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#武器を捨てよう
honnakagawa · 8 months
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1月25日(木)open 12-18
お日さまが出て、街の若いみんながお散歩がてら中川にわいわいとやって来てくれました。
携帯やコートに #freepalestine のメッセージを携えて。
ちょうど先ほど〈東京都がミサイル攻撃に備え「地下シェルター」〉というニュースを目にし、気持ちが重く沈んでいたところでした。
『暮しの手帖 28号』が発売となり、改めて花森安治の「武器をすてよう」という文章を読み返してもいました。
中川にもいつも並んでいる『一戔五厘の旗』の中にも掲載されている文章です。
一番最初に掲載されたのは、1968年10月に発行された『暮しの手帖』第1世紀97号。
56年も前から、花森さんは呼びかけている。
「地球上の、すべての国、すべての民族、すべての人間が一人残らず亡びてしまうまで、ついに武器を捨てることができないなんて。
ぼくたち、この人間とは、そんなにまで愚かなものだとはおもえない。
ぼくは、人間を信じている。
ぼくは、人間に絶望しない。
(中略)
武器を捨てよう。」
国内外のニュースに心が切り裂かれるような日々。
私は人間に絶望してしまいそうになることが、多々ありますが...
みんながこのままで良いと思っているわけがないのに、どうして世界は変わらないのだろう。
生きることが当たり前の世界、困っているときにすぐに躊躇なく手を差し伸べてくれる政治、それは特別なことでしょうか。
命は必ず平等に終わりがやってきます。
私たちはどう暮らしたいのか、考えながら生きる、選択する、ということが、必要ではないかと思います。
それは毎日の暮らしの中のひとつひとつも。
贅沢するな、とかそんな話ではありません。
街の若いみんなが当たり前のように、そんな話をして、そしていろんな行動をしている姿を見て、とても勇気と元気をもらったのです。
今日来てくれてありがとう。
今日発売の『暮しの手帖』28号には、またまた僭越ながら一冊の本をおすすめさせていただいております。
表紙は今井麗さんの作品「FLOWERS」。
庭作りに関心を持って、と書かれていて、この花たちを見ていたら私も花を飾りたくなって、庭から蝋梅を少し切ってきました。
4枚目の動画は、最近姿を見せなくなった庭のねずみくん。
小さな庭にも、入れ替わりがどうしても生まれます。
庭の生き物たちを思いながら、選んだ本のことを書きました。
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ari0921 · 1 year
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込��だと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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ffxivtranslations · 10 days
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The Final Showdown with Zenos - Translation
Jpn -> Eng translation of Zenos and the WoL's final conversation before their deciding battle, plus the voiced lines from the actual battle stage.
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ゼノス・ヴェトル・ガルヴァス : ……戻るのか。お前を、英雄たらしめる世界に。ならば、ここで聞け……ただのお前としてな。……あのアラミゴでの決戦で、俺は何に歓喜したのかと、考えていた。
お前が比類なき強敵であったこと。最後の一息すら絞り出すような戦いができたこと。すなわち……己が命を、燃やすことだ。それが俺の歓びであり、同時に、俺からお前に渡し得る唯一の愉しみだろう。
ゆえにこそ、俺は今一度、お前に再戦を申し入れる。応じぬのであれば、そのまま仲間のもとへ帰るがいい。なにせ人は命を尊ぶ。それを危険にさらすこと、無暗に費やすことは、望んでするなというのが道理らしい。
あるいは英雄たるお前も、人命を護らんという一心で、こんな果てへと至ったのやもしれぬ。だが、ここに……外からお前を定めるものは、何もない。思い出せ……!武器を手にし、技を会得したときの高揚を。
新たな脅威、いまだ踏破せぬ頂を目にしたときの欲を!命を費やさねば得られぬ歓びがあったはずだ。なあ……「冒険者」よ。
Zenos: … … Are you returning? To the world that makes you it’s hero? If so, please listen to me here…. as simply “you”, not a “hero”. I thought about what it was that so delighted me about our showdown in Ala Mhigo.
About how you were my peerless rival. About how we were able to have a battle that could have squeezed my last breath from me. In other words… burning one’s own life. That is my joy, and at the same time, the only enjoyment I can give to you, right?
Therefore, once more I propose a rematch to you. If you wish, you may ignore it and return to your comrades. After all, people value their lives. Exposing yourself to danger, recklessly throwing your life away- apparently, it’s not logical to wish for those things.
Hero- you who believe with your whole heart that life should be protected- perhaps you will be led to such an end. However, in this place, there is no-one to force it upon you. Try to remember! The elation you felt when taking a weapon into your hand and learning new skills.
The desire you felt when you found a new threat, or reached a summit you had never traversed! Surely there was joy that could only be felt by expending your very life. Isn’t that right, “adventurer”?
……まったくそのとおりだ
どうあれお前を、あの星には帰さない
いい加減、お前はうんざりだ
では、勝負といくか。俺とお前の命で……天つ星、そのすべてを焦がそうぞ!
あくまで英雄であることを貫くか。それでも構わね。。。。。。お前が受けて立つというならば、戦いの中で知らしめよう。命を懸ける歓び、その熱を!
……ハ。やっと本気で俺を殺すつもりになったか。ならば、この最果てに俺の骸を打ち捨てるがいい。こちらもお前を仕留める気でいく。命のすべてを削ぎ切って、最期の愉しみに耽ようぞ!
WoL’s options:
… …well, you got me there.
No matter what, I’m not letting you go back to our planet.
Let’s get this over with, I’m already sick of you.
Zenos’s replies:
Well then, let’s fight. With my life and your life… let us burn everything in the heavens!
So, you are determined to play the hero to the bitter end? It matters not to me…… as long as you take up the gauntlet, I will force you to understand through our battle. The joy of wagering one’s life- the passion I feel!!!
…. ha. So, you’ve finally decided to get serious about killing me huh? If so, you are welcome to abandon my remains in this distant place. Of course, I will also be intent on ending you here. Let us indulge in the final pleasure of chipping away at our lives!
Zenos: You mean to return. To the world where you are hailed as a hero. Hear me then not as a hero but as simply you. As I learned in Ala Mhigo you are a formidable foe. Stronger than any I have faced. Against you, I need bring my all to bear. I need burn through the candle of my life. This is the sole pleasure I know, and it is the sole pleasure I have to share. And so I come before you. To issue challenge and offer singular bliss. If you wish to walk away, I will not stop you. You value life. You do not burn your save for reasons you deem worthy. Reasons such as those which brought you here. The salvation of a world and its people. The motives of a hero true. But there is more to you than that. You know this to be true. As surely as you know the thrill of pushing your body and soul to their limits. Of confronting ever-mightier foes, dancing ever closer to the precipice, wondering if this will be the one to finally, finally fill the void. Such pleasures you seek for their own sake, and no other reason. Is this not so… adventurer?
WoL’s options:
That, I can't deny.
Think what you will. But I’m not letting you leave this place.
I’ve have enough of you. It ends here.
Zenos’s replies:
Ha! Acceptance. At long last. The conflagration of our clash will scorch even the stars!
So you would still play the hero. No matter. In acceptance you betray your deception. You know full well what we are, and what we seek. To shine incandescent in death’s shadow!
Ha! Finally mustered the desire to kill me, have you? Go on, then. Try and strike me down in this forsaken place. I shall return the favor. Aye, let us indulge in the only worthwhile pursuit, and burn our lies to their ends!
Japanese battle lines:
俺はただ、勝つために戦おう……!
I am simply fighting to win!
ハ……いきなりは仕留められぬか!
Ha, you won’t be able to take me down suddenly!
凌いでみせろよ。
Try to endure this.
この一戦のため磨いた技……すべて解放する!
All the skills I have honed for the sake of this one battle, I will unleash them all now!
見切れるか?
Can you see through my attacks?
刈り取る!
I reap!
熱い……そうだ……これが戦いだ……!
It’s hot…indeed… this is battle!
お前もまだいけような? 俺は……
ここから、もっと、燃やそうぞ!
Can you keep going? I am… going to start burning even more now!
どうした、この程度でくたばるのか……? デュナミスを燃焼させ、  は再び立ち上がった!
What’s wrong, was that enough to make you croak???
