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#スペイン:主菜
vegehana-food · 11 months
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✿ トルティージャ | Tortilla ・スペインの代表的な家庭料理の一つ。炒めた具材を溶き卵に加え、フライパンで丸く平らに焼いた卵料理で、用いられる具材はじゃがいもや玉ねぎ、ハム、ベーコンなど家庭によってさまざまなものがあります。 ・エストレマドゥーラ州バダホス県にある基礎自治体、ビジャヌエバ・デ・ラ・セレーナ発祥とされており、一説には18世紀頃この町出身のジョセフ・デ・テナ・ゴドイ氏 (Joseph de Tena Godoy)とロブレド侯爵 (Marqués de Robledo)らによって飢饉から人々を救うために考案されたと考えられています。(諸説あり)
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myonbl · 8 months
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2024年1月30日(火)
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昨年11月に<Makuake>で支援したプロジェクト、<PLAUD NOTE ChatGPT連携AIボイスレコーダー>が届いた。薄くてとてもコンパクト、試しに文庫本1ページを朗読して起こしてみると、いやぁなかなかの精度である。会議録やインタビューの記録、エクスポートして編集すればあっという間にテキストの完成、カセットレコーダーを止めたり巻き戻したりしてテープ起こしをしていた頃の苦労が夢のようだ。少々お金ははったけど、これ、使えるね!
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5時起床。
夜中に体調が回復したので、咳はまだ少し出るがもう心配ない。
日誌書く。
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朝食。
洗濯。
可燃ゴミ、20L*1&30L*2。
ヤクルトさんから野菜ジュース購入。
ツレアイは8時30分に自転車で出勤する。
<PLAUD NOTE>を早速試用、
1)生産性爆上がり「録音 ➤ 文字起こし ➤ 要約作成」が即時に完了 2)ワンタッチするだけで、通話も対面会議もクリアに録音し、57カ国語対応の高精度文字起こし 3)ChatGPT連携で、文字起こしデータを議事録や講義ノートなど選べる5つの形式に即時に要約可能
いやぁ、凄いとしか言いようがない。
ちなみに、私の場合は<早割26%OFF>で24,500円、決して高いとは思わない。
11時を待って<ポワロ>を録画、テレビではカーリングを楽しむ。
ツレアイは昼前に帰宅、ランチは全員<日清冷凍お好み焼き>、30%引きでまとめ買いしたがこれが実に美味いのだ。
<胃がん検診>の回覧用紙を、町内(5組)の組長宅に届ける。
ツレアイはあちこち買物に走る。
私は月1の歯医者、西村歯科の予約は16時15分、10分前に入るとすぐに呼ばれる。年末から左下の歯茎が腫れていたのだが、ドクターの判断は大分マシになっているのでもう少し様子を見ようとのこと。いつもの通り、丁寧にクリーニングしていただく。
途中でツレアイか連絡、同居猫・ココをクリニックへ、貧血対応の注射をしてもらい、体重は3kmで少し回復したとのこと。便が溜まっているので、下剤を処方していただく。
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早い時間にみなで夕食、今夜は奥川ファームの野菜をフィーチャーした寄せ鍋、ワインはスペインのオーガニック。
録画番組視聴、ポワロから・・・
第2話「100万ドル債券盗難事件」/ The Million Dollar Bond Robberyシーズン 3, エピソード 2 次回放送日: 2024/03/10(日)17:00〜 ロンドン・スコテッシュ銀行がアメリカでの事業拡大のため、債券100万ドルをアメリカへと輸送することに。だが、これを運ぶ役��のショーが不審な車にはねられた。心配した重役はポワロに調査を依頼。ショーは単なる事故と主張するが、再び命を狙われる。
片付け済ませて三日ぶりの風呂へ、気持ちいいー!
体重は、3日前から750g減。血圧もそこそこ。
明日は久しぶりの出勤、早めに寝ることにしよう。
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さすがに歯科受診すると、勝手に歩数が伸びてくれる。
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ari0921 · 2 years
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我が国の未来を見通す(49)
「気候変動・エネルギー問題」(14)
地球温暖化は人為的CO2が原因か(その2)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
 早朝のサッカーワールドカップのスペイン戦によ
る寝不足を自覚できないほど、興奮冷めやらぬまま
に原稿の最終チェックを行なっています。
それにしましても、中国の「ゼロコロナ政策」への
抗議行動には驚きました。習近平国家主席が第3期
目に入った頃から、中国国民の間にはかなりの不満
が鬱積し、いつ爆発してもおかしくない状態にある
ようなことが様々なチャンネルで報じられていまし
た。一方、中国国民は、「天安門事件」のように、
政府(共産党)が武力手段に訴えても反政府活動の
制圧を強行することを知っているので、簡単には表
面化しないだろうとほとんどのアナリストが予測し
ていたと思います。
それが、よりにもよって、発祥国でもあるコロナの
問題で、その上、「人権問題」で国際社会から注目
を浴びている新疆ウイグル自治区ウルムチ市の住宅
火災が発端となって、中国政府が取り続けている「
ゼロコロナ政策」に真っ向から反対する抗議行動が
発生し、それも中国全土に留まらず、ロンドン、パ
リ、シドニー、東京など海外にまで拡大しました。
抗議行動の発端として、サッカーワールドカップの
マスクなし観戦映像も一役買っているとの報道もあ
りましたが、私は、このたびの抗議行動から、ソ連
邦崩壊の引き金となった「グラスノスチ」(情報公
開、国民の知る権利の保障)を思い出しました。そ
れを裏付けるように、抗議行動は、共産党政権誕生
以来たぶん初めてと思われる「独裁不要」「習近平
退陣」まで訴える反政治活動に拡大し、一部は暴徒
化するなど、中国にとっては「歴史的異常事態」と
もいうべき事態に発展しました。インターネットや
SNSの発達から、国民の情報収集手段は、ソ連邦
崩壊時期と比較にならないのは明らかです。
1989年に発生した「天安門事件」は、100万
人を超える参加者があったといわれますが、北京の
天安門広場のみで発生した事件でした。それに比べ、
今回は50カ所を超える主要都市で抗議行動が起
きていることから、この沈静化は容易なことではな
いでしょう。
さっそく、抗議行動の未然防止のため多くの警察官
が動員されるなど、沈静化に躍起のようです。その
後、報道規制もあって詳細を知ることは難しくなっ
ていますが、このメルマガが発刊される12月6日
時点でさえ事態がどのようになっているか予測不可
能です。
現時点では、中国政府が今回の抗議行動をきっかけ
にこれまでの「ゼロコロナ政策」を緩和する可能性
は低いと考えますので、この方針が変わらない限り、
一旦、抗議行動が沈静化しているように見えても、
再度発生する可能性は残るでしょう。
他方、「ゼロコロナ政策」を変更するようなことが
あれば、共産党政権の威信は失墜し、その影響もま
た計り知れないものがあります。その解決が長引く
ようなことになれば、国内の経済活動の沈滞が長期
化して中国の景気全体が停滞、最悪の場合、世界的
な景気後退の懸念にも波及する可能性があるでしょ
う。
さらに、人類の歴史上で何度も繰り返されてきたよ
うに、国民の不満をそらすための行動、具体的には
台湾への武力侵攻などの“引き金”になることもあ
り得ると予測する必要があるでしょう。
 前回取り上げました「歴史の分岐点」時には、様
々な形で事件や事案が発生しています。その時点で
は気がつかなくとも、後で振り返った時に、「あの
事件が分岐点だった」などと検証される場合もあり
ます。ウクライナ戦争も含めて、私たちは今、「歴
史の分岐点の真っただ中」にいると考えるのが妥当
なのかも知れません。
 ワールドカップにおいては、日本は、ヨーロッパ
の強豪ドイツとスペインをみごとに撃破し、ブロッ
ク1位で決勝トーナメントに進むという“奇跡”が
起きました。人類の歴史も振り返れば「奇跡の連続」
です。中国国民の「真意」を垣間見たようなこの
たびの抗議行動は、中国政府の心胆を寒からしめる
効果があったことは否定できないでしょう。これが
将来の「奇跡」につながっていくかどうかは不明で
すが、中国政府がむやみに権威主義を振り回すこと
にはブレーキがかかるのではないでしょうか。
▼CO2の効用
「地球温暖化」とCO2の関係を取りまとめる前に、
地球上のCO2の効用にについてまとめておきま
しょう。まず、CO2濃度の増加が穀物、野菜、果
物などの生育に与える影響です。実際に、ハウス内
でCO2濃度を自然界濃度の約400ppmから1
000~1500ppmに変化させ、穀物などの収
量の変化をチェックした栽培実験の結果、濃度を3
00ppm高めると、おおよそ3割以上の収量増加
があったというデータがあります。
代表的なデータとしては、小麦1.35倍、大麦
1.35倍、水稲1.36倍、ジャガイモ1.31倍、
大豆1.46倍、トマト1.36倍、サトウキビ
1.34倍、リンゴ1.45倍、オレンジ1.55
倍などです。草木類のほか、樹木、水中の植物プラ
ンクトン、藻類も大気のCO2濃度が高いほど生育
が良いことが分かっています。
すでに説明しましたように、植物は、CO2濃度が
高いほど気孔の総面積を減らし、体から出ていく水
分の量を減らすため、乾燥によく耐えるようになっ
て、砂漠化した場所で生育します。荒地に進出した
