#ほぼ同い年学年は違うけど、生年月日は、2ヶ月しか変わらな…
Explore tagged Tumblr posts
Quote
早口言葉チャンピオンのはなは、しゃべるのも早くて、私の倍以上早かった😅
#ほぼ同い年 松原ユリヤ | ロージークロニクルオフィシャルブログ Powered by Ameba
0 notes
Quote
4年くらいかけておよそ500万円で自分が満足できる顔を手にいれた。 ダウンタイムはほぼ有給使ってなくて、土日祝とマスクで誤魔化し切った。 サラリーマンの給与でやってたのでかなり予算抑えたとは思うけど、それでも100万近くは無駄金使ってしまったと思う。 なので、これから金で顔をなんとかしたい男向けの整形RTAとか、注意点とか、身をもって感じたことなんかを書いておく。 500万の大まかな内訳は、歯列矯正、巨大鼻の工事と修正、眉下切開、クマ取り、ボトックス、ヒアルロン酸、あとは脱毛とかほくろ除去とか、ニキビ跡のクレーター治療なんかの皮膚関連。 一度に500万支払ったわけではなく、気づいたらそれくらいになっていた。 男がビジュアル面の底上げをする上で大事なのが 1.顔と身体のサイズのバランスを整える 2.歯列矯正 3.輪郭を整える 4.肌のムラをなくす 5.顔のパーツを整える あたりで、それぞれ並行しながら改善してくイメージになる。 この中の何か1つをすれば劇的に変身するということもなく、何百万規模の整形でイケメンになってモテモテ!みたいなことは多分起きない。自分は今の完成した顔には満足してるし、明らかにモテるようになって鏡を見るのも美容院に行くのも楽しくなったけど、同じ顔の系統の村でギリ一軍に入れたかな、みたいな変化だ。ちなみにこの村には竹野内豊とか斎藤工はいない。 いずれ鼻とか目を弄るにしても、最初に始めるべきは歯列矯正とBMIを平均にすることだと思う。 歯列矯正は歯並びが悪くないなら当然する必要はないけど、口周りの印象が一番変わるし、時間も年単位でかかるので、歯並びや噛み合わせが悪い人は1番に手をつけた方がいい。男の不細工の大概は顔の下半身に難がある。 そして、体重が重すぎるならダイエットをして、ガリガリならある程度の肉をつけて顔と体のベースを作ってほしい。自分はただ痩せて筋肉が浮いてる状態を細マッチョと勘違いしてるタイプのガリガリだったので、脂肪なさすぎ+鼻の手術失敗で一時期ヴォルデモートになった。あと不健康だと当然手術の傷の治りも遅くなるので、ちゃんと寝て食って元気でいることも大切になる。ダウンタイムが長引くので酒とタバコは可能なら減らす。 体脂肪率もジムで鍛えて可能な限り下げた方がいいとは思うが、これは後々訪れるダウンタイム地獄でも出来るので、すぐに取り掛からなくてもいい。 よく男は「筋肉さえ鍛えれば解決!」みたいに言われるが、マッチョの不細工もいる。そもそもパーソナルジム代と半年の期間があれば肉体改造はできるのに、すぐに実行に移せない時点で今は向いてないと考えた方がいい。ダラダラやっても金と時間がもったいないので、やりたくなったときにやろう。 顔のどこを変えればいいのか検討もつかない人は、BMIが正常値になったら、加工機能のあるカメラアプリを使って肌だけ綺麗にする設定にして、前髪を上げた状態で正面と横から顔を撮影するといい。これで鼻とか目が気になったら、情報を集めて美容外科のカウンセリングに行こう。 「俺パーツはあんまり問題ないやん」ってやつは肌治療と輪郭の改善から始めて、ハゲてたら早めにAGA治療に入る。 医者選びとかの情報収集はSNSでやるのが主流だけど、評判の名医だから自分と相性がいいとは限らない。男の整形の経験が薄い医者も多いので、予算と地域である程度絞って、そのパーツの「なりたい姿」と「なりたくない姿」の参考写真を持ってカウンセリングに行くしかない。 正直なところ、仕上がりには運の要素が強いと思う。多少理想と違っても気にしないくらいの性格の方が整形に向いてるし、完璧主義なやつはメンタル終わるから顔にメスは入れない方がいい。 そして、整形関連は基本韓国のが安い。も��によっては国内の半額くらいで出来たりする。病院に通訳もついてて日本語だけで予約から手術までいけるところもあるので、予算によってはそちらを選ぶのも手だと思う。 自分はとにかく1番気になっていたのがドワーフみたいな鼻筋も小鼻もパンパンの巨鼻だった。学生の頃から悩み続けてたし、全面工事と修正1回の末に普通のサイズ感の鼻を手に入れて、やって良かったとは思う。 ただ修正も合わせると1年以上ダウンタイムだったし、200万近く払った最初の手術で鼻筋曲がった時は本当に落ち込んだので、よっぽどコンプレックスじゃない限りは鼻の手術には手を出さない方がいい。 あと鼻をいじりたい人は、大体のイケメンは鼻が高いんじゃなくて、中顔面(顔の中心)が前に発達してて鼻の生えてる位置が高い、ってことは覚えておいた方がいい。韓国は男の鼻をとにかく高くしたがる傾向にある気がして、自分には合わなかったので国産を選んだ。 高すぎる鼻は悪目立ちするし、横顔だけ盛れても正面は「鼻!!!」って感じの顔になる。 目は元の形にもよるけど男なら切開せずに埋没で十分だと思う。自分は瞼の重さが気になったので医者の勧めで眉の下を切る手術で目の開きを大きくしたけど、傷跡が気になるし、将来目元から老けそうな気がして後悔してる。 あと変に名前が長い謎の埋没じゃなくて、一番安くてベーシックな10万以下のやつでOK。1年保証とか瞼の脂肪除去とかのオプションも無理につけなくていい。数ヶ月でとれる場合も10年以上もつ場合もあるが、これも運なので、「とれたらやり直せばいいや」くらいの気持ちでいると楽。 あと欲張って埋没で幅を取るとモロに整形顔になるので、二重にすごい執着あるとかじゃなければ、二重に近い奥二重くらいで留めておいた方が自然でいいと思う。 そして、とにかく目にしろ鼻にしろ輪郭にしろ、男の整形で1番意識した方がいいのは【女を目指さないこと】だ。何を言ってるかわからんと思うが、整形に足を踏み入れて症例とか理想の顔とか見てるうちに、目が大きくて顎が細くて小顔の女を目指せば綺麗になるんじゃね?みたいな発想になる瞬間がある。綺麗な症例は明らかに女が多いし。 その発想のまま暴走するとメイク必須の所謂メン地下顔になっていくんだけど、 骨格とすっぴんの男感は消せないので、丸みを求めてヒアルロン酸を入れ続けるモンスターが爆誕する。ナンパ界隈とかで、絶対モテる!とか言ってあの顔を流行らせた罪でかいなと思う。 どんな顔を目指すにせよ、加齢も加味した男のかっこいい、はとにかく意識した方がいいと思う。みんないつかおっさんになるから。 あと、個人的には輪郭3点とかの名前になってる骨切り系もおすすめしない���これは表情が明らかに不自然になるし、あんまり言われてないけど、骨切った後の弛みのケアで切開繰り返すうちに皮膚の感じがかなり変わるので、化粧を普段しない男だと誤魔化しがきかな���。顔がデカいのが悩みなら、骨切りするよりダイエットしてハイフとエラボトやって、肩と胸を鍛えて身体とのバランスとった方がいい。 肌関連は、ニキビと赤みの場合は皮膚科の薬で治せる範囲は治して、残ったらVビームとかのレーザー治療に移行する。ニキビ痕とシミは最初から美容クリニックに行っていい。 小さいほくろは1個1000円くらいで取れるところもあるけど、一気に取ると顔中テープまみれで1週間過ごす羽目になる。 ヒゲ脱毛は都度払いでもいいから、予算と場所で通いやすい場所を探そう。 乾燥は日々の積み重ねだから、スキンケアには継続できる範囲で惜しみなく金を出して、その上で毛穴が気になる場合は肌ボトックスとかポテンツァとかのワードで調べるといい。男は皮脂多いので、皮脂抑制系の治療をすると良い結果に繋がりやすい。 肌治療は種類も多いし、合う合わないが人によってかなり違うので、俺の最高お前の金ドブとかもザラにある。 金銭感覚に合う美容クリニックのカウンセリングを受けて、「1ヶ月2万円で赤みと毛穴に効果のある施術を受けたい」とか予算を伝えて、言われるまま一通りやってもいいと思う。そこから自分に合うものを継続していく感じで。 肌ムラがなくなるとかなり垢抜けるから、こういう肌管理系は整形に抵抗ある人にもおすすめできる。 ちなみに自分は、何も考えずに脱毛→鼻→目→鼻修正→歯科矯正→輪郭系→体づくり→クマ取り→肌、みたいなめちゃくちゃな順番でやってたので時間も金も結構無駄にしてる。 時を戻せるなら、まず歯科矯正と髭を含む脱毛、体づくりを並行しながら情報を集める→ハイフとかで輪郭整える→ほくろとシミ除去→鼻→目(埋没)→クマ取り→肌管理って順番にすると思う。これなら多分コスパもいいし、先に輪郭整えることで今よりも顔のバランスが良くできる気がする。 500万かけたところで自分は斎藤工になれないんだけど、顔を言い訳にしないで行動できるようになったのが1番でかい収穫だったと思う。服屋とか美容院での羞恥心がなくなって、何となく休みの日の行動なんかも変わった。金もかかるしリスクもあるが、リターンもそれなりに感じてる。 顔を変えるってことに興味がある人は、この失敗と経験を参考にしてみてほしい。
500万でイケメンの顔になった
11 notes
·
View notes
Text
2024
自然界に存在する4つの力と忘れ去られた1つの結末
あっという間に自分の番になった。前日が終わる頃になってようやく焦り始め、22時くらいからなんだかわからないものをずっと書いていた。日記を書くようになったのは小学生の頃で、世の中や周囲に対する不満だったり、子どもであるが故に受けた些細な理不尽、くだらない遊びや諍いを、たった3行程度書いて先生に提出していた。今となってはその文献は失われてしまった。書いているうちに自分の肉体や思考はどんどん変化していったから、なぜそんなことを書いたのか今となってはわからないし、もちろん再現することもできない。その最後尾が、今書かれている文章になる。今では自分の頭の中にある花瓶のこと、月の裏側は想像することしかできないこと、撃ち尽くされた実弾と薬莢のこと、互いに引かれ合う最も弱い力、忘れ去られた1つの結末、クリスマスを前にしてそんなことを書いている。
自然界には4つの基本的な力が存在しているらしい。自然界で働く力を作用ごとに整理し、素粒子(基本粒子)に働く力として最終的にまとめられた、強い相互作用、弱い相互作用、電磁気力および重力の4つの力がこの世には存在しているという。このうち、電磁気力の大きさを1とすると、強い相互作用は100、弱い相互作用は1/1000ほどである。そして重力は「10の−38乗」という桁違いに弱い力である。この身体をこの地球の表面に繋ぎ止めている重力が、最も弱い力だということが意外に感じられる。重力が斥力を持たず互いに引かれ合う力だから、地球の質量が膨大で結果として強い力となっているから、などと理由はつけられるかもしれないが、詳しいことはわからない。とにかく私は地球に強く引き留められている。
遠くにいる友人や、もう二度と会えない人のことを考えるときには重力のようなものを感じることがある。あるいは、それよりももっと弱い力を感じることがある。10のマイナス何乗かわからないが、量子的な結びつきよりも、自身に差し迫った有限性をもとにして肉体に作用する力が存在している。
納屋を建てる
男は大学を卒業すると、学生時代から付き合っていた女と早くに結婚した。なぜこんなにぼんやりした男に、呆れ返るほど美しい妻がいるのか周囲は不思議思うかもしれない。しかし男にはなんというか優しいところがあり、無駄な行動力があり、時折見せる誠実さのようなものがあり、長い付き合いがある私とすれば自然なことに思われた。
あるとき、夫婦のうちに身を引き裂かれるような悲しい出来事があり、妻は実家に一時的に帰省することになった。時間を持て余し、あまりに多くのものを失った男が考えたのは納屋を建てることだった。DIYが流行っていた時期で、便利な納屋を庭に建てれば妻も喜ぶだろうという優しさもあって、基礎から打つ徹底ぶり(彼の中では近年稀に見るほどの)を発揮し、目標に向かって前進する無駄な行動力をもって遂に納屋は完成した。
