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#風景を生かす建築
alds-news · 2 years
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既存建物の解体が進んでいます。 新しい建物に携われる幸せと責任の重さを噛み締めています。 三上の家/上山市/on going #風景を生かす建築 #建築家 #建築家とつくる家 #建築家と建てる家 #高性能住宅 #住まい #マイホーム #住宅 #建築設計事務所 #アーキテクチュアランドスケープ https://www.instagram.com/p/CjFh1sprC2P/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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moment-japan · 5 months
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21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa
1年ぶりくらいの21世紀美術館。
ゴールデンウイークなので人出が凄くて吐きそう。
(尋常ではないくらい人が沸いている)
今回、有料コーナーは見たい作品がなかったので無料で鑑賞できる「POP UP ART」を鑑賞。
写真最初のインスタレーションは米国コロンビア大学の視覚芸術教授Sarah Sze(サラ・ジー)の作品「喪失の美学」。
大量生産される製品のみで制作されているらしく、建築的構造の中に自然のプロセスを表現しているそうで、巨大な未来都市の形をしたシャンデリアのようでちょっと素敵。
次のコンクリート作品は、支配構造への反発たるパンクの精神で作品を制作するスイス人作家ユニットのペーター・フィッシュリ(Peter Fischli ) ダヴィッド・ヴァイス(David Weiss)で「
無題・コンクリート・ランドスケープ」。
21美の中にこれだけ客がいるのに何故かここだけ一人も客がいない(笑)。
そっとガラス越しに作品に近づくと案内係の美術員さんがアイコンタクトで奥へと手招き(笑)。誘われるまま、誰もいない外の広いフロアにポツンと佇むこちらの綺麗な長方形のコンクリートを鑑賞開始。
しかし、不思議だ。
何の変哲もないコンクリートの塊なのに、誰もいないところでひとりで鑑賞していると、あらゆる雑念が消えて無の境地というか禅の世界観というか、不思議な感覚を覚える(笑)。
屋外で展示されると、時間と共に雨や光にさらされて埃がたまり、苔が生え、表面に凹凸が生じ、自然の変化が反映される風景表現となるということらしい。
なるほど、このコンクリートの塊から「詫び寂び」を感じ取った自分のセンスは間違いはなかった。
(なんやねん。笑)
2003年のヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞も受賞しているほどのユニットだけあって、こんなありきたりのコンクリートで哲学するパンキッシュなペーター・フィッシュリ& ダヴィッド・ヴァイスには今後も注目。
その他にもいろいろなアーティストの作品があったけど、今日はここまで。
帰り際、美術館前の石浦神社から上下黒の法被を着た子供中心の和太鼓奉納演奏が聞こえてきたけど、リズムが普通の「和」のリズムではなくベリーダンスなんかで有名な「アラブリズム」(笑)。
(なんとセンスのいい子供たちなんだ!)
このリズムに気が付いた自分のセンスの良さに再び感動。
そして、観光客にいつものように記念撮影を頼まれて、いつものように笑顔で了解する。
そして夕日を浴びながらフランス人とイタリア人とブラジル人とドイツ人とロシア人でごった返す長町武家屋敷を通って実家に帰宅。
(中国人はほとんど見かけなくなった)
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kijitora3 · 5 months
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最近日本の経済指標が低調なことを嘲笑って日本オワコンみたいなこと言いたがる人がいる そう思うのは自然だと思うし、そう思うならそれこそアメリカとかオーストラリアとかフランスとかお好みの国に移民すればいい日本は国籍離脱の自由を認めている
ただ、わしは経済指標が絶好調でもうすぐアメリカをも抜くだろうと言われていた時代を生きていたが、あの頃の生活に戻りたいとは欠片も思わない
いつも暑苦しく忙しく騒々しく大したことないサービスばかりでどこもかしこも混んでいたあの時代は、薄っぺらくただうるさかった
今は少なくとも静かで、自分のペースで生きやすくなり、日本の文化についての日本人の理解も少々深まり進歩した 今はまだ街頭は安全であり、風邪でも気軽にすぐ医者に行けるし、賃金低くても物価も諸外国に比べると全然上がっておらず実質的な生活実感は昔より上がっている
ニューヨークはラーメン一杯3000円だが日本では1000円しないから、日本はダメだ!に至っては呆れるしかない 君はさしてうまくもないラーメンを3000円出して食いたいのか?
経済指標ばかり追いかける心貧しきものには、永遠に生活の豊かさは理解できないのだと思う その証明がコンサルの成長話に騙されてくだらん巨大施設に巨額投資をした挙句に不良資産化させただけで人が去ってゴースト化した地方都市の惨状だ 廃墟化した仰々しい巨大施設が軽佻浮薄な成長に依存した現代経済を象徴している 今その光景が建築途中で放置された高層マンションが林立する中国の都市に現れているのは、これ以上ない皮肉だろう
私は経済大国だから日本が好きなのではない 生まれ育った日本の気候風土文化が好きなのだ だから今後経済指標がどうなろうとも日本で生きていくし、日本人の生活の質を上げることを考えるだけだ
私の祖先は少なくとも1300年前には日本で生きていたことが分かっている おそらくそれよりずっと昔から日本列島で生をつないできたのだろう 国運が上昇、下降を繰り返しながらも様々な歴史、文化を紡いできた日本で今後もほんの僅かでもいいから日本の歴史や文化の一部として生きていきたい
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yamada50 · 2 years
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毛利家を祀る豊榮神社と野田神社 別格官幣社巡りで参拝に上がりました 山口県神社庁のお隣、豊榮神社と野田神社ですが横並びにそれぞれほぼ同じ社殿や回廊を備えどっちがどっちな豊榮神社と野田神社です 豊榮神社と野田神社は見た目ほぼ同じですが別の宗教法人でそれぞれ旧別格官幣社で別表神社となっています しかし現在両社とも古熊神社宮司が兼務されていて数々の別表神社を巡ってきた中、兼務社の別表神社ははじめてのパターンでした 参道より奥、境内東側で橋を渡り社殿前に毛利三本の矢の男爵毛利五郎、男爵小早川四郎、男爵吉川重国奉納の石灯篭があるのが初代藩主毛利元就を祀る豊榮神社です 長門に移封となった毛利輝元が萩の氏神様の春日神社境内に元就公の霊を祀ったのが前身で、江戸時代中期宝暦12年(1762)に同じ萩に元就公を遷座し、毛利家の祖神とされる天穂日命を合祀し神性霊社として創祀しました また明和7年(1770)には仰徳社と改めています 明治に入り元就公による朝廷を崇敬する事跡があったことから、明治天皇より元就公に「豊栄」の神号を下賜され、明治4年現在地に社殿が造営されて遷座、明治15年に別格官幣社に列格しています その後明治6年に長州藩事実上最後の藩主で尊王攘夷、討幕、廃藩置県など明治維新の功労者である毛利敬親公を祀る社を有志によって諡号から忠正神社と称して豊榮神社の別殿として創建され、翌7年に野田神社に改称しました 禁門の変により朝敵ともされた毛利敬親公ですが防長の人々の願いが叶い明治19年に豊榮神社西隣の現在地に遷座し豊榮神社より独立、大正4年に別格官幣社に列しました 境内には山縣有朋をはじめ激動の幕末維新期を生き抜いた人々からの奉納であふれています 元藩士らの敬愛の念が伝わる境内でございました #野田神社 #豊榮神社 #豊栄神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 豊榮神社(とよさかじんじゃ) 鎮座地:山口県山口市天花一丁目1-1 主祭神:贈正一位毛利元就公 社格:別格官幣社 別表神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 野田神社(のだじんじゃ) 鎮座地:山口県山口市天花1丁目1-2 主祭神:毛利敬親公 社格:別格官幣社 別表神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#山口市#幕末#明治維新 (豊榮神社・野田神社) https://www.instagram.com/p/CnR7fzhPijZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hachikenyakaiwai · 10 months
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【かいわいの時】慶長十一年(1606)十二月十三日:秀頼、生国魂神社を再建(大阪市史編纂所)
家康は、豊臣家の財力を失わせるため、故太閤秀吉の菩提をとむらうためなどと称し、秀頼に対して、さかんに寺社の造営・修復を勧めた(略)当時、秀頼が造営・修復した寺社など方広寺大仏殿、誉田八幡宮、四天王寺、東寺金堂、石清水八幡宮、生国魂神社、勝尾寺、中山寺、叡福寺太子堂、観心寺金堂、常光寺庫裏、宇治橋、鞍馬寺など(柏原市「玉手山物語」)。※原文ママ
石山本願寺建立の際には、この生国魂神社を隣接地に遷座して建立したとも言われるが、だとするならば石山本願寺は生国魂神社の最初の鎮座地に存在したことになる。また、近年の研究によれば石山本願寺は豊臣期の大阪城の詰之丸に存在したとの説もあるが、これがもし事実ならば、生国魂神社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。 戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失した。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が、大坂城を築城する際に現在地に社地を寄進して社殿を造営し、天正13年(1585年)に遷座した。このときに造営された社殿は、「生国魂造」と呼ばれる、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである(いくたま夏祭りみこし会)。
(写真)『摂津名所図会 巻之三』より「生玉神社 其二」(スミソニアン蔵)。
江戸時代には、豊臣秀頼により造営された社殿が慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による兵火で焼失したが、江戸幕府により社殿は再興され、社領300石も安堵された。寛永-正保期(1624 - 1648年)の「摂津国高帳」によれば、その社領地は下難波村(現在の浪速区)にあった。また5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院は、黄金若干を当社に寄進したという。『摂津名所図会』では、当時の境内の様子や走馬神事の様子などが描かれている。幕末の『浪花百景』にも絵馬堂、弁天池が選ばれている。弘化2年(1845年)には、社殿の造替がなされた《略》1912年(明治45年)1月には「南の大火」により社殿を焼失し、1913年(大正2年)11月に再建された。しかし1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲により再び焼失した。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列され、翌1949年(昭和24年)7月に本殿が再建されるも、1950年(昭和25年)9月のジェーン台風で倒壊してしまった。その後、1956年(昭和31年)4月に鉄筋コンクリート造で再建された(ウィキペディア)。
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moderndays · 1 month
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TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション
会 場 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 会 期 2024年5月21日(火)~8月25日(日) 休館日 月曜日(ただし7月15日、8月12日は開館)、7月16日(火)、8月13日(火) 時 間 10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00) ※入館は閉館の30分前まで
観覧料 一般 2,200円/大学生 1,200円/高校生 700円
2024/08/18 鑑賞
★2024/9/14土-12/8日まで大阪中之島美術館にて開催
既に何度も観たことがある作品~初見の作品まで、幅広く鑑賞することができたが、自分でも驚いたのだが、何故か全くこれまで興味がなかった佐伯祐三の作品に感銘を受けてしまった。 今回は、本展に3作品・所蔵展に1作品確認(妻の佐伯米子も所蔵展に1作品あり)。 昨年、東京ステーションギャラリーにて企画展が行われていたのに観に行けず、惜しいことをした…。彼の描くパリの日常風景が観たい。 近代建築好きとしても、彼の旧宅は一度見に行かなければ。 しかしながら、感性はどこで何に感化されるかわからないものだから、これもまた仕方なし。だから美術鑑賞というのは面白いのだと思う。
新収蔵&特別公開として、ジェルメーヌ・リシエ《蟻》が公開されていた。
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蟻と人間(女性)の複合体のような彫刻作品である。 これと道で遭遇したら倒れそうだ…。
こちらは所蔵展で見つけた、いけばなをする女性(題名は「挿花」)。花材に妙な親近感。
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ryotarox · 3 months
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Juvet Landscape Hotel in Norway - Google 検索
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Juvet Landscape Hotel, Valldal, Norway | SUITCASE Magazine
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映画「エクス・マキナ」のロケ地 ノルウェイ「Juvet Landscape Hotel」
Leave the world behind | Juvet Landskapshotell
Jensen & Skodvin Architects - Wikipedia
イェンセン&スコドヴィン・アーキテクツは、ヤン・オラフ・イェンセン(1959年生まれ)とボーレ・スコドヴィン(1960年生まれ)によって1995年に設立されたノルウェーの建築事務所
Jensen & Skodvin
Juvet landscape hotel - River sauna - Jensen & Skodvin
