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#足のアーチづくり
okumaseitai · 2 years
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・ ちょっと注意! こんな感じの靴 履いていませんか? このような靴は 足にフィットしていないため 腰痛や肩こり O脚、扁平足 膝の痛みなどになりやすいです。 どうぞ 注意されてくださいね。 足の土踏まずは 3〜5歳くらいに形成されていくと言われています。 そして15歳くらいに骨格が形成されていきます。 足のアーチがうまく形成されていないということになりますので 特にお子様には履かせないようにしていただきたいです。 特に浮き指などになりやすく 足の指が使えません。 足のアーチの形成がされないということになるのです。 昔は着物を着られていて 足袋を履いたり 下駄を履いたりしていました。 サンダルを履く場合でも 鼻緒のついたものは 足の指が使えて 姿勢や歩き方にもいいですよ! 5本指ソックスが流行りましたが 私は足袋のように二本指ソックスの方が良いと思っています。 つまり 足の指を使って生活するようにしてくださいね! ということになります。 腰痛や膝痛 O脚の方は 参考にされてください。 #サンダル注意 #足の指を使う #腰痛の原因 #膝痛の原因 #O脚の原因 #扁平足 #浮き指注意 #足のアーチが大切 #足のアーチづくり #足のアーチをサポート #足のアーチの崩れ #足のアーチを取り戻す #足のアーチを取り戻す #足のアーチ再生 #浮き指改善 #浮き指矯正 #浮き指対策 #浮き指治したい #浮き指は体のバランスを崩す #浮き指改善エクササイズ #浮き指原因 https://www.instagram.com/p/CnNcRu9SyiF/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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gupaooooon · 1 year
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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poetry-for-absence · 2 years
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堀部安嗣さん講演 (2023.02.22 於・前橋工科大学 演題『私のパッシブデザイン』
積極的に受け身であること
理系・文系 ふしぎな分け方
他の言い方は無いのかな、
→時間の流れかた、概念が、理系と文系では違う 
横で一定・理系 時間とともに成長していく、という概念 
ぐるぐるぐるぐる循環・文系
理系の人が作り上げるもの・コンピュータ、エアコン、車etc.
文系 1000年前以上の、弘法大師の書
200年以上まえのモーツァルトの音楽
ドストエフスキーの文学
いつの時代でも良いものは良い
1日の循環
建築の世界 理系的・文系的のバランスのとれた世界 いろんなタイプの人がいる方がよい
警鐘を鳴らす、ブレーキをかける建築家
堀部さんは、文系的だと自覚
建築は、果たして進歩しているか、進化しているか。
防水技術、免震技術 進歩
それらが人の幸せに役に立っているか
映画 ファースト・マン
静謐な映画
ニール・アームストロング船長の自伝的な映画
人類の栄光の光の裏にある闇、影
地球上では、自然ゆたかな所での家族との暮らし 東西冷戦 生存確率の低いロケットに乗り、たどり着いたのは空気もない死の星
地球は緑豊かで美しい土地だったのに、なぜ危険をおかしてまで
瀬戸内海の美しい自然
いまでも200年前の風景の残る
東京のほうが進んでるよね、との劣等意識を持つことが多い。もったいないこと。
讃岐市のプロジェクト
やりたいこと、ただひとつ。
この土地を、国立公園にふさわしい土地に戻してゆく 建築もいらない、けど、建築の役割はあるし、できること、人々に安心を与えることは建築に出来る
東京の風景 東京の方が豊かだと、地方の人は錯覚してしまっている ふしぎなこと
富山 宝物があるのに
兵庫 20年前は森だったところ
中央へ、宇宙へ 
侵略 キリがない
宮沢賢治の詩 僕は家族にほめられた、僕は世界に誉められた、その先にどこへ行けば?
コロナ禍 ステイホームの自粛のとき、自分の足元を見つめざるを得ない→自分の地域の良い点に気づいた 足元への評価
roots
根源
根のあるもの
足元にすでに持っているもの
どんなものを土台にして、私たちは思考しているのか
原風景
横浜の鶴見
色んな人が行きかうカオス
鶴見線 鉄ちゃんのあいだでは有名
中学のとき、ヨーロッパ 写真を撮った
国道駅のアーチとのかさなり
自作でも 意識したわけではない、原風景が滲み出る →設計という行為
曹洞宗大本山 近所に 
お寺のもつ悠久の時間の流れ、不気味さ、幼少期触れて生きてきたことは幸運だった
大きなお寺は風景が変わらない
50年前の樹 祖父と一緒にみた
再訪するもき、私はここで生まれてきたのだ、と実感 そこでの、子どもと老人のことを祖父と私にかさねる
記憶 確かな記憶のない限り、未来を見出せない お墓 ショッピングセンターが立ったり、バイパスが通ったりすることはない
静岡県浜松市 趣のある素晴らしい日本家屋・庭に住んでいた。今、その場所は道路の下に眠っている 往時の記憶が甦らない、すべて破壊されている 道路による記憶の破壊
見たこともない、感じたこともないものは
つくれるのだろうか?
設計 それ以外はできない
見て感じたもの、記憶を頼りに、今へ状況へ再現する
いきなり_
幸せについて
同伴者と吹雪のなか、つらい登山のイメージ
つらい、眠い、衣服はびちょびちょに
そのなかで、暖かな山小屋を発見する
幸せに とても小さな建築で、いろいろなことが出来る。食べる、眠るetc.
人種のちがいも関係ない、歳の差も関係ない
信じている宗教も関係ない inclusiveな
外部環境が室内に���り込んで来たような建築でも、庇の出が陽を遮ったり、風通しがよかったり、床の肌触りがよい、など。自然環境を、変換している。 ホモ・サピエンスの
日本の庭のおもしろさ 私たちにはあたりまえ、だが、フランスの建築学生と京都のこうとういんに行ったとき、おもしろい、おもしろい、と。音がおもしろい。アプローチの石のヴァリエーション 靴を脱ぐ所スノコ、畳、めまぐるしく床の材料が変化してゆく。こんな小さなところで、これほどの変化していくのは面白い。
新緑の美しく見える秘訣 背後の常緑樹
新緑の淡さを引き立てる、背景としての濃い緑
全部が新緑、全部が常緑、というのがふつう
アメリカとか
コンビネーションのあるのは珍しい
人間の感情はどうして生まれたのか
生存のために必要となる、咄嗟の行動や判断のために進化の過程で作られた
森でクマに出会う。恐怖の感情を抱く、その後の行動の選択肢を広げていく 恐怖という感情を引き金にして
仲良しの友達、幸せ、喜びの感情
こいつと付き合っていると、自分は生存できるぞ、との。
生存のための引き金、スイッチ
雪の夜の暖かな山小屋
生存の喜び
反対に、もう生きていたくない、とか、生存のことを考えていない人は、感情の起伏がなくなってくる 感情の、生存における大切さ
ヒュッゲ デンマークの概念
これを日常生活でしているからこそ、世界でいちばん幸せな国とされる
日本 先進国のなかでは幸せ指数が低い
ヒュッゲの反対をやってきた
150年前・200年くらい前は、日本もそうしていた。
今の日本の住の風景
居住性の進歩 けれども、それらがある程度達成できたとき、この姿が、幸せな住まいの環境なのか、と。
使い捨てられるもので風景が構成されている。幸せ感の乏しいのは、使い捨ての時代だからでは?
竹富島 色んな不便、不都合、多々
住まいや環境はトータル 幸せ感としてはこちら
あるものを活かす
パッシブデザイン
あるものとは?
気候風土、自然エネルギー
歴史、文化
記憶
風景
ハードウェアではなく、ソフトウェア、手に触れられないもの
ブリコラージュ ありあわせのもので作る
→『和』では?
和風とは、有り合わせで作られる、非常にレベルの高い行為から生まれる
家庭料理 素晴らしいブリコラージュ
冷蔵庫の残り物、スーパーで買ってきたものと合わせて
和 足し算 引き算
ほうれん草の胡麻和え
和えている
明太子スパゲッティ 
日本の人たちの得意としていた
極東 漂流物を、イノセントにあり合わせて組み合わせて作りあげた
cnt.) ないものをねだる
自分がすごく良いものをもっているのに、何か他を憧れる
→侵略や戦争へ
70数年前、わたしたちも痛い目にあった。資源、植民地
モーターボート アクティブ
ヨット パッシブ
これからは燃料も高いし、すべてヨットのような建築に、という訳ではない。
ふたつの要素を足し合わせる、共存させる
どっちか一方では足りない、幸せ感を感じる住まいにはならない
目的 
幸せ感 心身が楽になる 健やかに暮らす
手段
アクティブ+パッシブ
ご利益
省エネルギー
光熱費削減
温熱デザインへの取り組み
まずはパッシブ 太陽の恵み、土地の持つポテンシャル
アクティブ 性能の良いエアコン それを活かす
建物の性能 断熱性能、気密性能
ねこ は、居心地の良い場所を見つける天才
猫が天才であるわけではない。
ホモ・サピエンスが何故、そう思うか。
ホモ・サピエンスと猫の心地よいと感じる場所が近い 犬の心地よいところとはちょっと違う
猫 生まれたところは、暑いところ。暑さにはつよい 
犬 暑いところではハアハア
ホモ・サピエンス 暑さに強い
30℃越えでも走れる
寒さに弱い パフォーマンスができない
吾輩は猫である、で、人を評して、やかんみたい、と。
ホモ・サピエンス アフリカ起源
それからどんどん北上
ほとんどの歴史を暑いところで暮らしてきた
→住まいをあったかくしましょう、というのが、私の建築観
私たちは生存できるのか
孫の世代まで、良い環境はあるのか
狩猟採取時代もよりは生存の危機を感じないことが多くなった現代人
コロナ禍でそれを意識
ほんとうに、このさき建築をつくれるのだろうか
生存の危機を感じたこと
→しっかり認識して、どういう建築が出来るのかetc.を自問すべき
あるものを活かす、というのがおおきなヒント
熱容量の大きな家 非常に効果がある
住まわれている人たちの幸せ感がおおきいと感じることが増えた
あるものを活かす 壁からの放射温度が快適
安定した家に居ると、外に出たくなる
屋根のかかった屋外に出たくなる
両親の葉山の家
半屋外
→ヒント、韓国の民家
冬の部屋と夏の部屋が分かれている。
冬の部屋 紙、オンドル
夏の部屋 ふきっさらし
潔い構成だなー。
鎌倉 扇ケ谷の家
スタディ いろいろ
最後の決め手はパッシブデザイン
南面の窓を大きく
あれもこれもダメ、となると何の一歩も踏み出せない 太陽光発電は、戸建ての屋根に乗せるのは素敵なことと自分は考える
けど、美しい瓦の屋根にそれが乗るのは、というのもあった
情緒的なものと機能的なものを合わせる
デザインによってできうる
シンプルに、自宅の庭で野菜を作る、みたいに太陽光発電を考えている
電気、移動に莫大なコスト 自分の家で発電できることは爽やかなのではないかな
デザインの力です達成できる、との信念
南面 ソーラー
北側 庭的な グレアの少ない
アメリカ サンタモニカ
街区 太い道路 細い道路
太い 伝統 雑多なものが出ないように
細い サービス機能
(細い道路の方 日本の街の感じと似ている)
土地は親から譲り受けたものではなく、孫から借りているもの。ネイティブ・アメリカンの言葉
貰ったものなら汚してもよい
借りたものなら汚してはいけない
自身の所有の土地としても、その意識で
「土地を所有している」といっても、多くは所有していない、太陽、大地の奥、雨、風
原発
覚醒剤をやって人生を破滅した人が覚醒剤の怖さを語ると説得力がある
原子力の怖さ、ヤバさを、説得力を持って語れる 原発から10年、原爆から100年経っていない いま、原発が再稼働しようと。
↓私の質問への答え。堀部さんが書いていた、トタン小屋の形の美しさと、著書『建築を気持ちで考える』でのアスプルンドの章について
.