しばらくして、自宅に戻った妻が完成した納屋を目の当たりにすると、その納屋が触れてはいけない部分に触れてしまったのか、彼女はその場で崩れ落ちて号泣した。元来の納屋が持ち得ない記念碑的な要素がそこにはあったのかもしれない。女性特有の癇癪は止まらず、ほとんど聞く耳も持たず、「なんでなんの相談もなく納屋を建てたのか?」とクリティカルな質問が投げかけられた。「なぜ納屋を建てたのか?」ということはいくつかの要素の積み重なった複合的なものであり、時間が経てば経つほど「なぜ納屋を建てたのか?」ということは本人にもわからなくなっていった。加えて、男は駆けつけた妻の両親にひどく叱責された。「A君、納屋は立てちゃあ、いけないよ。誰にも相談せずに、納屋を、立てちゃあ、いけないよ。」大事なことだから2回いました。妻に隠れて納屋を建ててはいけません。しかし、「なぜ納屋を建ててはいけないか?」ということもおそらく複合的なもので、問いかけるたびに姿を変え、はっきりとした答えは出なかった。夫婦関係は大きく冷え込んだ。納屋のことは「な」の字も話題に上がらなかった。ピンク色の像を想像しないでください、と言われてなかなかできるものではないが、夫婦はそれを実行した。そして男は無駄な行動力で、そこに納屋があったことも悟られないくらい徹底的に納屋を破壊した。基礎は解体され、地面は均された。最終的には男が時折見せる誠実さによって、夫婦関係は修復されていった。
それから数年が経過し、相談したいことがあって久しぶりに友人へ電話した。妻との諍いが続いており、気のおけない友人の助言��頼りにしたかったのである。ひとしきり事情を説明すると、
「それってつまりさ、納屋を立てちゃあいけなかったってことだよなあ」と彼は警句のように言った。
村上春樹の短編に「納屋を焼く」というものがある。アフリカ帰りのある男が、主人公に対し、納屋を焼いて廻っていることを告白する話である。
つまり僕がここにいて、僕があそこにいる。僕は東京にいて、僕は同時にチェニスにいる。責めるのが僕であり、ゆるすのが僕です。それ以外に何がありますか?
と男は言う。終始不穏な手触りのある小説である。
うろ覚えだが、パントマイムをする女が出てきて「蜜柑剥き」のパントマイムをする。「蜜柑向き」のパントマイムをするコツは
そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ
と女が言う。最終的にはモラテリティーとは同時存在のことです、ということらしい。今日も世界中で建てられる納屋と焼かれる納屋のことを考えては仕事が手につかなくなった。
電話をした次の日には、たまたま出張で来ていた父と数ヶ月ぶりに会った。合流すると自宅周辺にあるバーにいった。行きつけとまではいかないが、落ち着いて話をしたいときにはよく来ている場所かもしれない。壁一面に大量のウイスキーの瓶が並べられており壮観である。メニューには一杯十万円のウイスキーなんてものもあり、それを見た父は店内に響き渡るほどの感嘆の声をあげていた。酒もまわり、納屋を建てたり、焼いたりする男たちが話題となった。
「俺にはよくわからないけれど、納屋ってもんは何かのメタファーを持ちうるものかね」と私は聞いた。
すると父は「そういえばキリストも納屋で生まれた」とだけ言った。
酒が回っていたことや、自分の予想を超えた解答のくだらなさも相まって久しぶりに心の底から笑った。そうか、そんな時代から納屋なんてものはあったのか、と思って抱えていた複雑な事象や色々なことがどうでも良くなってきた。2024年前に納屋で生まれた男のことを考えた。納屋を建てもせず、焼きもせず、そこで生まれた男の存在を想って、今日はよく寝られると思った。
成長
息子の爪を切っているときに、指がとても太くなったなあと思った。一方で自分の爪に縦の線が増えてきて、何かの病気かと思って調べたら「老化」と書かれていたときには悲しくなった。
最近は「ティッシュってなにでできているの?」とか、「リモコンってなにでできているの?」と手当たり次第に原材料を尋ねるようになり、いわゆる「なぜなぜ期」というものが始まった。日経新聞で読んだ記事(2024年12月10日 なぜなぜ期は思考力向上の好機)では、「なぜなぜ期」子どもの発達面での大きな節目と考えられているらしい。
4歳ごろは、子どもの発達面での大きな節目と考えられており、思考レベルがぐんと上がる時期。特徴的な例として、2つの物事を混同せずに比べたり、結び付けたりして考えるようになる。物事の因果関係にも興味を持つようになる。 この時期になると、自分の考えと他人の考えは同じではないと分かり、他人の気持ちを理解しようとする姿勢が見られる。さらに過去と現在、未来の時間軸を認識できるようになるので、体験していない「未来」があると分かり、自分の未来にも関心が出てくる。 こうした成長は喜ばしい半面���新たな認識が生まれ不安や恐怖を抱くようになる。特に大きいのが「未知への不安」だ。3〜5歳の時期は死に対する理解が進み、死への不安や恐怖を覚え「自分もいつか死ぬのかな。お父さんお母さんも死んでしまうのかな」と思い巡らす子どもも出てくる。
ある日寝る前に、「お父さんのおじいちゃんはいるの?」と聞かれた。おじいちゃんは今から8年前に亡くしており、この世にもういないことを伝える。
「死んじゃうと会えないの?どうなるの?」
「死ぬとそうだなあ、俺にもわからないけれど、死んだ人に会うことはできないよ。死ぬと全く動けなくなる、大切なものが失われる、話したり、食べたり、遊んだりと言うこともできない。石のようなものになるんだよ」
「お父さんは死なないの?」
「お父さんもいつかはきっと死ぬよ」
「そうなんだあ」と言って黙っていたので死の概念はまだ理解できず、息子は寝たものと私は思っていた。ところが次第に鼻水を啜る声が聞こえ、うっすらと涙を浮かべていることに気がつく。やはり怖くなったのだと言う。そうして今この瞬間に、息子は死の恐怖とそのざらりとした手触りを実感したのだ。私はその事実に想いを巡らせることになった。
気を付けたいのが、終始理屈で説明してしまうことだ。子どもが不安や恐怖に根ざした質問をするときは、親に「不安な気持ちを分かってほしい」と思っている。そんなときは「心配しなくても、大丈夫だよ」と、まずは安心させる言葉をかけてあげよう。
とその記事に書いていたことを思い出した。初めて新聞を読んでいて良かったと思った。
「心配しなくても大丈夫だよ。怖くなったら、お寿司とか、好きな人のことを考えるといいよ」
「そうすると多分寝られると思うよ」と言うとしばらく泣いてはいたけれど、いつの間にか寝ていた。なんだか途方もなく大きくなったものだと思った。そして自分自身も忘れ去られた一つの結末を思い出したことで少しばかりの恐怖を感じたのだが、子どもの成長を目の当たりにすると些細なことのように思われた。
終わりに
この文章を書いているうちに、そういえば自宅の納屋の扉が老朽化して、風で飛ばされる事態が発生したことを思い出した。部品を注文しているが年明けになるとのことで、修復には時間がかかるものと見ている。私は納屋を直す男である。
この記事は2024 Advent Calendar 2024の23日目として書かれました。22日目は nagayamaさん、24日目はtomoyayazakiさんです。
6 notes
·
View notes
Text
ねむらないのは身体のくせにねむらないでいるとおかしくなるのが面白い、最近は誰に何を話したか何も憶えていられない、本のことだけはかろうじて憶えているから本のこと仕事にしていてよかったと思う、夏はよく人に会いました、会って、それで、生活の文脈以外で人と会うことは大切だと思った、選べるから。選ぶことは子どもの時のことを思い出すことだから。その日ねむる家を、会う人を、選んだし望まないとそれはなかった。大人になってわたしはそういう生活から���っかり遠ざかった、それらは完璧な安定をわたしに与えました。安定に退屈するというのは嘘で、もう長くそうしているけど退屈を感じたことはない、ただ安定は決してしにたさを薄めることではないということもわかりました、しにたさや不眠は不安定がもたらすものだと思い込んでいたからそのことにはずっと混乱しているけどそういうものだと憶えてきた身体は、まだねむれなくて忘れっぽくて脈略のない登場人物をまねいては親しくさせる、身体の距離が強制的に感じさせる親密さは距離が遠のくと忘れて、日常じゃない所にそういう身体があるとたすかる。わたしの身体は性行為を欲求としてしたくなるその能力がわりと欠損しているんだけど、全く嫌悪感もなくていつもたのしい。だから人の身体って面白いなと思うのと同時に規範としてそれは特別な関係において満たす欲求であるらしいことをずっと不思議に思っている。欲を満たすための親密さ/親密さの先にある欲求?ことばがすきなのはそれが身体に近いからで、まなざされてはじめて在ります。解釈は決してほんとうではないから、ほんとうではない身体とことばが解釈されていつもほんとうとはずれたところにふわっと漂ってる。どれもほんとうじゃないけどほんとうにはないところにしか在れないからわたしがずっと感じているずれはたぶんおかしいことじゃなくて、頭がおかしいのかもと思っていた子どものわたしには大丈夫って教えたい。
会話でやりとりすると思っていることはそのやりとりの中でぐにゃぐにゃと変形して原型を忘れてしまうから時々はひとりでぼそぼそ長く書き留めることが必要なんだと思う。こうやって誰も読んでくれないようなやり方でわたしずっと書くことをしていて、それは子どもの時からそう。子どもの時にインターネットがうまれてそれでわたしトランスジェンダーの人たちを知った。小学生の頃は男の子のそれと印象される名前でインターネットをやっていて、わたしのずれはそれなのかなと思ったけど別に身体が女であることに嫌悪感はなかった。暴力が女だからじゃなくて子どもだから受けるものだと知っていたから、男とか女じゃなくてわたしの身体はただ暴力を受ける身体だった。女でも男でもいる場所によって暴力を受ける身体として解釈されてそこに在ることになる。わたしは選べたから逃げたし、時々はわざとそこにいた。逃げた先には暴力がなかったけど、暴力のない場所でわたしは恥ずかしい身体だった。なんていうか、色々できないことが多かったし、知らなかったから。暴力のない人たちの中で子どもがどういう風にして在ればいいのか知らなかったから。いることに気付かれないようにひっそりと出入りすることを憶えている身体に挨拶を上書きして、ただいまと発音する時それは身体からずれた言葉だなといつも思って、馴染まなくてつるつると滑った。帰る家じゃない場所で響いてくるおかえりに反応して発音するただいまは、わたしのことをすごくずらした。わたしはたくさ��の嘘をついていたけど普段ついている嘘よりも身体に馴染まない言葉を発音する時の方がずっと激しくずれる。わたしにはど���したって馴染まないことばを使ってやりとりする人たちの中でわたしはいつもバケモノだと思った。暴力の中にいるとそういうことを考えなくてよくて恥ずかしくなくて、でもそれは間違ってるって家の外の大人たちはちゃんと教えてくれたから、わたしは間違ってない方の場所でバケモノになる方を選んだ。ずっと恥ずかしかった。
いまは、最近は。バケモノって案外多いなって思うし前よりは恥ずかしくない。ずれたまま生きている人たちがどうにかしてそのずれを説明しながら生きているのを読むと安心するからたくさん本を読んだ。わたしはそれを盗んでは自分の言葉みたいにして説明に使うけど本当はちょっとどれも違くて、説明の仕方を整えようとするけど、でもそんな説明ほんとうは誰も聞きたくないって知ってる。ただなんていうか、ずれたままの中でずれていない部分を作りたいんだと思う。
大人になると服を着れば見えない所にも殴られなくなって、去年久しぶりに知らない人に怪我させられてすごく大きなあざができた時懐かしかった。もう右足か左足かもおぼえてないけど顔くらい大きいあざができて、2、3ヶ月残って見てる間にこにこした。痛いのって身体が在るのがわかるからたのしいけど怪我がうまれる最中、つまり殴られたり蹴られたりしている間はよくわからなくて反射的に死なないように身体を庇う癖が動く。倒されれば頭を打たないように手をつくし、顔を殴られると頭が揺れて意識が飛びやすいから顔のことを頭ごと腕で覆う。強い衝撃で星が飛ぶ漫画の描写は嘘じゃなくて強く頭を打つとバチバチって光みたいなものが弾けてみえる。子どもの頃間違って顔を殴られちゃってパンダみたいに目の下のあざができちゃった時、そんな風に見える所に傷を残したことを怒られた。保育園の時。わたしぶどう組だった。
日常の文脈にいない人たちと話している時ってそういうことを完璧に忘れてバケモノじゃなくて普通に人間の身体としてそこにある感じがする。脈略のない登場人物であるとき、身体って解釈の幅が貧しいからむしろ自分が普通になれたみたいでうれしい。そういうことが規範の強化に加担してるんじゃんね、と言われたら本当にそうなんだけど普段自分が説明しすぎてその中で解釈された自分の場所にいて重たくなった身体がすごく軽くなってたのしい。感想がすきでも嫌いでも自分が自分としてある程度知られた場所にいると生まれちゃう意味ってある。意味をみてても無視したりそもそも全く見ようとしなかったりで軽いままでいさせてくれる友だちがわたしには何人かいて、最近は身体がずっと重かったからそういう人によく会っている。