(You burn Dynamis and stand up again!)
フフ、そうだ……! 果てるにはまだ早かろう、友よ!
Heh heh, yes!!
It is far to soon to end this, friend!
無様だな……戦い前の威勢はどうした?
Pathetic… what happened to the power you showed me before this battle? まだだ……俺はまだ、生きている!: オオオオオォォッ!
I’m still… I’m still alive! OOOOOOHHHHHHHHHHHH!!!!!!!!!! 血の一滴も余さず、この刹那に喰らいつこうぞッ!
Without wasting a drop of blood, I will devour you in this moment!
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elle-p · 6 months
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Persona 3 Club Book Strega pages scan and transcription.
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ストレガ
Strega
主人公たち特別課外活動部の行く手に現れる謎の3人組。同じペルソナ使い ながらあくまで敵対する彼らもまた、彼ら自身の信念でその限られた力を振るっている。
復讐代行屋 Strega
港区全域
自らをストレガと名乗る3人組の表向きの顔は、「復讐依頼サイト」に書き込みされた内容を受けて、自ら手を下せない依頼人の代わりに復讐を果たすことだ。人知れず所持する武器を手に、彼らは裏社会を渡り歩いている。
3人はいずれもかつて幾月が、ペルソナ能力者開発のためにグループ内部にすら秘密裏に進めてきた研究の被験者だ。非合法の人体実験で多くの子どもたちが命を落とすなか、幸運にも生き永らえて能力を開花させたものの、悲惨な実態を目の当たりにして研究所から逃亡し、身を寄せ合って生きてきた。
ペルソナ能力の発現と引き換えに心身に過剰の負担を負う彼らは、制御剤の力を以ってすら長くは生きられない。生命としてのルールを逸脱した運命に魅入られ、彼らは刹那的な衝動にのみ突き動かされて生きている。
たった3人だけで影時間に生きてきた彼ら。宵も享楽を求めて夜の街を笑う。
タカヤ Takaya
凶行の担い手
ストレガの実質的リーダー。3人の中では推定年齢が一番高く、研究所から逃亡した当初から指導的立場に立っている。刹那的・虚無的な思考が強く、自分にも他者にもあらゆる物事への執着の愚かさを説く。復讐代行屋として銃の引き金を引くときも、自分の享楽はもちろんだが、相手の生にしがみつく無様な姿を浄化してやろうという思いがあるようだ。
かつて同列の研究対象であったタルタロスは、忌まわしい邪悪なものではなく、甘美な悪夢をもたらす近しいものだと考えており、ペルソナ使いの存在はもまた、タルタロスあってのものだとしている。そのため真意を知らずタルタロス破壊を目指す主人公たちの存在は、愚かな人間がシャドウの恐怖に怯えることへの嘲笑も込めて、抹殺すべきものだと捉えている。
主人公たちの働きではからずも滅びそのものである二ュクスの復活が秒読み段階に入ると、自ら二ュクスの代弁者を名乗り、滅びと破壊の思想で扇動する。
タカヤの救世主思想
• あなたが自覚している悪意と、相手が感じている悪意とは無関係⋯ 人はみな、聞きたいように聞き、信じたい事だけ信じるものです。(6月22日影時間・裏通り)
• 聞けば、人々を守るための、“善なる戦い” だとか。ですが⋯ 今夜はそれをやめて頂きに来ました。(8月6日影時間・防空壕跡)
• 時の限られたこの体⋯力を失ってまで生き永らえるなど無意味⋯ ならば、 私の生きた証⋯ この地に立てるのみ!(11月3日影時間・ムーンライトブリッジ)
• 分かっていますね⋯? 君には “居場所” など無い⋯ 私たちと来る以外にはね。君もよく知っている筈だ⋯ 怖いのは死ぬ事なんかじゃない。(11月21日深夜・辰巳記念病院)
• フ⋯亡霊などではありませんよ⋯ 生に “執着” などしなかった我々を、運命はそれでも “生かした”⋯ 私は “選ばれた” のです。(11月22日影時間・タルタロス)
自分たちの思想こそが浄化された世界を作ると信じるストレガのリーダー。痩せこけた体に長い髪、色素の薄い瞳という憂世離れした姿。
欲深き自称メシア
ほぼ同年代のはずのストレガですがタカヤは見るからに老け顔。不精ヒゲを剃って髪を切ったらかっこいいのに。
ジン Jin
知性派の爆弾魔
タカヤの右腕を務める少年。自作の爆弾を持ち歩き、武器として使用している。
社会から隔絶された自分たちだけのコミュニティの中で生きているストレガは、物資の調達の大半を影時間を利用した略奪行為によってまかなっているが、その指揮を担うのがブレーンであるジン。特別課外活動部を脱退してからの荒垣に接触し、ペルソナ能力抑制のための制御剤を提供することになったのも、ジンの情報収集能力あってのことである。またネットでは同名のハンドルネームで知られており、その知名度と情報操作のノウハウが、ニュクス教を一気に広げることを可能にした。
つねにともに生きてきたタカヤを崇拝しているが、それゆえに狂気の思想に囚われる彼を、命を捨てていさめようとする。
物議を醸す髪の構造がよくわかる右からの一枚。身につけているものひとつひとつにもこだわりが感じられます。
ストレガ一家を支える苦労人な屋台骨
実際的な生活能力の欠如したストレガを支える一番の常識人。資金調達から食事の世話まですべてを担う関西弁のミリタリーマニア。
ジンの毎晩大変なんだから
• お前を恨んどるヤツがおんねや。でもって、“復讐” を頼まれとる。(6月22日影時間・裏通り)
• お前らには “個人” の目的しかあらへん。どいつも本音はその為に戦っとる。お前らの正義は、それを正当化する為のただの “言い訳” や。そんなんは “善” や ない⋯ ただの “偽善” ���。そんなもんに邪魔されとうない。(8月6日影時間・防空壕跡)
• 破れかぶれは、あかん! ⋯すんません。でもこれは⋯ あなたが言うてくれた言葉です。(11月3日影時間・ムーンライトブリッジ)
• やめときや、タカヤ⋯ アンタには先がある! ここで無理したって⋯意味 あらへん! (11月22日影時間・タルタロス)
チドリ Chidori
手斧の魔女
白いドレスに身を包んだ、虚ろな表情の少女。ストレガのひとりとしてタカヤやジンと行動を共にし、ぺルソナ能力のひとつである索敵能力でふたりのサポートを行なうが、ふたりとともに戦いの場で力を振るうことは少ない。
感情表現に乏しく、とくに喜びや悲しみを表に現すことはほどんどない。それは幾月の下で受けた過酷な人体実験や、逃亡後の寄る辺のない生活によって後天的に身に付けた自衛の手段。また彼女は自身のペルソナを通して、あらゆる生き物に命を分け与えることができるが、これも自分の人生にはすぐ先に死が見えているという揺るぎない事実ゆえ、生きることに対してまったく執着を持たなくなった結果の悲しい力だ。しかしそれでも、ふたりが手を下す殺戮現場に決して目をやろうとしないのは、運命をゆがめて与えられる死への、本能的な嫌悪感を抱いているからかもしれない。
生を放棄した飛べない小鳥
可憐な容姿に似合わず手斧を振るって戦う少女。気の向かない相手とは一切会話せず、自分のペルソナだけを拠りどころに生きている。
冷めた目線はチドリのトレードマーク。豪奢なドレスは彼女の趣味なのか、ジンのお仕着せなのか。
あんたには関係ない私の言葉
• チドリよ。私の名前。順平が訊いたんでしょ? あの絵⋯もうすぐできるから。私の描いたものは、私にしか分からない。でもそんなに見たきゃ⋯来れば? (8月31日昼・ポートアイランド駅前)
• 命より、作戦が大事ってこと? 死ぬ事って、普通の人には一番の恐怖なんでしょ? ⋯ 違うの? (9月5日影時間・巌戸台分寮屋上)
• ⋯言っとくけど、心配してくれなんて、言ってないから。あんたの勝手な早合点でしょ。(9月8日昼・辰巳記念病院)
• なにそれ⋯ なんで、そんな顔してるの? 死ぬなんて怖くないのに⋯ 死なんて、あした目が覚めないってだけ⋯ ただそれだけじゃないの。(9月10日昼・辰巳記念病院)
• そう⋯アイツのせいよ⋯ アイツが近づいて来てから、私、毎日、苦しくて⋯ 死ぬのが⋯怖くなって⋯ (11月21日深夜・辰巳記念病院)
• 順平と一緒に居ると、怖くなかったものが、なんでも怖くなる⋯ 無くすのが怖い⋯ 死ぬのだって怖い⋯ 一緒の時間が終わっちゃうのが⋯怖い⋯ だから、私⋯ (11月22日影時間・タルタロス)
「チドリ補正」の入った超ナイスガイな順平とともに。幸せになって欲しいカップルNo.1。
順平との出会いと「生きること」
敵同士としての立場にありながらも献身的に尽くす順平と出会って、チドリは少しずつ生きることの意味を知る。けれどそれは自分自身の死の認識と同義。ずっと忘れていた死ぬことの恐怖におののきながら、それでも彼女は愛する彼に生きて欲しいと願った。
頬を染めたグラマラスなチドリの魅力に、すっかり鼻の下が伸ぎ切った順平がキュート。がんばれヒゲ男くん!