(DeepL訳)ユヴェット ランドスケープ ホテル - 第一フェーズ ユヴェット ランドスケープ ホテルは、ノルウェー北西部のオンダルスネスの町の近く、ヴァルダルにあります。 従来のホテルのように、客室が 1 つの大きな建物に積み重ねられているのではなく、ランドスケープ ホテルでは、客室が小さな個別の家として敷地全体に分散しています。 各家には 1 つまたは 2 つの壁があり、すべてガラス張りになっているため、各部屋の体験空間が最大限に活用されています。慎重な配置により、どの部屋からも、季節、天気、時間帯によって常に変化する美しくユニークな風景の独占的な景色を眺めることができます。どの部屋も他の部屋を見渡すことができないため、カーテンを使用しなくてもプライベートな部屋として体験できます。 デザインのインスピレーション: 従来の境界 (壁) がなく、風景と同じ広さ (この場合は 3 ~ 4 マイル) の体験型スペースがある部屋を作りたかったのです。これを実現するために、窓とそのフレームが通常与える「境界」または「囲み」効果を可能な限り排除するように、窓に力を入れました。これは、(眺めるだけではなく)大きくて壮大な風景の中にいるような効果、完全なプライベート感、そして守られていて暖かい雰囲気を与えることを目的としています。
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astk-design · 5 months
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House in Shukugawa 夙川の家 (共同設計|arbol)
ミニマルな空間と美しい曲線が生む 優しく包容力のある住まい The minimalist space and beautiful curves create a tender and inclusive home
夙川の家は兵庫県西宮市に位置し、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿地にある。 プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対し、内部を周囲から切り離して住み手のための”独立した世界”をつくることを目指した。 ”中庭”と”大きな気積をもったドーム空間”により、閉じた箱の中でも窮屈さを感じることなく、美しい緑や光を愛でながら居心地良く過ごすことができる。包み込むような空間が家族の団欒を生み、暮らしを受け止める包容力のある住まいとなっています。
“House in Shukugawa” is located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, on a compact flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world for the client on the inside. The “courtyard” and “domed space with a large volume” allow the residents to spend a cozy time while enjoying beautiful greenery and light, without feeling cramped in a closed box. The enveloping space creates a family gathering, and the house has the tolerance to accept the people’s life.
- ⚪︎ロケーション  夙川の家は、兵庫県西宮市の豊かな自然と古くからの邸宅街が広がる夙川沿岸の閑静なエリアに位置している。この場所のように地価が比較的高いエリアでは、邸宅街と対照に土地が細分化され住宅が密集している部分も多くみられる。本邸も、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿敷地での計画だった。 ⚪︎ご要望  クライアントから伺った理想の住環境や要望は、次の5つに整理できる。
自然とのつながり(緑、光、風、四季を感じれること)
プライバシーを確保しつつhyggeを大切にできること(hygge:デンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」をさす言葉)
陰翳礼讃の精神で光や陰翳を繊細に感じられること、照明計画も同様に均一な明かりではなく変化や緩急があること
全体に繋がりがあり、用途に合わせて空間ボリュームが多様に調整されていること
インテリアから建築まで飽きのこない普遍性のあるデザインであること
これらのテーマと敷地条件をもとに、建築形態を検討していった。 ⚪︎デザインコンセプト  プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対する解決策として、あえて周囲を隔絶し「中庭」と「ドーム空間」によって建物内部にクライアントのための“独立した世界”を構築する住まいを提案した。また共有していただいた好みのインテリアイメージには、ヨーロッパの空気感を感じるものが多く意匠にもそれらの要素を取り入れることにした。
 まずコンパクトな敷地の中で可能な限り大きく建物のフットプリントを設定し、周囲に対して閉じた箱型の木造2階建てとした。次に内部でも自然や四季を感じ取れるよう、安定した採光が確保しやすい北側の角に中庭を配置。その周りを囲むようにホールやダイニングスペース、キッチンなどのアクティブなスペースを設けた。寝室や浴室といった個人の休息スペースは、必要最小限の大きさにして2階に配置した。(1ルームの寝室は、可動式収納家具によって部屋割りを調整可能)  この住まいの最大の特徴はドーム型のホールであり、それは人々の暮らしを受け止める包容力のある空間となっている。適度な求心的プランが家族の団らんを生み、中庭の抜けとドームの大きなヴォイドが人が集まった際も居心地の良さを保証する。閉じた箱でありながら窮屈さを感じることなく、親密なスケールで家族や友人達と心地良く過ごすことができる。  またタイル張りの床、路地テラスのようなダイニングスペース、バルコニーのような踊り場、ドームとシンボリックなトップライトなどにより、1階は住宅でありながらセミパブリックな空気感を醸し出している。これがプライベートな空間である2階とのコントラストを生み、小さな家の中に多様さと奥行きをつくり出している。  採光については、単に明るいことだけではなく相対的に明るさを感じられることも重要である。ホールの開口部は最小限として基準となる照度を下げつつ、中庭に落ちる光が最も美しく感じられるよう明るさの序列を整理した。また壁天井全体を淡い赤褐色の漆喰仕上げとすることで、明るさを増幅させるとともに影になった部分からも暖かみを感じられるよう設計している。  空間操作としては、中庭外壁隅部のR加工、シームレスな左官仕上げとしたドーム天井、ドームと対照的に低く抑えた1階天井高などが距離感の錯覚を起こし、コンパクトな空間に視覚的な広がりをもたらしている。 ⚪︎構造計画  木造軸組構法の構造材には、強度が高いことで知られる高知県産の土佐材を使用。上部躯体には土佐杉、土台にはより強度や耐久性の高い土佐桧を用いた。工務店が高知県から直接仕入れるこだわりの材であり、安定した品質の確保とコスト削減につながっている。 ⚪︎造園計画  この住まいにおける重要な要素である中庭は、光や風を映し出す雑木による設え。苔やシダなどの下草から景石や中高木まで、複数のレイヤーを重ね、コンパクトでありながらも奥行きのある風景をつくり出している。またコンパクトな分植物と人との距離が近く、天候や四季の移ろいを生活の中で身近に感じ取ることができる。石畳となっているため、気候の良い時期は気軽に外へ出て軽食を取るなど、テラスのような使い方も可能。草木を愛でる豊かさを生活に取り入れてもらえることを目指した。  敷地のアプローチ部分には錆御影石を乱張りし、大胆にも室内の玄関土間まで引き込んで連続させている。隣地に挟まれた狭い通路であるため、訪れる人に奥への期待感を抱かせるような手の込んだ仕上げとした。また石敷きを採用することにより来訪者の意識が足元に向かい、ホール吹抜けの開放感を演出する一助となっている。 ⚪︎照明計画  ベース照明は、明るすぎず器具自体の存在感を極力感じさせない配置を心掛けた。特に中庭の植栽を引き立てる照明は、月明かりのように高い位置から照射することで、ガラスへの映り込みを防止しつつ、植物の自然な美しさを表現できるよう配慮している。ホールについても、空間の抽象度を損なわないために、エアコンのニッチ内にアッパーライトを仕込み、天井面に器具が露出することを避けた。  対して、人を迎え入れたり留まらせる場(玄関、ダイニング、リビング、トイレ)には、質感のある存在感をもった照明を配置し、インテリアに寄与するとともに空間のアクセントとしている。 ⚪︎室内環境  居心地のよい空間をつくるためには快適な温熱環境も不可欠である。建物全体がコンパクト且つ緩やかに繋がっているため、冬季は1階ホールとキッチンに設置した床暖房によって、効率よく建物全体を温めることができる。壁天井には全体を通して漆喰(マーブルフィール)による左官仕上げを採用し、建物自体の調湿性能を高めている。  換気設備は「第1種換気※1」を採用。温度交換効率92%の全熱交換型換気ファン(オンダレス)により、給排気の際に室内の温度と湿度を損なうことなく換気を行うことができるため、快適で冷暖房負荷の削減に繋がる。CO2濃度や湿度をセンサーにより検知し、自動で換気量を増やす仕組みも取り入れている。  また断熱材は、一般的なボードタイプよりも気密性が高く、透湿性に優れた木造用の吹き付けタイプを使用。サッシはLow-E複層ガラス+アルゴンガス充填で断熱性を高めた。 ※1「第1種換気」..給気、排気ともに機械換気装置によって行う換気方法 ⚪︎まとめ  近隣住宅が密集する環境の中で、周囲を隔てて内部空間を切り離すことで、住み手のための世界を築くことができた。仕事で毎日を忙しく過ごすクライアントだが、ここでの時間は、仕事を忘れ、好きなものに囲まれ、家族や友人たちと心から安らげる時を過ごしてほしい。心身共に癒やされるような家での日常が、日々の活力となるように。この住まいがそんな生活を支える器になることを願っている。 ⚪︎建物概要 家族構成 |夫婦 延床面積 |70.10㎡  建築面積 |42.56㎡  1階床面積|39.59㎡ 2階床面積|30.51㎡ 敷地面積 |89.35㎡ 所在地  |兵庫県西宮市 用途地域 |22条区域 構造規模 |木造2階建て 外部仕上 |外壁:小波ガルバリウム鋼板貼り、ジョリパッド吹付 内部仕上 |床:タイル貼、複合フローリング貼            壁:マーブルフィール塗装仕上             天井:マーブルフィール塗装仕上 設計期間|2022年11月~2023年7月 工事期間|2023年8月~2024年3月 基本設計・実施設計・現場監理| arbol  堤 庸策 + アシタカ建築設計室  加藤 鷹 施工  |株式会社稔工務店 造園  |荻野景観設計株式会社 照明  |大光電機株式会社  花井 架津彦 空調  |ジェイベック株式会社  高田 英克 家具制作|ダイニングテーブル、ソファ:wood work olior.      ダイニングチェア:tenon インテリアスタイリング|raum 撮影  |下村写真事務所 下村 康典 、加藤 鷹 資金計画・土地探し・住宅ローン選び|株式会社ハウス・ブリッジ テキスト|加藤 鷹
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House in Shukugawa ⚪︎Positioning the land as the background  Located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, the surroundings along the Shukugawa River are quiet, with abundant nature and a long-established residential area. Due to the high value of land and the relatively high unit price per tsubo, there are many areas where land is densely subdivided into smaller lots.  The site was a compact, flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. These conditions were by no means good. However, the client purchased the lot because of its good surrounding environment and the fact that it was in an area that he had grown familiar with since childhood. ⚪︎Requests  The ideal living conditions and requests we recieved from the client can be organized into the following five categories.
 To be able to feel nature (greenery, light, wind) even inside the house
 To be able to value "hygge" (Danish word meaning "comfortable space" or "enjoyable time") while ensuring privacy
 To be able to feel light and shade sensitively in the spirit of " In Praise of Shadows(Yin-Ei Raisan)" and the same goes for the lighting design
 The entire space is connected and the spatial volume is adjusted in a variety of uses
 Timeless design that can be cherished for a long time
Based on these themes and the site conditions, the architectural form was studied. ⚪︎Design concept  The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world within the house in line with the client's preferences. Many of the interior images they shared with us had a European feel, and we decided to incorporate these elements into the design.
