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#足のアーチが大切
okumaseitai · 2 years
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・ ちょっと注意! こんな感じの靴 履いていませんか? このような靴は 足にフィットしていないため 腰痛や肩こり O脚、扁平足 膝の痛みなどになりやすいです。 どうぞ 注意されてくださいね。 足の土踏まずは 3〜5歳くらいに形成されていくと言われています。 そして15歳くらいに骨格が形成されていきます。 足のアーチがうまく形成されていないということになりますので 特にお子様には履かせないようにしていただきたいです。 特に浮き指などになりやすく 足の指が使えません。 足のアーチの形成がされないということになるのです。 昔は着物を着られていて 足袋を履いたり 下駄を履いたりしていました。 サンダルを履く場合でも 鼻緒のついたものは 足の指が使えて 姿勢や歩き方にもいいですよ! 5本指ソックスが流行りましたが 私は足袋のように二本指ソックスの方が良いと思っています。 つまり 足の指を使って生活するようにしてくださいね! ということになります。 腰痛や膝痛 O脚の方は 参考にされてください。 #サンダル注意 #足の指を使う #腰痛の原因 #膝痛の原因 #O脚の原因 #扁平足 #浮き指注意 #足のアーチが大切 #足のアーチづくり #足のアーチをサポート #足のアーチの崩れ #足のアーチを取り戻す #足のアーチを取り戻す #足のアーチ再生 #浮き指改善 #浮き指矯正 #浮き指対策 #浮き指治したい #浮き指は体のバランスを崩す #浮き指改善エクササイズ #浮き指原因 https://www.instagram.com/p/CnNcRu9SyiF/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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gupaooooon · 1 year
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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poetry-for-absence · 2 years
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堀部安嗣さん講演 (2023.02.22 於・前橋工科大学 演題『私のパッシブデザイン』
積極的に受け身であること
理系・文系 ふしぎな分け方
他の言い方は無いのかな、
→時間の流れかた、概念が、理系と文系では違う 
横で一定・理系 時間とともに成長していく、という概念 
ぐるぐるぐるぐる循環・文系
理系の人が作り上げるもの・コンピュータ、エアコン、車etc.
文系 1000年前以上の、弘法大師の書
200年以上まえのモーツァルトの音楽
ドストエフスキーの文学
いつの時代でも良いものは良い
1日の循環
建築の世界 理系的・文系的のバランスのとれた世界 いろんなタイプの人がいる方がよい
警鐘を鳴らす、ブレーキをかける建築家
堀部さんは、文系的だと自覚
建築は、果たして進歩しているか、進化しているか。
防水技術、免震技術 進歩
それらが人の幸せに役に立っているか
映画 ファースト・マン
静謐な映画
ニール・アームストロング船長の自伝的な映画
人類の栄光の光の裏にある闇、影
地球上では、自然ゆたかな所での家族との暮らし 東西冷戦 生存確率の低いロケットに乗り、たどり着いたのは空気もない死の星
地球は緑豊かで美しい土地だったのに、なぜ危険をおかしてまで
瀬戸内海の美しい自然
いまでも200年前の風景の残る
東京のほうが進んでるよね、との劣等意識を持つことが多い。もったいないこと。
讃岐市のプロジェクト
やりたいこと、ただひとつ。
この土地を、国立公園にふさわしい土地に戻してゆく 建築もいらない、けど、建築の役割はあるし、できること、人々に安心を与えることは建築に出来る
東京の風景 東京の方が豊かだと、地方の人は錯覚してしまっている ふしぎなこと
富山 宝物があるのに
兵庫 20年前は森だったところ
中央へ、宇宙へ 
侵略 キリがない
宮沢賢治の詩 僕は家族にほめられた、僕は世界に誉められた、その先にどこへ行けば?
コロナ禍 ステイホームの自粛のとき、自分の足元を見つめざるを得ない→自分の地域の良い点に気づいた 足元への評価
roots
根源
根のあるもの
足元にすでに持っているもの
どんなものを土台にして、私たちは思考しているのか
原風景
横浜の鶴見
色んな人が行きかうカオス
鶴見線 鉄ちゃんのあいだでは有名
中学のとき、ヨーロッパ 写真を撮った
国道駅のアーチとのかさなり
自作でも 意識したわけではない、原風景が滲み出る →設計という行為
曹洞宗大本山 近所に 
お寺のもつ悠久の時間の流れ、不気味さ、幼少期触れて生きてきたことは幸運だった
大きなお寺は風景が変わらない
50年前の樹 祖父と一緒にみた
再訪するもき、私はここで生まれてきたのだ、と実感 そこでの、子どもと老人のことを祖父と私にかさねる
記憶 確かな記憶のない限り、未来を見出せない お墓 ショッピングセンターが立ったり、バイパスが通ったりすることはない
静岡県浜松市 趣のある素晴らしい日本家屋・庭に住んでいた。今、その場所は道路の下に眠っている 往時の記憶が甦らない、すべて破壊されている 道路による記憶の破壊
見たこともない、感じたこともないものは
つくれるのだろうか?
設計 それ以外はできない
見て感じたもの、記憶を頼りに、今へ状況へ再現する
いきなり_
幸せについて
同伴者と吹雪のなか、つらい登山のイメージ
つらい、眠い、衣服はびちょびちょに
そのなかで、暖かな山小屋を発見する
幸せに とても小さな建築で、いろいろなことが出来る。食べる、眠るetc.
人種のちがいも関係ない、歳の差も関係ない
信じている宗教も関係ない inclusiveな
外部環境が室内に入り込んで来たような建築でも、庇の出が陽を遮ったり、風通しがよかったり、床の肌触りがよい、など。自然環境を、変換している。 ホモ・サピエンスの
日本の庭のおもしろさ 私たちにはあたりまえ、だが、フランスの建築学生と京都のこうとういんに行ったとき、おもしろい、おもしろい、と。音がおもしろい。アプローチの石のヴァリエーション 靴を脱ぐ所スノコ、畳、めまぐるしく床の材料が変化してゆく。こんな小さなところで、これほどの変化していくのは面白い。
新緑の美しく見える秘訣 背後の常緑樹
新緑の淡さを引き立てる、背景としての濃い緑
全部が新緑、全部が常緑、というのがふつう
アメリカとか
コンビネーションのあるのは珍しい
人間の感情はどうして生まれたのか
生存のために必要となる、咄嗟の行動や判断のために進化の過程で作られた
森でクマに出会う。恐怖の感情を抱く、その後の行動の選択肢を広げていく 恐怖という感情を引き金にして
仲良しの友達、幸せ、喜びの感情
こいつと付き合っていると、自分は生存できるぞ、との。
生存のための引き金、スイッチ
雪の夜の暖かな山小屋
生存の喜び
反対に、もう生きていたくない、とか、生存のことを考えていない人は、感情の起伏がなくなってくる 感情の、生存における大切さ
ヒュッゲ デンマークの概念
これを日常生活でしているからこそ、世界でいちばん幸せな国とされる
日本 先進国のなかでは幸せ指数が低い
ヒュッゲの反対をやってきた
150年前・200年くらい前は、日本もそうしていた。
今の日本の住の風景
居住性の進歩 けれども、それらがある程度達成できたとき、この姿が、幸せな住まいの環境なのか、と。
使い捨てられるもので風景が構成されている。幸せ感の乏しいのは、使い捨ての時代だからでは?
竹富島 色んな不便、不都合、多々
住まいや環境はトータル 幸せ感としてはこちら
あるものを活かす
パッシブデザイン
あるものとは?
気候風土、自然エネルギー
歴史、文化
記憶
風景
ハードウェアではなく、ソフトウェア、手に触れられないもの
ブリコラージュ ありあわせのもので作る
→『和』では?
和風とは、有り合わせで作られる、非常にレベルの高い行為から生まれる
家庭料理 素晴らしいブリコラージュ
冷蔵庫の残り物、スーパーで買ってきたものと合わせて
和 足し算 引き算
ほうれん草の胡麻和え
和えている
明太子スパゲッティ 
日本の人たちの得意としていた
極東 漂流物を、イノセントにあり合わせて組み合わせて作りあげた
cnt.) ないものをねだる
自分がすごく良いものをもっているのに、何か他を憧れる
→侵略や戦争へ
70数年前、わたしたちも痛い目にあった。資源、植民地
モーターボート アクティブ
ヨット パッシブ
これからは燃料も高いし、すべてヨットのような建築に、という訳ではない。
ふたつの要素を足し合わせる、共存させる
どっちか一方では足りない、幸せ感を感じる住まいにはならない
目的 
幸せ感 心身が楽になる 健やかに暮らす
手段
アクティブ+パッシブ
ご利益
省エネルギー
光熱費削減
温熱デザインへの取り組み
まずはパッシブ 太陽の恵み、土地の持つポテンシャル
アクティブ 性能の良いエアコン それを活かす
建物の性能 断熱性能、気密性能
ねこ は、居心地の良い場所を見つける天才
猫が天才であるわけではない。
ホモ・サピエンスが何故、そう思うか。
ホモ・サピエンスと猫の心地よいと感じる場所が近い 犬の心地よいところとはちょっと違う
猫 生まれたところは、暑いところ。暑さにはつよい 
犬 暑いところではハアハア
ホモ・サピエンス 暑さに強い
30℃越えでも走れる
寒さに弱い パフォーマンスができない
吾輩は猫である、で、人を評して、やかんみたい、と。
ホモ・サピエンス アフリカ起源
それからどんどん北上
ほとんどの歴史を暑いところで暮らしてきた
→住まいをあったかくしましょう、というのが、私の建築観
私たちは生存できるのか
孫の世代まで、良い環境はあるのか
狩猟採取時代もよりは生存の危機を感じないことが多くなった現代人
コロナ禍でそれを意識
ほんとうに、このさき建築をつくれるのだろうか
生存の危機を感じたこと
→しっかり認識して、どういう建築が出来るのかetc.を自問すべき
あるものを活かす、というのがおおきなヒント
熱容量の大きな家 非常に効果がある
住まわれている人たちの幸せ感がおおきいと感じることが増えた
あるものを活かす 壁からの放射温度が快適
安定した家に居ると、外に出たくなる
屋根のかかった屋外に出たくなる
両親の葉山の家
半屋外
→ヒント、韓国の民家
冬の部屋と夏の部屋が分かれている。
冬の部屋 紙、オンドル
夏の部屋 ふきっさらし
潔い構成だなー。
鎌倉 扇ケ谷の家
スタディ いろいろ
最後の決め手はパッシブデザイン
南面の窓を大きく
あれもこれもダメ、となると何の一歩も踏み出せない 太陽光発電は、戸建ての屋根に乗せるのは素敵なことと自分は考える
けど、美しい瓦の屋根にそれが乗るのは、というのもあった
情緒的なものと機能的なものを合わせる
デザインによってできうる
シンプルに、自宅の庭で野菜を作る、みたいに太陽光発電を考えている
電気、移動に莫大なコスト 自分の家で発電できることは爽やかなのではないかな
デザインの力です達成できる、との信念
南面 ソーラー
北側 庭的な グレアの少ない
アメリカ サンタモニカ
街区 太い道路 細い道路
太い 伝統 雑多なものが出ないように
細い サービス機能
(細い道路の方 日本の街の感じと似ている)
土地は親から譲り受けたものではなく、孫から借りているもの。ネイティブ・アメリカンの言葉
貰ったものなら汚してもよい
借りたものなら汚してはいけない
自身の所有の土地としても、その意識で
「土地を所有している」といっても、多くは所有していない、太陽、大地の奥、雨、風
原発
覚醒剤をやって人生を破滅した人が覚醒剤の怖さを語ると説得力がある
原子力の怖さ、ヤバさを、説得力を持って語れる 原発から10年、原爆から100年経っていない いま、原発が再稼働しようと。
↓私の質問への答え。堀部さんが書いていた、トタン小屋の形の美しさと、著書『建築を気持ちで考える』でのアスプルンドの章について
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益子さん
住まいは掘立小屋くらいでいい
そこを整えいく
しかし、人の家を設計するとなると、、
自宅と人の家で設計が変わる
アスプルンドの章、気持ちが入っている
大好きな建築家
自分の設計は、形式性 構造の綺麗さ、コスト、施工性などから考えている。
正面性とか歴史性とかからではない
アスプルンドの建築、死者の声がする。彼の死生観が感じられる建築
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kennak · 2 years
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 「爪が厚くなり、体も硬くなって切りにくくなった。切りすぎが原因で巻き爪になったこともある」。川崎市の女性(70)はそう話す。 順天堂大学医学部付属順天堂医院足の疾患センターのセンター長を務める田中里佳さんによると、加齢による足のむくみや外反 ぼし などで爪が刺激を受けると、厚くなるなどの変形が起こる。変形すると靴や足の指とこすれるなどして爪が受ける刺激が強くなる。さらに変形が進み、痛みが出ることもある。「指がうまく使えなくなり、踏ん張りがきかずに転倒につながることもある」と田中さんは指摘する。  高齢者施設での爪切りなどを行うフットケアサロン「ドクターネイル爪革命」が2019年に実施した調査では、介護施設で勤務経験がある人のうち、88・1%が高齢者の爪が厚くなる症状を確認しているという。  こうした症状を未然に防ぐために大切なのが、爪の切り方だ。ドクターネイル爪革命の朝日理沙さんは「正しく爪を切ることで、爪が余計な刺激を受けずにトラブルを減らすことができる」と話す。  爪切りは入浴後に行うと、爪が軟らかくなり、切りやすい。月に1回程度が目安だ。  爪を5等分するイメージで細かく刃を入れていく。高齢者は爪の弾性が失われているため、爪のアーチ状の曲線に逆らって一度に切ろうとすると割れやすい。角は丸く切らずに四角に見えるように切り、やすりで整える。丸く切ってしまうと足に負担がかかり、巻き爪などのトラブルにつながるという。長さは、白い部分を少し残す。指先に平らなものを当てたときに爪が当たらない程度がいい。
[シニア]足の爪切り 正しく | ヨミドクター(読売新聞)
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tumnikkeimatome · 2 months
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理想的な歩行姿勢と適切なウォーキングシューズの選び方 - 足病を予防し健康的に長生きしよう!