植物が根を張れば、土の浸食がすすみにくいという
効果もあり、過去60年間にそのような現象が世界
各地で確認されているとのことです。
また、高いCO2のもとで育てた植物は、塩分の多
い土や養分の少ない土でも生育し、高湿や日照不足
にも強く、低温や酸化ストレスにもよく耐えて、昆
虫の食害も受けにくいとのデータもあります。つま
り、CO2濃度を上げると、栽培条件が良好な時よ
りも厳しい環境のほうが生育量の増加率が高いこと
も実証されています。
さらに、温度が高いほど生育率効果が高いこともわ
かっています。低温の10℃だと生育効果があまり
わからないが、38℃では生育量がほぼ2倍になる
という実証結果もあるようです。私たちは、地球温
暖化が進むと、植物の生育地が寒いほう(北半球な
ら高緯度)に動くというコンピューター予想地図を
よく目にする機会がありますが、高温で育ちやすく
なるなら生産地を引っ越す必要はなくなります。
これらを実証するように、国連食糧農業機関は、こ
こ10年以上の農産物の生産量は、人口増に伴う消
費量が増え続ける以上に増え続け、その結果、備蓄
量も増え続けていると発表しています。
その一例として、インドにおいては、1951年か
ら2014年の60年余りで、総人口が約3.8億
人から12.5億人へ約3.8倍になった一方で、
穀物生産量は5倍に増えているといわれます。収穫
増の要因は農耕技術や肥料・農薬の進歩が大きいと
いわれていますが、少しずつ上がる気温やCO2濃
度の増加と相関関係があると考えるのが妥当でしょ
う。
なぜか「地球温暖化論者」たちはこのような事実を
取り上げないのですが、次のようなニュースにも触
れようとしません。1970年代からの衛星観測結
果について数多い論文を要約しますと、1982年
~2012年の33年間の間に、(1)地球全体の植物
の量は10%増加している、(2)植生がある場所の2
5~50%は緑が増えている(減っているのは4%
だけ)、特に、サハラ砂漠の南部流域、シベリア、
アマゾン流域などの緑化が著しい、(3)緑が増えた場
所の総面積は、米国本土の2倍を超える1800万
平方キロメートル、(4)緑を増やした要因のうち、大
気に増えるCO2がほぼ7割と推定される、などで
す。
“悪の根源”のようにいわれる、主に化石燃料によ
って排出されるCO2ですが、その効果は計り知れ
ないものがあるという「事実」について、私たちは
どのように判断すればよいのでしょうか。
繰り返しますが、確かに大気中のCO2は近年増加
傾向にあることは事実です。そのデータを子細にみ
ると、人為的CO2が増加したとされる産業革命、
つまり1870年頃の約100年も前から大気中の
CO2濃度は増え始めています。この間のCO2増
加の要因が人為的と証明するのはあまりに難しいこ
とから、大気中のCO2増加の原因を一概に人為的、
つまり「人間の活動によるCO2排出が原因」と
は言えない事実がどうしても残るのです。
これらから、現在までのところ、「何が大気中のC
O2を増やしているのかさえも分かったと言える段
階ではない」ということが精一杯なのではないでし
ょうか。
▼地球温暖化の原因は本当に人為的CO2排出にあ
るのか
 さて、本シリーズは最大の命題をまとめるところ
まで到達しました。所々に言及してきましたが、整
理しておきましょう。
まず第1に、本当に地球は温暖化しているのか、に
ついてです。私たちが目にする地球の気温の推移は
「都市化」を加味して「加工」されたものであり、
平均気温の上昇が事実かどうかについては、今なお
疑問が残ります。
 第2に、地球の気温変化に及ぼす要因はたくさん
あります。温室効果ガスに加え、太陽の黒点活動、
火山活動、それに地球の営みというべき自然変動な
どです。地球の歴史からみた現時点は、小氷河期(
1350年~1850年)からの「回復途上」にあ
り、自然現象として気温がゆっくり上昇していく時
期とみられています。気温が上がれば、海水に溶け
ていたCO2が大気中に蒸発するので、CO2増加
の何割かはその効果も効いてくると考える必要があ
るでしょう。
 第3に、温室効果ガスのうち、CO2のみが悪玉
のようにいわれていますが、これもすでに紹介しま
したように、「地球温暖化係数」(CO2を基準に、
他の温室効果ガスがどれだけ温暖化する能力があ
るか表した数字)を比較すると、メタンが25倍、
一酸化窒素が310倍、フロン類は数千~1万倍温
暖化する能力があるといわれます。
CO2自体は寿命が長いので、100年単位でみれ
ばその温室効果は計り知れないものがあることは事
実ですが、これらの微量ガスを合わせると、温室効
果は約半分前後(資料によって少���割合が違ってき
ます)あることは事実ですので、その削減にももっ
と力を入れる必要があるでしょう。
総じて、もし本当に地球の平均気温が上昇している
とすれば、現時点の気温上昇の要因は、「自然現象」
「データ加工」「(人為的)CO2+その他のガス」
の“合わせ技”と考えるのが最も妥当と判断される
のではないでしょうか。しかも、「それぞれの割合
については現時点ではわかっていない」と考えるべ
きレベルにあるのが正しいようです。逆に、(たぶ
ん受け入れらないのでしょうが)「地球は寒冷化し
ている」との説も依然として存在しています。
加えて前述したように、大気中に(ある程度濃度の
高い)CO2の存在の効用を考えれば、「脱炭素」
政策のもと、躍起になって人為的CO2排出を抑制
するのが正しい選択肢なのか、その効果がどのぐら
いあるのか、については「依然として不明」と言わ
ざるを得ないでしょう。それらの細部については次
回取り上げましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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gyohkou · 2 years
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26/12/22
日記、人に見せるものという意識があるために、あまり重たくならない様に調整してしまうが、それでは嘘になってしまう。わたしの人生における出会いも気づきも抑うつもまた、全て等しくこの身に起こっていることであり、どれも誇張されたり退けられたりするべきではない。しかし、やはりこれは他者が読むものであるため、生々しい言葉を使うべきでもない。色んなべきではないを抑えて折り合いが付くように言葉を選んでいくのは、自分に正直であり続けるためだな。
スペイン旅行の3日目にバルセロナで高熱を出し、5日間は調子が戻らずほぼ寝たきりだった。バルセロナではピカソ美術館とカタルーニャ美術館へ行ったきりで、海辺のホテルで療養していたにすぎない。熱を出した翌々日に宿の関係でマドリードへ移動せねばならず、熱で二倍になった重力の元、特急の始発駅へ向かっていた。運が悪いことに地下鉄で貧血を起こし、降りた駅のベンチで横になっていたら、心優しく声を掛けてくれたスペイン人が水を買ってバナナを分け与えてくれ、本当に助かった。マドリードの宿へ到着してからも、一日に二度、外食のために身体を起こすのが精一杯で、ただずっと具合が悪かった。せっかくのスペインだったのだが、ベッドでM-1決勝戦ネタを観たりしていた。イギリスに帰って、餅、つこうぜ。
どうしてもうどんが食べたくなる。Googleマップでうどんと検索し、ちゃんと日本人が作っていそうなおうどんの写真が出てきたので、今夜はここへ行こうと星マークをつけようとしたら、店名が「donzoko」だった。どん底スペイン旅行。お店へ行くと、おそらく同年代の日本人の男の子が接客をしてくれ、スペインでワーホリをしているとのことだった。スペインワーホリは4年前くらいにできたらしい。英語圏の次は別の言語の国へ行ってもいいね。海外にはトリリンガルの人とか結構いるし、フランス語なんか喋れたら素敵だな。肝心のおうどんは、おつゆが甘じょっぱすぎた。かなりまともな日本料理屋だったけど、味はなんだか惜しい。お出汁にこだわる家で育ったから、もしわたしが日本料理屋で働いたらお出汁にめちゃくちゃ口出ししちゃうかもしれない。オーダーではなく出汁をとらせろ。ちなみにどん底の由来を彼は知らないとのことだった。
具合が悪いとしか言いようがない。これがコロナなんだとしたら、全く脈絡のない刺激で悲しくなってしまうのも症状のひとつなのかもしれない。着ているフリースの毛流れがあまりにふわふわと立体的で、悲しくてたまらない。ひとしきり悲しんで眠りに落ちると、フリースを着て眠っていたはずなのに脱いでいて、足元のベッド枠に掛けられている。睡眠時遊行症もコロナの一症状なのかもしれない。
マドリード3日目。ずいぶん長く歩けるようになるまで回復する。病み上がりにはいつも辛いものが食べたくなるが、今回も例に漏れず、口コミのよい韓国料理屋を探して向かう。店内はいっぱいだからテイクアウトなら、とのことでスンドゥブチゲを注文。女将さんがスペイン語と韓国語と英語をない混ぜにして喋るので全然わからなかった。英語圏ではない国へ旅行する場合、必ずしも英語が通じるとは限らず、メニューが現地言語表記のみだったりすると本当に詰んでしまう。ヨーロッパ言語は英語に似ているみたいな話をしたけど、音が似ているわけではなく、全くスペイン語がわからない英語学習者にとってのスペイン語はもちろんどうぶつ語である。20分後にできるからとのことで、外へ出てベンチに腰掛けスンドゥブを待つ。マドリードは至るところにベンチがあってよい。バルセロナは暖かくて春の匂いがする午後さえあったが、マドリードは少し肩が縮こまる。それでも、ふくらはぎが出るワンピースを中に着て20分間ベンチに腰掛けることはできるような温度感だ。店へ戻ってスンドゥブを受け取る時、女将さんがにっこりしながらポンポンと肩を叩いてくれたが、韓国語を喋っていたのでどういう意味だったのかわからない。ゆっくり食べられそうなベンチを探しながらしばらく歩いていると、○○町第一児童公園 みたいな名前が付いていそうな、寂れつつ小綺麗な公園があったので、そこでスンドゥブを広げることにする。付け合わせで、火を通した茄子を塩辛い餡のようなもので絡めたおかず、じゃがいもとにんじんを千切りにして塩で味づけした炒めもの、がびっくりするほど美味しかった。塩気の効き具合と火の通し加減が絶妙で、こういうのを家庭料理のおいしさというのかな。スンドゥブは辛さが足りずもどかしかったので、辛さを求めて、夜にまた別の韓国料理屋へ行く。両側をスペイン風のアパートで挟まれた、狭くて歪んだ石造りの坂道を少し登ったところにある、地下に店を構える韓国料理屋で、地上から階段で半分下がったところに入り口があり、お辞儀をするような格好でドアを押す。ここではビールを解禁してサムギョプサルをしたのだが、にんにくが付いていなくてふざけているのかと思ってしまった。シメにいただいたユッケジャンは微妙な見た目して味は一品だった。熱くて舌が焼けそうなほど辛い。そういえばどちらの韓国料理屋でも、日本人だと告げると(韓国人ではないため)ちょっと残念そうな顔をされつつもなんだかんだ良くしてくれて、アジア人というアイデンティティが芽生えつつある。満足して帰路につき、ゆっくりシャワーを浴びて早く寝ようと思っていたのだが、なぜか宿のバー巡りイベントに参加することになり、お酒を解禁してグラスビールを許した段階なのにショットを5杯飲む夜になってしまった。塩とライムで飲むテキーラっておいしいんだね。同じ宿に泊まっている人たちと英語で喋るよい機会だったけど、ナイトクラブの雰囲気がめちゃくちゃ苦手だったのでそそくさと抜け出して帰った。