 First, the footprint of the building was set as large as possible in relation to the site, and it was designed to be boxy and closed to the outside. To allow the interior to experience nature and the four seasons, a courtyard was placed in the north corner, where it is relatively easy to secure lighting. The hall (living and dining room), kitchen, and other active spaces are located around the courtyard. Rooms for individual rest, such as bedrooms and bathrooms, were kept to the minimum necessary size and placed on the second floor. (The storage furniture in the bedroom is movable in order to accommodate changes in usage.)  The most distinctive feature of this project is the domed hall. It is a tolerant space that accepts people's lives. The moderate centripetal plan creates family gatherings, the courtyard and the large volume of the dome guarantee a cozy feeling even when people gather. Here, one can spend comfortable, quality time with family and close friends without feeling cramped.  In addition, the tiled floor, the alley terrace-like dining space, the balcony-like stairs, and the dome and symbolic top light give the first floor a semi-public atmosphere even though it is a house. This contrasts with the private second floor, creating variety and depth within the small house.  In terms of lighting, it is important not only to be bright, but also to have a sense of relative brightness. While minimizing the openings in the hall to lower the overall illumination level, we organized the sequence of brightness so that the light falling on the courtyard would be perceived as beautiful as possible. The walls and ceiling are finished in a uniform light reddish-brown plaster, which allows the warmth of the light to be felt while amplifying  the brightness of the space.  In terms of spatial manipulation, the soft curvature of the outer courtyard wall corners, the seamless plastered dome ceiling, and the low ceiling height of the first floor in contrast to the dome create the illusion of distance and visual expansion in a compact space. ⚪︎Interior Environment  A comfortable thermal environment is also essential for creating a cozy space. As the entire building is compact and gently connected, the volume can be efficiently heated in winter by floor heating installed in the ground-floor hall and kitchen. The walls and ceilings are plastered (with a Marble Feel) throughout to enhance the building's own humidity control.  The ventilation system is "Class 1 Ventilation*1. The ventilation system uses a total heat exchange type ventilation fan (ondaless) with a temperature exchange efficiency of 92%, which allows ventilation without compromising indoor temperature and humidity during air supply and exhaust, resulting in comfort and reduced heating and cooling loads.  The insulation is of the sprayed wooden type, which is more airtight and has better moisture permeability than ordinary board-type insulation. Low-E double-glazing glass with an argon gas filling are used to enhance thermal insulation.
*1 "Type 1 Ventilation". A ventilation method in which both air supply and exhaust are done by a mechanical ventilator. ⚪︎Structural Planning  Tosa wood from Kochi Prefecture known for its high strength, were used for the structural members of the wooden frame. Tosa cedar was used for the upper frame, and Tosa cypress was used for the foundation because of its higher strength and durability. The construction company purchased these materials directly from Kochi Prefecture, ensuring stable quality and reducing costs. ⚪︎Landscaping plan  The courtyard, an important element of the house, is designed with a mix of trees that reflect the light and wind. Multiple layers, from undergrowth such as moss and ferns to landscape stones and medium height trees, create a compact yet deep landscape. The compactness of the space also means that the plants are close to people, allowing the users to feel the weather and the changing seasons in their daily lives. The cobblestone pavement enables the use of a terrace-like space, where one can casually step outside for a light meal when the weather is nice. We aimed to bring the richness of loving plants and trees into people's lives.  The approach to the site is made up of tan-brown granite, which is boldly pulled into the entrance floor of the house to create a continuous line. Since it is a narrow passageway between neighboring properties, we created an elaborate finish to give visitors a sense of anticipation of what lies ahead. The use of stone paving also directs visitors' attention to their feet, helping to create a sense of openness in the hall atrium. ⚪︎Lighting Plan  The base lighting is not too bright, and the presence of the fixtures themselves is minimized as much as possible. In particular, the lighting that enhances the plants in the courtyard illuminates from a high position, like moonlight, to prevent reflections on the glass and to express the natural beauty of the plants. In the hall, lights were installed in the air conditioner niche avoiding the exposure of fixtures on the ceiling surface, so as not to spoil the abstractness of the space.  On the other hand, at the place where people are welcomed in or stay (entrance, dining room, living room, and restroom), lighting with a textured presence is placed to contribute to the interior design and accentuate the space. ⚪︎Summary  In an environment where neighboring houses are densely packed, we were able to build a world for the residents by separating the interior spaces from their surroundings. The client spends his busy days at work, but during his time here, he wants to forget his work, surround himself with his favorite things, and spend truly restful moments with his family and friends. We hope that daily life in a house that heals both body and soul will be a source of daily vitality. We hope that this home will be a vessel to support such a lifestyle. ⚪︎Property Information Client|Couple Total floor area|70.10m2 Building area|42.56m2 1floor area|39.59m2 2floor area|30.51m2 Site area|89.35㎡ Location|Nishinomiya-shi, Hyogo, Japan Zoning|Article 22 zone Structure|Wooden 2 stories Exterior|Galvalume steel sheet, sprayed with Jolipad Interior|Floor: Tile flooring, composite flooring           Walls: Marble Feel paint finish           Ceiling: Marble Feel paint finish Design Period|November 2022 - July 2023 Construction Period|August 2023 - March 2024 Basic Design/Execution Design/Site Supervision| Yosaku Tsutsumi, arbol  + O Kato, Ashitaka Architect Atelier Construction| Minoru Construction Company Landscaping|Ogino Landscape Design Co. Lighting|Kazuhiko Hanai, Daiko Electric Co. Air Conditioning|Hidekatsu Takada, Jbeck Co. Dining table and sofa|wood work olior. Dining chairs|tenon Interior styling|raum Photography|Yasunori Shimomura, Shimomura Photo Office (partly by O Kato) Financial planning, land search, mortgage selection|House-Bridge Co. Text | O Kato
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chibiutsubo · 10 months
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#おでかけ #小浜
京都との繋がりが深い土地だからか(海産物の出荷とかだろうか?)町並みもどこか京都っぽい。京都は多分観光客まみれなんだろうけど、ここならゆっくりと歴史的な町並みを散策できます。
町並みの保存地区ではあるけれどがっつり観光地でもないので、これらの家々には普通に生活している方が住んでいて、日常と非日常の入り混じる感じが面白い。江戸時代の建物の横に現代の車が停まっていたり、園芸用ホースが置いてあったり。保存地区を抜けると急に新築の今風のお家があったりと、私は今何時代を歩いているんだろうか、という不思議な感覚になります。
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決して見慣れた景色ではないはずなのに妙に落ち着くこの感じ。
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小浜線の橋梁を発見。小浜線もゆっくり乗り鉄旅をしたい路線のひとつなんだよなぁ。
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extracts-sheep · 7 months
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倉本圭造@新刊発売中です!