益子さん
住まいは掘立小屋くらいでいい
そこを整えいく
しかし、人の家を設計するとなると、、
自宅と人の家で設計が変わる
アスプルンドの章、気持ちが入っている
大好きな建築家
自分の設計は、形式性 構造の綺麗さ、コスト、施工性などから考えている。
正面性とか歴史性とかからではない
アスプルンドの建築、死者の声がする。彼の死生観が感じられる建築
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tomiya-a · 2 years
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「PARALLEL」白いエントランス ・ 1枚目:エントランス空間は白で統一したシンプルな空間に。 モルタル仕上げの玄関床はムラのあるマットな質感です。 シューズクローゼットにつながるアーチ開口がワンポイントになっています。 ・ 2枚目:ロールスクリーンが下がったアーチの向こうはそのまま土間床が繋がる大容量のシューズクローク。 家族はこちらで靴を脱ぎ履きすることで玄関はいつも靴がないきれいな状態に出来ます。 シューズクローク内にはミニ手洗いスペースを設けており、感染症対策、また子供の汚れた手洗いなど、玄関を入るとすぐ手を洗うことができます。 下足し奥へ進むとそのままパントリー、キッチンと裏動線で繋がるプランとなっており、買い物後のストック作業や家事への連続がスムーズにできるようになっています。 ・ 写真 酒井広司 ・ その他のphoto→@yosuke_tomiya_design_office ・ #富谷洋介建築設計 #一級建築士事務所 #設計事務所 #建築家 #北海道 #江別市 #注文住宅 #PARALLEL #酒井広司 #シューズクローク #シューズクローゼット #shoecloset #mudroom #パントリー #モルタル玄関 #モルタル仕上げ #アーチ壁 #ブラックウォルナット #エントランスデザイン #家づくり #マイホーム #architect #architecture #design (一級建築士事務所 富谷洋介建築設計) https://www.instagram.com/p/CjnY_mavBWZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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unicodesign · 5 months
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インド建築縦走旅vol4 チャンディーガル その1
デリー3泊滞在のあと、チャンディーガルへ移動し、いよいよコルビュジェ世界遺産建築の見学へ。
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パンジャブ地方の北部に位置するチャンディーガルは、1947年のインド独立の際、パンジャブ州がインドとパキスタンに分離し中心地であったラーホールがパキスタン側に位置していたため、新たな州都として、現在のパンジャブ州とハリヤーナ州(1966年に新たな州として設立されたパンジャブの東側の地域)の州都として建設された街。建築家ル・コルビュジェの都市計画が実現された世界で唯一の都市でもあります。
1950年にコルビュジェがこの計画に携わる前の2年間、インド初代ネール首相に依頼されたされたアメリカの建築チーム、アルバート・メイヤーとマシュー・ノヴィッキーがマスタープランを検討していましたが、ノヴィッキーが飛行機事故で亡くなってしまったため、コルビュジェが招聘されました。コルビュジェは、いとこのピエール・ジャンヌレを設計チームに入れることを条件にし、チャンディーガルにはジャンヌレの作品も多く残っています。
コルビュジェの基本計画のコンセプトは「住む、働く、循環 、心と体のケアの、4つの基本機能を満たす」というもの。碁盤の目状に800m×1200mのセクターで区分され、北におかれた国会議事堂エリアを頭部として人間の体になぞらえられている。街の中心部が心臓、労働エリアとしての手足。加えて、グリーンベルトとなる公園とレジャーのエリア、心と体のケアとしてスクナ湖のエリアで構成されている。(チャンディーガル建築博物館の説明文より)
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2日目に訪ねたチャンディガル建築美術館に展示されていたメイヤーのマスタープランはカーブを描く道路に応じた街区で構成された木の葉型プラン(右側はネットから拝借)で、中央あたりが国会議事堂エリア。
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コルビュジェのマスタープランの特徴は7V ( les Sept Voies ) という道路のシステム。高速道路 から商店街、街区道路、歩行者道と細かく分類する交通分離計画によって、交通量の多い道路はセクター外制限され、生活区域内の環境と安全が確保されるというものです。
空港からの道中、市街地に入ると、交通量は多いものの整然としていて、デリーでは自転車なんて走れないくらいの凄まじさだったけれど、ここでは自転車も多い印象。
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各セクターには、学校、商業、コミュニティ施設などがで完結していて、 緑地が各地区の各地区の中心部を貫通し、人々はシヴァクリ山脈のパノラマを拝めるようになっているそう。
チャンディーガルの空港から最初に向かったのはキャピトルコンプレックス。久しぶりにワクワク感で胸が高鳴る。
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ツーリストセンターにて10時の回に申し込み、ガイドさんに連れられて敷地内へ。まずは高等裁判所(High Court)へ。
緑、黄色、赤の壁柱と、インドのコルビュジェ建築の特徴ともいえる外壁のブリーズソレイユ(日よけ)が印象的です。でも逆光。
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続いてオープンハートモニュメントへ。モニュメントを取り囲むように地下に埋まった広場になっています。
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平和の意味を込めた開いた手のモチーフは、平和の象徴である鳩の形にも見えます。構想はできたが資金がなく、コルビュジェは母国フランスからの贈り物となるよう働きかけたが、コルビュジェは存命中にこのモニュメントを見ることはできず、亡くなってから20年後の1985年に完成したそうです。
オープンハンドの下には演説台が。声が響く。翌日訪れたコルビュジェセンターにスケッチがありました。
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ツアーは進み、議事堂の前へ。議事堂のてっぺんに見える2つの天井トップライトは、三角形がパンジャブ州、楕円形がハリヤーナ州を表している、とガイドさんの説明。
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手前の建物は影の塔、ブリーズソレイユの光と影の様子を検証するために作れらた建物だそう。
議事堂扉絵は、7.7m×7.0mの巨大な画面の上半分に太陽が、下半分に樹木、動物、川が描かれたもの。エナメル板を横に5枚、縦に11枚並べたものだそう。
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ガイドさんより「3月頭まで議会開催中で中には入れない」
えーーこれで終わり?
残念と感じることに頭が追いつかぬまま、ツーリストセンターに戻る途中「Not satisfied」という声が聞こえてくる。ツアー客の一人がガイドさんに掛け合っている模様。どこぞの屋上にあがることができる。というようなことを言っているように聞こえる。これは乗らねば!と「me too」とガイドに詰め寄るも「少人数しか無理です」とか言ってる。「We came from japan」「far away」「please」と単語を並べる。と、「午後15時にここに来て」と渋々の表情のガイドさん、とりあえずアポを取り付けた!ので、それまでの時間に見れるところをまわろうと、パンジャブ大学へ向かい、まずは敷地内にある建築学校へ。
ブリーズソレイユとモデュロールのエントランス。
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内側からのブリーズソレイユ。光と影の美しさ。
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中庭に出てみると、反り上がったようなカーブの屋根が連なる。軒が高いほうが採光窓、低い方が換気窓になっています。
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内部。壮大な空間に並ぶ小さな模型たち。
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コンクリートの力強さの中に、トップライトの絶妙な光と、ビビッドな差し色が、コルビュジェらしくもありインド���しくもある。
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エントランスホールに、生徒たちの研究と思われるチャンディーガルの建築群の詳細なパネルが展示されていた。見たい建築が盛りだくさん。とりあえず、翌日見れそうなものを物色する。
続いて、ガンディーバワンへ移動。ピエールジャンヌレの設計でハスの花をイメージしたという。折り紙のよう。内部には入れないと思っていたら入れました!
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入り口の木製の回転扉が大迫力。中に入ると、、、形、素材、色、多くの要素がバランス良く、印象的な空間を作り上げていました。そして何より光の入り方が美しい。
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建物の概要がわかるオリジナル模型と、外部ぐるっと周ってみた写真。水がないのが残念。
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後ろの建物もジャンヌレの設計。名建築をバックにトランプ、楽しそうなキャンパスライフ。
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こちらもブリーズソレイユ。ジャンヌレの設計(たぶん)
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そして、再びキャピトルコンプレックスへ。詳細よくわからぬまま、本日2度目の見学ツアー。光の当たり方が変わり、ぐっとビビッドに見える。
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パラソルのような大きな庇が、カラフルな壁柱に支えられています。高い気温をさえぎりつつ風を通す二重屋根。当初案のファサードはブリーズソレイユではなく、大屋根のアーチと関連した小アーチが並んでいたそうです。インドの気候風土に沿っていったということか。
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柱の後ろにスロープが見えている。近づけず残念。
朝と同じようにツアーはオープンハンドモニュメントへ。
ん?手の向きが変わってる?!風で動くものだそうなのですが、こんな重そうなものが、強風でもない中で動くと思っていなかったので、驚きひとしお。
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本当に朝とは違うものを見られるのか?!と思いつつ、同じコースをたどったあと。。。。。合同庁舎へ行けるとの話!心踊りまくる。関所突破!
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パンジャブ州とハリヤーナ州の合同庁舎は254mの大きな箱。ブリーズソレイユの連続が巨大さに拍車をかける。
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屋上へ向かう途中、あちこちかっこいい数々。内側から見るブリーズソレイユ、階段、窓、色。
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そして屋上。マルセイユのユニテダビダシオンの屋上を彷彿とさせる。
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上から見る議事堂と裁判所。
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そして帰りのスロープ。参加している皆が興奮状態。
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こうして合同庁舎の見学が終了。この日ツアーに参加していたのは、カナダ、スロベニア、シンガポールの建築家たち。文化も言語も違えど、同じ思いを持った人たちと同じ興奮を味わいつつ交流して、建築という共通言語の存在を感じました。(英語力があったらもっと楽しかっただろう)
議事堂の内部を見られなかったのは残念だったけれど、旅ではよくあること、コルビュジェ&ジャンヌレ尽くしで十分に満足。
といいながら、まだ頑張る私たち。どこにあるのか見られるのか定かではないスクナ湖のボートハウス(コルビュジェ設計)を目指す。ボートに乗れば見られるという情報もあるが、クローズ時間に戻ってこられるのか、、、聞けば朝は8時からやっているとのことで、翌日の朝に持ち越し。ここで、同じようにボートハウスを探しにきていたスロベニアの建築家と再び出会う。皆考えること同じ笑。
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スワンボートの人気度高し!しっかりライジャケを装着して乗っているのも素晴らしいです。
こうして1日目終了。2日目へ続く。。。。
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年10月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年7月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