丸一日自由に使える日を二日間残して体調が戻る。マドリード4日目。普段の調子も戻ってきて、スペインでようやく息ができた朝だった。宿の近くに、スペシャリティコーヒーと看板を掲げるカフェが連なるスペシャリティコーヒー通りがあり、どれもわたしが知っているそれとは雰囲気がかなり違ったので、広義のスペシャリティコーヒー、と思った。スペシャリティコーヒー通りのカフェのひとつがBrunchをやっていて惹かれたのでふらりと入る。(おそらくスペシャリティ)コーヒー、足のついたグラスに注がれた生のオレンジジュース、アボカドと生ハム(たっぷり!)とトマトソースのバケットトースト、クロワッサン、グラノーラと果物のヨーグルトで完璧なブランチ。ヨーロッパでは基本的にどんな食事にもナイフとフォークが添えられているが、バケットトーストをナイフで切ってフォークで口に運ぶのも優雅でよかった。オーダーを取ってくれた店員が、日本好きだよ、In the Mood for Loveが好きなんだ、と話すのに対し、背中合わせの客が、それは韓国映画だね、と割り込む。どうやらウォンカーウァイの花様年華のことを話しているらしかった。お会計の時、あなたは主人公によく似ているから観てみてと、伝票の裏にIn the Mood for Loveと書き込んでくれ、なんだか映画のワンシーンみたいだった。カフェを出てプラド美術館へ向かう。スペインといえばプラド美術館と思っていて、それはそれは様々な西洋画が見られるのだろうと期待していたのだが、展示内容にはかなり偏りがあった。Wikipediaによると、プラド美術館は歴代スペイン王家のコレクションが大半で、歴代王の趣味やスペイン史を反映しているためにルネサンス、バロック絵画に偏っているとのことだった。確かに、モネとかゴッホとかは全くなく、宗教画ばかりだった。じっくり館内を見て回っていると、ぐっと引き込まれてしまう絵がいくつかあった。なぜだろう。おっきくて本物だから?光って見える絵とかもあった。宗教画はものすごく精巧な絵画で、一言でいうと、絵がめちゃくちゃうまい。そしてどの絵にもドラマ、ストーリーがあって、人が血を流して死んでたり泣いてたり呆然としてたりなど、どうしたんだろうとシリアスになって絵に近づいていってしまう。Antonio Munoz Degrain の The Lovers of Teruel と、Juan Luna の Cleopatraが特に美しかった。ところで翌日も酔い続けているタイプの二日酔いで訪れる美術館てなんて心地いいんだろう。身体に一定の負荷がかかっているために、余計な言葉や思いだしたくない悩みが引っ込み、視覚から絵を楽しめる。あとこの日はコンタクトレンズをしていて、眼鏡とは見え方が異なる気がした。コンタクトレンズの方が、より鮮明に立体的に見える、ために絵が飛び込んでくる。一通り見終えて、ソフィア王妃芸術センターへ本物のゲルニカを見に行くため、マックで腹ごしらえをする。小腹が空いていて時間も微妙な時にちゃくっと行くマックは楽しくて美味しくて好き。閉館まで時間がなくて、駆け足で回っても全ての展示室へは行けず、近代的なおもしろい展示もやっていたから勿体なかった。この夜も韓国料理を食べる。
マドリード5日目。マドリードはよい街。まずスーパーがいい。並んでいる野菜や果物はぱつっと新鮮だし、鮮魚コーナーはでっかい魚が氷に埋まっていて、精肉コーナーには生ハムの原木がぶらさがっている。何より床が綺麗で店が明るい。(ロンドンのスーパーはなんか散らかってる。)ティッセン=ボルネミッサ美術館へ行く。ここはプラド美術館とは異なり、かなり満遍なくコレクションされていて、おすすめルートで回ると西洋美術史の流れに沿って作品を鑑賞できるようになっていてかなりよかった。Edward HopperのHotel Roomを長い間眺めていた。とても好きだったので���絵がプリントされたクリーニングクロスをお土産に購入した。さすがに二日酔いは治っていたと思うけど、心地よさは継続していて、夏を想起させる様な色彩鮮やかな厚塗りの抽象画を見ていると、幸福な気持ちでいっぱいになった。美術館行って幸福な気持ちになって出てくるって体験として最高だなあ。
美術館へ行ってばかりの旅だったけど、美術館でわたしは何をしているんだろうとふと。多分、作品を見てるだけじゃないんだよな。建築設計の妙でもたらされる幸福感とか、絵を眺める人を眺める時、すれ違う人の放った言葉が耳に入ってくる瞬間、あんま面白くない作品が続くゾーン、はっとして吸い寄せられてしまう絵、の合間合間でメモアプリに書き留められる断片的な自己理解や新しい思いつき、の全て。チケットの列に並んでから夕暮れ時に出口をくぐるまでに起こる全ての体験。そういう娯楽。
旅をしていると、こうすればこうなるだろう、からこうする、みたいに、今の不安を未来の自分に解消させるべく、筋道立てて人生設計して未来を計算しながら生きるのをどんどんやめていくことが今を幸せに生きる方法のような気がしてくる。そのような設計はどうしても垂直な要素を含むが、わたしは人生をどこまでも広い平面として生きていきたい。設計が必要になったとしても、資本主義的垂直ではなく平面的な心持ちで努力をする。垂直に生きないと何かがダメになるというのは資本主義社会の幻想であって、平面的に生きても、何かが減ったりツケが増えたりするわけではおそらくない。やりたいこと、知りたいこと、行きたいところを正しく把握するために、自分の心の機微に敏感になっておくこと。今嬉しいのかつまんないのかをわかるようにしておくこと。その上でやる力、やり通す体力と精神力を備えておくこと。この辺りが大切なんだろうなと思う。
クリスマス当日は快晴。ロンドンへ戻る。滞在中に何度か行った宿の近くのカフェへ朝ご飯を食べに行った。おおきな(本当におおきな)チョコレートケーキを食べながら、これクリスマスケーキだ、と思う。大型犬を連れた客が入店してきて、ヨーロッパの犬寛容社会、と思う。フライトの時間が迫っていたので、バタバタとチェックアウトして駅へ向かうと、広場で露店マーケットが開かれていた。15分だけ、と急足で露天を見て回り、変な蟹のピアスを3€で購入した。うれしい買い物。ピアスだけはいくつ所持してもよいことになっている。空港で手荷物、予約時の規定では8キロ制限だったのに、チェックイン時に計って9キロで、超過してるか聞いたら問題ないとのことで首を傾げていたら、搭乗時に10キロまでと書かれた表示を見つけ、何がどうなってんねん。手荷物検査すぐ終わって余裕だと思っていたら出国審査に並んだ。出国審査はある空港とない空港��あるけど、どうなってんねん。昼下がりのエア��ーロッパ。搭乗した機内には柔らかく日が差し込み、滑走路の離陸ポイントへ移動する間、角度を変えて入り込んでくる日が窓際、手元、手荷物棚とあちこちにひだまりを作る。空調が機能していないのかよく暖まり、うとうと眠りに落ちてしまう機内は、まるで水泳の後の授業か、あるいは放課後のようだった。到着先のガドウィック空港のストライキを心配していたが問題なく入国でき、ロンドン市内まで帰ってきたが、鉄道とバスのストライキは全く予想しておらず、家に帰る手段がタクシー以外に何一つなかった。距離を調べたら徒歩3時間だったので余裕じゃん!と心が軽くなり、旅行前は氷点下だったがこの夜は10度近くあったため、歩いて帰ることを決めた。
一人旅、向いていないかもしれないけど、好きでいたい。旅行中に、そういえば母親にスペイン旅行のこと連絡していなかったなと思ってラインしたら、ひとり旅!? あなたは勇気あるねえと返事がきた。誰かがいないとできないとか、ひとりだと寂しいとかいう次元とは別のところにいたくて、旅に限らず、お酒を飲みに行ったり映画を観に行ったり、なんでも一人でやっているのかもしれない。そして一人旅では、すぐには言葉にならない水面下で何かが、大きな攪拌が起こっているような気がする。旅行前半は、ちゃんと仕事も決まっていない無職なのに貯金を切り崩して10日間もスペイン旅行だなんて、という思考に囚われていたけど、ロンドンに帰ってきたら、そういう悩みが削ぎ落ちていて、空いた分をどうでもよさ、寛大さが占めていた。まだ無職でいいや、というニュアンスのどうでもよさではなくて、もっと前向きな力の抜け方。旅行をすればするほど、人生に対して前向きにおおらかになっていくのかもしれない。
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doctormaki · 12 days
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三日目は、カサブランカへ日帰り。うーむ。オーストラリアのキャンベラもそうだし、アメリカのDCもそうだが、近代に人工的に作られた首都とは、文化的には砂漠地帯ということ。実に無機質なのだ。首都とはそういうものなのだろう。
世界で3番目にでかい事を誇る王様が作ったハッサン二世モスクへ行く。無駄にデカいだけで、人生初モスクがイランでデビューのワシは、基本的にイランが基準値なので、何を見ても感動しない。イランは手の入れ方、丁寧さに繊細さが抜群で、絨毯にでさえワシは人の息吹を感じる。トルコでも、まぁハイ。。。って感じだったのは、父のおかげで、イランの手工芸を見ているからだろう。父、ありがとう。