@keizokuramoto
川口市のクルド人問題に興味があってもSNSには「ガチ右翼さん向けに煽りまくった情報」しか見つけづらくてよくわからない、という人向けに客観的な現状のまとめと落とし所の提案を書きます。この問題は背景情報をよく知らずに脊髄反射すると、川口市の担当者や埼玉県警が過剰に排外主義的に”見えちゃう”ところに問題があり、例えば先日放映されたアベマプライムの番組などは、よく調べずにテキトーな印象論をぶつけあうだけに終わった結果、本来わかりあえるべき部分でも過剰に対立が演出されてしまい出演された川口市議の荻野さんの印象が物凄く悪くなってしまっていたのが可哀想でした。
・ 1●クルド人特有の背景を知った上で議論しないと無意味 まず、川口市のクルド人問題は、他の在留外国人の問題とはかなり違う背景があることをまず理解する事が重要なんですね。 というのは、あえて批判的な言い方をすると、査証免除措置(トルコ国籍者は観光ビザも不要)で来日したあと、そのまま勝手に居着いてしまって既成事実化し、「難民申請」をすることで「申請中」の宙ぶらりんの状態で長期間滞在して子供も産んで…という形になっているクルド人が多いってことなんですね。 クルド人問題について議論する時に、「この部分の話」を無視したままだと、例えば川口市長だったり川口市の議員さんだったりが言っていることが物凄く排外主義的に見えちゃうのが注意が必要で。 「正規の在留資格」じゃないから、就労許可がない人もかなりいるし、健康保険への加入も不可になってしまっている人も多く、実態として「制度の谷間」にいる人が沢山いる状態なんですね。 そこには他の外国人とは全然違う難しさがあって、そもそも正規の在留許可がなければ「住民票登録」もしてないからいったい何百人、何千人いるかも正確にはわからないし住民税も払っていない状態が続いている。 それでも市内で子供が生まれたら面倒を見なくちゃいけないし、公教育でも受け入れなくちゃいけないし、”無保険者”がかなりの数でいると考えられる中で病院でのトラブルも解決しないといけない川口市の担当者から見たら切実な問題なんですよ。 こういう”制度の谷間問題”に対して、川口市自体は完璧とは言えないまでも自分たちのできる範囲でかなり頑張って小中学校で差別なく受け入れようと取り組んできた事実があると思います。 スマホ片手に「クルド人の人たち可哀想ぉ〜日本のレイシストどもなんか●ねばいいのに!」とかSNSで発言して、10分後にすっぱり忘れちゃえる人たちの目線で解決できる問題ではない。 ・ 2●素人論でなく「専門家の知見」ベースでの解決の模索が必要 一方で、2月初頭にNHKでこの問題が取り上げられた時には、世界の移民問題の専門家である一橋大学の橋本直子先生がかなり事前に番組スタッフさんにレクチャーを繰り返し、単に「クルドの人たちが可哀想だ、なんで助けてあげないんだ!」というメッセージだけでは終わらない深堀りがなされていました。
もちろん、制度の狭間に落ち込んでしまって困窮しているクルド人に対して何らかの対処が必要な事はリベラル側から見ると言うまでもありません。 ただしその「対処」の実現は、単に ・実際に共生している川口市民の懸念を「このレイシストめ!」と叩き切るだけ ・欧米の国家でも当然に行われている出入国管理実務上に必要な制度的問題を全部無視して「人権の大事さを理解しない日本政府が悪い」と断罪するだけ …では実現できないということです。 NHKの番組放映後橋本先生はSNSの右翼さん(のうち一番ヤバい層)から 「このハシモトって奴はお花畑の多文化共生論者だぞ!こいつは日本をぶっ壊すスパイだな!実は中国人に違いない!」 …とか言われまくってましたが(なぜ中国人ってことになるんだw)、むしろリベラル側から「あの位置に旗を立てに行く」ってことがどれだけ明確な問題意識と勇気が必要な振る舞いなのか、理解が必要だと思います。 SNSの右翼さんに言いたいのは、「日本は日本人のための国です!出てってください!」みたいな、アメリカ的文脈に直接翻訳したらガチ問題視されるような発言をそのまま主張しまくったって先進国日本で実現するわけないってことです。 一方で、橋本先生が旗を立てていこうとしている「受けて立つリベラル」みたいな路線をキチンと国際社会的に説明可能なロジックを通して実現していけば、 公正で人道的で、かつ「厳格な」出入国管理政策 …を実現し、制度の谷間に落ち込んでヒドイ目にあう人を減らしつつ、かつ右翼さん側の懸念もある程度満足させられる着地点が見えてくるでしょう。 また、この問題について興味があるリベラル側の意見を持った人は、単に「レイシストどもめ!」というふうに斬って捨てに行くと、「実際色々困ってる川口市民」が丸ごと排外主義に飲み込まれていく事に注意するべきだと思います。 むしろリベラル側の人は、実際に川口市の担当者や埼玉県警が現場レベルの共生策を実行しようとかなり頑張っているプロセスを否定せず迎えに行って、そこにどういう支援が足りないのかを政策的・世論的にサポートするような役割を果たすべきです。 アベマの番組に出ていた荻野市議なども含め、川口市や埼玉県警は、SNSの「ガチ排外主義」の人に比べたら遥かにマイルドでリベラル寄りの感性を持った上で現実的な落とし所を模索しており、その「現実を見た対策」を丸ごと「リベラルの敵」として断罪していたらこの問題は解決できません。 ・ 3●リベラル側が目指すべきざっくりした「落とし所」はこのあたりでは?という提案 ざっくりした結論として、橋本先生の言う「公正で人道的でかつ厳格な」政策という意味でこのクルド人問題の落とし所を考えるとするなら、以下画像のようなところになるのだと思います。
アベマの番組にクルド人当事者として出演されていたユージャル・マヒルジャンさんが、2022年のトルコ地震後1500人ぐらい一気に川口にやってきて、彼らは日本の風習にも馴染めていないから問題を起こす人もいる…みたいな話をシレッとしてたんですが、いやいやちょっと待ってくれと(笑) いまいる人口を、どうやって「馴染んでもらうか」という話をしている時に、そんなダダ崩れに次々と入ってこられても困りますという話がありますよね。 主権国家として「どこかで線を引かなくてはいけない」としたら、そこに引くのはリベラル側としても大枠は理解可能なことなのではないでしょうか。 そういう方向で「際限なく開いている国境をキチンと管理するようにする」ことと引き換えに「正規の滞在許可」を出していくことは、多くの場合すでに滞在しているクルド人側にとっても望むところでしょうし、結果として川口市に住民税も入るようになりますし、健康保険に若い労働者が沢山入る事は日本の財政的にも望ましいことでしょう。 ・ 4●「実態と建前」が乖離しまくっていた状況の解消が始まっている 私の経営コンサル業のクライアントの建築会社の社長いわく、既に日本の「現業」的な職場は外国人なしには成り立っていないとよく言います。 「SNSの愛国者さま」がいかにSNSで排外主義を叫ぼうとも、実際そういう人が汗水流して現場作業についてくれるわけじゃないんだからしょうがないじゃん、という側面は明らかにある。 今の日本はその「理想と現実」の間で物凄くナアナアな抜け穴だらけの制度を運用してきて、制度の狭間で様々な不幸を生んできてしまっています。 今後それを「責任を持って正常化」していく流れは既に起きつつある。 SNSの右翼さんは単に「ガイジンどもを叩き出せ!」的な事を吠えるだけでなく、出入国管理実務をできるだけ「シンガポール型」の厳格なものに近づける事を目指すべきなのだと思います。 一方でリベラル側は、単に実際に起きている不幸を全部「レイシストの日本人ども」「人権を理解しない悪辣な日本政府」のせいにして終わりにするのではなく、「受けて立つリベラル」として徹底した文化統合策を細部まで後押しし、 「実際に困ってる川口市民の懸念にちゃんと応えられるのは右翼さんより自分たちなのだ」という事を具体的に示していくことが求められている …といえるでしょう。 ・ 5●「米国のリベラルの公式見解」は「非英語圏」の実情と合っていない強者の論理にすぎず、無責任な放置を助長してしまう 「素人の印象論」的に終わってしまったアベマの番組と、「移民問題のプロ」が監修したNHKの番組との違いを眺めると、要するに 本当にリベラル的な良識を現場に即して実現しようと思えば、その対策には「アメリカのリベラルの極端な原則論」からすれば問題があるように「見える」ものが含まれる が、 むしろそこにちゃんと踏み込んで行く事が「今の時代の責任感あるリベラルの姿勢」なのだ …という本質論が眠っているように思います。 例えば「日本で暮らしたいなら日本社会に馴染んでください」という右翼さんの求めに対して、「アメリカやカナダのリベラルの公式見解」をぶつけて終わりにしてしまうリベラル側の「よくある態度」というのは、移民問題のプロの中では問題があるという認識が浸透しつつあるそうです。 なぜならアメリカでそういう「公式見解」が成立するのは「英語とアメリカ文化のデファクトパワー」が圧倒的だからこそ成立する強者の論理に過ぎないからです。 逆にスウェーデンなどは、「スウェーデン語や風習を強制してはいけないのでは?」というような原則論的な理想主義を最初は掲げていたけど、それは逆にその層が社会から分離してゲットー化し、余計に排外主義的問題が高まる元凶になってしまったらしい。 だからこそ、非英語圏においてはアメリカにおいてのリベラルの原則よりも「明確に一歩踏み込んだおせっかい」をしていくことが、むしろリベラル的な良識を実現するために絶対的に必要だという事は、移民問題の専門家の間で徐々にコンセンサスになってきているらしい。 