あぢさいや錆ゆくときもずぶ濡れて 光子 雨に白く汚されてゐる木下闇 緋路 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 見覚えのビルはもう無くサルビアに いづみ 夏草のつぶやくやうな雨であり 和子 鉄条網梅雨の蝶さへ寄せつけず 同 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 飛石をぬらと光らせ五月雨 久 その人は梅雨に沈みながら来る 順子 五月闇不穏な波の来るといふ はるか
岡田順子選 特選句
列車音遠ざかるとき浜万年青 はるか 庭石は梅雨のものとて黄泉のもの 俊樹 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 雨の日の桔􄼷のうしろすがたかな 美紀 萱草のそびらに恩賜なりし闇 光子 潮入りのみづは昔や通し鴨 いづみ 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 瞬ける雨粒蜘蛛の囲の銀河 緋路 雨に白く汚されてゐる木下闇 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
鹿の子啼く隠れの島に入日濃く 修二 たはむれの莨にむせし桜桃忌 久美子 寂しさを下から崩すかき氷 朝子 茉莉花の別れ際こそ濃く匂ふ 美穂 不如帰久女の夢と虚子の夢 修二 首の無きマネキン五体暑き日に 愛 蟬生る瓦礫の闇の深きより かおり ひまはりの花と育ちて銃を手に 朝子 バレエ団の窓へブーゲンビリア満つ 愛 蔓薔薇をアーチに育て隠居せる 光子 うつし世のものみな歪み金魚玉 かおり バス停のバスまで覆ふ夏木かな 勝利 梅雨空にジャングルジムがひつそりと 修二 襖絵の孔雀の吐息寺炎暑 勝利 君嫁して香を失へり花蜜柑 たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
らつぱ隊香り奏でる百合の花 さとみ 風鈴が相づちを打つ独り言 都 香水に縁の無き身や琥珀色 同 身ほとりの置き所無き土用の入り 同 滴りの奥にまします石仏 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
黒塀や蔵してをりし八重葎 宇太郎 ふりかへる砂丘の海の線は夏 同 葛切や玻璃にスプンの当る音 同 夏草の中の林道下りけり 同 ソーダ水斜めに建ちし喫茶店 同 向ひ風麦藁帽を光背に 同 白服を吊りたる明日の再会に 悦子 浜昼顔一船置きし沖を恋ふ 同 白南風旅の鞄をコロコロと 美智子 足跡や巡礼のごと砂灼けて 栄子 紫陽花やうた詠むくらし悔もなく すみ子 玫瑰の咲くや砂丘の果の路 益恵 躊躇なく風紋踏んで白い靴 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
早苗饗や手足を伸ばす露天の湯 幸風 はらからや薄れゆく過去心太 百合子 一品を後からたのむ心太 秋尚 青楓雄々しく抱ける年尾句碑 三無 天草の歯ごたへ確と心太 文英 朝顔に護符つけ市の始まりぬ 幸子 朝顔のつぼみ数へて市を待つ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
西日射す鏡に海女の手櫛かな 昭子 兜山古墳を包む大夕焼 ただし 良き事の有りや無しやの今朝の蜘蛛 信子 信州に梅雨のかけらの雨が降る 三四郎 石も又涼しきものの一つかな 昭子 香水や周囲の心独り占め みす枝 梅雨寒や口を預けて歯科の椅子 信子 うなだれて少年の行く片かげり 昭子 僧逝きて久しき寺の夏椿 英美子 猛暑日や万物すべて眩しめり みす枝 天近き牧牛の背や雲の峰 時江 コップ酒あふる屋台の日焼顔 英美子 サングラス外し母乳を呑ませをり みす枝 かぶと虫好きな力士の名をつけて 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
芋焼酎醸す香りの満つる街 三無 団扇さし出かける孫の下駄の音 ことこ それぞれが里の焼酎持ち寄りて あき子 老媼の団扇頷きつつ動く 和魚 児に送る団扇の風のやはらかく ます江 店先で配る団扇の風かすか ことこ 泡盛の味覚えたりこの良き日 同 団扇手に風のざわめき聞く夕べ 廸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
沖縄の鳳梨乾いた喉癒す 裕子 青空や収穫の日の夏野菜 光子 夕暮れは車窓全開青田風 紀子 貝釦一つ無くした夏の暮 登美子 まだ聴けるカセットテープ夏深し 同 雲の峰送電線は遥かなり 令子 夕焼に路面電車が揺れてゐる 裕子 鐘を撞く寺は山上雲の峰 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月11日 萩花鳥会
透き通る海は自慢よ海開き 祐子 救助士の臀筋たくまし海開き 健雄 夏草や一対すべて青の海 俊文 生ビール久方ぶりや子とディナー ゆかり 引く波に砂山崩る海開き 恒雄 天の川点滅飛機の渡りゆく 美惠子
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令和5年7月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
羅を纏ひしものの身の一つ 世詩明 天国も地獄も自在孟蘭盆会 同 風の盆男踊りの笠深く 幹子 盆の供華華やいでゐる村の墓地 同 ギヤマンの風鈴揺れる蔵の街 嘉和 古団扇思ひ出の新しき 雪 縁側に男冥利の裸かな みす枝 ナツメロを口ずさみつつ草を引く 富子 蓮開く様自力とも他力とも やす香 神主の大きな墓を洗ひけり ただし 在りし日のままに夏帽吊し置く 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
田舎家の土間のだんまり朝曇 要 炎帝の遣はす鴉黒く群れ 千種 会釈する日傘に顔をなほ深く 同 夫恋ひの歌碑を見てより秋近し 炳子 飴色に枯れ空蟬の垂れ下がる 久子 古民家の故郷の匂ひ壁に黴 経彦 三猿の酔ふ草いきれ庚申塔 眞理子 古民家の茅屋根匂ふ炎天下 三無
栗林圭魚選 特選句
蓮花の水面の余白空の青 亜栄子 カラフルな浮輪乗り合ふ市民バス 久 じやぶじやぶと揃ひのティーシャツ水遊び 三無 咲き足せる泰山木の真白かな 秋尚 森少し膨らませをり蟬しぐれ 慶月 水音に誘はれつつ灼くる道 眞理子 惜しげなく涼しさ放つ水車小屋 要 ひとときの静謐滝に対峙して 久子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
マッカーサーパイプ咥へてアロハシャツ 千加江 遠雷や織部の茶碗非対称 泰俊 二業地に一の糸鳴る夜涼かな 同 悠久の光り湛へて滴れり 同 青田風満目にして夕仕度 清女 脱ぎ様のまことしやかに蛇の衣 雪 退屈をもて余しゐる古団扇 同 洗ひ髪訪ふ人も無く待つ人も 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月21日 さきたま花鳥句会
沢蟹の渡る瀬石に日の名残り 月惑 空蟬や辞書に挟まる紙兜 八草 家眠る厨にひとりバナナ剥く 裕章 山の水集め男滝の帯となる 紀花 どら猫にまさる濁声夏の風邪 孝江 炎天に心字の池面雲動く ふゆ子 打水や土の匂ひの風生まる 康子 行くほどに街路華やぐ百日紅 恵美子 睡蓮の葉を震はせて鯉の道 みのり 八の字を書きて茅の輪を潜りけり 彩香 誘蛾灯今は無人の故郷駅 静子 枇杷熟るる眷属訃報また一人 良江
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令和5年7月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
半夏生何処が嫌ひと云はれても 雪 蛇��まで嫌はれさうな蛇苺 同 何処をどう突いてみても蟇 同 お隣りは今はの際と虎が雨 一涓 師の友は文教場址合歓の花 同 守宮まづ招き入れくれ舎入門 同 忘れじの人今も尚蛍の夜 同 入道雲天下制する勢あり みす枝 藍浴衣片方だけにピアスして 昭子 サングラス外して妻は母となる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月23日 月例会 坊城俊樹選 特選句
空蟬や地中の記憶あるらしく 要 靖国の坂みんみんの急くに急く 昌文 炎天に零戦仰角三十度 佑天 鳥居へとまぬがれがたき炎天を はるか その日近付き靖国の灼けてをり 慶月 みんみんの高鳴く魂の声として はるか
岡田順子選 特選句
熱き骨ぽきぽきたたみ日からかさ 眞理子 真白な祢宜の出て来し木下闇 政江 笛の音の遠くに生まれ夏の果 光子 零戦を撮る少年の夏休み 慶月 下乗せし老女紅濃く夏詣 同 英霊に七日の魂の蟬時雨 政江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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favorite--goods · 1 year
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履くだけで筋力トレーニング☆ 自然に足指を使う構造で歩くことで鍛えられるインソール「アシトレ」
ー 2023年6月24日 快適な歩きやすさと歩きながらの筋トレを両立するトレーニングインソールです☆ 健康は脚から♪ ( ´∀`) 脚のトレーニングになるので脚痩せシェイプアップにも期待できるかも〜
新感覚!指が筋力をサポートする 通常のシューズの中敷きより少し厚めかと思われましたが、指の付け根が厚く指の部分が薄い。で、指が自然と動くことで筋力を使う・・。ということらしい。 かかともアーチ付け根の外側に厚みを持った部分が足を刺激、正しい姿勢を保つ。 2週間履いた感じでは、今のとこと違和感や疲れがないが、はき始め、気づくとモモやふくらはぎがつることがあった。少し今までとは違う筋力を使っている感じがあるのかな。 (Amazonカスタマーレビュー)
お気に入り 仕事用に靴を増やしたので追加で購入。 前から使っていますが立ち仕事をしている足が格段にらくです。それなのに脚やせ効果もあるから手放へなくなってます。 (楽天みんなのレビュー)
(おもしろグッズ&アイテムノート:https://wandering.ever.jp/spinoff/?p=21884)
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chabatayuka · 1 year
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「たき火会」(後編)
たき火会場所:  奈良山園(2023年4月16日) たき火会展示: 茅スタジオ(2023年4月14日〜17日) 料理: 旅する料理人・三上奈緒 写真: 中村紋子 企画/書手: 茶畑ゆか
告知ページ: https://www.boustudio.com/takibi
「たき火会」イベントレポート前編はこちら。
徐々に料理ができあがってくるにつれて、火のまわりに人が増えてきました。(ぜんぜん料理に構わず竹切りに没頭している子もいますが、それもまたよしです)
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鹿肉もいい感じに焼けてきました。
その脇で、せっせと副菜づくりをすすめます。
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そして、ついに、パエリア完成ー!!
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最後の仕上げに、裏で摘んできた木の芽をぱらぱらかけます。
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みんなで作ったパエリア、手作りマヨネーズといろいろ果物のマリネ。 どれもほんっとうにおいしそうです。
今回使わせてもらった野菜はすべて、奈良山園をはじめとした東久留米の志あふれる農園の野菜たち。
野菜や鹿に対する感謝の気持ち、その野菜を作ってくれた人たちや鹿肉をきちんと処理してくれた人たちに対する感謝の気持ち、ごはんを作ってくれたこと、竹を切ってお皿をつくってくれてありがとうの気持ちをこめて「いただきます」をみんなで言おうねと、旅する料理人の三上奈緒さんが話してくれます。今日のごはんは正真正銘「みんなで作った食卓」だし、こどもたちが一番のはたらきものでした。
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いただきます!と元気に言って、さあ、待ちに待ったごはんタイムです。
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3時間かけてたき火でじっくり焼いた鹿肉はすごくパワフルで、みんなで作ったパエリアは最高においしくて、畑の果物でつくった塩とお酢だけのマリネも絶品、手づくりマヨネーズも最高!「おいしー!」とそこかしこで聞こえてきます。たき火を囲みながらおいしいご飯をもりもり食べました。
普段は野菜をほとんど食べないというお子さんももりもり野菜を食べていて驚いたと感想をくださった親御さんが何人かいらっしゃったのですが、よい土で元気に育った野菜のおいしさを感じていたのかもしれません。
おもしろいことにもつまらないことにもとっても正直なこどもたちが、筍掘りから竹細工づくり、たき火料理に食事会と、飽きている時間が一瞬もなかったように感じます。大人たちにいっぱい質問してひっぱり回し、そしてこども達同士で仲良くなって遊びまわっている風景がとてもよかったです。
暮らしの中に当たりまえにあったはずの「火」。その火を囲むことで自然と生まれる交流。そして火から遠ざかる都会で暮らすわたしたち。火がわたしたち人間の始まりにあり、火をかこむことで仲間となり文化が生まれてきたのではないか、という三上さんの問いかけは胸に迫るものがあります。
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4月16日、旅する料理人・三上奈緒(みかみ なお)さんと一緒に、茅スタジオにほど近い東久留米の奈良山園でたき火をしてきました。
発端は、なぜこんなにも私たちの暮らしは火から遠ざかっているのだろうという疑問から。東京に住んでいると火がとても遠い存在に感じられます。IHも増え、日々の暮らしに火はほとんど必要ないかのよう。でも火はかつて人々の生活の中心にあったはずです。
わたしたちの求める豊かさとは何なのか、どういう風景が豊かだと感じるのかを捉え直したいと思いながら様々な企画をしていますが、その中でも今回は「豊かな食のあり方とは何なのか」ということに焦点をあて、企画していました。栄養たっぷりなものを食べていれば「豊か」なのか、地域と繋がっていれば「豊か」なのか、コンポストがあってヴィーガンで地球環境に気をつかっていれば「豊か」なのか。
そこで見え隠れしてくるキーワードは、スローフード運動で主題となっていた「顔の見える関係性」なのかもしれません。しかしコミュニティが解体され尽くしてきた日本、得に東京においてそれを再構築するとしたら何から始めればよいのだろうと考えると、火を共に囲むことがまず必要なのではないかと感じました。なので、まずはここ、東京の西で火を囲むことから。