なんかあんまり読んでて気持ちいい話じゃないだろうから最近行った横浜の夜景の写真貼っておくね。
6 notes
·
View notes
Text

薔薇の鉢を一時避難させて目覚めたら、台風一過で鮮やかな青空が広がっていました。上陸しないでなによりでしたが、私が住む地域では最高気温が37度になる予報が出ています。皆さまも十分に気をつけてお過ごしください。
私の『死ぬまでに読みたい本リスト』に入っていたガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を一週間かけてやっと読み終わりました。毎晩、自分を寝かしつけるように少しずつ楽しみ、まだその余韻にどっぷりと浸っています。先月文庫化されたばかりなので誰かがテレビやネットで紹介したのか、それとも例の都市伝説のせいなのか、Amazonで一時在庫切れになったほどバズっていましたが、隣駅の本屋には高く平積みになって普通に売っていました。
この神話的な物語の最大の特徴は、『マジックリアリズム』の影響を強く受けていることです。Wikipediaでは、『マジックリアリズム』とは日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法、と説明されています。主に小説や美術に見られるジャンルでシュルレアリスムと似ていますが、少し異なります。
『百年の孤独』の中では、奇妙で幻想的な出来事が疑問や矛盾を感じさせることなく描かれています。何世代にも渡る登場人物たちや未開の土地である架空の村を舞台に、叙事詩のような壮大な物語がほぼリニアに綴られてゆきます。その中で霊的なシンボルが幾度も現れたり、遠隔ヒーリングや死者との対話のシーン、古い羊皮紙に書かれた“針金に吊るした洗濯物のように見える”サンスクリット語の予言書などのマジカルなエピソードが宝石のように散りばめられていますし、目に見えるものと見えないもの、陰と陽を現す2人の主要な登場人物、雨季と乾季を繰り返す天候という、相反するエネルギーが互いに交錯しながら融け合い、新たなるエネルギーを生み出すという錬金術のような世界観にワクワクさせられました。そしてまた、いつか読みたいと思っていた非日常の『マジックリアリズム』が、いつの間にか私にとって日常になっていることに気づかされたのも予期せぬ展開でした。
100年前の人々から見たら、現在の私たちの生活や環境も『マジックリアリズム』満載の非日常な世界でしょう。この物語の中でジプシーの老人メルキアデスが吹聴している、「科学のおかげで距離なんてものは消えた。人間がわが家から一歩も外に出ないで、地上のすべての出来事を知る日も、��んなに遠くない。」ことを可能にしたインターネットの出現を筆頭に、あらゆる事が凄まじいスピードで起こり、変化し続けています。
以下のリンクは、『百年の孤独』に興味のあるヒト向けの動画と、本を読みながら登場人物やその複雑な関係、膨大なエピソードをその都度確認するために便利な読み解きキットです。
youtube
マルケスはこの作品に関して、こう言い残しています。
私は権力の性質についてずっと問いかけていくことになるでしょう。けれども、こうしたことを本当に自覚しはじめたのは、『百年の孤独」を書いている時だったと思います。
あの時、私の背中を押したのは、おそらく法と秩序の勝利をうたっている公式の歴史に逆らってでも、悲劇的なあの事件の犠牲になった人たちを歴史の闇から救い出せるかもしれないという思いでした。
※ 『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』ガブリエル・ガルシア・マルケス著(新潮社)より抜粋
思えば、『百年の孤独』は不自然なほどに食に関連する具体的な表現が少ない小説です。調理の風景や食器、食卓の場面は登場しても、お皿の上に盛り付けられているはずの料理の視覚、味覚、嗅覚的描写はほどんどありません。フードファイトのシーンがありますが、これも肯定的に描いていません。唯一、おいしそうに描かれている食べ物が、物語の舞台であるコロンビアの村、マコンドを訪れたアメリカ人の商人ミスター・ハーバートが生まれて初めて食べたバナナです。
この物語に出てくるバナナ農園のエピソードは、1924年コロンビアのシエネガという町で実際に起こった『バナナ労働者虐殺事件』を元に描かれています。私たちが店頭で見かけるバナナの99.9%はキャベンディッシュという品種ですが、このバナナがどのようにして生産され、流通し、市場を独占しているのかはアップルTVのドキュメンタリー『雑食するヒト』のシーズン1エピソード4の中で説明されています。ちなみに、私はこのエピソードの中に出てくるアップルバナナや、あまり流通していないバランゴンバナナ、ホムトンバナナを生協で注文していますが、キャベンディッシュとはまた違う独特の美味しさがあります。
youtube
100年前の人が想像しなかったものに、多様性が重要視されている点も挙げられるでしょう。以前は多様性=ダイバーシティという言葉は消極的な意味で使われていましたが、それも今は変わりました。“より早く、より便利に、より確実に”を求めているうちに、私たちがいつの間にか失ったものがあることを『百年の孤独』は思い出させてくれます。この物語が今また人々の関心や共感を集めているのは、私たちの潜在意識の中にある回帰への要求が呼び覚まされているからかもしれません。『百年の孤独』は何世代にも渡る回帰、輪廻転生の物語でもあるのです。
Netflixによる『百年の孤独』のドラマ化が決定し、全16話で配信予定(時期は未定)となっています。
youtube
・・・・・
私がアウェアネスクラスの生徒だった頃、夏休みの宿題として以下のことをしていました。ご興味のある方は、残りの期間にやってみてくださいね。
・積読している本を読む
・アウェアネステキストを読み返す
・展覧会などで美術やアートに触れる
・映画を観る
・絵を描く
・��動をする
・オグ・マンディーノ著『この世で一番の奇跡』の100日行
・ワークショップに参加する
・・・・・
Spirit of Wonder 〜シックスセンスと六大要素〜
8月24日(土)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
8月26日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込)
どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
私たちの周りにある五大要素ともう一つの元素、そしてそれらと自分自身の中にある五感と直感との関連について学びます。あなたの外側と内側にあるエネルギーについて理解を深め、その学びを日常生活において実践し、継続しながら、さらなる霊性開花を目指す6時間ワークショップです。レクチャーやゲーム感覚で楽しめる実習やカルマの法や輪廻思想などの哲学を通した内観を通して、ご自身の中にある光をさらに見出していただきたいと思います。
あなたの中に潜在する能力を探り、知り、育み、五感や直感の中で特化した感覚をさらに伸ばして磨き上げましょう。そして同時に自分の苦手分野を知り、それを伸ばす方法も試してみましょう。
私たち全員が生まれついた時点で履修する、人生においてずっと学び続けることのできる共通のカリキュラムが霊性開花です。それは私たちが永遠の可能性を秘めていること、大いなる存在に近づき、さらに明るい光になること教えてくれます。けれど、霊性開花は1人だけでは学べません。あなたの霊性を導いているスピリットの介在、その指導や協力があってこそ、あなたの魂は磨かれ、輝くことができます。スピリットとのコミュニケーションに欠かせないのが自分の感覚を伸ばし、育むことです。このワークショップでは五感や直感、インスピレーションやアイデアのアンテナをさらに伸ばしながら、霊であり光である本来の自分に出会っていただくお手伝いをしたいと思います。
レクチャー内容
・五大要素と最初の元素
・シックスセンスと直感
・大宇宙と小宇宙
・チャクラとオーラ
・聖なるマトリックス
・ミディアムシップにおける六大要素
実習
・シッティング・イン・ザ・パワー
・六大要素を感じ、活かす
・マトリックス内観
・直感と指導霊により深く繋がるための各実習
このワークショップは以下のような方に向いています
・六大要素への理解を深めたい
・直感の練習、経験をしてみたい
・人体とオーラ、チャクラ、元素、世界との関連を知りたい
・指導霊との繋がりを深めたい
・本当の自分の人生の目的を探りたい
・自分自身の可能性や能力を探りたい
・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
このワー���ショップは、2019年夏イベントで開催した同タイトルのワークショップを一部変更し、内容を加えたりアレンジしてアップデートしています。
詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。
ショップからも直接お申し込みいただけます。
・・・・・
秋学期クラスへのお申し込みを受付中です。クラスの詳細とラインナップはサイトとショップからご覧いただけます。(アイイスのサイトでも告知されています)
もうすぐ秋学期が始まります。今年1年間のアウェアネス、霊性開花の総まとめです。私も講師として参加してはいますが、クラスの中で皆さまの目標、夢や憧れを共有させてもらいながら、更なる気づきや学びと癒しのエネルギーを受け取っていきたいと思います。3ヶ月間、一緒に今年1年を振り返りながら更なる光の道を進み、来年への道筋へと繋げてゆきましょう!
・・・・・・・・・・
アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラス
土曜日:19:00~21:00 (後期も土曜日・同じ時間に開催) 日程:9/7、9/21、10/5、10/19、11/2
・・・
アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス
火曜日:10:00~12:00 日程:9/3、9/17、10/1、10/15、10/29
・・・
アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回 お申し込み締め切り:9/15
・・・
アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00 日程:9/10、9/24、10/8、10/22、11/5
木曜日:10:00〜12:00 日程:9/5、9/19、10/3、10/17、10/31
・・・
アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00 日程:9/3、9/17、10/1、10/15、10/29
金曜日:19:00〜21:00 日程:9/13、9/27、10/11、10/25、11/8
・・・
サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00 日程:9/8、9/22、10/6、10/20、11/3 水曜日:16:00~18:00 日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
・・・
インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス
月曜日:16:00~17:00 日程:9/16、9/30、10/14、10/28、11/11
土曜日:10:00~11:00 日程:9/7、9/21、10/5、10/19、11/2
・・・
マントラ入門 Zoomクラス
土曜日:13:00~15:00 日程:9/14、9/28、10/12、10/26、11/9
・・・
トランスZoomクラス
水曜日:10:00~12:00 日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
土曜日:19:00~21:00 日程:9/14、9/28、10/12、10/26、11/9
・・・
サンスクリット・般若心経 Zoomクラス
月曜日:13:00~15:00 日程:9/16、9/30、10/14、10/28、11/11
水曜日:19:00~21:00 日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
クラスの詳細はサイトのこちらのページをご覧ください。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
・・・・・
サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
9月29日 担当ミディアム:惠子・森
11月17日 担当ミディアム:松山:森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
・・・・・
ドロップイン・ナイト
10月17日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
・・・・・
モーニングワーシップ&コミュニオン(目覚めと祈りと瞑想)
10/27(日)9:00〜10:30 担当ミディアム:開堂・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
#Youtube#spiritualism#spiritual growth#spirituality#awareness#unfoldment#スピリチュアリズム#スピリチュアル#アウェアネス#霊性開花#mediumship#spirit communication#cien años de soledad#百年の孤独#ガルシア・マルケス#gabriel garcía márquez
2 notes
·
View notes
Text
みなさんおはようございます。
本日も私みーらが、皆さんの背中をそっと後押しいたします。
えーまず初めのお便りから。ラジオネーム「縦縞コリー」さんです。
お風呂で疲れを取るコツは、お湯を入れすぎないことだと思います。お湯は浅めに入れて、熱き温度に設定すれば、体調不良からすぐに回復するはずです。湯浅熱きってな。
ということなのですが、ハンシン浴ってのはそういうことじゃないと思いますねー。
続きましてラジオネーム「緒田舞里」さんです。
後輩に「36期が入ってきてもそうやって後輩に甘えるんですか?」と言われました。何がダメなのでしょうか。
ということなのですが、少なくとも私はニコニコ見ておりますので、問題ないと思います。撫でて撫でなられての関係にいる人たちを眺めることにも、ある種のプラシー的な効果があると思うんですよね。いや、思い込みかな。やっぱりセラピーボ効果かもしれません。
どんどんいきましょう。ラジオネーム「帝京魂」さん。
今のままでいいのかなぁと悩むことがよくあります。周りから何か言われたわけでもないですが、何かが違う感じがしま���。何が違うと思いますか?
ということなんですがね、多分芸名が違うんだと思います。
続いてラジオネーム「水琴冬雪」さん。
高校の頃の思い出が忘れられません。失って初めて気づく尊い日々に目を奪われて、日々が薄れて見えます。
ということですが、それな。私も生徒会室で働いていた日々が忘れられません。忘れる必要などありません。一生思い出しましょう。
もうなんかここにつける語のネタが切れたので、ちょっと簡略化します。ラジオネーム「七枚目」さん。
ここ数ヶ月、不幸に見舞われすぎています。パソコンは壊れるし、家に蜂の巣はできるし。でもそんな生活をなんだかんだ楽しく過ごす自分もいて、なんだか不思議な気持ちです。これが人生なんですか?
ということですが、それを人生だとしてしまうと、不幸を感じない生活=死になってしまう気がして、それはそれで嫌ですね。
ラジオネーム「苔丸」さん。
気持ちの良い日を過ごすコツは、健康的で優雅な朝食を摂ることだと思うのですが、忙しいとどうしても朝食作りが億劫になってしまいます。何か朝食作りに困らないオススメの方法はありますか?
ということですが、そんな時にはカフェテリアかさねの朝食営業!平日の8:00〜9:00で朝食を販売しているぞ!おかずとご飯と味噌汁も小鉢の栄養バッチリなセットで396円!
あ、すみませんコマーシャルが挟まってしまいました。申し訳ありません。
ラジオネーム「岡崎仁美」さん。
ここ数年の制作チーフが全然他劇団への宣伝訪問や挟み込みをしません。した方がいいと再三言っているので、「耳聞こえねぇのかよ」って思います。いやこれ私のセリフじゃないわ。
ということなのですが、ごめんなさい。制作チーフがアサギだったら、こうはならなかったと思います。
ラジオネーム「西峰ケイ」さん。
芸名変え合戦でみそかに負けたくありません。なんかもう、変えなかったら負けかなって思ってます。とはいえ考えれば考えるほど負けた気がするのもまた事実です。私は一体どうすれば良いのでしょうか。
ということなのですが、そういうときは芸名じゃなくて、語尾で攻めるブビよ〜!
ラジオネーム「あろハム権左衛門」さん。
お昼ご飯のカップヌードルトマトチリ味と、おやつのポッキー抹茶味を一緒に買ったら、どんな食べ合わせだよと言われました。一緒に食べるわけないですよね。カップヌードルトマトチリ味と合わせるのであれば、せめてじゃがりこチーズ味とかだと思います。
ということですが、失敗から生まれた料理ってのも数多くありますよね。
ラジオネーム「大福小餅」さん。
公演情報入力中に漢字を変換しようとすると、大福子持ちになってしまいます。ししゃもじゃないんだから、と思います。ということで、次回公演では「ししゃも子持ち」に改名したいと思います。
ということですが、これを変換してみたら「死者も子持ち」になって、たいそう意味深になってしまったので、大福のままでもちもちしていればいいと思います。
ラジオネーム「肆桜逸」さん。
後輩が僕の足を避けません。避けなかったくせに蹴られたとか言って騒いでます。うるさいです。早急に口をつぐんで欲しいです。かくなる上はポケカで黙らせたいと思います。
ということですが、きっとスチルさんに怒鳴られたりなんかした日には、多分普通に大人しくなると思います。笑顔でいてくれるのが嬉しいです。
ラジオネーム「たぴおか太郎」さん。
「たぴおか太郎」に一文字足して、もっと腹と心を満たす方法を思いつきました。「たぴお肩ロース」です。タピオが何なのかはよくわかりませんが、多分柔らかいと思います。
ということですが、他に考えることないんですかねーこの人。
ラジオネーム「ミル鍋」さん。
これからどんどん暑い季節が近づき、次第にミル鍋という芸名が暑苦しくなるような気がします。先日、別の劇団で活動している「フィーユ」の方からも連絡があり、曰くこっちもいい加減芸名を変えたいとのこと。どんな芸名がいいと思いますか?
ということですが、「冷やし中華」と「はじめました」にすればいいと思います。
ラジオネーム「園堂香莉」さん。
同じ授業を受けている同じサークルの人が、やけに他人行儀というか、よそよそしい感じがします。照明チーフとして2公演もお���話をしてやっているというのにこの態度とは、一体どういう神経をしているんでしょうか。もっと予めドリンクを買ってきて差し出すとか、それくらいのことをするべきだと思います。
ということなのですが、多分普通にまだ恐れ多いだけだと思います。嫌じゃなければ仲良くしてやってください。
ラジオネーム「海泥波波美」さん。
舞台のイメージもないまま脚本を書かないでほしいです。舞台のイメージのない脚本なんて、夏休みのない8月のようです。あるいは、耳のないミッフィーみたいなものです。脚本書いてから舞台を考えるから、僕達みたいに苦労する人が生まれるんです。だからやっぱり、日本は9月入学にするべきだと思います。
ということなのですが、確かに「保湿」って漢字は見れば見るほど難読漢字みたいですよね。
ラジオネーム「衿君」さん。
本当は私がこの形式の役者紹介をするべきなはずなのに、演出にパクられました。こんなのただのネタ潰しだと思います。散々色んな役やらせといて、最終的にやりたいネタはやらせてもらえないなんて、許せません。どうしてやりましょうか。
ということなのですが、その筋肉があればいとも簡単に勝てると思います。
ラジオネーム「大門宙羽」さん。
みなが寝静まった夜に限って、ワクワクして眠れません。どうすればよく眠れますか?
ということなのですが、朝は朝食をしっかり食べて、夜はしっかりお風呂に入りましょう。
ラジオネーム「テキストを入力」さん。
別にある特定のものに限った話ではありませんが、〆切ギリギリにならないとやる気が出ません。やる気を出すにはどうすればいいですか?
ということなのですが、これ本当に共感。結局追い込まれた方が強いんですよね、人って。
ラジオネーム「黒井白子」さん。
こっそり作ったXアカウントの使い道が決まっていません。別に投稿したいこともないので、このままROMアカウントになりそうですが、それでいいのでしょうか。
ということですが、これは大問題ですね。Xなんて呟いてなんぼですからね。Xで呟かないなんて、魚市場で財布無いみたいなもんですからね。
いやお前の名前が一番ラジオネームっぽいだろ
近未来ミイラ
2 notes
·
View notes
Text
長々と「ゴーストワールド」考

私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(��twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
4 notes
·
View notes
Photo