「今そこにある問題」に対して「現実的対処を求める層」を、「アメリカのリベラルの公式見解」から断罪して切り捨てるだけの簡単なお仕事しかリベラル側がしないなら、SNSで吹き荒れる排外主義を止めることなど決してできないでしょう。 トランプムーブメントが止められないアメリカ、ガチ極右政党が躍進していない国などほとんどない欧州の実情を考えれば、そういう「リベラルの公式見解で断罪しまくるだけ」でこの問題が解決できない事は明らかです。 ・ 6●「欧米の失敗」が明らかになってきたからこそ、一周遅れの日本はちゃんと対策ができる道が開けつつある NHKの番組後、橋本先生に直接感想を伺ったところ、 「ああいう発言をすればリベラルから袋叩きにされるかと思っていたが、案外クルド人の人たち御本人や、リベラル層からは好評価が多くて意外だった。おそらく、欧州の極右政権が問題になったり、米国のバイデン政権ですら何らか国境線をフルオープンにはできない事情が明らかになってくる中で、現実的な対処をすること自体を否定していてはいけないのだ、という風潮がリベラル側にも出てきているのだと思う」 …という話をされていたのが印象的でした。 このように、一周前の欧米の移民政策が明らかに問題を抱えている事が明白になってきたからこそ、「今までなら合意できなかったことが合意できる」流れを作り出せるはずです。 その先で「日本ならではの徹底した文化統合策」をいかに後押ししていけるかが問われています。 右翼さんは右翼さんなりにできる限りシンガポール型の着地を目指す一方で、リベラル側はどういう「包摂」を目指せばいいのか?については、リプ欄に貼ってある記事で詳説したのでぜひお読みいただければと思います。 リプ欄の記事では他にも、 ・実際に川口市でどの程度の問題が起きているのかを犯罪統計などから定量的に分析する ・実際に川口市で行われている共生を目指す政策の実例や、その路線をさらにサポートしていくのに何が必要なのか? …といった多様な論点を詳しくまとめてありますので、この問題に興味がある方はぜひ記事本文をお読みいただければと思います!
午前6:25 · 2024年3月2日
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tokyomariegold · 2 months
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2024/2/10
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2月10日 天気が良くてかなり助かった日だった。 昨日の帰りに一期下の方から、山の上ホテルのショップでキーホルダーとお菓子を買ったお話を聞いて、明後日閉館する山の上ホテルへ行ってみたくなり11時のオープン目掛けて出かけた。 予想通りたくさん人がいて、もうカフェの整理券の配布は終わってショップに長蛇の列が出来ていた。 30分だけ並んでみようかな、と階段下まで降りて並んでみる。 ここで何十年前に結婚式を挙げて…とスタッフさんにお話かけている方がいた。 多分そんな感じですごい思い入れのある方々がたくさん来ていた感じだった。
30分並んでも列が全く進まなかったので離脱して母校の卒業制作展へ。 道中、薬局によって昨晩から目の様子がおかしかったので一回ずつ��い切りタイプの目薬を���入。 昨晩は右目にまつ毛が絡まった痛みがあり、今朝は左目に同じ痛みがあって、右目と左目でものもらいあっているのでは?と不安。
卒業制作展を見て、卒業後も一応建築のお仕事をしているけれど、卒業生の制作を現実からかけ離れた立派なお遊び的なものと思うことがなく、プレゼンテーションボードや模型の見せ方を楽しんでしまい、やっぱり建築は自分の中でビジネスパートナーでしかない分野なのかもしれない。 自分で建築することにも、他人が建築することにも全然割り切ってビジネスの方が楽だと言えてしまう気がする。
午後からニコンのフォトレビューがあったので、その前にオペラシティで“ガラスの器と静物画”を鑑賞。とても楽しかった。色々な用途のガラスの器が並んでいるのを見て、シルバニアファミリーの食器にもいろんなグラスがあって、それを並べるのが楽しかったのを思い出す。カクテルグラスやコップ、ガラスのピッチャーやパフェグラス等、いろんなシリーズのシルバニアを持っていたのでグラスもたくさんあった。
昨日出張の途中に出したフィルムを受け取り、ニコンサロンへ。 久しぶり一葉ちゃんに会えて嬉しかった。 自分の写真にレビューをもらえたこともだけれど、いろんな方々の写真や言葉をきけてただただ楽しかったです。 そんな感じで、レビューの中でフィルムで撮り続ける意味を問われても、確かにデジタルで、もっと撮れる環境を整えるべきだよな〜と思っても、まあ楽しいから!と多分フィルムを使い続けちゃう位、今写真は(貴族の)お遊びになっている感じ。 でも今はそれでいい気がする。
伊勢丹でバレンタインと友達の結婚祝いを買う一葉ちゃんと別れて東新宿まで歩く。 何ががなくなった新宿、昨日は1人で風景を眺めてわからなかったけれど、一葉ちゃんから小田急がなくなったと教えてもらった。
そしてやっぱり新宿の街はどこに足をおろしても汚物を踏んでしまっている気持ちになる。 体調が保てます様に。
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ari0921 · 9 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)
   通巻第8068号  <前日発行>
 熾烈なAI開発戦争を横目に
   古代人の霊的な技術の脅威をどう評価するべきか
*************************
 十五年ほど前、チベットへ取材に行った帰り、高山病を調製し、乗り換え便を待つために四川省の成都に二泊した。
それ以前にも成都は何回か来ているので「珍しい所はないか?」とガイドに聞くと,クルマで二時間弱の場所に「三星堆遺跡」があるという。その時、筆者は初めて三星堆なる文明の存在を知った。
 戦後教育で教わった『世界四大文明』とはメソポタミア、エジプト、インダス、黄河文明だが、マヤ文明、インカ文明と縄文文明がかけている。三星堆は中華文明とはまったく無縁で地理的な要件はともかくシュメール(メソポタミア)に似ている。
 早速、見に行った。
明らかに太陽信仰の農耕文明だが、出土した仮面、神樹(御神木)の高さは4メートルにも及び、巨木信仰を窺わせた。人物像や神具などシュメールとの共通要素が多いが、シナ歴史の起源とされる夏・殷・周の中華文明とはまったく別物である。
 ▼巨大な目玉のデフォルメ青銅像は霊力の象徴ではないのか
 道具類も多彩で1934年に本格調査が始まり数百点のめずらしい出土品があった。戦争を挟んで1982年に発掘が再開され,大きなミュージアムもできた。 ブロンズ像の特徴は大きな目、飛び出した目玉、大きな鼻など、これはエジプトと似ている。
 筆者は売店でミニチュアのレプリカを二つほどあがなって書棚に飾った。
とくに143センチの杖は力の象徴であり、大きな目玉は『ホルスの眼』「第三の眼」として神の力であり、シナの古典の『蜀王本紀』には「巨眼の王がいた」と書かれ,『華陽国史』には、この三星堆文明は、「民とともに王が去った」と書かれている。
そして数千年、三星堆遺跡は土に埋もれていた。
 わが国でも亀ヶ岡縄文遺跡からは巨眼土偶が出土している これを日本では「射光器土偶」などと言っているが、神話性を無視した近代人の解釈では古代の謎は解けない。
眼には霊力が宿ったのだ。シュメールもエジプトもヒンズーも古代人は眼に神の力がやどると信じてきた。
 「ホルスの眼」は古代エジプト文明において重要な象徴。目の形だが、人間の脳にある松果体という部分の断面図に酷似している。この「ホルスの目」は、癒し、修復、再生の象徴でありエジプト神話の太陽神であるラーの右目は全てを見通す「知恵の目」とも言われた。魔除けと守護のシンボルだった。
水木しげるの漫画をみよ。目玉の妖怪だらけだ。
 ユダヤ教やキリスト教では、ホルスの目は神の監視と保護を表し、イスラム教では、真理と力を表している。ホルスの目は、力、保護、治癒を表す、歴史と文化的背景にあふれた霊力の象徴である。
中国の監視カメラは前項の目的、宗教を軽んじている。
「第三の眼」とは目に見えない目、ヒンズー教では頭脳にあるとされ、ネパールでは額に眼を描いた巫女のような神職がいる。まさに松果体(脳に存在する内分泌器)に似ている。さきにマヤ文明と書いたが、最近は人工衛星によってホンジュラスの山奥からも古代遺跡の所在が判明し、どうやらインカ文明とマヤ文明はことなることも朧気にわかってきた。
 ▼あのプマ・プンク遺跡の巨石切断は古代人がレーザーを使ったのだ
インカ文明以前に南米で現代人の創造を絶する遺跡が発見された。
 プマ・プンク遺跡は巨石が組み立てられた謎の構造物として知られる。一番の謎は10噸以上の巨石を80キロ離れた石切場からどうやって運んだか、石を見事なH型に切断、生前と並べた技術はレーザーか、超音波か、あるいは宇宙人かまるで違う文明がもたらしたものだったのか。
 レーザーはいうまでのなく半導体製造の一等中枢にある技術で、数ミリのチップに数十億の回路を刻み込んで集積回路とする。
 プマ・プンク遺跡の場所はボリビアのチチカカ湖の南、ペルーとの国境で標高は3800メートル。建造は紀元前2000年頃と推定される。
一万年前と唱える考古学者もいる。
 世界の考古学者、建築学者が謎の究明に挑んだ。運搬に関してはチチカカ湖を筏で移動、あるいは運河を造成したとういう説は退けられた。
丸太をコロとして人間が引いた? 