だれもが食事が出てくるのを待つだけの「お客様」ではなく、こどもも大人もみんなが自分にできる仕事をし、みんなで食卓をつくりながら共に火を囲む。そんな三上さんの提唱するAround the fireの精神に共鳴し、奈良山園の畑に春が訪れる中、たき火を囲んできました。
たき火会は、その後もとっても面白いです。 参加していただいた皆様から絶え間なく届く熱い感想たち。もっと深く考えてみたいと哲学対話に参加してくださる奈良山園のスタッフさん達や参加者の方々。じつはとっても参加したかったのだけど行けなかったとお話してくださる方々。後から知ったけど、本当に行きたくて残念だったとお話してくださる方々。たき火会をきっかけとして生まれたご縁がたくさんあり、それは今でも生まれつづけています。
大事に続けていきたい企画です。また冬にやりたいねと三上奈緒さんと奈良山園の野崎林太郎さんとでお話しています。
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▶︎旅する料理人 三上奈緒 https://www.naomikami.com/ 東京農業大学卒。「顔の見える食卓作り」をテーマに、色を通じて全国各地の風土や生産者の魅力を繋ぐ。焚き火を囲み、自然の惠みを料理して、一つの食卓を作る喜びを。食卓から未来を想像する学び場Around the fireを主宰。Edible schoolyard japanのchef teacherをはじめ、子ども達の食教育も行う。目で見て肌で感じたものが全て。全ては自らの足で歩く。が信条。海に山に川に、料理のフィールドはどこへでも。石を組み、木でアーチを組み、焚き火で料理する、プリミティブな野外キッチンを作りあげる。
▶︎たき火会の場所について たき火会の場をかしてくださり、当日のアクティビティでは素晴らしいスタッフさん達の連携プレーでこども達をサポートしてくださった東久留米の奈良山園。実は江戸時代から400年以上続く農園です。奈良山園が目指しているのは循環型農園。どうして「循環型農園」と銘打っているのか、については次回更新予定の対談で詳しく描かれます。
▶︎食べもの飲みものスペシャルサンクス 奈良山園 https://narayama-farm.com/ ココミニトマト 関ファーム @sekifarm.coco ラディッシュ、さつまいも 晴の字農園 @harunojinouen しいたけ、にんじん、かぶ 高橋農園 キウイフルーツ 大島農園 @ohshima_nouen アスパラガス 松本農園 @jizo_yasai お手伝い&アドバイス 柿の木園 @kakinokifarmtokyo クラフトビール「パラダイスビアー」のセレクト ヤギサワバル @yagisawabar_official
パンの差し入れ  マウパン @mau​_pan_higashimurayama プチフール @petit_four_romi
▶︎イベントで出るゴミたち たき火会のあと。 灰はさつまいもの肥料に。野菜くずは堆肥に。竹のお箸やお皿は乾かしてまた燃料に。かまどは庭石。椅子は切り株。道具や食器は持ち寄り。イベントがゴミの製造装置ではいけないよ、という三上さんの教え。イベントのあとはできる限り全てま���自然へ返っていきます。
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旅する料理人・三上奈緒(みかみ なお)さんと一緒に、茅スタジオにほど近い東久留米の奈良山園でたき火をします。
発端は、なぜこんなにも私たちの暮らしは火から遠ざかっているのだろうという疑問から。東京に住んでいると火がとても遠い存在に感じられます。IHも増え、日々の暮らしに火はほとんど必要ないかのよう。でも火はかつて人々の生活の中心にあったはずです。
そんなことを考えながら去年の夏に訪れた長野県中川村。そこにはAround the fireという活動を主催する、旅する料理人の三上奈緒さんがいました。三上さんと巡る中川村には、地産地消、自給自足、里山と共に生きること、顔の見える関係性、循環など、様々なキーワードが飛び交う「これから」を見据えた人びとの姿がありました。
私は中川村の人々の背中を見つめながらも、まずはここ、東京の西で火を囲むことから始めたいと思います。だれもが食事が出てくるのを待つだけの「お客様」ではなく、地元の畑で自ら野菜を採り、こどもも大人もそれぞれができる仕事をし、火を囲みながらみんなで食卓をつくっていく。そんなAround the fireの精神に共鳴しながら、奈良山園の畑に春が訪れるなか、たき火をかこみたいと思います。
東京で、共にたき火をしませんか。
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irodoru60sw · 1 year
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2023/5/17
「旅の話 その2(近代建築編)」
2日目。
昨日よりまたひとつマニアックな旅へ。
北海道開拓の村→ https://www.kaitaku.or.jp/
北海道の各地で明治期以降に建てられた建造物の野外博物館。移築や復元でここに集められ、街並みもリアルに再現されています。
明治~昭和初期というと、日本が西洋に肩を並べよう、何なら追い越そうとすごく頑張っていた時代でしょうか。
新聞社や郵便局、写真館、商店、神社、教会から個人宅まで…内装はまだまだ日本的要素が強いですが、外観は窓枠ひとつすら装飾が凝っていて、見ごたえたっぷりでした。
ここでまたゴールデンカムイ登場。
作者の野田サトル先生が資料として使った建物がたくさんあり、あのシーンで使われたのはどこなのか、と答え合わせで盛り上がりながら歩くのがファンの流儀というもの(笑)。同じように見に来ている人たちもたくさんいました。
分かりやすくそのまま使われている建物もあれば、一瞬の背景に描き込まれた掛け時計があったりして、見つけると嬉しい♪ 野田先生の取材にかける執念もまたすごい。
個人的にはレトロ建築を見るのはもともと大好きなので、ここは私の好きなものがダブルで詰まった最高の博物館ですね。^^
そして敷地の広大さ。なんとかして全エリアを回りましたが、建物内部と解説ひとつひとつを読みながらじっくり見ると、あと3日は欲しいところでした。
でも大満足です。
そして夜はサッポロビール園へ。(画像1番下)
ここもまた明治から残る重要文化財並みの貴重な建造物。アーチ状の窓も少しずつ形が違うのがまたニクい。
すぐ裏手に巨大なショッピングモールがあるのが残念でしたが、この贅沢な建物の中で食すジンギスカンは超美味でした◎
(つづく)
<Information>
5月27日(土)・28日(日)
「アトリエオープン2DAYS」at KANDAI STUDENT21
※時間など詳細は改めてお知らせいたします
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loopokaki · 1 year
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(AI生成文章)
 太郎は建物が大好きだった。彼は高層ビルやタワー、ドームやアーチなど、様々な形や色の建物に魅了されていた。彼はよく建物の写真を撮ったり、模型を作ったりして遊んでいた。彼の夢は、いつか自分で建物を設計して建てることだった。
 ある日、太郎は学校の図書館で本を借りていたときに、ふと目に入った一冊の本に興味を持った。その本のタイトルは「世界の紙飛行機」だった。太郎は紙飛行機も好きだったが、それほど深く知らなかった。彼はその本を手に取ってページをめくってみた。
 その本には、世界各地で作られたさまざまな種類の紙飛行機が紹介されていた。折り紙で作るものや、切り抜いて組み立てるもの、紙皿やストローを使うものなど、太郎は目を見張った。中でも特に印象に残ったのは、巨大な紙飛行機だった。
 その本によると、巨大な紙飛行機とは、長さや幅が数メートル以上にもなるような大きさの紙飛行機のことだった。その中でも最も大きいものは、長さが18メートル、幅が15メートルもあるもので、アメリカで作られたという。その紙飛行機はヘリコプターに吊られて空中に放たれ、しばらく飛んだ後に着陸したという。
 太郎はその巨大な紙飛行機に感動した。彼は自分でもそんな大きな紙飛行機を作ってみたいと思った。しかし、そんな大きな紙はどこにも売っていないし、家にも置けないし、どうやって空中に放つのかもわからなかった。太郎は悩んだ。
 そんなとき、彼はひらめいた。彼は自分で巨大な紙を作ればいいと思った。そして、その素材として思いついたのが建物だった。彼は建物の壁や屋根や窓などを薄く剥がして、それで巨大な紙飛行機を作ろうとした。
 太郎はまず自分の家から始めた。彼は夜中にこっそり出て、家の外壁や屋根から板やシートやガラスを剥がした。それらを庭に積み上げておいて、翌日学校から帰ってきてから組み立て始めた。彼はハサミやカッターで切ったり、テープや糊でとめた。
 太郎は家の���で巨大な紙飛行機を作り続けた。彼は自分の家だけでなく、近所の建物からも素材を剥がしてきた。彼は誰にも見つからないように、夜になってからこっそりと作業をした。彼は紙飛行機の形やデザインにもこだわり、自分の好きな色や模様をつけた。彼は紙飛行機に名前も付けた。それは「タロウ号」だった。
 太郎はタロウ号が完成するのを楽しみにしていた。彼はタロウ号に乗って空を飛びたかった。彼はタロウ号で世界一周したかった。彼はタロウ号で自分の夢を叶えたかった。
 しかし、太郎の計画は思わぬところで妨げられた。ある日、太郎が学校から帰ってきて庭に行くと、タロウ号がなくなっていたのだ。太郎は驚いて周りを見回したが、タロウ号の姿はどこにもなかった。太郎は泣きそうになった。
 太郎はタロウ号がどこに行ったのか知りたかった。彼は庭に残された痕跡を調べてみた。すると、彼は地面に大きな足跡を見つけた。それは人間ではなく、動物の足跡だった。太郎はその足跡を辿ってみることにした。
 太郎はその足跡を追って森の中に入った。彼は森の中で何か音がするのに気づいた。彼はその音の方向に進んでみた。すると、彼は驚くべき光景を目にした。
 森の中にある小さな湖のほとりに、タロウ号があったのだ。しかも、タロウ号の上に乗っている人間がいた。それは白髪と白髭を生やしたおじさんだった。おじさんはタロウ号を眺めてニコニコしていた。
 太郎は怒っておじさんに近づいていった。「おじさん!それは私の紙飛行機です!返してください!」と叫んだ。
 おじさんは太郎に気づいて振り返った。「あら、こんばんわ。君がこの紙飛行機の持ち主かい?すごいね、こんな大きな紙飛行機を作ったんだから」と言った。
「おじさん、それは私が作ったんです!私が飛ばすんです!返してください!」と太郎は言った。
「そうかそうか、ごめんなさいね。でもね、君、この紙飛行機を飛ばす方法を知ってるかい?」とおじさんは聞いた。
「え?飛ばす方法?それは」
 太郎はおじさんに飛ばす方法を聞かれて困った。彼は正直に「わかりません」と答えた。
 おじさんは笑って「そうかい、そうかい。じゃあ、君に教えてあげよう。この紙飛行機を飛ばすには、風とバランスが大事なんだよ」と言った。
 おじさんは太郎にタロウ号の操縦方法を教えてくれた。タロウ号には翼や尾翼やプロペラなどがついていて、それらを動かすことで方向や高度や速度を調整できるという。おじさんはタロウ号に乗って実際に操作を見せてくれた。
 太郎はおじさんの操作に感心した。彼はおじさんに「おじさん、どうしてこんなことがわかるんですか?」と聞いた。
 おじさんは「実はね、私も昔は紙飛行機が大好きでね。いろんな紙飛行機を作って飛ばして遊んでいたんだよ。でもね、私はもっと高くもっと遠くに飛ばしたくてね。だから、自分で巨大な紙飛行機を作ったんだよ」と言った。
 おじさんは自分の作った巨大な紙飛行機の話をした。それはタロウ号よりももっと大きくて、色とりどりの風船で浮力を得ているという。おじさんはその紙飛行機に乗って空を飛んでいたが、ある日突然強風にあってしまって、どこか遠くに流されてしまったという。
「それからずっと、私はこの森の中で暮らしているんだよ。この湖の水や魚や果物を食べてね。でもね、私はいつかまた空を飛びたいと思っていたんだよ。だから、君の紙飛行機を見つけたときは嬉しかったんだよ」とおじさんは言った。
 太郎はおじさんの話に感動した。彼はおじさんに「おじさん、一緒に空を飛びませんか?私も世界一周したいんです」と言った。
 おじさんは喜んで「本当かい?それなら是非一緒に行こう!君の紙飛行機と私の紙飛行機をつなげれば、もっと安定して飛べるよ」と言った。
 そうして、太郎とおじさんは二人でタロウ号とおじさんの紙飛行機をつなげて空に飛び立った。彼らは青い空や白い雲や虹色の風船���楽しみながら、世界中のさまざまな場所を訪れた。
 途中で彼らはもう一人の仲間に出会った。それは風船おじさんだった。風船おじさんとは、30年前にいなくなったと思われていた伝説の冒険家で、色とりどりの風船に吊られた籠に乗って空を飛んでいたという。彼は世界中の不思議な場所や珍しい生き物を見て回っていたという。
 太郎とおじさんは風船おじさんに出会ったときは驚いたが、すぐに仲良くなった。風船おじさんは太郎とおじさんの紙飛行機に感心して、一緒に飛ぶことにした。彼は自分の見たことや知っていることを太郎とおじさんに教えてくれた。彼は太郎とおじさんと世界一周することにも賛成した。
 そうして、太郎とおじさんと風船おじさんは三人で空を飛び続けた。彼らはアジアやヨーロッパやアフリカやアメリカやオセアニアなど、世界中のさまざまな国や地域を訪れた。彼らは美しい景色や面白い文化や優しい人々に出会った。彼らは楽しくて幸せだった。
 そして、ついに彼らは世界一周することができた。彼らは日付変更線を越えて、日本に戻ってきた。その日は偶然にも太郎の誕生日だった。
 太郎は「わーい!世界一周できた!しかも今日は私の誕生日だ!」と喜んだ。
 おじさんと風船おじさんも「おめでとう!君はすごいね!こんな素晴らしい旅をして、誕生日も迎えるなんてね!」と言って祝福した。
 三人は太郎の誕生日を祝うことにした。彼らは紙飛行機に乗って近くの町に降り立った。彼らはケーキやプレゼントや飾り物を買ってきて、紙飛行機に持ち帰った。彼らは紙飛行機にクリームを塗りたくって、ろうそくを立てて、風船やリボンで飾った。彼らは紙飛行機でパーティーを始めた。
 太郎は「これが私の一番素敵な誕生日だ!ありがとう!」と言って笑った。
 おじさんと風船おじさんも「こちらこそありがとう!君と一緒に旅ができて本当に良かったよ!」と言って笑った。
 三人はケーキを食べて歌を歌って踊った。三人は仲良くて幸せだった。
 そして、三人は紙飛行機で空に飛び立った。彼らはもう一度世界一周することにした。彼らは太郎の家にも寄って、太郎の両親に挨拶した。太郎の両親は太郎が無事で元気でいることに安心した。彼らは太郎に「気をつけてね」と言って見送った。