歩行姿勢の重要性 歩行は日常生活の基本動作ですが、年齢とともに変化します。 50歳を過ぎると、歩行速度が急激に低下し、歩幅が小さくなり、腰の曲がりが大きくなる傾向があります。 理想的な歩行姿勢は、かかとから着地し、足の外側に圧力をかけ、最後に親指で蹴り出す動きです。 この動きを意識することで、筋力の維持と足の健康につながります。 年齢による足の変化 人間の足は驚くほど多様で、年を重ねるごとに独自の形状へと変化していきます。 50歳を過ぎると、多くの人が足の形状変化を経験します。 足幅の拡大が顕著になり、外反母趾や内反小趾のリスクが急激に高まります。 足の健康を維持する上で重要な役割を果たす3つのアーチ(横アーチ、内側縦アーチ、外側縦アーチ)が、加齢とともに徐々に平坦化していきます。 このアーチの変化が、足の変形の主要因となります。 定期的な足のケアと適切な靴の選択により、これらの変化を最…
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年10月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年7月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
あぢさいや錆ゆくときもずぶ濡れて 光子 雨に白く汚されてゐる木下闇 緋路 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 見覚えのビルはもう無くサルビアに いづみ 夏草のつぶやくやうな雨であり 和子 鉄条網梅雨の蝶さへ寄せつけず 同 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 飛石をぬらと光らせ五月雨 久 その人は梅雨に沈みながら来る 順子 五月闇不穏な波の来るといふ はるか
岡田順子選 特選句
列車音遠ざかるとき浜万年青 はるか 庭石は梅雨のものとて黄泉のもの 俊樹 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 雨の日の桔􄼷のうしろすがたかな 美紀 萱草のそびらに恩賜なりし闇 光子 潮入りのみづは昔や通し鴨 いづみ 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 瞬ける雨粒蜘蛛の囲の銀河 緋路 雨に白く汚されてゐる木下闇 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
鹿の子啼く隠れの島に入日濃く 修二 たはむれの莨にむせし桜桃忌 久美子 寂しさを下から崩すかき氷 朝子 茉莉花の別れ際こそ濃く匂ふ 美穂 不如帰久女の夢と虚子の夢 修二 首の無きマネキン五体暑き日に 愛 蟬生る瓦礫の闇の深きより かおり ひまはりの花と育ちて銃を手に 朝子 バレエ団の窓へブーゲンビリア満つ 愛 蔓薔薇をアーチに育て隠居せる 光子 うつし世のものみな歪み金魚玉 かおり バス停のバスまで覆ふ夏木かな 勝利 梅雨空にジャングルジムがひつそりと 修二 襖絵の孔雀の吐息寺炎暑 勝利 君嫁して香を失へり花蜜柑 たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
らつぱ隊香り奏でる百合の花 さとみ 風鈴が相づちを打つ独り言 都 香水に縁の無き身や琥珀色 同 身ほとりの置き所無き土用の入り 同 滴りの奥にまします石仏 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
黒塀や蔵してをりし八重葎 宇太郎 ふりかへる砂丘の海の線は夏 同 葛切や玻璃にスプンの当る音 同 夏草の中の林道下りけり 同 ソーダ水斜めに建ちし喫茶店 同 向ひ風麦藁帽を光背に 同 白服を吊りたる明日の再会に 悦子 浜昼顔一船置きし沖を恋ふ 同 白南風旅の鞄をコロコロと 美智子 足跡や巡礼のごと砂灼けて 栄子 紫陽花やうた詠むくらし悔もなく すみ子 玫瑰の咲くや砂丘の果の路 益恵 躊躇なく風紋踏んで白い靴 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
早苗饗や手足を伸ばす露天の湯 幸風 はらからや薄れゆく過去心太 百合子 一品を後からたのむ心太 秋尚 青楓雄々しく抱ける年尾句碑 三無 天草の歯ごたへ確と心太 文英 朝顔に護符つけ市の始まりぬ 幸子 朝顔のつぼみ数へて市を待つ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
西日射す鏡に海女の手櫛かな 昭子 兜山古墳を包む大夕焼 ただし 良き事の有りや無しやの今朝の蜘蛛 信子 信州に梅雨のかけらの雨が降る 三四郎 石も又涼しきものの一つかな 昭子 香水や周囲の心独り占め みす枝 梅雨寒や口を預けて歯科の椅子 信子 うなだれて少年の行く片かげり 昭子 僧逝きて久しき寺の夏椿 英美子 猛暑日や万物すべて眩しめり みす枝 天近き牧牛の背や雲の峰 時江 コップ酒あふる屋台の日焼顔 英美子 サングラス外し母乳を呑ませをり みす枝 かぶと虫好きな力士の名をつけて 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
芋焼酎醸す香りの満つる街 三無 団扇さし出かける孫の下駄の音 ことこ それぞれが里の焼酎持ち寄りて あき子 老媼の団扇頷きつつ動く 和魚 児に送る団扇の風のやはらかく ます江 店先で配る団扇の風かすか ことこ 泡盛の味覚えたりこの良き日 同 団扇手に風のざわめき聞く夕べ 廸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
沖縄の鳳梨乾いた喉癒す 裕子 青空や収穫の日の夏野菜 光子 夕暮れは車窓全開青田風 紀子 貝釦一つ無くした夏の暮 登美子 まだ聴けるカセットテープ夏深し 同 雲の峰送電線は遥かなり 令子 夕焼に路面電車が揺れてゐる 裕子 鐘を撞く寺は山上雲の峰 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月11日 萩花鳥会
透き通る海は自慢よ海開き 祐子 救助士の臀筋たくまし海開き 健雄 夏草や一対すべて青の海 俊文 生ビール久方ぶりや子とディナー ゆかり 引く波に砂山崩る海開き 恒雄 天の川点滅飛機の渡りゆく 美惠子
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令和5年7月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
羅を纏ひしものの身の一つ 世詩明 天国も地獄も自在孟蘭盆会 同 風の盆男踊りの笠深く 幹子 盆の供華華やいでゐる村の墓地 同 ギヤマンの風鈴揺れる蔵の街 嘉和 古団扇思ひ出の新しき 雪 縁側に男冥利の裸かな みす枝 ナツメロを口ずさみつつ草を引く 富子 蓮開く様自力とも他力とも やす香 神主の大きな墓を洗ひけり ただし 在りし日のままに夏帽吊し置く 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
田舎家の土間のだんまり朝曇 要 炎帝の遣はす鴉黒く群れ 千種 会釈する日傘に顔をなほ深く 同 夫恋ひの歌碑を見てより秋近し 炳子 飴色に枯れ空蟬の垂れ下がる 久子 古民家の故郷の匂ひ壁に黴 経彦 三猿の酔ふ草いきれ庚申塔 眞理子 古民家の茅屋根匂ふ炎天下 三無
栗林圭魚選 特選句
蓮花の水面の余白空の青 亜栄子 カラフルな浮輪乗り合ふ市民バス 久 じやぶじやぶと揃ひのティーシャツ水遊び 三無 咲き足せる泰山木の真白かな 秋尚 森少し膨らませをり蟬しぐれ 慶月 水音に誘はれつつ灼くる道 眞理子 惜しげなく涼しさ放つ水車小屋 要 ひとときの静謐滝に対峙して 久子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
マッカーサーパイプ咥へてアロハシャツ 千加江 遠雷や織部の茶碗非対称 泰俊 二業地に一の糸鳴る夜涼かな 同 悠久の光り湛へて滴れり 同 青田風満目にして夕仕度 清女 脱ぎ様のまことしやかに蛇の衣 雪 退屈をもて余しゐる古団扇 同 洗ひ髪訪ふ人も無く待つ人も 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月21日 さきたま花鳥句会
沢蟹の渡る瀬石に日の名残り 月惑 空蟬や辞書に挟まる紙兜 八草 家眠る厨にひとりバナナ剥く 裕章 山の水集め男滝の帯となる 紀花 どら猫にまさる濁声夏の風邪 孝江 炎天に心字の池面雲動く ふゆ子 打水や土の匂ひの風生まる 康子 行くほどに街路華やぐ百日紅 恵美子 睡蓮の葉を震はせて鯉の道 みのり 八の字を書きて茅の輪を潜りけり 彩香 誘蛾灯今は無人の故郷駅 静子 枇杷熟るる眷属訃報また一人 良江
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令和5年7月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
半夏生何処が嫌ひと云はれても 雪 蛇にまで嫌はれさうな蛇苺 同 何処をどう突いてみても蟇 同 お隣りは今はの際と虎が雨 一涓 師の友は文教場址合歓の花 同 守宮まづ招き入れくれ舎入門 同 忘れじの人今も尚蛍の夜 同 入道雲天下制する勢あり みす枝 藍浴衣片方だけにピアスして 昭子 サングラス外して妻は母となる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月23日 月例会 坊城俊樹選 特選句
空蟬や地中の記憶あるらしく 要 靖国の坂みんみんの急くに急く 昌文 炎天に零戦仰角三十度 佑天 鳥居へとまぬがれがたき炎天を はるか その日近付き靖国の灼けてをり 慶月 みんみんの高鳴く魂の声として はるか
岡田順子選 特選句
熱き骨ぽきぽきたたみ日からかさ 眞理子 真白な祢宜の出て来し木下闇 政江 笛の音の遠くに生まれ夏の果 光子 零戦を撮る少年の夏休み 慶月 下乗せし老女紅濃く夏詣 同 英霊に七日の魂の蟬時雨 政江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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turkey-trip · 1 year
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#6 カッパドキアガイド
こんにちは、カサダニアンです。
 
今回の旅、カッパドキアは2泊と丸2日間観光ができる場所です。
カッパドキアを観光する際のガイドとしてもらえると幸いです。
 
この記事では、カッパドキアの見どころについて紹介します。
 
〇カッパドキアどこにある?
カッパドキアは、トルコの首都アンカラから約250㎞離れて、アクサライ~ニーデ~ネヴシェヒル~カイセリ地方に挟まれて中央アナトリアに位置しています。
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〇なぜ洞窟?