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kinemekoudon · 2 years
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【13話】 留置官に「ブチ殺すぞ」と言われたので弁護士にチクっておいたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
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――逮捕から6日目。いつものように、頼んでもいないのに朝食が出てくる。ベトナム人はいつものルーティーンのように、味噌風味のお湯が入った容器にソースと醤油を入れて啜っている。
僕は昨日、自弁のカツ丼を食べて舌が肥えてしまっていたので、味噌風味のお湯を啜る気にはならず、もはや視界に入っているのも煩わしく感じたため、味噌風味のお湯の入った容器をゴザの上から床の上に移動させて食事を続ける。
すると、ヤクザ風の留置官が「オイ5番! ゴザの上に置いて食えよ? こぼしたら床が汚れるだろォ?」などと恫喝めいた口調で僕を叱ってくる。僕は一瞬頭にきたが、(たしかにコイツの言い分は一理ある)と思い、素直に「はい」と答えて、その容器をゴザの上に戻した。
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朝食後、この日は留置場内にある風呂場に入れる日であったので、順番を待ち、留置官に自分の番号を呼ばれてから風呂場へ向かう。
風呂場の前に立っている留置官からリンスインシャンプーを借りると、その場で少し待つように指示される。留置官は風呂場に向かって「19番、あと3分~!」などと言って、早く風呂場から出るように催促している。
19番が出てくると、留置官から入場の許可がおりたので、脱衣所から風呂場に入ると、髪を洗っている男の背中に彫られた般若と目が合った。
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僕は和彫の刺青を生で見たのは初めてだったし、そもそも浴場で大きな刺青を見るのも初めてだったので、これにはなかなか面を食らった。和彫の男は隣の居室でよく騒いでいたギョロ目のじじいで、目が合うと、「おう5番!!」などと完全に音量を間違えている大きな声で挨拶をされた。
風呂場は6人分程の身体を洗うスペースと、3人程入れそうな大きさの浴槽があり、定員は3人に絞られていたので、割とゆとりのある空間だった。
僕は悪臭を放っていた頭皮と髪を洗い、石鹸を泡立てて手で体を洗ってから浴槽に入る。浴槽は垢が浮いていて気色悪さはあったが、そんなことはどうでもよくなる程、熱い湯に全身が浸かる気持ちよさに蕩けてしまう。
時間も忘れて蕩けていると、タイマーで入浴時間を計っていた留置官が「5番、あと3分!」などと急かしてきたので、しぶしぶ風呂場を後にする。
風呂場から出ると、留置官から綿棒を2本提供されたので、その場で耳掃除をし、耳糞のついた綿棒が多く捨てられているバケツに綿棒を捨てる。
入浴後、同じ居室のベトナム人と筋トレやヨガをして、漫画の続きを読み、昼食を終えてうたた寝をしていると、ヤクザ風の留置官とギョロ目のじじいによる、完全に音量を間違えている会話が聞こえてきて、目を覚ます。
「なあ6番、三浦春馬って知ってるか? 俳優の」「あ、よく知らねっすけど、知ってます」「あぁ…じゃあやっぱ有名なんだなあ」「おれはそういうの全然興味ねぇんですけど…それで、三浦春馬がどうしたんですか?」「自殺したんだって、首吊り」
寝ぼけ眼で寝転がっていた僕はそれを聞いて仰天し、膝立ちになり、ヤクザ留置官の方を見て「え!?」と声を発する。するとヤクザ留置官は「あ゛?」と何故か威嚇をしてきたので、僕は無視してまた寝転がった。
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それから仰向けの状態で漫画の続きを読んでいると、首が痛くなってきたので、長袖のスウェットを脱いで、それを枕にし、再び漫画を読んでいた。
すると、しばらくしてヤクザ留置官が「何やってんだこらァ!」と急に大声で怒鳴ってきた。僕は目を丸くしてヤクザ留置官の方を見ると、ヤクザ留置官は「てめぇ枕にしてんじゃねえぞ!」と怒鳴ってくる。
僕はムカついて反射的に舌打ちをし、「うっせーな…」と小声でぼやきながら、枕にしていたスウェットを手に取って着ようとすると、ヤクザ留置官は鬼のような剣幕で「てめぇ…! 次やったらブチ殺すぞッ!!」と場内に響き渡る大声で怒鳴ってきた。
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僕は大声で露骨な脅迫をされたことで、急激に心拍数が上がり、身がすくんだ。しかしこれは好機だと察知して、「…あ、今ブチ殺すぞって言いました?」などと震えた声で聞き直す。
すると、ヤクザは若干ひるんだ表情で、「……ブチこむって言ったんだよ!」などと言うので、僕が「ブチ殺すって言いましたよね?」と再度聞き直すと、ヤクザは「日本語分かんねえのかァ!? ブチこむって言ったんだよ…! 刑務所に…」などと咄嗟に出たらしい言い逃れをしてくる。
僕は負けじと「ブチこむでも脅迫ですよ? それにここにいる人たちは全員ブチ殺すぞって言ったのを聞いてると思うんで、言い訳しても無駄ですよ」などと平静を装って言い返す。
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すると、ヤクザ留置官は見事に何も言い返せなくなったようで、わなわなと顔を震わせて立ち尽くしていたので、僕は手元にあった便箋とペンを手にとり、「すみません、あなたのお名前を教えてもらえますか?」と尋ねる。
ヤクザ留置官は「…教えねーよ」と言うので、僕が「なんで教えられないんですか?」と尋ねる��、「教えちゃいけない規則なんだよ」などと言い返してくるので、「その規則見せてくださいよ」と言うと、「見せちゃいけないことになってるんだよ」などと幼稚な返答をしてくる。
僕は埒があかないと思い、「ええと…16時25分。50代くらいの、暗いレンズのメガネをかけて、髪を七三分けにした男性警官に「ブチ殺すぞ」と大声で脅迫をされました…」などと、わざとらしく声に出しながら、声に出した内容を便箋に書く。
さらに補足として、ヤクザ留置官の特徴をメモに取り出すと、ヤクザ留置官はおもしろいくらいにシュンとして、事務机のある椅子に無言で座った。
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僕は既にヤクザ留置官の特徴を十分にメモしていたが、ヤクザ留置官を虐めるのが楽しくなっていたので、「ええと…肌はやや赤黒く、耳は若干潰れており、ええと…よく見えないな……あ、一重まぶたで…」などと言って、ヤクザ留置官の特徴を執拗に記録する。
ヤクザ留置官は、さすがに僕の挙動に不安になったのか、帽子を深く被ったり、マスクを鼻の付け根が隠れるほどに覆ったりし始めたので、僕は「私が男性警官の特徴をメモにとっていると、帽子を深く被ったり、マスクで顔を隠したりしていました」などと記録しながら実況をしてやる。
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すると、ヤクザ留置官は顔をうつ向かせて体を丸めだし、とうとう玉のようになってしまったので、「これだけ特徴書いておけば誰だか分かるか…よし!」などと台詞じみた独り言を言って、ようやくペンを置く。ふとベトナム人の方を見ると、ベトナム人は隅っこのほうで気まずそうな表情をしていた。
夕食後、弁護士がやってきたので、今日の一連の騒動を報告すると、弁護士は「それはいいネタを掴みましたね!」などといつになく興奮した様子で、「検察も人間ですから、勾留している被疑者が警察から脅迫されたとなれば、身内の弱みを握られているようなものなので、起訴に踏切りづらくなるものですよ」などと言う。
弁護士は続けて、「私からは担当の検察官宛に抗議書を送付しますが、これから警察や検察の取調べの際には、留置担当官から脅迫をされて、警察や検察を信用できなくなったので、取調べに協力はできませんと言って、黙秘と署名拒否をしてください」と僕にアドバイスをする。
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僕は普段の悪態が幸いして、思いがけない武器を手にしたことに胸が高鳴っていたが、弁護士は水を差すように、「ただ、次の検察の取調べは注意してください。そろそろ共謀で捕まっている友人や売人がなにか自白しているかもしれませんから、検察が知り得ない情報を語っていたら、忘れずに覚えておいてください」と忠告する。
弁護士が帰り、自分の居室に戻ると、しばらくしてヤクザでない留置官が「5番、明日地検入ったから」と伝えてきたので、少し不安になりそわそわしていたが、就寝前にデパスを飲んだら、そんなことは忘れてぐっすりと眠ることができた。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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leomacgivena · 1 year