 三人はまた青い空や白い雲や虹色の風船を楽しみながら、世界中のさまざまな場所を訪れた。彼らは美しい景色や面白い文化や優しい人々に出会った。彼らは楽しくて幸せだった。
 しかし、その幸せは長く続かなかった。ある日、三人が空を飛んでいると、突然暗い雲が現れた。それは強い嵐の前兆だった。三人は嵐に巻き込まれそうになった。
 太郎は「おじさん!風船おじさん!嵐だ!どうしよう!」と叫んだ。
 おじさんと風船おじさんも「大変だ!早く逃げなくちゃ!」と言って慌てた。
 三人は嵐から逃げようとしたが、間に合わなかった。嵐は三人の紙飛行機に襲い掛かった。強風が紙飛行機を揺さぶり、雷が紙飛行機に落ち、雨が紙飛行機を濡らした。
 紙飛行機は嵐に耐えられなかった。紙飛行機はバラバラに壊れてしまった。タロウ号もおじさんの紙飛行機も風船おじさんの籠も、全部破壊されてしまった。
 太郎とおじさんと風船おじさんは紙飛行機から落ちてしまった。彼らは空中で叫んだ。「助けて!助けて!」と。
 しかし、誰も彼らを助けることができなかった。彼らはどんどん地面に近づいていった。彼らは死ぬことを覚悟した。
 しかし、奇跡的にも彼らは死ななかった。彼らは地面に落ちる直前に、何か柔らかいものに受け止められた。それは巨大なクッションだった。
 太郎とおじさんと風船おじさんはクッションの上で目を開けた。彼らは無事だった。彼らは安堵した。
 しかし、その安堵も束の間だった。彼らはクッションの正体に気づいた。それはクッションではなかった。それは巨大なクモだった。
 太郎とおじさんと風船おじさんは恐怖に震えた。彼らはクモから逃げようとしたが、動けなかった。クモは彼らを糸で巻きつけていた。クモは彼らに牙をむいて笑った。
「やあ、やあ、やあ。ようこそ、私の巣へ。私は君たちを待っていたよ。君たちは私のごちそうだよ」とクモは言った。
 太郎とおじさんと風船おじさんは絶望した。「助けて!助けて!」と叫んだ。
 しかし、誰も彼らを助けることができなかった。彼らはクモに食べられてしまった。
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hummingintherain · 2 years
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10月28日(金)|サヨナラホームラン
 制作の比較的良かった。字数にしてみれば大進歩というほどではないけれども、こつこつと二千字くらいを積み重ねていたらいつか本になる。問題はこつこつをできるかどうか、であって、まあ、やるしかない。本を出したいのであれば。  思考と文字が同時に走っているとまるで無限に文章が続いていくかのような多幸感で身体が満たされるけれども、実際のところそんな境地に至ることは滅多にない。昨日の執筆時間は大半を頭に手を当てて、唇を舐め、ポメラの画面を見つめては、時折あたりに視線をやり、やや挙動不審な人間の姿だった。
 オリックスとヤクルトの第五戦、京セラドームでの最終戦は、初回から最後まで交互に一点をとりあうシーソーゲームの様相となった。二回でサンタナ選手のソロホームランが飛び出し、ようやく第四戦でヤクルトの本塁打を0に抑えたのに、またか、と項垂れてしまう。このチームはどこからでも長打を打つ、素晴らしい選手たち。前日までまったく打てていないのなんて関係ないから、油断も隙もない。けれど、追いかけるように、ついにオリックスの吉田正尚選手もソロホームランを放つ。あまりにも待望だったアーチに声が出る。日々ストレスをためつづけただろうオリックスファンが球場で跳んで喜んでいる姿が羨ましい。しかし六回あたりでヤクルトが一点差で上回る。オリックスの方は大事な局面でのミスもあるが、去年の三ベースヒットが未だに記憶に焼きついている太田選手にも、代打で出てきた福田選手にもようやく一打がとびだす。けれどやっぱりあと一歩のところで留まる。熾烈な戦いを固唾を呑んで見守っていると、二番西野選手の一打を処理するヤクルトのマクガフ投手に送球ミスが出て、その間に安達選手が帰塁し同点とな���。ミスをするのはお互い様だった、何故ならお互いに人間なのだから。そしてなんとなくこれは「有り得る」と盛り上がる中で、中川選手との勝負は見事な見逃し三振。そして二アウトで迎えた吉田正尚の、二球目。応援の拍手と、一球が投じられた一瞬の沈黙の、隙間。強い音。刹那の音。うねりのような、歓喜と悲鳴が混ざった叫び声。熱狂する実況。観客は総立ち、飛び出すチームメイト、吉田選手は確信の動き。白球は悠々��五階席へ、到達。淡々と一周すると、喜びを爆発させ迎え入れるチームに、飛び込む瞬間に彼の表情に白い歯が見えた。いつか、いつか、と、決めてほしいところで全然決められなかったチーム。やっぱりこの人なのか、このチームは、吉田正尚と山本由伸、投打の大黒柱が躍動するかどうかが勝負に直結しているのか。しかしこの勝利は、全員で取ったものだった。だから、嬉しい。ほんとうに、嬉しい。球場まで足を運んだオリックスファンも、報われたことだろう。わかる、わかるよ、その気持ち。ヤクルトに毎試合のようにホームランが出るものだから、如実に差が視覚化されてしまい余計にストレスも大きかったぶん、ご褒美のような一打だったのだから。地獄のような第三戦は物語の谷だったかのように払拭してしまうだけの力がこのホームランはあって、ついつい浮かれてしまう。一喜一憂、あまりにちょろい。  浮ついているとまた次の試合でどうなるかわからず、また胃に力を入れながら観ることになるのだろうけれども、なにはともあれこれでお互いに二勝二敗一分の完全に並んだかたちとなって、第七戦までもつれこむと確定した。大谷翔平も大概漫画の主人公だが、この二チームも今季に限らず去年、更にいえば一昨年以前から考えれば創作でも出来すぎな展開で、去年の日本シリーズから見始めた私は、もう少し前から野球を観ておけばもっと今が楽しかっただろうな、と考えても仕方のないことを思う。  果たしてこの物語は、どんな結末を迎えるのだろう。
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volosupply · 2 years
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2022年4月25日(月)
「I LOVE YOKOSUKA」
買い付けから帰国して10日が経過した。
荷捌きも半分以上は終了し、買い付けた服たちは倉庫内で出番を待っている。
今回の第一目的地はテキサス州ヒューストン。
ヒューストンのジョージブッシュ空港からアメリカに入国し、レンタカーで服や物たちを探し回った。
個人の古着屋があまり行かない中南部テキサスにした理由は2つある。
1つは『アメリカ中南部を探検してみたい』というただの好奇心である。
ただの好奇心とは言ったものの、航空券を取る1ヶ月以上前から現地のリサーチはしていて、航空券の高騰や、ちゃんと買い付けになるのか、という不安もあり悩んでいた。
しかし、偶然にもその間に観た映画や本、曲などにテキサスやヒューストンが登場することが多く、僕はテキサスのカウボーイに鞭で尻を叩かれている気持ちになっていった。
テキサスと西海岸で熾烈な先頭争いをしていたが、尻を叩かれ続けた僕は不安が確信に変わり、見事テキサス行きを決めたのであった。
もう1つは、前回買い付けの帰りの飛行機で仲良くなったS君がテキサス州ヒューストンに滞在しているからである。
言うなれば
『飛行機で隣に座っただけ』の関係だったのだが、長い人生においても、そういう小さな縁が大きな決断の引き金となることもあるのではないか、と常に思っている。
ヒューストン滞在3日目、そのS君と久しぶりに再会。
食事をして、深夜0時前にホテルに送り届けた直後、事件は起きた。
ヒューストンからダラスまで400kmの深夜ドライブを控えていた僕は、ガソリンスタンドで給油を済ませ、エナジードリンクを購入。
眠い目を擦りながら車を走らせ始めた。
全米第四の大都市であるヒューストンのビル群のあいだを縫うように走る。
入り組んだダウンタウンを抜け、ダラスへの一本道であるI-45をひたすら北上。
30分くらい経過したころ、バックミラーにパトカーが映りこむ。
非常灯を回していたが、アメリカのパトカーは通常から非常灯を回して走っていることも多く、日本のように車上のスピーカーから『前の車止まりなさい!」といった物々しいアナウンスもなかったため、とくに気に留めず今まで通り前進を続けた。
しかし、2.3分経過した頃だろうか、後方のパトカーが蛇行運転を始めたのだ。
所謂、合法な煽り運転である。
『やばい、追いかけられてんじゃん!』
と、気づいた時にはすでに事が大きくなっていた。
僕はパトカーと数分間カーチェイスをしていたのである。
ハイウェイ上の路肩が狭かったため広いところまで行こうと思い、ハザードランプを点灯しつつ、さらに数十秒走る。
すると、その間に前方からパトカーがもう1台現れ、後方のパトカーも3台に増えていった。
『流石にこれはやばい...』
と思い、アーチ型の高架上だったが、路肩の拡大を待たずに停車。
前方のパトカーも後方に回り、計4台のパトカーは僕の車から十数メートル離れて停車した。
パトカー達が一斉に超強力ライトを照射してきたため、周囲は昼間のような明るさになっている。
後ろを振り返ると、警察官達はドアを開いて盾にし、こちらへ銃口を向けて何やら叫んでいる。
映画でよく見るあの光景である。
距離が遠いのと、大声、早口で完全に聞き取れていなかったが「エンジンを止めて手をあげて外に出ろ!」ということだったと思う。
僕はびびりながらも冷静に『撃たれたら終わりだ…』と思い、両手を頭に乗せ車の窓から身を乗り出した。
産まれて初めてレベルに盛大に両手をブンブン振り回してボディランゲージをしながら
「I don't think chasing me!sorry!」
(僕が追いかけられてるって思わなかった!ごめんなさい!)
何度もひたすら叫んでみたが、警察官達は許してくれるはずもなく
「早く出てこい!!」
と怒りまくっている。
車のドアを開け、両手を頭に乗せたまま外に出る。
いつか見た映画をなぞって地面に伏せようとすると
「そこじゃねぇ!こっちこい!こっちだ!」
と叫んでいる。
ゆっくりと警察官の近くまで行くと
「そこに伏せろ!」
と言ってきたため、地面に伏せようとした。
しかし、手をどの位置に置くのかが分からず(今考えたら頭の上で良かった)、とりあえず『大地に手のひらが付いていれば撃たれないだろう』と思い、両手を広げて足を伸ばし、まるでジーザスのような格好で地面に伏せたのである。
なんとも滑稽であるが、窮地に立たされた人間は、自分でも考えられないような可笑しな行動を取ってしまうということを痛感した。
すると、すぐさま警察官達が駆け寄り、僕のジーザスな両手を拾い上げて後方にまとめ、手際良くカチャカチャっと手錠をかけた。
手錠といえば『冷たく重い』イメージがあったが、人生初めての手錠は(そういうプレイもない)、意外と軽く、警察官の体温なのかテキサスの気候なのか、生暖かかった。
警察官は8人、顔も全員覚えている。
イーサンホーク似で50代くらいの小柄なおじさん警察官、若い頃のジャックブラック似で30代くらいのぽっちゃり警察官、この2人に脇を抱えられ立ち上がらせられ、念入りにボディチェックを受ける。
(この後もこの2人がメインで僕の取り調べをすることになる)
後方6人の警察官達はまだ僕に銃口を向けている。
小声で「I don't think chasing me... sorry...」と塩らしく言ってみたが、状況は変わらず。
柔らぐどころかイーサンホークおじさんは語気を強めて
「あんなに長い間追いかけられてて気づかねぇのか?!」
「日本では警察に後ろを付けられても止まんなくていいのかよ?!」
と返答してきたため
「日本ではスピーカーから止まれアナウンスがあるんだ」
と言ってみたがそれでもダメだった。
手錠が皮膚にくいこんで痛む。
名前や職業、在米理由など細々と職務質問され答えていると「今から車の中を捜索する」と言われ、どこからともなく麻薬探知犬のデカいジャーマン・シェパードが登場。
「こいつにタマを噛み切られてたかも...」と思うとピストルを向けられた瞬間よりも恐ろしかった。
車の捜索中は2台後ろのパトカーの後部座席に放り込まれて待たされた。(おそらく捜��の様子が見えないようにすぐ後ろのパトカーには乗せない様子)
パトカー内は、運転席との仕切りに分厚いアクリル板、両側の窓には鉄格子が付いている。
思った以上に座席の座り心地は良かった。
(黒のレザーでけっこうふかふか)
驚いたのはその狭さである。
運転席と後部座席との空間がとても狭い。
後方でキツく手錠をかけられているので背中を座席につける事が出来ず、椅子の座りが浅いため、両足を広げてガニ股にならないと座れない状態なのだ。
小柄な僕でもそれだけの窮屈さということは、大柄な欧米人たちは比べ物にならないくらい辛い体勢になると思う。
そんなことを考えながらぼんやりと鉄格子越しの窓の外を眺めていた。
一度パトカーから出されて指紋を取られたりしていると、イーサンホークおじさんとジャックブラック君以外はすでに『無害のアジア人』に飽きていて、僕に背中を向けたまま、久しぶり〜などと言いながらグータッチをしたりしている。
すると、車内を捜索していたイーサンホークおじさんが鬼の形相で帰って来た。
イーサンホークおじさん
「お前名前なんだっけ?」
「TSUKASA KUROSAWAだよ」
イーサンホークおじさん
「なんでパスポートと国際免許が2人分あるんだよ。お前なんか嘘ついてないか?」
「え?そんなわけあるかい......あれ.....2枚ある.....」
パスポートを開いてもらい名前を確認すると
『S◯◯・O◯◯◯◯』
S君...
なんと、先ほどまで一緒にいたS君がパスポートと国際免許を助手席のダッシュボード内に忘れて帰っていたのである。
僕はより一層怪しまれてしまい、車内捜索は厳しさを増し、S君の情報(罪歴や盗難届など)を警察の機関に問い合わせたりと、拘束時間が長引く結果となってしまった。
手錠が皮膚に食い込んで痛む。
イーサンホークおじさんがS君の情報を調べている間、今しかない!とばかりにジャックブラック君が僕のところにやってきた。
ジャックブラック君
「TSUKASA、横須賀知ってる?」
「もちろん知ってるよ」
ジャックブラック君
「俺、2年間横須賀にいたんだよね〜。横須賀大好きだよ!」
「そうなんだ〜海軍だったの?」
(無駄話いいから早く手錠外して(心の声))
ジャックブラック君
「そうそう!横須賀また行きたい、いや絶対行くよ!」
「そっかそっか、じゃあ日本で待ってるからね〜」
(横須賀もう分かったから早く手錠外して(心の声))
ジャックブラック君
「いや〜横須賀の人たちめちゃくちゃ優しいしさ〜本当好き!」
「うんうん」
(横須賀ほんとにいいから早く手錠外せ(心の声))
僕が捕われの身である事はお構いなしで横須賀の話を永遠としてくるのである。
今となってはちょっと面白い話だが、手錠をかけられてから1時間半ほど拘束されている僕には横須賀話を楽しむ余裕は無いのだ。
邪険にする訳にもいかず、少しイライラしつつも適当に流して答えていた。