2世紀にキリスト教が知られるようになったころ、カッパドキアはさまざまな思想、哲学、東方諸宗教の入り乱れるるつぼでした。
初期のキリスト教徒はおそらく、ローマの宗教的迫害から逃れてきた人々で、キリスト教徒の大部分は、タウロス山脈全域を占領したアラブ人の支配からカッパドキアヘ避難してきた人々でした。
これらの新しい住人たちは、丘の斜面を掘り、岩を刻んで教会を造り、内部をフレスコ画で飾ります。
こうしてカッパドキアの岩石地帯は修道院や修道士の祈り、教会などの大展示場の様相を呈するようになりました。
11世紀後半にセルジュク族がやってきたときには、カッパドキアには1000を越える宗数的施設があったそうです。
カッパドキアのキリスト教社会と、イスラムのセルジュクトルコの関係は友好的でしたが、14世紀に入るとオスマン帝国に吸収されてしまいました。
キリスト教信者のギリシャ人たちは、後世のトルコとギリシャの人民交換政策により、1920年代にカッパドキアを離れることになってしまいました。
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〇カッパドキアの地形が作り出す芸術
カッパドキアの地層は地上に見られる自然の奇跡の一つであり、中央アナトリアの火山が盛んに活動し、溶岩や火山灰に覆われた「堆積期」、そして火山活動の停止と共に始まった「侵食期」に於いて、自然が持っている二つの相反する作用が作り上げた作品と言えます。
ヨーロッパのアルプス山脈同様、南アナトリアのトロス山脈も地質年代上、新生代の第三紀(6500万~200万年前)に形成されました。
この時期、中央アナトリアでは活発な地殻の変動で深い亀裂や地盤の沈下が見られ、亀裂を這って地表に噴出しだしたマグマは、エルジェス、デヴェリ、メレンディス、ケチボイドゥラン火山を作り上げたのです。
そして、度重なる激しい噴火の後、中央アナトリアでトロス山脈に並行して走る火山連ができあがったのです。
火山の吐き出した噴出物は既に形成されていた丘や谷の上に長い時間をかけてゆっくりと降り積もり、周辺一帯は巨大な台地と化しました。
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〇地下都市
石灰岩を掘って地下8階から10階の深さにまで達している巨大な地下都市です。
完全に地下部分に作られていることとその規模の大きさから、他のカッパドキアの岩窟住居とは一線を画しています。
内部は、狭い通路から生活の場、換気孔までと様々な空間がまるで迷路をも想わせます。
地下都市での生活はキリスト教時代以前からすで営まれていましたが、一時は頻繁に利用されたのはアラブ人から逃れるキリスト教徒の避難所にもなりました。
アラブ人の脅威に様々な対策が練られるもどれも効を奏せず、キリスト教徒であった地元の人々はここに隠れて敵の撤退までの仮住まいとしていました。敵の侵入の危険に備え各階ごとに、石うすのような大きな丸い石板で扉を閉じられるようになっていました。
石板の直径は1.5m、いざという時はすぐに転がすことのできる場所に置かれていました。
他にも通気孔はもちろん、非難用のトンネルも備えるなど、この地下都市は完璧な防御の役割を果たしていました。
ここを訪れた人は壁を堀った箱型ベッドにも気を取られるかと思います。
その他にも内部には教会や学校、食料や物品の貯蔵庫、ワイナリーも作られていました。
通気孔は各階を突き抜けていてその幾つかは地下水まで達しているものもあり、井戸として水を供給する役割もありました。
見学可能なのは一部のみですが、観光ルートにはそれぞれ表示があるので是非足を止めてみてください。
カイマクルの地下都市では一番多い時期では合わせて約2万人、常時でも約4千~8千人もの人々が隠れ住んでいたと言われています。
地下都市が観光客の注目を浴びるようになったのはわずか50年前くらいからのことで、その前までは村人の貯蔵室や納屋として使われていました。
地下都市の内部を観光する際はガイドについて歩くか、矢印にそって注意深く進まないとすぐに道に迷ってしまいます。
長短さまざまな狭いトンネルが四方八方に延びていたり、通路を急カーブでえぐって窪みを利用した大きな部屋があったりもします。
頭上がとても低い場所や階段を使う場所もあるので頭上だけでなく足元にも十分に注意をして下さい。
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〇ウフララ渓谷
ウフララ渓谷(Ihlara Vadisi)は、カッパドキア南方のアクサライにある、自然的・歴史的に重要な価値を持つ谷です。
ウフララ村からセリメ村まで湾曲しながら続く、全長約18km、幅約200m、深さ約150mという雄大な谷は、この地にそびえたつハサン火山から流れ込んでいたメレンディス川によって削り取られて形成されました。
現在は小川となったメレンディス川は、生命の源となって谷底の豊かな緑を育んでいます。
自然の生み出した芸術に加えて、ウフララ渓谷でもう一つ特筆すべきは、切り立った高い崖の岩を掘って作られた5000もの住居と105の教会群です。
渓谷沿いには、カッパドキアを象徴する奇岩「妖精の煙突」が並ぶヤプラク・ヒサルやセリメ村もあり、まさに大自然の美しさと歴史的遺産の両方を楽しめる、知られざる観光名所といえます。
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〇セリメ修道院
カッパドキアで最も予想外の驚きの 1 つは、アクサライから 28 km のウフララ渓谷の端にあるセリメにある素晴らしい岩窟修道院です。
セリメには、ヒッタイト、アッシリア、ペルシャ、ローマ、ビザンチン、ダニシュメント、セルジューク、オスマンの各文明がありました。
セリメ要塞修道院の最も重要な側面の 1 つは、多くの主要な聖職者がそこで教育を受けたことです。 地域の軍事本部もそこにありました。
修道院は 8 世紀から 9 世紀に建てられたものですが、建物のフレスコ画は 10 世紀後半から 11 世紀初頭のものです。
描写には、昇天、受胎告知、聖母マリアが含まれます。
セリメ修道院はカッパドキア最大の宗教建築で、大聖堂サイズの教会があります。 大聖堂の内部には 2 列の岩柱があります。
これらの柱は、大聖堂を 3 つのセクションに分割します。
教会の大きさは驚くべきものです。 セリメ修道院内の凝灰岩から直接切り出された教会の柱とアーチには、かつてそこを占めていたさまざまな世代の痕跡が今も残っています。
初期の初期のイコンはよりはっきりと見ることができますが、後に描かれた詳細なフレスコ画は、トルコ人が部屋を料理に使用したときに表面を覆う煤の年月の下でほとんど見えません。
修道院には、修道士の宿舎、大きなキッチン、さらにはラバ用の厩舎もあります。
部屋の壁はかつてフレスコ画で飾られていましたが、ほとんど残っていません。
道路から修道院まで、急で滑りやすい丘を登る短いが挑戦的な道があります。
修道院までの道のりは、まずラクダが歩くキャラバン道の一部であるトンネルのような回廊を通ります。
セリメには大きなバザールがあったので、ラクダの隊商は途中下車と保護のためにやって来ました。 、ラクダは修道院の中央部に導かれました
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〇ギョレメ・パナロマ
カッパドキアの奇岩は6000年前、火山の灰と溶岩でできた柔らかい地層が侵食されて作られました。
旧石器時代にはヒッタイト人が住んでいましたが、その後クリスチャンがローマ帝国の支配から逃れるためにこの地を利用しました。
この時移住してきたクリスチャンがギョレメの奇岩の中に教会や家を建てます。
この地の地名である「ギョレメ」とは、「見てはいけないもの」「隠された場所」という意味を持つそうです。
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〇ギョレメ野外博物館
・入場料45トルコリラ
ギョレメの谷では遠い昔、信仰を共にした共同体の生活が営まれていました。
今日、野外博物館として管理されているこの谷の一帯には、独特の形の岩山を掘って造られたキリスト教の修道院が残されています。
共同体を提唱したのはカエサリア(カイセリ)司教の聖バシルでした。
彼は時代の浮薄な風潮を逃れて、人里離れたところで広域に分散して修行する小さな宗教共同体を提唱したのでした。
凝灰岩の一本岩を掘り抜いて建てられた教会の数は多く、365の教会が造られたという伝承もありますが、その中で現在も30ほどの教会が公開されています。
むき出しの荒廃した岩山を飾るのは、僅かに換気や採光のための窓や入口の開口部だけです。
これは人を避けて信仰生活に専念するためであり、また11世紀頃、ビザンチン帝国領内で熾烈を極めたトルコ人による迫害を逃れるためでもありました。
ギョレメに教会が建てられたのは850年以降で、11世紀頃には内部のフレスコ画が完成しました。都のビザンチン芸術の直接の影響を受けているとはいえ極めて素朴な絵です。
地元の後援者の資金提供で、専門の画家が壁画を描いていることもあり、時には肖像画入りで画家や後援者の名が残されていることもあります。
綿密な学術調査によれば、この後援者は地元の有力者達だったことが判明しています。
彼らは時折ここに集まり、大切な商談を行ったそうです。
これらの絵は8世紀中頃から9世紀にかけてビザンチン一帯で行われた偶像禁止が解かれた直後に描かれたものが大半です。
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「トカル・キリセ(ブローチの教会)」
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「円柱教会」
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「エルマル・キリセ(リンゴの教会)」
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「 カランルク・キリセ(暗闇の教会) 」
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「 サンダル・キリセ (サンダルの���会) 」
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「バルバラ・キリセ」
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「ユランル・キリセ」
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〇ウチヒサール城
・入場料10トルコリラ
ウチヒサル(Uçhisar)」とは、ギョレメとネヴシェヒルの中間にある町です。ウチヒサルとはトルコ語で「尖った砦」を意味し、巨大な岩山を掘って造られた「ウチヒサル城塞」を中心に巨岩要塞の麓に町が広がっています。
ウチヒサル城塞は3つの塔のような形をしており、カッパドキアの入口の一連の「要塞」のひとつでもあります。
ウチヒサルを遠くから見ると、無数の窓の付いた険しい岩山がそびえて見えます。これは岩壁をくり抜いて造られた部屋の窓です。
一部には、浸食作用で地滑りを起こして内部が露出してしまった部屋もあります。
そして、住宅地の下には数百メートルに渡って凝灰岩盤を掘り連ねた坑道があります。
この坑道は古代に掘られたもので、敵に包囲された際に外部と連絡を取って、水の供給を確保するために掘られたと言われています。
現在は浸食により脆くなって危険なことからここで暮らしていた人々は立ち退いてしまっていますが、数十年前まで人々が暮らしていた古い住居群も見られます。
また、ウチヒサルの岩の表面には「鳩の家」と呼ばれる無数の穴が開いていて、住民は昔からブドウ畑の肥料として使うために鳩の糞を集めていました。
鳩は赤色を好むため、巣の入口は赤色でペイントもされています。火山性で土地がやせているカッパドキアならではの生活の知恵です。
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〇パシャバー(妖精の煙突)
・入場料無料
パシャバー地区にある妖精の煙突をはじめ、カッパドキアの奇岩群は、長い長い時の中で自然の奇跡が生み出した芸術です。
中央アナトリアの火山活動によって溶岩や火山灰がこの土地に堆積し、それが風雨によって侵食されたことで、無数の表情を見せてくれるユニークな景観が形成されました。
こうして形成された凝灰岩のうち、下層の軟らかい部分が早く侵食されて細くなり、上層の硬い部分が残ると、妖精の煙突のような帽子を被った不思議な岩ができるそうです。
こうした奇岩は高さ40mに達することもありますが、自然による侵食はなお進行しており、下部の軟らかい部分がどんどん削り取られて最後には姿を消してしまうケースもあります。
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以上、日本語ガイドがいないので、この記事をガイド替わりにしてもらえると幸いです。
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chabatayuka · 1 year
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「たき火会」(後編)
たき火会場所:  奈良山園(2023年4月16日) たき火会展示: 茅スタジオ(2023年4月14日〜17日) 料理: 旅する料理人・三上奈緒 写真: 中村紋子 企画/書手: 茶畑ゆか
告知ページ: https://www.boustudio.com/takibi
「たき火会」イベントレポート前編はこちら。
徐々に料理ができあがってくるにつれて、火のまわりに人が増えてきました。(ぜんぜん料理に構わず竹切りに没頭している子もいますが、それもまたよしです)
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鹿肉もいい感じに焼けてきました。
その脇で、せっせと副菜づくりをすすめます。
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そして、ついに、パエリア完成ー!!
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最後の仕上げに、裏で摘んできた木の芽をぱらぱらかけます。
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みんなで作ったパエリア、手作りマヨネーズといろいろ果物のマリネ。 どれもほんっとうにおいしそうです。
今回使わせてもらった野菜はすべて、奈良山園をはじめとした東久留米の志あふれる農園の野菜たち。
野菜や鹿に対する感謝の気持ち、その野菜を作ってくれた人たちや鹿肉をきちんと処理してくれた人たちに対する感謝の気持ち、ごはんを作ってくれたこと、竹を切ってお皿をつくってくれてありがとうの気持ちをこめて「いただきます」をみんなで言おうねと、旅する料理人の三上奈緒さんが話してくれます。今日のごはんは正真正銘「みんなで作った食卓」だし、こどもたちが一番のはたらきものでした。
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いただきます!と元気に言って、さあ、待ちに待ったごはんタイムです。
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3時間かけてたき火でじっくり焼いた鹿肉はすごくパワフルで、みんなで作ったパエリアは最高においしくて、畑の果物でつくった塩とお酢だけのマリネも絶品、手づくりマヨネーズも最高!「おいしー!」とそこかしこで聞こえてきます。たき火を囲みながらおいしいご飯をもりもり食べました。
普段は野菜をほとんど食べないというお子さんももりもり野菜を食べていて驚いたと感想をくださった親御さんが何人かいらっしゃったのですが、よい土で元気に育った野菜のおいしさを感じていたのかもしれません。
おもしろいことにもつまらないことにもとっても正直なこどもたちが、筍掘りから竹細工づくり、たき火料理に食事会と、飽きている時間が一瞬もなかったように感じます。大人たちにいっぱい質問してひっぱり回し、そしてこども達同士で仲良くなって遊びまわっている風景がとてもよかったです。
暮らしの中に当たりまえにあったはずの「火」。その火を囲むことで自然と生まれる交流。そして火から遠ざかる都会で暮らすわたしたち。火がわたしたち人間の始まりにあり、火をかこむことで仲間となり文化が生まれてきたのではないか、という三上さんの問いかけは胸に迫るものがあります。
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4月16日、旅する料理人・三上奈緒(みかみ なお)さんと一緒に、茅スタジオにほど近い東久留米の奈良山園でたき火をしてきました。
発端は、なぜこんなにも私たちの暮らしは火から遠ざかっているのだろうという疑問から。東京に住んでいると火がとても遠い存在に感じられます。IHも増え、日々の暮らしに火はほとんど必要ないかのよう。でも火はかつて人々の生活の中心にあったはずです。
わたしたちの求める豊かさとは何なのか、どういう風景が豊かだと感じるのかを捉え直したいと思いながら様々な企画をしていますが、その中でも今回は「豊かな食のあり方とは何なのか」ということに焦点をあて、企画していました。栄養たっぷりなものを食べていれば「豊か」なのか、地域と繋がっていれば「豊か」なのか、コンポストがあってヴィーガンで地球環境に気をつかっていれば「豊か」なのか。
そこで見え隠れしてくるキーワードは、スローフード運動で主題となっていた「顔の見える関係性」なのかもしれません。しかしコミュニティが解体され尽くしてきた日本、得に東京においてそれを再構築するとしたら何から始めればよいのだろうと考えると、火を共に囲むことがまず必要なのではないかと感じました。なので、まずはここ、東京の西で火を囲むことから。
だれもが食事が出てくるのを待つだけの「お客様」ではなく、こどもも大人もみんなが自分にできる仕事をし、みんなで食卓をつくりながら共に火を囲む。そんな三上さんの提唱するAround the fireの精神に共鳴し、奈良山園の畑に春が訪れる中、たき火を囲んできました。
たき火会は、その後もとっても面白いです。 参加していただいた皆様から絶え間なく届く熱い感想たち。もっと深く考えてみたいと哲学対話に参加してくださる奈良山園のスタッフさん達や参加者の方々。じつはとっても参加したかったのだけど行けなかったとお話してくださる方々。後から知ったけど、本当に行きたくて残念だったとお話してくださる方々。たき火会をきっかけとして生まれたご縁がたくさんあり、それは今でも生まれつづけています。
大事に続けていきたい企画です。また冬にやりたいねと三上奈緒さんと奈良山園の野崎林太郎さんとでお話しています。
