外者の我々を守り切れるのですか」
テロリストの思う壺
最終的に旅券返納命令は発出されたが、恐怖心を煽って政治的目的を果たそうとするテロリストの思う壺にはまっている日本の姿がそこにあった。氏はまた警察庁外事情報部長だったとき、スパイ事件に関する日米の分析検討会議に出席した。日本の摘発事例を説明した際、米側の出席者がたまりかねた様子で尋ねた。
「日本警察が摘発した事件では、そもそも公訴の提起がなされなかったり、スパイ協力者に対する求刑が懲役一年から二年程度だったりすることが多い。判決では執行猶予が付され、釈放されるケースばかりだ。なぜなのか」
日米同盟という関係の中で、日本から情報が漏れれば米国も一蓮托生だ。米国側が懸念するのは十分に理由のあることなのだ。
北村氏は、日本の刑事法にはスパイ行為を直接罰する罪が存在しないこと、したがって捜査機関は、スパイがその情報を入手するためのプロセスを徹底的に精査し、あらゆる法令を駆使して罪に問える罰条を探し、スパイ協力者はその共犯として立件すると説明したが、到底、理解してもらえなかったという。
「米国では、情報を漏らした者はもとより、情報を探知し、盗み出した者を、より重罪とする。量刑は最高で死刑だ。(中略)終身刑や被告の寿命を遥かに上回る数十年の拘禁刑という事例も散見された」
北村氏はこう書いたが、これは中国、ロシアを含めておよそ世界の国々の常識であろう。
インテリジェンスの専門家が振りかえる安倍政権、7年8か月の軌跡は、案件のひとつひとつが生々しい記憶をよび起こす。独立国としての日本の再起に文字どおり命をかけた安倍晋三総理。第二次政権発足の翌日、内閣情報官としての第一回総理ブリーフィング(報告)を終えて退出する北村氏に安倍総理が声をかけた。
「これからも時々、報告に来てください」
週一回だった定例報告はそれ以来、週二回となった。安倍総理はインテリジェンス報告に多くの時間を割いた。情報こそが国の命運を決することを正しく理解していた宰相なき後、わが国の前途は多難である。
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m12gatsu · 2 months
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 川の詩人
彼女はお喋りだ
そのくせだれかが話しかけようとすると
もう先へ行ってしまっている
自分でもよく分からない
一体どこまで自分でどこから自分じゃないのか
仕方ないじゃない、と彼女は云う
立ち止まったとたんに
わたしはわたしでなくなってしまうんだもの
変転と移動だけの人生って
傍で見ているほど気楽じゃないのよ
彼女の背後で
雨雲がぴかぴか光っている
いつか永遠に己を解き放つ瞬間が訪れるだろうか
孕んでも孕んでも
彼女のお腹はほっそりしている
 石の詩人
雲に憧れる気持ちがまったくないといえば
やっぱり嘘になりますね
いや、月になりたいとは思いません
大きさこそ違え
僕らは本質的に同じですから
(雨が、あがって、風が吹く。
  雲が、流れる、月かくす。)
地上にありながら
深みを予感することが僕の仕事です
(そして夜になると重たい地球は沈んでゆく
 星々の隙間を抜けて孤独にむかって)
その日の彼は
なぜか珍しく饒舌だった
モグラは相槌を打とうとしたが
なんだか恥ずかしくなってまた土にもぐった
 木の詩人
いつ死んだっていい
ずっとそう思いながら生きてきたような気がする
ふと、あたりを見回せば
いつの間にか自分が一番歳をとってた
誰にも言っていないが
彼はいまや歩くことができた
それが特別な祝福であるとも思わなかったが
夜、村はずれの一軒家の垣根越しに
ラジオの声を盗み聴くことの
あの後ろめたい歓びを手放すつもりも
毛頭なかった
 ラッパの詩人
その内実において
彼は洞だった
丸く開かれたロのなかの
限りなく滑らかな漏斗の表面を
空や、媒煙や、少年の震える睫毛や希望は
流れ落ちていった
その外観において
彼は畸形の口吻だった
それは中断された吐息を思わせた
だがその鋭利な外縁からは
鉱石や、水や、骨や、稀に羽虫を封じた琥珀が
迸った
午睡から覚めてバルコンに立つと
夕陽が彼を金に染めた