そして、ようやく捜索や照会が終わり、イーサンホークおじさんが僕を車の後ろに連れて行き、後ろを向かせてカチャっと手錠を外した。
拘束されてから2時間が経過していた。
くっきりと手錠の跡が付いた手首を撫でる。
僕は手錠のキツさと拘束されたダメージで疲れ果て、ハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
イーサンホークおじさん
「もう行っていいぞ。とにかくアメリカでは警察が後ろに来たらすぐに止まれ。」
「分かった」
だべっていた警察官達はそそくさとパトカーに乗り込み、次々と走り去っていく。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
イーサンホークおじさんとジャックブラック君もパトカーに乗り込む。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
ジャックブラック君がパトカーの助手席の窓を開けて何かを言おうとしている。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
イーサンホークおじさんとジャックブラック君のパトカーが走り出す。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
追い抜きざまにジャックブラック君が身を乗り出し何かを言おうとしている。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
手錠の跡がキリキリと痛む。
追い抜きざまにジャックブラック君が叫ぶ。
「TSUKASA!!!! I LOVE JAPAN!!!! YOKOSUKA!!!!」
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
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cosmicc-blues · 3 years
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2021/7/24
朝、目覚ましより先に目を覚ます。相変わらず遠足が楽しみで早起きしてしまう子どもです。すると雨が降りはじめ、なぬ! と思っていると、すぐに雨は止んで、むし��陽射しが窓から注いでくる。浮きうきで支度をしていると、Nから連絡が来ている。Tが美容室に行くから午後からにしてほしいと。それならカリー食べられるじゃん、となり、予定通りに家を出る。今日も積雲の多い晴れ。上昇する夏のイマージュ。熱気球や光のきらめきを感化しながら、ふたりに会えるのが楽しみで仕方ない。
オープンと同時にOさんのお店に入る。今日は早いですねって驚かれる。この時間はいつもお客さんが少ないらしく、ほんとうにひとりもお客さんがやってこない。久しぶりに音楽談義に華を咲かせる。一昨日ひさしぶりに聴いたAC/DCが凄いかっこよかったってはなしから、Oさんは意外にもAC/DCの大ファンだと知れる。こう言っちゃあれですけど、AC/DCってバカのひとつ憶えっていうか、そんな感じだからバカにされがちだと思うんですけど、あの潔いギターがかっこいいですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、アンガス・ヤングって腹くくってギター弾いてるんですよね、そういう姿勢に惹かれるんですよ、どの曲も同じような感じなんですけど、ある意味でミニマルミュージックなんですって、かなり良いことを言う。ものすごく共感する。アンガス・ヤングのように腹をくくっているギタリストをもうひとり思い付き、キース・リチャーズもそんな感じですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、僕のなかではアンガスとキースは同類ですね、キースのギターもミニマルミュージック、ひとつのことをどこまでも突き詰めた職人芸ですよねって。お客さん、ほんとうに一人もやってこず、音楽談義が白熱する。
湘南新宿ラインで待ち合わせ。毎度のこと待ち合わせがめちゃくちゃ下手くそなわれわれ。時間を過ぎても誰とも会うことができず、平行世界(パラレルワールド)のことを考える、じぶんだけがいま待ち合わせの存在していない世界線にいるのではないか、と。偶然会うことは得意なのになぁ。そしたらNから連絡が来ていて、Nの居るらしいプラットホームの場所に向かう。Tにも連絡をする。遠足スタイルのNにようやく会うことができる。TからはOKサインがきている。ところが待てども待てどもTの姿が見えない。乗るつもりだった電車が行ってしまったそのあとすぐにTがひらひらとやってくる。バッド・タイミングすぎて、ある意味でグッド・タイミング。そんなのも関係なくTが久しぶりのNをわぁーーっと抱きすくめる。こんな光景を見られただけで大いに大満足で、わざわざこれから海に行かなくてもいいくらいに今日という一日を達成してしまう。これは勝手な偏見かもしれないけれど、ふたりはいい意味に左右対称というか左右非対称で、たぶん、おたがいに自覚していない長所をそれぞれに強く持ち合っている(コントラの感想もきれいさっぱり真逆だったし)。だから、ふたりが一緒にいると最強(最狂?)という感じがするし、ふたりはほんとうにいい友であると思う。
湘南新宿ラインのボックス席、昨日セブンでNに教えてもらったアンダー・ザ・シーをTも知っているかどうか5月8日のピアノの録音をTにも聴いてもらう。録音の日付を見ながら2カ月以上も気になり続けていたんだなぁと思う。電車で音が聴こえ辛いこともあってか、Tはまったくわからない模様。Nにも聴いてもらうと、すぐに昨日のあれねっとなる。Nとふたりでメロディを口ずさんでTに聴かせる。そんなこんなでディズニーやジブリのはなしになる。すでに何回も観ている映画にコメントを付けたり、ツッコミを入れながら観るやつやりたいなぁと思う。窓の外は積乱雲がものすごい。移動の時間が大好きだなぁとあらためて思う。どこかに行くっていう目的も目的でいいけれど、それに伴う移動の時間は目的に付随する二義的なものではなくて、むしろ、移動の時間のなかにこそ目的の限定的な立場からはみ出してそれを包摂するような自由な豊かさがあるような気がする。究極的には行って帰ってくるだけで充分なのかもしれない。
京急線に乗り換える。新幹線スタイルの座席、しかも、先頭車両の一番前の座席がロマンスカーのような展望座席になっている。生憎、展望座席は埋まっていて、後方の席に三人横並びで座る。トンネルの多い路線、トンネルの影のアーチが見えてきて、列車がトンネルの外に走り出て車内がそぞろ明るくなるたびに『恋恋風塵』の冒頭のショットを思い出す。Nは席を離れて、展望座席の後ろから展望窓の風景を覗いている。Tが今日のNちゃんの後ろ姿って小学生の遠足みたいだよね~って。前々からNが何かに似ていると思い続けてきて、ついにこの謎が解けた、トトロだってことを打ち明ける。展望座席が空いたから、そっちに移動する。窓の外は積乱雲がものすごい。線路の周りは緑にあふれ、山間の町並みは茶畑のように段々に家々が連なっている。遠くのほうに海が見えてきそうで、なかなか見えない。停車駅のひとつで、Tがその町並みを眺めながら、すごーい外国に来たみたいって。それは言い過ぎかってすぐに撤回する。大笑いしながら、まあ、イオンあるからねって。ついに車窓から海の濃いブルーが見えて三人とも大はしゃぎ。
三崎口駅に到着。電車から降りると、線路の途切れる終着地がある。バスで水族館に行く。終着点の水族館の名前のバス停で下車すると、空き地みたいなところにマリモをでかくしたみたいな変な植物たちが疎らに群れをなしている。なにこれかわいいと三人とも大興奮。植物が生えているというより、植物のような動物がジッと立ち止まって群れをなしているというほうがピンとくる。もののけ姫のこだまみたいな感じでジッとこちらの様子を窺っている。基本的には疎らに群れをなしていながら、三体がぴったりくっついて仲良し三人組みたいになっているのもいる。マリモのなかからエノコログサが飛び出ている。Tが夜になったらきっとここには誰もいないよ、みんな森に帰っちゃうんだ、みたいのことを言う。大笑いしながら、ほんとうにそんなふうに思われる。水族館のバス停のはずなのに、水族館はまだ先にあって、しかも、けっこうな距離がある。なんで水族館の前まで行ってくれないのって何度もブーたれる。入園してすぐ、でっかいアシカが眠っている。アシカってこんなにでかいんだってびっくりする。Nはアシカにも似ているような気がする。なんだろう、ヒゲの雰囲気がそう感じさせるのかな。まずは、当水族館の押しであるらしいカワウソの森に行く。想像とだいぶ違っていて、カワウソも一匹しか見られず、ちょっとショックを受ける。自然公園みたいなところに野生のヘビに注意の看板が出ていて、さっそくハンターことTの心が燃え上がっている。ヘビ捕まえていいの?! って言うから、野生のヘビならいいんじゃないって。水族館の屋内に入る。入口のところにサメの口の骨のとげとげしい模型があって、すぐ近くまできて、その大きさにびっくりして思わず仰け反るような姿勢になると、Nになんで~って突っ込まれる、ずっと見えてたのにって。いや、近くまできたら思ったよりでかいのにびっくりしてって弁明する。館内に入るなり、いきなりでっかいチョウザメがいて目が点になる。数体の古代魚が水槽のなかでゆらゆらと身を踊らせている。それから個々の小さな水槽を順番に見てまわる。大勢の魚がスクランブル交差点のように錯綜と泳ぎまわっている水槽で、TかNのどっちだったかが全ての魚たちが誰ひとりとしてぶつかることなく泳ぎまわっていることに感心している。チンアナゴがエイリアンみたいな動きでおもしろい。二階に上る。二階は円形の壁沿いにぐるっと大きな水槽が張り巡らされていて、魚たちが回遊できるようになっている。水槽の上からは太陽の光が注いでいて、フロアのあっちこちに光や虹のきらめきが踊っている。サメが特に目を引く。凶悪そうなギザギザの口に、何よりも眼球がひっくり返ったような冷徹な目。鼻に瘤のようなものを付けているサメがいて、あれは何だろうとしばらく後を追ってみるも、よくわからない。ノコギリザメがいて、ふたりにも声をかける。ノコギリザメはけっこうかわいい感じ。見にいくとノコギリザメは泳ぐのやめて、ジッとこちらの様子を眺めている。その瞳の動きで三人を順番に見渡しているのがわかる。ノコギリザメから離れると、ノコギリザメのほうも泳ぐのを再開させる。一階に戻ると、シマ吉くんの催しが行なわれている。魚も芸を覚えることにびっくり仰天。シマ吉くんかわいい。館内を出て、キムタクみたいなペンギンを見に行く。からだを��突にブルブルッと震わせたり、羽を暢気にひよひよさせたり、ペンギンの動きには変なメリハリがあって見応えがある。そしたら、一羽だけ気ちがいのようにからだを意味不明にくねらせながら泳いでいるペンギンがいる。意味不明に水飛沫を立てるその一羽に三人とも釘付けになる。Nが私もこんなふうに動いてみたいけど人間だからなぁ、みたいなことを残念そうに口にする。でも、Nはたまにいきなり唐突に、衝動的に常軌を逸したような動きを見せるよなぁと思う。件のことで警察署に行くまえ、小川のところで連絡待ちしているときに、いきなりNがわあああっと手に持っていた葉っぱを小川に投げつけたのはほんとうに美しかった。いったん駅に戻って、三戸浜を目指すことにする。なんでバスは水族館の前まで来てくれないんだって相変わらずブーたれながら歩いていると、車がきて道を開ける。車が過ぎて、遠いバス停に向けて再発進しようとすると、Nがいきなり手に持っていたエノコログサをわああっと振り乱しながら急接近してきて、うわわわっと腰を抜かしそうになる。なんで、なんで、いきなりそんなことするの?! Nは悪い笑みを浮かべ、だってKさん、とここでいったん絶妙な間を置き、素直にそのことを言うべきか言わないべきか迷っているような、あえて間を置くことでそのことを強調するような感じで、ビビりなんだも~ん! って。この野郎、ひとをバカにしやがって、いつかぜったい仕返ししてやるからなって心に強く思いつつ、ほんとうに最高だなって思う。ビビりなんだも~ん! いままでNからもらった言葉でいちばん嬉しいかもしれない。
バスで駅に戻り、三戸浜を目指す。収穫が済んで畑にきれいに整列しつつも朽ち果てている植物たちの残骸をTが戦時中の死体のようだと形容する。あるいは向日葵の蛍光色の質感、夜になったら光り出しそう。子猫の亡骸。急に夏の終わりが顕在化する。いまが夏でよかったと思う、すぐに骨に還ってしまうから。Nが持ち歩いていたエノコログサを子猫に捧げる。持ち歩いていて、よかったなぁと心の底から思う。ねこじゃらしはそこらへんにも普通に生えていて、すぐにでも摘んでこられるけども、これは人間側のエゴかもしれないけれど、大事に持っていたそれを捧げるというのはせめてもの救いになる。意気消沈しながらも海への歩みは止まらない。海への入口の畦道を通り抜けると、大きな海が広がっている。夕陽を受けた波のまにまが橙色の光のすじを浮かべている。三人とも大はしゃぎで海のほうに駆けてゆく。サンダルのNが早速パンツの裾をたくし上げて海のなかに入っていく。勢いのある波を受けたNがこっちへ振り返って驚きと喜びの入り混じったようなとってもいい笑顔をみせる。さらにずいずい海のほうに身を入れてゆく。Nのからだが踊っている。このあいだと同じくらいの時間なのに波の寄せ方がぜんぜん違っている、浜のかなり深いところまで波が来ていて、くつで歩ける場所がほとんどない。そればかりではなく、このあいだは空の高いところにずっと見えていた月がどこにも見当たらない、昨日の感じからして今日はおそらく満月だろうと思われるけれど。じぶんもスニーカーと靴下を脱いで波打ち際を歩く。波はけっこうな勢いで、裸足だからと油断していると下半身がびしょ濡れになってしまう。びしょ濡れになって色々諦めたらしいTがサンダルを脱いで裸足になる。Nも裸足のほうが気持ち良さそうとサンダルを脱ぐ。まずは廃墟を目指す。でっかい丸太が波打ち際に落ちている。海のほうに蹴ってみるものの、重すぎてぜんぜん動いてくれない。それだというのに、ひとたび波が丸太に届くと、波はいとも簡単に丸太をさらって、さらに次の波が丸太を波打ち際に叩きつける。あっぶな! と三人で丸太をよける。Tが海の殺意を感じるよーとはしゃいでいる。波打ち際をずいずい歩いていると、後ろのふたりから何これすごーい! 魔法使いみたいって歓喜の声があがる。何かと思えば、じぶんの足が濡れた砂浜に触れるたびに、フワッと空気の膨らみのようなのがあたりに拡がっている。まさに魔法使いが歩いているかのよう、もののけ姫のシシ神様の歩き方みたいってはなしにもなる。波の勢いにかなり苦戦しながらも廃墟が近づいてくる。廃墟の辺りを境に砂浜が岩場に変わっていて、岩にぶつかった波が壮絶な潮砕けとなって舞い上がっている、絶句して、ゴクンと唾を飲み込む。廃墟に到達。Tからもらったウエットティッシュで足の砂を落として靴下とスニーカーを履き直す。いざ、廃墟に潜入! 底の抜けた階段の脇をロッククライミングのように慎重によじ登る。続いてTも。続くNが半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、この次どこに足をもっていったらいいのー?! って。どうにかこうにか登りきる。廃墟にもかかわらず落書きなんかがいっさいない、純然たる野生の廃墟。下から見る限り、底が抜けそうな感じがしたけれど、踏んでみるかぎり最初のフロアは問題なさそう。ところが、その先に伸びている廊下は底抜けしそうというより、すでに床の木肌がひび割れて底が見えている。あっぶな! と咄嗟に引き下がって、そばに来ていたTにも注意を促す。ここで行きにも少し話題になった(そんなことはすっかり忘れていた)Nの「ばけたん」なるお化け探知機がついに初お目見えになる。「ばけたん」が赤く光れば悪霊がいる、青く光れば天使がいる、緑に光れば平常でとくに何もない。どう考えても赤く光りそうなシチュエーションでありながら、どういうわけか青く光る。底抜けの大丈夫そうな場所をひと通り探索して外にもどる。出るときもNは半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、どうにかこうにか地面に帰ってくることができる。続いて洞窟。入り口の岩場にはでっかいフナムシが無数に蠢いている。ふたりから虫がだめなのに、なんでフナムシは平気なのって不思議がられる。セミが夏の天使なように、フナムシは海の天使だからって思っていることを素直に応えながら、でも、だとしても何で平気なんだろうって不思議に思う。ひとりでは怖すぎて一歩しか中に入れなかった洞窟も三人いれば心強い。スマホのライトで先を照らしながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、中のほうに入ってゆく。洞窟の側面にも天井にも隙間なく無数のフナムシが蠢いている。Nがここでも「ばけたん」を発動させてみる、結果は緑の光。洞窟は大広間の先に細い小路が続いている。その入口まで行って引き返そうとすると、Tがこの先まで行ってみようよって。もう無理、もう無理、これ以上は無理って断ると、さすが度胸のあるTはひとりで小路に入ってゆく。小路の突き当たりまで行ってもどってくる。小路の突き当たりはさらに左右に枝分かれしているらしい。