結論、ほぼデマ | パチンコ屋の倒産を応援するブログ
民主党,立憲民主党,鳩山,枝野,野田,首相,悪夢,リーマン,311,東日本大震災,人災,
---
・国家公務員の天下りあっせんを全面禁止 ↓ 府省庁からの斡旋のあったものだけを天下りに数えるように変更して 94%の天下りをカウントから除外しただけ。
さらに民主党政権は天下り・現役出向の拡大とかえって悪化させている。
評価:× 嘘
・子供手当支給 ↓ 2010年7月の参議院選挙前に配って票を得ようとして 麻生政権の景気対策補正予算を事業仕分けで無理矢理凍結して転用。 その後も結局半額支給に留まるなど政権発足前から財源がないことは 藤井裕久ら民主党幹部がすでに理解していた。
評価:△ 半分
・生活保護の母子加算復活 父子家庭に児童扶養手当 ↓ これは事実。
評価:○ ただし福祉ばかり手厚くするその財源は税金なんですけどね。
・記者会見オープン化 ↓ たしかに部分的にオープン化したが、 民主党に批判的な記事を書いた事を理由にした記者の排除や 民主党に批判的な社の記者は絶対に質問させないなどが行われた。
評価:△ オープンにした意味が無い
・公立高校生授業料無償化 私立高校へ助成金支給 ↓ 事実。ただし朝鮮学校へ支給するために1条校以外も対象にしようとするなどした。
評価:△ そもそも義務教育外のものを無償化する是非は?
・密約解明 ↓ おそらく沖縄返還の際に日米で密約があったという話の件。 岡田克也外務大臣が 「証拠はないけど密約はあったはずだ!だからあった」(要約) という乱暴な結論を出し、これを根拠に米国を批判したもので解明などとはほど遠い内容。
評価:× 証拠なしで決めつけただけ。 民主党と支持者に法治の精神がない事を示した上に米国との関係悪化だけでなく、あとから勝手に非公開のはずの話を公開されかない姿勢を各国に見せつけてしまい、各国が民主党政権をまともな外交相手として扱わなくなり日本の外交的地位を完全に地に落とした。 (実際に訪米では途上国と同じ扱いをされるまで日本外交の地位が低下した) のちの安倍政権で日本の外交を立て直すために前半数年を費やさなければならなくなった。
・社会保障費削減撤回 ↓ 評価:△ 事実、ただし代替案なしで負担増加分は現役世代へ。
・基礎自治体に事務事業の権限と財源を大幅に移譲 ↓ 権限を若干移譲したがそれ以上にNPOの主観を地方自治体に移すなど、現在問題となっている公金チューチューなどの温床となっている。 また、予算が欲しい団体は民主党幹事長室に言われた要求を満たさないとならないなど、結局の所は予算や権限を人質に民主党の横暴が加速する面もあった。
評価:△ 責任から逃げたい民主党の哲学もあってか責任の曖昧化が進むなどむしろ害の方が遙かに多いのでは?
・診療報酬引き上げ ↓ 事実、若干上がった
評価:○ ただし社会保険料の上昇加速で現役世代への負担増。
・国と地方の協議の場を設置 ↓ 地方自治体は民主党幹事長室に何らかの見返りを用意しないと予算が追加されなかったり、民主党の議員が強い自治体だけ極端に補助金が優遇されるなど協議以前の問題だった。
評価:× 民主党幹事長室を通さないとならないという憲法違反をやっていた。 (請願の自由の侵害)
・全ての国直轄事業における負担金制度を廃止 ↓ 民主党政権中にさくっと復活
評価:× その後に元に戻った事を考えれば2010年7月の参院選向けのアピールでしかなかった。
・非正規労働者の雇用保険への適用条件緩和 ↓ 事実
評価:○
・原則として製造現場への派遣を禁止 ↓ そもそも派遣で働いていた人達の働き先を無くした後のことを考えておらず、 そのことをつっこまれて民主党政権は方針を変更して撤回したため公約破りとして批判されていた。
評価:× 実現していません。
・農家戸別所得補償制度実施 ↓ たしかに部分的実施は行ったが 農地改良や鳥獣害対策費などの予算を大幅カットしてこれを財源として実現。 また岡田克也の実家であるイオンが戸別所得補償制度を理由に 米農家を買いたたいていた事が国会で指摘されたり、 飼料用米を雑に作っていれば補償で儲かるという制度の建て付けにより、 他の農業者へ貸し出していた農地の貸し剥がしなども横行した。
評価:△ 朝三暮四な上に発生した問題の方が多かった。
・バリアフリー改修、省エネ改修工事補助 ↓ 事実、ただし麻生政権で実施したプランを引っ張った形。
評価:△ 鳩山内閣が特別に実施したものではない
・分娩の公的助成 ↓ 麻生政権で増額を決定したもの
評価:× 強いて言うのなら麻生政権の実績
・肝炎患者のインターフェロン治療の自己負担限度額引き上げ ↓ 2009年民主党政権公約では「自己負担限度額を引き下げる」としていた。 引き上げたのなら公約と逆。
評価:× 公約と真逆
・自殺者が政権交代後に減少中 ↓ たしかに若干の減少��認められるものの 2007年に決定された自殺総合対策大綱を民主党政権は踏襲していただけ。 その後の第二次安倍政権では 1997年以降3万人台を下回った事の無かった自殺者数が2万人前後に低下。
評価:△ 事実ではあるがリーマンショック後の有利なタイミングで政権を取ってただけ。 民主党不況に陥れられていなければもっと減っていた可能性があるのでは?
その他。
野党側に審議時間すら認めない強行採決10連発など、 過去に類例の無い強引な国会運営だったが マスゴミがこれを批判しないようにして擁護していました。
民主党政権では長妻昭と山井和則コンビが 「長妻・山井プラン」などと自慢していた大量の派遣切りがありました。 特定26業種の多くで解釈によって一般の派遣と見なすという手口を使いました。 「派遣を継続的に雇えないようにすれば正社員が増えるはずだ」 という連合の生兵法をそのまま実施した形です。
それに加えて民主党政権が超円高誘導を行う事で 本来ならリーマンショック後の回復局面なのに 民主党不況を作り出して失業者を大量に生み出す結果となりました。
また、「(国家)公務員の総人件費削減」という民主党の公約を実現するという理由で 民主党政権は一時的に霞ヶ関の新卒採用を0にさせようとしました。 (さすがに非難囂々で渋々「若干名」を認めるに変更)
民主党政権は彼らの票田である「情弱高齢層」を向いたままの政治がより露骨で、 若者は切り捨てる傾向が非常に極端な政権だったと言えます。
アニメーターが労組を作った時に 各政党にも挨拶に回ったのですが、 民主党はアニメと聞いて選挙権がない子供じゃ意味が無いと考えて ろくに相手にしなかったなんて話があります。
日本の政治って結局の所は数の多かった団塊世代を中心に 高齢者層ばかりを向いた政治がこの30年以上続けられてきました。
若者を使い捨てにする氷河期世代を作ったのも そうした政治の怠慢と、数ばかり多い問題のある世代のわがままと経団連の合作 と言って良いのだろうと思います。
すでに手遅れ状態になっていますが、岸田総理は異次元の少子化対策などと言って 金を巻き上げて補助金として付け替える 財務省が喜びそうな間抜けな手口で社会保険料負担増を財源にする政策にしようとしています。
今の現役世代は30年間ほぼ給料が上がっていないのに 社会保険料がひたすら上がり続け、 可処分所得がガンガン削られてきた世代だと言えます。
若者の○○離れ、 などとマスゴミが非常に後ろ向きな文脈で使いますが、 使える��の余裕がなくなってるんですから、 お金を無駄に使うような事はできませんよ。
若者にもっと他のことに無駄にお金を使わせたいのなら、 若者の可処分所得を増やすために負担を減らすのが一番ですよ。
財務キャリアという日本国民の敵の言うような 「増税して金を毟って、それを天下りの利権の原資にしつつばらまく」 という方法では効果はほとん期待できないと思います。
日本のマスゴミの特にダメなところの一つに 「○○と比べて今の若者はxxにお金を使わない」 みたいにわざわざ比較して極めて否定的に扱うところがあります。
まぁ、マスゴミとしては 「若者は不幸なんだー!もう未来は真っ暗なんだー!」と、 世の中に不満がどんどんと蓄積していくようにしたいのでしょうけど。
マスゴミの上の方の人達は マルクス主義にかぶれたポンコツどもばかりで固められてますからね。
4 notes
·
View notes
Text
『🥣🛌📝』
2023.10.21の日記とする。
朝、走っていた。5:32だった。目が覚めて雨が降っていた。なぜか興奮して走る準備をした。靴がぐちょぐちょになることも憚らず。前日の筋トレの『おかげ』で、胸が痛かった。走るたびに揺れる胸。俺、今何してんだー。走ってる時も思考をしてた。
「〇〇は、バカじゃないし、アホじゃないよ」
パートナーに言われた言葉。そういえば、木曜日に会ったなー。聞き返すことはしなかったし、顔も緊張して上手く見ることができなかったけど、彼女が僕の方を見ていたのは感じ取れた。
その言葉の『せいか』、最後の500mぐらいは歩いていた。
シャワーを浴びて、洗濯をした。雨だなー。
作業をした。50分くらい。終わることもなく、洗濯機がピーってなった。「スピーディーモードにするの忘れてた。」この言葉を発したのを明確に覚えている。
雨だった。だけど、外に干す。10:47
おそらく同じアパートに住んでる人からは、変な目で見られてるかもしれない。
寝て、起きた。15:41
あー寝てしまった。3時間ほど。ご飯食べてないなー。プロテインを飲む。ここ数年、お金に興味がない僕が、唯一贅沢と感じるものを買った。『エナジードリンク』を買う。僕は、『〇ンスター』の味が大好きだ。例えば、他の人がそこらへんの黒い色の水(コーヒー)や清涼飲料水や、お酒を好んで飲むように、僕は、前記した飲み物が好きだ。ただ、高い。だから、贅沢だ。
夜暇だなー。
とりあえず、ジムに行った。なぜだか歩いて。17:31
脚の日で吐きそうになりながらトレーニングをしてた。18:50
腹減ったなー。固形物食べてないなー。シャワーをしながら、そう思った。あー、飲みに行くか。アパートにあった、パスタ2人前に、一人前のパスタ用ツナマヨを混ぜながら、そう思った。準備をした。(本と鍵を入れた財布と懐中時計を持って)20:01
なぜだか、ワクワクしていた。一人で飲みに行くの久しぶりだなー。3ヶ月ぶりくらいかなー。そう思いながら、歩いていた。雨も上がって、ひんやりしてるなー。良い天気だなー。口元が緩んだ。『ー』☜口調も穏やかになる。やっぱり独りも良いな、向いてるなぁ。だけど、独りでいる時も必ず、僕の中にはパートナーがどこかにいて、彼女の基準と僕の基準と二人の基準で物事と接してしまうと気付かされる。
一軒目、本当にたまにしか行かないバーに行った。一年に2回とか。人がいないし、マスターも僕らみたいに人見知りだから気に入っている。1杯目にホットミルク、2杯目にジントニック、3杯目にネグローニを飲んだ。1,800円だった。美味しかった。22:12
二軒目に、よく行くオーセンティックバーに行った。必ず僕の話のネタになる事が発生する。マスターに挨拶をしたら、「今日は一人?」って言われた。「はい」と答えたら、「そういう日もあるがー」って言われた。カウンター席に案内された。マティーニを頼んだ。
「バーで本読むってマナー違反ですかね?」
「わからんけど、暗いけん読みづらいでしょ。」
たしかに、一軒目でも、二軒目でも読みづらかった。今日の収穫はそれだなぁと思った。22:41
土曜日ということもあって、それなりに人がいた。ソファ席が2セット(4〜5人用)とカウンターが6席ぐらいの店だ。
カウンター 女 男 男 女 〇 僕
↑
こういう並びでカウンター席が埋まっていた。ソファ席は、大学生くらいの人たちのグループとスポーツ少年団の保護者会だった。
(なぜ、二軒目のことを詳しく書いているかというと変なことが起きたから)
マスターも一人でやっているし、本を持っていってたので、読書をしていた。マティーニがきた。相変わらず紳士の味だった。まだ美味しいとは、思えなかったので僕は紳士ではない。
2杯目に、チャイナブルーかソルティドックどっちにするか迷っていたら、女性に話しかけられた。カウンターの一番奥の席にいる女性に。
「お兄さん、体大きいね、鍛えてるの?」
「鍛えてませんよ。酔っ払ってますか?笑」
「少しね。ほぉーら、腕の筋肉凄いね。」
「ここのお店、お触り禁止らしいですよ。僕は有料制にしてるので、お酒ご馳走してもらいますから次からは気をつけてくださいね。」
タンブラーのネタができたなーと思ってると、
「絡���ですみません」と男性が言ってきた。「良い夜ですね」と言っておいた。
2杯目にチャイナブルーを飲むことにした。23:15
内容が頭が痛くなるようなものだったので、読書をやめて、ぼーっと飲んでると、次は、隣の席の人たちに声をかけられた。
「面白いですね、お兄さん。笑」
「季節の変わり目ですからね。」
「彼女とかいるんですか?」
「俗にいう彼女はいます。お二人はカップルですか?」
「会社の同僚です」
「良い夜にしてくださいね。烏滸がましいけど。」
二組とも男性の目が怖かった。僕に向ける目が。
最後にギムレットを飲んで店を後にした。23:45
家に着いた。24:00
学んだことは、二つ。
一つ目は、バーで読書はしたらダメ。
二つ目は、バーでは、自分に酔ったらダメ。
タンブラーの書き方真似してごめん、誰かへ。
おやすみ。
2 notes
·
View notes
Text
2023/7/10〜

7月10日 週末に無印で買った風を通すズボン?を履いてみたら、いままでより格段に快適になってしまって、行きも帰りもバスに乗らずに歩いてしまってへとへと。
出勤して、たくさんの人とデートをしているから誰から聞いた話かわからない、と言っていた人が、その関係の話で「よかったね〜」と言われているのを朝の給湯コーナーで聞きかける。
とうもろこし茶をニューデイズで買った話をしたら「ニューデイズって何?」と言われてしまい、その方はコンビニの区別がつかないそう。 なんとなくの色でなんとなく区別しているとのことで、私も一人暮らしを始める前までは、コンビニ毎の違いをらそこまで気に留めた事なかった。なんか大体アメリカンドッグ売ってて、清掃剤の薬品の匂いで気持ち悪くなる場所だった。
お昼休み、向かいのデスクの方となんとなく話をして、その流れで一緒にスタバへ行くことに。 酷暑なのでお散歩に行くのは気が引けていて、でもどこで何をしていればいいのかわからなくなっていたので一緒に時間を過ごせてもらえて助かった。 と、いうか、ドタキャンを2回もしてしまった過去があるのに、こうやってお昼を誘ってくれてありがたいな〜と、久しぶりホットのチャイティーラテを飲んだ(学生時代、水野しずのしずラテ(ホットのチャイティーラテ豆乳へ変更シロップ半分シナモンパウダー追加)をよく飲んでいた。)!
やっぱりご飯を食べられていない私に、デスクへ戻ったあと「これなら食べられますか?食べないと心配!」とビスコを一袋差し出してくれる。
この週末は3連休が待っていることに気がついて、少し焦っている。

7月11日 サーキュレーターを買おうか迷い中だけれど、この迷いはAmazonプライムセールに誘導されているだけの気もする。
川上さんのエッセイと女性作家のエッセイや短歌集の本が届く。楽天お買い物マラソンに参加してしまった。
職場にはいろんな人がいろんな思惑で仕事をして、同じ日本円の金を手に入れている(金額はまちまちだけれど)!と改めて実感した日だった。 いろんな星があるね、って思ってしまって、今は写真のことや暑さのことや身体のことがあって、仕事に割いてる人生は17.5%(いつもは20%)。 なるべく今年度は有給を使って持ち越せなかった分を出さないようにします。

7月12日 サーキュレーターを買ってしまった! そのほかセールの日用品を購入して、ふと、amazonのセールっていつも同じものばかりセール品になる気がする。もっと楽しいセールのお買い物をしたくなる。
今週末、特に海の日、誰かと少しだけお茶をしたり美術館に行ったりしたくなり、でも当てを頼っては振られてしまい眼鏡を割り続けている。
今日はロキソニンを飲んだからか、ずっとぼーっとしながらも色々お仕事を進めることができた。
高校の進級や卒業が危うい娘・息子を持つ親達の職員さん達の話が飛び交っていて、でもみなさん意外と我が子の人生を「厳しい道を選んじゃってるな〜」とか言っていてあまりピリピリしていなかった。親からしたら子供の人生ってそんなものなのかしら。

7月13日 昨晩私でも知っているタレントの方の急逝についてNHKのニュースから流れてきて固まった。 死は怖いことでもなんでもないのに。そのタイミングが早いか遅いかだけなのに。 それで、ちーちゃんがこないだ、お部屋が汚すぎてこれを残して飛び降りることはできない!と言っていたのを思い出して、死ぬってそれくらいの事でいいんだよね、と思ったりした。 掃除ができるかできないか、死ぬか死なないか。
でも、どんなにその人にとってポジティブな選択としての死だったとしても、残された側での憶測は飛び交うばかりで、死んだあとに、あ〜〜そういうことでなくて…!となってしまうのが嫌で(そもそも、死んだ後も天国で生き続けている?みたいな話は違うと思っているけれど)、私はできる限り生きていたいかもしれない。 それで、毎日とても気をつけて、死なないように気をつけているよ。
朝の電車で、川上未映子さんの深く、しっかり息をしてのエナジードリンクのエピソードを読んで、今の職場の方を思い出す。 その方は3月に入職してから、たびたびお休みをしていて、最近も体調不良でほとんど出勤できていない様子。出勤してもうつらうつはしたり、iPhoneを触っている様子が目立ち、周りの人にとっては簡単な入力作業もままならない感じで、みんな少し呆れてしまっている節があった。
たまに給湯コーナーで会うとお話しできて嬉しい、と言ってくれて、おしゃべりは好きなみたいで、私はいつもカラコンが似合ってるな〜、と思ってその場はなんとなくおしゃべりしていた。
そういえば彼女も息子さんがいて、私と2歳違いくらいだけれどもう小学六年生になるとか言ってたっけ、と、彼女も昼休みが明けるといつもデスクにエナジードリンクを置いていたっけ、と、川上さんのエッセイと通じる部分があり思い出していた。
同じ職場で働く身としては、なるべく戦力になって働いてほしいけれど、でもそれ以上にそれぞれの星を守ることを大切にして欲しいかも。
なんで真面目に働けないの?と、私も思っていたけれど、お仕事は、自分の得たい生活以上に頑張りすぎてはいけないし、本を読んだり映画を見たり美術館に行ったりして、他の世界に触れておかないと星が死んでしまう。危ないところだった。
でもまた明日もし彼女の休暇の連絡を受けたら、やれやれムードを職場の人たちとやってしまうんだろうな。
午後の打ち合わせで、集中治療室の新生児と対面して、生命そのものみたいで戸惑ってしまった。
色々気持ちが落ち着かないので三連休が怖い。