それにしても、権威主義と権力の見せびらかしは、やるならもっと精緻にやれって感じ。折角、世界で三番目にデカイと誇りながら、モザイクのタイルのズレとか、そういうの、ワシはめちゃくちゃ気になる。大体、アホ丸出しの欧米人でもなけりゃ、こんなんで感動する奴はおらんやろ。まぁ首都だし、一応、見ておかんとねというだけのレベル。これに入場料取るのは、国家としては、もはや恥ずかしいレベルだが、アホな欧米人相手には良いのだろう。街中は、どこでも、植民地支配おフランスに対する反発か、イタリアンとアメリカンのレストランで溢れている。昼食も、イタリアンだったので、モロッコ仕様のマルゲリータを食す。
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昼食は、親切なイギリス人の二組のカップルと共に取る。ワシの両親とあまり変わらないだろうと推測される年配の御夫婦は、御主人はBAに長年、整備士として働いていたらしい。整備士として、若い頃はガトイックから派遣され、ザイールや南アフリカの空港に駐在。そう。アフリカ便は、皆、昔はガトウィックだった。アフリカから帰ってからはヒースロー勤務。日本にも四回、整備士として長期出張して、日本の整備士の正確さに感動し、リタイアしてから、奥さんを連れて一番最初に訪れたのは日本だったらしい。父と同じで、少し長めに働き、リタイアしたのは2015年頃らしいので、まだ観光客でごった返していない日本を見たのだ。京都、大阪、東京、御殿場、芦ノ湖、新幹線から見た富士山など、御夫婦は日本滞在がとても楽しかったらしい。良く働いた人の手は、節くれて、彼の人懐こい笑いとブリティッシュイングリッシュをチャーミングなものにさせる。子供は五人、孫は十一人目が絶賛製造中と笑って、奥さんに怒られる。ザイールでは若いのに、何もやる事なかったから、子育てしたんだよと、それでもめげずに笑いながら話す。奥さんも、笑いながら、そうね。大変だったけど、今はいい思い出と、ザイール生活を懐かしんでいた。いやぁ、マジで大変だっただろうな。ザイール。
もう一組は、ワシより少し年上で、熟年再婚のカップル。嫁はケープタウン出身。旦那は教会の牧師らしい。牧師だけに、モロッコでは嬉しそうにはじけていた。教会も大変で、イギリス国教会の矛盾、次世代への継続性が無いこと、本来はコミュニティサービスなのに、そうした教会の本来の姿が忘却されている事など、色々と話していた。御苦労なこっちゃ。まぁでも、牧師も休暇でモロッコ来れる位に儲けているなら文句無いやろ、とも思う。
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午後は海辺に立つフォーシーズンズの横にあるモールへ連れて行かれる。モールかよ。。。資本主義である。ワシは海辺で座って海を眺め、波のゴーという音に耳を澄ませる。波の音は、ザブンチャプンじゃなくて、ひたすらゴーという感じだった。父がどこかで買い求めた巨大な貝殻に耳をつけて、聞いていた音を思い出す。貝は海を恋しがり、海の音を、陸に上がっても己と共に持っていると、子供の頃、何かで読んでから、ワシは貝殻を見つけるたびに耳を付けて耳を澄ませていたっけ。平貝なんてダメよ、空気の音なんだから、巻貝じゃないと。。。と笑う母。父は何故か、その会話を覚えていたのか何なのか定かではないが、ワシの貝へのお熱が冷めた途端から、出張先で大きな貝殻を求めては得意気に持ち帰り、ワシに、おいマキ、土産だ、といって渡していたっけ。
ワシは、ドイツに住んだ二年間、今までより一層に両親への感謝しかなくなった。若い両親も、悩んでいた事もあろう。今ほど将来不安は無い時代だったにせよ、子育てに伴う不安や思いの中で、父には実に贅沢をさせて貰ったし、母には守って導いてもらった。海を眺めながら、涙が頬を伝う。ドイツにでも来なければ、これ程までに、今の自分がある事の礎を、両親がしっかりと授けてくれていたことに気付けただろうか。勿論、ワシは残念ながら天才で、やっぱり常人と違う自分に気付かされる事多数。でも、その常人ではない稀人ぶりを、温かく見守り伸ばして貰えたのは、両親と白百合の伸び伸びした環境だった。感謝。感激。雨あられである。
夕食は、ホテルの近所のモロッコ料理屋で野菜のタジンでも食べようとふらりと入る。静かに盛り上がっているアジア人の三人組。ワシは彼らの隣の席で相席となる。最初は、日本語だと気付かなかった。ワシの脳味噌、完全にフランス語とスペイン語モード。彼らの料理が来てから、なんでさっきから意味が分かるような気がするんだろうと、真剣に悩む。あー。日本語で喋っているんだと気付けるまでに、相当時間がかかった。自分に笑える。
彼らはシェア旅というSNS上で見知らぬ旅仲間を集うプラットフォームをベースに集まった旅行者らしい。主催者の男の子は三十代。旅行会社に十年勤めて、自分が生きたい旅ができる自由な旅行に憧れて、でも一人旅はなかなか予定が合わないしできないという現代日本の悲しい社会的ニーズに応じる形で、仕事としてやっているらしい。三年やって、考えて、もう少しやろうと思っていると言っていた。ノマド的に、請負仕事をしながら、海外を気の赴くままにプラプラしつつ、行く先々での旅仲間募集をしているらしい。基本的には、各自で飛行機とって貰って現地集合、現地解散。集まっている時の現地でのホテルや交通費などは、彼が手配するらしい。明るく笑う彼。日本の若者にも、まだ夢がある。
彼と一緒にいたのが、三河出身の可愛らしい女の子。まだ二十代後半。結婚プレッシャーから逃れて旅に出るのが好きらしい。愛知の女の子は大変そう。。ワシの隣の席の男子は木場出身の27歳。生まれてからずっと下町、木場育ち。スペイン語専攻し、メキシコ留学し、今は社会人らしい。私が、ついこの間まで教えていた学部生達を思い出す。ワシの学生たちも、伸び伸びと、悩みながらも伸び伸びと生きているといいなぁ。
木場の子に、何気なく話していただけなのに、別れ際に、こんなに包容力のある人に、僕、人生で初めて出会いました。本当に会えて良かったです。このレストランに入って良かったです。ありがとうございました。と、深々と頭を下げてくれた。すると、他の二人も、会えて、お話できて良かったと、頭を下げてくれる。ワシ、言葉をうしなう。素敵な良い旅を、と。お元気で。としかいえなかった。
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kennak · 2 months
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官報によると、岩手県遠野市に本拠を置くホップ栽培の「BEER EXPERIENCE株式会社」は、7月8日付で盛岡地方裁判所遠野支部より破産手続の開始決定を受け倒産したことが明らかになりました。 2018年に設立の同社は、ビールの原料となるホップや、スペイン原産でシシトウに似た野菜・パドロンの栽培・加工を主力に事業を展開するほか、ビアツーリズム事業としてツアーの企画・運営なども手掛けていました。 しかし、天候不順などの影響で生産量が減少したことに加え、新型コロナウイルス感染症の影響による売上の減少も重なり資金繰りが逼迫したため、これ以上の事業継続は困難と判断し今回の措置に至ったようです。 負債総額は約1億2000万円の見通しです。
岩手のホップ栽培「ビアエクスペリエンス」が破産、負債1億円 国内倒産 - 不景気.com
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ryotarox · 3 months
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オムレツ - Wikipedia
世界各地のオムレツ[編集] ドイツでは刻んだじゃがいも、ベーコン、玉ねぎを加えた田舎風オムレツ「ホッペルポッペル」が食べられている。 スパニッシュオムレツ(スペイン風オムレツ)は、鉄鍋などにたっぷりの具と卵を入れて、ひっくり返すことなくじっくりと焼き上げる。大きめに作って切り分けて出すもので、ケチャップやソースなどの調味料はあまり用いられない。 フランスのモン・サン=ミシェルでは、卵をホイップクリームのように泡立て、甘くふんわりと焼き上げることで知られるオムレツ「スフレリーヌ」が名物となっている。「ラ・メール・プラール(プラールおばさん)」(フランス語版)[5] などの店が日本にも進出している。 アメリカでは朝食メニューとして、炒めたハム、パプリカ、玉ねぎ、トマト、じゃがいも、チーズ、マッシュルーム、ほうれん草などを混ぜ込む、あるいは挟み込んだ大型のオムレツが定番となっている。これはデンバー市の名を冠してデンバー・オムレツとも呼ばれる。 中華料理では芙蓉蛋と呼ばれる蟹肉入りオムレツなど、多くの中華風定番オムレツ料理がある。鍋料理の具のひとつとして、卵を薄く焼いた皮で挽肉などを包んだ「蛋餃子」(タンジャオズ、dànjiǎozi)という餃子の一種があるが、ミニサイズのオムレツと見ることもできる。 台湾では、干し大根を入れた菜脯蛋が朝食メニューの定番である。屋台料理として有名な蚵仔煎は、牡蠣と溶き卵を水溶きしたサツマイモ澱粉でとじる。 フィリピンでは、カボチャを用いたオムレツであるトルタンカラバサが食される。
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日本のオムレツ[編集] 家庭で作られるオムレツは各家庭ごとに異なっている。それぞれの地域で豊富にとれる野菜を使用する家庭もある。例えば、農家では自分の畑でとれた野菜を使うことが多く、一般家庭でも家庭菜園でとれた野菜や香草を入れるということはよく行われる。ひき肉を入れる場合もある。 家庭でオムレツにソースをかける場合、トマトケチャップやウスターソースなどが主に使われるほか、市販のチューブに入ったデミグラスソース[6] 、濃度を調整したカレーやシチューの残りも使用される。関西では、まるでお好み焼きのようにマヨネーズを細く網目状にかける家庭がある。 調理方法としてはフライパンを使うのが一般的だが、中華鍋をフライパン代わりにして調理する方法、普通の鍋に油をひいて作る方法などもある。 飲食店・レストランでは、ケチャップ、ドミグラスソース、ホワイトソース、和風ソース、カレーソースなどの各店がそれぞれ工夫したソースをかけて提供している。
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yonk0-0 · 8 months
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スペイン旅行記①