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▶︎旅する料理人 三上奈緒 https://www.naomikami.com/ 東京農業大学卒。「顔の見える食卓作り」をテーマに、色を通じて全国各地の風土や生産者の魅力を繋ぐ。焚き火を囲み、自然の惠みを料理して、一つの食卓を作る喜びを。食卓から未来を想像する学び場Around the fireを主宰。Edible schoolyard japanのchef teacherをはじめ、子ども達の食教育も行う。目で見て肌で感じたものが全て。全ては自らの足で歩く。が信条。海に山に川に、料理のフィールドはどこへでも。石を組み、木でアーチを組み、焚き火で料理する、プリミティブな野外キッチンを作りあげる。
▶︎たき火会の場所について たき火会の場をかしてくださり、当日のアクティビティでは素晴らしいスタッフさん達の連携プレーでこども達をサポートしてくださった東久留米の奈良山園。実は江戸時代から400年以上続く農園です。奈良山園が目指しているのは循環型農園。どうして「循環型農園」と銘打っているのか、については次回更新予定の対談で詳しく描かれます。
▶︎食べもの飲みものスペシャルサンクス 奈良山園 https://narayama-farm.com/ ココミニトマト 関ファーム @sekifarm.coco ラディッシュ、さつまいも 晴の字農園 @harunojinouen しいたけ、にんじん、かぶ 高橋農園 キウイフルーツ 大島農園 @ohshima_nouen アスパラガス 松本農園 @jizo_yasai お手伝い&アドバイス 柿の木園 @kakinokifarmtokyo クラフトビール「パラダイスビアー」のセレクト ヤギサワバル @yagisawabar_official
パンの差し入れ  マウパン @mau​_pan_higashimurayama プチフール @petit_four_romi
▶︎イベントで出るゴミたち たき火会のあと。 灰はさつまいもの肥料に。野菜くずは堆肥に。竹のお箸やお皿は乾かしてまた燃料に。かまどは庭石。椅子は切り株。道具や食器は持ち寄り。イベントがゴミの製造装置ではいけないよ、という三上さんの教え。イベントのあとはできる限り全てまた自然へ返っていきます。
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告知文
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旅する料理人・三上奈緒(みかみ なお)さんと一緒に、茅スタジオにほど近い東久留米の奈良山園でたき火をします。
発端は、なぜこんなにも私たちの暮らしは火から遠ざかっているのだろうという疑問から。東京に住んでいると火がとても遠い存在に感じられます。IHも増え、日々の暮らしに火はほとんど必要ないかのよう。でも火はかつて人々の生活の中心にあったはずです。
そんなことを考えながら去年の夏に訪れた長野県中川村。そこにはAround the fireという活動を主催する、旅する料理人の三上奈緒さんがいました。三上さんと巡る中川村には、地産地消、自給自足、里山と共に生きること、顔の見える関係性、循環など、様々なキーワードが飛び交う「これから」を見据えた人びとの姿がありました。
私は中川村の人々の背中を見つめながらも、まずはここ、東京の西で火を囲むことから始めたいと思います。だれもが食事が出てくるのを待つだけの「お客様」ではなく、地元の畑で自ら野菜を採り、こどもも大人もそれぞれができる仕事をし、火を囲みながらみんなで食卓をつくっていく。そんなAround the fireの精神に共鳴しながら、奈良山園の畑に春が訪れるなか、たき火をかこみたいと思います。
東京で、共にたき火をしませんか。
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haitokunikki · 1 year
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(2023/04/11)散文まとめ
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霧深い視界に湿原の森が広がっている。裸足で水の張った草地を踏む。やわらかい葉が足裏をくすぐる感触にしばらくは慣れず。水は冷たく澄んでおり、小魚の群れがすばしっこく散っては消えるのを見た。どこかへ向かうべきだと感じていたが、どこへ行くべきかわからなかった。360度見渡しても同じ光景が続くばかりで、まるで果てがないように思われた。遠くに目を凝らすほど霧は濃くなり、あらゆる輪郭をぼやかせる。宛もなく逍遥��るうちに森は開け、空は白く発光し、眼下に朽ちた古代都市が現れた。切り立った岩の下を覗く。岩の表面は苔が密生していて滑りやすく、慎重にならねばならない。指の間をヒメフナムシが這っていった。崩れた円柱と瓦礫の傍らに大きな水盤がある。水は今も何処からか湧き続けていて、いずれは都市まるごと没しつつある。水盤の中に等身大の球体関節人形が、寝そべるかたちでそっと浸かっている。目が合った。
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人家を囲むようにして聳える山々の一つに、願望成就で有名な神社がある。毎年七夕の時期になると、全国各地から集った色とりどりの短冊が境内を飾り、石畳の参道から社殿へ続く階段まで途切れることのない祈りの森と化す。陽の朱い夕暮れである。散歩ついでに資格試験の合格を祈願し、来た道とは対の参道を抜けた。山の斜面に沿って伸びる石段へ出ると、そこは爛漫にはためく短冊のトンネルになる。生温い夏の風が通る。ひぐらしが鳴きしきる。アーチ状に設けられた竹竿の天井を仰いだ。しだれ咲く短冊の群れの中に、一際目を引く桃色の一枚がある。と言うのもくしゃくしゃに撚れて土埃にまみれていたからであって、気になって手を伸ばし、文字を覗いた。『あの子が死んだら世界を終わらせて』子供とも大人とも判断のつかない字体の呪詛のような祈りだった。暫しの間、訳もなく立ち尽くした。うなじを汗が伝う。遙か頭上を飛行機が通過し、どこかで赤ん坊が泣いていた。それから惑星衝突による地球滅亡のニュースが全世界を駆け巡ったのは、ちょうど一年後のことである。
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バスタブが水槽になっていたことをすっかり忘れていた。その日は珍しく酔っていたから。無防備の冷え切った素肌を水生生物たちが小突き、擽られて飛び上がった。緑色のぬるぬるした藻や苔が手足に絡み付いた。翌日、バスタブを掃除することにした。桶、バケツ、鍋、コップ、深皿などを用意し、網で掬った生き物たちをそれぞれに移していった。金魚、アカヒレ、タニシ、ザリガニ、イソギンチャク、クマノミ、メダカ、ネオンテトラ、淡水エビ、シイラ、ヒトデ、クサガメ、ナンヨウハギ、予想外だったのは近所の野良猫。網で掬い上げたとたん、水滴を散らしながら暴れて浴室を飛び出していった。生き物の他にも色々出てきた。私は宝物をバスタブに沈める癖があったのだ。小学生のとき転校したNくんから届いた手紙、割れたお気に入りのマグ、綿が飛び出てぼろぼろのぬいぐるみ、片脚を失ったバレリーナのオルゴール、サイダーのビー玉、バービー人形、空の香水瓶、粘土工作、アイドルのキーホルダー、食玩ネックレス、食べ物とか動物の形を模したかわいい消しゴム、初デートで行った映画のチケットの切れ端、破かれた本のページ、母と折った思い出の折り紙、人生がいちばん完璧だったときの誕生日ケーキ、ゲームボーイアドバンス、君の死体。
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loopokaki · 1 year
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(AI生成文章)
 太郎は建物が大好きだった。彼は高層ビルやタワー、ドームやアーチなど、様々な形や色の建物に魅了されていた。彼はよく建物の写真を撮ったり、模型を作ったりして遊んでいた。彼の夢は、いつか自分で建物を設計して建てることだった。
 ある日、太郎は学校の図書館で本を借りていたときに、ふと目に入った一冊の本に興味を持った。その本のタイトルは「世界の紙飛行機」だった。太郎は紙飛行機も好きだったが、それほど深く知らなかった。彼はその本を手に取ってページをめくってみた。
 その本には、世界各地で作られたさまざまな種類の紙飛行機が紹介されていた。折り紙で作るものや、切り抜いて組み立てるもの、紙皿やストローを使うものなど、太郎は目を見張った。中でも特に印象に残ったのは、巨大な紙飛行機だった。
 その本によると、巨大な紙飛行機とは、長さや幅が数メートル以上にもなるような大きさの紙飛行機のことだった。その中でも最も大きいものは、長さが18メートル、幅が15メートルもあるもので、アメリカで作られたという。その紙飛行機はヘリコプターに吊られて空中に放たれ、しばらく飛んだ後に着陸したという。
 太郎はその巨大な紙飛行機に感動した。彼は自分でもそんな大きな紙飛行機を作ってみたいと思った。しかし、そんな大きな紙はどこにも売っていないし、家にも置けないし、どうやって空中に放つのかもわからなかった。太郎は悩んだ。
 そんなとき、彼はひらめいた。彼は自分で巨大な紙を作ればいいと思った。そして、その素材として思いついたのが建物だった。彼は建物の壁や屋根や窓などを薄く剥がして、それで巨大な紙飛行機を作ろうとした。
 太郎はまず自分の家から始めた。彼は夜中にこっそり出て、家の外壁や屋根から板やシートやガラスを剥がした。それらを庭に積み上げておいて、翌日学校から帰ってきてから組み立て始めた。彼はハサミやカッターで切ったり、テープや糊でとめた。
 太郎は家の庭で巨大な紙飛行機を作り続けた。彼は自分の家だけでなく、近所の建物からも素材を剥がしてきた。彼は誰にも見つからないように、夜になってからこっそりと作業をした。彼は紙飛行機の形やデザインにもこだわり、自分の好きな色や模様をつけた。彼は紙飛行機に名前も付けた。それは「タロウ号」だった。
 太郎はタロウ号が完成するのを楽しみにしていた。彼はタロウ号に乗って空を飛びたかった。彼はタロウ号で世界一周したかった。彼はタロウ号で自分の夢を叶えたかった。
 しかし、太郎の計画は思わぬところで妨げられた。ある日、太郎が学校から帰ってきて庭に行くと、タロウ号がなくなっていたのだ。太郎は驚いて周りを見回したが、タロウ号の姿はどこにもなかった。太郎は泣きそうになった。
 太郎はタロウ号がどこに行ったのか知りたかった。彼は庭に残された痕跡を調べてみた。すると、彼は地面に大きな足跡を見つけた。それは人間ではなく、動物の足跡だった。太郎はその足跡を辿ってみることにした。
 太郎はその足跡を追って森の中に入った。彼は森の中で何か音がするのに気づいた。彼はその音の方向に進んでみた。すると、彼は驚くべき光景を目にした。
 森の中にある小さな湖のほとりに、タロウ号があったのだ。しかも、タロウ号の上に乗っている人間がいた。それは白髪と白髭を生やしたおじさんだった。おじさんはタロウ号を眺めてニコニコしていた。
 太郎は怒っておじさんに近づいていった。「おじさん!それは私の紙飛行機です!返してください!」と叫んだ。
 おじさんは太郎に気づいて振り返った。「あら、こんばんわ。君がこの紙飛行機の持ち主かい?すごいね、こんな大きな紙飛行機を作ったんだから」と言った。
「おじさん、それは私が作ったんです!私が飛ばすんです!返してください!」と太郎は言った。
「そうかそうか、ごめんなさいね。でもね、君、この紙飛行機を飛ばす方法を知ってるかい?」とおじさんは聞いた。
「え?飛ばす方法?それは」
 太郎はおじさんに飛ばす方法を聞かれて困った。彼は正直に「わかりません」と答えた。
 おじさんは笑って「そうかい、そうかい。じゃあ、君に教えてあげよう。この紙飛行機を飛ばすには、風とバランスが大事なんだよ」と言った。
 おじさんは太郎にタロウ号の操縦方法を教えてくれた。タロウ号には翼や尾翼やプロペラなどがついていて、それらを動かすことで方向や高度や速度を調整できるという。おじさんはタロウ号に乗って実際に操作を見せてくれた。
 太郎はおじさんの操作に感心した。彼はおじさんに「おじさん、どうしてこんなことがわかるんですか?」と聞いた。
 おじさんは「実はね、私も昔は紙飛行機が大好きでね。いろんな紙飛行機を作って飛ばして遊んでいたんだよ。でもね、私はもっと高くもっと遠くに飛ばしたくてね。だから、自分で巨大な紙飛行機を作ったんだよ」と言った。
 おじさんは自分の作った巨大な紙飛行機の話をした。それはタロウ号よりももっと大きくて、色とりどりの風船で浮力を得ているという。おじさんはその紙飛行機に乗って空を飛んでいたが、ある日突然強風にあってしまって、どこか遠くに流されてしまったという。
「それからずっと、私はこの森の中で暮らしているんだよ。この湖の水や魚や果物を食べてね。でもね、私はいつかまた空を飛びたいと思っていたんだよ。だから、君の紙飛行機を見つけたときは嬉しかったんだよ」とおじさんは言った。
 太郎はおじさんの話に感動した。彼はおじさんに「おじさん、一緒に空を飛びませんか?私も世界一周したいんです」と言った。
 おじさんは喜んで「本当かい?それなら是非一緒に行こう!君の紙飛行機と私の紙飛行機をつなげれば、もっと安定して飛べるよ」と言った。
 そうして、太郎とおじさんは二人でタロウ号とおじさんの紙飛行機をつなげて空に飛び立った。彼らは青い空や白い雲や虹色の風船を楽しみながら、世界中のさまざまな場所を訪れた。
 途中で彼らはもう一人の仲間に出会った。それは風船おじさんだった。風船おじさんとは、30年前にいなくなったと思われていた伝説の冒険家で、色とりどりの風船に吊られた籠に乗って空を飛んでいたという。彼は世界中の不思議な場所や珍しい生き物を見て回っていたという。
 太郎とおじさんは風船おじさんに出会ったときは驚いたが、すぐに仲良くなった。風船おじさんは太郎とおじさんの紙飛行機に感心して、一緒に飛ぶことにした。彼は自分の見たことや知っていることを太郎とおじさんに教えてくれた。彼は太郎とおじさんと世界一周することにも賛成した。
 そうして、太郎とおじさんと風船おじさんは三人で空を飛び続けた。彼らはアジアやヨーロッパやアフリカやアメリカやオセアニアなど、世界中のさまざまな国や地域を訪れた。彼らは美しい景色や面白い文化や優しい人々に出会った。彼らは楽しくて幸せだった。
 そして、ついに彼らは世界一周することができた。彼らは日付変更線を越えて、日本に戻ってきた。その日は偶然にも太郎の誕生日だった。
 太郎は「わーい!世界一周できた!しかも今日は私の誕生日だ!」と喜んだ。
 おじさんと風船おじさんも「おめでとう!君はすごいね!こんな素晴らしい旅をして、誕生日も迎えるなんてね!」と言って祝福した。
 三人は太郎の誕生日を祝うことにした。彼らは紙飛行機に乗って近くの町に降り立った。彼らはケーキやプレゼントや飾り物を買ってきて、紙飛行機に持ち帰った。彼らは紙飛行機にクリームを塗りたくって、ろうそくを立てて、風船やリボンで飾った。彼らは紙飛行機でパーティーを始めた。
 太郎は「これが私の一番素敵な誕生日だ!ありがとう!」と言って笑った。
 おじさんと風船おじさんも「こちらこそありがとう!君と一緒に旅ができて本当に良かったよ!」と言って笑った。
 三人はケーキを食べて歌を歌って踊った。三人は仲良くて幸せだった。
 そして、三人は紙飛行機で空に飛び立った。彼らはもう一度世界一周することにした。彼らは太郎の家にも寄って、太郎の両親に挨拶した。太郎の両親は太郎が無事で元気でいることに安心した。彼らは太郎に「気をつけてね」と言って見送った。
 三人はまた青い空や白い雲や虹色の風船を楽しみながら、世界中のさまざまな場所を訪れた。彼らは美しい景色や面白い文化や優しい人々に出会った。彼らは楽しくて幸せだった。
 しかし、その幸せは長く続かなかった。ある日、三人が空を飛んでいると、突然暗い雲が現れた。それは強い嵐の前兆だった。三人は嵐に巻き込まれそうになった。
 太郎は「おじさん!風船おじさん!嵐だ!どうしよう!」と叫んだ。
 おじさんと風船おじさんも「大変だ!早く逃げなくちゃ!」と言って慌てた。
 三人は嵐から逃げようとしたが、間に合わなかった。嵐は三人の紙飛行機に襲い掛かった。強風が紙飛行機を揺さぶり、雷が紙飛行機に落ち、雨が紙飛行機を濡らした。
 紙飛行機は嵐に耐えられなかった。紙飛行機はバラバラに壊れてしまった。タロウ号もおじさんの紙飛行機も風船おじさんの籠も、全部破壊されてしまった。
 太郎とおじさんと風船おじさんは紙飛行機から落ちてしまった。彼らは空中で叫んだ。「助けて!助けて!」と。
 しかし、誰も彼らを助けることができなかった。彼らはどんどん地面に近づいていった。彼らは死ぬことを覚悟した。
 しかし、奇跡的にも彼らは死ななかった。彼らは地面に落ちる直前に、何か柔らかいものに受け止められた。それは巨大なクッションだった。
 太郎とおじさんと風船おじさんはクッションの上で目を開けた。彼らは無事だった。彼らは安堵した。
 しかし、その安堵も束の間だった。彼らはクッションの正体に気づいた。それはクッションではなかった。それは巨大なクモだった。
 太郎とおじさんと風船おじさんは恐怖に震えた。彼らはクモから逃げようとしたが、動けなかった。クモは彼らを糸で巻きつけていた。クモは彼らに牙をむいて笑った。
「やあ、やあ、やあ。ようこそ、私の巣へ。私は君たちを待っていたよ。君たちは私のごちそうだよ」とクモは言った。
 太郎とおじさんと風船おじさんは絶望した。「助けて!助けて!」と叫んだ。
 しかし、誰も彼らを助けることができなかった。彼らはクモに食べられてしまった。
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kachofuraku · 2 years
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満開
2023・3・23
WBSで日本が世界一になった!もうこれ以上ない!と言う展開で。この瞬間を観られただけで生きていて良かったとさえ思える。サムライジャパンを祝福するかのように桜は満開になり、雨の予報が一転快晴になった昨日、足取りも軽く公園へ行くと日曜日と同じ桜の木はやはり満開でした
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花が咲いてるとピクニックも絵になる。桜は満開で天気は快晴なのに昨日は平日だから人は少なく園内は静かで散策にはもってこい。近所の新坂川沿いの桜並木はこの時期人が多いので入り口だけ写真を撮って帰りました
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遊歩道側に伸びた枝は切り落とされ、桜のアーチだった散歩道も風情が無くなった感じだけど、川面に伸びる枝はそのままなので美しさを保っている。桜の花の寿命は大体半月。短か過ぎる!