7月14日 少し涼しくて朝起きて4:30でも絶望的な疲労感がなくて、大丈夫な身体の調子の時に、やっぱりギリギリじゃないことが少し怖くなる。体感が麻痺している。
エナジードリンクを飲んでいる職員さんから、今日もお休みの連絡が入り、8月末までお休みされるとのこと。
お昼休みに1ヶ月後の旅行のために新幹線のチケットを取ろうとしたけれど、確定ボタンを押してカード会社のアカウントへログインしてまた確定ボタン画面へ戻る、をループし続けてしまい予約できなかった。 あとお散歩していたらカラスがぱたん、と倒れていた。
以前の上司から、某タレントさんが死について「彼が死を選場なくてはいけない世の中なんて悲しすぎる!」と、話しかけてもらう。 今の上司からナタデココブームは平成5年に会ったことを教えてもらう。
絶望的に疲れていないけれど、平たく積み重なった疲れ感と退屈感があって、やっぱりこの週末が不安なので、よく眠ろうと思う。
帰り際に向かいのデスクの方から、満点でなくて良いから、誰もが認識できる程度のミッキーを、誰もが描けるようになる職場環境をつくろうマイスターの研修を受けたエピソードを聞いた。
リップヴァンウィンクルの花嫁がYouTubeで配信されていたので、今晩は流しで過ごそうかな。

4 notes
·
View notes
Text
月末振り返り(2025年5月)
2025年、5月終わり。まもなく、梅雨入りか。 この振り返りを書いている時点の関東地方、気温は20度を下回り、大雨が続いている。 作物のことを考えると雨は必要不可欠だとわかりつつも、 こういった天候に必ずやってくる頭痛とも付き合う必要があり、 毎年、毎月、毎日、毎秒、困っている自分がいる。
前回4月の振り返りで告知(?)していた除湿機、無事に購入。 ただいまだにわからないのは、除湿機の構造。 てっきり部屋の湿度を吸い取って、それが水として溜まっていると思って居たけれども、 「除湿機 構造」で検索すると、どうもそういう原理ではないようだ。 吸い取られた水を見て「買ってよかった」と思う自分と裏腹に、 「果たしてこれは本当に除湿しているのだろうか」と思う自分もいる。
4月に引き続き、5月も世界は大きく動いた。 連日入ってくるニュースに全くが気が休まらない。
いろんなニュースがあったけれども、すごく懸念しているのがガザ地区の食糧危機の問題。 本来ガザ地区に入ってくる予定だった支援物資が、全く入ってきていない。 海外メディアはイスラエルが支援物資を運ぶための入り口を封鎖していると報道、 それに対してもちろんイスラエルはその事実を否定、対立するハマスが強奪などをしていると主張。 紛争においていつもわりを食うのは、こどもや女性。 かなり辛い映像だけれども、BBCが報道した私たちが直視しないといけない映像。 *映像には、衝撃的な映像が含まれます。ご自身のご判断でご覧ください。
正直、自分が見たい世界を見続けたいと思う。 でも、世界には見たくない世界が広がっている。 それにだんまりを決め込むこともできる、でもそうはなりたくない。 「無関心」とかそういう話ではない。 スクリーンに映る、痩せ細った乳児は私たちが生み出しているのだから。
引き続き、インプットの時間
5月の連休明けから中旬まで、大型のプロジェクトに関わる予定があった。 ただ直前になってキャンセルの連絡があり、大型連休はひたすらインプットのための時間を割いた。
インプットといっても、「決まったプロジェクト完遂」のためにひたすらアイデアを練るとかではなく、 日々、映画や書籍や展示会からの情報を取り込み、頭の中にあるアイデアに紐付け、メモをする作業。 すごく地味な作業だけれども、今年の秋以降におおきく作用してくるだとう思っている。
実をいうと、こういったインプットを「意識して」継続するのは、苦手だ。 同時にわかったのは、私は動いていることで「仕事をしている」と思う傾向が強いようだ。 逆をいうならば、動いていないと「仕事をしていない」と自分に烙印を押している。 そういった意味では、この期間のインプットを「意識して」することは、 新たな自分を作り出す、更新するための時間だと思うと、非常にrichだと思う(ようにしたい)。
火の鳥展へ
兄の影響で、幼少期から大好きな漫画家の1人手塚治虫の「火の鳥展」へ。 この展示少し変わっていて、生物学者の福岡伸一さんが「火の鳥」を再定義するというもの。
展示自体の詳細は書かないが、 福岡伸一さんの解説が非常に面白く、実家にある火の鳥全巻を再読しようと思った次第。
皮肉というか、非常に趣深いと思ったのが、 「火の鳥」ではひたすらに人間として生まれたが故の「業」のようなものを表現しているが、 その「業」が詰まった六本木ヒルズで展示がされていたのが皮肉であり、 非常にアンビバレントだなと思った。
かなり前からAIやロボットの出現を予測し、 それを的確に言い当てていた手塚治虫の先見性の高さ、 何より私が生まれながらにしてもったを「業」を自己反省せず、 経済成長を至上命題として進んでいること。 悲しいという感情を通り越して、面白いとまで感じてしまう。
この展示に、国賓として某米国大統領を招聘したら面白いのに。

(日中に訪問したが、夜に訪れるとまた違った風景が見れたかも)
1年ぶりの登山を、2度ほど。
前述のように、大型連休中後の大型プロジェクトがキャンセルされた。 大型プロジェクト前などはなんだかんだ準備やら連絡やらで時間がカツカツになる。 だけど、時間がぽっこりできたということで、パートナーと登山へ。

(パートナーが撮ってくれた写真。新緑に囲まれていた)
パートナーと登山に行くのは実に2年ぶり。個人的には、1年前の八ヶ岳縦走以来。 標高は高いほうが景色の良さと登山の報われた感は大きいのだけれども、 そんなことよりも「歩く」ことをひたらすに考えることができるのが登山だと思っている。 道中でみる、以前から知っていたつもりの景色を再定義し、 登りはじめに毎度感じる「なんで登ろうとしているんだろう」という答えのない問い、 頂上に着いた後のなんでもできるという達成感、 やがてやってくる下山中の面倒だなと思ってしまう感情など。
こうして書いてみて思うのは、登山をしていて、 やってくる感情というのは、驚くほどに同じだ。 だから、気を抜いていると道迷いをしたり(過去に経験あり)、 急に出てきた獣にいつも以上にびっくりしてしまったり。 すべての感情が「はだか」なんだろうと思う。
パートナーとの登山で登山熱が再熱したわけではないが、 その翌週には、昨年から仲良くしていただいている方と、山中湖の石割山へ。
開始早々、400段の急すぎる階段を登りながら、 「お前は登山とほんまに向き合っているんか」という 石割神社からの声のようなものを受け止め(たような気がするだけ)、 天候は悪いなかでもハイペースで登山を終え、無事に帰宅した。
健康のためとかではなくて、やはり登山はやめれない。 普段着飾っているものをすべて剥いでくる唯一の場所じゃないかと思っている。