はじめての冬ボーナスをユーロに替えいざスペイン。まずはバルセロナから。
到着早々、空港からホステルへ向かう車内から見えたあるレストランにふと惹かれた。シックなグリーンの外観。テラスに集う気取らない人々、昼下がり。
荷物を置いて、そのレストランを目指した。
扉を開けるとスペイン語の、怒ってるのか賑わってるのかわからない早口な会話が飛び込んでくる。他愛もない現地語のBGMが最高で、メニューも少数精鋭でときめいた。
スズキのタルタルが、ビーツと菊芋のソースで新しい味。ベリーのように甘酸っぱく無い、チーズのように重たくない、…でもそんな要素を併せ持った素朴なマリアージュ。カポナータもひまわりシードやレーズンがきいて楽しい食感。
果たして2日後に再訪(笑)
店長らしき人に「来たことある?」と聞かれ、the day before yesterdayと言うと、おー!!と喜びの舞。
いくつかのワインをテイスティングさせてもらい、プリプリのキノコのソテーに舌鼓を打ち、白赤オレンジ…とグラスを傾けた。
このレストランは、特に野菜への愛がある。
旬の野菜を丁寧に面白く主役にできるお店だ。
結局デザートまで楽しんで、次の町に向かう列車にギリギリになってしまった(飛び乗ったのが合���てるかヒヤヒヤタイムを過ごした)けど、幸せな余韻を携えて列車に揺られる。
何度でも思い出すだろうな。
それはSOMAというレストランです。
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sagara0220 · 9 months
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地面を踏み固めること
今年を振り返ると、のんきに一段ずつ登ってきた階段の途中で、振り返って景色を見てうわ~すごい、きれい、きもちいい、とか言いながらのほほんと眺めたいのに、あちこちで起こっているいろんなことが目について見過ごせなかったり、袖を引かれて止まったり、すれ違っていくひとびとに何かを手渡すその間、地面を踏み固めるみたいな、そういう一年だった。
たとえば今まで自分のなかで淡々と重ねてきた、自分が生き延びるための知識たちを、言葉にして誰かに教え、伝えることがぐっと増えた。アウトプットしてはじめて自分自身に引きつけ咀嚼する必要が生じるので、ものごとの本質に少しずつ近づけるけど、同時に見えてくるものが変わるので、とてもじゃないけど勉強が足りないとも思う。時間がかかるし沢山はこなせないのだけど、地元で起きた戦争や朝鮮人・中国人の強制労働のこと、LGBTQ+、ジェンダーのことは、決して自分の知的好奇心を満たすためだけに学んでいるのではないと、誰かに伝える作業をして強く感じたし、自分が仕事にしている専門分野以外で力になれたり、他者の学びの一助になれることを、難しくも嬉しく思うことが度々あった。
ここ数年ずっと、わたしの大事な部分を固めてくれている韓国文学を手に取ると、高頻度で日本の植民地支配時代の話が出てくる。
先日読んだチェ・ウニョン著「明るい夜」は時代や家父長制に翻弄されながら生きた四世代にわたる女性たちのシスターフッドを書く傑作長編小説だが、戦争中に日本に出稼ぎに行き、広島で被爆したおじさんが原爆症で亡くなる下りがある。作中もっとも信頼できる穏やかで愛に満ちた男性として書かれた彼が「あんな死に方をしなくちゃいけない人はひとりもいなかった」と広島の街を語るのが手紙のかたちで伝えられるシーンは、本の中でも印象に残る。フィクション小説という形を成しているが、祖母の口や手紙で語られる、あくまで一人称としての戦争体験であることが、幾度も胸を刺す。
今年読んで最も強烈な印象を残しているのが、ハンセン病の療養所である長島愛生園に暮らす在日朝鮮人・韓国人を訪ねて聞き取りをした喜田清著「名ぐはし島の詩(うた)」で、読みながらそれぞれの壮絶な人生に涙を流しながらも、植民地支配をしていた側の国で生まれ育ったわたし自身を丸裸にして、病の前にそも支配と略奪が、戦争がどうかれらを根底から変えたかを突きつけられた。ふるさとでハンセン病にかかったあと、当時戦況が悪化して毎日空襲があった日本に行けば誰にも知られず死ねると思い、縄でくくられたまま連行され泣き叫ぶ同胞を横目に、絶望し、死ぬために日本に渡ってくる方の話がある。また、植民地時代に言葉を奪われ、朝鮮語も日本語も読み書きできないまま療養所に入り、進む病と施設での仕事の隙間で辞書を片手に必死に読み書きを学ぶことで、己の知性を守り、踏み躙られた民族の尊厳を守り、宗教や友人を得る過程は、どの方の話を読んでも毎回涙が出た。そして、数多くの方が、祖国が解放されても、続いた朝鮮戦争で家族と生き別れになっている。
余談だが、この本を読んで、買ってから十年ほど経過しているのに、何度挑戦しても読了できないでいる神谷美恵子さんの「生きがいについて」を再度挑戦したいと思った。今のわたしなら読み終えることができるかも、と思える本があるのは、犬だったら噛み応えのある骨をプレゼントされるみたいで嬉しいものだ。
わたしが韓国文学にはまったころ、友人に誘われてかかわりはじめた地元の戦争遺跡の保存活動と、それに伴う朝鮮人・中国人の強制労働の実態調査のボランティアの仕事がある。
今わたしたちは過去に聞き取った肉声をあらゆるデータにして保存する作業をしていて、そのなかで、想像を絶する虐殺を、拷問を、過酷な環境下での作業を、強制労働に従事した方々が話すのに触れる。作業は、一筋縄ではいかない。冷静に、流れ作業として、戦時中のひとつの資料として読み飛ばすことはできない。
戦争というものが、人の一生を根底から壊すものだということを、それが、大国主義というものの前に個々の人生やヒューマニティが一切無視された先にあったものであることを、けれど戦争は大衆の記憶などではなく、個々人のなかにだけあるものだということを、数々の肉声に囲まれながら作業をしていると、つくづく思う。そうして、結局わたしは、大衆の記憶としての近代史しか学んでこなかったことに打ちのめされる。時々手が止まり、証言に聞き入り、読み耽り、あまりにも凄惨な体験と深い苦悩に触れて言葉を失い、立ち尽くす。そうしてまたしばらくして、作業をはじめる。その繰り返しだ。
証言は、ときにあいまいなもので、非常に頭の良い方でも、言葉も地理もわからない場所での過酷な体験であるので、信ぴょう性に欠けるものもいくつかある。通訳されていない原語での理解も必要だし、踏み込んだ調査や研究ができるほどのスキルもお金もないので、ひとまずデータ移行だけをしているのだが、ひとつひとつの、膨大な数の証言を扱っていると、聞き取りのさいごに、「まさかこんな日が来るなんて」「日本から来てくれるなんて」と感無量で語る方がいる。そうして、保障をしてほしいこと、戦争を二度と起こしてはならないというお願いで締められる。(証言に協力してくださった方の何人かは、賃金に関して裁判も起こしている)
戦争でまっさきに失われる個人やヒューマニティにきちんと向き合っていったのが、戦後の被害者への聞き取り作業なのではないか、とわたしは作業をしながら思った。戦中、強制労働というかたちで無視し、否定してきた人間性を、一人ずつ、限られた時間ではあるけど丁寧に聞き取りをして書き起こしたことは、数ではなくひとりの人間の体験として戦争や強制労働や虐殺や暴行や苦しみがあったことを真正面から思い出させてくれる。信ぴょう性の調査や審議の前に、その苦しみをいったん引き受けることが、どれほど切実���、大変なことだったろうと思う。
ノンフィクション作家の保坂正康が「最後の講義」という番組の中で、証言とはどういうものか語っている場面があった。証言とは一生をかけてするもので、証言を聞くということは、本人が背負っているものを半分引き受けることである、という言葉に、仕事でもプライベートでも、物語として消化してしまいがちなわたしという個人を指さされたようだと感じた。
調査に乗り出したうちのひとりがボランティアの大先輩にいて、度重なる訪中、訪韓の膨大なデータを管理してくださっている。そのひとの記憶はすさまじい。名前を尋ねるだけで、どこの出身で、どのように戦中を過ごしたのか、どのような半生だったのか、すらすらと答えてくださる。ときに涙を浮かべながら、ときに苛烈に。かれらの体験に多く出てくる、聞いているだけで指の先がこわばり、胃が縮み、血の気が引くような残酷で非人道的な折檻や拷問の数々を聞くうちに、戦争の映画や物語を見られなくなったという。真実を知るからこそ、痛みが容易く想像できて、目を瞑らないといられないのだという。聞き取りをした方々はもう亡くなっている。そのひとの生き方こそ、語り手の人生の半分を引き受けるということだと思っている。
2017年に、わたしはそれなりの意識を持ってポーランドのアウシュビッツや、ドイツのホロコースト関連の資料館に行った。外国に行くときは、その土地の地理や歴史を勉強してから行くのが好きなので、ホロコーストやポーランドの歴史について学び、何本か映画を見て本を読んでから向かった。そこで、アウシュビッツ=ビルケナウ博物館で案内人をしてくださった中谷剛さんが語った言葉に、そもそも根本をわたしは知ろうとしていなかったのだ、とものすごく恥ずかしい気持ちになったことを今でも鮮明に思い出す。
「――ポーランド語のあいさつができますか?イギリスやフランス、スペインのように。知りませんよね。なぜならそれは、ヨーロッパの歴史は西ばかりが優遇され広められてきたからです。日本人の中にもすでに、民族のヒエラルキーが無意識に植え込まれています。差別をしているんです。私たち日本人は、中国や韓国など、アジア圏の歴史をどれほど理解し歩み寄ろうとしているでしょうか?日本の加害の歴史をどれほど学んでいるでしょうか。ヨーロッパはドイツを戦後よくやってきたとは、決して評価していません。でも、一般のドイツ人のアウシュビッツの訪問者の数がとにかく多いのです。政府の対応ではなく、そういった市民の行動を、みなは評価し、黙っているのです。」
はるばるポーランドまで来て、わたしはその瞬間、浅はかだった自分を恥じた。もちろん、答えられなかったからだ。日本が行なった様々な加害の歴史を、言葉としては知っていても、知識として知らなかった。学んでこなかった。学ぼうとすらしていなかった。
こうして何年か経って、やっと加害の歴史を一生懸命学び、伝える側に回れたので、2017年5月の、どこまでも菜の花の絨毯が広がり、ポプラの綿毛が舞う美しい初夏のポーランドの、ひろびろとしたアウシュビッツ=ビルケナウ博物館のなかで深く恥じたわたしに、今のわたしはちゃんと顔向けができる。あなたは数年後、きちんと向き合う。思う存分恥じるといい。