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退職する同僚を見るたびに「今度会うときは…客だ」という捨て台詞を残して退職した亡き上司の姿を思い出す。なお、退職後に会社を訪れようとして受付で「弊社はアポのない個人様はお断りしております」といわれて弾かれた姿は、彼がアポなし突撃営業を武器にしていただけに悲しさもひとしおでした。
フミコ・フミオさんはTwitterを使っています
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kennak · 3 months
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(注意: つらい内容が含まれます) ヨギタ・リマエ、BBCニュース 丘の上、木々の合間に、ミャンマー軍キャンプの廃墟がある。眼下に、特徴的なハートの形で地元で有名な、絵のように美しい湖が見える。足元には、地雷の薬筒や使用済みの弾丸が散乱している。兵舎があった場所では、散らばるトタン屋根の隙間から、黄色い花をつけた野草が顔を出している。キャンプの一角には、急いで掘られた塹壕(ざんごう)がある。 赤、白、青の横じまの中央にサイチョウという鳥が描かれた旗が、曇り空の下で風になびいている。ミャンマーの西部チン州で同国の軍事政権と戦う、民族武装組織「チン民族軍(CNA)」の旗だ。 CNAは7カ月前、地元の武装住民グループとともに、インドとの国境貿易の町リクホーダルにあるこのキャンプと、チン州の他の地域からミャンマー軍を追い出した。チン州の武装勢力は、2021年のクーデターでミャンマーのぜい弱な民主主義を粉砕した軍事独裁政権と戦ってきた。その彼らにとって、前例のない成果だった。 国軍がこの地域で支配権を失ったのは初めてだ。BBCは今回、同国西部で反政権勢力の躍進を目にするという、めったにない機会を得た。 リクホーダルでの勝利は、決して簡単ではなかった。武装勢力は1年以上にわたり、何度も攻勢をかけた。一部の家族は、耐え難い犠牲を払った。 画像説明,武装抵抗運動に加わったラルヌンプイさん ラルヌンプイさんはダンスが大好きな17歳だった。彼女のソーシャルメディアのアカウントは、人気映像のダンスをまねる彼女の動画でいっぱいだった。 「彼女はいつも自信たっぷりに踊っていた。でも、着飾ることには興味がなかった。兵士に憧れ、国のために命を捧げた兵士についての歌を一日中聴いていた。勇敢で強く、怖いもの知らずだった」。ラルヌンプイさんの母ラルサントルアンギさんは、そう話す。 クーデターが起こると、ラルヌンプイさんは両親を説得し、家族が暮らすハイムアル村で武装住民運動に加わった。その理由を、学校で手書きした英作文の中で、次のように説明していた。 「ミャンマーはいま、壊れている。(中略)ビルマ兵は私にとって敵だ。情けがないからだ。(中略)私の将来は国民防衛隊にあって、私はそれが好きだ」 2022年8月、彼女の村の武装住民らは他のグループとともに、リクホーダルの軍キャンプに攻撃を仕掛けた。 「私たちは13日間連続で、相手側にドローン(無人機)の雨を降らせた。爆弾のほとんどは私が作った。私が部隊で一番の溶接工だったので」と、ラルヌンプイさんの父ラルジディンガさんは言う。彼はクーデター前はトラック運転手だったが、ハイムアルで何人かと国民防衛隊を組織するようになった。 この時の攻撃では、軍キャンプを奪うことはできなかった。双方に犠牲者が出た。 ミャンマーの地図 2022年8月14日、ミャンマー軍は報復攻撃としてハイムアル村を急襲した。住民の話では、民家十数軒に火が放たれた。私たち取材班は、そのような家屋の残骸をたくさん目にした。ミャンマー軍は、北部と西部で抵抗勢力を抑え込むため、何万軒もの民家を焼き払ったと非難されている。 この報復攻撃で、17人が軍に人質に取られた。ラルヌンプイさんと、弟のラルルアトマウィアさん(15)も含まれていた。その後、この2人を除いて全員が解放された。2人の父親に軍が仕返しをしたのだと、家族は考えている。 2日後、ハイムアルの外れにある森の浅い墓の中に2人の遺体があるのを、村人たちが発見した。 どちらも残忍な拷問を受け、銃床で殴り殺されていた。ラルヌンプイさんはレイプされていた。弟の胸、腕、性器には熱湯によるやけどの跡があった。BBCは、遺体の詳細な写真と検死報告書を確認している。 BBCはこの件でミャンマー軍に質問を送っているが、まだ回答はない。 ラルヌンプイさんの弟ラルルアトマウィアさんはまだ15歳だった 「子どもたちに何が起こったのか、考える勇気がない」。父ラルジディンガさんはしばらく黙った後、言葉を探すように言った。「子どもたちは殉死者だ。私よりずっと立派だった」。 少しの間を置いて、彼は続けた。子どもたちのことを愛情をこめて語る、誇らしい父親の姿だった。「息子は私より5センチ背が高くなっていた。話し好きで、家の手伝いを何でもいやがらずにやった」、「2人は切っても切れない仲だった。人が集まっているところに娘が行けば、みんな楽しく笑顔になった」。 母ラルサントルアンギさんは、涙を拭いながら末娘のハダシちゃん(4)を抱きしめ、こう話した。 「夫には、子どもたちの死で落ち込まないように言っている。これは私たちだけの問題ではない。将来の世代も自由は必要だ。何の権利もなく、軍の言いなりになるような、そんな状態で暮らすのは正しくない。命をかける価値がある戦いだ。私は自分の子どもたちを誇りに思っている」 私たちはミャンマー滞在中、戦闘服に身を包んだ人たちに会った。半自動小銃などの銃器を携えている人もいた。ただ、職業軍人ではない。野蛮な紛争に直面し、見事なまでに意を決している農民、学生、一般住民たちだ。 国民防衛隊のヴァラ司令官は、ハイムアルの眼下に広がる緑豊かな谷を指さしながら、ミャンマー軍はこの全域から撤退し、最も近い基地でも直線距離で50キロ以上離れていると笑顔で説明した。現地の墓地では、ピンクと白の造花で覆われた新しい墓へと私たちを案内した。 「軍事政権と戦って死んだ人たちのものだ」と、ヴァラ司令官は義理のきょうだいの墓のそばに倒れている花束を戻しながら言った。私たちは、ラルヌンプイさんとラルルアトマウィアさんの墓も見つけた。 私たちが会った住民らのほとんどは、ハイムアルの南にあるチン民族軍のヴィクトリア基地で訓練を受けていた。私たちは、緑深い森と山間部を通る、曲がりくねったでこぼこ道を進み、同基地を訪ねた。 そこでは、制服を着た何百人もの若者が新兵となって、広々とした平原を行進していた。 行進が終わると若者たちは、「私たちの祖国、愛する土地、私たちは血と命をかけてそれを守る」と歌う。 そして、武器の訓練へと続く。銃声が響く。 全員18歳以上だと説明されたが、もっと若く見える人も多い。2011年のミャンマーの民政移管で、大勢が自由を味わった。それだけに、もはや軍事政権は受け入れられないと考える10代の若者たちが、それぞれの夢を捨てて、抵抗運動に加わったのだ。 サン・ダール・リンさん(19)は教師を目指していた。 「クーデター後の最初の1年は、それほど悪くなかった。けれども、やがて軍が私たちの村を砲撃し始めた。私たちの家は壊されて、村に入って来た兵士は家を燃やし、人や動物まで殺した。私たちはジャングルに逃げた。かなりの人数がいたので、ジャングルがそのまま村になった」 「おじは無残に射殺された。私は軍が大嫌い。自分の国と国民を守るため、CNAに加わった」 私たちは行く先々で、ミャンマーの若者たちが革命の波に巻き込まれているのを目にした。 ビルマ国家のために働いていた何千人もの人たちもまた、支持する対象を変えた。 ヴァンラルペクタラさん(22)はかつて警官だった。 母親のモリー・キアンさんは、息子が警察で訓練を受けていたころの古い写真を3枚差し出すと、「彼はそこそこの月給をもらっていた。私たちは幸せで満足していた。そうしたらクーデターで政府が倒され、彼は抵抗運動に参加することを決めた」と説明した。 モリーさん自身は青春時代を軍事政権下で過ごした。「当時は楽しい日なんて1日もなかった。軍がとても怖かった。だから私は息子の決断を支持した」。 息子ヴァンラルペクタラさんは2022年3月に抵抗運動に参加。その6日後に殺害された。 モリーさんは胸と首を指さしながら、「息子はこことここを刺された」と言った。「残忍に襲われた。片足は切り落とされていた」。さらに話を続けようとしたが泣き崩れた。「この話をするのはつらい」。 ヴァンラルペクタラさんが死んだ時、彼の妻は妊娠していた。もうすぐ1歳半になる男の子は現在、遠く離れた難民キャンプで暮らしている。 軍が村から追い出されたときの気持ちを尋ねると、モリーさんは拳を突き上げた。「とてもうれしい。でも完全な勝利が見たい」。 彼女の次男も国民防衛隊の一員となっている。 国軍に比べれば弱い複数の反政権勢力が、この紛争の流れを変え、はるかに強力で装備の整ったミャンマー軍を守勢に立たせた。それができたのは、一般国民の幅広い支持があるからだ。 「最初は軍が勝っているように見えた。