さあ、WBSも終わり楽しみが無くなった今日この頃、何か面白い事を考えなくては・・
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yamanaka-lab · 2 years
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2022建築レビュー#2
-建築レビュー#2(設計者:Architensions/ATE)発表者:長谷川(M1)講評者:久米-
  建築レビュー第2回はArchitensions/ATEを取り上げた。
  Architensions/ATEは、Nick RoseboroとAlessandro Orsiniにより2010年に創立された。ニューヨークとローマに拠点を持ち、住宅やインスタレーション、子供の遊び場といった様々な規模のプロジェクトにおいて活躍している建築デザインスタジオである。
 彼らは、「プロセスを大切にし、美学を探求する」という設計思想を持つ。多くの目標と成果が期待される建築研究に取り組んでおり実践や教育を絡め、建築空間を模索し、建築とアーバニズムを再接続することを目指している。 
 今回は、彼らの建築作品を3つ取り上げ紹介する。
 事例1『The Playground』,UNITED STATES (2022)
 このインスタレーションは、アメリカの音楽祭で採用されたものであり、カラフルな鉄骨造りの塔は『遊びの場』を表現している。
 構成は、足場システムのような4つの鉄骨造タワーで構成されており、色は3色を基調とし、3色の関連する隣接関係を考慮した単色で塗装されている。素材は、差し込む光、見る角度によって様々に表情を変えるダイクロイックフィルムのスペクトルから派生した色を使用したりすることで、意図的に鮮やかな色を実現している。
 オランダの画家コンスタント・ニューウェンホイスの視覚的ユートピア「ニューバビロン」の思想や、イタリアの建築家アルド・ロッシの「世界劇場」の空間の影響を受け、この構造は特定の都市の特徴を模倣し、多様な色とりどりのアーチで設計された。
 形状は、都市の類型を参照し、風景に秩序を与える多孔質のグリッド内に垂直に配置されている。
 都市にある模倣的なタワーの現代的な機能とは対照的に、タワーを楽しい場とし、移動の自由を人々に促進するためのフレームワークとして提案している。 
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事例2『dwelling without corridors』,UNITED STATES (2019)
 この作品は、2019年開催のニューヨークの住宅についてのコンペティションである。
  彼らは、都市構造の基本的な構成要素は、アイデア・文化・知識の交換に参加することであると提唱し、提案した。
 住宅における「ロビー」や「廊下」などの活用されていない空間を、各リビングユニットにサポート機能を備えるような空間に転換させるプランである。
 住宅は住民間の関係を育むため、各個室やコアとなる部分を左右に設け、その間にリビングなどの共有スペース兼廊下の役割を果たすものを配置している。断面的には2層を1層として扱い、真ん中に共有スペースを設け中間階に個室を配置している。
 廊下を排除し、そこに各個室へと向かう動線を設けることにより、共有スペースでの活発な活動を促す。
 またファサードは、周辺地域の歴史を兼ね合わせ、開口や扉のデザインがされている。
 彼らはこの住宅を通して、住宅は都市で行われる公共生活から分離された私的領域として捉えられている中で、住宅は都市構造の一部となるような計画を提案した。
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事例3『Children's Playspace』,UNITED STATES (2020)
 この遊び場は、少人数の子供たちのための創造的で集団的な遊びのための屋内空間を目指したインテリアの作品である。
 自然の要素から遊び心を持ち抽象化している。森林の砦を通る動き、木々を流れる薄暗い光、雪から反射する太陽の輝きなどから、デザインアイデアが出されている。
 自由形式の遊びを奨励する先駆的な環境であるイサム・ノグチのプレイグラウンドや、アルド・ファン・アイクのアムステルダムのビルの遊び場などから刺激を受け、デザインされた。
 多面的な形を持つことにより、様々な相互作用や活動に影響を与えることを目的としている。
 ツリーハウスを参照した緑の円筒形では、子供たちは階段を登り、葉の効果を期待できる緑色の布メッシュを通し、空間を観察する。
 半透明の和紙で覆われた天井からぶら下がる円錐形のようなものの中で、子供たちはきらめく雪の効果に似た独特の光を経験する。
 この屋内建築は、子どもたちが、多様化された空間の中で、それぞれ異なる姿勢で境界を作り、そして自分たちの周りの世界を再発見するような空間が目指されている。
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 私は、Architensions/ATEの設計について、建築とアーバニズムの再接続に焦点を当て、人の行動に対して実験的に建築をつくり都市に向けて効果や成果をつくりだす建築家であると感じた。また、直線や幾何学の形態のつくり方が独特であり様々なものから刺激を受け、形態に落とし込んでいる建築家であると感じた。
 山中は、Architensions/ATEの作品から、社会的要因に対するデザインの応答を実験的に模索しどのように落とし込むのか模索し、容易に認識できるルールを規定することにより、建築・空間にして落とし込んでいると捉えた。
 20世紀的なボキャブラリーを使い、設計におけるデザインコードやルールを規定している。幾何学の使い方、置き換え方が建築家アルド・ロッシを彷彿とさせている。また、視覚的ユートピア「ニューバビロン」の思想とは、変化していくための座標や基準を設定して、変化を許容している部分は通じているが、「ニューバビロン」ではその基準がより複雑である。Architensions/ATEの設計は、乱雑なように思えるが軸があるため均整がとれていると述べた。
引用 
・Designer of the Day: Architensions – SURFACE (surfacemag.com)
・https://www.archdaily.com/980374/the-playground-architensions?ad_medium=office_landing&ad_name=article 
・architensions - Architensions
・Children's Playspace / Architensions | ArchDaily
・Il teatro del mondo.アルドロッシ - 風光明媚な宇宙展望台 (cargocollective.com)
・Teatro del Mondo - 八濱漂泊傳 (goo.ne.jp)
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hi-highmt · 2 years
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内反小趾手術と巻き爪治療
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明けましておめでとうございます。 皆さま今年もよろしくお願いします。 (写真は元旦の散歩で見えた富士山です)
12月上旬に外科手術を受けた関係で、山行はお休み中です。 なぜ手術を受けるに至ったかと言えば…下の写真をご覧ください。 小指の付け根の部分から6本目の指が生えて来そうな勢いじゃないですか?
「内反小趾(ないはんしょうし)」という症状ですが、ご存知ない方が多いかも。 「外反母趾(がいはんぼし)」は有名なのに、こっちは患者が少ないのかな。 Macの変換でも、一発では出て来ません(iPhoneでは出るのにな〜)。
簡単に言うと、足のアーチが崩れることで関節の周りに負荷が掛かって炎症が起き、そこにある滑膜という組織が肥大化してしまっているのだそうです。
私はこれと30年近く付き合って来た訳ですが、もう我慢の限界! 山に登っていない移動中や、家で仕事をしている時まで痛むようになり…。
10代からずっと痛みはあったのですが、いよいよ耐えられないレベルまで悪化したため、意を決して両足の出っ張り(滑膜)を削ってもらうことに。 ここ2年で山行頻度が増えたからかもしれませんね…。 幸いにも骨の変形は見られず、手術は短時間で入院も一泊二日で済みました。
が、手術はあくまでも炎症を起こしている滑膜を削って一時的に痛みを取るだけ。 崩れた足のアーチが正しい状態に治らないと、また同じ状態になるのだそうで。
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【12/3(土):入院】
上の写真は手術当日、入院する前に自宅で撮影したものです。 手術の時はペディキュアも落とさなればならないので(化粧も禁止)、 血豆で死にかけのお見苦しい爪が並ぶ足ですがご容赦くださいね。
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【12/4(日):退院(手術翌朝)】
黄色っぽいのは消毒薬の色で、デコボコしてるのは包帯の跡です。 更には足に油性ペンで矢印が書かれていますが、お気になさらず。 浮腫んではいますが、ガーゼの上からでも出っ張りが減った感じがしませんか?
これが7:00ぐらいだったのですが、この後朝食を食べて9:00には退院。 家族に迎えに来てはもらったものの、病院から駅前のタクシー乗り場までは数分ですが自力で歩いて行きました(担当医から徒歩での帰宅許可が出ています)。
もちろん普通の靴は履けないので、この時は厚手の靴下+ベルクロタイプのスポーツサンダルで帰宅しました。
前日の夕方に右足5針・左足7針縫っているのに、翌朝歩いて良いんですね。 (術後3時間で自力歩行にて病室隣にあるトイレにも行きましたし!) 私の場合は骨までは削らずに済んだからかも知れませんが、衝撃でした…。
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【12/10(土):手術から1週間後】
絆創膏の上からですが、かなりスッキリした感じに見えませんか? まだ内出血が凄いですが、これは月末ぐらいには引きました。
この三日後、12/13(火)に抜糸をしたのですが、これがちょっとした辛さ。 テグスのような細い糸���縫われているのですが、糸を抜く時がうぐぐぐぐ…! 5+7針で計12回の痛みを耐え抜きました(大袈裟)。
でも、12/6(火)の経過観察も抜糸の日も、自転車ですが自力で病院へ。 革靴はまだ履けませんが、ソフトなメッシュ素材のスニーカーなら短時間であれば何とか歩ける感じです。
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【12/18(日):手術から2週間後】
抜糸から5日後。テープで傷口を貼り合わせています。 まだ台所などに長時間立つと痛いですが、家の中では不自由なく動けるように。 もっと長いこと不便な生活が続くのかと思っていたので、何だか拍子抜け。 でもやっぱり、靴はソフトなスニーカーしか履けないし、外を歩くとまだ痛いですね。
あとは11月に整形外科で作成した高額な医療用インソールで、崩れた足のアーチが矯正されていくと良いな〜(今は小指が真横を向いてしまうほど崩れているので)。
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【12/16(金):巻き爪治療開始】
そしてこの機会に、巻き爪治療も併せてやってしまおう! と、Amazonでこちらを2つポチリ。 1つ4,000円弱なので決してお安くはありませんが、専門病院だと5〜6,000円はするそうなので、思い切って買ってみました。
巻き爪になるのも、親指に正しく体重が乗っていないかららしいんですよね。 爪はきちんとスクエアに削っているのに、内側だけが巻いちゃうんだもの。 (念のため整形外科のインソールの先生にも確認したけど、やっぱりそういうことみたいです)
これも実は30年来の悩みでして。 20代の頃には巻き爪治療で有名な都内の某皮膚科を訪ねたりもしたけれど 「この程度なら手術するほどではない」と他の治療法も提案されずに突っぱねられて、ションボリしながら帰って来たのでした…。 当時はもっと巻いていたし、かなり深刻な悩みだったんですけどね。 バレエを習っていて、トゥシューズを履くと内反小趾と合わせて地獄の苦しみだったので…。
その後は爪をスクエアカットしたり、小さくちぎった綿を詰めたりしながら何とか凌いで来たのですが、ここのところまた痛みが出るようになって来て。 だから巻き爪も内反小趾と無関係ではないのだろうと思うようになりました。
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で、またお見苦しい写真ですみません。 これが治療前の親指の爪の状態。 両足ともこんな感じで直角に肉に食い込んでいます。 角を何度もヤスリで削っていたせいか、内側だけ厚くなってしまいました。
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さっそく巻き爪用クリップを装着。 着けた側から、もう少し矯正されています。
内側へは、かなり無理矢理嵌め込みました。 巻き込みが酷い側へ先に差し込むとやりやすいと思います。
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小さいので外れてしまうと探すのが厄介です。 サージカルテープで固定しました(寝ている間に剥がれたりしますが)。
最初の3日ぐらいは疼くような痛みがありましたが、徐々に慣れて来ます。 良くなって来たので5日ほどで一旦外しましたが、また元通りになってしまったので、また装着中です。 完全に治るまでは外さない方が良いのかな〜?