そんななかで、10月7日を皮切りに、毎日虐殺のニュースを見聞きするようになった。コロナ禍真っ最中の2020年に岡真理さんの「ガザに地下鉄が走る日」を読んだとき、パレスチナで芸術活動をする若者のドキュメンタリーを見たとき、焼身自殺する若者をみたとき、殺されて臓器を売られる子供を見たとき、わたしは都度立ち止まったのに、いつのまにか忘れていて、毎日のニュースに打ちのめされた。
ガザについて勉強会を行い、本を読み、可能な支援をし、同時に自分の国の加害の歴史を学んでいくと、そこに70年余り時が経っていることが、信じられなくなる。イスラエルとパレスチナについて、レイシズムや植民地支配について学べば学ぶほど、かつて日本が行った言語や文化のはく奪が、いかに民族の歴史と尊厳を踏みにじり、取り返せないことであるのかを突きつけてきて、わたしはいままさに、当時を見ているのだと思っている。すごくしんどい作業だ。
でも、今年わたしが、こうした世の中になんとか絶望し切らず、自分の足で立って地面を踏み固めることができたのは、今までの学んできたことが生かしてくれていたからだし、出来事は大衆のものではなく個人に帰結するものだとあらゆる作業を通じてわかっていたからだと思う。じゃないと、物事の大きさの前に、ただただ立ち尽くしていて、わたしを含め、目の前にいるひとたちは世の中から見たら些細なものなんだとよぎることがあったかもしれない。それはまったく、わたしの中の、生活をやっていくというポリシーに反する。わかっていてよかった、言語化できてよかった、とこれを書きながら思う。
今年読んだ本のなかで、大事にしたい本がある。
パク・ソルメ著「未来散歩練習」は、光州事件、釜山アメリカ文化院放火事件と五人の女性の生き方を通して、今を生きる・過去を理解する・未来を思うことを描く長篇小説(出版社解説)で、パク・ソルメらしい独特の語り口調で淡々と物語が進む。岡真理さんのガザを考える緊急セミナーのなかでも、この釜山アメリカ文化院放火事件の犯人の一人である文富軾の言葉である「忘却が次の虐殺を準備する」という言葉が引用されていて、本を読んでいたおかげでどんな事件かを詳細に思い出すことができた。
とにかくずっと思考しながらものを食べて歩く小説なのだが、読んでいてずいぶん励まされたし、大事にしたい文章がいくつかあった。
「現在と未来について考える人たち 来るべきものについて絶えず考え、現在にあってそれを飽きずに探し求める人々は、すでに未来を生きていると思った。絶えず時間を注視し、来るべきものに没頭し、人々の顔から何かを読み取ろうとする人々は、来るべきと信じるそのことを、練習をとおしてもう生きているのだと���」
わたしの来るべきと信じるそのことは、差別のない社会を実現することで、それは綺麗事とかとても無理なことだとは言いたくない。なぜならわたしの半分は医療者で、発達障害の子どもたちに関わる仕事をしていて、大人がしている差別と加害は、子どもにダイレクトに伝わるから。医療と福祉の彼岸にいるような人びとも、社会の中でいっしょに生きていてほしいから。トランス差別を許せないから。
そんな社会に、わたしはいたくないし、大事な人たちを置いておけないと、いつも思っている。そう思いながら、二次創作という形で物語を書けたのも嬉しい。職場で動き出したSOGIチームのコアメンバーになれたのも、今年良かったなと思えることの一つだ。加害の歴史を学んで伝えることも、遅々として進まないように思えるし、歴史家でも研究者でもないわたしが伝えられることは限られている。でも、そういうときはチョン・セランの言葉をお守りにしている。「視線を先に置くことで絶望を乗り越える」「絶望しそうになったら、いや私はいい大人になりたいと思う」「個人の無力を私は信じません」
ふと手に取った本も、学んでいることも、絶望しそうになる世の中で、わたしを生かしてくれていると思う。わたしは、今年、過去と現在と未来を考えながら、今いる場所を踏み固めていた。もちろん、どうにもならないこともあるし、間違えるし、まだまだ知らないことだらけだし、考えるのをサボることもあるし、忘れるし、機動力には欠けるしやっぱり無力だと感じることも多いけど、2017年にアウシュビッツで恥じ入っていたわたしよりは、多少かっこよくなっているはずだと2023年の自分を励ましたい。
来年も生き延びて、のさばってやろう。
たくさんの本たち、今年も生きるのを励ましてくれてありがとう。
 追記
この文章を書いたのが12月24日の夜で、そのあと、ボランティア仲間と忘年会をした。
友人のひとりが、アウシュビッツに行き、中谷さんの案内を受けたという。わたしは仲間内でガザの勉強会をひらいていて、そのときに、もっと身近であったはずのアジア圏のひとびとにした加害と差別について無知でありながらアウシュビッツにいた自分を恥じた経験を話していた。
友人が、中谷さんのお話を聞いているうちに、どうしてもわたしのことを伝えたいと思い、数年前にあなたの話を聞いた友人がいまこうした活動をして加害について学んでいますと話の中で伝えてくれたようで、ものすごくびっくりしたし、嬉しかった。しみじみと、こんなふうにいつか誰かに勝手にもらったバトンを、別の誰かがそっと戻してくれるようなことがあるのだなあ、と、年の瀬に胸がいっぱいになり、勇気をもらったのだった。
そのときの中谷さんのお返事を、友人を通して受け取って、やっぱり、2015年のわたしよりずっとましになっているよ、と思えた。
嬉しいし、頑張りたいと思う。
忘年会当日、車のルーフが割れていることに気づき、わたしは基本的に価格や愛着に関わらず、自分の道具が傷つくことに関しては寛容なのだけど(眼鏡は除く)、ルーフを開けるたびにほとんどまっぷたつと言っていいほど割れているガラスが目に入ると、ちょっと心にくるものがあったので、悪いニュースと良いニュースが同時に来る、年末らしい日だったと思う。新年早々、修理代を捻出しなければならないが……
みなさま、良いお年を。
わたしはこの挨拶が、挨拶のなかで最も好きです。
良いお年を!
≪出てきた本≫
「明るい夜」 チェ・ウニョン 著 古川綾子 訳/亜紀書房
「名ぐはし島の詩 長島愛生園に在日朝鮮人・韓国人を訪ねて」 喜田清 著/海声社
(絶版)
「ガザに地下鉄が走る日」 岡真理 著/みすず書房
「未来散歩練習」 パク・ソルメ 著 斎藤真理子 訳/白水社
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team-ginga · 1 year
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萬正寺の邦楽ライブ
 宝塚北部・上佐曽利(かみさそり)の萬正寺のイベントに行ってきました。
 去年は上佐曽利のダリア園に行って、帰りのバスまで2時間以上あって時間を潰すのに困りました。
 遠くで太鼓の音が聞こえるので、それに惹きつけられて行ってみると、お寺の境内でコンサートが開かれていました。
 出演は和太鼓の黒拍子さん(ゲストにアコーディオンとベースのペアが来ていました)。
 実に楽しいコンサートでした。
 それに味をしめて今年はコンサートを主眼に、ダリア園をおまけに行きました。
 今回のゲストは笛の山本朗生さん、琴の森市佳さん。
 去年に勝るとも劣らぬ楽しいコンサート。
 去年は途中からでしたが、今年は最初から見ることができたので大満足です。
 まずはご住職のお話と読経ーー真言宗とのことですがシンバルのようなものを擦り合わせておられました。
 それが終わると和太鼓のペア、黒拍子さん(祝丸さん、菜美さん)のパフォーマンス。か、かっこいい!
 それから笛の山本朗生さんと琴の森市佳さんが登場。
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 か、かっこいい!
 終演後、少しだけですが主催者のご住職や黒拍子の祝丸(「のりまる」と読むのだそうです。今回初めて知りました)さんと話をすることができました。
 こんな形で本物のお寺で生の和楽器の演奏が聴けるというのは、私にとってもちろん大きな喜びですが、フランス人にとってはたまらないんじゃないかな。
 このコンサートは春と秋に開催しているということなので、来年の春は知り合いのフランス人にも宣伝してみようと思います。
 ご住職のご厚意で観客には無料でコーヒーとお菓子のサービスがありました。
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 コーヒーを淹れてくれていたスペイン人三人と帰りのバスが一緒になったので、英語と日本語まじりでお話をしました。
 三人は母親と息子二人ーー息子のお兄さんの方は来日5年目、大阪大学の博士課程で物理学の勉強をしているそうで、スペインで英語の先生をしているお母さんとベルギーにいる弟さんはお兄さんに会うために1週間前に日本に来たそうです。
 犬も歩けば……ではありませんが、外に出るとこんなふうにいろいろな出会いもあるということですね。
 いい1日でした。
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vegehana-food · 1 year
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✿ ポロ・アル・チリンドロン | Pollo al chilindrón ・お肉、タマネギ、トマト、ピーマンなどの炒め煮で、スペイン・北東部アラゴン地方の郷土料理です。レシピでは鶏肉を使いますが、現地ではウサギ肉や羊肉なども使用します。生ハムとパプリカパウダーを加えることでコクを出し���す。
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utsuroyihon · 1 year
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シャニムニパレードの「拝啓ラジオです。」
シャニムニ=パレードの「拝啓ラジオです。」
| FM AICHI | 2023/09/16/土 26:30-27:00
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メンバーの私服の話、凛ちゃんのワンピース見たいかも?
お肌についてもなるほどと。
小倉百花さんのMCでの癖とは?