英国のストーンヘンジはたしかにそうやって造られた。またチチカカ湖は古代には海だったという説、大洪水でノアの箱舟と関連があるなどの説もほぼ否定された。巨石は安山岩で、大理石よりも硬質、それゆえに数千年の風雪に耐えた。
  ▼これは天文台なのか。
古代人は始原的な天文学に通じていたことは明らかである。
邪馬台国の卑弥呼なる巫女も原始的な占星術、鬼道に通じていたと魏志倭人伝は書いた。
天文学的な、シャーマン的要素で戦争を指導したのは壬申の乱で勝利した天武天皇である。
プマ・プンクの巨石の列が山頂に建てられたのだから城塞ではなく神殿だろうが、文字がないうえに人骨が周辺から発見されておらず、この点では忽然と去った三星堆の謎に似ている。
ピラミッドは地下には美術館のような彫刻、地下に墳墓があるがやはり巨石の切断方法と運搬方法が解明されていない。
U型のフォーク形状の道具や、金の杖を共通に待つのは指導者の威信、力の象徴とされ、シュメール文明と共通である。ワトキンスという学者は,太陽光を人工的な集光器にあつめてレーザー光線として切断したと唱える。
もし、そうやって古代人が巨石を生前と切断し、神殿のような建造物を造成したとしたら、古代人の智恵は明らかに現代ホモサピエンスの知能を超えている。プマ・プンクの岩石には異様な磁力があるという。
 巨人(宇宙人?)がラッパを吹いて巨石を動かしたという言い伝えは超音波が運搬手段に使われたとする学説である。超音波の運搬も、否定できない。
 またファラオ、ツタンカーメン、オベリスクなどのエジプト古代文明とシュメールの共通点、類似性に神木がある。
神話でいわれたことで真実に近いことは夥しいのである。
 
AI開発が生成AIを産み、やがてチャットGPTが進歩すると逆に人間の思考力は低下し、いずれAIが人間を支配する。そうやってAIの脅威が語られているが、だれも霊力との関連を語ろうとしない。
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yamada50 · 2 years
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真備穴門山神社 奥宮の磐座 吉備の磐座は枚挙に遑がないですがこちらの磐座は大きさもさることながらパズルのように組み合わさっているようです 山塊に奇岩や巨石群が点在していて弥生時代の遺跡もあることから古代祭祀の跡を感じます 穴門山神社も山奥ですが本殿脇より10分ほど山道を駆け上がると磐座に着きました #穴門山神社 #真備穴門山神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 穴門山神社(岡山県倉敷市)(あなとやまじんじゃ) 鎮座地:岡山県倉敷市真備町妹895 主祭神:穴戸武姫命 社格:国史見在論社 郷社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社 #神社巡り #神社好き #神社好きな人と繋がりたい #神道 #神社仏閣 #shrine #shinto #日本の風景 #参拝 #神社巡拝家 #recotrip #神社フォトコンわたしと神社 #神社と四季 #御朱印 #御朱印巡り #御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#龍神 #神社仏閣 #パワースポット #岡山県 #倉敷市 #真備 #真備町 #磐座 #古代祭祀 #遺跡 #式内社 (倉敷市真備町) https://www.instagram.com/p/CoH8WaqvER1/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 3 months
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2020年3月、兵庫県神戸市西区の精神科病院「神出病院」の看護師や看護助手ら6人の男が、患者への虐待容疑で一斉に逮捕された。看護の道を志して集まった彼らは、なぜ卑劣な犯行に手を染めたのか。閉ざされた病棟ではいったい何が起きていたのか?  ここでは、事件の背景に迫った神戸新聞取材班の渾身のルポルタージュ『 黴の生えた病棟で ルポ・神出病院虐待事件 』(毎日新聞出版)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く) ◆◆◆ 神出病院の看護助手を強制わいせつ容疑で逮捕  神戸をイメージさせる海もなければ、ハイカラな洋風建築も、石畳もない。市の最西部に位置する西区は、台地の上にニュータウンが広がり、緑豊かな谷あいに田畑や果樹園、牧場が点在している。静かで、のどかで、犯罪発生件数も少ない。そんな一帯を管轄する兵庫県警の神戸西警察署で、署員たちは2019年夏からピリピリしていた。  というのも、その頃から若い女性が襲われる強制わいせつ事件が相次いでいた。お盆中の8月13日午後11時頃、帰宅してきた女性が自宅マンションのエントランスに入ろうとすると、後ろから近づいてきた男に突然、顔を手で押さえつけられた。かろうじて悲鳴を上げると、男は下半身へと手を伸ばす。だが、女性はショートパンツだったことから、男は胸を触って走り去った。  1カ月後の9月、そして11月にも、帰宅中の女性が背後から男に抱きつかれ、下着の中に手を入れられたり、尻を触られたりした。  神戸西署が捜査を進める。すると、11月の犯行現場で不審な動きをする男を、近くの防犯カメラが捉えていた。さらに8月の事件で、犯行現場に近い建物のドアに掌紋(しょうもん、手のひらの紋)が付着していたことがわかった。  一連の事件の容疑者として1人の男が浮上する。それが神出病院で、看護助手をしていた当時27歳の田村悠介(たむらゆうすけ、仮名)だ。  田村には、女性の悲鳴を聞くほど興奮が高まるという性的嗜好があった。最初はスカートの中にスマートフォンを差し込んで盗撮行為を繰り返していたが、やがて物足りなくなり、女性を直接襲うようになった。神出病院で看護助手としての仕事を終えた帰りに車で駅前などに立ち寄り、ターゲットを定める。女性が人通りの少ない場所に入ったことを確認すると、スマホの録音ボタンをオンにして、後ろから歩いて尾行した。   その年の12月、神戸西署は強制わいせつ容疑で田村を逮捕する。押収したスマホには女性の悲鳴が多数収められていた。しかし、その悲鳴よりも捜査員を驚かせたのは、それとは別に保存されていた動画の数々だった。 押収したスマホから見つかったおぞましい動画の数々 「○○君、口、口」 「早すぎる、早すぎる。もう1回」 「舌入れな」  再生すると、はやし立てる数人の男の声がした。  50~60代の男性2人が襟をつかまれ、キスをさせられている。2人が神出病院の入院患者であることはすぐに察しがついた。  別の動画では、再び同じ男性がベッドに仰向けになり、陰部にジャムを塗られていた。これにもあざ笑う声が入っている。 「ちゃんと吸ってや」 「ちゃんとなめてよ」 「ここ、ちゃんとくわえろって」  別の男性患者がその陰部をなめる様子が映っていた。 看護師らが患者を集団虐待する前代未聞の事件  事件の端緒が女性への強制わいせつだったこともあり、神戸西署には当初、これらの動画も田村が性的目的で撮影したのではないかという見立てがあった。ただ、動画から聞こえる嘲笑の声は、明らかに複数の人物が関わっていることを示しており、わいせつ行為よりも人間の身体をもてあそぶことが目的のように思われた。  神戸西署は県警本部の捜査1課から応援を得て、捜査態勢を強化することを決めた。わいせつ事件をはじめ、殺人、放火、強盗、誘拐、立てこもりといった凶悪犯罪を専門に扱う捜査1課の捜査員を投入し、最先端の捜査技術も駆使して指揮命令系統を一本化させる。  看護師らが患者を集団で虐待するという前代未聞の事件捜査はこうして始まった。 60代の男性患者を長期間にわたって監禁し…  田村はスマホに全部で約30点の動画を残していた。  このうちの1つには、逆さまにひっくり返された重さ100キロ近い柵つきベッドの中で、長時間にわたって監禁されている60代の男性患者の姿も映っていた。男性は檻(おり)のようになったベッドの落下防止柵のすき間から 「出してーな」 「何するんや」  と悲痛な声を上げている。  男性は食べ物への関心が極度に強いという特有の症状があった。  田村たちが柵のすき間からポテトチップスの袋を見せると、体をばたつかせ、顔をゆがめて必死でもがく。別のすき間からは何やら尖(とが)った紙状のものを差し込み、男性の体を何度も突っついていた。  よく見ると、わざわざ包丁の形に作った厚紙の模型だ。男性がおびえ切った表情で体をよじって暴れると、ベッドの床板が外れ、男性の体が押しつぶされた。  スマホに残された撮影時間から、警察は監禁時間を26分間としたが、実際には少なくとも1時間半にわたって監禁は続けられたという。田村たちはひとしきり患者をからかった後、現場を離れ、時折様子をうかがいに来るだけだった。男性を助け出したのは同じ部屋の別の患者だった。    虐待行為は手を替え品を替え続けられていた  動画に映っていた被害者は全員で7人。いずれも男性で重度の精神疾患があり、されるがままの状態だった。  看護師らによる虐待行為は他にも手を替え品を替え続けられていた。 ・病院のトイレで患者を裸にし、椅子に座らせて顔にホースで水をかけ、嫌がると洗面器で湯をかける。 ・車いすの患者の頭に粘着テープを四重に巻きつける。 ・球状に丸めた粘着テープを患者の頭めがけて投げつけておびえる様子を面白がる。 ・患者の頭にゴム手袋をかぶせ、嫌がって外そうとする患者の両腕を2人がかりで引っ張ってもてあそぶ。 ・シリンジ(注射器)を水鉄砲のようにして患者の顔に水をかけ、悲鳴を上げて嫌がる様子を見て楽しむ。 ・患者の腕を引っ張って別の患者を殴らせたり、ベッド上で患者の体に別の患者を乗せたりし、抵抗すると押さえつけたり、鼻に指を突っ込んで引っ張ったりする。  県警は動画を解析し、右のような、 「7つの暴力行為、3つの性的虐待」  を特定した。病院から撮影日の勤務態勢がわかる資料を提出させ、行為に関わったとみられる人物を絞り込む。起訴するか否かを判断する検察と打ち合わせをして、送検容疑を確定させた。 「体を押さえ、無理やりキスを…」神戸の精神科病院で、看護師が患者に強制わいせつ→事件発覚後に病院側が取った“驚きの対応”とは  へ続く
「ちゃんとくわえろ」「舐めてよ」精神科病院の看護師が、患者に“おぞましい性的暴行”…神戸・神出病院で起きた“前代未聞の虐待事件”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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emeraldecheveria · 3 months
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月の光と海うさぎ【4】
新しい家
 新居がある隣町は、田園が広がるのどかな風景の町だった。
 父が運転する車の助手席に母、後部座席に私と美夜がいる。私は父の後ろで、美夜は母の後ろで、それぞれ窓に顔を貼りつけてその景色を見つめた。引っ越しトラックが私たちの車に後続している。
「あの家だぞ」と父が言って、私も美夜も急いでフロントガラスを向いた。ざあっと稲穂が続く中に、晴れた空と同じ水色の家があった。
 胸がどきどきしてくる。まるでルルが喜んで跳ねているみたいに。実際、心の中にあの陰気な雨は降っていなかった。出窓を見つけたように、私の胸にはさわやかな風が抜けて、爽快なほどだった。
 だって、やっとあの学校を解放されたのだ。みんなからのいじめ、先生たちの嫌味、静くんの視線からも逃げおおせた。このすがすがしい光景の町で、ようやく自由を手に入れた!