誰ひとり彼の地声を聴いたものはなかった
 アホの詩人
崩れかけた塀の向こうの
物置小屋の庇の下に座りこんで
洟垂れ小僧どもに恐々と覗かれながら
えへらえへらしている
垢と泥にまみれた裸に
透明なビニールシートだけを纏って
風の舞う早春の丘の斜面を
駈け降りてくる
どろりと濁った片眼の端から
笑う女の
歯茎を盗み見ている
アホの詩人は
しどろもどろのうちに真理の炎に焼かれ
また我知らず詩をお漏らしした
 雨の詩人
この世の森羅万象に触れることが
彼の野望だった
人前ではそんなそぶりは露ほども見せずに
俳句を捻ったりしていたが
一粒の砂をどんなに見つめても
世界はおろか砂漠だって見えなかったが
一滴の雨の雫には
たしかに全てが映っていた
屋根屋根と森と
小川と虻の羽音と鉄橋と
かなたにけぶるひとすじの海と
貨物船も
空の高みに生まれて
地面に叩きつけられるまでの時間を
測るようにして生きてきた
その最後の衝撃は雨粒ほどの音もたてなかったが
それともあれは上昇だったのだろうか
この世の一切合財を同時に感受しようとして
眩量に襲われることだけが
彼の才覚だった
-四元康祐『詩人たちよ!』
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ak794itomugi · 6 months
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はやいもので年末です。黙ってタグなしで只管絵をお届けていているだけのtumblerで毎年恒例の文字の記事です 最終回のノッポさん現象かな?
今年の振り返りの時期となりました! 今年は頭からなんとリアルで仕事で成功して、私が想定してる以上にすごいラッキーな感じでした。 難病の身の私自身ですが配慮の上、仕事環境としても周囲の人とすごく仲良く、楽しく仕事させていただいていて本当に感謝感激です。 マジでこの仕事に昨年転職して本当に良かったです。 とはいえこれはリアルじゃなくてオタクとしての振り返りなので、そのあたりはほどほどに、 今年はオタクとしても本当にハッピーなことが多かったので、細かく分類した上で振り返っていきます。
■同人誌 今年出した本は表紙のギミック多めの本となりました。 全てがもこもこの顔料箔を使った本と、透明な表紙の本は一回作ってみたかったので実現できてハッピーです。 どちらも無事完売しておりますが、数的に圧倒的に人の手に届かなかったという事もなくて一安心です。
あとはオンデマンドでも、ほぼほぼトナーがテカらず、オフセットと遜色がないと言う話を聞いて、プリキュアの無配の本で試してみましたが、本当に感動ものです。 オンデマンドだからこそできるものもあるので、来年はこれを活かした本を作る予定です。
また今年でおおよその漫画在庫は全てはけました。 数年前のなどがいっぱいあったのをここらでちゃんと綺麗にしとこ!ってサークルの方針なので、最終回とかではないです。 来年は2冊すでに予定ありなので年始からもちもち作っていきます! とりあえずとても可愛い本と、可読性を維持した多層型の本の設計図を組んでいきます
あとこっちでは全く言ってなかったんですが、サークルのtumblerできました。 実はこの記事を投稿したとほぼ同時にリンクも、これまでほぼ機能してなかった告知系のタグの所に代わりに接続しちゃってます 実はここのtumblerの投稿物も一部見えるロジックにしてるので、軽く見たい人は向こうに切り替える事もできます。
作った経緯としては、今年一年でSNSの事情も不穏な影が入りつつあるのですが、いくら趣味でも金銭のやり取りが発生する活動をしている以上、 告知の場所となるSNSの所を移動する戻るを繰り返すのは混乱を招くと考え、 安定性のあるかつ、活動履歴がちゃんと残るwebサイト的な形式のものを作ろうと提案してあんな感じになりました。 サークル活動が今年で5年になる節目の年なので、ここまでくると妖怪同人趣味みたいなものですし丁度良いかと思います。
■二次もしてるジャンル関連 東方は新作でましたね。 去年から畜生のおやすみシリーズを描いてたのも含めて、ものすごく久々にピンポイントなものが来て笑いました。 新キャラは基本一年待ってからと思ってたんすけど、流石に回避ができなかったので全員何らか漫画を作成して年末を迎えてます(残無だけ公開来年ですが)