(あいにくの天気だったけれども、山頂では一瞬晴れ間も)
5月に出会った素晴らしい作品
5月はあまり映画を観る時間を確保できなかった。 その代わりにすごく時間を割いたのが、中国サスペンス小説。
以前のエントリーで、日本のノンフィクション文学はレベルが高いと書いた。 では中国はどうかと言われると、圧倒的にサスペンスのレベルが高いと思う。 もちろん日本でも、湊かなえさんや東野圭吾さんを代表するような、 非常にクオリティの高いサスペンスを書く著者は多く存在する。
国が変われば社会環境も異なるというのは至極当たり前だけれども、 「共産主義」という見えやすい管理型社会である中国において、 特に警察や法律などを取り巻くルールのようなものは少し事情は異なり、 さらに人々が社会に抱く不満や疑念のようなものも異なる。
そういった環境の中だらこそ生まれたと思える作品をいくつか紹介。 『悪童たち』(紫金陳 著 稲村文吾 訳) 『死亡通知書 暗黒者』(周浩暉 著 稲村文吾 訳)
もちろん中身については書かないが、 1977年に終結宣言がなされた文化大革命時代から、 中国はどのように変わってきて、その世代を生きた親から生まれた子供たちが見ている世界、 そういったものがこれら小説に反映されている。
自身が中国語を学習しているというのもあるが、 そのあとは芋蔓式に少し古い中国映画にはまっている。 「1978年、冬。」も素晴らしい映画だった。
こういった作品たちに触れれば触れるほど、 自分のできることはまだまだあると感じ、同時に世界の広さを再認識する。
急に思い出した「どうにもできない(なかった)こと」について
どういった経緯で思い出したかはわからない。 思い出は大学時代に遡る。
私は20歳を過ぎて、APUという大分県別府市にある大学に入学した。 いわゆる、高校卒業後のストレート入学ではなかった。 その年齢まで浪人をしていたわけではなく、16歳から20歳まで労働に従事していた。 (なぜ高校学齢期に労働に従事していたかはいつかの機会で説明するかも)
入学後もおぼろげに感じていたことではあったが、 卒業して、時間が経ち、その感じていたことはほぼ確信近いものになった。 それは、「同級生の実家はどんだけ太いんだと」ということ。
私のようにアルバイトを掛け持ちしながら、奨学金をもらっている「苦学生」もいた。 ただ、そういった友人はごく少数だったと記憶している。 多くの友人は、家賃、生活費、交際費(大学生は飲み会)など、 ほぼすべてのお金を実家から送金してもらっていた。
当時、大学生だった私は友人との間にある境遇の差にすごく苦しんだ。 苦しんだというよりは、羨望の念から、大学生活を謳歌する彼らを侮蔑の目で見ていた。 で、そのネガティブな感情を消してくれたのは、 ネパールやバングラデシュから来ていた国際学生の存在だった。 (この話、よく講演でも話している話題。なぜネガティブな感情が消えたかはいつかの講演の機会で)
大学を卒業して、約15年が経とうとしている。 たまたま大学時代の友人と都内で食事をした。 順当にいけば管理職だろうなと思っていたが、友人らはもれなく立派な管理職になっていた。
(依頼されている原稿とかではないので、文章にまとまりないことご容赦ください)
大学の同輩ではないが、大人になってできた友人知人、 世の中ではハイスペと呼ばれる人たちの実家はもれなく、実家が太い人たちばかりだ。 親が大学教授、一流企業の部長職、地元の代議士などなど。挙げればきりがない。
教育社会学でよく言われる「階層の固定化」とはまさにこれ。 じゃあお前はどうしたいんだと問われると、 この固定化を流動的にするような、何かしらの作品や表現をしたいということ。
同時に、なんとか大学に進学できた学生が 心配なく卒業できるような奨学金制度も創設したい。 (そんなお金はないんだけれども)
別府での4年間は、人生にとって忘れることのできない出会いと時間の連続だった。 同時に、自分が「考えること」を必死に続けた場所でもあった。 あの時感じた感情を、ふらっとに捉え、作品に昇華していきたいな。
—— 梅雨、そして夏。
まもなく6月突入。旧暦では水無月とされている月。 水がないわけではなくて、水が必要とされている月。 すなわち、私たちを豊かにしてくれる作物が大きく成長する月。
意図的に操作されているとしか思えないお米問題、 いい加減抜け出して、誰にとっても損のないような環境で、 大切な人(たち)とテーブルや食卓を囲みたい次第。
今月もご縁をいただいた皆さま、ありがとうございました。 自分、今月はよく耐えて、生きた。来月も楽しく、笑って生きていこう。
0 notes
Quote
現在進行形でイギリスに住んでるけど、ちょっといくつかのポイントを箇条書きしていきたいと思う。 ・衣食住 至極当たり前なんだけど、稼ぎのレベルで生活水準は大きく変わってくる。駐在員みたいに高給取りであれば問題ないだろうけど、日系企業の現地採用は給料が安いとこが多かったりする。ここ最近は物価の上昇が著しくCost of Living Crisisが叫ばれて久しいため、懐にある程度の余裕がないとせっかく移住してもヒーヒー言う羽目になる。家賃も家の値段も高騰してるのでロンドン内の家探しはすごい大変。 物価は円が弱いこともあって体感日本の約1.5~3倍程度。ただし青果と花は安い。フルーツも日本より安いし豊富だけど、それはブランド化されてないからというのもあり、買う前に品質チェックしないと見えない部分にカビ生えてたり傷んでたりとかは普通にある。 外食も基本高い。それでも天気のいい日はうちの近所のパブやレストランは賑わってるけど。イギリスは「��シマズ」が擦られてるけど、最近は移民増加によって食文化が豊かになっており、それに伴いイギリス人の舌も肥えてきてるので美味しいところが沢山ある(でも基本高い)。Mayfair Chippyのフィッシュ&チップスとかHarwood Armsのサンデーローストとかすごい美味しいよ(高いけど)。もちろんクオリティの低いメシもまだたくさんあるからいろいろ試してみるかグルメさんをフォローしましょう。 日本食はブームになって久しいものの、手軽に手に入る寿司はサーモンとかエビとかアボカドとか。最近はkatsuが流行ってきてるけど、日本のトンカツとは似て非なるもの。日本の食材もまぁまぁ手に入る(これに関しては後ほど)。 気候は夏は最&高。日本と比べたら暑くなりすぎないし天気もいい日が多い。秋冬はずっとどんよりしてるからメンタルやられる人はやられる。ビタミンDのサプリ必須。あと光熱費も高騰してるので貧しい家庭は食費か光熱費かという究極の選択を迫られることもあるらしい…。 水はロンドンはかなりの硬質。ケトルとかシャワーヘッドとかガビガビになるから定期的にお酢とかで綺麗にする必要あり。髪傷みやすい人とか女性なんかは特に影響あるみたいね。男は抜け毛がすごくなるので最初ギョッとする。もちろんウォッシュレットなんてほぼありません(あっても硬質の水だと目詰まり起こすかと)。でも紅茶は硬質の水のほうが美味しい…らしい。あとビールとかワイン好きなら飲む場所だけはたくさんあるのでいいかも。 ・ロンドンかそれ以外か 第一に住む場所が首都ロンドンかそれ以外かで全然違うと心得た方がいい。と言うか、ロンドンだけ異質で別の国みたいな言い方をする時もある。これはデータにも現れてて、ロンドンを差し引くとイギリス全体のGDPはアメリカの一番貧しい州以下になるらしい。そのロンドンも金融街であるシティが全部担ってるみたいな感じ。 ロンドンは人口構成も他と違って、住んでる人の実に40%がイギリス国外で生まれたForeign National。なので街をゆく人々は千差万別、The多様性。歩いてて英語以外の言葉がすごい飛び交ってるのが面白い。 地方に関してはあまり知識がないので多くのことは言えないけど、地域によって貧富の差が激しい印象。バーミンガムとかコベントリーとかは治安も街並みも悪いと聞く。 マンチェスターは意外と日本人多いらしいね。 ・治安 みんな気になる安全性。個人的な経験から言うとそんなに悪くはないんじゃないかな。もちろんエリアや時間帯にもよるけど、アメリカほど命を気にするような乱射事件とかは起こらないし、たまーに銃撃事件が起きても治安悪いエリアのギャング同士の抗争とか。 テロも大きいのはここ最近ないし。 一番被害に遭う確率が大きいのは窃盗、盗難系かな。最近までチャリで手に持ってるスマホを掻っ攫ってく手口がよくあったけど、警察も重い腰を挙げたのか減少傾向にあるらしい。スリもいるので当たり前だけど身の回りの品、貴重品は常に気にかけ外ポケットとかに入れないようにしましょう。 窃盗犯は明らかに盗みやすいカモを狙うので、ガード固いとこをわざわざ攻めにはいきません。 人種差別もみんな気になるところかもだけど、個人的にはそこまで明らかなやつに遭遇したことはない。地方行った時にビール片手に持ってる兄ちゃんに「ニーハオ」って声かけられた時はちょっとイラッとしたけども。 これも体感だけどやり返される可能性の少ない(と思われている)アジア系の女性は悲しいかな両方のターゲットになりやすいよね。在外邦人のX見てても嫌な思いしてるのは女性が多い印象。これは日本でも言えることだけど男女で体感治安が違うのは万国共通なのかも。 反移民感情に関しては間違いなくあるけど、afdが躍進してるドイツやルペンが支持されてるフランスなんかと比べるとマシな印象。先の暴動で難��の宿泊施設が放火されたりと言ったこともあったけど、その後キッチリ犯人や煽動者も逮捕されてるみたいだからまだそこらへんの矜持はあるんじゃないかな。15年政権握ってた保守党から左寄りの労働党に最近変わったけど、どちらかというと保守寄りな左派なので今後移民の移住・定住要件とかは厳しくしていく方針らしい。 ・医療 ドイツ在住増田は医療の酷さを嘆いていたけど、イギリスはそっち方面はまだマシかと。この前子供が生まれたんだけど、医療費全部タダなんでその点はすごくお得。ただNHSが逼迫しているので、たとえ帝王切開みたいな大きな手術受けたとしてしても一晩で家帰らされる(強制ではないけど)。緊急性のない手術は数ヶ月待ちとかは普通にあるみたい。そういや一回A&E(救急科)行ったとき存在自体忘れられて8時間待たされたことあったわ…。あと耳鼻科とか皮膚科とかいった専門医に直接いけるわけではなくて、まずはGPと言われる医者に診てもらってそこから専門医に繋げてもらうシステム。なので医療は日本が断然上。その代わり医者や看護師の方々は激務よね。 ・日本人コミュニティ イギリス全体では日本人は5万人ほどいて、ヨーロッパでは最大。ロンドン首都圏に限定すると3万人ちょっと。ちなみにその次がパリの約2万人で次がデュッセルドルフの6000人。それだけあってやっぱりよく日本人とか日本語話す人を見かける。ドーバー近くのパブで店員の白人の兄ちゃんに「もしかして日本人ですか?」って日本語で声かけられた時は流石にびっくりしたけども。でも意外と日本人街とかはない。デュッセルドルフにはあるのに…。 駐在とかの日本人はロンドンの西側に固まって住んでる印象。そっちに日本語学校とかもあるし、ガチ和食のお店とかもそっちに多い。 Japan CentreもあるしWasoとかのオンラインショップもあるんで、日本食が恋しくなった時はオプションはそれなりにあるんじゃないかな。最近はCoCo壱と丸亀製麺も進出してきてて、前者は日本の味をキープしてるけど後者はあんまりだった…。一風堂もあって味は全く一緒。 ・日本と似ているのか いくつかのコメントでイギリスは日本と似てるみたいながあったけど、個人的にはイマイチピンとこない。こっちは未だ結構な階級社会だし、あんまり似てると感じる要素は思いつかないかな。「大陸の外れにある島国」と言う点では歴史的な出来事や特徴で似通って部分はあると思う。下記動画参考。 https://www.youtube.com/watch?v=BQU7DPjmlaA&ab_channel=MasterofRoflness ・結論 住めばまぁまぁ都。少なくともイギリスだけはやめとけ、みたいな感じではない。物価とか生活費、家賃あたりはネック。 日本にBBCの撮影で来てた全盲のイギリス人女性レポーターが、日本は「Very accessible but not very inclusive」と評していた。点字ブロックやエレベータのアクセスなどはとても進んでいるものの、社会全体として障害のある人々など多様性の受け入れに関してはイギリスの方が進んでいると言う意味らしい。 他にもXで「日本は暮らしやすいけど生きづらい、海外はその逆」みたいに言ってる人もいて確かになとは思う。日本で生きづらさを感じているなら外出てみるのも手よね。 個人的に一番気に入っているのは他のヨーロッパ諸国に国内旅行感覚でいけるとこ。
現在進行形でイギリスに住んでるけど、ちょっといくつかのポイントを箇条..
2 notes
·
View notes
Text
ミュージカル刀剣乱舞 江 おん すていじ ぜっぷつあー りぶうと 観劇概略(2025年5月15日昼公演@大阪公演)
さて、再び!藤原です。これずっと「書かないと!」と思ってたんですけど、どうしても書くことができずこんなギリギリのタイミングに。何がギリギリかっていうと、本日2025年5月29日は「ミュージカル刀剣乱舞 江 おん すていじ ぜっぷつあー りぶうと」(以下江おんR)の大千秋楽です。だから焦っていたのです。もう概略じゃなくなるんじゃね、と。 とりあえず、細かいことは置いておいて、当日に書き殴ったメモを参考に当日の記憶を掘り起こします。前回の観劇概略たんぶらと同様に、個人の主観でのレポートでありますこと、かつラグのあるレポートであることを明示いたします。また、ネタバレなどにも配慮いたしません。防衛はご自身でお願いします。ご了承ください。
観劇前
この日は夕方以降に用事があったこともあり、終演後の物販が難しそうだったので、開場前の物販に並ぶことに。会場であるZepp Numbaに近づけば近づくほど、江おんのTシャツを着てる方々と出会う。すごい、アイドルのライブみたいだ…!と思う。開場前物販には滑り込めればいいかな〜というくらいだったので、物販の時間ギリギリに会場に到着することになり、もう入場待機列が出来上がっている中、見つけた待機列最後尾のお兄さんのところに並ぶ。20分くらい並んで物販購入に至る。以前の坂龍飛騰の物販のときに学んだので、物販購入後用の袋を持参しそちらに戦利品を入れる。待機中に売り切れたグッズもあり、キャラクタ推しだとやっぱ物販ギリギリに来るのは危険だと再実感。刀ミュについては通販がしっかりあるのでそちらを活用しよう! 今回の江おんRは、スタンディングで整理番号入場だったこともあり、最後から数えたほうが早い番号とはいえ、いつ呼ばれるか分からないので会場時間くらいで整理列待機。番号のところまで移動しながら、観客層を何となく見る。結構Tシャツを着てる人多い。6割〜7割くらい。豊前(敬称略)の赤いTシャツはめちゃめちゃ目立つ。地味に村雲(敬称略)と五月雨(敬称略)も多い。男の人が全体の1割いるかどうか。年齢層は極端に低くもなく高くもなく、20代・30代が多そうな感じではある。極端に若くないのはとても助かる。あとみんなさすがにりぶうと(再演)だからか、Zepp慣れしてる。手慣れてるなぁと思いました。私の方が全然慣れてない。
観劇中
位置取り的に1階後方センター寄りくらいの位置でしたが、初めのパントマイムなどはほぼ見えず。やってるのは分かるけど見えないときついな〜と思っていたら、Take offして始まってからはスクリーンに映るので、めっちゃ見易かったです。もちろん、ステージ全てが見えたわけではないですが、雰囲気を掴むには全然問題はなかったです。途中であった「らんきんぐしあたぁ」についても問題なく見えましたが、それは松井が率先して階段上に登っていたからかも。 江ステ関係は履修はせずに感じるままに行こうと決めていたのでどんな感じかな〜と思っていたのですが、江おんメンバー基本的に皆さん上手いですね!大型ライブのみ履修していて、その中でも真剣乱舞祭2022前1/3のまでしか見れていない私からしたら「こんな上手だったっけ?」くらいには錯覚する。あとなぜか皆さんすごい大阪弁。何で?一番初めに始めたのはTake off前の大典田(敬称略)と水心子(敬称略)のやりとりの中だったような。大典田さん、パントマイム上手ね。見えた部分だけ、遠目でもわかるくらいには上手でした。 セトリ的にはデュエット曲の後にソロ曲があり、合間にらんきんぐしあたぁがあって、最後に2曲とアンコールというセトリでした。初っ端のMCで、DJのちぇきちぇきで籠手切(敬称略)だけ時間すごい遡ってました。五月雨(敬称略)「さっきのタイミングに戻ってもいま戻ってた分、僕たち進んでますよ?」確かに…!永遠に追いつけないパラドックス。 前半ステージについてはアイドルや〜ん!ってなっていたのと、近くにめっちゃコールしてくれるお姉さんがいてすごく助かりました。コールとか結構あるのね。知らなかったよ。っていうか書いていて思い出したけど、大典田(敬称略)の「でぃじぇぱふぉうまんす」良すぎるだろ。リミックスされてたトラックがかなり良すぎて、跳んでいいフロアだったら跳んでたくらいにはめっちゃ盛り上がりました。あれはジャンプ禁止にして正解ですね。確かに揺れる。 ソロ曲に関してですが、色々と趣向が凝らされていて凝っていたなあと思います。それとは別に一言言っておきたいのが、トップバッター籠手切くんほんと凄かった。「あれだよアイドルって」って感じるパフォーマンス。ヴィジュアルとか歌のうまさとかダンスのスキルだけじゃない、魂が輝いてる感じ。確かにあれ見ちゃうと歌って踊れる付喪神を目指すのが分かってしまう恐ろしいポテンシャル。凝らされてた趣向については、「江 おん すていじ」なので、すていじに因んだものになってるのかなあと思いました。個人的に感じた印象は下記です。(これが当日メモの部分。ソロ曲に限らずになってますが、メモはソロ曲順です。とても乱文。キャラクタ名は全て敬称略でお願いします。)