夕陽は海上の雲にのまれ、空は暗くなりつつある。岩場をさらに進んでゆくと、一人キャンパーが三組だったか四組、おたがいに微妙に距離を取りながら座っている。焚火のいい匂いがする。岩場にはフナムシなかにカニもたくさんいる。そんな岩場の一角にどんなカニとも比べものにならないでっかいカニをTが発見、すぐさまハンターの心が燃え上がり、捕獲に向かう。カニの捕まえ方なんて知らないよ~(だったらヘビの捕まえ方は知っていたのか……)と弱音を吐きながらも果敢にカニに立ち向かってゆく。数分の格闘のすえ、見事にカニを捕獲、持っていたビニール袋に入れる。Nはその場に腰掛け、じぶんは岩場の先端のほうまで行き、Tはその中間くらいから三者三様に暮れてゆく空と海を眺める。岩にぶつかる波の潮砕けがもの凄い。しばらく経って、Nのいる地点まで戻ろうとすると、Nが大きく手を振る、大きく手を振り返す。ふたたび三人が集まると、Nが家が恋しくなっちゃうって泣きそうな声で言う。たしかにそうなのだ。こんな最果ての辺境で、しかも、もうすぐ夜が来ようとしている。どうして、じぶんはいつもこんなところにわざわざひとりで赴いているのかってことをこのとき初めて考える。それからNがいい写真撮れたよって、ふたりがそれぞれに海を眺めている写真を見せてくれる。そろそろ帰ろうか、来た道を引き返すことにする。廃墟の辺りで海を離れて、上の道路を歩くことにする。Nだけ足の砂を落としていなくてどこかで洗いたい、いちどは海に下りていこうとするけれど、あいだには砂浜があるから海で洗ってもまた砂だらけになってしまう。きっと、そこらへんに水道があるでしょってことになり、そのまま上の道路を歩いてゆく。しばらくすると、マリンスポーツの拠点みたいな施設がある。水道はありそうでなくて、人間はじぶんたち���除いて人っ子ひとりいない。そんな施設のさなかに芝生のお庭がある。芝生のお庭になら水道あるでしょって探すけど、水道はどこにもない代わりに芝生の隣に敷居に囲われたプールがある。その敷居は簡単に跨いでいける感じで、だあれもいないし、あのプールで洗っちゃえば。Tが敷居を跨ぐまでもなく普通に入口を発見して、勝手に入口の鍵みたいのを開けて中に入っている。足を洗ったNがプールの水すごいきれいだったって戻ってくる。ふふ。とうに日は暮れて、暗い夜の山道を駅に向かって引き返す。Nが暗いよぉ、怖いよぉと頻りに泣きそうな声で連呼する。そんなつもりじゃなかったけども、仕返しを無事に達成。Nのスマホのライトでできるでっかい影。とりわけ樹々の左右から覆い被さる真っ暗な坂道、ここで「ばけたん」をやってみようになるけれど、Nのかばんから「ばけたん」が消失してしまう。どこかに落としてきちゃったかなぁ。自動車のヘッドライトからほとばしる影に驚いたりしながら、街灯のある明るいところに移動して「ばけたん」の捜索。かばんを隈なくひっくり返しても見つからず、「ばけたん」の性能には半信半疑ながら三千えんのお買い物がたったの二日で消失してしまうのにはさすがに気の毒な感じがして、色んな可能性を示唆していると、かばんのポケットのひとつから「ばけたん」が発見される。よかったぁ。その場で「ばけたん」を発動させると緑色に光る。山道を経て、畑道のところまで来ると、びっくりするぐらい赤い光線を発する怪しい満月が空のかなり低いところにのぼっている。Tがどこかのタイミングで(たぶん廃墟だったかな)口走った『夕闇通り探検隊』の一言が胸に突き刺さる。月のなかを鉄塔の陰翳が横切る。
帰りの電車でも頻りに「ばけたん」のはなしになる。乗換駅でも発動させてみる。緑色。廃墟でいちどだけ出た青以外はぜんぶが平常の緑色を示す。Nから、こんな胡散臭い商品なのに何故か高評価のアマゾンのレビューを見せてもらう。それでもまだ胡散臭さは拭えなくて、いっぽうで廃墟のときだけ色が変わったことがどうも引っかかっている。帰り際になってNがぽろっと口にした「乱数の偏り」という言葉にアンテナがビビッと反応して、これはきっと何があるぞと思う。帰ったらじっくり調べてみようと心に決める。
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rayonimoto · 5 years
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かたりのちしざ
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【かたりのちしざ】
 壁へ背を預けると体が、抜けるように軽くなって遅れて、ギイと鳴り始めた扉は最後に、ヒンという音を残し動かなくなった。開《あ》いた形で千年置かれた石のように。
 ぼくは仰向けに倒れたから隣の部屋の、代わり映えしない天井を真正面に見上げていた。この一言も話さない一瞬で十年、時が過ぎていてもおかしくなかったし、事実過ぎていたとしても気づきはしないだろう多分、���らく。
 部屋に誰かやってきてぼくの上を跨《また》いで行ったとき、それは僕の体だとわかった。ピアノ線で引かれた関節を曲げて一歩を踏み出す仕草《しぐさ》があると、足先は宙へ引き抜かれて運ばれ、また宙で下される。床にコツンと固く当たる音がする。人形と見紛《みまが》うそれは確かに僕の体だった。
 電話が鳴ってコールは一回、二回、三回、四回、五回目でようやく反転した体がもう一度、僕の上を跨いで進んで行った。きっとピアノ線を引くほうにもぼくがいて、僕の体を運んでいる。
 旧式のぼくは電話線。宙《ちゅう》へ感情線を引くためにあの僕と、通話の許された唯一だけれど本当は他人だ。もう一回。ぼくやぼくらは僕にとって只《ただ》の他人だ。あれを僕らしく見せるための他人なんだ。
 ピアノ線が空間に生じた傷のように光ると、体がうまいこと電話に出る。それから「もしもし」というときにやる首の傾げ方をして止まる、それが僕の体。ぼくのほうは仰向けで天井を見上げている。背中から床へ広がって、染みになって広がっているのは、再現性の高い思い出で、ここから何度でも輸血可能だ。
 矢のように放った直線的な感情がアーチを描いて、落日《らくじつ》のように繋《つな》がると辺りは夕暮れになる。日も月も昇らない部屋の空に、言葉が昇って黒い星を灯《とも》す。星座は物語。歌い出すように宙へ感情線を引けたとき、体の僕には「それを持って遠くへ行くんだ」と伝えようとする。致死量《ちしりょう》の思い出を輸血する前に、僕よ、君となって行《ゆ》くんだ。
『語りの致死座』
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buriedbornes · 5 years
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第38話 『白き山脈にて (2) - “エレドスティ山地"』 In the white mountains chapter 2 - “Mountains”
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エレドスティ山地は白銀に覆われている。
所々灰色の岩肌が覗いているが、モノクロの世界が山頂まで延々と続いているのだ。
見ず知らずの人間が来れば、たちまち自分の位置を見失い、これまでも多くの部外者が山中で遭難し、姿を消したり、遺体となって発見されてきた。
エレドスティの狩人は先祖代々伝わる景色の覚え方を伝えてきた。
鹿岩、猪の木立、柊の穴…
似たような地理の中から僅かな特徴を捉え、形状によって動物や自然のものになぞらえ、様々な目印に名を付けて、位置関係を記憶し、道を知る。
エレドスティの狩人はそうしてきたのだ。
そして、村に奇跡でも訪れない限りおそらくは、私がそれを継ぐ最期の一人となるのだろう。
死体に宿ったジョゼフは私の指示に従い、急斜面を駆け上がっていく。
浮石の多い岩場を避け、雪庇を予見し、迂回の必要性を説き、最短の道筋を指し示す。
傍らでは、ライツが無言でその様子を見つめている。
背後に立ったアリーセがこちらを見ているのか、それともまだ山頂を見つめているのか、振り返る余裕のない私にはわからなかった。
やがて、しばらく道なりに進むだけのなだらかな斜面で、私の指示は一旦途切れた。
「山頂まで足を踏み入れる者は多いのか」
唐突に、ライツが表情を変えず、抑揚のない声で尋ねてきた。
面食らった私は即座に返答ができなかったが、しどろもどろしつつ、答えた。
「あ、いや… そうですね、そんなに多くはないかな。ここまで登れて、帰れる者がまずそう多くない」
「では、その大都市の蜃気楼とやらを目にした者も、多くはないという事か」
「数人ってとこですね。」
「なるほど… ならば、間違いなさそうだな」
これこそが、エレドスティに彼らがやってきた理由なのだ。
麓の村で囁かれていた、眉唾ものの噂。
それが遥か遠方に住む彼らの元にまで伝わって、こうしてここまで足を運んできたのだとしたら、恐るべき情報収集能力と言わざるを得ないのだろう。
実際に、最初に蜃気楼を見たのは、隣家のハンスだったはずだ。
それ以外に、狩り仲間の何人かが見たと言っていた。
私自身、山頂に足を運ぶ事は少なくなかったが、そんなものを目にした事はなかった。
多くの場合、それは吹雪いた日に見えるらしい。
吹雪いた日にわざわざ山頂まで登る馬鹿はいない。
山に通じた者なら、リスクを冒す前に降りるのが基本だからだ。
だから、それを見たという者は総じて、年数の浅い未熟な狩人達だった。
年長者達は、そうした噂を一笑に付していた。
山で吹雪かれた失態を誤魔化そうと、それらしい作り話をして誤魔化そうって算段だ、ハンスを真似して他の者も同じ事を吹いているんだ、そう言って取り合わなかった。
私も、同じ程度に考えていた。
作り話ではないにしても、極寒の中で似たような幻覚を見ただけだろうと、軽く見ていた。
その噂がどうやって村の外にまで流れていったものか。
出入りがない村ではないのだから、誰かがこの話を、村の外でしたという事なのだろうが…
村の誰もが信じなかった話を、部外者であるこの屍術師達は、端から信じていた。
信じるに足る何かを、無知なる村人には持ち得ない情報を、彼ら自身が持っていたからなのか。
確認する手段はないが、そうとしか思えなかった。
「着いたぜ」
耳の内側で声がこだまする。
目線をライツから戻すと、ジョゼフの視界のあった辺りには、一層濃い白さの靄が立ち込めていた。
いや、違う。
それは、山が見せる過酷さの一側面だ。
猛烈に吹き荒ぶ雪の粒が、ジョゼフの視界の一切を閉ざしていた。
仰ぎ見る山頂付近は、既に雲の中にすっぽりと覆われているように見えた。
私達がいる中腹はまだ穏やかに白い粒が舞い散る程度である。
山の天候は変わりやすい。
こうして山の中の離れた地点を直接目にする機会など持ち得なかった私は、実際に同じの山の中にいながら全く異なる気候に晒された二者間を実感し、大層感心してしまった。
しかし、ライツは無感動に、また抑揚のない声を出した。
「視界が悪いな。払うか?」
「ライツ様はすぐ楽しようとするんだからいけねぇなァ」
ジョゼフが冗談めかして言う。
「いいからさっさとやれ」
突然背後のアリーセが声を発したので、思わず後ろを振り向いてしまった。
事実上、彼女の声を聞いたのはこれが初めてとなった。
彼女は、明後日の方向を向いたまま、表情だけ苛立たしげに眉をしかめていた。
ライツがおもむろに呪文を唱え始めると、ジョゼフの視界に、死体の右腕が映る。
わかっていた事なのに、腐肉を晒したそれを見て、一瞬だけ目を背ける。
ライツの動きに合わせ、視界の中の右腕が同じように動く。
そのときだけはまるで、ライツがその死体の右腕を動かしているかのようにも見えた。
呪文を終えると、視界の中の右腕が光り、目映い筋が白く閉ざされた虚空に放たれる。
窓を拭うかのようにライツが右腕を左右に振ると、死体の右腕が同様に白い空間を左右に払い、それに合わせ、空気の裂け目とでも言おうか、前方の中空に雪の振り込まない空間が浮き上がる。
そしてその空間の先に、驚嘆すべき光景が広がっていた。
大都市。
噂が形容したその言葉は、決して間違いではなかった。
密集し、入り組んだ石造の建造物群。
外縁を城壁が囲い、その広さは、かつて目にした城下町を数個中に収める事ができるほどの威容であった。
「ほ、本当にあったのか…」
開いた口が塞がらず、呆然と見つめる私の脇から、アリーセが乗り出し顔を近づけて幻像に目を凝らす。
「…見せていますね、これ」
「だろうな」
ライツが相槌を打つ。
「見せる?誰が?」
素っ頓狂な声を上げる私を無視して、ライツが鼻の下に手を当て、考え込む。
「誘っている、のだろうな…」
その言葉に、背筋がぞわりと粟立った。
姿を消した狩人の仲間達。
何人もの仲間が、この蜃気楼を目にしている。
「実際に行ってみるのが早かろう。ジョゼフ、進め」
「アイサー」
ライツとジョゼフの手短な会話の後、視界が再び高速で動き始める。
「行くって、どこへ…?」
この場所で、今の私がどれほど間の抜けた存在なのか、自分でも嫌というほどわかっていた。
だが、わからないものはわからない。
それに変わりはないのだ。
ライツは、実に味気なく答えた。
「この都市に、ですよ」