あとは以前からのpixivのまとめなどを昨年の末に見返す機会があった時、近年高カロリーな排出の仕方をしすぎているのでは?って事で、緩急をつけるために、今年からキャラメインの横型のイラストで全キャラリレーも発射しました。 見てる方はどう思ってるのかアレなんですが、改めてキャラのパーツを知る、考える重要な機会なのと、 何よりコストの低さから休まるから大変良いです。 横型終わったら縦型で続ける予定です。
今年1番触れ合ったキャラとしては畜生界のおともだちと久侘歌は今年の8割くらいの期間ずっと描いてた気がするんですが、 流石にここまでくると慣れてくるものの、新作きたので、畜生界の方はタイミングが遅れていますですが一年待機、 そして元々完結してからは久侘歌は元々原作から結びつけて考えられる、彼岸組との組み合わせメインに戻す形をとっています。 ていうか、単純にもうこの組み合わせマジで6作品くらい結構なボリュームで出してるので、流石にネタが豊富なわけではない為単純に一旦休みたいです。私がバケーションする番です。 その間にきっと各々で素敵だったりメジャーな組み合わせもできるでしょうから、皆さんはそれを楽しむのよ!
あとはプリキュアですね。私の事を前々からご存知の方だと有名なのかアレなんですが、 そもそも私はプリキュア大好きで、二次創作せずオタ活していたジャンルです。初代から全部見てるよ! たまーに描いてはいたんですが、本当にちょろっとなので、こういう場や、ファンボの雑記で度々映画みたよ!とかの形で話題に出ていた感じです。 ただ今年はなんかサークルメンバーみんなどハマりして、なん��気づいたら再集合してたので、今年は珍しく描きました。
経緯としては私はそもそもプリキュア摂取してない日がないので、ひろプリを見る前に時間があったから、まほプリ見ちゃお!ってなったのに、主宰も見よ!!!って誘ったら、ノって見た向こうが超加速でどハマりした感じです。こわい この2ヶ月後に続編の報せが来るとは露知らずで あれは私もマジでビックリしてます。本当にガチで偶然です。
そこから平日は過去作鑑賞会をサークルメンバーみんなで、休日はひろプリやオトナプリキュア みたいな、みんなも私と同じような生活してる?!?!?!って感じになってます。 サークルメンバーとは初代〜5GoGo、ドキドキ、魔法、HUG、デパ、ひろ(リアタイ)を見ました。 今はトロを見ている感じです。トロ良いよね好き
主宰とまぁ3年ほど久々に共通ジャンルで活動できるようになったので、2ジャンル継続で来年も作って行く予定です。 いよいよ昔から好きな作品を描いている状態になってます。いつか幻想水滸伝とかポップンもきたら笑うしかない奴です。 今年の5月と11月に設けた、ジャンルのまともな絵と落書きのバランス反転をさせるのは個人的な気持ちの換気にもなったし、すごく楽しかったので、これも来年2、3回実施を予定してます。
■普通の生活とかオタ活とか 原稿とか以外だとひたすらポケモンしてた気がします。 元々プリキュアメインにオタ活してたんですが今年上の項目になったんですよね、これが。 なのでプリティストアとかそれ以外ってなると、ポケモンセンターでツンベアーぬい買ったり、 レイドに潜り込んだり、DLCではしゃいだりとかとか。 他にもマッドラットデッドをやっと買ったので楽しんでたりとかちょいちょいしてます。 アニメはこれも遅れてですが王様ランキング見ました!!!!とても良い!!!!!!単行本気になってたんですが、アニメと違うと聞いたので、先にアニメを見た感じです。えがっだ こう書くと摂取量ほんと少なくて笑う
映画はゴジラ見ました!!!良!!!! オールスターズFを試写会含めて6回ほど見てたのですが、ある時一緒の日に見たら気持ちの乱高下が凄かったです あと君生きも見に行きました この時例大祭の時期からその日まで本当に仕事忙しすぎてやばかったので、開放感と共に見て すげぇ世界観じゃん(小並感)ってなりました
それから三重旅行にもいきました。 これは結構事細やかにレポをファンボックスに書いてるので、気になる方はそっちでよろしく!