聞きごたえあったなぁ。
9/17 シャニムニ=パレードの『拝啓ラジオです。』 #シャニらじ
小倉百花 #白井凛 #神谷ゆい
~オープニング
小倉百花 #白井凛 #神谷ゆい の3人。
――小倉百花さんの先週の『しゅ』主のところの発音が可愛かった。 メンバーの私服のこだわりポイント、傾向。 白井:ゆいがオシャレだな。白井的に使えないアイテムを使ってる。色とか。 小倉:すっごい緑のズボンとか、真っ青のズボンとか。 白井:料理できるのが凄い。 神谷:白とか黒とか合わせれば何とかなりますよ。 小倉:ももがやれ着たらメンバーに??って思われるよ。キャラにも合ってる。
小倉:ももね、凛の服ね、オシャレだと思うけどな。 白井:拘りないから。オシャレと言われるレベルじゃない。昔はただの大学生、陰キャ大学生 神谷:最近は韓国? スタイルを活かしてるような服着てますよね? 足めっちゃ長くみえる。長いんですけど。 小倉:長いよ、5mくらいある。(白井;全長何メートルだよ)凛がたま履いてるワンピースめっちゃタイプ。くっそタイプ。 ~前に、街であった時。めっちゃ美人。高身長が歩いてくると思ったら凛だったんだよ。そのときワンピース着てて。 小倉:私は特にないです。 神谷:だる着だもんね
透明フィルター
普通のジングル。 ~近況トーク 白井:個人的に、白井は肋骨を折りました。咳をしていたら、咳のし過ぎで肋骨に負担掛かって結果的に折っちゃいました。めっちゃエネルギー使ってるんだろうな。 小倉:咳だけで腹筋痛くなったりするもんね。 白井:だから、椅子でパフォーマンスしてるんですけど。お陰でめっちゃ早く治ってるんですよ。完治するのは3か月くらいかかっちゃうんですけど、痛みが無くなるのは3、4週間ですって言われてたんで。けど、もう1週間半くらいで痛くないし、全く痛くないので現在2週間くらいなんだけど。病院でも早いよね?っていわれ――。 小倉:人間じゃないかもしれないね? 白井:超人、咳し過ぎには気を付けて欲しい。折れちゃうんで、肋骨。(なお、麦茶が…… 神谷:この前4回ライブがあったとき、すっごい疲れてて。終電か1こ前で帰って、まだ時間があるから寝て待ってて誰かに起こされて。ののだと思って「ありがとー」って座った時にののだと思って肩を乗せて10何秒立った時「誰だこれは?」ってパッと見たら知らないおじさんが座ってて「誰?」 終電だったんで。「すいません」って言って離れて座りました。ホームで寝ちゃダメです。 小倉:最近ゲームしてるくらいかなぁ。スイッチ買ったからさ。超探偵レインコードってゲームなんだけど。ダンガンロンパって人気のゲーム、スパイクチュンソフトが出してる新作なんですよ。知ってる人はうなづいてる筈。滅茶苦茶面白い。コナン君みたい。謎解き。貸すよ? 神谷:私ピクミン借りたい。 小倉:いいよいいよ、もう終わったから。ゲーム楽しいよぉ。
~資格を取った事はありますか? 小倉:凛さんいっぱい持ってそう? 白井:検定は持ってる。英語検定は準1級もってて、スペイン語と検定もってます。 小倉:ビエン。これはももが唯一知ってるスペイン語、元気です?だっけ? 白井:グッド。それくらいですかね。
神谷:資格とか検定持ってるんですけど。英検とか漢検とか持ってるんですけど、標準の3級とか。もう忘れましたよ。 それに匹敵するのだったら空手の段、2段もってます。あと3ヶ月頑張ってたら師範でした。 やりたくなくて、辞めた。 白井:空手家アイドルだった? 小倉:型っていうの、前やっとらんかったっけ? 絶対面白いから見たいんだけど。
小倉:ももはないでーす。化粧品検定取りたい。化粧品の成分とかトラネキサム酸は何に効くかとか。
~皆さんはどのようにライブを盛り上げたり見てくれたらうれしいですか? 白井:白井は、自由に、ファンの人が楽しく見てくれたらいいかな。
小倉:ももは欲を言うなら、汗だくでボロボロの状態で写真撮らないで欲しい。推しメン映して何が楽しいの?って思うけど、そこが好きなら許してあげてもいいけどねー。 神谷:なんでもカワイイ。ベタベタでも可愛い。 小倉:それならいいけどさ。 神谷:笑顔で見てくれたら嬉しい。真顔の人いるんだよ。 小倉:みんな気づいてないと思う。 神谷:いったことありますもん。「今日レスしたのに真顔だったね」っていったらめっちゃ笑ってたのに。って。 小倉:マスクじゃん、口だけ笑ってるかもしれないよね。
小倉:私やって欲しいことあるわ。オチさびで桃のマークして掲げて欲しい。夢、ずっと言ってる。
色っぽいジングル
~シャニムニお悩み相談室。 よい肌の状態を保つためにしてること。
神谷:これについては神谷が聞きたいですね。 白井:表面とかあまりしてないけど、ご飯とか。お菓子とか好きじゃないから食べないというのと、果物と野菜は気にしてる。 小倉:むかしめっちゃニキビ肌だったんだけど。豚骨ラーメン好きでめっちゃ食べてたの。皮膚科さんに行ったらフライドチキンと豚骨ラーメンは二度と食べちゃいけませんと言われた。最近は野菜を食べたりとか、コールドプレスジュースとかゆうかに教えて貰ったのとか。お風呂で湯船に絶対つかるとか。 サウナとか 白井:メイク落とさないとかね。 小倉:むかし、全然お風呂入らなかったの。髪の毛だけあらわないとか。それが一番ニキビができる、その次の日。 神谷:ももにめっちゃ怒られる門。顔だけは落として。頭は洗いな。 小倉:スキンケアはレチノールおすすめ。ビタミンAですね。 白井:あと日焼け止め。日焼け止めもちゃんと落とさないと肌荒れしちゃうかも。
小倉:ゆいは実行できそうなのあった? 神谷:夜お風呂入る。朝風呂派なんですよ。 小倉:バッチい状態で布団入りたくないじゃん。風呂入れ、夜に。 頑張ります。
WOO☆OH☆OH!!!
~エンディング 神谷:もちこたろうくんがMC初だったと思うんですけど、癖を見つけました。 さて、シャニムニ=パレードの拝啓ラジオです。間もなくお別れのお時間でーーす。語尾超長い。
小倉:次につなげようと必死だったんだよ。なおそ。 神谷:全然いいと思うよ。
シャニムニ=パレードからのラブレターでお別れという事で、今週は白井凛ちゃんおねがいしまーーす。
白井:ながーー。(笑) 「一緒にたくさん笑いすぎて肋骨痛めても補償しないからね」
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myonbl · 1 year
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2023年8月1日(火)
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今日から8月、カレンダーをめくると今月の週末はすべて旅行や行事で埋まっている。なるほど、コロナ患者は決して減っているわけではないが、私も世間並みに規制が外れた生活になっているのか。久しぶりに会える友人達、初めての東京定席、文楽公演・・・、自主感染対策を徹底して夏休みを楽しもう。
4時30分起床。
日誌書く。
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朝食。
洗濯。
可燃ゴミ、30L*4。
ヤクルトさんから野菜ジュース購入。
ツレアイは自転車で出勤。
職場から後期のオフィスアワーアンケート、すぐに回答する。
酢タマネギ仕込む。
冷蔵庫の残り物をカレーに仕立てる。
ムームードメインから<mqj.jp>の更新通知、¥4,029を支払う。
ツレアイ、今日は1軒だけとのことで早い目に帰宅、すぐに買物へ。
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ランチ、息子たちは素麺と西瓜、私たちは残り物カレー。
録画番組視聴。
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途中でウトウト。
溜まっているニュースレターやパンフ類をスキャンしてOneDriveに保存する。
書斎復活作業、30L*2のゴミが出た。
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夕飯は昆布締めポークソテー、フライドポテト、さんだかん燻製工房の鶏ささみの燻製、トマトとレタス。息子たちにはスパークリングワイン、私たちはヱビスビール+スペインの赤。
片付け、入浴、体重は500g増、いかんなぁ。
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今日は家から一歩も出ていないので、エクササイズが足りなかった。水分は、1,900ml。
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kentarouchikoshi · 1 year
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 これは僕にとっては懐かしの味,是非頂きたいと思います♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
 日本人は好みに応じて和洋中と色々な料理を食卓は上らせ,非常にバリエーションに富んだ食生活を送っているということが言われます。実際,目を海外に転じると毎日殆ど同じ食事をして過ごすなどという習慣を持つ国もあるそうで,それに比べると日本人の食生活は多彩であるといえるでしょう。
 とはいえ,僕の子供時代などは今ほどバリエーション豊かではなかったことも疑いの無い事実です。家庭ではたまに焼肉やハンバーグが登場する他は焼魚や煮魚,ときに刺身など。外食に行けば和食以外だと中国料理・フランス料理やそれを日本風に変容させた町中華・洋食。ごく稀にマクドナルドのハンバーガーといったところです。これは我が家のあった地方だけの話ではありません。当時の子供向けの学習雑誌には世界の食文化で特集を組むことが多かったのですが,そのような際によく取り上げられていたのがフランス以外のヨーロッパ諸国や,或いは東南アジア諸国のお料理です。いずれも現代ではそんなに珍しくありませんが,当時は実際に目にすることは殆どありませんでした。たとえばスペインのパエリャが紹介され「スペイン人も炊き込みご飯大好き」などという話が紹介されていると,次の日には小学校の話題になったほどです。状況は大人も大同小異だったようで,テレビ番組などでもやはりヨーロッパ諸国や東南アジア諸国のお料理がしばしば紹介されていました。
 そんなテレビ番組の一つで,或る時イタリアの食文化が紹介されていました。当時でもスパゲッティやピザについては既に普及していたのでそれほど珍しくもないかなと思っていたのですが,当然ながらイタリアの食文化はそれだけではありません。「イタリアも海に囲まれた国です」という言葉とともに紹介されたアクアパッツァ,そして「イタリアはヨーロッパ一の米どころです」という言葉とともに紹介されたリゾット・・・当時は僕の周囲では,それらの料理も全く知られていませんでした・・・に,僕は「美味しそう😋 食べたい(ღ✪v✪)!!」と強く感じさせられました。早速母にどんな料理かを含めて話をしたところ「アクアパッツァは無理。作り方が全く判らないから」と言われてしまった一方「リゾットというのは雑炊のようなものなんだね。それなら作れるよ」とのこと。その数日後「今日はリゾットを作ったよ(◍•ᴗ•◍)」という言葉に喜び勇んで食卓に着くと,ご飯をコンソメキューブ入りの牛乳で煮てチーズを載せたものが登場しました。一口食べて思わず「美味しい(๑˃̵ᴗ˂̵)」と感じたのを,今もよく覚えています。