籠手切:お前が一番アイドルだよ!!いやもうこれが籠手切が目指していた付喪神だと思うだけで泣く。標準的に見えるけどめっちゃ踊れる。ソロ曲トップバッターめっちゃ良かったし、あの運動量こなせるのは普通にすごい。ソロのとき、松井と豊前が応援舞台になってたけど、団扇掲げたりPPPHしててほんとかわいい存在なんだなあと思った。アイドルライブのすていじっぽい。
村雲:ソロ以外でも全体通して表情がすごい豊か。アイドルとしての表情の管理すごいね。笑顔可愛いし、弱気なときもしゅーんとするときもある(通常時)けど、吹っ切れたとき(アイドル時)のギャップはその分エグい。足あげると意外に迫力ある。ふとした顔美人すぎ。すていじはイリュージョン。マジシャンとか手品師モチーフかな。ステッキダンスむずいのにすごいな。
五月雨:アニメみたいな感じ。2Dではないのは分かってるんですけど、「生きてる」っていうライブ感がすごかった。スキル・ポテンシャルともに標準的に高すぎて何でもできる人みたい。アドリブ多分一番多いよね。たまにツボって笑うのがほんとにたまらない空気感。自然体。すていじイメージはロックアーティスト。
大典田:男惚れするわ〜!!もうなんか、あれはずるいと思わざるを得ないくらい、男惚れするわ〜!!パントマイム・DJプレイ・ピアノ演奏・ダンス・ヒューマンビートボックス、何でもござれすぎる。才能の4次��ポケットかよ。ソロ曲は普通に良い曲だけど、あれむず過ぎるでしょ。ピアノと自分の声のオンリーなんて誰でもできるわけじゃないので、元々持ってる声とかすごい良いんだと思う。でも気取ってなくて、おちゃらけもいける。きっとこれは冗談が通じる天下五剣。すていじのイメージはピアノリサイタル。
水心子:すていじ全体通して縁の下の力持ち感がすごい。居ないと気になる欠かせない存在になってる感じがする。ソロ曲めっちゃ良かった〜!ディスコ・ダンスフロアだった。イントロの大典田とのやりとりがso cute。すていじはダンスフロアなイメージ。ディスコティック。
桑名:桑名、君、表情マジでどうやって作ってるの??あんな��目が見えなくて表情が分かることある?凄すぎるよ!!誇るべき才能と努力や研究の賜物だよ。ほんとすごい。あと、脚長すぎだし、ダンスイケイケすぎるし、声量バケモンか。多分みんなで合わせるときにはセーブしてるけど、ソロ曲ではちょっとリミッター外してる感じある。ソロ曲すごい駆け回るやん。すていじのイメージはヒーローショーっぽ感じもありつつ、アイドルっぽい感じもありつつ。敵が出てこない感じのヒーローパート。絶対爆発とかする。
豊前:マジで視線ぶれない。アイドルかよ。ずっと目合う系のヤバい沼に落とすやつ。真顔えぐいぐらい見れる。ソロ曲はお前がギルティ。あとなんかすごいオーラえぐい、目を惹く。すていじイメージはアーティストのスタジオ収録味ある。アーティストライブっぽさ。
松井:相変わらずお歌上手。手がめっちゃ長く見える。多分見せ方が綺麗なんだと思う。途中で一瞬羽見えた。「私がエンターテイメントの神だ!!!」「著作権!!」ドジっ子か。表情の差がエグいわけではなくていつも松井っぽいのがすごい。違和感がなく行動や表情が自然に見えるので、キャラクタが馴染んでるんだなと思う。すていじのイメージはミュージカル歌劇。存分にポテンシャルを発揮。
上記が基本的な各キャラに対しての印象になります。個人的にはどの子も解釈的な大きなブレもなく良かった!という感じです。また、この日の「らんきんぐしあたぁ(箱に入った1〜50の紙を引いて、各々のみが数を把握し、数が小さい人ほど偉い/高位のポジションの役を演じて、最終的に引いた数字の順番に並べるかどうか)」についてですが、テーマは「おうでぃしょん」。エンターテイメントの神(松井)が出てくるわ、オーディション側のスタッフ(大典田)は出てくるわ、話の通じない天才子役が出るわ(豊前)、見た目は子供中身はそこそこ大人な子役は出るわ(籠手切)、その姉(芸歴3ヶ月くらいだった)も出るわ(桑名)、なんだかすごい回でした。結果、正解は松井→籠手切→村雲→五月雨→水心子→桑名→大典田→豊前だったと思うのですが、五月雨→水心子→桑名のところが1つずつの連番だったんですよね。この演技分けの見極めでミスがあり、不正解となっていたと思います。記憶違いならすみません!!反省します。 それでこのたんぶらの肝というか、「なぜ私がこの観劇概略を書くのに時間がかかってしまったか」の一因でもあるなんですが、それはこの新曲だった「36度2分」という本編最後の楽曲に由来するんですけど。これがもう本当に魂を縛っているんじゃないかというくらい辛くて。いやまあ「辛い」という言葉が適切ではないかもしれないんですが。まず前提、「36度2分」は本当に名曲というか神曲でしかないと思います。本当に名バラード。これは断言できる。できるんですが、この曲聞くと刀ミュを楽しんでたオタクからゲーム本丸の審神者に引き戻される感覚があって。そうなったときにもう涙が止まらないんですよ。なんで刀剣男士が体温と心臓の鼓動の歌を歌うの…。しんどみ…。ということにありまして。 なんというか、言葉にするのが本当に難しくて、悲しい歌だったわけでもしんどい内容や辛い歌だったわけでもないんです。確かにバラードだししんみりとしているんですけど、言葉がきついわけでもないと思うし、難しい言い回しがあるわけでもない。でも、サビの歌詞が、なんだかサビのその歌詞全てが、刀剣男子のことも言っているし、現実の生活を送っている審神者(ユーザー)のことや、それこそ刀ミュとか全然関係なく生きている人全体も歌っているように感じて。それは共感を呼ぶものだし感情移入して聴ける要素なんですけど、「今日も生き抜いたと思い知る24時」「頼りなく確かに刻む心臓」「36度2分 温もりを感じる」「きっと明日も僕はここに居たいんだ」これを日本刀という物体の擬人化をしたキャラクタ(のキャスト)が歌ってるんですよ。しかも擬人化する過程の中で審神者(ユーザー)の力を借りているという設定で、彼らはユーザーが現れて欲しいと思い顕現を祈らないと出てこない。応えてくれない。けど、ゲームシステム上一度顕現してしまえばその扱いは審神者(ユーザー)に一存される。そんな存在なんですよ。その、彼らがこんなこと歌うのかというのが、衝撃というか…なんと言葉にしたら良いのかすら分からなくて。切ない反面、彼らに対してやりきれなくもあり、自分自身に対しての無力感というか、そういうネガティブな感情がいくつか混ざって分からなくなる感情があるんですけど、これが後半のパートに行くに従って、特にラスサビ手前の落ちサビくらいからちょっとずつポジティブになっていく(というか消化される感覚になる)のがまた…、私を混乱に落としていて。私はまだ未消化なのにそんなに悲しまなくて良いよって言ってくれているように感じるのが辛すぎて、結局全然消化できておらず、どうしようもなくなってしまったんです。なんでか分からないけど、この曲だけ1番のAメロからずっと泣いてました。いきなりオタクから審神者に引き戻されて、考えることが多すぎて、頭パンクしてしまったんかな。言い訳でしかないんですが、本当にこんな感情につき落とすくらい「36度2分」は名曲。素晴らしいです。
観劇後 及び 総括
坂龍がアンコールなかったので、江おんも無いかと思ってましたが、アンコールありましたね。また小粋な演出から始まるアンコールでした。上記の通り36度2分で死にかけていた私を現実に引き戻してくれたのは、このアンコールです。おかげさまで笑顔で帰れました。ありがとう。ですが、色々な衝撃で会場出るのが後ろの方になってしまいましたね。会場のスタッフさんにご迷惑かけてないと良いのですが。 トータルとしてみると、「江 おん すていじ ぜっぷつあー りぶうと」はミュージカルと呼ぶのは演技やミュージカルの比率が少なく感じてしまったのでちょっと難しい気もしましたが、ミュージカル刀剣乱舞で見たときには十分に満足できる、かつ、色々な意味合いを感じとる公演でした。何より江おんの南総里見八犬伝では、これにお芝居もついてたんですよね…?それはキャストさん・演者さんたちがマジで化け物すぎる。お芝居・セリフ・ダンス・歌・ポジション・衣装、2.5次元を限らずミュージカルや舞台は構成する要素が多いほど覚えるものが多くて、本当に演者さんがたの能力とそれを支えてくれる裏方さんのスキルや技術に頼っているエンターテイメントだと、改めて考えさせられます。こんな奇跡、他にないよ…。ほんとに。 ミュージカル刀剣乱舞 江 おん すていじ ぜっぷつあー りぶうと、本日29日の大千秋楽、まずは開催おめでとうございます。無事に最終日を迎えられましたこと、嬉しい限りです。現地に向かわれる方はお気をつけください。ライビュ・配信を見られる方は、本日でも本日じゃなくてもそれぞれの場所で楽しんでいきましょう!私ももう一回見ます。
0 notes
Text
「Can You Catch A Cold?」サンプル5
字幕大王2024.06.25
サンプル4はこちら
水俣病の混乱
細菌論に夢中だったために伝染病と間違われた病気は栄養不足だけではない。1956年5月のこと、5歳の少女が日本の水俣市の病院に入院した。水俣は八代海に面した人口約5万人の小さな漁村だった。その少女は、けいれん、歩行困難、言語障害などの異常な神経症状を呈し、急速に体調を崩していた。数日後、彼女の妹と町内の他の3人もまったく同じ症状で病院を訪れた[45,46]。
その後、数週間から数ヶ月で、村の人々が病気になるケースが急増したが、罹患したのは村人だけではなかった。大量の魚が奇妙な泳ぎ方になり、やがて死んで陸に打ち上げられた。海鳥は飛べなくなり、異常な行動をとるようになった。これらの動物を捕食する猫も具合が悪くなり、口からよだれを垂らし、気が狂ったかのようにぐるぐる走り回った[47]。動物と人間の間で何らかの病原体が伝播したのだろうか。誰も確かなことはわからないが、この大流行は伝染病の特徴をすべて備えているように思われた。最初の患者が出た後、村に住む人々が次々と同じ症状で倒れ始めたのだ。そのため、ある種の「奇妙な伝染病」が発生したという噂が広まった[48]。やがて、この病気は伝染性髄膜炎であるという未確認の報道が出始め、地域社会は大きなパニックに陥ったのである[49]。
謎の病気への恐怖は極めて大きく、近隣の町の人々は水俣人を排斥し始め、長い間築かれてきた密接なコミュニティの絆は急速に失われていった[50]。伝染病まん延を抑えるため、家屋は消毒され、病人は隔離された[49]。この対策にもかかわらず、伝染病が地域住民を襲い続けた。初期の報道によれば、少なくとも55人が感染し、17人が死亡した[45]。
しかし、約3年後、研究グループはついに病気の原因が地元の肥料製造会社であると突き止めた。同社が、合成肥料製造の廃棄物であるメチル水銀27トンを水俣湾に投棄していたのだ[51]。この水銀が地元の水路を汚し、何百平方キロメートルもの海を汚染した。かつては美しく肥沃な自然の珊瑚礁であった水俣湾は、有毒な荒れ地となり、かつては豊かであったその恵みを不運にも口にした人間や動物を毒した。
1963年2月、水俣病の発生原因を調査していた研究グループから正式な発表があった。誰もが落胆したが、水俣病の原因は感染性微生物ではなく、メチル水銀に汚染された水俣湾の魚介類の摂取によるものだった[49]。長年にわたって、この環境破壊の犠牲者たちは、日常生活で出会う人々に伝染性ではないと安心させねばならなかった[52]。この災害によって900人以上が死亡し、200万人が慢性的な健康被害に苦しんだ[51]。
水銀中毒の混乱
水俣で起きた出来事にもかかわらず、医療関係者は今日に至るまで、水銀中毒を感染症として誤って診断している。2018年8月のこと、15歳女性、13歳女性、11歳男性の3人兄弟が救急外来を受診した。彼らには、発熱、筋肉痛、皮疹、倦怠感など、非特異的な症状が進行していた。検査は陰性の連続であり、その結果、「ウイルス性症候群」と診断された。子供たちは休ませるために家に帰らせられたが、その3日後、兄弟はさらに悪化した状態で救急部に戻ってきた。うち一人は神経障害を起こしていた。子供たちは溶連菌性咽頭炎(連鎖球菌性咽頭炎)と猩紅熱(しょうこうねつ)と診断された。彼らには抗生物質が投与されて退院した[53]。
その数日後、子供たちはセカンドオピニオンのために別の救急外来を受診した。この時までに、症状はかなり悪化しており、激しい頭痛、息切れ、手足のしびれ、全身の脱力感などが生じていた。結論に飛びついてウイルスやバクテリアのせいにするのではなく、救急医たちはさらに詳しく調べた。すると、子供たちが自宅で水銀の瓶で遊んでいて、それがカーペットにこぼれていたことがわかった。母親はこぼれた水銀を掃除しようとして掃除機を使った。母親はそうとは知らず、これが水銀を加熱・気化させて、子供たちはうっかり吸い込んでしまったのだ。不思議なことに、母親には何の症状も現れなかったので、この病気は小児感染症のように思われたのだ。
子供たちが水銀中毒であることを知った医師たちは、水銀除去のためにキレーション療法を開始した。二人の子供は完全に回復したが、1人は関節、背中、筋肉の痛みが続き、歩行器が必要になった。この出来事はケーススタディとして記録され、2020年2月の医学雑誌に掲載された。著者の結論としては、水銀中毒が感染症に似ている可能性があることだ[53]。子供たちは同じ家で暮らしており、似たような症状を呈していたため、最初の病院の医師は、小児期の伝染病が兄弟間で広がったに違いないと誤って考えたのだ。ここでもまた、一面的なレンズを通して世界を見ることが誤った思い込みを招き、正しい診断と治療を遅らせたのである。
なぜこれが重要なのか?
壊血病、ペラグラ、水銀中毒といった病気の原因を正しく特定することが重要だったことは明らかだ。しかし、いずれの場合も、細菌論というレンズが真実を邪魔し、調査者を無益な捜索に向かわせ、一般大衆を無用なパニックに陥れた。これらの事例だけを見ても、間違った説明モデルを適用したことによる影響を定量化するのは難しい。数え切れないほどの資源、時間、人命が、存在もしない敵と戦い、追いかけて失われたのだ。また、どれだけの人々が仲間はずれにされ、孤立し、非人道的な扱いを受け、タイムリーで効果的な医療を拒否されたかを考えると胸が痛む。それは伝染病だからではなく、伝染病であることを恐れたからである。このように、我々が世界を見るレンズは強力だ。良くも悪くも、レンズは我々のあらゆる知覚を彩り、我々の見方に一致する結果をもたらす。
もちろん、今では良くわかっており、これらの病気を伝染病と見なすことはない。壊血病、ペラグラ、水俣病のような病気を振り返り、その過ちに気づくのは簡単なことだ。現在の我々から見れば、人間がハンセン病患者のような烙印を押され、治療を拒否され、檻に入れられた動物のように閉じ込められていたのは野蛮なことのように思える。後知恵とはおかしなものだ。我々は今、すべての答えを持っていると思い込んでいる。しかし、我々がいまだに伝染病だと考えているが、そうでない病気が他にもあるとしたらどうだろう?ここまで来たと誇らしげに振り返っても、まだ同じ過ちを犯しているかもしれない。プライドと甘さに目がくらみ、過ちを犯し続けていることに気づかないまま、我々は突き進むのだ。
今にして思えば、過去の研究者の一部が傲慢でなく、型にはまっていなかったのは幸運だった。彼らは謙虚であり続け、心をオープンにし、勇気を持って行動した。もし彼らが、受け入れられているパラダイムに挑戦しようと思わなかったら、今日の世界はどうなっていただろう?我々はまだそれらの病気を伝染病とみなし、かつてと同じ非効率的で非人道的な治療法を続けていたかもしれない。単純な食生活改善の代わりに、重金属を注射し、ペラグラのために隔離されることを想像してみてほしい。壊血病や脚気、くる病に他人から感染することを恐れて暮らすことを想像してみてほしい。おそらく我々は、ワクチン接種、手洗い、社会的距離、抗生物質、抗ウイルス薬、マスク、ロックダウンといった現代的な方法で、これらの(存在しない)細菌から身を守ろうとするだろう。そのあいだ、人々はライフスタイルや環境によって不必要に死に続けるのだ。そういった想像は難しくはない。例えば風邪やインフルエンザなど、他多くの病気についても、今日の世界はこのような方法で対処しているからだ。ただひとつ違うのは、現代の研究者たちが、伝染病モデルによってこれらの病気を正確に説明できると信じてこんでいることだ。この信念は現在、集団心理に深く刻み込まれており、間違いの可能性を受け入れるのは難しい。文化もまた変化しており、受け入れられているパラダイムに異議を唱える者は、狂った陰謀論者のレッテルを貼られる。
我々はあまりに自身を確信しすぎてしまっている。しかし、本章で示すことは、結果を観察して原因を誤って帰することが、いかに物事を間違えやすいかである。また、結論を急ぐのではなく、厳密に管理��れた(controlled)科学実験によって因果関係を確認することがいかに重要であるかを強調している。我々は過去にも過ちを犯したし、因果関係を正しく理解しなければ、我々自身がどれほど進歩していると考えていようと、過ちを犯し続けるだろう。誤った例が強調しているように、病気を伝染病と誤って診断することは、あらゆる種類の悪影響をもたらす。病人にとっては、適切な診断や治療へのアクセスが遅れ、より深刻な機能障害や身体障害につながる可能性がある。総合的には、これは広範囲に及ぶ影響をもたらす。実際、病気の原因を伝染病と混同してしまえば、より恐れを抱く回避的な社会が培われ、資源の配分を誤り(研究助成金など)、誤った経済(医薬品など)を支え、組織(政府など)に権力を譲り渡し、誤った道を進む間に、より多くの人々が病気になり、命を落とすという機会損失を最終的には被ることになる。
サンプル6はこちら
「Can You Catch A Cold?」サンプル5 | 字幕大王
3 notes
·
View notes
Text