みたいな感じで、6月以外は月のどっかに必ず何かイベントが挟まるような生活だったんですが、仕事に追われてました!!!! 畜ではなく楽しくやってますし、量やばい分お金はたくさん頂いてますが、こう見ると本当に仕事の記憶しかないです!!!!
急に小並感すごい項目になったな
■総括 色々ありましたが今年はいつもよりサブカルも楽しい一年になりました。 とはいえ、例年より体調不良が多い年でもあり、特に後半以降は寝込んでる日がちょいちょいあったなぁとなります。 昨年にコロナに罹って以降はかなり気をつけていたものの、寒暖差がえげつなすぎて負けました。 もはや私がどうってより地球がどうって話な気がしますが、もっとしっかり対策しないとなとなります。
来年は色々リアルが忙しいのと、背骨をやってしまったので、今年よりも低カロリーでいく予定ですが、 オタクはやめれない(人間の業)ので、のんびり楽しくしていると思います。
それではよいお年を!
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kinemekoudon · 1 year
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【13話】 留置官に「ブチ殺すぞ」と言われたので弁護士にチクっておいたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
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――逮捕から6日目。いつものように、頼んでもいないのに朝食が出てくる。ベトナム人はいつものルーティーンのように、味噌風味のお湯が入った容器にソースと醤油を入れて啜っている。
僕は昨日、自弁のカツ丼を食べて舌が肥えてしまっていたので、味噌風味のお湯を啜る気にはならず、もはや視界に入っているのも煩わしく感じたため、味噌風味のお湯の入った容器をゴザの上から床の上に移動させて食事を続ける。
すると、ヤクザ風の留置官が「オイ5番! ゴザの上に置いて食えよ? こぼしたら床が汚れるだろォ?」などと恫喝めいた口調で僕を叱ってくる。僕は一瞬頭にきたが、(たしかにコイツの言い分は一理ある)と思い、素直に「はい」と答えて、その容器をゴザの上に戻した。
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朝食後、この日は留置場内にある風呂場に入れる日であったので、順番を待ち、留置官に自分の番号を呼ばれてから風呂場へ向かう。
風呂場の前に立っている留置官からリンスインシャンプーを借りると、その場で少し待つように指示される。留置官は風呂場に向かって「19番、あと3分~!」などと言って、早く風呂場から出るように催促している。
19番が出てくると、留置官から入場の許可がおりたので、脱衣所から風呂場に入ると、髪を洗っている男の背中に彫られた般若と目が合った。
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僕は和彫の刺青を生で見たのは初めてだったし、そもそも浴場で大きな刺青を見るのも初めてだったので、これにはなかなか面を食らった。和彫の男は隣の居室でよく騒いでいたギョロ目のじじいで、目が合うと、「おう5番!!」などと完全に音量を間違えている大きな声で挨拶をされた。
風呂場は6人分程の身体を洗うスペースと、3人程入れそうな大きさの浴槽があり、定員は3人に絞られていたので、割とゆとりのある空間だった。
僕は悪臭を放っていた頭皮と髪を洗い、石鹸を泡立てて手で体を洗ってから浴槽に入る。浴槽は垢が浮いていて気色悪さはあったが、そんなことはどうでもよくなる程、熱い湯に全身が浸かる気持ちよさに蕩けてしまう。
時間も忘れて蕩けていると、タイマーで入浴時間を計っていた留置官が「5番、あと3分!」などと急かしてきたので、しぶしぶ風呂場を後にする。
風呂場から出ると、留置官から綿棒を2本提供されたので、その場で耳掃除をし、耳糞のついた綿棒が多く捨てられているバケツに綿棒を捨てる。
入浴後、同じ居室のベトナム人と筋トレやヨガをして、漫画の続きを読み、昼食を終えてうたた寝をしていると、ヤクザ風の留置官とギョロ目のじじいによる、完全に音量を間違えている会話が聞こえてきて、目を覚ます。