しかし、戦争であれ政治であれ、国民の支持がなければ誰も勝てない。軍は武器では優位かもしれないが、民衆を味方につけられていない」。チン州の反政権グループが設立した並行政権の「首相」に指名されている政治家、パ・サンさんはこう話す。彼はアウンサンスーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)のメンバーでもある。 並行政権は、チン州全域の80%近くを掌握していると主張する。しかしミャンマー軍は、州都を含め戦略的に重要な町のほとんどを今も支配している。 それでも、反政権勢力には勢いがある。今週初めにはトンザンという町を奪った。 チン民族軍のフテト・ニー広報官画像提供,AAKRITI THAPAR/BBC 画像説明,チン民族軍のフテト・ニー広報官 「ここは私たちの土地だ。ビルマ軍の土地ではない。私たちは勝利を収めつつある。この土地の隅々までよく知っているからだ」。チン民族軍のフテト・ニー広報官はそう言う。 民族軍側が戦果を挙げている理由は、ほかにもある。国内各地の反政権勢力が協調し、軍が力の入れどころを選ばなくてはならない状況を作っているのだ。チン民族軍によると、自分たちはカチン独立軍やカレン民族解放軍、カレンニー軍と協力関係にあるという。 反政権勢力が直面する最大の課題は、グループ同士の内紛だ。チン州だけでも数多くの派閥が活動しており、その多くは従来から敵対している。 前出の政治家パ・サンさんは、結束を維持するのは可能だと主張。クーデター後に軍によって投獄されたアウンサンスーチーさんが率いる、選挙で選ばれた文民政府を代表する国民統一政府(NUG)の下で活動することに向けて、将来的な計画があると話す。 「私たちは鋭意、法律と憲法を作成している。NUGの一員として、チン州から大臣2人と副大臣1人を出す予定だ。ミャンマー軍が敗北を認めるときに向けて、あらゆる準備をしている」 私たちが会った人たちには、明らかな共通点があった。自分たちは勝てると、全員信じているのだ。 「もう、それほど長くはかからない」とパ・サンさんは言う。「こういう予測をするのは良くないが、私たちがあと2〜3年以上戦うような、そんなことにはならない。そう信じている」。 (追加取材:アアクリティ・サパル、サンジェイ・ガングリー) (英語記事 The devastating cost of fighting Myanmar's military dictatorship)
【ルポ】 ミャンマー軍事独裁政権と戦う人たち その途方もない犠牲 - BBCニュース
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fukagawakaidan · 1 month
Text
「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である���合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし���語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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reportsofawartime · 1 month
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スコット・リッター 世界で最も危険な男 真実は私の武器です。 アメリカはロシアと良好な関係を保ち、ロシアとの戦争を求めず、ロシアとの軍備管理を推進する方がよい。 これは私が親ロシア派だからではありません。私は親ロシア派ではありません。 私は親米派であり、これらはすべてアメリカにとって良い政策です。 1998年にポール・ウォルフォウィッツがサダム・​​フセインについて嘘をつかせるために私に数百万ドルの賄賂を贈ろうとしたことを彼らは知らないのだろうか。 今日のアメリカで私以上に愛国心のある人間は見つからないでしょう。 世の中には愛国者が大勢いますし、私も彼らを支持します。しかし、私は誰にも二の次になるつもりはありません。私はこの国を愛しています。この国のために命を捨てる覚悟です。そして、私が今日行うことはすべて、この国を守るためです。そこには、皆さんのために、アメリカはロシアと良好な関係を保ち、ロシアとの戦争を求めず、ロシアとの軍備管理を推進する方がよいと明言することも含まれています。これは私が親ロシア派だからではありません。私は親ロシア派ではありません。 私は親米派であり、これらはすべてアメリカにとって良い政策です。 そして2番目は、いったい誰が私を買収できると思っているのか? 1998年にポール・ウォルフォウィッツが私に数百万ドルの賄賂を渡してサダム・フセインについて嘘をつかせようとしたこと、ジョージ、将来のジョージ・W・ブッシュ政権に私を招き入れようとしたこと、ペンタゴンやCIAでの職、契約書などあらゆるものを私に提供しようとしたことを彼らは知らないのだろうか。米国政府、あるいは少なくともその一員になりたい人たちは、私が嘘をつけば何百万ドルもの金を私の前に差し出してきた。私は嘘をつかない。真実こそが私の武器だ。人々にとって都合の悪いこともあるが、私が政府のために働いて嘘をついたり、嘘を広めたりするという考えは極めて不合理だ。これが私が国防総省に伝えたい2つのメッセージだ。 あなたは間違った男を追いかけている。 私はあなたよりも愛国心が強い。憲法をとても大切にしているし、買収されることはない。私が買収される可能性があるとあなたが考えたことに私は侮辱されている。
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ryotarox · 4 months
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地平線のドーリア - Wikipedia
『地平線のドーリア』(ちへいせんのドーリア、英: The Dorian Horizon)は、武満徹が作曲した17の弦楽器群のための作品。 編成:2群の弦楽合奏 第1群:ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス2. 第2群:ヴァイオリン6、コントラバス3
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昨日の授業 - 武満 徹の地平線上のドーリア、イベールの小協奏曲… : 鎌倉スイス日記
武満の「地平線上のドーリア」は、弦楽アンサンブルのための作品でありながら、様々な奏法を使って極めて多様なサウンドを作り出している。 そして何よりも、ハーモニクス・ピッチと作曲者が呼ぶ馬蹄形に並んだ前列のアンサンブル(8人)に対して、離れてステージ奥に一列に並ぶエコーと呼ばれるアンサンブル(9人)の2つのアンサンブルのために書かれていて、弦楽オーケストラでありながら遠近感というか、音の空間への指向が強く出ている作品となっている。 また、聞いた感じでは無調性の作品にも聞こえなくはないが、タイトルが示すように旋法を基礎としていて、当時の音楽界で流行っていた?セリエルで技巧的な音楽に対する、武満独特の抵抗の意味も込められていると言われる。 いずれにせよ、一般的な意味でのドリア旋法ではないにせよ(ジャズの理論書にあるリディアン・ディミニッシュなどの音階を応用していると言われている)、この音楽には「弦楽のためのレクイエム」から続く世界観が底流にあると思われる。 曲の構造は意外なほど単純な��部形式で、省略された再現がある点も「弦楽のためのレクイエム」と共通している。 しかし、あの作品以上にこの曲は東洋的というか、日本の伝統的な音楽に向かう姿勢が聞かれるのは実に興味深い。 武満はこの作品において、弦のハーモニクスを多く使っている。その量は半端ではない。そしてそのハーモニクスにユニゾンとテンション・ノート(二度などでぶつかった音)によるピチカートを添えている。ピチカートは鼓の音である。ハーモニクスは笙の和音だと言われるが、その響きの独特な有り様は聞く者に強い印象を与えずにはおかない。 また中間部に動きのある部分を持ってきて(バルトーク風のカノンまで用意されている。というより、私にはストラヴィンスキーの「火の鳥」を思い出させるものだが…)いる点も「弦楽のためのレクイエム」の構成方法と酷似している。語法はかなりの深化をとけでいるが…。 冒頭の全音符の連続も印象的だ。メロディーなどの水平方向のラインを捨て去ったその音楽は、明らかに垂直方向の響きの世界に向いている。 この曲をどれだけ聞き、スコアを読んだことだろう。この曲を聞く度に当時のことが思い出され、ちょっと胸キュンの音楽なのだが、武満の音楽が私の「懐メロ」であるなんて話したら、以前、学生達から変な顔されてしまった。 やっぱり変かなぁ…。
図版出典:
武満徹 地平線のドーリア - 音楽之友社
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魔法
Magic
世界の誰もが笑う。
Everyone in the world will smile.