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猛然と斜面を駆け下りていく死体。
生身の人間であれば一昼夜はかかるであろう山越えを、屍術師連中は、ものの1時間足らずで為そうとしていた。
エレドスティ山地は複数の山から成り、麓の村に面した山は、テレス山だ。
実際にはパルムとナンネックという2つの山も面したコの字の中央に村があるのだが、パルムとナンネックは厳しく切り立った崖に面しているため、村から直接登る事はほとんど不可能である…少なくとも生身の人間なら、と今なら言えるが。
テレスを越えた先には、登りと同じだけの急勾配が待ち構えており、そしてさらにその奥に、レイーニ山や南北に横たわるナンネックの北端側などが連なっているはずだった。
しかし、そうした私の知識は、今この場において、何の役にも立たなかった。
視界には、広大な未知の盆地に、蜃気楼で見たものと全く同じ都市の情景が広がっていた。
こんな場所を、私は知らない。
「あの蜃気楼はいわば、入り口なのだろう。従来は何者も足を踏み入れられぬよう、目を逸らさせる術…具体的にどのようなものかは直接出向かねばわからぬが…が、施されていると考えれば説明がつく」
私の困惑と疑念を聡く察したライツは、丁寧な補足を加えてくれた。
「それはつまり、誰かがあの大都市を隠していたという事ですよね…」
私は質問しながら、聞かなければよかったと後悔していた。
当然ながら、私の質問は否定されず、首肯だけが返ってきた。
こうした会話を尻目に、死体はあっという間にその都市の南端にまで歩を進めていた。
見上げ仰いだ城門と思しき石柱は、天頂部が雪に霞んで詳細な造形が確認できないほどの高さを誇っていた。
その石柱には、私には全く想像もつかぬような未知の言語と見られる字の並びと、獣とも人ともつかぬ異様な生物の抽象化された像が彫りつけてあった。
ライツも、その彫り物を目にして、鼻先に指を当てて、考え込み始めた。
「私はあまり詳しくはないのですが… もしや、これはとてもその、古くて価値があるものなのではないでしょうか?」
私はおずおずと、自身の感想を述べた。
ただ、ライツの反応は、予期したどんなものとも異なっていた。
「仮にそうだとして、我々には関係ない」
その言葉に呼応するかのように、死体の視界がまたゆっくりと滑り始めた。
馬車が4台並んでも通れそうな幅の広い石畳の回廊は、城門と同じ高さのアーチを描いた天井の下をひたすらに真っ直ぐ伸びていた。
左右には、アーチを支えるように左右の直立した壁面が続き、それぞれ所々に大小の穴が開いており、それらが市���の露店のような、街道に面した何らかの建造物であるように見えた。
一体誰が、何の目的でこんな威容の都市を築き上げ、そして秘匿してきたのか、そうした背景を思うと、私はその威容に対する感動などよりも強く、薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
素足で歩む死体は、足音らしい音も立てない。
回廊に踏み入ってからは風音も止み、回廊は不気味な静寂に包まれていた。
そうした状況にあっては、僅かな音であっても、聞き逃す事はなかったと言える。
進行方向の暗闇から、濡れた何かを引きずるような、気色の悪い音が聞こえてきた。
それと同時に、聞こえなくなったはずの、風音らしき音が幽かに響いた。
しかしそれは、あるいは本当に風音だったなら、どんなに良かったろうと思う。
二度三度、音は規則的に繰り返される。
やがてその音は、明確な声となって私の耳に響いた。
「テケリ・リ」
文字に起こすならば、こう記すのが適切かもしれない。
その声は確かな音の響きを持って、繰り返し、死体の立つ場所へと迫ってきていた。
本能が相反したふたつの欲求に働きかけ、私はその間に立ち、身動きが取れなくなっていた。
つまりは、「それを見たくない」という恐怖と、「それを見たい」という好奇とである。
「敵性だな、構えろジョゼフ」
「言われなくとも」
死体の視界がやや沈み、その腕が目前に上げられて拳と手首が映る。
そして…
その先に映ったものを目にしたとき私は、声にならぬ叫び声を上げ、尻もちをつき倒れた。
回廊と覆うほど巨大で、暗く虹色に発光するタール状の粘液の塊、それが、自らの意志を持って、身を捩り這いずりながら渦を巻いて、雪崩れてきていた。
その表面には、無数の眼球のようなものが、まるで滝壺に湧く気泡のようにせり出しては弾けては消え、明滅していた。
それはまた、姿を消した仲間達の末路を示唆するものでもあった。
もしもこの怪物に直接遭遇していたなら、私は容易く失神していただろうと思う。
ただ、今置かれた状況が、遠方の誰かの運命をガラス越しに垣間見るような他人事じみたもので、その溝によって隔絶されているという実感が、私の意識を現実につなぎとめる役割を果たしたと思えた。
「よく燃えそうだ」
嘲り混じりに、ジョゼフの独り言がこちらに届いた。
応えるように、ライツが短い呪文を口ずさみ、右手を軽く振るう。
幻像の中で、死体の腕が突如燃え上がった。
屍術師とは何者なのか、死体を使って戦うとはどういう事なのか、何故冒涜者達はそれを選んだのか。
その真実を、これから私は、目の当たりにする事になる。
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~つづく~
※今回のショートストーリーは、ohNussy自筆です。
白き山脈にて (3) - “ショゴス"
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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gotch1976 · 6 years
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ホームタウン全曲解説 M3 レインボーフラッグ
Q.曲中のクラップ音ですが、あれは実際に手を叩いて録音されたものでしょうか?最近ではボタン一つでクラップ音も鳴らせるので、人の手で鳴らされたものなら温かみも感じて素敵だなあと思っていました。  サンプラーのボタンひとつで鳴らせるクラップの音にも、いろいろな種類があります。人間がボタンを押したタイム感をそのまま使うなら、十分に温かみ(人間味)のある音楽を作れると最近は感じます。
 でも、レインボーフラッグのクラップは、メンバー全員とスタッフで同時に録音しました。ひとつのブースのなかに入ってみんなで輪になって手を叩いたんです。なかなか照れ臭い時間でした。
 アジカンらしく絶妙にズレていて、面白いですよね。
Q.アジカンの曲としては珍しくザ・ロックンロール的なフレーズやバッキングが使われてると思いました。最初のリフもリズムが近いのはオマージュでしょうか?また、この曲だけドラムのパンが左右逆なのはそれぞれのギターの音を際立たせるための配置なのでしょうか?  オーセンティックな「ロックンロール」のリフやフレーズは、もはや公共財産ですよね。ロックンロールの歴史に対してのリスペクトはもちろんありますが、オマージュという表現の場合には特定の対象がありますから、そういう言葉で表すには対象が大きいかなと思います。
 ロックンロールやブルーズの演奏って、「このコードでこうやったらこうなんねん」みたいな常套句があるんです。だから、尊敬してなくても、ああなります。笑。ただ、僕��はキメのところで、ちょっとだけ外した音を選んでいます。わざと音を濁らせて、違和感を作っているというか。
 ドラムは確かに、右からハイハットが聞こえますね。タムは左にいます。ミックスのバランスを整えるのための配置ですね。
 ドラムセットを再現した音の配置に拘泥すると、それがそのまま音楽的な不自由につながることがあります。今回のアルバムのドラムはすべて生演奏ですけれど、ドラムのパン(左右への振り方)はフレキシブルに判断して、ユニークな音像を目指しました。
Q.タイトルの「レインボーフラッグ」は 様々な社会運動や人々の多様性を守る。 応援するという所からこのタイトルにされたんですか?  なるべく多くの人の自由(選択とも言い換えられますね)が認められている社会では、自分の自由も認められるはずです。反対のことを考えると、なんだか恐ろしい気持ちになって胸が詰まりますよね。それは人々が、それぞれの自由を許せず、監視し合うような社会かもしれません。
 マイノリティであることが生きづらさにつながる社会は嫌だなと思います。自分が多数派であることを確認して安堵する、みたいなマインドセットが常態となった社会もまた、かなり暮らしづらいと思うんです。それだけで窮屈だと思います。
 時代とか政体などが移り変わっても人間の権利が揺るがされないように、迫害されている人たちがなくなるように、基本的人権という考え方が発明されて、人類は歩みを進めてきたと思うんです。
 人間の基本的な権利は、社会的に少数派か多数派か、ということで増えたり減ったりしないはずです。本来認められるはずの権利が認められていない、社会の進歩が遅れていることに対する憤りが僕にはあります。
 多様な選択、それぞれの生き方が認められることなんて、当たり前にしたいですよね。
Q.花はたくさんあれど、なぜリンドウの花を選んだのですか?  僕はメロディから作るので、どういう言葉をメロディに乗せるのかというところで、かなり限定されるんです。だから、そもそも「花」を最初から選ぶつもりではなかったんです。
 詩はいつも一行目から書きます。どんな言葉がやってくるかは、書いたり歌ったりしてみないとわからない。
 ギターをポロポロと鳴らしながら作詞していると、「野道に咲き誇るリンドウ」と出てきました。花言葉を調べると「あなたの悲しみに寄り添う」だとか「正義」や「誠実」といったものがあるとのことでした。他にも、青や紫の花であることがわかりました。
 どうして「リンドウ」なのかは僕にもわかりません。逆にキーワードが出て来てしまったことから、歌詞を膨らませていきました。
Q.山ちゃん日誌でBEST HIT AKG2後に、ゴッチの中でヴィジョンが見えたらしいですが、どんな構想から曲作りやメンバーへ意図を伝えたのですか?  山ちゃんや建さんの日誌を読んだことがないんですけれど、『ホームタウン』に対する視点はメンバーでも違うので、読み比べたら面白そうですね。
 作品全体の構想は、前にも書きましたが、シングルがベスト盤に収録されたことで整理されました。そこから5曲くらい一気に曲が書けました。コンセプトが定まればこっちのものなんです。
 僕がアルバムの構想についてメンバーに伝えていたのは、アルバムの最終的なまとめ方くらいだったと思います。どういう曲順で、どういう形態にするのかなどですね。
 演奏やアレンジのことは録音のときから色々伝えました。
 例えば、ベースならなるべくシンプルに低いポジションにいてほしいこと。ベースが高いポジションに動くと、低音がスコンとなくなる部分ができるんですね。3弦のDより高いところを頻繁に使われると、ミックスで安定的に低音を出すのが難しい。ギターに関しては、音色について建さんとマンツーマンで詰めました。潔にはテンポを速くしたくない旨と、なるべく一発一発シンプルに打ってほしいということを伝えました。
 演奏についての要望は、全体性とうよりディティールのことなんですけれど、ミックスのところで効いてくると考えていたんです。音像って、やっぱりアレンジの方法でもかなり変わってくるので、ボトムを支える楽器はボトムに居てもらって、その上で何をできるのか、みたいな考え方です。
 あとは、「パワーポップ」とか「楽しくやって」とか、そういうシンプルな言葉を伝え続けた感じですかね。「パワーポップ」とか言い出したのは最後のほうで、「90年代」という言葉は割とずっと言い続けていたような記憶があります。
 ここによく書いていた「低音」については、「低音」というのはなかなか曖昧な言葉で、定義が人それぞれですから、最終的にはスタジオで体感してもらって、自分が言っていることの意味を分かってもらいました。例えば、アラバマシェイクスのアルバムを僕のスタジオで聴いてもらったりしながら。音というよりは振動を体感しないとわからないことって、音楽の場合にはあるんです。
Q.レインボーフラッグはLGBTQも含む意味かなと思っていたのですが、プライドカラーの6色ではなく7色にされた理由はなぜでしょうか?本当に知りたいので教えてください!お願いします!  確かに、LGBTQの旗は6色ですよね。運動の旗を作るときの予算の関係でそうなったんでしたっけ? ネットで調べただけの浅い知識しか持っていないんですが...。
 でも、歌のなかで「6色のアーチと」って歌うのは、なんだかメロディとの噛み合わせも悪い気がするし、イメージを限定しますよね。「七色のアーチ」と歌うことで、僕には雨上がりの街の空に虹がかかるような風景も浮かびます。足元は雨水でぬかるんでいるかもしれませんが、悪くない景色ですよね。
 どんな人も、自分なりのフラッグを掲げて、胸を張って歩めるような社会だったら最高ですね。もちろん、他者を尊重しながら。
Q.この曲には最初からラップを入れようと決めていたのでしょうか? ラップが入ることでとてもしっくりくる曲だなと思いました!  僕はラップだと思ってなかったんですけれど、ラップなのでしょうか。UCLAのヴァースをラップと呼ぶなら、ギリギリでラップかなと思いますけれど、この曲のブリッジの部分はメロディを歌っているつもりです…。笑。
Q.アルバムの曲順を組み立てる時に曲や歌詞を再度考え直したりするんでしょうか?  アジカンのアルバム制作では、曲順が決まる前に歌の録音が終わっていますので、アルバムの曲順によって歌詞を書き直したりはしません。
 でも、並べる時には考えますね。例えば、『ファンクラブ』や『ワールドワールドワールド』のころは、言葉と曲順の関係性を神経質に考えていました。
 今もやっぱり歌詞と曲順の関係性は考えますけれど、昔ほど神経質には考えていません。
Q.展開ごとにギターの本数が変わっていますが、サビはパワーコードを弾いているギターが2本くらいあるように聞こえますが、実際はどうでしょうか? また、ベースが低いぶん、それに合わせてギターもかなりの低音に降りていますが、音作りで工夫されたことはありますか?  サビでは僕と建さんでそれぞれ一本ずつですね。
『ホームタウン』はバッキングを意図的にダブルにしていないんですよね。それぞれの楽器をなるべく良く聞こえさせるためには、音が鳴るスペースが必要なので、ギターでビターっと埋めてしまわないように録音してあります。なので、特にこの曲ではダビングはしていないと思います。
 ただ、ギターを録音するときにアンプからマイクで拾った音だけではなくて、ラインの音も録音しています。ラインの音をプラグインに通したり、あるいはそのまま使ったりしながら、広がりを持たせることも場所によってはしているかもしれません。
 音作りに関する工夫は、いつもの機材を惰性で使わないってことですね。いつものペダルのセッティングでいつものアンプに繋いでいつもの演奏をしたら、やっぱりいつもの音になってしまうんです。そのあたりに注意しました。
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