「なあ6番、三浦春馬って知ってるか? 俳優の」「あ、よく知らねっすけど、知ってます」「あぁ…じゃあやっぱ有名なんだなあ」「おれはそういうの全然興味ねぇんですけど…それで、三浦春馬がどうしたんですか?」「自殺したんだって、首吊り」
寝ぼけ眼で寝転がっていた僕はそれを聞いて仰天し、膝立ちになり、ヤクザ留置官の方を見て「え!?」と声を発する。するとヤクザ留置官は「あ゛?」と何故か威嚇をしてきたので、僕は無視してまた寝転がった。
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それから仰向けの状態で漫画の続きを読んでいると、首が痛くなってきたので、長袖のスウェットを脱いで、それを枕にし、再び漫画を読んでいた。
すると、しばらくしてヤクザ留置官が「何やってんだこらァ!」と急に大声で怒鳴ってきた。僕は目を丸くしてヤクザ留置官の方を見ると、ヤクザ留置官は「てめぇ枕にしてんじゃねえぞ!」と怒鳴ってくる。
僕はムカついて反射的に舌打ちをし、「うっせーな…」と小声でぼやきながら、枕にしていたスウェットを手に取って着ようとすると、ヤクザ留置官は鬼のような剣幕で「てめぇ…! 次やったらブチ殺すぞッ!!」と場内に響き渡る大声で怒鳴ってきた。
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僕は大声で露骨な脅迫をされたことで、急激に心拍数が上がり、身がすくんだ。しかしこれは好機だと察知して、「…あ、今ブチ殺すぞって言いました?」などと震えた声で聞き直す。
すると、ヤクザは若干ひるんだ表情で、「……ブチこむって言ったんだよ!」などと言うので、僕が「ブチ殺すって言いましたよね?」と再度聞き直すと、ヤクザは「日本語分かんねえのかァ!? ブチこむって言ったんだよ…! 刑務所に…」などと咄嗟に出たらしい言い逃れをしてくる。
僕は負けじと「ブチこむでも脅迫ですよ? それにここにいる人たちは全員ブチ殺すぞって言ったのを聞いてると思うんで、言い訳しても無駄ですよ」などと平静を装って言い返す。
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すると、ヤクザ留置官は見事に何も言い返せなくなったようで、わなわなと顔を震わせて立ち尽くしていたので、僕は手元にあった便箋とペンを手にとり、「すみません、あなたのお名前を教えてもらえますか?」と尋ねる。
ヤクザ留置官は「…教えねーよ」と言うので、僕が「なんで教えられないんですか?」と尋ねると、「教えちゃいけない規則なんだよ」などと言い返してくるので、「その規則見せてくださいよ」と言うと、「見せちゃいけないことになってるんだよ」などと幼稚な返答をしてくる。
僕は埒があかないと思い、「ええと…16時25分。50代くらいの、暗いレンズのメガネをかけて、髪を七三分けにした男性警官に「ブチ殺すぞ」と大声で脅迫をされました…」などと、わざとらしく声に出しながら、声に出した内容を便箋に書く。
さらに補足として、ヤクザ留置官の特徴をメモに取り出すと、ヤクザ留置官はおもしろいくらいにシュンとして、事務机のある椅子に無言で座った。
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僕は既にヤクザ留置官の特徴を十分にメモしていたが、ヤクザ留置官を虐めるのが楽しくなっていたので、「ええと…肌はやや赤黒く、耳は若干潰れており、ええと…よく見えないな……あ、一重まぶたで…」などと言って、ヤクザ留置官の特徴を執拗に記録する。
ヤクザ留置官は、さすがに僕の挙動に不安になったのか、帽子を深く被ったり、マスクを鼻の付け根が隠れるほどに覆ったりし始めたので、僕は「私が男性警官の特徴をメモにとっていると、帽子を深く被ったり、マスクで顔を隠したりしていました」などと記録しながら実況をしてやる。
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すると、ヤクザ留置官は顔をうつ向かせて体を丸めだし、とうとう玉のようになってしまったので、「これだけ特徴書いておけば誰だか分かるか…よし!」などと台詞じみた独り言を言って、ようやくペンを置く。ふとベトナム人の方を見ると、ベトナム人は隅っこのほうで気まずそうな表情をしていた。