内反小趾も巻き爪も、私の立ち方の癖と運動不足から来るものなんだろうということは分かってきました(何せ在宅ワークで座りっぱなしなので)。
とにかく今年は、少しでも痛みのない快適な登山が出来ますように! (そのためならば、やれることは何でもやる!)
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usickyou · 2 years
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What a wonderful worldend
 今日、南極点のそばで美波ちゃんに出会った。  偶然だね。そう言った彼女も、聞けばどうやら探し人の途中らしい。「寒いところで、生まれた子だから」って北極に次いで南極に訪れたという彼女を「効率悪いねえ」って揶揄したら、「本当にね」ってくすくす笑ってたから、それが彼女たちのリズムなんだろうなって、あたしは妙に納得してしまう。  ちょっとおしゃべりしようよ、って白夜に放棄された基地へ忍び込んで、運良く残っていた燃料で暖を取りながら肩を並べる。「元気にしてた?」「全然。美波ちゃんは?」「私も全然。あの子には会えそう?」「にゃは、意趣返しだ」「違うよ。会ってほしいって思うから」。  それは、本心なんだろう。彼女はそういうふうにできていて、それだけは、全てが変わろうと何も変わらない。「金色の、風が吹いてるんだよね」「うん」「たどっていけば、会えるって思うんだ」「うん、素敵だね」「美波ちゃんにもそういうのない?」「うーん……そうだ。流れ星、追いかけてみようかな」「幸せだねえ」「うん、幸せだよ」。  そうやってのろけ話を交わして、朝、目を覚ましたら彼女はもういなかった。物質的な痕跡は何も残さず、ただ眠る寸前に寄せた右肩の感覚だけが残っていた。  彼女は本当に、ここにいたのだろうか。  どちらでもいいし、それに、またいつか会えるだろう。  だって、世界の終わりにはみんな、誰かを探してる。
 *
 通り雨が上がって、ぬかるんだ地面に足を取られた。けれど汚れたのは右手と左手も若干それだけで、上手に処理したなあってアイドルだった頃の努力を今さらにも感じていたら、押しころすみたいな笑い声が聞こえてきた。  フランス、シャンパーニュ。右手に広がる常盤色のブドウ畑、その向こうに万年雪のお化粧をしたアルプス連峰。左手もブドウ畑、小屋や農機具。後ろ、歩いてきた茶褐色の道。前、進んでいく未舗装の道。「3、2、1……」「ごめんなさい、つい」。そう、この道を形成する石垣の影から静々と現れたのは奏ちゃん。手に持った葡萄を差し出して「どう?」「やだよ、酸っぱいでしょ」「私も食べる前に知りたかったわ」って苦笑い。石垣に腰を下ろして、インディゴのサテンワンピースから伸びた脚は宙をぶらぶら泳いでいる。  何してるの、って聞こうとして寸前にそれが無意味だって気付いた。「どうしてここなの?」「だって、あの子すごく自由でしょう」「にしても、もっとそれらしい場所ありそうだけど」「思いつくような場所は行ったわ」「それもそうだね」。風が、あたしたちの髪を揺らした。南から吹く、温暖な風。たくさんのものが変わってしまって、失われて、そうして自然は少しだけ優しくなった。  葡萄を一つもらって、かじってみる。それはやっぱり酸っぱくて、だけど新鮮な果実の甘みは思いがけない喜びをもたらした。一緒に食べたら、エメラルドみたいな瞳はどんなかがやきを見せてくれるだろう。「志希は、訊くまでもないわね」「聞いてくれてもいいよ」「パリ、どれくらいかしら」「一緒に行く?」。そんな気もないのに、言ってみる。「あなたが望むならね」。彼女は石垣を下りて、あたしが来た方の道へ歩き出した。裸の足が柔らかい土を踏みしめるたびに鳴る音は、確かに生命を感じさせて、だけど振り返ればきっと彼女はそこにいないんだろう。  さようならって声が聞こえた気がしたけど、答える代わりに葡萄をもう一個、口に放り込む。
 *
 真っ赤な凝灰岩と赤煉瓦の建造物に焼けるような夕日が射して、世界は燃えている。「暑いねー」「これ、冷えてるわよ」「それ、もっと熱くなるやつ」「そんなことないと思うけど」「ほっぺ赤いよー」「だって、暑いんだもの」「なによりだね」。かつてこの国、イランには禁酒法があったらしいが、それは全く正しい判断だったとその人は身を以て教えてくれる。  こんなに暑い昼間のうちに歩き回らなくても、と入り込んだ煉瓦の家に、楓さんはいた。やけにターバンが似合って、「異国情緒よねえ」って皮袋から何らかのアルコールを摂取して、なんだかその姿は、誰よりもこの世界を楽しんでいるように映る。「だって、私たちアイドルでしょう」「��んうん」「……」「お酒、おいしい?」「ええ、とっても」。  日が沈むと、この国はよく冷えた。とは言え気候としては過ごしやすく、眩しいほどの星明かりの下をあたしたちはふらふら。訊けば探し人は、月がよく似合うらしい。「なんだか、予感がするわ」「何度目の?」「初めて。あの人と会う時は、いつもそう」。そう言った、横顔があまりに美しいから、空を見上げた。綺麗な月だ。もしかしたら、あたしの探し人はそこにいるのかもしれない。月がちょっとだけ金色に輝いているのは、そこで彼女が歌っているからかもしれない。なんて考えていて、地上に意識を戻した時には、楓さんはもういなくなっていた。  きっと、そこに行ったんだろう。  彼女の歌が聞こえたか、帰ってきたら教えてもらおう。そう心に結んで、残していったターバンを巻いてみる。  なぜか心地良い、アルコールの香り。ほんのりと。
 *
 みんな、その色がこんなにも美しいと誰かに伝えたくて仕方がないから、この街は思い思いの好きで溢れている。けれど、降り注ぐ太陽があまりに優しくて、あたしは、今はもういない彼らの願った通りにたくさんの色を好きになっていく。  キューバ、トリニダ。ここは、そういう街だった。  彼女なら、どんな色を選ぶだろう。萌黄色か、コーラルピンク、ベイビーブルーもいいかもしれない。毎日その日の気分で家の壁にペンキを塗って、そんな毎日を過ごすのもいい。「げ、志希」「にゃは、奈緒ちゃんだー」「逃げていいか?」「いいけど、すぐ捕まえるよ」「……だろうなあ」「よしよし」。  市街に描かれた緩やかな曲線を、のんびりと下っていく。気候は暑くも寒くもなく乾いても湿気ってもいない。降りてきた天国のようだった。白い窓枠を花が伝って、さながらニンフェットの住処だと思っていたら、「海に行きたいって言ってたから」と彼女がぽつりとこぼす。「そこにいるかも?」「いやーどうだろ、けっこう回ったんだけど」「案外、渋谷のマクドナルドとか」「否定しきれないって」裏とか表とかそういうのがバカらしくなるくらいの笑顔は、やっぱり今日の太陽によく似合って、あたしは彼女のことをもっと好きになる。  でも、この海はちょっと特別かも。そんなことを言おうとしたけれど、彼女が駆け出したせいで行き場を失った言葉は潮風に溶けて消えていった。「海だー!」子供みたいに大声を上げて坂を下っていく背中に「転ばないでねー」ってまるでママみたいな言葉を送って、ちょうど差しかかった木陰で足を止める。なるほど見下ろした海のアクアマリン、乱反射する光に誘われて、駆け出したくなる衝動で脚は疼いていた。  だけどもう少し。たとえばこの坂道を一緒に下って、波間に踊るその手足を想像していたい。それからでも、何もかも遅いってことはもう、この世界には一切なくなってしまったのだから。  そうしてあたしは、すっかり見えなくなってしまった彼女に手を振った。
 *
 タンザニア。この砂と礫の海で人間は誕生した、という説がある。正確には、あった。その真偽は保留するとして、ここは、そう考えるにはあまりにロマンのない場所だ。少なくとも、彼女の起源を辿ればここに行き着く、なんて説はあたしの知の全部を尽くして否定しなければならないだろう。  けれど、良いところもある。たわむれに蹴った石が傾斜を転がり落ちて、生まれたのは跳ねる音符、やけにハッピーなメロディ。意味もなくばらまいた砂粒は、陽光にきらめく極小のトパーズ。「あーあ」ってため息がこぼれて、乾いた喉に流し込んだ水は信じられないくらいおいしくて、もっと、彼女に会いたくなった。  どこにいるんだろう。  終わってしまった世界で、あたしは彼女を探し続けている。(まだ、何歩か進んだだけだよ)(あたし我慢って苦手なんだよね)(泣き言なんて、似合わないわね)(そう聞こえた? ならそうなのかも)(ちょっとくらい、休んでもいいんじゃないかしら?)(止まったものを動かすのって、エネルギー使うんだよ)(あいつも、志希のこと探してるんじゃないか?)(自分だって、そう言われても待てないでしょ)。それぞれが、それぞれ勝手に喋りかけて、まあ、退屈はしないけど。  でも悪いけど、今日は閉店。洞穴に入り込んで、涼やかな風を楽しみながら、目を閉じる。瞼の裏に、何度か彼女の色が射した気がして目を開くけど、その度見えるのはゴツゴツした火成岩の岩肌。外はもう暗くなっていて、もう寝ちゃおうってちゃんと目を閉じたら「そのまま、開けちゃダメだよー」って、聞き間違えるはずがない、ずっと、ずっと聞きたくて、何度も思い返して、夢にだって数え切れないくらい見たんだよ。「もしかして、夢?」「なら、開けたら覚めちゃうよ」「そっか、目、閉じてれば覚めないんだね」。  あたしたちは、たくさん話した。最初は、見てきた景色のこと。モンゴルの草原で寝ころんで見上げた空の深さ。スイスのなだらかな丘陵で牛に葉っぱをあげたこと。カナダ、メイプルの群生林で凍えていた夜。フォークランド諸島で追いかけまわしたペンギンたち。「ぜんぶ、一緒が良かったんだよ」「うん、ふたりで行こうね」。それから、出会った人のこと、出会わなかった人のこと。咲いていた花の名前。月齢の数え方やアーチ状の格子窓がどれだけ綺麗か。そうして、この世界がどうやって終わっていったか、なんてつまらないことを話そうとしたらキスをされて、言葉は消えてなくなった。抱きしめられて、空間が消失した。幸せで、満ち足りて、もう何もいらないなあ、なんて思ったけれど、「またね」「うん、ありがとう」って目を開けば朝日は柔らかく射し込んでいて、周囲に人間が存在していたことを示す痕跡は何一つ残っていなかった。  洞穴の外に広がる礫砂漠をぼんやりと眺めていたら、あくびが一つこぼれた。もうちょっとだけ眠ろうとする体を「よいしょ」って起こして、タンザニアの青い空、太陽の下へ足を踏み出す。  金色の風は、今日も彼女と同じ温かさで、あたしの手を引くみたいに、吹いていた。
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volosupply · 2 years
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2022年4月25日(月)
「I LOVE YOKOSUKA」
買い付けから帰国して10日が経過した。
荷捌きも半分以上は終了し、買い付けた服たちは倉庫内で出番を待っている。
今回の第一目的地はテキサス州ヒューストン。
ヒューストンのジョージブッシュ空港からアメリカに入国し、レンタカーで服や物たちを探し回った。
個人の古着屋があまり行かない中南部テキサスにした理由は2つある。
1つは『アメリカ中南部を探検してみたい』というただの好奇心である。
ただの好奇心とは言ったものの、航空券を取る1ヶ月以上前から現地のリサーチはしていて、航空券の高騰や、ちゃんと買い付けになるのか、という不安もあり悩んでいた。
しかし、偶然にもその間に観た映画や本、曲などにテキサスやヒューストンが登場することが多く、僕はテキサスのカウボーイに鞭で尻を叩かれている気持ちになっていった。
テキサスと西海岸で熾烈な先頭争いをしていたが、尻を叩かれ続けた僕は不安が確信に変わり、見事テキサス行きを決めたのであった。
もう1つは、前回買い付けの帰りの飛行機で仲良くなったS君がテキサス州ヒューストンに滞在しているからである。
言うなれば
『飛行機で隣に座っただけ』の関係だったのだが、長い人生においても、そういう小さな縁が大きな決断の引き金となることもあるのではないか、と常に思っている。
ヒューストン滞在3日目、そのS君と久しぶりに再会。
食事をして、深夜0時前にホテルに送り届けた直後、事件は起きた。
ヒューストンからダラスまで400kmの深夜ドライブを控えていた僕は、ガソリンスタンドで給油を済ませ、エナジードリンクを購入。
眠い目を擦りながら車を走らせ始めた。
全米第四の大都市であるヒューストンのビル群のあいだを縫うように走る。
入り組んだダウンタウンを抜け、ダラスへの一本道であるI-45をひたすら北上。
30分くらい経過したころ、バックミラーにパトカーが映りこむ。
非常灯を回していたが、アメリカのパトカーは通常から非常灯を回して走っていることも多く、日本のように車上のスピーカーから『前の車止まりなさい!」といった物々しいアナウンスもなかったため、とくに気に留めず今まで通り前進を続けた。
しかし、2.3分経過した頃だろうか、後方のパトカーが蛇行運転を始めたのだ。
所謂、合法な煽り運転である。
『やばい、追いかけられてんじゃん!』
と、気づいた時にはすでに事が大きくなっていた。
僕はパトカーと数分間カーチェイスをしていたのである。
ハイウェイ上の路肩が狭かったため広いところまで行こうと思い、ハザードランプを点灯しつつ、さらに数十秒走る。
すると、その間に前方からパトカーがもう1台現れ、後方のパトカーも3台に増えていった。
『流石にこれはやばい...』
と思い、アーチ型の高架上だったが、路肩の拡大を待たずに停車。
前方のパトカーも後方に回り、計4台のパトカーは僕の車から十数メートル離れて停車した。
パトカー達が一斉に超強力ライトを照射してきたため、周囲は昼間のような明るさになっている。
後ろを振り返ると、警察官達はドアを開いて盾にし、こちらへ銃口を向けて何やら叫んでいる。
映画でよく見るあの光景である。
距離が遠いのと、大声、早口で完全に聞き取れていなかったが「エンジンを止めて手をあげて外に出ろ!」ということだったと思う。
僕はびびりながらも冷静に『撃たれたら終わりだ…』と思い、両手を頭に乗せ車の窓から身を乗り出した。
産まれて初めてレベルに盛大に両手をブンブン振り回してボディランゲージをしながら
「I don't think chasing me!sorry!」
(僕が追いかけられてるって思わなかった!ごめんなさい!)