武器を捨て、争いがなくなる。
They'll cast aside their weapons, abandon all conflict.
生まれや血に縛られない。
Even births won't be tied to blood.
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そんな魔法を、私は知っている。
I know magic that can do that.
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――ガーデンで 兎と お茶会――
--A tea party with a hare in the garden--
――呪文で 仕立てた ドレス――
--A dress tailored by a spell--
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童話の世界は、魔法で満ちている。
The world of fairy tales is filled with magic.
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不思議な物語を描いたはずなのに、
Though I thought I'd painted a wondrous story,
現実は童話より不思議だらけだ。
Reality is far more wondrous than a fairy tale.
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もしも世界が離ればなれに分かれたら、
If our world were to part so that it was separated,
二度と会えないんだよ。
We would never be able to meet again.
まさかそんな未来が来るはずないよと、
Back then you'd laughed, unknowing
あの日まだ君は知らずに笑えた。
Thinking such a future would never come.
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あの国と分かりあえる。
We can get along with that country.
災いに怯えずに暮らせる。
We can live without fear of calamity.
恐ろしい病が消え失せる。
Even frightful diseases will die out.
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そんな魔法を、私は使える。
I can use magic that can do that.
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――絨毯で 星空の シュプール――
--Tracks left in the starry sky by a carpet--
――キスで 目覚める プリンセス――
--A princess who awakens with a kiss--
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童話の世界は、魔法で輝いている。
The world of fairy tales glimmers with magic.
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残酷な教訓さえ描いてあげたのに、
Though I thought I'd painted some cruel moral lessons,
現実は童話より残酷だ。
Reality is far crueler than a fairy tale.
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いつか世界があの日のように戻るなら、
If the world could someday return to how it was that day,
ここでまた会おうよ。
Let's meet here again.
こんな運命に魔法をかけて、
I'll cast a spell on this fate,
大声で笑って、歌える日が来ますように。
So that the day comes where you can loudly laugh and sing.
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そして私は絵空事と笑われても、
And even if I am laughed at, told it's a pipe dream,
まだ童話をかたるよ。
I will still tell fairy tales.
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創造すること、それこそが魔法。
To create is, in itself, magic.
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さぁ描いて、歌って、奏でよう。
Now, I shall paint, sing, and dedicate
世界を。
This world.
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ari0921 · 8 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
   通巻第8118号
 孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
  吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
*************************
 自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
 孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
 高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
 
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
 
 吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
 ▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
 孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
 孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
 戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
 「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
 吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
 つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強��を増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
 江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
 「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
 つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
 ▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
 孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
 上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
 議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
 中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
 下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
 中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
 ▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
  『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
 「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
 いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
 アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
 (十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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nephe1o · 8 months
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Yoka-profile
▼プロフィール