 どんどん近づくほど、新居がびっくりするほど大きな家だと気づいた。一階が車庫になって、その上に二階建ての家があって、実質三階建てだ。遠くから見えた通り壁は水色で、屋根は青、窓枠は白、コントラストがまるで大空と海原と白雲みたい。周りの稲穂の音も、本物の海みたいだった。
 ああ、そうか。海なら心配ない。私の中のルルが海うさぎなら、この家は帰ってきた場所になる。だからきっと、ルルにも友達ができる。私にも友達ができる。ここが私の居場所になるんだ。
 新居の前に到着して、大人たちが荷物を抱えていそがしく動きまわる中、私と美夜は家の中を駆けまわって探検した。
 いくつもある部屋。木目の階段。大きなベランダ。ぴかぴかのお風呂。トイレだって真っ白だ。
 何より嬉しいのは、三階に自分だけの部屋があることだった。今までは美夜と同じ部屋だったから、一気に自分が立派になったような感じがした。私も美夜も「すごい」「すごい」ばかり言うので、母の反対を押し切ってこの家を建てることにした父は、すっかり上機嫌だった。
「自分の荷物は自分でほどきなさいね」
 新築の匂いがする自分の部屋で、南向きの窓を開けていると、私の名前が書かれた段ボールが続々と運ばれてきた。私の荷物がすべて部屋につめこまれると、顔を出した母がそう言った。「うん」と私が段ボールに駆け寄り、さっそくガムテープを剥がそうとしたとき、「よかったね」と不意に母が言った。
「えっ?」
「これで、いじめられることもなくなったから」
 私は母を見た。母は目は合わせず、そそくさと隣の美夜の部屋に行ってしまった。私は手の中のガムテープを視線を落とし、気にしてくれてたんだ、と思った。
 ざざあっと潮騒のような音と共に、涼しい秋の風が舞いこんでくる。そのそよ風がするりと私の長い黒髪を揺らし、深く呼吸すると、白い天井を見上げて自分は救われたのだと思った。
 本当にそう思った。段ボールを荷ほどきしたり、住所変更の手続きをしたり、数日、学校に行かなかったあいだは。
 そのまま、学校なんて私の生活から消えてしまえばよかったのだ。でも、心が解放感で清らかになって、学校への警戒心さえ流れてしまっていた。というか、何の根拠もなく新しい学校ではうまくいくと思っていた。
 新しい中学校には、転入前に母と挨拶に行った。小さな中学校で、学年ごとにクラスはふたつしかないらしい。私は一年二組だと告げられた。田舎なので、特に高齢化で子供が町から減っている。そのため、学校の生徒数も少ないらしく、「でもそのぶんアットホームなんでね」と校長先生はにっこりした。私はその言葉を信じて、ここなら大丈夫そうだと改めて安心した。
 アットホーム。確かにそうだったかもしれない。物は言いようだ。
 私は分かっていなかった。町にひとつしかない幼稚園、小学校、そして中学校に、エスカレーター式でもないのに一緒に進学してきた子たち。それはひとつの家族であるように、とても密接な関係を作っていた。そのぶん、ホーム外のよそ者に対しては──その危険性を、私はまだ知らなかった。
 転校初日、私は黒板の前で丁寧に教室に向かって挨拶したし、できる限りの笑顔だって頑張れたと思う。転校生に奇妙なムードがあるのは、前の学校を去るとき、女の子たちが泣いたことで分かっている。きっとこちらの学校でも、あの空気に押されて誰か私に話しかけてくれるはずだ。
 そわそわしていると一時間目が終わり、休み時間になった。ちゃんと答えられるかな。言い間違えたりしませんように。そんな心配をしていると、十分間の休み時間はあっという間に過ぎた。
 あれ、と顔をあげて、ふと私は、教室でひとりだけ「違う」ことに気がついた。その違和感が、微妙な被膜を作っていることも。
 二時間目が終わっても、私に近づいてくる子はいなかった。無視されているわけではないようだ。みんなのほうも違和感を感じ取っている。そして、どうしたらいいのか分からないというふうに遠巻きに私を見る。
 目が合ったら慌ててそらされるので、私から話しかける勇気も持てなかった。だいたい、こちらからみんなに言えることなんて、朝の挨拶で言ってしまった。だから、今度はそれに対してみんなが好奇心を持って尋ねてくれないと、私は誰に何を言えばいいのか分からない。
「え、えーと……み、光谷さん?」
 味わうゆとりもなかった給食のあと、昼休みになって、ようやくそんな女の子の声がかかってきた。自分の席で、つくえに伏せって寝たふりすらできずに固まっていた私は、はたと振り返る。
 天然パーマっぽい長い髪なのに、どこかおどおどした雰囲気のせいで地味な女の子が、私のかたわらに立っていた。彼女が笑うと、乱杭歯が覗いて、私はぎこちない表情になって「はい」とだけ答えた。
「あ、あの、校内を、あ、案内……させてもらって、いい、かな?」
 私はまばたきをして、確かにそれはしてもらわないと困るな、と思った。「お願いします」とうなずくと、「う、うん。じゃ、行こう」と彼女は教室のドアをしめした。
 私は席を立ち、彼女についていく。くすくすという笑い声が聞こえた気がした。けれど、ちらと振り返っても、そんなふうに嗤っている人はいっけん見当たらなかった。
 彼女は金子さんというらしい。並んで廊下を歩いていると、「お前、ドーモが感染るぞ」と揶揄ってきた男の子がいた。
 どうも? 別にそんな挨拶はされなかったけど。そう思って私は首を傾げたものの、やたらと「ドーモじゃん」「うわ、ドーモ」と言われている金子さんが、どうやらこの学校で“生け贄”の立場にあることは察した。
 それでも、一生懸命に話しかけてくれるから、私も緊張しつつ金子さんの質問に答えた。前に通っていた学校のこと。おろしたばかりのここの制服のこと。質問されることにただ答えていた。頭が素早くまわっていなくても、おかしなことも悪いことも言わなかったと思う。
 なのに、広くない校内をまわって教室に戻ると、金子さんはすっと私を離れて、教室にいた女子グループに私の返答を報告しはじめた。ときどき笑い声が聞こえて、私は急に冷たい手に心臓をつかまれたように、ひやりと不安を覚えた。
 あとで分かってくることだけど、金子さんは吃音があって、「どもる」から「ドーモ」と呼ばれているらしい。察知の通り、やはりみんなにいじめられていた。そして、私の情報を流して、いじめっこのグループの仲間になろうとしていたみたいだった。
 ちなみに、こちらのほうが田舎町のせいか、勉強の進みが遅かった。前の学校でどこまで進んでいたか訊いてきた数学の先生は、「みんな分からないことは光谷に訊くといいぞ」とかとんでもないことを言った。
 学校の勉強は進んでいても、私はそれに追いつけていなかった生徒だ。その先生は何を調子に乗っているのか、授業中に問題を答える挙手がないと、集中的に私を当てて「光谷なら分かるよな?」と黒板に呼んだ。
 しかし、当然ながら私はまったく分からない。いくら当てられても、決まって答えられない。脳が張りつめて吐き気がして、「分かりません」の声さえ出なかった。
「あいつ、頭悪いんじゃねえの」
 そんなささやきは一気にクラスに伝染した。あっという間に、私は頭の悪い無口な子だとうわさを立てられた。
 ちなみに、金子さんは私の情報を使ってもいじめっこグループに昇格はできなかった。それでも、いちいち私に話しかけてきて、それを女の子たちに報告することはやめなかった。教室で失笑が聞こえてくると、私はびくりとすくみそうになった。
 教室になじめることがないまま、長く厳しい冬に入った。二学期が終わる直前、その日も私は心の中にもやもやしたものを抱えながら帰宅した。
 空は灰色で、すぐにでもあたりは暗くなりそうだ。収穫まで豊かだった田園は、今は耕耘されて土が剥き出しだった。周りに何もないぶん、吹き抜ける風音がすごい。
 家に入る前にポストを覗いた。新聞の下に藍色の封筒がある。手紙かな、と手に取ってみると、私宛てだった。誰だろう、と裏返して差出人を確認し、目を開く。
『山田静司』
 静……くん? え、何で。ここの住所は教えずに引っ越したのに。
 とっさに、私を見つめていた静くんの目がよみがえる。じわりと気分が悪くなった。何だろう、いまさら。何も言わずに引っ越したんだから、いい加減つきまとうなって意味だって察してよ。
 びゅうっと寒風が長い髪と紺のスカートを巻き上げ、刺すような冷えこみで我に返る。気味が悪いと思いつつ、一応、静くんの手紙はポケットに入れた。インクのにおいが濃い新聞も腕に抱え、暖房と石油ストーブで暖まった家に入る。