何度もひたすら叫んでみたが、警察官達は許してくれるはずもなく
「早く出てこい!!」
と怒りまくっている。
車のドアを開け、両手を頭に乗せたまま外に出る。
いつか見た映画をなぞって地面に伏せようとすると
「そこじゃねぇ!こっちこい!こっちだ!」
と叫んでいる。
ゆっくりと警察官の近くまで行くと
「そこに伏せろ!」
と言ってきたため、地面に伏せようとした。
しかし、手をどの位置に置くのかが分からず(今考えたら頭の上で良かった)、とりあえず『大地に手のひらが付いていれば撃たれないだろう』と思い、両手を広げて足を伸ばし、まるでジーザスのような格好で地面に伏せたのである。
なんとも滑稽であるが、窮地に立たされた人間は、自分でも考えられないような可笑しな行動を取ってしまうということを痛感した。
すると、すぐさま警察官達が駆け寄り、僕のジーザスな両手を拾い上げて後方にまとめ、手際良くカチャカチャっと手錠をかけた。
手錠といえば『冷たく重い』イメージがあったが、人生初めての手錠は(そういうプレイもない)、意外と軽く、警察官の体温なのかテキサスの気候なのか、生暖かかった。
警察官は8人、顔も全員覚えている。
イーサンホーク似で50代くらいの小柄なおじさん警察官、若い頃のジャックブラック似で30代くらいのぽっちゃり警察官、この2人に脇を抱えられ立ち上がらせられ、念入りにボディチェックを受ける。
(この後もこの2人がメインで僕の取り調べをすることになる)
後方6人の警察官達はまだ僕に銃口を向けている。
小声で「I don't think chasing me... sorry...」と塩らしく言ってみたが、状況は変わらず。
柔らぐどころかイーサンホークおじさんは語気を強めて
「あんなに長い間追いかけられてて気づかねぇのか?!」
「日本では警察に後ろを付けられても止まんなくていいのかよ?!」
と返答してきたため
「日本ではスピーカーから止まれアナウンスがあるんだ」
と言ってみたがそれでもダメだった。
手錠が皮膚にくいこんで痛む。
名前や職業、在米理由など細々と職務質問され答えていると「今から車の中を捜索する」と言われ、どこからともなく麻薬探知犬のデカいジャーマン・シェパードが登場。
「こいつにタマを噛み切られてたかも...」と思うとピストルを向けられた瞬間よりも恐ろしかった。
車の捜索中は2台後ろのパトカーの後部座席に放り込まれて待たされた。(おそらく捜索の様子が見えないようにすぐ後ろのパトカーには乗せない様子)
パトカー内は、運転席との仕切りに分厚いアクリル板、両側の窓には鉄格子が付いている。
思った以上に座席の座り心地は良かった。
(黒のレザーでけっこうふかふか)
驚いたのはその狭さである。
運転席と後部座席との空間がとても狭い。
後方でキツく手錠をかけられているので背中を座席につける事が出来ず、椅子の座りが浅いため、両足を広げてガニ股にならないと座れない状態なのだ。
小柄な僕でもそれだけの窮屈さということは、大柄な欧米人たちは比べ物にならないくらい辛い体勢になると思う。
そんなことを考えながらぼんやりと鉄格子越しの窓の外を眺めていた。
一度パトカーから出されて指紋を取られたりしていると、イーサンホークおじさんとジャックブラック君以外はすでに『無害のアジア人』に飽きていて、僕に背中を向けたまま、久しぶり〜などと言いながらグータッチをしたりしている。
すると、車内を捜索していたイーサンホークおじさんが鬼の形相で帰って来た。
イーサンホークおじさん
「お前名前なんだっけ?」
「TSUKASA KUROSAWAだよ」
イーサンホークおじさん
「なんでパスポートと国際免許が2人分あるんだよ。お前なんか嘘ついてないか?」
「え?そんなわけあるかい......あれ.....2枚ある.....」
パスポートを開いてもらい名前を確認すると
『S◯◯・O◯◯◯◯』
S君...
なんと、先ほどまで一緒にいたS君がパスポートと国際免許を助手席のダッシュボード内に忘れて帰ってい���のである。
僕はより一層怪しまれてしまい、車内捜索は厳しさを増し、S君の情報(罪歴や盗難届など)を警察の機関に問い合わせたりと、拘束時間が長引く結果となってしまった。
手錠が皮膚に食い込んで痛む。
イーサンホークおじさんがS君の情報を調べている間、今しかない!とばかりにジャックブラック君が僕のところにやってきた。
ジャックブラック君
「TSUKASA、横須賀知ってる?」
「もちろん知ってるよ」
ジャックブラック君
「俺、2年間横須賀にいたんだよね〜。横須賀大好きだよ!」
「そうなんだ〜海軍だったの?」
(無駄話いいから早く手錠外して(心の声))
ジャックブラック君
「そうそう!横須賀また行きたい、いや絶対行くよ!」
「そっかそっか、じゃあ日本で待ってるからね〜」
(横須賀もう分かったから早く手錠外して(心の声))
ジャックブラック君
「いや〜横須賀の人たちめちゃくちゃ優しいしさ〜本当好き!」
「うんうん」
(横須賀ほんとにいいから早く手錠外せ(心の声))
僕が捕われの身である事はお構いなしで横須賀の話を永遠としてくるのである。
今となってはちょっと面白い話だが、手錠をかけられてから1時間半ほど拘束されている僕には横須賀話を楽しむ余裕は無いのだ。
邪険にする訳にもいかず、少しイライラしつつも適当に流して答えていた。
そして、ようやく捜索や照会が終わり、イーサンホークおじさんが僕を車の後ろに連れて行き、後ろを向かせてカチャっと手錠を外した。
拘束されてから2時間が経過していた。
くっきりと手錠の跡が付いた手首を撫でる。
僕は手錠のキツさと拘束されたダメージで疲れ果て、ハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
イーサンホークおじさん
「もう行っていいぞ。とにかくアメリカでは警察が後ろに来たらすぐに止まれ。」
「分かった」
だべっていた警察官達はそそくさとパトカーに乗り込み、次々と走り去っていく。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
イーサンホークおじさんとジャックブラック君もパトカーに乗り込む。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
ジャックブラック君がパトカーの助手席の窓を開けて何かを言おうとしている。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
イーサンホークおじさんとジャックブラック君のパトカーが走り出す。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
追い抜きざまにジャックブラック君が身を乗り出し何かを言おうとしている。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
手錠の跡がキリキリと痛む。
追い抜きざまにジャックブラック君が叫ぶ。
「TSUKASA!!!! I LOVE JAPAN!!!! YOKOSUKA!!!!」
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
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cosmicc-blues · 3 years
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2021/7/24
朝、目覚ましより先に目を覚ます。相変わらず遠足が楽しみで早起きしてしまう子どもです。すると雨が降りはじめ、なぬ! と思っていると、すぐに雨は止んで、むしろ陽射しが窓から注いでくる。浮きうきで支度をしていると、Nから連絡が来ている。Tが美容室に行くから午後からにしてほしいと。それならカリー食べられるじゃん、となり、予定通りに家を出る。今日も積雲の多い晴れ。上昇する夏のイマージュ。熱気球や光のきらめきを感化しながら、ふたりに会えるのが楽しみで仕方ない。
オープンと同時にOさんのお店に入る。今日は早いですねって驚かれる。この時間はいつもお客さんが少ないらしく、ほんとうにひとりもお客さんがやってこない。久しぶりに音楽談義に華を咲かせる。一昨日ひさしぶりに聴いたAC/DCが凄いかっこよかったってはなしから、Oさんは意外にもAC/DCの大ファンだと知れる。こう言っちゃあれですけど、AC/DCってバカのひとつ憶えっていうか、そんな感じだからバカにされがちだと思うんですけど、あの潔いギターがかっこいいですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、アンガス・ヤングって腹くくってギター弾いてるんですよね、そういう姿勢に惹かれるんですよ、どの曲も同じような感じなんですけど、ある意味でミニマルミュージックなんですって、かなり良いことを言う。ものすごく共感する。アンガス・ヤングのように腹をくくっているギタリストをもうひとり思い付き、キース・リチャーズもそんな感じですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、僕のなかではアンガスとキースは同類ですね、キースのギターもミニマルミュージック、ひとつのことをどこまでも突き詰めた職人芸ですよねって。お客さん、ほんとうに一人もやってこず、音楽談義が白熱する。
湘南新宿ラインで待ち合わせ。毎度のこと待ち合わせがめちゃくちゃ下手くそなわれわれ。時間を過ぎても誰とも会うことができず、平行世界(パラレルワールド)のことを考える、じぶんだけがいま待ち合わせの存在していない世界線にいるのではないか、と。偶然会うことは得意なのになぁ。そしたらNから連絡が来ていて、Nの居るらしいプラットホームの場所に向かう。Tにも連絡をする。遠足スタイルのNにようやく会うことができる。TからはOKサインがきている。ところが待てども待てどもTの姿が見えない。乗るつもりだった電車が行ってしまったそのあとすぐにTがひらひらとやってくる。バッド・タイミングすぎて、ある意味でグッド・タイミング。そんなのも関係なくTが久しぶりのNをわぁーーっと抱きすくめる。こんな光景を見られただけで大いに大満足で、わざわざこれから海に行かなくてもいいくらいに今日という一日を達成してしまう。これは勝手な偏見かもしれないけれど、ふたりはいい意味に左右対称というか左右非対称で、たぶん、おたがいに自覚していない長所をそれぞれに強く持ち合っている(コントラの感想もきれいさっぱり真逆だったし)。だから、ふたりが一緒にいると最強(最狂?)という感じがするし、ふたりはほんとうにいい友であると思う。
湘南新宿ラインのボックス席、昨日セブンでNに教えてもらったアンダー・ザ・シーをTも知っているかどうか5月8日のピアノの録音をTにも聴いてもらう。録音の日付を見ながら2カ月以上も気になり続けていたんだなぁと思う。電車で音が聴こえ辛いこともあってか、Tはまったくわからない模様。Nにも聴いてもらうと、すぐに昨日のあれねっとなる。Nとふたりでメロディを口ずさんでTに聴かせる。そんなこんなでディズニーやジブリのはなしになる。すでに何回も観ている映画にコメントを付けたり、ツッコミを入れながら観るやつやりたいなぁと思う。窓の外は積乱雲がものすごい。移動の時間が大好きだなぁとあらためて思う。どこかに行くっていう目的も目的でいいけれど、それに伴う移動の時間は目的に付随する二義的なものではなくて、むしろ、移動の時間のなかにこそ目的の限定的な立場からはみ出してそれを包摂するような自由な豊かさがあるような気がする。究極的には行って帰ってくるだけで充分なのかもしれない。
京急線に乗り換える。新幹線スタイルの座席、しかも、先頭車両の一番前の座席がロマンスカーのような展望座席になっている。生憎、展望座席は埋まっていて、後方の席に三人横並びで座る。トンネルの多い路線、トンネルの影のアーチが見えてきて、列車がトンネルの外に走り出て車内がそぞろ明るくなるたびに『恋恋風塵』の冒頭のショットを思い出す。Nは席を離れて、展望座席の後ろから展望窓の風景を覗いている。Tが今日のNちゃんの後ろ姿って小学生の遠足みたいだよね~って。前々からNが何かに似ていると思い続けてきて、ついにこの謎が解けた、トトロだってことを打ち明ける。展望座席が空いたから、そっちに移動する。窓の外は積乱雲がものすごい。線路の周りは緑にあふれ、山間の町並みは茶畑のように段々に家々が連なっている。遠くのほうに海が見えてきそうで、なかなか見えない。停車駅のひとつで、Tがその町並みを眺めながら、すごーい外国に来たみたいって。それは言い過ぎかってすぐに撤回する。大笑いしながら、まあ、イオンあるからねって。ついに車窓から海の濃いブルーが見えて三人とも大はしゃぎ。