【名前】煤賀 燿香(Yoka Susuga) 【年齢/性別/身長】??歳/女/146cm 【一人称/二人称】私/貴方 【長所】穏和・努力家・器用・柔順 【短所】内気・自己犠牲的・情に脆い・押しに弱い 【好き】料理・蝋燭の火・お世話・刀の手入れ・和風なもの・辛いもの 【嫌い】寒さ・虐め・水泳・大きな音
儚げなか弱さを感じさせる穏和な性格の少女。 控えめで大人しい雰囲気に反して根性があり、一度決めたことは挫けず最後までやり遂げようとする粘り強い性格。 正義感が強く弱者救済を是とする人格者であり善人に対してはとても良心的で、悪人に対しても真っ先には制裁を加えず、改心の機会を一度だけ与えている。
火炎と共に舞い踊る軽快な侍。 優れた武人を輩出する名家の生まれだが、他の兄弟と比べて成長しても体格に恵まれず《重》を軸とする煤賀家の武術と相性が悪かった為、両親からは早々に見切りをつけられ放任されていた。 それでも彼女は武士道を歩むことを諦めず必死の努力の末に、《軽》を軸にした武術を会得することに成功する。しかし、煤賀家の正統な武術とかけ離れた彼女独自の武術は異端と非難され受け入れられず、最終的に実家から勘当を言い渡されてしまう。 その後、実家を追放され宛も無く彷徨っているところを悪人に騙され捕まってしまうが、とある人物の気まぐれにより運良く助かることとなる。 現在はその恩人への返礼に加え、人助けや路銀の確保をを目的に冒険者兼賞金稼ぎとして活動し、武術の研鑽に励んでいる。
料理が趣味。 調理に関しては何をさせても出際が良く器用にこなせる為、レシピさえ分かってしまえば基本的にどんな料理でも作れる。一番の得意料理は和食。 作った料理は自分で食べるよりも人に振る舞うことを好んでおり、人から「美味しい」の一言が聞けることを何よりの喜びと感じている。 因みに彼女の愛刀は呪われた妖刀。刀に主人として認められた者以外が鞘から刀を抜けば、瞬く間に全身が燃え上がりその体は灰と化す。
◇「悪い心は捨てて。反省すれば許してあげます」 ◇「寒いのは苦手。だから燃やすの」 ◇「あ、あの…そういうのは…困ります」 ◇「私でお役に立てることがあれば何でも言ってくださいね」 ◇「みんなで一緒に帰れる。それってとても素敵な事だと思うの」 ◇「主様に仇なす者に慈悲は無い」 ◇「暗くて…寒くて…寂しいのは…嫌…」 ◇「お疲れ様。お食事の準備整ってます。疲れた体を癒すにはやっぱり美味しいご飯。沢山食べてゆっくり休んで」 ◇「炎はどんな人でも拒まずに受け入れてくれるの。だからね、貴方の罪も纏めて一緒に燃やそうね」
◆「ジゼル様。私の故郷では《能ある鷹は爪を隠す》という言葉があります。私はそれが貴女にぴったりな言葉だと思っています…なのでそろそろ真面目に働いてくださいね」 ◆「デニサさん。私は貴女をとっても尊敬してます。いつも冷静で清く正しく生きている。そしてなにより大人っぽい…私の憧れ」
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▼武器など
◆鬼のお面。 魔力を付与すると使用者に合ったサイズへと��化する。
◆刃文が炎の様な見た目の妖刀。 魔力を込めると刀身に炎を纏わせられる。
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▼リンク
◆イラストの高解像度版と他クリエイター様による作品一覧
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patsatshit · 11 months
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「週刊少年ジャンプ」(集英社)にて2018年14号から連載中の『呪術廻戦』が面白い。人間の負の感情から生まれる化け物・呪霊を呪術を使って祓う呪術師の闘いを描いたダークファンタジー。読者の予想を裏切りまくる展開で、数多の考察系YouTuberを幾度となく地獄に叩きつける作者のイヤラシイ才能に惚れ惚れする。ストーリー、人物造形、魅力的な術式の数々、どこをとっても見どころ満載で語り始めたらそのまま夜を駆けて呪いに転じてしまいそうなんだけど、特筆すべき点をひとつ挙げるとすれば、主要なキャラクターのひとりである羂索という呪詛師の存在。他人の身体を乗っ取り、永い時を越え自らの野望を叶えるために存在する人物。この羂索が物語を牽引するから本作は特別なものになっている。どこまでも純粋に面白いことを追求する奴が真に面白いと思ったことだけを次々に実践していく訳だから、その内容が面白くならない筈がない。
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彼が目指すのは「呪力の最適化」である。 呪霊のいない世界でも牧歌的な平和でもなく、自らの生み出すもの以上の可能性を見つけること、つまりは呪術の力で新たな世界を創造しようとしている。 呪術師・呪霊・非術師、これらは彼曰く「人間という“呪力の形”の可能性の一つ」に過ぎないらしく、さらなる呪力の可能性の探求の為に、1000年もの間、様々な術師の身体を渡り歩いて暗躍を続けていた。 そして最終目標は日本全土を対象に人類への強制進化を成すため、人類と天元を同化させることである。 おまけに乗っ取った人物の身体能力、特徴だけでなく術式等の能力をもそのまま引き継ぐことができるのだが、本人の年齢及び本来の顔、性別も未だに不詳。ここまで書けば勘の鋭い方なら既にお気づきだろう。そう、これは完全にドゥルーズの生成変化である。生成変化とは他なる物事への複数の「外在的」な「関係」の付置それ自体としての、言うなれば「関係束」としての「自他」が組み変わることである。それは万象の渾然一体ではなく、互いに区別される関係束の多様な組み変わりである。ドゥルーズの動物論は、スピノザ的「生態学的倫理」として解釈されることが多い。要するに自己の「身体の能力」を開発し、他者のそれと絡み合わせ、自他が一緒に活力を増していく「強度の共同性」を拡大することである。まさに「闘争領域の拡大」というやつだ。そしてそれは数々の漫画作品からの場面引用と構図、展開等の組み合わせで『呪術廻戦』を構築する作者の意図としても汲み取ることが可能である。
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つまりは羂索≒芥見下々であると、わざわざ声を大にして僕は言いたい訳だが、これは世界とは、断片的な物事のあらわれを「想像」に於いて「連合」した「結果=効果」であり、そして世界のいたるところに、互いに分離した想像する「精神」があるというヒューム主義を独自に咀嚼した庵野秀明原作・監督によるオリジナルアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の概念を字義どおりに渡り歩いた芥見下々の巧みな筆捌きからも察することは容易い。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』で作中人物の碇ゲンドウが目論んだ「アディショナルインパクト」をゲンドウ自身の言葉で要約すると「セカンドインパクトによる海の浄化。サードによる大地の浄化。そしてフォースによる魂の浄化。エヴァインフィニティを形作るコアとは魂の物質化。人類という種の器を捨てその集合知をけがれなき楽園へといざなう最後の儀式だ」ということであるが、これは羂索の最終目標である日本全土を対象に人類への強制進化を成す為、人類と天元を同化させようとする「超重複同化」と思想的にもかなり近しいものがある。『新世紀エヴァンゲリオン』は言わずもがな、他作品へのオマージュをふんだんに散りばめる『呪術廻戦』そのものが芥見下々なりの「アディショナルインパクト」であり「超重複同化」であり「生成変化」の一端であると言い切ってしまうのは、いささか暴論に過ぎるだろうか?
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『呪術廻戦』と同じく「週刊少年ジャンプ」で連載中のギャグ漫画『僕とロボコ』の第156話「オマージュとロボコ」と題された一話にはオマージュを最大の武器としている作者・宮崎周平の意図を盛り込んだ内容で、そのあまりにも大胆かつバカバカしい試みに失笑を超えて思わず仰け反った。「パクりはもう卒業しました!」と切り出す主人公ロボコは「複数の作品の良いトコロを参考にすれば、それはオリジナルになりうる!」と豪語する。そして数え切れないほどの他作品の「良いトコロ」をつまみ食いしてオリジナル漫画を描き上げては周囲を唖然とさせるも、本人は至って冷静に「オマージュの範囲内ですね」と嘯く。そしてキャリア2年目の編集者が編集長の目を盗んで本誌掲載に踏み切り、結果、見事に大炎上するという極めてメタメタで知的な内容だった。オマージュについては『リズム・サイエンス』(青土社)という書籍にも深い洞察が垣間見える。本書はヒップホップやジャズなどのブラック・ミュージックから現代音楽、果てはメタルまでを往還する境域のミュージシャンDJスプーキーが本名ポール・D・ミラー名義で上梓した渾身の音楽論である。前述のロボコが描いたオリジナル漫画のタイトルが『ドキ♡孫・D・炭太郎の青春‼︎大秘宝‼︎』であったことを鑑みれば、宮崎周平の目論見は明確である。ミドルネームの「D」それは単なる偶然にしては出来すぎた話ではないか。近/現代思想を核に、音楽、映画、小説、詩をサンプリングしながらも、「他人の思考を自分のものにするのは発明するのと同じくらい難しい」と天を仰いだその真意とは。彼の試みは確実にイギリスの批評家マーク・フィッシャーに受け継がれ、氏の没後は言うまでもなく……。
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東京を拠点に活動するラッパー、J.COLUMBUSが長野県松本市のトラックメーカーMASS-HOLEをプロデューサーに迎え、制作したアルバム『On The Groove, In The City』は、幾つもの言葉の断片が虚実の被膜ではなく、自己/他者の被膜をねっとりと愛撫するように言葉が置かれる。しかもそれらは決して打点を刻むことなく、じわじわと地中に溶解する。もはやJ.COLUMBUSの言葉とPAUL AUSTERの言葉に差異はない、否、具体的には決して交わらない他者と自己の言葉が混ざり合うことも溶け合うことも拒絶して地表に吐き捨てられる。これはストリートの詩情などという陳腐な戯れではなく、現前する意志を喪った風景を浮かび上がらせようとする稀有なる試みだ。因みに芥見下々は「パロディやオマージュの線引きは、自分の中では明確な基準がある」と明言している(コミックス16巻を参照)。ここまで記してきた僕の文章自体もWikipedia、ピクシブ百科事典、千葉雅也の論文「ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」を渡り歩いたものに過ぎず、無論、オリジナリティは皆無である。