夕食後、弁護士がやってきたので、今日の一連の騒動を報告すると、弁護士は「それはいいネタを掴みましたね!」などといつになく興奮した様子で、「検察も人間ですから、勾留している被疑者が警察から脅迫されたとなれば、身内の弱みを握られているようなものなので、起訴に踏切りづらくなるものですよ」などと言う。
弁護士は続けて、「私からは担当の検察官宛に抗議書を送付しますが、これから警察や検察の取調べの際には、留置担当官から脅迫をされて、警察や検察を信用できなくなったので、取調べに協力はできませんと言って、黙秘と署名拒否をしてください」と僕にアドバイスをする。
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僕は普段の悪態が幸いして、思いがけない武器を手にしたことに胸が高鳴っていたが、弁護士は水を差すように、「ただ、次の検察の取調べは注意してください。そろそろ共謀で捕まっている友人や売人がなにか自白しているかもしれませんから、検察が知り得ない情報を語っていたら、忘れずに覚えておいてください」と忠告する。
弁護士が帰り、自分の居室に戻ると、しばらくしてヤクザでない留置官が「5番、明日地検入ったから」と伝えてきたので、少し不安になりそわそわしていたが、就寝前にデパスを飲んだら、そんなことは忘れてぐっすりと眠ることができた。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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superhighkaiser · 1 year
Text
20代後半に転職することになった時、有給休暇消化で1か月ほど時間ができた。
だけど、それがいけなかった笑
ポン中手前まで荒れた生活になってしまったのだ。
退職金もらえたことが「買い物」に走らせ、時間ができたことで毎日のようにシューティングで寝る時間がどこかにいってしまった笑
異変に気づいたのは相手から手の震えを指摘された時。ドラマや映画で見るあの震えの描写、それがついに自分にもやってきたとやりすぎを自覚した。今になってわかることだけど明らかに睡眠不足だ。
それと汗から排出されるアレや皮脂が毛穴などに詰まって、特に顔に酷いニキビができたり、瞼の脂が詰まってモノモライのようなものができたりして、顔のニキビの一部は跡になってしまった汗 あの頃はデトックスなるものを理解していないまま粗雑な健康管理をしていたことは事実だ。
当時百戦錬磨の相手に、この遊びは自然界にない化学物質を体に取り入れている時点でインパクト強いのだから、「百害あって一利なし」を念頭に体のケアと遊びへの距離を保たないと頭も体もみんながやられちゃうぞと笑われた。
事実この頃の自分は体から完全に抜けきれないままに追加するような荒れた生活だっただけに、ちょっとした言動でも感情がグアーっと上がり攻撃的になったり、泣けるような感動の話では嗚咽するぐらい泣いたりして感情の起伏が激しかった。勘繰りにハマった経験したのもその時だったので、他人がいたら相当オカシイように見えていたかも汗
そういえばアレはカルシウム欠乏を促すから気をつけろと言ったのはどの先輩だろうか?歯がガタガタになるのは水分失って口内菌が増殖して歯茎がダメージ受けるからという人もいて、カルシウム欠乏なら実際に骨粗鬆症になった奴がいるのか知りたいところだ。
さて、その後自分はほどなくして転職先の仕事が始まってからは普通の生活にランディングした。それと同時に気づいた。
お金と時間があった時に「暇」であるのが一番危険だと笑
そういえば自分には音楽や映画、トレーニングの趣味があったよなと思い、とりあえず不摂生した体を立て直すためにジムを再開した。そして好きな音楽を聴きにライブハウスやクラブに行ったり、たまには二丁目に寄って仲間と酒を飲む。そうした「暇」を補う自分��りの楽しめる時間とモチベーションでバランスを取れるようになった。
こうした発想の転換は「百害あって一利なし」から少しは回避できてる感じがしている今日この頃。これからどうなるか知らんけど笑
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