昨年、マンスリーライブを貫徹したSMASH YOUR FACEが、その勢いと培った実力を注ぎ込み、3年ぶりのニューアルバム『さよなら SMASH YOUR FACE』をリリースする。 混沌と凶暴さ、そしてオープンマインド感に満ちた、ハードコアパンクの新たな進化を実現させたニューアルバムについて、ヴォーカリストであるnanchangにインタビューを決行した。

ー昨年は下北沢シェルターでマンスリーライブを行いましたが、振り返ってみて手応えやバンド内及び周辺に変化はありましたか?
nanchang:去年、SELTERで毎月12回やれたのは奇跡だと思います(笑)。メンバーやスタッフの皆んなお疲れ様でした!ありがとう!と心から伝えたいです。 毎月やると後半は、ステージ幅の歩幅すら覚えました(笑)。同じ場所でライブをすると緊張が無くなりライブに集中出来るようになりましたね。 周りのリアクションは、どうなんだろう?? 松原さんも来て頂きましたが、どのような印象でしたか??
ー1年間マンスリー企画を続けるっていうのは、まずバンドの状態が良くないと難しいから、今はいい状態なんだろうと思いました。あとシェルターを選んだのも冴えてるなと。ちょうどインバウンドで海外からの観光客が増えていた時期で、『ぼっち・ざ・ろっく!』の聖地巡礼としてシェルターに来る人も増えていたので、それっていつもと違う層にもアピールできるじゃないですか。偶然だったとしてもnanchangのポップさをキャッチするアンテナが働いていたのかな。対バンも活動の広がりを感じさせるラインナップだったし、いろいろと状況が良くなってきているのかなっては感じてました。
nanchang:やった! 好印象ですね(笑)。シェルター昼企画はデスローにオススメされて始めました。僕は基本的に人のアドバイスを優先させたいと思ってます。 知人が「ウチの子が来日アーティストのコンサートに行きたがっているんだけどチケット代が高くて連れて行けない」と話していたので、その次から学生はチケット代を無料にしました。対バンも後半になってくると「nanchang、あのアイドルグループがカッコいいからオススメだよ」と教えてくれます(笑)。
ー久しぶりとなるニューアルバムですが、計画はいつ頃から? また方向性などは?
nanchang:2023年から制作を始めて3年掛かりの作品作りになりましたね。 方向性は、これまでと違ったアプローチでハードコアを再構築したいと思いました。 数年前から、ロベルト吉野が加入したのですがスクラッチやDJをバンドサウンドに上手く活かせてないと思っていたので、今作では最高のロベルト吉野の魅力が発揮できたサウンドになりました。
ー確かにスクラッチやDJの魅力が前面出ていて、これまでより混沌度が増してすごい作品になっているなと。ロベルト吉野さん加入の経緯やバンドとしてDJを入れようと思ったきっかけは?
nanchang:ロベさんは、前から「何か一緒にやってみたい」と思っていて、18年にEXCELが来日して、僕らの地元・江の島オッパーラでSMASHと一緒にやる時に「EXCELと対バンするので、ハードコア+スクラッチで対抗しようよ!」と誘いました。そこから、そのまま一緒にやるようになりましたね。彼がいることで唯一のハードコアサウンドになるのが強みですよねー

ーアルバムタイトルと収録曲でもある“さよならSMASH YOUR FACE”が意味深なのですが、込められた意味は?
nanchang:ですよねーw。今回のタイトルはサウンドプロデュースをしてくれてるBorisのAtsuo君と話して決めました。 僕がパンクやハードコアに始めた触れた時代、音楽もファッションも最先端に感じました。 それから時が経ち最先端から少し年月が経過したことで、スタイルが定番化した気がします。 つまり「パンクとはこうあるべき」みたいなルールができた気がします。もちろん、年代によって変化はしていると思いますが、世間のスピードはもっと早くなったと個人的には感じています。その中で、ロベルト吉野のスクラッチDJや、他のメンバーが加わったことで「これまでのSMASH YOUR FACEから別れを告げよう」みたいな気持ちになり、「新たなハードコアを歩んで行こう」という意味を込めて、今回のタイトル『さよならSMASH YOUR FACE』にしました。 ちょうど、僕も歌詞を「同じようなメッセージを書き続けていいのか?」や「叫ぶだけのボーカルスタイルでいいのか?」なども感じていたので、すごく当てはまったと思います。 しかも、今回がバンド初のメジャー流通になったので、より意味深になりましたねw。

ーアルバム制作において、各メンバーの役割は?
nanchang:今回のアルバムで僕がいちばん大きなポイントと思うのは、メンバーのヴォーカルパートが増えた点だと思います。ベースのEl Hempがヴォーカルを取ったり、女性ギターのKBが彩りを添えたりしています。 そして、ロベルト吉野のヴォーカルが低音の魅力で何度聴いてもゾクゾクしますね。 El Hempは歌詞も書いていて、僕には書けない歌詞だったので毎回、読んでフムフムと感心しますね。
ーGollipop Recordsからリリースとなった経緯は?
nanchang:僕からオーナーのきーぼーさんに相談しました。 Gollipop Recordsは、アイドルグループのめろん畑a go goやTHE MONSTER A GOGO’Sが所属しているレーベルで、通常のアイドルのレーベルと違うのが魅力的でした。僕らも通常のハードコアでは無いので(笑)。 また、これまでと違ったサウンドに仕上がったので、これまでと違うレーベルから出したいと思いました。意外そうだけど、意外とマッチする的な感じじゃないですか?
ーGollipop Recordsはそのバックボーンからしてハードコアパンクやサイコビリーとも繋がりが強いし、所属しているめろん畑a go goもアイドルとしては異色だしマッチしてますよね。流通はメジャーということもあって、これまでとは違った展開も考えていたり?
nanchang:いえ、まだ何も考えていないです(笑)。正直、メジャーとは知らずにGollipop Recordsからリリースする話だったのでビックリしています。
ー今後の予定は?
nanchang:これまでに聞いたことがないサウンドが作れたと思っているので、多くの人に聴いてもらえるような活動をして行きたいです。 それは国内に留まらず海外にも広げて行きたいです。僕はロベルト吉野をブルックリンでプレイさせたくてSMASH YOUR FACEに誘ったので、実現出来るように頑張りたいと思います。
ーありがとうございました!
nanchang:こちらこそ、ありがとうございました! 皆さんも会場で会いましょうー

SMASH YOUR FACE 『さよならSMASH YOUR FACE』 (YZCW-2001・2025年7月2日発売・2200円(税込)) ハードコアバンドSMASH YOUR FACE、3年ぶりのフルアルバム『さよなら SMASH YOUR FACE』が、まさかのメジャーリリース決定!!
アートワークに浅野忠信、ゲストコーラスにサイプレス上野(サイプレス上野とロベルト吉野)、益子寺かおり(ベッド・イン)、つよっしー(FUCK ON THE BEACH)、サウンドプロデュースにBorisのAtsuoを迎えた意欲作!
すべてを振り切り、走り続けるSMASH YOUR FACEのアティチュードをこの一枚にぶっ込んだ!
「悲しみをブットバセ! 呆れるほどブットバセ!」 ハードコアバンドSMASH YOUR FACEに未来はあるのか? かつて最新だったハードコアを、現代に最狂にポップにアップデートして放つ!
[SMASH YOUR FACE] 昨年、下北沢SHELTERで前人未踏の12ヶ月連続企画を行ったハードコアバンド“SMASH YOUR FACE”。 DJロベルト吉野(サイプレス上野とロベルト吉野)の加入により、バンドサウンドの層を上下左右・スタジオ・ライブ・リミックス・ポストプロダクションまで様々な領域で縦横無尽に横断。 誰も聴いたことのない超次元ハードコアサウンドが爆誕! 結成1989年、活動36年。休むことなくアクティブに走り続ける鉄人バンド。 アンダーグラウンドもメジャーも関係ない! 現6人体制で生み出される全方位ハードコアキャンディー爆撃! ハジけろ!
7月1日(火)新宿ロフトにて、THE MONSTER A GOGO’S、SMASH YOUR FACEのWレコ発開催! ゲストにCRACKS、Fuck On The Beachを迎え、今年も『FORBIDDEN NIGHT』が幕を開ける…
『FORBIDDEN NIGHT vol.2』 2025年7月1日(火)新宿LOFT 【ゲスト】 ・CRACKS ・Fuck On The Beach
チケット後日WEB発売。または、ライブイベント時物販にて購入可能

『ガラ箱ス - GARAFES ANOTHER ROCK FES -』 2025年6月1日(日)新宿LOFT & BAR RYO from ORANGE RANGE DJ KEIN MOOMIN 流血ブリザード 首振りDolls STUPID BABIES GO MAD SMASH YOUR FACE DISGUNDER 助っ人集団☆石井ジャイアンツ 元気堂 Myベストテープ KOLDRYDE GAROCKTOKYO THE KOZIES IRIS MONDO ザ・エイリアンズ 逢瀬アキラ 東京妄想地図 松山あおい
[特別企画(プロレス)] 葛西純 VS ビオレント・ジャック
[司会] CHOP STICK
開演 12:00 / 終演 21:30 前売 ¥3.500 / 当日 ¥4.000 (※別途ドリンク代) [チケット]
6月12日(木)渋谷 某所 SMASH YOUR FACE
back to HOME back to MOBSPROOF back to MOBSPROOF web magazine
0 notes
Text
2012-12-26 チャラン・ポ・ランタン タワー・ポ・ランタン新聞 vol.2


タワーメポメランタン新聞 vol. 2 平成24年12月26日(水)赤口 No.2 時代に逆行した前作『つがいの歯車』から3ヶ月。 早くも“もも”の二十歳カウントダウン 3部作第2弾『たがいの鍵穴』が完成。 12月26日発売! チャラン・ポ・ランタンてなんやねん? サーカスと ゴールデン街が生んだ、鮮やかな毒を放つ トンデモ姉妹。 09年から活動を開始したヴォーカル"も も"(19歳・写真左)とアコーディオンの小春"(24歳・写真右)からなる姉妹 ユニット”チャラン・ポ・ランタン"。 過去にはイギリスでPINK FLOYDの「ディビッド・ギルモア"からのありがたいセッションの誘いを「なんか難しそうな曲だから・・」と断ったり、まだ何の実績もないくせに、そのスケール感と図太さだけは世界規模。 そんな中、12年9月12日には理由(わ 84 ランポ4コマ 時々海外にもライブをしに行ったりするのですが 海外でお客さんに 「チャラポランタン」テ 日本語デドウ言ウ イミナノ? と、よく 聞かれるのですが…・そもそもテキトーに付けちゃった名前だし 「ャランポラン」て英語で クレイジーシスターズ しまったのだが あながち間違えではない気がする! シラナカッター・ け)あって2年ぶりの”ほぼ"フルアルバム『つがいの歯車』をリリース。 ®タワレコメン"に選出されたり、音楽に愛ある人々を中心に本人たちも予想外の大盛り上がり。 そしてなんと、10月にはNHKの大人気子供番組「シャキーン」内の音楽コーナーに楽曲アレンジ&演奏で参加。さ らにPVにも出演(もも=グータラ猫、 小春=ココ撮れワンワン犬)するなど、音と映像で、朝の澄み切ったお茶の間の空気をチャランポ色に染め上げた。 さて、肝心の音楽ですが…日本のわびさび〜ロシアの哀愁〜東欧の無国籍感〜フランスのエスプリ〜イギリスの労働者階級魂などをまとったサウンド・旋律と、失望と失意の中に 一筋の希望の光が差す、押しつけがましくリスナーに同意を求めない歌詞。 あれやこれやが鮮やかで毒々しいエンターテインメントに昇華され、我々が心のどこかで待ちわびていた、いびっ でヒリヒリする音が紡がれる。 無自覚な大人たちのしわ寄せがこの若者に生ませた、怪獣”ゴジラ"のように強くて悲しい突然変異の音楽。 「理解できない奴は出てけ!」聴く者を突っぱねる攻撃性と、 「わたしの音楽を愛して!」さびしがり屋な一面の、相反する感情がない交ぜ となり、賜き手は混乱必至。 国民総マゾステヒックなこの時代にマッチした?この二人の存在。触れたくなったあなたはきっとモノ好き。 もも"が二十歳を迎える13年4月9日までにアルバム3枚のリリースを 公約。 24時間365日、呼吸のように自然に音 楽を鳴らし、生み出す。生きることがイコール音楽活動な姉妹なのである。 どうしょうもない情報が行き交う Twitterの公式アカウントは”@charanporantan 」で検索! ライラル系や動画、写真淡事のく だらないブログなどが見れるオフィシャルサイトは、チャランポラ ンタン"で検索! 何を言えばいいんだろう…・と考えた結果 83 チャラン・ポ・ランタン、ライヴの心得~五力条~ 「ライヴはSEX!」(by小春) チャラン・ポ・ランタンの醍醐味といえばやっぱりライヴ! 初めてライヴに行く人はもちろん、 いつもライヴに行っている人はうなづきながらご覧ください! そしてライヴ会場へおいでませ! 心得・その1 「女をなめんなよ!」 ガールズユニットとなめてかかると痛い目にあう。それがチャラン・ポ・ランタンのライヴ。パッと見、A●B48大●優子似のチャーミングなヴィジュアル”もも"のコブシとドスの効いた 情念たっぷりの唄と、小柄で華者な身体からは想像できないとがった音を鳴らす小春のアコーディオン(彼女の使っている楽器は10Kg以上あります) とが合わさり、ロック好きを自称する男子もたじろぐほどの攻撃的な音楽となっております。S女とM男が惚するライヴを心してご堪能下さい。ちなみに、「もも"は可愛らしい皮をかぶった怪物です。男性諸君、騙されないで! ちなみに、時折垣間見える小春の"女 の子らしさ"。そのギャップもマニアをうらなせます。 客のメガネを取り、抱きつき、頭をなでまわす"もも"。主催者に「ちょっといつもギャラ少なすぎない?バカにしてんの?」と悪態をつき攻撃をする”小春」。全ては観客参加型のエンターティンメントの為(おそらく)! そんな彼女たちの洒落っ気にいちいち目くじらを立てていては堪忍袋がいくつあっても足りません。どうか 寛大な心で彼女たちの洒落を楽しみに来て下さい。 ↑ももからの愛を必要以上に贈られるお客様 注)ちなみに、これはライヴの模様です。 心得・その3 「老若男女で楽しめ!」 ↑この女には気をつけて! せるそのライヴに家族連れの観客も多いのです。「最近大人になってきた娘の気持ちが分からない…」「近頃旦那が抱いてくれないわ…」と家族や恋人との溝を感じる皆さん、是非大事な人を誘って来てみては?関係修復に役立つかは保証出来ませんが、少なくとも会話のネタは出来るはず! 近頃外国人のお 客さんも増えていますので、海外のお友達が欲しい方も是非! 心得・その4 「お金を落として帰れ!」 12年のフジロック出演時に、フジ史上初めての”おひねり"をステージ上から徴収したチャランポ。ステージには大量の札束が投げ込まれました…・。さすがは”ながし"や”大道芸"でキャリアをスタートさせたチャランポ・・・・。生活をかけ、自身の人生を切り売りする彼女たちのライヴに来たのならお金を落として帰って下さい! グッズも一風 変わったかわいいモノを用意しておりますので。 ↑世界最高峰のアーティストたちに(彼女たちなりに) 政通教の敏感を払っで。注ところで、ごればフイツの体です。 心得・その5 「リピーターになれ!」 またまた12年フジロックの話。チャランポと同時刻に真裏のステージに出演したはレディオヘッド。この世界的バンドの存在を全く知らなかった新世代(というか世間知らず)の二人。何とかお客を集めようと彼女たちが考えたのが、"ラジオ頭"なるヘッドドレスを装着し、彼らの代表曲「Paranoid Android」を大目&無礼にもカヴァーすること。さらに先日イベントで出演したZepp Nambaの身の丈に合わない大きなステージでも図に乗り、大阪名物「かに道楽」のコスプレとカヴァーを披露。しかし、こんな悪ふざけをしっつもどちらのカヴァーも”もも"の眼声と”小春"のアコーディオンの音色がマッチし大絶費され、Twitterなどでは「この姉妹ナニ?!」と大絶賛の声を多数いただく。このように思いつきでのカヴァー曲や新曲、変幻自在なMC、そして衣装で毎回違ったステージを見せる(CD通りに演奏出来ない)彼女たち。 そんな一期一会なチャランボのライヴはリピーターになって楽しむのが正解。 そのどうしようもない魅力から抜け出せなくなります。 ↑最前列に陣取り、汚い大人に毒される子供たち。 心得・その2 「洒落の分からない奴は出て行け!」 毎回、観客・主催者などに絡みまくるチャランポ。客席に飛び込んでは観 チャラン その「時代もジャンルも国籍も不明な音楽性」からか、幅広い年齢層から支持されるチャランポ。ある時は老婦人を涙させ、ある時は小学生を踊り狂わ 1虐げられた後、お金まで巻き上げられるお客様。 注)おそらく、これはライヴの模様です。 ↑セーラー●ーンやブルマ姿で惜しげもなくナマ脚を披露するもも。追加料金なしの大サービス。 注)まさかの、これはライブの模様です。
0 notes