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tokyomariegold · 9 months
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2023/9/26〜
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9月26日 除湿器をかけないで寝てみた。朝、溜まった水を捨てたりタンクを洗ったりする手間がなくなって少し嬉しい。 目を通さなくては!と思って玄関に置いてあった書類を持って出かける。電車で読もうと思っていたら、最寄駅で通勤にメインで使っている路線が人身事故で運転見合わせ中の情報を確認する。 乗り換えがとっても少ない陸の孤島路線なので、別ルート切り替えて、馬鹿正直に乗換案内通りに職場へ向かった。 今まで朝の時間の事故に巡り会ったことがなかったので、初めて朝の時間に乗る電車は少し新鮮だった。 でも窓の外の風景は、先日成田空港から帰ってきた時に感じた何もなさ、で、すぐ飽きてしまい、少し混んでいる車内だったけれどワクチン接種の予約やiDeCo(ってなんですか!)の資料を読んだりして、玄関に置いてあった書類の確認をこなす。 そのうち一つが、ガスの点検のお知らせで、対応可能日時を返信用封筒で答えないといけなかったらしい!(もう返送期日が過ぎていた。) なんだかんだ5分遅れで職場に着いてしまった。 お昼休みに今週末や来月の予定を立てたり、予約をしては変更したりして、予定をするだけでこんなに忙しなくなってしまって大丈夫?と不安になる。 実家から写真集の残部を配送したとのメッセージが来ていたようだったので、販売サイトを少し更新した。 あまり違いが分かってなかったけれど、私がしたかったのはNISAの方みたいで、インターネットで口座を開設する手続きをしているのだけれど、本人確認の審査が通ってから進めなくなってしまったので、コールセンターに問い合わせるけれど全然繋がらない。 自分の電話番号を間違えて登録してしまったみたいで、電話の繋がらなさに、もう、ここから他のインターネット口座開設にシフトチェンジしたい気持ち。 長生きする気がないのに、長い目で見たお金をどうこうしようとしてバチが当たったのかも。 いつも行くスーパーでは、ピーターラビットのグッズプレゼントが始まるのか、店員さんがピーターラビットのぬいぐるみを並べていて可愛かった。 帰り道に餅太郎が3つ落ちていた。 帰宅時間の30分の違いで、外の暗さが全く変わってくる季節。
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9月27日 通信制限のかかる操作感で、写真集のネット販売の設定とインターネット口座の登録をした。 実家から写真集を配送してもらったので、あまりよくわからないけれど、せっかく出し写真集の残部を販売してみることに。 限定販売してたのに売れ残って再販するって、なんかかっこわるい?のかもしれないけれど。 すでに登録を進めていた口座の方は、やはり今日もカスタマーサービスセンターに電話が繋がらず、他で新しく開設手続きをしてみる。 なんかお金のことばかりで少し悲しくなる。 でもお金って大切。 高校時代の政治経済の先生が、一流?銀行マンから教師に転職したと言っていたことと「人のお金を扱い過ぎてへとへとになってしまった」みたいなことを言っていたことを思い出した。 確かに教師が1番、業務上きれいごとを言って正解な立場かもしれませんね。 帰りのバスが、何かのイベント帰りのスーツを着た若者(男性ばかり)で行列になっているのをみかけて、反対周りに歩いてみる。 何もなかった。 明後日休暇を取りたい相談と明日の現場を控えたい相談を、今日もできなかった。 西武・そごうのストライキに密着したガイアの夜明けで、他社百貨店の労働組合の人たちも、こうゆうときは協力したい!と一緒にストライキに参加していた感じが、なんかとても良かった。
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9月28日 明日の1日有給、少し怯んでしまったのと余計なことを考えないで早起きしてお仕事をした方が気持ちが楽かも!と思い、半休を取らせてもらうことにした。 大阪に住んでいる友人から、来月会うスポットの提案をいただいて嬉しい。芦屋という高級住宅街のイメージの街のお店のリンクをいくつか送ってもらい、全然知らない街の新しい情報にわくわくしている(まだ見れてない)。 明日はお休みのつもりで、今日の帰りは写真を撮ろうと、月と一緒に撮りたいな、と三脚とカメラを持って出掛けてしまって、残りの枚数とか今日の思いの外夏が戻ってしまった気候とかを考えると、少し失敗だったかも。 久しぶりにメッセンジャーを開いたら、学生時代の研究室の先生から写真展のDMのお礼と行けなくてすみません、とのメッセージをいただいていた。 とても遅くなってしまったお返事をした。 日曜の都民の日、無料公開の施設がたくさんあるけれどどこも混んでそうで、でも植物園や庭園にふらっと遊びに行きたくなっている。 やっぱり1日休暇を取ればよかったな、と思いながら、無事明日の予定をこなせます様に。
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xf-2 · 11 months
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阪神大震災の混乱がまだ収まらない平成7年3月20日朝。東京・霞ケ関駅を通る地下鉄車両に猛毒のサリンが散布された。13人が死亡し、負傷者は6千人以上に。大都市で生物・化学兵器が用いられるという未曽有のテロは、世界に衝撃を与えた。
実行したのはオウム真理教。自前でサリンを製造し、これに先立つ松本サリン事件(6年)でも多数を死亡させていた。教団の被害者から相談を受けていた坂本堤弁護士一家殺害事件(元年)の関与も疑われ、警察の強制捜査を牽制(けんせい)するため、中央省庁が集まる霞が関を狙ったのだ。
一連の犯行を担ったのは、「グル(尊師)」と呼ばれた教祖、麻原彰晃(しょうこう)=死刑執行時(63)、本名・松本智津夫(ちづお)=に服従する一部の幹部メンバーたちだった。
「絶対的」な帰依の素地
はじめは、ヨガの先生に過ぎなかった-。大手ゼネコン出身で、教団独自の省庁制では建設省大臣に任ぜられた早川紀代秀(きよひで)=同(68)=は入信からわずか4年で、弁護士一家殺害の実行犯の一人となった。
神戸大農学部に進学し、その後景観工学などの修士課程に学んだインテリの早川。安易に「心」を持ち出す宗教はむしろ嫌いだったという。ノストラダムスの人類滅亡論などオカルトがブームだった社会人当時、本屋で「超能力」の文字が躍る麻原の著書をたまたま手にし、まだヨガサークルだった「オウム神仙の会」に興味本位で電話をかけた。
参加したセミナーで、麻原の「シャクティーパット」を受けた。麻原が参加者の額に手を当てるイニシエーション(秘儀伝授)の一種。「神秘体験」とまではいかないが身体が熱くなりエネルギーが入ってくるのが分かったという(『私にとってオウムとは何だったのか』早川、川村邦光、ポプラ社)。
ヨガの修行は宗教団体としてのオウムの特徴の一つだ。抽象的な説法だけでなく肉体を動かすため、なにがしかの変化を実感できる。早川はたばこをやめられるようになった。こんな小さなエピソードが後に「絶対的」となる帰依(きえ)の素地をなしていく。
「オウム真理教は基本的に二十四時間フル稼働の空間である。睡眠するための時間というものが基本的に設定されていない」。6年に出家した当時のことを、元信者の高橋英利はこうつづる(『オウムからの帰還』草思社)。過酷な修行に加え、「ワーク」なる作業奉仕が何時間もあった。
サティアンと呼ばれた教団施設は不潔極まりなく、ネズミやゴキブリが走り回る。「掃除はしないのか」と不平を漏らすと、清潔さや衛生を求めるのは「煩悩」と、別の信者にたしなめられた。
信者同士の私語は原則禁じられ、連帯はない。あるのは麻原とそれ以外。高橋は出家生活について「それぞれの個人のなかに閉じ込められている」と表現した。
善人ほど取り込まれ先兵に
出家信者はときに幻覚が現れるような苛烈な集中修行を課され、疲労により判断能力が減退した脳に、麻原の説法を流し込まれた。合成麻薬のLSDを服用させ、意識変革を迫るイニシエーションも行われていた。
「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない」。麻原はこのフレーズを何度も繰り返し、輪廻転生(りんねてんせい)を説くことで信者に死後の魂の行方を強く意識させた。生きていても悪業を重ねる人の殺生は「ポア」である-。より良い転生に導くための「善行」と教え込み、教団批判者の殺人を正当化した。
弁護士一家のポアを命じられた際、早川にもためらいはあった。だが、救済者たる「偉大なグル」の弟子というおごりがその迷いをかき消した。早川はこれを「慈悲殺人」と称した。
「自分ははまらないと思っている人がほとんどだが、大半がはまる」
信者のオウム脱会を支援していた弁護士の滝本太郎(66)はそう話す。オウムによるサリン攻撃を受けても教団と対峙(たいじ)し続けた滝本だが、個々の信者は「純粋ないい人ばかり」と振り返る。善人ほどカルトのマインドコントロールに取り込まれる。そして残虐行為もいとわないテロの先兵と化してしまう。
ハルマゲドン(最終戦争)による終末論を唱えていた麻原は、自らも立候補した2年の衆院選で惨敗して以降、国家転覆を妄想し、自動小銃調達やサリン製造など教団武装化の道をひた走った。今や陰謀論の定番となった「公安」「フリーメーソン」からの攻撃も盛んに口にした。両サリン事件というテロはこの延長線上にあったといえる。
逮捕後、妄信から覚めた早川は「権威が示す正義」の恐ろしさに言及した。自らのエゴを捨て絶対的権威に従う形を取っているが、実はそれは、形を変えた自分のエゴだったのだ、と。(呼称・敬称略)
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