 実は僕の報告は間違っていたことが,後になって判りました。イタリアのリゾットはご飯を煮るのではなく生米から作るもので,日本語でいえば雑炊ではなくお粥といったほうが正確だったのですこの辺り「白ご飯を炒めて作る」炒飯と「生米を炒めてから炊く」ピラフとをしばしば混同しがちな日本人の過ちを僕も犯してしまっていたわけです。しかしお米を食べ慣れている筈の日本人が両者をしばしば混同しがちだということ自体,この2つがよく似た味の料理であることを強く示唆しているともいえますね。実際,ご飯から作るリゾットも,生米から作るものと同じくらい美味しいと僕は思っています。今回,ホマレ姉さん氏によるまさにその「ご飯から作るリゾット」のレシピに出会い,これを真似すれば少年時代に感動した味を再び味わえそうだと大変嬉しく感じています。同氏は一体どのようにリゾットを作っておられるのでしょうか。  まず玉葱は粗微塵に・シメジは石突を切り落として食べ易い大きさに・ベーコンは1㎝幅に切っておき,バターを入れ中火に掛けたフライパン(鍋でも可)で炒めるのですね。玉葱が透き通ったらご飯を加えて解しながら炒め,ご飯とバターが馴染んだら弱火にして水・生クリーム・コンソメ顆粒を加えて沸騰させずに10分ほど煮こみ,汁気が無くなったら塩胡椒で味を調えます。そこまで出来たら今度は別のフライパンを温めてバターを溶かしてとろけるチーズを入れ,溶けはじめたら生クリームで煮込んでおいた先述のご飯を載せてフライパンに接している部分のチーズに焼色がついたら完成。ターナー等でお皿によそいローズマリーを飾って頂きます。なお,チーズに焼色がつくまでは触らないのがポイントで,焼色については端の部分をターナーで少し持ち上げて確認するようにということが注意事項のようです。
 これは母の作ってくれたものに,とてもよく似たリゾットです。僕はこちらを美味しく頂いて,懐かしい少年時代を思い出したいと心の底から願っています(ლ˘╰╯˘).。.:*♡
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jackdaddy-c · 3 years
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今回はココアパウダーを入れて間違ったと思います。😅 でも、まだ美味しいです。ちょっとボロボロですが、好きです。😊 でも、次回はココアパウダーを使わなくてチョコチップをちゃんと使います。😅😅 #Vegan #ヴィーガン #Vegana #菜食主义者 #JackdaddyChronicles #Japanese #日本語 #Japonés #日文 #Spanish #スペイン語 #Español #西班牙语 #Chinese #中国語 #Chino #汉语 https://www.instagram.com/p/CaqD7mIONMk/?utm_medium=tumblr
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doctormaki · 1 year
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春先までは晴天予報でも曇天でお日様さえ見えなかったハンブルグは、ここ数週間は最高気温が28度まで上昇して、暑い。乾燥しているので、木陰に入ると涼しく、朝夕はジャケットが無いと寒い。しかし、逆に日照り続きで、あれだけ毎日雨が降っていたのを忘れてしまう位だった。が、今日は、一点、夕方から雷を伴う夕立。ワシのアパートは西向きで西陽が入るので、午後は完全にサウナなので、今日の激しい夕立は有り難い。
今日は朝から晴天だったので、ここから歩いて20分ほどの超高級住宅街にある土曜朝の市場に初めて行ってみた。野菜や果物、パン屋さんに生パスタ屋さん、肉屋に魚屋と、民族博物館前の小さな広場前に市場ができていた。お買い物に来ている人々も落ち着いていて、近所の市場がこんなにも良いものだと初めて知った。日曜朝市のFischmarktと違い、カードも使えるのが嬉しい。サクランボやブルーベリー、ほうれん草やアスパラガス、ジャガイモなどに加えて、なんだか見たことのない茶色のPfirze(キノコ)を購入。見るからにドラッグクイーン系のおっさんが売る生タリアテッレも購入。
汗ばむ位の陽気の中、ついでにスーパーに寄って牛乳も買う。家に帰ってから謎のキノコ、ほうれん草と生パスタで昼食を作った。生パスタはとても美味しい。感動的。キノコは香りが無いが、歯ざわりが良い。糠漬けにしたミニトマトをアクセントにして、とても美味しく頂きました。
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この木曜日から、ハーバードとケンブリッジとここハンブルグを繋いで、ハンブルグを会場に3日間に渡るマ��ー(貨幣)についての国際会議が開催されていた。友人のIsabelが主催者の一人なので、泣きつかれてしまい、急遽、穴が空いたセッションのパネルチェアになる。green financeについてのパネルで、四本もの論文を事前に読み、セッションチェアとして臨んだ。マクロ経済もミクロ経済も金融論も学部レベルの基礎知識しかないので、最初は焦ったが、何てことはない。基礎知識さえあれば、別に4本とも読めてしまった。そして、いざという時の為に、それぞれ4本の論文につき、15分のディスカッションの口火を切るべく、3つずつほど質問も準備。
ワシが天才なのか、はたまた、今どきは世界中の現象として学問レベルが低いのか、最新の金融理論は、複雑なようで案外ダサい。腑分けすると、大した事を言っていない論文が多く、ふーん、こんなもんかと思った。私のパネルは大盛況で、ワシの差配が優れていたのもあり、議論も盛況だったが、時間通りに終わらせた。おまけに、ワシも議論を聞きながら、チェア特権を活かして言いたい事は言わせて頂いた。オーストリア、オランダ、イギリス、フランス、ベルギー、スペイン、スエーデン、スイス、ルクセンブルク、アメリカの研究者達と、ここ数日、食事中に良く議論した。ヨーロッパの国の違いが、少しずつ分かってくる。
私は、ドイツ人と話す時、とても言葉が出てこなくなり、英語が下手くそになるのだが、それ以外の国の人々とだと大丈夫らしい。べらべら自分でも驚く位に、難なく普通に話す事ができる。相当ドイツ人に精神的に参らされているのだろうと、自分でも流石に自覚した。ドイツ人からはどうも見下されているように感じ、とても苦手だ。
こちらに来て、会議の度に様々な国の研究者と会うが、総じてイタリア人は頭が悪い癖に自己主張強めで話がやたらと長い。自己弁護大好き。ドイツ人は、細かなツッコミ大好きでかなり自己主張強め。オランダ人は可もなく不可もなく、人が良い人が多いバランス型。フランス人は、自己主張強めだが、人の話を聞く。ベルギー人も、フランス人に似ているが、自己主張はそこまで強くない。スペイン人も、別の意味でお喋りだが、フランス人よりも親しみやすい。スエーデン人はあまり喋らないが、静かに分析はしている。スイス人やオーストリア人も同じ。色々と話をして打ち解ければ、彼らは、こちらを値踏みした上で相応の対応をしてくれる。しかし、スイス人は杓子定規な人が多く、独自ルールを持っていて、それに従っていると相手が判断している限りにおいて、である。ドイツ人と似ている。つまり、私の人間性レベルでは、オーストリー、フランス、スペイン、スエーデン、オランダの研究者達と話が合う事が多い。イタリア、ドイツはカラッキシダメ。なんであんな奴らと一緒に戦争したのか、意味不明。
今回の国際会議はハンブルグの社会経済研究所との共催で、昨年末依頼、久しぶりに社会経済研究に行く。一軒家を改造してあるのだが、機能的でシンプルな研究所のお庭はバラや矢車菊が満開。綺麗なお庭を観察していると、矢車菊の上で、昼寝しているハチがいた。死んでいるのかと思ったら、モゾモゾするので、疲れて寝ていたらしい。首から背中にかけて生えたウブ毛に花粉をつけて、可愛らしい。
3日間、朝9時から夜10時まで、みっちりやった会議で、ワシはハッキリ言って疲れた。昼食を食べてからは死んだように眠る。そして雷様に起こされた。こちらはフワフワと植物の種やアブラムシが沢山空中を漂っている。窓を半開きに開けてあると、こちらは網戸が無いので、掃除してから数日もすると窓枠には小さな羽虫達の死骸と植物の種だらけになる。今朝は朝から3日分の掃除、洗濯をしたのでスッキリしたが、空気も雨で洗って貰って、少しは、ホコリや虫がいなくなれば良いのだが。。。ドイツ人達は花粉症の人が多いが、まつ毛や鼻毛長くても、大量の植物の種(タンポポの綿毛のような、ホコリ玉みたいな種です)とアブラムシにやられているらしい。私はせっせと、ひまし油で洗眼し、塩水で洗鼻しているので、くしゃみはするけど、なんとかサバイバル中。スギ花粉やホコリ、臭いの方が、私はダメみたいだ。つまり、ドイツ人達よりも、ワシはより細かな粒子に反応しているらしい。
仲良くなったオーストリア人のお兄ちゃんに、ドイツ人の事を聞く。ドイツ人はウィーンに行くと、オーストリア人から差別されるらしい。少なくともワシの周りには、オーストリアに対して、すごい被害者意識高めのドイツ人が多いのだ。兄ちゃんは、あーそーかもね。彼らは違うドイツ語話すから、オーストリア人じゃないってすぐ分かるしと、めちゃくちゃサラリと当然のように言う。おまけにドイツ語を公語としているだけで、別にドイツ人達と色々な面において文化共有していないしね、と。彼らから見ると、ドイツ人は野蛮で文化無いくせに金だけ握りしめて、文化を買い叩くヤクザ集団にしか見えないらしい。
帰宅途中まで一緒に夜のお散歩を楽しんだフランス人のおっさんも、笑っていた。いやぁこっちに来て俺が口にするワインはフランス・ワインばかりなんだよ。パリですら飲んだ事のないワインだから笑っちゃうよ。ドイツ人は、文化無いって自覚ありすぎだよなぁ、と。ワシ、日本でもワイン作っとるよと教えると、飲んでみたいなーと、ワシの顔をのぞき込んで笑う。でもさ、マキは東大東文研で貨幣史やっているクロダって知っている?うん、名前知っている。あーそう。アイツはねフランスカブレしていて、マキみたいに日本文化を知らないんだよ。僕はここ十年位、クロダと研究を通して親しくしているけど、僕が東京に行く度に食べさせられるのはフランス料理、飲まされるのはフランスワインなんだよ、僕は嬉しくないんだよ、日本で日本料理と日本酒を楽しみたいよ、と苦笑する。クロダは日本人の癖に、自分の文化にホコリが無い。僕は、クロダがパリに来たら、今度は日本料理を食べて日本酒を飲ませようかと思うよ、と。二人で大笑い。そして今朝は東大経済学部の講演を聞きながら、クロダをググって、あ、やっぱワシが知ってた奴だ!と、フランス人教授のお話しを思い出しながら、二度目の大笑いをさせていただきました。ガハハなのだ。全く。。。フランスカブレの典型的おバカである。
ちなみにフランス人教授には、ウェブレンの顕示的消費(conspicuous consumption)なんじゃね、と一言いうと、あーそーかと神妙に頷く。そして、クロダは僕にステータス教示をしてたのね、と云う。まーね、東大の教授なんだろ、クロダ、とワシ。うーむ。じゃ、クロダはつまらないねぇ。まぁ彼の研究もそんなに面白くないんだけど、そういう事なのか。僕は、日本人的オ・モ・テ・ナ・シかと我慢していたんだけど、違うのか。。。いや、まぁ、ワシなら友人が日本に来たら、否、別に相手が日本人でも食事する時には、Christianが何を食べたいか聞いてから店決めるけど。それに、タダの自己趣味の押し付けこそ、ウェブレンが批判していた産業革命以降の新たな中産階級による、ある種の顕示的消費の一形態と言えるんじゃね、パワーの誇示ちゅーか。。。と言うと大笑いしていた。
いやぁクロダさん。ありがとう。アナタのお陰でChristian教授と、楽しくお喋りしましたよ。がはは。ワシもワシの見知らぬ日本人研究者達に、役立っているんだろうなぁ、こんな感じで。。。と思った。
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