三崎口駅に到着。電車から降りると、線路の途切れる終着地がある。バスで水族館に行く。終着点の水族館の名前のバス停で下車すると、空き地みたいなところにマリモをでかくしたみたいな変な植物たちが疎らに群れをなしている。なにこれかわいいと三人とも大興奮。植物が生えているというより、植物のような動物がジッと立ち止まって群れをなしているというほうがピンとくる。もののけ姫のこだまみたいな感じでジッとこちらの様子を窺っている。基本的には疎らに群れをなしていながら、三体がぴったりくっついて仲良し三人組みたいになっているのもいる。マリモのなかからエノコログサが飛び出ている。Tが夜になったらきっとここには誰もいないよ、みんな森に帰っちゃうんだ、みたいのことを言う。大笑いしながら、ほんとうにそんなふうに思われる。水族館のバス停のはずなのに、水族館はまだ先にあって、しかも、けっこうな距離がある。なんで水族館の前まで行ってくれないのって何度もブーたれる。入園してすぐ、でっかいアシカが眠っている。アシカってこんなにでかいんだってびっくりする。Nはアシカにも似ているような気がする。なんだろう、ヒゲの雰囲気がそう感じさせるのかな。まずは、当水族館の押しであるらしいカワウソの森に行く。想像とだいぶ違っていて、カワウソも一匹しか見られず、ちょっとショックを受ける。自然公園みたいなところに野生のヘビに注意の看板が出ていて、さっそくハンターことTの心が燃え上がっている。ヘビ捕まえていいの?! って言うから、野生のヘビならいいんじゃないって。水族館の屋内に入る。入口のところにサメの口の骨のとげとげしい模型があって、すぐ近くまできて、その大きさにびっくりして思わず仰け反るような姿勢になると、Nになんで~って突っ込まれる、ずっと見えてたのにって。いや、近くまできたら思ったよりでかいのにびっくりしてって弁明する。館内に入るなり、いきなりでっかいチョウザメがいて目が点になる。数体の古代魚が水槽のなかでゆらゆらと身を踊らせている。それから個々の小さな水槽を順番に見てまわる。大勢の魚がスクランブル交差点のように錯綜と泳ぎまわっている水槽で、TかNのどっちだったかが全ての魚��ちが誰ひとりとしてぶつかることなく泳ぎまわっていることに感心している。チンアナゴがエイリアンみたいな動きでおもしろい。二階に上る。二階は円形の壁沿いにぐるっと大きな水槽が張り巡らされていて、魚たちが回遊できるようになっている。水槽の上からは太陽の光が注いでいて、フロアのあっちこちに光や虹のきらめきが踊っている。サメが特に目を引く。凶悪そうなギザギザの口に、何よりも眼球がひっくり返ったような冷徹な目。鼻に瘤のようなものを付けているサメがいて、あれは何だろうとしばらく後を追ってみるも、よくわからない。ノコギリザメがいて、ふたりにも声をかける。ノコギリザメはけっこうかわいい感じ。見にいくとノコギリザメは泳ぐのやめて、ジッとこちらの様子を眺めている。その瞳の動きで三人を順番に見渡しているのがわかる。ノコギリザメから離れると、ノコギリザメのほうも泳ぐのを再開させる。一階に戻ると、シマ吉くんの催しが行なわれている。魚も芸を覚えることにびっくり仰天。シマ吉くんかわいい。館内を出て、キムタクみたいなペンギンを見に行く。からだを唐突にブルブルッと震わせたり、羽を暢気にひよひよさせたり、ペンギンの動きには変なメリハリがあって見応えがある。そしたら、一羽だけ気ちがいのようにからだを意味不明にくねらせながら泳いでいるペンギンがいる。意味不明に水飛沫を立てるその一羽に三人とも釘付けになる。Nが私もこんなふうに動いてみたいけど人間だからなぁ、みたいなことを残念そうに口にする。でも、Nはたまにいきなり唐突に、衝動的に常軌を逸したような動きを見せるよなぁと思う。件のことで警察署に行くまえ、小川のところで連絡待ちしているときに、いきなりNがわあああっと手に持っていた葉っぱを小川に投げつけたのはほんとうに美しかった。いったん駅に戻って、三戸浜を目指すことにする。なんでバスは水族館の前まで来てくれないんだって相変わらずブーたれながら歩いていると、車がきて道を開ける。車が過ぎて、遠いバス停に向けて再発進しようとすると、Nがいきなり手に持っていたエノコログサをわああっと振り乱しながら急接近してきて、うわわわっと腰を抜かしそうになる。なんで、なんで、いきなりそんなことするの?! Nは悪い笑みを浮かべ、だってKさん、とここでいったん絶妙な間を置き、素直にそのことを言うべきか言わないべきか迷っているような、あえて間を置くことでそのことを強調するような感じで、ビビりなんだも~ん! って。この野郎、ひとをバカにしやがって、いつかぜったい仕返ししてやるからなって心に強く思いつつ、ほんとうに最高だなって思う。ビビりなんだも~ん! いままでNからもらった言葉でいちばん嬉しいかもしれない。
バスで駅に戻り、三戸浜を目指す。収穫が済んで畑にきれいに整列しつつも朽ち果てている植物たちの残骸をTが戦時中の死体のようだと形容する。あるいは向日葵の蛍光色の質感、夜になったら光り出しそう。子猫の亡骸。急に夏の終わりが顕在化する。いまが夏でよかったと思う、すぐに骨に還ってしまうから。Nが持ち歩いていたエノコログサを子猫に捧げる。持ち歩いていて、よかったなぁと心の底から思う。ねこじゃらしはそこらへんにも普通に生えていて、すぐにでも摘んでこられるけども、これは人間側のエゴかもしれないけれど、大事に持っていたそれを捧げるというのはせめてもの救いになる。意気消沈しながらも海への歩みは止まらない。海への入口の畦道を通り抜けると、大きな海が広がっている。夕陽を受けた波のまにまが橙色の光のすじを浮かべている。三人とも大はしゃぎで海のほうに駆けてゆく。サンダルのNが早速パンツの裾をたくし上げて海のなかに入っていく。勢いのある波を受けたNがこっちへ振り返って驚きと喜びの入り混じったようなとってもいい笑顔をみせる。さらにずいずい海のほうに身を入れてゆく。Nのからだが踊っている。このあいだと同じくらいの時間なのに波の寄せ方がぜんぜん違っている、浜のかなり深いところまで波が来ていて、くつで歩ける場所がほとんどない。そればかりではなく、このあいだは空の高いところにずっと見えていた月がどこにも見当たらない、昨日の感じからして今日はおそらく満月だろうと思われるけれど。じぶんもスニーカーと靴下を脱いで波打ち際を歩く。波はけっこうな勢いで、裸足だからと油断していると下半身がびしょ濡れになってしまう。びしょ濡れになって色々諦めたらしいTがサンダルを脱いで裸足になる。Nも裸足のほうが気持ち良さそうとサンダルを脱ぐ。まずは廃墟を目指す。でっかい丸太が波打ち際に落ちている。海のほうに蹴ってみるものの、重すぎてぜんぜん動いてくれない。それだというのに、ひとたび波が丸太に届くと、波はいとも簡単に丸太をさらって、さらに次の波が丸太を波打ち際に叩きつける。あっぶな! と三人で丸太をよける。Tが海の殺意を感じるよーとはしゃいでいる。波打ち際をずいずい歩いていると、後ろのふたりから何これすごーい! 魔法使いみたいって歓喜の声があがる。何かと思えば、じぶんの足が濡れた砂浜に触れるたびに、フワッと空気の膨らみのようなのがあたりに拡がっている。まさに魔法使いが歩いているかのよう、もののけ姫のシシ神様の歩き方みたいってはなしにもなる。波の勢いにかなり苦戦しながらも廃墟が近づいてくる。廃墟の辺りを境に砂浜が岩場に変わっていて、岩にぶつかった波が壮絶な潮砕けとなって舞い上がっている、絶句して、ゴクンと唾を飲み込む。廃墟に到達。Tからもらったウエットティッシュで足の砂を落として靴下とスニーカーを履き直す。いざ、廃墟に潜入! 底の抜けた階段の脇をロッククライミングのように慎重によじ登る。続いてTも。続くNが半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、この次どこに足をもっていったらいいのー?! って。どうにかこうにか登りきる。廃墟にもかかわらず落書きなんかがいっさいない、純然たる野生の廃墟。下から見る限り、底が抜けそうな感じがしたけれど、踏んでみるかぎり最初のフロアは問題なさそう。ところが、その先に伸びている廊下は底抜けしそうというより、すでに床の木肌がひび割れて底が見えている。あっぶな! と咄嗟に引き下がって、そばに来ていたTにも注意を促す。ここで行きにも少し話題になった(そんなことはすっかり忘れていた)Nの「ばけたん」なるお化け探知機がついに初お目見えになる。「ばけたん」が赤く光れば悪霊がいる、青く光れば天使がいる、緑に光れば平常でとくに何もない。どう考えても赤く光りそうなシチュエーションでありながら、どういうわけか青く光る。底抜けの大丈夫そうな場所をひと通り探索して外にもどる。出るときもNは半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、どうにかこうにか地面に帰ってくることができる。続いて洞窟。入り口の岩場にはでっかいフナムシが無数に蠢いている。ふたりから虫がだめなのに、なんでフナムシは平気なのって不思議がられる。セミが夏の天使なように、フナムシは海の天使だからって思っていることを素直に応えながら、でも、だとしても何で平気なんだろうって不思議に思う。ひとりでは怖すぎて一歩しか中に入れなかった洞窟も三人いれば心強い。スマホのライトで先を照らしながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、中のほうに入ってゆく。洞窟の側面にも天井にも隙間なく無数のフナムシが蠢いている。Nがここでも「ばけたん」を発動させてみる、結果は緑の光。洞窟は大広間の先に細い小路が続いている。その入口まで行って引き返そうとすると、Tがこの先まで行ってみようよって。もう無理、もう無理、これ以上は無理って断ると、さすが度胸のあるTはひとりで小路に入ってゆく。小路の突き当たりまで行ってもどってくる。小路の突き当たりはさらに左右に枝分かれしているらしい。
夕陽は海上の雲にのまれ、空は暗くなりつつある。岩場をさらに進んでゆくと、一人キャンパーが三組だったか四組、おたがいに微妙に距離を取りながら座っている。焚火のいい匂いがする。岩場にはフナムシなかにカニもたくさんいる。そんな岩場の一角にどんなカニとも比べものにならないでっかいカニをTが発見、すぐさまハンターの心が燃え上がり、捕獲に向かう。カニの捕まえ方なんて知らないよ~(だったらヘビの捕まえ方は知っていたのか……)と弱音を吐きながらも果敢にカニに立ち向かってゆく。数分の格闘のすえ、見事にカニを捕獲、持っていたビニール袋に入れる。Nはその場に腰掛け、じぶんは岩場の先端のほうまで行き、Tはその中間くらいから三者三様に暮れてゆく空と海を眺める。岩にぶつかる波の潮砕けがもの凄い。しばらく経って、Nのいる地点まで戻ろうとすると、Nが大きく手を振る、大きく手を振り返す。ふたたび三人が集まると、Nが家が恋しくなっちゃうって泣きそうな声で言う。たしかにそうなのだ。こんな最果ての辺境で、しかも、もうすぐ夜が来ようとしている。どうして、じぶんはいつもこんなところにわざわざひとりで赴いているのかってことをこのとき初めて考える。それからNがいい写真撮れたよって、ふたりがそれぞれに海を眺めている写真を見せてくれる。そろそろ帰ろうか、来た道を引き返すことにする。廃墟の辺りで海を離れて、上の道路を歩くことにする。Nだけ足の砂を落としていなくてどこかで洗いたい、いちどは海に下りていこうとするけれど、あいだには砂浜があるから海で洗ってもまた砂だらけになってしまう。きっと、そこらへんに水道があるでしょってことになり、そのまま上の道路を歩いてゆく。しばらくすると、マリンスポーツの拠点みたいな施設がある。水道はありそうでなくて、人間はじぶんたちを除いて人っ子ひとりいない。そんな施設のさなかに芝生のお庭がある。芝生のお庭になら水道あるでしょって探すけど、水道はどこにもない代わりに芝生の隣に敷居に囲われたプールがある。その敷居は簡単に跨いでいける感じで、だあれもいないし、あのプールで洗っちゃえば。Tが敷居を跨ぐまでもなく普通に入口を発見して、勝手に入口の鍵みたいのを開けて中に入っている。足を洗ったNがプールの水すごいきれいだったって戻ってくる。ふふ。とうに日は暮れて、暗い夜の山道を駅に向かって引き返す。Nが暗いよぉ、怖いよぉと頻りに泣きそうな声で連呼する。そんなつもりじゃなかったけども、仕返しを無事に達成。Nのスマホのライトでできるでっかい影。とりわけ樹々の左右から覆い被さる真っ暗な坂道、ここで「ばけたん」をやってみようになるけれど、Nのかばんから「ばけたん」が消失してしまう。どこかに落としてきちゃったかなぁ。自動車のヘッドライトからほとばしる影に驚いたりしながら、街灯のある明るいところに移動して「ばけたん」の捜索。かばんを隈なくひっくり返しても見つからず、「ばけたん」の性能には半信半疑ながら三千えんのお買い物がたったの二日で消失してしまうのにはさすがに気の毒な感じがして、色んな可能性を示唆していると、かばんのポケットのひとつから「ばけたん」が発見される。よかったぁ。その場で「ばけたん」を発動させると緑色に光る。山道を経て、畑道のところまで来ると、びっくりするぐらい赤い光線を発する怪しい満月が空のかなり低いところにのぼっている。Tがどこかのタイミングで(たぶん廃墟だったかな)口走った『夕闇通り探検隊』の一言が胸に突き刺さる。月のなかを鉄塔の陰翳が横切る。
帰りの電車でも頻りに「ばけたん」のはなしになる。乗換駅でも発動させてみる。緑色。廃墟でいちどだけ出た青以外はぜんぶが平常の緑色を示す。Nから、こんな胡散臭い商品なのに何故か高評価のアマゾンのレビューを見せてもらう。それでもまだ胡散臭さは拭えなくて、いっぽうで廃墟のときだけ色が変わったことがどうも引っかかっている。帰り際になってNがぽろっと口にした「乱数の偏り」という言葉にアンテナがビビッと反応して、これはきっと何があるぞと思う。帰ったらじっくり調べてみようと心に決める。
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