 今夜の夕食が決まらないのか、母はキッチンにまだ立たず、リビングのソファでレシピ本を見ていた。「ただいま」と声をかけ���と、こちらに顔を向けた母は「おかえり」と返す。
 私は新聞を座卓に置き、「美夜は?」とリビングだけでなく見渡せるダイニングにも目を向ける。
「友達の家に遊びに行ったわよ」
 友達。……そっか。そうだよね。できるよね、友達。
 母は私のそんな内心を読んだのかどうか、本を膝に置いた。
「希夜は友達できたの?」
「え……、あ、話す……人は、いるよ」
 その人は、私の発言を全部、クラスを牛耳るグループに報告しているけど。
「そうなの。いつでもここに連れてきなさいね」
 気まずくて黙ってうなずき、「宿題しなきゃ」とその場を離れた。冷たい爪先で階段をのぼり、自分の部屋に入ると、ほっとしたぶんだけ憂鬱が押し寄せる。
 何なの。母も分かっているくせに。どうせ私に友達なんかいない。なのに、何で美夜と較べるみたいに訊いてくるの。
 ため息をついて、板張りのドアにもたれる。寒いな、と思ってもストーブまでの数歩さえだるい。
 そういえば、とポケットに手を突っ込んで、くしゃっと触れた手紙を取り出した。ぼんやりした目つきで、不器用な文字による自分の名前を見つめる。
 捨てようかな。あるいは、ポストに返そうか。そうも思ったものの、小さく息をついて封を切った。淡い水色にグレーの罫線が引かれただけのシンプルな便箋に、あんまり綺麗じゃない字が並んでいる。
『希夜ちゃんへ
 いきなり手紙なんて書いてごめんなさい。
 住所は野中さんにききました。
 僕にも教えてほしかったけど、急な転校だったみたいなので、仕方ないですね。
 そっちでは元気に過ごしていますか?
 希夜ちゃんが、今までみたいな思いをしてないといいなと思います。
 僕は相変わらずですが、大丈夫です。
 希夜ちゃんに言われた通り、何をされても強くなりたい。
 でも、希夜ちゃんがそばにいないのは、我慢できないくらい寂しいです。
 もしこっちに来ることがあったら教えてください。
 会いたいです。
 静司』
 私は眉をゆがめると、便箋をたたんで封筒にしまった。
 何だろう。何でそう思うのか分からないけど、喉の奥に水疱ができたような不愉快がせりあげてきた。
 何というか、……気持ち悪い。野中さんも、ただで静くんに住所を教えたわけではないだろう。そこまでして、私の住所を調べて、手紙なんて──気持ち悪い。
 手紙は、ゴミ箱にこそやらなかったものの、本棚の使っていない引き出しに投げこんだ。返事を書く気はなかった。また手紙は来るかもしれない。だが私が無視していれば、いくら静くんでも、いつかあきらめて一方的な手紙なんてやめるはずだ。普通に考えて、気が引けてくるだろう。私が好きなら、迷惑はかけないでほしい。
 ようやくストーブをつけて、冷え切っている部屋を暖めた。制服のままでストーブの前に座り、熱で赤く灯る光を見つめる。冷たくこわばる頬が、その光に染まって溶けていく。
 私は教室で、みんな──金子さん以外には、遠くから眺められているだけだ。何をされているというわけではない。確かに友達はいない。しかしべつだんいじめもない。なのに、こんなにも胸がもやもやして、学校に行くことが息苦しい。
 同じ種類のものを感じるのだ。教室にいると、前の学校でけして溶けこめなかった自分ばかり思い出す。深い深い水中で、一滴の油になってしまったみたいだ。
 石を投げつけられないか、教科書を破られていないか、そんな心配ばかりしてしまう。誰も私に近づいたりしない。こんなの自意識過剰だ。はちきれそうな不安を、そう思って抑えようとしても、カマイタチのような鉤爪が腫瘍をつぶし、恐怖が膿のようにどろりとあふれる。
 まもなく、冬休みになった。雪が降り積もる中で年を越し、三学期が始まった。相変わらずだった。私は勉強ができなくて、そのことを男子はバカにして嗤い、金子さんは私にあれこれ訊いて、報告された女子グループはくすくすと嗤う。
 そんな毎日に、私はまた、朝起きてふとんから出るという習慣がつらくなっていった。母が再びいらいらしはじめているのは分かったけど、朝の通学路をとぼとぼ歩いていると、心が締めつけられてルルの軆が強直するのも感じるのだ。
 こんなのダメ。私の心に棲むこの子を怖がらせてはいけない。この子が「つらい」と感じたら、私の精神はまた暗く冷たく沈んでいく。
 二年生になったら、クラス替えがある。そうしたら、何か変わるのかな。でも、それって状況が好転するの? あるいは悪化するの? この学校の人はみんな家族だ。そして私はよそ者だ。それは揺るぎなく、変わることはない。
 この狭い中学校において、私は招かれざる客なのだ。きっと二年生になったって一緒だ。身内で和気あいあいとしていたい一家は、居座る私に白い目を向け、とっとと去って消えろと訴えてくるに違いない。
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hachikenyakaiwai · 3 months
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【かいわいの時】明治三十七年(1904)7月7日:市電に二階付き電車登場、営業許可(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
大阪市電が開業して3月後の明治36年の暮れ近くに完成納入された二階付電車5号車は、余りに珍しい構造であったため、なかなか使用許可が得られず、翌年明治37年7月にようやく営業に出すことができたと伝えられています(略)二階付電車が走ったのは、わずか7年あまりで、明治44年11月には四国愛媛県の松山電気鉄道(後に伊予鉄道に合併)に売却されました。大阪市電の看板電車��なぜこんなにはやく見切りをつけられたかのかは謎につつまれています(『保存車両ガイドブック(緑木編)』2010より)。
同書では、「一時は夜間に投光器をつけて夜景を楽しんでもらうサービスをしたところ、風紀上よろしくないと警察方面からクレームがついた」というエピソードも披露されています。また、産経WEST「絵ハガキ時空散歩」では、「こののっぽの電車は明治37(1904)年に導入され、乗客には眺望の良さで好評だったという。ところが、この眺めの良さが仇となった。沿線住民から「家の中をのぞかれる」という苦情が出たため、短期間で廃止」とあります。調べてみると、電気車研究会『鉄道ピクトリアル 478』(1987)の「高松吉太郎 カメラと機関車を胸に抱いて(4)」が初出だと思われます[註]。『大阪市電-路面電車66年の記録』(1980)には言及がありません。
全車両売却されたのは事実ですが、それはヘルブランド台車を採用した初期10両(うち3両が2階付)すべてであって、2階付電車に限ってのことではなかったようです。この台車は、貿易商がドイツから輸入し京浜電気鉄道に預けてあったものの内、10台を大阪市が譲り受けたもので、第5回内国勧業博覧会の開催に間に合わせようと、最も早く手に入る台車を選んだことが採用理由であったと伝わっています。大阪市電としての活躍期間は短く、明治44年(1911)から大正3年(1914)にかけて全車両が売却されています。
明治44年には、乗客の急増に対応するため、台車2基を備えたボギー車*75両の導入を決めており、どうやら、輸送力増強のためのモデルチェンジが売却理由だったようです。しかし、売却車両と同型の単車(台車1基)30両も新たに導入されており、また、件のヘルブランド台車がその後20年以上も使用され続けたことを考えると、わずか7年で御役御免とはいかにも早すぎます。新車両の選定に絡んだ大人の「諸事情」があったのかも知れません。 *ボギー台車を装備した車両をボギー車と呼ぶ。ボギー台車とは、車体に対して水平方向に回転可能な装置をもつ台車の総称である(ウィキペディア)。
[註]大阪市電が創業時の築港線に2階建電車を走らせたことは有名な話である。市の中心部に路線を延長する段階でこのダブルデッカーの増備はとりやめとなった。まちなかではこの2階から市民の生活がまる見えになるという、今でいえばプライバシーの侵害といった苦情が原因らしい。「高松吉太郎 カメラと機関車を胸に抱いて(4)」『鉄道ピクトリアル 478』1987より。
(写真)「(大阪名勝)築港の電車」1906_12
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